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[国際]ニュース トピック:正論
【正論】東京大学准教授・池内恵 ネットが崩す空洞化したアラブ
エジプトのムバーラク政権は絶体絶命の危機に追い込まれる中、断末魔のあがきともいえる動きを見せている。2月2日の午後、首都カイロの中心部、タハリール広場に集まっていたデモ隊に対して、政府の関与が疑われる組織された暴徒が襲撃し、多数の死傷者が出た。これで緩みかけていた反政府抗議行動の対決姿勢が再び高まるだろう。
本日4日を(ムバーラク政権との)「別れの日」と位置づけて、金曜の集団礼拝に集まった後に大規模なデモを行おうという呼びかけがある。これは、2月1日の「100万人行進」のような平和的なものにはならないだろう。
ムバーラク大統領は、「100万人行進」の圧力に押され、今年9月の大統領任期切れでの退任を発表した。これはデモ参加者の多くにとって不十分なものだったが、民衆の声で政府を動かしたという達成感は感じられた。この日の夜は、これまで大統領批判、体制批判を許されず鬱屈していた多くの国民が、街に出て自由に思いのたけを叫ぶ、高揚した祝祭的なムードが漂っていた。
群衆は方々で国歌を歌い、ナショナリズムの意識は強い。政権が抗議行動に応じて真摯(しんし)に対話することで、国民としての一体感を確認し、事態が収拾に向かう可能性もあった。
≪デモ隊衝突で軍の介入も≫
しかし、一夜明けた2日、デモ参加者の一部が帰宅し、広場に集まる群衆の数が減ったところで、暴徒を乱入させて、暴力で反ムバーラク・デモ隊を広場から排除しようという動きが出た。一転して険悪な雰囲気が支配している。一時的に、内戦に近い治安の悪化が生じることも危惧される。
本日4日のデモが大規模な衝突や、放火といった秩序の低下をもたらした場合、治安を回復するために、あるいは治安を回復するという名目で、軍が介入し、戒厳令統治を強化し、一層民主化が遠のくかもしれない。
エジプトの騒乱は1月25日から始まった。チュニジアで1月14日にベンアリ政権が崩壊したのに触発され、この日、「警察の拷問」への抗議を行うデモに全国で数万人が集まった。拷問は、現体制の抱える政治的病理であり、1950年代のナセル大統領の体制下から行われており、恐れられてきた。2006年以来、インターネット上の動画サイト・ユーチューブに、携帯電話の動画で撮影したとみられる残虐な拷問のシーンが次々と投稿されるようになり、政権への嫌悪感が高まっていた。
抗議は拷問に対してだけではない。政権とそれに連なる特権層の腐敗と汚職、30年にわたる非常事態法による強権・超法規的統治、物価の高騰、失業、といった問題への不満が噴出した。
≪強権、最低保障のアメとムチ≫
エジプトをはじめ、アラブ世界の共和制の諸政権は、おもに1950年代から60年代に成立したもので、軍を支配層とし、民族主義を鼓舞し、社会主義的な政策を一部取り入れた。食料や生活必需品に補助金を出し、国民に最低限の生活を保障するのと引き換えに、政治的自由を制限し、権力者の流すプロパガンダに唱和することを強いた。
90年代以降、政府は財政悪化から国民への給付を支えきれず、補助金を削減していった。ここ数年の物価の上昇は著しい。国営企業や利権を政権周辺の企業家に譲渡して、一部の特権支配層が蓄財する歪(ゆが)んだ経済成長が進んだ。一方で政治的自由化は実質的には進まず、政府は「民主化」「政治参加」のお題目を掲げながら、選挙に立候補すると理不尽に弾圧してきた。
≪福祉支えきれず、不満爆発≫
民族主義イデオロギーや社会主義的な福祉政策といった存立根拠が失われて、空洞化していた体制を、ここ15年ほど、強権支配で無理やり支えていたといえる。
それによって累積した不満が、相次ぐ新メディアの登場の影響で表出の場を見いだし、爆発したのが現在の状況だろう。1996年にはアラビア語衛星放送テレビ局アル=ジャジーラが開局し、各国政府の統制に従わない自由な政治報道で人気を集め、政府による情報統制とプロパガンダの力を弱めた。2000年ごろから携帯電話が爆発的に普及し、付属する簡易Eメールのショート・メッセージ(SMS)を使って連絡を取り合い、当局の監視をくぐりぬけて抗議行動を行う若者が登場した。
そして、インターネットが普及し、ネット上でグループを形成し情報交換するソーシャル・メディアが、新たな政治的集団化と行動パターンを生み出した。フェイスブックで拷問や汚職や物価高騰・高い失業率に反対するグループを作り、デモの日時を通知する。状況を文字や動画で逐次投稿して、不特定多数が呼応する。ツイッターで現場から実況中継するため、政府の弾圧は瞬時に世界中に知れ渡る。
情報空間のグローバルな再編のうねりの焦点に、中東の政治変動は生じている。(いけうち さとし)
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