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須賀川一中柔道部事故で寝たきり7年 家族、将来に不安

2010年10月11日

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在宅でリハビリを受ける車谷侑子さん(中央)。全国から届けられた4万2千羽の鶴が部屋に飾られている=6日、須賀川市

 須賀川市立第一中学校で2003年10月、1年生だった車谷(くるまたに)侑子さんが柔道部の練習中に頭を打ち、意識不明の重体となった事故から18日で7年になる。いまだ意識が戻らないまま侑子さんは先月20日、20歳の誕生日を迎えた。同市内に暮らす家族は、懸命に生きる侑子さんを在宅介護で支えながら事故と向き合っている。

 いくつもの小窓から光が差し込む。ヨガの音楽などのCDが心地よく流れる。白を基調とした部屋のベッドに、侑子さんは横たわっていた。

 「お誕生日おめでとう」と書かれたカードが添えられたミニーマウスのぬいぐるみと、笑顔で友人と写っている写真。介護ベッドが置かれているほかは、ごく普通の女の子の部屋だ。

 玄関のスロープとともに5年前に増築した。「なるべく病室みたいにしたくなかった」と母の晴美さん(47)。ベッドの侑子さんのほおを、そっと手で包みこんだ。

 侑子さんは事故後、寝たきりの生活が続いている。時折声を上げる以外、言葉もまだ戻っていない。

 今年の誕生日の前日、家族写真を撮った。事故が起きてから初めてだ。「20歳だからって何が変わるわけではないけれど、一つの節目の年だから」と晴美さん。侑子さんはその日のために仕立てたブラウスと巻きスカートに身を包み、正装した両親、制服姿の弟がベッドに寄り添った。来年の年賀状に使う予定だ。

 これまでは侑子さんが元気だった頃の写真しか飾ってこなかった。「でも、侑子は一生懸命生きているし成長している。これを受け止め、侑子にも、支えてくれている周りの人にも感謝したいと考えられるようになった」

 事故は車谷さん一家の生活を大きく変えた。当初、侑子さんは須賀川市内の病院に入院し、8カ月で別の病院に転院。家族は通い詰めながら裁判を戦った。体力も気力もすり減らす日々。急性の病気ではないため、長期入院はできない。在宅介護以外に選択肢はなく、侑子さんを連れ帰ったのは06年1月だった。

 ホームヘルパーは2人組で毎朝6時半から3時間おきに計5回、訪れる。手足の筋肉が弱らないよう、週1時間の訪問リハビリも欠かせない。ショートステイで侑子さんが外にいる間以外、晴美さんはほとんど家から動けない。業者が一カ月分のオムツを届けに来たり、侑子さんがむせると吸引機で痰(たん)を取り除いたり。

 「あっというまに1日が過ぎる」と晴美さんは言う。「侑子は20歳とまだ若いが、私は年老いていく。将来、誰が侑子を支えられるのかと考えると不安がよぎる」。侑子さんのような人の受け入れ施設がないという制度の不備を何とかしてほしい、と思う。

 民事訴訟の判決は、学校の事故報告書の信用性を疑問視し、「校長らは責任逃れをしようとした疑いが強い」と言及した。判決が確定した09年4月、父の政恭さん(54)は「事故はまだ終わっていない。組織的に隠蔽(いんぺい)し続けた幹部の責任が明らかにならなければいけない」と話した。その思いは変わらない。

 「裁判が終わり、事故も風化していくのかと思うとたまらない」と政恭さん。事故を二度と起こしてほしくないからこそ、学校や市教委が変わることを願っている。(川口敦子)

     ◇

 〈須賀川一中柔道部の事故〉 当時1年生の車谷侑子さんは柔道部長の男子生徒と練習中、何回も投げられた後意識を失い、呼吸困難になって倒れた。事故を未然に防ぐ注意義務を怠ったとして当時の顧問と副顧問の教員が書類送検されたが、08年8月、嫌疑不十分で不起訴処分になった。

 一方、車谷さん側が須賀川市などを相手に起こした民事訴訟で、地裁郡山支部は、顧問教員について、侑子さんが1カ月前に脳内出血で入院したと知りながら練習させていたことなどから「過失があった」と認定、市などに対し総額約1億5千万円の支払いを命じる判決を言い渡した。判決は確定している。

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