聖火を静観する
「うちの子にかぎって…」「うちの子さえよければ・・・・」は、もはや死語である。しかし、これらの言葉がこの地域でまだ生きているのなら、この地域は子どもたちの未来を産み出すことのない、「死」の地域になるであろう。
2月2日の保護者会をもって私の役割はほぼ終了した。
虐めを阻止するための聖火は確かにその場所で炎を灯し、そして沢山の保護者の手によりリレーされていくことだろう。 最初からあなた方の問題だったのだ。私のような人間が関わること事態、異常な状況であることに気づくべきだった。
私はしばらくその聖火を静観しよう。しかし、次に私が動く時は私がこの地域を捨てる時である。だから捨て身で行動するつもりだ。私のブログは県教委や少数だがマスコミも見ている。
あなた方が自分達の尻をふけないなら、私は最終手段に出るつもりだ。
どうかあなた方の力で見事にこの学年を変えていただきたい。私の塾に限らず、近隣の学習塾では、あなた方の学校が危機的状況だということを知っているし、口にも出している。
他と比べる術のない井の中の蛙になっている生徒たち。
あなた方大人も井の中の蛙でどうするんだ。 私に文句を言うのもいいが、まず自分自身について猛省し、行動してほしい。
愛とは行動ではないのか?。
これは私たち虐めを憎む全国の人々から、あなた達に対する「ポツダム宣言」だ。原爆が落ちる前に正しい行動を起こしてほしい。
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