徴兵:芸能兵士たちの過酷な現実(下)
ペク・ポンギは「芸能人は大体20代後半から30代前半で軍隊に行くため、大変なことが多い」と話した。「芸能人として生活しながら人々からもてはやされ、ちょっとしたこともマネージャーがしてくれることに慣れていたが、実際に入隊すると、ただの二等兵にすぎないではないか。一般の部隊に適応できず、まさに“芸能人のように”ふるまい、20代前半の先任兵から厳しくされたり、むしろ先任兵や後任兵が芸能人に遠慮して、無理に入れない場合もある」
知名度が低かったペク・ポンギは芸能兵士としての生活を通じて、芸能界の人脈を築き、社会生活も学び、“芸能活動の感覚”を失わなかったという。「ラジオのDJ、イベントの司会、現場リポートなど、それまでできなかった仕事もやってみたら、スキルがアップし、一時国軍放送の“ユ・ジェソク”と呼ばれた」と話した。
しかし、同じ状況に不満を持つ芸能兵士の方が多い。あらゆるイベントに呼ばれることで、これまで積み重ねてきた「イメージ」が崩れはしないかと、ストレスを受ける。これまで作品を通じて神秘的で真摯(しんし)なイメージを築いてきた俳優Aは「ある部隊でマラソン大会が行われたとき、簡易テントで村の住民たちを対象に、みすぼらしい姿でサイン会を行わなければならず、不満が多かった」と話した。
ノ・ユミンは「一部の芸能兵士は、普段見向きもしない仕事を頼まれると、“軍隊で芸能兵士の労働力を乱用しているのではないか”と不満を持ったり、“外でこのような仕事をしたら、年間1億ウォン(約730万円)を稼げる”と訴えたため、周りの仲間がなだめて説得した」と話した。
「状況がよくないときもあるが、まさにできないことがないのが軍隊ではないか。僕も、マイクも伴奏もなく、“アカペラ”で公演をしたことがある。スタイリストがいないため、服も自分で用意し、BBクリームを持ち歩いて自分でメークしていた。いつも誰かがやってくれていたことなので、勉強になった。PSYさんは、頼まれてもいないのに、公演のとき自発的に14曲も歌っていた」
ある俳優は「芸能人が集まっているからといって、規律が弱いと考えるのは間違い。入隊前は親しくしていたが、先任兵長として会ったある俳優とは、現在連絡も取らない間柄になった」と話した。「兵長がテレビを見ていたとき、その前を無意識のうちに通り過ぎたところ、ひどい目に遭った。机の上にあった物をすべて投げ捨てながら怒り出して。当時は軍紀が厳しかったため、静かに生活していたが、除隊後、心にモヤモヤが残った」
ハン・ギョンジン記者