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[13098] D.C.Ⅱ from road to road (ダ・カーポⅡSS、ブラック風味)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2011/02/02 19:59
最終更新日 2月2日 & 中編『クリスマスDays』 4話 UP 

次回更新日予定、来週予定。


初めまして、「」と言います。

今回はD.C.Ⅱ(ダ・カーポ)の作品を取り上げたSSを執筆しようと思います。

内容としてはもし主人公の義之が不良だったら・・・という感じです。

感想や批判などをたくさんお待ちしています。


あと表現的にすこしブラックSS分があるので嫌悪感が出る人は読まないほうがいいかもしれませんね。


まぁブラックSSと言い切るには程遠い腕と知識ですが、あくまで風味です

ではお楽しみください


※憑依系(?)要素があるので嫌悪感がある人は読まないほうがいいかも

※多少暴力描写があるので読まれる時はそれを了承してください。18禁的になる描写はなるべく控えます。

※おかげさまで最終回を迎える事が出来ました。ここまで応援してくださった読者の方にお礼を言います。

 ありがとうございました!

 あけましておめでとうございます。また中編を書こうと思います。
 少し不定期更新になると思いますが暖かい目で下さいな・・・・。


  筆者 「」



[13098] 1話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/16 18:38


 その日起きた時間は余裕で遅刻になる時間だった。再びベットの上に横になるオレ。

 サボろうかと思ったが前の日、さくらさんにこってり絞られたばっかりだった。

 そして昨日の事を思い出す。あの日は帰ってきたら珍しくさくらさんがいたんだっけなぁ。




「義之くん・・・二日連続さぼったでしょ」

「お言葉ですが俺は低血圧持ちなんです。今日だって病院に行ったんですが、待ち時間が6時間で
 さっき帰ってきた所でまだフラフラするんです。」

「すいませんでしたは?」

「すいません」


 そう言って謝った俺に対してさくらさんはため息をついた。


「はぁー・・・なんで義之くんはこんな不良さんになっちゃったのかなぁ。この前の喧嘩だって色々処理大変だったんだよぉ」

「いや、それに関してはオレは無実っすよ。いきなりあっちから肩がぶつかっただの変な言いがかり付けられて・・・」

「そして病院送りと・・・」

「ええ」



 そしてさくらさんはうにゅ~と言いながら頭を抱えた。そしてオレはその時の事を思い出した。
 
 その日俺はいつも通りに学校の帰り道を散策していたらいきなりすれ違ってぶつかった奴に喧嘩を売られた。
いかにもガラ悪そうな奴だった。

 後で聞いた話だと上級生であることが分かった。多分近くにパチスロ屋があったからスッてしまってイライラしてたんだと思う。
すれ違ってぶつかったと言ってもたいした事じゃない。服と服がかすった程度だ。



 そしていきなり襟元を掴まれこう言われた。



「お前舐めてんの?」


 いかにもチンピラらしいお言葉。オレはある意味感心したがそういったやつが自分に絡むのは心情的に気持ちのいいものではない。


「いや・・・参ったな。舐めてませんよ」

「今ので怪我しちまってよ、少しお金貸してくれないかな?」
 
 ギリギリと襟元を持ちあげられる。少し呼吸が苦しくなった。大した力ではないがそれでも首元を締められるのは苦しい。
めんどくさいなと思った

 ニタニタした顔、多分何も考えないでこういうことをしてるんだなぁと思った。初音島は規模としては小さいが学園はかなりの大きさだ。
こういった手合いもそれなりにいる。

 (どうせ返さねーんだろ、金なんて)

 そう思っているとさらに襟を持ちあげた。



「出せよ、金」

「わ、分かりました!今財布取るんで・・・っ、は、離してもらえませんか?財布とれませんって・・・っ」


 多少怯えた声で苦しい声を出して、そして相手は完璧にオレが金を出すと思ったんだろう。素直に手を離してくれた。
襟元が楽になったと感じた―――その瞬間、相手の鼻っ柱を拳で叩きつけた。

 男は変な悲鳴をあげながら鼻血をだしながら跪いた。



「て、てめ――」

「それほど今の日本って不況だと思わないんけどな。テレビ、見ないのか?24時間なんたらかんたらってやってたろ?裕福だよね」

 そして下から顎をかち上げた。ひっくりかえったカエルみたいになった男の顔面を踏みつけた。

「ガッ・・・ァ」

「大体こんな普通の学生捕まえてお金せびるなって。バイトでもなんでもしたらいいだろ。そうだ、今のあんたの顔なら
 物乞いで通用するな。初音島のみんなはいい人ばかりだから恵んでくれるぞ」

 
 
 そういって今度は腹を蹴りつづけた。途中で意識を失ったようだが構わず蹴っていたらさすがに人が集まって挙句のはて
には警察まで来てちょっとした騒ぎになった。

 幸いにも相手はナイフを所持していて周りの人の証言、さくらさんの必死の頼み込みもあって正当防衛で処理された。
まぁ一週間停学になりはしたが些細なことだ。

 そんなことを思い出しながらさくらさんの説教を聞いていた。

「喧嘩なんてそれだけじゃないし、タバコ吸うわ、購買部のパン万引きするわ、はりまおにゾンビのマスク被せるわ・・・」

「あれは傑作でしたね」

 ギロっと睨まれておれは閉口した。仕方がないと俺は思った。あの日オレは担任の説教をくらって機嫌が悪かった。そんな時に
はりまおが目の前を通りかかり、思わず近くにあったクリパで使用するのだと思われるゾンビマスクを被せた。はりまおは鳴きながら
ゾンビマスクを被り学園中を疾走した。学園はパニックになった。ほとんどゾンビの顔だけで鳴きながら走ってくる生物。ある女子は
泣いてたりもした。

「もう・・・一時授業がストップになったんだよ」

 さくらさんはまたもやコメカミを抑えながらため息をついた。年齢は確実にオレよりは年上なのだがそういう仕草も子供っぽかった

「本当になんで悪い子になっちゃったんだよ~義之君は・・・」

「・・・」

 なんで・・・・か。特に理由はなかった。両親がいなく身内もいないせいでこうなったと周りの連中はいうがオレは違うと断言出来た。
周りの人たちは必要以上に可愛がってくれたし元々初音島の住人は温厚で優しい連中ばかりだ、苦はなかった。


 ただオレ自身がそういったことが非常に煩わしかっただけだ。好意とか憐れみといったものが。多分オレという人間の根本的な部分が
拒絶反応するのだろう。成長するにつれそれは大きくなり音姉や由夢とも話をしなくなっていった。

 
 せめて自分の最低限お金だけはなんとかしようと思いバイトを始め、それで稼いだお金を音姉に渡したら泣かれたのを思い出した。
家族なのにそんなことしないでと言われたが納得は出来なかった。元々身寄りのないオレをここまで育ててくれたのにオレはこんな性格
だしせめて・・・と思ったからだ。


「さくらの家に行きなさい」


 純一さんがこう言ってくれたのはありがたかった。さくらさんは学園長で忙しく家にほとんどいなく、気ままな生活が出来ると思った。
純一さんにしてもオレの性格を知っており、今のギスギスした状態で生活は無理だと判断してくれたからだ。


 去る時は音姉はわんわん泣き、由夢も涙目で声を押し殺していた。それをみて罪悪感を感じたがしょうがないと思った。この性格を直そうと
思った時もあるけれど無理だった、後天的なものであれば余地はあるが生まれながらこういう性格なのだ、直せなかった。


 今では学校で時々顔を合わすが音姉は辛そうにして下を向くばかり、由夢には遠巻きに見られていた。決して嫌われてはいなかったが
関係は最悪だ。そんなオレだから友人と呼べるのはいない。例外は杉並ぐらいだ。


 あいつも最初は煩わしかったがそのうちオレの人との距離感というものを理解したのだろう、必要以上にとっついてこなかった。まぁ何かの
騒ぎにオレを巻き込むのはこの野郎と思う。が、貴重なオレというものを分かってくれる友人みたいなものだ。あまり邪険にはできない。
タバコにしたって最初は気を紛らせるために吸っていただけだ、まぁ今じゃどこにだしても恥ずかしくない立派なヘビースモーカーだ。


 喧嘩はなんでなんだろうと思う、自分自身めんどいしかったるいと思っている。ただ、気に入らないと思った相手には気付いたらつっかかってる
状態がほとんどだ。そういう時はほとんど後悔してるが相手にしてみればそんなのわかりっこないのですぐ殺気立つ。そしてそれをみてオレは腹をたてる。
そして気付いたら喧嘩してましたみたいな感じになってる。今でもこれだけは直さないと思っているがなかなか直らない。一番厄介な悪癖だ。相手が
ヤクザだったと思うとゾッとする。



「まぁ・・・いいけど・・・本当はよくないけど、とりあえず今日は遅いから寝よう、ね」

 どっちだよと心の中で思ったが特に反論せず、説教が終わりだと元気よく賛同した。その時もさくらさんに睨まれたが。

「じゃあお休みなさい!」

 オレはそういうと階段を勢いよく登り床についた。冷たいシーツが心地よくすぐ眠りに就いた。

「はぁ・・・・」

 とさくらはため息をもらした。


「根は悪い子じゃないんだよねー・・・自分の分のお金は納めるし寝坊しない日は朝食作ってくれるし家事もしてくれるし・・・」

 そう、こっちに来てからも義之は自分のあり方を変えずバイトで稼いだお金をさくらの家に納めている。最初はさくらは渋ったが義之が
全然譲らなかったので仕方なくもらっている状態だ。義之には内緒だがそのお金は全部新規で作った通帳に納めてはいるが。

「・・・とりあえず寝ようかな―・・・うにゅ~」

 さくらはやるせない顔をしながら床に就いた。せめて義之くんが喧嘩で大きな怪我だけはしないように祈りながら、深い眠りの底に就いた。








「あーマジかったりぃなー、今日も休もっかなぁ」


 昨日の説教が堪えてないのかそんな台詞を義之は吐いた。空は一点の曇りなし、快晴まっただ中。そんな空の下を義之はのんびりと歩いていた。
少しずつ貯金し買ったタグホイヤーの時計をチラッと眺めた。時間は9時30分、遅刻当り前の時間だ。


「でもなーさくらさんおっかねーんだよなぁ、お世話になってるしあんまりふざけた事できねぇな~」


 さくらが聞いたらまた怒りそうな台詞を歩きながら呟いた。義之の中ではもう間に合えばいいやの感覚である。海はキラキラと輝いており
釣りをしてるおっちゃん連中を羨ましそうに見ながら登校した。

 平和な平日、主婦たちが立ち話に夢中になる横を通り過ぎる。通り過ぎた後なんか後ろからオレの事を話題にしてる話が聞こえてくるがいつもの事。

 あともうちょっとでつくかなぁ、あと10分ぐらいかなぁと道を歩いていた。

 すると道の途中に遊んでる姉弟がいた。恐らく5~6歳ぐらいの年齢だろう、仲良くボールの蹴り合いっこをしていた。


「うらやましいなーこんな平日から遊んでてー、俺もボール蹴って1日あそびてぇなぁー。うん?待てよ、そんな事してたらオレの体力もたねぇか」

 義之はそう自己完結しながら今度はどーもでよさそうな目で見ていた。

「あ」

 そう弟呟くとボールを蹴りそこなったのだろう、ボールは見当違いなところに転がって行った。姉が慌ててそれを追いかけていった。

「つーかオレ友達いないんだよな・・・なんか言ってて虚しくなってきた・・・・やっぱり休むか」

 そして何気にさっきの姉弟を見てみたら姉がボールを追いかけていた。ボールはそれほど速い早さではなかったが子供の足では追いつかないぐらいだった。

「あっぶねぇな~転ぶなよー・・・・と?」

 そんな台詞を呟いてると姉がボールを追いかけてる先の左からトラックが走ってくるのが見えた。姉のほうはボールのほうに目が集中していて
見えていない。

「オイオイ」

 義之は嫌な予感がした。よくテレビで聞く子供の飛び出し事故。自分には関係ないと思っていたことだがそのことが脳裏をかすめた。

 気付いたらダッシュしていた。さっきまでのんびり歩いていたのが嘘のような俊敏さ、嫌な予感は止まらない。

「あ――」

 やっとボールに追いついて安心したのだろう。姉はそっとボールを持ち上げてその場に踏みとどまっていた。何か音がするなと思って左を
向いたら大きなトラックが自分に向かってきていた。姉は茫然としてその場を動けないでいた。

「お姉ちゃん!」

「クソッ・・・!」

 弟が悲鳴にも似た悲鳴をあげ、義之は苦虫を吐き捨てるように呟きながら駆けた。

 トラックの運転手が気付いてブレーキを踏んだ時にはもう遅い。多大な重さが乗ったスピードはもう止まれないでいた。

「こんのガキ――!」

 義之はそう叫ぶと思いっきり姉を突き飛ばした。多分すげー擦り剥いただろうなぁと思いながら。

 そして襲いかかる衝撃、次に浮遊感。地面に叩きつけられても特に痛みは感じなかった。多分最初の衝突で神経がイカれたのだろう。

「あ――、ぐ」

 息なんて出来たもんじゃない。身体が本当にそこにあるのかと思うほど何も感じなかった。ただ息が苦しかった。まるで喉に何か詰められた
みたいだった。

 擦り剥いた傷に顔をしかめながらも茫然としてる姉、急いで駆けてくる弟、慌ててドアを開けて出てくる運転手。

(あーくそ、まじかったりぃぞ・・・クソ・・・めんでぇ)

 義之はそれらをみながら意識を失った。

 
 



[13098] 2話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/12/09 15:32





「あ―――」

 気付いたら桜の木の下にいた。正確にいうならば枯れない木の根元にだらけて座っていた。

「ん――、と」

 正直記憶が混乱していた。なぜ今こんな場所にいるのか、それで頭が一杯だった。

 周りを見渡すと夜なのかとてもうす暗く、桜の葉がひらひらと舞っている様子しか見えなかった。

 不思議と不安はなく安緒感があった。不思議だった。夢をみている感覚に似ていた。

「なんだ、ここ」

 呟いてから思いだした。ああ、確か子供の代わりにハネられたんだっけかと。ガラにない行動、自分はそういった人間の類ではないと思っていたが
とんだ気まぐれもあったもんだと思う。他の奴がオレが取った行動を聞いたら、耳を疑うだろうなぁと思った。

 ただ身体が勝手に動いていた。頭でどうしようああしよう考えるもなく走っていた。本当にガラではない。

「ん・・・」

 どうやら身体は動くらしい。さっきまではとてもじゃないがまともに呼吸出来る感じではなかった。というかくたばる寸前の体だった。
だが今身体を見回したらどうやら無傷だ。夢の中みたいなところだからなのかそれとも―――――

「義之くん・・・」

 振り向くといつの間にかさくらさんがいた。悲しげな顔で立っていた。まぁそうだよなと思う。死ぬほどの重症負ったわけだし、多分、いやかなり
心配かけたんだと思う。さくらさんには可愛がられていたし。

「おはようございます・・・でいいんですよね?」

「にゃはは・・・そうだね・・・うん」

 少し表情を軟らかくして笑った。こっちはというと身体をほぐしてる最中だ。不思議と身体は軽かった。

「さくらさん」

「ん・・・?」

「ここってどこですか?」

 そういう風にオレが尋ねるとさくらさんは黙ってしまった。オレはそんな様子に、少し気まずくなった雰囲気に居心地の悪さを感じつつ適当に
そこらの様子を再度見回した。相変わらず桜の葉が待っている。こんなんじゃ枯れちまうんじゃないかと思いつつその様子を見ていた。

「ここって」

「え?」

「なんか心地いい場所ですね。安心感があるっていうか、やすらぎますね。なんか自然の癒しだけじゃなくてなんかこう・・・あったたまるような」

「・・・そうだね」

 自分で言っていてうまく伝わったかなと思ったがさくらさんは頷いてくれた。この感じはうまく言葉にできない。多分故郷の匂いというのがあれば
こういう感じなのではないかと思った。だがあいにくと故郷というか両親の顔さえ覚えてないオレには断定できないが。

「事故」

「え?」

「義之くん、大変だったね、交通事故」

 さくらさんがそう切り出しこちらに顔を向けた。

「・・・・まぁ」

 言葉を選びながら切り出した。

「ガラにないっていうか・・・自分でもびっくりしますよ。子供を助けるだなんて、そして身代りにハネられる。ドラマの中だけかと思ってましたもんね」

「義之くんは・・・・優しいからね」

「自分ではまったくそう思いませんがね」

 だったらみんなを傷付けることはなかったろう。そしてあまつさえそれを仕方ないと思って割り切ってるオレがいる。とてもじゃないが優しい人間だとは
思わない。

「だったら例えば音姉とか由夢があんなに悲しむことなかったと思いますよ。それにオレ、仕方がないと思ってますから。その事」

「はは・・・義之くんの場合いろいろ難しい性格だからね・・・」

「そうっすね、自分でも難儀だと思います。これ、直そう直そうと思ってはいるんですがなかなか難しくて・・・多分性根が曲がってるんですよ」

「そんなこと―――」

「ところで」

 さくらさんが否定の言葉を発するのを絶って話しかけた。もうそろそろ本題に入りたかった。この夢を見てるような感覚、それでいて違う感じ。
現実と夢の間を行き来してるような錯覚。そして―――

「なんで事故ったオレがこんなとこにいるのかというと疑問もありますが・・・なんでさくらさんここにいるんですか?」

「え?」

「多分死にかけでしょ、オレ。ていうか死んだのか分からないですけど。もしかしてオレの幻覚?」

 いつもの夢を見る感覚ではない。ふわふわした身体の異常感。自分があいまいな感じ。それでいて現実感がある感覚、以上の事を考えて
そう言ってみた。

「・・・随分あっさり言うんだね」

 最初は驚きの顔をしたが次には無表情の顔をしたさくらさんがそう言った。否定の言葉は出なかった。あの事故で助かるとはとてもじゃないが思えなかった。
骨が砕ける音、頭に伝わる衝撃、動かない手足、あの状態で助かるとは思えない。

「もし、本当にそうだとしたら・・・さ、もっと焦ると思うんだけどな。死んでるかもしれないんだよ?」

 そう言われ今までの事を思い出した。実際にはあまりいい人生だとは思っていなかった。この性格は直せるとは思ってはいなかったし傷付けた人もいた。
環境には恵まれたが、それがかえって周りの人を押し退けるような感じになってしまった。これから先、こんな自分と付き合いながら生きていくのは実際の所
想像出来なかった。子供を助けたのだって自分が一番驚いていた。生きてても死んでても二度は無いと思う。

「こんな性格ですからね、まともに生きていけるとは思ってませんでしたよ」

「そんな悲しい事言わないでよ・・・・」

「実際そうだと思います。多分警察とかにつかまってみんなに迷惑かける前でよかったと思います」

 そう言うとまたさくらさんは黙ってしまった。オレからしてみれば当然の言葉であったがさくらさんにはショックの言葉だったらしい。
まぁ可愛がってた子が死んでよかったかもと言うんだ。とんだ薄情者だよな、オレ。

「で、なんでさくらさんがここに?」

 オレは一番気になった事を再度聞いた。三途の川の案内人って訳でもなさそうだしいる理由が分からない。いくら不思議系のこの人でも
なぜここにいるのかが分からない。一緒に死んだって訳でもないし夢ではないような気もする・・・本当にオレの幻覚かもしれないが。

「・・・わたしさ、ぶっちゃけていうと実は魔法使いなんだよね」

「・・・・」

 ――訂正、不思議系ではなくトンデモ系だった。

「はぁ・・・あ?」

「義之くんだって、魔法使えるんでしょ?別に不思議じゃないよ」

なんてことはないよという風にさくらさんは言った。

オレはとりあえず言われたことを反芻した。

「・・・まぁ、そうですけど」

 さくらさんには知られていた事には多少の驚きを感じたが・・・思い返せば初音島なんて不思議なことで一杯だし。純一さんだって使えるしな、魔法。
世の中にはやっぱり他にも魔法使いはいるんだろうなとは思ってはいた。が、こんな近くっていうか家の人だとは思わなかった。確かに何歳だよと常々
思ってはいたが魔法使い・・・ね

「それで・・・その魔法使いってーのは・・・まぁ、納得するとして・・・なんでここに?」

「・・・んーと、ね。義之くんさ、実は死んじゃったんだよ、ね」

 悲痛な顔をして、そして言いづらそうにしながらもさくらさんがはっきりそう言った。そして自分がショックを受けている事に気が付いた。
自覚はしていたが・・・さっきは悔いはないと言ったがやっぱり言われると少し切なくなる。ほんの少し程度だが。

「それでね」

 とさくらさんは話を続けた。

「義之くんが本当に消えてしまう前に、なんとか出来ないかと思って意識に入ってみたんだけど・・・間に合わなかったみたい。
いくら魔法でも死んでしまった人はなんとか出来なかったみたい・・・無理なんだ、ごめんね――」

 そうだろうなぁと思う。実際に魔法は万能じゃないと思ってたし、オレなんかは和菓子程度を出すことしか出来ない。多分すごい人は出来るのか
もしれないけど想像がつかない。というか意識に入るってどうやってるんだ。あれか、オレが夢を見る能力がレベルアップした感じか。そんな事を考えてると
さくらさんが話を続けた。

「だから・・・別のところに行ってもらうね」

「え・・・?」

 いきなりそんな事を言いだした。別なところってどこだよ。天国か地獄か・・・それともまた別なところか。予想がつかなかった。まぁ死んでるってことは
地獄かなと思ったりもした。自分が天国にいけるとは思えないし。

 というか別なところに言ってもらうっていう発言もすごいな。やっぱり三途の川の案内人だったんじゃないかと思いながら聞き返した。

「どこですか、そこって」

 多少やっぱり不安気になりながら聞いた。地獄はなんだか痛そうだ。嫌だから天国にしてもらえないだろうかと言うつもりだった。
さっきは天国には行けそうにもないと言ったが、ここには案内人らしき人がいる。もし地獄だったらなんとかコネで生き先変更出来ないか
と言うつもりだった。さくらさんはうーんとねと前フリを置きながら答えた。

「義之くんがいた世界とほとんど一緒な世界。ちょっと違うところはあるかもしれないけど同じ場所。」

 予想外の言葉を聞いた。天国でも地獄でもなかった。オレがいた世界とほとんど一緒な世界?そこにオレが行く?そんな事まるで魔法そのものじゃないかと思う。

 いやいや、さくらさんは残念な顔をしているがとんでもないことだ。生き返る以上にすごいことじゃないか、それ。しかしさくらさんの
様子を見るになんだか出来そうな気がしてきた。そうだよな、こんな場所にいるんだもんなぁさくらさんは。人の意識とかに意図的に介入出来るし
きっとすごい魔法使いなのだろうと思う。なぜか心にスッと入る感じで素直にそう思えた。でも――――

「オレは――」

「幸せにならなきゃだめだよ義之君は」

 さくらさんがオレの言葉を絶って言う。オレとしてみれば別な世界に行ったって同じ事だ。どうせまた他の人を傷つけるだけだ。さっきも言ったが
オレのこの性格は直せるものじゃない。性格と言うか心の根本的な部分だ。例外がさくらさんとかぎりぎり杉並ぐらいだ。だったらやっぱり素直に死んだ
ほうがいいよなと思った。出来れば天国で。そう思い話を切りだそうとして―――

「これしか方法なくて――私の最後のお願いなの・・・」

「・・・」

 そう言われれば―――断れないなーとは思う。これが今生の別れとなるのだろうし。最後のお願いか・・・思えばさくらさんだけに対して、オレはなんか違っていた。

 唯一なんだか逆らえない相手。でも不思議な感じがして、心が落ち着いた相手。こういう人物は他にいなかった。可愛がってもらっても優しくしてもらっても
何も感じない、というか煩わしささえ感じるオレがそうは思わなかった。唯一心を開けたんじゃないかという人。そんな人のお願いとあっては断れそうになかった。

「・・・そこまでして生きたいとは思えませんが」

「でも――!」

「でもさくらさんの最後の頼みです。まぁなんとか生きてみますよ」

 そう言うとさくらさんはびっくりした顔をしたがすぐ涙目になりありがとうと言った。お礼をいうのはこっちなんだけどなとは思ったが
口には出さなかった。心の中だけで感謝の言葉を言った。そしてオレはじゃあと切り出した。

「早速やっちゃってください。ぶっちゃけ途中から落ち着かなかったんですよ、この空間。最初は心地はよかったんですけどこの無理矢理甘いもの
被せられてる感覚、もう嫌になりました」

 そう、この例えるなら甘いミルクやらケ紅茶を無理矢理に飲ませられているような錯覚さえ覚える感覚。心地よかったのは最初だけだ。度が
過ぎればただの嫌悪感しか抱かない。

「無理矢理残った意識を留めているからね。こうするしかなかったんだよ、でももうおしまい。残り時間も少なくなってきているみたい」

 桜がざわめく感じがした。よく周囲をみたら桜の木の葉が散り始めていた。どうやら宴もたけなわ、もう閉幕してしまうらしい。

「そうですか・・・じゃあ、そろそろお別れですか」

 そうオレは言い姿勢を正してさくらさんに向き直った。多少悔いはあった。今までいた世界に悔いなんてものはなかったが――あればさくらさん
に悲しい思いをさせてしまうことだった。だが自分はもう死んだ身。出来ることといえば元気にお別れすることぐらいだ。そう思いつついつもの
調子で話しかけた。

「今までありがとうございました。いくら忙しいからといって無理しないでくださいね。さくらさん、すぐ無茶するから」

「・・・にゃはは、気をつけるよ。でも義之くんほどじゃないかぁ」

「はは・・・そうかもしれませんね」

「あっちにいっても無理しないでね。特に喧嘩、しちゃだめだよ」

「ちょっと難儀だと思いますが、――頑張ってみますよ」

 最後の挨拶にしてはそっけないとは思ったがこれでいいと思った。あんまりグダグダになってしまうとさくらさんの方が参ってしまいそうだ。
よくみれば手なんか震えてるし。あまり悪い事は出来ない。まぁこういう風に思えた相手はさくらさんぐらいだが。

「それじゃあ、さ。いくよ」

「いつでもどーぞ」

 身長差があるためか背伸びしながらオレの頭に手を乗せた。オレといえば少し膝を曲げ、手を乗せやすいような体制である。

「時間が無いからすぐ意識飛んじゃうと思うけど、そのね」

「はい」

「義之くんと過ごせてよかったと思ってるよ」

「自分もそう思います。本当にお世話になりました」

「うん、あっちにいってもまた怪我だけはしないようにね」

「はは、また事故らないよう気をつけます」

「・・・・・うん、それじゃあ」

 そうさくらさんが呟いたと同時に意識が無くなっていく。この感覚はまるで夢から覚めるみたいだなと思った。そしてだんだんとさくらさんの気配
と桜の木の葉が揺れる音が遠ざかって行った。最後にさくらさんが何か言ったのが聞こえた気がする。確かではないが、こんな風にオレには聞こえた、

「じゃあ、またね、私の息子」

と。



[13098] 3話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/02/11 02:32












「・・・・・」

 むくりと義之は起きた。場所は自分の部屋、時間は午前6時30分。ずいぶん早い時間に起きてしまったもんだと思った。身体の調子を確かめつつ
とりあえず伸びをしてみた。

「あっけなかったな」

 そう義之は呟いた。気が付いたらここにいた。別れの余韻などないまま今に至る。さてと、と呟いてベットから起きて制服をとりだした。

「とりあえず着替えないとなーっと」

 さくらさんが違う場所に行かせると言われてみたものの、別に何が変わったという様子は見られなかった。周囲を見回しても普段毎日みてる部屋だ。
いつもみる漫画、使わない机、シーツの色。少し違う世界とさくらさんは言っていた。自分の部屋だけしか見ていないがそうは思えなかった。

「げっ」

 鏡をみてその考えは甘いと思った。髪が前より短いオレがいた。確か俺は髪を伸ばしつつストパーをかけていて結構なイケてる髪型だったはずだ。

 自分でも言うのもなんだが優男なツラで結構似合っててオレいけてるんじゃね?と思ってただけにショックだ。まぁ、しょうがないか。

 そして大方予想通りこの世界でのオレの身体を使わせてもらうんだなとそのとき初めて確信した。少しばかり不安ではあったが。

 大体元のオレの身体って結構スプラッタな状態になってたし元通りになると思えなかった。ぐっちゃぐっちゃだったはずだ。

 魔法ならなんとか出来そうなもんだと思うがあの時、さくらさんと話しているときにはオレはもう死んでいたらしいし、身体を直しても
意識がちゃんと戻るとは疑わしかった。

 完璧元に戻るならオレを飛ばすなんてことはしないはずだしな。


 こっちのオレの人格はどうなったんだろうと思ったが多分消えたのだろうと考えた。二重人格みたいになるかとおもったが完全に自分の意識があることを感じる。
多少罪悪感は感じないこともないが元々人に嫌な事をしてきたオレだ、そして相手はオレ、特に感情は抱かなかった。


「あと違いがあるとすれば・・・もしかして喫茶店の閉店時間が違うとか学校の位置がすごいところにあるとかそんなのかな。あんまり不便なのは嫌だな」

 特に後者。一応こっちでは出来るだけ行こうかなと思っていた。さくらさんとの別れに少し思うところがあったからだ。頑張ってみると言った。
だからとりあえずは出来ることから始めようと思っていたりはした。自分ながらショボイと思いつつとりあえずは学校へは出来るだけ毎日行くというのが
目標となった。

「でも楽しくねぇんだよなぁ学校、まぁ自分から友人は作らないようにしてるから当り前だけど」

 そう呟いて前の世界での学校の事を思い出した。

 



 クラスメイトは出来るだけ自分とは話さないようにしていた。嫌な噂は絶えなかったし愛想も格段に悪かった。まだ近所の最近の子供の方が気を使えるもんだ。

  また、自分からも愛想を振りまこうなどとは思わなかった。一人でいる空間というのが好きだったし、かったるい会話なんてしたくなかったからだ。

 周囲の一部は本当はオレが寂びしがり屋なんじゃないかとか思っている奴もいた。事実そういう会話を小耳にはさんだ事がある。オレは腹を立てた、オレの何がわかると。

 そうなってくると逆に心配してくる奴が出てきた。いわゆるお節介焼きというやつだ。自分は自分が楽になれるスタイルを選んだというのに素直じゃないとか
周囲ともっと溶け込んだほうがいいとか言われた。

 そいつはクラスでもみんなから慕われるリーダー格の奴でスポーツも勉強も出来た。よく同じクラスメイトから相談を持ちかけられたりしていた。

 HRなどは率先して盛り上げていたりもした。その時は別になにも思わなかった、そういう奴もいるんだなぐらいの感覚だ。その時は無視を決め込んで相手にしなかった。

 結構粘っていたがオレが本気で耳を傾けないと気付いたのだろう、ため息をついて自分の席へ戻って行った。

 ある時どっかへ遊びにいこうぜと言われた。さっきまでそのリーダー格とクラスの奴らがそういう会話をしていたのを見ていた。オレを誘って一緒に遊んでクラス
に馴染ませようと声をかけたのだろう。クラスメイトは露骨に嫌な顔をした。



「明日どっか遊びにいこうぜ桜内!」

「どこにだよ」

「商店街でゲーセンとかカラオケだよ、来るだろ?」

「遠慮しとくよ、気が乗らない」

「そう言うなって、たまには付き合ってもいいんじゃないか?」

「そうしてやりたい気持ちはすごいある。みんなと遊んでハッピーな時間を過ごせるのは悪くないとすごい思うが、後ろの奴らはそうは思っていないようだぞ」

「ん?」

 

 そいつはクラスメイトを眺めた。みんなが苦笑いのようなものを表情にだした。

「別に構わないよな!そんなこわがってねーでたまには桜内と遊ぼうぜ、みんなで!」

 
 
 おいおい無理強いするなよ、と思った。学校という場ではクラスのリーダーの発言というのはある意味絶対だ。

 子供しかいないという空間でそいつに逆らえば何があるか分からない。みんなからハブられる可能性だってある。

 オレみたいな変わり者はいいが、普通の奴なら泣いて学校へ来ない可能性だってある。事実、登校拒否の件数だってまだまだ増え続けている。

 子供のやることは残酷だ。いざ自分がやられるまでその残酷さは分からない――オレはため息をついた。



「う、うん。私たちは、全然そんなこと思ってないよ・・・」

「ああ・・・、たまには、な、桜内と遊んでみたかったんだよ!オレさ、はは」

「そ、そうそう!」

「ほらな、みんな気にしてねーって桜内!」

 ほらなじゃねーよと思った。こいつ空気読めてないんじゃないかと思った。明らかにそいつらは目が動揺してるし動きもぎこちない。
全身から気を使って嘘ついてますオーラ全開じゃねぇか。

「悪いが予定があるんでな、じゃあな」

「お、おい待てよ!」

 ガシッと肩を掴まれる。振り返ってそいつの顔を見て理解した――こいつ、恥をかかされたくないと思っている。クラスの中心であるオレが誘ってやったのに・・・
という心情がみえみえだ。大方みんなの前で見栄をきってオレを連れてくるとか言ったものの、失敗なんかしたら赤っ恥になっちまうと思っているのだろう。頭が痛くなった。
そんなことで必死になるなよ、と。

「せ、せっかく誘ったのにそれはないんじゃねーか?」

「言ったろ、予定があるって。明日は塾がある日でさ、必死に勉強していい高校入りたいんだよ、オレ」

 といい話を続けた。

「テレビで言ってたよ、どの高校に入るかで人生は決まるってな。ろくにいい学校行ってなくても成功する人間はいるっていうが2%もいないんだってよ、そういう人。
オレはショックだったよ。人間はどんないい高校行こうが大学いこうがそんなのは関係ないって、その人の世の中に対する器量が問題なんだって思ってたからな。
だが実際は違うらしい。今ではほとんどの会社はどういった高校に入りどんなことをしていたか見るらしい。大学での活動も当然重要らしいが若いうちからどういった事を
考え、行動してきたのかって事のほうが重要なんだって。オレもまだまだガキだよなぁ――中学生とはいえ」

 オレは適当に思っていないことをまくし立てた。これからの人生なんて知ったこっちゃなかった。塾なんて行ってないし大体その日はバイトもなにもなかったが、とてもじゃ
ないが遊ぶ気になれなかった。特にこんなかったるい奴とは。

まともな性格だったとしても断るところだ。オレは肩の手を払った。

「じゃあな、楽しんでこいよ」

「あ、ウ、ウソつくなって!塾とか嘘だろ!いいから行こうぜ、な?」

 と言ってまた肩に手をかけた――瞬間、おもいっきり腹に膝を入れた。途端に痛さにたまらず屈む相手。

 目は涙目になり、なんでという顔をしていた。オレは襟元をつかんで無理矢理立たせた。

「な、なに――」

「オレさ、別に気を使って欲しいとか思ってないわけよ、クラスの奴らまで巻き込んでな。ただ、オレの事はいないもんだと扱ってほしい。無視してくれていい。
分かるか?」

 そう言ってまた膝を叩きこむ。襟元を離した。そいつはまたたまらず痛さに耐えきれず屈むも、無防備な横っ腹に蹴りをいれた。もんどりうってそいつは転がる。


 オレは話を続けた。


「子供感情で構ってほしいからそっけない訳じゃない。ただ本当に一人が好きなんだ。自分でもこの性格はどうかと思うんだが、まぁ、生まれつきだからどうしようもない」

 オレは喋りながらも蹴りを入れ続けた。周りはだれも助けない。涙目になりパニックになっている女子もいる。構いやしなかった。

「だからオレの事は放っておいていい。嫌だろ?こんな性格のやつ。オレなら放っておく。とてもまともな人間じゃないからな」

 そう言って最後に思いっきり蹴りをいれた。そいつはのびてしまい動かなかった。オレは机からカバンをとりクラスから出た。クラス出る際に少し周りを見たがまだ凍っていた。





「停学2週間でよく済んだよなぁ、さすがさくらさん」



 あの後そいつは病院に行って全治一ヵ月の怪我と診断されたそうだ。オレにしてみればなんてことない出来事だ。

 が、親御さんにしてみれば天地がひっくり変えるほどの事件だ。当然朝倉家まで来て謝罪と慰謝料を請求してきたした。

 純一さんが困り果てた顔で応対してると、話を聞きつけたのかさくらさんが飛んできた。
 
 そして結局さくらさんが、要求する金銭の3倍もの額を払った。学園長の謝罪と予想以上の金額。

 まだ怒りは収まらないという顔をしていたが納得はした。文句をぶつぶつ言いつつ帰って行った。

 さくらさんからその後停学を言い渡された。だが身内贔屓だか何だか知らないが思ったより期間は短かった。普通なら退学されていてもおかしくない・・・。
 
 まぁ中学で退学なんてあるのかとも思ったが。こうしてオレは経歴に中学校退学と烙印を押されずに済んだ訳だが。


「あの時も音姉と由夢も泣いてうざかったなぁ」

 と呟いて廊下に出た。ひんやりした空気。出る時にカレンダーをみたら今日は12月20日の月曜日。いきなり憂鬱な曜日だ。かったるいと思いながら洗面所に向かい
顔を洗うことにした。

「ん?」

 冷たい水に震えながらも顔を洗い、タオルで拭いていると見慣れない歯ブラシあった。ピンクの歯ブラシ、自分の記憶しているさくらさんのものではないしそれに
本数も多い。自分の物と思えないし明らかに女性用だ。

「だれのだよ、さくらさんの予備か?」

 そう疑問に思いつつ洗面所を出て台所に向かった。いつもはちゃんと朝食を採るが現在そういう気分ではなかった。行く途中コンビニで何か買う事を決め、
予定を頭の中で立てる。

「さくらさんが作ってるみたいだけど今あんまり食べたくないんだよなぁ」

 
 おいしそうな匂いが台所から漂ってくる。忙しい身でありながらもさくらさんは時々料理を作ってくれていた。

 まぁ珍しく普通に起きた時はオレが料理する。料理自体は嫌いではなかったしさくらさんがせがんでくるからだ。

 最初はかったるいなぁとは思って作っていたが美味しいってさくらさんに言われるのは悪い気はしなかった。

 が、先程も言ったがオレの寝坊でそういう機会は多くなく、さくらさんも忙しい身なのでコンビニなどで買って食べ
オレはトーストを焼いたもので済ませてしまう事が日常であった。


「~♪」


 機嫌のよさそうな鼻歌が聞こえてきた。オレはそれを聞いて少し身体が身構えてしまった。さくらさんの声質じゃ明らかになかった。


「おいおい誰だよ、勝手に朝っぱらから人の家の台所使ってるの・・・。ちょっとおっかねーんだけど」




 オレはさくらさんの言葉を思い出していた。ちょっと違う世界と言っていたが・・・・明らかに違い過ぎている。

 少なくともこの家に住んでいるのはおれとさくらさんだけ・・・・と考えたところでさっきの歯ブラシを見て止まる。

 誰だかしらないがどうやらオレとさくらさん以外に誰か住んでいるらしい。頭が痛くなった。予想していなかった。

 これ以上気が揉むことはあまりオレにはよろしくない―――絶対にロクな事にならないからだ。

 歯ブラシはよくうちに泊まる知り合いの物で、今料理してるのはそのお知り合いがお節介で勝手に台所で料理している展開のほうがまだありがたい。

 親戚の仲のいいおばちゃんみたいな感じで。

 
 そう思いつつ台所に方に足を進めた。

 
 ―――見て後悔した。どこぞのお節介焼きなお知り合いさんの方がいいと考えた自分を呪った。もちろん親戚のおばちゃんなどではなく、明らかに面倒そうな人間がいた。


 特徴のあるリボンで髪を留め本校の制服、スラリとした長い脚。オレが覚えてる人間像の中でもかなり厄介な人物。


 オレの存在に気付いたのか振り返ってきた。何が嬉しいのか満面の笑み。オレの顔が引きつったのが分かった。



「あ、おはよう弟君!えらいえらい!今日も寝坊しないで起きれたね!」

「・・・・」

「さくらさんはもう出て行っちゃったみたい。話を聞いたらまた忙しくなるんですってー、大変だよねぇただでさ暇な時間とれないのに」

「・・・なぁ――」

「でね、しばらくまた私がお料理作るね!あ、もちろん弟くんにも一緒に作ってもらうから!一緒にお料理出来るし遅刻しないしいい事尽くしだね!」

「・・・・・・」

 

 いきなりのテンションに面くらってしまった。というか胃が痛い。オレの知ってる限りじゃ音姉のオレに対する態度は暗いといってもよかった。

 話かけてくる時はいつもどもるし、まず目を合わせない。それなのにいつもしぶとく後をついてきていた。オレが何度も罵声を浴びせてもそれを辞めることはなかった。

 いつだったか本気でキレかけて音姉の身体を押したらすっころんで怪我させてしまったことがある。軽い打撲だが本人はショックでしばらくオレを見掛けても声をかける
ことはしなかった。

 数日後にはまた前と同じようにオレに話かけていたが。その時はもう諦めて好きにさせていた。まともに相手するのがかったるかったからだ。

 
 そして音姉の様子から察するによく家に来るのだろう。

 音姉はまたと言っていた。恐らくだがこの様子だとお泊りなんかもしているに違いない。

 あの歯ブラシの持ち主はこの人物の物でおおかた間違いはなく、オレは頭が痛くなった。



 一番厄介な奴と円滑な交友関係にあるとは・・・。


 

「あ、もうすぐ由夢ちゃんもくるから一緒に朝食たべよーね」

「は?」



 思わずおれは間抜けな声を出してしまった。すぐにオレは理解した。あいつが来るのか。オレは由夢の事を思いだした。由夢は音姉ほどオレに干渉しなかった。

 すれ違っても特になにもなかったし必要以上の言葉は交わしたことはない。ただいつも遠巻きにみられていた。特に何するわけでもないのでオレは放っておいたが視線はに感じていていい気持ちはしなかった。



 いつか廊下でバッタリ会った時にそのことを指摘してみたが――――



「え、や・・・、み、見てませんよ」

 と慌てて否定されてしまった。明らかに嘘をついてるのがみえみえだったが特に追求はしなかった。先程言った通りオレに構わなければ特に何も言わない。その場は
あんまりジロジロ見るなよといい話は終わりにしたが。

「・・・おはよー」

「あ、由夢ちゃんやっときた」

「眠いー・・・」

「ほらシャキっとする!もういつまでたってもだらしないんだからー」

「や、私はちゃんと人の前ではちゃんとしますよ。どこかの誰かさんと違って・・・ねー兄さん」

 

 そう言いオレに言葉を掛けてきた。オレの記憶だとこういう風に話しかけられた記憶はあまりなかった。小さくまだオレがまともだった頃はいつもこういう風に話し
かけてきてはしていた。大きくになるつれオレはだんだん自分というものが分かり始め由夢を遠ざけた。うざかったからだ。



 それを本人に伝えて以来まともに話したことはない――――――


 
「人を巻き込まないの!確かに弟くんは時々だらしないけど・・・」

「でしょーお姉ちゃん。私はちゃんとする場面ではちゃんとしてるですよ、緩急つけて。兄さんはそんな場面見受けられませんが」

 といいオレをジーッとみた。今度は遠巻きなどではなくオレを見据えて。



「そうだねぇ・・・もっと弟くんにもしっかりしてもらわないと」

「でしょー?この間だって杉並さんと板橋さんと3人で――」



 矛先がオレに向いて安心したのか由夢が滑舌よくしゃべりだした。音姉はまともに受け取って話の内容を聞いている。もちろんオレには身におぼえのない話だ。

「――っていう事があったんですよ。まったく兄さんときたら・・・」

「こら!弟くん!あんまり悪さしちゃだめでしょ!まったくもう」



―――――あー・・・・・・・・ちょっと



「あーホックもまた外しちゃって、お姉ちゃんがいないと駄目なんだからもぉー」



 結構クルなぁー・・・・今の状況――――――



「ほら、ちゃんとつけてあげるよ、ホック」

 うんうん頷いてオレのホックを閉めようと手を伸ばしてきた。

「え――」

 当然オレが受け入れるはずもなく手を跳ね除けた。バシーンという音が場に響いた。凍りつく空気。何をされたのか音姉は茫然としていた。由夢も目をパッ見開いて
驚いていた。それに反してオレは普段通りだった。特にいつもの事だと思った。そしていつもどおりに言葉をかけた。

「うざいよ、アンタ」

「え――あ、と」

「行くわ、オレ」

 茫然と言葉を吐く音姉を置いてオレはカバンを掴んで玄関に歩いて行った。今日の朝飯何にしようかと考えつつ下駄箱にしまってある自分の靴をはいて出ようとした。

「待って!兄さん!」

 由夢がこっちに向かって走ってきた。おれはまた面倒な事が起きる前に靴をはいて家を出たかった。

「ちょっと待ってって!!」

 ガシッと腕を捕まえられた。靴を履き終わって出ようと思った瞬間だった。すこしたたらを踏み、その場に踏みとどまった。

「私が気を悪くしたなら謝るから!だからとりあえず居間に戻って、ね!?」

 先程の強気な様子は見受けられず若干涙声になりつつ喋った。でもオレがそんな言葉に従うわけもなく―――

「あ――」

 先程と同じように腕を掴んでいる手を払い除け

「悪いと思うけど、ニ度と話しかけないでくれるか?」

「な――」

「うざったいから」

 いつもと同じ言葉を掛け家をでた。由夢はもう追いかけてこなかった。




「あー厄介な所に送ってくれたよ、さくらさん」

 オレは一人愚痴った。先ほどの様子を見る限り、随分こっちのオレは円滑な関係を築いてたらしい。普通なら喜ぶところなのだろうがありがた迷惑だった。
嫌われ者のほうが全然楽でよかった。これじゃ学校行っても多分同じような感じなんだろうなぁと考えた。

「学校行くのだりぃ・・・でもさくらさんとの約束だし・・・はぁ、かったるいわ」

 おれはため息をついて早足で歩く。登校中に誰にも会いたくないからだ。まぁ会ったとしてもさっきみたいな事になるだろうが。

「なぁんかまだまだ何か起きそう・・・出来れば誰もオレに話かけてきませんように・・・」

 そう言いつつも多分無理だということは頭のなかで分かっていたがせめて神頼み、今まで神様に頼ってこなかったぶん叶えてくれと願いつつ歩いた。

 風が吹いて桜の葉が舞った。それを見て、多分変わっていないのはこの桜の木ぐらいかと思い、またひとつため息を吐いた。 

 



[13098] 4話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2011/01/23 01:32



「グスッ・・・ッグ・・・うう・・」

「・・・」

 兄さんが家を出た後、私は居間に戻った。お姉ちゃんはさっきの事がショックで泣き崩れていた。私も泣きたくなった。

 しばらくは私も茫然としていたがとりあえず凍り付いた頭を解すために先程起こった事を思い出した。

 さっきの兄さんはいつもの兄さんじゃないように感じた。怒ってるならまだいい。土下座してもいいから謝る、そうすれば大体の人は怒りを治め許してくれる。

 だがさっきの様子を見ると怒ってる様には感じられなかった。普段からああいう態度を取ってるかのように自然に感じられた。それが信じられなかった。

「ほら、お姉ちゃん、学校へ行こう?遅刻しちゃうよ」

 とりあえず私はそういってお姉ちゃんを促した。兄さんに何があったかは知らないがこのまま家にいてもしょうがない。

時間はもう7時30分、いつもの登校時間より遅い。正直私は先程のショックから立ち直ったわけではない。

学校なんか行かないで部屋に籠りたい気分だ。兄さんともちゃんと話をしたいが、話しだすと泣いてしまう可能性があった。

 今は兄さんの顔は見たくなかった。ただただ許してほしいという気持ちでいっぱいだ。だけど――

「・・・・・・私、弟君に、嫌われたのかなぁ・・・」

 そう泣き腫らした顔でそういった。いつものお姉ちゃんの面影はなかった。不安で押しつぶされそうな顔になっていた。

 そうだ――とりあえず今は私だけがなんとか冷静でいられた。普段私がお姉ちゃんに頼りっぱなしな分、ここは私がこの場を動かさないと。

「そんな訳ないじゃないですか、ありえないですよ。たまたま虫の居所が悪かったんですよ。兄さんももうすぐ本校の生徒になるお年頃です
し・・・色々恥ずかしかったんですよ」

「・・・そうかなぁ」

「そうですよ。ほら、顔を洗ってきてください。そんな顔で学校へ行ったらまゆき先輩に何言われるか分かりませんよ?」

「・・・うん」

 頼り気ない足取りで洗面所へ向かっていく姉の背中を見ながらため息をついた。

 気分が重い。あんな事があった後だ、無理はなかった。そしてだんだん冷静になってくると途方もない寂しさが募る。

「あれ?」

気がだいぶ落ち着いてきたのだろう。その場に座り込んでしまった私。頬に一粒涙が流れた――――







「あー・・・」

 朝コンビニで適当にハンバーガーとジュースを買い店を出た。来る途中誰にも声を掛けられなかったのは運がよかった。

 しかし参ったことがある。オレの席だ。クラスは生徒手帳が入っていたので間違わずに済んだし、下駄箱も出席番号の順で並んでいたから迷わなくて良かった。
 
 クラスに入ってオレの席を見ると先客がいた。鞄から教科書を取りだして机の中に入れていた。その机はオレの席じゃなかった。

 どうやらここでのオレの席はまた別な場所らしい。オレはため息をついた。

「どうしようなぁ」

「あら、どうしたの義之」

「ん?」

 振り返るとちっこい背の女子生徒がいた。見覚えがあった。確か2年の時1度だけ一緒のクラスになった雪村杏という名前の女だった。

 3年になったらまた別のクラスになり特別な交友関係はなかったので喋った記憶がない。というか大体杉並としか喋った記憶しかなかったが。

「――ああ、ここ最近幸せすぎてどうやら記憶喪失になっちまって自分の席忘れちまったんだよ、ウケるだろ?」

 と笑って言ってやった。それに対して雪村はやはり当時と変わらない無表情――いや、違っていた。明らかに表情が出ていた。笑っていた。初めてみる表情だった。

「そ、私の隣の席だからあまりにも幸せでボケちゃったのね・・・かわいそうに」

 と言いオレの頭を撫でようとして手を伸ばした。オレは手を払った。

「あら、つれないわね」

「生憎公衆の面前でいちゃつく気はないよ。オレは慎ましい性格なんでな・・・よく腕とか組んで歩くカップルがいるが、頭がフッ飛んでる
ようにしか感じられない」 

「そうかしら、人の愛情の表現はそれぞれよ。まだまだ勉強し足りないわね」

 そう言い雪村は自分の席についた。その隣がオレの席と雪村は言った。前は一番左端の一番後ろだったが今度ここで座る席は、やや真ん中に近い席だった。

憂鬱になるような席だ、まぁ一番前じゃないだけマシかと思い席に座った。オレは朝買ってきたものを机の上に出し、食べはじめた。

「コンビニ弁当なの?義之にしては珍しいわね」

 多分雪村とここにいたオレは仲がよかったのだろう。空気、態度、オレに対して表す仕草、それですべて分かった。

よく見れば顔にはまだ笑みが浮かんでる。あの無表情の雪村がここまで態度に出す仲のよさげな雰囲気。またもオレは憂鬱になった。

「たまにはいいと思ったんだよ。毎日健康な食事ばっかりじゃ頭が腐っちまうからな。たまにはこういったジャンクフード気味のが食べたくなる」

「知ってた?アメリカじゃあそういった食べ物は減りつつあるって。ようやく自分たちの食生活が間違ってるって事に気付いたのよ。昔から続いてる習慣
 だからってろくに調べなかったツケね。そして今じゃ日本の方がジャンクフード帝国になりつつあるのよ」

「そうかよ」

「この間、日本人はリンゴに含まれるポリフェノールをもっと採るべきだとアメリカ人が怒ってたわよ、テレビで」

 そう笑ってオレに話した。欧米人の食生活、多人種のせいで更に滅茶苦茶な食生活になっていた。そんなやつらが健康を謡っている。笑えなかった。

「奴らはそういってアップルパイまるかじりする人種だろ。節度を守ればいいって話なだけだ。なんでもかんでも極端なんだよ」

 そうしてオレはさっさと食事を終わらした。さてと、と言いつつオレは腰を上げた。そろそろ話すのもかったるくなってきた。

 友達オーラがひしひしと身体に伝わって気が滅入ってきた。席を教えてもらうだけの予定だったが、少し話しこんでしまった。

 途中からいつ話切りあげようかと思っていたが終わりそうにない。強制的に話を終わらす意味も込めて席を立った。

「ん?どこにいくの?」

「トイレだよ。なんならトイレにまで付いてくるか?」

「・・・そう」

 そう言って多少納得がいかなそうな顔をしながらも雪村は鞄を漁り本を取りだした。題名から察するに恋愛小説のようだ。

読んでいる途中なのだろう、しおりが挟んでおりそのページを開いて読み始めた。

「ねぇ、義之」

「あ?」

 そういってオレは振り返った。雪村は読んでいる本から顔をあげてこちらをみている。どこか挑むような目つきをしながら。

「少し感じ悪いわよ、今日」

「そうでもない」

 そうそっけなく返すと、今度は心配してますよな目でオレに話しかける。あの無表情、無感情的な雪村・・・がとオレは思ったがここは別な世界。

 些細な違いがあるのは分かっている。だが、ここまで感情は露にするのは初めてみた。オレはまたもや憂鬱になった。

 そういったものは他の奴とやってくれと心底思う。

「そうでもあるの。何かあったの?」

「なにもねーって」

「嘘ね」

「・・・」

 オレは相手するのもかったるくなって歩き出した。雪村はまだ話を続けようとしたが放っておいた。オレは扉に手をかけた。

 すると勝手に扉が開き女子生徒が入ってきた。恐らく同じタイミングで扉を開けてしまったのだろう。向こうは驚いた顔をした。

「っとーびっくりした・・・。もう気をつけてよね、義之」

 そう言い顔を膨らます相手。その人物は月島小恋。オレの幼馴染であった人間だ。であったというのはそれほど付き合いがあった人物ではなかったからだ。

 小さい頃はよく遊んだりもしたが由夢と同じで成長するにつれ喋らなくなった。元々引っ込み思案な彼女だったがオレが無視するにつれ、絡むことはなかった。

 涙目で周りをうろちょろしてた事もあったが、オレが完全に相手にしないと分かったのか気付いたらオレから離れて行った。それ以来かもしれない、こうやって

 言葉を掛けられたのは。

「小恋、捕まえて」

「えっ?えっ?」

「いいから早く捕まえなさい」

「え――と、え、えいっ!」

 雪村は小恋にそう言った。小恋は最初は何が何だか分からないという風ではあったが、場の勢いでオレの腕を掴んできた。

(今日はやけにボディタッチが多いな、オレ)

 そう思いため息をついた。雪村はにやにやしながらオレに近づいてきた。小恋は小恋でオレの腕を掴んでなぜか離さない。気が更に重くなった。

「ふふ、捕まえたわ義之」

「あ、杏、なにがあったの?」

「それを今から洗いざらい話してもらうのよ、さ、義之、席に戻るわよ」

「待て――」

 言い掛けた瞬間に、次々にクラスメイトが入ってきた。時間も時間だからそろそろみんなが集まり始める頃なのだろう。

みんなかったるそうにクラスに入ってきて席に座り始めた。

「おーっす、朝っぱらからなにやってんだよ」

「おっはよーみんなぁ!な~に、朝からもしかして修羅場ぁ?」

 そう言い近づいてくる人物が二人。板橋と花咲だ。喋ったことはなかったが目立つ人物達だ。名前と顔ぐらいは知っていた。ニコニコしながら話かけてきた。

「っか~なんで義之ばっかりぃ~!うらやましすぎんぞぉ~このやろー!」

「板橋くんはしょうがないよぉ~そういうキャラだしぃ~」

「そういうキャラってどういうこと!?もしかして友達以上でもなくて恋人未満以前の問題で友達でいようねとか言われるタイプの事!?」

「分かってるじゃない~」

「うわーん!おれって、おれって・・・・・!」

 だんだん周りがワイワイ騒ぎ始めた。慣れない感覚。このざわざわする身体の疼き。明らかにオレの身体が拒否反応を示してる。要はじんましんみたいなものだ。

 慣れないこと、嫌悪感に反応するオレの身体。オレは参った。

「それでぇ~、何があったの~?」

 花咲がそう問いかけてきた。じゃれあいが終わったのか板橋もオレの方に身体を向けてきた。目はどんなおもしろい事があるんだよと期待していた。オレは無視した。

「離してくれないか?」

「えっ、で、でも」

「離しちゃだめよ小恋、また逃げられるわ」

「え~?なにがあったのよぉ、あ、また何かやらかしたんでしょう~義之君」

「え?なになに?オレなにも知らされてないんですけど?」

「渉はきっと仲間外れにされたのね、かわいそうに」

 ふふと笑い雪村は板橋をみた。板橋は過剰反応するかのように腕を振って応えた。

「な、まじかよ!マジ親友のオレを差し置いてそんなことするわけねぇよなっ!義之!」

「そう思ってるのは貴方だけかもね」

「そ、そ、そ、そんなはずはねぇー!」

「どもるってことは、自分でもうすうす感づいていたのね」

「分かりやすいなぁ~板橋君は~」

「くっそ~みんなしてオレのこといじめやがってぇ~」

 ああ、本当にいい友好関係だったんだな、オレって、と心底思う。人生経験でこんな雰囲気は幼稚園以来だ。なつかしくて涙が出てきそうだ。

 だがそろそろ終わりにしたほうがいい。楽しい時間が続くと不安になるからなぁ、これから先、もしかしたら起きるかもしれない楽しい時間を使いきっちゃいそうで。

 そんなことはあっては駄目だ。やっぱり楽しい時間は後にも先にもなくちゃいけないから。そう思い――――掴まれてる腕を思い切り振って板橋の方に放り投げる。

「――キャッ!?」

「っと!!」

「ちょ―――」

「――――ッ!」

 みんなそれぞれの反応を返した。板橋はというといきなりの事で、すこしたたらを踏むがなんとか小恋を受け止めた。雪村と花咲はいきなりのことで面くらっていた。

 板橋はブン投げられショックだったのか、涙目になった小恋の安否を気遣った。なんの怪我がないと分かってホッとすると――――オレを睨みつけた。

「おい、義之」

 目には怒りが籠っていた。許さない、殴りたい、なんでという気持ちが織り混ざってるのが見て取れた。

「なんでこんな真似しやがった・・・」

「オレは離してくれと言ったんだがな、そいつが離してくれなかった。乱暴だったかもしれないがオレは特に悪いことをしたと思っていない」

「ざけんなっ!怪我でもしたらどーすんだよてめぇ!」

「そうだな、慰謝料でも払うか。でもオレは悲しいよ、オレは腕を捕まえられて嫌がったんだ。だけどお前らはそれを無視した。友人だと思っていた奴らに
 嫌がらせを受けたんだ。精神科にでも行かない限りこの傷は治りそうにない」

「なっ!で、でも嫌だからって、何も振り飛ばすこたぁねーだろ!」

「そ、そうよぉ義之君!大丈夫小恋ちゃん?」

「グスッ・・・うう」

「・・・」

 まわりは騒然となった。板橋はオレを睨み付け、花咲は泣いている小恋を慰めている。雪村はこの状況をどうにかしようとせわしく目を動かしていた。

「かったりぃわ」

「なにっ!?」

「じゃあな」

 気分は転校デビューを失敗したかのような気分だった。転校などはしたことないがオレからしてみればそれと同じ感覚だ。些細な違いどころではなく全く違う環境。

 慣れるとは思わなかった。オレは踵を返して屋上に向かい歩きはじめた。もう授業など知ったこっちゃない。おれはまたため息を一つ吐いた。

「まてよ!」

 そういい肩を掴まれた。そうとう怒りが籠っているんだろう。ギリギリと掴まれた肩が痛い。オレは少し顔を歪めた。

「話はまだ終わって――」

「手を離せよ」

「あ!?なに――」

「離せって言ったんだ」

 そう言って膝を叩きこむ。うめき声をあげて倒れる相手、さらにざわめく教室。花咲と雪村は驚きで固まり、その状況についていけないのか泣きやんで呆然とする小恋。

 いいところに入ったのだろう、板橋は立ちあがる様子はなかった。

「な!?ちょっと大丈夫板橋君!?」

「グ・・・ァ・・」

「大丈夫だろ、単にいいとこに入っただけだ。折れる感触もなかったし意識もある。大したことない」

 キッと板橋を介抱しながらオレを睨みつける花咲。特になにも感じなかった。

「じゃあな」

「ちょ、ちょっと桜内!?」
 
 眼鏡をかけた真面目そうな女が叫んだが無視した。オレは再度の別れの挨拶をしてクラスを出た。小恋は再度泣きだし、雪村はずっとオレを見据えていた。





「ふぁ~あっと、今何時だ?」

 あの教室の出来事の後、屋上に来たオレは昼寝をしていた。冬だというのに暖かい天気で雲ひとつなかった。体感温度で22度ぐらいの気温、風は無く、眠るには絶好の日和だ。

 目が覚めたオレは身体をコキコキ鳴らしつつ立ちあがった。時計は無く、携帯で時間を調べた。12時20分、お昼時だった。未読メールが4件あったが無視した。

 眠る前に見たメールの2通は小恋からのメールで「どこにいるの」とか「ごめんね」とかそういった類のものだった。

 謝るなら最初から腕なんか掴むなよと思いつつ素直に睡眠欲に負け、横に転がったのだった。

「腹へったなぁ・・・食堂にでもいくか」
 
 腹の虫が鳴った。オレは何を食うか考えつつ食堂に向かって歩きはじめた。階段を一つ飛ばしで降りて行き、廊下に躍り出た。
 
 もう食べ終わった者、やっとの思いで購買からパンを買ってきた者。様々な人で溢れかえっていた。オレはぶつからないように早足で歩いて行った。

 するとあるところで人だかりが出来ていた。腕に腕章を付けた者、お堅そうな人物達、生徒会役員とおそらく委員会のやつらだろう。オレには縁の無い相手。
 
 脇を通り過ぎようとその人だかりの横を通る途中、その中心にいた人物と目がった。驚きに染まり、すこし怯えの入った眼。

 ―――ああ、そういえばいつもこんなごった返しになって歩ってたっけ、この人、と思い返した。おそるおそるといった感じで音姉がオレに近づいてきた。
 
「お、おつかれ弟くん」

「・・・」

「あ、もしかして今からお昼なの、かな?だったらお弁当――」

 オレは最後まで聞かず歩き出した。構うのもかったるかったし、それにオレは腹が空いてる。早く食堂に向かって腹の虫を治めなきゃいけない。

「あ、待って!」

 音姉はオレの腕をつかんだ。どうやらみんなオレの腕が好きらしい。今日で3回目だ。オレは無造作に腕を取っ払った。
 
「あ――」

 そうしてオレはまた歩き始めようとしたが、そうはいかなかった。目の前にある人物が立ちはだかったからだ。本校の制服に生徒会の腕章――確か名前は・・・

「ちょっと弟くん!何今の態度は!」

 ああ、思い出した。たしかまゆきとか言った名前だ。結構有名だったのですぐ思い出した。音姉と同じ生徒会員で陸上のエースだったか。

そういえば1回杉並に嵌められた時に追いかけられた事があるような気もする。その時は適当に捲いて事なき得たんだったな。どうでもいいことだから忘れてた。

「なにがですか?」

「なにがじゃないでしょ!?あんな態度とって!今日半日、音姫すごい元気なかったんだよ!たぶん弟くんが関係してるんでしょ!?」

「知りませんよ。生理かなんかじゃないんですか?」

「な――」

「じゃぁオレはこれで」

「おい待てよ!!」

 怒鳴り声でオレに叫ぶ声。後ろを振り返るオレ、その先には委員会のやつがいた。どこにでもいそうな顔つきのやつだ。

 だが目はオレを射殺さんばかりの視線で睨みつけていた――――。

「なんですか?」

 応えて失敗したと思った。どうみても面倒な相手、無視をすればよかった。相手はツカツカ寄ってきてオレの襟元を持ち上げた。慣れた感覚。慣れたくなかった感覚。

「おまえなんて事言うんだっ!それにさっきの態度!音姫さんに謝れよっ!」

「誰ですか、アンタ」

「誰でもいいだろ!さっさと謝れよ!」

「なんで?」

「お前ふざけてんのか!?」

 ふざけてんのはお前の頭だろ。なにしゃりしゃり出てきてるんだ、こいつ。当の本人が掴みかかってくるのなら話は分かるが、こいつはまったく関係ない。

 ああ――とオレは思い出す。たしか音姉はすごい人気でファンクラブなんてものもあったなと。前の世界でもそれは存在し、よくそいつらから敵視されていた。

 オレの噂を知っていたようで手を出される事はなかったが睨みつけられてたのは1度や2度ではない。

 逆に睨み付けると視線をそらし、どこかへ行くので特に意識はしなかったが・・・・。

「なんとか言えよ!」

 しかしこういった人種はめんどくさい。ヒーローにでもなったつもりなのか、自分は正しいというオーラ全開で向かってくるからだ。オレが嫌いなタイプそのものだ。

 だからその手を掴み、逆に返した。

「がっ――」

「いきなり暴力で解決するのはよくないですよ。とてもじゃないが生徒会に携わる者の行動として正しくないと思います」

 授業の時間で習った合気道の技、逆小手。素人技にも程がある――ちょっと強い奴にやったら簡単に振りほどかれる程度の技・・・だが効き目はあるらしい。

 相手はオレに手を掴まれたまま動けないでいた。

「ちょ、ちょっと弟くん!」

 まゆきという奴が叫んだ。無視した。

「なんでも暴力で解決するのはよくないと思いますよ。この間ニュースでやってたじゃないですか、刺殺事件。自分の女が取られて相手をリンチしようと家にまで
 押しかけたアレです。結局相手側が逆に頭に血が上って近くにあった包丁で滅多刺しにしちゃったんですよね。素直に裁判にかければウン十万とれたのに」
 
 そう言い更に手に力を込める。周りには手を出させないようにした。ヤクザみたいな態度、場の空気のコントロール、みんな竦んでいた。もう慣れた行為だ。

「だから今度からは何かあったら話し合いで解決しましょう。そうすればお互い痛い目に合わずに済む」

「う・・・くぅ・・・」

「分かりました?」
 
 怯えた目。もう許してくれと訴えていた。オレは手首の固めていた手をほどいた。そして今度は逆に襟を掴んで目と目を合わせる形に持ってくる。

「オレは、分かったかって―――聞いてんだよこの野郎ォ!!」

「わ、分かりました、すいませんでした」

 そういって涙目になる男。オレは襟を離した。あまりの恐怖に怖気ついて座る男。周りはその様子を凍ったかのように動かないで見ていた。

「さて・・・と」

 そう言い周りを見回す。途端にビクつく周囲。生徒会役員なんてやつはそこにはいなかった。ただの怯えた子供ばかりがいた

「お騒がせしてすいませんでした。もうこんなことはしません」

 笑って心にもないことを言ってその場を後にした。もう早く食堂に行かないと閉まっちまう。また駆け足気味に急いだ。

 その場が動いたのはそれから数十秒後だった。





 



[13098] 5話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2011/01/06 22:41

「大丈夫板橋くん?」

「ああ・・・別にどうってことねーよ」

 そう言い少しよろけながらも立ちあがった渉くん。傾いてグラつく身体。。すかさず私が肩に手を回し支える。

「っと・・・悪いな、茜」

「別にいいわよ、これくらい」

「・・・あーあ、喧嘩には少し自信があったんだが一発でノサレちまったわ、たはは」

 そう言い無理に笑顔をみせた。この悪くなった場の空気を取りつくろうように、腰に手を当てて。

「にしても・・・義之の奴、一体なんだってーんだ」

「・・・・グスッ・・」

「あ、おい月島、大丈夫か?」

 一転して少し怒りの感情を表し、渉くんは義之くんに文句を言い始める横でまた小恋ちゃんが泣き始めた。無理もない、好意を寄せている
相手にあんな事されたんだ。それでなくても小さい頃からの幼馴染だ。ショックはでかいだろう。

「ねぇ、杏ちゃん」

「・・・何?」

 小恋ちゃんはとりあえず渉くんに任せるとして私は杏ちゃんに問いかけた。さっき起こった事についてだ。あんな温厚な義之君が暴力を
振るった、信じられなかった。

「義之君、何かあったの?」

「分からないわ、今日初めて会ったときから、様子がおかしかった気はするけど・・・」

「何があったかは知らないと」

「そういうこと・・・それを聞き出そうとしたら今の状況よ」

 そういい少し顔を伏せてしまった。こんな状況に持って行ったのは自分だと責任を感じているのだろう。だが、それを責められる者
はいないだろう。いつも私たちはあんな風にじゃれあうのが日常だ。それがいきなり歯車が落ちたかのように噛み合わなくなった。
途方に暮れる私達。

「こうなったら杉並でも聞こうと思ったけど、いないみたいだしね」

「あれぇ?杉並くんどうしたの?姿見えないけどぉ」

「また調査とか言って抜け出してるんでしょう、こんな時にしかみんなの為に役に立たないのに・・・全く」

 そう言いながらもため息をつく杏ちゃん。でもどこかで期待はしていたのだろう、落胆した思いがひしひし伝わってきた。
杉並くんの情報収集能力はすごい頼りになる。普段はくだらない事にしか使わないが、時々度肝を抜く事を教えてくれる事があった。
そして私達よりも知識と経験が豊富でなんだかんだいって頼りになる相手。その人物がここにいない。気持ちは下がる一方だ。

「はいはい、みんな静かに!」

 そう手をパンパン叩き、みんなをまとめる委員長。時計を見てみたらもうすぐ先生が来る時間だ。このままの状況ではどうしようもないと
思ったのだろう、委員長は小恋ちゃんに声をかけた。

「月島さん、あなたはとりあえず保健室にでもいきなさい。先生には私から話はつけておくから」

「え、でも――一」

「いいから行きなさい。そんな涙の跡がいっぱいあるひどい顔で授業を受ける気?」

 呆れた顔で言った。一見冷たそうだが目は反対に心配してるような目だった。麻耶――委員長とは短い付き合いではないのでこれが
彼女なりの優しさだという事はすぐ分かった。

「ほら、委員長の言うとおりにしなさい」

「あ、杏――」

「渉、貴方が保健室まで送って行きなさい」

「わーってるての。あ、オレも保健室で休んでいいか?さっき義之の野郎に蹴られた腹が痛くてさぁ」

「だめよ、もう痛みは引いてるでしょ?そのまま授業さぼってラブラブコースなんかに行かせないわよ」

「ほ、本当に痛いんだってば!」

「さっき蹴られた所が痛いんであればそんな立ち方はしてないわ。上体が少し右斜めに傾いて右足に重心が掛かっていなきゃ
いけないはずよ。貴方、元気に直立不動してるじゃない」

「あーはいはい分かりましたよ、オレは元気ですよーっと。全く杏は冷てーなぁ。月島、送ってくよ」

「う、うん。ありがとう。」

「ういうい」

 
 そういい渉くんと小恋ちゃんはクラスから出て行った。渉君は分かりやすい。彼は本当に痛いなら、その事は絶対言わない性格の持ち主だ。

 みんなに心配をかけたくないから、と平気な顔をして痩せ我慢する人間。伊達に長い付き合いではない。

 まぁ、そんな事をしでかしたら杏ちゃんと私が首に縄を付けてでも保健室に連れ行くところだけど。



 「じゃあ、とりあえず席につきましょうか、茜」

 「・・・うん」
 


 私達も別にショックから立ち直ってるわけではない。それどころか人生でもトップクラスに入るぐらい最悪な気分だ。でもそのまま立ち
竦んでもいられない。私たちは席についた。

 そうしてすぐ先生が入ってきて出席を取り始めた。小恋ちゃんについてはうまく委員長が説明をした。先生は特に何も追及はしなかった。


「はぁ・・・」


 そうため息をついて、私は窓の外をみた。雲一つない真っ青な空。朝はそれが気分よかったが、今は憎たらしかった。






 「あーマジ腹へったわぁ、何食うべ」


 廊下のやり取りがあったせいで無駄に時間はくったが食堂はまだ開いていた。時計を見ると12時40分、なんとかギリギリの時間だ。

 「どれにすっかなぁ・・・朝あんだけしか食ってないかカツ丼でも食うか」

 
 人もまばらで今日は並ばずに済みそうだ、そう思いながら券売機に近づいて行った。


 「ん?」


 券売機の前には一人の金髪の女子生徒がいた。髪と横顔から察するに外国人のようだ。何を迷ってるのかウンウン唸っていた。
横の券売機を見ると故障中の張り紙。無事な券売機はその女の目の前。オレはため息をついた。


 「おい、あんた」

 「う~ん・・・確かこの間はこのボタンを押してましたわよね・・・でもこっちだったような気も・・・・」

 「おい」



 声を掛けるも耳に入ってないのか。無視をされてしまった。かったるいながらもオレは肩に手をかけた。余程集中していたのか
すごく驚いた顔をした。


 「きゃ、な、なに――あ、桜内!」

 「悩みごとをしてる時に話しかけるのは無粋だと思うが、オレは今腹が減り過ぎて死にそうなんだ。早くしてくれないか」


 どうやら知り合いだったらしく、オレの名前を呼んだ。だが今はそんなことを気にするよりも今は腹に物をいれて落ち着きたかった。
女子生徒はキッと睨んで言葉を返してきた。


 「わ、分かってますわよ!まったく・・・野蛮人の癖に・・・」


 そうぶつぶつ言いまた券売機と睨めっこをし始めた。早くしろよと思いながらその様子を見ていた。そしてオレはその様子を数秒見て
気付いてしまった。


 もしかしてこいつ――――――


 「その縦穴が金入れるところ、あんたはあんまり食べなさそうだからこっちのAランチでいいだろ」

 「あっ」


 券売機が使えない外国人は多い。主にヨーロッパの人間、そこまで普及はしている物ではなかった。オレは自分の財布から金を入れて
ボタンを押す。食券が出てきてそいつに無理矢理持たした。今度は自分の分の金を入れてボタンを押して食券を取り、受け取り口まで
歩いた。


 「ちょ、ちょっと!」

 「なんだよ」

 「よ、余計な事しないでくださる!?」

 「気に入らなかったのか?」

 「そ――そういうわけでは」

 「だったら食え。ぐずぐずしてたお前が悪い」

 「ふ、ふん!黙りなさい!」


 そう言い合いながら食事を取り、空いてる席まで歩き出した。なぜか女子生徒もついてきた。

 まったく――モテモテだな、オレは。そう思ったが気分はすぐれなかった。当り前だった。煩わしくてしょうがない。

 女はオレの席の前に座る。好きにさせた。さっきの生徒会との一件でおれはクタクタだった。

 今日は二度も騒ぎを起こしてる。クラスと廊下とで。いくらオレでも疲れていた。席に座り飯を食いはじめる。



 「まったく・・・!何も言わず勝手にスタスタ歩き出さないでくださる?」

 「勝手についてきたんだろ」

 「黙りなさい!お金返しそびれたじゃない・・・借りにしたままじゃ気持ち悪いのよ」

 「別にいい、大した額じゃない」

 「私が気にしますの!ほら、脇に置いておきますわよ」 




 そう言いオレの食器の目の前に金を置いた。面倒臭いやつだな、そう思いながらそのお金を財布にしまった。再び箸に手を付け食事を再開した。

 女はまだぶつぶついいながら食事を取っている。それを見てオレはちょっとばかし感心した。姿勢がきれいだった。

 ピンとした背中つきは今時にしては珍しく、箸を持つのも様になっている。そういえばよくは見ていなかったが歩く姿勢も正しかった
ように思えた。
 
 背中の正中線がまっすぐになっているし、見た感じ金持ちのオーラが出ている。どっかのお嬢様ってところだろう、気品が出ていた。

 気取っている様子はなく――根っからの貴族みたいだなと感想を抱いた。まぁどうでもよかったが。



「ん?何ジロジロ見てますの?」

「ああ、悪いな。あまりにも姿勢が綺麗で惚れてた」

「な――」

「気を害したなら謝るよ、すまない」



 オレは素直に謝った。確かに人の食ってる所をジロジロみられたら感じが悪いだろう。この場はオレが悪い。人と絡むのはよしとしない
オレだったが、一応クズなりの最低限の礼節はあるつもりだった。


まぁこんな煩い女と絡んでるのはやはり身体に悪いが。



「あ、謝って当然ですわ!貴方には女性の扱いを一から教える必要がありますわね!?」

「あんまりキャンキャン吠えるなよ、うるせえ」

 そう言って箸を進める。女は文句を言おうとして口が開きかけたので、オレがその前に口を挟む。

「それとお前、意味分かって言ってるのか?」

「え?」

「女性の扱いが・・・って所だよ。お前を抱かさしてもらえるのか?」



 そう言いわざとらしくいやらしい目をして胸に視線をやった。女の顔はカァっと赤くなり胸を手で隠した。オレは笑った。

さっきのは訂正だ、オレは人と絡んでいるんじゃない―――――――こいつは犬だ。

それも血統書付きの高級犬。オレは犬は買った事はないがそう思えた。まるで犬と遊んでいる気分だ。チョロチョロと後ろを付いて歩いて

キャンキャン吠えるうるさい犬。だが恥ずかしがりやで構ってやると、照れ隠しで攻撃してくる。



「あ、あ、あ、貴方ね・・・ッ!」

「クッ・・・、お前、おもしれーな」

「さ、最低ですわよ、あ――」

「少し黙れ」

「っ!・・・・・」


 
 少し煩かったのでそう言い、少し睨みを効かせて黙らせた。もちろん顔は納得いかないって顔をしたが、口を出すことはなかった。

 睨まれたり凄まれた事がないのだろう、目が泳いでた。しかし――本当犬みたいなやつだ。少しうるさいから黙れと言ったら黙るしな。

 あまり言うこと聞かなそうな所が特にオレのツボだ―――気に入った。従順な犬も悪くはないがすぐ飽きる。



「お前が言ってるのはエスコートの事だろうが、具体的にどういったことだ?」

「え、あ、そ、それはもちろん男性の方は女性に優しくするべきだという事ですわ!確か欧米でしたっけ?レディーファーストという
 言葉があるのは。素晴らしい言葉だと思いましたわ」
 
 

 本当にそう思っているのだろう、言葉に弾みがある。素晴らしいねぇ――確かに女性にとってはいい言葉だろう。男のオレからすれば都合のいい言葉にしか聞こえないが。 

 確かに欧米ではその言葉は深く馴染みがある。いい例が大統領夫人なんかだ。あそこまで待遇よく男を膝屈ませる女は見たことはない。

 しかしもう大分昔の話だ、その言葉はだんだん意味の無いものになってきていた。すぐ愛人に走る男、嫉妬で感情を爆発させる女。

 当り前の話だ、要は女は自分が絶対の存在と思いきってロクに愛情を育てようとしなかった。呆れる男。どこにでもある話だった。




「確か、起源はフランスだったか――当時の騎士道だかなんだかで女性、女王に尽くすために出来たっていう作法だっけな」

「そうなんですの?驚きましたわ、貴方みたいな野蛮人がそんな事を知ってるなんて」

「お褒めに預かり光栄だが――本で読み流しただけだ。大した事じゃねーよ」



 当時毎日が退屈でしょうがなかったオレは図書室にいることが多かった。漫画ばっかり読んででも飽き、図書室で本を読みふけった。
様々な世界の話、宗教、人種、日本にはない話が書かれておりオレはものすごく興味が湧いて読みふけった。今ではロクに本さえよんで
いないが。



「そう謙遜することはないわ。知識があるというのは何かの役に立つものだわ」

「使わない知識ほど無駄なものはねーよ。今では後悔してる、もっと金が稼げる方法を勉強しとけばよかったってな」

「そんなこと――」



 そう女が言いかけた時にチャイムが鳴った。予想以上に話しこんでしまったらしい。女は最初茫然としていたが、状況に気付いたのか
慌てた様子で椅子から立ち上がり叫んだ。



「も、もうこんな時間!?急いで――ってなにゆっくりしてるのよ貴方は」

「そう急かすな、食後に身体を動かすと吐きそうになる。お前はもうちょっと落ち着け」

「そんな時間なんてないわ!ああ――早くしないとっ!」

「大体なんであの時間に並んでたんだよ、普通に来てれば周りの奴らが見かねて助けてくれたろうに」

「生徒会の手伝いだったのよ!あんなに時間が押すなんて・・・ほら、貴方も早くしなさいな!」

「うるせーなー、はいはい、分かったよ」


 そう言って返し口まで女は走っていき、オレは歩いて行った。食器を返し出口の方を向くと、律儀にも女は出口の所で待っていた。


「別に待ってる事ねーよ」

「う、うるさいわね!ほら、行くわよ!」

「あ、ちょっと待て」

「なに!?」

「お前の名前なんだっけ、忘れた」

「・・・は?」


 そう言うと女は最初茫然としていたが、言ってる意味を理解したのかプルプルと震えだした。顔は赤く染まっている。目に怒りが見えた。


「ほ、ほ、ほ本気で言ってるの貴方!?」

「ああ、だから教えろよ、お前の名前」

「~~~~~~!!」


 怒りが頂点に達したのかしらないがツカツカオレに寄ってきて――――オレを指さした。



「付属1年2組のエリカ・ムラサキよ!この間会ったばっかりで何度か話してるのに忘れるってどーいう事なの!?」

 自分のアイデンティティーを否定された気分だったのだろうか、指先が震えてた。

「そうか、エリカね――」

「―――キャッ!」



 そう呟いてオレの事を指さしている腕を捕まえてオレの方に引き寄せた。オレの胸に飛び込む形になった女――エリカ、そいつの
耳に口を寄せて呟いた。


「また今度話しようぜ、エリカ。構ってやるからよ」


 そう言ってエリカを離した。顔は混乱して訳がわからないといった風だったがさっきの状況、オレの言葉を理解したのかさっきとは
違う意味で顔を赤くした。


「ななななんて事――」

「じゃあな」


 オレはまた屋上で一眠りしようと歩き出した。後ろからはこの野蛮人とか聞こえたが無視した。

 気分がよかった。きっと子供が家に帰ってきたら、欲しがっていたペットがいたという喜びに近いだろう。退屈しない物が出来た。

 欲しがっていた玩具が手に入った充実感があった。人と絡むのはご免だが、ペットを手に置くのは悪くない。

 オレは笑みが浮くのを感じた。退屈はしないで済む、そう思った。




―――しかし




「てかあいつ一年かよ。外国人は年より上に見えるというが――実際みてみると本当にそうだな」



 実際に外国人を見た事は数度あるが、それにしたって大人びていると感想を漏らした。だが分からない所がある。

 国籍はどこなんだあいつ。欧米ではないことは話していて分かった、だがヨーロッパ系でもないように感じた。

 流暢な日本語、しかしこちらの知識はあまり無さそうに思えた気がする。まぁやっぱり実際に実物を見てないからそう
思うだけかもしれない。



「ま、どうでもいいか」



 結局そんなところで落ち着いた。別に興味は湧かなかったし機会があれば知るだろう。そう思い屋上に足を運んだ。





 その途中、怪しい男を見つけた。いかにも自分は悪い事しようとしてますよといわんばかりの男。杉並だった。



「なにやってんだよお前」

 杉並はビクッと身体を震わせておそるおそるといった感じで振り返った。声の主がオレだと気付くとため息をついた。

「なんだ、桜内ではないか。あまり驚かすな」

「普通に声掛けただけだ。また悪さか」

「人聞きがわるいな。悪さではなく調査だ。ここらへんの地理をちょっと詳しく・・・な」

「なんで」

「ん?ある事の為にちょっと爆発させようと思ってな。ああもちろん備品などは壊さないから不安にならなくてもいい。
その為の調査だ」



 おれはため息をついた。オレは自分がクズで素行不良者なのは知っているが――こいつは規格外の男だ。
オレは学校の中で爆発騒ぎなんか起こさないし、年がら年中そんなことを考えながら過ごしていない。
そもそもこいつの考えている事なんて分かった試しなんてなかった。

「どうだ桜内、おまえも手伝わないか?」


 そう言ってオレに近づいてきた。そして――オレは少し距離を取った。


「・・・?」



 それを不思議がる杉並。オレとしてはただ単に癖みたいなものだった。いつもこの距離感でオレと杉並は話していた。

 大体の奴はオレには近づいてすらこないし、これがオレの人と接する時の距離のだ。こちらに来ても変えるつもりはないし
そんなことは考えてもいないかった。


「ふむ」


 そう呟いて杉並は背を向けた。どうやら調査とやらの続きをするらしい。


「で、答えは?桜内」

「かったるい、パスだ。オレを巻き込むんじゃねーよ」

「その答えは意外だな」




 こちらに背を向けたままそう言う杉並。消火栓が入っている扉を開けようとしているのだが思ったより立て付けが悪いのだろう。
苦戦していた。






「あん?」

「生徒会と対立しているんじゃないのか、桜内は。生徒会長の朝倉姉とまゆきの見てる前で恐喝をやったと聞いたぞ」

「躾(しつけ)ただけだ」

「―――躾、か」

「躾だ」

 





場が一瞬静まった。すると消火栓の扉が勢いよく開いた。思ったより力を掛けていたのだろう、杉並の上体が泳いだ。慌てて状態を持ち直す。






「っと、危ない。全く怪我するところだった。これは生徒会に文句を言わなければ」

「生徒会に目つけられてる分祭でよく言う」

「おいおい桜内、おれは善良な一般生徒だぞ」

「善良な奴が爆発なんてテロ企ててんのか?」

「なにを言う桜内、イスラムでは勇者の行動だぞ。圧迫された政治を跳ね除けるために戦う、立派な戦士だ」

「その勇者様が起こした聖なる爆発のせいで、罪もない人間が何人も死んでいる。年間何百人だったけか?イカレてるな」

「時には犠牲が必要なのだよ」

「生贄の間違いだろ?」

「ふむ、そうだな。間違っていない」

 

 特に反論せず杉並は作業を続けた。杉並の目の前にあるのは消火栓。おいおい、まさか消火栓爆発なんて企ててなんかいねーだろうな。

 普通に死人がでるやり方だぞ。そう思っていると杉並はホースの方が目的だったのかジッとホースを調べていた。どうせロクな事考えて
ないんだろう。にやにやしていた。オレは踵を返した。



「オレもう行くわ」

「教室に戻るのか」

「屋上。かったるいから眠る」

「ふむ、確かに今日は温かいからな」

「そうだ、普段の行いが良いせいかな?運がいい」

「普段の行いというのは、板橋に蹴りをいれる事も含んでいるのかな、桜内?」

 



 棘のある言葉。ピタッと足を止めた。振り返る。杉並はホースを調べたままの体制だ。





「知ってたのか」

「あれだけの騒ぎだったら、な」

「それもそうか」

「なぜ蹴りを入れたんだ。板橋が桜内に何かしたのか?雪村達も怖がっていた。記憶違いでなければ俺達は気のいい友人付き合いだったはずだが――」

「ウザかったから」

「――――それだけでか」

「それだけでだ」








 杏グループと杉並は仲がよかったのだろう。前の世界じゃあまり絡みがなかったはずだが・・・どうやら違うらしい。

 そしてその中にオレも入っており順風満帆な学園生活だった。だが、オレが壊した。杉並の言葉にまた少し棘が含まれたように感じた。

 




 また静まる場。流れる微妙な緊張感。シーンとして教室から先生がしゃべる言葉だけが聞こえてきた。お互い何もしゃべらない。

 何分、何十分そこにいたのだろうか。実際は一分も経ってなかった思う。しかしそれだけの体感時間がした。

 オレはなぜかそこに立ち止まったままだが、もうオレは痺れを切らして歩こうとして―――すると杉並がいきなり声をあげた。







「おおー!やはりだ!やはりあそこの給水場からはここに水は流れ来ていない!するとここの水は――――――」

「おい杉並。オレ、もう行くわ」

「ああ、すまんな桜内。引きとめる形になってしまって」

「気にするな――」

 屋上へ歩こうとした背中に声をかけられた。オレはそう言って振り返り―――

「ダチだろ?俺達」

 そう言って今度こそ屋上に向かった。





「ふむ」

 桜内が屋上に行くのを見届けた後、オレは作業を終え廊下を歩いていた。

「まるで人が変わったようだな」

 言動、態度、そして特に――目。もはや別人だ、昨日今日であれほど人が変わるはずはない。過酷な状況ではストレスで黒髪が白髪に
なるというがさてはて。

「ミステリーだな、面白くなりそうだ」

 そう呟いて二ヤッと笑みを浮かんだ。あれほどの変わりよう、ミステリーな他ない。そう思い非公式の部室へ向かう。

 しかし、心の奥底ではどこか信じられないのだろう。いや、信じたくないのか。杉並の左手は固く握られていた。













[13098] 6話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/16 18:39
 

 




 寒い風に身が震え、オレは固いコンクリートの上から起きだした。時間を見ると4時30分の時間を指していた。

「寝過ぎちまったか・・・」

 そう呟いてオレは身体を起こした。日はもう大分傾いており、もう綺麗な空は曇っていた。

 クラスにでも戻ろうかと思って――――朝の光景を思い出した。苦痛に歪む板橋の顔。小恋は泣きだし、花咲に睨まれるオレ。

 そして雪村はオレを見ていた、何処か注意深く観察するように・・・。オレはかったるくなるのを感じた。 

 クラスには雪村達がまだ残っている可能性がある――――オレはどこか暖かい場所がないか考えた。

「保健室・・・は駄目だな。水越先生がいるし、話すのもかったるい。となると学園長室か・・・」

 そうオレは結論を出した。あの部屋はさくらさんの趣味で和室になっており、炬燵もある。暖を取るには絶好の場所だ。

 ――しかし、朝に音姉が言っていたことを思い出した。どうやら最近のこっちさくらさんは忙しいらしい。迷惑をかけたくはなかった。

 すると残っている可能性は・・・だめだ、思いつかない。

「とりあえずここにいてもしゃーないな・・・廊下に出るか」

 身体には容赦なく冬の風が叩きつけられる。もう身体が冷え切っており、オレは逃げるように屋上を後にした。

 

 


 部活に行く者、帰宅部の者、そのまま教室に残って談笑をする者、様々だった。オレはそれらを目の脇に留めながら歩いた。

 オレは部活をやっている者のことを少し尊敬していた。毎日毎日ある事に没頭する、オレにはそういった物が無なかった。

 特に運動部のやつらはすごい。自分の身体をイジメ倒す作業を毎日している、真似は出来ないと思った。そして何より絶対に

 報われるという可能性は無いのに日々努力しているのは尊敬出来る。

 一回柔道部のヤツと乱取りをした事がある。体育の授業での事でオレはそいつに好きに投げてみろよと言った。運動には自信があったからだ。

 結果を言うとボロクソに投げられた。素早い動き、足の細かな技、受け身をとっても伝わる衝撃。オレは面喰らってしまった。

 話を聞くとだ、まだ俺は駆け出しでもっと強いのは上にゴロゴロといると言ってそいつは他の奴の相手をしに移動した。

 オレは鼻っ柱を折られた気分だったが、いい経験だと思った。自分の狭い世界観が少し広がった気分で、嫌な思いはしなかった。




「おい、義之」

「んあ?」

 それらの様子を見て、回想をしていると声を掛けられた。振り返ると後ろに気付いたら板橋達が立っていた。

 板橋の後ろでなぜか慌てた様子で目をせわしく動かしている小恋、そして長い髪の女――――確か名前は白河だったか、そいつらが立っていた。

 軽音部だかに入っているのだろう、ギターケースのような物を背負っている。板橋を見ると怒りの目をしていた。

 当然だ、腹に蹴りを入れて膝屈ませたんだ、心情穏やかではないのだろう。

「どこ行ってたんだよ」

「屋上で寝てた。今日は日差しが良くてな、熟睡してた」

「月島がメールを送ったんだけど・・・見たか」

「ああ・・・そんなのも来てたな。めんどくせーから最初の2通だけ読んであとは無視ったがな」

 そういうと板橋は目を吊り上げてオレの近づこうとした。またやり合うのか・・・めんどいと思ったが、そうはならなかった。

 小恋が板橋の腕を掴んでいた。もうやめてとでも言うかのような目をしていた。板橋はそれを見て若干怯んで、上がりかけた足を降ろした。

 「くそ・・・なぁ義之、何があったんだ? 今日はすげー暴力的じゃねーか。何か悪いモノでも喰ったか?」

 「特に腹を下すような物を食った覚えはないな。朝喰ったコンビニ弁当も賞味期限は切れていなかったし・・・最近は風邪もひいてないな」

 「とぼけるのも大概にしろよな・・・ッ」

 「聞かれたから答えたまでだ。―――第一に、何かがあったとしてもそれをお前に話す義務が生じるとは思えない」

 「―――てめぇ!」

 そう言い今度こそオレの襟を掴んだ。小恋は涙目になって動けないでいた。白河が慌てて俺達の間に割って入った。

 「ちょーっとちょっと!ストップ、はいストップ!板橋くん落ち着いて!」

 「白河っ!離せよっ・・・! こいつの事一発殴るまで―――」

 「いいからっ!!」

 そういって無理矢理板橋の手を引き離した。板橋の顔はまだ怒りに染まっている。まだ気は済んでいない、そんな顔だった。

 「はいそのまま動かないで直立不動!そこから一歩でも動いたらもう部活来ないよ、私」

 そう言って板橋を落ち着かせた。板橋は不承不承ながらの様子も、気をなんとか落ち着かせた。

 「義之君」

 こちらに振り返る白河。目は真剣味を帯びていた。オレはなんかかったるくなりそうだと思い始めた瞬間、白河は声をだした。

 「なにがあったのか、ちゃんと聞かせてくれる? 朝に教室で起きた事は板橋くんとか小恋から聞いてる・・・。ねぇ、教えて」

 「なんもねーって」
 
 「うそ、だって義之くんはそんな事するような人じゃないもの、何か理由がある」

 そう言いきった。オレは吹き出しそうになった。オレがそんな人じゃないって?お前はエスパーかよ。人がどんな人かはその人自身しか知らない。

 大抵こういう風に言う奴は、その人を分かった気でいる奴が吐く台詞だ。

 「言い切るね、アンタ」

 「だってそうだもの、この間一緒にバンドやった時は普通だった。何かあったと思うのが正常でしょ?」

 「バンド?」

 こっちのオレはバンドやっていたのか・・・軽く驚いた。生まれてついてのこの性格、みんなで音楽をやるような性格ではない。

 バンドというのは、一人が何かの拍子でずれたらバランスを失う集団音楽だ。人との触れ合いに嫌悪感を持つオレがやるようなものじゃなかった。

 音楽だけに限らず集団行動が出来ないオレは小さい頃から浮いていた。当り前の事だった、社会と言うのは集団行動で成り立っている。

 ある動物のようにひとつの個体で生きていける生物ではない。だからみんなからは奇異の目で見られていた。

 寂しいと思った事もある。だが人と触れ合って感じるのは嫌悪感だけだった。生まれ持ったこの呪いとも言うべき心。

 嘆いた事もあったがその心は次第に大きくなっていき、気が付いたらもう何も感じなくなっていた。マヒしていた。

 「忘れたの?この間一緒に演奏したでしょ? その時は普通に優しかったのに・・・」

 「・・・ああ、そういえばやったな。だが安心してくれていい―――もうニ度とやらないだろうから」

 「―――! な、なんで・・・?」

 「もう興味がなくなっちまった、ただそれだけだ。じゃあな」

 「ま、待って!」

 そう言いオレの腕を掴もうとする―――オレは躱した。今日は腕を掴まれるとロクな事がない。かったるいのは無しだ。疲れる。

 
 「触るなよ」

 
 そう言い、歩こうとした瞬間―――今度はオレの手を握ってきた。そういえばと思いだす。

 

 
 前の世界でも白河はこうやってボディタッチが多い女性だった。男女構わず手を握ったりしていて、それでその容姿からも男子には人気者
 
 だった。そして反対に女子からは嫌われていた。

 手を握られた男子は勘違いする、しょうがないと思う。男というのは勘違いしやすい生き物だ、ましてや18にも満たない歳、無理はない。

 そしていざ近づこうとすると逃げる白河。男子からすればなんで?という気持ちでいっぱいだ。

 そして男は怒る、思わせぶりな事するなよと。数回そんなことあったら普通はそういった行動は辞めるが、白河は止めなかった。

 そうしていくうちにだんだん白河は孤立していった様に思えた。男子からは煙たがられ、女子からも益々嫌われる。

 どうしようもないと思った。

 一回オレの手を握った事もあったが何か驚いた顔をして―――手を離した。それ以来顔を合わせても背むけるし、避けるようになっていった。

 元々喋る間柄ではなかったので気にも留めなかったしそしてオレはこんな奴だ、うっとおしくなくて済む。清々した気分だった。

 

 「おい手を離―――」 

 
 そう言い掛けて白川の顔を見た瞬間―――ゾッとした。理屈では言い表せない。多分他のヤツが今の白河の顔を見ても何も思わないだろう。

 別に普通だともいいきれる表情だ。少し悲しげに揺れる目、頼りなく握る手。さっきまでの状況を見ていたなら何もおかしくない。
 
 至って自然な流れだ。だが―――目だけは何か違っていた。お前のすべてを見てやるという目だった。不可能な話だ。

 人の心がそのまま読める奴なんていやしない。漫画やアニメならそういう奴がいるのを見たことは分かるがここは現実だ。

 だが白河の目はそんなことは不可能じゃないという目をしていた。朝、新聞に目を通すような感覚で当り前の事だという目の

 色のような気がした。

 本当に言葉では言えない。目だってオレが単に気の迷いでそう見えただけ、本当はただ悲しみに揺れてるだけなのかもしれない。

 だが―――


「――――――ッ!!」

「あっ」

 
 オレは手を振り切った。白河は残念そうな顔をした。嫌な汗がドッと出た。気分が悪かった。

 まるで自分が覗かれてるような感覚、すべて知られるような感覚。

 だれだって拒否反応を起こす。人は知られたくない事や隠しておきたいことなどはたくさんある。それを隠し生きていくのが人間だ。

 人間の特徴ともいうべき心のすべてが知られる―――本能はそれを拒否するのは当たり前だった。

「・・・・・」

 例えるなら苦虫を口に入れられ、炭酸飲料を一気飲みさせられた気持ち―――要は最悪という気分だ。冷たい汗が気持ち悪かった。


「今度触ったら―――殺すぞ」

「ひッ・・・」

 
 どうかしていた。気のせいに決まっている。きっとかったるい事が今日1日でいっぱいあったせいだ。休めば気は安らいでいつものオレになる。

 白河にありったけの殺気をぶちまけてやった。これでまた来るようなら多分マフィアのボスの頭だって笑いながら叩けるような性格だ。

 それだけの顔と空気を出した。実際に本当に殺そう思っていたのかもしれない。だが殺人して刑務所なんて入るのはバカのする事だ。

 すぐ気を落ち着かせて踵を返した。白河は気が抜けたのかオレの背中の後ろで座り込んだのを感じた。

「そういえば・・・言うの忘れてたな」

 オレは振り返った。白河が恐怖に歪んだ顔をした、効果はあったらしい。

 その後ろでオレの怒った顔を見ていたのか―――板橋達も白河に駆け寄ろうとして凍った。

「もうニ度とオレに話しかけるなよ。雪村達にもそう言っておけ」

「え―――」

「その言い付け守らなかったら本気で全員ブン殴る」

「そんな事――――!」

「・・・・・・」 

 板橋は納得いかないのか言い返そうとした時、オレは睨んだ。そうして開きかけた口を閉じる板橋。

 数秒そうしていたが小さい声で、分かったよ、と言った。オレはそれを聞いて一安心し、歩き出した。








「おーい!マイ同士、桜内!」

「ん?」

 玄関に向かう途中の廊下で杉並に会った。奴にしては珍しく息をきらしている、後ろをチラチラ見ながら走ってきた。

「断るぞ」

「はーっはっは! まだ何も言ってないだろうが、んん?」

「いかにも誰かに追いかけられてます、みたいな奴に構ってる余裕なんかねーよ。かったるい」

「まぁそんなこと言わないでオレの話を聞くのも一興だぞ? 人を助ける事で、その優しさが生き甲斐となるという言葉がある」

「生憎オレはヘレン・ケラーみたいな聖母じゃないな、力になれそうにない」

「そう言うな同士よ、実は・・・・」

 そういって声を潜め話しかけてくる杉並。ヤツはオレとの間の距離を縮めようとして――――一止まった。

 その距離感は昼間オレが取った距離感だった。



「爆発ブツを仕掛けてる所を生徒会に見られらた」

「じゃあな」

 
 オレは玄関に向かった。ガシッと肩を掴まれた。かったるそうに振り返るオレ。

「―――っておいっ!そこは格好よく助けるんじゃないのか!」

「うっせー。オレはかったるいのは嫌いなんだ。処刑されるんならお前一人で死ね」

「うぬぬ・・・キリストの時はみんな喜んで命を差し出したんだぞ」

「お前を助けても奇跡は貰えそうにないからな」

「だが名誉がもらえるぞ」

「どんな?」

「二階級特進という素晴らしい称号だ」

「ふざけろ」

 オレは肩の手を振り払って歩き出した。後ろからはふむ、使えない男めという声が聞こえてきたが無視した。早く帰って布団に入り
 たいと思い鞄を肩にかけ直した。

「じゃあな、杉並」

「うむ、仕方がないか・・・・。オレが生きていたらまた明日―――――」

「ああーーーー!見つけましたわよ、貴方!!」

「チッ、生徒会め!厄介な新人を連れてきおって・・・」

「ん?」

 振り返ると端正な顔立ち、綺麗な金髪、不思議と制服が似合ってる――――エリカが走ってきた。

「なんだお前、エリカに追われてたのか」

「それこそなんだ、だな。桜内、知ってるのか彼女のことを」

「多少縁が会ってな。オレの―――飼い犬みたいなもんだ」

「なんとアブノーマルな・・・そんな趣味があったとは・・・。しかし、あの手に負えなさそうな女を
 手懐けるとは、さすが桜内といったところか」

「そう言いつつオレの背中に隠れるお前は正直うざい、とオレは思ってる」

 素早い動きでオレの背中に回る杉並。ため息をついた。昼寝して戻った気力、板橋達との件でもうなくなっていた。

「つれない事をいうな、桜内。なぜだが知らんが今日のお前はワイルドだ。少し怒った顔して追い返してくれ」

「もうそんな気力なんかねーよ、お前と別れた後、色々あったんだ」

「追い返したらそうだな――――エッチな本でもくれてやろう」

「オレは小学生か、てめぇ・・・」

 そう言い、正面をみるといつの間にかそこにはエリカが立っていた。真面目な顔つきで腕を組んでムス―っとした顔、オレは笑った。

 ピクッと眉毛を動かし、少し不機嫌な声で口を開けた。

「そこ、どいてくれるかしら?」

「いきなりとんだ御挨拶だな、エリカ」

「名前を忘れていたくせに、いきなりファーストネーム呼ばわり?」

「うるせー、いちいち文句言うな、うっとおしい」

「――――ッ! コ、コホン」

 わざとらしく咳払いをしてオレを見据えた。おれはどうでもいい態度。なるようになるかと思った。

「その男を庇い立てしてもいい事なんてありませんわよ」

「それは重々承知している、むしろ厄災を運んで来る疫病神だな」

「知ってるならそこをどきなさい、生徒会で身柄を預からせもらいます」

「嫌だね」

「な――――」

 最初は道を譲る予定だったが気が変わった。こいつみてるとからかいたくなる。エリカは顔を怒りに変えた。

「100万くれたら通してもいいけどな」

「ふ、ふざけてないでどきなさい! その男は毎回騒ぎを起こす不心得者なのよ! さっきだって私の顔見るなり逃げて
 あろう事か・・・コ、コショウを私の顔に投げつけてきたのよ!」

 なにやってるんだか・・・背後の杉並の顔を見た。杉並はくっくっくと笑っていた。その顔を見て更に怒りだすエリカ。

「べ、別に無理に道を空けて貰わなくて結構ですわ」


 そう言い、オレの脇を通る瞬間――――


「ひっ!」

「おおっとぉ」

 ドンッとオレは大きい音を立てて壁に手をかけて通せんぼした。驚いて変な悲鳴をあげるエリカ。わざとらしく驚く杉並。オレは口を開いた。

「邪倹にしないでくれ、頭にきちまう」

「――ッ!」

「オレは寂しがりやでな。だから、お前に、構ってほしいんだが」

「こ、今度にして下さらない?」

「いーや駄目だね、今がいい」

「ふ、ふざけてるの、貴方!」

「割と本気だったりして」

 寂しいというのはさすがに嘘だが、構いたくなったのは本当だ。こいつがキャンキャン吠える姿は面白い。

 他の奴が吠えたところでただの野良犬だが――――――


「お前もオレに構ってほしいんだろう?」

「な、なにをバカな事を――――」

「素直になれよ、お前」

「あ――――」

 そう言いい昼の時みたいに腕を引っ張った。胸に治まるエリカ。最初はジタバタと抵抗したがオレが腕に力を入れると

 痛がるような顔をして静かになった。

「こ、このっ!な、な、何を考えてますの、貴方と言う人は・・・!」

「あ?何を考えてるか教えてあげるか?」

「え?」

「え?じゃねーよ」



 そういい顎に手を掛けて目を見つめた。綺麗なブルーの目、にやにやしたオレが映っていた。エリカは驚いた顔をして固まっていた。



 そして――――




「ドキドキ」

「いや、うるせーよ、テメェ」

 

 後ろから聞こえる杉並の声。オレは急に気が落ちて行くのを感じた。本気ではなかったんだがなんだが冷めちまった。

 杉並の声が聞こえたのかエリカはハッとした顔をしてオレから離れて行った。流れる髪、別に名残惜しくはなかった。

「こ、この――――」

「おーいエリカー、杉並はいたかー?」

「エリカちゃーん!」

「あっ」

 そう呟いてエリカが後ろを向く。聞いた事ある声、振り向かなくても分かった。杉並は逃げようとしていた。

「待てよテメェ」

「な、なにをする桜内!」

「昼間オレに何があったか知ってるんだろう、逃げるな、かったるくなる。お前がいるとそれが分散されるかもしれない」

 そう言って杉並の腕を掴んだ。思いっきり力をいれた。杉並は抵抗しても無駄だと分かったのかおとなしくなった。

「あ、弟くん―――」

「・・・・・」

 音姉とまゆきは俺達の前まで来た。微妙にバツが悪そうな音姉の顔にどこか怒ってるまゆきの顔。

「音姉先輩にまゆき先輩、とうとう杉並という男を追い詰めましたわ! でも桜内が邪魔して・・・」

「え、あ、そうなんだ・・・・はは」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ふむ?」


 
 エリカは音姉とまゆきの反応が意外だったのか、えっ?えっ?という顔をしていた。杉並は黙ってその様子を観察していた。

 オレはさっきまでおちゃらけてた空気を変えた。途端に流れ出す少しの緊張感。場の空気は重くなった。





「・・・ねぇ、弟くん」

 まゆきが喋りだした。

「音姫に謝って」

「あ?」

「いいから謝りなさい」

「断りますよ、面倒です」

 言った瞬間にビンタが飛んできた。喰らうオレ。驚く音姉とエリカ。口に暖かいモノが垂れてる感覚―――血が流れていた。

「朝何が起きたか音姫から聞いたよ。そして昼間の様子。なに調子に乗ってるのか知らないけど・・・あんたは音姉にひどい事したんだよ?謝りな!!」

 

 この野郎――――そして今度はお返しとばかりにオレがビンタを叩きこむ。まゆきは弾け飛んだ。勢いで壁にぶつかるまゆき。



「ちょ――――」

「――――!!」

 エリカと音姉は驚きで目を見開いた。それを端目にツカツカと倒れたまゆきに歩み、襟を掴んで立たせた。

「昼間言ったでしょう、暴力はどうかと思うって」

「あ、あんた――――」

「女性だから殴られないと思いました?ふざけないでください。やられたらやりかえしますよ、オレは」

 そう言い腕を振りかぶった。殴られた事で頭にきていたらしい。拳に力が入っていた。まゆきは驚いた顔をしていた。


 






 そして―――オレは拳を―――振りおろした―――――――












「手を離してくれないか、杉並」

「ふむ、そうするとだ、お前は彼女を殴ってしまう」

「ああそうだ、殴りたいんだ」

「男が無抵抗な婦女子を殴るのは見るに堪え無くてな」

「たまには男らしい事言うじゃねぇか杉並くん――――もう一度言う、離せ」
 
 振りかぶった腕はすんでの所で杉並によって掴まれていた。ギリギリと骨が軋む音がする。思った以上に力が強く、思わずオレは顔を歪めた。

 だがそんなことではオレは止まらない。ドスを効かした声で杉並に離せと言った。

「窓の外を見てみろ」

「あ?」

 そう言われて窓の外を見た。雪が降っていた。驚いた事にまだ日は完全に沈んだ訳ではなく、雲の隙間から茜色の光が見えていた。


「・・・・・・」



 綺麗だった。雪がチラチラ降ってる向こうで、雪が日の光に反射してフラッシュのように輝いていた。まるで幻想的といっていい―――

 生まれてこの方、こんな現象は初めて見た。昼間の様子を思い出してみた。今は12月上旬にも変わらず暖かった。

 異常気象、おそらくその影響のせいだろう、その時は普通なら太陽を覆い隠すはずの雲がまばらになっていた。

 

 
 素直に美しいと思った――――――





「いや~きれいだなぁ。実に興味深い現象だ、だが異常気象はもう科学で証明されている。残念だ」

 そう言って腕を離し、残念そうな顔をした。オレはと言うと―――落ち着きを取り戻していた。


「帰る」

「ん? そうか、気をつけて帰れよ。こういった時には必ず何かでる・・・UMAが活動している可能性がある」

「喰われないように周りを注意深く見るとするよ」 

「うむ、まぁ我々人間にはそれしかあるまいな。しかしこういう現象が起きると知ってたならばあのUMA捕獲用の――」

「あばよ」

 杉並の言葉を絶って、そう言い玄関に向かう。まゆきはこちらをずっと睨んだままで、音姉はあたふたとした様子だった。

 こちらを見てエリカは心配してそうな顔をしていたが、フッと顔を背けてまゆきに駆けより介護をした。それらを後ろ手に見て

 ある事を考えながら出口に向かい歩く。

 
 「――――――――初音島にUMAなんていねーだろ」

 
 思い返してもそんな話は聞いたことがない。いや、しかし、はりまおみたいな珍妙な生き物もいる。

 そして枯れない桜に魔法の存在――頭ごなしに否定はできないなと思いながら、下駄箱から自分の靴を取りだした。










  

 「ここは相変わらず・・・・か」

 オレは枯れない桜の木の下に来ていた。雪は変わらず振りつづけている。明日には積もっているだろう、そう思った。

 「・・・・・・」

 ここに来たのは偶然だ。たまたま帰り道に桜の木を見ていたら懐かしくなってしまって、ここにきてしまった。

 オレの記憶の原初の場所。桜の木を見上げた。キラキラ光る雪と桜のコラボレーション。他の桜の木とは段違いだった。

 「なぁ・・・さくらさん」

 オレは枯れない桜の木に問いかけていた。バカらしい行為だと思う。だがオレは話を続けた。

 「こっちはまじでだりーわ・・・どんだけイイ人だったんだ、オレ。びっくりするわ」

 周りの人間を見てれば分かる。友情、愛情、信頼・・・その全てが俺と言う人物にかけられていた。信じられなかった。

 「まぁだからって、どうもしないけどな」
 
 そう、どうもしない。オレから見たら知らない奴だし別人だと思う。そんな人間もいるんだなぐらいの感覚。

 「まぁ適当にがんばってみるよ。何をがんばるんだか知らないが・・・学校へはとりあえず毎日いくつもりだわ」

 オレからしてみたら上等な目標。前はほとんど半日で帰ってきたりサボったりしていた。勉強なんてするわけなかった。

 本当に知りたい知識は自分で調べて手に入れたし、さくらさんという天才がいた。学校で教わる事より実のある勉強だった。

 「そろそろ寒くなってきたな・・・それじゃあオレは帰るよ。元気でな」

 この枯れない桜の木は不思議な感じがすると前々から思っていた。オレが特別な場所として意識しているだけかもしれないが

 それでも構わなかった。少し気持ちを吐きだしてすっきりした、それで十分だ。

 

 花びらと雪が舞う中を、今日は鍋でも作ってやろうかと思いながら歩く。雪は止みそうにもなかった。



[13098] 7話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/16 18:40






 「ふぅ~、ごちそうさまでした!」

 「お粗末さまです」

 あの家に帰り鍋料理を作った。外ではまだ雪が降りつづけている。暖かい料理にさくらさんは満足気に笑った。

 材料は買い出しにいかなくても十分にあり、台所の使い勝手も前と変わらなかった。

「いやぁ最近忙しくて久しぶりにこんな料理食べたよ~」

「はは、満足してもらってよかったです」

「うんうん、いつ食べても義之君の料理は美味しいよ~!でも、ちょっと味付け変えた?」

「なんでですか?」

「いつもよりなんか味が濃い感じがしたような気がして、いつもは薄味じゃなかった?」

「気分ですよ。美味しくなかったら変えてみます」

「やや、そんなことはなかったよ!うん、こういう料理もいいね!」

 




 違いがあった。こっちの桜内は料理の味が薄く、オレのは濃い。そんな些細な違いだ。
 
 だがそんな些細な違いでも人は気付いてしまう。おかしいと。それが積もりに積もって、あるきっかけで爆発してしまう。

 オレという人間、強いては魔法の存在がばれる可能性は十分にあった。

 気をつけなければと思い――――――








「あれ?」

「ん~、どうしたの~義之君」

 炬燵に寝っ転がっていたさくらさんが、振り返って 聞いてきた。テレビの画面ではさくらさんお気に入りの時代劇をやっていた。

「いえ、なんでもありませんよ。学校に筆箱忘れてきちゃったみたいで・・・」

「そうやって宿題サボるつもりなんでしょう~?」

 ジト目でそうさくらさんが言葉を返してきた。宿題―――やるわけがなかった。というか何を出されたかなんて知らなかった。

「机の上に予備ぐらいありますよ、別にそんな心配しなくていいです」

「ほんとに~?」

「ほんとですって」

 信用していないのか、さくらさんは確認してきた。画面の向こうでは物語が佳境に入っていた。さくらさんはおっとと言いながら
 テレビの方向に向き直った。



 





 オレはなんで隠してるんだ―――。別に喋っちまってもいいんじゃないか、別人ですよと。

 さくらさんは魔法使いだ。魔法の事を言ってしまっても構いやしない、そう思った。

 こっちの世界では、魔法使いでもなんでもなかったらそれはそれでいい。ただの狂言かジョークだと思われてはい終わり。

 それだけの事だ。だからオレは別に言ってもいいかと思い――――――






「さくらさん、オレ風呂に入ってきますわ」

「ん~」


 時代劇を見てるさくらさんにそう言い、オレは風呂に向かった。

 今日は疲れたな~と思いながら下着を脱ぎ、洗濯機の中に放り投げる。ガラガラと扉を開きイスに座った。

 頭を水で濡らしシャカシャカ洗いながら今日の起きた事を振り返った。

 まず朝の朝倉姉妹との件、教室での雪村達との騒ぎ、帰りの廊下での板橋とまゆき達との言いあい及び喧嘩。



「色々あったなーありすぎだっての」



 偏頭痛がした様な気がした。あまりにもかったるい。正直ガン無視されたほうが気分がよかった。

 今日一日でこれだ・・・・これからの学校生活を思うと気が重たくなる、そう思う。

 前の世界にいた時は学校では最初はただのカッコ付けだと思われていた。クールに思われるためにとか思春期特有の放っておいて
 欲しいという感情。

 そういうのがひどい人物だと思われていた。別にオレはそれでも構わなかった。が、そのイメージは次第に変わっていった。



 



 きっかけは多分あの時の事だろう。当時、そのクラスには中心人物みたいな奴らが集まった集団があった。

 オレは特に意識はしなかったし、あっちもオレの事なんて目にも留めなかったと思う。

 だがある時話す機会がった。なんの話題かというと女の事だ、くだらない話だったと思う。

 向こうから言いがかりみたいなものを押しつけられた。なんでお前なんかの事をあいつが好きなんだよ、みたいな内容だ。

 単純に嫉妬だったが、こういう事は案外子供でも大人でもある。実際にそれが原因で殺人をしたなんて呆れるほど聞いた。

 けどオレはその女のことなんて知らないし、知ったこっちゃない。オレは呆れ果ててため息をついた。

 ガキかよ・・・と思いながらも、向こうはそんな事知った事で無いので次々罵声を浴びせられた。

 まぁカッコ付けとか暗いとかアホとかそんなくだらない罵声だ。あまりにも単純でオレは少し笑ってしまった。

 子供だしそんな気のいい言葉遊びなんて出来ない、オレはハイハイ言いながら帰ろうと鞄を取った。

 しかし、それが本気で気に障ったらしく髪を掴まれた。








「おい、逃げるなよ、チキンが」

「勘弁してくれ、手を離してくれないか」

「なんだ、本当に腰抜けかよ、このカッコつけしいが」

「カッコつけでもなんでもいいよ、とりあえず離してくれないか?」


 その対応がいけなかった。調子に乗らせてしまった。ニタニタ笑いはじめた、攻撃的な笑みだった。


「お~い、やっぱりこいつ、大したこないぜ」

「おい―――」

「あーやっぱり~?」

「だよなぁ、弱そうだもん。さっきから見てたら何もやりかえさないしぃ」




 そういってその男の友達だが仲間が数人集まって来た。どうやら前からウザく見られたらしく、オレの事をどうかしようと
 いうのが見て取れた。

 そして廊下まで連れて来られ、そしてその男が口を開いた。






「お前の事前から気にいらなかったんだわ、すかした態度取ってカッコイイと思ってるのか?」

「・・・・・」

「あれ~?ビビって声もでないか」

「・・・・・・」

「―――ッ!いいかげんに黙ってないで―――」

「服」

「あ?」


 そう言ってオレはそいつの学ランから覗いてるシャツを指さした。そして口を開いた。


「これ見よがしにシャツを見せつけてるが―――悪いがそれはパチモンだろ? だっせーなオイ」

「あ!?」

「大方本島にいった時に購入したんだろ、そのシャツ。デパートかどっかのセールだか何だかしらないが―――
 そんな時に、お前はそのシャツを見つけた」


 男が着ているのはある有名ブランドで、シャツだけでも数万はするモノだ。オレ達ではもちろん買えないブツだ。

 そしてそんな店は初音島にはもちろんない。本島にもそのブランドの販売をしているインポートショップは無かったし
 あるのはデパートのみ。遠くへ行って買ったと言ってもそれは嘘だと分かる。

 なぜなら生地からして違う、見ただけで分かった。こいつはそこらの流行に流されてパチモンでもなんでもいいから
 と買ったのだろう。頭の悪いヤツが考えそうなことだ。


「有名ブランドだからお前は目を輝かせた。当り前だよな、オレ達にとっちゃそんな服は手の届かない存在だ。
 パチモンでもなんでもいいからブランド物が欲しかった。そんな服が安く売られている。買わないといけないよな」


 大体言ってる事は当たってるだろう。男の顔は赤くなった。そして言葉を一回切って、話を続けた。


「つまらない虚栄心だな、お前みたいな人間と一緒だよ。パチモンとは分かっているがバレやしない、お前はそう思った。
 自分を高くみせているつもりだろうが―――ハッキリ言ってマヌケだぜ、お前?」

 男はとうとう我慢できなくなったのかオレの髪を掴み叩きつけようとして―――


「ギャッ・・・・!」

「お、おい!」

「―――このッ!」


 男の目に指を差し込んだ。たまらず座り込むが―――その顔に膝をいれた。たまらず転がる相手。


「あー何の話だったんだっけ、脱線しちまった、悪い。そうそう、お前のお気に入りの女の話だったか」

 

 そう言いつつも転がっている男の顔を踏みつけて足を捻った。男は豚みたいな悲鳴を上げた。



「てめぇが好きな女ぐらい自分でなんとかしようと思わないのか? 思わないんだろうな、だからオレの所にきて気持ちを
 発散させる事しか出来ない。小さい男だよ、お前は。ちゃんと自覚してんのか? あ?」

「お、おい止めろよこの野郎ッ!」

 と言われ殴られた。壁に叩きつけられるオレ、だがオレは笑った。


「なんだよ、ただ立っているだけだからただの銅像だと思ってたよ。もしくは金魚の糞だな。いや、待て、確か金魚の糞
 はビタミンだが何だかが含まれていて、金魚はそれを食うんだったな。なんだ、役にたつんじゃないか。金魚の糞に悪
 い事を言った。さっきの発言は撤回させてくれ」


 「―――ッ!こ、こ、この野郎!」








「あの後は大乱闘だったなぁ・・・ガラスも10枚ぐらい割っちまったしオレも相手もボコボコで・・・かったるかった」

 特に男たちの方は悲惨だった。四人ぐらいいたと思うんだが全員どこかしらは折れていたし、前歯なんか無くなったやつもいる。

 目に指を差し込まれた男はしばらく眼帯をしていたが、特に後遺症は残らなかったらしく無事に直ったらしい。

 オレはというと肋骨にヒビが入った程度で済んだ。一対四・・・・勝てるとは思ってなかったが、運よくそれだけで済んだ。 
 
 止めにきた先生達でもその騒ぎはなかなか抑えられず一時間は騒然となった。その乱闘が収まったきっかけは―――


「杉並の野郎・・・・被害がでない範囲の外でデジカメをカシャカシャしやがって・・・・・・」


 乱闘の途中、ふと階段の方をみた。杉並がニヤニヤ笑ってデジカメで乱闘の様子を撮影していた―――非公式新聞部のネタにするの
 だとオレは理解した。

 そして―――カチンと、その日で一番頭にきたオレは杉並を追いかけた。逃げる杉並、場はみんな茫然としていた。


 「結局掴まえられなかったんだよなー・・・・まぁ、そんなこともあったなっと」


 そう呟いて浸かっていた湯からあがる。水気が残らないように丹念に身体を拭いて、服を着た。

 そして居間にいたさくらさんに声を掛ける。


 「さくらさーん、次どうぞ。オレ、もう眠りますね」

 「んにゃ、早いね?」

 「色々疲れちまって・・・・じゃあお休みッス」

 「はーい、お休みなさーい」


 そう言って部屋に戻り布団を被った。冷たいシーツが心地よかった。





「・・・・・・・」






 魔法の事聞こうと思ったが止めた。さくらさんとはガキの頃からの付き合いだ。自分の記憶の中での一番古い人物象はさくらさんだ。

 そんな長い付き合いの中、さくらさんは魔法の事なんて少しも触れなかった。喋りたくなかったのか喋らくてもいいと判断
 したのか。

 
 だったら別に聞かなくてもいい事だと思った。教える必要性があったら教えてくれるだろう、オレが死んだあの時みたいに―――


「縁起わりぃなー・・・考えるのやめるべ・・・・」

 そういい布団を深く被った。余程疲れていたのかすぐオレは夢の中に潜り込んでいった・・・・・。


















 翌日の学校生活は悪くなかった。だれにも話しかけられなかったからだ。

 板橋がうまく伝えたのかどうだが知らないが、オレの周囲の空気は以前のモノと同じになっていた。

 時々小恋がこちらを見ていたが、その度に板橋が睨みつけて止めさせていた。そしてこちらを見る板橋。

 オレが目でなんだ? と伝えたらそっぽを向いた。それらの様子を雪村が見ていたが、特に何も言いはしなかった。



 


 


 「おはようございます」

 「・・・・・・・・・」

 

 休み時間にトイレに行こうと思い、席を立って廊下を歩いていたらまゆきと会った。

 昨日の一件で怪我したまゆきは、口と頬にかけて当て物をしていた。オレはそれを気にせず話しかけた。

 「思ったよりは、怪我がひどくなくてよかったです。それじゃ―――」

 「・・・・待ちなさい」


 オレはまゆきの言葉で、歩きだそうとした足を下ろした。別に行ってもよかったんだがまゆきは生徒会員、とりあえず
 昨日の件があったから話を聞くことにした。もしかしたら停学とかにされるかもしれないしな。


 「この怪我についてはもういいわ、それより聞きたい事あるんだけど」

 「なんすか?」

 「あんた何があったの?」

 「もう何回その質問されたか―――特になにもないですってば」

 「へぇ―――しらばっくれるのね?」

 

 そう言って二ヤリと笑った。そして近づいてこう言った。



 「退学にしてあげてもいいんだけど? これは立派な傷害罪だし、裁判沙汰にでもなるかもしれないわね?」

 「別に構いませんよ―――面白そうですね」

 「――――――舐めないでね、本気だから」 

 「やってみろよ――――――――」

 

 そうしてピンと張りつめた雰囲気になる。お互い外さない視線・・・オレを試すかのように見据える目。

 対してオレはどうでもよさそうな態度で向かい合った。時間にしてやく一分近く睨み合っていた。






「はぁ~・・・・・」

 そしてまゆきは目を逸らしてため息をついた。緊張した空気が解れた。

「どうしたら弟くんは心開いてくれるのかなぁ」

「起訴とかしないんですか?」

「いいよいいよ、その話は」 
   
「一応女性だから9割勝てますよ、裁判」

「一応は余計だっての――――――そんなんで何十万ぽっち貰っても嬉しくないよ」

「裕福なんですね、そんな金でも犯罪に走る人は大勢いますよ」

「あんたのためじゃなくて音姫の為だよ―――悲しむ」



 そういって踵をかえしたまゆき。これ以上聞いても無駄だと悟ったのだろう、手を振って行こうとして―――止まった。




「あと音姫の事だけど――――――これ以上何かしでかしたら、ビンタじゃ済まないよ」

「何をしてくれるんですか?」

「なにをすると思う?」


 そう言って振り返るまゆき。顔は無表情で目も何を考えてるか分からなかった。



「さぁ?」

「一応だけど――――――弟くんのことも心配してる」


 そう言ってもうこちらに顔を振り返る事なく去って行った。オレはため息をついてその後ろ姿を眺めていた。

 緊張していた身体から力が抜けていくのを感じた。思った以上にあの空気に身体が構えていたらしい。

 オレは身体をコキコキ鳴らした後、呟いた。



「一応かよ―――にしても」


 あれだけやったにも関わらず心配という言葉を吐いたまゆき――――おかしな人間だと思った。

 もしくは元々のオレはそんなに人望があったのか、それとも両方か―――分からなかった。


「どうでもいいけど、トイレ行く途中だったんだな、オレ」

 

 そう思いだしたオレはトイレに向かった。そして昼飯はどこで食うかなと考え事をしていた。

 クラスで食うのなんかかったるい事がありそうだ、そう思い頭の中で選択肢を思い浮かべた。










「あ――、兄さん」

「ん?」


 昼飯を食おうかと思ってさて、どこに移動しようかなと思っている時に由夢に声を掛けられた。

 弁当の小包を持っており友達と一緒に食べるのだろう、そんな様子が見て取れた。



「・・・・・・」



 話しかけたのはいいもの、何をしゃべっていいか分からないのか口を開きかけたり閉じたりしていた。

 オレはかったるく感じながらも一応聞いてやることにした。面倒事は最初の内に方付けたほうがいい、そう思いながら。


「なんだよ、何か用事でもあるんじゃなかったのか?」

「や、ま、まぁ・・・・そういう訳ではないようなあるような」

「はぁ・・・本当にないならオレはもう行く。かったるい」

 無いなら無いでそれでいい、何も無い方がむしろ清々する。オレは歩き始めようとして――――



「―――ッ!待って!!」



 結構大きな声でそう言われた。廊下にいたやつらがこちらに注目した。オレは軽く舌打ちをしながら言った。


「だったら屋上に行こう、それか中庭か・・・どっちがいい?」

「え?」

「このままウダウダやっててもしょうがねーだろ、もう一度聞くが――どっちがいい?」

「――屋上で」



 そう由夢は言い、オレは踵を返し屋上に向かい歩き出した。友達の約束もあったろうが、由夢は慌ててオレの
 後ろをついてきた。








「さみぃ」

「・・・・」



 そう言い屋上のフェンスに背中を預ける。由夢はジッと下を向いたままだんまりを決め込んでいた。
 しばらくそうしていたが―――――オレの方が先に痺れを切らした。由夢に話しかけた。


「なにもないならオレは――――」

「最近、調子はどう?」


 ・・・・ったく、だんまりしたと思って喋ったと思ったらそれか。くだらない。


「別に悪くは・・・違うな、かったるい事が多すぎるな、最近は」

「お姉ちゃんから聞いたよ・・・まゆき先輩との事」

「さっき話した、別になんとも思っていないと言っていたが――――今度何かあったらタダじゃ済まないと言っていたな」

「ねぇ・・・やっぱり私がからかったのが原因?」

 
 こいつそんな風に思っていたのか・・・見当違いにも程があった。

    
「違うな」

「じゃあ、どうして?」

「どうしてというのは?」

「ここ最近の兄さん・・・すごく怖い。でも、怒ってるような感じじゃないし」

「ああ・・・・そうだな、ここ最近みんなに甘やかされてたからな、少し自立しようかなと思って」

「ウソ」

「じゃあ、思春期特有のあれだよ。よく妄想するだろ? オレ達の歳って。女はドラマにハマり、男は漫画のヒーローに
 なりたがる。そういったやつだ。オレもちょっと漫画に影響されちまってな、で、今みたいな感じになってる」

「そんな風に見えない。クラスの男子でもそういう感じの男の子いるけど、兄さんのはそれじゃない」

「じゃあ正直に言ってやるとだ―――――お前ら全員ウザいんだ。もうオレに話しかけるな。身勝手なお願いだが
 そうして貰えると助かる」

「――――っ!どうして・・・?」

「どうしてもクソもない・・・だがこれだけは言える事なんだが、本気でオレは―――――そう思っている」

 


 そう言うと由夢は涙をポロポロ流し始めた。


「ご、ごめ―――」


 口を開けば開くほど我慢が出来なくなったのか、しゃっくりをしながら泣き始めた。腕で何回も目をゴシゴシやるが
 それで涙が止まる訳でもなく、意味がなかった。そしてとうとう両手で顔面を覆った。

 
 面倒くさい女だな――――オレは見て思った。


「オレ、かったるくなったから行くわ」

 

 そう言って屋上の扉に向かった。


「ヒック・・・!ぐ・・・うぅ・・・!、ま、待って!」


 泣きながらオレの前に回りこむ由夢。オレはそれをどうでもよさそうな目で見た。由夢はオレの目を見て、若干怯んだが
 両手をオレに突き出してきた。その手に持ってるものは―――――


「弁当がどうかしたのか」

「・・・・こ・・・、これ・・・、兄さんに作ったの・・・ヒック・・・ウゥ・・・食べて」


 嗚咽を漏らしながらもそう言って、オレの胸に押しつけてきた。思わず手に受け取ってしまい、しまったと思うオレ。



「・・・・いらないなら、す、捨てて―――――」

 

 そう言ってダッと駈け出した由夢。オレはおいっと声を掛けるも無視された。バタンと鈍い音を立てて閉まる扉。

 オレはため息をついて弁当をみた。捨ててもいい、ね――――。

 だが今のオレはバイトも何もしていない状態で金銭余裕もなく、ちょうどタバコが欲しいと思っていたところだ。

 購買でパンなんか食おうかと思っていたので、その分金に余裕が出来れば買える、そう思った。



「めんどくせーな・・・足元見やがって由夢のやつ・・・・」


 そう言ってその場に座り、布を解いて弁当を開けた。中身は唐揚げとソーススパゲティ、ウィンナー等そういった感じだ。


「一応女か・・・ガキだと思っていたが料理出来たのか」


 




 そう言ってまずはとりあえずご飯を食べてみた―――――瞬間吐きだした。








 「おえぇぇぇぇ、クソッ! なんだこれ!?」

 

 砂抜きをしていなかった。ジャリッという音がして、たまらず吐きだした。オレは悪態をついて呟いた。


 
 「もしかしてよ・・・・」

 
 他の食べ物も食べてみた。


 「・・・・・ぺっ」

 
 食えたもんじゃなかった。味と味が殺し合ってるような感じの料理だった。

 



 こんなもの食べさせようとしやがって・・・・ッ! あいつやっぱりオレに恨みあんじゃねーか!と思った。

 しかしあの涙目ながらも真剣な――――目。恨んでいる様には見えなかった。ただ純粋に弁当を食べてほしい目。ため息をつくオレ。


 「はぁぁぁぁぁ・・・・捨てちまってもいいんだが、食べ物を捨てるのには抵抗あるな・・・」


 一応自分は料理はかなり出来る方だと思う。自立するために勉強しまくったからだ。そのおかげか
 お金のありがたみも知り、物を大事にするようにもなったし、一人暮らし程度なら難なく出来る。
 自分自身料理はする方なので捨てるという行為は、あまり気持ちのいいものではなかった。


 「・・・・・」


 何の罰ゲームだか知らないが―――――


 「くそっ、だからまずいんだよクソが・・・ッ!」

 
 そう言いつつオレは弁当を食べた。かなりオレは頭にきていた。


 今度会ったら罵声を浴びせてさっきみたいに泣かせよう―――――とそう決心して不味い弁当を食べた。
 

 



[13098] 8話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/12/15 23:25




「っぶないわねーっ! ちょっとアンタ、気をつけなさいよねー!」

「・・・・・」


 ぶつかりそうになった女子生徒はそう言い、立ち去った。周囲を見渡せばその女子生徒だけではなく、あちこちで忙しそうに走り回る
生徒で一杯だった。



そう、今日は――――



「クリパ、か・・・めんどくせーなぁ」



 そう言って歩き出すオレ。風見学園の恒例行事の一つと言っていい大規模なお祭りが今日開催される。

 窓の外を見れば露店がたくさん並び、ホットドッグ屋、お好み焼き屋、たこ焼き屋など定番の店が何店もある。

 売り子なのだろうか、エプロンを着用した可愛らしい生徒が客引きをしていた。

  
 
 クリパの思い出にあまりいい思い出はなかった。なぜならこのお祭りは部外者にも一般公開されているからだ。

 そうすると色々な奴が集まる。純粋にお祭りを楽しむ者、お祭り気分に浸りたい者、ナンパ目的で来る者と多種多様な人間が来る。

 人が多く集まればもちろんの事だが、喧嘩が起こるなんて当り前の事だった。祭りに喧嘩は付き物とはよく言ったものだ。

 オレなんかも例外無くその騒ぎに巻き込まれた人物の一人だが――――
 

 
 オレから手を出したわけじゃない。誤解されがちだが、別にオレから絡んで喧嘩を仕掛けた事は今まで無い、と思う。

 人と絡むのが嫌いなオレはそういった喧争からは離れたいわけだが、どうも体質らしく絡まれる事が多い。

 主には気に食わないだのとか言って突っかかってくるヤツ、カツアゲの類のものだ。もちろん応じる訳もなく、そういう時
はいつもどうでもいい対応をしてその場を離れようとしていた。

 大体カツアゲする連中は手が出るのが早い人種だ、そういった態度が癇に障るらしく、そこから喧嘩に発展して騒ぎにもなった。

 


 でも悪いと決めつけられるのはほとんどオレだった。まぁ仕方ないかとも思う。大体最後に立っているのはオレだった。

 別に喧嘩が強い訳ではないと・・・・思う。絡んでくる相手にはロクな奴がいないからだ。

 空手とかボクシングをかじってる様な連中もいたが所詮かじってるだけだ。練習のハードさに耐えきれなく、辞めてる連中が
ほとんどだ。そんな奴らは、階段の下とか二階の窓から服をつかんで放り投げていたが――――。




 でも余程の事じゃないと停学にはあまりならなかった。生徒会長の音姉、さくらさんがいつも庇ってくれていたからだ。

 感謝してもしきれないと思う。しかし、残念ながらオレはクズの部類に入る人間だった。問題のこの性格があった。

 音姉には特にひどい事をしていると一応自覚はある。いつもオレに親身になって携わってくれる人間だからだ。

 しかしオレは近づいてくる人間に対しては容赦がない人間だった。いつも泣かせていたように思う。



 さくらさん――――はそこまでの事はしなかった。頭がいいのだと思う。オレが人に対する距離感を理解しているのかあまり込み入っては
来なかった。

 さりげない優しさはいつも感じていたが、それだけだ。それ以上の事は干渉してこなかった。人心把握に長けているのかはわからなかったが。

 だがいつも心から心配してくれているのは分かった。そして一定の距離、さくらさんに随分甘ったれていたと思う。

 オレはさくらさんの前ではタダの餓鬼になり下がっていた。






「しかし今回はアレだからなー・・・あまり騒ぎを起こしたくなぇな~」

 

 別世界から来たオレ、こっちでは少し真面目になろうと思った。しかし思いだすこの数日間の記憶――――ロクなもんじゃない。

 せめてこういう日は平和に過ごしたいもんだ。だれも絡んでこなければの話だが――――

 
 
「ねぇ、義之」

 
 と声を掛けられる、振り返るといつもの無表情顔の雪村がいた。


「そろそろお化け屋敷が始まるわよ、準備お願いね」

「分かったよ」



 そう、オレは珍しい事にクラスの催し物に参加していた。たまには真面目に参加しようと思ったからだ。でも大した仕事ではなく
客の整理だけの仕事ではあったが。

 そこに関しては雪村に感謝したい。お化け役だったオレを急遽こっちに回してくれたのだ。みんなその意見に賛成だった。

 教室で起きた一件以来、オレは浮いていた。怖がるやつまで出てきた。そんなオレが出来る仕事といえばこれくらいしかなかった。

 みんなと仲良くお化けの格好をして楽しむ――――ありえなかった。



 オレがそう言って歩き出す。雪村は何か言おうとして口を開きかけるが――――閉じる。

 アレ以来そういう事が多い。まぁ、あまりうっとおしくなくていいわけだが・・・。



「ん? 行かないのか?」

「――――え? ああ、行くわよ」


 そう言ってオレの脇に並んだ。特に何を思ったわけでもない。ただこれからお化け屋敷が始まるというのに突っ立っていたから
声を掛けた。

 隣の雪村は話しかけてこない。元々無口だがあの一件以来あまり話しかけてはこなかった。時々観察されるかのように見られては
いるのは気付いていたが、特にオレは何も言わなかった。かったるかったからだ。

 今思えばオレの様子をみて距離感を図っていたんだと思う。猫にそぉっと近づく人みたいに。正直むず痒い気持ちで一杯だったが
特に絡んで来ようとしてこなかったのでオレは放っておいた。


「めんどくせーなぁ、お化け屋敷」

「客の整理だけで、後は自由時間。理想的なスケジュールよね。祭りを楽しむのには」

「だったら強制的にでもお化け役をオレにやらせればよかったんじゃないか? 素直に従う訳ないけどな」

「みんな貴方を怖がっているのよ、とてもじゃないけどみんなで協力しあうお化け屋敷で、お化け役はさせられないわ。
 なんならお化け役にしてもいいのよ、急遽、強制的に」


 そう棘がある言い方をした。みんなお祭りを楽しみたいのにオレだけ特別処置。クラスからは少なからず恨まれていた。

 雪村も例外ではないようで少し、睨みながらそう言った。 


「オレがお化けをやると怖がるヤツがたくさん出るんだよ」

「そう、いい事じゃない」

「いつだったか小学校の時にお化け役をやったんだ。その時オレはホラー映画にハマっていた。リアルな造形とCGに憧れを抱いた。
 本島の養豚所まで行って豚の舌や肉を貯金はたいて買ったよ。これで憧れのお化けを演出出来るって」



 オレはそこで一回言葉を切った。雪村は黙って聞いている。すこしお礼の意味で話をしようと思ったオレは話を続けた。



「そしてオレはみんなを驚かそうと、特殊メイク本を参考にしてオレは本物のお化けを装って驚かしたら、だ――――
 坊さんを教室に呼ばれちまった。オレのお化け役を見た教師が呼んだんだ。とんだビビりな教師がいたもんだと思ったよ。
 そして教室に響く禅宗のお経を聞きながらオレは笑いを堪えたな・・・」
 

 
 大変だったあの時は。みんな本当に怖がってたからなぁ・・・・まさか本島から本職を呼ぶとは思わなかった。

 この教室には何かがいるとかそいつが言いだして、みんなオレ以外涙目になっていたなと思いだす。その事を話した。


「―――クスッ、何やってるのよ貴方は」


 そう言って静かに笑う雪村。


「ちなみにその後お祓い用のお守りを買わされた。一個一万もするものだ。みんなお年玉を下ろして買ってたなぁ・・・。
 もちろんオレは買わなかった。みんなはとても心配していたが無視した。なんでいもしない霊の為にお守りを買わなくちゃ
 いけないんだと思ったからな、それも一万もするやつをな」

「・・・・クスクスッ、そ、それで?」

「そしてその坊さんがオレに言うんだ――――あなたからは死肉の匂いがする、おそらく豚の動物の生き霊でしょう・・・てな。
オレはそれ以来豚の揚げ物を食う時はお祈りをするようになったよ、豚さん、成仏してくださいって。ちなみに給食に豚肉
出た時はもう死ぬかと思ったね。特にその坊さんもなぜか給食に参加して、うまい言って食ってた時なんかもうな――――」


そう言って話を締めくくった。実際にあった話だ。雪村の反応はというと――――――


「――――プッ、クク・・・・や、やだ、やめてよね」


 そう言ってオレをこづいてきた。ちょっとツボに入ったのか珍しく手で口を押さえていた。

 もうまともにオレの顔を見られないのか顔を逸らしていた。オレにしては珍しい光景だ。

 オレとしてみれば少し感謝の気持ちを表してみたかった。お化け屋敷というめんどい催し物で楽な役割を与えられたからだ。
 
 たまにはちょっとしたお返しって意味で話をしたんだが・・・楽しんでくれたようでなによりだ。


「さぁ、さっさと行くべ」

「え、ええ・・・・ぷっ」


 ―――――まぁ、・・・気に入ってくれてなによりだ。オレはまだ笑っている雪村を引き連れて教室に戻った。

















 
 
 お化け屋敷の客整理がひと段落して、オレは自由時間に入った。というかこれで終わりだった。

 HRでオレがあんまり時間取られたくないと言ったら見事その意見が通ったからだ。みんなからしたら願ったり叶ったりだろう。

 教室での事や、まゆきとの一件を耳にした奴が多く、オレはかなり怖がられていた。

 そこで雪村がそれを後押しした。そればかりかシフトを極短にしてくれた。みんなの様子をみてあまりオレを居させない方が
みんなのやる気が起きると判断したのだろう。オレとしてみればラッキーという感情しか湧かないわけだが。

 まぁ、だからたまにはいいかと思い雪村にあの話をした。クリパでの忙しさは分かっているつもりだからな。



「あー腹減ったなぁ・・・何食うかなぁ」



 そう呟いていると向こうから杉並が走ってきた。楽しそうに笑いながら駆けている。後ろからは生徒会のメンバー。

 確実に厄介事だと思ったのでオレは身を隠そうとして―――


「マ~イ~ど~う~し~さーーーくらいっ!」


 声を掛けられた。無視しようと思って歩き出したが、肩を掴まれる。振り払った。


「っとぉ、最近冷たいな、我が同士は」

「あまりお前と一緒に居過ぎると、ゲイに思われそうだからな」

「はーはっは!お前とオレはイケメンだからな、周囲がそういう妄想をするのは致し方ない」

「自分でいうなよ。オレは行くな」

「まーてまて、このままオレが捕まればどうなると思う?」

「学園が少し平和になるんじゃねーか? たまにはオレもさくらさんの役に立たないとな」

「心にもない事を言いおって。相手はお前のお得意さん相手だからお前に任せるぞ、じゃ!」



   
 ざけんな、少しはそう思ってるんだよ、てめぇ。しかしそう言う間もなく杉並は駈け出して行った。それをどうでもよさそうな目で
見送るオレ。


 後ろからは物音を立てながら走ってくる振動。オレはため息をついて振り返った。走ってきたのはまゆきとエリカ―――

 杉並が言っていたお得意のお相手とはエリカの事だろうが―――まゆきは専門外だぞテメェ。だいたいまゆきはお前の専門だろ。

 ここ数日で杉並がまゆきに追いかけられているシーンは見掛けた。笑って逃げる杉並、必死に追いかけるまゆき。

 意外にも二人は楽しそうだとオレは思っていた。そのまま付き合っちまえよとオレが思ったほどだ。

 オレの姿を目に留めると、オレの前で停止する二人。まゆきは二ヤリと笑い、エリカはこの間の件があったから気まずそうだった。



「やぁ、弟くん?」

「どうも」

「・・・・・・」



 途端に流れ出す重い空気。祭りの喧騒が少し遠ざかった気がした。


「杉並と話してたよね? なに話してたのかな?」

「まゆき『先輩』の相手をしろと言われました」

「・・・・ふ~ん?」


 先輩の部分を強調して言った。先輩なんてオレは思っていないし、嫌味のつもりで言ってやった。どうやら意味は伝わったようだ。

 ピクリと動く眉毛。少し頭にきたようだったがすぐ冷静な顔に落ち着いた。エリカは場の空気に当てられたのか、きょろきょろしていた。

 
「相手、ねぇ・・・? 相手出来るかな?」

「できませんね、タイプじゃないんで」

「そっかぁ~残念だなぁ~エスコートしてもらおうと思ったんだけどなぁ」

「エスコート・・・ですか、貴方をエスコートでもしたら調子に乗りそうで嫌ですよ。紳士と淑女の関係の意味を履き違えてそうで」
 
 

 淑女――――上品で慎ましい女性、そうは見えなかった。勝気な顔でじゃじゃ馬的な雰囲気。とても無理だと思う。

 お互い理解し、自分達の関係を高め合える関係―――まぁオレも紳士などという人間とは程遠い。そこまで地位が高いとは思わないしな。

 まゆきは今度はあからさまに頭にきたようだ、雰囲気で分かる。細くなる目、閉じた口。腕を組む動作、分かり過ぎた。


「まぁ私もアンタみたいなのは勘弁だね。暴力的な男性は嫌いだしね」

「そうですか、僕もです。とても気が合いそうなのに・・・残念だ。年上と年下の関係―――憧れてたんで」

「そう? 私もよ。可愛げがあって照れ屋な年下なんか好みだしね」

「あまりがっつかない方がいいですよ、引きますから。ああ―――もう遅いですか? 年下食いなんてしてそうですもんね」

「―――誰が?」

「言ってほしいんですか? 罪の自覚があるなら教会にでも行ったほうがいい。キリストはどんな罪にも慈悲を与えるそうですから。
 でもそうだ、カトリックとプロテスタントでは救いの方法が両方違うので、どちらも行かれたらいいと思います」

「・・・・・・エリカ、あんたがコイツの相手して」

「―――え?」

「このまま居るとアタシ、問題起こしそうだから。生徒役員が生徒殴ったなんて洒落にもならない」

「えっ―――と、」

「私は杉並を追いかけるわ、頼んだわね」

「えっ、は、はい! 分かりました!」


 そう言ってオレを一睨みすると、杉並を追いかけて行った。場に残されたのはオレとエリカのみ。

 エリカは少し上目使いでオレに話しかけた。すこし珍しい風だと思った。


「さ、さ、桜内?」

「なんだよ」

「さ、さ、さ、最近あれ・・・ですわね? 寒いですわね?」

「・・・・・・まぁ西高東低の気圧配置だからな。もうとっくに冬になってるわけだが」

「そ、そうですわね~。おほほ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」
 

 
 そしてまたきょろきょろしだしたエリカ。この間の件が胸に埋もれていたらしく、話す取っかかりを探しているように思えた。



「まゆきとはあの後、話をしたな」

「えっ?」

「あの件についてはもう気にしてないと言っていた。さっきのはただの言い合いだ。もうどちらもあの件に付いてはしこりは残っちゃいない」

「そ、そうなんですの?」

「ああ」

「―――にしても気が重かったですわ~・・・・」



 そういって我慢をしていたのだろう、ため息をついた。別にお前が気にする事ではないだろうと思ったがそれがエリカの性分なんだろう。

 今度はいつもの調子で話しかけてきた。いつもの勝気な瞳。上品な空気。目はまゆきと同質のものだが違く感じた。

 まぁ―――所詮犬だからな。犬がどんな事をしようが所詮犬だ。ずいぶんな高飛車な犬だが、個性だと思えば気にならない。



「さて、桜内? なにか企んでるわね?」

「ああ? 何の事だ?」

「とぼけても無駄よ、風見学園では貴方と杉並が結構な問題児だと常々聞いてますわ」

「それは初耳だ。将来福祉関係の仕事に就こうかなと思っていたんだが・・・そう思われちまうとは・・・絶望的だな」

「はぁ~嘘ばっかり。だんだん桜内という人間が分かってきましたわ」

「―――分かったよ、今度からはエリカに嘘はつかない、安心してくれ」

「わ、わ、わ、私に嘘をつかなくても意味がないのよっ! わ、分かってるのっ!?」

「ああ―――そうだな、オレ達の間に子供が出来たらそうだよな。子供に嘘をつくような父親じゃ最低だもんな。悪かった。
 お前と子供には嘘は付かないよ。神様なんていないと思うが―――誓うよ」

「~~~~~~~~ッ!」




 からかわれているのには気づいてはいるんだろうが、顔を真っ赤にしてしまったエリカ。それを見て笑うオレ。

 ずいぶん面白い見世物だが、そろそろ行こうかな。




「あ、あ、貴方って言う人は、女性にいつもそうやって接してらっしゃるのっ!?」

「ん? いやそんな事はないな・・・・。まゆきとの件を見てただろ。大体あれの半分ぐらいの嫌われ度だな」

「えっ―――、どうして?」

「オレが人と話すのがウザいと思っているからだ。男、女関係なくな・・・・。人と喋る事が苦痛でしかないんだよ。
 生まれつきこういう性格なんだ・・・直そうと思った事もあった。社会で生きていけないと当時思ったからな。
 だが直るばかりかどんどん大きくなって・・・人嫌いになった。今じゃ嫌悪感しか感じないし、クラスでも無視
 られてるよ。清々して気持ちいい、と思っている」

「・・・・・・」


 

 少し思いつめ、悲しそうな顔をしている。本来ならウザい所なんだが―――感じなかった。

 別に嫌悪感もないし嬉しいという感情も抱かない。とくに恋愛感情も―――――感じてはいなかった。ただただ平坦だった。





「まぁ、お前の場合は例外なんだが・・・」

「――――――え?」

「絡むと面白いと感じるし、美人で上品だ。なにより気高さを感じる。今時の女では珍しい、そんなお前をオレは気にいっている」


 そう言うと顔を赤らめて顔を伏せてしまった。てかこいつ褒められ慣れていないのか。ずっとそう思っていた。

 客観的にみてもかなりの上物だ。口説いてみようとする男子はいないのか―――居ないんだろうな。

 あまりも高嶺の花すぎて近づけない、口も聞けない、ただ見てるだけ。そんなところだろう。悪い男に騙されそうだ。

 主に口の軽い男には―――そう思った。



「あと杉並ぐらいか。あいつはオレの人との付き合い方を理解している。ウザいが頭はいい。無闇にこっちに踏み込んでこない。
 貴重な友人だよ、マジで」

「・・・・・・・た、大切にしないといけませんわね」

「まぁな。本人にはとてもじゃないが言えないが―――言っても笑われて皮肉られるのが関の山か。んじゃそろそろオレは行くわ」


 そういって頭をポンポンやる。小声で子供扱いしないで下さると言っていたが無視した。そうしてオレは歩きだす。

 後ろをみるとまだ顔を赤らめ伏せていた。やれやれ―――そう思いつつ、オレは移動した。 














  













1※長くなってしまったので二分割しました
2※作者は特にエリカ贔屓ではない・・・つもり・・・で・・す



[13098] 8話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/16 18:40
 









「さて・・・どうしようかねぇ・・・」


 目の前には耳のあたりから煙を吐きだしている物体があった。外見は人の形をしていて付属の制服を着ている。

 普通ならそれだけで終わるのだが、生憎そうじゃないらしい。オレの知っている人間には煙を吐く人間はいないからだ。

 とりあえず聞こえるかどうか分からないが、話しかけてみた。目が虚ろだから返答が返ってくる事はあまり期待しなかったが。



「大丈夫か、アンタ?」

「――――、――――あ」

「あんまりかったるい事は好きじゃない。だが、声を掛ける前に周囲を見回したがどうやら善良な一般人はいなかった」



 オレはめんどい事は好きじゃないのでとりあえず周りを見回したんだが、人っ子一人いなかった。

 話しかけてみたのは興味本位――――そりゃそうだ、煙を吐いてるんだからな。

 そうしてかったるい、めんどくさい、人と話したくないって感情よりも好奇心が勝ってしまい、こうして話しかけたというわけだ。



「だから、オレがお前を助けてやる。嫌ならそのまま煙を好きなだけ吐きだせばいい」

「――――だま――――れ――――桜内」 



 オレは思わず天を仰いでしまった。オレは、こんな怪しい奴とも知り合いだったのか・・・・。

 前いた世界じゃこんなやつは知り合いでもないし見たこともない。

 オレはため息をついた。




「随分愉快な事をしているが、何してるんだ?」

「――――バナナミン、が、きれた」

「あ? バナナミン?」

「バナナミンは――――、バナナに含まれている、栄養素だ。貴様、資料に目を通し、ていなかったな?」

「資料?」

「それ・・・に・・・私も教え、たはず、だが・・・・」

「・・・・・・」



 てんで記憶にない話だ。おそらくこいつはロボットだろう。だろうというのはあまりにも外見が精巧すぎたからだ。

 商店街でμが店舗販売されているのを見掛けたが、あまりもそれとは違う。

 感情が宿っているかのような目、仕草、わずかな動きもそれは人間すぎる、今までの価値観がひっくり返るぐらいだ。

 本か何かでそういった類のモノの話は見た事があった。現段階でもμの性能を上回る研究がされており、常に進化し続けている。

 今じゃ皮膚も人間のと変わらない人口皮膚を使用しており、まずパッと見じゃわからない出来だ。

 だがここまで人間に近いロボットは見た事ないし聞いたこともない。オレはかなり驚いている。

 



 だが今は――――――――




「それはバナナ単品でなくてもいいんだな? バナナの成分さえふくまれていれば構わないんだな?」

「――――ああ」

「なら少し待ってろ」




 そう言ってポケットの中に手を入れて、バナナ入りの饅頭を出す事に集中する。あまりにも使えないクソ能力だと思っていた力、魔法。

 純一さんに教えて貰って以来、その力を試した事はなかったが果たしてうまくいくだろうか・・・・。



「――――・・・・よっと」 

「あ、――――」



 どうやら久しぶりに魔法を使ってみたがうまくいったらしい、少し小さい気もするがまぁうまくいったと思う。

 それをそいつの口の中に入れる。苦しいのか嫌そうな顔をしたが無理矢理突っ込む。

 そしてモグモグと食いだす女ロボット。すこし回復したのか今度は流暢に話しかけてきた。




「もっと、ないのか? たりないぞ」

「欲張るなよてめぇ、少し待ってろ」

「なんだ、ずいぶん口が悪いな・・・嫌な事でもあったのか?」

「ここ最近は・・・だな。ありすぎて頭にきちまう」

「そうか・・・・」


 納得いかないのかいったのか知らないが黙りこんでしまった。そしてオレはまたズボンの中に手をいれて集中した。

 出来あがる饅頭、今度も口の中に突っ込んでみようと思ったんだが、出した瞬間に取り上げられてしまった。

 かわいくねぇヤツだな――――オレはそう思った。




「ふぅ・・・・・」

「元気になったようだな」

「――――ッ!うるさいっ!もっと早く助けにこないか!美夏は機能が停止するところだったんだぞ!」

「お礼を言われる筋はあっても文句を言われる筋合いはねぇな、ええ? ポンコツさんよ」

「だ、だ、だ、だれがポンコツだ!! 美夏は最新鋭のロボットだぞ!」

「最新鋭が煙を吐くのか? どういった仕組みは分からないが出来そこないもいいところだ。機械で不良品ほどやっかいなものはない。
 まぁロボットに限らずの話だが」

「き、き、貴様ァ! 言う事かいて不良品だと!? そこに正座しろぉ!」

「恩人に正座させるのか、さすがロボットさま。昔、映画か何かでロボットが人間に侵略をしかける物があったが満更ウソばっかりじゃないな
 お前のその様子を見てると、その映画みたいに人間を襲いそうだよ」

「ふ、ふんっ! 人間など滅んでしまえばいいのだっ! そのうち世界にロボットしかいない素晴らしい理想郷を作ってやるからな!」

「大概そう言った奴は失敗してる。既存している物は壊せても、新しい物を作るにはかなりの労力がいる。大体は壊すだけで力尽いちまう
 ヤツがほとんどだ。それにお前らを作っている人間を排除してどうする?」

「そういった知識はもう美夏の中に入っている。故に人間など必要ないっ!」





 ――――これまた厄介な奴と知り合ったもんだ。人間を敵視するロボット。危なっかしい事この上ない。

 大体前のオレはなんでこんな奴と知り合ったんだ・・・・・・・謎だ。



「人間て、なんで進化したと思う?」

「ん? そんなの知るか」

「欲求だよ」

「欲求?」

「大体普通に生活するならもう300年前に事足りてるんだよ、それなのにお前みたいに普通の生活に必要ないやつまで作っている。」




 そう、別に普通に生活するなら事足りている――――。馬車の代わりに車、暖炉の代わりに電気ストーブ、そういった具合に進化してる。



「ロボットにそれがあると思えない。すべて合理的に計算するからな。余計な事を考えないだろ? それじゃ多分生きられないぞ。
 環境って常に変わっているからな。いざっていう時に生き延びられない。」

「ふむ、そう考えると不思議だな、人間は。美夏のハードディスクは人間のよりも多めに作られているはずだが・・・」

「人間の脳はまだ半分も解明されていなんだぞ。もう何百年と研究してるのに、だ。お前だって最新鋭の癖にショートを起こしかけていた。
 多分感情によって得られる情報量が大きすぎるんだろ。そしてさっき言ったバナナミン、だっけか。それを得ないとまともに動かない。
 革命を起こすなら人間の脳について解明してからだな。まぁいつになるか分からないが」

「起きるのには早すぎたのか――――にしても」



 そう言ってこちらを睨む美夏――――だったな、腕を組んでこちらに向き直った。なぜだが知らないが半目にしている。

 なぜだが微妙な緊張感が流れた。なんだ?



「お前、口が悪くなったな。会った時はもっと穏やかなやつだと思ったが・・・・」

「思春期なんだ。勘弁してくれ」

「・・・・・・ふん、人間と言うのは面倒くさい生き物だ」


 そう言い立ちあがって――――壁に手をついた。どうやらまだ完壁ではないご様子だ。


「うぅむ~・・・、まだフラフラするなぁ」

「そうか」

「おい、桜内、保健室まで送れ」

「は? なんでよ」

「お前と杉並は保健室の水越博士から美夏のことを頼まれているんだろう? だったら当然だ」

「・・・・・」



 そう言われ、オレは肩を貸した。美夏は水越博士――――恐らく保健室の水越先生から俺たちに世話になれと言われた
と言った。

 そこらへんの事情はオレは知りたかった。好奇心みたいなものだ。ただそれだけだ。

 


「もっとゆっくり歩け、桜内」

「うるさいロボットだ。確かμの方は慎ましい性格だったはずだ」

「感情をコントロールされているからな。一皮むけばこんなものだ」

「・・・・・」


 

 少しμの見る目が変わった。これから商店街に行った時はあまり目を合わせないようにしよう、そう思った。

  
 美夏に文句をいわれながらも、オレ達は保健室に向かった。そこでおれは重要な事を思い出した。






(飯食ってねーや)





どうやら昼飯は抜きになりそうだった。




















「ちょっとしたオーバーフローね、これで大丈夫でしょう」


 


 そう言って冷えピタを貼った。




「は?」

「ん? 何かしら?」

「いえ・・・」



 
 どこが最新鋭だよ・・・・。確かに冷えた回路を冷やしているが・・・・そんなんでいいのか。

 小さい頃はロボットに興味があったので多くの資料なんかを見てきたがそんな方法は見たこと無い。

 最新鋭だからそんな単純で済むのか、それともそれほど大した技術は使っていないのか―――――分からなかった。




「にしても桜内君も大変だったわねぇ」

「いえ・・・」

「まさかオーバーフローを起こすなんて・・・ね」

「予測出来なかったんですか?」

「あー無理無理、いつ既定の情報量を超えるかなんて分からないわ」

「そうですか」



 そういって美夏を見る。確かに外見はこれまで見てきたロボットと比べて段違いだが・・・ポンコツなのには変わりないようだ。

 ハードにソフトが追い付いていないもんか、とオレは結論した。



「先生、美夏の世話って他の人に頼めますか?」

「―――!!」

「それは――――――どういう意味かしら?」




 美夏は少し驚いた顔をし、先生は見据えるかのような目でオレを見詰めた。

 オレからすればこんなかったるい事なんてやっていられない。二人必要というならオレの代わりをだれかに代わってもらえばいい。

 そう思い、さっきの発言をしたが―――反応は思わしくないようだ。





「あーかったるいんで」

「か、かったるいだと!?」

「桜内くん、私は言ったと思うんだけど―――」



 座っているイスをギィっと鳴らしながらこちらを向いた。表情は・・・・・・読めない。何を考えているか分からなかった。

 こう言う顔は今まで見た事のな――――――いや、見た事はある。さくらさんが研究をしている時の目だ。

 時々さくらさんの手伝いをした事があった。まぁ内容なんてほとんど理解はできなかったが―――さくらさんはこういう目をしていた。

 科学者の目・・・1か0の考えをする研究者、見慣れた目だった。




「美夏に関しては極秘扱いなの。おいそれと他の人に話すことも出来ないし、手伝わせる事も出来ない」

「学校へ通わせている理由は?」

「そ~れ~は、前にも言ったでしょう? いい刺激にもなると思ったし、社会勉強にもなると思ったから、おわかり?」

「・・・・・・」




 よくこんな事を引き受ける気になったなオレは・・・実にかったるい。放り投げたくなる仕事。

 でもそれは出来ないと思った。水越先生は極秘と言った。この最新鋭のロボット・・・・見た事のない技術が使われているのは
一目で分かる。

 近くの研究所といえば――――――天枷研究所だったか、たしか国の運営施設の一部だったと思う。

 この仕事を放りなげたら世話する以上にかったるいことが起きるのが分かった。

 オレは背中が冷たくなった。こんなヤバイもんに関わるなよ、クソがと心の中でこの世界のオレに罵声を浴びせた。なんの解決にも
ならないが。

 そしてオレは一番気になった事を聞いた。



「なんでオレが関わったんでしたっけ?」

「はぁ~~~~?」




 今度はさっきの表情を呆れ顔に変えた。しかしオレは身に覚えのない事だ。仕方がない。大方ロクな出来事じゃないのは分かった。

 普通に暮らしていればこんなのと関わりになるはずがないもんな。




「貴方と杉並くんが、美夏を保管している洞窟に侵入して、あなたが間違って覚醒のボタン押しちゃって、今に至るんじゃない」

「・・・・あぁ、そうでしたね」

「まったく・・・・いくら嫌だからって忘れる事はないでしょう」

「いえ、そんなつもりはなかったんですけど・・・すいません」

「はぁ・・・・」




 とんでもない事をしてくれたもんだ。水越先生の顔を見ると呆れ顔だ。そりゃそうだ、自分から関わりに行ったもんだしな、話を聞いてると。
 
 にしても――――また杉並か・・・・あいつとの付き合いも考えなくちゃいけないな、そう思った。

 美夏を見ると、いかにも私は不機嫌ですよという顔をしていた。




「無理にやらなくてもいいんだぞ。美夏は一人で十分だ」

「そうもいかないでしょ? なにかあった時では遅いのよ? 今日みたいに」

「――――! あれは偶々だ、たまたま!」

「そのたまたまがいつ起こるのか分からないんでしょ? 桜内くんも我慢してね」

「分かりました」

「だーかーら! 無理なら手伝わなくてもいいんだぞ!」

「そうもいかない、自分から火に飛び込んだもんだしな。気は乗らないがお前の世話をしなくちゃいけないらしい」

「そういう事よ。大体あの洞窟は封鎖してあったはずなのに・・・・」




 とブツブツ文句をいう水越博士に対してオレは苦笑いなものしか出なかった。心の中は憂鬱な気持ちでいっぱいだった。















「あーちょっと桜内くん?」

「はい? なんでしょうか?」



 もうクリパも終わる時間帯だったので、オレは帰ろうとしていた。おばけ屋敷の撤去作業もあったが、オレはハナから頭数に
入れられていないので安心して帰れるといった具合だ。

 美夏も今日は調子が悪いと言っていて帰る予定だという。自分の所の出し物はいいのかとも思ったがそこは水越先生がうまい
具合に手を回していてくれたらしい。


 帰り際に水越先生に、美夏が心配だから途中まで送って行ってと頼まれたので一緒に下校することになった。

 そんな帰り際に声を掛けられ足を止めた。



「あー美夏の事なんだけどさ・・・もしかして本気で嫌がってる?」

「別に・・・そんなことありません」

「はぁぁぁぁ~、嫌がってるのがすごくみえみえなんですけどねぇ」



 と言ってもどうせ離さしてはくれないだろう。杉並とオレの話ぐらいは聞いてるはずだ。風見学園きっての問題児・・・という噂を。

 ここの世界でも色々オレはやらかしていたらしい・・・まぁ聞くところによると杉並に巻き込まれていたとかなんとか。

 そんな危ない二人に世話を任せるのだ――――極秘のロボットを・・・・正気じゃない。

 そんな奴らを中途半端に投げるなんて出来ないはずだ。



「何かあったらとんで行くぐらいの気概はありますが」

「ん~まぁ、さ、少し小遣いを出すぐらいは出来るわよ? あ、これ杉並くんには内緒ね? 一応予算は限られてるから」



 そんな事を水越先生は言いだした。にしても小遣い・・・・ね、どれくらいなんだろうか。

 正直安い金額だったら断ろうと思っていた。割に合わないからだ。



「これ・・・くらい?」


 指を一つあげた。千円か一万か――――どちらにしても割が合わない。オレは口を開きかけて―― 




「ああ、勘違いしてるかもしれないけどこれぐらいよ?」




 そう言って電卓をだしてオレに提示した。表示されている金額は――――――オレの予想していたより0が多かった。

 前に個人経営の居酒屋で働いてる時よりも多かった。オレは少し面喰らってしまったが・・・・・・考えた。

 
 金を貰えば本当に引き返せなくなるぞ――――そう思った。


 しかし、もう引き返せるとは思わなかったし、正直言ってその金額はあまりにも多すぎた。


 色々考えたが結局オレは頷いてしまった。



 「あーよかった・・・断られたら色々面倒くさいんだよねぇ、お金って便利」

 「同感ですね」

 

 この世で、一番愛されているのはお金と言った人物は正しいように思う。お金がなかったら生活も出来ないし
オシャレも出来ないし、食ってもいけない。


 ただ、お金の為に動くと言うのは気持ちが少し落ち着かなかったが、そんな感情は無視した。




「じゃぁ美夏の事お願いねぇ~」

「ええ、分かりました。それじゃ・・・・」



 そういい別れを告げた。振り返ると美夏が壁に背中を預けて立っていた。どこか不機嫌な様子が見て取れるが最初からそうだったな
と思い返す。




「所詮お前も人間か・・・・・金で動くとは」

「うっせ、こっちだって慈善事業でやりたくねぇよ。そういうのはお金に余裕があるヤツがするもんだ。そしてオレは裕福な人間では
 ない。生きるのに必死なんだよ」

「ふんっ!」


 

 そう言って歩き出す美夏。本人は早歩きのつもりだろうが歩幅が男性とは違い、短い。あっという間に追いついてしまった。

 それでもオレを引き離したいのか――――また早歩きをするが、オレがすぐに追いついてしまう。

 そんな感じでオレ達は下駄箱の所まで来た。



「ぜぇ・・・ぜぇ・・・」

「オレも色々なロボットに関する資料を読んできたが・・・息切れするのな、ロボットって」

「ぜぇ・・・・さ、最新鋭だから、な・・・・」

「そうか」



 
 適当に返しつつ、息切れする美夏とともに校門に差しつかった。この校門を抜けるとしばらく休みかと思うと気が安らいだ。

 これが9月だったりしたらとてもじゃないが、毎日学校へは行けなかった。ここ数日間でここまで疲れたんだ。疲労感は禁じえないと思う。

 とりあえずこれからのプランを立てながら美夏に聞いてみた。



「んでお前をどこまで送ればいいんだ?」

「ん? ああ、バス停まででいい」

「住宅街に住んでんのか」

「ちがうちがう、研究所のアパートを借りてるんだ。一人暮らしだ」

「ふ~ん」



 そう言いつつ桜並木の道を通る。


 しかし――――と思う。こいつは本当にロボットなんだろうかと。資料も読まさせてもらってウソではないことは分かる。

 だが外見ではそうは見えなかった。目、肌、髪、感情っぽい性格・・・どれをとっても人間にしか見えなかった。

 そう見ていると視線に気づいたのか、美夏がこちらを睨む。




「なに人をジロジロみてるんだ?」

「人じゃねーだろ――――まぁ、本当にロボットなんだなって思っただけだよ」

「今さら気付いたのか桜内は、本当に鈍感だな」



 そういってふんっと笑う美夏、その仕草も人間にしか見えなかった。あまりにも発達した科学は魔法にしかみえないというが・・・。

 本当にその通りだと思う。事実、未だに半信半疑なオレがいた。逆にオレの魔法の方が胡散臭く思えてきた。




「ん?」

「おおっ、雪だ!」



 そう言うとチラチラと雪が降ってきた。さっきから天候は怪しいと思っていたが、今のタイミングで降ってきちまうとは――――。




「おおおっ!桜内っ!雪だぞ雪!」

「なんだお前、見たこと無いのか、雪」

「で、データとしては記録されている! しかし生でみるとやはり違うなぁ」

「そんなもんか・・・・寒いだけだ」

「むぅ・・・人間にしては感受性が不足してるな、桜内は」

「そんな事――――あるかもな」



 この性格を考えるとそう思える。人に対してどうでもいいような態度。平気で人を傷付ける。客観的にみても主観的でもクズだと思う。

 ここ数日間みたいな事は今に始まった事じゃない。生まれてこの方そういうのはたくさんあった。無い方が少ない。

 別に何とも思わなかった。そういう事自体、オレは何か欠陥してるんだと思う。




 ――――――――しかし、




「なんだなんだっ!元気出せっ!桜内っ!」

「うぜー、背中叩くなよてめぇ。いてーだろ」

「あっはっはっは!」

「いや、テンションたけーよ」


 
 ロボットに言われるとは思わなった。むしろこいつの方が『人間』に近いんじゃなかろうか。オレみたいなのと比べるとそう思える。

 初めて見る雪に興奮して、そして背中を叩く美夏。喜びという感情を身体全体で表している。なぜか羨ましいと思った。

 なぜかは分からない。少し考えてもみたが答えは見つからなかった。ただただそう思えた。



「桜内っ!すごいな雪ってやつは!そして今日はクリスマス!なんだかロマンチックだな!」

「クリスマスは元々はキリスト教の誕生祭――日本にはあんまり関係ない行事だな。一回オレの親と呼べる人とカトリック教会にミサ
 に参加した事があるが・・・なにも感じなかったな。精々飯がうまかった程度だな」



 


 さくらさんと本島に行った時にたまたま教会でミサをやっていた。信者じゃなくても参加する事は出来るので興味本位で一緒に参加
してみた。

 教会の幻想的な風景は目の保養になったが、それだけだ。教えを聞いても特に何も感じなかったし、飯を食って帰って来ただけであった。





「それだから桜内は感受性が乏しいんだ。ほら、屁理屈こねてないで美夏みたいに走ってみろっ!」

「転びたくねぇよ、さみぃし」









 オレの言葉を聞かず美夏は走り出した。雪を楽しむかのように駆けまわっている。初めての経験だから興奮してるんだと見て分かった。
 

 その時、桜の葉が舞った。いきなりの強風でオレは縮こまってしまい、顔を伏せた。そして次にみた光景に茫然とした。


 雪の上を掛けて回る美夏の周囲を、その周りを桜の葉が舞っていた。その光景は、とても、幻想的な光景だった――――――


 生まれたての赤ん坊のように喜びを全体で表し、感情を爆発させる美夏の周りを覆う雪と桜――――そして、空に浮かぶ月。


 


 ――――――――まるで絵画のような美しさがそこにはあった。






「――雪月花・・・・ね」

 
 

 ロボットには似合わないなと口に出して言う。しかし言葉とは反対に心を奪われていた。目が離せなかった。離そうとも思わなった。

 ただその光景をずっと見ていたかった。しかし――――――



「わぷっ」



 美夏がすっ転んでしまい、その絵画みたいな風景は壊れてしまった。音を立てて崩れる幻想的な雰囲気。

 顔でも打ったんだろう、鼻が赤くなっていた。鼻の痛みのむず痒さに顔をしかめる美夏。

 正直、すごい間抜けだった。




「美夏とした事が・・・・・」

「――――――プッ」

「ん~?」

「――――っくく、お前、なにやってんのよ・・・・ププっ」

「ぬぅ・・・笑うな、桜内っ!」



 そう言って雪を投げてくる美夏。ボフっと音を立てて崩れる雪、痛くなかった。それさえも笑いの種になり、さらに笑った。




「――ないわ~~~今のは・・・・くくっ」

「笑うなと言ってるだろぉ~が!」

「・・・・ップ・・・・いや、しかしだな、――――ははは、っくく・・・・・」

「それ以上笑うとロケットパンチを出すぞ!」

「――――は?」



 笑いを堪えてるオレに美夏はそう言った。ロケットパンチって・・・マジかよ!?アメリカの方で趣味でそんなの作った奴がいたが
確かその実験で、1tとかふざけた単位をだしたはずだ。素人でそれだ・・・国が公式で作ったやつなんて――――


 オレが青ざめて満足したのか、ふんっと頷いて腕を下ろした。オレは柄にもないがホッと安心した。

 どうやら命は助かったようだ。自分にそういう生きたいという感情があったのは驚きだが、もう味わいたくない・・・そう思った。




「まぁ・・・そんなものはまだ搭載されていないんだが」

「・・・・・・・」

「ふぎゃっ!無言で蹴るな痛い痛い!」

「・・・・・・・」

「分かったっ!人間に謝るのは癪だが謝って――――って痛い!痛いぞっ!桜内っ!」



 

 ムカついたので蹴ってやった。ロボットだし大丈夫だろうと思い、結構強く蹴った。涙目になる美夏。

 そしてオレは、ごめんなさいを言うまで蹴ってやった。

 





「に、人間相手にこんな台詞を吐くとは・・・屈辱的だ・・・」

「・・・・・・」

「わ、わ、分かったからもう足を上げるなっ!こらっ!」



 

 そう言って足にしがみついてきたので、足蹴りは止めてやった。そんなかんなでバス停につき、美夏を送りだした。





「わざわざありがとうな、桜内」

「気にするな。どうしても気になるって言うなら――――金くれ」

「ふんっ!金の亡者め・・・そのうち痛い目にあうぞっ!」

「その時はその時だ。――――――――じゃあ、またな」

「うむ、縁があったらその内会うだろう」



 そう言い合いあって美夏と別れた。そして家までの帰り道――――まだ雪は降っていた。




「明日からどうすっかなぁ~寝てばかりじゃつまんねーし・・・・まぁその時の気分で行動するか」


 こんな寒い日はとっとと家に帰るのが一番だと思い、先を急いだ。せっかくのクリスマス、今年も色っぽいことは無しかと思う。

 まぁ自分の性格じゃあまず無理だとは常々そう思っていたので、大した落胆はなかった。



 ―――――――にしても、と思う。何故だか知らないが美夏と話している時は自然でいられた。特に嫌悪感も抱かなかった。


 なぜだが知らない。ロボットだから、というのも何か違う感じがした。その正体は分からなかった。




 


 ――――――――まぁ、次会ったらまた構ってやるか。そう思い、家の玄関を開けた。中からは美味しい料理の匂いが鼻をついた。

























[13098] 9話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/10/25 19:21
 







オレはとても苛立っていた。頭の中はグツグツ煮えているかのようだし、心の中は暴風が吹いているかのような荒々しさ。

 とても平常心は保てなさそうだった。本当に頭にキていたと思う。そして目の前の人間。




「大体お前さぁ~最近ちょっと調子にのってんじゃね~の?」

「そうそう、いつも杉並の野郎と一緒にはじけまくってさぁ」

「付属のガキがあんま目立つ事してんじゃねーっての」




 本校の先輩――――あまり記憶になかった。廊下ですれ違っていた事もあるんだろうが記憶にない。

 その三人組は何故かは知らないがニタニタ笑っていた。見慣れた笑みだった。別に見慣れたくはなかった。

 一人はオレのジャケットの襟を掴んでオレを動けないようにしていた。そして一人は壁に背中を預けてこちらを見ている。

 もうひとりはオレを逃がさないためか袋小路の出入り口を固めている。オレはため息をつきたくなった。




「おいっ!黙ってうつむいてないでこっち向けよコラァ!」



 そう言って髪を掴んでいた手を上へあげる。自動的に上げらせられる顔。オレの顔をみた奴がちょっと怯んだ。

 かなり不機嫌な顔をしていたからな――――それはもう般若みたいな顔と言っても差し支えないと思う、自分ではそう思った。



「こ、こいつっ!」

「も、もうやっちまおうぜ!」

「オレ、人が来ないかどうか見ておくからさっさとやれよ!」



 そう言って髪を掴んでいた奴が手を離し、思いっきりオレの頬に固く握りしめた拳を当ててきた。

 ゴッと鈍い音が立つ音。強制的に地面の味を舐めさせられた。

 どうしてこうなってしまったんだろう――――――――オレは前日から今に至るまでの事を思い出した。
















「ただいまー」


 
 そう言って玄関を潜り抜ける。今から漂う美味しい料理の匂い。クリスマスだから早くさくらさん帰れたのかな、と思った。

 しかし玄関口の靴を見るとそれは間違っていると思わされた。革靴―――女性用のが二組。悪い予感がする。

 そうして自分の靴を脱ぎ、居間に入ると美味しい料理の数々は所狭しと並んでいた。

 野菜スープにフライドチキン、ケーキの数々といったものだ。実にクリスマスらしいメニューだ。

 が、なぜか煮物とか麺類のものがあり、どちらかというと元旦みたいな雰囲気を呈していた。




「あ・・・・」



 その声に台所の方に振り返ると音姉がいる。多分もう方割れの方は由夢だろう、その組み合わせが容易に想像できる。

 おそらく由夢はトイレなのか―――オレはさっきまでの気分が谷底に落ちるかのように感じた。かったるい通り越して呆れるほどだった。

 あれだけの事やったのに、まだこういう事するか―――――そういう気持ちでいっぱいだった。



「あ、っとね、今日クリスマスだからみんなで食べようと思って―――」

「鞄置いてくる」

「あ―――――」


 
 とりあえず部屋に鞄を置いてくる事にした。音姉が何か喋りかけたが気にならなかった。ゆっくり階段を上る。

 そうして部屋に着き、ベッドの上に鞄を放り投げて腰を落ち着けた。ボフッと鈍い音を立てるベッド

 机の上に置いてある灰皿を手に持って、懐からタバコを取りだし火を付ける。

 すぐ立ち込める紫煙を見ながら考えた。



「今日はさくらさんもすぐ帰ってくるよな・・・・・なんとか無視出来ないもんか」



 クリスマスの日はいつも仕事を早く切り上げて帰ってきたさくらさん。多分こちらの世界でもそれは変わりはしないだろう。

 ため息をついた。あまりさくらさんの前で険悪な雰囲気は出したくなかった。多分無理だが、そう思う。

 さくらさんの性格を考えるあたりシラは通しきれない。頭の回転も速いし、場の空気を読むのに長けている。

 歳の功―――――そう言っては怒られるがそんなものを感じる。平常心、保つことは難しい事だと感じる。




 大体オレの性格上、前の世界でそういった行事は参加しなかったし開こうともしていなかった。

 さくらさんと些細な、いつもより少し食事の内容を豪勢にしたものに満足しながらその日は過ごしたのを思い出す。

 大体オレの付き合い方を完璧に知っているやつなんて少なかった。そもそもオレはそういった人物を作ろうとは思わなかった。

 さくらさんに杉並、こっちに来てからはなぜだか知らないがエリカと―――美夏。特に後半に関しては元々こっちでのオレの
知り合いだ。オレから作った関係ではない。

 そろそろタバコを吸い切ろうとしていた。生憎だがタバコの根元まで吸おうとは思わない。灰皿に押しつける。



「まぁ、なんとかなるか。なんとかなるか―――しらねぇ―けど」

 そう呟いて居間に行くため階段を下りた。下からはさくらさんの楽しい声が響いていた。













「んにゃ~・・・・」

「え、と」

「・・・・・・」

「あ、その炒め物もらいますね」


 ハッキリ言って、とてもじゃないが家族団欒な雰囲気にはほど遠かった。微妙な雰囲気が流れていた。

 特に何をしたわけでもなく、そういった言葉を吐いたわけじゃない。だが流れているのは微妙な雰囲気。

 多分オレからそういった雰囲気が流れているのだろう。意図的に出しているわけじゃないが―――。




「なんだか空気重いねぇ・・・みんな何かあったの?」

「そ―――――」

「何もありませんよ。たまにはこういう雰囲気もあるんじゃないですか?」



 音姉の言葉を絶ってそう言った。何か変な事言って突っ込まれるのは面倒だったからだ。由夢は口を開こうともしない。

 オレの言葉を信じてはいないのだろう、ジト目でさくらさんがこっちを見ていた。オレは憂鬱になった。



「え~そうかなぁ、何かあったんでしょう?」

「誰かしらはあったんじゃないですか、機嫌の悪くなる事が」

「義之くん、もしかして自分の事を言ってる?」

「いえ、自分は特にそういった事はないと思います。けど知らず知らずの内にそういう雰囲気を出してるのかもしれませんね。すいません」



 うんにゃ、別にいいけどと言ってそれ以上さくらさんはそれ以上は突っ込んでいなかった。そして流れ出す雰囲気。気持ちのいいものではない。

 そして由夢と目が合う。しかしさっと目を伏せてしまった。オレは構わず飯を食うがジーっとした視線を感じる。

 なんだよと口を開きかけるが言わない事にした。これ以上にかったるい雰囲気は出したくないからだ。オレの為にも。




 「うん?」

 「あ、どうしたんですか、さくらさん?」



 さくらさんがそう言って鼻をクンクンし始めた。それを見て音姉が声をかけ、由夢が不思議そうな顔をする。

 オレは思い当たる節があったので無視をした。大方あの事の事だろう――――――――


 
 「なんか・・・タバコの匂いするなって」

 「え? そうですか?」

 「私には、何も匂いなんて感じませんけど」

 「オレもですね」


 シラを切る事にした。別にばれても構いやしなかった。ただバレて色々言われる事が面倒くさいからだ。

 そこまで強いタバコを吸っている訳ではないと思う。が、喫煙者ではない者にはすぐ分かるのだろう。

 さくらさんはそしてオレの方を向いた。どうしようかと考え―――――――別にどうだっていいと結論した。



 「義之くん、タバコ吸ってるよね?」

 「そうなんですか?」

 「にゃ、聞いてるのは私なんだけどね」

 「今日クリパで色々な人が来てましたからね。匂い、移っちゃったんでしょうね。腹が立ちます」

 「・・・・・」



 オレがそういうとさくらさんは口を閉じた。確かに今日のクリパでタバコなんて吸う奴はたくさんいた。

 設置されている喫煙所では結構な人もいたし、屋台のそばでの置き灰皿で吸ってるヤツなんて言わずもがなだ。

 納得はしていない顔――――だがこの場は納得するしかなかった。オレの顔と言えば至って普通。ウソをついてる様には見えないはずだ。

 これでこの話題は終わり。そう思ってチキンを取ろうとして――――――――



「だ、だめだよ!弟くん!」

「わっ!」

「にゃっ!」

「・・・・」


 
 
 いきなり音姉が声を張り上げたので各々が驚いた顔をする。オレも顔には出していないが少し驚いた。

 音姉の顔を見ると少し怒ってる様な風であった。オレはそれを見て嫌な予感しかしなかった。

 どうせロクな事にしかならないだろう――――そう思いながら顔を上げた。




 「なにが?」

 「タバコ、吸ってるって事!」

 「さっきも言ったけど――――」

 「なら今、部屋に行っても構わないよね!?」

 「軽くプライバシーの侵害なんだがな」

 「大丈夫!私、お姉ちゃんだから」  
 
 
 と何にそんな自信があるんだか知らないが、音姉がそう言って立ち上がり、部屋に向かって歩きだした。

 オレはと言うと―――――――特になにも行動しなかった。黙って熱々の餃子を口に放り込んだ。

 というかクリスマスに餃子か・・・まぁ和・中・洋と何でも種類はあるのでクリスマスというより元旦だが・・・。



 
 「義之くん、大丈夫なの?」

 「モグモグ・・・ん、何がですか?」

 「タバコ。吸ってるんでしょ?」

 「ええ」

 

 今度は隠さないで言った。音姉の前の手前さっきはそう言ったが、さくらさんには別にいいだろうと思った。

 そこらへんはなぜだか知らないが、さくらさんは寛容だった。酒に関しても特に何も言わなかった。

 むしろ「私にもちょうだい~」といった風だった。タバコに関してはあまりいい顔はしなかったが特に何も言わなかった。

 精々吸い過ぎないようにと言った感じだ。前の時は聞かれたら正直に答えたからな、タバコ吸ってる事。

 別に隠す必要もないし、後ろめたい事なんてなかったから――――――そういう理由だ。

 正直に話したのが幸いしたのかどうか知らないが、さくらさんは黙認してくれた。少しばかし感謝した。

 まぁ、ありがたく肺がんについての化学式を使った講釈は始まったが―――――――




 「に、兄さん・・・そうなの?」

 「ん? ああ」

 「ふ、ふ~ん・・・・」

 「なんだよ」

 「や、べ、別に・・・」

 「義之君、程々にね。私も吸ってる時期あったしあまり言え―――」

 「えぇ~~~!! さくらさんが!?」

 「そんなに驚かなくても―――――アメリカ行ってる時にちょっとだけね。今じゃ吸わないよ、イメージダウンしちゃうし」



 そう言ってさくらさんは笑った。まぁ、そうだよな。オレ達より長生きしてるだろうし、付き合いもあるのだろう。

 確かにイメージとのギャップはあるが特に何も言わなかった。大人だし言う必要もないと思ったからだ。

 そんな会話をしているとドタドタと煩い音が響いてきた。階段を駆け降りる音。どうやら見つかったらしい。



 「あや、見つかっちゃったかもね」

 「そうですね。特に隠してもいなかったし」

 「一応私保護者なんだけどなぁ・・・」

 「火事は起こさないようにしますよ」

 「そういう問題じゃないんだけど・・・・でも、吸い過ぎないようにね」

 「うっす」

 「お、お、弟くんっ!」



 そう言って戸をバーンと音を立てて開く音が響く。振り返ると音姉がタバコを握りしめて立っていた。

 どうでもいいがあんまり強く握らないで欲しい。折れたらどうすんだよ、今はあんま金ねーのに。



 「にゃ、義之君、メンソール吸うんだね」

 「なんでも吸いますよ。今日はたまたまメンソールの気分だったんです」

 「あーでもなんとなくイメージっぽいかも。義之君ってそういうイメージだし」

 「せいぜい不能にならないように気を付けますよ」

 「こ、こらっ! ちゃんと私の話を聞いて!」



  無視してさくらさんと話出したのが気に入らなかったのか大声をあげる音姉。由夢はきょろきょろしていた。



 「こ、こんなの吸っちゃだめでしょ!? 弟くん未成年でしょ!?」

 「確かにまだ成人していないな。早く車の免許が欲しいんだけど日本の法律は厳しくて駄目だ」

 「バイクの免許取らないの?」

 「そんなお金も無いしバイクを買う金だって無いですよ。特に冬なんか地獄じゃないですか。あまり興味無いです」

 「き、聞いてよ私の話~!」


 少し無視しすぎたか―――――若干涙目になりながら音姉は言う。オレはというと考えた。

 このまま無視したところだがそれは出来なさそうだ。さくらさんのいる手前、怒鳴り散らす事も出来ない。

 ハッキリ言ってかったるい気持ちでいっぱいだ。心には暗い嫌な感じは蠢いている。その腕を捻りたい気持ちもある。

 さて、どうするか―――――――と考えてオレは行動を起こした。

 
 「音姉」

 「な、なに?」

 「少し廊下で話そう」

 「え?」


 そう言って廊下に出た。向き合うオレと音姉。若干目を逸らしながらこちらを見ている。ここ最近のオレの行動を考えれば当然だった。




 「ごめんな」

 「え――――」

 「最近音姉に対して冷たすぎた。どうかしてたんだ、すまない」

 「べ、べ、別に――――――――いいのよ・・・・・・・よくはないけど」

 「そういう訳にはいかないよ。お姉ちゃんにはいつもすごくお世話になってるっていうのに――――本当にそう思っている」

 「そ、そう?」

 「こんな美人なお姉ちゃんに世話してもらってあの態度じゃ、閻魔さんに怒られちまうな」

 

 閻魔―――地獄の番人、自分が天国に行けるとは思わない。色々な人にひどい事をしてきたと思う。

 そしてこれからもそれを止められるとは思わない。人を平気で傷付けて何も感じない人間、それがオレの性格だ。

 こんな人間は地獄に行ってひどい目に合うのが普通だと常々思っている。痛いのは嫌だがしょうがない。



 「び、美人・・・・」

 「ん? そりゃそうだ。長い透き通った綺麗な髪、二重の整っている目、そしてプロポーションもいい。日々健康に気を使って
  いるんだろう、崩れている所が見つからない。おまけに髪を留めているスカーフ、センスがいいな。結構有名なところのだろう?
  生地がまず違う。そこらの女がしてたんじゃ馬子にも衣装すぎる。が、音姉にはそれさえも自分を彩るオマケでしかない。
  あまりにも―――――――綺麗だ」

 
 
 客観的にみたらその通りだと言ってて思う。かなりの上物だ。そして家庭料理も出来、世の中で結婚出来ない男から見れば
喉から手が出る程の逸材だと思う。だからといってオレは興味があるわけじゃないが。



 「そ、そうかな・・・えへへ」

 「謙遜するのは日本人の美徳だったか―――――オレはそう思わないな、音姉が謙遜しても嫌味にしか見えない。だって
  本当の美人だからな、堂々としていたほうが印象はいいと思う。オレはな」

 「そ、そんなこと言っても、何もでないよぉまったく・・・・」
 
 「そういや明日はクリスマス本番か・・・何か買ってきてやるよ」



 しまった、と思う。リップサービスのしすぎだ。そこまでする必要はない。オレは思わず天を仰ぎそうになった。

 音姉の目―――――驚き喜んでいる。まぁ、いいかと思った。どっちみち次に会ったら無視しようと思っていた。

 この場さえ凌げばあとはどうなって構いやしないと思う。プレゼントの件にしたって嘘だ、そんなもんは買いはしない。





 「えっ!? 本当に!?」

 「――――ああ、本当だ。あまり金はないがな」

 「そんな高い物なんていらないよぉ~! 気持ちで十分だよ! ありがとう!」

 「ああ、それじゃ食ってる途中だったから戻るよ」



 そういってさり気無く音姉の手からタバコを取る。音姉――――浮かれていて気付いてない。楽勝だった。

 スリに合いそうな女だと思った。そう思って食卓に着き、座った。そして感じる二組の視線。

 さくらさんは呆れた目、由夢はどこか怒っていた。話が聞こえていたんだろう、雰囲気で分かった。



 
 「義之君~さすがにタラシすぎるよぉ~」

 「・・・・・スケベ」

 「口は自分では回る方だと思うし音姉の性格も分かる。そしてオレはツラがいい。簡単だよ」

 「・・・・わっ、自分で言ったよこの人・・・・」

 「将来は結婚詐欺師になりそうだねぇ~義之君は」

 
  
 ボソッっと言う由夢。聞こえてはいるが特に反応はしなかった――――かったるい。またジト目で見てくるが無視した。
 
 詐欺師――――――案外悪くないかもしれない、そうオレは感じた。度胸もあるし口も回るし頭の回転―――――悪くはないと思う。

 

 「悪くはないですね、詐欺師」

 「だめだよっ! 義之君、悪の道に走っちゃあ。悲しくなっちゃよぉ~!」

 「口も頭もいいと思いますが弁護士にはなれないと思いますしね」

 「だったら私が特別にコーチしてあげようか?」

 「結構です」

 「にゃ~そんなこと言わないでさぁ」



 弁護士、ね。とてもじゃないが無理だ。目指す人はみな必死に何もかも捨てて勉強している。そしてなれるのはわずかに数%・・・。

 気が遠くなるような事だ。そしてなる奴は大抵は天才か努力が実る才能をもったやつらだ、勝てはしない。

 自分は凡人だしそこまでの金銭的余裕はないからだ。そう思って食事を続けた。さくらさんはまだ納得しないのか食いさがる。

 そして音姉がまだ廊下で浮かれているのを見て、ため息をついた。












 そして翌日、オレは商店街に来ていた。タバコは結局折れていて使い物にならなくなっていた。

 別にそこいらのコンビニでもよかった。どうせ年齢を真面目に聞く店員なんていないからだ。

 じゃあなんで商店街まで来たかと言うと――――ちょっとした探検みたいなものだった。


 
 こっちにきてあまり周囲の地理を理解していなかったからだ。どうせあまり変わっていないんだろうがとりあえずは、だ。
  
 何かあった時に迷子になるのは勘弁だったしちょうど買いたい雑誌もあったからな。気分転換にもなるし。

 そう思いつつ歩いていると本校の先輩だろう――――それらしき人物達に声をかけられた。






 「おい」

 「ん? なんスか?」

 「お前、桜内義之だろ?」

 「――――人違いですね、それじゃあ」

 「とぼけるなよ、お前の顔は知ってるんだぜ」



 だったら聞くなよ。そう思いながらオレは立ち止まった。逃げてもいいんだが柄じゃないからだ。


 「ふざけやがって」

 「ちょっとばかし調子にのってんじゃね~か?」

 「だよなぁ、そういう顔してるもんな」

 「何の用ですか?」

 「ちょっとばかしお前に礼儀を教えてやろうと思ってさ」

 「また最近、結構派手に暴れてるみてぇじゃねぇか」 

 「聞いたぜ、生徒会の一件」



 少し暴れすぎたんだろう、噂はどうやら結構広まっているらしい。廊下で誰かしら見ていたか、あの場にいた誰かが喋ったか・・・。

 おそらく前者だろう。誰も好き好んであの話はしたくないはずだ。杉並は確かに怪しいがネタにするには少しばかり暴力的すぎる。




 「ったくよぉ~何が一番腹が立つって――――音姫ちゃんにヒドイ態度取った事だよ」

 「色々あったらしいじゃねぇか、最近まゆきと音姫ちゃんの話を遠くから聞いたけどそんなこと言ってたぜ」

 「最悪だよなぁ~お前、あんな可愛い女の子泣かすなんてさぁ」

 「どうせ家じゃ、弟くん、私のアソコも苛めてとか言われてるんだろ?」

 「ププ・・・ありそうだよなぁ~それ! あんだけボディタッチあるんじゃ日常茶飯事なんだろ?」

 「まじかよ~じゃあーなに、ここんとこは最近そういうプレイばっかしだったって事?」

 「うわぁ~不純異性交遊だなぁ~オレもそんなこといわれてみてぇ~」



 オレはため息をついた。こんな奴らに構ってるとロクな事はない。特に音姉の事も言われても何も思わないし感じない。

 見たところ腕っぷしも強くなさそうだ。筋肉、動作、手の拳を見ても鍛えるどころか運動部でさえないだろう。

 まぁこんなチャラチャラしてる外見じゃ所属出来る運動部はないしな。そう思い無視して歩こうとして―――――――



 「そういえば芳乃学園長と一緒に住んでるんだよなぁ~お前」

 「ああそうそう、あのロリっぽい外見の学園長と」

 「うわぁまじかよ!もうなんでもやりたい放題じゃん!」

 「おまけに金髪だしなぁ。オレ一緒に住んだら絶対手ぇだすもん!」

 「オレなんか無理矢理髪掴んで奉仕させるな、Sだからさぁオレ」








 ――――――足を止めた。瞬間、頭に血が上る――――――こいつらの目玉をくり抜いて身体をバラバラにしてやりたい気持ちが湧きあがる。








  


 ―――が強制的に落ち着かせる。熱くなったらお終いだ。オレは喧嘩は普通の腕前だ。いつものオレじゃなくちゃ駄目だ。


 それに相手は三人・・・力のゴリ押しでは勝てない。いつも喧嘩になっても立っていられたのは冷静に対処したからだ。

 自分の感情を無視しろ、その怒りという感情は瞬間に・・・・その瞬間に吐きだせばいい。余計な事は考えるな。



「どうせ夜じゃあ毎晩抱き合ってんだろ? 先生と生徒のプレイでさ」

「じゃなくても一緒に住んでるんだ・・・下着とか盗んでるんだろ?」

「いいなぁ~オレ達にもくれよ、学園長の下着」

「黙れよ――――――カス」




 そう言ってオレはそいつらを見据えた。心は平常心だし頭も冴えている―――負ける気はしなかった。

 そいつらは最初茫然としていたが、言われてる意味が分かり始めて顔を赤くした。

 怒りで筋肉が震えて目を見開いている―――完璧に頭に血が上っている。とても冷静には見えない。



 「今、なんつったテメェ!?」 

 「カスって言ったんだよ。見るからに頭が悪そうだしスポーツとかも出来そうじゃないもんな。服のセンスも悪い、いいブランド
  の物を着ているが靴がそんな皺だらけじゃ意味がないな。知ってるか? ファッションは靴が決まらなきゃ意味がないんだぜ?」

 「おいてめぇ、ちょっとこっち来いよッ!」



 そう言われて道の脇のちょっと袋小路に連れて行かれた。まぁ、そして冒頭の状況になっているわけだが・・・・。














 

 

 「おいおい、なんだよ口だけかよ」

 「そう言うなって、まだガキなんだぜ?」

 「だったら調子に乗るなって話なんだが―――おい、立ちな」



 そう言って無理矢理服を掴まれて立たされた。顔は興奮しているのかヒクついている。瞳孔も少し開いていた。



 「まぁ、許してやらない事もないんだぜ?」

 「―――なに?」

 「音姫ちゃんの下着盗んできたら許すっていってんだよ、まぁそれか裸の写真。出来るだろ? 風呂入ってる時に盗み撮りとかさ」

 「あとは学園長の下着もだな。タイプなんだよなぁ、あの年上なのに金髪ロリってのがたまんねぇよな」

 「そうそう、子供っぽい所があるしなぁ~性の知識なんてねぇんじゃねぇの?」

 「まぁオレが教えてあげてもいいんだけどな、結構スパルタだから壊れちまうかもな~ハハハッ!」
 


 
 周りを見た。一人はオレの襟を掴んで脇の男と話をしている。もう一人は壁によっかかっている、残りのやつは周囲の見張りをしている。

 完璧に油断している。やるなら今がチャンスだ―――絶好の好機、見逃せない。






「おい分かったか? ちゃんと言われた通り―――」



 ―――瞬間、襟を掴んでいた男の肘関節に思いっ切り肘を喰らわせた。腰が入り遠心力で力が増したオレの肘―――ボキッといい音を立てた。




 「ギャ―――」 
 
 「うるせぇよ」





 悲鳴を上げさせる間もなく金的を蹴りあげる。思いっきり、だ。口をパクパクさせて倒れようとする相手。倒れる瞬間に髪を掴んで膝を入れた。

 そして失神も出来なく、地面をのたうち回っている。壁の男は茫然としている。その光景が一瞬信じられなかったんだろう。


 「お、おま―――」


 声を上げさせる前にその男に近づき、髪を掴んで、思いっきりに壁に叩きつけた、白目を向いて倒れる相手。

 その倒れた顔面に蹴りを叩きこむ。おそらく鼻が折れたのだろう、小気味のいい音がした。

 ついでに指も踏んでへし折った。多分半年かかるだろう、その怪我を治すには。



 「な、なにして―――」

 「慣れてないだろ、喧嘩」

 「―――は?」



 出入り口を固めていた男がノコノコ近づいてきた。普通は逃げるか助けを呼ぶ、オレならそうする。今の現状―――普通じゃない。

 一人は肘が変な方向に曲がり、金的を押さえながら苦しそうにのたうち回っている。もう一人は失神しながら鼻からものすごい血が
流れている。なんにしたって病院行きの怪我だ。



 「まず普通は壁側に立たない、戦争をしている時なら話は分かる―――敵の銃弾とか伏兵がいる可能性があるからな。だが喧嘩では意味がない。
  そのまま壁に頭を叩きつけられて終わっちまうからな、今みたいに」

 「何言って―――」

 「そして一回オレが地面に倒れた時、何もしなかった。黙ってオレを立たせてくれた、ご丁寧にな。相手が地面に這いつくばってるのに
  蹴りも入れない、頭を踏みつけたりもしない。その人数なのにそのまま押さえつけたりもしない―――バカか、お前ら」



 そう、あまりにも喧嘩に慣れていない。最低でも倒れて亀になってる相手に何もしないのはバカとしか言いようがない。

 こいつら、本当にオレをリンチするつもりだったんだろうか――――――違うな、少し脅すつもりだったのか。

 どちらにしてもオレはかなり頭にきている―――死んでも別に構いやしなかった。


 

 さくらさん――――――オレの母とも呼べる人を、そのゲスな思考で汚した。許される事ではない。また許してやるつもりはない。

 そう思ってオレは近づく―――逃げようとしたが無駄だ。相手の後ろ襟を掴んで、膝に蹴りを入れる、たまらず屈む相手。

 そして髪を掴んで上向きにさせて、顔面を上げさせる。そして振り落とされる拳。



 「ギャッ―――!」

 「豚みたいな悲鳴をあげるな、気が悪くなる」

 「ま、まってくだ―――」

 「許してほしい、助けてほしい、殴らないでほしい・・・そんなところだろうが―――だめだ、死ね」

 「―――ガッ」


 そう言って何回も何回も何回も拳を振りつづけた。鼻が折れても殴り続けて、拳がきれて血が出ようと続けた―――失神してもそれは続いた。




















 「こんなところか」


 そう言って手を離すと崩れ去る相手、もう顔が滅茶苦茶で血だらけで訳が分らない感じだ。いい気味だと思う。

 周囲を見回すと軽く地獄絵図だ、血を流していない相手はいない。ピクピクしている様がなんとも間抜けだ。


 「そろそろ行くか、警察が来たら面倒だしな」


 そう言って袋小路からでた瞬間―――ぶつかった。キャっという小さい悲鳴、相手は女性だった。なんとも運が悪い。

 手を差し出そうとして―――やめた。柄じゃないし、相手は知ってる女だからだ。



 「あれ、義之?」

 「あ―――」

 「・・・・・・」


 小恋、花咲、雪村といった面々だった。恐らくショッピングの途中だったんだろう、買い物袋が下げられていた。

 いきなりオレが現れたのでみんなびっくりしている風だった。そして座り込んでいた小恋が立ちあがって聞いてきた。

 若干話しにくそうに―――当然だった。最近の自分の行動、冷たいというよりも人が変わったみたいな感じだった。

 


 まぁ、実際はその通りなんだが―――――――



 

 「な、なにしてたのかなぁ~・・・なんて、あは・・は・・・」

 「ちょっとした催しモンだよ」

 「も、催し?」 

 「ああ、せっかく誘われたのはいいがノリが悪いみたいで退屈だった。呆れて帰ってきちまった」

 「それってどういう―――」

 「ってぇ義之くんっ!手怪我してるじゃないっ!」

 「別に大したこと――――――」



 そして頭部に衝撃が走った。脇に壁があったのでたたらを踏む程度で助かった。ヒッと悲鳴を上げる小恋と花咲。

 驚愕で目を見開く雪村。頭に生温い感触―――血だった。小恋はそれを見て腰を抜かしたのか、ペタンとまた座り込んでしまう。

 後ろを振り返ると血を流しながら鉄パイプを持ったさっきの男。顔はやりそこねたという顔をしていた。



 「クソったれが、このや―――」

 「・・・・・」

 「あ―――」


 その腕を掴んでやり、関節を決めてそのまま倒れこむオレ。いつか柔道の強い奴にやられて、そして教えて貰った技―――脇固め。

 短い悲鳴をあげたがその時にはもう遅く、逃げられない状況。肩が外れたのだろう、いい音がした。




 「ぎゃぁぁぁ―――」

 「だからうるせーって」

 「―――ギッ」



 オレは立ちあがり、思いっきり顔面に蹴りをくれてやった。途端にまた鼻血を出す男。オレは笑った。

 雪村達はその光景を茫然と見ていた。小恋にいたっては涙を流してうずくまってしまった。まぁ楽しくないもんな、やらないと。




 「すまないな、手加減していたのかオレは。不完全燃焼だったんだろ? ん?」

 「ご、ごめ―――」

 「後ろから不意打ちするほど燃えたぎってたってのに―――オレのほうがノリ悪かったんだな。全力だすよ」

 「ち、違っ」

 「いやいや謙遜することないだろ? あいつらみたいにもっとやって欲しいんだろ?」



 オレは目線をそちらにやる。まだ血だらけになって倒れている男達。後ろで誰かが座り込む音がした。雪村だった。

 どうやらその男達の様子をみて座り込んでしまったみたいだ。無理もない、とオレは心の中で感想を漏らした。

 せめて顔が二人ともあさっての方向を向いていればよかったんだが、こっちに顔を向けたままになっていた。

 オレってやつは気遣いがなっていないと思う。テレビでは気遣いの出来ない男は嫌われるとか言っていたが、その通りだ。

 今度からは顔は壁側に向けてやろうそうれば余計な気を使わせなくて済む。合理的な考えってやつだ。

 


 花咲は慌てて雪村の介抱をした。オレはその様子を端目に見て少し感心した。随分女にしては度胸があるというかなんというか。

 普通なら小恋みたいに、うずくまるのが正常な反応だろうが―――最近の女性は強いな、さすが女性社会。

 そう思いながらもオレは蹴り続けた。顔はとてもじゃないがみれたもんじゃない。ずっと顔面を蹴ってるからしょうがないけど。

 それも革靴―――同情は湧き上がってこなかった。








 

 「じゃあ、オレいくわ。また年明けにでも」



 そろそろ騒ぎになりそうだったから退散することにした。男は目立つので袋小路に返してきた。ついでにそれぞれの財布から
金を抜き取った。まぁ、授業料みたいなものだ。雪村達はまだそこにいたのでとりあえず別れの挨拶をして、踵を返した。
 


 「―――ヒック、ヒックッ」

 「大丈夫杏ちゃんっ!? 杏ちゃん!?」

 「・・・・・・え、ええ」




 まだ泣いている小恋、茫然とする雪村に介抱する花咲を置いてオレは歩きだした。そういえばと思いだす。


「まだ店にもいってねぇーなそういえば」



 せめて商店街の地理は把握したい。そう思いながらまだお昼前の商店街を歩きだした。























 












※またしても思ったより長くなったので二分割



[13098] 9話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/02/06 04:03










「まったく桜内は・・・素直ではないな」

「うるせーよ」

「相変わらず口が悪いな。友達作れないぞ」

「特に作ろうとは思わないな。意図的に言外にそういう意味をもって態度に出している」

「それも思春期ってやつか・・・ほら、出来たぞ」

「―――――いてぇ」

「文句は言うな、理由は聞かないといでやってるんだから」


 そう言って美夏はオレの傷口を叩いた。鋭い痛みに顔をしかめるがすぐに冷静な顔に戻す。頭と手には包帯が巻かれていた。
 


 あの後適当にブラついてみようかなと思った矢先に美夏と会った。買い物か、それともただの散歩かは知らないが。

 黙ってジーっと展示されているμの最新モデルを見ている美夏―――――真剣な目に見えた。

 まぁ一応ここで会ったのも何かの縁で構ってやる事にした。そして声を掛けて振り返る美夏―――ギョッとした顔になった。

 

 
 なぜか知らないが慌てふためき、オレの手を引いてベンチの所まで連れていかれた。原因は分からなかった。

 ここで待つようにと言われてどこかへ駆け出す美夏。オレはその様子を黙って見ていた。とりあえず待ってみる事にした。

 


 数分後には薬局の袋を手に下げ、帰ってきた。それを見て初めてオレは思い出した――――ああ、怪我してたんだなと。

 色々理由は聞かれた。適当にすっ転んで怪我したと伝えたが、美夏は信じなかった。明らかにそれの怪我ではない事がわかるからだ。

 しつこく追及されたがオレがだんまりを決めると、ため息をついて諦めた。小言で捻くれ者と聞こえたが無視した。

 手当の技術―――さすがロボットだった。流れる動作、見た目も完璧ながら要所を押さえているのか、違和感は感じなかった。







「んで、お前は何しに来てたんだ?」

「ん? ああ、散歩だ。美夏は目覚めてまだ間もない。ここいらの地理を把握しときたかったんだ」

「なんだ、オレと同じ理由か」

「ん? なんで桜内が商店街の地理を把握しなければいけないんだ?」

「―――――色々あるんだよ、なんたって思春期だからな」

「ぬぅ・・・・・なんとも面倒臭い人間だ、お前は」

「うるせぇって」




 そう言ってオレは歩きだした。なぜか美夏もついてきた―――――特に邪魔とは思わないので放っておく事にした。

 少しなかり歩幅が小さいので焦るように歩く美夏。しょうがないので少しばかり足の進み具合を遅くしてやった。




「む、すまないな、桜内」

「――――――何の事言ってるかわからねぇよ、美夏」

「はぁ~~~、本当にお前ってやつは」

「だからうるせぇって。んでお前はなんでμなんて見てたんだ? 珍しかったのか?」

「・・・・少しばかり思うところがあってな」

「そうか」


 

 まぁ美夏もロボットだし当然だろうと思った。自分と同じ存在がショーウィンドウで飾られている―――――気持ちのいいモノではないだろう。

 その気持ちは分かってはやれないし、分かろうとは思わなかった。自分の気持ちは自分しか分らないからな。ただ心情は察することは出来る。

 美夏は分かりやすい性格なのだろう――――顔から不満げな表情が出ている。これで察せないやつはよほどの鈍感者だ。





「美夏は、いつか人間を征服してやろうと思っている、って言ったのを覚えているか?」

「ああ」

「桜内は――――どう思う?」

「別になんとも」

「え・・・」



 そこ答えが意外だったのかこちらを見る美夏。オレはというとどうでもいい態度。本当にどうでもよかった、知ったこっちゃない。

 大体オレに聞くのが間違っている。優等生に聞けば素晴らしい模範解答が返ってくると思うが、生憎オレは優等生じゃなかった。



「オレは――――オレ以外の人間が死んだところで構いやしない。何も感じない。どうだっていい。そういう風に思う」

「ど、どうしてそう思うのだ?」

「そういう性格だからだ」

「――――性格?」

「生まれてこの方誰かに本当に優しくした記憶はない。いつも人を傷つけてばかりいた。―――――人嫌いなんだよ、オレ。
 人と話してるだけでも嫌悪感がもたげるし、暴力的な考えで頭がいっぱいになっちまう。」

「なんで、また?」




 疑問に満ちた声で聞いてきた、そりゃ当然だと思う。人と話すだけでそんな風になる人間なんてインプットされていないんだろうな。

 どう考えたって普通ではない。普通ではないって事は異常者だ、わざわざロボットにそんな人間のデータを入れる必要はないだろう。







「生まれつきだ。生まれた時からはオレは社会で生きていくには、対応できない風になっていた。心の病気か、呪いか。
 こっちの心に踏みこんでくるやつには容赦しなかった。オレの交友関係は狭いぜ、まじで。杉並とかさくらさんぐら
 いか、まともに話せるのは。それ以外は思わず殴りそうになっちまう―――――異常者だ」

「・・・・・・そうなの、か」


「あとはエリカって女か。まぁあいつは愛玩目的みたいなもんだし、例外だな。あとは・・・・お前か、まともに話せるのは」

「―――――え」

「なぜかは知らない。お前がロボットだからなのか、それともまた別に原因があるのか――――分からないがな、安心して話せる。
 多分こんな気持ちは幼稚園以来だな。素直っていうかなんというか」

「・・・・す、素直には見えんがなっ!」

「うるせぇよ、今ほど素直なオレは見られないぞ。宝クジが当たるより確率は低い。お前から金を取ってもいいんだぜ?」

「はぁ~・・・・・相変わらず金に執着する男だ」

「金が嫌いな人間なんていねーけどな」 
  




 そう言って話を締めくくった。金が嫌いな人間なんていないし、見た事もない。みんなが常に欲している者だ。

 まぁ金ではどうにも出来ない事もあるし、譲れない事もあるにはあると思うが―――――少数だ。

 家族を養うのも金、病気を治すにも金、愛する恋人にプレゼントするのも金だ。実際に数日、満足にオレはタバコを吸えなかった。




「ったく、そんなんじゃ大事なものを見失うぞ?」

「そんなものありはしないが―――生憎そこまで愚かな人間じゃない。線引きは自分の中で決めている。ここまでがオレの許容範囲ってな」

「そんな器用にも見えないが―――――それにしても」

「あ?」

「お前と美夏は、似ているのかもしれないな」

「・・・・・・・」




 
 否定は出来ないと思った。人嫌いなオレと人間を憎んでいる美夏――――確かに共通点はあった。

 それにしても何故美夏はここまで人間を憎むのだろうか。まぁオレがもしロボットだったらと考えると大体想像はつく。

 意味もなく繰り返される戦争、人種差別による迫害、強盗などによる犯罪・・・美しい部分もあるが醜い部分の方が多いと思う。

 そしてさっき見ていたμの売りもの・・・同種によるものが手荒に使われている様、ハラワタが煮くり返るだろう。



「そういえばなんでお前、人間が嫌いなんだ?」

「え?」

「大体は予想はつくが、何かこれが決定的だって思うところがあるんだろう?」

「――――いっぱいある」




 そういって美夏は話しだした。過去の記憶、データ、それらを思い出す、または読み出すかのようにぽつりぽつり呟いた。

 人間によるロボットに対する迫害や手足のようにぞんざいに扱われてきた歴史を・・・・。

 オレも聞いた事のあるかのような話もある。今も昔も金持ちしかロボットは所有しておらず、大体は性目的で持っていた。

 周りの環境や他人の為に労働させることよりも、人間は自分の欲望に忠実になった。ほとんどがそうだと言っていい。

 ダッチワイフ―――美夏にとって嫌悪しか抱かない行為にみんな夢中になっていた。別に愚かだとは感じはしなかった。

 人間と言う生物は自分の欲求に逆らえないからだ。それが人間と言う生き物―――だがそんな奴らばかりではない。

 事実、福祉関係の仕事をしているロボットだっている。その人間次第って訳だ。だがあまりにも少なすぎる。

 そんな人間は美夏は嫌いだと言った。みんないなくなればいいと言った。まぁ・・・・・そうだよなと思う。

 人間の世界でもそれはある。今だに世界のあちこちで人身の取引きはされており、一向になくならない。

 当然だ、国もグルでやっているからだ。資金が足りない、物資が足りない、色々理由はある。

 日本ではあまり話は聞かないが―――ないことはない。ただメディアが放送しないだけだ。治安国家だからな、日本は。

 美夏は苦しそうに、だが怒りを込めて話していた。だが、けれど―――――と話を一回切ってオレの方をみた。




「なぜか・・・桜内を見るとそうは思えないんだ。何故かは知らないが・・・・」

「なんでだ? 自分でも言うのもなんだがハッキリいってオレは屑だ。お前の嫌いな人間の代表格だと思っていい」

「そんなこと―――」

「この怪我―――喧嘩して出来た傷だ。リンチされそうになってな。まぁ返り打ちにしたが―――しばらく入院だな、あいつら」




 色んなところを折ってやったからな。おまけに出血もヒドイ。ヘタしたら後遺症―――――知った事ではなかった。

 今でも後悔していないと思うし、悔いはない。うまく立ち回れないのがオレの欠点だが構いやしなかった。


「―――理由」

「ん?」

「あるんだろ、理由が」

「まぁ・・・・オレの保護者―――さくらさんていうんだがその人の事を侮辱した。犯したいなんて抜かしやがった。だから潰した」

「それなら――――――」

「普通はそこまでしない。普通なら我慢するか逃げるかどちらかを選択する。なんでもそうだが我慢できないのは獣だ、人間じゃない。
 殴りたいから殴った、お金が欲しいから盗んだ、女に餓えていたからレイプした・・・そういう事だ、オレがやってるのは。
 おまけにやられた奴らは骨も折られ血みどろだ。後遺症―――残るかもしれないな」

「・・・・・」



 
 人間は我慢出来る生き物だ。動物は我慢なんて出来ない。ということはオレみたいな人種は人ではないという事だ。

 今自覚したわけではない、ずっとそう思っていた。治そうともした、治らなかった。それがオレという生き物―――クズだ。




「・・・・でも」

「あ?」

「なんか・・・なぁ・・・・そうは思えないんだなぁ、これが・・・ハハ・・」

「おまえな―――」

「昨日」

「あ?」

「昨日一緒に帰った時のお前の笑顔、悪人には見えなかった。本当に綺麗な笑顔だった。初めて見たな、あんな笑顔。
 
 今だって歩幅を合わせてくれているし、下心も無さそうだ。当然のようにそうしてくれている。美夏が知っている
 
 限りではそういう人間は希少だ、まずは邪な気持ちを抱くからな。それが・・・人間っていう生き物だ、普通の行動だ。
 
 それに―――――本当のクズは自分ではそうは言わない。美夏のデータにはそう書いてあるし、美夏もそう思う、うん」



 
 まぁ金にはガメついがな、と言って少し笑った。オレはというと――――――少しまいってしまった。

 何をどう勘違いしたのかは知らないが美夏は勘違いをしているようだ。その認識を改めない事には社会生活は送れない。

 


 そう警告をしようとして―――頭を叩かれた。






「~~~~~~~ってぇ~~~ぉぉおおおお!!」

「まぁ、男たるもの少々ワイルドの方がいいなっ!ここぞって時に女子を守れないようじゃそれこそクズだっ!美夏はそう思う!」

「~~て、てめぇこのや―――」

「大体なんだその怪我は!? どうしたらそんな所に傷なんてつくんだ?」

「・・・・・・まぁ、後ろから鉄パイプで殴られた訳だが・・・」

「ふんっ! そんな卑劣な真似をする男達だ、ロクな男共ではないんだろうっ! なんだったらトドメをさせばよかったのだ」

「嫌だよふざけんなよ出来ねぇよ。まだ刑務所に入りたくねぇんだよオレは。周りのヤツには言ってないが車であちこちドライブ
 すんのが夢なんだよ、それまで絶対死なねぇ」

「まぁお前が言う悪党ってのも所詮そこまでのようだな。外国を見てみろ! なんと異常者が多い事かっ!」

「日本と比べるなっての・・・・・あっちは人口も多いし民族も数え切れないほどある。些細な民族の風習の違いも
 狂気に見えるからな。しょっ引かれる奴も多い。大体刑務所も制度からして違うし、アメリカなんて州によって違う。
 まぜっ返すなよ」

「ほぉ~物知りだなぁ、桜内は」

「・・・・・小さい頃は結構本とか読んだからな。まぁ雑学程度だし日常ではつかえねぇよ。無駄な知識だ」

「なんだ、いわゆるガリ勉ってやつか・・・暗かったんだなぁ桜内は・・・・」

「だれがガリ勉だてめぇ・・・ってなんでお前がドン引きしてるんだコラ」

「まぁ、いい大学とかに入れたら助席に乗ってやって付き合ってもいいぞ。ドライブ、するんだろ?」

「あ?」

「確か、車の助席に女が乗るのはステータスだとデータに書いてある。お前は暗いから美夏が付き合ってやる!
 ツンツンして口も悪い、どうせ女なんて寄ってこないんだろう? だったらこの美人な美夏様が乗ってやるって
 いうのだっ! 感謝したほうがいいぞ、桜内 」 

「・・・・・・」

「ふぎゃっ! だから蹴るなって―――いたたたっ!?」

「・・・・・・」

「しょ、しょうがないだろ・・・女にモテないのは本―――っていたいっ! 痛いって言ってるだろ桜内!」

「・・・・・・」

「こ、今度は屈服しないぞっ! さくら・・・・いっていたたたたたっ!?」

「・・・・・・」






 まぁこんな感じで商店街を美夏と進んだ。もちろん謝るまで蹴りは止めなかった、いい気味だと思う。

 
 ――――――綺麗な笑顔、ね。自分には似合わない言葉だと思う。オレが笑う時は大体は皮肉ってる時だ。

 
 大方、美夏の間違いなんだろう思うけどな。そう思い、美夏と『笑い合い』ながら先へ進んだ。
















 「おー、これなんかどうだ桜内?」

 「・・・・・お前、センスないのな」

 「―――ッ! う、うるさい!」

 
 そう言って美夏は意味不明なキーホルダーを棚に戻した。なぜあんな物を選んだかは分からない・・・ロボットのセンスというものだろうか。

 オレ達は、なぜか小物屋にいた。前の世界でもこの世界も来た事は無く、ファンシーな空気がちょっと辛いところだ。

 


 なぜここにいるかというと―――全て美夏のポンコツロボットのせいだ。




 どうやら美夏と由夢は仲がいいらしく、休みに入っても連絡は取り合っているみたいだった。

 昨日の一件もどうやら由夢の口から聞いているらしく、兄さんは私にプレゼントをくれないと愚痴っているみたいだった。

 実にかったるかった。そしたら美夏が「音姫先輩のも買うついでに、由夢の分も買おう。どうせまだ選んでないのだろう」と言った。

 オレは断った。それ以上親密な関係は築きたくないし、築こうとも思わない。本当に嫌な気分しか噴き出ないと美夏に言った。

 しかし美夏は私からの送りものって事にしておけと言って聞かない。金はお前が出せばいいだろうと言いやがった。

 止める間もなく美夏はファンシーショップに入ってしまい、オレはイライラしながらも後を追った。そして今に至る。





 「これなんかいいんじゃないか?」

 「ん? ああ駄目だ、そのアクセサリーは。銀メッキは剥がれやすくて痛みやすい。それならシルバーがいいところなんだが生憎
  ドメスブランドでもそんなものは買う気もしないな」

 「むぅ~注文が多いぞ、桜内は」

 「お前からのプレゼントなんだろ? だったらちゃんと選べ」

 「・・・・・めんどくさいな」

 「・・・・・・・・」

 「わ、分かったから足は上げなくていいっ!」



 そう言って足を両手で押さえる。まぁ店内なのであまり目立ちたくはないので自重はした。残念だ。

 あれでもこれでもないと探していると、ふと小物入れの中からスカーフを見つけた。

 恐らく上の棚から落ちて紛れこんだんだろうが―――なかなかどうして、いい感じだった。

 色は薄い黒で、高級感もある。透かしてみたり手で触ってみたが生地もなかなかよかった。

 外見もデザイン性は整っており――――――まぁオレはそれを気にいってしまったわけだ。




 「ん、なんだ―――またいいモノを見つけたな、桜内」

 「ああ、惚れちまったな」

 「それを買うのか?」

 「あの女にはもったいねぇと思うが―――女性物だ、大人しくあげてやるよ」

 「そんな事はいうものではないぞ・・・・あれ、由夢の分はどうするんだ?」

 「それならこれだ」

 「ん?」




 そう言ってレジの脇に積み重なっている料理本を取って、一緒に会計に出す。美夏は本当にそれでいいのかという目をした。

 オレは目で構いやしないと言った。美夏はなぜだかしらないがため息をついた。そして無事会計を済まし、外に出た。






 「本当にそんなものでよかったのか?」

 「あいつの料理を食った時―――オレは吐きだした。ご飯は砂抜きをしていないわソーセージの中は生だわマカロニはぐちゃぐちゃ
  で食えたもんじゃなかった。さすがにこの人嫌いのオレでも心配になったよ、こいつは嫁にいけるのかなってな」

 「あ、あはは・・・そうだったな、確か由夢のやつって・・・・」




 
 恐らく家庭科の授業の時に見たんだろう―――美夏は苦笑いをしていた。あの酷い味は今でも忘れない。

 まぁこんな千円ぐらいの本だが無いよりマシだ・・・・・。ちなみにスカーフはその十倍だった。

 痛い出費だが美夏の意見を却下出来なかったオレが悪い。そしてポケットに手を入れ―――気付いた。




 「あ、タバコ買うの忘れてた」

 「ん? なんだ、桜内はタバコを吸うのか?」

 「まぁな・・・帰りにコンビニ寄るわ」

 「あまり感心せんな、喫煙は」

 「嫌いか、タバコ?」

 「水越博士が吸っているので多少は慣れているが―――お前の身体が心配だ」

 「肺がんになりやすいって言われているが実はそれは嘘かもしれないんだってよ。よく化学式でどーのこーの言っているが 
  すべて妄想らしい。ただこういう科学反応を起こすと肺がんになるってだけの話らしい」

 「屁理屈こねるな―――まぁ、吸い過ぎのないようにな」

 「はいはい」




 そういってバス停の近くまできた。ここからは分かれ道、美夏とお別れする場所だ。そろそろ暗くなってきたので早く帰ろうと思った。





 まぁ、その前に、だ。






 
 「ほらよ」

 「ん? おおっ! なんだこのかっこいいストラップは!?」

 「クリスマス・プレゼントでございます、お嬢様」

 「―――へっ?」



  そう言ってわざとらしく昔の貴族みたいにキザったらしく胸に手を当て、仰々しくお辞儀をした。美夏―――驚き固まっている。

  美夏に似合いそうな青のストラップがあったので買ってやった。シルバーを使っているので一万近くしたが―――別にいいかと思った。

  なんだか今日は一緒にいて腹ただしい事だが―――慰められた感じがした。それが癪で思わずこれでいいやと思い、今、手の上にある。

  この胸のイライラ感を取るのに結構な金額だったが―――悪くはなかった。




 「あわ、わわわわわっ!」

 「なんだよ」

 「ば、ばか! そんな高そうなの受け取れるか桜内! わ、わたしなんか手ぶらだぞっ!」

 「構いやしねぇよ、オレが好きでやってるだけだ。別に恩に着せたりしねぇよ」

 「で、でも―――」

 「おら」

 「あ―――」





  無理矢理持たせてオレは歩きだした。かったるくなりそうだし、日本人特有の「こ、こんなもの受け取れません」なんかしたくなかった。

  あーなんかまた雪が降りそうだなと思いながら家に向かって足を進めた。結構な消費だが―――どうせバイト代で元取れるしな。




 「さ、さくらーいっ!」



 なんか大きな声が聞こえたので振り向いた。美夏がこっちに向かって何か叫んでいた。




 

 「ありがとうなぁ~! また今度遊んでやってもいいぞぉ~!」




 

 
 そう言って手を振った。まぁ―――元気で羨ましい限りだと、心の中で感想を漏らす。オレは何も答えないで後ろを向いて歩きだして
黙って手を振った。


















 「ふぁ~あ、もう寝るか」



 そう言って布団にもぐりこんだ。プレゼントはとりあえず郵便受けの所に置いてきた。

 最初は美夏の言った通りに美夏からのプレゼントという事にして渡そうと思ったが―――気に入らなかった。

 金を出したのもオレだし、選んだのもオレ・・・不条理を感じた。まったくもって納得がいかない。

 だから付属でついてきた白紙のカードに、サンタよりと書いて適当に放りこんだ。まぁ、差出人はオレだとバレるだろうが気にしない。

 プレゼントには美夏の気持ちが入っている―――ような気がした、渡さない訳にはいかない。だからサンタと書いた。

 なんにしてもシカトするつもりだった、音姉達のことは。もうかったるいのはごめんだ。

 しかし、ただ渡してもまたウザく付きまとって来そうなのでもうこれで最後、話しかけるなと書いておいた。

 もう正体なんかバラしているみたいなもんだが―――どうでもいい、そういった具合だ。




 「・・・・・・・・」



 だんだん眠気に誘われてオレは意識が朦朧としていくのが分かった。明日、予定なんか無かった。

 またブラブラしようかなと思いつつ、オレは夢の中へ潜って行った。外では、また雪がチラついていた―――













 



[13098] 10話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/09/26 02:08





「・・・さっぶいなぁ~」


 昨日降った雪は、結局止む事はなく振り続けた。おかげで外の様子の銀世界を見た時はかったるくなった。

 今、オレは桜公園に来ていた。特に理由などはなかったが、家に居てもしょうがなかったので外出することにしたからだ。

 ゲーム機などがあれば時間は潰れるのだろうが生憎そういったハードは家には置いてなかった。

 とりあえずコンビニに寄り、金を下ろしてきた。まぁ、そこで貯金金額を見たオレは少しばかり驚いた訳だが・・・。



 なんと画面には十数万という数字が表示されていた。前に見た時は数万だったはずだ、それが急激に十万の位に上がっていた。

 思い当たるフシ―――――例のバイトだ。保健室を立ち去る前に水越先生に口座番号を聞かれたので、素直に教えていた。

 思わずジャンプしそうになる金額の上昇だが金の重さ―――――事の重要さが分かり、あまり浮かれてはいられなかった。

 美夏という極秘ロボットの重要性を改めて知る事になったオレ。少し気分が重くなるのを感じた。



 まぁ美夏と一緒にいるのは悪い気分ではないし、気にならない。それでお金が入るからまぁ、ボロイと思った。

 そしてこの前、部屋の机周りを探して例の仕様書とやらを熟読した。どうでもよさそうな感じで机の中に入っていた。

 専門用語ばかりであまり読めたもんじゃないが、一つ分かった事がある。それは―――オレに出来る事はないという事だ。

 水越先生が言っていた通りお目付役という役割そのままだった。何かあったら人目を隠して連絡する、ただそれだけだ。




「まぁ、気楽でいいかなぁ~っと」




 そう思う事にした。あまり余計な事を考えてもしょうがない――――――事実その通りだ。そう考えながら適当に散歩を開始した。

 例の地理調査の事もあるし、気分転換にもなる。雪が積もっているがそんなに気温は寒くなく、ちょうどいいといった感じだった。

 そう感じながら歩いていると桜の花を見上げながら考え事をしている人物―――――花咲がいた。



「あ――――――」



 向こうもこちらに気づいたらしく駆けよってきた。その意外な行動に少し面喰らってしまった。

 この間の路地裏での一件で話しかけられとは思ってもいなかったし、学校での態度――――オレは無視されていたはずだ。

 そう思っている間にもオレに近づいてきて、止まった。表情は普通に見えた。特に怯えている様子もない。



「やっほぉ~義之くんっ!」

「オレは山かよ」

「だったら返事が返ってくるはずよぉ、やまびこみたいに」

「そうだな。だが生憎オレは山にもなったつもりはないし、鸚鵡石(おうむいし)でもない。オレは行くな、じゃあな」

「あ~ん、もういけずなんだからぁ」


 
 花咲はそう言ってオレの脇に並んだ。今度はさすがに疑問を抱きざるを得なかった。あまりにも予想していた反応と違う。

 こいつはオレが男共をリンチしたのは知っているはずだし、目の前で見ていた。そして学校の様子のオレの変わりよう・・・。 

 それらの事を考えるとこいつの行動はおかしい。何が嬉しいのかはしらないが表情は微笑んでいる。至って普通の様子だ。

 普通――――普通ではない。確かに度胸は据わっていたとあの時は思った。だが据わり過ぎだ―――それとも何も考えてないのか・・・。



「ねぇ~?」

「んだよ」

「んもぉ~そんなにつんつんしないでよぉ。ところで鸚鵡石ってなぁに~?」

「反響する石だ。主に有名なのは関西にあるやつだな。声や音をその石に当てると反響するんだよ、やまびこみたいに」

「わぁ~物知りだねぇ~義之くんはぁ~」

「ただの雑学だ。褒められても何も思わねぇよ」

「んん~そんなこと無いよぉ。物知りな男性って素敵よぉ」



 そう言ってオレも肩に手を置いた。肩を振って振り払うオレ。そして花咲を睨んだ。これ以上かったるいのはご免だし相手にしたくない。

 そろそろ沸々と嫌悪感がもたげてきたからだ。アレルギーみたいなもんだ―――治らないアレルギーだが。そして花咲を置いて歩きだす。

 睨んだうえにもう話しかけるなというオーラをだした。これで寄ってくる奴は鈍感か喧嘩したいやつか――――どちらかだ。

 オレの記憶では花咲はそういった揉め事が嫌いなはずだ、教室の一件でそれは分かっていた。




 そうして歩き出そうとして――――   




「やぁん~ちょっとおっかないけどぉ、ワイルドな男性って好みだわぁ~」 



 オレの腕を組んできた。わざとなのだろう、豊満な胸を押しつけてきた。オレ――――顔に手を当て空を見上げた。

 思わず奇妙な生き物を見る目になってしまう。何を考えているか見当もつかない。バカなのかこいつは?



「なにを考えているんだお前は・・・・・」

「えぇ~失礼ねぇ、色々考えてますぅ~」

「そうか、色々考え過ぎて頭がイカれてるのか。だったら納得だな、そんな奴の考えている事なんて分からねぇ」

「口がちょっと悪いけど・・・それも魅了ねぇ――――わ、思ったより筋肉質なのねぇ! 男の子って感じぃ~」



 そう言ってオレの胸をペタペタ触ってきた。対処法――――思いつかない。殴っちまうのはやり過ぎる感もあるし罵声も意味がないようだ。

 思いっきり睨んでも意味がないだろう、さっきの様子で分かった。思わずため息をついた。なんなんだこいつは・・・・・

 あまりにも普通じゃない。一連の出来事をまるで何も見てなかったかのような思うほどのはしゃぎぶり。考えるが――――何も思い当たらない。 



「大体なんでオレに絡む?」


「ほぇ?」


「板橋に蹴りも入れたし、生徒会の一件も聞いているだろう。そしてあの喧嘩――――すべて聞いているはずだ。事実、学校ではオレに
 話しかけてこなかったはずだ。それが何故だかはしらないが急にスキンシップを始める花咲――――意味が分からない」


「いつも通り茜でいいよぉ~」


「じゃあ茜、質問する。何故だ?」


「よく言うでしょ~女心と秋の空ってぇ~。今は冬だけど、今はそんな気分なのよねぇ」


「ふけるなよてめ――――」 


「構いたくなるのよ、貴方を見てると――――放っておけない気分になるの。学校の時はまだ気持ちの整理がついてなかった。
 色々あったし聞いたりもした。けど、結局気になっちゃうの。ただ自分のその気持ちを素直に行動に出しているだけ」


「・・・・・・」



 そう言って真面目な目でオレを見据えた。さっきまでの雰囲気とは一線を画していた。なぜだかは分からない。

 構いたくなる――――ふざけた理由だ。オレがエリカに接するみたいな感じか? 冗談じゃねぇ。

 オレは気が立ってきたのを自覚した。だが茜はそんなオレの様子を気にした様子もなく喋りはじめた。


 
「なんかツンツンしてぇ一人になろうとするしぃ~。まぁ、あまり辛そうに見えないから本当に清々してるんでしょうけどぉ」

「なんだ、分かってるんじゃねぇか。だったらほっとけ、殴りたくなっちまう」

「今の義之くんの目、本当に殴りそうだからコワイわねぇ――――でも構いたくなるの。しょうがないじゃない」

「・・・・・・そうか」



 そうオレは呟いて組まれている茜の手を振り払った。小さい悲鳴をあげるが構いやしない――――オレはその払った腕を掴んだ。

 そして近くの木の根元まで歩いた。ちょっと~という言葉が聞こえているが無視した。そうしている内に根元まで着いた。

 乱暴に茜を木に押しつけた。身動きが出ないように腕は掴んだままだ。少し力が入っているのか―――顔をしかめている。  
 


 「あんまり舐めるなよ、お前」

 「――――え」

 「女だから殴られない――――大方そんなところだろう。が、一切オレにはそんな事関係ないね。まゆきの件、聞いているだろ?
 別にそいつの性別がなんであろうと関係ねぇ、気に入らなきゃガキだって殴ってやる」

 「・・・・・・なんで、そう思う、かなぁ・・・」
 
 「知るか、そんなこと。前までオレはさぞや優しかっただろうな、お前たちをみればよく分かる。だけどもうそんな事はしない。
  ――――人嫌いになったんだよ、オレ。普通に喋るのだってムカムカしちまうし好意なんていったものは問題外だ」



 そう言って茜の胸を乱暴に掴んだ。鈍い痛みに更に顔をしかめるが無視した。あれだけの態度を取ったのに付きまとってくるコイツが悪い。

 拒絶の態度を取ったのに歩み寄ってくる―――そういった相手ほど心がざわめく相手はいない。いい例が音姉だ、多分茜もそのタイプだろう。




 「このままお前をレイプしてもいいんだぜ? 外国じゃあお前みたいな人間はすぐ犯されて殺される。別になんとも思わないがな。
  顔がいい、ツラもいい、身体もいい、器量もいい―――無闇な暴力は受けないだろうと、自信があるみたいだが逆効果だ」

 「・・・・・・・」



 そう言ってガンをつけるみたいに顔を近づけて、茜の瞳を見据えた。思いっきりオレに睨まれた目――――潤んでいる。

 当然だ、大の男が泣いてもおかしくはない目をしていた。気弱な男ならおそらく泣いて、赦しを媚びているだろう。

 顔はこの寒さだから赤らんではいるが、普通なら真っ青になっている。気絶しないだけ女性にはしては肝が据わっているがそれだけだ。

 頭が悪ければ意味がない。バカで度胸が据わっている奴は戦争で真っ先に死ぬタイプ――――この場合はこの女の事だ。




 「分かったな、殴られたくなきゃ、近づくな」

 「・・・・・」




 そういって胸から手を離し――――離せなかった。オレの手の上に茜の手が添えられている。意味が、わからなかった。

 そう思って茜を見る。何十センチの距離にある茜の顔。潤んだ目でこっちを見ている、おいっと声を掛けようとして――――



 「・・・・・・」

 「――――ッ!」



 


 唇を塞がれた。オレはすごい混乱した――――本当に意味が分からなかった。あの流れでなぜこうなるかが分からない。

 おそらく世界で一番の頭脳指数を持つ者でも分からないだろう・・・・。それぐらい突拍子もない行動だと思う。







 「・・・・・・ん」


 「――――――――ッ!――――ッ!」




 コイツっ! 舌を入れてきやがったっ! ぐちゃぐちゃと唾が混ざり合う卑猥な音。手はギュッと握られていた。

 ゾクッっとする感覚・・・思わず心が性欲に押し切られそうになる――――が、オレは思いっきり茜から飛び退った。



 「――――あ」

 「はぁ・・・はぁ・・・はぁ」


 新鮮な空気を取り入れた。呼吸なんか出来たもんじゃないし、させてくれなかった。空気を肺に入れ落ち着いた。

 茜は―――何故か焦った顔をしていた。自分からしといて――――そう思わずにはいられない。オレは睨んだ。



 「おい」

 「な、な、な、なにかしらぁ?」

 「なにかしらじゃねーよっ! なんであんな事したんだてめぇ! 意味が――――意味がまじでわからねぇぞ!」

 「――――は、ははは。思わず・・・・ね」

 「はぁっ!? 思わずでてめぇはディープキスすんのかよっ! オレの話なんかまるで聞いてなかったみてぇだな!?」

 「いや・・・さ・・・・思わず義之くんに睨まれたらさぁ・・・ゾクっとしちゃったのよぉ~・・・・・・あははー」 

 「・・・・・・」




 オレは閉口した―――茜の性癖がどんなだか知らなかったオレが悪いのか・・・これは。まさか泣くどころか興奮するなんてな・・・。

 今までそんな反応を示したやつなんていやしない。誰だって泣きそうな顔になるか泣いたかどちらかだ。

 赤くなった顔、潤んだ瞳――――すべて合点がいった。オレは頭が痛くなった。まるで予測がつかないし、つくはずがない。

 なんなんだコイツ―――まるで理解出来ない。オレは多分宇宙人でも見るかのような目をしているに違いない。自信がある。



 「あ、あはは~・・・・もしかしたらマゾッ気があるのかしらぁ~なぁんて・・・・」

 「・・・・・」

 「あは・・・は」
 
 「・・・・・」




 そしてシーンとなる場。オレはもう何も考えられなかった――――何を考えればいいか分からなかった。

 茜は気まずいのかキョロキョロしていた。オレはその様子をみてため息をついた。マジでかったるくなった。

 

 
 そしてある一つの答えに考え付いた――――恐らくこの考えはあたっているだろう。






 「そうか―――」

 「え?」

 「いや、まさかクラスメイトにいるとはな・・・オレも初めてみるよ」

 「え、ええっと・・・・」

 「変態だろ、お前」

 「――――は?」

 「そうか、ならしょうがねぇ。いくらオレでも変態相手じゃあ歯がたたねぇな・・・・考えの範疇を超えている」

 「ちょ、ちょ――――」 

 「別に他の奴には話さねぇよ、話す相手もいねぇしな、オレには」




 多分初めて見るだろう、そういった人物は。少なくともオレの記憶にはなかった。相手をするのは初めてだった。

 オレが話すと思っているのか、キョドっている。だからこの話はしないと告げた。まだ興奮しているようだが知ったことではない。

 オレは踵を返した。あまり相手にしたくない人種ではある。ツラとか身体は良いが変態は勘弁だ。

 脅すのもやめだ。いくら脅したってこいつの場合喜びそうだもんな、とてもじゃないが付き合っていられない。



 「ちょ、ちょっと待ちなさいよぉ!」

 「んだよ、オレはもう行く」

 「なんでそんな答えになるのよっ!」

 「当たってるだろう。間違ってるにしても近いはずだ」

 「だ~か~ら、前から義之くんの事気になってて、睨まれてドキッとして思わずキスしちゃったっていう考えには落ち着かないのぉ!?」 
 
 「普通落ち着かねぇよっ! どんだけMでどんだけ積極的なんだっていう話だ! そんな女いるっていうなら連れてこいよ、ツチノコを見つけるレベルだがな」

 「ここにいるでしょぉ!?」

 「・・・・・・・」





 オレは足を止めて振り返った。まぁ今のは――――軽く、告られたみたいなもんだ。茜も場の勢いで言ってしまったんだろう、黙った。

 別にこれが初めてじゃない。色んな奴に告られてきてはいたしな。だがオレは元来の人嫌いだ。全部振ってやった記憶がある。

 茜の言葉には驚いたが――――当然断るつもりだ。かなり順番が逆になってしまった感は拭えないが・・・・。

 

 
 睨まれて恋に落ちる話―――確か外国でそんな話があったような気がする。あまり鮮明には覚えてはいない。

 その日、すごい虫の居所が悪くかったのか――その男はイライラしていた。そして曲がり角で女にぶつかり転んだ。

 そしてそれで頭にきた男は女の襟を掴み、睨みながら罵声を浴びせたという。そしたらその女がそれが原因で恋に
 落ちてしまい、ラブコールを送ったという話だ。

 それを最初見た時にオレは笑った。ありえないと思ったし負の感情でそうなるとは思えなかった。

 それをさくらさんに聞いたら、ない話ではないと言われた。どうやら女性は男性の眼に引かれる習性があるという。

 男が女の尻や胸に釘付けになるように、だ。情けない話だが男の本能にはそう刻まれているらしい。

 どんな感情であれ、男性の強く感情の籠った眼には女性を引き付ける力があるという。意思が強い男性に引かれるって事だ。

 まぁ、普通は情熱的な目だったり色っぽい目なんだけどね、とさくらさんは話を締めくくった。オレはそういうもんかと思ったが・・・。

 どうやらそんな状況と酷似した現状にオレはいるらしい。遠い遠いヨーロッパの外国のお話だと思っていたがそうではなかったみたいだ。

 実にかったるい――――なんにせよ、要は告るきっかけ与えちまったってわけか。




 「すまんが――――」

 「ちょっと待ってっ!」

 「んだよ・・・・・」

 「断る返事しようとしてるでしょ、今」

 「ああ」

 「・・・・・・・さっきの告白みたいなの、無しね」

 「あ?」

 「だって義之くん人嫌いになっちゃったんでしょぉ? 理由は分からないけどね。だから今告白しても断られるのは分かってるんだぁ」

 「だったら――――」 

 「だーかーらぁ! せめて普通に会話出来るまで頑張ってみたいんだ。それからはどうなるかは義之くん次第だけど・・・・駄目かな?」

 「断る。あまりにもかったるくて気の遠い話だ。そもそもオレにはそんな気はない」

 「――――っ! だったら――――だったら時々話しかけるのはいいのよねぇ? あんまりひっつかないからさぁ」

 「・・・・・まぁ、『本当に時々』話しかける分には構わない。あんまりこっちに踏み込んでこなきゃ嫌な顔はするが放っておく」

 「嫌な顔はするんだ・・・まぁそれでもいいわ、十分だよぉ」



 本当に時々を強調して言った。勘違いされるのも面倒だし、第一に茜と親密な関係にはなる予定がないからだ。 

 そう言って満足したのか喜んだ顔になった。自分ながらよく了承したと思う。まぁ、さっきも言った通り一定の距離を保つなら構わない。

 杉並やさくらさん、美夏といった面々みたいになれるか分からないが・・・・放っておくことにした。

 


 




 茜は用事でもあったのだろうか――――慌てた様子で身支度を整えて、走り出そうとしていた。



 「あぁ! そういえば杏ちゃんと待ち合わせしてたんだぁ! 義之くん、ごめんねぇ! 私行かなきゃ!」

 「さっさと行っちまえよ、痴女」

 「まったくぅ! 本当に口が悪くなったわねぇ! それじゃあねぇ!」

 「ああ」

 「あーっと、そうだそうだ」

 「あ?」




 何を思い出したのか駈け出すのを止め、途中で止まった。何かを言うために口に両手をあて、メガホンみたいな形にしている。

 オレはさっさと歩いてどこかへ行きたかった。このかったるい気分を吹き飛ばしたかったからだ。



 「わたしねぇ~まだ諦めてないからぁ! えっち友達で終わりたくないからねぇ~!」

 「――――はぁ!?」

 「それじゃぁね~」



 そう言ってまた駈け出す茜。って誰がHしたんだよ、キスぐらいしかしてねぇよ、ディープの。

 それにここは公園――――公共の場だ。周りに人がいないか見回したが、人っ子一人いなくて安心した。

 こんな現場みられたら最悪だからな。憂鬱な気分になっちまう――――あまりもかったるい。



 「あのクソ女が・・・・」




 そう言ってオレは歩きだした。嫌悪感――――感じる暇もない。多分あいつは宇宙人かなんかだろう。

 あまりにもオレの感性の常識を超えている・・・あんな女―――人間なんか見た事もねぇ・・・・ため息をついた。

 気分直しにうまいもんでも食おう――――そう思い、公園にある屋台に歩き出した。
























「うおっ!」

「何その反応、喧嘩売っているのかしら?」



 家に帰る途中に水越先生に会った。角を曲がったらたまたまそこにいて、驚いてしまった。

 オレの反応が気に食わなかったのか多少怒っている顔をした。腕を組んでいかにも不機嫌な呈だ。




「―――まぁちょうどいいわ、少し貴方に用があって探してたのよ」

「オレに?」

「ええ、学園長に住所を教えてもらって貴方の家へ行こうとしたのだけれど―――手間が省けたわ」

「・・・・・なんの用なんですか?」

「貴方に美夏の世話をしてもらっているでしょう? そしてお小遣いもあげている」

「ええ」

「そのお小遣い、あげすぎかなって」

「―――」



 オレは少し嫌な予感がした。話の流れからいっておそらく金額の多さの話だろう――――そう見当がついた。

 まぁそうだよな、と思う。あまりにも多い金、そして美夏の世話・・・どう考えてもイコールには結びつかない。

 オレに出来る事なんてあまり無いし、精々煙が噴き出したら即連絡といったぐらいだ。あちらからしたら疑問を持つのは
当り前だ。

 確かに極秘で機密ではある―――ただ出来る事なんてあまりないし、させてはくれないだろう。オレは素人だし当然だ。

 まぁ、大分出費があって懐は寒いがまだ蓄えはある。しょうがないと思った。




「だからさぁ」

「―――はい」

「私の研究所で少し働かない?」

「・・・・は?」

「いやさ、人手不足なんだよねぇ~うち。ロボットはいることにはいるんだけど、高いじゃん? だから暇そうな桜内くんに
 お手伝い頼もうかと思ってさ。お分かり?」

「―――ええ。まぁ・・・・・・別にいいですよ、やることも無いですし」

「よぉーし、決まり!早速明後日から来て頂戴ね。詳しい事は研究所で話すわ。天枷研究所――場所は知ってるでしょ?」

「・・・・・一応は」

「なら結構。時間は朝9時30分から来て頂戴ね、その時内容を話すわ。くれぐれも遅刻しないようにね」

「う~っす」

「ああ、そうだ」

「―――?」



 そう言ってニヤニヤしながらこちらに顔を寄せてくる。その笑顔―――なにかロクでもない事を考えている目だ。

 露骨に嫌そうな顔をするオレ。だが全く気にしないのか、どんどん近づいてきた。一体何をするつもりなのか―――



「美夏の事、とてもお世話になっているわね」

「――――――はい?」

「ストラップ、プレゼントしたでしょう? 喜んで携帯に付けてたわ。シルバー使ってて―――高かったんでしょう?」

「―――大した額ではありません。それにお金は水越先生から振り込まれています。苦ではないです」

「はぁ~・・・だからといってあんな高そうな物あげるなんて・・・いやぁ、まいっちゃうわね~」

「・・・何がですか?」

「ううん、何でもないわ。仲が良いってのはいいことよ、うんうん」



 そういって頷く水越先生―――訳が分からない。身構えていたオレがバカみたいだった。とりあえずオレは家に帰ろうと思い、踵を返した。

 明日の9時30分―――まぁ遅刻はしないだろう。一応目覚ましはセットしておくか。遅れたら何言われるか分かったもんじゃない。

 

「それじゃオレはこれで―――」

「はいは~い、また明後日ねぇ~。『美夏』と私が待ってるわ~」

「・・・・」



 美夏の部分を何故か強調していう水越先生―――聞き流した。適当に手を振りその場を後にした。

 バイト、か。まぁ研究所のバイトだしあまりかったるいことはないだろう。適当にやることにするか。

 前の居酒屋のバイトはもうする気はないしな。割り切ってやっちまえばあまり嫌悪感は出なく、また金はよかった。

 だがどこでもそうだが居酒屋のバイトは忙しい―――思い出しただけでため息が出た。


 
 まぁ美夏のこと構って遊ぶとするか―――そう思いながら帰途についた。


























1※藍ちゃん基準です

2※Q,藍ちゃんとは?
  A,茜の死んだ妹が、桜パワーで茜の心に入っている茜の別人格。
   性格は茜より活発で積極的で義之くんの事が少し気になってる。
   EDは妹との決別(桜枯れちゃうので・・・)

3※これ以上プラス・コミュニ&シチュの設定は出す予定はありません
   



[13098] 11話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/02/06 04:06










「じゃあ、後はよろしくね」

「―――――は?」




 そう言って水越先生は部屋を出て行った。そしてこの部屋に残るのはオレと水越先生が所有するμだけである。

 朝は普通に時間通りに来て、ただいまの時刻は9時35分。説明の時間はたった5分だった。それ以上の説明はなかった。

 内容は温度計の時間を1時間ごとに測定してデータに記入するだけ。はっきり言って子供でも出来る内容だ。



「あ~あ、簡単だけど――――かったりぃな~」

「・・・・・」

「・・・・・」



 そう言ってイスに腰深く掛ける。となりにいて黙っているのはμ――――確かイベールという名前だった気がする。

 水越先生の主義らしいが何もカスタマイズされていない普通のロボット。市販でよく見かける姿そのままである。

 機械らしく無表情、無口、無動作――――美夏とは当り前だが全然違っていた。感情というものが見えてこない。

 まぁ、感情にはプロテクターが掛けられているから当り前なんだが・・・・。




「なぁ、アンタ」

「なんでしょう、桜内様」

「何か趣味とかあんの?」

「いえ、そういったカスタマイズはされておりません」

「ああ、そういやそうだったな。好きにカスタマイズ出来るんだっけか」

「はい。ちなみに得意料理や血液型、誕生日などもカスタマイズ出来ます」

「―――そうだったな、なんでもありだったな」

「はい」




 μは何世代にも改良をされてきており、今ではもう昔のと比べられないぐらい進歩していた。まぁ、金持ち専用って所は相変わらずだが。

 美夏は確かその前の世代と聞かされた。なぜ美夏という画期的なロボットを開発したのにその技術を生かされないのかは不思議だが。

 おおよそは見当がつく―――やりすぎたんだと思う。ロボットはロボットであるべきであり人は人であるべきだといった思想なんだろう。

 知恵を持つ生物は今のところ人間がトップだ。その人間と変わらないモノが誕生したらそのバランスが崩れる可能性がある。

 ただでさえ人権問題なんかでやかましい時代だ。世界に混乱を招くのは必至だと思う。




「美夏の事構ってやりてぇんだがメンテナンス中か・・・運がわりぃな」

「・・・・・・」

「―――――1つ聞きたい事があるんだ、イベール」

「はい、なんでしょう?」

「楽しいか? 生きてて」



 オレは少しばかり興味が湧いたので聞いてみた。無感情ということは何も感じないってことだ。オレには想像出来なかった。

 まぁロボットなんだしそういった事は考えはしないんだろうが気になった。プロテクトされてるにしても感情はあるはずだ。

 その小さい感情で何か思ったりはしないんだろうか、と疑問を持っちまったオレ。そしてイベールは少し困り顔で答えた。



「すいません桜内様、おっしゃってる意味が理解出来ません」

「なんでもいい。料理を作る、編み物をする、ゲームをする、読書をする。何か楽しみはないのか?」

「すべてカスタマイズは出来ます。今現在はそういったものはインプットされておりません。楽しみ―――それも
 カスタマイズされておりません」

「・・・・・・」

「申し訳ありません」

「いや、謝らなくていい。こちらこそすまないな、変な事聞いて」

「いえ、とんでもありません」



 ―――なるほど、金持ち連中の親父共が持ちたがる訳だ。もう何でもやりたい放題だなこりゃ。人格なんてあったもんじゃない。

 知識では知っていても話すのはこれが初めてだったりしたので、色々聞いてみたが記憶どおりだった。

 ツラもいいし身体つきもいい、自分の好みどおりインプットすれば奴隷の出来上がりというわけだ。



「機械でも考えるって事は必要だと思うがな」

「考える、ですか?」

「そう、インプットされた事、言われた事をしか出来ないんじゃガキの使いと一緒だ。感情あるんだろ? だったら考えるべきだ。
 物事を一つの面ばかりで考えたらそこらへんの犬と同じだ。考えるといった行動こそソイツの存在意義だと思うし、何も考えない
 っていうんであれば、それはタダの置物だ」


「・・・・・・・」


「―――偉そうな事言ってすまないな。オレも他のやつにいえる程真っ当な人間じゃねーってのに・・・」


「・・・いえ」


「さて、喉が渇いたな。何か飲むか?」


「あ、それでしたらコーヒーをご用意しますので。そのままお待ちください」


「ああ、じゃあ頼む」



 そう言うとイベールはコーヒーを用意する準備に取り掛かった。正確な動作で準備する様はまさしくロボットらしい。

 オレは偉そうな事言った自分に少し憂鬱な気分に駆られた。まったくもって柄じゃなし、オレは最低の人間だったはずだ。

 まだロボットのほうが人畜無害―――いや、人の役に立ってるんだからオレのほうがピラミッド図では下の方なのか。

 だが、言わずにはいられなかった。何か虚しいと感じてしまったからだ。人嫌いのオレがこんなこと言うなんてと思わずには
いられないが・・・。



「コーヒーお持ちしました」

「ああ、ありがとう」

「いえ」

「おお、結構うまいな。あんたコーヒー入れるのが得意なのか?」

「いえ、得意なモノに、その行為はインプットされておりません」

「だったら得意なモノの欄にインプットしろよ、結構うまいぜ、コーヒー」

「所有者は水越博士です。でしたら水越博士の許可が必要です」

「あーはいはい、そうでしたねぇっと」



 あまりの機械的な返事にそっけなく返事してしまった。だがイベールは気にした様子もなく、また黙って立っていた。

 やっぱり美夏とは違うんだなぁと思う。感情の起伏があまりにもない。ロボットなんだから当然なんだが・・・。



「―――しかし」


「うん?」


「おいしいコーヒーを作れるというのはいい事だと思います。不特定のだれかにそのコーヒーを飲んでもらい、喜んでもらえる
 のであればそれは大変に利益的な行為だと私は考えます。水越博士が帰ってきたら打診しようと思います」


「・・・利益的、ね。まぁいいや、そういった調子で考えるのはいい事だとオレは思う。あんまり無理せず、ゆっくりでいいから
 その考えるという行為―――大事にしたほうがいいぜ」


「はい」




 そう言ってまた黙るイベール。なんだ―――考える事出来るじゃねぇか。ロボットだからあまり期待はしていなかったんだが。

 考えるということは即ち成長することだ。ロボットでも成長出来る―――オレはそれが悪い事だとは思わない。

 なんたってこんなカスみたいな世界に生まれたんだ、楽しくおかしく暮らさなきゃ損だからな。人権屋なんてクソくらえだ。

 オレみたいに本当に好き勝手やってちゃ困るが、イベールを見る限りそんなことはあり得ないと思った。慎ましい性格だからな。

 イベールの入れたコーヒーを飲みながら、時間はゆっくりと過ぎて行った。冬寒い日の、なんてことのない午前の出来事だった。




















 

 オレは今、商店街に来ていた。お昼を前に、水越先生が研究室に帰って来るなりにオレにお使いを言い渡した。

 買ってくる内容のほとんどはお菓子やら何やらだったがμに使用するソケットも含まれていた。

 どんなソケットか専門の知識がないオレには買ってこれないと言ったが、その特徴だけ言われて部屋を追い出された。

 

 「まじつめてーわ。外は寒いし・・・早く買って帰るか・・・・」




 そういってオレは歩きだした。まだ外の雪は溶けたわけではない、冬だから気温は10℃以上にあがりはしないので当り前だ。

 足元が滑らないよう、気をつけながら歩いていると目についたものがある。μの展示品であった。

 起動はしていないので当り前のことだが動いてはいない状態だ。ただそれだけで余計に無機質にみえた。イベールよりもだ。

 そういえばと思いだす。確か美夏もこうやってμを見ていたっけなと。その時の美夏は真剣な目ながらも切ない感が出ていた。

 同族が売り物扱いで人間に使われている現状、気持ちいい訳がない。事実、美夏もそんな事を漏らしていた。



「すいません」

「ん? なんですか?」

「御熱心にみておられますが、もしかしたらご購入を希望なのですか?」



 声を掛けられ振り返るとそこにはメイド姿の女―――μが立っていた。近づいて声を掛けられるまでその存在に気付かなかった。

 どうやら自分でも思いのほか熱中して見ていたらしい―――少し気が抜けていたようだ。最近はずっと気を張りっぱなしだったからな・・・。

 しかし購入なされますか、ね・・・。オレがそんなに金持ちに見えるのだろうか。はっきり言ってオレは貧乏だ。

 何百万もして維持費にも膨大な資金が掛かるμ、買えたもんじゃない。そもそもオレにはそんな気など一切ない。

 金がないのもそうだがはっきり居ても困る。元々オレは一人がすきな人間だし、性の愛玩目的で買うほど人間性は狂っちゃいない。

 大体こういうのを買う人物は、福祉関係の人間か脂ぎった親父と相場は決まっている。縁―――あるはずなどない。



「いや、すまないな。商売の邪魔をしたかな?」


「いえ・・・熱心に見ておられたもので、ついお声を掛けてしまいました」


「そうか―――購入の話だったかな、そういえば。生憎オレは金持ちでもないしエロオヤジでもなんでもない、買う気はないよ」


「確かにそういった人物も購入はなされますが、他の人たちもお買いになられます。例えば福祉関係の方とかも」


「福祉関係・・・ね。そういえばあの業界も人が足りないらしいな。人間が人間の世話をするのには膨大なエネルギーを使う。
 鬱とか精神的・肉体的に辛くて辞めていく人間が多いらしい」


「そうなのですか?」


「今に始まった話じゃない。もう何十年も前からそういう風になっている。医療関係機関の発達で人間の寿命が延びた。
 聞こえはいいが自然の流れに逆らって長生きする人間―――手に負えなくなってきている。そして増す激務・・・やりた
 い仕事だとは思わないね」


「大変なのですね」


「あっちが立てばこちらが立たず―――最悪な悪循環だよ。進歩したせいでそのシワ寄せが他の所にくる・・・どれにも言えることだな」


「なるほど、勉強になります」


「つい無駄話をしちまったな。まぁ―――買う気はないよ。一人が好きだし、あんたらロボットの事をロボットとして割り切る事が出来そう
 にも無いしな。そういう偽善者はさっさと立ち去るよ」


「あ―――」  



 その店員であろうμの頭をポンポンしながら撫でてやる。気分は猫に接する気分だ―――背小さいしな。気持ち良さそうに目を瞑るμ。

 人って感じでもないし―――ロボットともオレは割り切る事が出来ない。要はオレは屑でありながら偽善者という人種だ。

 そういう感情が周囲の人間に迷惑をかけるのはよく聞く話だ。同情、憐れみ―――力が無い人間がよく持つ感情だ。最悪だと言ってもいい。

 責任をとる能力がないのに可哀想とかいう理由で猫を拾ってくる子供と同じだ。そういう奴に限って猫を病気にさせたりしちまう。

 オレは屑だがそこら辺は守りたいと思う。頭を一通り撫でてそろそろ行こうかと思い、歩きだそうとして―――



「おおっと?」

「あっ」



 シャツの裾を掴まれてしまった。そしてオレは少したたらを踏んで止まってしまった。そのμの店員は自分でもビックリしている様だった。

 そして慌てて手をすぐ離してしまった。オレはどうしたもんかとその足を止めてしまった。一体何がしたいんだろうと。

 あれか、買うまでは離れませんというやつか。それは困る、さっきの理由もあるが第一に金なんてないのだから。



「し、失礼しましたっ!」

「いや、別に構わんが―――さっきも言ったがお金なんてないぞ?」

「そ、そういう訳ではありません・・・」

「―――? ならオレは行くぞ?」

「は、はい・・・・・・・・あの・・・・・」

「うん?」

「―――また話し相手になってくれますか?」

「う~ん・・・・まぁ商店街に来た時ぐらいだけどな。もちろん金なんてないけどな」

「それは承知しています、はい」

「だったらいいぜ、別に。また構ってやるよ、アンタのこと」

「あ、ありがとうございます」




 そう言ってオレは歩きだした。にしてもμにしては感情的な行動だ。確かにプロテクトはかけられているが感情はある。

 でもそれは人間と比べればわずか数%に過ぎない。滅多にと言っていいほど表に感情は表わさない、滅多にだ。

 でも―――と考える。確かあれは客引き用のμだし予め感情の制限は緩いんだろう、と考えた。

 人に物を買わせるというのは案外難しい。その為に駆け引きや口頭術などの本があるくらいだ。感情がないと出来ない技だ。

 福祉関係のμもそういう技術は必要なので感情プロテクトは一定の数値で外されていたはずだ、あの店員も同じタイプだろう。

 それにしたって感情が出過ぎな感はあるが―――そういう事もあるんだろう、感情なんて不確定要素を完璧に抑え込むのは無理
だと思ったからだ。

 後ろを見ると、まだこちらの方を見ていたμに対して―――軽く手を振ってやった。また今度来た時構ってやるとするか―――。

 そう思い、オレはまだ雪が残っている道を歩き出した。



























「・・・・・」

「・・・・・」



 途中腹が減ったのでタイ焼き屋に寄り、食べ物を購入してベンチに座る事にした。まだ雪解け水が少し残っていたが気にしない事にした。

 そして二つぐらいほうばっている時に、ふらふらとガキがオレの隣に座った。様子をみているとグズってるようだった。

 だがガキにしては珍しく泣きださない目をしていて、拳をギュっと握り辺りを見回していた。いかにも人を探している風であった。

 まぁ多分―――というか絶対に迷子だ。ここの商店街は案外規模が大きい。大方買い物途中の家族と離れてしまったんだろう。

 だが別に構ってやるつもりはない。人助けするような性格でも無いしなによりかったるい。そう思って食べる事に専念しようとして―――



  グゥ~



「・・・・・」

「・・・・・」




 口に入れようとしたタイ焼きを戻した。隣で腹を空かしているようなガキの横でパクパク食うほど無感情な人間ではない。

 一度意識してしまえば頭から離れなくなった。人嫌いだしこのまま無視を決め込もうとしていたのに微妙な空気が流れる。

 オレはため息をついた。滅茶苦茶かったるいがこのまま意識したままじゃ、美味しくタイ焼きなんて食えやしない。




「おい」

「は、はいっ! なんですか!?」

「やるよ、タイ焼き」

「そ、そんな頂けないですっ! 見ず知らずの人に食べ物をもらうなんて!」

「だったら脇で腹の虫鳴らすなよ。おかげで気になってしょうがねぇ・・・ホラ」

「あ―――」



 そういって無理矢理タイ焼きを持たせた。少し惜しい気持ちがあるが構わない。このまま意識しながら食うのも嫌だしある程度は
腹も治まっている。

 最初はこちらをチラチラしながら食おうとはしなかったが―――腹の虫には勝てないのか、それではいただきますと言って食いはじめた。

 よほど腹が減っていたのかガツガツ食っていて、見ている方が気持ちいいぐらいの食いっぷりだった。



「いい食いっぷりだな」

「―――っ! す、すいません!」

「謝ることねぇよ・・・ったく、ガキらしくねぇなぁ。何歳だよ、お前」

「はぁ・・・五歳です」

「はぁ!? 五歳!?」

「え、ええ・・・そうですが・・・」



 オレはかなり驚いている。五歳っていやぁ鼻水垂らして天井を見てヘラヘラ笑っている年頃だ。オレの時なんかは思い出したくもない。

 普通は礼儀なんか出来やしないし、もちろん敬語なんて使えない。支離滅裂な年頃なはずだ、少なからずオレの記憶ではそうだ。

 なのにこのガキは大人っぽい。家庭環境のせいか教育の賜物か生まれつきこうなのかは知らないが立派なもんだ。



「ったく、ガキらしくねぇと思ったけど五歳かよ、大人びてんなぁ」

「す、すいま―――」

「謝らなくていい。お前は別に悪い事をしたわけじゃない。謝るって事はいけない事をした時にとる行動だ」

「は、はいっ」

「なんでもかんでも謝るとロクでない人間が集まる。騙そうとするヤツ、図に乗るヤツ―――そういう人間が集まってくる。
 謝る時はちゃんと状況を読みとった方がいい」

「は、はい、ありがとうございます!」



 そう言ってオレに頭を下げるガキ。にしても本当に礼儀正しいな。正し過ぎるのもアレだが子供の頃からこれだと自信無くすわ。

 おまけにツラもいいし、目に力がある。これは将来モテ過ぎて女を泣かすタイプだな。断言できる、間違いなく。



「あ、あのぅ、お兄さん」

「ん?」

「お兄さんて初めて見た時は、怖そうな人だと思ったんですが・・・いい人なんですね」

「―――いや」

「え?」

「結構な悪人だぜ、オレ」

「―――!」



 そう言って笑うオレ。ガキはびっくりしたのか少し後ずさってしまった。いい人、冗談にも程がある。

 いい人が人を血まみれにするまで殴るか? 女でも構わず殴るか? 平気で人の心を踏みにじるか?

 そういう話だ。オレがいい人ならこの世はみんな天使ばかりいる世界になっちまう・・・。



「一回優しくされたりしたからって人間を信用しないほうがいい。人間てのはすぐ裏切るからな」

「そんな・・・事は、無いと―――」

「家族の為、友人の為、恋人の為、自分の為。色々理由は作れる。信用するのならそいつと腹を括った話をしてからだな」

「は・・・はい」

「お前には信用出来る人間はいるか?」

「・・・・お姉ちゃんと・・・お母さん」

「なら一回腹を割って話した方がいい。その様子ではずいぶんお利口な子供だが、利口すぎて感情が溜まっちまうな。
 どうせ家でもそんな感じなんだろう。感情が溜まれば溜まるほど爆発した時の威力はすごい。よく頭にきて親を殺した
 事件なんかもそんな感じだ。行儀よくするのはいい事だが―――ほどほどにな」

「は、はい! あ、ありがとうございます!」



 そう言って、また頭を下げた。だから自信なくすってーの、ったく。しかしよく出来たガキだわ、こいつ。

 様子を見ていると、さっきオレが渡したタイ焼きの袋をキレイに畳んでいるし・・・・はぁ~・・・・・。



「勇斗~! どこいったの~!?」

「あ、お姉ちゃん・・・」

「あ、勇斗―――に桜内!?」

「なんだ、お前の弟か」



 そう言って走ってきたのはクラスの委員長の沢井麻耶だ。初めて見る私服―――乱れていた。おそらく走り回ったんだろう。

 人通りも多いこの時期、探すのには骨が折れたろう。このガキがはぐれるのも無理はない。

 オレを見て弟を遠ざける委員長―――しょうがないと思う。学校での一連の話は聞いてるだろうしな。




「大丈夫、勇斗!? 何かされなかった?」

「だ、大丈夫だよ」

「桜内っ!」

「あ?」

「あんたこの子に何かしでかしたら―――」

「しでかしたらなんだ? なにかくれるのか?」

「―――くっ!」



 そう言ってオレを睨む目。オレはニタニタしてその目を見返した。殺気立つ場―――オレも少しばかりだんだん気が立ち始めた。

 そのオレを見る目―――見ていると暴力的な衝動が湧きあがる。もう本能のようなモンだ。目の前にオレを敵と見なしている人間
がいるんだからしょうがない―――生理現象だ。



「あんた―――」

「ち、違うよお姉ちゃん! このお兄ちゃんにはすごくお世話になったんだよっ!」

「―――え?」

「お腹空いてる音聞いてタイ焼きくれたし、お話にも付き合ってくれたんだよ!」

「え、そ、それは本当なの? 桜内?」

「―――ふん、いいガキだな。礼節はしっかりしているし頭の回転も速そうだ。おまけに目の力もある。委員長の家庭環境が
 どうだかは知らないが・・・当たりな子供を持ったな。将来化けるぞ、こいつ」



 オレは問いかけを無視して言ってやった。こんなガキは希少価値に準ずると思う。なにより利発そうだ、面白いガキだと思う。

 そしてオレはこいつらを無視したまま歩きだした。ここに居てもかったるいのが続きそうだし、買い物の途中だ。

 遅帰りでもしたら何言われるか分かったもんじゃない、そう思って歩き始めた。



「あ、ちょ―――」

「お、お兄さーんっ!」



 委員長の言葉を絶つようにそのガキが声を張り上げてきた。止まるオレの足。なんだと思って振り返ってやった。


「なんだよ」

「い、色々ありがとうございましたっ!」

「―――気にするな、オレが勝手に喋っただけだ。礼を言う必要はない」

「そ、それでもですっ! あ、あとっ!」

「あ?」

「やっぱり、お兄さんは、いい人だと思いますっ!」

「――――――言ってろよ、ガキ」



 そう笑って言ってやって背中を向けた。少し歩いて何気なく振りかえると、向こうも気付いたのか手を振ってきた。

 オレは黙って前を振り返って背中越しに手を振り返した。あのガキ、やっぱりおもしれぇなと思った。

 オレをいい人扱いか・・・そんなの今まで言われた事―――あったな、美夏ぐらいだが。まぁガキの言うことだ。適当に受け流す。



 そうしてまた商店街を歩きだした。時間は午後二時。余裕を持って帰ろう―――そう思って歩きを速めた。


































※長くなったので(ry



[13098] 11話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/16 18:41










「さてと、あとはパーツショップか」



 あの後、スーパーに寄って目的の物の買い出しを済ました。さすがに年末が近いだけあって、中はごった返しになっていた。

 声を張り上げる店員、ヒステリックに叫ぶおばちゃん連中――――憂鬱な気分になるのを感じた。最悪だった。

 それでもなんとか買い物を済ませて喧騒の渦から抜け出してきた。ホッとため息をついて歩いていた足を止める。

 大体あんな人ごみなんか好くわけがねぇ――――そう思って、次の買い物の為に足を再度動かせ始めた。



 「さ~く~ら~い~っ!」

 「んあ?」



 そして目的地に向かう移動中に声を掛けられた。聞きなれた声――――美夏であった。こちらに向かい走っていた。

 何を焦っているのか、息切れをしながらこっちに走ってくる美夏。オレは足を止めて待ってやった。

 そしてなんとかオレの前まで来て、走りをストップする美夏。顔には汗が滲んでいた。



 「はぁ・・・はぁ・・・」

 「大丈夫かよ、おめぇ」

 「――――はぁ・・・、まぁ、なんとかな・・・」

 「そんなに急いでどうしたんだよ」

 「いや、桜内がおつかいでここに来ていると聞いてな。メンテナンスが終わって暇になった美夏はこうして来たというわけだ!」



 何を威張っているのか、美夏は自慢げに腰に両手を当ててこちらを見据えていた。まだ顔には汗が滲んでいるが・・・・。

 そんなに焦らなくても――――と思わずにはいられなかったが、オレも一人でつまんなかったし構う相手が出来、素直に受け入れた。

 確かにオレは一人が好きだが、ここ最近はどういうわけか騒がしくなってきている。騒ぎの原因――――オレなんだけどな。

 はっきりいって好ましくない。ムカつく事態だ――――が、身体は正直であるらしくある程度五月蠅くないと物足りなくなっていた。

 それに比例して感情の揺さぶりも最近大きくなった。前より少しばかり甘くなったが――――暴力的にもなった。

 この間の例の路地裏の件――――あそこまでやったのは数えるほどしかない。それもよほど頭にきた時ぐらいだ。

 さくらさんの事を言われたのは確かに頭にくるが・・・以前ならそれさえも無視していた。かったるいからだ。

 感情の起伏――――μの話ではないがそれが大きくなってきていた。いい事なのか悪い事なのかオレには分からないが・・・。



「あ~はいはい、ありがとさん」

「なんだ、その気の抜けた返事は。まったくお前は・・・・」

「どうでもいいが早く行こうぜ。このままじゃ日が暮れちまう」

「むぅ――――まぁいいか・・・ところでどこへ行くんだ?」

「パーツショップ」

「ぱーつしょっぷ?」

「なんで棒読みなんだよてめぇ・・・まぁいいけど。そこでお前達ロボットに使われているソケットを買ってこいとのお達しだ」

「あーソケットかぁ。確か水越博士がないない言ってたなぁ」

「μの耐圧実験に使うんだと。さっさと行くべ」

「あー! 待て桜内!」



 そう言ってオレは歩き出し、その後を慌てて美夏は歩き出した。そうしてオレの脇に並び、一緒に歩き出した。

 前の世界じゃ想像つかない光景だ―――そう思った。前の世界じゃ近寄るヤツさえ限られていた。

 常にイライラしていたからなぁ~、今は大分よくなったけど。そう思って脇の歩いてるロボットを見た。



「ん? なんだ桜内?」

「なんでもねぇよ」

「んー? 言いたい事あるなら言った方がいいぞ」 

「だからなんでもねぇって―――可愛い女の子と歩けてラッキーだなと思ってたんだよ」

「な――――」 

「おら、さっさと行くぞ」

「ちょ、ちょっと待てっ! 桜内!」



 そう言い合いながら目的地に向かい歩き出した。まぁ確かに美夏は可愛いと思う。ロボットだからなんだか知らないが造形はきれいだ。

 目もぱっちりしてるし、まつ毛も長い。美夏を作ったやつは一体どんなやつなんだか――――そう思い、また美夏を見詰めた。



























 「じゃあ、このソケットでいいのかい?」

 「はい、それでお願いします」



 そう言って水越先生から預かってきたお金を取り出す。ちょうどぴったりの金額だった。余計な小銭は貰わず領収書だけ貰った。

 美夏といえば物珍しいのかあちこち見まわしていた。周りには色々な場面で使うパーツが用意してあり、なんでも屋といった具合だ。

 オレもなんとなくだがわくわくしている。まぁ総じて男性というのは子供らしさが抜けきらないというしな。



 「なに見てるんだ、美夏」

 「うむぅ、いや、初めて見る部品ばかりで少し興味が湧いたのでな」

 「お前からしたら内蔵みたいなもんだろうに」

 「・・・嫌な事言うな、お前は」



 嫌な顔をしながらあちこち触りだす美夏。オレも適当に手を取ってみた。専門の知識があるわけではないのだがわくわくするのには変わりない。

 そういえばオレもガラクタ集めして喜んでいた時期があったなぁと思いだす。あの頃はまさかオレがこんな風になっちまうとは思わなかった。

 きっと普通に幸せな感じになるだろうとおぼろげに思っていた。まぁ、現実はそんな筈も無く、かなりかったるい人生を送ってはいるが・・・。



 「おー、なんだこれは?」

 「ん? ああ、それは加圧器だ。その手元のハンドル引っ張ってみ」

 「おお、引っ張って押したら空気がでたな。しかし大層な外見の割には単純だな」

 「精密な動作を要求されるモノに関しては失敗は許されない。だから絶対に空気が漏れないように、そんな外見なんだ」 

 「ふーん。それにしても安いな、コレ。うちの研究所でもコレを使えばいいのに」

 「何十MPaの空気量を使うのにそんな手動のポンプ使うかよ。だったらせめてこっちのハンドルのやつだな。持ってみ」

 「・・・お、重い・・・・」

 「ちなみにそれで10MPaまで引き上げられる。研究所で使用する耐圧実験用の空気量はその5倍だ。どっちにしたって機械が自動で
  やってくれているな」

 「ふぅ~・・・重かった」



 そう言ってそのポンプを棚に戻した。よほど重かったのか手をグッパーしている。ロボットの癖に力ないな、コイツ。

 冷やかしも飽きたので店を出て、歩き出した。もう時間は結構な時間で、太陽は夕日に変わっていた。

 だんだん寒さも増してきたし、早く帰ろうと思い足を急がせた。難儀な事だが美夏の歩幅に合わせてだ―――トロイなぁこいつ。



 「―――今トロイと思ったろ」

 「いや、別に」

 「お前は嘘をつくのがうまいな、表情に出ない。だが美夏には隠し事は無理だ! ロボットだからな!」

 「ポンコツだけどな」

 「ポ、ポンコツ言うなッ!」



 そういってオレにじゃれてきた。オレは煩わしいと思いながらも放っておいた。イチャイチャするような性格ではないしな。

 美夏もオレがそういう性格なのは知っているのか、相変わらずノリが悪いな桜内はと言ってじゃれるのを止めた。

 てか知ってるならじゃれて来るなよ、と思わない事でもないがそういう気分なのだろう。ロボットらしくないが。

 

 そうして歩っているうちに美夏の様子がおかしくなり始めた。辺りをきょろきょろ見回して落ち着きがない様子。

 気になって聞いてみたが何でもないと言って突っ張り返された。そしてまた落ち着きなくモジモジする美夏。

 まぁ、大方予想はつく。はっきり言って分かりやすい。脇でそんな事されるとかったるいのでオレは言ってやった。



 「小便だろ」

 「な――――」
 
 「そこの曲がり角に公衆便所がある。早く済ませてこいよ」

 「お、おまえ~~~~~!!」

 「デ、デリカシーというものは、ないのかっ!」

 「ガキの頃はあったと思うな」

 「く、くそぉ~・・・・。い、いってくるから待ってろよ、桜内!」



 そう叫んでなるべく振動が伝わらないように小走りで駆けて行った。てかロボットって便意を催すんだな。初めて知った。

 内部は機械構造だから無いと思っていたが――――まぁ、より人間に近く作られたロボットだ、ないわけではないのか。

 そう思って近くのベンチに座り懐からタバコを取りだし、一本火を付けて一服する事にした。少し気分が安らぐのを感じる。



 そして夕日をつまみにしてタバコを吸っていると、見知った顔がこっちの方向に歩ってきた。その顔を見て――――憂鬱になった。 

 何が嬉しいのかニコニコしながらこちらに寄ってくる女――――茜はこのベンチに駆け寄りオレの脇に座った。



  
 「な~にしてるのかな? 義之きゅんは~?」

 「きゅんなんて付けるなよ、きめぇ」

 「あらら~相変わらず口が悪いのねぇ~。そんな所も素敵よぉ~」

 「ナンパするならこんな寂れた場所じゃなくて商店街の真ん中にあるベンチに座った方がいい。お前なら男を引っ掛けられるだろう」 

 「ざ~んねんでしたぁ、私、義之くんにしか興味ありませ~ん」

 「オレもお前みたいな胸もでかくて美人な女に惚れられて嬉しい――――が、変態は勘弁だ」

 「だ、だれが変態よぉ~!」

 「少なくともいきなりディープかます様な女――――変態だとは思うがな」

 「そ、それだけ義之くんが魅力ってことよぉ~」

 「よく不良が好きな女子がいるが・・・そういう女に限って喧嘩のシーンを見て泣きだす口だ。お前も泣きたくなきゃあっち行けよ」

 「てか私一回見てるし~。そんな義之くんも私は受け入れるよぉ~」

 「そんな両手を広げても無駄だ。そうだな――――あの薬局の前にあるカエルの置物、あれなんか抱き心地いいぞ。お前にぴったりだ」

 「ふ~んだ、つめた~い」



 そう言って足をブラブラさせて立ち去る様子がない茜。買い物帰りなのか食材が入った袋をぶら下げていた。

 ほんわかしている様子で軽くお嬢様って雰囲気だから家事は駄目だと思ったがそうではないらしい。まぁ、おつかいなのかもしれないが。

 そしてオレが見ている事に気付いた茜は、こっちを向いてニコッとした笑顔を向けてきた。変態の癖して――――少し可愛いと思ってしまった。

 それが癪で、吸っているタバコの煙を吹きかけてやった。驚いた顔をしてせき込む茜、オレはそれを見て笑ってやった。



 「ぷぷ・・・ざまぁみろ」

 「けほっ、けほっ・・・・んもぉ~本当に意地悪ねぇ! 義之くんは!」

 「お前はMだから喜んでるんだろ? むしろ感謝してほしいぐらいだね」

 「飴がないとそういう関係は成立しないんですぅ~!」

 「飴ねぇ、生憎オレはそんな優しくはねぇよ。分かってんだろ?」

 「そ~れ~で~もぉ! じゃあアレしてよ、アレぇ!」

 「なんだよ?」

 「ん~~~~~~」



 そして唇を突き出してくる茜。思わず桜公園での出来事を思い出してしまう。あの卑猥ながら官能的な感触を。

 性欲が少しばかり湧き上がってしまう。人嫌いなオレでも別に不能って訳ではない。そして相手は特に嫌悪感も湧かない相手。

 変態だがツラはいいし、好きというアピールをこれでもかというぐらいに出してくる。思わず顔が茜の唇に寄ってしまう。

 別にしちまってもいいんじゃないか――――そう思ってしまった。そしてだんだん顔を近づけていって――――



 「いたっ!」

 「ばーか」

 「イタタ・・・なによぉ~! いきなりデコピンするなんてひどいじゃない!」

 「お前と付き合う予定はないと言ったろ。あのままキスしたら調子に乗りそうだからな」

 「とか言って迷ってたくせにぃ~。薄目で見てたもんねぇ~」

 「――――ふん」

 「ん~ふっふっふ~」

 「おい、腕を絡めて来るな。めんどくせぇ」

 「いいじゃんいいじゃん! 減るもんじゃないしぃ~、それにいくら義之くんでも私の魅力には敵わないって事が分かって満足だわぁ。
  ねぇ、してもいいんだよぉ~別にぃ」

 「うるせー痴女、離れろよ」



 そう言っても離れない茜。乱暴に振り払ってもよかったんだが生憎そんな気分ではなかった。適当にしがみつかせたまま放置。
 
 そして二人してぼけーっとする呈になってしまった。思いがけずイチャイチャする様になってしまって―――かったるい事この上ない。

 そしてオレは違和感に気付いた。何か忘れてる様な気がする――――そしてトイレから帰ってくる美夏、オレは天を仰いでしまった。



 「待たせたな! さくら――――」

 「・・・・・・・」

 「ほえ?」



 そう言いかけて固まる美夏。そして黙るオレと場の状況が読みとれないできょろきょろする茜。オレは咄嗟に腕を振り払ってしまった。

 きゃっ、という小さい悲鳴が聞こえるが構わない。なぜだかは知らないが美夏に腕を組んでいるシーンを見られて思わず焦ってしまったオレ。

 その一連の動きを見ていた美夏――――背中を向けて歩き出してしまった。オレはそれを見て慌てて後を追った。



 「おいっ、オレはもう行くわ! じゃあな茜!」

 「あ、ちょ――――」



 茜が何か言いかけたが気にしない。自分でもなぜこんな風に焦っているかは知らない――――はずだ。

 ともかくオレは美夏を追いかける為に走った。時刻はもう17時30分、だんだん夜の帳が下りてきた。




























「おい、美夏。話聞けって」

「・・・・」

「――――ったく」



 あの後、美夏を追いかけたが一足先にバスに乗ってしまい追いつけなかった。そして遅れる事ながらバスに乗り、研究所に着いた。

 最初は水越先生の所に寄り、お目当てのモノを置いてきた。水越先生が何か言いかけようとしていたが無視して美夏の部屋の場所を
教えて貰った。


 何事かと不審気に見られていたが、オレの真面目な態度に折れたのか素直に教えてくれた。そしてなんとか息を切らせながら部屋に着いた。

 そして何回か話し掛けてみたものの返事は返ってこない。これじゃあまるで浮気現場を見られた彼氏だな。実にかったるい。

 だがかったるいばかりも言っていられない。いつもならこのまま帰っちまうんだが――――それは駄目だと思ってしまった。

 だからこういう風に立ち往生してるわけだが――――戦況はあまりよろしくない。面倒な事になった・・・・。



 「・・・・・・桜内」

 「・・・・なんだ」

 「すまないな・・・・なんか迷惑をかけてしまって」

 「気にするな。少しばかり図々しかった――――女と遊んでる時に他の女といちゃつくなんてな」

 「彼女、なんだろ?」

 「あ?」

 「綺麗な女性だったな・・・。すまないな、美夏の方こそ気が利かないなんてな、本当にすまない」

 「――――はぁ~」



 そういう事か、このポンコツロボットが。美夏にどうやら気を使わせてしまったようだ。気にしなくていい事を・・・。

 まぁ、それが美夏の性格だし個性だからしょうがないと思う。図々しい癖に変なところで気を使うからな、こいつは。

 謝るのならむしろオレのほうだ。調子に乗っていちゃいちゃしてたオレが悪い。世間様の誰が見てもそう思うだろう。



 「なんだ、そのため息は」

 「あいつはオレの女じゃねーよ。確かに腕を組まれてはいたが何も関係はない。スキンシップが激しいんだよ、あいつ」

 「・・・デレデレしてたのにか」

 「確かに調子に乗ってオレが悪い。そこは済まないと思っている――――ごめんな」

 「・・・・・」



 そうして美夏は出てきた――――すこし苦笑いをしながら。美夏の様子を見るにちょっと気まずいといった具合だ。

 何もそんな笑顔する事ないのにな、はっきりいって苦笑いなんて似合わない。そう思って頬を抓ってやった。



 「い、いたいっ!」

 「なぁに似合わない顔してるんだよ、お前」

 「いたたたたたっ! は、離せっ!」

 「あいよ、ほら」

 「あー痛かった――――いきなり何をするんだ桜内!」

 「そんなみっともねぇ顔をしているからだ」

 「誰のせいだと――――」

 「オレのせいだな」

 「・・・・いや、違うな、この場合は美夏だ・・・勘違いして勝手に走り出してしまった挙句、お前は追いかけてきてくれた。
  あのかったるい言ってるお前がな――――すまない」



 そう言って軽く頭をさげてきた美夏。いや、オレの方が悪いのになと思う。例えば美夏と歩ってて、トイレから帰ってきたら美夏が
他の男と腕を組んでいたらと思うと――――いい気分ではないしな。


 しかし美夏は撤回する事はないのかまだ頭を下げていた。少し静まる場。こいつ頑固そうだからオレが許すと言うまでこのままだろう。

 さてどうしたもんかと考えて―――ある事を思いついた。これでチャラにしようと考え、話しかけた。



 「だったら仕切り直しだ」

 「・・・え?」

 「明日、オレと遊ぼう」

 「桜内と?」

 「ああ。なんだかんだあったせいで白けちまったからな。いわゆるデートのお誘いってわけだ。了承してくれるか?」

 「で、でーと――――わ、わかった! そこまで言うんだったら、付き合ってもいいぞっ!」

 「はは、ありがとうな」

 「うむ!」



 そう言ってお互い笑い合い、和やかなムードが流れた。たまにはこんな事もあっていいだろう、そう思った。

 最近気を張っててあまりこういう事は無かったし、いい気分転換になると思った。美夏とダベッてるとそういうのが多いと思う。





 その後、少し談笑を楽しんだがそろそろ夜も遅いので帰る事にした。少しばかり名残惜しいがしょうがない。

 美夏と別れを済ませた後、オレは研究室に寄った。明日美夏と遊ぶためにバイトを休もうと思ったからだ。

 バイト二日目にして休暇を出すなんて少し常識外れだと思ったが――――しょうがない、そう思うようにした。

 部屋の扉を開けるとまだ残っていたらしく、イベールと水越先生が居た。帰り支度をしているらしく、なんとか間に合ったようだ。



 「あら桜内くん、用事は済んだのかしら?」 

 「はい――――スミマセン、途中でバイトを抜ける様な真似をしてしまって・・・・」

 「ああ、別にいいわよそれくらい。ぶっちゃけもう何もする事なかったしねぇ~」

 「そう言って頂けると助かります」

 「と・こ・ろ・で~」

 「はい?」

 「美夏と、何かあったの?」

 「は?」

 「それを教えてくれたらこの件はチャラよ」



 そうして水越先生はニヤニヤしながら近づいてきた。あまり相手にしたくはないが―――途中で仕事を放棄したオレが悪い。

 適当な事を並べちまってもいいが――――多分ウソは通じないだろう。水越先生はなんでか知らないが鋭い。

 そんな長い付き合いではないがそれが分かる。水越先生の目――――嘘なんか通じないと言っているような目だ。かったるい事この上ない。。

 オレが勝手にそう思っているだけかもしれないが・・・誠意を見せる意味で話してやろうと思った。もちろん細部までは話す気はない。
 
 最初は面白がって聞いていたが、だんだん顔が真剣になっていき――――最後は呆れた顔をしていた。



 「はぁ~・・・貴方って子は・・・・」

 「重々承知してますよ、オレが悪いって」

 「まぁ、貴方モテそうだからねぇ。雰囲気はワイルドだし頭もよさそうで、そして顔もいい―――美夏の事、あまり泣かせないでね」

 「――――はぁ」

 「そして明日のバイトは休みたいと・・・・」

 「身勝手な事言ってすいません。でも――――」

 「ああ、良いわよ別に。特に明日はする事ないしね、逆に美夏と遊んでやってちょうだい。むしろそのほうが助かるわ。貴方以外人間に
  懐こうとしないから」

 「そうなんですか?」

 「まぁロボットにしてきた私達の仕打ちを考えれば当然ね。私が美夏だったら絶対に許さないと思うし――――まぁ義之くんは例外
  みたいですが~?」
 
 「・・・・・」



 そうしてまたニヤニヤし始める水越先生。オレはからかわれるのは好きではないので踵を返した。反応したら余計にからかわれるからな。

 あらら、と言っているが無視した。そろそろバスの時刻も近い。あまり遅く帰るとさくらさんに心配かけるしな。



 「ああっと、そうだった――――聞きたい事がるんだけど」

 「・・・なんですか?」

 「イベールに何か言った?」

 「何か、とは?」

 「この子ったらコーヒーの淹れ方を得意欄に書きこみたいって聞かないのよ。そんなモノより機械の演算を得意項目に入れなさいって
  言ったんだけどね。それで聞いてみたら、桜内くんにそうした方がいいって言われたって」

 「・・・・・・・」



 オレはイベールを見た。相変わらず無感情・無機質で感情が見えないといった具合だ。しかしあのイベールが言う事聞かない、ね。

 どうやらオレが言った言葉が思った以上に影響を与えたらしい。考えるといった自立行動――――それを実践したようだ。



 「別に――――考えなきゃタダの置物って言っただけですよ。自分で考え、行動しなければガキと同じだって」

 「・・・う~ん、そういうプロテクトは掛けてあるんだけどなぁ。一定の行動しかとれないように」


 「少なからず感情があるんです。感情というのはまだ完壁に解明されていないんですよね? だったらそんな不確定要素を抑え込む
  なんて無理ですよ。理解していないものにプロテクト掛けるなんて大して意味がないでしょ? いつ綻びが出るかなんて分かった
  もんじゃない」


 「人権屋が聞いたら発狂しそうな言葉ねぇ――――イベール」

 「はい」

 「明日得意欄にコーヒーの淹れ方をインプットしてあげるわ。まぁ、演算なんてオートメーションで機械でも出来るし」

 「はい、ありがとうございます、水越博士」



 その様子を見届け、さて帰ろうと思いドアに手を掛ける。その時水越先生と喋っていたイベールがオレに近づいてきた。


 何か言いたそうな様子だったので足を止めて向き直ってやった。イベールから話かけられるのは初めてだな、と思いながら
話を聞いてやる事にした




 「桜内様」

 「ん? なに?」

 「色々ありがとうございました」

 「――――何かした記憶はないけどな」

 「考えるといった行為、今、私はそれがいい事だと感じています」

 「・・・それで」

 「はい、初めての感覚で戸惑っていますが――――悪くない気分です。ですからそれを教えてくれた桜内様にお礼を言いたくて」

 「・・・オレはきっかけを与えただけだ。後は全部アンタが自ら決めたことだ」

 「それでもです。ありがとうございます」



 そう言ってお辞儀をされてしまった。オレにとっては何気ない行動でもイベールにとっては大事な事であったみたいだ。

 とりあえず――――頭をポンポンして撫でてみた。イベールは驚いたみたいが、とりあえずなされるがままといった感じだ。

 後ろの水越先生から「この女たらしが・・・」とか聞こえたが無視した。というかイベールを撫でてるとまるで親父になった気分だ。

 生憎両親の顔は知らないが――――そう思えた。しかしそろそろ本当に時間が間に合わない頃合だ、行くとするか。

 撫でていた手を離す―――と少し名残惜しそうな顔をされた。オレも困ってしまってしばらく見つめあっていたが――――時間も時間だ。

 そしてなんか視線を感じる、と思ってそちらに目をやると水越先生がジーッとその様子を見ていた。慌ててオレは踵を返した。



 「じゃ、じゃあ、そろそろ行きますよ、オレ」

 「あ・・・はい、お気を付けて、桜内様」

 「絶対に~美夏のこと~泣かせるなよ~?」



 とりあえず水越先生の言葉は無視して部屋から出た。ていうか誰が女たらしだっつーんだよ、人嫌いなオレがそんな真似出来るかよ。

 そう思いつつオレはバス停に向かい歩き出した。大体オレが仲いい女なんてそんなにいないって話だ。ロボットを含めたとしても確か・・・



 「――――――――」



 ――――途中で考えるのを止めにした。自分がそんな軽薄な人間だとは思いたくないからだ。いくらオレでもそんな男のクズみたいなのは
嫌だからな・・・・。


 人嫌いを謡っていて、女の知り合いが多いってのはどうかと思う。それも仕方ない事だ、大体オレに近づく男でロクなやつはいない。

 オレに喧嘩を売ってくるやつがほとんどだ、この性格じゃあ当り前なんだがな――――しかし、なんで女の数は増えるんだろうか・・・・。
 
 その内の一人とはディープまでかましている。おまけにキープ扱いみたいなものだし・・・ロクな男じゃないな、オレ。




「女に刺されて死ぬのは嫌だなぁ・・・せめて最後は楽に死にたいぜ・・・」



 
 そんなことを呟きながらバス停に向かい歩き始め――――もう最終便なのだろう最後のバスが来たので、オレは駈け出した。





























[13098] 12話(前編) 暴力描写注意
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/12/06 03:17













 「あーっ! また取れなかったぞっ! 桜内っ!」

 「お前、不器用な」

 「う、うるさいっ!」



 そう言って十回目のチャレンジをするために、また百円をコイン投入口にいれる美夏。多分次も失敗するだろう。

 オレ達は今ゲーセンに来ていた。美夏がどうやらゲーセンに入った事が無いらしく、ずっと物欲しそうに見つめていたんで
オレが誘ってやった。


 子供が初めて遊園地に来たかの様に最初は怖気ついていたが、今見て分かる通りかなりゲーセンにハマってしまっていた。

 最初は格闘ゲームとか色々やっていたが、何を見つけたのか―――美夏がUFOキャッチャーに向かい走り出して今に至る。 

 どうやら気に入ってしまった人形があるらしく、それを取るのにもう千円投入しているが一向に取れる気配が無い。

 こいつはロボットの癖に緻密な計算も何もしないで感覚に頼ってボタンを押していた。後ろではオレが呆れた顔でもうずっと
立っている。




 
 「くっそぉ~! また取り損ねてしまった!」

 「そりゃ考えもなしにやっているからな。ていうか隣のやつでよくね? 随分取りやすそうだぞ」

 「美夏はこれが欲しいのだ! というか桜内! お前も男なら変わってやろうとか思わないのか!?」

 「よく聞く定番だが――――その場合、取り損ねたオレはとんだ間抜けになる。もうちょい頑張れよ」

 「く、くそ~っ!」



 そう言ってまた百円を入れる美夏。しかしこいつもよく諦めないな――――取れる気配が微塵もないのに。

 大体クレーンの取る力が弱体化されているのに力任せみたいな方法で取れるわけがない。それにこいつは感情的な性格なので
すぐ力が入ってしまい、微妙にクレーンが行き過ぎたり等して取れないでいる。


 ロボットが感情的なのはどうかと思うが、傍から見る分には微笑ましくてなによりだ。だがそろそろ変わってやる頃合いだな。

 美夏はあまりの悔しさに涙目になっていた。怒りの感情もだんだん悲しみの色合いを見せてきた。まったく、メンドくさい奴だ。



 「ほら、貸してみろよ」

 「うう・・・すまない・・・」

 「ティッシュで涙ふけよ。かったるい」

 「な、泣いてなんかないぞ!」



 そう言いながらもポケットティッシュから三枚ぐらい一気に引っこ抜いて目を拭っている、本当にかったるい奴だ。

 そして場所を交換したオレはレバーを操作した。自慢じゃないがUFOキャッチャーなんか大してやった事なんか勿論ない。

 柄でも無いし、人形を取って喜ぶような性格でもない。啖呵は切ったはいいが正直少しばかり不安もあった。



 「えーと・・・レバーの弱さがあれぐらいだから・・・・」

 「・・・・・」

 「あんまりプレッシャー掛けるなよ、てめぇ」

 「い、いや・・・そんなつもりではなかったんだが・・・あはは・・・」



 そう言ってまたジッと見詰めてきた。はっきり言ってやりにくいったらありはしないが取りあえず目の前に集中した。

 大体こういう奴は目の力だけでやると取れないもんだ、どうしても下斜め目線でやる体制になるので少しポイントをずらす。

 後ろの美夏からはそこは違うとか言って騒いではいるが――――連続で失敗したヤツの言う事なんか聞くわけがない。

 無視してレバーを動かし―――アームが開いた。我ながら緊張して見守っているとアームが人形を掴んで持ち上げた体制になる。

 このまま後は無事に行けばいいがアームが思ったより力が無く、ぐらぐら揺らいでいる。落ちないでくれよ、と見つめてついに・・・



 「おおーーーー!!」

 「うしっ」

 「やっぱすごいなー桜内はー! 一発で取ったぞっ!」

 「まぁ、なんて事ねーよ。ココだよココ」

 「ぬぬぅ、相変わらず嫌味な奴だ・・・・」



 オレは自分の頭を人差し指で叩く動作をした―――対して悔しさと嬉しさの混ざった顔をする美夏。

 しかし、慌てながらも変な犬の人形と取り口から出してすぐ喜びいっぱいの顔をした。オレとしてもその様子を見て満更な気分ではなかった。

 というかその人形、はっきりいって不細工な人形だった。そこまで喜ぶもんかとも思ったが――――まぁポンコツロボットのセンスだしな。

 
 
 そしてその人形が取れて満足したのか、他の所に行きたいと美夏が言いだした。オレも別に名残り惜しくなかったので、すぐ店を出る事にした。

 辺りは大分溶けたとはいえ、雪がまだまだ残っていた。脇では美夏が楽しそうに雪を踏みしめて喜んでいる、まったく、子供かコイツは。

 次はどこに行こうかなぁと考えていると、後ろから声を掛けられた。美夏が俺よりも一早く反応して挨拶をしている人物―――雪村であった。



 「あら、珍しい組み合わせね」

 「おっすっ! 杏先輩!」

 「おはよう―――それともこんにちわ、かしらね」

 「・・・・・」



 そして親しげに話しだす美夏と雪村、オレは黙ってその様子を見ていた。珍しい組み合わせと言うがオレからすれば
それこそ珍しい組み合わせだと思った。


 美夏と雪村は学年も違うし、部活も同じではない。雪村がどこに所属しているかなんて見当もつかないが、確か美夏はどこにも
所属していなかったはずだ。


 オレの思っている事に気付いたのか――――雪村が美夏との会話に一段落つけて、こっちに振り向き直った。



 「美夏とはある日、たまたま会話した事があってそれからの付き合いね」

 「うむ、美夏があるノートを落としたのをたまたま杏先輩が見て、助言をしてくれたのだっ!」

 「ノート?」

 「ええ、人間の――――」

 「わー! わー! 杏先輩言っては駄目だっ!」



 雪村が内容を言いだそうとした時、なにを焦ったかは分からないが美夏が雪村の口を塞いだ。そしてモゴモゴしている雪村。

 ノート―――ねぇ、こいつの事だからあまりロクなのじゃなさそうだな。ポエム集とか人間の殺し方とかそんな感じだろう。

 そしてやっと離してもらえたのか深呼吸する雪村。ていうかそのまま口押さえてたら窒息していたな、案外鼻呼吸だけじゃまともな
呼吸は出来たもんじゃないからな。


 「ふぅ~・・・まさか可愛がっている後輩から殺されかけるなんてね・・・」

 「す、すまないっ! 杏先輩」

 「まぁ、死ななかったから別にいいけど――――それはともかくして貴方達二人組が一緒に歩いているなんて珍しいわね」

 「うん? そうか? 美夏はそうは思わないが」

 「傍から見ればそう思うのよ。それとも何? もう違和感ないほど一緒の時間共有したってこと?」

 「それは――――」

 「オレもある日コイツと偶々会話してな。それで気が合っちまってデートと洒落こんでいるって訳だ」

 「ちょ、ちょっと待て、桜内っ!」

 「――――ふーん」



 美夏が言いあぐねたのでオレが言ってやった。美夏が焦っているが構いやしない――――事実、傍からみればこれは立派なデートだ。

 楽しそうにゲーセンに行ってUFOキャッチャーをしたり、女の変わりに男が人形を取ってるなんていう風景なんてまさににそうだ。

 しかしオレの言っている事が信用できないのか―――雪村はジーッとこちらを見ている。オレはその視線を適当に受け流した。

 クラスでのオレの雰囲気、暴力事件の噂、極めつけがこの間の喧嘩・・・また更に警戒心を抱かせてしまった。

 そんなロクでもない人間が、美夏というある意味純真な女の子と歩いている――――勘ぐらない方がおかしいってもんだ。



 「ねぇ、美夏」

 「うん? 何だ?」

 「義之に脅されているとか、何かあったの?」

 「ほえ? なんでだ?」

 「何でって・・・・」

 「・・・・・」



 本人の目の前にして言うことではないと思うが、まぁもっともな意見だと言える。オレが第三者だったら間違いなくそう思っているトコだ。

 雪村はオレに警戒している視線を送ってくる――――余程仲がいいのだろう、何かしでかしたら許さないという目だ。

 クリパみたいな互いの間に流れる和やかな雰囲気はもうない。それほど美夏を大事に思っているようだ――――感情の切り替えの早い奴め。
 
 対してオレもそんな視線なんか浴びせられたら気持ちがいいモノではない、逆にその目線を見返してやった。少し場の空気が重くなった。

 お互い目線を外さず見つめ合っていた。当然色っぽいモノであるはずがなく、一触即発的な雰囲気を醸し出していた。

 そんな場の空気が読めないのか――――美夏は、笑いながら雪村に語りかけた。眩しいくらいの笑顔で――――



 「はははっ! そんな心配は御無用だ、杏先輩! 桜内には大変世話になっている!」

 「――――へ? そ、そうなの美夏?」

 「うむっ! さっきもゲーセンで人形も取ってもらったし、その他でも色々頼りにさせてもらっている」

 「へ、へぇー・・・・」

 「この間のクリスマスではこんないいモノまで貰ってしまったしな! 美夏も何かの形で返そうと言っているんだが
  なかなか桜内が頷いてくれなくてな――――」



 そう言って携帯のストラップを見せびらかす美夏。何が嬉しいのか知らんがストラップを振り回している―――千切れるっつーの。

 そういえば、こいつは義理固い性格だから常にお返しするって言って朝からうるさかった。オレは「いらねぇよ」と言って突っぱねたのだが
それでも食い下がってきた。あまりにも五月蠅いから怒るぞと言ってやっと静まったぐらいだ。最後に小声で「その内、恩は返す」と言っていたが
無視した。難儀な性格だ、こいつも。


 雪村は美夏のオレを押し売りするような文句に少したじろいでいた。ていうか気恥ずかしいので腕を引っ張って喋るのを止めさせた。

 美夏が脇で文句は言っているが無視する。まったく、バカップルじゃあるまいに・・・・。そんな様子を雪村はぽけーっと見ていた。

 なんだかかったるくなってきやがった――――そう思ったオレは美夏の手を引いて歩き出した。


 
 「お、おい桜内――――」

 「腹が減っちまったな・・・どっか食いに行くか」

 「え、ちょ、ちょっと待て! だ、だったら杏先輩も――――」 

 「じゃあな、雪村」

 「え、ええ・・・・・」



 そうしてオレ達は歩き出した。後ろから見られている視線が痛いが気にしない事にする。まったくはしゃぎ過ぎなんだよ、このロボットは。

 美夏がぶつくさ呟いているが聞いてないふりをした。大体お前のせいで恥をかいたんだっつーの、まったく。

 とりあえず雪村の視界から外れるまで早歩きをした。そしてちょうど曲がり角があったのでそこを曲がり、ホッと一安心して今度は普通に歩いた。



 
 「なんだなんだ桜内、どうしたんだ?」

 「腹が減ったんだ」

 「だ、だったら杏先輩も一緒でよかったんじゃないか?」

 「言ったろ、人嫌いなんだよオレ。最近はまぁ良くはなってきてはいるみたいだが・・・それでも根元は変わらない」

 「あ、杏先輩もか? 美夏から見るにいい人なんだが――――」

 「いい人だろうが連続殺人犯だろうが―――関係ない。さっきだってちょっとイライラしてたんだぜ、オレ」

 「そ、そうは見えなかったが・・・じゃ、じゃあ、もしかして水越博士もか?」


 「一定の距離を取ってくれるなら構わない。前も言ったが愛情向けてくる相手なんかはもう駄目だ。殴りたくなっちまうんだよ。
  雪村もその類の人種だってだけの話だ」


 「そ、そうだったな――――悪い」

 「別にお前が謝る事じゃない。ただオレがそういう性格をしている事が問題なだけだ――――いつか治るといいけどな」

 「・・・そうだな」

 「まぁお前の人間嫌いも相当なもんだがな。ところで本当に仲がいいんだな、雪村と」


 「うむ、さっきも話していたが美夏が書いてるノートを見て助言してくれたのだ。内容は言えないが、とても参考になる事ばかり
  言ってくれたんだ。それ以来からの付き合いだな、美夏が杏先輩のことを慕うようになったのは」


 「ふ~ん・・・お前にしては珍しい事だ―――どうでもいいけど。ま、さっさと昼飯食おうぜ。本当に腹が減っちまった」

 「どうでもいいってお前――――はぁ~・・・お前は本当にヒドイ奴だよな・・・。まぁ、でもそうだな、そろそろ時間も時間だし。
  適当にどこかに入るとするか」

 「んだな、お前は何が食べたい?」

 「うむぅ・・・そうだな――――――――そうだ! パフェが食べたいぞ、美夏は!」

 「お前、小学生な」

 「う、うるさいっ!」



 そう言い合いしながら適当にファミレスに入る事にした。ファミレスならお互い目的のモノが食べられるだろうしな。

 そういえば――――と手を見る。さっきから手を握りっぱなしだったのを思い出した。すっかりちゃっかり忘れていた。

 手なんか繋いでラブラブデートね・・・オレの柄じゃねぇな、そう思い手を離そうとして――――



 「久しぶりだな~、パフェなんか食べるの!」



 そう言って手をギュっと握ってきやがった。これじゃあ無理に離したんじゃ意識してるのがバレバレだな、カッコ悪い。

 オレは特に意識しない事に決めた。柄ではないが――――悪い気分じゃない、そうも思えたからだ。

 そうしている内に美夏はどんどん歩き始めた。そんなにパフェが楽しみなのか・・・ガキだな、本当に。

 手を繋ぎながら商店街を二人して歩いた。まったく―――本当に柄じゃない。そう思ってオレも手をギュっと握り返した。




























「もうちょっと臨場感欲しいなー、まぁプロじゃないから当り前か」



 あの後ファミレスで食事を終えて、さて次どこに行こうかなと思った時に美夏の携帯の着信音が鳴り響いた。

 どうやら今日は美夏が定期メンテナンスをする日だったらしく、水越先生がそれを忘れていたみたいで急遽呼び出したって話らしい。

 オレも水越先生と話をしたがとにかく謝られた。オレとしては美夏がそのメンテナンスを怠ったばかりに何かあったら気が気ではない
ので別にいいですよと言った。


 まぁ――――大人げないと思うが少しムッとしてしまってはいたが・・・。美夏もどこか不満気だったりした。

 しかし背に腹は変えられないのでしぶしぶ了承した。美夏はすまなさそうに謝ったが別に美夏が悪い訳ではない。

 今度またどこかへ行こうと約束してさっき別れた。まだ時間はあったので少しブラブラしよう、そう思って歩き出した。





 ふと、なにやら騒がしい音が聞こえた。どうやら路地裏から聞こえたようだ、オレは興味本位でそこを覗いてみた。野次馬根性みたいなもんだ。

 見ると女子三人に囲まれた金髪の女―――エリカがいた。様子を見るに絡まれているらしい。まぁ―――目立つからなアイツは。

 女子は恐らくエリカと同い年くらいだと思う。顔が幼いし、かといって小学生でもないといった風だからだ。

 大方出る杭は打たれるといった感じでいちゃもんつけられてるんだろう。エリカは罵声を浴びさせられても何一つ言い返さないでいた。

 どこかおどおどした感じで強張っていた。意外と肝っ玉は小さいらしい、普段強気なだけにそう思う。強がっているだけかもしれないが・・・。

 とりあえず暇だったから成り行きを見守る事にした。オレはタバコに火を付けて適当に座った。気分は演劇を観る客の気分だ。

 そして冒頭の捨て台詞を呟いた。演劇のプロは寝る間も惜しんで銀幕に出る為に練習しているし、まぁしょうがないのだが―――



 「なんとか言えっつーの、マジ調子に乗ってさぁ」

 「貴族だか何だかしらないけどさぁ―――あんまり調子に乗ってるとボコるよ?」

 「・・・・・・・」

 「何と言えよっ! なめてんの!?」



 そういってエリカの襟を掴んだ。首筋が絞られ苦しそうだ、息もあまりできないだろうに。周りはその様子を笑いながら見てた。

 笑い終わって気が済んだのかその女は襟を離した。咳き込みながら膝まづくエリカ、そしてその顔を足蹴りにした。

 小さい悲鳴を上げてエリカが倒れ、次々足蹴りにしていく女子生徒達。オレは欠伸をしてその様子を見守った。



 「ったくさ~どうせ援交でもしてんでしょ~? 金髪なんか珍しいからね~」

 「あはは、そういう顔してるもんねぇ。脂ぎった親父相手に股開いてさぁ」

 「えーやだー、マジきキモくね、それ? でもいっぱいお金貰えそうだよねぇコイツならさ。胸は貧しいけど」

 「・・・・っぐ」



 そういってまた笑いながら足蹴りにしていく女子生徒達。というか確かに胸は無いな、エリカ。まぁその分は美貌にきているからいいけど。

 オレは頷きながらそう思った。その美貌、振る舞い、気品―――どれをとっても一流だしなぁ・・・嫉妬でこんな事されるのは確かに分かる。

 しかし女子のイジメは陰湿だな、怪我が残らない程度に蹴っている。まぁ怪我させるほどの力も無いか―――貧弱っぽいし。



 「あ~あ、そろそろ飽きたなぁ、私」

 「そうだねぇ。あ、そうだ! 帰りどっか寄っていこうよ! コイツの金でさ!」

 「おおーいいねぇ、グッドアイディアじゃん!」

 「という事だから金だしな、アンタ。そんなナリでも貴族のお嬢様なんだし? いっぱいお小遣い貰ってるんでしょ?」

 「・・・・・・・・はい」



 どうやらそろそろ劇も終劇らしい。あんまり面白くなかったな、この見世物。劇の基本の起承転結がなっていない、まるで駄目だ。

 これで金取るっていうんならクレームが来る。これじゃあ銀幕はでれないぞ、お前達。もっとがんばれよなと思わずにはいられない。

 見ればエリカは万札を取りだしていた。女子たちの嬉しい悲鳴が聞こえてくる。まぁ、さぞかし嬉しいだろうだろうな。

 さて―――そろそろオレは立ち去るか、飽きたしな。今日の晩御飯は何を作ろうかなぁと思いながら踵を返した。まだ寒いので鍋料理がいいだろう。 



 「おー! リッチじゃん! さすがお・じょ・う・さ・ま~!」


 「さっすがだね~! あ、そうだ友達になってあげるわよアンタ。でもその分、毎日お金ちょうだいね~!」


 「これしかありませんけど・・・・」


 「まぁ別に許してやるよ。あたしら優しいからねぇ~」


 「うんうん。私達ほど優しい女っていなくてね?」


 「言えてる~! マジ女神って感じ?」


 「これしかありませんけど・・・・・」


 「だから分かったつーの、何回も同じ事言わないでいいよ」


 「ほら、早く寄越せって、このバカ」


 「これしかありませんけど――― 














 ――――貴方達みたいなゲスやろうに、ピタ一文払う金なんてありませんわ。物乞いでもした方がよくなくって? きっとお似合いですわよ?」 














 そう言って笑顔でお金を破くエリカ。紙を千切るいい音が場に響いた。女子たちはその光景を思わず呆けた様子で見ていた。

 しかし次第に状況が掴めてきた女子たち―――顔は真っ赤になっていった。そしてエリカの髪を掴み、地面に押し付けた。

 一人が髪を掴み地面に押しつけて動けなくして、もう一人が腕を取り、その腕の上に足を乗せる女―――腕を踏み折る体制だ。

 




 「いい根性してんじゃん、アンタ」

 「だね~少しばっかり感動しちゃったよ」

 「その感動に免じて―――腕一本で済ませてやるよ、感謝しな」

 「―――くっ!」













 そうして、その女は腕を折るために足に力を入れて―――吹っ飛んだ。もう華麗なぐらいにスポーンと地面をゴロゴロ転がっていった。

 思わずオレは将来サッカー選手になった方がいいのかもと思った。金も稼げるし得意スポーツで汗を垂らすのも悪くないかもしれない。

 しかしその考えはすぐ霧散した。人嫌いなオレが集団スポーツなんか出来やしない。つまりは無駄な才能って事だ、かったるくなる。



 「あ、さ、さく―――――」

 「ああ!? んだよテメ―は!?」

 「いきなり現れて―――カッコイイと思ってんのかよお前っ!」

 「ざ、ざけた真似しやがってっ!!」

 「う~ん・・・・・・」

 

 危なくオレの名前を呼びそうになるエリカ―――が、他の女の声によって絶たれた。オレはその様子を見て内心ホッとした。

 多分――――というか絶対荒事になるしな。ここでオレの名前がバレたんじゃ後々面倒だ、その女が短気な性格でよかった。 


 にしても―――オレは唸ってしまった。こいつら、何かに似てるんだよなぁ・・・・とそんな考え事をしていた。しかしすぐ
に思い浮かばなかった。


 しかしそんなオレの様子を気遣う事もなく、女子達はいきりたっていた。いきなり乱入した男に警戒心を露にする。

 オレはその間も考え事をして・・・・・・思い出した。何かに似てると思ったがようやく合点がいった―――そして目の前の女を指差す。



 「てめぇ、なに人の事を指さして―――」

 「ゴリラ」

 「―――は?」

 「そして隣のお前がチンパンジー」

 「ああ!?」

 「んでもってお前がオラウ―タン」

 「て、てめーっ!!」



 喉に引っ掛かった小骨が取れる感覚―――――要はスッキリしたという感じだ。よかった、思い出せて。明日まで引きずりたくなかったからな。

 というかこいつら、つるんでいるようだが動物園でも開くのだろうか。確かに初音島に動物園は無い、あるのは遊園地だけだ。

 初音島に社会貢献するのはいいことだが―――――放し飼いは良くない。こういう輩がいるからペットを持つ人たちの肩身は狭くなるのだ。



 「こ、こいつ―――――」 



 そう言ってオレが地面に転がした女が殴りかかってきた。とてもじゃないがその姿はお世辞にもキレイとは言えなかった、不格好過ぎる。

 手と足の動きがバラバラだし腰にも力が入っていない―――完璧に素人の動きだ。まぁ喧嘩慣れしてる女なんていないもんなぁ。

 そしてオレはいつも通り―――――その拳を躱して、すれ違い様に思いっきり拳を顔面に叩きこんだ。鼻の骨が折れる小気味のいい音。


 「―――――あぁあああああっっ!!」

 「あーうっせぁな~もう」

 「へぐぅっ」



 五月蠅いから顔を押さえて座り込んでいる女の顔を蹴り上げた。そして変な声をだして倒れこむ女。どうやら失神してしまったらしい。

 とりあえずオレは更に顔を思いっきり踏んで捻りを加えた。ただでさえ鼻から出血がおびただしく出ていたのに、更に血が噴出している。



 「あ、オレのフェラガモの靴が汚れちまったじゃねーか・・・これ結構高かったんだぞ、てめぇ」

 「お、おい・・・やめろよ・・・・」

 「・・・・ヒック・・・っっく・・・・グス」

 


 そして更に顔を蹴った。まったく、初音島で手に入らないから通販で取り寄せたのに・・・大体血は落ちにくいんだよなぁ。

 家にオキシドールあったかなぁと考えていると残りの女に声を掛けられた。しかし、やめろよと言う言葉が気にくわない。

 ヤクザなら殺される言葉使いだ。最近の子は怖いモノ知らずだなぁと思う――――とりあえず、ショック状態で目の前で泣いている女を蹴りあげた。



 「―――――ヒァ」

 「お、おいっ! なんで、いま、蹴ったんだよっ! な、なにもしてねーだろそいつ!?」

 「いや、お前に近づこうとしたんだがな、なんか目の前で泣いててかったるかったから蹴っちまった」

 「かった―――――だ、大体私達は女だぞっ! それをこんな・・・!」

 「う~ん、なんでだろうなぁ。生まれつきこうだからなぁ・・・オレ。やっぱり直したほうがいいよな、この性格」



 そしてまた蹴りあげた女の顔を踏みつぶした。もうここまで靴が汚れたものはしょうがない、どうにでもなれといった感じだ。

 大体女だからって考えが甘い。中南米じゃあそんな考えはない、れっきとした男女平等だからだ。

 家事をするのも。仕事をするのも、育児をするのも、殺し合うのもそんなのは関係ない国だらけだ。日本とは全然違う正しい形だと思う。

 まぁ、そもそもオレはそんな些細な事は気にしない性格だ。チマチマ小さい事を気にしていては器の大きい男には成れない。



 「あとはお前だけか」

 「ヒ、ヒィ―――」   

 「あーっと、待てよ」



 逃げようとしたので後ろ襟を掴んで壁に叩きつけた。一瞬壁に叩きつけられて呼吸が出来なくなる女――――まぁワザとなんだけどな。

 大体ケンカで背中見せるなってーの。逃げる時は、逃げる時でちゃんと方法があるのにな。勉強不足にも程があるわ。



 「ゆ、許して――――」

 「駄目だね」

 「ど、どうしてっ!」

 「家に帰ってママにでも聞いた方がいい。親は偉大だからな、多分納得いく答えが返ってくると思うぞ」

 「――――は」



 そして腹に膝を叩き込む、思わず顔を伏せる相手。その髪を掴んで思いっきり引っ張り、顔を強制的に下に向かせる。

 顔がいい位置にきたので、膝を弓なりに逸らして溜めて、顔を突き上げた。それでその女は失神したのか―――――倒れ込んだ。

 極めつけに頭を踏みつけた。まぁ、大体オレのケンカなんてこんな感じだ。特にオレは怪我もしなかったし、よかったといつも通り安心した。

 ホッとため息をついて脇を見ると、エリカが口をぱくぱくさせていた。まぁ、お嬢様にはきつい光景だったかもしれないな。軽くショック状態になっている。

 目の焦点が合ってないエリカ―――――こういう奴を起こさせるのは簡単だ、更にショックを与えればいい。オレは思いっきり壁を蹴った。

 その音で体がビクッとしてだんだん目の焦点が合ってきたのが目に見えて分かる。さてエリカも無事復活したし――――そろそろ行こうかと思い
エリカの手を握った。





 「さ、さ、桜内、あ、あなた・・・・」

 「ほら、行くぞ。さっさとしろ」

 「あ―――――」   





 強制的にエリカを立たせて、服に着いた埃を払う――――が所々破れていて完璧には綺麗にならなかった。高そうな服なのにと思う。

 そしてとりあえず、あまり人がいない公園に移動する事にした。今のエリカの姿はちょっとアレだしな、人がいたんじゃ気にしてしまう。

 女達の事は放って置くことにした。死にはしないだろうし、善良な一般人が救急車を呼んでくれる筈だ。ぶっちゃけ知った事ではない。

 そう考えながらとりあえずエリカとオレは走った。貴重な午後の時間が取られて、少し憂鬱な気分になりながら、とりあえず公園を目指した。
















 



 



[13098] 12話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/19 00:23








 あの後、公園に着いてからが大変だった。緊張の糸が切れたのかボロボロ泣きだすエリカ――――オレは少し困ってしまった。

 頭を撫でてみるが、余計に安心してしまい泣きだす始末だ。それもさっきの暴力的な光景を見てしまい、怯えながら泣くからタチが悪い。

 根気よくあやすが、なかなか泣き止んでくれない。なんでオレがこんな事―――と思ったりもしたが乗りかかった船なのであやし続けた。




 
 二時間はそうしていたと思う。やっといつも通りな感じにおおよそ戻ってきた。そして言われる罵詈雑言、オレはため息をついた。


 一部始終を見ていたと言ったらなんでもっと早く助けなかったとか、女性をなんだと思っているんだとか、この野蛮人とか、服が破れた
とかそんな感じだ。


 大体コイツが上手くやればオレは出ないで済んだって言うのに―――――我儘な奴だと思う。この跳ねっ返り娘め・・・・・・。




 「ったく、貴方って人は―――――!」

 「またその話か、いい加減うぜーよ」

 「じょ、女性にあんなに大怪我させるなんて・・・考えられませんわっ!」

 「自業自得だ、昔の中国だったら市内を引きずり回されてるよ」

 「こ・こ・は、日本ですのよっ! 本当に、本当に貴方って人は――――!」

 「―――――本当は助けるつもりなんか無かったよ、最後まで」

 「え?」

 「あのまま媚びて終わってればそこまでの人間―――そう思ったからな。事実、踵を返していた」

 「・・・・・・」


 「だが、お前は逆らった―――相手は見るからにお前の事なんてどうでもよさそうに見てたし、血の気も多かった。
  逆らったらどうなるかぐらい分かってたのにな。腕を折られそうになった時のお前――――しょうがないって顔をしていた」

 
 「・・・そうですわね」

 「だから助けた。お前みたいな人間にあんなツマラナイ事で怪我なんかしてほしくねーし、第一に貴族のお嬢様だ――――本当の意味でのな」

 「・・・・・・・」

 「確かにやりすぎた感はあるが――――貴族の娘に手出したんだ、普通なら死刑もんだろ? お前の国なら」

 「そ、それは、そうですけど」

 「なら問題なし。そう考えれば安く済んだ方だ――――さて、じゃあ行くぞ」

 「え、ど、どこに?」

 「ん? 服屋」



 そう言ってオレはエリカの手を引いた。慌てて座っていたベンチから立ち上がるエリカ、顔は混乱しているといった風だ。

 しかしオレは構わず歩き出す――――エリカは渋々といった感じだ。まぁ服がボロボロなんで恥ずかしいんだろう。

 そしてオレは初音島でもあんまり人が来ない服屋に来ていた。1日に10人客が来れば繁盛といった具合の店だ。

 それもその筈――――最近出来たばかりのブランド店だからな、初音島の連中はまず来ないし来れる筈もない。 

 エリカはその店構えを見て――――固まってしまった。てかこいつお姫様なんだから慣れてるだろうに・・・・。

 店に入ると店員はオレ達を見て少し眉をひそめた。当然だ、見た目はガキのカップルだしおまけに女性は服が所々破れている。

 だがオレはそんな事を気にする性格ではない――――エリカはかなりキョドってはいたが・・・・。




 「さ、さ、さ、桜内? な、なんですのここは?」

 「服屋だべ」

 「ね、値段の、ぜ、ぜろが一つ多いような気がするんですが・・・?」

 「まぁ、ブランド店だしな。輸入税がついてちょっとばかし高いがな」

 「――――はぁ~~~・・・無理ですわよ・・・買えません・・・私、お札を破いてしまいましたし・・・」

 「罰当たりめ」

 「そういうことですの。だから買うなら他の店に―――」

 「買ってやるよ」

 「―――――え?」

 「この女性用のシャツなんかいいんじゃないか? モードっぽくて高級感あるなぁ・・・うわ、ゼロが何個ついてんだよ・・・」

 「ちょ、ちょっと!」

 「あ?」 

 「あ、あなたねぇ・・・! き、気軽に買える値段じゃなくてよっ!?」

 「大丈夫、いいバイトがあってかなり儲けてるし、カードもある。気にすんな」

 「な、なんでそこまでしてもらわなくちゃ――――」

 「お前に惚れちまったからだよ」




 そう言う―――とエリカは固まってしまった。オレは気にせず服を物色し続けた。エリカの為に来たのだが、内心オレはテンションが上がっていた。

 こんな店になんかなかなか来れないし、金にも余裕がないからだ。バイトをしているおかげでそれなりに今は金を持っているが貯金しようと思ってたしな。

 それにオシャレするってのも嫌いじゃない、むしろ好きな方だ。だからこういう店に来ちまうと楽しくてしょうがない。まぁ、買えないけどな。




 「・・・・・・って、え!? それってどういう――――!」


 「啖呵を切ったお前がすげぇカッコよく見えた。その瞬間――――お前に一目惚れしちまった。見惚れたね。
  初めてだよ、そんな事。そしてお前にどうせ服を買ってやるなら上等なモノを着せたかった、それが理由だ」  




 正直金を出して終わりだと思っていた。あの状況ではそれ以外ありえないと思ったし、だからオレも帰ろうと思っていた。

 しかしとりあえず最後まで見てやるかと思って見ていたら例のシーンが繰り広げられていたって訳だ、正直驚いて―――呆けた。

 その時のエリカは本当に――――本当に貴族に見えたからだ。今のイギリスの紳士とかセレブではなく、本当の貴族。

 オレには持っていない誇りを持ち合わせ、オレには持っていない気品を持ち合わせたエリカ―――心を奪われた。

 今まで犬扱いしていたオレが愚か者みたいにも思え、騎士ではないが―――あの人を守らなければと思い、気付いたら駆けていた。




 「あのシーンはマジで最高だった。今まで色々な女を見てきたが、お前みたいなのはいなかった。ハッキリ言って、反則だなアレは。
  人嫌いのオレをこんな気持ちにさせる程の魅力があるし、オレもそれが悪い気分とは思っていない。むしろいい気分だ、笑えるよな?
  こんな高い服買ってやろうとしてるってのに―――やっぱり最高の女だよ、おまえ」


 「~~~~~~~~ッ」

 



 そう言ったらエリカは顔を赤くしてしまい俯いた。だからこいつは人に褒められ慣れていないのかよ、世の中の男は本当に腰抜けだな、まったく。

 こんな女世界中探したってなかなか見つからないってーのに・・・そこらへんのブスと付き合っている男の気持ちが分からん。

 そう思いながら服を選んでいるが、エリカはもじもじして服を見ていなかった。だから何でもいいから気に入った服を出せと言ってやった。



 「で、でも―――」



 「男が買うって言ってるんだ、こんな時は女は黙って買ってもらうべきだと思うな。それともなにか? お前はそんなにオレの事嫌いなのか?
  恥をかかせたいのか? 頼むから何か選んでくれ、そうしないとオレの気がすまないんだ」



 「―――わ、分かりましたわっ! ここは貴方の男を立てます! だ、男性の方にこういった形で屈辱を味わせるのは私も本意じゃありませんし・・・」


 「それでいいんだよ。んで、気に入ったヤツはどういう服なんだ?」
 



 そうしてエリカは渋々服を手に取った――――1番安い服を。だから頭を引っぱ叩いてやった。何遠慮してんだよ、このツンデレ外人は。


 涙目で訴えてきてやったが無視した。しょうがないのでこの店でもまぁまぁな値段がする服とパンツを手に取った。金が足りないかもしれないが
こうなったら借金してでも買ってやる。


 エリカが慌ててオレの手を引っ張るが振り払った、そして会計の前に立つ。店員は本当に払えるのかよという目をしたが
黙って合計金額が出るのを待った。 


 そして表示される金額――――多分しばらくタバコは吸えなくなるだろうという金額。エリカがその表示金額を見てオレの背中をしきりに引っ張るが
無視してカードを出した。ていうか引っ張んな、伸びるから。



 そして商品を受け取り、店員の許可を取りエリカを着替えさせる。エリカはもう観念したのか―――黙って試着室に入り着替えた。

 試着室に入ったのを見て、オレは考えた。バイトの日数増やして金貰えないかなぁ・・・でも普通のバイトじゃないし固定給なのかも、と。

 そうしている内に着替え終えたのか、エリカが出てきた。その姿を見て―――オレと店員は固まってしまった。  




 「ど、どうかしら・・・? に、似合うかしら・・・?」

 「・・・・・」

 「・・・・・」



 オレが買ったのは感じのいい女性用のドレスシャツだった。パッと見て、エリカなら合いそうだと思いその服をチョイスしたって訳だ。

 なかなかドレスシャツを着こなせる女ってのもいないが、エリカなら映えそうなそうな気がして購入した。まぁ貴族の娘っ子だしというのもあるが。


 エリカの姿はハッキリ言って似合いすぎてた。普通マヌケに見えるようなフリルも完璧に雰囲気に似合ってたし、一緒に購入したブーツカットのパンツ
も似合っていた。


 例えて言うなら、お嬢様が軽く下の町をお散歩しに来たという風だった。普通に売れているモデルだと言われても信じてしまうような外見、ヒールが更に
大人っぽさを演出させた。



 金髪に美貌にモードの高級感―――払った金以上のモノが手に入った感覚だ。さっきまで惜しかった金が惜しくなくなり、逆に安いと思えるような出で立ちだ。

 オレ達の様子を見て、エリカが不安そうな顔をした。そうだな―――――こういう時に男が言うセリフは決まっている。



 「ちょ、ちょっと! 黙らないで―――」

 「キレイだよ、エリカ。モデルみたいだ」

 「・・・・・え?」

 「キレイという言葉じゃ、陳腐だな―――――とても美しいよ。店員さんもそう思いますよね?」

 「ええ、とてもお似合いですお客様! こんな島でこれほどの人がいるとは思いませんでしたっ! いやぁ~本島から来てよかった!」

 「え、ちょ、ちょっと・・・や・・・やだ・・・・」



 こんな島で悪かったな、てめぇこんにゃろ。オレ達二人がそういうと恥ずかしがってしまい、顔を俯いてしまった。

 そんな仕草さえとても映えている風で、オレと店員は二人してため息をついてしまった。これは本当に思った以上だ。

 そしてこちらを窺うようなエリカの目と視線が交差した。エリカが照れくさそうに笑い、それに対して、オレも心から笑みを出した。


























 

 「おい、くっつくな、足が当たってまともに歩けねぇ」

 「べ、別にいいでしょっ! 黙って歩きなさいな!」



 あの後オレ達は店を出ようとしたが、店員に止められた。何の用かと思ったが感激のあまり服をプレゼントしたいと言いだしてきた。

 くれるっていうことならオレはおいしいと思ったので快く引き受けた。エリカはそんな悪いですとか言いながらお辞儀をしていたが・・・。

 その殊勝な態度に更に感激したらしく是非という事なのでエリカも渋々引き受けた。そして持ってきたものにオレは驚いた。

 持ってきたものはベストとコートだけっていうものでも驚きなのに、その店員はよりによって新作を持って来やがった。

 オレはアウトレット的な売れ残り商品かと思っていたので思わず声を出して驚いた。ブランドの新作をプレゼント――――イカレてると思った。

 はっきり言って何か裏があるんじゃないかと思ったが、その店員の目はキラキラしていて子供みたいなはしゃぎっぷりだった。

 多分エリカに惚れこんでしまったんだろう、コートとベストをどうかタダでいいから着てみてくださいと言って聞かなかった。

 そして服を着たエリカ――――もうモデル顔負けといった感じの出で立ちだ。ハリウッド女優だと言われたら信じてしまう美貌だ。


 とりあえずそれから店を出て、先の事もあったので送る事にした。店員はわざわざお見送りまでしてくれて。その笑顔がすごく輝いてたのを見て
思わずオレ達は苦笑いをしてしまった。


 夜も近づいてきたなと思いながら歩っていると腕を組まれる感覚―――――エリカがオレの腕に自分の腕を絡めてきた。


 顔を見るとツーンと澄ましているエリカ。それが癪だからもうこれでもかというぐらい褒め倒した。綺麗、美しい、可愛いという
言葉を何度も使って思いつくだけ口説き文句を言った。


 途端に顔を真っ赤にして俯いたのを見て、オレは笑った。その声を聞いてエリカはハッと顔を上げてオレの顔をポカーンと見詰めた。

 ようやくエリカは自分がからかわれた事に気付き、目を剥いて怒りそして――――組んでいる腕に力を込めた、もう離さないとばかりに。

   

 「バカップルみたいで嫌なんだよ、こーゆーの」

 「ばかっぷる? 何かしらそれ」

 「余りにもお互い好きすぎてイチャイチャする様を言うんだ。オレはそういうのがあんまり好きじゃねーんだよ」

 「・・・・・・・なんだ、いい事じゃない」

 「んあ?」

 「――――何でも無いわ」 



 そう言って歩きだすエリカ、つられるオレ。かったるい展開になってきたが別に嫌な気分ではなかったし放っておいた。


 そしてしばらく無言で歩き、とうとうエリカが住んでいるマンションに着いた。意外にも質素なマンションなので拍子抜けした。
もっと大都会にあるマンションだと思っていた。まぁ初音島にそんなマンションがあるなんて聞いたこと無いが。




 「じゃあな、ゆっくり体を休めろよ」

 「・・・・・」

 「ってお前、腕を離せって――――」

 「・・・・・上がって行きなさいよ」

 「あ?」

 「―――――! だ、だから上がって行きなさいって言ってるのっ! 貴方、本当は聞こえてるんでしょ!?」

 「だーっ! うっせーよ、お前っ! ていうかなんでよ」


 「お、お礼の意味も兼ねてよっ! 貴方には何だかんだいって助けてもらったし、それにこんな高い服まで買って貰ったんだから
  当り前でしょ!? それともなに、女の私が誘ってるのに恥をかかせる気っ!?」


 「いや、別にそういうつもりじゃないけどよ・・・」

 「だったら素直に来なさいなっ!」

 「お、おい」



 そう言って腕を無理矢理引っ張られて部屋に案内された。まぁ別に遅く帰らなければいいし、と思ってとりあえずなされるがままに着いて行った。

 そして部屋に着き、おじゃましまぁすと言ってあがらさせて貰う。部屋の中は案外簡素な部屋でお嬢様らしくはないが―――エリカらしいと思った。

 お茶を持ってくると言って台所に立つエリカ。その後ろ姿を見て、オレは思わず唸ってしまった。



 「・・・へぇー」

 「うん? 何よ?」

 「いや、案外台所が似合うと思ってな、実にいい感じだ」

 「――――ッ! べ、別に女性なら当り前ですわっ! それに私だって料理ぐらい作れますの、似合うのは当り前ですわ」

 「最近の女は料理が作れない上に、台所が似合わない女ばっかりだ」

 「そ、そうなんですの?」


 「昔は女は料理、作法は出来て当たり前だったし、出来なきゃ嫁ぐ事も出来ない。嫁ぐ事が出来ないって事はその一族は終わりって事だ。
  だから当時は死活問題だな。他国と交流して文明を取り入れるのはいいが――――悪い所も真似するのが日本の特徴だな、女性社会と
  いう意味を履き違えている。おかげで料理が出来ない女ばかりだ」


 「へぇー、難儀な国ですわね」

 「色々特殊な国だからな。魚を生で食うのも他国から見たら信じられないらしいし」

 「私は別に普通ですわよ、寿司でしたっけ? あれはなかなか美味で美味しかったですわね」


 「ん? どこの国なんだお前? 顔つきはヨーロッパの方だけど、もしかしてイタリアか? 
  あそこの国ならそういう食文化もあったな。もしくはその周辺とか」


 「へ? いや・・・その・・・・あの・・・・」

 「イタリアなら納得できるけど・・・アメリカでもそういう顔つきはいるし・・・う~ん」

 「い、いいでしょ! どこだってっ! ほら、お茶が出来ましたわっ!」

 「あ――――」



 そう言ってオレの前にお茶を置いた。律儀な事に日本茶で、特に外国人らしい間違いは起こしていないみたいで普通に美味そうなお茶だ。

 エリカはお茶を置いた後、またオレの腕を組んできた。何が嬉しいのか知らんが、すごく機嫌がいい顔をしていた。

 もちろんかったるいので腕を振り払おうとして、エリカと目があった。そして照れくさそうに笑って――――頭を預けてきた。

 オレはというと・・・・・結局腕は払えないでいた。そんなエリカの様子がいじらしいと思えてしまったからだ。



 「・・・お前も変わった奴だよな」

 「え? どうしてですの?」

 「あれだけのケンカをしたオレにこんなに甘えるなんてな。普通だったら出来るだけ近づいてこない」

 「べ、別に甘えてなんかいませんけど・・・そうですわね、私も不思議ですわ」

 「こんな女でも平気で顔面殴れる男なんて正気じゃないと思うけどね、オレ」

 「――――確かに怖いとは思いますわ。け、けど、私を助ける為に殴ったんでしょ? だ、だったらお礼はするのなら話は分かります!」


 「前にも知り合いに言ったが―――異常者だぜ? 女の顔を殴った後に踏みつけるのなんて。お前ならそのへん
  の事に対して嫌悪感を持つと思うが」


 「・・・・・確かにむごい仕打ちだったと思いますけど、だからといって桜内を嫌う話とは別ですわ」

 「なんで」


 
「―――すごい身勝手な話ですけど・・・桜内が来てくれた時すごく嬉しかった、ああ―――やっぱり来てくれたんだと思いましたわ。
もうその思いでいっぱいになってしまって、正直あの子達にした仕打ちはどうでも思ってますの・・・・はは・・・・ひどい人間ですわ
よね、私。あれだけ正義を謡っていながら、心は嬉しくてしょうがないなんて」



 「―――――でもお前を見離そうとした、オレは」


 「―――――でも見離さなかった、桜内は」


 「・・・・・・・・」


 「桜内は他の人とは違い、確かに残酷な一面を持っているとは思います――――しかし、優しい一面も持っていると思いますわ」


 「はぁ~~~~・・・オレが優しいかよ」


 「――――ええ」



 本当に世間知らずな女の子だな――――エリカお嬢様は。多分悪い奴に騙されるな、こういうタイプは。1万円賭けてもいい。

 昔のマンガか何かで不良に恋するお嬢様という展開があったが・・・まさかとは思うがコイツもそんな口なのだろうか。

 親御さんが聞いたら卒倒するな、ソレだったら。まぁこいつも世間知らずな所があるし、たまたま近くにいたオレに甘えたくなるのも分かる。

 腕を見ればさっきより力が込められている腕――――それを見ながら内心ため息をつき、飲みにくそうにお茶を飲んだ。






















 もう時間も時間なのでオレは帰ると言った。しかしエリカはオレが帰ると言った途端、料理を作れと言った。

 だが、いつまでも長居をしてしまうわけにはいかないので、無視して立ちあがって玄関のドアまで歩いた。

 ドアを開けようとした時に後ろからエリカが呼びとめたので、かったるいながらも振り返ったら―――涙目になっていた。

 もう捨てられた犬みたいな目、オレはため息をつきながら料理を作ると言った。途端に笑顔になるエリカ、その様子を見て
なんだかんだいってしょうがないと思うオレもオレだ。




 「うわぁ・・・・」

 「んだよ」

 「貴方・・・料理すごくうまいのね・・・」

 「一人暮らしをしたいからな――――もっとも、誰かさんが邪魔しなければもっと作れたんだが?」

 「う、うるさいわね」



 米を洗剤で洗いだした時は思わずケツを蹴ってやった。お前は本当に期待を外さないな、と皮肉を言って台所から追い出した。

 一緒に料理をつくりたいのにとブツブツ文句を言っていたが無視をした。それがカチンと来たのか怒った様子で台所に来て肉を焼き始めた。

 焼き物なら大丈夫だろうと思ったオレ――――甘かった、強火で裏返さないままずっと焼いていたので食べられる代物ではなくなった。

 多分本当は料理は作れるのだろう、手際はよかった。だが、なぜだか知らないがポーッとしていた様子で、終始使い物にならない始末だった。

 冒頭のセリフの後の洗い物をしている時も皿を何枚か割り、慌てて拾うとするも肘が積み重なった皿に当たりまた割るといった感じでオレは頭が痛くなった。






 


















 「・・・・・」

 「・・・・・」



 そして今度こそ帰ると言ったら、エリカはとんでもない事を言いだした。泊っていけ、そう言うのだ。勿論オレは拒否した。

 さくらさんが家で心配している可能性もあるからだ、それにかったるい。早く家に帰って寝たい気分でいっぱいだった。

 しかしエリカはオレの腕を掴んだまま離さないでいた。離せといってもイヤイヤするように顔を振るばかり――――オレは困ってしまった。

 どうもあの一件があってから少し臆病になったらしく、一人はこわいと言いだした。オレはあの時の様子を思い出した。

 威勢のいい啖呵をきっていたが、多分―――強がりだったんだろう、実際に本当に怖がって怯えていた目をしていた。

 オレが見るにコイツは本当は気の小さい人間だ。だが環境のせいもあるだろう、今思い返せばいつも虚勢を張っていたように思える。

 俯いたまま体を震わせるエリカを見て――――しょうがない、またそう思ってしまった。普段のオレならこんなことを言う筈がない。

 しかしあの時のエリカの姿に心を奪われたオレはエリカに対して少し甘くなってしまった。甘過ぎてイカレてるのかと思うほどに。

 泊るよと言った瞬間、エリカはさっきの様子が嘘かのようにはしゃいだ。オレはそれをみてしょうがないと思いながらも悪い気はしないでいた




 とりあえずさくらさんに電話をして今夜は友達の家に泊まると言った。最初は「えー寂しいよぉ~」とか言っていたがなんとか納得してもらった。

 そして風呂を貸してもらって、さて寝るかという時に問題が発生してしまった。なんとベットが一つしかない事実が判明した。

 オレは床で寝ると言ったがエリカに断固拒否されてしまい、一緒に寝ると言いだした。断ろうとするとまた涙目になって泣きだす始末。

 そんな様子を見てオレはかったるいと思いながらも―――了承した。どうやらエリカのそんな姿にオレは弱いらしい。 

 そういう事態が立て続けにあり、今こうして腕を組まれながら一緒に寝てるというかったるい事態になってしまった。




 「・・・ねぇ、起きてる?」

 「ああ」

 「今日は・・・本当にありがとうね」

 「別に大したことじゃない。ただケンカの弱い女を殴り倒しただけだ。自慢にもなりゃしない」

 「・・・・・・」

 「聞いていいか?」

 「――――なに?」

 「なんでオレにひっつくんだ。この際だからはっきり言うがオレはロクな人間じゃない。お前なら相応しい相手が見つかるはずだ」

 「・・・・・・・・どういう、意味?」

 「他に好きな男を探せって意味だ」

 「――――――――ッ!」



 エリカの様子を見ていて分かった。コイツはオレの事が好きだ。はっきり言うと好きという感情ではなくて『依存』に近いと思う。

 遠い異国の地でただ一人こんなマンションに住んでいる――――俺よりも年下の女がだ。そして性格も気が小さいというおまけ付き。

 極めつけにあんな暴行されて腕も折られそうになった。そんな心がガタガタの時にオレが助けた、ヒーローみたいに――――

 前からは少なからず好意を持たれていたと思う。それがあの件で、その気持ちがかなり大きくなってしまったのだろう。

 こちらを見る目、腕をしきりに組みたがる行為、雰囲気、そして笑顔をよくみせるエリカ、とても分かり過ぎた。 

 が、なんにしても・・・・・こいつは貴族だ。二人一緒に仲良く付き合う―――夢物語だ。




 「・・・・・・・いやよ」


 「駄目だ」


 「わ、私ね・・・桜内が来てくれた時・・・本当に嬉しかった・・・それこそヒーローみたいに――――」


 「ヒーローは無抵抗な女を殴り倒したりはしない」


 「さ、桜内とね・・・・もし、付き合えたら、私は――――」


 「お前は貴族だ。そしてオレは庶民でごみクズの男。釣り合わない」


 「あ、あとね・・・・それでね・・・下校時間に、一緒に帰ったりしてね・・・それで――――」


 「その隣の男はオレではないな。諦めた方がいい」




 「―――――――――――――――ぜったいに、いや」




 「聞きわけろ」


 「――――ッ! 絶対に、嫌ぁっ!!」



 そう言って泣きながら俺を抱きしめてきた。背中にするどい痛みが走る、どうやら爪をたてられているようだ。痛みで顔が少し歪んだ。


 涙をポロポロ流しながら頭をオレの胸にこすりつけるエリカ。そんな姿をみて――――少し心が痛んだ。


 だがオレはある気持ちを胸に秘めていた。この気持ちは間違いではないと思う。前々から気付いていた自分の想い―――

 






 美夏







 思えば多分、桜の木の下で踊るアイツを見てからはオレの心は奪われていたと思う。あまりに幻想的で、美しい様だった。

 ロボットの癖に感情的になるところ、負けず嫌いな所、嬉しそうな笑顔、全部、魅力的に映る。

 そして口では言えない何かシンパシー的なモノを感じ、オレは美夏といるのが心地よく、その時だけ優しくなれたと思う。

 このままずっと一緒に居ればオレは変わるかもしれない、そう思った。普段のオレなら突っぱねる所だが―――美夏となら悪くないと思った。

 ロボットだろうがそんな事は構いやしないし、知った事ではない。いつかは美夏の正体がばれるかも知れないが、そんな事で手を離したりしない自信がある。

 美夏もオレの事が好きなんだと思う。うまくは言えないが・・・何か心が通じ合っているような感じ、ウソだとは思いたくない。

 どちらにしたってオレの気持ちは変わらない。好きという気持ちには絶対の自信があった。だから今度会った時にでもその気持ちを打ち明けようかなとも
思っていた。





 自信があった―――そう思っていた、だが今ではそんな自信も揺らいでしまっている。エリカ―――彼女の事もオレは好きになってしまっていた。

 美しい容姿、誇り高くて気品のある雰囲気、でも本当は心が弱い女の子・・・美夏しかいなかった心に、その存在は入りこんできた。

 犬同然の扱いだったし特に思わなかった相手、なのに今この瞬間でも大事にしたいと思っていた。笑って欲しいと思っていた。

 きっかけは路地裏の件。エリカが集団相手に啖呵を切った姿―――誇りと気品が溢れだしていた。絶対に心は折れないという顔をしていた。

 冗談っぽくオレは一目惚れと言っていたが―――本当だった。さっきまでオレは美夏の存在を忘れていた、あんなに愛おしく思っていた相手なのにだ。

 簡単に忘れてしまっていた。エリカと一緒にいる事が楽しすぎて美夏の事なんて微塵にも考えなかった。罪悪感がオレの心に圧し掛かった―――



 








 だからさっきエリカに声を掛けられるまでに決断を下した。このままじゃどっちも傷付ける事は明白だった・・・そしてオレは選んだ。

 
 当然ながら美夏と一緒にいることを――――二人を天秤にかけて選んだ。すごく残酷な事をしていると思うが、美夏と積み上げた時間を嘘にしたくなかった。


 これからも築きあげていきたいと思うし、それを終わらせるつもりはなかった―――一死ぬまで築きあげると決心をした。
 

 だがオレは―――抱きついているエリカを振りほどく事が出来ないでいた。泣きながら必死に抱きついているエリカになされるがままになっていた。


 エリカにはヒドイ事をしたと思う。思わせぶりな行動ばかり取って、今日だって服なんか買ってやってしまった。


 偽善者――――そう本当に思う、エリカの弱い心に付け込む形になってしまった。前々から美夏の事は好きだと感じていたばかりに余計にそう思う。


 さっさといつも通りに手を振り払えば済む話・・・だが出来ないでいる。二人とも好きになってしまったオレ―――クズ野郎だった。


 美夏を選んだ今この瞬間でもエリカの事は好きだった。泣いているエリカなんてほっとけないし笑って欲しいとも思っている。



 今こうしてエリカの頭をさすっているオレ――――正真正銘の屑だ。まだ、どっちつかずの態度を取っている。



 その態度が更にエリカを傷付ける行為だと知っているのに、やめられないでいた。本当の意味でオレは人を傷付けている愚か者だった。



 しかしここらで区切りをつけないと駄目だ――――――そう思って立ちあがる。ここから立ち去った方がエリカは傷付かない。そう思ったからだ。


 

 



 「・・・・ヒック・・・グス・・・・・うう」


 「オレ、もう帰るよ。ごめんな、色々思わせぶりな態度とっちまって・・・・」


 「――――――――ッ! や、やだっ! 帰らないでよっ! 桜内!」


 「だが・・・」


 「じゃ、じゃあっ! 今夜だけっ! 今夜だけでいいから一緒に居て! ね!?」


 

 
 そう言って立ちあがったオレの手を掴むエリカ、体の震えが伝わってくる。絶対に行かせないという気持ちがその手から感じられる。
 

 今夜だけ――――嘘だと分かった。口からでまかせを言っているのが雰囲気で分かる。まだオレの事が諦めない目でいた。


 もし、ここでオレが頷きでもしたら今後一切――――――オレはエリカを拒否する事が出来なくなるだろう、そう確信している。


 その証拠に、今もいつも通りに手を振り払えばいいのに出来ないでいる、美夏の方を選んだというのに――――このザマだ。


 そんな行為がエリカに希望を持たせてしまっているのに、オレは何も出来ないでいた。ただただ立っている事しかできないでいる。


 この瞬間に突っ張らなければ絶対に不幸になる。エリカもオレも・・・美夏も。それだけは避けなくてはいけない。オレはどうだっていいが
二人は駄目だ、そんなの事はあってはならない。
 





 「お・・・ね・・がい、ねぇ・・・・よしゆきぃ・・・・」





 涙で顔をくしゃくしゃにしながら、『初めて』オレの名前を呟くエリカ。オレはそんな様子のエリカを見て――――知らずの内に呟いていた 






 








 


















 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今夜だけだぞ」









 ――――――――――――――バカ野郎。



 その言葉を聞いたエリカが笑顔になり、オレの胸に、顔を更に埋めてきた。もう嬉しくてしょうがないという風に。 
 
 そしてその様子をみて笑うオレ―――死にたくなった。だがもう時間は戻らない。オレは自分で自分の首を締めるだけではなく、他の二人の首も締めてしまった。

 エリカが嬉しそうにオレの腕を引っ張って、ベッドに誘う。オレはあいまいな笑顔で着いていき、エリカとその晩を過ごしてしまった。




 もうやっちまったもんはしょうがない、これから先どうかなるか分からないが・・・出来るだけの事はしよう、誰も傷付かないように―――――


 この時はそう思う事で思考を前に押し出した。実際にそうだし、それ以外の方法はなかった。なるようになるしかない、それしか思えなかった。

 

 


 だが後々に、この言葉を吐いたオレを本気で殺したくなるような事が起きる。しかしそんな事は露知らず、今はエリカと一緒に眠り、ささやかな
幸せを感じていた―――心に美夏の存在を感じながら・・・・・。


















[13098] 13話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/18 02:03



 「あ、弟くーんっ!」
 
 「あ?」



 振り返ると音姉がこちらに向かって走ってきた。何を焦っているのか知らないが息を弾ませながら駆けよってくる。

 そしてオレの傍に到着すると爽やかな笑顔をオレに向けてきた。手元には買い物袋があるので、どうやら買い物帰りらしい。

 なぜこんなにも機嫌よくオレに話しかけてくるのが分からなかったが、すぐクリスマスの事を思い出した。

 音姉と由夢にあげたプレゼント―――かったるくなる要因を増やしていたことにオレは少し頭を痛めた。




 「んだよ」

 「え、あ、た、たまたま後ろ姿発見しちゃってね・・・あはは・・・」

 「・・・オレ行くわ。少し寝不足なんだよ」

 「え? どうして?」

 「友達の家で遊んでて、恋話で盛り上がった。あまりにも盛り上がり過ぎて一睡もしてないんだ」

 「そうか~。弟くんもそんな歳頃かぁ~うんうん」

 「・・・・・」

 「あ、待ってよぉ~」




 昨晩は一睡も出来なかった。最初はエリカが一生懸命に話かけてきて、オレはその言葉に相槌をうつ時間が流れていた。

 しかし色々疲れた事がたくさんあったせいか、エリカはすぐ寝息を立てながら寝てしまった。そしてオレは一晩中考えていた。

 これから先どうするか―――考えなければいけなかった。もちろん美夏に対しての気持ちは変わっていない、好きのままだ。

 問題はそれではない、一番のやっかいな問題がまだ残っていた。それは―――エリカに対するオレの気持ちだ。





 あの時に帰れればこんな事は気にしないで済んだ。要は気持ちの問題だと思う、エリカを振り切って立ち去っていれば心のケジメが
つけられたと感じていた。  


 だがつけられなかった・・・ケジメを。エリカが好きという気持ち―――憎たらしかった、こんな気持ちさえなければこんなにも悩まずに
済んだというのに。


 でも好きになってしまったオレ、がんじがらめだ。もうエリカを完璧に突き放す事が出来ないでいた。優しくしてしまうオレがいた。

 エリカがオレの事を嫌いになればいいなとも思った、希望的観測―――反吐が出そうだった。全部他人任せにしようとしていた。

 そしてエリカに嫌われた事を思うと、心が痛くなる・・・オレは果てしなくどうしようもない人間だった。





 
 今日の朝に帰る時も大変だった。またエリカがぐずってしまい、あやすのに時間が掛かってしまった。もう時間は朝の九時を回っていた。

 とりあえずまた遊びに来るという約束を取り付けられて解放された。断る―――そんな選択肢はもう選べないでいる。

 玄関まででいいよとオレは言ったんだが、マンション前まで来てオレの見送りをすると言って聞かないエリカ―――とてもいじらしかった。

 そして、帰るオレに対して無理に笑顔を浮かべるエリカを見てオレは帰りたくない気持ちが湧きあがった。だが無理矢理押さえつけた。

 結局帰る事は出来たが胸にしこりみたいなのを感じている。何が美夏しか愛さないだ―――くそったれが・・・・






 「ふぅー・・・やっと追い付いた」

 「悪いが構ってやれるほど元気がのこっちゃいない」

 「・・・本当に疲れた顔してるね。でも、お礼がしたくて・・・」

 「お礼?」

 「クリスマスプレゼントの事、ありがとうね」

 「構いやしない、どうせあのスカーフを使う人物は音姉ぐらいしかいなかった。それに、カードに話し掛けるなとも書いていた筈だ」

 「・・・うっ」

 「―――まぁ、いいや。あんまりオレに付き纏わなければ何も言いやしない」

 「・・・・・・・・」

 「じゃあ、そろそろ家に近づいてきたしお別れだ」



 せっかく頑張って追いついた音姉には悪いが家はすぐ目の前だった。今みたいに気分が悪い時に話しかけられるのは、心がざわついてしょうがない。

 一人で考え事をしたい気持ちだったし、そもそも音姉には喋りかけるなというメッセージも送っていた筈だ。

 いつもなら皮肉った言葉を掛けてやるところだが、生憎それさえ言う気にもならなかった。半ば無視する形で歩きを速めた。




 「あ、ちょっと待って」
 
 「・・・・・なんだ?」

 「これ、弟くんにあげるね。誕生日プレゼント―――そのお返し」

 「いらねぇよ・・・っていうかチョコかよ」

 「そ、そんな不満気な顔しないの! よ、要は気持ちの問題でしょ?」

 「そうか、オレの事が憎いっていう気持ちは伝わってくるな、この小ささは」

 「だ、だ、だって気に入ったお洋服があってつい買っちゃってスッカラカンなのよぉ、ごめんね~」

 「泣くな、うっとおしい」

 「・・・うう・・・じゃあ確かにあげたからね・・・もうすぐ年末だから風邪ひかないでね・・・・」




 そう言って音姉は寂しい様子で家に入っていった、特に憐れむ感情は湧きあがらない。そもそもオレは人に対しては冷たい性格だからな。

 なのに今はこんなにも二人の事ばかり考えている。この世界に来てからは色々ありすぎだ、奇妙な縁さえ感じる。

 まさか新しい世界でこんな思いをするなんて夢にも思わなかった。いつも通りロクでもない生活が続くもんだとばかり思っていた。




 「はぁ~・・・・・・」




 そうため息をついて家の中に入った。靴を脱いで、居間に行こうとすると――――はりまおが飛びついて来た。

 オレは思わず受け止めてしまい、手の中に納めてしまった。はりまおは何が嬉しいのかオレの顔をぺろぺろ舐めてきた。

 はりまおは確か学園長室で飼っていた筈だ、それなのにこの家にいる理由―――おそらくさくらさんが持って帰って来たのだろう。

 ちょうど今は冬休みだし、いくら学園長といえども毎日学校へ行く必要はない。まぁこいつは頭がいいから五月蠅くなくていいんだが。




 「あ、お帰り~義之君!」

 「ただいま、さくらさん」

 「もう~、昨日はせっかく久しぶりに義之君と食卓囲めると思ったのに・・・」

 「すいません、昨日は友達と色々盛り上がっちゃって・・・」

 「まぁ、別にいいけどね~。今日は一緒に食べれるよね?」

 「ええ、大丈夫です。昨日のお詫びにでも、今日は鍋にでもしましょうか」

 「わ~! 本当!? やったねはりまお~!」

 「アンッ! アンッ!」




 オレがそう言うとさくらさんとはりまおは仲良く抱き合った。まるで子供みたいなさくらさんが犬―――みたいな生物と絡み合う様子は見ていて微笑ましい。

 そんな一人と一匹を見つめながら、買い出しのメニューを考えていた。確か台所の食糧も底を尽きていたはずだ。

 眠気がかなりあるが、一日眠らなかったってどうってことはない。軽くシャワーでも浴びてから行こうと思い、とりあえず自分の部屋に向かった。

 部屋に着いて寝巻を取り、風呂場に行こうとして―――気付いた、自分の財布が空っぽという事を。全部エリカの服代に消えていた・・・。

 軽くため息を付くが、そんな事しても金は戻ってこない。さくらさんに貰おう―――そう考えて、情けない思いながらもさくらさんの所に向かった。























 結論から言うとお金は貰えた。まぁみんなで食べるので、年長者で家の主のさくらさんが出すのはある意味当然なのだが・・・。

 言いだしっぺのオレがお金を持っていないのが少しカッコ悪いと思ったが、背に腹は変えられない。

 とりあえず商店街の行きつけのスーパーに寄り、鍋の材料を買っている真っ最中だ。一応健康のため、肉は鶏肉にしようと思いそのコーナーに来ている。




 「どの肉にすっかなぁ・・・あんまり金掛けたくねぇから安くて量が多いヤツっと・・・・」

 「あ・・・」

 「―――ん?」

 「あ、えと、お、お久しぶりです」

 「お、この間のガキじゃねぇか」

 「はい、先日はどうも・・・」




 横を向くと、この間迷子になっていたガキが立っていた。相変わらず礼儀正しいやつで頭まで下げている。だから自信なくすっつーの。

 買い物カゴを持っているので恐らく家族の誰かと来ているのだろう。この間の件があるのに一人で来させるような人物には見えなかったからな、委員長。

 このコーナーに居るという事は肉を選びに来たってわけだ、しかしどの肉を選んでいいか分からないのだろうに。特に五歳児とはあってはな。




 「今日の晩飯の材料を買いに来たって所か、何食べるんだ?」

 「あ、はい―――今日は鍋料理にするってお姉ちゃんが言ってました」

 「なんだウチと同じかよ、真似すんなよ」

 「ま、真似なんかしてませんってばっ!」

 「はは、冗談だよ。ホラ――」

 「わっ・・・と。こ、これって?」


 「どうせ鶏肉使うんだろう? 最近また豚肉問題がうるさくなってきたからな・・・まったく、なんでもかんでも
  ロクに検査しないで輸入しすぎなんだよ」

 
 「テ、テレビのニュースじゃ・・・ちゃんと検査はしてたって言ってましたけど・・・」

 「ニュースなんか当てになるかよ。大体日本はアメリカの子分なんだぞ? 親分の悪口言えないって。言えるとしたら
  アフリカとかそっち系の南米にある国だな。毎年何億も寄付してるし技術提供もしている・・・頭があがるわけねぇな」


 「は・・・はぁ・・・」

 「その鶏肉は値段の割にはたくさんお肉が入っている。それでみんな仲良く鍋つっついてくれ」

 「で、でも・・・悪いですよぉ」

 「ガキの頃から遠慮していると、自分の意見が言えなくなるぞ。あと人の好意は素直に受け取った方がいい」

 「は・・・はいっ! あ、ありがとうございます」

 「いえいえ、どういたしまして」




 そう言うとガキはビックリした顔になった。ていうかなんだよ、オレが敬語使うのが意外か? 使う時はちゃんと使うってーの。

 そう思って少しジト目をしたらガキは苦笑いをし始めた。典型的な日本人で実にわかりやすい。日本人はすぐ笑みでごまかすからなぁ。

 とりあえず自分の肉も確保して、ガキに別れを告げて行こうとした時にガキを呼ぶ声が聞こえた。まぁ大方来ていたと思ったが・・・。





 「勇斗―――って桜内!?」

 「何そんなに驚いてんだよ」

 「え、べ、別に・・・」

 「・・・・・ふん」

 「お姉ちゃん見て見て! お兄ちゃんにいいお肉貰ったんだよ!」

 「え・・・わ、値段の割に量が多い・・・」

 「僕、どのお肉選ぼうかなって迷っていたから助かっちゃった!」

 「こいつが変な肉選んだら怒りそうだからなぁ、委員長」

 「な―――! お、怒らないわよっ!」




 オレがそう言うと、委員長は顔を真っ赤にして怒り始めた。そんなに委員長と喋った記憶はないが、喋った感じどうやら直情的な性格らしい。

 かなりお堅いイメージがあったけれど結構単純な性格をしてるのかもしれないな。まぁ外見の印象なんて当てにならないもんだが・・・。

 とりあえずオレも他の食材を買いたいしそろそろ移動しようかと思い、踵を返そうとするが―――委員長に引きとめられてしまった。




 「ちょ、ちょっと! お礼ぐらい言わせてよ!」

 「その肉の金をオレが出すのなら素直に受け取るが―――生憎金を出すのはそっちだ、別にいらねぇよ」

 「・・・はぁ~、本当に変わったわね、貴方」

 「うっせ」




 そう言ってオレは踵を返し、他の食材が置いてあるコーナーに移動した。とりあえず眠たいってものあるし人ごみは好きじゃない、早く帰りたかった。

 
 そうして一通り食材を買い終え店を出た時に、偶然にも委員長と鉢合わせになった。かったるい事だが自然に途中まで一緒に帰る形になってしまった。


 それにしてもこうやって委員長と喋りながら帰るなんて夢にも思わなかったな、絶対オレとウマが合いそうにないしお互い無視するぐらいの関係に
なると思っていたからだ。





 「―――まさか貴方とこうやって帰ると思わなかったわ」

 「オレもだ。委員長の性格からしてオレの事なんか無視すると思っていたからな、勿論オレも自分から話しかけたりしないが」

 「・・・」

 「ええっ! お兄ちゃんとお姉ちゃんって仲が悪いの!?」

 「え、いや、そういうわけじゃないけど・・・・」

 「僕はてっきり恋人さん候補かと思ったのに・・・」

 「ちょ、ちょっと勇斗!」

 「おいおい」




 オレと委員長がいい感じなんてどこをどう見たらそう思えるんだよ、このガキ。どうみてぎこちない雰囲気でいっぱいじゃねぇかよ。

 まぁガキからみれば自分の歳より一回り上な男女が一緒に歩きながら喋っているのは、そういう風に見えるのだろうが――――――

 委員長が顔を真っ赤にしてしまっている、大変初々しい反応だ。委員長の性格からして男とあんまり絡む性格ではないだろうしな。



 
 「私と桜内が付き合ってるなんて・・・そんな・・・っ!」

 「生憎だが委員長はオレの女じゃねぇよ、期待に添えなくて残念だがな」

 「・・・そっかー・・・お兄ちゃんがお姉ちゃんの彼氏だったらよかったのに・・・」

 「だ、だからっ! そういう事言わないのっ!」

 「ねぇ、お兄ちゃん」

 「あ?」

 「どうですか? 僕のお姉ちゃん。 すごい自慢のお姉ちゃんなんですが・・・」

 「んもーっ! いい加減その話題から離れなさい! 勇斗っ!」

 「・・・そうだな」




 そう言って委員長をジッと観察するような視線をくれてやる。その視線に気恥ずかしさを感じてるのかソワソワし始めた。

 このガキが自慢のと言うのだから色々器量はいいのだろうとは察しがつく。まぁクソ真面目そうな印象は変わらないが・・・。

 ていうかこれ以上女の数を増やすなって話だ、ただでさえ今かなりテンパってるのに。とりあえず答えておくか――――――




 「わりかし・・・いい女だと思うぜ、オレ」

 「―――――へ?」

 「でしょでしょー?」


 「ああ。見てくれもそこら辺の女より可愛い顔をしているし、服のセンスも悪くない。カジュアル系をうまく着こなしている感じで活発な
  印象がある。お堅い雰囲気を出しているので、取っ付きつらいが話してみればそんなのは気にならなくなる。あと男っていうのはなんだ
  かんだ言って家庭的な女に弱い、その点は委員長はクリアしている。そして姉御肌っぽいから、いい姉さん女房になれるな」
 

 「~~~~っ!」

 「へへー、お姉ちゃんやったね」

 「う、うるさいわよっ! 勇斗!」




 そう言ってガキの肩を小突いた。ガキはまるで自分が褒められたかのように喜んでいる。まったく、仲がよろしいようで。

 別にオレは嘘をいったわけじゃない、事実その通りだと思う。最近の女は家事関係がまったく出来ないでいるのが現状だ、嘆かわしい事だが。

 今の時代、委員長みたいなタイプは珍しい。クソ固い雰囲気だがツラは可愛いし、家庭的な様子は話せばすぐ分かる。

 まぁ猫の髪止めはどうかとは思うがな。どっちにしたって生憎だがオレは心に決めてる奴がいるから辞退させてもらうが・・・。




 「しかし残念だが遠慮させてもらうよ。オレの性格じゃ合いそうにない」

 「そっかぁ・・・残念」

 「・・・・はぁ~~~~~・・・あんまりからかわないで頂戴ね。疲れるわ・・・・」

 「あ? 一応さっき言った事は本当だ。案外いい女なんだぜ? お前。少しは自慢に思ってもいい、そんなに可愛い顔してるんだから」

 「―――ッ! だ、だからやめなさいってっ! この女たらし!」

 「誰がだよ」

 「貴方よっ! そういう風に自覚がないのがタチが悪いわっ! そ、そんな言葉をポンポン言う時点でどうかしてるわ!」

 「まぁまぁ、お姉ちゃん」




 ガキが委員長の背中をさすってやっているが、それでも委員長は興奮冷めやらぬといった風だ。ていうか女たらし言うな。

 大体にして日本人は思った事を言わなさすぎだっての。今のなんか別に口説き文句でもないしなんでもない。普通に思った事を言ったまでだ。


 そういえば―――と思いだす、さくらさんに一回だけ外国に連れて行ってもらった時に、向こうのストレートな言い回しにビビった事があった。
英語なんてガキだから分からないが、言いたい事はすぐ理解できた。 


 当り前だ、イエスかノーしか言わないんだから。大体メイビーなんか予測してるときにしか使わない。確かに日本語は言葉の種類が多いせいもあるが・・・。

 外国経験は結構な影響がオレにはあったと思う。そのせいか知らないが―――ストレートな言い回しが多くなった。意外にもオレは言葉遊びは得意ではない。




 「はぁ~~~・・・本当に疲れるわ」

 「悪かったな」

 「にしても―――あなた、だいぶ勇斗の事気に入ってるわね」 

 「あ?」

 「・・・色々な貴方の噂も聞いたし、見たりもした。今の桜内って・・・なんか結構変わっちゃったからさ・・・だから意外」

 「・・・思春期だからな。でもまぁ―――そのガキの事は大分気に入っている」

 「えへへ・・・」

 「ど、どうして?」

 「頭がいいのが分かるからだ、そして礼儀もしっかりしている。きっと要領もいいんだろうな、賢さが滲み出てる。結構尊敬しているんだぜ? オレ」

 「で、でも、まだ子供よ?」


 「年齢なんか関係ねぇよ、大人でもクソみたいな奴は多くいる。知ってるか? ロクに礼儀の一つ知らないやつだっているんだぜ?
  気がきかない人間だっているし、オレみたいに平気で人を傷付ける人間だって多くいる。いつだったか、交通事故を起こした奴を
  見た事がある。醜かったぜ? お互い相手の事を罵倒しあって後ろに乗っている家族の事なんて全然気にしていなかった」




 泣いている子供、その子供をあやしている母親・・・父親は全然そんな事気に留めなかった。見たところ新車だったようだし余程頭にきたのだろう。

 だからといって同情は湧かないが・・・。それにこのガキはオレには持ってないモノを持っている―――それは素直に尊重してやるべき部分だと思う。

 頭の回転、物事の器用さ、生きていくうえでの知恵―――今はオレが勝っているが、その内追い越されるのは目に見えて分かった。

 だが別に嫉妬などの暗い感情は抱かなかった。それを抱させない魅力・・・カリスマがこいつにはあると思う。末恐ろしいガキだ。 




 「まぁ、将来は結構な大物になると思う。あと女を泣かすのは必至だな―――自信がある」

 「確かに勇斗はこの歳ですごい大人びてると思うけど・・・って貴方と一緒にしないでよ! 女泣かすのは貴方だけよ!」

 「・・・お前がオレの事どう見ているかよく分かったよ」  

 「え、いや、だってさ・・・あ・・・あはは・・・・」

 「――――――間違ってはいねぇけどな」 

 「え・・・」

 「なんでもねえよ」




 そう言ってオレは黙った。思い出すのはエリカの事―――泣いていた、いつもは気丈な振る舞いをしている彼女が子供みたいに・・・。

 泣かしたのはオレだ、オレみたいな奴に惚れたから泣かした、美夏にオレが惚れたから泣かした―――最悪な悪循環だ。

 いつも偉そうに説教を垂れているオレが本当のロクデナシだった、そしてどうも出来ないでいる・・・。

 隣でガキが委員長にしきりによかったねぇと話しかけている、その話題に反応する委員長―――ガキがオレの様子を察しているのが分かった、気遣いが感じられた。

 どうやらオレがあんまり話す気分ではなくなったのが分かったのだろう、上手い具合にオレに関する話題をそれとなく遠ざけている様子が見て取れる。

 これだから頭のいい奴は好きだ―――アタマに来るぐらいうまく立ち回れる。とりあえずガキの好意は素直に受け取って置く。

 結局ガキのおかげで空気は壊れること無く、オレも器量がよかったらなぁと思いながら道を歩んだ。会話は終始和やかに進み、平穏のまま終わる事が出来た。



























 

 「最近は厄日なのか・・・・オレは・・・」

 「え~? なになに~? 何か言ったぁ~?」

 「なんでもねぇよ」




 そう言ってオレは歩きを速めたが、組まれた腕と一緒に茜も付いてきた、そして憂鬱になるオレ。隣を見ると茜はニコニコ笑っていた。

 あの後、委員長は用事があるといって途中で別れた。そしてのんびりしながら歩いているとオレを呼ぶ声が聞こえた―――無視した。

 だが腕をガシッと組まれて、ようやくオレは横を振り返った。そこには憎たらしいほどホワホワした顔の茜がいた。




 「大体さぁ~無視するなんてヒドイじゃないのよぉ~」

 「オレは今にでもくたばっちまうぐらい眠いんだ、そしてそんなお前のテンションにオレは付いていけない―――残念だよ」

 「残念なんてまた心にもない事言ってぇ~。それでぇ、なんでそんなに眠いのかしら? 義之きゅんは~」

 「きゅん言うな、ぶっ叩くぞお前―――いや、喜ぶからやめとくか」

 「ああ~ん、ばれちゃった。それでなんでぇ~?」

 「茜の事を想うあまり眠れなかったんだ。どうやったら茜と円満な関係になれるか一生懸命考えたんだが、いい考えが思いつかなかった」

 「えぇ~本当に!? わー嬉しいけどなんか気持ちワルぅ」

 「・・・お前はオレをどうしたいんだよ・・・・・・」

 「だってぇ、そんな事思う筈ないじゃん。義之くんの態度はいつもドSだしねぇ~」

 「そしてお前はドMな」

 「そうそう~だから相性いいんだよぉ~? そんなに眠りたいなら―――私のベッドで一緒に寝ようかぁ~?」

 「・・・いつからそんなにはしたない子になったんだ、お前」


 「う~ん・・・ぶっちゃけディープまでしてるしぃ~・・・Hしても全然いいじゃん。私、義之くんの事好きだしぃ、義之くんも私の事
  構ってくれてるしぃ―――私の事嫌いじゃないんだよねぇ? だったら何も問題ないじゃない~?」


 「―――お前の事抱いたら逃げられそうにないから止めとくよ。黙って自慰に勤しんでくれ」

 「それだけじゃぁ~物足りないのよぉ」




 オレは思わず天を仰いだ。相変わらず何考えてるか分かんねぇ女だ。エリカとも美夏とも全然ちがうタイプだ―――オレが振り回されている。

 天真爛漫でほわほわしている様子は確かに癒されるが・・・その分疲れる。組んでいる腕をぶんぶん振り回しているし、実にかったるい。

 オレの目線に気付いたのか―――こちらを向いてニコっと笑った。くそったれ・・・また可愛いと思ってしまった。ドM変態の癖して・・・。

 なんか腹が立ってきた・・・オレがこんな思いしてるのにコイツは幸せそうな顔をしている―――許される事ではない、マジで。

 だから組まれている腕を払い、手を握ってやった。茜は驚いた顔をしたがそれを無視して、握った手を―――腕ごとブン回した。




 「きゃっ! そ、そんなに腕を振り回さないでよぉ~!」

 「んだよ? お前が楽しそうにやってたからオレが更に楽しくしてやったんじゃねぇか、調子に乗りやがて。ほらほら」

 「やめてよぉ~~~~吹っ飛んじゃうって~~!」

 「あはは、吹っ飛んじまえよ。 ほらほらほら」

 「や~~~め~~~~て~~~~!」




 そう言ってオレはさらに回転を速めた。たまらず遠心力であちこちに体が揺らされる茜。その様子をみてオレは笑った。


 そういえば久しぶりに笑ったな、そう思う。こいつの自分ワールドの強烈さに憂鬱だった気分が無くなっている、少し楽しい気分だ。


 こいつは見てる分にはほわほわ成分が移るからな、ぶっちゃけ見た目もかわいいし強烈だ。喋らなきゃ変態さは伝わってこないから癒される。


 だがあんまりいちゃいちゃするのは嫌いだし、茜も涙目になっている。そろそろ止めようかなと思い、手を離そうとして――――――






 












 「あら、ごきげんよう」





 




 
  エリカに声を掛けられた。










 「へっ? ってあらぁ~? あなたは確か―――」

 「ええ、最近外国から留学しました、エリカ・ムラサキと言います。以後お見知りおきを」

 「あ、え、こ、こちらこそ・・・花咲茜と言います・・・」

 「よう、なにやってんだよ」

 「少し散歩したい気分でしたの。いい天気ですものね」

 「えっ? 二人とも知り合いなの~?」

 「はい、食堂で困っているところを偶然にも桜内先輩に助けて頂いた事があるんです」

 「へぇ~? 義之くんらしくないわねぇ~」

 「うるせーよ、こいつが食券の買い方分からないでせいでオレが食券買えなかったんだ」

 「その節はどうもすみませんでした・・・」

 「あ、いいのよいいのよぉ~! 義之くんは一カ月飲まず食わずでも平気なんだからぁ~!」

 「オレはインドの僧かよ、てめぇ」

 「うふふ」




 表面上は和やかだと思う。オレも普通だし、エリカも普通だ。昨日の事なんか無かったように思える―――そんな馬鹿げた妄想をした。

 内心、かなりびびっていた。まさかこんな所で会うとは思っていなかったし、エリカもそうだろう。鉢合わせした一瞬、驚いた顔をしていた。

 でもすぐ平静な顔に戻り普通に声を掛けられ、それに応じる形でオレも平静を装った。本当に平静な態度でいれているか怪しいが・・・。

 エリカと茜は楽しく談笑している。だがエリカの視線はオレと茜が繋いでいる手に向けられていた、チラチラとこの手を盗み見ている。

 茜はすぐにその視線に気づいて―――その繋いでいる手を掲げた、嬉しくてしょうがないといった感じで。




 「まいっちゃうよねぇ~桜内先輩は甘えっ子で~」


 「てめぇから繋いできたんだろうが、ド変態が」


 「ちょ、ちょっとぉ! エリカちゃんの前で何言ってるのよぉ!」


 「ふふ・・・お二人は仲がおよろしいんですわね。もしかして付き合ってらっしゃるのかしら?」


 「私はそうしたいんだけどねぇ~、なかなか頷いてくれないのぉ~。苛めてられてばっかだしぃ」


 「桜内先輩の性格ですと興味のない御方にはそんな事しませんわ。希望―――持ってもいいと思います」


 「お前なぁ~・・・」


 「だよねだよねぇ~! 私もそう思うんだぁ~、あともう少しって感じだしぃ」


 「それはよかったですわ。あ、すいませんがそろそろお家に帰ろうかと思います。少しやり残した用事がありまして」


 「あ、そうなのぉ~? 残念、エリカちゃんとのお喋り楽しかったのにぃ~」


 「ふふ、私もです。では失礼します」




 そう言ってエリカはオレの方は見ないで去って行った。茜は「じゃあ~ね~」と言って手を振っている。それに振り返ってお辞儀で対応するエリカ。

 結局会話は和やかのまま終了した。そう、何も起きなかった。茜とエリカは仲がいいように思えたし、前から友達みたいな感じの様子だった。

 それが逆に―――嫌な感じがした、あまりにも自然すぎる。自然すぎて猛烈に違和感を感じた。




 「礼儀正しい子だったねぇ~エリカちゃん。確か貴族でお姫様だっけ~? あ~あ、世界が違うって感じぃ」

 「・・・・・・・」

 「うん? どうしたのぉ、義之くん?」

 「わりぃ茜、オレ、そういえばアイツに用事があるんだった」

 「ほえっ? なんの~?」

 「さっき食堂の話出たろ? そんでオレが食券買おうとしたら金なくてさ、アイツに借りちまった。そんでそのお金返してないんだ」

 「ええ~! 後輩で女の子でお姫様なエリカちゃんに~!?」

 「ああ、このままじゃオレは打ち首になっちまう。急いで返してくるよ。んでその足で帰るわ」

 「うう~・・・義之くんとのデート・・・ヒック・・・」

 「な、泣くなってーの! また今度構ってやるからよっ!」

 「うう・・・絶対だよぉ~?」

 「ああっ、それじゃあなっ!」

 「ヒック・・・またね~・・・」




 泣いている茜を置き去りにして、エリカが歩いて行った方向に走って行った。まだそんなに遠くには行ってない筈だ、急がなければ―――

 







 そうして走っている内に公園までたどり着いた。確かこっちの方向だった筈―――そう思って周囲を見渡すと、ベンチに座っている金髪が見えた。

 横顔は髪に隠されているから表情は分からないが・・・寂しい雰囲気を醸し出していた。顔は俯いており、手をギュっと握りしめている。

 あまりにも握りしめて手は白くなっていた。オレは少し躊躇してしまったが、エリカの隣に座り―――声をかけた。




 「エリカ」

 「――――――ッ!」

 「悪いなさっきは・・・変な所見られちまって・・・」

 「・・・・・・・・」


 「まぁ、なんだ―――本当にあいつと付き合ってる訳じゃねぇ。あいつがボディタッチ激しいだけなんだ。手も仲いい奴なら
  誰にでも繋いでくるし、あいつ」


 「・・・・・・・・」

 「言い寄られちゃいるが―――その気はないしな、オレ」

 「・・・・・・・・」




 本当なら放っておくべきだった。美夏の事を考えるとそれが正解だとは思う。しかし昨日の晩、断れなかったオレ―――もうダメになっていた。

 エリカと付き合うつもりはない、これはハッキリ言える。昨日の晩でそれはエリカに伝わってる筈だ。だからあんなにもエリカは泣いた。

 しかし現に今取ってる行動―――正反対だ。エリカを傷付けたく無くて追いかけてきてしまった。そしてまた思わせぶりな行動をとっている。

 そしてエリカを傷付ける。もう何が何だか分からなくなる・・・、何をしたらいいのか分からない。オレはまだ悩んでいる。

 

 
 ドンッと衝撃を感じる―――エリカが抱きついてきた。オレの胸に顔を埋めて泣いているエリカ、オレはそれを受け入れてしまった。

 体が震えてるし、オレの服を掴んでいる手にも力が入っている。そしてオレの手が―――エリカの頭を撫でている、ゆっくり優しくと。

 頭では分かっている、もう関わらないほうがお互いにとってもいいと。でも心が拒否していた、オレは心を握りつぶしたかった。




 「・・ひっぐ・・・グス・・・よ、よしゆきぃ・・・」


 「―――なんだ、エリカ」


 「も、もしかして・・・ひっぐ・・・あの先輩の事が・・・・・・好き、なの・・・?」


 「さっきも言ったが―――付き合うつもりはないよ、安心していい。手も深い意味じゃなくてアイツなりのスキンシップだ」


 「あ、んなに・・・、仲良く・・・手繋いでて・・・グス・・・とても、・・・悲しかった・・・」

 
 「ああ、ごめんな」


 「わ、私ね・・・よし、ゆきの事が・・・グスッ・・・す、好きなの・・・本当に・・・・」


 「ああ、分かってる」


 「で、でもね・・・ひっぐっ・・・・昨日・・・振られちゃって、ね・・・どうしたらいいか、わ、分からないの」


 「ごめんな」


 「い、今も・・・ね、よしゆきが・・・グスッ・・・きてくれたら・・・い、いいな・・・と思ってて・・・そしたら、本当に・・来て」

 
 「エリカが悲しい思いしてるかなと思って、な・・・・」


 「・・・よしゆ、き・・・な、なんか・・・・すごく、優しい・・グスッ・・・・い、今も、頭撫でて・・・くれて、る・・・なんで・・?」


 「・・・・・」


 「よし、ゆきの性格・・・からしたら・・・グスッ・・・もう・・・話しかけて、こない・・・と思って・・・たの」

 
 
 「そんな事は無い」


  
 「ひっぐっ・・・・朝の約束・・・・・・だって・・・本当は、うそ、だと思ってた・・・の・・・絶対、来ないと、思ってた・・・」


 「・・・・」


 「ねぇ、・・・ひっぐ・・・なんで、よしゆきは・・・私に話しかけて、くれる・・・の・・、なんで・・・優しい、の・・・?」





  なんで―――好きだから・・・そんなことは言える筈がないし、言うつもりもない。この気持ちは絶対に誰にも喋らないつもりだ。

 オレはなんて答えていいか分からなかった、いつもは回る口―――役に立たなかった。オレは俯いて黙ってしまった。

 そんな様子を見ていたエリカが少し嬉しい顔をした。まだ、完全にフラれた訳じゃない、まだ可能性はあるという気持ちが表情から伝わってくる。

 オレはそれに対して曖昧な笑顔―――自分で自分を殺したくなった。エリカはそれで安心したのか大分泣きやんだ。




 「ね、ねぇ? 義之」

 「・・・なんだ」

 「また、私の家に、来ない?」

 「・・・・・・」

 「ほ、ほらっ! 私一人暮らしじゃない? だ、だから義之が居てくれれば、すごく安心出来るの。 ね? 来ない?」

 「いや・・・」

 「昨日なんて、私、あれだったじゃない? 料理でカッコ悪い所、見られちゃったじゃないっ? だ、だから」

 「・・・・・」

 「ダメ、なの?」




 涙目になって訴えてくるエリカ。オレはその目に弱かった、果てしなく弱かった・・・。とてもじゃないが断れなかった。

 思わず抱きしめたくなるし、エリカの家に行って幸せな気分でお喋りもしたくなる―――愛おしくなってしまった。

 だが今エリカの家に行ったら何かが終わる気がした、確信があった。だからオレはつい言ってしまった―――




 「オレの家に来い」

 「・・・え?」


 「昨日は家で家族と食事をするはずだった。学園長いるだろ? あの人がオレの保護者なんだ、すっぽかしたからかなり
  御立腹だ。その為に今日は一緒に食事しようってんで買い物にきたってわけだ。一緒に飯でも食おうぜ」 


 「よしゆきの、家・・・」

 「嫌か?」

 「――――ッ! ううん! そんな事ないっ! い、行くわ!」

 「そうか、だったら歓迎する。 ほら、これで涙拭け」

 「べ、別に、な、泣いてませんわっ!」




 そう言いながらもティッシュで目を拭くエリカ、オレはその様子をみて笑った。笑われたエリカは途端に顔を赤くして怒った。 

 それを無視して立ちあがると、慌ててエリカも立ちあがり―――オレの腕を組んできた。昨日みたいに力を込めて離さないとばかりに。

 オレが呆れた感じで横を見ると―――幸せそうに笑ってた。オレはそれを見てまぁいいかと思ってしまい・・・腕を組みながら家に向かって歩いた。

















[13098] 13話(中編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/18 21:09













 「お前、もしかして本当はオレの事嫌いなんだろ・・・」

 「ご、ごめんなさい・・・」

 「とりあえず居間に戻ってさくらさんの話し相手になっててくれ」

 「・・・・・・はい」




家に帰ったオレはさっそく下ごしらえに入った。最初さくらさんはエリカが家に来た事に驚いていたが、すぐ笑顔になった。

さくらさんの誰にでもフレンドリーに接する事が出来る性格に、オレは少し感謝した。エリカはそんな態度に少し面喰らってはいたが・・・。

オレが台所に入るとエリカが「私も手伝いますわ!」と言って無理矢理オレの横についた。顔を見るとかなり気合いが入っていた。

どうやらこの間の一件で料理を失敗した事を根に持っているらしく、オレを見返したい気持ちがありありと伝わってきた。



 まぁ鍋の下ごしらえと言っても大した事はしないし、適当に教えながらこっちはこっちで進めようと思った。その方が合理的だからな。

 脇で手際よく調理を進めているエリカを見てホッと一安心したオレ――――甘かった、エリカは鼻歌を歌いながら米を洗剤で洗っていた。

 一度目はしょうがない、エリカは外国人だしこっちの習慣なんてのも分からないからな。今時の女子だってそういう失敗するヤツは多い。

 だが二度目はさすがにない。エリカがまた浮かれていた事にオレが気付けばこの事態は阻止出来たのかもしれないが――――後の祭りだった。




 「この米はもう使えねぇか・・・、もったいないけど――――捨てるしかねぇな」




 そう言ってオレはそのギラギラ光っている米をゴミ箱に入れた。世界にはロクに食べられない人が多くいるが、生憎こんなものを食う勇気はない。

 居間ではエリカがさくらさんと楽しく談笑している話し声が聞こえてきた。まぁ、声を聞く限りじゃさくらさんがエリカに一方的に話掛けているんだが。

 どうやら話題はオレの事のようだ。二人の共通点といったらオレぐらいなもんだし、変な話をしないぶんには別に構いやしない。


  

 「あ、そうそう。エリカちゃんに聞きたい事があるんだけどいいかな~?」

 「あ、はい。なんなりと聞いて下さい」

 「ねぇねぇ、エリカちゃんて義之君とどういう関係なのかなぁ?」

 「か、か、関係と・・・言いますと?」

 「えー色々あるじゃん。友達とか――――こ・い・び・と、とかさぁ~!」

 「――――――――ッ!」

 「あ、あれれ? も、もしかして藪蛇つっついちゃった・・・かな? ボク、てっきりそうだとばかり・・・」

 「――――い、いえ・・・そんな事ありませんわ」

 「そ、そう?」

 「・・・・はい」

 「うにゅ~・・・なんかごめんね、変な事聞いて・・・」

 「い、いえ、学園長が気になさる事ではありませんわ。むしろこちらの方こそすいません・・・」

 「あ、いいのいいの! 私の方こそなんか無神経でごめんね? つい調子に乗っちゃって・・・」

 「そ、そんな、本当に御気になさらないでください・・・」

 「う、うん・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・うにゅ~」




 そして居間に気まずい雰囲気が流れた。エリカは俯いてしまい、さくらさんもどうしたらいいか困り顔だった。

 オレとエリカの関係――――言葉ではどうしても言い表せない関係だった。恋人ではもちろんないし、友達とも言い切れない微妙な関係。

 ハッキリ言ってこんな関係がいつまでも続くとは思っていない。いずれ決着がつくだろう、そう思う。

 それがどういう形なのかは分からない。エリカがオレの他に好きな男が出来る、ありえないと思うがエリカとくっついて幸せになる・・・どっちかだ。

 エリカは留学生――――貴族の娘だ、いずれ帰国してうやむやになる可能性も勿論ある。だがそんな決着はないだろうという予感はしている。

 オレもそんな半端な形にはしたくないしエリカもそうだろう、何かしらの形には収まるとは思う。それがどちらかが納得いかない結末だとしても・・・。

 大体貴族ってのは庶民にとっては雲の上の存在だ―――オレだって例外じゃない。しかしもし、万が一付き合う事になったらオレにとっては関係ない。


 死ぬような努力だって何だってするし、もう離したりはしないと思う――――こんな考えをしている時点でオレは本当に美夏の事が好きなのか
疑わしいもんだが・・・思わず自嘲してしまう。


 そう悩んでいる内にしたごしらえが出来たので、鍋を持って居間に行く。後はコンロに火を付けてしばらく待てば完成だ。




 「おーし、鍋が出来たぞーみんな」

 「あ、やっと出来たんだねぇ~! わ、美味しそう~!」

 「わぁ、色とりどりですわねぇ~」

 「一応モツが少し残っていたから鶏モツ鍋もどきってところだな。ホラ、皿」

 「ちょ、ちょっと! 私がやりますわ! これぐらいやらせてくださいな!」

 「いいんだよお前は。ゲストなんだぜ? 黙って席に着いて料理の感想を言ってくれればそれで構わない」

 「で、ですが・・・」

 「そうだよぉ~、御招きしたお客さんにそんな事やらせられないよぉ。 エリカちゃんは座ってていいんだよ?」

 「そういう事だ、黙って座って美味しいって言ってればいいんだよ、お前は」

 「わ、わかりましたわ」




 そう言ってオレ達二人はエリカの事を座らせた。こいつも変な所で気使う性格だからなぁ、貴族のくせに腰が低いっていうか。

 そんなこんなで鍋が温まるまでみんなで世間話をして盛り上がった。オレとエリカの話はタブーなのでそれ以外の話を積極的に振ってやった。

 学校の勉強はどうだとか生徒会がウザいとか杉並の奇行とかでだ。勉強の話と杉並の話になった時は集中砲火にあったが、まぁ些細な事だ。

 ちょうど話が盛り上がってきた所で玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に――――と疑問に思ったがとりあえずオレが出る事にした。

 最初さくらさん出ようとしたが家の長にそんな事させるわけにはいかない、オレは面倒くさがりながらも玄関の戸を開けた。




 「こ、こんばんわ~弟くん・・・」

 「や、やぁ兄さん・・・」

 「・・・・・」 

   


 オレは心の中で思わずため息を吐いた。そういえばこいつらウチに結構来てたんだっけなと思いだした。最近色々ありすぎて忘れていた。

 音姉が持っている食材から察するに、恐らく今日はこっちで食事をしようと思ってきたのだろう。音姉も由夢もどこか気まずい雰囲気で立っている。

 さて―――どうしようかなと思っていると、なかなか居間に戻らないオレを心配してか――――さくらさんがこちらの方に来た。




 「あ、音姫ちゃんに由夢ちゃん! なになに~どうしたの~?」

 「あ、さくらさん・・・きょ、今日はみんなで食べようかな~と思って・・・あはは・・・」

 「え、ええ・・・そうなんですよ・・・ハハ」

 「ふ~ん? まぁいいや、上がって行って! ちょうどみんなでお鍋食べていた所なんだよ」

 「え、だれか来てるんですか?」

 「まぁ、音姫ちゃんが知っている人物だよ。さぁ上がって上がって!」

 「え、あ、は、はい」




 そう言って音姉達がウチに上がってきた。オレはというと――――本当に困ってしまった、かったるくなる要素がまた増えたからである。

 エリカがいたんじゃ音姉達は変に勘ぐるだろうし、エリカにも余計な誤解を招く恐れがあるからだ。本当に最近は色々あり過ぎて参ってしまう。

 違う世界に来たり、好きな人が出来ちまうし、それも二人もなんて前では全然考えられなかった事だ。良いか悪いかと言われれば口ごもってしまうが。

 早速居間からはちょっとした騒ぎが聞こえてきた。オレは憂鬱な気分になりながらも居間に戻る事にした、嫌な事は早めに解決しちまうのが一番だ。




 「ちょ、ちょっと弟くん!? なんでさくらさんの家にエリカちゃんが!?」

 「そ、それは・・・」

 「腹を空かして死にそうだったからだ。まさか今の時代に腹減って倒れちまう人間を出すのはどうかと思って、誘ってやったんだ」

 「ちょ、ちょっと! よしゆ―――」 

 「そ、そうなの? エリカちゃん」


 「あ、え――――そ、そうなんですよ・・・あはは。ちょうどお腹がすいてる所に桜内先輩に声をお掛けしてもらって、御相伴に
  預からせてもらっています」


 「ふ~ん、そうだったんだぁ」

 「ジー・・・」




 エリカが口ごもっていたので助け船を出してやった。恨めしい視線を一瞬くれたがとりあえずオレに口を合わせてくれた。

 我ながらどうかと思う言い訳だったが構いやしない、何言われてもそうだと突っぱねるからな。音姉は不思議そうな顔をしながらも頷いてくれた。

 由夢がなにか言いたそうな視線をくれてきたが無視する。これ以上かったるい事はしたくなかったからだ、面倒くさいったらありゃしない。

 とりあえず鍋も残っていたし、みんなで食べる事にした。まさかこのメンツで鍋を囲むなんて夢にも思わなかった。




 「でも驚いたなぁ~、まさかエリカちゃんが弟くんの家にいるなんて」

 「た、たまたま桜内先輩にお会いして助かりましたわ、本当に。ちょうど一人暮らしで一人で食事するのにも飽きてしまってて・・・」

 「え、エリカさんて一人暮らしなんですか!?」 

 「こらっ、由夢ちゃん、声大きいよ?」

 「あ、や、ご、ごめんさい・・・」

 「エリカちゃんはね、外国の留学生で貴族の娘さん――――お姫様なんだよ~」

 「わっ、そ、そうなんですか?」

 「そんな大それたものではないですよ、立場はそうかもしれませんが政治にはあまり関わっていませんし」

 「いやいや、すごいですよ。まさか本当のお姫様に会えるなんて・・・」

 「すごいよね~、エリカちゃん。お姫様だし何より可愛いしね~!」

 「そ、そんな事ありません・・・・」

 「でも何より驚いたのが―――兄さんがエリカさんを誘った事ですよ」

 「ほえっ?なんでなんで~? 義之君の性格からすると別におかしくは無いと思うけどぉ」

 「え!? あ、や、そう・・・なんですけどね、ハハ」

 「あはは・・・・」

 「う~ん?」




 まぁさくらさんに対しては普通だからな、何も変わってないように思えるだろう。音姉達も特別さくらさんにオレの事問いただしてないみたいだしな。

 さくらさんからしてみれば当り前な反応だと思う。この世界のオレは大分お優しい性格だったみたいだからな、人助けなんかもするんだろう。

 にしても――――お姫様か、そう聞くと本当にエリカは本当に違う世界に住んでるんだなと改めて思う。別に忘れてたわけではないが。

 なんでそんな女がオレに惚れたのか――――きっかけは路地裏での事なんだろうが・・・縁というのは不思議だなと思う。

 あそこで助けたのがオレじゃなくてもエリカはその男に惚れたのだろうか、かなり切羽詰まった状況だったし吊り橋効果でその可能性もある。

 オレ以外の男とエリカがくっつく・・・あまり想像したくない光景だ。美夏の事があるのにオレはまだそう思ってしまっている。




 「兄さん・・・最近冷たいから・・・ね」

 「うにゃ~、そうは思わないけどなぁ」

 「前も言いましたが思春期なんですよ。しばらく経てば収まるんじゃないですか?」

 「にゃ、そんな冷静に言われても・・・」

 「誰に対してもそうだし・・・だからエリカさんを招いたのは意外だと思った」

 「そうそう、そんなにエリカちゃんと接点もなかったはずだしねぇ~」

 「気まぐれだ」

 「あ、もしかして――――兄さんとエリカさんて付き合ってるんですか?」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「うにゃ・・・・」

 「あ、あれ?」




 シーンとなる居間。さくらさんも言っちゃったという風だ。由夢もまさかそんな雰囲気になるなんて思っていなかったようで戸惑っている。

 音姉もかなり戸惑っているのが見て取れる。エリカの性格からすると怒るか恥ずかしがるとか、かなりオーバーリアクションをする筈だからな。

 だが流れているのは沈黙――――エリカは悲しい顔をして黙っているし、オレもそんな顔をみていると違うとは言えなくて黙ってしまう。

 時計が針を刻む音だけが居間に響いてる程静まる場、オレはかったるくなりながらも鍋を黙ってつっついた―――何言っていいか分かりやしねぇ。

 エリカもエリカで黙って食べている。つまりこの場にそれに答えれる人物はもういない事になる。由夢は誤魔化す様な笑みを浮かべながら喋った。

 

  
 「あ・・・・あはは、もしかして―――空気よめてなかった? 私」

 「・・・いいからお前は黙って食っとけ、ホラ、分けてやるよ」

 「え――――ってなんで野菜ばっか!」

 「それでも食って舌味治しておけよ、味オンチ」

 「――――ッ! だ、だれが! っていうか何だったんですかっ! あのクリスマスプレゼントは!」

 「料理一つ満足できない妹みたいなお前によかれと思って買ってやったんだよ。あのままじゃ結婚出来そうにないからな」

 「な、な、なんですって~ッ!」

 「大体どういうつもりでオレにあの弁当渡したんだ。オレの事そんなに嫌いなのかよ、お前」

 「え、や、それでも一生懸命作ったんだよっ!」

 「愛情いっぱいなのは伝わってきた――――それが反映されるといいな、次からは」

 「ぐぬぬ・・・・・」

 「あ、あはは」




 なんとか重かった雰囲気が少し薄らいだ感じがする。音姉もオレの言葉を聞いて苦笑いをした。まったくどいつもこいつも同じ質問をしやがる。

 まぁ由夢の言う事はもっともだ、オレが人を家に招くなんて滅多にあるもんじゃないし、由夢達も今のオレの性格を知っている。

 そんなオレが人を―――女をつれこんでいるんだ、そう思っても仕方ないと思う。だから多少皮肉を言ったって構いやしない。




 「ところでお聞きしたい事があるんですが・・・」

 「ん? 何かな、エリカちゃん」

 「その・・・桜内先輩と音姫先輩たちの御関係っていったい・・・」

 「あー、確かに誰でもそう思うよねぇ」

 「はい、兄弟というには苗字が違うなと思いまして・・・」

 「オレは拾われっ子なんだよ」

 「―――――え」

 「大きな桜の木があるだろ? 桜公園の脇にある奴だ。あそこでオレは拾われたんだよ、さくらさんに」

 「そ、そうなんですの?」

 「ああ、そんでもって留守がちのさくらさんに代わって朝倉家に厄介になったんだ」

 「弟くんっ! 別に厄介だなんて思ってないよ!」

 「そ、そうですよ!」


 「―――――なんでもいいが、そして大きくなっても若い男女が一緒なのは問題があるっていう話になって
  さくらさんの家に来た・・・んだっけ?」


 「もぉ~なんで疑問形なのよぉ~」

 「どうでもいい事だから忘れちまったよ。まぁ、そんなこんなあって今に至るって訳だ」 

 「・・・そうでしたの」

 「まぁ気楽でいいよ。あんまり騒がしくなくて落ち着くしな」

 「もうっ! そんな事ばかり言って!」

 「ジー・・・」




 この世界でのオレがここに居た理由―――当てずっぽうで言ったが当たっていたようだ。というかそれぐらいしか理由が思いつかない。

 エリカはオレのそんな話を聞いて不憫そうな顔をしたが、目でそんなに気にする事はないと言ってやった。事実、自分が不幸だと思っていない。

 暖かい家もあるし、人間関係もオレにとっちゃ何も問題ない。衣食住が揃っているんだし何も問題点は無いと思う。

 オレの皮肉に音姉が過剰に反応するが無視する、事実そう思っていたからだ。あと由夢、言いたい事あるんなら口で言いやがれてめぇ。





 そうして団欒を楽しんでいたがそろそろ時間も御開きだ。音姉達はそろそろ帰ると言いだし、エリカもそろそろ帰る呈らしく腰を上げた。


 かったるいがお客さんが帰るので見送りをする事にした。さくらさんがそういう事はうるさいのもあるが―――エリカがこっちを寂しそうに
見てたからだ。


 あの目に本当に弱いな、オレと思いながら玄関先まで来た。というか朝倉家はすぐ隣なので見送るも何もないんだけどな。




 「それじゃあね、弟くん」

 「またね、兄さん」

 「ああ―――ちゃんと料理覚えとけよな、由夢」

 「―――ッ! わ、分かってますぅ!」




 そして隣の家に歩いて行く音姉達、残されたのはエリカとオレだけになった。隣を見ると何か期待して目でこちらを見ている。

 さて、どうするか―――オレとしても送って行きたい所だ。好きだからっていうのもあるがこんな夜中に一人でエリカは帰させられない。

 こいつ見た目からしてお嬢様だし、この間の件もある。また会って絡まれたらひとたまりもないからなぁ。  




 「さくらさーん、オレ、エリカの事送っていきますねー!」

 「・・・え」

 「うーん、わかったー、気を付けてねー」

 「はーい」

 「い、いいんですの?」

 「こんな夜中にエリカ一人で帰させられねぇよ」

 「あ、ありがとう・・・」

 「じゃあ、ちゃっちゃと行くか」

 「あ、こら、待ちなさい!」




 そう言ってオレは歩き出した。エリカが慌ててオレの脇に並んで―――腕を組んできた。もう慣れしんだ感触だった。

 もう何度こうやって歩いたか分からない。隣を見ると嬉しそうなエリカの顔、それを見てるとオレもなんだか嬉しくなってしまう。

 そういう想いに囚われるたびに考える―――本当にこの子を付き離せるのか、と。オレにこの子をまた泣かせる事が出来るのかと。

 この先どうなるかなんて予想がつかなかった。そんなオレの様子を見かねてか、エリカが話かけてきた。




 「どうしたの、よしゆき?」

 「・・・桜内先輩じゃないんだな」

 「――――ッ! あ、あれは芳野学園長もいたし、れ、礼儀ですわっ!」

 「前までは桜内って呼び捨てだったのに、お前」

 「べ、べ、別にいいでしょ!? 私がそう呼びたいんだからそう呼ぶの! 何か文句がおありになって!?」

 「いや、ねぇけどよ」

 「だ、だったらいいでしょ!」




 そう言って組んでいる腕に力を込めた。そんなエリカの様子をみてオレは心の中で笑った。やっといつもの調子に戻ってきたか、こいつ。

 なんだかいつも泣いているイメージがあったからな。それほど昨日からの出来事がインパクトがあったというわけだが・・・。

 そして泣かせている要因はオレ――――本当にロクでもないな、前々から思っていた事だが余計にそう思う。




 「なんか最近色々あった気がするが―――たった二日の出来事なんだよなぁ」

 「・・・そうですわね、一ヵ月ぐらい経ったと思いましたわ」

 「まさかお前と腕を組むなんて夢にも思わなかったよ」

 「――――私も思いませんでしたわ、最初はなんて野蛮人だと思ってましたもの・・・」

 「あ? そうなのか?」

 「そ、そうですわっ! だ、だって貴方、初対面で私の胸を揉んだんですのよ! いくら不慮の事故だからってっ!」

 「あーそうだったのか。悪いな、覚えちゃいねぇ」

 「――――ッ! あ、貴方! 本気でそうおっしゃってるわけ!?」

 「さぞかし強烈なインパクトだったんだろうが・・・最近物忘れがひどくてな。細かい事は忘れちまうんだよ」

 「こ、こ、細かいですってっ! わ、私の胸を揉んだ事がっ!?」

 「――――でも残念だな」

 「・・・え?」

 「せっかくこんな美人の胸を揉んだっていうのに感触まで忘れちまった。本当に残念でならない」
 
 「~~~~~~ッ!」




 そう言ってオレがワザとらしく胸に目をやると、顔を真っ赤にして胸を隠してうつむいてしまった。まぁ、ウブらしいことで。

 これが茜だったらきっと胸を強調して――――だめだ、やっぱりあいつの事は分からん。杉並みたいに読めない人間の一種だ、あれは。

 そう考えてると腕に力を込められた。隣のエリカを見ると、どこか悲しい顔をしていた。理由―――分からない。




 「今、他の女性の事考えてたでしょ?」

 「・・・え?」

 「分かるんだからね、女性ってそういう事が・・・」

 「いや・・・別にそういうわけでもない、杉並の事も考えてたし・・・」

 「―――え?」

 「うわっ、やっべ何言ってんのオレ、気持ちワル! って何ドン引きしてんだよ! オレはゲイじゃねぇからな! って腕を離すなよコラ!」

 「そうだったんですの・・・どおりで・・・」

 「なんだよどおりってっ! お前、オレ達の事どういう目で見てたんだよっ!」

 「え、いや、だ、だって貴方達って目立つし・・・いつも一緒じゃない? あ、あはは」

 「マジかよ・・・」




 杉並とはしばらく別行動を取ろう。エリカだけじゃなくて他のやつにも思われてるだろうしな。不良ぶってるけど本当はゲイ
なんですってとか言われたら流石にヘコむからな。


 そんな言い合いをしているとエリカのマンションが近づいてきた。どうやらかなり話に熱中してしまったらしい、あっという間に感じる。

 そろそろお別れか、そう思って組んでいる腕を外そうとして―――力を込められた。わけがわからない、そう思って隣のエリカを見る。

 エリカの目―――どこか期待した目でこちらを見てた、オレが弱い、あの弱々しい目の色で。腕を組みながらエリカはオレの方を見た。




 「よ、よしゆき?」

 「・・・なんだ」

 「せっかくだし―――上がっていく?」

 「・・・・・」 

 「あ、ほらっ、今日は晩御飯を御馳走になったし、ここまで送ってくれたのにお礼も無しってどうかなと思ったのよっ!」

 「いや・・・」

 「べ、別に泊まれっていうわけじゃないんだし・・・いいでしょ? ね?」

 「・・・・・・」

 「―――――ねぇ、上がっていってよぉ・・・」




 そう言ってオレの顔を覗き込んでくる。途端に弱くなるオレ、どうしようもなかった。喧嘩が強い、口が回る、そんな事は役に立たなかった。

 思わず頷きそうになるが無理矢理その行為を押さえつける。ここで頷いたら何のためにオレの家に招待したか分かりやしねぇ。

 だがそんな曖昧なオレに業を煮やしたのか、腕を引っ張って部屋に向かおうとするエリカ。沈黙を肯定と受け取ったんだろう、顔は笑顔だった。

 思わずたたらを踏んで連れて行かれそうになった時―――携帯の着信音が鳴った。またタイミングいいところで掛けてきた奴がいるな。

 杉並だったらとりあえず無視ろう。とりあえず携帯を取り出し、名前を見て――――――エリカの腕を思わず離してしまった。




 「あっ―――」

 「・・・・・」

 「よ、よしゆき?」

 「悪い、さくらさんからだ。大方早く帰ってこいとのお達しだろう、昨日の今日だからな」

 「え、あ、そ、そうなの?」

 「ああ、だから悪いんだが・・・」

 「―――――――――わかったわ、じゃあ、また今度ね」

 「ああ」

 「・・・・・・・・ばいばい」

 「ばいばい」




 残念そうな顔をしながら自分の部屋に帰るエリカ。それを見送り、手を振ってやった。少し元気が出たのか―――笑顔で手を振り返してきた。

 階段の所までエリカが進んだ所まで見送り、オレは踵を返した。そしてさっきから着信メロディが鳴り響く携帯のコールボタンを押した。

 そういえばアイツと番号交換したっけなと思いだす。さっきは物忘れがヒドイという嘘を付いたが、こんな事を忘れるなんてな――――




 「もしもし」

 『遅いっ! 一体何してんだ桜内っ!』

 「いきなり御挨拶だな、ええ? 美夏」

 『うるさいっ! お前が明日暇だろうと思って電話をかけてやったのだっ!』

 「あ? 明日ってなんだよ?」

 『はぁ~、お前もうボケたのか? 明日で今年は終わるんだぞ? 年末だ年末!』

 「あ、そういやそうだったな」

 『お前、本当に大丈夫か? 頭でも打ったのか?』

 「うっせー、ポンコツ」

 『ポ、ポ、ポンコツ言うなッ!』

 「だー分かった分かった! 耳元で騒ぐなっ! うっとおしい!」

 『お前が先に挑発してきたんだろうがっ! それでどうなんだ? 暇なのか暇じゃないのか!?』


 「明日は教会のミサに出て美味しい料理を子供達に出さなくちゃいけなんだよ、オレ。
  オレの料理を美味しそうに頬張る――――想像しただけでもう心が温かくなるね」


 『暇なんだな? じゃあ明日の午後3時に桜公園で待ち合わせなっ!』

 「オレの話、聞いてねぇだろてめぇ・・・」

 『あはは、桜内が教会なんかに行ったら悪魔と勘違いされて退治されてしまうぞ?』

 「言ってくれるじゃねぇか、このやろう」

 『さっきの意趣返しだ。で、大丈夫なんだろうな? 何か不都合があったら聞くだけ聞いといてやる』

 「態度でけぇな―――まぁいいぜ、行ってやるよ」

 『素直にそう言えばいいのだ。まったく天邪鬼なんだから桜内は・・・それじゃあ、また明日なっ!』

 「あ、美夏」

 『んー、なんだ? やっぱり不都合でもあるのか?』

 「いや―――――、風邪引くなよ」

 『あはは、なんだそれは』

 「・・・なんでもねーよ、またなっ」

 『あ、ちょっと待て』
 
 「あ?」 

 『・・・・・・・桜内も風邪引くなよ』

 「―――ああ、分かった。それじゃあな」

 『うむ! ではまた明日だ!』




 そう言って電話が切れた。久しぶりに美夏と会話した気がする、そんな気がした。たった一日か二日程度なのにな。

 思わずさっきはエリカに嘘をついちまったが・・・これでよかったと思っている。あのまま行ってたら何かあったかもしれない。

 悪い事をしたと思っている反面―――美夏から電話がきて喜んでいる自分がいる。とんだ二股野郎だな、オレ。




 「どっちとも付き合ってる訳じゃねぇが―――浮気している気分だな、オレ」




 事実その通りだと思う。あっちにいい顔してこっちにいい顔する人間、嫌いな人種だった筈なのに―――人の事言えないな、オレ。

 そう思いながら家に踵を返した。また遅く帰っちまうとさくらさんが拗ねてしまう。拗ねたあの人の機嫌を元に戻すのは難しい。

 変なところ子供だよなぁ、さくらさんて。身長も見た目もアレだが――――本人が聞いたら怒りそうな事を考えながら帰路につく。


 明日の年越しか・・・楽しそうな事がありそうな気がする。明日の事を考えながらオレは歩いた。年末―――もう今年の終わりも近い。





















 



 



[13098] 13話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/20 15:36













 「寒いなー・・・ちきしょう」

 「男が弱音など吐くな」

 「寒いもんは寒いんだよ。コーヒー奢れ、コラ」
 
 「お前は女に飲み物奢らせるのか? 男の風上にも置けない奴だな」

 「最近とある事情で金が飛んで行ったんだよ。もうそれは見事にパタパタとな」

 「お前の元を離れて正解だな、そのお金は。お前が持っていたんじゃロクな事にしか使わないからな」

 「うるせーハゲ」

 「み、み、美夏はハゲてなんかいないっ!」

 「いつでもそのニット被りやがって・・・中身はどうなってんでしょうかね」

 「だ、だ、だからっ!美夏はハゲてなんかいないっ!」

 「分かった分かった、ごめんよ。ハゲにハゲっていうのは可哀想だな、もう言わないよ」

 「は、ハゲって言うなーーーっ!」




 相変わらずこんな寒さでも五月蠅い女だ、空なんて今にでも雪が降りそうな色合いだってのに。まぁ、コイツらしいったらコイツしいが。

 オレ達は時間通りに落ち合う事が出来て、今こうして屋台のクレープを頬張っていた。こんな寒空の中ベンチに座っているのは辛いものもあるが。

 神社では年越し用の屋台が出るだろうし、暖かいお雑煮とかも出る。その時が今から楽しみでしょうがない。早くありつきたいもんだ。




 「さて、何で時間潰すよ?」

 「む、そうだな・・・ここは桜内に任せるぞっ! やはり男がこういう場は仕切るもんだ」

 「時代錯誤も甚だしいな、いつのロボットだよお前は」

 「時代は関係ない。男とはどの時代でもカッコつけたがるものだ。ここは桜内の男を立てると言ってるんだぞ? 美夏は」

 「まぁ・・・あながち否定できねぇけどな。しょうがねぇ――――エスコートしてやるよ、お嬢様」

 「うむ! よろしく頼むぞっ!」




 そう言ってオレは美夏の手を取って歩き出した。美夏は驚いた顔をしたが――――照れた顔をして手を握り返してきた。

 一応オレも恥じらいが無い訳じゃないが、それよりこの時間の方が大切だった。隣で元気よく歩いている美夏を見てるとそう思う。

 いつまでもこの時間に囚われていたい――――が、寒さには勝てそうにはない、とりあえず商店街の方で暇つぶしをする事にした。




 「とりあえず商店街の方に行こう。まぁ、あそこしか遊べる場所がないんだが」

 「ん~? 別に美夏はどこだっていいぞ。桜内が行きたい所へ行ってくれ」

 「んじゃまぁ、この間行ったゲーセンにでも行くか。また何か取ってやるよ」

 「ホ、ホントかっ!? 実は美夏はまだ欲しい人形があったのだ! それ取ってくれ桜内っ!」

 「別にいいけど・・この間ゲーセンに寄った時に言えよ、取ってやったのによ」

 「あ、いや、そのな・・・あはは、あんまり桜内に迷惑を掛けるのもアレかと思ったものでな・・・」

 「・・・・・・」

 「わっ!」

 「そんな事、別に気にしねーよ」




 そう言って頭をガシガシ撫ででやった。こいつは本当にロボットの癖に義理固いというかなんというか――――もっと我儘言えばいいのにな。

 美夏は帽子が擦れる事を気にした風であったが、とりあえずなされるがままといった風だった。目も細めてるし、こいつ犬っぽいな。

 まぁ、あんまりやると帽子との摩擦で気持ち悪くなってしまうだろうから程々にしておいてやった。




 「むぅ~、お前は本当にいつも突然だな。驚いたぞ」

 「嫌だったのか? まぁ帽子の上から撫でたのは悪かったよ」

 「あ、や、嫌っていうわけじゃないんが・・・これからは前もって言え。驚くから」

 「前もって言ったらいい感じになれないだろう」

 「はは、なんだ、桜内は美夏といい感じになりたいのか?」

 「ああ、なりたい」

 「え!? あ、そ、そうか・・・・・」




 こいつから言いだしたのに顔を赤くして俯いてしまった。そんな美夏を見て知らずの内に笑みが零れてしまう――――本当に好きなんだな、コイツの事。

 その気持ちをオレは再確認した。エリカとの事で色々自信が揺らいでいたが、根本的な気持ちは変わっていないようで安心した。


 エリカを好きな気持ちはあるが・・・やっぱりコイツの事が一番好きなんだと思う。エリカに悲しい思いをさせてしまうだろうけ
ど、早く決着を付けなければいけない。




 「おい、ちゃっちゃと行って人形取っちまおうぜ」

 「ああ、コラッ! そんなに早く歩くな桜内っ!」




 そう言ってオレは商店街に歩き出した。とりあえず今は美夏が欲しがっている人形を取るのが先決だ、コイツの喜ぶ顔を早く見てみたい。

 そんな柄でもない事を思いながら手に力を込める。そして照れながらも握り返してくる美夏――――オレは確かに幸福を感じていた。






















 

 

 
 

 
  

 「いやぁ~大量だったなっ! まさか桜内にあんな才能があるとは思わなかったぞっ」

 「嫌な才能だな。大体あんなもんはコツさえ掴めばどうにでもなる」

 「ぬぅ・・・相変わらず捻くれてるなぁ。というかそんな事言われたら美夏の立場がまるでないぞ」

 「いいんだよ。女は黙って男が取ってきたものを素直に受け取ればいいんだ」

 「おー言うようになったなぁ、桜内も」

 「・・・お前が最初に言いだしたんだろ」





 あの後ゲーセンに行き、早速お目当てのモノが見つかったのでチャレンジしてみた。当然というかなんというか難なくソレは取れた。

 それで美夏は満足してしまったのだが、オレはそれだけじゃ満足は出来なかった。美夏が喜ぶ顔が見たくて再度UFOキャッチャーに挑んだ。

 まるで気分は子供に玩具を与える親父のような気分だ。生憎ガキなんていやしないし、結婚もしていないがそんな感じがした。



 結局5個ぐらい取ってしまったので、一回ウチに戻り人形を置いてきた。その時たまたまさくらさんが家に居て、美夏は驚いていた。


 かったるくなりながらも、美夏にかいつまんで昨日エリカに言った事と同じ説明をしてやる。美夏はオレが捨て子だと聞いて悲しい顔をしていたので
強めに頭をまた撫ででやった。別に気にする事でもないのになと思う――――事実、今までオレはそんな事を気にしたことが無い。


 まったく・・・どいつもこいつもオレを不幸だと思いやがって。十分満足してるってーの、今の生活に。





 「おお、もう出店やってるぞっ! 桜内っ!」

 「ん? もうそんな時間か」




 ゲーセンを出た時には空模様も暗くなってきており、落ち着かない子供みたいな美夏に急かされて今オレ達は神社まで来ていた。 

 携帯で時刻を確認する―――17:30。そろそろいい時間帯なのかもしれない、あちこちで出店を開きはじめる屋台が出てきているのが見える。

 あまりお参りとかはした事が無いので新鮮に見える反面、どこか懐かしいというような不思議な感じがした。多分小さい頃の思い出のせいだろう。

 小さい頃はさくらさんに連れて来られててからなぁ、音姉達も一緒に。もしかしたら神社に来るのはそれ以来かもしれない。 



 そういえば家を出る前に、音姉に話しかけられた。内容は――――今日はもちろん私たちと年末を過ごすんだよね、だそうだ。

 どうやらこっちのオレは、毎年は音姉達と過ごしていたらしい。なんとも寂しい限りだ、こっちのオレは女とか作らなかったのだろうか。

 まぁオレも人の事なんか言えたもんじゃない、この世界に来なければこんな想いはしなかったかもしれないしな。それだけは感謝できる。

 予定が入っていると言った時の音姉の顔はとても愉快な顔をしていた。半べそを掻きながら涙目になっている顔――――かったるかった。

 そんな音姉を振り切って今に至る訳だが、もしかしたらこの神社に来る可能性もある。あんまり鉢合わせしたくねぇなぁ、面倒くさい。





 「おおー早速焼いているなぁっ! おっちゃん、タコ焼きを1パックくれっ!」

 「オウ、らっしゃいっ! お嬢ちゃんついてるね~、今日初めてのお客さんだよ。ホラ、サービスでたこ焼き2個オマケにしといてやるよっ!」

 「い、いいのかっ! こんなデカイたこ焼きを二つもっ!?」

 「べっつにいいってことよっ! そっちのワイルドでカッコイイお兄ちゃんと食べてくれよ、彼氏なんだろ?」

 「――――ッ! か、か、彼氏!?」

 「ええ、そうですよ。こいつ恥ずかしがり屋なんでそう言われるとすぐこうやってテンパるんです。参っちまいますよ、ホント」

 「な、な、き、貴様――――」 

 「おー初々しいねぇっ! ホラ、もう二つオマケだっ! はっはっは!」

 「ありがとうございます、おじさん。それじゃあオレ達はこれで・・・」

 「おーう、また来てくれや」

 「はい、行くぞ美夏」

 「お、おいっ! 待て桜内っ!」




 そう行ってオレは歩き出した。美夏が慌てた様子で脇に駆け寄り――――自然な感じで手を繋いできた。その慣れた動作に嬉しさを感じる。

 美夏の顔を見るとまだ顔を赤くしている。こいつロボットの癖に照れるという感情が出過ぎなような気がする、さっきも照れてたし。

 オレがそうやって美夏の顔を見ると視線に気付いたのか、更に顔を赤くして見返してくる。まぁ可愛らしい事で。




 「な、なんだ桜内っ! ひ、人の顔をジロジロ見るなっ!」

 「んだよ、まださっきの事で照れてるのか、お前」

 「あ、当り前だっ! いきなりあんな事言って・・・お前には恥ずかしさという感情がないのかっ!?」

 「別に」

 「――――ッ! お前と言うやつは本当に・・・」

 「悪い気がしたなら謝るよ。興味ない男にあんな事言われても気持ち悪いだけだしな、すまん」

 「あ、や、べ、別に謝る事ではない・・・」

 「でも嫌だったんだろ?」

 「い、嫌とは思ってない・・・む、むしろだな・・・」

 「むしろ・・・・・・・なんだよ?」

 「う、う、うるさいっ! ホラ、どっかに座ってたこ焼き食べるぞっ!」

 「お、おい――――」




 そう言って握っている手に力を込めて歩き出した。つられて小走りになるオレ、いつもとは逆のパターンだった。

 美夏は照れ隠しの為にドンドン先を歩いて行く。まぁ、よっぽと恥ずかしい思いをさせちまったってわけか、本当に初々しいなコイツ。

 むしろ――――その先の言葉が聞きたかったが何も焦る事はない、時間は十分にある。そう思ってオレは美夏の脇に並んで手を握り返した。

























 「女のトイレで一人待つ男か・・・ホント柄じゃねぇ・・・」




 そう呟いてタバコを吹かすオレ。今の時間帯がピークなのか――――辺りは喧騒にまみれていた。出店の人たちが忙しそうに走り回っている様子を
傍目に背伸びをして、美夏のトイレの帰りをベンチに座って暇そうにしながら待っていた。


 あの後いいベンチを美夏が見つけたので、そこに座り買ってきたタコ焼きを二人して分けあって食べた。たこ焼きは出来たてでとても熱く、すぐ体が
温まるのを感じた。


 食事し終えてしばらくは談笑していたが、急に美夏がモジモジしだしたのでオレはどうしたと聞いた。それに対して美夏は曖昧な笑顔。

 この様子を前にも見た事があるようなする―――すぐ思い出した。オレはさっさとトイレに行って来いと言うと、羞恥心で顔を真っ赤にした。

 しばらくオレに対して罵声を吐いていたが生理的な現象は我慢出来ないらしく―――すぐトイレのある方向に頼りない足取りで走って行った。




 「ったく、別に気にする事じゃねーのによ・・・あのアホは・・・」




 そう言ってタバコの煙は肺に入れて適度に吐きだした。貯金は金欠だがオレはヘビースモ―カ―だ、タバコだけは我慢できない――――よく味わって吸おう。

 タバコも味と匂いに酔っているとどこかで見た事があるような顔ぶれの集団が目に付いた。オレが気付く時にはあちらも気付いたらしく、オレと目が合う。

 あまり喋りたくない連中ばかりなメンバーがごっそりといた。特にアイツとだけは今は喋りたくない、そう思って腰を上げかけて――――




 「やっほぉ~! 義之くぅん! 何してるの~!?」

 「ちょ、ちょっとっ! 茜!?」

 「あら、義之じゃない・・・・」

 「・・・・・・」

 「あ、義之君・・・・」




 呼び止められてしまった。声を掛けたのは茜、それにビックリして驚いている小恋、いつも通りの雪村、オレを睨んでいる板橋、そしてキョドリ顔の白河だ。

 まったくもって面倒くさいメンバーと会ったもんだ。特に茜とは前に一緒に居て美夏に誤解された件もある―――おしゃべりする気にはとてもなれなかった。

 そう思ってどこかへ移動しようとするオレ。美夏とは携帯で連絡し合うとしよう、トイレに行って帰ってきてオレがいなかったら怒鳴られるからな。

 何より悲しい思いをさせたくない。あの元気な顔が曇り顔に変わってしまうのはオレとしてもいい気持ちじゃないからな。




 「はいは~いっ! どこへ行こうってのかなぁ~よっしぃは?」

 「だれがよっしーだよ――――そうだな、あまり変態がいない所だな。今日は年も変わるという特別な日だ、落ち着いて年を過ごしたい」

 「ええ~!? そんな人がいるの~!? おっかないよぉ~よっしぃ私の事守ってよぉ~」

 「お前は湾岸戦争でものほほんとして生き残りそうだ、オレなんてチンピラは必要ねぇよ。一人で充分だろ」

 「女の子は男の子に守ってもらいんだよぅ? 義之くんみたいなイケメンに守ってもらうのが私の夢なんですぅ~」 
 
 「よく喋る口だ。塞いでやろうか?」

 「え、もしかしてキ―――」


 「あそこでとても大きいタコ焼きを作っている店がある。とても大きすぎてニーズに応えられないと思っていたが―――お前と喋って分かった気がするよ。
  きっとあのタコ焼きは、女のやかましい声に頭にきた男が買って口に詰めさせて黙らせる代物だってな。どうだ? 買ってやるぞ? ん?」


 「――――ッ! ぶぅ~・・・いいですよーっだ!」




 そう言って茜がオレの腕を組んできた。それを見て呆然とする雪村一同・・・そりゃそうだな、学校での様子を見てたらとてもじゃないが出来ない。

 しかし茜はそんな事を気にした様子はなく、むしろいつもみたいにくっついてきた。てか怒ってるなら腕を組むんじゃねぇよ、かったりぃ。

 そして小恋がハッとした顔になりオレの達の間に入ってきた。小さい声を上げて離れる茜、顔はとても不満そうな顔を呈していた。




 「なぁにするのよぉ~小恋ちゃん」

 「えっ、いや、あの・・・と、とにかくっ! そんな事しちゃ駄目だよ、茜っ!」

 「えぇ~別にいいでしょ――――って、あ、そうか・・・小恋ちゃんの事忘れてた。ごめんねぇ~小恋ちゃん・・・小恋ちゃんも義之くんのこと――――」

 「わ、わ、私は関係ないよっ! よ、義之が困っているからつい・・・」 

 「ふ~ん、まぁいいけどねぇ」

 「おい、義之」

 「んあ?」




 茜と小恋がそうやってダベっている時に板橋に声を掛けられた。顔はどこか気まずそうな呈を表していた。オレはてっきり嫌味でも言われもんだと思ったが。

 まぁこいつの場合根に持つような感じではないだろう、あまり喋った記憶がないが単純そうな性格だからな。普段の行動を見ていれば分かる。

 板橋とオレがそうやって喋っていると少し場が静まった気がした。こいつとは一悶着あったしな、みんなが緊張するのもよく分かる。





 「お、お前も年末の祭りにきてたのか・・・あ、あはは」

 「・・・ああ、是非来てみたいって言ってた奴がいてな。かったるい事この上ないが――――何だかんだ言って付き合う事にして今に至るって訳だ」

 「へっ? ああ、そうなのか・・・もしかして杉並か?」

 「・・・お前、それを本気で言っているなら少し正気を疑うぞ」

 「あ、そうだよな・・・言ってて寒気がした」




 何が悲しくてあいつと好き好んで神社で一緒に遊んで年を過ごさなくちゃいけないんだよ、アホかっつーの。考えたくもねぇ事だよ、マジで。

 言ってて失言だと思ったのか黙ってしまう板橋。きっと同じ事を想像したのだろう、顔の表情が歪んでいた。てかそう思うなら言うなよ。

 まぁ誰と来てるかなんて言う必要もないだろう――――そう思って行こうとした時に白河に声を掛けられた。




 「よ、義之くん?」

 「あ?」

 「いや、あの、ね、あ、あはは・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・はは」 




 そう笑ったきり黙ってしまった。一体なにが言いたいのか分からんし、言いたい事あればハッキリ言えばいいのにな。

 そういうオレは両手をポケットに仕舞ったまま白河の顔を見据えている。両手―――寒いってのもあるがもうニ度々あんな思いをするのがご免だ。 

 チラチラとオレの仕舞っている手に視線を動かす白河の目――――知らずしらずの内にオレは白河と距離を取っていた。




 「あ、あはは、そんなに身構えないでよ、義之くん」

 「そういうつもりはなかったんだが――――そういう風に見えたんだろうな、アンタには」

 「・・・・」

 「お、おい、義之っ!」

 「ん?」

 「あんま苛めてやんねーでくれって。義之の事色々心配してたんだぜ、白河は」

 「・・・そうか」

 「いや、そうかって・・・・・」

 「それは悪いことしたな――――悪かったよ。じゃあオレは行くわ、よいお年を」

 「お、おい――――」




 適当に謝ってオレは歩き出す、目指すは美夏が行ったであろうトイレの場所。すれ違いになるかもしれないだろうがここにいるよりはマシだ。

 板橋もなんて声を掛けたらいいか分からないようで、しどろもどろと動いている。オレは構わず足の歩みを速めた、もうこれ以上イライラするのはごめんだ。

 そんな様子を見て、また茜が腕に飛びついてきた。こいつ――――呆れた視線で茜の顔を見据えた。そしてオレと目が合い、ニコッと微笑む茜。



 「・・・・・・・」

 「あ、今こいつカワイイなと思ったでしょ? 義之くん」

 「・・・ふざけろ」
 
 「そんなに照れなくてもいいのよぉ、私の笑顔が武器って事は分かってるしぃ~ぶっちゃけいつも義之くんがそう思ってた事知ってるんだからねぇ」

 「あ?」

 「そしてそんな笑顔をみた義之くんはいつも照れ隠しで私を小突くんだよねぇ、知ってたんだよぉ?」

 「・・・さぁな」

 「まぁ、そういう私も義之くんの笑顔に弱いんだけどねぇ・・・」

 「は? オレがお前の前で笑った事ねぇだろ? ボケてんのか、お前」

 「うっわぁ~自覚無しなのぉ~? タチわるいなぁ、結構私の前では笑ってくれるよぉ?」

 「――――そうだった、かな」

 「うん・・・いい笑顔でさ、とっても素敵だよ?」




 そう言って照れてしまったのか少し顔を染めて俯く茜。こいつにしては珍しい事だ、これ以上の恥ずかしい事なんか平気でやってくるのにな。

 もしかしてアレか? いざ責められるとタジタジになっちまうタイプかコイツ、難儀な性格してるなオイ。まぁ可愛らしいと言うかなんというか。

 だからつい撫でてしまった。驚き顔を上げる茜、表情は信じられないといった風だ。まぁ、オレがこいつに優しくするのなんて滅多にないからなぁ。  





 「何信じられないって顔してるんだよ、茜」

 「だ、だってぇ、義之くんがこんな事してくれるなって・・・初めてじゃない」

 「飴と鞭だっけか――――たまにはな」

 「ふ――――」

 「あ?」

 「ふ、ふぇ~~~~ん、嬉しいよぉぉぉぉ」

 「バ、バカ、泣くなよっ! てめぇ!」

 「だ、だってぇ・・・・ふぇ~~~ん」




 感極まってしまったのか泣くのが止まらない茜。その様子を見て感じてしまうこいつの気持ち――――ああ、本当にオレの事が好きなんだな、茜は。


 いつも好きだ好きだ言ってたので麻痺してしまっていたのか、すっかりその事を忘れていた。挨拶代わりに好きだって言うんだもんな、こいつ。


 泣いている茜はいつもの余裕の感じは見られなく、普通の女の子に見えてしまった。思えばエリカだけじゃなく、茜にも思わせぶりな行動ばかりしていた。


 その内決着をつけなくちゃいけないと思う。いつまでもこのまま茜の好意にすがって放っておく訳にもいかない。甘ったれたガキじゃないんだから。


 このまま中途半端に放置していたんでは茜も新しい恋も始める事が出来やしない。このまま茜を連れていって、色々腹を割って話したい気分に駆られる。


 しかしそうする訳にも行かなかった。美夏がいつ帰ってくるか分からないし、茜が雪村達に背を向けているので今こっちで何が起きているのか
分からないだろうがすぐに勘付く。オレはとりあえずここを立ち去る事にした。






 「お、おい茜、オレはそろそろ行くからな?」


 「ふぇぇ~~~~~~ん、ど、どこ行くの~?」


 「ちょ、おま、バカっ! 腕を離せよお前っ!」


 「ふぇ~~~ん・・・わ、わたしぃ・・・義之くんと遊びたいよぉ~・・・ふぇ~~ん」


 「わ、分かったっ、今度どこかへ連れて行ってやるよっ!」


 「ふぇ~~~ん、また優しくしてくれたよぉぉぉ」

 
 「だから泣くなっつーのっ! それに――――色々腹を割って話したい事もあるしな」


 「――――え・・・?」


 「オレ達の事とか――――オレの好きな人とかについてな」


 「――――ッ!」

 
 「だから今度遊びに行こう・・・な?」


 「・・・・・・・あーあ、せっかく誘ってもらったのにコレだもんなぁ・・・グスッ」

 
 「わりぃ、あんまこういう事に慣れてなくてな・・・・」 


 「べっつに謝らなくていいよぉ~・・・でも絶対だよ? 遊びに行く約束・・・グスッ」


 「ああ、絶対だ。誓うよ」


 「グスッ・・・何に・・・・?」


 「そうだな・・・さくらさんに誓うよ」


 「・・・ぷっ、なによぉ・・・それ」


 「オレがこの世で頭が上がらない人物はさくらさんだ、オレの中じゃアメリカの大統領より上の存在だと思っている」


 「・・・・ま、いいわ・・・今日もその『好きな人』と遊びに来てるんでしょう?」


 「――――ああ」


 「・・・・・・分かったわぁ、名残惜しいけどここでお別れねぇ・・・」


 「わりぃな、じゃあ――――また今度なっ!」


 「あ――――」




 そう言って茜の額にキスをしてオレは駈け出した。なぜそんな行為をしようと思ったかは分からない・・・ただ好きな女にするようなキスではなかったと思う。


 決別――――そういう意味でのキスだと思う。そういえば外国じゃ別れ際に親愛なる人にはキスをするというが――――なんとなく気持ちは分かった。

 
 とりあえず今度遊ぶ約束を取り付けたが―――何か奢られそうだな、少し憂鬱な気分になる。オレは財布の心配をしつつ走った。






















 「ちょ、ちょ、ちょっと茜!?」

 「ほえっ?」

 「い、い、今キスしてなかった!? 義之とっ!」

 「え~なんでぇ~? なんで義之くんが私にキスなんかするのぉ?」

 「え、いや、だって――――」

 「ほら、そんな事より小恋ちゃん? 早く屋台に行きましょうよぉ~。なんだかいっぱい食べたい気分なの今は~」

 「あ、茜!? そ、そんなに引っ張らないでよぉ~!」

 「ほらぁ~板橋くんたちもぉ~」

 「あ、ああ・・・・」

 「茜、何かあったの?」

 「ん~ん、別になんでもないよぉ~」

 「だって涙の跡――――」 

 「ほらぁいいからさ~」

 「あ――――」




 そう言って杏ちゃんの腕も引っ張って歩き出す。板橋くん達も慌てて私達の後を追ってきた、まったく~そんなに呆けてちゃ口に虫が入っちゃうよぉ。


 
 ――――――――振られちゃったかなぁ~・・・・一度ならず二度までも・・・あ~あ、ついてないなぁ私って・・・



 心の中でお姉ちゃんの心配そうな気持ちが伝わってくる。好き勝手言って体借りてるのにそんなに心配しなくてもいいのにさぁ~嬉しいけどねぇ。


 悔しい気持ちはあるけど・・・どこかサッパリした気持ちもある。やっぱり白黒ハッキリつけたい気持ちもあったんだと思う。


 義之くんはあんな性格してるのにさぁ~私には何か優しいんだもん・・・なんだかんだいって遠ざけたりもしないし、期待しちゃうって~の、まったく。


 もしかして私の事好きなんじゃ・・・っていう風に思わせる態度もよくないと思うんだよねぇ、まぁ見事にそう思ってましたが・・・うう・・・。


 もう少しでイケそうな雰囲気だったと思ったんだけど・・・好きな人がいるんじゃ~しょうがないかな、その人が私だったらよかったんだけどね。


 どちらにせよ――――あの義之くんが選んだ人だ、かなりの女に違いない。少し想像してみるが――――全然想像つかない。


 パッと思い付いたのは女神さまだけど・・・義之くんの場合、相手が女神様でも平気でクツを舐めろとか言いだしそうだしなぁ・・・。


 なんにしても振られるのなら、その『好きな人』を見せて欲しいものだ。それぐらいは許されるだろう、ディープキスしたし。




 「ちょ、ちょっと茜っ! 食べすぎじゃない!?」

 「いいのいいの~・・・んぐ、食べたい気分なのよぉ~っ!」

 「太るわよ、茜」

 「今日ぐらいは食べたい気分なのよぉ~・・・んぐ」
 
 「お、美味しそうなタコ焼き発見っ! いただき――――」 

 「――――ッ!」

 「ぎゃぁああ、いでぇっ! な、な、なんで今爪楊枝で刺されたの!? オレ!?」

 「それは私のなんですぅ~っ! 今度食べようとしたら目に刺すからねぇ~!?」

 「ひぃぃぃぃ!?」




 もし彼女を紹介するの嫌がったらディープキスした事をその女の子にバラしてやろう。そんでもってそれがファーストキスだって事もばらしてやる。

 まぁ、なんにしても別に取り合う気はない。ただ本当に見てみたってだけ、興味本位なものだ。私を振ってまで選んだ女・・・気にならない訳がない。

 とりあえず遊びに言ったら高い鞄でも買ってもらおう、失恋記念に。そう胸に決心して、大盛り焼きそばをズルズルと汚い音を立てながら喉に押し込んだ。






























  

 
  
 トイレの所で待つも一向に美夏は現れてこなかった。まさか中に様子を見に行くわけにもいかず、とりあえず電話を掛けてみることにした。

 しかし一向に掛かる気配がない――――何か嫌な予感がする。あいつの性格なら何かあったらメールや電話の一つや二つしてくるはずだ。

 オレは急激に不安に駆られた。とりあえずこのままでは埒が明かないので、どうか無事でいて欲しいと思いながら神社周辺を歩き出した。





 しばらく見て回ったが一向に美夏の姿は見つからなかった。何回か電話を掛けてみても反応無し、オレは物凄く焦っていた。

 感情―――とてもじゃないが冷静でいられなかった。ちょっと前までのオレからすると信じられないザマだ、冷静さを欠くなんて。

 ここ最近のオレはどうかしている。感情の起伏が激しくなっており、前より残忍な性格になったと思うし――――優しくもなったと思う

 いつもなら板橋達と会話しているってだけでも虫唾が走るという有様だったが、さっき話している時はその半分ぐらいの嫌悪感しか抱かなかった。

 美夏の笑顔を思い出す―――もしかしたらアイツのおかげで変われたのかもしれない。もう一つ考え付く理由はあるがそれも確信的なモノでは無い。

 なんにせよ早く探し出さないと――――そう思っていると脇をすれ違ったカップルの話が聞こえてきた。本当に偶々、偶然だった。




 「ねぇ、さっきの本当にロボットかなぁ? 確かに煙吹いてたけど・・・」

 「信じられねぇけどそうなんじゃね? すげー人っぽい外見だったけどさ、あんなに派手に煙吹かれたんじゃあな」

 「――――ッ!」




 人間と間違えるぐらいの外見のロボットに煙・・・オレは思わず気が遠くなるのを感じる。まさかあいつか、いや、それしか考えられない。

 いくら精巧なロボットといえどパッと見でそうか否か見分けがつく。ロボットが普及し始めてしばらく経つ、大体の人は見分けが出来るようになっていた。

 そんな人たちがトロボットかどうか疑う精巧さ――――あのバカ野郎が、何やってんだよ・・・・っ!




 「あのー、すいません」

 「あ、は、はい? な、なんでしょうか?」

 「さっき偶然ロボットの話が聞こえてきまして・・・もしよろしければそのロボットがどこにいるか――――教えてくれませんか?」

 「あ、はい、別にいいですけど・・・あっちの林の方です」

 「どうもありがとうございます」

 「あなた、もしかして・・・所有者ですか?」

 「え、まぁ――――みたいなもんです」

 「だったら早く行った方がいいですよ、あの調子じゃもうすぐ――――」




 もうそこまで聞いた時には走り出していた。男には悪いが礼を言う暇も惜しかった、全速力で駈け出す。せめて・・・せめて無事でいてくれればそれでいい。

 そう祈りにも近い想いを抱きながら走った。そうしている内にさっきの男が言っていた林の方まで来た、わずかだが煙が見えている。

 周りの人達にもそれは見えているのだろう、みんな其処に行かないにしても視線を投げかけていた。オレは急いでそこに駆けつけた。





 近くまで来ると確かに男の言った通り、その異常さが分かる。煙は絶えどなく出ているし色も白ではなく、黒に近くなっている。

 急いで其処まで走り出した。速く走っているはずなのに遅く感じる、すごくもどかしい・・・急いであそこまで行かなければいけないのに・・・っ!

 ちくしょう、何だって連絡しなかったんだよアイツはっ! そういう怒りと焦りで気持ちがいっぱいになる。そしてオレはやっとそこにたどり着いた。



















 ――――――――――そこには四肢をだらしなく放りだして、煙を吐きだす美夏の姿があった。目も虚ろでオレの姿なんか見えていないようだった。















「美夏っ!!」





 そう叫んでオレは美夏の所まで駆け寄った。しかし反応は無く相変わらず虚ろな瞳をしていた。オレはとりあえず美夏を背負って人気がいない
所まで移動した。どこか冷静な部分が残っていたのか――――人目に晒させてはマズイと思った。



 そうして神社の裏側に辿りついた。その神社の壁に美夏を寄っからせて頬を叩いてみた、しかし何も反応を示さない。オレは焦る気持ちでいっぱいだった。


 だが無理矢理その焦りを押さえつける――――こんな時に冷静にならないでどうするんだ、冷静になれ、冷静に・・・・・。


 そう思ってオレは自分の顔に手をかけて、目を閉じる。そうやって無理矢理その気持ちを落ち着かせた。次に目を開いた時にはいつものオレに戻っていた。


 そしてすぐに気付く―――美夏と最初に会った時の事を。ちくしょう、大事な事だってのにすっかり頭がイカレていた。オレは自分の顔を殴り付けた。

 
 手のひらに集中してイメージする、バナナ入りの饅頭の物体を。程無くしてそれは出来た、この間のよりも格段に上手に出来たと思う。


 口に含ませる―――咀嚼出来ないほどに弱っていた。だから千切って少しずつ口に含ませ、顎を無理上げさせて飲み込ませた。


 その行為を何回かして内に、だんだん美夏の状態が回復してきたように思える―――煙が段々収まってきた。オレは根気よく何回も千切って口に含ませた。


 あともう少し――――そう思っていた時に電話の着信音が鳴った。だが無視した、今はそんな事に構っている場合じゃない、早く美夏を――――

 
 しかし電話は何回も鳴り響いて切れそうにない、だから電源ボタンを押して切ってやった――――しかしまた掛かってくる電話、オレは出てやった。




 「誰だ」


 「あ、よしゆき? 私エリ――――」


 「電話を掛けて来るな、いいな?」


 「え、な、なんで――――」


 「いいから掛けてくるな。だんだんお前への愛情が憎しみに変わってきたよ。これ以上何かしたらブン殴る」


 「え、ちょ、よし――――」
 


 
 そう言って電話を切り、電源ボタンを押して電源を切ってやった。これでもう邪魔をされないで美夏を助ける事が出来る。

 そしてまた美夏の口に千切って饅頭を入れる作業に戻った。そして段々目の焦点が合ってきて――――オレと目が合った。

 よかった・・・なんとか助ける事が出来た――――それでホッとしたのか思わず腰が抜けたかのように座り込んでしまった。




 「あ・・・さく・・・らい?」

 「よかった・・・本当によかった・・・」

 「・・・・・・・泣いているのか・・・」

 「・・・誰のせいだと思ってるんだ、バカ野郎・・・」

 「・・・すまない」




 そう言ってまた美夏の口に千切れた饅頭を入れてやる。咀嚼出来るまで回復したのだろうか――――饅頭を手のひらから奪いガツガツ食っている。
 
 そこまできたら後はもう大丈夫だと思い、オレは懐から出すフリをして饅頭を作る事に専念した。腹がドンドン減っていくが気になりやしない。

 そしてある程度回復したのかもう大丈夫だと美夏は言った。オレはやっと一安心して――――美夏の頭にゲンコツを落とした。




 「~~~~~~~~~ッ!!!??」


 「っこのバカっ! なんでオレに連絡しなかったんだ!? ブン殴るぞテメェ!」


 「こ、この――――」


 「ああ!? なんか言いたい事でもあんのか!? どんだけオレが心配したんだと思ってるんだよっ!」


 「す、すまない・・・・」


 「すまないって・・・そう思ってるんなら最初からやるんじゃねぇよっ! なんでオレに連絡しなかったんだっ! ああ!?」


 「―――――と思って・・・」


 「聞こえねぇっ! もっとでけぇ声で喋りやがれ! このポンコツがっ!」


 「――――――――ッ! さ、さくらいに迷惑をかけると思ったからだっ!」


 「なんでオレに迷惑なんだよてめぇ! 言ってみろよ!」


 「お、お前が楽しそうに例の美人女と喋っていたからだっ! こ、この女タラシ野郎っ!」


 「ああ!? 別に楽しそうじゃねぇよ! 勝手に勘違いしてんじゃねーぞ、このアホが!」


 「う、嘘つけっ! 鼻の下伸ばしてヘラヘラしてた癖にっ! さっさと戻ればいいだろっ! あの女の所にっ!」


 「こ、この野郎・・・!」


 「ど、どうせお前のお気に入りの女なんだろっ!? お、お前の性格からして興味無い奴だったら無視するもんなっ!」


 「て、てめぇっ! 言う事欠いてそれかよっ!」


 「う、うるさいうるさいっ! 桜内なんか早くあの女の所に戻ればいいだろっ! い、いつもいつもお前は美夏に思わせぶりな行動ばかりして・・・っ!」


 「――――美夏?」


 「い、いつも変に優しくして、カッコ付けて、手なんかそっちから握ったりしてっ・・・・・グスッ」


 「お、おい」


 「お、、おまけに・・・グスッ・・・クリスマスの時なんか・・・ひっぐ・・・あんなプレゼントなんかしてっ!」


 「ちょ、ちょっと落ち着――――」


 「み、み、美夏はだなっ!」


 「あ、ちょっと待てっ!」


 「お、お、お、お前の事が・・・・グスッ」




 ああ、この先の言葉を言わせてはいけない気がする。やっぱり男からこういう事は言うべきだと思っているからな。しかし美夏の勢いは止まらない。
















 「美夏はお前の事が好きなんだっ! いつからは・・・グスッ・・・・分からないけど・・・っ! お前の事が本当に――――本当に好きなんだっ!」













 


 女に言わせちまったよ――――その後悔半分と、嬉しさ半分がオレの心でいっぱいになった。なんか、満たされた気がした。




 「そうか・・・・」

 「そう、だ・・・・・ひっぐ・・・で、でも美夏はロボットだし、言わないで決めようと――――――――」

 「オレの知り合いにすげぇ変な奴がいてさ」

 「・・・・グスッ・・・・・・・・?」

 「自分は最新鋭だ、すごいロボットだって言ってる奴がいるんだけど・・・どう見えてもすごくは見えなかった。最初なんか煙吹いてたしな」

 「――――ッ! き、きさ――――」

 「でもオレには普通の女の子にしか見えなかった。表情豊かで、感情を体いっぱいで表現してた。そこらへんの人間より人間らしかった」

 「・・・・・・・・・」

 「そしてその日の帰り道・・・そいつが覚えているかどうか分からないけどな、桜の木の下を通ったんだよ。雪も降っていた」

 「・・・・・覚えてる」

 「オレの知り合いの話だぞ?」

 「わ、わかっているっ!」

 「んでまぁ、そいつが雪で興奮しちゃってな、はしゃいでたんだよ。オレは呆れてその光景を見ていたんだが・・・次のシーンでオレは驚いた」

 「・・・なんでだ?」


 「とても――――綺麗だったからだ。雪の中を感情いっぱいに走り回り、そして桜の葉が舞っている中で踊り、月を背景にして幻想的だった。
  そしてソイツに一目惚れした」

 
 「――――――――ッ!」

 「今までで初めてだったよ、この気持ちは。人なんかゴミみたいなもんだと思っていたからな、好きっていう気持ちが分からなかったんだ」

 「・・・・・・・・難儀な奴だ」

 「まぁな。そして、いつも気が付けばソイツの事を考えていた。何をするにしても、ソイツが頭から離れないでうっとおしかった」

 「・・・・・」

 「本当に好きになっちまったんだよなぁソイツの事さ。もうこの命なんか賭けてもいいぐらい愛している。ロボットだろうがそんな事は問題じゃねぇ」 
 
 「し、しかし――――」

 「そいつが人間だろうがロボットだろうが宇宙人だろうが些細な問題だ。問題はそいつがオレの事を好きなのか、オレをどう思っているかだ」

 「で、でも――――」

 「綺麗事なのかもしれない、きっと壁はあるだろう。ただでさえ人権屋がうるさいからな・・・だからどうした? そんなもんに負ける程弱いのか?
  人の言いなりになって、はいそうですかって頷いちまうような感情なのか? 違うだろ?」

 「・・・・・・」

 「だから美夏、オレとそんな奴らに立ち向かっていかねぇか? ロボットをくだらねぇ扱いしてる連中にさ――――一死ぬまで」

 「あ――――」 

 「だから、付き合おうオレ達。オレもお前の事が好きだ。一生離れねぇぞ? 死ぬまで一緒だな」

 「・・・・バカだな、お前は。もっとロボットなんかじゃなくて他の子がいるだろうに・・・」

 「っかやろ、お前じゃなきゃ駄目だ。で、返事は?」

 「――――――――ぷっ、今更返事も何もないだろうが・・・」




 そう言って――――美夏はオレの唇に唇を合わせてきた。オレは美夏をもっと感じたくて、体を引き寄せた。美夏もそれに従うようにオレの背中に手を回す。

 やっと・・・やっとここまで来れた。その嬉しさでいっぱいだった、愛おしさでいっぱいだった、ずっと感じていたい気持ちでいっぱいだった。






 この日からオレ達は付き合う事になった。先の困難なんか考えず、今は――――今はこの至福の時間を噛み締めたかった。




















 
 


 



[13098] 14話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/22 03:43
















 
 
 あの後しばらく美夏と談笑を楽しんでいた。これといって気負った会話等ではなく、いつも通りの気軽な会話だった。
 
 初めて会った時の事とかバイトの話とか―――そんな感じの会話だった。お互いに結構覚えているシーンなどがあり、それが地味に嬉しかった。

 楽しく会話をしていると年越しの鐘の音が響き、お互い少し照れながらも新年の挨拶をして――――お互い笑い合った。




 そしてバス亭まで美夏を送り届けて別れる間際に、明日もしよかったら一緒に遊ばないかと誘いの言葉を受けた。

 勿論オレに断る道理はなく、快くその言葉を受理した。むしろ少し情けない気分だった、こういうのは男のオレから言うべき言葉だと思ったから。

 その様なニュアンスの言葉を美夏に投げかけた―――美夏は笑った。お互い好き合っているんだからそんな事は気にしなくていい、そう言った。

 その言葉を投げかけられたオレは少し気恥ずかしくなってしまい、美夏の頭をガシガシ撫でてやった。美夏は文句を言いつつもその行為を受け入れてくれた。






 それが昨日の事である。その後オレは家に帰り、明日の為に早く寝ようとしたがなかなか寝付けなかった。まったく、ガキじゃねぇんだから・・・。

 そして色々考え事をしてみる、これからの美夏と一緒にいる生活を。頭の中で浮かぶのは幸せそうに笑う美夏と呆れながらも笑うオレだ。

 こんな考え事をしている自分にオレはかなり驚いている。ヤクザが子供を持つと優しくなるっていう話はよく聞くが似たような感じかもしれない。

 オレも美夏と過ごす内に変わったのかもしれない、美夏程ではないが随分と性格が柔らかくなったもんだ、本当に。

 だが――――あまり楽観視は出来ない。この間の路地裏の件、自分でも驚いていた。女をあそこまで血まみれにさせる程の大怪我を負わせたオレ。

 歯止めが効かなくなっている、常に心にストッパーを掛けていなければならない状態だ。すぐ感情が剥きだしになってしまう――――気を付ける事にしよう。

 そう思ってオレは寝返りをうち、目を閉じる。明日は楽しい一日にしよう――――そう思い、夢の中へ潜っていった・・・。  


























 翌日起きたオレは、とりあえずさくらさんの分も兼ねて朝食を作っていた。居間ではさくらさんが嬉しそうな顔をしてニコニコしていた。

 本当にこの人は子供みたいだなと思う。いつも思った事をズバズバ言って感情を隠す様な事はしない、大人とは言えないように思える。

 だが頭と冷静さはそこら辺の大人とは段違いだ。物事を合理的に多角的に考えられる頭脳、いかなるときも冷静に動ける行動力・・・。

 そういう所をオレは尊敬していた。オレなんかとは比べられないぐらいに能力が上で、密度もまた違う――――遥か上をいっていた。

 思えば小さい頃本を読み耽ったのもさくらさんに追いつきたくてかもしれない、今ではそう思っていた。




 「よっしゆきくーん! ごっはんまっだー?」

 「あーはいはい、今出来ますよ」

 「お腹ペコペコだよぉ~、さっきから美味しい匂いがしてたまらないよぉ~」

 「御期待に添えられるかどうか分かりませんが・・・ホラ、持って来ましたよ」

 「おぉ~っ! 今日は和食なんだね~!」

 「たまには、と思いましてね。それではいただきますか」

 「はいは~い、いっただきまぁす!」

 「いただきます」




 さくらさんに急かされながらも料理を作りあげ、居間に持っていく。するとさくらさんの顔が花でも咲いたかのような笑顔になった。

 まったく――――憎めない人だ、この人にはなぜか無条件で安心できる何かがある。その何かが何なのかは分からないが――――些細な問題とオレは思う。

 こうして美味しそうにオレの料理を食べてくれるんだ、そんな問題なんてゴミ屑みたいに小さい事だろう。そしてその笑顔を見ながらオレも食事を採る。

 もう見慣れた光景、前の世界ではこの時だけがオレの幸せなひと時だった。。学校ではケンカばかりしていてロクな思い出がまるでない。

 まぁ要因はオレなんだが――――しかしオレは新しい幸せを手に入れたのかもしれない、美夏という恋人を手に入れたという事実、離したくない。

 美夏と遊ぶのはお昼過ぎ、午前中は抜けられない用事があるとの事で午後からという事になったのが構いやしない。美夏と一緒に居るだけで満足なんだから。

 午後のひと時を想像すると胸が躍る。この時ばかりは時間が早く進めばいいのにと思っていた。焦る気持ちを抑え、オレは朝食を胃に掻き込んだ。






















 「義之く~ん、今日は何かご予定とか入ってるの~?」

 「え? 一応入ってますけど・・・何でですか?」

 「うんにゃ、今日は新年始めの日じゃん? どっか行くのかなぁ~って」

 「そうですか・・・まぁ、一応入ってますよ」

 「友達とお出掛け~?」


 「――――みたいなもんです」

 「え~? なぁに、今の間は~?」

 「なんでもないですよ、とりあえず商店街に行って来ようかなと」

 「そっかぁ~・・・気を付けてね、新年初めで人がごった返してるからさぁ~」

 「ついでに何か買ってきますよ、今夜は正月初めだし、少し豪勢にいきましょうか」

 「えっ!? ホントに!? わぁ~い!」




 別にさくらさんに言っても良かった気はするが・・・少し気恥ずかしくなってしまった。オレにとっては親に彼女を紹介するのと同義だしな。

 そのお詫びと言ってはなんだが今夜は少し豪勢な食事にしようと思う。どっちみち正月だし、たまにはいいだろう。金欠気味ではあるが・・・。

 さて、洗い物も済んだし後は適当にくつろいで午後になるのを待つか。そう思って居間に行き、腰を下ろそうとして――――――




 ピンポ~ン




 「んにゃ、お客さんかな?」

 「ああ、いいです、オレが出てきます」

 「ごめんねぇ~コタツが気持ちよくて離れられないよぉ~」

 「はは、でしょうね。多分音姉達でしょう―――よっぽど暇なんですね」

 「そういう事いわないの。じゃあ義之くんお願いね~」

 「うっす」




 そう言ってオレは玄関まで小走りで駆けて行った。新年早々この芳野家に訪ねてくるのは限られている、おおかた隣の家の朝倉姉妹だろう。

 新年はゆっくり過ごしたかったのにそうもいかないようだ――――かったるい事この上ない。だが無視するわけにもいかねぇしな。

 さっきまでの気分が少し下がるのを感じた。何にしてもオレは午後から美夏との用事があるんだ、あまり構ってやる道理はない。




 「はいはい開けますよっと」




 そう言って玄関の戸越しに相手方の姿を確認して―――――――手が止まってしまった。どうやら相手は一人らしい。

 髪の色は金髪だ、生憎オレの記憶ではさくらさんの親戚が新年の挨拶に来た記憶はない。来たとしても朝倉家の住人しかこの家には来ない。

 あと知っている金髪と言えば――――ああ、分かってるよ、そんな人物は最初から一人しかいねぇもんな。そうしてオレは戸を引いた。

 会えて嬉しいという気持ちと会いたくない気持ちでごっちゃ混ぜになったオレの感情―――そろそろ決着を付けるか・・・。




 「どうした、エリ――――」 




 声を掛けようとしたが――――言葉が上手く出て来なかった。確かに相手はエリカだ、いつも見ているような私服でそこに立っていた。

 だが様子が変だった。顔は俯いたままだし何より――――雰囲気が違っていた。悲しんでいるのか、哀しんでいるのか分からない。

 どちらにせよ負の雰囲気を纏っていたので、オレは声を掛けるのを躊躇われた。しかしそんな事を気にした様子がないようにエリカが呟いた。




 「電話」

 「え?」

 「電話、通じなかった」

 「――――あっ」




 そういえば美夏を助けるのに集中していて電源を切った覚えがある。かなり焦っていたので携帯の電源を切りっぱなしだった事を忘れていた。

 誰からか掛かってきたような気もするが―――生憎覚えていなかった。かなり必死だったからな、あの時は。初めてあんなに焦ったかもしれない。

 おそらく何か用事あって掛けたのだろうがオレとの連絡が通じないので心配になって来たというわけか、まったく律儀な奴だ。 




 「わりぃな、昨日少し用事があって電源を切りっぱなしだった」

 「・・・・・」

 「何か用事があったんだろ? まぁ、とりあえずあが――――」




 ――――瞬間、抱きつかれた。かなり勢いがあったのでたたらを踏んでしまい、玄関の上がり口に腰を降ろしてしまった。

 少し腰を強く打ってしまい、鈍い痛みが腰の周りを駆け巡った。オレはというと―――訳が分からなかった、なぜ突然こんな行動を取ったのか。

 エリカが顔を上げてオレの顔をみた。エリカの顔―――とてもじゃないが綺麗な顔とは言いづらい呈を晒していた。




 目なんか充血しているし、目の下の隈も酷い。恐らく一睡もしていなんだろうが―――何より酷いのは涙の跡だった。

 もうどれぐらい泣いたのか分からないぐらい乾ききってパサパサしていた。そしてもう離さないと言わんばかりにオレの体を抱きしめている。

 なぜこんな行動を取ったかオレは考えた―――が、思い当たる節が無かった。エリカはオレの目を見るとまたポロポロ泣き出した。




 「・・・義之・・・ひっぐ・・・私ね、何かしたの・・・・?」

 「え、なんで―――」

 「き、昨日ね・・・・グスッ・・・・義之に電話・・・掛けたら・・ひっぐ・・・すごい怒られた・・・グスッ」

 「オレが?」

 「・・・ひっぐ・・・う、うん・・・私の事が・・・憎いって・・・グスッ・・・言ってた」




 オレがそんな言葉をエリカに投げかけた―――覚えがなかった。そういえば確かにエリカから電話が来たような気もするが・・・。

 あまりに気が動転していてそんな事を言ったのか、オレ。エリカはオレの胸に顔を埋めたまま泣いて―――そのまま意識を無くした。

 オレの体を抱きしめる力が無くなったのか体が崩れ落ちる寸前、慌ててその体を抱きとめた。エリカの体重―――驚くほど軽かった。




 「お、おい!」

 「・・・・・」

 「んにゃ、どうして―――」




 あまりにも遅いので様子を見に来たのだろう、さくらさんが玄関まで来て―――真剣な顔でこちらに駆け寄り、エリカの体を調べ始めた。

 脈を取り、首筋に手を当て。指で目を開けさせて異常がないか看ていた。あまりの一連の動きの華麗さに、少しばかり驚いてしまった。

 ある程度看て無事だと分かったのだろう―――安緒のため息を漏らした。そしてこちらを真剣な目で見やり、エリカの状態を説明した。




 「寝不足だね」

 「は―――」

 「寝不足な上に泣いた跡もある、極度な疲労状態で走ってきたんだろうね―――体の熱が高い。風邪ではないよ」

 「ね、寝不足でこんな―――」


 「寝てないって行為はすごいストレスが溜まるんだよ、人間の三大欲求の一つだしね。そして一晩中泣いていた形跡もある。
  本来は泣くって行為はストレス発散の為なんだけど、よほど思いつめてたんだろうね、返って体に負担を掛けてしまったんだよ。
  エリカちゃんは話してみた感じ、一見気が強そうに見えたんだけど―――本当は気は小さいんだろうね。すごい疲労だよ、これ。」


 「―――そうですか」

 「何があったかは知らないけど・・・あまり女の子を苛めちゃ駄目だよ?」

 「分かっていた・・・つもりです」

 「まぁ、外野がどうのこうの言うのは筋違いなんだろうけどね、ホラ、そっち持って」

 「え?」

 「んもぉー、このまま玄関に置いて置く気? とりあえず義之くんの部屋に運ぶよ」

 「・・・分かりました」




 そう言って二人でエリカを自分の部屋まで運んだ。上着を脱がせて軽い格好にして、ベットに寝かす。とりあえず台所からおしぼりを持ってきた。

 それをエリカの額に乗せて安静な状態にする。そこまでの行動をやって、やっと一安心できる状態になった。最初倒れた時はヒヤヒヤしたが―――

 エリカちゃんの状態が落ち着くまで義之くん看ててやって、そうさくらさんに言われた。どうやら午後から大事な用事があるらしく、時間も無いようだった。

 もちろんオレは二つ返事で了承した。この状態のエリカを放っておく事なんか出来やしなかったし、そのつもりもなかった。




 「じゃあ、行ってくるね。本当ならこんな状況を放っぽり出していくのは忍びないんだけど・・・」

 「いいえ、ここまでやってもらっただけありがたいです。本当にありがとうございます」

 「んにゃ、別にどうってことはないよ。じゃあ―――エリカちゃんの事頼んだよ」

 「はい、任せてください。さくらさんは気にしないで行ってらっしゃって下さい」

 「―――うん、それじゃあ行ってきます」

 「行ってらっしゃい」




 そう言うとさくらさんは駈け出すような感じで出て行ってしまった。時間ギリギリまでエリカの状態をオレと看ていたので仕方ない。

 そこまでしてくれたさくらさんには感謝してもしきれない思いだ。とりあえずオレは換えのおしぼりを台所まで取りに来た、そして水を用意する。

 エリカの体には熱が溜まっていってそれを吐きだすかのように汗が絶えどなく流れていた。そしてふとオレは気付いた、大事な事を。




 「―――今日のデートは無し、か」




 後で美夏に電話しておこう。残念がるかもしれないが、背に腹は変えられない。予定を変更して明日にでも仕切り直すか。

 そう考えながらおしぼりと水をオレの部屋まで運んだ。その時にチラっと時計を見ると、もうお昼を回ろうとしていた。



























 

 あの後美夏に連絡を入れた。どうやら美夏は出発する寸前だったらしく、バスの音が電話越しに聞こえた。もう少しで美夏に余計な金を払わせる所だった。

 最初はかなり怒っていたが、喋っていくうちに段々元気が無くなっていくのが手に取って分かった。その悲しい声質の言葉を聞いてオレは少し胸が痛くなった。 

 とりあえず明日にでも仕切り直そうという約束を取り付け、電話を切る。そして部屋に戻るとエリカは少し元気になったらしく、背中を起こしていた。




 「よう、もう大丈夫なのか?」

 「あ・・・・」

 「驚いたよ、いきなりぶっ倒れたから」

 「ごめんなさい・・・」

 「別にいいって―――謝るのはオレの方だしな」

 「え・・・」

 「勢いでエリカに酷い事言っちまったらしいし・・・本当にごめんな」

 「・・・・」




 オレがそう言うとまたエリカは俯いてしまった。表情はオレの方からは見なかった、また泣いている様子は無く、言葉を考えているような様子だった。

 そして言いたい事が纏まったのか―――顔を上げてこちらを見た。無理に笑顔を見せながらぽつりぽつり話し出した、言葉を吐き出しにくそうにしながら。


 

 「私ね・・・義之に、嫌われたのかと思ったのよ」

 「そんな事はないよ」

 「いいえ、なんか私って・・・少ししつこい所があったのかなぁ・・・って思ったのよ。内心うざがられてるのかなぁって」

 「しつこいなんて思ってもいねぇしうざいとも思っていない」

 「―――例えそうだとしても、あの時の声は本気でそう聞こえた・・・。すごく悲しかったわ」

 「・・・ごめんな」

 「あ、いいのよ、なんか切羽詰まった感じだったし―――そんな時に電話を掛けた私がタイミング悪いっていうか・・・あ、あはは・・・」

 「・・・・・・」

 「それなのに・・・こんな事までしてもらってるし・・・。私、そろそろ帰りますわね・・・・」 

 「―――え?」

 「ごめんなさいね・・・なんか迷惑かけちゃったみたいで・・・それじゃ・・・」

 「おい、まだ体が―――って危ねぇっ!」

 「え―――」




 エリカが腰を上げようとした時、まだ体調が完全に回復してなかったのだろう―――バランスを崩して倒れそうになった。

 慌ててエリカの体を抱きとめた―――瞬間、ふわっとした女の子の匂いが鼻についた。思わず、胸が騒ぐような感じがした。

 そして抱き合ったままエリカと視線が合った。最初は驚きに満ちた目だったが、徐々にその目の色は悲しみの色を帯びて―――――





 「――――――ッ!」

 「・・・・・・ん」




 


 ――――――――――――キスをされた。







 それでタガが外れたかのように思いっきりオレの体を抱きしめてきた。思わず痛みを感じてしまうかのような力、どこにそんな力が残っていたのか・・・。


 オレは制止の言葉を掛けようとして口を開き―――舌を捻じ込まれた。思わず驚いて突き離そうとするが想像以上の力で突き離す事が出来なかった。


 乱暴に舌を――――オレの舌を蹂躙して殺すかのような滅茶苦茶なキスだった。クチャクチャという卑猥な音が部屋に鳴り響いている。


 お互いの口の脇から唾が溢れだして顎を濡らしている感覚がした、茜の時よりも何倍もの激しいキス――――キスと呼べるか疑わしい激しいモノだった。


 背中がゾクッとするような感覚、思わず腰が抜けそうになり――――そのままエリカにベットに押し倒されてしまった。鈍い音を立てて軋むベット。


 オレはその時初めて思った。オレは本当に突き放そうとしたのか、年下の女を跳ね飛ばせないような力しかオレにはないのか、違う、その力はあった。


 そう思っているとエリカが顔を上げた。お互いの唾で橋が出来上がり、口周りが唾でギラギラ鈍い色を発していた。恐らくエリカだけじゃなくオレもだ。


 その卑猥な光景に思わず性欲が疼くのを感じたが、無理矢理押さえつける。頭は確かに混乱していたがまだ冷静な部分は残っている、状況に流されては駄目だ。


 オレの顔に掛かるエリカの綺麗なブロンド色の髪――――少しくすぐったい気分だ。そしてエリカは口を開いた。




 「ねぇ、驚いてる?」


 「・・・・・・」


 「私、前に言いましたわよね? 本当に――――本当に好きだって」


 「・・・・・・」


 「前に貴族がどうのこうの言ってましたけど・・・そんな事は関係ありませんわ」


 「関係あるに決まっ―――――」


 「私がお父様に言いますもの。好きな人がいますから付き合いますって・・・。もちろん結婚も考えてるわ―――貴方が王族になればいいのよ」


 「・・・バカな話だ。荒唐無稽すぎる。外様なオレが王族? あんまり笑わせないでくれ、大体貴族ってのは貴族の血しか入れたがらない筈だ」


 「関係ありませんわよ、そんな事。前例が無いなら作るまでよ。多分だけど・・・お父様も貴方の事を気に入ると思いますわよ」


 「なんの確証があってそんな事―――――」


 「眼よ」


 「・・・眼?」


 「貴方のその眼・・・絶対に誰にも屈しないという眼をしてますわよね。獣のような眼だけど理性的な光りもある―――とっても素敵よ」


 「お褒めにあずかり光栄だが――――生憎オレはそんな人間じゃねぇ、ただのチンピラだ」


 「ふふ、謙遜しなくていいわよ。それに貴方には人を惹きつける何かがある、そういうのは努力しても手に入らないものよ。貴方はそれを持っている」


 「―――――バカバカしい、お前は熱に浮かされてそんな感じに見えているだけだ。いいから離れろよ」




 カリスマ――――そんなモノをオレが持っている訳が無い。まるで夢みたいな話だ、冗談でも笑えやしない。前まで居たオレはどうだか知らないがな。

 そんなモノを持っているヤツは一人しか心当たりがない――――杉並だ。いつも奇妙な行動ばかりしていて何を考えてるか分からないふざけた野郎。

 だがそいつはそんなモノを持っていた。小粒だが確かに人を惹きつける何かがあった、目の端にいつでも留めとくような存在の力があった。

 オレははっきり言ってそんなモノを持っている杉並に軽く嫉妬していた、頭もよく、運動も出来て、何より自分の思った事を信じて動く行動力がある所を。


 オレなんかとは違う光を持っている男――――嫉妬もしていたが尊敬もしていた、同じ男として。なにより奇妙な友情も感じていたしこの関係を維持
していきたいと思えるような貴重な友人でもある。


 そんな奴とオレが同じモノを持っている? 本当にふざけた話だ、頭にきちまう。 そう思って体を起こそうとしたが――――エリカに押さえつけられた。

 再度ベットに倒れるオレ。思わずエリカの事を睨むように目を向けて――――体の力が抜けてしまった。エリカはまたあの悲しい目をしていた。




 「・・・そんな感じに見えているだけ、か・・・それでもいいと思うのよ、私。むしろ他の子にもそんな風に貴方が見られていたら嫌ですわ」

 「なんで―――――」

 「貴方の事が好きだからよ、当り前でしょ? 私だけがそう思ってるだけで十分ですわ」

 「・・・・・・」

 「一回フラレちゃったけど――――もう一度聞くわ、義之、私と付き合わない?」

 「いや―――――」

 「何を遠慮してるのよ、さっきも言ったけど私の国は貴方を受け入れるわ、というか受け入れさせるもの」

 「・・・・・・」

 「・・・・・ん」




 そう言ってオレの顔に手を置いて――――また静かにキスをしてきた。さっきよりは情熱的ではないが愛情は感じる。ふわっといい匂いがした。

 小鳥がついばむ様に何回もキスをするエリカ、オレはまだ動けないでいた。まるで蛇に睨まれた蛙―――情けない事この上ない。

 喧嘩で竦んで動けないという事は無かった、いつも冷静に処理していた。そんなオレがこの有様だ、笑えやしない。思わず自嘲したくなる。

 そしてまたあの瞳で見てくる、さっきの返事を催促するようにオレの顔を撫でる。思わず頷いてしまいたくなるような魅惑的な誘いだ。






 この間までだったら思わず受け入れてしまっただろう、それぐらいの魅力がエリカから出ていた。そんな姿は初めて見る、おそらく本当に本気なのだろう。

 だが―――オレには美夏がいる。美夏以外にはオレの隣は考えられないし、考えたくも無い。いくらエリカでも美夏の代わりなんていうのは無理な話だ。

 美夏とエリカなんて比べられないが、天秤に掛けたら美夏の方に傾く。残酷なようだがこの事実はオレの中で絶対だ、覆る事は無い。

 しかし――――このエリカの目、これにオレは勝てそうもない。まるでメデューサみたいな力があるように感じられる、まるで呪いみたいだ。

 その瞳に睨まれると途端にフヌケになってしまう。いつもの強い意志なんか風で飛ばされたかのように消えていって、頭の回転が鈍くなる。

 そんな頭で必死に考える、この状況の抜け方を。しかしエリカにしてみれば落城寸前の城にしか見えない、エリカは更に言葉を紡ごうとして―――――




 「たっだいま~!」

 「――――ッ! この声って学園―――」

 「・・・っ!」

 「あ―――」




 
 さくらさんの声をきっかけにオレは我を取り戻してエリカを跳ね除けた、ベッドに転がり落ちるエリカ。オレは慌ててベットから跳ね起きた。

 もう少しで落とせると思ったのだろう――――エリカの顔はどこか不満気だった。事実、八方塞がりな状況だったと思う。

 跳ね落とされたエリカはぶつぶつ文句を言いながら立ち上がり、佇まいを整えた。その様子から察するに帰ろうといった風だった。




 「ごめんなさいね、義之。そう簡単に気持ちのフン切りなんてつかないですわよね―――私、そろそろ帰りますわ」

 「・・・もう体は大丈夫なのかよ」

 「ええ、あれだけ手厚い看護を受けたらか大丈夫よ。おしぼり、何回も取り換えてくれたのでしょう? おぼろげですけど覚えてますわ」

 「・・・そうか」

 「好き嫌いという感情抜きでも感謝してるわ、正直みっともない所を見られたと思っていますけど―――義之相手なら構わないですわね」

 「どういう意味だよ、それ」

 「好きな人にはみっともない所を見られても構わない――――義之には私の全てを知ってもらいたいの」

 「・・・・・・」

 「じゃあそろそろお暇しますわ、夜も更けてきた頃ですし・・・」

 「――――ちょっと待て」

 「え・・・」




 そう言ってオレはエリカに近づき、両肩を正面から掴んだ。そして顔を寄せる、いわゆるキスをする体制に持ち込んだ。

 最初は驚いた顔をしていたエリカだが、さっきのキスの余感が残っていたのだろう――――すぐ甘い顔になって目を瞑った。
  
 顔は熱に浮かされたように赤くなっている。とても可愛らしいエリカの顔がそこにはある。オレはそんなエリカにそっと顔を寄せて――――




 「――――いった~~~~~~~~~!!?」

 「ざまぁみろ、このクソ女」

 「な、な、な、なんて事を・・・・ッ!?」

 「ん? なんだ? もしかしてキスでもされるかと思ったのか? 甘えっ子だなぁ~エリカちゃんはぁ」

 「ず、ず、頭突きをするなんて・・・誰も思いませんわよっ!」

 「すまない、これはアジアにあるモロッコの愛情表現なんだ。随分情熱的な挨拶だろ? よかれと思ってやったんだが・・・お気に召さなかったか?」

 「め、召す訳ないでしょうっ!? こ、この野蛮人は~っ!」

 「そんなに怒った顔をしないでくれ、君みたいな人には笑顔がとても似合う」

 「あ、あははははっ!・・・あ、あなた・・・ふふ・・だ、だからと言って・・・はは・・・く、くすぐらないでよっ!」

 「悪い、好きな子にはどうしても苛めたくなってしまうんだ」

 「――――ッ! わ、私、もう帰りますわ!」




 冷静になったら正直してやられた気持ちでオレの心はいっぱいだった。元々負けず嫌いな性格だ、正直あたまにきていた部分もある。

 だからキスをするフリをして頭突きをかました。そして涙目になるエリカ――――ざまぁみやがれといった気持ちになる。

 この間までビービー泣いて癖に一人前に生意気な事しやがって、ガキには早いって話だ。まぁ、元々生意気な後輩ではあったが。




 「そうか、玄関まで見送るよ」
 
 「――――――――いいですわよ」

 「あ? 別に遠慮する事ねーよ」

 「義之に見送られちゃうと・・・帰りたくなくなってくるから」

 「・・・・・・」

 「それじゃあ、ね」




 そう言ってオレの頬を撫でて、部屋から出て行くエリカ。急に静かになった部屋に違和感を感じながらもオレはベッドに座った。

 下の階ではさくらさんとエリカの声が聞こえる。心配そうに話しかけるさくらさんに、ペコペコお辞儀するようなエリカの感謝の言葉が聞こえてきた。

 実際にお辞儀しているんだろう。アイツは王族なのに腰が低いったらありゃしない。もっとドーンと構えててもよさそうなモノだが・・・・。




 「さて――――」




 そう呟いて――――――オレは自分の顔を思いっ切り殴った。唇が切れたのだろう、生温かい液体が流れるのを感じた。

 フヌケなオレが許せなかった。昨日の今日で、別な女とキスをして、拒めなかった自分が無性にムカついた。そしてもう一回顔を殴った。

 美夏に対する裏切りもいいところだ。何が一生離れないだよ、クソが・・・・・・言ってる事とやってる事が反対じゃねぇか・・・・。



 今までもそう思ってたし、今更感じる事でも無い――――が、今日ばかりはそんな事はとてもじゃないが言えたもんじゃない。

 美夏と生きて、美夏と同じ道を歩むって決心したばかりなのに――――その翌日にはコロっと気持ちが揺らいでる自分が憎くてしょうがない。

 もう何をしていいのかさえ分からない。エリカとニ度と会わなければいい話なのだが、心はそれを拒否していた。

 もっと近づきたい、もっと笑顔を見せて貰いたい、もっと助けになってやりたい・・・そんな気持ちが次から次へと溢れてきていた。




 「なんでなんだよ・・・ちきしょう・・・・」




 こんな気持ちなんていらなかった。ただ美夏と一緒に楽しく付き合えればそれでよかった、なのにエリカも好きになってしまったオレ。

 エリカに美夏と付き合ってる事を言えばいい――――そう思い、今度会った時に言おうと思っていたが御覧の有様だ。

 とてもじゃないが言えない、エリカを悲しませる事なんか出来ない。あの晩にエリカの誘いを断れなかった時点でもうこの状況は決まっていたんだ。



 悔やんでも時間は戻らない――――オレは答えの無い悩みを悩み続けた。

















 



[13098] 14話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2010/10/26 02:40








 「うむっ! ちゃんと今日は来たな!」

 「昨日はすまんな。急にお客さんが来ちまってな」

 「まぁ、仕方あるまい。まさか帰れと言うわけにもいかないだろうしな」

 「その代わり今日はいっぱい遊ぼうぜ」

 「ああ!」




 そう元気よく頷いてオレの脇に並んだ。それを確認してオレは美夏の手を繋ぐ。美夏はその行為にはまだ若干慣れていないらしく少しばかり顔を紅潮させていた。

 そんな初々しい反応を楽しみながらオレ達は商店街に向かって歩き出した。大体初音島には遊ぶ所がそこぐらいしかないぐらい寂れているからな。

 そしてオレの財布は金欠気味な状態――――そんなオレを美夏が察したのかどうかはしらないが美夏は商店街で遊びたいと言った。

 今度バイト代が入った時は遊園地か本島まで遠出したいもんだ。起きたばっかりで何も知らない美夏にはやっぱり色々いい思い出を作って欲しいと思う。




 「さて―――商店街行ったら何するよ?」

 「むぅ・・・そういうのは男が決めるもんだと思うぞ」


 「デートで女にそう言われてある男がペットショップに行ったんだ。女はそういった小動物が好きだし、男は喜ぶだろうと思った。
  しかしその女は動物アレルギーだった―――男の楽しそうな顔を見て女はその事が言えなくなり、結局くしゃみなんかが止まらなく
  なってしまって散々なデートになったという話を聞いた事がある」 


 「美夏は思った事を言うタイプだ。そんな女とは一緒にしないでもらおうか」

 「よくそんな事が言えたもんだ。お前は一見するとストレートな性格に見えるが、喋れば喋るほど本当は難儀な性格をしている事が分かる」

 「そんな事――――」

 「あるよ。変に義理固い所もあるし融通が利かない所もある―――まぁオレはお前のそんな所も好きになった訳だし、別にどうでもいいが」

 「・・・そういうお前は本当にストレートだな」

 「ウソは付けない性格なんだ。まったくもって困ってしまう」

 「詐欺師は全員そういう事を言うな。平気な顔でウソを付けないっていうウソをつく」




 オレが好きと言うとまた更に顔を赤くさせる美夏。こいつは豪快な性格なフリをして実は結構な恥ずかしがり屋だ、そんな所も可愛いと思う。

 それにしても詐欺師か―――案外オレの天職だとは薄々思っていたりする。顔に思っている事を出さない自信もあるし、出しても誤魔化せる自信がある。

 何より人を傷つけても何も思わないのがオレの性格だ、こういったヤツは悪どく稼げるか塀の中に入るのが相場と決まっている。

 まぁ、さくらさんや美夏を悲しませたくないので考えるだけにしておくが、もしなったとしたらそうだな・・・稼げる方法として――――





 「んあ?」

 「・・・お前は時々悪い笑顔になる時があるな。そういう時はロクな事を考えて無い」

 「あれ? 笑ってたか? オレ」

 「ああ・・・かなりの悪い笑みだったぞ」




 美夏がギュっと手を握ってきたので思わず変な声が漏れてしまった。というかオレ笑ってたのか・・・最近よく表情が出るな、オレ。

 いい笑顔にせよ悪い笑顔にせよ、前までは笑う事なんてなかったからなぁ・・・本当に人間変われば変わるものだ。

 美夏といる時だけかもしれんが、別にそれでも構わない。他のヤツに笑顔なんか見せても得にならないし、美夏も喜ぶ筈だ。




 「オレは悪いヤツなんだよ」

 「自分の事をそういうヤツはたいしたことない―――もっとも、お前が善人だとも思っていないが」

 「なんでそんなヤツの事が好きなんだよ、美夏は」

 「・・・相変わらず聞きにくい事を聞くな、お前も」

 「いいじゃねぇか、自分の女が彼氏のどこに惚れたか聞くぐらい」

 「む、むぅ・・・・・・そうだな―――か、かっこいい所? かな? あ、あはは・・・」

 「お前、小学生な」

 「う、うるさいっ!」




 そう言って顔を赤くして、照れてるのか怒ってるのか分からない様子で手を引っ張っていく美夏。オレはそれに呆れながらも着いて行った。

 本当に見てて飽きない奴だ、本当は人間なんかじゃないかとたまに思う。自分の感情というモノを隠そうとしないし変に気を使う所なんてまさにだ。

 まぁ、そんな所にオレは惚れた訳だが・・・。ドンドン歩いて行く美夏の手を握り返し、オレは美夏の脇に並んだ。





























 
 「あ、お久しぶりです。また会いましたね」

 「・・・約束したからな、また構ってやるって」

 「覚えていてくれたのですか―――お優しいお方ですね」

 「・・・・・・・」
 



 商店街に来てとりあえずどこへ行こうかという話になった時に、たまたまμを売っている販売店の近くを通りかかった。

 そして店の前で売り子をしているμを見て―――美夏は固まってしまった。なぜだか分からないが緊張している様子が見て取れた。

 どうしたんだと聞いてもなんでもないと言って突っぱねる美夏。しかし動きはぎこちなく、目が忙しなくきょろきょろしていた。

 オレが気を使って遠回りするかと聞いたら逆に美夏が気を使ったのか、断られてしまった。こういう所が美夏らしいといえば美夏らしいが・・・。



 確かに今度会ったら構ってやるといったが、別に今じゃ無くてもいい。女と歩いている時に他の女と喋るのはどうかと思うしな。

 そしてこの間の茜と一緒に居た所を見られた件もある―――少し悩んでしまった。そう考えている内にあちらから声を掛けられてしまった。

 どうやらオレの事を覚えていてくれたらしい。最初美夏はポカーンとしていたがすぐムッとした顔になり明後日の方を見ている。




 「どうよ、売り上げの方は?」

 「あまり・・・売れていませんね」

 「まぁ高級品だしな。車を買うようなもんだし、専門的な知識も多少必要になってくる」

 「貴方様はお勉強なさらないのですか?」


 「前もいったがオレはアンタらモノとして見る事が出来ない。感情もあるし学習もする、そして考える事も出来る。
  とてもじゃないがモノとして見る事が出来ないな」


 「――――もしかして、貴方様は人権の協会の方なんですか?」


 「あんな奴らと一緒にしないでくれ。あいつらはただアンタらロボットを恐れているだけだ。いつか噛み付いてくる・・・ってな。
  共存しようなんざハナっから思っちゃいないのさ―――名ばかりの臆病者の集まりだよ」
 
 「も、申し訳ありませんっ!」

 「あんたは悪くない、よく注意されるよ―――口の聞き方がなっていないってな。謝るならオレの方だ」

 「い、いえそんな事は―――」 

 「いや、自分でも自覚しているんだ。だがついつい口に出しちまう―――そして相手は不快な気分になる。謝るよ、ごめんな」

 「そ、そんな! あ、頭を上げてくださいっ!」




 軽く頭を下げるとあたふたするμ。人間に頭を下げられた事などないのだろう、オレだってそんな奴は見た事が無い。

 だが非はこっちにあると思うし、別にこのμにだったら頭を下げてもいいかと思った。他のヤツにだったら絶対しないと思う。

 オレは非がこっちにあったとしても適当に口で捲し立てれば構いやしないと考えているロクでもない人間だが、この時は素直に頭を下げた。

 困り顔になってしまったμだが、オレの隣にいる人物を見て―――また更に困り顔になってしまった。まぁ、初めて見るだろうしな。




 「あのー・・・そちらの方は?」

 「――――へ? わ、私かっ!?」

 「はい、初めてお会いしますよね?」

 「わ、私はだな・・・・」

 「はい」

 「えーと・・・その、だな・・・・」

 「・・・?」




 そう言って言い淀む美夏。てかまだ緊張してたのか、こいつは。同じロボットなんだから緊張しなくていいのにな。

 だがまぁ・・・初めて同族と喋るのだろうし、緊張してもしょうがないのか。こいつの場合あがり症っぽいところもありそうだし。

 とりあえずオレがフォロー入れといてやるか―――そう思い、オレの背中に隠れようとしている美夏を前に引きずり出した。




 「こ、こらっ! さ、桜内っ!」

 「紹介するよ、オレの彼女の天枷美夏だ」

 「――――――ッ!」

 「まぁ、彼女さんでいらっしゃったんですか?」

 「ああ、出来たてでな」

 「ひ、人をモノみたいに言うなっ!」

 「今日はデートしに商店街まで来たんだ。なかなかこの島には遊ぶ場所がないからな」

 「本島までは行かれないんですか?」

 「情けない話だが金回りが悪くてね。次のバイト代が入るまではお預けをくらってるといった所なんだ」

 「そうなんですか」

 「む、無視するなっ!」




 本当にこいつは恥ずかしがり屋なようで、オレの彼女と言っただけで顔を赤くしていた。そんなんじゃこれからが大変だろうに。

 とりあえずμとの会話は一通りくぎりをつけて、脇ではしゃいでる美夏を連れてその場から立ち去った。別れ際にもまた来たら会いにくると約束をした。

 それを脇で聞いていた美夏はまたムッとした顔になり、繋いでいた手を離してしまった。そして美夏がぽつりと喋りはじめた。




 「・・・お前は本当に女たらしだな」

 「あ?」

 「本来はああいうμはあまり感情を出さないものだが―――お前に対しては随分感情を出していた」

 「んー・・・まぁ、そうだな」

 「お前は本当に女にモテるな・・・あのロングヘアーの女といいさっきのμといい・・・」

 「ロングヘアーの女って―――茜のことか?」

 「名前など知らん。あの妙にお前にベタついてくる女の事だ」

 「そんなに怒らないでくれ。そんな顔を見てると悲しくなる」

 「――――――ッ! み、美夏はだなっ! お前の彼女なんだぞ!? あ、あまり他の女にいい顔するのはどうかと思うっ!」

 「ああ、茜の事は大丈夫だと思うぞ」

 「だ、大丈夫って―――――」

 「フッたからな」

 「―――――は?」

 「オレには好きな人がいると言ってやったんだ。もちろん美夏のことだがな―――――今後はあんまりベタベタしてくるような事は無いと思う」

 「そ、そうか―――じゃ、じゃあさっきのμはなんなのだ!?」


 「この間商店街に来た時に、あのショップのμの展示品を見てたんだよ。そしたら購入者と間違わられてな、その時に少し会話した仲だ。
  オレもあんなに嬉しそうに話すμは初めてだが―――――なんにせよお前だけの事を愛してるよ」




 そう言ってオレは美夏の手を握った。そう言われた美夏はホッとしたのか―――手を握り返してきた。その感覚にオレは少し安諸のため息を漏らした。

 このまま怒った美夏とデートするのは気持ちのいいものではないし、美夏だけを愛しているというのは本当の話だ。この気持ちは絶対だと思う。

 いや、そう信じたいだけなのかもしれない。昨日のエリカとの一件―――確実にオレの心の中でエリカの存在が大きくなってしまったと思う。

 本当に好きだと言ってくれたというのもあるが・・・一目惚れしてしまったオレには強烈なインパクトがあった。気持ちが揺らいでしまった。

 少しの時間とはいえ美夏を裏切ったのには変わりは無い。今でも悩み続けている・・・この気持ちにどう折り合いをつけるべきだろうかと。

 唇にはまだあのキスの感覚が残っている―――エリカの想いが全部詰まっているかのような激しいキスと静かなキスの感覚が。

 早くこの件をどうにかしたいが・・・とりあえず今は美夏とデート中だ、こんな時ぐらいはその事は考えず美夏とのデートに集中しよう。

 顔に出て心配でもされたら嫌というのもあるし、一人でいる時にいくらでも考えられる。そう思って美夏の手を引っ張り、商店街を歩きだした。

































 「んだよテメ―は!?」

 「プ・・・ププッ・・・さ、最近の初音島には、ほ、本当にチンピラが多いのな・・・プッ」

 「ああっ!?」

 「さ、桜内・・・」

 「お兄ちゃん・・・」

 「あわ、あわわわ・・・・」




 とりあえず美夏とゲーセンに行ってまた人形を取ってきた。さすがにもう顔は覚えられたらしく、店員にまた来たよという顔をされてしまった。

 まぁ来る度に人形を掻っ攫っていくんだから店からしたらあんまりいい気分はしないだろう。そんな事は知った事ではないのでまた大量にゲットした。

 美夏はとても喜び、対照的に店員の顔は悲しみの色に彩られたのは見ていて愉快だった。まさに天国と地獄を表した図にオレは笑ってしまった。

 


 そしてゲーセンを出てさぁ次はどこに行こうかなという話をしていた時に、見覚えのあるヤツラが絡まれていた。委員長とその弟の勇斗だ。

 相手はいかにもチンピラといった風の男だ。というか最近オレはこういうヤツによく会うなぁ。路地裏の件といいエリカの時といい、不愉快だ。

 まぁ今に始まった事ではない、元々絡まれやすい体質ではあったし。よく言いがかりは付けられたものだ、ほとんどの場合はオレは悪くないのに。



 相手側が怒鳴っている言葉の内容から察するに肩がぶつかって怪我したから慰謝料を寄越せ、との事だ。というか女子供に絡むなよ、情けねぇ。

 委員長とガキはどうしたらいいかという困り顔と恐怖に彩られた表情をしていた。ケンカなんてした事ないだろうし相手もそれが分かっていて脅しているのだろう。

 とりあえずオレは――――――壁に寄っかかった。なんだか面白そうだし、例のガキもいる。エリカの時はつまらない演出だったが今回はどうなるんだろうなぁ。

 服が引っ張られる感覚―――美夏がオレのシャツを引っ張っていた。顔を見ると怒ってますよな表情、どうやらオレに突っ込めといった所か。

 だがオレとしてはもう少し見ていたい気分だった。しかし美夏は我慢できないのか駆け寄ろうとして―――止まった。オレが手を引っ張って止めた。

 顔はまたもや怒りに染まった。オレは多分ニヤニヤしていたろう、自分でも分かるほどだ。オレのそんな顔をみて美夏は呆れ、ため息をついた。




 そして男の怒鳴り声が大きくなった。そろそろ焦れったくなったのか委員長の襟を掴もうとして―――――後ずさった。ガキが男を突き飛ばしたらしい。

 しかしガキの力ではそれぐらいしか出来なく、更に男の怒りを買ってしまう。ガキの表情にはもう恐怖の色は見えなかった。

 おそらく姉に手を出されそうになった事に頭がきたんだろう、逆に見返すような眼をした。男はそれで少し怯んだが、今度はガキの襟を掴み軽く持ち上げた。

 苦しそうな表情をしてもがくガキ。美夏は慌てて駆け寄ろうとして―――驚いた顔をした。当り前だ、男がいきなり頭を押さえてうずくまってしまったんだから。

 オレがそこら辺に落ちてたボロボロのボールを思いっきり投げたからな、さぞかし痛いだろう。男はボールに気付き、投げられた方向をみてオレと目があった。

 怒り顔の男の表情、対してオレは大笑いしていた。そんな男のマヌケな姿に吹いてしまうオレ。更に男の顔が羞恥と怒りで赤くなった。

 美夏もまさかそこまでやると思っていなかったようで驚いていた、そりゃそうだよな、頭から血流してるし。



   
 「ど、どうした・・・ぷぷ・・・あ、頭から血流して・・・さ」

 「て、てめぇがボール投げたんだろうがっ!」

 「い、いやさ・・・オレはお前とキャッチボールしたかったんだ・・・ぷっ」

 「こ、このやろうっ! 殺すぞコラァ!」

 「――――――あ?」

 「う・・・・」




 オレは瞬間的に感情が冷えてしまった。さっきまでのいい気分なんか吹っ飛んで逆に腹ただしい気分になる。しかし顔には出さないで男を見返す。

 途端に怖気づいてしまい、顔を逸らしてしまった。オレはそいつの襟をガキにやったように持ち上げ目を合わせる。苦しそうにもがく男の表情がとても愉快だ。

 美夏はそれはやりすぎだろうとオレの腕を引っ張るがビクともしない。脇でポカーンとしてしまっている委員長兄弟が少し滑稽だった。




 「そんな言葉を吐いちゃ駄目だな。今のご時世―――脅迫罪で捕まりますよ? ヤクザだってその言葉を使いたいのに使えないんだ」

 「グ・・・あ・・は、離せ・・・」

 「オレが警察官でなくて本当によかった。あなた捕まってるところですよ、運がいい。とりあえず授業料として財布を置いていって下さい」

 「ば、ばかいうな・・・!」

 


 男がそう言ったので、更に締め上げた。恐怖で歪む男の目に映っているオレ―――笑っていた。美夏はそんなオレを見て手を思わず離してしまった。




 「大体こういう女と子供に絡むなんて情けないですよ? まぁ周りで見て見ぬフリをしていた人達もアレですけどね。で、さっさと財布寄越せって」

 「ぐ・・・あ・・・ゆ、許して・・・」

 「許して? 何か許されない事をしたんですか貴方は? だったら尚更離してあげる事は出来ない。まぁ少しばかりお小遣い貰えれば考えますが」

 「・・・・ほ、ほんとうに・・・す、すいません・・・でした」

 「謝罪はいりませんよ。さっさと財布寄越せって言ってるのが―――聞こえねぇのか!? ああ!? このままテメェの首ヘシ折ってやろうかっ!」

 「わ、わかりました・・・だか・・・ら勘弁・・・してください」




 そう言うとオレは手を離した。膝を付けて忙しそうに息をする男。恐怖に彩られた顔をしてオレの顔を見据えると―――財布を置いて媚びた顔をした。

 財布を拾って金だけ抜きだして返してやった。オレがもう行けというと男はダッシュで、コケそうになりながらも駈け出して行った。

 札束を数えるとかなりの金額だったのでオレは満足した。どうやら遊園地とか本島に行けそうだ。きっとあの男も人の為に役に立ったと喜んでいるだろう。




 「さ、桜内・・・あ、貴方、ヤクザみたいよ・・・」

 「本職の人間だったら免許証も奪うよ、カモにするためにな。それに比べたらオレは誠実な人間だよ」

 「貴方のドコが誠実よ・・・・」

 「おい、ガキ」

 「えっ、あ、はいっ!」

 「さっきはよく頑張ったな。普通だったら黙って下を俯いたままになってるもんだがな」

 「・・・ええ、すごく怖かったですけど。話し合いじゃ解決出来そうにもなかったし、お姉ちゃんに暴力振るおうとしてたので・・・」

 「だ、だからって突き飛ばしちゃ駄目でしょっ! 更に悪化しちゃうじゃないっ!」 

 「いや、こいつの言ってる事は正しい」

 「え・・・」


 「世の中には話し合いで解決出来ない人間なんて山ほどいるし、あのまま金を出していたらあの男は図に乗って更に無茶な要求をしただろう。
  よくいるクズ人間だ。無茶な要求―――例えば委員長の体とかな」

 
 「なっ!? か、からだ!?」


 「あの男は脅しながらも委員長の顔と胸と股間をジロジロ見ていた。委員長はテンパっていたから分からなかったかもしれないが下卑た笑みを
  浮かび上がらせていた。ああいう手合いには何があっても下手に出るな。抵抗なんかして面倒くさい相手と思わせるのが大事だ」


 「そ・・・そうだったの・・・」

 「だからこのガキが取った行動は正しい。面倒くさい手合いだと思われて怪我する以上に陰湿な事が起こらないからな」

 「・・・・・そう」

 「だから・・・勇斗だっけか? 何か褒美に玩具でも買ってやるよ。見ていて気持ちよかったからな、お前の行動は」

 「えっ!? 本当!っ?」

 「ちょ、ちょっと―――」


「どうせロクに玩具を買い与えないお堅い家庭環境なんだろう? こいつの行動はなかなか取れないもんだ。ガキの頃のオレだったら
 多分泣いてるぞ」


 「そ、そうなのかっ!? 桜内っ!?」

 「―――なんでそこだけ反応するんだ・・・」

 「あれ? その女の子は?」




 初めて気付いたかのように美夏の方を見る委員長。そしてオレはさっきμに言った内容と同じ事を言ってやった、オレの女だと。

 そしたらかなり驚かれてしまった。まぁそうだよなぁ、オレみたいな奴が女を作るなんて自分自身信じられない事だ。

 そして勇斗は残念そうな顔をしていた。てかこのガキまだ諦めて無かったのか・・・委員長みたいな女は苦手だって言ったろうに。




 「そういう事で美夏、ちょっと玩具屋に寄っていいか?」

 「え、ああ、別に構わんが・・・」

 「だったら早速いくか。おい勇斗、着いて来い」

 「―――は、はいっ!」




 そう返事して脇に並んだのでオレは勇斗の手を繋いで歩き出した。勇斗は少し驚いた顔をしたが、すぐ表情を柔らかくした。

 気分は兄貴といったところか、生憎兄弟なんていないし一人っ子だがそう思えた。慌てて後ろを追って来る美夏と委員長。




 「にしても―――桜内は余程その子が気に入ってるんだな」

 「前からこんな調子よ・・・勇斗も勇斗でスゴイ懐いちゃってるし・・・」

 「人嫌いの桜内が気に入る人間か・・・むぅ」

 「オレが気に入るポイントを押さえてるしな。賢くて度胸もある、なかなかいない人間だ」

 「えへへ・・・それにしてもボク、ちょっと残念です。お兄ちゃんにはお姉ちゃんの彼氏さんになってもらいたかったのに・・・」

 「な、ゆ、勇斗――――」  

 「だ、駄目だぞっ! さ、桜内には私がいるんだからなっ! よそをあたってくれっ!」

 「あはは、分かってますよ。でもなかなかいないんですよねぇお兄ちゃんみたいな人」


 「オレみたいな人間はロクでもないから違うタイプがいいぞ。お前の姉貴は顔も良くて器量もある、いい男が素通りする筈が無い。
  お前を見てると分かるが家庭的だし――――男の一般的な結婚したい女のタイプに属している」


 「あ、あ、貴方またそんな事を・・・」

 「ジー・・・・・・」

 「んだよ美夏」

 「・・・・別に」

 「・・・・はぁ~、貴方も大変ねぇ天枷さん」

 「まぁ、分かっていて付き合って部分もある。正直腹ただしいが・・・」

 「あ?」

 「ははは、まぁ気長に待ちますよ。なかなかそんな人いないでしょうけど」

 「お前の眼に敵う男か・・・婆さんになっちまうな、お前の姉貴」

 「あははは」

 「ば、婆さんって――――さ、桜内っ!」

 「さて、さっさと行こうぜ」

 「はいっ!」

 「ま、待ちなさいよっ!」

 「お、おいっ! 美夏を置いていくな!」




 そう言ってオレは歩き出した。後ろでは女共がやかましいが構いやしない、どうせ怒りなんてすぐ収まるだろう。女なんてそんなもんだ。

 そうしてオレ達は玩具屋に向かった。珍しい組み合わせでデートとはいかなくなっちまったが・・・美夏もなんだか言って楽しんでいる様子だった。

 こいつの場合友達作りがヘタそうだし、これでよかったのかもしれないな。そう思いながら商店街の道をオレ達は歩き出した。



























 「すまんな、うまい感じにデートとはいかなくて」

 「ははは、いやなに、なかなかに楽しめたぞっ! 沢井姉弟とも仲良くなれたし」

 「そいつはよかった。また今度なにかの機会でまた遊べたらいいな」

 「うむっ!」




 言葉通りなかなか楽しく遊べたと思う。玩具屋に行ったら美夏は目を輝やかせてあっちこっち行ったりしてたからな、勇斗も思わず苦笑いしていた。

 勇斗は勇斗でオレ達のデートに割り込んだ事を気にしてか――――美夏の事をベタ褒めしていた。それはもうオレが脱帽するぐらいに。

 褒められて美夏はいい気分になり、そして更にオレの事も勇斗は褒めちぎっていた。美夏はそれを聞いて自分の事が褒められているかのように喜んだ。

 最後に「そんなお兄ちゃんと付き合っている天枷お姉ちゃん―――とてもよくお似合いです」と言って締めくくる。こいつ本当に5歳かと疑った。

 そして美夏は顔がふにゃふにゃになり、笑い声には聞こえない笑い声をあげた。ハッキリいってオレはちょっと引いてしまった。終始こんな感じった。

 帰る頃にはそれも少しは落ち着いたので別いいが――――にしてもあのガキよく口が回るな。やっぱり将来は大物か極悪人かどちらかだな。




 「あ、バス停が見えてきた」

 「・・・そろそろお別れか」

 「なんだなんだ桜内っ! そんなに悲しい顔をするなっ、またいつでも遊べるじゃないか!」

 「――――その桜内っての・・・もうやめにしようぜ」

 「・・・へ?」

 「オレはお前の事を美夏と呼んでいるし、オレ達は付き合っている。後は言わなくても分かるな?」

 「――――あ」

 「・・・・・」

 「・・・・・」




 そう呟いて黙ってしまう美夏。やっぱり付き合っているからには他人行儀はちょっとアレだと思うし、なにより名前で呼ばれた方が嬉しい。

 顔を赤くして美夏はしばらく黙ってしまったが――――意を決したようにオレの名前を呼んだ。




 「よ、よ、義之っ!」

 「なんだ、美夏」

 「よ、義之・・・」

 「だからなんだよ、美夏」

 「義之・・・」

 「・・・・」




 そう言ってお互い黙ってしまい、なにか心地いい雰囲気になってしまった。名前で呼び合うのがこんなに気持ちいなんて初めてだと思う。

 そしてどちらともなく顔が近づく。美夏の可愛い顔が近づき、潤んでいる目に紅潮した頬――――その頬に手を置いて・・・・




 「・・・・・・」

 「・・・・・ん」




 キスをした。一回だけと思ってキスをしたのだが名残惜しくなってもう一回、もう一回と何回もキスをした―――飽きる事無く。

 オレは悪戯心で舌を入れてみた。嫌がるようならすぐに止めようと思った。美夏は最初驚いたようにビクッとなったが・・・それに従った。

 最初はおっかなびっくりな感じだったが除々に熱が高まっていき、激しさが増した。お互いに絡み合う舌、夜道に卑猥な音が響くのが聞こえた。

 だがいつまでもこんな所でこんな事は出来ない。ここは公共の場だし、さっきから周りに注意を向けているがいつ人が来るか分からない。

 名残惜しいがここまでだ――――そう考え口を離す。美夏も名残惜しそうにポーっとしていたが、口に唾の橋が出来上がってるのをみて顔を赤くした。

 口元を袖でゴシゴシやる美夏を見てオレは笑った。美夏が言い返そうとしたが上手く言葉に出来ないようで口をパクパクさせていた。




 「おっと、バスが来たぞ美夏」

 「む、むぅ・・・お前は本当に恥ずかしがらないな・・・」

 「男が恥ずかしがってどうすんだよ、エロ美夏」

 「え、え、え、エロくなんかないっ! お、お前こそエロいじゃないかっ! このムッツリ!」

 「そうだな。だけどキスしてる時のお前の顔、なかなかエロかったぞ」

 「み、見ていたのかっ!? ま、マナー違反じゃないか、それはっ!」

 「人が来て恥ずかしい思いするのが嫌だから周りを見てたんだよ。なのにお前ときたら夢中にぺロぺロと・・・」

 「わーっ! わーっ! い、言うなっ!」




 そう言い合いしている間にもバスは美夏の前に止まった。美夏はまだ言い足りないのか少し不満気な顔だったが、素直にバスのタラップに足を掛けた。

 そしてこちらに振り返り、笑顔で言った。




 「じゃあなっ、今度は二人っきりで遊ぼうなっ! 義之っ!」

 「・・・ああ、風邪引くなよ」

 「うむっ! お前もな!」




 そう言って美夏はバスに乗り込み、それを確認した運転手がドアを閉めてアクセルを踏んだ。美夏はこちらが見えなくなるまで窓から手を振っていた。

 そしてオレもバスが見えなくなるまで手を振り返した。そして交差点を曲がり、バスが見えなくなったところで手をやっと下ろした。




 「義之・・・か、アイツにそう言われただけで参っちまうなんてな・・・」




 それだけなのに心が温かくなった。オレも小さい人間だ、そんな事ぐらいでこんなにも嬉しがるなんてな。でもまぁ・・・悪い気分ではない。

 本当に美夏の事が好きなんだと再確認出来た。後はエリカの件だけだが・・・とりあえず言うだけ言ってみるしかない。言わなければならない。

 あの夜の件でもう拒否出来ないと思ったがそんな事も言っていられない――――そう思いながらオレは一人帰り道を歩いた。
























[13098] 15話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/26 02:48



















 「イベール、あそこにある資料持ってきて」

 「はい、かしこまりました」

 「桜内くん、その資料のチェック終わった?」

 「あと五分ぐらいで終わりますよ」

 「そう――――ってはやっ! さっき渡したばかりでしょ!?」

 「普通ですよ。やってる事はただの物資の員数チェックですし」

 「もしかして・・・嫌味?」

 「・・・なんでそうなるんですか?」




 そうため息をついて水越先生を見返す。オレに睨まれた水越先生は苦笑いをして、さっきまで目を通していた資料に目を戻した。


 元旦も過ぎてもうかなりの日数が経った。オレは久しぶりにバイトに来ていた。ズルで休んでいたのではなく、冬休みの間はバイトに
来なくていいと言われていたからである。


 しかしオレの金銭状況ははっきりいって思わしくなく、オレから研究所に電話して頼み込んでバイトに来させてもらっているといった感じだ。

 金について水越先生に聞いたところ、金は別に頼んだ日さえ来てくれれば払うという話だった。しかし金額が金額だ、あまりにも学生には多すぎる。

 自分自身もなんだかそれでは居心地が悪く、まだこうして仕事をしてた方が金を貰う時にすっきりするもんだとオレは思った。




 「それにしても貴方は生真面目な人間ね、自分から扱き使ってくれなんて」

 「別に・・・ただあまりにも多い金額だったのでこうして仕事してた方が気が楽でいいんですよ」

 「おおー殊勝な態度だこと、最近の学生にしては珍しいわね。最近の子供は面倒くさがりというかなんというか――――」

 「昔も今も変わらないと思いますよ。みんな楽して稼ぎたいですからね、子供に限らず大人も」

 「・・・まぁ、態度は可愛くないけど。そういえば聞きたい事あるんだけどいい?」

 「なんです?」

 「美夏と交際してるでしょ? あなた」

 「――――いいえ。なぜそう思ったんですか?」

 「またそうやって平気な顔でウソつくんだから・・・。美夏本人が嬉しそうに話ししてたわよ」

 「・・・なんの事言ってるか―――サッパリですよ、水越先生」




 美夏の性格を考えた――――言う筈がないと思った。美夏は極度の恥ずかしがり屋だ、極度は言いすぎにしても自分から言いふらす性格で無い事ぐらい分かる。

 どうせ水越先生はからかう為にそういう発言をしたんだろうが・・・そんな事に構ってやる道理はない。からかわれるのは嫌いだしな、オレ。

 オレがとぼけているのを見て水越先生は顔をニヤニヤさせていた。オレはその顔を見て、黙ってチェック作業の続きに取り掛かった。




 「まーたまた照れちゃってっ! 別にロボットと付き合おうがキスしようが私は何も思わないよ、物や道具とは思っていないし」

 「それは素晴らしい考えだと思います。オレもそれには同感ですが――――美夏とは付き合ってませんよ、さっきの話もウソなんでしょう?」

 「ん~・・・否定はされたよ。『よ、よ、義之とは付き合っていないぞ! き、き、キスなんかもしていないっ!』ってどもりながらね」

 「・・・・・・・」

 「大体顔とか様子見れば一発だっての。ロボットとはいえ同じ女性なんだからね。しかしあの美夏と桜内くんがねぇ~・・・」

 「――――色々あったんですよ」

 「ありゃ、もう白状しちゃうの? つまんない子ね~」

 「からかわれるのは嫌いなんですよ。美夏とは去年の年末から付き合っています、まぁまぁうまくいってると思いますよ」

 「あ~ん、もうっ! もうちょっとは美夏みたいに可愛らしい反応しなさいな!」

 「いいんですか? オレが頬を赤く染めてモジモジしてる姿を見たいっていうのなら・・・やりますよ?」

 「――――やっぱりいいわ。気味悪くて仕方ないわよ」

 「先生から言い出したのに――――はい、チェック終わりましたよ。あとはイベールか先生のほうでダブルチェックでもしといて下さい」

 「だから早いって・・・まぁ、いいわ。イベール、ちょっと再確認頼んでいい?」

 「はい、かしこまりました」




 そう言ってイベールじゃオレがチェックした資料に目を通した。というか最初からイベールがチェックすればよかったんじゃないか、ロボットだし。

 まぁ、さっきまで水越先生の手伝いでかなりドタバタしてたからしょうがないっていうのもあるが――――何よりオレに出来る事がこれぐらいしかない。

 とりあえず手が空いたオレは次の指示を水越先生に聞いたが、やることないから休んでてと言われてしまった。そしてまた資料と睨めっこする水越先生。

 オレは完全に除け者になってしまったわけだ。ふと隣を見るといつもの無表情で資料をめくるイベールの姿――――暇だから絡む事にした。




 「どうだ、調子のほうは?」

 「はい、今のところミスはありません」

 「かなり集中してチェックしたからな。間違えたらイベールに呆れられそうでな」

 「いえ、ミスというのは人間誰でもあります。もし間違いがあったとしてもお気になさらずに」

 「まぁそうなんだけどな。あ、一つ聞きたい事があるんだがいいか?」

 「はい、なんでしょう?」

 「オレが美夏と付き合ってるって事、どう思ってる?」

 「どう、とは?」

 「美夏はロボット、オレは人間だ。恋愛関係――――――成立すると思うか?」

 「・・・・・・・・」




 そしてイベールは資料をめくる手を休め――――少し考える動作をした。どうやらオレの助言を忠実に実行しているらしい。

 オレから振った話題だが、オレは成立すると思う。他のヤツはどうかしらないがオレは美夏が物とは思っていないし、美夏には美夏の人格といったものがある。

 決してAIなどによる人間を模倣するためのシステムではなく、心――――と呼べばいいのだろうか・・・それがあるようにオレは感じている。

 
 将来の事は分からない。もしかしたら美夏は何かの原因で機能停止・・・死んでしまうかもしれない。だが出会いもあれば別れもある、悲しい事だが
それはそれで受け止めようとオレは思っていた。




 「・・・正直分かりません」

 「――――そうか」

 「はい、論理的観点からも考えましたし――――桜内様は人間で美夏様はロボットです、共に過ごすとなれば障害は多いでしょう」

 「・・・ああ、その通りだな。普通の人達の普通の家庭みたいなのを築くっていうのは、かなりしんどいとオレも思う。」

 「ですが・・・前例が無いだけで不可能な事では無いと思います。桜内様ならその障害を乗り越えられると、私は思います。」

 「当然だ、それを覚悟で選んだ道だからな。まぁオレは面の皮が厚いしなんとかなるって気楽に思ってる所もあるけどな」

 「それに――――」

 「それに?」

 「私は恋愛経験がありません。なので先程は講釈を垂れましたが全部推測です」

 「・・・はは、恋愛初心者か」

 「はい。そういったお相手もいませんし、どういうモノなのかは知識では知っていますが経験不足ですので確証的なモノではなく推論になってしまいます」

 「なるほどね、そりゃそうだな。んでだ・・・気になる男とかいるのか?」

 「――――はい?」

 「イベールの想い焦がれている相手だよ。気になる人でもいい、誰かしらいないのか?」

 「いえ、あの・・・」




 興味本位でオレは聞いてみた。美夏だって現在進行形で恋愛をしているし、いくら美夏程高性能では無くても感情はある。気になるヤツがいたっておかしくはない。

 それもあのイベールの気になるやつだ、俄然興味が湧くに決まっている。別にテレビで見た芸能人だっていいし何でもいい。本当に興味本位だからな。

 多少ウザい行動だとは自覚しているのであまり深く突っ込もうとは思っていない。試しにテレビとかでカッコイイ芸能人はいないかと聞いてみた。

 しかしイベールは興味がないのかどうか知らないが、特にそういった人物はいないと言った。まぁテレビとか見なさそうだもんなイベールは。

 じゃあ気が許せる相手はいるかという妥協案で聞いてみた。イベールは特にいないと言おうとして――――口を止めた。なんだ、いるじゃないか。




 「なんだ、いるのか。ソイツってオレの知ってる人物か?」

 「はい。その人物は――――桜内様です」

 「・・・は?」

 「興味がある男性と聞かれれば・・・桜内様以外に存じ上げません」

 「・・・・・・」




 言われて考える。イベールはあまり外に出る事はしないし、研究所の男性社員は毎日研究に追われているので話す機会なんてないだろう。

 そして消去法でいくとだ・・・オレしかいない事になる。イベールとは仕事上よく話すし関係も良好といえると思う。まぁ気になると言えばオレぐらいなもんか。

 聞いといて言うのもなんだがそれはごく自然な流れだと考える。他に話す男がいれば感情が刺激されてまた別な感情が生まれるかもしれないが、生憎男はオレだけだ。




 「まぁ・・・他に男がいればまた別なんだろうがな」

 「そうかもしれませんね。しかし現在気になってるのは桜内様一人だけです」

 「なるほど。イベールに気になってると言われれば――――ちっとは意識しちゃうな」

 「しかし桜内様は美夏様に御熱心なお様子・・・関係の発展はないと考えます」

 「御熱心って・・・まぁそうだけどよ・・・」




 しかしそう言い切られると――――なんだか癪ではある。元々捻くれ者のオレだ、はいそうなんですよねと言って引きさがるのもなんだが心が落ち着かない。

 だから―――オレはイベールに近づいて頭を撫でた。イベールは少し驚いた顔をしたが別にこれが初めてではない、黙ってその行為を受け入れた。

 だがこれだけでは終わらない。撫でていた手をそっと離して――――手を握った。顔はもう今後しないであろう爽やかな笑顔でイベールに言う。




 「――――残念だな」

 「はい?」

 「オレはイベールの事が・・・前からかなり気になってたんだ」

 「―――――――は?」

 「容姿端麗な顔にクールな性格、ただのロボットだなんてオレには思えない。自分で考え自分で行動出来るというのはもうロボットとは呼べない」

 「で、では私は一体何だと――――」

 
 「それは決まってるじゃないか、立派な女性だよ。別に君のアイデンティティを否定してる訳じゃない、君を女性と見てしまっている
  オレが問題なんだ。気を悪くしたかもしれないな、許してくれ」


 「そ、そんな事はありません・・・し、しかし、桜内様には美夏様が――――」

 「そうだな、美夏の事は好きだ。だが・・・君の事も同様に気になってしまっている。悪い事だと思うが――――事実だ」

 「あ、あの、そのですね・・・どう答えればいいか・・・」

 「いきなりこんな事を言われて驚くのもしょうがないか、すまなかった。じゃあ・・・ん~そうだな・・・まずはデートでもしようか」

 「で、でーとですか?」

 「確かコピー用紙が切れかかっていたな、予備も無かった筈。午後になったら買いだしに行く予定だったんだが――――お付き合い願えますか?」

 「え、その、あの・・・」




 そう言ってイベールの手を両手で握り締める。さっきまでの無機質な表情などではなく、戸惑いといった感情がイベールの顔に見え隠れしていた。
 
 
 別に本気で口説いてる訳ではないしイベールも多分勘付いてるはいるんだろうが・・・あまりにもそういった経験は不足しているんだろう。顔を
若干赤らめていた

 オレが握りしめてる手を離し、イベールの髪を掻きあげる。サラサラと心地のいい髪の質感が手を刺激した。それが気持ちよくて何回もすくいあげる。

 
 その行為で更に恥ずかしがったのかまた顔を赤らめて俯くイベール。その可愛らしい反応に思わずオレは自分の胸に彼女を抱いてしまう。もうそれで
参ってしまったのか完全に下に俯いてしまった。

 
 しかし暴れたりもせず黙って受け入れてくれるって事は嫌がってはいない筈だ。ここまでやるつもりはなかったが――――少々調子に乗ってしまった。

 
 さて――――そろそろ止めにするか。さっきから水越先生の殺さんばかりの視線が突き刺さってるし・・・何より獣の唸り声が聞こえているからな。




 「ちょっと・・・人のロボットを勝手に口説かないでくれる?」

 「すいません、反省しています。少し調子に乗ってしまいました」

 「・・・・・・・・・」

 「がるるるるる・・・・」




 そうしてやっとイベールを解放する。解放されたイベールはすぐにそそくさと慌てたように水越先生の元に戻っていってしまった。まったく、猫みたいなやつだな。

 そうしてオレは後ろを向く――――そこには美夏が唸り声を立ててこちらを睨んでいた。対してオレは涼しい顔をする。さっきから気付いてたしな。

 そんなオレの顔を見て最初は顔を真っ赤にして睨んでいたが、オレの性格を分かっている美夏――――無駄な行為と分かって今度は呆れ顔をした。 
   

 

 「義之・・・お前はその内に刺されるぞ・・・美夏にな」

 「お前が刺すのかよ」

 「当り前だ、昔から女たらしは刺されると決まっている。しかしお前の場合は首だけになっても相手の首筋に噛み付いてきそうだ」

 「オレは吸血鬼か」

 「女をたらしこむという意味では同義だな。まったく・・・どうしてお前と言う奴は――――」

 「ところでちょうどいいトコに来たな、美夏。これからお前と少し買い出しに行こうと思ってたんだ、付き合え」

 「え――――」 

 「お前は本当に調子いいやつだな・・・まぁお前の性格は分かっているしさっきのは本気ではないのは分かっていたが・・・」

 「わかったわかった、もうしないよ。だから行こうぜ」

 「わっ! て、手を引っ張るなっ! こらっ!」




 イベールの驚いた呟き声が聞こえたが―――なぜ驚いたのだろうか、分からない。さっきの行為だってからかわれているだけって知ってる筈なのにな。

 まぁ確かに可愛かったのは認めるが・・・イベール自信言った通りオレは美夏に御熱心中だ。他の女に鞍替えとかはありえないと自信を持って言える。

 いつまた忙しくなるか分からないし、早い内に買いだしに行ったほうがいいだろう。そう思って美夏の手を引っ張り――――イベールに呼び止められた。




 「桜内様」

 「うん? どうしたイベール」

 「買い出しに行かれるのであればこちらのお金をお使いください」

 「おっと、忘れてたわ。あんがとな」

 「いえ、どういたしまして」




 そう言って――――イベールは笑顔を浮かべた。初めて見るイベールの笑顔に、オレは少しだけ見惚れてしまった。もちろん顔には出しはしない。

 隣には美夏もいるし、その事がばれて今以上に機嫌が悪くなると後々面倒だからな。こいつの機嫌を直すにはかなりの根性が必要になる。

 そうしてイベールはオレの手を―――握った。そして残った片手でオレの手を開き、手の平にお札を置いた。まるで子供にお金を渡すかのように。

 オレはなんだか上手く言えない違和感に駆られイベールの顔を見る。顔は相変わらず笑顔―――何を考えているか見当がつかなかった。
 
 オレの手の平にお札が収まった事を確認したイベールはそっと静かにそのお金を包みこむように、オレのお金を持っている手を握り――――潰した。




 「―――――――って、いてぇぇっ!! お、おい! イベールっ!」

 「『美夏様との』デート・・・楽しんでいってくださいね」

 「お、おまえ・・・まさか・・・さっきの事を本当に信じ・・・ってマジいてぇ! つ、潰れるってっ! マジでっ!」

 「お金を落とさないように、しっかり握っておいて下さいね――――桜内様?」

 「こ、この・・・っ! か、かわいい面してこんな馬鹿力が・・・って、お、おいっ! 更に力込めんなっ! わ、悪かったよっ! ごめんなっ!」

 
 「何も桜内様が謝る事は何もありません、ですが誠に厚手かましい事ですが御忠告をいたします。先程美夏様が言いましたように桜内様は刺される危険性
  がありますので、これからは気を付けて言動を慎んだ方がよろしいかと」


 「て、てめぇ・・・あんまり調子にのる――――ってうぉおお・・・わ、わかったよっ! 気を付ける、気をつければいいんだろコラッ!」

 「はい。その通りです」




 イベールにどこにそんな力があるのかは分からないが、プレス機のような握力でオレの手を握ってきた。どうやらさっきの事で腹を立てているらしい。

 オレも力には自信があったのが――――相手はロボットだ、すぐに圧倒的な力で膝が着きそうになった。男の意地でそれはなんとか耐えたが・・・・。

 水越先生と美夏は最初ポカーンと眺めていたが、すぐに現状に気付き――――大笑いした。ちくしょう・・・こういう状況はオレは嫌いなんだよ・・・。




 「あっはっはっ! いい気味だ、義之っ!」

 「ひゃっひゃっひゃっ! こ、これは見モノだわっ! い、イベールに色目使って痛い目みる色男なんて・・・っ!」

 「・・・くそったれ」




 散々オレが大笑いされて気が済んだのか、イベールはやっと手を離した。すぐそこから離れてイベールの顔を睨む――――変わらずの笑顔だった。

 それを見て背中に何か冷たいモノが流れた気がする。オレは視線を外し、まだ笑っている水越先生と笑顔のイベールから逃げるように部屋から出た。

 後から笑い涙を流している美夏が着いてくる。くそが・・・なんでオレがこんな思いをしなくちゃいけないんだ・・・・晒しもんだよ、まったく。

 そう心の中で呟いてオレは商店街に向かい歩き出した。脇にはまだ笑っている美夏――――今日は厄日かもしれないな・・・、そう思い美夏の手を握った。































 「そうだよねぇ~! 天枷さんもそう思うよねぇ~!」

 「ああっ! まったく義之ときたら・・・」

 「・・・・」




 商店街で目当てのモノを見つけ、いざ帰ろうとした時に茜と会ってしまった。最初は無視しようと思ったが声を掛けられてしまいそうはいかなくなってしまう。

 美夏は茜を見てムッとした顔になり、茜はオレと美夏が繋いでいる手を見て何か気付いたらしく――――黙ってしまう。微妙な雰囲気がオレ達の間に流れる。

 とりあえずオレが公園に移動しようと言った。このままでは埒が明かないし、これを期に茜に美夏と付き合っている事を教えようと思ったからだ。




 公園に着いて空いているベンチにオレ達は座り、オレは話し始めた。説明と言っても大した事は無く、ただ美夏の事が好きで付き合っているとだけ言った。

 それを聞いた茜は一瞬悲しそうな顔をしたが――――またいつもの顔に戻った。そしていつも以上の元気な声でオレ達を祝福すると言ってくれた。

 美夏は最初驚いていた。まさか嫌味の一つや二つ言われるもんだと思っていたんだろう、少しばかり臨戦態勢を醸し出していたからな、コイツは。




 そして変な緊張感は無くなり、少し砕けた雰囲気になる。そして今度は茜が美夏に対して色々質問をし始めた。嫌な予感はしていたがオレは黙る事にした。

 色々茜には酷な事をした自覚があるし、質問ぐらいはいいだろうと思った――――だが甘かった、段々内容はオレの女性に対する態度の話になっていた。

 思わせぶりな行動をする、普段そっけない癖になんだかんだ言って突き離さない、女たらし――――色々酷い言われようだった。




 「大体義之くんはさぁ~、なんで気があるような言葉とか行動をとるわけぇ~?」

 「――――身に覚えのない話だ。てめぇの勘違いじゃねぇか?」

 「そんな事はないぞ、義之。お前は普段他のヤツと距離縮めようとしないんだろ? そんな奴が優しくしてくれたら勘違いしてしまうんだぞ?」

 「そうだよそうだよぉ~! なんか特別扱いって感じでさぁ~! 頭とか撫でてくれるしぃ~、変に優しくしてさぁ」

 「そもそもお前の事は一回振ったんだがな。なのにお前は諦めないとか言ってすがりつくから――――」

 「義之くんの性格だと話したくないと思ったらニ度と話さないでしょ~? なのに次あったら全然普通に構ってくれるんだもん」

 「むぅ・・・そうだな。お前の性格だと目も合わさないだろうしな・・・おい義之、なんだかんだ言って悪い気はしてなかったんじゃないか?」

 「・・・んな事はねぇよ」

 「おい、今の間はなんだ。まったく・・・硬派な男と思えばあっちこっちに目移りするんだからな、お前は」

 「意外と義之くんてすぐ恋しちゃうタイプ~? だめよぉ、そういうのはぁ。女の子を恋愛で泣かせちゃ駄目よぉ?」

 「――――うるせぇ、変態女」

 「あー、そーいう事言うんだぁ~。へー・・・ほー・・・・」

 「んだよ?」

 「ねぇ、天枷さん? 義之くんが他の女の子とキスしてたら―――どう思う?」

 「な、なにぃ!? そ、そうなのかっ!?」

 「た・と・え・ば・・・の話よぉ~。それでそれで、どう思う?」

 「む、むぅ・・・そうだな――――」

 「あのねぇ、実はねぇ・・・」

 「お、おい茜っ! てめぇ・・・・っ!」

 「きゃ~! ふ、服引っ張らないでよぉ~! 伸びちゃう~!」

 「お、おいっ! なんだなんだっ! 一体何の話なのだっ!?」




 この変態女がっ! 美夏に何チクろうとしてんだよ! 大体てめぇからキスしてきたんじゃねぇか! オレからは一度もしてねぇぞ!


 オレが服を引っ張ると目を回す茜とテンパる美夏を筆頭に騒がしくなる公園。こんな公共の場で女二人と男一人がギャーギャー騒ぐ
なんて赤っ恥もいいとこだ。


 オレは周囲を見回した。人がいたんじゃたまったもんじゃねぇ・・・そう思いながら見回してみたが、誰もいないようで安心――――









 「あれ? 義之?」









 できなかった。ベンチの横にある散歩道からよりによって――――エリカが出てきた。そういえばここはコイツの散歩コース、忘れていた。


 オレはエリカに会った瞬間―――さっきまでの気分が吹っ飛んでしまった。いや、吹っ飛ばないほうがおかしい―――当り前の話だ、隣に
美夏が座っているんだからな。



 茜はまだ会って二度目なのにもかかわらず気軽に挨拶をした。エリカはそれに苦笑いをしながらも律儀に挨拶を返した。しかし目はまだ茜の
事を警戒していた。オレと茜が手を繋いでいるところを見たエリカ―――茜の事を敵だと思っている節があった。



 しばらく茜と会話をしていたが、ふと美夏を見て―――少し困り顔になってしまった。おそらく初めて会う人物なのでどういう反応をすれば
いいのか分からないのだろう。



 しかしさすがは貴族といったところか――――丁寧にお辞儀をして美夏に挨拶をした。それに慌てて美夏もなぜか畏まった様子で応じた。




 「どうも初めまして。桜内先輩のご友人ですわねよ? 私は付属一年のエリカ・ムラサキといいます。以後お見知りおきを」

 「ど、どうもご丁寧にっ! わ、わ、わたくしは付属二年の、あ、天枷美夏といいますっ! い、以後よろしく・・・」

 「――――なにテンパってんだよ、お前」

 「う、うるさいっ!」

 「や~ん、美夏ちゃんかわいい~!」

 「お、おい花咲っ! あ、頭を撫でるなっ!」

 「・・・ふふっ」




 そう言って朗らかに笑うエリカ。それを見て美夏はまた顔を赤くしてしまった。オレはというと――――早くここから立ち去りたかった。


 確かに美夏との事についてはエリカに話そうと思っていた。いつまでもズルズルと言わないでおくとオレが流されてしまう危険があったからだ。


 それ程エリカの存在は段々オレの中で大きくなってきている。早くこの思いを捨て去って堂々と美夏と付き合いという気持ちが大きかった。


 
 だが――――それには順序というものがある。最近のエリカの様子、とても危ういとオレは感じていた。もし美夏との事を知ったら何をするかハッキリ
言って予想がつかない。



 泣くか、怒るか、また別な感情か―――分からないが普通の反応ではない事は確かだ。この問題はおいそれと簡単に言っていい事ではないと考えていた。


 だから、まずはゆっくりと二人だけで話をする。泣くかもしれないがそれを前提で話をして、謝罪もする。今まで美夏の事を黙っていてエリカにとても酷い事をしていたと。


 その後は出来るだけフォローをして、エリカの心に出来るだけ傷を少なくする。全部オレの責任だしそこまでやらなければいけないとオレは考えていた。 
  

 しかし美夏達はそんな事を知るはずもなく、普通にエリカと談笑を楽しんでいた。オレはここを立ち去るのに自然な口実を考えていると――――




 「義之は本当に女の知り合い多いな・・・まったくこいつは・・・」


 「だよね~、エリカちゃんといい私といい・・・気が休む暇がないね、天枷さん?」


 「まったくだ。こいつには自分の女がいるという自覚をまったく持っておらんっ! 腹ただしく思うぞ、美夏は」


 「――――――――失礼、天枷先輩。それはどういう意味なのかしら?」
  

 「うん? どういう意味も何も・・・・」


 「あ、おい美夏――――」


















 





 「美夏と義之は付き合っているのだっ! 去年の年末からな。とりあえず関係は良好といった所だが、義之の女たらしぶりには本当に参ってしまうぞ!」























 そう言って少し怒り気味の顔でオレを小突く美夏。隣では茜がホントよねぇ~と言っている。オレは珍しく少しパニックになってしまっていた。

 顔や動きには出していない。だがオレの頭の中は真っ白になってしまっていた。いきなり順序をすっ飛ばして結果だけ言ってしまった。

 しかし言ってしまったものはしょうがない、ここからオレはどうフォローするかを考えて――――エリカの顔を覗きこんだ。




 エリカの顔―――普通だった。まったくもって普通・・・取り乱したりもしなければ怒鳴りもしない、普通だった。全然予想していた事と違う反応をしていた。

  


 「――――――――へぇ、そうなんですの?」

 「うむっ! でもまぁ・・・義之は美夏の事だけを愛していると言ってくれたし信用もしている。だから特に不安になる、ということはないな」

 「あれあれ~? もしかしてノロケ~? いやぁ、参っちゃいますにゃぁ~」

 「なっ!? ち、ちがうぞ花咲っ! み、美夏はそういうつもりで言ったのではなく――――」

 「あーはいはい、みんなそうやって同じ事をいうのよねぇ。まったくぅ、聞かされる身にもなってみてよぉ~、ねぇエリカちゃん?」

 「ふふ・・・そうですわね、でも幸せそうでなによりです。言葉の端々から嬉しくてたまらないという心情がでていますわ」

 「だ、だから――――」

 「うう・・・・・・憎いぞぉ~この~」

 「や、やめろ花咲っ! だ、抱きつくなっ!」

 「――――ふふっ」




 そうやって楽しく談笑に混ざるエリカにオレは違和感を持たずにはいられない。オレはエリカの心情がまってくもって理解できないでいた。

 呆けているオレに助けを呼ぶ美夏の声に反応して、頭の底から戻ってオレ――――とりあえずいつも通りの振る舞いをした。そして茜を美夏から引き剥がす。

 文句を言う茜にホッとする美夏、そして朗らかに笑うエリカ。それらと共に、オレ達はしばらくの間公園で談笑を楽しんでいた。 

































 







 




  





[13098] 15話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:a3ae0851
Date: 2009/11/28 17:12








 「いやぁ~あのエリカとかいう女子は本当に礼儀正しいなぁ。今時珍しいぞ」

 「・・・そうでもねぇよ」

 「いやいや、そんな事あるぞ。聞けば貴族らしいじゃないか、オマケに美人だし―――なんでそんなヤツとお前が知り合いなんだ?」

 「あいつは生徒会の人間でオレが杉並のバカの一味だと思っている。それで追いかけ回されて以来の付き合いだ」

 「ははは、そうか。てっきりお前がたぶらかした女の一人かと思ったぞ、美夏は」

 「・・・・・」




 今、オレ達は研究所に向かって帰っている途中だった。少し話し込んでしまったせいかもう大分日も落ちてきていた。風も段々厳しさを増してきている。


 公園での会話は特に何も問題が起こる事なく終わった。オレと美夏が研究所でバイトをしている事を話し、今はその買い物帰りだと告げ―――オレは早々に
話を切り上げた。

 
 茜が少し残念そうな顔をしていたが、お仕事ならしょうがないねと言って手を振って帰って行った。思ったよりサッパリしている性格なのか、オレ達の事を
からかいはしたが嫌味一つ言わなかった。オレは少しばかり強い女だと感じた。



 そして残ったのはエリカとオレ達。オレ達はエリカに別れを告げて歩こうとして――――呼び止められた。オレは少しばかり心臓が跳ねあがった。

 なんだと聞くと、エリカは美夏と少し話がしたいと言いだした。内容を聞いても女性同士の話だから教えられないと言って、美夏に向かって手を招くエリカ。
 
 美夏は不思議そうな顔をしながらも、とりあえず義之は席を外してくれと美夏は言った。少しばかり心配であったが何か起きたらすぐ駆けつける準備だけはしておいた。

 内容は聞こえなかったが二人の表情を見る限り、楽しく談笑している様子しか見て取れなかった。時間にすると一分ぐらいだろう―――美夏はすぐ戻ってきた。




 「なぁ美夏、エリカとなんの話をしていたんだ?」

 「え、あ、べ、別に特になんでもない話だぞっ! うんっ!」

 「んだよ、気になるじゃねぇか。変な話でもしてたのか?」

 「ん~別に変な話ではないが・・・まぁ女には女の話があるんだ。男にもあるだろう?」

 「・・・確かにあるっちゃあるけどよ・・・・」

 「ほ、ほら、そんな事より早く戻ろうっ! さすがに三時間もほっつき歩いていては水越博士もさすがに怒るぞ!」

 「あ――――」 




 そう言って美夏はオレの手を引いて歩き出した。その様子を見ていると、どうやらあまり触れて欲しくない話題らしいということが分かった。

 ハッキリ言って内容が気になるところだが―――あまり悪い話ではなさそうなと感じたので追及はしなかった。あまり深く突っ込むと勘ぐられるし。

 しかし・・・エリカが美夏に対して普通の態度な訳が無い。無理矢理にでもやっぱり聞こうと思って―――――少し深呼吸をした。

 妙にナーバスになっているな、オレ―――少し神経質になってなっていたのかもしれない。少し頭を冷やす必要があると思った。




 「なぁ、美夏」

 「うん? なんだ?」

 「悪いが少し用事を思い出しちまった、このまま一緒に帰れそうにもない。水越先生にもすいませんが今日は早めに切り上げさせて下さいって伝えてくれ」

 「――――あ、そうなのか・・・」

 「ごめんな、美夏」

 「・・・むぅ、まぁ用事があるという人間を無理に引き留められはせん―――少し寂しい気がするが・・・また会えるしな」

 「ああ、もちろんだ。またすぐに会えるからそんな悲しい顔をしないでくれ」

 「・・・・・ふん」




 そう言ってる内に早くもバス亭の所まで着いてしまった。楽しい出来事があると時間はあっという間に過ぎると言われているが、それを改めて実感した。

 脇の美夏の顔を窺うと―――やはり少し寂しい顔をしていた。オレとしてもそんな美夏を置いて帰るのも忍びないが・・・今は一人になりたかった。

 しばらくはバスが来るまで話をしてやろうと思っていたが、すぐにバスのエンジン音が響いてきた。そして相変わらず人が乗っていないバスが目の前に停車する。

 


 「じゃあ―――またな、義之」

 「ああ、またな」

 「――――あ」




 そう言ってオレは美夏の頬に軽いキスをしてやった。美夏は少し驚いた顔をしたが―――すぐに表情が柔らかくなった。どうやら少しは元気が出たみたいだ。

 そしてまたすぐに会う約束をして、美夏はバスに乗り込んだ。そしていつもの見慣れた運転手がそれを確認して扉を閉め、バスのアクセルを踏み込んだ。

 遠ざかっていくバスの窓から美夏の手を振る姿が見える。オレはそんな美夏にいつもどおり手を振って応じた。もう日常的な行為となっている。

 オレは踵を返し―――公園に向かった。本当に一人になりたかったので家には真っ直ぐに帰りたくなかった。今はさくらさんの明るい声も多分耳障りだろう。




 「どうっすかな・・・オレも男だし――――いつまでもグチグチしてもしょうがねぇよなぁ」




 ある意味あの形でエリカに伝わってよかったのかもしれない。今まで言おうとして言えなかったというのもあるし、情けない事だが少しホッとしている部分もある。

 エリカの前に行くと固まってしまう自分自身が非常に情けなかった。女の腐った野郎みたいにウジウジしてしまう自分を殴りとばしたかった。 

 だが―――もう腹を括ってオレから改めて言うしかない。この間エリカが来た時にそう決めた。とりあえずオレは公園に向かい、もう暗くなってしまった道を歩いた。






























 「はぁ~・・・それにしてもどうしたもんか」




 オレは煙草を吹かしながらベンチに座り考えていた。もちろんエリカの事についてである。オレと美夏が付き合っている事を知ったエリカ―――普通だった。

 あまりにも頭にくるとかえって冷静になるというが・・・本当にそうなんだろうか。なんにしてもオレが見た限りでは信じられない事だが平然としていた。

 今までの様子、言動からみて何かしらのリアクションを起こすと思っていたオレからしてみればある意味拍子抜けといったところだ。




 「何考えてるんだ・・・アイツ」




 オレはエリカの事を分かっているつもりだった。人の事を分かったというヤツは大してその人の事を分かっていないとはよく言うが、エリカの性格は理解
しているつもりだ。


 感情の起伏が激しい女で口やかましい所もある。けど極度の照れ屋で素直になれない所もあり、気品と気高さを持ち合わせてて―――オレの事を好きな女。

 大体そんなところだがそれで十分だろう。元々エリカは隠し事が出来ない女だ、貴族でそれはどうかと思うが・・・それもエリカのいい所なんだと思う。

 しかし―――今は彼女を理解出来ないでいた。表情から何も読み取れなかったし、挙動も至って普通だった。エリカの性格を考えれば無い話だ。


 オレの事をあんなに好きだと言い、たくさん涙を流し、オレと結婚まで考えてくれている女―――そんな女が好きな男に彼女が出来ていると聞いて普通に
していられる訳がない。

 
 エリカに限った話では無く、ほとんどの男女は激しくうろたえて信じられないといった顔をするだろう・・・。今のオレならそんな気持ちが少し理解できる。

 美夏がオレ以外の男と付き合う―――考えられない話だ、腹の中が煮くり返っちまう。オレでさえそんな感情が支配する有様だ。別に情けないとは思わない。

 まぁ・・・そこまでエリカに酷い仕打ちをしたという訳だが―――何も感情を表さなければオレは何をしたらいいか分からない、何もしようがなかった。




 
 「少しでも感情を出してくれたら対応の仕方はあるんだが・・・」




 そういう事だ。喜怒哀楽のどれでもいい―――どれか一つでも出してくれれば話す取っ掛かりは掴める。あんな本当に何でもないという顔をされたんでは少し
考えてしまう。


 だが―――そうやっていつまでもウジウジ悩んでもしょうがねぇ、素直に今までの事を詫びるのが筋なんじゃねぇか―――そう思ったオレはエリカの家に
行こうとした。

 
 あまり言い訳を一生懸命考えるのもカッコ悪いし、オレらしくもない。そして何より誠意を見せるのが一番だと思った。綺麗事かもしれないがエリカには
一番通用する方法だと思う。


 だが後の事もちゃんと考えておく。後先を考えないで特攻する―――少年漫画でよく聞く言葉だが、もうそんな単純な問題では無くなっていた。

 そしてオレはベンチから立ち上がりエリカの家がある方向に向かい直った時―――見知った顔がそこにはあった。綺麗な金髪、いつも通りの格好、エリカだった。



 
 「あら? 義之じゃない。こんな所で何をしているの?」

 「・・・・・・・涼んでるんだよ」

 「―――ふふ、今は冬なのに?」

 「冬だからだよ。風情―――ゆっくり味わった事なんてなかったからな、最近」

 「そうですわね。文明が発達したせいか、みんな冬は家に引き込もってしまっていますものね―――こんな事だって出来ますのに」

 「・・・おい」

 「ふふっ」





 そう言ってベンチのオレの隣に座り、いつもの感じでオレの腕に絡みついてきた。そう―――いつもの感じでだ。昼間あんな事あったっていうのに
平然とそんな事をやってのけた。


 オレはエリカの顔を思わず覗きこんでしまった。エリカはいつもの嬉しそうな笑顔でオレの腕の感触を楽しんでいた。信じられなかった。

 もしかしたら―――オレは何か重要な事を見落としているのかもしれない。直感だがそう思ってしまった。




 「大体なんでお前がここにいるんだ?」

 「散歩よ。暇な時はこうやって外を気ままに歩いてますの。なかなかの気分転換になりますのよ?」

 「・・・また絡まれたらどうすんだよ。この間みたいに」

 「そうなったら―――義之が助けてくれるんでしょう? この間みたいに」

 「・・・・・・・・」

 「ふふっ」




 もう―――限界だ。オレは組まれている腕を振り払った。少し驚いた声を出して腕を離すエリカ、オレはエリカの方に向き直った。

 なんだっていうんだコイツは。何を考えてるか分かりやしねぇ―――イラついた気持ちにも似た感情を抱く。少しばかりきつめに睨んでしまったかもしれない。

 エリカの顔―――腕を振り払われて少し不満気な表情だった。またその表情がオレのささくれたった心を刺激する。オレはエリカに問い詰めた。




 「オレには分からねぇ。エリカが何を考えているか」

 「何って・・・何よ? 私はいつも通りですわ」

 「昼間も言ったが―――オレは美夏と付き合っている」

 「・・・・・」


 「今までエリカに伝えなかったのは本当に申し訳ないと思っている。ここでお前に何をされても文句は言えない。
  土下座をしろっていうならするし―――――何でもする」


 「う~ん・・・そうですわね・・・じゃあ―――――天枷さんと別れてくれるかしら?」

 「それは出来ない」
 
 「ふふっ、ずるいですわよ、義之? 何でもすると言ったじゃない」

 「・・・・ふざけてるのか―――てめぇ」

 「そんな顔をしないでくださる? 義之の怒った顔って本当に怖いんだから」




 そう言ってまた笑うエリカ。なぜだか知らないがエリカには余裕があるように見受けられる。余裕―――あるはずがないと思っていた。

 オレが困惑しているとエリカは軽い口調で喋り始めた。いつもの感じ―――まるで世間話をするみたいに・・・オレは嫌な予感がした。




 「天枷さんが義之と付き合っていると聞いて私は―――妙に納得してしまいましたの」


 「・・・納得?」



 
 「ええ。だって義之は―――私に惚れている筈なのに首を縦に振らないんですもの。前に冗談っぽく一目惚れしたとおっしゃっていましたが・・・本当なんでしょう?
  それなのにおかしい・・・前から常々そう思っていましたが、まさか他にも好きな子がいてその子を彼女にしているなんて・・・夢にも思いませんでしたわ」




 「・・・・いや、オレは別にお前に惚れてなんか・・・」



 「――――ウソ言わないでくださる? 義之は隠そうと躍起になっていたみたいでしたけど・・・貴方の私を見る目・・・とても心地もいいものでしたわ。
  ああ、義之は私に本当に惚れているんだなって分かりましたもの。もう嬉しくてたまりませんでしたわ」



 「・・・・・・・・」


 「大方、私と天枷さんの両方を好きになってしまったってところかしら? 義之って恋愛漫画の主人公みたいね」




 そう言ってまた朗らかに笑うエリカ。そうか・・・エリカにはバレていたのか。気付かれていないと思っていたオレが馬鹿みたいだ。


 よく考えれば気付かない方がおかしいのかもしいれない。興味がないと言いながらも何かと話をしたり家に入れたり・・・オレの性格を
考えるとあり得ない話だ。


 だが―――それなら話は早い。美夏と付き合っているという事実、それがどういう意味か分かっている筈だ。残酷なようだがこれから
エリカを突き離さなければいけない。





 「――――ああ、その通りだ。オレはお前に惚れていた」

 「・・・なんで過去形ですの?」

 「知っての通り、オレは美夏と付き合っている。美夏とお前――――両方を天秤にかけて美夏を選んだ」

 「・・・・・・」

 「だからその事は忘れるんだ。そして、オレの事は諦めて新しい恋愛でも――――」 

 「ねぇ、義之」

 「なんだよ、エリ、カ――――――――」




 オレはエリカの方を向いて固まってしまった。エリカはまたあの悲しい目をしていた。途端にさっきまでの強気の姿勢は何処かへ行ってしまった。

 そんなオレの様子など気にしないと言わんばかりに、エリカはオレの両頬を掴み――――キスをした。この間みたいに何回も、何回も優しくキスをしてきた。

 そして気が済んだのだろう――――時間の感覚は分からないが大分長い時間キスをしていたと思う、エリカはオレの事を解放した。




 「・・・やっぱり義之とのキスはすごくいいわ。もちろんこれからも何回もキスしますけど――――飽きる事はないでしょうね」

 「・・・オレの話を、聞いてなかったのか? てめぇは」

 「ふふっ、義之は絶対に私の所に戻ってきますわ。絶対にね・・・」

 「なんの根拠があって――――」  

 「一目惚れってすごいですわね。義之みたいな人でも逆らえなくする――――まぁ私もそれ以上に義之の事愛していますけど」

 「―――――――まさか」

 「・・・だからそんなに怖い顔しないで、悲しくなってしまいますわ」


 

 またあの悲しい色合を帯びた目でオレの目を見つめるエリカ――――瞬間、オレは確信した。何時からは分からないがエリカは意図的にこの目を作っているのだと。

 オレにとっての唯一の弱点・・・それをエリカには知られてしまっている。オレは思わずエリカの顔を凝視した。エリカの顔――――笑顔に戻っていた。

 そうしてオレもやっと謎が解けたような気がする。エリカに見え隠れする余裕――――オレを制御する操り人形の糸、それをエリカは持っていた。




 「私ね――――天枷さんに聞いてみたのよ、義之の何処に惚れたのかって。やっぱり彼女をやっているぐらいだし気になるじゃない?」

 「・・・・・・」

 「私がいつも泣いてたのってあの子が原因なんですわよね? ここまで私を泣かせるんだからどんな女性だと思っていたんですけど、とんだ期待はずれでしたわ」

 「――――なに?」 

 「何処に惚れたのと聞いて返ってきた言葉が・・・カッコイイところ、ですって。義之の事何も知らないのね、天枷さんは」

 「・・・・・おい」

 
 「私は義之の事は大体分かるわ。本当は優しくて、自分の味方を絶対に裏切らない、そして何気にプライドが人一倍高い・・・他にもいっぱい義之の事を
  知ってますわ。見たところあの子は義之の外見だけを気に入って付き合ってるのね。本当に情けない事だわ」  


 「やめろよ、エリカ」

 「それに義之は本来もっと高みにいる人間の筈よ。あの子と付き合っても何も得られるものは――――」

 「やめろって言ってるのが――――聞こえねぇのか? おい」

 「・・・・・・ねぇ、義之?」


 

 そう呟いてオレの手を握るエリカ。目―――またあの目をしていた。そしてオレの手を持ったままベンチから立ち上がる。そして言いにくそうに話し出した。

 言いにくそう――――演技だと直感で気付いた。そんな事を思っている筈が無い。その目をして言うって事はオレに拒否権は無いと言っている事と同義だ。




 「私の部屋に・・・来ない?」

 「・・・・・」

 「ここのところ義之が構ってくれなくて寂しかったのよ・・・。ねぇ、いいでしょ?」

 「いや――――」

 「ほら、早く行きましょう。 私、新しい料理を覚えましたのよ? きっと義之の好みにも合いますわ」

 「あ、おい――――」




 そう言ってエリカはオレの手を引いて歩き出した。オレはその手に引っ張られるようにエリカの脇をついて歩いていった。

 手を振りほどこうとするが、その度にエリカはオレの目を見た。そしてオレは何も言えなくなってしまいエリカはまた笑顔になる。

 あの夜――――断っていればこんな事にはならなかった。あの悲しそうな目を振り切っていれば惑わされずに済んだ・・・。

 だがいくら後悔しても遅い。オレは振りきれなかった、それが現実だ。オレは後悔の念を胸にエリカの家に向かい歩き始めた。 

 



 




















 「こうやって義之と眠るのって―――あの夜以来かしら」

 「・・・ああ、そうだな」




 あの後エリカの家に招待され、晩御飯を頂いた。最初は少し不安だったが――――出てきた料理は予想以上に美味しく、満足できるものだった。


 その事をエリカに話すとどこか照れたような笑みを浮かべた。さっき公園で話しているときは別人かと思うほどの雰囲気だったが今ではその影さえ
無かった。


 オレが思うに、あれもエリカという人間の顔の一部なんだろう。照れて笑うエリカも、強引な手段に出てしまうエリカも――――全部エリカという人間の一部だ。
 
 そしてオレは食事を終えて家に帰ろうとした時――――またあの目で引き留められてしまい、結局またこの部屋で一晩過ごす事になってしまった。

 美夏との事は出来るだけ考えないようにしていた。そんな事を考えていると――――罪悪感で死んでしまうかと思ったからだ。





 「おい、寝るっていう時にまで絡みついてくるなよ。うざってぇ」

 「ふふっ、本当はそんな事思っていない癖に・・・」

 「アホか、てめぇは。オレにはな――――」

 「彼女がいる――――そう言いたいんでしょ?」

 「・・・・・・・」

 「そういう人のこと、なんて言うか知っていて?」

 「・・・なんて言うんだよ」

 「――――浮気者、そう呼ぶのよ」

 「・・・・・・」

 「・・・・・ん」




 そう言ってまたキスをしてきた。最初は公園でしたみたいに優しいキスをしていたが・・・すぐこの間のキスみたいに激しくなった。


 急がしそうにオレの舌を絡め取るエリカの舌、それに思わず反応してしまいオレは強く舌を動かしてしまった。それにエリカの体がビクッと震えて
オレの服を掴むエリカの手がギュっと握られた、まるで快感を我慢するかのように。


 そして負けていられないとばかりにそれ以上にエリカは舌をもっと激しく動かした――――今以上に深くつながるようにオレの頭を抱え込みながら・・・。
 
 エリカの部屋に響き渡るオレとエリカの唾が混ざり合う音。エリカはオレとのキスは飽きないと言っていたが・・・それを裏付けるようなキスだった。




 「ぷはぁ・・・・はぁ・・・はぁ・・・・・ふふっ、今までで一番激しいキスでしたわね・・・気持ちよかったですわ」

 「・・・そうか」

 「もう冷めてるんだから・・・でもそんな所も好きですわよ? ふふっ」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・ねぇ」

 「・・・なんだ」

 「――――――この後の続き、してみない?」

 「・・・・・・」




 言わんとしている事――――要は抱いてほしいという事だった。潤んだ瞳、赤らんだ顔・・・言葉にしなくてもそれは伝わってきていた。


 エリカもオレがその気になっている事に気付いているのだろう。さっきからエリカの太腿にオレのモノが当たっており、チラチラとエリカは気にして
いる感じだった。


 だが――――それだけは出来ない。今ここでエリカを抱いてしまったら、性欲なんてものに負けたら、本当に――――本当に後戻りが出来なくなる。




 「・・・かったるい」

 「――――へ?」

 「ぶっちゃけ眠いんだわ、オレ。性欲よりもオレは睡眠欲のほうが強くてな。よく杉並とかに呆れられるよ」

 「ちょ、ちょっとっ! こ、ここまできてそれはないんじゃないかしらっ!?」

 「あーうっせうっせ、やかましい女だな、お前は。美夏だってもう少しはお淑やかだぞ」

 「――――――――ッ! こ、この男はデリカシーというものが・・・・っ!」

 「じゃあ寝るよ。おやすみ」

 「あ、こ、こらっ! 待ちなさないってばっ!」

  

 
 そう言ってオレは背中を向けて寝る準備に入った。後ろでエリカがぶつぶつ文句を言っていたがオレが本気だと分かったのだろう、すぐおとなしくなった。

 そして抱きつかれる感覚――――エリカがオレの背中に手を回していた。それに安心したのかすぐ寝息を立てるエリカ。小学生か、こいつは。

 今の現状・・・とてもじゃないが美夏には見せられない。オレは美夏を裏切っているんだから当り前だ。別に開き直っている訳じゃないが・・・。



 正直――――オレは少し自棄になってしまっていた。あれだけ・・・あれだけ何回も決心したのに・・・すぐ状況に流されてしまった。

 もう疲れてしまった。元々人付き合いが不得意なオレだ、こんな現状を円滑に回すなんて出来やしねぇ。もうなるようになれといった感じだ。

 そう思いながらもエリカと最後の一線は越え無かった。結局のところ――――実に中途半端な関係で安心しているオレがいた。





 オレは美夏・・・エリカをどうしたいんだ・・・・そんな自分でも分からない悩みを一晩中考えてしまった。ふとその時カレンダーを見て思い出す。




 「もうすぐ三学期か・・・・」




 学校が始まったらまたこの関係の形は変わるのだろうか。いや、また心配しても裏目に出るだけだ。だったら何もしない方がまだいい――――。

 オレはそう思い、朝日が昇ってくるのを黙って眺めていた。将来―――誰とこういう朝日を眺める事になるんだろうかと考えながら・・・・・。
































 



[13098] 16話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:685862ad
Date: 2009/11/29 04:56













 「あー寒いわ・・・マジでだるいし・・・今日はサボってどっか行こうぜ、美夏」

 「何言ってるんだ義之。どうせいつも授業なんかまともに受けてないんだろ? だったらせめて席に着くぐらいしろ」

 「馬鹿にすんなよテメェ。こんな品行方正なオレを捕まえてなんて口の聞き方だ。積極的に手を挙げて質問するタイプなんだぜ、オレ」

 「だからなんでお前はそういう嘘をクスリともせず言えるんだ・・・・」




 とうとう愛おしかった冬休みも終わり、オレ達は学校へ向かって歩いていた。一昨日に始業式が無事終わり、もう授業もいつも通り始まっている。

 また退屈な学校生活が始まると思うとやや憂鬱な気分になる―――まだ研究所でバイトしていた方がマシってもんだ。あれはあれで楽しいし。

 機械関係に囲まれて仕事するというのは嫌いではないし、見た事や触った事がないものを多く弄れたり出来たのでいい経験になったと思う。

 何事も知識が増えるというのは邪魔になりはしない。それを水越先生に話したところ研究者に向いていると言われた。




 「大体お前はそんなにのらりくらりしていて―――将来の事を考えているのか?」

 「当り前だ。美夏と結婚出来たらいいと思う」

 「い、い、いきなり何を言うんだ、お前はっ!?」

 「別にお前が聞いてきたから答えたまでだ」

 「ふ、ふんっ! お前の言っている事は大きくなったらお嫁さんになりたいと言っている子供と変わらんぞっ! 少しは真面目に――――」

 「嫌なのか?」

 「えっ!? あ。いや、べ、別に嫌というわけじゃなくてだな・・・その・・・」

 「んだよ? だったら別にいいじゃねぇか。少なくともオレはそう思っている」

 「うー・・・・」




 将来―――自分でも予想がつかなかった。恐らくだがそこらの普通の会社や工場で働く事になるんだろう、そうおぼろげに思っていた。


 一流企業と呼ばれている所なんかには入れないだろう。頭の良し悪しではなく、問題はこの性格だ―――コミュニケーション能力が欠如
していたんじゃ話にならない。


 どの仕事にも言える事だが絶対に『お客』という相手がいる。需要と供給を満たすのが『仕事』であり、それをこなして初めて金が貰えるとオレは思っている。

 別に自分の心の内を外に出す様な真似はしない。そういうのは小さい時から出さないのは得意にしているし、相手の求めている態度を出すことも出来る。

 ただそういうのがオレにとってかなりストレスが溜まる行為だ。絶対に長続きするとは思えないし、大きな会社ほどそのストレスは大きくなると思う。

 たださっき言っていた研究者―――悪くない職業だと思った。課せられた研究をこなすのに自分の世界に入り込んで黙々と実験を繰り返す日々は悪くないと思う。

 天枷のところの研究員も大体はそんな感じだ。一つの目標を達成して、更なる高みを目指してまた実験を繰り返す――そんな日々を送っていた。

 なにより美夏の事がある。もし何か美夏の身に起きて対処出来なければオレは一生後悔するだろう。そういった意味も込めて研究員も悪くはないと思う。




 「そういうお前は何になりたいんだよ?」

 「―――へ、わ、私か?」

 「そうだよ。人の事聞いておいて自分の事を言わないのはフェアじゃないぜ?」

 「む、むぅ・・・そうだな・・・・」

 「なんだ、てめぇも考えてねーんじゃねぇか。よくそれで人の夢を笑えたもんだ」

 「ば、ばかいうなっ! あんなもの夢と言えるかっ! は、恥ずかしいったらありゃしない!」

 「じゃあお前の夢―――言ってみろよ」

 「だ、だから・・・その・・・だな・・・え~と・・・あ、あははっ! お、お嫁さ―――」

 「お嫁さんて言ったらお前をもしかしたら蹴り飛ばすかもしれないな、オレ」

 「う、うがーっ!」




 隣で顔を真っ赤にしながら怒る美夏を端目にオレは呆れていた。お前こそ子供と変わらねぇじゃん、ちっこいしな。すぐに感情出す所なんかまさにそうだし。

 だがまあ―――悪い気分ではない。そう思ってオレは美夏の手を握った。そしてまだ怒りが収まらない様子ながらも―――手を握り返してきた。

 この瞬間をオレは気に入っていた。人と人が手を繋ぐだけでこんないい気分になるから不思議だ。これからもその思いは変わらないだろう。

 そして曲がり角を曲がった時――――綺麗な金髪が目についた。背筋なんか針金が入れてあるのかと思うぐらいピンとしていて近寄り固いオーラが出ている、

 前を歩いている女はオレの視線に気付いたのだろう、後ろを振り返って―――目が合った。そして朗らかに笑いながらオレ達に話しかけてきた。




 「おはようございます、桜内先輩と天枷先輩」

 「・・・うっす」

 「ああ、おはよう。今日は奇遇だな、ムラサキはいつもこんなに早いのか?」

 「いいえ、今日は偶々ですわ。なぜかこんな寒いはゆっくり歩きたくて・・・早起きしてしまいましたの。ふふっ、恥ずかしい話ですわね」

 「いやいや、そんな事はないぞっ! 義之なんかいつも寝坊しそうになるから本当に困るっ!」

 「あら、そうなんですの? そういえば桜内先輩はとても朝に強そうには見えませんが―――なぜこんな時間から登校を?」

 「どういう意味だよ、てめぇ」

 「ふふっ」


 「まぁ義之もそんなに睨むな。理由か・・・まぁ私達もムラサキと同じ理由だ。照れる話だがこうやって二人でゆっくり登校した方が・・・なんというか
  だな・・・・少し幸せな気分に浸かれるんだ」

 
 「・・・よくもまぁそんな恥ずかしいセリフを言えたもんだ。オレなら恥ずかしくて死ぬね」

 「う、うるさいっ!」

 「いえいえ、そんな事ありませんわ。幸せそうで何よりですわ。もしかして―――お邪魔してしまったかしら?」

 「―――へ? あ、いやいや、そんな事ないぞっ! あ、あははっ!」

 「そうですか? あんまりお邪魔虫になるようでしたら退散しようかなと思っていましたの。それで―――桜内先輩は私の事、お邪魔ではないのかしら?」

 「――――――別に」

 「あ・・・・」 

 「ならよかったですわ。桜内先輩はあまり思っている事を顔に出しませんから不安でしたの・・・ふふっ」

 「・・・・・」




 美夏の呟き声―――オレに否定して欲しかったんだろう・・・邪魔だと。オレの性格を考えれば自然にストレートにそういう事を言うから期待していたのが分かる。

 オレ達は学年も違うからあまり一緒に居る事が出来ない。こういったささやかな時間もオレ達には貴重な事だった。だが招かれざる人間がそれに入り込んで来た。

 美夏はさっきまでの元気な様子はどこへ行ったのやら―――顔に少し陰りが出てきた。対するエリカの顔は相変わらず笑顔のまま・・・少しばかり憎たらしかった。

 美夏の性格だと罵倒や悪口といった言葉は苦手だ。生意気な発言も多いが、ほとんどは照れ隠しによるものだし―――ロボットの癖に人がいい性格だった。

 だから代わりに手を強く握りこんだ。美夏はハッとした顔になったが、すぐに少しばかり元気が戻ってきたのが見て取れた。そしてそれを見ていたエリカが言った。


 「―――でも羨ましいですわ・・・そんなに手を強く握りしめて・・・まさに幸せの絶頂という感じですわね」

 「え、あ、そ、それは――――」

 「ああ、幸せだね。幸せすぎて脳がパンクしそうだよ、本当にな」

 「ば、ばか・・・」

 「んだよ、お前もそう思ってるんだろ? ちっとは素直になれよな」

 「うー・・・・」

 「いいですわね、好きな人と結ばれるというのは。私にも好きな人がいますけど―――なかなか報われなくて困っていますわ」

 「・・・・・」
 

 「お、そうなのか? ムラサキみたいな美人を相手にしない男なんか早々いないと思うのだが・・・こう言っては失礼だが見る目が
  無いのではないか? その男は」


 「ふふっ、ありがとうございます。でもそうですわね・・・確かに天枷さんの言うとおりかもしれません。少しばかり見る目が無いと私も
  思っていたところですわ、ふふっ」




 そう言ってまた笑顔になる。だが視線はずっと美夏に注がれていた。オレはこの間エリカが言っていた事を思い出す。美夏はオレに相応しくないと言っていた。

 その視線は言外に美夏ではオレの隣に居るのは合わないと言っているのがオレには見て取れた。それぐらい不躾な視線を当てているが美夏は気が付いていない。

 良し悪しにも関わらず美夏は人がいい性格だ。普通の人になら警戒心丸出しにするのだがオレの知り合いっていうことで気を許していた。

 



 「そしてその男性の方は恋多き人なので・・・少し女性の方にだらしないんですの。もう困ってしまいますわ」

 「むぅ、女にだらしないのはあまり好かんな」

 「ええ。だから私だけを見てくれるように頑張ってはいるんですが・・・この頃は自信が無くなってきましたわ」

 「なぁに、大丈夫だっ! ムラサキ程の器量の持ち主ならすぐに相手の男は落ちるっ! 案外もうひと踏ん張り頑張ればイケるんじゃないか?」

 「――――――天枷さんにそう言われると本当にその気になってきますわね、ありがとうございます。私、自信が出てきましたわ」

 「なぁに大した事はないっ! 悩める後輩の為だしなっ! あ、少し気になる事があったんで聞いていいか?」

 「はい、なんでしょう?」


 「義之とはどういう経緯でこんなに仲良くなったのだ? 前に義之に聞いた時はムラサキに追いかけ回されて以来の付き合いだと聞いたが・・・知って
  の通り義之はこんな性格だ、余程の事が無ければ人をこんなに近づけさせないと思うんだが」


 「・・・そうですわね、私も不思議に思っていましたけれど―――きっと一目で気に入られたんではないでしょうか?」

 「へっ?」

 「だって桜内先輩の性格ですとそうでしょう? 気に入らない人は男女関わらず煙たがるんですから。まぁ、悪い気分ではないですわ」

 「あー・・・そうなのか・・・」

 「ふふっ、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫ですわ。桜内先輩は天枷さんに夢中ですから――――――本当に」

 「そ、そうか?」

 「ええ、見ていてこっちが恥ずかしくなるくらい甘い雰囲気を出していますもの。それもあの桜内先輩が・・・自信を持っていいと思いますよ?」

 「あ、あはは・・・な、なんだか照れるな・・・」




 そう言って照れた笑みを浮かべる美夏。オレはというと――――少し苛ついていた。オレからみればさっきからエリカは罵声を吐いている様にしか見えない。

 オレは軽く睨んだが相変わらず涼しい顔をしている。オレは睨んでも効果がないと分かりすぐに視線を前に戻した。こいつ・・・性格少し変わったな。

 その要因は―――きっとオレだ。オレと会わなければ嫌な方向に性格が変わる事もなかったろう。些細な変化だがそれがオレには悲しかった。




 「――――ん?」

 「うん? どうした義之?」

 「いや、なんでもねぇよ。さっさと行くべ」

 「・・・?」

 「・・・・・」

 

 ふと袖を掴まれる感触がした。見ればエリカがオレの袖を掴んでいた。隣には美夏がいるし見られたらたまったもんじゃない。オレは振り払おうとして、止めた。

 エリカの顔がどこか不安そうな顔をしていたからだ。おそらく振り払われる事を恐れているんだろう。その顔を見ていたら――――少し心が動いてしまった。

 そして気が付いたらエリカの手の指先を反対に掴んでいた。よくカップルがやる指先で手を繋ぐ行為・・・それをしていた。エリカは驚いた顔をしていた。

 まさか手を繋いでくるとは思わなかったんだろう、だが次の瞬間にはとても嬉しそうな顔をしていた。そしてエリカも美夏に負けないぐらいオレの指先に力を込めた。

 別にあの目はしていなかった、ただただ不安そうな顔をしていただけだ。結局のところ――――惚れたオレにとってはそういった行為が全部弱点になっていた。

 美夏と付き合っていると言うのにエリカへの気持ちは変わらない――――寧ろ益々大きくなってきていた。それを恐れて早めに決着をつけたかったというのに・・・。

 前は弱点はあの目だけだった。それさえ振りきればなんとかなる自信があった。だが日々を重ねるごとに弱点は増えていき――――今の有様だ。

 そうして美夏とエリカの手を繋ぐ行為は校門前まで続けられた。二人の手に込められたオレへの想い――――それが返ってオレを苦しませていた。
   



















 




 「ねぇねぇ、義之きゅん! 早く移動しようよぉ!」

 「纏わりついてくるなよ、茜」

 「えー別にいいじゃん~。それとも何? 彼女には他の女と喋っちゃいけないって言われてるのぉ? なっさけな~い」

 「・・・・・・」

 「ああ~ん、待ってよぉ~」




 そう言ってオレの腕に絡みつく茜。オレはため息を吐いて茜を見やるがどこ吹く風といった表情――――好きにさせておいた。

 今オレ達は移動教室の授業の為に音楽室へ歩いていた。あまり気乗りはしないが少しは真面目に受けようと言いだしたのはオレだ。

 腕に変なモノを必要以上にくっ付かせて歩いているオレに色んな視線が飛んでくる。まぁほとんどが嫉妬や憎悪といった感情的なものだ。

 だが話しかけて来る者はいない。オレはもう腫れ物を扱われるような存在となっていた。まぁ気楽でいい事だが・・・。




 「大体振った男に纏わりついてくるお前の思考が分からねぇ。それも相手は彼女持ち――――諦めの悪い女だな、てめぇも」

 「べっつにいいでしょぉ~? あれだけの事をしてあげたのにまだ対価を貰っていないんですもの。これぐらいはねぇ~?」

 「たかがキスぐらいで何を――――」

 「美夏ちゃんに言うわよ、キスの事」

 「・・・好きなだけくっついていいぞ」

 「へっへぇ~、やっぱり優しいな義之くんは~。 どう? 私に乗り換えてみない? こんないい女は他にいないわよ?」




 非常にうざったい事だがこいつにも弱点は握られている。まぁキスといってもオレからはしていないので知った事ではない。

 だがオレの彼女はそうは思わないだろう。きっと怒り狂ってオレをボコボコにして――――悲しむ。それはオレの望むところではなかった。

 しかしこいつもすげぇ女だ。二回も振られた上に彼女持ちの男にここまでベタベタしてくる女――――頭がイカれてんじゃねぇか? 




 「でもまぁ・・・確かにいい女だよ、お前は」

 「へっ?」


 「美夏とオレが付き合っている事を知ったお前は悲しんだろう。あれほど愛情表現をされたし本当にお前に愛されてたと思っている。それなのに
  お前は嫌味一つ言わなかった。普通なら恨み辛みを美夏にぶつけているところだ。オレはお前にどっちつかずの行動をしていたし、ある意味
  お前の事を裏切った訳でもある。だが、お前は公園で美夏に本当によくしてくれていた。ありがとうな」


 「えっ!? いやいや、そんなこ――――」


 「美夏があれだけ同性に対して楽しそうに絡んでいたのは初めて見た。美夏はあれでも初めて喋る人間にはすごい警戒心を持つ。ましてや
  お前の事を恋敵だと思っていたのにな。それだけお前に人徳があるってことだ。男女関わらずそういうのを持っているヤツは少ない」


 「ちょ、ちょっと――――」 

 「おまけにスタイルも顔もいい、はっきりいって美人だ。頭の回転の速さも悪そうに見えない――――引く手多数だな、お前」

 「ううー・・・」




 オレがそう言って照れてしまったのか、絡みついてる腕を離そうとする茜。自分から腕を組んできてそれはねーだろ、おい。

 そういう行動をするとオレの悪戯心が反応するって分かってるだろうに・・・。そう思いながら今度は逆にオレから腕を組んでやった。

 途端に顔を赤らめて逃げようとする茜――――ああ、だめだ・・・こういう風にからかい易いヤツはとことん苛めたくなる。




 「なんだよ、離れるなよ」

 「ちょ、ちょっと、やだ、離してよぉ~」

 「お前の腕って改めて思うけどやっぱり柔らかいな。女の子の腕って感じだ。指もこんな滑らかだし・・・」

 「ヒャッ! そ、そんないやらしい手つきで触らないでよぉ~」

 「なんだよ。オレの事好きだったんだろ? だったらいいだろ」

 「さ、サイテ―よ義之なんかぁ~! こ、このドS男!」

 「ああオレは最低だ、彼女がいるっていうのに何だか変な気分になってるしな。このままどっかへ行って――――二人だけの時間を過ごそうか?」

 「そ、そんな事言ってその気ないくせに~!」

 
 
 まぁその通りなんだけどな。さすがにオレとの付き合いも長いしその辺の事は分かっているんだろう・・・生意気な女だ。


 そして指を擦るとビクっと体を震わす茜。指にも性感帯があるというが――――多分この辺だろう、そう思って指のある部分を
擦ると更に顔を赤らめた

 
 呼吸も荒々しくなってきているし、目も潤んできている。キッとオレを睨むがオレはヘラヘラした表情を浮かべた。

 睨んでも無駄だと悟り更に涙目になる茜。腕もガッチリ組んでいるので逃げられない状況だ。大体受け身になると弱すぎるんだよな、コイツは。

 そういう風に茜をからかっていると前から人が走ってくる音が聞こえた、それも複数だ。まぁ見る前から大体想像はついていた。

 前に顔を向けると予想通りというかなんというか――――杉並が生徒会役員に追われていた。その中には見覚えのある金髪もある。




 「こらぁ~待ちなさいっ! 杉並っ!」

 「はっはっはー! 冬休み中怠け過ぎたのではないか、まゆきよっ! 走りが遅くなっている、それに脂肪もたくさん付いた様だしなっ!」

 「――――――ッ! こ、このっ!」

 「ま、まゆき先輩・・・はぁはぁ・・・は、走るの早いです・・・」




 そう言って走りながらこちらに向かってくる杉並一向。相変わらず騒がしいやつらだ、冬休みも明けたばかりだというのに・・・。

 とりあえずオレ達は壁側に避けた。あまりにも絡みたくない相手達だ。そして杉並はオレの前を通り過ぎ――――なかった。

 ガッチリ腕を組まれ。ターンポールを回るかのように綺麗にオレの背に隠れた。っていうかこの図は前にも見たぞ、オレ。

 そしてオレの前に立ちはだかるまゆみと息を切らしているエリカ。オレは知らずしらずの内にため息を吐いた。




 「やぁ、弟君。明けましておめでとう」

 「おめでとうございます、まゆき先輩」

 「冬休みは充実した生活を送れたかな?」

 「ええ。とても有意義に過ごせました。学校はとてもうるさい人がいてなかなか落ち着けなかったので」

 「へぇー・・・そんな人がいるんだ? 私が取っちめてやろうか?」

 「え? 自分の事を自分で捕まえるんですか? 愉快な人だとは思っていましたけどそこまでとは・・・サーカス団に入ったらどうです?」

 「―――――なんでかな?」

 
 「ピエロに向いてそうだからですよ。あ、でも待って下さい。確かピエロはその団の中でも一番演技が上手い人がやるんでしたっけ?
  じゃあまゆき先輩には無理そうですね。見るからに大根っぽいですし」   
 
 
 「――――ッ! こ、このっ!」

 「ああ、あんまり絡まないでください。そういうの苦手なんで、僕」

 「~~~~~~っ!」 




 そしてすぐ顔を赤らめて怒りを露にする。それにしてもからかい易い人だ。普段から姉御肌ぶっているから弄られるのには慣れていないんだろう。


 ここまで弄りやすいと返って冷めるな、ハッキリ言って。エリカや茜みたいにもう少し可愛らしい反応をしてみて欲しいものだ。まぁそういう反応
をされても冷ややかに笑うだけだが。


 それにしても――――興奮しているせいか気付いてないんだろうか、この人は。だから杉並にいつも逃げられるんだよ、ったく。




 「それで、いいんですか? 杉並はもういなくなってますよ?」

 「――――へ? あ、あれ!? 本当だっ!? い、いつの間に・・・・」

 「早く追いかけっこの続きでもしたらどうですか? 暇なんでしょう?」

 「―――――ッ! ふ、ふんっ!」




 そう言ってオレの前から立ち去るまゆき。てか早く気付けよな、愛しの彼が逃げた事ぐらい。もう逃げられないように付き合えばいいのに。

 まゆきと杉並―――案外合っていると思った。あの男の奇行に付き合えるのはオレの知っている中であの女ぐらいしか知らねぇからな。

 エリカも慌てて追いかけようとして―――足を止めた。エリカの視線はまだ繋がられているオレ達の手に向けられている。




 「ねぇ、花咲先輩?」

 「ほえっ? なにかなぁ?」

 「桜内先輩に彼女がいる事は知っていますわよね? 少しベタベタしすぎなんじゃありませんこと?」

 「え~? 別にいいじゃ~ん。別に天枷さんから奪おうっとわけじゃないんだしさぁ~」

 「花咲先輩がそうは思わなくても周りにはそう見えるんじゃないですか? 少なくとも私にはそう見えますわ」

 「う~ん、そうかなぁ・・・そういうつもりはないんだけど・・・あはは、困ったにゃ~」


 「少なくとも――――まだ未練が残っていて執拗にアプローチを掛ける元彼女、みたいに見えますわ。情けないお姿なので
  お止めになったほうがいいと思いますが?」 


 「――――――へぇ、ふ~ん・・・・・エリカちゃんて小姑みたいだねぇ~、おっかないわぁ~」

 「・・・何ですって?」

 「やぁん、そんなに睨まないでよぉ・・・よっしー助けてぇ~」

 「――――――な」




 そう言ってオレに抱きついてくる茜。それを見てエリカの綺麗に整えられた眉毛はピクリと動く。顔には苛ついた表情は出していないが無駄だ。
雰囲気で不機嫌な感じがバリバリ出ている。それに無表情を装っているが、返ってそれが怒っている様子に拍車をかける。


 大して茜は余裕といったかんじだ。こいつの事だからそういった言葉ものらりくらり躱しそうだし、なにより度胸のある女だ。早々折れたりしないだろう。

 なんにしても――――かったるい状況だ。とりあえずオレは茜を引き剥がした。茜は残念そうな顔をしたが・・・状況が状況だ、離れればエリカも落ち着くだろう。

 それを見たエリカは胸の内がスッとしたのか―――茜に対して小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。茜もそれに気付き、ムッとした顔で再度オレの腕に組みついてきた。

 また表情が険しくなるエリカ。突っ掛かる勢いで喋ろうとしたのでオレは慌てて止めた。どうしちまったんだよ、エリカ。お前らしくもねぇ・・・。




 「そこまでだエリカ、もういいだろう。茜も取りあえず離れてくれ」


 「――――――ッ! よ、義之は私の味方じゃないのっ!? どうしてその人の事を庇うのっ!?」


 「なっ、お、おい――――」


 「な、なんでいつもいつも、義之は、私ばかりに冷たいのよっ! ま、前々からずっと言おうと思ってたんだけど、なんでっ!? どうしてっ!?」


 「ちょっと待て、エリカ。少し落ち着け、な?」


 「だっていつもそうじゃないっ!? ねぇ、私の事、好きなんでしょう? 惚れているんでしょう? 私何かした? ねぇ、どうなの?」


 「・・・・何もしてないよ、エリカは」


 「嘘よ。だって天枷さんと付き合ってるじゃない。天秤に掛けたって言ったけど――――なんで私の方に傾かなかったの? ねぇ」


 「・・・・お前と過ごした時間より美夏との時間の方が濃かった。ただそれだけだ」


 「――――あ、あはは、そう、そんな理由・・・何よそれ? もしかしてふざけてるの、義之?」


 「お前がどう感じてはいるかは知らないが――――それが理由だ」



 「・・・はは。じょ、冗談じゃないわ・・・天枷さんより私の方が義之の事を知っているのよ? 私の方が好きなのよ? それに私の方が得られる物は
  たくさんあるわ、そして義之は私の事が好き、ホラ、問題は無いじゃない」


 
 「・・・言ったろ、時間が――――」 


 「だ、だったらもっと私と一緒の時間を過ごしましょうよ? ね? とてもいい考えじゃない、今から天枷さんの所に行ってそう言いましょうよ? ホラ、早く」


 「あ――――」




 そう言ってオレの手を握り締める。しかしここでハッキリ言わなければ駄目だ、エリカに望みはないと。そう思って手を振り払おうとして――――固まってしまった。

 あの目を見てしまったからだ。オレに一番効果のある目―――悲しみに染まった目だ。さっきまでの勢いが急に萎んでいくのが自分でも分かる。

 エリカはわざとやっている、わざとこの目を作っている、それは明らかだ。オレの弱いところを突いて、無理やりにでもオレを美夏の所に行かせる気だ。

 しかし・・・どうやってもそれに逆らう事が出来ないでいた。自分が情けなくなる・・・・。そんな事を考えている内に、オレはエリカに手を引かれて――――――










 「あぁん、だめよぉ~、人の恋路は邪魔しちゃ~」








 オレ達の繋がれた手がスパーンと小気味のいい音を立てて弾かれた。手に鋭い痛みが走る。茜の振りかぶった手を見て初めて気付いた。思いっきり叩かれたのだと。










 

 「――――――――な」

 「だめよぉ、まったくもってダメダメよぉ、エリカちゃん? エリカちゃんは振られちゃったんだから諦めないとぉ~」

 「――――――ッ! あ、貴方に関係ない事ですわっ! く、口を挟まないでくださるっ!?」


 「だ~め。だって・・・・まるで『まだ未練が残っていて執拗にアプローチを掛ける元彼女』に見えて仕方ないんだもん。見てるほうが
  情けなく思えてきちゃって見てられないわぁ~」


 「・・・・・ッ! こ、このっ! よ、義之は私の事を好きなんですのよっ!? ひ、一目惚れしたんですってっ、この私に! 何も問題はないわっ!」

 「あぁ~、一目惚れって実らないらしいわねぇ~。それに義之くんは彼女いるじゃない? あんまりしつこいと嫌われちゃうぞぉ~?」

 「う、うるさいですわよっ! ど、どうせ貴方も義之の事好きなんでしょ!? だったらなんで今の状況に満足していらっしゃるのっ!?」

 「確かによっしぃの事は好きだしぃ~、ちょっとムッとしちゃう所もあるけどぉ~―――――義之が幸せそうなんだからいじゃん」

 「・・・は?」

 「なんていうかなぁ~やっぱり好きな人には好きな人とくっついて欲しいじゃん? 分っかるかなぁ~この気持ちぃ」

 「わ、分かりませんわっ! それを言うんでしたら義之の本当に好きな人はこの私ですのよっ!? 大体今の現状がおかしいんですわっ!」

 「―――――あー・・・そろそろ疲れてきたわぁ・・・義之くん、早く音楽室へ行きましょう? もう遅刻だけどねぇ~」

 「あ、おい―――――」

 「ちょ、ちょっとお待ちなさいっ!」

 「ホラ早く行くわよぉ。じゃあエリカちゃん、ちゃお」




 そう言って茜はオレの手を掴んで走り出した。エリカはその行動に呆気にとられて追いかけて来る事はなかった。そうしている間にもオレ達は階段を駆け上った。

 にしても――――こいつ本当に度胸あるな。そこらへんのチンピラが束になってもこの度胸は無い。あのエリカと真っ正面にぶつかって逆に言い返すなんて。

 オレはある意味、尊敬の念にも似たのを茜に抱いた。そして茜と視線が合い―――――オレは思わず目を逸らした。茜はオレの事を滅茶苦茶睨んでいた。































 「さて、義之くん? きっちり色々話してもらいましょうか?」

 「・・・・何をだよ」

 「決まってるでしょ? エリカちゃんの事よぉ。あの子、義之君と色々あったみたいじゃない」

 「・・・・・・・」

 「あら? だんまり?」

 「別に話す事は―――――」

 「年末の時、また構ってくれるって言ったでしょ? その代償でいいわよ」

 「・・・代償かよ」

 「このままだと貴方だけじゃなくて天枷さんまで不幸になるわよ」

 「・・・・・・」

 「ほら、ちょっとずつでいいから話してみて・・・」




 オレ達は校舎裏に来ていた。茜が少し話したい事があると言って音楽室に行く足を止めて、途中の階段を駆け下りた。話―――大体の想像はついていた。

 オレは茜を巻き込みたくなかったし、これは自分自身の問題だ。しかし茜にそう言っても聞き入れて貰えず、結局ここまで来てしまった。

 あまりこの事については話したくなかったが美夏の為、そう言われると話さずを得なかった。自分だけならともかく、美夏に嫌な思いはさせたくなかった。





 最初は話すと言ってもあまり言わないでおくつもりだった。ただエリカがオレの事を好きになっている――――それぐらいしか喋ろうと思っていなかった。

 しかし茜はとても話上手で聞き上手だった―――――気が付けばほとんどの事を喋ってしまっていた。もしかしたらオレは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 この性格だから人に悩み相談なんかした事は無かった、さくらさんにもだ。だが茜になら言ってもいいかなと思い始めて、全部を話した。

 話し終えると茜はオレの前に手を持ってきて――――デコピンをした。鈍い痛みがオレの額に駆け巡り、思わず手で押さえてしまった。




 「・・・・いてぇし」

 「エリカちゃんとか天枷さんが味わうかもしれない痛みに比べたら、マシなもんでしょう?」

 「・・・・・・」

 「それにしても義之くんって本当に―――――女たらしだったのね」

 「・・・・返す言葉がねぇな」

 「それで返してきたらパンチよ、パンチ」

 「――――どれくらいのだ?」

 「ベアーぐらいね」

 「そりゃあ・・・おっかねーな」

 「でも結構複雑な問題ね。義之くんの腹の中は決まっているのに・・・一目惚れなんかしちゃったばっかりにねぇ・・・・」

 「好きでなったわけじゃねぇよ」

 「当り前よぉ、だから一目惚れって言うんじゃない。大体もう相手にしなきゃいいのよ、エリカちゃんの事」

 「・・・分かってるよ」

 「分かっていないからエリカちゃんがあんな風に取り乱したりするんでしょ? 多分ずっと不安に思っていたのね」

 「・・・・・・」




 正直――――エリカがあそこまで取り乱れたのは驚いた。この間会った時はもう余裕だらけといった感じに見て取れたからだ。

 そんな風に思っていた自分を殴りたくなってくる。元々エリカは気の弱い性格・・・それをオレは知っていたというのに・・・。

 それに歳もオレと二つも離れている、その分精神が未熟なのは分かり切っていた筈だ。なのにそれを考慮しなかったオレに腹が立つ。




 「可哀想だけど・・・エリカちゃんの事はもう相手にしない方がいいわ。このままズルズル行ったら天枷さんとエリカちゃん、両方泣くわよ?」

 「・・・・・・」

 「ちょこっとした会話もダメ、すれ違ってもダメ・・・とことん無視するのよ」

 「んな事したら―――――」 

 「泣くわね。でも今の関係を続けていたらもっとエリカちゃんは心に深い傷を負って泣くのよ? だって義之くんは天枷さんの事しか見ていないんだもん」

 「・・・・そうか」

 「そうよ。エリカちゃんの事を想うんであれば―――――徹底的に無視ね。もし義之君とエリカちゃんが喋っていたら・・・私がまた叩きに来るわ」

 「―――――ああ、頼むよ」

 「うん」





 結局オレはエリカを泣かすのか。そういう後悔にも似た想いが胸に溢れだす。オレが上手くやれないばかりにエリカを傷付けるのは心苦しかった。

 でもあの夜の出来事――――エリカと初めて一晩過ごした日からソレは決定付けられていたのかもしれない、エリカを泣かす事を。

 だったら早い方がいい。傷がこれ以上大きくならない内にエリカの事を絶ち切ろう。その方が多分みんなにとっていいのかもしれない。

 


 オレの初めての一目惚れの相手―――――こんな形で傷付けるとは思わなかった。

 オレの事をあんなにも好きな女性―――――こんな形で傷付けられるなんて思っていなかっただろう。




 全てはオレのせいだ。ろくでなしのオレのせいでエリカは悲しむ事になる。でも本当にエリカの事を想うんであればこの選択が正しい。

 いや、そう信じたいのかもしれない。エリカを傷付る事を前提に選んだ選択だ。間違いな事があってたまるか。そうオレは考えていた。

 それにしても――――そう思い隣の女を見る。ただの天然変態お嬢様かと思ったが・・・・まさかこんなヤツに背中を押して貰うなんてな。




 「あ、チャイム鳴っちゃったねぇ。そろそろ戻ろう――――って何よぉ、その目は?」

 「・・・お前、本当にいい女だったんだな」




 振られたに相手に恋の相談事を引き受けるなんて出来たもんじゃない。多分心の整理が出来てたとはいえ――――茜も悲しい筈なのにだ。

 本当ならエリカみたいな態度を取ってもいい筈なのに、背中を押してくれた。多分、これからは茜には頭が上がらなくなるだろう、そう思った。

 そしてオレは茜の頭をガシガシと乱暴に撫でてやった。少し驚いた顔をしたが、すぐふにゃっとした顔になりその行為を受け入れてくれた。




 「へっへぇー、今頃気付いた?」

 「ああ」

 「―――――今なら私に乗り換えてもいいのよぉ? エリカちゃんに天枷さん・・・私なら上手く今の関係を出来るだけ壊さないでおくこともできるしぃ」

 「はは、お前なら本当に出来そうな気がするよ。けど――――オレは売約済みだ。すまないが他をあたってくれ」

 「・・・まぁ、言ってみただけよ。貴方達見てるととてもじゃないけど入り込めない感じだしねぇ。初々しいカップルって感じ?」

 「うっせーよ。ホラ、行くぞ」

 「・・・うんっ!」




 そう言ってオレの脇に並ぶ茜。もう腕を組んでくるような事はしてこなかった。少し寂しい気もしたが――――今更な話だ、オレは美夏を選んだんだからな。

 こいつとはもう恋愛関係の仲ではなくなったが・・・その代わりオレの大事な友人になった。その友人の背中に張り手を入れてオレは先に校舎へ走った。

 呆けた顔をした茜だが、すぐムッとした顔になりオレの後を追いかけた。そしていつの間にか競うように走り、教室へ向かっていった。































 



[13098] 16話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:685862ad
Date: 2009/12/01 17:13
















 「ねぇ茜ぇ、どこ行ってたのよぉ・・・それも義之と・・・」

 「なぁんでもないわよ。小恋ちゃんが心配する事は何もないってぇ~」

 「えー・・・でもぉ・・・・」

 「茜、なんだか・・・吹っ切れた感じがするわね」

 「そう? 気のせいじゃないかしらぁ。それよりさ――――」




 そして茜達は今流行りのテレビドラマの話をし始めた。さっきの話題はどこへら―――もう別の話題で盛り上がっている。

 女のその切り替えの早さと言うかなんというか・・・ある意味見習いたいものだとオレは思った。最近気付いたがどうやらオレはそういうのは苦手らしい。

 男で得意な奴もあまりいるような気はしないが・・・。強いて言えば板橋ぐらいしかオレは知らない、まぁアイツの場合は単細胞だからな。




 茜には随分感謝していた。もしあのままエリカに手を引かれて美夏の教室へ行っていたと想像すると――――ゾッとしない気分になる。

 それぐらいオレはエリカに参ってしまっていた。あんな美人で可愛くて気品のある女に責め寄られて落ちない男はいないと思う。

 オレがまったくの赤の他人にこういう想いを・・・一目惚れをしてしまったんだ、ある意味美夏よりも魅力的な存在なのかもしれない。

 だがオレは美夏の方を愛していた。ポンコツロボットな癖にあそこまで人間らしい機械――――人間には出せない純真さが美夏にはあった。

 あの日の帰り道、桜道の出来事がきっかけだった。まるで感情を爆発させているかのような姿をオレは美しいと思ってしまった。

 茜が言っていたが――――もしかしてオレは本当に惚れっぽいのかもしれないな。普段から人との付き合いが希薄な分、こんな形で出るのかもしれない。

 美夏との件も一目惚れみたいなもんだし・・・・・、まったく、自分ながら節操がない男だと思う。挙句の果てには今の現状だ、笑えやしない。




 「ねぇ、義之」

 「ん? なんだよ雪村」

 「――――あのね、いい加減その他人行儀な呼び方どうにかならない?」

 「あ?」

 「前みたいに杏でいいわよ」

 「そうか――――んで雪村、何の用事だ?」

 「・・・まぁいいけどね・・・・。話は茜の事よ」

 「茜?」

 「そう。彼女最近悩んでたみたいなのよ、私達が聞いても大丈夫の一点張りだったし」

 「・・・そうなのか」

 「ええ。でもさっき見たらなんだが吹っ切れた顔をしていたから――――義之なら何か知っていると思って・・・」

 「・・・・・・」




 そう言われて茜の顔を見やる。至っていつも通りに見えた。しかしこいつらみたいな友達にしか見せない一面も確かにあるのだろう。

 吹っ切れた原因―――おそらく校舎裏で話した事だろうと思う。オレを押してくれた茜・・・あれでもしかしたら完全に吹っ切れたのかもしれない。

 一人で誰の力も借りずに解決出来る茜のことを正直尊敬していた―――オレと違って歩くのを止めてウジウジ悩む事もしないで・・・走り出していた。

 そう考えていると茜と目線が合い―――ニッコリ笑った。オレは慌てて目の前の雪村に視線を戻した。相変わらず笑顔が可愛いな・・・あんちくしょうは。

 まぁ友達にそんなやましい気持ちを抱く訳にはいかない、せっかく問題が片付きそうだというのに・・・。そんなオレ達を雪村は怪訝な顔で見ていた。




 「・・・オレは別に何もしてない。だってあいつは自分で解決出来る力を持っているんだからな」

 「えっ?」

 「なんだ、違うのか?」 

 「・・・まぁ、茜は昔からそういう所はあったけど・・・・」

 「だろ? だから誰が何したっていうわけじゃねぇよ、自分で解決したんじゃねぇか?」 

 「――――そう」

 「まぁそういうこった」

 「あ――――」




 そう言ってオレは立ち上がる。ていうかさっきから便所行きたかったんだよな。変な話持ちかけて来るから行くタイミング無くなったじゃねぇか。

 そのまま突っ立っている雪村を無視してオレは教室の入り口を出た。しかしオレも人が良くなったもんだ、質問されて答えるなんてな。


 そう思って廊下を歩いていると珍しい光景を見た。杉並と――――エリカが一緒に歩いていた。エリカは顔を俯いたまま下を見て、杉並が少し困り
果てているというこれまた貴重な図だ。


 エリカの隣に別な男がいる・・・そう思うと少し――――いや、かなり腹が立つ光景だった。少しばかり頭にカチンときていた。

 だけど――――この気持ちは押さえなければならない。オレは美夏の事しか考えなければいけないし・・・これからはエリカにひどい態度を取るんだから。

 そうしている内にあちらもオレに気付いたのか杉並がオレに声を掛けてきた。エリカはハッとした顔になり、視線を上げてこちらを見やる。




 「おお、桜内。ちょうどいいところにきたな」

 「んだよ?」


 「いやな、どうやらエリカ嬢の元気が無いようなのだ。途中までエリカ嬢はオレの事を追いかけていたのだが、すぐに追いかけるを止めてしまった。
  怪我でもしたのか・・・それとも罠に嵌めるつもりなのか、そう思ったのだがどうやらそういう事でもないらしい。とりあえず話し掛けてみたもの
  ダンマリだったんだが――――」
 
 
 「よ、義之っ!」

 「おっとぉ、いきなり元気になったな、エリカ嬢。それも桜内を名前呼ばわり――――」 

 「さ、さっきはごめんね? 私、少し、どうかしてたみたい。あんな風に怒鳴っちゃったりしてさ・・・あ、あはは」

 「・・・・・・・」

 「それも花咲先輩に酷い事言っちゃったみたいだし・・・あ、謝らくちゃいけないわね。少しばかり腹も立ったりはしましたけど・・・」

 「・・・・・・・」


 「で、でもね、それぐらい必死だって事も義之には分かって欲しいのよ。い、今は天枷さんしか見ていないじゃない? 何かの間違いで天枷さん
  がずっと義之の隣にいたら、ね」 


 「・・・・・・・」

 「だ、だってそうでしょ? おかしいでしょ? 本来なら天枷さんがいる所には私がいるはずだものね、義之もその内気付いて――――」

 「・・・・・・・」

 「――――義之?」

 「なぁ、杉並」

 「うん? なんだ?」

 「何で空はこんなにも青いんだろうなぁ」

 「ちょ、ちょっと義之――――」


 「ふむ、なかなかポエマーみたいな事を聞くな。まず俺達が物を見れているのは光の反射のおかげだ、要は太陽光の事だな。太陽光は地球の
  周りにある大気や塵に反射しながら地面に届いている。そしてとりわけ青い色の光というのは振動数―――つまり反射しやすくて拡散しや
  すい傾向にある。だから空は青いのだ」


 「夕方の空は赤いぞ」


 「それも原理は同じだ。ただ太陽が一定の位置にくると空気の層も違ってくる。青色の光は宇宙に逃げやすくなり、逆に赤色などの光が通りやすく
  なり赤く見える。まぁ水が青色に見えるのはまた別な理由なのだが・・・」


 「なるほど、あんまりロマンチックじゃない話なんだな」


 「だからこそロマンを求めて宇宙飛行士という職業になりたがる奴が多い。だがなんでもそうだがなれるのは一部の人間だ。知識が山ほど必要だからな。
  なんだ桜内、宇宙にでも興味持ったのか」


 「わりぃが興味なんてねぇよ。わざわざ宇宙まで行って見たいものなんてないし」

 「ふむ、そうか」

 「ちょ、ちょっとっ! 私の話を聞いて――――」

 「こんな日は男同士、少し語らいたい気分にならねぇか?」

 「・・・悪くない話だが――――さっきからエリカ嬢が涙目になっている。放っておいていいのか?」

 「何の事だ?」

 「え――――」

 「・・・・ふむ?」

 「そういうわけでさっさと行こうぜ」

 「あ――――」




 そうやって呆けているエリカの前を通過した。オレの服に手を伸ばそうとしたが――――振り払った。ビクッとした感じで縮こまり、また下を向くエリカ。

 そんなやり取りを見ていた杉並だが――――とりあえずエリカに何か一言二言喋りかけてオレの後をついてきた。たぶん慰めの言葉だろうな、優男っぽいし。


 とりあえずまた校舎裏にでも行こうとしたのだが・・・その前にトイレに寄っていこう。また茜の時みたいにコイツに色々話すつもりだし、そうなると長話になる。

 こうして次の授業をサボらせて、オレのその場凌ぎの戯言にも付き合ってくれているお礼という意味もホンの少しあるが・・・何より他の人の意見が聞きたかった。

 今までは自分一人でなんとかしようとして来たが、茜の言っていた言葉が心に引っかかっている――――美夏も不幸になるかもしれないと。


 それには薄々勘付いてはいたし、茜に話した事で色々な意見も聞けた。だからもう一人ばかり他のヤツの意見もオレは聞きたかった。

 茜の事を信用していない訳じゃないが、また違った意見も聞ける可能性がある。もうなりふり構っていられなかった、美夏の為ならしょうがない。

 だが信用して話せる人物はオレには限られている。そこで杉並の登場と言うわけだ。まぁ普通の奴ならとんでもないと思うだろうな、きっと。 

 
 だが杉並はある意味バカだが頭は回るし知識もあって―――信頼も出来ていた。だから茜の時程ではないにしろ少しくだらない話でもしてやろうかと思った。

 何よりコイツ――――さっきから聞きたそうにうずうずしているからなぁ、かったりぃ。そしてニコニコしている杉並を連れてオレは廊下を歩いた。 


























 「ホラ、桜内」

 「おっと、悪いな・・・・・・・・ふぅ~、落ち着くな。あ、お前にも付けてやるよ」

 「うむ、すまない」




 そう言って杉並の煙草にも火を付けてやる。杉並は慣れた動作で煙を肺に入れて吐いた。まったく―――カッコイイ男は何やっても様になるねぇ。

 オレが煙草を吸おうとした時に、おもむろに杉並が懐からライターを取りだしてオレの煙草に火を付けてくれた返しの礼だ。

 というか付け方がホストっぽいなこいつ、手首を返して小指で火付けるなんてよ。このキザ野郎が・・・・似合ってるから余計腹立つ。




 「というかお前、煙草吸うんだな」

 「たまには、だな。苛々した時とかその場の気分で吸う。十日で一箱程度だ」

 「・・・お前が苛々、ね」

 「俺にだってそういう時はある。まぁ、俺も所詮は人の子・・・という訳だな」

 「そうかよ。それにしても十日で一箱ね・・・その頻度は将来ヘビースモーカーになる前兆だ。せいぜい肺ガンには気を付けろよ」

 「科学的根拠はあるのか、桜内よ」

 「無い。ただし――――オレの実体験だ」

 「・・・くっく、そうか。実体験ほど説得力がある言葉はないな。まぁ今から辞めようとも思わないがな」

 「そうか――――それで、だ。お前はどこまで知ってるんだよ?」

 「どこまで、とは?」

 「てめぇの事だから大概の事は知ってるんじゃねぇのかよ? さっきだってオレとエリカが喋ってる内容を聞いてたろ?」

 「ふむ・・・・そうだな。オレの知ってる事と言えば――――お前が三人とキスしたぐらいか」

 「・・・・・・おおう」


 相変わらず得体の知れない男だ。どこでそういう情報を拾ってくるんだか・・・。杉並は相変わらずの表情で煙草を吹かして煙で輪っかを作っている。

 オレもやってみるが上手くいかない。時々上手くいくから出来はするんだが・・・、そう思っていると隣の杉並がオレを見て皮肉った笑みを浮かべた。

 それで少しカチンときたオレは一生懸命輪っかを作るが、一向に満足できるものが作れない。対して余裕の表情で輪っかをつくる杉並。

 オレは負けず嫌いなので何回もトライする・・・が、まだ一回も作れていない。ああ、畜生が――――そう思って何回もやっていると話しかけられた。




 「桜内、お前――――」

 「・・・・・・・・・違うからな。いつもは上手く出来るだぜ? なんでか知らないけど今日は・・・」

 「違う、輪っかの事ではない。お前の奇妙な女性関係での事だ」

 「――――そっちか。それで杉並は何から聞きたいんだ」

 「・・・・・・驚いたな。まさか桜内からそう言いだすなんてな」

 「さっきの出来事をお前に見られたし、オレの戯言にも付き合ってくれている。お前も聞きたそうにしていたし、何より――――お前の意見が聞きたい」

 「意見、とは?」

 「オレが原因で起こってる女性関係での揉め事についてだ。悔しい事だがお前は誰よりも頭の回転は速いし、信頼も置ける。だから聞きたい」

 「ふむ?」




 とりあえ事のあらましを話した。美夏を好きになった事、エリカを路地裏で助けた事、そしてエリカの好きになっちまった事。

 本当は美夏の事だけ愛したいのにエリカに対するオレの気持ちが邪魔している事、そして美夏と付き合った事、幸せなに感じた事。

 でもエリカに対する気持ちは変わらず、むしろ大きくなっている事、そしてついさっき茜とは完全に決着を付けた事、結局オレは全部を話した。

 杉並は煙草をプカプカ吹かしながら聞いてくれた。そしてオレも話し終えて新しい煙草に火を付ける。若干沈黙の時間が流れた。




 「正直――――俺は驚いている」

 「あ?」

 「いつからか・・・お前は他人との関わりを捨てるようになった。そして暴力的にもなり色々な人を行動や言葉で傷付けていた」

 「・・・・・・」

 「俺は正直戸惑った。あんなに優しかった桜内がまるで正反対の性格になってしまったんだからな――――人が変わったみたいに」

 「・・・・・・」

 「まぁ色々理由があるんだろうし、桜内が喋らないのら別に無理矢理に聞いたりなどしない。ただ・・・・・少しばかりそんなお前を残念に思っていた」

 「残念・・・ね」


 「ああそうだ。桜内ほど頼りになる人間はいなかったからな、みんな口には出していないが同じ気持ちだろう。優しくて頼り甲斐がある人間がある時
  別人みたいになり、攻撃してくるんだからな」


 「・・・・・・」


 「そんな桜内がだ、人を好きなったという事実に俺は驚いている。話を聞いてると美夏嬢を例え命を賭け事になっても守ってやるという気持ちが伝わってくる。
  それほど他の者に慈愛を向けているとは思わなかった。まぁ、その何分の一でもいから雪村達に分けてやってもいいんじゃないかとは思うがね」


 「・・・いずれな」

 「――――まぁいい。最近のお前は少しずつ尖った部分が無くなってきているように感じる。それでも前の桜内程では無いにしろな・・・・」

 「・・・・・・」




 それはあると思う。前から常々思っている事だが・・・最近のオレは昔程の暴力性は収まってきている気がする。さっきの雪村に対してもそうだ。

 以前ならうざったくて感じて、話しかけようものならオレはすぐ席を立ってどこかへ行っちまってたからな。それが普通に会話をしていた。

 しかい―――杉並の言ってる事には一つ間違いがある。それは棘が無くなった・・・という所だ。確かに他のヤツからみればそう見えるんだろう。

 しかし残念な話だが無くなったわけではなく、ただ引っ込んだだけの話だ。また何かのきっかけで出るかもしれない、いい例が路地裏の件だ。

 あそこまで女をボコボコにした事はなかった。せいぜい腕を捻る程度しかなかった。だというのにあの惨状―――自分でも少し信じられなかった。

 引っ込められた分勢いを増して出て来る棘・・・・またその時みたいに突発的に暴力を振るうと思うとあまりいい気持ちはしない。


 だが――――美夏が横にいる限りそれはないと思っていた、確信していた。美夏ならそのストッパーにもなってくれると思うし、棘の穴を
塞いでくれるかもしれない。傍に居続けてさえくれれば・・・。





 「そしてお前が聞きたがっていた件――――エリカ嬢を無視し続ける・・・その事かな?」

 「ああ。茜の意見でもあるし、オレとしても苦しい事だが・・・賛成した。オレの気持ちを抑える為でもあるしエリカの為でもあると思った」

 「ふむ」

 「無視するというのは残酷な行為だが・・・そこまでしないとエリカは諦めてくれないだろうし、オレも諦めがつかない」

 「そうだな、確かにそうだと思う。だが――――少し遅すぎたのではないか、桜内よ」

 「・・・どういう事だ?」

 「俺は当人ではないし、その場にいたのは先の一回だけだ。しかし俺が思うに・・・エリカ嬢の心はかなり追いつめられている」

 「――――知っている、つもりだ」

 「つもりではだめだ。先程のエリカ嬢を見ただろ、もう桜内の事しか目に入っていない。俺の事なんか居ないみたいに桜内と話をしていた」

 「・・・・・・・・」


 「例えるなら・・・周りは真っ暗闇、辺りを照らす松明を持っているのは桜内だけ―――そんな状況だ。その状況で松明を持っているお前が
  ポンと連れ去られてしまった。さて、その時人間が取る行動は?」

 
 「―――――――絶対に考えたくない想像が浮かんだよ、杉並さん」

 「おそらくそうなるだろうな。だから一回釘を刺すために軽く話でもなんでもすればいい。それだけでも大分違う」

 「話、か」

 「ああ話だ。何も言わないで居なくなるのと、前置きして居なくなるとでは心構えが全然違う。今のままその行動を続けてると――――後は分かるな?」

 「・・・ああ」




 松明を持っている人間を取り返すために、その奪い去った人物を倒す。エリカが美夏を――――そういう話だった。それだけは避けなくてはいけない。

 美夏は何も知らないし、知る必要も無い。オレが勝手に撒いた種だ・・・自分の落とし前は自分でつける。美夏は全くの無関係だ、傷付く必要は無い。

 だが相手はそうは思ってくれないだろう。エリカの事は信用している。本当に誇りが高くて心優しい女だ、絶対にそんな真似は出来ない。

 けど―――今のエリカを見ていると不安になる。誇りも何もかも捨てて美夏を傷付けるかもしれない。それほどの愛情を感じていた。




 「さて、そろそろ戻るか桜内よ。ある程度は美夏嬢の事を気に掛けておいてやる。元々は俺も美夏嬢の事を頼まれていたしな」

 「そうだったな。ていうかお前サボるなよ。さっきも話したが二回もオーバーヒート起こして大変だったんだぞ?」

 「それはすまない事をしたな。桜内に任せておけば後は万事解決と思っていたからな。だが、まさか恋仲になるとはな?」


 「好きになったもんはしょうがねぇよ。それを考えればお前がいなくてよかったのかもしんねぇな? お前と美夏が一緒に歩いてる所を想像すると
  ブン殴りたくなるぜ」 


 「それはそうかもしれないな。いやはや、ある意味キューピッドといったところかな? ハッハッハッ!」

 「てめぇみたいなキューピッドがいるかよ。いたらオレが教会に行ってお祓い頼んでやるよ、異端児が召喚した世にも恐ろしい悪魔だってな」

 「ふふふ――――照れる事はないぞ、桜内よ?」

 「うっせーよ。お前も早く彼女見つけろよな、引く手多数なんだから。案外まゆきとか上手く行くんじゃねぇか? トムとジェリーみたいな感じで」

 「・・・むぅ、俺とまゆきか・・・・」


 「性格はキツイが体は最高だ、陸上やっているし。器量も姉御肌を気取ってるから悪くは無いと思う。付き合ってみたら案外尽くしてくれるかもな?
  もちろん夜の営みも――――――ってお前ってそういう話は嫌いだったか、性欲も無さそうだし。悪い、下ネタなんか振っちまって」  


 「・・・別にいい。それに性欲ぐらいはある」

 「・・・・・・・・・・・・・マジかよ」

 「桜内は、俺を何だと思っているのだ?」

 「いや、お前ってそういうのにまるっきし興味ないもんだと思っててよ・・・」

 「生憎だがそんなに枯れ果ててはいない。いつしか釣り合うような女性が現れるのを待つさ」

 「・・・そうか。まぁ色々悪かったな、変な所も見らちまったし変な話もしてな」

 「なぁに気にする事は無い。我が同士が悩んでいたのだ。これくらいなんでもない」

 「・・・そうかよ」

 「だがっ!どうしてもお礼がしたいというのなら考えがあるっ! どうだ桜内、非公式新聞部に入らないか? 今なら安くするぞ?」

 「金取るのかよ」

 「無論だ。公式ではないし金はあって困るもんでもない。でもそうだな・・・桜内ほどのスケコマシが入るとなればかなりの戦力だし、タダでも・・・」

 「だれがスケコマシだよ、てめぇ」

 「桜内に決まっておろう? 美夏嬢・花咲・エリカ嬢を落とした男だ。これをスケコマシと言わずなんという?」

 「・・・まぁ否定はしねぇけどよ。非公式新聞部だったか? 考えておいてやるよ。どうせ暇だし」

 「お、お、おおーーーーっ!! そうかそうかっ! やっと腹を決めたかっ! ではまず活動内容だが――――」 




 それから教室に行くまで延々と内容を聞かされた。うざったくくっ付いて話しかけるもんだから蹴りを何発も入れた。だがそれでもしつこくくっ付いてくる杉並。

 だからてめぇとオレの噂が出来るんだよ、ったく。まぁなんにしても――――心強い奴が味方についてくれた。コイツが居ればかなりの安心感がある。

 それにあんな態度を取っていたオレに対して、ある意味親身に相談に乗ってくれた杉並――――揺らいでいた心に少しの安定感をもたらしてくれた。

 オレが腹の内を明かしたおかげだかなんだか知らないが、少し杉並の態度が柔らかくなった気がする。今度何かあったら恩返しでもしてやるか・・・気は乗らないが。

 しかしコイツだけには恩は作りたくなかった。理由―――気持ち悪いからだ。恩を返せるチャンスとか言って平気でサメが泳いでいる海に飛び込めとか言う奴だからな。

 まぁなんにしても・・・今日二度目のサボりか、オレってやつは本当に進歩がない野郎だ。もうサボらないって決めたのにこれだ、さくらさんに怒られちまう。

 そう思いながら熱心に非公式新聞部の魅力をアピールする杉並を連れて廊下を歩く。この時オレは気付いていなかったが、二人の距離は前より縮まっていた。































 



 「このクラスか・・・」



 オレは通りすがりの下級生に金髪のお姫様がどのクラスにいるかを聞いた。その下級生は快く震えながら教えてくれた。ていうか何もしてねぇだろうが・・・。

 そしてオレはそう呟いは中を見やる。時刻はとっくに下校時間だがまだ教室にはお喋りしている男子や女子などがいた。だが構わずオレはその教室へ入った。

 みんな何事かとオレを見ていたがその視線を無視した。そしてオレは見覚えるのある金髪を探す、あれだけ目立つ金髪だ、すぐに見つかった。

 オレはソイツの前の空いている席に座った。相手はいきなり目の前に現れたオレに対してキョトンとした顔を見せた。そういえばこいつの素の顔って初めて見たな。 
 
 ソイツがみていた教科書を奪って中身を見る。ご丁寧にマーカーで線引きがされているのを見るに、ソイツの几帳面な性格が窺えた。

 


 「オレは授業なんかマトモに受けた事なんかないからマーカーで線引きなんてした事が無い。こういうの見るとちゃんと勉強してるなって思えるよ」

 「・・・・よ、義之?」


 「よく『書いて覚える』って言うヤツがいるが・・・実際には効果は無いんだってな。書けば集中力が増して覚えられるという寸法なんだろうが
  単純作業の繰り返しで脳が麻痺するらしい。おまけにそれしか刷り込みされていないから他の事が覚えにくくなる。結果赤点とか取っちまうヤツ
  の話を聞いたことがある」

 
 「な、なんでここに?」


 「その点マーカーで重要部分を塗るというのは効果があるらしい。人間は物を色で見ているからな。すぅーっと勝手に色とその文字を脳が勝手に覚えて
  くれるらしい。まぁやろうとは思わないが」


 「――――――――ッ! ま、また私の話を聞いて――――」

 「ちょっとエリカと話をしたい事があってな。さっきの態度は謝るよ、いきなりあんな事されても困るよな」

 「・・・・・え」 

 「悪いが、今から付き合えるか?」

 「・・・・え、ええ」

 「なら行こう」




 そう言ってオレは歩き出した。その後を慌ててエリカが追ってくる。教室に残ってた奴らは何事かと見てきたがその視線も無視して教室を出た。

 そして目指すは――――屋上か、冷たい風を浴びて頭を冷やしながら喋る方がいいのかもしれない。その途中、黙りながらもちゃんとエリカは後をついてきた。

 階段をエリカの歩幅に合わせてゆっくり上がり、扉を開ける。毎度ながらいい景色だと思う。寒いせいか人はいない、話をするのには絶好の場所だ。




 「相変わらずいい景色だ」

 「・・・・・・」

 「オレの家が小さく見えるな。初音島の観光スポットはいくつもあるが、ここが一番かも知れない」

 「・・・・義之、話というのは―――――」

 「オレな、お前の事無視しようとしたんだよ。オレの事諦めて貰う為にな」

 「――――――――ッ!」


 「で、だ。それじゃあまりにも酷いって思っちまった。あれだけ愛情表現向けてくれる相手にそれはないんじゃ・・・とオレは思ってしまった。
  まぁこうして話しかけた理由はそれだけじゃないんだが」

 
 「・・・・・・・・・・」




 そう、オレはそう思っていた。確かに茜の意見には賛成だったが・・・あまりにも酷いんじゃないか・・・・そう心に小さく思っていた。


 オレみたいなヤツなんかに対してあれほど好意を抱いてくれる人間なんて他にいないと思う。オレは嫌われ者だし、嫌われる行動をしている。


 こんなオレと一緒になりたいという人間―――適当な扱いのまま放置しておきたくなかった。前から言っているが決着をつけたかった。


 茜にばれたら怒られてしまうな――――だがこれで最後だ。ここで決着をつける、つけなければいけない。





 「オレは美夏の事が好きだ。ずっと一緒になって添い遂げたいと思っている」


 「・・・・・・そう」


 「ああ。だからオレの事は諦めた方がいい。このまま続けてもお前は泣くだけだ」


 「・・・・・・・そうかも、ね・・・・・」


 「本当にエリカにはすまないと思っている、本当にオレがちゃんとしていないから、こんな事になってしまった」


 「・・・・・そんなこと無いわよ」


 「あるよ。なんだかんだいってこの微妙な関係を引っかき回したのはオレだ。最初から今の言葉を言えばよかったんだ、美夏の事を愛しているって」


 「・・・・・・・・・・」


 「だから――――」


 「分かったわ」


 「お前と・・・・・・って・・・」


 「私、諦めるわ―――義之の事」




 オレは驚きの余りエリカの顔を凝視してしまった。エリカの顔は少し泣きそうな顔だったが・・・・ちゃんとオレの目を見ていた、力強く。

 オレが呆けているのが珍しかったのか――――エリカは少し微笑んだ。そしてさっきまでの緊張感が解れて行くのが分かった。




 「そうよね・・・あまり義之には迷惑掛けたくありませんものね・・・・」

 「・・・自分から言っておいてこんなセリフを吐くのは馬鹿にしてると思われるかもしれないが――――本気か?」

 「・・・・・・・ええ。ここまでハッキリ愛してると言われては、ね」

 「そうか・・・・すまない」

 「別に義之は悪くないわ。ただ・・・・少し出るタイミングが遅かったのかなって・・・天枷さんより」

 「・・・・・・・・・」




 オレは美夏に会う前よりエリカと会っていた。だがわざわざ言う必要はないだろう――――どのタイミングでもエリカを選ぶ事は無かったと。

 そしてエリカはため息を吐いた。顔はどこか吹っ切れたように感じる。そしてエリカは喋りはじめた。




 「――――あのね、最後にお願い聞いてくれる?」

 「・・・オレに出来る事であれば」

 「そんなに難しい事ではないわ・・・。私と――――お友達になってくださる?」

 「友達?」

 「ええ、前に言ったでしょう? 貴方みたいな人は中々いないと。だから・・・せめて」

 「――――別に構わない」

 「・・・・・ありがとう、義之」




 そしてエリカは手を差し出した―――目に少し涙を溜めながら。友達・・・・か、そういえばコイツは貴族だから友達があまりいないのだろう。

 クラスでもどこか敬遠されている感があるのかもしれない。だって相手はお姫様だ、思わず躊躇してしまうのが普通だ。茜とかは例外だが・・・。

 オレも友達と呼べる者のは限られてるし――――友達になりたいと言うのなら大歓迎だ。好き嫌い関係なくコイツの性格は気に入ってるしな。

 そう思い、オレも手を出して―――エリカの手を握った。もう恋心が絡まない・・・正真正銘の友達としての握手だ。そしてお互い見つめ合い、微笑みあった。




 「これからは友達ね、私達」

 「ああ、そうだな。まぁ・・・仲良くやろうぜ――――エリカ」

 「・・・・・・ふふっ、そうですわね。でもいつも通りな態度でお願いしますわ。急に他人行儀な態度は勘弁でしてよ?」

 「・・・・ああ、そうだな。いつも通り構ってやるよ、エリカ」

 「ええ、ありがとう」

 「よしっ! じゃあ早く校舎に戻るか。いつまでもこんな寒い所に――――」  

 「あ、ちょっと待って義之」

 「ん? なんだ?」

 「・・・・少し、一人になりたいの。だから・・・・」

 「――――――そうか。じゃあオレは一足先に戻るよ」

 「ええ、分かりましたわ」




 そう言ってオレは先に校舎の中に入る。そしてすぐに暖かい空気がオレの体を包みこんだ。やっぱり寒いのは苦手だな、オレ。

 それにしてもエリカの反応は意外だった。てっきり泣くか怒り狂うかどっちかだと思っていたが・・・あっけなく決着がついてしまった。

 元々オレがちゃんとエリカに美夏の事を好きだという意思表示をしていればこんな事にはならなかった。そう、あの夜の出来事の時に。

 しかしこれでちゃんと決着はつけた。茜や杉並には本当に助けられた。そして――――美夏にやっと少しは顔向け出来る。まぁ浮気紛いの事はしたが・・・。

 その分美夏の喜ぶ事をしよう。なんの償いにもなりはしないがオレの気持ちのケジメでもある。そう思いながら階段を下りようとして――――――――




 「ん?」




 今確かに声が聞こえてきた気がする。後ろを振り返り屋上の扉を見ると、扉が風で煽られて半開きになっていて――――すぐに閉じられた。

 多分風の音か何かだろう。よく怪談とかで人の声が聞こえるとかよく聞くが、そういうのは大抵が風切り音だ。人間はすぐ臆病風に吹かれて人間の声に聞こえるらしい。

 まったく、オレらしくもない。そう思いまた階段を下りはじめた。もう心配する事は何もない、そういう安諸の気持ちでその時のオレの心はいっぱいだった。





 だからかもしれない。とても苦しく、激しく、冷たく、静かに聞こえて来たその言葉を聞き間違いだと思ったのは・・・おそらくは、否定したかっただけなのかもしれない。

 
 だが、確かにオレには聞こえていた。まるでエリカみたいな声で・・・『絶対に、死んでも諦めない』と発した風切り音を――――――――



























 




 



[13098] 17話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:685862ad
Date: 2009/12/02 16:41
















「・・・どう? 義之」

「―――――ああ、うまいんじゃねぇのか。ハーブが上手い具合に溶け込んでていい臭いだし」

「・・・ふふっ、よかったわ」




 廊下を歩いている途中オレはエリカに声を掛けられた。あの屋上の件からもう三日が経つが、至ってオレ達の関係は変わらず普通だった。

 気まずい空気が流れると思っていたがエリカが普通の態度で接してきていたので、オレもそれに呼応するかのように普通の態度で接せた。

 そして時間も昼休みになり美夏と一緒に昼食を取ろうと中庭に行こうとしていたのが、エリカと偶々会ってしまい、少し談笑をしていた。




 「お前がクッキーなんて作れるとは思わなかったよ」

 「べ、別に普通ですわ。ただ調理実習の時間に、先生の言うとおりに作っただけですしね・・・」

 「言われている事をそのまま実行出来る人間はどこへ行っても重宝されるよ。要はお前は出来る人間というわけだ」

 「義之程ではないですわ。貴方って何でも出来そうだし・・・」

 「小さい頃から一人で生きて行くって決めていたからな。だから何でも出来るように努力はしていた」

 「へぇ~・・・すごいですわね。小さい頃からそんな事を考えていたなんて」

 「人嫌いだし―――当然の選択だな。何も出来なきゃオレみたいなヤツは犯罪者になっちまう。まぁ一人で生きて行く必要性はなくなっちまったが・・・」

 「――――――天枷さんの事?」

 「・・・ああ。まぁ、だからといって何もしないってわけじゃねぇけどな。美夏を支えるのにもっと出来る事は増やしていきたいと思う」

 「そう。そこまで愛されている天枷さんが羨ましいですわ―――私も新しい恋を探さくちゃね、ふふっ」

 「・・・はは。オレが言うのもなんだけど・・・頑張れよ」

 「ええ。まぁ―――ボチボチ頑張りますわ」

 「お前みたいな女と釣り合う男ってのも探すのには一苦労だけどな。じゃあオレ、美夏と昼食食べる約束しているから・・・」

 「―――ええ。また、ね」

 「ああ」




 そう言ってオレはエリカと別れる。階段を駆け降りる直前エリカと目が合ったので、軽く手を振ってやった。それに対してエリカも手を振り返して歩きだしていった。

 頑張れよ、か。なんて無責任な言葉だろう、あれだけ求愛されて振ったオレが言うセリフじゃないなと言って少し後悔していた。エリカはあまり気にしていなかったが。

 だがオレはそう思ってしまった。まだエリカに対する想いがくすぶっているが―――オレみたいな人間ではなくて、もっと真っ当な人間を好きになってほしいと思う。

 茜が言っていた言葉と少し似ているが―――好きな人にはいい人間と付き合って欲しいと思う。結果的には振ってしまったが・・・今でもエリカの事は好きだった。

 まぁオレには美夏がいるし、もう二度と言わないセリフだろうとは思う。そんな事を考えながらオレは中庭に向かった。




 「ん?」




 中庭に行く途中にふと二年のクラスを見た。そして視線に留まる牛柄のニットに長い赤いスカーフ――――美夏だった。何か一生懸命に書き写しているのが分かる。

 どうやら黒板に書かれている授業内容を書き写しているらしい。美夏には似合わない光景だと思った。こいつは授業中に居眠りをするタイプではない。

 なのに昼休みになってもノートを書き写している、理由―――オレには思い付かなかった。とりあえずオレは美夏に声を掛けてみた。




 「よぉ、美夏」

 「ん―――おお、義之かっ! なんだ、どうしたんだ? 中庭に行っているもんだと思っていたが」

 「行く途中にてめぇの事見掛けてな。こうして声を掛けた訳だが―――なにやってるんだ?」

 「あ、ああ。クラスの一人が風邪で休んでしまってな・・・。だからこうしてそいつの分のノートを取っていたんだ」

 「――――そいつとは友達なのか?」

 「うん? いや、違うぞ。あまり喋ったこともない。ただ担任がそいつの分も誰かノートを取ってやれと言っててな・・・」

 「はぁー・・・お人好し過ぎるぞ、お前は。そんな面倒な仕事なんか引き受けやがって・・・」

 「はは、まぁしょうがない。クラスのみんなから美夏がやったほうがいいと言われたしな。断れる状況では無かった」

 「・・・・・なに?」

 「でも、人から頼られるのは悪い気分ではない。お前と付き合うようになってからそう思えるようになった・・・・・はは、な、なんだが恥ずかしいな」

 「・・・・・・・・」




 そうしてオレはクラスを見回した。みんな美夏の事なんか気にしていないという風で思い思いに昼食を採っている。だれも美夏を手助けしようとはしていない。

 どうやら美夏の友達は由夢ぐらいしかいないようだ。少なくともこのクラスにはいない。いたら真っ先に美夏のもとに居る筈だ。そうでなくてはいけない。

 この感じ―――オレは見覚えがあった。小学生の頃に、オレのクラスには苛められっ子がいた。そいつはオレとは別な意味で浮いており、よくからかわれていた。

 そしてクラスのリーダー格のヤツが休んだ時に、ある女子がそいつの分のノートも取ると言いだした。まぁ露骨なイメージアップを図りたかったんだろう。


 だがガキに二人分のノートを取るのは酷だったらしく―――あっさり放棄して、その苛められっ子にその役を押しつけた。苛められていたやつは何か言いたそうに
していたが・・・結局引き受けてしまった。


 そしてその女は悠々とそのノートを男に渡し、感謝をされた。そして照れて嬉しそうに笑顔を浮かべる女―――オレは笑った。




 「・・・貸せよ」

 「あ――――」

 「お前は無駄に黒板を何回も見過ぎだ。一回見たらその時に全部覚えろ。内容なんてどうでもいい、その時見た視界の図を一枚の絵として認識しろ」

 「そ、そんなこと出来る訳――――って・・・・お前書くの早いなっ!」


 「何でもやってみなくちゃ分からねぇだろ。オレは授業が嫌いだ―――つまらねぇからな。だがノートぐらい取らないとさくらさんに怒られちまう。
  だからオレはこういう事を覚えた。こういうつまらない事を覚えると案外楽になるぜ? 人生を生きて行く上でな」


 「む、むぅ・・・その真面目さをもう少し別の部分で・・・」


 「うるせーよ。真面目に暮らしていたらこういうの覚えねぇだろうが。真面目じゃないからこそこういうのを覚える。そんなんで特許がつく発明を
  したヤツが何人いると思ってるんだ? エジソンなんて本を読むのにいちいち蝋燭に火を付けるのが面倒くさいという理由で電球を発明したんだ
  ぜ? そして歴史に名が載っちまった訳だ」


 「む、むむぅ・・・」

 「あ、あの・・・桜内先輩・・・・・」

 「あ?」




 名前を呼ばれて振りかえると一人の女子生徒がいた。最近の子らしく薄く化粧がなされていて、アクセなんかも付けている。恐らくこのクラスのリーダー格か。

 今も昔も外見が派手な奴はクラスのリーダー格と決まっている。流行しているモノを持っているどの時代でも人気者になり、羨望の視線で見つめられる。

 ファッションなんて最もたるものだ。見てすぐ分かりやすいからな。そう思っているとその女子生徒はおどおどしながら話を続けた。




 「もしかして・・・昼食はまだなんですか?」

 「・・・? ああ、生憎だがまだ食べていない。さっきからこの教室には弁当の香ばしい臭いが充満していてるからさっさと食べたいんだがな」

 「で、でしたら私達と食べませんかっ!?」

 「―――――――ッ!」

 「・・・・・アンタみたいな美人のお誘いは嬉しいが―――オレは今こいつの為にノートを取っている。悪いが一緒には食べられないな」

 「あ・・・」

 「あははは、桜内先輩も人がいいんですねぇ~。別にいいんですよぉ、こんなのは天枷さんに押しつけてれば」

 「――――へぇ、そりゃどういう意味なんだい?」

 「いや、どうやら噂なんですが・・・ここだけの話――――――実は天枷さんってロボットらしいんですよ」

 「な・・・・・・・・!」

 「・・・・・それは初耳だな。オレにはこいつは人間にしか見えない。確かに、最近のロボットは精巧に作られているがそいつは驚きだ――――それで?」


 「それでって・・・だ、だからこういうのはロボットに任せればいいと思いません? ロボットって私は人間に扱き使われてなんぼだと思っていますし。
  だからこうやって有効活用するのが多分ロボット達にとっては幸せなんですよ。きっと天枷さんも同じ意見だと思います、ね?」


 「・・・・・・・・」

 「だから――――――」

 「なぁ、アンタ」

 「はい?」




 そう言ってオレはノートを取る手を休めてその女子生徒に向き直った。おそらくオレが一緒に昼食を採ってくれるもんだと思ったんだろう―――顔は笑顔だ。

 生憎だがオレには美夏という立派な彼女がいるからそういう訳にもいかない。そんな事をしたら美夏にボコボコにされてしまうからな。それだけは勘弁だ。

 何より―――オレは頭にきていた。当然だと思う、そんなくだらない理由で自分の彼女が顎で扱き使われているのだから。全くもって意味が分からない。

 オレは笑顔を浮かべてそいつに喋りかける。女子生徒はオレの笑顔を見て―――少し顔を引き攣らせた。失礼なやつだな、オレの笑顔なんて滅多に見れないぞ。




 「第二次世界大戦の話は知ってるかい?」

 「へっ? あ、ああ、知ってますよ。さっき授業でやってましたから・・・でもなんでいきなりそんな話――――」

 「当時はすごい時代だったらしいな。オレは生きていないからその実態は知らないが、文献なんか読んでると色々壮絶だったのは分かる」

 「・・・・は、はぁ」


 「その授業とやらで教えていたのかは知らないが、特に虐殺なんか凄かったらしい。航空路に一般人も含めた捕虜を一か所に集めさせて、大量のガソリンを
  頭から被せて火を付けたりしてな。それを見て外人は狂い笑ったそうだぜ? 信じられねぇよな?」
 

 「・・・す、すごいですね」

 「そして火に掛けられていない生き残っている捕虜に銃を渡すんだ。何故だと思う?」

 「・・・な、何故なんですか?」


 「その燃えている奴らを撃ち殺させるためさ。燃えて死ぬというのは中々に辛い事らしい、みんながみんな同じ事を言うんだ――――頼むから殺してくれってな。
  その中には自分の子供や妻、親父やお袋がいるんだぜ? そいつらが今まで聞いた事ない悲鳴を上げている、文字通り断末魔って訳だ。そしてその男の手には
  銃が握られている――――男は撃ったらしいよ、号泣しながらな。それを見て外人共はさらに爆笑したらしい」


 「――――は、はは。ひどい話ですね・・・・」

 「なぜそんな事をしたと思う? 同じ人間にそこまで酷い事が出来る理由―――アンタには分かるか?」

 「えっ? り、理由ですか? それは・・・えぇと――――」


 「簡単な話だ、同じ人間だと思っていないからだ。人じゃないから何をやっても許される、殺してもレイプしても構わない、人間じゃないんだから。
  そういった風潮が当時はあったらしい。まったく、信じられないよオレには。道徳も論理もあったもんじゃない、オレはそういうのは『人間』だと
  は思いたくないね。自分がそんな人種だと信じたくないからな。アンタもそうだろ?」


 「は、はい・・・確かに私もそう思いますが――――」


 「まぁ、誰でもそう思う。だから同じ理由でロボットをモノ扱いする連中は見ていて胸クソ悪くなるね、オレは。思わず鈍器で頭をカチ割りたくなってくる。
  戦争の事なんかまるで教訓になんかしちゃいない。義務教育で高校まで歴史を教える授業があるにもかかわらずに、だ。人間というのは集団にになると途端
  に馬鹿になる。他の人がやっているんだから自分もしていいんだ――――そういう考えになりやすんだってな」



 「――――――――ッ!」

 「せめてオレはそういう人間になりたくない。いや、人間じゃねぇのか。オレは結構なクズ野郎だが――――人間まで辞めたらその辺の犬と変わらない。
  ただの獣と一緒だ」 


 「・・・・・・・・・」 

 「悪いがアンタとは美味しいご飯は食べられそうにないな。謹んでお断りするよ」

 「・・・・・・はい」




 そう言って女性生徒は肩を落としながら自分の席に戻っていった。そしてオレはノートを写す作業に戻る。さっきも言った通り腹ペコでしょうがねぇ。

 ふと――――袖を掴まれる感触がした。見ると美夏が顔を俯かせてオレの袖を握っていた。そしてポツリと零れる言葉――――ありがとう。

 オレは薄く笑って美夏の頭を撫でてやった。まったく、最初会った時はこれでもかというぐらい生意気だったっていうのにこんなにしおらしくなっちまって。

 一通り撫で終わってオレはまたノートを写す作業に戻る。時間はもうとうに20分を過ぎている。オレは美夏と早く昼食を採るために、書く手を早めた。





























 
 「確かに美夏嬢の噂は広まりつつあるな」

 「・・・だろうと思ったよ。あの時神社には大勢の人がいた。ウチの学校の連中もだ」

 「ふむ、その時に見られたのであろうな」




 あの後わずかな時間ながらもオレは美夏と一緒に昼食を採った。美夏は先の教室での一件なんか無かったかのように元気に会話を楽しんでいた。

 昼食の後オレは美夏と別れて、杉並にサボりを持ちかけた。出席日数がどうたら言っていたがオレが真剣な話だと言うと快く承諾してくれた。

 また借りが増えちまったな―――そう思ったが背に腹は変えられない。こうしてまた校舎裏に来て杉並と話をしていた。勿論二人とも煙草を吸いながらだ。




 「ふぅー・・・さて、そろそろ本題に入るか。桜内は俺にどんなことを頼みたいんだ?」

 「――――なんとかお前の力でこの噂が広まるのを止める事は出来ないか?」

 「あの桜内が俺に頼み事とはな。嬉しくてたまらい気分になる―――――――無理だ、人の口に栓は出来ない。どうやってもその手の噂は広がってしまう」

 「・・・・・まぁ、知ってたけどな」

 「なるべくやれる事はやってみるが・・・あまり期待はしないでくれ。噂が少し広まるのが遅くなるだけだ」

 「・・・・・それで十分だよ、あんがとな」

 「別にいい。本来なら完璧にその噂を消したいところだ。逆に申し訳ない気持ちになる、中途半端な仕事しか出来ないとな」

 「それこそオレの台詞だ。何も力がないオレを殴りつけたくなってくる――――美夏の男だっていうのにな」

 「何事もそうはいくまい。神様ではないのだからな――――一時に桜内、一つ質問があるのだが・・・いいかな?」

 「なんだよ」

 「エリカ嬢の事だ。どうやらまた普通に話をしているみたいだが・・・・どういうことだ?」

 「ああ、それか――――」 




 そしてオレはエリカと友達になった事を話した。今まで色々あったが、オレの事は諦め、新しい恋に向かうとエリカは言った。

 もちろんオレはそれを信じているし、エリカを応援したい気持ちでいっぱいだった。せめて次の恋で幸せになってくれ・・・・・と。

 だがオレが話している途中、杉並はだんだん額にシワを作り始めて――――話し終えたときには唸ってしまっていた。




 「どうしたんだよ」

 「・・・・・にわかに信じられない」

 「あ?」

 「当人同士でもないし、エリカ嬢とはそんなに付き合いも深くはないからなんとも言えないが・・・・・・本当に桜内を諦めたのか?」

 「・・・・どういう事だよ」

 「エリカ嬢がお前にすごく入れ込んでいたのは知っている。三日前の廊下の件でそれは十分に伝わってきたからな」

 「・・・それで?」


 「あるいは病的と言って差し支えないのかもしれない。なにせエリカ嬢は単身この国に来て一人身だ。そして調べたところ仲のいい友人もいないらしい
  別に苛められているとかではない、エリカ嬢の人当たりの良さに皆も気を許している。ただ相手は貴族の一人娘だ、それもかなり大きいところのな。
  雰囲気なんかも周囲の者とは別格なモノを放っている」


 「・・・・・・」


 「それは孤独だろうな。おそらく自分の国でもそうであったに違いない。エリカ嬢の様子を見ればそれが分かる、もう慣れたといった様子だったからな。
  ただ桜内だけは他の人間と違った。気軽く自分に声を掛け、時々小馬鹿にした発言をし、そして心から笑う事が出来て――――自分を守ってくれた男。
  そんな人物を易々と諦める事が出来るとは俺には信じられない」


 「・・・・・・」


 「先ほど友達と言ったな、桜内は。例えば―――桜内が美夏嬢に振られたとしよう、それはもう完璧なまでにだ。その場面で桜内は言えるのか?
 『はい、わかりました。では友達になって下さい』というセリフを、 散々希望があると思わせる行動を見せつけられて」

 
 「・・・・・・いや」


 「まぁ、俺も当人ではないからどう思っているのかは知らん。本当に友達付き合いでもいいから桜内と仲良くしたいと思っているのか・・・はたまた
  友達という一時的に安全なポジションに収まってチャンスを狙っているのか・・・」


 「・・・・・・」


 「俺が推測できるのはここまでだ。俺が言った言葉は頭の片隅にでも置いといてくれ。もしかしたら本当に友好的な友達付き合いがしたかった場合、この話は
  邪魔にしかならない論だからな。余計な事をいってすまなかったな、桜内よ」


 「――――――そんな事はない。どうやら少しばかりオレは浮かれていたらしい。美夏とこれからは正面きって少しは堂々と話せるってな。よく考えれば
  あり得る可能性だっていうのに・・・それこそエリカの場合は、な」


 「恥じる事は無い。だれだって物事が解決したときは気が緩んでしまう。心がスッキリして思考が鈍くなる。ましてや俺の言った事は相手を信用していな
  いとも取れる内容だ。それも相手は自分の事を慕ってくれていて、かなり傷付いた上での発言―――疑う方がどうかしている」


 「・・・んな事はねぇよ。あ、そういえば今思い出したんだが――――最近エリカの様子を見ていて少し気になる事があったな」

 「・・・・・ふむ」

 「――――まぁ、こっから先は自分で解決するよ。お前にはまた借りが出来ちまったな。いつか必ずこの借りは返す、オレは誠実な人間だからな」

 「・・・くっく、誠実な人間がそんなにも複数の女性とキスをするとは思わないがね。気ままに待っている事にしよう、桜内よ」

 「うるせーよ。お前は本当にいつも一言多いな」

 

 そう言ってオレは煙草をカンの中に入れて立ち上がった。杉並は非公式新聞部の用事があると言い、オレとは正反対の方向を歩き出した。

 またどうせロクでもない事を考えているに違いない。アイツはきっとオレみたいな状況になっても部活だけはサボらないだろう、そういう風に思えた。

 女より自分の趣味を優先して泣かせるタイプ――――杉並の事を指しているような言葉だ。まぁアイツの場合それさえも上手くやりこなせそうではあるが。




 「それにしてもエリカ・・・か」




 正直屋上の時に違和感は感じていた。あれだけオレの事を好きだ、愛していると言っていたのにあまりにも――――あまりにも素直に頷いていたエリカ。

 確かにどういう形でもいいから納得はしてもらおうとは思っていたが・・・あっけなさすぎた。そういえばと最近のエリカの様子を思い出す。

 確かに前よりはあまり絡んでくるような事はしなくなっていた。腕も組んでこないし、会話もそこそこにエリカの方から切りあげていたりもした。



 ただ――――時折何を考えているか分からない眼をしていたことがある。今まで見たこともない眼の色だし、正直その眼を見ると不安な気持ちになる。

 何かあったのかと聞くと途端にその眼の色は消え失せて、笑顔を浮かべて何でもないと言うエリカ。そう言われてしまえばオレも深くは突っ込めなかった。

 嫌な胸騒ぎがする。何も起きなければいいが――――オレはそう思い、次の授業に向かうために少し早歩きをしながら校舎へ戻った。


































 「ふぅー・・・もう放課後か」




 そう呟きながら美夏は廊下を歩いていた。義之と付き合うようになってから時間の進みが早い様な気がする。よく楽しい事は一瞬だと聞くが美夏も例外ではないようだ。

 しかし最近は心配事が出来てしまった。それは自分がロボットだという噂が流れている事だ。恐らく神社での一件でバレてしまったんだろう。やれやれといったところだ。

 おかげで最近は自分に飛んでくる視線が痛くて止まらない。まったく、美夏も感情は人並みにあるのだからそんな視線を向けられるといい気分はしないのだ。

 そんな事はお前ら人間が知っているだろうに――――そう思わずにはいられない。まぁ、人間なんて身勝手な生き物だからしょうがないが・・・。




 身勝手と言えばある人物を思い出す――――桜内義之の事だ。あれほど傍若無人で唯我独尊な人間は早々いないだろう。いや、アイツ一人で十分なくらいだ。

 男女構わず暴力は振るうようだし、女癖は悪いし、そして妙に頭も回るからタチが悪い。ああいう人物はかなりの大物になるか塀の中に収まるかのどちらかだ。

 しかし――――なぜだか美夏は・・・ヤツの事を好きになってしまった。人間としては最低な部類な筈なのに・・・美夏は人間の事が嫌いな筈なのに・・・。

 義之が向けてくれる優しさが嬉しかった、義之の笑顔を見ているとこっちも嬉しくなる、義之といると――――幸せな気持ちになれる。まったく厄介な話だ・・・。




 義之は過保護なまでに美夏の事を見てくれている。一見冷たい人物に見えるが、なぜだか美夏だけに対してはあれこれと世話を焼きたがる。

 正直―――嬉しい気持ちでいっぱいだった。ロボットだからという理由で差別はしないし、持ち上げたりもしない。ただただ美夏の事が好きなんだと伝わってくる。

 言葉や行動でもそれは節々から伝わってくるし、もちろん美夏も義之の事を愛しているからそれは嬉しい、もっと・・・もっと甘えたくなってしまう。




 だがそれではいけない。寄っかかるばかりの関係に美夏は満足出来ない。義之はそれでもいいのかもしれないが――――美夏はそれでは納得がいかなかった。

 どうやら美夏のデータベースで調べてみると『イイオンナ』というのは相手の事を想いやり、助ける事が出来る女性の事を言うんだそうだ。

 だから美夏も頑張ってはいるんだが――――いかんせん相手はあの義之だ、鼻で笑われてあしらわれてしまう事が多い。何気に完璧人間だからな、義之は。

 
 それにムカついて色々挑戦してみたが・・・・ダメだった。というかなんでアイツは六法全書の内容まで暗記しているのだっ! それも悪そうな笑顔を浮かべて
嬉しそうに喋るし・・・思わず頭を叩いてしまったではないか。まぁその後普通に蹴られ返されたが・・・。


 なんにせよ――――美夏は義之と対等な立場になりたい、そう思っていた。そうすればもっと義之の為に何でも出来ると思っていた。本人に言ったら笑われるが。

 最近の噂も確かに気になるが、正直な気持ち――――美夏はそれどころではなかった。もっと『イイオンナ』になるために勉強中だからな、美夏は。

 だがあんまり広まり過ぎるとマズイ。一回水越博士に相談して―――――――そう思っていると後ろから声を掛けられた。振りかえると綺麗な金髪が目につく。




 「こんにちは、天枷さん」

 「―――――ん? おお、ムラサキではないか。どうしたんだ?」

 「ええ。少し天枷さんとお話ししたい事がありまして・・・今お時間の方は大丈夫かしら?」

 「うん? もうすぐHRが始まるから長い話は無理なんだが・・・」

 「大丈夫ですわ、そんなに長い話ではないですから・・・」

 「そうか、なら大丈夫だ。ムラサキとは知らない仲じゃないから――――HRサボってもいいんだぞ?」

 「ふふっ、ありがとうございます。でも大丈夫ですわ、すぐ終わりますから。ここではなんなので・・・屋上に行きましょうか」




 そう言ってムラサキは歩き出してしまった。慌てて美夏はムラサキの脇に並んだ。少しムラサキの歩幅が広いのか―――急ぎ足になってしまう。

 義之の場合、気付かない内に歩幅を合わせてくれるからなぁ。最近はそれに慣れてしまったが・・・あんまり気を使わせたくないので少し特訓してみるか。

 そうしてデータベースを検索しているとムラサキに声を掛けられた。相変わらずの綺麗な声で――――――




 「桜内先輩とは最近どうですか?」

 「うん? まぁまぁ上手く言ってると思うぞ。正直――――すぐに破局という最悪の事態にはならないみたいで美夏は少し安心している。あっはっは」

 「ふふっ、それはよかったですわ。幸せというのは長続きしないと言いますが――――嘘であってほしいですわね」

 「お、おいおい、あまり不安がらせないでくれよ、ムラサキ」

 「――――ふふっ、すいません。あまりにも幸せそうなんで少し悪戯してみました」

 「・・・意外と悪趣味だなぁ、お前は」

 

 そういうくだらない話をしながら美夏達は屋上の階段を昇り、屋上の扉を開けた。そしてすぐに校舎内の暖かい空気は吹っ飛んでしまい、代わりに肌を刺す様な
寒さが美夏達を包んだ。


 うう・・・寒いのは苦手だぞ、美夏は。ムラサキは平気なのか―――黙ってフェンスの方まで歩いていってしまった。美夏も一応そちらまで着いて歩く。

 こんな所で話とはなんだろう・・・、そう思っているとムラサキが喋りはじめた、視線は向こう側の景色を見たままでだ――――何か嫌な予感がする。




 「ここってかなりいい景色が見えません?」

 「・・・・・ああ、そうだな。島全体でも見渡せてしまうかのような広がりだな」

 「ある人とここへ来たのですが、ここが一番眺めのいい所だと言っていました。私もそう思います」

 「なぁムラサキ、話って――――――」

 「確かにいい景色だとは思います。けれど私にとってはとても印象が悪い場所なんですのよ、ここ。 だって―――私がその人に嘘をついてしまった場所でもあるのですから」

 「・・・・・・・」

 「天枷さんは――――――――義之とキスしたことあります?」

 「――――へっ?」

  

 なんでいきなりそんな事を聞くのだろうか、ムラサキは。それも義之を名前呼ばわり・・・それもいつも言っているかのように、言葉に淀みがない。

 嫌な予感は止まらないどころか益々大きくなってきている。そう言うとムラサキはこちらに振りかえり、笑顔を浮かべた。その笑顔は―――笑っている様に見えない。

 なによりもその眼だ。まるで美夏を見下しているかのような眼―――いや、実際に見下しているのだろう。美夏の嫌いな人種の人間の眼だからすぐに分かった。

 思わず身構えてしまう美夏。そんな様子を見て、ムラサキは笑顔を強めて・・・・・・こう言った。








 「義之のキスって少し煙草臭いけど・・・それを上回る魅力がありますわよね? 何回もしてもらった事がありますけど、とても癖になるような味。
  
  特に舌を絡めた時なんかもう最高の気分になれる麻薬のような魅惑の味――――天枷さんはどう思うかしら?」












 ――――ああ、どうせこんな事だろうと思っていた。義之はモテるからなぁー、それも女癖悪いし・・・帰ったら取っちめてやらないと。

 その言葉をどこか美夏は他人事のように聞いていた。信じたく――――絶対に信じたくない言葉だったからどこか現実逃避していたのかもしれない。

 そしてチャイムが鳴るのを聞いて美夏は思った――――HR、やっぱり出れなかったな・・・・・と。
























  



[13098] 17話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:685862ad
Date: 2009/12/04 00:38

















 「――――桜内、ちょっといいかしら?」

 「ん? なんだよ」

 「・・・・・ちょっと話したい事があるんだけれど」

 「ここじゃ、出来ない話か?」

 「・・・・・ええ」

 


 そう言って委員長はどこか顔を曇らせた。それにしてもあの委員長がオレに話とは――――予想がつかない。クラスメイトの中ではまぁ喋る方に入るが。

 勇斗の件があってからはそれなりにオレは委員長と喋る機会が多くなった。一緒に遊んだ仲でもあるし、オレの人嫌いもまぁまぁ治ってきた事もある。

 オレと委員長という組み合わせに最初はみんな驚いていた。それはそうだ、水と油みたいにお互い正反対の性格だし一触即発してもおかしくない性格の持ち主だ。

 だが時間も経てばある程度は慣れてきたのか、最近はクラスがおかしい雰囲気に包まれることも少なくなってきた。それでもオレに話しかけてくる奴はいないが。




 「とりあえず・・・何処へ行く? 校舎裏か――――それとも屋上かって選択肢になるが」

 「・・・校舎裏にしましょう」

 「あいよ」




 そう言ってオレ達は歩き出した。二人してどこかへ行くという出で立ちにどこかクラスの雰囲気が変わった。今までは一言二言喋る事はあっても二人一緒にどこかに行く
という事は無かったからな。


 それにしても委員長がオレにクラスでは喋れないような話を持ちかけて来るとは―――まさか告白とかじゃねぇだろうな。委員長は彼氏いないみたいだし考えられる。

 ダンマリなまま移動するのは少しアレかなと思ったので移動しながら話しかけてみた。まぁ共通の話題なんて数える程しかねぇけどな。それも相手は女だ。




 「最近あのガキはどうしてるよ?」

 「え、ああ、勇斗の事? 相変わらず元気よ」

 「そうか」

 「また桜内と遊びたいって駄々こねてるわ。本当に貴方は好かれてるのね・・・あんまり喜ばしい事ではないけど」

 「あ? なんでだよ」

 「だって桜内って・・・その・・・不良でしょ? あんまり、その、ね」

 「――――まぁ姉貴なら普通はそう思うわな。可愛い弟が不良と付き合いがあるなんて・・・いい気分ではないだろうな」

 「ま、まぁでも確かに桜内は素行が悪いけど、お、思ったより悪人じゃないから少しは安心してるのよ? 勇斗に玩具も買ってくれたし」

 「勇斗にもいい人だとかなんとか言われたが――――オレは悪人だよ、チンピラだ。少しばかり優しくしたからってすぐ勘違いするのはいただけないな」

 「――――ふふっ、本当に悪い人はそんな事言わないわよ。むしろ自分は善人だって平気で嘘をつくもの。今の発言で分かったわ、桜内は思ったよりいい人だって」

 「・・・・・」

 「それにこの間は色々謝ってくれたし・・・。さっき桜内の悪口を言った私こそ本当はいい人間なんかじゃないわ。ダメね、私って」


 
 そう言って委員長はため息を吐いた。委員長がダメな人間だとすればオレはどうなるんだよ、ダ二かっていう話だ。それぐらいオレと委員長には差がある。

 そしてオレは―――思わず頭を掻いた。まいったな・・・オレの周りはなぜか知らないがいい奴が多いようだ。前にもこんなセリフを吐かれたような気がする。

 そのオレの様子を見て委員長が微笑む。くそったれ・・・そんな母親みたいな顔でオレを見るんじゃねぇよ。大体お前とオレは同い年だろうに。

 女子の精神年齢は男子より高いというのもあるが、委員長の場合は長女という責任感みたいなものもあるのだろう。男手なんかいないようだし。
 
 聞いた話では母子家庭らしく、母親も病気がちで床に伏せているらしい。そりゃあんなに大人びたガキが育つ訳だ、オレは思わず納得した。


 なのにオレは色々気に障る発言をしてしまっていた。なんの確証もないのに、勝手に裕福な家庭だと決めつけて委員長に酷い事を言ってしまっていた。

 この間委員長と喋る機会があったので、その件についてオレは詫びた。勝手な発言をしたオレを許してくれと。素直に頭まで下げてオレは謝った。

 委員長はその様子をなぜかあたふたした様子で見て、そんなことはないと言ってくれた。しかしそれではオレの気は収まらないので今度何か奢る約束をした。

 


 そんな事を思い出しているとあっという間にお馴染の校舎裏に着いてしまった。しかしここも寒いんだよなぁー・・・屋上ほどではないけど。

 そしてオレは適当にそこら辺に座り込み、煙草を取り出して火を付けた。そんなオレを見て委員長は何か言いたそうな顔をしていたが、黙ってオレの隣に座り込む。

 最初は何か言いにくそうに口をもごもごさせていた委員長だが――――腹を決めたのか少しずつ、ポツリポツリと喋りはじめた。




 「――――話というのは天枷さんの事」

 「ん? 美夏がどうしたっていうんだ?」

 「・・・噂で聞いたのよ、天枷さんがロボットだという事」

 「・・・・・・・」

 「桜内なら本当か嘘か知ってると思って・・・・」

 「――――もし」 

 「え?」

 「もし・・・本当だったとしたら、どうするんだ?」

 「――――先生に言いつけるわ。ロボットが学校に通ってますって。退学処分という形を取ってもらう事にするわ」

 「なぜ?」

 「それが普通だからよ。ロボットが学校に通ってるなんて・・・・・・私は認めたくない」

 「・・・・・・」

 「だっておかしいでしょっ!? そんな話聞いたことも無いわっ! 大体ロボットなんて危険なものをよりによって学校に通わせているなんて・・・」

 「そうだな、聞いたことが無い」

 「そうよね、常識外れもいいところだわ・・・。きっと学園もグルになって隠蔽してるのよ、きっと。こんな事って許される事じゃないわ」

 「そうだな、許される事じゃないな」

 「大体ロボットなんて無くなればいいのよ・・・見ているだけで不愉快になってくるわ。もちろん――――天枷さんも例外じゃないわ」

 「――――そうか」

 「天枷さんには悪い事になると思うけど――――――廃棄処分ね。あそこまで精巧なロボットなんか人権屋が許さないもの」

 「・・・・・・」



 そう言って黙ってしまう委員長。オレは煙草をぷかぷか吹かしながら黙って空を見ていた。まだ冬の気分が抜けていないのか、空は今にも雪が降りそうだった。

 委員長はオレが何か言うのを待っているのか、黙ってしまっている。オレと美夏が仲いいのは知っているので言いづからかったんだろうなぁとオレは考えていた。

 そして数秒、数十秒・・・どれくらい時間が流れたのかは知らないが、あまりにもオレが黙っているので委員長がオレに話しかけようとして――――




 「オレさ、美夏と付き合ってるんだよ」

 「――――――――えっ?」

 「もうオレが美夏の事を好きで好きでたまらなくてさ・・・色々あって美夏のほうから告らせちまったけど・・・去年の年末から付き合ってる」

 「・・・・・・そうなの」


 「最初会った時はなんだコイツと思ったよ。自分は最新鋭のロボットだ、お前ら人間に事が嫌いだとか言ってたくせに頭から煙あげてオーバ―ヒート
  してやんの。お前のどこが最新鋭だよって、思わずケツ蹴り上げそうになっちまった」


 「・・・・・」


 「しかしあいつはポンコツロボットの癖に人間らしかった。いや、そこら辺にいる人間よりも人間らしいとオレは思っている。少なくともオレはそう思った。
  平気で人を殴れるヤツ、ムカついたから親を殺した、ヤリたくてしょうがなかったから強姦した―――今の時代そんな人間ばっかりだ」

  
 「あ、貴方だってっ! どうせそういう事したくて天枷さんと――――」


 「美夏さ、ああみえてすげー優しいんだよ。お人好しというべきか―――ん? ロボットだからそうは言わねぇのか? まぁどっちだっていいや。
  とにかく喜怒哀楽の激しい女なんだよ、アイツ。人の為に泣けるし、怒れるし、喜ぶし・・・そんなヤツなんだ。そんな所がオレは気に入っち
  まった。まぁこんな事言ってるんだが、ほとんどは一目惚れに近いんだけどな」
 

 「あ――――」


 「委員長の過去に何があったかはしらねぇよ。口ぶりから察するによっぽど酷い事があったみたいだし――――別に聞くつもりもねぇ。
  それに今の時代はロボットが生きづらい。委員長みたいな考えをしてる人間なんてゴマンといるしな。まぁ・・・とてもじゃないが
  賛同は出来ないけどな」
 

 「・・・・・どうして?」


 「あまりにも身勝手な発想だからだ。さんざん利用するだけ利用して、危険性が出てきたからって手のひらを返してるんだぜ、あいつら?
  散々ダッチワイフ代わりにしたり奴隷みたいな扱いをしてきたのにもかかわらずに、だ。委員長も知っての通りロボットにだって感情は
  ある。そして考える事も出来る。だが今の時代みんなそんな事なんて考えてやしない、ロボットは『物』としか認識していない」


 「だってそう――――」


 「オレは思わず外国の人種差別を思い出したよ。平気でアフリカとか南米周辺の黒人を奴隷や娼婦として人さらいの如く連れてきた事をな。
  年中一日15時間働かされて食事は一日二食のパンとスープ、肉なんて食わせて貰えない。もちろん体の抵抗は弱まるから病気に掛かってしまう。
  だがそれで休もうものならムチなんかが飛んでくる。知ってるか? ムチで思いっきり数十回叩かれると人間は発狂して死ぬらしいな。
  それを何百回と繰り返して、何万人ものヤツが死んでいった――――故郷に帰りたいって言ってな」


 

 当時は酷かったらしい。テレビや本などでしかみていないが、その壮絶さは知っているつもりだ。あまりにも人間ではない行動を取っていたのでかなり印象深い。

 戦争でならある意味しょうがないと思う部分はある。仲間の兵士が死に、親も死に、友人も死に、自分の手足も平気で爆弾で吹っ飛んでしまう異常な空間。

 そんな場所で平静を保てというのが無理な相談だとは思う。大体人間なんかちょっとしたストレスでも気がおかしくなる生き物だ、とてもじゃないが耐えれるとは思わない。


 だが奴隷の話は別だ。利益の為に同じ人間をモノ扱いして平気でこき使う、同じ人間なのにだ。恐らく反対した者もいるのだろうが狂気というのは伝染してしまうものだ。
 
 そしてそれ(奴隷)を欲しがる人や売る人が出てきてしまい――――結果、市場が出来てしまった。人間が人間を売り飛ばすシステム・・・イカれてると思った。




 「そして娼婦として連れて来させられた女は男の相手をする。年齢など一切関係ない、親子でも離れ離れになって違う男に連れて行かれるんだ。
  ある母親は娘だけは助けて下さいと言ったらしいが――――殴って黙らせたらしいよ。当り前だ、『物』が『人間』に対して逆らうんだからな。
  そんなことはあってはいけない。物は従順じゃなくちゃダメだからな」


 「・・・た、確かに酷い話だと思うわ、け、けどその話題と今話してる話題は関係無――――」

 「本当に酷い話だと思っているのか? 委員長は」

 「え?」


 「オレからみたら委員長とかロボットについて騒いでる連中はその白人達と変わらない。平気で壊そうとしたり、感情があるのに物扱いする行為なんか特にな。
  
  ロボットを持っているヤツラは大体そうだが感情を好きなように弄って反抗出来ないようにしている。もちろん中にはそうでない人もいるんだろうがそんな

  人の話は聞いたことが無い。そして少しでもその『物』が危険性を持っているというだけで『殺そう』としている人権屋――――イカれてるな。
  
  感情があるという事実を無視して、自分達にとって都合のいい所を持ち上げて声高らかにロボットなんか殺しましょうなんて言ってやがる、反吐が出るね。

  人間が勝手に作って人間が勝手に壊そうとする行為、感情があるのにだ――――神様気取りかよと言いたくなる」
 

 「ち、違うわっ! 私はそんなつもりじゃ――――」


 「さっきも言ったがオレは委員長の過去なんて知らない。委員長の場合、ただそういう風に嫌っているようにはオレには見えない。だが言っている事は
  そういう事だ。今じゃ人種差別も少しずつだが無くなってきている、そういった人たちを本当に守ろうと思っている人間が現れたからだ。オレは思う
  よ、ロボットにもそういう人間が現れてくれればいいな――――ってな」


 「・・・・・・」 

 「まぁ、委員長の思う通り行動すればいいよ。でもオレは絶対に反対だね、自分の女が退学させられそうになってるのに指咥えてたら情けなくてしょうがない」

 「・・・・結局はそれじゃない」

 「当然だ。オレが初めて愛した女だし、守って当り前だ。だいたい女は男に守ってもらうのが義務で、男が女を守るのも義務だとオレは思っている」

 「・・・・・・ふふ、いつの時代の人間よ」

 「まぁこれは美夏の受け売りなんだけどな。あいつポンコツロボットの癖に妙にそういう考えを持っているんだ。少しはしおらしくしたら可愛いのにねぇ」

 「・・・だめよ、自分の彼女にそんな事言っちゃ」

 「自分の女だから好き勝手言えるんだよ。じゃあそろそろ――――その女の事迎えにいってくるよ、じゃあな、ゆっくり考えていてくれ」

 「あ――――」




 そうしてオレは委員長を残して歩き出した。あんまり待たせて怒らすと怖いからなぁ、オレの彼女は。そう思いながら待ち合わせ場所の校門前に急ぐ。

 まぁ、委員長には委員長なりの考えがあるのだろう、それは別に否定するつもりはない。人それぞれ考え方が違うってもんだし強要はしない。

 ただもし、美夏に悲しい思いをさせると言うなら徹底的に潰すまでだ。それが例え委員長だとしてもその答えは変わらない。変えようとも思わない。

 なぜか―――もちろん美夏の事を愛しているからだ。この気持ちは一生変わらないだろう・・・そうオレは確信している。

































































 「お、どこ行ってたんだよ、美夏。随分待っちまったぜ」

 「――――はは、ちょっとな・・・・」

 「んだよ、何かあったのか?」

 「いや、別に・・・・・」

 「・・・・? まぁいいや、さっさと帰るべ」

 「・・・・・ああ」




 そう言ってオレは美夏の手を握って――――美夏の手が震えた。オレは怪訝な顔で思わず美夏の顔を見るが、美夏の表情は至って普通だった。

 なんだか元気がないような気をするが・・・オレの気のせいか。そうしてオレは美夏の手を引いて歩き出した。いつもどおり歩幅を合わせながら。

 エリカとの件もすっきりしたし、これからは美夏だけに集中出来る。前までは頭の片隅にいつもエリカがいたような気がしていたからな・・・。




 「――――――義之」

 「んあ?」

 「・・・公園かどこかへ寄っていかないか?」

 「お、珍しいな。お前からそんな事言いだすなんて」

 「はは、いつもはお前から言い出すもんな。でも――――たまにはいいだろう?」

 「ああ、もちろんだ」




 そう言ってオレは美夏と一緒にとりあえず公園へ向かった。しかしこういう事を美夏が言いだしたのは結構意外な事だった。いつもはオレが勝手に決めていたからな。

 何をオレに遠慮しているんだか知らないが、美夏はあまりこういう事は言いださない。ゲーセンの時とかみたいに余程の目当ての物がなければオレに任せていた。

 だから美夏がそういう事を言ってくれるのはオレとしては嬉しい。どこへだって連れて行ってやる気分になる。まぁそれが公園でもだ。




 「それにしてもなんで公園なんだよ。もっと遊べる場所があるっていうのに」

 「・・・少しゆっくり義之と話したい気分なんだ」

 「――――何かあったのか?」

 「いや、そういうわけではない。ただ・・・話をするならそこが静かでいいかなと思っただけだ」

 「・・・・・」




 そうして黙ってしまう美夏。オレは何故かそれ以上深く追求するのは躊躇われたので視線を前に投げかける。なんだが美夏の雰囲気が重いように感じた。


 なにか隠しているような――――そんな気がした。確証なんてものはないが美夏とは短い付き合いではない、ましてや彼女だしそれぐらいは分かった。


 しかし美夏が言いださない事には始まらない。そのままお互い黙り込んで公園へ足を向けた。お互いの歩幅を合わせながら・・・・。 









 そして何分かあるいて公園へついた。こんな寒空の中公園で遊ぶ人影は無く、静かなもんだった。そして二人手を繋ぎベンチに座る。


 オレは美夏が何か言いだすのを待った。あんまり無駄話をする気分ではないし、そういう雰囲気でもない。オレはベンチに座りながら空を見上げた。


 相変わらず空は曇り空で、今にも雪が降って来そうな天気だった。早く暖かくなって欲しいものだ。美夏は寒いのが苦手らしいからな、ロボの癖に。


 そして暖かくさえなりすればいっぱい楽しそうな所へ行ける。遊園地だって海だってどこだって・・・美夏と一緒だったらどこへでも――――――――



























 「別れよう、私達」
















 



































 「てっとり早く言うと天枷さんと義之に別れて欲しいのよ、私」


 「――――はは、義之はしょうがないなぁ、本当に」


 「義之は私の事を一目惚れしたと言ってましたわ。そして何回もキスをしました」


 「女癖が悪いとは常々思ってはいたが、まさかなぁ」


 「そして何回も私に優しくしてくれた。いつも私の事を求める視線で見ていましたわ。そんな視線で見つめられるたび嬉しくてしょうがなかった」


 「帰りに色々問い詰めてやらないとなぁ・・・どうしてお前はそうなんだって」


 「義之は本当はとても優しい人間と知ってまして? よほど貴方の事を可哀想だと思って付き合ったんでしょうね」


 「美夏の事をあんなに好きだとか言っておいて・・・他の女にキスするやつがいるか」


 「もちろんそんな優しい部分も義之の魅力だと私は思っていますわ。でも人が良過ぎるのも考えものね、お情けでこんな子と付き合うなんて」


 「まさか浮気をしているなんてなぁ、思いもしなかったし考えもしなかった」


 「まぁ義之が私の事を好きなのは一目瞭然ですし、私も義之の事を愛してますわ。将来結婚でもしようかなと考えているぐらい」

 
 「あいつの女癖の悪さにはホトホト呆れ返ってるぞ、美夏は」

 
 「可哀想な義之、あれだけ情熱的にキスしてあれだけ私の事を愛しているという態度をとっていたのに・・・人がいいばっかりに・・・まったく」


 「もう土下座しても許さないぞ美夏は。まったく・・・今度という今度は」


 「だから天枷さん? 貴方が義之と付き合っているのはそもそもの間違いなのよ――――もちろん別れてくれるわよね?」


 「嫌に決まってるだろ、このバカ女」




 そう言って美夏はムラサキを睨んだ。対してムラサキは少し眉を動かしたが変わらず笑顔のままだ。小憎たらしいったらありゃしない。

 確かにキスした事は許せない。浮気なんて男がする行為で一番情けない行動だと思っているし、するヤツはバカとしか言いようが無いと思っている。

 だからといって――――美夏が義之の事を離す事なんてありえないあってたまるか。一度手に入れた温もり、大切な人・・・そう簡単に手放すわけがない。

 一緒に歩いて行くと決めた、美夏の事を一生守ってくれると言ってくれた。その言葉は今でも信じているし、覆せない真実だと美夏は思っている。

 しかしムラサキは余裕なのか――――微笑みの表情を崩していない。思わずその顔面を殴りたい衝動に駆られた。




 「あらあら、そんなに怖い顔しないでくださるかしら? 思わず泣いてしまいそうだわ」

 「泣けばいいだろう。そうやって笑ってるより、泣き崩れて膝をついてる姿の方が似合っているぞ、お前」

 「――――――――へぇ、随分言ってくれるじゃないかしら・・・・・・・・・・・・・・・ロボットの癖に」

 「・・・・・ッ!」

 「聞きましたわよ、貴方の噂。ロボットなんですってね? ロボットの癖に義之の隣にいるなんて・・・壊したくなるわね」

 「そ、そんなの関係ないだろっ! 美夏がロボットだろうとなんだろうとっ!」

 「貴方、本気で言ってるの?」

 「え?」




 そう言ってムラサキは微笑みの顔を辞め―――怒りの表情を露にした。今にも掴み掛かってくると言わんばかりの鬼気迫る顔だ。

 思わず美夏は後ずさりしてしまった。なぜこんなにも・・・怒っているのか美夏には分からない。そうしてムラサキは口を開いた。



 「ここまで貴方の噂が広がればどうなるか・・・分かるわよね?」

 「そ、そんなの――――」 


 「そう、大問題になるわ。ロボットが学校に通っている――――ただでさえこの国はロボットに対してアレルギー反応みたいな所があるし・・・。
  よくて退学、悪くて廃棄処分かしら?」


 「そ、それはそうかもしれないっ! けど今話している話題は――――――――」

 「義之も大変な事になるわね」

 「え・・・・」


 「だってそうでしょ? ロボットと付き合っているなんて噂もたちまち広まるわ。貴方達っていつも一緒にいるじゃない? ばれて当然よね、こんな小さい島じゃ余計に。
  もちろん学校に通っているロボットなんて世間でも大騒ぎになる事間違い無しだし、そんな事になったら色々後ろ指を指されるでしょうねぇ・・・ロボットなんかと
  付き合う人間――――いい週刊誌の題目を飾りそうね?」


 「で、でも義之はそれでも美夏と一緒に居てくれると言ってくれたんだっ!」


 「・・・だから貴方はロボットなのよ。 いい? 義之はこれからがある人間なのよ? 貴方も分かる通り義之はとても優秀な人間よ。頭がよくて運動も出来て
  カリスマ性もある。素行が少し悪いようだけれど最近はそれも影を収めつつある。このままいけばきっと輝かしい道が待っているわ。それとね・・・私は義之を
  貴族に入らせようと思っているのよ」


 「・・・・・な、なんで」


 「さっきも言ったけど結婚を考えているのよ、私達。義之は本当に可能かどうなのか疑っていたけれど・・・可能にするわ、私が。そうしたらもう義之の
  将来なんて安定したも同然よ。少なくとも――――ロボットなんかと付き合うよりはね」

 
 「そ、そんなこと・・・・・ない」


 「そんな事あるわよ。貴方と付き合って義之にいい所なんてないわ。もしずっと一緒に居たいっていうんであれば余計にね・・・。まだ学生の内はいいかもしれないわ、
  世界が学校の中なんですもの。でもね、大きくなって社会に出ようとした時に貴方の存在は義之の重荷にしかならないの。分かる? 義之の為に貴方は何かしてやれる?
  義之がいい生活を送るのに何か手助けしてやれる?」


 「そ、それは・・・・・・」

 「これで分かったでしょ。貴方は義之にとって邪魔な存在でしかならないの。だから私と付き合った方が義之にとっては幸せ―――何より本気で好き合ってる訳だし」

 「――――――――ッ!」

 「だから義之と恋人ごっこなんか辞めて――――――」

 「い、嫌だっ!」

 「・・・はぁ~、あなたねぇ」

 「・・・グスッ・・・ひぐ・・・い、いやなもんはいやなんだ・・・・グスッ」




 情けない話――――美夏は泣いてしまった。こんな憎たらしい女の目の前で泣くなんて恥だが・・・勝手に目から涙が零れて来る。悔しくてしょうがなかった。

 反論出来ない自分が、この女の言っている事が、義之が他の女とキスした事が・・・いろんな感情が混ざり合って、悔しくて、泣いてしまっている。

 もっと冷静に考えればいい返せる所はあったと思う。なければ無理矢理にでも言葉遊びに持ちこんで話をさせなければいい、そういう事が出来る所も確かにあった。

 でも――――何も言い返せなかった。美夏は確かに義之の為にしてやれる事なんてない、いつもいつも義之に迷惑をかけているのは自覚があった。

 すぐにオーバーヒートしてしまう自分、ロボットの癖に何一つμみたいな機能はついていない自分、コンプレックスみたいな物を美夏は持っていた。

 でも義之はそんな自分を選んでくれたんだ、好きだと言ってくれたんだ、一生傍に居てくれると言ってくれたんだ。




 「泣いても仕方ありませんことよ? ホラ、どうするのよ。もちろん別れるという選択肢しかありませんけど」

 「――――ッ! い、いやだっ! 絶対に嫌だっ! わ、別れたりするもんかっ!」

 「子供の駄々じゃないんですからいい加減に――――――」

 「い、嫌なもんは嫌なんだぁっ! お、お前なんか絶対に義之とは似合わないっ! せ、精々こんな真似をしてるぐらいなんだから義之に振られたんだろうっ!」

 「――――――――――ッ! こ、このっ!」

 「あ・・・」




 頬に熱い痛みが走った。振り抜かれているムラサキの手――――平手打ちをされたんだと気付くのに少しばかり時間が掛かってしまった。

 思わず座り込んでしまう美夏。思わず自嘲したくなる、涙を流しながら這いつくばっているのは美夏の方なんだからな。笑うに――――笑えない

 そしてムラサキは美夏の方に歩み寄り――――襟を掴んできた。軽く持ち上げられる美夏・・・自分で立つ気力は無くなっていた。




 「あなた・・・義之の事が好き?」

 「グスッ・・・えぐ・・・・あ、当り前だ・・・・」

 「だったら義之の幸せを願うわよね、もちろん貴方ではその幸せ作れない――――違う?」

 「・・・・で、でも・・・グスッ・・・いや、・・・だ」

 「――――義之は言ってたわよ。美夏は何も出来ないから腹が立ってしょうがないって」

 「・・・・・・・っ!」

 「美夏は何一つ満足に出来ないって・・・・そう言ってたわ」

 「あ・・・・」




 そう言われて――――心が折れてしまった。頭では理解している、義之はそんな事言う筈がない。義之はなんでもオレに任せろと常に言っていた。

 お前は何もしなくていいよとも言ってくれた義之。だから美夏はそれが悔しくてたくさん努力してきたんだ。何か一つ義之の為に出来たらいいな、と。

 でもこの状況下でその言葉は――――心にきた、折れてしまった、砕けてしまった。もう直そうとは思えなうぐらいバラバラになってしまった。

 そんな美夏を見て、ムラサキは襟を離した。崩れ落ちるように座る美夏。ムラサキが優しい声質で美夏に問いかけた。




 「義之と、別れてくれるわね?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「義之の事が好きなら――――本当に好きなら別れられる筈よ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「大丈夫。義之なら私が幸せにしてあげるわ。天枷さんの分もね」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「義之が幸せになる姿見たいでしょう? 裕福な暮らしをしている義之が見たいでしょう?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「全ては――――――――義之の為なの」




 美夏は思い返していた。僅か三ヶ月余りだが楽しかった日々を。人間なんかいなくなればいいと思っていた、そうは思えなくなってしまってた。

 オーバーヒートを起こした美夏、助けてくれた義之、クリスマスに高いストラップを買ってくれた義之、ゲーセンで美夏が欲しい人形を取ってくれた義之。

 そして年末にまたオーバーヒートを起こした美夏、告白して美夏の事を好きだと言ってくれた義之、そして一緒に進んでいこうと言ってくれた義之。

 全部―――全部美夏のデータに入っている。かけがえのない『思い出』。本当に好きだった人間・・・男の子。これからはずっと一緒だと思っていた。





















 ――――――――短い交際期間だったが幸せだった日々。この日、美夏と義之は別れた。恋人ではなくなってしまった。ただただ泣くしかなかった。





























 



[13098] 18話(前編) 暴力描写注意
Name: 「」◆2d188cb2 ID:685862ad
Date: 2009/12/06 03:16










 なぜそんな事を言うんだ――――お前に愛想が尽きた

 どうしてだ――――浮気するような男は嫌いだ

 だれが――――噂で聞いたがいい感じの女がいるらしいじゃないか

 ちがう――――聞けば綺麗な女だという、不満なんてないだろう

 オレが好きなのは――――なんにしてもお前の事は嫌いになった

 じゃあなんで泣いているんだ――――・・・・・・・・・・












 「・・・・・・・」

 

  美夏に三下り半を渡されてから一日が経った。オレがこんなに死にたいという思いに捕われても太陽は昇ってくる。憎たらしかった。
 
  学校には行く気分で無かった。しかし家に籠りっぱなしでいても何も解決にはならない。オレは学校に行くことにした。

  学校に行けば気分も幾分かは中和されるだろうと思った。本当はそんな事なんて思ってもいなかった。ただ人が多い所に居たかった。

  いつもは煩わしい集団の中が今は恋しかった。オレは朝食を済ませ、家を出た。そしてタイミングが良かったのか悪かったのか音姉も
 ちょうど家から出る出る時だった 

  なぜか音姉はオレに気付くと気まずい顔をしていた。理由―――思い当たらなかった。最近は特に派手な行動をした覚えは無い。


 「うっす」

 「・・・あ、おはよう弟君」

 「久しぶりに会った気がするよ」

 「・・・最近の弟君、家を出るのが早いからね」

 「まぁな―――だけどこれからはゆっくり起きれそうだ。早起きする理由が無くなったからな」

 「そう・・・じゃあ、私行くね」

 「あ――――」


  そう言って音姉はそそくさとオレの方を見ないで歩いてしまった。いつもなら精々する行動だが――――少しばかり気に喰わなかった。

  どいつもこいつもオレとそんなに付き合いたくないのかよ、まったく。ついてない時って本当についてないんだな。嫌な事ばっかりでたまったもんじゃねぇ。

  子供の我儘にも似た考えが頭をよぎった。いつもの音姉ならしつこいぐらい構ってくる筈なんだが・・・今日はどうやらそんな気分ではないらしい。


 「ああ、かったるいぞ、マジで」


  そう呟いてオレは歩き出す。呟くだけでオレの足は学校へ向けて歩いて行った。なんにしてもこの世界に来た時から真面目に学校へ行くと誓ったからな。

  その誓った相手はこの世界に居ないが元気にやっているだろうか。オレが小さい時から天真爛漫で衰える様子がまったく見られないからおそらくは元気なんだろうが。

  別に戻りたいとは思わなかった。こんな状態だからあの世界のさくらさんが少し恋しいとは思っていたが、生憎帰る手段なんて分からないし帰るつもりもなかった。


 「まだ美夏の事を好きなんだよなぁー・・・。ていうか誰がチクったんだよ、マジ殺しても飽きたらねぇぞ」


  自分の事を棚に上げて発言した。あれだけ美夏に隠れて好き放題した自分―――自業自得かもしれない。美夏の事を裏切り続けてきた代償だと思う。

  茜とキスなんてしてしまったし、エリカとなんてもう数えきれない程している。あまつさえ家に泊まったりもしたし言い訳の余地なんてものはなかった。

  いくらその全てに決着を付けたとはいえ許されることではない。美夏と付き合っている時でさえエリカとはディープキスなんてかましてたりしてたしな。


 「あーマジ未練残ってるぞ。失恋して自殺する女の事なんか笑えやしねぇ。自殺すっかなぁ」


  冗談っぽく言っているが少しばかり本気だった。ただ自殺しないのは美夏への想いだけ。それさえ無くなりすれば喜んで自殺したと思っている。

  隣に誰もいないのがとても虚しい。いつもは握られている小さな手の感触が無いのがとても寂しかった。ひまわりのような笑顔をもう見られないのが悲しかった。

  しかしもう遅い、オレは振られてしまったんだ。オレは死ぬほどの憂鬱にまみれながら歩く。オレは今――――初めての孤独感に悩まされていた。

























 「フリーになっちまった」

 「――――え?」

 「美夏に振られちまったんだよ。愛想尽いたんだってよ、オレに」


  学校へ行く途中に委員長と会った。委員長はオレの顔見るなりツカツカと近づいてこう言ってきた―――天枷さんの件、もう少し考えてみるわ。
 あれから考えてみたのよ私。


  なんとも嬉しい発言だ。あれだけロボットを毛嫌いしていた委員長が意見を変えるとは思わなかった。少ししかその話題については話をしてい
 ないが、委員長が死ぬほどロボットを嫌いなのは伝わってきたからな。言葉の端々、態度、雰囲気、眼の力などからそれは分かった。

 
  美夏とは別れちまったがそれでも好きな気持ちは変わらない。今でも美夏の事は好きだし何かあったらいの一番に駆けつける気持ちはあった。
 少し女々しいかなとは思うが。


  そして委員長はいつもオレの隣にいるはずの存在がいない事に気付いた。そしてオレは「ああ・・・」と呟いて美夏と別れた事を委員長に話した。
 信じられないという顔をしていた。
 

  まぁ昨日はあれだけ啖呵をきった訳だし、オレは物凄く美夏の事を愛しているとアピールしてたからな。その翌日に振られてたんじゃ世話ねぇよな、まったく。


 「ど、どうしてなの? あれだけ貴方は愛しているって言ってたじゃない」

 「オレが愛していてもダメだよ。美夏の気持ちは変わっちまった。オレの事が嫌いになっちまった」


  そう言ってオレは冗談っぽく肩を竦ませた。まるで気にしてないと言わんばかりにだ。本当はボロボロの癖に。それを聞いた委員長は呟くように言葉を吐き出した。


 「・・・信じられないわ。あれだけ貴方に懐いてたじゃない、天枷さん。もしかして桜内が何かしたの?」

 「――――浮気」

 「・・・・・・・・は?」

 「したのがバレたと言ったら、どうする?」

 「・・・・・・」


  そう言うと委員長は最初は呆けた顔をしていたが―――みるみる顔付きが鬼のように変わっていた。初めて見る委員長の顔だ、なかなか感慨深いものがある。

  確かにいつも怒っている風ではあったがここまで露骨に感情を出す委員長は初めてだ。まぁ、恐らくそれほど本気で怒っているのだろう。拳なんか握り締めてるし。


 「冗談、よね?」

 「さぁどうだっけかな。したような気もするし、してないような気もする」

 「――――――ッ! さ、桜内っ! サイテーよ貴方! 女の子をなんだと思っているのよっ!」

 「んだよ、昨日は廃棄処分されればいいのにとか言ってたじゃねぇか。ロボットなんかいなくなればいい――――だっけか?」

 「そ、それとこれとは別問題よっ! 今はロボットがどうのこうのじゃなくて女の子としての話をしてるのよ!」


  顔に怒気を含ませながらそう言う委員長。というか昨日と言ってる事が違うぞこの眼鏡。そして委員長は喋るのを止めないで続けて叫ぶように言う。


 「浮気はね、男としてもんの凄く最低な行為よっ! そこんとこちゃんと分かってるの!?」 

 「分かってたんだけどなぁ――――ていうか例えばの話だぞ、そんなにムキになるなよ」


  そうやってオレは冗談っぽく言う。委員長にはまるで効果が無かった。逆にそれが癪に障ったのか更に声を張り上げる委員長。オレは耳を塞ぎたくなった。


 「桜内の事だからどうせそれが原因なんでしょっ! 貴方って女性の事なんか平気でたぶらかしそうだものねっ!」

 「なんだよ。委員長にもそんな風に見られていたのかオレは。みんな口を揃えて同じ事を言いやがる」

 「そんな風に見られる行動ばかりしてるってことでしょ! まったく――――」 


  そう言ってオレに説教を始める委員長。朝の早い時間でよかった。こんな通学路の往来でこんな現場見られた日にはたまったもんじゃねぇ。いい晒しモノだ。

  委員長も熱が収まるどころか段々ヒートアップしてきている。オレはそんな委員長の話を受け流して聞いていた。反力する気力なんかとうに無くなっている。

  大声で話をしたものだから肩で息をついてしまっている委員長。それでも喋り足りないのか肺の空気を出し切るように小声で喋っている。 


 「だ、だいたい、貴方っていう人、わね・・・はあ、はあ・・・・」

 「大丈夫かよ」

 「う、うるさい、わね・・・浮気最低男なんかに心配される筋合いなんて、ない、わよ」


  肩で息をつきながらもオレの事を睨む委員長。よほどムカついているんだろう、こめかみには青筋を立てている。ていうか切れんじゃねぇのか血管。


 「そ、それで、相手は、だれなの?」

 「なんでそんな事言わなくちゃいけねぇんだよ」

 「わ、私が気になるからよ」

 「意外と耳年増だな委員長は。あんまりそういうのは好まれないぜ? 特に男からは」

 「い、いいから。言いなさいな」


  そして委員長は息を整えた。なんで喋らなくちゃいけねぇんだよ、わざわざ自分の浮気相手の事なんか。それも気になるという理由だけで・・・冗談じゃねぇ。


 「オレもう行くわ」

 「あ、ちょっと待ちなさいっ!」

 「なんでオレの浮気相手を委員長に喋らなくちゃいけねぇんだよ」


  そう言って逆にオレは委員長の事を見返す。その視線に少したじろぐ委員長―――だが追及をやめるつもりはないらしい。小走りでオレの脇に並んだ。


 「大体だれの事を言っているか見当つかねぇんだよ」

 「そうよね。貴方の場合心当たりが多すぎて――――――」 

 「キスしたのは二人だからどっちかだと思うんだが」

 「―――は」


  やばい。思わず口を滑らせてしまった。委員長の顔がみるみる奇妙な顔になっていく。そして持っている鞄でオレに殴り掛かってきた。


 「ばっ、おま――――」

 「こんの~~~~~~っ!」

 「い、いてぇよ、こらっ! この・・・・!」

 「この、アホ、男は~!」


  ボカスカとオレの体を滅多打ちにする委員長。よくドラマでヒステリーを起こした女の如く殴ってくる。かったるいなんて言っている暇なんて無い。

  しかし委員長の事を殴る訳にもいかない。オレはその攻撃をすり抜けるように駈け出す。そしてキーキー怒鳴りながら追いかけてくる委員長。

  このヒス女が―――絶対彼女にしたくねぇ。だが少しばかり元気が戻ったような気がする。そう思いこもうとしただけで本当は元気なんか一片も無い。
 
  いつこの失恋がの傷が治るのかは分からない。いや、そもそも美夏の事を諦めるなんてとてもじゃないが出来ない。しようともオレは考えていない。
  
  時間が解決してくれるというが・・・解決なんてしてほしくない。この気持ちを忘れたくない。ようはオレは美夏にまだ惚れているという事だ。

  なるようになるしかないのか―――オレはまだ悩み付続けながらも、とりあえず委員長を撒きながら教室へ向かった。ていうかしつけぇよ堅物眼鏡女。























 「あ・・・」

 「よっ」

 「・・・・」



  昼の食事は食堂で一人で採った。またこれから微妙な学食の日々が始まると思うと虚しくなる。だが一緒に食える仲のヤツはオレにはいない。

  茜は雪村とか小恋と一緒に採るだろうし杉並はそもそもそんな仲で無い。近すぎず遠すぎずがオレ達の距離だった。いくら仲良くなってもこの関係は変わらない。

  そして侘びしく一人の食事を終えたオレは昼休みを屋上で潰そうと思い―――美夏とバッタリ会ってしまった。若干の居心地の悪さを覚えるオレ。しょうもなかった。



 「昼、どうしたんだ?」

 「・・・こ、購買のパンで済ませた」

 「そうか」


  美夏の顔を見ると泣き腫らした跡がある。おそらく一晩中泣いたのだろう。その跡を見るだけでオレは悲しくなった。美夏を泣かせたオレに腹が立った。

  美夏は何も悪くない、悪いのはオレだ。そう思っている。だが思っているだけでは何も解決にはならない。オレは美夏ともう一回話し合いたかった。


 「美夏――――」

 「み、美夏はもう行かなければならない・・・じゃ、じゃあな、『桜内』」


  他人行儀な呼び方―――心にズドンときた。思わず怒鳴りたい衝動に駆られる。今まで築いてきた絆が無かったような発言。

  走り去ろうとした美夏の手を思わず反射的に掴んでしまった。ビクッと震える美夏の体。オレは美夏が止まったのを確認してから手を離し話しかける。


 「なんで逃げようとするんだよ」

 「べ、別にそういうつもりじゃ・・・ない」

 「じゃあどういうつもりだったんだよ」

 「う・・・」


  知らずの内に責める口調になっていた。美夏は何も悪くないのに偉そうな態度を取ってしまった。浮気した最低野郎の癖に上から目線を取っている。

  オレは一回深呼吸した。肺に新鮮な空気を取り入れる。少しばかり気が高くなってしまったようだ。無理矢理押さえつける。


 「すまない。美夏は何も悪くないのにな」

 「そんな事は・・・・」

 「何もかもオレが悪いのに―――本当に最低だよオレ。お前だけを愛すると言っていた癖に他の女にうつつを抜かしていた」

 「・・・・・」

 「お前ともう一度話したい。ちゃんと腹を割ってな。今さらこんな事を言っても信じて貰えないかもしれないが―――まだお前の事が好きなんだ」

 「――――――――ッ!」

 「調子のいい発言だと自分でも思う。口ばっかりの男と思われても仕方が無い。けど・・・もう一度オレにチャンスをくれないか?」


  そう言ってオレは美夏の眼を見る。視線が合うと美夏は眼を逸らしてしまった。そして顔を下に俯き黙ってしまう。

  オレは美夏が答えるのを待つ。いくら時間が掛かっても構わない。何日だって待ってやる気分だった。ちゃんとした美夏の答えが聞けるなら・・・。

  少し緊張しているのか―――手が少し汗ばんできた。服で拭い取ろうと手を上げ描けた時―――美夏はポツリと言葉を漏らした。


 「もう・・・終わったんだ、私達」

 「・・・・・・・・・・・そう、か」

 「・・・じゃあな」

 「・・・ああ」


  そして今度は本当に走り去ってしまった。もう手を掴む気力さえ無い。終わった事・・・そう言われれば何も言えなくなってしまう。

  本当は追いかけたい。抱きしめたい。もう離したくない。そんな気持ちがあるにも関わらず体は思い通り動いてくれなかった。

  自分が想像した以上にショックを受けているようだ。そりゃそうか、あれだけ好きだと言っていたのに浮気なんかしちゃもう信じてくれないか。


 「自業自得・・・か、クソッ!」


  そして思わず壁を殴り付ける。手に鈍い痛みが痺れ渡る。だがこんな痛みでは苛立ちは収まらない。オレはそんな痛みに構わずガンガンと壁を殴り付ける。

  今まで優柔不断な態度を取っていた自分に本当に腹が立つ。何もエリカの事ばかりじゃない、茜の件だってそうだ。もう少し美夏の事だけに集中出来なかったのか。

  
 「・・・はは。もう終わった事か・・・チクショウ」


  まだ終わりたくなかった。これからもっと―――もっと楽しい事がある筈だったのに・・・無くなってしまった。オレが無くしてしまった。

  自分で自分の首を絞めてしまったオレ。どうしようも無かった。ただただ後悔するばかりであった。今後悔しても遅いというのに―――後悔の念は消えない。


 「・・・あんまり壁を叩き続けてたらさくらさんに悪いか。この学校はさくらさんの物だしな・・・」


  呟いて壁を殴る行為を止める。手を見ると少しばかり血が滲んでいた。自傷行為―――何の慰めにもならなかった。柄ではない自分の姿に思わず苦笑いする。

  こんな情けない男になっちまったのか、オレ。自分で自分を傷付ける行為なんて自己満足に過ぎない。本当は美夏の方が傷付いているというのに・・・。

  そしてオレは歩き出した。こんな所にいてもしょうがない。もう午後の授業なんて受ける気がしなかった。サボろう―――そう思い屋上へ歩く。

  午後の半日だけ、そう半日だけだ。半日ぐらいならさくらさんも許してくれるだろう。そう自分に言い聞かせた。思春期だしそんな事は誰にでもあるしな。

  なんの慰めにもならない事を考えながら歩いていると前から騒がしい集団が歩いてきた。生徒会、まゆき。今は絡む気分ではない。無視することにした。


 「ん? 弟君じゃん」

 「・・・・」

 「ありゃりゃ、無視?」


  空気読めよバカ女。そう思い脇を抜けようとして腕を掴まれた。思った以上の力で掴まれた。オレには反撃する気力があまりにも無い。立ち止まった。

  オレは顔をしかめながらまゆきの方に振り向く。そこにはいつもの小憎たらしいまゆきの顔があった。もう一度殴ってやろうか、この女。


 「どーこへ行くのかにゃ~?」

 「図書室に行くんですよ。もう少しで本校の生徒ですからね。勉強のし過ぎって事はないでしょう」

 「残念ながら風見学園はほぼエスカレーター式よ。そんな嘘付くならちょっとは私と会話しなさいよ」

 「エスカレーター式で上がる学校でも落ちるヤツは居ますよ。一割ぐらいね。そんな中に入ったらオレの母親代わりの人に合わせる顔が無い」

      
  腕を振りほどいた。多少その行動に驚いた顔をするまゆき―――演技だと分かった。すぐヘラヘラした顔になる。オレは思わずため息をついた。


 「何が目的なんです?」
  
 「だーかーら、会話よ会話。こういったちっちゃな会話は重要なのよ? 人間関係を円滑にこなすにはね」


 「生憎そこまで円滑な関係を築こうと思っていません。会話なら―――脇のアホ面をした連中としてください。媚びた発言をするでしょうから。
  オレと話しているより気分が良くなりますよ」


 「な、なにっ!?」

 「こ、この・・・・!」
   

  そう言うといきり立つ委員会の連中。しかしいきり立つだけで何もしてこない。精々身を乗り出すぐらいだ。オレは思わず笑ってしまった。

  よくさくらさんが見ている時代劇の連中と同じだ。威を借る狐そのものだ。誰も言葉で反論してこないし行動にも移らない。ただ怒鳴り声を上げるだけ。

  そんな連中と関わり合っても疲れるだけだ。オレは踵を返しそいつらに呆れた目を配りながらまゆきに話し掛けた。


 「あんまり使え無さそうな連中ですね。これじゃあまだそこら辺のガキの方が使える。物怖いしないだけね」

 「い、いわせておけば・・・!」

 「―――――弟君? この人達はね、毎日風見学園の為に頑張っている人達よ。貴方と違ってね。力を惜しまないで生徒会に協力してくれているわ」

 「当然でしょう。そういう事するために委員会に入ったんだから。オレが言ったのは使える使えないという話です。まだボケるのは早いですよ?」

 「・・・相変わらず口は一人前ね。なんなら貴方が手伝ってみる? 少しは私達の苦しさや苦労を味わってもいいと思うんだけど、どうせ暇なんでしょ?」

 「そうするとまゆき先輩の部下になるって事ですよね―――お断りしますよ。貴方の下に着いても何も得られる物が無さそうだ。バカそうだし」


  オレは手を広げておどけたポーズをしながらそう言った。まゆきはオレのストレートな言葉に若干眉を寄せるがすぐに平静な顔に戻った。

  さすがオレと何回もやりあってるだけあって挑発には乗らない。まぁみんなの手前カッコ悪い所は見せられないといったところか。果てしなくどうでもいいが。

  しかしこの問答も飽きてきた。オレは踵を返し歩こうとして―――殴られた。たたらを踏む程度であまり威力はない。オレは面倒な顔をしながら振り向いた。


 「何するんですか、アンタ」

 「う、うるさいっ! 挑発してきたお前が悪いんだ!」

 「ちょ、ちょっと貴方っ! 止めなさい!」


  まゆきはそう言ってその男の腕を掴むが、余程興奮しているのか目を此方に向けたままビクともしない。オレは呆れた目でソイツを見た。

  どんだけ興奮してるんだよ、こいつ。こめかみには血管が浮き出ている。もう周りなんか見えないと言った風だ。オレは手をブラリと下げて体の力を抜く。

       
 「別に掛かってきても構わないですよ」

 「こ、このや――――――」 

 「止めなさいって、言ってるでしょうっ!!」

 「――――――ッ!」

 「今のは手を出したアンタが悪いわよっ! それに、弟くんも挑発しないでっ!」

   
  おいおい、殴られたのはオレだぜ? 慰謝料取ってもいいんだぞこの野郎。まぁ面倒だからそんな事はしない。警察沙汰になっても逆に困るしな。

  男は「でもまゆき先輩がバカにされてオレは」とか抜かしてやがる。男らしいところを見せようとしたってのか? くだらねぇ、そんな芝居に付き合わせるなよ。

  しかし随分まゆきに御熱心な様子だな・・・もしかして―――そう思ったオレはからかう事にした。殴られ損てのも性に合わない。


 「なんだよアンタ。まゆきの事が好きなのか?」

 「なっ―――」

 「な、なにいきなり言いだすのよっ! それも私の事を呼び捨てに―――」 


  まゆきがギャーギャー騒いでいるが無視する。今はそんなことよりこの男の事だ。オレに言葉を投げかけられた男は絶句していたが―――すぐに顔を赤くした。

  おいマジかよ。この男が、まゆきに? よくそんな不細工な顔でそんな事考えるな。月とスッポンとどころじゃねぇぞ、オイ。何勘違いしてるんだこいつ。

  外見なんていかにも根暗そうだしファッションセンスも悪そうだ。オマケに眼鏡がその陰気な雰囲気に拍車を掛けている。どう考えても釣り合うような
 組み合わせでな無い。


 「あー諦めた方がいいよ、アンタ」

 「――――ッ! な、なんだとっ!」

 「まゆきな、杉並に夢中だからな。もう結婚してくださいと言わんばかりに」

 「な、な、な・・・・何いってんのよっ! アンタはっ!」

 「傍から見ればそう思うんですよ。本当になんなら付き合ってみてはどうですか? アイツなら器量もいいしカッコイイし意外と頼れますよ」

 「そ、そんな事は分かっ―――――いや、違う違うっ! なんでアンタなんかにそんな事・・・!」


  そう言って顔を赤くするまゆき。なんだ、やっぱり好きなんじゃねぇか。好きじゃないにしても嫌ってはいない様子だ。態度から丸分かりだしな。

  それを聞いた男はどこかオドオドした様子を見せ始める―――いい気味だ。


 「あいつにも同じ様な事を聞いたんですが―――なんて言ったと思います?」

 「―――――な、な、な、なんて言ったの?」

 「やっぱり気になりますか」

 「・・・・・・・! そ、そんな訳ないじゃ――――」

 「好きだと言ってましたよ。とても好ましく思っている女性だと・・・杉並は確かにそう言ってました」
  
 「ば、ばかなっ! そんな言う筈・・・」

 「~~~~~~っ!」


  オレがそう言った瞬間、男は信じられないという顔をして、まゆきは顔を真っ赤にして顔を完全に俯かせてしまった。やっぱり気があるんじゃねぇかこの女。

  まぁ嘘なんだけどな。今から嘘ですなんて言うのも面白くないし誤解させたままにしておく。やったな杉並、お前彼女出来そうだぞ。

  しかしもし結婚のスピーチを任されたらどうしよう。最初はライバル関係だったんですがライバル故に意識してしまってそして―――とか言うのか、オレ。


 「い、いい加減な事を言うなっ!」

 「あ?」

 「す、杉並は生徒会の敵なんだぞっ!」

 「まぁね」

 「まぁねって・・・だ、だからっ! そんな奴の事なんか好きになる訳ないっ!」

 「――――なぁ、アンタ。資格っていくつ持ってる?」

 「な、なに?」


  こいつも諦めが悪いな。お前なんか風俗に行って脱童貞するのが関の山っていう顔をしてるのにおこがましいぞ、まったく。

  まゆきはオレの一番嫌いなタイプだが顔と体は認めている。ぶっちゃけ男にモテそうな女って事だ。おそらくまゆきの性格だから
 こんなヤツにでも優しく平等に扱ったのだろう。そして勘違いしてしまったって訳だ。


 「アイツはいっぱい持ってるぞ。簿記、英検、漢検、計算実務能力、計算・思考能力検定、コミュニケーション能力検定
  医事コンピューター技能検定・・・確か全部で14個だっけかな? それも全部二級以上だ」


 「うそっ!? そ、そんなに・・・・・・」

 「だ、だからどうしたっていうんだっ!?」


 「わからねぇか? 要は出来る男って事だ。杉並の場合それが雰囲気に出ているし運動もバリバリ出来る。イケメンだし女の扱いも   
  分かってそうな感じだ。さて? アンタはどうかな?」


 「ぐっ・・・!」

 「まぁその代わり結構な奇人だが―――少なくともアンタよりはいい男っぽいな。大体そんな顔と体系でよく女にアプローチ掛けれるな」

 「うっ・・・・」


  何かパンチラ盗撮なんかしそうな野郎だし卑屈そうだしロクな男ではないだろう。オレとはまた別ベクトルなろくでなしだな、こりゃあ。

  男は顔を怒りで顔を真っ赤にさせている。おいおい、ここまで挑発したんだ――――する事は一つだろう。なんの為にオレがお前に構ってやってるんだ。


 「う・・ぁああっ!」

 「ちょ、ちょっとっ!」

 「―――――――やっと来たか」 


  男は余程プッツン切れたんだろう。やや目の焦点が合い過ぎている。周りなんか見えてないといった風だ。まぁ周りが見えていないのもオレも同じだ。

  実はさっきからオレも切れてんだよ。冷静なフリをしていたがもう我慢が出来なかった。殴りかかられた時点でもうオレはこいつを半殺しにすると決めていた。

  おそらく停学になるほどの騒ぎになる――――知った事では無い。半日だけ休むとさっきは言っていたが取り消しだ。もうこんな学校になんか居たくねぇ。

  美夏が脇にいなきゃ詰まらないし、面白くもなんともない。そこまでして学業に励むなんて真面目でもないしいい子でもない。ぶっちゃけ・・・自暴自棄ってヤツだ。


 「――――へぐぅ」

 「お、おとうと――――」 

 「おらぁ、立てよテメェっ! ぶっ殺してやるからよっ!」


  殴ってきた拳を掻い潜って頭突きを入れる。変な声を出してもんどりうって倒れる相手。だがそれだけではもちろん終わらない。無理矢理立たせて再度頭突き。

  それで鼻の骨が折れたのだろう、血が勢いよく飛び散る。その光景を見てヒッと小さな悲鳴を上げる役員達。なんだよ、お前らだってオレの事が嫌いなんだろう。

  だったらそんなトコにいないで来いよ。そう思いながら男の顔面に肘を入れる。血で濡れる服。それが更にオレを苛立たせた。


 「ちょ、ちょっとやめなさいっ! もういいでしょうっ!?」

 「も、もう勘弁し――――がァ」

 「何が勘弁だよっ! 舐めるのも大概にしとけよテメェッ! ああっ!?」


  そして更に脇固めを掛ける。形もクソもあったもんじゃない。あの路地裏の時よりも不格好だ。とてもじゃないが教えてくれたヤツには見せられない。

  形が崩れている理由――――引っ込んでいた棘が飛び出した、ただそれだけだ。前のオレより抑えが利かなくなっている。誰でもいいから殴りたい。

   
 「ぎゃ・・・ぁぁあああああああっ!!」

 「汚ねぇ声出すんじゃねぇよっ! この屑がっ!」

 「――――ハ」


  脇固めで喰らわせて体を痙攣している男の顔面を蹴りあげる。そして意識を無くしたのか泡を吹いている男。脇で誰かが座り込む音がした。まゆきだった。

  顔には男の飛び血がへばり付いている。そして生徒会のトップの役員という生徒を守る立場なのにその光景を呆けた目で見ている。なんだよ、だらしねぇ。

  まぁアンタは杉並の彼女になるっぽいし何もしねぇよ。オレは友人思いの良いヤツだからな。オレの事止めようとしたらブン殴るのは決定事項だが。


 「さて――――と」

 「・・・え」

   
  そして偶々オレと目が合った女子生徒がいた。運が悪いなぁ、こいつも。さっさと逃げてれば痛い思いしないで済んだのにな。
   
  とりあえず思いっきり裏拳を顔面に叩きこんだ。そしてまた鼻の骨が折れる小気味のいい音がした。悲鳴を上げながら俯く女子生徒


 「あーうるせぇよ、てめぇ」

 「オ、オイっ! やめろぉ!」

 「は――――」


  女子生徒の髪を掴んで下に引きずり込む。ちょうどいいところに来たな、オイ。そして顔に膝を叩きこむ。髪を掴んでいるので倒れる事も出来ない女。

  三回ぐらい蹴りを入れたのでもう意識なんか無くなったのだろう。人形みたいに脱力してしまった。髪を離すとドサッと音を立てて倒れてしまった。

  うわぁ、マジでつまんねぇぞ。もうちょっと手応えある所を見せてくれよ。生徒を守るんだからよ。宗道臣が言ってたじゃん、力無き正義は無力なりってな。

  辺りは思ったより血の海っぽくなってしまった。そりゃそうだ、みんな思いっきり血を流しているし。オレは掃除が大変だなと場違いな事を思っていた。

  そして騒ぎを駆けつけたのだろう――――音姉と由夢がこちらに向かって慌てながら走ってきた。オレが起こした騒ぎを見ると顔をサァーっと青くした。


 「な、なにしてるのよ・・・弟君」

 「・・・・・・に、兄さん」

 「あ」

 「え?」
  
  
  偶然――――由夢と目が合ってしまった。ああ、マズイなこりゃあ。体が勝手に動いちまう。オレは今とても冷静な顔をしているんだろう。

  だがもう頭の中には殴ることしか頭に入っていない。今まではこんな事は無かった。絶対に頭のどこかでは冷静な部分が残っていた。残していた。


 「ああ、由夢」

 「な、なに?」

 「ごめんな」

 「・・・は?」


  一応謝っておいたほうがいいのかもと思った。全然悪い気なんてしていないのにおかしい話だ。こうやって由夢の襟を掴んでいるっていうのにな。

  由夢は何が起こっているのか分からないのかキョトンとした顔をしている。こいつやっぱり顔可愛いな、ぐちゃぐちゃにしちゃうけど。

  そして足払いを仕掛ける。もちろん由夢は素直に倒れてくれた。昔から由夢は何気に素直だからな。さて、とりあえず腹に一発か。次に顔だな。
 

 「・・・グッ!」

 「ゆ、由夢ちゃんっ!?」

 「に、・・・兄さん・・・やめ――――」

 「大丈夫、一瞬だから」


  そして顔を思いっきり蹴り上げようとして――――オレは後ろに転んでしまった。音姉がオレに体当たりを仕掛けてきたからだ。もんどりうって倒れる二人。

  まぁこんなもんだ。冷静さを無くしたオレなんて。いくら年上とはいえこんなちっこい女に転がされるんだからな。情けないったらありゃしねぇ。

  そして必死にオレの上に覆いかぶさっている音姉のコメカミに拳をめり込ませる。すぐに意識を飛ばす音姉。あんまり恥掻かすんじゃねぇよ、まったく。

  しかしこの図はあんまり頂けない。男子生徒の上に覆いかぶさっている女子生徒という図だ。あんまり周囲に誤解されるのはアレなんで下から膝を突き上げてどかす。


 「・・・グッ・・・ケホ、ケホ」

 「・・・ね、姉さん・・・」

 「生徒会長なのにそういう行動取っちゃダメでしょ」


  そう言って腹を蹴り飛ばすと更にむせて咳をする音姉。しかしなんだな・・・もしかしてこれは家庭内暴力という奴か、一応。

  確か野外でも通用するんだっけかこの法律。まぁ知ったこっちゃないけどな。そんな事覚えている頭なんてふっとんじまった。


 「・・・くそっ!」

 「あ?」

  
  やけくそ気味にタックルしてくる男。というか逃げればいいのに・・・頭わりぃな。普通こんな状況みたら逃げるぞ。オレだったら見て見ぬフリをするね。

  とりあえず頭を脇に挟んで思いっきり捻りあげる。そして一瞬で落ちる相手。は? 弱ぇ。つーか音姉以下ってどうよ? 転ばせるぐらいしてみろよ。


 「・・・・・・義之くん」

 「――――今度は、茜か」

 「何してるのか・・・・・・な」

 「う~ん――――失恋のショック?」

 「・・・え?」


  あぁ、茜が来ちまったか。よく見れば後ろには雪村や小恋もいる。このメンツで一番度胸がある茜が話しかけてきたってわけか。とりあえずオレは男の首を離した。

  ストンと倒れる男の体。茜の所に行こうと足を歩かせるが男の体に足が引っ掛かってしまい転びそうになる。あっぶねぇな~、オレの親友の前で恥を掻かせるなよ。

  そして思いっきり男の腹を蹴っ飛ばす。壁の方に転がってようやく止まる。そしてたまらず男の口からは嘔吐物が吐き出される。うわ、マジで汚ねぇよオイ。

  後ろの二人は小さい声を上げて思わず後ずさりしていた。対してそれを見て多少顔を歪ませるが・・・一歩も動かない茜。さすがオレの親友だ。


 「茜、オレ達親友だよな?」

 「―――――――そうよ」

 「すまないが止めて貰ってくれないか? なんか体があんまり言う事聞かないんだ。ぶっちゃけキレちまってるんだ」

 「・・・・・・」


  そう言いながらもオレは茜に歩み寄っていく。茜はさっきまで動揺していた――――筈なのにオレの目を見据えて毅然とした態度を取っている。
 ああ、やっぱりコイツはいい女だ。

  これだけの惨状を見ながら逃げない。由夢と音姉が後ろで苦しそうに膝まづいている光景からして知人でも容赦しないって分かっているのだろうに。

  一歩、二歩――――駈け出した。オレは茜の方に向かって走っていく。もちろん蹴り飛ばす為だ。なのに茜は避けようとしない。おいおい、避けろって。



  そして当然の如く茜の腹に助走の付いた膝が決まり―――――――オレは倒れこんでしまった。




  あれ? なんで倒れてるのオレ? 立とうとしたが体が言う事を聞かない。まるで自分の体じゃないみたいに感覚が掴めない。

  やっと手をついて頭を上げようとして・・・茜に頭を踏みつけられる。なんでオレがM役なんだよ。お前の専売特許だろソレ。


 「反省しなさい」

 「あ――――」


  首筋にヒンヤリした感触がした。そして何か弾ける音がしてオレは気を失った。そうか、そうだよな・・・今の世の中物騒だもんな。護身武器ぐらい持ち歩くよな。

  にしてもスタンガンかよ、初めて食らったぞオレ。まぁ何事も経験だ、これで耐性が付いたかもしれないし次からは食らっても一撃で倒れる事はないだろう。



  何にしても―――――――起きた時、大変だわコレ。まずさくらさんに謝って・・・・・死ぬほど・・謝って・・・音姉・・と由夢にも・・・謝・・・・・・・・



























 
                



[13098] 18話(後編)
Name: 「」◆a0acf341 ID:ca9a3abf
Date: 2011/01/06 23:00














 「最悪だ」

 「人の顔を見るなりそれはないんじゃないか、桜内よ」


  起きてまず目に飛び込んできたのが杉並の顔だった。途端に腹が立つオレ。何が悲しくて起き抜けに野郎の顔を見なくちゃいけねぇんだよ。

  もそもそとベットから背中を起こして杉並と対峙する。首に違和感―――廊下の出来事を思い出す。スタンガンを首に押しつけられたんだよな。


 「あーくそ、首がいてぇ。まさか茜の野郎にやられるとはな。それもスタンガン」

 「自業自得だ。あれだけ暴れたのだからな。後で確認して分かったんだがスタンガンの出力は最高だった。いい女友達を持ったな」

 「まったくだ。あれだけ綺麗で度胸を持った女はなかなかいない。少し惜しい気もするよ、振ってしまった事をな」

 「まぁな。それで聞いた話なんだが――――美夏嬢と別れたそうだな」

 「・・・・・・」


  起こした背中をまたベットに倒す。よく干しているのか分からないが小気味のいい音を立てる保健室のベット。寝っ転んで目を閉じた。

  そのオレの様子を見てため息をつく杉並。片目を開けて杉並を少し睨んだ。なんでオレが杉並なんかに呆れられなきゃいけねぇんだよ。


 「美夏嬢と別れた腹いせに暴れたってところか。今回の騒ぎ―――肝を冷やしたぞオレは」

 「そりゃお優しい事で。別に退学処分になっても構わねーんだけどな。勉強なんか通信制で出来るし」

 「あれはあれで金がまたかかる。高校三年間通うより金額は確かに掛からないがあまり響きはよくない。通信制で高校までの学業を修了、とな」

 「そうかよ」

 「それで―――原因は何のだ。本当に別れた腹いせだったのか?」


  正解とも言えるし不正解とも言える。確かに美夏と別れたことで自暴自棄になった感は否めない。そもそもオレは暴力的な人間だ、その件が無くても暴れたろう。

  だが美夏がいなくなったことで歯止めが少し効かなくなっている。音姉と由夢―――謝らなければいけないと思った。


 「さてな。なんにしても暴れるつもりだったが正直やりすぎたとは思っている。そこまでオレは暴力的な性格ではなかったと思うんだが」

 「あそこの場に居た者は大体が病院送りにされている。朝倉姉も少し骨にヒビが入っているという情報を聞いた。治療費―――芳野学園長が払うそうだ」 

 「あー・・・。さくらさんに謝らなくちゃなぁ。てか家追い出されるかもしんねぇー・・・。明日から家無き子かぁ」

 「お前の処分は停学二週間だそうだ。そもそも先に手を出してきたのは委員会の人間だ。まぁそれでも学園長の私情はかなり入っていると思うが」


  二週間―――ふざけた期間だ。あそこまで暴れておいて退学にはならず、あまつさえ極端に短い謹慎処分。オレは思わず笑ってしまった。

  まぁこっちで暴れたのはこれが初みたいだし、杉並が言った通りさくらさんが頑張ってくれた結果だろう。本当、大事にされてるよなオレ。


 「そうか。まぁなんだっていいや。オレは後もう少ししばらく眠るとするよ。まだ首がヒリヒリするからな」

 「ふむ。原因は結局話させてもらえないわけか」

 「そんなもん分かるかよ。ただ腹が立って暴れた、それだけだ。それ以上もそれ以下もない」

 「――――――そうか」


  そう言って杉並は立ちあがる。オレは相変わらず寝っ転んだままだ。首は痛いし布団はふかふかだし起き上がるのも億劫だ。

  オレはそのまま再度寝ようとして―――杉並に声を掛けた。ちょうど杉並はドアに手を掛ける直前だった。


 「もしかして・・・オレ達の友情に亀裂が走ったかな?」

 「・・・フッ」


  笑って杉並はこちらの顔をみる。表情はいつも見るニヒルな顔つきだ。こういった皮肉気に笑う所はいかにも杉並らしいと思う。

  そして両腕を組んでいつものポーズを取りオレに喋りかけてきた。オレはその言葉を両目を瞑ったまま耳を傾ける。


 「桜内は女の世話までしてくれる友人だ。仲が深まるにしても亀裂が走る事などあり得ない」

 「なんのことだ?」

 「まゆきの事だ。お前が暴れている現場に駆け付けた時まゆきは放心状態だった。知らない仲ではないのでアフターケアなぞしてみたんだが・・・」

 「へぇ、お前らしいというか意外というか。優男な部分がやっぱりあったんだなお前は」


  目を瞑ったまま笑ってやった。笑われた杉並は幾分か眉を寄せて不機嫌な表情を作る。見てはいないが雰囲気で分かった。


 「言ったろう、知らない仲ではないと。現場は廊下一面が血の海だしまゆきソレが作られたいきさつを見ている。放っておくほど俺は無感情ではない」

 「さいですか」

 「そして色々まゆきと話をしている時にこう言われたのだ。『桜内が言っていたんだけど、杉並は私の事を好きなの?』、とな」

 「おーあの男気溢れるまゆきがそんな台詞を吐くとは意外だ。それで―――返事は? お前はなんて返事したんだ?」

 「嫌いではないと言っておいた」

 「カァーッ! お前ってヤツはっ!」 


  この男はっ! そんな優柔不断な態度なんか取りやがって・・・! オレじゃねぇんだからさっさとくっ付けよな。そしたらオレが面白くなる。

  あの杉並に特定の女が―――そう考えるだけで愉快だ。面白い、面白過ぎる。その時ばかりは非公式新聞部に入ってもいい。記事作成なんか特に任せろ。

  そんなオレの考えなどお見通しなのだろう。杉並はまたため息をついて今度こそドアを開けた。その背中にオレは言葉を投げかけた。


 「―――なんかよ。色々済まなかったな」

 「・・・なぜ俺に謝る?」

 「ん、一応だ。オレが謝るなんて滅多に無いんだから素直に取っておけ。増えても減りはしないんだから」

 「何の話だ?」

 「お前への借りだよ。あまりにも増えすぎた。思わず借金に苦しんで死にそうだよ、マジで」


  なんにしても―――色々心配してくれたのであろう。言葉の端々からはそれが感じられた。こんなオレなんかの為になんか心配する必要なんてないのに。


 「でも絶対返すつもりだ。それまで高笑いして待ってていてくれ」

 「俺がそうしていたらお前は必ず俺の事を殴るだろうな。生憎だが俺は殊勝な人間だ。前も言ったが、気長に待つとしよう」

 「そうかよ」

 「この件に限った事ではないが―――あまり無茶はするな。借金抱えられたまま刑務所に入られたら堪らんからな」

 「ああ」


  そう言って杉並は今度こそ出て行った。まぁ確かにそうだわな。借金抱えたままムショになんか入られたら堪らないだろう。特にこういう形に残らないモノはな。

  人間関係を円滑にする為には貸し借りを常に0にしておくことだ。そうすれば引け目や優越感など感じないし険悪な雰囲気にもならない。

  刑務所なんかに入ったらそれが増す一方だ。返せるモノも返せなくなってしまう。要は人間関係が壊れると言うことでもあり―――杉並はまだオレの事を友と思っている訳だ。

  それがなんか少しばかり小恥ずかしい気分になる。ああ―――本当にオレは人間関係に恵まれてきたなぁ。こっちの世界に来てからそれはすごく痛感していた。

  前の世界ではこんなに人と触れ合った事など無かった。いつも遠巻きに見られていた。杉並にしてもここまでオレとは関わろうとしなかったし喋りもしなかった。

  この世界の奴らが変わっているのか、それともオレが変わったのか分からないが・・・・・・悪い気分はしない。そう思い、オレは布団を深く被り再度寝なおした。



























 「あら、起きたの」


  オレは目を覚まし背中を起こすと水越先生に話しかけられた。いつからいたのかは知らないがどうやら書類整理をしているらしい。書く手を休めてこちらに向き直る。

  少し気まずいかな―――オレは水越先生の顔を見てそう思った。美夏との件の事だ。結局美夏の事を泣かせてしまったし、ちゃんと面倒なんかみる所の話では無い。


 「おかげさまで。いいベットですね、これ」

 「ただの安物よ。保健室にあるベットに学校がお金を掛けると思う?」

 「そうですね。けどふかふかしていい気持ちで眠れましたよ」

 「よく干しているからね。それに―――あれだけ暴れたのだから疲れてたんじゃないの? みんな病院送りにするほどね」


  そして鋭い視線を投げかけて来る先生。当り前の話だが例の件は聞いているらしい。あれだけ派手にやったんだから学園中でも噂になっているに違いない。

  オレは目を逸らしまたベッドに沈む。ふかふかのベッドが本当に気持ちいい。しばらくこの余韻に浸りたい気分だ。しばらく学校なんて来れないしな。


 「貴方の事は確かに不良かなと思っていたけど―――それ以上だわ。まさか女の子を殴るなんてね」

 「返す言葉が無いです。普通なら殴りませんもんね。まぁ・・・別に殴ったって何も思わないですが」

 「――――そう。その調子で美夏の事も泣かせたのね。大した男だわ。別れたんでしょ? 貴方達」

 「・・・・・・」


  それこそ本当に返す言葉がないと思った。オレは顔に手を当て目を閉じる。思い出すのは美夏の笑った顔と泣いた顔。どっちも自分が引き出した感情だった。


 「あら、ダンマリ?」

 「何も言えませんよ。事実ですから」

 「・・・そうやってのらりくらり躱している態度が非常に腹立たしいんだけど、ね」

 「別に躱していません。けど―――水越先生にはそう見えたんでしょう。すいません」

 「・・・・・・美夏の事はどうするつもり?」

 「どうするもなにも―――オレは美夏に振られたんですよ?」

 「えっ?」


  オレがそう言うと驚きの顔になる先生。なんだ、知らなかったのかよ。てっきり知ってるもんだと思ってたぜ。

  顔に乗せている手をどけて先生の顔を見る。説明なんてめんどうくさいことは本当はしたくないのだが・・・バイトの件もあるし全部言う事にした。

  このまま監視的なバイトを続けさせてもらえるのかそれとも代わりになる人物を探すのか。美夏との関係を解消された今、それが気がかりだった。


 「まぁ全部オレのせいなんですけどね。オレが他の女の子にも目移りしちゃって―――どうやらそれが美夏にバレてしまったみたいです」

 「・・・・浮気ということ?」

 「オレはそんなつも――――りだったんでしょうね。すごいアプローチを掛けて来る女の子がいたんです。けどそれをオレは跳ね除ける事が出来なかった。
  なぜならその女の子に一目惚れしてしまったからです。けどオレは振りました。美夏の事が大事だから。でもその子はオレの事を諦めきれなかったみたいです。
  美夏と付き合っていると分かっているのに更に激しい感情をぶつけてきました」

 「・・・・・」


  今でも思い出すエリカの泣いた表情。悲しそうに揺れる瞳。結局オレは二人を泣かせてしまっている。

  本当にロクでもない男だよオレは。甲斐性無しにも程がある。オレなりに頑張ってフッ切ったつもりなんだが・・・それがこの有様だ。


 「そして先日、完璧に振りました。オレが不甲斐無いばかりにすごい時間が掛かってしまいました、けれどその子は諦めてくれました」

 「・・・そう」

 「でまぁ、これからは美夏との楽しい日々が始まるかと思ったんですが―――そうはいかなかったみたいです。どうやら美夏の耳にその事が入ったみたいで」

 「・・・はぁ~貴方って人は。本当に女をたらしてどうするのよ」

 「そんなつもりでは――――」

 「貴方がそんなつもりでなくても客観的に見ればそう見えちゃうのよ。大方気のあるそぶりなんか見せたのでしょう?」

 「・・・・・・まぁ、はい」

 「はぁ~~~~~~・・・・」


  それからオレは先生に少しずつ起きた事を話し始めた。茜、杉並以来かこの話をするのは。その二人以外に話をする事は少し躊躇われたが、場合が場合だ。

  一応この人が親代わりでもあるわけだし美夏はロボットだ。何が原因で動作不良なんか起きるか分かったモノではないしオレもそんな事は望んでいない。
 
  オレがエリカとキスを何回かしていると言った時、先生はものすごい顔をしていた。まるで人質を殺された親族みたいな顔つきだ。少し怖かった。

  そして最後まで話し終えたオレは一息ついて天井を見る。あーあ、話しちゃったよ全部。まぁしょうがねぇっちゃしょうがないか。


 「・・・何か引っ掛かるわね」

 「何がです?」

 「一緒に学校へ行った時には普段通りだったわけよね? いつも通り手なんか繋いじゃって」

 「・・・・なんで知ってるんですか?」

 「だって貴方達は研究所でも手なんか繋いでるじゃない、まったく。ここはお前らのデートスポットじゃねぇっていう話なのに」


  おっと脱線しちゃう所だったわね。そう言って先生は話を続けた。というかそんな風に見られていたのか。もう少し自重すべきだったか。


 「そんなに仲よかったのに帰る頃には態度が急変していた。そういう事よね?」

 「まぁ、はい。多分噂か何か聞きつけて――――」

 「噂なら確かめる筈よ。本当に浮気しているのか、義之は本当にそんな事しているのかって」

 「・・・・・」


  そうだ――――考えればおかしい話だ。別に現場を見たと言う訳でもないし、オレがそういう話をした訳でもない。帰る時には態度が急変していた美夏。

  学校で何かあったのかは間違いない。その噂を聞いたとしても、急にあの態度になるのは美夏らしくない。美夏の性格なら直接オレに聞いてくる筈だ。

  なのに聞いてこなかった。聞こうとする素振りさえ見せなかった。茜かエリカに直接聞かないとそんな態度・・・・・・・・・・・・ああ、そういう事か。


 「・・・・・・・・・・・・・・・・やりがったなあの女」

 「え?」


  オレは布団を跳ね除けてベットから降り立つ。先生は怪訝な顔をしてその様子をみているが構いはしない。オレは色々ありがとうと先生に言って部屋を出る。

  そして深呼吸―――また感情的になってはダメだ。冷静に、冷静に話をしなくてはダメだ。しかしそんな事を思っていても腹の中は煮くり返りそうだった。



  「こんな事オレが言うなんておこがましいが――――――裏切られた気分だ」


 
   そう、確かにおこがましい。散々人の気持ちを弄んできたオレが言うのなんてあまりにもおこがましい。どれだけ涙を流させたなんて分かったもんじゃない。

   あの時彼女は言った。友達になってくれと。それが嘘だと分かりオレは少なからずショックを受けていた。オレを騙していて、あまつさえこんな真似をするなんて。

   確かに茜みたいなタイプは少ないだろう。惚れていた人と友人になる―――そんな真似を出来るヤツなんて世界でも一割に満たないとオレは思う。

   だが美夏の事を泣かせたのは許せない。帰り際の美夏の顔、思い返せば涙の跡があった。そして激情に捕われているであろうエリカ。どんな行動をしたかなんて
  考えたくもない。考えたらきっとエリカにオレは酷い事をしてしまうだろう。

   とりあえず話し合おう。また感情的になっちまえば話なんてとてもじゃないが出来やしない。ただでさえ昼間の件でオレは気に病んでいたというのに。

   家族同然の女を足蹴りにし、新しく出来た親友に手を出したオレ―――表面上は冷静な態度を取っているが罪悪感で心は埋め尽くされている。こんな感情は初めてだ。


  「許して貰おうという都合のいい考えなんて・・・しないけどな」 


   土下座してもいいなんて考えまで出てきている。良くも悪くも変わり過ぎた自分。理由は分かっている。美夏の影響のせいもあるがもっと根本的な問題。

   確証なんてものはないが最近のオレらしくない行動―――人に優しくしたり行き過ぎた暴力行為。確実にソレだとオレには分かっていた。感覚的にもおそらく
  まちがっていないだろう。

   だが今はそんな事は後回しだ。エリカ――――どういうつもりなのかハッキリさせてやる。もう友達なんていう感覚はしなかった。


























 「よう」

 「あ、お疲れ~義之くん」


  帰る途中に茜達に会った。どうやらこれからどこかへ行くみたいで雪村や小恋達と一緒だ。茜以外の二人はオレの顔をみて表情を強張らせている。

  まぁしょうがないか。あれだけの事をしでかした現場にいたのだから。茜が止めてくれなければこの二人にも危害を加えていたに違いない。


 「今起きた所なのぉ?」

 「まぁそんな所だ。しかしスタンガンてすごいんだな。まるで体のいう事がきかなかった」 

 「高かったんだよぉ? まぁどうせ買うならちゃんと実用的に使える物がいいしねぇ。義之君でその効果が分かったから悪い買い物じゃ無かったわぁ」

 「あんなの体の一部にでもカスっただけで動けねぇよ。ここ最近、喧嘩で膝をついた事なんかねぇってのに・・・大した女だよ、お前」

 「えへへ~」

 
  何が嬉しいのか微笑みの表情を作る茜。それに対して小恋がちょっとと声を掛ける。茜はその言葉に首を傾げながら振りかえる。何故止められたのか
 分かっていないみたいだ。

  まぁ普通は喧嘩した相手と直後にここまで和やかに話すのは無いわな。それに相手はオレ。何をしでかすか分かったもんじゃない。

  小恋はオレの顔をチラッと一瞥してそのようなニュアンスの言葉を茜に投げかける。その言葉に茜は笑った。


 「大丈夫だってぇ~。義之君が止めて欲しいって言ったから止めたんだからぁ。私は全然悪くないもんねぇ~」

 「た、確かにそうだけど・・・」

 「別に何もしねぇよ。むしろ感謝したいぐらいだ。あの時はすごいキレてて自分では止められなかった」

 「もう目がイっちゃってたもんねぇ~、怖かったわぁ」

 「・・・そんな感じはしなかったけれどね」

 「あーヒドイんだぁ杏ちゃん。私は杏ちゃん達を守るのに必死で戦ったんだよぉ? このキラーマシン相手に」

 「・・・ああ、電流で痺れて動かなかったってそういう――――」

 「いや、うっせーよ」


  雪村はこの固い雰囲気を壊すかのように冗談っぽく呟いた。オレは苦笑いしながら雪村の頭に手をポンと乗せる。ビクつく雪村の体。

  そんなに心配しなくてももう暴れたりはしない。殴られたら話は別だが。なんにせよ昼間みたいな事はもう懲り懲りだ。

  しかしこいつ美夏に劣らず背が小さいな。ちゃんと飯食べてるのかよ。茜と比べれば月とスッポンだぞ。


 「ちゃんと飯食べてるのかよ、雪村」

 「・・・ほどほどにはね」

 「ふーん」


  そう言いながら頭を撫で撫でする。あーなんか心地ええ。なんだか猫を撫でている気分に駆られる。雪村ってなんか小動物っぽいしな。

  髪もちゃんと手入れが行き渡っているのか透き通っている。そして感じる視線―――茜がこちらをジーッと見ていた。


 「また義之君が女の子を手籠めにしてるぅ~! 美夏ちゃんに言いつけてやるからねぇ!」

 「別にそんなつもりじゃねぇよ」

 「・・・よ、義之?」

 「なんだよ雪村」

 「あ、貴方ってこんな事をいつも女の子にしてるの?」

 「ん?」


  今の体制―――雪村の肩に手を置いてこちらに抱き寄せていた。ピッタリくっついている雪村の体。故意的にやった事ではなく無意識での行動だった。

  ちょうど美夏ぐらいの背丈で思わず引き寄せてしまった。オレは慌てて雪村の体を離した。


 「あ、わ、悪い雪村。そんなつもりじゃなかったんだが・・・」

 「べ、別に謝る事なんて無いわよ」

 「ジー・・・」

 「あんまり痛い視線を投げかけないでくれ、小恋。悪気は無かったんだ」

 「へっ!? あ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけど・・・あ、あはは」

 
  小恋の痛い視線を感じてオレはそう喋りかけた。小恋はどこか誤魔化すような笑みを浮かべている。雪村は頬を赤く染めながらそそくさと離れてしまう。
 
  その様子を見ていた茜からはため息交じりの言葉を掛けられる。本当に懲りてねぇのかよオレは。そしてどんだけ美夏の事恋しがってるんだよ。


 「あんまりおイタしちゃだめよぉ~義之くん?」

 「分かってるよ。すまなかったな雪村も」

 「・・・別に構わないわ」

 「そうか。今度からは気を付けるよ」

 「―――変わったわね、貴方」

 「あ?」


  そう言って雪村はオレの眼を見た。まるで何かを見通すように。


 「いえ、変わり過ぎだわ。ここ最近の貴方はは急に暴力的になった。さっきの昼間の件だって異常だと思ったもの」

 「まぁ、正直・・・やりすぎた感はあると思っているよ」

 「そんな事が起きた直後なのにも関わらず今は殊勝な態度を取っている。感情の浮き沈みが激しすぎるのよ、貴方」

 「――――水と油って混ざり合わないっていうけどさ、結局混ざっちまうんだよな。すごく時間がかかって色々な科学反応みたいなのを起こしながらな」

 「え?」


  そう呟いてオレの事を呆けた目で見ている雪村。そりゃそうか、いきなりこんな訳の分からない話をされたら普通こんな反応だよな。

  しかしオレとしてみれば雪村の疑問に答えた形になる。オレなりの答えだけどな。別に全部を全部言う必要はないだろう。面倒だし言う義理も無い。



 「まぁそんな事もあったせいか―――美夏と付き合える事が出来たんだから悪い事ばかりじゃない。結局別れちまったが」

 「えっ?」

 「ちょ、ちょっと待ってよ義之くんっ! あ、天枷さんと別れたってどういう事なのぉ!?」

 「よ、義之が付き合ってるって・・・それも別れたって・・・え? え? ええっ!?」


  オレがそう発言すると各自色々な反応を返してきた。というかやかましいよお前ら。女の叫ぶ声ってなんでこんなにも耳障りなのだろう。

  あんまりそういう声って好きじゃないんだから黙れっての。というか茜はオレの服を離せ。伸びるだろうが。


 「どういう事って・・・言葉通りの意味だよ」

 「なっ!? 意味が分からないわっ! あれだけ天枷さんは義之の事が好きだったのに―――――」

 「オレに愛想が尽きたんだと。どうやら美夏とオレが付き合ってて面白くない人物が居たらしい。オレ達の事を別れさせた奴がいるんだよ。多分だけどな」

 「だ、だれよその人っ!?」

 「お前も心当たりのある人物だ。オレと美夏を別れさせてオイシイ思いをするやつ」

 「そんなの知ら―――」    


  茜はそこまで言いかけて気づいたのだろう。何やら顔を伏せて考え始めた。雪村達はオレ達の話に付いて来れず置いてけぼりをくらった形になっている。

  落ち着かない様子でソワソワしていた。いきなりオレなんかみたい奴に彼女が出来て、それも別れていると言う飛躍っぷり。それも陰謀論付きだ。

  小恋がなんでテンパっているか分からないが―――雪村はどこか納得した表情になっている。美夏と一緒にいるところ見られたもんな。


  「あ、あ、あんの金髪~っ! とうとうやらかしたわねぇ~!」

  「とうとうって―――そんな風に思っていたのか、茜」

  「あったりまえでしょぉ~!? 素直に引き下がる訳ないと思ってたのよ私っ! もう義之くんを奪うなら何でもするって感じだったしあの女はぁっ!」


  そう叫ぶ茜。オレより多分怒っているのかもしれない。オレは多少引け目を感じているのでそこまでは怒っていない。いやそれでも人生の中でベスト5に
 入るぐらい腹は立ってるけど。

  「まぁ、そんなこんなでその金髪お嬢さんの家に行く途中って訳だ」

  「だったらこんな所で油売ってないで行きなさいっ! もうボコボコにしちゃっていいからっ!」

  「・・・いや、さっきの今でそんな気分はしねぇよ。ちゃんと話し合いで解決するつもりだ」

  「あの女が話し合いで解決出来る程の器量の女だと思う!? ほら、さっさと行って取っちめって来なさい」 


  そう言ってオレの事を手でグイグイ押す茜。その様子をまたもや雪村達は呆けた目で見ていた。流れが急過ぎて話についていけないんだろう。

  それにしても茜はエリカの事を余程嫌いなんだなぁ。廊下でも一触即発だったし。今なんてオレの代わりに殴り込みに行くと言わんばかりの表情だ。

  オレは雪村達にそこそこ別れの挨拶を済ませて茜に押し出されるように小走りをし始めた。後ろからはブン殴っちゃえという言葉を投げかけられながら。

  あまり暴力で解決したくないんだよな、この件に関しては。そもそもの問題はオレにある訳だし。一応思いっきり皮肉を浴びせようとは思っているけど。

  美夏の事は出来るだけ考えないようにしておく。少しでも思い出したら茜の言うとおりの行動をしてしまうかもしれない。それはしたくなかった。

  なんにせよ―――まずはエリカと会おう。そして色々話をする。オレは感情的にならないようエリカとの段取りを考えながらそう心掛けた。 































 「ふふっ、義之が自分から私の部屋に来てくれるなんて・・・珍しいわね」

 「・・・」


  そう言ってエリカはオレの目の前にお茶を置いた。お茶を入れる動作はいつも入れているかのようにスムーズな動きだった。

  オレはそのお茶に手をつけないで本題に入る事にした。ただでさえエリカの部屋に長居はしたくない。まだオレの心にはエリカに対する
 気持ちが残っていたからだ。


 「・・・美夏に何か吹きこんだろ、お前」

 「・・・・・」

 「黙っていないで――――」

 「そんなことより私とお話しましょう。義之ったら友達の癖に私の部屋に遊びにきてくれないんですもの」


  そう言ってオレの隣にエリカは座り込んできた。顔は嬉しくて堪らないといった表情で腕なんかを組んできた。


 「友達は腕を組んだりなんかしない」

 「私の国では友達でも腕を組んだりしますのよ? 別にいいじゃない」

 「生憎ここは日本だ。郷に入りては郷に従えという素晴らしいことわざがこの国にはある―――離れろよ」

 「ふふ・・・いーや」


  そして更に腕に力を込めてくるエリカ。ワザとではないのかそうなのか―――いや、きっとワザとなのだろう。胸をオレの腕に当ててきている。

  オレは振りほどこうとしたがいやいや言いながら一緒に揺れるエリカ。放っておく事にした。


 「義之ったら彼女が出来てから私にあまり構ってこないんですもの。寂しかったですわ」

 「友達ならいくらでも構ってやるさ。友達ならな」

 「・・・どういう意味ですの?」

 「お前、本当にオレの友達になったのか? もう一度聞く、美夏に何か吹きこんだな?」

 「・・・知りませんわ」


  プイっと顔を背けるエリカ。そんな態度を取っていてはしたと言っているようなもんだ。消去法でエリカじゃないとすれば茜が美夏に何か吹きこんだ事になる。

  しかし茜はそんな真似はしない。そこまでオレは茜を信用しているし本当に友達だと思っているからだ。茜はオレと美夏を応援してくれていた。

  それは演技かもしれないし嘘の発言かもしれない。だが茜をオレはとても信用に値する人物だと思っている。何も確証はない―――だが信じさせる何かを持っていた。


 「悪いがお前の事をいまいちオレは信用出来ていない。美夏に何か吹きこんだ事を黙っていた事にしてもそうだ。
  別に誰だって隠し事の一つや二つある。別にそれを無理に聞きだそうとは思っていない。だがお前の今までの
  行動から察するにこれだけじゃ終わらないだろう。最近のお前は見境が無くなる事が多い。今後の付き合い方
  を考える必要があるな」

 「・・・・・」


  主に美夏とオレが付き合い始めてからその行動に余裕が感じられなくなってきてはいた。茜との怒鳴り合いでも杉並との件でもだ。

  オレの事しか見えていない―――杉並は確かにそう言っていた。オレもそうだと思うし愛される事に関しては感謝したいぐらいだ。

  だが、限度というものがある。エリカのソレは行き過ぎた行為だ。オレの事はどうにだってしていい―――美夏の件でオレはエリカの事を
 許せなくなっている。  


 「――――――そう、私の事を信用していないのね。義之は」

 「あ・・・」


  そう言って悲しげに顔を伏せる。演技だとすぐに分かる。その震える肩も悲しげに揺れる目も全部―――――作り物だ。

  だがそんな作り物にオレは弱かった。ギリッと歯を噛み締めた。ここで弱気になったんでは何の為にここまできたか分かりはしない。

  目の前に置かれているお茶を一口飲んでオレはエリカの方に向き直った。


 「・・・そんな目をしても無駄だ。悪いが金輪際お前とは口を聞きたくない。こんな真似をするヤツなんか―――ダチでもなんでもねぇ」

 「―――――――――・・・・・・・」

 「邪魔したな。オレは帰るよ」


  そう言ってオレは立ち上がる。いや、立ち上がるつもりだった。立ち上がれなかった。エリカがオレの事を押し倒してきたからだ。

  そして唇に感じる柔らかい感覚。キスされたんだとすぐに分かった。エリカは口付けをそっと離し、オレの顔を覗き見る。


 「ねぇ。義之って天枷さんと別れたのよね」

 「だったらなんだ」
  
 「昼間の件ってもしかしてそれが原因?」

 「そうとも違うとも言える。だがお前には関係の無い話だ。そこをどけ―――――」

 「私、義之の事を愛しているわ。何度も言ってるけど手放したくないと思っている。このまま私から離れるというのなら―――そうね、死ぬわ」


  エリカはそう言って立ちあがった。死ぬって・・・冗談もほどほどにしてもらいたいもんだ。大概そう言うヤツに限ってビビって何もしない。

  オレはエリカがやっと退いたので帰る事にした。いつまでも付き合っていたらエリカのペースに巻き込まれる。そうなったらいつものなぁなぁな空気になる。


  義之―――そう言われてオレは振り返りった。エリカは手にはナイフを持ち、持っていない手の手首の動脈にあてがっている。オレは少しため息混じりに深呼吸した。



 「・・・なんだよ。死ぬのか、お前」

 「ええ。義之が相手にしてくれないっていうなら死んでも構わないわ」

 「死んだらお前の国ではすごいスキャンダルになるな。『姫さまの自殺、日本国の対応は如何にっ!?』ってな」

 「――――――別にもうどうだっていいのよ、そんな事。義之がいなくなったら意味が無いから・・・」


  少し・・・・・・見誤っていたかもしれない。オレは一応いつでも取り押さえられる体制を取る。重心を低くしてすぐダッシュ出来る体制を作った。

  あの誇り高く自国を愛しているあのエリカの発言とは思えない。いつでもエリカは自国を愛している様に話していた。その度にオレは適当な相槌を打っていた。

  しかし心のどこかでそれを少し尊敬していた。自分よりも年下ながらも本当の貴族の様に振る舞い、王としての威厳に満ちていた。憧れといってもいい。

  だが今のエリカにそんな面影はどこにもない。オレの前にはただただ悲しそうに立っている女の子がいるだけだった。


 「・・・悪いがそんな事をしてもオレはお前を引き留めたりしない。構ってちゃんの相手をするほどオレは優しくない、知っている筈だ」

 「いいえ。義之は本当は優しい人間よ。今だって私を見捨てないで帰らないでいてくれる。絶対に義之は私から離れないわ」

 「随分余裕だな。というか――――――さっさと切ればいい。その手首をな。あんまり頭に来る行動はしないでくれ。オレは別にお前が死んだって構いやしない」

 「・・・・・・・・」
  

  なまじ構うからこんな行動を取ったとオレは見ている。無理を言えばこの人は私の言う事を何でも聞いてくれる――――舐められていると言ってもさしつかえない。

  そんな行動を取るエリカに頭にきながらもオレは冷静にエリカの様子を窺う。切れる筈が無い。エリカは本当は小心者の筈だ。そんな度胸ある訳が無い。


 「そこまでしてオレなんかを引き留めてくれる気持ちは嬉しい―――が、気持ちだけ受け取って置くよ。もちろんその気持ちに対して何も返さないけどな」

 「――――――そう。残念だわ」

 「ああ、じゃあな」


  多分これで最後の会話になるだろう。学校ですれ違ってもオレは絶対に話しかけたりしない。好きな気持ちは確かにまだ心にはある。

  だがオレの中ではエリカとの事にはもう決着が付いている。美夏の言葉ではないが―――もう終わっている事だった。そして今度こそオレはドアを開けた。






 「じゃあね、義之」







  そう言ってエリカは、なんの躊躇いも無く、自分の手首を掻き切った。直後まるで壊れたホースのように血が噴き出した。一瞬にして廊下は血に染まった。







  「お、おいっ!! エリカっ!!」


  反応―――出来なかった。普通は自分の手首を切るのには抵抗がある筈だ。人間の防衛本能と言ってもいい、一瞬だけだが人間には硬直出来る時間が
 出来るようになっている。

  だがエリカにはそれがまるで無かった。朝起きて欠伸をするか如く当然のように手首を切った。反応する時間なんてまるで与えられなかった。


  「・・・ふふっ、ほらね、義之はちゃんと、来てくれ、た」

  「こんの馬鹿野郎っ!! いいから喋るなっ! 手は上に挙げとけっ! 絶対にこの位置から下げるなよっ!」


   急いでオレはエリカの元に駆けつけ手を上に挙げた。気休め程度だがやらないよりはいい。心臓より上の位置に傷口を置けば出血は幾分か出にくくなる。

   包帯の場所―――探している暇なんか無い。こいつは横に切ったんじゃなく縦に傷を付けた。より効果的に出血する方法だ。本当に死ぬ気だったんだろう。
  

  「・・・くそったれがっ! こんなくだらねぇ真似しやがってっ! てめぇいい加減にしろよなっ!」

  「だっ、て・・・義之が・・・いなくなっちゃう、ぐらい、なら・・・」

  「ああっ!? うるせぇよ馬鹿っ! 他にもやりようなんてあっただろっ!」


   手首からの出血で死ぬ確率は低いらしい。体内の血液は人が思っているより多く、死ぬまでに結構な時間が掛かるらしい。だから昔の人は首を切ったりなんかした。

   しかし今の現状を見るにそれが本当か疑わしい。止め処なく血は流れているしオレの手も真っ赤だ。あまりも予想外の展開でオレの頭は少しパニックを起こしていた。

   自分のシャツをビリビリと破り、何重にして傷口をきつく圧迫する。肘関節の所にもシャツを巻いた。エリカはキツイと言っていたがそんな言葉は無視した。

   死んでしまう事と比べれればそんな痛さなど比べるの事などおこがましい。手首の自殺は早めに止血処理を施せばすぐに助かると聞く。オレは急いで止血をした。

 
   

   ちくしょうっ! またオレの判断ミスだっ! まさかそこまで思い詰めてたなんて・・・。オレはパニックになりかける頭を無理矢理押さえつけ、エリカを助けた。



  





















  「今日は泊まっていくからな」

  「・・・えっ?」

  「オレがやったのは素人処理の仕方だ。本当なら病院へ行って適切な処理をしたほうがいい。けどお前はそれを極端なまでに嫌がっている」


   オレは病院へ行った方がいいと言った。しかしエリカはそれを拒んだ。確かに傷口は綺麗に切れていた分収まるのも早かったし、あの調子だと傷は残らないだろう。

   だがオレは医者ではない。素人判断でもし何かあった場合、オレは悔やんでも悔やみきれない。だから病院に行ってちゃんと診断してもらった方がいいと言った。

   しかしエリカは嫌だと言った。理由―――ふざけた理由だ。手首を切ったなんて知られるのが恥ずかしいというものだった。オレは殴ってでも連れて行こうとした。

   それでもエリカは頑固として譲らず、その代わりにオレに付いてて欲しいと言った。確かにこいつは無駄にプライドが高いからそんな事を知られたくなんて無かった
  のだろう。例え相手が医者でも。


  「だから今日はお前の家に泊まる。何かあったら困るしな。また自殺未遂なんかされたらたまらねぇ、オレが付いててやる」

  「・・・うん」

  「よし。そうと決まればさっさと風呂を入れて来い。オレは料理を作るからな」

  「ちょ、ちょっとっ! ここは私の家なんですのよっ!?」

  「うっせーよ。お前にもうそんな権限はもう無くなっている。フローリングの血を完璧に落としたのは誰だ?」

  「う・・・」

  「ああいったものは退去する時にかなりの金を取られる。ましてや血だ、そんな所に住みたがるヤツなんていない。迷惑料が何倍にも膨れ上がる。
   確かお前は無駄な金を使わないのは国民の為と言ったな? オレはその尊いルールを守った訳だ」

  「わ、分かりましたわ・・・お風呂入れてきます・・・・」 

  「ああ」


   渋々といった感じでエリカは風呂場に向かった。さてと、と呟いてオレは料理を作る事に専念した。さくらさんへの連絡はエリカを休ませる時にもうしておいた。

   と言っても留守電になっていたのでそれに伝言を入れただけだが。おかげでオレは気まずい雰囲気を味わなくて済んだ訳だ。まぁいづれはちゃんと話し合うのだが。


  「とりあえず今は料理を作る事だな。材料からしてあり合わせのもんしか出来ないが・・・構わないな」


   この女はどういう生活を送っているんだか・・・。料理が出来るのに面倒という理由だけで多分作っていないのだろう。だから胸が小さいんだよ。
   
   しかし―――またエリカの家に泊まってしまう事になるとは・・・。それに本気で自殺未遂を起こしたエリカ。もう放っておく事なんて出来やしない。
   
   美夏との問題はまだ残っている―――が、どうやらそんな事を言っている場合では無くなってしまった。


  「はぁ~・・・なんか色々な事がごっちゃ混ぜになっちまって訳分からねぇ・・・。どれから手を付ければいいいやら」


   美夏ともちゃんと話しをしたい。そして願わく復縁をオレは望んでいる。しかしエリカの件もある。先程の事をもうやらかさないとは限らない。付いていなくては
  駄目だとオレは判断している。

   結局―――またオレは悩み続けている。そんな憂鬱な気分になっていると風呂を入れたとエリカに声を掛けられた。本当に今日は疲れる事ばかりでクタクタだ。

   そういう日はさっさと風呂に入って寝るに限る。オレはエリカの言葉に曖昧に頷きながら料理の手を速めた。




















  「――――――ふふっ」

  「何笑ってるんだよ」

  「いえ・・・ね。まさかまた義之と一緒に寝られるなんて思わなくて」

  「あんまり調子に乗るな。今度あんな真似したらオレが殺してやる」

  「・・・それもいいかもね」

  「おい」

  「ふふっ、冗談よ」


   お前の言葉はもう冗談に聞こえないんだよ、まったく。今のお前は本当にそう思ってそうで怖いっていう話だ。

   オレは寝返りを打ってエリカに背中を見せる。その様子にエリカはどこかすねるように言葉を吐いた。


  「つれないんだから、義之は」

  「だれかさんのせいで美夏と別れちまったからな。態度も冷たくなる」

  「・・・・ねぇ――――――」
  
  「お前と付き合う気はないよ。もう一回オレは美夏と話し合いをしてみる。そして出来たらもう一回やり直そうと思っている」

  「・・・・・そう」

  「ああ」


   そう言って少し気まずい雰囲気が流れた。自分でも矛盾した行為だと思っている。お前なんかにまるで興味がないと言葉では確かに言っている。

   だったらなぜ家まで泊まって面倒を見る? 背を後ろに向けながらそのエリカの手を握っているお前の手はなんだ? なぜ離さない?
 
   ようはそういう事だった。また思わせぶりな行動をオレは取っている。だが離すつもりはなかった。更にオレはエリカの手を握り込んだ。



   エリカが自分の手首を切った時、思わずオレはなにもかもエリカに謝りたい衝動に駆られた。何もかも―――全部の事に対してだ。

   冷たくしてゴメン、気持ちを受け取れなくてゴメン、友達なんてある意味酷な扱いをしてゴメン・・・・・・美夏と付き合ってゴメン。

   オレはエリカに対して好きだという気持ちを捨て切れていなかった。とんだ偽善野郎だ。茜にグ―で殴られた方がいいと思う。


  「ねぇ、義之」

  「――――あいよ。なんだ?」

  「こっち見て」

  「んでだよ? 面倒くせぇ・・・」

  「いいから」


   オレにはエリカが何をしたいか分かっていた。分かっていながらオレは振り向く。そしていつもどおりのキスをエリカはしてきた。

   最初は甘い感じでオレの唇か甘噛みしてくるエリカ。オレもそれに反応してエリカの唇を舐め上げる。うれしそうにエリカもオレの唇を舐め返してきた。

   徐々に熱は高まっていき、頭がボーっとするような感覚になる。深くオレ達は舌を出し入れして唾液の交換をする。

  
  「んうぅぅ・・・ん・・・・んんんっ」

  「・・・・っ」


   舌が引き千切れんばかりにオレの舌を吸い取るエリカ。まるで舌に充血している血液を吸い取るかのような吸い方だった。思わず腰が引けてしまうほどの快感。
  
   まるで赤ん坊が母親の乳房を吸い取るかのように・・・いや、それ以上に激しいキスとも呼べないキスだった。エリカらしい情熱的なキスだった。

   そして呼吸をする為に口を離した―――瞬間、オレはエリカの頭を抱え込んで今度はオレからキスをした。まるで仕返しと言わんばかりのキスを。


  「んんんっ!? んっ、んん、んーーーー!!」

  「・・・ん」


   まさかオレからやってくるとは思わなかったのだろう。エリカの驚いた感情がオレに伝わってきた。オレからキスをするのなんてこれが初めてかもしれない。

   さっきまでの勢いはどこへいったのやら懸命にオレの舌から逃げようとするエリカ。しかし徐々に舌を上手く動かして逃げ場を無くしていった。

   そして追いつめたエリカの舌にどっぷりオレの舌を絡みつかせてやった。体を強張らせるエリカ。興奮と緊張と快感のせいか繋がられた手にはじっとり汗をかく。
   
   ついでにエリカの慎ましい胸も揉んでやった。途端にビクつくエリカ、だが逃げようとはしなかった。むしろもっと味わって欲しいと言わんばかりに胸を押しだしてきた。


  「んん・・・! んっ、ぷはぁぁぁぁぁ」

  「・・・・はぁ、はぁ」

  「・・・・ふふ、久しぶりに義之とキスをしましたわ。もう出来ないと思っていたのに。それに義之からこんなにも求めてきてくれるなんて」

  「・・・・・・」

  「――――――今日の義之は、なんだか情熱的ね。今までいくら私が迫っても手は出してこなかったのに・・・。まぁ嬉しいからいいですけど」



   そう。オレはどんな事があっても自分からエリカに手を出してきた事はなかった。心にはいつも美夏の影があり罪悪感があったからだ。

   今でもその罪悪感はある。だが―――オレはまたもや心が揺らいでしまっていた。もうニ度々グラつかないと思っていた心がグラついていた。

   美夏と別れたのは全部エリカのせい・・・果たしてそう言えるのだろうか。本当にエリカだけのせいなのか。自分に非はないのか。

   美夏も美夏で反論はしなかったのか。オレが一生守ってやると言った言葉を信用出来なかったのか。別れるなんて言わない事も出来たのではないか。



   疑心暗鬼になっていると言ってもいい。頭ではなんとなく理解している。美夏はとても心優しい奴だ。きっとオレの為云々とか言われてその言葉を吐かされたのだろう。

   しかしそんな事をしでかしてもエリカはオレの事を手に入れようとした。必要としてくれた。愛していると言ってくれた。死んでもいいとも言ってくれた。

   確かにやり方は汚いと思う。だが、じゃあ綺麗なやり方などあるというのだろうか? 誰も傷付けないでみんな笑って仲良く出来る方法があるというのだろうか。



   元々オレはエリカに一目惚れをしていた。そんな人物がここまでオレの事を想って行動してくれている。涙が出るくらい嬉しい事だと思う。

   美夏と付き合っている時は出来るだけその事を考えないようにしていた。考えたらいつ転ぶか分からない。そんな不安な気持ちがあったからだ。

   しかし美夏と別れた今、エリカの行動はとても魅力的に映ってしまった。オレがいないぐらいなら死んだ方がマシと手首を切ったエリカ・・・。

   口先では美夏の事を考えているといいながら反対の行動を取っている自分。どうしようもなかった。


  「ねぇ・・・見て」

  「あ―――」


   エリカはベットから起き上がり―――寝巻のシャツを抜いで肌を晒した。愛しい人の半裸姿。外見からスタイルはとてもいい事は分かっていたが・・・脱ぐと
  本当にそこらのヤツとは別格だという事が分かる。

   まるで人魚のような綺麗な姿。興奮しているのか、乳房の桜色の突起物が立っている。オレの視線に気付いたのかエリカは恥ずかしそうに顔を赤らめる。

   だが隠そうとはしない。そんな艶めかしいエリカの姿に思わずエリカの体を引き寄せてしまう。エリカは小さな悲鳴を上げてオレの上に倒れ込む形になる。


  「・・・綺麗な体だな。エリカ」

  「・・・・・・ありがとう、嬉しいわ義之」

  「別に本当の事を言ったまでだ。まるで人魚みたいに綺麗だったよ」

  「も、もう・・・義之はすぐからかうんだから・・・・」

  「・・・はは。本当に本当なんだけどな」

  「―――ねぇ、義之」

  「ん?」

  「別に今すぐ恋人になってとは言わないわ。汚い手を使ってまで義之を手に入れようとした私だけど・・・義之の気持ちの整理が付くまで待ってる」

  「・・・・・・」

  「ただ今は――――――私の事だけを見て」


   そう言って静かにキスをしてくるエリカ。眼はあの悲しみの色に彩られている。そして小さく―――本当に聞き逃してしまう程の音量である言葉をオレに言った。

   オレは返事の意味でキスをしてやった。途端にエリカは花が咲いたかの様に笑顔になり、また激しいキスをしてきた。






   エリカが呟いた『抱いて』という言葉。前に言われた時は断る事が出来た。今回―――それに抗う理由が見つからなかった。

  
   そしてオレはエリカの事を抱いた。壊れないように優しく、丁寧に、愛おしく抱いた。エリカは初めての痛さに涙しながらも微笑みの表情を作っていた。


   そんな幸せの表情を見ていると――――――いつしか美夏の事は考えなくなっていた。





















   


  

     

     

    
                  



[13098] 19話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2009/12/11 03:06

 

 



 「別に枯らしちまっていいんじゃねぇか?」

 「なっ――――」

 「お、弟くんっ!?」


  そして驚く面々。オレはその脇を通って桜の木に触れた。この世界に来る前にいた世界と同じ感覚、自分の存在があやふやなものになる―――どうやら夢の世界に
 来てしまったみたいだ。最近夢なんて見なかったのに珍しい事だと思う。

  まぁ面々と言ってもさくらさんに音姉だけだが。ずっと前からこの世界に居たんだがなんか取り込み中だったようでオレはずっとおとなしく寝っ転がっていた。

  しかし内容を聞いていると、だ。何やら桜の木を枯らすとオレが消えてしまうという物騒な内容が耳に入ってしまい他人事な話ではない事が分かってしまった。

  だからオレはさくらさん達の話に割って入った。いきなり現れたオレに驚きながらも音姉がオレに話しかけてきた。


 「な、なんでここにいるのっ!?」

 「懐かしい感じだ。この上にいるのか下にいるのか分からない感覚―――死んだ時の事を思い出すよ」

 「え?」


  まさかまたこんなファンタジーな世界に来るとは思わなかった。というよりオレは魔法が使える事を忘れていた。最近はメルヘンな出来事と遠ざかっていたからなぁ。

  魔法、ね。なんとも便利な言葉だ。不可能を可能にし、幸せをもたらす―――ふざけた言葉でもある。少なくともオレは魔法使いなのに周りを傷つけてばかりだ。

  美夏やエリカ、茜だけじゃない。それ以外にもオレは多くの人たちを傷付けてきた。男女関係なくだ。


 「それにしても―――音姉が魔法使いか。なんだ、案外メルヘン連中って多いんだな。よくロシアにはそういった者、超能力者が多いとは聞くけどな。
  人体実験を国絡みでやっているし、軍全体で進んでやっている。もしかしたら一番魔法使いが多いのってロシアなのかもな」

 「お。弟くんっ! 私の質問に――――」

 「すまなかったな、音姉。暴力振るっちまって」

 「えっ―――」


  まくしたてる音姉の言葉を断ってオレは謝った。素直に頭も下げる。そんな様子のオレを見て音姉は少し戸惑っていた。

  音姉に会ったらいの一番に謝りたかった。歯止めが効かず音姉の肋骨にヒビが入る程の蹴りを入れてしまった事実―――申し訳ない気持ちだった。
  
  頭を上げ今度はさくらさんに向かい直る。さくらさんは戸惑いながらもオレと眼を合わせてくれた。


 「さくらさんもすみませんでした。昼間の騒ぎ―――暴れてしまって」

 「あ・・・べ、別に謝る――――――・・・・と、いや、そうだね・・・・・・・うん。あまりにも驚いちゃって、頭の上に置いていたはりまおを落としちゃったよ」

 「本当にすみませんでした」


  そう言ってオレはまた深く頭を下げた。別に珍しい事ではない。前の世界に居た時もこんな風によくオレはさくらさんに頭を下げていた。

  そしてオレは頭を上げさくらさんと音姉の顔を見回した。桜の木に寄りかかりポケットに手を突っ込む。煙草でも吸おうかと思った・・・・・が生憎持ち
 こめなかったみたいだ。というか今の状態はエリカがオレ用にと買っていたパジャマを着ているという風だった。煙草は確か制服の中だったと思い出す。


 「なんでここにいるか・・・だっけ? 音姉」

 「う、うん」

 「来たくて来たわけじゃない。オレは・・・・・魔法使いだがロクな事が出来ないしょうもない人間だ。たまたま引き寄せられたんだろう」

 「―――――そう」

 「ん?」


  なんだか反応が薄いな。魔法使いだとバラしたんだからもっと驚いて腰でも抜かすもんだと思っていたが。まぁ音姉は話を聞いてる限りじゃ
 結構魔法を使いこなせるみたいだからオレみたいな人間がいるという知識があるのかもしれない。でも身近な人が魔法使いという事実にもっと
 驚いてもよさそうなもんだが・・・・・・まぁ、いいか。

  それにしても―――そう思い桜の木を見上げた。この枯れない桜の木がなんでも願いを叶えてくれるという不思議な木だったとはなぁ。

  驚く半面・・・なぜか納得してしまう自分もいる。さくらさんがオレをこの世界に送り出そうとした場にこの木は確かあった筈だ。

  いくらさくらさんが凄い魔法使いでもそんな真似を出来るとはとオレは少し疑問に思っていたからな。この木が手助けしてくれたのだろう。

  

 
  だがその木がどうやら今回は悪い方向に動いてしまっているらしい。なんでも無差別に願いを叶えてしまっている状態との事だ。

  良い願いも悪い願いも叶えてくれる――――――言いかえればあの人が死んでほしいと思えばそれが叶ってしまうという事だ。殺人補助どころの話ではない。

  だったら枯らせばいいのにと思った。大体願いを叶えてくれるなんて代物は無い方がいいに決まっている。ロクな想像しか思いつかない。

  神話でもそういった代物が出て来るが大体はどこかにシワ寄せがきて元も子もない状態になってしまっている。今の枯れない桜の木がいい例だ。

  努力しなくても成功する、頭が良くなる、運動が出来るようになる、死んだ人が生き返る、心が読める、恋人が出来る。

  自然の流れに逆らうのはいい事ばかりじゃない。確かにつらい事はある。泣きたい事もある。悲しい事もある。だから人間は成長するもんだと思っている。


  それに―――もし今オレが抱えている問題がこの桜の木によって解決したと知ったら・・・・・・かなり頭に来る。自分が起こした問題は自分で解決したかった。


 「まぁ別になんでもいいけど。とりあえずそんな厄介な問題が起きているなら早く枯らした方がいい。どうせ悪化するだけだ」

 「――――――ッ! だ、駄目よっ!」

 「オレが消える・・・っていう話か。別に消えないと思うけどな」

 「なんで言い切れるのっ!? ここ最近の弟くんは確かに変わっちゃったけど、それでも私は弟くんの事を大事に思ってるんだよっ!?
  冷たくされたって、蹴られたって・・・・・それでもっ! 消えて欲しくないの、私はっ!」

 「・・・・・・」


  本当―――人がいい。あれだけの仕打ちをされてこういう言葉を吐けるとは思わなかった。普通ならもう近付かないかやり返しにくる筈だからな。

  こっちの世界のオレの人徳だったのか、それとも音姉の性格なのかは知らないが。なんにしても大事に見られている事には違いない。


 「だから私は―――――」

 「音姫ちゃん少しストップ。熱くなりすぎだよ、少し落ち着いて」

 「――――――ッ! で、でもっ!」

 「義之くん。なんで消えないと思うのかな?」

 「・・・・・そうですね。どう言えばいいか迷っているんですが―――――オレがさくらさんの知っている桜内義之とは別人だからです」

 「え・・・・」

 「・・・・・・詳しく話を聞かせてもらえないかな?」

 「――――ええ。いづれ話そうと思っていたので、いいですよ」


  そうしてオレは今までのいきさつをさくらさん達に教えた。と言っても内容は簡潔なもので時間にすれば五分ぐらいで終わってしまった。

  オレが死んで、こちらの世界に来て、この世界の桜内義之という人物と入れ替わったという事。言葉にすればこんなもんで終わってしまう。

  時々さくらさんが話に突っ込んできたがオレが質問に答えると黙って聞き始めるのを何回か繰り返した。その間音姉は黙りっぱなしだった。

 


  そしてオレは全部を話し終えた。さくらさんは黙って何かを考えている様子で口元に手を当てており、音姉はさっきから俯いたままでその様子は分からない。

  しかし煙草が欲しい所だ。というかオレだけ寝巻という姿はなんだか気恥ずかしいものだ。さくらさんと音姉はいつもどおり学校で見る姿なのになぁ。

  あれか、未熟な魔法使いはこういったことも出来ないのか。色々人間として至らないからこんな扱いなのか。さすが出来る人間はなにやっても違うな。


 「――――――――グスッ」

 「ん?」

 「・・・うぅ・・・グスッ・・・ひっぐ・・・」

 「・・・・大丈夫? 音姫ちゃん」

 「・・・す、すいません。な、なんだか涙が出てきちゃって・・・グスッ・・・・・」

 「・・・・・・」


  当然だと思う。自分が大切に思っている弟みたいな存在が別人に入れ替わっているのだ。それも凶悪な人間。悲しくなってくるだろう。

  音姉は感極まって泣き崩れてしまう。さくらさんが悲しい顔で音姉の背中を擦っている。オレは黙ってそれを見ている事しか出来なかった。


 「・・・・・一つ聞いてもいいかな、義之くん」

 「なんですか」

 「本当の義之君・・・いや、こういう言い方は失礼だね。この世界の義之くんてどうなっちゃったの? 義之くんの中にいないの?」

 「・・・・・」


  その疑問を持つのは当り前だ。言外に貴方はいらないのよと言われているような気がして少し寂しい気もするが・・・まぁ普通そう思うよな。

  さくらさんは音姉の背中を擦りながら顔を向けないで質問してきた。しかし――――なんて言えばいいのやら・・・。


 「答えるとするなら――――NOですかね。全然そういう感じはしません。自分では分からないだけかもしれませんが、少なからずオレ自身としては
  その桜内義之いないと断言できます」

 「・・・・・・そう」

 「・・・・う・・・うわぁぁぁぁぁあっ!!」


  オレがそう答えると音姉はもう我慢できなかったのか大声を上げて泣いてしまっていた。さくらさんの顔もどこか悲痛な表情を醸し出している。

  大切な存在が完全に消えてしまったという事実はかなりクルものがあるのだろう。そんな様子を見ているとまだ良心が残っていたのか、少し心が痛かった。

  
  前はそんな事など思いもしなかった。音姉は前の世界でも泣いていた。しかしオレはそんな様子の音姉を見ても何も感じなかった。精々うざいといったぐらいの
 感情だ。だが今はあの時と比べるとこんなにも心が痛い。

  やっぱり――――オレはそう確信していた。この感情の揺れ、自身が感じる違和感、自分が根本的に変わりつつある戸惑い・・・・オレは話を続けた。


 「多分・・・というか絶対だと思うんですが。さくらさん達が知っている桜内という人物は確かにいなくなったと思います―――けど今、オレがその人物に
  なりつつあると思うんですよ」

 「・・・・・え」

 「どういう事なのかな?」

 「元々おかしいと思ってたんですよ。こんなオレが人に優しくしたり慣れ合うなんてことをするのなんて。そして喧嘩は喧嘩で前より惨い事を出来るように
  なってしまっている。明らかに自分の感情を制御出来なくなってしまいました。これは―――――どういう事だと思いますか?」

 「・・・融合してしまったって事?」

 「ええ、多分」


  この世界に来た時は特に何も感じはしなかった。姿形が変わっただけで内面は特に変わった感じもしなかったし自分の意識もちゃんとある。

  だが日を追うごとにその違和感は大きくなってきていた。自分が変わる感覚。確かに美夏の影響もあると思うが、根本的にはこの事が影響を与えているもの
 だとオレは考えている。

  じゃあなぜ喧嘩などの時にはあれほどの事を出来るようになってしまったのか? 普通なら落ち着いて優しいだけの性格になってしまわないのか。

  答えはなる筈が無いだ。元々同一人物であると同時にここまで性格が正反対の人物でもある。水と油――――オレ達の関係はそういってもさしつかえないだろう。

  なりつつあるのは確かな事。だがなりつつあるだけだ。絶対にこの世界にいた桜内義之にはならない。性格はその内落ち着くだろうという感覚はあるがあくまで
 基盤となるのはオレだ。これも証拠があるわけではないがオレの感覚がそう訴えていた。

  水と油が混ざろうとしている。だから感情の揺れ幅が大きい。極端なまでに優しくなったり平気で女の顔面なんか蹴れるようになってしまった。


 「まだ完全にではないですが――――その内落ち着くでしょう。言い換えればまだその時ではない」

 「・・・・・もし桜の木を枯らしてもこの世界の義之くんは消えても、今私の目の前にいる義之くんは消えないという事?」

 「感覚的なものですが――――おそらくそうなるでしょうね。残念ながら証拠となるものはないですが、断言出来ます」

 「・・・そう」

 「・・・・うぅ、グスッ・・・・」

 「――――というか今更なんですが、聞いてもいいですか?」

 「何かな?」

 「オレって、結局一体何者なんですか?」

 「――――――――ッ!」

 「・・・・・・・・」


 何故かは知らないがオレという存在は桜の木が枯れると消えるらしい。まぁオレという存在はこの世界の義之くんとは別なので問題ないとは言ったが気になる事だった。

 心には多くの不安な気持ちが湧きでている。なんでも叶える桜の木。その木が枯れるとオレは消えてしまう。嫌な予感で心は埋め尽くされている。

 ああ―――本当に煙草が欲しいところだ。少しでもこの気持ち悪い気持ちを払拭したい気分に駆られる。そしてさくらさんは少しずつ喋りはじめた。


 「・・・・・私ね。家族がいない事は知ってるよね?」

 「・・・えっ、ああ、はい。確か親戚もいないんですよね? 外国にはいるのかもしれませんが」

 「うん。でね、やっぱりこんな私でも寂しいと思うんだよ。周りの知っている人達はどんどん結婚して家庭を築いていくのに私だけ取り残された気分に
  なってしまった」

 「・・・結婚とか考えなかったんですか? それとも自分の眼に敵った男性がいなかったとか」

 「義之くんの知っている通り私は魔法使い。そして歳を取らない。そんな人が結婚なんかして幸せになれると思う?」

 「・・・・・・」


周りの人は老いていき最後には死ぬ。残るのは姿形の変わらない自分だけ。ゾッとする光景だ。

  歳を取らないとさくらさんは言った。おそらく魔法の加護のおかげだろうが―――もう呪いそのものだろう。

  永遠の若さに憧れる人物は歴史上に多く見受けられたがオレはその人達の気持ちが理解できないでいる。


 「だから私は結婚しなかった。でもね・・・・・・もし私に子供がいたらどういう子なんだろうって気になっちゃったんだ」

 「え・・・」

 「寂しい―――その想いだけで私は願っちゃったんだ。どうかお願いします、私に子供がいたらどういう子か・・・可能性を見せて下さいってね」

 「・・・・・」

 「・・・にゃはは。馬鹿だよね。結局私は自分の為に魔法の力を使っちゃったんだ。あれだけアイシアに魔法を無闇に使ってはいけない
  と言っておいて自分は私利私欲の為に利用した。そして活動し始めた桜の木―――まるで成長していなかったんだ、私」


  そのアイシアという人物はどんな人か知らない。おそらく同じ魔法使いなのだろう。さくらさんは他人にそう言って置きながら自分の欲で桜の力を使った。

  そしてその願いは叶ったんだろう――――大体話の流れは分かってきた。十分すぎる程に。オレの記憶の始まりは枯れない桜の木の下。

  そこでさくらさんに拾われ朝倉家にお世話になった。小さい頃の記憶は無くしやすいと言うがその時の記憶だけは残っていた。


 「オレの母親がさくらさんって所・・・ですか?」

 「・・・・・・・うん」

 「――――――はぁ~・・・・・なるほどね。どおりで」

 「えっ?」

 「あ、いや、ええと・・・こちらの話です」

 「・・・?」


  母は強しと言うが、オレがさくらさんに頭が上がらない理由が分かった。そりゃ自分の母親には逆らえないわ。オレの母親―――他人が聞いたら
 どういう人を想像するだろうか。

  おそらくヤクザ映画に出て来る姐さんみたいなのを想像するだろう。しかし実際はこんなちっこくて歳によらず可愛らしい人物がオレの母親らしい。

  しかしながらオレは金髪でもなければ眼も茶色ではない。完璧な日本人だ。少し惜しい事をしたなと思う。父親の遺伝子が強かったせいでこういう外見
 にオレはなってしまったのだろう。

   
 「まぁ色々驚いていますが―――大体は把握しました。説明ありがとうございます。それで、いつ桜の木を枯らすんですか?」

 「・・・・あんまり驚いている様に見えないんだけど」

 「もう感覚がマヒしちゃってるんですよ。だって一回死んでるんですから。前ならまだしも今更そんな事言われても・・・ってところですかね」

 「そんな事って・・・・・・はぁ、まあいいや。とりあえず色々前準備でしたい事があるから今すぐは無理かな」

 「分かりました。それじゃ――――」

 「ま、まってっ! 弟くんっ!!」

 「ん?」

 「ちょ、ちょっと、こっちに来て」

  
  音姉に手を引かれて桜の木から少し遠ざかる。そして音姉は足を止めこちらを振り返る。顔付きはどこか神妙な表情だ。

  音姉は桜内義之という人物をとても愛していた。その人物が入れ替わっているという事実に戸惑いを隠せないといった風だ。

  そしてオレの手を握ったまま音姉は喋り始めた。まるで自分に言い聞かせるみたいに。


 「――――ね、ねぇ、弟くん」

 「んだよ」

 「・・・私ね。弟くんが、その、別な人だって知って・・・すごく戸惑ってるの、うん」 
   
 「だろうな。それもこんな暴力を振るう奴だ。アンタにしてみればさぞやショックだろうな」

 「アンタ・・・・・か。でもね、私からしてみれば・・・弟くんは弟くんなんだよ。別の世界から来たってそれは変わらないんだ」

 「――――――それで?」

 「そ、それでね、最初は戸惑っちゃうんと思うんだ、うん。もしかしたらいつも通りに声を掛けられないかもしれない」


  というか掛けるつもりだったのかよアンタは。よくもまぁこんな得体の知れない人物と話す気になれるな。いくら顔と体がこの世界の義之とはいえ。

  オレだったら話し掛けない。そんな危ないヤツとなんか関わりたくないし話したくもない。誰だって厄介事は勘弁な筈だからな。

  そしてオレはその言葉に対して疑問を投げかけた。


 「昼間の件。もう忘れたのか?」

 「・・・え、いや、あ、あれはちゃんとさっき弟くんが謝って――――」  

 「自分がやっておいて言うのも変な話だが謝って済む問題か? 何人病院送りにしたと思っている。特に一番酷い怪我をしたのは女子だろう
  顔面に何回も膝を入れたからな。グチャグチャになっている。普通なら警察沙汰になって裁判を掛けられている筈だ」

 「あ・・・・」

 「さくらさんが示談金を払ってくれたんで大きな騒ぎにはなっていないが、それでも今後そういう可能性が出て来る。
  それでもアンタはオレに付き纏うのか」

 「・・・・・」


  いくらオレの性格が優しくなってきているとはいえ、またああいった騒ぎを起こさないとは限らない。むしろ起こす確率の方が高いと思っている。
  
  いづれ安定する、そのいづれが何時になるかなんて分かったもんじゃない。もしかしたらこの性格が一生続くのかもしれないのだ。

  その事をさっきも話ししたし音姉も理解している筈だ。なのにそういう言葉を投げかける音姉―――理解出来なかった。


 「・・・さっきも言ったけどね。弟くんは弟くんなんだよ。いくら暴力者であろうが―――人殺しだろうが、ね。私が大切に思っている存在なんだ」

 「・・・・・・・」

 「それに・・・・『貴方』も、弟くんなんだよね? ちょっと私の知っている弟くんとは違うけど」

 「・・・・・ああ。オレはオレだ。オレにも音姉という存在は居たし由夢という人物もいた。左程こっちの世界とは変わっていないよ」

 「だったら大切な人に変わりはないよ。それに私の知っている弟くんと同化しているみたいだし。今まで通り――――よろしく出来ないかな?」


  そう言って音姉は手を差し出してきた。今までどおり、ね。そしたらオレは音姉を徹底的に無視しなければいけなくなる。

  そこんとこ分かっているのか――――分かっていないんだろうなぁ。どうやら音姉はオレをまだ本当は優しい人物だと勘違いしているようだし。

  だからその握手をオレはすかした。途端に表情が曇る音姉。オレはその脇をすり抜けてさくらさんの所に行く直前、音姉の耳元で囁いた。


 「アンタにはオレがどんだけ非道徳な人物か分かっていない。だから握手はしない。だけど――――これからは別に普通に会話ぐらいしてやる。
  今度からは構ってやるよ」

 「――――――ッ!」


  上から目線になってしまったが、まぁ別にいいだろう。あんまり付き纏ってきたらどうしようかと思ったが一喝すればいいだけの話だ。

  それに日常会話ぐらいなら構いやしない。学年も違うだろうからそんなに会話するとは思わなかったし。

  そしてオレはさくらさんの所に戻った。元の世界に戻る方法なんて分かりやしないしさくらさんに戻らさせて貰うつもりだった。

  音姉達と何を喋っていたのか聞かれたので世間話と適当に言っておいた。怪訝な顔をしていたがそれ以上突っ込まずオレの手を握った。


 「それじゃとりあえず元の世界に戻るけど――――それにしても義之君。何その格好?」

 「いや、今友達の家に泊まっているんですよ。一応留守伝にもメッセージは入れておいたんですが」

 「――――――ふふっ、女の子の家でしょ。そんないかにも好きな人に買ってあげたパジャマなんか着ちゃってこのこのぉ~」

 「はは、バレますかやっぱり」

 「そりゃあねぇ。私だって何年も女の子やっている訳じゃないしぃ」

 「ですか」

 「ですよ。どうせ美夏ちゃんの所でしょお~? もうラブラブなんだからなぁ~」

 「・・・・・・」


  それだったらどんなによかったか。いや、こういう言い方はエリカに失礼か。しかしオレは瞬間的にそう思ってしまっていた。

  あれだけエリカの体を貪っておいてのこのセリフ、許容出来るものでは無い。オレは顔をしかめてしまった。

  そんなオレの様子をみていたさくらさんは少し怪訝な顔をし、こう言った。


 「なんだか分からないけど――――あんまり女の子を泣かせる行動をしちゃだめだよ」

 「――――――――ッ! な、なんで・・・」

 「知ってるかって? にゃはは。私は義之君の母親みたいなものなんだよ。 息子のやっている事、考えている事ぐらい分かるよ」

 「・・・そうですか」

 「うん。まぁなんにしてもさ、後悔するような事はしないでね。私みたいに」

 「え・・・・・」


  なんでもないとさくらさんは言い、オレの手を更に握り締める。さくらさんも同じような事があったのだろうか。

  そういえばさくらさんの過去をオレは何も知らないし、知ろうともしなかった。これを機会に少しずつ知っていければいいと思う。


 「それじゃ帰るよ。あ、音姫ちゃんは自分で帰れるから心配しないでね」

 「最初から心配していませんよ。オレより出来る人間なのは知っていますから。色々とね」

 「もう~! それでも女の子は心配して欲しいものなの。義之くんは女の子の扱いがまだまだだよねぇ」

 「・・・はは。返す言葉がありません」


  事実その通りで思わず笑ってしまう。美夏とエリカと茜。この三人はオレにとってとても大事な女性達だ。そして泣かした女性達でもある。

  オレが不甲斐ないばかりに今の関係が出来上がってしまっていた。そしてエリカと体を重ねたオレ。もう取り返しのつかない所まで来ている。

  このまま突っ走っていいものか、それとも―――――。オレはこんな時になってもまだ迷っていた。はは、自分はそんな人種では無いと思っていたが
 どうやら違うらしい。


 「それじゃあ、いくよ」

 「ん、分かりました―――――――母さん」

 「・・・・・・うん」


  なんとなくそう言ってみたかった。途端に気恥ずかしくなる自分。だが悪い気分ではなかった。

  まぁ多分こう呼ぶのは今回ぐらいだろう。何年も顔見知りだしさくらさんはさくらさんだ。今更そう呼ぶのにすこし抵抗があるしな。

  オレに母さんと呼ばれ少し顔を朱色に染めていたさくらさんだが、オレの手を更に握ると真剣な顔をして―――――オレの意識が飛んだ。




  その間際、さくらさんはありがとうと言った。その言葉を聞いて少し勇気みたいなものが出た気がする。それを実感するのはもう少し後の事だった。



















 

 
  



[13098] 20話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2009/12/16 15:06











  義之と朝を迎える――――幸せを感じる瞬間だった。



  まさか義之と一つになれるなんて思いもしなかった。そう思い隣で寝ている義之の緩んだ顔を撫でる。くすぐったそうに義之は寝返りを打った。

  いつもは眉間に皺を寄せて怖い顔をしている義之。昨日だって物凄く暴れたらしい。その現場を私は見ていないが男女構わず病院送りにされたと聞いた。

  どうせ義之の癇に障る事でもしたのだろう。その人達には悪いが何も感情は浮かばない。とりあえず義之が怪我をしていない事に私はホッとしていた。

 
  そして停学になった義之。それを聞いた瞬間、私はとても喜んでしまった。学校には義之に想いを寄せる人達がいる。天枷さんと花咲先輩――――憎たらしかった。
 
  あの義之が気に入る人物達なので悪い人達ではないのだろうけど・・・私は嫌い。いかにも私は特別扱いなんですという振る舞いが気に喰わなかった。

 
  しかし隣で寝ている義之を見ていると、途端に優越感に浸れる。私は抱いてもらったんだ。とても優しく私を扱ってくれたんだ。その事実が嬉しくてたまらない。

  いつも義之は色々悩んでいた。大方天枷さんと私の事だろう、どっちも好きになってしまった義之――――私は苛々していた。意味が分からなかった。

  何故迷うのか その理由が分からない。私の方が尽くすのは見て明らかだし特にメリットも感じない。自分で言うのもなんだが私のほうが全てにおいて上だと思う。
 

 

  なんにせよ――――義之は天枷さんと別れた。そして私とセックスをした。もう二度と義之は私から離れないだろう、確信があった。

  義之は自分の欲望を押さえられる人間だ。行為の最中でもそれは同じ事で私の体をとても気遣って抱いてくれていた。それはとても嬉しい事だ。

  しかしその反面残念に思う。もっと私を求めてきていいのに、無茶苦茶にしてくれてもいいのに。あの時の義之の眼――――性の欲望を我慢していた。

  もっと体を重ねたい、もっといやらしい事をしたい。そう思っているのはすぐに分かった。私の体にのめり込んでいる証拠だ。もう他の女の所に行かないだろう。

  
 「体だけの関係だったら嫌ですけど・・・義之は私の事を大好き、問題は無いですわね。もう心と体も一つといったところ・・・そんな感じかしら」

 「・・・ん・・んん」


  そう言って私は義之の顔を撫でる。くすぐったそうに義之いやいや顔を振っている。ふふっ、いつもの義之も好きですけれどこんな義之も可愛くて好きですわ。

  でも――――手首を切ってよかったと思っている。心配してくれた義之に悪いけどあんな必死な顔で助けてくれた義之・・・とても嬉しかった。

  それも適切に処置するあの手際の良さ、冷静さ。やはり私が惚れこんだ男性というだけあって見事なモノだった。そっと包帯を巻かれている傷口に手を伸ばす。

  ずっと私の傷口を押さえてくれていたあの時の義之の表情――――ゾクゾクする。もう私の事しか眼に入っていないという事実は私を愉快な気分にさせてくれる。



  とりあえず義之はもう私から離れない。もし、万が一、何かの間違いで私から離れそうになったら――――また自分の体を傷つけてやる。死ぬぐらいに。

  そう決意して私はもう一回寝直す。義之の暖かい臭いを嗅ぎながら胸に抱きつく。この場所は私だけのモノだ。もう他の誰にも奪われる可能性が無くなった。




  ああ――――――なんて幸せな事実だ。そう思いながら私は夢の中に潜っていった。






















  今日は朝から天気な空で少し心が晴れ晴れとした気分になる。脇に連れ添っているエリカもそんな気持ちなのか気持ちよさそうにしていた。

  今オレ達は一緒に学校へ向かって歩いていた。もちろんオレは停学なので学校へは行けず、途中まで見送るといった感じだ。

  昨日の事を話すのは少し気恥ずかしいので適当に世間話をしながらオレ達は足を進ませていた。まぁそれだけでも嬉しいんだろう、エリカは終始笑顔だった。

  しかし途中からオレの話になりエリカの説教が始まった。少し生活態度がだらしない、勉強の方はちゃんとついていけてるのか、等々煩わしい内容だった。

  まったく、お前はオレの母ちゃんかよ。思わずさくらさんに怒られた時の事を思い出しちまうじゃねぇか。



 「お前の方こそ自分の心配をしろよ。留学してるんだからオレの事だけじゃなくて学校の方でも気張れよな」

 「何を気張ると言うのよ・・・」

 「庶民に親しむのをだよ。だから留学してるんだろ」

 「それはもうご心配なく。大分慣れてきましたから。この島の人がいい人ばかりで助かりましたわ」


  そう言って朗らかに笑うエリカ。表情から察するに本当にそう思っている事が窺える。まったくこいつもお人好しの部類の人間だ。

  路地裏でされた事を忘れたのかよ。危うく腕一本持ってかれそうになったというのに・・・。オレはその言葉に肩を竦めた。

  そんなオレの様子にムッとした様子でエリカは口を尖らせて喋りはじめる。


 「・・・なんですの、その態度は」

 「随分人がいいもんだと思ってさ。大体オレがいる時点でその理屈は成り立たないな。初音島の治安率を大幅に下げてしまっている」

 「義之は別にいいんですのよ。だって・・・・・好きな人ですから」

 「・・・・・」


  そう言ってオレの腕に絡みつくエリカ。顔は幸せに満ち溢れている表情だ。朝起きた時からこんな調子でエリカはニコニコしている。

  思い出すのは昨日の事。エリカを抱いてしまった事実を考えると嬉しいやらかったるいやら色々な感情が波打ってしまう。

  自分の気持ちがまだ整理が付いていないのに手を出すなんて自分の事ながら恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。いくらあの場の流れとはいえ。

  そう思って脇にいるエリカの様子を見る。その時、オレは少し違和感を感じた。なんだかいつものエリカじゃないような気がする。

  背も少し猫背になっているし、歩き方もいつもの堂々とした歩きでは無く若干ひよこみたいな歩き方になっている。

  少し疑問に思い様子を窺い――――すぐに謎は解けた。そうだよな。昨日の様子から見て初めてだったようだし、そうもなるよな。


 「女は大変だな。男は突っ込むだけだから楽でいい。処女だったんだろ、お前」

 「――――――ッ あ、貴方は何を・・・・」

 「しかしお姫様の処女を貰ったんだ。なかなか体験出来る事じゃないな」


  そう言ってワザと二ヤついた表情を作る。こいつは本当にからかい甲斐があるので面白い。早くいつもみたいにあたふたしてみせてくれよ。

  オレはそう思って手を握りこんだ。途端にエリカは顔を赤くして―――すぐ冷静な顔に戻った。握った手が逆にエリカから握りこまれる。

  オレは怪訝に思いながらエリカの顔を覗きこんだ。そしてエリカは当然のように髪を掻き上げながらその言葉を言った。


 「そうですわね。私も貴族という立場ですから初めてをあげるのはきっとお父様に紹介される同じ貴族の方と思っていましたわ」

 「・・・・・ふん」

 「しかしそれは当然の事・・・・一国の将来を担うであろう人物が私の夫となるんですからそれが普通なんですのよ。そう、そう思っていました」

 「・・・・・なんで過去形なんだ」

 「あら、お忘れになって? 私は義之を婿として迎えるつもりだって。今でもこの気持ちは変わらないし、この先もこの気持ちは変わりません事よ」

 「・・・・・・・」

 「好きな人に初めてをあげたから満足した――――そこまで安っぽい感情ではないんですのよ。それをお忘れなく」


  そう言ってオレに微笑むエリカ。腕と手を強く握りこんでもう離さないと言わんばかりの呈だ。オレはそんな様子のエリカに何も言えなくなる。

  別に忘れていた訳ではないが、改めて言われると意識せざるを得なくなる。オレが貴族・・・・ね、笑い話にしかならない話ではあるがエリカは本気の様だ。


 「まぁ、こうやってほとんど恋人同然の関係になれたのですから今はそれを楽しみましょう。これはこれで幸せですし」

 「・・・恋人、ね。しばらくは待ってくれるんだったよな。気持ちの整理がつくまでとかなんとか」

 「・・・・ええ、言いましたわ。義之が天枷さんの事を大好きだったのは分かっていますし。でも、私を・・・だ、抱いておいてそれはないんじゃ
  ないかしら? そんな気の乗らないような返事をされては――――困ります」

 「――――まぁ、やるだけやってそういう関係にならないってのもオレもあれだと思っているけどな。いくらなんでもそこまで
  腐ってはいないつもりだし・・・・」

 
  いくらあの場の流れだとは言え事実は変わらない。オレはエリカを抱いた。その時の愛情といった感情は嘘ではない。オレはエリカを愛していた。

  元々エリカの事は好ましく思っていたからオレもあのひと時に幸せを感じていた。愛情と情欲にまみれた昨夜の一件―――思い出しただけでも至福を感じる。


 「で、でしょっ? 義之は私の事をとても愛してくれていると感じたし、私もそれ以上に幸せを感じていた――――何も問題は残っていない筈ですわ」

 「そりゃあそうなんだが・・・。ていうか失恋して他の女にすぐコロっといくのはどうかと思うけどな。お前もそんな男嫌だろ」

 「――――構いません。そもそも天枷さんと付き合ってた事自体間違いな筈なんですから。私と義之が恋人になる。正しい形に収まるという話に過ぎません」

 「・・・・・・」

 「でも今から楽しみですわ。義之と私がちゃんと恋人関係になれて始まる日々・・・きっと楽しくてしょうがないですわね」


  そう言って表情を柔らかくした。美夏との関係が間違いだったと否定されて腹ただしい気持ちになったがそれは出さないでおく。

  あえてこの場を険悪な雰囲気にはしたくないからな。せっかくエリカが楽しそうに笑っているんだからそれを崩す必要もないだろう。

  だが―――そんな気持ちとは裏腹にオレはエリカから腕を離してしまった。怪訝な顔をして立ち止まるエリカ。オレは言った。


 「お前、変わったよな」

 「え――――」

 「・・・いや、なんでもねぇよ」

 「あ・・・」


  先に向かい歩き出した。顔はエリカを見ず空を見た。恋は人を変わらせる――――その通りだと思う。オレもまさかこんな形でに人と接せるとは思っていなかった。

  しかしエリカの場合は悪い方へと段々傾いていっている気がする。少なくとも前のエリカはこんなにも言葉に憎しみを感じさせながら喋ったりはしなかった。

  苛々している口調をしていた事は確かにある。しかしこんなにも暗い感情を言葉には乗せて来なかった。どんな時でもどこか相手を尊重していた。

  今のエリカからはそれが感じられない。それほどオレを愛しているというのは嬉しい事実だが・・・少し悲しく感じる。好きな人が表に出す暗い感情が。

  原因はオレのせい。ここまでエリカの嫌な感情を引きだしたのはオレが原因だと思うと苛々する。いつでも高貴な雰囲気を纏っているエリカをオレは尊敬していた。

  身勝手な願いだが、変わって欲しくなかった。同じ人間なんだから神聖視するのはどうかと思うが・・・それでもそう思ってしまう。全部オレみたいなクズ
 のせいだと知っているのに。何回も泣かせてエリカを傷付けたのはオレだと知っているのに。


 「――――――――ッ」

 「あ・・・、とっ・・・」

 「ね、ねぇ義之?」


  急に後ろから腕を掴まれたので少し体制を崩してしまった。そして声を震わせながらオレにエリカは問いかけてくる。

  顔を見ようとエリカの方に首を回すが俯いているので表情は読めなかった。


 「な、なにか私、気に障る事言っちゃった?」

 「・・・え、あ、いや・・・・」

 「あ、謝るから・・・・・・。お、お願いだから私から離れないでよ」

 「わ、分かったから。とりあえず腕を――――」

 「いや。離さない・・・・・絶対に」


  そう言ってまた腕に力を込めてきた。いくら朝が早いと言ってもいつ人が通るか分からない。オレは少し困り果てながらもその場に立ち竦んでしまった。

  とりあえずエリカの頭を撫でながら落ち着くのを待った。昨日の事といい今といい、少しエリカは情緒不安定になってしまっている。

  オレはため息を吐きたいのを我慢しながら辛抱強く頭を撫でていると、エリカは彼女らしくない言葉を発した。


 「――――――――私、今日は学校へ行かないわ」

 「え・・・」

 「今日はずっと義之と居る。ねぇ、私の部屋に戻りましょう?」

 「・・・・・はぁ。お前な、そういう訳にはいかなねぇだろ。勤勉なお前らしくもない」

 「・・・別に勤勉じゃないわ。義之と離れてまで勉強したいわけじゃないもの」

 「そういう事を言うもんじゃない。お前は何の為に留学しているんだ さっきの態度なら謝るよ。ちょっと冷たかったな、悪い。だから――――」

 「今の義之は何だか知らないけど怒っているわ。このまま学校へ行っても何も身にならない、そうでしょ?」

 「だから謝るって。それにせっかくここまで来ちまったんだし・・・」


  思わずオレは天を仰いでしまった。どうやらオレの行動がエリカの気に触れてしまったらしい。意地でもオレの腕を離さないようだ。

  エリカとずっと一日を過ごす。それは魅惑的な誘いであったが、生憎そこまで自堕落な生活をエリカにさせたくなかった。

  もしこのまま家に帰ったら今回だけでは終わらないだろう。味をしめてしまい二度三度とくり返すのは目に見えていた。

  エリカが学校に来ているのはただ勉強する為ではなく、一国の貴族として知識を蓄える為だ。オレは出来るならそれを邪魔したくなかった。

  オレとは違いエリカは将来の為に向かって歩き出している。留学というのもその手段の一つの筈だ。好きな人だからこそソレを妨げたくない。

  だがそんなオレの気持ちは知ってか知らずか・・・・平気な表情をしてその言葉をエリカは発した。昔なら余裕で赤面したであろうその言葉を。


 「部屋に帰ったらそうね――――もう一回ぐらい昨晩みたいな事をしましょう。 義之もしたい筈よね、私といやらしい事を」

 「・・・・そこまで性欲に狂ってねぇよ。いつからそんないやらしい娘になったんだよ。お前は」

 「・・・義之がいけないんですのよ。あんなに優しく私の体を好き放題にして・・・・ふふっ、思い出しただけで幸せな気分ですわ」

 「お、おい・・・」


  エリカはオレの頬にキスをしてきた。思わずエリカを見るがどこいった風といった呈で笑っている。

  もう一回エリカと昨日のような行為をする――――思わず心が揺れ動いてしまった。昨日の体が火照る感触を思い出す。

  綺麗な体を好き放題触り興奮する自分。嬌声をあげるエリカのいやらしい痴態。いつも高貴な雰囲気を纏っている者を凌辱する優越感に似た感情・・・。

  エリカも積極的にオレを求めてきた。感じさせてあげようとする姿が健気でとても愛おしくなってしまった。もう一度あの体を貪りたい衝動に駆られる。

  だがオレはそこまで猿ではない。ちゃんと理性を持った人間だ。そこまで情欲に溺れるのは抵抗があった。  

    
 「何を我慢してますのか分からないわ。女性から誘ってるんですのよ 肯定の言葉しか私は受け取りませんわ」

 「時と場合による。そういうのは雰囲気が大事だ。空を見てみろ、とてもいい天気で学校へ行って青春しろと言っている。引き籠る気分ではないな」

 「・・・・・そんな嘘をついても駄目ですわよ。本当はしたくてたまらないんでしょう」

 「何故そう言い切れる? オレはそこまで知力が無い人間じゃない。最低限は常識を持っている」

 「好きな人と体を重ねるのに常識も何もありませんわ。ねぇ――――早く家に帰ってえっちな事しましょうよぉ」


  そう言って腕をグイグイ引っ張った。ワザとなんだろうが胸をオレの体に押しつけてきている。思わずその気になってしまいそうだった。

  だがこのまま流されるのはハッキリいって癪に障る。このまま家に戻ったんじゃただの色狂いだと自分で思うからだ。ある程度は節度は守りたかった。

  腕を離そうとする――――が、エリカが悲しい眼をしているのを見てしまった。まるで捨てられた子犬みたいに孤独感を感じさせる眼。抵抗する力が弱まる。

  その様子を見てエリカは口を微笑みの形に作らせる。この女また・・・・と思ってしまうが体は言う事を聞かない。そう、最初から選択肢など用意されて
 なかったのだ。オレはエリカの言う事に従うしかなかった。
 


 「帰ったらいっぱいキスもしましょうね。義之とのキスって何回しても飽きないから好きよ。私」

 「・・・・そうか」

 「ええ。もちろんその先も一回だけじゃなくて、何回もやりましょう まだ少し体が痛いんですけど・・・・早く慣れなくちゃね」

 「無理すんなよ。体を壊しちゃ元も子もない」

 「・・・ふふっ、優しいんですのね。でも大丈夫ですわ。無理な時は無理って言いますし、それに――――痛いと思うと同時に気持ちよく感じていますから」


  そして顔を赤らめて少し俯くエリカ。自分から積極的に無理矢理誘っておいて今更照れるなってーの。オレは思わずエリカの頭を引っ張ったいてしまった。

  そのオレの行動に多少恨めしい眼をするが特に何も言わないようだ。それよりもオレが自分の家に来るという事実に嬉しくてたまらないといった感じだ。

  エリカの腕に引っ張られるままその場でターンして歩き出そうとした―――が、オレは立ち止まる。


 「え・・・。どうしたの義之? 早く家に行きましょう」

 「―――――やっぱりお前学校へ行け」

 「へっ ちょ、ちょっと―――」

 「大体やりたい盛りなのは分かるが何回もこういうのはするもんじゃないと思うのよ、オレ」

 「だ、だれがやりたい盛りですって!」

 「お前だよお前。さっきから胸を押しつけてきてるし、顔も赤らめやがって。自分でも分かるだろう」

 「う・・・」


  いきなりオレの言葉に戸惑うエリカ。やっと乗り気になってくれたのにいきなり断られて戸惑っているのが見てとれる。

  うー・・・と呟いてオレの腕を一生懸命引っ張るがピクリとも動かない。てか力弱いなこいつ。まだ子供の方があるように感じられる。

  そんな様子に焦れたのかオレの眼を見ようとした。あのオレが弱い眼で―――――


 「きゃっ!」

 「いつまでも駄打こねてないでさっさと学校へ行け。そして青春を満喫してこいよ」

 「い、いきなりなんて事を・・・・!」


  だからエリカの目を突っついた。一般的には目潰しという。まぁいくらオレでも眼球を傷付ける事は出来ないので目の上を突っつく形になってしまったが。

  そしてオレはエリカの背中を押してやった。その背中に柔らかい感触に少し性欲が頭を出すが無視する。だがエリカは納得いかないようでそこから動こうとしない。

  オレはそんな様子のエリカにため息をついて―――手を引いて胸に引き寄せた。いきなりの行動に驚くエリカ。そんなエリカの耳元でオレは囁いた。


 「帰ってきたらまた構ってやるからよ。今はおとなしく学校へ行け、な?」

 「い、今じゃだめなの・・・?」

 「駄目だ。大体そういうのは昼間っからやるもんじゃない。夜なら―――そんな気分になれる。好き放題お前に触りたい気持ちになれる」

 「そ、そうなの・・・・?」

 「ああ。どうせやるなら昨日みたいに月だけが照らしている部屋の中でしたいだろ あの時の雰囲気をよく思い出せ」

 「あ・・・」


  そう言ってオレはエリカの頬を撫でる。エリカはその時の様子を思い出したのか頬を赤く染めて―――にやにやしだした。

  ちょっと引いてしまうような笑い方だが見ない事にしておく。その方がエリカの為になるだろう。そして極めつけにそっとエリカの口にキスをして離してやる。

  いきなりオレからキスしたので驚いた顔になったが、次の瞬間にはまた更に顔を朱色に染める。自分の唇にそっと触れて照れるような笑顔になるエリカ。


 「・・・・も、もう。義之からそういうのをしてくれるのは嬉しいですけど・・・いきなり過ぎますわ」

 「はは、悪いな。とりあえず学校へ行った方がいい。ズル休みなんてお前らしくないし、オレもそんな事をお前にさせたくない」

 「・・・・・・分かりましたわ。でも絶対にまた―――」 

 「分かった分かった、約束するよ。だから早く学校へ行ったほうがいい。せっかく朝早く出たのに遅刻しちまうぞ」

 「あ・・・・」


  そう言ってまた軽く背中を押してやった。そして不承不承ながらもエリカは歩き出す。その途中に何回もオレの方を向くのでその度にオレは手を振ってやった。

  頬を軽く膨らませながらエリカが角を曲がったのを確認してオレは後ろを向いて歩き出す。さてと―――これでゆっくり話す機会が出来たな。

  そう思いながらオレはその場所に向かって進んだ。




















 「オレは迷っている。まずこの間の件について詫びるか、それとも覗き見していたお前に対して嫌味を言うか・・・・どっちから言おうかなとな」

 「うー・・・」


  そう言って電柱の陰に隠れて身を小さくしている由夢に向かって喋りかける。さっきターンした時にさっと隠れるお団子頭が見えたのでこうして
 エリカの誘いを断って由夢に接触した次第だ。

  由夢は観念したのかおずおずといった様子で電柱の陰から出てきた。まったく・・・・何も隠れる事は無いだろうに。

 
 「そうだな。まずはこの間の件について謝ろう。すまなかったな、由夢。怪我は大丈夫か?」

 「あ、や、そ、それは大丈夫です。お医者さんに看てもらいましたけどなんとも無かった様ですし・・・湿布だけもらって帰ってしました」

 「そうか、自分がやった事ながら悪い事をしたな。もう二度としない。どうかしてたんだよオレ。本当に悪い事をしたな」

 「あ、ちょ、ちょっと兄さんっ! そんな頭まで下げなくても・・・・」


  そう言って素直に頭を下げた。音姉と同じく由夢もあたふたした様子でオレの行動に戸惑っていた。二人揃っての同じ行動にさすが姉妹と場違いな
 事を思う。そしてオレは頭を上げて由夢に問いかけた。


 「で、だ。お前はどこから見てたんだ?」

 「えっ・・・」

 「オレとエリカの・・・・まぁ、なんというかな。分かるだろ」

 「えっと・・・その・・・あ、あははは」


  誤魔化すように笑う由夢。オレはそれを黙って見る。視線は早く言えよといった意味も込めて見据えた。

  そんなオレの様子に観念したのか段々笑い声は収まっていき、黙ってしまった。そしてポツリと言う。
  

 「・・・・兄さんがオレのせいで初音島の治安率を下げているとかなんとか言ったところから」

 「・・・・全部じゃねぇか。それも話が筒抜けときたか」

 
  オレとした事がなんてザマだ。あまり自分の声は大きくないと自覚して筈なんだがどうやらそうではないらしい。

  顔に手を当て天を思わず仰ぎ見る。そんな様子に由夢はどこか焦った様子で喋りかけてきた。


 「だ、大丈夫っ! 話なんて途切れ途切れにしか聞こえてこなかったからっ!」

 「・・・・そうかよ。慰めてくれるのはありがたいが、オレとしては途切れ途切れでもあんまり他の人に聞いて欲しくない話題ではあったんだ」

 「うー・・・・」


  何が悲しくて妹同然のヤツに情事やら恋愛事情を聞かれなければいいけないんだ。意味が分からん。余程オレは浮かれていたんだろうな。

  美夏との件もまだ心にくすぶっているというのに呑気な奴だ。自分の事ながら罵声を吐かずにはいられなくなる。思わず自分の事を殴りたい衝動に駆られる。

  由夢はそんなオレの様子を黙って見ていたが急にハッとした顔になり、声を大きくして喋りかけた。あまりの声量の大きさに耳を塞ぎたくなる。


 「そ、そんなことよりっ! 最低ですよ、兄さんっ!」

 「あ」

 「話を聞いていれば天枷さんの事が好きとかっ! それなのにムラサキさんと・・・その・・・・そ、そういう関係になっているとかっ!
  女の子に対してだらしなさ過ぎますよっ」

 「あー・・・・・」

 「ちょっと兄さんっ! 聞いて――――――」  

 「あーはいはい。ちょっと黙りましょうね、由夢ちゃん」

 「む、むぐぅぅぅ」


  由夢が空に響き渡るような声で喋りはじめたので口に手を置いて黙らした。由夢は文句を言いたそうにしているが喋らせない。

  こいつはやっぱりオレの事が嫌いなのだろう。こんな天下の往来で、それも朝の登校時間にオレの評価を下げまくるような発言をしているんだから間違いない。

  そしてしばらくしてやっと黙ったので手を離してやる。ぷはぁと深呼吸するように口を大きく由夢。その手を引いてオレは歩き出した。


 「ちょ、ちょっと兄さんっ! どこへ行くの」

 「オレは家に帰る途中だったんだよ。知っての通り昨日はエリカの家に泊まったからな。だからオレは家に帰る」

 「な、なんで私まで―――」

 「お前にはあまり知られたくない事を知られてしまった。このまま中途半端にお前を投げ出すとロクな事にならない。だから色々教えてやろうと思ってな」

 
  このまま変な誤解をされたまま放ったらかしにするときっとロクでもない事になる。釘を刺しとかなければいけなかった。

  もし美夏に変な風に話でもされたら目も当てられない。ただでさえ頭を悩ましている状況なのにこれ以上混ぜっ返したくなかった。


 「わ、私学校が――――」

 「サボれよ。お前は少し真面目すぎる。たまには休んで悪い事の一つや二つ考えてみろよ。いい経験になる」

 「や、わ、私は悪い事なんて・・・・」

 「世の中はズル賢い奴が生き残れる様に出来ているからな。タダの善人はその勢いに呑まれちまう。オレは妹思いだから心配してやってんだぜ」

 「だ、だれがっ!」

 「オレが、だよ」


  そう言ってぎゃーぎゃー騒ぐ由夢を引っ張って行く。途中恥ずかしいから手を離せと生意気な事を言ってきたので意地でも離さなかった。

  顔を赤らめてあたふたする様子は見ていて和やかになれるが、今はからかう気分ではないので構わないでおいてやった。

  平気な様子で手を繋ぐオレを見てぶつくさ文句を言う由夢。そうしてオレ達は仲良く手を繋ぎながらオレの家に帰った。



















  
 

 
 
   

  
 「はぁー・・・・・・私の知らない所でそんな事が」

 「むしろお前が知っていたら怖いな」

 「どうしよう・・・これからどうやって天枷さんとムラサキに接すれば・・・」


  そう言ってコタツのテーブルに顔を埋める由夢。オレはその様子を黙ってお茶を飲んでいる。やっぱり玉露はいい。さくらさんの用意したもの
 だから尚更美味しいな。さすが日本人より日本人らしい人だ。


 「普通に接すればいいだろう。いつも通り外面厚くしていけば問題ねぇよ。この腹黒が」

 「だれが腹黒ですって・・・・」

 「お前の事だ。いつもあの人この人にいい顔をして中々自分を見せようとしない。そうやってるとオレみたいにいつか仲間外れにされるぞ」

 「・・・・・」


  少し思い当たる節があったのか黙ってしまう由夢。まぁこいつの場合そういう態度が世の中に対する処世術ってしまっているので今更変わりようがないと思うが。

  いつからは忘れたが小学校に入った時からこんな感じだと思う。年季の入りがそこいらのヤツとはもう格段に違う。もう完璧に使いこなしていた。

  ちゃんと表と裏を使いこなしている由夢。いつからこんな可愛気のないヤツになっちまったんだか。まぁそれを言うならオレもか。


 「最近美夏はどうしている 学年一緒のお前なら何か分かるだろ」

 「えっ。まぁそんなにいつも一緒という訳ではないですからハッキリとは言えませんけど・・・元気が無いように感じますね」

 「そうか・・・・」

 「あの・・・兄さん 聞きたい事があるんですけれど・・・」

 「ん? なんだよ」

 「――――――天枷さんがロボットという噂、本当なんでしょうか」


  真面目な瞳で問いかけてくる由夢。こいつの場合友達だから余計気になるんだろう。友達がロボットだった、か。それが本当だとしたらこいつはどう思うのか。

  とりあえずオレは杉並がロボットだった事を想像して――――止めた。あんなロボットがいたらたまったもんじゃない。そんな生産工場、オレが潰してやる。


 「ロボットだよ。正真正銘の最新型だと本人は言っていた」

 「・・・・そう、なの」

 「なんだ。友達辞めるのか、お前」

 「え、や、べ、別にそういう事じゃないんだけど・・・」

 「オレの目が気になるなら安心していい。別に友達辞めたって何も言わねぇよ」

 「え・・・」

 「いつだって他の人と違うヤツは弾かれる。それが障害だったり雰囲気だったりとまぁ色々あるが―――要はみんなと違う要素を持っているヤツの事だな。
  もしお前が美夏と関係を続けるとなればその風当たりはお前にも来るだろう。だから友達を辞めたってオレは何も言わない。だれだって弾かれたくない
  からな」

 「・・・・・・・・」


  誰だって自分の身は可愛い。もちろんオレの場合は例外だ。オレの場合は割り切っているしもう慣れてしまっている。今更弾かれたって何も思わない。

  だが由夢の場合はその限りではないだろう。こいつは小さい時から表裏と顔を使い分けて生きている。要は弾かれたくないって思いの表れだ。

  美夏と友好関係を続行するというんであればソレはこいつの生き方を否定する事になる。そこまでしてオレは無理に美夏と付き合って欲しくない。


 「で、でも兄さんは、天枷さんに振られなければ――――ずっと一緒にいたんでしょう?」

 「ああ。好きだからな。こんな性格の持ち主だし他人の目なんか気にならないっていうのもあるが――――普通の性格の持ち主だったとしてもその在り方は
  変わらないだろうな。それほど大事に思っている」 

 「・・・・・・・・・」

 「だからお前は――――」 

 「私、別に友達を辞めるとは言ってませんよ」

 「あ?」

 「なんだかそんな理由で辞めるというのが腹ただしい気持ちもありますが・・・天枷さんは私の友達です。今更そんな・・・」

 「同情で付き合うと痛い目を見るぞ。お前と美夏がな。そういった気持ちで付き合うなら辞めたほうがいい」

 「・・・・・・同情ではありません。私、ずっと思ってたんですよ。天枷さんてなんでこんなに純粋なんだろうなぁって。口は悪いけどいつも
  他の人に気を使うし思っている事をズバッっと発言するし・・・・まるで子供みたいって」

 「・・・・・・・」

 「でね、初めて友達みたいな関係になれた時嬉しかった。だって天枷さんと友達になれたって事は私の事を認めてくれたって事じゃないですか
  そんな純粋な人に認められた私――――もっと頑張らなきゃと思うようになったんです。そんなきっかけをくれた大事な友人でもありますし
  なにより天枷さんの笑顔が私は好きなんです。その笑顔を曇らせたくないんですよ、私は」

 「・・・・そうか」


  耳が痛い言葉だ。オレなんか最もその笑顔を曇らせた人物だというのに――――思わず耳を塞ぎたくなっちまう。

  とりあえずコイツなら美夏の事を守ってくれるだろう。なんだかんだいってあの正義の塊ともいえる音姉の妹だ。何気に情に厚そうな所があるし。

  
 「オレが言うのもなんだが――――美夏の事をよろしく頼むな。多分結構辛い思いをしていると思うから」

 「それは勿論ですけど・・・・兄さん 元はと言えば兄さんがしっかり天枷さんの事を大事にしないからこんな事になるんですよ
  それも天枷さんから兄さんを奪ったムラサキさんと一緒になるなんて・・・・」

 「・・・色々頭が痛い話なんだ。オレとしてもこのままエリカとくっつくのはどうかと思ってるんだよ。どうしたもんか、な」

 「でもこのまま天枷さんとヨリを戻したなら・・・・やっぱり軽蔑します」

 「なんだよソレ。結局どっちみちアレなんじゃねぇか。それとも何か? やっぱり茜とくっ付けばいいってのかよ。今更な話すぎる」

 「えっ、なんでそこで花咲先輩の話が出て来るんですか・・・・?」

 「・・・・・・・・・・やべ」

 「あっ! もしかして花咲先輩とも何かあったんですねっ!? そういえば何回か兄さんと花咲先輩が腕を組んでいるシーンを見たことがありますよっ!」

 「あーうっせうっせ。聞かなかった事にしろ。茜との事はもうすでに決着が付いている。今はオレの事を応援してくれているよ」

 「そ、そうなんですか・・・・。じゃ、じゃあ花咲先輩とはもうなんでもないんですね」

 「ああ。気のいい友人だ。お前も今度会ったら色々喋ってみるといい。人間がよく出来た女だ」


  茜ほど人間はよく出来ている女はいない。好き嫌い別にしたってオレはそう思っている。度胸もあるし器量もいい、最高の女だ。

  そういえばエリカとの件を聞いたらどう思うのだろうか。やっぱりグーだよなぁ。もしオレが茜の立場だったらそうするし。


 「まぁ少し変態な部分はあるが気にしなくていい」

 「そ、そうは見えませんが・・・・。それは確かにそういった知識は豊富そうに見えますけど・・・」

 「いや、結構なもんだぜアレは。初めてキスした時なんかはオレはもうドン引きしたね、マジで」

 「・・・・・・・キス?」

 「――――――聞かなかった事にしろ。いいな」

 「て、手出してるんじゃないですかっ! こ、この女たらしっ! 女の敵っ! そ、そのうち刺されますよ、兄さんはっ!」

 「・・・・そん時はお前の事も道連れにしてやるよ、由夢」

 「な、なんで私まで・・・・!」

 「美夏は初めて出来た恋人だし茜はオレの友人だ。そんでエリカは――――まぁオレの一目惚れの相手だ。そして残るのは兄思いの妹・・・お前だけになるな。
  いくらオレでも一人で死ぬのはごめんだね。お前もオレと死ねて本望だろう。そうに違いない。」

 「い、いやですよっ! 何が悲しくて恋愛の縺れで刺される兄さんと死ななくちゃいけないんですか! 死ぬなら一人で死んでくださいっ!」

 「言ったな、てめぇ」


  そう言ってオレは由夢のお団子をもぎ取ろうと頭に手を乗せる。何をされそうになるか分からないのか困惑する由夢の表情。

  そしてお団子を引っ張った。おーなんかフ二フニするなぁこれ。結構前から触りたいなとは思ってたがこんな感触だったのか。少し感動だな。

  由夢はいやいやするように首を振ろうとしたがお団子頭と一体化している髪。少し首を捻った所で痛さに顔をしかめて何も出来ず止まる事しか出来ないでいる。


 「は、離してくださいよっ! 兄さんっ!」

 「あはは、お前の髪ってセット面倒くさそうだな。よくもまぁ女ってやつは毎朝こんなのセット出来るな。尊敬出来るよ」

 「あ・・・・・」

 「ん? なんだよ」

 「兄さんの笑った顔って・・・・久しぶりに見た気がする」

 「・・・・・気のせいだろ」


  そう言ってオレはお団子頭から手を離した。なんだか興がそがれちまった。オレはテーブルの上に顎を乗せて目を閉じる。

  そんな様子のオレを見て由夢がどういった態度を取ろうかソワソワしているのが雰囲気で分かった。だが構う気が無くなったので放っておく。

  そうしてしばらくシーンとした雰囲気が流れていたが、何か由夢が言おうとしているのが気配で分かった。何か面倒な事を言うんじゃないだろうな。


 「ね、ねぇ兄さん?」

 「んだよ?」

 「兄さんの髪も・・・・触っていい?」

 「オレの髪?」

 「うん。去年ぐらいから兄さんってストレートかけてるじゃない? なんだか触ってみたくなっちゃって・・・・」

 「・・・・・・・」

 「い、嫌ならいいんだけ――――」

 「別にいいよ」

 「えっ?」

 「早く気が変わらないウチに触れよ」  
      

  そう言って黙るオレ。由夢はどうしようかといった風だったが、意を決して立ちあがりオレの横に座り込む。というか触るならそこからでも出来るだろうが。

  そしてまるで暴れん坊の猫に触るかのような手つきでオレに触ろうとする。オレはというとまだテーブルに頭を乗せている。大体さっきからの様子は見ない
 でも分かっていた。オレが特別なんかじゃなくてこいつの場合いちいち動きが大げさだからオレでなくても分かる。


 「わぁ・・・・」

 「なんだよ」

 「や、思ったよりサラサラしてるなぁ~って・・・・」

 「・・・・まぁ、それなりの金払ってストレート掛けたからな」

 「・・・・ふ~ん」


  撫で撫でする由夢の手。人の事を撫でるのは結構あっても撫でられるのは初めてかもしれないな。案外気持ちいいんもだとオレは心の中で呟く。

  オレの髪を触るヤツなんて大概はケンカ相手だ。オレの事を這いつくばらせたくてオレの髪を掴もうとするヤツら――――ロクな人種ではない。

  そういえば昨晩エリカに撫でられた様な気もするが、なにぶん行為の最中だ。いちいちそんな事なんて覚えていない。


 「お前の髪も触らせろよ」

 「えっ?」

 「もうお団子には悪さしねぇからよ。暇つぶしに触ってみたい」

 「暇つぶしって・・・・まぁいいけど。はい、どうぞ」

 「ん」


  撫でるとサラサラした感触が手に伝わってくる。オレみたいな手を加えた髪質ではなく女の子独特の髪のサラサラ感がした。思いのほか手触りがよく何度も掬う。

  お互い撫で合うという奇妙な図だが生憎この家にはオレ達二人以外だれもいない。まぁ要は好きなだけ触り放題って事だ。嫌じゃない沈黙が流れ始める。

  こんな風に由夢の頭を撫でるのは何年振りだろうか・・・・。小さい頃は何度か撫でた様な気もするが――――少しも覚えが無かった。

  由夢もオレと同じ体制でテーブルに頭を乗せながらオレの頭を撫でている。そしてその時―――ちょうど由夢と目が合ってしまった。


 「・・・・あ」

 「・・・・・」  


  小さく呟き声を漏らして黙る由夢。オレもなんとも言えなくなり黙る。思わず両者の頭を撫でる手が止まってしまった。

  そして流れるなんとも言えない雰囲気。なんとなしに由夢の頭に乗せている手を自分の方に引き寄せた。大した抵抗はなく引き寄せられる由夢の頭。

  ああ――――なんかヤバイなこの雰囲気。よく最近オレが感じるこの雰囲気。オレが手を離すか由夢が抵抗すればいい話なんだが・・・・そのどちらも
 両者はしなかった。そして段々近づくお互いの顔。潤んだ由夢の目がオレの目を見詰めているのがよく分かる。

  なにやってるんだ、最近のオレは場に流されすぎだぞ。由夢も抵抗しろよな、いやマジで。ただでさえエリカと美夏との件でパンクしそうなのにこれ以上――――


 「・・・・・・ん」

 「・・・・・・・」
    
    
  そしてキスをしてしまった。直後に襲いかかる後悔の嵐。オレってヤツはもう本当に何でこうなんだよと思わずにはいられない。

  女ならだれでもいいって訳じゃねぇのに。それもなんか面倒臭そうな相手としてしまった。ああ、本当に時間が戻ればいいのに。

  数秒ぐらい口を合わせて自然にお互いの顔から離れる両者。そしてハッとした顔になる由夢の顔。みるみる内に赤くなっていく。


 「お、おい、由夢」

 「・・・・・・・」

 「なぁ、聞いて――――」

 「――――――――ッ!」

 「あ、おいコラっ! 何すんだよテメェ!」

 「う~~~~っ!!」


  オレの頭をぽかすか殴り始める由夢。大して力はないので痛くないのだがそれでもかなりうざったいのに変わりは無い。

  オレはその手を止めようとう手を動かすが、その前に由夢は立ちあがり叫んだ。


 「こ、この女たらしっ!」

 「あ――――ああっ!?」

 「そ、そうやっていつも女の子とキスしてるんでしょう! だ、だから天枷さんとかムラサキさんが泣いちゃうんですよっ!?」

 「あ、この野郎っ! だったら抵抗すればよかったじゃねぇかっ!」

 「あーそうですかっ! 開き直りますかっ! そういう雰囲気を出したのは兄さんの方でしょっ!? 私は悪くないですからねっ!」

 「そういう事いうかてめぇ! どうせ何か期待してたんだろうっ!? キスする前そういう目してたもんなっ!」

 「――――――――ッ! か、帰りますっ!」


  そう言って玄関に踵を返す由夢。あーマジかったるくなる展開だ。オレは面倒に思いながらも立ちあがって由夢を追いかけた。

  玄関に行くと由夢は靴を履いている途中だった。オレはその背中に言葉を投げかけた。


 「おい、ちょっと待てよっ!」

 「心配しなくても大丈夫ですっ! 別に兄さん達のこじれた恋愛事情に頭突っ込みませんからっ! それじゃあね、兄さん!」

 「あ――――」


  ぴしゃんと閉じられる戸。オレはなんとも言えずその場に立ちつくしてしまう。だがいつまでもこうやって突っ立ってる訳にはいかない。

  なんにしてもキスしたのは事実だ。別にこれといって恋愛感情がないのにキスなんかしちっまったオレ。もう屑と呼ぶのさえおこがましい。


 「・・・・あーマジでかったりぃ! くそっ・・・・!」


  そう言ってオレも靴を履いて由夢を追いかけた。つーか今になってこれ以上状況を悪化させるなんて思わなかった。

  昨日エリカの事を抱いたと思ったら翌日には妹みたいな奴と唇を重ねていたオレ。もう笑い話にしかならない。

  事故みたいなもんだし、由夢もそう思ったからこそ逃げるように出て行ったのだろう。


 「なにやってんだよオレはっ!クソッたれっ!」


  そう呟いてオレは頭を掻きむしった。外に出て朝倉家の方向を見るとお団子頭が家の中に入っていくのが分かる。

  オレは意外と近くに逃げ込んだ事が分かりホッと一安心して歩き出した。まさか久しぶりに朝倉家訪問がこんな形で訪れるとは思いもしなかった。

  玄関前に来ると色々な事を思い出す。由夢達と過ごした幼少の日々、魔法を教えてくれた純一さん。そんな事を思い出しながらオレは玄関のチャイムを鳴らした。





















[13098] 20話(中編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2009/12/17 13:13













 「ああ、もうっ!」


  そう叫んで私はベットの上に身を投げ出した。部屋に来る前にお祖父ちゃんと会ったが何も言わず無視をしてしまった。少し悪い事をしたと思う。

  しかし今更戻る気にもなれず布団の上で寝返りを打ち天井を見上げた。毎日見ている筈の天井がいつもと違ってる様に見えるのは果たして気のせいか。

  今の気分は最低でもあり―――最高でもあった。あの兄さんとキスをした事実に思わず顔がにやけてしまう。そんな自分を殴りたかった。


 「兄さんと・・・・キスしちゃったのか」


  唇にはまだあの生々しい感触が残っている。頭を優しく撫でながらこっちをポーッと見ていた兄さん。確かに優しくなったけど、どこか元気がなかった。
 
  よく雑誌とかテレビで失恋中の人間は心理状態が不安定になり無意識に人を求める事があるというが――――まさしくそんな感じだったと思う。

  あの誰も人を寄せ付けない態度を取っていた兄さんがそんな状態になるなんて思いもしていなかったが・・・・実際問題として私とキスをした。


 「・・・・ムラサキさんという人がいるのに、ね」 


  天枷さんと別れてムラサキさんと体を重ねた兄さん。はっきり言って腹ただしい気持ちがあった。何年も私の方が兄さんとの付き合いがある筈なのに
 横から奪い取られた気分だ。

  けど天枷さんと付き合っている事に関しては意外と何も感じなかった。あれだけ純情な女の子だ。正反対の性格になってしまった兄さんとは惹かれあう
 何かがあったのかもしれない。磁石と同じ原理で正反対の力を持っている同士くっついたのは自然な事だとすら思ってしまっている。

  だからムラサキさんのやり方は気に喰わない。そんな純情な天枷さんを傷付けてまで彼女の場所を奪ったムラサキさん、卑怯者だと思っている。

  二度振られたんだからいい加減諦めればよかったのだ。そこまでして兄さんに辛い思いをさせて手に入れたかったのか? 兄さんは物でもなんでもないのに。

  話を聞けば聞くほどその卑怯者という思いが強まっていった。私には信じられない。他の人を傷付けまでも手に入れようとするその考えは――――――

    
 「違う」


  ベットの脇にある壁を思わず叩いてしまった。普段ならしないような行動。気が立っていた。自分が秘めている感情を否定したくてムラサキさんの悪口
 ばかり考えている自分に腹が立つ。

  本当は話を聞いた時―――思わずムラサキさんの気持ちがよく理解できてしまった。羨ましかった。卑怯な手で兄さんを手に入れたムラサキさんを妬んでいた。

  同族嫌悪というべきだろうか・・・・そういったものを私は感じ取っていた。多分私がムラサキさんの立場だとしたら同じような行動を取っていただろう。

  だからこそ許せない。第三者の目で見るととても醜く映った行動に理解を覚える自分を許せないし、そんな思いをさせるムラサキさんを見ているととても
 不愉快だった。

  クラスメイトに由夢は潔癖症な所があると言われた事がある。そんな事ある筈がないと思っていたが―――今はその通りかもしれないと感じている。



  潔癖症な所がありながらそういった暗い感情を持て余している自分。とてもじゃないが兄さんとか姉さんには見せられない。

  さっきの行動にしたってそうだ。髪を触るなんて言葉を口実に私は兄さんに近づいた。今の弱っている兄さんなら、どうにか取り返せるかと思ってしまった。

  兄さんは私の頭を自分の方に引き寄せてキスをしたと思っているだろう。確かに微々たる力だがそんな行動を兄さんは取っていた。

  だが決定打では無い。これ幸いと近づいていったのは自分だ。あの目と口を見ていたら我慢が出来なくなっていた。ムラサキさんが天枷さんから奪った様に
 私もムラサキさんから兄さんを奪おうとしてしまった。

  
 「最低だな。私って」


  ムラサキさんがした行動をなぞっている自分にどうしようもない感情を抱く。あのキスしている数秒間に至福を見出してしまって自分に暗い感情を抱く。

  本当はこんな事したくないという気持ちともしかしたら兄さんを取り返せるかもしれないという気持ちがゴチャゴチャになって心を乱していた。

  だからあの場を逃げ出してしまった。そんな事を思っていないと否定したくて兄さんに酷い言葉を投げかけてしまった。もう呆れ果てているかもしれない。

  私はその感情がとても気持ち悪く、制服のまま布団の中に潜ってしまった。






















 「今お茶を持ってくるから、座ってておくれ」

 「あ、そんなお構いなく――――」 


  オレは制止しようとしたが純一さんは立ちあがって台所の方に向かって歩き始めてしまった。オレは手持ち無沙になってしまいソファーに背中を預ける。

  久しぶりに来た朝倉家は細かい所は変わっているが記憶通りの場所だった。思わず幼少の日々を思い出してしまう。まだ人としてぶれていなかったあの頃を。

  そして純一さんが熱いお茶を台所から持ってきてオレの前に置く。オレは礼を言うだけにしてそのお茶に手をつけなかった。


 「純一さん」

 「ん? なんだね」

 「すいませんでした」


  そしてオレは純一さんに頭を下げる。もちろん音姉や由夢についての謝罪だ。いづれ謝ろうと思っていたのでこの機会に頭を下げようと思った。

  純一さんは少し不思議そうな困ったような顔をしながらオレに話しかけてきた。


 「いやはや・・・・いきなりどうしたんだい?」

 「音姉や由夢に暴力を働いてしまった事について謝りたいんです。本当にすいませんでした」

 「・・・・・さくらから色々話を聞いているよ」

 「え?」

 「君は私の知っている義之君ではないという事だよ。色々複雑な事情で感情がコントロール出来ない事も知っている。まぁ―――だからといってしょうがない
  とも思っていないがね」

 「・・・・・・当然です」


  厳しい視線を送る純一さんに何も言えなくなってしまう。純一さんにしてみればオレが何者であろうと関係ないのだ。問題はオレが音姉達を殴る蹴るなどの
 暴力行為を働いた一点に限る。

  小さい頃から面倒を見てきた家族の者を傷つけられたのだ。今ここで純一さんがオレを殴ったとしてもしょうがないだろう。

  殴られたら瞬間的に頭に血が上ってしまうだろうが手は出さないつもりだ。好きなだけオレをボロボロに殴ったとしてもそれはそれで構いやしなかった。


 「もしかして義之君は・・・・わしに殴って欲しいんじゃないかね?」

 「え・・・・」

 「そういう気持ちが態度に表れているよ。殴って欲しい、許して欲しい、自分の罪を軽くして欲しい・・・・まぁ、そんな所だろうなぁ」

 「・・・・・・」

 「だからわしは殴らない。その方が義之くんには堪えるだろ?」



  そう言って純一さんは台所から汲んできたお茶に口をつける。そして口の中の熱を追い出すように息を漏らした。少しばかり沈黙が流れる。

  まぁ―――確かに堪えるやり方だ。正直謝ってスッキリさせたい気持ちがオレにはあった。純一さんにはそんなオレの気持ちなんか見透かしているに違いない。

  だからオレはそれを甘んじて受けようと思う。決してそれが償いとなるとは言えないが―――今はそれしか出来ないだろう。


 「まぁもうやってしまった事だし混ぜっ返したりしないよ。もうニ度としないだろうしね」

 「・・・・はい。そのつもりです」

 「うん。さて―――今日この家に来たのは由夢を訪ねての事だったが・・・・何かあったのかね?」

 「・・・・・まぁ、色々です。けど酷い事をしたとかそういうのじゃないので・・・・・」

 「義之君はそう思わなくても向こうはそう思っていない可能性もある。違うかね?」

 「・・・・・おっしゃる通りです」

 「――――すまんな、意地悪を言ってしまって。まぁ義之君達も若いし色々あったんだろう。すまないが早くアレと仲直りしてやってくれ。あまり
  孫が泣く姿は見たくないのでな」

 「はい。分かっています・・・・それじゃあ」


  そう言ってオレは立ちあがった。由夢の部屋は覚えている。小さい頃は何度か入った事はあるがそれっきりなので少し緊張みたいなものを感じていた。

  そんなオレに純一さんは声を掛けた。首を回し振りかえると純一さんは笑っていた。そんな様子にオレは少し緊張感が和らぐ。


 「はは、久しぶりの由夢の部屋だろうけどそんなに緊張しなくていい。アレの部屋はどうせ一人暮らしの男と変わらない部屋をしているよ」

 「・・・・怒られますよ」

 「・・・・はは。冗談だよ冗談。まったくあいつが一番音夢の性格に似て―――――」


  そして独り言をぶつぶついいながら庭に出る純一さん。日課の庭の手入れだろう。庭には綺麗な花が咲いている。

  オレは気を入れ直して由夢の部屋に向かうため踵を返す。一人暮らしの男と変わらない部屋―――ゴキブリとかいねぇだろうな。





















 


 「入りますよ・・・・っと」

 「・・・・・・・!」


  いきなり兄さんの声がして心臓が跳ね上がる。ノックの音は聞こえていたがお祖父ちゃんだと思っていた。まさか兄さんがこの部屋に来るとは思ってもいなかった。

  物怖いしない態度でズカズカと部屋に入ってくるのが布団の中から伝わってくる。少しは遠慮して欲しいモノだ。私だって年頃の女の子なんだから。


 「・・・おい、由夢」

 「・・・・・・」

 「いきなりあんな真似してすまなかったな。最近のオレはどうにもすぐ雰囲気に流されちまっていけない。お前にまであんな真似しちまうなんてな」

 「・・・・・・」

 「まぁ、こんな言い方は腹が立つと思うが―――犬に噛まれたもんだと思ってくれ」

 「――――――ッ!」

 「オレはお前にそういった感情も抱いてないしお前だってオレの事は好きじゃない筈だ。早々にお互い忘れよう。その方がいい」


  犬に噛まれた程度。兄さんは確かにそう言った。私はこんなにも意識しているというのにただの事故で済ませてしまっている。

  笑える話だ。兄さんを奪い返すどうのこうの以前の話で私に何の感情も抱いていないのが分かった。分かっていた事だがかなり堪える。

  ベッドが軋む感覚がした。兄さんが私のベッドに座ったのだ。次にどんな言葉が飛び出すか布団の中で不安でいっぱいになりながら身を固める。


 「さっき久しぶりに純一さんと喋ったよ。お前に何かあったんじゃないかって心配している。オレが言うのもなんだが早く顔を出し方がいい」

 「・・・・・・」

 「・・・・オレ、そろそろ行くよ。勝手に部屋に入ってごめんな」


  そう言って立ちあがって出て行こうとする兄さん。ベットから一人分の体重が無くなる感触がした。その感触に不安な気持ちが広がる。

  普通だったらこのまま兄さんを出て行かせたほうがいい。そうすれば明日からは普通に話せるだろう。今日の事なんか無かった事にして。

  兄さんは兄さんでムラサキさんや天枷さんの事で頭を悩ませている。私の事なんかまるで興味が無いしこれ以上私が頭を突っ込むべきではないと思っている。

  なのに――――なんで私は兄さんの手を掴んでいるのだろうか。


 「・・・・由夢?」

 「・・・・・・」

 「・・・・・はぁ」


  布団の中から腕だけ伸ばして手を掴んでいる私に呆れ果てたのか少しため息をつく兄さん。きっと私が何を考えているのか分からないのだろう。

  私だって分からない。本当はどうしたいのだろうか私は。天枷さんを応援したい気持ちがあると同時に、私がその場所に居座りたい気持ちがあった。

  ムラサキさんは駄目だ。あの女性だけには兄さんを渡せない。性格がどうのこうの以前に、理屈では無くその在り方が私と似ていて嫌いだったからだ。

  なのにその私が兄さんの脇に居座ろうとする矛盾。結局のところ私は兄さんの隣に居たいだけなんだ。そしてまたベットに兄さんが腰掛ける。


 「ふ~ん」

 「・・・・・・・」

 「ほぉ」

 「・・・・・・・」

 「へぇ~」

 「・・・・・・・」


  兄さんが私の部屋をジロジロ見回している雰囲気が伝わってきた。途端にさっきまで不安だった気持ちが恥ずかしさに変わってしまった。

  きっと顔は朱色に染まっているだろう。私は布団に入る前の自分の部屋を思い出した。確か変な物は置いて無かった筈だ。掃除だってキチンとしてるし。

  兄さんに見られて困るモノは無い筈だ。もし万が一、仮にあったとしても兄さんは見て見ぬフリをしてくれるに違いない。


 「最近の女性向け雑誌はよくこんな特集を組めるよなぁ。『気になるカレとの一晩の過ごし方』ねぇ」

 「―――――ッ!」

 「お前も成長したんだなぁ。こんな―――――」

 「か、返してっ! バカっ!」


  そう言って私は少しだけ頭をだして兄さんからペラペラ捲っていた雑誌をひったくり返した。そして慌てて再び布団の中に潜り込む。

  どうやら私の兄さんにはデリカシーみたいなのは無かったようだ。昔からそういったものは無いようだったが最近は度を越して無くなったのを思い出す。

  もう恥ずかしいなんてものじゃない。何が悲しくてこんな辱めを受けなくてはならないんだ。手にした雑誌を固く握りしめる。


 「しかしもうそんな歳頃かぁ。小さい頃はお兄ちゃんお兄ちゃんてうざったい位オレの背中追っかけてきたのにすっかり色気づいちゃって」

 「・・・・・・」

 「なんだ、またダンマリか。手なんか握ってくる位だからなんか言いたい事でもあるんじゃないか?」


  そう言って繋いだ手をプラプラさせてくる。少し呆れたため息みたいなのも聞こえてきた。その呆れ声を聞いて少し腹が立つ。

  キスをしたっていうのに特に何の反応を示してこない。本当にただの事故だと思っているようだ。微々たる力とはいえ私の頭を引き寄せたと言うのに、

  ああ―――もう全部自分の気持ちを言ったほうがいいのではないかと思い始めた。今まではそれが出来なかったが今なら・・・・出来る気がする。


 「そういえば美夏もなんだか知らないがそういった雑誌持ってたなぁ。ロボットの癖にそういった物に興味を持つのはやっぱり女だからなのか」

 「・・・・・・」

 「今頃何してんのかなぁ。またクラスの奴らに嫌がらせ受けてねぇだろうな・・・・」

 「・・・・・・」

 「しかし元彼がいって注意するのも恥ずかしい―――いや、オレの場合そんな事関係ねぇか。そんな事してるヤツがいたらブン殴ってやる」

 「・・・・・・」

 「お前も出来る限り注意してやってくれ。お前ならそこそこ人望もあるし・・・・きっとお前の言うことなら――――」


  そこまで言って私は兄さんを布団の中に引きずり込む。いきなりの事で反応出来なかったのか素直に入ってきてくれた。

  さっきから口を開けば美夏美夏ばっかり言って苛々する。手なんか繋いでいる癖に口から出るのは他の女性の名前だけ。天枷さんの気持ちが分かる気がする。

  この男はろくでなしだ。天枷さんの事が一番に好きながらもムラサキさんと体を重ね、あの場の流れとはいえ私とキスまでした。

  不安だったに違いない。そこのところをこの男は理解しているのだろうか、この女好きめ。そのうち刺される事になっても私は知らない。


 「兄さんて本当にろくでもないよね。色んな女性とキスまでして泣かせて傷付けてそして騙して。その内刺されるよ?」

 「・・・・・やっと喋ったと思ったらソレか」

 「ねぇ、なんで私とキスしたの? 好きだから? 寂しいから? 場の勢いだから? 天枷さん達とかで味をしめたから? 私ともヤリたいだけだから?」

 「・・・・・そこまで節操がないとは思っていないんだが。エリカにしたってまさかあんな関係に――――」

 「そうだよね。兄さんて別にムラサキさんの事なんかどうでもいいんだよね。だってそうでしょ? さっきからムラサキさんの事なんか一言も出て
  こないじゃない。朝はあんなに仲良さそうに歩いていたのに出る言葉は美夏って言葉だけ。本当は体だけが目的なんじゃないの?」

 「・・・・・いい加減にしないと怒るぜ」

 「嫌だ。怒らないでよ」


  そう言って今度は私からキスをする。雰囲気も何もないが構いやしない。兄さんが怒るなんて所見たくないし怒る理由なんてない。だから口を塞いだ。

  一度したから二度三度したって関係ないだろう。首に腕を回し逃げられないようにする。真っ暗闇の中には私と兄さんの鼻息だけが聞こえてくる。

  唇を離すと予想通り怒りもせずただ戸惑う兄さんの顔だけが見えた。まさか私からキスをしてくるなんて思いもしなかったのだろう。

  ああ、本当にこの人は奪い易いと思う。だからムラサキさんなんかに手籠めにされてしまうだ。普段は悪ぶってる癖にこういう風に責められると途端に弱くなる。

  きっとムラサキさんもこんな感じで奪ったんだろう。同じタイプの人間だから分かる。天枷さんがいない今、こんなにも落とし易い人間は今現在他にはいないだろう。

   
 「・・・なにするんだ、よ」

 「まだとぼけてるの? そこまで鈍い人なんかじゃないでしょ兄さんは。兄さんの事が好きだから私はキスしたんだよ? 兄さんみたいに誰構わずキスする
  人間に私が見える?」

 「・・・・」


  あ、怒った。あの時程じゃないけど怒りで顔が無表情になる。今にでも殴りかかってきておもおかしくない雰囲気になっている。

  だって本当の事を言ったまでだ。傍目からみたらそうとしか取れない行動をとっている兄さんに問題がある。この女たらしには自覚が無いのだろうか。

  顔は怒っている様に見えるが私の好きという発言に少し戸惑いを覚えているのが分かる。心を読めるなんていう超能力なんか持っていないが全てが分かってしまう。

  普段表情を表に出さない人間がそれを出している。感情を出せば出すほどボロボロと胸に込めている表情が零れ落ちてしまっている。それはもう自分の心を
 さらけ出しているのと同じだった。


 「・・・・お前がオレの事を好きだったなんて気付かなかったな――――だがお前とあれこれするのは断るよ。これ以上厄介事を増やしたくないんでな」

 「何を今更。天枷さんと別れさせた張本人のムラサキさんにのめり込んでる癖に。私の一人や二人増えたって許容範囲でしょ?」

 「美夏とは出来れば、また復縁したいと思って―――――」

 「何冗談言ってるの兄さんは。ムラサキさんとあれこれしてる癖にそういう事を言うんだ? へぇ、最低だねって兄さんて」


  私は思わず笑ってしまった。兄さんはそんな私を睨むがいつもの強気な瞳は無い。それはそうだ、本当の事を言ってるんだから。反論出来る筈も無い。

  なんだか強がっている子供のようだ。そう思えば今の兄さんがなんだか可愛らしく思える。お姉ちゃんが弟君と呼んで溺愛する気持ちがよく理解出来た。

  ギュと思わず兄さんを抱きしめる。あんまり男臭くない臭いが鼻に付く。ムラサキさんは毎日こんなことをしてるのだろうか。本当に羨ましい。

  首を回して横を見れば綺麗な頬が目に付いた。そしてそこにキスをする。ビクッと震える様子がまたもや可愛らしい。頬から鼻に、口へとキスしていく。


 「・・・おい由夢、やめ――――」

 「ねぇ兄さん。私ともムラサキさんにしたように同じ事をしたい? したくなったでしょう?」

 「――――――そんな訳ねぇだろ。バカか」

 「また嘘ばっかり。兄さんて最近は何を考えているか分からなかったけど今は全部分かっちゃうんだから――――好きだよ、兄さん」

 「・・・・・・」


  もう決めた。兄さんを奪っちゃおう。あんな人にこんな可愛い兄さんを預ける訳にはいかない。私が兄さんの新しい彼女になろう。

  とりあえず兄さんの首元にキスをして思いっきり吸う。確か雑誌ではこうやると確実にキスマークが残ると書いてあった。ムラサキさんのキスマークが
 無くて本当によかった

  とてもじゃないが同じ所になんかキスしたくない。また小さく震える兄さんが可愛い。というか本当に今の兄さんは流されやすいなぁ。

  そしてまた唇に戻りキスをする。もうここまできたら引き返せないだろう。そういう雰囲気を作ったし今の兄さんには抵抗出来ない筈だ。

    
 「・・・・兄さんからキスしてよ」

 「いや、オレは・・・・」

 「もう、今になって怖気づいたの? ムラサキさんには何も言わないからしちゃっていいんですよ? ほらぁ」


  そう言って唇を突きだす。ムラサキさんに言わないというのは嘘だ。これを口実にしてムラサキさんから奪い取るつもりでいる。

  私は天枷さんみたいに優しい人間ではないのでそう簡単にはいかない。あんな世間知らずのお嬢様に負けるつもりなんて毛頭ない。

  しかし唇を突き出しても一向にキスをしてこない。焦らしているのだろうか。まぁどうせまだ迷っているのだろう。今更な話だというのに。

  だから兄さんの手を自分の胸に持ってくる。かなり恥ずかしい行為だがもう腹は括っている。やれる事はとことんやるつもりだ。後に引き返すつもりはない。

  兄さんの手の上に自分の手を持ってきて強制的に揉ませる。兄さんのゴツゴツした手が自分の胸を揉んでいるという事実だけでもう参ってしまいそうだ。

  
  もしここで兄さんを引き留められる者がいるとすれば天枷さんだけだろう。ムラサキさんにはそこまでの力は持っていないようだし兄さんもそんなにムラサキ
 さんに執着しているようには思えない。

  そして―――その天枷さんも今はもう傍にいない。奪うなら絶好の機会だ。兄さんもその気になってきたのだろうか、目が少し酔っている様にも思える。

  自暴自棄な所を襲うのは卑怯だと思うが・・・・兄さんが言った事だ。悪いことの一つや二つ考えてみろと言ったのは。私はそれを忠実に実行しているだけ。

 
  そしてとうとう決心したのか私の顔に手を当て近づいてくる兄さん。ああ、やっとその気になってくれた。あとはこの勢いのままするだけ。

  場の雰囲気に流される男というのはみっともないと思うが―――今はそれがありがたい。だってそうでなければこんな風に兄さんはキスしようとなんて思わな
 いだろう。目を閉じながらキスしてこようとする兄さんを見ているとそんな事どうでもよくなってくる。

  しかし私と付き合うようになったらそんな事はさせない。四六時中そばに居てやるつもりだ。他の女性に目がいないようにずっと私に目を向けさせてやる。

  そして信用もしない。ずっと心のどこかで疑いの気持ちを持っておく。そうすれば目端が効いてちょっとした事でも気づく事が出来るだろう。

  天枷さんはまるっきり兄さんを信用したばかりにあんな――――いや、今はいいだろう。そんな事よりも今は兄さんとキスをするのが一番の目的だ。


 「・・・・きて、兄さん」

 
  段々近づく兄さんの顔。最初キスしたのではまるで意味合いが違う。私が兄さんの事を好きと宣言してからのキスだ。もうしてしまえば後には引けなくなる。

  意外とすんなり事が進んだがまぁいいだろう。変にゴネられるよりはよっぽどマシだ。そうして私はうっすらと目を開けて兄さんの唇をみる。

  口が何か言葉を発しようと開きかけていた。多分私の名前を呼んでくれるのだろう。早く呼んでくれないかなとどこかウキウキした気分で見詰めた。

  よくドラマとかで見るシーン。淡い羨望を抱いていた。そんなシーンを私が好きな兄さんとするなんて夢にも――――――



 

 「・・・・・・・美夏」
 
  

  
   
  夢にも、夢にも・・・・なんだっけ。何を考えていたのかすっかり忘れてしまった。ハッとした顔になり私を見詰める兄さん。

  そんな兄さんを見て私は――――笑ってしまった。そんなマヌケ顔があまりにも兄さんらしくて笑ってしまった。

  私のそんな様子をみてどこかオドオドする兄さん。それを見て更に笑う私。少しばかり呼吸困難になってしまう。


 「・・・・プッ・・・フフ、何やってるのよ兄さんは・・・・」

 「・・・・いや、その、だな」

 「――――あーあ、冷めちゃうなぁ」


  そう言って布団を跳ね除ける。久々に味わう外の空気が美味しい。それをいっぱいに肺に送り込む。そうすると熱がかかった頭が冷やされた気分がする。

  行為の最中に他の女の名前を呼ぶ―――なんてベタだ。今時のドラマでもあまり使われない設定だ、あまりにも陳腐過ぎて笑ってしまう。

  だが、まぁ・・・・私では結局無理なんだろうという事は分かった。それだけでも収穫だろう。高ぶった心が段々冷えて行くのが分かる。

  結局兄さんは天枷さんの事をまだ好きなのだろう。ムラサキさんがあそこまでして、私がここまでやって呟いた名前が天枷さんの名前――やっていられない。

        
 「さっき兄さんの事が好きだと言ったでしょ?」

 「・・・あ、ああ」

 「あれ、嘘だから」

 「――――は」

 「むしろ嫌いになっちゃった。ホラ、早く出てちゃって。さっきの事は全部犬に噛まれたものだと思っちゃっていいからさ」


  そう言って背中をグイグイ押して布団から追い出す。たたらを踏んでベットから下りる兄さん。そして私はベットの縁に腰を掛ける。

  兄さんの顔は何がなんだか分からないといった具合だ。その顔がまたマヌケで笑ってしまう。こういう顔こそ兄さんらしいと私はこの時思った。

  変に悪ぶって暴れている兄さんよりもこっちの兄さんの方が好ましい。


 「犬に噛まれたってお前・・・・」

 「最初そう言ったのは兄さんでしょ? というかああいう雰囲気で他の女の人の名前を呼ぶなんて最低ですよ」

 「・・・・すまん」

 「ああ、勘違いして欲しくないですけど別に天枷さんの名前を呼んだ事については怒っていませんよ」

 「じゃあなんで・・・・」

 「色々あるんですよ。ただ確実に言えるのは―――もう兄さんに恋愛感情は無いという事だけです。ホラ、私寝なおしますから早く出て行って下さいな」


  そう言って制服姿のまま布団を背中に被る。兄さんは部屋を出て行くこともせず棒立ちになっていた。

  まぁいきなりの展開で戸惑っているのだろう。自分の事を好きと言ってキスしてきた女が嫌いと言ったりさぞや訳が分からないに違いない。


 「あと兄さん? 早くムラサキさんなんかとは縁切った方がいいですよ。あれ、ロクな女の子じゃありませんから」

 「・・・・お前ってエリカと仲悪かったけ?」

 「別にそういう事じゃありませんけど嫌いなものは嫌いなんです。あんな子より天枷さんとより戻した方がいいんじゃないですか?
  行為の最中に名前を呼ぶくらいなんですからまだ好きなんでしょう? あ、別に嫌味で言ってる訳じゃないので誤解しないでくだ
  さい。私、別に怒ってませんから」

 「いや、怒ってるだろお前」

 「いーいーかーらっ! こんな真似をしていないで早く天枷さんにでも会いに行ったらどうなんですか? 校舎裏に忍びこんで
  呼びだすぐらい出来るでしょう」

 「・・・・お前がそんな事を言いだすなんてな」

 「悪いことの一つや二つ考えろと言ったのは兄さんでしょ?」

 「まぁ、確かに言いはしたが・・・・」

 「だから早く言って下さいな。いい加減にしないとお祖父ちゃん呼びますよ」


  そう言って背中に布団を被ったまま後ろに寝転んだ。兄さんはもう何を言ってキリがないと悟ったのか踵を返す雰囲気が伝わってきた。

  私は傍にあった枕を持ち上げながらその背中に声を掛ける。そろそろ枕変えようかなぁ、この間可愛いやつ見つけたからそれを買おう。


 「ねぇ兄さん」

 「・・・・なんだよ」

 「ムラサキさんとは本当に早く縁を切ったほうがいいよ。ああいう人ってなんでもするタイプだから。例えば手首を切ったりして引き留めよう
  としたりね。結構いるんだよ、そういう女の人」

 「・・・・・・」

 「多分兄さんがまだ天枷さんの事を想っている事も知っているだろうし・・・・。何するか分からないよ」


  私はまだいい。のめり込む前に頭を冷やさせてもらったからまだすんなり諦めがついた。まぁ、まだ好きという感情が残っているが・・・・その内
 また落ち着くだろう。もう何年も慣れ親しんでいるあの感情や振る舞いに戻るだけだ。

  けどムラサキさんの場合はもう手遅れな程のめり込んでしまっている。兄さんと話している時なんかまるで王子様を見ているかの様に目をキラキラさせて
 いたし目がもう兄さんしか見ていなかった。

    
  私と同じタイプだから分かる。ああいう風に夢中になる女の子は非常に危険だと。近々ロクでない事をしでかすに決まっている。

  それだったら天枷さんを応援していた方がまだいい。凄く純情なのが玉に傷だが――――それが返って素直に応援したっていいという風な気持ちになれる。

  友達という事で多少贔屓目に見ている所があるがそれでも天枷さんの性格は好ましいと思える。私なんかと違って素直だしとてもいい子なのは分かっている。


 「まぁ―――早いとこ仲直りしたほうがいいかもね、天枷さんと。そうやって自分に甘えてフラフラしてちゃ救われるモノも救われないよ」

 「・・・・分かってるよ。まったく、さっきから偉そうに。妹の癖して少し出しゃばりすぎたっつーの」

 「妹だから言えるんですよ。なんとも情けない兄を見かねて注意してるんです。さっきみたいにすぐ流される兄さんを見てる程情けないモノはありませんから」

 「――――言ってくれるな」

 「ええ、何度でも言いますよ。自暴自棄で自分に酔っている兄さん、早く別れたフリなんかしていないで天枷さんとまたくっ付いて下さい」

 「別れたフリって・・・・」

 「話だけ聞けばそう思うんですよ。この間天枷さんを見掛けた時、大事そうにストラップを握り締めてましたよ。あれはまだ全然兄さんの事が好きなんでしょうね。
  そして兄さんも天枷さんの事が好き。別れたフリじゃないですか」

 「・・・・・まぁ、そうかもしれねぇけど」

 「あとムラサキさんの事はもう無視した方がいいです。なまじ構っちゃうからつけあがってくるんです」

 「・・・・茜にも同じ事を言われたよ。徹底的に無視したほうがいいってな」

 「なんだ、花咲先輩も同じ事言ってるんじゃないですか。だったら早く無視したほうがいいですよ。私だけじゃなく花咲先輩も同じ事を言ってるんですから」

 「――――ああ、分かってはいるよ。分かってはいるんだが・・・・・まぁいいや。邪魔したな由夢、そろそろ帰るわオレ」


  そう言って部屋から出て行く兄さん。まぁ今の返事具合からして分かっていないんだろう。だから花咲先輩に言われたにも関わらずムラサキさんと一緒に居る。

  だがどうやら天枷さんの所には行く様子だ。というかさっさと初めから会いに行けばよかったのに。別れた後すぐにでも行けばこんなにも兄さんは迷わずに済んだ
 かもしれない。そういう話なのだこれは。

  結局最初から最後まで天枷さんの事しか頭に入っていない。ムラサキさんと体を重ねたみたいけどそんなモノ大した事ではない。心がそこにないのだから
 意味がないのだ。いくら体で引き留めたとしても一時的に過ぎない。遅かれ早かれ兄さんはムラサキさんから離れるだろう。 
 
  
 「ムラサキさんは多分その辺の事分かっていないんだろうなぁ。冷静に考えれば分かるのにきっと『絶対義之は私から離れない』と思っているに違いない、うん」



  それほど周りが見えていないに違いない。さっきの様子でしか判断していないけど十分だ。そう信じ切って甘えている目をしていた。

  その内に痛い目を見るだろうが―――そこまでは知った事では無い。私の可能性が無くなった今、天枷さんを素直に応援する側に回ったのだから。

  天枷さんなら素直に応援出来る。私達と違っていい感じにお互いを尊重し合う関係になるだろう。私達ではそれが出来ないと思うし、ね。

  というか天枷さんも天枷さんでちゃんと兄さんを繋ぎ留めて置かないのが悪いと思う。あんな浮気性の男を全部信じきるのはバカとしか思えない。

  まぁ、そんな所に兄さんは惹かれたのかもしれない。あれ? そう考えたら最初から私とかムラサキさんには勝ち目が無かったって事かな?

  あぁもう、終わった事をあれこれ考えるのは止そう。とりあえず今流れている涙を吹いてそれから寝なおそう。たまにはこんな昼間から寝るのも悪くない。 


 「うぅ・・・・グスッ・・・・・てぃ、てぃっしゅ~・・・・ひぐ」


  長年想っていた気持ちを出したと言うのにまた引っ込めるんだ。多少泣いたって構わないだろう。もう二度と出さないこの想い―――無くなる事は無い。

  それほど子供の頃から好きだったし、この先もそうだろう、だが兄さんには天枷さんという好きな人がいる。入りこむ隙間なんて無い事はさっき分かった。

  ああ―――せっかく勇気を出したというのにこれだ。今日は厄日に違いない。大体兄さんがあんな風に流されるのがいけないのだ。男ならドーンと構えて欲しい。

  とりあえずティッシュで鼻を拭いてまた布団に潜る。天枷さん、あんな兄さんですけど根気よく付き合って下さいね。そう思いながらまた深く私は布団に潜った。



















 



 「・・・・まるで狐に化かされた気分だ」


  そう呟いて朝倉家の玄関を潜る。いきなり好きだの嫌いだの言われて家を追い出されてしまった。上を見上げて由夢の部屋を見る。

  危うく由夢とキスして場の雰囲気に流されそうになってしまったが・・・・そうはならくてホッと一安心する。

  由夢がオレの事を好きという話――嘘だと言っていたが、多分本当だろう。思えば前の世界で視線をいつも感じていた。

  その時は何も思わなかったが・・・・そういう事だったのかと合点がいった。そしてオレの事を嫌いだと言っていた由夢の目も本当に見える。

  訳が分からない。オレの身の周りの女はどうしてこうも一癖も二癖もあるやつらなのだろうか。振り舞わされてばかりなような気がする。  

  ―――しかし由夢にも言われたが、最近のオレはなんだが軸がぶれているというかなんというか、どうしようもない人間になっている気がする。


 「気がする、じゃなくて事実そうなんだよな。前はこんな事無かったんだが・・・・」


  余程美夏と別れたのが効いているのだろう。由夢にもさっき言われたが自暴自棄の自分に酔っているのかもしれない。

  挙句の果てにはエリカと体を重ねてしまっていい気でいる自分―――昔のオレが見たら殴りつけているだろう。それほど情けない姿だと思っている。

  由夢は言った、オレと美夏は別れたフリをしただけと。本当は好き合っているんだと言っていた。


 「ストラップ、まだ持っていてくれたんだな」


  現金なモノで美夏がオレがクリスマスにあげたストラップをまだ大事に持っていると聞いて嬉しくなってしまっている。

  きっと本当は美夏は今オレに会いたがっているのかもしれない。いや、本当はオレが会いたいだけなんだ。エリカとあんな仲になってしまったというのにそんな
 事を思ってしまっている。

  エリカ――――まだオレが美夏の事を好きだと知ったらどうするんだろうか。この間は手首を切った。今度は何をするか分かったもんじゃない。

  オレが迷えば迷うほど事態は悪い方向に流れて行く気がする。思えば別れた後から美夏とロクに喋っていない事に気が付いた。

  まだ間に合うか―――都合のいい事を言っているのは分かっているがオレはまだ美夏の事が諦めないでいた。


 「なんにせよ、まずは美夏と少しでもいいから喋ってみるか」


  そこからはまず始めてみようと思う。エリカの件はどうするかはまだ煮え切らないでいる。やるだけやって捨てるような扱いはしたくない。

  由夢にその点を付かれた時は本当に何も言えなかった。事実だからだ。ぐぅの音も出ないとはまさにこの事―――美夏とよりを戻すとはそういう事だ。

  エリカの事は好きだし、何かと気になってしまう人物ではある。だが・・・・まだ天秤は美夏の方に傾いていた。


 「やるだけやってポイ捨て、か。殺されても文句は言えないな」


  どんな言葉を取り繕うとも一言でいえばそんな感じだ。開き直った訳ではないがさっきと由夢と話している内に腹を括った。

  オレはエリカを――――捨てる。タイミングとしてはもうこれ以上ないぐらい最低なモノだった。だがその最適なタイミングを捨てたのは自分だ。

  本当は美夏の事を想いながらエリカにも惹かれ、ズルズルとここまで来てしまった。結果、美夏とは別れてこれからまたエリカを傷つける。


 「こりゃあ・・・・本当に刺されてもしょうがない」


  しかし問題はそんな事でなない。問題は―――エリカが自殺とかそういう類の行動を起こすことだった。

  今でも鮮明に思い出せる。エリカが自分の手首を切った所を。何の躊躇も無く自分の体を傷つけた。その行為が最も自分の恐れている事だった。
 
  余程うまい事やらないとまたそうなってしまうだろう。いや、そうなる確率の方が高い。今のエリカを見ているとそう感じてしまう。

  美夏にはもう少し辛い思いをさせてしまうが、少し離れてエリカにフォローを入れるべきだろう。前に一度考えた通りにそれを実行すべきだ。

  本当はもっといい方法があるんだろうが・・・・自分の力で解決しなければいけない事だと思う。杉並や茜に頼る事では無い。

  そう決心して歩き出そうとして―――携帯が鳴った。着信表示画面を見る。相手は・・・・茜だった。


 「なんだ、茜」

 「あ、義之くんっ!? いきなりで悪いんだけどちょっと今から学校に来てもらえる!?」

 「あ? どうしたんだよ」

 「いいから早くっ! 天枷さんとエリカさんがもう取っ組み合いになっちゃってて大変なのよ!」

 「・・・・は? なんで――――」

 「原因は貴方よ貴方っ! 今杉並君とまゆき先輩が押さえてるけど・・・・! 貴方が来ない事には多分―――」
 
 「今すぐ行く。すぐにな」

 「あ――――」
 
 
  そう言って通話を切る。オレは駈け出そうとして――――止まった。確か首元には由夢がつけたキスマークがある筈だ。急いで家に帰る。

  玄関に靴を乱暴に撒き散らして洗面所の鏡を覗くとそこにはきっかり痕跡が残っていた。急いでお湯を出してそこにつける。内出血が原因でこういう跡が
 つくからこうやって熱して冷やせば論理的には消せる筈だ。

  もちろんお湯は熱湯だ。悠長にお湯で温める時間なんてない、火傷は覚悟の上でそこに濡らしたタオルをつける。キスマークなんてぶら下げてあの二人の
 前になんか行けやしない。


 「あっちぃぃぃっ! くそ、由夢のヤツ! しょうもねぇもんつけやがって! 好きでもなんでもねぇならこんなもんつけんなっ!」


  そして今度はそこを冷やす。馬油などがこういうのには効くそうだが生憎そんなものを探す時間なんか無い。そもそもこの家にそんなものがあるなんて
 聞いたことが無い。さくらさんに聞けばいいのだろうが生憎今は仕事中だ。

  しかし美夏とエリカが喧嘩・・・・茜のテンパリ具合から察するによっぽど激しくやりあってるんだろう。怪我だけはしないでくれ。オレがそんな言葉を
 吐き出す資格はないが、ただただそう思う。


  ああ――――本当に嫌なタイミングばかり重なる。オレは程々にその作業を終わらせて学校へ向かった。停学中で色々言われると思うが・・・・そんな事は
 もう頭に残っていなかった。













[13098] 20話(後編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2010/10/24 00:17






 「エリカ、今日はなんかご機嫌だよね?」

 「え?」


  休み時間の合い間に前に座っている子が話し掛てきた。イスを反転させ私の机の上に肘掛けて来る。

  最近はよくクラスの子と話すようになったと思う。前まではどこか壁みたいなものを感じていた。それは私が貴族だから仕方ないと思っていたが・・・・。

  みんなが言うにはここ最近の私は雰囲気が軟かくなったお陰で話せるようになった、という事らしい。自覚は無かったが確かに親しくなった友人は増えた。

  思い当たる節―――義之のおかげか。今の私にとって貴族云々の誇りよりも恋愛を重視している。きっとその影響だろうと私は考えていた。


 「なになに~? 何かいい事でもあったのぉ?」

 「え、い、いや別にそんな事は――――」

 「うっそだぁ~。なんか朝からニタニタしてたもんね、エリカ」

 「う、うそっ!?」

 「ええー! 気づいて無いのっ!? もう頬なんか緩みっぱなしでほくほくした顔なんかしちゃってたよぉ~!」

 「・・・・・・気付かなかったですわ」


  その原因―――義之の事だろう。昨日義之と結ばれた事は私にとってとても幸せな出来事だった。多分人生でこれ以上ないぐらいに。

  いや、もし結婚なんかしたらこれ以上の幸せが待っているに違いない。これ以上の幸福、考えただけでも脳がとろけそうだった。

  私の国に帰り二人で家庭を築き上げる。今の部屋で義之とダラダラ過ごすのも悪くは無いが、義之は上に行く人間―――ここで腐らせる訳にはいかない。


 「ほらぁ、またニタニタしてるぅ~」

 「あ、ご、ごめんなさいっ!」 

 「い、いや、別に謝らなくていいよ・・・・はは。エリカって本当礼儀正しいよねぇ」

 「べ、別にそんな事は・・・・・」

 「いやいや、謙遜しなくていいよ。なんたってお姫様だからねぇ、エリカは。最近は少し態度が柔らかくなったけどさ」

 「は、はぁ・・・・」

 「・・・・・・もしかして好きな人が出来た、とか?」

 「―――――――ッ!」

 「ええっ! うそっ!?」

 「それマジでっ!?」


  聞き耳を立てていたのだろう、その子の友人二人が私の席の方に駆け寄ってきた。私はいきなりの事態に硬直してしまった。

  こんな風に同世代とわいわい騒ぐ経験なんか無かったし恋愛話をした経験も無い。そんな私を置き去りに三人は勝手に盛り上がっている。

  きっとクラスのあの男の子がそうだとか、やっぱり先輩のあの人だとか好き放題に言っている。失礼な話だ。私は義之一筋だというのに。


 「で、エリカどうなのよ?」

 「・・・・え?」

 「だーかーら! 好きな人、いるんでしょう?」

 「・・・・・・・・・ま、まぁ」

 「えぇーやっぱり! で、で? 誰なのよその人は!?」


  何故か自分の事のように興奮して聞いてくる女の子。周りもそれに同調するかのようにどこか期待した目で見詰めてきた。

  私はそんな様子にため息を吐きたい気持ちを我慢しながらも迷っていた。義之の事を話してもいいのかと・・・・。

  私としては問題ない。義之が好きなのを公言してほぼ付き合っている状態だと言えば悪い虫がつくのを防ぐ事が出来るからだ。

  義之本人は自覚が無いようだが――――義之はモテる。それはもう人気ブランド店のバッグみたいにだ。最近はそれに拍車がかかっている。

  
  確かに義之は暴力者だ。男女関係なく手をあげ、そして徹底的に潰してしまう。この間の生徒会の一件でそれはみんなが知る事になった。

  しかし私達みたいな年頃は不良に憧れるものだ。そんな普通なら恐怖を感じて避けてしまうような人物印象が、女子の目にかかればフィルターが
 かけられてカッコよく見えてしまう。

  自分がその手に掛かるまで本当はそうでない事が分からない。義之の嫌いな人種の奴らだ。事実を受け止めないであれこれ勝手に自分の好きなように
 解釈してしまう。まぁ私達の歳はそういうものだ。クラスの女子を見てればそれが分かる。

  オマケにあのやぼったい態度がクールに見えるらしい。まったく、人を見た目で判断して好きだの何だの好き勝手言ってる様は見ていて気に喰わない。

    
  私が義之を好きだと言わない理由。簡単だ、義之がそれを嫌がるかもしれないからだ。今は大分マシになったとは言え本来は人嫌いの義之だ、あれこれ
 好奇の目に晒されるのは嫌がるだろう。

  好奇の元となるのは私。自分で言うのもなんだが私はとても目立つ存在だ。外国から来たっていうだけでも目立つのに『お姫様』という肩書き、そんな
 人物が恋焦れている対象となるとみんなの注目の的だろう。


 「ほーら、早く言っちゃいなさいよぉ~」

 「あ、あのですね・・・・その・・・・・」

 「ああっ! もしかして・・・・桜内先輩とかぁ~?」

 「――――――ッ!」

 「えぇ~何それっ!?」

 「友達がこの間エリカと桜内先輩が一緒に帰ってる所見たって言ってたの。エリカとあの不良の桜内先輩がなんて思っていたけれど・・・・今の反応
  見る限りじゃビンゴみたいね」

 「ええっ! ソレって凄くない!? あの桜内先輩と一緒に帰れるなんて!」

 「そうそう! ここ最近人が変わったみたいになって一人で帰ってたみたいだけど・・・・あの桜内先輩とねぇ~」

 「ああ・・・・羨ましいなぁ。密かに私も狙ってたけど・・・・エリカが相手じゃあしょうがないかぁ」

 「あ、あのっ、そ、それはですね――――」    

 「でもさ、よく考えれば結構納得いく組み合わせじゃない? どっちも顔はイケてるしぃ。それにお姫様と不良の人が惹かれ合う
  なんて・・・・ロマンチックだよねぇ」

 「ねーだよねー」

 「・・・・・・」


  何だか盛り上がってしまった。私はただ顔を赤くさせて俯いている事しか出来ない。だが恥ずかしい気持ちと共に、私はとうとう決心した。

  義之と私の仲をみんなに広めるチャンスだ。こうなったら義之には悪いがもっと広ませよう。幸いこの子達は私の味方のようだ、快くその手伝い
 を了承してくれるに違いない。

  義之は私と恋人になる事にまだ本気ではない。こうやって全校にでも広がれば否応なしに私と恋人になるしかないだろう。
 
  もちろん義之は他人の目線なんか気にならない。ある意味唯我独尊みたいな性格だ。そんな人達など一睨みして追い払うだろう。

  問題は―――天枷さんだ。私が思うにまだ義之の事を好きなんだと思っている。そんな人物には早々に義之の視界から消えてもらいたい。

  天枷さんはどうやら人見知りが少し激しいみたいだ。最初会った時にそんな印象を私は感じた。だからそんな噂の中、義之の事を好きだと言う度胸は
 無いだろう。ただでさえロボットという噂が広まってるぐらいだ。人目につきたくないに違いない。


 「・・・・そうですわ。私は義之の事が好きです」

 「やっぱり―――って、えぇ!? もう名前呼び捨てなのっ!?」

 「―――もちろん。義之も私の事をエリカって呼びますし・・・・この間も私の家に来て一緒に料理を食べましたの」

 「そ、そ、それってもう恋人じゃないのっ!? 彼氏彼女の関係じゃんっ!」

 「いえ・・・・それがまだなんですのよ。意外と義之は恥ずかしがり屋で中々付き合おうとする素振りを見せないの。あともう少しなんだけれど・・・・」

 「な、なんだか意外ね・・・・あの桜内先輩が恥ずかしがり屋なんて」

 「でもさぁ、ああいう風に悪ぶってる人って案外そういう所あるかもしれないよ? 人を遠ざけてるからそういうのに免疫がないとか」

 「なぁるほどね。恥ずかしがって中々告白出来ないと。エリカからは告白とかしないの?」

 「・・・・しました。けれどなんか今の関係が心地いいとか何とか言ってはぐらかされましたわ」

 「うっわぁ、それって要はキープみたいなもんじゃん。男としてはそれってどうかと思うよねぇ」

 「うんうん。好きなら好きで付き合えばいいのに。こんな可愛い彼女なら文句ないじゃない」

 「――――よし! 私達が手伝ってあげるよ、エリカ!」


  笑うぐらいに上手くいった。ここまでくればもう上手くいったも同然という感じだ。余計なお節介を焼きたがる人というのはどこにでもいるというもの。

  いつもなら煩わしいだけだが今は頼もしく見える。それから私は色々と義之との事を話した。間違って義之に「ちゃんとしなさいよ!」って言ったら目も
 当てられないからだ。顔を見事なまでに変形させて帰ってくるのがオチだ。

  義之は今悩んでいてかなり心がデリケートになっていると思う。ここはただ噂を広げるだけでいい。そうすればおのずと義之は私のモノになる。

  だから私は噂を広げてくれと頼んだ。本人達は少し納得がいかないようだった。もっと色んな事が出来ると言っていた。ばかな、そんな余計な事をされちゃ
 たまらない。せっかくここまでの仲に辿りつけたのにつまらない小細工のせいで義之が私から離れたらどうするつもりだ。

  顔には出さないでただそれだけでいいととにかく伝えた。最後には快く了承してくれて席に戻っていった。


 「どっちみち義之にはそれしか道がないんですもの。ただそれが早まっただけ―――ああ、早くちゃんと私の隣に来てくれないかしら」         

  ちゃんと恋人という関係になれば義之は絶対離れない。なんたって私がずっと隣にいるんですから。天枷さんみたいにスッと離れるなんて絶対しない。

  何言われたって義之の隣から離れない自信がある。だって―――義之は私の全てだから。貴族を捨てろと言われたら喜んで捨てるし、何言われたって
 苦痛じゃない。義之が望む事ならなんだってしてあげたい。

  短い授業間の休み時間も終わり先生が入ってくる。ああ、早く学校終わらないかしら。そうすればまたあの胸に飛び込めるのに。


























 「天枷さん、大丈夫?」

 「ああ・・・・うん、大丈夫だ」

 「それにしても最近元気ないよ、何かあったら言いなさないよね?」

 「・・・・分かっている、ありがとうな」


  そうして美夏は昼食のラーメンを啜る。沢井も多少は納得いかない顔をしていたものの弁当を再度つっつき始めた。

  こうして沢井と昼食を取るのは初めてじゃない。義之と別れて以来、こうして沢井は美夏の世話を焼いている。

  初めはいきなり美夏の所に来て義之の文句を言い始めた時は何事かと思っていたが、それから前にも増してよく話すようになった。


 「にしてもさぁ、アンタも勿体ない事したよね。あの桜内先輩を振るなんてさぁ」

 「・・・・む、うるさいぞ。黙ってこれでも食ってろ」

 「な、なにご飯の中にメンマ突っ込んでんだよっ! 私はメンマ喰えねぇっつーの!」


  そうして美夏の隣で騒いでいる外見の派手なヤツは前に義之が説教を垂れた例の女子だ。こいつとも義之と別れて以来の付き合いだ。

  義之の説教にどこか思う所があったらしく、美夏に結構話し掛けてくれる気のいいやつだ。まぁ、口が悪いのが玉に傷だが。

  大体は昼食をこのメンツで採っている。義之が傍にいない今昼休みをどう過ごそうかと思っていたのでこういう風に一緒に昼を過ごせるのは
 ありがたかった。


 「その話なんだけど・・・・天枷さん? もう一度桜内と付き合うきはないの? まだ好きなんでしょう?」

 「そうそう。そんな未練タラタラな顔してさぁ、ウザいんだけど」

 「・・・・・もう、終わった事だ。過ぎた事をあれこれ言ってもしょうがない」

 
  そう言ってラーメンをまた啜る。義之とやり直す―――考えただけでも悲しくなる。だってそれはあり得ない事だからだ。

  ムラサキの言っていた言葉は今だに美夏の心に突き刺さっている。傍にいても何も出来ない、確かにムラサキの言った通りだ。

  家事も出来ないし、これといった財力も無い。明らかにムラサキの方が何もかも上だった。悔しいが認めざるを得ない。

  好きという感情は負ける気がしないが・・・・全ては終わった事だ。ムラサキの傍に居た方が義之も幸せだろう。


 「大体さぁ、アンタが桜内先輩を振ったのってあのエリカ・ムラサキっていう金髪女が原因なんでしょ? 女の腐った野郎だな」

 「・・・・そうね。いくら桜内の事が好きとはいえもう少しやりようがあったと思うけれど」

 「いや、アイツの言っていた事は本当だ。私じゃ義之の傍にいても――――」

 「んなもん関係ないだろっつーの! 商社マンの取引先じゃねぇんだから損得なんか気にするなよ!」

 「しかし・・・・」

 「せっかくロボなんだからさぁ、ロケットパンチを打ちこんじゃえばよかったんだよ。戦闘用のロボットなんだから」

 「・・・・・美夏は普通のロボットだ。ロケットパンチなんか出来ないし空を飛ぶことも出来ないぞ。前に言ったろ」

 「あ? そうだっけ? どうでもいいから忘れちまったよ、あははは!」

 「・・・・・はぁー」


  最初にコイツが話し掛けてきた言葉を思い出す。いきなり美夏の席に来て「ロケットパンチ見せてくれない?」は衝撃を覚えた。

  それからは色々ロボットについて聞きだして、気が付いたら仲良くなっていた。親しくなった途端口調が悪くなったのはさすがに驚いたが。

  どうやら義之の前では猫を被っていたらしい。とんでもない女がいたもんだ。あの時は普通の可愛いお嬢様風に見えていたのに。


  義之と美夏が付き合っているのを知ったのは放課後に沢井が私のクラスに来た時だ。ちょうどコイツと雑談していた時に沢井がきたもんで
 成り行きで聞かせてやった。

  あっちこっちに吹いて回るタイプでは無かったし、義之の事で美夏を怨む様な性格でもない。まぁ・・・・友達だからいいかなと思えたからな。

  そしてその話を聞いて、コイツが問いかけてきた。なぜ別れたんだと。だから美夏は言ってやった、義之の事は大嫌いになったから別れたんだと。


  だがそれを聞いてもコイツ納得しなかった。しつこいぐらいに本当はそうじゃないんだろと言ってきた。まぁ、それほど美夏の思っている事が
 顔に出ていたのだろう。本当は違う、という表情が。

  そしてコイツは何を思ったのか美夏の携帯を取り上げた。茫然とする美夏。そして携帯からあのストラップを外して―――窓の外に投げようとしていた。

  それを見て咄嗟にコイツの手から美夏はひったくり返した。義之との唯一の繋がりを捨てられそうになった美夏。思わずコイツのことを睨んだ。

  コイツは睨まれて―――笑った。あざとい女だ。美夏が持っているストラップが義之から貰った物だとすぐに感づいたのだろう。


 「なんだ、まだ好きなんじゃん。案外面倒臭い女だったんだな、お前」


  それを聞いて思わずボディーブローをくらわせてしまった。「おふぅ!?」と悲鳴を上げて屈むコイツ。だけど顔はまだ笑っていた。

  そして洗いざらい喋ってしまった美夏。いや、本当は誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。二人は熱心に聞いてくれた。

  美夏が全部を喋ると―――二人は怒った。なんだそりゃあと。コイツなんかムラサキのクラスに行こうとしたので慌てて止めた思い出がある。  

  まぁ一応コイツには感謝している。コイツおかげでクラスからは浮いていなくて助かっている。クラスのリーダー格というのが地味に効いているらしい。

  クラスのリーダーが仲良くしているんだから私達も―――という空気は好きじゃないが・・・・まぁ別に困る事では放っておいた。



 「でも―――天枷さんに、その気が本当に無いなら・・・・無理にとは言わないけど」

 「何言ってるんですか先輩。明らかにまだ好きで諦めてないんですよ、美夏は・・・・なぁっ!」

 「――――――ッ!」


  そう言って私から携帯を取り上げる―――瞬間、私はソイツの手から慌ててひったくり返した。そしてストラップが大丈夫な事に安諸した。

  ハッとして前を見ると沢井と何やらこっちをみながらゴニョゴニョ話をしていた。思わず顔が真っ赤になってしまい俯いてしまう。

  なんで美夏がこんな仕打ちを受けなければいけないんだ。少し暗い感情が湧き上がってしまうのは当然の事だった。


 「まだこんなにも好きなんですから・・・・近いうちに金髪の所にでも特攻でも仕掛けるんじゃないですかね、美夏は」

 「そ、そうなの? 天枷さん」

 「い、いや美夏はそんな事しないぞっ! さっきも言った通り美夏は――――」

 「何言おうとまだ好きなんだよ、お前は。そしてそのムラサキって女もまだそのへんの事を疑っていると思うぞ」

 「な、なぜ分かるんだ・・・?」

 「金髪女は桜内先輩にかなり熱心になってるんだ、お前――彼女を別れさせようとするほどな。お前にその気が無くても・・・・またあっちから
  来る思うな、トドメを刺しに。聞いてるとそういう女っぽいしなぁ」

 「・・・・・・」

 「ちょ、ちょっと。あんまり天枷さんを不安がらせないでよ」

 「・・・・・はは、ごめんなさいね」


  そう言ってまた食事を再開する。空気を読んだのかもう別な話題で盛り上がっている。つくづく器用な奴だと思う。
    
  それしても――――ムラサキがまた来る、か。美夏にとってはもう顔も見たくない人物だ。なにせ義之を奪った人物、憎いに決まっている。

  もう一度あの顔を見たら・・・・何をするか分からない。確かに美夏が振ったのは事実だ。そしてその原因を作ったのがムラサキというのも
 事実。あのまま何も言わなければ美夏は義之と幸せになっていたに違いない。

  言いようのない感情が湧きあがる。確かに美夏は何も出来ないポンコツロボットだが―――それでも義之の傍にいたいとまだ思っていた。

  言葉をもっと交わしたいし笑顔も見せてもらいたい。そして、もっとキスをしてもらいたい。美夏は今だにそう思っている。

  なんにせよ、その時にならないと分からないな。まだ好きだと言ってしまうかもしれないし、また完全に言い説き伏せられるかもしれない。

  ただ言える事は――――義之の事は嫌いにならないという事だ。もし嫌いになれって言ってきたらブン殴ってやる。

  少しずつ元気が出てきたかもしれない。もしもうムラサキと義之が付き合っているなら諦めるしかない。凄く悔しいが・・・・諦めるしかないだろう。

  だが付き合っていなかった場合―――皮肉を言ってやるつもりだ。まだ付き合えてないのかと。義之に相手にされてないんじゃないかと。

  そして義之を返させてもらう。随分長いこと貸していたがそろそろいいだろう。美夏は優しいので返却日は過ぎたが追加料金は取らないでやる。


 「それ、喰わないならもらうぞ」

 「・・・・ってああぁ! なんでよりによってチャーシューを取るんだお前は!?」

 「だって嫌いなんだろ? 子供じゃあるまいし好きなものを最後に取っておくなんて言わないよなぁ?」

 「・・・っくっ! だ、だからお前はこれでも食ってろと言ったではないかっ!」

 「あーっ!? だからメンマは喰えねって言ってるじゃんかよっ! そんなに乗せるんじゃねぇよ、このタコ!」

 「ちょ、ちょっと! 静かにしなさい貴方達!」


  元気が出た要因、二人のお陰だ。もし一人のままならこのまま引いてしまっていただろう。ムラサキと義之が付き合うのを指咥えて見ていたに違いない。

  だがそうはならず、美夏は指なんか咥えなかった。咥えさせてもらうほど落ちぶれてもいなかった。ここまでコケにされたんだ、なんだかムカついてきた。

  何も出来ない―――確かにそうだろう。ムラサキと違って何も持っていない。裕福な暮らしを約束出来なければ将来の保障なんても出来ない。

  だが義之は美夏の事を選んでくれた。ムラサキからのアプローチもあったろうに私を選んでくれた。それが今になって大いなる自信となっている。

  ズズーッとスープを飲み干す。今度かかってきたらその綺麗な顔を泣き顔に変わらせてやる。今度はお前が泣く番だ。
















 「こらぁ! 待ちなさい杉並ィ!」

 「だ、・・・・だから・・・走るの速・・・」

 「はーはっはっ! そんなお荷物背負っては上手く走れまいっ! じゃあな、ま・ゆ・きっ!」

 「・・・・くっ! エリカ、もっとシャンとしなさいっ!」

 「む、無理・・・・で、す」


  そう言って私は走るのを止めた。そんな私になんか意にも介さずまゆき先輩と杉並はドンドン先に行ってしまい―――見えなくなってしまった。

  その場に留まり深呼吸する私。まったく、絶対あの二人はおかしい。私は別に運動が不得意って訳ではない。むしろ平均より上だと思っている。

  それにもかかわらず、あの二人は私がこんなにも息が切れているのに汗一つかいていない。もう別な世界の住人に違いない。


 「・・・・・・別な世界の住人、それは私か」


  この星では無い遠くの星から来た私。最初ここに来た時は留学する意味はあるのかと自身に問いかけた。

  確かに資源は豊富そうだし、文明もまぁまぁ発達している。だが前例があるとはいえここに来て何をすればいいかなど分からなかった。

  そして私は何を知恵や経験などにして祖国に持ち帰ろうかと考えた。国民の税で来てる以上そうしなくてはいけなかった。タダでは帰れない。

  
  だが私が見つけたのは知恵や経験すべきモノではなく―――愛する人だった。この身分や命を投げ出してもいいと思えるぐらい愛する男性だった。

  最初はなんだこの野蛮人はと思った。それはそうだ、いきなり人の胸を触ったのだから。いくら事故とはいえ許されるべきではない。

  そう考えていたが―――考えなくなくなった。考えられなくなってしまった。考える事はどうやったらあの人と幸せになれるかという事ばかりだ。

  ぶっきらぼうで粗暴で手が早くて女に少しだらしない人。けれど本当は人の事を思いやれて礼儀正しい所もあり思慮深くて・・・・私の事を好きな人。


 「・・・・絶対義之はここにいるべきでな無いわ。私と一緒の星に来て、私と一緒に暮らす。それが絶対義之の為になるわ」


  いっぱい勉強する事があると思うけれど義之ならすぐに学習するでしょう。要領なんか私よりもいいし何より―――カリスマがあると思う。

  小さな小粒みたいなダイヤだけど・・・・そこらへんの政治家の銀メッキに比べれば雲泥の差だ。そのダイヤを私の国で大きくする。

  そして私と義之は愛し合い、国きっての夫婦になる。気が早いだろうけど、どの道結婚するつもりでいる私。そこまで考えていなくては話にならない。

  兄もきっと気に入ってくれる。あの人自身したたかな所があるからいいライバルになりそうだ。


 「とりあえず今はまゆき先輩の事を追いかけなくちゃ・・・・」


  なんにせよ今は与えられた仕事をこなさなければいけない。これも立派な仕事なのだから。まぁ、まゆき先輩の足を引っ張っている感は否めないが・・・・。

  そう思ってまた駈け出した。なんだかまゆき先輩と一緒にいるだけで体力が増える気がする。事実増えたのだろう、だんだん走れる時間が短くなっていた。

  まぁ義之と本格的に付き合いだしたらこんな事は辞め―――――

  
 「うわぁっ!」

 「きゃっ!」


  と考え事をして曲がり角を曲がったら人にぶつかった。なんて事だ、この私が生徒に怪我させるなんて・・・・。

  すぐに安否を確かめようとして―――差し出した手を引っ込めた。手を出す必要なんてない。だってロボットなんだから多少の怪我は大丈夫だろう。

  そしてその女の子―――天枷さんは私を睨むように立ち上がる。


 「・・・・危ないな。廊下は走るもんじゃないぞ」

 「ええ、知ってますとも。でもよかったですわ、人にぶつからなくて」

 「どういう意味だ?」

 「ロボットでよかった、という意味ですわ。というかまだ学校にいたんですの? てっきり退学になってるもんだとばかり―――――」

 「じゃあな、ムラサキ」


  そう言って脇を通り過ぎる天枷さん。正直イラっときた。きっと義之を奪われている事を根に持っているのだろう、そうに違いない。

  だから通り過ぎる前に腕を掴んでやる。聞きたい事は山ほどある。まだ義之の事が好きなのか? まだ諦めていないのか? まだ学校にいるのか?

  そして振りかえった天枷さんの顔、皮肉気に笑っていた。どうやら私がこんな真似をすると分かっていたらしい。かなり――――頭にくる笑みだ。


 「・・・・一緒に来てくれませんこと?」

 「どこへ? そろそろ昼休みも終わりなんだが・・・・」

 「―――――いいから」


  だから腕を引っ張って校舎裏を目指す。別に屋上だっていいがあそこには昼休みを満喫している学生が居るかもしれない。だから校舎裏にした。

  天枷さんの事については対策してある。学校中に私と義之の噂を流して天枷さんが出て来れるような状況を作らない。そうすれば私は義之と付き合える。

  そう考えていたが――――天枷さんの様子を見る限りじゃそうは思えなくなっていた。あの屋上で目にしたような負け犬のような目をしていなかった。

  それはおかしい。義之と離れ離れになりロボットという噂が広まり孤独になっていた筈。事実、結構浮いている存在になっているという話を聞いた事がある。

  それなのに―――なぜか初めて会った時みたいに元気な天枷さん。分からない、なぜこんなにも普通なのだろうか。


 「ん? おーい美夏。そんな金髪お姉ちゃんとどこに行くんだ?」

 「お? おお、お前か。ちょっと訳ありでな。すまないが先生には少し遅れると伝えてくれ」

 「―――――なるほどね。まぁ気張ってきてくれ。ほどほどに」

 「・・・・・ああ、それじゃまた後でな」

 「ういうい」

 「・・・・・・」


  どうやら友達はいたらしい。まぁ、そんな事は些細な問題だ。重要なのは義之との事だけ。天枷さんが義之の前からいなくなるかどうかだけだ。

  もう悠長な事は言っていられない。幸いにも私は生徒会役員だ。いざとなれば強引にでも天枷さんを学校から追い出そうと思っている。

  義之の目の届く範囲に置いていては駄目だ。そうでないと・・・・そうでないと駄目だ。私はとにかくそう感じていた。


  そして幾分か歩いて校舎裏に着いた。もう昼休みも終わりという時間だけあって人っ子一人いない。話をするのには絶好の機会と言う訳だ。

  天枷さんの腕を離して正面に構える。天枷さんは腕を痛そうに擦すりながらも私の目を見据えた。なんて生意気な目だろう、よく義之の彼女になれたものだ。

  とりあえず私は天枷さんに問いかける。勿論義之の事をどう思っているかについてだ。


 「天枷さん、お聞きしたい事があるんですけれど」

 「なんだ?」

 「義之の事、まだ好きなのかしら? まぁ冗談にしてもそうとは言えないわよね。なにせ義之の事を振ったのだから」

 「・・・・・・・」

 「それに今は私が傍についているし義之もそれに満足している。ゆくゆくはちゃんとした―――――」

 「寒いな」

 「・・・・・・・・なんですって?」


  私は怪訝な顔で天枷さんの顔を見やる。そんな私の視線を意に介していないのか周りをキョロキョロ見回している。

  何をやっているんだこの子は。ちゃんと私の話を聞いていなかったのか。そんな思いが私の胸をよぎる。

  
 「今の気温が、だよ。ムラサキは寒くないのか? 美夏なんか寒くて今にもAIチップが凍結しそうだ。出来るだけ話は早く終わらせてくれ」

 「―――――ッ! ふ、ふんっ! ええ、そのつもりですわよ。天枷さんが凍結して故障しちゃいくら私でも困りますものね」

 「・・・・はぁはぁ」


  本当に寒いのか―――手に息を吹きかけている天枷さん。多分だが、私は舐められているのだろう。言葉に出さなくても分かった。
  
  だがそんな余裕もこれまでだ。もう私は決めた。もう徹底的に押しつぶしてやる。泣いても許さない。自分から学校を出て行くように差し向ける。

  この決定は覆らない。当り前だ、ここまでコケにされて黙るような私では無い。私はあの事を話す事に決めた。


 「まだ義之の事を好きなら諦めた方がいいわよ。少しの期間でも義之と付き合えたのだから満足でしょう? いいえ、満足に違いないわ」

 「・・・・・・」
 
 「――――ねぇ、天枷さん? いい事を教えてあげましょうか?」

 「・・・・・?」

 「私ね、昨日・・・・義之に抱いてもらいましたの」

 「―――――――ッ!」


















  



 
 「私ね、昨日義之に抱いてもらいましたの」


  その信じられないような言葉に私達は驚いてしまった。


 「ってえええええっ! ま、ま、マジでっ!?」

 「こら、まゆき。静かにせんか」

 「そうですよまゆき先輩。静かに――――ってえええええっ! あ、あのバカっ! 何やってるのよっ!」

 「・・・・俺一人で来た方がよかったのかもしれないな」 

 
  そう言ってため息を吐く杉並君。なによ、そっちから誘ってきた癖に。「なにやら不穏な動きがあるからついてこい」って言ったからついてきたのに。

  それにしてもあのバカ義之君はエリカちゃんの事を抱いてしまったらしい。確かに雰囲気に流される所はあったが――――何やってるのよ、義之君は。

  そんなんじゃ救われるモノも救われないってぇのに・・・・! 自分から可能性潰しちゃってどうするのよぉ!


 「花咲よ、爪を立てて腕を掴まないでくれるか? 正直痛いのだが」

 「す、す、杉並っ!」

 「・・・・なんだ、まゆきよ」

 「え、えらい修羅場に来ちゃったじゃないっ! ってか何っ!? 弟君てそんなに裏で女遊びしてたのっ!? それもあのエリカをだ、抱いたって・・・・!」

 「来ちゃったも何もお前が勝手についてきたのではないか。『アンタ達どこへ行く訳? 私が着いていっちゃマズイ所? ふふ』ってな」

 「こ、こんな所見たくて来たわけじゃないのよっ! まるでデバガメみたいなもんじゃない私達っ!」


  そう言って喰い入るようになりゆきを見ているまゆき先輩。まゆき先輩も結局女の子という事だろう。他人の恋路は見ていて楽しいもんなぁ。

  私はここにまゆき先輩が居る事に関してはあまり肯定的ではない。何はともあれここにいるのは色々な諸事情を知っている人物でなければいけないと
 思っているからだ。あまり部外者にここに居て欲しくない。

  だが杉並君の言いたい事は私には分かっている。もしあそこで連れて行かなければ色々面倒な事になっただろう。

  それを避ける為にあえてこっち側に連れ込んだ杉並君。まぁ判断は間違っていないと思うが・・・・あまりいい気持ちはしない。

  杉並君とは前に一回義之君の事について話し合った事はある。話といっても大したことはなく、これから義之君はどうするんだろうなぁという話だ。

  何だかんだ言って杉並君も多少は心配になっているらしく、義之君や天枷さんの事を監視―――もとい見守っていた。


 「だったら帰ればいい。まゆきは部外者だ。別にここに居なくてもいいのだぞ?」

 「あ、あんた達だってそうじゃない・・・・!」

 「俺達はもう巻き込まれている。だから事の成り行きを見守る義務があるのだ。そうだろ、花咲?」

 「――――そうね。なによりあの二人が一緒にいて無事じゃ済まないもの。絶対何かあるに決まっているわ」


  そう、無事で済む筈がない。天枷さんにその気は無くても、どうやらエリカちゃんにはその気があるらしい。随分ケンカ腰の目をしている。

  もうドップリ義之君にハマっているようだ。少しでも自分の恋路に危険のある人は容赦しないって感じ。前に見た時より随分悪化していた。

  しょうがない、か。好きな人に抱かれたんだから。それはもう有頂天になる気持ちも分からんでもない。もし私が義之君に抱かれたかと思うと―――

   
 「・・・・・・花咲よ。お前は俺の腕に何かしらの恨みがあるようだな。更に腕に力が籠っているのだが・・・・」

 「・・・・・・・・」

 「え、なに。どうしたの花咲?」

 「ふむ。花咲も見ていて何か思う所があったらしい。なにせ花咲も――――ぐぉっ!?」

 「友達です」

 「え・・・・」

 「友達だから心配してるんです。私は義之君の友達だからその好きな人が危ない目にあわないか心配なんです。ねぇ、杉並くぅん?」

 「そ、そうだな・・・・あ、あーっはっはっは」

 「・・・・・?」


  何か余計な事を言おうとしたので杉並君の腕を潰した。まったく、いつも杉並君は変な事を言いだすんだからぁ。参っちゃうわぁ。
 
  私は義之君の友達だ。向こうもそう思ってかなりの信用を私に置いているのは分かる。その信用を裏切ってはいけない。何せ―――親友なのだから。

  間違っても求めてはいけない。義之君にはもう好きな人がいるんだからそれを邪魔してはいけない。それはもう私の中で既に決着がついている事だ。

  だから・・・・私の分まで天枷さんには頑張って欲しい。そんな女の子になんか負けないで欲しい。義之君の横には貴方がきっとふさわしいのだから・・・。
































 「だから天枷さん? 義之を求めた所で所詮無理な話ですわ。だってもう体を重ねた関係なのですから、ね」

 「―――――――そう、か」

 「ええ。だからもう義之にはつき纏わないで頂戴ね。義之、とても優しい人物だから要らぬ情を貴方にかけてしまうわ。それはとても残酷な事よね」

 「・・・・・・・・」


  もう、一安心だ。天枷さんは下を俯いて黙ってしまっている。おそらくあんまりな事実に茫然となっているに違いない。

  それはそうだ、好きな人が別な女性と体を重ねている。天枷さんからしたら死刑宣告を受けた様なものだろう。

  だから一安心だ。もう天枷さんは私達の邪魔となるような危険人物では無くなった。ただのそこいらの一学生でしかなくなった。

  残る危険は義之が何かの間違いで天枷さんにアプローチする事だけだが―――それは無理だろう。だって私がずっと傍にいて見ているのだから。

  そんな真似をしでかしたらもう許さない。本当に死ぬまで自分を傷付けてやる。義之には自身が傷付くよりさぞや堪える事だろう。

  だが許しはしない。そうしていっぱい心が傷付いて私しか見れない状況にしてやる。そうすればもうそんな気は起きなくなるだろう。


 「話はここまで。でも天枷さん? 私は応援していますわ・・・・貴方に新しい恋が訪れること――――――」

 「ゆくゆくは・・・・・・・」

 「・・・・はい?」

 「ゆくゆくは・・・・何と言おうとしたのだ?」

 「何をつまらない事を。ゆくゆくはちゃんとした恋人になる、と言おうとしたのですわ。義之はとても優しい人物でね、まだ貴方が傷心中か
  どうか気にしてまだ付き合う気はないらしいの。でも安心してくださいな。義之の事は私が責任もって――――――」

 「一週間」

 「・・・・・・・・はい?」

 「私と義之が別れてからもうそれくらい経った。長かかったような気もするし短かったような気もする。てっきりお前の事だから付き合っている
  もんだとばかり思っていたが・・・・なんだ、結局いわゆるエッチ友達程度に収まっただけか」  

 「・・・・・いくら天枷さんでも言っていい事と悪い事が――――」

 「ちなみに美夏が告白した時は側OKだったぞ。その場でのキス付きでな。いやぁ、こいつはとんでもない色男に引っ掛かったもんだと思ったが
  悪くは無かった。なぁムラサキ――――しつこい女だと誰かに言われた事ないか?」

 「だ、黙りなさいっ! あ、アンタなんか絶対に義之と合わないんだからっ! 義之もたまたまその場の雰囲気に流されただけよっ!」

 「そういう所は否定できないな。あいつ、案外流されやすい所がある。頭が痛くなる問題だ。それよりいいのか? 口調が少し乱れてきたぞ?」

 「だ、黙りなさいって言ってるのが聞こえないのっ!?」


  そう言って私は天枷さんの頬をビンタした。大体ロボットの癖に生意気なのだこの子は。この私に意見するなんてもっての他だ。

  私は王族で最も権力を持った立場にいる人間だ。そんな私と居る事が義之の幸せなんだ。それに間違いはないと思っている。

  愛し合った挙句それが手に入る。義之にしてみれば何も問題はない。こんな出来そこないのロボットにいるよりは全然いい筈なのだ。

  なのにこいつはまるで義之の彼女の様に喋ってくる。気に喰わない。義之の彼女になるのはこの私だというのに。


 「・・・・何を不安がっているんだ、ムラサキ」

 「だ、だれが不安がっているというのよっ!? い、いい加減な事を言わないで頂戴っ!」

 「――――そうか、焦っているのか。こんなにもアプローチしてくれているのに振り向いてくれない。体は貰ってくれたけど肝心の心は
  貰ってくれない。なぜだろう? あげれるものはあげたのになぜ振り向いてくれないのだろう? なんで私をちゃんと見てくれないの
  だろう? まぁそんな所か、お前の場合」

 「だ、黙れって言ってるでしょっ!? こ、このポンコツロボット!」

 「段々言う事が幼稚になってきたな、ムラサキ。もう冷静に悪口言えない程テンパっているんだろう。本当の事を言われて段々頭の回転が
  遅くなってきているのが分かる。おまけに今度は私がいい事を教えてやろう。義之は女たらしの様に見えて軸はちゃんとしている。
  お前は『好き』とは言われても『愛している』とは言われた事がないだろう?」

 「―――――――ッ!」

 「それはそうだ。本当にかけがえのない人にしかその言葉を使わない筈だ、アイツならな。もちろん美夏は言われた事があるぞ。
  さて、ムラサキは言われた事があるのか? 愛していると。そして将来の夢をアイツの口から聞いた事があるか? 無い筈だ。
  だってその夢は美夏がいなければ成立しない夢なんだからな。お前は好きな男の将来を奪ったも同然、という訳だ」

 「だ、黙れぇぇっ!!」


  今度は平手じゃなく拳を握りしめて殴りつける。思わず吹っ飛んで壁に体を叩きつけられる敵。ざまあない、いい加減な事ばかり言うからだ。

  そして更に追い詰めようとして、何かを踏んだ。足元を見ると相手の携帯がある。そしてソレにはなんとも高そうなシルバーアクセが――――

  明らかに相手の趣味のモノじゃない。こんなモノを送る相手――――あの人しかいない。そんな物をまだ大事に持っていたのかこの女は。


 「いっ・・・・・たたた」

 「・・・・・・随分いいストラップね。センスも中々素晴らしいモノだわ」

 「ん・・・・あっ!」

 「こんなモノがあるから。義之の事をまだ諦めきれないのね。かわいそうに・・・・」

 「や、やめろぉ!!」


  ブチっとチェーンを引き千切る。シルバーだから中々手こずると思ったが案外あっけなく引き千切れた。さすがにトップはどうも出来ないが別にいいだろう。

  鎖がバラバラと引き千切れた。まるで義之と天枷さんの線が切れたみたいに。それがとても愉快で私は思わず笑ってしまう。笑わずにはいられない。

  また引き千切られたチェーンを慌てて集める相手の女の姿が更に笑いを誘う。もうそこまで見事なまでにバラバラになったんだから何しようと無理だというのに。

  その眼前で、極めつけに手に残ったトップを落として――――踏みつけた。捻りも加えてやる。そんな私の姿を天枷さんは茫然とした目で見ていた。


 「あはは、どうしたの天枷さん? ぷっ・・・・そんな茫然としちゃって、まるでロボットみたいね」

 「・・・・・・・」

 「ああ、失礼。天枷さんはロボットでしたわね。まぁ、かくあるべき姿に戻ったという所かしら?」

 「・・・・・・・」

 「そんなストラップをあげる義之も義之ですわ、まったく。そんなものをくれるなら私に一つぐらいプレゼンをくれてもいいのに」

 「・・・・・・・」

 「まぁ、私は義之のくれるものだったら何でも――――――」


  ゴンッという鈍い音と共に私の顔面は弾き飛んだ。その勢いに負けて派手に後ろに倒れ込む私。一瞬何がなんだか分からなかった。

  そして鼻先に感じる生温かい感触。手で触ってみる。生まれて数えるぐらいしか見たことが無い赤色。血が流れていた。

  少し身を起して前を見る。天枷さんが拳を振り抜いた状態で立っていた。そしてそこで初めて私は気づいた。ああ、殴られたんだと。


 「痛いですわよ、天枷さん」

 「・・・・・・・・・・こ、この」

 「これはもうれっきとした暴力事件。ますます学校に居られなく――――」

 「この、このぉ――――うわぁぁあぁぁああっ!」


  馬乗りになって何回も私の顔を殴る天枷さん。ああ、顔は止めてほしいものだ。義之が綺麗と言ってくれたこの顔に傷は付けたくない。

  腕で防御してもあまり意味がなかった。まぁ、当然ですわよね。こんな素人がいくら防御したってたかがしれてますもの。でも何回も鼻を狙うのは
 ちょっとした恨みを感じますわね。折れたらどう責任とってくれるのでしょうか、まったく。

  そしていつの間にか杉並と花咲先輩、まゆき先輩が駆けつけて来ていた。おそらく私達のやり取りを見ていたのだろう。悪趣味にも程がある。

  杉並と花咲先輩が天枷さんを押さえつけてまゆき先輩が私の体を起してくれる。正直助かった。あのままでいたらやり返す暇がなかった。


 「美夏嬢っ! 落ち着けっ!!」

 「天枷さんっ! お、落ち着いてっ! お願いだからっ!」

 「は、離せえぇぇっ! あ、あ、あの女殺してやるっ! よ、よくも義之からもらったストラップをっ!」

 「だ、大丈夫エリカっ!?」

 「・・・・・・・・・・・」

 「・・・・え、エリカ?」

 「・・・・・・ストラップぐらいでガタガタ騒いじゃってまぁ」

 「な――――」

 「そんな物・・・・後でいくらでも買えるでしょうがぁぁっ!」    

    
  私は駈け出して頭から突進した。もちろん狙うは顔面。私の顔を傷付けた罰だ。どうしてくれるんだ、これでは義之に綺麗な顔を見せられないではないか。

  だから思いっきり倒れた天枷さんの顔を踏みつける。別に顔のどこだっていい。要は顔に当たるかどうかが重要なのだ。出来れば鼻っ柱に当たって欲しい
 ものだが。そうすれば私の綺麗な鼻を傷付けた代償としては成り立つ。

  慌てて杉並達が取り押させてくるがもうどちらも止まらない。あたりまえだ、両者とも今までに溜まった鬱憤を爆発させているのだから。


 「は、花咲っ! 桜内を呼べっ!」

 「え、なんで――――」

 「桜内を呼ばない事にはこの騒動は収まりはせんっ! いいから早く呼べっ!!」

 「――――ッ! わ、分かったわっ!」


  何やら周りが騒がしいが関係ない。もうお互いの事しか目に入っていないのだから。思う存分相手を殴りたい一心でいっぱいだった。

  ああ、なんで周りはこう必死になって止めるのだろうか。おそらく天枷さんも同じ風に思っているに違いない。はっきりいって煩わしくてしょうがない。

  手が届かないのならせめて足をと伸ばすが中々上手くいかない。ケンカ慣れしていないからこんな風に簡単に止められてしまう。

  義之ならこんな時どうするのだろう。案外人を倒すのは難しいものだ。すぐにこうやって止められてしまうから結局は決着がつかない。

  なのに義之は生徒会の一件の時あれほど暴れまわった。もしかしてケンカは結構頭を使うのかもしれない。なんだ、義之ってやっぱり頭がよかったんだ。

  そんな場違いな事を思いながら天枷さんを殴りつけようとするが、まゆき先輩に止められる。何回も肘を頭に当ててるのに強情な先輩だ。離してくれない。

  天枷さんも同じようでなかなかこちらに来れないでいた。初めてこんなに意気投合しているのになかなか思い通りにいかないものだ。

  
  そんなやりとりはしばらく続いた。そんな収まらない騒動が収まったのはその約十分後だった。その場に聞こえた私と天枷さんの好きな人の声。
 それが私達を冷静な感情に戻した。


  

    



















 「なにやってんだお前らっ!」

 「―――――――ッ!」

 「よ、義之・・・・」

 「・・・・桜内よ、少し遅いぞ」 

 「いたたた、お、遅いよっ! 弟君っ!」


  校門前で待ってくれていた茜に連れてこられた現場は壮絶なものだった。美夏とエリカは顔を真っ赤に染め上げていた。

  おそらく顔面を殴り合うなりしたのだろう。拳が切れていて血が流れている。押さえてくれていた杉並とまゆきも顔に痣を作っていた。

  なんでこんな真似をこいつらが・・・・。だがいつまでも呆けていられない。オレは――――美夏の所に駈け出した。


 「よ、義之っ! 私は――――」

 「大丈夫か、美夏っ!?」

 「私は別になんとも・・・・・・・って、あれ?」

 「・・・・別になんともない」

 「いいから顔を貸してみろ」

 「・・・・・・あれ? よ、義之?」

   
  エリカが何か言った様な気がするが気にしていられない。今は美夏の治療の方が先決だった。ティッシュで美夏の顔を拭いてやる。

  思った以上に出血が酷いだけで外傷はそんなんでもない。オレは少しばかり一安心した。失明でもされてたらたまったもんじゃない。


 「鼻を動かすぞ。どうだ痛くないか?」

 「・・・・少し痛いぞ」

 「だが折れていないようだ。まったく無茶しやがって」

 「うっ・・・・」


  そう言ってデコピンをする。なんとも恨めしい視線を送ってくるが元気な証拠だ。久しぶりにみた美夏の顔が血で染まっていて驚いたが、まぁよかった。

  そして後ろを向く。そこにはまたしても顔が真っ赤なエリカの姿がある。どっちも無茶しすぎだ。女でここまで殴り合うのなんて見た事が無い。

  なんにしても――――エリカを放っておくわけにはいかねぇな。いくら別れを決別すると決心したとはいえ・・・・まぁオレを想ってくれている女性だ。

  大方ケンカを仕掛けたのはエリカなんだろうが、なぜか怒れないでいた。原因がオレだからだ。オレさえいないければこんなケンカなんかそもそも無かった。


 「・・・・・よし、ゆき・・・・?」

 「まったく・・・お前も無茶をし過ぎだ。ほら、顔を貸してみろ。鼻が折れて無いかチェックする」

 「あ――――はは、よ、よかったわ。まるで私の事に気付いて無いみたいに無視するんですもの・・・・ちょっと驚きましたわ・・・」


  どこかホッとした様に笑みを浮かべるエリカ。オレはそんな彼女に近づこうとして――――止まった。止まらざるを得なかった。

  なんだってそこに・・・・踏みつけられたような感じでストラップが落ちているんだ。それはオレが美夏に最初にくれたプレゼントの筈。

  そんなオレの視線に気付いたのか、慌てて弁明をし始めるエリカ。オレはとりあえずその言葉に黙って耳を傾けた。


  まぁ・・・・大体は想像は付いているけどな。


 「あ、え、ち、違うのこれはっ!」

 「・・・・・・・・」

 「こ、これはね、たまたまというかなんというか――――そうっ! たまたま天枷さんともつれ合った時に切れちゃって・・・・」

 「もつれて切れているようには見えないな。明らかに誰かが作為的にブチ切ったんだろう。なぁ、エリカ」

 「な、なんでそんな事が分かるのよ・・・・・」

 「見ればあちこちにチェーンが飛び散っている。両手で左右に引っ張ったんだろうな、これは。それで勢い余ってチェーンが飛び散るように散らばった。
  そしてエリカの足元に落ちているトップは明らかに踏みつけられた跡がある。これはもう、悪意が見え隠れするやり方だな、おい」

 「・・・・・・・・」

 「エリカ、正直に――――」

 「よ、義之は私より天枷さんの方が大事だというのっ!?」

 「・・・・いきなり何を――――」

 「わ、私の事が好きなのよねっ!? だって体を重ねたじゃないっ!? も、もちろん私を選ぶわよねっ!?」

    
  ・・・・・もう支離滅裂だ。話がまるで通じていない。おそらくエリカの頭の中はもうそれしか考えられないのだろう。

  まるで子供が叱られて必死に言い訳する様に見える。そんなエリカを見て――――オレは迷っている。

  次会った時は別れを言おうと思っていた。心に決めた事だし、別れるのはもう変えられない決定事項だ。


  だが・・・・このタイミングで言っていいものか。エリカが落ち着いてから話した方がいいのではないのか? そう思ってしまった。

  けれどそうした場合、結局言えず仕舞いになるのは分かりきっている。今までがそんな感じだった。おそらく次もそうなるだろう。

  そうやってずっと痛い目を見てきたオレ達。そして今、情けない事に別れの言葉を言えない自分。くそっ、今言わないで何時言うんだよっ!


  自分を再度叱咤して檄を入れようとした、その時――――手をギュっと握られる。見れば美夏がオレの手を握っていた。思わずオレは美夏の目を見詰める。


 「な、なにこんな時に手なんか握っているのっ!?」

 「義之」

 「・・・・なんだ」

 「義之の思った通りにすれば、いいと思う」

 「・・・・・・・・・」


  ため息を吐く。少しばかり鈍っていた決心が再度固まる。美夏は別に自分を選んでくれとは言わなかった。

  ただオレの好きな通りにすればいいと言った。オレの好きなように・・・・オレが好き・・・・オレが本当に好きな子、それは――――


 「き、聞いてらっしゃるのっ!? その手を――――」

 「なぁ、エリカ」

 「な、なにかしら義之? あ、もしかしてやっぱり私を――――――――」










 「今までありがとうな、こんなオレに付き合ってくれて。そしてさようならだ。もうお前とマトモに話す事はないだろう」










 「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


  あまりにも身勝手な話だ。好き勝手にエリカを振り回して最後にこの仕打ち。多分オレは天国なんかに行けないだろう、行くべきではない。

  だってエリカに別れを言ったオレ――――後悔の気持ちなんかまるでない。握られた手がエリカよりも・・・・とても幸福に感じるのだから。

  完璧な別れ。もう話す事は無いだろう。茜みたいに友達としてやっていける訳でもない。エリカがそれを否定したからその道はもう無い。

  だからもう話す事は無い。友達でもなければ恋人でもなんでもない。ただの顔見知りだ。会ったら挨拶はするだろうがその程度。

  情が交わる事は今後ない。他人とは言えないが親しい人の距離でも無くなる。そんな間柄になるだろう。


 「・・・・・・・は、はは」

 「顔を貸せ。なんにしても怪我はないか見ておく」

 「あはは・・・・ね、ねぇ義之? 冗談よね? そんな冗談ばかり言ってるとね、嫌われちゃうわよ?」

 「本当だ。やっぱりオレは美夏の事を愛している。今更だと思うかもしれないが」

 「う、嘘よそんなの・・・・だってついさっきまで私達は何もかも上手くいってたじゃない・・・・・」

 「元はと言えばオレのどっちつかずの態度が原因だ。許してくれなんておこがましい事は言えない。ただ―――憎むならオレだけにしてくれ」

 「な、なんで私が義之の事を憎むのよ・・・・。ほ、ほら、義之、帰りましょう、私の家に。そしてまた続きでも――――」

 「悪いが浮気はもう出来ないよ。今度したら本当に美夏に殺されちまう」

 「浮気って・・・・何を言ってるの、義之は? 義之は私と一緒になるんでしょう? そして私の国に来て、私と結婚して・・・・」

 「前にも言ったが、その隣はオレでは無い。オレよりもお前に相応しい相手が現れる」

 「・・・・義之よりも相応しいって何よ。私は義之がいいのよ・・・・義之じゃなくちゃ駄目なの・・・・義之が傍にいなければ駄目だというのに」

 「ごめんな、エリカ」

 「――――――駄目よ。認めないわ」


  そう言ってオレから距離を取るエリカ。そしておもむろに――――手首の包帯を取った。露わになる惨い傷跡。まだ完治なんかしていない。

  息を呑む周りの奴ら。そしてすぐ気付いただろう、その傷跡がリストカットによるモノだと。オレに見せつけるようにその傷跡を見せるエリカ。

  エリカはその手で―――傷口を抉った。途端に血がポタポタ流れ出す手首。あの時ほどでは無いが十分オレに見せつける形になっただろう。


 「え、エリカっ! あんた――――」

 「まゆき先輩は黙っていて下さいな。ねぇ、義之? 前にも言ったけど・・・・私から離れるというのなら死ぬわよ」

 「ば、ばかぁ! な、何やってるのよエリカちゃんっ!?」

 「何って・・・・義之を引き留めてるんですのよ。義之は昨日私が手首を切った時、それはもう必死になって私を助けてくれましたわ。
  それだけ私の事を好きという事。今こうやって抉っているのはそれを思い出させる為。何かの間違いで気が違っている義之の目を覚ま
  させなくちゃいけないの・・・・」

 「・・・・眼の前で手首を切られれば誰だって必死になってその人物を助ける。それが分からないエリカ嬢ではあるまい」

 「ふふっ、何も分かっていないのですわね杉並は。それはあくまでも一般論でしょう? 義之と私の場合は違いますのよ?」

 「・・・・・・・・・」

 「義之、黙っていないで――――」

 「・・・・・・あ、悪い。話を聞いて無かった」

 「な、なんですって!?」

  
  多分だが・・・・エリカは忘れているのだろう。本来オレがどういった人物か。よく聞く話だが身近に居過ぎてその人物の本質を見失う事があるという。

  エリカはまさにそれだ。ましてや相手は好きな人物、そしてその相手も自分の事を好きだったという事実があるし、体も重ねた事がある。これ以上無い位に近かった。

  しかし――――今の状態のオレからしてみれば、もうどうでもいい事だった。血を出そうが破裂しようが知った事ではない。本当にどうでもよかった。


 「なぁ、エリカ。お前忘れている事があるぞ」

 「い、いきなり・・・・なんですの・・・・・」

 「一つはオレが酷い人間だという事だ。ぶったちゃけお前が死んでもなんとも思わない。でもどうせなら派手に―――いやまて、それだと自殺幇助
  になっちまうな。悪いが今の発言は無かった事にしてくれ。まぁ、生きようが死のうが好きなようにしていいよ」

 「なっ!? お、弟君っ!」

 「そ・・・・そんな・・・・」

 「そして最後に――――オレは言ったよな? 自分を傷付けるような事があれば殺してやるって。まぁ殺すのは嘘だとしても・・・・それほど頭に
  きて怒ったのは確かだ。それはお前にも伝わった筈。それにもかかわらずそんな真似をするお前・・・・オレはほとほと呆れ返っちまった」

 「―――――――ッ!」


  オレは確かに怒った。それはもう人生でトップに入るぐらいの怒り方だ。もう本当に殺してやろうかと怒り狂ったぐらいだ。

  そして今の行動を見てオレは悟った。ああ、怒っても何も伝わらなかったんだなと。瞬間、今までの感情が嘘みたいに冷めてしまった。

  エリカはオレを引き留める為にそんな手を使ったのだろうが―――逆効果だ。はっきりいってもう関わりたくないレベルまで下がってしまった。


 「まぁ、オレが何で怒ったのか伝わらなかったみたいだし・・・・しょうがないか。うん、しょうがない」

 「ま、待って義之っ!」

 「美夏っち行こうぜ。久しぶりにデートと洒落こもう」

 「・・・・・え、あ――――」


  そう言ってオレはその場から立ち去る。しかし杉並や茜、まゆきを見て立ち止まる。それらの目を見据えて――――深々お辞儀をした。

  他人の事なのにここまで体を張ってくれたんだ。感謝してもしきれない。ましてや原因がオレとくれば頭を下げずにはいられない。

  近々ちゃんとお礼はするつもりだ。金はあまりないが・・・・仕方ないだろう。ここで出し渋るような人間では大きくなれないからな。

  なんにせよ今はちゃんとお礼が出来ない。なんたって停学中の身だ。見つかったらタダじゃ済まない。ここから早く立ち去りたかった。


 「・・・・よし、じゃあ行くか」

 「あ、ああ――――」

 「お、お願いだから待って義之っ!」


  そしてエリカはオレの腕を掴もうとして――――スパンと乾いた音を立てて弾かれた。オレが弾いたのだ。普段通り変わらないオレの行動。

  エリカは茫然とした顔で弾かれた手を見詰め・・・・座り込んでしまった。慌ててまゆきが掛けよるが茫然としたままその場を動かない。

  オレは別に興味も湧かないのでそのまま美夏と一緒に歩き出した。さて、自然に美夏を拉致する事に成功した。どこ行こうかなぁ。


 「い、いいのかムラサキの事は?」

 「・・・・本当にお前は人が良いな。だからアイツ如きに出し抜かれるんだよ」

 「――――ほう言ってくれるな。お前には色々聞きたい事があるんだが」

 「エリカとの件は否定できねぇよ。事実だからな」

 「・・・・・・・・・そうか」

 「だが」

 「あ――――」


  繋いだ手を振りあげる。この手はもう離さない。今まではオレが情けないばかりにややこしい事態になっちまった。

  だがもうこんな事態は起こらないだろう。いい加減オレも学習した。絶対に今後美夏以外の女とは親しくならねぇ。


 「もうオレにはお前しか見えていないよ。安心していい。随分世話かけちまったな、悪い事をした」

 「・・・・・そう思うなら、本当にそう思うなら・・・・・もう離れるなよ」

 「ああ、もちろんだ。さて、公園にでも行ってお互いの近況報告といこうか」

 「クレープはお前の奢りだからな」

 「あいよ。じゃあ積もる話もあるしたくさん買うべ。お前も一個だけ喰って満足しねぇだろ?」

 「――――ッ! うむっ!」


  そう言ってオレ達は歩き出した。短いようで長い一週間の出来事。積もる話はいっぱいだった。まず何から話したものか・・・・。

  そしてオレはちらっと後ろを覗いてエリカを見やる。あいつとも色々あった。本当に世話になったし、一瞬だけだが―――一緒になってもいいとも考えた。

  だがそうはならなかった。あまりにも、あまりにも変わり過ぎてしまったエリカ。オレのせいとはいえ、それが少し悲しい。もう面影なんて見えない。


 「・・・・なんでオレがお前に惚れたのか、よく思い出してくれ」

 「うん? 何か言ったか?」

 「――――なんでもねぇよ。さぁ、さっさと行こうぜ!」

 「わわ、引っ張るな義之」


  そうしてオレ達は走って公園へ向かった。オレの早い走りに躓きそうになりながらも着いてくる美夏。手は離される事はなかった。

  それはそうだ。やっと再び捕まえる事が出来た好きな人の手。お互いに外す事など考えもしなかった。もう絶対に離さない。

  美夏の顔を見る。笑顔だった。もうこの笑顔を見ているだけで幸せになれた。桜の花びら舞う中、オレ達はお互いに笑い合い歩いた。



















   
  
 





[13098] 21話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2009/12/22 16:44














 「だ、大丈夫、エリカ?」

 「・・・・・・」


  まゆき先輩が心配そうに話し掛けて来るがエリカちゃんは無視している。いや、多分声自体が聞こえていないのだろう。

  それほどショックだったに違いない。あそこまで義之君の事を好きだったのに完璧に振られてしまって何も考えらないのだ。

  義之君はもうエリカちゃんに振り向かない。先程の様子を見ればそれは一目瞭然だった。


 「ふむ、あっけない幕切れではあったな。少し同情が湧き上がってくるが・・・・」

 「しょうがないわよ。だって義之君は最初から天枷さんの事が好きだったんだから。でもまぁ、だったらえっちとかするなっていう話なんだけどぉ~」


  落ちていた包帯を拾って埃を落とす。まだ血が流れているエリカちゃんの手首をハンカチで縛りその上から包帯で巻いた。

  エリカちゃんは特に抗う事はなくなされるがままといった感じだ。確かに私はエリカちゃんの事が嫌いだけど少し同情心も湧いていた。


 「・・・・・・・」

 「あっ・・・・・」


  スッとエリカちゃんは立ちあがって――――校舎内に向かって歩き始めた。その表情を窺うが至って普通。特に泣いたり怒ったりしていなかった。

  それがひどく私には不気味に映った。さっきまで自分の感情を爆発させるかのように体を震わせていたのにもうその面影は見えない。

  一体何を考えているか分からなかった。まゆき先輩は慌ててその後を追った。付き合いのいい先輩だ、何も追いかける義理などないのに。


 「ま、待ってエリカ~っ!」

 「・・・・・・・」


  無言のまま歩いていくエリカちゃん。そして曲がり角を曲がり―――姿が見えなくなる。まゆき先輩もそれに続いて姿が見えなくなった。

  そして私はため息を吐く。意外にも私は緊張していたようだ。失恋して傷付いたエリカちゃんにどう対応しようかと色々考えていた。

  あまり無責任な言葉は吐けないしだからといってこのまま放って置くわけにもいかない。正直エリカちゃんが居なくなりホッとしていた。


 「意外にもエリカ嬢は取り乱さなかったな。てっきり今日一日はあんな調子だと思っていたが」

 「ああいう態度こそ一番怖いわよ。あの無表情の顔でまた手首なんか切りそうだしねぇ・・・・。何を考えているのか分からないのが一番
  始末に悪いわ」

 「ふむ・・・・」

 「ん? どこにいくのぉ、杉並君?」

 「このままいても仕方あるまい。とりあえず教室に戻ろうと思って―――いや、ひと仕事残っていたな」

 「えっ・・・・」


  歩きかけていた歩みを止めて屈む杉並君。一体何をしているんだろうかと見てすぐ分かった。杉並君の手にはバラバラになったチェーンの
 破片が握られていた。それらを何個も拾いあげる。

  慌てて私も地面にしゃがみ込んで拾い集めた。チェーンは結構バラバラに散らばっており全部を拾い集めるのには時間が掛かりそうだった。

  少しの間沈黙が流れる。見落としたチェーンが無いか周りを見回した。そんな時杉並君が独り言のように喋り出す。


 「ひどく焦っていたんだろうな」

 「え・・・・」

 「何もいらない。桜内さえいてくれればそれでいい。そう思っているのに桜内はこちらを振り向いてくれない。そしてとうとう、振り向く事は無かった」

 「・・・・・・」

 「オレの思い過ごしかもしれんが―――桜内はエリカ嬢と一緒になってもいいと考えていた。なんだかんだでエリカ嬢の事を気に掛けていたし
  憧れにも似たものを抱いているように見えた」

 「・・・・・そう、ね」

 「だが自分でその可能性を潰した。好きなあまり周りが見えなくなっていた。桜内を手に入れる為に焦ったのがまずかった。
  少しずつ誘惑していって落とすべきだったな。それこそ一年ぐらいかけてゆっくりと。コツコツとバターを溶かすように。
  自分の事を考えない時間を与えないようにすればいずれ美夏嬢と別れていた。エリカ嬢と付き合えるかどうかは知らないが」

 「杉並君はそう願っていたの?」

 「・・・・ただの考察だ。こういう事を考えるのがもう癖になっているんだ。まぁ、あまり人に好かれる癖ではないのかもしれないな」


  チェーンを拾い集めて立ち上がる。私の方も大分集まったので杉並君に渡した。多分全部拾っただろう、確認したが見落とし無い筈。

  それらを無造作にポケットに入れて今度こそ杉並君は校舎内に戻ろうと踵を返した。私もその後を追う。


 「どうするのぉ、そのストラップ」

 「ここまで破壊されたら直し様が無いが―――美夏嬢に渡すよ。形は無くなってしまったが桜内から貰ったという事実がこのストラップにはある。
  記念に箱にでも入れとくだろう」

 「ふぅん。案外優しい所があるのね」

 「イギリス紳士だからな、俺は」


  いつイギリスに籍を移したのよ。杉並君は笑いもせずそう言い放った。まぁ、照れ隠しみたいなものだとして受け取っておく。

  しかし結局義之君は天枷さんと元の鞘に戻ったか。ある程度予想はついていたからこの事に関してはあまり驚いていない。

  驚いた事―――それはエリカちゃんの事だ。まさか手首を切るまでに義之君の事を好きだとは思わなかった。

   
 「エリカちゃん・・・・変な考えをしなければいいんだけどぉ」

 「さてね。もう起こす気力など無いように見えなくも無かったが・・・・実際はどうだろうな」


  去り際の表情を思い出す。何を考えているのか分からなかった。ヤケにならなければいいが・・・・。

  まぁ―――私達がいくら考えてもしょうがない。結局の所この問題は最初から義之君達の問題なのだ。あまり首を突っ込んでもしょうがない。

  とりあえず私達は教室に戻る事にした。大分昼休み時間を過ぎてしまったが別にいいだろう。ああ、最近授業に出ていない気がするなぁ・・・・。




























  公園に着いた時美夏はいきなり泣き出してしまった。緊張の糸が切れたのか、はたまた安諸してしまったのかとにかく泣いてしまった。

  オレはそんな美夏の背中を一生懸命なだめた。手を握り締めながら背中を擦る。しかしそれが余計な刺激になってしまい更に泣いてしまった。

  そんなこんなで一時間ぐらい慰めるのに時間が掛かってしまった。クレープ屋から買ってきたクレープを美夏に渡す。


 「うう・・・バナナか・・・」

 「贅沢言うな。お前の場合いつショートするか分からんからな」

 「それはそうだが・・・・たまには違うモノが食べてみたいぞ、美夏は」


  そう言いながらもクレープを頬張る。天気もよくてちょっとしたデート気分だ。この日をどれだけ待ちわびた事か。

  それから美夏と色々な事を喋った。オレとしてはあまり話せる程ネタは無く、終始美夏が喋ってるような感じだった。

  どうやら美夏に友達が出来たらしく話を聞けばその子のお陰であまり気落ちする事は無かったと言う。いつかお礼を言いたいものだ。

  でもまさか委員長が美夏の世話を焼いているとは思わなかった。あのロボット嫌いが・・・・と思っていたが元来世話焼きっぽい性格だ。
 ロボットの事に関して振っ切った今、それはあまり関係ないのかもしれない。


 「しかしお前は本当はスケベだったんだな。まさかムラサキと・・・・その・・・、え、えっちな事をするとはなっ!」

 「耳が痛い話だ。何も言い訳出来ない。確かにあの時はとても愛おしく思っていたし欲情したのも確かだ」

 「むー・・・・」

 「だがそんな気持ちは綺麗さっぱり無くなった。なんであんな気持ちになっていたか分からねぇ程な。もう浮気は―――」

 「えいっ」

 「あ――――」


  首筋の絆創膏が剥がされる。そしてそこに浮き上がっているのは生々しいキスマークの跡。オレは思わず天を仰いだ。

  結局キスマークは消す事は出来なかった。思いのほか強く吸われたらしくあの短時間で消す事は不可能だった。

  慌てて隠す様はみっともないので隠そうと挙げていた手を下ろす。美夏の眼はこちらを機嫌が悪そうに睨んでいた。


 「そのキスマークは・・・・ムラサキのモノなのか?」

 「―――ああ、そうだ。参ったねエリカには。オレは嫌だって言ったんだぜ? なのに無理矢理こんなみっともない跡をつけやがった。
  オレは確かに停学中だが買い物には行かなくちゃいけないし知り合いに会う可能性もある。そんな時にこんなキスマークを見られたら
  誰だって恥ずかしい思いをする。オレはそういうのが一番嫌いなんだ。エリカを思わず恨んだよ、オレの事を本当は嫌いなんじゃないか
  とな。キスマークを付けるのは独占欲の表れというがそういうのはオレは求めちゃいない。信用していない表れだからな。まぁ今となって
  はどうでもいい事だ。なんにしたって――――――」

 「嘘は自分の首を絞めるだけだぞ、義之」

 「・・・・・・悪かったよ」


  そうだった、美夏には嘘がつけないんだったな。というかオレもオレでペラペラと喋り過ぎだ。これではやましい事があると言っているようなもの。

  隣を見るとこれまた恐ろしい顔でこちらを見詰める愛しい女の子。はて、どうしたもんかと考える。


 「――――――由夢にキスされた」

 「え・・・・」

 「オレの事が好きらしい。そして振られた。それ以上もそれ以下も無い」


  正直に話す事にした。これ以上嘘をついても仕方ないし美夏には嘘はつけない。ありのままの事を話す事に決めた。

  美夏は目を大きく見開き―――声を荒げた。思わず耳を塞ぎたくなるような大声だ。


 「な、な、なんだとっ!?」

 「あまり大声を出さないでくれ。ここには散歩中の爺さんとか昼間からイチャついている暇なカップルがいる。あまり驚かすな」

 「ど、どういう事なんだっ!? 由夢はお前の妹だし・・・それに、振られたとはどういう事だっ!」

 「オレの事を好きでキスしたんがオレはそれに応えなかった。そしたらあっちもすんなり引き下がった。むしろ嫌いと言っていたな。
  様子を見た限りじゃエリカみたいに後に引っ張る事はないだろう。そして由夢はオレの妹じゃない。前にも言ったがオレは捨て子
  みたいなもんだ。ただ家族同然として過ごしただけで血のつながりは無い」

 「そ、そうなのか・・・・しかしお前は本当に・・・・何か変なフェロモンでも出しているんじゃないか・・・・・?」

 「そんなフェロモンにお前は見事引っ掛かった訳だ。好きだぜ、美夏」

 「――――――ッ! ふ、ふんっ! 今みたいな事を平気で言う女たらしだから美夏は信用出来ないのだっ! 何度痛い目にあったか――――」

 「本当に悪かった。もう不安になんかさせない。口ばっかりの男だと思うかもしれないが・・・・もう一度チャンスをくれ」

 「あ――――」     


  そう言って美夏の唇にキスをする。手足をジタバタさせるが頭を手で挟んで口が離れないようにする。美夏と久しぶりのキスだった。

  最初は暴れていたが美夏だがオレが離さないと分かると―――動きを止めた。舌を入れる雰囲気ではないので普通のソフトなキスだけにする。

  そしてゆっくりと口を離す。美夏はどこか夢見心地の様な顔をしていた。その頭をオレは撫でた。


 「今度は別れるなんて言わないでくれよ。オレはお前から離れるつもりはないからな」

 「・・・・馬鹿言え。それは―――私の台詞だ」


  ギュっと手を握られる。顔はそっぽを向いているがどうやらオレの事を信用してくれているらしい。

  この信用――――裏切れないな。もちろん裏切る気など毛頭ない。美夏を離すつもりなんかないからな。


 「おっと、大事な事を言い忘れていたな。そう、とても大事な事だ」

 「うん? なんだ、その大事な事って?」

 「美夏――――オレとまた付き合ってくれないか?」

 「・・・・・・!」


  オレは美夏に振られたままだ。こんな風に和気あいあいとしているが今は恋人でもなんでもない。

  美夏もそれに気付いたのか黙ってしまう。そしてオレの目を見て―――笑った。


 「断る―――と言ったらお前は泣きそうだからな。付き合う事を了承しようっ!」

 「はは・・・・ありがとう。光栄の極みだよ」

 「うむ。光栄に思うがいい。で、だ・・・・義之」

 「ん?」

 「大好きだぞ」


  そう言って美夏はオレにキスをしてくる。美夏からのキス―――初めてかもしれない。こういう風にこいつからキスしてくるなんて。

  それがとても嬉しい。こうやってまた付き合える事もそうだが、美夏からの初めてのキスという事実が心に染み渡ってきた。

  美夏の肩を抱いてオレもそれに応じる。まだ昼間で人がいるが―――構いやしない。オレ達は今、また幸福を掴む事が出来た。

















   

 




  どこで間違ったのだろう。あれからもう三週間も経ってしまった。その間私は義之に近づく事は出来なかった。

  常時天枷さんが脇にいるというのもあるし義之が私の事をもう特別な目で見ていない事が分かってしまい、少々臆病になってしまっている。

  いつもなら気軽に近づける筈なのに近づけない。本当は近づきたいのに。そのジレンマが私を苦しめていた。

  ほぼ義之は私のモノになっていたのに離れてしまった。どうやら最後の脅迫と言って差し支えない私の言葉がお気に召さなかったらしい。

  まぁそれは私の落ち度だろう。義之の事を好きだとかなんとか言って置きながら脅しと言う手段を使ってしまったのは賢いとは言えない。

 
 「結局振り出しか・・・・どうしましょうね・・・・」


  先生の眠たくなる様な授業を聞き流しながら考える。ペンを指で回転させながら聞くその授業態度は褒められたものではないが集中したい
 ときはいつもこの体制だ。別に先生もわざわざそんな人に注意なんかしないだろう。

  考える―――――次の手はどうしようかと。ゴール地点はもうすぐだったのにスタート地点まで戻された気分だ。最悪と言ってもいい。

  もちろん私は義之の事は諦め切れていない。とうぜんだ、愛している人なのだから。何があっても諦める事など出来やしない。

  義之も色んな事があって感情が不安定なのだろう。だからあんな態度を私に取った。初めはショックで何も考えられ無かったがよく考えれば
 分かる事だ。

  私らしくも無い。この考えに辿りつくまでかなり時間が掛かってしまった。まぁそれほど私が義之の事を好きだと言う訳だが・・・・。  


 「問題は・・・・どうやったら義之の目を覚まさせるか・・・・ですわね」


  何の間違いか義之は目を曇らせてしまっている。これはいけない事だ、早く正気に戻さなくてはいけない。

  今でも思い出せるあの晩の事。お互いの体が邪魔だと思うくらいに狂おしく一つになろうとしたあの時。あれほど愛に満ち溢れた情事。

  あれが嘘だとは思えない。確かに心が通っていた記憶がある。もう一度繋がりすれば義之だって考え直す筈だ。


 「じゃあ今日の授業はここまで。委員長、号令お願い」

 「はーい。きりーつ、れい、ありがとうございましたー」


  なんともやる気のない号令で授業が終わった。まったく、やる気が無いならこんな形だけの挨拶なんか辞めればいいのに。色々理解不能だ。

  前の席の子が話しかけてこようとしてきたが無視して席を立つ。あまり人と話す気分ではないし、こうなった今何かの役に立つとは思えない。

  教室の扉を開け廊下に出る。次の授業なんか受ける気なんか無くなっている。サボっても問題ないだろう。屋上かどこかで休む事にした。

  幸い私は生徒会所属で素行も品行方正そのものだ。気分が悪くて休んでいたと言えばだれも疑いはしないし、別に何言われたって構わない。


 「屋上、か。あまりいい記憶はないですけど・・・・少し頭を冷やしたいわね」


  義之に嘘をついた場所でもあるからまり近づきたくはないのだがそうも言っていられない。校舎裏なんてもっての他だ。もうニ度と近づきたくない。

  その他の場所もある事にはあるのだが人が来ないという可能性はゼロではない。確実に人が来なくて考え事をしたいのなら屋上が最適だった。

  そうと決まればと思い屋上に足を向ける。しかしこの通路を歩いていると天枷さんと義之を別れさせた事を思い出す。あの時は上手くいったもんだと
 思っていたが・・・・中々人生とは上手くいかないものだ。

  長い通路を渡り終え屋上へと続く階段を上る。そして屋上の扉を開けると寒々しい風が私の身を包んだ。いくら今日は天気がいいとはいう暖かくなるのは
 まだ先の事らしい。思わずため息を吐きたくなる。


 「さて・・・人が来ても大丈夫な場所は・・・・あそこですわね」


  給水庫の裏側がちょうどいいポジションだろう。あそこなら扉から見えないしちょうど影になっていて日も当たらない。

  少し寒い思いをする事になるが別にいいだろう。それと引き換えに一人になる時間が与えられるのだから。そう思いそこに歩き出す。

  どことなしに私はワクワクしていた。育った環境のせいかこういう不良じみた事をしでかした事はない。幼少の頃からいつも監視みたいな目が光っていた。

  だからこの地球に来てやっと自由になれたというという清々しい気持ちでいっぱいだった。特に悪い事をしようと思った訳じゃないが束縛から解放された
 気がする。王族だが私だって子供だ、自由に遊びまわりたい気持ちはあった。

  そう言い訳にも似た気持ちを抱きながら給水庫の裏側に回り――――思わず息を呑む。



 「・・・・・・よう」

 「・・・・・ごきげんよう」


  そこには義之がいた。いきなりの事であちらも驚いているらしい。咥え煙草を落としそうになりながら挨拶をしてきた。私もかろうじてそれに応える。

  途端に落ち着きを無くす私。それはそうだ、この三日間無視されたといっても過言ではない扱いを受けてきた。思わず泣きそうになる。

  だがいつまでもこの状態でいる訳にはいかない。そして―――私はその横に腰を下ろす。別にこの場所は義之の指定席でもなんでもない。

  意地にも似た思いを胸に抱く。髪を掻きあげて余裕のあるフリをするがその実、余裕なんてものは無かった。


 「何しに来たんだ、お前」

 「・・・・少し考え事をしたくてね。サボりに来ましたの」

 「へぇ・・・・あのクソ真面目なお前がねぇ」

 「いつも真面目な訳ではないですのよ。たまにこうやって寒空の下、感傷に浸りたい気分になる時もありますわ」

 「・・・・そうか」

 「・・・・・ええ、そうです」


  沈黙が流れる。義之の顔を窺うが何を考えているか分からない。無表情で煙草をプカプカ吹かしている。

  どうやら義之もサボりらしい。周りに天枷さんがいないところをみるとイチャつく為にここにいる訳では無いみたいだ。

  まぁ待ち合わせの可能性もあるが・・・・。その場合、私はとんだ場違いな所にいる事になる。


 「・・・・天枷さんは御一緒ではないのですね」

 「ただサボりに来ただけだ。お前と一緒でこうやって寒空を眺めたい気分なんだよ」

 「桜内先輩は最近少しは真面目になったと思っていましたが・・・・どうやら勘違いのようですわね」

 「・・・・あんまり言わないでくれ。今日はちょうどそんな気分だったんだ。ところでどうだ、お前も煙草吸うか?」

 「――――――ええ、ではいただきましょうか」

 「・・・・・は?」

 「何をボサッとしているのかしら? くれるんでしょう、煙草を」


  私の思いがけない言葉に義之は驚いた反応を示した。別にそんな驚く事もないだろうに。ただ今は吸いたい気分だったのだ。

  義之は何か言いたそうに口を開きかけたが―――黙って煙草一本とライターを差し出した。私はそれを素直に受け取る。

  煙草なんて吸った事無いが義之のせいで嗅ぎ慣れている。なんとかなるだろう。そう思い煙草を咥えて火を付け、肺に煙を入れる。

  桜内先輩――――そう呼ばないと義之は反応してくれない。とても他人行儀な呼び方。私はこの呼び名が大嫌いだった。

  否応なしに義之と距離が開いてしまった事を思い出させなければいけない。拷問に近い行為と言ってもいい。

  義之とまず会った時にもう名前で呼ぶなと言われた。そして脇を通り過ぎる義之。もう泣く気力なんか残っていない。あれ以来心にぽっかり
 穴が空いてしまった。

 
 「――――――ッ! ゲホ、ゲホッ! う、わ、ゴホッ!」

 「・・・・大丈夫かよ、てめぇ」

 「べ、別に大丈夫ですわっ! これくらいっ!」


  そう言って少しずつ煙草の煙を吸う。さっきは一気に吸ったせいでむせってしまったのだ。少しずつなら平気だろう。

  それにしても嫌悪感は拭いきれない。それにしてもまぁ義之はこんなもの吸えるものだ。好きな人ながら神経を疑う。


 「なんだよ、その眼は」

 「・・・・別に」

 「まぁ別に無理することはねぇよ。美夏にも一回吸わせた事があるが思いっきりむせたしな。ロボの癖して煙草の一本も吸えないとは情けない。
  それ以来アイツは煙草を嫌いになったよ。おかげでアイツの近くで煙草を吸うと睨み付けられるようになっちまった」

 「・・・・そうですの」


  そう言ってまた沈黙になってしまう。手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいるというのにどこか遠い気がした。そんな事は気のせいだと言うのに。

  話をしていても前みたいに私に対する愛情が見受けられない。本当に私の事なんてどうでもよくなったのだろう。そんな感じがした。

  その事実がとても悲しい。前みたいに触れてほしいし優しい言葉を掛けて欲しい。でも現状では夢のまた夢だ。とても叶いそうにない。

  二人の吸っている煙草がジリジリと燃えて煙が空に消えて行く。ああ、なんだか虚しい。思わず心が折れそうになる距離感がそこにあった。

  こうして二人で談笑しているのも偶然だ。次の機会なんて無いだろう。次会う時はいつも通りの態度に戻るに違いない。


 「さて――――オレはそろそろ行くとするかな」

 「え・・・・」

 「そろそろ体が冷えすぎて死にそうだ。授業もあともうちょっとで終わりそうだし・・・・な」

 「・・・・そうね」


  そっけない別れ。義之に会ったらまたアプローチをしようと思っていたが結局出来なかった。元々私は臆病な性格だ。止める事なんて出来ない。

  手首を切ったり天枷さんを煽ったり出来たのは義之と付き合う為であり、それだけが私を奮い立たせていた。今は前ほどその気力が無くなっていた。

  義之と天枷さんはまた付き合い始めた。もうこの二人を離すのは至難の業だ。私がどれだけ出張った所でその事実を変える事は出来ない。

  義之は立ち上がり煙草を缶の中に入れる。私もそれに習って煙草を入れた。あんまり私には合わなかった。もう吸う事は無いだろう。
  

 「じゃあな、エリカ・・・・て、うおっ!」

 「え、て危な――――!」


  灰皿代わりにしていた缶に足を引っ掛けて転びそうになる義之。無意識にその義之の体を受け止めようとする。だが返ってそれがよくなかった。

  結局二人もつれて地面に投げ出される。背中に感じる鈍痛。受け身など取れないので衝撃をそのままに背中をコンクリートの地面に打ち付ける。


 「あいたた・・・・」

 「わ、わりぃ、エリ――――」


  目を開けるとそこには義之の顔。心臓が止まりそうな程私は驚いた。もう叶わないと思っていた義之との距離。それが今ここにある。

  義之も私の顔を見たまま固まってしまっている。少し半開きの口がマヌケだ。義之らしくないその表情に私はくすりと笑う。

  そして―――義之の顔に手を添える。無意識での行動だった。前まではずっとこんな風にキスをしていたからもう癖になっている。

  いつも通りに私はキスをするだけ。いつも通り――――さっきみたいな寂しい雰囲気などではなく、いつもの私達の雰囲気に戻っていた。

  だからこれは自然な行為だ。もう本能に刻まれていると言ってもいい。三日前に起きた事などすっかり私の頭から消えていた。


 「義之・・・・」

 「あ・・・・」

  
  ほら、義之も抵抗しない。眼が前みたいに戻っている。私をちゃんと見てくれている眼だ。それがたまらなく嬉しい。

  唇を近付ける。義之は振り払おうとしない。当り前だ、前までこうやってキスをしていたんだから何もおかしくない。

  私は目を瞑った。いつも私からこうやって目を瞑っていた。そして唇が重なろうとして――――


 「やめろっ!」

 「あ・・・・・」


  手が振り払われてしまった。あともうちょっとだというのにキス出来なかった。とても残念だ。

  しかし義之はそんな表情を出さずに苦々しい顔になる。どうやら怒っているらしい。さっきまでノリノリだったのに。

  この顔、おそらく私に対して怒っている訳じゃない。自分に対して怒っている顔だ。いつも義之の顔を見ていたから分かる。


 「義之・・・・」

 「・・・・チッ!」


  舌打ちをして義之は屋上のドア開け、出て行ってしまった。そして取り残された私。思わず――――顔が二ヤける。

  義之は私の事を完全に振っ切った訳ではない。少し、ほんの少しだが私に対して愛情が残っている事が確認出来た。

  これは思わぬ誤算。てっきり義之は私に対して何も感情を抱いていないと思っていただけにこれは嬉しい誤算だった。


  だがよく考えれば分かる事。義之と初めて会い、キスをして、体を重ねた事実・・・・それは確実に痕跡を残していた。

  いくら天枷さんの事を愛しているからといってそれが消える事なんてありえない。普段はそんな素振りなんか見せていないようだが
 さっきみたいに唐突な事故が起きればそれは確実に心の奥底から顔を出す。

  時間が経てばいずれ消えてしまう様な残りカスの感情だが――――まだ消えていないようだ。


 「・・・・・ふふ。まさかまだチャンスが残されているなんてね。これはもう神様が私と義之をくっ付けようとしている様にしか感じませんわね」


  神様なんて信じていないがこの時ばかりは信じよう。私がなんの気の迷いか初めて授業をサボった。たまたま屋上に行くとそこには同じく授業を
 サボった義之がいる。そしてさっきみたいな事故が起きた。

  確かに偶然だろう。だがそんな偶然に私は感謝している。義之を取り返す取っ掛かりとなった好機、見逃すわけにはいかない。


 「まさか本当に気分転換になるなんて、ね。授業をサボるのもいいかもしれませんわね」

 
  髪を掻き上げて私も屋上を後にした。気分はここに来る前より清々しい気分になっている。鼻歌でも歌いたい気分だった。

  とりあえず義之を取り返す為の策を考えよう。今度は私が出張る訳にはいかないので慎重にいくつもりだ。失敗したら今度こそ私は終わりだろう。

  だがそんな事にはならない。だって義之が本当に愛しているのは私なのだから。正しい行いをしているのだから失敗などしない。

  私は本気でそう思っていた。消えて無くなりそうだった気力が戻ってくる。今度こそ――――義之と幸せになってやる。




















 「くそっ!」


  また雰囲気に呑まれそうになった。完全に消えて無くなったと思っていた感情。それがまだ微かだが残っていた。

  邪魔な感情だ、早くなくなればいいのにと思う。こんな感情持っていても何も役に立たない。また誰かを悲しませるだけだ、

  まだオレはエリカに女々しい感情を抱いているのか。求めているというのか。そんな馬鹿な事をまだ思っているのか。

   
 「全部忘れるんだ・・・・何もかも。エリカと過ごした日々全部を」


  あまりにもエリカと築きあげた時間が長すぎた。確実にエリカはオレの心に居付いていたのは確かだった。今なおそれはオレの心の中に居る。

  ふぅ・・・とため息をついた。深呼吸をしてさっきの感情を追い出す。出来るだけエリカの事を考えないように肺の中に新鮮な空気を入れた。

  
 「大丈夫・・・・普段通りに接すれば問題ない。いつも通りの態度でいればあっちも諦めるだろう」


  そう、いつも通りの態度でいれば問題無い。事実この三週間は全然エリカに対して愛情なんて持っていなかった。

  さっきのはたまたまだ。たまたまあんな事故があったせいで変な気なんか起こしちまった。もうニ度とあんな事故なんて起きないだろう。

  エリカにはもう会わない。廊下ですれ違うのも危ない気がする。今度からは出来るだけかち会わないようにしよう。


 「おーい、義之っ!」

 「あ?」


  そう言って振り返ると美夏と花咲達がこちらに向かって歩いてくるのが見えてきた。というか小恋、雪村はともかく白河までいるのか。

  あいつ苦手なんだよなぁ。なんか魔法っぽいの持っている感じがするし・・・・。さくらさんの話を聞いた時にもしかしてとオレは思っていた。

  まぁ体に触れさせなきゃ危険は無いみたいだし別に放っておいてもいい気はするんだが・・・・用心する事に越した事は無い。


 「よぉ、今からお昼ご飯か」

 「うむ。実は杏先輩達にお昼に誘われていてな、よかったらお前もどうかと思ったんだが」

 「うん? オレなんかが来てもいいのか? 別に気なんか使わなくたっていいんだが・・・・一人で食べるし」

 「なぁに言ってるのよっ! グダグダ言ってないでついてきなさいな」

 「おいおい・・・・」


  そう言って腕を掴んで輪の中へ引きずり込んでくる茜。まぁ別にこいつらと一緒に食ってもいい。特に仲が悪いヤツなんていないしな。
 
  少なくともオレはそう思っていた。あれだけ自由奔放に暴れ回ったとしても嫌われていると思っていなかった。無神経だからな、オレ。


 「しかしアレだな、男一人というと他人の視線が気になるな」

 「なぁに言ってるのよ。義之くんはそういうの気にしないでしょ」

 「うむ。無神経だからな、義之は」

 「ばかやろう。オレはとても感受性の高い人間なんだ。学者だって絵描きだってなんだってなれる逸材なんだぞ?」

 「はいはい分かってまちゅよぉ~? 義之きゅんはとても感受性が強くて恋も多くしちゃうんでちゅよねぇ~?」

 「だ、駄目だよ茜・・・・そんな事言っちゃ・・・・」

 「・・・・・」


  痛いところを突かれたな。それを言われちゃ何も言えねぇよ。とりあえず茜の言い分を無視して前を向く。

  脇からつれないわねぇ~と甘ったるい言葉が聞こえて来るが聞こえないふりをした。構ったら余計にこいつは調子に乗る。

  しかし―――男1人に女5人か。ふざけたメンバーだ。軽くハーレム状態になってるのでどこかソワソワしてしまう。

  元々人嫌いのオレだからかもしれんが微妙に気分が沈んでしまう。思わずため息をついてしまいそうだった。























 「男一人増えた所で何も変わりはしないと思うがな」

 「いないよりはマシだ。ほれ、オレのチャーシューを分けてやるよ」

 「むぅ・・・・あまり脂っこいのは食べたくないのだがな」


  文句を言いつつ食べる杉並。こいつはなんというか神経質っぽいところもあるしそういうのが気になる性質なんだろう。細かい男だ。

  食堂でたまたま一人で食べようとしていた杉並を捕まえられてラッキーだった。仲のいい同性がいるのがこんなにもいいもんだとは思わなかったな。

  対面には杉並が座っており右側には美夏、左側には・・・・白河が座っている。なんの嫌がらせなんだろうか。


 「こ、こうやって義之君と喋るのも久しぶりだね!」

 「・・・・そうだな。去年の年末以来か」

 「うん? なんだ、義之は白河先輩と仲が悪いのか?」

 「そんなんじゃねぇよ、美夏。クラスも違うし中々喋るチャンスが無いだけだ」

 「・・・・・・」

 「なんだよ、雪村」

 「いえ、別に」


  澄まし顔で野菜をもしゃもしゃ食う雪村。こいつも案外鋭い所があるから侮れない。今の嘘ぐらい見抜いているに違いないだろう。

  まぁ、実際嫌いという訳ではない。ただ苦手なだけだ。あの心を覗かれる様な感覚は好きになれない。思わず殴り飛ばしてしまいそうだ。

  最近落ち着いてきたとはいえその可能性は否定できない。出来るだけ左を見ないようにしながらラーメンの汁を啜る。


 「でもあれだよねぇ、義之君にまさかちゃんとした彼女が出来るとはねぇ~」

 「それもまさか美夏とはね。まぁ去年から薄々感付いてはいたけど」

 「茜の『ちゃんとした』って部分がまぁ気になるが・・・・自慢の彼女だ。結構気に入っている」

 「ば、ばかっ! こ、こんな所でなんて事言うんだっ!」

 「あらあら妬けちゃうわねぇ、杏ちゃん」

 「まぁまぁ妬けちゃいますわね、茜さん」

 「・・・・・何とでもいえ」


  しかし茜と杏のコンビはあれだな、結構Sっぽいコンビだ。あんなやつらに目を付けられた弄られキャラなんかいたら思わず同情してしまう。

  というかさっそく弄られてる奴がいた。小恋だ。ヤツは昔からおとなしめの性格だからこいつらのいい玩具だろう。少し泣きが入ってるし。

  なんでこんな奴らと付き合っているんだか・・・・そう思い、コップに手を付けようとして――――ななかの手とぶつかってしまった。


 「あ・・・・・・・・・・・・・ご、ごめんっ!」

 「―――別にいいよ。よそ見してたオレも悪い」


  そう言って水を飲み干す。周りはすっかり小恋弄りに注目している。というか小恋の胸を揉んでるんじゃねぇよ、茜。お前の場合レズにしか見えねぇし。

  杉並も杉並でボーッとした感じでその光景を見てるし、美夏もそれをみて笑っている。今ならチャンスか。


 「・・・おっと」 

 「あ、いいよいいよ。私が拾うから」


  白河の足元に携帯を落としてしまった。心優しい白河は笑顔でそう言ってテーブルの下に屈んだ。本当に気の効く奴だ。

  そして周囲を見回してオレも背中だけテーブルの下に突っ込む。驚く白河の顔。オレは構わず問いかけた。


 「どこまで読んだ?」

 「え・・・・」

 「オレの心だよ」

 「―――――――ッ!」

  こいつ・・・・さっきの瞬間で心を読みやがった。僅かだがあの嫌悪感をオレは感じた。だからわざわざ携帯を落としたフリをして白河と話せる状況を
 作った。別に後でもよかったんだが長い話をする事でもない。聞くのは『どこまでオレの事を知ったのか』それだけだからな。

  そしてコイツの表情、驚きと恐怖の顔で満ちている。どうやら当たりだったようだ。別に間違いだったとしてもオレの妄言で済む話で痛手なんてない。

  あまり長く話せる時間はないので少しキツめに睨んでおく。そして視線を泳がす白河。この状態まで来れば話すのに時間は掛からないだろう。


 「別にお前の能力とかを他の人に話すつもりなんて無い。人には一つぐらい秘密があるってもんだ。オレはそれを無闇に他人に話したりしない」

 「・・・・えっと・・・・・」

 「ここで問題なのはお前がオレの何について知ったかだ。正直に話してくれないかな? ちなみにオレに嘘はきかない。目で嘘か本当か分かるからな。
  もし嘘をついていた場合――――ここでお前を裸にひん剥いてやる」

 「な・・・・! う、嘘でしょうっ!?」

 「オレの目をよく見てみろ。嘘をついているように見えるか、あ?」

 「う・・・・・」

 「別に正直に話したら何もしない。これだけは誓ってもいい。ただ嘘をついた場合・・・・本当に裸にして放り出してやる」

 「・・・・・・」


  ここまで言って嘘をつけたら大したもんだ。オレの目なんて本気にしか見えないだろうし、白河はとてもじゃないが度胸のある人物には見えない。

  目もしっかり泳いでるし肩を小刻みに揺らしている。度胸のある人間はこんな動きなんてしない。演技という可能性もあるが・・・・これが演技
 だったら金を払いたい気分だ。それほど動揺しまくっている。

  そして白河はおずおずと喋り出した。いつもの元気が良い喋りではなくどこか後ろめたそうな声で。


 「・・・・・・全部」

 「全部? いや、それじゃ分からな――――」

 「義之君が義之君じゃ無い事やエリカさんの事とか色々・・・・・全部」

 「・・・・・・・・」


  背中を起こしてテーブルに居直る。そして食事を再開した。どうやら小恋弄りはピークに達しているようで雪村も小恋の胸を揉んでいる。それを見て興奮
 している美夏。あんまり教育に悪いから見せるなよ。


 「あ、あのね義之――――」

 「その分だとオレの自慰回数とか知ってそうだな、白河は」

 「――――――ッ!」


  瞬時に顔を赤くする白河嬢。遊んでそうな外見だが意外とウブなようだ。いつもあっちこっちの男子にボディタッチしていたからな。

  まぁそれも結局は心の中を覗いていたのだろう。あんまり感心はしないが所詮は他人の事だ、オレに干渉しなければなんでもいい。


 「あ、あのね・・・・別に誰にも言わないから・・・・」

 「そうしてくれると助かる。まぁ話した所でアンタが頭おかしいように見られるだけだから別にいいんだけどよ」

 「・・・・・怒らないの?」

 「怒るも何も―――――知られちまったからにはどうしようもない。諦めるしかないよ。それともなにか? アンタはオレに
  殺されたいのか? 口封じ的な意味でな」

 「い、いや・・・・そういうのじゃないんだけど・・・・」

 「だったら別にいいだろう。お前はオレの秘密も知ってオレもお前の秘密を知った。そしてどちらもおとぎ話に過ぎない。
  よってお互いにこの事を忘れた方が良いだろう」

 「・・・・それでいいなら・・・・うん・・・・それでいいよ」


  そうして白河も食事を再開した。結局はそういう事だ。知られたからにはもうどうしようもないし、するつもりはない。

  まさか「この義之君は義之君であって義之君ではないんです。別の世界から来たんです」とは言いふらしたりしないだろう。

  そんな真似をすれば即刻そいつは精神科に送られる。オレが親だったら間違いないそうする。だってそんな奴が正気だとはとても思えないからな。

  強いて言えばエリカの件に関しては言いふらしたりしないで欲しいもんだ。白河は言わないと言っていたがもし言った場合――――剥いでやる。


 「なぁ、興味本位で一つ聞いていいか?」

 「うん? 何かな?」

 「そうやって人の顔色ばかり窺って生きてて楽しいか?」

 「――――――ッ!」


  別に責める様に喋ったつもりはない。だが白河の顔が段々曇っていく。なんだ、悪い事してるって自覚があるのか。

  どういった事情であれ人の心を覗くなんて卑劣極まりない行為だ。まぁそれは一般論だしオレは別に何も思ったりはしない。

  ただ悪いと思いながらそんな行為してるんだとしたら・・・・人は見掛けによらないな。


 「あのね・・・・・私小さい頃・・・・」

 「あー別にいいよ、喋らなくて」

 「えっ?」

 「辛気臭い話より面白い話を聞きたいもんだ。どうせ小さい頃不安でたまらなくてーとかそんなんだろ? 別に興味ねぇよ」

 「・・・・・・」   

 「見てて分かったよ。どうやら楽しくはなさそうだ。悪いな、変な質問して」

 「あ・・・・別にいいけど・・・・」


  そう言って落ち込む白河。案外根は暗いのかもしれない。普段の様子見る限りじゃこの上ないぐらいに明るいのにな。やはり外見は当てにならない。

  小さく手を握り締めちゃってまぁかわいいこと。別に責める様な口調ではなかったのだが白河はそうは受け取らなかったらしい。難儀な事だ。

  なんにせよ―――悪い事をしちまったな。そう思いオレはその手の上から手を置いた。ハッとしてこちらを見る白河。


 「別に責めてはいない。そうやって人の中で暮らしていくのがアンタの処世術なんだろ? 別にそれに関してはオレはどうでもいいと思っている」

 「・・・・・でも・・・なんだかんだいって悪い事をしてるって自覚はあるんだ。人の心を覗くなんて行為、普通じゃないもんね」

 「だったら止めた方がいいな。そんな事を繰り返して生きていたらアンタの場合自殺とかしそうだ。まぁ普段の行動見てるとかなり依存
  してるようだから中々止めれないと思うけど」

 「うん・・・・でもどうしても不安になっちゃうんだ。人が自分の事をどう思っているかって。やっぱり良く思われたいじゃない? だからいつも
  人の心を読んで、人が期待してる事をして、そして―――これから先もそうやって生きて行くんだと思う」

 「だったらどこかで折り合いを付けた方が良い。オレなんか他人の目なんか気にした事ないぞ? まぁオレみたいに自由になれ
  ってのは無理だろうけどな。性格歪んでるし」

 「――――あはは、義之君みたいに強くないからね。義之君ていつも堂々としていてオレが地球の中心とか思ってそうだし」

 「・・・・そこまで調子に乗っているとは思わないんだが」


  だが他人からみたらそうなのだろう。思わず天を仰いでしまう。オレが強いねぇ・・・・タダの社会不適合者の間違いだろう。

  しかしどうやら白河は元気が出たみたいでよかった。いつもと違う自然な笑みを顔に浮かべている。なんだ、普通に笑えるんじゃねぇか。

  いつもは作り笑いみたいなものを作っているがこっちの笑みの方が断然いい。可愛いし。なんていうかおしとやかな笑みって感じだな。


 「あ・・・・」

 「あ? どうした」

 「べ、別に何でも・・・・」


  そう言って顔を俯かせる白河。若干頬が赤くなっているんだが―――ああ、そういう事か。

  確かにオレの手は白河の体に触れている。リアルタイムでオレの心情が流れているんだろう。

  しかしこうしてる奴を見てると・・・・・構いたくなるな。まるで弄ってと言わんばかりのこの態度。弄らない方が失礼だろう。

  白河はオレの考えを読んだのか少しひきつった笑みで逃げようとして―――逃げられなかった。オレが手を掴んでいるからな。


 「白河はそういう風な自然な笑みが似合うな。とても可愛いと思うし魅力的に映る」

 「そ・・・・そんな嘘ばっかり言っちゃって。本当はそんな事思っていない癖に」

 「本当かどうかは、白河が一番知ってるんじゃないのか?」

 「・・・・・・」


  また更に縮まって顔を赤くする白河。別に嘘は言っていない。本当の事を言っているのだから。

  しかしこいつも茜と同じで責められると弱いタイプか。こういう態度されたら益々苛めたくなる。

    
 「なぁ、白河。なんでそんなに綺麗なんだ?」

 「え・・・・・」

 「ロングストレートな髪に二重のくっきりとした目。それにスタイルもよくてモデルみたいだ。男子達が白河に夢中になるのが分かる気がするよ。
  それに使っている香水もほのかで良い臭いだ。周りの奴らはつけ過ぎたり似合いもしない香水をつけているのをよく見るが白河の場合は上手く
  つけこなしているな。よく似合ってるよ、ミントの香り」

 「あ・・・・と、えっと・・・・その・・・・」

 「そして歌も上手いときたもんだ。将来やっぱり芸能関係の仕事に行くのか? だったらやっぱりなと思うな。オレがその業界の人間だったら
  放って置かないし離しもしない。その魅力があるんだよ、白河には。なんだかんだで人当たりもよさそうだし上手くやっていけそうな感じが
  するなぁ。あ、でも白河の場合いらない嫉妬や恨みを買いそうで心配だよ」

 「え、な、なんで?」

 「決まってるじゃねぇか。美人過ぎるからだよ。性格もな。そんな人物が目を付けられない訳が無い。でも安心してもいい、白河の場合
  ちゃんとした人が守ってくれるよ。こんな美人を放って置く男なんていやしないんだから。もう将来なんて約束されたもんだなこれは。
  羨ましいよ本当」

 「う・・・・うぅ・・・・」

 「で、最初に質問に戻る。なんで白河はそんなに綺麗なんだ?」

 「え、と・・・・・その・・・・ね? あ、あはは」

 「答えるまで話は終わらないよ?」

 「そ、そんな・・・・う・・・うぅ・・・・」


  やばい。これは弄り甲斐がある。こういう普段弄る側の人間を弄るととてつもなく面白い。対処の仕方が分からないからテンパってしまう。

  だが嘘を言ったんじゃ白河にバレてしまうから出来るだけ本音を言う。実際白河は美人だと思っているからな。

  そしてまた弄ろうとして―――杉並と目線が合う。何がおかしいのか含み笑いをしている。


 「ん? なんだよ」

 「右を向いたら面白い事になるぞ、桜内よ」

 「なんだよ、右って」


  右を向いて―――思わず体が後ずさった。いつの間にか小恋弄りは終わってて全員こちらを向いていた。その多くの視線がオレに向けられていた。

  そして怖いのが茜と美夏の視線。少し調子に乗ってしまっていたのか全然気づかなかった。ていうか杉並も早く教えてくれればいいのによ。

  オレがあまり反応を返してこないが面白くないのか茜がオレに近づいてきて―――笑いかける。思わず顔が引き攣ってしまった。


 「義之きゅんだめでしょう~? もう彼女さんがいるのにそんなことしてちゃぁ。それも彼女さんの脇で口説くなんて論外でちゅよぉ?」

 「別に口説くとかそんなんじゃあ――――」

 「金髪娘とか私とか色々前科あるのにまだそんな事言うんだぁ・・・・へぇ~・・・・ほぉ」

 「・・・・・悪かったよ。調子に乗り過ぎた。白河もごめんな」

 「わ、私は・・・・別に・・・・嫌じゃなかったし・・・・あ、あはは」


  白河がそう言うと更に空気が重くなる。この女、頼むから空気読んでくれよ。茜なんかマジおっかねぇし美夏なんかオレの方すら見ていない始末だ。

  
  この後が大変だった。美夏は一度機嫌を損ねたら中々直らない。オレは情けなくなりながらも終始彼女の機嫌取りをした。周りからはどこか含みのある
 視線を向けられたが無視した。ヘタに何か言うと変な科学反応が起きる可能性があった。

  昼休みはそれだけに大幅な時間を取られてしまい散々だった。まぁこれはオレが悪かったしもうニ度と他の女の子を構ったりしないと誓った。

  それでようやく機嫌を直してくれたのでよかった。ああ、まさかオレがこんな風に頭を下げるなんて思わなかった。それも名目は機嫌を損ねた
 彼女の機嫌取り。少し自重してこれから生活しようとオレは決めた。























  



 「なぁムラサキぃ、いいから試しに付き合ってみようぜ、なぁ?」

 「ご遠慮しときますわ。前から何度も言って差し上げてますでしょう? その気はないと」

 「そこをなんとかさぁ~。どうせ彼氏とかいないんだろ今? 別にいいじゃん、な?」

 「・・・・・・・はぁ」


  思わずため息が漏れてしまう。この男は前から何回もこうやってしつこく私に付き纏ってきていた。先輩だからあまり無下に出来ないとは言えそろそろ
 堪忍袋の尾が切れてしまいそうだ。

  こんないかにもチンピラ風な男に言い寄られても全然嬉しくなどない。いや、かえって自分の価値を下げてしまっている。私にはそう思えた。

  もし義之との件が無くてもこんな男、死んでも付き合う事はないだろう。何の罰ゲームでこんな下劣な男と付き合わなければいけないのだ。

 
 「オレってさぁ、結構頼り甲斐があると思うんだよねぇ。自分でも言うのもなんだがそう思ってるんだよ」

 「一応聞いておきますけれど・・・・どんな所かしら」

 「この間市内に遊びに行ってたんだよ。そん時にどっかの学校の連中にぶつかっちまってさぁ、ケンカになった訳。相手は六人ぐらいいたかな?
  もう全員ブッ倒してやったね。どうだ? やっぱり男はケンカが強くないと駄目だろ?」

 「・・・・・そうですわね」


  面倒なので空返事を返してやった。なのにその男は何を勘違いしたのか様々な武勇伝を語り始めた。思わずコメカミを押さえながら歩く。
  
  慌ててその男も後を追いかけてきた。本当に面倒だ。こんな事をしている場合じゃないのに・・・・まったく、最近は本当にツイていない。

  どうせ六人というのも嘘だろう。いい所見せようと誇張したに過ぎない。そもそも本当にケンカをしたのかすら怪しいものだ。


 「相手は倒れた後、逃げ惑ってたね。ライオンの群れから逃げる小鹿みたいな光景だった。でもオレは優しいから逃がしてやったよ。
  仲間を肩に抱いて逃げる姿に心打たれちまった。無闇なケンカはさすがにオレも嫌いだからなぁ」

 「いい心掛けですわね。ケンカなんてロクなものではないですし」

 「だろ? やっぱり自己防衛は必要だと思うけど慈悲の心っての? そういうのも大切だと思うんだよ」


  だったらケンカの話なんか始めるな。大体ケンカの話をしたら女が食い付いてくると思っているのかこの男は。小学生じゃあるまいし幼稚なもんだ。

  大体ケンカの話なんてものは女性は苦手とする話だ。興味があったとしても実物を見たら泣いてしまうレベルの女が多い。

  なんにせよ――――頭の悪さが滲み出ている。私の最も嫌いな人種だ。義之みたいなレベルとまではいかなくても少しぐらいは理性的な部分を
 持ち合わせて欲しい。


 「だからオレと付き合ったら優しくしちゃうよ? それはもう嬉しすぎて飛び跳ねるぐらいに」

 「悪いですけど一人で飛び跳ねて下さいな。私、別に飛び跳ねたくないので」

 「おい、人が下手に出てればいい気に――――」 

 「何か言ったかしら?」

 「う・・・いや、なんでもねぇよ・・・・」


  一睨みしたら尻込みして言葉を小さくする相手。まぁこういう手合いには私ぐらいの雰囲気でも圧倒できる。仮にも王族の一員なのだから。

  それしたってなんとも情けない男だ。こんな年下の女に圧倒されるなんて・・・・情けないにも程がある。なんで生きているんだろうか。

  義之よりも力が無さそう、知も無さそう、心の強さも無さそう、魅力も無さそう、センスも無さそう、常識も無さそう、義も無さそう。

  オマケに口説き文句も下手ときた。これでよく女を口説こうと思ったもんだ。そんな暇があるなら自分を磨けばいいのに。


 「私、行きますわよ」

 「あ、ちょっと待ってくれよぉ」


  そう言ってまた着いてくる。いい加減にしてほしいものだ。その気はないと言っているのに・・・・いい加減しつこい。

  私は追い返そうと振り返ろうとして、止まった。前には義之と天枷さんが歩いていた。どうやら食堂の帰りらしい。

  どうやらあの義之が天枷さんに謝っているようだ。聞き耳を立てなくても無意識に言葉を拾ってしまう。


 「悪かったって美夏。だから今度埋め合わせすからよ」

 「ふん。お前のタラシには慣れたつもりだが・・・・言っておくけどお前には彼女がいるんだぞ? そこの所忘れるなよ」

 「わーってるての。オレが一番大事なのはお前だと思っている」

 「・・・・・・ふん」


  顔をそっぽに向いて不満気だと体全体でアピールする彼女。でもその間も繋いだ手を離してなんかいない。要は怒っているのはポーズだけだ。

  それはそうだ。義之に一番大事だと言われたのだ。嬉しくない訳が無い。どうせ心の中では歓喜でいっぱいなのだろう。

  そんな彼女を見ていると――――憎しみで心が満たされていく。私から義之と奪った女性。タダで済まさせない。初めてだこんな気持ちは。 


 「う~ん? どうかしたのか、ムラ・・サ・・・キ」

 「・・・・・? どうしかしましたの?」

 「い、いやっ! な、なんでもねぇよっ! あ、ははは・・・・」

 
  失礼な男性だ。人の顔を見るなり固まるなんて。私の顔に何か付いているのかしら? しかし手の甲で拭っても何も付いて無かった。

  まぁ今はそんな事よりこの気持ちを治めるのが先決だ。こんな感情なんか吹き飛ばして清々したい気分だ。あまりにも私には似合わない。

  本来ならこの感情は天枷さんが味わう筈なのだ。どうにかしないと・・・・。


 「ん? 何かな?」

 「――――――――そうね、そうだわ」

 「・・・・・・?」


  男の顔を見詰める。そうだった。私は王族だったんだ。人を使って当り前の地位にいる事をすっかり失念していた。

  どうやらこの島に居過ぎたせいか少しボケてしまったらしい。思わず苦笑いをしてしまう。まぁ思い出したから別にいいですけど。

  そしてその男にあるお願い事をしてみる。最初は渋っていたがある条件を突きつけると快く承諾してくれた。

 
 「今に見てなさい。絶対に・・・・・・・義之は私の隣に来るんだから」


  もう見えない天枷さんの背中を睨みつけるように廊下の向こうを睨む。私から義之を奪った報い、絶対に思い知らせてやる。

  そう決心して私は歩き出した。その男もしつこく着いてきたが・・・・・まぁ別にいいだろう。後で変にゴネられても困るし。

  義之と別れさせる為ならなんでもする。その行いになんの疑問を抱いていなかった。だって――――それが義之の為なんですから。
















[13098] 21話(中編) 
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2010/10/24 02:12




 「結局元の鞘に戻ったのね、貴方達」

 「ええ、お騒がせしてすみませんでした」

 「別に謝る事じゃないわよ。けど、新しい監視役の人を探す面倒が省けて助かったわ」


  そう言ってデスクの上にあるコーヒーを飲む水越先生。オレはその水越先生に背を向け作業を再開する。

  美夏と別れている間も研究所に来たオレだったが、その間水越先生はどこかオレに冷たかった気がした。

  今はそんな感じがしないので恐らくというか絶対美夏関連の事で怒っていたに違いない。


 「桜内様、コーヒーをどうぞ」

 「おう、ありがとう」

  
  イベールからコーヒーを受け取りオレもテーブルについて休憩する事にした。まだまだ終わらなそうな感じだが息抜きしても構わないだろう。

  やっている事は相変わらず物資の員数チェックのみだったが今日は量が多い。首をコキコキ鳴らしてイスに寄っかかる。

  しかし黙っているのも何なので隣で一緒にコーヒーを飲んでいるイベールに話し掛けてみた。  


 「お、相変わらずイベールが淹れたコーヒーは美味いな」

 「ありがとうございます、桜内様」

 「しかし相変わらず綺麗だな、イベールは。そして日を追うごとにコーヒーを入れる技術が上がっている。どうだ、今度オレの家で
  コーヒーでも淹れてくれ――――」

 「美夏様に言い付けますよ、桜内様」

 「・・・・・あいよ、オレが悪かった」


  にべもなくデートのお誘いを断られたオレはおとなしくコーヒーを飲む事にした。最近のイベールは耐性をつけてきたのか少しドライな感じがする。

  最初はあんなに顔を朱色に染めて照れていた頃が懐かしい。今じゃオレが何言っても澄ました顔をしているからつまらない。まぁ元々が機械だしなぁ。

  隣に座っている位だから嫌われてはいないんだろうけど・・・・なんとかして感情を出させる事は出来ないものか。


 「なんだか悪意のある雰囲気を感じます」

 「気のせいだろ。前も言ったがμにだって感情はある。そんな雰囲気をたまたま感じてしまう事もあるだろう。人間にもよくある事だ」

 「では何故、桜内様は私の手に手を差し伸べようとしているのですか?」

 「人恋しいんだよ。春って言ったら出会いと別れがある季節だ。感傷的になってこうやって手が伸びてしまうのは仕方がない事だと思わないか?」

 「―――――そうですか」

 「あ・・・・」


  イベールは若干こちらに向き直るとオレの手を片手でギュっと握ってきた。顔は勿論いつもの澄まし顔で特に変わった様子は無い。

  何を考えているのか―――――怪訝に思ったがとりあえず握らせておく。しかしこう何の反応無しに手を握られても全然嬉しくない。

  なんの心情の変化か知らないが少しは女の子らしい反応をしてほしいものだ。そうすればオレも仕事に対してもっと真面目に打ちこめるのに。


 「・・・・・・そろそろですね」

 「あ? なにがだ―――――」

 「おいーす! 遊びに来たぞォー!」


  暇にしていたのだろう、美夏が研究室の扉を元気に開けてきた。最近の美夏はご機嫌が絶好調でオレもなかなか幸せな生活を送れていた。

  しかし今の状況、イベールと仲良く手を繋いでいる状態だ。こんな所を見られればそのご機嫌も奈落の底に落ちてしまう。非常にマズイ。

  そう思い手を離そうとするが――――万力に挟まれたみたいにビクともしない。イベールの澄まし顔を思わず睨むがのれんに腕押しだ。


 「あーっ! 義之またお前・・・・!」

 「ちげーよっ! おい、イベール! 離せよ!」

 「桜内様から握ってきたのにそれはないでしょう。イベールの手は美夏よりもスベスベしてて最高だ、とか言ってたじゃありませんか」

 「な―――――」

 「な、な、なんだと~っ!!」

 「お、おい、美夏・・・・嘘に決まって―――――」

 「うがぁー!」


  叫んで飛びかかってくる美夏。オレは椅子に座っていたので避ける事も出来ず美夏に首を絞められてしまう。

  力は貧弱なので全然苦しくないのだが、問題は美夏が怒ってしまった事だ。多分機嫌を直すのに丸一日は掛かってしまうだろう。

  イベールを睨んでもまた澄まし顔だ。それに一向に手を離す気配が無い。オレは美夏に首を絞められながらも、頑張ってその手を剥がそうとした。



























 「いつか犯してやるからな・・・・この野郎・・・・」

 「何かおっしゃいましたか、桜内様?」

 「・・・・・・別に」

 「がるるる・・・・・」


  隣で唸っている美夏をいなしながらオレは作業を再開した。しかしこういう風に同じ事を何回もうやっていると飽きてくるな。

  まぁオレが出来る事といえばコレぐらいしかない。あったとしてもガキのオレにどこまでやらせてくれるか疑問だが・・・・しょうがないだろう。

  相変わらず水越先生が何をやっているか分からないぐらいだし。まぁ、地道にオレに出来る事をやっていくしかねぇのかね。


 「おい義之。私も手伝ってやるぞ」

 「あ? 別にいいよ。のんびり座っててくれ」

 「・・・・遠慮する事は無い。暇なもんでな、何か仕事をくれ」

 「うーん・・・・って言ってもなぁ」


  オレのやってる事は本当に単純だ。研究室に届けられた機材や何やらの数をチェックするだけ。確かに凄く細かい部品何百本とあるが別に一人だけ
 で事足りてしまう。まぁ、いつもダブルチェックはイベールに軽くしてもらってるしぶっちゃけ美夏が手伝う必要がないんだが・・・・。

  しかし当の美夏本人は俄然ヤル気の様子だ。あんまり無下にしたくもない。とりあえずオレは周囲を見回してみた。何かないかなぁーっと。


 「・・・・・んじゃ美夏、あそこに大きな箱があるだろ?」

 「うん? あの箱の中にある部品をチェックすればいいのか」

 「まぁそういうこった。最後にチェックしようと思ってたんだがこっちがなかなか終わらないんで参ってたんだ。頼まれてくれるか?」

 「うむっ! 任せておけっ!」


  元気に返事をして箱の前に行く美夏。まぁあまり細かい部品もないし無くす心配もないだろう。オレはそう思い作業に戻る。

  しかしなんで今日はこんなに多いかなぁ。いつもだったらこの半分くらいで済むのにおかしい量だ。おもわずため息も出てしまうと言うもの。

  気になったオレは隣で黙って佇んでいたイベールに聞く事にした。何か事情を知っているかもしれないしな。


 「なぁ、イベール。一つ聞いていいか?」

 「なんでしょう、桜内様?」

 「なんで今日はこんなにも機材が多いんだ? いつもはこの半分ぐらいだろ。なのに今日はそのざっと二倍だ。今月は何か特別な実験スケジュール
  とか組まれているのか?」

 「はい。今月はμの次世代機の実験モニターがあります。所長以上の役職に就いている方々も来るので万全な状況で実験を行う為、このような
  最新機材を多く購入しました」

 「へぇ、どおりで見たこと無い機会がたくさんあると思ったよ。お偉いさんが来るんじゃ失敗できねぇもんなぁ」

 「その通りです。ですからここ数日は慌ただしくなると思いますが頑張って下さい」

 「・・・・あいよ」


  今日だけじゃないのか。思わず天を仰ぎそうになるが・・・・仕方ないか。オレに出来る事と言えばこれくらいだしな。小間使いだろうがなんだろう
 がやってやろうじゃねぇか。元々そんな契約だし。

  水越先生も水越先生で忙しいみたいでオレに構ってる時間はないみたいだ。黙々と作業をこなす。その様子は普段と違い真剣な目つきだ。

  なんとか今日中に終わらせたいものだ。次回に引き続いきなんて事になったら目も当てられない。次もこれくらいの荷物が来るっていう話だしな。


 「ちょっと早いけどしょうあねぇか。なぁ、イベール」

 「はい、なんでしょう?」

 「ちょっと早いけどこっちの―――――」


  少し早いがイベールにダブルチェックを頼もうと振り返り――――派手な音が研究室の中に響き渡った。オレ達も水越先生も驚いてその音のした
 方向に首を向ける。

  音の発信源は美夏が作業していた場所。見れば箱の中身が派手にぶちまけられていた。傍には茫然とした顔をしている美夏の姿。

  慌ててオレは美夏の傍に駆けよる。他の二人も一足遅れてその場所に走ってきた。とりあえずオレは今一番大事な事を聞いた。


 「怪我はないか、美夏」

 「――――あ、ああ・・・・別に怪我はしていないが・・・・」

 「いったい何があったの、美夏?」

 「・・・・・」


  別に水越先生は責める口調で喋っていない。ただ単に疑問に思っているから口に出しただけだ。少なくともオレにはそう聞こえた。

  だが美夏にはそうは聞こえなかったみたいだ。顔を俯かせて肩を僅かに震わせている。恐らく責められていると思ったのだろう。

  水越先生はそんな美夏の様子を見て黙って屈みこむ。散らばった機材や部品を拾っていた。オレもそれに習って拾うのを手伝う。


 「割れているモノもあるから怪我をしないようにね。イベール、箒とチリトリ持ってきて」

 「はい、水越博士」


  そう言って駈け出すイベール。しかし派手にやったな。この望遠レンズみたいなヤツなんか使い物にならないだろう。レンズが細かくヒビ割れている。

  無事な物もあるがそうでない物の方が多いように思う。まぁやってしまったのもは仕方無い。時間は戻らないのだから。大事なのはその後どうするかだ。

  水越先生も同じ考えみたいで別に怒っている様子は無い。自分の事ではないにしてもホッとした。今のショック状態の美夏が怒られている所なんか見たく
 ないからな。


 「義之くん、ちょっといいかな?」

 「なんですか?」

 「ここはいいから美夏のフォローお願い出来るかな?」

 「・・・・・ですが」

 「彼氏でしょ? こんな事やってるより彼女慰めなさいな」

 「あ――――」


  肩を押される。水越先生はそれ以上話す気はないようで作業に没頭している。まぁ先生の言う事も尤もか。オレは美夏に振り返った。

  美夏は相変わらず肩がガクンと下がって悲しげな雰囲気を醸し出している。オレはとりあえずその肩を押して一緒にテーブルに向かう。

  テーブルに着かせて温かいコーヒーを淹れてきた。イベールよりは美味くないだろうが、マズイって事はないだろう。


 「ホラ、味は保証出来ないがな」

 「・・・・・・ありがとう」

 「いえいえ、どういたしまして」

 「・・・・・・」


  そして黙り込む美夏。オレから色々話仕掛けてもいいんだがこの場合は美夏から何か言い出すのを待った方が良いのかもしれない。

  今の美夏では何言われても責められていると勘違いしてしまうかもしれないからだ。自分用に淹れてきたコーヒーに口を付ける。

  やはりと言うかイベールの淹れてきたコーヒーよりは少し味が劣った。この間はまではオレと変わらなかったというのに、少し悔しさを感じる。


 「また発注し直しますか? 水越博士」

 「う~んそうするしかないわよねぇ。予算的にはまだ余裕がある時で助かったわ」

 「分かりました。では再度発注を掛け直します」

 「お願いね、イベール」

 「はい」


  ほとんどの物資はオシャカになってしまい使い物にならなくなった。オレもまさか箱ごと倒してしまうとは思ってもいなかったのでどうしたもんか
 と頭を思わず掻いてしまう。

  ワザとやったじゃないにしてもかなりの痛手だろう。こういう機材は思っている以上に高い。専門機械というなら尚更そうだろう。専門店でもなけ
 れば置いていないだろうという物ばかりだからだ。

  水越先生もその辺は十分に分かっているが何も美夏に追及しない。追及してもしょうがないと分かっているからだ。美夏の事が可愛いと言うのもあるの
 だろうけど・・・・。


 「ほら、とりあえずコーヒーでも飲めよ。イベール程の味じゃないがコーヒーはコーヒーだ。一応飲める」

 「・・・・・・・」

 「しかしアレだな。コーヒーを淹れるにしてもアマとプロの違いっていうのはあるらしい。同じ方法でも素人が淹れたのと玄人が淹れたモノでは
  天と地ぐらいの差があるっていう話だ。オレの場合面倒臭いから一気に沸騰するまで温めちまうが、美味いコーヒーを淹れるには沸騰直前に弱
  火でじっくり温めるんだそうな。よく見つけたよな、そんな方法」

 「・・・・・・私は何も取り得が無い」

 「あ?」

 「イベールみたいに上手くコーヒーを入れられないし、お前みたいに何かと器用にはなれない。そして――――ムラサキみたいに美人でも無い」

 「・・・・・・・・」

 「さっきもよかれと思って行動したのだが・・・・あのザマだ。なんとも情けない」


  コンプレックス。前々から美夏はこういう所があった。別に今に始まった事では無い。いつも美夏は何かしらに劣等感に悩まされる事がある。

  なまじロボットな故にそういう思いはあるのだろう。同じ機械のμは仕事を完璧にこなすのに自分は・・・・と。卑屈になるのは仕方ないと思う。

  オレだって美夏の立場に立ったらそう思ってしまうに違いない。なぜオレはこんなにも他と同じように出来ないのかと。


 「――――別にゆっくりやればいいさ」

 「え・・・・」

 「今の美夏には酷な事かもしれないが焦ったって何もいい結果は生まない。さっきだって焦らなければ起きない事故だ。気張るのはいい事だが
  気負い過ぎるとまた同じ事をやらかすぞ」

 「・・・・まぁ、そうだとは思うんだが・・・・なかなか、な」

 「こういうのは時間が解決するもんだと思っている。美夏は起動して一年も経っていないんだぞ? 社会でいえば入社一年未満の新人だ。
  新人は必ず失敗する、そして怒られる。そういうのを何回も繰り返して覚えて行くもんだとオレは思っている。だからゆっくりでいい」

 「・・・・・・・」


  前までは別に気にしなくていいと言っていたオレだが――――それじゃ何の解決にもなっていない事に最近気が付いた。これじゃあ彼氏失格だな。

  美夏はそういう事を言って欲しいのではなく、これからの道しるべみたいなモノを教わりたかったのだろう。オレはソレに気付けないでいた。

  まだ起動して一年未満―――失念していた事だがまだそれぐらいしか経っていない。色々美夏は美夏なりに思う所があるのだと思う。


 「だからいいんだよ。さっきみたいに何やらかしちまっても。普段失敗しない奴が失敗すると見ていられなくなる。まるでドミノ倒しみたいに
  連鎖反応して次々とやらかしちまう。失敗した時の対処方、感情の操作、考え方の機転が出来ていないからな。逆に今の内から色々失敗した
  方が良い。尚更お前は寝てた時間の方が長い。やれることをゆっくりやれ」


 「・・・・・・ああ、分かった」

 「まぁ色々説教臭い事を言っちまったがオレもまだまだな事がたくさんある。目標はさくらさんみたいな人物だが・・・・どうなるやら、だ」

 「――――そうか。本当に色々ありがとうな。慰めてくれたのだろう、義之は」

 「そういうわけじゃねぇよ。一般論を言ったまでだ。オレはそこまで優しくねぇ」

 「・・・・・ふふ、そうか。そうだったな」


  さっきよりは幾分か明るくなる表情。あのまましょぼくれていたらどうしようと思ったが、まぁ元気が出てなによりだ。やっぱり彼氏だし彼女が元気に
 なるとオレも元気になる。

  とりあえず役目は果たしたと思ったオレは席を離れて水越博士を手伝う事にした。さすがに女性では重い機材もあるからな。一応彼女の不始末は
 彼氏の不始末っつー事になる。誰が言った訳ではないがオレがそう決めた。

  美夏は嫌がるだろうがオレの自己満足の問題だ。駄目親っぽいがあまり美夏には悲しい思いをさせたくない。本当ならここは美夏にやらせるのが筋
 なんだろうがオレは座ってろと言った。物を片付けている内に多分またアンニュイな気分になっちまうだろうからな。


 「いや、しかしだな・・・・」

 「またモノを壊されちゃたまらねぇ。お前はここで待機だ」

 「・・・・・・優しいのか酷いヤツなのかお前の事は時々分からなくなる」

 「言ったろ? オレは酷いヤツなんだよ」


  手をひらひらさせて片づけに参加する。まぁほとんどイベールの力のお陰で片づけられてるがな。さすがイベール、怪力娘だけある。

  その節の言葉をイベールに投げかけた所、スネを蹴られてしまった。痛みに悶絶するオレ―――水越先生と美夏はそんな様子を見て笑った。

  なんだか日に増してイベールのオレに対する態度が酷くなっているような気がする。気を許してくれている証拠だと思うが・・・・痛てぇ。





































 「次の議題はイベールのオレに対する態度です。きっとこれは好意の裏返しだと思うのですが・・・・イベールさん、どう思いますか?」

 「それは気のせいだと思います。私は桜内様に対しては何の感情も持ち合わせておりません。そろそろ自意識過剰な所を治した方がいいと思います」

 「・・・・つめてぇな、オイ」

 「桜内様は少し女性にだらしないと思います。ロボット、人間と分け隔てなく接するのは素晴らしい事だと思いますが度が過ぎていると感じます」

 「みんなオレに同じ事を言う。少しは自重してると思うんだが・・・・」

 「それでは手を離して下さいませ。美夏様に言いつけますよ?」

 「・・・・・・」


  それは怖いのでイベールの手を離した。イベールの場合本当に美夏に言い付けかねないからなぁ。それはオレとしても勘弁してほしい所だ。

  翌日オレ達は商店街まで来ていた。どうやら業者に発注するよりもこの商店街で買った方が幾分か安い機材があるらしい。今日はそれを買いに来た。

  本当は美夏と来たかったのだが軽いメンテナンスがあるらしく、その代わりに今日はイベールについて貰って来ている状態だった。


 「私は何とも思いませんが、その行動を取る事によって勘違いしてしまう女性が出て来ると思います。以後気を付けた方がいいかと」

 「分かってるよ。あまりにもイベールが可愛過ぎてこんな事をしてしまうんだ、許してくれ」

 「・・・・・・・本当は美夏様の事しか頭にないのでしょう?」

 「ああ。もちろんだ。オレが不甲斐ないばかりに色々苦労かけちまったが・・・・もうニ度と離す気はない。前も言ったが当然一生連れ添うつもり
  でいるよオレは。それに――――っておい、何睨んでるんだよ」

 「・・・・いえ。仲が良いのはよろしい事と思いまして」


  そう言ってオレを置いて歩き出してしまう。ああ、ちょっとばっかしデリカシーが足りなかったな。あんな事やった後に今の言葉はないな、確かに。

  本格的に自重した方がいいのだろうが―――どうしてもイベールの事を構いたくなる。もっとイベールの心の内をさらけ出して欲しかった。

  美夏を見ていると本当にそう思う。もっと感情を爆発させてただ無機質に生きて欲しくなかった。まぁ最近は前より感情が出てきたと思うが・・・・。


 「おーい、悪かったって。今の態度は無かったな。ごめん」

 「・・・・別に謝る事はありません。桜内様は何か謝る事をしでかしたのですか?」

 「ああ。イベールに対してあんまりな態度を取った。これは由々しき問題だ。という事でアイスでも奢ってやろう、詫びを込めてな」

 「え・・・・」


  近くにアイスクリームを売っている店があったのでそこに駆け寄る。季節的には肌寒いのだが今日は偶然にも暖かかった。アイスを食うのには
 ちょうどいい気温だ。ロボットでもそういうのは感じるし、いらぬお世話にはならないだろう。

  種類は何にしようかと一瞬迷ったがバナナにした。イベールというかμの原動力は全然違うのだが、美夏を見ていると全くの無関係ではないような
 気がしてならない。まぁあくまでオレの気分だけど。

  そしてオレは適当にスタンダードなソフトクリームを購入してイベールの元に戻った。イベールは呆けた顔をしていたが、オレがアイスを渡すと
 おずおず手を差し出して受け取ってくれた。やっぱり素直なのが一番だ。


 「あ・・・・ありがとうございます・・・・」

 「別にいい。さっきも言ったが侘びも込めている。あんまり気を使わないで食ってくれ」

 「・・・・はい」


  そして二人して商店街をアイスを食いながら歩く。イベールの横顔を窺うがどうやら満足してくれているらしい。あんまり感情の起伏が無いので分かり
 づらいが若干微笑みを浮かべているのが分かる。本当に若干だが。

  そんなイベールを見ているとオレも嬉しくなる。イベールは確かにロボットだが生きている。ただの歩行ロボットなんかではない。そこに存在している。

  最近の世の中の風潮としてはロボットは物扱いだ。しょうがないかという気持ちも無い訳ではない。あまりにも一般普及されていないので知識がみんな
 乏しいからな。結局は想像の域を出ていなかった。どうせロボットだからラジコンみたいな感じなんだろう、と。

  だがイベール・美夏だけに限らず今のμには感情がある。自分で考える事も出来るし、それを実行に移す事が出来る。ロボットとはどうしてもオレは言い
 切れないでいた。


 「さて、次の店はどこなんだ?」

 「ここの角を曲がってすぐの所です。μの専門販売店でもあり、機材も一通り揃っていますね」

 「おおーあそこか。そういえば行くの久しぶりだわ」

 「何回か足を運んだ事があるんですか?」

 「いや、正確に言うと店に入った事は無い。ただその店の売り子をしているμと仲良くなっちまってな。商店街に行くたびに会う約束とかもしてる」

 「・・・・・・・なるほど、桜内様のお気入りの女の子がいるお店ですか」

 「おいおい。キャバクラじゃねぇんだからその言い方は――――」

 「では早く行きましょう」

 「ああ、だからオレを置いてくなってっ!」


  また一足先に歩いて行くイベール。またどうやら機嫌を損ねてしまったらしい。なんとも気難しい女性だ。普段が普段だけに行動が読めない。

  もうちょと美夏みたいに分かりやすくてもいいと思うんだがなぁ。とても本人には言えない事を心の中で呟く。子供扱いをされると美夏は怒るからだ。

  そうしてイベールの背中を追いかけ――――止まった。イベールが何かに注目しているようでその場に留まってしまった。オレは怪訝に思いながらも
 声を掛けてみた。何か珍しい事でもあったんだろうか。


 「どうしたよ、イベール?」

 「・・・・・・・」

 「あ?」


  イベールが黙って指を指している。そちらに顔を向けると何やら騒がしい声が聞こえてきた。騒ぎの発信源は店の前。

  見てみると何やら例の売り子と――――知らないオッサン連中が揉めていた。正確には揉めてるのではない。一方的に売り子のμが絡まれていた。

  恐らくだが、人権屋の連中だろう。あいつらは初音島にμのショップがあることを前々から疎んじていたからなぁ。とうとう実力行使という訳かな。

   
 「もういいっ! お前では話にならない! 責任者を出してくれ!」

 「で、ですから今は店長は不在なのでお取り次ぎ出来ません。また日を改めて起こしになって――――」

 「だったら店長以上の役職の者を呼べっ! どうせ暇にして胡坐でも搔いているんだろう? 電話でもなんでもして呼び出せ」

 「そ、そんな・・・・」

 「なんだ、出来ないのか? 本当は店長が不在というのも嘘なんだろう? ふざけやがって・・・・」

 「・・・・・・・・」


  怒鳴り立てているリーダー格の男のそんな様子を見て困り顔でオロオロしている売り子ちゃん。かくも接客業というのは大変だなと思う。

  どんな理不尽な事でも事を荒たてずに対処する。どんなに相手が悪かろうが怒らせた方が悪い。問題を起こして困るのは相手ではなく店側の方なのだ。

  そしてμの専門店となると更に分が悪くなる。ただでさえ世間体の悪いμが売られている店だ、ここは上手く対処しないと本当に島から退却する事になる。


 「ああいうの見てると接客業というのは大変だな。オレなら思わず殴っちまうなぁ」

 「・・・・・・・私も桜内様には向いていないと思います。ああいう状況では絶対に事を大きくしてはいけませんから・・・・」

 「だが相手は大きくしたいらしい。まったくいい歳こいたおっさんが左翼気取りか。最近のあいつらだって場所とか時間は弁えてるのにねぇ」

 「・・・・助けるのですか?」

 「――――面倒だからパスだ」

 「は・・・・・?」

 「最近オレは停学喰らったばかりだっつーのに騒ぎなんて起こせねぇよ。怒鳴りたいだけ怒鳴ったら引っ込むだろう?」

 「それはそうかもしれませんが・・・・」

 「普通にブツ買って店を出る。それが一番だよ。変に正義感燃やす性格でもないしな。さっさと行くべ」

 「あ・・・・・」


  イベールの手を握ってオレは歩き出す。売り子ちゃんの事は可哀想だなぁと思うがそういう商売だから仕方ない。関わってやる義理もないしな。

  それに変に助けたりでもしたら益々騒ぎは大きくなりあのμは責任問題に問われるかもしれない。熱血漢がいつでも誰かの助けるというわけではない。

  要はオレにまったく問題ないという事だ。むしろ関わりたくない人種である。何が悲しくてこんなオッサン連中と一戦やらなくちゃいけねぇんだ。


 「おい、お前」

 「・・・・・・・・はぁー・・・、何ですか?」


  店に入ろうとした直前そのオッサンに声を掛けられてしまった。思わずため息が漏れてしまう。そんな様子のオレにおっさんは顔を引き攣らせた。

  オレの方が最悪な気分だっつーの。大体初対面の相手にお前呼ばわりはないだろう。まともな社会人なら君とか貴方とかの呼び名で呼ぶだろうに。

  オレは露骨に面倒臭そうな態度で向き直った。おっさんの視線はオレ達の繋がれた目に注がれている。もしかしたら羨ましいのかもしれない。


 「お前もμ所有者なのか。そんな歳でロボットを自分の女にするなんてな・・・・親の顔が見てみたいよ」

 「・・・・・・オレもアンタの親の顔が見てみたいよ。ロボットとは言え女の子を泣かす男に育てた親の顔がな」

 「な――――ッ! お前、大人に向かってその口の聞き方はなんだっ!?」

 「大人ならもうちょっとちゃんとしろよ。こんな場所でせせこましく声を張り上げちまってさ。それによくそんなみすぼらしい格好でこんな真似を
  しようと思ったな。普通ならスーツとかでこういう場所に立つもんだが――――まるで農民の一揆みたいだぜ」

 「貴様ッ! 今すぐ謝れっ! でないと――――」



  ――――でないと


 
 「でないと何だって言うんだ」

 「う・・・・・」

 「さ、桜内様・・・・」


  こういう連中には舐められたらお終いだ。自分が正しいと信じて疑っていないからこんな真似をしでかしている。悪い大人の見本と言っていい。

  大体さくらさんの事を言われてオレは頭にきている。その脂ぎった顔面に拳を叩きこみたくてうずうずしている。こいつ、本当にブン殴ってやろうか。

  だがそうは出来ない。これ以上問題を起こせないというのもあるし・・・・μの子の面子もある。それを潰したくなかった。

  横ではイベールが珍しくあたふたしている。今にもオレが殴りかかりそうな雰囲気を出しているからだろう。心配しなくても殴らねぇって。


 「大体なんでこのμに文句言ってるんだ、アンタ。本当に文句を言いたいなら役所にでも行けばいい。一応名ばかりだが責任者が出て来ると思うぜ?」

 「ふ、ふんっ! 私達はこの島にμの専門ショップがあるのは前々から問題だと言っているが奴らは聞きもしないっ! だから店長に掛け合って――――」

 「そして無抵抗なロボットを苛めていたと。大体店長になんか文句言ってどうするんだよ? この店の経営者ってだけだし許可しているのはこの島の
  役所だ。さっきも言ったが・・・・本当に文句があるなら役所に掛け合った方がいい。なぜそうしないんだ? 一度断られてももう一回行けばいい
  だろう。それぐらいの熱意はあるんだからよ」

 「そ、それは・・・・・」

 「それは門前払いが良い所だからだろうな。人権屋といっても所詮寄せ集まりの民間の組織だ。都内にでも行けば少しはマシなもんがあるんだろうが少な
  くともアンタらはそうではないだろう。大体μは国が厳しく検査した上で許可している。役所は国のモノだしそれにアンタら以外にもこういう手合いはよぉ
  うるさい程いる。道路交通に関する文句、電力会社に対する文句、隣の家の騒音の文句など様々文句を言う奴らがな。結局おざなりな事言われてすごす
  ご帰るのがオチだろうよ」

 「・・・・くそ、お前もどうせμの体目的でそんな事を言っているだけだろうに」

 「逆にそんな事を言うアンタらの方の脳みそ疑うぜ。そんな事ばかりしか考えてねぇんだろうなってな。まぁ、確かに綺麗だし女性型だし劣情を催す
  かもしれねぇが――――結局はアンタらがそう感じているからそう言ってるんだろ? オレ的にはこういう奴らを取り締まった方が風俗的に安全に
  なると思うんだがなぁ」

 「こ、この――――」  

 「大人だって言うのならもう少しビシッとしてくれよ。傍から見れば大勢の大人が抵抗出来ないμを苛めてるだけにしか見えない。大体怒鳴り立てたいだけ
  なんだろう? とてもじゃないが話し合いをする雰囲気には見えなかった。今にも掴み掛かりそうだったしな。それもいい歳をしたオッサン連中が女の子
  に詰め寄るなんて構図気味悪くて仕方がねぇ」

 「そ、それは関係ないだろうっ! それにμはロボットだっ! 性別なんて関係ないだろう!?」

 「ロボットでもなんでもそう見えるもんは仕方ねぇよ。ていうか商売の邪魔をしてるんだぜアンタら。警察、呼ぼうか?」

 「――――ッ! く、くそっ!」


  そう捨て台詞を吐いて立ち去る男。後ろで突っ立っている連中もそれに習って立ち去る。その内の一人がこちらにお辞儀してきたのでオレもお辞儀し返す。

  ご近所付き合いも大変だなぁおっちゃん連中も。大方無理矢理誘われた奴らがほとんどだろう。こんな閉鎖的な島だから余計そういう物が大切になってくる。

  オレも社会に出ればああいうのに付き合わなくちゃいけねぇのかなぁ。嫌だなぁ、オレはのんびり過ごしたいんだよ。老後とか特に。


 「よ、義之様っ!」

 「ん?」

 「あ、ありがとうございますっ!」

 「お、おいおい・・・・」

 「・・・・・」


  そう言ってオレの手をギュッと握り締めてくる売り子のμ。緊張していたのだろう、手が少し汗ばんていた。オレはどうしたもんかと天を仰いでしまう。

  そして反対側の手から掛かる圧力。多分またオレがタラシ込んでいると思っているのだろう。いい加減血管が潰れそうなので止めてほしいものだ。

  それにしてもまた一段と感情が出るようになったなこの子。前も幾分か感情を出していたがここまでじゃなかった。本当に御礼の気持ちが伝わってきていた。

  あんまり感情を出し過ぎると回収されるのがオチなんだが・・・・今のこの子の様子を見ているとそれが間違いでしかない気がしてならなかった。
















 

 「しかしいいのか? こんなにオマケしてもらって・・・・」

 「はい。今は私が代行という形になっているので構いません。なんにしても助けてもらったのですから」

 「そうか、悪いな」

 「いえ、本当に構いませんから・・・・・所で、そちらのμは義之様の?」

 「いや、オレのじゃなくて――――」

 「初めまして。イベールと申します。今回、私は桜内様が働いている研究所のμで、今日は購入する部材があったので一緒に来たという次第です」

 「あ、あぁ、そうなんですか。ど、どうりで賢そうなμだと思いました」

 「お褒め頂きありがとうございます」

 「・・・・あんまり怖い顔をするなよ、イベール」

 「なんの事でしょうか?」

 「はぁー・・・・」


  何故だか知らないがイベールは対抗心を燃やしているみたいだ。普段は無感情無機質なイベールが珍しい事だ。売り子も少し圧倒されてるじゃねぇか。

  だからオレが間に入ってやったんだが今度はオレが睨まれてしまう。なんだか美夏を思い出すなぁ。まぁ性格とか容姿は全然違うのだが。

  とりあえず買い物は済んだ事だしそろそろ買えるか。助けたお礼に物も安く買えたしたまには人助けもいいものだ。


 「でも重ね重ねお礼をいいます。本当にありがとうございました、義之様」

 「ああ、だからいいって。別にたまたまケンカ売られたから対抗しただけで、別に助けるつもりなんて――――」

 「桜内様は最初から助けるつもりでした。だからこれ見よがしに私と手を繋ぎ、わざわざ見せつける形であの方々の傍を通ったのです。素直に
  助ければいいものを」

 「――――なんの事言ってるかわからねぇよ、イベール。オレを持ち上げたってなんの得にもならないぞ?」

 「はい、知っています。だから私は事実しか話していません」

 「・・・・・ちっ」

 「ほ、本当にありがとうございますっ! 店長が帰ってきましたら義之様達の事をお伝えして、ちゃんとしたお礼を――――」

 「べ、別にいいって・・・・。あ、そろそろ帰らないと行けないから行くよ。んじゃあ、またな」

 「あ・・・・・」


  そう言ってオレはその場から立ち去る。あのままあの場に居たんじゃたまったものではない。ああいう事をされるとすげぇ反応に困っちまう。

  背中に「また来てくださいねー!」という言葉が投げかけられる。本当に変わったなぁ、あの子。やっぱりμでも成長はするんだと思った。

  普段はリミッターをつけているから感情の促進は無いと言うがどこまで本当やら・・・・。確かに抑制にはなっているんだけどイベール達を見ると
 とてもじゃないが信じがたい。

  一説では強い感情が膨れ上がると人間みたいな行動をするというのを聞いた事があるが、イベール達にもそんなのがあるんだろうか。分からねぇ。


 「あんまり余計な事を言うなよ、イベール」

 「何故ですか? 私は本当の事を言ったまでですが」

 「ああいう態度を取られるとこっちが参るんだよ。何言っていいか分からねぇからな」

 「・・・・・もしかして照れておられるのですか?」

 「――――アホくさ。そんな訳あるかよ」


  オレが照れる。なんとも不気味な構図だ。オレを知っている人物が聞いたら笑い転げるだろう。少なくともオレはそうする。

  そう言って歩き出そうとして――――手を繋がれる。横を見た。イベールが無表情ながらもどこか照れたような顔をしていた。

  そんな顔をするならしなくていいのに。まぁ何の心情の変化か分からないが別に放って置く事にした。役得とでも考えておこう。


 「・・・・桜内様みたいにロボット関係なく平等な態度を取る方は貴重です」

 「あ?」

 「普通はそうはいきません。私達に理解を示してくれる方々は利権や使用性を認めてくれた人達ばかりです。でもそれは当然です。『物』なのですから」

 「・・・・そうだな」

 「物に優しくしてどうなるというのでしょうか? 何か利益になる事が発生するのでしょうか? そういう考え方が大半を占めています」


  そうだろうなと思う。今の世の中のμに対する扱いはそんなもんだ。体のいい厄介払いみたいな仕事を押しつけられて文句一つ言わないでその事をこなす。

  いや、言えないように設定されているのだから仕方がないのか。オレみたいにもっと感情を出して欲しいと思っているヤツは稀有だろう。普通は感情なんか 
 出されたら困ってしまう。それはそうだ。テレビが勝手に自分の意思でチャンネルや電源を切ってしまう行為に近い。

  別に人それぞれ考え方があるから否定する気は無い。ただオレはそういう奴らが嫌いだ。思わず頭を壁に押し付けて蹴りを入れたい位にな


 「なのに桜内様は本当にお優しくしてくれます。何故だか分からないのですが・・・・嬉しい、とでも言えばいいのでしょうか?」

 「そうか・・・・・・んーーとよ、オレはさ、ロボットが物なんかに見えねぇんだよ」

 「・・・・はい」

 「まず外見が人の形をしている。そして自立行動をして、言葉を発する。この時点でオレは物なんかに見えなくなっている。オレは単純だからよ、理屈
  抜きにしてそれは人間だと思ってしまっている。そして喜怒哀楽の感情を僅かにでも出しているんだったら・・・・それはもう人間だと思うね」

 「・・・・はい」

 「世間の奴らの言い分も分かる。きっとあいつらには人間に近い『物』にしか見えないんだろうな。別にその言い分は分かっているし理解もしている。
  だた納得はしていない。イベールとかをよく見れば分かるんだが、最近考える事を覚えたろ? イベールが出来るって事は他のμにもそれが出来る
  可能性があるって事だ。そんなμ達を道具として扱うのはちょっと違うんじゃねぇのと思わずにはいらねぇよ」

 「・・・・はい」

 「美夏に惚れる以前からそう思ってたし惚れてから余計にそう思える。μだってただの機械じゃねぇ。ましてや便利な道具でもねぇ。人間という存在
  がいるようにμはμという存在なんだと思う。全部が全部を守ってやるなんておこがましい事は言えないけど――――オレはイベールや美夏とか
  さっきの子みたいに身近な人物は守っていきたいと思っている」

 「・・・・・・・・・・はい」


  とりあえずオレの言いたい事はこれぐらいだ。随分かっこつけている台詞をまぁ言ったもんだと思うがこれがオレの素直な気持ちだ。

  撤回しようと思わないしする気も無い。試しに想像してみる。美夏達がぞんざいの扱われどうでもいいように処分された時の事を。

  殺したくなる。そんな奴らなんか生きている価値がない。泥水よりいたってしょうがない奴らだ。絶対許して――――

 
 「・・・・・あれ?」

 「どうしましたか? 桜内様」

 「いや、別になんでもねぇよ。うん、何でも無い」

 「・・・・・・?」


  いつからそんな熱血漢になったんだ。オレはそんな人間じゃねぇだろ。自分以外は基本的にどうでも良かった筈なのにこんなにも他人を心配している。

  前の自分の影響だかなんだか知らないが随分人が良くなってきたな、オイ。自分が自分じゃねぇみたいだ。悪い気はしないが違和感ありまくりだ。

 
 「まぁ、別に悪影響がないならいいけど・・・・」

 「何かおっしゃいましたか?」

 「いや、ただの独り言だ。さっさと戻ろうぜ」

 「あ、お待ちください」

 「ん、なんだ?」


  そう言って歩き出そうとした足を止める。イベールは何か言いたい事があるらしくこちらを見据えていた。オレはとりあえず言いだすまで待つ。

  どういう言葉にして表現しようか迷っているみたいな感じだ。まぁ日本語って難しいからな。自分の思っている事を口に出すのは意外に難しい。

  たしか世界でも最高難易度な語源だと思い出す。イベールはそんなの関係ないだろうが、自分の言葉にして言うなら格段に難しいだろうなぁ。


 「上手く伝わるかどうか分かりませんが・・・・私の思っている事を言います」

 「・・・・ああ」

 「桜内様のその考え―――いずれは私達にとても影響を与える考え方です。具体的にはまだ言えませんが・・・・どうかその考え、気持ちを忘れないで
  下さい。貴方はとても影響力のある人物です。将来私達の存在を今とは違うモノにしてしまうでしょう。だから――――忘れないでください」

 「・・・・・」


 「いきなり変な事を言いだしてすみません。さぁ行きましょう」


  オレの手を取り歩き出すイベール。もう言いたい事は言ったと言わんばかりの表情で歩いている。言われたオレとしては多少怪訝に思ってしまう。

  前にもエリカに言われたがオレは決してそんな人物ではない。何を期待してんだか知らないが妙なプレッシャーを与えるのは止めて欲しいものだ。

  それにイベールに言われると余計にそれは増す。まぁ、とりあえず頭の片隅にでも置いておくか。オレはイベールの手を軽く握りしめながら帰途についた。







[13098] 21話(後編) 暴力描写注意
Name: 「」◆2d188cb2 ID:ca9a3abf
Date: 2010/10/26 23:38



















「――――お前ら全員殺してやる」

「あ? ばかじゃねぇのお前。一人で勝てる訳ねぇだろォ!」


  その言葉と共に繰り出される拳で顔面を殴られるオレ。羽交締めされているので躱す事が出来ない。衝撃をそのままに黙って殴られる。

  鈍い音と共に感じる生温かい感触。血が流れている。美夏の悲鳴が聞こえる。オレはどうする事も出来ずにまた殴られた。

  いい加減にして欲しいものだ。こうも何回も殴られるとせっかくの男前が台無しになっちまう。


 「早くそんな奴やっちまって続きやろうぜぇ~。ロボットだかなんだか知らないけど挿れる事は出来るんだろ?」

 「それが出来ないにしても口があるからな。結構可愛い顔してるし――――オレもう止まんないと思うぜ」

 「あはは。お前彼女なかなか出来ないもんな。すぐ暴力振るうから女が出来ねぇんだよ」

 「うっせー! とりあえず今はヤレればいいんだよ、彼女なんて面倒なもんは後でいいんだっつーの」

 「それは一理あるな。金掛かるしロクなもんじゃない。まぁそんな事よりもうおっ始めようぜ」

 「さ、触るなっ!」


  そう言って抵抗するが男達は止まらない。無理矢理その服を脱がそうとする。必死に抵抗するが無駄な事だ。すぐにその全部をさらけ出すだろう。

  オレも必死で体を動かすがなかなか離してくれない。上級生という事でガタイも力も違う。そう考えているとまた顔面を殴られた。一瞬意識が飛ぶ。

  必死に首を前に向けると男がニヤニヤして笑っていた。その表情に怒りがまた燃え上がる。あまりに怒り過ぎて目の前が真っ白になりそうだ。


 「お前も変な男だよなぁ。ロボットを彼女にするなんて。ていうかセックス目的だったんだろう? この変態め」

 「・・・・・な、訳あるかよ。童貞じゃあるまいし。お前らみたいに女に餓えてるのとは、違うんだよ」

 「よく言うぜ。なぁ具合はどうだったんだ? オレもロボットとヤリ合った事はないから分からねぇんだよなぁ」

 「・・・・・るなよ」

 「あ? なんだって? よく聞こえねぇよ、このタコ」


  今度は腹に拳を貰う。瞬間的に腹に力を込めて耐えるが焼け石に水だ。羽交締めされている状態では力が入る筈がない。

  ああ、マジで痛ぇよ。こんなにやられたのはケンカし始めて最初の頃以来だ。あの時はよく感情的になったから無意味に突っ込んでいったんだよなぁ。

  今だって無闇に突っ込んだからこうなっている。元々体の細いオレだ、こうなるのはしかるべきだった事だと思う。まったく情けねぇ。


 「ほぅら、もう一回言えよ。なんて言ったんだよ?」

 「・・・・・が・・・から・・・せるなよ」

 「あ?」

 「息が・・・・臭ぇから、嗅がせるなよ。この、口臭野郎が。マジで、吐きそうだよ」

 「―――――――ッ!」


  どうやら本人は結構気にしていたらしい。今度はさっきより重めの拳をまた顔面に貰った。口に異物感。歯が折れたらしい。この歳で差し歯になるのか。

  目を開けて前を見ると怒り狂った男の顔。というか気にしてんならちゃんとスプレーとかやれよな。口臭はマジで公害だっつーのによ・・・。


 「てめぇ、このまま顔面ぐちゃぐちゃにしてやるよ」

 「おい、さっさと終わらせろよ。オレも早くあっちと混ざりてぇんだけどさ」

 「分かってるって。おら、顔を上げろよ。このまま思いっきりブン殴って――――」 

 「な、何やってるの貴方達っ!」

 「あ?」


  聞き覚えのある声。オレが今一番この世でこいつらの次に殺したい女の声。とても好きで愛した事のある女の声。まさかこの場で聞こうとなるとはな。

  一瞬男がオレを締める力を弱める。ずっとこの時を待っていた。反撃する時を。多分オレは今まで暴れた事のない規模で暴れるだろう。冷静な頭を持ってして。

  感情的にはもうならない。とうにそんなものを通り越して氷みたいに頭が冴えきっていた。そしてどんな事をしでかしても美夏を守る決意が胸に宿っている。


  

  エリカ――――もうお前ともこれで決着だ。もういい加減飽きたよ、オレは。



  



























  お昼を一緒に採ろうと思って美夏のクラスに行くとちょうど友達と話している所だった。オレに気が付くと慌てるように駆けよってくる。可愛い奴め。

  すぐに行くと言う返事をして机から弁当を持ってきてさぁ行こうとなった時、その喋っていた友達が目についた。せっかくなので一緒に昼飯を食ってやろうか
 という気分になる。なんか寂しそうな眼を一瞬したしな。

  多分美夏が言っていたお世話になっている友人とはコイツの事だろう。美夏と二人きりで食べられないと言うのは惜しい気もするがせっかくの友人を無下に
 するのは個人的にいただけなかった。

  オレがそう思って声を掛けると顔を真っ赤にして快く了承してくれた。美夏は何か文句を言いたそうな顔をしていたが結局何も言わない。

  まぁ気恥ずかしい気持ちがあるのだろ勝手に解釈した。そんなこんなで今日は昼食を三人食堂で採ることに相なった訳だ。


 「さて、あんたが美夏の友達か。いつも美夏が世話になっているな。ありがとう」

 「い、いえっ! そんな事は無いですっ! こ、こ、こちらこそ天枷さんにはお世話になっています!」

 「なぁにがお世話だ。そんなこと思ってもいない癖に。よくもまぁ回る口だ。それにそんなにしおらしくしおって・・・・」

 「うっさいっ! バカッ! しねっ! 黙れよ、このアホっ!」

 「・・・・・・・・」

 「あ・・・・こ、これは違うんですよっ! あ、あはは・・・・」


  苦笑いで誤魔化す女子生徒。美夏の顔を窺うがいつも通りの普段顔。おそらくいつもこんな感じなんだろう。

  まぁ確かに口は悪いがなんだかんだ言ってこれだけ感情表現がストレートなんだ。美夏の事が嫌いなら近づきさえしないだろう。

  言っては悪いが頭も良さそうではない。美夏をダシにしてオレと接点を持つような狡猾さは見えなかった。


 「しかしまさか天枷さんが桜内先輩と付き合っている時は驚きました。だって桜内先輩ってモテそうですし・・・・わざわざ美夏なんかと
  付き合う事は無かったんじゃありませんか?」

 「なんかとはなんだ、なんかとは」

 「別にモテはしない。少し前までのオレだったらどうだったかは知らないが、少なくとも今のオレはそんなこと無いよ。好き放題暴れたし
  色んな人に怪我もさせた。みんな怖がってるよ。あの人は異常者だって」

 「そうですかぁ~? 結構天枷さんの事を大事にしていらっしゃるみたいなので酷い人には見えませんよ?」

 「こいつは別だ。オレが惚れて初めて付き合う女だし大事にするのは責務だと思っている。まぁ、色々あったけどな」

 「はは・・・色々話は耳にしています。大変でしたね、桜内先輩」

 「ん? 話ってなんだ?」

 「そ、それは・・・・ですね」

 「こ、こらっ!」

 「む、むぐっ!?」


  何か言いだそうとした口を塞ぐ美夏。その顔は必死で絶対喋らせまいとするといった感じだ。そんな事をしたら余計にバレバレだっていうのに・・・ったく。

  大方友達という事で相談でもしたんだろう。その事は別に責めたりしない。オレだって杉並や茜に相談していたからな。美夏がしたところで何の問題も無い。

  でもまぁ――――それほどの友達がいるという事実は純粋に嬉しい。こいつに今必要なのはダチだからな。


 「・・・・ぷはぁっ! て、てめぇ何すんだよコラッ!」

 「あまり余計な事を喋るなっ! 口が軽いぞお前はっ!」

 「うるせぇよっ! 何も喋ろうとしてねぇって! 早とちりするなよ、このアホ!」

 「アホとはなんだアホとはっ! そんな事を言うんだったらもう義之と会わせてやらないぞ。お前が義之の事を好きだから彼女の美夏がこうして無理して
  連れてきたのに――――」

 「ば、ばかっ! ちげーしっ!」


  わいわい騒ぐ二人組。まぁオレの事が気になっているのは前食事に誘われていた事から知っていたから別になんとも思っていない。
 
  確かに顔は可愛いし外見も悪くは無い。ただオレには美夏っていう彼女がいるからどうのこうのしようとは思っていない。彼女もそれは知っているだろう。

  ただ仲良くなりたいとは思っていた。美夏の友達だから悪い奴では無いだろう。別にロボットだからという理由で無闇に差別しているわけでもなさそうだ。


 「まぁ、なんだ。今知っての通りオレには彼女がいる。君とどうのこうのしようとは思っていないよ。ごめんね」

 「あ――――――そ、そうですよねっ! 知っていますともっ! あ、あはは・・・・」

 「ただ仲良くやっていきたいとは思っている。そっちがよければでいいんだが・・・・俺とも仲良くしてもらえないかな?」

 「え・・・・・」

 「おい、義之。お前・・・・・」

 「勘違いするなよ。お前の友達だからオレも親しくしたいと思っているだけだ。変な下心は無いよ」

 「・・・・・そうです、か」

 「ふん。お前にしては珍しい言葉だな。あの人嫌いが」

 「・・・・・言うなよ」


  確かに珍しい事だが―――別に悪くは無いと思っている。変な打算抜きでそういう事を考えてしまっていた。最近のオレはいつもこういう感じだ。

  無闇に人を遠ざけたりしないで普通に話してしまっている。前まではとてもじゃないがそんな真似出来なかった。それ程までに嫌悪感を持っていた。

  だが今はそんな感情はあまり抱かない。前のオレの影響だろうけど悪い気分ではないし、構わないと思っていた。


 「だから、どうかな?」  

 「・・・・分かりました。私でよければ・・・・」

 「そうか。よかった」

 「むぅ~・・・・」


  相手は多少不満気な顔をしていたが了承してくれた。当り前か、想っている相手に気はなくただ彼女の友達だから仲良くして欲しいと言っているのだから。

  少し酷な事をしてしまったかもしれない。だがこのまま知らぬ顔をして引き下がるのは気が引けた。そして彼女はオレが差し出した手を握ってくれた。


 「まぁ、改めてよろしくな」

 「は、はい。こちらこそ改めてよろしくお願いします・・・・」

 「ああ・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 「おい、いつまで手握ってるんだ?」

 「あ・・・・」

 「そう言われてもなぁ・・・・」


  手を離すタイミングを見失ってしまった。あっちも離さないしこっちも離さない。なんだか微妙な間が出来上がってしまっている。

  うーんどうしたもんかと思わず考え込んでしまう。ふと手を握る。ビクッとする相手。手は軟らかいし女特有の柔らかさが少し心地いい。

  ふにふにと触ってしまう。美夏とはまた違った感触で気持ちいい。多分ずっと握ってても飽きないだろう。そんな感じがした。

 
 「お、おい義之っ! もういいだろう!」

 「あ・・・・わりぃ」

 「い、いいえ・・・・」


  相手を見てみると顔を真っ赤にしてしまっていた。今の行動は確かに失礼だ。初対面に近い人間にする事ではない。慌ててその手を離した。

  「あ・・・」と呟き声が聞こえたがあえて無視する。白河じゃねぇのにボディタッチが過ぎた。横に彼女がいるっていうのに何やってんだオレは。

  横では例の如く怒った顔をしていた。そりゃそうだ。彼氏が他の女の手をにぎにぎしているんだか。それも相手はオレの事を好きな女ときている。


 「まったく・・・・最近のお前は確かに丸くなってきている気がするが、反比例して軟派な男になってきているな」

 「うーん、そうかもしれねぇな。前までは絶対こんな事をしなかったんだが・・・・確かに最近のオレは少しエロくなっているな。気を付けるよ」

 「お前の気を付けるよはアテにならない。せいぜいまた他の女に誘惑されて落ちるなよ。前みたいな・・・・思いはもう十分だ」

 「美夏・・・・」


  そう言って暗い顔をしてしまっている美夏。また不安にさせちまった。ああ、まったくオレってやつは本当にもう・・・・・。

  隣に座っている美夏の手を掴む。驚きでビクッとする美夏。オレはその美夏の手を握り締めたまま言葉を発した。

 
 「悪かった。またお前を不安にさせる行動取っちまったな。だがオレが本気で愛しているのはお前だけだ。これだけは信じて欲しい」

 「――――それは知っている。だから義之はまた美夏の所に戻ってきたのだからな。ただ、な・・・・・。そういう行為がお前のコミュニケーション
  だって知っているのだが納得はしていないぞ」

 「分かったよ。じゃあそれ以上に美夏を愛でる事にする」

 「あ、おい――――」 


  隣に座っている美夏の肩を抱く。いきなりのオレの行為に黙ってオレの胸に収まる事しか出来ない美夏。その頬にキスをしてやった。

  バッと離れる美夏。顔はゆでタコのように真っ赤だ。一応回りを見回してみたが運よくだれも見ていない。少しばかりホッとしている自分がいた。

  いくらオレでもこんな現場を見られたら気恥ずかしいからな。美夏はどこか怒ったような照れたような顔をしていた。


 「ば、ばかっ! いきなりなんて事を――――」

 「だから言ったじゃねぇか。オレの行動に不安を覚えないように美夏を愛でる事にするって。これならお前も安心だろ?」

 「そ、そういう事を言ったんじゃなくてだな・・・・」

 「なんだよ。もっと愛でろと言うのならするぜ? こういう風に」

 「ち、近づくなっ!」


  オレが唇にキスしようと近づくが美夏は猫のように逃げてしまう。まぁそういう行動すると分かっていてやってるんだけどな。頷かれたらどうしようかと
 思ったぞ。生憎そこまでの勇気はないからな。

  なんにせよ――――美夏以外の女になびく事は無いだろう。美夏もそう信じていた。それだけ表面上では無く、心で繋がっていると思っていた。

  柄じゃねぇ・・・・そう思えるような言葉だが本当にそういう風に感じていた。将来の事なんてまだ分かりはしないが結婚まで考えているオレ。

  ロボットと結婚。他人が聞いたら笑い話になるだろうという絵空事。だがオレはそれを実行しようとずっと思っている。


 「あ、あはは・・・・本当に仲がいいんですね・・・・」

 「あ――――」


  しまった、彼女の存在を忘れてしまっていた。居心地悪そうに頭を掻いている。オレも少しばかり調子に乗ってしまった事を悔いた。

  なんとも情けない姿を見られたもんだ。美夏は横で必死に言い訳をしているが苦笑いしている彼女。全く信じていないようだ。

  せっかく食事に誘ったのに嫌な思いをさせてしまったな。オレは謝る事にした。


 「ごめんな、変なところ見せちゃって。少し調子に乗っていたようだ」

 「あ、いいんですよ。ただ――――私思いました」

 「ん? 何をだ?」

 「なんか・・・・二人の仲の良さを見ているともう離れないんだってなぁって。本当に仲良さそうですもんね、御二方」

 「そう見られているのは嬉しい事だ。事実仲がいいし、愛し合っていると思ってるしな」

 「あはは、ストレートですね。そういう人好きです。少しばかり桜内先輩が女性にだらしないと思っていましたけど・・・・これなら大丈夫そうですね」

 「耳が痛い話だが・・・・そうだな。なんだかんだいってコイツ以外の女とどうしようと思っていない。一回別れた時は結構自暴自棄になってしまったが
  もうそんな事は起きない。ずっと傍に居させてやるしな」

 「お、おい・・・・あんまり恥ずかしい事を言うなよ」

 「なんでだよ。本当の事じゃねぇか」

 「うー・・・・・」

 「あはは。照れちゃってまぁ・・・・いつもこうなら可愛いものですけどね」

 「・・・・・うるさい。ノータリン女」

 「――――ああっ!? だれがノータリンだこのポンコツっ! いい加減にしねぇとスクラップ掛けるぞコラっ!」

 「ふん。やってみるがいい」


  そしてまた騒ぎだす二人。まぁ・・・・仲が良い事はいい事だ。美夏もオレと喋ってる時より更に地を出している気がする本当にいい事だと思う。

  少しばかり寂しい気もするが無視する。オレだって杉並と話す時はもっとくだけた言い方になるしそれと同じ事だと思う。やっぱり同性の方が気を許せるしな。


  美夏とはこれから付き合いが長くなる。多分死ぬまでこの付き合いは切れないだろう。結婚もするし家庭だって築くつもりだからな。

  ガキが出来るかどうかは分からないがそれだって構いやしない。美夏と二人でいれるならそれだけでよかった。勿論子供が居た事に越した事はないがそう思える。

  エリカとの件も一段落したしとりあえず胸の中の不安要素が消えていたオレはそう考える程少し安心していたのかもしれない。今までのオレの不安としては美夏が
 ロボットという事がバレているという事よりも、その事の方が遥かに不安はデカかったからだ。

  もう問題はない―――そう馬鹿げた事を考えていた。失念していた。オレが美夏の事を好きなように、オレの事もそれぐらい好きだという女性の想いの強さを。

  呪いに近いと言ってもいいその思いの強さ。侮っていた。気付いていなかった。気付かなかった振りをした。だからその事が起きた時には猛烈に後悔
 してしまっていた。本当の愚か者とは自分の事を言うのだと思えるぐらいに・・・・。































 
 





 「あーあ・・・それにしても義之君に彼女さんいるなんてなぁ。残念だね、小恋」

 「ま、またその話? だから別にそんなんじゃ・・・・」

 「なーにを今更。でもまさか天枷さんとなんてねぇ・・・・ロボットだっていう噂があるのって・・・・あの子の事なんでしょ?」

 「うーん・・・・そういう噂はよく聞くけど――――義之の場合は、あまり関係ないんじゃないかな?」

 「そっか・・・・そうだよね、うん」


  義之君は元々優しい人間だ。今じゃあんなオレ様みたいになってるけどそれは変わらないだろう。天枷さんとの様子を見てる限りではそう思えてくる。

  まさに熱々カップルといった所だ。義之君も義之君で周囲の目なんて気にしないでストレートな感情表現してるし、見てるこちら側が困ってしまう。

  小恋もそういう気持ちだろう。確かに義之君の事は好きであったがそれは別に恋愛感情抜きでもそうだった。少し困り顔をしながらも二人の中を応援
 していたのが印象的だ。それを見て「ああ、本当に義之君の事好きだったんだなぁ」と私は感じていた。


 「ていうか、ななかも結構義之の事を気に掛けてたじゃない」

 「――――ん? そうだっけ?」

 「そうだよぉ~。義之だけに対してはなんか態度が違って見えたし・・・・好きだったんでしょ? 義之の事」

 「さーてどうだったけなぁ。とゆうか今更そんな事言っても可能性が出てくる訳じゃないし――――実の無い話は止めにしようよ、うん」

 「んー・・・・・・・それもそうかな。でさ、今度商店街に出来たお店なんだけど――――」


  小恋はいい人だ。素直に空気を読んでくれて助かる。過去系の話であったとしても私と小恋が同じ人物を気にしていたなんてなったら友情が壊れる
 かもしれない。恋愛は実は怖いのだ。

  そして話はアイスクリーム屋の話になる。さっきお弁当を済ませたばかりなのによく甘い物の話になるものだ。ゲップが出そうでたまらなくなる。

  まぁ小恋の場合は全部栄養が胸に行くからいいんだけどさぁ。私なんか最近やばくてなってきたってーのにこの子ってば・・・・。


 「キャっ! な、ななかっ! いきなり胸揉まないでよぉ~~!」

 「別にいいでしょ~? ほりゃーウリウリー」

 「や、止めてってば~!」


  少し恨めしいので胸を揉んでやった。小恋は私の手から逃れようとするが無駄な事だ。大体小恋はこういう風にイジられると抵抗出来なくなる。

  気が優しいのだろう。だからといって止める気は無いが。それにしても、本当に胸が大きい。こりゃあ渉クンが夢中になって見るだけの事はある。

  だがあんまりやりすぎると怒るので止めておこう。怒った小恋は怖いからなぁ。そんな事をしていたので私は曲がり角から人が出てきたのに気付かなかった。


 「あ――――」 

 「キャッ!」

 「わわっ!」


  ドンと肩がぶつかる。幸い私はたたらを踏む程度で助かった。だが相手は勢いに負けて尻もちをついてしまう。廊下に痛そうな鈍い音が響き渡った。

  相手は―――ムラサキさん。喋った事も無いし会った回数もほとんどない。何故知っているかというと義之君の記憶を読んだから。だから知識として知っていた。

  義之君と壮絶な恋愛模様を展開した相手。思わず心臓がドキっとしてまう。映画俳優と会ったらこんな感じがするのだろう。記憶を見た後だとそう感じる。

 
 「ご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですかっ!?」

 「いたた・・・・もう、ちゃんと前を見て歩いていますの!?」

 「わわっ! ほ、本当にごめんさいっ!」

 「まったくもう・・・・・」


  さすが貴族のお嬢様。怒られただけでこの迫力。思わず頭をペコペコ何回も下げてしまう。それほど怖かった。なまじ綺麗だから余計にその迫力は増している。

  ぶつぶつ文句を言っている彼女に手を慌てて差し出す。思わず腰が引けたままの体制になってしまうが誰もそれを責める事は出来ないだろう。

  彼女はブスッとしたままその手を握った。私はその手を引き上げようとして――――手の力を弱めてしまった。


 「あ――――――」

 「あっ、と・・・・・・あ、危ないじゃない、貴方ッ!」

 「――――ッ!」

 「ご、ごめんなさいっ! もう何やってるのよ、ななかっ!」 


  隣で小恋が代わりに謝っている。私は茫然としたままその場に立ち尽くしていた。そんな様子の私を怪訝な様子で見ていたが、もう用はないとばかりに
 立ち去るムラサキさん。隣では小恋が彼女の背中に謝罪の言葉を律儀に投げかけていた。

  私はというと・・・・・それどころじゃなかった。なんて事を考えているんだあの女性は。そこまで――――そこまで義之君の事を好きだったというのか。

  あまりにも非人間的な考え方。何が貴族の娘だ。やろうとしている事はそこら辺の犯罪者と変わらない考えでは無いか。


 「あーあ、多分まだ怒ってるよあの子。本当にどうしたの、ななか?」

 「・・・・・・!」

 「あ、ななかっ! どこに行く――――」   


  小恋の言葉を無視して私は走り出す。目指すは義之くんのクラス。お昼休みはもう終わる時間だったが関係ない。早くこの事を義之君に話さなくちゃ。

  教室が目の前に見える。速度を落として少し私は歩いてしまった。ぜいぜいと息をついてしまう。あまりの体力の無さに少し悲観してしまった。

  クラスを見回すが・・・・義之君の姿が見えない。思わず苛々してしまう。こんな時にどこをほつき歩いて―――――――


 「あ? 白河何やってんだよ」

 「――――ッ!」


  義之君の声。振りかえるといつも通り無愛想な顔をしてそこに立っていた。

  思い掛けずガシっと腕を掴んで走り出した。内容が内容だ、こんな所で話して誰かに聞かれたらマズイだろう。

  義之君が制止の言葉を荒っぽく投げかけてくるが無視だ。本当に今はそれどころではないのだから。

  そして人通りの少ない場所まで来た。ここなら話をしても大丈夫だろう。とりあえず私は息を落ち着かせた。


 「はぁはぁ・・・・ここなら大丈夫よね・・・・・」

 「おい、何慌ててるんだよ。大丈夫かよテメェ」

 「もうっ! どこに行ってたのよ義之君!」

 「どこって・・・・トイレだよ。一応人間だからな。排泄行為をしなくちゃ生きていけない」


  そう言ってジト目で睨んでくる。その視線に多少うろたえてしまうが心を奮い立たせる。

  時間がもうあまり無い。だから手短に話す事にした。私は息を落ち着かせて叫ぶように言葉を発した。


 「天枷さんがこれから大変な事になるのっ! だから今から助けに行ってあげてっ!」

 「・・・・・・・・どういう事だ?」

 「さっきムラサキさんとぶつかって心を読んだのっ! そしたら、天枷さんに酷い事するって考えが流れてきて・・・・それも男子数人使って・・・」


  思わず涙ぐんでしまう。恐怖かおぞましさか――――あまりにもその感情が何か分からなくて勝手に出てきてしまう。あそこまでの感情は感じたことが無い。

  あまりにも大きい感情の奔流。それを私は感じてしまった。あそこまで人を愛せるのか、あそこまで人を欲っせるのか、あそこまで人を憎めるのか。

  そんな思いでいっぱいだった。私の話を聞いた義之君は舌打ちして呟くように言葉を吐き出した。


 「・・・・っち! エリカの野郎またロクでもねぇ事を・・・・!」

 「時間があんまりないの! だから天枷さんの事を――――」 

 「分かってるよっ! ありがとうな、白河っ!」

 「あ・・・・」


  そう言って義之君は駈け出して行く。私はというとその背中を見送る事しか出来なかった。私が行っても足手まといになるだけだし、何より怖かった。

  超能力みたいなモノを持っているが私だって普通の女の子だ。そんな現場に行くなんて出来やしない。今だって体が少し小刻みに揺れているぐらいだ。

  こんな調子で行ったって精々遠くから見る事しか出来ない。何か、何か他に出来ないだろうか。


 「・・・・そうだ、杉並君がいた」


  パッと思い付いた人物は杉並君だ。私の知っている中で頼りにそうな人は杉並君ぐらいしか居ない。渉クンでは少し頼り無いし、内部事情も知らない。

  大体の事情を掴んでいるのは花咲さん、杉並君ぐらいだ。義之君の記憶が正しければそうなる。だから私は杉並君を呼ぶ為にもうひと走りした。

  何故こんなにも私は必死になっているのか――――簡単だ、義之君の事が好きだからだ。それだけの理由だが、それだけで十分だろう。

  
  別に恋愛感情抜きにしても義之君は好ましいと思える。大分性格は変わってしまったが天枷さんに対する態度を見ていると本当は心優しい人物だと分かる。

  見ていてとても幸せになれるカップル――――それが義之君と天枷さんだ。そんな人物達が酷い目に合うなんて想像したくない。あってはいけない話だ。

  だから私はこんなにも走っている。息を切らせている。昼休み終了の鐘が鳴った。関係ない。私はとにかくひたすらに杉並君の所に走った。





























 「くそっ! どこにいるんだよ美夏は」


  とりあえず美夏のクラスに行ってみたが美夏は居なかった。例の友達に聞いた所どうやらトイレに行ってから戻っていないらしい。

  オレは何かあったのかと聞いてくる友達を無視してまた走りだした。その時昼休み終了の鐘が鳴った。しかし関係ない。オレは更に足を速めた。

  はっきりいってこの学園は広い。見つけるのは困難だと思っている。こうなったらしらみ潰しに・・・・駄目だ、時間が掛かり過ぎる。


 「――――よく考えろ・・・・この時間で人が来ない場所って言ったら限りがある・・・・」


  少なくとも校舎内は無いだろう。移動教室とかで空き部屋はそんなに空いていないし、空いてたとしても使わない。
 
  その隣が音楽室だったりオーラルコミュニケーションで使う教室だったりする。学年ごとに設けられていたりするのでその周辺の可能性は無い。

  そんな所で悶着を起こしたらすぐ他の生徒にバレてしまうからな。となると美夏がいる可能性のある場所というと・・・・・。


 「やっぱり校舎裏しかねぇな。屋上だと校庭で体育してる奴らに見つかる可能性がある」


  校庭からは案外屋上が丸見えだ。フェンス越しまで美夏が来てしまえばその存在は目立つ。元々屋上に生徒は立ち入り禁止になっているからな。

  やはり美夏が居る場所は校舎裏しか考えられない。もしかしたらそれらのどこにも居ないかもしれない。本校のオレの知らない教室にだって居る
 可能性はある。

  しかしそんな場所を探している時間は無い。白河は言っていた、時間は無いと。だから一番可能性のある場所を探すことにした。


 「それにしてもエリカの野郎・・・・あいつまだくだらねぇ事考えてやがったのか・・・・」


  もうオレ達に関わらないと思っていた。甘かった。あいつはオレの事が好きだったんだ。オレが考えている以上にその想いは強かったんだ。

  過去を振り返るとその事が容易に分かる。依存していると言ってもいい。オレが離れると分かった途端手首を躊躇なく切る、そういう女だ。

  決して忘れていた訳じゃないが考えが浅かった。美夏を潰してまでもまだオレの事を手に入れようとしているとは思わなかった。


 「いや、もしかしたらタダの腹いせかもしれねぇな・・・・くそ、マズったぜ本当にっ!」


  ぼやいても仕方が無い。オレに出来る事は一刻も早く美夏を救う事だ。エリカの件はこの際後回しだ。どちらにせよ落とし前はきっちりつけてもらう。

  そう考えて校舎裏に近づくと男数人の声と―――美夏の声が聞こえてきた。ビンゴだ。どうやら運よく見つける事が出来たらしい。

   
 「や、やめろっ! 離せっ!」

 「おいおい、暴れんなって。ちょっとは先輩の言う事を大人しく聞くもんだぜ?」

 「痛いのは最初だけだからさ。その後すんっげぇー気持ちよくなるから安心しろよ」

 「あはははっ! なーにが気持ち良くなるだよ、童貞の癖によぉ~」

 「うるせーよっ! まぁロボットが初めての相手になるとは思わなかったけどさ。なんつーか風俗で初体験する気持ちだぜ」

 「しっかしロボットには見えないよなぁ、マジで。まぁヤレるなら構わないけど」

 「く・・・・・! 怪我してる人が居るから助けてくれなんて嘘などつきおって・・・・」

 「そんな小学生でも騙されない嘘に引っ掛かる美夏ちゃんが悪いんだよん。さぁ、脱ぎ脱ぎしましょうか~」

 「ば、ばかっ! やめろっ!」


  下卑た笑い声が聞こえてくる。もうその時点で頭の怒りが最高潮に達する。もう頭の中はあいつらをブチのめす事しか考えられなくなっていた。

  あまりの怒りですぐ近くにあった窓ガラスを肘で割ってしまう。鳴り響く派手な音。男達はその音にビクッと体を震わせてこちらを振り向いた。

  そんな男達の前にオレはゆっくり歩き出す。男たちは最初戸惑う顔をしていたが、オレが一人だと分かると途端に顔を歪ませた。


 「ああ? なんだよ、お前」

 「よ、義之っ!」

 「義之? ああ・・・・・あの最近派手に暴れているガキか」

 「なんだよ、お前も混ざりたいのか?」

 「あはははっ! なんだよ、それなら最初から言えっての。でもまぁ、残念だけどもう人数は足りているからお断り――――」


  ヘラヘラした顔で近づいてくる男。あまりにも無防備だ。オレの話を聞いていてそんな行動を取っているんだとしたら、バカとしか言いようが無い。

  思いっきり男の前に駈け出す。驚きで一瞬硬直する。襟元を掴んで体制を崩して思いっきりその顔面を吹っ飛ばしてやった。たまらず背中から派手に
 ぶっ倒れる男。

  弛緩していた空気が一瞬で引き締まったのを感じた。男達は詰まらなそうにオレに体を向き直る。いつもの慣れしたんだ空気。オレはその男達を見据えた、


 「んだテメェはよっ!」

 「このクソガキが・・・・調子に乗りやがって」

 「まったく、面倒を起こさせるんじゃねぇよ」

 「美夏ちゃーん、ちょっと待ってってねぇ、すぐ終わらせるから~」

 「ぐ・・・・くそが・・・」

 「・・・・・・」


  五人。相手の数は五人だ。いつもなら冷静に立ち向かう。当り前だ、俺よりガタイのいい奴が五人もいる。感情的になっては一方的にボコボコになるだけだ。

  さっき殴れたのは油断している相手だったからだ。もうこいつらは油断なんてしないだろう。だから冷静に落ち着いて対処する。そうしなければいいけない。
  
  なのに――――とてもじゃないがそんな気にはなれないでいる。彼女を強姦されそうになっているんだ。冷静な対処・・・・出来る訳がねぇ。


 「オラァっ!」

 「がッ・・・!」

 「こ、この野郎っ! おい、囲んじまえっ!」

 「分かってるっつーのっ! お前はそっち回れっ!」

 「ざけやがってこの・・・・!」

  
  
  気合い一閃で殴りかかる。体のどの部分を狙うなんて頭は持っていなかった。ただガムシャラに突っ込んだだけ。運よく首筋に拳が当たったがそれだけだ。

  あっという間に囲まれて捕まってしまう。そりゃあ相手のど真ん中に突っ込めばこうなるだろう。人数は相手の方が圧倒的に多いのだしこうなるのは当り前。

  そんな事さえ考え付かなくて殴り掛かり呆気なく捕まってしまう。愚行としか言いようが無い。羽交締めにされたオレに男が話仕掛けてくる。


 「なんだ、弱ぇじゃねぇか。まったく、活きがいいと思ったがとんだザコだぜ」

 「くっ・・・・・」

 「おい、このクソガキ・・・・さっきはよくもやってくれたな。舐めやがって・・・・よっ!」

 「が――――」


  さっき殴った男がオレの顔面に拳を打ちつける。そして今度は腹に蹴りを入れる。オレはその攻撃に耐える事しかできなかった。

  今すぐこいつらをブン殴りたい気持ちでいっぱいだというのに動けないでいる。そんな歯痒さが益々オレの頭を熱くさせた。


 「こ・・・この野郎・・・!」

 「あー? 何吠えてるんだよ、このクソ野郎。大体ケンカ弱っちーのに向かってくるなっつーの」

 「言えてる言えてる。居るんだよねぇ、こう言う風に弱いのに立ち向かってくる奴って。バカだよなぁ」

 「あーもしかして最近暴れて自信付けちゃったとか? それで勘違いしちゃったと」

 「これだからケンカした事の無いヤツは困るよなぁ。ちょっと人殴った事あるからって変に活きがるからよ」


  好き放題言ってくれる。オレが本気を出したらこんな奴ら――――いや、今の状況を返り見るにそれは当たっているかもしれない。

  多数の相手に何の策も無しで突っ込んだオレ、素人以下だ。オレが逆の立場だったらそんな考えをするだろう。こいつは素人だと。

  結局こうやって惨めな姿を晒してしまっている。なんとも情けない話だ。彼女を助けるどころか返り打ちに合ってしまっている。


 「大体なんでコイツここに来た訳? 偶然発見してすごい正義感に燃えちゃったとか?」

 「あ、オレ聞いた事があるぜ。今思い出したけどコイツと美夏ちゃんて確か付き合ってるって噂があるって」

 「マジかよ。ロボットと付き合うなんて正気じゃねぇな。どうせヤリたかっただけだろ?」

 「あー、かもしれねぇな。ロボットでロクな知識もないから手取り足とり教えてやるよーみたいな?」

 「なにそれ、最悪じゃん。オレさ、結構正義感強いからそういうの許せないんだよねぇ・・・・」

 「はは、よく言うぜ。一番初めに美夏ちゃんに飛びかかった癖によ」

 「オレはいいんだよ。常識があるからさ。ただコイツだけは許せないね。まったく、美夏ちゃんを喰い物にしやがって」


  また拳が飛んでくる。躱せない。また頭が揺さぶられた。射殺さんばかりの視線を打ちつけるがそんなのは無意味だ。鎖に繋がれた犬に何を恐れるのだろうか。

  ニヤニヤしてオレを痛ぶる男達。美夏と視線が合う。とても心配そうな眼をしていた。思わず視線を逸らしてしまう。こんな情けない姿を見られたくなかった。

  その時オレ達の様子に気付いたのか、男が言葉を発した。


 「なーに見詰め合ってるんだよ。こんな状況だってーのに、まったくお盛んだぜ」

 「あ、オレ面白い事考えた」

 「え、なになに?」

 「オレと美夏ちゃんのキスシーンをこいつに見せつけてやるってのはどう?」

 「な――――」

 「えーー・・・・だったらその役オレがやりてぇんだけどさ。あの柔らかそうな唇に、こう、ブチューっとさ」

 「ダーメ。オレが先に言いだしたんだからオレだろ? こういうのは早い者勝ちなんだよ」


  そう言って美夏の元に歩き出す男。オレは必死に体を動かすがビクともしない。男数人に体を押させつけられているのだ、当り前だろう。
 
  しかしそんな事は関係ない。絶対そんな事はさせない。美夏の体にこいつらの指が触れただけでも許せねぇのにそんな事させてたまるか。

  美夏にもその話は聞こえている。逃げだすチャンスはあったがオレの事を気にしてか逃げないでいた。バカが、今の内に逃げてればいいものを・・・・。


 「はーい、美夏ちゃん。ちゅっちゅしましょうね~」

 「ふ、ふざけるなっ! 誰がお前なんかとっ!」

 「はいはい抵抗しない。さぁ、いきまちゅよぉ~」

 「やめ――――」

 
  美夏の抵抗虚しく――――キスをされてしまう。美夏の目が驚きに満ちて、次には涙を流してしまっていた。おぞましさと恐怖と、悔しさを織り交ぜながら。

  それだけでも許せない行為なのに男は次に信じられない行動を取った。手で顎を上げさせ両頬を指で押し出す。自然に開く口。それに舌を入れた。

  美夏も慌てたように男を引き剥がそうとするが子供と大人ぐらいの力の差がある。その願いは敵わないまま美夏はなされるがままになってしまった。


 「や・・・やめろよ・・・・クソ野郎・・・」

 「おー激しいねぇ。もうあいつ夢中でディープかましてるぜ」

 「いやらしいなぁ~。もう美夏ちゃんもメロメロになって足腰立たなくなるんじゃね?」

 「あはは、そうかもしれないなぁ。μとかのロボットってそういう機能もあるんだよな? 性行為の機能。今頃愛液でびしょびしょなんじゃねぇか?」

 「てことはあの子も本当は悦んでいるって事か。おい、クソガキ。お前の彼女とんだ淫乱だな。本当は他の男とやりまくってんじゃねぇか?」


  ふざけるな。美夏はそんな女じゃねぇ。その口にコンクリ詰まらせて内蔵バラバラにしてやろうか。そんな気持ちが湧き上がる。
 
  と、その時。男が弾かれたように美夏から離れる。怪訝に思いながらその男を見詰めた。顔は噴怒の表情。口からは血が流れていた。


 「あーあ、ばっかでやんでの。舌噛まれたんだな、ありゃあ」

 「あはははっ! マジでウケるんだけどー」

 「くっ・・・・この女っ!」

 「ぐぅっ!」


  鈍い音を立てブン殴られる美夏。男の小さいなプライドに傷を付けてしまったのだろう。顔にはよくも恥を掻かせてくれたなと言わんばかり
 の表情が貼りついていた。息も荒く少し興奮状態になっている。

  美夏が殴られた。こんな人間の屑みたいな奴らに強姦されそうになり、殴られた。頭が一気におかしくなった。おかしくなり過ぎて逆に冷静になった。

  男数人がその場にヘラヘラしながら近寄っていく。これから美夏を犯すのだろう。そんな事はさせやしねぇ。オレは息苦しくなりながらも言葉を吐いた。


 「――――お前ら全員殺してやる」


  それは決意の表わしで確定事項だ。こいつら全員ここから帰さない。生き地獄を味わせやる。





























 
 「な、何やってるの貴方達っ!」


  私は思わず叫んでしまった。確かに天枷さんを襲えとは確かに言った。だが義之を傷付けていい等とは決して言っていない。

  キッとあの男を睨みつける。男は慌てたように義之を離した。つかつかと男に歩み寄って私は睨みつける。どうなっているか気になって
 授業を抜けだしたら案の定コレだ。

  男は私に睨みつけられて恐縮そうに身を縮こませる。まったくこのグズは。役に立つどころか余計な事をしてうなんて。どう義之に詫びればいいのだ。


 「何をやってらっしゃるのかしら、貴方は?」

 「な、なんだよ。言われた通りの事をやってるだろ・・・・」

 「ええ。やってますわね。でも義之に手を出せなんて何時言いました?」

 「そ、そんな・・・・・コイツが邪魔しにきたから少し痛い目みてもらってるだけで・・・・」

 「・・・・・はぁー」


  義之も困ったものですわ。こんな時に何もヒーローみたいな事をしなくても。まぁそれが義之の良い所でもあるんですけど、この場合は厄介でしかない。

  さてどうしたものか。このまま義之が黙って帰ってくれそうもない。迂闊にも私の姿まで見られてしまった。まったく、困った事になったものだ。

  とりあえず義之を押さえつけてもらってこのまま事を運ぶしかないだろう。そしてそのまま天枷さんが犯される所を見てもらう。少し可哀想だけど
 これも義之の為だ。

  義之は心に傷を負うだろう。もう立ち直れないぐらいに。そこで私が登場してずっと義之を慰める。なんて完璧な作戦だ。自分の頭の良さが怖くなる。

  憎さで私しか見えなくなる。それでいい。義之は私の事が大好きなのだからいずれ目が覚めて私の行動を認めてくれるだろう。よくやってくれたと。




 「まぁ、いいでしょう。とりあえず義之をまた――――」


  そう男に言おうとした―――瞬間、頭が弾け飛んだ。驚きで硬直する私。私が来た事によって成り行きを見守っていた男達も驚く。

  義之が男のコメカミを思いっきり蹴り飛ばしたのだ。綺麗な蹴りだった。私は場違いな事にもそう思ってしまった。


 「オレさぁ、結構格闘技の試合とか見るんだよね。こんな歳頃のせいかそれを見た後は蹴りの練習とかしてんの。はは、小学生みたいだろ?」


  男にそう言葉を投げかけるが返事は無い。どうやらさっきの蹴りで意識を失ってしまったようだ。

  義之はつまらなそうな顔をしながらも男を仰向けにして、顔面を踏みつけた。


 「な、てめぇコラっ! 何やってんだよっ!」

 「人の頭ってさ、結構固いんだよな。骨の集合体だし踏み壊すのは結構手間が掛かる。面倒だよな」


  一撃。意識は無いのにその攻撃から逃れようと顔を背ける。だが義之は面倒臭そうに足でまた元の位置に戻す。


 「おい、止めろって言って――――」

 「こういう風にやる度に思うよ。人って案外頑丈なんだなって」


  二撃。男の鼻の骨が折れたのだろう。鼻血が盛大に吹き出す。義之は足に血がついたのを見て嫌そうな顔をした。


 「止めねぇとこの女を――――」

 「よく失血死と出血死を混同する奴がいるが馬鹿だよな。血が流れ過ぎて死ぬのが出血死で内蔵等に血が流れて行かなくなって死ぬのが失血死だ。
  こいつの場合鼻血による出血死って所か? 案外馬鹿に出来ないんだぜ。鼻ってのは呼吸する所だからな。ん? それだと死因は呼吸困難か?」


  三撃。今度は盛大に唇が切れて血が流れ出す。歯が折れて口の中に刺さったのだろう。口からもゴボゴボと泡を吹く。


 「お、おい――――」

 「オレも何回か顔を踏みつけられた事があるが、あれは痛いね。一瞬何も考えられなくなる。次からは絶対にやられねえって思ったよ」


  四撃。もう顔なんて見られたものじゃない。目の所は腫れ上がっているし口周りなんか真っ赤だ。それはそうだ、革靴で思いっきり踏み抜けているんだから。


 「そ、それぐらいに――――」

 「昔はケンカが弱い癖に無闇に突っ込んではボロボロになっていた。頭が悪かったんだよな。弱いヤツは弱いヤツなりに工夫するしかないってのに」


  五撃。何かが折れる音がした。おそらく頬骨だろう。見た目でもう見事に陥没している。私は少し吐き気を催してしまった。あまりにも、酷い。


 「ば、ばかっ! 死んで――――」

 「どうすれば強くなるか考えた。答えは経験を積むしかなかった。元々頭でっかちのオレだ。実際に経験を積むしかなかった」


  六撃。もう交通事故にでも会ったような顔だ。それ程までに義之は思いっきり顔をさっきから踏み抜けている。おそらく慣れているのだろう。動作が流暢だった。


 「な、もう止め――――」

 「負けず嫌いだしすぐに強くなった。それからはもう飽きちまってケンカはあんまり売らない事にした。ケンカでいちいち痛い目見るなんて、バカだろ?」


  七撃。もう死んでいる、誰もが思っていた。男の体は痙攣しているしさっきから悲鳴の一つも挙げない。顔は赤で何も見えなくなっていた。


 「――――」

 「だけどお前らみたいに何も考えないでケンカしたがるヤツは多い。だから絡まれてはケンカするの繰り返しだった。オレって目を付けられやすいタイプだからさ。
  でも・・・・今思えば多分こういう時の為にオレは強くなったのかもしれないな。お前らみたいなやつらを殺す為に」


  義之は向き直って男達を見た。その横顔、とても怖い顔をしていた。別に怒っている表情はしていない。無表情だ。まるでロボットみたいな目をしていた。

  だが、怖い。何を考えているか分からない。この状況下で無表情はあり得ない。自分の彼女がレイプされようとしているのになんの感情も露にしていない。

  男たちはそんな義之の視線にビクっとしたが、心を奮い立たせるように叫んだ。


 「ざ・・・さけんなよっ! おい、また囲んで今度こそボコるぞっ!」

 「あ、ああっ!」

 「調子に乗りやがって・・・・!」


  そう言って義之に挑むように走り寄ってくる。対して義之は詰まらなそうにそれらを見詰め―――腕を振るった。

  何も見えなかった。何だろうと思っていると、いきなり耳を劈く様な叫び声が聞こえてきた。


 「あ、あぁぁあぁあああ!!」

 「なっ! おい、どうしたっ!?」

 「・・・・・ッ・・・・! ・・・・・・・ァ・・!」

 「お、おいコレ・・・・」


  前屈みになり、呼吸が出来ないのかカスリ声を上げている。そして男の股の辺りから血がじわじわと漏れてきて地面に赤い染みを作り始めた。

  よく見るとガラスの破片のようなモノが刺さっていた。それがさっき義之が投げたモノなのだろう。あまりにも透明なので気付かなかった。

  そして男は泡を吹いて―――気絶してしまった。この倒れている男もそうだろうがすぐに病院に行かなければいけない程の怪我だろう。


 「すげぇ頭に血が上って気付かなかったけど、さっきガラス割った時思わず破片をポケットに入れてたらしい。いやー嫌だね、なんか癖みたいで
  あれこれ凶器になりそうなものをすぐポケットに仕舞っちまう。物騒な性格だよ、本当に」

 「て、てめぇ!」

 「外国じゃレイプしたヤツはペニスを引き抜かれるらしいな。可哀想な事だがそいつもそんな目に合った訳だ。血の量からしてもう勃たないだろうなぁ」

 「こいつ、ぶっ殺してやるっ!」

 「やってみろよ・・・・この屑が」


  そう言って義之は駈け出した。だが、あまりにも前の男達に集中していたので蹲っていた男の体に足を掛けてしまい転びそうになる。

  手を地面について転倒は免れたがそんな好機を見逃す程相手は馬鹿じゃないらしい。その勢いのまま相手の一人が義之にタックルをして押し倒した。

  そのまま義之の襟首を締めようとして―――飛び跳ねる。男は悲鳴を上げてそこら辺をもんどり打って苦しんでいた。あまりの状況に皆茫然としてしまう。


 「な、なにをしたんだ、お前っ!」

 「あ? 別に砂利を目に捻じ込んだだけだよ。さっき転ぶフリして拾ったんだが・・・・すげぇ効果だな。まぁ仕方ないか、失明する程捻じ込んでやった
  からな。もうニ度とその眼は開けなくなっちまったが・・・・別に支障はないだろ。片目残ってるし」

 「な、なんて事を――――」  

 「本当は殺しちまってもいいんだが・・・・それじゃあ美夏と一緒に暮らせなくなっちまう。そんなつまらない事でそれが叶わなくなるなんて馬鹿げている
  と思わないか? 感謝しろよ。」

 「何が感謝だ・・・・このイカレ野郎が・・・・」

 「強姦野郎に言われたくねぇよ、このタコ」


  そしてすぐさま喋っていた男に義之は飛び付いた。その勢いのまま倒れ込む二人。残った男の一人はどうしたらいいのか分からないのかその場に立ち尽くして
 しまっている。逃げる事もせず、助勢することもせず、泣きそうな顔でその場に佇んでいた。

  男は義之の姿を睨むように眼を向けるが、次の瞬間には恐怖と驚きで眼をいっぱいに広げる。義之の手にはあのガラスの破片が握られていた。

  義之はそんな男の姿を見て―――笑った。あまりにもおかしいといった風に。そんな義之を見て、更に私は怖くなってしまった。

  いつも義之は笑う時は本当に心の底から笑う様な笑顔だった。今でもそれに変わりはないだろう。ただあまりにもそのベクトルが違っていた。


 「やっぱりオレの性格だから二個ぐらいポケットに入れてたか。無意識でそこまでやるとは流石オレだな。さーて、どうしよっかなぁ~。
  このまま喉に突き刺していいかな?」

 「なっ!? こ、殺さないじゃ無かったのかよっ!?」

 「そんなもん嘘に決まってるだろ。うーん・・・・どうしよう」

 
  そう言って男の顔をガラス片で何回もなぞった。赤く引かれる線。出血する男の顔。その度に男の顔は恐怖で歪んだ。それを見て義之は更に笑う。

  その行為を何回もやっていると男がいきなり黙ってしまう。よく見ると白目を剥き、泡を吹いている。あまりの恐怖で失神してしまったのだろう。


 「あ? おい、寝るなよ。おいコラ」

 「・・・・・・・」

 「おーい、もしもーし?」

 「・・・・・・・」

 「起きろって――――言ってんだろコラァ!」

 「ガッ――――」


  叫んでガラス片を肩に突き刺す義之。男は弾かれたように眼を開いた。

  そしてまた義之を視認するとまた恐怖で顔が歪む。


 「よぉし、やっと起きたか。まったく手間かけさせやがって・・・・」

 「ヒッ・・・・・」

 「お前の処罰が決まったから言おうと思ってよ。聞きたいか?」

 「や、やめてくださいっ! お願いしますっ!」

 「そうか、聞きたいか。そんなに聞きたいか。じゃあ教えてやるよ。お前に対する処罰―――串刺しの刑ってのはどうだ?」

 「え・・・・」


  そう言って義之はおもむろに腕を振りあげ、ぞんざいな動作で体の左肩を刺した。悲鳴を上げる男。逃げようとするが上に乗っかられて逃げられないでいる。

  そして何回も何回も体の適当な場所にガラス片を刺した。じわじわ垂れる血の赤。失神する度に義之は思いっきりガラス片を刺すので気絶する事が出来ない。
  
  命の危機を本能で感じたのだろう。男は無理矢理義之の体を押してそこから逃げようと這い出た。だが腰が抜けたせいか芋虫みたいに這いずり回る事しか出来
 ないでいる。その後ろを義之は楽しそうに歩いている。


 「おーい、逃げるなって。もうちょっと付き合えよ。ノリ悪いなぁー」

 「・・・ヒッ・・・・ア・・・・くぅ・・・・」

 「早く逃げないとまた刺されるぞー。ほらほら、早く頑張れよ」

 「・・・・ち・・・・ちく・・・しょう」

 「あー駄目。時間切れ。もっと必死感だせよなぁ、まったく」

 「や、やめ――――」


  逃げようとした男の背中に乗りかかり――――また無造作に突き刺す。もう男は悲鳴を上げる気力もないのか口をパクパクさせているだけだ。

  背中にもまた無数の刺し跡が残される。ザクッ、ザクッっと規則的にその音は流れている。無事な男と私はその光景から眼を離せないでいた。

  恐怖でがんじ絡めになってしまった私達。もう逃げだそうなんては考えていなかった。ただ、そこに立っている事しか出来ないでいる。


 「ん? おーい」

 「・・・・・・」

 「――――なんだよつまんねぇな。もう失神しやがった。もう飽きたからいいや。そのまま寝ておけ」


  最後に思いっきり男の左肩にガラス片を刺して立ちあがる。そして義之の視線の先には残りの男。ニヤニヤしながら男に近寄っていく。

  恐怖に顔は歪み、今にも泣きそうな眼をしていた。しかしそんな事は義之には関係無いらしく無造作に相手の髪を掴んだ。

  そして男の髪を思いっきり下に引き下げて、顔面に膝を叩きこむ。前にも見た義之の得意な膝蹴り。ただし威力は前より遥かに高そうな音を出していた。



 「今ので鼻の骨は折れたな。さて、次は――――」  

 「あ、・・・・ぐ・・・・もう、・・・やめてくれ・・・・」

 「何言ってるんだよ。美夏が止めてって言ってお前らは止めようとしたか? 都合のいい事ばっかり言ってんじゃねぇよ」

 「ご・・・ごめん・・・なさい」

 「謝罪はいらねぇよ。次は・・・・肩かなぁ」

 「え・・・・あ・・・・」


  肩に腕を回してぎちぎちに固める。更に恐怖に歪む顔。これから何をされるかおぼろげに感じ取ったのだろう。いやいやするように体を捻る。

  だが肩を完璧に固められているので動けないでいる。義之はにやにや笑いながら―――そのまま地面に自分の体ごと押し付けた。

  ボギッという音。今日何度目になるか分からない悲鳴を私は聞いた。


 「ぎゃぁああぁああーーーーっ!!」

 「あー毎回の事ながらうるせぇな。肩外れたぐらいでいちいち騒ぐなよ」

 「うぅ・・・・ひっく・・・ぐぅ・・・・」

 「あーあ、泣いちゃった。オレの先輩なんだからもっとビシッとしてくれよな。まぁ先輩だなんて思ってねぇけど・・・・ほら、次行くぞ」

 「あ・・・・・」


  そして今度は反対の腕に手を回し、また無造作にその腕を捻りこんだ。再度響く骨が外れる音。また男の口から悲鳴が響き渡り、義之の笑い声が聞こえてきた。

  もう両腕は使い物にならないだろう。壊れた人形の腕みたいにぷらんぷらんしている。男は泣くも両腕が使えないのでその場で留まる事しか出来ないでいる。

  
 「ご、ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・」

 「だから謝るなって言って――――」

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・」

 「・・・・・・・・」

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・」

 「・・・・・・・・」

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

 「・・・・・・・ちっ」


  舌打ちして義之はスクっと立ち上がる。男の謝罪が効いたのだろう。それ以上構う事は諦めたらしい。男の顔にも少し安諸の表情が宿る。

  義之は男の脇を通り過ぎようとして――――思いっきり膝を踏みつける。骨がまた外れる音。男は思いがけない痛みに悲鳴をあげた。


 「あぁああぁあああぁーーーっ!」

 「さっきから謝罪はいらねぇって、言ってんだろコラァ! 何回も何回も気持ちわりぃ声聞かせやがってっ! 舐めてんのかてめぇは!? ああ!?」

 「ひ、ひぃぃぃぃい!」
 
 「美夏と無理矢理キスしたお前の事をなんでオレが許すんだっ!? 頭沸いてるんじゃねぇかこの野郎っ!!」


  そう叫んで折った骨ををグリグリ捻る。泡を吹いて白目を剥く男。もうあの足は治らないだろう。骨が折れて神経が傷付いている所に更に追い打ちをかけた。

  義之はその男が気絶した後も折った場所を入念に何回も踏みつけた。右腕、左腕、右足をしつこいと思える程に何回も。その度に男の口から泡が噴き出る。
  
 
 「さて、次は――――だ」

 「ひっ・・・・・!」


  義之は呟いて私の方を見る。特に私だからと言って義之は手加減しないだろう。眼を見れば分かる。多分倒れている男達に対するように私を攻撃するだろう。

  怖い。私は元々気が強い方では無い。今にも泣き出しそうで何もかも夢だと思いたくなる。だけどこれは現実。夢では無かった。


 「――――なぁ、エリカ。一つ聞きたい事があるんだが、いいかな?」

 「な・・・・何かしら?」

 「なんでこんな真似をしでかした? お前がこんな事を企てた理由。一応聞いておいてやる」

 「理由・・・・そう、理由よっ! 私がこんな事をした理由はね、全部義之の為なのよっ!」

 「・・・・・・・・・はい?」

 「義之は私と付き合うべきなのに、なんだか知らないけどロボットと付き合ってるのなんて・・・・信じられる!? そんな馬鹿な事っ!?」

  
  そうだ。私はこんなにも義之の為にやっているのに全然義之は分かってくれない。恐怖が段々無くなり、代わりに苛立ちが噴き出してきた。

  今の義之は変だ。あんなロボットなんかに盲目的になっている。きっといいように騙されているんだ。私は前からそう思っていた。

  あの冷静で知的な義之が騙されるなんてありえない事だが・・・・義之だって人間だ。そういう事もあるのだろう。だが私の苛立ちは収まらない。


 「なんでっ!? なんで分かってくれないのっ!? ここまで、ここまで私は義之の為に頑張っているっていうのに・・・・・!」

 「・・・・・もういい。喋るな」

 「何よっ! 今の義之は絶対変よ! あんなガラクタにうつつを抜かすなんて――――」

 「――――――ッ!」

 「あ・・・・・」  


  私がそう言うと義之は私の襟を掴んで持ち上げる。顔はさっきまでの無表情と違い怒りに満ちている。私は悲しくなってしまった。

  義之は分かってくれない。ここまで私が想っているのにその気持ちを汲んでくれようともしてくれない。それがただただ悲しかった。


 「・・・・・何よ、殴るの?」

 「ああ。思いっきりブン殴るから覚悟しろよ」

 「――――ねぇ、義之」

 「あ・・・・・・」

 「今なら間に合うわよ。私の所に戻って来なさいな」

 「・・・・・・」


  私はあの義之が弱い眼をした。振り上げた拳がピタリと止まる。良かった、まだ効くんだコレ。

  まぁ当然の事。義之は私の言う事はなんだかんだで聞いてくれる。私の事が大事だから私の望みを何だって叶えようとしてくれる。

  そう考えて義之の顔を見る。あれ、なんだかおかしい。なんで笑ってるんだろう義之は。 


 「ぷっ・・・・くく・・・・やっぱりその眼をしたか、エリカ」

 「・・・・え? え?」

 「お前はいつだってその眼をしてきた。その度にオレは惑わされ美夏を傷付けてきた。だからこの状況、お前がその眼をするのを待っていた。
  その眼で見られたら今のオレはどうなるか試したくなった。お前の事をちゃんと振っ切れているか試したくなった」

 「ちょ、ちょっと義之―――――」

 「そしたら笑うぐらいに何とも思わなかった。あれだけオレが弱かったあの眼が全然クソみたく思えてきた。ああ、なんであんなに振り回されたんだろうなぁ。
  まぁどうでもいいか。じゃあな、エリカ。もう話す事さえ無いだろう」

 「え・・・・待っ―――――」 


  制止の言葉を投げかけようとして――――頭が弾け飛んだ。天枷さんの時とは比べ物にならないぐらいの一撃。

  そして分かってしまった。義之はもう私にニ度と振り向かないと。言葉を交わす事さえないだろうと。もう・・・・一緒になれないと。

  もう、義之を奪い去る方法なんて無くなってしまった。あの義之が弱い眼も通じない。そして天枷さんにしたこの行為が決定打になってしまった。



  

  ああ、なんだかんだで最初から理解していたのかもしれない。

  義之は私に振り向かない事を。私の傍に居てくれない事を。私と連れ添う事が出来ない事を。

  だから私はあんなに必死になっていたんだ。これだけ足掻けば義之は私の傍に居てくれる。私だけを見てくれる、と。



  だがそうは結局ならなかった。私はどこか諦めにも似た気持ちを抱きながら―――――意識を飛ばした。
























[13098] 22話(前編)
Name: 「」◆57507952 ID:c9479226
Date: 2010/01/01 03:13













 「ちょっとショック状態で眠ってるだけよ。安心しなさいな」

 「・・・・・そうですか。よかった」

 「それにしても私の可愛い美夏をこんな状態にするなんて――――許せないわね、そいつら」

 「ああ、それなら大丈夫です。少し痛い目を見てもらったんで」

 「・・・・・・やりすぎよ、バカ」


  椅子の上に座りコーヒーに口を付ける水越先生。というか馬鹿とはなんだ馬鹿とは。彼女を守ってやったというのにこの扱いはいかがなもんか。

  まぁ、少しやりすぎた感はあるが後悔はしていない。あのままではオレの怒りは収まらなかったし殺さないだけでも情がまだ残っているというものだ。

  オレは美夏が眠っているベットに腰掛けながらそう考える。しかし殺さなくてよかった。いくらオレでもまだ刑務所なんて行きたくはない。


  美夏―――あの事がショック状態で目をなかなか覚まさない。エリカを殴った後おもむろに美夏の方を向いたらグッタリとした姿が目に入った。

  無理もない、強姦されそうになりあまつさえオレの暴れた所を見たのだから。意識がブッ飛んでしまうのは仕方のない事だと思えた。

  美夏の髪を掻き上げる。オレと付き合ってからは美夏は大変な思いばかりしている。申し訳無さで心がいっぱいになった。


 「さっきから俺の事を無視してるのはもしかして愛情の裏返しなのか、桜内よ」

 「うるせー。もうお前が来た時にはすべて事が収まってたじゃねぇか」

 「それは仕方の無い事だ。これだけの広い学園スペースでお前らの事を見つけるのはどれだけ至難の事か。ぶっちゃけ結構早く着いたと思ったんだがね」

 「まぁ美夏を保健室まで運んでくれるの助けてくれたし匿名で救急車を呼んでくれたのもお前だ。程々感謝しているよ」

 「あれもこれも全ては非公式新聞部の為・・・・。桜内に恩を売っておけば何かと役に立つと思ってな」

 「は、言ってろよ」


  オレ一人で全部を処理したとなると色々時間が掛かっていただろう。しかし杉並が面倒な事をほとんどやってくれた。

  あのままあいつらを放りっぱなしにしていたら本当に死んじまってたからな。殺人罪で捕まるのはオレとしてもあまりうまくない。

  美夏の事で頭が一杯だったしその辺の事をやってくれた杉並には感謝していた。


 「で、義之君? これからどうするの?」

 「どうする・・・・とは?」

 「貴方が傷付けた生徒達の事よ。話を聞いてれば間違いなくその子達は後遺症か何か残っている筈。あなた、捕まるわよ」

 「んー・・・・正直その辺の事は心配していないんですよね」

 「どうして?」

 「強姦未遂の奴らがわざわざ事情を正直に話しますか? 自分達が女の子をレイプしようとしたら彼氏にボコられましたと。それも見た感じ
  小物っぽい奴らでしたし怖気づいて本当の事を話さないと思いますよ。噂が広まって学校に居られないとか心配しそうな顔してましたし」

 「・・・・そりゃあ一理あるかもしれないけど」

 「だから本当の事は話すとは思いませんね。大方変質者が乱入してきていきなり殴られたとかしょうもない理由でっち上げると思いますよ」


  あいつ等は特にぶっ飛んだ感じには見えなかった。頭のネジが外れてる程頭の悪い奴だったら正直に言うだろう。強姦しようと思ったら殴られましたと。

  それはそれでいい。多少面倒な事だが裁判沙汰になっても構いやしなかった。そうなってもオレは折れない自信があるし何年もやり続ける気力があった。

  ただそうなった場合クリアすべき問題が残っている。その問題は――――


 「そうはいかないと思うけどね。言いたくないけど・・・・美夏はロボットだし」

 「ふむ。先の事件でロボットを殺した―――いや、壊した事件があったのだが・・・・その時はただの器物破損の罪だけで済んでいた」

 「・・・・・」


  そう、問題はそこだ。頭に来る話だが美夏はロボット―――大した罪にならないのが世間様の見解だ。今のロボットに対する下馬評は低い。

  はっきり言って裁判になればオレの方が有罪になる確率の方が大きかった。器物破損に対してオレは相手に障害を残すであろう障害を与えた。

  しかし考えが無い訳では無い。オレには心強い味方がいるからな。


 「だからもし訴えでもされたら義之君は―――――」

 「大丈夫ですよ。もし何かあったらさくらさんに頼りますから」

 「え――――」

 「さくらさんは凄く人脈があるのでなんとかしてもらえるでしょう。警察とかに知り合いとかいるし、なんとかなりますよ」

 「ふむ。なかなか悪党的なやり口だが悪くは無いな。権力でもみ消す、か」

 「ああ。この島で一番金を持っているのもさくらさんだし長よりも権力があるのもさくらさんだ。それぐらいどうでもなる」

 「美夏にはあまり聞かせたく話ね。せっかく人間嫌いも治ってきたと思っていたのに」

 「安心して下さい。聞かせるつもりはありませんから」

 「――――ならいいわ。別に正義感ぶりたい訳ではないし」


  さくらさんの影響力はデカイ。さすがは歳の功・・・・と言っては怒られるがそういうものがあった。今までも散々御世話になっていたのでその力
 の大きさはよく知っているつもりでいる。

  利用するのみたいで気が引けるが美夏の為だ。オレが精一杯懇願すれば引き受けてくれるという思惑がある。少し良心が痛むがこの際は無視だ。

  もし駄目だったら―――桜の木の力を利用する。さくらさんが渋ったら音姉に頼む。それでも駄目ったらオレがやる。オレも一応血筋だしなんとか
 なるだろう。さくらさんの息子、みたいなものだしな。


 「桜内よ、なかなか悪い顔をしているな。そんなお前も魅力的だがな」

 「オレは元々悪人だ。最近は行儀よくしてるから勘違いする奴も多そうだけどな」

 「そうだったな。忘れていたよ、桜内が外道で美夏嬢の為だったら親だろうが子供だろうが笑って殺す人物だという事を、な」

 「・・・・そこまで言う事ねぇだろ」

 「まったく。美夏もこんな子のどこに惚れたのか・・・・」


  ブツブツ言いながら書類に向き直る水越先生。なんだよ、いい彼氏じゃねぇか。美夏の為にここまで体を張ったんだからよ。

  正直鼻の骨が折れてるのかと思うぐらい痛てぇし体だってギスギスしてるんだぞ。まぁ鼻以外は単に動き過ぎて痛いだけだけど。日頃から運動してないしね。

 
 「・・・・・うぅ」

 「お、やっと起きたか。もう夕方だぞ」

 「・・・・義之?」

 「ああ義之だ。まぁもうちょっと寝ておけ。何だったらここに泊まってもいいい」

 「何を勝手に言ってるのよ・・・・。そんな訳にもいかないでしょ」

 「あ、やっぱりですか」

 「もちろんよ。私が車で送っていくわ。それなら別にいいでしょ?」


  最もな話だ。正直このまま美夏を歩いて帰らせるのには少し抵抗があった。途中でまたブッ倒れたら目も当てられない。

  水越先生の腕の程は知らないが・・・・無理な運転はしないだろう。多分。


 「――――って、なんで美夏がこんな所にっ!」

 「あ、何やってんだよ。いきなり起きたら体にわりぃだろ」

 「そんな事は問題じゃないっ! いったいどうなったのだっ!? あの胸糞悪い不良とかムラサキとか――――」

 「全部片付けた。お前も見てたろ? オレがあいつらブッ倒す所を」

 「あ・・・・ああ、見てた。うっぷ、思い出したらなんだか気持ちが悪くなってきた・・・・」

 「刺激が強かったからな。あの光景を見て平然としてるヤツなんか隣のベットでくつろいでる男ぐらいだ」

 「ん――――おおっ!? 杉並、いつからそこに・・・・」

 「ずっと居たぞ、美夏嬢。いやぁしかし案外寝心地いいものだな。是非とも非公式新聞部のアジトにしたいものだ」

 「ちょっと、そんな訳の分からないモノの住処にしないでよ。ただでさえ貴方とか桜内君は目を付けられているのに・・・・」

 
  まぁごもっともな話だ。もしオレが水越先生の立場でもそう言うだろう。厄介事に巻き込むな、と。杉並もオレとは違った意味で目を付けられてるからなぁ。

  そんなこんなで美夏が少し回復するまで談笑していた。話の内容はほとんどオレの事。やれあの時の義之は怖かったやれ義之は酷い暴力者などどいった
 具合だ。誰の為にあそこまで怒ったんだっつーの。マジで泣くぞ。

  しかしこいつもオレに似て肝が据わってきたな。あの状況で男の唇噛み切りやがって。なかなか出来る事では無い。さすがはオレの彼女といったところか。


 「さて、私達はそろそろ帰るわよ。美夏も準備しなさいな」

 「ああ、分かった。今日は色々迷惑を掛けてしまったな、義之」

 「別に構わない。元々の原因はオレだ。むしろ謝るならオレの方だ、すまなかった」

 「あ、そんな頭下げなくても――――」

 「いいのよ。下げさせときなさいな。この子の女たらしが原因なんだから」

 「・・・・まぁ、そりゃあそうなんだが・・・・・」

 「まぁ恋愛事なんか元々ストレートに行かないように出来ていないからとやかく言わないけど・・・・もう二度と他の子にちょっかい出しちゃ駄目よ?」

 「・・・・はい」


  普段から言われている女たらしという言葉。言い訳が出来ないと思った。運よくオレが美夏を見つけたからいいものをもし見つけていなかったら
 想像したくない展開になっていっただろう。

  エリカが企てた先の一件。ちょっかいという言葉は引っ掛かる物があったが他人から見ればそう見えるのだろう。だから言い訳しない。オレがエリカ
 を突き離さなかったのが原因だし体も重ねてしまった。ちょっかい掛けたという言葉もそんなに間違いではないだろう。 

  ていうか女が周りに居過ぎなんだよ。オレの仲の良い男子なんか杉並ぐらいしかいねぇぞ。板橋とは仲がよかったみたいだがそんなに話してねぇしなぁ。
 彼女も作った事だし機会があったら話してみるか。意外と面白いヤツっぽいし。


 「じゃあ、行くわよ美夏」

 「了解だ。じゃあな義之。なんにしてもこのお礼は――――」

 「あ、ちょっと待て」

 「ん? なんだ」

 「ちょっとお前の口直し、な」

 「それってどういう――――」


  言い終える前にその口を塞いでやった。ビクッと震える美夏の体。だが抵抗はしない、オレを受け入れてくれた。

  どうせ杉並と先生ぐらいしかいないから構わないだろう。そりゃ茜とか由夢が居たら少しばかり気になってしまうがこの場にはいない。

  聞こえるのは美夏の鼻息と水越先生のため息だけだ。杉並は―――想像しなくても分かる。どうせ普通にオレ達のキスを見ているに違いない。


 「・・・・ぷはぁっ!」

 「口直し完了だな。ほら、さっさと帰ってゆっくり休んでおけ」

 「い、言いたい事が山ほどあるのだが・・・・」

 「いずれ聞くよ。じゃあ水越先生、鍵はオレが返しておくので美夏を無事に送り届けてください」

 「分かってるわよ。じゃあまたね、桜内君と杉並君」

 「うす」

 「ふふ、いずれまた・・・・」


  杉並の不敵な笑みを無視しつつ水越先生と美夏は出て行った。さて、オレ達もさっさと帰るか。もう日も落ちてきた頃だし。

  ていうかまたサボっちまったな。仕方が無い事とは言えサボりなのには変わりは無い。停学になったばかりだから行儀良い所見せないと駄目なのになぁ。


 「じゃあ、オレ達も帰るべ」

 「なんだ、オレにはキスは無しなのか」

 「・・・・アホか。お前がゲイだとは思わなかったぜ。確かにお前はその気がありそうだもんな」

 「そんなに怒るな、義之」

 「それは美夏の真似か? はっきり言って似てねぇよ。じゃあな、オレは一人で帰るわ」

 
  そう言って職員室に鍵を返しに行く。後ろからはいつもの笑い声で杉並が着いてくる。まぁ、結局コイツと帰る事になるんだが。

  色々くだらねぇ話とかしたい気分だったし美夏の礼もある。帰りに何か奢ってやるとでもするか。適当にコロッケあたりでいいだろう。

  そんなこんなでオレと杉並は下校した。どうでもいいことだがコイツはどうやらコロッケは嫌いらしい。代わりにケーキを奢るハメになった。

  そして一緒にケーキを選んでいると――――何やら女子がオレ達の事を見て噂していた。もうこのケーキ屋にはニ度と近付かねぇ・・・・。



























 


 「だから、そんなこんなでお詫びのケーキを買ってきました」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」


  突き刺さるの三者の視線。いくらオレでもキツイものがある。表情にはおくびにも出さないが思わず顔を背けたくなる様な視線だ。

  楽しい食事をしている時に由夢が目ざとくオレの隣に置いてあるケーキを見つけた。由夢は聞いた。「これ、どうしたの?」、と。

  だからオレは素直に答えを返した。「今日の騒ぎを丸く収めてくれるだろうさくらさん達にお礼をしたいから買った」といった感じで。

 
 「て、えぇぇぇぇっ!? 今日の騒ぎって弟君が起こしたのっ!?」

 「あんな残虐ファイト出来る奴がオレ以外に出来る奴がいたら怖いね」

 「な、なんでまた兄さんがあんなに暴れたの? 話を聞く限りじゃとても酷い怪我してるって聞いたよ。全員入院しなくちゃいけないって・・・・」

 「簡単だ。オレの彼女をレイプしようとした。だから全員ボコボコにした。それだけの話だ」

 「れ、れいぷ・・・・」


  その言葉に何か衝撃を覚えたらしく瞳をせわしなく動かしている音姉。まぁまさか自分の学校でそんな事が起きたのがショックなんだろう。

  由夢も同じようで少し挙動不振だ。自分の友達がそんな事態になっていたのだから当然だろう。人当たりの良い由夢なら尚更だと思った。

  さくらさんは・・・・何か考えている様だった。表情を窺っても何を考えてるか分からない。いつもさくらさんが考え事をしている時の顔だった。

 
 「でも・・・・それって正当防衛みたいなものですよね? 今回は御咎め無しで済むんです・・・・よね? 前みたく停学にならないですよね?」

 「さぁな。美夏はロボットだし旗色はハッキリ言って悪いだろう。過剰防衛の可能性も十分にある」

 「え? 美夏ちゃんてロボットだったの?」

 「ええ。さくらさんには言っていませんでしたが最新鋭のロボットらしいですよ。まぁロボットというには人間より人間らしいですが」

 「・・・・・だから天枷って――――」


  ブツブツ何かを呟きながらまた考え事を始めるさくらさん。オレとしてはもっと驚くもんだと思っていただけにその反応は意外だ。

  科学者のさくらさんならば尚更そう思う。未だかつてあんな精巧なロボットは見たことも無い筈だ。事実、水越先生もそういう事を言っていた。

  しばらくシーンとした雰囲気が流れる。誰もが何を言っていいか分からないと言った具合だ。そして、さくらさんが口を開いた。


 「・・・・要は義之君は私に圧力かけろ、と言いたい訳?」

 「ええ、頼まれてくれますか?」

 「お、弟くんっ!?」

 「兄さんっ!?」


  これだから頭のいい人は話が分かりやすくていい。無駄が無い。まぁ話の流れからいってそう言ってるようなものだしな。

  自分がもしかしたら刑務所に行くかもしれないというのにこの余裕な態度。そしてお礼と称してケーキなんかを買ってきている。

  さくらさん達が騒ぎを収めてくれるだろうと言った。その意味、ストレートに伝わったらしい。


 「駄目って言ったら、どうするの?」

 「断る理由が分かりません」

 「もしかして本気で言ってる? 義之君の事は大事に思っているし助けてあげたいけど、何でもかんでも手を貸すっていうのは違うと思うんだよね。
  義之君は罪になるような事をしたし事実、後遺症に残る傷を負った生徒もいる。その子達の親御さんの気持ちを押し潰せて言ってるようなモノな
  んだよ?」

 「ええ、知ってます。正直そんな屑の親の気持ちなんかどうでもいいと思ってますし何も感じません。だから押さえつけてくれませんか?」

 「・・・・・・・・やっぱり駄目だよ。少し反省しなさい」

 「さくらさん・・・・・」


  音姉が視線を送るも目を合わせようとしない。どうやら本気らしい。まぁここで「うん、任せてよ!」と言ったら常識を疑う所だったけどな。

  さくらさんの対応は正しい。オレが親であっても首根っこ掴んででも土下座させるなり停学何ヵ月でもして留年させるぐらいの勢いだったろう。

  それほどの事をオレはしでかしている。だが―――そんな気持ちはさらさら無かった。罪の自覚なんてものは無いし美夏をあの学園に一人にさせる
 訳にはいかなかった。ロボットという噂が広がった今、オレが居なければ駄目だと思っている。


 「そこをなんとかしてもらえませんか?」

 「さ、さくらさん? 圧力じゃなくても少し手助けぐらい――――」

 「音姫ちゃんは黙ってて」

 「・・・・・あう」

 「さくらさんの力を持ってすれば出来る筈です。色々な力を持っていますし。どうかこの通りです」

 「頭を下げても駄目だよ。残念だけど―――少し早い長い夏休みに入ってもらう事にするね」

 「兄さん・・・・」


  少し、甘くみていた部分があった。正直音姉も加わればそれなりに強引に押せると思っていた。さくらさんは音姉にも甘いしオレと攻めればイケると思っていた。

  しかしにべもなく断られてしまった音姉。取り付く間もない感じだ。どうしようか、オレは考えた。さくらさんを上手く説き伏せる手―――思い付いた。


 「どうしても、駄目ですか?」

 「駄目だよ。少し反省する事。聞けば授業も最近サボり気味らしいし・・・・少しはもうちょっと真面目に――――」

 「お願いします――――」



  母さん。



  言葉には出さず口の動きだけで言った。途端にさくらさんの体がビクッと震えて落ち着きを無くす。さっきまでの勢いはどこへやらだ。

  卑怯な手。十分に理解している。さくらさんが一人身で寂しい思いをしていたのも知っている。魔法を使ってまでも家族を欲していた気持ちも理解している。

  それを知っていてこの手を使った。さくらさんには悪いけど、これが一番効果があると思った。関係が捻じれるかもしれない。構わなかった。

  美夏を一人ぼっちにさせるのと比べたら――軽いものだ。そう思った。思い込もうとした。


 「・・・・それは、卑怯なんじゃ、ないかな?」

 「知っています。それを承知で言います。なんとか出来ませんか?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「あ、さくらさん!?」


  立ちあがるさくらさん。顔は俯き加減でその表情は窺う事が出来なかった。音姉も由夢もしどろもどろで言葉を掛けようとしているが結局何も
 言えないでいる。

  そんなさくらさんを見ていると辛い気分になるが今更だ。ここで変に言葉を掛けては元も子も無い。中途半端が一番いけないのだ。
  
  そして今を出て行こうとするさくらさん。扉に手を掛け―――こちらを見ないで言葉を発した。


 「・・・・・悪いようにはしないよ」

 「・・・はい、ありがとうございます」

 「さくら――――」

 
  扉が締められる。所在無さ気に挙げかけた手を下す由夢。またシーンとした雰囲気が流れた。オレは黙って食事を再開した。

  音姉達もオレに言葉を掛けようとしたが、自分達も食事を再開する。言葉を掛けないでくれという雰囲気を出しているから当り前だ。

  しばらく黙って食事をしていた―――が、重さに耐えきれなくなったのか由夢が喋り始めた。


 「そ、それにしてもこうやって三人で食事をするのも久しぶりだね、あ、あはは」

 「そ、そうだね~、弟君なかなか私達と食事してくれないし・・・・」

 「あんまり多人数で食事のは苦手なんだよ。昔から一人かさくらさんと二人で食事していたからな。もう習慣になってるんだよ」

 「え、昔はよく三人で食事――――」 

 「ああっ! この唐揚げ美味しいわよ由夢ちゃん! ほら、食べてみてっ!」

 「ちょ、こんなに多く食べれませんてば!」


  相変わらず誤魔化すの下手クソだよなぁ音姉は。根がオレと違って正直モノなんだろう。昔からそうだしこれからもこんな性格なんだろうなと思う。

  音姫のおかげで若干明るくなった食卓の雰囲気。どこかオレも安心した様な気分になる。どうやら知らずしらずの内に緊張していたらしい。

  オレから言いだし癖に情けねぇ。心のどこかではさくらさんには嫌われたくないと思っていた。ガキかよ、オレは。


 「あんまり食い過ぎるなよ。お前の場合いくら胸に栄養が行くと言っても限度があるからな。太るなよ」

 「な、なんてこと言うんですか! セクハラですよっ!?」

 「てめぇ相手にガキもクソもあるか。そういう言葉使えるのは茜ぐらいなもんだ。よく覚えておけ」

 「あーっ!! そうやって他の女の子と比べるなんて最低ですよ兄さんっ!」

 「も、もう由夢ちゃんっ! 落ち着いて!」


  まぁ、少し騒ぎ過ぎかな? 少しうざったいがたまにはいいだろう。そんな感じで夜の帳は段々下りていった。























 「じゃあねー弟くん」

 「ああ、またな」

 「ちゃんとさくらさんに謝るんだよ、兄さん?」

 「さくらさんに謝るという事はさっきの発言を撤回する事になる。生憎だが撤回するつもりはないよ」

 「・・・・う~ん」

 「お前がいくら頭を回しても無駄だよ。オレより頭悪そうだし」

 「な、なんですってっ!?」

 「ほーら、もう夜も遅いんだし騒がない。なんだかんだで弟君の事だからなんとかすると思うよ。ねぇ、弟君?」

 「さて、な」

 「またそんな事言って・・・・。じゃあお休み、弟君」

 「・・・・お休み、兄さん」

 「ああ、お休み」


  そう言って隣の家に戻る音姉達。やれやれ、オレに何を期待してるんだか。ろくでもない人間だと知っているのに期待されても困っちまう。

  まぁ、色々話し合いするつもりではいるけどよ。このまま放ったらかしにする訳にもいかない。オレはそう思って家に踵を返した。

  寒いし早く家の中に戻ろうとして、止まった。何やら視線を感じる。首を捻ってそちらの方向を見やる。音姉がこっちを見ていた。


 「・・・・・・」

 「――――わーってるっての。何回も言うんじゃねぇよ」


  オレのそんな言葉が聞こえたのかはしらないが少し安諸の表情になり今度こそ家に戻る音姉。バタンという扉を閉める音を聞いてオレも家に戻る。

  さくらさんの事頼んだよ、か。音姉にとっても大事な存在な事には変わりは無い。少しうざったい気もするがその気持ちは受け取って置く。


 「にしてもどーっすかなぁ。慰める訳でもないし・・・・まぁ部屋に行ったら何かしらのアクションはあるだろう」


  オレはそう身勝手な言葉を吐いてまず台所に向かいお茶の準備をする。少し話が長くなりそうだし喉を潤すモノが必要だと思った。

  そして御茶菓子も加えて盆に乗せさくらさんの部屋に向かう。感じる変な緊張感。さくらさんが話の途中で部屋に戻る事なんて今まで無かった。

  オレがさくらさんを利用する。初めての事だった。さくらさんにも十分それは伝わっていた。さくらさんは今どんな気持ちなのだろうか。

  怒っている、悲しんでいる、呆れている――――どれかの様な気もするがどれでも無い様な気がする。そんな事を考えながらオレは部屋をノックした。


 「さくらさーん、オレですけど・・・・」

 「・・・・・・」

 「入ってもいいですか?」

 「・・・・・・」

 「・・・・入りますよ」


  ふすまを開けて中に入る。さくらさんが好んでいる和風テイストの部屋が目に入ってきた。そういえばここにくるのも久しぶりだな。

  小さい頃はよく遊びに来ていうたような気はしていたが最近は滅多に来ていない。前の世界でもさくらさんが寝坊している時しか寄らなかった。

  さくらさん―――布団の上でちょこんと座っている。オレは少し迷ったが結局布団の脇に座りお茶菓子などを置いた。


 「さくらさ―――」

 「私ね、思うんだ。私利私欲の為に力を使っちゃいけないって」

 「・・・・ええ、そうですね」

 「なのに私は使った事があるんだ。力を」

 「・・・・・」

 「一度は枯れない木を使ってみんなに迷惑を掛けた事。今と同じように願わなくていい事が願っちゃってすごく大変だったんだ。
  まぁ、その件はなんとかなったんだけどね。でも結局は自分の為に力を使っちゃった事に変わりは無い。しばらくへこんじゃった
  なぁ・・・・にゃはは」

 「・・・・そんな事があったんですか」

 「義之君の生まれてくる前の話だからね。知らなくてもしょうがないよ。でね、そんな痛い目に合ったのにも関わらずにまた私は力を
  使っちゃったんだよね。義之君、もう知ってるよね?」

 「・・・・・はい」


  オレの存在、だろう。身寄りのいないさくらさんはオレを魔法の力で誕生させた。さくらさんが望んだ可能性の一つ、それがオレだった。

  自分だけが年老いていかないで周りに置いてけぼりにされる形になったさくらさん。家族が欲しいと思うのは仕方が無い事のように思える。

  少なくともオレなら平気でやる。論理なんてものは元々気にしない人間だ。だがさくらさんは少し悔いるような表情をしていた。


 「もちろん義之君を生んだのは後悔はしていない。家族の温かみさをすごく感じたし幸せだったように思う。ただ私は前にある子に言ったんだ。
  魔法を自分の欲ためだけに使っちゃいけないってね。でも私は自分でそんな事を言って置きながら正反対の事をしている。」

 「その子も、魔法使いなんですか?」

 「北欧のね。今は世界中旅をしているらしいけど・・・・どこにいるのやらって感じだね。まぁその話は今度ゆっくりしてあげるよ。
  それで話に戻るけど―――今回の件だってそれと同じ事だよね? 魔法じゃないけど権力という力。それを使うって事はさ」

 「かもしれないですね」

 「今の言葉を聞いて分かったよ。義之君は別に何とも思っていないって事を。そんなに美夏ちゃんの事を放っておきたくない?」


  バレていたか。まぁここまで必死になるのって案外少ないしなオレは。停学の時だって文句一つ言わなかったしいつだってオレはそうだった。

  ただ今回の場合は違う。今の状況で美夏を一人にはしたくない。ロボットという噂が広まった美夏は確実に怖い目に合わされるだろう。

  それはイジメだったりもする。今の時代は美夏が心地よく過ごせる風には出来ていない。悔しい事だが事実だった。


 「そうですね。さくらさんは知らないかもしれませんが美夏に対するみんなの態度が少しずつおかしくなってきています。世間にロボットが
  どう思われているかはさくらさんもご存じだと思いますが・・・・・」

 「・・・・いつの時代もみんなと違う存在は受け居られにくいって事だよね。イジメにあってるとか?」

 「あっていません。美夏にはどうやら頼もしい友人がいるそうなのでまだそういう事態にはなっていませんね」

 「まだ、か。確かにいまの世間体からすれば確実に弾かれるだろうね。もどかしい話かもしれないけど・・・・」

 「だからオレが傍に居てやらないと駄目なんです。だからさくらさん、お願いします」

 「・・・・・」


  再びオレはさくらさんに頭を下げた。答えは分かっている。さくらさんならイエスと言ううだろう。そうなるように仕向けたのだから。

  だからこの頭はオレなりの誠意の表れだ。無茶な事を言っている自覚はある。わざとさくらさんの情を誘っている。それに対しての土下座だった。

  さくらさんはしばらくオレのそんな様子を見ていたが、少しため息をついて口を開いた。


 「まぁ、途中から答えは決まっているんだけどね―――いいよ、なんとかしてあげる」

 「・・・・ありがとうございます」

 「ただし今回だけだからね。次にこんな騒ぎを起こした日には・・・・最悪勘当するかも」

 「承知しています」


  嘘だと分かる。オレがさくらさんから離れないように、さくらさんもオレから離れないだろう。確信があった。ただ一人の家族なのだから。

  ただそれだけ怒るという事はオレとしても勘弁してもらいたい所だ。さくらさんを好きで怒らせたくないし困らせたくも無い。世界は違えど
 母親なのだから。母親を利用する息子、か。やっぱりオレはろくでなしらしい。

  とりあえず話も一件落着し雰囲気が多少軟らくなる。そしてさくらさんはオレの横に置かれたお茶菓子に視線を送った。


 「あれ? お茶菓子持って来たんだ?」

 「え、ああ、話が長くなると思ったのでつい・・・・」

 「にゃはは、相変わらず用意がいいね。じゃあちょっとだけもらおうかな」

 「ええ、どうぞ」


  そう言ってお茶菓子に手をつけるさくらさん。オレは急須にお湯を注ぎお茶をついてあげた。そして二人してさっきご飯を食べたばかりだというのに
 バリバリと煎餅を齧る。

  しかし―――なんとかいい雰囲気になれたな。さくらさんとあのままの状態でいたくなんかなかったし取りあえずオレはホッと一安心した。

  二人談笑しながら世間話をする。そういえば二人でゆっくり話をする機会なんか無かったな様な気がする。最後にゆっくりしたのは夢の中だしなぁ。


 「義之君さ、やっぱり気にしてる?」

 「はい? 何をですか?」

 「息子なのに母ちゃんを利用しちゃったー・・・・なんてさ」

 「―――していないと言ったら嘘になります。けど、どの道ここまでやる予定でしたから後に引き返すなんて最初から考えてませんでしたよ」

 「・・・・・にゃはは。義之君はいつでもハッキリしてるね。意思がぶれないっていうかさぁ」

 「ブレまくりですよ。そのせいで美夏も泣かせてきましたし・・・・エリカにも酷い事をしました」

 「・・・・・病院にはエリカちゃんも行ったそうだけど、やっぱり関係あるんだ?」

 「ええ、そうですね・・・・元を正せばオレが原因なんですが、本当に許せない事をしたんで殴りました」

 「・・・・・そっか」


  少しシーンとなる部屋。大方さくらさんには色々勘付かれてはいたのだろう。エリカの家に泊まった事もオレの心が揺れていた事も何もかも。

  大概はエリカの家に泊まる時は友達の家に泊まると言っていた。笑える話だ、オレが友達の家に泊まる事なんて今まで無かったのにな。

  オレが友人の家に泊まる人物では無い事ぐらいさくらさんも知っている。美夏の家に行くというのなら素直に言うオレが名前も言わないのが決定的
 だろう。やましい事がありますよと言っているようなもんだ。


 「ごめんね、義之君。母親らしい事を何もしてやれないで・・・・」

 「それは関係ありません。恋愛事なんて結局当人達の問題です。オレがしっかりしてればこんな事件も起こらないで済んだ話ですし」

 「・・・・そうやって自分を責めるのはよくないなぁと思ったりするんだけど」

 「別に責めてはいません。正直に言っているだけです。もうちょっとうまくやれればよかったんですがね」

 「・・・・・・」

 「―――――ええと、さくらさん? 何をしてるんですか?」

 「うん? 頭を撫でてるの」

 「何故ですか?」

 「うーーーん・・・・なんとなく。義之君ちょっと最近色々気張りすぎなんじゃない? 目に隈も出来てるし・・・・自分を責めるのは分かるけど」

 「別に責めてなんか――――」

 「あ、ほら動かないで。せっかく久しぶりに撫でてるんだから・・・・」

 「・・・・・・」


  さくらさんの小さな手がオレの頭を撫でる。なんだか―――懐かしい感触に包まれた気がする。確かに小さい頃はこうやって撫でられた記憶もあるが。

  それだってオレが幼稚園に通っている時の事だ。もうそんな歳でもないし子供でもない。しかしさくらさんは一向にオレを撫でるのを止めないようだ。

  オレは視線を逸らし明後日の方向を向いた。さくらさんの少し笑った様な声がする。気恥ずかしい気持ち、見抜かれていた。


 「こうやって義之君を撫でるのも久しぶりかぁ・・・・。前の義之君もなかなかさせてくれなかったし今の義之君なんて絶対させてくれないよね。
  いつも尖っちゃってカッコつけちゃったりしてさぁ」

 「いや、別にカッコつけたりしてなんか・・・・」

 「私にはそういう風に見えるの! まったく素直じゃないんだからねぇ」

 「・・・・・すいませんね。捻くれていて」

 「にゃははは、そんなにスネないの。あ、そうだ義之君? ちょっといいかな?」

 「はい、なんでしょうか?」

 「ちょっと抱っこしてもらっていい?」

 「えっ?」

 「別にいいでしょ~。そういう気分なんだからさぁ。義之君の無理なお願い聞いてあげるんだからこれぐらいいいでしょ~?」

 「・・・・分かりましたよ。じゃあちょっと失礼して」

 「うん!」


  そう言われては断れる筈も無い。オレはさくらさんの背中に回り込んだ。いつも見てる背中がそこにはある。小さい頃からずっと見ていたあの背中が。

  こんな小さい背中で今まで頑張ってきたのか、そう思う。一人でずっと生きてきて苦しい事もあったのだろう。それでもずっとこの人は頑張ってきた。
 そんな人が我慢出来なくて桜の木に願ったのはオレの存在―――少し申し訳なく思った。前のオレの存在を消した事を。

  少しは気にしていた。みんなが求めていたオレはいなくなり、代わりに最低のオレがこの世界に来ちまった事を。だがもう過ぎた事で―――――


 「んにゃ? どうしたの義之くん?」

 「え?」

 「ボケっとしちゃってさぁー。それとも恥ずかしくなっちゃったとか?」 

 「そういう訳じゃないんですが・・・・さくらさんの背中って結構小さいんだなぁと思っちゃいました」

 「ううー・・・・。案外気にしてるんだよ、背が小さい事を」

 「あ、すいません・・・・それもそんなつもりで言ったんじゃ―――」 

 「・・・・ふふ、冗談だよ。早く抱っこしてちょうだいよぉ」

 「わ、分かりましたよ。じゃあいきますよ」

 「―――うん」


  おそるおそるさくらさんの背中に手を回し、抱いた。鼻孔に感じるさくらさんの甘い香り。柔らかい体。それらが全て何か愛おしく思えた。

  さくらさんは、なされるがままといった感じだ。オレも何も言われないのでその体制を維持する。離れようとは特に思わなかった。

  乳離れの出来ないガキじゃあるまいし。そんな事を思いながらも体はさくらさんから離れなかった。


 「なんかこうしてもらってると・・・・落ち着くねぇ」

 「はは、こんなオレでよければこれぐらいお安い御用ですよ」

 「そんな事ないって。すごく心地いいよ。美夏ちゃんはいいなぁ、毎日こんな事をしてもらってるんでしょう?」

 「・・・・あいつの場合、気恥ずかしい性格なのでなかなかさせてもらえないですけどね」

 「あーそうなのかぁ。別に恥ずかしがらなくていいのにねぇ・・・・恋人同士なんだし」

 「恋人同士だからどこか気恥ずかしいのでしょう。照れ屋なんですよ、アイツ」

 「いいなぁー初々しいカップルって感じで。私も義之君みたいな男性が欲しいなぁ」

 「止めておいたほうがいいですよ、こんなロクでもない男。さくらさんならもっとちゃんとした――――」

 「あ・・・・」

 「ん? どうかしたんですか?」

 「あ、あはは。なんでもないよ、うん」

 「・・・・そうっすか」


  オレが話しているとビクッと体を震わせるさくらさん。どうかしたのかと聞いても何でも無いと言う、オレは少しばかり怪訝な顔をした。

  見れば耳が真っ赤になっていて―――ああ、そうか。どうやらオレの息が耳を刺激したらしい。これだけ近い距離だ。事故みたいなもんだ。

  しかしそんなさくらさんの様子を見ていると、こう、なんというか、もっとイジめてみたいという衝動に―――――


 「義之君、何か変な事を考えてない?」

 「・・・・・・・・・別にそんな事無いっすよ」

 「はぁぁ・・・・。義之君は誰かさんに似ていじめっ子っぽい性格をしているんだから」

 「誰ですか?」

 「―――ふっふっふ、秘密だよ。強いて言えば私の気になってた男性かなぁ?」

 「・・・・・・・」

 「あ、ヤキモチ焼いちゃったぁ? なんだ、案外かわいい所―――」


  思わず、抱きしめる手に力を入れてしまう。あ、と声を漏らすさくらさん。少し戸惑う様子が見て取れた。

  さくらさんの気になる男性。気にならない筈が無い。駄々っ子にも似た思いが心に溢れた。失笑したくなるような情けない心。

  本当に乳離れ出来ていないのかよ、オレは。

  
 「よ、義之くん? ちょっと力が強いんじゃない、かな?」

 「・・・・でもさくらさん、気持ちよくないですか?」

 「そ、そりゃあ・・・・ちょっとはね」

 「ならいいじゃないですか。減るモンじゃないですし」

 「で、でもちょっと恥ずかしい様な気がす―――んんっ!」


  言い終える前に耳に息を吹きかけてやる。甘い声を漏らして呻くさくらさん。オレとしては止めるつもりはなかった。

  さくらさんの気になってた人物か。さぞやとても人格者なんだろうな。オレよりしっかりしてて頭もよくて要領もいいのだろう。

  なんか―――面白くねぇな。


 「誰なんですか? その気になってた相手って」

 「こ、こんな意地悪する義之君には教えてあげないよっ! もう離して―――って、ひゃあ!」

 「教えて下さいよ。気になるじゃないですか」

 「う、うみゅー・・・・」


  また息を吹きかける。少しさくらさんの体がクテッとする。そんな姿がまたイジらしく感じてしまい強く抱いたまま頭を撫でる。

  別にさっきの意趣返しなどでは無く純粋に撫でたいから撫でた。さくらさんも気持ちよさそうに体を預けてきてるし嫌がってはいない。

  オレの胸にすっぽり収まっているさくらさん。美夏と変わらないサイズだった。


 「・・・・なんだか慣れてるね、義之くん」

 「え、そうですかね?」

 「うん。なんだか抱き慣れてるって感じかな。すこーーし複雑な気分だよ、自分の息子が女慣れしてるってね」

 「・・・・さくらさんも抱かれ慣れてるって感じがしますけどね」

 「あ、あわわっ! うそ、そんな感じする?」

 「はは、嘘ですよ。でも抱き心地はいいです。もっと抱きしめたいぐらいに」

 「そ、そう?」

 「はい」


  そう返事してさらに力を入れ直す為に手を緩める。そして再び手を脇に入れ直して―――腕に軟かい感触がした。

  今までで一番大きく体を震わせるさくらさん。甘いため息が漏れる。ハッとした感じで顔を俯かせた。

  やべぇ、胸触っちゃったよ。母とはいえ少し悪戯が過ぎた。殺されるかもしんねぇ。


 「あ、すいませんっ!」

 「・・・・・・」

 「決してワザとじゃないんで・・・・ええ、ワザとではないです。だからここは穏便に・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・さくらさん?」


  黙っているさくらさん。少し怪訝に思ってると―――後ろ向きに頭突きをされた。思わず手を離してしまう。

  その隙にオレの胸から脱出して立ちあがるさくらさん。オレを見降ろす目、羞恥と怒りに満ちていた。


 「そ、そ、そういう事をするから勘違いしちゃう女性も出てくるんでしょうっ!?」

 「・・・・いてぇ」

 「頭突きをしたんだから当たり前っ! ほら、もう出ていってよ」

 「・・・・・少し感じてた癖に」

 「な――――――」   


  更に羞恥と怒りで顔を朱色にする。そして忙しい様子で枕を持った。ああ、大体予想が着いた。

  手に持った枕を天高く振りあげ―――オレに振りおろしてきた、何回も。


 「い、いてててっ! マジいてぇってっ! ちょ、さくらさんっ!」

 「うにゃああーーーー!」

 「あ、頭を集中的に殴らないでくださいっ!」

 「ふぅ、ふぅ、も、もう出ていきなさいっ!」

 「あ―――」


  背中を押しだされて廊下に追いやられた。オレはさくらさんに弁解しようとして振り返り―――ふすまがピシャンと締められる。

  その場に立ち尽くすオレ。これはもう何言っても無駄だろう。頭を掻きながらオレはその場を後にした。

  最後の最後で怒らせちまった。何やってんだか・・・・。


 「一応話の決着はつけたけど・・・・こりゃあ機嫌直るのは相当かかりそうだ」


  怒ったさくらさんの怒りは中々収まらない。常に食事はさくらさんの好きな物を用意するのは当り前だし、風呂、掃除、洗濯も当り前だ。

  しばらくはそういう生活が続くだろう。意外と全部こなすのは大変な作業だ。知らず知らずの内にため息が漏れるのは仕方のない事だと思う。

  まぁ―――頼み込んだ件のお礼と考えればいいか。そう前向きに考えたオレは早速台所に向かう。材料、これで足りるかなぁ。
























[13098] 22話(中編)
Name: 「」◆57507952 ID:c9479226
Date: 2010/02/11 17:16








 「もうすぐで付属も卒業か。案外あっけないもんだな」

 「ちゃんと本校行っても真面目にしてるんだぞ。お前はやれば出来るんだから」

 「まぁな。オレは褒めたら伸びるタイプだし」

 「――――どこがだ。そのまま調子に乗って人を見下すタイプだろうに・・・・」

 「なんだ、分かってるじゃねぇか。だったら思ってもいない事を言うのはよしたほうがいい。お世辞なんてのは世渡りが上手いヤツか
  悪どい事を考えてる奴がするもんだ」

 「むぅ・・・・」


  考え込むように呻く美夏。あんまり好きじゃねぇんだよなお世辞って。下手な奴の場合、無理してる感がバンバン伝わるので好きじゃない。

  そう考えながらオレと美夏は学校へと続く道を歩いていた。しかし最近は暖かくなってきていい感じだな、久しぶりに今週の末にでも美夏と出かける事にしよう。

  最近はバイトが忙しいもんでなかなかそういう機会があったもんじゃない。水越先生もイベールも頑張っているので弱音は吐いていないが・・・・。


 「・・・・・」

 「ん、どうしたよ美夏」

 「あ、いや・・・・・なんだか視線が突き刺さるなぁって」

 「ん~?」


  オレが周りを見回すと登校中の皆が顔を背ける。バレバレだっての。てめぇら本当に隠す気あるのかよと問いかけたくなる。

  注目の的はオレ―――では無く美夏の方に視線が集まっていた。思わずため息をつきたくなる。ロボットという噂、確実に広まっているみたいだ。


 「どうせみんな彼氏・彼女いない奴らばかりなんだろうよ。まったく、僻みって嫌だねぇ」

 「む、そうなのか?」

 「ああ。そうだ。こんな季節に女と歩いていないヤツはとても虚しいと思うね。その点オレは完璧だ。こんな可愛い彼女がいるんだから」

 「か、可愛いか・・・・よくお前はそんな事を言っているが―――慣れないな・・・・」

 「慣れなくていい。恥ずかしそうに俯く可愛いお前が見れなくなる。オレの為に慣れる事はねぇよ」

 「お前の為、か。いつだってお前はオレ様気取りで敵わん。少しは相手の事を思いやる気持ちが必要だと美夏は思うぞ」

 「少なくともオレの近しい連中には愛想はよくしているよ。それだけで十分だ」

 「・・・・主に女に、だろ」

 「男の友達がいねぇんだよ。なんでか知らんがオレの周りは全員女ばっかだ。たまに窮屈になる。お前も周り男ばっかだったら嬉しいよりも
  窮屈だろ?」

 「まぁ・・・・そうかもしれんが・・・・」

 「要はそういう事だ。前までは人なんか近づけたくなかったが今は馬鹿な奴が欲しいな。杉並もアレはアレで馬鹿だがどこか合理的な考えを
  している時がある。何も考えてないでその場のノリを大事にするヤツ、そして芯が有りそうなヤツ、そんな野郎が欲しい」

 「その野郎に選ばれた男子は可哀想に・・・・」


  そう言ってほくそ笑む美夏。失礼な奴だ。オレといればもれなく周りの女子を紹介するプレゼント付きだぞ。それもみんな美人か可愛いヤツばっか。

  オレだったら乗るね。オレぐらいの歳頃だったらそう思うだろう。しかし―――茜を選んだ場合、オレのチェックを通らない限り手は出させない。

  一応親友的な立ち位置にいるヤツだし、いい加減な態度を取るようだったら殺してやる。由夢の場合は―――なんでもいい。早く良い彼氏を兄貴に紹介
 させてくれ。金持ちだったら尚更大歓迎だ。


 「何を考えてるんだ、お前は」

 「ん、なんの事だよ?」

 「お前がそういう顔をしている時はロクでもない事を考えてる時だ。あんな騒ぎを起こしたばかりだというのに・・・・少しは自重しろ」

 「なんだロクでもない事とは。茜や由夢にも良い彼氏が出来ないか心配してたんだよ。付けくわえると金持ちだな」

 「なんで金持ちなんだ?」

 「親友の彼氏や妹の彼氏っていうとオレとも友好関係が出来上がる訳だ。その場合何か奢ってもらえる可能性がある。特に由夢の場合は
  お義兄さんと呼ばれ何かとオレが得する場合があるからな。オレもタカれるきっかけが作りやすい」

 「・・・・やっぱりろくでもない事を考えてたんじゃないか。そんな事ばかりしていると由夢に嫌われるぞ」

 「それぐらいでちょうどいいんだよ。アイツはオレの事が好き過ぎるからな。少しはマトモな恋愛を――――あ?」


  肩を叩かれ振り返る。目に入ったのは笑顔。だがそれは偽りの笑顔であるとすぐ分かった。だってこめかみに青筋立ててるしな。

  怒り度75度って所か。なかなか迫力のある顔がすぐそこにある。面倒だな。さくらさんの次くらいにコイツをいなすのは難しい。


 「何の話をしていたんですか、兄さん?」

 「妹も歪んだ恋愛観について。昨今は不景気でどうも人の心が貧しくなる。これはいけない事だと思い、美夏と早急に会議をしている所だ」

 「だれが、歪んだ、恋愛観ですかぁぁぁぁ~!」

 「てめぇだよ。あのキスマーク中々消えなかったんだぞ。まったく、しょうもねぇ跡を――――」

 「あわわわっ! ちょ、ちょっと兄さん! いきなりなんて事を言いだすんですかっ!?」

 「事実だろ? あと美夏の事は気にしなくていい。もう知ってるから」

 「え――――」


  そう言うと由夢の体が銅像のように硬直する。無理も無い。友達の彼氏に唾を掛けた形になってしまったのだから。

  由夢が美夏の顔を窺う。そしてゆっくりと美夏はその視線に目を合わせ―――ため息を吐いた。別に怒っている様子などは見受けられない。

  少しばかり由夢は混乱するように「え、え、アレ?」と言っている。多分怒鳴られると思ったんだろうな。このビビりめ。


 「はぁー・・・・」

 「て、天枷さん?」

 「別に怒ってはいない。義之のモテっぷりというかタラシぶりというかなんというか・・・・それに慣れている。別に慣れたくないはないいんだが
  慣れてしまった」

 「・・・・と言いますと?」

 「その度に私は不安に心がいっぱいになった。もしかしたら義之は他の女の所に行ってしまうのかもしれない、そう考えていた。
  由夢は知らないだろうがもう一人義之の事を好きな女が居た。私以上に好きなのではないかと思わせる程義之にアプローチを
  掛けていた女が居た」

 「・・・・・続けて下さい」

 「うむ。そしてあろうことか義之もそんな女の事を好きときたもんだ。これには参ってしまった。これじゃあ美夏の負けではないかと。
  そいつは見た目綺麗だし金持ちだし器量もよさそうだった。万が一にも勝ち目はなかった」

 「そんな事は――――」

 「あったんだよ。でも義之は私の所に戻ってきてくれた。あのままその女と幸せになる事も出来たしそうなるような流れだった。しかし義之は
  全部切り捨てて私の所に来てくれた。その時に思ったんだが・・・・やっぱり義之は私の事を愛してくれると感じた。はは、美夏は単純だか 
  らなぁ。もう諦めかけてたのにやっぱりとか思ってしまったのだ」

 「それほど美夏に愛情を注いできたって訳だ。まぁ、その戻る最中にも色々葛藤はしていたんだが・・・・心の底は美夏の事でいっぱいだった」

 「口ばっかり上手い奴だ。まぁ、それを信じる美夏も美夏なんだがな。結局あの大きな騒ぎが美夏の繋ぎを強くしたのだろうな。雨振って地固まる
  というわけだ。だから今更キスの一つや何やらされたぐらいでは動じん」

 「いい彼女だろ、由夢? 寛容深くて心が広くて最高だ」

 「だがその行為を認めた訳ではないぞ! お前の場合砂場に磁石を落とした様に次から次へと女が集まってくる。なんなんだアレは!?
  お前の前世はなんなのだ!? あれか、アラブでハーレムを作っている石油王か!」

 「だったら金が回ってきても良さそうだな。オレには結婚を考えている相手がいるし愛人も作る気は無い。愛してるよ、美夏」

 「だ、だからそんな事を平気で言うなというに・・・・」

 「・・・・・・」


  照れている美夏の頭を撫でる。由夢はそんなどこか嬉しがっている美夏の様子をぼんやり見ていた。

  どこか遠い眼をしている由夢。友達が自分の考えと全然違う事に少しショックを受けているのだろう。こいつの場合なんか嫉妬深そうだし
 独占欲もありそうだ。とてもじゃないが理解できないだろう。

  そして美夏は口を開いて由夢に話し掛ける


 「だから由夢。そんな事を気にしないで美夏と仲良くしてほしい」

 「・・・・・・」

 「あ、嫌ならいいんだぞ? 美夏はどこか世間とズレている所があるからな。そんな奴と居たって楽しくないだろうし・・・・」

 「・・・・・・」

 「ゆ、由夢?」


  美夏が由夢の顔を窺う。そして目が驚きの感情に彩られる。由夢は、涙を流していた。オレも少しばかり動揺してしまった。

  今の流れでどこか泣く場面があったか? もしかしてまだオレの事を諦めきれなくて―――違う、まだ心にわだかまりは残っているかも
 しれないが由夢は諦めてくれた筈だ。最後に見た顔は晴れ晴れしていたし、しょうがないっかという風だった。

  オレ達が怪訝に思っていると、ある程度気を落ち着かせた由夢が言葉を紡ぎ出す。


 「わ、私・・・・天枷さんを裏切るような事をしたのに・・・グス、そんな言葉を掛けて貰えると思って無くて・・・・」

 「あ、いや、そんな事はないぞ! そもそも義之がちゃんとしてればこんな事になんなかったんだっ!」

 「・・・・事実だけど言われるとキツイわー」

 「う、うるさい! だから何も由夢はそんな悲しい思いをしなくていいんだ。義之の事を本当に好きだったんだろ?」

 「・・・・・・・はい」

 「だったらそれはしょうがない。だからこの話はもう終わりだ。義之から聞いてるが由夢は私の事を色々気に掛けているのだろう?
  最近昼食を一緒に出来ないから心配していたんだが、私の為に色々生徒会の手伝いをしているらしいじゃないか。こんなろくでも
  ないロボットの為にしてくれる事なんて無いのに」

 「そ、そんなことは・・・・無いです。兄さんの言ってた通り・・・・本当にいい『人』です・・・・グス・・・」

 「そう思ってくれる人は貴重だ。だから由夢、これから私とも仲良くしてほしい」

 「・・・・・はい、是非」


  そう言ってお互い微笑み合う。みんなロボットだからと言って遠ざけるような態度を取っているが、オレの妹だけあって中々の人格者だと思う。

  普通は関わらない。そんな奴と絡んだら自分まで除け者になってしまう。人間誰しもそんな恐怖感にも似た感情を抱くだろう。別にそれは普通だと思う。

  だがこんな二人を見ているとそんな事は間違いだと思わせられる。だってこんな風に仲良く出来るのに皆しないだけだ。こんなにも美夏は良いヤツなのに
 知ろうともしない。少し歯痒い気持ちになる。


 「ほら、レズってねぇで早くいくぞ。かったりぃ」

 「だ、だれがレズだ! じゃあお前と杉並の事もホモと呼ぶぞっ!」

 「勘弁しろよ・・・・ただでさえなんか出来てると噂されてんだからよ・・・・」

 「あ、私のクラスもそんな話をしてる子居ましたよ。なんでもあの怖い桜内先輩が気を許している友人が杉並さんだけというのは、なんだか怪しいと」

 「女子はすぐにそんな妄想を働かせるな。いい加減にしてほしいぜ、まったく」

 「これに懲りたらそんな軽々しい事を言うもんじゃない。なぁ、由夢」

 「ねぇ、天枷さん」

 「・・・・かったりぃ」

 「あ、こらっ!」

 「ちょ、ちょっと待ってよ、兄さん!」


  オレは一人で歩きだす。その後ろを美夏達が追いかけてきた。そして聞こえてくる含み笑いの声。むかつく。

  弄られんのは好きじゃねぇんだよ。キャラじゃねぇし―――勘弁してほしい所だ。茜と違ってMっ気ある訳じゃあるめぇし。

  でもまぁ、後ろから聞こえてくる美夏と由夢の会話を聞いてると少しホッとした。心許せる友人が増えていってる。

  みんなが美夏を弾きだそうとしているそんな中、逆に美夏を守ろうとしている人達が増えてきていた。

  ギュっと拳を握る。絶対美夏を傍に居させてやる。そんな連中なんかオレが弾き飛ばしてやる。そう決心を再びオレは固くした。






























  


 「・・・・ちっ」

 「ん~? どぉしたの義之くん~?

 「・・・・なんでもねぇよ。それよりも茜、一つお願いがあるんだが・・・・いいか?」

 「はいはぁ~い! 義之君の頼み事なら何でもオッケーだよぉ~ん!」

 「はは、別に大した事じゃねぇよ。シャーペンと消しゴム貸してくれねぇかな?」

 「あれれ~? 忘れてきちゃったのぉ?」

 「ああ。昨日珍しく教科書開いて勉強してたらそのまま筆箱忘れちまってよ。やっぱり慣れない事をするもんじゃないな」

 「あはは、義之君らしいったら義之君らしいけどねぇ。はい、どうぞ」

 「サンキューな、茜」


  シャーペンと消しゴムを受け取る。本当は忘れてきた訳じゃない。鞄なんかいつも学校に置きっぱなしだし忘れる以前の問題だった。

  ならどうしてオレの筆箱が無いのか。荒らされたように鞄の中が乱雑していたのか。ため息をついて鞄の中に入っていた紙を見やる。

  『ロボットなんかと仲良くしてんじゃねぇよクズ』と書かれた紙。まるで小学生の悪戯書きだ。いや、それ以下かもしれない。


 「最近の小学生の悪戯も凝ってるからなぁ。鞄の中を墨汁で滅茶苦茶にしたりコンドームをたくさん入れたりしてるし」

 「何を一人ブツブツ言っているの、義之」

 「なんでもねぇよ。雪村はいつも見ても可愛いなぁって言ってただけだ」

 「あら、ありがとう。でも彼女持ちの男の人にそう言われても微妙ね」

 「褒めてるんだからありがたく受け取れよ。最近の若いヤツは捻くれている。もっと人の好意は素直に受けとった方が可愛気があるぜ?」

 「そっくりそのままその言葉を貴方に返すわ。美夏や杉並、茜以外ともう少し仲良くした方がいいわよ。例えば・・・・小恋とか、ね」

 「ひゃっ! あ、あたし?」


  斜め前に座っていた小恋が挙動不審気味に振り返る。ていうか聞いてたのかよ。オレは少し呆れたため息をつく。

  おそらく会話に入るチャンスを窺っていたのだろう。別に気なんか使わなくていいのに、難儀な性格だ。


 「あ、あはは・・・・よ、義之?」

 「なんだよ」

 「さ、最近は暖かい日が続いてるけど・・・・風邪とか引いてない?」

 「なんでお前と縁側に座ってる爺さんと婆さんの会話しなくちゃいけないんだ・・・・もっと実のある会話をしろよ」

 「ご、ごめんなさい・・・・」

 「そんなに小恋ちゃんを苛めちゃだめよぉ、義之君。そんなんじゃあ友達出来ないぞぉ~?」

 「それは困るな。最近男友達が少ない事に気がついてよぉ、たまには馬鹿やれる奴が欲しいんだわ」

 「義之の周りって女しか居ないものね。いいじゃない、ハーレムで」

 「女ばかりだと色々窮屈なんだよ。別にラブコメしたい訳じゃねぇんだから数はいらねぇって。いや、マジで」

 「義之君とラブコメねぇ。それもいいんじゃない。何時までも尖ってるの飽きたでしょ~? この機会に路線変更でもしてみたら~?」

 「勘弁してくれ・・・・」


  オレがみんなとバタバタしながら日常生活する。バカみたいな妄想だ。とてもじゃないがエリカ、茜、由夢の件があったせいでそんな事は考え付かない。

  この短期間ながら恋愛に関する色々な問題に直面した。彼女以外を好きになってしまった事、彼女以外の女がオレを好きになってしまった事。

  もうそんなのは懲り懲りだ。せっかく手に入れた幸せ。それをむざむざ離したくない。


 「もういいから前を向けよ」

 「何よぉ、冷たいわね。私も義之君とラブコメしてみたいのにぃ」

 「マジで言ってるのか? オレはもうそんな事をする元気が残っていないんだよ。本当に疲れちまった」

 「あ、茜・・・・なんだか義之も本当に疲れてるみたいだしさ。そろそろ先生も来る頃だし・・・・もうその辺にしといた方がいいよ」

 「・・・・はぁい。まったくもう、小恋ちゃんはいつも真面目なフリをするんだから・・・・エロエロの癖に」

 「え、エロエロじゃないもんっ!」

 「ふふ、今更否定しても遅いわよ。もう小恋がエロエロなのは周知の事実なんだから。義之もそう思うわよね?」

 「・・・・まぁ、一人前に胸は大きいけどな」

 「―――――ッ!」


  オレがそう言うと咄嗟に胸を隠す小恋。顔は朱色に染まり一丁前に恥ずかしがっている。いつまでもガキじゃねぇんだからこれぐらいで恥ずかしがるなよな。

  しかし―――本当に胸が大きいな。あの茜に負けずと劣らずのボリューム。なかなか見事なもんだ。何気に美夏には無いその大きさには惹かれるものがあった。

  別に体目的で付き合ってる訳ではないので胸が全てだとは言わないが、それでも無いよりはあったほうがいい、と思う。


 「ふふ、義之もそんなに餓えるような目線で見なくていいのに」

 「も、もう義之っ! えっちなのは駄目なんだからねっ!」

 「・・・・うっせ」

 「ふっふっふ。なんだかラブコメみたいな展開になってきたわねぇ。どう、義之君? 私の胸も好きなだけ見ていいのよぉ?」

 「こ、こらっ! 茜!」

 「――――触らせてくれるってなら話は別だけどな。ガキじゃねぇんだし見てるだけで満足はしねぇよ、そんな胸」

 「あら、言うわね。なんだったら・・・・触ってもいいのよぉ?」

 「あ、茜っ!」

 「オレが触れないって思って言ってるんだろうが・・・・舐めんなよ。別に好きなだけ揉みしだいてもいいんだぜ? そのでかパイ」

 「まぁ触ったら、天枷さんに言いつけてやるもんね」

 「・・・・かったりぃ。もう触る気なんて無くなっちまったよ」

 「相変わらず天枷さんの話題になると弱腰になるんだから、もう」


  呆れた様なため息をつく茜。最初からそんな事をいうなら触ってみるとか言うんじゃねぇよ。オレも本気では無かったし茜も本当に思って言った訳ではない。

  小恋もあっけなく終わった終わったオレ達の会話にきょとんとしていた。雪村は最初から分かっていたのだろう、もう次の授業の準備が終わっている。

  そして次の瞬間には先生が入ってきた。茜と小恋は慌てて前を向いて教科書等を急いで出す。オレもなんとか無事であった教科書を出した。

 
 「それでは出席を取るぞー。出席番号一番――――」 


  それにしても、と思う。まさかオレにまでこんな嫌がらせが来るとは思わなかった。これじゃ同じクラスの美夏の友達とか由夢にも同じ嫌がらせがくるだろう。

  どうやらオレが思っていた以上にロボットに対する確執は大きいようだ。マジでかったりぃ。そんな事をする暇があるならオレみたいに青春を送れよな、まったく。

  後で美夏の教室に行ってみるか。色々悪さをされてないか心配だし。オレはそう決めて先生の授業をいつも通りどうてもいい態度で聞いていた。




























 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「なんで葬式ムードかねぇ」


  せっかくの昼だというのになぜか暗い雰囲気で飯を食ってるオレ達。まぁ理由は分からんでもない。というかさっきの話が原因だろう。

  どうやら由夢にも同じ内容が書かれた紙が来ていたらしい。そしてあろうことかその紙を美夏とその親友に発見されてしまったという。

  なんでもお弁当を出す時にうっかりポロっと美夏の前に落としてしまったそうな。こんな時にドジ踏むなってぇの、まったく。


 「でも桜内先輩、さすがにまさかこんな事までやられるとは思っていませんでしたよ」

 「そうですね・・・・こんな卑屈な嫌がらせは初めて受けました。思い出した胸がむかむかしてきましたよ・・・」


  どうやら由夢はショックは受けていないみたいだ。さすがあの音姉の妹という所か。

  ショックよりも正義感の感情の方が上回っている。目も落ち込んだ様子は無い。ギラギラとした目をしていた。

  決して許さない。絶対犯人をふん捕まえてやる。そんな所だろう。さすが血が繋がっていないとはいえオレの妹ってとこだな。


 「すまない皆。美夏なんかと仲良くしているせいでこんな―――――」

 「そんな事ねぇってっ! 気にすんなよ、どうせこんな真似をする連中は腰抜けの阿呆共だ。その内私達生徒会が捕まえてきてやるから、な?」

 「そうですよ天枷さん。こんな卑屈な真似をする相手に負けてはいけません。いつもみたいな強気な態度を保ってなくちゃ・・・・」

 「・・・・はは、そうだな」


  そして苦笑いする美夏。恐らくなんの慰めにもなっていない。美夏的にはそんな事よりも自分の友人達が被害に合っている事の方が堪えているみたいだ。

  まぁこいつは元々人に気を遣う性格だ。自分なら大丈夫だが他の人が自分のせいで嫌な思いをしているのが我慢ならないのだろう。そういう奴だ。

  オレはとりあえず話の話題を変える為に少し気になった事を聞いてみた。


 「それにしても――――まさかお前が生徒会に入っているとはなぁ。意外だよ」

 「え、そうですか?」

 「ああ。人の為に頑張るとかそんなタイプでは無い様な気がするしな」

 「はは、ですよねぇ。まぁぶっちゃけ私そんな頭が良いタイプでは無いので、生徒会に入れば内申点上がると思って入りました。
  由夢ともそれ以来の付き合いですね」

 「ふぅん、そっか。実はオレも内申点のが欲しい所なんだよ。本校行ったら特にそういうものが必要になってくる。生徒会、入ろうかな」

 「え?」

 「えー・・・・」

 「・・・・・・」


  みんな様々な表情でオレの事を見る。本気で驚いた顔、呆れた表情の顔、また始まったよコイツはの顔。

  なんだよ、失礼な奴らだ。こう見えたってオレは品行方正がモットーな男なんだぜ。少なくとも委員会連中の奴らよりはマシだ。

  聞こえてくるため息。由夢が呆れた声でオレに話し掛けてくる。


 「兄さんが生徒会に入ったらヤクザの組みたくなりますよ。そんな所誰も入りたくありません」

 「少なくとも絶対逆らう奴が出なくなるぞ。みんな忠実で生徒会長の言う事を聞き、風紀が乱れない。素晴らしいじゃないか」

 「そりゃあ生徒会長になるであろう兄さんが絶対の暴君だからですよ。少なくとも私はそんなの嫌です。まだ学生らしい活動を行いたいん
  です。何が悲しくてそんなヤクザみたいな雰囲気なんかにさせなきゃいけないんですか・・・・」 

 「あ、あはは・・・・」

 「義之はたまに本気か嘘か分からない事を言うな。そういうのはよせ。みんなの誤解を招く」

 「オレはいつだって本気で物事を言ってるじゃねぇか。皆オレのキャラを誤解してるみたいだが本当は温厚な性格なんだぜ。何時も争いに
  巻き込まれてるせいかオレを鬼か悪魔かなんかと勘違いしてやがる。これは由々しき問題だ。人間関係を円滑にする事が出来ない。だか
  らせめてお前達だけでも分かってくれればと思っていたんだが・・・・どうやらそうではないみたいだ」
 
 「そんな悲しげに顔を伏せても駄目だぞ、義之。お前の場合は平気で嘘をつくからな。普通の一般人だったら騙されてる所だぞ」

 「それにすごい女たらしですもんねぇ。怖い顔してちょっと優しくすれば相手の子は騙されちゃうんだから。それにそうやって嘘をつくのも
  上手いし。将来詐欺師なんかにならないでくださいね。妹の私としては世間様に顔向け出来ない行為はしてほしくないですから」

 「・・・・はは。桜内先輩って本当にポーカーフェイスですよねぇ。私、すぐ感情が顔に出るんで羨ましいです」

 「・・・・・・」


  なんだよ。みんなオレの事を嘘つき野郎だと思っているのか。オレが嘘なんかついた事――――まぁ、過去は振り向くもんじゃない。将来の糧にするものだ。

  しかしこうやってみんなに信用されていないというのは傷付くな。美夏まで最近はオレの事を本当に嘘つき男と思っている。こんなにも好きなのにな。

  面白くねぇ。オレは学食をガツガツ食って席を立つ。


 「ごっそうさん。じゃあ、オレはもういくぜ」

 「ああっ! そ、そんなに怒る事は無いだろう! ちょっと待て!」

 「に、兄さんっ! ちょっと待って下さい!」

 「わ、私まだ食いかけなのに・・・・ええいっ! ダイエットだと思えば・・・・!」


  オレが立ちあがって行こうとすると美夏達も慌てて追いかけてきた。ていうか別にゆっくり食っててもいいのに。どうせ昼休みはいっぱいあるのだから。

  どっか人がいないところで煙草でも吸おうかなと思っていたがどうやらそれは叶わないようだ。あー飯食った後は本当に煙草が吸いたくなる。


 「なんだよ。別にゆっくりしててもよかったんだぞ」

 「そんな事出来る訳ないだろう。拗ねたお前を放って置くと後で面倒臭そうだからな」

 「別に拗ねちゃいねぇよ。オレはいつだって冷静だし素直だ。勘違いは止した方がいいぜ、美夏」

 「ほーら、そんなに怒らないの。どこかゆっくり出来る所でジュースでも飲みましょう?」

 「それならいい場所知ってますよ! この間生徒会の見周りで偶然見つけたんですが人が来ない、いい場所です」

 「んあ? どこだよそこ。校舎裏とかか?」

 「フフ、違いますよ。もう誰も使っていない部屋が付属校には一つあるんです。誰かが溜まり場にしてる様子も無いし部屋の日当たりもいい部屋なんですよ
  そこ。今度機会があったらそこでダベるのもいいかなと思ってたんでちょうどよかったです」

 「へぇ、そんな場所があったんだな」

 「ええ。興味、出てきました?」

 「・・・・まぁな。よし、んじゃ早速行ってみようぜ。あ、煙草とか吸っても見つからないよな?」

 「まぁ、一応人に見つかりにくい場所ではありますが・・・・」

 「よかった。早く煙草吸いたくてたまんねぇんだよ。さっさと行くぞ」

 「もう、兄さんてば・・・・」


  どうやら由夢もその他もオレの喫煙を咎めるヤツはいないようだ。三人の内二人は生徒会の人間だから何か言われるもんだとばかり思っていたが大丈夫らしい。

  もちろん何を言われたって禁煙するつもりなんてない。オレの唯一の楽しみだからな。禁煙なんてしても間違いなく二日と持たないだろう。自信がある。

  そして自動販売機の前に着くと格々が財布を取り出す。と、美夏がオレの肩を叩いてきた。


 「おい義之。なんかポケットから落ちたぞ」

 「ん?」

 
  そして美夏の手に握られているのは―――あの悪戯書きされている紙。

  オレはそれを引っ手繰るように奪う。唖然としている美夏。今これを見られる訳にはいかなかった。


 「中身、見たか?」

 「―――――いや、見ていないが。どうせお前の事だから保護者呼び出しの紙かなんだろう?」

 「ああ、そうだ。どうやらオレの素行の悪さが先生方に伝わったらしい。参っちまうよマジで」

 「ちゃんと先生に謝って下さいね。でないと妹である私が恥を掻くんですから」

 「分かった分かった、まったくうるせぇな。そんな事だと彼氏に嫌がられるぞ」

 「大丈夫です。兄さんと違ってちゃんとした人を彼氏にしますから」

 「オレと違って、か。あのお兄ちゃん大好きの由夢ちゃんの台詞とはとても思えないね。せいぜい真面目な七三分けの男でも連れて来てくれ」

 「・・・・い、嫌味ですか?」

 「別に。まぁだったら早く料理の一つでも上手くなれ。嫁の貰い手がいなくなるのは兄としても寂しい」

 「―――――ッ! 大きなお世話ですっ!」


  肩を震わせて叫ぶ由夢。オレは肩を竦めて美夏達の肩を抱きながら先に歩き出す。由夢は怒りながらもオレ達の後を付いてきた。

  手紙、捨てようとポケットの中に入れておいたのを忘れていた。自分の迂闊さに腹を立てる。運よく美夏がその内容を見なかったからいいものを
 見られたら美夏は自分を責めるだろう。そんなつまらない思いはさせたくなかった。

  いつかは気付くかもしれない。いつまでも隠し通せるとは思っていない。だが―――それでもオレは最後まで美夏に隠し通して行きたいと思っていた。
























 「・・・・」

 「ん、何を呆けておるのだ義之?」

 「わりぃ美夏。そういえば今日は美夏と帰れないんだったわ」

 「え・・・・」


  悲しげな目をする美夏。そんな表情を見せられたらオレまで悲しくなっちまう。オレは美夏の頭をポンポンと撫でてやる。

  くすぐったそうに目をふにゃふにゃさせている。オレはそんな美夏に笑いながら話し掛ける。


 「今日はさくらさんのお説教があるんだった。忘れてたよ。どうやら日頃の行いが悪いせいか目に留まったらしい。多分長くなる」

 「そ、それだったら美夏は待っているぞ。別に今日は大した用事も無いし・・・・」

 「いつ終わるかも分からないし、そこまで待つ必要も無い。それに多分帰りはさくらさんと食っていく事になるかもしれない」

 「・・・・むぅ」

 「そんなにむくれないでくれ。今度埋め合わせは絶対にするからさ。なぁ、美夏」

 「・・・・分かった。絶対だぞ、義之」

 「ああ、絶対だ」

 
  納得いかなそうな顔をしていたがどうやら折れてくれたみたいだ。さすがに親子水入らずの邪魔はしたくなかったらしい。渋々といった感じではあるが。

  玄関先まで歩いて行きオレの方に振り返る。オレはそれに対してにこやかに手を振ってやった。美夏は苦笑いしながらも手を振り返してくる。
  
  そして姿が見えなくなるまでその背中を見詰め、改めて自分の下駄箱に振りかえった。


 「こりゃあ個人的な恨みも入ってそうだな。ここまでやるとはな」


  自分がいつも履いている革靴。それがどこにも無かった。入っているのは一枚の紙。手にとって見る。内容はまたしても先程と同じような紙。

  はぁとため息をついてしまう。こんな真似をした相手―――数えきれない。適当にボコった奴もいるし、オレが知らないだけで傷付けた相手かもしれない。

  まぁ、どちらにしても面倒な事だ。こう言う風に姑息な手段を使うほど面倒な相手はいない。


 「あー・・・・どうすっかなぁ。家に帰れねぇじゃねぇか」

 
  そう呟きながら校舎内を歩く。探す気力なんてなかった。大体どこにあるかさえ見当がつかない。探すだけ無駄なように思えた。

  だからといって校舎内をうろついてもしょうがないのだが・・・・。マジでどうしよう、このままオレは一生この学校から出れないのか。


 「ん、あれぇ、義之くんじゃない」

 「んあ―――ああ、茜か。どうしたんだこんな時間に」

 「ちょっと調べ物をしてて遅くなっちゃんだ。義之君は今帰り?」

 「そう思っていた。楽しく美夏といちゃつきながら帰ろうと思っていた。だけどそんな至福の時間を邪魔したい奴がいるらしい」

 「え? それって、どういう意味?」

 「だからオレは靴探しの真っ最中なんだ。邪魔しないでくれ」

 「ちょ、ちょっと。靴探しって・・・・もしかして隠されたのっ!?」

 「こーんな紙まで添えてあったぜ。まったく、靴を隠されるなんて小学生以来だぜ」


  そう言ってオレはその場を立ち去る。早い所帰る方法を見つけないとマジでこのまま学校に居残りだ。

  購買をどうにか開けられないかなぁ。体育シューズは家に持ち帰ったままだし・・・・杉並に頼んで開け貰うか。

  そう考えていると肩をガシッと掴まれる。振りかえると茜がどこか怒ったような顔をして立っていた。


 「なんだよ」

 「なんだよ、じゃないでしょ~!? なんで義之君が靴を隠されなくちゃいけないのよぉ?」

 「だから紙の書いてある通り―――」

 「それは知ってるのっ! だからなんで義之君がこういう嫌がらせを受けなくちゃいけないのよ!」

 「美夏のクラスには親友がいる。そいつはそのクラスのリーダー格だから誰も美夏に上手い具合に嫌がらせをする事が出来ない。じゃあ誰に
  嫌がらせをすればいいのか? それはオレだ。学校きっての問題児だし仲間もあまりいなさそう。だから吐け口をオレにしたんだろうな」

 「そんな・・・・最低だわ」

 「ああ、オレも同感だ。オレみたいに立派な悪党はともかく、そういう小物みたいなやり口はオレの嫌いな所だ」

 「もちろん犯人を捜すんでしょ?」

 「・・・・・はぁー」

 「何よ?」


  オレの呆れたため息に茜が少し頬を膨らませてジト目で睨んでくる。

  犯人を捜す、か。もし見つけたらどうすればいいのだろうか。殴ればいいのか? もうするなよと注意するのか? 美夏に懺悔でもさせればいいのか?

  オレは別にどれも望んではいなかった。確かにムカつくし腹も立つ。だが見つけた所でどうする事も出来ない。何をすればいいか分からなかった。


 「まぁ色々理由はあるが・・・・探さない」

 「な、なんでよぉ!」

 「この学校に生徒が何人いると思ってんだよ。それに美夏がロボットだって事は学全体に広まっている。付属の生徒か、それとも本校の生徒かも分からない。
  そんな状況で見つけられると思うか?」

 「そ、それは・・・・確かにそうかもしれないけど」

 「だから別に探す事はしない。見つけて何をすればいいか分からないしな。さて、オレはそろそろ行くよ」

 「・・・・どこに?」

 「とりあえず購買に侵入してみる。余った靴を少し拝借して―――」

 「――――――探すわよ」

 「あ?」


  オレは多少怪訝な顔をして茜の顔を見やる。

  茜の顔、怒りに燃えていた。多分オレよりも怒っているだろう。

  そして茜がオレの手を引っ張り出して歩き出す。


 「お、おい。どこにいくつもりなんだよ?」

 「とりあえず学校中をシラミ潰してその靴を探し出すのよ」

 「はぁ~!? 学校中って・・・・マジで言ってるのかよ、お前は」

 「マジもマジ、大マジよっ! このまま大人しく引き下がれるもんですかっ!」


  何故かオレよりも怒っている茜。オレのその手に引っ張られるまま歩きだした、ていうか案外力強いなこいつ。

  グイグイ引っ張られていくオレ。抵抗するのも面倒なので成り行きに身を任せてみる事にした。勿論見つかる可能性などほとんどないだろう。

  茜はとりあえず玄関から身近にある空き部屋に入った。まぁ、確かに靴を持ったままどこかに移動するのは目立つのであるならこういう所だろうな。


 「ほら、義之君も探して」

 「・・・・へーい」

 「何よ、そのヤル気の無い返事は。絶対見つけるんだからね、絶対に!」

 「・・・・・・・」

 「返事はっ!?」

 「・・・・うーす」


  そう言ってもさもさ動くオレ。まるで死ぬ寸前の犬がここ掘れワンワンしてる様な動作だ。まるで探す気が無い様な様子に茜がため息をつく。

  そして二人して探す事になったのだが―――もちろん見つかる訳も無く、作業は難航した。なまじ倉庫代わりにも活用されているので荷物は多い。

  一つ一つ段ボールを開ける作業は結構面倒臭い。そのうちお互いあんまり喋らないで作業をするようになった。


 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「ねぇ、よっちー」

 「なんだ、アッカーネ」

 「ぷっ、どこのフランス人よ」

 「だったらよっちーなんて言うなよ。で、なんか見つけたのか?」

 「ううん、まだ見つかって無い。けど、少し聞きたい事があって・・・・」

 「なんだ?」

 「魔法って、信じる?」

 「・・・・・・・」


  オレは茜に向き直る。茜の表情、いたって真面目な表情。どうやらフザケて言ったみたいでは無いらしい。

  魔法ねぇ。なんでそんな事を聞くんだかオレには見当が付かなかった。杉並ならまだしも茜はリアリストだと思っていた。

  そんな馬鹿げた話にオレはどう対応すべきか少し考えた―――が、結局思ってる事を言っちまえばいいかなと思った。別に深く考える必要も無いだろう。


 「あ、あはは。いきなり何を言ってるんだろうね私ったら。ごめんね義之君、何か変な質問して―――」 

 「信じる」

 「・・・・え?」

 「聞きたい事はそれだけか? だったら作業に戻ろうぜ。早い所見つけて帰ってコタツに入りたいんだよオレは」

 「ちょ、ちょっと待って!」

 「・・・・んだよ?」

 「もしかして・・・・ふざけてる?」

 「聞いておいてそれかよ。答えて損したぜ、まったく」

 「・・・・だって義之君信じて無いと思ったんだもの。魔法なんて言葉一番嫌いそうだし、もちろん信じてもいなさそうと思った。だから驚いちゃって・・・・
  ねぇ、なんで信じてるの? 根拠とかある?」

 「ああ、なんてったって―――オレが魔法使いだからな」

 「は―――」


  呆けたような顔をする茜。だが次の瞬間、大笑いした。もうこれでもかというぐらいに笑う茜。どうやらツボにハマったらしい。

  腹を抱えてる茜。勿論そんな様子を見てオレが面白い筈が無い。なんだよ、たまには嘘なんかつかないで本当の事を言ったのによ、腹立つわ~。

  どうやってこの茜を黙らせようかと考えて―――思い付いた。別にコイツなら構わないだろう。どうせ誰かに言いふらしても信じないだろうし。


 「・・・・・よ、義之、くんが・・・魔法使いって・・・ぷぷ・・・・」

 「おい、茜」

 「な、なに義之君・・・・ぷっ」

 「この手をよぉく見ててごらん」

 「・・・・・・ん?」

 「はい、餡子たっぷりの御饅頭でございます」

 「は―――」
   

  ポカーンと口を開けてオレの手を見詰めている茜。視線の先にはオレが今作った饅頭がある。まぁ、我ながら中々の出来栄えだ。

  オレはそれを口に入れて作業に戻った。背中からは茜の視線が突き刺さっている。ていうか早く作業に戻れよお前は。このままじゃ一生終わらないっての。

  何個目の段ボールか分からない包み箱を開ける。ちっ、これも外れかよ。入ってるとは思わねぇけどよ、少しばかり希望は入っていないのかよ。パンドラみたいな。
  
 

 「よ、よ、よ、義之君っ!?」

 「・・・・・・」

 「義之君ってばぁっ!」

 「――――――だぁーっ! うっせーぞテメェっ! 早く作業に戻れっつーの!」

 「今のどうやったのっ!? 袖捲りなんかしてたし手品には全然見えなかった!」

 「手品じゃねぇよ。れっきとした魔法だ。まぁこれぐらいしか出来ないけどな。世の中にはこれより凄い技出来る奴はいるんだろうが・・・・オレは知らない」

 「・・・・・・・嘘でしょ?」

 「本当だっつーの。一つ疑問が解決してよかったじゃねぇか。だから早くオレの靴を探してくれ」

 「・・・・・・」


  これ以上の凄い技を使えるとなると・・・・さくらさんぐらいか。いや、音姉もなんか魔法使えるみたいだし・・・・少なくとも二人は居る事になる。

  だがそこまで教える必要はないだろう。そう思ってオレは言わないで置く事にした。しかし、なんで茜はそんな事をいきなり言いだしたのだろうか。

  少しばかり疑問を持った。もしかして今流行ってる漫画を見て興味が出てきたのか。だったら悪い事をしたな。別にメルヘンでもカッコ良くもないし。


 「・・・・なんでそんな事を聞いてきたんだ?」  

 「え?」

 「え、じゃねぇよ。なんの脈絡も無しにそんな質問されたら誰だって興味を持つ。で、なんでそんな事を聞いてきたんだ?」

 「―――――義之君になら話してもいいかなぁ・・・・・と思ってさ。だから聞いてみたんだ」

 「あ? 何をだよ」

 「もしね、もし―――私が茜っていう人物で無かったらどうする?」

 「・・・・・・どういう意味だ?」

 「んー・・・・せっかく義之君の秘密を教えてもらっちゃったんだし・・・・別にいいかなぁ。あのね―――」


  そして茜の口から紡ぎだされる真実。 妹が居た事、とても仲が良く茜とは違いとても活発な性格であった事、そして―――水難事故で死んでしまった事。

  ここまでは別に普通によく聞く話だ。確かに可哀想な話ではあるがよくテレビなどで耳にする話。だが、話はそれで終わらなかった。

  その死んだ妹、藍という名前だそうだがそいつが茜の体の中に入ってしまったらしい。要は二重人格みたいなものだった。ただ二重人格と違う点は片方が
 引っ込んでももう片方の意識はちゃんとあるとの事。普通の二重人格だとこうはいかない。

  オレがよく耳にする二重人格は片方の性格が出るともう片方の性格の方は完全に意識を無くしてしまうものだった。当り前だ。元々二重人格は何らかの精神
 的ショックにより出来上がる性格だ。心の逃亡と言ってもいい。だから片方の意識が出ると記憶などを無くしてしまう。  

  だから茜のは二重人格というよりも本当に体の中に二つの人格が完璧には言っているという事だった。


 「今の話、嘘だと思う?」

 「―――いいや、信じてるさ」

 「嘘ね。こんな話をした私を不気味がってるに違いないわ。普通ならそう思うわよ」

 「じゃあオレのさっきの出来そこないの魔法もお前は不気味がってるのか? 『なに魔法とか言っちゃってんの、頭おかしいんじゃない?』という風にな」

 「べ、別にそんな事は思って無いわよっ! あんなに見事に見せられたら・・・・信じちゃうもん」

 「だったらお前の言う事も信じるよ。お前には言っていないがオレも似たような経験がある。だから信じるさ」

 「え、それって・・・・」

 「・・・・・・・」

 「―――ダンマリって事は言いたくないって、事?」

 「ああ。悪いが話す気はない。茜だけじゃなく誰にもだ」

 「まぁ、うん、だったら聞かないどいてあげる。誰でも秘密の一つや二つあるだろうしね。私もそういうのあるしぃ」

 「ああ、ありがとうな」

 「別に良いわよぉ。私の話を信じてくれるってだけでもむしろありがたいわぁ」


  そう言って手をひらひらさせる茜。ああ、物分かりのいい女で助かった。変にしつこく聞かないで話の見切りをつけるのは茜のいいところだと思う。

  話さない理由―――混乱させたくないからだ。いきなり貴方の知っている義之君は死んで私は違う世界から来た義之です、なんて言える筈も無い。

  茜の話より荒唐無稽な話だ。まだ茜の話の方が信憑性はある。この事は美夏は勿論、他の誰にも話す気は無かった。


 「それにしても・・・・」

 「うん? なぁに?」

 「まるで悪霊に取りつかれたみたいだな。おっかねぇでやんの」

 「―――――ッ!」


  目を剥いてオレの事を睨む茜、いや藍か。やっぱり悪霊じゃねぇか。多分オレを呪い殺す気なのだろう。そういう目をしている。

  オレは距離を取った。霊に距離を取って意味があるのかは知らないがいつでも対応出来る姿勢を作っておく。茜はそれを見て更に怒ったような顔になった。

  そして―――オレに飛びかかってきた。まさかあの茜が飛びかかるような真似をしてくるとは思わなかったのでオレは茜もろとも雪崩込むようにドスンと
 音を立てながら地面に背中を打ちつけた。


 「あ・・・い・・てぇな、おい」

 「ふん。私を悪霊呼ばわりした罰よ。これでも他人様には迷惑を掛けていないんだからねぇ」

 「オレは今背中を打ちつけて確実に不幸な目にあってるぞこの野郎。慰謝料払えよ」

 「そんな事で怪我するようなタマじゃないでしょうに。大袈裟なんだからよっちーはぁ」

 「てめぇ・・・・・」

 「―――なぁに?」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」


  オレの上に乗りかかったまま視線を外そうとしない茜。いや、藍か・・・・面倒だから藍でいい。オレの目を見詰めたまま何も言わないでいる。

  顔に掛かった髪がくすぐったい。オレのそんな様子を微笑みながら藍は見詰めている。なんか、嫌な雰囲気だな。こういう雰囲気になっていい思い
 などしたことない。オレはそこから脱出するように体を動かした。

  だが藍はそんなオレの体を押さえつけてきた。思わず睨んでしまう。だが藍はそんな事を気にした様子が無い様に話し掛けてきた。


 「義之くんの事を好きになったのって・・・・茜と藍、どっちだと思う?」

 「・・・・知るか。いい加減どけてくれないか? オレには美夏がいるんでね。こんなところ見られたら―――」

 「怒るかもね。エリカちゃんの時といい今度は許さないかもしれない。もしかしたら別れちゃうかも」

 「二度は言わない。さっさとどけてくれ」

 「さっきの答えは―――両方なんだよ、義之君。姉妹して同じ人を好きになっちゃった。でも茜ちゃんは美夏ちゃんが彼女になったから諦めちゃった。
  良い子だよねぇ、好きな人の為に身を引くなんてさぁ。まぁ、だから私も渋々身を引いたんだけどねぇ」

 「何が、言いたいんだ?」

 「ちょっと報いがあってもいいんじゃないのかなぁってさ。ねぇ、キスしてよ」

 「・・・・お前はオレ達の事を応援してくれてるんじゃないのか? 応援してくれてるのは茜だけなのか」

 「応援してるよ。美夏ちゃんも可愛いし、義之君とはなんだかベストカップルみたいで見ていて気持ちいいし。けどあれだけ尽くしたんだからキス
  の一つぐらいないとねぇ?」

 「・・・・・・」

 「ねぇ、いいでしょう~?」


  そう言ってオレの胸板に胸を押しつけてくる茜。ていうかお前とキスした事あるじゃねぇか。ディープの奴をよ。それで満足しとけよ。

  だが当の御本人はそれで満足していなかったみたいでキスをせがんでくる。目を閉じてオレの顔に迫ってくる藍の綺麗な顔。思わずピンク色の唇に
 釘付けになってしまう。

  藍としたあの深い繋がりのキス。あれを思わず思い出してしまった。そしてオレの頭をガシっと掴み――――


 「・・・・・・ん」

 「・・・・・・・」


  キスをしてきた。初めてキスしてきたような激しさは無く、静かなキスだった。

  時間にすれば一瞬だ。そっと離れて茜はオレの上からやっと退いてくれた。


 「いやぁ、やっぱりキスっていいわねぇ~。ちょっと煙草臭いけど」

 「・・・・・この野郎」

 「べっつにいいでしょう~? 素直に身を引いたんだからキスの一つぐらいさぁ」

 「アホかっつーの。オレに美夏っていう立派な彼女がいるし裏切りもいいところだ。ああ、オレってば本当に懲りねぇやつだな、ちくしょうっ!」

 「あははは。大丈夫だよ、犬に噛まれたと思えばいいじゃない。どうせこうやって喋るのも最後になるかもしれないんだからさぁ」


  最後。オレは藍の顔を見る。別段いつも通りの表情だ。

  しかし、どこか、寂しそうな雰囲気を醸し出している。オレもこいつとは短いが濃い付き合いをしてきた。それぐらい分かるようになっていた。

  オレはぼやくように喋りかける。


 「・・・・なんだ、成仏でもすんのかよ」

 「うーんとねぇ、最近なんか表に出てきにくくなっちゃってるんだよねぇ。もしかしたらこのままあっさり消える事になっちゃうかもって思ったから
  記念に義之君とキスしたくなったっちゃったんだ」

 「―――もっとやりようがあったろ」

 「そんなもの無いよぉ。だって義之くん美夏ちゃんと本当に仲が良いし、私がキスしてって言ったらしてくれた?」

 「そりゃあ、まぁ、そうだけどよ・・・・」

 「だからあんな強引な手に出ちゃったのよ。ごめんねぇ、義之くん?」

 「はぁー・・・・・」


  なんだろう。怒るに、怒れない。消え去る間際にオレとしたい事がキス、か。なんつーか・・・・ため息しか出てこない。

  美夏がこれを聞いたらそう思うだろうか。確かに怒るだろう、悲しむだろう。だがキスしなかった場合、美夏はもっと怒るだろう。

  目を背けながら最後ぐらいロマンチックに送ってやれと言いそうだ。まぁ、茜というか藍は美夏の事を凄く可愛がってたので藍レベル限定だけだと思うが。


 「そんなにため息つかないでよぉ」

 「誰の所為だ、誰の」

 「まぁまぁいいじゃない。過ぎた事をいくら言っても――――――あ」

 「ん? あ―――」


  茜の視線の先。見覚えるのある革靴があった。オレは手にとってみた。見覚えのあるデザイン、メーカー、サイズ、自分の探していた靴だった。

  中身はどうやら悪戯されていないようで無事なままだった。思わず安諸のため息をつく。なんだかんだあったが、どうやらこの部屋にあったらしい。

  茜の顔を見る。茜の顔、挑発的だった。『私の言うとおりあったでしょ? だからキスぐらいしてもよかったわよねぇ?』とでも言いたげな表情だ。


 「私の言うとおりあったでしょ? だからキスぐらいしてもよかったわよねぇ、義之くん?」

 「・・・・・・」

 「あ~ん、どこに行くのよぉ~?」

 「帰るんだよ。一緒に靴を探してくれてありがとうな、藍。それじゃあな」

 「私も帰りますぅ~! 待ってよぉ~」


  声を荒らしく上げながらオレの脇に並ぶ藍。藍の表情はとてもニコニコしていた。とてもじゃないがこれから消える奴の表情ではない。

  オレは特にコイツの為に泣こうとか喚こうとは思っていない。そういう事をしたら多分コイツは気にして成仏するどころの話では無くなってしまう。

  だから―――オレはコイツの尻を叩き上げて少し早めに走った。後ろから怒ったような声で追いかけてくる音が聞こえてくる。オレはいつも通り茜を、藍を
 からかいながら下校した。 




























 「いってぇな、マジでよぉ・・・・・」


  ぼやきばがら腰を押さえる。あの後追い付かれた茜に鞄で腰を打ちつけられ悶絶してしまった。

  大体茜と藍の見分け方が分かってきた。大人しめの方が茜で派手にかます方が藍だ。おそらく最初のキスもあいつがしたのだろう。

  茜もいい迷惑だぜ。あんな奴と一緒の体を共有してるなんてな。ストレスで胃に穴が空かないか心配だ。


 「さて、早く家に帰ってコタツにでも入るか。まだ夜になると大分冷え込むし」


  オレの体を容赦なく風が叩きつけてくる。オレはそれに身震いしながらも急いで脚を動かす。随分暗くなったが今夜の夕飯の準備出来なかったなぁ。

  最近は音姉や由夢が一緒の食卓に付く事が多い。別に仲良しになった訳ではないがオレの態度にも慣れてきたのか、少し図々しくなってきたようにも思える。

  オレがこの世界に来て二ヵ月ちょっと。色々な事が起きたがまだ二ヵ月しか経っていない。感覚的にはもう一年が過ぎたようにも思える。


 「なんかこっちに来てから濃くなったよなぁ、オレの生活。なんだか彩られたような感じだ」

 
  前居た世界では毎日が無機質だった。その時は何も感じ無かったが今の生活を返り見るにそう思える。とてもじゃないが前の生活には戻りたくなかった。

  こっちには大切な友人、家族、そして―――彼女の美夏が居る。こいつら無しに今の生活は考えられないようになってしまった。随分甘くなったものだ。

  甘くはなった。だが、悪くは無い。最近はそう思うようになってきた。


 「友達、か。そういえば茜の話も少し気になるな」


  最近表に出にくくなったと言っていた。思い当たる節、桜の木だ。なんでも願い事を叶えるという最高で最低の桜の木を思い出す。

  良いことも悪いことも叶えてしまう。ろくでもないものだ。大体人間は叶えたい事があるから努力をするし挫けない気持ちを養う。自然の摂理に反していた。

  おそらくだが茜も願ったのだろう。妹ともう一度会いたいと。そして叶えてしまった。自分の体に魂を入れさせるという行為を持って。


  それだけ聞けばなんといい話だ。本当に好き合っていた姉妹との再会。そして再び始まる日常の生活。思わず―――舌打ちしてしまう。

  それじゃあその妹が居なくなったらどうする。せっかく再会したというのにまた別れるハメになってしまったらどうする。決まっている、また
 妹を失う辛さを叩きつけられるのだ。

  なんていい加減な木だ。さくらさんはあの木に特別な感情を抱いているようだがオレはなんとも思わない。強力すぎるんだ、あの木の力は。

  本来人はあんな力に頼ってはいけないと思っている。本当に、ささやかな願いを叶えてくれるのら話は別なんだが・・・・そんな都合のいいモノはないだろう。


 「とりあえず帰ってさくらさんに相談してみるか。なんとか藍を助けてやりた――――――」  


  呟きかけた―――瞬間、腰に熱を感じた。思わず姿勢を崩してしまう。どうやら藍の攻撃が結構効いたらしい。

  あのジャジャ馬娘め、マジで慰謝料請求してやろうかあの野郎。オレは顔を歪めながら腰に手を当てる。

  そして感じる違和感。オレは怪訝に思いながらも自分の手を見直してみた。


 「あ、―――」


  赤色。赤色の液体が自分の手にくっ付いている。そして口を半開きにしたのが悪かったのだろう、唾が垂れてきてしまった。

  きったねぇ、オレは結構紳士な部分があるからこういうのは我慢ならない。ハンカチで拭こうと思ったのだが、少し体がダルイ。

  しょうがなく手の甲で拭き取る。そして驚く事に唾の色も赤色だった。


 「は、はは・・・・なんだよこれ―――ごふっ」


  膝に力が入らない。崩れ落ちる、なんだか気持わりぃな、おい。咳き込むと口の中がぬちゅぬちゅして気持ち悪い。

  唾を吐き捨てる。それはまたもや赤色だった。え、オレなんかの病気なの。思い当たる節っていうと煙草ぐらいしかねぇんだけど。

  もし煙草だとすると、なぜ背中の腰辺りからも血が噴き出すのだろうか。


 「はぁはぁ・・・・マジでなんだよ。洒落になんね―――」

 
  人の気配を感じる。


  だるい思いをしながらも首を捻る。


  綺麗な金色の髪、スタイルの良いからだ、顔はやつれたように疲れ切っていた。


  そして手には―――ナイフ。それにも赤色が付着していた。


  ようやくオレは思い至った。なんだ、結構鈍いなオレは。由夢の事とか馬鹿に出来ねぇし。



 「・・・・・マジかー・・・・刺されたのかよ、オレ」

 「・・・・・・・・」

 「まぁ・・・・なんだ。よくドラマとかで見る光景だが・・・・いつもオレは思っていた事がある・・・・ごほっ」

 「・・・・・・・・」

 「なんで刺される男は、いつもマヌケなんだろうってな。だが、もうバカにできねぇ・・・・こんな有様じゃあな、はは」

 「・・・・・・・・」

 「何泣きそうな顔、してんだよ・・・・・エリカ」


  そこに居たのはエリカ。いつもみんなに刺される刺される言われたけど・・・・本当に刺されちまったか。こりゃあ恥ずかしいわ。

  オレは路上にごろんと転がって空を見上げる。おお、今日は晴天だなぁ。星がすげぇ綺麗だ。なんとなくエリカを彷彿させるような光を放っている。

  そしてまた咳き込む。もう、やばいな。なんだか眠たくなってきた。とりあえずオレが眠る前に―――――


 「最後に・・・・本当に腹割って話そうか、エリカ」


  これがオレの落とし前なのだろう。散々エリカに対して酷い事をした罰。その報いがこうやってきたのだ。

  何故だか知らないが、この時オレはエリカと楽しくダベっていた時の感情に戻っていた。なぜだろうと考える。

  ああ、アレか。死ぬ前は人間は優しくなるっていう言葉がある。恐らくそうだろう。元々一目惚れしてたしなぁ。


  恐らく最後になる会話。オレは咳き込むのを我慢しながら壁に寄りかかり喋る体制を整える。さて、何から話そうかなぁ。























[13098] 22話(後編)
Name: 「」◆57507952 ID:c9479226
Date: 2010/01/09 09:45













 「はぁ・・・・」


  ため息を吐きながら通学路を歩く。本当に、ため息しか出て来ないこの現状。もう何もする気が出ないでいた。

  義之には殴られ、あまつさえもう見切りを付けられてしまった。恐らくもう話す事さえないだろう。義之がそう言っていたのだから

  ショックを通り越してもう何も感じなかった。廃人と言っても過言ではない。学校へ行くのにこうして歩いているのは貴族としてのせめての責務感か。

 
  あの後病院へ行き手厚い看護を受けた。とは言っても怪我はそんな酷いモノでもなかった。確かに腫れはしたが三日経つ頃にはもう完治していた。

  意外な話かもしれないが手加減は一応してくれたらしい。私が相手だからかもしれない。だが、今はそんなモノは何の慰めにもならない。

  殴られたという事は義之の近しい人間では無くなったという事だ。あの人は自分が大事に思っている人には手を挙げない。

  
  本当に怒った場合はそんなのは関係ないがあの時の義之の眼、冷静だった。その冷静な眼を持ってして私は殴られた。

  この三日間は学校を休んだ。家に引き籠って泣きっぱなしだった。食事もロクに採っていないせいか少し体がふらつく。だが支えてくれる相手はもういない。

  思わず失笑してしまう有様だった。何が貴族だ、お姫様だ。そんなもの――――全然役に立ちはしない。


 「よ、よぉ、ムラサキ」

 「あ――――」

 「怪我、大丈夫だったか?」

 「・・・・・・・」

 「いやぁ、参ったよ本当に。オレ以外はまだ入院って有様だしよ。オレも本当は家に籠っていたいんだけど親がうるさくてさぁ。こうして無理して
  出張ってきたって訳なんだよ」


  声を掛けてきた鼻に厚いガーゼを付けている男。私にアプローチを掛け今回の作戦に協力してくれた先輩だった。ヘラヘラしながら私に気安く声を掛けてくる。

  結局、この男は役に叩かなかった。私は冷たい眼でその男を見据える。男は少したじろく様子を見せたが顔に無理矢理笑みを浮かべると再度言葉を掛けてきた。


 「そ、そんなに睨むなよ。まだあの時の事を根に持ってやがるのか?」

 「・・・・・」

 「しょうがねぇじゃねーか。まさかあんなヤバイ奴が乱入してくるなんて思わなかったんだしよ。労いの言葉を掛けてもらうの当然として
  そんなに睨まれる覚えはないぜ?」

 「あら、それはどうも。おかげで一発殴られただけで済みましたわ。あまりにもお役に立ちましたので総出をあげて感謝したい気分です」

 「・・・・おい」

 「ああ、でも残念ですわ。この時期私の家はとても忙しいのでお構いする事が出来ません。でもそうね。確か貴方にお似合いの女性が動物園に居ましたわ。
  チンパンジー、とか言いましたっけ。よければ私が紹介して差し上げてもよろしくてよ?」

 「ふざけるなよ。お前のお願いのせいでどれだけ被害が出たと思っているんだ。一人はもうセックスが出来ねぇかもしれねぇ、もう二人は全治半年
  の大怪我で障害持ちだ。責任取れよ。ムラサキの家は金持ちなんだろ? なんとか出来ない筈が無い」

 「嫌ですわ、面倒臭い。大方警察にも届けを出していないのでしょう? それはそうですわね。レイプ未遂でボロボロにされたのですから。反対に
  逮捕なりなんなりされてしまうでしょうね」

 「そ、それはお前が命令して――――」

 「日本は良い国ですわ。どれだけ自分が悪くても女性というだけで甘く裁判をしてもらえるのですから」


  痴漢、詐欺、窃盗・万引き。この国は女性に対して甘過ぎる。前テレビで見た物は酷いものだった。

  家族の為に一生懸命働き普通の生活に幸せを見出している普通の男。それが頭の悪そうな女のせいで一生を棒に振る事になった。

  家族もろとも後ろ指を刺され何年も裁判をした。笑いを耐えるような顔で悲しげなポーズを取る女性。冤罪と分かっても何の罰も与えられなかった。

  結局その家族はその地に居られなくなり引っ越しをしたという。今まで勤め上げてきた会社をクビになり離婚もした。もう男には何も残されなかった。

  ある政治家が言っていた。裁判制度は大きく成長したと。じゃあその女は何故今も悠々と普通に暮らせているのか。笑える話、何も変わってなどいなかった。


 「まぁ、そういう事で――――もう私に関わらないで下さいね。ハッキリ言ってうっとおしいので。それでは・・・・」

 「ざ、ざけんなっ! あんまり調子に乗るなよてめぇ!」

 「あ――――」

 「おっと、あんまり騒ぐなよ。まぁーこんな裏道じゃ誰も来ねぇけどな」


  私の襟を掴み、ナイフを突き付ける。男はかなり興奮しているようで制止の言葉など通じそうに無かった。少し、挑発しすぎたかもしれない。

  視線を周りに配る。ちょうど近道しようと裏道に来ていたので誰も居る様子が無い。思わずため息をつきたくなる。不運というのは続くものなのかと。

  とりあえず男に視線を合わす。目は落ち着きなく動き息も荒い。とてもじゃないが義之みたいな怖いオーラは無かった。まるで狼とノラ犬ぐらいの差がある。


 「へへ・・・怖いだろ? そりゃそうだ、お前はお嬢様だからな。こんな事なんてされた事ないだろ?」

 「まぁ、そうですわね。いつもはボディガードが付いていますので」

 「そのボディガードは今はいねぇ。まさかよぉ、こんな平和な日本でこんな事されるとは思っていなかったろうな。貴族って何か馬鹿そうだしなぁ・・・・」

 「・・・・・それで、何が望みかしら?」

 「お、なんだ察しがいいじゃねぇか」

 「御託はいいから早くおっしゃいな」

 「・・・・ここでストリップしてもらおうか」

 「は・・・・?」

 「その後は勿論オレの相手をしてもらう。残念だがお前の初体験の相手はオレって事だな。安心しな、オレは結構優しい男だからよぉ、へへ」

 「・・・・・・」


  この男は――――何を言っているのだろうか。貴方みたな低俗な男が私を抱くと? 娼婦みたいな真似をしろと? そう言ってるのかこの男は。
  
  思わず口が引き攣ってしまう。あまりの怒りに。私も舐められたモノだ、貴族の皇女とあろう私がこんな下賎な要求をされるなんて。笑えない。

  私のそんな様子を恐怖していると勘違いしたのか舌をぺロリと舐め私の胸を凝視してくる。思わず吐き気がした。


 「そんなにビビんなくたって大丈夫だって。最初は痛いかもしれねぇが・・・・その内気持ちよくなるからよ。だからオレに全部任せな、な?」

 「・・・・・・」

 「さて、最初はそのスカートを脱いで――――」

 「あ」

 「ん?」


  私は声を上げて明後日の方を見る。つられて男もそっちの方を見た―――瞬間、そのナイフを取り上げた。

  茫然とする男。そんな様子の男を見て笑い―――ナイフを腿に刺した。悲鳴を上げる男。思わずもんどり打って倒れる。

  あまりの煩さに私はさらにいらつく。男なんだからもっとシャキッとしてもらわないと。口うるさい男は好みではないのだ。


 「ああぁあぁああっ!、い、いてぇよぉ・・・・!」

 「そう、よかったですわね。なかなかこの日本という国で刺されるなんて経験出来ませんから。きっと自慢出来ますわよ?」

 「あ・・・ぎ・・・・こ、この――――」 

 「黙りなさい」


  開きかけた口を踏みつける。男の眼から涙が零れ落ちる。なんというだらしなさ、もうさっきの勢いは無い。懇願するような眼を向けてきた。

  ため息をつく私。なかなか義之みたいな男はいないものだ。これが義之なら射殺さんばかりの視線を向けてくるというのに。その欠片さえも無い。

  土下座するように座りこんでいる男。そんな様子を見て―――飽きてしまった。もうどうでもいい。そのまま出血死しようが救急車を呼ぼうがどうでもよくなった。


 「もう私の前に姿を表さないと、誓える?」

 「・・・・は、はい。誓います・・・・だから・・・・・」

 「結構。次姿を見せた時は本当に殺しますわよ。今度はそうね、まず眼を抉って差し上げますわ。前々から思っていたのですが貴方の目、気に入らなかったの。
  そのいつも下心を隠さないでねっとり絡みつく視線に吐き気を感じていました。それとも今抉りましょうか? ちょうどいいナイフがありますし」

 「ひ、ひぃ・・・・止めてください・・・・お願いします・・・」


  男の眼と鼻の先にナイフをちらつかせた。恐怖で見開く眼と口。本当に刺されると思っているのだろう。当然だ、私は刺してもいい眼付きをしているのだから。

  まぁ、冷静に考えたら馬鹿げてる。こんな男の為にそこまでのリスクを掛けてやる必要は無い。警察など怖くない。ただ面倒なだけだった。

  一瞥をくれて私は歩き出す。つまらない事で時間を取られてしまった。まったく、遅刻して先生に怒られたらどうするのだ。


 「ああ、それと最後に言っておく事があります」

 「・・・・は、はい」

 「私、処女ではありませんの。残念でしたわね」

 「は――――」           


  振りかえり私は言ってやる。呆けた顔をする男。そして私は再び歩き出した。

  私の一番大事な人に処女をくれた事実。これだけはハッキリしておきたかった。つまらない自己主張だが、私にとっては凄く大事な事。

  あの義之が私を抱いてくれた。今となってはこれだけが私の良い思い出だった。縋りついてると言ってもいい。


  結局、まだ、私は義之の事が好きだった。

  
  もう届かないのは知っている。私に対して何も感情を抱いていなのは分かっている。理解している。ただ―――納得はしていなかった。

  いつもみたいに私に微笑みかけて欲しい。ぶっきらぼうに、でも照れたように頭を掻く彼が愛おしかった。芯があるあの目が大好きだった。

  いつも私が義之を見ようとすると、義之もこちらを私を見ようとして視線が噛み合っていた。そして苦笑いする彼。その間がお気に入りだった。

  私を貴族とも思わないようなあのふてぶてしい態度。いつも唯我独尊的なあのオーラ。頼もしかった。あの背中をずっと眺めていたかった。


  いい思い出。そう、思い出になってしまったもの。また泣きそうになる私。散々泣いたというのにまた涙が零れ落ちてくる。

  なぜ、私では駄目なのだろうか。好きだと言っていたではないか。あの言葉は嘘だったのか。あんなにも私を求めてきたではないか。

  答えが見つかりそうになかった。一生懸命考えたが答えは出なかった。また私がそうやって思考のループを繰り返そうとした時、ふと気付いた。 


 「あ・・・・・これ、どうしようかな」


  血の付いたナイフ。こんなものを持って歩いていたら一発で補導だ。いくら平和ボケしているこの国でも捕まってしまうだろう。

  まったく、あの男はここまで世話を焼かせるのか。やっぱり最初会った時からずっと無視をしてればよかった。どうせ私の体目的なのだろうから。


 「・・・・ふぅ。面倒だけど、一応持って置いたほうがいいでしょうね」


  危険が付きまとうかもしれない。何かの拍子でこんなものが見つかったりでもしたら大騒ぎになってしまう。しかし、捨てるなんてもっての外だ。

  血のついたナイフ。見つかれば警察に届いてしまうだろう。もし指紋鑑定でもされたら厄介だ。この時代の星でも布程度で拭いた程度では指紋は消えない。
 
  何度も言うが今の私はそんな面倒事に巻き込まれるのは嫌だった。別に争ってもいい。どうせ私の家がそんな事実なんて踏み倒してしまうのだから。

  しかしそれが原因で父上に色々言われるのは好ましくない。あの人の説教を受ける気なんてさらさら無い。間違った事をしていないんだから。

  しかたなしにハンカチでそれを包み鞄に入れる。とてもじゃないが今の大きさのハンカチでは血を拭いさる事なんて出来ない。私は舌打ちしたい気分を
 我慢しながら学校へ向け再度足を歩かせた。学校、もう一時限目が始まっていた。






















 「じゃあねー、エリカー!」

 「はい、ごきげんよう」


  クラスメイトの級友と別れを済ませ下校する。結局授業には遅刻してしまうし今日は散々だ。特に理由等は聞かれ無かったが先生に珍しがられた。

  そもそも今日一日は勉強には身が入らなかった。三日間も休んだ私を心配する級友の言葉でさえ雑音にしか聞こえない有様。重症だと思う。


 「さて・・・・、帰りましょうか」


  またあの一人ぼっちの空間に戻るのかと思うと憂鬱になる。あの部屋は義之との思い出がありすぎる。

  一緒に料理をして、食事をして、談笑をして、ベットで寝て、そして―――一夜を共にした。義之を思い起こさせる物があの部屋には多くあった。

  だったら引越せばいい。父上に頼み込めば一発だ。適当な理由をでっち挙げれば今すぐにでも違う場所にでも映移り住む事が出来る。

  だが今の私は・・・・そんな思い出が詰まっている部屋から離れたくなかった。思い出に縋りついていると言ってもいい。


 「・・・・・義之と、またたくさんを話したいなぁ」


  思わず子供が駄々をこねるような口ぶりになってしまう。それが私の率直な気持ちだった。もう一度、あの日々に戻りたい。

  義之と会って二ヵ月ちょっと。もう何年もの付き合いに思えた。それほど濃い期間だったし好きだった。ずっと続くものだと思っていた。

  しかし――――いや、やめておこう。考えるだけでまた涙が零れてきてしまう。そう思い顔を正面に向けると――――


 「あ・・・・・」


  あれは・・・義之と花咲先輩。ちょうど帰る時間が重なってしまったのだろう。二人は仲良さそうに下校をしている最中だった。

  思わず隠れるように身を潜めてしまう。情けない話だ。前までは堂々と義之の隣を歩いていたというのに今は罪人みたいにこそこそしてしまっている。

  このまま学校に引き返すか違う道を行って義之と会わないようにするか、そう考えた。今義之と会っても辛いだけだろうし会いたくなかった。


  でも――――足取りは義之達を追いかけていた。


 「ねぇねぇ、どこか寄って帰りましょうよぉ」

 「ざけんな。最近は色々ありすぎてクタクタなんだよ。お前一人で行け」

 「そんな事言わないでさぁ。最近私に構ってくれないじゃない? たまにはいいでしょ?」

 「明日な明日」

 「あ、今言ったからね! 明日って言ったからね! 約束したからね今!」

 「あーはいはい。今日のお礼もあるし付き合ってやるよ、たく」

 「わぁい!」


  義之の腕に嬉しそうに飛び付く花咲先輩。義之も嫌そうな素振りを見せるが本格的に引き離そうとしない。そして腕を組んだまま歩きだした。

  思わず、歯軋りしてしまう。少し前までは私の居場所だったあの場所。そこに花咲先輩がいるのが悔しかった。私の居るべき場所を取られた気分だ。

  本当ならああやって私が歩いて、他の女性が私みたいな悔しい思いをする筈だったんだ。それが何かの間違いで今みたいな立ち位置になってしまっている。


  私は知らずしらずの内に後を追いかけるように歩いていた。特に何かをしようと思ってはいない。ただ、無意識の内に体が動いていた。

  義之と花咲先輩は楽しそうにお喋りしながら歩いている。腕を組みながら。その手を引き千切りたい衝動に駆られる。その綺麗な顔を苦痛に歪ませたかった。

  そう思っても私は動けないでいる。結局、私は意気地無しなのだ。だからこうやってみっともない姿で後を付け回している。もう義之と繋がる事はないのに。


 「あとあの空き部屋での事なんだが・・・・絶対言うなよ」

 「う~ん? なんの事かにゃ~?」

 「惚けるなよタコ。てめぇとキスした事だ」


  ・・・・・は?


 「えっへっへー、いやぁ久しぶりによっちーとキス出来てよかったわぁ。もう出来ないと思ってたしぃ」

 「あたりめぇだろ。オレには彼女がいるんだし。そういえば最初のキスもてめぇから無理矢理してきたんだったな。無理矢理多いな、お前」

 「だって義之君の事好きなんだもぉん」

 「・・・・一度聞きたかったんだがよ」

 「ん~?」

 「オレのどこが気に入ったんだ? わりぃけどオレはいい男だとは自覚していない」

 「そうだねぇ。すぐケンカするし男女関係なく殴るしSだし惚れ症だし女癖悪いし・・・・確かに結構最低男だよねぇ」

 「おい――――」

 「でも・・・・そんな義之君が茜ちゃんはだぁい好きなのでしたぁ~!」

 「あ、ばか、てめ――――」   


  義之の体が動けない事をいいことに――――花咲先輩は義之の頬にキスをした。慌てる義之と嬉しそうに微笑む花咲先輩。

  その後すぐ義之は怒った。二度とやるなよ。もう絶交だ、絶交、そんな言葉を花咲先輩に浴びせている、しかし何が嬉しいのか、花咲先輩はにこにこしている。

  そんな様子を見て義之は呆れたように天を仰ぎ、歩き出した。後追いかけるように腕に飛び付く花咲先輩。今度は腕を振り払おうとしなかった。



 「なにあれ」



  口に出して言う。話が、違うでは無いか。義之は言った。天枷さんが一番大事だと。だったら今の光景を何だ。まるで逆じゃないか。

  楽しそうにお喋りをして、腕を組んで、キスをして。私が今までやってきた事、それを花咲先輩がやっている。しかも義之はそれを受け入れているときた。

  
 「は、はは・・・・何よ、ソレ」


  乾いた笑いが出てくる。あれでは私が何のために殴られたのか分かった物では無い。

  天枷さんが一番大事だと言って置きながら隠れて他の女と逢引している。その事実は私を・・・・かなり激情に駆らせた。

  確かに私は義之が大好きだ。義之の為なら何だって出来る。今すぐ抱けと言うならその身を任せられるし、死ねと言ったらすぐ死ねる気持ちでいた。


  その気持ち―――今はすべて憎さに変わってしまった。まるでコインの裏表の様に裏返る。ふと気付くと自分の拳から血が出ていた。

  何だろうと思って周りを見渡すと壁に血が付いていた。ああ、と私は気付く。なんて事は無い、近くの壁を思わず殴ってしまったようだ。

  その血をぺロリと舐め消毒する。そして止まっていた足を再度動かした。


 「―――――――許さない」


  私を散々な目に合わせておいてこの仕打ち。好きだ何だと言って、結局は天枷さんと付き合った義之。その時はまだ許せた。

  何かの間違い、そう、何かの間違いだったから許せていた。しかし現実はどうだ。私を散々弄んだ挙句他の女にまで手を出している。

  もう我慢がならなかった。私はその背中を睨みつけた。まるで親を殺した仇を見る目で。


 「じゃあまったねぇ~」

 「ああ。気を付けて帰れよ」

 「あ、心配してくれてるんだぁ~! 私、嬉しいわぁ」

 「なんだ、いきなり体をくねくねさせて。アルツハイマーか?」

 「――――ッ! し、失礼ねっ! まったく、相変わらずデリカシーが無いんだから」

 「はは、嘘だよ。ごめんな」

 「あ――――」

 「ん? なんだ」

 「な、なんでもないわよ! じゃあね!」

 「あ、ああ。またな」


  慌てたように走り去る花咲先輩。その様子を少し首を傾げて見る義之。そして腰を気にした様に擦りながら帰路に踵を返した。

  まぁ、花咲先輩の気持ちも分からんではない。義之がたまに見せる笑顔はとても胸にくるものだ。大方いきなりそんな笑顔を見せられて恥ずかしかったのだろう。

  私もそんな気持ちをよく抱いていたから分かる。しかし今はそんな事はどうだっていい。私は気取られないように義之の後を追った。


 「いってぇな、マジでよぉ・・・・・」


  さて、この男をどうしようか。

  恐らく私は冷静な頭をしていなかったんだろう。

  だって、今からあの義之殺そうとしているのだから。

  あんなに好きだった義之をだ。


 「さて、早く家に帰ってコタツにでも入るか。まだ夜になると大分冷え込むし」


  無事に家に帰すつもりなんて無い。

  このまま帰らせたらこんな機会は無くなる。義之が気を抜いている今がチャンスだ。

  それにこの気持ちは収まりそうにない。今すぐにでも発散させたかった。


 「なんかこっちに来てから濃くなったよなぁ、オレの生活。なんだか彩られたような感じだ」 

 
  訳の分からない事を言う。義之の出身地はここではなかったのか?

  でもまぁ彩られた云々は分かる気がする。私といい花咲先輩といい天枷さんといい、実に楽しいことだろう。

  男ならこれだけの女性に囲まれたらさぞや気分がいいだろう。


 「友達、か。そういえば茜の話も少し気になるな」 


  また、あの女の話か。

  いい加減にしろ。

  私は鞄からあの男から取り上げたナイフを振りかざした。 

  そして――――グチャっという音と共に突き刺さった。


 「あ、―――」

  
  呟き声にも似た声を上げる義之。

  しばらく訳が分からないといった感じであったが、膝が折れるように座りこんだ。

  そして振りかえり私と目が合った。きっと義之は怒り狂うだろう。またあの凄まじい暴力を振るうに違いない。

  だがそうはいかない。私はナイフを再び振り上げようとして―――止まった。義之の顔、『いつも』私と喋るような穏やかな表情をしていた。


 「・・・・・マジかー・・・・刺されたのかよ、オレ」

 「・・・・・・・・」

 「まぁ・・・・なんだ。よくドラマとかで見る光景だが・・・・いつもオレは思っていた事がある・・・・ごほっ」

 「・・・・・・・・」

 「なんで刺される男は、いつもマヌケなんだろうってな。だが、もうバカにできねぇ・・・・こんな有様じゃあな、はは」

 「・・・・・・・・」

 「何泣きそうな顔、してんだよ・・・・・エリカ」 


  言われて初めて気付く。目の辺りの所を手で擦ってみると確かに涙が流れていた。

  その理由―――考えるまでも無かった。私は、やっと義之と喋れて嬉しいんだ。ニ度と見れないと思った表情を私に向けてくれるのが嬉しいんだ。

  思わず笑いそうになる。しかし笑いそうになるだけで笑えなかった。どうしようもない女だ。そんな事でさっきまでの感情なんかどこか行ってしまった。

  ナイフが手から零れ落ちる。そして改めて気付いた。もう、義之以外の男は好きにならないだろう。確信した。この気持ちはこの先一生消えないだろうと。


 「・・・・・よっと」

 「あ―――」  


  壁に辛そうに寄りかかる義之。今までそんな表情なんて見せた事が無い。いつも強気な表情をして、芯が通っているかのような目をしていた義之。

  しかし今やそんな眼もどこか虚ろになっている。私は急いで義之に駆け寄った。自分でやっておきながら死ぬほど後悔していた。更に涙が溢れてきてしまう。

  馬鹿だ。阿呆だ。愚かだ。間抜けだ。私は嫉妬心で義之を殺そうとした。花咲先輩が羨ましかった。もうニ度と行けない場所にいる花咲先輩を嫉妬していた。

  なんだこれだと理由は付けていたが結局それが理由だ。義之を嫌いになる筈が無い。確かに天枷さんという人が居ながら花咲先輩と逢引していた事には怒って
 いた。当然だ、アレだけ見栄を切っていたのに浮気みたいな事をしていたのだから。

  だがそれは後付けの理由。真っ先に感じたのは寂しいという感情と嫉妬だった。私もああしてほしい、腕を組みたい。正直天枷さんの事などどうでもよかった。


 「最後に・・・・本当に腹割って話そうか、エリカ」


  最後。もう長くはないのだろう。私は嫌々するように首を振る。義之は苦笑いしながら私の頭を撫でる。その久しぶりの感覚にまた涙が込み上げてきた。

  ああ―――なんて取り返しのない事をしてしまったんだ。こんな事をしたら一生後悔するというのに。私は馬鹿だからそんな事さえ分からなかったのだろう。

  そして義之は喋りだした。私はその言葉を聞き逃さないようにと必死に耳を傾けた。


















 
  参ったわ、マジで。まさかというか順当というか、エリカに刺されたか。具体的にどこを刺されたとか分からないが急所スレスレの所を刺されたようだ。
 
  もし内蔵のどれかに一発でも刺さってたらこんなに喋る余裕は無い。すぐに昏倒してしまうだろう。オレだって人間だ。刺されて平気な訳ではない。

  いい感じで血脈が切れてるみたいで血が結構流れている。まぁ座っている場所のすぐ横の溝に全部流れていってるから事件沙汰にはならないだろう。


 「あーやっべぇわ。これすぐに救急車でも呼ばないと出血死で死ぬなぁ」

 「――――ッ! そ、そうだわっ! すぐに救急車を呼ばないと・・・・」

 「ああ、いいっていいって。そんな事しなくても」

 「え・・・・」


  救急車を呼ぼうとして携帯を持ちだしたエリカを制する。呆気に取られた顔をしたエリカ。

  オレだって死にたがりでは無い。今すぐにでも病院へ行ってちゃんとした処置を受けた方がいいぐらい分かる。

  だが―――そんな事よりもオレはエリカと話をしたかった。

  
 「最近元気にしてるか? その様子じゃ・・・・あんま飯なんか食ってねぇだろ」

 「な、なにをおっしゃってるのっ!? ああ、凄い血・・・・早く救急車を呼ばないと」
 
 「日本の食事が合わないなら・・・・良い店を紹介してやる。フレンチ店なんだが大層な外見の割に価格が安い。結構穴場なんだぜ、そこ」

 「あ、携帯を返しなさい! こらっ!」

 「まぁちょっと遠いから移動が面倒、というのはあるな。だったら・・・ドラッグストアにでも行けばいい。ごほっ、そこなら食い易いモンが結構ある」

 「義之っ! 私の話を聞いて―――――」

 「別にいいじゃねぇか。それより、お前と話がしたい、色々とな。それと――――ぶっちゃけもう死んでも、いいしな」

 「は・・・・・・・?」


  空を見上げた。こんな夜空の中、金髪の美人ねーちゃんに看護されながら死ぬというのも悪くない。

  そんな事を考えていると急に襟元を掴まれる。エリカの表情、怒っていた。あれ、もしかしてこういう表情を見るの初めてか?

  だったら貴重なもんが見れたな。冥土の土産という奴だろう。


 「今、なんておっしゃったの?」

 「死んでもいい、と言ったんだ」

 「天枷さんはどうするつもり?」

 「お前に任せるよ。案外面倒見良さそうだしな。それに何気にお前は義理固い、オレの遺言ぐらい受け取ってくれよ」

 「な、なんでそんな・・・・」

 「―――――刺された瞬間思ったんだ。ああ、ツケが回ってきたなって」

 「ツケ・・・・?」


  色んな人に迷惑を掛けた。今ではこんな良い人をやっているが、それで罪が消えた事にはならない。

  中には一生障害を抱える者もいただろう。それも一人ではなく、何人も。確かにあっちが悪いと言えばそれまでだが明らかにオレはやりすぎていた。

  前の世界も、こちらの世界に来てからも色んな人間を傷付けた。それは殴る蹴るの暴行であったり言葉の暴力であったり様々だ。


  特にエリカには酷い事をした。オレなんかいなければここまで顔をやつれさせる事など無かったし、人を刺す事なんてしなかった筈だ。

  エリカは本来優しい人間。他人を蹴落としてまで行動するような人間では決してない。だがその人間性をオレは変えてしまった。

  美夏をあんなに追い込ませて、泣かせて、襲わせて、それを見て何も感じない様な種類の人間ではない。以上の事をエリカに言ってやった。

 
 「だからって義之がそこまで責任なんて感じる事はありませんわっ! 悪いのは全部私、全部私のせいなのっ! だから病院へ行きましょう、ね?」

 「それは違う。オレが居なければそもそもこんな事態にはならなかった。お前が泣く事はなかった。それに、お前はオレがどういう性格をしているか
  分かるだろう? オレは、これからも絶対に人を傷つける。今までは運よく人を殺すなんて事はなかったが、これからも無いとは限らない」

 「だから何だって言うの!? だから死ぬって、そんな馬鹿げた話は無いでしょうっ!」

 「あと美夏の件だが・・・・よく考えたら一生傍にいてやる事なんて無理だよなぁ。ただでさえ今だってロボットという事で迫害に近い扱いを
  受けてるのにオレなんかが傍にいちゃ駄目だ。もし何かの拍子で殺人なんかしてみろ、オレも美夏もお終いだ」

 「そんなの気合いでなんとか我慢しなさいっ! 義之ならそれが出来るでしょう? もしまた暴れたら私が、私達が――――」

 「そしてお前達をまた傷付けてしまう。特にエリカ、お前にはこれ以上酷い事は出来ない。結構納得してるんだわ、オレ。お前に刺された事を。
  そりゃあそうだよな。あれだけ好き勝手振り回しといてエッチしてさようならだもんなぁ、オレが反対の立場でも同じ事をしたな、はは」

 
  オレという人間は元々社会で生きていなけい。こっちに来て多少落ち着いたと思ったが――――所詮は多少だ、結果また何人も病院へ送った。

  自信が無いと言ってもいい。美夏の事を考えれば考える程オレは傍にいてはいけないという思いに駆られる。美夏にはもっとふさわしい相手がいるのではないかと。

  今まではそんな気持ちを必死で隠してきた。美夏と一緒に生きていきたかったから。ずっと一緒に居たかったから。だから見て見ない振りをしていた。


 「美夏にはもっと良い奴が表れるよ。こんなロクでもない人間と違ってな。まぁそれはお前にも言えた事なんだけどな」

 「え・・・・?」

 「お前、もっといい男を見つけろよな。こんな男じゃなくてもっとしっかりした奴だ。今度は悪い男に騙されるなよ?」

 「・・・・・嫌」

 「おい、エリカ」

 「ま、まだ私は義之の事が好きなの、大好きなのっ! こ、恋人になんかならなくてもいい! ずっと傍にいたいの、だから・・・・・!」

 「・・・・はは。友達でもいいから、ってか。まったく、なんでオレなんかがここまでモテルか不思議だわ」

 「自分が気付かないだけで魅力に満ち溢れてるのよ、貴方は・・・・。だから天枷さんとか花咲先輩も貴方に惹かれた。貴方が死んだらその人達
  も絶対に悲しむわ。私がこんな真似をしでかしといて言う台詞では無いのですけれど・・・・」

 「―――――良い子になれると誓うか?」

 「え・・・・・」

 「もう他人をぞんざいに扱わないで前みたいに思いやりを持てるか? もう美夏を傷付けないか? 自分を傷付けないと誓えるか? 誓えるっていう
  なら、またオレ達仲良くやれるかもな」

 「――――――ッ! ち、誓う、誓うわっ!」

 「今ちゃんと誓うって言ったからな。まったく・・・・この間手首を切った時はマジで焦ったぜ。お前、自分の国の民の事なんか頭から抜けてたろ?
  お前が死んだら向こうの連中どうするんだよ」

 「あ・・・・・・」

 「それだけじゃない。家族も悲しむだろう。父ちゃん、お袋、兄貴と色んな人が悲しむ。そんな事なんて考えもしなかったろ?」

 「・・・・・・・」

 「いつも自分の国の民がどうのこうの言ってた奴が、そんな事を考えないまでに変わっちまったんだよ。オレのせいなんだけどな。
  でもまぁ、ちゃんと良い子になるって誓ったんだしこれで心配事は無くなったかな」

 「よ、義之?」

 「ずぅーーーーと気にしてたんだよ。美夏と付き合ってからもな。お前のいい所を全部消した事を」


  そう、ずっと気にしていた。誇りがあり、いつも自分の国の事を考えていたエリカ。

  そんなエリカを、オレはある意味尊敬していた。自分とは全然違う人間。オレには無い眩しい物をエリカは持っていた。

  だがオレが消した。恋は盲目というがエリカの場合は失明ものだった。治らないとまで思っていた。

  しかし今はエリカの誓いを信じるとしよう。オレが命を掛けてんだから悪い子のままだったら泣くぞチキショウ。


 「お前の、その誇り高い所にオレは惚れたんだよ。特に路地裏の時なんかマジでよかったね。オレみたいなノラ犬みたいなモノじゃなくて
  本当に王様って感じの威厳だった」

 「・・・・姫に向かって王様と言うのは失礼よ」

 「はは、そうだな、うん。だからまぁ・・・・そんなお前が変わっていくのが辛かった。だけど今の発言を聞いて安心したよ。ちゃんと前みたいに
  オレの事だけじゃなくて他の事も考えろよな」

 「――――――ええ、分かりましたわ。これからは義之の事だけじゃなくて他の事もちゃんと考えるようにします。だから病院に――――」

 「頼もしい返事だ。立派な貴族になって、くれ、よ」

 「―――――ッ! 義之っ!」


  ごふっと思いっきり吐血する。あちゃあ、かなり我慢して喋ってたからな。気を抜いたから一気に血が逆流してきたのだろう。

  排水溝に思いっきり血をぶちまけてやった。ああ、こりゃあ駄目だわ。少し血が黒いし、かなりイッちまってるよこれ。

  エリカが血相を変えてオレにしがみ付いてくる。とりあえず、この後の処理を言っておくか。


 「エリ、カ。今からお前の携帯に・・・電話を掛ける」

 「え――――」

 「筋書きは、こうだ。誰かに刺された、オレは必死に助けを呼ぼうとエリカの、携帯に電話を掛けた。その時お前は、家に居た事に、しておけ。
  そうすれば、お前は疑われ無い。ナイフは海底にでも投げておけ・・・・」

 「な、なにを馬鹿な――――」

 「オレの事だから、大した調査は、されない。まさか海底、まで漁らないだろう。まぁ、この計画の駄目な所は、美夏が悲しむ、所だな。
  最後に掛けた、相手がお前なんて知ったら、気絶するぜ、あいつ」

 「い、いい加減にしてちょうだいっ! ほら、私の手を握ってて! 今から救急車を呼ぶからっ!」

 「もう、遅い。あと五分以内ぐらいに、ごふっ、輸血しないと助からない、量だ」

 「そ、そんな――――だ、だれかっ! だれか来てぇぇぇぇ!」 

 「止め、ろよ。それじゃ・・・・お前・・・・が、疑わ・・・れる」
 
 「べ、別にそんなの構いやしないわよっ! 義之が死ぬぐらいなら捕まった方が全然マシだわ!」

 「・・・・・・・・・美夏、と、仲良く・・・・やれよな」

 「義之っ! 義之っ!」

 「・・・・・最後に・・・・いろ、いろ、ごめん・・・・・・な」

 「よ―――義之ィィィィィ!」


  呟くと同時にエリカの携帯の着信音が鳴り響いた。息絶え絶えながらも必死に掛けた。しかしエリカは取ろうとしないでオレにしがみ付いている。

  おいおい、オレが文字通り死ぬ思いでやっと掛けたというのはそれは無いだろ。まぁ着信履歴が残るだろうし、それで十分か、うん。  

  少し気を抜いた――――瞬間、意識が暗転する。もう何も耳に入ってこない。感触もしない。眼なんか開いているのか閉じているのかさえ分からなかった。

  五感が麻痺する。感情がごちゃ混ぜになった。混乱していると言ってもいい。もう助からないというのに脳と体は必死に生きようとしてるのが分かる。

  だが――――もう遅い。全てが終わった。心臓が止まった。そして最後に思った事。オレの行き先、きっと地獄だろうなぁ。そんな事だった。   
  
  







































 「恋愛のもつれで死亡、か・・・・。そんなにウケ狙いたいの?」
 
 「・・・・まず会って一言目がそれですか、ひっでぇ」

 「大体の事は桜の木を通じて知ってるよ。見事にまぁドラマみたいな死に方したね、義之君」


  そしてため息をつくさくらさん。そんな呆れた声を出さなくてもいいのに、オレだって好きでもつれたわけではないのだから。

  しかし――――またここに来ちまったか。合計三回目、ぐらいだっけ。この枯れない桜の木がある場所に来たのは。もう見慣れたと言ってもいい。

  心地いい風が吹いている。その風に煽られて桜がシンシンと降り注いでいた。そして感じるあの浮遊感。どうやら死んでしまったらしい。


 「それでですが・・・・聞きたい事があるんです」

 「ん? 何かな」

 「――――さくらさんて、どのさくらさんですか?」

 「・・・・なんだ、気付いてたのか」  

 「ええ。オレの知ってるさくらさんはそんなに髪が短くありませんから」


  さくらさんの髪型はツインテールの筈だ。しかし目の前のさくらさんはかなり髪が短くなっている。短髪と言って差し支えがなかった。

  大体雰囲気からして違う。今住んでいる世界のさくらさんはどこかオレに遠慮している雰囲気があるが、このさくらさんはそんな事を感じさせない
 物言いだった。むしろ遠慮なんて言葉を知らない可能性がある。まぁ、ずっと一緒に暮らしてきたからそれ相応に順応していたんだろう。

  オレは適当にそこら辺に座り目の前のさくらさんの様子を窺う。そんなオレのふてぶてしい態度にさくらんは少し目を歪ませるが何も言わない。


 「まぁ、なんというか・・・・久しぶりだね、義之君」

 「ええ、お久しぶりです。最後に会ったのは何時以来でしょうか?」

 「何を言ってるんだよ。ここと同じ場所で会った時が最後だったじゃない。まったく、そっちの世界でちゃんと頑張ってるかと思えば・・・・ハーレム
  を作ってるなんてね。さすがに予想外だったよ」

 「いや、別にハーレムじゃ・・・・」

 「天枷さん、エリカちゃん、茜ちゃん、由夢ちゃん。これだけの人数からあれだけ好かれてるんだから十分ハーレムだよ。なに、義之君は一夫多妻制の
  国に行くつもりなの? 堕落した生活を送りたいの? 愛と情欲にまみれた生活を送りたいの?」

 「いや、イスラムじゃその制度は実は厳しいんですよ。ちゃんと妻達を扶養しなくちゃいけないし、平等に扱わなければいけないんです。もしちょっとでも
  差が出るような扱いをしたら賠償金を払う事に――――」

 「黙りなさい」

 「・・・・・はい」


  ジト目で睨んでくるさくらさん。ああ、間違いない。この強気なさくらさんはあのさくらさんだ。オレが違う世界に行く前にオレの親をしていたさくらさんだ。

  なんの因果かしらないがまたこうして出会ってしまった。もしかしたら幻かもしれないが、オレにはそうは感じなかった。感覚的なもので確信があった。

  そしてまるで子供を説教するような口ぶりで話し掛けてくる。いや、本当に子供なんだけどさ。


 「ていうか桜の木すげぇ。プライバシーも何もあったもんじゃないっすね」

 「・・・・私の世界の桜の木を枯らそうとおもったらさ、なんだか違和感を感じたんだよ。おかしいなと思って覗いてみたら義之君がここに
  居たって訳。きっと私の知らない原理で繋がってるんだろうね。こっちの桜の木と私の世界の桜の木は」

 「へぇ・・・・」

 「まぁ義之君は桜の木から生まれたからここに来るのは道理なんだけどね――――で、どうするの?」

 「・・・・・どうするの、とは?」

 「一応希望を聞こうと思ってさ。義之君は普通の人とは違うから何とか出来なくもないんだよ?」

 「もう完璧に死んでるのにですか? それはありえない。もし、なんとかしようと思うなら――――」


  喋りかけた口を思わず閉ざしてしまう。気付いてしまった。さくらさんがしようとしている事が。

  オレがこの世界に来た事を思い出す。トラックに跳ねられ、もうあの世に行く事しか道が無かったオレが存命出来た事を。

  恐らくだが―――さくらさんはまたオレを違う世界に飛ばそうとしている。前と同じ方法で、今度も生き残れると言っている。


 「その様子だと気付いたみたいだね。そう、また違う世界に行ってやり直す事が出来るよ。だから――――」

 「もう、いいです」

 「え・・・・」

 「疲れましたよ、オレ」


  そう言って寝そべる。不思議な感じだがちゃんと背中に地面の凹凸の感触が伝わった。少し居心地が悪い気がするが黙って目を閉じる。

  違う世界にいってまたやり直す。懲り懲りだ。また一から始めるのか。また一から始めてあの日から始まった学校生活をやり直すのか。

  そんなのゲームと違って辛い思いをするだけだ。今まで笑い合っていた人物が他人を見るような目をしているのにとてもじゃないが耐えられない。


  特に美夏とエリカ。この二人からどうでもいい目を向けられるのには我慢が出来ない。失笑してしまう。思った以上にオレは腰抜けだったようだ。

  いい男を探せと言って置きながらオレはまだ未練があった。また微笑み合いたい。一緒に楽しい時間を過ごしたい。愛を感じたい。そんな思いがあった。

  だが・・・・それは出来ない。またオレは性懲りも無く傷付けてしまうだろう、そういう人間なのだからオレは。


  例えその二人を傷付けなくても他の人を傷付けてしまっては意味が無い。今までは運よく二人に迷惑を掛け無かったがあくまでそれは運がよかったからだ。

  オレに近寄らないで欲しい。オレの傍に居て欲しい。対極する二つの気持ち、もう面倒だった。そういう思いをまた抱えるというのならこのまま眠りたい。


 「もしかして・・・・何か気にしてる事があるの?」

 「別に。ただ、もう一回やり直しても意味がないです。オレの性格が変わらない限り」

 「義之君の性格?」

 「そうです。さくらさんも知ってるでしょうがオレはロクでもない性格だ。また絶対に他人を何とも思わないで殴るでしょう。
  さくらさんは知らないでしょうがこの間なんか酷かった。よく誰も死ななかったと思いました。ほとんどの人があの出来事
  で障害持ちになった。一生病院とは縁の切れない関係にオレがした。今度は人を殺しちゃいますね。そして周りの友人や好
  きな人にまで迷惑を掛ける。オレはそんなの耐えられない」

 「・・・・・・」

 「だから元の世界に戻るのも他の世界に行くのも無しです。だからオレは――――」

 「もしかしてさ、気付いて無い?」

 「え・・・・」

 「義之君さ、大分変わったよ。もう一生変わらないだろうなぁと思っていた性格がすっかり変わっちゃって驚いているんだから。
  大体今までの義之君の性格だったら絶対そんな事言わないもの」

 「それはこっちのオレと一緒になっちまったからですよ。少しばかり影響を受けて優しくなったようにも見えますが――――」

 「あ、それ、まだ途中だから。その内完璧に一つになっていい感じの性格になるよ。よかったねぇ、今度は自分の感情に振り回されないで済むんだから」

 「は・・・・?」


  聞き間違いだろうか。今さくらさんはまだ途中だと言った。今より凶暴性が落ち着いて振り回されないと言った。

  言葉の真意を図る為にオレはもう一度聞き直した。


 「えぇっと・・・・もう一度聞きたいんですけど、いいですか?」

 「うん? 何かな」

 「今より大分落ち着いた性格になるというのは・・・・どういう事ですか?」

 「どういう事も何も――――普通になるって事だよ。要は無闇に人を殴ったり蹴ったり出来なくなっちゃうって感じかな。まぁ何時になるかは
  分からないけど・・・・一年以内にはそんな危ない性格も落ち着くって事」

 「・・・・そうなんですか?」

 「そうなんです。そっちの義之君は本当に優しい性格をしていたんだねぇ、まるで酸とアルカリを混ぜたように中性になっちゃった。だから
  そんな事を心配する必要はないんだよ?」

 「・・・・・・・」

 「で、もう一度聞くけど・・・・行くの? 行かないの――――」

 「元の世界に戻る、というのは出来ないんですか? 帰れるなら早く帰りたいんですけど」

 「・・・・・・・」


  オレが唯一気にしていた事、それが解消された。オレはさっきまでの暗い気分から急に元気になったのを感じた。

  まぁ、オレは頭の切り替えが早い。それが分かったなら早いとこ戻って美夏やエリカに会いたい。こんな所にいつまでも居たくないしな。

  そんなオレの様子を呆れた感じで見ているさくらさん。さっきとは打って変わって元気になったオレをジト目で見ていた。なんて単純なんだ、さっき
 まで泣きそうな顔をしていたのにもうケロっとしてやがる、と言いたそうな顔をしていた。誰が単純だ、頭の回転が良いと言ってくれ。

 
  元の世界に戻りたい。それを無理を承知で言っている。もうオレは死んでいる、だからここに居る。前と同じで生き返る事は出来ないのだ。

  もしこの先も生き残れる可能性がある道が別の世界に行く方法しか残っていない、と言うのであればオレは諦めるつもりでいる。それでは何の意味も無い。

  絶対消えない、治らないと思っていたオレの性格、凶暴性が収まる。それはオレにとって嬉しい事実だった。何度この性格を憎んだか分かりやしない。

  ガキの頃からこの性格のせいで苦しい思いをしていた。寂しくなんて無かったと誰かに言ったが――――あんなの嘘に決まっている。

  人との繋がりが欲しかった。誰かに甘えたかった。友達を増やしたかった。そんな気持ちがいつも心の中にあった。当然だ、人間なら誰しもそう思う。
 本当に孤独が好きな人間なんて居やしない。オレは誰よりもそういうモノを欲していた。

  だが人が近づくと感じる嫌悪感。本当は人を欲しているのに遠ざけてしまうこの性格。いや、性格なんてものじゃない。そういう在り方に生まれて来て
 しまったオレ、誰を憎むべきか分からなかった。


  だからつい縋るような目でさくらさんを見てしまう。元の世界に戻りたい。美夏達が居る世界に。やっと出来た繋がり、捨てたくなかった。


 「・・・・そんな泣きそうな顔で見ないの。まったく、本当に変わったね、義之君」

 「お願いします。なんとか出来ませんか。もう一度、もう一度美夏達と日常を一緒に過ごしたいんです。だから――――」

 「うん。じゃあ、帰ろうか」

 「その為だったらオレ・・・・って、え?」

 「何ボサっとしてるの? 帰るんでしょ? だったらホラ、立ちなさい」

 「あ――――」  


  そう言ってオレの手を持って立ちあがらせる。目を閉じて何かに集中するような仕草を見せるさくらさん。

  オレは慌てて引き留めた。面倒そうに不機嫌な顔をするさくらさん。ていうかさくらさん変わりすぎじゃね? 前はもっと優しかった筈だ。


 「そんな面倒そうな顔をしないでくださいよ・・・・前はもっと優しかった筈なのに」

 「そうかな、別に普通だよ。早く帰って向こうの私とハグしたら?」

 「え・・・あ、・・・・」

 「随分向こうの私を気に入ったみたいでよかったよかった。まるであの義之君が駄々を捏ねるみたいに抱きついてるんだもんね。
  いやぁ、妬けちゃいますなぁ」

 「・・・・・・」

 「だから早く帰って――――」  

 
  言い終える前にオレは目の前のさくらさんに抱きついた。ビクッとしたように体が驚く。更にオレは抱き締める手に力を入れた。

  なるほど。ただ妬いているだけだったのか。それだったら少し不機嫌な顔をしていた理由が分かる。案外可愛い所があるじゃないか。

  オレはしばらく抱き締め続けた。まぁ、オレとしても悪くない気分だ。もう会えない相手、その人物に会えたんだから。


 「・・・・やっぱりね」

 「何がですか?」

 「やっぱり義之君はプレイボーイだったんだなって。こんな事、平然とやるんだからさ」

 「嬉しくないですか? オレは嬉しいです。またさくらさんに会えたのもそうですし、こうやって抱き締める事が出来るなんて思わなかった」

 「・・・・そういう事は聞くもんじゃないでしょ」

 「そうですね、はは。まだまだオレもプレイボーイと呼ばれるには早いみたいです」

 「――――帰ったら一応エリカちゃんにお礼を言っておいた方がいいかもね」

 「え・・・・」

 「エリカちゃんが絶対死なないでって一生懸命お願いしたから桜の木がそれを叶えたんだよ。だから義之君は元の世界に戻れる」

 「そうだったんですか・・・・」


  なるほど、それが理由だったのか。桜の木もたまには良い事をするじゃないか。さくらさんの話を聞く限りじゃ暴走してるみたいだし悪い印象しか
 無かったから見直してしまった。

  でもだったら最初に意地悪しないで教えてくれればよかったのに。きっとワザと言わなかったに違いない。あのさくらさんが忘れてたなんてある訳無いの
 だから。オレが聞かなければ教えてくれなかったろう。

  まぁ、さくらさんの事だからオレの様子を見て何か迷いを感じ取ったのかもしれない。あのまま言われてたらきっとオレは素直になれずこのまま死にたい
 と言っていたに違いない。だからオレが理由を話し出すまで待っていたのだ。まったく、やっぱり勝てねぇな。


 「それじゃ――――向こうへ行っても元気でね」

 「はい。さくらさんも風邪なんか引かないで下さいね。音姉達が心配します」

 「・・・・義之君は心配してくれないの?」

 「揚げ足を取らないでくださいよ・・・・・・オレも心配するに決まってるじゃないですか」

 「にゃはは。うん、そうだよね。今の義之君ならそう答えると思ってたよ。ありがとうね、義之君」
 
 「お礼なんて別にいいです。ただ本当にそう思っているから言ったまでですから」 

 「――――だから嬉しいんだよ」

 「あ・・・」


  途端に感じる浮遊感。体の感覚がぼやけてくる。まるで夢から覚めるような感覚。間違いない、オレは元の世界に戻れるようだ。

  思わずさくらさんの手を握る。子供の頃以来に握ったその手は暖かった。そして握り返してくるさくらさんの手。それに安諸したようにオレは目を瞑る。

  消える間際に聞こえてきたさくらさんの声。今度は刺されないようにしなさいよ。思わずオレは笑ってしまった。最後の最後で皮肉かよ、酷いなぁ。


 
  だからオレは返してやった――――分かってますよ、母さん。母さんこそそろそろ結婚した方がいいんじゃないの? もう歳寄りなんですから


  
  さくらさんが怒ったように何かを言い返してきたがもう遅い。オレは体の感覚を無くしたように何も感じなくなった。

  前から思ってたんだけど早く結婚しろって。世の中にはロボットを好きになる奴がいるぐらいだ。中には魔女に惚れる男性も居るだろう。

  大体そういうのは魔女の専売特許だろうに。しかしさくらさんはこう思っている。寂しい思いをするから家族なんかいらない。その理屈は確かに分かる。

   
  だがさくらさんには諦めて欲しくない。幸せになって欲しい。みんなと同じように普通の生活を送ってほしかった。

  すげぇ魔法使いなんだからそれぐらい出来るだろ。出来ないって言うのであれば修行でもなんでもしてもっと今より凄い奴になればいい。

  さくらさんならそれが出来ると思う。そう言いたい。言いたかった。だが口はもう開く事が出来ない状態。歯痒かった。


  しかし、気のせいか―――最後に分かったよという返事が聞こえてきた気がする。オレはその返事に満足して完全に意識を手放した。

  お互い、そろそろ幸せになろうぜ。そうオレは心の中で強く思いながらあの世界に戻った。新しく出来た絆を再び求めて。














    




[13098] 23話(前編)
Name: 「」◆57507952 ID:1b395710
Date: 2010/01/13 03:19














 「本当に、本当?」

 「だから言ってるじゃねぇか。茜とは何もねぇよ。転校する予定だから無理矢理あんな事してきたっていう話なだけだ」

 「・・・・でも」

 「でもも何も本当の事だ。これでも一応彼女がいるから嫌だったんだぜ? まぁ茜の場合少しボディタッチが激しいから
  勘違いしたのかもしれないけどな」

 「・・・・それだけで普通はキスしないわ」

 「だから言ったろ? 転校する予定で――――」

 「じゃあ私も転校しそうになったらキスしてくれるの?」

 「揚げ足を取るな。茜とは何も無い。オレは美夏が一番大事―――話はそれでお終いだ」

 「あ―――」


  ベットに再び背中を預けてオレは再び目を瞑る。起き抜けに一気に喋りまくった所為で少し疲れてしまった。あーしんどいわ・・・・。

  でもまさかエリカに茜との会話を聞かれていたとは思わなかった。空き部屋でのキスとかほっぺにチューも全部知られてたと聞いて少し焦ってしまった。

  まさに気分は浮気現場を見られた夫といった具合。その面子の中に自分の彼女が居ないというのは・・・・なかなか業が深いと思う。


  まず起きて目に入ったのはエリカの涙でくしゃくしゃになった顔だった。ずっと泣き腫らしていた様な顔をしていてオレと視線が合うと更に泣いてしまった。

  なんとか根気よく頭を撫でたり慰めの言葉を掛けたりして一応落ち着かせたが、その後は質問責めだった。茜とは浮気しているのか? 美夏が彼女ではいのか?

  オレがちゃんと答えを返しても何度もしつこく聞いてきたのでオレは話を強制的に終わらせる。実際に本当にオレは疲れていた。


 「あら、私に何のお礼も無くまた寝るつもりなのね。死ねばよかったのに」

 「・・・・・」


  酷い言葉を投げかけてきたのは水越先生。つまらなそうにベット脇にある簡素な椅子の上に座っていた。恐らくここは禁煙なんだろうが構わず煙草を吸っている。
 
  オレが今眠ってる場所は水越病院で空いた病室を使わせてもらっている。日付時計を確認するろあれからもう三日が経っていた。長い事オレは眠っていたみたいだ。

  そして今の時刻は夜中の十二時。また変な時間に目を覚ましてしまったようだ。眠気なんか襲ってこないし横になってもそれは同じだった。

  エリカに聞いた話だとあの後たまたま通りがかった水越先生が泣きじゃくってるエリカと血だらけのオレを発見したらしい。そして下手に普通の病院に行く
 より水越先生の融通が効くこの病院の方が何かと便利という事で搬送された。一時的だが―――何度か心臓が止まったらしい。


 「それにしても貴方って本当にしぶといのね。絶対助かりっこない程出血してたというのにこうして生きてるなんて」

 「オレもそれは思います。まぁまだ生きてやりたい事がいっぱいあったんで・・・・死ぬに死ねないですよ。美夏を残したままなら尚更です」

 「よく言うわ。痴情のもつれで刺された癖に。あと・・・ムラサキさんだっけ? だめじゃない、ちゃんとトドメを刺さなきゃ」

 「え、あの、その・・・・」

 「あんまり変な事そそのかさないでください。エリカは普通に常識人なんですから」

 「常識人が美夏にあんな真似をするとは思えないけどね。聞いてるわよ。貴方でしょ、美夏を襲ったのって」

 「え――――」   

 「一応私は美夏の保護者みたいな者なんだけどさ、困るんだよねそういう事されちゃ。やっと義之君のおかげで人間嫌いが治ってきたというのに台無し
  になる所だったじゃない。まぁ―――怒ってる理由は勿論それだけじゃないけどね。意味、分かるでしょ?」

 「・・・・はい」


  まぁ・・・最もな話だ。自分が娘みたいに可愛がってた子が男達に乱暴された。そしてその首謀者が目の前にいる。心中は察する事が出来る。

  もしここで水越先生がエリカをぶっ叩いても仕方が無いと思う。それで済むならまだいい。それ以上の事をしでかす可能性があるのでオレは背中を起こした。

  シンと静かになり緊張感が流れ出す。しかし水越先生は特に何をするつもりは無いのか、煙草の灰を灰皿に捨て顎に手をついて目を瞑った。


 「まぁ―――過ぎた事をガタガタ言うのは好きじゃないから何も言わないわ。美夏も無事だったみたいだし不問にしておく。だけど、もしもう一回そんな事を
  したら・・・・殴るだけじゃ済まないわよ」

 「・・・・心得ておきます」

 「よろしい。ならこの話は終わりね。とりあえず今日の所は帰りなさいな。夜も遅いしあんまり眠って無いんだし家に帰って――――」

 「あ、でも・・・・」


  呟いてオレの事をチラチラ見てくる。視線の意味―――オレとまだ一緒に居たいという感じに見て取れた。多分間違ってはいない。

  どうしたもんか。パッと見で結構疲れているのだから本当はその何倍も疲れているに違いない。オレとしてもあまりこれ以上エリカには負担を掛けたくなかった。

  そんな様子を見て水越先生はため息を付く。顔はいかにも面倒臭そうな顔。


 「いいから帰りなさい。もう義之君は無事だって分かったんだし、喋りたい気分も分かるけどまだ完全に容体は安定してる訳じゃないの。
  ここでまた悪化したなんて事になったらどうするの?」

 「・・・・・・」

 「はぁ、参ったわね。ただでさえ無理言ってこの時間まで居させてるのに。もう夜中の十二時なのよ? 送って行くから、ホラ」

 「・・・・いいです。今夜は義之と一緒に居ます。隣に空きベットがあるのでよろしければそちらを使わせてもらいたいのですが・・・・」

 「・・・・・・」

 「なんでオレの方を見るんですか」

 「なんで貴方はこんなにモテるんだろうなぁ~って思ったのよ。女の子にはだらしないし何気に優柔不断な所はあるしその他色々あるのにね。
  美夏も本当に入れ込んでるし・・・・理解不能だわ」


  随分な言われようだ。オレだってこんなにきゃーきゃー言われるような人間だと思っていなかったので時々戸惑う事はある。

  人の事を平気で殴るし口も悪いし人付き合いも決して上手くない。なのにエリカを始め色々な女性にアプローチを掛けられるというのは摩訶不思議だ。

  その中でもエリカは本当にオレの事が好きなのは伝わってくる。お姫様で美人でかなり人気がある筈なのに他の男には見向きもしない。

  エリカ程の女なら引く手多数なのにな・・・。エリカはオレの事をかなり過大評価している節があった。


 「――――お言葉ですが義之程の出来た人間はいないと思います。少し手が早いというのは確かにありますが、それを差し引いても魅力は色々あります。
  頭はいいし行動力はあるしカリスマもある。そして何より、眼に芯が通っています。最近の男性でこういった人はなかなか居ません」

 「おいおい、それは過大評価のしすぎだ。前から思っていたんだがお前はオレの事を少し持ち上げ過ぎなんじゃねぇか?」

 「そうねぇ、それは確かにあるかもしれないわね。義之君は貴方が思っているより立派な人間じゃないわよ? 結構ろくでなしだし」

 「・・・・いや、そこまで言わなくてもいいじゃないですか。一応自覚はしていますがハッキリ言われると少しだけ傷付きますって」

 「だったらあんまり美夏の事を泣かせないでくれる? 貴方は貴方なりに頑張っているんでしょうけど私から言わせてもらえばまだまだだわ。
  もっと精進しなさい」

 「・・・・・うーす」

 「過大評価なんかではありません。相手が義之だからって事で少し眼を眩ませてるとお思いになると思いますが、私は本気でそう思っています。
  今も昔も、そしてこれからもその考えは変わらないです。それに――――」 

 「ん、それに?」

 「義之はとても優しい所がありますから・・・・そこが一番大好きです」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」


  病室に流れる微妙な雰囲気。エリカはどうやら本気でそう思っているらしく少し照れながら俯いてしまった。
  
  そんなエリカを信じられないような目で見ている水越先生。まぁ、その気持ちも分からなくも無い。オレだって同じ気分だ。

  今までエリカにしたてきた酷い事は数えきれない程ある。気絶するほど顔面だって殴った。なのにそこまでハッキリ言い切るとは信じられない。


 「エリカ、本気で言ってるのか? オレは散々お前に酷い事をしてきたんだぜ? お前に気があるような発言と行動をしておいて美夏と付き合ってるし
  殴りもした。何回も夜を一緒に過ごしたり体を重ねた事もあるのにオレはお前を裏切ったんだぞ」

 「・・・・なんですって?」

 「なのにお前がオレを優しいなんて言うのはおかしい。だってそうだろ? 大嫌いになるもんだと思っていた。そうなるような行動もオレはしていたんだ」

 「ちょっと、義之君。さっきの話は本当なの?」

 「・・・・殴られたのは私の所為よ。義之があれだけ大事にしている子を襲ったんだし、卑劣な手を使って。それに大体は私が無理矢理誘ったのだから
  義之は何も悪い事はしていないわ」

 「だがそれを承諾したのはオレだ。本当に優しいならそれを突っぱねる事が出来た筈なんだ。なのにオレはそうしなかった。結局オレは優柔不断でどっち
  つかずの最低野郎だったわけだ」

 「そう、私の事を無視するのね。今度の給料半分カットだから」

 「すいません。それだけは勘弁してください」

 「・・・・だから優しいのよ。第三者の目から見れば優柔不断に映るかもしれない。でも義之は私が悲しむ所を見たくなかったからそういう行動を
  取ったのでしょう? 私は今でもそうしてくれてよかったと思っている。確かにそれのせいで色々嫌な事があったし酷い事もしたし、されましたわ。
  でも義之にもし完全に突っぱねられていたら・・・・また手首を切っていたかもね、一人で」

 「・・・・・・」


  確かに、そうかもしれない。エリカと過ごしてきた中の色々な局面で断れる選択肢は多くあった。だがオレは断れなかった。

  最初の夜のあの日――――オレがエリカの家に初めて泊まった時の事だ。オレが唯一エリカを離す事が出来るチャンスがあったあの日。オレは断れなかった。

  エリカと決別する機会はあの場面しかなかった気がする。その日を境にエリカはオレにべったりするようになった。まるで小さな子供が親から離れないように。

  もしその状態のエリカを突き離したらどうなっていただろうか。親に見捨てられた子供はどうなるのか。一人で生きていく―――難しい事だと思う。


  エリカはそれほどまでに弱かった。だからオレは美夏と付き合ってからもエリカと一緒に居たんだと思う。どうしても一人にはさせたくなかった。

  一度友達になるという選択肢があったがエリカはそれを拒否した。友達では嫌だ、恋人になりなたい。そういう思いがエリカには強くあった。

  じゃあ・・・今はどうなのだろうか。今のオレ達の立ち位置、微妙だと思う。ハッキリさせたかった。またグダグダになって誰かが傷つくのあってはいけない。


 「恋人なんかなれなくていい」

 「え・・・・」

 「エリカは確かにそう言っていた。けどお前は友達になる事を拒否したよな。この先、どうするんだ?」

 「・・・・・」

 「オレはこのまま一緒に居るのは辛いだけだと思う。美夏と別れる気なんて毛頭ないしな。オレとしてはこのままオレから離れた方が――――」

 「気が変わりましたわ」

 「は・・・?」

 「友達でも何でもいいから義之と一緒に居たい。これが私の率直な気持ちですわ。前はその約束を破ってしまったけれど今度は絶対に守るつもり」

 「・・・・本当にそれでいいのか?」

 「ええ、勿論。了承してくれまして?」

 「はは、なんでお前偉そうなんだよ・・・・ったく。久しぶりに見たぞその態度」


  ああ、こんなエリカは本当に久しぶりだ。最初に会って以来かもしれねぇ。あの時はツンツンしてて面白い奴だとしか認識していなかった。

  それがいつの間にか切羽詰まった顔と悲しい顔しかしなくなった。オレがそうさせてしまった。だが今のエリカはあの時みたいにハツラツとしている。

  まぁ、今度こそ大丈夫だろう。文字通りオレの命を掛けていい子になるって言ったんだからな。


 「まぁ、別にいいよ。友達になるか・・・オレ達」

 「よかったわ。断られたらどうしようかと思ってましたの」

 「断る筈が無い。恋愛感情抜きでもお前の事は気に入っている。これからよろしくな」

 「ええ。こちらこそ」


  そう言って手を握り合う。今まで幾度なく手は握り合ってきたが今度のは意味合いが違う。再スタートの握手だ。

  色々あっただけに感傷深いモノがある。友達なんていう関係には絶対になれないと思っていたが、なんとかいい形で収まったか。

  そしてエリカは椅子から立ち水越先生に話し掛ける。


 「私、帰りますわ。義之も疲れているだろうしこれ以上迷惑を掛けたくありません。素直に今日は引き上げます」

 「私が横にいるのによくそんな青春出来るわね・・・・。見ていてなんか、こう、ムズ痒かったわ」

 「昔のよき日を思い出しのではないのですか? お歳を召されるとなかなか来るものがお有りになると存じます」

 「――――言ってくれるじゃない? 色男の義之君に振られた癖に」

 「友達になれたから別にいいんです。それに私は思った事を素直に言っただけですから。さあ、早く帰りましょう。送ってくれるんですわよね?」

 「・・・・このお姫様は本当に」

   
  ブツブツ文句を言って立ち上がる水越先生。なんだかんだ言って送ってくれるというのは大人なんだろう。もしくは今のがこの二人の距離の取り方か。

  下手にエリカが気を使ってペコペコするのも水越先生は気に入らないだろうしあれはあれでいいのかもしれない。オレはそう思いながらその背中を見詰めた。

  そして二人して病室から出ていく―――前にエリカが言葉を投げかけてきた。


 「ああ、それと義之?」

 「ん、なんだ」

 「天枷さんと仲良く・・・・というのは時間が掛かるかもしれないわ。私も色々思う所あるしあっちもそうに違いないでしょう」

 「・・・・かもな」

 「それ以外は義之との約束は守る。それでいいかしら?」 

 「別にいいよ。ていうか無理に仲良くならなくていいぜ。人それぞれ合う合わないがあるわけだしな、無理に仲良くしようとして変に亀裂が入ったら
  元も子も無い。自然体でいいよ」

 「・・・・ありがとう。それじゃあ、お休みなさい。また明日ね義之」

 「お礼なんか別にいいのに・・・・またな、お休みエリカ」


  微笑の顔を浮かべエリカは今度こそ出ていく。水越先生も去る間際に「お休みぃ、色男」と言って出ていく。あの人はなんだか最近オレに冷たいな。

  まぁいいやと呟いて目を瞑る。明日は多分さくらさんとか音姉達も来るだろうし、茜達も来るだろう。勿論オレが一番会いたい美夏にも。

  とりあえず今は寝て体力を養わなければいけない。オレはそう考え、無理矢理眠りに着いた。































 「それにしても交通事故に会うなんて・・・・やっぱり普段の行いの所為かしらぁ」

 「なんだとテメー・・・・言ってくれるじゃねぇか、ああ?」

 「あ、茜・・・・そんな事言ったら失礼だよ」

 「小恋なんか失神そうな程ショック受けてたものね。口は半開きで舌なんか出して顔は虚ろで―――まるでゾンビだったわ」

 「そ、そんな顔してないでしょっ! まったく~」


  ふくれっ面をする小恋。そんな小恋を茜と雪村は弄り出す。そこにはいつも見る風景が病室で展開されていた。

  まずオレの病室にお見舞いにしにきてくれたのが茜達一向だった。菓子やら何やらを盛り沢山を持ってきてくれたのでキャスターの上から溢れそうになっている。

  どうやら水越先生がオレの近しい人物達に意識が回復したと伝えてくれたようでまだ他にも見舞い客が来るらしい。まったく騒がしい事だ。


 「でも無事で本当に何よりだわぁ。意識が全然戻らないから本当に死んじゃうかもって思ったしぃ・・・・」

 「まぁ、心配を掛けたな。オレもうっかりしていたよ。ボーッとして道を歩いてたら車が突っ込んでくるんだからよぉ、マジで焦ったね」

 「美夏と付き合って幸せの絶頂だったものね。神様はやっぱり見てるのよ、人間は平等に扱わなければいけないって」

 「神様なんて数えきれないほどいるからどの神様か知りたいね。殴り倒したい気分だぜ」

 「もう、義之はそんな事ばかり言って・・・・また事故にでもあったらどうするの?」

 「その時はその時だ。またこうやってしぶとく生き返るよ。それにオレは考えを変えるつもりはない、どうせ神様なんてロクでもない奴ばっかりだ」

 「まったくぅ、そんな事言ってると本当に今度こそ罰が当たるかもしれないわよぉ? でもまさか私と別れた直後に事故に会うなんて・・・・」

 「・・・・気にするな、茜」

 
  交通事故―――どうやら周りにはそう伝えてあるらしい。夜道を一人歩いてきた所に乗用車が突っ込んできて瀕死寸前になった。そういう事になっている。

  まぁ女子生徒に背中から刺され重体ですなんて言えないもんなぁ。事故っていう嘘も大概情け無い様に思えるが本当の事を言ったらもっと情けない。手回し
 をしてくれた水越先生に本当に感謝だな。何だかんだ言ってオレの良い様に取り計らってくれた。

  それに本当の事を言ったら茜が何をするか分からない。茜は結構義に厚い奴なのでエリカに報復しに行くかもしれないしな。


  茜―――本当に心配を掛けてしまった。今ではなんて事ない普通の態度をしているが病室に入ってきた茜の顔を見た途端オレは少し驚いてしまった。

  涙をポロポロ流し、体を震わせながら抱きついてきた。さすがの雪村も小恋もそんな様子の茜をからかう事は無く見守っていた。

  色々言葉を掛けてついさっき普段の茜に戻した所というのが今の現状。オレの事が好きというのもあるのだろうが茜と別れた直後の事故だからコイツ
 も何か思う所があったに違いない。何気に責任感みたいなのが強いから余計な心配をしていた可能性があった。


 「気にするなって言うけど、それは無理だわ。もしあの時私が義之君に余計な事をしなければ事故に会わなかったって事じゃない?
  もっと言えば事故の原因の一角は私が担っていたって言っても過言じゃないもの・・・・」

 「それが余計な気遣いって言うんだ。そんな事言ったらキリがねぇだろ? そもそもその日学校に来なければ事故に会わなかったって言ってるようなもんだ。
  色々偶然が重なってこういうもんは起きているもんだとオレは感じている。何もお前が余計なモン背負う必要は無い」

 「・・・・それは、そうかもしれないけどさぁ・・・・」

 
  シンとした空気になる。雪村達もどうしたもんかといった表情をしていた。

  そんな時小恋がおもむろに立ちあがり花瓶を手に取った。

   
 「あ、わ、私、花瓶の水を取り替えてくるね」

 「――――貴方、ちゃんと水汲み場の場所覚えてるの?」

 「あ・・・そういえば。ど、どこだっけ・・・・? あ、あはは」

 「はぁー、そそっかしいんだから。着いてきなさい。さっきこの病院の見取り図を見て場所はもう把握しているわ」

 「う、うん。ありがとうね杏」

 「礼はいらないわ。行くなら早く行きましょう」
      

  そう言って病室から連れだっていなくなる雪村と小恋。そしてこの病室に取り残されたのはオレと茜だけになった。

  その時―――茜がうーんと言って背伸びをした。その様子はさっきまでの暗い雰囲気とは打って変わって普段通りの明るい雰囲気といった具合。

  オレが怪訝に思っていると、茜が目を合わせないで独り言のように喋り出した。


 「それで―――どうなのよ?」

 「・・・・どうなのよ、とは?」

 「とぼけないでよぉ。本当は事故なんかじゃないんでしょ?」

 「なんで分かるんだよ」

 「なんでもなにも・・・・顔とか無傷なのに意識が昏倒する程の怪我ってありえないでしょう? それは確かに見事に頭だけ打ってそうなった可能性もあるわ。
  でも違うんでしょう? 本当は別な事が原因なんだよねぇ?」

 「何言ってるかわからねぇよ。お前の言う通り頭だけ見事に打っちまってさ、意識がしばらく戻らなかったんだよ。それ以上でもそれ以下でも――――」

 「背中から大量出血したっていう話をさっきお医者さんに聞いたわ。なのに義之君は頭だけ打ったって今言った。どういう事なのかしら?」

 「・・・・・」


  引っ掛けかよ。さっきの暗い雰囲気も演技だったって事だ。こいつ、やっぱりしたたかな所があるわ。

  さて、どうしたもんか。別に言わなくたっていい。オレがだんまりを決めればそれ以上追及はしてこないだろう。茜もそれが分かっている筈。

  茜は少し椅子の居心地が悪いのか少し尻のあたりを気にしていた。まぁ、安い椅子だし座り心地はよくないだろう。


 「ああんもう・・・・なんだかお尻が落ち着かないわねぇ。これだからこういう所の椅子は嫌なのよぉ」

 「地べたに座るよりはマシだろ。まぁオレはこうして快適なベットの上にいるから関係ねぇけどな」

 「よく言うわ。どうせ―――エリカちゃん辺りにでも刺されてそこに居る癖にぃ」

 「・・・・・・」

 「義之くんの第一発見者ってエリカちゃんなんですってね。ずっと泊まり込みみたいな感じでずっとこの病室に居たわ。何かに責任を感じるようにね。
  みんなもいい加減帰った方が良いって言ってるのに頑として首を振らなかった。それとも私の考え過ぎかしら?」

 「・・・・そうだな。映画やドラマの見過ぎなんじゃねぇか? エリカがそんな事をする訳ねぇだろ」

 「私は刺しても別におかしく思っているわ。あの娘ってそういう子だもの。義之君の事が好きな余りに憎さも相当なモノになると思うしね」

 「あんまりオレのダチを悪く言わないでくれ。オレまで嫌な気分になっちまう」

 「・・・・ダチ?」

 「ああ、ダチだ」


  何も間違ってはいない。昨日約束したばかりだしエリカもその約束を守ると言ってくれた。

  茜はオレの発言に少し考えるように頭を少し俯かせて考え始める。まぁ、答えをだしてるようなもんだしすぐに気付くだろう。

  そしてすぐに茜は顔を上げオレの顔を見詰めた。口に人差し指を当ていつものポーズ。顔は笑っていた。


 「なるほどねぇ、そういう形に貴方達は結局収まったのね。また裏切られるような事が無い様に気を付けてね義之くん」

 「だから、何の事を言ってるか分からねぇよ。茜」

 「昨日あたりに話でもしたんでしょう、エリカちゃんと。彼女の姿が見えない所を見ると本当に納得して帰ったみたいね」

 「どういう事だ?」

 「納得してなかったら多分今でもここに居ると思うもの。義之くんと居たがる為にそう言って嘘をつく可能性も否定出来なくは無いわ。
  事実前はそんな感じだったんでしょ? 杉並くんから聞いたわよぉ、一時的だけどそうやって騙されたって」

 「騙されたっていうのは聞こえが悪いな。信用していたって言ってくれ」

 「どちらにしても裏切られたのには変わりは無いわ。まぁ、貴方の事だからもう終わった事だしっていう考えなんでしょうけど」

 「そうだな、その通りだ。大事なのはこれからどうするかって事だが・・・・上手くやっていけると思うぜ」

 「・・・・そう。ならまたゴタゴタしないようにしなきゃね」

 「もうそんな事は起きやしねぇよ。今度こそもう全部終わった。もう何も気にする事はねぇ」


  起こしていた背中をべットに倒す。少し喋り過ぎたかも知れない。軽い気だるさがオレを襲った。

  そんな様子のオレを見て茜が帰り支度を始める。そろそろ日が遅いし確かにもう帰った方がいいのかもしれない。

  そしてちょうどいいタイミングで雪村達が帰ってくる。茜の様子を見て少し驚いた顔をした。


 「え、もう帰る準備をしてるの?」

 「まぁねぇ~。義之君も少し疲れているようだし今日は帰ろうかなぁと思って。小恋ちゃん達もそれでいいかなぁ?」

 「うーん、まぁしょうがないよね。義之も病み上がりなんだししょうがないよ」

 「残念ね、小恋。義之と色々喋れる機会があったっていうのに」

 「べ、別に私は・・・・」

 「出来る事なら二人っきりにしてもよかったのよ。ねぇ、茜」

 「だねぇー。まぁでも義之くんには彼女さんが居る事だし・・・・行く道は修羅の道って感じ?」

 「も、もうっ! いい加減にしてよぉ・・・・」


  また騒がしくなり始める病室。そして二人もいそいそと支度を始めた。オレは寝っ転がりながらそんな様子をボケっと見詰める。

  それにしても茜はともかく雪村や小恋までもオレの見舞いにくるとは思っていなかった。最近やっと喋れるようになってきてはいたがまだ距離を
 感じていらからな。オレがこの世界に来て初めて取った態度が態度だからしょうがない部分もあるが。

  だがそんな最悪の環境からこうやって笑い合える関係にまで持ってこれたのはオレが変わったせいか、それともこの世界のオレ自信の人徳によるもの
 なのかは分からない。まぁ、どっちでもいいけどな。こうやって今、談笑出来ているのだから。


 「じゃあ、またねぇ~義之君」

 「ちゃお、義之」

 「またねー、義之」

 「あー・・・・あいよ。またな」


  別れの挨拶を済ませて病室から出ていく女性陣。うーん・・・、やっぱりオレの知り合いは女ばっかだな。それもみんな可愛いか美人と来ている。

  確かに目の保養にはなるがやっぱり少し窮屈だわ。こう、思いっきり下ネタが出来るような奴いねぇかなぁ、そういうノリもオレは好きだし欲しいと思う。


 「まぁ、探して見つかるもんじゃねぇしゆっくり―――ん?」


  窓の外にひらりと舞う桃色の桜の葉。少し身を起して外の様子を見てオレは少し驚きの感情を露にする。

  桜が―――枯れている。それも枯れ始めなどでは無く、だいぶ外の景色が変わり果てていた。恐らくオレが眠っている時に枯れ始めたのだろう。

  しばらくの間外の様子を見ていたが、身をベットに沈ませる。そうか、さくらさん達がとうとう枯らしたのか。


 「―――これでもう奇跡は起きないって訳か。しかしずっと慣れ親しんだ桜の木が枯れるっていうのは・・・・少し寂しいな」


  オレが小さい頃から当然の様にあった桜の木。そしてオレの原点でもある桜の木が枯れると言うのはなかなかどうして寂しいモノがある。

  ずっと桜の木には身近に感じる何かがあったし因縁もある。そもそもオレがこの世界に来たり生き返ったのも全部桜の木が関係していた。

  小さな奇跡どころじゃねぇ、宝クジに当たるよりも凄い奇跡の体験の数々。感傷深いものがそこにはあった。そして心配事が一つ。


 「藍の野郎大丈夫かよ。あいつ多分桜の木のおかげでいられるんだろうに・・・・消えちまうじゃねぇか」


  オレがエリカに刺されなければその事を相談しにいく予定だった。藍とは短いながらも濃い付き合いだしなんとか助けてやりたい気持ちはある。

  だがこうなってしまったらもうオレに出来る事は無い。せいぜい良い思い出を作ってあげるぐらいしか出来ねぇか。何もしないよりはいいだろう。

  そう考えまた目を瞑る。体は元気になったもんだと感じていたが、思った以上に疲労感はあったらしい。オレはすぐまた浅い眠りに着いた。



















 「はい義之、あーん」

 「・・・・あーん」

 「どう、味は?」

 「・・・・リンゴの味がする」

 「もう。美味しいかどうか聞いてるのに・・・・」

 「・・・・まぁまぁだ。程いい感じに甘い」

 「ふふ、よかったわ」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」


  楽しそうにオレにリンゴを食わせてくれるエリカ。そんなオレ達を厳しい視線で見つめてくる三者の視線、音姉達だ。

  生徒会関係で遅くなってしまったのか少し遅い時間に四人はやって来た。その時の反応は予想通りのモノであった。

  音姉は泣きだすし由夢も泣きそうな顔になるし、さくらさんは無事でよかったとホッとした顔付きになっていた。

  
  エリカそんな場の空気に当てられたのかしばらく落ち着きなくキョロキョロしていたがキャスターの上に乗っている果物に目を光らせた。

  適当に一つリンゴを持って剥くかと聞いてきたのでオレは快く了承した。でもまさか、それを食べさせようとするとは予想だにしていなかった。

  周りの目もあるので一回は断って見たものの―――あんなに悲しい顔をされては首を縦に振らざる負えなかった。演技という訳でもなかったというのもある。


 「ね、ねぇエリカちゃん? 少しベタベタしすぎなんじゃ・・・・ないかしら?」

 「え、そうですか? 別に普通ですけど」

 「・・・・・」

 「何故オレを睨んでるんだ、由夢」

 「や、別に・・・・」

 
  確かに睨む気持ちも分かる。由夢にはエリカとの顛末は話した事があるしどういう事をエリカはしてきたのかも知っている。

  由夢はきっとオレを軽蔑しているだろう。あれほど美夏の事を好きだと言っていたのにエリカとこうしてベタベタしているのを見てそう思っているに違いない。

  ていうかエリカ、お前ベタつき過ぎ。貴族という立場だったから友達という距離感が分からないのかもしれないが、少なくともあーんは友達ならしない。


 「あの、ムラサキさん」

 「はい、なんでしょう?」

 「兄さんには彼女さんが居る事は、知っていますよね?」

 「ええ、天枷さんと付き合っているんですわよね? それが何か?」

 「それが何かって・・・・」

 「まぁ、由夢。そんなに突っ掛かるなって」

 「―――――ッ!」


  おー怖ぇ。めっさ睨んできてるよ。今にも怒鳴り散らさんばかりの勢いだ。

  音姉はそんな妹の姿を見てオロオロするばかり。さくらさんはとりあえず様子見といった感じだ。


 「だ、だったらなんであーんなんかしてるんですかっ! 恋人同士じゃあるまいし・・・・」

 「友達同士でもやっていいのではないですか? 別に減るものでも無いですし」

 「や、友達同士はそんな事しませんよっ! そんな人をムラサキさんは見た事あるんですか?」
    
 「う~ん・・・・」

 「ほ、ほら! 居ないじゃないですか、だからもうそんな事は――――」

 「まぁまぁ由夢ちゃん。いいじゃない、あーんの一つや二つ」

 「さ、さくらさんまで――――」


  信じられないといった目付きでさくらさんを見詰める由夢。まさかそんな事を言われるとは夢にも思わなかったのだろう。

  音姉もさっきから何か言いたそうにはしているが、由夢が少しヒートアップしているので口が出せないでいる。まぁ音姉だし騒いでも何とかなるだろう。

  問題は由夢だ。今にも髪が逆立ちしそうな雰囲気を発している。これはどうにか沈めないと煩くて敵わねぇ。


 「もういいだろう、由夢。別にエリカは変な事をしてる訳じゃねぇんだし」

 「に、兄さん本気で言ってるんですかっ!? 兄さんには天枷さんがいるんでしょ? それなのにこんな浮気みたいな真似・・・・」

 「だから別に浮気とかそんなんじゃねぇって。そりゃあ少しベタ付き過ぎかとは思うけど・・・・友達なんだし変な気が無いならいいじゃねぇか」

 「だったら杉並さんとあーん出来るんですか?」

 「何を言ってるんだお前は。出来る訳ねぇだろこのタコ娘」

 「た、たこ・・・・」

 「まぁこの話は終わりだ。これでも結構疲れてる身なんだしあんまり騒がないでくれ」

 「・・・・・」


  オレがそういうと頬を可愛らしく膨らませて露骨に不機嫌な事をアピールする由夢。こいつは子供か、まったく。

  そんな様子の由夢を苦笑いしながら見詰めるさくらさんと音姉。傍から見れば兄が取られそうになるのに嫉妬している妹という図にしか見えないだろう。

  エリカもエリカでオレのくっつき過ぎという発言に不満気の様だ。はぁ、マジで女の機嫌はコロコロ変わるから疲れる。


 「別にいいじゃない。ちょっとぐらいくっついたって」

 「あんまり目立つのは好きじゃねぇんだよ。お前みたいな可愛い可愛い金髪の姉ちゃんにベタベタされたら目立ち過ぎてしょうがねぇ」

 「か、可愛い・・・・」

 「そういう風に恥ずかしがる所なんか特にな。確かに嬉し恥ずかしでハッピーなんだがオレは一般常識を持ち合わせた男だ。彼女がいるのに
  他の女とベタベタなんて出来ねぇよ」

 「・・・・そう」

 「あ―――えぇとだな・・・・別にベタ付くなって訳じゃねぇ。多少の節度は守ってくれって言ってるんだ。それさえ守ったら別にいい」

 「・・・・ふふ、よかったわ。じゃあこれからも遠慮なくそうさせてもらうわ、義之」

 「あ、ああ・・・・」

 「兄さんカッコ悪い」

 「弟君のスケベ」

 「あ、えぇと・・・・女たらし」


  三者とも酷い事を言う。ていうかさくらさんまで乗らなくていいのによ・・・・。しょうがねぇじゃねぇか、なんかショック受けてる顔してたんだから。

  それにしてもエリカ―――前とあんまし態度が変わって無い様な気がする。さっきから違和感を覚えないのはいつもこうしてエリカが甘えていたからだ。

  元々寂しがり屋な性格もあるので恋人という関係にならなくてもこうして甘えてくる。それが悪い事じゃねぇんだけど・・・・美夏は面白くねぇだろうな。


 「あんまり好き勝手言うなよ、ったく。ところで―――美夏はどうしたんだ?」

 「そんな事をしておいてよく彼女の名前が出せるわね、兄さん」

 「うっせ。いの一番に来てもおかしくないんだが今日は来てないんだよ。お前達が来る前は茜達が来ていたけど美夏の姿は無かった。由夢、お前
  知らないか?」

 「うーん・・・・学校には来ていたけどね。あ、そういえば帰る間際何か忙しそうに帰って行くのを見たよ。私は生徒会のお手伝いがあったから
  見送る事しか出来なかったけど。てっきり兄さんのお見舞いにいくものだと思ってた」

 「そうか。まあ、あっちはあっちで何か用事でもあったんだろうな」

 「―――もしかして寂しいとか思っちゃってる?」

 「多少は、だな。いつでも会えるっちゃー会えるけどこんな時には余計にそう思える。オレが反対の立場だったらすぐにでも駆けつけるだろうし」

 「そんなに拗ねないの、弟君。弟君が寝てる間は毎日病院に来てたんだから」

 「そうなのか・・・・」

 「当然だよ、美夏ちゃんは義之君の事が大好きなんだから。泣きそうな顔しながら義之君の顔を見詰めてたよ。エリカちゃんとも少し小競り合いも
  してたし大変だったんだから」

 「美夏とエリカが?」

 「一喝して静かにさせたけどね。義之君が寝てるのに何やってるのっ! てな具合で」

 「そうだったんですか・・・・」


  エリカの顔を見るとどこか少し気まずい顔。オレとの約束を破るような真似をしたから怒られるとでも思っているのだろう。

  そこまで考えなしって思われてるのだろうか・・・・。いきなり美夏とエリカが仲良くし出したらそれはそれで怖いけどな、オレ。

  一応その節の事を言っておいた方がいいだろう。言わなきゃ伝わらない時があるのは身を持って実感しているしな。


 「あのね、義之。天枷さんとの事なんだけど・・・・」

 「別に喧嘩しようが何しようが構わねぇよ。元々仲良く手を取り合うなんて考えちゃいねぇ。多少は言い合いしても仕方ないと思うぜ」

 「・・・・うん」

 「結構凄かったんだよ? 『なんでお前が此処にいるんだっ!?』って言葉に『私がどこにいようが貴方に関係ないでしょ?』って感じ
  で今にも取っ組み合いしそうな雰囲気だったし」

 「その時はどうもしみませんでした、学園長・・・・」

 「んにゃ、別にいいけどさ。まぁ義之君がどれだけ外で悪さしていたか分かったからいいよー」


  いや、そうやってジト目で見られても非常に困る。確かに悪さといえば悪さだが好きでやった訳じゃない。半分の責任はオレにある様なもんだが。

  そんな微妙な雰囲気が流れる中時間は過ぎていった。その後必死に音姉が盛り上げようとするもダダ滑りをしてしまい、なかなか雰囲気は回復しなかった。

  由夢はずっとツーンとしたままだし、エリカは相変わらずのベタ付き様。さくらさんはその様子を呆れた様に見ていた。



















 「ああ、さくらさん。ちょっといいですか?」

 「んにゃ、何かな?」


  そろそろいい時間なのでさくらさん達が帰ろうとした時、オレはさくらさんを呼び止めた。

  オレには聞きたい事があり、それは勿論桜の木の事についてだ。今更何を言っても遅いが一応確認だけしておきたかった。

  さくらさんに耳を近付けるようにしてオレは話す。


 「桜の木の事ですが、さくらさんが枯らせたんですか?」

 「あ、うん・・・・そうだけど――――何かまずかった?」

 「いえ、そういう訳ではないんですが。少し聞きたい事がありまして・・・・」

 「うん?」


  そう切り出してオレは茜の話をした。勿論名前は出せないので伏せて説明する。あまり時間もないのでオレは手短に経緯を話した。

  オレが喋り終えると何やら難しい顔をするさくらさん。まぁ、いきなりこんな話をされても困るだろう。大体オレが桜の木を枯らしてもいいと言ったのだから。

  少し考える仕草をした後さくらさんは答えを出してくれた。


 「・・・・少しボクの力じゃあ無理かな。そういうのって桜の木の力が叶えてくれたモノであって、ボク単体の力じゃどうしようもないよ」

 「音姉も魔法とかそういう類の物を使えるんですよね? それ込みで考えても駄目ですか? どうしても?」

 「焦る気持ちは分かるよ。話から察するに義之君の親しい人物なんだしね。でも音姫ちゃんは魔法使いと言ってもまだまだ未熟な所があるんだ。
  もう一人ボクぐらいの力がある娘がいれば別だけどね」

 「――――仲間、みたいなのはいないんですか?」

 「・・・・いるよ。いるけど多分見つからないと思う。前も言ったけど世界中旅してる子だから捕まらないし連絡先も分からない。勿論見つけたら
  いの一番に義之君にしらせるけど、今のところは何とも言えないかな・・・・」

 「・・・・そうですか」

 「んにゃ、ごめんね。義之君」

 「あ、いや、いいんです。返って困らせる事を言ってすみませんでした」

 「ううん、そんな事ないよ。さっきも言ったけどその子を見つけ次第なんとか協力してもらえるよう頼んでみるからさ。まぁ、だいぶ気を長く
  しなきゃいけなんだけど・・・・にゃはは」

 「そんな時間なんて――――っ!」
 
 「あ・・・・」

 「ちょ、ちょっと。何々?」


  思わず怒鳴るように声を荒げてしまった。少し気まずそうに顔を俯かせるさくらさん。

  ドアの方では音姉達が何事かとこちらの様子を窺っている。ちっ、人に当たるなんて。それもよりによってさくらさんにだ。

  オレは少し咳払いをして体制を繕う。とりあえずちゃんと謝らないとな。 


 「すみません。いきなり大声を出してしまって・・・・」

 「・・・・にゃ、私の方こそごめんね。少し無神経だったかも。義之君の友達が消えそうだっていうのに・・・・」

 「そんな事ないです。誰の所為でもないのにさくらさんに当たったオレの方こそ謝らないと駄目です。そもそも桜の木を枯らせていいって言ったの
  オレですし。本当に、すみません」

 「そんな事言ったらそもそも不完全な木を放って置いたボクにも責任はあるよ。もっと最初の段階で気付いていれば、もしかしたらなんとか
  なったかもしれないのに」 
  
 「・・・・言いだしたオレが言うのもなんですけど、もうこの話は終わりにしましょう。本当に怒鳴ってすみませんでした。せっかくさくらさんが
  相談に乗ってくれたのにオレって奴は」

 「――――こんな事を言うのは不謹慎だけど、相談してくれてボクは嬉しいよ。義之君てあんまり相談してくれないからさ。何でも一人でやっちゃうし」

 「それは違いますよ。オレほど他人に迷惑を掛けて生きてる男はいません。いつも誰かに助けられてどうしようもない人間です。いつもありがとうござい
  ますね、さくらさん」


 「・・・・そんな事ないけど――――ありがとうね、義之君」


  そう言って照れたように笑うさくらさん。オレは本当の事を言ったまでなのにお礼なんか言われると、何かムズ痒くなる。

  だがここでまたなんか言ったら押し問答みたいになる様な気がするので素直にその言葉を受け取った。

  後ろでは音姉達が一体何事かと言うような顔をしているので話は終わったと言う意味で軽く片手を上げる。


 「それじゃ、気を付けて。さくらさん」

 「うん。義之君もあんまり無理しないようにね、病み上がりなんだから」

 「はは、無理な事をするような事が無ければいいんですがね。音姉達も気を付けてな」

 「う、うん。分かった」

 「・・・・・」

 「由夢も機嫌直せよ。可愛い顔が台無しだぞ?」

 「・・・・・そうやってみんなに言ってる癖に」

 「オレの周りは何故か美人か可愛い奴らばっかだしな。不細工にはちゃんと不細工って言うぞオレは、そういう性格なんだし。つまりお前は本当に
  可愛いって事だ。素直に受け取ってくれ」

 「はいはい、分かってますよ。私が可愛いのはよく知っていますから。そんなに持ち上げ無くても結構です」

 「――――そんな風に心の中で照れてるお前が好きだぜ、由夢」

 「・・・・・!」

 「あ、由夢ちゃんっ!?」

 
  顔を真っ赤にして出ていく由夢。思わず笑ってしまう。生意気に反抗してきたから良い気味だ。

  走り去る由夢の後を追いかける音姉。そして場にはエリカとジト目で見てくるさくらさん。オレとしてはいつもの事なので平然とした表情を作った。
 
  エリカはオレのこういう態度を知っているので、あまり興味無さそうに髪をクルクル弄っている。そして由夢が走り去った方向から視線をオレに合わせてきた。


 「私には可愛いって言ってくれないの? 義之」

 「ん、ああ。お前も可愛いよ。お前ほどの美人なら男にモテそうなんだが、どうなんだ? 声を掛けてくる男はいないのか?」

 「いるにはいるという感じですが・・・・ロクな男共では無いですわね。下心丸出しで正直嫌悪感を覚えますわ。やっぱり義之が
  一番ですけれど・・・・売れ切れちゃっているので仕方ありませんわね」

 「補充も効かないしな。まぁ、気長にオレより良い男を探してくれ」

 「・・・・もし、もしもの話ですけれど。天枷さんと別れたら私の所に来てもいいんですわよ? 私の想いは一生変わる事がないんですから」

 「・・・・おいおい」

 「――――ふふ、冗談よ。私達友達だものね。それじゃあね、御機嫌よう」


  エリカも病室を出ていく。何だかんだ言ってみんなさくらさんを置いて出ていってしまった。案外薄情な奴らだ。

  オレとエリカのやり取りを見ていたさくらさんは呆れ声を挙げた。ていうか最近さくらさんに呆られてばかりだな。

  まぁ、そういう行動ばかりしているから言い訳はしないが、な。

 
 「結局エリカちゃんとはそういう形に収まったんだね。また何かあったら崩れそうな立ち位置だけど」

 「もうそんな事は起きませんよ。オレもエリカも痛い目をかなり見ましたからね。それで繰り返すようならアホですよ、アホ」

 「・・・・ねぇ、義之君が入院したのってもしかして――――」  


  その時廊下から音姉の声が聞こえてきた。どうやら由夢を捕まえたらしい。必死に振りほどこうとする由夢の声も聞こえてくる。

  おおかた気まずくなったので一人で帰ろうとした所を捕まったって所か。相変わらずガキなまんまだな。体は生意気に一丁前な癖してよ。



 「さくらさーん! 由夢ちゃん捕まえたんでもう帰りますよー」

 「わ、私は一人で帰りますからいいですよっ!」

 「おーい由夢っ! 聞こえるかー! 愛してるぞー由夢ー!」

 「――――ッ! か、帰りますっ!」

 「あ、ああん、もうっ! 弟君もあんまり由夢ちゃんに構わないでよー!」

 「はぁ・・・・相変わらず義之君ってば意地悪だね。私もそろそろ帰らないと置いてかれちゃうなぁ・・・・・それじゃあまたね、義之君」

 「はい、それではまた」

 「うん」


  今度こそさくらさんも出ていき部屋にはオレ一人にある。廊下からは「待ってよー」という声。確かにこの周りの病室は空いてるからいいかもしれないが
 少しは自重してもらいたい。大声出したオレが言うのもなんだけどな。


  そして少し寂しさが残る病室で一人考える。美夏――とうとう来なかったな。由夢の言葉を気にした訳じゃないが、やっぱり少し気になってしまう。

  背中をベットに横たわらせて考える。何か用事があったのには違いない筈だが連絡ぐらいくれてもいいのに。アイツの事だから律儀に連絡の一つぐらいしても
 おかしくはない。そういう性格なのだから。

  オレはそう思い目を瞑る。今日の所は寝ようとしたがすっかり目が覚めてしまったので寝れずにいた。まったく、みんなして騒ぎ過ぎなんだよ。





















 
 「はい、天枷研究所です」

 「もしもし、イベールか? 桜内だけど」

 「ああ、桜内様。お久しぶりです。生きてらしたんですか?」

 「お生憎様だがな。ところで美夏はいるか? 電話しても出ねぇんだよ、アイツ」


  イベールなりの皮肉を言ったつもりだろうがオレが素で返してきたので少し戸惑う雰囲気が伝わってくる。慣れない事をするからだ。

  そんなオレの反応に少し面白くないのか、多少不機嫌な声で返してきた。
   

 「・・・・今日は前から計画を立てていた新型のμの実験日です。その実験に一応立会人と言う事で美夏様にも参加して頂きました」

 「あ? 美夏の正体は隠してる筈じゃなかったのか? なんでそんな実験に参加してるんだ」

 「御心配にならずとも一般試験人という形での参加です。水越先生が折角の機会だし是非美夏様も見た方が良いとの判断で参加していただきました」

 「そうか・・・・。ああ、そういえば手伝い出来なくて悪かったな。大した事は出来ないかもしれないが、忙しかったろ?」

 「ええ、それは勿論。いわゆる猫の手も借りたい状況というのはあの事を言うのでしょう。でも御心配無く、大丈夫でしたから」

 「・・・・・悪かったよ。そんな怖い声を出さないでくれ。今度キスでもしてやっからよ」

 「――――分かりました」

 「あ・・・・?」

 「美夏様に御用事でしたよね? ちょうど今実験が終わった所なのでお取り次ぎいたします」

 「あ、おい・・・・」


  瞬間、待ちの音楽が流れる。オレは思わず頭をポリポリ掻いてしまう。冗談って事はむこうも気付いてると思うが・・・・まぁ、イベールなりの皮肉なのだろう。

  そしてしばらくの間待つ。さて、四日ぶりに話すなぁ、少し柄にもなく緊張してしまう。最後に会ったのは玄関で別れた時以来か。あの時はそっけ無くしてしまった。

  音楽が止んだと思ったら聞こえてきたのは美夏の元気な声――――なのではなく、少し上ずった声だった。


 「よ、よぉ、久しぶりだな義之」

 「ああ、久しぶりだ。色々心配掛けてすまなかったな、美夏」

 「・・・・・本当に心配したんだぞ。お前が事故で病院に担ぎ込まれたと聞いて美夏のAIチップが止まるかと思った」

 「オレもまさか跳ねられるとは思わなかったよ。見つけたら一発ブン殴ってやる」

 「――――一はは、一発か。お前にしては随分安く済むな」

 「最近のオレはとても人格者だからよ。その程度で済ませてやるんだ。ところで実験の方はどうだったんだ? 随分遅い時間までやってるようだったが」

   
  時計を見ると夜の11時。もう寝ていてもおかしくない時間だ。美夏の場合はきっとそれに当てはまっている。

  美夏は少し疲れた声を出して愚痴を言うように喋る。


 「こういう実験というのは延長が付き物だ。絶対時間通りに終わらないと思ったら―――予想通りそうだったよ。もうみんな疲れた顔をしている」

 「んだよ、失敗だったのか?」

 「ああ、それは問題ない。お偉いさん方もストレートに終わるとは思っていないのでそこら辺は大丈夫だ。問題はちゃんと結果を残せたかどうかだからな。
  上手く起動したのを確認したら歳甲斐もなく喜んでいたぞ」

 「はは、それは何よりだ。オレも研究所を手伝えればよかったんだけどな。そうもいかなくて参ったよ、マジで」

 「事故に会ったのならしょうがない。お前が無事なのが確認出来てそれだけでよかった。もう心配を掛けるなよ」

 「大丈夫だって、分かってる。ああ、それと退院出来る日なんだが――――」


  それからしばらく長電話をした。最初は美夏が何故か固くなっていたのでぎこちない会話だったが、次第に緊張が解けてきていつも通りの会話になる。

  オレが学校に来ていないのにも関わらず昼には三年の教室に来たり、帰りの時間に校門前でオレの事を待っていたり等のポカをやらかした事を恥ずかしそう
 に話をしていた。その度にあの同じクラスの親友に声を掛けられやっと気付くの繰り返しだったそうな。

  その話を聞いて思わず二ヤけてしまう。美夏にとってオレがそういう存在というのが改めて分かって嬉しくなった。勿論オレが逆の立場でもそうしたろう。


  もうしばらく美夏と話をしていたかったが時間も時間だ。明日も学校があるし美夏もなんだか眠たい声を出している。

  そろそろ電話を切ろうと思い別れの言葉を口にした。


 「ふぁぁ~・・・・・」

 「眠たいだろ? また今度話をしようぜ」

 「むぅ・・・・すまない。せっかく義之と久しぶりに話せたというのに」

 「またいつでも話せるさ。じゃあまたな、美夏」

 「うむ、ではまた――――」

 「あ、ちょっと待った」

 「ん、なんだ?」

 「――――愛してるよ、美夏」

 「・・・・ふふ、美夏も愛してるぞ、義之」

 「あいよ、ありがとうな。じゃあ、お休みだ。お疲れさん」

 「ああ、お休み。義之」


  そして携帯の電源ボタンを押す。本当は電話しちゃいけないんだが恋人の為なら許されるだろう。神様も大目に見てくれるに違いない。

  ベットにゴロンと転がり天井を見上げる。なんだか、本当に色々終わったんだなぁと今更ながら感慨深く思う。少し背伸びをして筋肉をほぐした。

  エリカとの件も完璧に決着が付いたし、オレも死なずに済んだ。あと残っている問題は・・・・美夏のあの件か。


 「ロボットだろうがなんだろうが別にいいのにねぇ、そんな親の仇を取るみたいな態度を取らなくたっていいのに」


  それ程ロボットに対する世間の評価が厳しいのだろう。こればっかりはオレの力ではどうしようもない。歯痒さは確かにあるが事実そうだった。

  オレに出来る事―――美夏の傍に居て一生懸命フォローする事、それぐらいだった。美夏はそういうのは嫌がるかもしれない。いつか言っていたが
 いつまでもオレの世話になりたくないと言っていた。

  オレはそんな事なんか全然気にしてねぇのにアイツはいつでもそう考えていた。恋人の負担はオレの負担という考えをしているオレにとっては少し
 ばかり寂しい様な気もする。


  しかしオレが美夏の立場だったらそういう考えになるだろうし―――なかなか難しいところだと思った。

 
 「落とし所が見つからねぇよなぁ。今すぐ答えを出さなきゃいけねぇって事でもねぇし、ゆっくり確実に考えるか・・・・」


  少し瞼が重くなる。いっぱい寝たって言うのに体は正直だ。体が睡眠を欲していた。

  素直に瞼を閉じ眠りの体制になる。美夏の事はそれでも早めに対処法を考えるべきだ。いつまでもあんな胸糞悪い雰囲気の中に置いときたくない。

  とりあえずまた明日にでも考えてみるか。一晩過ごしたらいい考えも浮かぶだろう。オレはそう思い眠りに着く。



  その晩――――夢を見る事は無かった。


























 

  










[13098] 23話(中編)
Name: 「」◆57507952 ID:1b395710
Date: 2010/01/20 01:53






 「学校休んでも別にいいですよ。別に単位が危ないって訳でもないですし」

 「にゃはは・・・大丈夫だって、心配性だなぁ~義之君は・・・・」


  床で辛そうに返事をするさくらさん。どこが大丈夫だよ。顔なんか真っ青じゃねぇか。

  背を起こそうとしたので慌てて手で制す。何か言いたそうな顔をしていたが不承不承ながらもちゃんと布団の中に戻った。

  その様子を見て気付いた。恐らくだが、オレが学校へ行ったらこの人は無理をして動き回るだろう。何かしら仕事をしないとっていう心の声が聞こえてきそうだ。



 「そんなに無理をするなら今日は学校を休みます」

 「だ、だから別に大丈夫―――」

 「無理して行動されて倒られたら堪りませんから。はっきり言ってそういうのは迷惑です。だから今日はオレも学校休みますんで」


  そう言って制服を脱ぎ始める。さくらさんが慌てたように制止の言葉を掛けてくるが無視だ。病人は病人らしく寝てりゃいい。

  病人―――と言うのは語弊があるかもしれない。実際には病気などではなかった。どうやら魔法の使い過ぎで参っちまったらしい。

  本人は大丈夫だと言い張っているが朝に倒れそうになって現在に至る。というかオレが無理矢理寝かした。責任感が強いのも考えモノである。


 「だ、だめだってっ! せっかく昨日退院出来て久しぶりの学校だっていうのに・・・・」

 「お昼御飯まで時間があるから久しぶりに掃除でもしておくか。まずは廊下からやるかなぁ」

 「ボ、ボクの話を聞いて―――」

 「あ、買い出しにも行かねぇとな。やる事いっぱいで忙しいわ」

 「・・・・・」

   
  後ろでさくらさんが何か言ってるが聞こえない振りをする。だったらあんまり心配を掛けないで欲しい。ただでさえ無理をするのだから。

  まぁオレも人の事は言えない気はする。入院期間が二週間程で済んだのは僥倖かもしれない。魔法パワーでなんとかそれぐらいで済んだが
 本当ならリハビリ期間も含めて数ヵ月ぐらいは掛かる筈だ。それが数十分の一の期間で済んだのだから医者も驚いていた。

  あまりの治りの早さに病院の医者たちは首を傾げていたが、さすがに魔法の力のおかげとは言えないのでなんとか苦笑いで誤魔化した。


 「さて、どれから手をつけ―――」

 「分かったよ」

 「ん・・・・?」


  さくらさんが何か諦めた様なため息をつきながらこちらに振り返る。表情―――観念したといった感じだ。

  オレは部屋から出ていきそうになる足を止めさくらさんの方に向き直った。


 「何が、分かったんですか?」

 「義之君の言うとおり無理しないで休む。今日は何もしないよ。だから義之君は今日は学校に行って、ね?」

 「・・・・どうだかなぁ」

 「もうっ! ボク本当に大人しくしてるって。義之君が学校に行かないほうが余計な気苦労をしちゃうよ。だからさ・・・・」

 「・・・・・」


  まぁ・・・・ある意味ブラフというか行かない振りをしたというか、そんな感じだ。こうでもしないとこの人は理解はしても納得はしないだろう。

  オレはその言葉にしょうがねぇなといった感じで肩を竦めるポーズを取る。それにちょっとムッとした顔を作るさくらさんだがオレは気付かない振りをした。

  脱ぎ捨てた制服の上着をもう一回き直して扉の前に立つ。


 「さくらさんの言葉を信じて学校、行く事にしますよ。くどいようですがもう一回言います。無理しないで下さいね」

 「分かったって言ってるのに・・・・。そんなに心配しなくても大丈夫だって言ってるのにさ」

 「さくらさんの大丈夫は当てになりませんから。それじゃあ行ってきますね」

 「・・・・いってらっしゃい~」


  少し不機嫌なさくらさんの声によって送りだされる。これぐらいキツく言わないと駄目な事は知っているので悪いと思うがオレも言い方が若干きつくした。

  その声に片手を上げて玄関へ向かう。靴を履いて玄関の戸を開けると―――美夏が居た。顔はいかにも不機嫌ですといった表情。

  時計を見る。約束の時間を大幅に超えてしまっていた。


 「おはよう、美夏」

 「・・・・おはよう」

 「さて、じゃあ行くか」

 「待て」


  ガシッと肩を掴まれた。歩きかけた足が強制的に止まらされる。なんだよ、早く行かねぇと遅刻しちまうじゃねぇか。オレは遅刻するとその日のテンションが
 下がるんだよ。そうなると学校に行かないで商店街をブラブラしたくなる。前の世界ではほとんどそうしていた。

  オレはため息をついて美夏に振り返る。そんなオレに少しカチンと来たのか美夏はぶっきらぼうに言い放った。 


 「さすが義之だな。約束の時間になっても来ないから心配して家に来てみても何の詫びの言葉も無い」

 「よく分かってるじゃねぇか。さすがオレの彼女だな。嬉し過ぎて思わずお前の事を抱きしめてしまいたい」
 
 「わっ、ば、ばか! 止めろ!」


  取り繕うのも面倒なので思い切り抱きしめてやった。ジタバタ暴れる美夏を無理矢理抑え込む。

  最初はなんとか押しの退けようと抵抗をしていた。だがその内無駄な体力を使うだけだと気付いたのだろう。すぐにオレの腕の中で静かになる。

  久しぶりの美夏の感触を確かめた。入院してた時は他人の目があるので余り大それた事が出来なかった。なので、その分ここで堪能しようと更に力を込める。


 「久しぶりだな。こうして抱き合うのは」

 「・・・・ああ、そうだな。お前が事故なんかに会った所為だぞ。まったく、心配を掛けおって」

 「だから言ったじゃねぇか。好きで事故に会った訳じゃねぇと。オレもずっとこういう風に抱き会いたかった」

 「いつもながらよく回る口だな。こういう風に抱いて煙に巻いて逃げようとしてる癖に」

 「さくらさんが急に体調を崩してな、その処理に時間が掛かった。遅れてすまない。美夏」

 「―――――だったら最初からそういう風に言え、馬鹿者」


  そう言って美夏の手にも力が籠る。ああ、本当に久しぶりだ。たった一週間、されど一週間だ。美夏とまたこうして抱き合えるのは本当に幸せだった。

  だがいつまでも玄関先で抱き合ってはいられない。名残惜しいがここまでだ。渋々美夏の体から手を離す。美夏の顔。少し残念そうだった。そんなイジらしい
 姿が可愛くて頭を撫でてやる。美夏は照れ笑いを浮かべながらオレの手を取り歩き出した。そしてようやく学校へ向かい足並み揃えて登校し始める。

  通学路の道中、話題になるのはやはりさくらさんの事。美夏もウチに来る度にさくらさんと仲良くなったのでやはり心配そうだった。


 「長引きそうではないのか?」

 「多分な。だが軽い眩暈だと本人は言っていたがあまり無理はさせられない。いつも頑張り過ぎて疲れても何も言わない人だ、さくらさんは」

 「そうなのか?」

 「オレが小学生の頃に授業参観日があったんだよ。みんな自分の親が来るっていうんでウキウキしてたがオレは別だった。理由は、まぁ、分かるだろう?
  別に寂しいとかそういう感情があったんじゃない。オレが一番心配してたのはさくらさんが自分の用事を押し退けてまで来る事だった。当時オレの父親
  代わりをしてた人は海外に行ってたし音姉達の母親も死んでいた。だからオレ達はそういう日はさくらさんに来てもらっていた。勿論オレはそういうのが
  あるとは言わなかったがな」

 「それで結局バレてしまい学園長は来たという訳か」

 「ああ。大事な会議があったにも関わらず息を切らせて来たよ。どうやら忘れ物をして家に帰ってきて授業参観のプリントに気付いたらしい。
  結構な注目を浴びたぜ? 外見が金髪で子供っぽい子がいきなりクラスに来るんだもんな。いらない視線を浴びちまったよ、ホント」
 
 「そんな事を言うものではないぞ。でもまぁ・・・・お前の場合はそうだろうな。元々お前は他人なんか大嫌いな性格だし」

 「ちょうどその時には完璧に立派な人嫌いになっていたからな。正直煩わしい気持ちがあったよ。だけど、まぁ――――」

 「嬉しい気持ちも少しはあった、だろ?」

 「・・・・・・」

 「はは、何恥ずかしがってるんだ。むしろ子供ならそう思って当然だと美夏は思うぞ。いくら人嫌いだと言っても寂しいとい
  う感情が無い訳ではないんだし」


  最もらしい事を言ってくれる。確かに美夏の言うとおり嬉しい気持ちも若干あった。今でもその時の様子を鮮明に思い出せる。

  皆の親御さん達は来ているのに自分の親は来ない。当り前だ、小さい時から両親の顔さえ知らないのだから。まぁ結果的に自分の親は来ていた
 事になるのだが、当時はそんな事は知らない。ついこの間知ったのだから。

  そういう孤独感に似たモノは僅かながらもあったので、自分の為に息を切らせて来てくれた人が居るという事実は嬉しいモノがあった。


  だが――――


 「・・・・お前に言われるとなんかムカつくな」

 「な、なんだとぉっ!」

 「美夏の癖に人の事を見透かしたような発言しやがって。お前には十年早いっつーの」

 「ひ、人が珍しくフォローしたというのにお前という奴は・・・・」

 「はいはい、ありがとうさん。早く学校に行こうぜ。ただでさえ遅刻寸前なのに無駄話してたら完璧に一時限目に出れねぇ」

 「お前から話を振ってきた癖に・・・・」


  ぶつくさ文句を垂れている美夏の手を引いて歩く足を美夏が付いて来れるぐらいに若干早める。周りに生徒は居ないのでかなりヤバイ時間なのだ。

  時計はあえて見ない。もし見て間に合わないという事実を知ったら恐らくオレは学校をサボってしまうだろう。隣に美夏がいるのだから尚更だ。

  そしてオレはデートと洒落こんでしまう。久しぶりに美夏とこうして一緒に入れるのだ。とても魅惑的な考えではあった。

  
  だがオレはさくらさんとの約束も守りたい。辛い板挟みだ、どちらかを選べなければいけないなんてな。

  まぁ、そんな事は考えるだけで終わらせた方がいいのかもしれない。美夏はサボってオレとデートしても喜ばない性格。まったく、堅物なんだからよ。

  そうして玄関まで来た時にちょうどチャイムが鳴った。もう少しで一時限目が始まる。オレ達は急いで別れてそれぞれの教室に向かった。
















 「あーあ、マジでかったるいわ。知ってたらこんなに急いで来なかったっつーの」


  どうやら一時限目は自習だったみたいで走って損をした。慌てて教室に掛け込んだせいで茜に色々冷やかされて赤っ恥を掻いてしまった。

  そうなるとオレは面白くない。だから教室から逃げるようにオレは屋上に向かっていた。どうせあのまま居てもくだらねぇ話しかしてこないのは予想出来た。

  それだったら一服しながらゴロゴロしていた方が良い。杉並は当然の様に居なかったのでオレ一人だ。あいつの面白い話を摘みに寝ようと思ってたのによ。

    
 「あ・・・・」

 「ん?」


  そして屋上の扉を開けた時、既にそこに居た先客が声を上げた。長いストレートな髪、二重のクリクリっとした目、白河だった。

  なぜか表情は沈んでいる様に思えた。いや、実際そうなのだろう。いつもの活発な雰囲気はなりを潜めいかにも私は悲しい事があったんですといった
 様子が見て取れる。珍しい様だった。

  一瞬ここに居ない方がいいと思ったが無視して柵の方に足を向ける。わざわざ自分が気を効かせてどこかに行くという格好はふざけてると思えたからだ。


 「あ、義之く――――」

 「悩みごと相談なら受け付けねぇぞ、かったりぃ。オレがここに来たのは煙草が吸いたいからだ。それにわざわざ引き返す柄でもねぇしな」

 「・・・・まだ何も言ってないんだけどなぁ」

 「そうか。それは悪かった。それじゃ気ままに日光浴でもしてくれ。今日は天気もいいし最高だろう」

 「・・・・」


  幾分か棘のある視線を送ってるが無視をする。自分でも随分挑発的な事を言ってたのは自覚している。だがこれはもう癖だ。治す気もあまり無い。

  大体生温いオレなんてオレじゃねぇよ。最近自分が変わりつつある事に違和感を覚える。あまり刺々しい態度を取る事が無くなった。

  心もなんだか落ち着いてるし雪村や小恋達とも良好な関係を築きつつある。だが根本まで変わっちまうのは頂けない。優しいオレ―――馬鹿げてると思えた。

  適当に柵に寄っ掛り懐から煙草を取り出して煙草に火を付けた。途端に周りに広がる紫煙と臭い。白河は顔をしかめた。


 「煙草なんてあんまり吸うモノじゃないよ、義之くん。ガンになっちゃうし」

 「もう何度言われたか分からねぇ台詞だ。耳にタコが出来そうだよ。喫煙者じゃねぇとどれだけ無理な話か分からないだろうな」

 「少なくとも体にはよくない事ぐらい分かってるつもり。彼女さんは何も言わないんだ?」

 「もう諦めてるよ。でもまぁ出来るだけ隣で吸わないようにはしている。あんまり美夏に嫌な思いはさせたくないからな」

 「ラブラブなんだね。ていうか隣に私居るんだけどなぁ~、あんまり気に掛けてくれないの?」

 「気に掛ける必要が無くなったからな。今は美夏以外の女は結構どうでもいいと考えてたりする。相手が白河みたいな美人でもな」

 「ふ~ん・・・・余裕がある人は言う事が違うね」

 「おかげ様でな。そういう白河は余裕が無さそうに見える。何かあったのか?」

 「・・・・話、聞いてくれるんだ?」
 
 「暇つぶしだ。嫌なら話さなくてもいい」


  そう言ってその場に座り込んで柵に寄りかかる。別に白河が話そうが話さないだろうがオレはどっちでもよかった。暇つぶし、だからな。

  白河は若干どうしようかと考える素振りを一瞬見せたが、どうやら話そうと決意したのかオレの隣に同じく寄り掛かる。考える素振り、ポーズだと思った。

  本当は話したくてしょうがないのだろう。人は何か不安な事が起きると誰かに喋りたくなる。その不安を共有したいからな。


 「で、どんな面白い事が起きたんだ?」

 「・・・・悪趣味だね。人の悩みごとを楽しもうなんて」

 「大概そういう話ってのは聞かされる身にとっては退屈な事が多い。なら少しは面白おかしく脚色したほうが聞く方も楽しめる」

 「―――やっぱり冷たいんだ、義之君て」

 「なら優しくしてやるよ」

 「え・・・・」


  無造作に白河の頭を撫でてやる。白河は驚いた顔で体を硬直させた。だがオレは構わず撫で続ける。

  少し意地悪しすぎたかな。あまりにも自分が変わりたくないと思うばかりに冷たくしてしまった。少し後悔の念に駆られる。

  白河はさしたる抵抗も見せずなされるがままといった具合だ。これでよかったかなと思うが・・・・まぁ嫌で無いらしいからいいだろう。


 「・・・・いつも他の子にもしてるよね、こういう事」

 「嫌なら止める。頭を撫でられるのが生理的に嫌な奴も多いからな」

 「嫌じゃないよ、うん。なんだか落ち着くって感じかな・・・・」


  そう言って少し朗らかに笑う白河。まぁ悪くないならいい。サラサラとした髪をオレは更に撫ででやる。

  しかし他の子にもしてるよね、か。心を読まれた時に色々知られたのだろう、少なくともオレは白河の前でそういう行為をした事が無い。

  だからオレは皮肉めいた言葉を言ってやった。


 「しかしアレだな。こうやってまた接触してるとまた心読まれちまうな。まぁ、読まれて困る事なんてもうねぇけど」

 「・・・・」

 「前の世界でも白河は心読めたのかなぁーとか思ってみたり。そんなに話した事も無いし興味もなかったからな」

 「そうなんだ・・・・」

 「ああ。他人に興味なんて無かったからな。精々周りの奴らが白河を囃し立ててたぐらいしか知らない。だから今の光景をそいつらが見たら
  きっと驚くぜ? あの桜内義之が白河ななかの頭を撫でているって知ったらな」

 「あはは、大袈裟だよ。私はそんなに大した女の子じゃないから」

 「よく言うよ。あれだけ取り巻き引き連れて歩いたら嫌でも目立つ。ていうかアイツらもアイツらで情けねぇよな。同年代の女の子を追っかけ
  してるだけで満足なんだからよ。自分の女にしたいとか思わないのか不思議だ」

 「そんなに悪く言っちゃ駄目だよ。優しい人ばっかりなんだから」

 「本当に優しい奴ならこうして白河を一人にしない、悲しませない。なんとか力になってやりたいと思って行動してる筈だからな」

 「・・・・・」

 「だからまぁ―――最近心優しくなったオレが白河の話を聞いてやるよ。ありがたく思えよ? 二度はないかもしれねぇんだから」

 「・・・・あはは、そうか、うん。そうだよね」

 「あ?」

 「何でも無い。やっぱり義之君は義之君なんだなぁと思って」

 「・・・・訳分からねぇよ」

 「別に分からなくていいよ。もし分かっててやってるなら何か違うなぁと思うし。まぁいいや、それじゃあ私の悩み事を言うね。面白おかしく
  ないかもしれないけど聞いてくれる?」

  
  その言葉にオレが頷くと白河はポツリポツリと喋り始めた。その間もオレは頭を撫で続けた。そうしていた方が白河もなんだか喋りやすいと思ったからだ。

  そして白河の悩み話を聞いて思った。ああ、やっぱりなと。思わずオレは外の桜が咲いていた木を見詰める。そこには桜の花なんて無い普通の木があった。





















 
 「で、白河はどうしたいんだ?」

 「え?」

 「心が読めなくなって幸先が不安、今まで他人の心を読んで生きてきたのにもう読めない。どうするんだよこれから」

 「・・・・分からない」

 「分からないか」

 「うん・・・・分からない」


  さっき吸い終えたばかりだがもう一個箱から煙草を取り出す。シュボっと音が鳴り紫煙が周りに広がる。もう白河は何も言わなかった。

  白河の話―――もう心が読めないという話だった。ついこの間、桜の花弁が散り始めた日を境に読めなくなったという事だった。

  それから毎日が不安でたまらないと言う話。毎日笑い合ってた友達が何を考えてるか分からない。いつもは近く感じた距離が遠くなるように感じていた。


 「それは白河にとっては辛いよな。今までそうして生きてきてんだからよ」

 「私さ、もうこれからどうすればいいか分からないんだ。皆何考えてるか分からないしどう感じているのか分からない」

 「そうだよなぁ」

 「・・・・義之くんはどうすればいいと思う?」

 「オレの意見なんて聞いても為になるとは思わないけどな。そういうのは茜か雪村にでも聞いた方がいい。けど小恋は駄目だ。泣いて共感して一緒に
  オロオロするのがオチだからな」

 「私は義之君の気持ちが知りたいんだ」

 「だから意味がねぇって。オレはずっと他人と距離を置きたくて離れて生きてきた人間だ。ある意味白河と対極の位置に居る。まるで参考にならんと
  思うけどな」

 「だから知りたいんだよ。そういうまるで正反対の人の意見って意外と感じる所があると思うんだ。だから、知りたい」

 「・・・・ふぅー」


  煙草を思いっきり吸って肺から吐き出す。心地いい気だるさがオレを襲った。やっぱり煙草なんて止められねぇな。

  オレの意見、ねぇ。白河が何を思って聞いたのかは知らない。白河みたいに人の心なんて読めないしな。大体もっとちゃんとした人間に聞けよ、まったく。

  オレはロクでもない人間の一種で白河とはまるで正反対の人間。だから意見というより聞きたい事があったので聞いてみる事にした。


 「なぁ、白河。一つ聞きたい事があったんだ。いいかな?」

 「え、何かな?」

 「いつまでそうやって生きてくんだ?」

 「・・・・・え?」


  今日もお天気日和でいい風が吹いた。たまにこういう風を感じるから屋上での一服はいい。

  携帯灰皿に灰を落としまた口に咥える。しかし美夏とキスする時にヤニ臭いと言われるのはやっぱり傷付くよなぁ。今度からは昼も歯磨きすっかな。

  横を見ると視線が合う。オレの言った言葉の意味を計りかねている感じだ。しょうがねぇ、分かりやすく言ってやるか。


 「一生懸命他人の顔色窺ってよぉ、常に笑顔を絶やさず、無闇に体に触れて人の心を読んで、そしていつも男に勘違いされて振るの繰り返し。疲れねぇか?」

 「そ、そうは言われても・・・・」

 「どうすればいいか、だっけ? さっきも言ったがそんな事は知らねぇって。人それぞれ人との接し方なんて違うんだからよ。オレはオレなりの人との
  距離の取り方ってもんがあるし、みんなも同じだ。小さい頃から色々失敗してそれを学んでいくんだと思うぜ、多分。白河の場合そういうのが全く無
  かったんだろうなぁ。ま、当然か」

 「距離の取り方・・・・、かぁ」

 「ああ。大体いつも人間関係が上手くいってたら気味悪くて仕方ねぇ。少しも考え方とか行動がすれ違わなかったらまっるきりソイツと同じ人間じゃ
  ねぇか。臭い台詞に聞こえるかもしれないが自分は自分だろ? 少しは白河ななかって人物を押し出してみたらどうだ」

 「でも、もしそれで嫌われて―――」

 「嫌われるかもしれねぇな。でも好かれるかもしれない。みんなに好かれようと思って行動してるとその内どっちからも相手にされなくなるぞ、白河。
  白河みたいに心が読めるならそうはいかねぇんだろうけどさ、今までみたいに必死にご機嫌取りやってたらその内扱いやすい存在で終わるぞ。要は
  パシリみたいな感じだ。顎先で使われる人間になりたくないだろ?」

 「・・・・うん」

 「だったらもっと我儘でいいから自分をガツンと出してみろよ、ガツンと。そうやっていつまでも芋引っ張ってると―――一生その不安抱え
  込む事になるぜ」


 「・・・・・」


  なんだかんだでオレの言いたい事を言っただけな様も気がするが、まぁいいか。意見とも言えなくは無いしな。

  それにしても―――オレが説教か。よく言えたもんだと思う。散々人様に迷惑を掛けてきた癖にな。他人が見たら笑い転がる風景だと思う。

  多分小さい頃からその能力はあったんだろう。言わば白河にとっては空気と同じくらいあって当り前の存在だったモノが無くなった。

  その不安は計りしれないものだと思う。オレは別に「そんな能力は無くなった方がちゃんとした人間として生きていける!」とか綺麗事を言うつもりはない。
 その能力が白河の人とのコミュニケ―ションだから。否定する気はまったく無かった。


 「だからと言って今までの生き方を否定するとか偉そうなことは思ってねぇよ。それは分かって欲しいね」

 「・・・・うん、分かってる。色々ありがとうね」

 「別に好き放題オレが勝手に喋りまくっただけだ。別に礼とか言われてもなぁ」

 「それでもありがとう、かな。こういうのってあんまり人に相談した事無いからさ」

 「能力の事か? それとも、こういう風な相談事の類の事か?」

 「・・・・両方」


  白河はそう言って軽く伸びをした。表情を見る。さっきまでの顔と比べて見ると幾分かはよくなった気がした。

  まぁ、人に話しただけで不安が消えるという話もあるしそういう感じなのだろう。オレはあんまり人に相談しないタチだから気持ちはあんまり分からねぇが。


 「でも義之くんて案外ちゃんと人の話を聞いてくれるよねぇ。前の義之くんも優しかったけど、今の義之くんもいい感じだよ?」

 「前のオレは人格者だったらしいな。みんなの態度を見れば分かる。さぞ驚いたろうな、いきなりこんなロクデナシになったんだからよ」

 「でも変わらない事もあるよ。女の子にモテル所とかね。いやぁ~、男子達からすれば羨ましい限りですなぁ~」


  笑顔を浮かべてオレを小突いてくる。多少無理してる感はあったが白河なりにいつもの日常に戻ろうとしているのだろう。

  だったらオレもそれに合わせるとするか。ここまで付き合ったんだし別にいいだろう。


 「別に嬉しくは無いな。女の子に好かれてウキウキした気分よりも気苦労が多かった。本当に精神的に参っちまいそうだったよ。相手はオレ以上に
  参っていたっていうのにな」

 「・・・・ムラサキさんの事?」

 「それ以外にもだ。別に知ってるからあえて言う必要はないかもしれねぇけど茜、由夢もそうだな。よく振った後にもこうしてオレなんかに付き合って
  くれるよ、本当に」

 「モテル男っていうのも大変なんだね。もしかして入院とかしてたのもその所為だったりするのかな?」

 「みんなには交通事故とか言っているが―――刺されたんだよ、エリカにな。こう、背中からズドンと」

 「うわぁー・・・・・」


  少し白河の背中の部分を押してやる。若干引き気味に顔を歪ませる白河。きっとその様子を想像したのだろう。

  あんまり思い出したくない感触だ。体中から力が抜け落ちて倒れる行為しか出来なくなる状態。もう体験したくない出来事の一つとなった。


 「だけどなんとか和解したよ。今ではいい友人関係にこぎ着ける事が出来た。決着が上手くつけられてホッとしているよ」

 「あ、あはは。さすが、だね。よくそういう状態からそういう関系に持っていけるなんて」

 「まぁ、色々なモンが重なって上手く行ったとしか言いようがないけどな。ほんとに、よかったと思ってる」

 「私も恋愛してみたいなぁ。義之くんみたいな派手な恋に憧れてたけど―――傍で見てると体験するものじゃないって分かった事だし、普通の
  恋愛がしてみたいよ」  

 「どういう意味だよ、白河」

 「い、いや、そのね・・・・」


  言い淀み困った顔になる白河。気持ちは分からなくねぇけど本人が目の前に居るのにあえて言う必要はないだろう、まったくよ。

  さて、もう話す事は済んだしそろそろ教室に戻らないとな。退院してから初の授業に遅刻したんじゃ茜の野郎にまたグチグチ言われちまう。

  オレが柵から腰を起こすと白河もそろそろこの時間が終わりに近いと悟ったのか習うように腰を起こした。


 「さっきも言ったけど―――色々ありがとうね、義之くん。結局面白おかしくない話しちゃって」

 「別に構わねぇよ。今度会う時に面白い話を聞かせてくれればな。オレが寛容な男である事に感謝しろよ?」

 「あはは、うん、感謝してるよ。普通の人にはこんな話なんか聞かせられないからね」

 「超能力みたいなもんだしな。余程理解がある人で無いと信じてはくれないだろう。杉並なんかはあっさり信じそうだけどな」

 「・・・・ねぇ、義之くん?」

 「ん、なんだ?」

 「やっぱり桜の花が散ったのと私の能力って、何か関系あるのかな?」

 「興味本位か?」

 「うん、興味本位」


  とりあえず気になってみたから聞いた、という感じか。真剣な様子は見受けられない。恐らく本当に興味本位なのだろう。

  別に言ったって構いやしないと思うが・・・・さて、どうしようか。もし深く突っ込んできたらややこしくなる可能性がある。

  オレとしては取り立てそういう事態に別に発展して欲しくないが――――――  


 「関係あるな。白河の心を読める能力と桜の木―――願いでも叶えてくれたんじゃねぇか、白河がそういう能力が欲しいって願いをな」

 「―――そうなんだ。義之くんがこうやっていられる原因を作ったものだしね。当然といえば、当然なのかな」

 「聞きたい事ってそれだけか?」

 「うん、ありがとう」


  そうしてオレ達は一緒に屋上から下の階に繋がる階段に足を進めた。白河は気になっていた事が分かって満足なのか、清々した顔になっている。

  まぁ、そうなんだよな。オレの秘密とか女の事とか色々白河には知られちまってるから別に今更隠す必要は無いと思った。

  もし恨み事とか言われても受け止める気でいた。確かにややこしい事態は避けたいが、変な責任感があった。白河の生き方を変える様な出来事を
 起こした責任感が。

  だが白河は特にそういった感情を持ち合わせていないようで何も言ってこない。まぁ根が素直っぽいしそういう暗い感情にはならないのだろう。


 「なぁ、白河」

 「ん~?」

 「お前ならそんな能力無くても友達がいっぱい出来るよ。安心しとけ」

 「え、な、なにいきなり・・・・」

 「別に。ただそう思ったから言っただけだ」

 「・・・・そう」


  チャイムの音が鳴り響く。どうやら一時限目の時間が終わったみたいだ。次の時間も自習にならねぇかなぁ、面倒なんだよ体育の授業って。

  その時背中に言葉を掛けられる。やや緊張したような声。不安に満ちていた。

 
 「―――私達って、友達かな?」

 「・・・・・」

 「あ、ごめんねいきなり変な事言って―――」

 「ダチなんじゃねぇかな」

 「え?」

 「オレは白河に色々な事を知られてるしオレも白河の事を色々知っている。例えば―――今日のパンツの色は黒とかな」

 「―――――ッ!」


  バッとスカートを押さえる。だがもう遅い。さっき屋上で見たからな、今更隠したって意味ねぇよ。

  少し恨めしい眼付きで見てくるが適当に受け流す。別に盗撮とかそういう目的で見た訳じゃねぇし・・・・だったらスカートを短くしなけりゃいいって話だ。

  本当は見せたいんじゃないかと思う様なスカートの短さ。小恋みたいな大人しい奴だって短くしてるし、女子は制服にまでファッションを気にしなくちゃいけ
 ないから大変なこった。冬とか見てるだけで寒くなる。


 「綺麗なレースがついていたな。白河っていつでもマジモードなのかよ、そんな黒の下着履いてよ」

 「べ、別にそんなつもりじゃ――――」

 「ああ、また話が脱線する所だった。オレ達は友達か、だっけ? 少なくともそういう意識はオレは持ってるけどな。こうやって秘密を共有するのは
  恋人かダチぐらいだよ。もしくは企業のお偉いさんぐらいだ」

 「・・・・・・・・・・・恋人の方がよかったかな」

 「ん? わりぃ、今聞こえなかった。なんて言ったんだ?」


  ちょうど廊下が休み時間で少し騒がしかったので聞こえなかったので聞き直す。あえて小さい声で言ったのか分からないがあまり声量が大きくなかった。

  しかし白河は首を横に振って否定する。表情は―――自然な笑顔。無理やり作ったモノでは無い。本当に大した事では無いのだろう。


 「ううん。なんでもない―――でもそうかぁ、私達友達だったんだね。義之君いつも私に冷たいからそんな事感じた事ないなぁ」

 「いつもオレはあんな感じだ。特例は美夏ぐらいだよ。あいつの場合は何故か必要以上に優しくなっちまう」

 「うわぁ~、ノロケっすか。いいっすねぇ、恋人がいる人は幸せそうで」

 「白河の場合はもっと対人関係を上手くこなしてからだな。そうすればすぐ彼氏が出来ると思うぜ。面と体はいいんだからよ」

 「えぇー、そういうのって普通女の子に言うかなぁ? 義之くん、やっぱりデリカシーないよ」

 「そうだな。今度暇な時よかったら教えてくれ」


  棘がある視線を躱してオレは自分の教室に入り込む。白河も一緒に何故か入ろうとした時、白河が呼びとめられた。

  おそらく同じクラスの友達か何かだろう。最初は戸惑い気味に対応していたが―――頑張って必死に会話をしようと試みていた。


 「まぁ、頑張れよ」


  その背中に言葉を投げかけてオレは自分の席に向かう。

  今までの生き方がガラリと変わってしまった白河。素直に応援したい気持ちがあった。  

  オレの席の周りには相変わらず雪村達がたむろしている。視線が合うと軽く手を上げてくる雪村、少しぎこちない笑顔をする小恋、いつも通りの茜。

  かったるい気持ちになりながらも少しは相手してやろうかと思い、軽く肩をすくめながら席に着いた。
 
  

















 「でもやっぱり兄さんに相談した方が・・・・」

 「構わんと言っている。これは美夏個人の問題だ。義之がどうのこうの関わる問題ではない。それに―――迷惑が掛かる」

 「そ、そんな事は無いと思います。兄さんならきっと自分の事の様に考えてくれる筈ですよ!」  

 「だったら尚更だ。これ以上巻き込みたくないんだ、美夏は・・・・」

 
  そう言って天枷さんは椅子を揺らすように背中を掛ける。目を瞑り腕を組んでいる。もうこの話は終わったと言わんばかりのポーズだ、

  私達は昼を学食で済まそうと食堂に集まっていた。と言っても集まってるのは私と天枷さんだけ。天枷さんの友達の方はどうやら呼び出しを
 喰らったようで後で合流する予定だ。テストが赤点で本人は呻いていたのを思い出す。

  兄さんもその内来る筈なのだが授業が遅れているみたいで中々来ない。知らずしらずの内にため息が漏れた。


 「はぁ・・・・兄さん遅いなぁ」

 「もう美夏達だけで食べてるか? 義之は別に先に食べてても何も言わないし、むしろ自分の所為で昼飯を食いそびれたと知れ
  内心気にしてしまうだろう」

 「う~ん・・・・じゃあ、そうしますか?」

 「うむ」


  席を立ち券売機のコーナーに向かう。最近脂っこいモノが続いたからあっさり系がいいなぁ。よし、A定食にしよう。

  天枷さんはどうやら太らない体質らしく今日も変わらずB定食だ。ロボットに太るという原理があるのか知らないが素直に羨ましいと思う。

  うう、最近腰回りがやばくなってきたから心配だ。兄さんに「よぉ、デブ」と言われたら死ぬしかない。絶対に兄さん殺して私も死ぬとしよう。


 「なんだ、由夢。それだけで足りるのか? もっと食べて肉を付けた方がいいぞ」

 「これ以上付けたらお相撲さんになってしまいますよ・・・・。天枷さんはいいですよね、太らない体質で」

 「あはは、まぁな。美夏の場合普通の人間と違うからそうなのかもしれない。そこだけは感謝しなければいいけないな」


  券を払うと即座に目当ての物が出てきた。それを天枷さんと二人で持って席に戻ろうと踵を返す。

  さっきまでの暗い雰囲気と打って代わって明るい雰囲気になる。話題になるのはダイエットの事。私達の年代にとっては死活問題なのだ。

  もう少しで席に辿りつこうとした、その時―――人にぶつかった。


 「あっ!」

 「わわっ!」

 「きゃっ!」


  ドンとぶつかり派手に散らばる天枷さんの定食。ガシャンという音が食堂内に響き渡った。さっきまで煩かった喧騒が一瞬にして止む。

  天枷さんにぶつかった女生徒は尻餅をついて倒れてしまう。しかしそれだけでは終わらなかった。その服にも汁やサラダ、様々なモノが振りかかり
 目にも当てられない様になってしまう。

  一瞬天枷さんは呆けた様な表情をしていたが、慌ててその女生徒に手を伸ばした。


 「いたた・・・・って、あーっ! 私の制服がっ!?」

 「だ、大丈夫かお前っ!?」  

 「だ、大丈夫に見え――――――」


  その子は天枷さんを怒鳴ろうと顔を挙げ、驚いた顔をした。そして次の瞬間には憎たらしい顔つきになる。

  いきなり様子が豹変したのを見て戸惑う天枷さん。それはそうだろう。ぶつかって服が汚れて怒っている顔じゃない。

  その表情―――いかにも格下に泥を塗られたと言っているような顔だった。


 「ど、どうしたのだ? 服の件はすまないと思って―――――」

 「ワザとでしょ」

 「え・・・・」

 「あんたってロボットなんでしょ? だからワザとぶつかって決まってる」

 「な、なんで美夏がそんな事を・・・・」

 「何をワザとらしそうに――――みんなから陰口を叩かれて頭に来てやったのでしょ? だからこういう嫌がらせをしたに決まってるわ」

 「そんな・・・・」


  あまりにも滅茶苦茶な論理展開。天枷さんもいきなりそう言われてしまい面喰らってるようだ。

  どう風に対応していいか迷う顔をしている。相手の女子はそんな天枷さんを見下ろすように睨みつけている。

  さすがの私も頭にきてしまい言い返すように口を開いてしまった。


 「そんな滅茶苦茶な話はないじゃないですかっ! そっちも前後不確認でぶつかってきたのにあまりにも一方的過ぎますっ!」

 「由夢・・・・」

 「何よ、あなた。あなたもこのロボットの仲間なの?」

 「そんな言い方って・・・・・!」

 「ふぅん。珍しいわね、ロボットに味方する人って。もしかして――――あなたもロボットなのかしら?」

 「なっ―――――ッ!」

 「だったら味方する理由も分かるわ。同族が貶されたらそりゃあ庇うものね」


  あざけ嗤う様な表情をする。頭に来た。そういった勘違い甚だしい思考もそうだが私達を嗤うその態度が一番勘に触った。怒りの余り顔が赤くなる。

  周りの人達も恐らく似たような思考なのだろう。決して助けに入って来ようとしてこない。当然の話かもしれない。さっきまで私達を遠目に話のタネに
 していたのだから。自分の迂闊さにも腹が立つ。弁当を忘れたから学食にしようとしたのがそもそもの間違いだった。

  そんな場所で食べる御飯が美味い訳が無い。私は怒りと同時に自分にも腹が立った。


 「あれ、これって―――――」

 「あ・・・・」

 「―――へぇ。ロボットでも携帯って必要とするんだ。なんか意外~。それも中々オシャレな物付けてるじゃん」


  そう言って手の平で弄ぶ。オシャレな物―――兄さんが天枷さんにあげたものだった。以前使っていたストラップは壊れてしまい使い物にならなくなった
 と聞くが、また兄さんが買ってあげたという話を聞いた。

  今度こそは大事に使わないとなと意気込んでいた天枷さんの真剣な顔を思い出す。天枷さんにとってはもうニ度と亡くしたくない代物だった。

  天枷さんはさっきまでのしょんぼりとした様子とは打って変わり、必死にそれを奪い返そうと手を伸ばした。


 「くっ―――――」

 「おっと、危ないわね。いきなり飛びかかって来るから驚いたじゃない」

 「それを返してくれないか。大事な物なんだ」

 「――――嫌よ。そもそもあなたがぶつかって来たからこうなった訳じゃない。まるで誠意の欠片もないわね」

 「・・・・何をすればいいのだ? そういう風に言うからには何かして欲しいのだろう?」

 「そうね、土下座して『人間様に迷惑を掛けてすみません』と言えば許す、かもね」

 「何を馬鹿な・・・・!」

 「分かった、やるよ」

 「天枷さんっ!?」


  そう言って両膝を付ける天枷さん。その様子に相手は多少は驚く顔をしたが次の瞬間にはニヤニヤとした顔に変わった。

  恐らく、というか絶対に許す事なんて考えていないのだろう。ただ天枷さんを苛めたいだけのだ。そう、ただの腹いせに。

  普通の人だったここまでの事はしないだろう。弁償で済む話だ。だがここまでやる理由――――天枷さんがロボットだからだと思う。


  その証拠に周囲のギャラリーも別に何とも思って無さそうに見てるだけ。いや、楽しんでいる者もいるだろう。そういう空気を感じた。

  これでは呈のいい見世物だ。私は天枷さんを起こそうと手を伸ばしたが振り払われてしまう。邪魔をしないでくれ、そういう目をされた。

  思わずどうしようかと考えてしまう。普通に考えるなら無理に引き起こすべきだろう。確かにぶつかってしまったのは事実だがここまでやる
 必要は感じられない。

 相手の手の片方には自分の物であろう携帯が握られている。大方メールでも打ちながら歩いていたのだろう。だからあんな所で衝突してしまった。



 どっちも悪い。それで済む話なのに、こうして懺悔でもするように膝まづいているのは天枷さん。私はやっぱり納得がいかないと思い――――― 
  
 
 
 「すいませんでした」

 「あ―――――」

 「さっき教えた台詞をもう忘れたの? ロボットって案外馬鹿なのね」

 「・・・・人間様に迷惑を掛けてすみませんでした」

 「そうそう、やればできるじゃないの。まったくロボットの癖に素直じゃないんだから」

 
  天枷さんに伸ばそうとした手が力なく垂れ落ちる。謝ってしまった。何も天枷さんだけが悪いという訳じゃないのに土下座してしまった。

  目頭が熱くなってしまう。なにも、なにもここまでの仕打ちをする事はないだろう。まるで天枷さんが罪人みたいではないか。いつもの元気な
 姿はそこには無く頭を垂れて許しを乞うような姿。あまりにも、酷過ぎる。

  もうこれは本当にタダの苛めだ。道理なんてものは何もない。ただ弱者を苛めたいだけの人の汚い姿しかそこにはなかった。


 「じゃあ、約束だ、携帯を返して―――――」

 「分かったわ。じゃあ慰謝料としてこのストラップは貰うわね」

 「なっ―――――」

 「結構いいシルバーじゃない。こんな高そうな物、あなたには必要ないでしょ? だから私が貰ってあげるわね」

 「ふ、ふざけるなっ! 返せ、このっ!」

 
  そう言って飛びかかるように携帯を取り戻そうとする天枷さん。だが背の大きさのハンデがあるのかなかなか手の平から携帯を奪えないでいる。

  手を上に掲げられてしまい、まるで子供が親から玩具を奪い返す様な姿。周りもそれを見て嗤っている。思わずそんな人達を殴りたくなった。

  あれは天枷さんにとって本当に大事な物なのだ。宝物と言っても差し支えない。それをただの興味本位で奪おうとしている。


 「あははは。ほぉら、もっとジャンプすれば届くわよ?」

 「くっ、そ―――――」

 「ロボットなんだからもっと動ける筈でしょ? いつまで人間ぶってるのよ、ばーか」


  もう我慢が出来ない。そのニヤついた顔を引っぱたいてやる。そう思いその距離を詰めようとして――――派手な音がまた響き渡る。

  相手側の女子生徒がそこを通りすがった相手にぶつかっってしまったのだ。ぶつかった相手、その人も服に派手に食べ物がぶちまけられてしまった。
 
  そしてまた静まってしまう食堂。さっきまで騒いでた人達も思わず黙ってしまう。もう廊下なんて見られたモノじゃなくなっていた。
 
  水浸し、無様に撒かれたチキンやサラダで掃除するのを放棄したくなるような有様になってしまっていた。


 「わっ、と――――危ないわねぇ」

 「ちょっと失礼」

 「え・・・」

  

  ――――瞬間、パァンと乾いた音が響き渡った。



  今日何度目になるか分からない派手な音。ぶつかられた相手が思いっきりその女をビンタしたのだと理解するのに時間が掛かってしまった。

  いきなりそんな事態に急速に発展するとは全く予想がつかなかったから当り前の話だ。まるで息を吸うが如く、自然に平手打ちをかましていた。

  ぶった相手、綺麗なブロンド色の髪を手で掻きあげて腕を組むポーズ。今度は相手側の女性が土下座するように這いつくばってしまっていた。

  余程思いっきり打たれたのか立てないでいる。しかし、ハッとした様子で顔を上げると捲し立てるように声を張り上げた。


 「―――――ってぇなオイっ! 何するんだよっ!?」

 「失礼と言ったでしょう、ちゃんと耳は付いていまして?」

 「ああっ!? いきなりビンタしておいて何偉そうな事を―――――」

 「最近、私はとてもツイてると思ってましたの」

 「は・・・・?」


  いきなり勝手に独り言の様に話を始めるブロンド色の髪の女性―――ムラサキさん。相手の話なんかどうだっていいという風だった。

  それにしても結構な騒ぎで皆して食事そっちのけで私達の様子を窺っていたと言うのに・・・・我関せずと食事を採ろうとしていたのか、この子は。

  食器を持って近くを通ったとはそういう事なのだろう。特に嗤うでもなく、普段通りに食事をしようとするその姿勢、誰かさんを思い起こさせた。


 「義之が恋人じゃなくても甘えさせてくれるし、優しくしてくれる。昨日だって私と今日の放課後一緒に買い物をする約束もしてくれましたわ。
  友達、という関係も案外悪くないかもしれませんわね。恋人という関係が一番ですけど――――彼女がいるから無理ですわね」   
      

 「な、なにをいきなり・・・・」

 「だから今日はとても気合いを入れてきましたの。見て下さいな、今着てるシャツを。いい服でしょう? まず素材からしてそこら辺の安物と違いますわ。
  初めて義之に送られたプレゼントですし、ここぞという時にしか着ないと決めておりましたので着てきたのですが―――御覧の有様」


  そう言ってシャツに手を掛けて見せるように引っ張るムラサキさん。確かに高級感があり散りばめられたスワロフスキーが更にその感じを醸し出している。

  だが、全部台無しだ。シャツは汁っ気を含んで変色しているし、何より掛かったソースが問題だ。クリーニング屋でも中々落とせ無さそうな染み具合を呈している。

  女性は一瞬怯んだが言い返すように口を開いた。開こうとした。だがその前にムラサキさんが捲し立てる。

 
 「一応数万円するものなのですが―――弁償してくれませんこと? クリーニングに出しても落とせなさそうだから勿論買った料金を支払って貰いますわ」

 「だ、だからって何も殴ることはないだろーがっ! だ、大体責めるならそこのロボットにしろよな」

 「ロボット?」

 「そうなのよ、元はと言えばそこのロボットが全部悪いのよ?ソイツが私にぶつかってアンタみたいに汁まみれにしなければこんな事にはならなかっのに」

 「あ、あなたって人は・・・・・」

 「くっ・・・・・」


  私はもう言葉が出て来ない。恐らく払えないと思ったのであろう。少し媚びへつらう様に天枷さんに方向転換してきた。そして目線を合わせる天枷さんとムラサキさん。

  マズイ事態になった。ムラサキさんは天枷さんを庇うような真似は絶対しない。両者の確執はとても大きなもので直し様が無いぐらい溝がある。 
   
  ムラサキさんからすれば大好きな兄さんを奪った女だ、庇う理由が無い。詰まらなさそうに天枷さんを見ながらムラサキさんは口を開いた。


 「ああ、天枷さんの事ですか。そうなの、天枷さんとぶつかってしまって食事をぶち撒けられたのね、貴方は」

 「そ、そうなのよ、だから―――――」

 「で?」

 「で、でって・・・・」

 「貴方がぶつかって来て汚れてしまったこの服。どうしてくれるの?」

 「だ、だからそれはこのロボットが・・・・」

 「貴方が莫迦みたいに踊らなければ、私はこんなにも腹わたが煮くり返る思いはしないで済んだ事ですのよ? そこのロボットがどうのこうのでは無くて 
  私は、貴方に、今、とても、殺したいぐらい、殺意を覚えてますの。今現在の心境として。お分かり?」
  

  言葉を区切って強調して、まるで本当に殺さんばかりの視線を叩きつける。小さな悲鳴を上げて視線をきょときょろ忙しなく動かす女性。

  恐怖に駆られて何も言えないでいる。しかしそんな様子を意に介さないのか襟を持ち上げて無理矢理に視線を合わすムラサキさん。

  そんな様子を見て分かってしまった。ああ、本当にこの人は兄さんの事しか頭に入っていないのだろう、と。

  恐らく天枷さんが絡んでる騒ぎという事実よりも、兄さんがくれた服を汚されたという事実の方が重いに違いない。   


 「それでどうしてくれるのかしら? ちゃんと弁償してくれますの?」

 「あ、あの、その・・・・」

 「黙ってちゃ―――分からないでしょうがっ! こんな汚れた服でどういう顔で義之と顔を会わせればいいのよっ!? まさかこんな服で
  義之の隣を歩けと言うのっ!? 馬鹿にするのもいい加減にしなさいっ!」

 「あ―――――」 


  そしてあろうことか―――その女性の顔に頭突きをした。たまらず鼻を押さえて逃げようとするも襟を捕まえられて動けないでいる。

  周りもその様子に唖然として動けない。さっきまでの雰囲気なんか吹っ飛んでしまった。私もその光景に目が釘付けられて固まってしまっている。

  荒い息を吐き、眼を充血させているムラサキさん。本気でキレているのだろう。相手の女性はその剣幕にもう涙をボロボロ零してしまっている。


 「う・・・・グスッ・・・えぐ」

 「泣けば済むと思ってるのかしら貴方は。そんなのが通用するのは小学生までよ。ほら、なんとか言いなさいな」

 「ゆ、許して・・・・」

 「許す? 貴方は何か許されない事をしたのよね? だったら当然それと釣り合うぐらいの事をしてもらわないと困るわ」

 「べ、弁償しますから・・・・だから・・・・」

 「お金で解決する、ですって? いい加減舐めるのはよしなさい。そんな事で義之から貰った服が返って来る筈がないじゃないの」

 「そ、そんな・・・・・滅茶苦茶・・・・」

 「お、おいムラサキっ! もうその辺でいいだろうっ!」


  ムラサキさんの腕に飛び付く天枷さん。その衝撃で襟から手が外れ解放されてしまう女生徒。軽くそれに舌打ちをしながらムラサキさんは天枷さんをキツく睨んだ。

  逃げるようにその場から立ち去るその女子生徒には目もくれずまたは今にも始まりそうな雰囲気を醸し出す二人。もうこんな状況手なんか付けられない。

  周りも同じ気分なのだろう。固唾を飲んで成り行きを見守っている。


 「いきなり飛び付かないでくださいな、天枷さん。お猿さんじゃありませんのに」

 「今のはやり過ぎだぞ。相手はもう泣いて許しを乞いてたじゃないか」

 「だから言ったでしょう。義之から貰った服をこんなに酷くされたのよ? それ相応の報いがあって当然ですわね」

 「お、おまえ・・・・」

 「それにしても―――相変わらず義之から愛されてるみたいね。これ、新しいプレゼントでしょ? いいですわよねぇ、義之と恋人同士で」

 「あ・・・・」


  下に落ちていた天枷さんの携帯を手に持つ。その様子を見て天枷さんの顔がサッと青くなった。当然の話、そのまま無事にその携帯を返すとは思えない。

  ジロジロとそのストラップを見詰めるムラサキさん。天枷さんも迂闊に動けないのかその様子を黙って見ている事しか出来ないでいる。

  どうするつもりか、そう思った次の瞬間―――――


 「・・・・・ふん」

 「あ、わわっ・・・・と」


  ポイっと投げ捨てるように天枷さんに返した。それを慌てるようになんとかキャッチする天枷さん。その行動、意外だと思った。

  天枷さんを嵌めて、集団で暴行しようした事があるのは以前聞いた事がある。そこまでする程天枷さんを憎く思っていた筈なのにどういう心境の変化か。

  天枷さんもその行動は意外だと思ったのか、どういう風に対処しようかと困っている表情をしていた。その時、聞き慣れた声が聞こえてきた。


 「おいおい、何があったんだよこりゃあ」

 「あ、兄さん・・・・」

 「よ、よしゆ―――――」

 「ああ、義之っ!」

 「おっと・・・」

 「な―――――」


  兄さんの胸に飛び込むムラサキさん。まるで豹変したみたいに態度がコロっと変わった。さっきの剣呑な雰囲気なんか嘘みたいな変わり様だ。

  私と天枷さんがその様子を見て驚き動けないでいる。そしてムラサキさんは言葉を続けた。


 「本当にごめんなさい、義之」

 「あ? 何がだよ」

 「義之から貰ったこの服、汚れてしまいましたの。さっき通りすがった生徒にぶつかってしまって・・・こんなにも」

 「うわぁ、ひでぇなこりゃ。これ絶対落ちないぞ。クリーニング屋に行っても難しいな。完全に染み込んじまってやがる」

 「・・・・・・・ごめんなさい」

 「あ、べ、別に謝る事じゃねぇよ。とりあえず怪我はしなかったみたいだし・・・・それだけでもよかったぜ」

 「――――ふふっ、相変わらず優しいのね、義之は」


  微笑みの顔を作り兄さんに向ける。向けられた本人は困ったように頭を掻いているが――――嬉しくないわけがない。

  美人にあんなにも露骨に胸を押しつけられているのだから当然だ。一度抱いた事があるのだから尚更何か感じるモノがあるに違いない。

  そして改めてこちらに向き直る兄さん。どうでもいいがその腕にぶら下がっている女をどうにかしてもらいたい。


 「で、美夏もなんだか服が少し汚れているな。お前もその被害者か?」

 「―――――まぁ、似たようなもんだ」

 「天枷さん・・・・」

 「いいんだ、由夢」

 「あ? まぁ、そんなんじゃ食事どころじゃないな。ていうか今日はもう帰って早めにその制服をクリーニングに出した方が良い。染みになるぞ」

 「放課後はムラサキに付き合うからそう言ってるんだろ? 相変わらず仲のよろしい事だ」

 「・・・・何言ったんだよ、お前は」

 「ふふ、なんでもありませんわ。ただ義之に買い物に付き合ってもらうと言っただけ。友達としてね」

 
  友達がそんな風に胸を押しつけるか。言っている事とやってる事が正反対にも程がある。彼女が目の前に居るのによくもまぁそんな事が出来たものだ。

  兄さんからムラサキさんとはちゃんとした友達関係になったと聞いた。恋人関係を諦め、天枷さんに対しても酷い事はしないと誓ったと言う。

  それは分かっているのだが――――どうもこうも面白くない。天枷さんも同じような話を聞かされているらしいが同じ気持ちだろう。


 「まぁ義之が帰れとい言うのなら帰るさ。じゃあな」

 「あ、お、おい。ちょっと待てって!」

 「ちょっと義之――――もうっ!」    
  

  天枷さんを追いかけて走りだす兄さん。ていうか私の事はスル―ですか、そうですか。そしてその場に残されたのはムラサキさんと私。途方に暮れてしまう。

  周囲のギャラリーも騒ぎが収まったのが分かるとまた各々が食事に戻った。思わずため息をついてしまう。皆勝手に囃し立てたりして置いていざ騒ぎが
 収まると知らんぷりの顔だ。この後始末、私がするのかなぁ。

  元来生真面目な性格をしているから確かにこの汚れた床は見過ごせないけど・・・・もう少し報いがあってもいいのではないだろうか。


 「あら、由夢さん。別に無理して掃除する事はないのよ? どうせ食堂の管理者が掃除するのだから。レストランで水を零してもウェイターが全部
  やってくれるでしょう? それと同じ事よ。由夢さんは騒ぎに巻き込まれただけなのだから」

 「おほほ、御心配ありがとうございます。でも私の事はどうか御気になさらずに・・・・。私が気になって掃除するだけなのですから」

 「はぁ、生真面目な性格ですこと。損な性分ですわね」
 
 「私もそう思います。結構難儀な性格である事は知っているのですが、いやはや。ムラサキさんはどうなされるんですか?」

 「そうね、とりあえず購買で食事を済ませようと考えています。もう食堂で採る気分では無くなりましたので」

 「そうですよね。こんな汚れた床がある場所では食事なんか採れませんものね。お姫様でお嬢様のムラサキさんには拷問にも等しい、ですから」

 「――――なんですって?」

 「では私はこれで」


  食堂に備え付けてあるロッカーに向かいモップを取り出す。昼休みに掃除をする事になるとは罰ゲームに似たものを感じるが、まぁしょうがない。

  やや萎えた気分になりながらも掃除を開始しようと視線を床に移し――――違和感を感じた。手元のモップに何か引っ張られる感触。ムラサキさんが
 微笑みを携えながら私のモップを握っていた。

  それに対して私も微笑みで返す。この女性はそんなにも私の気に触る事をしたいのか。少し暗い感情が頭を覗かせた。


 「手伝いますわよ、由夢さん」

 「ああ、無理しなくて結構ですよ、ムラサキさん。とてもじゃありませんがこんな使用人みたいな真似をムラサキさんにやらせられません」

 「―――――いいから貸してくれません事? 由夢さんはどうか楽しい食事を再開してくださいまし」

 「いえいえ、そんなお気遣いはいりませんよ。ムラサキさんこそ御食事を楽しんで下さいな」


  そう言ってモップを取り返そうとする。しかしムラサキさんも後に引けないのか無理矢理そのモップを引っ張ろうとした。そして左右から引っ張られて少し 
 軋む木製のモップ。早く離してくれないと学校の備品が壊れてしまうではないか。いい加減にして欲しい。


  どちらにも譲る気は無いので自然と力を込め合う両者。しかし決して顔には出さない。雰囲気的に感情的になったら負けみたいな空気が漂っていた。

  結局私達はチャイムが鳴るまでその一つのモップを取り合っていた。そして改めて感じたムラサキさんの印象。やっぱりこの女性は私とは相容れない
 存在だという事だった。






















[13098] 23話(後編)
Name: 「」◆57507952 ID:1b395710
Date: 2010/02/03 17:12













 「まったくアイツときたら・・・・」


  いつもの事ながら義之の女癖の悪さには困る。ムラサキにしたって美夏が知らない内にあれだけ仲良くなっていたし、まだそういう女が居ないとは 
 限らない。実際由夢と花咲も義之に想いを寄せていたとは知っている。花咲の場合態度を見れば一目瞭然だ。

  義之を見る目、何か熱を感じていた。友人に向けるそれとは違っていて友情以上の事を感じさせる目をしている。それに気が付いた時はさすがにムッとした。

  まぁ、花咲は義之の事を諦めているようだし美夏の事を応援してくれている。今ではこれ以上ないぐらい味方をしているから頼もしい限りだ。


 「むぅ、花咲に何かお礼をしなければいけない。まぁゴタゴタが終わった時にだが、な」


  ポケットから一つの紙を出しそれを改めて読む。なんてことはない。ただ美夏に対する中傷や嫌がらせの類といったものが書かれているだけ。

  実の話、今までもこういったモノは貰って来た。きっかけは義之との年末のお参りだと思う。そこで美夏は派手にオーバーヒートをやらかした所為だ。

  そして思い出すあの時の事。つまらない意地、花咲と義之が楽しそうに話をしていたのを見ていて腹が立ってその場所から逃げた。まぁそのおかげで今
 こうして義之と付き合えているのだから人生というのは分からない。結果的にはよかったんじゃないかと思った。

  そう思った。思っていた。今思えばそれがどれだけ馬鹿な話だったか分かる。その所為で美夏は今の様な立ち位置に――――



 「いや・・・・美夏だけではないか」


  義之。美夏の所為で迷惑を掛けている一番の被害者だ。本人は隠している気でいるようだが丸分かり。というか実際にその現場を何回か美夏は見て来た。

  美夏が数人の男連中に襲われた時然り、この間の食堂帰りにジュースを飲んだ時もそうだ。義之のポケットから落ちる手紙の中身を美夏は見てしまった。

  恐らくだが嫌がらせを受けたのはそれだけでは無いだろう。美夏が知らないだけで幾度となくやられているに違いない。確信があった。


 「・・・・・・・・そろそろ、かなぁ。もう十分起きたろう」

  
  義之と付き合い始めてからずっと心の中にあった不安。それは何時いかなる時でも存在していた。確かに義之と居ると幸せになれるしとても充実した気分になる。

  だけど寄り掛かるだけの関係を美夏は良しとしていない。ムラサキにも指摘されたが美夏はいつも義之におんぶ抱っこしていた。そんな事はしたくなかったが
 結果としてそういう行為をしてきた。

 
  義之はまるで自分の事を疫病神みたいに言うがそれは違う。ロボット、美夏がロボットだからこんな事になった。もし人間だったらこんな事態に―――――。


 「おい、美夏てめぇ」

 「ふぎゃっ!」


  目の前がいきなり真っ暗になったので驚いてしまった。まるで溺れたみたいに手をバタバタさせてしまう。だがここは地上で周りに水なんてありはしない。

  そして頭に感じる手の感触。帽子を無理矢理ズリ下げられてしまったのだと気付くのはそうは時間が掛からなかった。慌てて手を振り払い頭を上げる。

  視線の先には呆れた義之の視線。その態度に美夏はムッときた。誰の所為で今こうして美夏は歩いていたと思ってるのだ。


 「いきなり消えるんじゃねぇよ、まったく」

 「―――わざわざ追いかけて貰って言うのもなんだが、美夏の事は気にしなくていい。心ゆくまでムラサキとウィンドウショッピングを楽しんだらいいさ」

 「あ? なんだよ。気にしてるのか」

 「前も言った覚えがあるが・・・・もし美夏が義之がされているように、他の男にベタベタされてているのを見たらどう思うのだ、義之は?」

 「殺したくなるね。あの手この手で嬲りたくなる」

 「そら、そういう事なのだ。ムラサキが義之の事を諦めたのは知っているし別に親しくしてても特に言及はしない。だが―――限度、それはあるだろう」

 「・・・・・・悪かったよ」


  頭をポリポリ掻いてバツを悪そうにする。義之自信もそれは分かっているのだろう。だが触れられると気を許してしまう。遠ざけられない。

  それが義之の良い所でもあり欠点でもある。何回も言うようであるがそれを美夏は否定したりしない。むしろ突っぱねていたら美夏が一言言ってしまう。

  どうして優しく出来ないのか、と。だから今感じている怒りという感情はその内収まってしまうのは間違いない。それが美夏達のいつもの風景だった。


 「ほら、クリーニング屋に行くんだろ? 付き合うよ」

 「学校はいいのか? お前は少しは真面目になろうと頑張っているのではなかったのか?」

 「・・・・頑張っている理由、それはさくらさんの為だ。あんまり心配掛けたくないっていう気持ちがあったからな、だから最近のオレは学業に精を
  出していた」

 「だったら――――」

 「だがさくらさんなら彼女を放って置いてまで勉強するなんて事を良しとしねぇだろう。オレの母親――――みたいな人だからそう思うだろう。そう思う
  に違いない。愛至上主義な家族だからな。オレ達は」

 「む、むぅ・・・・確かにその考えは素晴らしいモノだとは思うが」

 「だからこのまま美夏とデートに洒落こんでも文句は言われない。だからこのままどっか遊びに行こうぜ? 少し気になってたデザート屋があるんだよ。
  まぁ、まだ三時にはちと早い気もするがな」

 「お、おい」


  そう言って美夏の手を握って歩き出す義之。いつもこの男はそうだ。自分がそう思ったら即行動。時々本当は何も考えて無いのでは無いかと思ってしまう。

  だがそう思うだけで実際は違うのは分かっていた。本当に考え無しならここまで美夏の為に行動してくれないだろうしムラサキとの件で悩む必要も無かった。
 実際は繊細な人間なんだろう。今までロクに人付き合いが無かったからそういう事に敏感になっているのかもしれない。


  まぁ、それにしても―――さっきまでの雰囲気はどこかへ行ってしまったな。まぁいいだろう。今すぐに出す答えでも無いだろうし。美夏は無理矢理さっき
 考えてた事を胸の奥にしまい込む。せっかく義之と居るのだから楽しまなくてはな。


 「・・・・っと、そうだったな。お前の服をまずどうにかしなきゃいけねぇんだったな」

 「それが理由でこうしてここに居るというのに・・・・いいかげんな人間だな、お前は」

 「うるせぇよ。んでどうする? 一回研究所に戻って着替えてから遊ぶか? その時にクリーニング屋に行くっつー感じで」

 「そうだな。お前も一回家に帰って着替えたらどうだ? 制服のまま遊びに行くと補導されてしまうぞ」

 「お、美夏公認で学校サボれるのか。あれだけ規律に厳しいお前が珍しい」

 「どうせ何言っても遊ぶ気満々なお前には通用しないからな。だったら楽しんだ方がいいさ。これ、お前に習った事だぞ」

 「ロクな事教えていないような気がするが・・・・まぁいい。んじゃ早くバス亭に行くべ」

 「うむ」


  手を繋ぎ歩き出す美夏達。しかし手を繋ぐ度に思う事だがよくもまぁこんな自然な形で手を繋げたものだと思う。最初の頃なんか恥ずかしすぎてまともに
 歩けなかった事を思い出した。


  その点義之は最初からごく自然に美夏の手を握ってきて驚いた。本人は彼女なんか今まで居た事がないと言っていたが信じていなかった。その女慣れした
 行動はあまりにも『らしく』映ったのでヤキモキしたものだ。


  しかしその思いも時間を重ねるごとに段々収まってきた。義之がそこまで自然に振舞える理由。美夏の事を本当に好きだと分かったからだ。散々浮気紛い
 な事をしてきたその一点だけは信じられた。


 「なぁ、義之」

 「ん?」

 「美夏の事は好きか?」

 「・・・・いきなり何言ってんだよ、お前」

 「いいから答えろ。改めてお前の気持ちを確認したくなったのだ」

 「ふーん・・・・」


  本当にたまたまそういう気分になった。別に今更疑っている訳ではない。散々美夏の事を好きだと思わせる行動を取ってきたし、あの超美人なムラサキ
 より美夏を取ってくれたのだ。疑う余地は無い。


  だが、今その答えを聞いておきたかった。さっきまでアンニュイな気分だったのでそういう気分になったのかもしれない。答えを聞いてどうこうする訳
 では無かったが再確認したくなった。


  義之は素っ気無さそうにそうに詰まらない顔をしているが、実際は美夏に言う言葉を組み立ててる最中だろう。分かりやす過ぎだ、色男め。


 「まぁ―――世界で一番好ましいと思ってるよ。今更言う事もないと思っていたが愛している」

 「・・・・そうか」

 「なんだよ。オレの臭い台詞に病みつきにでもなったか? こういう事はあんまり連呼しちまうと意味が軽くなるからあんまし言いたくはねぇんだけどなぁ」

 「よく言う。その台詞を今までそれだけ聞かされてきた事か。まぁ・・・・ありがとうな」

 「・・・・どういたしまして」


  怪訝な顔をしている義之をあえて無視して繋いでいる手を引っ張るように美夏は歩き出した。つんのめりそうになる義之。その様子、笑えた。

  何か脇で文句を言っているが聞かない事にする。いつもやられているお返しだ。これぐらいなら許されるだろう。許されないわけがない。

  訳が分からないという顔をする義之を笑いながらバス停に向かう美夏。とりあえず美夏はさっきまでの考え、気持ちを思い出さないようにした。

































 

  
 「こんな時間からデート、ね。うらやましい限りだわ」

 「羨ましがられても何も出ませんよ」

 「うっさいわね。まぁ、美夏が来るまでコーヒーでも飲んで行きなさいな。イベール」

 「はい」


  イベールが淹れ立てのコーヒーを持ってくる。お、相変わらずうまいな。あれから何度も勉強してるらしいし味にコクが出てきている。

  こういうのって余程センスがいいか何回も練習しねぇと出ないんだよなぁ。オレも一時期嵌って色々勉強したが結局その味を出す事は出来なかった。

  オレが感想を言うとイベールは恥ずかしそうに小さく笑い仕事に戻った。相変わらず可愛い所あるしロボットに見えないな、本当に。


 「手、出さないでね」

 「・・・・オレはもしかしていつまでたってもそういう風に見られるんですか?」

 「当り前じゃない。散々あれだけ女の子の事を振り回しといて『ボクは純情一直線なんです』なんて台詞信じられると思う?」

 「そりゃ・・・・まぁ」

 「ほら、身の当たる節がたくさんあるでしょ? そういう風に言われても仕方ないって事よ。よくまだ美夏と付き合っていられるのが不思議だわ」

 「それはオレも時々思います。別に自慢じゃないですが―――結構色々な女の子に好かれてましたからね。それもオレが憎からずと思っている相手。
  迷いのあるまま美夏とは付き合えないし色々大変でしたよ」

 「色男も大変ね。対処の仕方を間違ったら今まで築き上げた人間関係も壊れるもの。特に貴方の場合刺されてるしね」


  そう言って二ヤリとする。随分痛い所を突かれた。返事に窮したオレは黙ってコーヒーを飲む。ニヤニヤしながら水越先生は仕事に戻った。

  オレだって好きで刺された訳じゃねぇ。確かにオレのどっちちかずの態度が悪かったのは重々承知だ。だからっていつまでも引っ張らなくていいのによ。

  多分だが、これからは当分このネタで弄られそうだ。考えただけでも憂鬱になるな。オレは気を紛らわせようと視線を周囲に配る。


 「んあ?」

 
  ロボット―――という文字が入ったチラシが目に付く。そのチラシを暇つぶしに見ようと思って内容を読んだ。

  なんて事は無い内容。ロボットを駆除しようとする人間のありがたいお言葉が所狭しと並んでいる。ロボットは害だ、人への冒涜だ、このまま
 ロボットの存在を容認するのは人間としてどうか、などと書かれている。

  しかしまるで読み手の事をあんまり考えて無いな。こんなにも捲し立てられた言葉の陳列では何が言いたいのか伝えられていない。こういうので
 一番大事なのはインパクトだ。内容云々よりも読み手にどれだけイメージを残せるか。そういうのが大事だというのに。


 「0点」

 「ん? 何か言った・・・・って、ああ、それね」

 「まさか研究所にこんなものがあるとは思いませんでしたよ。ロボットに対する人権反故及び製造中止の呼び掛けですか。所長はこういうのが
  嫌いですからね、すぐに捨ててるそうじゃないですか」

 「町のビラ配りで無理矢理持たされたのよ。まったく、いい加減にして欲しいモノだわ。そんな事でもされたらおまんまの食い上げよ」

 「そうっすよね。それにオレだってこういうのをもし美夏が貰ってしまうのを考えるとあまり良い気分はしない。何とかならないんですかね」

 「んー・・・・今現時点で言うと無理ね。こういうのってやっぱり時間が掛かるものだから。外国の人種差別だって随分と時間が掛かったじゃない。
  特にこんな島国じゃみんなアレルギーみたいに嫌ってる人も多いわ。それでも前よりはマシになったけどね」


  椅子を反転させオレと向き合う。オレはそのチラシを無駄にひらひらさせた後、元の置いてあった場所に戻す。ソファーに寄りかかりながらオレは考えた。

  確かに日本はロボットに対する認識をより確かにいいモノものにしていっている。勿論良い事ばかりじゃないがそれは当り前だ。その国に住んでいるオレ達だって
 良いことばかりじゃない。むしろ時々ふざけるなと良いたいぐらいの政策を発表する時だってある。

  それらを含めて考えると随分体質改善にはなってきてはいる。なってきてはいるが未だにこういう声は後を絶たない。仮出所と似たものでもし何か問題を
 起こせば自体は益々悪くなる。いきなり廃棄みたいな扱いになる可能性だってあった。


 「美夏も大変ですよ、この国で目を覚ましたばっかりにこんな生きづらい環境の中に放りこまれるなんて。確か外国じゃもうあんまり問題視はされていない
  んですよね?」

 「まぁ、ここよりはね。州によって法令とか違うから一概には言えないけどここより厳しい声がある所はあまり無いかもしれないわね。まぁ、あるところには
  あるんでしょうけど」


 「そうですか・・・・こうなったら美夏と一緒に外国に行こうかな。トロント辺りなんかどうです? あそこはあんまり犯罪率が高くないって聞きますし
  日本人の訪問数も多い。暮らす分には何も問題はないような気がしますがね」

 「ちょっと、勘弁してよね。忘れていないと思うけど美夏は極秘扱いの最新鋭ロボットなんだから。外国になんて行かれた日には何が起きるか分かった
  もんじゃないわよ。情報なんて漏れてるかなんて分かったもんじゃないし」

 「冗談ですよ、冗談」


  今度はオレが含み笑いをする。多少睨んできてはいるがこれぐらいはいいだろう。これからも弄られ続けると考えれば安いもんだと思う。

  外国―――考えなかった訳では無い。こんな美夏が生きにくい環境からおさらばして暮らす。悪くはないと考えていた。計画もチラッとだけ立てた事がある。

  中学生の考える絵空事と言う奴もいるだろう。もちろん今すぐにって訳ではない。せめて高校を卒業した後だ、そしてしばらく金を溜めて向こうに移住する。

 
  さくらさんのコネも勿論使う。カッコ付けても何の得にもならないので土下座してでも利用するつもりだった。それで幸せが手に入るなら安い筈。

  しかし―――最初の時点でこの計画は無理だと分かった。そもそも美夏は極秘のロボットで最新鋭。水越先生に聞いた限りじゃあと最低10年はこれ
 以上の物は作られないと言っていた。


  そんなロボットを外国に連れての移住、無理がある。誰に美夏の所有権があるか分からないがかなりのお偉い様に違いない。その人物を説得して外国
 に行く話をする、笑われるだけだと思う。

  まぁいい。ゆっくりこれからの事を考えればいいか。焦っても何も良い結果は出ない。あくまで慎重に、だ。


 「それにしてもこれからの事、ね」

 「ん? なんですか」

 「・・・・いえね。いきなり急な話になるけど、いいかしら?」

 「別に良いですよ。で、水越先生の話したい内容って?」

 「もしも、の話なんだけどね。もし・・・・・・・美夏がまた眠りに就くって言ったら、どうする?」

 「無理ですね」


  即答した。もし美夏自身が納得してそう言ったとしても受け居られない。受け居られる訳が無かった。あまり考えないで答えたがいくら考えてもこの
 答えが変わる事はないだろう。

  しかし何故こんな質問をしたのだろうか。目線でどういう意味なのかと尋ねるように見据えた。水越先生は多少バツが悪い様に頭を掻きながら話した。


 「ん、いやね、最近美夏がチラっとだけそんな事を話してたからさ」

 「美夏が?」

 「・・・・いや、ごめんね。やっぱり聞かなかった事にしといてくれないかな? 美夏にだって感情はあるし不安定になる時だってある。
  たまたまそんなナイーブな気持ちになったのかなって・・・・思ったりして、はは。不安にさせちゃってごめんね?」

 「そこまで話しといて途中で話を区切らないでくださいよ。このまま中途半端な気持ちで楽しくなんか遊べません、水越先生だってオレと
  同じ立場なら同じ事を言う筈だ―――だったら最初から話すな、と」
  
 「う・・・・」


  誤魔化すように笑うがもう遅い。もう言葉に出して言ったのだから発言を取り消すなんて事は出来ない。謝るなら最初から言わないで欲しいものだ。

  焦り―――訳も分からない焦りが胸の中で出来上がる。心配する事は無い。水越先生が言った通りそういう時は誰にだってある。訳も無いのに不安に
 駆られるのなんてザラだ。特に美夏の場合色々あったせいでそんな気持ちにもなるだろう。

  だが焦りの気持ちは収まらない。一度根付いたこの焦燥感は消えそうになかった。何か、嫌な予感がする。


 「ん・・・・最近さ、学校で色々大変じゃない美夏って。差別―――と言っても過言じゃない扱いを受けてるし、目立った様な事件にはなってはいない
  けどいつそんな事態になるか分かったものじゃないわ」


 「けどダチはいる。美夏は大分それで救われている筈です。まったく孤独という訳じゃないですし生徒会だって守りの体制に入ってくれている。
  そんな事にはならない筈ですが」

 「確かに君のおかげで大分救われた部分はあるわ。色々言いたい事はあるけど義之君が彼氏でよかったとは少し思ってるのよ。貴方ってロボット
  だからって無闇に差別しないし傷付けたりもしない。あ、恋愛でかなり傷付けたりはしたけどね。まぁそれも人間ならだれしも経験する事だと
  思ってるし大して深くは思って無い話わ。美夏の事は好きだけれど」

 「・・・・そりゃあどうも」

 「とにかく美夏自身色々思う所はあるみたいね。確かにこの時代って美夏・・・・いや、ロボットからしたら悪そのものだもの」

 「―――ですか」

 「うん」

    
  確かにそれはある。いいように扱われ闇取引きまでされているロボット。人権なんてあったもんじゃない。まるで奴隷、そのものだ。

  酷いになるとロボットを維持するお金が無くなり破棄する者まで現れる。その刑罰にしたって大したもんじゃない。精々数十万払えば済むものだった。

  頭に来る―――だけど覆せない事実がそこにはあった。オレに出来る事、何も無い。せめて美夏を深く愛する事がオレに出来る唯一の事だった。


 「正直私は美夏をこの時代に起こした事は正解・・・・とは言えないわ。せめてあと何年かすれば情勢も大分良くはなる筈なんだけど」

 「けどこうして美夏は存在している。人生を謳歌している。確かに起こしたきっかけを与えたのはオレです。もしかしたらあのまま美夏を
  寝かせておいた方がよかったのかもしれない。あともう少し年数が経てば普通に歩いていても物珍しそうに見られたりしないし差別もさ
  れない。考えれば確かに良い世界です。けど、そこにはオレがいません。美夏はそれらを上回る損失を受ける事になるでしょうね」

 「・・・・ふふ、大した自身ね。見栄もそこまでくれば立派なものだわ」

 「見栄なんかでは終わらせまんせんよ。絶対に美夏を幸せにしてやりますから」


  この時代だからこそ余計にそう思う。あんなにも正直で今時いないぐらい真っ直ぐな奴なんていやしねぇ。いたら連れて来て欲しいぐらいだ。

  それほど美夏は魅力に溢れている。守ってやりたくなる。そう思わせるような『人間』だとオレは考えていた。この先もそれは変わらない。

  しかし―――一抹の不安はある。オレみたいなガキが言う事が世間で通用するか。今の風評を覆せるような行動をオレはちゃんと取れるか心配だった。


 「何言った傍から不安そうな顔をしてるのよ」

 「・・・・そんな顔をした覚えはないですけどね」

 「最近の貴方はどんどん表情が出るようになってきたわ。前は何を考えてるか分からない子だったけどね。美夏のおかげかしら?」

 「さて、どうでしょうね。それにしても美夏おっせーなぁ、何してんだか」

 「ふふ、照れちゃってまぁ」


  こちらを意味ありげに笑っている水越先生を端目にオレは立ちあがる。別に話題を変える為にそんな事を言った訳ではない。

  もうとっくに着替え終わって準備が終わっていてもおかしくない時間だ。随分話し込んでいて気付かなかったが30分ぐらい経っている。

  一応様子見に行こうと思いドアを開け―――美夏が居た。


 「あ・・・・」

 「・・・・何してんだよ、美夏」

 「え、あ、いや、別に・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」


  さっきの話を聞かれていたのか。きっととっくに準備は終わっていていざ部屋に入ろうとした時に偶々オレ達の話を聞き入ってしまったのだろう。

  軽く舌打ちしたい気持ちだったが我慢する。あまり聞かれたくない内容ではあった。今の美夏にはあまり心配ごとを掛けたくない。こいつはロボット
 でありながら他人の気持ちに敏感だ。すぐに悟って自分の事のように考えてしまう。

  それは美徳かもしれないが欠点でもある。そうやって気に病んで塞ぎ込む可能性がある。美夏の場合は余計にそういう事が予想された。


 「ほら、準備が済んだなら早く行くぞ」

 「あ・・・・」


  無理矢理美夏の手を握ってオレは歩き出した。こうでもしないと何時まで経ってもこの状態から抜け出せない。美夏は何か言おうとしていたが無視する。

  あまりこの状況での言葉は聞きたくなかった。『ごめんな、美夏のせいで』。こういう言葉を美夏の口から吐き出せる訳には行かない。吐き出させたら
 今日のデートは一日中暗いものになると分かっているからだ。

  心配そうにこちらを見ている水越先生に片手を挙げオレは歩き出す。美夏、てめぇが心配する事なんざ何もねぇんだよ。何も、な。





















 「あん? それだけでいいのかよ」

 「ああ。これで十分だ」 

 「つってもそんな小さいクレープで我慢出来るのかよ。ガキが食べるサイズじゃねぇか」

 「・・・・あんまり食欲無くてな。すまん」

 「・・・・そうか」

 「あ、別に美味しく無い訳じゃないぞ? ここのクレープ屋は美夏のお気に入りだ。バナナ嫌いな美夏にとってとても重宝するクレープ屋だし
  義之と一緒に食べられて嬉しいぞ、うん」

 「いつのまにおべっかなんて使えるようになったんだ。白々しくて聞いてられねぇ」

 「・・・・すまん」


  本当にそう思っているなら何故笑顔じゃないんだ。そんな無理して笑い合う関係ではないのに。今の美夏はどこか無理しているように思えた。

  場に流れ出す微妙な雰囲気。美夏は美夏で黙り込んでしまっているしオレも話をするような気分では無くなってしまった。

  初めてだった、美夏と一緒に居て気まずい思いをするなんて。少し苛立つ気持ちが高ぶる。どうにかこの嫌な雰囲気を払拭しなければいけない。


 「美夏―――」

 「あ、す、すまん。ちょっとトイレに行ってくる。悪い」

 「あ・・・・」


  オレが話仕掛けようとすると慌てて席を立ちトイレに向って行ってしまった。そして取り残されるオレ。明らかにオレを避けていた。

  はぁ、とため息を付いて空を見上げる。デートをするのに持ってこいの天気だったが心なしか曇り空に見える。きっと本当は蒼くて眩しい
 ぐらいの空なんだろうが今の状態のオレにはとてもそうには見えない。
 
  どうやら―――思っていた以上にあの話は美夏にとってデリケートな話みたいだった。きっと不安にさせたに違いない。最後の最後でそういう
 表情をしてしまったらしいし美夏にも勘付かれているだろう。だからオレの事を必要以上に気にし過ぎてさっきみたいな行動を取る。

  煙草を付け顔に手をやる。今の美夏に取って一番大事な事は安心させてやる事だ。絶対的な味方、それが必要だった。


 「おい」

 「・・・・」

 「おい、って言ったのが聞こえねぇのか?」

 「ん・・・・?」


  声を掛けられ前を見るとこれまたまた柄の悪い人間が居た。多分年上か。オレは思う。この初音島が発展するには良い事だがそれに比例して
 こういう人間が増えるのは由々しき事態だと。まぁ学校自体が大きいせいもあってこんな血の気の多そうな奴が出てくるのは仕方無い事だと思うが。

  オレが特に何の感情も示さないのが気に入らないのか苛ついた態度を取り始める。瞼の上の筋肉がピクピクしてて辛そうだな。

  よく前の世界でも絡まれはしたし特に慌てたりビクついたりはしない。それに今は美夏とデート中だ、早々に御引き取り願おう。


 「あー・・・何スか? 何か用事でも?」

 「何スかじゃねぇよ。お前、桜内義之だろ?」

 「人違いです。こんな顔はそこらへんにありふれてますからね。間違ってもしょうがない」

 「・・・・ふざけるなよ」


  今にも掴み掛かって来そうな雰囲気になるのでオレは少し身構えた。

  美夏―――まだ戻ってきていない。出来ればこのままもうしばらく戻って欲しくないものだ。今の状態で争い事は見られたくない。


 「もう一度言いますが―――人違いです。こんな男に声を掛けるよりもそこら辺のお姉ちゃんに声を掛けたほうがいいんじゃないスか?」

 「オレはお前にやられた奴のダチなんだよ。学校の校舎裏でやられたって言ってたっけな、切れた口を痛そうに引き攣りながら教えてくれた。
  このまま舐められて引き下がったんじゃ終われねぇ。少し付き合えよ」

 「嫌ですよ。今日はしばらくぶりにデートなんだ。この楽しいひと時を邪魔して欲しくない。あんただってそういう時間があるだろ? 今が
  その時なんです。だから御引き取り下さい」

 「あ? デートつってもどうせあのロボットだろ。何がデートだ―――ロボットに熱中してる変態が」

 「・・・・・」


  これが世間の反応だ。ロボットと付き合うという事はこういう事に立ち向かわなければいけない。

  昔風で言うなら奴隷と貴族が付き合う様なもの。事実、今の時代はロボットは奴隷扱いされている。別に今に始まった事では無かった。

  しかしオレは理解しているが納得はしていない。他の奴がそう言っているからオレもそういう意見にする。そんな人間なんて糞喰らえだと思っていた。


 「いいから来いよ。ボコってくれたダチの礼だ。ボディ数発だけにしとくからよ」

 「―――それで勘弁してくれるんですね?」

 「ああ、もちろんだ。オレはあんまり争い事は好きじゃなくてよ、本当はこんな事したくねぇんだ。しかしダチがやられて黙ってる程腰抜けって訳
  じゃない。そこんとこは勘違いしてほしくないね」


  嘘つけよこの便所虫野郎が。だったらなんだってそんなに口が笑っていやがる。人を殴りたくない人間がそんな風に笑うかよ。

  男はさっきとは打って変わってニヤニヤしながらオレを連れて移動した。そんな遠くに移動するわけではなく、偶々死角にある裏路地に移動しただけだ。
 
  そして周りを見ま渡すオレ。複数対一ではオレが一方的にやられるだけだし勿論の行動だ。そしてどうやら仲間は居ないらしい。本当にこいつ一人だ。

  呑気そうにどこか完全に人が来ない位置を探している男。だがオレからしてみればもう十分な場所だ。   

  
 「さて・・・・」

 「あ、先輩」

 「ん―――」  


  振り向く前にオレは膝裏に蹴りを叩きこむ。いきなりの衝撃に我慢ならずに倒れる相手。その倒れた背中に乗っかり髪を掴んで引っ張りあげる。

  苦痛そうに歪む顔。そんな表情を見ても何も心は痛まない。どうせオレに同じような事をしようとした相手、同情なんて沸く訳が無かった。

  んー、どうすっかな。このままボコボコにしてもいいんだがそんな気分じゃないし。いや、参ったわ。


 「こ、このやろう」

 「そんなに怒らないで下さいって。これから喧嘩しようって相手に呑気に背中を向けている先輩が悪いんスよ」

 「ふざけんな! いいから下りやがれこの野郎」

 「そんなに呑気にしているから仲間が居るかと思ったんですが本当に一人なんですね。もしかしてバカか?」

 「な―――」

 「そのお友達から聞いてねぇのかよ。オレがどんだけ危ない奴かって。とてもじゃないが一人で来るなんて頭がイカレてるとしか思えない。
  オレだったら仲間とか連れてくるよ、確実にやるためにな。なのにアンタは一人で来た。余程腕に自信があったかオレを舐めていたのか
  お友達の話を信じて無かったのか―――それとも全部だったのか」


  引き上げた頭を地面に擦りつけてやる。あんまり顔が綺麗じゃなかったので土で化粧してやろうと思った。

  早くも涙目になりながらオレの睨みつけてくる。なんだ、涙が出る程嬉しいのか。最近のオレは優しいからなぁ、だからこんなにも感謝されてしまう。

  これはいけない兆候だ。優しくなるのと甘くなるのとは同義だと思っている。早く何とかしないといけないのかもしれない。


 「このまま顔面の皮膚が取れる程地面に擦り付けるかそこの尖った石で目玉を潰してやるか腕を折ってやろうか色々考え中なんだが・・・・どれがいい?」

 「ば、ばかな、そんな事出来る訳ねぇ。もし、もしそんな事を本当にやれるって言うんだったら普通の人間じゃねぇよ・・・・」

 「どうかな。オレはどうやらロボットに熱中するド変態らしいし。そんな事を平気でやるかもよ?」

 「・・・・さっきの事は悪かったよ。だから―――」

 「悪いと思っているなら尚更だな。学校でも習ったと思うが悪い事をしたんなら罰が与えられなきゃならねぇ。幼稚園から中学生までの義務教育で
  それは習って来ている筈だ。だから諦めるんだな」

 「ふ、ふざけるなよこのイカレ野郎がっ! 舐めやがって、さっさと下りやがれ!」

 「おっとっと・・・・」


  オレの尻の下で一生懸命に脱しようともがく男。だが、無理だ。これだけ完璧に重点に体重を乗せてるのだから動きようがねぇ。

  しかし段々言葉使いが悪くなってきた、さっきまでの友情に厚い男はどこに行ったのやら。いつだって正義は悪に染まってはいけないってーのによ。

  どうやって処分しようかなと考え込んでいるとまたもや汚い言葉を吐かれる。


 「この変態野郎が! お前にやられたダチの内二人は後遺症持ちになっちまったんだぞ! もう二度と治らねぇ、どうしてくれんだよ、ああっ!?」

 「当り前だ。女をレイプしようとしたんだからな。なぜそのダチが警察に届け出を出さないかしっているか? そんな事をして事が発覚したら学校に
  居られなくなるからだよ。まぁ、それでも学校に居座る度胸があれば話は別なんだがな」


  杉並に聞いた話だとどうやら届け出は出ていないらしい。つまりはまだ人間としての常識が残っていたという事だった。

  結果的にはラッキーだったのかもしれない。頭に来る事だがもし裁判を起こされた日にはさくらさんの力を借りないと反対にオレが捕まっちまうからな。


 「だからそれだけの怪我は当り前だと思って欲しい。人の女を傷付けようとしたんだから当然だろ」

 「なにが人の女だ。あんなの―――ただの機会屑じゃねぇか」

 「・・・・・あ?」

 「噂で聞いてるが随分入れ込んでるらしいな。だが―――何の意味も無い。このまま付き合っても皆から、世間から冷たい眼で見られるだけだぜ?
  そんなどうしようもねぇ奴なんだよアイツはよ。そんな女と純情よろしくお付き合いしてるお前は本当におかしいんだ。だから目を覚ました方が
  いいぜ、な?」

 「・・・・・・・」

 「どうせあのロボットの具合にハマってるせいでまともな判断が出来なくなってるんだよな? オレはお前を思って言ってるんだぜ。あいつはお前に
  とって疫病神みたいなもんだ。この間の件みたいな事だってまた起きるかもしれねぇ・・・・、その度にお前が一々出張ってたらキリがねぇよ。
  だから――――」


  言い終える前に思いっきり地面に頭を叩きつける。グチャっという鈍い音。鼻骨がいい感じに折れたらしい。

  悲鳴を上げる事も出来ずに呻く事しか出来ないでいる。当然だ、そうなるように叩きつけたのだから。これで折れない奴が居たら教えて欲しい。

  その血だらけになってしまった顔を無理矢理オレの顔の前まで持ってくる。顔、恐怖に染まっていた。もう見慣れた表情だ。


 「うるせぇよ」

 「・・・・がっ・・・グゥ・・・」

 「なんでお前みたいなカスにそこまで言われなきゃならねぇんだよ。てめぇこそ頭がおかしいんじゃねぇのか、ああ?
  ロボットだろうがなんだろうがそれに発情して襲いかかったお前のダチは人間以下なんじゃねぇのかよ、違うか?」

 「・・・・く、くそぉ・・・・」

 「オレをなだめ様としたのがそもそもの間違いだな。完全にぷっつんときちまったよ。お前のダチがやられた以上の事をしてやるよ、よかったな」

 「ヒィ・・・ァ・・・」


  そしてまた顔面を再度叩きつけようとして――――音がした。オレの後ろ、そちらから聞こえた気がする。

  心の中で舌打ちをした。この現場をもし通報か何かされたら面倒な事になる。せっかく一難去ったというのにこれじゃ意味が無くなっちまう。

  だから言わない様に脅しも含めた言葉を発しようと後ろを振り返って―――驚いた。


 「美夏・・・・」

 「あ・・・・・」


  美夏がどこか沈んだ表情をしている。普通なら慌てたり怖がったりするのだが、何故か沈んだ顔をしていた。

  何故か、すぐに思い当たる。ずっと美夏はオレ達の会話を聞いていた。ベンチに居なかったオレを探しきたのだろう。そしたらオレ達が悶着を起こしていた。

  今の会話は美夏に聞かれたくなかった。自分の存在価値を疑っている今現在の心境はとても不安定なものだ。そんな時にこんなフザケた話を真に受けられたら
 たまったもんじゃねぇ。こいつは自分が助かりたいが為にこんな事を言っていた。だが美夏はそうは受け止めないかもしれない。

  だから何か言葉を掛けてやらないと思い、力を抜いた。それがいけなかった。


 「う、うわぁぁああっ!」
  
 「ぐっ・・・・」

 「よ、義之っ!?」
   
  
  男が懐からナイフを取り出し振りかざしてきた。咄嗟に躱したものの腕にそいつが突き刺さってしまう。

  慌てて駆け寄ろうとする美夏を手でかざして制する。困った顔をしながらオレの顔を見て戸惑っていた。別にヤバイ所に刺さった訳じゃねぇんだからそんな
 心配そうな顔をしなくてもいいのによ。

  しかし最近のオレは刺されてばっかりだなチクショウ。今までのツケが回ってきたかこりゃあ。


 「・・・・あー結構いてぇぞテメ―この野郎」

 「お、お前がわりぃんだぞ。そもそもお前がダチをあんな風にしなきゃこんな事にはならなかったんだぜ・・・・。それなのにお前はオレを
  殺そうとする勢いでボコろうとしたんだからな」

 「―――どうでもいいじゃねぇか、そんな糞みたいな奴らの事なんか」

 「なんだと・・・・」

 「それよりもお前、覚悟してんだろうな。そんなモンを持ち出したって事はもう死んでもいいって覚悟が出来てるっつー事だとオレは思っている。
  楽にはやらねぇぞ―――殺してやる」


  そして笑って見せる。その表情に怖気づく相手。おいおい、逆だろうが。普通刺された方がその表情をするんだぞ。

  すくっと立ちあがってその男の方に向かい歩き出す。オレが近づくと恐怖なのか後ずさりをするように後ろに下がった。

  だが――あまりにもオレが追いつめた所為なのか何かが切れた様子でオレに突っ込んでくる。ナイフを振りかざしながら。


 「ち、ちくしょおおおおおっ!」

 「・・・・まぬけが」


  今まで喧嘩してきてナイフを取り出した相手は何人か居た。それで痛い目もみてきたしもうやられはしねぇとその時に誓っている。

  対処法なんて考えるまでもない。大体の奴がナイフなんか扱えはしないし人を刃物で傷付ける行為ってのは中々素人が上手く出来る事じゃない。

  だからそいつがオレに完全に突っ込む前に逆にオレが相手側に突っ込んでいく。いきなり駈け出しだオレに虚を突かれて動きに動揺が走った。


 「オラァ!」

 「グッ・・・・ハ」


 その隙に素早く顔面に拳をめりこませた。たまらず顔面を手で押さえる。そして無防備になった足に蹴りを放った。

 また先程のように転倒する男。結果、さらに痛い目をみる形になってオレに這いつくばった姿を見せてくれた。

 なんとか後ろに振り向こうとする前にオレはそいつの腕に足を掛けながらオレは言ってやった。


 「慣れない事しようとしてんじゃねぇよ、このアホが」

 「こ、この野郎・・・・」

 「あー腕がいてぇな、どうしてくれんだよ。せっかくのお気に入りの服に血が滲んじまってるじゃねぇか」

 「お、お前がわりぃんだよ」

 「なんだ、またそんな事言ってるの―――かっ!」

 「がぁっ!」


  腕に体重をかけるとミシミシ音を立てている。暴れようにも腕を押さえられているので動けない。逆に無理に動こうとすればポキッとイってしまう。

  さらに体重を掛けてオレは折る事にした。オレの腕にナイフなんか突き刺してくるし美夏の事も侮辱した。その一連の行為、オレは許しはしねぇ。

  そしてもう一段そいつの腕に掛かっている足に力を込めようとして、止まった。腰に感じる重み。美夏が抱きついて来ていた。


 「なんだよ、美夏」

 「もういい・・・・」

 「あ? 何言ってやがる。こいつはケンカでナイフを取り出してきた。ヘタすれば大怪我じゃすまない事をしでかそうとしたんだぞ。
  そして何より許せないのが――お前の事を侮辱した事だ。このまま腕をヘシ折る」

 「ヒ、ヒィ・・・・」

 「だからもういいんだ。お願いだ、義之・・・・」

 「・・・・・」


  美夏の目、いつもの快活な目ではなく悲しんだ目をしていた。そんな目をされてはこのままコイツはボコれない。

  オレは軽く舌打ちをしながらそいつから足をどける。同時に首の辺りを力を込めて蹴ってやった。小さく悲鳴をあげながら失神する男。

  そして、軽く目を瞑り――開けた。さっきまでの気分を無理矢理心の奥に閉じ込める。オレは美夏の方を振り向かないで言った。


 「せっかくのデートがおじゃんになっちまったな、わりぃ」

 「・・・・別にそんな事はない」

 「―――帰るか」

 「・・・・ああ」


  美夏とのデート、後味の悪いものになってしまった。思わず腹が立つ。そのきっかけを作った男もそうだが美夏と居るのに早々に喧嘩をおっ始めたオレにも、

  だが美夏の事をあれだけボロカスにされて黙ってる程オレは大人じゃない。きっと次に同じような事が起きてもオレは同じ行動をするだろう。間違いない。

  そして思う。そんな事を――いつまでやり続ければいいんだ。時代が変わるまで待つしかない事を誰かが言っていたが呑気に待つ事なんか出来やしない。

  この男に言われるまでも無くオレは似たような感想を抱いていた。世の中がオレ達に対する目、決して良いモノではないだろう。だがそんな事は関係無い
 と思っている。世間の目なんかオレは気にしないし法律だって大した抑制力は無い。

  問題はそういう環境の中で美夏は生きていけるだろうかという事。こいつは優し過ぎるしそういうのに耐えられないかもしれない。

  だが――オレが守ってやる。そう誓った。美夏の手を引っ張りながらオレは暗い路地を出る。握った手はロボット特有の冷たい手なんかじゃなく温かい手を
 していた。この温かさ、決して離しはしたくなかった。



























 「ホラ、終わったぞ」

 「いてっ」


  ぺしっと治療されたばかりの所を叩かれた。見た目は不格好だがちゃんと包帯は巻かれている。少し腕を動かして支障が無いか感触を確かめた。

  今居る場所はオレの部屋。あの後本当は美夏がオレを病院に連れて行こうとしたのだがオレが嫌がった為にこういう形で落ち着く事になった。

  ていうか病院になんか行かせようとするなよな。もう飽きる程病院のあの独特な雰囲気は堪能したからしばらくは行きたくなんかねぇのによ。


 「お前も強情な男だ。そんなに病院が嫌なのか?」

 「嫌だね。今でも思い出せるよ、体は元気なのにずぅーっとベットに寝っ転がってた日々をな。もう病院に嫌気が差して当り前だっつぅの」
 
 「・・・・そうか」


  呟いてオレの隣に座る。いつもならもう一言ぐらい会話するのがオレ達の会話なのだが終了してしまった。いつものリズムが崩れている。

  美夏はさっきの事がまだ尾を引いているのか黙り込んでしまっていた。彼氏としては何とか慰めてやりたいところだが・・・・どうしたものか。

  あまり迂闊な事は言えない。軽々しい言葉で納得する程美夏は単純では無いし、どこか鋭い所を持っている美夏なら尚更だった。

  慎重に言葉を選ぶ必要がある。そう思いどう切り出そうと思っていると――美夏は自嘲に似た笑いをした。オレは怪訝に思いながらそちらを見やる。


 「やっぱりだな」

 「・・・・何がだ」

 「やっぱり義之は美夏と居ると不幸になる。もう確信したよ、さっきの男が言っていた様に疫病神なのかもしれないな」

 「―――さっきの事を気にしてるならお前はバカだよ。あんな戯言を真に受けるなんてな。少しがっかりだぜ、美夏」

 「真に受けるも何も・・・・本当の事だ。義之だって本当はそれに気が付いているんだろう? あんまり無理はしなくていい」

 「水越先生から聞いたんだが、随分くだらない事で悩んでるらしいな。相変わらず変な所で真面目だよ、お前は」

 「・・・・くだらない事、か」

 「ああ、くだらない事だ。少しばかり叩かれたからって自分が居なければいいのにとか言うな――――オレはお前の事を愛しているしお前の事をずっと
  守ってやる。何も心配する事は無い」


  美夏の手をぎゅっと握る。せめて安心を与えたかった。オレなんかじゃちょっとばかし頼り無いかもしれないが少しぐらい元気を出して欲しい。

  そう思って握ったのだが、美夏は握り返してこなかった。相変わらず悲しそうな顔をするばかり。そんな表情を見てオレの不安の気持ちが大きくなる。

  何か間違った事を言ってしまったのだろうか。もしかしてあまりにも綺麗事を言ってしまったので呆れられたのか? 確かに具体的な対策案では無いし
 解決の手段とは程遠いかもしれないが・・・・オレ達の繋がりならそれで十分の筈――――


 「やっぱり駄目だ、義之。これ以上お前に迷惑は美夏は掛けたくないんだ」

 「迷惑だなんてそんな事は――――」

 「お前がそう思わなくても結果として掛けてしまっている。美夏はもうこれ以上お前に負担を掛けたくないんだ」

 「・・・・・」


  しくった。美夏はその事をずっと気にしていたんだ。オレはその事をエリカの件から知っていたのに忘れしまっていた。

  オレがお前を守ってやる。聞こえは確かにいいかもしれないがそれは『お前は無力だからオレが守らなきゃいけない』と同義の意味だ。

  今の場面で使う様な言葉じゃ無かった。後悔してももう遅い、言葉にして言ってしまったのだから取り返しが付かない。

  更に美夏を追い詰める形になってしまった今の現状。オレはなんとか言葉を取り繕うとして、美夏が信じられない言葉を吐き出した。




 「美夏な、もう一回眠りに就こうと思うんだ。義之はどう思う?」



  ――――ふざけるな。反射的にそう思ってしまった。美夏の言葉にだけ対して思ったのでは無く、そう言わせるような環境、世間、人に対してもそう思った。

  だから言ってやった。あまり飾った言葉で言っても意味が無いだろう。そのまま思った事を言ってやる。


 「ふざけるなよ」

 「義之・・・・」

 「約束したじゃねぇか、あ? これから二人で頑張っていこうって、世間の奴らに何言われたって一生懸命に歯を食いしばって耐えるって、そう言い合った
  じゃねぇか。なのに少し弱気になったからってそれかよ・・・・はは、馬鹿言ってんじゃねぇよ」

 「ついさっき考えて言った言葉では無い。前から常々そう考えてはいたのだ。まぁ、なるべくなら義之が言った様に共に歩んでいきたいしこの考えは
  いつも無理矢理心の奥に仕舞いこんではいたのだが・・・・どうやら無理らしい。あの男の言った通りになるのは癪だが、仕方の無い事かもしれな
  いな」

 「・・・・仕方の無い事だと?」

 「そんなに怒らないでくれ、義之。お前だってもう嫌だろう、嫌がらせの手紙を何回も受け取ったり物が無くなったりするのは」

 「そんな事されてねぇよ」

 「今の声で分かったが結構何回もされてるみたいだな。昨日今日の付き合いじゃないのだからお前の事なんかすぐに分かる。まぁ今すぐに
  結論を出せと言う訳じゃない。少し考えてみてくれ」


  言い終わると座っていたベットから立ち入口に向かおうとする。恐らく今日はとりあえず帰るのだろう。その姿、迷いが見えない様に感じた。

  なにが少し考えろだ、なんでお前はそんなに冷静なんだよ。そんな気持ちがオレの心を支配する。そして感じる焦り。このまま美夏を帰したら
 何か取り返しのつかない事になるんじゃないか、そんな思いにとらわれた。多分間違ってはいないだろう、そんな予感がする。

  だからその腕を引っ張って無理矢理オレの胸に収まらせる。美夏は驚いた顔をしたが、すぐに顔に少しばかり笑みを浮かせてしょうがない風に
 言葉を発した。


 「あんまり困らせないでくれ、義之。こんな事をされたんじゃ決心が鈍る」

 「鈍っちまえよそんなの。そんなくだらねぇ事ばっかり考えやがって・・・・オレとの甘い時間だけ考えて唾垂らしてればいいんだよお前は」

 「はは、そうしたかったのだが無駄に高いAIのせいでそうもいかなくなった。ごめんな」

 「なんでそんなに平気なんだよお前は。オレと一生会えねぇのかもしれないんだぞ。とてもじゃないがオレはそんな事出来やしねぇ」

 「――――平気な訳あるか、馬鹿」


  少し体を振るわせながらそんな事を言った。オレは美夏の顔を見ようとしたが美夏は見せたくないようで顔を背けている。

  だが気付いた。オレのシャツの胸の所に染みが出来ているのを。なんで平気なんだ、そんな事を言った事を後悔する。

  美夏は美夏なりに一生懸命考えたのだろう。そして言った、オレに負担を掛けたくないと。だからさっきまでとても冷静な振りをしていた。

  最初会った時はとても我儘な奴で人間なんか滅べばいいと言っていた奴がそこまでの事をしていた。そしてその対象がオレ、嬉しくもあるし切なくもある。


 「絶対にどこへも行くな、美夏。ずっとオレの傍に居ろ、分かったな」

 「・・・・はは、お前らしい言葉だ。思わず笑ってしまう」

 「これから毎日笑わしてやるよ。だからもうそんな事考えるんじゃねぇぞ」


  抱きしめた腕に力を加える。美夏の心地のいい体温が感じられた。そして美夏もその言葉に納得したのだろう、それを感じるように美夏もオレに体を摺り寄せてきた。

  とりあえず一安心って所かこりゃあ。オレがここまでの事を言ったんだ、納得してくれなきゃ泣くぞこの野郎。


 「―――それにしても」

 「あ? なんだよ」

 「こうしてベットに義之と二人で座るなんて初めてだな。もしかしてそういう事を考えてここに引っ張ったのか?」

 「あ―――」


  言われて気付いたがこうして二人でベットの上に座るのは初めてだった。そういう事―――考えた事が無い訳じゃない。いつでもオレは美夏を抱きたい気持ちはあった。

  でも、もし美夏を抱いてしまったら世間の金持ちの親父達と同類になってしまうのではないか、そんな事をオレは考えていた。くだらないと思うかもしれないが
 美夏の事を本当に好きだと証明する為には抱かない事、それが最も最適な行動だとオレは認識している。

  だからこのまま勘違いされたんじゃちょっとマズイ。だから離れようとして―――腕を引っ張られる。少し困惑するオレ。美夏は構わず言葉を続けた。


 「なにしてだんだよ、美―――」

 「美夏は、そんなに魅力が無いのか?」

 「あ?」

 「こういう関係になっても・・・・こういう状況になっても手を出さないという事はそういう事なんだろう、義之?」

 「・・・・馬鹿いってんじゃねぇよ。抱きたいに決まってるさ。だが、なぁ・・・・」

 「ムラサキの事は抱けても美夏の事は抱けないのか? どうなんだ義之」

 「―――意味、分かって言ってるのか美夏?」

 「当り前だ。美夏は・・・・ずっとお前と―――」


  そこまで言って言い淀む。まぁその先の言葉は聞かなくても分かるが・・・・さて、どうしたものか。

  美夏の事は好きだしそう言ってもらえるのはすげぇ嬉しい。だが今まで自分の中で決めたルールというかそれを破るのは少し躊躇してしまう。

  でも美夏が望んでいるのならそれは―――――


 「・・・・よし」

 「義之?」

 「これからお前を抱く。早く服を脱いでベットに横になりやがれ」

 「い、いきなり何を――――ってうわわっ!」


  いきなり服を脱ぎ出したオレに驚いて顔を背ける美夏。ていうかこのぐらいで恥ずかしがってちゃ何も出来ねぇよ。これからやるっていうの。

  まぁ―――あんまりグダグダ考えない事にした。好きな女にここまで言わせてウジウジ悩んでる男になんかなりたくねぇ。それは優しさというよりも
 ただの優柔不断だ。ここはオレらしくスパッと決めといた方がいいだろう。

  上半身を脱ぎ終わり美夏の方を見る。こちらをジロジロ横目で見ていたみたいでオレと視線が合うと慌てて背ける。このスケベロボットめ。


 「ほら、早くお前も脱げよ。着たいままヤリたいなら話は別だけどよ」

 「うう・・・もう少し雰囲気が欲しかったぞ、美夏は」

 「そんなデリカシーがオレにあると思うかよ。ほら」

 「あ・・・・」


  トンと軽く体を押してベットに横たわらせる。美夏はもうこれ以上ないくらいにドキドキしていた。まったくしょうがねぇ。

  だからいつもどおりキスをしてやった。最初は軽いキスで緊張を解そうと思ったからだ。そして軽いキスから深いキスへどんどん行為に慣れさせていく。

  たっぷり舌を堪能して離すとどこか夢見がちな目でオレの事を見ている。もうここまでくれば大丈夫だろう。そう思って美夏の上着に手を掛けた。


 「よ、義之?」

 「あ、何だよ? 今更止めるって言うんじゃねぇだろうな。もうここまできたらオレは止まらねぇぞ」

 「違くて・・・そのな・・・・」

 「うん?」

 「・・・・あんまり痛くしないでくれ、な」

 「・・・・・」

 
  なんて――いじらしい言葉を吐くんだこいつは。滅茶苦茶可愛いじゃねぇかこの野郎。

  世間でロボットロボット騒いでる奴らが可哀想に見えてくる。こんなにも可愛いのにロボットとしか見れねぇなんてな、同情するぜ。

  返事の代わりに抱き締めると美夏は笑顔になり抱き締め返してくる。ああ、マジで幸せだ。もう絶対にこの感触を離したくない。


  事が始まった時も時折美夏は可本当に愛らしく姿を見せてくれた。その度にオレの方が参っちまうぐらいに扇情的で―――愛おしかった。

  だからオレは余程気が抜けていたのだろう。好きな人を抱いているという安心感から事が終わった後に軽く寝てしまった。

  そして夢と現実の間のうたた寝の時に聞こえてきた声に反応する事が出来なかった。


 「いい想い出、ありがとうな。一生忘れないぞ」


  なんでそんな寂しい声で寂しい事を言うのだろうか。不安に駆られて声を掛けようとするが体が動かない。

  もうニ度々会えないかもしれない、そんな有り得ない事を思ってしまった。せめて夢であって欲しい、そう思い込もうとしたが出来ない。

  いきなりオレに抱かれようとする美夏。さっきまで色々思い詰めていた顔をしていたのに急に明るくなりオレを誘ったりと思いだせば不自然な
 点は多かった。

  こうしてまたもやオレは後悔する事になるのだろう。起きて隣に美夏が居ない事でそれを確信した。


 「あの野郎・・・・かっこつけてる時じゃねぇだろ、一人で何でもかんでも抱え込みやがってっ!」


  机の上を見るとオレが美夏にあげたストラップが置かれている。もう迷う余地はないだろう。美夏が―――オレの元から去ろうとしている。

  そして日付時計を見て驚いた。もう日が変わって早朝になろうとしている。退院直後に色々したせいで疲れが出てきてしまっていたのだろう。自分の
 体力の無さに舌打ちしながらもオレは急いで天枷研究所に向かう事にした。

  一日、あいつの性格の場合一日で全て決めてしまう。まだ何もしないでくれよ、美夏。オレは祈るように思いながらバスの走っていない早朝に駈け出した。

 

  

  









[13098] 最終話(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:1b395710
Date: 2010/02/07 08:24













 「うーん・・・・この服、義之に気に入ってもらえるかしら」


  商店街のベンチに座りながら袋の中身をガサッと見直す。中身はシャツとジャケット、デニムが入っていた。

  放課後は義之と一緒にショッピングに行こうと思っていたのに天枷さんを追いかけてしまったので結局私だけで買い物をしてきてしまった。

  別に日を改めてでもよかったのだが食堂の一件で服が汚れてしまった私はどうしても換えの服が欲しくなってしまい、一人で買い物を済ませてしまう。


 「一応クリーニングに出したけど無理っぽそうよね・・・・。あーあ、本当に腹が立つわ」


  思い出の服にもう消えないだろう染みを付けられてしまった。思い出すだけで腹の中が煮くり返そうになる。

  この買った服も自分ではまぁまぁのセンスだと思っているがあの服には変えられない。あの服は特別なのだ。義之に初めて買ってもらったものだし
 なにより自分を好きだと言って買ってくれた。

  もう恋人としては関係は築き上げられないが友好の証であると思っているあの服。一生とっとこうと思っていたのに―――本当に気分が参ってしまう。


 「義之と買い物に行きたいな・・・・、絶対に私の可愛さに参ってしまうと思うのに。また天枷さんから奪っちゃおうかしら」


  口に出して呟いてみる。ただ呟いただけだ。もうそんな事は叶いやしないし、二度とない可能性だとは思っていたが呟かずにはいられなかった。

  確かに義之とは『お友達』として関係を築いている最中だし義之には恋人がいる。相手はロボットという信じられない話だが―――義之の場合は関係ないだろう。

  そんな事を気にする性格でもないだろうし本当に惚れこんでいる事が見ていて分かる。もうあの調子なら結婚するんじゃないかしら? 出来るかどうかは別として
 その気でいるのだろう、あのカップルは。


  天枷さん―――ロボットでありながら義之の心を奪い自分の『心』を義之の全てにした女性。私があれだけ苛めて潰したというの結局義之をモノにしてしまった。

  この星のロボット・・・・人達はみんなあんなにタフなのだろうか。私の星でも心の強い人はいるがあんなにタフなのは見た事がない。末恐ろしい話だ。

  将来的には私の星とこの星は友好関係を結ぼうと思っているがこのままではいけないだろう。技術はともかくとして心で圧倒されてしまっては平等な関係を
 築けやしない。きっとこの星の人達におんぶだっこしてしまう状況になってしまう。貴族でもあり王族でもある私にとってはあまり良いとは言えない状況だ。

  帰ったら少し政策を変えてみる打診をしてみよう。王政は確かに国をまとめるのにいいかもしれないが少しは国民性を前に出させた方がいいのかもしれない。


 「やるなら義之と一緒にやりたいわね。義之も私を選んでいたら貴族になれたというのに。愛には権力も名誉も通じないって事かしらねぇ・・・・っと」


  懐から煙草を取り出し火を付ける。夕焼け空に煙が上って行く様子を黙って眺めた。一連の動作、今初めて煙草を吸った動作などではなくもうやり慣れた感じだ。

  義之に勧められて屋上で煙草を吸った時から私はもう立派な喫煙者になっていた。最初は義之に憧れてだったけど・・・・気が付いたらうまいと感じるように
 なっている。よくない兆候だと思っているがとうに辞めよう等とは考えなかった。

  今の姿は一回家に帰っているから私服姿。私の容姿ならばまさか中学生には見えないだろうし例え見えたとしても外国人だ。この国の公務員が外国の私に注意
 する勇気なんてあるとは思えなかった。


 「あの、すいません・・・・」

 「―――はい、何か?」


  心臓がドキリとした。ナンパでもされたら嫌だし声を掛け辛いオーラをだしていたのに横から男性の声で呼びかけられた。思わず誤魔化す様な笑みを浮かべて
 しまう。こういう所が小物臭いというかなんというか・・・・義之なら平気で返事すると言うのに。

  そしてしまったとも思う。外国人の私が日本語で返事してしまった。適当に英語か何かで捲し立てればよかったと思う。後悔するがもう遅い。

  とりあえず声を掛けてきた人を見て―――安心した。警察官などでは無い。ビラを持っているし何かの宣伝だろう。少し焦る気持ちが収まったのを感じた。


 「これ、よかったらどうぞ」

 「・・・・ん」

 「どうもすいませんでした。では私はこれで」


  そう言ってまた他の人に声を掛けに歩き出して言った。しかし資源が無い無い言う星の割にはまだまだ余裕がありそうな感じがする。聞いた話では地球は
 もう環境汚染が進みまくっていてトイレの紙さえ作れないかもしれないという話だ。

  まぁ、こうして現に何枚もビラが大量印刷されているという事は余裕があるに違いない。本当に危機だとしたら物価が何倍にも跳ね上がる。

  今持っているポケットティッシュが何万の世界、ね。あんまり想像したくない世界だ。そうなったら不潔まみれの世界に義之を置いていけない。

  無理にでも義之を私の星に連れ込んでやる。天枷さんは・・・・しょうがない、連れていってやるとするか。でないと義之が来てくれない。全く腹ただしい女だ。


 「その前に破棄とかされなきゃいいけどね。ねぇ、天枷さん」


  ビラをひらひらさせて内容を読み砕いた。ロボットの排除運動。中身はロボットによる危険性やら論理観などについて書かれている。

  前はもっと穏やかな運動だったと思うのだが・・・・少し内容が過激になってきている。元々この国の人間はそういうのには敏感で受け入れられないと思って
 はいた。思ってはいたのだが更にアレルギー気質になるとは思ってもいなかった。精々こじんまりに新聞の片隅に乗るぐらいの騒ぎだと思っていたのに。

  島国特有の閉鎖感。自分達と違うものは受け入られず認めない。外国人という設定の私でもそういうのは感じていた。まぁ、ただ単に美人だから声を掛けにくい
 というのもあるのかもしれないが。


 「美人ってのも考えものだわ。可愛い、なら色々ちやほやされるのに。結構ままならないものね」


  可愛い系と言って連想するのは天枷さんだ。イメージとしては小さくて元気で子犬みたいな感じ。きゃんきゃんウルサイ所がまた愛嬌があるように見える。

  私からしてみれば蹴り飛ばしやすそうな大きさのボロボロの子犬にしか見えないが義之は確かにそう言っていた。なるほど、これが見方の違いと言うものか
 と私はその時思ったものだ。

  もしかしたら―――義之は可愛い系の子が好きなのかもしれない。だから私とか花咲先輩には見向きもしないのだ。その考えに至って、私は愕然とした。


 「あー・・・・なんだかショックだわ」


  やはり女の子なら美人よりは可愛いと言われた方がいい。確かに私は美人で器量もあり、センスもあるが今までそういう風に言われたのは家族だけだった。

  顔に手をやってため息をつく。このままではもしかしたらただ単にいいお友達止まりかもしれない。いや、確かに友達でいいと言ったがそれにもランクはある
 だろう。今は多分花咲先輩がトップだ。あれをどうしても越えなければいけない。

  友達以上恋人未満の関係を持続出来れば一番。そして時々買い物に付き合ってくれて、キスもしてくれて、エッチもしてくれる。なんといい友達関係
 だろうか。まさに親友という言葉にふさわしい。義之もそれならば許してくれるだろう、うん。


 「あれ、でもそれってただ単に都合のいい―――――」


  何か重要な事に気付きそうになり―――視界の隅に見知った女性を見つけた。考えを中断、その姿を思わず目で追ってしまう。

  いつもの蹴り倒したくなる様な顔、カ―フモチーフのキャップにマフラー、天枷美夏だ。私が一番憎んだ相手でもあり羨ましい相手。その子が歩いてきている。

  なんだろう―――今日は一段にして蹴りたい顔をしている。俯き加減に歩き、足取りも重そうだ。トボトボといった感じで商店街の隅っこを歩いている。


  全身から悲しみのオーラで溢れているのが一目で分かった。確か天枷さんは義之と一緒に帰った筈、多分そのまま遊びにでも行くと思ったのだが
 どうやら一人らしい。あの義之が天枷さんを一人で歩かせるなんて信じられない事だ。どこへ行くのにも一緒だった筈なのに・・・・。

  そう考えて―――ピーンときた。きっとそうだ、そうに違いない。そう思った私は天枷さんに声を掛けた。


 「御機嫌よう、天枷さん」

 「・・・・」

 「御機嫌よう、天枷さん」

 「・・・・」

 「・・・・ご機嫌よう、天枷さん」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「義之が花咲先輩とキスしてるわ」

 「なんだとっ!」

 「御機嫌よう、天枷さん」

 「あ・・・・」


  ようやく私に気付いたらしくこちらに振り返った。そのギョッとした顔はどういう意味だろうか。この私が話し掛けてるのだから福神様みたいに笑えばいいのに。

  まぁこの子の失礼な態度にも私は慣れている。王族として器量が大きすぎるのは少し問題だろうが義之は優しい私が好きと言っていた。だから問題はないだろう。  
  
  とりあえずにこやかに笑いながら私は話を続けた。


 「義之が今更浮気なんかする訳ないでしょう? 本当にお馬鹿ね、貴方って」

 「・・・・そんな事分かるもんか。特にお前と花咲は一番の危険人物だ」

 「花咲先輩はもう完璧に友達ポジションになっていますし、私はまだ義之の『いいお友達』ポジションの人間ですから安心なさってくださいな」

 「まだとはなんだ、まだとは」

 「御心配になさらずに、恋人関係は諦めていますから。それはそうと天枷さん、少しお話がしたいから付いてきてくれるかしら?」

 「いや、私は・・・・」

 「大丈夫、この間みたいに校舎裏などではなくそこのベンチですから。貴方の好きなバナナクレープも奢りますわ。さぁ、行きましょう」

 「あ、こら、まて――――」


  何か言いかけた天枷さんの腕を引っ張って無理矢理ベンチに座らせる。そしてまだ開いていたクレープ屋からバナナのクレープを買ってきた。

  これから面白い話を聞くのだ、これぐらいの出費は厭わない。天枷さんはおそるおそるといった感じでそれを受け取った。そうそう、最初からそんな
 慎ましい態度でいいのに。

  そして私も座り―――天枷さんと目が合う。私がニコリと笑うと「ふん」と言ってクレープにかぶりついた。思わずポケットの中の煙草をグシャっと握り
 潰した。このぽんこつロボットで泥棒猫の分際で生意気な・・・・。


 「で、何の話だ。お前が呼び止めるぐらいだから義之関連の話だろう? あと熱いお茶買ってこい」

 「まぁ、そうとも言えなくないわね。正確的には貴方と義之関連の話かしらね。あとお茶なんて言わずそこにオイルが売ってありますから買ってきましょうか?」
    
 「・・・・美夏と義之の話か。なんだ、今更義之を奪おうというのか。あれだけ痛い目をみたというのに。オイルをお前の目に刺してやろうかこの淫乱女」

 「ちゃんと耳の機能は付いてまして? 私はもう恋人関係を諦めたと言ったでしょうがこのポンコツろぼっとこのビラに書いてある電話番号に掛けてあげよう
  かしらさぞや謝礼とかもらえるでしょうねでも私は一国のお姫様だからそんな姑息な真似はしないわよそんな小物っぽい事をするようでは一国の姫は務まら
  ないからあと誰が淫乱女よ体を許したのは義之だけなんだから勘違いしないでほしいですわ確かにあの夜の事を思い出して熱く体が火照る事はありますけれ
  ど他の男に気を許す娼婦みたいな女性だと間違えられるのは遺憾ですわね」


 「・・・・・」


  私が話の途中から目の前に差し出したビラを見詰めている天枷さん。というか私の話をちゃんと聞いているのだろうかこの子は。これだけ長々と私が
 喋って差し上げたのだからお礼の一つぐらい言えばいいのに。

  そして内容を読み終えたのか顔背けまたクレープにかぶりつく。なんだか先程見た様子に戻ってしまった。少し顔に暗い影を落としてしょんぼりとした
 様子。今更こんなことを気にする様な性格では無かった筈なのだが・・・・相変わらず訳が分からない。

 まぁいい。こんな事を言い合う為に天枷さんを呼んだのではない。勿論嫌味を言う為に引っ張ってきたのだが今回はまた別な話だ。


 「それにしても今日は義之と一緒じゃないのね。いつもは犬みたいに義之の周りをうろちょろしていますのに」

 「お前に言われたくない。義之があんまりきつく言わない事をいい事にいちゃいちゃしおって」

 「別に友達だから良いでしょう。それで私の義之はどこに行ったのかしら?」

 「・・・・前より病気が酷くなったな、お前」

 「何か言いまして?」

 「なんでもない。義之・・・・か。家に居ると思うぞ。さっきまで一緒だったし」

 「ではなぜ貴方は商店街に居るのかしら? 義之の家とは真逆の方向よここは」

 「それは・・・・」


  なぜか口ごもる天枷さん。これはもう私の考えがヒットしていると考えていいだろう、間違いない。

  よく考えればこの子も憐れに見えてきた。さっきまで嫌味を言おうと思っていたが少し控え目にしておいてやろう。

  私は煙草を取り出し火を付ける。広がる紫煙。天枷さんはムッとした顔つきになり眉を寄せながら優等生な発言をした。


 「煙草、体に悪いから辞めた方がいいぞ。百害あって一利無しだ」

 「御忠告どうも。でも自分の健康管理は自分で出来ますわ。ちゃんと日々のスキンはちゃんとしてますし口臭対策やヤニ対策もばっちり。
  何も貴方が心配することは無くてよ?」

 「・・・・どうして美夏の周りの喫煙者は皆屁理屈なのだ」

 「それよりも貴方も大変ですわよね。でも当然の事よね、貴方達ってお互いズバズバ言うタイプだし。今までそんな事がなかったのが不思議な位だわ」

 「何を突然言い出すのだ、とうとう痴呆にでもなったのか?」

 「義之との口喧嘩でもしたのでしょう? それも派手にね」

 「は・・・・?」


  呆けた顔をするが無駄だ。あの二人が喧嘩なんて考えられない事だが天枷さんの様子をみれば一目瞭然。これで察せない程私は馬鹿じゃない。

  それも今まで喧嘩した事ない二人がする喧嘩だからそれはもう派手にやりあったに違いない。バネと同じで溜めれば溜める程その力は大きくなる。

  様子を見る限りじゃ殴り合いはしていないようだけどその分罵詈雑言の殴り合いをしたのだろう。義之が口で負けるとは思えないので多分一方的に
 捲し立てられてこんなボロ犬みたいな表情をしている。

  天枷さんは私の事をしばらく見詰めていたが―――はぁ、とため息をついた。その表情に少し腹が立つ私。大方当たりを言われたので反論する気が
 無くなったのだろう。


 「別に喧嘩などはしていない。むしろ前より仲が深まったぐらいだ」

 「え・・・・」

 「さっき義之とエッチしてきた。まぁ私も初めてにしては中々よく出来た方だと思う。義之も結構感じていてくれたみたいだしな」

 「・・・・・」

 「しかしなんだか股間に異物感を感じる。まだ義之の物が入っている感じだ。まぁ数をこなせばその内収まるだろう、うむ」

 「・・・・・」

 「しかし気に入らん事が一つある。それはお前に先を越された事だ。だから行為の最中も比較されてるんだろうなぁと思って気が気でなかったぞ。
  まぁ、無事義之も出すもの出してくれたし本当に安心――――」


  頭を天枷さんの頭を力強く叩いた。ずり落ちるキャップ。天枷さんはまたため息をついてそれを拾い上げて埃をパンパンと払い落とし、また被る。

  私は―――今言った天枷さんの発言に茫然としてしまった。あの義之が? こんなちんくしゃ相手に? それも感じていた? 馬鹿な話だと思う。

  確かに義之は天枷さんの彼氏だろうけど、そんな行為はしないと思っていた。


  義之は世のロボットを好き勝手にしている人達を嫌っている。体のいいダッチワイフみたいな扱いなんか反吐が出そうだとも言っていた。

  だからそんな連中と一緒になりたくないという理由で抱かないもんだと私は考えていた。ずっと天枷さんを守って行くとか言っていたので
 そういう行為は自重するもんだとばかり考えていた。

  しかし現実はどうだ。義之は天枷さんを抱いてしまった。ロボットとか人間とかどうでもいい。ただ重要なのは私以外に抱かれた女が居る事だ。


 「なぜ私は叩かれたのだ、ムラサキ」

 「貴方が現実離れした事を言うからよ。あの義之が天枷さんを抱いたですって? 私以外の女を抱いた―――許せないわね」

 「というか美夏は義之の彼女なのだがな。お前もいい加減義之離れをしたらどうだ? お前の場合美夏達が結婚したとしても家にちゃっかり
  居そうで怖いぞ」

 「義之と離れるなら死んだ方がマシだわ。貴方達が結婚でもしたらそうね―――隣の家に引っ越してきてやろうかしら。そして毎晩御食事
  を御馳走になって寝る時も一緒でお風呂も一緒。あら、いい感じの風景じゃない」

 「なんだその地獄絵図は。もうホラーを通り越して猟奇的だぞ。そういえば心霊番組で幽霊より人間の方が怖いと言っていたが・・・・なるほど
  確かに怖いかもしれない」

 「何が猟奇的よ、幸せ満杯の絵じゃない。別に貴方達の夫婦生活を邪魔するつもりは無いわ。邪魔なんてしたら義之が怒って、悲しんで、私を突き
  離すだろうし。そんなのは死んでも嫌よ」

 「でもエッチしたいなぁとか考えてるんだろう?」

 「それはもちろんですわ。義之とは友達ですけどそういう風に愛してくれる形もありでしょう? 貴方は貴方で恋人役をやってればいいのよ。
  私は私でそういうのを超越した関係を義之と作るのだから・・・・・」

 「――――てい」


  頭を叩かれた。それもグーで。思わず頭を押さえて屈み込んでしまう。結構力を入れていたみたいで酷い頭痛だ、じんじんと鈍く頭に響く。

  キッと天枷さんを睨むがどこ吹く風でクレープを食べる作業を続行し始めた。なんて女だ、私が理想の環境を提案しているというのに拳で返事をするとは。

  
 「痛いですわよ、天枷さん」

 「当り前の痛みだ。人の彼氏をそそのかそうとしているのだからな。顔面にパンチを入れないだけでもありがたく思え」

 「――――ふん。所詮妄想だって知ってるわよ。義之は何故か貴方みたいなのに入れ込んでいるのは知っているもの。何故かしら」

 「・・・・何故なんだろうなぁ。時々考える。でも確かな事は――――私が居る事で義之に迷惑が掛かっている事だ」

 「そんなのは当たり前ですわね。別に貴方が何かしなくてもロボットというだけで義之に負担が掛かりますもの。この国なら余計にね。
  でもよかったですわね? そんな貴方を義之が好きになってくれて。まぁ、義之の事だからきっとそんなの気にしな――――」

 「お前なら負担にならないだろうし義之を守れるだろうな。だから後は頼んだぞ、ムラサキ」

 「え・・・・」

 「クレープ、ごちそうさま」


  そう言って立ちあがり歩き出そうとして―――止まる。止まらせた。私が掴んだ腕を驚いた表情で見ている。今の流れだったら完璧に帰れるだろうと
 思ったのだろう。だが甘い。そんな気になる言葉を吐かれたまま帰らせるものか。それも義之関連の話なら尚更である。

  掴んだ腕を引っ張り元の位置に戻してあげた。少し困ったような悩むような仕草を見せたが結局私と話を続けるようだ。もちろんまた帰る素振りを
 見せたら今度は首根っこ掴んで引き戻してやる。

  私は問い詰めるような口調で天枷さんに話し掛ける。何か―――不穏な空気を感じた。


 「さっき言った意味はどういう意味かしら?」

 「そ、それは・・・・だな」

 「後は頼む、でしたっけ? いったい私は何を頼まれたのかしら。正直な所貴方の頼み事は出来るだけ聞きたくないんですのよ、私は」

 「・・・・もちろん義之の事だ」

 「なぜ私が義之の事を頼まれるのかしら? もしかして別れるとかそんな話ですの? だったらとても嬉しい話ですし喜んで御受け致しますけど」

 「いや、別れない。別れないまま別れようとした。もし私が別れると言ったらきっと義之は邪魔をするからな。それじゃ駄目だ」

 「いったい何を言って―――――」

 「もう一度眠りに就こうと思う。いわゆる機能停止といったところか。何年眠るか分からないが・・・・美夏は一生眠るつもりでいる」

 「は―――――」


  何を、言ってるんだこのぽんこつは。一生眠る―――その意味を理解しているのか? もう義之と触れ合う事も出来ず、喋る事も出来ない状況になる。
  
  そんな事をする理由、すぐに分かった。前に私が言っていた事だ。「貴方は義之の負担になるばかりだから義之と居ては駄目」。天枷さんはその
 言葉で一時的に義之と別れたし精神的にも追いつめられた。全部私がした事だからその時の様子をよく覚えている。

  快活そうな眼は泣きそうな眼に変わり、膝なんか震え、涙も全部出し尽くすのではないかというほど泣いていた。それだけ心の中で葛藤していたのだろう。


  だが義之に再び求められまた元気な姿を取り戻した。義之と一緒に居る時は本当に幸せそうに見え、頑張っていた姿が印象的だ。

  私はいつも義之と一緒に居る。だから天枷さんの様子なんかは義之の次ぐらいに知っていると思う。何か失敗する度に義之がいつも励ましていた。

  その時はあっけらかんと笑っていたが―――事実は逆、多分その度に泣きそうになっていたのだろう。私と対峙した時みたいに。


 「・・・・興味本位で聞くのだけれど何故一生眠るのかしら。貴方は多分今のロボットに対する世論と義之の事を考えてそうするのだろうけど
  一生、というのが分からないわね。案外明日辺りにはコロっと事情が変わっているのかもしれないわよ? だったらそんな時に起こしてもら
  えればいいいじゃない」

 「美夏の予想ではあと数十年ぐらいはこんな感じだと思う。数十年、その間は義之はどんな気持ちで過ごすのだろうか。ムラサキは知らないかも
  しれないが義之はかなり被害を受けている。まだ物を隠されたとか嫌がらせの文面とかそんな感じだが・・・・多分エスカレートするだろうな。
  そしてロボットと付き合っている人間というのもいずれ皆にバレるだろう。そんな時になった時の状況、考えたくない」

 「だから義之に迷惑を掛けたくないから一生って訳ね。まぁ―――確かにそうかもしれないわね。人って馬鹿だからあれこれ吹聴して回るだろうし
  嫌がらせもきっと凄くなるでしょうね。数十年って言ったら私達はもうヨボヨボの御老人だしそんな時まで待っている人間というのも存在しない
  と思うわ。普通ならひ孫がいてもおかしくないもの」

 「だろう? だから―――」

 「でも『私は』義之が相手だったら勿論待ちますけどね。それほど魅力的だし好きですもの。義之に同じ事を聞いても同じ答えが返ってくると思いますわよ?」

 「・・・・・」


  まぁ、相手が私じゃないのはかなりムカつきますけどと付け加える。天枷さんの表情を窺うとまたあの蹴りたい顔付きになっていた。

  元気しか取り柄のないロボットが暗い顔をする。冗談にもならない。そんなのは映らないテレビぐらい価値がないものだ。それを知っているのだろうか。

  一生眠る―――大いに結構。傷付いた義之を慰めて私の物にする、素晴らしい計画だ。だが―――瞬時に無理だと悟った。そもそも前提が間違っていた。


 「駄目ね、認められないわ」

 「な、何故だっ!? お前は美夏の事が嫌いじゃ――――」

 「ええ、嫌いですわ。義之の事をあんなにも虜にして私から引き離した人物。だから何回も貴方を壊そうとしたわ。今だって一生眠るお手伝いを
  してあげたい気分。近くに結構大きなスクラップ工場がありますのよ? そこに是非運んで差し上げたいですわ」

 「・・・・だったらなぜ止める?」

 「決まってますわ」


  懐から煙草を取り出し一息つける。結構熱を入れて喋り過ぎたかも知れない、喉が少し痛かった。脇にあったジュースを飲む。

  なぜ天枷さんが眠るのが許可出来ないのか、そんな事は決まっている。そんな分かりやすい事を聞くなんて本当に馬鹿なのだろうこの子は。

  まぁ馬鹿は馬鹿なりに考えたのだろうが―――結局馬鹿な考えにしか至らなかったようだ。ふぅ、と紫煙を吐き出して私は答えてやった。


 「だって――――義之が傷付くじゃない。そんなの嫌よ、私は。消えるなら義之が悲しまない方法で消えなさい」  

 「そ、そんな理由でか・・・・しかし、美夏が消えるというとどっちみち義之には多少なりとも悲しんもらう事に―――」

 「だったらお止めなさい。貴方が消える事で多分義之は一生心に残るトラウマを残す事になるでしょう。そして世間を憎み不甲斐ない自分を憎み  
  天枷さんが居なくなったことに深い絶望をする。そんな状態に義之をさせるのですよ貴方は」

 「・・・・でも今の環境、これからの事を考えるとそうなってもやむを得ないと美夏は考えている。前も言ったが義之には負担を掛けたくない」

 「案外その負担を楽しんでいるんじゃないかしらね、義之って。あの人って他人に構うのが最近好きみたいだし。彼女なら尚更何かしてやりたい
  って気持ちが強いんじゃないかしら? まぁ本人じゃないから断定は出来ませんけど」


  最近になって私は義之の事が益々好きなってきている。前は義之が悲しむ事を知らずに天枷さんを何回も傷付けようとしてきた。とても愚か
 な事だが自分の事だけを考えていっぱいいっぱいになっていたのを最近になってやっと気付いた。

  だからこれからは義之が悲しむ事を私は許したりはしない。でも―――まぁ私がここまで言って、どうしても天枷さんが義之の邪魔になりた
 くないから消えるというのならそれはしょうがない事だろう。もし今ここで引き留めてもその気持ちはきっとこれから先も残る。そんな状態で
 義之と付き合って欲しくなんかない。

  だから考えが変わらないようならここは素直に引導を渡して貰おう。そして眠るなりどこかへ行くなりして一生その姿を見せないで貰いたい。




 「もし、そうだとしても―――もう決めたんだ。考えを覆す気は無い」

 「・・・そう、なら好きになさい。義之の事は何も心配する事は無い、私が幸せにしてあげますから。貴方と居る時よりもずっとね」

 「・・・・」


  もう決めた事。なら何故そんなにも私の事を睨んでいるのだろうか。義之を頼むって言ったり私を睨んだり本当に軸がぶれるロボットだこと。

  どうせまだ心の中では悩んでいるのだろう。だが頭が悪いので一直線に物事を考える事しか出来ない。頭の良い私はとてもじゃないが理解出来ないわ。

  そして無言になる私達。天枷さんはもう話はこれで終わりと言わんばかりにすくっと立ちあがり歩き出す。今度は引き留めない。だがその背中に一言
 掛けてやる。


 「もし、貴方が眠る事になっても義之は叩き起こしに行くでしょうね。だから貴方のする事はどっちみち無意味だわ」

 「・・・・・・・・かもな」


  チラリともこちらを見ずに止めた足を再び歩き出させる。多分これから研究所に戻りその手続きをするのだろう。全くもって興味が無いが。

  さて、私はこれからどうしようかしらね。天枷さんはこのまま眠る事は確定ですし明日の早朝でも義之を誘って学校に行こうかしら。

  久しぶりに義之と二人っきり、考えただけでもわくわくする。まるで遠足前の小学生みたいな気分だ。


 
























 「・・・・これで準備は整ったか」


  早朝の研究室、軽く周りを見回すが人っ子一人いない。まぁ、ちょうどその時間帯を選んだのから居て貰っては困るのだが。
 
  しかしこの服も随分久しく感じる。眠っていた時はずっとこの服を愛用していたから慣れている筈なのにな・・・・制服を長く着過ぎたかもしれない。

  少し名残惜しい気持ちがあるがその気持ちは敢えて放っておく。どうせ眠ってしまえば何も感じる事はないし考える事も無い。何もかもが無くなる。


 「そういえば最後に会った知り合いがムラサキか。何か因縁めいたいものを感じるな」


  ムラサキとは幾度となくぶつかりあった。そういえばと思いだすが、美夏はムラサキに勝った事が無いような気がする。

  美夏から義之をブン盗ったり男連中に襲わせたり、今だって義之の周りを常にうろちょろしている。その様子を見る度に美夏はため息をついたものだ。

  幾度かもう近付くなとは言った事がある。しかし美夏がそう言う度にムラサキは義之にいつも以上に甘えたりするのでもう美夏は何も言わなくなった。


  しかしムラサキもムラサキで結局義之と恋人関係になる事がないと分かっているのか、あまり義之に良い面を積極的に見せようとはしなくなった。

  義之が目の前に居ると言うのに平気で鼻をかんだり首をポキポキ鳴らしたりと結構楽そうにしている。あれがムラサキの自然体なのだろう。
 
  その様子を見て義之は苦笑いしていたのが印象的だ。人間なのだからそれぐらいは普通するのだろうがあまりにもムラサキは義之の前で『可憐な女』
 を演じていたので少しばかり驚いた面もあるのだろう。


  ムラサキ――――美夏の嫌いな人間の中でも更に気に入らない人物であるがあいつなら義之を幸せにしてあげれるだろう。

  美人で器量もいいし何より美夏と違って他人の意見なんて聞かない。義之の彼女になろうとした時からそうだったが最近はよりそれに磨きが掛かっている。

  誰の影響か、考えるまでもない。そして昨日に至ってはまるで義之みたいな言い草で説教されてしまった。煙草も吸ってるし、案外人に影響されやすいのかも。


 「・・・・お似合いのカップルかもしれないな。少し悲しく悔しいが、しょうがない」

  
  しょうがない、あまり使いたくない言葉ではあるが使わずにはいられない。そして思う、もう少し遅く起きていて義之と会っていれば共に歩めたかもしれないと。

  一緒に世間と戦おうと言ってくれた義之。その言葉を聞いた時は凄く嬉しくもあり『安心した』。美夏にこんなにも絶対的な味方をしてくれた人物なんて昔
 御世話になった博士以外に知らなかったのだから。

  そしてその人物に恋をした。とても愛おしいと思った。故に―――この美夏の判断は間違っていないと思う。義之の為の行動であり、本当に愛しているなら
 出来る行為だ。

  義之は悲しむだろうが・・・・仕方の無い事だと割り切ってくれるしかない。近くにはムラサキや花咲、由夢など素晴らしい人間が居るのだから何とかして
 くれるだろう。あいつらも美夏と同じくらい義之を好きだしな。


 「あれ、美夏?」

 「・・・・水越博士か。今日は早いんだな」

 「ちょっとこの間のプロジェクトの残り作業が残っていてね。まったくこの仕事に暇なんてあったもんじゃないわねぇ」

 「はは、昔世話になっていた博士も同じような事を言っていたな。まぁ好きでやっているから仕方ないとも言っていたが、水越博士もそうなんだろう?」

 「そう言われちゃ何も言えないって感じかしら。でも限度というものはあるわ。何が悲しくて上のご機嫌取りなんかしなくちゃいけないのよ、リーマン
  じゃないっつーのに」


  そう愚痴て私の格好をジ―ッと見ている。美夏は思わず何か悪い事をしようとした所を親に見つかった子供の心境になってしまう。  

  悪い事―――確かにそうとも言えるかもしれない。自分の立場は最新鋭のロボットで機密事項で守られている存在。今だってスタッフが何かあった時の為に
 この研究所に寝泊まりしているという話だ。

  もし私が一生眠る事になれば大騒ぎになること間違いなし。けど、すまんな、皆。けどしばらく残業続きになるかもしれないが今までみたいに寝泊まりしな
 くて済むぞ。 
    

 「随分懐かしい服を着てるわね。それってカプセルに入る様のスーツでしょ? なんでまたそんなの着てるのかしら?」

 「・・・・・」

 「まぁ、そういう気分になるときもあるでしょうね。私も学生時代を思い出してたまーに学生服を着たい時があるもの。感傷に浸りたい時って誰にでも
  あるしね」

 「・・・・まぁ、そんな感じだ。だから――――」

 「だったらその右手に持っているスイッチは何? それって緊急用の停止操作リモコンよね? 何か有事が起きた際にはそれで美夏の全機能を停止させる
  っていう物騒な物。使えば確実にスクラップみたいな事になるから鍵付きで机に保管しておいた筈なんだけど――――何故そこにあるのかしら?」

 「・・・・・」

 「黙っていては何も分から――――ああ、そういう事。結構単純な方法で開けたのね」


  机をチラリと見て理解する水越博士。確かに厳重に鍵がついており、普通に見つからない様にカモフラージュされていた。

  だが以前チラッとだけそのスイッチを見た事があったのでそれを見つけるのには大して苦労しなかった。問題は厳重にロックされた鍵だ。

  鍵といっても穴に差し込むタイプでは無く電子式のものであり特定のパスワードを入力しないと解除されない代物だった。


  勿論そのパスワードなんか知らないし知っている者は水越博士のみだろう。聞きだしても教えてくれる訳が無く昨日までどうするか結構悩んでいた。

  そして出した結論が―――無理矢理ブチ壊す事だ。昨日義之と研究所のおつかいで行った事があるショップに行き高圧の発生器を購入した。

  それで無理矢理ショートさせて中身を取り出す。水越博士の言った通り単純な方法。ちなみに結構な値段だから所長にツケといた。


 「で、これから何をしようというのかしら? もしかして義之くんと喧嘩でもしたりした?」

 「・・・・逆だ。昨日なんか幸せの絶頂になる出来事が起きたしいい想い出も作れた。多分世界一幸せだと思う、美夏は」

 「ならそのスイッチをそちらに寄越しなさい。あと何時間かで学校が始まる時間よ? 早くしないと義之君との待ち合わせに遅刻するわ」

 「ああ、それなら大丈夫。後の事は全部ムラサキに任せておいた。あれは嫌な女だが最高の女でもある。今頃は義之と一緒なんじゃないか?」

 「・・・・もう一度言うわ。その操作盤を、ゆっくりと、下に置きなさい。これは命令でもありお願いよ、美夏」

 「すまんがそれは出来ん。もう決めた事だ」


  こちらにゆっくり近づこうとする水越博士に向かって見えるように操作盤に指を掛ける。それで足を止めてくれたのでホッとした。

  さて、どうしようか。まさかこんな早い時間から水越博士が出勤してくるとは思わなかった。いつもはもう少し遅い時間に来る筈なのに予想外な出来事。

  早くしないと次々に研究員が来てしまう。どうにかしてこの場から水越博士に居なくなってもらわないと困る事になる



   ――――――というのに



 「美夏っ!」


  ああ、来てしまった。一番聞きたいと思っていた声でもあり聞きくない声でもあった。美夏が初めて恋した人物であり美夏に恋してくれた人物のものだ。

  義之、来ちゃったのか。どうしてお前はここぞという時に美夏を見つけてくれるのだろう。それはとても嬉しい事だが今の状況では最悪だ。

  せっかく格好つけて去ったというのに台無しじゃないか。たまには格好いい所を見させてくれてもいいのにと思う。


 「え、義之くん?」

 「水越先生が引き留めてくれたんですね、ありがとうございます」

 「・・・・いや、お礼はいいからアレをどうにかしてちょうだいよ。どうせ貴方絡みの事でしょう、これって?」

 「ハッキリ違うとは言えない所が辛い所です。嫌な予感がしたんで来てみたんですが・・・・正解だった――――」

 「止まれ、義之」


  ピシャリ言い放つ。その声に義之は歩み寄る足を止めた。これで二人に増えてしまった。まさかこんな状況になるとは思ってもいない。

  予定では美夏は一人でゆっくりと眠りに就く筈だったというのに。特に義之にはこの場に居てもらいたくない。最後の最後で決心が鈍ってしまうではないか。

  
 「なぁ、美夏。一応なぜこんな事をするか聞いておきたいんだが・・・・いいかな?」

 「多分義之の知っている通りだと思う。私はこれ以上義之の負担になりたくない。ただそれだけだ」

 「負担―――か。オレは別にそんなの気にしちゃいねぇんだけどなぁ。ていうか負担なんて感じてねぇし」

 「別に無理はしなくていい。お前が日頃から色々嫌がらせを受けているのは知っている。多分これからもエスカレートするだろうな」

 「・・・・ガキじゃあるまいしそんなの気にしてお別れするっていうなら間抜けだぜ。見た感じどうやらまた眠りに就くって感じなんだろうが
  そんな事はさせねぇぞ、てめぇ」

 「そう、まだそのガキがする事で済んでいる。物を隠したり嫌がらせの手紙を送ったりまだその程度だ。だがこれから先の事を長い目で見てみろ?
  今の時代はロボットに対してとても冷たい様に出来ている。多分これからはイジメ等では無く『迫害』という扱いで美夏達は攻撃されるだろう。
  そんな目に義之を合わしたくない」

 「だから言ったじゃねぇか、これからも一緒にずっと戦っていこうってよ。その時お前は何て言った? 分かったって言ったよな? あの言葉は
  嘘だったのか? まさか怖気付いたとか言わないよなぁ、美夏」

 「・・・・そう受け取ってもらっても構わない」


  義之に言われた通りだと思う。美夏は現実を見てしまい怖気づいてしまった。美夏のせいで義之が危機になってしまった場面、数えきれない程ある。

  怪我もしたし学校も退学になりそうになった。うまい具合に事が進んで義之は無事だったからいいものの、これから先も無事だとは限らない。

  そしていつも助けになりたいと思う美夏だったが一度だって助けになる事なんて無かった。そう、一度もだ。


 「だから義之、美夏は一生目覚めない事に決めた。昨日今日で決めた事じゃない。ずっと思い悩んで決めた事だ。だから邪魔しないでくれ」

 「邪魔と来たか―――――いい加減にしろよてめぇ、こら。何時オレがお前に辛いですとか言ったんだよ。もうこんな思いしたくないですとか言ったんだよ。
  勝手に責任感感じて悲しんでじゃねぇぞこのポンコツがっ!」

 「ちょ、ちょっと、義之くん。少し落ち着いて――――」

 「自分の女の為に怪我するなんてカッコイイ事じゃねぇか。お前は常々負担になりたくないとかオレの助けになりたいとか言っていたが・・・・ハッキリ
  言っていらねぇんだよ。大体お茶運びもまともに出来ねぇお前に何も期待なんかしていない」

 「―――――ッ!」

 「こ、こらっ!」


  義之にそう言われて、思わず涙が零れて落ちてしまう。事実だ。確かに事実だが義之の口からそう吐き出されると――――心が裂けそうになる。

  胸の辺りに手をやってどうにか鎮めようとするがまるで効果は無く、益々痛くなるばかり。その痛みで涙が余計に溢れて出てしまう。

  水越博士が義之の肩に手を掛けて止めようとするがまだ義之の攻撃は続いた。

  

 「・・・・グスッ・・・・ひっぐ・・・うぅ」

 「大体お前はロボットの癖に普通の人と比べてもトロすぎるんだよ。確かにロボットだから人の真似ばっかは上手いよな? 運動なんか少しお手本
  を見せればすぐに出来ちまう。まぁそこは大したもんだと思うぜ、マジで」

 「・・・・・・ひっぐ・・・・」

 「だがよぉ、それ以外の事はてんで駄目だよな。お茶を運ぼうと思ったらすっ転んでオレのお気に入りのシャツを汚すわ料理を任せたらボヤ騒ぎを
  起こそうとするわ・・・・デートの時なんかオレの携帯を見ようとして落っことしてブッ壊したよな? あの時言わなかったがあの携帯は買った
  ばかりで新品だったんぜ。よくもまぁそれ以外にも色々ドジやらかしてるよな。とてもじゃないがオレの好みからは程遠いよ、お前。」

 「・・・・な、なに・・・・」

 「そうだな―――――エリカの方がオレの好みど真ん中だぜ。お前と比べると」

 「――――う、うわぁぁあぁあああんっ!」

 「いい加減にしなさい義之君っ!」

 「あんな尽くしてくれるし貴族だし美人だ。器量もいいしな。お前と比べるのは・・・・エリカに失礼か、はは」

    
  義之の体をどつく音が聞こえてきた。聞こえてきたというのはもう美夏は目なんて開けていられないからだ。

  悔しい、悲しい、哀しい、そんな感情が胸に渦巻く。痛みなんて麻痺するまでにズキズキいっている。もう立っていられなくて膝をついた。

  あの、あのムラサキと比べられた。美夏が一番嫌いな人間でもあり嫉妬するまでに何もかも持っているムラサキと比べられ、比較され――――否定された。


  何も最後になってこんな事を言わなくてもいいじゃないか。義之にまで否定されたら美夏は、もう何も残らない。

  義之は絶対的な味方だと思っていたのに裏切られた気分だ。だったら何故私と付き合ったのか、あのままムラサキと付き合って美夏なんか放っておけば 
 いいじゃないか。そんなチャンスはいくらでもあったし私と付き合う事なんて無かったじゃないか。

  好きだ好きだと常日頃言っていたがそんな事を思っていたなんて――――だが同時に理解する、だから義之はムラサキの事をいつもはべらせているのだと。


  多分今の美夏の行動を見て呆れてしまったに違いない。だからもう何もかも全部ぶちまけてやろうと思ったのだろう。

  乾いた笑いが出る。もう何も考えられない。結局、美夏一人が熱くなっていただけなのか。ピエロもいいところだ。


 「はは・・・・」
 
 「だからたまに考えるんだよなぁ」

 「・・・・・あ」


  気付いたら義之が前の前に来て屈んでこちらの顔を窺っている。そのなんとも思っていない目を見ていられ無くて顔を背けてしまった。

  なんだ、また腹に抱えているものを吐き出すつもりなのか。もう止してくれ、もう苛めないでくれ、心が壊れそうだ。


 「なんでお前の事を好きになっちまったのかなぁ・・・・って」

 「何を今更―――――」

 「お茶運んですっ転ぶお前を見て微笑ましいなんて思っちまうし料理に失敗して悲しんでいるお前を見ているとお前以上にこっちも悲しく
  なる。携帯壊した時なんかも確かに腹は立ったがお前が笑顔で『すまんすまん、やってしまった! あはは』なんて笑う姿を見せられた
  日には携帯の事なんてどうでもよくなったよ。なんでだべ?」

 「・・・・知らん」

 「全然好みじゃなかったのに今じゃお前自体がオレの好みになっちまった。お前といつもふたりっきりになりたくてしょうがねぇし
  周りの奴らが邪魔でしょうがねぇよ、まったく」

 「じゃあ何故ムラサキの事をいつもはべらせているのだお前は。嘘ばっかりつきおってからに・・・・・」

 「あ? あいつは犬だろ。最初会った時からこいつ犬っぽいなぁと思ってたからな。別に犬が周りうろちょろしてたって構わないだろ」

 「それにしてはムラサキに体を寄せられると鼻の下を伸ばしているじゃないか」

 「そこが最近のオレの困り事だ。オレはもうエリカを犬としか認識していないんだがああやって体を寄せられると抱いた時の事を思い出しちまうんだよ。
  いやぁ、マジであの時は興奮したね。一生懸命オレは感じさせようと頑張ってる姿が健気でもうね・・・・」

 「こ、この――――ッ!」


  義之の胸の辺りを殴り付ける。もう我慢ならない。一応まだ彼女の美夏の目の前でよくもまぁぬけぬけと他の女の事を言えたもんだ。

  多分今まで一番腹が立っていると思う。中枢チップなんかもう焼けて無くなりそうだ。しかし義之の胸は無駄に厚くて中々攻撃が通らない。 

  ドンドン殴りつけてるつもりがポカポカと聞こえてきそうな衝撃になっている。


  そして重い一発をかまそうと腕を振りあげて―――――
  

 「よいしょ」

 「あ・・・・」


  掴まれた。そして義之は美夏の目をじっと見つめる。

  その視線の強さに目を逸らす行為を忘れてしまった。


 「だけどお前を抱いた時の方が何百倍も興奮した」

 「な―――――」

 「愛している。誰よりも、美夏の事を愛している」

 「む・・・・ぅ」


  顔を近づけたかと思うと―――いきなりキスをしてきた。あまりにも急な事態で思考が追いついていかない。されるがままになってしまう。

  それも途中から舌を捻じ込んできた。反射的に追い返そうと舌を動かすが反対に絡め取られてタップリ唾液を塗りつけられてしまった。

  もう何回も義之とはキスをしているので美夏の弱い所なんかは全部知られている。隅々まで義之の舌に犯されていくのを感じた。


  そしてやっと気が済んだのか、ようやく口を離した。義之の口と美夏の口の間で出来上がる唾の橋。そんな卑猥な光景をぼーっと見た。

  もう体中が溶けてるような感覚。力が入らない。操作盤を落とした。気付かない。美夏の顎に義之の手が掛かる。


 「だからお前はオレの傍に居なくちゃいけない。そんなくだらねぇ事してる暇があったら少しでもオレの喜ぶ事をしろ」

 「だ、だけどそれじゃ義之の負担に――――」

 「オレの負担は彼女であるお前の負担だし、お前の負担は彼氏であるオレの負担だ。そして何よりムカつくのがお前が周りの雑魚連中に
  オレが潰れるかもしれないって言ってる事だね。オレを誰だと思ってるんだ――――オレだぞ? そんな蟻みたいな攻撃に動じると
  でも思ってるのか、このスカタン」

 「す、すか・・・・」

 「お前のオレのもんだし一生離すつもりはない。だから諦めるんだな――――一生お前はオレの脇を歩かなくちゃいけないだからよ」


  そう言って足元に落ちている操作盤を足で遠くに蹴っ飛ばした。水越先生の目がひん剥く。あれ、結構高いみたいだしなぁ。

  しかし、なんだろう――――少し見誤っていたかもしれない。この人間はどこまでも非常識で悪知恵が働き、オレ様だという事を美夏は忘れていた。

  きっとこの男は本当に負担になんて思っていないのだろう。見詰めてくる目、掴んでくる手の力強さ、余裕そうににやついている口元。全て真実を言っていた。


  そして消えるさっきまでの考えと気持ち。もう眠ろうなどとは思わなくなった。逆にたくさん負担を掛けてどこまで耐えれるか試したくなる。

  この先の逆境にどうやって立ち向かうのか、どんな行動、言葉で美夏を守ってくれるのか興味が出てくる。確かに頼り甲斐のある男だとは思っていたが
 いつも美夏はそれに頼ってはいけないと思っていた。恋人なのだからおんぶ抱っこはしてはいけない、平等にならなくちゃいけないんだと。
   
  しかし美夏は思い違いをしていたらしい。どうやってもこんな奴と平等になんてなりはしないだろう。


  ある時、由夢のおススメで洒落なデザート屋を紹介してもらった事がある。そこはカップル専用の店であり高級感もありのなかなかの店だった。

  店内に入るとキチっとした姿のウェイタ―、ゆらゆら揺れているキャンドル、とても甘いアロマの香りがする場所で美夏はとてもうきうきしていた。

  そして義之と一緒にショコラを頼み、味を楽しんでいるとピタっと義之の動きが止まった。どうしたのか、口に合わなかったのかと考えていると――――


 『豚骨ラーメン喰いてぇ。あの油がモロに浮いてる奴、そしてソレに思いっきりコショウ掛けて喰いてぇ。なぁ、美夏?』


  それも結構大きな声。周りの客はそれを聞いてくすくす笑い、美夏は恥ずかしくなり俯いてしまった。そして平然とラーメンの話をしだす義之。その店から
 逃げるように美夏は義之を引っ張り会計を済ました事がある。

  そんな男と平等になんてなりたくない。だったらまだお姫様してた方がずっといい。というかこの男は本当に空気を読もうとしないのだな。まぁ、それが
 義之のいい所でもある。きっとこれからもそんな調子で生きていくのだろう。

  だったらちゃんとした女性が居ないと駄目かもしれない。義之は確かに魅力があるし頭のいい、そして度胸もある。が、空気を読めないのは少し頂けない。

  ムラサキもなんだかんだで空気を読める女ではないので駄目だ。結局―――美夏が居ないと駄目なんじゃないのか、義之って。



 「・・・・なるほど、な」

 「あ? 何がなるほどなんだ?」

 「なんでもない。精々お前にお姫様して苦労を掛けてやろうかと思ったんだ。どれくらいで根を上げるか楽しみだな」

 「――――最初からそれでいいんだよ。変な事ばっか気にしやがってこのタコが」

 「相変わらず口が悪いな。まぁ、今に始まった事じゃないが・・・・さて――――」


  立ちあがり水越博士に向かって歩き出す。さっきから椅子に座りリラックスした様子で煙草を吹かして美夏達の事を見ていた。時々思うのだが
 美夏の周りの人間は少しおかしい気がする。変に度胸があるというかなんというか・・・・美夏の人間観が少し変わりそうだ。


 「水越博士」

 「ん? もう青春ものは終わったの? なんだか見ていてまた胸ヤケがしてきたんだけど、マジで」

 「多分昔の頃を思い出して心が苦悩してるんじゃないのか? そういうのは美夏は分からないが、多分そうだと推測するぞ?」

 「・・・・・貴方といいあの金髪といい・・・・少しは年長者を労わろうとするっていう気が無いのかしら」

 「どうも迷惑を掛けてすまない。もう二度とこんな事はしないよ、心配を掛けたな」

 「―――――約束よ」

 「ああ」


  水越博士には随分可愛がってもらっているし前だって怪我した時も本当に心配してくれた。

  お母さん―――という存在は美夏は知らないが美夏からしてみれば水越博士はそれに近い存在だ。血云々よりも環境がそういう絆を生むと美夏は思っている。

  冷静に考えれば義之と同じくらいこの人は心配していたに違いない。少しばかり迂闊な自分の行動を取った自分を馬鹿だなと思う。義之の言うとおりだ。


 「あとは・・・・」


  さっきからドアの陰から見え隠れしているあの金髪――――は間違いなくあの女のだな。あの憎たらしい色は一生忘れる事はないだろう。

  こちらを覗き見るようにして顔を覗かせ窺う様子を見せている。そして美夏と目が合った。多分そのギョッとした顔も多分一生忘れないだろうな。

  そして慌てるように廊下を走りだすムラサキ。というか何で居るのだ、アイツは? その疑問に答えるように義之は喋り出す。


 「何故か知らないが研究所の前で会ったんだよ。んで警備員と口喧嘩してるところをオレが無理言って引っ張ってきた。あいつもお前の事心配だったん
  じゃないのか? なんか話を聞いたら『天枷さんがご臨終という話を昨日聞いたので一目見て笑いにきましたの』と言ってたぞ。こんな早朝の朝から
  地図片手に息を切らしてな・・・・くっくっく」

 「・・・・背筋がゾクッとする事を言わないでくれ義之。縁起でもない」


  あの女が美夏の事を心配する訳が無い。美夏も来てもらっても嬉しくもないし感動もしない。どうせ本当に笑いに来たのだろう、あの性悪女め。

  美夏だって逆の立場だったらそうする。憎い女が愛しい男の前から消えると言うのなら是非あざけ笑って見送りたいものだ。心底思う。

  それがこんな霧が出ている時間帯で、場所も分からず、地図を片手に走り回り、警備員と口喧嘩したとしても・・・・・な。


 「・・・・・ぐす」

 「あ、なにおまえ? ちょっと感動してるのかよ」

 「し、してないぞっ! するもんかっ!」

 「まぁ気持ちは分からんでもないがな。あのエリカがお前の事を心配するなんてなぁ・・・・やっぱり根は優しい奴だよ、あいつは」

 「そ、それ以上言うな、鳥肌が立つ! 美夏は部屋に戻って学校に行く準備をするからちょっと待ってろっ!」

 「へいへい」


  そう念を押して美夏は走り出した。結構あれから時間もたった事だしあんまり余裕をこいてると遅刻なんて事になりかねない。

  ドアノブに手を掛けたその時、義之から声を掛けられる。


 「さっきお前がいつオレが根を上げるか楽しみだと言っていたが――――そんな事あるはずねぇだろ、このバカ。まだオレの事を
  理解してないようだな、美夏」

 「・・・・・だったら今度からもっと教えてくれ。お前はというやつをな」

 「毎日見せてやるっつーの。だからさっさと着替えて来いよ」

 「――――ああ!」


  後ろで「ああ、胸ヤケが酷くなってきたわ!」と騒いでる水越博士に向かって義之がキャップを抜いたマジックペンを投げつけているのを無視して
 美夏は自分の部屋に向かった。

  そして思う。これから先もっと大変な事が起きるだろう。今まで以上に世間が苛烈にロボット批判を起こす事は間違いないと思う。

  その度に美夏は傷付き、泣いてしまう事もあるに違いない。また胸にあの鈍い痛みを感じるかと思うと膝をつきそうになる。

  だが――――美夏の隣には義之が居る。義之ならそんな美夏を当然の様に立たせてくれるに違いない。


  今度は今まで以上に甘えるとしよう。ムラサキなんか目じゃない程に、ずっと、ずっと、甘え貫いてやる。

  中途半端に負担になりたくないと言っていたからこうなったのだ。やる時はとことん、甘える時もとことんやった方がいい。

  まさに義之はそういう人物だ。そして気に喰わないあのエリカもまさにそう・・・・だから美夏も負けないように我を貫き通してたろうと思う。



 「ああっと・・・・制服はどこだっけか?」


  もう着ないと思っていた制服。だから探すのに苦労した。多分ぼんやりして眠る前に部屋を整理したのがまずかった。更に時間が取られてしまう。

  箱の奥底に仕舞ってあった制服をなんとか見つけ出して着てみるととなんとも言えない気持ちになった。やっぱり美夏にはこの制服が一番だろう、うむ。

  そうして義之がいる研究室に戻るドアを開け、いつものように笑顔で行くぞと言ってった。そしてこれから始まる普段の生活に再び胸をときめかせる。



 
  ――――義之、これからどんどん甘えていくからな、覚悟しておけよ。ムラサキがドン引きするまで甘え尽くしてやる。



























  



[13098] 最終話(後編) end
Name: 「」◆2d188cb2 ID:1b395710
Date: 2010/02/15 22:54





  空が青く、そよ風が吹く今日この頃。季節はもう春で花や木、生物たちが活発に動き出そうとしていた。

  そんな中オレは一人森の中を歩いている。せっかくの靴が土で台無しになっちまうなこりゃあ。

  こんな時まで迷惑を掛けやがるアイツにはほとほと参っちまう。


 「まぁ、あいつが掛ける迷惑は可愛いもんだし許してやるか。杉並だったらしこたま殴ってやる」


  呟いて驚いた。こんなにもストレートにあいつの名前が出てくるとはな・・・・・もう何年も会ってねぇのによ。 

  最後に会ったのは――――三年前だったけか。確か街で偶然会ったんだよなぁ。ぴっちりスーツなんて着やがって。お前がリーマンて柄かよ
 と笑い飛ばしたのを思い出した。その時のムスッとした顔は今でも忘れない。

  その後は軽く呑みに行ってそれっきりだ。元々何回も連絡を取り合う柄でもねぇしいつも一緒に居る間柄という関係では無い。

  縁があれば会うだろう、そういう関係だオレ達は。その距離感で今まで友達をやっていたしこれから先もそうだろう。


 「にしても熱いなちきしょう・・・・これだから日本みたいな湿気が多い国は大嫌いなんだ。服がすぐ蒸れて嫌になる」


  大体今何時だよ。こんな朝早いっつーのに全然涼しくないんだけど。そう思い袖を捲り時計を見る―――6時30分、額の汗を拭った。

  そして片手に桶を持ちながら再び歩き出す。あいつが居る場所は結構遠いからなぁ。もっと近くで待ち合わせ出来るような場所にすればよかったぜ。



  ま、しょうがねぇっちゃしょうがねぇんだけどな。

  そう思い眉を寄せながら空を見上げた。











  美夏が殺されてから三年。それでもこの世の中は何も変わりはしない。



























  その日もこんな季節だった。待ち合わせに来なかった美夏、あいつが遅刻するのなんてそもそもおかしい話だった。

  いつだって規律に厳しくて、その癖結構ズボラな所があるロボット。未だにアイツがロボットなんてオレは信じてはいない。

  面白い事があれば笑うし、悲しい事があれば泣く。そして自分が許せないと思った事には本気で怒り―――――愛すれば一直線に突き進む。


  そんな奴にオレは参っちまった。よく時間が経てばそいつの悪い所も見え恋人関係が冷めるというがオレと美夏には関係の無い話だ。

  美夏と過ごせば過ごす程オレはあいつの事が好きなっていった。いつも暇があればオレは美夏に会いに行っていたし美夏もオレに会いに来ていた。

  そんなオレ達を周りの連中は苦笑いしながらも温かく見守っていてくれた。そんな優しい奴らにオレと美夏は心から感謝していた。



  だが気付いていた。世界はこんなに優しくないと。偶々本当に数少ない心優しい連中がオレ達の周りに居たっていう話なだけで一歩外に出れば全然そんな
 事はない。だがオレと美夏は少し浮かれていたのかもしれない。あまりの幸せに目が曇っていた。すぐそこに落とし穴があるのに天気のいい青空ばかりを見
 ている。そして手を繋いで歩いていたオレ達は一緒に仲良く其処に落ちてしまった。


  オレが現場に行った時には美夏なんてものは居なかった。そこにはバラバラに散らばったパーツとトレードマークのキャップ。

  そして――――『血』に染まったオレがあげたストラップ。涙なんて出て来なかった。出ればよかった。そしたらこんなにも苦しい思いをしなくて済んだのに。

  由夢が泣いて、唯一友達だったアイツも居て、音姉達も泣いていた。さくらさんも涙自体はしていなかったがきつく握られた拳は今にも印象深い。

  その中で唯一泣いていないオレをみんなどう思ったろうか。薄情な奴だと思っただろうか。だがそうかもしれない、だって、涙が出て来ないんだから。


  殺した犯人はすぐに見つかった。犯人はロボットに反対している団体の中でも過激派に属するグループ。そう、グループだ。単独犯でもなんでもなく、
 集団で美夏をバラしにかかった。また殺したその理由が笑える。


 『人、人間の存在を侮辱したその存在自体が許せなかった』


  何様のつもりだ。お前らは神様かよ。人間を語る程立派な事をしてきたのかお前たちは。やってる事はただの人殺しじゃねぇか。   

  しかし法廷で課せられた罪は器物破損罪。それを聞いてオレは大笑いした。何もかもが狂ってやがる。怒りは不思議と出て来ない。ただ笑いしか出て来なかった。

  そしてオレは立たされている奴らに向かって言った。殺してやると。美夏と同じ―――いや、それ以上に残酷な方法で殺してやりたかった。

  そんないきり立つオレに向かってしたり顔で裁判官が言った。丁寧な声質で「そんな事をしても何にもなりませんよ」と。


 「じゃあ、アンタの息子と妻の内臓と目を引き摺り出して物干し竿に飾ってやろうか。そして死体はそこら辺の犬にでも喰わしてやるよ。それでも
  あんたはそんな台詞が吐けるのか?」

  
  押し黙る裁判官。赤の他人が喋る綺麗事程イラつくものはない。自分はそうやって関係ない位置で『正しい事』を言えばいい仕事だもんな、くそったれ。

  オレは思った。この世の中で正しい事なんて何一つ無い。皆、見て見ぬフリをして日常を生きている。いつだって現実は曲解しているものだ。

  募金のCMの後にすぐパチスロのCMが流れる。森林伐採の中止を訴えかけながらも交通の為にコンクリを山に流す。飢饉が発生している国の肥えた大統領。


  この世の中は矛盾で出来ている。勿論そんな事はガキじゃないんだから知ってるし平等を訴える程オレは出来た人間じゃない。理解していたつもりだ。

  しかしどうしても感情が納得してくれない。美夏を殺した連中がなんで数ヵ月で釈放されるのか。なんで美夏みたいなロボットが居る事実の方を大きく
 メディアは取り上げるのか。  
 
  オレは決意した。もう、良い人をやるのは辞めよう。意味が無い。隣に美夏が居ないんじゃ話にならない。

  
  そしてはオレは――――――



























 「よいしょっと」


  そしてオレは美夏の前に立つ。うむ、相変わらず立派な墓石だ。100万ちょっと出しただけあってなかなか良い面構えしてやがる。

  けど全国の墓石の平均購入値段は170万だっけ。やっぱり日本人はお金持ちだよな。死んだ人にもそれだけお金を掛けられるんだから。

  だが美夏、当時オレは学生だったんだ、許してくれ。借金までして作ったんだ。そして愛もある。それでなんとかまかなっているからよ。


 「そういえば水越先生も結構頑張ったんだぜ? 部品を研究するためにあっちこちから来た研究者を追っ払ってくれたんだからよ。オレ一人じゃ
  どうしようもできねぇ事をたくさんしてくれたよ、あの人は」


  メディア連中も追い払ってくれたしな。もしあの人が居なかったらオレはあいつらを殴っていた。そして益々大きく取り上げられるロボット問題。

  そんな事になったらいくらオレでも精神的に参ってたかもしれねぇ。本当、あの人には頭があがらねぇよなー、後で久しぶりに会いに行くか。

  久しぶりに来た初音島―――ゆっくり滞在するのもいいかもしれない。やっぱりここの空気は最高だ。


 「ほら、水ぶっかけてやるよ。こんなに熱い日はいくらお前が死人でも参るだろうからな」

   
  桶から水を柄杓で掬って墓石の上から派手に掛けてやる。ちまちまやってたんじゃお前も怒るだろう? 例えるなら砂漠で水を少しづつ飲まされる行為に
 近い。きっとそんな事されたらオレはキレるね。今の若者らしく。


  そして最後に美夏が好きだったバナナを置いてやる。勿論ニセモノだ。よく店舗のサンプル品に置かれてるアレ。名前は知らんがそれを置いた。

  もし本物なんか置いてちゃすぐに蠅が寄ってくる。美夏も目の前に置かれたバナナを蠅なんかに喰われちゃムカつくだろう。だから気持ちを置いといてやった。

  座り込んで合掌もする。美夏は別に仏教でもなんでもなかったがこれが一番気持ちが伝わる気がした。オレもやっぱり日本人って所か。

  母親のさくらさんも見た目外人丸出しだが日本人よりも日本人らしいし。オレにもそんな所があったっておかしくないだろうな。


 「さて、オレはそろそろ行くよ。美――――」

 「久しぶり、義之君」

 「・・・・・茜か」

 「やっぱりここにいたんだ」


  そう言ってオレの隣に並び先程オレがしていたように手を揃える。その様子をオレは後ろから見詰めていた。

  こうやってオレ以外にも美夏の墓参りをしてくれる人が居る。それはオレにとって嬉しい事だった。美夏が生きている時は辛い事の方が
 多かったからな。こういう救いが一つでもあれば嬉しい。

  しばらくの間無言の時間が続いた。久しぶりに見た茜は前より美しくなっていた。どこかガキっぽさが抜けて誰もが羨む美人になっている。
 婚約指輪は・・・・無いか。お前もさっさと結婚しねぇと行き遅れになるぞ。水越博士みたいにな。


 「・・・・どこへ行ってたの?」

 「あ?」

 「ここ何年か姿を見なかった。電話も通じないし実家にも居ない。芳野さん泣いてたよ、義之君が帰ってこないって」

 「そうか」

 「そうかって・・・・貴方ね―――――ッ!」

 「それで、なんでここが分かったんだ茜は。誰にも見つからない様にここに来たんだがな」

 「・・・・偶然ここに居るって思ったのよ。本当に、なんとなくね・・・・」

 「嘘を付くのが下手になったなお前。中学の時はもっとさらって嘘をつけてたぞ」


  左手で茜の頬を撫でる様に擦り上げて――――耳のイヤホンを外してやる。ハッとした顔で茜はオレから離れた。

  イヤホン越しから複数の声が聞こえてくる。オレは茜に微笑を向けてやり、それを踏みつぶした。

   
 「探偵ゴッコならオレ以外でやれよな、茜。もうオレはガキっていう歳じゃねぇ。今じゃすっかり堂々と煙草を吸える歳だ」

 「―――――桜内義之、貴方を殺人罪の罪で逮捕します。膝を地に付け、両手を頭の後ろに組んで下さい」

 「おいおい、次は警察ごっこかよ。勘弁してくれ、久しぶりに初音島に来たからオレも童心に戻りたい気持ちはあるが・・・・少し恥ずかしいわ」


  頭をポリポリ掻いてしまう。確かにオレは小学生時代は友達居なかったしそういう事をしたい気持ちはあった。だがそれはもう10年も前の話だ。
 
  どうせ遊ぶなら大人の遊びをしたい。茜もそんなに色っぽくなったんだからそういう遊びを選択すればいいのに―――案外子供っぽい所あるのな。

  そして今度は拳銃を抜きオレに照準を合わせてくる。おーなかなか本物っぽいな、一回でいいから触らせてくれよ。


 「そんなモデルガンまで持ち出してくるとは中々堂に入ってるな。しかしもしお前が本当の警察官なら始末書もんだぞソレ。銃の所持なんて――――」

 「銃の所持は許可されています。そしてこれが貴方には偽モノに見えるのね」

 「あたりめーじゃねぇか。つーか偽モンでもそんな物を人に向ける―――――」


  撃鉄が落ち強烈な音が響く。銃を向けた先の枝が落ちる音を遅れて聞いた。キ―ンと響く耳鳴り。オレは思わず口笛を吹いた。

  硝煙が上る銃先を下ろしながらオレと再び見詰め会う形となった茜。目は先程みたいに慣れ親しんだ目ではなくなっていた。


 「やっぱり度胸が凄くあるわね、貴方って。瞬き一つしないなんて――――おかしいわ」

 「何言ってるんだよ。心臓がばくばくいってるつーの」

 「嘘ね。あれだけ人を派手に殺しておいてそれだけは無いわ。はじめその現場を見た時―――私吐いちゃったもの。よくあんな殺し方出来るわね・・・・」

 「うーん・・・そっか?」


  確かに派手といえば派手だが吐く様なモノではないだろ。実際オレは吐かなかった。美夏と同じ様にしてやっただけなんだし一回美夏の時にその風景
 を見たオレにとっちゃ大した事は無かった。

  それとも茜はロボットと人間では訳が違うとでも言うのだろうか。それは残念だ、茜の事は結構買っていたからそんな人間ではないと思っていたんだがな。

  まぁ、どうでもいい事か。人間なんて環境次第でカンタンに人が変われるし気が付いたら銃を撃つような女になっている事もあるだろう。


 「もう一度言うわ、おとなしく伏せて――――」

 「分かったよ」

 「え・・・・」


  言われた通り伏せる。茜は驚いた顔をしていた。なんだよ、伏せろって言ったじゃねぇか。お前が驚いてどうすんだよ。   
       
  茜は戸惑いながらも拳銃をオレに向けながら手錠を取りだし―――両腕を繋ぎ合わせた。

  結構ヒンヤリしていいなコレ。こんな暑場では身に染みて気持ちいい。


 「なぁ、茜」

 「――――何かしら?」

 「お前、すげぇ美人になったな。中学の時もすげぇ美人だったが・・・・輪をかけて美しくなった」

 「・・・・ありがと」

 「今、彼氏とかいるのか? 居たらそいつが羨ましい。オレもお前みたいな美人を引き連れて街とか歩いてみたいよ。みんなオレを羨ましがるだろうなぁ」

 「ば、馬鹿な事言わないでよ。昔から義之君はそうやって人をからかうんだから・・・・」

 「本気で言ってるんだ」

 「え・・・・」


  オレは顔を上げ茜の顔を至近距離で見詰めた。サッと顔を朱色に染めて顔を背ける。なんだ、変わらない所もあるじゃねぇか。

  昔からお前は押されると弱い女だったよ。あれだけ胸とか押しつけてくるのにオレが少しでもすり寄ると猫みたいに逃げちまうんだからな。

  まぁそんな所も含めてお前の事は可愛いんだけどな、茜。


 「美夏じゃなくてお前と付き合えばよかったかもな。あいつもあいつで可愛いんだが――――今の茜を見てるとそう思うよ」

 「・・・・う、嘘ばっかり言って。そんな気無い癖に・・・・」

 「なんだよ、信じてねぇのか。それほど魅力的だっつー事なんだよ、お前の場合・・・・・・なぁ、一つ聞きたい事がある」

 「なに?」

 「今でもオレの事を好きか?」

 「え?」

 「好きかと聞いてるんだ。で、どうなんだ?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好き」

 「そうか」

 「あ―――――」


  手錠で繋がれたままの手を茜の両頬に添えてキスをしてやる。とても愛おしく、包むように軽くキスをしてやった。

  そして顔を離し、茜の顔を見詰める。茜はどこか夢見心地な目でオレを見詰めていた。


 「オレもそろそろ美夏の事は振っ切ろうと思うんだ。いつまでも過去に捕われてちゃあいつも浮かばれない」

 「そう・・・・」

 「だから、茜。オレが出所したら付き合ってくれるか?」

 「―――――え?」

 「嫌なら嫌って言ってくれればいい。こんな犯罪者と付き合うなんて誰もが嫌がる事だ。茜には無理して欲しくない」

 「・・・・・・」


  相手は警察官。対してオレは残虐な人殺しをした殺人犯だ。そしていつ出所出来るか分かったもんじゃない。復讐は確かに法律で明確には禁止
 されていないがやった事は殺人だ。一生刑務所に入ってもおかしくない。

  そんなオレを待つなんて――――夢物語にも程がある。やっぱり茜には今の発言は無かった事にしてもらおうと口を開いた。


 「わりぃ、困らせたな。やっぱりさっきの言葉は――――――」

 「いいわ」

 「あ?」

 「待つ、待ってあげる。義之君が出てくるまで私は待ってるわ。だって――――ずっと好きだったんだから」

 「・・・・まじかよ」


  おいおい、マジかよこの女。確かに中学の頃はオレの事を大好きだったかもしれない。だがあれから何年間も経ってるんだぞ?

  いくら好きだとは言え――――ありえない。そんなオレの様子を見て茜はクスっと笑いながらオレに喋りかけた。

 
 「何驚いてるのよぉ、そっちから言い出した癖に」

 「あ、ああ。そうだな」

 「中学の時から私の想いは変わって無いわ。だって―――本気で好きなんだから。当然でしょ?」

 「そうか、そうだよな。お前はオレの本当に好きだったもんな」

 「現在形でね。天枷さんの存在の事があって一時的に諦めてたけど・・・・やっぱり私の気持ちは消えなかったわ。好きよ、義之君。だから待ってあげる」

 「ああ、オレもお前の事を―――――」


  好きだ――――そう言おうとした瞬間、茜の口から血が流れ、オレの顔に吹き出された。

  驚くオレをよそに茜は力が入らなくなったのか地にペタンと座り込んで荒く呼吸をしている。良く見てみると肺がある位置に―――ナイフが突き刺さっていた。

  オレは目線を上げ、その刺した人物を見て――――微笑んだ。


 「遅いぞ、エリカ。助けてくれるのをずっと待ってたんだが中々出て来ないから少し慌てたぜ」

 「本当は放ったらかしにしようと思ってましたわ。私の見てる前で堂々とナンパするんですもの」

 「だがお前は助けに来てくれた。やっぱり頼りになるよお前は」

 「む・・・・」


  睨みつけてくるが大して怒っていないのは分かる。こいつは本当にオレの事が好きだからなぁ。本気で怒れる事が無いぐらい知っている。

  茜のポケットをがさがさと漁り、鍵を見つけて手錠を外す。しかし21世紀になってもまだ手錠はこんなアナログなのか。少しだけショックだ。

  もう息絶え絶えになっている茜の顔を上げてオレは優しく囁くように話しかけた。


 「悪い、もう相手は居るんだ。騙して悪かったな」

 「そ、そういう、事・・・・・ムラサキさんに手引・・・・きしてもらってたのね」

 「金持ちだしな、逃げるのは簡単だったよ。まぁそれ目的で付き合ってる訳じゃねぇ。本気で好きなんだよ、エリカの事」

 「も、もう義之ったら・・・・こんな所でそんな事言うなんて・・・・」

 「こら、引っつくなよ。まったく、いつまでたってもお前は変わらねぇな」

 「ふふ、私は私ですもの。そう簡単に変わりませんわ」


  そう言って朗らかに笑う。それに釣られてオレも思わず笑ってしまった。本当にこいつには助けられる。美夏が死んだ時もずっと親身になって
 近くに居てくれたしな。

  美夏が死んで一時オレは荒れてエリカに色々酷い事を言ったし行動もした。思いっきり殴った事もあったっけ、でもこいつはオレの傍を離れなかった。

  そんなエリカにオレ徐々に惹かれていき―――今ではオレの新しい彼女だ。今度は上手くやりたいもんだよ。


 「そういう事だ、茜。オレはエリカと幸せになる。だから捕まってやれねぇよ。何度も言うが悪いな」

 「・・・・・・こ、この・・・・ばか・・・・男」

 「何とでも言ってくれ、じゃあな」

    
  オレはエリカと手を繋ぎ歩き出す。もう初音島には居れないなぁ、多分すぐに警察もすぐに来るだろうし滞在は出来ない。

  さて―――次はどこへ行こうかな? アメリカとカナダは飽きたからフランスにでも行こうか。本場のフランス料理をエリカと二人で
 楽しむにはいいかもしれない。

  美夏、また来年も墓参りには来るから待っててくれよな。そうしてオレはその場所を離れ近くに置いてある車に乗り込み急発進させた。






































 「って――――なんなのだこれはぁああああああああああああああっ!」

   
  美夏は思いっきりその紙を破った。その声の大きさに驚いたのか周りの演劇部の人達と花咲達が驚いている。だが知った事では無い。

  時間は放課後、前までの美夏だったらとうに帰っている時間だが最近はずっとこの部室に寄り道りっぱなしだった。

  そして息を荒く立てている美夏の肩にそっと手を置かれる。振り返るとそこには杏先輩、やれやれといった感じでため息をついていた。


 「少しは落ち着きなさい、美夏」

 「し、しかしだなっ! 納得いかんぞ、とゆうかなんで美夏は死んでおるのだ? そして美夏の出番は無いじゃないかこれでは・・・・」 

 「文句があるならあそこで知らんぷりしているお姫様に言ってちょうだいな」

 「む・・・・」


  遠く皆から離れて煙草を吸っているムラサキ。いつもの感じで近寄りがたいオーラを放っている。が、美夏には関係ない。トコトコそこまで歩いて行く。

  そして美夏の接近に気付いたのか整った眉毛を綺麗に歪ませる。その態度にまた美夏はカチンと来た。こいつ・・・・全然悪いと思っていない。

  美夏はエリカの傍まで行き、指を思いっきり指しながら怒鳴るように口を開いた。


 「なんなのだあの台本はっ!」

 「はぁ? 雪村部長に『皆で演劇をやるんだからそれぞれ台本を書いてきてちょうだい。それを参考にしたいから』って言われたから書いてきたまでですが?」

 「馬鹿かお前はっ! あんなのを全校生徒の前で出来るわけないだろう!? それもあんな狂った話を」

 「別にいいじゃない。皆がやってるような演劇をやって面白い訳? どうせなら違う事をやってみたいと思わないの? これだから既定の行動しか出来ない
  ロボットは・・・・死ねばいいのに」

 「な、なんだと・・・・!」


  こ、こいつ・・・・段々口が悪くなってきている。前までは少なからずお嬢様言葉を使っていたのに今じゃそれをおくびにも出さない。美夏限定だが。

  ムラサキは正論ぶって話しているがどうせ義之絡みだからこんな設定にしたに違いない。天枷さんが死ねば義之は私のものになる。そんな設定を。

  後ろではそれぞれが違った反応を皆返していた。怒る者、きゃーきゃー騒ぐ者、悲しむ者。そんな感じでなんだか盛り上がっていた。


 「な、なんで私エリカちゃんに刺されてるのよおぉぉぉぉおっ! それも間抜けっぽいしぃ!」

 「で、でもこれってなんだか面白い展開だよね・・・・。杏はどう思う?」

 「小恋、こんなリアル設定使える訳ないじゃない。これってあのお姫様が多分本気でこうなればいいって思って書いたものよ。演劇にはね、多少
  なりともフィクションさが欲しいの。こんなんじゃ余計な感情が入って演技出来ないわ。ある意味熱が入りそうな人もいるけど、ね」

 「うう、オレは惨殺に殺される役か・・・・オレが何したってんだよ、ちきしょうー!」

 「わ、私なんて一番酷く殺されてる役ですよ・・・・・あの女――――ッ!」

 「にゃはは、まぁまぁ落ち着いて由夢ちゃん。私は結構重要な役割だから結構嬉しいかも」


  花咲、お前は多分美夏の次に恨まれているぞ。そして月島、お前も義之の幼馴染みってだけで結構な役割(夜の道に立つ娼婦)貰ってる事を忘れるな。

  板橋は多分偶然だ。というかあんまり男子部員が居ないせいかどっちみちそういう役割をもらう事になっている。由夢は特別だがな・・・・・。

  芳野学園長には結構お世話になっているせいか物語のキーとなる役割。というかこんな私情絡みの台本なんて見たこと無いぞ。


 「まぁ、却下ね。こんな血みどろの物も嫌いじゃないけど、今回はもっと華やかな物を仕上げたいの」

 「あら、残念」


  杏先輩の言葉にそう呟くムラサキ。杏先輩は思わず睨む様な目でムラサキを見据えるがどこ吹く風といった感じで受け流している。

  だから美夏はこいつを演劇のメンバーに入れる事を反対したのだ。どうせロクな事をやらないのは分かっていたしな。皆人がいいからこうなってしまった。

   
  どうしてこうなったのか――――きっかけは些細な偶然だった。色々あって堂々と学校を歩けるようになった美夏。その日は偶には杏先輩と
 一緒にお話しがしたいと思って部室を訪ねたのが原因だった。

  どうやら杏先輩は次の学園祭にみんなで演劇をやりたいと考えていた様で美夏もやらないかと誘われて演劇部に仮入部した。皆も大体そんな感じだ。

  そして美夏がやるということで義之も参加しないかと誘われて、義之も渋々ながらそれを了承した。そう、そこまではいい。問題はそこからだ。


  義之の周りを常にうろちょろしている遠くの国から来たお姫様―――なんとそいつも借り入部してきたのだ。それもごく当然の様にお茶を飲んでいたのが
 今でも忘れられない。

  その時美夏は失念していた。ムラサキは義之の傍を片時も離れたくない異常なストーカーだった事を。寄りにもよってそんな事を失念していたとはと後悔
 しても時既に遅しだった。

  しかし、今回ばかりは一言いってやる。そう思い口を開きかけて―――ガラッと扉が開いた。  


 「わりぃな、遅れた」

 「あ、よしゆ―――――」

 「義之っ!」

 「あ、こら、待てっ!」


  美夏の制止の言葉を聞かずまるで忠犬のように義之に抱きつくムラサキ。それをうんざりしそうな顔をしながらも抱きとめる義之。
  
  くそ、いつもこうだ・・・・。いつも美夏が義之を見つけても一番最初に抱きつくのはムラサキだ。というか彼女の目の前でそんなことをやるなっ!

  
 「あんまりじゃれつくなよ、うぜ――――」

 「別にいいじゃない。私ってどうやらただの犬みたいだしね」

 「・・・・・・」

 「犬がじゃれついてきてるんだからちゃんと愛しなさいな、ほら」

 「・・・・・・」

 「ほぉらっ!」

 「・・・・・ち、分かったよ。おら」


  ムラサキの頭に手を置き乱暴に撫でる義之。しかしムラサキはそれで満足なのかニコニコしている。

  あの研修室での話はきっちり聞かれていたみたいでそれから更にウザく義之にムラサキはアタックを掛けていた。

  さすがにキスを迫った時は張り倒したが・・・・それでも効果は薄く、いつもこんな様子だ。


  しかし義之も義之だ。ムラサキの事は犬とか言っていた癖に何だかんだ言って突き離したりなんかしない。きっと今でも気があるに違いなかった。

  それを証拠に今ムラサキの頭を撫でている目が段々と優しくなってきている。そして流れる何か甘ったるい雰囲気。何が犬だ、このたらし男が。

  思わず美夏は盛大なため息を出してしまう・・・・・・鬱だ、死のう。


 「ほらほらエリカちゃん? 美夏ちゃんが今にも死にそうな顔してるよ。だからその辺にしときなさい」

 「でも・・・・」

 「エリカちゃん?」

 「・・・・・・・はぁい」

 「そうそう、やっぱりみんな仲良く―――――ごほ、ごほ・・・・・っ!」

 「さくらさんっ!?」


  義之が急いで学園長に駆け寄り急いで介抱した。美夏も慌てて其処に駆け寄る。

  芳野学園長――――何が原因か分からないが少し体が弱ってしまったらしく、あまり前みたいにはしゃぐ事が出来なくなってしまっていた。

  
 「大丈夫ですか? あんまり無理しないでくださいよ・・・・」

 「・・・・にゃはは、心配性だなぁ義之君は。大丈夫だって、またちょっと休めば元気になるから」

 「義之、お水」

 「ああ、ありがとう杏。悪いけどテーブルの上に置いといてくれ。じゃあ、さくらさん? ちょっとソファーまで運びますよ」

 「運ぶって・・・・わわっ!」


  芳野学園長を抱きあげた義之は部室に置いてあるソファーまで歩き始める。美夏を抱く時とはまた違った優しい手つきで学園長を抱いている姿
 を見ると義之は本当に学園長の事が好きなんだと分かる。

  学園長も学園長でそれが嬉しいのか顔を緩ませて微笑んでいる。なんだか――――いい風景だな。ああいう絆というか繋がりというか。見ていて
 気持ちが良い。義之のそういう所も美夏は大好きだった。

  久しぶりに温かくなる美夏の心。なんだかありがとうとお礼を言いたい気持ちになる。そう、隣から歯軋りの音を聞くまではそう思えていた。


 「・・・・羨ましいわ、義之の抱っこ」

 「おい」

 「絶対今度抱っこしてもらうんだからね・・・・義之。断ったら・・・・家族にあの晩の事・・・・・・・・バラして・・・・・・・」

 「外は天気がいいなぁ。桜の葉が舞って綺麗だ」


  ムラサキが何かブツブツ言っているが無視する。そして美夏は窓の外に目を向け心を癒した。うむ、やはり醜い物をみた後の綺麗な物は絶品だ。

  しかしもう春か。今までの事を思い返すと長かったようなあっという間だったような気がする。楽しい事も辛い事もあったからなぁ・・・・・。

  だがハッキリ言えると言う事――――それは今が幸せだと言う事だ。この幸せ、絶対に壊したくない。


 「お?」


  ひらひらと桜の葉が美夏の鼻に止まる。見れば外には桜吹雪が舞い、絶景を作り出していた。そんな風景を見ると義之との思い出が蘇る。
  
  美夏に義之が惚れてくれたあの雪の日の事。あそこから美夏達は始まった気がする。そしてそれは終わる事は無いだろう。一生続かしてやる。

  鼻についたその桜の花ビラを摘み上げ、美夏はふぅっと息を叩きつけて窓の外に帰してやった。

 
 「お前も一人じゃ寂しいだろ。みんなと舞ってこい」


  そう桜の花ビラに話し掛け、みんなの輪の中に戻る美夏。みんな――――その言葉も今では美夏の大事な物となっていた。























  そしてさくらさんの容態が安定して安心したオレは杏によって買い物係を押しつけられた。ていうか全部菓子じゃねぇかあのロリが・・・・。
  
  まぁ助手の渉がいるからいいか。こいつはドラムをやってるせいか腕の筋肉がオレより太く、力持ちだった。だから何十キロの菓子だろうが
 こいつ一人でなら持てるだろう。

  そう思って買い物を済ませ全部持たそうと思った所、泣かれてしまった。その薄気味悪さにオレはしょうがなく半分持ってやる事にした。


  渉―――というか杏達には結構世話になっていたりもした。美夏が学校で合っている迫害みたいなイジメ。それを見かねた杏と花咲が小恋
 と渉を誘って生徒会に協力を申し出た。

  まぁ、あまりいい結果は出せなかったがそれでもその行動にオレは深く感謝した。そういった行動自体が美夏の心の支えになるし勇気にもなる。

  だから雪村の事を杏と呼んでやる事にしたし小恋にも少しは優しくしてやろうと思った。茜は変に勘ぐっていたので適当にはぐらかしといたが。

  そして渉。こいつ程馬鹿でガキで真っ直ぐな奴はいないだろう。美夏の境遇を聞いただけで怒りもしたし涙なんて流しやがって本当今時の奴
 にしては馬鹿だ。思わず美夏も苦笑いした程にな。

  しかし馬鹿は馬鹿でもこいつはいい馬鹿だ。一緒にふざけた事をするのには最高だし、最近は二人で下ネタ話で盛り上がってる。いいよな、下ネタ。



  さっき二人と言ったが杉並はどうしたのか? それが驚いたというか当り前というか・・・・あのいけ好かないまゆきと良い感じらしいのだ。

  杉並自体は結構たんぱくな所があるのであまり浮つく様子が無いのだが、まゆきは初めての恋愛なのか結構ご熱心でなかなか離してくれないらしい。

  だから自動的にオレは渉の奴と行動する事が多くなった。杉並は今度三人で面白い事をやろうって言っていたが・・・・もう四月だぞてめぇ。



 「しっかし義之はいいよなぁ、あんなにモテて・・・・俺もあんな風にモテたいよ」 
  
 「前も言ったがいらねぇ気苦労が多いんだよ。茜とか由夢は諦めてるからいいんだけどよ・・・・問題はエリカだ。あんなに
  人の話を聞かない女は初めてだぜ」

 「それはお前が突き離さないからだろっ! この間だって遊園地に行ったらしいじゃねぇかっ! それも二人っきりっ!
  ああ、マジでう・ら・や・ま・し・いっ!」

 「・・・・だって行った事ねぇって言うんだ。小さい頃から英才教育ばっか受けてるからそういう所行った事ないんだってよ。
  だから記念にだな――――」

 「だからって普通抱きあってのプリクラとか撮るかぁ~? 美夏ちゃんに見つかって大変だったみたいじゃん」

 「あれは勝手にあいつから抱きついてきたんだぜ? それも見つかったというよりもあの女よりによって美夏に見せつけやがって・・・・くそ」


  いつも通りオレに纏わりつくエリカ。まぁそれは日常茶飯事で美夏もある程度なら見ない事にしていたがその日のエリカは物凄くご機嫌だった。

  原因は一緒に遊園地に行った事。余程それが嬉しかったのかやけにボディタッチが激しく、さすがのオレも対応に困っていた。

  それを見かねた美夏が一喝したところ、エリカは勝ち誇ったようにそのプリクラを見せた。


  そして始まる大ゲンカ。オレの為に女二人が争う―――話だけ聞けば羨ましい話だろう。男なら誰もが体験したい事だ。

  だがその喧嘩を見てオレはドン引きした。容赦なく眼球を狙うわ、首筋に噛み付こうとするわ、周りにある物を利用するわで見ていられなかった。

  ていうか美夏も脇固めなんて使うなよ、それ冗談じゃ済まない技なんだぞ。そしてエリカ、髪を引っ張って膝蹴りなんてどこで覚えたんだお前は。


  そしてさくらさんが来るまでソレは続いた。オレの言う事は聞かないのにさくらさんの言う事は聞くんだよなぁ・・・・まぁオレのしてきた事を
 思えば当然かもしれねぇけどさ。


 「まぁ、あんまり他人の恋路だから口出しできねーけどさ、もうちょっと自重した方がよいんでない? この間の一件があってから美夏ちゃんの
  ファンが増えたからさぁ、刺されちまうぞ?」

 「―――――ふん、散々美夏の事を苛めてた癖にな。手の返り様はマジで早いぜ。思いっきり面ブン殴ってやりたい気持ちに駆られるよ」

 「まぁ、気持ちは分からんでもないけどさ―――あ、わりぃ、ちょっとトイレ」

 「ん? じゃあオレはそこのベンチで煙草でも吸ってっから早くしろよ」

 「ういうい」  


  適当に商店街に備えてあるベンチに座り込んで煙草を吸う。学生服だが―――構わない。初音島の人達はいい人達ばかりだ。喫煙ぐらい許してくれる。

  それにしてもこの間の一件――――ね、あの時はマジで肝が冷えたわ。美夏も美夏であいつも馬鹿の分類に入る。お人好し過ぎて無鉄砲な馬鹿、それが
 天枷美夏だとその時に改めて実感した。

  普通は子供を助ける為にトラックに轢かれようとはしない。そういう場面になったら普通の人だったら何も出来ずそれをただ眺める事しか出来ない筈だ。

  オレだってそうする。ボールを追いかけて轢かれそうになるガキなんかに興味は無いし自業自得だ。そんな奴を助けようなんざ筋金入りのお人好しか
 イカレ野郎の仕業だと思う。まったく、本当に気が知れない。

  しかしその行動のおかげか・・・・美夏は一躍学校の有名人になった。前はとてつもなく悪い意味での有名人だったがそのガキを助けた事によって今度は
 勇者扱い。奴隷から聖人へのレベルアップを果たした訳になる。

  最初オレは怒りまくった。てめぇら昨日言ってた事と今言っている事が違うじゃねぇかと。どれだけ美夏で遊べば気が済むんだと思った。今でもその気持
 ちは根深くオレの心に住みついている。
 
 
  しかしそんなオレを冷静に落ち着かせてくれたのがさくらさん。オレの目を見てこう言った。


 『悔しいかもしれない、ふざけるなと言いたいかもしれない、ブン殴りたいかもしれない。でも―――ここは我慢して私に任せてくれないかな?』

  ジッと見詰められそう言われたオレは渋々引き下がる事にした。確かにこの事件のおかげと言ってはなんだが美夏はこの事により皆の見方を変えてくれ
 たのは確かな事だ。これは―――チャンスなのかもしれない。美夏が安全で楽しい学園生活を送る為には・・・・チャンスなのかもしれなかった。
     
  だからオレは引いた。でも、もしそのさくらさんのやる事が少しでも納得いかなかった場合、オレは全員に喧嘩をふっ掛ける気持ちでいた。

  そんな屑みたいな連中に好かれても嬉しくなかったしどうせまた何かあったらすぐに手の平を返すんだ。そんな連中なんか美夏の傍に寄って欲しくなんかない。


  そう思っていたオレ―――だがさくらさんは予想以上の事をやってくれた。


  知り合いの権力者達にこの事件によるロボットの活躍、誰かの命令ではなく自分の意思で行動した事の重要性を認めさせ、大々的にメディアに発表まで
 推し進めたさくらさん。もちろん名前は伏せられたが、初音島の連中なら誰もが知っている存在となった。水越先生も協力してくれたのがでかかった。

  結果―――世界が変わった。あれだけ声が大きかったロボット反対派の声は小さくなり、今ではちゃんとしたロボットの為の法律まで出来た。

  もうすげぇの言葉しか出て来ない。去年まであれだけロボットに対する目が冷たかったのに今では暑苦しい程までにロボットに対して過保護過ぎる
 世界が出来てしまった。

  
  そして物事がトントン拍子に進んでぽかんとしているオレに向かってさくらさんが一言―――――――


 『どう? もう魔法はあんまり使えなくなっちゃったけど、私ってそれ無しでも結構出来る女でしょ?』


  もう抱きしめるしかなかった。やっぱさくらさんすげぇしか言えないオレ。オレなんかよりも遥かすげぇ位置にいるわこの人と思ったものだ。

  桜の木の制御で魔法の力を多く行使しすぎたさくらさんは確かに魔法はあんまり使えなくなった。しかしそれだってさくらさんのハンディになる事は
 有り得ない。いや、むしろ燃え上がることになった。何しろこの人は限界まで自分を高めるのが好きだから。魔法が使えない事が逆に火に油を注ぐ事
 になり、今でも何かの資格を取る為に勉強中だという。

  まぁ、後釜には音姉がいることだし大丈夫だろう。来年には時計塔に行く事が決まってるみたいだしオレも夢に向かって頑張っていかねぇとなー。

 
 「義之様ー!」

 「ん?」


  そう言って駆け寄ってくるのは―――あのμ販売店の売り子のロボットだった。なんか久しぶりに会う気がするなぁ、最近忙しかったし。

  オレの横まで元気に駆け寄って来る。ていうかもう普通の女の子と変わらないな。最初会った時はどこをどうみてもロボットだったが今じゃ
 パッと見ただの可愛い女の子に過ぎない。

  確か感情のプロテクターの規制が少し緩くなったっていう話を聞いた事があるが・・・・この子の場合それが如実に出ているのかもしれないな。


 「よぉ、どうしたんだ? そんなおめかしして誰かとデートか?」
 
 「あ、あわわ、違いますよっ! これから私の買い取り先の家に向かうんです」

 「買い取り先?」

 「はい、あの人の家に今度からお世話になるんですよ。ほら、あの人です!」


  そう言って指を差し示す売り子ちゃん。ていうかあんまり指を差さない方がいいよ、うん。差されているじっちゃんも苦笑いしてるじゃねぇか。

  しかし―――普通のじっちゃんだなぁ。今まではほとんど金持ちの親父共しか買っていく姿しか見た事無かったし何か新鮮だな。

  そのじっちゃんはお世辞にも金持ちには見えなく、あまりにも普通だった。オレのそんな視線の意味に気付いたのか、売り子ちゃんは何故か自慢そう
 に説明をし始める。   


 「あの人はよくお店に来て頂いていたのですが、ほら、μのお値段って高いじゃないですか? だから買えず仕舞いだったんです」

 「まぁ何百万するしな。今は大分値段が下がったみてぇだが――――それでも車一つは余裕で買えるな」

 「ですが少しでも安くなったのは事実じゃないですか? それで今回意を決して私を買ってくれたという次第です。もう昨日から楽しみで
  私しょうがなかったんですよ」

 「ふーん。でもなんであんなじっちゃんがμを欲しがるかね? あの世代の爺さん婆さんはロボットに対して偏見を持ってると思うんだが」

 「・・・・どうやら娘さんを事故で亡くしたみたいなんです。それでよくショップに来てあのおじいさんのお話相手をしていたんですが・・・・どうやら
  それで私は気に入られてしまった様なんです」

 「あー確かにそういう話はよく聞くな」


  息子を交通事故で亡くした、生まれてくる筈の赤ん坊を流産で亡くした、そういった理由で動物を飼い始める家族というのはよく聞く話だった。

  恐らくあのじっちゃんも同じ理由だろう。例え娘の夫が居たとしてもその夫には人生をやり直すチャンスがある。だからきっとその家には老夫婦しか
 いないに違いない。

  そしてその時偶々会ったμに心惹かれて新たな家族になって欲しかった。理由としてはそんなもんだろう。


 「はい。ですから今度からはあのおじいさんの家が私の居場所になります。頑張ってお役に立とうと思っているんで義之様も応援してくださいね」

 「・・・・それはちょっと違うかもしれねぇ」

 「え?」

 「お前がそこに行くって事は新たな家族になるって事だ。きっとじっちゃんもそれを望んでいる、さっきの理由を聞けばそれぐらい分かるぜ。だから
  無理に頑張る必要はねぇよ。お前はお前らしく自然に振舞えばいい。そうすればきっと楽しい毎日が始まるかもしれないな」

 「・・・・はい!」


  柄じゃねぇ。でもそこだけは勘違いしてほしくない所だ。お前自身を気に入って購入したのに無理にメイドしてたらじっちゃんも困惑しちまうだろうよ。

  いつも通りに接すればその内ちゃんとした絆も出来るだろう。血の繋がりだけが家族とはオレは思わない。その環境次第で絆は生まれてくる物だと
 オレは考えていた。

  そしてあまり時間を掛けて話すのはじっちゃんに悪いと思い、とりあえずこの場はさよならをする事にした。


 「じゃあ、またな。元気でやれよ」

 「はい、ではまた今―――――ああ、そうだ」

 「あ?」


  駈け出した足を止め、オレの方に戻ってくる売り子ちゃん。表情は何故か赤らめてもじもじしている。うん、可愛い。

  しばらく何か困ったような何か言いたげな様子だったが、懐から紙を出しペンを走らせた。何を書いてるんだろうか。


 「こ、これ、私の新しい住所です」

 「おう?」

 「・・・・よ、よかったら今度遊びに来て下さいっ! それじゃあ!」

 
  ダッと駈け出していく売り子ちゃん。ていうか今度からはそう呼べないな、今度会う時どう呼べばいいか聞いてみるか。

  そしてじっちゃんと合流した売り子ちゃんはオレに手を振って別れを告げてきた。オレはそれに片手を上げてじっちゃんに軽く頭を下げ、元の
 ベンチの場所に戻る。

  そこには何故かいじけた様子で渉が暗い雰囲気を醸し出していた。なんとなくウザい。


 「どうしたんだ、渉」

 「いいよなぁ・・・・義之は。あんな可愛い子とも知り合いで」

 「あ?」

 「オレなんか自分でも結構いい方だと思ってたんだけど・・・・お前見てるとその自信が崩れそうだよ、うう」

 「確かにビジュアル的なものはいいよお前。パッと見た感じ年下なんかにモテそうだし悪くは無いと思う」

 「だ、だろ? なら――――」

 「でも無理だ」

 「なんで?」

 「馬鹿じゃん、お前」

 「うわああぁああああんっ!」


  泣き叫びながら渉は走って行く。ていうかきめぇ、男の泣き叫ぶ姿なんか誰が見て得するんだよ。オレはベッドの上でしか涙は見たくない性格なのに。

  はぁ、とため息をついてベンチを見て、思わず口が引き攣った。そこにあるのは買い出した大量のお菓子、ごちゃごちゃに置かれていた。

  渉でさえ持てなかったこのお菓子をオレ一人で持っていく――――そう考えてオレはベンチを思いっきり蹴りあげた。






























 「あ、の野郎は・・・・死ぬ。オレが殺す」


  ぜぇぜぇ言いながらオレは大量のお菓子を運ぶ。なんたってオレがこんな思いをしなきゃいけねぇんだよ、くそったれ・・・・。

  つーかこんなに菓子喰うなんてどんな胃袋してやがるんだ。その内豚みたいになってブヒブヒ鳴くようになるぞ。

  そうなったら絶対豚って呼んでやる。特に杏なんかはその栄養が胸に行ったらいいのによぉ、あの胸無し女が。

 
  オレはとりあえず罵詈雑言を頭の中でぼやきながら学校への帰り道を歩く。普通ならゆっくり桜の花を見ながら帰れる筈だったのに渉め・・・・。

  しかし絶対一人じゃ持てないと思っていた荷物なんだが、案外人間が本気出せば出来ない事は少ないという事実を思い知らされる事になった。

  だが絶対こんな事は二度としないと誓う。指なんか血が溜まって紫色になってるし血管が今にも切れそうだ。そしてオレの頭の血管もな。


 「じゃあ行くよ、お姉ちゃーん」
 
 「いいよー、ドーンとこぉい!」

 「ん?」


  その帰り道の途中の通路で遊んでるガキが二人いる。どうやら姉弟の様で仲良さそうにボールを蹴りながら遊んでいた。

  オレは小さい頃から既に人嫌いだったからあんな風に遊んだ事なんて無かったなぁ。不良じゃなくて人嫌いだからヤンチャなグループにも
 属さなかったし、もちろん音姉なんて以ての外だった。

  思い出して少し後悔。音姉はしつこいぐらいにオレに構ってきてはいたが毎回オレは冷たい態度を取っていた。だって当時は本当にウザく感じていたのだから。


 「今でも多少はうぜぇけどなぁ。まぁ、たまには構ってやるか。来年には外国に行っちまうし」


  あんなブラコンなうざい姉でも居ないなら居ないで少しは寂しく感じる。あっちに行ったら慣れない環境でしばらくはこちらに帰って来れないだろう。

  だからたまに孝行してもいいだろう。やりすぎると調子に乗るから程々といった感じで。最近中々朝倉姉妹と絡んでいないしその考えはいいかもしれない。

  由夢なんか会う度に小言だしよぉ、お前は姑かっつーの。


 「あ・・・・」

 「もう、どこにボール蹴ってるのよ!」

 「ご、ごめんお姉ちゃん。すぐに取ってくる」


  どうやら弟くんが見当違いの方向にボールを蹴ってしまったみたいでコロコロ道路の方に向かって転がっていってしまっている。

  にしても気が弱い弟だなぁ、オレとはまるで正反対だ。オレなんか絶対そんな事言われたらそのまま帰ってる、間違いなく。

  女なんて調子に乗らせるとずっと調子に乗るからあんまり何でもハイハイ言わない方がいいのによ。まぁ、ガキだから仕方ないか。



  そんな二人のやり取りを見て先を急ごうとして――――向こうの道路からトラックが走ってくるのが見えた。

  瞬間、オレは駆け出した。ガキの方はそのボールの方に視線を集中しているせいかそのトラックが見えていない。姉貴の方も同じだ。


 「・・・・ハァ、ハァ・・・・・!」


  思い返すのはこの世界に来た最初のきっかけ。オレはクソガキを庇って死んだ。もう二度とやらねぇと心に誓ったあの日。


  体が引き裂かれるような痛みと喪失感と―――五感が無くなるあの絶望感。思い出すだけで恐怖で心が支配された。

    
  しかしオレはこうして今走っている。ガキを助ける為に。なぜだ、あんな身内でもなんでもねぇガキを助けて何になる。


  そう走りながらもオレは自分に問いかけ――――唐突に理解する。ああ、そういう事か。くそったれ。

  
  オレは家族が好きなんだと思う。身寄りの無いオレにとってはさくらさんがオレの絶対的な味方だった。いつも嫌われる様な行動ばかり取っていた
 オレに対してさくらさんはいつも包み込む様な優しさで接していてくれた。


  思えば美夏に対してもそんな気持ちがあったのかもしれない。誰も味方してくれないロボットという在り方、オレにはそれが許容出来なかった。


  だから美夏を守ってやりたくもなるし可愛がってやりたくもなる。まぁ、結果的に恋しちまったから今となってはどうでもいい事だ。


  そして、今まさにオレはそれを守ってやるためにこうしてまた息を荒げながら走っている。本当―――柄じゃねぇ。


 「・・・・ハァ、ハァ、ち、ちく・・・・しょ・・・・間に合わな―――――っ!」


  駄目だ、間に合わない。距離があり過ぎた。これ以上速くは走れねぇ・・・・!

  前は助けてやれたのに今回は無理だってか? ふざけるなよ、だったらこんな光景なんかオレに見せつけるんじゃねぇよっ!

  心臓がばくばく言っている。くそったれ、諦めたくねぇのにそのトラックは段々距離を縮めていきそして――――



 「危ないっ!」

 「わっ!」


  そこに現れた茜によって助けられた――――瞬間、目の前をトラックが通り過ぎる。あともうちょっと踏みだしていたらと思うと・・・・想像したくねぇ。

  オレは駆けていた足をゆっくり止め深く息をついた。こういう時に喫煙者は不利だ。すぐに息があがっちまう。ぜいぜいと息の調子を整えた。

  そんなオレに気付いたのか、茜は驚いた顔でこちらを見ていた。  




 

  

  













 「へっへ~、いいもの見ちゃったにゃあ」

 「・・・・うるせぇよ。きりきり歩きやがれ」

 「やぁん、もう照れちゃって。まさか義之君にあんな所があるなんて・・・・ねぇ?」

 「だから知らねぇって」


  どうやら渉は先に学校に行ってしまったらしく、オレを置いて行った事に気付いてなかったと言っていたらしい。後でブン殴ってやる。

  それを聞いた茜が心配でオレを迎えに来てあの現場に居合わせた。そういう話だったみたいだ。エリカの時といい、こいつはここぞって場面に居るな。

  普通なら美夏かエリカが来そうな場面だと思うがその二人はどうやらまた喧嘩をし始めたらしく、どこかへ行ってしまったという。


 「それにしてもあの子はいい子だったわね。私の事を綺麗な彼女だって勘違いしてたし、助けた甲斐があったってもんよ」

 「オレははっきり違うって言ったんだがな。なのにお前が彼女って言い張るからあいつら混乱してたじゃねぇか」

 「えー別にいいでしょぉ? どうせ義之くんはもう私にはあんまり興味無いんだしぃ」

 「おい、ひっつくなよこのタコ」


  オレの右腕に絡んでくる茜。八対二の割合でオレの方が多く荷物持ってるんだから辛いのに。バランス取れねーからあぶねーっつーの。

  オレが嫌がる素振りを見せても茜は引く気は無いらしい。まったく、エリカとようやく離れたと思ったら今度はお前かよ。

  
  久しぶりに感じる茜の感触はどこか懐かしい感じがする。そういえば彼女出来る前はこうやっていつもくっつかれていた事を思い出した。

  あの時は変態痴女だと思っていたが――――いや、今でもあんまりそのイメージは変わらないかもしれない。


 「べっつにいいじゃん。最近はエリカちゃんにこのポジション奪われちゃったし・・・・たまには私にいいことしてもよくない?」

 「勘弁してくれ、茜。最近美夏の機嫌が悪くなる時が多くて参ってるんだ。このままだとオレはまた刺されるかもしれない」

 「それは義之君の今までの行いの所為ね。あっちに手だしてこっちに手だしてだったからツケが回ってくるのよ。まぁ、いい気味ね」

 「・・・・うっせ」

 「それに今は私、茜じゃないよ。ちゃんとした名前で呼んでくれないと嫌なんだから、義之君?」

 「なんだ、てめぇまだこの世に居たのか。さっさと成仏しろよな」

 「あ、ひっどいんだ~!」


  これも結構驚いた事なんだが―――藍はまだ茜の中に巣食っているらしい。多分悪霊か何かの類に違いない。未練か何かを残しているから
 あの世でも拒否されていることは分かり切っていた。

  前に本人に聞いた事がある。どうして消えないんだと。桜の木が完全に散ったということは魔法の力なんて無いという事だ、おかげでオレも
 饅頭がうまく出せない。思いっきり集中すれば出るがかったるいからあんまり好んで使用はしなくなった。

  元居た世界から切り離されこっちの世界に居た桜内義之が居なくなった今、完全にオレは桜の木から生まれたというファンシーな存在では無く
 一人の人間として存在していた。だからオレの場合は分かる、しかし藍の場合は何故だか分からない。


 だから気になって藍に聞いたところ―――


 『え、気合いだけど?』


  そういうふざけた返事が返ってきた。そうか、気合いで何とかなるのは知らなかった。まぁ結局いい学校に行くとか運動で勝つのも案外気合い
 で何とかなるのものだし似た様な感じなのかもしれない。それが霊に通じる論理かどうかは知らないが。

  話を聞けば小さい頃に水難事故で死んだみたいだしこの世を謳歌するのも悪くないだろう。こんなどうしようもない世界だが楽しい事を見つけよう
 とすればいくらでもそれはある。茜にはたまったもんじゃないがオレにはどうでもいい事だ。


 「大体最初は私が義之くんとえっちする筈だったんだけどなぁ。いつの間にかエリカちゃんに先を越されてるし意味わかんない」

 「そんな約束してねーよ。お前が勝手に言い出しただけじゃねぇか」

 「私のファーストキスを奪った癖に・・・・つれない返事ね」

 「それもお前が勝手にしてきただけだ。いきなりディープなんてかましやがって・・・・」

 「――――勃ったでしょ? ていうか今現在進行形でそういう状況になってるでしょ、んん?」

 「ぶっ」


  吹きだしてしまう。その体通りなんていやらしい女なんだろうか。オレは美夏みたいな純情な女が好きだというのに・・・・・まぁこういう
 タイプも嫌いではないけど時と場所は考えてほしいものだ。腕なんか胸に埋もれてるし。

  だからさっきから腕に当たってくる胸に反応して不埒な欲望が少しだけ出てしまうのは仕方のない事、男だったら正常な反応だと思う。美夏も
 エリカも茜の領域に突入してねぇからなぁ、その反動か知らないが組まれた腕を振り払わずその感触を楽しみたくなる、ちくしょう。

  
 「まぁこういう現場を美夏ちゃんとかエリカちゃんに見られるのはイヤだからそろそろ離れるわぁ。特にエリカちゃん最近怖いしぃ」

 「あ――――」

 「ん~? なになに~? 少し寂しいと思ってくれたの~? まったく義之きゅんは寂しがり屋でえっちなんだからぁ」

 「ああ、もっとそのでかパイを楽しみたい。触らせろ」

 「・・・・・・」

 「ぐぉおおお・・・・・」 


  スネを蹴られた。オレとしては素直な感想を言ったまでなんだが藍には不評だった様子。だってお前の胸ってマジででかいんだもん。

  藍はプリプリとした感じで先に行ってしまった。まったく、洒落の通じない女だ。エロ担当なんだから面白い返しぐらいしてくれればいいのに・・・・。

  まぁ―――なんだかんだいってまだまだこの世界に居る様だし、また今度絡んでやるとするか。






















 「あーそこ違うでしょー? そこの論法はそうじゃなくてこうあるべきなのよ」

 「あ? それじゃ万人に伝わらねぇだろ? 凝った文章も嫌いじゃないがパッと見で分かった方がいいべ?」

 「向こうは私達の論文みたいなのを飽きるほど見て来てるわ。だから子供だからって舐められない様にしなきゃ」

 「それは一理あるかもしれない。だがそういう方法を採るとなると完璧にその文を完璧に仕上げなきゃならねぇ。そんな知識と
  腕は悪いがオレ達は持ってないだろ? だったら無理して背伸びなんかしたら足元が絶対に滑る」

 「そ、それはそうかもしれないけど・・・・・」


  カキカキカキカキカキ。


 「ムラサキ様、コーヒーです」

 「あら、ありがとうイベール――――うん、相変わらず美味しいわ。その調子で精進なさい」

 「お褒め頂きありがとうございます」

 「ってなんでムラサキが此処にいるのだ!? お前が気軽に入っていい場所じゃないんだぞ此処はっ!」

 「相変わらずうるさいお猿さんだこと。ほら、このプラカードが見えない? 正式に私は見学者としてここに寄らせてもらっていますの。だから
  いちロボットにあれこれ指図される覚えはないんですのよ、このエテ公」

 「な、なんだと――――――っ!」

 「美夏様、落ち着いて下さい。研究室であんまり騒がれるとまた水越博士がお怒りになりますよ」

 「い、イベールまで・・・・・」

 「それに比べてイベールは大したものね。私の宮廷でもここまで礼節が出来て味に深みのあるコーヒーを出せるものはまずいないわ。大したものよ」

 「重ね重ねお褒め頂きありがとうございます」

 「な、なんで美夏がこんなにアウェーなのだ・・・・」


  カキカキカキカキカキカキ。


 「勇斗、お前飽きないか? こんな場所に居て」

 「いえ、全然平気です。見た事ない物がいっぱいあって退屈しません。しかし逆にボクなんかが此処にいてもいいのでしょうか・・・・」

 「別に気にする事はない。ちゃんとプラカードが首から下がっているっていうことはお許しが出ているって言う証拠だ。堂々としてりゃいいんだよ」

 「は、はぁ・・・・」

     
  ピクッ。


 「大体お前は義之の傍に居過ぎだ! こんな所まで着いてきおって・・・・いい加減にしろっ!」

 「なんでアンタに命令されなきゃいけないのよ。私が居て迷惑なんかした事あったかしら? 義之からはそういう話を聞かされた事はないですけど?」

 「美夏が大・迷・惑なのだ! 何が悲しくて昔の女みたいな奴が彼氏の周りをうろちょろしているのを許容しなければいけないのだ!」

 「・・・・ふぅ、心の狭いロボットさんだこと。これじゃ義之が可哀想だわ。いくらお情けとはいえこんな女を脇に置いておくなんて・・・・報われないわね」

 「そ、それはお前の事だーっ!」


  ・・・・カキカキカキカキカキ。


 「しかし委員長は眼鏡していないと印象変わるなぁ」

 「ん? ああ、たまにはコンタクトもいいかもってね。こっちのほうが色々楽だし」

 「・・・・可愛いぜ、委員長の素顔」

 「な・・・・・!」

 「なんか仕事の出来る女って感じでいい。おまけに勇斗と絡むと本当に母性的な女性って事が一目で分かる。案外多いんだぜ? 子供好きな
  女の子がタイプな男って」

 「な、な、な・・・・・!」

 「お兄さん、お姉ちゃんの彼氏になってくれるんですか!?」

 「あ? オレにはもう彼女居るからそれは無理だ。あくまで一般論、しかし本気で言っている」

 「も、もうっ! すぐにそうやって私を弄るんだから!」


  カキカキカキカキ。


 「私の事? はっ! それは無いわね。何かの間違いで貴方が義之の傍に居る事は明白・・・・ありえない事だわ。だからその間違いに気付かせて
  あげようと思って私は義之の傍に居るの。一生ね」

 「そこまで妄想が出来るとはさすがお姫様、世間知らずで自分には都合の悪い所を見ないだけある。というか何時国に帰るんだお前は?
  お前みたいな没落貴族なんかでも向こうに帰れば外面的にだがチヤホヤされるぞ? お前の大好きのな」

 「・・・・言ってくれるじゃない、出来そこないのロボットの癖して。あなたこそよかったわね? こんなにも都合のいい世界が出来ちゃって。
  テレビショ―かなんかに出た方がよろしくなくて? きっとピエロみたいにお茶の間を賑やかしてくれる事でしょうに」

 「・・・・言ってくれるな」

 「いえいえ、貴方のどこの生まれだかしれない稚拙な言葉使いには遠く及びませんわ」

 「・・・ふふふ」

 「うふふ」


  ・・・・・カキカキカキ。


 「義之様、お茶です」

 「ん、ありがとうイベール・・・・・ふぅ、ちょっと目が疲れたかな」

 「少し頑張り過ぎなのでは? 確か提出期限はまだ一ヵ月先程だったような気がしたのですが・・・・」

 「誰かさんが言ってくれた事をもうさくらさんがやっちまったからな。少しでも焦って頑張ってさくらさんに追いついて『ロボットの存在をも変
  えてしまう』立派な人物にオレはならなきゃいけねぇ。だからこうして少しでも密度の濃い文章を頭を捻って考えている。なぁ、イベール?」

 「・・・・うふふ、覚えてくれていましたか」

 「ああ、しっかりとな。だから休日返上してここで勉強って訳だが・・・・前途は多難だ」

 「無理せず頑張って下さい。沢井様も」

 「うん、ありがとうね。イベール」


  ・・・・カキカキ。


 「って、また私の義之がまた他の女とイチャついてるわっ! 許せな――――」

 「だから美夏の彼氏と言ってるだろうが! いい加減自分の国に帰れっ!」

 「貴方こそ早く元の場所に帰りなさいっ! 機械屑の中にねっ!」

 「な、こ、このなんちゃって外人がーっ!」

 「誰がなんちゃってよ、また泣かしてやろうかしら!?」


  ・・・・カキ。


 「またお兄ちゃんを巡って争ってるね、お姉ちゃん達」

 「放っておけばいいんだよ。あれがアイツらの距離感の取り方だ。お前も頑張って女作れよ?」

 「ちょっと、勇斗に変な事教えないでくれる? この子はちゃんとした大人になってもらうんだから」

 「おーそういえばブラコンの姑が居たか。勇斗、たまにはちゃんとビシって言った方がいい。でないといつまで経っても弟離れ出来なくて
  中学生になってもホック締めてくる女になるぞ。嫌だろ、そんな姉」

 「はは・・・・」

 「ちょ、ちょっと私はブラコンなんかじゃ・・・・!」


  ・・・・・ 


 「な、泣いた事なんて無いぞ美夏はっ! お前の勘違いじゃいのか!」

 「何を今更――――子供みたいに鼻水垂らして泣いてじゃない。とてもじゃないですが見苦しくて見ていられませんでしたわ」

 「こ、この女・・・・っ! 表に出ろっ! その顔面をボコボコにしてやる!」

 「いいでしょうっ! こんな狭っくるしい場所じゃなくてもっと広い所へ行きましょうか? ここじゃ貴方の得意なお猿さんみたいな動きは
  出来ないでしょうから」

 「ふん、確かにここは狭っくるしいな。よし隣に移動するぞ!」

 「ええ」


  ――――バキィッ!
















 「あ、あ、あ、アンタ達うるさぁぁーーーーーーーーーーーーーいっ!」

 「ん?」

 「え?」

 「む?」


  何故かいきなり怒りだした水越先生。オレと委員長は目を合わせて怪訝な顔付きになる。いきなりどうしたのだろうか。

  シャーペンなんかも根本から折れちまってるし顔なんか鬼のようだ。


 「ここは託児所じゃないっつーのっ! なのにあんたらときたら騒いで騒いで騒ぎまくってっ! いい加減にしてちょうだいな!」

 「す、すいませんでした!」

 「え」

 「と、とりあずここから出ていきます。本当にすいませんでした!」

 「あ、ち、ちょっと待ちなさいっ!」  


  謝りながら部屋を出ていく勇斗。あいつは責任感がオレらよりも人一倍大きいから何か感じる所でもあったのだろう。

  慌てながらそれを引き留める水越先生。ていうか勇斗もあんまり気にしなくていいのなぁ、一番小さいんだし少しぐらいはしゃいでもいいだろうに。

  まぁ、確かに騒ぎ過ぎたかもしれねぇ。いくら今日が日曜日とはいえ少しはっちゃけ過ぎた感はあった。


 「あ、水越先生。少し聞きたい所が――――」

 「はぁ、なんでこの研究室に義之くんのカキタレみたいな人達が集まるのよ。冗談じゃないっての」

 「わ、私はカキタレなんかじゃありませんからねっ!」

 「はいはい。で、何、どうしたの?」

 「少しここの意味が分からなくて。空気制御機関の所なんですが・・・・」

 「ん~? どれどれ」


  こうやって何時もオレと委員長は水越先生に勉強を見て貰っている。餅は餅屋、その専門の人に教えてもらった方が効率がいいという結論にオレと
 委員長は達した。水越先生もなんだかんだで忙しいのによく引き受けてくれたもんだ。

  きっかけは放課後オレが珍しくも一人で機械工学の本を読んでる時に委員長と会った時だった。その時に委員長が将来はそういう道に進みたい事が
 分かり夢は道連れという事で一緒に勉強する事になった。

  まぁ、そんなこんなで勇斗は仕方ないにしてもエリカまで来たのは予想外―――では無かったが気付いたら研究室にまで着いてきており、イベールと
 意気投合したのかよく二人で話す所を見掛ける。そして段々美夏の居場所が狭くなってきて本人はそれを嘆いていた。すまねぇ、オレが不甲斐ない彼氏
 なばっかりに・・・。だってアイツ意外にもオレの言う事あんまり聞かねぇんだよ。最近のエリカのオレ様ぶりには参る。


 マジで誰に似たのか・・・・今でもエリカは出身国も含めて色々疑問が尽きない女だった。


 「あーあ、義之が構ってくれないからつまらないわね。天枷さん、何か芸をしなさい」

 「自分の顔を鏡で見ればいいだろう」

 「・・・・ふざけてるのかしら?」

 「あー、もうっ! また騒ぐようなら出ていってもらうからね!」

 「むぅ・・・・」

 「はぁい」


  ヤル気の無い二人の返事にため息をつきながらも委員長の質問に答えていく水越博士。優等生タイプの委員長には教えやすいだろうなぁ、オレと違って。

  水越先生が言うにはどうやらオレには偏屈な所があるらしく、教えにくいだそうだ。そんな気はないんだが事実そう言われてしまった。まぁ元から捻くれ
 ている性格だし今更だろう。諦めてもらうしかない。

    
 「あ、オレも分からない所があるんですが・・・・」

 「えー・・・・」

 「なんで嫌そうな顔するんですか? 教えて下さいよ」

 「だって貴方妙に変な所で切り返してくるから苦手なのよ・・・・。確かに学者タイプではあるわよ? だから余計に教えにくいの。学者は学者に
  物を教えられないってそういう事よね」

 「ただ単にオレに教えるのが嫌なだけじゃないんですか?」

 「・・・・・」

 「え、なんで黙るの?」

 「うーん・・・・」


  何故か悩むように腕を組む水越先生。オレってもしかして嫌われてるのだろうか。まさか前からそういう節はあったが―――本気だったとは。

  確かに今まで情けないシーンしか見られていない気がする。あちこちの女に目移ろいしたり刺されたり刺した女を傍に置いておいたり・・・・あまり
 良いイメージは確かに持っていない気がする。

  少しショックを受けてしまうオレ。そんなオレにパンと手の平を打ち合わせながら名案とばかりに水越先生が喋り出した。


 「そうだわ、何か面白い話をして」

 「・・・・は?」

 「滑らない話、笑える話、信じられない様な話、何でもいいわ。最近そういう話がめっきりなくてねぇ、義之くんなら何かあるでしょ?」

 「なんでオレがそんな――――」

 「別にいいでしょ、これだけ私の研究室で騒いでるんだから。もし私がウケるような話をしてくれたらちゃんと勉強の面倒を見るわ」

 「あ、私も聞きたいな。なんか桜内ってそういう話持ってそう」

 「おいおい、委員長まで・・・・・」

 「お、なんだなんだ。また義之が面白い話をしてくれるのか?」

 「義之ってそういう話いっぱい持ってるものね。是非私も聞きたいですわ」


  外野がガヤガヤと騒ぎ出す。なんつー薄情な連中だ。一人ひとりに話すのと集団に話すのでは訳が違うんだぞ、皆に受けるような内容を話す
 というのは頭を使わなきゃいけないしそれぞれの個性を分かっていなければいけない。

  大体オレの体験談で面白い話なんかねぇよ。ケンカの話か美夏とのいちゃいちゃ話しか無い。ケンカの話が好きっていう女子供なんか居ないし
 他人の彼女の惚れ話を聞くほど詰まらない話はない。


   
  さて、どうしたものかと考え――――一つ思い当たる話があった。


  信じられない様な話、だが事実。そんな話がオレにはあるじゃねぇか。そしてちょっとメルヘンホラーっぽいしきっとウケるだろう。


  オレがこの話をした時の反応を想像すると楽しいな、おい。

  
  そしてオレは話し出す、とっておきのその面白い話を。






 「実はオレってさ―――別の世界から来た人間なんだよ。そう、例えるなら道から道へひょいって飛び移る感じでオレはここに来た」



    

















 終劇








[13098] 外伝 ー桜ー 1話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:1b395710
Date: 2010/09/14 18:16
※1本編(from road to road)で義之と美夏が付き合ってからの分岐ルート(さくらルート)です。
※2もし美夏と付き合ってる時にさくらさんといい感じになったら・・・?というIF話です。
※3まだ本編をお読みで無い方はそちらを先に読んだ方がいいかも。
※4そして、さくらファンの方は少し不快な気分に及ぶかも知れません。それでもよければどうぞ。




















 桜内義之という人間は私の家族であり、息子だ。

 正式な籍、出生、父親なんか居なくてもその事実は決して覆る事は無い。

 禁忌を犯してまでも、桜の木の力を行使してまでも掴み取った私だけの幸せの形。

 幸せ―――もう昔みたいな思いはしたくなかった。

















 「義之くんてさぁ、最近何か楽しそうだよね」

 「え、そうですかね?」

 「そうだよぉー。最近急にワイルドっぽくなったと思ったら毎日楽しそうな顔しちゃってさ、何かあったの?」

 「んー・・・・別に何もないッスけどね」


  ボクの分の食器も両手に持ち台所まで持っていく。どうやらあまり振ってほしくない話題だったようだ。しかしその背中には嫌悪感では無く
 照れの感情が滲み出ている様な気がする。

  本人からしてみればポーカーフェイスを気取っているのだろうが生憎ボクにはそんなものは通用しない。小さい頃からの義之くんを私は知っているし
 何より、そう、ボクは母親だ。自分の子供の事ぐらい容易に分かる。

  さっきの質問だって分かっていて聞いた。じゃあ何故質問したのか――――照れた義之くんを見たかったからに決まっている。最近は可愛げが
 無くなったような気がして少し寂しい思いをしていた。


 「そんな照れ無くてもいいじゃーん。どうせ美夏ちゃん関連に決まってるんだしぃ」

 「ぶっ――――」

 
  ビンゴ。やはりそれ関係で少し浮かれていたのか。義之くんはどういう経緯があったかは知らないが美夏ちゃんに夢中だしご機嫌の理由といったら
 それぐらいだろう。いやぁ、青春してますなぁ。

  義之くんが少しジト目でこちらを睨んできたのに対してボクも笑みを浮かべながらジト目で返す。


  むむ、負けるものか。


 「あんまりからかわないで下さいよ。さくらさんの意地悪って結構後にまで引っ張るんですから」

 「えー別に意地悪じゃないんだけどなぁ。母親役のさくらさんとしては息子役の義之くんがそんな顔をしてるとやっぱり気になるじゃない?」

 「・・・・どうせ分かって言ってる癖に」

 
  台所から持ってきたお茶と和菓子をテーブルの上に置いて炬燵に入る。にゃあ、やっぱり義之くんはボクの趣味・嗜好を良く分かっている!

  夕食を済ませた後のこのまったり空間でお菓子を楽しむのがボクのお気に入りだ、あとはもうすぐ始まる時代劇があればもう完璧―――幸せだにゃあ。

  ちょっと前までの義之くんだったらお年頃のせいかこの時間に付き合ってくれないが、ワイルド義之くん(ボク命名)は付き合ってくれるご様子。

  
  うん、良きかな良きかな。  


 「なんだか最近の義之くんは付き合いいいよね。いつもだったら、こう、シュバーって自分の部屋に戻っちゃうのにさ」

 「はは、どんなですかそれ。まぁ部屋に帰っても暇ですしこうやってさくらさんとダベる方がいいですよ、オレは」

 「そ、そう?」

 「はい」


  ・・・・・うーむ。


  前まではこんな台詞を吐く様な男の子ではかった筈。それがいつの間にか何の恥ずかしげも無くさらっとこういう事を言えるのは
 どういう心境の変化だろうか。

  年甲斐も無く少し照れてしまう。いや、まだボクは元気バリバリの成人女性だ。確かに何十年も生きてはいるが外見はまだあの頃のまま・・・・。

  子供っぽいと言われてはそれまでだがこの肌のつるつる感だけには感謝したい。あれ、今の子ってバリバリとか使うのかな?


 「義之くんってあんまり友達とか連れて来ないよねぇ。今時の子ってやっぱり友達とか連れて来てゲームとかするもんなんじゃないの?」

 「友達―――ですか。そういう付き合い無いんで、オレ」

 「あれ? でも杉並君とか渉君とかいるじゃん。あとは杏ちゃんに小恋ちゃんに・・・・茜ちゃんとかさ」

 「・・・・・はは」


  曖昧な笑顔で誤魔化されてしまった。特に茜ちゃんの部分で何か微妙な反応をしたような気がしたが・・・・気のせいだろうか?

  確かちょくちょく小恋ちゃんグループは料理しに来たりとか義之くんが料理振舞ったり何かにつけてこの家に来てたのに、最近はご無沙汰だ。

  もしかして喧嘩でもしたのだろうか・・・・それだったら・・・・・・。


 「んにゅー・・・・」

 「ん? どうしました?」

 「あ、いや、別に・・・・にゃはは」

 「はぁ・・・・?」


  一瞬仲を取り持って上げようかと考えたがそれは―――余計なお世話だろう。そういうのは部外者が口を出すものじゃないし本人達の問題だ。

  こういう時期の子の感情は特にデリケート、安易にボクが関わるものではない。下手してしまえば一生口を聞いてくれない事になるかもしれなかった。

  大人だったらまだいい。感情を制御出来る余裕があるし心も成長しきっている。自分という人間が確立した大人はあらゆるストレスに対応出来るよう
 になっているから多少の心の傷は癒えると思っている。そう、ボクみたいに。

  逆に子供の時に出来た傷は一生消える事のない痛みになる事が多い。まるでガンを患った病人みたいにいつまでたってもソレは付き纏ってくる。

  だから放っておくのが一番なのかもしれない。仮にもボクの息子なんだからそこらへんはうまく纏めてくれるに違いない、うん。


 「あ、そろそろ始まりますね」

 「おー。やっぱり何時聞いてもこのオープニングはいいねぇ、心がウキウキするよ」

 「ははは」


  そして始まる至福タイム。かれこれ何十年もこの趣味を続けているのでもう生活の一部と言っていい。お風呂とこの時間はボクの大好きな時間だ。

  それに、と思い義之くんの方を見る。この子と一緒に自分の楽しい時間を共有出来るというのは嬉しい事だ。前までは多少そっけなかったが
 最近の義之くんは何かボクに特別な念を抱いている気がする。

   崇敬 ・ 畏敬 ・ 敬慕・尊敬、なんだかそういう感情が籠った眼を向けられている気がした。そんな特別な事をした覚えはないんだけどなぁ、ボク。


  まぁ、どうでもいい事だろう。こうして最近の義之くんはボクと一緒に居てくれるのだから。

  それに――――自分の息子に懐かれるのは悪くない。むしろ幸せな気分に浸れるからどんどん懐いて欲しい。

  そしてボクはずっと家族を欲しがってきた自分にとって望んだ物が手に入っているこの状況を存分に堪能しなくてはいけない使命感に駆られる。

  もしかして最近のボクはツイてるのかもしれない。いつもは一人で見ていた時代劇をこうやって義之くんと笑い合いながら見れるんだし。

 
  はにゃー・・・・本当にしあわ――――――


 「あ、さくらさん」

 「えへへ」

 「・・・・さくらさん?」

 「・・・え、あ、な、何かな、義之くん!?」

 「ちょっと美夏から電話入ってきてるんでちょい抜けますね」

 「あ、どうぞどうぞ。ごゆっくりね~」

 「は、はぁ・・・・」


  多少首を傾げながら部屋を出ていく義之くん。ふぅ、危ない危ない。少し気を抜き過ぎかもしれなかった。

  だって本当に幸せだったんだもん。今までずっと一人で生きてきた私にとってこういう団欒は喉から手が出る程渇望していたんだししょうがない。

  それにしても美夏ちゃん―――――ね。


 「あ、うるせっつーの。全くお前はいい加減にさぁ・・・・・・・」

 「にゅー・・・」


  廊下で喋っている義之くんの横顔、なんだかとても楽しそうだな。私と一緒に居る時の笑顔じゃない笑顔で美夏ちゃんと喋っている。

  本人は公言していないが美夏ちゃんと付き合ってるらしく毎日のように電話をしていた。時々その電話をしている姿を目にするがとても楽しそうに
 話をしているのが印象的だった。

  恋、かぁ。ボクはお兄ちゃん以来そういうのはしていないから何だか羨ましい。そう考えながらとりあえず目の前のテレビに集中する。


  ・・・・・・・・・・
 
  ・・・・・・・・・・
 
  ・・・・・・・・・・
 
  ・・・・・・・・・・

  ・・・・・・・・・・

  ・・・・・・・・・・   

  ・・・・・詰まらない。


  ピッとテレビの電源を落とし炬燵の中にモソモソ潜り込む。まだまだ寒い時期なので炬燵の温度が非常に心地いい。

  なんだか今日の時代劇は詰まらない。ハイライトシーンを見る前に視聴を止めるなんていつものボクからしたら考えられない。

  だが詰まらないものは詰まらないのだ。きっと今日のやつは構成が悪いのだろう、だからこんなにも面白くない気分になっている。


 「あ? 今度どっかに行こうかって? そうだなぁ、この間はショッピングしたしなぁ・・・・」

 「・・・・・・」


  ジロリと義之くんの方を見る。しかし見られている本人は電話に夢中なのかこちらに気付く素振りさえ見せない。さっきまでの気分が吹っ飛んでしまった。

  とりあえず炬燵の中でゴロゴロしてみる。炬燵の骨組みを支えている四本の内の右の柱にぶつかり、そして今度は左の柱にゴロゴロ。同じ要領で今度も
 右の柱にゴロゴロ、もう一回左にゴロゴロ。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・・・・・。


  「にゃっ!」


  バサァっと掛け毛布を跳ね上げ、顎をテーブルの上に乗せる。飽きた。なんでボクが炬燵の中で無意味に転がなければいけないのか誰か理由を教えてほしい。

  義之くん―――はまだ電話中か。何をそんなに話す事があるのだろう。毎日毎日学校で会うのだから話す事なんて無いと思うのだが・・・・疑問だ。

  もうこの気分のまま居間に居てもしょうがない。そう思った私はとりあえず寝る事にした。時間は幾分か早いが仕事も無いし偶には早寝した方がいい
 かもしれない。ここんとこ寝不足だからね。


 「じゃあ、おやすみね。義之くん」

 「え、ああ、はい。おやすみなさい、さくらさん―――――それでよぉ、この間杉並の奴が廊下で・・・・」

 「・・・・・ふんだ」


  挨拶してもそっけない態度で返されたボクはどすどす足音を立てながら部屋に向かう。

  なんだ、あの態度は。いつもの愛くるしい態度はどこへ行ってしまったのだろう。本当に詰まらない。

  部屋に到着してふすまを開ける――――前にもう一度義之くんの方向を見る。


 「・・・・・・ばか」

  
  義之くんはこちらの視線に気付かず、さっきと同様楽しく美夏ちゃんとおしゃべりしていた。

































    
  最近オレはさくらさんと居る時間が多い様な気がする。

  この間だって美夏と一緒に廊下を歩いていたらさくらさんに呼び止められ、学園長室でお昼を御相伴に預かった。

  美夏は美夏で喜んでいたし何も問題は無く、むしろ自分の事を良く思っていてくれる優しい大人の人と知り合えて嬉しそうだった。

  まぁさくらさんは人格者だしいずれちゃんと美夏に紹介はしておきたかったから結果オーライと思っておいた。

  
  オレ自身さくらさんを尊敬していたし目指すべき目標であるから会話をする事自体とても有意義な時間、何も困る事は無い。

  だが―――少しばっかりオレに構い過ぎなんかじゃないかと思う。前まで空いてた適度な距離感がグンと縮まったような感覚を覚えた。
  


 「えへへー、義之くんて意外と体大きいんだねぇ。小さい頃のイメージがあるからちょっとびっくり」

 「日々成長してますからね。反対にさくらさんは縮んだ様な気がしますよ」

 「ぶぅー。義之くんが大きくなりすぎなんだよ、もう」


  オレが胡坐をかいてる場所の中心にちょこんと座っているさくらさん。体全体から嬉しいオーラを出している。

  三時間目の授業が自習になったので屋上に行こうかと思い、移動していると偶然さくらさんに出会ってしまった。

  どうしたのかと聞かれて「具合が悪いんで保健室に・・・・」と言ったら学園長室に連れ込まれてしまった。

  まぁ、普通に嘘だとバレてるんだが。それにしても最近のさくらさんは懐き過ぎだと思う。


  そう、何かを―――不安がっている様な気がした。


 「大体授業をサボろうなんて、一体いつからそんな不良さんになっちゃったの?」

 「だから自習なんですって。それにクラスに居てもつまらないですしね、勉強する気なんて起きませんよ」

 「あー、そういうのは学園長であるこのボクの前で言っていいのかな? 義之くんにだけ特別な課題とか出しちゃうかもよ。
  もちろん学園長権限でね」

 「うはぁ、勘弁して下さいよ。これでも最近は勉強頑張ってるんですから」

 「へぇー」

 「あ、信じてませんね? 本当に頑張ってるんスから。美夏もアレしろこれしろとか煩いですし・・・・あいつ真面目なんですよねぇ」

 「・・・・ふぅん」


  あいつはロボットの癖にあれこれうるせーんだよなぁ。あんなに自己主張がきっちりしてるのなんて人間でもいねーのに。

  まぁ、そういう所も含めて美夏を気に入ってるからいいけど。口うるさく言われてじゃれつかれるのは嫌いでは無い。

  まるで小動物なところは愛橋があって可愛らしいし。そんなような事をさくらさんに話したら文句を言われてしまった。

  
 「またノロケですかい。いやぁ、熱々ですなぁ~」

 「え、あ、そういうつもりじゃなかったんですけど・・・・」

 「そういうつもりだったでしょ~? さっきから一言二言目には美夏美夏ってさぁ。そんなに美夏ちゃんが大好きなら美夏ちゃんちの子
  になればいいじゃん、もう」

 「・・・・いや、水越先生の家に厄介になるのはちょっと。実験対象とかされたら嫌ですし・・・・」

 「ふんだ」


  どうやらご機嫌斜めになってしまったらさくらさん。こういう時にこの人の機嫌を直すのは難しい。根が生真面目な人だからな。

  しかし―――この反応は少し意外かもしれない。いつもなら少し皮肉を言われて終わるものだが今日は少し引っ張っり過ぎだ。

  いや、今日だけじゃない。ここ最近のさくらさんはいつもそうだ。別な世界だからか、はたまたオレがしつこく美夏の事を喋り
 過ぎてる所為かどっちかは分からないが・・・。

 
  なんにしてもさくらさんが何かに対して怒ってるのは事実、少しご機嫌とりはしないとな。


 「それにしても他の家の子、ですか。考えられませんね」

 「え?」

 「オレはさくらさんの所に来てよかったと思います。朝倉家にも大分お世話になりましたが―――オレの基本はさくらさんによって
  作られたと思ってます。こんなどうしようもない人間を拾ってくれた事にも感謝していますし、家族同然に扱ってくれている事に
  も当然それはあります」

 「・・・・ん」

 「それにオレはさくらさんの元で色々勉強させてもらってます。学問の事とか知恵、世界の理屈についてとか。自分としては目標と
  すべき人間が出来た事自体嬉しい事なんですから。もしそういう人が居なかったならオレは多分一生頭の悪い馬鹿な人間になって
  いたと思います。まるでそこらへんのチンピラみたいにね」

 「・・・・んー。義之くんは優しい人間だと思うよ? この間だって倉庫整理の時手伝ってくれたし」

 「それは相手がさくらさんだからです。さくらさんは知らないかもしれないですけどオレって結構他の人には酷いですよ?
  音姉か由夢にでも聞けば分かるんじゃないですかね?」

 「そ、そこまでボクを特別扱いしなくてもいいんじゃないかな? ボクなんて本当に・・・・普通の人間なんだし」

 「オレから見たらとてもすげー人ですよ。本当に尊敬しています」

 「あ・・・・」


  そう言って少し力を入れて背中から抱き締めた。中学にもなってガキみたいな行為だと思うが、この行為は最近のさくらさんのお気に入り。

  よくオレの傍に来ては甘えるように抱っこしてくれと言うのでもう慣れ始めている行為だった。オレの歳なら普通なら照れるか思春期相応に
 嫌がる筈なのだが何故かさくらさん相手にはそういう感情は湧きあがってこない。

  元々人嫌いのオレにとってはとても珍しい事だった。まぁ、昔からさくらさんぐらいにしか気は許せなかったしもしかしたらその延長線上
 なのかもしれない。さくらさんを慕う行為の延長線、悪くはない気分では確かにあった。


 「だからオレが他人の家に世話になるってのは想像出来ませんね。居場所、さくらさんの所だけだと思ってますから」

 「・・・・そっかぁ」

 「はい。だからあんまり他の子の所に行けと言われるのは・・・・少し寂しいかもしれないですね」

 「あ、ご、ごめんね? 本当はそんな事思って無いから、うん。本当だよ?」

 「はは、分かってますよ。少し意地の悪い事言っちゃいましたね」


  臭い台詞のオンパレード。すぐに次から次へと出る軽口。よく他人の事を平気で傷付ける口で言えたもんだと自分ながらに驚く。

  少しゴマを擦り過ぎたかなと思わないでもない。オレがここまで甘ったるい事を言うなんて何年ぶりだろうか。

  でもまぁいい。これでさくらさんの機嫌が直るんだからやすいもんだ。


  そう軽く考えていた。オレの言った言葉をさくらさんがどれだけ重く考受け取っていたかなんて知らずに。


 「ううん、そんな事は無いよ。義之くんは僕にとって大事な家族なんだから」

 「んー・・・・お世辞でもそう言ってもらえると嬉し――――」

 「お世辞なんかじゃないよ。本気」



  ピシャリと言い切られた。

     
  そしてさっきまでの軽口が開けなくなり二の句を繋げなくなってしまう。

  今・・・・さくらさんはどんな表情をしてしているのだろうか。見たいような、見たくない様な変な気分に駆られる。

  小さい頃からこの人を知ってるがここまでさくらさんの平坦な声は聞いた事が無い。確かに今まで怒られた回数は数えきれない程ある。

  あるがそれはちゃんと感情の籠っているものだった。しかし今の声にそういうのは感じられない。何かムキになってる気がした。


 「・・・・さくらさん?」

 「ん~?」


  振り返り―――笑顔だった。その表情を見てホッと一息をつける。なんだ、別に普通じゃねぇか。驚かせやがって。

  一瞬でもちょっと怯んだ自分が情けなく思えて仕方ない。ちょっといつもと違う声質で喋ったからってビビる事はねぇのによ、アホくさ。

  誰だっていつも同じ声を出せるとは限らないし、少し体のリズムが違うだけで友人に別人と間違えられる事だってある。

  人間てのはいつも同じ姿、声、気分で居られないもんなぁ。さくらさんにだってそれはあるだろう。

  だからそんな自分の嫌な気持ちを消すように抱いていた腕に力を入れて左右に振る。


 「それー」

 「にゃぁぁあぁああっ!?」

 「どうッスかー楽しいでしょう?」

 「やーーーめーーーてーーー!」    


  ぐるんぐるんと腕の中を洗濯器の中の洗濯物みたいに遠心力を付けて回す。体が小さいし軽いので滅茶苦茶やりやすい。

  悲鳴を上げながら回っているさくらさんを見るとオレまで楽しい気分になってきた。あのさくらさんをこういう風に自分の好き勝手に
 出来るなんて滅多に出来るものじゃない。

  ここは思いきって楽しもうとして更に力を込める。まぁ、あんまりやりすぎると後が怖いので程々にしておくか。


 「んー誰も居ないのか。失礼しま――――すって、おお!?」

 「あ?」

 「わ?」


  がちゃっと扉を開け―――美夏が入ってきた。いきなりの登場にオレとさくらさんは呆気にとられ美夏は美夏で今の惨状に驚いている。

  美夏の性格だからとりあえずノックはしたのだろうがオレとさくらさんはじゃれていたので気付かなかったのだろう。迂闊だった。

  とりあえずいち早くさくらさんが慌てて反応してオレの腕の中から離れる。少し、名残惜しい気分に駆られた。


 「に、にゃははっ! 変な所見られちゃったね!」

 「あ、いやー・・・・仲いいんだな、学園長と義之は」  

 「まぁ、せっかく来たんだしどうぞそうぞ!」


  そう言って余っている座布団を引いてその場所を美夏に座らせる。オレは美夏に『よう』という感じで目配せをした。

  対して美夏は呆れた目で『なんで此処にお前がいるんだ?』という視線をオレにぶつけてきた。それはオレの台詞だっつーの

  さくらさんがこぽこぽとお茶を入れて美夏に差し出す。こういう風に日本人的行動をとるさくらさんは本当に外国人だろうか、と時々思ってしまう。


 「はいはい、どうぞ。それで美夏ちゃんは何か用事?」

 「ああ、どうも。用事というか使いパシリというか・・・・さっき廊下で担任にこの書類を渡すように頼まれたのだ」

 「あ、もう休み時間なのか」

 「そうだぞ。それでなんで義之はなんでここにいるのだ? まぁ、お前の事だからサボりに決まっているか」

 「だから最近は真面目にしてるっつーの。さっきの時間が自習だからよぉ、屋上で一息つけようと思ったら
  さくらさんに捕まってな。だからこうしてのんびりお茶してたという訳だ」

 「なんだ、サボりではないか。まったくお前ときたら――――」


  そして始まる美夏の小言。別にいいじゃねぇか、学園長のお墨付きなんだぞ? 学校で一番偉い人に誘われたら一般生徒のオレは断れやしない。

  こいつは真面目なところが美徳だが欠点でもある。たまには寛容な気持ちでいて欲しい。それが良い女の条件だというのに・・・・まだまだだな。

  とりあえず頭を撫でて気を静めさせる。しばらく照れてた様にまた一段と口うるさく言ってきたがしつこく頭を撫でていると静かになった。


 「うぬ・・・・・」

 「あはは。本当に義之くんと美夏ちゃんは仲いいね」

 「まぁ、付き合ってますからね。仲悪けりゃ恋人なんてなりませんよ。なぁ、美夏? お前オレの事大好きだもんな」

 「だ、だれがだっ! あんまり調子に乗るんじゃないぞ義之っ!」

 「じゃあ別れるか。美夏がオレの事を好きじゃないんならしょうがねぇ、無理して付き合ってもお互い辛いだけだ・・・・オレは本当に好きなんだけどな」

 「え、あ、う・・・・・ふ、ふんっ! そうやってまた美夏をからかおうというのだろう? そんな手には――――」

 「なんですか、天枷さん?」

 「え――――」


  ごく自然に笑顔でさん付けで美夏のことを呼んだ。呼ばれた美夏は固まっていたがオレは構わずお茶を楽しむ。やっぱり玉露は良い。

  美夏はあたふたしながらオレに話しかけてくるが一貫としてオレは他人行儀に徹する。そうすると美夏は「うー」とか言いながらオレの事を睨んできた。  

  さくらさんはそんなオレ達を苦笑いしながら見ている。まぁ、いつもこんな感じに美夏の事を弄ってるのが分かってもらえたかな?


 「あんまり意地悪しちゃ駄目だよ、義之くん?」

 「・・・・・まぁ、そろそろ飽きてきたんで止めにしますけどね」

 「うー・・・・相変わらず意地悪な男だ、お前は」

 「機嫌直せって美夏。オレがお前と別れる訳ないだろう? 結婚―――まで考えてるんだからよ」

 「ば、ばかっ! 芳野学園長の居る前で―――――」

 「おー! らっぶらぶなんだねぇ、まさかの義之くんの結婚発言! 仲人はボクかな!?」

 「が、学園長まで・・・・」


  顔を真っ赤にして俯く美夏。こういう所もウブで大変可愛らしい。毎回こういう姿を見せられると何か和むんだよなぁ。

  人嫌いだったオレが他人を見てこういう気持ちになれるなんて思っていなかった。まぁ美夏限定だがそれでも予想し得なかった事だ。

  結婚―――それを考えるなら今のところ美夏以外には考えられない。一番の問題は子供だったが美夏に話を聞くとどうやら生む事は出来る
 みたいで思わずオレは喜んじまった。

  オレと美夏の子供、家族、今まで考えもしなかった事だが少しは真面目に考えた方がいいのかもしれないな。少し早計かもしれないけど。


 「んで? 美夏は結婚したらどういう生活がしたいんだ?」

 「だ、だから結婚するとは決まった訳じゃ・・・・」

 「あーボクも聞きたいかも。美夏ちゃん、例えばでいいから聞かせてくれないかな?」

 「――――うむぅ、学園長もそこまで言うなら・・・・言ってやらん事もない」

 「うんうん、それでそれで?」

 「・・・・住む家は湖が見えるロッジがいいなぁ。周りは林とかで囲まれてて雑音が無い所。一日一回は義之の好きなドライブを
  して帰りは小さなスーパーで買い物をして、夜は暖にあたりながら夜食を採る―――みたいな、あはは」

 「全然例えて無いな」

 「う、うるさいっ!」

 「へぇ、結構ロマンチックだね。ボクもそういうの好きかも」


  言い終わって恥ずかしくなったのか帽子を深く被ってしまう。しかし美夏がそんなにロマンチストだと思わなかった。案外リアリストだと
 思っていただけに少し驚く。 

  美夏も結局女の子って訳か。さくらさんにも好評だし―――オレも悪くないと思う。都会は嫌いじゃないがあそこは雑音が多すぎる。人嫌い
 のオレにとってはあまりうるさく無い静かな場所で過ごしたいと思っていただけに中々に賛同できる発言だった。

  それに自分の彼女が自分の好みも把握してちゃんと結婚生活の事を考えていてくれたので嬉しい。まだ付き合ってそんなに経っていないのに
 そこまで考えてくれているという事は愛されているという事だ。悪くない。

  
  そう思ったオレは素直に感想を言う事にした。たまには素直に美夏に接してないとイジけるからな、こいつ。

 
 「でも悪くは無いな。そういう生活、結構好きだぜオレ」

 「え・・・・」

 「義之くんそういう生活好きそうだもんねぇ。こう、夜中には自分の好きなお酒を飲んで薪がパチパチ鳴る様子を眺めてみたりとかさ」

 「そ、そうなのか?」

 「おう。そういうの大好きだぜ? やっぱりそういうのが紳士の嗜みってもんだろ、オレにお似合いな生活だな」

 「ぷ、どこが紳士だ。このド外道め」

 「にゃはは、義之くんらしいねー」

 「冗談で言ってるんじゃねぇのに・・・・・まぁ、いいや。とにかくそういう生活を送れたらいいなぁと思うよマジで。都会なんて時々行けば
  いい事だし今の時代どこでも住めるように情報流通がしっかりしている。そして湖が見えるロッジだっけか? 中々いいチョイスだと思うぜ。
  是非そういう家に住めるといいな――――二人っきりで」

 「・・・・・・」

 「うむ、そうだな。それには義之がちゃんと稼ぎを貰ってこないと話にならないからちゃんと働けよ?」

 「うるせーっての」


  それぐらい分かってるっつーの。お金が無い事には実現不可能だし愛で全てなんとかなるほど甘く無いのは重々承知、キリキリ働きますか。

  さらっと時計を見ると休み時間の終了が近い。そろそろお暇するとしますかね。美夏もオレの視線に気付いたのか少し頷いて立ちあがる。

  
  さて、なんだかんだで長居しちまったな。美夏とオレは顔を見合わせて頷き合いお礼を――――



 「ダメだよ」



  ・・・・お礼を、言おうと思った。開きかけた口を馬鹿みたいに半開きにしたまま固まる。美夏も同じ。

  さくらさん――――いつも見る慣れ親しんだ眼では無かった。冷たい眼でオレ達二人を見据えていた。  

  それはおかしい、さくらさんはいつも優しい眼をしていた筈だ。オレにとっては母性の塊の印象のある人だ。

  その人がこんなに平坦な眼、口調をするのは今まで見た事ないしこれからもないと思っていた。


  固まっていた頭を回転させる。無理矢理半クラッチにしてギアをローギアに。いつまでも固まってなんかいられない。


 「本当に―――ダメだよ。義之くん」

 「・・・・・何を、ですかね?」

 「・・・・・・」

 「あ・・・・・」

 「―――――ッ!」


  少し枯れた様な声が出てしまった。情けない。さくらさんがその眼で美夏を見ようとしたのでオレの背中に隠す。美夏には見せたくない眼だ。

  そして隠したオレの目をジーッと見詰めるさくらさん。思わず逸らしそうになるが――――後ろには美夏が居る。弱気になったら押し潰されるのは
 明白だったので睨み返す形でオレもさくらさんの目を見詰めた。

  いつまでこの時間は続くのか、何故さくらさんはオレを憎むような・・・・縋るような悲しい眼をしているのか分からない。さっきまで三人で話が 
 盛り上がっていたのは嘘なんだろうか。


  訳が分からねぇ、今度はハッキリ訳を聞こうと思い口を開きかけると――――チャイムが鳴った。あと数分で授業が開始する。


 「ちゃんと、勉強頑張ってね。義之くんと美夏ちゃん?」


  そう言って奥の部屋に引っ込んでしまうさくらさん。途端に体中の力が抜けていくのが分かる。余程緊張していたんだろう―――一息付けた。

  美夏が不安そうにオレの腕を掴むのでその手にオレの手を重ねた。多分こいつは自分が何か悪い事をしたのだと勘違いしているだろう、そういう奴だ。

  だがオレが見た限りそんな様子は無い。いつも通りの会話でいつも通りの雰囲気だった。急にあんな様子になるなんて誰が思うだろうか。


 「・・・・美夏は、何か悪い事をしてしまったのか? 何故学園長があんなにも・・・・怒っていたのだ?」

 「――――誰だって急に虫の居所が悪くなる時がある。さくらさんも人間なんだしそういう事もあるだろうな。ただそれだけの話だよ、美夏」

 「でも・・・・」

 「さぁ、さっさとさくらさんの言うとおり授業に行こうぜ。このままじゃ遅刻しちまう。詰まらない授業だが受けないとオレ達の将来が
  真っ暗になる。だから少し気合い入れていくべ」

 「あ・・・・」
     
   
  手を引いて部屋を出た。キ―ンとした寒い空気が身を包む。それでなんとか頭を冷やす事が出来た。冷たい風が気持ちいい。

  美夏がギュっとオレの手を握ってきたので手を繋いだまま美夏のクラスまで送っていく事にする。とてもじゃないがこんな状態の美夏を
 一人にしておく事なんか出来ない。他人の感情に人一倍敏感なコイツは廊下を歩いている最中も不安がっていた。

  そして届け送り終わってから自分のクラスに帰るまで冷えた頭で考える。何故さくらさんはあんなに態度を急変させたのか。


 「つっても分からねぇよな。さっきまであんなに楽しくお喋りしてたのに急に怖くなるんだからよ・・・・」


  正直圧倒されてしまった。喧嘩でもそんな思いはした事ないし度胸は据わっている方だと思っていた。

  だがオレは身動き出来なかった、あのさくらさんの眼に。金縛りにあったかと思う程体が動かなかった。

  美夏が居たからかろうじて動けたが、そうでなかった場合オレは小さなガキみたいに頭を垂れていただろう。情けない話だが。

  まるで何を考えているか分からない眼、威圧感、何十年間も魔法使いをやっていたからあんな眼を出来るのか、それともさくらさんが特別なのか。

  どっちにしろ考えるだけ考えても答えは出て来ない。オレはもう少し気分を落ち着かせようと屋上へ向かった。

































 「はりまおー、おいで~」

 「くぅん?」


  手をおいでおいでして片隅で丸くなっているはりまおを誘う。だがお昼寝タイムなのか少しこちらを見詰めた後尻尾を丸めて眼を瞑ってしまった。

  はぁ、とため息をついて椅子に座り込む。デスクの上には作業中の書類があったが手をつける気分ではない。チラっと見ただけで窓の外を見る。


  なんだか―――思い出しちゃったなぁ。お兄ちゃんと音夢ちゃんの事。あの時は色々大変な思いをしたから昨日の様に思い出せる。


  ボクの好きだったお兄ちゃんは妹に恋をしていた。他人が聞いたら笑える話、自分の妹に恋するなんてマトモじゃないというのが世間の反応だ。
 近親相姦はどこの国だって禁忌としている。遺伝子レベルで脆弱な子供が生まれ来る確率が高いからだ。本能にもそれは濃く記されている。

  だが音夢ちゃんは本当の妹じゃない。両親が死んでしまいその友人であるお兄ちゃんの親に引き取られてきた。だから本当は赤の他人である。


  でも問題が無くなる訳じゃない。世間体というものがある。民法の力なんかたかが知れているし、そういった圧力なんかから逃げて生活して
 いる人達の話を聞いた事があるがほとんどの人は後ろめたい思いをして生活しているらしい・・・・。

  絶対音夢ちゃんはそういうのに耐えられないと思っていた。しかし耐えた。今では立派に家族を増やしたし幸せな思いをしている。

  別にそれはいい。既に決着がついた事だしボクも納得している。さすがにお互い何十年間も生きているのでちゃんと折りあいはつけられていた。


  でも――もうあんな思いは二度としたくない。心が壊された様な喪失感、疎外感、悲哀感。目の前の炎が消えて真っ暗になった感じがした。

  そして始まるボクの魔法使いとしての人生。歳を取る事が無いからもちろん家族なんか作れない。一生一人で生きていくもんだと思っていた。

  何回か挫けそうになった事もある。夫が欲しい、娘が欲しい、息子が欲しい、家族が欲しい。そう思ったけれど我慢をしてきた。何十年間も。


  もう拷問といっていい仕打ちだ。そしてボクはそんな拷問に耐えきれないで義之くんを誕生させた。ボクの一つの可能性、それが義之くん。

  禁忌を犯した後悔よりも家族が増えた事に喜びを感じたボク。もう可愛くて可愛くて仕方が無い。ぞれに最近はボクに尊敬の念を抱いてたし嬉しかった。


  なのに――――


 「いい加減に歳も歳なんだから大人になってないとダメだと思うんだけどねぇ、ボク。あれからちっとも成長してないのかな」


  二人っきりでロッジに住む。いい事じゃないか。誰にも邪魔をされず愛を育てる。多分恋人だったら誰でも思う事なのであろう。

  しかしそれは同時にボクから義之くんが離れる事を意味する。そして今の家に残るのは歳を取らない魔女一人、またあの孤独を味わう事を意味した。


  断腸の思いで桜の木に願った。家族を、子供を下さいと。そんな思いでやっと手にいれた幸せをみすみす逃すなんてはありえないあってはならない。


  そしてもう一つボクが気に触った事。あの二人がどうしてもお兄ちゃん達に似ていた。美夏ちゃんは音夢ちゃんとは全然似ていないがあの幸せそうな
 顔なんかはとてもよく似ている。義之くんを見る目、言葉、雰囲気、、一手一足の全部が彼女を思い起こさせた。

  もう―――奪われたくない。そう、必死なんだ。もしかしたら無意識に思い込んでいたのかもしれなかった、ずっと義之くんとあの家に居れると。


 「・・・・・・止め」    
  

  顔に手を伏せて考えを中断。ボクらしくない、少し疲れていたようだ。こんな暗い考えに陥るなんてまったくらしくない。いつだってボクは元気で
 はっちゃけていなくては存在。義之くんだってそれを望んでいるだろう。

  もう、義之くんがいけないんだよ。最近付き合いが良いからボク勘違いしちゃったじゃない。いつもは家に帰ってきたら部屋に戻っちゃうのにさ。

  音姫ちゃん達があんまり家に来なくなったのもまずい影響だ。おかげで義之くんと居間にいる時間を意識してしまっている。何を喧嘩したのか知ら
 ないけど早く仲直りしてほしい。そして義之くんが仲直りしてる間にボクは美夏ちゃんにさっきの事を謝る、うん、完璧だ。


 「さて、気を取り直して仕事しちゃおう。今日も早く帰って時代劇でも―――――にゃ?」

  
  窓の外を見納めに見ようとして視界の隅に見知った顔が見えた。義之くん。彼が海側の風景を見ながら煙草を吹かしていた。

  多分本人的には隠れている位置に居るのだろうが学園長室から見えたら意味が無いだろう。その間抜けさに少し吹いてしまう。

  ああ、なんだかんだいって義之くんだなぁ。抜けてる所は抜けてるしカワイイものである。


 「もう、馬鹿なんだから。学校で一番偉い人に見つかってどうするんだよ、まったく」


  だからと言って誰かに言いつける気は無い。義之くんを特別扱いしているというのも少しあるが――――何より面倒臭かった。

  それに逆にボクがあれこれ言われそうだ。人に迷惑掛けてる訳じゃないしポイ捨てしなきゃ構わない。まぁその辺は言い聞かせてるし大丈夫だろう。

  そして考え込む様に顔を手で伏せる。あ、私と同じ癖だ。いつも私は考え込むと顔に手をやる。多分ボクの癖が移っちゃったのだろう。


 「・・・・くすっ。やっぱり可愛いなぁ、義之くんは」

            
  自分の息子でもあるし当然か。そして父親は・・・・あの人だしね。可愛くない筈が無い。椅子に座りながら足をパタパタさせて見詰める。

  それにしても格好つけるようになっちゃったなぁ。まるで服なんかに興味無かったのにお洒落づいちゃってからに。この色男め。

  確か舞佳ちゃんの研究所でバイトしてるんだっけか。最近機械工学に興味を持っているからもしかしたらその道に進むのかもしれない。
 そしたらボクと専門は違うけど同じ世界の住人になる。それもいいかもしれないと常々思っていた。やっぱり息子には同じ道を歩んで欲
 しいしね。ボクはそういう考えだ。

  遠くを見詰め煙草を咥えながら考えに没頭しているのか、あまり寒さを感じさせない呈をなしている義之くん。その姿を見て誰かさんを思い
 出してしまった。時折悩む姿を見せた私のお兄ちゃんを。  
   

  「・・・・・・似てる、なぁ」


  まぁ父親を誰か思い出せば当然の事なのかもしれない。半分あの人の血が流れているのだから多少は似てる所もあるだろう。

  口癖も同じだし挙動なんかも細かい所で似ている。姿形、言動なんかは結構違うがそれでも義之くんの姿はあまりにも・・・・似ていた。

  だからなのかな、ボクが義之くんにくっつくのって。昔はよくお兄ちゃんにくっついて歩いていたし義之くんにくっついてるときも同じ
 安心感を得られていた。そう、安心感だ。ボクがずっと欲しがっていたものを義之くんから最近は特にもらっている気がする。

  それに近頃、彼は男らしくなってきた。思春期特有の子供から大人への成長、体つき、考え方の柔軟性。付けくわえてボクの知識も吸収
 し始めてきてる。まるで水を吸い込むスポンジみたいに、貪欲に体に叩きこもうとしていた。


  ああ、段々ボク好みの男になってきたな。その口も、眼も、髪も、雰囲気も、知恵も、貪欲さも。全ての成長が愛おしい。

  
  母親という視線から見なくても、ボクは義之くんの事を―――――― 



 「・・・・・・・・っ」 


  拳から血が滲み出ている。机の角に自分の華奢な拳を叩きつければ当然そうなるのは当り前。机からハンカチを取り出し巻き付けた。

  これは後で保健室に行って治療する必要があるだろう。確か殺菌消毒用のスプレーが何本かあった筈だ、それをそっと持ち出して借りよう。

  こんな傷は舞佳ちゃんに見せられないし、見せたくも無い。理由を聞かれても答えたくないからだ。じっと傷口を見て呟く。


 「・・・・・何自分の息子に手を出そうとしてるんだよ、この異常者」

    
  普通ではない、常識なんてあったもんじゃない。ボクは自分の血が入ってる息子に恋慕してしまっている。いくら寂しいからといって許される事では
 無い。ボクは家族として義之くんの事を愛してるんだ、それに間違いがあってはならない。

  がぶりを振ってその考えを頭の中から追い出す。しかし追い出そうとすればするほどお兄ちゃんの時の感情を思い出し、次の瞬間には義之くんの顔を
 思い浮かべてしまう。お兄ちゃんと音夢ちゃんの時のとでは訳が違うんだぞ、自重しろこの馬鹿。

  そう強く思い込もうとしたが・・・・ダメだ。一度意識してしまったら中々この思いは消えてくれない。


  そして――――屋上の義之くんと目が合った。


 「あ・・・・」


  義之くんも余程ビックリしたのか煙草を口から吐き出し自分の手の上に落としてしまう。

  そして叫び声を上げて手を振り回した。声なんか聞こえなくてもその様子を見れば一目瞭然だ。

  やっと落ち着いたのか、煙草を拾い上げカンの中に放り込む。平然と取り繕うその様子が可愛らしくて笑ってしまった。


 「にゃはは・・・・」


  ボクの笑っている姿を見て照れたのか、頭をポリポリ掻いてしかめっ面を作る。そんな所もお兄ちゃんとそっくりだ。

  あまりにも可愛く、愛おしい姿だったのでボクは両手を振って見せた。まだこんな事をするから子供っぽいといわれてしまうのだろうか。

  そんな様子を見て困惑する義之くん。そして躊躇いがちに――――少し苦笑いを浮かべてこちらに手を振り返した。



  あ、ダメだ。そんな姿を見せられたら・・・・・・・



 「愛してるよ、義之くん」   



  ――――――言ってしまった。



  ハッとして口を押さえる。そんな様子に疑問をもったのか怪訝な様子でボクを心配そうに見詰めてきた。ボクは何でもないよと手を振るう。

  今の言葉は・・・・まずい。あまりにもストレートに出すぎだ。家族としての親愛の言葉では無く、一人の女性としての言葉。

  胸の内から出てきたその言葉はあまりにもボクに重く圧し掛かってくる。嫌な汗が出てきた。義之くんには悪いがカーテンを閉める。


 『今日からここが君のおうち。僕たちは家族になるんだよ』


  何が家族になるだ。これでは裏切りもいい所だ。義之くんにも顔向け出来ないし、義之くんをボクに任せてくれたお兄ちゃんや、音姫ちゃん達の
 お母さんにはもっと顔向け出来ない。歯を握り締めて両手で顔を覆う。

  涙まで出てきてしまった。それに胸も痛い。こんな思いはあの日以来だ。絶対に犯してはいけない事をボクは犯そうとしている。

  それにボクが義之を好きだと仮定したとすると、ボクはそんな義之くんを確実に幸せにならない道に引き込もうとしている。あってはけない事だ。


  いい加減にしたほうがいい、芳乃さくら。義之くんには美夏ちゃんという素晴らしい彼女が居るじゃないか。


  それなのに私みたいな女の子が出ていったらさぞや迷――――  


 「違う・・・! そうじゃないでしょっ!!」


  なぜ自分は今『義之くん、朝倉家との関係、全ての何もかもが壊れる』事よりも、『義之くんには好きな人が居るしなぁ』なんていう心配を
 大きく取り上げてしまったのだろう。まるで―――本当に恋をしている女の子ではないか。許容出来ない。

  それに義之くんは義之くんであり決してお兄ちゃんなどではない。そんな考えは本人達に失礼だ。

  その人の代わりに見るなんて行為は最も恥ずべき行為だ。
  
  例え義之くんにお兄ちゃんの血が流れていてもイコールになることはあり得ない。 


  そう、だから―――――


 「・・・・・義之くんは義之くんだもんね。それは分かっている、うん。だからボクは本当に義之くんの事を愛してて、お兄ちゃんの代わり
  になんか見ていなくて、出来れば義之くんがボクの事も愛してくれれば―――――――」


  自分で、もう何を言ってるか分からない。思考がバラバラになっている。本音と建前の両立が出来ていない。何が分からないのが分からな
 くなってくる。あれ、ボクはどうしたいんだっけ? もう一度整理する必要がある。


  義之くんの事は好き。

  お兄ちゃんの事も好き。

  義之くんをお兄ちゃんの代わりに見ている?――――違います。

  お兄ちゃんを義之くんの代わりに見ている?――――違います。

  義之くんは義之くんですよね?――――はい。

  お兄ちゃんはお兄ちゃんですよね?―――――はい。

  義之くんの事は好きですか?――――はい。

  義之くんと一緒にずっと居たいですか?――――はい。

  義之くんと一緒に幸せになりたいですか?―――――はい。

  義之くんと恋人同士になりたいですか――――はい。


  ああ、本当に―――少し疲れているようだ。

  最近少し根を詰め過ぎかもしれない。桜の木の件があって体力が衰えている可能性があった。保健室に行ったら栄養剤も頂こう。

  心配そうにはりまおが寄って来たんで大丈夫と声を掛けてやる。この子も結構心配症だからなぁ、あまり心配は掛けたくないな。

  とりあえず今日は早めに仕事を切り上げて家に帰ろう。そしていつもみたいに義之くんの腕の中に収まる。


  うん、何も問題は無い。最近のボクの癒しスポットだしあそこはとても落ち着く。愛してる義之くんの笑顔を見れば完全回復、頑張るぞ。
  
 






























 「あっちぃな、ちくしょう! だから咥え煙草は止めようと思っていたのに・・・・」


  歯にヤニも付きやすいし止めようと思っているのだが、もう癖になっている。文句を言いながらチラッとカーテンが閉まっている窓を見た。

  なんだか急に冷たくなったと思えば元気な笑顔で手を振ってくるし訳が分からない。まぁ、とりあえず現状としては元気なさくらさん健在
 と解釈しちまっていいのかな。さっき怒ってたのは―――まぁ、誰だって自分でも意味が分からない所で琴線が触れる事ある。きっとさっき
 のも似た様なものに違いない。

  少し酷い言い方になるがさくらさんは一人身、オレ達がいちゃいちゃしていて嫌味を言いたくなったのだろう。まぁ、それだったらオレ達
 は少し無神経だったのかもしれない。ガキじゃねぇんだから少しは自重しよう。あの眼と声にビビりはしたけど驚かそうと思ってやったのな
 ら納得はいく。時々さくらさんは意地悪するからな。


  納得・・・・無理矢理自分にそう言い聞かせた。心では分かっているのかもしれない。本気でそういう目と声でオレ達を見据えていたのだと。


  なんにしても――――あの人はやっぱり笑顔が似合う。あの笑顔は癒されるんだよなぁ。美夏にも癒されてさくらさんにも癒される、オレは
幸せ者かもしれない。こっちの世界に来てからヤケに人との接触が多くなってからこういう思いをするようになってきた。


 「少し問題はあるけどなぁ。エリカの事を問題と言うには気が引けるけど・・・・何か手を打たねぇと」


  元はと言えばどっちつかずに居たオレが悪い。美夏と付き合ってるんだからここはハッキリ言わないとダメなのは分かっている。

  しかしオレの行動をオレ自身が見たら「てめぇは本当に分かってるのかよ、このカス」と言うだろう。誰が見てもきっと思うに違いない。

  感情が好きな様に引き出したり押し込んだり出来れば楽なんだがな。だが人間がそんな便利に出来てる筈もなく、相も変わらずオレは苦悩していた。


 「ああーーーっ! てめぇがこんなにウジウジした女の腐った野郎になるとは思わなかったよ、腹立つなっ!」


  煙草を一本取り出して火を付けた。そしてゆっくり流れる紫煙。策に両手を付けその上に顎を乗せてもう一度考え込む。

  まずオレは美夏と付き合っている。エリカはオレの事が好き。オレもエリカの事を好きだった。だけどエリカの事は振っ切るつもりでいる。

  だが未だにオレは吹っ切れていない。エリカの悲しそうな笑顔を想像すると胸が痛くなる。もうどうしようもねぇ状況だ。

  こういう時は誰かに相談するのがベストだろうが・・・・もうしちまったしな。それも的確な助言を貰った。エリカと口を聞くなだ。

  それが出来たら苦労しないのだが実際にそうしないといつまでもこの三角関係は続く。誰だよ、女にモテると男は嬉しいって言った奴。


 「恋でストレスになる奴の話を聞いた事があるが・・・・こういう感じなのかよ。全く無縁だと思ってたのに」

  
  どちらも好き。でも片方の方がもっと好きだからもう片方を振る。物事はそんな簡単に行いかないのが身に染みて分かった。

  外国では一夫多妻制の所もあるそうだが信じられない。よく男も女もストレスで潰れないな。いくらオレでも死んじまう自信がある。

  フィルター近くまで燃えた煙草をカンの中に放り込んで踵を返す。そろそろ次の授業の時間だ。さすがに連続ではサボれない。


 「あ、今日の晩飯どうすっかなぁ。久しぶりにパスタでも作るか、それともシチューにするか・・・・うーん」


  腹が鳴る音を聞いて晩飯の事を思い出す。確か買い出しに行かないといけねぇんだった。冷蔵庫も空っぽだし忘れたら洒落にならない。

  出来ればさくらさんの好きな料理を作りたいもんだ。最近よくさくらさんが笑ってくれるしその笑顔を見るとオレも嬉しい。

  少しくっついて甘えてくる回数が多くなってきているが特に問題無し、逆に可愛くてしょうがない。だからオレも調子に乗ってしまう。

  いつだってオレはさくらさんの力に頼ってきた。だからああいう形にしろ頼られるのは嬉しい。尊敬もしている人物だから尚更だ。


 「マジでいい母ちゃん役に恵まれたよなオレは。もったいねぇぐらいだ」


  何かを研究してる姿もカッコイイし人当たりもいい。そして頭脳明晰でもありオレとは真逆の存在。まるで太陽みたいな人だ。

  血は繋がっていないし、親戚でもなんでもないけどオレにとっては『母親』代わりの人。あんな人が母親だったら本当に頼もしい。

  そして何より――――可愛いんだよな、さくらさん。美夏とまた違った魅力の可愛さがあの人にはある。もし万が一結婚する人が
 現れたら羨ましい限りだ。あんなに可愛い完璧人間なんかが嫁さんだったら旦那も鼻高々だろう。少し子供っぽいけどな。


 「んー今日はさくらさんの好きなビーフシチューにするか。最近お疲れみたいだし少し元気出してもらおう」


  そう呟いて屋上の扉を開ける。やっぱり中は温かく居心地がいい。軽く深呼吸して階段を下った。手すりがヒンヤリしていて気持ちいい。

  さて、今度は真面目に授業を受けるとすっか。あんまりサボったらさすがにさくらさんでもブチ切れるだろうし。想像するだけで怖い。

  あの人が本気でもし怒ったり憎んだりしたら――――はは、オレなんかじゃひとたまりもねぇな。オレの先生みたいなもんだし。

  まぁ、そんな事は万が一にもないだろう。オレもそんな馬鹿な行動をしたりしないし、憎むなんて以ての外。

  あの人はそういう感情と無縁っぽいしいつも元気で明るい雰囲気を振りまいてくれる。


 「ふぁぁぁ・・・・あっと」


  この温かい空気はさくらさんの家を思い出させる。いきなり家に帰りたくなったぜ、ちきしょう。

  今日は美夏と早めに帰って一杯さくらさんとダベろう。また今日も甘えてくれるのかな?

  そんな下らない事を思いながら休み時間の廊下を歩く。最近、家に帰るのが少し楽しみになってきた。




















[13098] 外伝 -桜― 2話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:1b395710
Date: 2010/02/18 07:43







  何十年も前の昔、私は失恋した。大失恋だ。

  そして恋は諦め外国へ。そこで私は色々な貴重な体験をした。充実していた。

  いや・・・・そう思い込もうとしていたのかもしれない。孤独さから逃げる為に。

  結局私は寂しがり屋なのかもしれない。だって―――あの桜の木の力を使ってまで家族を手に入れたのだから。

  いつしかその家族は見る見るうちに成長して立派な男の子になりつつある。そんな姿を見てると、とても心が弾んだ。

  弾んで弾んで・・・・弾み過ぎて今度はドキドキするようになった。私は自分の息子に恋心を抱いてしまった。

  
  新しい恋の相手が自分の息子、異常者だと思う。しかしもうこの想いはもう止まらない。

  何十年間も愛に飢えていた私にとって砂漠の水だった。義之くん―――絶対に誰にも渡したくなかった。


















  肩を揉んで疲れを癒す。少しばかり集中していた所為か目にも疲労が溜まっていた。書きかけの書類を机の上に置き椅子の背もたれに体重を掛ける。

  学園長という仕事も楽ではない。こうやって一日を事務処理で過ごすのだから飽きてくる。まだ昔みたいに研究に没頭してた方がマシだ。

  自分が好きでやってる仕事なのだが飽きるものは飽きる。なまじボクは器用な方なのでほとんどの仕事を後に持ち越さない。


 「ふぁぁぁぁ・・・・っと。何か飽きちゃったなぁ」


  およそ大人の言葉では無いがそれが自分、芳之さくらという人物だ。ずっとこういう性格で生きてたし変えるつもりもない。

  椅子から立ち上がり座敷間に移動する。少し茶でも飲んで休憩する事にしよう。みんなはまだ授業中なのに自分だけお茶を飲んでいると
 何だか悪い事をしている気分に駆られる。根が真面目だからねボクは。

  そう思い一人で苦笑いしているとはりまおが擦り寄ってくる。大方お茶菓子の準備をしていたのでその臭いに引き付けられてきたのだろう。


 「ん~? はりまおも何か食べる? ドラ焼きぐらいしかないけど」

 「あん!」


  元気よく返事をして飛び跳ねるはりまお。この子は頭が格段に良いので人間の言葉が理解できる。足に纏わりつくはりまおが可愛い。

  戸棚から茶菓子セットを一式取りだしテーブルの上に置いた。前足をテーブルに掛け尻尾を振りながらワクワクしている。

  ドラ焼きの袋を破いて中身を差し出すと勢いよく口に咥えて駈け出して行った。そんな事しなくても誰も取らないのに・・・・まったく。

 
 「さぁて。私はどれにしょうかな」


  所狭しに陳列している様々な和菓子。饅頭を始め大福、団子、きんつば、わらびもちなどもある。全部ボクの大好物だ。

  味がボク好みというのもあるのだがこれには思い入れがある。ボクが好きだったお兄ちゃんからよく食べさせてもらったという素晴らしい
 思い出があった。あの頃は人見知りが激しく、よく泣いていたのでそれを見かねた優しいお兄ちゃんが泣き止めさせる為に毎回かったるいと
 言いながら手の平から出してくれた。その度にボクはとても嬉しい気持ちに駆られたもんだ。

  それに義之くんも和菓子を出せるらしい。どうやらお兄ちゃんが教えたようだ。まだ食べさせてもらっていないがその内味見をする事に
 しよう。きっと美味しいに違いない。


 「早く学校終わらないかなぁ。早く義之くんに会いたいよぉ」


  饅頭をもぐもぐ食べながら呟く。早く帰ってまたあの腕に収まりたいものだ。そしてあの絶対的な安心感に包まれたい。

  とりあえずボクは義之くんに恋しているかどうかは保留にしておいた。焦って結論を出してもいい結果は生まれない。化学実験と同じだ。

  慎重に、よく考えて、行動する。そうしないと爆発して痛い目をみる。自分だけならまだいい、しかしこの場合ボクの大切な人達も一緒
 に居るので絶対に失敗出来ない実験だ。最低限それだけは避けなければいけない。

  またボク自身この気持ちに整理をつけないといけなかった。本当に好きなのか? 一緒に居る時間が多いから勘違いしているんじゃないか?
 ずっと孤独だったから本当は誰でもいいんじゃないのか? 様々な事を考えなくてはいけなかった。

  そう、ボクは大人だ。常識ある行動を取らなければいけない。それにボクは教育者である、子供達の見本でなければならなかった。


 「あ、お茶っ葉切れちゃってたかぁ。買い置きは――――無しと・・・・。何か飲むモノ買って来なきゃ」


  お茶を淹れようと思ったらお茶の葉が切れていた。そして運の悪い事は重なるもので買い置きの棚を見ても在庫なし。少しへこんでしまう。

  あの寒いであろう廊下を歩くのは少し気が引けてしまうが和菓子を食べてるのに飲みモノ無しは結構きついものがあった。

  少し迷って考えたが結局適当に買いに行く事にした。長い辛さより一瞬の辛さ、どのみち飲みモノは欲しくなってくるので今のうちに行く事にした。

  軽く羽織る物を着て廊下へ。キンッとした空気が身を刺しにくる。うう、暖房設備をもうちょっと充実しようかな。学園長だし出来ない事は無い。


 「せーんろはつづくーよー、どーこーまーでーもー」


  歌を唄いながら自動販売機へ。結構自動販売機の設置にお金掛けちゃったから今期はキツイかなぁ。次からは慎重にお金の使い道を考えなくちゃ。

  確かに最近風見学園に入学してくる子は多く居る。その分お金の収益は上がっているが残念な事にお金は有限だ。あっという間に学校の維持費で
 消えてしまう。もっと先生方の給料を上げたい気持ちはあるがゲームみたいにお金が入ったから即給料アップには繋がらない。

  生きていくだけでお金はどんどん減るからなぁ。給料を上げてくれという声がたくさん出るのも仕方のない事、なんともままならない。

  愛とお金、この二つが両立して初めて幸せになれる。しかしボクはもうお金はいらないから愛が欲しい。もう溶ける程までに熱い想いが欲しい。


  ――――義之くんからの愛。考えただけでくらくらする。体が震える程にあまりにも甘美的だ。

  あの目が熱を持ってボクを見詰める。優しくボクの体を包み込む。一生傍に居ると囁いてくれる。

  もう最高だろう。そんな事になったらもう何もいらない。そういった絆さえあればボクはもう生きていける。


 「あ・・・・」


  立ち止まって、困惑してしまった。下腹部に熱―――多分濡れているだろう。息も荒くなっている。気が付かない内に
 興奮を覚えてたようだ。顔がカァーッと赤くなってくるのが分かる。

  そして頭をブンブン振って早足で歩く。ここは学校だ、家とでは訳が違う。自分の体の変化に恥ずかしさを覚えた。

  いつからこんなえっちな子になったのだろうか。少しため息をつき、曲がり角を曲がると――――女の子の大声が聞こえた。



 「だからなんで私じゃダメなのよ! ねぇ、教えてよっ!」


 「あわわっ!」

 
  ボクはその声に驚いて慌てて身を隠す。いきなりの大声に心臓はばくばくと血液を全身に送っていた。深呼吸してなんとか体制を整える。

  驚くのも当たり前、今は授業中だ。まさかこんな所に人が居るなんて思わなかった。一体誰だろう、こんな時間にこんな所に居るなんて。

  そう思いそぉっと覗くと―――綺麗な金髪の女性、エリカちゃんだ。対しているのは義之くん。この二人の組み合わせは別に珍しい事では
 なく時々見掛ける事があった。

  なんの話をしてるのだろう。そう思ったボクは注意を呼び掛けたりせずに角の影に隠れて様子を窺った。      


 「だから言ったろうが、オレは美夏の方が――――」

 「じゃあ私の事が好きって言ったのは嘘だったの? 騙したの? 本当は私の事なんてなんとも思っていないんでしょっ!」

 「・・・・違う。お前の事は好きだ。それは嘘じゃない」

 「ならなんで――――」

 「美夏の方が好きだからだ。じゃあ自分の事を好きだなんて言うなよって気持ちは分かる、すまなかった。でもオレは美夏
  と生きていきたいと思っている、気が早い話だと思うけどな。けどそれだけオレは美夏に対して本気だ」


  うっわぁ~・・・・修羅場じゃん、これ。

  前ウチに来た時はなんだかおかしい雰囲気だと思ってたけどこういう事だったのか。モテる男の子とは前から思ってたけどさ・・・・。

  義之くんの発言に更に頭に血が昇ったのか先程よりヒスッテリックに声を荒げるエリカちゃん。それに義之くんが困った顔になりながら
 必死に宥めている様子が見てとれた。だが全然収まる気配無し、息は荒々しくあまりの怒りに体が震えていた。


 「この件に関してはオレが全面的に悪い。なじってくれても構わない」

 「はぁはぁはぁ・・・・・・・べ、別に謝って貰っても困りますわ。でもね、責任は取ってもらわないと嫌よ」

 「責任って・・・・」

 「当り前じゃない。義之は私に好きと言ってくれた、そしてそれを信じて私も義之以上に好きになった。もうね、この
  気持ちに決着を付けるには私と付き合うしか他ないのよ? それを理解して貰わないと――――困るわ」

 「・・・・・」



  ・・・・・にゃぁ。

    
  話だけから察すると義之くんは美夏ちゃんとエリカちゃん、両方を好きになっちゃったのか。そして自分の気持ちを天秤に掛けて
 美夏ちゃんを選んだ。そしてその事をエリカちゃんに話したら大激怒、とうとう収集が付かなくなった・・・・そんな所か。

  まったくなんて罪な男だろうか。女の子を散々その気にさせた揚句振るなんて言語道断、最低だよ義之くん。さすがのさくらさん
 もそれはどうかなぁと思う。

  表情から見て取れるが結構悩んだのだと思う。なにしろ嫌いではないのだから苦しい思いもあったんだろう。だが好きと言われた
 本人からすれば冗談じゃない話だ。


  さて、どうするんだろうか。


 「男らしく完膚無きまでに断っちゃいなさいよ、義之くん」 


  それが一番いいだろう。なにしろ彼女がいるんだしエリカちゃんに可能性は無い。このままズルズルいったら皆傷付いてしまう。

  その辺が分からない義之くんじゃないだろう、最近の義之くんは鈍感じゃないんだから。だから早めにこの件を片付けるべきだ。

  そしてちゃんと言う事を心に決めたのか、義之くんが短く息を吐き出した。エリカちゃんを見据える。よし、その意気だ。


 「だからエリカ。オレ達もう――――」

 「義之」

 「あ・・・」

 「今度どこかへ遊びに行きましょうね。義之の好きなティラミスがあるお店を見つけたの。暇があったら義之と行こうかなぁって
  計画を一日考えましたのよ? 勿論付き合ってくれますわよね?」

 「・・・・・」

 「ダメ、なの?」

 「い、いや・・・・そうだな。せっかくだし今度の日曜でも――――」

 「嬉しいわ! 久しぶりのデート、満喫しましょうね、義之!」


  さっきとは打って変わった様子で義之くんに抱きつく。義之くんは困惑しながらも黙ってエリカちゃんの体を受け止めた。

  ・・・・・っておい! どうしちゃったんだよ義之くん・・・・さっきまでの頑固な姿勢はどこ行っちゃったの?

  なんだかしどろもどろみたいな雰囲気を醸し出してるし目も泳いでる。我が子ながらちょっと情けない姿だ。

  でもやっぱり断るつもりなのか目を瞑り、エリカちゃんの肩に手を掛けようとして―――固まってしまった。そっと肩に掛けようとした
 手をどける。目も伏せてしまった。

  義之くんがあんな風になるなんて珍しい。昔ならいざ知らず最近の義之くんでは考えられない事だ。度胸も格段に据わってる筈なのに。



  何があったのかと思いエリカちゃんを見ると――――  

  
 「うわ、えげつない」


  思わず呟いてハッと口を押さえる。慌てて目配せをするがボクの存在に気付いていない。どうやらお二人ともそれどころではないみたいだ。

  エリカちゃんの眼、とても悲しげで切なそうだった。あんな目をされてしまっては男なら誰も断れないだろう。エリカちゃんを好きな義之
 くんならそれは不可能に近い。

  そしてボクは見てしまった、エリカちゃんの唇が愉悦の感情を彩ってるのを。恐らく演技―――暴れ馬を制するみたいに義之くんを操る手綱を
 エリカちゃんは持っていた。

  義之くんの事だから気付いてはいるんだろうが・・・・気付いてもあれは無理だ。頭より心が勝手に反応してしまう。思わず抱きしめたく
 なる力をあれは持っている。


  なんて子だろうか。まだ子供なのにあんな技を持っているなんて。最初会った時はまだまだ幼いと思っていたが少し会わないうちにこん
 なにも女を磨き上げたエリカちゃん、恐らくは義之くんを手に入れる為にか。


  本当に恋は恐ろしい。まだロクに手足さえ動かせない赤ん坊でも銃を持たせて撃たせるまでに成長させるのだから。


 「義之、ぎゅっとして」

 「・・・・いや、だから―――」

 「お願い」

 「・・・・分かった」


  渋々了承したのか軽くエリカちゃんを抱きしめる義之くん。勿論お姫様はご不満みたいでトンッと義之くん軽く押し返して仏頂面を作る。

  少し困り顔になる義之くんに「はぁ」とため息をつけてあれこれ文句を言い始めた。なんて我儘な女の子だろう、それを黙って聞く義之
 くんも義之くんだ。らしくない。

  そんな状況に耐えきれなくなったのか分かったとばかりに両手を上げて降参する義之くん。エリカちゃんは軽く微笑み返した。

 
 「分かった分かった、オレの負けだよ。それでどんな感じでオレはお前の事を抱き締めればいいんだ?」

 「うーん背中からがいいですわね。義之は背が高いし何より―――包まれる気分になりますから」

 「・・・・あいよ」

 「ええ。それで回した右手を左肩に、左手を右肩に置いて・・・・そう、そんな感じ。これが一番抱きしめられ易いからそれで抱いて義之」

 「・・・・ああ」


  ・・・・・あれ? その体制、ポーズってボクが義之くんにいつもしてもらってるボクだけの――――  
 

 「じゃあ・・・・力入れるぞ」
     
 「いつでもどうぞ」

 「・・・・」



  そして背中からぎゅっと力を入れて―――エリカちゃんを抱きしめた。まるで包み込むように、絶対離さないように、一生、傍に居るように。

  ボクがいつもしてもらっている抱きしめられ方。それをエリカちゃんがしてもらっている。思わず殴り倒したい衝動に駆られた。


  
 「――――、あ」


  ギュっと自分の手を握り締める。血が出るかと思うぐらい。思わず身を乗り出して切り離したい気分に駆られたがなんとか押し留めた。

  エリカちゃんの顔、とても幸せそうな顔をしていた。それはそうだろう。義之くんの抱擁はとても気持ちのいいものだから。

  だからといってお前にそんな資格があるのかと思う。抱きしめれられる資格があるのかと。彼女がいる相手を奪う様な人間に。 

  
  段々感情が冷めていくのが分かる。義之くんはお人好だ。最近よく喧嘩などをしているが本質は変わらない、今も昔も義之くんは優しい。

  だからエリカちゃんの事を構ってあげている。人間関係を円滑にする為には程よく譲歩した方が良いと言うが・・・・限度があるだろう。

  そんなに情けを掛けたらお互いに辛いだけだ。そこらへんの事がきっといまいち理解出来ていないのだろう。まだまだ子供だなぁ。


 「ふふ、ありがとうね義之」

 「・・・・ああ」

 「義之が話があるというから来てみたけど―――結果的にはよかったかもね。それじゃそろそろ授業が終わる時間だし
  そろそろ戻るわ。名残惜しいけどね」

 「そうだな、オレもそろそろ――――」

 「あ、待って」

 「ん?」


  義之くんが背中を向けて立ち去ろうとするとエリカちゃんが呼び止めた。振りかえる義之くんの顔、唇に―――優しくキスをした。

  驚いた顔をした義之くんに嬉しそうな顔をして離れ、エリカちゃんは今度こそ歩いて行った。その背中からは機嫌がとても良い事が窺い知れる。

  そんなエリカちゃんにため息をついて義之くんもその場を離れた。若干肩を落としている。きっと突き離せなかった事を後悔しているに違いない。


 「・・・・・・」


  とんだ見せモノだった。

  今のボクは久しぶりに機嫌が悪い。まるで最高にお気に入りの服を着て町に出たら大量の汚物をぶつけられた気分、憎しみさせ出てくる。

  エリカちゃんの歩いて行った方向をジーッと見詰めた。さぞかし気分が良い事だろう、全然勝てないゲームな筈なのに負けそうになると
 リセットボタンを押してまたセーブした場所から始められるのだから。そしてやり直す度に褒美が貰える。自分が望んだ褒美を。

  ボクがなんでこんなにも我慢しているのか分からなくなってくる。こんなに苦しい思いをして、美夏ちゃんの事も考え、荒波を立てないように
 しているのにあのお姫様は自由気ままに自分のしたい事をしていた。

  ハッキリ言うと美夏ちゃんだってボクは許容出来ないでいる。大好きな義之くんを独占している女の子、油断していると自分の嫌な感情を
 ぶつけそうになる、でも我慢した。だって義之くんが選んだ相手なのだから。

  でも―――もう我慢する事はないかな。皆好き勝手にやってるのだから。美夏ちゃんだってボクの気持ちを知らないでのほほんと守られてる事に
 甘えてるんだし。きっと義之くんの重荷になっている事は考えなくても分かる。ボクが義之くんを助けてやらなければいけない。


 「常識、良識、論理、規範、法律・・・・ボクなら捻じ曲げられる、か」


  普通だったらこれらに囚われるんだろうが――――生憎ボクは天才だ。そこら辺の人間よりも格段に頭が回る事は自覚している。自惚れでは無い。

  それに何十年も生きているので世の中がどんな仕組みで動いているかボクは知っていた。伊達にずっと一人で生きていこうと決めていない。

  刑法、民法、いくらでも穴はあるし義之くんとボクが親子だって知ってる人物も限られている。その人物達に知られなければ何も問題は無い。


  そして、魔法の力。これさえあれば黒も白になる。誰かを傷付ける訳じゃないんだし・・・・使っても構わないだろう。

  まぁ例外になる人はいるかもだけどね。ねぇ、エリカちゃん。



 「あれ? なんだか急に元気が出てきちゃったな」


  最近感じてた陰気な気持ちが薄らいでいく。そして代わりに出てくる感情―――喜び。新しい恋をスタート出来る喜びを感じた。

  こんな清々しい気持ちはお兄ちゃんに恋していた時以来だ。まだ誰とも付き合って無くてボクに優しくしてくれたあの時以来、いい気持ちだ。

  美夏ちゃんの事をふと考えたが―――気にならない。誰にだって失恋はあるものだ。ボクだってしたしいずれ美夏ちゃんも体験する事、それが
 今回という話なだけだ。良い経験になると思うし成長の糧になるだろう。


  ただ・・・・・  


 「エリカちゃんはちょっと諦めが悪いかな。『怪我』、すればいいのに」


  念を送るように呟く。諦めの悪い女はいつだって痛い目を見てきた。過去、未来、籍を問わず万国共通だ。

  相手の事を考えないで行動するものは自分が傷付く事になる。きっとエリカちゃんは良い暮らしをしていたからその事が分からないのだ。

  なら―――痛みを持って知らなければいけない。そうすれば少しはマシになる。


 「さて、いい加減飲みモノ買わなきゃ。うー・・・・さっき食べた饅頭が喉に粘りつく~」

    
  踵を返して自動販売機のある場所に再び向かう。あやうく当初の目的を忘れる所だった。

  早く買って部屋に戻り、休憩を終わらせなければ家に定時に帰る事が出来ない。それだけは避けなくてはダメだ。

  義之くんとのスゥイートタイムは貴重なものだしね。あの時間がボクにとって唯一の安心なんだから。

 
 「野をこえー山こえー谷こえてー、はるかな町までぼくたちのーたのしい旅の夢ーつないでるー」


  歌の続きを呟き歩く。うん、良い曲だ。希望に溢れている。

  きっとボク達の未来もそうなるだろう。そうしてやる。義之くんが尊敬しているさくらさんの言う事だから間違い無しだ。

  チラッと窓の外を見る。桜が―――嬉しそうにざわめいていた。



























 「まったく、てめぇは飽きさせてくれねぇよ。マジで」

 「・・・・うるさいですわ」


  プイッと顔を背けるエリカに苦笑いしながらオレはお見舞い品のケーキを机の上に置いた。好物かどうかは知らないがとりあえず
 モンブランを購入しておいた。
   
  チラチラとそのケーキに視線を飛ばしながらも気付かない振りをしているエリカ。こいつはこういう所で頑固なのは変わってねぇんだな。

  まぁいい。オレもエリカの対面の椅子に座り背中に体重を掛ける。そのプリプリしているお嬢さんの足を見ると痛々しくギブスが巻かれていた。


 「にしても階段からすっ転んで骨折か。ヒビが入った程度でよかったな。お前の華奢な足で複雑骨折なんてやらかした日には
  一生治らねぇ可能性がある。不幸中の幸いってところだな」 

 「・・・・私も驚きましたわ。まさかあんなところでヒビが入るほど足を打ち付けるなんて・・・・。それほど運動神経
  が悪いって訳でもないのに」
  
 「人間なんだから気を抜く事は誰にでもある。最近お前は色々はっちゃけてるからなぁ、注意力が散漫だったんだろ。次から
  はちゃんと足元確認して歩けよな」

 「そんな小学生みたいな―――」

 「そんな小学生みたいな事が出来なくてお前はすっ転んだんだろうが。大体事故とか怪我をするヤツはそういう事が出来なくて
  怪我をしている。気を抜いてな。まぁ、随分痛い思いをしたようだが授業料だと思えば気にならなくなる」


 「・・・・ふん」


  腕を組んでまた顔を背ける。それにしてもはじめ話を聞いた時は驚かされた。まさかあの別れた後に足を骨折するなんて思ってなかったからなぁ。

  急いで保健室に駆けつけたら痛そうに顔を歪ませていた。オレも美夏の事を考えたら放っておけばいいのに昼休みになるまで一緒に居ちまった。

  こいつはオレの事も好きだがプライドも高い、痛そうな姿を出来るだけ他の人に見られたくないのか平気そうな顔をしていた。だが額から流れ出る
 脂汗を見るとただの痩せ我慢だと一目で分かったので無理をするなと手をずっと握ってやっていた。


  そして今、オレは学校の帰り道にエリカの家に来ていた。帰り道に松葉杖をついて一人で歩くエリカを見てると放って置けなくなり荷物を
 奪い取って一緒に下校してやった。本当なら美夏と帰るべきなのだろうが・・・・見ていられなかった。

  てかこいつは絶対モテてるんだから周りの男連中も放って置くなよ、絶好のチャンスじゃねぇか。いくらガキとはいえそれぐらい分かる筈なのに
 とオレは思う。その事をエリカに言ってやったら予想通りというかなんというか、その申し出を断ったという。

  義之以外の男はどうでもいい。男名利に尽きる言葉ではあるが――――参ったな、こりゃあ。益々別れを言い辛くなった。


 「んで今晩の料理はどうするんだ? またインスタントラーメンか」

 「ちょ、ちょっと! その言い方だと私が毎晩インスタントラーメンを食べてるみたいな言い方じゃないっ!」

 「え、ちゃうの?」

 「当り前よっ! ちゃんと料理を作ってるわ、まったく。どこからそんな妄想が飛び出したか知りたいところですわね」

 「・・・・うーむ」


  こいつは何故か料理が出来るイメージが無い。お嬢様という事もあるが・・・・なんか、こう、不器用なイメージがあるんだよなぁ。

  包丁で手なんか切りそうだし切ってもサイズがバラバラとか。あと物を焦がしたりとそういうイメージがオレにはある。

  台所を見るとまぁ一応綺麗にはなっているがな。そしてエリカに視線を戻す。料理―――これじゃ出来ねぇな。


 「帰る前に料理を作ってやる。少し台所を貸せ」

 「え、ええっ!?」

 「とりあえずあるもんで作るから文句は言うなよ。あとお前は座ってていい。神聖な料理の邪魔だからな」  
           
 「わ、悪いわよそんなの。なんのおもてなしも出来ていないのに・・・・」

 「そんなくだらねぇ事気にしてんじゃねぇよ馬鹿野郎。そんなもん最初から期待してねぇしオレが勝手に料理したい
  だけだ。黙ってそこで餌を待ってな」

 「え、餌・・・・」


  返答を聞く前に台所に立つ。勝手に冷蔵庫を開けるのは失礼だと思うが相手はエリカだし文句は無いだろう。

  中身は・・・・野菜一式に牛肉か。それにお嬢様の晩酌なのか酒もある。あと諸々を見るに――――チンジャオロースでいいか。

  スープはさすがにインスタントでも構わないだろう。そこまで文句は言わせねぇ。このオレが作ってやるんだから。


 「・・・・あ、ありがとう」

 「あー? 何にも聞こえませーん。同情するならお金を下さーい」

 「――――――ッ! し、知らないわっ!」


  そんなに怒るなっつーのカルシウムが足りてねぇんじゃねぇのか? 牛乳飲んで煮干し食えよ。そうすれば少しは落ち着いた子になるだろう。

  そして料理する事数十分で出来上がる。あんまり手間暇掛けた訳じゃないからこんなもんだな。テーブルの上に並べてやる。

  こちらをチラチラ見て何かを言いたそうにしているエリカに向かって「早く食べろよ、洗いもの済ましたいから」と言うとまた怒り出してしまい
 ガツガツ食いはじめた。うん、良い食いっぷりだ。オレの好感度急降下だぜこのやろう。あんまりガツガツした食い方は好きじゃない。丁寧に御飯
 を食べる女性にオレは魅力を感じる性格なんだよ、エリカ。もっと丁寧に食えよな。御飯粒なんか零れてるし。


  まぁ、こういう姿も中々新鮮で可愛いかもしれないけどよ。


  そう思って見詰めているとエリカと目が合った。途端に顔を朱色に染めて今度はモソモソ食い始める。さっきまでの自分の食い方を思い出したのだろう。

  毎回こんな感じで可愛いければいいんだが・・・・時々凄く悪婦みたいな振る舞いをするから困る。それも急に女らしさを全面に出してくるので
 困惑する事が最近多い。いや、去年からか。最初会った時はもっと分かりやすい奴だったんだが――――なんか変わったよな、こいつ。

  もっとも変わった要因はオレだから人事ではない。オレを好きになったばかりにここまで性格を捻じ曲げたエリカ。謝罪したい気持ちが湧き出てきた。


 「――――お粗末さまでした」

 「え、あ、ああ。食い終わったのか、もっとゆっくり食ってもいいのに」

 「いえ、義之はどうやら早く帰りたい様なのでそんな事出来ませんわ。さっきからなんだか時計を意識してますもの。そんな
  姿を見せられたら気が気じゃありませんわね」

 「そんなに怒らないでくれ。さくらさんが今日はオレの手料理を楽しみにしてるんだ。今頃一人でポツンと待ってるだろうし、な」

 「・・・・分かってますわ」


  リスみたいに頬を膨らませる。まるでおもちゃを買って貰えなくてダダを捏ねている子供みたいだ。微笑ましささえある。

  だから頭を撫でてご機嫌を取りに掛かった。まぁたまにはこれぐらいしていいだろう。エリカには最近急に冷た過ぎたからな。

  撫でられたエリカは恥ずかしそうにあたふたしていたが、段々頬を緩ませてにやにやし始める。うん、可愛くもありキモい。


 「きめぇ」

 「な、なんですってっ!」

 「すまない、思ってた事を口に出してしまった。どれ、洗い物をしてくるか」

 「待ちなさいよ、義之っ!」


  後ろでぎゃーぎゃー騒いでるエリカを無視して食器を台所に持っていく。オレも少しは大人にならないといけないかもしれない。思っている
 事を口に出して生きていける程世の中は甘くないからなぁ。教訓にしておく事にする。

  さて、早く洗い物をして帰るか。あんまり長居したらどうなるか分かったもんじゃない。もしあのエリカが出てきたら――――危険だ。

  今の雰囲気、これがベストな雰囲気だ。お互い笑い合い異性を意識する事なく喋れるこの雰囲気。これを維持したまま帰る。


  そうして洗い物をしている―――と後ろに気配を感じる。振り返るともじもじしながらエリカが立っていた。座ってろって言ったのに。

  顔を伏せて表情が読みとれないが大方手伝いに来たのだろう。こいつらしいと言えばらしいがハッキリ言って怪我人が居ても邪魔なだけだ。

  座ってろ。そう言おうとして、言えなかった。顔を上げたエリカ―――熱に浮かされていた。あのエリカだ。口は愉悦そうに歪ませている。

  雰囲気が、変わりつつある。オレが睨むように目を見据えても全く動じない。こういう時のエリカは別人かと思うほどに強くなる。


 「・・・・なんだよ、エリカ」

 「ふふ、お礼をしに来たのよ」

 「別に要らねぇ、座ってろ」

 「そうはいかないわ。帰り道に付き合ってくれて料理も作ってくれて・・・・挙句の果てには後片づけまで―――感謝してもしきれないわ」

 「オレが勝手にやっただけだ。いいから怪我人は怪我人らしく―――」

 「だから、見て」

 「な―――――」


  ゆっくりスカートを上げて焦らすように中身を晒そうとするエリカ。オレが視線を背ければいいだけの話だが、オレは目が離せないでいた。

  きめ細やかで細い太もも、外国人特有の透き通っている肌、控え目にいっても雑誌のモデルなんかよりは美しい足が見えてきた。

  思わず唾を飲み込んでしまう。緊張してるのか、興奮しているのかは分からない。だが確実にオレにもエリカの熱が移ってきたのは分かった。

  エリカも興奮しているのか息が荒々しい。目もトロンとしてきている。雰囲気が一気に変わった。もう微塵も残っていない。



  そして見えるエリカの―――恥部。下着はつけていない。オレが台所に向かう時に脱いだのだろう。淡い茂みと小さな割れ目が見えた。



 「ば、ばかやろうっ! なにやってんだよっ!」

 「あ、あはは。見せちゃったね、私の大事な所・・・・でも嬉しい。義之がそんなに興奮してくれるなんて」

 「――――ただの生理反応だよ、だからとっとと下着履けよこのバカ!」


  ジッとオレの股間を見詰めてくるエリカ。くそ、情けねぇ。思わず反応しちまった。いくら仕方ないとは言え今の状況でこれはまずい。

  スカートを下げ足をトントンしながら片足でオレの方に擦り寄ってくる。顔はもう先程みたいにガキじゃ無くなっていた。

  まるで娼婦みたいに興奮と恥ずかしさで朱色に染め上げている。そんなエリカの顔にオレは動けないでいた。

  そしてオレの手を持ち自分の恥部に添える。くちゅりという湿った音、濡れていた。


 「ん・・・・私も興奮したのかな、義之がそんな風になってくれて嬉しかったから。ねぇ、もっと動かして」

 「・・・・っ」

 「何を我慢してるの? 私としたくないの? 私はしたいわ―――義之と。ねぇ、だからいいでしょ?」

 
  ぎこちなくオレの股間を空いた手で擦りあげてきた。あまりにも稚拙な指使い、だがそれで十分だった。先ほどよりも大きく屹立してしまう。

  その反応に満足したのか唇を舌でなぞり上げる。ぞくっとするほど色っぽい仕草。もうガキなんて言わせない程大人っぽい仕草だった。

  もうやばい。この雰囲気に流されてしまう。美夏の事を考えなんとか押し留めているが時間の問題だ。頭の中がだんだん霞んでいくのが分かる。

 

  何とか気を紛らわせようと視線を彷徨わせて――――上を向くと棚から包丁が落ちて来ていた。


  位置から考えるに落ちる場所はエリカの首。きっと血が溢れだす。今度は怪我なんて済まない。


  死神の鎌。そう思わせるような意思を感じる不気味さだった。頭の中が急速にクリアになっていく。



 「危ねぇっ!」

 「え――――」


  思わずその落ちてきた包丁を掴んでしまう。余程勢い良く掴んでしまったのか血が溢れだした。エリカが小さく悲鳴を上げる。

  鋭い痛みに顔を顰めながらもその包丁を丁寧にキッチンテーブルに置いた。手を上げてなるべく流血しないようにしながらエリカに
 救急道具を持ってこさせるように頼んだ。エリカは慌てながらもケンケンしながらそれを取りにいく。

  これだけの怪我で済んでよかった。もしエリカに当たっていたら死んでいただろう。想像したくない考えだ、すぐに打ち消す。


 「も、持ってきたわ義之!」

 「ああ、ありがとうな」

 
  中身を漁って適当にアルコールを掛ける。傷は思ったより深くない、見た目は派手だったがそれだけだ。傷も残らないだろう。

  口に包帯の端を咥えグルグル巻きにしていく。オレのそんな様子にエリカは涙目になりながらオロオロしてオレの服を掴んできている。

  オレが余裕そうに眉を上げると安心したのかホッと息を付いた。お前がそんなに焦ってどうするんだよ、まったく。


  処置を終えて手を握ったり開いたりして感触を確かめた。さすが喧嘩慣れしてるだけあって我ながら完璧だ。惚れ惚れするな。

  その事をエリカに言うと「バカ・・・」と言いながら肩をぺシンと叩いてきた。先ほどの雰囲気はもう無い。いつものエリカだ。

  幸か不幸かオレが怪我した件でもうその気は無くなったらしい。ありがたい事だ。あの状況がちょっとでも続いたら堕ちてたかもしれない。


  まぁ、何より――――エリカに怪我がなくてよかった。こいつもツイてねぇよな、骨折したり死にそうになったりよ。


 「お前は怪我してないか? 結構危ういタイミングだったからよ」

 「だ、大丈夫・・・・義之がいち早く気付いたお陰でかすり傷一つないわ。本当に―――ありがとう」

 「それはよかった。ていうか棚の整理ぐらいちゃんとしておけよな、まったく」


  そう言って頭をポンポンしてやる。エリカはオレに怪我させた事を余程後悔してるのか頭を何回もコクコクした。

  怪我が無いならそれはそれでいい、血を流した甲斐があるってもんだ。傷は男の勲章だと思っておくか。

  救急箱を片付けて身支度を整える。そろそろ帰らないといけない時間だ。腹を空かした母ちゃんが待ってる事だし帰るとするか。


 「んじゃ、そろそろ行くわオレ。ちゃんと安静してろよ」

 「う、うん。なんだかごめんね今日は。色々させちゃって・・・・怪我まで」

 「別にいい。オレが好きでやった訳だし怪我も大した事はない。喧嘩で殴って傷付くより百倍マシってもんだ」

 「・・・・そう」

 「だから気に病むなよ。お前はいらん事まで気を回すからな」

 「好きな男の子に色々負担を掛けたんだから気にするのは当り前よ。本当にごめんね」

 

  好きな男の子。口に出して言われると・・・・なんだかこっ恥ずかしいな。エリカも言って恥ずかしかったのか顔を伏せる。

  さっきまで淫らに誘惑した女とは思えないな、まったくよ。こいつは裏表が激し過ぎる。少しは素直になってくれればいいんだが・・・・。

  オレはこのまま押し問答するわけにもいかないのでやや強引にエリカに別れを告げる。もうさっきみたくなるのは御免だからな。


 「じゃあ、また明日なエリカ」

 「・・・・うん、ばいばい」

 「ばいばい」


  名残惜しそうな眼をしてるエリカに背を向け家を出た。そして一息つく。なんだか色々疲れたなぁ、ちきしょう。

  手も痛いし誘惑に乗りそうになるし散々だ。そう思いさっきの事を思い出す。エリカが死にそうになったさっきの事を。

  何故あんな位置に包丁がある? 普通は台所の下の棚の中にあるか包丁差しに収まってる筈だ。間違っても『上』から来るものじゃない

  いくらエリカとはいえあんな所に包丁を置く訳が無い。背も高い訳じゃないから更にその可能性は低くなる。


  なんとも――――不自然だ。考えれば考える程あの状況が起こる確率は低い。故意的な何かが起きたとしか思えなかった。


 「薄気味わりいな。エリカに何もなきゃいいんだが・・・・」

 
  別にオレはエリカを嫌ってる訳じゃない。むしろ好きだ。好きだからこそこんなにも悩んでいる。

  もし何かあったらと思うと―――いや、やめよう。こういう事を考えているとロクな事が起こらない。

  頭の片隅にでも気に留めく事にするか。そう考えオレは帰路に着いた。

























 「・・・・・少し、焦り過ぎたかな」


  でも我慢出来なかった。あの娼婦みたいな子に義之くんが襲われるのを指を咥えて見ていられなかった。

  だから死なないにしても一生ベットの上に居て貰おうと思った。義之くんを守らなきゃいけない、そう思ったから。

 
  だが――――

       
 「うーん。もし成功してたらその場に居る義之くんに迷惑掛けちゃってたなぁ。警察なんてどうにでもなるけど・・・・失敗」


  ボクが言えばあった事も無かった事にされる。コネって案外役に立つもんだね。今までは好んで使わなかったけど少し考えを変えてみるか。

  そして後悔の念に駆られる。義之くんが怪我したあの手、間接的ながらもボクがやったようなもんだ。謝って済む問題ではない。

  せめて言葉では無く態度か行動で表わさなくてはダメだ。そう思い私は考える。義之くんに何か出来る事、あげれるものを。


  義之くんが好きな物って言うと服かな。最近なんか集めてるみたいだし。でも私のセンスで選んでも本人が気に入らなきゃ意味が無い、却下。

  無難に小物って線もあるがそれも先程同様却下。お洒落な人は自分でそういう物を選びたいしいくら高価な物であってもそれは変わらない。

  お金―――論外だ。お金でどうこうする程ボクは腐っていない。確かにお金は皆の好物だろうけどそれに頼ったらお終いだ。


 「にゃぁ・・・・難しいな」


  気持ちを形にするのがこんなにも難しいとは。でもしょうがない、何十年ぶりかの恋なのだから。

  前髪を弄りながら考える。んにゅ、少し髪伸びてきたかな。そろそろ行きつけの美容室に予約をいれるとしよう。

  とりあえず考えは保留。時間が無い訳じゃないし今すぐって訳でもない。ゆっくり考えようとして――――閃いた。


 「おー・・・・これなら義之くんもハッピーだしボクも凄くハッピー。きっと気に入ってくれるね、うん!」


  さすがボク、いい考えが閃いた。これなら義之くんも嬉しい思いをするだろうしボクも凄く嬉しい。これ以上無いアイディアだ。

  お金なんて絡まないし愛だけあれば済む。

  ボク達にとてもふさわしい形だ。

  両手を顔に伏せ笑みが込み上げてくる。あまりにもいい考え過ぎて。


  ああ、早く帰ってきてくれないかなぁ義之くん。今日は絶対に忘れられない日になる。
































 「ただいまーっす」


  やっぱりこの時期は寒い。体が冷えまくって感覚が麻痺ってやがる。特に坂道なんか車の追い風で寒いこと寒いこと。

  中には一応重ね着をしているが気休めだ。初音島は周りに海があるからそれも影響して空気が凍ってるみたいだぜ。


 「おっかえりいぃぃぃぃぃーーーー!」  

 「おおっと!」


  さくらさんが駈け出して来たと思ったらぴょんと跳ねてオレに抱きついてきた。慌てて体に手を回し支えてやる。

  なんとか小柄だったので支え切る事は出来たが・・・・さくらさんは何が嬉しいのかニコニコしている。うん、可愛らしい笑顔だ。

  しかし何か余程嬉しい事でもあったのだろうか。確かに最近異常なまでにひっついてくる事は多かったがここまでの事は初めてだ。


 「大丈夫~? お外寒かったでしょう?」

 「まぁ、いつもの事なんで平気っちゃ平気ですけどね。それしても今日のさくらさんはご機嫌ですね? 何かあったんスか?」

 「えー別に普通だよぉ。ささ、あがったあがった」


  オレから降りて手を引っ張って居間に連れてかれた。何も無いと言っていたが嘘だろう、もう嬉しくてしょうがないといった雰囲気だ。

  そして居間を見て―――驚いた。料理を作ろうと思っていたが既にテーブルに食事が並べられていた。それも豪勢、正月以来だぞこりゃ。

  大体が和食中心になっているが多くの色彩が目につく。マジで何があったんだよ。普段財布の紐が固いさくらさんらしくない。


  
  さくらさんと視線が合うとニンマリ笑みを向けてきた。凄くいい笑顔で可愛い笑顔だったが――――何故かぞくっとした。
 
    
 「さぁさぁ、どんどん食べてねっ! おかわりもあるよ!」

 「さ、さくらさん? 何があったんですかマジで。こんなに豪勢な食事なんか用意して・・・・ていうかタイまであるし」

 「ずっと冷凍してたけど今日は使っちゃおうかなと思って。あと別に何もないよ? ただそういう気分なだけ。義之くんにも
  あるんじゃないかな? なんだか知らないけど機嫌がよくなる日って」

 「・・・・まぁ、確かにありますけどね。無性に楽しくなってきたり逆に落ち込んだりありますが」

 「そういう事だよ。変に勘ぐる事はないから冷めないうちに食べちゃって」


  そういって席に着くさくらさん。怪訝に思いながらもオレは対面に着く。なんだか訳が分からねぇが・・・・美味いモン食えるしいいか。

  機嫌が良いって事は悪い訳じゃないしそんなさくらさんを見るとオレも嬉しくなってくる。こんなに感情を出してるさくらさんも久しぶりだしな。

  とりあえずカバンを置き上着を脱ぐ。さて、なんだか知らないが頂くとしますか。


 「いただきまーす!」

 「・・・・いただきます」


  やけにハイテンションなさくらさんに尻込みつつもオレも声を上げる。う~ん、それにしても喜び過ぎなんじゃねぇか?そんなに喜んだら
 脳卒中で死んじまうぞさくらさん。

  そんなオレの思いを知ってかしらずかパクパク料理を消費していくさくらさん。それに遅れを取りながらもオレも適当に箸でつっついた。

  まぁ確かに美味い事は美味いんだけどな。味も染み渡ってるし気合いの入れようが伝わってくる。手は抜いていないようだ。

 
 「どう? おいしいかな」

 「ええ、普通に美味しいですよ。すごく丁寧に料理したんだなって伝わってきますしオレの好物も多い」

 「あ、そこのあさりのスープなんかも特に美味しいよ。飲んでみて」

 「じゃあ遠慮なく・・・・・ああ、結構いい味してますね。さくらさんオリジナルですか?」

 「へっへー、まぁね。ちょいとさくらさん特別の調味料を入れたから普通とは違うでしょ?」

 「だと思いましたよ、なんだかいい匂いもしますし・・・・。何入れたんですか」

 「それは秘密だよ。いい女には秘密が多いのだっ!」

 「はは、何ですかそれ」
  
 
  本当に嬉しそうに笑うなぁ。そう思い山芋に手を伸ばす。うん、ふかふかして美味い。冷めた体が温かくなる。

  そんな感じで終始さくらさんのテンションが高いまま食事は進んでいった。オレもそれにつられるように楽しくなってきて気が付けば
 二人で大笑いしながら話をしていた。こんなにもさくらさんと笑う合うってもしかして初めてじゃないか?

  数十分を過ぎて大体は完食してしまった。食いきれ無くて残ったやつはラップに掛けて明日に持ち越しだな。弁当にするにもいいかもしれない。

  そしてオレが後片付けをしようとするとさくらさんが止めてきた。オレとしてはここまでの物を作ってもらったんだから後片付けぐらいしたいのに。


 「いや、ここまでの事をしてもらったんだから片付けぐらいしますってば。さくらさんは座ってて下さいよ」

 「いいよいいよ。それしても義之くん、なんだか体から臭うよ? 何か臭いモノにでも触った?」

 「え、マジっすか?」


  腕を鼻にくっ付けてクンクン匂いを嗅いでみる。しかし臭うなんて事はなく、逆にエリカのいい香りがした。

  その他の所を嗅いでも結果は同じ。別に臭いとは思わないけどなぁ。エリカの香水ってオレは好きだし落ち着く。


 「ボクはとても臭うと思うけどなぁ。まるで腐った果物みたいな匂い。お風呂入って来た方が良いよ、お風呂沸かしてあるから」

 「は、はぁ・・・・」


  食器を持って台所に引っ込んでいくさくらさん。腐った果物みたいな匂いねぇ、オレには落ち着くレモンの香りしかしないけどなぁ。

  匂いなんてものは人それぞれ感じ方が違うからさくらさんにはお気に召さなかったのかもしれない。オレも嫌いな匂いとかあるしな。
   
  とりあえず風呂に入るとするか。臭いなんて言われたらやっぱり気になるし今日は疲れた。風呂に入って疲れを取る事にしよう。


  風呂に入る前にさくらさんに一声を掛けた。奥から「ごゆっくりどうぞー」という機嫌の良い返事が帰ってきたのでオレはそれに苦笑い
 しながらも洗面所に行き服を脱いで風呂場に入る。さくらさんの言った通り沸かしたばかりなのか熱い湯気が体を包み込んだ。

  おーなんかハーブまで焚いてるのかこの匂いは。やけに今日はなんでもかんでも豪勢な日だなオイ。少し不安になるぞ。

  ちょっと匂いを嗅いでみるが・・・・これはラベンダーか。確か疲れを取る効果があった筈。気が効いてるな今日のさくらさん。


 「本当に今日は何があったんでしょうかねぇ・・・・っと」


  シャワーで体全体を濡らしシャンプーで頭をわしゃわしゃする。どうでもいいけどこの時ってなんで視線を感じたりするんだろうかね。

  そしてあっという間に頭・体と洗い終え熱い風呂の中に。芯まで冷たくなっていた体が急激に温かくなっていく。「ふぅ」とため息がもれてしまう、

  それにしても悪い事したなぁ。さくらさんがこの家の大黒柱なんだから一番風呂を譲ってやるべきだったかもしれない。オレなんてただ学校行って
 鼻水垂らしてるようなクソ餓鬼なんだから。入って少し後悔する。

  でもあの雰囲気じゃ風呂に入るしかない。臭いとまで言われ台所に引っ込まれちゃあな。顔を湯で洗いボォーっと天井を見上げた。

  明日はどんな日になるのか――――とバカな事を考えていたら脱衣所から人の気配がした。さくらさんか? 何の用事だろうか。



 「んーさくらさんですか、どうしたんです?」

 「よっしゆきくーん、一緒にお風呂に入ろうっ!」

 「は――――」


  パンと扉を開けてさくらさんが入ってくる。驚いて硬直してしまったせいでさくらさんの体を思いっきり見てしまった。

  オレよりは全然年上の筈なのに若々しい肌に小ぶりの乳房、綺麗な金髪に―――局部。タオルでなんて隠していなかった。

  オレは慌てて目を背けたが心臓が激しく波打っていた。そんなオレに構わずさくらさんはシャワーのハンドルを回し体を洗いはじめる。


 「・・・・な、なんのつもりですかっ!?」

 「ん~? たまには一緒に入ろうかなと思って。別にいいでしょ、家族なんだから」

 「家族だからって――――」

 「何か問題あるの?」

 「・・・・あ、いや、あるというかないというか・・・・」


  なんとか気持ちを落ち着かせて問いかけてみたが軽くいなされてしまった。家族だから関係ない、大ありだ。そもそもオレとさくらさんは
 血が繋がっていないんだから。

  さくらさんは鼻歌を唄いながら体をどんどん洗っていく。目を背けているが音が耳に入ってくるのでどうしようもない。

  一体どういうつもりのか。いくら機嫌が良いとはいえここまではっちゃけた行動を取る様な事なんて今まで無かったし考えられない。

  
  何か―――あるのか。そう考えてみたが思い当たる節が一つも無い。余計に頭が混乱するだけだ。


 「よぉし体は綺麗になったと。じゃあ・・・・お邪魔しまーす」

 「え、あ――――と」


  オレの横に座り込むように体を湯の中に入れてきた。二人分の体重に湯が溢れだす。オレは少しさくらさんとの距離を空けるように少し体を
 ずらした。あんまりくっ付かれてはオレがもたない。

  しかしそんなオレの行動が気に入らなかったのか更に身を寄せてきた。腕に感じる胸の感触。少し自分の顔が熱くなるのを感じた。

  そんなオレの様子を見抜いたのかさくらさんがくすくす笑い出した。くそ、マジで状況が掴めねぇ。


 「案外ウブなんだね義之くんて。不良さんなんだからこれぐらいで動じてちゃ全国制覇は出来ないよ?」

 「べ、別に全国制覇なんて狙ってませんよ。昭和じゃないのに・・・・」

 「ノンノン、それじゃあダメだなぁ。何事も中途半端はよくないよ。最近の若い子は気合いがまったく足りてないんだからそれぐらいの
  気概をもって生きていかないとこの先が大変だよ?」

 「はあ」

 「それで―――ボクの胸の感触はどうかな? 小さいと思うけど形はいいでしょ。このスタイルを維持するのは大変なんだから」

 「・・・・さくらさんは食いたい物は食うのが座右の銘でしょう? 維持なんて言っても大した事はしてないっスよね」
      
 「あー言うねぇ・・・・。まぁその通りなんだけどさ、にゃはは」


  笑いながらオレの首に腕を回してくる。さっきよりもダイレクトにさくらさんの体を感じられた。頭がのぼせ上ったようにクラクラする。

  顔に手をやり冷静に考えてみる、考えられない、無理矢理頭を回転させる。冷静に感情を挟まずこの状況を判断する。

  
  ――――異常だ。もう疑う余地は無い。雰囲気に呑まそうになったが明らかにおかしかった。

  元々さくらさんは奥ゆかめしい性格。確かにノリは良く集団でこういう事をするなら乗っかるタイプだがさくらさん一人ではこういう事はしない。

  自分を大切にする人だしいくら家族といえども明確な線引きは決めていた筈だ。それはオレがさくらさんに引き取られた時から決まっていた。

  その線引きが今この状況では無くなっている。『他人』というカテゴライズをオレに当て嵌めていない。さくらさんの笑い声がオレの耳をつつく。


  絶対に何があったか聞き出してやる。さっきまではのらりくらりはぐらかされたが今度はそう行かねぇ。


 「さくらさんに聞きたい事があります。今度はちゃんと答えてくだ――――」

 「ボクの体って美夏ちゃんの体と比べてどうかな、エリカちゃんの綺麗な髪に比べてボクの金髪は綺麗? 答えてよ、義之くん」

 「―――――ッ! だからっ! オレの話を聞け・・・・て・・・」

 「まだ美夏ちゃんとはえっちしてないよね、あの子の場合すぐ態度に出るから分かりやすいし。エリカちゃんは・・・・論外か。
  義之くんは美夏ちゃんが大好きだもんねぇ――――一緒にロッジに住みたいほどさ」


 「・・・・・・」


  さくらさんのオレを見詰める眼―――怖かった。まるで感情が読みとれない。喜怒哀楽のどれも無かった。思わず頭を俯かせてしまう。


 「で、ボクの体ってどうかな? あんまりナイスバディじゃないけど自分では綺麗だと思ってるんだよ」

 「・・・・綺麗で、可愛いと思います」

 「おおー綺麗と可愛い両方もらっちゃったよ。こりゃあ女冥利に尽きるねぇーうんうん。ありがとうね、義之くん」

 「・・・・いえ」

 「えぇーとさっきは何を聞きかけてたんだっけ・・・・ああ、そうそう。なんでボクが義之くんにこんな事してるか、だっけ?」


  わざとらしい、聞いてたくせに。

  オレは相変わらず頭を垂れたままだった。まるで叱られたガキみたいに、冗談じゃない。

  なんでオレがこんな思いをしなくちゃならねぇんだ。水を掛けられ消えかけた蝋燭の炎がまた燃えだす。

   
 「義之くんはさ、ボク一緒に居たい? 死ぬまでずっと・・・・一生」

 「いい加減に――――」

 「ごめん。でも真面目なんだ、怒らないで答えて欲しい。よく考えてね」

 「・・・・・」


  声質が本気の時の声に変わった。いつもさくらさんは真面目な時はこんな声を出す。

  よく考えろ―――考えるまでも無い。オレはさくらさんを尊敬している。人生の目指すべき人間とさえ思っていた。

  寛容深く、時には厳しく、そしてオレみたいな人間をここまで育ててくれた恩人、母親。言われなくても一生傍に居てやる。


 「もちろんです、オレは――――さくらさんと一緒に居たいです。出来るなら一生」

 「・・・・本当に?」

 「答えた通りです。だから―――――」

 「今言った言葉、忘れないでね」

 「は・・・・?」


  なんの事だ。そう言おうとして唇を塞がれた。いきなりのキス。さくらさんがオレの頭を両手に持ち舌を捻じ込んできた。

  動かない体。体重を上手い具合に掛けられているのに気付かなかった。おそらくオレに抱きつきながらそうなるように移動したのだろう。

  さくらさんの舌から必死に舌を動かして逃げるがとうとう追い詰められ、ねっとり舌を蹂躙された。


 「・・・んっ!・・・・・ぅ・・・く」

 「・・・・・・ぅん」


  何秒か、数十秒か時間の感覚が分からない。頭がぼやけてくる。こんなにもオレは弱い人間だったか。

  たかがディープキスなのに快感が絶え間なく押し寄せてくる。もう自分を保ってるのに精いっぱいだ。

  さくらさんはもう十分に満足したのか口を離した。しっとり唾の橋が出来上がる。その卑猥な光景にまた顔が熱くなってしまった。

  息が出来なかったので荒く息をついているオレとは対称的にさくらさんは余裕そうな表情をしていた。


 「ボクはね、魔法使いなんだ。小さい頃から魔法使いで生きてきた。きっとこれから先もそう、ボクは歳を老いる事なく生きてくんだと思う」

 「・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 「今までもそうだった。何十年も経つのに体に時間が刻まれない。慕っていたお兄ちゃんはいつの間にかおじいちゃん。こんなボクじゃ
  一緒に歩いてくれる人はいない。孤独・・・・・すっとボクは孤独だった。何十年間も」

 「・・・・・」

 「だから桜の木に祈った。家族になれる人が欲しいって、一緒に歩いていける人が欲しいって。そして出てきたのが――――義之くん」

 「え・・・・・」


  言われて・・・・ショックを受けた。オレがあの桜の木から? 魔法で? おいおい、マジかよ。さくらさんが魔法使いって事は知ってたけど。

  しかしすぐに納得出来た、出来てしまった。オレの初めての記憶はあの桜の木。薄々勘付いていたのかもしれない、オレがそういう存在なのだと。


  だが――――今、この局面で大事な事はそれじゃない。それよりもっと重要な事。それをオレは一番聞きたかった。

  何故オレにキスしたのか、何故こんな話を急にし出したのか、何故オレをそんな愛おしい眼で見ているのかを知りたい。

  いや、本当は聞きたくないのかもしれない。もし聞いたら後戻り出来なくなるから。あの日常に戻れないのが―――果てしなく怖かった。


 「驚かないんだね。話したら心臓が止まる程驚くと思ったのに」

 「・・・・大体予想が付いていましたから」

 「にゃはは、すごいね。さすがボクの・・・・家族って所かな? じゃあボクが義之くんを一人の男性として愛してるって言ったらどう思う?」

 「――――――ー―ッ!」

 「あ、今度は驚いたね。それほどビックリしたのかな? 別に気付いててもよさそうなんだけどなぁ、ボクの気持ちについて」


  違う、聞きたくなかっただけだ。家族からの親愛の言葉ではなく異性としての情愛。自分としてはかなりのショックだった。
  
  小さい頃から何もかもをさくらさんに教わりオレの母親代わりだった人。オレとしてはそういう存在なのだ。確かに愛はある。あるがそれは
 異性としてではなく家族としてだ。そんな人からの告白にオレは戸惑うばかり。何を言っていいか分からない。

  だから無意識に気付かない振りをしていた。オレの体に触れてくるさくらさんの手、気が付くとオレの方を黙ってジッと見詰める
 切ない眼、オレが美夏の話をする度に悲しそうに頭を垂れるその態度。全部にオレは目を背けていた。  
  

 「でも別にいいや。義之くんはボクと歩いて行くって決めてくれたし、うん。ありがとうね」

 「――――違う」

 「え?」

 「オレは美夏と歩いていきたいんです。さくらさんの事は好きですがそれは異性の愛じゃない、すみませんが―――――」

 「ふぅん。さっきの言葉は嘘だったって事? ボクさ、言ったよね、よく考えてって。今更そんなの覆せないよ」

 「それは・・・・」

 「それに――――異性の愛が無いならココはこんなにならないと思うけどなぁ」

 「あ・・・・」 


  さくらさんの柔らかくすべすべした手がオレの陰茎を包み込む。優しく撫で上げるよう様な手つきで擦りあげてきた。

  触られてオレは初めて気付いた。これ以上ないぐらいに堅くなって屹立している自分自身に。

  そして感じる違和感、なにかがおかしい。まるで自分の意思とは無関係に熱くなる体と泥の中に埋まる様に鈍くなる頭。


  まさか――――


 「盛りましたね、何か」

 「にゃはは、もうバレちゃったのか。もうなんでもかんでも勘が鋭いというかなんというか・・・・」

 「卑怯じゃないですかこんなの。薬を使ってこんな事までするなんて・・・・それにこのハーブにしたってそう、何か特別性なやつ
  使ってますよね? だからこんなにも体と頭が重い。きっと相乗効果でこんなにもオレの体は言う事を聞かなくなっちまってる」

 「・・・・」

 「だけど―――屈しませんよこんなのには。こんな卑怯な手を使うさくらさんにははっきり言って失望しました。
  オレを好きだとかなんとか言ってこんな回りくどい手を使うなんて・・・・オレはさくらさんの事を――――」

 「座って」

 「あ―――」

 「もう一度言うよ。座って」

 「・・・・・」


  また――――あの眼だ。さくらさんがオレを見据えるあの怖い眼。立ちかけた腰をまた落ち着かせる。

  とてつもなく力を持った眼だ。エリカのものとは比べ物にならない。アレは演技であるから多少は跳ね返せるがこれは違う。

  命令、そう命令だ。オレを強制的に従わせる何かを持っていた。何か―――思い当たるものがあった。


 「ふふ、そうだよね。義之くんはボクを尊敬してるもんね―――自分の生き方を決めるぐらいに。そんな人の言う事に逆らえる訳ないもんね」

 「・・・・・・・」      
  
 
  さくらさんを心の底から尊敬しているオレ。それを逆手に取らている。どうあってもオレじゃさくらさんに逆らえない。

  ずっとガキの頃から自転車の補助輪代わりに見守ってくれた人。補助輪が無い自転車はどうなるか―――決まっている、ただ倒れるのみだ。

  もう心にしっかり刻まれているさくらさんの存在。さくらさんはそれを知っていてこの手を使って来ている。


  当然、頭に来た。ふざけやがってという気持ちがどんどん湧き出てくる。知らない内に手が固く握られていた。  


 「でも勘違いしないでね、この気持ちに気付いたのはつい最近だからさ。最初からこんな風にするために――――」

 「わからねぇだろうが、そんなこと」

 「え・・・・・」

 「こんなオレの心を踏みにじる行為をしておいてよくもまぁそんな事が言えたもんだ。感心するよ、さくらさん」

 「義之くん・・・・」

 「結局あんたはオレを思い通りにしたいだけなんだろ? さっきから聞いてればまるでオレの話を聞いちゃいねぇ。
  自分の考えを押し通して言いたい事を言ってるだけに過ぎない。よく好きだとか言えたもんだ」 

 「で、でも義之くんはボクと一緒に居るって・・・・」

 「なら嘘つきで構わない。オレさ―――段々さくらさんの事が嫌いになってきたよ」    
    
 「・・・・・!」

  
  さくらさんの事を嫌いになる――――ハッタリだ。オレはどうあってもさくらさんを嫌いになる事なんて出来ない。

  きっとこれからもそうだろう。それ程オレの人生に多大な影響を与えた人物、崇拝していると言っても差し支えないぐらいだ。

  だが今のさくらさんからはそういう威厳が感じられない。オレの言葉に茫然としている。少し胸が痛んだが当然の報いだと思った。


  悪いがこの場は退かせてもらう。薬の所為か頭がぼやけるし体も発熱している。間違いなんてすぐにでも起こせそ―――――


 「・・・・ぐすっ・・・・えっぐ・・・うぅ」

 「え、ちょ、ちょっと・・・さくらさん?」

 「う――――うわぁぁあああんっ!!」


  いきなり大泣きし始めたさくらさんにオロオロしてしまうオレ。予想外の反応にオレは頭がフリーズしてしまった。

  いつでもさくらさんはオレの先を行ってずっと背中を見せてくれた人だ。だから泣いた姿なんかこれが初めてだった。

  言葉を喋るのも辛い様子でしゃくりばかりあげている。とりあえずオレは背中と頭を擦ってあげて落ち着かせてあげた。

  顔を見ようとしたがさくらさんは両手を顔に伏せ辛そうにしている。しかしそんな状態にお構いなく絞り出す様な声でさくらさんは喋り出した。


 「ご、ごめんね・・・・ボクさ・・・・ぐすっ・・・義之くんの事が、本当に、好きで・・・・えっぐ」

 「わ、分かりましたから落ち着いて・・・・」

 「あ、愛してるんだ・・・・で、でも・・・義之、くんには美夏ちゃんがいるし・・・・こうでもしないと、義之くんは振り向かないと
  思って・・・・」

 「分かってますから、ね?」

 「で、でも・・・ボクの事が嫌いって・・・・うわぁぁあん」

 「嘘ですよ、嘘。オレがさくらさんを嫌いになる訳無いじゃないですか。よく考えてみてくださいよ」

 「じゃ、じゃあボクと一緒に歩いてよ・・・・! 美夏ちゃんとも、わ、別れて付き合ってよ・・・・ぐすっ」



  この時オレは余程動転していたのだろう。

  まるで頭が回らないこの状況で更に頭が回らなくなった自分。

  そして更にさくらさんが泣くという初めて見るショッキングな姿。



  とりあえずオレはさくらさんのそんな痛々しい姿なんか見ていられなくて―――いつもの笑顔を見たくて、軽い気持ちで言ってしまった。



 「わ、分かりましたよ。一生傍に居ますし美夏とも別れますから泣き止んで下さいよ。オレもさくらさんの事好きですし愛してますから」
    
 
  ――――瞬間、首に鎖を繋げられたような錯覚を覚える。もう外せない鎖。鍵の持ち主はその鍵を遠く海の底に捨ててしまっていた。 
  

 「・・・・・・・・・・そう」

 「ええ、だから泣き止んでさくらさ――――」


  さくらさんが顔に伏せていた両手をどける。泣いてなどいなかった。どきっとする程の満面の笑顔。そしてその眼で見詰められ悟った。

  
  ああ、オレはこの人に本当に逆らえないんだなと。怒りは湧いて来なかった。代わりにどうしようもない諦めが襲ってきた。 
 

  そっとオレの両頬に手を添えて優しくキスをしてくる。自分の子を愛するかの様に、慈しむ様についばんできた。



 「一生傍に居てね、義之くん。もしボクから離れようとしたら――――本当に泣いちゃうから」

 「――――あ、ぅ」


  言葉が出て来ない。さくらさんの言葉には一つ一つに重みがあった。その重みにオレは完全に動けなくなってしまう。

  ただ分かった事が一つだけある。それはさくらさんがオレの事を本当に愛しているという事だった。

  大事そうに両腕をオレの体に回してくる。そして耳元でそっと囁いてきた。


 「義之くんにあげたいものがあるんだ。ボクの『初めて』、受け取ってくれるよね」

 「――――――」

 「ほら、体をリラックスさせて。そう、そんな感じ。後の事は全部さくらさんに全部任せていいから」


  さくらさんもこの風呂場に充満している匂いでやられたのか目が潤んでいた。

  密着したさくらさんの体はとても熱く、朱色に染まっている。

  頭をぼやけながら黙ってオレはさくらさんの言う事を聞いた。
  
  
  
  そしてこの日、後戻りが出来る道が消えて無くなった。あるのはさくらさんが用意した新しい道。オレはその最初の一歩を踏み出してしまった。

















  義之くんには事実を話さなかった。私の息子であるという事を。

  そんな事を知られたら義之くんは余計な罪悪感に蝕まれるだろう。そんな思いは絶対させたくない。

  そしてもし誰かが恨んできたら全部私が代わりに受け取ってあげよう。それが私の責任、義務だと思っている。

  あの日、桜の木の下で初めて義之くんの手を引いて起こした時からそれは決まっていた。絶対この子を守ってやるんだと。

  
  皆、ごめんね


  私が用意した新しい道を踏みだす前にそう心で呟いた。謝罪―――今更許して貰おうなんて考えなかった。













[13098] 外伝 -桜― 3話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:1b395710
Date: 2010/02/19 03:44
 










 オレは最初さくらさんが大っ嫌いだった。


  あの人懐っこそうな笑顔も嫌いだったし、やたらとオレに構ってくるのも嫌いだった。小さい頃のオレはもう既に捻くれていて物事を斜めに
 構えていて可愛くないガキだったと思う。さくらさんはいつも悲しい様な困ったような笑みを浮かべてオレを見ていた。

  だが子供のオレはそんなさくらさんを見て見ぬ振りをしていつも一人で居たがっていた。基本的に人嫌いだからさくらさんに限った話では無いの
 だがさくらさんが当時で一番オレにひっ付いてきていたのでウザかったのを覚えている。

  なぜオレに構うのか。本人が嫌がっているのだから放っておいてくれ。一人で生きていく力も無いのにオレはいつもそんな事を思いに秘めていた。


  ある時、犬を拾った。大して可愛くも無く血統書でもなんでもないタダの雑種。オレが見つけた時には近所のガキ達に苛められていた。

  土の中に半分体を埋められ小石を投げられるという子供ながらの残酷な攻撃。後で知った事だがイスラムでは同様の処刑方法があると知った。

  許せられない罪を犯した者に対する見せしめの断罪。だがその犬はそんな事はしていない、ただ日々を一生懸命に生きようとしてるだけだった。

  石を投げながら残酷な笑みを浮かべている子供達―――オレは全員を血が出るまで殴り続けた。理由は無い、ただムカついたから殴ってやった。


 「くぅん」

 「うぜーから近づくなよ。汚れが移るだろ、キタねぇ」

 「くぅん・・・・」

 「――――チッ」


  オレの後ろをくっ付いてくるノラ犬。石を投げられ顔は血で濡れており、栄養をロクに取っていないガリガリの体。なんとも可哀想な姿だった。

  だから適当に鶏肉をくれてやった。晩御飯のオカズで余りモノだが犬からしたら御馳走だ。ガツガツと貪るように食う姿にオレはため息をつく。

  
 「そんなに元気ならあんな奴らぐらいやっつけろよなお前。鼠だって追いつめられれば猫を噛むんだぞ? ノラ犬なんだから強く生きなきゃ
  いけないのにそんなに弱くてどうするんだよ、このアホ犬」

 「わんっ!」

 「うわっ、だから近付くなよ! 買った貰ったばかりの服なんだぞコレっ! あーあ、泥がついちまったよ・・・・」

 「わんっ!」

 「・・・・はぁ」


  だが何故か悪い気はしなかった。オレは確かに人嫌いだが孤独を感じない訳じゃない。オレはもしかしたらこの犬と寂しさを分かち合いたかったのかも
 しれない。子供ながらにオレはそう考えていた。

  そして飼う時にさくらさんにオレは許可を取らなかった。何故だか知らないが怒られると思ったからだ。まぁガキなんざ皆同じ事を考えた事がある
 だろうな、オレも多分に漏れずそんな内の一人だったって事だ。

  それから毎日学校から帰ると家の倉庫裏で離し飼いにしてるそのアホ犬に餌をあげに行っていた。餌をあげてしばらくその犬と戯れる、そんな日々を
 結構な日数で過ごしていたのを覚えている。


  今思えばさくらさんにはすぐバレてたんだろうなぁ、ダチのいないオレが夕方遅くまで家に居ないし犬の毛を体中にくっ付けて帰って来てるのだから。

  だがオレはバカだから気付いてないと思っていた。いつの間にか倉庫裏が整理され、犬が過ごし易いように糞尿をする場所まで出来ていたのに
 さくらさんは気付いていないと思っていた。その事実に気付いたのはオレが中学に上がった頃、たまたま純一さんがポロっとその事を話したから
 気付いただけだった。

  オレの気付かない所でそういう事をたくさんしてくれたさくらさん、後になって感謝する事が多くある。その度にオレは何やら気恥ずかしい思いに
 駆られ顔を伏せていた。



 「貴方のお子さん、どういう教育をしてらっしゃるのかしら? 人を殴るなんて野蛮な事を平気でするなんてロクな子供じゃありませんわね」


  オレに殴られたガキの内の一人の親が家にやってきた。顔は怒りでピクピクしており化粧の厚い女だったと覚えてる。よく居る陰口を広める
 ようなババァだった。学校から帰ってきたらそいつが客間でさくらさんと対峙していた。

  ふすまから覗き見しているオレ。さくらさんは申し訳なさそうに小さな体を更に小さくしながらペコペコ頭を下げていた。それにオレは苛つい
 てしまう、何も悪い事をしてねぇのになんで謝るんだよと。自分の犯した事に責任を持ち合わせていないのにオレはそう思っていた。

  だがババァは当時のPTAの会長だった。もしここで話を拗らせたらただでさえ学校で浮いているオレがさらに学校に溶け込めなくなってしまう。

  そんな事をさくらさんはその時考えてひたすら謝っていたらしい。オレは腹を立たせながらその事の成り行きを見守っていた。


 「本当に申し訳ありません・・・・」

 「まったく。おかげで余計な出費まで出てきちゃったじゃない。どう責任取ってくれる気かしら?」

 「・・・・といいますと?」

 「貴方って確か有名人でしたわよね? 雑誌か何かで貴方の記事を読んだ記憶があります。たくさん賞を取られてお金も随分余裕が
  ありそうですわね。そこに飾られてる壷も随分年季が入っていますしお高いんでしょう? 私なんか息子の治療費で今月分のお金が
  随分持ってられてスッカラカンだというのに・・・・羨ましい限りですわ」

 「・・・・・・・」

 「言いたい事、分からない程子供じゃありませんわよね。まさかその体と同じで頭まで子供なのかしら?」

 「・・・・・・分かりました」


  懐から財布を取り出し数十万はありそうな束の札を机の上に置く。ババァの口が喜悦で綻ぶ。さっきまでの怒り顔がどこかへ吹っ飛んでいた。

  確かあのお金は今度の研究で使う実験器具の購入費だった筈・・・・なんだよ、ただの腰抜けじゃねぇか。そんなババァにいいように丸め
 込まれて黙って金を差し出すなんて。人が良いというよりただの馬鹿丸出しの女だ。

  まぁ―――所詮こんなものだろう。いつも偉そうにあっちこち駆け回ってるが少し脅された程度でこのザマだ。どうやらただの頭でっかち
 な女だったらしい。くだらねぇ。


 「今回はこれでお納めください」

 「あらやだ・・・・そんなつもりではなかったのですけれど。まぁくれるというなら貰いましょうか、それで貴方の気持ちが楽になれると
  いうのなら受け取ってあげます。感謝してくださいな」

 「・・・・はい」

 「そして最後に御忠告しておきます。貴方のお子さん――――とんでもない性根の腐った子供ですわね、子供から聞いたんですけれども
  友達と犬を可愛がってたらいきなり殴りかかってきたらしいじゃないですか? 大方友達がいないらしいから悔しかったんでしょうね」

 「・・・・・」

 「せっかくですから施設かどこかへ預けたらどうですか? 集団の中に入らせ規律と柔和な心を育てる、素晴らしい事だと思いますが?
  まぁ、元々が犯罪者になりそうな性格っぽいですしね。いっその事少年院にでも入れて――――ぎゃっ!」


  喋りかけた口が苦痛に歪む。鋭く吐き出された悲鳴、お金を受け取ろうとした指があらぬ方向に掴み捻じ曲げられている。

  泣きそうになりながらさくらさんを睨む子供の母親。さくらさんはその指を捻じり掴みながら口を開いた。


 「御心配にはおよびません。あの子は根は優しい子ですから。それに頭もよく、集団というものをよく理解しています。貴方のお子さんの
  ように一人では何も出来なくても数人同じ人が集まればロクでもない事をやらかすという事をね」

 「・・・く・・・ぐぅ、な、なんで私の子供がそんな事をやったと知って――――」

 「貴方をよく見るとよぉく分かりますから。多分性根の腐った子供なんでしょうね。いっその事少年院にでも入れた方がいいんじゃないですか?
  きっと同じ同類の方がいっぱいいますよ? いや、待って下さい・・・・確か少年院はおおむね12歳以上からじゃないと入れないんでしたよ
  ね確か。うーん―――失礼ですが訂正します、お寺にでも行って清い心を養った方がいいんじゃありませんか? 確か最近はそういうサービス
  を行っていると聞いた事があります」
    
 「ぐぅ・・・・」

 「ではお金を持ってとっとと帰って下さい。この家には想い出がさくさんありますから貴方のような人間に長く居て貰っては困りますので。
  ああ、でもお見送りはしてさしあげましょう。結構お年を召されてるように見えますから一人で帰るにはご不安ですよね?」

 「――――け、結構ですっ!」


  さくらさんが指を離すと慌ててお金を持ち立ちあがった。ばばぁが射殺さんばかりの視線を叩きつけてくるが、片眉を上げて詰まらなそうに
 茶を飲んでいるさくらさん。手を蠅を追っ払う様に数回振った。

  顔を引き攣らせ怒りを顔に出すが先程やられた事が効いたのだろう、足をドスドス踏み鳴らしながら玄関の戸を開け、勢いよく締めて帰って
 いった。そしてやっと息抜きが出来たのか「んー」と肩を伸ばしている。先ほどの情けない姿が嘘みたいだった。

  なんだよ―――度胸あるじゃねぇか。余裕そうに足を崩してほわほわしてる様子を見てさっきの情けない姿は演技だと分かった。金も面倒だ
 からくれてやったのだろう。さくらさんは別に金に執着してないし、吐いて捨てる程の金持ちなのだから。ただ使わないだけでたくさんのお金を
 銀行に預けていた。さくらさんの実験を援助してくれる団体なんて数えきれない程ある。数十万で面倒な相手が納得してくれるなら安いものだった
 んだろう。今思い返してみるとそういう事だったのかなと考えたりもした。おそらく間違ってはいないとオレは確信している。


 「怒らないんですか?」


  襖を開け中に入りさくらさんに聞く。さくらさんはオレが居るのに気付いていたみたいで特に驚くといった様子を見せなかった。

  人を殴るなんて行為はさくらさんの嫌いな事だしそれは子供同士の喧嘩であっても変わらない。人を傷付ける事自体さくらさんは許せない性格だった。

  でもオレの顔を見て優しく微笑むばかり。困惑するオレにさくらさんは静かな声で言った。



 「何か、怒られる様な事をしたの?」

 「・・・・していない・・・・と思う」

 「そう、だったら怒らないよ。さて、夕飯でも作ろうか」

 「・・・・はい」

 「ああ、あとね・・・・」

 「―――――?」

 「困った事があったらすぐに言いなさい、義之くんはボクの大事な家族なんだよ? 何かあったら絶対さくらさんが助けてあげる、守ってあげるから」

 「は、はいっ!」



  この日からオレはさくらさんについて調べる様になっていった。この人は一体どういう人なんだと、なんであんなにも格好いいんだろうと気になり
 始めてきた。あんな風に啖呵を切れる女性なんて周りには居なかったしその姿に子供ながら憧れを抱いてしまった。


  優しいし、頼もしいし、格好いいし――――当時のオレはそれが衝撃的な事であったから今でも昨日の様に思いだせる。


  そして倉庫を漁ると出てくるわ出てくるわ賞状やらトロフィーやらオレが聞いたことも無い資格の証明書やらの物々。オレとその場にいたアホ犬は
 驚いてしまった。いや、その犬は別に驚いて無かったな。だからその賞状を丸めて頭をポンポン殴ってやった。自分だけ驚いてるのがなんだか癪だった
 からだ。まぁ、きゃんきゃん泣いて喜んでいたからその場は良しとした。

  さくらさんの話にもよく耳を傾けるようになったと思う。今までは外国の話やら研究の話などの難しいなので聞き流してはいたが真面目に聞くように
 なった。さくらさんからしたらオレは小難しいガキで、子供が好むような遊びに興味無い子供らしくない子供だったのでそんな話しか出来ないのだと今
 の歳になってようやく分かった。一生懸命に話を噛み砕いて説明するさくらさん。本当、可愛くないガキだったと思うぜ。


  日本の風土、外国の文化、それぞれの地域の住民性、外国人差別、宗教、戦争、はたまた専門的な科学の話までしてくれた。意味は分からなかったが
 絶対大きくなったら必要になるものだと思い一生懸命聞いた。聞けば聞く程オレはさくらさんを尊敬していき、気が付いたら何処へ行くにでもさくらさ
 んの後をちょろちょろ追いかけ回すようになった。さくらさんもそれを笑顔で嬉しがっていたし、オレもさくらさんと居れて幸せだった。



  オレとはまるで正反対の存在。知り合いは多いし、みんなに期待される様な稀有な才能をもった人間。そして人の心を和ませる包容力もあるさくらさん。

  こういう人になれたらいいな。いつしかオレはそんな思いを強く抱くようになる。オレは有名人になるよりもさくらさんになりたかった。  

  こうしてオレは一生懸命に本を読み漁る事になる、一㎝でもいいからさくらさんに近づく為に。


  だからだろう、アホ犬の異変に気付かなかったのは。オレは今でも後悔している。『友達』を救えなかった事に。

 



 「おい、アホ犬。散歩に行くぞ」

 「わんっ!」

 「相変わらず間抜けそうな顔だぜ。オレに相応しいのはもっとゴツイ犬なのになんでこんな犬を飼ってるんだか・・・・時々考えるよ」

 「くぅん・・・・」

 「そんな悲しい顔するなよ。とりあえずオレが飽きるまで飼い続けてやる。だから今のウチは安心しとけ」

 「わんわんっ!」

 「本当に分かってるのかよ、まったく」


  相変わらずのアホ面の犬だ。だからあんなクソ餓鬼共に舐められるんだよ。犬って言ったら大昔は狩りとかしてた生き物じゃねぇか、しっかりしろよ。

  まぁ、力は無いが頭は良いのだろう。芸を教えたらすぐに覚えるしオレの言っている事も分かる。最近はようやく筋肉も付いてきたしやっと番犬らしく
 なってきたって所か。オレのおかげだぞ、まったく。
  
  しかしそろそろ名前を決めてやらねぇといけないな。こいつもいつまでもアホ犬呼ばわりされたんじゃ怒りもするだろう。


 「おい、そろそろお前の名前を決めてやる。カッコイイいい名前だ、喜べよな」

 「わんっ!」

 「はは、じゃれつくなよ。さて、どうしようかな。ジョンじゃ有り触れてるしレオって名前もお前には似合わなそうだしなぁ・・・・」

 「・・・・けふっ」

 「ん―――?」

 「・・・けふっ、が・・・ふ、くぅ」

 「お、おいどうしたんだよこら! おいっ!」


  いきなり痙攣をしだし短く息を早く出す呼吸。普通じゃないと思った。急いでさくらさんを呼び病院まで行った。

  もうこの時オレは茫然としていた。あんなに―――あんなに元気だったじゃねぇか。なのに急になんでこんな・・・・・。

  祈るように手を固く握りしめるオレ。もう何でもいいから助かって欲しかった。オレの唯一のダチ、死なせたくなかった。


  そして医者に許可を貰い、次に会った時には・・・・もう冷たくなっていた。死因は細菌による敗血症でのショック死。オレは医者を殴り付けた。

  さくらさんや周りの人に押さえられ動けなくなるオレ。もう自分でも何をしているのか分からない。ただただやるせない思いを誰かにぶつけたかった。

  次に気が付くとオレは家の倉庫前に居た。おそらくショックで家までの帰り道を覚えていなかったのだろう。眼の前ではさくらさんが穴を掘っている。

  あのアホ犬を埋める為だ。その様子を黙ってオレは見ていた。何も考えられないし考えたくない。ザクッ、ザクッという穴を掘る音だけが響いていた。


  なんだよ。まだ名前も決めていなかったんだぞ。これからウチの番犬として役に立って貰おうと思ってたのによ・・・・マジでアホ犬だぜ。


  手をギュウっと固く握りしめる。涙は出て来なかった。悲しい時に泣けないのが一番辛い。泣いて涙を出さないと狭い心に涙が溜まり重くなる。

  だがオレはそれに耐えようと思った。男なんだし泣いてはいけない。周りの環境が女性中心だったせいかそんな思いを抱いていた。

  更に手を握り締め耐える―――と手に何かの感触を感じた。さくらさんがオレの手を握っていた。オレは怪訝そうな顔をしてさくらさんの顔を見詰める。


 「泣いてあげて」

 「え・・・?」

 「この子、義之くんに拾ってもらって感謝してるんだと思う。普通だったらとっくに前症状が表れていた筈なのに全然そんな様子を見せなかった
  じゃない? 多分義之くんにそんな弱い所見せたくなかったんじゃないかな。オレは弱くない、強くなったんだぞ、だから心配するなって風に」

 「・・・・・・だとしたら本当にアホだ。弱い奴は弱音を吐いていいのに。最初会った時みたいに黙ってオレに弱い所を見せてればよかったのに」   

 「だから余計にそう思ったんだよ。犬は主人と認めた者に対しては弱い所は見せたくない動物だしね。最初会った時がそれなら尚更そう思うかもし
  れない。義之くんの高いプライドが移っちゃったのかな? にゃはは」

 「違う」

 「え?」

 「友達・・・・だったんだ。オレの初めて出来た友達。いつもうざそうにしてたけど、本当は嬉しかったんだ。こんなオレに懐いてくれるとは思わ
  なかったから。離し飼いにしても遠くに行かないでずっとここに居てくれたから・・・・嬉しかったんだ」

 「―――――そう。だったら尚更泣いてあげなきゃダメだよ。自分が死んだらやっぱり友達に泣いて欲しいしね」


  頭にさくらさんの柔らかい手が置かれた。よしよしという風に撫でてくる温かい手。この時の感触は一生忘れる事は出来ない。

  そして視界が霞む。汗なんて掻いていないのに勝手に眼から水が零れ落ちてきた。ぽとっと地面にしみ込む水―――涙。


 「辛かったら―――泣いていいんだよ」

 「・・・・う・・・ぐぅ・・・ひっく・・・・な、泣かない。泣いたら絶対こいつが心配する・・・・だから、泣かない」

 「義之くん・・・・」

 「ぐ・・・うああぁぁぁっ!」


  言った次の瞬間には崩れ落ちてしまうオレの体。ああ、本当に悲しい。この日、オレは初めて泣いた。今まで泣かなかった分を吐き出すように。

  いつまでもさくらさんはオレの体を抱いてくれていた。優しく包み込むように、悲しさ・辛さを全部引き受けようとするように抱いてくれた。

  
 『何かあったら絶対さくらさんが助けてあげる、守ってあげるから』

  
  その言葉は嘘でない事が分かる。さくらさんはこの時オレを助けようとしてくれた。必死にオレを抱きながら大丈夫と囁き続けてくれた。

  オレの小さい頃の記憶。ああ、これでオレは益々さくらさんをすげぇ好きになったんだよな。そしてフェードアウトしていくその風景。夢が終わる。

   
 「辛かったら泣いていいよ―――か。泣けねぇよ、さくらさん」


  さくらさんと体を重ねたオレ。美夏という愛する人が居ながらさくらさんという存在に引き寄せられてしまった。

  もう、後戻り出来なくなってしまった。逃げる事も出来ない。美夏かさくらさんかどっちを選ぶ―――選択肢なんて与えられていないオレには
 ただたださくらさんに従うしかないだろう。

  美夏と別れるのは嫌だ、さくらさんへの愛が異性のそれに段々変わっていくのが恐ろしい。さくらさんを家族としてじゃなく、異性として意識
 してしまう自分が怖くてたまらない。


  家族、ただ家族でいたかったんだ。いつまでもオレの母親であってほしかった。泣く―――そんな事をして立ち止まる猶予なんてない、なんとか
 この一本道から抜け出さなければいけない。でも・・・・それはさくらさんを拒絶する事を意味する。泣くさくらさんなんか絶対に見たくないし優
 しく微笑んであげたい。オレが小さい頃にしてもらったみたいに。



  ああ―――マジで辛いよ、さくらさん。泣きたいけど、泣けねぇよ。

   





















 「で、本当に泊まるんですの?」

 「別にいいじゃねぇか。お前オレの事好きだったんだからよ」

 「愛を囁いてくれない・エッチな事もしてくれない・私と付き合ってくれない。この三拍子が決定したのに居られても困りますわ。大体あれだけハッキリ
 『ごめん、やっぱりお前はオレのタイプじゃないわ』と言って私を完璧に突き離した癖に次の瞬間には『あと今日は泊まらせろコラ』って言うし今日の義
  之なんだかおかしいですわよ? 一体何が目的ですの?」

 「教えねぇ。だが礼はする。今だってオレの作った美味しいカレー食ってるじゃねぇか、許せ」

 「・・・・・まぁ、確かに美味しいですけど」


  カレーを仏頂面で食っているエリカ。確かにオレの言い分は酷いモノがある。ていうか散々オレの事を殴ったんだからもうイーブンだろうが。

  最初エリカに別れ話―――じゃないがもう完璧にお前に興味を無くしたみたいな発言をした時それはもう大変だった。むせび泣くわ髪が逆立つ
 程怒るわ手首を切りそうになるわで人生で一番集中力と体力を使った。

  そして何回もエリカはあの眼を使ってオレをどうにか引き留めようとした。演技なんかじゃなく、本気で。さすがにオレの心もぐらついてしまった。

  だがぐらつく程度で済んだ。酷い話だが美夏とさくらさんの件で頭がいっぱいになってしまったオレにはその眼が通じなかった。おそらくもの凄い
 ストレスとさくらさんを抱いた件でショックを受けてエリカに対する何かが欠けてしまったらしい。

  確か心療治療か何かの本でそういうストレス性の病気を読んだ事があるがまさか自分がそういう事になってしまうとは夢にも思わなかった。だがそれ
 程さくらさんの件はオレにとってもの凄く衝撃的な事だった。あのさくらさんを抱いてしまった、母親みたいな人を、今でも信じられない事である。

  そしてオレはエリカに言った。謝って済む問題じゃない、だから好きなだけ殴ってくれと。そのオレの言葉を本気だと知ったんだろう。茫然とするエ
  リカ、そして顔を伏せ手をブランとしたまま微動だにしなかった。怪訝に思うオレ、そうしてエリカに近づくと―――思いっきり腰の入ったパンチが
  飛んできた。愛が重いとはこの事を言うのだろうとオレはその時に知った。それも一発じゃない、何発もそんなのを喰らった。今までの喧嘩の非じゃ
  ないぐらい殴られて歯は折れるわ血は出るわでもう涙が出てきた。まぁ、エリカも泣きながら殴ってきてたし我慢したが。

  
  気が済んだのか息を荒げて膝まづき、涙を流しているエリカ。オレはよろめきながら立ち上がり今度はこう言った。

  
 「お前には興味がないがお前の家には興味がある。今日は家にかえりたくない日でお前は一人暮らしだ。寂しいだろ? だから泊まらせろコラ」


  下から拳が飛んできた。そして眼を覚ましたのはついさっきの事。もう晩飯の時間だったのでオレはのそのそ立ちあがりカレーを作った。

  目の前のエリカを見てるとこっちをなんだかジーッと見ている。おそらくオレが何をたくらんでるか知ろうとしてるんだろうが、こんなお嬢様に
 見抜かれる程感情をオレは表に出さない。まぁ、何か企んでると思うのも無理はないかもな。

  今までオレは出来るだけエリカの家に近づかなかった。もし間違いを起こしたら更に状況が悪くなり、美夏と別れる事がもしかしたらあるかもしれない
 と思ったからだ。でも今日のオレは泊まらせろと言った、振った直後にそう言ったオレをエリカはとても胡散臭そうに見ていた。今まで近付きさえもしな
 かったオレがいきなりこんな事を言いだしたのだから無理はない。

  で、オレが土下座して頼み込むとエリカは渋々了承してくれた。髪を手で乱暴に掻き乱しながらOKを出してくれたエリカは本当に人が良いのだろうと
 思う。いくらはっきり別れを告げる為といえどあんな酷い言葉を言ってしまったオレをなんだか困ってるから放って置けないという感じで引き受けてくれ
 たのだから。


 「あー・・・・で、何があったのよ。目に隈なんて出来てるし寝ていないでしょ? それぐらい教えてくれてもいいんじゃない、せっかく
  泊めてあげるんだし」

 「少しだけ寝た、三時間ぐらいな。それとさっき言った通り理由は教えられない。だけど何かちゃんとしたお礼はしたいと思ってるぞ。何か
  欲しいモノはあるか?」

 「義之が欲しい」

 「はぁ、だからな――――」

 「冗談よ。あんな酷い振り方をされたんだからもうそんな気は無くしましたわ。ただ・・・・」

 「ただ?」

 「・・・・友達になってくれませんこと? 異性への愛抜きに考えても私は義之の事が好きですの。だから・・・・」

 「それぐらいオッケーだ。こっちこそ、ごめんな。すげぇ身勝手な男でよ」

 「あ・・・・」


  手を差し出すとエリカはそれをジッと見て―――オレの差し出した手を握ってくれた。握手、こんな形でオレ達の間に決着が付くとは思わなかった。
  
  その原因がさくらさんというのは引っ掛かる物があるが・・・・今は考えないでおく。少し胸のつっかえが消えた様な気がした。

  手を離し浮かせた腰を椅子に戻す。エリカはオレの握った手をじっと見詰めていた。色々思う事があるのだろうか。


 「さて、そろそろ眠りますか。確かベットって一つしかないんだっけか」

 「え、あ、う、うーん、寝袋なら一応ありますわよ? 誰かが泊まってもいいようにね。使うアテが無くて放置しておいたのですが・・・・使う?」

 「ああ。悪いがそれを使わせてもらう。ていうか寝れれば何でもいいんだけどな、はは」

 「・・・・・本当にただ泊まるだけなのね」

 「ん? 何か言ったか」

 「――――別に。ああ、そこのティッシュ取って下さらない?」

 「ん、ほら」

 「ありがとう」

 
  手でも拭くのだろうか―――そう思ってボケっと見ていたら、エリカが勢いよく鼻をかんだ。かんだ後「あぁー」と言いながらそれをゴミ箱へポイッと
 投げ捨てる。オレはその一連の動作を見て、固まってしまった。

  あのエリカが鼻をかんで、その上親父みたいに息を吐いてゴミ箱に捨てた。人の子なんだから当り前の行動なのだが―――オレは少しショックを受けた。

  いつでもお嬢様らしく気品を失わせないような上品な行動、食事を食べ終わったら必ずナプキンで口を拭く様な奴なのに今の行動はただの今時の女子
 の行動パターンだ。そんなオレの視線に気付いたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめながら文句を言い始めた。


 「な、なによ、私が鼻をかんじゃいけないの? 私だって人間なんですから鼻ぐらいかみますわ!」

 「い、いや、だってオレってお前が鼻なんてかんだ所見た事無いし・・・・それにお前がそんな行動するなんて思わなかったからよ」

 「・・・・まぁ、今まで義之に出来るだけそういう所を見せなかったというのもあるかもしれないわね。でももう義之と付き合える可能性が
  0になってしまいましたから関係ありませんの。おかげで少し気が楽になりましたわ」


  そう言って首をポキポキ鳴らし始めるエリカ。更に愕然としてしまう。今まではやっぱりどこか心の隅でお姫様を意識していたから気を抜いた
 エリカを見てると違和感が出てきてしまう。

  おいおい、オレってどんだけエリカに夢見てたんだよ。昔のアイドルじゃねぇんだからトイレに行ったら出るもんは出るしあくびをしたい時は
 あくびをするじゃねぇか。あまりの自分の考えのガキっぽさに頭を抱えてしまう。

  でも仕方のない事かもしれない。オレがエリカに惚れたきっかけというのはあの誰にも屈さないお姫様然としてたエリカなのだから。そんな風に
 葛藤してるオレに向かってエリカが言葉を掛けてきた。


 「義之」

 「あーマジでオレって―――――ん、なんだよ」

 「何があったかは聞きませんし、義之が話すまで待つつもりではあるけど――――本当に何か困ったら手を貸すわ。部屋も好きなだけ使っていいし」

 「お、おう」

 「じゃあ私お風呂に入ってきますから。後片付けお願いね」

 「・・・・ああ」


  当然のように飛び出た言葉にオレは少し心が揺れ動いてしまった。こんな酷い振り方をしたオレに『友達』っぽい言葉を投げかけてくる
 なんて・・・・ちきしょう、やっぱりすげぇなエリカお嬢様は。今更ながらにこんなオレに惚れてくれたのが夢みたいだ。感謝してもしき
 れない。今まで情けない姿のエリカを多く見て来たから余計にそう思った。

  オレがエリカの背中に「ありがとうな、エリカ」と言葉を掛けてやると照れたように顔を赤くしながら脱衣所に入って行ってしまった。そして
 オレは食器を持って台所まで行く。こんな雑用ぐらいいくらでもやってやる。

  お湯を出して次々に気合いを入れて皿を洗っていった。確かにエリカとは恋が関係する仲では無くなったけど、別な意味で心が温かくなった。


 「それにしてもお泊まりか・・・・これで少しは考える時間が出来たな」


  先程指摘されたがオレはあんまり寝ていない。さくらさんに抱かれた後、今夜はゆっくり休んでねと言われて部屋に戻ったが寝る事が出来なかった。

  そして気が付いたら朝、結局何も考える事が出来なくてずっとぼーっとしていたのを朝日を見て気が付いた。途端に湧き出てくる罪悪感、さくらさん
 の柔らかい体の感触と淫らな表情、そしてそれに興奮してる自分を思い出す。その時初めて自分が何をやったか気付いてしまった。

  そしてビクつきながらも居間に向かうオレ、さくらさんの姿を見た時思わず心臓が止まると思った。風呂場での情事を思い起こさせる金髪に青い眼、華奢
 な体に人懐っこい笑顔、オレは固まってしまった。


 「おっはよーっ! 今日も元気に行こうねーっ!」


  そんな風に元気に挨拶をしてるさくらさんを見てオレは昨日のは夢だったんじゃないかと思った。出来の悪い悪夢、そんな風に思えた。

  その――――首筋に見えるキスマークを見つけるまでは。ハッとして洗面所の鏡に行って確かめるとオレの首筋にも同じ跡、夢じゃ無かった。

  学校に行っても授業なんて聞いてないし美夏の話もロクに聞いていなかったような気がする。心配そうに掛けられる声にもオレは反応出来なかった。

  
  廊下を歩く度にさくらさんに会うかもしれないと怖くなったオレはひたすら学園長室前を通らないで遠回りしていた。会って何を話せばいいか分から
 ないし心の整理も付いていない。そんな状態でさくらさんに会ったらどうなるか――――考えたくなかった。   

  唯一救いだったのが午後を屋上でのんびり過ごせて少しだけ寝れた事。これで少しは精神状態が落ち着き余裕が少しばかり生まれた。

  屋上で午後を過ごしそして迎えた下校時間、オレは考えた。今日はあの家に帰りたくない、少し考えて気持ちを落ち着かせたいと。じゃあどうすれば
 いいのかとオレは考えた。


  そして視界の隅に映ったエリカを見てオレは思い付いた。美夏、エリカ、さくらさん―――この三人の問題を同時に処理出来る程オレは頭も腕もよくない。

  だからまずエリカの問題を解決してそれから考えようとオレは思った。エリカには悪いがこの中でエリカの問題が一番解決しやすい、そう考えたオレは
 一番初めにエリカとの決着をつけるためエリカの家にお邪魔した。まぁ、いっぱい殴られたし今でも鼻の奥がツンとするけどこれで済むなら構わない。

  最後にダメ元で泊まってもいいかと聞いてOKを貰った時は本当にエリカが神様に見えた。


 「その神様にずいぶんバチ当たりな事しちまったけどな・・・・、さて洗い物も済んだしコーヒーでも淹れててやるか」



  とりあえず寝る所は確保出来たしまずは寝よう。寝れば体力も気力も回復する。そうすれば何か解決の糸口が見えるかもしれない。


  この時はそう考えていた。だがこの考えが甘かったとすぐに思い知らされた。首に掛かった鎖、その鎖の先を誰が持っているのか、オレは
 その事を知らないでいた。

























   



 「義之」

 「ん・・・んぅ・・・・」

 「義之、ねぇ、義之ったら」

 「・・・・・・・・ん?」


  頭が泥のように重たい。意識が覚醒するのがいつもより遅く感じる。オレは重たい瞼を上げその声に反応した。

  少し顔を上げて目の前にエリカが居るのを確認し、少し首を捻って周りを確認する。そんなオレの様子にエリカは心配そうにこちらを見ていた。

  眠って、いたのか。テーブルの上には用意された二つのカップとお湯、そしてコーヒー豆が入っている瓶。どうやらオレはコーヒーを淹れる準備が
 終わって少し落ちていたみたいだ。瞼を擦り背伸びをした。


 「ふぁぁぁ・・・・・っと、んー・・・・」

 「大丈夫? なんだかすごく疲れてたようには確かに見えてたけど・・・・私が何回も呼びかけても反応しないから少し焦ったわよ?」

 「・・・・疲れてたからな。あとオレは何分ぐらい眠ってたか教えてくれ」

 「20分くらいかしら、私がお風呂に入ったのってちょうど9時だったし。あんまり辛いようなら明日の朝に軽くシャワーを浴びる事にして
  今夜は眠る事にする? そんな状態じゃ億劫でしょうから」

 「いや、きっと朝は時間ぎりぎりにしか起きれそうにないから今のうちに入る事にするよ。あ、そういえばコーヒー準備してたんだな。エリカも
  飲むだろう? 今から淹れてやるよ」

 「いいわよ、後で一緒に飲みましょう。義之はまた眠くならないうちにお風呂に入っておきなさい。コーヒー飲んでる時にまたカクンと逝かれては
  困りますわ。せっかくカーペットを新調したばかりですのに」

 「心配するのはそこかよ」


  オレが笑いながら突っ込むとエリカもおどけた表情をする。冗談か半ば本気か―――両方だろうな。そう思ったオレは立ちあがる。

  風呂に入って早くコーヒーでも飲むか。首を軽く鳴らし脱衣所まで移動しようとそこに歩き出す。ああ、体がだりぃな。結構精神的ストレスは
 体に与える害も多いって聞くしそんな状態なんだろう。

  ストレス―――か、そうなんだろうな。あまりにも変わった状況に心が痛みを感じているのだろう。脱衣所へ繋がる扉を開けた。



 「あー面倒だなぁ、風呂に入るのっ―――――」

 「お帰りー、義之くん」

 「・・・・・・」



  さくらさんが居た。



 「随分遅かったみたいだけど――――って顔すごい怪我じゃないかっ! どうしたの!?」

 
  『廊下』を走りぬけこちらに駆け寄ってくる。オレの顔をペタペタ触り心配そうな顔で見詰めてきた。ああ、そんなに触らないでくれ、いてぇ。

  とりあえず――――周囲を見回した。見覚えのある風景、芳乃家だ。ここは芳乃家、うん、間違いない。さくらさんの家でもありオレの家だ。

  まだオレの顔を触っているさくらさんを余所に足元を見る。靴を履いていた。右手にはカバンを持ち首にはマフラーが巻き付けられている。


 「義之くんっ! 誰にやられたの、教えなさいっ!」

 「・・・・ああ、エリカにやられた。あいつのパンチはきっと世界を狙えるな。おかげで歯も折れたし鼻もつんとする」

 「エリカちゃんに!? あの子・・・・私の義之くんになんて事を――――」

 「そんなに怒らないで下さい。オレは色々あいつには酷い事をしたし言ったりもした。オレから頼んだんですよ、殴ってくれって。だからこの痛みは
  受けるべくして受け取ったものなんです。オレはその結果に納得している」

 「・・・・そう」

 「――――ただいまです、さくらさん」

 「うん、お帰り・・・・」


  オレの言った言葉に満足していないのか、顔を顰めながらオレから離れる。やれやれ、やっと離れてくれたか。あんまりにも傷口を撫でてくるから
 痛みがぶり返してきやがった。まぁ、相手はさくらさんだし許してやるか。

  さくらさんはオレに「お茶準備してるから、はやくあがりなさい」と優しく声を掛けて居間に戻って行く。オレはそれに頷きながらマフラーを取り
 始めた。首を巻かれるこの感覚ってあんまり好きじゃないんだよなぁ、なんだか首を絞められてる感じで好きじゃない。

  そう思いながらそれを手に持ち、チラッと後ろを向いて―――玄関の扉を開けた。


 「・・・・・」


  数歩歩き地面を見据える。そこにはぬるかるんだ革靴の足跡。今日の二時限目あたりに小雨が降っていた、だからこの足跡は今朝に出来た物では無く
 それ以降に出来た事になる。右足に履いている靴を脱いで足裏の様子を確認すると泥の跡、オレがこの足跡を作ったという証拠だった。足跡はさくら
 さんの分とオレの分しかない。

  つまり何が言いたいかというと――――オレは『自分の足でこの家に帰ってきた』という事だ。あれだけ家に帰りたくなく、エリカに土下座して
 まで泊まろうとしていたのに結局何故かココに帰ってきていた。

  時計を見てみると9時40分を指している。エリカは言っていた、『9時に入ったから20分くらい眠っていたわね』と。だからオレが起きた時の
 時間は9時20分そこら。じゃあなんだよこの差の20分は、この差の20分はどこへ消えた? オレは確か風呂に入ろうとしてたんじゃないのか。


 「・・・・・なんだよ、これ」


  背中にツララを入れられたように冷たくなった。まるで記憶にないこの20分間、だが確かにオレはその20分間を使ってこの家に歩いて帰ってきた。

  自分の体が自分のじゃない物に思えてくる。首筋に感じる違和感、マフラーを脱いだ後でもまだそれは残っていた。手でなぞり感触を確かめてみても
 そこには何も無い。ただオレの首があるだけだ。

  体が震えてくる。無理矢理その震えを抑え込んだ。怯えは全てを見えなくする、この状況で目隠しする行為なんて自殺行為だ。顔に手をやり呼吸を
 整える。外の新鮮な空気を入れて気を落ち着かせた。


 「魔法ってさ――――」


  腰に抱きつかれる感触、小さい手がオレの腰に巻かれた。その感触にオレは何故か安らぎを感じた。それはそうかもしれない、小さい頃からこうやって
 さくらさんに抱かれる度にオレは幸せを感じていたのだから。

  さっきまでの怯えた感情が消えて無くなる。笑える話だ、その感情を生み出した張本人に抱かれてオレは安心感を覚えている。本当なら危ない兆候
 だと思う、本当ならここでさくらさんを引き離し罵声を浴びせて距離を取るのが一番だと思う。そうしないとどんどんオレはさくらさんにのめりこん
 で行く事になるだろう。さくらんさに罵声を浴びせる―――出来ないと思った。


 「よく呪いに似てるって言われるよね、それはあながち間違いじゃないと思うんだよボクは。昔の魔女は好きな男に媚薬を飲ませて無理矢理
  愛の言葉を囁かせ虜にしたっていうし。酷い話だよね」    
    
 「・・・・・・・」

 「もしかして義之くん、今日は帰らないつもりだったでしょ? だからそんなに驚いた顔をしてる。でも無理なんだよ、義之くんがボクから離
  れようと近付かない様にしようとする度にボクの所に戻ってくるんだ。伸ばしに伸ばしたゴムを離すと手元に戻ってくるみたいに」

 「・・・・・魔法なんて卑怯ですよ。こんな事をされちゃオレはさくらさんを引き離せない。それにこんな事をしてくるさくらさんを
  殴りたくなってくる」    

 「もう全部覚悟してやってる事だよ。義之くんに殴られようが罵倒されようが止めるつもりはない。前も言ったけど必死なんだよボクは。
  どうあろうが最後にボクを心の底から愛せるまでこの魔法は解ける事が無い、家族ではなく異性としてね」

 「拷問だ。オレはさくらさんを本当の家族だと思っていたんだ、母親だと思っていたんだ。それなのにこんな事を――――」

 「本当に拷問かな?」

 「え?」

 「ボクの事を本当に完璧に母親だと思っていた? 少しでも異性として意識してなかった? 違う、本当は異性としても意識してたんだ。
  それにボクはね、義之くんの感情まで弄って無いよ。最終的に義之くんに心の底から愛されるのが目的なんだから。確かに強引な態度
  で責めたかもしれない。でも昨日ボクを抱いたのは義之君の意思――――だからあんなに気持ちよさそうな顔をしてボクを求めて・・・・」

 「ち、違うっ!」

  
  思わず否定の言葉を口に出した。だが心ではそう思っていない、言われて思い当たる節は多々あった。

  一番身近で強く憧れを抱いた女性、確かに母親だと思っていたが同時に性の対象としても見ていた。風呂あがりのさくらさんや事故で着替え中
 のさくらさんを見て胸の鼓動が高まった事が何回かあるし抱きしめられて感じる胸の感触を思い出しては興奮した事もある。

  だがそういう感情を覚えるオレは下種だと思った、人間として最低の部類に入ると思った。だから大きくになるつれその感情を無理矢理押さえ込んだ。

  
  さくらさんにそういう感情を覚えるのは忌まわしい事だと思うようにした自分。だからかもしれない、そう言われてこんなにも取り乱した態度を
 取ってしまうのは。事実を言われてオレは頭が混乱していた。さくらさんにその事を知られていたんだと。前の世界とか今の世界とか関係ない、オレ
 がさくらさんに対してそういう目を向けていた事を知られていた事実、頭を鈍器で叩かれたみたいにショックだった。

  昨日だってそうだ、母親だと敬っていた人を抱くという禁忌の行為に興奮を覚え劣情が溢れ出てしまった。見たくなかった、こんなオレを。
  

 「時々義之くんから感じる熱い視線を感じる度に、ああー男の子だもんなーってちょっと困っちゃってたけど・・・・もう困る事は無いから
  安心してね? むしろそういうのを今ボクはいっぱい欲しいんだ。今までは話でしか聞いてこなかった事をこれからたくさん経験出来るっ
  て考えるともう嬉しくて仕方がない―――だからとりあえずおウチに入ろう、ね?」

 「違うんだ・・・・さくらさん、聞いてくれ、オレは―――――」

 「義之くん」

 「あ――――」

 「ボク達のおウチに、入ろう?」

 「・・・・・はい」


  一睨みされてオレは封殺されてしまった。さくらさんがオレの手を引き家の中に引き入れる。オレは黙ってさくらさんの後を歩いた。

  居間に着くと温かいお茶が用意されていた。いつもの席に着くとオレの隣にさくらさんが座っていつもと同じく色々な事を喋り始めた。

  学校経営の事とか最近表彰された科学者の事、テレビで流れている紛争の個人的な意見とか特にジャンルは決めず話してくれる。

  オレはそれに適当な相槌を打ちながらお茶を飲んだ。しかしそんなオレが気に喰わなかったのか頬を膨らませながら抗議してくる。


 「むぅー、義之くん聞いてるー?」

 「・・・・大体聞いてます」

 「大体って・・・・もう、義之くんはボクのお喋りしてる時っていつも目を輝かせて聞いてるのに今日はノリ悪いぞー」  

 「誰の所為だと――――」

 「ボクの所為だね」

 「・・・・すいません、言い過ぎました」

 「にゃはは、別にいいんだよ。ボクが無理矢理義之くんを引っ張りこんだんだから」


  そう言って顔を俯かせてしまうさくらさん。罪の意識は確かに感じているんだろう。だがさっき言っていた『覚悟』―――それをしてしまってる
 から止めるつもりは無いと言っていた。

  覚悟を決めたさくらさん―――厄介だ。オレが何を言ってもこの人は聞かないだろう。昔からそうだが自分が決めた事にはとことん忠実だった。
  
  ただでさえそれなのにもっと強固な意志を持って行動してくる、オレにそれを―――気持ちを止める事が出来るだろうか。自信が無い。

  顎に手をやりオレがそうやって自問してると横から視線を感じた。横を向いてさくらさんと目が合うとなぜかあたふたし始める。なんだ?


 「ん、なんですか?」

 「あーいや、んとね・・・・はは」

 「――――?」

 「・・・・よ、義之くんてやっぱり格好いいなぁって思ってさ、にゃはは、なんか照れちゃうな・・・・」

 「な――――」


  照れたように赤くなるさくらさん。オレもそんな事を言われて思わず顔に熱を感じてしまう。思わずそっぽを向いてわざとらしく咳払いをした。

  あのさくらさんに格好いいと言われる、それは子供からの夢であったしそう言われたい気持ちが常にあった。ある意味オレを認めてくれた発言に
 思わず嬉しさが湧きあがってしまう、少し胸の鼓動が早くなった気がした。

  結局、こんな状況になってもオレはさくらさんを嫌いになれないでいた。むしろ段々異性への愛に変わっていくこの気持ちにオレは戸惑いを覚えて
 いる状態、やばい兆候だ。なんとかしなければいけいない。


 「お、オレ、風呂入ってきます」

 「あ、ちょっと待って」

 「はい?」

 「・・・・・また、ボクと一緒にお風呂に入ろうか?」

 「――――え?」

 「大丈夫、今日は何もしないよ。少し体が痛いもんで無理出来ないんだ」

 「あ・・・・」


  お腹の下辺りを擦りあげているさくらさん。たしか昨日の話では初めてと言っていた。初めて感じる痛みにあまり慣れていないらしい。

  何もしない―――あまり信用出来なかった。少しでも熱が入ればすぐに昨日みたいな事になるだろう。さくらさんの今の状態を考えても
 そう考えている。

  オレが口を開きかけ断ろうとする―――前に、手を引っ張り上げ立たせてくるさくらさん。楽しそうに笑っていた。


 「ほら、早く行こう?」

 「き、今日は一人で入りたい気分なんですよ。さくらさんも疲れているようですしその方がいいんじゃないですか? それに、ほら、オレって
  案外風呂入る時間が長いからさくらさん湯あたりしちゃいますよ。さくらさん体の状態よくないのにもしそんな風になったら・・・・」

 「義之くんのお風呂入ってる時間て大体16分ぐらいだよね、別に長くないと思うよ。さぁ行こうか」

 「あ、ちょっと、さくらさん――――」

 「大きくなって一人でお風呂に入れる様になっちゃったから少し寂しかったんだぁ、でもこれからは毎日一緒に入ろうね。昔は何をするにも一緒
  だったんだしいいよね? 体もお互い洗いっこなんかしたりして楽しいと思うよ?」

 「・・・・・・・」

 「にゃはは、凄く楽しくなってきたなぁ」


  結局また流されてしまう。断りきれないでまたさくらさんに手を引かれどんどん泥沼に嵌って行く。このままいったらオレはどうなるんだろうか
 と手を引かれながらぼんやり考える。半ば諦めに似た感情が体を駆け巡っていた。

  考えて、自問して、答えをだしても結局全部さくらさんの言う通りになってしまっている今までの現状。もう考えるだけ無駄なように思えてきた。

  それに言葉では嫌だと言って置きながら心の奥ではさくらさんに愛される事に喜びを感じるちぐはぐなオレの心。さくらさんに求められる度に
 この喜びは大きくなっていくだろう。大きく大きくなって――――オレはもうさくらさんしか見れなくなるかもしれない。

  それもいいかもしれない―――一瞬そう思った気持ちを無理矢理心の底に閉じ込める。さくらさんが微笑んでこちらを見てきた。オレはそれに
 対して、曖昧ながらも笑みを返した。






















 「・・・・・・」


  テーブルの上に置かれたカップを見る。一つは私が飲んでいるカップ、中にはインスタントらしい無難な気品もない飲料水が入れられている。

  そしてもう一つ、何も入れられてない空きカップが置かれている。そのコップを使用する筈だった者は今はこの場に居ない。

  お風呂に入ろうとした時に急に家に帰らければいけないと言って態度を急変して上着とカバンとマフラーを持ち、急いだ様子で家から出ていった。

 

  あれだけ家に帰りたくないと言っていたのに、いきなり踵を返し家に帰る義之。普通じゃなかった。異常だったと思う。



 「ふぅ・・・・」


  少し冷めてしまったコーヒーを一口飲み、考える。今日は色々な事が起きる日だ。義之に振られたり義之を殴ったり・・・・義之が何か
 思い詰めているのが見え隠れしてるのが分かったり。

  私という邪魔者が居なくなったんだからもっと楽そうにしてもいいのにと思った。邪魔者、どうやら自覚はあったようだ。一人苦笑いしてみる。

  義之はあまり困った事があっても他人に相談したりはしなさそうだ。他人が関わるべきじゃないとか思ってそうだしプライドもあるのだろう。  
 
  だから私が問い訪ねても教えてくれなかった。友達、という関係になったのだからそれぐらいは教えてくれてもいいのにと思う。


 「うーん・・・・気になりますわね。何を隠してるのかしら」


  椅子に背を掛けてグラグラ揺らす。行儀の悪い事だが案外気持ちい。せっかく王宮から離れたのだしこれぐらいはいいだろう。

  別れを突きつけられても私は義之が好きだ。一生纏わりついてやると考えていたが、その纏わりつく人物が悩んでいたらオチオチ纏わり
 つけない。由々しき事態だ、私はいつでも義之にくっついていたいのに。

  それに、と思い出す。私を路地裏で助けてくれた時の事を。あの時の出来事は私にとって衝撃的だった。あんなにも躊躇なく人を殴れる
 人なんか見たこと無いし怖くもあった。手なんか震えていたし涙もぽろぽろ出てきてしまった。

  しかしそれ以上に―――格好いいと思ってしまった。随分野蛮人な王子様だが気高さがあった。そして会話をする度に私は義之の隠された
 魅力にたくさん気付き始めて、もう目が離せなくなってしまった。

  恋、敗れはしたが残った物は多くある。そのお礼と路地裏での件の借りを返したい。義之の助けになりたかった。


 「まぁ、色々引っ付いて迷惑を掛けてしまったようですし・・・・明日の放課後でも義之の家に遊びに行きましょうか」


  そうすれば何か分かるかもしれない。そう思った私はとりあえず寝室に行き眠る事にした。これ以上何を考えてもしょうがないし行動ある
 のみだ。いつまでもお姫様してたんじゃ義之の事を助けてやれない。


  ああ、せっかくだから芳之学園長にも何かおみやげを買っていく事にしよう。私からのプレゼント―――気に入ってくれるといいな。

























 「・・・・・はぁ、はぁ」

 「―――にゃはは、結構出したね、義之くん。こんなにいっぱい・・・・んっ」


  膣から流れ出てくる精液をティッシュで拭きゴミ箱に捨てる。義之くんの方を見ると随分疲れた様で荒く息をしていた。かくいうボクも結構
 疲れているし無理したから体が痛いのだが弱い所は見せられない。だってボクは義之くんの母親なんだから。

  あのあと結局お風呂ではやらなかったがこうしてボクの部屋で抱き合ったボク達。まぁ仕方ないけどね。お風呂場であれだけ密着したりキス 
 したり口でしてあげたりしたからもう抑えが効かなくなったのだろう。その後散々焦らしたりもしたからボクが「部屋に行こうか」て言ったら
 黙って着いてきてくれた。義之くん攻略もあともう少しかな?


 「それにしても義之くん激し過ぎだよぉ、体壊れるかと思ったじゃないか。ボクあんまり体が丈夫じゃないんだから無理しないでね?」

 「す、すいません・・・・つい・・・・・」

 「うそうそ、冗談だって! 義之くんに求められるの大好きだし、別にその所為で体なんか壊れちゃってもいいんだから。むしろ
  本望って感じかなぁ、あはは」

 「――――冗談でもそんな事言わないでください。体なんてものは結局一つしかないんですから」

 「・・・・そうだね、ごめん」


  義之くんの胸に頭を擦りつけて甘えてみる。義之くんは腕を上げて若干迷った動作をしたが、結局頭を撫でてくれた。うにゅ、気持ちいい。

  小さい頃はボクが撫でる側だったんだけどなぁ、いつの間にかボクより背なんか大きくなっちゃって・・・・年月が経つのは早いと思う。

  この子を育てようと思って頑張ってきたのにまさかこんな関係になるなんて夢にも思わなかった。源氏計画の逆バージョンになっちゃったけど
 これはこれでボクは満足している。こうやって甘えていると昔より今この瞬間が大事な様に思えた。


 「うにゃぁ、もっと撫でてよぉ」

 「・・・・まるで猫みたいっすね」

 「そんなつもりはないんだけどなぁ。でも義之くんだけだよこんな風に甘えるのは。だから勘違いしないでね」

 「・・・・そうっすか」


  そう言って脇に置いてある服から煙草を取り出し咥えて火を付けようとライターを取り出した。だがボクはそれを奪い取る。少し虚を突かれて
 茫然とする義之くんにボクは微笑みかけた。

  そうしてライターを煙草に近づけて万が一にでも火傷しないように周りを空いた手でかざし、火を着けてやる。こういうの憧れてたんだよねぇ。


 「なんだか大人の女って感じがするでしょ?」

 「あ、ありがとうございます。まさかさくらさんにこんな事をして貰えるなんて夢にも思わなかった」

 「こういう関係になってなかったらありえなかったもんね。役得、役得」

 「・・・・・はは」


  どこか乾いた笑みを浮かべる義之くん。まだ踏ん切りがついていないらしい。でももうすぐで義之くんがボクの虜になるのは分かっている。

  確かにボクは必死ではあるがこういう時は焦ってはいけない、だってもう結果が分かっているのだから焦って失敗したら元も子もない。

  ゆっくり、バターを溶かすように、着実に、じっくり・・・・そうしていけば確実にその結果は覆せない。


 「段々ボクが良い女に見えてきたでしょー? だからもっと頭を撫でてよぉ」

 「・・・・まぁ、これぐらいならいつでも。けどさくらさんがこんな風に甘えてくる姿なんか想像出来なかったな。いつでも甘えさせて
  くれる人だったし周りの人達もみんなそんな感じだった。それに対してさくらさんは嫌な顔をせず対応してて凄いと思ってました」   

 「甘えさせてくれる人いなかったしねー。それにボクは年長者だからそれは仕方無いよ、何十年も生きてるおばあちゃんなんだから」
  
 「・・・・甘えさせてくれる人がいない、か。そうですよね。いつでもオレ達は甘えて守ってもらってばかりだった」

 「でも今はそんな事ないよ? こうして義之くんに好きなだけ甘える事が出来るし幸せなんだぁ。それに義之くんはいつでも傍に
  居るって言ってくれたしこれからも好きなだけ甘えさせてね」

 「・・・・はい、オレはさくらさんの傍に―――――」


  それ以上言葉は続かなかった。ボクが軽く一瞥したからだ。今ボクの顔は怒りの表情を作っているかもしれない。だって嘘をつかれたんだから。

  本当はそう思っていない。この場を切り抜けようと出まかせを言っているのが分かる。怒りの感情が込み上げ―――少し悲しかった。


 「じゃあなんで今日は学園長室の前を通りさえもしなかったの。嘘をつかないで」

 「・・・・・・うっ」


  義之くんのモノを握り締めて耳元で囁く。義之くんに嘘をつかれて少しショックだった。いつでもこの子はボクに正直だった筈なのに。

  大人になると良いことも増えるが悪いことも増える。例えばこの場合義之くんが嘘をついた事だ。嘘は相手を騙すという事、欺くという事だ。

  手を離し「痛くしてごめんね」と呟いてペニスの先に口づけをする。行為の跡が残っており少し苦いが義之くんの物だと思えば気にならない。


 「ずっとお茶菓子を用意して待ってたのに来ないんだもんなぁー。まぁ義之くん自身色々考えたかったこともあるだろうし別にいいんだけどね。
  でも明日は来てね、待ってるからさ」

 「・・・・・・」

 「嫌、なのかなぁ・・・・ぐすっ」

 「あ・・・」


  少し涙が零れてくる、もちろん演技。義之くんはボクの涙に弱かった。慌てて再び頭に手を置き撫でてくる感触に安らぎを感じる。

  こうした搦め手を使うのは少し気が引けるが手段を選んではいられない。物事を進めるのにはそれが大事だと思う。円滑な進行には
 そうした事に戸惑いを覚えてはダメなのだ。大胆にいかなければならない。

  義之くんは何かを言いたげに口を開くが、閉ざしてしまう。だから義之くんのモノを再び擦り上げながらボクは義之くんの眼を見て言った。


 「来てね、義之くん」

 「・・・・分かりましたよ、行けばいいんすよね、行けば」

 「もう、そんなに怒らないでよ。好きなお茶菓子いーっぱい用意しちゃうしお話もたくさんしちゃうし・・・・こんな事もいっぱい、しよ?」

 「・・・・くっ」

 「もう元気になってきちゃったね。休憩は済んだしまたやろうか? 義之くんもまだまだ若いんだしいけるでしょ?」

 「・・・・で、でも明日も学校が――――」

 「んー遅刻してもいいよ。休んでもいいし。学園長公認の遅刻・休みなんて滅多にないから感謝するようにね、義之くん?」

 「・・・・変わったな、さくらさん」

 「恋をすれば女の子は変わるものなんだよ。美夏ちゃんだってエリカちゃんだってそう、義之くんなら分かるでしょ?
  それが良い事か悪いことかは、まぁ、人それぞれで一概には言えないけどね」

 「・・・・・・」

 「だから、しよ?」


  義之くんの前に顔を突きだし目を瞑る。額と額がくっついてるこの状況、唇に温かい感触、義之くんがキスをしてくれた。

  初めて義之くんからしてきてくれたキスにボクは胸が震えた。ああ、夢にまで見た義之くんからのキス。夢心地とはこの事を言うのだろう。
 体を重ねるのもいいかもしれないがボクだって女の子だ、こういうのに憧れもするし求めたりもする。

  そして感じる確かな感触。義之くんはボクに傾きつつある。こうしてキスをしてくれたのがその証拠だ。すごく、嬉しい。


  でも心の中ではまだ不安があった。美夏ちゃん、あの子は危険だ。こんな風に体を重ねてもその不安は消えやしない。それほどまでに義之くんは
 美夏ちゃんの事を好きだとは分かっていた。もしそうでなかったらもうとっくにボクに堕ちている筈なのだから・・・・。

  とりあえず今はその事を考えないでおく。せっかく義之くんと抱き合ってるのに不毛だ、とりあえず今はこの感触を楽しまなければいけない。男の子
 らしい柔らかい様な、それでいて固い手がボクの秘部をなぞり上げる。艶めかしい声が漏れてしまった。

 
  義之くん、ボク、いっぱい頑張るからもっと愛してね。もっともっと好きな事をさせてあげるから、離れないでね。












[13098] 外伝 -桜― 4話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:7bcbbb13
Date: 2010/02/21 12:13








 「う・・・げぇ・・・」


  便器に勢いよく胃内にある物を吐き出す。息が出来なくなり鼻もツンとするが無理矢理全部吐き出して楽になる。

  そして少し一息つけたと思ったらまた嘔吐感に囚われまた吐き出すの繰り返し。地獄のような苦しさだった。

  もう出す物が無くなり胃液しか出て来ないが水を飲んでまた吐き出す。とにかく吐きたかった。それぐらい胃に気持ち悪さを感じていた。


 「・・・・はぁ・・・はぁ・・・くっ、げぇ」


  また吐き出す。これで最後にしようと思い、全力で自分の腹に拳をめり込ませる。先程飲んだ水と胃液が混ざり合った物が出てきた。

  それを茫然と見詰めレバーを回す。吐き出された物が吸い込まれていく様を見ながら手の甲で口を拭いた。よろよろと壁に圧し掛かる。

  なんでこんなにも気持ち悪くならなければいけないのか。理由はハッキリしている。額にひんやりした手を置きながら気持ちを落ち着かせた。


 「・・・・・くそが・・・・なんたってオレは」


  さくらさんとの甘くて頭がとろける様な時間を過ごした。オレの事を本当に愛してくれてるのが分かったし、そんなさくらさんをオレも愛おしく
 なり激しく求めてしまった。とても幸福な時間で全てが夢見心地だった。

  さくらさんの愛の囁き、無垢な笑顔、淫らに揺れる表情や与えられる快感、まるで蜜の中に溺れる様な感じだった。鼻孔には未だにあの時の
 匂いが残っている。ずっと慣れ親しんできたさくらさんの匂い、お互いの体から流れ出る淫猥な液体の匂い、甘い匂いがした。

  そしてたまたま朝早く起きて、昨日の情事を思い出し―――吐き気を覚えた。まっすぐトイレに駆け込みそのまま吐いた。


  家族を抱いた、母親みたいな人を抱いた、それがストレスとなってこういう形に表れているのだろう。はは、オレも案外小さい人間なんだな。

  いつも何に対しても関係ねぇよという態度を取ってる癖に器の小さい人間だと自覚してしまった。思わず乾いた笑いが出る。
  
  きっとこの苦しみから逃げる為にはさくらさんを全部受け入れるしかないのだろう。美夏を捨て何もかも関係を捨て去ってさくらさんだけを
 見ればいい。家族とか母親とかそんな意識を全部捨て去れば楽になれると思う。

  


 「・・・・はは、贅沢だなオレは。あんな上等な女を抱けたんだから少しは喜べってんだよ・・・・くそっ」


  確かに熱に浮かされている時は気持ちよさしか感じていない。あの瞳や手で感じさせられると心が麻痺してしまう。まるで麻薬だった。

  体が軽くなり頭もハイになる。次から次へと溢れだす劣情。感じるモノ全てに幸福を感じる自分の心。だがその効果が切れた時にこのような苦しさが待っている。

  この苦しさから解放されるには―――ずっとその麻薬を打ち続けて心を麻痺させ続けるしかない。そう、オレがさくらさんを本当に女として愛するまで。


 「う―――――っ」


  また嘔吐感が掛け上がってきて便器に吐き出した。もう何も出て来なかった。苦しさから涙が零れる。息を吐いて呼吸を整えた。

  オレは多分『家族』というものに憧れを抱いていたんだろう。生まれた時から両親なんて居なかったし爺ちゃんや婆ちゃんもいない。

  身に余るぐらい愛情を周りから注がれてきたがそういう気持ちはあった。そしてその家族の対象はさくらさんになった。いつでもオレを
 守ってくれて優しくしてくれる。母性溢れるその愛情にオレは満足していた。


  だが全部壊れた。無くなってしまった。壊れて残ったものは爛れた性行為に一方的な異性の愛、そしてそれに慣らされていく自分の心だった。


  母性溢れる笑顔が見られなくなった。代わりに女の顔をして悦ぶさくらさんの姿。そしてさくらさんにそういう顔をさせる自分の麻薬漬けの性衝動。

  女を抱いて素直にその気持ちよさに酔い痴れる、そうなってればこんな思いはしなずに済んだ。だが、そうはならなかった。
  
  結果的に自分はこうして苦しんでいた。身も心もまるで噛み合っていない今の現状、とても辛かった。


 「なんでセックスする度にこんなこんな思いしなきゃいけねぇんだよ。意味が分からねぇよ、くそったれ」


  さくらさんはオレと抱き合う事に夢中になっている。昨日もあれから何回もオレはさくらさんに抱かれた。もう何も出ないって言ってもその行為
 を止めてくれなかった。おかげで不能になりそうだっつーの、くそ。

  早くこの狂った関係を終わらせたい。いつもの暖かい家族に戻りたい。叶わぬ願いなんだろうか、もう元の形に戻れないだろうか。


  家族というものにずっと憧れていた。その家族であったものを抱いた。そう考えるだけで――――気持ち悪くなる。

  おそらくは嫌悪感。家族とセックスするなんて異常だ。オレの場合余計にそう思うのだろう。ずっと家族を欲していた自分は余計に。

  確かにオレはさくらさんを異性としても見ていた。だがそれは小さなものだった。家族への愛情がそれよりも何倍にも勝っていた。


 「・・・・このままじゃ本当にさくらさんに屈服するしかなくなるな。心まで渡しちまったら本当に終わる」
  
   
  この嫌悪感は大事にしていきたい。ただでさえ麻薬によって段々削り取られているのだから。もしこの嫌悪感が無くなったら麻薬なんていらなく
 なる、その麻薬はオレの心を麻痺状態にして嫌悪感を取り除く為にあった。取り除かれたらお終いだ、その時は既に自分というものをさくらさんに
 捧げてしまってるだろう。それだけは避けなくちゃいけない。


  だって―――オレは美夏と生きて行きたいんだから。その気持ちはこうなった今でも変わらずにある。それがあるからまだこうして嘔吐していられる。

  とりあえず出来るだけさくらさんとの会話も控えよう。喋ってるだけでまるで子守唄のように心に染みわたってくるあの音色、音程、音量は危険だ。
 
  意識してそういう声でオレに語りかけているのが分かる。あれも麻薬の一種―――生憎だがオレは煙草と酒はやるクチだが麻薬はやりたくない一般
 市民だ。そんなものはロックをやってる奴らに任せればいい。


 「・・・・とりあえず美夏だ。美夏に会おう。会って喋って、手も繋ごう。早くあいつの笑顔が見たい」


  よろよろと立ちあがり自分の部屋に向かって準備をする。さくらさんには会いたくない。出来るだけ早くこの家から出て行きたかった。

  さくらさんはまだ寝ている。昨日もし学校に行くなら一緒に朝登校しようかと誘われて約束してしまったが―――構いやしない。

   
  早くオレは―――楽になりたかった。

 























 


  
   
 「あ、おはようございます兄さん」

 「・・・・由夢か、おはよう」


  なんだか久しぶりに見た気がする。最後にまともに会話したのは―――つい最近だったか。どうも時間の感覚が掴めない。さくらさんとの件で頭と
 心が混乱しているだろう。それに寝た気もあんまりしないしな。

  連日のさくらさんとの行為で体が疲れているし何より精神的に来ている。吐き気は収まったが体が妙にダルい。多分頭は起きてるんだろうけど
 体が起きていないのだろう。だからこんなにも体が重い。

  懐から煙草を取り出す。由夢が慌てる様子を見せた。こんな朝早い公道で学生が煙草を吸っていたら目立つからな、運が悪ければ補導される。

  だけどそんなもんはこんな朝っぱからは居ないし誰かがチクっても問題は無い。オレはそんなの気にしないからな。


 「ちょ、ちょっと兄さんっ! 見つかったらどうするのよ!」

 「あー? 別にそん時はそん時だ。知らない顔してりゃいいんだよ。それにどうせ誰も見ちゃいねぇんだし」

 「そ、そういう問題じゃ無くて―――――!」

 「お前も吸うか? そんないい子ぶったって周りにはまだ誰も居ないし息抜きにもなる。お前は酒とか煙草をやらないから固いんだよなぁ、やれば
  少しは柔らかい性格になると思うぜ?」

 「結構ですっ!」


  何か気に触る事を言っただろうか。由夢はどうやら機嫌が悪くなってしまったらしくそっぽを向いてしまった。まったく、可愛くねぇな。

  しかしオレを置いて歩いて行こうとはしない、付かず離れずの距離でオレの隣を歩いている。オレは黙っているのもなんだか癪だなと思い
 適当に話し掛けた。たまにはちゃんと話でもしてやろう。


 「最近どうだ、何か楽しい事でもあったか?」

 「・・・・別に何もありません。いつも通り平穏な学園生活を送っています」

 「優等生らしいお言葉をどうもありがとうございます。でもたまには刺激とか欲しくなったりしないんですか? 退屈でしょう?」

 「―――――御心配には及びません、はい。私は誰かさんみたくみたく無闇に火遊びをしたくない性格なのですので。そんな事
  よりも少しでも勉強していい学校に入れたらいいと考えています」

 「そうなんですかぁ、すごいですねぇ。では問題を出します。ある所に二メートルの鎖に繋がれたライオンが居ました、周りには
  草しか生えてなく何もありません。さて、そのライオンは何平方センチメートルまでの草を食べる事が出来るでしょうか?」
 
 「え、え、ちょ、ちょっと待って下さい! えぇと、一メートルは百センチだから・・・・」


  オレが丁寧な言葉で問題を出すとあたふたしながらブツブツ独り言を言いだし始めた。ていうか小学生でも分かる問題だぞ。

  きっとこいつは急な出来事が起きると体が硬直してテンパるタイプだな。頭が固いコイツらしい性格だ、苛めたくなる。

  そして数秒経ってようやく答えを出した。つーか遅せぇよ、もっとパパッて考えろよな。  


 「よ、四万平方センチメートル!」

 「ぶぶー。正解はライオンは草を食べないでしたぁ」

 「な・・・・」

 「やーい、やーい。由夢ちゃんの間抜けぇ、頭でっかちぃ」

 「――――――ッ! こ、このっ!」

 「あ?」


  オレがおどけていると拳を振り上げオレの肩を殴ってくる。しかしこいつは非力なので全然痛くない。むしろ肩こりが解れていく感じで心地いい。

  散々叩いて効果無いとみたのか息を荒くしてこちらをジーッと見詰めてくる由夢。オレは煙草の灰を携帯灰皿に落として頭に手刀を喰らわせてやった。  

  変な悲鳴を上げて仰け反る由夢。その姿を見てオレは笑った。そして言い返そうと由夢が口を開きかけて―――驚いた顔をした。


 「なんだよ、そんな惚けた顔をして」

 「・・・・兄さん、目に隈が出来てますよ。それに充血もしてるみたいだし寝て無いんですか?」

 「寝たよ。たっぷりとな」

 「顔色も少し青白くなってますしやつれた感じがします。どこか体の調子でも悪いんですか?」

 「――――別に普通だ。なんだよ、心配してくれてんのか」

 「あ、当り前じゃないですかっ!」
 
 「おおっと」
   

  急に声を張り上げるので驚いてしまった。こいつが声を張り上げるのは別に大して珍しくないのだがその真剣な表情に少し息を呑んだ。

  なんだよ当り前って。意味が分からねぇ。由夢は思った以上に大きな声が出て自分でも驚いたのか慌てて周りをきょろきょろし始めた。

  そして周りに人が居ないと分かったのかホッと一息をついた後、由夢はこちらを何故か一睨みして当然のようにその言葉を発した。


 「や、当り前じゃないですか。家族なんですから」

 「・・・・・・」

 「な、なんで黙るんですかっ!?」

 「――――そうか」

 「え?」

 「なんでもねぇよ」

 「え、や、ちょっと、なんで頭を撫でるんですか!? 恥ずかしいですって!」

 「いいからいいから。黙って撫でられとけ」

  
  由夢の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。顔を朱色に染めて恥ずかしそうに暴れているがオレが撫でるのを止めないと悟ったのか、すぐおとなしくなった。

  思えばこうして由夢の頭を撫でた事ないんだよなぁ。こいつに限った話ではないが随分周りの人に冷たくしていたと思う。別に申し訳ないとか思わない
 が人嫌いが段々治ってきた今なら少しぐらい優しくしてもいいかなと思った。

  オレのこんな行動が珍しいと思ったのか時折ちらちらっと向けられる視線。それに笑顔を返してやるとまた顔を赤くして視線を前に戻した。まぁオレは
 イケメンだししょうがないだろう。このお団子娘から金を取ってもいいぐらいの笑みだったと思う、うん。
 

  家族―――その言葉を聞いてオレは少し安らいだ感じがした。そうだよな、こいつも家族なんだよなぁ。すっかり忘れてたぜ、ちくしょう。


  あとは音姉に純一さんも家族、か。オレが見ようとしなかっただけで結構家族居るんだなオレ。まぁ、血は繋がっていないだけどさ。

  少しだけ心が落ち着いたような気がする。根本的な問題の解決にはなっていないが元気が戻った様な気がした。まったく、案外こいつも
 使える所あるじゃねぇか。少しだけ見直したよ、マジで。

  そうして歩いていると美夏の姿が見えてきた。由夢はいち早くその姿を発見してオレの手から離れてしまった。こいつも結構な照れ屋だからなぁ。


 「おはよう、美夏」

 「おはようございます、天枷さん」

 「ん―――おお、義之に由夢か! なんだ、一緒だったのか」
 
 「途中で合流してな。こいつが道中ギャーギャー騒ぐからうるさいったらありゃしねぇよ」

 「なっ、私は別にそんな――――」

 「あはは、相変わらず仲がいいなお前らは」

 「もうっ! 天枷さんまでからかわないでください!」


  女だけで盛り上がってしまい男一人のオレはポツンとしてしまった。まぁ別にいいんだけどよ。こいつらが仲が良いのは良いことだし。

  美夏もパッと見ツンケンしてる性格なので友達を作る事は難しいと思ったが由夢という性格がいい奴を捕まえられてよかったと思う。

  美夏が例の笑顔で笑っているのを見るとこっちまで嬉しくなる。やっぱり―――オレはこいつの事が好きだった。


 「ん、なんだ義之。ニヤニヤして気持ち悪いぞ」

 「お前ほどじゃないから安心しろ、美夏」

 「な、なんだとぉー!」

 「さぁさっさと行こうぜ。由夢もいつまでも遊んでんじゃねぇよ、ガキじゃねぇんだから」

 「あ、遊んでなんかいませんっ!」



  ふくれっ面をして抗議しながら美夏の右隣に着く由夢。オレ達が喋りやすいようにその位置って訳か、余計な気を効かせやがって生意気な。

  まぁ一応素直に受け取って置くか、オレも美夏とくっ付いていたいし。美夏は相変わらずのほほんと笑っている。こいつには笑顔が本当に似合う。

  そしてオレは美夏に手を差し伸べた。いつも通り照れ笑いしながらその手を見詰める美夏。手を上げオレの手を掴もうとして―――――



 「やほやっほー! 皆おはよーっ!」


  
  『間』にずいっと入ってきたさくらさんによって断たれてしまう。美夏は「あ・・・」と呟いて上げかけた手を降ろしてしまった。


 「あ、さくらさん。おはようございます」

 「う、うむ。おはよう、学園長」

 「うん、おはよう! いやぁ今日は参っちゃったにゃあ、義之くんと一緒に登校する約束してたんだけど先に義之くん行っちゃうから
  もうびっくり、慌てて走ってきたよ」

 「む、そうなのか義之?」

 「―――そうだっけかな。そんな約束した覚えは無いんだがな」

 「そ、そうなのか?」

 「やっだなぁ、約束したじゃないか。一緒に登校するって。あんなに嬉しそうにしてたのにもう忘れちゃったの~?」


  オレの腰をバンバン叩いてくるさくらさん。美夏はそのテンションに面食らったのかそれ以上その事は追求せず困ったような顔を浮かべた。

  ニコニコとさくらさんは笑っている様に見えるが、眼は笑っていなかった。まるでオレを問い詰めるかのように目をジッと見詰めて来ている。

  目を逸らし前を見据えた。心臓が少しバクバクいっている。なんたってこんなタイミングで・・・・・と思わずにはいられない。


 「な、なんかさくらさん元気いっぱいですね・・・・。何かあったんですか?」

 「んー何もないよ? いつも通りボクは元気なだけだよ、にゃはは」

 「そ、そうですか」

 「でも後ろから見てたけど義之くんと美夏ちゃんてお似合いだねぇ。本当に仲がいいって伝わってきたよ。やるねぇ美夏ちゃんも、この、このぉ」

 「そ、そうか? そういう風に言われると・・・・なんだか照れるなぁ、あはは」

 「うんうん、美夏ちゃんの笑った笑顔って可愛いから義之くんが好きになるのも分かるなぁ。ね、義之くん?」

 「・・・・そうだな、美夏の笑った笑顔は可愛い。オレの大好きな顔の一つだ」

 「ば、ばか! こんな所でそういう事を言うんじゃない!」

 「にゃはは、本当に仲がいいね。思わず―――妬けちゃいそう」


  視線を感じるが無視する。もし合わせたらどうなっちまうか分からない。怖い―――そんな情けない事を思ってしまった。

  自分では本当に度胸が据わってると思っていた。喧嘩で刃物とか出されても怖いなんて思わなかったし骨を折られた時も怖いとは思わなかった。

  だがさくらさんの怖さは別格だった。まるで逆らえない目が怖い、あんな目をするさくらさんをオレは怖がっていた。

  
  おそらくこういう風にはしゃいでるさくらさんもさくらさんなのだろう。純一さんもその様な事を言っていた、昔からよくはしゃぐ子だっという。

  そしてあの怖いさくらさんもさくらさんなんだ。人間は一面だけじゃなくサイコロみたいに色々な面を持っている。さくらさんも例外じゃない。

  何十年も生きて孤独を味わい、人間の色々な姿を見てきたさくらさんにとってオレみたいなガキを制するぐらい簡単なのかもしれない。

 
  そうオレは考えながら皆と一緒に登校した。脇を見ると女三人でもう話に花を咲かせている。どうかこのまま何も起こらないで欲しいとオレは
 心の底から願った。


  さくらさん、いくらあなたでも美夏に手を出したらその時は―――――






















 「あ、もう玄関に着いちゃった。やっぱり楽しくお喋りしてると時間が経つのも早いねぇ」

 「あはは、ほとんど学園長が話してたじゃないか。まぁ色々面白い話が聞けて面白かったぞ」

 「そうですね、ヒトデなんかの話でこんなに盛り上がるとは思いませんでしたよ。私って案外無知なんだなぁって思いました」

 「しょうがないよ、海洋考古学なんてマイナーなジャンルだしね。ボクも暇だったから博士号取ったけどそれっきりだし」

 「はぁー・・・・相変わらず凄いですねさくらさんは」

 「うむ、博識で美夏は驚いたぞ」

 「そんな褒めても何も出ないよ~」


  確かに相変わらず話は面白かった。さくらさんは人に話を聞かせる手腕というのは素晴らしいモノがあると思う。

  オレも知らずしらずの内に話に聞き入ってしまい質問なんかしてしまった。それに対してさくらさんもいつも通りに指をピンと立てて
 説明してくれたので余計な感情を挟まず普通に盛り上がってしまった。

  そして昇降口まで来て美夏達と別れる事になる。オレは途中まではさくらさんと一緒の道。ハッとしてオレは考えた。


 「じゃあね~! 今日も一日元気に過ごそうっ!」

 「はーい」

 「うむ、学園長もな」


  さくらさんと一緒になる、二人っきりになる、それはダメだ。何を言われるか分からないしオレはさくらさんと出来るだけ会話しないと決めた。

  だからオレは美夏達に別れの言葉を言い、さくらさんがこちらに振り向く前に歩き出した。「あ」という呟き声が聞こえてきたが無視する。

  この態度を崩してはダメだ。弱い所を見せちゃいけない。離れられないと言うなら手錠でもなんでも括りつけてどこかに寝泊まりすればいい。

  杉並に聞けばいい物件の一つや二つ持っているに違いないから頼る事にするか。借りを作る事になるが構わない。オレは借りを返すタイプだからな。


  そうして数歩歩きだすと後ろから聞こえるバサァッという紙が散らばる音。思わず後ろを振り返るとさくらさんが茫然とした顔で書類が散らばった様を
 見ていた。おそらくオレを追いかけようとしてバランスを崩してカバンから書類を落としたんだと思う。段々悲しみを帯びた表情になってきた。


 「あ、あはは・・・・やっちゃった・・・・・ねぇ、義之くん、手伝ってもらっていいかな?」

 「・・・・・・・」

 「に、にゃはは・・・・・やっぱり大丈夫、ボク一人で拾えそうだしね、甘えちゃいけないよね、うん・・・・・・うにゅ」


  一人で急いで書類をかき集めるがワックスを掛けた廊下は滑りやすくなっており色々な方向に紙束が散らばってしまっていた。

  オレは周りを見回したがこういう時に限って誰も居やしねぇ。後ろからは大変そうな、今にも泣き出しそうな声を出してるさくらさんの声。

  だが構うもんか。ここで気を許したら絶対にロクな事にならない。今までそうだったじゃないか、きっと今回もそうだ。


  なのに足は動いてくれない。歩き出そうと力を入れるがなかなか上手くいかない。後ろからは相変わらず辛そうな声が聞こえてくる。



 「・・・・ん、しょっと。あれ、こっちにも飛んじゃってたのか」

 「・・・・・・」

 「あれれ、この中間のページってどこいったのかな・・・・」

 「・・・・・・」

 「にゃあ・・・・・」

 「・・・・・・」

 「うにゃ・・・・・ぐすっ」

 「・・・・・・」

 「にゅ・・・ひっく・・・えっぐ・・・」

 「・・・・・・あーーーーっ! くそっ!」


  泣き声が聞こえてきた時点でダメだった。自分に罵声を浴びせてさくらさんの手伝いをするために踵を返した。さくらさんはオレの声に驚いた 
 のかビクッと小動物のように体を震わせる。

  無言で近寄り散らばった書類を集めるオレ。結局オレはさくらさんが困っているのを見過ごせなかった。嫌いではないんだしむしろその行動は
 当然なのかもしれない。自分の親が困ってるんだから助けねぇでどうすんだよと思ってしまった。

  そんなオレにさくらさんはおろおろとした感じで見詰めている。まさか本当に来てくれると思ってなかったんだろう。だったらそんな泣き声
 なんか出すんじゃねぇよ、くそっ!


 「なんで去年に貰ったあのカバンを使っていないんですか。もうそのカバンは古くて使えないと言ったでしょう」

 「え、あ、そ、その―――――」

 「何故そのカバンを使ってるか理由を教えてください。オレにはてんでそのカバンを使う有効性が分からないんですが?」

 「だ、だって義之くんから貰ったカバンなんだもん。大事に使うのは当り前でしょ? 小さい頃お小遣い叩いて買ってきたものなんだし
  取りかえるのが勿体無くて・・・・」

 「―――――そうですか、書類集め終わりましたよ」

 「あ・・・・」


  今の言葉を聞いて少し心が動いてしまった。そんなぼろっちいカバンをそんな理由で使ってるなんて――――少し嬉しくなってしまった。

  今のオレがあげたものじゃないが、さくらさんがそんな理由で今でもそのカバンを使い続けてる事実に胸が高まった。だからその発言を聞かない
 事にしてぶっきらぼうに書類を差し出す。

  おずおずといった感じでさくらさんがそれを受け取ろうとする。昨日とまるで別人みたいだ。冷たく接した事に少し罪悪感を覚える。


 「次からは気を付けてください。さくらさんはそそっかしいんですから。次からはちゃんとファスナーが閉まってるかどうか確認して
  下さいね。そんなボロいカバンでもまだまだそのファスナ―部分は――――」

 「にゃはは、ありがとう。義之くん」


  そしてオレは見てしまった。そのカバンのファスナー部分が開かれていない事に。それはおかしい、書類を落としたという事はその部分が
 開いてなきゃ駄目だ。そうじゃないと書類は落ちて来ない。

  書類を見てみる。難しい単語の羅列が並んでいる。だがかろうじて文字を拾ってみると―――海洋考古学の文字。日付は何十年も前だ。

  なぜそれを持っているんだ。それはさくらさんが昔発表したという論文じゃないのか。何故ここにある。

  オレの視線に気付いたのか「ああ、これね」と話し出すさくらさん。あまりにも笑顔で言うのでオレは茫然としてしまった。


 「さっき話して思い出しちゃってさぁ。どんな種類の紙束出そうと考えたらこんなの出てきちゃった。いやぁ、懐かしいね。うんうん」

 「・・・・・魔法ですか。騙しましたね」

 「義之くんなら絶対来てくれると思ったよ。やっぱり義之くんは優しいね、モテる訳だ」

 「こ、この――――」

 「それで色々話したいんだけどいいかな。一時間目の授業には出なくていいよ、ボクが出席扱いにするし」

 「あ・・・・・」

 「約束―――破ったよね。学校行く時はボクと一緒に行くって約束したよね?」

 「そ、それは・・・・」

 「来て」

 
  オレの手を引っ張り廊下を歩きだした。ぐいぐい引っ張られるのでたたらを踏んでしまうがさくらさんは気にすることなく歩いて行った。

  そして着いた場所は―――学園長室。嫌な予感がした。思いっきり腕を切り離そうとしたがさくらさんがオレの眼を見て立ち止まった。

  その眼に見詰められ、入れ掛けた力が抜けていくのが分かる。そんなオレの様子に満足したのか笑みを浮かべて向学園長室の扉を開けた。

  中に連れ込まれるオレ、後ろを向くとさくらさんが扉の鍵を締めていた。そしてこちらに振り返り―――抱きついてきた。


 「にゃあああっ!」

 「うわっとおっ!?」


  座敷間に転がるオレとさくらさん。何とか背中を打ちつけないように腰を捻ったが少し鈍い痛みを感じる。二人分の体重が掛かってきたので
 耐えきれなかった。

  そしてオレの胸に頭を擦りつけてくるさくらさん。やたら甘えた声を出してくるので思わずその体を―――抱き締めない、抱きしめてたまるか、
 ここで抱いたら後が辛くなる。我慢するんだ。

  そうしてオレの胸の感触を堪能したのか頭をポテッと最後に落としてきた。静かになる学園長室。


  オレは―――覚悟を決めた。もう思ってる事を全部吐き出してやる。


 「・・・・抱きしめてくれないんだね」

 「――――彼女居ますからね。他の女性を抱いたら美夏が怒っちまう」

 「何を今更に。あれだけ昨日ボクの中に出したじゃないか。忘れたなんて言わせないよ」

 「忘れました、もう綺麗さっぱりに。大体どうかしてるんですよ、家族であんな事するなんて」
   
 「―――――そう」


  表情は見えない。ずっとオレの胸に顔を押し付けたままだ。もしかして、さくらさんはすごくショックを受けてるんじゃないか?

  前も言っていたが何十年間も一人で過ごしてきてんだし――――いや、ダメだ。場の雰囲気に流されてはいけない。どうせさっきみたいに
 騙されるのがいいオチだ。いい加減学習した方が良い。

  もうこのまま言いたい事を言った方がいい。もうウンザリだこんな関係。さくらさんの頭に手を置いて言うタイミングを窺った。

   
 「・・・・よっしゆきくん」

 「ん、なんですか?」



  置いた手を掴まれて――――襟元を思い切り引っ張られた。目の前にはさくらさんの顔。キスが出来る直前の位置まで頭を持って来られて
 オレの目を見詰めた。今までにない怖い眼をしてオレを見るさくらさん。オレはあまりにも恐怖で目を背ける事さえできなかった。   
   
  
 「う、――――わ」

 「あれだけやっといて元の関係に戻れると思ってるのかな。無理だよね、そうだよね、散々義之くんも楽しんだのにそれは
  ないんじゃないかなとさくらさんは思ったり。間違った事言ってるかな?」

 「い、いえ・・・・」

 「だよね。なのに彼女が居るからとか家族だからおかしいとか今更過ぎるよ本当に。それで、なんだっけ、綺麗さっぱり忘れただっけ?
  義之くんはまだ若いんだしそんなに物忘れ激しくないよね? 本当は全部覚えてる筈だよ、違う?」 

 「ぜ、全部覚えてます」

 「よかったぁ、全部覚えててくれたんだ。もう驚かさないでよ。いきなり義之くんがそんな事言うからショックで泣きそうだったよ。
  あれだけ一生傍に居てってボクは言ったし義之くんも居てくれるって言ったから、信用してるんだよ?」

 「は、はい」

 「あーよかったぁ、本当によかったぁ」


  そう言ってオレの唇にキスをしてきた。いつも最初にやるフレンチキス。さくらさんのお気に入りだった。

  くそ、だめだ、ビビっちまった。体の震えが止まらない。右手で左手を抑え込む、骨が折れそうな程力を加えた。なのに震えが止まらない。

  思いっきり歯を噛んで落ち着こうとしても歯が震えて上手く噛み合わない。筋肉全体が震えているのでどこに力を入れていいか分からなかった。

  じゃあ頭を動かせよ、なんで何も考えようとしねぇんだよ。美夏が言ってたじゃねぇか、義之は頭でっかちだって。だから頭を動かさなきゃいけねぇのに。


  なんだよ、なんだよ、なんだよ。相手はオレよりガタイも何もかも非力な人間なのにどうしてこんなにもビビっちまったんだよ。意味が分からねぇよ。


  こんな情けない姿をオレは見たこと無い。まるで夜に怖くてトイレに行けないガキみたいに震えてる意味が分からない。

  落ち着け、冷静になれ、目を閉じるな、前を向け。いつもそうしてきたじゃねぇか、いつもみたいに堂々としろよオレ。

  へそに力を入れてシャキッとしろよ。本気でキレた時のあの感じを思い出せよ。オレの唯一の取り柄はビビらねぇ事だろうが・・・・!


  思わず――――涙が零れ落ちてきた。鼻の奥がツンとする。これほどまでに自分が情けないと思った事はない。これなら刺された方がまだマシだ。


 「・・・・ぐすっ」

 「ありゃりゃ、泣いちゃったか。ごめんね、怖かった?」

 「・・・・べ、別にそんな事・・・・ひっぐ・・・・」

 「無理しなくていいんだよ。ボクも少しばかり大人気無かったね、だから泣かないで、義之くん」

 「な、泣いてなんかいま・・・せん・・・・」

 「あーーもう、ほら、もう大丈夫だから。落ち着いて・・・・・」

 「あ――――」


  さくらさんに頭から抱きしめられる。昔されたみたいな優しい抱き方、それにオレは凄く安心を覚えた。

  さっきまでのどうしようもない感情の奔流が段々収まってくる。赤子が母親に抱擁されるが如く、暖かい気持ちになった。

  そして囁くようにオレに話し掛けてきた。子守唄を聞かせるように、ゆっくりと、穏やかさを持ちながら。

  
 「そんなに涙を流す程怖がらなくてもいいじゃないか、さくらさんちょっとショックかな、にゃはは」

 「す、すいません」


  ふざけるな。何がショックだ、ワザとやったんだろうが。


 「もっと安心出来る方法があるんだ。ほら、昨日の事を思い出して。ボクと抱き合った事を。凄く安心したでしょ?」

 「は、はい」


  その後が大変だったけどな。便器この間掃除したばっかだったんだぞ、くそ。


 「あの時のボクの体を思い出して。感触を思い出して。ほら、気持ちよかったの覚えてるでしょ?」

 「・・・・はい」


  やめろよ、気持ち悪いんだよ。そうやって甘い言葉吐いてればオレが乗るとでも思ってるのかよ。


 「義之くんはあのさくらさんを抱いたんだよ? 義之くんはそれに凄く喜んだよね、母親みたいな人を抱けて凄く興奮したよね?」

 「・・・はい」


  する、わけ・・・・ねぇだろ。頭がイカれてんのかよ。嫌悪感で、いっぱいだっつーの。また、ゲロ吐かせる気かよ。


 「ボクと何回でもしたい筈だよ義之くんは。ボクも何回でも義之くんとしたいんだ。いいよね?」

 「・・はい」


  ・・・回でもする? 冗談・・・せって。はは


 「ほら、服を脱いで。昨日みたいにまた愛し合おう? 義之くんはそれにすごく幸福感を覚えるからまたしたい筈だよ?」

 「はい」

  ・・・・・・・・・・


  もう、いいや。なんだか面倒になってきた。こうやって優しいさくらさんが見れるんだからさくらさんの言うとおりにした方がいいかもしれない。

  怖いさくらさんはもう見たくない。ならこうやって抱き合って気持ちよくなった方がいい。オレもハッピーだしさくらさんもハッピー。何も問題は無い。

  何も問題は無い筈だ。オレはさくらさんが大好きだしさくらさんもオレの事がオレ以上に好きだ。そう、何も問題は、無い。


  ああ―――なんだか大事な事を忘れてる気がする。きっと気のせいだろう。だってオレの好きなさくらさんが笑ってるんだから。

    






















 「うーん・・・・何処にも居ませんわね」


  義之と天枷さんのお昼にお邪魔しようと思って義之のクラスに行ってもその義之が居なかった。杉並に聞いてもどうやら一時限目から居ないらしい。

  では休みなのではないかと聞いたら登校自体はしていると言っていた。どこの情報網を使ったのかは知らないがそれは確実みたいだ。

  天枷さんが居るクラスに行ってみたものの義之の姿は無かった。天枷さんに聞いてみても義之の居場所は分からないらしく逆に聞かれてしまった。


 「義之がどうかしたのか?」

 「どうやら一時限目から姿が見えないらしいのよ。天枷さんなら知ってると思いましたけど―――見当外れの様ね」

 「む、手厳しいな。しかし本当に美夏は分からないぞ。大方どこかでサボっているんじゃないのか?」

 「だといいんですが・・・・。一応私探して見回すわ」

 「あ、美夏も探すのを手伝うぞ。アイツ一緒に昼食を食べる約束してたのにすっぽかすとは・・・・・全くいい加減な男だ」

 「――――では手分けして探しましょう。見つけたら中庭集合という事で。それでは」

 「ちょ、ちょっと待てムラサキ!」


  天枷さんの掛け声を無視して私は歩き出した。いくらなんでも彼女とはいえ義之を馬鹿にした発言は気に喰わなかった。まったく、いい御身分ですこと。

  もしかしたら義之は今大変な思いをしてるかもしれないのに。昨日の様子からその可能性は十分考えられる。あの義之が大変な思いをするというのはあ
 まり考えられない事だが『もしも』という事があるかもしれない。義之だって人間なのだから。

  とりあえず私はしらみつぶしで学校中を廻る事にした。どうせどこに居るか見当もつかないのだから手当たり次第叩いた方がいい。


  しかし―――どんな大変な思いをしてるのだろう。昨日の義之は疲れている様な顔をしていたし隈なんかも出来ていた。

  義之は言っていた。家に帰りたくないと。家に帰りたくないというのはどういう事だろうか? 家族と喧嘩―――いや、義之には両親はいない。
 
  居るのは学園長の芳乃さくらさんだけだ。でもあの人が義之をどうのこうのするとは考えられない。何回が話した事があるが理知的で穏やかな心
 を持った女性だった。それに義之を愛している事が分かる。可能性―――低いと思う。


  とするとそれ以外の要因かもしれない。女性には女性しか分からない悩みがあるし男性にも男性の悩みがあるのだろう。

  そうなると私はお手上げだ。いくら私が義之の事が好きだからと言っても出来る事には限度がある。その限度を超えようとしたらきっとロクな事に
 ならないし、余計なお節介ほど要らないモノは無い。私もそれで色々酷い目にあって来た。

  兄さんめ・・・・私は忘れないわよ。初生理の時にテンパって宮廷中を大騒ぎの渦中に陥れた事を。あんなに大声で血が出てるを連呼しなくても
 いいのに。いつか絶対仕返ししてやる。兄さんの事は好きだけれどこれは別問題だ。


 「それにしてもどこをほつき――――」

 「じゃあね、義之くん」

 「・・・・はい」

 「――――――ッ!」


  学園長室の前を通って屋上に行こうと思ったその時、学園長室から義之が出てきた。思わず隠れてしまう私。理由は無い。つい驚いて隠れてしま
 った。今更出ていくのもなんだかと思い様子を見守る事にする。

  それに義之が何故あんなにも元気が無いのか分かるかもしれない。さっきは芳乃学園長とは何もないかもしれないと思ったが万が一という事がある。

  万が一―――あって欲しくない事だ。義之の話をいつも聞いてると芳野学園長の話が絶対という程出てくる。それほど義之が尊敬している人物なの
 だからその人物とのイザコザは私にとってもあまり考えたくない事だ。

     
  まぁ、あるといってもどうせ口喧嘩だろう。それに芳乃学園長は大人な人だし義之も根に持つタイプではない。私の気にし過ぎかもしれない。  

  
 「でも今日一日休んでもいいのになぁ。本当、義之くんは真面目さんだねー」

 「いえ、別にそんな事は・・・・。ただちょっと友達の顔とか見たくて・・・・はい」

 「にゃはは、寂しがり屋さんだね。あ、今夜の夕飯どうする? たまには外食とかしてみない? いいイタリアンの店見つけたんだぁ」

 「・・・・そうですね、確か冷蔵庫の中身もあんまり無かったですし。たまには外でっていうのも―――」

 「わぁ~本当!? 嬉しいにゃあ」

 「あ、さくら――――」

 「・・・・・え?」


  嬉しそうに顔を綻ばせながら義之に――――キスをする学園長。いや、それ自体はいい。外国の方なのだしキスや抱擁はあちらからしてみたら挨拶だ。

  だが、それは違う。親愛の挨拶で舌なんか入れたりしないしからめたりもしない。ぐちゅぐちゅという音がこちらまで響いてくる。余程熱が入っている
 のか顔に段々赤みが増してきた。

  それを私は食い入るように見ていた。まるで信じられないという気持ちと何をやってるんだという怒りがごちゃ混ぜになる。義之は天枷さんが好き
 な筈なのにこんな浮気みたいな事を・・・・・それも家族と称した人とだなんて―――――


 「・・・・・ぷはぁ。いきなりで驚いちゃったかな、ごめんね?」

 「い、いえ・・・・」

 
  一分ぐらいはしていたかもしれない。それもこんなお昼時にするなんて見境がないのか。

  段々自分の頭に血が昇ってくるのが分かる。もしかして私を振った原因というのはこの事なのか。

  天枷さんが大事だと言いながらこんな真似を裏でしてるなんて、と私は自分の事を棚に置きながらそう感じた。


 「お詫びに午前の授業は全部出席扱いにしておくよ、学園長の仕事のお手伝いしていた名目でね。まさかボクも朝からお昼まで
  えっちしちゃうとは思わなかったけど――――誘ったのはボクなんだし、これぐらいはさせてね?」

 「は、はぁ・・・・ありがとうございます」 

 「あと、今夜もボクと一緒に寝ようね。勿論いっぱい愛し合いながら―――さっきやってたみたいに」

 「・・・・そうですね」

 「うんうん、やっと義之くんも素直になってきたねぇ。じゃあ今日は一緒に帰って家でお着替えしたら御飯食べに行こう?」

 「あ、いや、今日は美夏と帰ろうと――――」

 「義之くん?」

 「あ・・・・わ、分かりました。一緒に、帰りましょう・・・・」

 「うん! じゃあまた放課後にね、バ―イ!」

 「・・・・はい」


  そう言って学園長室の中に戻っていく。義之はその場に取り残され片手を顔に伏せている。何か思いつめているらしい。

  どうせロクな事では無いのだろう。私の中での義之の評価はガクンと下がっている。絶対的な王子様から好きで好きでたまらない先輩に
 格下げだ。もう月とスッポンぐらいの差にまで下がっている。私は怒りで拳が震えていた。

  義之が下を向きながら歩いてきたので腕を取っ捕まえて壁の角に引っ張りこむ。驚いた顔をして何か言いたげに口を開こうとしたがそれ
 を無視して私は捲し立てた。


 「最低ですわよ、義之っ!」

 「な、何がだよ。いきなり現れやがって・・・・」

 「聞きましたわよ、さっきの会話。どうやらとてもお楽しみだったようですわね、朝から昼まで。人が心配になって探してみれば浮気ですか。
  それも相手は一緒に住んでる家族同然の相手、信じられませんわね。私を振ったというからには天枷さんの事が余程好きなんだなと思いま
  したがどうやらそれは私の勘違い、実際はこうやって裏で逢い引きしているんですものね」

 「・・・・そうか、聞いてたのか」

 「ええ、聞きましたわ。天枷さんより芳乃学園長との約束を優先した事もね。義之は本当は天枷さんの事が好きじゃないんじゃないかしら?
  思えばあんなジャリ娘と付き合ってるのが今まで不思議でしたのよ。私を振った様に天枷さんの事も振ってあげた方がいいのではなくて?
  その方があの娘の為になると思いますの」

 「ち、違うっ! オレは美夏の事が好きで――――」

 「嘘おっしゃい! さっき部屋の中で何をしていたのか冷静に思い出してみなさいな!」

 「部屋の中で起きた事・・・・・」


  顔に手をやって俯く義之。もう言い訳が出来ない事でも悟っているのだろう。

  それはそうだろう、会話を盗み聞きした感じじゃやりまくってたそうじゃないか。

  お猿さんじゃありませんのに―――そう思って義之の顔を見て、驚いた。


 「ど、どうしたの義之!?」

 「う・・・ぷっ」


  顔面は蒼白になりいきなり走り出した。虚を疲れて少し固まってしまったが私も慌てて追いかける。

  そして向かった先は―――男子トイレ。そこに義之は入って行った。躊躇してしまう私。いくら私でもそこに入るのは躊躇われた。

  けど中から聞こえてきた義之の苦しそうな声を聞いて思いっ切って中に入る。男子トイレが何だって言うのよ、もう・・・・!


 「う、げぇ・・・・!」

 「だ、大丈夫義之!? なんでいきなりこんな・・・・!」

 「ぐ、ぐぅ・・・・」

 「せ、背中を擦って上げますから、ほらっ」

 「・・・・・はぁ、はぁ、う、げぇ・・・・」


  義之の背中を一生懸命擦ってあげる。原因は分からないがこうやって義之の背中を擦る事しか今は出来ない。

  何が、何が起きてるのだろうか。意味が分からない。「大丈夫、大丈夫だから」と根拠のない励ましをしながら義之の背中を擦った。

  それが効いたのか分からないが少し落ち着く様子を見せた。荒い息を付きながら顔を伏せているので表情は見えないが、ちらっと見えた
 横顔を見るとまだ青ざめていた。


 「い、いきなりどうしたの? 何があったの?」

 「・・・・・朝より吐き気がしなかった」

 「え?」

 「朝はもっと吐けたんだけどな。途中休憩挟んで食い物喰ったから胃に何も入って無いってこはない。なのにこれぐらいしか
  吐けていない。もっと吐かなきゃいけないのに」

 「な、何を言ってるんですの?」

 「段々心が慣らされていってるのかな。あまり嫌悪感を感じねぇんだよ。それどころか段々さくらさんとやる事に抵抗感を覚えなくなって
  きてる。本当はしたくないのに――――いや、本当どうなんだろうか、本当はしたい筈なのにしたくない振りをしてるのかな。今だって
  こうやって吐いちゃいるがこれも演技なのかもしれない。本当は気持ち悪くないのに気持ち悪い振りをしてるのかもしれねぇ」

 「・・・・・・」

 「もう、分からねぇ。分からねぇよエリカ」


  そう言って泣きだす様に俯いてしまう。私はその姿を見てショックだった。義之がこんな姿を見せるなんて一度も考えなかったし見たくなかった。

  いつだって度胸に溢れていて物事を冷静に見てきた人なのに、今はただの弱い男の子にしか見えない。頭を吹っ飛ばされたような感触を覚える程
 私はショックを受けてしまった。

  そして湧いてくる怒り。義之をここまで追い込んだ誰か―――きっと芳乃学園長だろう。だから義之は家に帰りたくないと言っていた。

  
  私が何があったか聞くと意外にも素直に話をしてくれた。きっとそれ程までに追い詰められていたのだろう。助けをあまり乞わない人間な筈なのに
 こうして私の手を握りながら喋るとはそういう事だ。

  何があったか少しずつポツリポツリと喋る。さくらさんを家族だと思っていた事、その家族が自分を求めて来ている事、それに自分が断れない事、
 本当は自分は自分に嘘を付いてるんじゃないかという事。それらを悩みながら話してくれた。

  まぁ―――普通ならそんな事知るかという反応を返すだろう。聞けば求めに応じた事は確かだしその尻拭いは自分でしろというのが一般的な
 返し方だろう。少なからず私はそう思っている。


  だが義之がこうも・・・・何かに怖がっているのは見ていられない。優柔不断な態度ならともかく怯えているなら助けてやらねばならない。

  義之が怖がる相手―――上等じゃないか。ここは私という女の度胸の見せ所だろう。天枷さんじゃ話にならない。私がケリをつけてきてやる。



 「――――義之はとりあえず保健室に行って眠りなさい。疲れてるでしょう、色々と」

 「あ、ああ。そうするよ。少し体がダルくてな、とてもじゃないが授業には参加できねぇ。杉並とか茜とかと喋りたかったんだがお前と
  喋って少し気分が落ち着いたよ。ありがとうな」

 「いいえ、別にどうってことはありませんわ。友達なんですから」

 「友達か・・・・そうか、そうだったな」

 「まぁ義之の事が好きなのは変わりませんけどね。ほら、さっさと行きなさいな」

 「お、おい、背中押すなよ、こら」
  
     
  無理矢理背中を押して廊下に出る。そして私は手を振った。お前は一緒に来ないのかと聞かれたがいつまでも甘えるなと言って突き返してやった。

  今の義之に必要なのはこういう言葉だろうと私は判断したからだ。人間は甘え出すと際限なく甘えてしまう、決して元気にはならない。

  なにせ自分が経験してきた事だ、それぐらい分かる。義之は私の返事に苦笑いしながら保健室に足を向けた。その背中を私は黙って見送る。


 「まぁ・・・・たまにはゆっくり休みなさい」


  私と天枷さんの問題で色々疲れているだろう。彼女がロボットのせいで色々気を張ってるみたいだし昨日まで私という厄介な問題を抱えて
 いたのだから疲れている筈だ。

  というか今更な話だが――――私の事が好きだと言って置きながら別に彼女は作るわ学園長とえっちはするわで置いてけぼりな形になる私。
 
  地球に来てからツイていない事ばかりで少し考えさせられてしまう。ていうか私もえっちしたいんですけど。


 「まさか私って男運無いのかしら・・・・」

 
  地球には確か風水という占いものがあると聞いた。名前とかで人生に係る各運を調べる事が出来ると言うのでやってみた方がいいかもしれない。

  
  そして私は学園長室に足を向けた。何か手土産を持って伺う筈だったのですが――――要りませんわね。























 「・・・・・」


  何をやってるんだろうか。毎回冷静になってそう思う。義之くんに勉強をサボらせて、学園長の仕事を放棄してまで何をしているのかと。

  座敷間に引かれた床には義之くんと乱れた跡が残っている。少し鼻にツンとくる匂い。何回ぐらいやっただろうか、三回目から覚えていない。

  少し疲れたのか体がフラフラする。ペタンとその場に座り込んでその場を茫然と見る。なんだか夢を見ている様な気分だった。


  義之くんが感じる姿を見てると何回もしてあげたくなったし、私が感じるてると義之くんもボクに負けないぐらい求めてきた。

  幸せすぎて獣のように求め合った。昨日の今日だというのにまだまだ湧き上がるこの劣情に苦笑いが漏れてしまう。どれだけ淫乱なんだボクは。

  でも義之くんを見るたびに気持ちが止まらなくなる。あの鎖骨に舌を這わせたくなる。ゴツゴツした手に触れられてみたくなる。


  ああ―――本当はこんなつもりじゃなかったのに。ただ普通に笑い合って愛を囁き合いたかっただけなのにどうしてこうなってしまったのか。

  義之くんに今まで見せた事のない怖いボクの顔を見せて、脅して、無理矢理その気にさせて、ハイエナの様に求めるなんて真似はしたくなかったのに。

  自分の息子を泣かせてまで、ボクに頭が上がらない事をいいことに散々自分の言うとおりに動かしてまるで人形遊びみたいだ。  


  確かに覚悟はしていた。蔑まれ様が何され様がボクは義之くんへの求愛は止めないと覚悟していた。

  だが、何かが違う。全然違う方向にその想いがずれていってる。義之くんに笑ってもらいたい筈が泣かせてしまっている。

  どこで間違った、そもそも自分の為に平気で魔法を使う様な人間だったのかボクは、あんな悪趣味な魔法を使うボクだったか。


 「レールがずれている・・・・あれ、ずれてるのかな。いや、でも、あれ、覚悟はしたんだよボクは、諦めないって。でも・・・・・」


  何かがおかしい、間違っている様な気がする。でも間違っていない様な気もする。自分が分からなくなる。何がしたいんだろうかボクは。

  頭を押さえて考える。義之くんが好きだと自分の気持ちがハッキリしたのはいい、そこまではいい、間違っていない。問題はその後だ。

  一緒にお風呂に入ったのは――――間違っていない。親子なんだし間違っていない。研究用の薬を撒いたのも間違いではない。

  義之くんと付き合う為にああいう方法を採ったのは当り前だ、彼女が居るんだしその気にさせなくてはダメなのだから。そのあとえっちに
 持ちこんだのも別に間違ってはいない。義之くんも喜んだしボクも喜んだ、だから間違ってはいない。


 「――――あれ、どこも間違ってないんじゃないかな。さっき義之くんと寝たのもその延長線上でのものだし・・・・でも、あれ?」


  頭が回っているのに回っていない様な変な気分。それはおかしい、ボクは頭がいいのだから、義之くんに尊敬されるほど頭がいいのだから有り得ない。

  いっぱい勉強をしていっぱい資格も採った、学園長にもなった、未だに研究所からお呼びが掛かる程だ。それぐらい頭が回ると自負している。

    
 「・・・・うにゃ。おかしいな・・・・」

 「確かにおかしいですわね。家族とこんな事をするなんて」

 「にゃっ!?」


  横から声がして心臓が止まる程驚いてしまう。後ずさってその声がした場所を見るとエリカちゃんが立っていた。

  ジッと詰まらなそうな目で見ている視線の先には乱れた布団。顔が真っ赤になるのが分かる。恥ずかしい様なみっともない様な気持ちに駆られる。

  いてもたってもいられなくなったボクは急いでその布団の前に立ちはだかった。


 「み、見ないでよっ!」

 「そんな堂々と真ん中に引かれては見たく無くても見てしまいますわ。本当、お盛んだったみたいですわね」

 「あっ――――」


  今度はティッシュで溢れているゴミ箱を見て呟くエリカちゃん。慌てるボクを見てふっと馬鹿にしたような息を吐き出す。それにカチンときた。

  なんだ、なんだこの子は。いきなり表れて我がモノ顔で偉そうにして。いくら外国から来たお姫様だからってその態度は無いんじゃないかな。

  ムッとした顔をするボクを尻目にズカズカと入って窓を開ける。ぶわっと新鮮な空気が入ってきた。


 「学園長は理知的で活発な可愛い大人の人と思っていたのですが、人は見掛けによらない物ですね。こんなにゴミ箱が溢れるまで
  抱き合うなんて・・・・・・ああ、とても私からしたら考えられませんわね。獣じゃあるまいに」

 「・・・・随分挑発的だね。それで、ボクに何か用でもあるのかな?」
 
 「まぁ用事というかなんというか―――――義之に手を出すの止めてくれません事? 義之にはちゃんとした彼女が居ますし
  身近な男で事を済ますというのは良識な大人としてどうかと思いますわ」

 「・・・・・・・」


  さっきも家族がどうのこうの言っていたからボク達の事は知っているのだろう。義之くんが喋ったのか偶々ボク達の会話を聞いたのかは
 知らないがそういう関係にあるのをエリカちゃんは知っている。

  普通なら慌てふためく所だが――――知られたものはしょうがない。大事なのはそこからどうするかだ。悔やんでも物事を解決する時間が
 遅くなるか間に合わなくなるかのどちらかだ。スマートじゃない。

  エリカちゃんは義之くんに手を出すなと言った。苦笑いが漏れてしまう。エリカちゃんに言われたくない台詞だ。自分もしつこいぐらいに
 付き纏ってた癖に。もしかして自覚がない程お気楽な子なのかな。


 「エリカちゃんに言われたくないなぁ、エリカちゃんだって義之くんにしっっっつこい程付き纏ってたじゃないか。人の事言えないと思うよ」

 「――――あら、知っていましたの? 恥ずかしい所を見られましたわね」 

 「義之くんがあんなに嫌がっていたのに付き纏うから見ていられなかったよ。まぁ、ちゃんと決着を付けたみたいだからいいけ――――」

 「でも嘔吐するまで私は付き纏わなかったわね。可哀想に。さっき辛そうに御手洗いで吐いてましたわよ? 背中を擦ってあげて
  何とか落ち着けましたが」

 「え・・・・」

 「確か外国で流行って最近日本でも流行ってる・・・・えぇと、性的虐待でしたっけ? あれに近い物がありますわね。
  その人を見たら震えたり気持ち悪くなったりする症状が被害者に見られるという・・・・まさか身近で起きるとは思い
  ませんでしたわ」


  義之くんが吐いてた? いや、そんな筈は無い。義之くんはボクの事が好きだし行為の時も嫌がってはいなかった。

  そんなものは一方的に相手を嬲る卑怯な手口だ。そんなものと一緒にしないで欲しい。エリカちゃんを思わず睨みつけてしまう。

  自分と義之くんとの関係を馬鹿にされたも当然だから当り前の反応だ。なんでこんな子にそんな事を言われなければいけないのか。


 「馬鹿にするのもそこまでにしてくれないかな。義之くんはボクとの行為に喜んでたし求めて来てくれたんだよ?
  エリカちゃんと違ってね。もしかしてボクの事僻んでるのかな?」

 「・・・・・・」

 「でも安心してね? ボクはそれはしょうがない事だと思ってるから別に蔑んだりしないよ。やっぱり好きな人が他の子と
  えっちな事したら嫉妬しちゃうのはしょうがないとボクは考えている。同じ女の子だからそれぐらい知って――――」

 「ぷっ」

 「・・・・え?」

 「ふふ――――あっはっはっはっはっ!」


  いきなり笑いだしたエリカちゃんに茫然としてしまうボク。なぜこんな風にいきなり笑いだしたのかボクには理解できない。

  呆けた顔をしてボクにエリカちゃんは涙目になりながら話し掛けてきた。


 「・・・・し、失礼。あまりにも私が聞いた事がある台詞を学園長が言うモノだからおかしくて・・・・ふふっ」

 「な、何の事さ!」

 「さっき言った性的虐待のある加害者の言葉ですよそれ。自分を慕ってくれている娘を自分の物にしようと無理矢理強姦した父親のね。
  その娘は父親の事が好きで少しだけ異性としても興味を持っていた。だが所詮は父親、家族愛の方が大きくそれ以上の感情は持っ
  ていなかったらしいんですの。なのに父親は勘違いして両思いだと思い込んで無理に体を重ねてしまいその娘の心に大きな傷を付
  けたっていう話――――最低ですわね」

 「だ、だから義之くんは喜んで――――」

 「その父親はとても口がうまい人で相手を丸めこむのが得意だった。その娘の事も上手い事言ってその気にさせて『本当は自分も
  父親の事が好きなんじゃないか』と思わせるまではいったらしいんですが・・・・それ以上はいかなかったみたいね。体は喜ん
  でも心は正直なもので凄いストレスを感じたらしいの。熱が冷めて落ち着くと嘔吐感に苛まれたり胃が痛くなったり手が震えた
  りね。でも父親はその行為を止める事は無く娘も仕方なくその行為に応じ―――結局入院した」

 「・・・・・・」

 「後で医者がその娘に事情を聞いて裁判沙汰になったという話も聞きましたわ。もちろん父親は有罪。当り前ですわよね、無理矢理
  強姦したというのに愛していて仕方なくやったと発言する馬鹿な父親なんですから」

 「・・・・うるさい」

 「――――失礼、今なんとおっしゃったんですか? 声が小さくて聞こえませんでしたわ」

 「う、うるさいって言ったんだよっ! そ、そんな話はボク達になんか関係ない、いい加減な事ばかり言わないでよ!」

 「・・・・はぁ、そういうヒステリックな所まで私そっくり。なんかゲンナリしますわ」


  その話ぐらい知っている。何十年か前にニュースでやってた事件だ。結構な大騒ぎになった事件で法律も改めて強化されたので覚えている。

  だが―――そんなものはボク達には関係の無い話だ。そうやって騙されるもんか。相手はボクの半分も生きていない子供なんだしやり込められて
 たまるかという衝動に駆られる。

  そうだ、ボクは頭がいいんだし度胸だってある。この間まで男に振られてメソメソしていた小娘に負けてたまるか。


  そうしてボクは怖い自分を引き出す。その眼で思いっきりエリカちゃんを睨んでやった。エリカちゃんはその眼を見て驚いた様な顔をして後ずさりをする。



 「・・・・ず、随分怖い眼をなさるのね。思わず逃げだしそうになるわ、はは」

 「そうだね、手なんか震えてるようだし目も泳いでる―――逃げてもいいんだよ?」

 「・・・・・くっ」


  それ見た事か。温室育ちの女の子だからこういう眼で見られた事が無いだろう。生憎だがボクは何十年間も一人で生きてきた人間だ。

  人間としての強さがまず違う。周りの友人達は自分を差し置いて普通の人間らしく歳をとっていき取り残されるボク。けれどそういった
 絶望に歯を食いしばりながら耐えてきたんだ。生きてきたんだ。

  チヤホヤされながら生きてきた人間にはそういう強さは無い。だって自分が頑張らなくても自動的に周りから欲しいモノが与えられるのだから
 我慢なんかする必要が無い、ただ受動的に待つだけ。


  大体にして義之くんが耐えられない事にこの子が耐えられる筈がない。引き算足し算よりも分かりやすい答え。思わず口が笑みを作る。


 「・・・・まるで魔女みたい、ね。すごい不気味だわ」

 「――――何言ったって止めてあげないから。泣いてもいいんだよ? 義之くんだって泣いたんだから別に恥じゃない。そう、恥じゃないんだ」

 「・・・・・・」


  囁き掛ける様に言葉を掛けてやる。今のエリカちゃんはとても怯えている。そう、さっきの義之くんみたいに。

  無理も無い。ボクが結構度胸あるかもしれないと思っている義之くんだって可愛くなるぐらいに怖がるのだから。

  ほら、段々涙目になってきた。逃げたいのだろう―――今、視線が出口の方に向いた。心理が手に取るように分かる。

  今なら特別に許してやる。今言った発言も聞かなかった事にしてやる。だから大人しく帰った方がいい。


  そう言おうとした――――瞬間、何を思ったかエリカちゃんが横の壁に思いっ切り頭をぶつけた。鈍い音が部屋に響き渡る。


  俯くエリカちゃん。血が出たのだろう、頭を押さえている手の間から血が流れていた。金髪と血が混じり凄絶な色合いを醸し出す。

  思わず茫然とするボク。エリカちゃんは顔を歪ませながら喋り出した。


 「・・・・いったぁ・・・・・もう二度とこんな真似はしないわよ、絶対」

 「―――――何を、してるのかな?」

 「私ってあんまり度胸がない弱い女の子なんですの。だからこうやって気を紛らわせようと思ったのですが――――やって後悔してますわ」

 「・・・・馬鹿だね。意味が分からないよ。痛いだけじゃないか」

 「でも効果はありますわよ、これ。痛さで貴方の視線なんか可愛い猫の目ぐらいにしか感じないし怖くもない。それになんだか・・・・気持ち
  よくなってきましたわ。なんでかしらね・・・・ふふっ」

 「・・・・・」


  おそらく痛さでアドレナリンが過剰に分泌でもされてるんだろう。目が過剰に見開くのがいい証拠だ、上手く外眼筋を制御出来ていない。

  気持ち良いというのもその所為、気分が高揚としてハイになるというのがアドレナリンの特徴だ。そして感覚も麻痺しているので恐怖も感じない。  

  フラフラになりながらも今度は逆にボクが睨み返されてしまう。さっきまで泣きそうな表情をしていたのに今はさっぱりとした顔付きになっていた。
 
      
  そこまでする理由―――分からない。そんなにボクと義之くんを切り離したいのか。理解出来ない。だから聞いてみる事にした。


 「なんでそこまでするのかな。そんなにボクと義之くんがくっつくのが我慢できない? 意味が分からないんだけど」

 「いえいえ。別に義之が嫌がっていないなら、まぁ、それはそれでありかなと思いますわ―――面白くないですけどね」

 「じゃあ、なんで――――」

 「もしかして耳が遠くなったのかしら? 私は、今、『義之が嫌がっていないなら』と申しましたのよ。義之が嫌がっているなら
  私は『友達』としてそれを許す事は出来ない。こんな事も分からないのかしら。常識が無いのね、貴方」

 「許す事が出来ない、か。それで――――エリカちゃんに何が出来るのかな? 少し酷い言い方になるけどエリカちゃんに何か出来る
  とは思えないんだけど。何の力も無いお姫様だしね」

 「――――そうねぇ、さっき言った例みたいに裁判沙汰にでもしようかしら? 芳乃学園長は少し頭が可哀想な方なのでまともに取り合っても
  仕方無いと私は判断しましたので。きっちり法律によって罰せられて下さいな」

 「ああ、それは無理だよ。ボクってね、長生きしてる分だけあって人脈も凄いんだぁ。法律なんか捻じ曲げられるような凄い人とも
  知り合いだし怖い人とも面識がある。全員お金でなんとか出来る人だからボクが少しでもお小遣いをあげれば動いてくれるかな?
  エリカちゃんがどうのこうのしても意味が無いし、残念だったね、にゃはは」

 「・・・・・ふぅん」


  長年生きてるだけあってボクにはコネもある。それぐらい造作もない事だ。エリカちゃんは良い子だからそういう人間を知らないだろう。

  世の中には愛よりも金の方が重いと考える人間なんて大勢いる、それが例え警察官でも、弁護士でも、政治家でもだ。でも仕方が無い、お金
 が無いと生きていけないのだからそう考える人の気持ちもよく分かる。お金さえあれば良い服だって買えるし美味しい物だって食べられる。

  それにお金はあって邪魔になるものでは決してない。有れば有る程いい物だ。その私の言葉に対してエリカちゃんは――――ため息を付いた。


 「貴方ね・・・・私、一応お姫様なんですけど」

 「そ、それがどうしたって――――」

 「だから私は貴族で物凄くお金持ちだって言ってるのよ。お金なら腐る程ありますし人脈もまぁ、この地球――――じゃなかった、国に
  沢山持ってますしね。なんならこの初音島を買い取ろうかしら? 桜も綺麗ですし海も中々に綺麗、観光地にするのも良いかもね」

 「え・・・・?」

 「そうだ、分家をこの島に設けるのもいいかもしれないわ。兄さんが結婚したらそうしましょう。でも買い物に何かと不便だから、そうね、
  大型デパートでも買い取りましょうか。そうなるとレジャー施設も欲しいし服屋も欲しいし、えぇと・・・・」

 「そ、そんな事出来る訳ないじゃないっ! 夢見るのも大概にしなさい!」

 「それが残念な事にそうするだけの力を持ってますのよ。私が一声父上に掛ければとても容易い事なのよねぇ、父上ったらとても子煩悩
  で参ってしまいますわ。この島に来る時も島の半分買い取ろうとしましたし・・・・私が民の血税をそんな風に使わないでくださいと
  言ったらしょんぼりしてましたね。まったく、私の事になるとまるで見境が無いんだから」

 「え、あ、そ、そんな・・・・」

 「お金の事、なら私は誰にも負けないわよ・・・・ふふっ」


  そんな常識外れのお金持ちなんか見た事も無いし聞いたことも無い。昔ここに住んでいた月城というお金持ちもそこまではいかない。

  嘘を付いてると思ったが眼は本当の事を言っていた。おそらく事実。あの気の弱い子がここまで自信たっぷりに、この状況下で言うのだから
 恐らく本当の事なのだろう。

  愕然として何を言っていいか分からなくなる。エリカちゃんは頭を痛そうにしながら踵を返した。


 「まぁ、そういう事ですので諦めて下さいな。貴方程の人物がここまで頭が回らなくなるなんてよっぽど義之に入れ込んでいたのね。
  でも終わり。観念しなさいな」

 「・・・・諦めないから」

 「何を言ってもダメですわよ。義之はこの私が『守って』あげるんですから。これ以上指一本でも触れたら分かってますわね?」


  その言葉に――――ボクは一番プッツンときた。


  今、なんて言ったんだろうか。聞き間違いじゃなければこの子は義之くんを『守る』と言ったのだろうか。

  冗談じゃない。義之くんを守るのはボクの義務だ。決してこんな弱くてどうしようもない子じゃない。

  だから後ろを向いたその綺麗な背中に魔法を掛けてやる。跪くように倒れ込むエリカちゃん。苦しそうに立ちあがろうとするが無理だ。

  可哀想に。心臓を鷲掴みされたような気分だろう。口から泡みたいなのを吐き出してるし余程苦しいに違いない。


  うにゅ、汚いなぁ。


 「・・・・くっ・・・・あ・・・っ!」

 「一応救急車呼んでおくけど間に合わないかもね。でも人間頑張れば何とかなる事が結構あるんだよ。だからファイト、エリカちゃん」

 「・・・・く、あ、あなたは・・・・・・」

     
  そう言って気絶するように眼を伏せるエリカちゃん。まぁ仕方ないよ。ボクと義之くんの邪魔をしたんだし当然の報いだ。

  死にはしないだろうがしばらく病院に入って貰おう。義之くん攻略まであともうちょっとなんだからここで躓いてなんかいられない。

  
  ―――さて、一応この後のプランでも考えておこう。学園長という立場は辛い。こんな生徒でも子供の為に泣いてる振りをしなきゃいけないんだから。      

























 「まさかエリカから元気貰うなんてなぁ・・・・あとでお礼しなきゃ駄目だな」


  友達。


  あのエリカに心からそう言って貰えて嬉しかった。あれだけ酷い扱いしたのにオレの事をそう呼んでくれるなんて本当に嬉しかった。

  小さい頃からダチなんて居なかったし今でも杉並と茜ぐらいしか居ないからそう呼ばれると、なんか、ムズ痒いんだよなぁ、くすぐったいというか。

  でも―――悪い気分じゃない。本当にオレの事を心配してくれたし怒りの表情を見せてくれた。元々義理人情の厚い奴だがその気持ちは嬉しかった。


 「でも無理はして欲しくないからな、エリカ。間違ってもさくらさんに突っかかるなんて事しないでくれよ」

     
  今のさくらさんはとても怖い状態だ。もしエリカが自分の敵だと思ったら容赦なく攻撃するだろう。

  まぁ、そんな事は無いと思うが一応忠告はしておいた方がいいかもしれない。オレなんかの為に危険なんか犯さなくていいと。

  この問題はオレ自信の問題だ。未だに震える手を押さえながらため息をつく。それにはまずこのビビった気持ちを奮い立たせないと駄目だな。


 「それにしても・・・・お礼、か。そういえばアイツ確かブティックに連れて行けって言ってたな。今度誘って行ってやるか」


  それも悪くない考えだ。あいつを着せ換え人形にして遊ぶのも悪くない。フランス人形みたいに外見が美人だから色々面白そうだ。

  でも怒るだろうなぁ。オレに惚れてた間も弄られると怒ってたし。またその怒り様が可愛いから更に笑えるんだよな、エリカは。

  その時は美夏も誘うか。今のエリカならきっと仲良く出来る。きっとあーだこーだ言い合いながらいつも傍に居る関係になれるに違いない。

  きっとオレという人間を介さなくてもそういう付き合い方になってただろう。似たモノ同士というのはどこか目に付くからな。


 「その時は杉並とか茜とか誘って・・・・・ん?」


  窓から外を見ていると―――桜の葉が舞っていた。

  とても綺麗に舞う桜を見て、オレは何故か不安に駆られる。

  そして聞こえてくる救急車の音。校門前にその救急車が止まったのを見てオレはベットから起き、走り出す。

 
  嫌な予感がした。そしてそれは結果的に当たる事になる。そしてオレはその日――――人生で一番ブチ切れる事になった。  













[13098] 外伝 -桜― 5話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:7bcbbb13
Date: 2010/10/26 23:42







 「はいはい、どいてどいて!」

 「皆自分の教室に戻りなさーいっ!」


  生徒会の面々が大声を張り上げながら野次馬連中に呼び掛けるも連中は帰る様子を見せない。

  人というのは漏れなく祭り事が好きで、平坦な生活の繰り返しに飽き飽きしている風見学園の生徒達が校門前に止め処なく集まってきていた。

  オレは体をよろめかせながらなんとか生徒達の間をくぐり抜けてそこに辿り着く。体力―――眩暈がするほど消耗していて疲れ切っていた。


 「よぉ、茜」

 「あ、義之く―――って何その顔っ!? か、風邪とか引いてるのっ?」

 「気にするな。パソコンでエロサイト見て回ってたら寝不足になってるだけだよ、大したモンじゃねぇ」

 「え、エロサイトって・・・・」

 「んな事はどうでもいい。何かあったのか? 風見学園に救急車が来るなんて初めて見たぞ、オレ」

  
  野次馬の中に胸がデカイ長髪の見覚えのある顔を見つけたので声を掛けてみる。てかこいつと話すのも久しぶりな気がするな、オイ。

  見れば校門前には救急車と救急隊員が慌てふためいているのが見えている。ここからではストレッチャーに誰が乗せられているのか見えない。

  生徒会の奴らが場の混乱を仕切っているのか総出で救急車の周りを囲っている。こいつら授業の最中だというのに余程暇だったんだろうか。

  教師連中も混乱を鎮めようと躍起になっているが効果は無い。それ程までに何か大きな事件があったのかと疑問に思った。


 「え、う、う~んとねぇ・・・・実は私もさっき来たばかりだから状況が分からないのよ。何かサイレンの音が聞こえてきて
  人が運ばれてるっていうから興味本位で来たんだけど・・・・」

 「そうか。それにしても本当に人多いなぁ、貧血とかで倒れたんならここまでの騒ぎにならねぇだろうし・・・・」

 「うむ、それがだな――――」

 「うぉっ!」

 「きゃっ!」


  後ろからいきなり声を掛けられ驚く。茜とオレは悲鳴を上げながら後ろを振り向くと杉並が立っていた。オレ達の反応に満足気な反応をする。

  この野郎、最近のオレは心労と共に疲れ果てているっつーのに驚かすんじゃねぇよ。オレの少ないダチの顔を思わず殴りそうだったじゃねぇか。

  とりあえずオレは話を聞く体制を整える、こいつの顔を見る限り真面目な話だろう。こいつが真面目な顔になる時は本当に真剣な事が起きた時か
 UMAの話になる時だけだ。UMAの話をし出したら腹パンしてやる。


 「そんなに驚く事もあるまい。俺は普通にこの場に来ただけだ。いつもの密偵用の歩行術を使ったりはしてないぞ?」

 「お前の隠し芸の話は今度する事にして――――何が起きたんだ? さっさと内容を話せこの野郎」

 「うむ、それがだな―――って、桜内、何だか顔色が悪いな。少し寝てきたらどうだ? 期末試験まではまだまだ期間があいてるし今日は無理に
  授業に出る必要はない。寝て体力・気力と共に充実させた方が有意義だぞ」

 「――――皆同じ事を言うよ、聞き飽きた台詞だ。そんなにオレに話したくない内容なのか、ええ?」

 「・・・・・」


  自然に話を逸らしたつもりかよ。明らかにオレの顔色を見て言うのを躊躇ったのが分かる。何の話かは知らねぇがおそらくオレがショック
 を受ける内容なのだろう。だから気を使ってるのがありありと分かる。

  この世界の奴らはオレに対して余計に気を使いすぎだな。前のオレ自身の人徳というものが窺いしれる良い話だが、オレからしてみたらそんな
 事をされても少しも感謝の言葉が出て来ない。

  それで参っちまう程弱い人間と勘違いされるのも癪だし、それにどっちみち知る事になる内容だ。そんな事をされても余計に気になっちまう。


 「いいから言ってみろよ。お前に聞かなくてもどうせ入ってくる情報だ。こんなに大騒ぎしてるんだからな」

 「・・・・そこまで言うのなら話を続けよう。その代わり冷静に話を聞けよ?」

 「分かってるっつーの。だから話を―――」

 「エリカ嬢が意識不明の重体だ。廊下で倒れていた所を芳乃学園長が発見したらしい。話を聞くと心筋梗塞と同じような症状に苛まれたらしい
  のだが・・・・実際は何が起こったのかは詳しく分かっていない。今、救命隊員が急いで心臓マッサージをやっているが―――もしかしたら
  助からないかもな・・・・」

 「え、ええっ!? エリカちゃんがっ?」

 「・・・・・・」

 「あ、義之く――――」


  野次馬共の間をすり抜けてその場所まで行く。皆オレという存在に気が付いて素直に道を譲ってくれた。こういう時にオレが今まで
 起こしてきた傷害事件の話の噂が役に立つ。

  途中音姉がオレに話し掛けてきたが無視してその脇を通り過ぎる。今の自分―――驚くほどに平静さを保っていた。エリカが意識不明の重体
 と聞いても心に波風が立たなかった。本当、薄情な人間だと思う。

  あれだけ自分を慕ってきた女性が今にも死にそうだというのに頭がとてもクリアだ。あまりにもショックを受けると人間は物凄く冷静に
 なるというがソレではない。本当に何も感じなかった。


 「お、弟くんっ!? それ以上近付いちゃ駄目だって、エリカちゃんが心配なのは分かるけど・・・・!」

 「・・・・」

 「だ、だから近付いちゃ駄目だってっ、大人しく教室に戻りなさい!」

 「ん、いや、さっき杉並からエリカが重体だって聞いてさ。顔だけでも見ようかなと思ったんだけど・・・・駄目かな?」

 「そ、そんな顔をしても駄目だからね・・・・」


  しつこく音姉が構ってきたのでどうにか黙らせようと思い悲しみの表情を作る。目を上目遣いにし、甘える様な声を出す。

  音姉の性格とそれに対する感情の起伏を考えればこれが一番効き目があると思った。こっちの世界の音姉も桜内義之に対して単なる
 弟以上に溺愛する程愛しているのを知っている。あまりやりたくない方法だがこの方法が一番手っ取り早い。

  さっきまでの凛とした姿が段々崩れて来ている。周囲を見回す。まゆきは他の生徒の誘導に夢中でこちらに気付いていない。あいつが
 いると更に面倒なのでここが攻め時だ。


 「なぁ、音姉。ちょっとでいいんだ。ちょっと顔を見ればオレも納得して帰るし他の生徒を誘導するのも手伝っていい。別に音姉を困らせる
  為にあそこに行く訳じゃない」

 「うー・・・・・」

 「音姉はオレが友達が危篤状態でも見捨てる様な人間だと思うの? それに音姉だってオレとか由夢が今にも死にそうな程の怪我を負ってたら
  いの一番に駆けつけるでしょ? 音姉だったらオレのこの気持ちを分かってくれると思ったんだけどな・・・・」

 「ほ、本当にちょっと見たら帰ってくる? 変な事をしてこない?」

 「ああ」

 「誘導もちゃんと手伝ってくれる? 面倒くさがらずに私達をお手伝いしてくれる?」

 「ああ。約束だ。誓うよ」

 「・・・・・・なら、ちょっとだけって言うなら・・・・」

 「ありがとう、音姉」


  悪い、オレは平気で約束を破る様な人間なんだ。誰がそんな面倒な事を手伝うか。音姉の手を握り感謝の言葉を告げると、顔を綻ばせている音姉
 を置き去りにその場所まで向かう。

  他の生徒会の連中は音姉が許可した人物だからなのか声を掛けてくる事が無かった。そうしてその場所に着くと心臓マッサージを受けている
 エリカの元にまでたどり着いた。

  口には呼吸器をつけ頭にはガーゼが張られている。頭の方は大した傷じゃないようで、少し血が滲んでいるがそれだけで済んでるようだ。問題は
 心臓が止まっている事。


 「き、きみっ! こんな所に来ちゃ駄目だろっ! 早くあっちに行って――――」

 「あ、す、すいませんっ! でも、その、僕、彼女の彼氏なんです。急に倒れたとかとかで凄く心配で駆けつけてきたんです、だから、その、
  どうしても彼女の助けになりたくて・・・・・」

 「だ、だめだっ、今は一刻を争う自体なんだ、彼氏だからといって居られても邪魔なだけだ! 何も出来る事は無い!」

 「なら・・・・せめて手を握るぐらいはさせて下さい。好きで、好きでようやく昨日告白して付き合えた彼女なんです・・・・。もしここで
  死んだってなったらとてもじゃないですが・・・・僕は・・・・・・・・」

 「・・・・・くっ」

 「お、お願いします・・・・一生の、お願いです・・・・・」

 「て、手を握るだけだぞ、絶対に変な事はするんじゃないぞっ!」

 「―――――ッ! は、はい! ありがとうございます!」


  オレにそう言って助手席に乗り込む隊員。オレもその車に乗り込み、エリカを助けようと心臓マッサージをしてくれている人達の
 邪魔をしないように手を握ってやった。咄嗟についた嘘だが満点の出来だろう。雰囲気もいい感じで出ていたと思う。

  エリカ―――薄目になりながら遠くを見ていた。お前、こんな大変な時だっていうのにドコ見てるんだよ。相変わらずお前は変な所で
 抜けてるよな。こんな死にそうな時にそんなとぼけた事をしてるなんてよ。

  それにしても心臓が動いていなくて眼を開けてる状態か。これは助からねぇかもしれないな。一生懸命蘇生させようと頑張ってくれてる
 おっちゃん達には悪いが誰が見ても明らかだ。


  思えばエリカにはたくさん酷い事をしたなぁ。こんなオレに惚れちまったのが運の尽き。でもオレだってこんなに優柔不断な男だとは
 思っていなかったよ。一番大嫌いなタイプの男に自分がなるとは人生何が起きるか分からないな、うん。

  違う世界に来るは美夏に惚れるわ初めてのキスを無理矢理奪われるわ外国のお姫様に惚れられるわで随分忙しい所に来ちまった。
 そしてそれぞれにいい加減な態度を取り、酷い事も言ったオレを友人と言ってくれる茜とエリカ・・・・。

  挙句の果てにはオレの為に死にそうな思いをするなんてよ。もっと優しくて決断力のある男に惚れればよかったのに、バカな女だぜ。


 「どうしたっ、早くエンジンを掛けろっ! 病院に行って早く集中治療室へ―――――」

 「そ、それが―――動かないんです! ガソリンもあるしバッテリーもある筈なのにエンジンが、掛からないんです!」

 「なっ、こんな所でエンストなんて・・・・!」


  それはそうだろうなと思う。もしここで車を走らせたらエリカが助かる可能性が出てくる。あの人的には後遺症が残って一生病院のベットに
 居て貰うのがベストだろう。今のあの人ならそういう事をやりかねない。

  ああ、あんな人じゃなかった筈なんだけどな。オレがこの世界に来た影響か、そもそもあの人はこういう事をする様な残虐性を秘めていたのか。

  いや―――どちらにしてももう関係の無い事だ。こうしてエリカが死にそうになってるのが事実、結果だ。過程なんざどうでもいい。


  さて、ここでオレが出来る事つったら一つしかないわな。握っている手をジッと見詰める。オレはエリカに世間話をするかの様に喋り始めた。


 「エリカ、実はオレって魔法使いなんだよな。でも結構雑魚キャラ的な能力だぜ? 和菓子ぐらいしかまともに出せないしその分自分のカロリーを
  消費するっていう感じだからな。炎とか雷とか出せたら少しは格好ついたんだが・・・・人生そうは甘く無いらしい」

 「おい、本部に連絡しろっ! 代わりの車を手配するんだっ、早く!」

 「で、だ。この間さくらさんから教えてもらったんだがオレはどうやら普通の人間じゃねぇらしいんだよ。驚くよな? 貴方は桜の木
  から生まれましたって言うんだぜ? 普通ならもっと可愛い女の子が出て来てもいい筈なんだがなぁ・・・・」
     
 「む、無線も通じません! 携帯電話もですっ!」

 「そ、そんなバカな事が・・・・後ろに心臓麻痺を起している女の子がいるんだぞ、くそっ!」


  さくらさんクラスになればそれは凄い魔法使えるんだろうけどな。オレをこっちの世界に寄越したし強制的に寄り道出来なくもさせられた。
 それにこうやって人を殺す事だって出来る。
 
  魔法ってのは人を幸せにするもんだと聞いた事があるが―――使い方次第なんだろうなと思う。人を幸せに出来るって事は不幸にも出来る訳
 だからな。分かりやすい例だと車か。あれも凄く便利なもんだが少し操作ミスをするだけで簡単に人を殺せちまう。

  手を見る。この手で何が出来るのかは分かり切っているが――――試すだけ試してみよう。あの桜の木から生まれたっていうファンタジーな
 存在ならこれぐら出来なきゃ話にならねぇ。映画だってそういう存在は何かしら活躍する場面が設けられるしな。


 「起きたらブティックに連れて行ってやるよ。お前の好きそうな服とか一杯置いてある所にな」


  隊員が全員病院への連絡をどうにかとろうと躍起になっているのでオレの話し声なんか聞こえて無いだろう。もし聞こえてたら自殺もんだぞ。

  いい歳した男が魔法とかぼやいてるんだからよぉ、普通なら頭がイカレてるとしか思われないだろうな。オレが普通の人だったらついでに強制的に
 入院させるレベルだ。周りに人が居ない事を確認して言ったから大丈夫だと思うが万が一がある。

  もし聞いてたら聞こえなかった振りをしてくれ――――そう思い手に更に力を込める。イメージとしては和菓子を出すあの感触、それにオレの
 ありったけの感情を込める。歯を思いっきり食いしばって砕ける程に。


  そして――――力が抜ける感触と共に喪失感を味わう。過ぎた事をやった代償、それを払う羽目になった。


 「・・・・ゴホっ」

 「お、起きたか」

 「・・・・ぐっ・・・・ゲホ、ゴッ・・・・・よ、義之」

 「よお、死にそびれたな。どうやら地獄は満員らしい、お前みたいな跳ねっ返り娘はいらないみたいだ」

 「・・・・よ、義之が・・・・助けて、くれた・・・・の?」

 「あ? オレがそんな医療の心得があるわけねぇだろ。心臓麻痺を起してる人間を手を握っただけで蘇らせたら一躍テレビを賑やかす有名人
  になっちまうな。ただ単にお前の悪運が凄かっただけだよ」

 「・・・・・ありがとう、義之」

 「だから礼を言われても困るんだけどな。じゃあオレはそろそろ行くよ、色々迷惑を掛けたな。今度服とか買ってやるからそれで勘弁な?」

 「・・・・遊園地にも、連れて行って」

 「えー・・・・美夏もいるからそれはきついなぁ」


  オレが困った様に頭を搔くとエリカはおかしそうに笑う。まぁ、冗談で言ったってのは分かってたが―――それも検討しておくか。

  二人きりはさすがにアレだから杉並連中も誘うとしよう。こいつも知り合いが増えた方が何かといいだろうしな。美夏と由夢を見ていると
 本当にそう思う。友達は居ても決して邪魔にならないし学校生活が少しばかり楽しくなるから居た方が一人よりは幾分かマシだ。

  頭を一撫でしてオレは救急車から下りる。何かさっきから隊員のおっちゃん連中が信じられないとか言っているが無視した。初音島に住んでる
 んだからこれで驚いてちゃこれから先大変だっつーのに。


  
  そうして目的の人物を探す。『左目』の視力が殆ど無くなったから少し見づらいな。右目だけでなんとか辺りを見回した。



 「お、弟くん! すぐに戻るって言ったのに車に乗り込むなんて何やってたのっ!?」

 「ん・・・・ああ、音姉か。悪かったよ、少しばかり盛り上がっちゃってさ。早く帰るつもりが時間掛かっちまった」

 「も、盛り上がるって・・・・」


  左から来たから少しばかり視点を合わすのに戸惑っちまった。これは結構な訓練しないと慣れないなぁ、マジで。治るかどうかも分からないし
 普通のリハビリ訓練が功を奏すのか分からないからこの感覚に早く慣れないといけない。

  この『左目が見えない状態』と一生付き合う事になる―――まぁ、それも人生だ。利き手が使えなくなるよりはよっぽどいい。生きていけないという
 事は無いし案外楽しいかもしれない。人生何事も前向きにいかなければな。

  音姉はオレの発言を聞いて何故か顔を真っ赤にしている。何を想像してるんだよ何を。意識ない女をどうかする程常識無い訳じゃねぇし、オレ。         
 
 
 「え、エッチなのはお姉ちゃんは許さないんだからねっ!」

 「そんなエッチな事を想像しちゃう破廉恥な音姉に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

 「お、お姉ちゃんは破廉恥なんかじゃありませんっ!」

 「分かった分かった、音姉はマリア様みたいに純粋で優しい女性だよ。さくらさんがどこに居るか知ってる?」

 「え、さくらさんならあっちの方で―――――」

 「あっちか・・・・分かった、ありがとうさん。行ってみるよ」

 「あ、生徒会の誘導手伝うってさっき――――」


  オレは校門脇の方に向かい歩き出した。後ろから音姉が「弟くんの嘘つき~!」という言葉が聞こえてくるが構いやしない。オレは嘘付きだからな。

  さて、今からもう一嘘付きしてくるか。一昔前のさくらさんなら絶対に騙されないだろうが今のさくらさんならちょろいだろう。最近のさくらさんの
 行動を見るに頭の回転は確実に鈍っている。恋に盲目になり周りが見えていないと思っていた。

  またあの怖い眼されたら嫌だなぁと考えながら目的の人物を探し当てた。

  さくらさん―――その表情は自分の生徒が大変な目にあっている状況を悲しんでいるように『装って』ベンチに座っていた。脇にはそれを慰める由夢の姿。


  なんだかさっきよりも頭がクリアだ。さくらさんに近づく度にどんどん平静な心になっていく。そしてさくらさんと目が合った。


 「よ、義之くん・・・・」

 「あ、兄さん・・・・」

 「大丈夫ですか、さくらさん?」

 「う、うん・・・・なんとか、ね」

 「今は大分落ち着きましたけどさっきまで大変だったんですよ、もうかなりショックを受けていたみたいで・・・・」

 「そうか」


  オレもさくらさんの隣に座り背中に手を置く。肩は小刻みに揺れており目元には涙の跡が残っていた。由夢も心配そうにその姿を見ている。

  さて、どうしようかと考え―――懐から財布を取り出した。最近バイトに行っていないからあまり裕福では無いが小銭くらいならある。

  適当に二百円取りだし由夢に差し出した。その意味が分からず困惑して「え、え?」と呟く我が家族。もう少し空気読めるようになりなね。


 「なんかさくらさんに飲み物買ってこいよ。そこの角曲がった所に自動販売機あったろ? そこで買えばいい」

 「え、あ、う、うん、そうだよね」

 「相変わらず場の雰囲気読めない奴だな、お前は」

 「な、に、兄さんに言われたくありませんよっ!」

 「そうだな。だから早く行って来てさくらさんに何か買ってきてやれ」

 「ふ、ふんっ!」


  オレの手から金をもぎ取る様にして奪い地面を踏み鳴らしながら歩いて行った。相変わらず怒りやすい奴だ。怒り過ぎてお団子頭が解けるるんじゃねぇか?

  と、さくらさんがオレに寄り掛かってきた。右目でちらっと見ると顔を綻ばせながらこちらを見ている。相変わらず甘えたがり屋な人だ。

  しかし元々はこういう性格だったのかもしれない。けれど一人で生きていくためには甘えを捨てなければいけない。捨てた結果、あの怖いさくらさんを
 形成したとオレは考えていた。そりゃそうだよな、色々辛酸も舐めてきただろうしそうしなければいけない必要性に駆られたのかもなぁ。         


 「さっきエリカちゃんの所に行ってたの? 様子どうだった?」

 「――――もう駄目かもしれませんね。顔なんか血の気が無かったし心拍数もほとんどありませんでした。なんか車の調子も悪いみたいで
  動かないようですし・・・・死にますね、きっと」

 「それにしては義之くん冷静だねぇ。もしかてさ、エリカちゃんの事嫌い?」

 「そういう風に見えました?」

 「そりゃあねぇ。前家に来た時もそっけなかったしエリカちゃんみたいなしつこい女の子は義之くんのタイプではないだろうしさ。ボク偶然に
  見ちゃったんだ、義之くんとエリカちゃんが喧嘩してる所。だから嫌いなのかなぁって。今もなんだか冷たいし」

 「喧嘩してるところ見られてましたか・・・・恥ずかしい所見られちゃいましたね」


  あまり見られて嬉しい場面では無い。男と女の痴話喧嘩なんてものは犬も食わないという話があるぐらいだ。みっともないにも程がある。

  頬をポリポリ掻くオレをさくらさんはおかしそうに見ている。ああ、本当におかしいよな。彼女が居るのに他の女と痴話喧嘩なんてよ。

  オレの肩に寄り掛かりながらさくらさんは何を思い出したか「あっ」と呟き楽しそうに話をし始めた。


 「そういえばエリカちゃんも似た様な事を言ってたっけなぁ。そんな所を見られて恥ずかしいってね。あの子供っぽくてお嬢様なエリカちゃんが
  そんな事を言うもんだからボク驚いちゃった」

 「本当ですよね。中々他の人には素直になれない性格だし傲慢な所もあるし度胸が無い癖に無理に前に進もうとするし厄介な女ですよ。今思えば
  なんであんなヤツ突き離せなかったのかなぁって度々思います」

 「にゃはは、本当にエリカちゃんの事嫌いなんだねぇ。じゃあ今あーやってエリカちゃんが苦しんでるのは自業自得かもね、義之くんに嫌われるほど
  悪い事やってた訳だしさ」

 「かもしれないですね。だから――――さくらさんには感謝してますよ、本当に」

 「え?」

 「エリカの件、さくらさんがやってくれたんでしょ?」


  顔を近づけて笑みを浮かべながらさくらさんの目を見る。背中に置いておいた手も肩に回し自分の体に引き付ける。多分オレからこういう行動
 をしたのは初めてかもしれない。

  最初茫然とした顔をしていたさくらさんだが次の瞬間には顔を赤くしてしまい俯いてしまった。この人は責めるのは得意みたいだがこういう風に
 突発的にいざ自分が責められると弱い。

  耳に囁く様にしてオレも若干顔を寄せる。いきなりのオレの行動に戸惑っているさくらさん。オレは同じ事をもう一回聞き直した。


 「で、どうなんですかね? オレの予想じゃさくらさんがやってくれたもんだと思っていたんですが・・・・違うんですか?」

 「え、え~とねぇ・・・・いくらなんでもそんな事――――」

 「本当の事を話して下さいよ、本当の事を。オレはさくらさんを信用してるんです。だから嘘なんか吐かれたらすごい悲しい、さくら
  さんだけはオレに嘘なんて付かないと思ってますから・・・・」

 「う、う~ん・・・・」


  口に手を当て考えるポーズ。さくらさんの癖だ。何か考え事をする時こうやってさくらさんはいつも考え事をする。

  何を考える必要があるのだろうか。ただ本当の事を話せばいいのに。やっていないならやっていないと言えば済む話なのだから。

  そしてさくらさんがこちらに顔を向ける。表情―――苦笑い。そしてようやくオレは聞きたかった答えを聞けた。


 「・・・・にゃはは。うん、ボクがやったよ。なんかおかしい事を言い出したから魔法でドカン、てね」

 「――――おかしい事?」

 「なんか義之くんを守るんだぁーとかそんな感じの事を言ってたよ。馬鹿だよねぇ、義之くんが嫌いなのを知らないでそんな事を言ってるなんてさ。
  勘違いもあそこまでいけば――――」

 「なんでさっき言うの躊躇ってたんです? 別に感謝はすれど文句は言いませんよ、オレ。さくらさんさっきの話を聞いてたじゃないですか、オレが
  エリカの事を嫌いって」

 「えーだってさ・・・・ちゃんとトドメ刺さなかったから少し引け目感じてたんだ。そこまで義之くんが嫌ってたならちゃんとやったんだけどねぇ」

 「んー・・・・そうですか」


  答えとしてはこれ以上無いぐらいに最低だ。せめて魔法を使った事への罪悪感でも感じて欲しい所だったんが―――まぁ、無理だろうな。

  もうそんな感情は残っていないだろう。何日も前にそれは分かり切っていた筈なのにオレはまだ期待していた。さくらさんにまだ良心的
 な部分が残っている事を。

  だから今の答えを聞いてオレは悟った。今のさくらさんは完璧にマトモじゃない事を。少なくとも人・・・・を傷付ける様な人間では無かった。


 「でも最低でも一生病院のベットで暮らすとは思うから、安心してね?」

 「――――エリカは生きてますよ。さっき目を覚ましました、オレが生き返らせました」

 「・・・・・?」


  杉並からエリカを助けた人物の名前を聞いた時、オレは分かってしまった。ああ、さくらさんの仕業だなと。あの人ならやりかねないなと。
 
  だが何事も確認は必要だ。技術系の仕事なんかでは必ずと言っていい程再チェックを行う。人にミスは付きものだと考えている人が多いからだ。

  そしてオレも例に習って確認した所―――自分の考えに間違いは無い事が分かった。さくらさんは可愛らしく首を掲げ怪訝そうな顔付きをしていた。

  
  さて、その再チェックも済んだしこれからどうしようかな。隣を見るとさくらさんは苦笑いしている。うん、苦笑いしている顔も可愛いな。


 「生き返らせたって・・・・義之くんが? にゃはは、それはいくらなんでも無理じゃないかな。義之くんはだって――――」

 「和菓子しか出せない魔法使い、ですもんね。だけど出来たもんは仕方ありませんよ。さっき少し会話しましたがあれなら後遺症も
  残らないかな? まぁ一週間は大事を取って学校休むでしょうけど」

 「―――――そんな筈無いよ。あそこから目を覚ませるのってボクだって難しいんだから。凄い集中力と精神使うし」

 「いやぁ、オレの集中力も案外馬鹿に出来ないっすよ? あれだけ集中したのって人生で初めてかもしれませんね」


  大体エリカにあの話を聞かせたのがマズかった。アイツの性格を考えればさくらさんの所に行くのは間違いないのに―――オレの考えなさで
 エリカを危険な目に合わせてしまった。本当に申し訳なくなる。


 「だからっ、義之くんの力じゃ無理だって言ってるんだよ。元々和菓子しか出せない様な貧弱な力なんだからそんな魔法の力なんて使ったら――――」

 「死んじゃう可能性もあったんでしょうね。だけどオレは左眼だけで済んだ。オレが桜の木から生まれたおかげなのか、それとも凄い奇跡
  が起きたのかは知りませんが」

 「あっ―――――」


  そしてようやく気付いたのだろう、オレの焦点が合っていないだろう左眼に。さくらさんは信じられないという顔付きをしながら話を続けた。


 「で、でも義之くんはエリカちゃんの事が大嫌いって言ってたじゃないかっ! なのになんでそんな風になるまでエリカちゃんを助けたりしたのっ?」

 「そんなの嘘に決まってるじゃないですか。オレの大切なダチの一人ですよ? 助けなくてどうするんですか、まったく」

 「ハ―――――」


  絶句、まるで意味が分からないと言いたたげな顔をしていた。多分本当に理解出来ていないのだろう。可哀想に。

  さくらさんがそれを教えて来てくれたのに当の本人が理解出来ないでどうするんだよ。本末転倒じゃねぇか。

  小さい頃あんなに人情とか友達とか義理について語ってくれたのに――――いや、止そう。全部過去の話だ。


  視線を下に移すと拳が固いぐらいに握られていた。血管なんか浮き出ているし骨が自分の握力でミシミシと軋んでいる音が聞こえる。

  そしてオレは分かった。オレはエリカが危険な目に合ったていうのに、なんでこんなに冷静なんだろうと思ったがその答えを見つけた。

  怒り、哀しみ、憎しみ、そういった感情を吐き出せる機会を待っていたのかオレは。道理でなんかおかしいと思っていたがスッキリしたぜ。

  まるで喉の引っ掛かった魚の小骨が取れた様に気分が良い。最高だ、早くこの喜びをブチ撒けなくてはいけないな。


 「―――――ッ!」


  さくらさんがオレの異変を感じ取ったのか怖い眼を向けてオレを睨んでくる。ああ、やっぱり怖いよこの人の眼。

  オレはそう感じながら、それに笑みを返し、握り締めた拳を叩きつけた。




















  ヤバイ――――そう思って義之くんが怖がる眼を作り出す。何がヤバイのかは知らないが直感的にそう思った。

  表情は笑みの形を作っているし雰囲気もそれは穏やかなものだった。だが逆にそれがボクの不安を煽る。ならば何故そんなにも拳が
 固く握られているのか。それも骨が軋む程に。

  そして飛んでくる拳。もうボクの目なんか通じないと悟る、咄嗟に額で拳を防御するも喧嘩なんてした事の無いボクは呆気なくベンチから転げ落ちた。


 「いってぇ・・・・やっぱり左目が見えないと感覚が掴めないな。それも体がダルイし動くのが面倒臭い、最近ろくに眠ってなかったからなぁオレ」


  固い所に拳を打ちつけた所為か拳をブラブラさせている。だが痛さならこっちも負けていない。まるでハンマーに叩かれたみたいな衝撃を受けた。    

  義之くんの行動―――意味が分からなかった。何故義之くんがボクを殴るのかも分からないし何故かエリカちゃんを助けたのかも分からない。話の
 流れから推測するに義之くんは友達が傷付けられたから怒ってると思うのだが、それが理解出来ない。

  あんな我儘で他人の気持ちを考えない女の子を友達だと言い切る義之くん、一体何を考えているのだろうか。ボクを殴る程の事なのだろうか。


 「なんで殴られたか分からないって顔だな、ああ? 大した人物だよアンタは」

 「・・・・年上の人に対してはちゃんと敬語を使いなさいって教えた筈なんだけどなぁ、いくら不良さんでもそれぐらいは守って欲しいと
  思ったり。社会に出たら大変だよ?」

 「生憎だがオレは人を選ぶんだよ。一昔前のアンタならすげぇ尊敬出来たが―――今は出来ないな。だったらゴキブリに敬語でも使った
  方がマシだね」

 「―――ふぅん、言う様になったね。さっきまでボクに睨まれてピーピー泣いてた子供だった癖にさ」


  だがその方法も通じない。今の義之くんはかなり頭に来ているのか瞳孔が広がりっぱなしだ。極限の興奮状態と言ってもいい。

  こういう人間を大人しくさせるには昏倒させるか余程ショックを与えないと無理。しかしボクにはそんな技術は無い。

  仕方無い、こうなったら魔法を使うしかないだろう。そして次に起きた時にはしっかりボクの愛を叩きこまないと駄目だ。

  ボクの義之くんへの愛が足りなかったからこんな事になった。この事はしっかりボクも反省し。受け止めなければいけない。


  そう決心し、手の平を義之くんに向け、念じようとした――――瞬間、その手が弾けた。痛さの余り熱を持つ右手。思わず悲鳴が漏れてしまう。


 「手癖の悪い真似してんじゃねぇよ。今のアンタのしようとしてる事なんざバレバレだっつーの」

 「あ・・・・、くっ・・・・う」


  何をしたのか――――義之くんの方に頭を向け、気付いた。片手で小石を弄びながらこちらを詰まらなそうに見ていた。恐らくボクがベンチから
 転げ落ちた隙に拾ったのだろう、なんて抜け目のない子だ。

  それもあんまり大袈裟に動いた様には見えなかった。一瞬、魔法を掛けようと一瞬目を離した瞬間に投石されこんなにも手が腫れあがって
 しまった。今初めて投げた人のそれではない、きっと慣れている。


 「投石、なんて・・・・本職の羊飼いの人達でさえ扱いこなすのが難しいのに・・・・・・」

 「こんなもんセンスがありゃ誰でも出来る。野球部の連中なら誰でも出来るんじゃねぇか? それにそんな当てて下さいと言わんばかりの
  所に手を掲げるアンタもアンタだ。次からはバレない様にこっそりやったほうがいいな。次があるか知らねぇけど」

 「・・・・くっ」


  間違いない、義之くんはボクを徹底的に嬲る気だ。この間まで相思相愛だと思ってたのになんでこんな事に・・・・!

  思わず涙ぐんでしまう。悲しい、危機感よりもそっちの感情の方が出てきてしまった。ボクはあれだけ必死に義之くんの事を愛している
 と言ったのに当の本人はそれを全然分かってくれない。

  今までもそうだ。あれだけボクを抱いたのに、好きだと言ってくれたのに距離を置こうとしていた。義之くんはボクの事が好き、これは間違いの
 無い事だ。いつもボクの事をキラキラした目で見ていたしそれは間違いない。


  なのに・・・・それなのに義之くんはボクの事をどうでもいいと思っている。エリカちゃんの方を大事に思っている。物凄く惨めに感じた。


 「ぼ、ボクの事を好きだって言ってたのに・・・・愛してるって言ってくれたのになんでこんな酷い事を・・・・・」

 「言ったんじゃねぇ、言わされたんだよ。もう洗脳に近いよな、恐怖と甘い言葉の繰り返しで徐々にチョコを溶かすみたいにドロドロにさせて
  最後にパクッと口に入れて味を楽しむ行為――――卑劣だよ。おまけに犬みたいにご丁寧に首輪まで付けてくれちゃってさ。本当はアンタも
  オレの事なんか好きじゃねぇんだろ? 本当に好きならこんな事はしない、信用してませんて言ってる様なもんだもんな」

 「ち、違うっ! 本当にボクは義之くんの事が好きなんだ! なのにそれを義之くんが全然分かろうとしていないだけだよ! エリカちゃんの
  時みたいに見て見ない振りをしてるだけなんだ、本当はその好意に気付いてるけど断り切れず突き離す勇気も無い、中途半端な態度でこまね
  いて今回も同じような間違いを起こしているって気付いてるのに気付いていない振りをしてるだけなんだっ」

 「・・・・やれやれ、耳が痛い話だな。まぁエリカに対してはそうだったかもしれねぇ――――が、アンタには全然そんな気持ちなんか抱いて
  いない。ただ尊敬の念しか抱いて無かったのに勝手に勘違いしたアンタの一人相撲なだけだ。オレはこれっぽちもアンタに異性としてどうの
  こうのという感情は抱いて無いよ。確かに少しばかり欲情はしてたけど・・・・思春期特有の性欲の燻りって範囲だししょうがないな、うん」

 「ま、まだそんな馬鹿な事を――――」

 「なんにしてもアンタはオレのダチの一人を殺そうとした。魔法っていう目に見えない卑劣な行為でもってな。そんな事を仕出かすんだから覚悟は
  出来てるもんだとオレは解釈するぜ?」


  そうして近付いてくる。あまりにも鬼気迫る顔をしているので足が言う事を聞かない。その気迫に圧倒されてしまった。

  とっさに周囲を見渡す。さっきから一生懸命に生徒会が生徒を教室に帰そうと躍起になっているが効果は無く、まだまばらに生徒が残っている。

  もちろん教師も何人か居るのでボク達の騒ぎに気が付いた人間がこちらに向かって慌てながら駆けつけて来た。


 「こら、桜内っ! お前学園長に向かって何をしてるんだ!?」

 「ん?」
   
 「よ、義之くんを止めてっ! 何だか知らないけどいきなり殴り掛かってきて・・・・! ボク・・・・ひっぐ・・・・・」

 「な、何ですってっ!? おい桜内、お前・・・・・!」  

 「おいおい・・・・」

  
  こうなったら他の人間を使うしかない。ボクと義之くんじゃ身体能力が違いすぎる。あっちはもう男の子としては立派に成熟しきっていた。
  
  反対にボクはあの頃のままの体の小ささ。どうやっても勝てる筈が無く、魔法もこんなおおっぴらの前では使えないこの状況では正しい判断
 だと考えた。確かに義之くんの体は出来あがっているが所詮は子供、大人の男に勝てる筈が無い。

  そのまま取り押さえられてしまえ。そう思うってその様子を見詰めていると義之くんは詰まらそうな表情をしながらぼやき始める。


 「先生さ・・・・オレがそんな理由も無く人を殴る人間だと思うんですか? これでも最近は真面目に頑張ろうって思ってたのに」

 「ふざけるなっ! 今までお前が杉並と二人で何をやってきたか忘れたとは言わせないぞ、いいからこっちに来いっ」

 「またアイツの名前か。アイツはどの世界でもオレを巻き込まなきゃ気が済まないのかよ、ったく」

 「何を意味の分からん事を――――」


  肩を掴んでいた手を振り払い、体をその教師に向ける―――と同時に、喉元に拳を叩きつけた。空気を吐き出す事も出来ず悶絶するように膝を折る
 様にして膝まづいてしまう男。その無防備な頭にトドメと言わんばかりに足を振り下ろす。ピクピク痙攣しながらその男は気絶してしまった。

  その一連の流れの動作、躊躇いの無さに茫然としてしまった。確かに少しばかり素行の悪い子だとは思っていたが明らかに喧嘩をやり慣れている
 と確信した。しかし今までそんな事をおくびにも出さなかったのに・・・・。

  そうしてようやく周りの人達もその異常な雰囲気に気付いたのか駆けつけてきた。その人だかりにウンザリした顔をしながらもボクに近づく
 足を止めない義之くん。

  その前に一人の女性教師が立ちはだかる。確か義之くんの担任だった人。その人にボクは安心感を覚えた。


 「こ、こら桜内くんっ! 止まりなさい!」

 「・・・・退いて下さいよ、先生」

 「退きませんっ! 桜内くんが大人しくなるまでは・・・・!」

 「はぁ・・・・そうっすか」


  いくらなんでも無関係な女性にまで手を上げないだろう。今まで何十年も生きてきたけど普通の一般人でそこまで出来る人をボクは知らない。

  精々ヤクザみたいな連中だけだ。小さい頃から義之くんを見てきたボクには分かる、決して女性に手を上げる様な男の子じゃない。

  今の内に距離を離して誰かが助けてくれるのを待つしかない。大人数人が集まってくれれば義之くんを止めるなんて訳がないと思った。


 「だ、だから、落ち着いて、ね?」

 「退いて下さいよ。殴りますよ」

 「そんな事出来る訳―――――」

 「退けって・・・・・言ってるだろうが、ああっ!?」

 「が・・・・・っ」


  何の容赦も無く、顔を殴り飛ばした。あまりの衝撃に吹っ飛ぶ形になる女。口から血を流し先程と同様気絶してしまった。

  思わず「信じられない・・・・」と口に出してしまう。ボクの知ってる義之くんからは想像出来ない暴挙だ。何もしていない、ただ
 無防備にそこに立っていただけで殴り飛ばすなんて普通の人じゃ考えられない。

  もしくは――――それだけ怒っているという事なのか。だったら尚更頭が混乱してしまう。そこまで怒る理由、相変わらずソレが分からない。


 「こ、こらぁっ! 桜内っ!」

 「桜内くんっ、止めなさい!」

 「弟くんっ!?」

 「・・・・はぁ」

 
  次々に来る教師や生徒会の人達、音姫ちゃん。だがそんな事関係ないと言わんばかりにため息を吐き手当たり次第殴りつける義之くん。場はもう
 取り返しが付かない程荒れまくってきている。

  そして一度引っ込んだ生徒達も何事かとその場に段々戻ってきて更に混乱の渦と化してきていた。それらを見ながらボクはなんとか立ちあがり考えた。

  このままどこかに逃げればいいのだが足が上手く言う事を聞いてくれないこの状況。それにさっきの投石の件もある、逃がしてはくれないだろう。

  だから一生懸命考える。とりあえずこの場だけ収まればいい。収まれば後はどうにでもなる、ボクは学園長という偉い立場にあるし今起きている
 義之くんの暴走だってもみ消せる筈だ。


  もみ消したら――――更に強い魔法を掛け無くてはいけない。やはり中途半端な魔法を掛けたのがマズかった。もう家から出れない様にして―――――


 「さ、さくらさん、大丈夫ですかっ!?」

 「・・・・・由夢ちゃんか。うん、なんとかね」

 「何が起きたんですかっ? ジュース買い終わって帰ってきたら―――なんでいきなり兄さんがこんなに暴れて・・・・」

 「――――ああ、そうだ」

 「え・・・・?」


  由夢ちゃんの腕を掴みほくそ笑む。確か由夢ちゃんとかには義之くんは気を許していた筈だ。この間一緒に登校してそれは分かっている。

  義之くんの由夢ちゃんを見る眼は優しかった。最初その事に気付いた時、とても憎たらしい思いに駆られたが今回はそれが役に立つ。由夢ちゃんを
 盾にすればいくらなんでも義之くんは止まる筈だ。

  さっきから暴れている義之を見てて分かった事がある。自分と関わりの無い人には残酷になれるが近い関係の人には手を出せないという事だ。


  今そうやって涙目になりながら止めようとしている音姫ちゃんに向かって何もしていないのが良い証拠。精々腕を振り払うぐらいだ。

  だからこの場は由夢ちゃんに少し魔法を掛けてやれば落ち着く。適当にボクを守れとかそんな感じで良いだろう。もしかしたら怪我をするかも
 しれないが――――構わない。元々音夢ちゃんの家族だから気に入らなかったんだ。なんとでもなればいい。

  腕を掴んできた由夢ちゃんが怪訝な顔をしてボクを見詰めている。それにボクは笑みを返した。しっかり守ってね、由夢ちゃ――――


 「―――――ぁっ!」

 「さ、さくらさんっ!?」 


  腕にまた鋭い痛みが走る。投石、今度は手から血が流れていた。涙目になりながらまだ暴れている義之くんに目を移す。義之くんの目、こちら
 を射殺さんばかりの視線を叩きつけていた。

  あれだけ派手に暴れ回っているのにずっとこちらに注意を向けていたのか。そうとしか考えられない。でなければこの距離とタイミングで石が
 飛んでくる筈が無い。左目の視力は無い筈なのに・・・・なんて用心深いんだろうか。

  そうして粗方片付いたのか――――こちらに踵を返し歩いて来た。まだ怒りが収まらないのか拳は握られたままだ。ボク達の目の前で
 歩みを止め、見下ろしてきた。


 「もう一回言うけどよ――――手癖の悪い真似してんじゃねぇっつーの。諦めの悪い女だ」

 「・・・・・」

 「アンタの行動なんかお見通しだよ。今、由夢に何かしようとしたろ? まったく、昔のさくらさんじゃ考えられないぜ」 
  
 「に、兄さん? なんでいきなりこんな事を・・・・!」

      
  ボクの肩に手を掛けようとしてくる由夢ちゃん。そして触れようとした―――瞬間、乾いた音を立てて弾かれる。ボクが弾いた、触って
 欲しくなかったからだ。

  ちらっと義之くんの後ろの方を見ると数人教師達と生徒が倒れている。ある人は顔から血を流し、ある人は腕なんかも折れている。音姫ちゃんは
 まゆきちゃんによって止められこちら側に来れないで居た。

  まったく――――全然役に立たなくて困る。こういう時ぐらいはしっかり役立って欲しいものだ。普段マトモに授業を教えられていない事にも
 目を瞑って来ていたし、生徒会の権利を好き勝手に行使する子供みたいな行為をする生徒会連中にも目を瞑ってきたんだ、恩はしっかり返して
 欲しい。頭が沸騰しそうな程怒りを覚えた。


 「触らないでよ、役立たずな由夢ちゃん」

 「え、あ、さ、さくら・・・・さん?」

 「由夢、こっちに来ていた方がいい」

 「あ・・・・」


  困惑した表情をしている由夢ちゃんを背中に隠す様に腕を引っ張る義之くん。その行動にまたボクは腹が立ち、思いっきり由夢ちゃんを睨んだ。

  「ひっ」悲鳴を上げて身を縮こませる様に完全に死角に隠れてしまい思わず舌打ちをする。あのまま睨み殺してやるぐらい怖がらせようとしたのに
 詰まらない。まぁいい、後でいっぱいちょっかいを掛ける事にしよう。

  そう思っていると急に視線が上がり浮遊感を感じる。首元も苦しいし息が上手に出来ない。義之くんに襟元を掴まれているのだと理解するのに
 少し時間が掛かってしまった。


 「これから思いっきりアンタを殴るけど・・・・覚悟は出来てるか? まぁ聞くまでも無いか、エリカにあんな真似しでかしたんだからな」

 「――――ぐすっ」

 「あ?」

 「うっぐ・・・・ご、ごめんな・・・・さ、い・・・ひっぐ」  

 「おいおい・・・・」

 「う、うわぁぁぁぁあああんっ」



  そしてボクは大泣きした。多分人生で一番泣いたと思うぐらいに。由夢ちゃんと義之くんは茫然としてボクを見ていた。

  襟元を離され地面に座り込む。顔を伏せしゃっくりをあげながら肩を震わせた。言葉が上手く出て来ない。だが無理矢理喉の奥から
 絞り出すように喋り始めた。


 「ボ、ボク・・・・エリカちゃんに、バカにされたのがくやしくて・・・・・ひっぐ・・・・、本当に、ごめん・・・なさい」

 「バカにされた?」

 「よ、義之くんへの・・・・愛情が、嘘だとか言われ、たんだ。だからつい頭にきちゃって・・・・ぐすっ」

 「――――『つい』で人を殺そうとしたのか。そりゃあ大したもんだ。オレだって中々そんな事出来ねぇぜ」

 「・・・・い、今じゃ凄い後悔してる。な、なんて事をしたんだろうって。だ、だから・・・・本当に、ごめんなさい」

  
  そう言って義之くんに抱きつく。特に振り払おうとはしなかった。黙ってボクの体を受け入れてくれた事に感謝の念を覚える。

  だって――――ようやく義之くんに近づく事が出来たんだから。さっきまでは近づこうとする度に睨みを効かされたので中々近づこうにも
 チャンスが無かった。

  だが、自然な流れでこうやって抱きつける距離まで来れた。まだ無傷な左を握り締め集中する。魔法を使う為の集中力だ。


  確かに喧嘩は強いし頭も回るのだろう――――だがボクの半分も生きていない子供だ。こうやって泣きさえすれば簡単に騙せる。

  だから男は馬鹿だとか言われるんだよ、義之くん。いつもこうやって男は騙されてきているのに何も学習してきていない。泣いている女の子を
 放っておけないとか歯の浮いた台詞を吐く男は最もたる男の代表だ。そのまま一生やってろと言いたくなる。

  義之くんも例に漏れずそういう男の子だったんだろう。少し情けなくなるが、しょうがない。男は大体そういう風に出来ているのだから。

  この左手を義之くんの頬に伸ばして触れば完璧。糸の切れた人形みたいに気絶する事になるだろう。その後の事は、全部ボクに任せていいからね。


 「だ、だから・・・・ひっぐ・・・・・ボクの事を許して・・・・ねぇ、義之くん・・・・・」


  そうしてごく自然に涙を流しながら手を伸ばして―――――掴まれた。思いっきり握力が加えられているのか今にも骨が折れそうになる。


 「キャッ―――――ッ!」

 「こんな雑魚がやりそうな手口を使うなんて、結構テンパってたんだな。今時美人局でもこんな手使わないぜ」

 「な、なんでバレ・・・・て」

 「アンタの目、何かしでかしそうな目をしてたんでな。それに今までの流れで急に泣くとかマジありえねぇって。どうにもこうにも
  不自然すぎて笑っちまいそうだったよ」

 「なっ―――――」

 「さくらさん、役者にはなれそうにないですね」


  そう言って―――――拳が顔に叩きつけられた。最初は防御出来たが今度はそんな事をする暇さえ与えられない。無様に地面に叩きつけられる形
 になったボク。気絶出来ればよかったのだが、地面に叩きつけられたおかげでそんな事は許されなかった。余計に痛みがボクを襲う。

  痛い、痛い、痛い。それしかもう考えられなかった。あまりの痛さで頭がパニックを起こし考える事を放棄してしまっている。

  そんなボクに近づく義之くん。もう立つ事さえままならない。芋虫みたいに転がってただただ痛みに耐える事しか出来ないでいる自分。

  情けない、どうにかしなきゃいけない、もうこのまま気絶したい。そうった思いが心の中をグルグル回っている。多分、というか絶対この後
 痛い事をされる。それだけは嫌だ。もう本当に絶え間無く涙がぽろぽろ流れている。


  そして――――頬に何かザラザラした感触を感じる。それに聞こえる動物的な声。横を見るとはりまおが悲しそうな目でボクの涙を舐めていた。


 「くぅん・・・・」

 「は、はりまお・・・・来ちゃ駄目だって・・・・」

 「わんっ!」

 「ば、ばか・・・・危ないからあっちに行ってなさい・・・・」


  一生懸命ボクがあっちに行かそうとしても言う事を聞いてくれない。いつもは聞き分けがいい子なのに、何故かボクの傍を離れようとしない。

  今の義之くんは容赦なく女だろうが小動物だろうが傷付ける。いくらはりまおでもその対象外にはならない筈だ。だから首根っこを掴み腕の中に
 抱きしめる。どうしても離れないのならこうするしかない、こうすれば少なくともこの子には攻撃は加えられない筈だ。ギュっと抱きしめる腕に力
 を加える。もう離さないとばかりに。

  この子は――――家族であり『友達』だ。もしかしたら唯一のと言っていいかもしれない。だからボクが守ってあげなくちゃいけないと思った。

  理由、そんなものは必要ない。あえて言うなら友達だからというのが理由だ。理屈なんかは無く、ただ茫然とそう思いこの子を守ろうとする。


 「・・・・・・」

 「くぅん・・・・」

 「こ、こら頭を出しちゃ駄目だよっ、お願いだから・・・・!」


  状況が掴めていないのだろう、無理やり頭を出して腕の中から抜けようとする。

  今までボクの言う事を聞かないなんて事はなかったのに、なんでこんな時に限って・・・・!

  ボクが必死にはりまおを腕の中に戻そうとする様子を見て、義之くんが口を開いた。


 「良い、アホ犬だな」

 「―――――えっ?」

 「さくらさんをオレから守ろうとしてるのか、一生懸命に体に覆いかぶさろうとしている。中々出来た良い犬じゃねぇか、ええ?」
   
  
  はりまおを改めて見ると眼は義之くんの事をジッと見据えていた。しかし体は怖がっているのだろう、プルプル震えている。

  なのにボクを守ろうとしているのか、無理矢理ボクの腕から這い出て義之くんに向かって吠え出した。この子が吠えるなんて事をしたのなんて
 見た事が無い、いつだって呑気そうな顔をしてブラブラしているのに・・・・。

  でも駄目だ、敵う相手じゃない。そう思いこの子だけは助けてくれと言おうとして――――義之くんは膝まづいてしまった。
   

 「え・・・・?」

 「はぁ、はぁ、くそ・・・・・色々無理しすぎたかな・・・・・」

 「に、兄さんっ!?」


  慌てて由夢ちゃんが手を貸すも、疲れきっているのか立ちあがる事が出来ないでいる。その様子を見て、ボクはハッと気が付いた。

  最近の義之くんはなんだか調子が悪そうだったし、ついさっきまでは大の大人数人と大乱闘している。決定的なのはエリカちゃんを助けた時の
 事だろう。ただでさえ無理な魔法なのに無理矢理行使したおかげで体にガタがきているに違いない。

  いくら左目を犠牲にしたからって元々が無理な事をしでかしたのだ。もう体が無理と言って休ませようとしているのが分かった。


 「ねぇ、さくらさん・・・・」

 「―――――えっ?」

 「はりまおに向けるその愛情、何故他の人にも分けてあげれないんです? なんでさくらさんはそこまで変わってしまったんですか?」

 「・・・・・・」

 「ちょっと前までのさくらさんならソレが分かって――――――あ、や・・・・べ」

 「ちょ、ちょっと兄さん・・・・!」


  最後まで言う事は無く、途中で力尽きてしまった。もう起き上がる力も無い様で気絶してしまっている。その様子を見た教師陣が今になってこの
 場に駆けつけてきた。まぁ下手にこちら側に来ていたらタダでは済まなかったろうが・・・・少し情けなく感じてしまった。

  男子生徒一人に翻弄されてどうするの、そう思ったが外見はなんとか平静を装い、助かったという表情を作っておく。

  実際助かったのは本当だ。一人ではマトモに歩けないほど参ってしまっている。なんとか手を出して貰い起き上がった。
 

 「ありがとう。あとそこの義之くんだけど・・・・・保健室でとりあえず休ませて置いて」

 「は、はい」

 「・・・・・」


  そう教師に言い渡しボクは歩き出す。由夢ちゃんが何か言いたそうにこちらを見ていたが無視した。あまり構ってやれる余裕は無いからだ。

  なんで分けてやれないのか――――それはボクが聞きたいぐらいだ。ボク自身もそれは疑問に思っている。こうして冷静になればその事を疑問に思う
 までには正気なつもりだ。先程までの一連の自分の行動を思い出そうとして―――止めた。こんな事を言うのは躊躇われるがあまり思い出しくない内容
 であるからだ。

  腕の中に収まっているはりまおに「もう、大丈夫だよ。ありがとう」と呟いて離してやる。しばらくこちらをジーッと見ていたがいつもみたいな
 感じですぐさまどこかへ行ってしまった。おそらくいつも通り気ままな日常を過ごすのだろう。


 「日常、か。ボクもなんとか取り戻さないといけないね」


  目指すは枯れない桜の木がある場所。あそこに行けば何でこうなったかが分かるかもしれない。あそこに行けば何かが分かると直感的に思う。

  いや、もう確信に近い。

  まるで躁鬱病みたいに心の変化が激しく次の瞬間には全く正反対の行動を取ってきた自分―――気付かない振りをしてきた。

  この気持ちだけは本当のモノだ。外部がどうのこうは関係ないと自分に言い聞かせながら盲心的に義之くんに執着してきたのだ。

  何かがおかしい、そう思っていたのに何も手を出さなかったボクの完全な落ち度が今回の騒ぎの一端なのだろう。だから決着を付けるにも
 ボクじゃなければ駄目だ。最初は音姫ちゃんに手伝ってもらおうと考えていたけど、もうそんな悠長な事は言っていられない状況になってし
 まった。何もかも遅い事態になってしまったが――――まだかろうじて間に合う。

  だが、全ての責任を桜の木へ押し付ける気は無い。発端となった気持ちは確かにボクの中にあったのだろうから否定する気は全く無い。

  しかし――――外に出そうとは思わなかった。ただこの気持ちを抑えて無視すれば済む話だったのかもしれない。そう、あのお兄ちゃんの時みたいに。    
    

  枯れない桜の木の影響、結局またボクは舐めていたのかもしれない。本当に学習しない子だな、ボクは。そう自分に半ば呆れながらも桜の木の
 ある場所へ足を向けた。今度こそは、絶対――――































 「やぁ、変態母子姦息子くん」

 「・・・・ないわー」

 「それはこっちの台詞だよ――――ないわー」


  絶対に二度と会えないだろうと思っていた人を見てしまい、思わず否定の言葉を漏らしてしまったが逆に言い返されてしまった。まぁこの
 人の事だし大体の事は知っているのだろう。多少居心地の悪さを感じる。いや、多少どころでは無くかなりだ。 
  

  体がもう疲れ果ててギブアップしたと思ったら気が付くと枯れない桜の木の目の前に座っており、目の前には髪の短いさくらさんが居る。
  
  身を起こし辺りを見回す。いつか見た光景、ここが夢の世界だと気付くのはそう時間が掛からなかった。オレを別な世界に飛ばすきっかけ
 となった場所。忘れたくてもそう簡単に忘れない。

  呆れた顔をしているさくらさんの顔を見詰める。多分このさくらさんは元の世界に居たさくらさんだろう。目と態度と雰囲気で分かる。

  オレがずっと慣れ親しんださくらさんだからこれも忘れるわけがない。そりゃあ十年ちょっと一緒に居た訳だもんなぁ、忘れろって言う
 方が無理があった。


 「ていうか母親と寝るって気持ち悪いんだけどさ。そこんとこはどう考えてるの、義之くん?」

 「い、いや・・・・別に血の繋がった親って訳でもないですし・・・・・そうなってもおかしくは――――」

 「ううん、血は繋がってるよ。まぎれも無く義之くんはボクの子供、息子なんだから」

 「え、マジっすか?」

 「うん」

 「・・・・・うおぉ」


  思わず辺りをゴロゴロ転がってしまう。石とか樹の幹に背中をぶつけるが気にしていられない。あまりの事実にオレはかなりショックを受けていた。

  そりゃあもしかしてとは思っていた。さくらさんが家族を願ったんだから血の繋がりを持った誰かが出てくるのは当然の事、むしろそっちの方が
 自然だと普通は思う。

  しかしオレはあえてその可能性に目を瞑っていた。だって実の母親と寝たってマジでやべぇじゃん・・・・、近親相姦は外国のマフィアの間でも禁止
 されてるっつーのに。


 「ていうか普通は絶対寝ないよ。家族みたいな人を抱くなんてよっぽど女の子に餓えてたんだね、美夏ちゃんが可哀想・・・・」

 「・・・・さくらさんが怖すぎるんですよ。なんですかあの眼、ヤクザより怖いですって絶対」

 「何十年も生きてるからあれぐらいは出来るよ。ましてや相手はロクに一人で生きていけない子供、なんとでもなるさ」

 「なんだか手厳しいっすね・・・・前はもっと優しかった様な気がするんですけど」

 「そっちのボクに慣れちゃった所為なんじゃない? とても優しくて義之くんの事を溺愛してたみたいだし。まぁ、少し頭が悪いとは思うけどさ」

 「・・・・はぁ、そうっすか」

 「そうっす」


  凛としてて気の強そうな目をしてそう言った。間違いない、このさくらさんはあのさくらさんだ。オレの事を容赦なく叱り育ててくれた人だ。

  その事実にオレは少し安心感を覚える。最近こういう安らぎを感じてなかったからなぁ、安らぎを得ようにもさくらさんがあーなっちゃった以上
 難しいし。逆に精神的にも肉体的にも参ってたところだった。

  とりあず満足するまで転がり回った後、オレは気になった事を聞いてみた。何故このタイミングでこの人は現れたのだろうか。


 「んでさ、なんでさくらさんここに居るんですか?」

 「ん、こっちの枯れない桜の木が暴走しちゃってさ。枯らそうと思って来てみたんだけど・・・・まさか馬鹿息子が居るとは
  思わなかったよ。それでついでに元気にやってるかなぁと思って調べてみたら――――開いた口が塞がらなかったね」

 「ば、馬鹿息子・・・・」

 「馬鹿だから馬鹿って言ってるんだよ。まぁそれは前から分かっていたし別にいいんだけどね。それで、どうするの?」

 「どうするの、とは?」

 「そっちのボクとの関係の事。やんちゃしたのはいいけど多分次会ったらまた元通りになると思うよ。体とか愛を求められて断れる自信ある?
  もう終わりにしようとか言える? んん?」

 「あ、いや、それは・・・・」


  さっきはキレていたので何言われても聞かない自信はあったが、冷静な状態でもし責められたと考えると―――情けない話だが自信が無くなる。

  あの麻薬の様に癖になる声、眼、感触を思い返すとおそらく断りきれないだろうと思った。さっきの件でさくらさんが諦めてくれるとは思えない
 し今度こそは完璧に追い込もうとしてくるだろう。

  そんな事を考え頭を抱え込むオレにさくらさんは「はぁ」とため息をついてピンッと指を立てた。


 「まぁそっちのボクは仮にもボクなんだからある程度は正気を保ってるようだけどね。今だって枯れない桜の木の所で何かやってる
  みたいだし」

 「え、桜の木がどうかしたんですか?」

 「んもぅ、察しが悪いなぁ。少し頭の回転鈍っちゃった? 事の発端はボクの寂しいっていう気持ちだったんだろうけど、それを桜の木が
  何を勘違いしたんだがその気持ちを増幅させて――――今の状況になってるって訳なの。分かる?」

 「・・・・あー・・・・・マジっすか」

 「マジっす。大体『いきなり人柄変わり過ぎっ!』って思わなかったの? そんな情けない首輪つけられちゃってさ」

 「あ――――」


  首元を触られ指で弾かれる。そこには何も無い筈なのに妙な感触がしていた。しかし首輪か・・・・・本当にこんなモノ付けられていたんだなと
 思うと更に情けなく感じる。まるで犬じゃねぇか、これ。

  なんとか外せないモノかと考え、さくらさんを見る。そんなオレの視線の意味に気付いたのか首を振った。


 「あー無理無理。ここじゃボクの魔法はあんまり使えないんだよ。前義之くんを送った時は寝ている君に魔法を掛けたから何とかなったけど
  今それを外すにはこっちの世界に来て貰わなきゃ駄目なの。勿論――――その見えない左目を治すのもね」

 「・・・・・そう、ですか」

 「そんな残念な顔をしないで。それらの問題を解決出来る子。ボク知ってるからさ」

 「え、そんな人がいるんですか?」

 「さっきそっちの初音島をちょこっと興味本位で調べた時に偶然に見つけたんだよ。まさかあの子が初音島に居るとは思わなかったから
  驚いちゃったけど、さ」


  そうして少し悲しい様な嬉しい様な戸惑いの表情を見せた。しかしそれも一瞬だけ、背伸びをして次にオレの顔を見た時にはさっきまでの
 感情が見られなかった。

  解決出来る子――――多分魔法使いなのだろうが誰なんだろうか。イメージとしては初老の老人で怪しいマントを着てる感じだが今時そんな
 レトロなヤツは居ないだろう。

  さくらさんとオレだって魔法使いだがこうして普通の格好で普通の暮らしをしてる訳だし、案外普通の人かもしれない。


 「特徴としては銀髪でルビー色の瞳、頭にはリボンを付けている外人さんだね。だからその子に色々お願いしてみなさい。人当たりのいい女の子
  だからきっと引き受けてくれる筈だよ。あと、一応お茶菓子を手土産に持って行くんだよ? ちゃんと頭を下げてさ」

 「あ、女なんですね」

 「手は出しちゃ駄目だからね。そっちに行ってから義之くん急にモテだしたからさくらさん心配だにゃー」

 「だ、出しませんてば。とりあえずその女の子に頼んでみますよ、ちゃんとお茶菓子を手土産にね」

 「・・・・あと、出来たらでいいんだけど」

 「はい?」

 「――――その子とは友達になってくれないかな? 色々事情があってあんまり友達とか作れない子だからさ。無理ならならなくもていいし・・・・
  でも出来ればなって欲しいかなって、にゃはは」

 「・・・・・・会って気が合いそうでしたらね。友達って作ろうと思って作るモノでも無いですし、その気になったら気が付いたら友達に
  なってますよ」

 「うーん・・・・そっか、そうだよね。それでいいよ、ありがとう」


  そう言ってオレの頭を撫でる様に手を置く。その久しぶりに感触にオレは懐かしさを覚えた。

  そして感じる暖かい感触、なんだか体の隅々までその暖かい感触が流れた気がした。体がポカポカするような暖かさだ。

  そうして手を離し枯れない桜の木の下まで歩いて行く。オレはその背中をぼーっと見詰めた。いつだってあの人の背中には本当の強さが
 見え隠れしていた様な気がする。そう、今みたいに。


 「今ボクの力をちょっと分けてあげたよ。もし友達になるというなら多分役に立つと思う」

 「――――もう、お別れですか」

 「うん。少し長話しすぎたぐらいだよ、これでも。さっさと自分の世界に戻ってやることやっちゃいなさい」


  振り返ったさくらさんの表情――――いつも通りに微笑んでいた。まるで寂しさを感じさせないような笑顔。オレは少し気になって聞いてみた。


 「さくらさんは、その、寂しくないんですか? こっちのさくらさんはとても寂しがっているようですし・・・・気になって」

 「何言ってるんだよ。息子持ってるんだからそんな訳ないじゃない。大体ボクは義之くんが色々問題起こしてくれたおかげでそんな事を
  思う暇なかったかなぁ。毎日毎日怒ってる日々の連続だったしねぇ、義之くん?」

 「は、はは、そうですよね、はい」

 「・・・・・まぁそれも義之くんを生んだ後の話だけどね。その前は確かに寂しかったし、だから義之くんという存在を誕生させた。まぁ、
  色々思う所はあるけどボクは後悔してないよ。凄く楽しかったし毎日が充実してた。そう――――だからこうやって尻拭いする事になっ
  ても心残りは無い。返ってお釣りが来るくらいだよ、本当に」

 「・・・・さくらさん?」

 「それじゃあ、バイバイ。そっちも色々気張りなさい? どうやら桜の木の制御をそっちのボクは失敗したみたいだしね。義之くんと
  アイシアだけが頼みの綱なんだから」

 「あ、ちょっと待って、さく――――」


  駄目だ、意識が遠くなる。夢から現実への戻りの感覚。まだ話したい事は一杯あったのに、あの家で一人っきりで本当に寂しくないのかと
 色々聞こうと思ってたのに。

  そして完全に意識がぼやける前に、オレは見た。余裕そうに笑みを表情を浮かべているさくらさんを。それでオレはさっきの話が本当だと
 理解した。本当に、オレとの日々にさくらさんは満足していたのだと。

  桜の木を頼む――――この出来損ないの魔法使いに何が出来るかは知らないが、精々頑張ってみようと思った。『母親』の頼まれ事とあっては
 断れない。おそらくもう会える事はないのだから親孝行してやるとしよう。


  意識が現実の世界に戻る直前、どこかでさくらさんの泣き声が聞こえた気がした。こっちのさくらさんもオレの親には変わり無い。だから
 助けてやることにしよう、息子なのだから。

  そう思い手を握り締める。枯れない桜の木、この件の諸悪の権化――――絶対に潰してやる。オレは固く決心し、目を開いた。














[13098] 外伝 -桜― 6話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/09/18 00:21




 「はぁ・・・・今日も売り上げ無しかぁ」


  別にお金目的で売ってるわけじゃ無いけれどやはり買う人がいないというのは寂しい。

  手元から一つの人形を手に取って弄んでみる。自分で作って言うのもなんだけど可愛らしい人形だと思う。愛嬌があり
 中々どうして造形もしっかりしていると思うんだけどなぁ。

  やはり最近の子はテレビゲーム―――は言い方がさすがに古いか。とにかくそういうデジタルな物に嵌ってるみたいだ。

  まぁ、純一も好きだったしその頃からそういう風潮はあったのかもしれない。なにぶん随分昔の話なので記憶は定かではないが。


 「随分遠くまできましたなーっ・・・・と」


  寂しさが無いわけではない。寂しいに決まっている。世界でただ一人迷子になってるこの感覚、多分一生馴染まないと思う。

  だけどもう決めてしまった。走り出してしまった。もう止まる事なんか出来やしないし術も分からない。

 
  だから今は―――――


 「うぅ・・・旅金が無くなりそうです。なんと世知辛い世の中なのでしょうか」


  日本より貧困に喘いでいる中東よりも酷い売り上げだ。いくら私が人の目に留まりにくい存在だとしてもこれは酷い。

  財布をごそこそと漁りため息を一つ。彼女は世界中を旅しているしこういった事態も珍しい事ではない。そんなにあっても困る。

  ただ思い出の日本―――そこはアイシアにとって特別な場所だ。ここで彼女は人生の中で一番濃い体験をした場所であり青春
 をした場所とも言えた。

  甘く苦い小さな恋慕。自分が精神的に成長し人生の指標を定めた場所。ここにあまり留まってはいけないと思いながら数週間
 もここで人形などの商店を開いてしまっている。

  いつもならもう立ち去っている頃だというの、にまるで何かを期待するかのように・・・・。


 「そろそろ・・・かな。ここにていもお金は減っていく一方だし・・・・うん」


  次はどこに行こうか。しばらくは中東方面に行けない。あそこでまた小さな紛争が乱発的に起こっている。私だって命は惜しい。

  一番安全な国は―――と考えて、そういえば最近行ったバチカンという国を思い出した。

  カトリック教の総本山であり宗教の規模が他の国に比べとても色合いが濃く、事件という事件は起きないという珍しい国。

  軍・警察が無いと言ってもその代わりイタリアの人達がその国を守るという鉄壁ぶりだ。

  いくら人口が少ないとはいえある意味完成された国である。そこならば一番安全だが・・・。  
 

  「あそこの空気あんまり好きじゃないんだよねー・・・出来ればあの国以外が良いかな」


  宗教という熱に浮かされ全が個人、個人が全という雰囲気はアイシアには合わなかった。

  確かに安全であり私の売る人形にも興味を持ってくれて笑顔がある国だ。だがあそこで商売をしてる時、居心地の
 悪さはいつもどこかで感じていた。

  それは感覚的な物で上手く言葉に出来ないが・・・まるで小さな箱庭に収められた気分になってしまった。

  それじゃそこ以外に安全な国で私の人形なんかに興味を持ってくれる国はどこだろうか、と候補を洗い流していると


 「珍しい人形だな」

 「――――え?」

 「久しぶりに見たよ人形売りなんか。小さい頃はさくら―――母親代わりの人にそういう市場に連れていかれたが大して
  興味を持て無かった。あんなモンに興味を持つのはガキ、それも女だけだっていう変な意地があったからな」

 「・・・・・人形に興味を持つのに男女の差なんて無いと思います」

 「当時はとてもじゃないがそうは思えなかったぜ? まぁガキだし仕方ないと誰もがそう思うだろうし、オレもそう思ってた」

 「思ってた・・・じゃあ、今は?」

 「そう、だな」


  制服に身を包んだ男はそう言って私の前に屈み人形の群れの中から一つの物を手に取った。 

  それはお世辞にも上手く作れたとは言い難く、形が全体的に崩れていた。

  まだ魔法が上手く出来ない時期に作った物である。気付けばこの中で一番の古株になってしまった人形だ。

  それを手に取る客なんて珍しく、モノ好きな客もいたものだと思う。

  それにしても―――ー


  (珍しい客層、かな・・・)


  雰囲気からして普通の学生、ではない。いわゆる不良さんとやらだろうか。ふわっと紫煙の残り香がした。

  アイシアはあまりこういった類の人達に縁は無く、彼女もまたそういった人達を避ける人種であった。
 
  何かあれば暴力を振るう、気に喰わないとダダをこねる様に暴れる、大人ぶりたい子供、ロクな人間じゃない。

  
  そういった人種が今、私の人形を手に取っているのを見てまず感じたのは危機感だった。
  
  もしかして次の瞬間には叩きつけたりしないだろうか。だけどそんなことはさせない。

  私だって怖いけどそれらは大切なものなんだ。他の人にとっては取るに足らないものでも私にとっては宝物と同義。
  
  まだ歪だけど自分が、自分だけの力で作ったもの。職人なんてものを気取る訳ではないがそれでも譲れないものはあった。

  そしてアイシアは体育座りしていた体制から少し腰をあげて体制を整えた。いつでもこの男の人を止められるように。

  男はその思惑に気付かないのか、はたまたどうでも出来ると思っているのだろうか。相変わらず人形をじっと見て弄っている。


 「ふーん」

 「・・・」

 「なるほどね」

 「・・・・・・」

 「こっちはローブ付きの本格派か。凝ってるな」

 「・・・・・・・・」

 「マフラー付きの犬の人形か・・・・あいつを思い出すな」

 「うぅ・・・・」


  最初は警戒を抱いてじっと男を観察していたがどうやら何もする気はないみたいだ。そう分かった瞬間に感じたのは
 危機感などでは無く羞恥心。

  まるで品評されるが如く自分の人形達を弄られていると気恥ずかしくなってきた。

  こうやって人形を手に取って、あれこれ言われたのは初めての経験。意味も無く指を交差せてモジモジしてしまう。

  なんなのこの人。ただの暇つぶしだろうか。いや、暇つぶしならここ以外でいくらでも出来る。わざわざここでやる意味は無い。

  そう考えて頭を悩ませても答えは出て来ない。男は飽きないのか色々な人形を手に取ってまだ観察している。

  ええい、いい加減に恥ずかし過ぎて顔が真っ赤になりそうだ――――と、アイシアはとっくに真っ赤になった顔で
 その男に声を掛ける事にした。

   
 「そ、それでですねっ!」

 「―――っとぉ、いきなり大声出すなよ。これでも繊細な心の持ち主なんだぞこのやろう」

 「さっきの質問の答えですけど、どうなんですかっ?」

 「んー・・・そうだな」


  勢いで誤魔化す様に声を上げてしまう私。多少上ずった声にまた羞恥が増す。穴があったら入って蓋を締めて寝てしまいたい。

  そう思いながら男の方をチラっと見てみる。答えを上手く口に出そうと考えているのか空中を見詰めたまま黙ってしまった。

  その横顔は意外と理知的に見えて多少驚く。この男の人がこんな顔をするなんて思ってもいなかったからだ。

  
  しかしその顔を見詰めて一つ気付く。両目の焦点がうまく噛み合っていない。恐らくだがあの片目は――――


  「じゃあ答えるけどよ」

  「ひゃ、ひゃいっ!?」

  「・・・・どうしたいきなり変な声上げて」

  「あ、え、べ、別になんでも・・・・」

  「もしかしてあれか、一目惚れしましたとかそんなんか。だったら一足遅かったな。オレ今彼女持ちだからな」

  「そ、そんなんじゃありません! 調子に乗らないでください!」

  「そして修羅場の真っ最中だ。いやぁ、オレには関係ない出来事だと思ってたのにな。対岸の火事だと思ってたのに
   気付いたら自分の家が燃えてたなんて笑えやしない」

  「・・・・・節操無しなんですね。だらしがありません」

  「返す言葉もない。事実オレもそう思う」


  何がおかしいのか自嘲するように含み笑いをする相手。私は過去の思い出のせいもあり多少声質がキツくなってしまった。

  純一達はあんなに苦しんでいたと云うのに・・・そう思わずにはいられない。

  どうせ調子に乗って色んな女の子に声を掛けて結局痛い目にあったのだろう。

  なんだかこれもナンパの一種と思えてきた。もう答えを聞く気は無くなってしまう。

  私はため息を一つ吐いてどうやってこの男を追い返そうと考え――――


  「上手く言葉に出来なくて申し訳ないが、なんだかアンタの人形――――暖かいな。こういう人形は好きだぜ」

  
  そう言って笑う笑顔が何処か純一に似てて、思わず息が止まってしまった。





























  
 「ナンパかと思いましたよ」

 「ああ?」

 「そもそも特に挨拶もしないで気安く会話を始める人達にロクな人はいません」

 「・・・手厳しいな。これでも人嫌いな性格だったんだが」


  あの後保健室を抜け出しこうして露天を開いていたアイシアなる人物と接触出来た。

  オレとしてはいつものように話し掛けたつもりだがどうやら軽薄に映ってしまったらしい。
 
  とりあえず自己紹介をして向こうの名前も正式な形で教えてもらい、アイシアの脇にドスっと座った。

  そんなオレの様子を少し眉を寄せながら見ていたアイシアだが、笑いかけると特に何も言わなかった。


 「どこが人嫌いですか・・・まぁ、いいです。飽きたらどこかへ行って下さいね。貴方みたいな怖い
  人が居たら商売の邪魔になりますから」

 「随分ハッキリした物言いだな、気に入ったよ。アンタが会社を設立して大金持ちになってベンツを
  乗り回すまで居てやる」

 「本当にいつまで居るつもりなんですか・・・・」

 「多分一生になるな、儲かってなさそうだし」

 「―――――ッ! こ、このっ!」


  ポコポコと腕を殴る銀髪の女。しかし全然力が無いのでいいマッサージになる。

  オレの周りの女共は本当に力が無いヤツばかりだな。思わずあくびが出た。

  その様子に更にムキになって腕を振り下ろす回数を増やしてくる。結局それはアイシアの体力が
 無くなるまで続いた。

  てか、よえー。


 「はぁ、はぁ、はぁ、け、結局――――義丸君でしたっけ? 貴方何のつもりでこうやって居座ってるんですか?」

 「だれが義丸だてめー・・・義之って言ったろーが。次間違えたらその大きなスカーフとオレの穿いてるトランクス
  を取り替えてやるぞこら」

 「はうっ!」


  その様子を想像したのか、バッと頭のスカーフに手を置く。笑ってやると冗談と気付いたのだろう、頬を膨らまして
 怒ってますアピールをしてきた。

  なんかマトモに相手をするのもかったるかったのでその頬を突いてやると中から空気が漏れだし元の頬に戻った。

  そしてまた顔を真っ赤にして腕を叩いてくるアイシア。いつまでたっても本題に入れそうになかったのでそろそろ
 入る事にするか。こういう漫才もいいが―――全部終わった後がいい。


  「あ、貴方って人はそうやって他の女の子にも――――」

  「アンタ、魔法使いなんだって?」

  「・・・・・え?」

  「単刀直入に言うと手助けして欲しい。情けないがオレだけじゃこの問題は解決出来ない。人が欲しい。
   アンタなら何とか出来るとある人からの紹介だ」

  「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」

  「悪いが待つ事も出来ないし―――断らせるつもりもない。オレは酷い人間だ、アンタの意思があろうとなかろうと
   手伝ってもらうつもりでいる。別になじってくれても構わない」

  「――――え、え~と・・・・」


   せわしく目をキョロキョロさせて戸惑う様子を見せる。俺としてもかなり直線的な物言いだったと思うが今更
  訂正はしない。回りくどく言っても結局言う事は同じなのだから。

   余裕―――少しなくなってきているかもしれない。焦ってると言っても差し支えない。校庭での一件を思い出す。

   さくらさんはもう限界なんだと思う。冷静な時は普通に日常を楽しむし論理感を大切にする、

   元々正義感は強い女性だ。間違った事を正そうとする考えがあるしその力もある。実質そんなさくらさんを皆は好んでいた。


   だがオレが絡むとそういったものはどこかへ吹き飛んでしまう。
   
   正義感なんて知っちゃこったないし、間違った方法でも結果を手に入れようとする。

   力の使い方のベクトルを歪め進んで自分の為に使うのもそうだ。別に自分の力をどうしようと
  自分の勝手だとオレは一方で思うが・・・あまりにもさくらさんらしくない。


   はりまおを庇った時は少しマシになったと思うが――――そう長くは続かないだろう。


  「なんだ、うーうー唸って。そんなに難しく考える必要はねぇ。あとでクッキーあげっからよ」

  「せ、説明を要求しますっ! なんで私が魔法使いって知ってるのと今何が起きてるのとなんで
   貴方がそんな事に関わってるのかをです! それと私は子供じゃありません!」

  「お前、子供な」

  「違います! もう何十年も生きてます! 六十数年ぐらい!」

  「・・・・ババァじゃん」

  「うーっ!」


   さっきより力を込めて腕を込めて叩いてくるが全然痛くねー。それよりも、と叩かれながら考えた。

   説明、どこまで話せばいいのだろうか。全部話すとなるとさくらさんの事とか話さなければいけない。
 
   外見を見るとオレより下そうな女の子だ。話す内容が内容だけに話すのが躊躇われる。


   だがそんな気持ちを頭の片隅に置いて握り潰した。もうこれ以上無いってぐらい情けない思いをした後だ、今更だと考えた。
   
   もうオレのプライドでどうのこうのなるような話では無くなっている。オレの情けなさがまた露呈した所でなんだ。  
  それで済めば安い方でむしろお釣りがくる。

   それにしても―――六十数年か。随分長生きしてるなコイツ。さくらさんの知り合いみたいだしもしかしたら魔法使う女
  というのは皆こうなのかもしれない。もう色々あったせいかそんな事を聞いても驚かなくなった。

   それならさくらさんのあの外見にも納得出来る。どうりでおかしいと思ってたんだよ、ずっと一緒に居るから感覚麻痺してたけど。


  「つーかオレはババアと寝たのか・・・・なんだか複雑な気分だ・・・・」

  「あ、またババァって言いましたね!」

  「うっせババァ」

  「うーうーっ!」


   まぁ、なんにせよだ。悪いが付き合ってもらうぜ―――アイシア。















   そっと桜の木に手を当てる。目を閉じ集中して内部の様子を探る。

   予想―――予想以上に進行は進んでるようだった、あの時以上にもうどうしようもなくなってる。

   思わず膝を付きそうになる絶望感に襲われるが、なんとか持ち直して深呼吸をした。


   桜の木はもうボク個人の力ではどうしようもない事になっていた。
  
   もしこの桜の木を直すなら砂漠の土地に落ちた一滴の水を探す事と同義だった。
 
   壊すにしても同じ、もうどこから手を付けていいか分からないこの状況で変に刺激すればもうどう  
  なるか分かったもんじゃなくなる。



   「ボクのせいか・・・」


   それはこの木を管理しているボクがあれこれ好き勝手にその力を使って、または踊らされて行使した結果だった。

   桜の木は満開というにはおこがましい位に狂い咲きをしていた。辺りを見回しても桜の色しか見えなく、空も見えるか
  どうかも怪しい呈をなしていた。

   いくらなんでもこの事態は異常だと誰もが思う。長年この島で暮らしている住民も思うだろう。何かがおかしいかと。


   どうするか、と考え木の幹の下にペタンと座り込む。せっかくのスーツに土が付いてしまったが気にしてはいられない。

   そしてふと感じてしまった孤独感。義之君に呆られて、なじられて罵倒されて―――見捨てられた。せっかく考えない様に
  していたのに意識してしまうともう考えが止まらなくなる。

   駄目だ駄目だと強く意識して手をギュっと握る。ここでまたあの感情を蘇らせたら戻れなくなる。
  
   今、今のこの自分の状態を維持してなんとか対策を考えなければ駄目だ。息が乱れてきたのでまた深呼吸をした。


   「どうしようか・・・お兄ちゃんと音姫ちゃんを呼んでもどうにもならない。かえって力のバランスが取れなくなって
    今以上に不安定な状況を作ってしまう。何か別の手がある筈なんだ」


   ブツブツ言葉を吐きながら口に指を当てうーんと唸る。朝倉純一と朝倉音姫、そしてボク。この三人の力はてんで
  バラバラだ。均衡していればまたなんとかなりそうなものの、ここまで極端に差があるといくらボクでも扱えなくる。

   かと言ってボク個人の力ではどうしようもない。せめてボクと同じ位の力がある人を二人―――いや、一人でもいい。

   一人でもいいから欲しい。そうすれば取っ掛かりは掴める。後は、どこまで自分の意思を貫けるかだ。


  「そう都合よくはないか。もうちょっと現実的に考えてもう少し考えよう」


   ボクらしくない。他力本願もいいところだ、誰かを巻き込む事を前提として考えている。

   自分の撒いた種ぐらい自分で処理しなければならない。ここまで好き勝手やってるんだから。

   好き勝手やった手前責任は取らなければいけない。もう、子供ではなくなっているんだから・・・・。


  「さて、もう一回最初から考え直して・・・・・・ッ!」


   ふと、目の前に影が落ちた。驚いて後ずさりして崩れた体制を急いで整えた。

   ここに来れる人なんていない筈だ。もう入口には結界を張っていて誰も入って来れない筈。
  
   もしここに来れる人がいるなら音姫ちゃんぐらいだ。しかし今このタイミングで来るのはおかしい。

   今も後処理に忙しく駆け回ってる筈だ。それに誰かが入ってきたらボクが気付く筈、なのにこうして
  目の前にくるまで接近を許してしまった。



  「・・・・・誰なの?」


   逆光で少し目が眩み相手の姿がうまく視認出来ない。思わず頭が混乱してテンパリそうになるが歯を  
  ガリっと噛み締めて荒れそうになる息を止める。

   今目の前に誰がいるかはとりあえず置いておく。仕方が無い、理由はともかくとして誰かが居るのは確実なんだ。

   問題は、その人物が何の目的でボクに接近をしてきたか。きっとロクな目的ではないだろう。声も掛けず
  こうして黙って目の前に来たのだ。万一悪意は無くても―――善意も無い筈。


   目の前の人物はボクが声を掛けても何も反応をしない。焦燥感が身を包むのが分かる。

   異常事態が起きている初音島、何が起きてもおかしくはない。例えばもし次の瞬間に、住民全員が消えてもおかしくない
  程狂っているのが現状だ。

   ともあれ今の硬直状態を続けるのはボクの精神衛生上よろしくない。何かもう一回アクションを起こして冷静に対処しなければ。


  「今時名無しなんて言わないでよ。世界の全人口の九割が戸籍管理されてる時代なんだから。もちろん残りの一割は行方不明者。
   行方不明者とは言ってるけど―――まぁ大体は死亡扱いされてるね。だから貴方が名前は無いというなら幽霊という事に
   なるかな。初めて見るかもしれないな、幽霊って」

  「・・・・・・・」

  「またダンマリ? 幽霊でもなんでもいいけどまず名前を名乗って欲しいな。これ、小学校以前に習う事だよ?」

  「・・・・・・・」

  「・・・・・・・」

  「・・・・・・・」
  
  「・・・・・・・」




   いい加減にしろ――――。そんな怒りにも似た感情で口を開けようとした――――瞬間、息が一瞬本当に止まった。




  「さくらさん」
   


   ひゅっ――ーと息を詰まらせ呼吸が苦しくなった。恐らく驚きのあまり筋肉が硬直してしまったようだ。
  
   何故、何故ココにいるんだ。有り得ない。考えの範疇外だ、確かに魔法は使えたようだが殆ど力を無くしている
  あの状態でここまで来れる筈が無い。

   そもそも、だ。もうボクになんか会いたくない筈だ。自分はもうニ度とあの子の顔を見れないと覚悟していたというのに。


   逆光に目が慣れ浮かび上がってくる男の姿、義之くんだった。

   校庭での一件の時にしていた憤怒の表情ではなく少しだけ微笑を携えてボクに目を合わせてきた。

   前までボクに向けていた表情、感情、ソレに対して知らずしらずの内に涙が頬を伝った。


   急に恥ずかしくなってしまい急いで涙を裾で拭くが次から次へと溢れ出る涙にボクは更に混乱した。

   またこんな目を向けてくれるとは思わなかった。またこんな優しい声質で話し掛けてくれるとは夢にも思わなかった。

   いきなり目の前に現れた男―――義之くんにさっきまでの警戒心がどこかへ行ってしまった。


  「はは、なんで泣いてるんですか? さくらさん」

  「・・・ひっぐ・・・・だ、だって・・・・」

  「お願いですからあんまり泣かないで下さい。オレまで悲しくなっちまう」


  そう言ってボクの体をギュっと抱きしめてきた。更にその感触にボクは涙が溢れてきてしまう。

  ずっと欲しがっていた温もりが徐々に体を包み込み暖かくなる。最近までずっと感じていて、ずっと欲しがってたモノだ。

  何故ココに居るかなんて考えようともせずボクはただただその感触に身を任せてた。


 「最近さくらさん無理しすぎてたんじゃないですか? 色々大変な事ありましたからね」

 「・・・っ! ご、ごめんね義之くんっ?」

 「何がですか?」

 「い、いっぱい酷い事言っちゃったし、酷い事しちゃった。だからもう義之君にこんな事してもらえるなんて
  夢にも思わなくて・・・・うぅ・・・・」

 「―――なんだ、そんな事ですか」

 「え・・?」


  そんな事、とは一体どういう事なんだろうか。あの怒っていた時の目はもう許さないという目をしていた。

  ボクを容赦なく殴り飛ばした義之くん。確かに少しは手加減はしていたのだろうがあのまま蹴り上げられてもおかしくなかった。

  少し違和感を感じ抱きしめてくれている義之くんの目を見ても笑いかけてくるばかり。益々戸惑った。


 「オレにとってはやっぱりさくらさんが一番大事なんですよ。それに―――さっきはすいません。
  痛かったでしょう? オレに殴られた所。跡になってませんか?」

 「え、あ・・・、いや、それは大丈夫なんだけどさ。それに大事って・・・・?」

 「はは、恥ずかしいのであまり多くは言いたくないんですが」

 「ねぇ、言ってよ。もう一回。お願い、だから」


  少し苦笑いしながらどうするかといった風に口をもごもごさせる。

  そんな様子の義之君にボクはどこか浮ついた気持ちになりがら続きを促した。

  まるで誕生日を欲しがっている子供みたいにそわそわそながら答えを待つ。

  多分目もキラキラしているに違いない。自信がある。


  さっきまでの決意はどこへやら、今か今かとまるで目の前に餌を置かれた犬みたいにがっつくように腕を揺らした。

  しょうがないなと照れ笑いしながら腕を揺らしているボクの手を握り―――笑みを深くしてその言葉を言ってくれた。


 「好きですよ。愛してます、さくらさん」

 「あ――――あ、ボクも義之くんの事――――」

 「だから桜の木はこのまま放って置いて下さいね、さくらさん」

 「・・・・・・・・」


  頭に冷水をぶっかけられたかのように冷める頭。止めネジを外され歯車が動き出してきた。

  そっと腕を押して義之くん『らしき』人を押しのけた。押された義之君は相変わらずこちらに笑みを向けたままだ。

  顔に手をやり呼吸を整える。軽く髪を整えて胸を張る。これでいつもどおりの自分になった。


 「いきなり押さないで下さいよ。驚いちまう」

 「――――防衛システムみたいなものか」

 「はい?」

 「もうボクの管理内じゃなくなっている桜の木。生きていると言っても過言じゃ無い。ここまでエネルギーを
  溜めて言う事を聞かなくなってるんだ。身を守ろうと考えたって変な話じゃない」

 「・・・・何の事をおっしゃってるか分かりかねます」

 「こんな悪どい方法を取るなんてさすがボクが育てた桜の木だね。思わず感心しちゃうよ、殴りたいほど」

 「・・・・・・・」

 「そんな悪い事をしてどうしようもなくなった悪い子は・・・・こうかな?」


  そう言って桜の木に手を掛ける。少し慌てた呈でその腕を取り下げようと動き出そうとした義之君らしき人物を目で制した。動くなと。

  そんな様子のボクを見て立ち止まり、やれやれといったように首を振るその男。その演技っぽい仕草にやや頭がカチンときたが挑発
 には乗らない。そんな挑発に乗ってやる程もう若くはないからだ。

  それが分かったのだろう。笑みは変わらず絶やさないその顔でその男は喋り出した。


  「さくらさんの力じゃ無理ですよ。もう若くはないんだし無理は止めた方がいいと思います」

  「生憎だけど20歳前の子供に心配される程ヤワな人生を送ってはいないんだよね、残念ながら。
   この桜の木はボクが枯らすけど・・・いいよね? 嫌って言っても枯らすけど」

  「だからそれは無理だと何回も言って――――」

  「ボクの命をくれてやるよ。そうすればいくらなんでもこの木は暴走を止めざるを得ない。昔の人間―――サムライも
   何か不始末をした場合腹切りをするしボクの好きな任侠映画も似た様な事をやるから、まあ、少しは憧れてたり
   したんだよね、にゃはは」

  「・・・・・今のヤクザは腹切りなんかしませんよ。それよりも上納金とか取り立てで摂取する金の金額を上乗せして
   きます。もう人情の時代じゃないんですよ、さくらさん」

  「なんだ、幻滅」



   さすがにそういうのは知ってるけどやっぱり憧れはあるんだよ。
   
   義理と人情なんて最も人間らしい感情だしすぐ殺し合いに発展するのもとても人間らしい。

   ただ単におばあちゃんの影響が強いってだけなのかもしれないけどさ。
  
   そういえば昔義之君と見た時は彼は怖がってたなぁ。涙ポロポロ流しながらボクの腕に引っ付いてたっけ。

   今の義之君なら笑いながら見そうだなぁと思ったり。今度一緒に見たいな。



   (『今度』か、見れそうにないかな。残念だけど)



   「まぁだからといって・・・・・止めるつもりはないんだけど、ね―――――っ!」


   思いっきり力を込めて肺から空気を思いっきり出す。

   自分を構成する何かが抜けていく感覚に膝を付きそうになるが歯を食いしばり唇を噛み切って耐える。

   まさか本当にこんな行動をするとは思わなかったのだろう、慌ててこちらに駆け寄ろうとするニセモノ。

   だが今度もボクは目で制した。多分今までで一番怖い眼をしてるに違いない。当り前だ、本気でキレてるんだから。


   義之君の姿を借りて甘い言葉を囁いた――――なんて侮辱だろうかこれは。八つ裂きにしても物足りない。

   まず生きたまま目玉や内臓を捻り出して叩き潰したい。それでも殺さないように逆さに磔にしながら玩具の様に遊んでやりたい。

   それでも、それでもそれでも、まだ物足りない。湧き上がってくるこの暴力的で衝動的な気持ちをとてもじゃないが押さえつけられない。

   それほど憎悪の気持ちを込めて睨んでやった。死ぬ間際には人の本性が現れると聞いたが・・・・なんだ、性悪女だったのか
  と自嘲した。そしてその姿を見てこちらに来るどころか後ずさりをしている。

   

   今やっている事に後悔はしていない。

   桜の木に触れて分かった事だがどうやらあの義之くんは義之くんであって義之くんでは無いらしい。

   驚いてもっと調べたらありえない事がどうやら起きていたようだ。思わず頭を抱え込みたくなった。

   
   死んだ人間を別の世界に飛ばせば生きていけるというトンデモ理論。確かに義之君は普通の人とは違う人間だったが
  それでも無理矢理な話だ。そんな電池の切れたリモコンじゃあるまいしそんな事をやってのける『向こう』の自分のデタラメ  
  さに更に頭が痛くなった。


   そんな人間に育てられたらああいう性格にもなるよ、義之君。あの変わりようがこの土壇場になって分かるなんて、人生は
  本当に分からない事ばかりだ。


   そしてその時に再確認した。ああ、全然自分の想いが揺れていない。どうやら今の義之くんに本当に参ってるみたいだ、と。
   
   あの本当にかったるそうな雰囲気、何かろくでもない事を考えてる時に浮かぶ笑み、凶暴そうな目付きの中に時々姿を
  表わす理知的な光、好きな人に愛を囁かれて嬉しい癖に何でも無いといった風な表情をつくるその子供っぽさ。

   元々こちらの世界に居た義之くんが嫌いな訳では無いが・・・彼を無くしてまで取り戻そうと思わない。
    
   酷い母親だ。息子より男を取るなんて。それも血の繋がった相手をだ。恐らくボクは死んだら地獄に行くだろう―――今更だ。

   全てが愛おしく、惹かれていると改めて理解し更に心が苦しくなった―――――故に、目の前の存在許容出来なく、はブチ壊さ
  ねば気が済まない。まるでボクの気持ちを踏みにじっている行為だと考え、さらに射殺さんばかりに視線を叩きつける。   
  



   魔女―――まさに今自分はそういって呼ばれるモノの眼をしているに違いなかった。



  

























  「ん?」

  「・・・? どうかしたんですか?」

  「いや、なんでもねーよ」

 
   そう言って辺りを見回す――――義之くん。何か気になる事でもあったのだろうかと辺りを見回すが何も無い。

   本人も「気のせいか」と言ってるからなんでもないのだろう。全く、人があれこれ混乱してるのに掻きまわさないで欲しい。

   一気に話を聞かされた所為か今でも頭が痛い。私の理解の範疇を超えた突飛な内容の所為だ。隣で関係無いように煙草を吹かし
  ている男の子が恨めしい。誰のお蔭でこんなにも頭を痛くしているのだと思っているのだ。


  「一つ提案なんですが・・・」

  「ん? なんだ?」

  「義之くんが元の世界になんとかして戻った方が皆幸せになると思いますよ。今からその方法を探しましょう」

  「・・・・・・フゥ―」

  「うっ! げほっ、げほっ、な、なんてことを・・・・」


   嫌味の一つでも言わないと気が済まないので単直に「お前居なくなれば解決なんじゃないの」といった節の言葉を投げかけたら
  紫煙を顔に吹きかけられた。

   思わず涙目で咽る私をにやにやした目で見る脇の不良男。絶対この男はドSだ、きっと彼女の事もそうやってからかってるに違いない。

   だが―――私は少し落ち着き気合いを入れる。そう、私は年長者なのだ、こんな子供染みた嫌がらせに反応するなんて以ての他。

   落ち着け、うん、落ち着け。ここで反応を返せばこの男の思う壷だ。ここは毅然としたちゃんと大人の対応で・・・・。


  「はは、生意気に嫌味言ってんじゃねぇよ、ばあさん」

  「―――――ッ! う、うーうーっ!」


   駄目だ、我慢出来ない。思わず腕を殴ってしまう。効かないと知りながらも殴らなければ気が済まない。

   そもそもだれがばあさんだ。自分でいうのもなんだが外見は当時のままで時々お人形さんみたいねと時々旅先で褒められるのに!

   義之くんは腕を叩かれたまま煙草をふーっと一息吹かした後、こちらを見詰めて口を開いた。


  「こうやって可愛いアンタといちゃいちゃするのも悪くねぇんだけどよ」

  「か、可愛い・・・・・」

  
   なんでこの男は―――表情をピクリとも変えずこういう言葉を吐けるのだろうか。思わずさっきの事を忘れたかのように顔を
  赤くしてしまう自分が悔しい。

   きっと他の女の子にも似た様な言葉を吐いてるのだろう。それも打算とか抜きに、思った事を口に出して。人の顔色を窺うのを
  嫌いそうな性格をしているのでそれはきっと当っているのだろう。

   だから余計に恥ずかしい。お世辞にも言えないが私はあまり褒められ慣れてない。こうやってストレートな物言いでも反応して
  しまうのだ。恋愛経験も無いのがそれに拍車をかける。


  「・・・・ふんだ。そんな事ばかり言ってるから修羅場っちゃうんですよーだ」

  「おいおい、あんまり怒るなよ。そんな怒った顔も中々似合ってて魅力的だが・・・・」

  「ま、またそういう事言って―――――」

  「で、どうなんだ。オレに協力してくれるか?」

  「あ・・・・・」

  
   協力――――桜の木の暴走を止める事とさくらを助ける事。

   数十年前にも桜の木は暴走をした事がある。というか私も起こした事があるのだが――――とにかく苦労した。

   咲かすのは簡単だったのが枯らすととなるとそれはもう骨が折れる。あのさくらでさえ手をかなり焼いていた
  のだからどれ程厄介なものかは想像に難くない。


   最初の暴走の時はさくらが頑張って止めたみたいだが二度目の暴走は・・・・私が犠牲になることでその収拾はついた。

   当時子供だった私は皆の気持ちを分かった様な口を聞き、よかれと思って常に行動を起こしていた。今思えば焦っていたのかも
  しれない。魔法使いとして何一つ十分な事を出来なかったのだから。

   結果、授業料としてはかなり高いモノを支払った。一生の孤独。常に人に忘れられる存在となりあちこちを旅する事になる。



   「――――正直、不安ですね」

   「不安?」

   「さくら―――私はこう呼んでるのですが、あの人が手に余しているモノを私が本当に卸せるかどうかが不安です。
    今はどうか分かりませんが当時さくらは私にとって目指すべき目標でした。だってあそこまで完璧な魔法使いを
    見るのはお婆ちゃん以来でしたからね。その人が作った桜の木、それに踊らされるさくら―――この二つの問題
    を解決出来る程私は自分に自信がありません・・・・」

   「んー・・・・そうか」

   「はい、すみません・・・・」

   「いや、謝る事は無い。元々この話を信じてくれただけでも奇跡だ。むしろこちらがお礼を言わなければいけない」

   「あ、いえ、そんな」

    
    その殊勝な言葉にわたわたと手を振る。力になれないと言ったのに謝られてはかえってこちらの座りが悪い。

    不良の義之くんにそういう言葉を掛けられるとは思わなかったので尚更だ。必要以上にこちらが畏まってしまった。
 
    なんだ、礼儀はあるじゃないか。まぁさくらが育てた子っていうしそこら辺は意外としっかりしているのかもしれない。

    
    それにしても―――この男の子も随分無茶苦茶な存在だ。そしてかなり波乱万丈の人生を現在進行形で歩んでる。

    まずは死んだ事。まぁこれはいい。人は生きてる限り終わりがあるのだ。悲しいことだがそれは事実なので受け止める事が出来る。
   伊達に長生きはしていないのだ。人の死―――過去の知り合いが死んでるのも多く見てきたしそれは納得するとしよう。

    そしてここからが信じられない話だ。彼はその世界から抜け出しこちらに居座ってるという。それだけに収まらずさくらと関係を
   持ち桜の木の暴走に関わっているというデタラメさ。全く賑やかな事が好きな男だと思う。


   「それにしても・・・意外だな」

   「・・・? 何がですか?」

   「見た感じ正義感が強そうだから『皆の危機なんですか!? 私がなんとかします!』とか言いそうだと思ったのに」

   「声色を真似しないでください! それに私は――――そういうのは止めたんです」

   「ふーん」


    興味無さそうに視線を前に戻す。私がそれを決心したのにどれほどの勇気を出したか知らない癖に呑気なものだ。半ば八つ当たり
   するように睨んでしまう。

    数十年前の事件を皮切りに余計な事はしないと決めた。分不相応な事はしないと誓った。確かにその話を聞いて心苦しくなったが
   そうやって半ば反射的に行動して起きた結果が――――アレだ。あまり思い出したくも無い事実である。

    何十年も生きているがこのトラウマみたいな想いは消えない。だから今回の件、悪いが・・・・手伝えない。


   「・・・でも少しだけ、本当に少しだけなら手伝ってもいいです。さっき人形を買ってくれたお礼もありますし」

   「――――いや、アンタにはオレと一緒に来てもらう。そして桜の木の下で、正面からさくらんと対峙してもらうよ」

   「え、あ、だ、だから私なんて本当に力になれないと言って――――」

   「本当に嫌だったら『少しだけ手伝う』なんて言葉は出て来ない。厄介事なんて皆どっかに行って欲しいと思ってるからな。
    さっきのアンタの言葉、無理してるように見えたぜ。本当はなんとかしたいと思ってるんだろう? 自分には力がある。
    だから自分がなんとかしないとという気持ちがあるのが見え隠れしている。だから悪いがオレはそこに付け込む」

   「・・・・・そんな事、ないです」


    こちらを見透かすようにそんな言葉を吐いた。手をギュっと握り込み俯いてしまう。

    今更、今更そんな事を言わないで欲しい。もうずっと前に決めたんだ。余計な事はしないよう、出来るだけ引っ込んでようと。
 
    もうそんな熱に浮かされて走り出す年齢じゃない。今までだって、そしてこれからもソレに変更は無い―――筈だ。   
  

   「そうか」

   「そうです」

   「・・・・オレは最初なんとしてもアンタを連れていくって言ったが―――無しにするよ。そんな中途半端な人間を連れてったら
    オレまで危ない目に合っちまうからな。悪かったな、変な話をして」

   「いえ、そんな事は・・・・」

   「じゃあ、ここでお別れだ。また暇が出来たらここに遊びにくるからまぁ、商売繁盛を祈ってるよ」

   「―――――義之くん、君、多分無事に戻れないよ」

   「そんな事は分かってるよ。相手はあのさくらさんだからな。もしかしたら『一生一緒に居よう?』とか言われて桜の木
    とかに引き込まれるかもしれねぇ・・・・うわぁ、なんかゲームとか映画のBADENDみてぇだな。オレには可愛い彼女が
    居るのに」

   「桜の木の力を舐め無い方がいいです。アレは間違ってる事にも力を貸す出来そこないの願望器、それにさくらの力が上乗せ
    されています。そんなお気楽な思考では自殺しにいくみたいなものですよ」

   「死ぬ前に部屋掃除ぐらいさせて欲しいな。起きてそのままの状態だし」

   「――――――ッ!」


    思わず腕を服の上から思いっきり掴んでしまう。ギチギチとしなる布の擦れ合う音。多分今日で一番力が出ているに違いない。
    
    義之くんは気にせずへらへらと笑っている。この男の子はバカなのだろうか。その見えない目を持たされて何も感じないのか。

    私は何故か涙目になりながら服を離さないでいる。理由―――分からない。とにかくこの子を行かしては駄目だと思った。


   「・・・・はは、アンタはさ、やっぱり思ってた通り優しすぎるな。人が良いとも言える」

   「そんなこと、ありません・・・・・」

   「そうやって人の為に、それもオレみたいなヤツに涙流すなんて女は希少だよ本当」

   「――――別の意味では流させてるじゃないですか、女の敵」

   「モテる男はつらいな」

   「開き直らないでください、不快です」

   「開き直らきゃ、やってられねぇし―――これから桜の木の所にも行けねぇよっ・・・と」



    立ちあがり制服を整える。特に気負った様子を見受けられなくまるで散歩にでも行くかのようにその様子は穏やかだった。

    死ぬ事なんて考えない目だ。蛮勇ではなく勇気と覚悟、それらを宿してる目をしていた。それが私には分からない。

    だから私も勢いよく立ちあがりその立ち去ろうとする背に声を掛けた。なぜそこまでする必要があるのかと。


   「しつこいようですがもう一回言います。義之くんは死にますよ。いや、死ぬなんてもんじゃない。一生籠の中の小鳥のまま
    桜の木と一緒に在り続けますよ。話を聞いた通りのさくらならやりかねない」

   「だったらそんな籠の柵なんざ食い破ってやる。生憎小鳥なんて可愛いモンになった覚えはねぇよ」

   「そんなにさくらの事を助けたいですか? 何故なんですか? 言っては悪いですが『その』さくらは義之くんの
    本当の母親じゃない筈です。本物は貴方の元居た世界に居るんですよ、何故そこまでするんですか? 一緒
    に寝て情でも湧きましたか? 酷い事されたんですよね?」

   「さぁな。だが―――他の人だったら助けねぇ、見捨てるよオレは。けどあの人だから助けたい。元の世界が
    どうのこうのじゃない。オレが助けたいから助けるんだ。理由なんて考えてもそれは後付けにしかならない。
    別に格好つけたいからじゃないさ。いつだってオレは自分の気持ちに素直に行動している。今回だってその
    延長線上だってだけだ」

   「・・・・そんな力なんて無い癖に」

   「無いなりに頑張るよ。これでもずる賢くて運は強いんだ。危なくなったら適当に掻きまわしてさっさと逃げるよ」


    嘘だ。逃げるつもりなんて無い癖に。段々この子の本気と嘘が分かってきた。この子は何があっても逃げないだろう。

    そんな事を考えてる人間はそんな目を持たないしそもそもそんな場所へ行かない。それにこの子はさくらを助けたい
   と言っていた。その言葉は到底嘘に聞こえない。恐らく死ぬ直前になっても助けようとするだろうと直感的に感じた。

    じゃあなと言って気楽に手を振る姿。段々遠くへ行ってしまう背中。私はそんな彼を数秒、茫然と見ていた。     


    そして、そんな姿に――――思わず足が動いてしまった。商売道具もそのままに、その背中を追い掛けたくて。



   「商売道具はいいのかよ。まぁイマドキあんなの盗もうとする奴はいねぇだろうけどな。それにちゃんと立て札
    掛けてるみたいだし」   
  

   「・・・・・はぁ、はぁ、、な、何も聞かないんですか? 私が着いてきた事に」

   「アンタは来ると思ったよ。話してて分かったがかなりの甘ちゃんみたいだしな。まぁオレとしてはそこに付け込ませて
    もらった訳だが」


    まるで来るのが分かっていたみたいに―――いや、実際分かっていたのだろう。私が息を切らしながら傍に来ても動揺
   しなかった。その姿はさっき見たままと変わらない。


   「してやられた、という事ですかね。なんて意地悪な・・・・」

   「まぁ、来なくてもよかったかな。さくらさん―――ああ、オレの元々居た世界のさくらさんがアンタを買ってたから
    ついてきた方が勝率は格段によくなると思ったがオレはどっちでもよかった。どちらにせよオレは一人でも行くつも
    りではいたよ。さっきの言葉だって嘘じゃない」

   「邪魔はしない、つもりです・・・。もう巻き込まれたも同然ですから出来るだけの事はしてみますよ」

   「決めたのはアンタだけどな。精々足を引っ張らないでくれよ、『可愛い売り子ちゃん』? 」

   「な、なんて横暴な・・・私、色々言いたいことがあるんですが・・・・」

   「全部終わったら聞いてやるよ。そうだな――――オレの部屋、ベットの上でならよ」

   「―――――ッ! こ、このエロ義之っ!」


    ぽこぽこ肩を殴る。本当は顔を殴りたいのだが背丈の関係でどうしても肩にしか手が届かない。
  
    まぁいい、肩にだって人体の急所はある。そこを徹底的に殴ればクマだって悶絶する筈だ。純一もそう言っていたし。

    だがこの男はどうやら急所も鍛えてるらしく全然ビクともしない。なんだかバカらしくなった私はため息をついて脇に並んだ。


   「義之はいつもそうなんですか? デリカシーって言葉分かります?」

   「使う相手によっては使ってるよ。オレの彼女になれば受けられるぜ、デリカシー」

   「結構です。貴方の場合彼女にも使いそうにないので。まったく、さくらも義之のどこが気に入ったんだが・・・・」

   「さっきから気になってんだがよ。『義之くん』じゃないのな」

   「くん付けで呼ばれる程可愛くないので貴方は。義之で十分です」

   「ああ、それは違いない。間違っていないよアイシア」



    芝居掛かった台詞を言い、なにが可笑しいのかククッと笑う義之を呆れた目で見る。なんて子供らしくないんだ。私や純一がこの歳の
   頃はもっと可愛かった筈だ。

    やはりこの世の中は荒れている。昨今の性の乱れ、心の乱れは目に余るモノがあった。この初音島もそういったモノの影響を受けている。

    この男のを見ると本当にそう思う。まぁ、初めて見るタイプなんだけどね。義之みたいな男の子。   
   

   「ああ、あと言い忘れた事があったよ」

   「またロクでもない事を考え――――」

   「アンタ・・・アイシアはオレが守ってやる。怪我の一つなんてさせやしない」

   「え――――あ、・・・・」

   「巻き込んで言う台詞じゃないのは分かってるが言わせてくれ。アイシアにはまたああいった人形を作って
    もらいたい。身勝手だがそう思う。絶対守ってやるよ。だから――――オレに付き合ってくれ」



    目を合わせてそんな事を言ってきた。さっきまでの笑い顔は消え、真剣な顔つきで言ってきた。

    そのギャップに二の句を繋げられなかった。この男の子はさっきからそう、コロコロと表情を変えて私を驚かせる。
 
    子供か大人か分からない子だ。そして私はその言葉を聞き漠然と思った。


   (ああ、なんだか告白みたい)


    生まれてこの方そんな事をされたような覚えは無かったが・・・なるほど、こういう気持ちになるのか。

    なんだかそわそわして目をせわしく動かしてしまう。心臓の鼓動も早くなり落ち着きが無くなってしまう。

    なんだか―――恥ずかしい気持ちだ。そんな私を怪訝に思ったのか義之は首を捻る。


   「んだよ。マジでオレはそのつもりなんだぜ? これでもまぁ引け目みたいなもんは感じてるし」

   「・・・・・・」

   「今度お店手伝ってやるよ。これでも客商売をしてた時期があってな。女一人じゃ色々大変だろうしオレが手伝う―――」

   「今、分かりました」

   「あ? 何がよ?」

   「義之はどうしようもなく女たらしで自己中心的で掛け値無いぐらい駄目人間という事をです」

   「・・・・んだとこの野郎」

   「行くなら早く行きましょう。枯れない桜の木、そろそろ限界に近付いてますから。さっき気付いたんですけど
    どうも普通の木にも桜が咲き始めてますね。時間がありません」

   「あ、おい待てよっ」


    浮ついた心を無理矢理落ち着かせる。思いっきりため息をつきたいがそれさえ面倒だ。

    義之には大事な彼女が居るみたいだしそういう気持ちで言ったのではないのだろう。少し冷静になれば分かる。

    今言った台詞を他の女の子にも吐いてるのだろうから呆れもした。この男の子は本当に一度刺されなければ分からないのだろうか。


    まぁいい。そんな子に付き合ってる私も私だ。
   
    相手がさくらという事で少し恐怖心があるが・・・伊達にこの何十年間も孤独と戦っていない。

    自分が言っていたルールを自分で破る弱い人間になんか負けてなるものか。


   「って、やっと追い付いたよ。おい、何怒ってるんだよ」 

   「別に・・・なんでもありません」

   「まったくこれだから女って人種はよ・・・・あ、分かった。生理だろお前」

   「う~~~~~っ!」


    それに、だ。
  
    同じ状況なら立ち止まってしまうだろう今の私とは正反対に突き進んでいくこの男の子の行動。

    あの時の私と被るようで被らないその力強さ。顔を俯かないで前を向き、『明日』の事を考えている義之。

    それにどうしようもなく惹かれた私は、この子と一緒に戦う事によって何か―――あの時のもう一つの答えを
   得る事が出来ると思った。     
   
           
      


  











  「く・・・、はっ・・・・っ!」

  「ああ、だから言ったじゃないですか。無理しない方が良いって」


   笑みを浮かべたまま男はこちらに近づいてきた。

   自分はといえば膝をついて顔には脂汗を流し無様にも這いつくばっている情けない格好を晒していた。

   少しでも息を楽にしようと服が汚れる事なんか気にせず背中から地面に身を投げる様に寝そべる格好になる。

   今の自分の頭の中には一つの言葉しか考えられなかった。


  (マズった)


   元々体力も精神もここ数日の間にかなり酷使していた。義之君と比べるとまだ良い方であるが自分もかなり参っていた状態だった。
  そんな状態で無理をしようとすれば崩れ落ちるのは必然。少し焦り過ぎた。

   一つの事を決心したとしても次の瞬間には全く正反対の行動をしている自分。そして冷静になるとある種の虚脱感とやるせなさが
  襲ってくる。なのに湧き上がってくる高揚感と幸福感。もうボクの心も体もズタズタだった。

   かなり精神は強い方だと思ったのに体は正直だ。頭がまだいけると思っていても体がついてこない。

   この大事な局面。あの流れで絶対成功しなければいけない状況でミスを犯してしまった。段々焦燥感が募ってくる。


   やばい、早く起きて体制を整えなくちゃ――――そう思っても立つ事もままならかった。

   それに釣られる様にさっきまでの強い意思も萎えかけてくる。蝋燭の炎が消えかかっている。さっきまでの強い意志が
  段々綻び始めてきた。そろそろ頭も限界に近い。

   息が絶えながらも自分は桜の木に触れようと手を伸ばす。

   もう少し、もう少しだったんだ。あと少しで・・・・ッ! 

   なんでこんな時に・・・!


  「ほら、無理しちゃ駄目ですよ。こんなに苦しそうになってまでする事じゃないでしょう?」

  「あ・・・や、離してぇ・・・・」

  「こんなに汗も搔いちゃって、可哀想に」


   伸ばした手をギュっと握られた。そしてハンカチで顔を拭かれる。ボクはそれを拒否するように顔を背けるが構わず優しく拭かれた。

   その行動に思わず心が浮遊感を増す。どこか浮つく様に軽くなり、熱を持ち始める。相手は義之君と同じ顔をした偽者なのに心が勝手
  に反応した。こんなに優しくされたのはどれくらいぶりだろうか。

   一度そう考えてしまったら歯止めが効かなかった。過去の想い出が次々と掘り出されていく。危険な兆候だった。

   こいつ相手にそんな隙を見せたら駄目だ。こいつはどうやってもボクの行動を止めようとする。自分を守る為にどんな手を使っても
  この桜の木に近づけさせないだろう。


   
   ほら、そうやってボクの様子に苦笑いする顔も、温かくて優しい手も、その滲み出る穏やかな雰囲気も、全部ニセモノだ。

   
  「ふざけないで・・・・そんなスカした態度を義之くんが取るもんか、この出来損ないっ!」

  「はは、それは酷いですよ。本当に心配してるのにそんな事を言われるなんて。傷付きます」

  「何を言って―――」

  「好きですよ、さくらさん。愛してます」

  「あ」



   背中を預ける様に抱かれる格好になる。いつも義之くんに抱かれる格好だ。それに思わず自分は―――安心感を覚えてしまった。



  「ずっと小さい頃から憧れてました。さくらさんと一生居れるなら美夏とも別れます。そうしましょう」


   嘘をつくな。義之くんは絶対そんな事を言わない。大体それを拒否されたから自分はこうして・・・・。


  「大体さくらさんは働きすぎなんですよ。そうだ、今度遊園地にでも行きましょうか。きっと楽しいですよ?
   ジェットコースターに乗ったりお化け屋敷に入ったり観覧車に乗ったり。周りから見たらどう映るでしょう
   かねぇ、やっぱり恋人同士?」   


   それはもうありえない光景だ。叶わない願い。だからそこを早くどけ。早く桜の木を枯らさなくちゃ。   

     
  「さくらさんと恋人同士かぁ、はは、とても嬉しいですよ。きっと楽しい毎日が待ってるに違いない。毎日が
   凄く鮮やかに彩られるでしょうね」

     
   手も足も中々上手く動いてくれない。頭の回転も鈍い。こんな事になるならもっと体力をつけるべきだったか。


  「休みの日はずっとさくらさんと炬燵に入ってゴロゴロしたいです。くだらない事で笑ったり、些細な事で言い
   合ったりなんかして。でもオレはさくらさんに口じゃ勝てないからいつもオレから謝ったりするんですよねぇ」


   ――――ああ、そうか。どうりで体が動かない訳だ。


  「炬燵でまったりするにはお茶菓子は何がいいかな。やっぱりオレとしては大福なんかがいいと思うんですけど。
   さくらさんは何が食べたいです?」

  「・・・・・ぃ」

  「はい?」

  「・・・・醤油せんべいが、食べたい」

  「――――はは、さくらさん好きですもんね、醤油せんべい。だったら二つとも用意しましょう。それならお互い
   仲良く交換し合ったりして喧嘩もしないですもんね」

  「・・・・うん」


   自分から義之くんの腕に絡んでるだから当然か。そりゃ動けない。専門物理なんか習わなくても簡単に分かる方式だ。


  「なるべくならオレは喧嘩したくないんですよ。だって――――オレはさくらさんの傍に一生居るんですから」


   ・・・・・・もう止めてくれ。そんな簡単にボクが一番欲しかった台詞を言わないでくれ。土下座でもなんでもするから・・・・。

          
  「オレは何があっても一生傍を離れません。さくらさんを愛し続けていきます。これは何があっても絶対です」


   もう駄目だ、限界だ。

   意思を保てない。残り一本の支柱だったものが削られていく。
  
   ちょうど開いた隙間に風がスゥーっと入ってきたようにその言葉が自分の心に染みていく。



   莫迦な、いい様に言われてるだけだ。こいつは一番の障害のボクを取り込む気でいる。ボクを堕とすのに手っ取り早い行動
  を取ってるだけだ。本気じゃ無い。義之くんは何があっても、こんな事は絶対言わない。弱みに付け込まれてるだけだ。さっき
  までこの男を憎らしい位に思っていたじゃないか。その時の感情を思い出せ、手に力を入れてその拳を叩きつけろ。ここでもう
  一度立ち上がらないと二度と立てなくなるぞ。お前は何のために此処に来たんだ、何を犠牲にしたか思い出せ芳乃さくら・・・!

   
   そう自分に言い聞かせるようにそんな言葉を考える――――――が、手遅れだった。それらはもうタダの文字の羅列にしか認識出来ない。

   手に力を込めて義之くんの腕を握る。信じるよ。それを行動で示す様にもう離さないとばりに力を更に込めた。

  
  「でもそれを邪魔する人達が来るみたいです。でも困った、オレだけじゃどうも退治出来ない」

  「そう、なんだ」

  「ええ。だからさくらさんも一緒に戦ってくれませんか? 二人でオレ達の未来を守りましょう。絶対に幸せな未来の為に」

  「――――うん」


   ボクが頷くとその言葉に満足したのか、義之くんは笑みを深くして消えていった。

   恐らく役目を終えたと思ったんだろう。さっき言ったが枯れない桜の木にとって一番邪魔なのはボク。

   ボクさえ味方につければ後はどうとでもなる。そういう事だったのだ。分かっていたのに―――――


  「・・・守らないと」


   ふらっとよろめきながらも立ち上がる。殆ど意識があって無い様なもの。まるでテレビの中の自分を見てる気分だ。

   そしてそれに何の感情も抱かない。頭がぼうっとしてただ見てるだけ。何も考えられないし、動けない。

   ああ、これは最悪のパターンだ。最後まで義之くん達に迷惑を掛け――――アレ?


  「義之くんを・・・守るんだから迷惑になんかならない、よね?」


   ・・・・・ああ、うん、そうだった。何をどう勘違いしていたのか。全く義之くんの言葉を信じていないのかボクは。

   これは義之くんとボクの為の行動だったんだ。桜の木を『守る事』。これは絶対に忘れちゃいけない。

   何か別な事を忘れた様な気がしたが気のせいだろう。忘れるぐらいだから些細な事だ。気にしてる場合じゃない。



   そうしてボクは桜の木の前で待ち続ける。そのボク達に害を与えようとする『邪魔者』達を。












  



[13098] 外伝 -桜― 7話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/10/05 01:46




 「音姫―っ! そろそろ私達も撤退しようよ。もう騒ぎも段々収まってきたし」

 「あーーうん。そう・・・だね」


  野次馬で集まってきた生徒、弟君に怪我させられ病院に運ばれる先生方。騒ぎはかなり大きなものになっていた。

  警察に連絡しようと言っていた先生がいたが生憎今は学園長不在の今の現状、騒ぎを大きくしても仕方が無いと先生同士の
 話し合いでついさっき決まったらしい。

  さくらさん―――どこへ行ったのだろうか。


 「それにしても・・・また弟くん派手にやらかしてくれたなぁ。ありゃーもう杉並とかよりタチが悪い。多分
  もう停学どころか、退学モンだね」

 「・・・うん」

 「――――ごめん。今話す事じゃなかったわ。さすがに空気読めて無かった」

 「え、あ、べ、別にまゆきが謝る事じゃないよ。さすがに私もそれぐらい悪い事したって分かってるし」


  あたふたと手を振って頭を下げてくるまゆみに対して言葉を掛ける。

  それぐらいこの私だって覚悟している。確かに弟くんの事は大好きだけどやっていい事と悪い事の区別ぐらいつく。
 これは明らかに悪い事だ。

  先生達、女性も混ざっていたというのに全員に怪我を負わせた。警察沙汰になったっておかしくない事件だこれは。

  さすがにさくらさんでも今回の事件の発端となった生徒、息子である義之くんの事は庇いきれないだろう。


  ――――いや、それはどうだろうか。私はふとそんな事を疑問に思った。 


 「もしかしたら、無かった事にするかも・・・・」

 「ん? あんだって?」

 「―――何でもないよ。とりあえず私は最終確認して戻るからまゆきは教室に戻ってていいよ」

 「だったら私も手伝うよ。皆の憧れの生徒会長様を一人に仕事任せたら皆から非難轟々だわ」

 「あはは、そんなこと無いと思うけど・・・・。でも大丈夫。少し回ったら帰ってくるから」

 「まぁ・・・そこまでいうならいいけどさ。でもすぐ帰ってきなよ? あんな後じゃ皆心配するしさ」

 「うん、分かってるよ。それじゃあ」

 「あいよ」


  まゆきに背を向け辺りを見回しながら歩き始める。ただ熱心に見回りする気は無かった。

  こんなくだらない嘘でもやっぱりいい気持ちはしない。ただ一人になって考えたかっただけなんだけどそれを正直に
 まゆきに言うのは躊躇ってしまった。言ってしまうと彼女の性格上私と居ようとするだろう。

  そんな彼女の性格を私は好ましいと思ってるが、今はその気遣いは遠慮したかった。


 「何があったんだろ・・・」


  私が来た時にはもう場は混乱していた。男女関係無く教師を殴り飛ばしている弟君。さくらさんはそれを茫然と見ていた。

  その後二人は言い合っていたみたいだが生憎その会話の内容は聞こえて来なかった。先生達が危ないからと言いそれ以上
 近付けさせてくれなかった。

  そんな言葉に思わず呆れてしまう。じゃあさくらさんはどうなってもいいのか、そんなに殴られるのが怖かったのか。

  危ないからとは言ってるがそれは自分の身を守りたい為に自分に言い聞かせてるんじゃないのか。

  まぁ先生達―――大人が完璧な人格者ばかりじゃないというのは知っている。いい歳なんだしそれぐらいの分別はとっくの
 昔についていた。だから呆れはしたが別段に我を忘れる程怒る事でもない。

  ただ内容は気になる。あれほど弟君がさくらさんに向かって怒ってる理由が知りたい。

  だって・・・・・


 「さくらさんと、そういう・・・関係なんだものね・・・」


  見たのは本当に偶然だった。学園長に提出する書類を持って部屋を訪ねようとした時、キスをしてる二人を見てしまった。
 
  いや、少し語弊があるかもしれない。さくらさんが抱きついてたのに対して弟君は自分の手を所在無さ気に彷徨わせてたから
 キスをされていたと言った方が正しいか。

  やや一方的なキス。恋人のソレでは無いぐらい恋愛初心者の私にだって分かった。甘い雰囲気なんて無く、愛を囁くでもなく、
 ただ本当にキスをしてる『だけ』だった。

  そして何処か戸惑いを隠せない弟君に対して、さくらさんは少しムッとした顔を作りながらも次には微笑を向けていたのを覚えている。


  なにより、一番印象深かったのは、目だった。熱を持ち細めた目で相手を欲する色合いを見せているさくらさん。

  少し―――怖かった。 


  あんな目をするさくらさんを私は知らない。ずっと『憧れ』の対象でもあったさくらさんはあんな目を見せた事は無かった。

  そもそもキスするという行為自体異常だ。弟君にはちゃんとした彼女が居るし二人は親子。今でも信じられないと私は思って
 いる。普通じゃない、普通じゃないということはイケナイ事だ。それが分からない二人じゃない筈なのに。

  お祖父ちゃんとお婆ちゃんも血は繋がっていないが兄妹だったという話を聞いた事がある。

  その時は「兄妹で・・・」なんて思ってしまったが二人の幸せな笑顔を見ている内にどうでもよくなった。

  むしろよく世間の圧迫に負けなかったと褒めてやりたい。色々誹謗中傷は受けてきたろうにそこまで走りきった二人に
 対しては軽い尊敬の念を持っていた。とてもじゃないが私には、そこまで前だけ向いて歩く自信が無い。


  「でも弟君とさくらさんのは違ってた・・・あんなのって・・・・・」


   それにあの二人の間に流れる雰囲気はお祖父ちゃん達のソレとは違っていた。
 
   最近見せた事のない表情で拳を握って黙り込んでしまう男、それを愛おしく―――痛ぶるように愛を囁いていた女。

   かなりショックを受けた。見たくなかった。ただそれだけを思いその場を私は走る様に立ち去って、泣きそうになってしまった。

   
   さくらさんには悪いが汚いモノを見せられた気分になり吐き気を催したのは記憶に新しい。

   喋っている内容を少し聞いたが・・・・とても酷い内容だ。一方的な求愛と脅し。最初は耳を疑って身を乗り出しそうになり危なかった。
  一方的に相手を苛める様に逃がさない様に追いつめるやり方は獣のソレ。許容出来るものじゃない、狂っている。

   そしてそれに甘んじて受けている様に見えた弟君、完璧な『上下関係』、が出来ていてとても歪な心の通よ合わせに私は見えた。

   だから―――とてもじゃないがそれに弟君が反抗出来る様には見えなかったら今回の事件は驚きだ。今までの鬱憤を晴らす
  かのように鎖を放たれた狼の如く周囲を食い散らし、飼い主の喉笛に噛みつくその暴力性。


   先生方には悪いが私はその姿に、何処か心の奥でホッとしてしまった。

   ああ、ようやく振りきったのか。そう思う程さくらさんと対峙している弟君は可哀想だった見て居られなかった。

   だからよかった、と思う反面その理由も知りたい。あそこまで雁字搦めにされていた理由。それに反逆した理由。
  
   何故そんな泥沼に嵌っていたのか、さっきの騒ぎは恐らくは触れてはいけない琴線に触ったから起きたのか。

   何もかもが分からない事ばかり。当事者ではないので当たり前の話なのだけど何か気になった。そもそもそんな関係になる
  予兆さえ気付かなかった私には何から何まで寝耳に水ばかりな内容だ。

   
   他の人の色恋事に首を突っ込むのは悪趣味だと思うが――――何かざわざわする。むしろただの痴情の縺れだったで済めば
  いいと思ってさえいる。そのざわめきの正体さえ分かれば今感じている謎の『危機感』にも説明が付くのだが・・・・。

   あの二人の争いには何か重要な要因があるように思う私。ただの直感、なんとなくそう思っただけだが無視できない程
  引っ掛かりを覚えていた。


  「気のせいかな。少し、勘ぐり過ぎなだけかもしれないし・・・・」
  
  「あっ・・・・」

  「ん―――あ、由夢ちゃん」

  「どうしたんですか。見周りか何か?」

  「うん。まぁ、そんな所かな。由夢ちゃんは?」

  「・・・・少し考え事です」

  「そうなんだ・・・・」

  「はい・・・・」


   考え事。何を考えてるかは想像が簡単につく。弟君とさくらさんとの争いの渦中に居て巻き込まれていた妹。

   最初保護した時はとても混乱しており肩が震えていたのはついさっきの話。今は大分落ち着いたようだがそれでも顔色が悪かった。
 
   あの場所に居たから当然といえば当然だろう。私でもあの場に居たら平静を保っていられる自信は無かった。


  「よかったら保健室に行く? 担任の先生には私から連絡しておくよ?」

  「いえ、大丈夫です。大分落ち着きましたから。それにこうやって外に出て風に当たってた方が少しマシです」

  「・・・・ならいいけど」


   大丈夫。強がりの言葉にしか聞こえなかった。しかし無理に否定するとかえってこの妹はムキになって怒るだろう。
  
   それに確かにここは風当たりがいいので薬品に囲まれた保健室よりいいかもしれない。校庭の隅だから人通りも少なく
  気を落ち着かせるのには最適の場所かもしれないと思った。

   自分が傍についていようかと一瞬考えたがすぐにその考えを打ち消す。誰にだって一人になりたい時がある。今の由夢ちゃんは
  そういう時なんだろうと私は考えてそこを離れようとして―――少し考えた。

   その場に居たという由夢ちゃん。当然弟君達の会話も聞いていただろう。そして恐らく今の由夢ちゃんが考えてるのは先の一件。

   何を聞いたか、何を言っていたか、今この時聞くべきだろうか。それともタイミングを変えて日を少し改めようか。

   私個人としては一刻も早くこの体に纏わりついて離れそうにない変なざわめきを解消したい。その為にも情報は必要でその情報を
  持っているのは由夢ちゃんのみ。私としては珍しいくらい変な焦燥感を感じていた。

   しかし妹の様子を見てみるととてもじゃないがあの時の話を引き出すのは辛い。せっかく落ち着いて心の整理をしている時に
  また怯えにも似た感情を蘇らせるのは気が引けた。


   結局私は――――その場に留まってしまう。妹の事が大事だと言いながら自分は、自分が安心したいがために妹を傷付けようと
  している。自己嫌悪に陥りそうだ。

   
  「・・・ん? どうしたんですか、お姉ちゃん」

  「え、い、いやなんでもないよ・・・あ、あはは」

  「―――ならいいんですけど・・・」


   そんな私を怪訝な様子で見詰めてくる。何か言いたそうにその場で足踏みをしてるのだから当然な反応か。

   少し視線を空に上げてふぅ、と息を吐き出し少し落ち着く。やっぱり今聞くべきじゃないか。いつでも聞けるだろうし
  今絶対に聞かなければいけないという事は無い。

   時間を置いて聞こう。そう思い別れの挨拶を切りだそうとして―――風が吹いた。いきなりの突風だったので小さな
  悲鳴を上げ目を瞑る。


  「きゃ――――、な、なにっ?」

    
   目を開けると由夢ちゃんも驚いたのか、辺りに目を配らせていた。この時期に突風が吹くなんて珍しい。

   いくら海に囲まれている島だからといってこんな強い風が吹く事はあまりない。大体が増えた建築物で遮蔽されてるのに。

   もしかして台風でもくるのだろうか。空を見上げると少し離れた所で固まった大雲が見える。


  「一雨くるかな。由夢ちゃんもそろそろ教室に戻った方が・・・」

  「―――――――あっ」

  「えっ」


   私が話しかけようとした時、由夢ちゃんは何かを思い出したようにごそごそとポケットを漁り手帳を取り出す。

   何かを思い出したように、どこか焦ってる様子で忙しくページを捲る仕草に私は立ち往生してしまった。

   そしてあるページでピタリと捲る指を止めじっとそこを読むかのように目を左右に動かす。

   内容―――この位置じゃ見えない。一通り読み終えたのかパタッとその手長を閉じ顔を俯かせた。


  「ゆ、由夢ちゃん? どうしたのいきなり・・・・」

  「・・・・・・兄さん」

  「えっ・・・」

  「――――――ッ!」

  「あ、ちょっと、由夢ちゃんっ!?」


   急にスッと立ち上がり校門前に走り出す由夢ちゃんに私は驚きを隠せず狼狽してしまう。

   さっきまので暗い雰囲気から一変して今度は焦るような様子で駈け出して行く妹を茫然としたまま見送る。

   どうしようか。一瞬悩んだ私は結局由夢ちゃんの後を追いかけるように足を前に出して似た様に駈け出す。


   確か弟君の事をさっき呟いていた。さっきの騒ぎの後だからだろうか、私は嫌な予感に囚われていた。

   
   (まゆきにはすぐ戻ると言っちゃったけど―――ごめんね)

   
   心の中で親友に謝罪する。空をちらっと見るといまにでも雲が初音島を覆う様に近くに来ていた。




















  「奥の方に誰か―――さくらさんがいるな」

  「えっ」

  「もしかしたら断念して一回家に帰っているかもしれないと思ったが。そんなに甘くないか」


   そうアイシアに伝え屈む。枯れない桜の木の所に行くには公園の脇道から入るのが一番手っ取り早い。その他の道も
  無いことはないのだが、そうなると獣道じみた所を通らなければいけないので素直に道が出来ている所から入る事にし
  ようと提案した。オレ一人ならともかくアイシアは鈍そうなのでかったるい事態を避ける為だった。


  「何か失礼な事を考えてませんか。それで何でさくらが居るって分かるんです?」

  「よく分かったな。さっきお前が石に躓いて転倒した時にパンツが見えた時の事を思い出していた。お子様な外見だけど
   下着には気を使ってるんだな。見直したよ」

  「な、こ、この義之の変―――」

  「枯れて落ちた木が折れている」

  「・・・・はぁ、もういいです。それでいきなり何ですか」


   周りを見回して空を見上げる。遠くに雨雲があるのが見て取れた。今日は一日中晴天な筈だったがどうやら天気予報は外れらしい。

   この時期にあんな大きな雨雲が出来上がる。確かに可能性は無いことはないが―――オレは少し背筋がぞくっとした。

   ホラー映画じゃあるまいし・・・。そう思って笑い飛ばしたかったが出来ない。もう何が起こっても不思議ではなかった。


  「体重がある奴が踏むとこんな中途半端な折れ方はしない。一本だけならまだしも続けて数本となるとソイツはかなり体重が
   軽い事になる。おまけにこの途中から折れている木、こんなのに引っ掛かる奴なんざアイシアぐらいの身長みたいな奴ぐら
   いだ」

  「も、もしかしたら子供が迷い込んだ・・・とかは?」

  「だったらもっとそこの足跡とこの足跡は間隔がもっと閉じててもいいし、大体ガキがローファーなんて履くかよ。それもこんな田舎で。
   希望的観測はやめたほうがいいぜ」

  「そうですね・・・・少しそうだったらいいなって思っちゃいました・・・・」

  「悪い事じゃねぇよ。むしろこんな時に能天気になって笑ってちゃ話にならねぇ。ま、色々な可能性を考えるのはいい事だよ」

  「義之に褒められるとなんか・・・・気持ち悪いですね、あはは」

  「うっせーって。あとさっきから観察してて分かったが二度も踏まれた木は無かった。奥に行ったまま戻って来ていないって事だ。
   駄目押しに聞こえるかもしれないけどよ――――居るぜ、さくらさん。この奥に」

  「・・・・もう覚悟は決めてます。こうなったら何があっても負けるつもりはありません」

  「オレもそんな気持ちだな。いい加減あれこれ振り回されるのは飽きてきた。それにさくらさんも――――」    

  「・・・・? さくらも、何ですか?」

  「――――いや、なんでもねーよ。ホラ行くぞ」


   そう言って立ち上がって歩き出すとアイシアは慌ててオレの後ろをついてきた。

   それに――――この先をわざわざ口に出して言う事は無いと思った。別に言っても仕方無い事だし不安がらせてもマイナスな事だと
  判断したからだ。
     
     
   さくらさん、もう余裕は無いみたいだ。桜の木の所まで走って行ったみたいだし木の枝に破れたスーツの破片が引っ掛かっていた。
    
  
   恐らくがむしゃらに走ったのか。あの人が一番こういう状況の時は焦っては駄目だという事は知ってる筈なのに木の枝に引っ掛かりながら
  この道を走っていくなんて。

   余裕が無い事は知っていたつもりだがこうやって再確認してしまうと少し手が汗ばむのが分かる。

   追い詰められて余裕がなくなったさくらさんが考える事、予想がつかない。オレよりも遥かに頭の回る人物。

   いつだってあの人に勝てた試しがなかった。だがここで芋引いてても仕方ねぇ、やれる所までやってやるさ。


  「それにしてもよくそんな所見てますねぇ・・・。私なんか緊張しっぱなしでそれどころじゃないですよ」

  「緊張感持たない奴は戦場で真っ先に死ぬタイプなんじゃねぇか。状況にもよるが・・・今の状況で緊張
   してなかったらオレがブン殴ってるよ」

  「は・・・はは・・・。殴られなくてよかったですよ、本当」
  
  「オレは平気で女でも殴るからな。あとよく見てるな、だっけか。オレは別に頭も力も秀でてる訳じゃねぇから周りを見回して
   おく必要がある。状況を観察しなくちゃいけない必要がある。オレだって緊張していない訳じゃないさ。ただそれをする必要
   があるからしてるだけだ。誰にだって出来るよ、こんな事」


   そう言うオレに対してアイシアは「そんな事・・・」と言っていたが無視する。あんまり慰められるの好きじゃないしな、オレ。
  
   近いところに限って言えば頭じゃさくらさんや杏、力じゃ杉並や板橋の方がある。事実だった。だからと言っていじける程昔の
  オレには余裕なんざなかった。

   アレルギーみたいに人と話すのが苦痛だった自分は強くならくてはいけない。社会から弾きだされない為に。

 
   社会というのは人間関係の歯車だ。大人になって経験するものではなく社会というのは既に生まれた時から経験しているものだと
  オレは考えている。

   社会人になってから人間関係に疲れたという人がいるがそれは子供の頃を忘れているだけだ。小学生の時に喧嘩し、疎まれ、好きな
  人が出来、友達が出来た事。これらの事は誰にだって覚えがあるものだ。それを人間関係と言わず何と言う。

   オレはそんな歯車から弾きだされない為にも当時は色々考えていた、可愛くないガキだと思う。でもそうする必要があった。

   恐怖心に駆られたと言ってもいい。なんだかんだいって人嫌いでありながら孤独が嫌だったって訳だ。


  「一人にはなりたいけど輪の隅っこには居たいって事だよなぁ。弁当箱の隅のご飯粒みてぇ」   

  「ん? 何の事ですか?」

  「アイシアみたいに可愛くて愛橋のある嫁さんを作って弁当を作ってもらいたいって言ったんだよ」

  「ふーん。そですか」

  「・・・・やけに淡白な反応だな」

  「もういい加減慣れましたよ。義之は全部自分の思うどおりに動くって思ってませんか? 全く」

  「一応そうなるように強くはなったつもりだからな。でなきゃ今こうして生きてねぇよ。もしこんなオレに
   ならなかったらガキの時に自殺でもしてたのかなって時々考えるな」

  「どんな子供時代送ってたんですか・・・・」

  「普通の子供時代だよ、オレにとっては」

  「義之は昔から女の子をいっぱい口説いてたって事ですかね」

  「今のオレにはアイシアしか見えてないさ」

  「私も義之しか見えていませんね。そろそろさくらの顔を視界に捉えたいです」

  「そんな悲しい事言わないでくれ。汝、隣人を愛せよって昔の人も言ってるじゃないか。オレはそれに
   従ってるだけだよ」


   いつから宗教家になったんですか、と言うアイシアの軽口を流しつつ前を見据える。

   さて、もうちょっとで開けた場所に出る。そこにさくらさんは居る筈だ。

   枯れない桜の木の近くに居るって事はゲージマックスな状態か。まさにボスキャラみてーだなオイ。


  「・・・・じゃあ、行きますよ義之」

  「ん、ちょっと待てアイシア」

  「え、どうしたんですか?」

  「このまま行くのはちょい自殺行為なんじゃねぇの? お前、さくらさんと真っ正面から対峙して勝てる自信あるか?
   口でも腕っ節でもなんでもいい。一つでも勝てるって言い切れるものは持っているか?」

  「そ、それは・・・・でも義之は正面から対峙してもらうって・・・・」

  「そこでだ、アイシア」


   そう言ってオレは頭の中で考えていた事をアイシアに話した。

   それを聞いたアイシア――――顔を歪めてとても嫌そうな顔をする。

   オレはそんな顔をする可愛い売り子ちゃんに笑顔を向けてやった。 














  




  「へぇ、珍しい顔を見たな」

  「――――お久しぶりです。さくら」

  「久しぶり。今までどこに居たの? 初音島に来たのってもしかして最近?」

  「二週間前ぐらいですかね。そこで人形売りなんかをやってます。売り上げは、まぁボチボチですね」

  「へぇーそうなんだ。せっかく来たんだしボク達にでも会いにくればよかったのに」

  「・・・・・・・」


   ダンマリ、か。仕方ない事だと思える。だってアイシアの知り合いともいえる人達は大体歳老いてるか死んでいる。

   または他の町に移転してるかどちらかだ。大体今のアイシアの姿を見たらさぞかしショックを受けるだろう。あの
  時と変わらない姿をしているし。ボクはそこらへん上手い事やってるけどアイシアはそういうの苦手そうだ。まぁア
  イシアが掛かってる魔法のおかげでそもそもそんな事にはなりはしないだろうが。


   お兄ちゃんかボクに会いに来る――――出来るわけが無い。彼女の性格を考えれば有り得なかった。


  「もしかしてまだ罪滅ぼしとか思ってちゃったりする? いい加減自分を痛めつけるの止めたら?」

  「ご忠告どうも――――別に罪滅ぼしとか考えてませんよ。それに私はあの時の決断は間違っている
   と思えません・・・・まぁ当たりとも言い切れないのが少し口惜しいですが。今も好き勝手にあち
   こち旅なんかしてますよ」

  「皆に忘れられながら? 本当にマゾだねアイシアは」

  「―――――ッ」

   
   ボクの言葉に目に険が宿る。身を乗り出し今にも掴みかかって来そうな雰囲気を醸し出す。

   だが、足に力を入れ急停止。握っていた拳をゆっくり開いて深呼吸一つ。またこちらに目をゆっくり向けた。

   一昔前だったら掴みかかってきたのに。さすが何十年も生きていないか。


  「ふぅん。随分大人しくなっちゃったね」

  「もう何十年も生きてますからね。今の私は大人どころかお婆ちゃんですから。もうそんなにカッカする歳じゃ
   ありませんよ」

  「その落ち着きさを数十年前に発揮してくれてたらなぁ。そもそもそんな風にならなかったのにね」

  「後悔先に立たずですよ、さくら」

  「よく言うよ。殆ど後悔ばかりの人生だった癖に」

  「・・・・耳が痛い言葉です」


   そう言って片耳を押さえ、おどけるように片目を瞑る。随分余裕があるように見て取れた。

   この子も随分成長したようだが――――あんまり構ってる暇は無い。此処に来たという事は『敵』だ。

   義之くんと、ひいてはボクの為に。ここで追い払うか消えて貰わなければいけない。


  「一つ聞きたい事があります、さくら」

  「んにゃ? 何かな?」

  「何故そこの枯れない桜の木は存在してるんですか? 確か一回目はさくら、二回目は私は消した筈です。
   なのに――――どういう事なんですかっ!?」

  「そんなに怒らないでよアイシア。未だにやっぱりそんな感情的な所があるんだねぇ。三つ子の魂百まで
   って言葉思い出したよ」

  「いいから答えて―――――」

  「ボクが咲かせたんだよ。もう一回」

  「・・・・・・・・・は?」

  「やっぱり一人身は堪えちゃってさぁ、誰か呼びたくて――――我慢出来なくて咲かせちゃった。にゃはは」

  「ば、馬鹿な・・・・」

  「ちょっとちょっと、馬鹿はないんじゃないかな。これでも結構頭いいんだよボクは。色々な研究所から
   お呼びがいっぱい掛かってるし実績も数えきれないし・・・・・義之君からも尊敬されてるんだよ?」

  「・・・・・・」


   ああ、義之君はボクが桜の木の力で生み出した子で今は恋人になった男の子の事ねと宣言しておく。

   まさかとは思うが義之君に万が一でもコナを掛けたら堪ったもんじゃないしね。

   全く、お兄ちゃんの血を引いてるとは言えモテるんだから我が息子は。あれ、恋人だっけ。

   まぁ呼び方なんてものはどうでもいい。ただ大切な人というのに変わりはないのだから。


  「さくらは言ってましたよね? 自分の為に魔法を使うなって。あれは嘘だったんですか?」

  「嘘じゃないよ。今も昔も私利私欲の為に力を使う人にはろくでもない結末が待ってる。昔
   の神話に出てくる英雄だって最後はあっけないものだしねぇ」

  「だったら、何故早くその桜の木を今直ぐにでも消さないんですか? もう一回咲かせた事につい
   ては目を瞑るとします。私も孤独というものは知ってますから・・・・。ですが願い事はもう叶ったん
   じゃないですか。もし制御出来なくて諦めるつもりでいるなら私が手伝います。だから――――」

  「そういう訳にもいかないんだよねぇ、アイシア」

  「何故です?」

  「一つしか聞かなかったんじゃないの? にゃあ、さっきから質問ばっかりで喉乾いちゃったよ」

  「・・・・・・・・」

  「まぁいいけどさ、久しぶりの再開だし聞きたい事は沢山あるよね。何故桜の木を枯らせないかって?
   それは――――義之くんの為だからだよ」

  「・・・・・言っている意味がよく分かりません」

  「義之くんが言ったんだよ、この桜を守ってくれって。そうすれば楽しくて仕方が無い将来が
   待ってくれてるって約束してくれたんだ。だから、ボクはこの桜の木を守る」
 
  「桜の木の力に踊らされてるだけです。そんな約束は最初から無かった。さくらはそうやって弱い所に
   付け込まれてるだけ。大体義之ていう人もロクな人じゃないですね、そんな桜の木を守ってやれなん
   て言って。大方何も分かっていない頭の悪い――――」

  
   
   瞬間、桜の木の花弁が一斉に舞う。それはどこか幻想的な雰囲気でもありながらも、今すぐにでもアイシアを
  黙らせようと威嚇するように彼女を中心に舞い踊る。風がかなり強いのか強烈に彼女を包み込んだ。
 
   アイシアの表情―――驚愕と不安を織り交ぜた様な顔をした。少し胸の内がスッとした。



   うん。アイシアが変な事を言うからさすがのボクも怒りそうになっちゃった。あのまま怒ってもよかったんだけど
  あまり無益な人殺しはしたくないんだよね。

   義之君はボクが人殺ししたなんて知ったら凄く心配させてしまう。彼は優しい、ボクはこんなにも強いのに少し
  無理な事をするとまるで大怪我でもしたかのように不安がる。

   だから殺さない。別に死んでもいいのだが――――出来るならどこか遠い国で黙って死んでほしいものだ。

   そう思い足を少し踏み出す。なんか風が出てきたみたいだし寒くなってきた。早く決着をつけたい。


  「義之くんとボクの事なんて何も知らない癖によく言えるね。昔からそうだけど――――アイシアのそういう所
   死ぬほど嫌いなんだ、ボク。いつも知った風な口を聞いちゃってさ」

  「・・・・貴方を止めます。これだけ桜の木の力を扱いこなせるさくらを放って置けません。この桜の木は
   私が枯らせます」

  「またお節介? それとも無駄な正義感かな。ほんっとぉーに変わってないなぁアイシアは。
   そのまま帰ってくれたら見逃してあげたけど・・・・帰らないんでしょ? あ、そもそも帰る場
   所なんて無かったねアイシアは。にゃはは」

  「・・・・・」


   まぁ最初からやるつもりだと分かってたけどね。さっきから少しずつ視界の外に外に足を動かして不意を突こうとしているし。

   生きていくうちにそんな術を覚えるしかなかったのか、それとも誰かにそういう動きを教えてもらったのか。ま、どうでもいいけど。

   策はバレたら策なんて言わない。大体動きが素人すぎる。まるでさっき誰かに教わったみたいにド下手みたいだ。

   ああ、それにしても本当に肌寒く強い風だ。そんな状況でそんな映画を見て覚えた様なおままごとに付き合う程ボクは酔狂じゃ無い。


  「そんな黙ってちゃボク寂しい―――――なっ!」

  「・・・・っ!」


   ボクがアイシアの方向に走り出すと弾けたように向こうも走り出す。視界の左から外れる様に走り出すが直線距離で走るボクと迂回して
  桜の木の所に行こうとしているアイシアじゃそもそも話にならない。ボクが追いつくのが早い。

   それを悟ったのか方向を変えて桜の木から少し離れた所に方向転換するアイシア。馬鹿な、そんな事をして何になる。

   ボクを怖がってそもそも逃げるように迂回したのがまずかった。ボクを突き飛ばしてでも桜の木の所にいけば少しはマシな結果が生まれ
  たものを。桜の木を枯らせに来たのに益々遠くなる桜の木、本末転倒もいい所だった。


  「はぁ、はぁ・・・・・・あっ」

  
   ぬかるんだ地面に足を取られ躓くアイシア。ズシャァーという音が辺りに響き渡る。

   その様子にボクは思わずプッと吹きだしそうになる。まるでコントみたいな流れだったので我慢出来なかった。

   足を滑らせ服は泥まみれ。綺麗な銀髪も一部茶色に変色している。その様子は『正義の魔法使い』とはとても言えなかった。

   ぶっちゃけその情けない様子にクスクス笑いながら、走っていた足を止め、ゆっくり歩き出す。  

   
  「ぷぷっ。なーにやってるんだかアイシアちゃんは」

  「・・・う・・・くぅ・・・」

  「慣れない事するからだよ。もう歳なんだしお互い追いかけっこはよそうよ」

  「・・・・なぜ魔法を使わないで、走ってきたんですか」

  「んー?」

  「今のさくらなら簡単に魔法で私をどうにかする事が出来る筈です。なのになんで・・・・」

  「そんなの決まってるじゃないか」


   もう走る事を諦めたのか、泥まみれのままこちらを見据えてくる。

   この子はボクがこんな行動を起こすのが予想外だったのだろう、少し焦っている様子が見て取れた。

   何でボクが魔法を使わずこうして接近したか。簡単だ。


  「一度思いっきり引っ叩きたかったから。それだけだよ」


   ボクの事はともかく義之くんを侮辱したこの子をはどうしてもボクは許せない。

   憤怒、嚇怒、暴怒・・・・そういったものが体の中で暴れている。余裕があるように見えるだろう
  が少しでも気を抜けば顔が怒りに染まってしまうだろうと自分で思う。

   例え義之くんが許したとしても自分は許せない。最終的には魔法でどうにかするだろうが、その前に
  一度その可愛い顔を痛みで歪ませたかった。


  「変わりましたね・・・・さくら。昔は理知的で感情を優先させる事なんてあまり無かったのに」

  「あまり、でしょ。ボクだって自分の好きな人を愚か者だなんて言われたら頭にきちゃうよ」

  「好きな人ですか・・・・ふふっ」

  「――――何がおかしいのかな。とうとうヤケになっちゃった?」

  「別に、そういう訳じゃないですよ。ただ・・・・」

  「ただ、何?」

  「面白い位に一人相撲してるなぁーって思っただけです。誰かにそう言われた事ないですか?」

  「なっ――――」

  「見ていて、とても滑稽です」


   本当におかしいのかクスクス笑いだすアイシア。何処からか骨の軋む音がした。

   ああ、とボクは手を音が鳴る程握りしめていた事に気付いた。その様子に若干アイシアが驚きと不安の色を見せる。

   歯がギチギチと噛み合いあまりの怒りに肩が震えている。ここまで怒ったのはこの数十年間記憶になかった。


   もういい、魔法なんかそんなもの使ってやらない。

   義之くんとボクの関係を丸ごと否定された。色々あった。中々通じ合わず、すれ違って傷付けたりもした。

   だがそれらの事を乗り越えて今こうして分かり合えたのに・・・・許せない。


   そう思い、アイシアの襟元を掴もうとする――――瞬間、体中に水が波打った。


  















 「・・・きゃっ! な、なに――――!」


  言葉を出そうとしてもあまりの雨と雷に声が消える。息をするのにも一苦労。さっきまで熱が溜まっていた
 体が急速に冷やされていく。

  目を開けようとしてもかなりの大雨みたいで視界を確保出来ない。この時期にこんな天気になるなんて全然
 思わなかった。天気予報なんて見てないが昼間の様子を見る限りありえない。

  久しぶりの晴天で雲ひとつ無い青一色の空。それが今や凶悪な色をした雲が視界を覆っている。

  ―――――視界を覆っている・・・・まさか・・・・? 


 「・・・・あ、アイシアァァアーーっ!」


  叫んでアイシアの姿を探す。声はすぐ掻き消されたがそんな事には構わず喉の奥から声を出す様に叫んだ。かろうじて
 手で目の上を押さえ辺りを見回すがその姿はどこにもない。

  探そうにもこの雨と雷。目を音を封じられた今の状況じゃ見つけるのは至難だった。短く息を吐き元の場所に戻る
 為に踵を返す。もう水たまりが出来ておりパシャパシャという音を僅かに聞けた。

  さっきまで視界を覆い尽くす程の桜の下に居たのならこんな目には合わない。確かに僅かなら濡れるかもしれないが
 大量の花弁と葉、それが何重にも重ねっているあの場なら何も「ああ、雨が降ってきたな」としか感じなかった。

  目を少し開けて上を見上げると其処には何も無い。ちょうどココは桜の木が無い場所であり開けた場所。上空から
 降り注ぐものに対して何も遮蔽物が無い。思わず舌打ちを鳴らしてしまう。

  
  (わざわざ挑発してあそこまでおびき寄せたのか。大体らしくないと思ったんだよ、あの臆病な子が真っ正面から
   ボクに喧嘩を売るなんて)


  心の中でそう悔やむがもう過ぎた事。恐らくアイシアは雨を迂回して桜の木の元に行くだろう。

  だが何も心配は要らない。あの子も確かに結構な魔法の素質があるだろうが・・・届かないだろう。

  それほど今の桜の木は力を溜めてるし、いくら走るのに最悪なこの状況でも二分も掛からないで辿りつける。 
  

 「まったく無駄な事をして。折角のスーツが台無しじゃないか。後で弁償してもらわ―――――」


  言葉は途中で小さな悲鳴に変わった。「うわっ」と声を出し転倒、無様にも先程のアイシアのように顔から転んだ。

  そんな事に構わず急いで起き上がり、駈け出そうにも――――走りだせない。足を見てみると小さいながらも頑丈
 そうな釣り糸が足に巻き付いていた。

  此処を走ろうとすると引っ掛かかるように設置したのだろう。視線を右に向けると木に始点である糸の発端が巻き付けられている。

  簡単な細工の括り罠。小学生でも分かる様な罠だ。だがあの子がこうなるように誘いだして、この罠を設置していた。少し違和感を感じる。

  そこまで頭が働く人間だったかと考え、中断。もう最後に会ったのは何十年も前だ。人が変わるのには十分な時間過ぎる。


 「こんなもの・・・・っ!」


  少し魔法の力で張りを弱くして両手で思いっきり左右に引っ張る。ぷつっと音がして裂けた。それを脇に捨て起き上がる。

  あの子が桜の木の下に行っても何も出来ないのには変わりはない。ただこうやってあざけ笑う様に小細工をされては頭に来る。

  こんなにもコケにして、という怒りがまたふつふつと湧き上がってくるのを感じた。絶対にタダじゃおかない。


 「義之君、安心して大丈夫だから。絶対に桜の木は枯らせない」


  口に出して自身を落ち着かせた。そうだ、ここで焦っても仕方が無い。

  もう結果は分かりきっている。アイシアじゃ何をやっても桜の木は動じない。

  先程の罠で時間を喰ってしまったがアイシアが辿りついても何もならないだろう  

  おまけにここいら一帯はボクの管轄外だ。魔法を使えるもんなら使ってみろ。

  人形を作る事さえ出来ない程ここではボク以外魔法を行使出来ない。


  そう考えサディスティックな笑みが込み上げてくる。無駄な足掻き、無駄な行動。

  先程アイシアは自分の事を滑稽と言ったがどちらが滑稽かは火を見るより明らかだった。


  
  そう考えていると・・・・と、ガラスの割れる音と爆発音が雨音に混じって耳に入ってきた。

  なんだろうと前を見て――――目を見開いてしまった。赤色、炎、それらが桜の木を飲み干そうと纏わりついている。

  
 「な・・・・なんで・・・・」


  勢いよく燃えて辺りにも飛び火している炎の焔。ちょうど木々の中心ににある枯れない桜の木は周囲の木のお蔭で雨が
 あまり通らず消火するのにはあまりにも心許無かった。それも火がより消えないように根元から燃やされてはどうにもな
 らない。火は何の影響も無く轟々と燃えていた。   
   
  桜の花弁と木が燃えて崩れ落ちている場所さえある枯れない筈の桜の木。全然予想していない事態に頭が真っ白になった。
      
  それでもまだ遅くない。魔法でどうにかしようと――――して、その場に居ない筈のある人の姿にまた固まった。


 「あっ―――――」

 「おーよく燃え弾けたな。適当な材料をブッ込んで作った火炎瓶だけど・・・すっげー効果」


  そう言って笑う姿はさっき見慣れた笑みではなく――――してやったりという悪戯めいた笑みだった。
























 「せきらんうん、ですか?」

 「なんでカタコトなんだよ。積乱雲だな。上を見てみろ」


  上を見上げてほえーっと声を上げるアイシア。なんだかそんな無垢な姿に少し可愛いなと思ってしまうが無視する。

  これから先そんな風にぼけていたらさくらさんにサクッとやられちまうぞテメー。

  そう思い「はぁ」とため息をついて説明した。


 「む、なんでため息ついたんですか?」

 「あまりにも可愛らしい様子で参っちまったんだよ。旅先でもそんな無防備だったのか、お前」

 「別に無防備じゃありません。いくら私が子供っぽいとはいえ危ない場所には近寄らなかったり危険区域の情報ぐらい
  調べ得てました」

 「子供っぽいって自覚はあるのな。まぁいい。向こうにある雲を積乱雲って言ってな、近づくと多量の雨と雷、そして
  かなり冷たい風をもたらす最悪なヤツだ。スコールなんかも大体ああいう雲の時に起こる」

 「・・・・ほえー」

 「・・・・まぁいいや。んでお前にはさくらさんをさっき教えた桜の木が密集されていない所に誘いだしてくれ。
  オレはその間色々準備しておくモンがあるからな。最初は真っ正面から行って少し話す、次に挑発して・・・
  って流れだな。簡単だろ?」

 「何故そこに誘い出すんですか?」

 「さっき言った雲があと何十分かでここにくるんだよ。大きさからするとかなり激しい雨と風が降り注ぐからな、そこに
  追いこめばオレがやろうとしてることに少しは時間稼ぎが出来る。振ってきたらすぐ身を隠して何処かに隠れてろ。後
  はオレに任せていい、ちゃんと仕事してきてくれよな」


  この時期には確かに珍しい事だった。大体ああいうのは夏に来るものが定番でオレも最初は情けない事に不気味がっていた。

  だが初音島にしては珍しくここ最近は晴天だった。急激な温度差、上昇する気流、あの雲が出来る条件は揃っていたみたいだ。

  それに冬も起きる時は起きる。日本海側ではよく起きている現象みたいだし可能性は無いことはなかった。

  最初はホラーみてぇだとビビった自分がおかしくてしょうがない。

  『冬の積乱雲』、この現象は起こるべくして起こっていた。

  
  ツイている。この場面でこういう天気になってくれた事に感謝してもしきれねぇ。今からオレがやる事は結構目立つ作業だし
 バレてはいけない。
 
  足音とか物音は強風が消してくれるし、雲が近くに来て暗くなれば学生服のオレは動きやすいからこれ以上ないぐらい理想な
 環境がこれからやってくる。
  


 「私に出来ますかね・・・・挑発。きっと抜き打ちでどかーんて魔法でやられそうですよ。さくらって感情的にならないしきっと
  挑発に乗らないで問答無用に攻撃してくると思いますが」

 「いや、乗るね」

 「言い切りますね」


  あまりにもオレが断言するからか少し顔を引き攣るアイシア。

  アイシアから見れば根拠の無い言葉に聞こえるのだろう。この作戦で一番危ない目に合うのは彼女だ。

  自身が危ない目に合うのにそんな確実性が無い事を・・・・とか思ってるに違いねぇ。


 「あの人は根本的には熱くなりやすい性質だ。いつも冷静に物事を判断しているように見えるが激情な所がある。
  オレの悪口いっぱい言ってればその内乗っかってくるさ。オレの悪口、得意だろお前」

 「・・・・言った瞬間光になりそうですけど。私が、物理的な意味で」

 「さっきも言ったろ激情な女だって。きっと言った瞬間追いかけまわして張り手の一つでもかまそうとするかなぁ」

 「うう・・・怖いです」


  想像したのか肩をぶるっと震わせる。そりゃおっかねーだろうな。オレもこえーし。

  まぁこれからオレがやる事はアイシアに出来ないだろうし仕方が無い。精々勇気を出してもらうか。

  そう思いオレはここに来る途中に家に寄って持ってきた荷物をバックから取り出す。


 「さっきから聞こうと思ってましたがなんですか、ソレ」

 「オレ特製の火炎瓶の材料だな。あと家の裏からさくらさんが実験で使う薬品をちょっくらパクってきた。結構値が
  張るモノだけど渋ってる場合じゃねーし・・・・ま、緊急事態って事で」

 「・・・・あのー、もしかしてそれを・・・・」

 「桜の木にぶつけるんだよ。聞けばさくらさんもお前も手に負えない程やべぇらしいじゃねぇか、あの木。
  だから燃やす。いや、それにプラスさせて爆発させる」

 「なんて非常識な・・・・私達があれを枯らすのにどれ程・・・・・」


  なんかブツブツ言いだしたアイシアを無視して荷物を確認する。

  慎重に運んで来たつもりではいるがかなりそれを背負うというのは冷や汗ものだった。

  硫黄と塩素酸カリウムの液体が詰まった瓶二つ。職質されれば高確率で逮捕モンの劇薬だ。

  ていうか衝撃で爆発しなくてよかったぜ本当に。一応厳重に保護されてるから大丈夫だとは思ったけどよ。

  ただガソリンと灯油の混じった火炎瓶もどきじゃ物足りないと思ったけど・・・・やりすぎたな。

  それ以外にも一応次策として色々やっておきたいし、アイシアには本気でやってもらわないといけねぇ。


 「オレが頃合みて合図・・・手を振るからその時に思いっきり悪口言って誘いだしてくれ。一応こうやって
  足を話してる時に相手の視線から逃げるように動かせばすぐ動けるし、相手よりも早く動けるからそんな
  調子で追いつかれない様に頑張れ」

 「・・・・はぁ、今日は厄日です」

 「わりぃな。後で熱いキスでもしてやるよ」

 「そんなものいりません。お金下さいよ、お金」

 「がめついのな、お前」

 「一人であちこち旅してればこうもなりますよ。お金はあって邪魔なものじゃない、むしろ最低限必要なものですから」

 「魔法使う女の子らしくない台詞だが概ね賛成な意見だ。だが今のオレは貧乏だ。今度無事に帰れたら一緒に店番
  してやるからそれで許してくれ」

 「・・・・・・んーーーー、まぁ、それで許してあげますよ」

 「あ?」

 「じゃあ私ちょっくら行って来ますから後の事頼みましたよ」

 「・・・・おう」


  てっきり今までの流れからして断られると思ったけど・・・・どんな心境の変化だろうか。

  颯爽と行くアイシアを見て一息つける。あんな女の子に任せるんだからオレもしゃきっとしねぇとな。

  そう思い薬品をいくつかもって静かに歩く。アイシア、怪我すんなよ。   




















  さくらさんに向かって皮肉った笑みを向けた。さくらさんは茫然としてオレを見ている。

  オレは余裕そうにしているが、内心心臓はバクバク言っていた。思ったよりも爆発が大きく、少し制服が焦げている。

  木の根元に先程挙げた薬品の瓶を置いてそこに火炎瓶を投げたはいいが―――予想以上だった。大体こんな事したの人生
 で初めてだっつーの。もう二度とやらねぇ・・・。やっぱり素人の浅知恵でやるもんじゃないな。

  知識はあったがやるのは初めて。デモ行進する予定なんか無かったから記憶の隅に追いといたが役にたった。

  まぁ投げた瞬間一応木の陰に移動しておいてよかったと思う。あのまま居たら飛び散ったガラス片で串刺しになってぜ。

  冷や汗がドッと出たが、まぁ、こうして無事なんだから作戦は成功かな。アイシアの姿は見えないが適当に
 隠れてるのだろう。

  


 「なんでこんな事・・・・義之君はこの桜の木を守ってくれって言ってたじゃないか」

 「あ?」

 「なのになんでボク達の幸せを壊すような事するの? 桜の木が無いとボク達は幸せになれないんじゃ
  なかったの? ねぇ」

 「・・・・何を言ってるかさっぱりだぜ、さくらさん」

 「嘘ついたのかな・・・・いや、でもこの子がそんな嘘・・・・」


  一人で何かブツブツ言いだしたさくらさんに声を掛けようとして――――止めた。

  あの人にはもう何も見えていないだろう。桜の木の力で暴走して被害を出してアイシアを痛めつけようとしたさくらさん。
 もう正気じゃなくなっていた。目の色合いがそれを証明してみせていた。

  しかし、確かにさくらさんにも原因はあるだろうが・・・・それがオレに対しての好意なら怒るに怒れない。

  
  結局オレも求めに応じたのだし責は自分にもあった。さくらさんが処断されるというのならオレもそうだろう。

  ずるずるとさくらさんと関係を持ちとうとう今日に至った。その間にオレは何をしていた、何もしていなかった。

  苦しんでいるさくらさんを一人にさせて自分だけ苦しんでいる振りをしてないがしろにしてしまっていた事に関して
 は心の底で責任感を感じていた。

  だがそれらの事はちゃんと償う。美夏には少し悪いが当分さくらさんの傍に居てやろう。かえって苦しませる事に
 なるかもしれないが・・・・とてもじゃないが一人っきりさせて皆と居る事はオレには出来なかった。


  「帰りましょう、さくらさん。もう全部終わったんですよ」

  「・・・・?」

  
  オレの言葉にさくらさんは子供の様に首を傾げた。目の色―――何を言ってるか分からないと言っていた。

  オレはため息をつきたいのを我慢して桜の木の方に顎をしゃくった。それにさくらさんも釣られて目をやり「ああ」と
 納得したような呟き声を上げる。

  燃え盛り木々も枝も崩れ落ちて、とてもじゃないが目を向けられる惨状じゃない。もう見る影もない枯れない『筈』の桜 
 の木。オレとしては何も感情は湧かない。色々世話になった木だが・・・・さくらさんの事を考えると憎しみさえ湧く。

  そうして視線をさくらさんに戻す――――と、背筋が凍った様な感覚がした。

 
 「ふふ、なーんだ。そんな事か」

 「・・・・・どういう意味、ですかね」


  さくらさんの表情、笑っていた。何かに気付いて安心しきったような穏やかな笑み。

  あまりにもこの場にそぐわないその笑みに知らずしらずの内に足が後ろに下がっていた。


 「うんうん、そうだよねぇ、義之君が嘘付く訳無いし。ごめんね義之君? ちょっと疑っちゃった。でも安心して
  いいよ、桜の木はなんともないから」

 「いい加減現実に戻って下さい。桜の木は今こうしてオレが――――」

 「ほら、なんともないでしょ?」

 「・・・・・・・・・えっ?」


  思わず間抜けな声を出してしまう。さくらさんが指差した方向――――何も起きていなかった。

  桜の木は依然変わらず立派に咲いているし覆う花弁も散っていない。そう、何も無かったみたいに咲いていた。

  馬鹿な、もう半焼したと言ってもいいぐらいにボロボロだったのに・・・・オレがほんの少し目を離した隙に
 こんな事が起こるのって―――――


 「・・・・・・くそったれが。魔法っつーのはなんでもありかよ」

 「だから魔法って言うんだけどね、義之君」

 「・・・・・・チッ」


  なるべく気付かれない様にさくらさんの方にじりじりと詰める。
 
  かなり上手くいったと思ったのに全部無かった事にされて少し虚脱感を抱いた。

  だが策はこれだけじゃない。たった一つだけで挑む程オレは馬鹿じゃない。


  だから、次の手で・・・・・・ 


 「確かにスタンガンとか効きそうだよねぇ、ボク水溜まりの上に居るしさっきの雨でびしょびしょになったし。
  それをここに投げれば一気にビリビリになっちゃって気失っちゃうかも」

 「・・・・・・・・」

 「ああ、落とし穴も掘ったんだ。それも雨が降ってカモフラージュしやすいように土をある程度ほぐして。
  深さからすると・・・・片足が捻挫で動けなるぐらいか。落とし穴掘るにも今は許可証が無いと駄目っ
  て知らないの、義之くん?」

 「―――――マジかよ」

 「マグネシウムと発炎筒を使った閃光弾もどきかぁ、ボクも興味本位で作った事あるよ。でも大変だったんじゃない?
  初めて作ると分量配合とか分からないし下手して光ったら網膜焼けて失明しちゃうし。そんなの作って逮捕
  された人もいるから・・・・あんまり作らないでね、そういうの」


  全部ばれてる。アイシアにも教えていない事の筈なのにさくらさんは見通したように当てて見せた。

  悪戯を見つけた子供の様にクスクス笑うその姿に体から力が抜けていくのを感じた。

  校庭の件みたいに今のさくらさんに近寄るのは博打に近い。近寄った瞬間何をされるか分かったもんじゃない。

  一回やられた事を学習しない程さくらさんは馬鹿でも何でもない。だからこんなに慣れない事をしたっていうのに・・・・・。


 「だよねぇ、図工工作なんて義之君は普段しないし。慣れない事するって結構疲れたでしょ」

 「・・・・・まさか心の中を読めるなんて言いませんよね?」

 「にゃ、そうだけど? 魔法使いなんて言ってるんだからこのぐらい出来てあったり前じゃん」

 「嫌だな。結婚したら浮気なんか出来たもんじゃない」

 「大丈夫だよ。そんなの思わせないぐらい愛するから」

 「それは嬉しいお言葉だけど、たまには火遊びがしたいな。それぐらい許してくれないとこれから先
  身が持たない」

 「火遊びならボクと一緒にしようよ。結構好きなんだ、花火とか」

 「オレは花火よりキャンプとかいいですね。たまには大自然とかに囲まれてマイナスイオンを胸
  一杯吸いたいですよ。クマとか出てきたら怖いから鈴を持ってね」

 「そんな事言いながら落とし穴の方向に移動してるよね。さくらさんには悪いけどしばらくスタンガンで
  眠ってもらって、か。相変わらず抜け目ないね」

 「・・・・さてね」


  もう詰んでるといってもいいこの状況。『次』を考えてもすぐ読まれる考え、どうしようもない。

  考えを読まれすぐ移せる策、そんなものはない。もしかしたらあるのだろうが生憎オレはそんな
 ものを知らなかった。

  だから――――思いっきり走った。来た道へと戻り全速で逃げる。アイシアもオレの行動を見て逃げるだろう。

  
  正面切って戦えるほどオレは力なんかない。勝てないと思ったらすぐ逃げる。でないと無事に帰れる確率がどんどん無くなっていく。

  無事に戻ればまた策は考えられた。そうしてまた状態を整えて来ればいい。今回の事だって無駄じゃ無く、相手の心を読める
 事が分かった。それだけでも収穫だ。

  さくらさんとオレの身体能力じゃ天と地の差がある。心を読まれても逃げ切れる自信があった。

  
  なのに――――― 


 「・・・・・な・・・・くっ!」

 「にゃはは。どこに行こうとしたのかにゃ~、義之君?」


  危うく転倒しそうになる体をなんとかたたらを踏んで耐えて、片膝を付く。

  先程設置した筈の括り罠が何故かオレの足に絡みついている。そんな筈無い。ここに仕掛けた覚えは無い。

  何故―――考える事を諦めた。既に分かりきっている事だ。魔法・・・・なんて舐め腐ってるんだソイツは。

  こんなのなんでもありじゃねぇか。怒っても仕方ないのに思わず舌打ちして心の中で吐いて捨てた。

  
  急いでライターで焼こうとしてポケットを弄る・・・・・・前に目の先に影が落ちた。

  弾かれたように前を見ると何が楽しいのか屈み込んで、笑みを向けてくるさくらさんの顔。思わず顔が引き攣ってしまうのが分かった。
  
  一瞬頭が真っ白になる――――瞬間、さくらさんは小さな手でオレの顔を抱え込みキスをしてきた。


 「うむぅ・・・・ちゅ・・・・ん」

 「・・・・・・ん・・・くぅっ」 

 「んっ、はぁ・・・・・大変だね、義之君。アイシアになんか騙されて」

 「・・・はぁ、はぁ、何を言って・・・・・」

 「アイシアに騙されてるんだよ義之君は。だって義之君はこの桜の木を枯らす訳ないもん。この桜の木が
  あればボク達は幸せになる筈なんだから。そんな桜の木を義之君が壊す訳ないじゃん。きっとあの性悪
  女がそんな風にしたんだね。可哀想に」

 「ふ、ふざけ―――――」

 「だから、さ」

 「あ・・・・」

 「今は、しんしんと、お休みなさい。次起きた時には・・・・全部終わってるから」


  そう言うとオレの体から力が抜けていく感覚がした。

  これはマジィ、最後の足掻きと拳を握ろうとして手に力を入れようとするが既に手は無かった。

  そしてオレは呆気なく――――自分が消えていくのを感じながらこの世から居なくなった。

























 「さて、と」


  義之君を一時的にだが桜の木に還らせた。アイシアに洗脳された彼を元通りにするにはこれが一番手っ取り早い。

  彼には悪いがその中で少しだけ幸せな夢を見てて貰おう。そうすれば元通りになってまたボクに愛を囁いてくれる、

  
  後ボクがすべき事と言ったら・・・・



  「アイシア~出ておいで。何もしないから」

 
  どこに隠れてるのだろうか。辺りを一通り見回してみるが姿が全く見えない。

  魔法で探そうにもきっと見つからない様に対策されているだろう。消えるの得意だもんね、アイシア。

  そう考え――――近くの木を思いっきり蹴飛ばした。木がゆらゆら揺らめいて桜の花が舞う。


  「いい加減にしてよアイシア。あまり遊んでなんかいられないんだからさー。だから、早くて出てきてー」


  苛立つ感情を抑えて声を出す。出来るだけ穏やかな声を出して呼び掛ける。今度は近くの木を思いっきり殴りつけた。 

  ああ、いけない。物に当たる歳でもないのにさっきから当たり散らす様に暴力を振るってしまっている。

  だけど・・・当然の事だと思うよボクは。義之くんをあんなにしたアイシアには少し痛い目に合って貰う。


  そろそろ何十年間も忘れられる存在になって生きてきたんだし、今度からは人に視認出来ないくらい薄い存在に
 なって貰おうかなぁ。

  完璧で完全な孤独を送る。人に一回も認識されずただ生きていく事しか出来ない。確かこういうの生き地獄って
 言うんだけっかな? どうでもいいけど。

  ちらっと桜の木を見上げて、考える。こうやってアイシアを探す事も大事だが義之君の事の方がもっと大事だ。

  強く洗脳されていたらもしかしたら壊れるかもしれない。だから迷っている。アイシアを先に探し出してそれ相応
 の罰を与えるか・・・・それとも義之君が早く元通りになるのを手伝うか。


 「アイシアの事は後でいいかな・・・どうせ初音島から出れない様にしてあるんだし。うん、まずは義之君から
  手をつけよう」


  そうしてボクは桜の木に手を向ける。存在が希薄になっていく感覚。ああ、あまり気持ちいいモノじゃ無いなコレ。

  義之君にこんな思いをさせちゃったという罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。いくら彼の為とはいえ少し嫌な
 思いをさせてしまった。会ったらまず謝らないとな。

  段々存在が桜の木に吸い込まれていくのを感じながらそう考え、ボクも一時的にここから居なくなった。

  この桜の木をどうにか出来る存在はアイシアぐらいだし、例え音姫ちゃんが来てもどうにもならない。

  そう――――気にする事はもう何もなくない。後はボクの独壇場だ。そう思うと心がスッと軽くなるのを感じた。


  桜の花弁が舞い、誰も居なくなった場所で枯れない桜の木が風でゆらめいている。

  もう、雨は上がっていた。









   



[13098] 外伝 -桜― 8話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/09/25 23:16









 「・・・・・のっ、やろう・・・ッ!」

  オレは吐き捨てる様に言葉を吐きながら、先程の情けない自分を振りきるかのように無理矢理奮い立たせた。
  
  手足に感覚が戻ると同時に立ち上がり、体制を整える。さくらさん相手に意味があるかどうか疑問だが棒立ちよりはマシだ。

  手に力を入れてギュっと拳の形を作りどの位の力が入るか確認した。

  大丈夫だ、問題無い。体はどこも怪我をしていない。呼吸も心拍数も何もかも正常通り。

  さっきはさくらさんにしてやられた形となったが、まだオレは生きている。

  生きているという事はまだ取り返しが効く筈だ。もう二度とさっきみたいな無様な醜態を晒しはしない。
  

  


  目は少しぼやけて辺りを見回せないがその内慣れるだろう。いきなり眩しい光を直視したから目が慣れようと
 して一時的に感覚を失っているに過ぎない。

  そうして目もすぐ元通りの機能を果たせるようになり、視界が広がった。オレは腰を落としながら注意深く辺りを
 見回した。何が起こるか分かったもんじゃねぇ。


 「・・・・どこだ、ここは――――って芳乃家の前じゃねぇか」


  見覚えるのある今時珍しい和風の建築物。それがオレの目の前に悠然と立っていた。

  辺りを見回してみるとそこはいつも通りの見慣れた風景。当然だ、オレが毎日見てる光景・・・・忘れる訳が無い。

  さっきまでオレは枯れない桜の木の所に居たというのにどういう事だ。これもさくらさんの魔法のせいか?


 「―――――――くそ・・・・考えてもしょうがねぇ、か。とりあえずアイシアを探してまた作戦の立て直しか」


  とりあえず彼女を探そう。周囲を警戒しながらオレはアイシアの姿をとりあえず探してみた。さっきの今だからかなり神経が高ぶっている。

  そして考えた。オレの傍に居ないとなると、アイシアは今一人っきりという事になる。チッと舌打ちし、一呼吸。

  きっと怯えて何をしていいか戸惑ってる筈だ。こんな状況は想定していなく、またそうなった場合の行動も何も話し合っていない。

  それに――――オレは彼女を守ると言った。嘘はつきたくない。言ったからには守るつもりでいる。

  ただ道端で人形を売っているどこか儚げな少女、そんな女を巻き込んだからにはそれは絶対だった。


 「可能性は低いが桜の木の所に行ってみるか。あいつの事だからもう逃げたかもしんねーけど―――――」

 「あ、兄さんじゃないですか。おはようございます」

 「ん?」


  そうして桜の木の元に行こうとして隣の家から由夢が出てきた。学生服を着ておりこれから登校する呈をなしている。

  ・・・・・登校?


 「何ぼーっとしてるですか、まったく。相変わらず兄さんは――――」

 「わりぃ、少し黙っててくれ」

 「え・・・・」  


  時計を見てみる。時間は七時半、朝の時間帯だ。

  それはおかしい。少なくとも今の時間帯は夕方か夜になる直前の時間帯の筈だ。間違っても太陽が上がり始める頃じゃない。

  一体どうなってやがる。顔に手をやり思考の海に沈んでいく・・・・・が、何も考え付かない。

  魔法と言い切るには何処かおかしい。いや、そもそもおかしいのはこんな事じゃなくもっと別な・・・・・。


 「に、兄さん・・・・どうしたの?」

 「あ?」

 「もしかして機嫌が悪い、とか?」

 「別に悪くねーよ。いつも通り好調だ。ただ少し考えたい事があっただけだよ」

 「・・・・でも、なんだか口調が・・・・・」


  由夢がどこかオドオドしながら、目をどこに向けていいか分からないみたいに視線をキョロキョロ走らせている。

  その様子に少し違和感を感じた。いつもの由夢なら「ふーん、そうですか」で済ます。口調ぐらいでそんな挙動不審
 にならくてもいいのに。

  まるでオレが最初こっちの世界に来た時の反応みたいだなと感じた。そんな初々しい反応を昔のように思い出す。


 「口調はいつもこんなんだろ。それよりも今から学校か、お前」

 「え、ええ。今日は早起きして学校で復習したい事があったから・・・・」

 「そりゃ優等生らしくて結構な事だなっ――――と」

 「あ・・・・」


  懐から煙草を取り出し火を付けて一服。あの状況じゃ吸えなかったしやっと一息つけた。

  由夢が茫然として見てるが何が珍しいのかね。最近だってお前の脇で吸ってたろうに。もう慣れてるもんだと思ったけどな。

  さて、これを吸い終わったら行動を起こさなくちゃいけねぇ。もうあんなツテは踏まず、歩きながら対策を考えるとするか。


 「あの、兄さん、その・・・・」

 「なんだよ」

 「――――いつから煙草なんか、吸う様になったの?」

 「・・・・・はぁ?」

 「前まで吸ってなんかいなかったし・・・・不良さんみたいで、何か嫌だな」

 「前までって・・・・この間だってテメ―の脇で吸ってたじゃねぇか。何を今更に」

 「何の話をしてるか分からないよ。とにかく、煙草は止した方がいいよ。さくらさんとかお姉ちゃん悲しむから。
  それに私も・・・・・」

 「――――何を言ってるんだ、お前」

 「・・・・それじゃ先行ってるね、兄さん」

   
  逃げる様にそそくさと学校の方に向かって歩き出す由夢。その姿に逆にオレが茫然としてしまう。

  意味が分からん――――テレビの影響か、誰かにそう言えと言われたのか、はたまた微妙な女心か。

  いきなり急変した態度にオレは若干困惑気味になってしまうがいつまでもこうして立っている訳にはいかない。

  由夢の様子は確かに気になるがオレにはやる事がある。ますはそれを片付けてから後で死ぬほど気にしたらいい。


 「・・・・・・ってあれ?」


  オレはこれから――――何処に行こうとしてたんだ。浮きかけた足がおぼつかなく、地面を踏んだ。

  大体オレがやる事って何だ。やる事、やらなければいけない事、やらせてはいけない事・・・・何の話だ。

  まるで補助輪を失った自転車のように急に不安な感情が心を蝕む。何かを忘れている、何を忘れてるか忘れていた。

  
 「ちょ、ちょっと待てよ・・・・っ!」

  
  これは絶対に忘れてはいけない事だ、それは分かる。冷や汗が背中を伝わるのが感触がした。焦燥感が身を包む。

  なんだよ。今オレは何をしようとしてたんだ。ボケた爺さんじゃあるまいしすぐに思いだせる筈だ。それにさっきまで
 それに対してオレはかなりの危機感を抱いていたはず。

  オレが危機感抱いたって事はかなりヤバイ事柄な筈なんだ。普段そんなモノなんか抱かないオレが焦り、滅多に動じない
 心を急かさせるモノ。

  分からない。


 「・・・・ぁあああーーーっ!、クソッ!」 


  意味も無く壁に拳を叩きつけるが何も解決にならない。かえって段々苛立ちが重なり頭の回転が鈍くなった。

  だがそうするまでにきっと大事な事なんだ。思い出せ、何でもいい。取っ掛かりは何かないのか。

  周囲を見回しても何も無い。また怒鳴り散らしたい気分を押さえ、とりあえず行動することを思い至る。


 「このまま立ってても仕方ねぇし・・・・とりあえず学校に行った方がいいか。もしかしたら原因が分かるかもしれねぇ」


  動けば何か思い出すだろう。きっとその忘れている事柄を思い出せる筈だ。

  そう思い、足の方向を学校に定め歩き出した。顔を手で覆い昨日までの事柄を思い出しながら。

  ふと視線を前に向けると、そこにはいつも通りの綺麗な桜の花が咲いていた。


















 「ご、ごめんね? 義之・・・・」

 「別にお前が謝る事じゃないし気にする事は無い。むしろ謝るなら後ろでほえ面掻いてる馬鹿女共だ」

 「ほ、ほえ面って何よ~~っ!?」

 「・・・・ふっ、言う様になったじゃない義之」


  涙目になって寄り掛かっている小恋をどかし席に座る。今日は朝から何か違和感に蝕られているというのに・・・・かったりぃ。 

  あの後、何か喉に引っ掛かった様なものを感じながら教室に行くと、雪村達がオレを見て何かひそひそ話をしていた。

  まぁろくでもない事は想像ついていたので無視して椅子に座ろうとしたその時――――小恋がオレの胸に飛び込んできた。

  飛び込んできたと言うのは少し語弊があるかもしれない、実際は後ろの馬鹿女二人に押し出されてそういう形になっただけだった。

  全く、ガキじゃねーんだから少しはお淑やかになって欲しいもんだ。


 「あーーーかったりぃな、くそっ」

 「んー? 何かあったの義之くん?」

 「別になんでもねぇよ。相変わらず茜のでかパイは見事なモンだと感心しただけだ」

 「え、な、い、いきなり何言うのよっ!」

 「・・・・・・・あ?」


  オレの言葉に耳まで赤くして怒鳴るように言葉を吐き出す茜に、少しばかり驚いてしまう。

  オレとしてはいつもの感じで軽口を叩いただけだというのに茜の反応はいつものと違っていた。

  顔を紅潮させ少し涙目になっている茜。そんな初めてみる茜にすぐ反応出来なく、茫然としてしまった。


 「義之、今のは貴方が悪いわ。いくらなんでも言っていい事と悪い事があるでしょ?」

 「それは理解してるつもりだがな。別に今更そんな事で目くじら立てるもんじゃねぇだろ、雪村」 

 「・・・・雪村?」

 「何か変な事でも言ったかよ」

 「―――――そうね。あえて言うならば今の義之は少し変よ」

 「変なのは昔からだ。自分が変わりモノだと自覚しているし周りもそういう目でオレを見ている事も自覚
  している。今に始まった話じゃ無いね」

 「いえ、そういうのじゃ無くて・・・・」

 
  何か言いたそうな雪村を見て何か違和感。話が噛み合っていない。今までもそんな積極的に話をした事は確かに
 無いが最低限意志の疎通は出来ていた筈だ。

  お互いの間に変な間が流れている。なんだ、この上手くパズルが組み合わさっていないような感覚。

  朝からそれは感じているが今のやりとりでもっと意識してしまう。お互い相手を見ているのに目線は明後日
 の方向を向いているみたいで、居心地の悪い気持ち悪さを感じていた。


  大体茜とは前から――――って、あれ? そんなにオレと茜って仲良かったっけ?

  確かに昔からつるんではいるが最低限の線引きはあった筈だ。

  なのに・・・・あれ?


 「と、とりあえず謝った方がいいと思うよ。義之」

 「・・・・・あーそうだな、悪かったな茜」

 「わ、分かればいいのよ・・・・・もう」


  小恋に言われ素直に頭を下げる。その様子に茜は渋々許してくれた事にホッと一安心した。

  いくらなんでもさっきのは無いか。親しき仲にも礼儀ありって言うし。むしろ頭下げたぐらいで手打ちしてくれた
 茜に感謝しなければいけないぐらいだ。

  今日のオレはどこかおかしい。意味も無く焦燥感に囚われ苛立つし暴言に近い言葉も吐いてしまう。


 「雪村も悪いな。少し空気を悪くしちまって」

 「別にいいわよ、誰にだって虫の居所が悪い時があるわよ。それと―――――」

 「ん?」

 「雪村なんて他人行儀な名前で呼ばないで頂戴よ、座りが悪いわ。いつも通り杏でいいわよ」

 「――――――ああ、そうだったな。『確かに』そう呼んでたもんな」

 「そうよ、もう」


  そう言って椅子に座り演劇部の物であろう台本に目を通し始めた。各々もHRがそろそろ始まるからなのか
 席について一時限の授業の準備をし始める。

  ああ、本当に今日のオレは参っているみたいだ。友人の呼び名まで忘れちまうなんて。そこまで痴呆になった
 つもりはないんだがなぁ・・・・はぁ。

  こんな参っている気分の時は美夏をからかうに限る。あいつと面白おかしく話してればこんな気分も吹っ飛ぶだろう。


 「なぁ、杏」

 「ん? 何よ」

 「美夏って時々お前の部に顔を出すだろ? 何か迷惑掛けてないか?」

 「・・・・・え?」

 「一応オレが保護者みたいなもんだからよ。あいつが悪さすればオレに火の粉が掛かって―――――」

 「ねぇ、義之」

 「あ?」

 「美夏って・・・・・誰?」


  














   


 「ぐ・・・ぅ・・・」

 「全く、年下のガキの癖に調子に乗ってからだよ」

 「だよなぁ。前からこいつの事一発ブン殴りたかったしなんか清々するな、オイ」


  襟元を掴まれ無理矢理立たされた。そして壁際に押しつけられ蹴りを入れられる。その衝撃に思わず吐きそうになった。

  その蹴った相手は本校の先輩。お世辞にも柄は良く無く、安っぽいピアスを二つほどつけていた。何が楽しいのか分からない
 が表情は愉悦に歪んでいる。

  最初にオレを殴った茶髪の男は脇でそれを見詰め、またも可笑しそうな顔で笑っている。

  その様子にオレはため息をつきたいの我慢して何故こうなったのか場違いながら思い出していた。


  あの杏の発言に何かショックを受けたみたいにオレはどこか機嫌が悪かった。

  いや、機嫌が悪いと言うよりも不安というか寂しさというか、悔しさというか。そんなものが心の中で荒れ狂っていた。

  何故そういう気持ちになるかさえ分からない自分に更に腹が立つ。無限のループみたいにそういう思いが堂々巡りしていた。

  だからだろう、通りすがった先輩にぶつかって声を掛けられても気付かなかったのは。

  そうして校舎裏に連れてかれて現在に至るという訳だった。全く、今日は厄日だな本当。

  
  それにしても、こいつら――――――舐めてるのかオレを。


 「・・・・・・うっ」

 「な、何睨んでんだよてめぇっ!」


  オレの表情を見て顔を引き攣らせる男二人組。それはそうだ、そこいらのチンピラなら逃げ出す様な般若みたいな顔をして
 睨んでいるのだから。

  舐めやがって――――暴力的な感情が段々身を包むのが分かる。いつもの感じだ。こいつらを叩きのめしたくてしょうがない。

  こんなカス共に良い様にやられて黙ってる訳が無いし、そのオレの腹を蹴りやがった足をもぎたくて仕方が無い。

  だからいつも通りに、こいつらを・・・・・いつも通り・・・・・・・いつも通り?


 「こ、この野郎っ!」

 「ぐっ――――!?」

 「は、はは。ビビらせやがって・・・・大した事ねぇじゃねぇか」


  いつも通り・・・・オレは何をしようとしたんだ?

  喧嘩なんて強い方ではないし、そこまで暴力的な人間だったろうかオレは。

  それに相手は二人だ。いくら運動神経がいい『俺』でも自分より体格がいい二人の先輩を倒すなんて無茶な話だ。

  なのにオレはこいつらを叩きのめそうとした。なんて自信過剰なんだ。身の程を知らなさすぎる自分に腹が立つ。

  そう思っているうちに男は気を戻したのか、更に殴りつけてきた。


 「大体周りに女はべらせていい気になってる男なんてこんなもんか、なぁ?」

 「そうそう。今みたいになーんも出来ない癖にそういうのは得意なんだもんなぁ、いやぁ、今殴ってやってるのも
  教育ってヤツ? もっと男は強くならなくちゃダメだからな~」

 「オレ達はとても優しい先輩だからな。感謝しろよ、桜内?」

 「こらぁーっ! 何やってるんだお前らぁぁあああっ!」

 「ん? げ、まゆき・・・」

 「くそ、面倒くさい奴が来たな。オイ」

 「あ、ああ」


  張りのある女性の声―――まゆき先輩が来たと分かった途端、男二人組は弾かれたように俺なんかに目もくれず逃げ出して行った。

  この学校では生徒会の権力は強く、その中でもまゆき先輩は生徒会長よりも恐れられていた。

  穏やかな生徒会長の音姉と違って体育会系のまゆき先輩は取っ組み合いも強く、またその強気な性格もあって
 意見出来る生徒なんか限られている程だ。

  男二人組を逃がしたのが悔しいのか、小さく舌打ちをして俺の前に走ってきた足を止め、ため息をついた。


 「まったくアイツらときたら。今度会ったらとっちめてやる」

 「はは、すいませんまゆき先輩。格好悪い所みられちゃいましたね」

 「そうだね――――と言いたいところだけど相手が二人じゃ弟君も分が悪いか、大丈夫? 怪我していない?」

 「まゆき先輩が来てくれたおかげでどこも大丈夫っすね。ありがとうございます」


  少し腹と頬が痛むが怪我という程じゃない。少し休んでれば治る程度の怪我だった。

  それにしても本当に格好悪い所を見られた。羞恥心で少し顔が赤くなるがまゆき先輩はそんなオレを見て見ない振りをしてくれる。

  全くありがたい。これでも男なんだからという小さなプライドぐらいはあった。一方的にやられた所を女性に見られたとあっちゃ
 顔も赤くなる。

  やれやれ、まゆき先輩もいるという事はエリカもその内来るだろう。まゆき先輩が直々に指導していて最近付きっきりだしな。


 「エリカに見られたらすげー恥ずかしいな、これ」

 「ん?」

 「あ、いや、エリカの事ですよ、あいつに見つかったら何て言われるか分かったもんじゃない」

 「・・・・エリカ? 誰それ」

 「・・・・・・え?」

 「生徒会の誰かの事? それとも友達? 私の知ってる範囲でエリカって名前は・・・・居ないなぁ」


  眉間にシワを寄せて考える素振りをするまゆき先輩に――――俺はまたもや言いようのない絶望感に囚われる。

  ああ、本当に今日の俺はおかしい。居もしない人の名前を呼んで勝手に失望して。なんなんだ今日は。

  ため息をつきたいのを我慢してふと視線をあげると、何故かまゆき先輩がこちらを見てニヤニヤしている。

  俺はそんなまゆき先輩の顔を見て少し後ずさりした。この人がこういう顔をする時は大抵ロクな事を考えていない。


 「な、何ですか?」

 「んーっふっふっふ。もしかして今言った女の子って、弟君の好きな女の子の名前かな?」

 「・・・・なんでそうなるんですか。勘弁して下さいよ」

 「いやいや、隠す事ないでしょ~。弟君だって男の子だし好きな女の子ぐらい出来るのは自然の摂理だよ、うん」

 「どんな摂理ですかソレ」

 「音姉といい弟君といい、あんた達はすごい仲良いからそんな相手が出来るとは思わなかったけど・・・ねぇ?」

 「ねぇって言われても、知りませんってば」

 「よかったらこのまゆき先輩に相談してみなさいなっ! 今なら安くしとくよ?」

 「・・・・金取るんですか」

 「この世にタダなんて言葉は無いんだから当り前じゃん。で、どうなのよ?」

 「だから知りませんってばっ!」


  しつこく構ってくるまゆき先輩を適当にあしらいながら教室に戻ろうと踵を返す。

  先程の一件を引き摺らない様にこういう風に構ってくれるのには感謝はするが・・・・後まで引っ張るんだ
 よなぁこの人。嫌いな人じゃないから尚更言いにくいし。

  それにしてもエリカ、か。一瞬金髪の女の子が笑ってる様な気がしたが・・・・気のせいだろう。


















  お茶を飲んで一息つく。隣でははりまおが眠たそうにゴロゴロしているのが微笑ましい。

  始業の合図のベルが鳴るのを聞いて少し皆に罪悪感を感じるが学園長直々の命令でココにいるのだから仕方ない。

  昼休み学園長室の前を通りすがった時にさくらさんに捕まり、押し込められる形で学園長室に入れさせられた。

  先の喧嘩―――どうやらまゆき先輩がさくらさんに報告したらしい。それで事情聴取と相成った訳だ。


 「もう。次やったら退学にするんだから。その子達」

 「はは、何もそこまでやらなくていいですよ」

 「でも・・・・」

 「喧嘩に負けて先生にチクり、そしてその生徒を退学させた。格好悪いったらありゃしませんね」

 「・・・・・まぁ、義之くんがそこまで言うんだから納得するけど」


  どう見ても納得していなく、ぶーたれているさくらさんを見て苦笑いする。そこまでやってもらったら本当に情けなくて仕方が無い。

  最初話を聞いた時かなりご立腹で殴り込みに行くと言わんばりの威勢をだすさくらさんを窘めるのに結構時間が掛かってしまった。

  もう授業が始まる寸前だったので急いで行こうとした時に、そこに渡り船という訳ではないがもしよかったら休んでいくかと聞かれ俺は了解した。

  昼を挟んだらなんだか朝の喧嘩の所為か体の筋肉が痛くてかったるくなり、ここで一息つくのもいいかなと思ったからだった。


 「そういえば話は変わりますけど」

 「んにゃ?」

 「なんで俺の足の間に座ってるんですか」

 「えー別にいいじゃーん。減るもんじゃないんだし」

 「・・・・まぁ、別にいいですけど」


  別に座ってもいいんだが、さくらさんにしては珍しい事だ。こうやって甘えるように座り込んでくるなんて。

  昔は立場が逆だったのにな。昔は俺がさくらさんに甘えて―――――甘えて?

  いや、昔からオレは誰かに甘えた事なんか無い筈だ。その為にオレは強くならくちゃいけなくて・・・・。

  またとてつもない違和感を感じた。大事な事を忘れてる気がする。自分を構成する大事なモノを忘れる
 なんて有り得ないのに。

  そう考えている―――――と、視線を感じた。目線を下に向けると何が面白くないのかむーっと唸っている
 さくらさんがこちらを睨んでいた。

  
 「って、うおっ」

 「なぁにしかめっ面してるの義之君はー。こんな可愛い子相手にそれはないんじゃないかなと思ったりぃ」

 「だ、だからって頬を弄り回さないでくださいよ!」


  両頬をつねってくるさくらさんから逃げる様にして体制を反らす。

  しかしさくらさんは何だかそんな俺の様子が楽しいらしく、追う様に体重を乗せてきた。

  無論いくら軽いと言ってもこの状態じゃそんなさくらさんを抑える事は出来ず・・・・


 「にゃっ!?」

 「っとお」


  ぼふっと音を立てて後ろに倒れ込んでしまった。後ろは畳みなので少し受け身を取ればなんてことない。

  少し驚きはしたが、まぁ、さくらさんが怪我をしなくてよかった。俺の胸に飛び込む形となったまま動いていないが
 いきなりの事で驚いているに違いない。

  だから優しくどかそうとして・・・・止まった。胸の間からさくらさんがこちらにジッとした視線を投げかけてくる。


 「・・・どうしたんですか、さくらさん」

 「・・・・・んー。別にぃ」


  そう言って笑った笑みがどこか艶っぽく感じられ思わず目を逸らした。

  意識はしていなかった彼女の体の柔らかさを思わず感じてしまう。目を逸らしている間も視線は感じ続けた。


 「義之くんは、彼女とかいなかったよね?」

 「・・・・何を藪から棒に」

 「ボクが付きあって――――って言ったらどうする?」

 「えっ・・・・」


  思わず視線をさくらさんに戻して、幾分か後悔する。目はさっきよりも扇情的になっていて視線が絡み合った瞬間硬直した。

  これでも俺には最低限の常識ぐらい持ち合わせている。母親みたいな人にそういう目で見られ体が熱くなる事に抵抗を感じ
 るのは当り前の事だ。だから倒れた時、離れさせればよかったと今になって後悔している。

  そうして近付いてくる可愛らしくて熱に浮かされている様に赤く染まった頬。今まで感じた事のない色気のある表情に自分も
 熱を感じ始めてきた。

  
  もう頭もぼーっとしてきて、俺が目を瞑った――――瞬間、
 

 「うにゃっ!」

 「っってぇ!?」


  頭突きに近いヘッドバットを喰らった。

  先程の熱なんかどこかへすぐに何処かへ吹っ飛んでしまい、悶絶するように鼻っ柱を押さえる。

  一体何が――――さくらさんを見ると何か悪戯が成功したような笑みを浮かべてこちらを見詰めていた。


 「もう、エロエロなんだから義之くんはー」

 「なっ!? え、エロエロって・・・俺は別に・・・・そんな」

 「ほら、もう一回抱っこしてよ。ボクあの体制気に入っちゃった」

 「え、ええ・・・・」


  むきになって否定しようとしたら呆気なく躱される格好となってしまい、戸惑う自分。

  さっきの事なんかまるで意識していない様子に何処か面白くない感情を抱きながらももう一回さくらさんを
 足の間に座らせた。

  はぁ、なんで俺がさくらさんに欲情にも似たものを感じなければいけないんだ。異常者じゃあるまいしに。

  俺とさくらさんは母と子。それ以上もそれ以下も無い筈だ。その感情を抱くと言う事はある意味侮辱行為に近い。

  もうさっきの事は忘れよう。一瞬の気の迷いだ。そうに決まっている。


 「ねぇ、義之くん」

 「何ですか?」

 「・・・・・ちゅ」

 「んんぅっ!?」


  そう決めた筈だったのに、不意を突かれたキスに俺はまたもやどきどきしてしまった。さくらさんはその小さな手で俺の両頬を
 掴んでキスし続けている。

  何かを言おうとして、言えなくて。何故だかその行為に既知感を感じて・・・・俺はなされるがままになってしまった。

  何秒、何分、何十分も経った様な気がする。時間の感覚が分からなくなってきた。そろそろ息が苦しくなってきたなと場違いな
 事を考えだした時、俺の両頬から手を離し、さくらさんは笑みを浮かべた。

    
 「・・・・ぷはぁ、にゃはは」

 「な、なにやって―――――」

 「嫌だったらごめんね」

 「えっ・・・・」



  そう言って俺から顔を背けて顔を俯かせるさくらさん。いきなりさっきまでの様子が嘘みたいに肩を落としてしまっている。

  その背中が物凄く寂しそうに見えて、悲しそうに見えて、俺はいたたまれなくなった。

  何を言うべきだろうか。親子同然なんだからこんな事はしちゃいけないと常識を謡えばいいのか。

  分からない――――何を言ったら正解か。言いたい事はもちろん沢山ある。

  なぜこんな事をしたのか、なぜキスをしたのか。言いたい事、聞きたい事がありすぎて何から言うべきか迷う。

  
  しかし、そう考えてる時にも俺は既に行動していた。

  そんなさくらさんを見て俺は思わず抱きしめていた。
 


 「あ・・・・」

 「別に・・・・嫌じゃないですよ、さくらさん」

 「そう・・・・・・」

 「ただ戸惑っただけです、すいません」

 「ボクの方こそごめんね、いきなりこんな事。でも今のキスをしたって事実、忘れて欲しくないな・・・・ボクは」

 「はい・・・・」


  言わんとしている事――――つまりはそういう意味なのだろう。

  抱きしめている腕の中のさくらさんが何だか愛おしく感じられる。元々尊敬していた女性というのもあるし好意は
 持っていた。だから先程のキスも嫌では無かった。

  ただ・・・本当に急な事で答えは出せない。今まで母親同然として暮らしてきたのに意識をすぐ切り替えられる訳が無い。

  だけど、今感じている何処か体験した事のない幸福感を手放す気にはなれない自分がそこには居た。





















 「今日の晩御飯何にしようかっにゃ~?」

 「はは、そうですね。今日は何か肌寒いんで鍋にしましょう。残り物で調理しやすいし後で音姉達も
  来るみたいだから、ちょうどいいと思います。だから今日買うものは調味料ぐらいですかね」  
  
 「おおっ!? 義之君が作る鍋はとっても美味しいから大好きなんだ、楽しみにしてるね!」

 「はい。久しぶりに作りますから張り切っちゃいますよ」


  あれから数日が過ぎた。特にこれといった事も起きなく日々をいつも通りに満喫している。
    
  少し違う事と言えばさくらさんと俺の関係だった。もちろん急に関係が変わるなんて事も無くいつも通りだ。

  ただ時々に空いた間、話が途切れる時なんかに目を合わせてお互いを見詰めてる時間が増えた。

  流れるどこか気恥ずかしくて、甘酸っぱくて、落ち着かない雰囲気。だが決して嫌なモノじゃなくて・・・・。

  そんな微妙な雰囲気に俺は幸せを感じていた。他人には言えない関係だがそれでも構わなかった。そんな時に照れて
 笑うさくらさんを見てるとどうでもよくなってしまう。

  恋人、とは言えないがそれでも俺達は日々を満喫していた。


 「とりあえずいつものスーパーでいいですか?」

 「んー別にいいよ。特にここって決めてた訳じゃないし」

 「じゃあそうしますか」

 「うん!」


  学校の帰り道、いつものように俺達は二人仲良く並んで買い出しに出かけていた。ここ最近の日課となりつつある。

  さくらさんは学園長だから忙しい筈なのにわざわざこうやって俺と一緒に行く事が多かった。仕事の方は大丈夫なのかと
 聞くと「そんな事は子供は気にしなくていいんだよ」と不満気に言われてしまい、それ以上聞く事が憚られてしまった。

  まぁ頭の回転も早いし学校運営の手腕も誰もが認める器量の良さ、きっとうまくやっているに違いないだろうと思った。

  そう思い、懐に手を伸ばして――――――


 「・・・・あれ?」

 「んにゃ? どうしたの?」

 「あ、いえ、なんでも・・・・・」

 「あーもしかして煙草吸おうとしたでしょ? 前にも言ったけど駄目なんだからね、そんな不良さんみたいな事」

 「分かってますよ。あんまり由夢の機嫌を損なうのはかったるいですからね。もうとっくに止めにしましたよ」

 「そういう事なんじゃくて自分の体の事なんだけどなぁ。まったくもう」

 「はいはい分かってますって。ほら、早く行かないとスーパー閉まっちゃいますよ?」

 「あ、こら、ボクの話を聞きなさいっ!」 


  説教が始まりそうだったので俺は逃げる様に足を速める。脇からさくらさんが怒ったようにプンスカ言いながら
 小走りで駆け寄ってきた。

  そう、俺はもう煙草なんか吸うのを止めていた。どうやら由夢がさくらさんにチクッたらしく、それで説教されて以来
 吸うのを止めていた。さっきの行為も癖になっていたもので、俺としても困ってしまう。

  まぁその内治るだろう。あんな高いモノに手を出す程俺は金持ちじゃないし何よりさくらさんが嫌がるので俺は止めざる
 を得なかった。なんだか口惜しい気分はあったが仕方が無いことだろう。

  そしてスーパー前に付いていざ入ろうとした時、少しばかりトイレに行きたくなった俺は外にある手洗い場に行きたいという
 事をさくらさんに告げた。


 「すぐ追うから先行ってて下さいよ」

 「もう、仕方ないなぁ。すぐに来てよー」

 「分かってますってば」


  そう言いトイレに駆け込む俺。まったく、これが気心知れたさくらさんでよかった。

  初デートでもしこんな事やらかしたら情けないったらありはしない。

  そんな事を思い、用を足してさくらさんを追いかけようとして――――珍しいものを見た。


 「へぇ。珍しいな」

  
  そこに居たのは花売りだった。種類は別にそんな多くは無く、むしろちゃんとした花屋さんに行けば望むモノは手に入るだろう。

  路上にシートを引き、こじんまりとしていて俺的には何故か好感が持てた。なんだか慎ましく、買いたい人だけ買えばいう呈を
 なしているその度胸が気に入ったと言うべきか。

  
  だが確かに今時そんな商売をする人も珍しいが何より目立つのが―――――その花を売っている少女の姿だった。


  綺麗な銀の髪、ゴシックな服、大きな緑色のスカーフで髪を止めているその姿。外国人なのは一発で分かった。初音島では外国人
 は別に珍しくないのだがその少女はそれでも何か異彩を放っている様に感じた。

  無機質な表情、感情の無い眼。それらは昔見た西洋人形を思わせる美しさがあった。

    
 「こんにちわ」


  気が付いたら声を掛けてしまっていた自分に驚く。そんな行動を起こす自分ではない筈なのだが、別に後悔はしていない。

  なんだか放っておけない気持ちになりつい声を掛けてはいたが別に悪い事じゃないだろう。さくらさんの後を追いかけないと
 という気持ちもあるがとにかく俺はこの子に話し掛けたかった。

  声を掛けられた少女はそんな俺に目線をくれずただ黙ってるだけ。少し微妙な間が流れて顔を引き攣らせたいのを我慢
 しながら根気よく話し掛けてみる事にした。


 「め、珍しいな。こんな所で花売りなんて」

 「・・・・・」

 「あっちの通りにも花屋はあるけどこうやって個人でやってる人は初めて見るかも。昔は結構居たみたいだけどさ」

 「・・・・・」

 「・・・・・あのー」

 「・・・・・」


  駄目だ、反応無し。相変わらず視線を前に配ったまま身動きしなかった。

  もしかして言葉が通じないのだろうかと思ったが花を売っているということは商売をしているという事だ。

  もし日本語が分からなくても身振り素振りでなんとか意志疎通を図るというのに・・・・なんでだろう。

  ふと時計を見るとさくらさんと別れてもう5分も経っている。やばい、最近のさくらさんは約束事に煩いので
 これで遅れらたらまた説教だ。
 
  それにこれ以上ココに居てはさくらさんに心配も掛けてしまうので、多少どころか結構名残惜しい気持ちがあるが
 仕方が無い。話し掛けて置いてなんだがそろそろ行かなくては。


 「あの、いきなり話し掛けてこんな事いうのもおかしいけど、ごめん。俺のこと待ってる人が居るからそろそろ行かなくちゃ」

「・・・・・・」

「暇が出来たらまた来るよ、迷惑じゃなければ、だけど。その時はちゃんと花を買うから、それじゃ・・・・・」 

 「・・・・・」

 「・・・・ん?」

  
  裾を引っ張られる感覚。見てみると少女の手が俺のシャツの裾を引っ張っていた。

  いきなりの事に困惑している俺を余所に少女は商売物であろう一輪の花をバケツの中から取り出し俺の手に握らせてきた。

  その一輪の花――――山茶花(さざんか)?


 「・・・・・」

 「えぇと・・・・・」

 「・・・・・」

 「―――――もしかして、これを俺に?」


  そう聞くと少女はコクっと頷いた。その初めて見た反応に俺はどこか嬉しくなってしまう。

  さっきまで人形みたいに黙っていた少女が初めて見せてくれた動き。それだけで俺はどこか浮ついた気分になってしまった。

  現金なものだ――――さくらさんの事があるというのに。もしかしたら俺は気が多い性格なのかもしれない。


 「あ、ありがとう」

 「・・・・・・・」

 「もし、また見掛けた時は寄るよ。それじゃ」


  そう声を掛け俺はさくらさんが居るスーパーに踵を返した。

  貰った花をハンカチで包み、後ろを振り返るとその少女と目が合い更に嬉しくなった。

  何処かで見た様な気がするが――――どうだっていいか。大切なのはこれからだって昔の人も言っていたし。

  それにしても不思議な子だな。どことなくさくらさんにも似てるし・・・・ああいう子がタイプなのかな、俺。

















 「兄さぁん、飲んでますか~?」

 「絡むのなら他の人に絡んでくれよ、由夢。そこに由夢の大好きな音姉がいるじゃないか」

 「お姉ちゃんなんかどうだっていいですぅ。私はね~・・・・」

 「お、お姉ちゃんなんか・・・・うぅ、由夢ちゃんがとうとう反抗期に・・・・」

 「おーし、義之ぃ! 飲み比べしようぜ、の・み・く・ら・べ!」
 
 「さくらさん。隣に未成年で飲酒してる学生が居ます。どうしますか?」

 「退学かにゃ~」

 「な、なんでオレだけっ!?」


  今日は年末。いつもならさくらさんと音姉達と一緒に初詣に行ったりするのだが今回は違っていた。

  そもそも渉が急遽皆で年末を過ごそうとか言い出したのが今回の発端だ。話を聞くとそんな気分だったという
 ふざけた反応を返してきたのでケツを蹴り上げたのは昨日の事。

  そして―――どこの店にも予約は取っていないし場所も無いと渉は恥ずかしそうに白状した。あまりの計画性の
 無さに皆で呆れ返ってしまった。

 
  そんな話をさくらさんに話したところ「じゃあボクがお店予約してあげるよ」との鶴の一声で今居るお店を借り
 られたのは本当に奇跡に近い。

  皆で頭を下げても下げ足りないくらいだ。特に渉、お前は自分のお金は自分で払えよな、まったく。

  遠くでしょぼんと哀愁を漂わせている渉を無視して俺はさくらさんの横に腰掛けた。


 「それにしてもいいんですか? こんな堂々と飲酒なんかしちゃって」

 「まぁ今日は無礼講という事で。隠れて呑まれるよりはこうやって目の前で呑まれた方が監督しやすいし」

 「ですか」

 「ですよ。ほら、義之くんも飲んで飲んで」

 「おっとと・・・・」

     
  そう言って俺の空いたグラスに酒を注ぎこむさくらさん。なんだか変な気分がするなぁ、こういうの。

  俺も酒は時々飲むが殆どは渉達と隠れて飲む事が多い。だからこうやって保護者公認というのはどこか座りが悪いな。

  周りを見回すと皆好き勝手にやってるらしく、実に楽しそうだった。そんな様子を俺はさくらさんとぼーっと見詰めている。


 「なんだかいいですね、こういうの」

 「そうだねぇ」

 「ええ」

 「義之君」

 「なんですか」

 「ボク達付き合っちゃおうか」

 「いいですよ」


  お互い視線を前に投げ掛けたままそんな会話をした。

  さくらさんは「ありがとう」と言ってまた俺のグラスに酒を注ぎこむ。

  
 「皆には言えないね」

 「そうですね。けどあえて言う事でもないでしょう?」

 「それはそうか」


  フッと笑うさくらさんの頭を撫でてやる。その行為に嬉しそうに頭を寄せてきた。

  さくらさんと付き合う――――もう前から決めていた事だった。別に酒の勢いとかそういうのではない。

  悩んだ。さくらさんと俺は親子、小さい頃からお世話になっている母親と言ってもいいぐらいの関係だった。

  しかしここ最近の俺達の様子を考えるにもうそんな事は言えない。普通の親子ならキスなんかしないし抱き合ったりもしない。

  まだ最後の一線は越えてないものの、恋人がする行為のソレを俺達は頻繁に最近はしていた。

  だからそんな告白をされても俺は何を今更と言った感じだった。さくらさんの嬉しそうな顔を見てると告白を受けた事は間違い
 では無い事がよく分かる。


 「さくらさん」

 「んー?」

 「俺も好きですよ、さくらさんの事」

 「浮気しないでね。義之君モテるから」

 「しませんよ。絶対に」


  そう宣言してさくらさんにキスをした。軽いフレンチキスみたいなものだが、それだけで幸せが身を包むのが分かる。

  一瞬周りの喧騒が遠くになった感じがした。そして何故か感じる後悔のような念。すぐに打ち消した。

  俺も笑ってさくらさんも笑っている。何も不都合など無い。そう、この幸福感に身を任せればいい。

  何も考える必要などないだろう。そうして俺は考えるのを止めた。好きな女の子と付き合えたんだ、あんまりウダウダ
 考える様な男じゃ愛想を尽かされてしまう。


 「義之くん」

 「なんですか」

 「一生、傍に居てね」


  どこか儚げに笑うさくらさんを見て俺は言った。

  そんな風に笑わせたく無くて、悲しむ顔は見たくなくて。

  精いっぱいに気持ちを込めて言った。


 「いいですよ。さくらさんが望むのなら・・・・俺は」





















 「よう。儲かってるか」

 「・・・・・・・」

 「それにしても寒いな。こんな寒空の中ジュースを買いに行かせる友人の気が知れないよ」


  あの後しばらくさくらさんの傍に居たが、由夢がジュースが切れたと騒いでいたので仕方なく窘める事にした俺。

  そしたら「買って来て下さいよぉ、ジュース。兄さんならいけますってばぁ」と意味の分からない言葉を発してきた。
 
  大体誰だよ、由夢に酒なんか飲ませたの。音姉の絡み酒といいこの姉妹は本当に酒癖が悪いったらありゃしない。

  いくらなんでもこのクソ寒い夜の外を歩くのは俺としては勘弁してもらいたかったのだが周りに居た奴らにも煽られて
 仕方なく俺が買いだし係になってしまった。本当に友達なんだろうかアイツらは。


  年末だからか思った以上に明るく、店も開いていて本当によかったと思う。ここまで来て開いてなかったら俺は悲しみに
 明け暮れるしかない。

  そしてようやく買い物を済ませて帰路に着こうとした時、あの時の無口な少女がこの間と変わらない位置で花を売っているのを
 見掛けた。最後に会ったのはあの買い物の時以来か。

  そう考えるともうあれこれ二週間以上前という事になる。もしかしてその間もこの子はここで花を売っていたのかな?


 「そうそう。最近――――ていうより今日の事というかさっきの出来事なんだけどさ」

 「・・・・・・」

 「彼女、と言っていいかどうかはアレなんだけど・・・・うん、恋人が出来たんだ」

 「・・・・・・」

 「さくらさんていう女性なんだけど、とても可愛くて頼り甲斐のある女性なんだ。まさか俺に彼女
  が出来ると思わなかったよ、はは」

 「・・・・・・」


  世間話をするかのように話し掛けても無反応だ。まぁ分かりきった事と言えば分りきった事だけど少し虚しい気持ちに
 なってしまう俺を誰が責められようか。

  少し沈黙に耐えきれなくて周囲を見回してみて、少し気付いた事がある。前まで立派に咲いていた花が半分ぐらい枯れている。

  確かにこんな寒空の中、花をずっと外に出していたら枯れもする。そんな事を分からない女の子にも見えないし、何故なんだろうか。

  しかし俺はもしかしたら、と思った。本当にそんな知識さえ無い可能性もある。パッと見お嬢様っぽいし花を売ってるのも趣味なのかも
 しれない。いわゆる金持ちの道楽というヤツだ。

  その事を聞こうとして、その少女の顔を見詰めて―――――ぎょっとした。


 「お、おい、大丈夫かっ!?」


  少女の顔、かなり青ざめてる事に気付いた。無表情だからそんな気にならなかったが一度気にしてしまうとどれだけ調子が
 悪いのが分かってしまう。

  そして服を見てみると更に酷い。暗闇で分からなかったが洋服は煤けていて、恐らく車が弾いた泥を被ってしまったのか
 所々に茶色い染みとか出来ている。立派なスカーフも今は見る影も無く汚れてしまっていた。

  ただでさえ顔色が悪いと言うのにこれでは本当に見れたもんじゃない。大体肩もよく見たら震えてるし風邪をもしかしたら
 引いてる可能性がある。

 
 「病院は・・・ってこんな時じゃ閉まってるか。なら俺の家にでも連れてって・・・・」

 
  そう思い少女の手を取った。しかしどこにそんな力があるのかどんなに手を引っ張ってもその少女はビクともしない。

  あまりにも手に力を入れ過ぎた所為か顔を歪ませる女の子に、俺は思わず手を離してしまう。

  事情はよく知らないがここからどうやら動きたくないらしい。本当なら無理矢理にでも引っ張って連れて行くべきだろうが
 この少女にその意思が無いのではどうしようもない。先ほどの苦痛に歪んだ顔の事もあって俺は躊躇してしまう。

  なら――――どうするか。このまま放って置く事なんか出来やしないしそのつもりもない。


 「ああ、くそっ! なぁ君、少しそこで待っててくれっ!」

 「・・・・・・・・」


  俺はとりあえずそう声を掛け、コンビニにダッシュした。こんな時間に開いてるこの状況に合った店と言ったらコンビニしかない。

  息を切らしながら入ってきた俺に店員は眉を寄せたが特に何も言いはしなかった。お目当ての物を買いすぐに店を出る。

  その場所に戻るまでに体力を使い切ったか心臓がバクバク言っているが構ってられない。俺よりも女の子の方が辛いに決まって
 いるのだから。だったら我慢出来る。

  そうして戻ってくるとその少女は俺がコンビニに行く前と同じ姿勢で座っていた。あまりにも変わらないその様子に頭がくるが
 それよりも今のこの状態を何とかしなくちゃいけない。


 「はぁ、はぁ、・・・・ん、これ気休めだけど抗生剤。あと温かい紅茶に一応温めたパン」

 「・・・・・」

 「一応ここに置くから。絶対に飲んでくれよな」


  今までの様子からして無理に飲まそうとしてもダメなのは分かっていた。だからその膝元に買ってきたものを置いておく。

  このまま置いて帰るというのも気が引けるが買い出しの最中で俺は家に帰らなければいけない。そんな買い出しなんか
 ブン投げてこの少女と一緒に居ようかと一瞬考え、諦めた。

  一緒に居ても出来る事はもうこれ以上無いしやるだけの事はやった。俺が居てもこの少女はきっと何も変わらない様子で
 この場に居続けるだろう。返って俺が居ない方が買ってきた物に手を付けやすいのかもしれないと考えたからだ。

  だからせめてとも思い、着ていたジャケットを少女の肩の上に掛けてやる。嫌がっていない事に少し安緒し、俺はとりあえず
 この場は退こうと踵を返した。

  
 「じゃあ俺はこれで行くけど、何かあったらこの電話番号に電話してくれ。あと家はあそこの坂道を上った所にあるから」


  皆に渡されたメモ用紙の裏に電話番号を記入してその紙を少女の前に置く。

  反応は薄いがまぁいい。自己満足なだけかもしれないがこの子に頼って欲しい気持ちがあった。

  だからとりあえず、今更だけど名前を名乗った方がいいのかもしれない。  

  
 「・・・・・・」

 「今更自己紹介ってのも変だけど俺の名前は桜内義之。家の表札は芳乃って書いてあるけど、そこが俺の家だ。だから
  何かあったらそこに来てくれればいい。もし誰もいなかったら鍵は植木鉢の下にあるから勝手に入っててもいいよ」

 「・・・・・・」

 「じゃあ俺は行くけど・・・本当にその薬飲んでくれよな。市販のだから効果は分からないけど飲まないよりいいからさ。
  それじゃ――――」

 「・・・・」

 「・・・っと?」


  そうして家に向かって踵を返そうとした時、手を掴まれた。その冷たさに、柔らかさにドキドキしてしまったがなるべく
 表情に出さない様に俺は振りかえった。

  この間と同じように引き留められる格好となった自分。少女は何か言いたそうな目でこちらを見詰めていた。

  目の色合い――――読めない。何を言いたいか分からない。ただいつも通り無機質な目だけどこの一瞬だけは何かを
 訴えているように感じた。

  何を、と思ってる間にまた売り物の花の中から一輪の花を出してきて俺の手に握らせてきた。そのいきなりの行動に
 俺は戸惑ってしまうが、とりあえず押しつけられたようにその花を受け取った。

  一輪の花。今回は紫色のアネモネか。


 「えぇと・・・またこれを俺に?」


  コクっと頷く少女。もしかしてお礼のつもりなのだろうか。そんな見返りなんて求めていないのにと思って付き返そうとしたが
 もう先程みたいに正すまいを直している。この様子じゃ返品は出来そうに無かった。

  とりあえず善意で渡された事に変わりは無い。またこの間のようにハンカチでそれを包みポケットの中に入れた。

  それじゃと言い背中を向けると感じる視線。振りかえるとこちらをジッと見詰めていたので手を振って俺はその場を後にした。
























 「久しぶりですね、こうやってさくらさんと歩くのなんて」

 「えー、いつも二人で買い物とかしてるじゃんっ」

 「そうじゃなくてこうやって散歩する事がですよ。子供の頃はよく散歩に連れてかれましたけど、この年齢になって
  そういう機会もへりましたしね」    

 「まぁ、そういうものだよね、年齢を重ねるって。ボクもまさか義之君と手を繋いで散歩するとは思わなかったにゃ~」

 「はは」


  年末が過ぎ、元旦のゴタゴタが終わりようやく少し落ち着いた空気が戻ってきた。

  こうやって公園を散歩、もといデート出来るのも世間の行事が一段落出来たからと言えた。

  俺とは違いさくらさんは立派な社会人。あれこれ挨拶など顔見せなどで忙しそうにしているさくらさんに何も
 出来ない事に対して歯痒い気持ちのまま正月を過ごしたのは記憶に新しい。

  そんな俺にごめんねと言いながらまた走り回るさくらさんを見て俺がいかにガキかを思い知らせた。

  だから今日の付き合い始めての初デートは、俺が全部奢る事にした。といっても公園を散歩するぐらいだから
 ちょっとした出店でしか活躍出来ないのがなんとも心苦しい。

  まぁ見栄を張ってデート失敗という事態はなんとか避けられたのでよしとするべきか。だが今度も公園で散歩
 というのはいささか味気ないのでバイトでもしてみようと思う。


 「義之君。今、もっとお金あったら楽しい所に行けるのにとか思ってたでしょ?」

 「え、あ、はぁ・・・・そう思ってました、けど」

 「そんなの気にしなくていいんだからね。ボクはこうやって、義之君と一緒に居れればいいんだから」

 「・・・・ありがとうございます」


  男名利に尽きる言葉だ。少し感動して涙ぐんでしまう。だからその様子を悟られない様に顔を少し背けた。

  隣からはクスクスと笑う声が聞こえる。まぁ、結局お見通しなのは分かっていたけど・・・やっぱり恥ずかしい
 ものは恥ずかしい。こんないい歳した男が涙ぐむなんてキモいったらありはしないから、気恥ずかしくもなる。

  手を引かれる感覚。隣を見るとさくらさんはこちらを見て、笑みを深くし――――目を瞑った。


 「はいはい・・・・ん」

 「んぅ・・・・・」
  

  こうして脈絡無くキスを求めてくるのはいつもの事なので別に動じはしなかった。

  あの年末以降、告白の時から距離がずっと縮まった様な感覚がしていた。目も合う回数も増えたし、くっ付く回数も増えた。

  そしてそれに釣られる様にキスも増え――――もう日常と化していた。



 「はぁ・・・・へへ、やっぱり好きな人とするキスは格別だねぇ」

 「そう言って貰えると俺も嬉しいですよ、本当に」

 「で、義之くんは~?」

 「えっ」

 「好きって言ってくれないのぉ?」

 「えー・・・・ゴホン、ゴホン」

 「あーまた誤魔化したなぁ!」


  頬を膨らませて繋いでいる手をブンブン振り回すさくらさんに対して、俺はなんとか嗜ませようとするがジタバタするので
 なかなか落ち着かない。時々この人は俺より本当に年上なのかと言いたくなるほど子供っぽい行動をする時がある。

  それは付き合ってから初めて発見したさくらさんの一面なので、嬉しい事は嬉しいのだが時々困る事が多い。
   
  とは言ってもそれさえも微笑ましく感じるので、ああ、俺はこの人が本当に好きなんだと再認識させられるので
 いいかなと思ってしまっている自分。そんな自分に俺はいつも苦笑いしていた。


 「もぉ、義之君は本当に照れ屋さんなんだから」

 「別にそういう訳じゃ・・・・ないと思います、けど」

 「だったら言ってよぉ、好きって」

 「・・・・・むぅ」


  確かにさくらさんの事は好きではあるが、それを言葉に出して言うのはまだ気恥ずかしい自分が居る。

  それを知ってる癖に時々からかうように好きと言えというのだから困っちゃうんだよなぁ・・・・。

  まぁ、けど、結局言っちゃうんだけどな、俺。惚れた弱みというヤツか。


 「・・・・きですよ」

 「え~? 聞こえないにゃあ~?」

 「―――――ッ! ああ、だから、もう! 好きですよ、好き! 大好きです!」

 「・・・・・にゃふふふ」
   
 「な、なんスか・・・・・その笑いは」
 
 「ん~なんでもないよぉ~。ただ嬉しいなって思っただけ」


  ヤケクソ気味に言ったのにも関わらず、さくらさんは満足したように笑顔になった。まるでさっきまでの様子が嘘のようだ。

  笑顔と言っても何処か含み笑いするような笑みだったが気にしないで置く事にする。からかわれるのは年齢の関係上仕方の
 無い事だと諦めていた。

  しかしいつまでもこうしてはいられない。もっと俺が頼れるような男になればこういう事も少なくなる。せめてさくらさん
 以上に立派な男にならなければいけないと度々俺は思う。


  しかしさくらさん以上の能力を持つ男か・・・・何年かかる事やら。と、俺はその度にため息を付きたくなる衝動に駆られる
 のだった。無理も無い、この人以上の凄い人とか見た事ないしなぁ・・・・。


 「何そんな暗い顔をしてるの、義之君?」

 「なんでもないですよ。それより桜の花、綺麗ですね」

 「んー? まぁ年中咲き誇ってるし見飽きた気もするけどね、さすがに」

 「そうですか? 俺なんか見る度に何かだか落ち着く気がしますけどね」

 「そう?」

 「はい。特に枯れない桜の木なんか・・・・」


  公園から見える満開の枯れない桜の木。未だにそれは枯れる様子なんて無く、まるで『永遠』に咲くかの様に揺らめいていた。


  それを見て――――俺は思わず立ち止まってしまった。


 「ん? どうしたの義之くん」

 「・・・・・・・・あ、いえ。なんでも」

 「ふーん?」


  さくらさんが少し眉を寄せて顔を覗き込むが気にしていられない。

  なんだ、この焦燥感は。何を焦ってるのだろうか俺は。つい最近もこんな感覚を味わった様な気がする。

  忘れている事を忘れているこの何とも言いようの無い奇妙な感覚。頭痛がした。吐き気もだ。

  急に体調が悪くなり膝を付いた。隣で慌てる様に背中をさするさくらさん。頭がぼやけてきた。


 「・・・・く・・・っ・・は」

 「だ、大丈夫っ!? 今すぐに救急車を・・・・!」

 「へ、平気です・・・ってば」

 「何馬鹿言ってるのっ! 全然平気じゃないじゃないか、今携帯で呼ぶからそのままの体勢ね、分かったっ!?」

 
  もう受け答える事が出来ない。手に力を入れても、握る力さえ残っていない。

  いや、それは今日に限った事じゃないような気がする。いつから俺はこんなに弱くなったのだろうかとこんな時なのに
 ふと疑問に思った。思わず苦笑いするように顔を歪めてしまう。

  前まではもっと俺の握る拳は強かった気がした。何の根拠も無いがそう思ってしまう。本当に笑える話だ、前だって今だって
 俺は俺の筈なのにな。なぜそんな事を疑問に思うのだろうか。

  
  枯れない桜の木―――――俺はあそこで・・・・・



 「ほらっ、救急車呼んだからもうすぐで来るよ、だからしっかりして義之君っ!」


  さくらさんが切羽詰まった顔で呼びかけてくるがもう目の前の風景が俺には見えなかった。

  遠くで聞こえてくるサイレンの音。それを聞きながら俺はゆるやかに暗闇に落ちていった。

  ただ、その間際に聞こえた声だけはなぜか聞きとる事が出来たのは何故なのだろう。

  
  そう、さくらさんは確かにこう言っていた――――――聞いた事の無い平坦な声で。


 「早すぎたのかな。もっとゆっくり落とせば・・・・義之君も私も、すぐに幸せに―――――」   




















  あの後病院に担ぎ込まれて念入りに検査された結果、診断はタダの過労という事だった。

  もちろんそんなふざけた理由にさくらさんが激怒し、精密検査を受けさす様に医者に打診したらしい。

  したらしいというのは、その時の俺はベットの中で寝込んでた最中だからだ。聞かされたのは倒れてから
 五時間後というまた微妙な時間に起きた後、さくらさん本人から聞いた話によって知らされたからである。

  最初目を覚まして見たのは涙目でぐしゃぐしゃになっているさくらさんの顔。俺が起きた事を確認すると感極まったのか
 更に泣き出して俺はベットに寝ながら頭を撫でてやった。俺、病人な筈なのにな。


  それから一カ月入院して精密検査でも問題無しと言われて晴れて退院と相成った。

  春休みを殆ど病院で過ごしたという事実にヘコみそうになりながらも、俺は始業式に出る事が出来た。

  さくらさんはもっと休んでていいとは言うがこれ以上家にさくらさんを一人っきりにさせる訳にはいかない。

  その節の言葉を投げかけたら「ばか・・・そんなのいいのに・・・・」と泣きそうになりながら頭を叩かれたのは
 つい最近の事。なんにせよ無事に学校が始まるまでに間に合ってよかったと思う。


 「おいおい、義之。大丈夫なのかよ、体の具合は」

 「おう渉。別になんてことないよ。ただの体調不良なだけだ」

 「ほんとにぃ心配したんだからね~。私達もそうだけど小恋ちゃんなんかショックのあまり首を吊ろうと
  しちゃってさぁ。愛って時々怖いわよねぇ」

 「はは、まぁ、この間見た時はわりかし元気だと思ったんだけどな。人は見掛けによらないって事か」

 「も、もうっ! 義之もからかわないでよ! でも心配したのは本当なんだからね? 体、もういいの?」

 「あら、さっそく体の事を聞くなんて。小恋の大胆さには私も敵わないわね」

 「だ、だからぁ~」


  教室ではいつもの面子が集まり馬鹿騒ぎをしている。多分この光景は来年になっても続くのだろう。

  そう感慨に耽っていると肩に手を置かれる感覚。大体いつものこのパターンはアイツだ、そう思って嫌々振り返った。

  何が面白いのか皮肉気に口の端を歪ませて立っている男、杉並がそこには居た。


 「どうやら地獄は満員だったらしいな、桜内よ」

 「生憎だけどな。しかしなんでたって神様は俺をあの世に連れていこうとしたのかが分からん。普通なら
  お前を連れていくべきだと思うけど」

 「ふむ。して、その心は?」

 「別に。ただ神様が好きそうな人は心の清い人だと思っているからな。善い心を持った俺が死んで
  悪い心を持ったお前が生きているのは不公平だろ?」

 「・・・・くくっ、そうかそうか。俺は悪人か」

 「善人はクリパで爆破計画なんて立てないって。お前は将来外国でテロ起こしそうだな」

 「ふむ、もし起こすならやはりアメリカか。いや、あそこはもう管理が行き届いているから今は北欧が・・・・」

 「北欧でもグリーンアイランドでもいいけど行くなら一人で行けよな」

 「何を言う桜内。行くとしたらお前も行かなくては話にならんぞ。昔の偉人も言ってるではないか
  人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、 悲しみを和らげられる・・・とな」

 「それ、不幸になること前提とした話な。それに航空写真で真っ白に映る所なんざ行きたくない」


  お前は確かにシェイクスピアを好きそうではあるけど俺は別に興味なんてないから願い下げだよ、と伝える。

  それを聞いた杉並は何を満足したのか分からないが笑みを濃くし、教室から出て行った。あいつとも結構な
 付き合いになるが未だにアレの考えてる事が読めた試しが無い。

  まぁあいつの事はどうでもいいか。今日は始業式で早く帰れるから、これからどうするかを考えなくては。
 一番ベストなのはさくらさんと一緒に居る事なんだけど・・・・仕事の邪魔はあまりしたくない。


 「どうすっかなぁ。さくらさんとは昨日家でちょっと話したぐらいだし、もっとちゃんと話して・・・・」

 「あれ、義之。義之も行くでしょ?」

 「ん? どこに行くって?」

 「もぅ、話聞いて無かったの? カラオケだよカラオケ。たまにはいいでしょ?」

 「カラオケ、ねぇ・・・・・」

 「いいじゃねぇか義之。ここ最近付き合い悪いし、たまには俺達に付きあってもいいだろー?」

 「まぁ、無理にとは言わないけどね。私達は」


  そう言う杏だが・・・・確かにここ最近さくらさんになまけてばかりで友人付き合いを疎かにしている節があった。

  杉並の言葉ではないが友人は大切にしなければいけないと少し思う。なにせ昔からの腐れ縁だ。これからも付き合って
 いくことだろう。

  まぁただ単にこいつらと馬鹿騒ぎするのも好きってのもあるけどな。とりあえず帰りが遅くなる事をさくらさんに伝えて
 今日は死ぬ程楽しむ事にしようか。


 「オーケー、一緒に行くよ。それで場所はいつもの商店街のところか」

 「お、今日はノリいいねぇ義之。そうでなくちゃ」

 「場所はいつものところよ。行くならさっさと行きましょう」

 「あーん、待ってよ杏ー」


  そそくさと手荷物を持って出ていく杏を追いかける小恋。それを追う様に飄々と付いていく茜といつもの光景だ。

  いつもの光景。昔から俺はこの光景を見慣れた筈だった。なのに纏わりつく違和感。本当に昔から俺はこの光景を
 見ていたのだろうか。

  いや、止そう。病み上がりで少し参ってるだけだ。またこうやって行動していけばすぐにそんな違和感なんて消える。

  そう思いながら俺もさっさと手荷物を持って教室を出た。


















 「さぁて、今日は何を歌うかなぁ」

 「もう、渉は一度マイクを持つと離さないんだから。今日はそういうの禁止だからね?」

 「わぁーてるって月島。安心しなさいってっ!」

 「・・・・本当に大丈夫かなぁ」


  月島と渉が話してるのを端目に俺はさくらさんにメールを打っていた。

  今日は遅くなりそうだから晩御飯は先に食べていて下さいと。まぁ、いつも遊ぶ時はこういう感じだ。

  メールを打ち終え前を見る、と、何やら感じる視線。茜と杏がこちらを見て何やらにやにやしている。


 「もしかして彼女さんにメールですかにゃ~?」

 「一人身には羨ましい事だわ。死ねばいいのに」

 「・・・・お前ら勝手言うなよな、ったく」

 「じゃあ誰にメールしてたのよ。義之君がメールしてる所なんてあんまり見た事ないけどなぁ、私」

 「そうね。いつも淡白そうにしていて携帯なんて弄る人種では無い事は確か。これは何かあるわ」

 「お前らが俺をどういう目で見てるかよく分かったよ」


  確かに俺はそんなにメールをする人種では無い事は確かだ。

  それなのにここ最近メールを欠かさない様にしている俺を不審がっても・・・・まぁ仕方の無い事なのかもしれない。

  だって付き合い始めてからさくらさん、授業中でもメールしてくるから無碍に出来ないんだよ。だから授業中で
 もメールしている姿を杏とかに見られていたのだろう。

  席も隣だしなぁ。


 「だって、ねぇ?」

 「ねぇ~、杏ちゃん」

 「言ってろよ。大体だな――――」


  音が鳴った。あまりにもといえばあまりなタイミング。茜と杏は二人は更にニマニマしてこちらを見ていた。

  俺はため息をつきたいのを我慢しながら携帯をポケットから出して手に取る。ここで取らないと更にからかわれるのは
 火を見るより明らかだったから仕方ない。

  それしても――――メールじゃなくて電話ときたか。いつもならメールで事足りる筈なのにな。

  若干不思議な思いをしながら通話ボタンを押す。


 「はい、義之で――――」

 「どこにいるの、今」


  一瞬、息が詰まりそうになった。思わず足を止めてしまう。杏達も前を歩いている渉と小恋も釣られて足を止めるが
 気にしている余裕なんて無い。

  さくらさんの声。いつも通り穏やかで明るい声ではなかった。平坦で、感情が読めない機械みたいな声だと頭の奥で
 そう思った。無機質というかさくらさんらしくない声だとも思う。

  固まった喉を動かすのにちょっと咳払いをする。これで少しは喋る事が出来た。


 「渉達と一緒に、商店街を歩いてますけど・・・・」

 「ふぅん」


  茜達と歩いているとは言えなかった。ここでなんとなく女の子の名前を出すのは憚られたからだ。

  しかし人の内面を見通すのに長けた女性だ、俺の思ってる事なんてきっとお見通しなのかもしれない。

  手に何故か汗が出始める。もしかして怒ってるのかと考え、否定した。さくらさんは怒る時は感情をちゃんと出して
 怒る筈だ。だから俺は今こんなにも不気味がっている。


 「義之君さ、一昨日まで入院してから体調万全じゃないんだよね。あんまり無理しないで欲しいなぁ」

 「別に無理なんか、してないと・・・・思いますけど」

 「本人に自覚症状は無くても体が弱って悲鳴を上げてる事なんかよくある事だよ。それに今日は
  ボクと一緒にお散歩しようって約束してたじゃないか」

 「あ・・・・・」


  確かにしていた。夕飯時の話だからすっかり頭から抜けて落ちていたが確かに約束していた。

  それなのに久しぶりの友人との会話で浮かれて忘れてしまっていたらしい。少し罪悪感を感じるが、一方で疑問に思う。

  そこまで――――の事なのか。確かに約束を破った俺に責はあるが、そこまで冷え切った声を出す程の事なのだろうか。

  女性の心を分かっていないと言われればお終いだが、それでもと思う。今のさくらさん、まるで何かを気にし過ぎているかの
 ように感じた。

  その何かは分からないが・・・・このままじゃまずいという事だけは理解出来ていた。

     
 「すいません。その事に対しては謝りますし、今度埋め合わせは絶対します。だから今日は・・・・」

 「・・・・・待ってるからね」


  プツッと切れる通話。俺はそれにしばし呆然とするも、なんとか電源ボタンを押して一息付く。

  結構緊張していたみたいで背中がヒンヤリするが、安緒感も少し出た。今までさくらさんと話してて緊張
 する事なんて無かったのにな。

  そうして俺は後ろを振り返り、待たせていた友人達に今日は行けない事を伝えようとした。

  また付き合いが悪いだの彼女いる人はいいねとか嫌味を言われそうだけど仕方が無い。

  待ってるなんて言葉を聞かされたからには、そうするしかないだろう。


 「わりぃ、今日はやっぱ――――」

 「そうだわ。カラオケは無しにしましょう」

 「・・・・・・・は?」

 「なんで私達カラオケなんかしようと思ったのかしら。帰りましょう」

 「ちょ、ちょっと・・・おい」

 「そうだな。今日は帰ってゆっくり過ごすのが一番ベストだな、月島」

 「そうだねぇ」

 「私もなんだか今日はノリ気じゃないわねぇ」


  さっきまで盛り上がっていた様子が激変したかのように感じた。まるで憑き物が落ちたみたいに帰ろうと言いだした
 友達連中に俺はまたもや茫然としてしまう。

  何かがおかしい所じゃない。もしかして俺とさくらさんの会話を聞いて、もしくは俺の様子を見て気を利かしてくれたのか
 とも思ったがそうでもないように感じる。

  とにかく俺は強烈な違和感を感じざるを得なかった。いくらなんでもこれはおかしい・・・・。


 「ほら、義之帰ろうぜ」

 「あ、ああ・・・・」


  肩に手をポンと置かれて歩き出す。なんにしたってカラオケはお流れらしい。

  俺は皆に置いてかれない様に同じように踵を返した。

  その不気味とも言える違和感を抱き抱えながら・・・・・。














  そうして帰っている時に俺はふと思った。あの花の売り子ちゃんは居るのかなと。

  大体いつもこの場所で花を売っているからこの辺に居る筈なんだけど・・・・おかしいな、見当たらない。

  そうやって忙しく目を動かしていたからか、茜に不思議そうに声を掛けられた。


 「なぁに義之君。そんなにキョロキョロしちゃって」

 「ん、いや、そうえいばいつもここで花を売っている女の子が居たなぁって」

 「ああ、そういえば居るわね。今時珍しいからよく覚えてるわ」


  さすが記憶力がいい杏は知っていたみたいで話に乗っかってきた。

  そしてその子はそれなりに有名らしく、皆も話を聞いているうちに思い出してきたのか「ああ」と納得
 するような声が起き上がる。

  この間会ったのは・・・・年末の時だったか。今頃何をしているのだろうか。体調が悪かったみたいだし
 さすがに家に帰っただろうか。出来ればそうして欲しかった。

   
  これ以上無理をさせたくない。何故かぼんやりだがそう思ってしまう自分にまた違和感。これ以上って、何の事なのか。

  寒空の中、花を売ることなのか。それとも花を売るなんていう生活の足しにならなそうな事をやっている事に対してなのか。

  それとも―――――――


 「ん・・・・・あっ」

 「どうしたの義之?」


  いつもの場所に差しかかった時、俺は物凄く驚いた。いや、驚かない方がおかしいだろう。
    
  彼女がいつも座っている場所、そこには誰も居なかった。いつも人形みたいにビクともしなかったからその
 光景はかなり衝撃的だったと言える。

  俺は皆から離れてそのシートが引いてある場所まで行った。小恋が何か言った様な気がするが悪いが無視する。

  いつもここに座っていた不思議な女の子。その子がここに居ない。それだけで俺は急に不安に駆られた。

  トイレに行ってるだけかもしれない。たまたま買い物に行っているだけかもしれない。彼女だって生活
 というものがあるから別に此処に居なくたってなんら不思議ではない。

   
  だというのに――――とてもそうは思えなかった。根拠など無い。ただの直感で、しかし外れているとは思わない。


  シート横にはもう数種類しか残っていない花。全部枯れ果てており、もう売り物じゃない呈をなしている。

  そしてそこの横にある開封されていない薬の箱とカビたパン。俺が彼女にあげたものだった。

    
 「うわぁ、酷いありさまだなぁ、こりゃ」

 「・・・・そうね。まるでずっとここに居たみたいに汚れてるわ」


  杏の言うとおりだ。シートなんか風と雪の所為か萎びており、座っていた場所だけ変色していない事からずっとここに
 座っていた事を窺わせる。

  ぞの事実に、俺は改めて愕然とした。ずっとこんな場所で、一人っきりで、寒さとかを凌がず居たと言うのか。

  確かにここに居る事は多いと思った。おかしいとも思っていた。だが彼女は人形みたいでも・・・・生きている人間だ。

  生きていれば寒いと思うし、商売をしているならどこか人がもっと居そうな場所に移動する事だって出来る筈なんだ。

  なのにそういった様子がまるで見受けられなかった。心が痛くなる、悲しくなる、胸が波打った様にざわめく。

  言いようの無い感情に囚われる自分とは対照的に、茜達の反応はとても淡白だった。

  それこそ、さっきの違和感を助長するかのように・・・・。


 「ま、どうでもいいけどねぇ。さっさと帰りましょう」

 「そうだなぁ、なんか寒くなってきたし。そろそろあったかいお茶でも飲みたいわ」

 「お爺ちゃんじゃないんだから・・・・」

 「そう言っている小恋も本当はお茶大好きだものね。嫌だわ、若いのって私だけかしら?」

 「もう、だから私でオチをつけないでよ~・・・・」


  もう興味が失せたのか踵を返す皆。俺は『そんな奴ら』なんか気にせず周囲を見回した。

  近くに居る筈だ。絶対に。そう思いながら少し離れた所に裏路地に繋がる道を見つけた。

  滅多に通らないのでその存在を忘れていたが、そういえばここから商店街の裏に行ける筈だったとすぐ思い出す。

    
 (ここに居なきゃ別の所を探すか・・・・とりあえず彼女の姿を見つけたら、意地でも連れて帰らくちゃ)


  『連れて帰る』の所を強く思いながらそこの裏路地の入口まで走った。杏達が何事かと見てくるが構ってやる気はさらさら無い。

  息を切らせ、路地裏の奥を見渡して――――――愕然とした。あまりの事実に、膝が着きそうになる・・・・・。

  
  俺は無理にでも自分の家に引っ張っていくべきだと、この時、死ぬほど懺悔した。



 「よう、こいつどうする? なんか反応なくてつまんねぇんだけどさ」

 「別に放って置いてよくね? どうせ外国人だし警察に掛け込んでも無視されるって」

 「しかし本当に汚いなコイツ。最初から汚れててきたねぇと思ったけどもう見るだけでも嫌だわ」

 「そんな事言ってお前が一番出したんじゃねぇかよ、この変態」

 「うるせーって! しばらく女日照りが続いたからしょうがねぇだろ」


  男達に囲まれて、もうボロボロの姿をしている少女。服なんか殆ど破けており、スカーフも解けて無造作に髪が解き放たれていた。

  何をされていたか――――想像したくない。想像したらあまりにも自分の考えていた事の浅はかに死にそうだ。

  こうなる事を考えなかった平和ボケしている自分を殴りたくなる。一人きりで花を売り、いつもあそこに居て、どこか
 可憐な印象を与える無機質な外国の女の子。

  そんな子がいくら日本とはいえ、どうなるかなんてすぐ考えたら分かる事だった。実際にあの少女はそういう目に合っている。

  それよりあの子を助けなくちゃと思い、駈け出そうとして――――肩を掴まれた。茜の手だった。


 「―――――ッ! 何で止めるんだよ、茜っ!」

 「ちょ、ちょっと落ち着いてよ義之くん! 相手は四人なのよっ!? それもあの中の二人って結構有名な不良じゃない」

 「それに他校の生徒も混ざってるわね。いかにもって柄でロクな人種じゃなさそうだけど」


  杏の冷静な声が癇に障る。引き留める茜の手を毟りとりたくてしょうがない。唖然としてる渉と小恋にそんな事してる場合じゃないと
 怒鳴りたくなってくる。

  そう失望に似た思いをしながら、俺は皆に引き留められた。意味が分からない、何故止めるんだ。何故助けてあげないんだ。

  彼女は何もしていない。なのにこんな目に合ってるのはどうしても許せた事じゃない。神様だって、誰だってそう言う筈だ。


 「せ、せめて警察とか呼んでそれからにしようぜ、な、義之」

 「ふ、ふざけるなよ渉っ! お前そんな事言うヤツだったか、ああっ!? お前は馬鹿だけどそこまで腑抜けた野郎だったかっ!?」

  
  渉の言葉に俺は信じられない様な目を向ける。こいつは馬鹿だ。馬鹿だけどそうやって物分かりのいい振りをする程腐った
 野郎だったか。肩を掴まれた手を振りほどきながらそう言ってやりたかったが、もう怒りのあまり言葉が出て来なかった。

  確かにそれは正しい判断だろう。しかるべき人達を呼んで、しかるべき報いを与えさせる。確かに百人居たら百人が正しい
 と言えるほど真っ当な手段だろう。

  しかし、俺はこんな様子を見せつけられて黙ってる程物分かりのいい大人じゃ無い。ガキだ。一人で生きていく事も出来やしない
 し稼ぐ事も出来ない。鼻水垂らして毎日を過ごしてる様なクソッタレなガキだ。

  だが――――許容出来ない事がある。許せない事がある。ああやって無抵抗な女の子を無理矢理強姦していた男達を許せる程
 俺は神様でも仏様でも何でもない。ただのガキなんだからそれは当然だ。

  
  いや、違う。そんなのは建前だ。

  ああ、今になってようやく分かった。

  きっと俺はあの子の事を・・・・・・・


 「離せって、この―――――」


  もういい、こいつらを殴ってでも助けに行こう。そう思った時、何かポケットから落ちた様な気がした。

  暴れてる時に落ちたのだろう。なんだ、と思いそれに視線をやると―――――ああ、と思った。  

       
  その瞬間、止まっていた時間が動き出した。体の底から力が湧き上がってくる。頭の回転が急加速するのを感じる。
 

 「―――――そうか、そうだった」

 「や、やっと落ち着いたのね。ほら、あっちに行って警察が来るのを待って・・・・」

 「離せよ、このカス女」

 「えっ」


  ゴッと鈍い音。肘を思いっきり顎に喰らわせてやったからしばらくは動けないか。まぁ、どうでもいい。些細な事だ。

  人形を拾い上げて埃を落としてやる。アイツから買った下手糞な人形。ポケットに入れたままだったらしい。だから
 携帯とか入れにくかったのかと一つの違和感が解消されて胸の内が少しスッキリした。

  つーか茜、てめぇそんな女じゃねぇだろうが。ケツを蹴っ飛ばしてでも助けに行けとか言う生意気な女だった筈なのに
 いつからそんなピヨった考えをするようになったんだ? 

  まったくもってらしくねぇよ、本当に。お前は例え自分が強姦されようが助けにいく女だ。間違っても冷静に物事を判断
 して行動するような頭なんざ持っていない事は今までの経験から知っている。

  だから――――お前は茜じゃないって事だ。だったらそんな糞みたいな言葉を吐く女なんてどうだっていい。車に轢かれて臓物撒き
 散らしたって何の悲しみなんて湧かない。当り前だ、カスが死んだところで涙を流す程、酔狂じゃ無い。

  

  後ろで驚きのあまり茫然としている渉達に一瞥をくれて、『オレ』は走り出した。弾けるように、息を止めて出来るだけ早く。

  男達がオレに気付いて後ろを振り返ろうとするが、遅い。ポケットから出したガラス片をその男の片耳に突き刺してやった。

  さすがオレだな。火炎瓶で砕け散ったガラスの破片を一応拾っておいたらしい。手癖が悪いのも偶には役に立つ。


 「ぎ――――」

 「叫ぶなよ、気持ち悪い」


  ゴリっと捻ってやると、痛さのあまりに白眼を向いて気絶した。男の悲鳴なんて聞いても気持ち良くないからな。

  冷静に周囲を見回すと動揺する男達が目に映った。当然の反応だと思う。いきなり現れた男が友人一人の片耳にガラス片
 を突き刺して失神させたのだから。

  あまりの異常事態に口をパクパクさせている男達を余所に、オレはその少女の傍に近寄り、声を掛けた。

    
 「悪い、遅くなったな―――アイシア」


  そう言うといつもの無機質な目がオレを見る。だが、その目はどこか嬉しそうにオレを見ていた。

  今思えばオレはこいつの事を舐めていたのかもしれない。会って短いがオレはこいつの事を弱い人間だと思っていた。

  すぐ涙目になるし、子供っぽいし、下手糞な人形を大切そうに持ち歩いてるし。とてもじゃないが年上に見えなかった。


  だからだろうか。さくらさんと対峙する前に立てた作戦でこいつを頼らなかったのは。全部オレ一人でやるような作戦
 だったし、その時はそれがベストだと思っていた。

  覚悟を決めたというこいつの言葉を信じなかった。軽く見ていた。舐めていた。酷い話だ、巻き込んどいて除け者にするか
 のようにオレ一人でケリをつけようとしていた自分に失笑してしまう。


  しかし実際は全然違っていた。地に伏しているアイシアの手を握る。前よりも冷たくなっている手が更にオレを冷静にさせた。  


  こいつは強かった。この世界じゃアイシアは異物的な扱いの抑制を受けていたに違いない。招かざれる人間だからそれは当り前だ。

  だからいつも人形のようにしか動けず、力も行使出来ないでただ居る事しか出来ない。こんな目に合ったのも恐らく一度や二度では
 無い筈だ。そんな事さえ気付かなかった自分に腹が立つ。

  二回目会った時についていた乾いた液体はなんだ。なぜそこに居るだけで擦りキズが出来る。頬に付けられた殴打の様な跡はなんだ。

  この世界はアイシアには優しくない。きっと枯れない桜の木はこいつの事を追い出そうとして、今みたいな事が何回か起きていた筈だ。

  桜の木に取りこまれて今まで過ごしてきた自分。この世界がどういう世界かを感覚的に知っている。ここはオレにだけ優しい世界だ。


  しかしこいつはそんな事をされても居続けた。何のために――――決まっている、それがこいつの覚悟だったから。オレを信用していたからだった。

    
  そして彼女は、アイシアはそんな何も出来ない様な状況でも、オレを助けようと必死に足掻いてくれていた。必死に出来る事をして。

  
  山茶花の花――――困難に打ち勝ってくれ。

  アネモネの花―――――あなたを信じて待っている。

  そして今、手に握っている一輪の本当に小さいカーベラの花―――――希望。


 「そこまでアンタに信用して貰えてるとは思わなかったな。そして悪い、約束守れなかった」


  オレは守ると約束したのに結局、嘘を付いてしまった。

  言い訳してもしれきれない。守ると言いながら・・・・守られていたのはオレだった。

  早々にこの世界に溶け込まなかったのも、アイシアのお蔭かもしれない。彼女の存在が無かったらオレはもうとっくに
 消えていただろう。

  さくらさんの事があるのに気になる女が出来ちまったからな。そりゃ桜の木もそんな浮気モンの事は受け入れてくれはしなかった
 らしい。いや――――この場合桜の木がどうよりさくらさんかな。あの人ってけっこう束縛する派みたいだし。

  だから中々完璧に落ちないオレに焦って、今回みたいに突発的で違和感ありまくりの事をしでかした訳か。

  まったく、普段は完璧な頭してるのに焦り始めると坂道転がるようにどんどん視野が狭くなるんだからな。


 「・・・・・て、ないです」

 「ん?」

 「約束、破ってない、です・・・・・」

 「そんな事―――――」

 「だ、って・・・・来て、くれた、じゃないですか・・・・こうや、て」

 「――――――――」

 「あなた、は・・・どうしようもない、不良さんですけど・・・・約束は守る人、だって・・・・・分かってましたから」


  ああ、本当に信用されていたんだな。こんなしょうもない奴の言葉なんか信じて人が善いったら無い。帰ったら説教しなくては。

  もう限界が近いのだろう。言葉を吐くのだってかなり力がいる事は分かっている。だから今までだって喋ろうとはしなかった。

  何ヶ月もの間ずっとそこに居続け、酷い事も沢山あったろう。体力も精神的にももう終わりが近いのが見て取れた。

  
  だからオレは言ってやった。今度こそ、自信を込めて。


 「ああ。だから後の事はオレに任せろ」


  あと、ありがとう―――――そう言うと今まで無機質だった表情に少し笑みが浮かび――――目を閉じた。

  多分もう二度と目は開く事はないだろう。だから上着を掛けてやる。これでお前にあげる上着は二着目か。

  金のかかる女だよ、本当に。だけど嫌いじゃねぇ。それだけの価値がある女だったらなんでも貢ぎたくなるしな、オレ。


 「お、おいコラァ!」

 「あ?」

 「なにいきなり現れてふざけた真似してんだよ、テメェ!」

 「お前桜内じゃねぇか・・・・こんな真似して・・・タダで済むと思うなよこの野郎っ!」


  ああ、思いだした。こいつら居たんだっけか。上等な女と話してたからすっかり存在忘れてたわ。

  そして何処かで見た顔もある。確かコイツこの世界に来てオレに膝蹴り喰らわせたヤツか。

  ちょうどいい、纏めてブン殴れるから手間が省ける。女以外であんまり手間掛けたくねぇからなオレは。

  茜といい、エリカといい、さくらさんといい。手間のかかる女ばかりで参っちまうな。

  だからこういう時ぐらい手間は無い方がいい。スマートに片付く。そして今の煮えたぎった精神状態をぶつけるのに
 ちょうどよかった。


 「な、こいつ・・・・」

 「こけおどしだから心配すんなんってっ! こいつは喧嘩はよえーから三人で掛かればすぐにボコせるよ」

 「た、確かにそうだったけど・・・・でもよ・・・・」


  オレは今本気でキレている。こいつらが対峙した時とは比べ物にならないぐらい頭にきていた。それが表情に出たのだろう。

  怯えてるコイツらを見てるとそれが益々癇に触る。こんな中途半端な奴らにアイシアはやられたのかと思うと殺しても殺しきれない。

  その目を抉って内蔵を引き摺り落としてやりたい。その股間にぶら下がっている汚いものを口に詰めて首を切り落としてやりたい。

  
  手を握って拳の形を作る。力は元に戻っていた。いつもの強い力だ。弱さなんて無い、いつものオレの拳。

  頭も冴えきっている。おそらく今までで一番冷静な自分になれている。という事は多分こいつらは死ぬかもしれない。

  だが構いはしない。どうせ全部ニセモノだろうからな。それにどっちみちアイシアが受けた屈辱を返さなくてはいけない。

  
  スッと一呼吸し、体を落ち着かせて体制を整える。呼吸も心拍数も何もかも正常通り。そう、問題は何も無い。

  後は―――――オレのやりたいように、やるだけだった。


 









[13098] 外伝 -桜― 9話 暴力描写注意
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/09/29 02:54













 「少し自重しないと、駄目かな・・・。でも・・・・」


  思わず怖い声を出してしまった自分に、少しだけ自己嫌悪。義之君が戸惑う様子が電話口から伝わってきた。

  今まで難なく義之君を元の状態に戻すことが上手く行っていただけに、今回みたいに約束をすっぽかされると
 焦ってしまう自分が居た。

  人間なんだから物忘れとか気が変わるというのは、仕方の無い事だとは理解しているつもりだ。しかしその一方で
 ふざけるなという怒りが湧いてくるのも事実。

  自分は・・・・こんな感情的だったか。むしろちゃんと自分の感情を律するのは得意な筈だ。今までそうやって
 生きてきたし、今回みたいにヒステリックになる事は無い筈。


 「・・・・・にゃはは、今更な話、か」


  しかし、そう考えて―――笑った。じゃあ表の世界であれだけの騒ぎを起こした自分はなんなんだ。

  義之君を始め、エリカちゃん、アイシア、その他大勢を巻き込んでヒステリックに叫んでいた自分は本当に
 感情的にはならない人間なのか。むしろ逆なんじゃないのか。

  ああ、本当におかしい。まるで自分が自分じゃないみたいだ。思ったままに行動して、思ったままに言葉を吐き散らして。

  そんなのは子供がする事だ。よく外見が子供っぽいとか言われるが、本当に子供になったつもりはないのに。


 「でもそうでもしないと、義之君またフラフラどこかへ行っちゃうしなぁ。人生ままならないよね、はりまお?」


  くぅんと鳴くはりまおの喉を撫でてやる。そう、人生は本当にままならない。自分の場合それが如実に表れている。

  年齢が一ケタの本当の子供の時からボクの時間は止まっている。なんとか動かそうとした事もある。だが、無駄だった。

  結局数十年もこうやって生きてしまっている。なにをするでもなく、ただ生きているだけ。時々魔法の事を憎たらしく思う。

 
  だから少しぐらい我儘を言っても仕方の無い事だ。別にボクは聖人様でも何でもない、普通の女の子。恋ぐらいしていいじゃないか。

  お兄ちゃんに恋慕して、可能性が無いと知って諦めてからの久しぶりの恋。義之君の傍に居るだけで幸福に満ちたりた気分になる。

  今まで何の実りも無い人生だった。だから一つぐらい――――報われたっていいと思う。


 「義之君遅いなぁ。もうそろそろ帰って来てもいい頃なんだけど・・・・うにゃ」


  もしかして事故にでも合ったのだろうか。この世界でそうなる確率は殆どない筈だけど絶対無いとは言い切れない。

  この間、義之君は倒れた例があるがあれは仕方無い。折角元の世界の記憶を上塗りしていったのに、急に思いだそうとするんだもの。

  だから桜の木の力があんな荒治療を施してしまった。こういう細かい所の力はまだまだだなと思う。力が大きい分、少し大雑把な
 力の行使をしてしまうのは後々改良が必要なのかもしれない。

  義之君の意志が強すぎるというのもあるんだけどね。あんなに自我が強い人間も中々居ない。普通だったらもっと早くこっちの世界に
 馴染んでいいはずなのにな。ボクの遺伝子を継いでるだけあってそういう所は中々だと思う。

  しかし、それだけが原因じゃない様な気もするが・・・・まぁいい。どっちみちこの世界に居れば遅かれ早かれ溶け込む事になる。


 「うーん、一応迎えに行った方がいいかなぁ。はりまおも来る?」

 「・・・くぅー・・・・・」

 「ありゃりゃ、寝ちゃったか。しょうがない。ボク一人で迎えに行くかな」

    
  立ち上がり上着を着る。なんだか夫を迎えにいく妻みたいで何だか気恥ずかしい様な、嬉しい気持ちになる。

  こういう感覚をずっと欲しかった。付き合った男女が普通に感じるこの感情。もう離したくない。

  まるで麻薬の様に絶え間なく心の奥底から溢れる幸福感は、一度味わってしまったらもう止められそうになかった。

  まぁ、止めるつもりはないんだけどね。今までロクな恋愛をしてこれなかったんだし、皆がしている事をしている
 のだから他人にとやかく言われるつもりもない。


 「おー今日も晴天だなぁー。やっぱりこういう日はお散歩するに限ると思うよ、義之君」


  外に出て上を見上げるとそこには雲ひとつない真っ青な空模様。今日も約束された幸せな日が待っているだろう。

  だって『此処』はそういう世界。雑音なんか全く入らない世界だ。表の世界は色々気に触る事が多すぎてカリカリしていたが
 此処にはそれが無い。うーんと、背伸びをして新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

  さて、今日のお散歩コースはどこにしようか。別にどこだっていいのだが、その場所にまつわる想い出は沢山あった方がいい。

  そうすればその場所に行く度に、義之君との楽しい想い出を思いだせる。今までは味気の無い思い出が多かったがもうそんな事は無くなる。


 「しっあわせは~あーるいてこない、だからあーるいてゆくんだねぇ~」


  待ってても幸せは来なかった。だからがむしゃらに動いてこの幸せを掴んだ。

  何処か心の奥底でそれは間違っているという声が聞こえはしたが、何も間違ってはいない。

  
  そう――――間違って・・・・・無い、筈だ。
















 「ぎゃあぁぁぁぁああああーーッ!」

 「両足折れたぐらいでそんなに騒ぐなよ。それじゃ彼女なんて出来ないぞ?」 


  まず身近に居た男の足を折りに掛かった。真っ正面から膝下に蹴りをくれてやったらポッキーみたいに簡単に折れた。

  たまらず倒れる男。悲鳴を上げてるだけで逃げようとしないから、ついでに残りの片方を踏み砕いてやった。

  耳を突け抜ける様な声に若干顔をしかめたが、気を取り直して左腕も踏み砕く。人間の間接なんて本当に脆いモノだと実感した。

  少し足を捻れば捻挫をするし、ほんの拍子がずれただけで間接が抜ける事もある。丈夫に出来ているようで丈夫に出来ていないもんだな、本当。


 「て、てめぇ桜内っ!」

 「なんだよ、先輩」

 「こんな騒ぎ起こしていいのかよっ? お前警察に捕まるぞ、それでもいいのかっ!?」

 「強姦魔がよく言う。お前らを例え殺したとしてもオレは助かる。なんてたって――――この世界の中心はオレなんだからな」

 「ば、お、お前薬でもキメてんのかよ・・・?」

 「マリファナだっけか。一回興味本位で吸ってみたけど糞不味くて吐き出したな。それ以来薬なんて吸わない様に決めたよ」


  あれは最悪だった。前の世界で知り合いに勧められて一回吸った事がある。ただの好奇心でオレは自我が強いから中毒には
 ならないと思って鼻から吸ってみた。

  その瞬間、オレは吐いた。もう二度と吸わないと誓った。多分乾燥させる段階で失敗してそのまま流失したモンなんだろうが
 麻薬中毒者の気持ちなんざ今でも分からない。だったら煙草でも吸ってた方がまだマシだ。


 「・・・・・ガ・・・ひ・・・ィ・・・」

 「ん? おお、両足と片手折られたのによく失神してないな。お前、意外と強いんだな」

 「・・・・た、助け・・・・て」

 「安心しろ。片腕は残してやる。その代わり実験させてもらっていいかな?」

 「な、なにを・・・・・」


  うつ伏せに倒れてる男の髪を引っ掴み顔を上げさせる。この辺にあるかな・・・っと・・・・お、見つけた。

  そうして懐からライターを取り出す。別に煙草を吸う為に取り出した訳じゃない。確かに一服はしたいが、この状況で吸うほど
 オレは馬鹿じゃないつもりだ。

  ライターを手に取ったオレを困惑した目で見てくる茶髪の先輩。そういえばコイツにも殴られったけな。ちょうどいいや。


 「人間の眼球って殆ど水分で出来てるんだよな」

 「・・・い、いきなり、何言って・・・・」

 「よくグロ映画で焼いたりしてるけどさ、本当に焼けるもんなのかね。なぁ、先輩――――どう思う?」

 「ま、まさか・・・・っ!」

  
  頭が足りなさそうな顔して意外と察しがいいな。人は外見で判断しちゃいけないというが、その通りだと思う。

  必死に逃げようとしてるがオレが髪を掴んでるんで中々上手く移動出来ていない。そもそも両足折られてるんだから無理な話だ。

  端目に奥で突っ立ってる男達の様子を窺う。あまりの事態に茫然として逃げようともしていない。馬鹿丸出しな先輩達だよ、ほんと。


 「じゃあ、バーベキュー開始」

 「や、やめ――――――」


  火を目に当てた――――瞬間、絶叫が路地裏に響き渡った。まるで獣染みたような悲鳴。慣れた悲鳴だった。

  一生懸命顔を背けようとしてるがオレの手がそれを許さない。目を閉じようとしても構わず瞼の上から火で熱され、意味は無かった。

  喉をブッ壊しかねない悲鳴を何分でも聞かされそうだったので、とりあえず離してやる。野郎の悲鳴なんて聞いても嬉しくねぇーって。


 「お前、本当にうるせーな。そんなんでオレよりも年上なのかよ、まったく」

 「・・・・ヒ・・・ァァ・・・ああァ・・・・」

 「ハハハ、女みたいな裏声出してんじゃねぇよ。お前、そんなにウケさせたいのかよオレを」 

 「・・・・こ、このイカれた糞ガキが・・・・」

 「あ? 何か言いたいなら掛かってこいよ。カカシみてぇに突っ立ってないでよ。それとも少しびびっちゃいました?」

 「ふ、ふざけるなよっ! 誰がテメ―なんかに――――オイ!」

 「あ、ああっ!」


  こちらに突っ込んで来そうな様子を見せてくる。オレもいつまでも遊んでる場合じゃねぇか。色々焼きたい場所があったんだけど
 これが終わったら後でまた試そう。こんな時でも好奇心旺盛な自分にほとほと呆れかえる。  


  そして、その男から離れて歩きだそうとして――――残った右腕を完全に踏み砕いた。また反響する悲鳴。


  オレは思わず腹を抱えて笑いそうになった。まさか、本当に右腕は残して貰えると思ったのだろうかコイツは。今の声質はまるで予想
 していなかった時に出るモノだ。あまりの能天気さに、本当に腹を抱えそうだった。

  両足、両腕を折られてイモ虫みたいにピクピクしている姿は一種の大道芸に近い。おひねり代わりに頭をサッカーボールを蹴るみたいに
 吹っ飛ばしてやる。そうすると意識を失ったのか体全体を痙攣させながら黙ってしまった。
    
  そんな男の様子に一瞬怯む様に立ち止まる二人のクズ。どうやら本当に馬鹿らしい。やる事やる事何もかも半端だ。走ってくるなら
 走ってくるで突っ込めばいいのに。こんな状況でそんな行動するって事は――――死にたいって事だ。


 「ガァッ!?」
    
 「何、ぼけっとしてんだよ。舐めてんのかオレを」


  棒立ちしている男の一人にさっきのガラス片を股間目掛けて投げてやると、ちょうどよく真ん中に当たった。

  小便を漏らしたみたいに赤い色が滲み出てくる。もう使いモノにならねぇな、ありゃ。オレからしたらどうでもいい事だけど。

  まるで支えを失った様に股間を押さえながら座り込む男に、まだ無事な男は顔面を蒼白にした。確かに痛そうだもんなぁ。


 「て、てめ―――――」

 「臭ぇ息吐いてんじゃねぇよ、タコ」

  
  残ったピアス男には少々因縁があるので、オレはその男に向かって弾ける様に駆けた。そんな状況でもどうしたらいいのか分からず
 あたふたしている男、滑稽だった。だからその勢いのままに思いっきり鼻っ柱を殴ってやる。

  変な高い悲鳴を上げて顔を手で覆う相手。脇の股間から血を流しているヤツは放って置くか、しばらく何も出来そうにねぇし。

  とりあえずこのピアス男を処理しよう。こいつに喰らった膝蹴りは中々に痛かった。だからオレも同じように腹に膝をくれてやった。


 「グ・・・ァ、や、やめろ」

 「なぁ、膝蹴りって痛いだろ? それはそうだ、骨の密集体だしな。これでやられる人の気持ちが分かったか、ああ?」

 「く、くそ野郎・・・・」

 「はは、元気がいいな。じゃあもう数発あげるよ」

 「ヒ――――――」


  多分最初の膝で骨にヒビが入ってるだろうが、気にしないで勢いをつけてまた膝蹴りを喰らわせる。

  乾いた音がして耳に響く悲鳴。二発で折れたか。全く鍛えて無いな、コイツ。そんなんでよく喧嘩をしようと思ったな。

  半ば呆れる気持ちでまた膝蹴りを骨が折れた場所に喰らわせてやった。子猫が出しそうな声を吐き出す男に、オレは吹きそうになる。


 「・・・・・・ァ」

 「そういえば人間の体で一番硬い場所って何処か知ってるか? 意外と膝とか肘じゃねぇんだよな、これが」

 「も・・・・もう、許―――――」

 「答えは、ここだよ」


  目の前にある男の耳に、思いっきり噛り付いてやった。ブチブチと肉が裂ける音。言いようの無い悲鳴を出して逃げ出そうとする
 のでまた膝蹴りを喰らわせて黙らせる。

  歯はエナメルで覆われているのでかなり硬い。歯医者行って歯を削る時なんかダイアモンドで削るしな。そんな硬さのモンで耳
 なんて柔らかい所噛んだらそれは裂けるに決まっている。

  ペッとぐちゃぐちゃになった耳の肉と、ピアスを地に吐き出す。男の耳からは絶え間なく血がボトボトと垂れていた。


 「何泣いてるんだよ。男の子だろ?」

 「ヒ・・・グゥ・・・グ、スッ・・・・・」

 「おい、気持ちわりぃから泣くなっつってんだろ」

 「そ、そんな・・・・こと・・・いわれて、も、」

 「さっきまでお前ら平気で無抵抗な女襲った癖に、こういう時だけ涙見せれば助かると思ってやがる。
  そういう所が、癇に障んだよ、カス」


  他人を平気で殴ってあざけ笑ったり、集団で女を強姦する癖にいざ自分が酷い目に合わされると許しを乞う姿、オレの神経を更に逆なでさせる。

  だから、男の髪を掴み思いっきり下に向けさせてやった。強制的に地面を見る体制になる男。その無防備な顔に勢いを付けて膝で蹴り上げた。

  ボキッと鼻が折れる音。親しんだ感触と音だ。悲鳴を出す前にもう一回膝で蹴り上げる。そしてもう一回、更にもう一回と・・・・。
  

 「顔面ぐちゃってるな。接骨院に行ってももう治らない怪我だ。よかったな、無駄な金払う事が無くなって」

 「・・・・・・ッ、ァ・・・・・」

 「もう声も出ないか。じゃあ喉なんていらないよな」


  掴んでいた髪を更に後ろに反りかえる様にグイッと引っ張る。無防備にさらけ出される喉。今度はそこに膝を入れてやった。

  ヒュっと空気が漏れる音。喉という呼吸をするのに大事な場所、それでありながらとんでもなく柔らかい場所に蹴りを入れられた男は
 悶絶するように暴れた。

  恐らくいきなり呼吸が出来なくなって焦っているのだろう。このまま放っておけばもしかしたら窒息死するかもしれない。

  だがそんな事は知った事ではないので、もう一度念入りに数回に分けて膝をくれてやった。そうするとさっきまで痙攣していた男の
 姿がみるみる大人しくなっていった。

  気絶したか、もしくはショック死か、どっちでもよかった。離すと糸の切れた人形みたいに崩れ落ちたので、トドメと言わんばかりに
 喉を革靴で踏み抜いた。

  もし万が一、生きてたとしても一生流動食だ。なんの感情も湧かない。アイシアがされた事に比べればむしろお釣りがきそうだ。


 「もっと痛めつければよかったかな。こんなあっさり終わっちゃアイシアに怒られちまう」

 「・・・・・う、うわぁぁぁあああああッ!」

 「あ?」


  さっきまで股間を押さえながら悶絶していた男がいきなり出口に向かい走り出した。あまりの異常事態に本能が勝手にそうさせたのかも
 しれない。喉の奥から絞り出す様な悲鳴を上げながら逃げようとしていた。

  馬鹿が――――逃がすわけねぇだろ。あらかじめ拾って置いた石をそのドンくさそうな足に向けて振りかぶって投げつけてやる。

  そしてちょうど渉達の前に転がるように顔面から這いつくばった。あまりの事態に渉達は動けないでいる。

  
 「お、おい・・・・よしゆ――――」

 「最初に言ったけど、お前らを逃がすつもりなんてねぇよ。それにお友達置いて逃げるなんて薄情にも程がある」

 「・・・・う・・・くぅ・・・」


  渉が何か言った様な気がするが気にしていられない。とりあえずオレはその男の髪を掴んで、さてどうしたもんかと考える。

  小恋と杏は渉の後ろに隠れており、どうやら邪魔はする気は無いみたいだ。だったら思う存分やりたい事やれるな。

  オレは辺りを見回して何かないかなと探し――――見つけた。そこにはショーウィンドウになっている小物屋が開かれていた。


 「お店の人には悪いが、しょうがない。文句を言うんだったらこいつらに言って欲しいなぁ。今のオレ金持ってねぇし」

 「な、なにを―――――」

 「ほら、いくぞ」

 「えっ・・・・」


  そう言って、思いっきりガラス張りになっている窓に顔から突っ込ませてやった。ガラスが弾ける音、小恋達の悲鳴が耳をついた。

  周りの通行人も何事かと見てくるが無視する。そうして引き上げて男の顔を見ると顔面が血まみれになっていた。まるで映画の特殊
 メイクだなと感じる。多分あっちよりもこっちの方がリアル志向だけどな。

  持っていた後ろ襟を離してやると、男はたまらず倒れ込んで顔面を押さえて悲鳴を上げた。細かいガラス片が刺さってる所に手が触れて
 痛かったのか。アホみてぇ。傷口には触らないでねと医者に教わらなかったのだろうか。

  散らばるガラス片を適当に掻き集めて、男の髪を掴み視線を合わせた。もう勘弁してくれ――――目はそう言っていた。


 「なぁ、アンタ。アイシアの具合はどうだった? 最高だったか? 外国の女と犯れて最高だったか?」

 「な、なに・・・を」

 「多分いい思いをしたんだろうな。あれだけの上玉だ、お前らなんかが一生掛かっても相手にされなさそうな女と
  犯れたんだ。さぞかし気分がよかっただろう」  

 「わ、悪かった・・・・だから・・・・」

 「だから許せ、か。お前――――本当に糞カスだな」

 「ヒッ・・・・!」

 「表の世界でもこういう世界でもやっぱり屑は屑なんだって再認識したよ。オレもお前と同じ人間な筈なんだけど
  何を考えて生きてるか分からねぇ。まぁ、何にも考えないで生きてる獣だからそれは仕方ないか」


  人は獣に在らずとは誰が言った言葉だったか。オレはそんな言葉を信じはしない。思うまま動いて思うまま喋り、そして
 思うまま他人に縋って生きているコイツらを見ると吐き気がする。

  こいつらには親がいるだろう。そして毎日暴言を吐いて、学費を払って貰って、女をレイプしている。笑える話だ。

  その女がどうでもいい奴だったら別に構わなかったんだが、生憎その女はオレにとって大事な『友達』だった。
 
  いや、友達なんて言葉じゃ表わられない。恩人、愛すべき人、尊敬すべき人。色んな感情が渦巻き表現のしようが無かった。

  そんな人間をボロ雑巾のゴミみたいに捨てやがったコイツらをオレは許せない。例え幻影だろうが報いは与えてやる。


 「ま、オレの自己満足に付き合ってくれよ。なぁ?」

 「ふっ、―――――ぐ」


  集めたガラス片を男の口の中に入れて、蹴り上げた。目から溢れんばかりに涙を垂れ流してくぐもった声で喚く。

  裂傷って中々治らない上に、口の中の裂傷って言ったらもう想像を絶する痛みらしい。あまりにも人がすぐ発狂するから
 拷問じゃ禁じられた程だ。

  だから二回、三回、四回、五回と丁寧に踏み砕いて口の中全体に行き渡る様にしてやった。ガラス代がもったいないしこれぐら
 いしてやらないと店の人が可哀想だ。


 「・・・・あれ、おーい?」

 「・・・・・・・・」


  見ると股間からはとめどなく血が溢れてきてるし、口からは何か血に混ざって泡を吹きだしている男の姿。

  もしかしたら発狂してショック死したのかもしれない。ただ分かった事は、もうこれ以上何をやっても反応をしないという事だった。

  そういえばまだ五体満足な奴が居たっけ。最初に耳をブッ壊した男だ。あいつにも色々してやらないとな。一人除け者じゃ寂しいだろう。


 「よ、義之・・・・」

 「ん、なんだ?」

 「なんで・・・・」

 「なんでここまでするのか、か? 決まってるじゃねぇか。オレの気が収まらないからだよ。それ以外無い」

 
  よくこんな状況で話し掛けられたもんだと思う。もしかすると杏は意外にも精神的にタフなのかもしれない。

  まぁ、あの茜とつるんでるぐらいだ。そこそこ出来るヤツなのかもな。倒れてる茜を見る限りじゃ偽者っぽいけど根本的に
 あるものは変わらないのかもしれない。

  しかしそう考えて、本当に胸糞わりぃ事しやがって・・・・と思う。親友―――茜の姿を借りてあんな戯言吐かすなんて、枯れない
 桜の木ってのは本当に悪趣味だな。
  
  大方オレから危険を遠ざける為にあんな事しやがったんだろうが、逆効果だ。結果、オレはこうして自分を取り戻した。

  
 「ここまでの騒ぎを起こしたら、貴方は・・・・」  

 「さぁ、どうなるかな。さくらさんがなんとかするかもしれないし、もしかしたら刑務所行きになってこの世界で一生過ごすかもな」

 「・・・・何を言って、るの?」

 「杏には関係無ぇ話だよ。じゃあオレは続きに行くからな」

 「あ・・・・」


  杏を振り切って最初の男の所に向かう。所在無さ気に手を空に浮かべたままだが、止める勇気はさすがに無いみたいだ。

  さくらさん――――そろそろ来る頃だと思うが何から話してやろうか。色々言いたい事がある、聞き出したい事がある。

  なんにせよ、一発ブン殴って目を覚まさせたい所だ。そう考え、オレは歩き出した。  





















 「な、なにこれ・・・・・」

 「ん、おお、さくらさんじゃないですか。どうしたんです? 今日はお散歩に行くから家で待ってるんじゃなかったんですか?」

 「・・・・・ウゥ・・・ッ」

 「ど、どうしたって――――――うっ」


  カランと音を立てて鉄パイプを投げ捨てる義之君。脇で呻いて倒れている男の子の顔を、ボクは思わず見ようとして――――目を背けた。

  一瞬見ただけだが、顔がぐちゃぐちゃになっていて、とてもじゃないが見れたものじゃない。思わず吐き気がする程その様は酷かった。

    
 「ん――――ああ、これですか。カスがオレの知り合いに手出してたんで躾けてやってたんですよ」

 「し、躾って・・・・」

 「だってそうでしょう? 自分の思いたいままに女の子をレイプして、何の罪悪感を感じないなんて獣じゃないですか。
  だからこうして分からせてやったんです。ね、別に変な事言ってませんよね?」

 
  そう言いながら目を横に動かしたので、ボクも釣られて目を動かして―――――吐いた。

  男三人がそこに倒れてるがどれもこれも酷い。目は何回も焙られたように焼け爛れてるし、両腕両足が壊れた人形みたいに
 変な方向に曲がっている男もいる。耳が殆ど食い破られたかのように出血してる男の様もこれまた酷い。

  ボクはなんとか気を落ち着かせようと呼吸を整えた。ひゅーひゅーと掠れたような音が喉から出る。こんな光景は初めてだった。

  ここまでする暴力性――――あの義之君しかいない。その考えに至ったボクは改めて義之君と向き直った。


 「はぁ、はぁ、・・・・・そう、元の状態に戻ったんだね」  

 「オレ一人の力じゃないですけどね。オレなんかのために犠牲になった人が居た。だからこうしてオレは今さくらさんと話が出来る」

 「・・・・犠牲・・・・・?」


  そう呟くと、義之君はポケットからあるモノを取り出した。お世辞にも上手いとは言えない不格好な人形。見覚えのあるものだった。

  そうか、あれはアイシアの作った人形だ。彼女が初音島を出る前に数回見せて貰った事がある。恐らくボクと対峙する前にアイシアから
 受け取ったものだろう。


 「これを見た時に全部元通りになりましたよ。いやぁ、さすが何十年も生きてないですよね彼女。こういう人形作るなんて」

 「・・・・それは魔法の力で作られているからね。もしかしたらこの世界での抗体剤みたいな役割を果たしたのかも・・・・」

 「へぇー」


  どうでもよさそうに人形をポケットの中に入れて、ボクを見詰める。

  さっきまで発揮していただろう暴力性は秘め、何か話をし始めるといった風だ。 

  話、か。何を言いたいのか見当が付かない。


 「オレが何を言いたいのか分からないって目してるな」

 「分からないよ。もうアイシアに操られていない義之君がなんでこんな事してるか分からないし・・・。犠牲ってアイシアの事だよね?
  もしかして死んだのかな?」

 「・・・さて、どうだっけかな。まぁ、過ぎた事はどうでもいいよ。大事なのはこれからって誰かも言ってたしな」

 「やけに淡白な反応だね。これだけ暴れたんだから、もっと怒っててもいいかなって思って―――――」

 「そんな事言わないでくれよ、思わず・・・その可愛い面殴り飛ばしてボコボコにしたくなるじゃねぇか・・・・」


  口の端を歪めて息を吐く。今にでも駈け出さないばりに感情が体を支配しているのだろう。なのに押し留めてる精神力は大したものだと思う。

  ここまで徹底的にやったのだから、そうなってもおかしくはない。あまり軽口は叩けそうに無かった。

  なんだ。過ぎた事って言って置きながら気にしてるじゃないか。相変わらず素直じゃないんだから。


 「悲しいな・・・・。全部義之君の為を思って行動してるのに・・・・」

 「オレの為? ハッ、ばっかじゃねぇのかアンタ。エリカを殺そうとし、アイシアが犠牲になったこの世界にオレを放り込んで
  よくそんな事言えたもんだ。とうとう歳で頭がもうろくしたんじゃねぇだろうな?」

 「だって義之君はボクの事好きなんでしょ? そしてボクも義之君が好き。確かに犠牲になった人が居た。でもそれは
  ボクと義之君が幸せになる為なんだから割り切らないと」

 「そういう究極の人愛理論は嫌いじゃないが・・・・そこにオレの意志は無ぇよな、ああ? 勝手に好き勝手暴れて人の事を
  拉致して置いて、『これが貴方の幸せなんです』って――――一まるで独裁者気取りだな、さくらさん」

 「独占欲って言って欲しいな、義之君はそういうの嫌い?」

 「嫌いじゃない。ただアンタが言っている独占欲とオレの言っている独占欲はまるで別モンだとは理解している」

 「価値観の違いってヤツか、虚しいね。そういうの」

 「まったくもって同意だな。そしてもっと虚しいのがそうして分かり合おうとしない所、だがな」

 「人嫌いの癖によく言うよ。もしかしてアイシアの馬鹿みたいな人の良さが移ったのかな?」

 「・・・・アンタも人が良かったんだけどな。すっかり変わっちまったみたいだ」


  そう言って義之君は懐から一本の煙草を吸いだし、フゥーっと紫煙を吐いた。恐らく脇で倒れている男の物か。義之君が好きな柄じゃない。

  そしてボクはその煙草を吸う動作に、酷く苛ついてしまう。知らずしらずの内に拳がギュっと握られ、義之君を睨んでしまう。

  アイシアに操られていない元の優しい義之君に戻そうと頑張った。煙草はもとより暴力も知恵も奪った。なのにそんなの関係無いとばかりに
 煙草を吸いだした義之君を、許容出来ない気持ちになる。

  なんでボクの言う通りにしてくれないんだ。言う通りにしてくれたらきっと幸せになれるのに・・・・。


 「煙草、止めて欲しいな」

 「あ? なんでよ。一応趣味の一つだし辞めるつもりなんてサラサラ無ぇって」

 「前の優しい義之君にボクは戻って欲しいんだよ。優しくて、温かくて、笑顔を向けてくる義之君に」

 「・・・・・そういう一面も確かにオレにはある。特にさくらさんの事は結構好きだったし、懐いてた部分もあったな」

 「だったら、元に戻ってよ・・・・。元々ボクの世界に居た義之君にならなくていい・・・! せめて、せめてボクに優しく
  してくれた義之君に戻ってよっ!」

 「――――――なんだ、知ってたのかよ。アンタ」

 「・・・・一応は、ね。桜の木に触った時に色々義之君の事を知ったよ。随分波乱万丈な人生を送ってるみたいだね」

 「継続中だけどな。オレもまさかこんな事態に巻き込まれるなんて夢にも思わなかったよ。女心は難しいというが
  その通りだな。ま、女に限った話じゃないが」


  煙草の灰を男の上に落とし、また肺に煙を入れて吐き出すその仕草にはどこか余裕が感じられた。

  余裕――――そんなモノは無い、本人だってそれは分かってる筈だ。ここはボクが管理している世界と言ってもいい。

  義之君以外になら何だって干渉できるし、今の渉君達みたいに棒立ちにさせたまま喋らせない事だって出来ている。  

  それなのに、なんでそんな平気でいられるか分からない。そこまで愚かな人間だとは思っていないが・・・・。


 「あとなんで優しくしてくれないの、だっけか。当り前な話だよ。アンタ最初にした事覚えてるか?」

 「最初にした事って・・・・」

 「まず薬剤とかハーブを使って無理矢理その気にさせた事、脅迫染みた言葉、魔法による縛り付け。色々ある。
  そんな事しでかすヤツにどうやって優しく出来る? 頭に蛆でも湧いてんじゃねぇか、この野郎」

 「そ、それは・・・・」

 「付け加えるとオレは優しくない。人の優しく出来る程オレは生きるのに余裕を持っていないし、生まれつき心が病気な
  人間だ。そりゃ、限られた数人だけだが自分が気に入った相手には親しもうとするぐらいの感情は少しは出てきた。け
  どそれくらいだよ。さくらさんはまた特別だったけど、もうそんな気は無いな」

 「でも義之君は本当は優しい人だよ! 自分で気付かないだけでボクには本当に優しくしてくれた、だからこうやって
  ボクは好きになったんだし義之君の為なら―――――」

 「オレは平気で人を殴れるし、それに罪悪感も何も感じない。脇で転がってる奴らの中には死んでる奴もいるだろうな。
  優しい人がここまでするか? 捕まれば一躍テレビで大騒ぎする程の事件だぞ? オレはここが桜の中だろうが現実
  の世界だろうが同じ事をした。いい加減目を覚ませよ。アンタが言ってる優しい桜内義之はこんな事するか? 人の
  体をボロ人形みたいに遊ぶか? ええ、どうなんだよ?」

 「で、でも・・・・」

 「さくらさんが言っている都合の良い『優しい義之君』なんて何処にも存在してねぇよ。オレはオレにしかなれない。
  けど――――これがオレなんだよ。もし認められないって言うなら・・・・・他を当たってくれ。その方がアンタの
  言う『幸せ』になるだろうしな。達者でな」

 「―――――違う」

 「一応聞いておくけど、何が違うんだよ?」

 「―――――ッ! 違うッ! 義之君はまだ操られてるんだよ! だからそんなボクを傷付ける事ばっかり言うんだッ!」

 「・・・・・帰ったらブルド―ザーで桜の木刈り取ってやらねぇと駄目だな、こりゃ」


  違う、違う、違うッ! 義之君はこんな事言わない、だって桜の木の前でボクに幸せを誓ってくれたんだ!

  なのにこの義之君はまだ訳の分からない言葉を言っている。きっとまだアイシアの魔法が残ってるんだ。

  腹わたが煮くり返りそうだが、今は無視する。そうだ―――きっとボクの力がまだ足りて無かったんだ。

  もっと力を出せばアイシアの魔法なんか・・・・・・そう思い、手を義之君にかざした。 


 「なんだ、魔法でまたゴリ押しか。芸が無いな」

 「・・・・なんとでも言えばいいよ。だって義之君の為なん――――――キャッ!?」

 「お、意外と早かったな」

 「な、なに・・・・!?」


  突然周りの風景が歪み始めてきた。まるで絵具が混ざり合って最終的には茶色から白に向かうみたいに段々空白の空間が生まれていく。

  有り得ない。だってここはボクが管理している世界なんだ、ボク以外にこういう事を出来る人物なんか何か居ない。

  思い当たる人物はアイシアのみだが・・・・それも有り得ない。もし生きていたとしても彼女一人じゃ何も出来ないのは分かっている。

  
  じゃあ―――――なんで今にもこの世界は壊れそうなのか。


 「ま、まさか義之君っ!?」

 「アホか。オレにそんな力があるならとっくにやってるよ。桜の木に操られて大分頭の回転鈍ってるな、アンタ」

 「それじゃ・・・・」

 「まぁ、オレの力じゃないが・・・・皆の力ではあるけど」

 「それってどういう―――――」


  煙草を投げ捨て義之君は口端を歪めて、笑った。まるで自嘲するみたいに。

  そしてポケットに手を入れて、再確認する様にその言葉を発した。


 「やっぱりオレは、優しくないって事ですよ―――――さくらさん」



















 「だ、だから由夢ちゃん。そこはもうちょっと息をスパーンて吐き出すように力を加えて・・・」

 「そんな野球監督みたいに言われても分かりませんてばっ、もう!」 

 「純一っ! もっと腰を入れて下さい腰をっ!」

 「・・・お前と違ってワシは年寄りなんだぞ。少しは加減してくれ・・・・」

 「気合いですよ、気合いっ!」

 「まったくいきなり現れたと思ったらこれか。さくらといい、お前といい、少しは老人を労われ・・・・」


  ぶつくさ文句を言いながら桜の木に手を当てる純一。音姫ちゃんは一生懸命由夢ちゃんに魔法の制御の仕方を教えている。

  確かに由夢ちゃんは魔法の才がある。しかし何の修行も無しにいきなりぶっつけ本番で桜の木の制御を行うのは些か厳しいものがあった。

  だが――――それでもやってもらうしかない。でないと私達はここで消えてしまう可能性があるのだから。


 「・・・さて、私もやるとしますか」  

 「え、だ、駄目ですよっ! アイシアさんは今かなり力を消費して危ない状態なんですし・・・!」

 「でも全員の力を調整して桜の木を御ろせるのは私にしか出来ない。そんな事言ってる場合じゃないんですよ、音姫ちゃん」

 「で、でも・・・・」

 「私の心配は無用です。四人全員力を合わせてもギリギリ力が足りるかどうか怪しいんですから、そんな事言ってられないですよ。
  音姫ちゃんは引き続き由夢ちゃんに、魔法の力の制御を教えてください。時間がないので」

 「・・・・・・」

 「・・・・お願い、します」


  分かりました――――そう言って納得いかない様子で由夢ちゃんの所に向かう。少し厳しい物言いだったが状況が状況だ、仕方ない。

  それにしても優しい女の子だ。こんな得体の知れない女を心配してくれるなんて。気を取り直して私は再び集中する。

  確かに今の私は危うい状態だ。力の大体は義之を助ける為に使ってしまった。少しでも気を抜けば座り込んでしまうほどに・・・・。

  
  だがこの状況がそれを許してくれない。今にも桜の木は弾けんばかりに力を溜めているのだから。

  おかげで事情を説明するのにかなり手間取った。隠せる部分は隠したつもりだが、どうだろう。私って嘘バレやすいしなぁ。

  それにしても、と思う。この状況を作った義之は本当に行動に躊躇が無いと思い、呆れるやら、感心するやらだ。

  公園に向かう最中、いきなり携帯を取り出し誰かに電話をしたと思ったら・・・・とんでもない事を言うんだから。

















 『今桜の木が危ないから魔法を使える奴が欲しい。純一さんと、確か由夢も使えるんだったな。30分後に桜前に集合してくれ』

 『お、弟くんっ!? いきなりどうした―――――』

 『説明している時間が無い。もう一度言うけど音姉は純一さん、由夢を連れて枯れない桜の木の前に来てくれ。そこにさくらさん
  と同じくらい力を持った可愛い外国の女の子がいるから。その子と協力して桜の木を枯らす。簡単だろ? じゃあ切るぞ』

 『え、弟―――――』

 『色々言いたい事があるのは分かるがとりあえず30分後に来てくれ。オレの考えてる作戦が失敗したとしたら大体その時間が
  ベストだ。由夢の力がどれくらあるか知らないが、多分頼りになる筈だ。予知夢見れるぐらいだしな。じゃあ今度こそ切るぞ』


  そう言って一方的に捲し立て、電話を切る義之に私は唖然としてしまう。いくらなんでも状況を説明しなさすぎと頭が痛くなった。

  いくら時間が無いとは言えもうちょっとやりようはあっただろうに。本当にこの人はいつも周りの人の気持ちを知らないんだから。

  それにしても、どういうつもりなんだろう。関係無い人を巻き込むなんて。確かに魔法を使える人は多い方がいいが・・・・。


 「なんだか納得いかないって顔をしてるな、アイシアさんよ」    

 「当り前です。無関係な人を巻き込んでるんですから。そりゃ、義之の言いたい事も分かりはしますけど・・・」
 
 「本当ならこの島全員の奴を巻き込みたい所なんだぜ? 自分のケツに火が付いてる状況なんだからよ。来ても大して使えない
  奴が大半だから呼ばないだけであって、別にオレは巻き込んでも構わないと思ってる」

 「・・・・義之は、それでいいんですか?」

 「それで、とは?」

 「さくらとの関係、バレるかもしれないんですよ。今呼んだ知り合いに」

 「そん時はそん時だ。オレはさくらさんを助けたい。プライドがどうのこうの言っていられるほど余裕なんて無いとオレは
  思ってるからな。やれる事はやっておきたい」

 「もしかしたら魔法の制御を失敗してその人達が犠牲になっても、ですか? その確率の方が大きいと私は思います。
  義之も分かってますよね? あのさくらが制御に失敗してるんですよ? もう一回その人達に電話して取りやめる
  なら今のうちですが・・・・」

 「――――悪いが、それは出来ない」

 「・・・・えっ」

 「オレの中での優先順位度って決まってるんだよ。アンタには酷い言葉に聞こえるかもしれないが・・・」


  そう言葉を切り、私の方を見詰める。

  そして次に発したその言葉に、私は義之の本質をみた様な気がした。


 「さくらさん以外がどうなろうとオレは別にどうなったっていいと思ってる。音姉達には悪いが、もし彼女達が犠牲に
  なってさくらさんを助けられるといのなら、オレは喜んで差し出している。勿論自分も含めての話だ」

 「そうですか・・・・」

 「もし呆れたんならここで引き返してもいいんだぜ? こんな奴の為にわざわざ危険を冒す事なんてないんだからな」


  よく言う、帰す気なんて無い癖に。さっきの言葉は恐らく本当の事なのだろう。なのにわざわざそんな事言うなんて、嫌味だろうか。

  もしかして店の前で言っていた『甘さに付け込む』というヤツなのだろうか。分からない。この人の考えてる事なんてさっきから読めた試しが無い。

  それとも優先順位というのに私は組み込まれていて―――――いや、無駄な考えだったか。がぶりを振って義之に向かい合う。


 「さっきも言いましたけど、覚悟は決めています。どうぞ私なんか好きにして下さいな」

 「・・・・怒るなよ。こういう考えでしかオレは行動出来ないんだからよ」

 「それはもうさっきからの行動で分かってますから・・・・もういいですよ・・・・はぁ~」

 「そんな諦める様なため息吐かないでくれ。アイシアに嫌われたらオレは生きていけないよ」

 「さっきの今でよくもヌケヌケとそんな言葉吐き出せますよね・・・・まったく」

 「なんでかな。妙に冷たいアイシアを見てると構いたくなるんだよ、これが。もしかしてこれは恋だったりして」
  
 「よく分かりました。さくらに今言った事全部伝えておきます」

 「言ったらお前の売っている人形全部プロレスラーの人形に変えるからなこの野郎」

 「あ、や、スカーフ伸ばさないでくださいよっ! 解けますってばっ!」

 「はは、本当によわっちぃなアイシアは。手首なんか子供ぐらいしかないし。肉、食ってんのかよ?」

 「よ、余計なお世話ですっ!」


  スカーフをグイグイ引っ張る義之をなんとか引き離そうと、腕を叩くがまたもや何の効果も無し。

  うぅ、自分の体の貧弱さが恨めしいです・・・・。なんでこんな協力的な私がこんな目にと思わずには居られない。

  そしてそんな感じで桜の木に向かう途中に、何となく、ふと思った。


  ああ――――そういえばさっきから彼女の名前が出てきていない。さくらの名前しか出てきていないなと。  


  
















 「もしかしたら別れるかもしれないなぁ、義之とその彼女」

 「ん、何か言ったかアイシア?」

 「あ、いえ、別になんでも」

 「ふむ・・・・?」


  そう言って私は純一と並んで桜の木の制御を行う。そういえば状況が状況だから気付かなかったが純一とこういう風に話すのは
 本当に久しぶりだ。大体数十年ぶりぐらい、か。

  もうお爺ちゃんになって眼鏡も掛けている。皺も増えて随分変わったなと思った。それは当り前の事なのだけど・・・少し感慨深くなる。

  音夢と結婚してどうやら幸せな家庭を築いているみたいでよかった。あのお孫さん達を見てると本当にそう思う。


 「お前に会うのも本当に何年ぶりの事かな・・・・。相変わらず若いままで羨ましいやらなにやら」
 
 「そういう純一は老けましたね。昔は色んな女の子を家に招待していた元気はどこに行ったんですか?」

 「・・・・随分昔の事で、そんな事忘れたなぁ」

 「今だから言いますけど、皆さん純一の事好きでしたよ。ちなみにライクじゃなくてラブですからね」

 「その事に気付いたのはいい歳になった大人の時だよ。皆には悪いが鈍感なワシでよかったと思っている。
  とてもじゃないがあの時はそんな事気にしてられなかったからね」

 「そうですよね。ことりとも色々あって純一にとっては本当に『そんな事』気にしてる場合じゃなかったですもんね」

 「・・・・・ゴホッ、ゴホ」


  わざとらしく咽る純一に私も無言になる。少し嫌味っぽかった様な気がするがいいだろう。
 
  昔から純一と私はこんな感じだし、変に気を使ってもお互い気まずい思いをするだけだと思ったからだ。

  ならば、あの時のままに同じテンポで会話をした方がいいだろう。更に桜の木に力を加えながらそう思う。


 「しかしお前と義之君が知り合いだったとはね。音姫から来る途中に話は聞いていたが、まさかその女の子がアイシア
  だとは思わなんだ」

 「いきなり私のお店にやってきて『無理にでも手伝わせる』でしたからね。全く、あんな男の子見た事ありませんよ」

 「あんまり責めないでやってくれ。さくらを助けたい一心で行動してる故の言葉だ。なりふり構っていられなかったんだろう」

 「思わず苛立って肩のツボを殴っちゃいましたよ。あのクマが倒れる強烈なツボです。残念ですが、効きませんでした」

 「・・・・ほぅ。あのツボが効かないとは義之君も強くなったもんだ。それが本当の話なら虎にでも勝てるな、くくっ」

 「もしかしてなんですが・・・・私の事騙してませんか、純一」

 「何を言うか。お前に嘘をついても仕方ないだろう。いつからそんな疑り深い子になったんだ、お前さんは」

 「義之に会ってからですね。よくからかわれます」

 
  ぶすっとしながら言う私に純一は苦笑いした。だって本当の事だ。よく私の事弄るし悪戯するし罵声を吐くし。

  確かに時々優しい時も確かにあるが・・・・そして男らしい所もあるが・・・・・まぁ、悪くはないと思ってるが・・・・。

  あの男はなんだろうか、本当に。ああいう風に私にからんでくる男の子なんてさすがに居なかった。純一だってあそこまで
 私にあんな態度を取らない。


  けど――――助けに来てくれたんですよねぇ。桜の木の中での話だけど。颯爽と来てくれた義之君を見て、少し格好いいかなと
 思ってしまった。まぁ、普通はガラス片で突き差したりしないけどさ・・・・。

  いくら桜の木の力が凄いとはいえ人間の本質まで変えてしまう事は出来ない。慌てふためいてコンビニ行ってパンとかコーヒー
 買って来てくれた義之も義之なのだろう。本来はもしかしたらああいう人なのかもしれない。見た感じ見る影も無いが。

  
  しかし本当に、考えれば考える程よく分からない男の子だ。義之に会ってから暇が出来ると彼の事を考えている。  


 「・・・・はぁ、絶対に見向きされないのになぁ」

 「義之君のことかい?」

 「え――――あ、べ、別にそんなんじゃないんですからねっ! ただあの男の子は何考えてるのかなって・・・」

 「好きな人が居る女の子は皆大体同じ事を言うよ。まぁ、いいんじゃないかな」

 「むぅ・・・・純一の癖にもっともらしい事を。あんなに鈍かった癖に」

 「伊達に長生きしていないからね。ホラ、もう少しで桜の木が収まりそうだよ。イチかバチかの賭けだったが・・・運が良い」

 「・・・・まあ、いいです。後でその話はキッチリと片を付けますからね」

 「はいはい」


  というか今更義之のあんな歪んでいる人間関係の中に入りたく無いし。どれだけ彼の事を好きな子が居るか分かったもんじゃない。

  せっかくここまで生きてきたのに修羅場なんかに巻き込まれて死ぬのは御免だ。死ぬ時は穏やかに死んでいくのが夢なのだ私は。

  どうでも良さそうに桜の木に集中する純一に何か言ってやりたかったが、とりあえず私も桜の木に集中する。

  どうやら由夢ちゃんの力が結構あったみたいで順調だ。かなり苦しそうな顔をしていて少し可哀想だと思うが、あともう
 ちょっとだけ頑張って欲しい。

   
  なんにせよ―――――あと少しでこの騒動は全部終わるのだから。 

















 「さて、どうすっかな」

 
  真っ暗闇の中に月の光で照らされる桜の木。いつもの場所。慣れ親しみたくない場所ではあるが、また来てしまった。

  膝にさくらさんの頭を乗せてこれからどうするか考える。いきなり気を失ったのには多少驚いたが、これで普通のさくらさんが
 戻ってくるのかと思うと安緒した気持ちが体を包むのが分かった。ここなら余計な桜の木の力なんか及ばないだろう。根拠は無い
 がそんな気がした。

  外の頑張ってるだろうアイシア達に感謝してもしきれない。あいつらのお蔭でこうして此処に居られる。クッキーどころじゃねぇな、こりゃ。   

  思えばこの一連の出来事はそんなに長い期間起きていなかったように思える。日数で表わすと一週間弱か、随分濃い一週間だなオイ。

  そうモノ思いに耽っていると、膝下からさくらさんの瞼がピクピク動いたのを確認した。そろそろ目覚めるか。    


 「・・・・ん」

 「起きましたか、さくらさん」

 「・・・・おはよぉ、義之君・・・・」

 「おはようございます」

 「・・・・んにゃ・・・・」


  どこかぼーっとした様子で起き上がるさくらさんを見ながらオレは一安心した。どうやら元のさくらさんに戻ったらしい。

  もし戻らなかったら、思いっきりブン殴ってでも目を覚まさせる覚悟だったのがどうやらその必要は無いみたいだ。

  そしてお互いに座り込んだまま、目を見合わせる。久しぶりに見る正気のさくらさんの目だった。


 「・・・・ごめんなさい」

 「その言葉はエリカ辺りにでも言って下さい。あとはアイシア達にも」

 「アイシア生きてたんだね・・・・よかった。ボクの所為で死なれたら本当に顔向け出来ない所だったよ」

 「来る道中にしつこく言い聞かせましたからね。絶対に死ぬような行動起こすな、余計な事するなって」

 「今アイシアと音姫ちゃん、あと純一に・・・・由夢ちゃんが桜の木の制御してるのか。ちょっと驚いたな、由夢ちゃんに
  そんな力があったなんて」

 「前の世界のさくらさんに会った時があるんですが、別れ際に教えてもらったんですよ。魔法使える人って誰が居るんだって。
  ま、結局そのリストに挙がった人全員に来て貰ったんですが・・・・おかげで家に帰れそうだ」

 
  消える直前だったからタイミング的にはギリギリだった。一応聞いておいた方がいいなと思って慌てて聞いたんだっけ。

  由夢にそんな力があるとは驚いたが、純一さんの孫なんで可能性はあったっておかしくない。使えるかどうかまでは賭けだったが・・・。

  音姉に関しては大して驚きもしなかった。よくさくらさんとコソコソしていたのを何度か見掛けた事があったのでなるほどと納得した
 ぐらいだ。


 「・・・・一つ疑問があるんだけど」

 「ん、何すか?」

 「桜の木の前で義之君の心を読んだ時、そんな事を考えていた記憶なんてどこにも無かった。それはどうして?」

 「ああ、簡単ですよ。アイシアに頼んでその時の記憶を一時的に消してもらったんです。さくらさんすげぇ魔法使い
  だから心読まれるかもって思って。思い出すタイミングはアイシア任せにしていたんですが・・・・よくやってく
  れましたよ、彼女は」


  ちょうどさくらさんと話してる時に思い出したからな。タイミングとしてはよかったと思う。

  煙草を吸いだしたのだってある程度余裕が出来たからだ。思い出させたって事は間に合ったって事だしな。

  しばらく禁煙していたので久しぶりに吸った煙草は美味かった。多分止められそうにないなぁ、煙草。

  
 「・・・・・はぁ」

 「今のため息の意味は?」

 「義之君って将来、大悪党になるかスゴイ大人物になるかどっちかだと思うよ。それかイカサマ師」

 「酷い言い草だ。全部さくらさんの為を思って行動したつもりなのに」

 「それは分かってるよ。こんなボクなんかの為にここまでやってくれたんだ――――本当に、本当にありがとう」


  軽口で返したつもりだが真面目に受け取られて、感謝されてしまった。頭を思わず掻いてしまう。

  さくらさん、というか人に褒められる事ってあんまり無いからな。居心地が悪いというか何と言うか・・・・。

  オレの傍に居る奴らは大体オレの事馬鹿とかアホとか女たらしとか言わないからな。アイシアなんか特にそうだし。

  
 「にゃ? もしかして照れてる?」

 「・・・・さてね。そろそろ外に出れるみたいだから準備しましょうか」

 「あーやっぱり照れてるんだー」

 「だから照れてねぇーって!」


  久しぶりの言い合いに少しムキになってしまった。けど、実感した。全部終わったのかと。

  外に出てさくらさんが謝らなければいけない人は多い。しかしこの一連の騒ぎが終わったかと思うと本当にホッとした。

  さて、外に出たらまずアイシアにお礼を言わなきゃならねぇ。アイツの好きそうなモノってなんだろうな・・・やっぱり外見
 がお子様だからクッキーとかプリンとかその辺りか。


 「あ、義之君。そういえば言って置きたい事があるんだ、いい?」
 
 「ん、何ですか。謝罪だったら別にいいですよ。ずっとさくらさんを一人で放置していたし、責はオレにも―――――」

 「好きです」


  シン、と桜の木のざわめきが止まった様な気がした。

  さくらさんの目を見てるみると真摯な表情。操られている訳でもなく、冗談を言っている目じゃ無い。

  更にさくらさんは言葉を続けた。



 「今更言えた義理じゃ無いのは知っています。親子でこんな事を言うのは異常だと重々承知しています。義之君に
  ちゃんとした彼女が居るのは知っています。でも、好きなんです。桜の木云々関係無く、好きなんです」

 「・・・・・さくらさん」

 「そして、もし―――――ボクを好きだという気持ちが義之くんにもあるなら、どうかボクと付き合って下さい。お願いします」


  この事件の発端、それはさくらさんがオレに対する好意から始まった。頭を下げているさくらさんを見ながら思い出す。

  一連の騒ぎを収めると言うのならこの告白は予想できた事かも知れない。だがオレの頭の中は真っ白になってしまった。

  思えば真っ正面からさくらさんにこういう言葉を吐かれたのは初めてかもしれない。そのストレートな言葉はオレの心を揺さぶった。


  さくらさんとは色々あった。例えば、一緒に寝た事もある。その度にオレは嘔吐感に苛まれて苦しい思いをした。

  しかし確かに幸せな記憶もあった。一緒に鍋をつついたり、テレビを見たり、下らない話で盛り上がったりもした。

  さくらさんを一人の女として意識する――――その気持ちが完全に無かった訳じゃない。ここまで魅力的な女性なのだから当り前だ。


  しかし・・・・・・


 「結構残酷な事言いますね、さくらさん」

 「義之君・・・・」

 「オレはアンタをかなり尊敬しているし、大事な人だと思っている。さっきはその気は無いと言ったけれどそれでも
  アンタはオレにとってかけがえのない人だ。もちろん、美夏も」

 「・・・・うん」

 「さくらさんがどういう人生を歩んでるか全部知ってしまったんですよ、オレ。そしてあれだけ求愛もされたし
  オレが居なくなったらさくらさんがどういう気持ちになるかぐらい想像つきます。そんなオレにアンタは自分
  と美夏を天秤に掛けろと言っている」    
  
 「卑怯なのは承知している、から」

 「だったら尚更タチが悪い。オレはさくらさんをもう一人きりにさせる事は出来ない。それを知ってていうんだからよ」

 「・・・・ごめん」

 「知ってますか? オレはアンタと寝る度にトイレに駆け込んでゲロ吐いてたんだぜ? もう心なんかズタズタで
  苦しんで、それでもなんとか普通の生活に戻ろうとして――――そういう気持ちで毎日を送っていたんですよ」

 「・・・・ごめ、ん」

 「もう本当に裏切られた気分ですよ。いつも微笑み掛けてくれる人がそんな事をしてくるんだから。オマケに逃げられない
  様にさせられ、エリカを意識不明の重体にして、あんなクソみたいな世界にオレを放り込んだ」

 「・・・・ひっぐ・・・・ごめ・・・ん」

 「桜の木の所為だと言ってしまえばそれまでだ。しかし、実際にアンタ自身がそういう行動を起こしたのには違いない。
  そして極めつけにオレとさくらさんは血のつながった親子だ。それでもアンタはオレの事を好きと言うのか?」

 「・・・・・・・・・・・・・う、ん」


  顔を伏せたまま涙を零し、それでもオレを好きだと言うさくらさん。

  その様子に―――――オレは何も言えないでいた。


 「ああ、ちくしょうッ!」

 「・・・・ひぐ・・・ぅ・・・ご、めん、なさい」


  言ってしまえばいい。美夏という彼女が居るんだからアンタの告白を受け取れないと。大体親子で付き合うとか馬鹿なんじゃねぇの
 と突き離してしまえばいい。そうした方がお互いの為でもある。

  お互いの為――――自分で言っててこれほど虚しいものはないと、自嘲しそうになった。明らかにオレの為だ。別にさくらさんは
 オレとくっ付いても何も問題は無い。戸籍上は何の繋がりも無いのだし、オレとさくらさんの関係を知ってるのだって一部だけだ。
 この問題から目を背けようとそんな事を考えていた自分に腹が立つ。一息吐き、自身を落ち着かせて空にある月を見上げた。


  結局、悩んでる時点でさくらさんに希望を持たせているのだ。今までだったらすぐ美夏と答えられたのに・・・答えられない。


  アイシアには偉そうに優先順位と言ったが、オレは決められないでいる。美夏の事は変わらず好きだし愛してるがさくらさんを放って
 置いてまで付き合えるのかと聞かれたら・・・・分からない。

  さくらさんの傍に居ながら美夏と付き合うなんて以ての外だ。さくらさんの気持ちを知った以上それは出来ない。どっちかを取るしかない。


  悩んだ――――今までの事、これからの事、自分の事、周りの事。今までに無い以上考えに考えて、答えを・・・・・出した。



 「――――――よし、さくらさん」

 「・・・・・・ッ!」


  顔を伏せたまま肩を震わせるさくらさん。答えを聞くのが怖いのだろう。オレの答えはYESかNOしか無いわけだからだ当然か。

  オレがそういう人間だって知ってるし、中途半端な答えは出せないと知っている。だってオレはさくらさんの全部を知ったのだから。

  今までみたいな生活には戻れない。進むか捨てるしかない。皆仲良くとはいかない。だからオレはそれを覚悟して、言ってやった。


 「さっきの告白・・・・返事を出そうと思う。オレは―――――ー――」

  
  言葉を吐き出しながら脳裏に浮かんだのはこの答えを出した時の皆の反応だった。

  エリカはどう思うだろう、ここまでオレなんかの為に頑張ってくれたアイシアはどう思うだろう。

  そして―――――美夏はどう思うのだろうか、と。


  桜の木々が揺れ、花が舞う。もう恐らくここに来る事も無くなるだろう。

  意識がハッキリと覚醒し、段々周りの風景が明るくなり、そしてオレ達は現実の世界に戻った。












[13098] 外伝 -桜― 最終話 end
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/10/07 16:40





 「由夢ちゃーん、ちょっといい?」

 「ん、なぁに?」

 「ちょっと買い出し手伝ってくれる? 商店街まで行くんだけど手が足りなくて・・・・」

 「えー。兄さんに手伝って貰ってよぉー。どうせ春休みで暇してるんだしー」

 「もう、そんな事言わないの。たまにはお姉ちゃんに付き合いなさい」


  居間のソファーでゴロゴロしていたのがマズかったか。台所であれが無いこれが無いと言ってる時点で自分の部屋に退避しておけば
 よかったと思う。

  いや、どっちみち部屋に居ても同じ事になっただろう。これはもうタイミングが悪いとしか言えない。しょうがないけど大人しく着いて行く
 事にした方がよさそうだ。

  読んでいた漫画をテーブルに置き、軽く服がシワになっていないかチェックする。珍しくジャージを着ていない状態だったのですぐ行ける
 格好だった。

  あーあ、面倒臭い。そう思いながらお姉ちゃんと玄関に移動した。


 「春休みだからってなまけ過ぎだよ。規則正しい生活を送ってないと後で自分が困るんだから」

 「勘弁して下さいよ。去年のあの時に力を使って以来、妙に体がダルいんだから・・・・」

 「きっと慣れない事したからだろうね。運動と同じで急に動いたから筋肉痛になったみたいなものだし。だから―――――」

 「また魔法の訓練の話? だから私はそういうのに興味無いんだってば。かったるいし」

 「んもう、そんな事言わないでさ。ね、ちょっとでもやってみない? 絶対由夢ちゃんならいいとこまで行くと思うし!
  それにその方が体のダルさもすぐ解消出来て―――――」


  この前の一件以来、お姉ちゃんはこういう風に暇さえあれば私を魔法の特訓に誘ってくる。話をしているとどうやら仲間
 が出来たのが嬉しいみたいで私にどうやってでも魔法を覚えさせたいみたいだ。

  私としてはさほど興味が無いので断ってはいるが・・・お姉ちゃんの押しに最近負けそうになってきている。やれば絶対に
 かったるくなり途中で投げ出す自身があるので、どうしたもんかと最近それについてばかり考えていた。

  その例のお姉ちゃんは私のそんな気持ちを知らず、呑気そうに鼻歌を歌いながらいつもの真っ白のブーツを履いている。

  その様子にため息をつきそうになりながらも、私もローファーを履いて玄関の扉を開いた。


 「あー今日も快晴ですねー。かったるーい」

 「最近の由夢ちゃん、かったるい言い過ぎ・・・・」

 「だってかったるいんですもん。兄さんを誘うのに躊躇して、仕方無く家に居る妹を誘うかって感じで私を連れ出したんだから。
  これぐらい言わせて下さいよね」

 「べ、別に躊躇してる訳じゃ・・・・」


  どもるお姉ちゃんに少し呆れながらも、向こうにあるさくらさんの家を見る。途端に少し腹が立った。

  私の予知夢は断片的なものであり、その見た場面が結果なのか過程なのかさえ分からない中途半端なモノだ。

  私が夢の中で見た場面は兄さんが桜の木の中に取り込まれる所だけ。だからそれが結果なのか過程なのか分からないからこそ、あんな
 に息が切れる思いで走ったというのに・・・・全部兄さんの考えの内に収まっているというのは、中々腹が立つ。

  自分が消えるという事も予測しての行動。本当にあのぐーたらな兄さんがそんな事を考えて行動したなんて信じられない思いだ。


 「だって弟君の事誘い辛いんだもん。由夢ちゃんだって分かってる癖にぃ・・・」  

 「まぁ、気持ちは分かりますよ。最近さくらさんに付きっきりだし、ね」

 「あれ? もしかして寂しいの、由夢ちゃん?」

 「ば―――――そ、そんな事ある訳無いじゃないですか! なんで私があんな不良な兄さんを・・・・」

 「女の子って不良の男の子に憧れるモノだから照れなくてもいいのよ? ワイルドに見えるし格好いいもんね」

 「そんな可愛いものじゃないでしょ・・・あれは」


  確かに去年からの兄さんは不良だとは思うが、その言葉だけじゃ言い表せないまた別な何かの様な気がする。

  馬鹿みたいな事を言うと思ったら時々理知的な言葉を吐く時があるし、凄く暴力者だと思ったら穏やかな顔をする時がある。

  本当に訳が分からない人になっちゃったなぁ。なんであんなに人が変わった様になっちゃったんだろうか。


 「まぁ、兄さんの事は置いておくとして。今日もさくらさんの家で夕食ですか?」

 「そうだねぇ。アイシアさんもいるし、最近は弟君も嫌がらないし、やっぱり皆で食べた方が楽しいじゃない?」  

 「や、別に嫌だとは言ってませんよ。私だってアイシアさんと食べるの嫌じゃないですしね」


  ここ最近、アイシアさんがさくらさんの家に居る事が多い。なんでもアイシアさんとさくらさんは旧知の友らしい。

  なんであの世代の女の子はあんなに若いのだと突っ込みたい所だが、怖いので止めておく。年齢の話をすると鬼みたいに怒るし。

  お祖父ちゃんを『純一』と呼び捨てる程に年齢が近いのは確かなのだが・・・・魔法というものは若づくりにも役立つようだ。

  なんにしても全世界を旅しているアイシアさんの話を聞くのは楽しい。外国に行った事の無い私としては刺激的な話ばかりだ。

    
 「でも行ったら兄さん嫌味を言うからそこが不満です。『何時になったらお前料理出来んの?』、って言うんですからっ!」
  
 「あ、あはは・・・・。で、でもっ!腐らないで毎日精進だよ、由夢ちゃん!」

 「この間なんか普通に吐き出しましたからね。失礼な話ですよ全く」

 「あの時は酷かったね・・・・。アイシアさん寝込むし、さくらさんは無理矢理はりまおに喰わせようとしてたし・・・・」

 「お姉ちゃんは私のお皿に全部分けようとしてましたもんね」

 「ま、まぁそんな過去の事はどうでもいいじゃないっ! ほら、早く行かないとお店閉まっちゃうよ!」

 「あ、な、何で逃げるんですかーっ!」


  まだ真昼間なのに急いで駆けだす姉の後ろを、私も走りながら追いかける。

  まぁ、何だかんだ言ったが、最近はいつも通り平和だった。最近の夕食時の事を振り返ればそれは確かだった。

  兄さんの周りはちょっとゴタゴタしたみたいだけどね・・・・。その時期の兄さんはいつも何かを考えている様な顔をしていた。  


  桜の木から出てきた兄さん達。そしておもむろに一連の騒動を包み隠さず私達に教えてくれた。さくらさんの泣き顔が今でも頭に残っている。



 「いやぁーっ! 由夢ちゃんが鬼みたいな顔して追いかけてくるー!」

 「誰が鬼みたいな顔ですかっ! だ、だから待って下さいってばっ!」


  しかし、その話は今思い出す必要は無いだろう。もう終わった事だし、今は姉の後を追い掛けなくては。

  てゆーかそんな大声で言わないでくださいよ! ご近所に聞こえたら恥ずかしいじゃないですか、全くっ!





















 「ねぇ、義之」

 「なんだ、アイシア」

 「この指輪買って下さいよ。やっぱりクッキーだけじゃ割に合いませんって」

 「美味しそうにボリボリ喰っておいてそれかよ。確かにあの事件の褒美にしては安いと思ってるけど、それで満足
  してたじゃねぇか。それもなんだよその値段・・・・舐めてるのか、てめぇ」

 「でも可愛らしいデザインですし・・・う~ん」


  そう言ってカタログをペラペラと捲り同じページに戻った。机に顎を乗せてリラックスしてるのは分かるが、一応オレの
 部屋なんだぞ。遠慮ってもんを知らねぇのかこの女は。まぁ、別にいいけどよ。

  オレの膝の間に座り込んで読んでるから煙草も吸えず、オレもそのカタログに目を落とす。元々オレの部屋に置いてあった
 雑誌だからもう読み飽きた物だが、オレもやる事がないので付き合ってやる事にした。

  それにしても指輪か。こいつがそんな物に興味を持つなんてな。オレもいくらかは趣味で集めてたりするが、まさかアイシアが
 そう言うモノに興味を持つとは思わなかった。頓着する様な性格でもないと思ってたしな。


 「そういうのが欲しいんだったら、ホレ」

 「え――――って、あわわっ!」


  適当に指に付けていたアクセを本の上に落とす。安くは無いが高くも無い普通の指輪だ。綺麗系だし別に女が付けても違和感ないだろう。

  オレがあげた指輪に驚き、どうしたらいいかという風にあたふたするアイシアを見て、笑った。本当に年上なのかよコイツは。

  とりあえず指輪を手に取り、こちらの様子を窺う様にしてじっと見詰めてくる。もしかしてからかわれていると思っているのか。


 「冗談じゃ、ないんです・・・よね?」    

 「人の好意は無碍にしない方がいいと思うだがな。オレがくれるっつーんだからくれてやるんだよ。素直に受け取って置け」

 「で、でもこんな高そうな物・・・」  

 「バイトしてたら買える値段だし、付けるのに戸惑うほどの高級品て訳でもない。もしデザインが気に要らないって言うのなら他の
  にするけどな」

 「あ、いや、こ、これでいいです! というか、これがいいです!」

 「そ、そうか・・・・」


  まるで子供のようにはしゃぎながら指輪を手に嵌めるアイシア。その様子を見てる若干戸惑うが、あげて正解だったかなと感じた。

  なんだかんだ言ってあの時の恩は返しても返しきれない程ある。一方的に付き合わせ、命まで助けて貰った。今までゴタゴタ
 してお返しを考える暇が無かったから、少しだけ気に入ってた指輪を上げたとしてもなんら痛手は無い。

  むしろ足りないくらいだ。しかし、まぁ、そんなに喜んでくれてなによりだよ。


 「そうだ! 今からどこかへ出かけましょうっ! 義之も暇だし別にいいですよね!?」

 「んでだよ、かったりぃ。この後暇だから昼寝でもしようかなと思ってたのによ」

 「いい歳した男の子が何を言ってるんですか。ホラ、早くぅ~」  


  ぐいぐい手を引っ張ってくるがオレは意地でも動きたくないので、腰に体重を掛けそれを阻む。肩を一生懸命プルプル震わせながら
 オレの手を引こうとするが、生憎アイシアみたいな貧弱な女に力負けする程、鈍っちゃいない。

  つーか最近こいつの出店に引っ張り出されてばかりで疲れてる。こんな時ぐらいゆっくりさせてくれよと思わずにはいられない。大体
 こいつが行きたい場所なんて初音島にある神社とか、海とかそんな所だ。

  アイシアから見ればこれまた新鮮に映るんだろうが、こちらは生まれた時から見ている風景だ。行ってもきっとつまらない思いをするので
 お出かけはご遠慮して貰おう。


  そして――――気付けよな。扉の陰からコソッとこっちの様子を窺ってる視線に。行きたくない理由の大半はこれだったりする。


 「なぁ、アイシア」

 「ん、何ですか? やっぱり行く気になりましたか?」

 「扉の方を見てみ」

 「え、扉がどうかした―――――――って、きゃぁぁぁぁあっ!?」

 「・・・・ジー」


  さくらさんのねっとり絡みつくような視線に気付いたアイシアは、一目散にオレの背中に隠れた。よほど怖かったのかぷるぷる震えている。

  そりゃ怖いに違いない。ちょうど扉から半身だけ出す様にして下から見上げる様な上目遣い。ちょうど昨日やっていたホラー映画みたいだ。

  そういえばその映画見てアイシア泣きそうになってたっけ。見た目通りというかなんというか。後ろから脅かしたらマジ泣きしてやんの。


 「どうしたんですか、さくらさん?」

 「・・・・ちょうど仕事が一区切りついたし、義之君何してるかなぁと思って・・・さ」

 「そりゃちょうどいい。下でコーヒーとか飲もうと思ってたんですよ。さくらさんも飲みますよね?」

 「・・・・アイシア」

 「はうっ! な、な、なんですかっ!?」

 「指輪、いいね。ボクなんか義之君から貰った事ないのに」

 「うぅ・・・・・」


  オレの言葉を無視し、じーっとオレの体越しにアイシアを見詰める。なんか段々視線の部分が痛くなってきたんだけどよ・・・・。

  とりあえずこの状態をずっとこのままとは行かないので、オレはアイシアを立ち上がらせ、さくらさんの目の前に突き出してやった。

  さっきまであたふたしていた様子とは一変して硬直する体。さくらさんは言葉を吐かず、その顔を感情の無い目で見ている。

  まるで蛇に睨まれたカエルだな。その言葉がそのまま当て嵌まりそうな図式だったので、思わず苦笑いをこぼしてしまう。  


 「わ、わ、私・・・・・っ!」

 「別にそんなに怖がらなくてもいいじゃない。さっきから義之君の膝の間で楽しそうにお喋りしてたけど、ボク気にしていないし」

 「~~~~~~~ッ!」

 
  そしてとうとう我慢出来なくなったのか。さくらさんの脇を通りドアを潜って、ドタバタと階段を駆け降りる音が響き渡った。

  よほどビビったんだろう、「わ、わ、私っ! コーヒーの準備してきますっ!」と言った声も若干震えているのがその証拠だった。

  そして部屋に残されるオレとさくらさん。アイシアが出て行った方向を見詰めた後、いつも通りにこちらに歩み寄り、膝の間に座った。


 「アイシアには優しいよね、義之君」

 「そんな事無いと思いますけど。オレは博愛主義だし、皆に優しいつもりです。昨日観た仔馬のドキュメンタリーには思わず
  涙を流しそうになりましたよ。生命の尊さって改めて考えさせられます」


  親馬が難産で、出産自体が生死を分けるといった動物のテレビ番組だった。

  アイシアはそれを見て泣きながらウンウン頷いていたし、由夢も感化されたのか涙目になっていたのは記憶に新しい。

  最後の方は結局、親馬も仔馬も生き延びる事が出来てハッピーエンドという今時の番組だった。


 「あの後、義之くんさ、アイシアに耳打ちしてたよね。『あの親馬と仔馬。お前がさっき食べた馬刺しなんだぜ、可哀想に』って」

 「あーそんな事もありましたね。結構本気で殴ってくるから困りましたよ、全く」

 「あまりのショックで、もうお馬さん喰わないって言ってたよアイシア。どうしてくれるのかなぁ~?」

 「今朝の朝食の時、美味しそうに鶏肉喰ってましたから平気でしょう。それよりも下でアイシアがコーヒー入れてくれてる筈ですから
  さっさと行きましょうよ。あんまり待たせると拗ねるんですから、アイシアは」

 「ん~もうちょっとこのままがいいかなぁ。義之君はイヤ?」

 「そんな事ないですよ。じゃあ、もうちょっとゆっくりしていきましょうか」

 「にゃはは、アリガト」


  オレの胸に頭を乗せてくる。その慣れた感覚の重さにオレも安緒に似た感情が身を包むのが分かった。

  こうしてまた再びさくらさんと穏やかな雰囲気で引っ付けるなんて去年は思わなかったな。つい最近の事なのに懐かしく思う。

  一週間と少し―――――オレがこの世界に来た時を混ぜると約一ヵ月間。もうこれ以上無い位に濃い人生を送ってしまった。

  別にそれが不満って訳でもないし、色々な人が傷付いたがもう終わった事だ。エリカも無事復帰したし、桜の木も枯れた。


  そう、全て終わった。だが始まったモノもある。さくらさんの顔を見ながらあの時の事を思い出した。





















 「オレは―――――さくらさんの事をちゃんと愛してあげられるか分かりません」

 「・・・・そう」


  オレの返答は大体分かっていたのか、どこか納得したような表情と諦めの色を濃く表わしていた。

  しかしショックを受けていないという事ではない。握られていた手はだらんと垂れており、肩もうなだれている。

  さくらさんにとってはこれ以上ないぐらい好きになった男性。今までの事からもそれは分かっている。
 
  そして今まで一人ぼっちで過ごしてきたさくらさんにとって、それはもう死刑宣告に近いものがあるだろう。


 「にゃ、にゃはは・・・・そうだよね。今まで義之くんに酷い事してきたんだものね・・・・」

 「そうですね。多分今まで、そしてこれからずっと先の事を考えても、これ以上無い位の裏切りを受けました」

 「・・・・・・ごめん」

 「ですから色々考えてみました。さくらさんがしてきた事、オレの気持ち、この二つを」

 「うん・・・・・・」


  今からオレが言う言葉は、かなり勇気が要る。オレにとって大事なものを、かけがえの無いものを取捨選択するのだ。

  こんな決断は今までした事がない。だが、この問題に白黒を着けなければオレだけじゃなく、周りのオレの大事な人達が傷付く。

  つい最近まで他人に興味を持て無かった自分が、こんな問題を抱えるとは思わなかった。笑える話だ。もうオレは変わったのかもしれない。


  だが、まぁいいかという気持ちもあった。オレはオレだし、根本的な部分は変わらない。何時だってオレは自分の思った通り行動する。


 「オレは―――――美夏と別れて、さくらさんの傍に居る事を、誓う」

 「・・・・・・・・え?」

 「さっきの告白、受け取ろうと思うよ。これから改めてよろしくな、さくらさん」

 「え? え? ええっ!?」


  オレの微笑む様な笑みとは対照的に、さくらさんは狼狽しきった様子で目を忙しく動かしている。

  あまりのそのうろたえっぷりにオレは思わず笑ってしまった。そんなオレの笑いを見てか、若干ムッとした顔付きになるさくらさん。

  なんだよ。告白してきたのはそっちなのに、そんな驚く事でもないだろう。まぁ、今までの流れで普通にOKが出るとは思わないか。


 「はは、そんなに驚く事でもないでしょう。オレはたださくらさんの言葉に頷いただけだ」

 「う、頷いただけって・・・・。ボク、絶対に断られると思ってたんだよっ? 義之君のことをいっぱい傷付けたし、エリカ
  ちゃんにも酷い事して、だから、その・・・・・」 

 「信じられない―――――もしかして、そういう気持ちでいっぱいですか?」

 「・・・・・うん。だって義之君は美夏ちゃんの事大好きなのは分かってるし、だから別れてボクと付き合うなんて・・・・」

 「オレは言いましたよね、本当に色々な事を考えたって。これ以上無いくらい考えましたよ。本当に、これ以上無いくらい」

 「―――――理由、教えてもらっていいかな?」

 「理由、ですか」 

 「うん。美夏ちゃんを振ってまで、ボクを選んでくれた。その理由」


  目を閉じ、手をポケットに入れる。さくらさんとしてはとても重要な事なのだろう。自分が今まで酷い事してきたのに、恋人を捨てて
 違う手―――――自分の手を取るのだから当然か。

  別に美夏が嫌いになった訳ではない。今こうしていてもアイツの顔を思い出すだけで愛しい思いや、優しい気持ちになれる。

  茜、エリカを捨ててまで付き合った人だ。こうして人に感情を開いたのもアイツのおかげもある。じゃあ何故、捨てる様な真似をするのか。


  オレはさくらさんに告白された時に考えた。そういえば―――――ここまで頑張って走ってきたのは誰の為だろうと。

  色んな人達を巻き込んでまで、オレ自身が傷付いても走り抜けたのは誰の為だったのかと。それは誰でも無い、さくらさんの為だった。

  小さい頃からのオレの憧れの的であり、女性としてもオレはさくらさんに僅かだが好意を持っていた。そんな人をオレは自身の手で助け
 たかった。そこに何ら打算めいたモノは無く、ただ純粋に苦しんでいるさくらさんを救ってやりたかった。

  
  そうしてオレは知ってしまう。知ってしまった。さくらさんの今までの人生を、そのどうしようもない孤独感を、オレに対する狂おしい
 ぐらいの愛を。オレが思っていた以上に、さくらさんの心はもう限界まで壊れかけていた。

  そこに見たのはオレが尊敬しているさくらさんではなく、タダの女の子が泣いていた。どうしていいか分からず、タダ泣く事しか出来ない
 子供みたいな子が座り込んでいる。

  そう考えた時、オレは傍に居てやりたいという強烈な感情が心を支配した。それは美夏と居たいという気持ちよりも・・・・・大きかった。


  結局のところ、オレは小さい頃から今に至るまで、さくらさんの事を想う気持ちが薄れなかったという事だ。

  オレの始まりの記憶の最初の人であり、そしてオレの初めての母、そして大事な女性。それだけがオレの気持ちの全てだと言えた。


 「美夏とさくらさん。両方を天秤に掛けたら・・・・貴方の方に傾いた。ただそれだけです」    


  余計な言葉は要らない。色々な言葉で繕っても結局はそういう事なのだ。

  美夏とさくらさんを比べて、オレはさくらさんを取った。もう後戻りは出来ないし、する気も無い。

  オレのその言葉に、さくらさんはまた泣いた。多分ここ最近では一番泣いたのではないかというぐらい泣いて、叫んだ。


 「・・・ひっぐ・・・・ご、ごめんね。本当に・・・・ごめんね、本当に―――――うわぁぁあぁあぁああぁあっ!」


  何に対しての言葉なのか。誰に対しての言葉なのか。

  オレに対してか、美夏に対してか、それとも茜やエリカといった人達に対しての謝罪の言葉なのか。

  どれのようでもあり、どれも違う様な気がした。

  
 「好きです、さくらさん」


  美夏、ごめんな。やっぱりオレは最低だ。お前がいながらオレはさくらさんを取った。呪いたいなら呪ってくれ。

  そんな事は絶対にしないだろうに、そう思わずにはいられない。オレは恋人を裏切ったのだからそうなっても甘んじて受けとめる。

  実の母親と愛し合う。残念だ、天国には行けそうにも無い。死んだ後でもオレは楽をしていたいのにな。態々辛い所に行くほどオレは物好きでもない。

  まぁ、いいか。さくらさんと一緒なら地獄だってどこへだって行けるさ。オレとさくらさん、この二人だったら何処でも楽しくやっていける。


  そうしてオレ達は現実の世界に戻った。

  現実――――楽じゃ無い道のりだが、精々裏道をトコトン行ってやるか。





















 「ていうか義之君さぁ」

 「なんです?」

 「アイシアの事、本当に構い過ぎだよねぇ。さっきははぐらかしたけど」

 「またその話っすか。だからなんでもないですってば。子猫を可愛がる感覚ですよ、子猫をね」

 「そのうち泥棒猫にならなきゃいいけどね。あの子、意外としたたかだし」

 「あー・・・確かにソレっぽい所はありますよね。伊達に長生きしていないみたいな所は時々感じます」

 「だからさ、その、あんまりくっ付いて欲しく無いわけなんだ・・・・一応、ボク達そういう関係なんだし」

 「それって、どういう関係ですか?」

 「・・・・分かってる癖に」

 「はは、別に意地悪したい訳じゃない。ただ、改めて聞きたくなっただけです」

 「――――――こういう関係、だよ」


  唇に感じる柔らかい感触。最近日課となりつつあるキスだった。さくらさんが好み、オレも嫌じゃ無い日課。

  最初の頃は戸惑って苦労した。やはり今まで親子として暮らしてきたし、いきなり完璧に一人の女性として見ろというのは無理な話だった。

  だからこそさくらさんと寝た時も嘔吐感に苛まれた訳だ。親と子、この関係は覆せない事実であり一生付き纏う単語でもある。

  しかしこれを乗り越えないと話にならない。さくらさんもそれが分かっているのでキス以上をしてこなかったし、オレも有り難かった。

  
  今では毎日の日課のキスのお陰か、そういった嫌悪感みたいなものも薄れていき順調な毎日を送っている。

  さすがに毎晩お楽しみという訳にもいかないのである程度は節度を持って行動しているが、時々体を重ねては一緒に寝る事も少なくは無い。

  こちらの世界に戻って来て、初めてお互い合意の元で体を重ねて思った。ああ、本当に人の道を外れたんだなと。

  さくらさんとお互い何故か涙を流しながら笑ったのは一生忘れないと思う。その時に感じた感情はとても言葉じゃ言い表せない。


  喜びと悲しみ、達観と諦観、優越感と劣等感。だが後悔はしていない。

  さくらさんの笑顔を見る度に、オレはそう思った。


  

   













 「見なさい天枷さん、親子で付き合ってる変態の義之が歩いてるわ」

 「うむ。変態が真昼間から歩いているな」

 「やぁん、私、こわ~い」

 「・・・・・てめぇら、そこの川にまとめて落としてやろうか・・・・」

 「あら、この時期はまだ海開きがされていないと思いましたが? 桜内先輩ったら春休みで少しボケましたか?」

 「言う様になったな、エリカ。最初会った頃はまだ可愛気があったと思うぜ?」

 「そんな頃もありましたわねぇ。でも色々私も変わりましたのよ。桜内先輩のおかげで」

 「・・・・悪かったと思ってるよ。あんまり苛めないでくれ」

 「―――――ふふっ、冗談よ義之。私は今でも義之の事大好きなんですから。なんだったら今からまた少し本気を出して
  妨害してみようかしら。貴方と学園長の仲を、ね」

 「・・・・・はぁ、勘弁してくれ」


  最近頭痛が増えたような気がする。オレが午後に喰う菓子の買い物に出かけた矢先、坂道の下で出会ってしまったこの面子に頭を
 抱えたくなる。エリカに美夏、茜といったこれまたオレに縁がある人物達だ。

  オレとさくらさんが付き合う事を真っ先に話したのはエリカだった。さくらさんも謝罪しなければいけないし、ついでという形で
 さくらさんとの関係をエリカに話そうと思って打ち明けてみた。

  勿論エリカは激怒した。美夏ならまだ納得出来る、けれど親子で付き合うなんてそんなこと――――と言った具合だ。何も言えず
 黙るオレとさくらさんを見てまた激怒するエリカ。


  そして怒りに怒って――――涙を零した。言いようの無い感情に思わず泣いてしまったのだろう。しかし、オレはエリカを抱きしめる
 事は出来ない。もう、オレは全部を振り切ってさくらさんと付き合っているのだから。

  そんなオレの様子に何か感じ取ったのか、『はぁ・・・』というため息をつき、オレ達に言った。


 「私には貴方達を祝福する事は出来ない。だって、普通じゃないんですもの。けれど――――頑張ってください」


  救われた様な気がした。オレとさくらさんはエリカに頭を下げ部屋を後にした。エリカが死にそうになった原因の魔法に
 ついて何も言及されなかったのは多分オレとさくらさんの関係に驚いて、聞きそびれたからだろう。

  思い出したら後々面倒臭くなりそうなので、このまま喋らない方がいいとオレはさくらさんに言ってやった。さくらさんも
 さすがにそれは言い辛かったのか、二人でその件は伏せておく事にした。

  まぁ、しかしエリカには本当に迷惑を掛けた。一番の被害者でもあるし何か贈り物でもした方がいいのかもしれない。さくらさんは
 面白くないと思うが、そこは説得するしかないだろう。


 「でもぉ、義之くんて本当に気が多いわよねぇ。あっちこっちに目移りしてさ。ホント最悪って感じぃ~」

 「だったらそんな最低男の腕にひっ付くなよ。かったりぃわ」

 「そんな事言わず胸の感触を楽しみなさいよ。さくらさんには無いこの胸、いいでしょ~?」

 「な、なにやってるんですか花咲先輩っ! 義之から離れて下さい!」

 「花咲ぃ! お前、義之にはちゃんとした恋人がいるんだぞ! そんな事しては駄目だ!」

 「そんないい子ぶっちゃってだめよぉ、美夏ちゃん。本当はまたよっしーの腕に抱かれたい癖にぃ」

 「な、う、うがぁぁあああーーー!」


  顔を真っ赤にさせて茜の腕を剥がそうとする美夏とエリカ。茜はそんな二人の腕をのらりくらり躱しながらオレの腕から離れないで居る。

  そんな様子の茜を見ていると、こいつは本当に変わらないと思った。オレとさくらさんの関係を知った時は、エリカ以上に怒ったというのに
 変わらずオレにいつも通りに接してくるのは、器がでかいというかなんというか。まぁ、そんな事言ったらエリカもなんだけどな。

  茜が一番怒った事は美夏の事。どうするつもりかと聞かれた。オレは別れると言ってやった。飛んでくるビンタ、唇が切れて血が流れた。


 「最低ね、義之くん。美夏ちゃんの事弄んだと言われても何も言えないわよ、貴方」

 「考えに考えたんだ。オレはその事を後悔していない。美夏には後で言うつもりだ」

 「あら、開き直り? 本当に大したタマね。一回死んだら?」

 「それは出来ないな。さくらさんが悲しむ。なんとでも罵倒してくれ」

 「―――――ッ! それが開き直ってるって、言ってるのよッ!」


  またビンタが飛んできてきた。今度は受けずその手を受け止める。見詰め合うオレと茜。

  オレはその手を離して、茜に向き直った。納得をして貰おうなんて都合の良い考えはしていない。
  
  いくら茜が人が良いとはいえ限度がある。オレはその限度を超える様な真似をしたのだからこうなるのは当然だった。


  だが、それでも茜には分かって貰いたかった。ただの自己満足。けれどオレの本音だった。


 「お前には分かって欲しい、茜」

 「な、何を分かれって言うのよっ! エリカちゃんとか美夏ちゃんを巻き込んで、挙句に別な女、それも母親みたいな人と
  付き合う事を分かれって言うのっ!?」

 「そうだ」

 「そうだって、貴方―――――」


  信じられない様な目付きでオレを見る茜の目。オレはそれから視線を外さず、黙って受け止めた。

  流れる沈黙。茜は何かを考える様な仕草をして黙ってしまった。色々な事に整理をつけているのだろうか。分からない。

  オレは茜が何を言っても全部受け止める気概でいた。茜には今まで本当にお世話になったし、その権利があるだろう。


 「・・・・撤回する気は?」

 「無い」

 「今ならまだ間に合う。美夏ちゃんと別れるなんて止しなさい」

 「もう決めた事だ。そのつもりはない」

 「本気、なのね」

 「本気だ」

 「・・・・・・・」


  値踏みするようにオレを見る。あまりにも都合のいい話には聞こえるが、オレはさくらさんに対して本気だった。

  またしばらく沈黙が流れ――――ため息が漏れた。茜は髪をくしゃくしゃにしながらオレを見る。目の色、納得はしていないが
 一応怒りの矛を収めてくれたようだ。

  その様子に心の中でホッとした気持ちが生まれた。このまま怒ったままじゃ話なんて出来なかったかからな。
 

 「なんだかその冷静そうな顔が、すごく嫌味ったらしいんですけどぉ」

 「生まれつきだ。悪いな」

 「美夏ちゃんとよく話し合いなさいよ。そうしないと絶対にお互い心の中で傷付くだけだから」

 「ありがとうな、茜。お前だってオレの事好きだったのに振り回せちまって」

 「何そのモテ男発言。さすが義之くんは一味違うわねぇ~」

 「何か出来る事はないか。とりあえずなんでもするつもりではいるが――――要望を聞いておく」

 「・・・・ふぅ~ん、じゃあ、さ」


  言葉を切り、髪を整えてオレと正面から向かう様な位置に足を動かす。

  何を言うつもりか――――見当が付かない。こいつの事だから常識外の事は・・・・いや、言うかもしれない。

  こいつと親しくなったのだって、公園でのあのいきなりのキスが始まりだったからな。


 「私とぉ、付き合ってくださ~いっ!」

 「・・・・たまにお前の頭の中を覗いてみたいよ。何が詰まってるんだろうな。夢か?」

 「ふんだ。別にいいじゃない、これぐらい言ったって」

 「付き合う事は出来ないが・・・・これで勘弁してくれ」

 「あ――――――」


  そう言ってオレは、茜の体を抱きしめる。まるで恋人がするみたいにぎゅっとしてやった。
  
  間近で聞こえる吐息と甘い香り。今まで茜に対してオレはどこか冷たいような態度を取っていた様な気がする。

  美夏とエリカの事で頭が一杯だったというのは言い訳にはならない。茜が苦しんでいない筈は無かった。


  最初にオレを好きだと言ったのは茜だった。キスを初めにしたのも茜だったし、友達に収まってくれた後でも色々助けて貰った。

  エリカを気に掛けるオレを見て何を思っただろうか。美夏と付き合うと聞いて何を感じたのか。それは本人にしか分からない。

  けど分かる事―――――悲しい思いをしていたに違いない。さくらさんと同じく、茜もまた辛い気持ちを抱えたままだったに違いなかった。

  なのに今度はさくらさんと付き合うというとっておき。返って辛い思いをさせるかもしれないが、何か想い出に残る事をしてやりたかった。



  オレの身勝手にここまで付き合ってくれた茜。杉並以外で初めて出来た友達――――親友。これからは一生大切にしていきたい。



 「・・・・・・・ありが、とう」


  涙声になりながら感謝の言葉を吐く茜の言葉を聞いて思う。ああ、本当にオレの事好きだったんだな、と。

  まだ納得してもらうには時間が掛かるかもしれない。それはエリカにも同じ事が言えた。

  けど二人の女を泣かせ、これからまた一人泣かしてまで選んだ道だ。

    
  絶対に立ち止まらない――――――今度も、走りきってやる。
  

 











 「最近調子はどうだ?」

 「ん、まぁまぁだな。可も無く、不可も無くといったところか」

 「相変わらず変わり映えの無い人生だな。オレみたいに色々人生楽しんだ方がいいぜ?」

 「お前は自分の思うまま生き過ぎだ。もう少し謙虚さを持って生きた方が、美夏はいいと思うぞ」

 「謙虚さなんか持ったってオレの場合どうしようもない。そういうのはちゃんとした真人間に言ってくれ」

 「むぅ・・・。お前は相変わらず人の意見を取り入れないヤツだな」


  気を遣っているのか、茜とエリカは少し距離を離してオレ達の後ろの方を歩いていた。脇にはいつも通り美夏が陣取っている。

  いや、正確にはいつも通り『だった』か。もう過去形になってしまっている。美夏と別れたんだからそれが普通なのに習慣とは恐ろしい。

  美夏が隣に居る事が普通だと思ってしまっている。こうして歩いていると違和感なく、いつもの距離感で歩いているオレ達が居た。

  だから、少しいつもより距離を開けた。ぴくっと片眉を動かす美夏。だが、何も言ってこない。言えないのかは分からなかった。


 「美夏の事よりお前の方は最近どうなんだ? 学園長と仲良くやってるのか?」

 「まぁ、おかげ様でな。前より口喧しくなったぐらいで何ら問題は無い」

 「母親目線で許容出来る事でも、彼女目線だと許容できない事があるって事だな。義之の場合、女性に対するエチケットが足りん
  から学園長も大変だろうに」

 「んだよ。お前と付き合ってる時も、何か不満に思ってた事あるのか?」

 「デート中でも他の女と喋る事だな。確かに言う程では無い気はするが・・・・それでも面白くない気持ちではあるぞ」

 「あー・・・・そうだったな。確かにその辺の配慮は足りなかった。今度から気を付けるよ」

 「うむ。是非そうしてやってくれ」


  美夏の場合だと茜とエリカか。他の女の知り合いだったら無視しても構わないのだが、この二人となるとそうもいかなかった。

  茜の場合、オレが美夏とデート中に一人になる時間に会う事が多かった。まぁ、そこは空気を読める女なので何回か美夏が帰ってくる
 前に退散した事がある。

  エリカ、あいつはどんな時でも美夏に対抗するかのようにオレの傍に居たがっていた。最近はあの時より遠慮しているようだが基本的に
 は変わらない。今度からデート中に金色の髪を見つけたら回避するとするか。絶対あいつはさくらさんに喧嘩を売る様に引っ付いてくるか
 ら用心しないといけないかもしれない。

  
 「しかし―――――」

 「あ?」

 「別れた後もこうやって義之と歩けるなんてな。普通のカップルはギクシャクするらしいぞ。美夏のクラスのヤツが言っていた」

 「別にお前が嫌いで別れた訳じゃねーしギクシャクはしないだろ。今でもお前の事は―――――」

 「その先は言わない方がいい。お互いの為に、な」

 「・・・・わりぃな。最近どうも気が抜けちまったみたいでそういう気遣いが全然なっちゃいねぇ・・・・許してくれ」


  今のは失言だった。自分の迂闊さに舌打ちが漏れそうになる。さくらさんの件が一段落してボケちまったみたいだ。気を付けなくてはいけない。

  もうオレにはさくらさんがいるし、美夏もそれに納得―――――してもらっているのだから、さすがに今の言葉はなかった。

  美夏に謝罪の言葉を向けると、二カっという風に笑ってオレの腕を叩く。その行動にオレも安緒のため息をついた。  


 「別に構わん。ところで確か買い物に行くんだったな、義之は」

 「あ、ああ。さくらさん達に菓子の買い物を頼まれてな。そこで暇しているオレが、買い出しに係に任命されたって訳だ」

 「なら美夏達も付き合おう。どうせやる事も無くてブラブラ歩いていたら偶々会った連中だ」

 「そんな気遣わなくていいのによ」

 「だから気にするなというに。おーい、花咲とムラサキ! 義之これからそこのスーパーで買い物するらしいから付き合わないかーっ?」

 「あらぁ、そうだったんだ。勿論行くわよぉ」

 「そうですわね。じゃあ買い物終わった後でも義之の家に遊びに行きましょう。どうせ暇ですし」

 「な、お、おい―――――」

 「おぉ、そうだな。そういえば義之の家にあんまり遊びに行った事がないし、そうするか!」

 「やぁん、私の久しぶりに行くわねぇ、義之くんち。化粧ばっちりキメてきて正解だったわぁ~」

 「じゃあ、決まりだな。さっさと行くぞ。義之」


  オレの意見は無視かよ、テメェ。オレは突然の事にどう言っていいか分からず美夏に腕を引っ張られスーパーの中に入った。

  こいつらがオレの家に来る――――背中が氷柱を突っ込まれたみたいにゾワッとした。一人でも大変な思いをするのに三人も
 来たら絶対さくらさんの機嫌が悪くなる。そしてこいつらはアイシアの存在を知らないからこっちも大変な事になる。

  もうオレが何を言ってもこいつらは来るだろう。そういうトコは強情な女共だ。オレはため息を吐いて隣の美夏を見た。

  美夏の顔――――悪戯めいた笑みだった。そんなどこかある意味可愛らしい表情をした美夏に、オレは結局、どうにかなるか
 という諦めにも似た気持ちを抱いてしまう。


  また、こうやって美夏の笑い顔を見れるとは思わなかった。あの時は本当に美夏を説得出来るとは思えなく、半ば諦めの
 気持ちを抱いてしまった事を思い出した。



















 「・・・・・・・・は?」

 「だから、別れよう。美夏」


  他に本当に好きな人が出来た。お前の事が嫌いになった訳じゃ無く、ただその人の方が好きになったんだ。だから、別れよう。

  簡単に言えばそのようなニュアンスの言葉を吐いた。美夏の顔、訳が分からないといった感じだった。予測できた事でもある。

  昨日まで何の問題も無く、お互いに笑い合っていたのに別れを告げられる。美夏からしてみれば交通事故に合ったようなものだろう。


 「ちょ、ちょっと待ってくれ義之っ! いきなり、何を言ってるんだ・・・・? 面白くも無い冗談は止せ」

 「悪いが冗談じゃない。詫びても詫びきれないが、オレは本気なんだ。すまない」

 「止せよ義之・・・・何で美夏が詫びられなければいけないんだ。そうだろ、おかしいだろ、なぁ?」

 「・・・・・すまない」

 「―――――――ッ! だ、だからッ! 謝るなって言ってるだろっ! このバカァーーー!」


  部屋に美夏の声が響き渡る。いつものボディチェックを行った後、オレはタイミングを見計らって話し掛けた。

  水越先生もイベールもいない。オレと美夏の二人っきりだけ。はぁはぁと肩で息をつき、オレを涙目で睨んでいる。

  美夏に睨まれる、今までは冗談で何回か睨んできたがここまで本気で睨まれた事は無い。今の美夏は本気で怒っていた。


 「なんでいきなりそうなるんだ。別れるとか別れないとか。み、美夏の何が気に喰わなかったんだ、義之?」

 「何も美夏は悪く無い。オレが全面的に悪い。美夏を好きだと言いながら他に好きな人が出来てしまった。さっきも
  言った通り美夏の事が嫌いになって別れ話をした訳じゃない」

 「だ、だったら――――――」

 「お前とその人を・・・・比べて選んだんだ」

 「あ――――あ、あはは・・・・。比べてって、そんなバカな事が・・・・・・」

  
  残酷な物言いだった。傲慢と言っても差し支えない。だが本音でもあった。

  いくら格好つけて言葉を装飾したって結局それは自分を出来るだけ傷付けないようにする行為。

  じゃあ、美夏は傷付いてもいいのか――――今更な話だ。さくらさんと付き合う時点でそれは覚悟していた。

 
  うつろげに笑う美夏を見てると心が痛む。さくらさんと付き合った今でも美夏に対しての感情はブレていなかった。

  だから、ここで終わらせる。オレ達の関係を。オレの一方的な都合で。



 「だ、大体誰なんだ、そのお前が好きになった女って。花咲か、ムラサキか、それとも・・・・」

 「さくらさんだ」

 「え・・・・・・」

 「さくらさんから告白されて、オレは頷いた。だが最初から頷いた訳じゃない。色々あって本気で考えて了承したんだ」

 「ちょ、ちょっと待てっ! 学園長とお前って確か・・・・」

 「親子だ。普通じゃないのは分かっている。茜とエリカにも言われたよ。けれどその事全部を受け止めた上でオレは付き合う
  事にした。罵声でもなんでも受け止める、殴ってくれてもいい。好きに・・・・してくれ」

 「―――――――そうか、そうだったのか。はは、美夏はポンコツだから全然そんな事気付かなかったぞ」

 「・・・・美夏?」


  さっきまでの怒りが急に収まり、苦笑いをして若干穏やかな顔になった。何か吹っ切れた様にも思えるし・・・・外れたようにも思える。

  読めない。美夏が何を考えてるか。絶対に怒鳴り散らすだろうと思った。泣き叫ぶだろうと思った。だが、どっちの感情も今は出していない。

  予想していた事と違う顔を出す美夏、にオレは若干嫌な気配を感じ取った。ただ分かる事は、絶対に丸く収まらないという事だった。


 「なぁ、義之ぃー」

 「・・・・なんだ」

 「美夏は、よく耐えた方だと思わないか?」

 「そう・・・・だな」

 「花咲の時もまぁ我慢出来たし、ムラサキの時なんか腹わたが煮くり返りそうだった。でも我慢したんだぞ、義之?」

 「分かってる・・・・つもりだ」

 「分かってる・・・・・だったら、なんなんだこの仕打ちは。美夏は何か悪い事をしたのかなぁ」

 「だから美夏は何も悪く――――――」

 「ふざけるなぁぁぁぁぁあああああーーーーーッ!」


  ドンッ、と急に美夏がタックルをしてきたので思わず背中から床に転がってしまう。瞬間的に受け身を取ったが、一瞬息が止まった。

  背が低く、また思いっきり走ってきたので反応が遅れた。そして見上げると噴怒の表情に染まった美夏の顔。

  瞳孔が開きコメカミに血管が浮き出ている。本気で美夏がキレているという証拠だった。


  美夏は優しい女だ。きっと怒りの吐き口が分からずさっきは様子が変だったんだろう。しかし、それが全部吐き出されている。

  まるで、今までの鬱憤を晴らすかのように・・・・・。


 「私は前にとって都合の良い女だったのかっ! 違うだろっ! なのに花咲とかムラサキには目移りして、挙句の果てには
  親同然の人と好き合ってるっ!? バカにしてるのか私をっ!」

 「すまない」

 「謝るなっ! 美夏が聞きたい言葉はそんなんじゃないっ! なぜ美夏じゃなく、学園長なんだ。なぁ、理由を教えてくれ」

 「・・・・お前とさくらさん。どっちの傍に居たいかを考えて、さくらさんを選んだ。それが理由だ」

 「さっきから義之はバカにしてるんだろう、そうだろう。学園長はもう立派な大人だし社会人だし自立している。
  美夏はなぁ、義之が居なくちゃ駄目なんだ。お前と一緒じゃなきゃとっくに活動停止していたし、もう二度と
  目覚める事もなかった。お前は美夏にとって『全て』なんだぞ、分かっているのか本当に」

 「それも含めて出した結論が―――――さくらさんと付き合う事だ。本当に、すまない」

 「・・・・・そうか。美夏を捨てるんだな、義之は。あんなにお互い幸せだったのに、お前は・・・・それを捨てるというんだな?」

 「ああ」

 「――――――ふぅーん、そうか」


  呟いてオレの胸に頭を乗せてくる美夏。思わず抱きしめそうになるが、我慢した。上げかけた手を下し、心の中で一息つける。

  そんな事をやってはさっき吐き出した言葉が嘘になる。オレは美夏に嘘をつきたくない。いっぱい嘘をついてしまったが、これだけ
 には嘘を付きたくなかった。

  だから手を頭に乗せ撫でてやった。いつもは帽子の上からだったがボディチェックの後だったので、珍しく髪を撫でてやる。

  これで落ち着いて欲しいという気持ちを込めて手を動かす。抱きしめる事は出来ないが、せめてこれぐらいはいいと思った。


 「色々周囲の人に言われるだろうけど、オレはさくらさんの傍にずっと居るつもりだ、一生」

 「・・・・・一緒にロッジで暮らす約束は?」

 「嘘になっちまうな。悪い」

 「・・・・・・・・・」

 「許してくれないとは言えないが、それでも美夏には――――――んくッ!?」


  喋りかけた口を、唇で塞がれた。急な事で混乱しそうになるが美夏は構わず滅茶苦茶に唇を合わせてきた。

  今までした事が無い様なデタラメなキス。まるでオレを離さんばかりに顔を押さえて口づけを強引に続けさせた。

  どこにそんな力があるのか、美夏の手はオレの頭を軋ませるかのように喰い込んでいた。ふと感じる温かい感触。

  その感触は慣れたものだった。血が流れている。爪が喰い込んでいるようだ。そして口を離し、美夏はオレに囁き掛ける。


 「好きだ、義之」

 「―――――オレも、好きだ」

 「じゃあまだやっていけるよな、私達」

 「無理だ。確かにお前の事はこれからも守ってやれる。何時、どんな所に居ても、駆けつけてお前の事は守ってやれる」


  けど・・・・・・

  美夏の潤んだ目を見て言った


 「傍にいてやれる事は出来ない。オレの脇にはさくらさんが居るからな」

 「は、はは・・・・・・お前は残酷だなぁ、本当に。益々お前の事が好きになってしまった」

 「すまない。オレはお前の言うとおり、本当に最低で、その上嘘つき野郎だった」

 「・・・・・・・・そんな顔をされては、美夏はもう何も言えないじゃないか」

 「え・・・・・・」


  オレの目を見て言う美夏。何か違和感を感じ目元を触ると水で濡れていた。慌てて拭いてもその水は止まる事無くオレの頬を濡らしていた。

  バカ―――――オレが泣いてどうするんだよ。振られた美夏ならともかくオレが泣くなんて、くそ。全然止まらねぇ。なんなんだよ。

  その余りの情けなさに、オレは笑った。泣きながら笑った。美夏も涙を流し、同じように笑う。はは、こんな大事な場面でこれよ、締まらねぇなオイ。


  そうしてオレ達は飽きるまで、泣いて、笑った。


 「な、なんだよ美夏。はは、てめぇオレが覚悟決めて別れ話してんのによ・・・・格好つかねぇじゃねーか」

 「あはは、はは、グスッ、こういう話の時はこうやって笑った方がいいんじゃないか。んん、そ、その方が辛くない」

    
  いつも通りに笑うオレ達。涙は何の為に流されたモノなんだろうか。

  言葉じゃ言い表せない。希望とも絶望とも言えない曖昧な感情。ただ、泣いて笑いたかった。

  オレと美夏しか感じ得ない感情の奔流。恋人では無くなったけど、ある種の信頼といったモノがオレと美夏を繋いでいた。

  そうして一通り泣いて、笑って、落ち着きを取りも出したオレ達は再び見詰め合い、美夏はどうでもいい様に言った。


 「ふん、美夏もとんだ悪い男に引っ掛かってしまったな。とんだ貧乏くじだ。義之なんてもうどこへでも行ってしまえ。精々学園長とお幸せにな」

 「今度からは気を付けろよ。あと、ありがとう美夏。さくらさんの事は幸せにしてやるよ」

 「―――――ふん」


  立ち上がり、部屋から出た。気が抜けたようにその扉の前で立ち止まってしまうオレ。そして、扉の向こうから聞こえる押し殺し様な嗚咽。

  扉に手を当て、「今まで、本当にありがとう」と声を掛けその場をオレは後にした。多分だが、美夏とは一生の付き合いになる様な気がする。

  美夏と出会って得た物は大きい。人としての当たり前の感情。人を好きなる事。それを教えて貰った。窓の外の夕日を見詰め、思い出す。


  あの下校中に見た幻想的な美夏の姿。ロボットでありながらオレより遥かに人間らしい美夏の感情の爆発。とても心が揺さぶられたのを思い出した。

 
  そして――――それらを『想い出』にして心の奥底に仕舞う。まるで宝箱に入れるかのように、そっと置いて、もう見る事が無い様に。

  
  その夕日を見ながら、オレはさくらさんの居る――――オレ達の家に向かって歩き出した。


  

















 「もう本当に怖かったですよぉ、あの人達。外国の裏通りで会うおじさん達より怖かったです・・・・」

 「随分愉快な旅をしてるんだな、お前は」


  脇でげっそりしているアイシアを端目にオレは風呂敷を広げ、トランクの中の人形を出し始める。

  さくらさんが学園長の仕事で家に居ない時はこうやってアイシアの手伝いをするのが日課になっていた。

  それを聞いたさくらさんは面白く無さそうだったが、あの事件の時に取り付けた約束だと言って説得した。


 「なんで私があんなに睨まれるのか、意味が分かりませんよぉ~もう」

 「アイツらが来た時、お前の第一声が『わぁ、この人達、義之が手を付けた女の子達ですか!?』ってオレに小指を立てて
  聞いてきたからだよ。少しは自重しろよな、てめぇ」

 「だって話に聞いていただけで、生で見れるなんて思わなかったんですもん・・・・」


  まぁ、そこまではよかった。茜は普通に笑っていたし、残りの二人もそれに釣られて苦笑いしていたから、まぁ良しとしよう。
  
  一瞬イラッと来て睨んだのはしょうがない。本人達からすれば他人に触れられたくない事柄でもある。笑ってスル―出来た彼女達は
 人間が出来ていると思った程だ。

  だが、その後がまずかった。アイシアが付けている指輪を見て、アイシアを睨んだ後オレにも睨みを利かせてきた彼女達。
 
  
  オレがいつも付けていた指輪がアイシアの指にある―――――どういう事なのかと詰め寄られた時は本当にため息を吐きたかった。

  とりあえず隣でプルプル震えているアイシアを背中に隠し、オレは落ち着けと言った。しかしその行動が余計火に油を注いでしまい大炎上。


 「こいつ――――アイシアっていって、さくらさんの旧い知り合いなんだけど、どうやら記念に指輪が欲しかったみたいなんだよ。
  日本に来て間もないし知り合いも誰もいない。そこでオレはよかれと思って親交の証に――――」

 「自分が付けている指輪をあげた、と。なるほど。理屈は通っていますわね・・・・本当なら」

 「んだよ。オレが嘘をついてるとでも?」

 「そうねぇ、義之くん平気な顔で嘘をつくし。大体そんな理由で普通は自分が付けている指輪をあげないわよぉ、義之くんの場合は特に、ね」

 「・・・・ぬぅ。また違う女に手を出したのか、お前は」

 「は、はわわ・・・・」

 「はぁ・・・・・」


  とりあえずさくらさんが来てその場を収めたものの、その剣呑な空気は皆で晩飯を食って帰るまで続いた。

  表立って言葉を吐かなくても空気で分かる。その時来ていた音姉達も終始どこかそわそわした空気だった。

  一番の被害者はアイシアだろう。腹を押さえて胃薬を飲む姿はどこか哀愁が漂っていた。


  そんな事を思い出しながら、とりあえず出店の準備を整えたオレはアイシアの隣に腰掛け、ちらっとアイシアの様子を窺う。

  とりあえず顔色はいつも通りとはいかないが若干良くはなっているみたいだ。商売根性なのか、澄ました顔付きで人の波を観察している。

  その顔がちょっと癪だったので、頬を突っついてみた。ぷふーと漏れる空気。それに怒ったアイシアがオレの腕を叩いてきた。


 「別にいいじゃねぇか、これぐらい。客来なくて暇なんだからよ」

 「だ、だからって悪戯するの止めてくださいよ、もうっ! 私、仕事中は本当に真面目モードなんですから!」

 「あはは、悪かったってば。ホラ、家から持ってきた茶菓子とかあるから喰うべよ」

 「・・・むぅ。いつまでたっても義之は私の事子供扱いなんですから・・・・」


  ぶつくさ文句を言う割には菓子をバリバリ食うので、額にデコピンをかましてやった。かなり弱くやったので、一瞬ムッとした顔になり
 ながらも何も言わなかった。

  大体オレとアイシアが居る時はこんな感じだ。オレが構ってアイシアは文句を垂れる。キャッチボールのような形、それが出来上がっていた。

  まぁ、時々だが昨日みたいに突拍子も無い事を言う時があるのでお互いさまだろう。空気を読めるんだか読めないんだが訳が分からない女だ。


 「手を拭けよ。そんなベタベタ手で触っちゃ、折角の人形が汚れちまう。安物のハンカチだから遠慮なく使え」

 「あ、―――――ありがとうございます・・・・」

 「おう」

 「義之って・・・・時々優しいですよね。なんでですか?」

 「オレは常に優しい男だ。隣の席が欠席したらノートを書いて置いてやるし、道に迷った婆さんがいたならおんぶしてまで道を案内する程だぞ?」

 「はぐらかされちゃいましたよ。そんなに言いたくなんですか?」

 「・・・・分かってる癖によ」

 「えへへ、さっきの仕返しです」


  穏やかに笑うその顔を見て、空を見上げた。昨日まで曇り空だったのに青空に変わっていた。まるで今のアイシアみたいだと、ふと思う。

  何故優しいのか――――アイシアはそれを知っている。さくらさんと同じくらい、そういう感情の色合いを読める女性だった。

  年季が違うのか。本人に言ったら怒られそうだがオレはそう思っていた。何十年も一人で生きてきたんだ。色々な人間を見てきてそういうのに
 敏感になったのだろう。そしてさくらさんから聞いた話によると、恐らく昔起きた事件がきっかけなのかもしれないとの事だ。

  根掘り葉掘り聞くのは躊躇われたのでそれ以上は聞かなかったが、人間平気な顔して色々辛い過去を持っているモノだ、と改めて思い知った。  


  オレの予想だが――――アイシアはオレの事が好きなんだと思う。指輪を付けているのは薬指だし、時々そういう視線も感じたりしていた。

  オレもアイシアの事は悪く思っていない。むしろ好きだ。彼女を初めて見た時に、オレは思わず茫然としてしまった事があった。

  その凛とした可愛さ。西洋人形みたいに佇むその様子。目の強さ。惹かれるものがあった。オレの目指していた理想形がそこにいた。


  将来オレは一人でも生きていける様に強く在ろうとした。今はさくらさんが居るのでそれは叶わないが、こっちの世界に来るまでオレは
 必死にそういう存在になろうと努力してきた。

  知識が増えた。知恵が付いた。腕っ節も強くなった。だが――――肝心の心はまだ弱かったと思う。先の事件でそれを思い知らされた。


  アイシアはその心の部分がオレより遥かに強かった。前の世界のさくらさんでも、そこまでの強さを持っていない気がする。

  聞けば何十年も忘れられる存在となって、世界中を旅していたという。完全な一人。本人が望んでも望まなくても心は強くならなければ
 いけなかった。そうしないと、自分を保つ事が出来ないから。

  オレが一生掛かってもその強さを手に入れられるかは分からない。それを持っているアイシアに惹かれたのは必然的とも言えた。


  けれど・・・・・・


 「なぁ、アイシア」

 「はぁい?」

 「今度、お前の散歩に付き合ってやるよ。神社とか行きたがってただろお前。まだ休みはあるし、かったりぃけど付いてってやるよ」

 「・・・・またまたぁ、そんな事言ってるとさくらに怒られますよ。案外というか予想通りというか嫉妬深いんですから」

 「多分、怒らないんじゃねぇかな。お前もなんだかんだ言ってそう思うだろ?」

 「ん~・・・・ま、そうかもしれませんけどね。あっ! じゃあ、海とか行っていいですか?」

 「その日が寒く無けりゃあな」

 「えへへ、やった」


  小さくガッツポーズをするアイシアを見てオレも笑う。愛しい存在だと思う。守ってやりたくもなる。けど、さくらさん程その気持ちは
 溢れてこなかった。

  もちろんアイシアも、オレの好意の気持ちを察しているに違いなかった。けれど、それを盾にして何も言っては来ない。どれだけ二人っきり
 になってもそんな様子はおくびにも出さなかった。

  オレ達は好き合っていたが、そこにはそれ以上何もない。きっと一生オレ達の関係はここから変化しない。恋愛感情の一歩手前で止まったままだ。

  そして、そのある意味歪な関係に終わりは無いだろう。当り前だ、始まってもいないんだから。まるで電池の切れた時計の針みたいだと思う。


  しかしその居心地の良い関係はオレはとても気に入ったし、アイシアも同じ気持ちだろう。甘くもあり、苦くもあるこの環境を好んで
 オレ達は浸かっている。お互い変わり者同士だしお似合いなのかもしれない。

  さくらさんもそれを知っているから嫌味は言っても怒りはしなかった。だからこうしてオレ達が二人っきりになっても本気で何も言ってこない。

  これがオレとアイシアの『距離感』だった。縮まりもしないし、伸びもしない。他人から見れば異常な関係だが当の本人達はそれを好んでいた。


 「にしてもお前の店って客来ねぇな。お前ちょっと上脱いで色仕掛けしてこいよ」

 「い、嫌ですよっ! 義之が脱げばいいじゃないですかっ!」

 「あ? 男が脱いだって誰も喜ばねぇよ。馬鹿じゃねぇのか、お前」

 「昨日来てたエリカちゃんて娘は喜びそうですけどね。ずっと義之の隣独占してたじゃないですか」

 「あー・・・・・否定しきれねぇな。アイツもいつまでオレなんかの事好きなんだかな。もっといい奴いるのによ」

 「義之があっち行けとか言わないからですよそれは。まだちょっと、ほんっの少しだけ好きなんですよね。彼女の事」

 「・・・・・・・まぁ、ほんっの少しだけどな。確かに少し勿体なかったなぁ、とは時々思ったりするけど」

 「分かりました。さくらによーく伝えて置きますね、義之はその内また浮気するぞぉって」

 「あ、人形の首取れた」

 「あ、ああああああーーーーっ!? な、何やってるんですかっ! 折角一生懸命作ったばかりの人形を!」

 「すげぇ・・・・一瞬にしてホラー映画に出てくるスプラッタ人形みてぇだ・・・・・おぇ」

 「何で投げ捨てるんですかっ!? あ、あんまりですよぉ~~~、このあんぽんたん」

 「いてっ! ば、ばか止めろよ! トランクの角で殴ってくるんじゃねぇよっ! この、クソババァ!」

 「う、うぅ~~~~~~っ!!」


  さくらさんより、美夏より早く出会ってればどうなっていたかは分からない。付き合ったかもしれないし、こういう関係に落ち付いたかもしれない。
  
  だが、それはもしもの話だ。さくらさんの事が無ければそもそもここには来なかっただろうし、この気持ちが生まれる事は無かった。

  IFの話をしても仕方ない。過去には戻れないのだから今の事、先の事を楽しまないと損だと思う。アイシアの怒った顔を見ながらそう感じた。


  まぁ、色々ありがとうなアイシア。これから先も長い付き合いになるけど、この先も笑っていこうぜ。

  願わくば、早く良い相手を見つけろよ。オレはそう思いながら、さて、この怒りんぼうのお嬢様をどう鎮めようかと考えた。





















  真っ暗な夜空に映える、明るい月。花見には持って来いだが生憎桜の木は枯れてしまっていた。

  メディアがこぞってその事を取り上げたが、一週間後には芸能人の離婚の話で盛り上がっていた。笑える話だ。

  どっちみちこの桜の木が枯れた原因を知っている者は限られている。もう誰もこの枯れなかった桜の木に近寄ろうとする者は居ない。

  そう、今はただの大きな木に過ぎない『枯れない桜の木』。誰も好きこんでこの場所に来る人は居なかった。


 「なのにオレ達が来てるってのも変な話ですよね」

 「そうかな。郷愁・・・って訳ではないけど、なんかノスタルジックな気分に浸かりたかったのかもね、ボク達」


  いつもの夜の散歩。ここに来たのは偶々だった。気が付いたらオレ達は桜の木の前に来ていた。

  オレは見上げるように桜の木を見詰める。オレが生まれた場所、さくらさんがオレを生んだ場所。なるほど、確かにノスタルジック
 な気分になるかもしれない。

  この木とオレ達は切っても切れない関係にあった。自分の本質があった場所、そう言っても過言ではないだろう。


 「少し、行ってきていいですか?」

 「うん」


  さくらさんに断りを入れて、オレは木の前に歩いて行く。そこまでいくとこの木は本当に大きな木だったんだなと思い知らされた。

  そっと手の平を木に当てて、目を瞑る。時間にすれば一分も経っていないだろう。オレは踵を返して、さくらさんの所へ戻った。

  ぎゅっと手を繋ぎ、無言のまま枯れ果てた木を見詰め続けた。さくらさんは今、何を考えているんだろうか。


 「さっき、何を願ってきたの? 義之くん」 
  
 「―――――宣言、かな。元の世界のさくらさんに対して」

 「・・・・そうか、前の世界のボクか」

 「ええ」

 「どういう人だったの?」

 「今のさくらさんと変わりませんよ。いや、少しスパルタ入ってたかな? 前ふざけて資料にエロ本混ぜたら木に吊るされましたよ」

 「何やってるんだよ・・・・もう」


  あの人ちっこい癖に握力は何故か強かったからなぁ。関節を決められたまま木の下に移動して、あっという間に木に吊るされてしまった。

  謝っても下ろしてくれないから本当に死ぬかと思った。冬だったし下手したら凍死していたかもしれない。思い出すだけでゾッとした。

  たまたまちょうど緩く結ばれた所があって、そこを歯で齧って脱出したんだっけ。今思えばあれはワザとなんだろうなぁ。


 「・・・今、他の女の人考えてたでしょ?」

 「オレはもうさくらさんの事しか見ないって決めましたから。それは有り得ないですよ」

 「どうだか。相変わらず美夏ちゃん達とは仲良くやっているようで。皆がこの間来た時なんか怒りを通り越して呆れたんだからね」

 「きつく言って聞かせておきましたから、もうあんな事にはならないですよ」

 「信用ならないなぁ~。義之君もお兄ちゃんと一緒でモテるし。浮気なんかしたら承知しないんだからねー」

 「はは、確かにオレには分不相応なぐらい色んな女の子が寄ってきましたよ。けど―――その中でオレはさくらさんを選びました」

 「・・・そう、か。そうだもんね。ありがとう」


  さっきの宣言――――親不幸で、バカ息子ですまない。けど幸せになるよ。オレもさくらさんも。そんな言葉を投げかけた。

  オレの手に握られた手は小さい。前みたいにオレが追いかけるんじゃなくて、一緒に、共に歩いていこうと決めた。

  この選択が間違っているとは思えない。色々な女性が居た。その中で苦しい思いをして選んだ女の子、間違いになんてしたくなかった。


 「義之くん」

 「なんですか?」

 「好きだよ」

 「オレも好きです、さくらさん」 

 「後悔はしてない? ボク達、本当の親子だよ?」

 「それこそ今更だ。もう一回言いますよ。オレはさくらさんを選んだ――――これが全部の答えになっています」

 「・・・うん。なんか救われた気分になっちゃったな。にゃはは」

 「色々ありましたからね。不安に思う気持ちはあると思います。けど、オレとさくらさん。この二人が揃うなら怖いモノ無しでしょう」

 「うわぁー・・・・自身満々な発言だね。さすが義之くん」

 「オレの彼女が不安症なんでね。これぐらい言わないと駄目なんですよ。嫌いですか?」

 「ううん。そういう『オレに付いて来い』タイプは嫌いじゃないよ。むしろ好きかも」

 「ならよかったです。さて、そろそろ寒くなってきたし行きますか?」

 「うん――――あ、ちょっと待ってて貰っていい?」

 「ん、いいですよ」


  オレと同じように桜の木の前に行って立ち止まり、手を当てるさくらさん。きっとオレと同じ事を言ってるんだろうな。

  直感だが間違っていないだろう。桜内義之――――元々のさくらさんの息子。会った事はないが、さくらさんが可愛がっていた人物だ。

  オレを選んだという事は、その桜内義之を見捨てる事と同義だった。後悔はしていないみたいだが、それでも思う所はあるだろう。

  
 「ボクはきっと地獄に行くと思うんだ。義之君を生んで、見殺して、義之君を愛した。後悔はしていないけど、正解だとも言い切れない」


  こう言ったさくらさんに対してオレも返す―――――正解なんてなんて無いと思います。ただ、オレ達は選んだ道をもう進むしかない。

  犠牲になったものがあった。オレもさくらさんもそれを覚悟していた訳だが、だからといって悲しく無い訳ではない。

  さくらさんからしてみれば、息子を失った様なもの。その大きな代償を背負っている。涙は流さないが心は悲しみに染まっている。


  オレの手を掴んで「ありがとう義之くん。そしてごめんね、『義之君』」と言ったさくらさん。目は確かに潤んでいたが、泣いてはいなかった。

  涙を流したら歩んだ足が止まってしまう。思わず後ろを振り返ってしまう。足元を気にしてしまう。不安で座り込んでしまうかもしれない。

  さくらさんは、その悲しみと一生付き合う事になるのだ。だから時々繋いだ手を確認して一緒に止まってあげる。一人なら不安に思ってしまう
 だろうが、二人なら悲しみを分けられる。その繋いだ手が離れるまで、そうやってオレ達は進んでいくのだ。

  まぁ、多分離れる時なんてないか。ここまで痛い思いをしたんだ。中途半端な事したら皆にボコボコにされちまう。


  なぁ、美夏。


 「ごめんごめん、待った?」

 「その言葉は男が使うモノですよ。女の人はあまり使いませんね」

 「むぅ、今時そういう考えはノンノンだね。男女平等なんだからやっぱり悪い事しちゃったなら謝らないと」

 「なら尚更、ですね。何も悪い事なんざしちゃいないんだ。それに大して待っちゃいませんよ」

 「相変わらず捻くれてるんだからなぁ、義之くんは。まぁ、そんな所も義之くんらしいけど」

 「オレは何時だって素直ですよ。好きな人に対しては余計、ね」

 「はいはい。馬鹿言ってないでそろそろ帰るよ。帰って熱いお茶でも飲みたくなっちゃった」

 
  オレの手を握り歩き出す。目の端に留まってる涙は見ない事にして置いた。恐らく本人でさえ気付いてないんだ、言う必要はないだろう。

  そして入口の前まで来た時、オレ達は申し合わせたかのように歩みを止めた。その事に二人で軽く驚いてしまうが、すぐに穏やかに笑い合った。

  そうだよな。オレ達の考えてる事なんて結局は同じか。さっきまでの様子を思い出し、納得したような気分になる。


  そうして―――――オレ達は入り口から枯れない木に向かって言葉を投げかけた。別離の言葉を、優しく、強さを持って。


 「じゃあな、さくらさん」

 「じゃあね、義之くん」


  お互いの名前は枯れない筈だった桜の木に吸い込まれる。もうここに来る事は無いかもしれない。希望に縋る程オレ達の覚悟は弱く無い。

  これから先、思わず希望が欲しくなる時があるかもしれない。だが一度でもそれを無理に捻じ曲げて叶えてしまったらもうオレ達には何も
 残らなくなる。全てが嘘になってしまう。

  手に感じる温かい温もりが離れるぐらいなら奇跡なんて欲しく無い。まぁ、今まで散々使い切ったし飽きただけってのもあるが。


  やっぱり自分達の道は自分で切り開いた方が楽しいだろう。何もかも上手く行ったらオレが居た嘘の世界みたいに何もかも虚ろだ。

  だから、手を繋ぐ。オレ一人だけなら参っちまう事でもオレの脇に居る彼女も一緒ならなんとかなるだろう。


 「じゃあ、行こうか」

 「はい。行きましょうか」


  二人の歩く道を月が照らしていた。手助けなんか必要ないが、手を貸すっていうんなら素直に受け取って置くか。

  こんなオレ達の事を手助けしてくれるお世話焼きな連中は周りにゴロゴロいる。一癖二癖もありそうなヤツらだが、その人達も、大事な人達だ。   

  精々その時は迷惑を掛けて巻き込んでやるか。オレの場合今更な感じだし、破天荒な性格は今に始まった事じゃない。これからもこの性格は直らない
 だろうなと思う。直っちまったらオレじゃねぇしな。


  随分長くなりそうな道のりだが――――まぁ、いい。いざとなったら車でかっ飛ばして進めばいいだけの話だ。

  オレとさくらさんならそれが出来る。なんたって、オレとさくらさんだからな。なんだったら裏道でも探してみるか。道草は旅の友だしな。


 「・・・・あー、また義之くんが悪い顔になってるよ。さくらさん、ちょっと頭が痛くなってきたにゃあー・・・」

 「これからもっと頭を痛くさせてあげますよ。最近気付いたんですが、オレの周りはどうも祭り事が絶えないみたいなんです。
  まぁ、精々掻きまわしてやるつもりですが・・・・・」

 「うにゃー・・・・もうそういうのはいいよぉ。少しは老人を労わりなさいな、もう」

 「はは、運が悪かったと思って諦めて下さい。あと、もう一つ言いたい事があります」

 「にゃ? 何かな?」

 「今更だけど言わせて下さい―――――愛してますよ、さくらさん」

  

 












   終劇 さくらエンド












[13098] そんな日々(前編)
Name: 「」◆2d188cb2 ID:81fa12c5
Date: 2010/10/08 03:02
※このルートは誰とも付き合わなかった場合のルートです。全員(美夏、エリカ、茜)と曖昧な関係のまま、時は五月。そんな日々の話。
※from road to roadのIF話ですので、そちらを読んでいない方は先にそちらを読んでくれれば幸いです。









  肺まで吸い込んだ紫煙を、フゥ―と吐き出す。もやもやとした煙が空気中に取り込まれる様をぼーっと見詰めた。

  空は蒼く広がっており雲一つない。朝の天気予報では確か降水率40%だった筈だが、どうやら外れのようだな。

  屋上から見る限りじゃそんな様子は一つも見られない。桜も相変わらず満開で気温も丁度よく心地よかった。


 「相変わらず平和だよなーこの島って。何か面白い事でも起きねぇかな」


  一人ゴチてまた煙を吐き出す。気を抜けば眠ってしまいかねない程ここは居心地がよかった。

  貯水庫の裏側は思ったより寒くも無く暑くも無い。煙草の灰が落ちそうだったので脇に置いてある缶に灰を落とし、また口に咥える。

  さて、今日一日はここでサボって―――――と、思った瞬間、屋上の扉が開かれる音がした。軽く舌打ちをする。


 「桜内ーっ! いるんでしょ、ココにっ!」


  少しヒステリックに上ずった女の声。思わず天を仰いで空を見てしまう。此処なら見つからないと思ったが希望が外れた。

  ちょうど此処は死角になっていて探そうと思わなければ見つからない様になっている。だが、その女性の足音は段々こちらに近づいて来ていた。

  オレが此処に居る事を確信に思った足取りだ。まぁ、サボるのにテンプレ的な場所だしな此処。腕を頭の後ろに組んで目を瞑った。


 「あ、やっぱりここにいたんだ! 何やってるのよ、もうっ」

 「少し自分の人生について考えてたんだよ。誰にだってあるだろう? 急に先行きが不安になったり楽しみになったりする
  支離滅裂な感情。思春期特有の感情だ。そういう時は一人になりたい、委員長にだってそういう時があるよなぁ?」

 「そんな事言って、本当はかったりぃとかそんな事しか考えていなかった癖に」

 「酷いな。委員長にそう思われていたのは心外だ。この間クラスの調査書手伝ってあげたのによ」

 「あ、あれは! ・・・・その、ありがたかったけどさ・・・・」

     
  何でも一人でやろうとする。自己犠牲に似た性格の持ち主だった。弟一人で母親は病気、父親は他界という環境のせいかそういう性分だった。

  別にオレが手伝う必要も無かった。係でもなんでもないし、あったとしても放り出す性格なオレだ。いつもなら無視して通りすがる場面。

  けど、偶々そんな忙しそうに焦るようにプリントを纏めていた委員長と、これまた目が合ってしまい――――かったるい事に手伝ってしまった。

  目が合ってしまっても本来なら無視する所。だが、案外不器用でもたもたしている委員長を見てるとムカッ腹が立ってしまった。

  色々お礼やら何やら言ってきたが聞かない振りをして教室から出た事を思い出す。気まぐれの行動なのに感謝されるのは座りが悪かった。


 「ありがたいと思ってるなら、放って置いてくれ。今日はちょうど腰がヘルニアで動けないんだよ」

 「そ、それとこれとは別よっ! ホラ、そんな嘘言ってないで立ちなさいっ!」


  手を掴み無理矢理立たそうとする。実にかったるい。かったるすぎる。

  委員長ももれなく力が弱い部類の女なので、少し力を入れると肩を震わせて力の無さをアピールしてきた。

  はぁ、とため息を一つ。オレの周りはお節介焼きな女が多いのでウザったい事この上ない。



 「んだよ。そんなにオレの手を握りたいのか。案外積極的だな、委員長は」

 「ば、ばかっ! からかわないのっ! あんまりふざけてると学園長に言いつけて―――――」

 「そんな色気のない言葉じゃ・・・・ちょっと動けないな」

 「あ、―――――きゃ」
    

  スクっと立ち上がったオレに一瞬茫然とする委員長。オレの手を掴んでいるその手を逆に握り返して、貯水庫に体ごと押し付けた。

  柔らかく押し付けたので痛みは無い筈。だがびっくりさせられた事に腹を立てたのか、文句を言おうとして――――目を逸らしてしまう。

  オレの目がふざけてる目に見えなかったからだろう。何処かソワソワした空気を持って、目をきょろきょろさせている委員長に語りかける。


 「なぁ、麻耶」

 「な、な、なにかしら、私と桜内は名前で呼び合う様な関係じゃ無かった筈だけど・・・・・」

 「これからそういう関係になったりして、な」

 「何言って―――――」


  つい、と委員長のジャージ姿を舐めまわす様に見る。その視線に何やら不穏の空気を感じ取った委員長が体を捻らせて逃げようとするが
 ビクとも動かない。焦っているなら尚更それは叶わないだろう。

  片手を押さえられた人間というのは構造上、違う部分を動かそうとしても無理なのは知っていた。勉強で覚えた訳じゃない。喧嘩で覚えた事だ。

  紅くなる顔。緊張してきたのか、呼吸が一定に保たれていない。目を合わせてやるとピタッと動きを止まらせた。この程度は造作も無い事だった。


 「い、いやらしい目になってるわよ、桜内・・・」

 「冗談のつもりだったんだが・・・。なんかその気になってきちまったな」   


  面倒臭い女なのは知っているが、その妙に女らしい肩と足の細さに少しばかり情欲が湧き立つのが分かる。

  いつも制服ばかりだったから気付かなかったが中々の体付きだった。茜がグラマスな体系なら、委員長は少女みたいな可憐さを思わせた。

  ・・・・・んー・・・マジでどないしようか。どうせ此処には物好きなヤツしか来ないしなぁ。握った手を今度は柔らかく包み込むように握った。


 「・・・人、呼ぶわよ」

 「呼べばいい。それで委員長の気が済むならな」

 「あ、後で花咲さんとか天枷さんに言い付けてやるんだから・・・・」

 「こういう時は他の女性の名前を出すのはルール違反だな。マナーがなっていないぜ、麻耶?」

 「それは男性の場合でしょ・・・・」

 「男も女も変わりはないさ。そんな事も分からないクソ生意気な口を閉じさせてやろうか?」

 「・・・・・・・・」


  逃げられない雰囲気を悟ったのか、段々委員長の体から力が抜けていくのが手に取るように分かる。

  本人は気付いていないだろうが、困ったように見上げる上目遣いの視線も、乾いた唇を舐める仕草も、全部誘ってる様にしか見えない。

  本気で抵抗したら止めてやると思ったが・・・・そんなに期待されちゃ、男が廃るか。これでも最低限のマナーは分かってるつもりだ。


  オレが少し顔を近付けると、何か決心したように委員長は目をギュっと瞑った。

  そして、その可愛い唇に、そっとオレは―――――――


 「はぁい、そこまでよ。よっしぃー」

 「―――――――ッ!」

 「オッケー、分かったよ。だからその背中に触れている物騒なモノどけてくれないか? 茜」


  まぁ、だよな。扉から誰かが入って来た音は聞こえてたし。まさか茜だとは思わなかったが。

  委員長は驚いたように目を見開き、茜を見る。なんだ、やっぱり気付いて無かったのか。


  脇にゴリッと固い感触。前に茜に見せて貰った事があるモノだった。委員長は弾かれたようにオレの腕から逃げていき、茜の背に隠れる。

  スタンガンを押しつけられているのでその行動を端目に見た。隠れてフゥーッとオレを威嚇するその様はまるでネコみたいだなと思った。

  飼った事は無いが嫌いな動物では無い。人間の言う事を聞かず気ままに行動する様は見てて気持ちの良いものがあった。

  
 「安いから買った物だけど・・・・どれくらいの出力あるのかしらねぇ。試していいかなぁ、よっしぃー?」

 「安いって事は出力が安定していないって事だ。ちゃんと規格通りに作られてるのかよ、ソレ。危ないからどけて欲しいな」

 「ちゃんと謝ったらねぇ」

 「そ、そうよっ! このスケベ、女たらしっ! そのまま感電してしまえっ!」

 「りょ~かい~」

 「わ、悪かったよ。勘弁してくれ。少しばかりからかいすぎたな。本当に悪かったと思っている」


  焦った声を作って取り止めさせる。いくらオレでもこの状態から脱出する事は出来ない。嘘でもいいから謝る事にした。

  茜は少し信用ならない顔を作ったが――――――スタンガンを取り下げた。安緒した気持ちが生まれる。本当にやりかねないからな、この女。

  そうしてやっと自由になったオレは振り返り、茜の姿を正面に捉える。委員長と同じくジャージ姿だった。


 「なんだよその格好。そういうプレイが好きなのか、お前」

 「倒錯感とか禁忌感があって嫌いじゃないけどぉ、今日はそういうつもりはないわよ」

 「今日はって部分が気になるが・・・なんの用だ。今日一日ここでサボろうと思ってたのによ」

 「なぁに言ってるんだか。そんな事許されないわよぉ。義之くんには今日は絶対に働いて貰うんだからねぇ。でも、驚いちゃった。
  義之くんを探しに行った麻耶ちゃんを気になって追いかけてみれば・・・・ミイラ取りがミイラになりかけてるんだもの」

 「え、あ、ち、違うのっ! それは桜内が勝手に―――――」

 「残念だよな。もう少しでいけそうだったのに。委員長も期待してたよな?」

 「~~~~~~~っ!」


  委員長は顔を羞恥と怒りで顔を真っ赤にさせ、足を踏み鳴らせて屋上の扉の方に向かってしまう。背中から言い用の無い怒りが噴き出ている
 のを感じた。軽いジョークなのにな、まったく。

  そうしてこの場に残ったオレと茜。さて、どうするかこの女。言い丸めるのは簡単な様に思えるが、難しくも思える。捉え所の無い性格をし
 ているからオレの苦手な人種でもあった。思わず頭を掻いてしまう。


 「もしかしてぇ、私を言い丸めようとしてるのかなぁ?」

 「さてな。面倒臭ぇから張り倒すかこのまま襲っちまうか考え中だ」

 「へぇー・・・・私を襲ってくれるんだぁ。それは楽しみだにゃあ~」

 「・・・・・・・」

 「―――――出来ないんでしょ?」

 「・・・わりぃな」

 「まー今更だし、気にしてないわよぉ。じゃあさっさと行こうか」


  手を引きオレ達も扉の方に向かう。いい加減このかったるい女性関係を清算しないといけないのに、とうとうこの時期に来てしまった。

  こっちの世界に来てから約半年。様々な女性と仲良くなり、前の世界に居た以上に喧嘩もして、この妙な人間関係が出来上がってしまった。

  妙な人間関係――――かったるい話、少女漫画みたいにオレの事を好きな女が数人出来た。オレもその数人に少なからず気を持ってしまっている。

  オレの性格上、早く決着が付くと思ったがズルズルとここまでその関係を持ちこんでしまっている。自分の駄目さ加減に腹が立った。

  今晩の夕食みたいに軽々しく選ぶ事も出来ない。少しだけ、前の世界が恋しくなってしまった。


 「―――――って、オレは行かねぇよっ! 手を離せよてめぇ!」

 「はいはい、ダダを捏ねないの。貴方が来ないと今日は勝てそうに無いんだから」

 「確かトトカルチョしてんのか。金の無い学生は大変だねぇ、茜さん」

 「事実だから何も言わないわよ。ほらほら、キリキリ歩くっ!」


  思った以上に手の握力が加わり、離せそうにない。ほわほわしてるから舐めて掛かってたが案外力はあるようだ。ため息を付きたくなる。

  ああ、マジでかったりぃ。意味分からねぇし。やるんならオレ抜きでやればいいのによ。その方が絶対上手くいく確立は高い筈なのに。

  
  春の体育祭―――――付属に上がってからはロクに参加した事が無かった。

  オレはいつもより騒がしい廊下を見つつ、今度は本当にため息を吐いた。























 「おお、やっと来たか桜内」

 「そこの頭の緩い女に無理矢理連れて来られたんだよ。オレは全くノリ気じゃないがね」

 「あぁん、あんまり褒めても何も出ないわよぉ~」

 「あんまり花咲を苛めてやるな。この勝負、負けられない戦いだ。ただでさえ俺達のクラスは戦力としては弱い。
  そこで桜内みたいな抜け目なく、運動神経が高い男が必須なのだっ!」

 「あ? なんでそうなるんだよ。どのクラスが勝つかっていうトトカルチョでオレ達が勝つ必要無いだろう」

 「賭けでは無いっ! ク・イ・ズ、大会だっ!」

 「株とかFXやってる奴も似た様な言い訳を言うな。オレにしちゃ別に意味は変わらない」


  杉並を無視し周りを見渡す。オレが来る事が意外だったのか、クラスのヤツらが驚いている顔をしていた。

  まぁ、そうだよな。オレみたいな奴がこういう催しに参加するなんて誰も思わないだろう。自分自身そう思う。

  にしても・・・意味が分からねぇ。なんでオレ達が勝つ必要があるのか。


 「うむ。それはクラス全員が自分のクラスに賭けたからだ」

 「じゃあな」

 「待て待てぇい! 最後まで話を聞こうとは思わないのか、ん?」

 「どうせオッズが高いから自分のクラスに賭けようぜとかそんなんだろ。そんなかったるい事にオレを付き合わせるな」

 「はっはっは。まぁ、そうなのだがな」
    
 
  笑い事じゃねぇよ。大体このクラスで優勝とかアホか。運動部なんて殆ど居なかった筈だし、優勝出来る面子じゃない。

  もし例えオレが入っても勝つ見込みはあまり無い。男子で一番運動が出来るっていったら杉並ぐらいしか思いつかないし、もう詰んでいる。

  しかし―――――杉並がここまで自身満々に言うんだ。何かしら策を講じているのかもしれない。こういうの好きだもんなぁ、コイツは。


 「お前の事だから色々イカれた事を仕組んでるんだろうが・・・・それでもヤル気は起きねぇな。どうせ賭けつっても山分け
  なんだろうし、そんなんじゃ微々たる金しか入らねぇ」

 「・・・・・ふっふっふ」

 「んだよ。気持ち悪い笑みしやがって」

 「桜内、少し耳を貸せ」

 「あ?」


  慣れ慣れしく肩を組んで口を寄せる杉並。気持ち悪いので張り倒してやろうかと思い――――オレも肩を組んだ。

  杉並が言った金額。常識外れにも程がある金額だった。思わず口の端が歪むのが分かる。脇で茜が引いているのが見えたが気にしない。

  別に金には困っていないが――――あれば邪魔になるものじゃない。ガキの使いじゃないのではした金だったらやらなかったが・・・。


 「こりゃ、いい商売だな。杉並くん」

 「その気になって嬉しい限りだ、同士よ。ちなみに商売じゃない。これは健全とした学生らしいクイズ大会なのをお忘れなく」

 「オッケー分かったよ。オレも偶には学生らしい事をしなくちゃな。汗水出して手に入れるお金・・・じゃなく、青春てのは
  掛け替えの無いモノだしな」  

 「そうだろう? ここで一頑張りするだけでお金・・・ではなく、一生の宝物が手に入るのだからな」

 「はは、違いない。精々頑張るとしますよ、杉並先生?」

 「うむ。桜内は健全な生徒だな。見なおしたぞ」

 「何言ってるんだか・・・・もう」


  委員長が文句を言ってきたが気にならない。こんなに素晴らしい気分は何時ぶりだろうか。

  ちょっと動くだけで手に入る大金。なるほど、クラスのヤツらがどうりでピリピリしてた訳だ。

  さっきから念入りにストレッチしてる奴も居れば、どういう作戦で行くか話し合いをしてる奴らもいる。


  スポーツで汗を流す。オレの柄じゃねぇが――――こんな日もあっていいよな?





















 「ふざけやがって・・・くそっ」

 「ホラ、そんな怖い顔しないの。みんな怖がるでしょ?」

 「悪いな、雪村。この顔は生まれつきだ。文句を言いたいなら天国の母親と父親に言ってくれ。もしくは墓だな。何処にあるか知らねぇが」

 「よ、義之・・・ごめんね? 居ないのに勝手に決めちゃって・・・・」

 「全くだな。普段面と向かって何も言わねぇ癖に、裏でこういう事をやらかすんだもんな」

 「わ、私は――――――」

 「小恋の事じゃねぇよ。誰だよ、オレを推薦したアホは」


  委員長にオレはどの種目に出るかを聞いた。種目を決めるHRで欠席をしていたから誰がどの種目に出るか全く分からなかったからだ。

  そしたらふざけた返答―――――100m走、三人四脚、借り物競走。そしてクラス対抗リレー。それらがオレが出る種目だと聞いて
 思わず舌打ちが零れた。そんな話聞いてねぇぞ杉並。

  委員長が少し怯えた顔をしたので、適当に頭を撫でてその場を立ち去った。オレの背中に何か叫んでいたが無視してやった。どうせ文句だろう。

  一つの種目だと思っていたが・・・・四つは予想外だ。誰だよ推薦した野郎は。小恋はこの性格だから論外として・・・・・。


 「はいは~い、私だよぉ!」

 「このクソ巨乳女・・・・なんて事してくれやがるんだ。そんなに張り倒されてぇのか、てめぇ」

 「いつも煙草ばっかり吸っているよっしーの為を思ってやったのよ? 茜さんに感謝しなさぁい」

 「余計な事すんなっつーのっ!もう決まった事だから辞退するとかしねぇけどよ・・・四つとか頭沸いてんじゃねぇのか、ああ?」

 「だったら文句を言わないの~。ホラ、もうすぐ100m始まるわよ?」

 「・・・・覚えてろよ」

 「よっしーの事は一瞬たりとも忘れた事ないわよぉ、私」

 「・・・・チッ」
 

  おどける茜を一睨みして、集合場所に向かう。時間があまり無いので皆軽くストレッチをしており、もうすぐにでも走れる状態だ。

  オレも軽くジャンプをして足の筋肉を解す。呼吸を深く吸い込み、吐いた。体の調子は良い。集中力も悪くは無い。万全の状態と言えた。

  頭に血管が昇ったまま動くと呼吸が乱れるし、体も緊張する。だから頭も冷静にして手を握る。いつもの感じ。慣れた感覚だ。


 「お、弟くん」

 「ん・・・・音姉か。なんでここにいるんだ?」
 
 「そりゃあ私は引率の係だし・・・此処にいるのは当然だよ」

 「そうか。相変わらず損な性分だな。そんな面倒なの他の誰かに押しつけちまえばいいのに」

 「そ、そういう訳にもいかないって。弟君、体育祭に出るんだね・・・・・ちょっとびっくりしちゃった」

 「出たくはなかったんだけどな。無理矢理クラスのヤツらに駆り出されたよ。すっげぇかったりぃわ」

 「あ、あはは・・・。そうなんだ。でもいい機会だし、頑張って優勝とか狙っちゃおうよっ」

 「勿論出るからにはそのつもりだ。一番決める大会で一番にならなくてどうするよ」

 「・・・・・よぉし、なら・・・・」

 「ん?」


  音姉がなにやらぶつくさ独り言を言って手を握る。何をしでかすつもりだが知らないが、引率しなくていいのかよ。あと三分ぐらいで始まるぞ。

  そしてオレに目を合わせ・・・・手をいきなりぎゅっと握ってきた。思わず眉を寄せる。周りもその様子を見ていたのか、少しざわめき出した。

  なんだか――――――嫌な予感がする。そう思い、手を振り払おうとしたが・・・・遅かった。音姉は目をカッと見開き、力一杯叫んだ。


 「どうか、弟くんがっ! 100mでっ! 一番にっ! なれます、よぉーーーーーーーにっ!!」

 「だぁぁぁあああ、うるせぇぇぇぇええええーーーーーーーっ!」


  耳がキ―ンとした。いきなり何をするかと思えば耳元で叫びやがってっ! 向こうの席にいるヤツらも何事かとこちらを見てきた。

  手を言葉の一区切りづつ上下にブンブン振り回してきた音姉に若干怯みつつ、オレは掴まれた手を振り払った。音姉は何処か満足いった様な顔を
 している。なんだ、これは。もしかして罰ゲームか何かか、オイ。 

  こういう注目は好きじゃないし、こんな目立つ事をされてはたまったもんじゃない。久しぶりに羞恥心が蘇ってきた。姉じゃ無かったら一発
 ブン殴ってる所だぞ、くそっ!


 「いきなり叫ぶなよ、このアホっ! 耳が痛ぇし、周りの目線も痛ぇし、ふざけてんのかよっ!」

 「えぇー・・・・お姉ちゃんは弟君の為を思ってやったのに・・・・」

 「オレの為だと思うならそういうのは小声でやれよっ、なんで力一杯叫ぶ必要があんだよっ」

 「むぅ・・・・弟君が久しぶりにヤル気出したから応援してあげたのに・・・・もうっ、知らないんだから!」


  音姉はどこか拗ねたような顔をしながら、引率係の場所まで踵を返した。オレの方が怒りてぇのに・・・・あの女マジで空気読まねぇな、おい。

  周りから視線がまだ突き刺さっている。オレの噂を聞いてるから冷やかしとかからかいの言葉は来ないにしても、恥ずかしいのは事実だった。

  遠くからは笑い声が聞こえるし、思わず天を仰ぎたくなる。いくら金の為とはいえこんな辱めを受けたんだ。冷静な頭がブレ出した。


 「わーはっはっはっ! 義之のあんな顔、初めて見たぞ美夏はっ! いやぁ、体育祭というのは面白いなっ!」

 「・・・・くく、確かに美夏の言うとおりにね。こういう事が起きるならイベールも連れて来ればよかったわ・・・・ぷぷ」


  後で泣かせてやるぜ、美夏。これが終わったらケツ蹴り上げてやる。もう決めた。ここまで言い様の無い感情は初めてだ。

  この100m走、絶対に負けられねぇ。ここまで崖っぷちに追い込まれたのは初めてかもしれない。これで負けた日にはもう立ち直れない。

  両手を握り合わせて力を思いっきり入れる。骨が軋む程に。頭を冷やして勝てる算段を作る。いくらオレでも運動部のヤツらに勝てる程
 運動神経はズバ抜けていない。

  そうなるとどうやって勝つか―――――まぁ、正攻法じゃ勝てないのは分かりきっている。だから少し悪戯してやるか。


 「なぁ、早馬」

 「ん、どうした桜内」

 「わりぃけど、手加減してくれねぇかな? 自慢じゃないがオレはお前に勝てないと思うんだよ」

 「・・・・桜内にしては弱気な発言だな。この前本校の先輩三人倒したヤツの台詞とは思えないな」

 「あれはあっちが悪い。呼び出し喰らったからなんだろうと思って行ってみたら、いきなり殴りかかって来たんだぜ?
  むしろオレは被害者だ」

 「全員窓から放り投げたらしいじゃないか。とても被害者とは思えないな」

 
  空き教室に呼び出され、いきなり殴りかかってくる男達。確かに普通ならやられる場面だろうが、それでやられる程オレは貧弱じゃない。

  一応ハサミを持っていって正解だった。太股に刺さり絶叫する男。周りにもその恐怖は伝染していき・・・・後は簡単だった。

  パニクって身動き出来ない体に真っ白になる頭。カカシみたいなモノだ。だから窓から全員放り出してやった。まともに相手をするのも
 かったるかったからだ。

  先輩達は後輩にボコられましたなんて先生や親には言えず、オレは停学を免れた。まぁ、話だけは広まっているみたいだけどな。


 「なんにしたって手加減をするつもりはない。やるからには勝つつもりだ。悪いな」

 「んー・・・・別にいいさ。こっちこそいきなり変な事言って悪い。気を悪くしないでくれ」

 「別にいいよ。じゃあ、そろそろ始まるから・・・」

 「ああ」


  一番の障害であろう人物の説得は失敗か。元々本気じゃなかったし別にいい。負けて下さいと言われて負けるバカがいるとは思わないし。

  なんにせよ、やる事はやった。後はオレが全力で走るだけ。脚がどこまで持つかの勝負だ。軽く背伸びをしてスタートラインに着く。

  そしてスターティングブロックに足を乗せ――――思わず笑みが零れる。相変わらず杉並はこういう所には力を惜しまないんだな。

  張りがあり、スプリングが強い。こりゃあ、いけるかもしれねぇな。あのバカの事だ、他のヤツのには変な細工でもしてあるに違いない。


 「じゃあ、位置についてー」


  息を止め、真っ正面を見据える。まともに走るなんて本当に久しぶりだ。 

  最後に真面目に走ったのは――――思い出せない。それ程までに期間が空いている。

  けど、ここまでお膳立てしてもらったんだ。勝たなくちゃぁな。


 「よぉーい―――――ドンッ!」


  そして、早馬が壮大にコケた。顔からダイブして地面にキスをする。

  残りのヤツらもスタートに失敗した。オレしか独走していない。完璧な勝利が見えた。

  そうしてオレは高笑いしたい気分を押さえ――――真っ直ぐゴールまで走り抜けた。

























 「すっごいよぉ、義之っ!」

 「みなまで言うな。当然の結果だよ、小恋」

 「でもでも、凄かったよ!? 一人独走状態だったし!」

 「まぁ、本気を出せばこんなもんよ」


  小恋は本当に純粋だなぁ。後ろの方でしらーっとしているヤツらも見習ってほしい。

  久しぶりに走ったから少し脚の筋肉が笑っている。こんな調子であと三種目大丈夫かと思いため息をついた。

  リレーは置いておくとして、次は三人四脚に借り物競走か。体力はなんとか温存出来そうだ。最後のリレーの体力は残しておきたい。


 「思った以上に最低な事するわね、義之って。何をどうしてああなったのか説明を要求するわ」

 「褒め言葉として受け取って置くよ、雪村」

 「え、なにが?」

 「小恋ちゃんは知らなくていい事よぉ~? ホラ、あっちに行ってましょうねぇ」

 「え、ちょ、ちょっと、茜っ!?」


  小恋の背中を押して立ち去る茜。無性に煙草が吸いたくなったが、抜けられるほど時間は空いていない。手持ち無沙汰に手を握って開いた。

  雪村がじっとこちらを見詰めて何をしたのか問いかけてくる。んだよ、一位になったんだからもうちっと喜んでいいのにな。

  こいつの性格からして別に正面から破ろうとか考えていない筈なのに。まぁ、単に何をしたのか気になっただけかもしれない。


 「別に何でもいいじゃねぇか。結果としてオレが一位、後は全員亀だったって話なだけだよ」

 「ただの好奇心よ。なんだか靴がすっぽ抜けたようにも見えたけど・・・・どうやったの?」

 「あ? ちょっと話してる間に靴紐踏んでただけだよ。別にオレから何かしたって訳じゃない。そこから動いたのはあっちの意志さ」

 「・・・呆れた。言い訳にもなっていないじゃない」

 「本気で言い訳しようと思って無いからな。ただの子供の悪戯だよ。もしかして怒ってるのか?」

 「いえ。ただ、まさかああなるとは思わなかったから何したか気になっただけよ。もう次の種目が始まるから準備しましょう」

 
  そう言ってすたすたと待機場所まで歩いて行く。やっぱりというか案外そういう所はフランクなんだな。普通なら責められる場面だが。

  ただ立ち去り際に少しニヤっと笑ったのが気になる。何かを企んでる様にも見えたが――――気のせいか。自分の金も掛かってるしな。

  綺麗事言って自分の金がパーになっちゃ話にならない。雪村も同じ考えの筈だから気にし過ぎか・・・・。


 「つーか、お前と小恋の面子か。どうなるか分からねぇな。なんの仕掛けも出来ねぇし」

 「そうね。でも、だからといって低い順位になるとも限らないわ。精々足掻いてみましょう」

 「どうせなら一位になるとか勢いのある言葉が欲しかったが・・・・まぁ、しょうがねぇか」

 「勿論そのつもりで走るけど・・・どうなるやらね。苦悶が多ければ多いほど勝利は輝かしいって言うけれど」

 「ガンジーは弁護士資格を持っていた超エリートだよ。そんな偉大な人とオレ達では土俵が違うな」

 「なら雑兵は雑兵らしく戦いましょう。偶には何の策も講じないで真っ正面から戦ってみるのも悪くないわよ?」

 「・・・・もしかしてさっきの話をしているのか?」

 「さぁね」

 「あ、いたいた。もうっ、私を置いて行くなんて酷いんだから」


  小恋が息を切らしてこちらにやってくる。どうやら雪村はオレがさっきやった事を根に持っているみたいだ。

  雪村らしくねぇ――――そう思うが、オレと彼女はそこまで親密な関係ではない。もしかしたら彼女が許容範囲外の事をオレは
 やったのかもしれなかった。

  確かに少し度が過ぎた悪戯かもしれねぇが・・・・別にオレは気にならない。そんな小細工に掛かるヤツが間抜けだっていう話だ。

  オレや杉並だったら引っ掛からない。走る前に自身の状態を確認しなかったからそうなるんだ。変な所を気にするヤツだな、まったく。


 「さて、そろそろスタートするみたいだが・・・配置は?」

 「小恋が左、義之は真ん中、そして私が右という配置で行こうと思うのだけれど、どう?」

 「なんだっていいよ。別に意義は無い」

 「わ、私もそれでいいよ」


  息を切らせて走ってきた小恋には悪いがもうスタート時間が差し迫っている。お互いの足を結び合い、準備完了。

  後は上手くバランスを整えて走るだけだが、それが難しい。体格差もあるし運動神経もかなり違う。そしてコミュニケーションが上手く
 取れるかどうかがこの競技の要だ。

  生憎オレは一人で居る事が多かったし、そんなもんは取れる筈が無い。大体男子一人に女子二人という組み合わせだ。難しいモノがある。

  だが――――ウダウダ言ってる暇は無い。もうみんな指定位置についているのだ。雪村の言葉じゃ無いがやるしかない。


  台座に乗った係の手がスターターピストルを持ち上げる。意識を集中させて足から余計な力を抜く。出来るだけ脇の二人に合わせ様に呼吸も整えた。

  そして―――――パンッ、と音が鳴り、みんな一斉に駈け出す。


 「好調、だなっ」

 「ええ、脇に、二組しか走っていない、から、なんとかなりそう、ねっ」

 「が、がんばる、もんっ」


  息を切らせ喋り合う。余裕があった。一等賞を狙いたいところだがこれ以上ペースを上げると足並みが崩れる。この状態を維持だ。

  軽く端目に残りの二組を見る。どんどんペースが上がっていった。こりゃ勝てないな。だがそれでも三位には喰い込める。

  それで若干気持ちが緩んだのがいけなかったのだろう。雪村の二ヤッとした笑みに気付かなかった。


 「あ、ごめんなさいね」

 「なっ―――――」

 「きゃ―――――」


  つんのめいて派手に転んでしまう。急に右足が動かなくなり上手くバランスが取れなかった。土煙があがり服が土で汚れてしまう。

  足も固定されており、受け身が取れない。肩を組んで走っていた所為だ。バランス感覚には自信があっただけに面食らって何も対処出来なかった。

  急いで体制を立て直すそうとして――――何か柔らかい物に触る。それが小恋の胸だと分かるのにそう時間は掛からなかった。


 「あ、ん・・・」

 「ん――――って、わりぃ、小恋っ!」  

 「い、いいからぁ、早くどけてよぉ~」

 「わ、分かってるって」

 「そうはさせないわよ」

 「え、あ――――――」


  手が首に掛かる感触、同時に小恋の胸の感触がダイレクトに顔に伝わる。思わず下が反応しかけるが、こんな所でやっちまったら目も当てられない。

  顔を上げようにもちょうど支点となる場所に力が加わってる所為で、身動き一つ取れない。よく警察が犯人を取り押さえる時に使う捕縛術。

  くそ、意味が分からねぇっ! なんで雪村がこんな真似を・・・・!


 「あ、てめぇっ! さっきやった事を根に持ってやがるなっ! いつまでも引っ張りやがってっ!」

 「確かに、私は目的の為なら手段は問わないわ。でもね、最低限やっていい事と悪い事の線引きはしてあるの。お分かり?」    
    
 「くっ、このロリ野郎が・・・・っ!」

 「なんとでも言いなさい。それに――――小恋がオイシイ思いをしてるから止める訳にいかないわ」

 「だ、だれが! 義之、早く退いてよっ」

 「それが出来りゃ苦労しないんだよ、この、地味な癖に胸だけは成長しやがって・・・・!」

 「じ、地味っ!? ヒドイよ、義之っ!」

 「うるせぇっ!」

 「あ・・・・」


  なんて今日はツイてない日なんだ。こんな大勢の観衆の前で赤っ恥を掻くなんて。段々怒りで頭が沸騰しかけてきた。

  こんなに恥を掻かされた事なんて無ぇ―――――一ブン殴ってやりたい衝動に駆られる。色々な人が見てるが、どうでもいい。

  首に掛かってる手に自分の手を重ねる。狙いは指。思いっきり逆に伸ばせばポッキリいく。雪村みたいな小さい手なら尚更だ。


 「え、って、キャっ!」

 「こんだけの事したんだ、悪いが指一本―――――――あ?」

 「あ・・・」

 
  そう言いながら後ろを振り返ると、アップになった雪村の顔。

  鋭い痛みに耐えかねて逃げようとしたのか、こちらに覆い被さる様に落ちてきた。

  そして・・・・思いっきり顔と顔をくっ付けてしまう。唇に感じる柔らかい感触。

  オレは本気で前の世界に戻りたくなった。


 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・え~と」


  流れる気まずい沈黙。どんどん他の走者に追い抜かれていくが気にならない。小恋が何か言おうとしてるが、結局何も言えず座り込んだまま。
    
  やべぇ、何トチ狂った事やってんだよオレ。幸い気付いた人はいないようだし、それだけが不幸中の幸いと言えた。だが、問題が解決した
 訳じゃない。早く復帰しないと変に勘ぐられる可能性がある。

  とりあえず呼吸を一つ吐いて新鮮な空気を取り入れ―――――思いっきりむせた。喉が詰まり、呼吸が出来なくなる。


 「ゴホ・・・ゲホッ・・・!」

 「ちょ、ちょっと義之っ?」

 「どうしたの、義之っ」

 「べ、別に何でも無ぇ・・・・」


  エリカ―――――物凄い目でこちらを見ていた。間違いなく一部始終を見られていたに違いない。一番面倒なヤツに見つかっちまった。

  とりあえず話し掛けてくる雪村や小恋になんでもないと手を振って応える。本当になんて厄日だ、ちくしょう。参加しなきゃよかった。

  立ち上がりゴールの所を見るともう皆着いてしまったようだ。最下位、こんな所でまさかの大失態だった。


 「・・・・・ねぇ、義之」

 「いきなりお前が変な事やらかしたんだからオレは謝らない。悪いな、雪村」

 「で、でも・・・女の子にキスしたんだし、やっぱり義之が謝るべきだと思うよ?」

 「そうなる前提を作ったのがコイツだ。むしろ謝って欲しいのはこっちだぜ、赤っ恥を掻いちまった」


  謝る気は無い。事故みたいなものだし、雪村がそもそもあんな真似しなければ事故は起き無かった。

  小恋が言いたい事も分からない訳じゃないが・・・・知った事か。ガキじゃねぇんだしキスの一つや二つで騒ぐなよ、かったりぃ。

  そう思い、雪村の方を見るとこちらをジッと見詰めている。んだよ、何か言いたい事でもあんのか?


 「何か文句でもあるのか、雪村。まさかキスした事ぐらいで――――」

 「ファーストキス」

 「・・・・・・・・あ?」

 「初めてのキス、義之に奪われちゃったわね・・・・・ふふっ」

 「・・・・・だから、どうしたんだよ」

 「別に。ただ、口実が出来たなって思っただけよ」

 「意味が分からねぇぞ、雪村」   
  
 「そのうち分かるわよ。さぁ、さっさと歩きましょう。向こうの係の人が今にもキレそうだわ」

 「あ、待ってよぉ~杏」


  スクっと立ち上がりゴールの方向に向かう雪村。オレも立ち上がりその背中を追いかける。

  相変わらず何を考えてるか分からない女だ。いつも澄ました表情をしてるし、そのうえ腹黒いときてる。

  頭の回転なら負けない自信はあるが・・・・人の考えを読める程オレは雪村の事を知らない。


  なんだか面倒臭そうな事になりそうだ――――――ポケットに手を入れながらオレはとりあえずゴールを目指した。





















  
    




  クラスの場所に戻って来たオレに対して、委員長は呆れた物言いで「やってくれるじゃないの、桜内・・・・」とコメカミをピクピク
 させて言ってきた。つーかオレの所為じゃねぇよ。

  悪かったよ、次がんばるわ。そう言ってオレは椅子に座った。確かに委員長の言うとおり呆れもするだろう。オレだったら拳骨を落としてる
 かもしれない。勝てた試合なら尚更だ。

  次は・・・・ああ、昼休みか。意外と体育祭に集中してた所為か時間の感覚が掴めなかった。さて、昼はどこで食おうかな。


 「まるで芸能人同士が競う合うスポーツ番組みたいなレースだったな、桜内よ」

 「やりたくてあんな事したんじゃねぇよ。おかけで恥を掻いた。今日はどうやら厄日らしい」

 「ふむ。オレは欠席扱いでどのレースにも出られないから、桜内に頑張って欲しかったのだがな」 

 「・・・・は? 何言ってるんだ、お前」

 「オッズを上げる為だ。だからあんなにも常識外れの金が貰える。知らなかったのか?」

 「・・・・・今初めて聞いたよ、てめぇ」

 「今言ったからな」


  クラスのオッズを上げる為に杉並が欠席する―――――なるほど、合理的で立派な作戦だ。それで一位なんか取った日には確かに大金がくる。

  まぁ・・・・それが不可能だという点に目を瞑ればの話だがな。スポーツが一番出来る杉並が欠席しちゃクラスに勝ち目なんて殆ど無い。

  今は運よく良い位置に着けているが・・・・時間の問題だ。運動が出来るヤツはどうせ後になって出てくる。常套手段だ。


 「もう殆ど博打じゃねぇかよ、オイ」

 「そうとも限らんさ。確かに欠席はしてるがその分さまざまな策を講じられる。あのスターターにしてもそうだ」

 「それにしたって限界があるだろう。最後の対抗リレーなんかお前無しで勝てるとは思えない。ハッキリ言ってな」

 「そこは桜内が頑張ってくれ。大金が掛かってるんだ。人間、好きなモノに大しては実力以上の実力を発揮するらしいしな」

 「他人事だと思いやがって・・・・・くそっ」

 「おいおい、どこに行くのだ。桜内よ」

 「とりあえずジュースでも飲んでくるわ。あまりにもバカな事聞かされたから喉が乾いちまったよ」

 「ふむ。そういうえば俺も乾いたな。桜内、よかったら俺の分も―――――」

 「ふざけろ」


  背を向けて歩きだす。杉並がどの種目にも出ないで優勝する、無謀な話だ。ため息をついて自動販売機の所まで歩いて行く。

  もうここまで来たんだ。やれる所までやるつもりではいるが・・・・段々かったるくなってきた。いくら金の為とはいえ限度がある。

  競馬で一山当てるぐらいの確率だ。考えれば考える程優勝出来る確率が遠のいて行く。まったくあの野郎は・・・・・・。


 「あ、あれ桜内先輩じゃない?」

 「え、うそっ! どこどこっ!?」

 「桜内せんぱーいっ!」

 「あ?」


  二年の集団の脇を通りすがる途中、名前は呼ばれた。そちらに首を向けて声のした方に視線を送ると、三人組の女子が居た。

  一緒に飯を食おうとしたのだろう、レジャーシートの上には三色の弁当箱が置かれていた。そういえば何処で飯を食おうかな、オレ。

  とりあえずその場所の方に歩みを進める。きゃーきゃー騒いでてうっとおしいが反応しちまったから仕方ない。それに飯にありつけるかも。


 「どうした。何か用事か?」

 「いやぁ、桜内先輩が一人で歩いてたから思わず声を掛けちゃいました! 100m走、格好よかったですよっ!」

 「そうそう、もう殆ど独走状態だったしねー。運動は出来ると思ってたけどまさかぶっちぎりだとは・・・・」

 「運がよかっただけだよ。ほんの少しタイミングがずれてたらああはならなかった。皆そうやって褒めてくれるけど・・・心苦しいよ」
    
 「もうっ、謙遜しないで下さいよぉ。本当に格好よかったんですから~」

 「あまりそういう言葉を言うもんじゃない。可愛い子にそう言って貰えると勘違いしちまう。オレはバカだしな」

 「そ、そんな・・・可愛いって・・・・」

 「やったじゃん! ずっと気になってた桜内先輩に褒められて、私も可愛いって言われたいなぁ」

 「こ、こらっ! 余計な事言わないでよ!」

 「桜内先輩って色々な変な噂があるけど、何か優しそうだよねぇ」

 「変な噂?」

 「あー・・・・噂なんで気にしなくてもいいと思います。本校の先輩数人倒したとか女の子数人を囲んでるとかそんなんですから。
  どうせ桜内先輩を嫉妬して誰かが流した噂だと思いますし」

 「――――そうだな、あまりにも身に覚えが無い。まさかそんな風に言われてたなんて・・・・少しショックだな、はは」


  悲しそうに顔を伏せ、顔に手をやる。女子共はそんなオレに気にしないでと声を掛けてくれた。なんて優しい女子共だろうか。

  今日はサボるつもりで来ていたから弁当なんて持って来ていない。それによく見ればどいつもこいつも顔は悪く無い。

  それに弁当も美味そうだ。一緒に喰うとなれば中々癒されそうな食事風景が思い浮かべられる。さて、もう少し押してみるか。


 「そ、そんなショックを受け無くても私達はちゃんと分かってますから安心して下さいっ!」

 「そうですよっ! 私達もあとで皆に噂はデマだったって言い聞かせますからっ」

 「本当、そんな噂を流したヤツなんかとっちめてやるんだから」

 「あはは、ありがとう。でも気持ちだけでいいよ。そんな事でイチイチ目くじら立てちゃ身が持たない。言いたいヤツには言わせて
  おくさ。構うと余計に付け上がるからね」

 「わぁ、おっとなーですね・・・」

 「これでも一応キミたちよりも年上だから、そう見えるだけだよ。さて、オレは弁当を家に忘れてきちまったから急いで買いに行かないとな。
  お金が無いからあんまり購買のお世話にはなりたくないんだけどね・・・・」

 「あ、だったら私の分を分けてあげますよっ! 少し作り過ぎちゃったからどうしようかなと思ってたんですっ!」

 「え、いいのかいそんな。色々手間暇掛けたろうに・・・・ジャガイモの煮つけなんて意外と時間がシビアで作るの難しい筈だ」

 「いいんですよ。それに私料理上手いですし、期待してもいいと思いますよ? ふふ」

 「そうなのか。家庭的な女の子って感じでいいね。そういう子はタイプだよ」

 「――――え、あ、た、タイプって・・・・」

 「言葉の通りだよ。別に特別な言い回しもしてないし、素直に思った事を言ったつもりだけど?」

 「うぅー・・・・・」

 「あ、ずっるいんだ~! 先輩、私のも食べて下さいよっ!」

 「私も私もー!」

 「はは、皆優しいな。それじゃ有り難く貰おうかな」

 「やったーっ!」


  まぁ、たまにはいいだろう。最近は人嫌いも収まってきたし、好意を無碍にするのも心苦しいしな。そしてツラも可愛いし役得みたいなものだ。

  別にオレはこいつらの事が特段気に入ってるとかそんなんじゃない。ただ一方的に好意を向けられたからちょっと構ってやる程度の物だ。

  一時的な状況だし、後に引っ張らない様にそそくさと退散すれば何もない。次会っても知らんぷりすればいい。可哀想だとは別に思わない。

  さて、早速弁当でも食おうかな。午前は少し動き過ぎた。おかげで腹が減ってしょうがねぇ。飲みモノは適当に奪いとっても何も言わないだろう。


  皆笑顔だし、ここまで手放しに笑みを向けられたのは久しぶりな様な気がする。レジャーシートにオレも座り込もうとして、腰を屈ませた。


 「さて、じゃあ早速――――――」

 「あら、『桜内先輩』? そんな所で何してるのかしら」

 「あ・・・・・エリカ、ちゃん」 


  レジャーシートに座りこもうとした――――瞬間、前の前にエリカが立ちはだかった。急な登場に、女子共も泡を食ってしまう。

  内心・・・うかつだったと激しく後悔した。そういえばコイツも二年。いつも同い年感覚で喋っていたから頭からスッポリその事が抜け落ちていた。

  このまま黙っていてもしょうがない。とりあえずエリカに目を合わせて喋る体制を整える。目、どこか冷やかな色合いでオレを見ていた。


 「何をしてるのかって・・・別に彼女達がお昼ご飯を奢ってくれるっていうんで、御相伴に預かっただけですが?」  

 「後輩にたかるのは感心しませんわよ。あちらに生徒会が発注したお弁当があります。確か一名分余りがあった筈ですわ」

 「そんな生徒会にお世話になる事は出来ませんよ。いつも学校の為に忙しいのにオレの所為で迷惑を掛けちゃ居た堪れない」

 「・・・・いいから、来なさいな」


  段々苛立ちが表れてきた。組んでる腕に力が入っているのが分かる。オレも思わずエリカに張り合う様に喧嘩腰になってしまった。

  別に食えればどこだっていいのだが、はいそうですかと言って着いて行くのはなんだか面白くない。本当に素直じゃ無い性格だと思う。

  大体生徒会の弁当なんて話自体が嘘に違いない。女子共と一緒に楽しくお弁当を食べようとしているオレ―――――見ていて腹が立ったのだろう。

  それにさっき雪村とやっちまった所をエリカに見られた。恐らく根掘り葉掘り聞かれる。かったるい思いをするのは多分に間違いなかった。


 「ちょ、ちょっとエリカっ!」

 「はい? なんでしょう」

 「別に私達がイイって言ってるんだからいいじゃんっ! そんなに桜内先輩の事苛めちゃってさ、可哀想」

 「・・・・・なんですって?」


  眉がピクリと動き、その鋭い目で女を見る。それだけで怯んだのか「う・・・」と呻き声を漏らして後ずさってしまった。

  仕方無い。エリカは貴族のお姫様、存在自体が他の女と違っていた。そこにいるだけで目を奪われてしまう程の美貌とカリスマがあった。

  おまけに今は不機嫌な雰囲気を醸し出している。それに抵抗出来る女っつったら数える程しかいないだろう。他の女子も同じ様子だ。


  なんだか面倒な事になっちまったな。早くこんなかったるい事態を解決したい。そう思ったオレは大人しくエリカに着いて行く事にした。


 「そんな喧嘩なんかしないでくれ。分かったよ、残念だがエリカちゃんに着いて行って生徒会のお弁当でも分けて貰う事にする」

 「・・・・ふぅん」

 「えぇー・・・・そんなぁ」

 「折角桜内先輩とご飯食べれると思ったのにぃ・・・・」

 「本当にごめんな、じゃあまた今度機会があったら」

 「うぅ・・・絶対ですよぉ~」


  残念だがの部分にエリカが反応し、つまらないように指をトントンしたが無視をする。これぐらいの意図返しぐらいいいだろう。

  せっかく食費も浮いてタダ飯にありつけそうだったんだ。それも可愛い子に囲まれてなんてウハウハだったのによ、まったく。

  残念そうな顔をする女達に軽く手を振って、オレとエリカはその場をあとにした。どこに行くつもりなのか、エリカの足取りは淀みなかった。


  しかし―――――まぁ、あんまり見られたく場面を見られたものだ。さっきの今であんな事をやらかしているオレに腹を立てている。

  背中から怒っていますオーラが出ているのを見てため息をつきたくなった。エリカが怒ると本当に手の付けようがなくなる。


 「どこまで行くつもりなんだ、エリカ」

 「・・・・・・・」

 「無視かよ、てめぇ」


  そうして校舎内に足を進めた。何を考えてるか分からない。エリカとは短い関係ではないからおおよその行動は分かってるつもりだったが。

  付き合えば付き合うほどコロコロ表情を変えるから、オレの物差しでは計れ無くなってきている。まるで猫みたいな気まぐれな性格だ。

  最初会った時は子供みたいに読めやすい性格をしていたのにな。今怒っているのだって本当かどうか疑わしい。


  ふと――――どんどん歩みを進めているエリカを見て、気付いた事がある。もうとっくに生徒会の部屋を過ぎていた。

  考えに没頭しすぎていたのか、周りに軽く目を配っても誰もいない。シーンとした空気が身を包む。


 「なぁ、エリ――――」

 「着きましたわよ、桜内先輩」

 
  言葉を中断され、エリカがその部屋に入っていく。何の部屋だろうか、プレートには何も書かれていない。恐らく空き部屋だと思う。

  エリカと二人きり――――その状況でこういう密室に入るのは少し躊躇われた。しかし、今更引き返すというのも座りが悪い。

  さっきの件もあるし逃げるみたいで気が引けた。とりあえずオレも中に入ると、本当に空き部屋で簡素な椅子と机しか置いていない。


 「・・・・ここには弁当はないみたいだが? もしかして迷子かよ。もう入学して一年ぐらい経つのにな」

 「・・・・・」

 「あの子達も可哀想に。エリカみたいなヤツに睨まれちゃ殆どの女は黙っちまう。お前って目立つし威圧感もあるからな」

 「―――――ふふっ」

 「なんだよ・・・・・」

 「今の『義之』ってなんだか浮気現場を見られた夫みたい。いつもより口数多くなっちゃって。可愛いわ」


  振り返り、笑みを携えて髪を掻き上げる。オレの大好きな笑みでもあり、苦手な笑みでもあった。知らずしらずの内に唾を飲み込む。

  さっきまでの苛ついた雰囲気は演技だったのか、それともこれが演技なのかさえ分からない。ただオレに微笑み掛けてくるだけだ。

  他人の感情の起伏は読める方だと自認していたが、やはり分からない。オレと付き合う様になってからこういうエリカは沢山見てきていた。


 「そんなつもりは・・・・無いはずだけどな」

 「別に怒ってませんわ、ええ。ただ目先の物に囚われるのは義之らしくないと思うけど? まぁ、大方可愛い子達と昼食を
  食べれてラッキーぐらいの気持ちなんでしょうけど。貴方の場合はね」

 「だったら放って置いてくれよ。オレは今腹ペコで喉も乾いてるんだ。今にも餓死して自分の手を齧りそうだよ」

 「そうやって・・・のらりくらりしてきたから今の状況があるのでしょう? いい加減誰に絞るか決めて欲しいところですわね」

 「そりゃ、悪いと思ってるが・・・・」

 「思ってたら示してくれないと困りますわ。私達は待てをされたペットじゃないのよ、そこら辺はちゃんと自覚を持ってくれないと。
  自分の好きな男性が女の子数人とお弁当を囲んで食べてる風景。普通の人はどう思うかしらね? 私はなんとも思ってませんけど。」  
 
 「―――――悪かった、軽率だったよ。反省している。あんまり苛めないでくれ」


  そう言って両手を上げる。確かに迂闊な行動だったか。今の人間関係で他の女と弁当を食うなんて空気が読めて無かったのかもしれない。

  無意識の内に美夏やエリカ、茜といった女性達と昼を過ごす事に怯んでいたのかもしれない。そうしたら何かが決まってしまいそうで、と。

  全く、オレらしくない。逃げる様な腐った女みたいな行動をしていた。性格は前より穏やかになったと言ってもそこまで堕ちたつもりはなかったのに。

  オレがそう言うとエリカはさっきまでの笑みをまた別な笑みに変えた。これは甘える時に出る笑み。長く付き合ってる所為で区別が分かるように
 なった。それまでにオレとエリカの過ごした時間は長い。


 「ふふ、別に苛めたいとか思ってませんわ。義之の事苛めたら後が怖いですし―――――好きですもの」  

 「・・・そうか」

 「そっけない返事。雪村先輩とキスしてた時のほうがまだ感情が出ていましたわね。まさか義之があんなに照れるなんて初めて
  見ましたわ。私とキスする時を除いて、ですけど」

 「別に照れた訳じゃない。あまりにもかったるくてそんな顔になっただけだ。あんまり自分の視野で何でも決めつけるなよ、エリカ」

 「・・・そうね。だったら何かお詫びでもしないといけませんわね。義之を貶めた罰として」

 「何するんだよ」

 「分かってる癖に」


  そう言ってこちらに歩みを進めた。少し後ずさろうとして――――後頭部に壁の感触。気が付いたら出口の無い方向に追い詰められていた。

  気を抜いていた自分に舌打ちしたくなる。最近のエリカはこういう事を覚えていた。いかにオレを逃がさない様にするかという事を。

  視線を前に送ると至近距離のエリカの顔。頬にそっと手を置かれ、口付けをされた。まるで恋人同士みたいな激しい口付け。

  
 「ん・・・・くっ・・・!」

 「―――――――ぷはぁ、はぁ、義之、好きよ、大好き・・・・」

 「・・・・この、やめろって、エリカ」

 「だったら私を突き飛ばすなり殴るなりしてもいいのよ? だったら身を引いて上げられるんだけど・・・その気、ないんでしょ?」

 「・・・・・」

 「ふふっ、相変わらずこういう時は黙るんだから。さっさと私を選んでくれたらいいの、ね」

 「それは・・・・・」


  エリカとは二人きりにはなりたくなかった。理由、その場の勢いに流されて本当にそうなってしまいそうだからだ。

  そんな理由で誰かとは付き合いたくない。よく考えて、選びたかった。今まで考えても選べなかった癖にそういう事を未だにオレは考えている。

  いつもは口が回り頭の冴えている筈なのにこういう時ばかりは本当に役に立たない。叱られた子供の様に口を窄んでしまう。

  
  オレの事を好きな連中で一番積極的だったのはエリカだった。茜も積極的ではあるが最低の線引きを自分で決めていた。エリカにはそれがない。

  止めないと際限無くオレの心に入ってくる。潤んだ目で見詰めてきて動きを封じられる。オレはエリカの事が好きで、苦手だった。

  エリカはオレの為ならなんでもするんだろう。それが怖い部分もあった。ここまで果てしない愛情をぶつけられた事がない。


  いつもはこんな女の子じゃない。普通に笑って、恥ずかしがって、怒りもする普通の女の子だ。だが、歯止めが効かない時が多々ある。

  今みたいに強引に来る時もあるし、他の女に当たったりもする。オレの手に負えないぐらいその時ばかりは感情を爆発させていた。

    
  エリカと離れなくては。そう思い手を掛けようとした所で―――――――オレはため息を吐いた。エリカはきょとんとした目でオレを見詰める。


 「なぁ、エリカ・ムラサキさん」  

 「な、なんですの・・・?」

 「オレって最低だぜ? 自分の不甲斐なさを全部エリカに押し付けようとしている、悪者にしようとしている。オレもエリカの事は
  好きだし愛してあげたいと思ってるのに、さっきから言ってる言葉といえば拒絶の言葉だけだ。本当に馬鹿だよ、オレ」

 「えっ・・・・」

 「さっきの件にしたってそうだ。あまりにも無神経過ぎたと本当で思っている。お前も愛想が尽きたろ、こんな男。イチイチ女々しく
  言い訳したり知らない振りして誤魔化そうとしている男だ。さっきのキスだってお前を抱きしめる事さえしていない」

 「ちょ、ちょっと義之・・・・」

 「それに雪村と事故とはいえキスしたんだ。その場面を真っ先に見たお前に対して何の謝罪もしていない、悪かったな」

 「ねぇ、ちょっと私の話を聞いっててば」

 「大体オレのどっちつかずの行動の所為で一番苦しんでいるのはお前らの筈なんだよ。なのにさっきから自分の事ばかりしか――――――」

 「義之っ!」

 「・・・・んだよ。今のオレは罪悪感で押し潰されそうなんだぞ。まるでコンクリに詰めた死体みたいだ」

 「まぁ、死体云々はともかくとして―――――私、義之に嫌われてないの?」

 「・・・・・・は?」


  不思議そうな顔で聞いてくる。表情・・・・別にふざけてる訳じゃない。という事は本気で言ってるって事で、あれ?

  お互いに不思議そうに顔を見詰め合う。傍からみれば滑稽な光景だろう。さっきまでの纏わりつく様な空気は消えていた。

  嫌われてないのって・・・・え? オレそんな事言ったっけ?


 「オレ、お前の事全然嫌いじゃないぞ。むしろ好きだよ、一人の女の子として」

 「え、でも、あれ・・・・?」

 「お前さっき自分で言ったじゃねぇか。嫌がったら殴るって。その通りオレが嫌いな女だったら張り倒してるよ」

 「でも、普通は女の子相手にそんな事をする筈が――――――」

 「オレ普通じゃねぇし。お前だって見たろうが、オレが三人ぐらいの女を殴ってる所」

 「あ・・・・ああ、そういえばそうでしたわね」

 「つーかオレとお前がこうやって関係持ったのもそれが原因だろうが。忘れんなよ」

 「ごめんさい・・・・。でも、義之って私の事が・・・・・」

 「何回も言わせるなよ。まぁ、オレって知ってる通り女にはだらしが無いからエリカ一人に絞るっていう事が確かに出来ていない。
  でも、オレはお前のこと好きだし事抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいだ」

 「あ――――――ああ、え、やだ、ちょっと、やだやだっ」

 「あ?」


  いきなり顔を朱色に染めて顔面を手で覆ってしまう。あまつさえ座り込んで、ずっとやだやだ呟いてるエリカ。

  オレは急な事態に思考が追いつかないでいる。さっきまでオレを追い詰めるように凄んでいたエリカとは別人みたいにテンパっている。

  意味が分からない。何か特別な事を言ったつもりはないのだが。とりあえずこのままにさせる訳にもいかず、顔に手を掛けその手を外そうとした。


 「お、おいどうしたんだよっ」

 「ば、ばかやめてっ! あっち行ってよバカ義之っ! この女たらしで八方美人!」

 「あっ!? て、てめぇがこんな所に連れ込んだんだろうがこのエロ娘っ! いいから手どけろよっ! どうしたんだって!」

 「や、やめなさいよ変態っ! 人を呼ぶわよっ!」

 「お前にだけは言われたくないっつーのっ! いいから手をどけ―――――」

 「あ・・・・・」

 「あっ」


  少しの押し問答のあと、無理矢理手を引っ剥がすとそこには首まで真っ赤に染めた顔と―――――涙が流れていた。

  ポロポロと際限なく零れていてエリカが必死に拭っても全然止まる様子は無い。え、なんで泣いてんだよお前。

  本当に意味が分からない。さっきから会話もすれ違っているし、途中から混乱する事ばかりで頭が働かない。


 「な、なんで泣いてるんだよ、お前」

 「だ、だって私って絶対もうとっくに愛想尽かされてると思ったし・・・ひっく、それにね、少し、しつこかったかなって自分でも思ってたし」

 「別にしつこいなんて思っちゃいねぇって。そりゃ最近暴走しすぎかなと思ったけど・・・・・前と同じでオレはお前の事好きのままだよ。
  だから色々迷ってるんじゃねぇか」

 「でもね、義之って何だか私に冷たい気がするし、私が迫ってもいい顔しないんだもの。ああ、嫌われるなと思って、だから必死で・・・・」

 「オレまで暴走したら収拾つかなくなるだろ。別に付き合ってても同じ事をするよ、オレは。お互いドップリそういうのに嵌ったら誰が
  止めてくれるんだ。お互い友達とか親は居るんだし、分かるだろ、そういうの」

 「だ、だったらそう言ってよね・・・・ひっぐ、私、義之の事が大好きで仕方無くて、だからもっとアプローチしてって考えて・・・・」


  泣きながら言葉を吐くエリカをただオレは撫でる事しか出来ない。オレはエリカを見誤っていた。ただ想いが暴走していたとしか考えなかった。

  この子は純粋にオレの事が好きなんだ。こんな優柔不断で人を平気で暴力を振るう男を。少し考えがすれ違ったけどそれは確かだ。

  こうやって好きという言葉だけで涙を流して嬉しがって、恥ずかしがって、エリカを悪者扱いにしていた自分が情けなく感じる。


  とりあえず慰めてるように傍に居てやると段々落ち着いてきたのか、涙の跡を拭いて立ち上がるエリカ。もうさっきまでの弱気な姿では無い。

  小さく「情けない所見られましたわね、ありがとう」と呟いて顔をあげるエリカはいつもの姿だった。その姿に少しばかり安緒した。

  オレの所為で少しばかり情緒不安定になっていたのかもしれない。最近少し避け気味になってしまったが・・・もうやめよう。


 「ホラ、行くぞ。昼飯食わないと午後が持たねぇ」

 「あ・・・・・」

 「なんだよ」

 「・・・・手、繋いでくれてる。いつも私からしか繋がないのに」

 「たまにはだよ。少しばかりエリカの手が寂しくてな。嫌か?」

 「―――――――ッ! う、ううんっ! そんな事ない、嬉しいわっ」

 「だったら別にいいだろう。さっさと行こうぜ。本当に腹が減ってしょうがねぇんだから」

 「・・・・うんっ!」


  余程嬉しかったのか腕まで絡んでくる。多少かったるい気持ちが生まれるが・・・好きにさせて置いた。オレも嫌いじゃないし。

  ただあんまりイチャイチャするのは恥ずかしいというか困るというか、そんなガキみたいな感情だった。情けなく感じた。

  だからオレも腕に力を入れて引き寄せる。最初は驚いた顔をしたエリカだが、途端に更に笑顔になった。それだけでもやった甲斐があるもんだ。


 「ねぇ、よしゆきぃ、何処かで二人っきりで食べましょうよぉ~」

 「つーかオレ弁当持ってきてないし。お前は?」

 「私は持って来たわ。勿論・・・義之の分もね」

 「え、マジっすか」

 「当り前じゃ無い。義之の好きなマカロニも入ってるわ。飲み物も二人分持ってきたし」

 「おお、お前が凄いいい女に見えてきたよ。さすがエリカお嬢様だ、分かってるねぇ」

 「・・・何か素直に喜べませんけど、まぁいいですわ。食べるなら早く行きましょう」

 「おう。いやぁ、楽しみだなぁ。エリカと一緒にお弁当食べられるなんて。まさかねぇ~」

 「・・・・・やっぱり素直に喜べませんわね」


  そう言うなよ。久しぶりに動いた所為でクタクタで本当に腹が減ってるんだ。事実、さっきの女子の件だって大体がそれ目的だ。

  普段煙草吸ってるからこういう時に肺が上手く動かない。喧嘩は慣れてるにしてもそういうのとはまた違うのでバテてしまっていた。

  エリカの弁当か。そういえば時々家に食事に招かれるけどその度に料理の腕は上がっていた気がする。何故かは・・・・まぁ、オレの為、だよな。

  なんにしたって外れが無いのは確かだ。急に元気が湧いてきた気がする。現金なものだと思うが仕方ないだろう。腕を組んだままオレは扉を開けた。


 「あっ」

 「・・・・は?」

 「・・・・え?」

 「・・・・あ、はははは。いや、どうも。今日はお日柄もよく、はい・・・・」
 

  そこには何故か人が居た。見覚えのあるお団子頭の女。オレは頭がくらっとした。

  由夢――――何時から居たんだよ、この野郎・・・・・。










※簡単に言うとFDスプリング・セレブレイション、薫風のアルティメットバトルのfrom road to road版のお話です。  



[13098] そんな日々(中編)
Name: 「」◆b0dea98f ID:92d9f2bc
Date: 2011/01/08 17:03









 「ほら、弟君。久しぶりにマカロニなんて作ってみたの! 美味しい?」

 「・・・・まぁ、美味しいけど」

 「ふふ、よかった。エリカちゃんもよかったら摘まんでね? 料理には自信があるから!」

 「え、ええ・・・・」

 「・・・・もぐもぐ」
  

  なんでこんな事に・・・・と思わずには居られない。私と義之は本来なら二人っきりで幸せな食事をする筈だったのにそうはならなかった。

  横で澄ました顔でマカロニを食べている由夢さんを見て、少し心が波立つのが分かる。この子が来なければこんな事にはならなかったのに・・・・。

  話を聞くと、お昼を一緒に食べようと義之を探したところ私と一緒に歩いている姿を発見した。お昼を食べずに後校舎内に入っていく私達。

  そして気になって後をつけてみたら――――とまぁ、そんな感じらしい。まるでデバガメみたいだ。下らな過ぎて逆に呆れてしまう。


 「それにしても駄目だよ、弟君。いくらエリカちゃんが多く作り過ぎたからって御厄介になっちゃ。お弁当忘れたならお姉ちゃんに言えば
  お裾分けぐらいしてあげたのに」

 「音姉はとても忙しそうでお昼は生徒会のヤツらと食うと思ったからな。声を掛けるのに躊躇っちまったんだよ」  

 「もうっ、そんな事気にしなくていいのに。私達知らない仲じゃないんだから、そういう時はどんどん頼っていいんだよ?」

 「来年の体育祭の時に弁当を忘れたらそうするさ。その時はよろしく頼むよ、音姉」

 「相変わらず素直じゃないんだから・・・・。エリカちゃんもごめんなさいね? 弟君がご迷惑掛けちゃって」

 「あ、いえ、別に迷惑だなんて・・・・。桜内先輩には日頃から色々御世話になっていますし、本当に作り過ぎただけですから・・・・」

 「そう? でも、弟君がお世話ねぇ・・・変な事をエリカちゃんに教えないでね、弟君」

 「教えねぇって。それにお世話っても大した事をしていないよ。生真面目なエリカはそうは受け取らなかったみたいだけどな」

 「もう、ホントに弟君は・・・」

 「あ、あはは、別に気にしてませんから。はい」

 「・・・・・もぐもぐ」


  お世話になっている――――それは本当の事だった。世間知らずで気が弱い私を、義之はいつもエスコートしてくれていた。

  殆ど私が誘う形になってはいるけど、決していい加減な案内はしない。決まっていつも私が面白がる場所に連れて行ってくれた。

  それは海だったり、山だったり、服屋だったり・・・・様々な場所があるが、いつも嫌な顔せず付き合ってくれる。


  まぁ、それは置いといて。それにしても――――――だ。


 「ねぇ、由夢さん」

 「・・・・・もぐもぐ」

 「たまには空気を読んでくれてもいいんじゃないかしらね。私と義之がやっと二人きりになれたというのに邪魔しちゃって」  

 「・・・・・・・・もぐもぐ」

 「大体あの時そのまま踵を返して帰ればよかったのよ。それなのに貴方ときたら無理矢理に義之と私の腕を掴んでココに来させるなんて。
  そんなに私と義之を二人っきりにさせたくなかったのかしら」

 「・・・・・・・・・もぐもぐ」

 「――――――そんな餓えた犬じゃあるまいに、弁当をがっつくなんて粗野でお下品ですわ。義之とはまるで大違いね」

 「・・・・」


  食べる箸を止め、私の方を睨みつけてくる。対する私も睨み返した。義之と音姫先輩は話に夢中で私達に気付いていない。 

  朝倉由夢、音姫先輩の妹であり義之にとって妹同然の女の子。二人は小さい頃から一緒に育った仲らしい。どうでもいいが。

  そしてその女の子は何故か私を嫌っている。理由は分からない。だが私も嫌いだった。義之との仲を邪魔するのもそうだし、そもそも
 自分を嫌いな人間に好意を持てという方が無理がある。

  義之の今の微妙な人間関係の事はどうやら知っているみたいだが・・・・だったら尚更だ。知ってるなら余計に邪魔して欲しくない。  

  さっき聞いて分かった事だが、義之はまだ私の事を好きらしい。可能性がある。だからさっきのはチャンスだった筈なのだ。


  なのにこの子は邪魔ばっかりして・・・・・。考えれば考える程に腹が立ってきた。今回だけじゃなく、いつもこの子は邪魔をしてきた。

  商店街でデートをしてる時も声を掛けてきたし、義之が私の家に泊りそうな時も電話をしきて結局お泊まりはお流れとなった事もある。

  大体、学園長が寂しがってるから帰った方がいいと言われて帰る義之も義之だ。マザコンでもあるまいに放って置けばいいのに・・・・。

  
 「・・・何を言ってるんですか。兄さんはずぼらで面倒臭がりなどうしようもない人です。いったい誰の事を言ってるんですか?」  

 「あら、妹と言っても大した事ないのね。義之の事をまるで知らないのだから。あそこまでしっかりしてる男性は他にいないわよ?
  不良染みた事はするけど頭は悪くないし、逆に良い方。礼儀作法もやらないだけで知識としてちゃんとあるんですから。そこら辺
  の上っ面だけの男より断然上ですわね。そして勇気もあるし何より―――――」

 「ぷっ」

 「・・・・失礼。今の話に何か笑う所がありまして?」

 「いえいえ、とんでもない。エリカさんて本当に兄さんの事を何も知らないんだと思いまして・・・・おほほほ」

 「な、なんですってっ?」

 「話だけ聞いてると兄さんまだエリカさんに気を遣って本当の自分を見せてないんですね。ああ、でも、気になさらない方がいいですよ?
  エリカさんみたいなお姫様で、とても可愛らしい女性に気を遣ってしまうのはしょうがない事なんですから」

 「このっ・・・・!」


  皮肉気に笑うその顔に思わず激昂しかけるが、音姫先輩の手前だと言う事もありなんとか手を握り抑える。ここで騒いでも何の得にもならない。

  私が義之の事をしらない? ハッ、冗談も休み休み言って欲しいものだ。確かに義之の事は義之本人しか分からないし、そもそも性別さえ違う。

  全部は確かに分からないだろう。だが・・・・精々妹ごときの貴方よりは分かってるつもりだ。なのにその余裕な笑み――――気に喰わない。

  まるで自分の方が義之の事を知ってると言いたげな顔だ。なんなんだ、この子は。まるで義之の事を・・・・・。


 「・・・・まさかとは思いますけど、貴方もしかして義之の事を・・・・・」

 「あ、兄さん」

 「ん? なんだよ由夢」

 「来週の日曜日、どこか遊びに連れて行って下さいよ。天枷研究所でバイトしてるんですよね? だったらお金に余裕がある筈です」

 「なんでオレがそんな面倒な事をしなくちゃいけないんだよ。一人で行け、一人で」

 「あー由夢ちゃんたらずっるいんだー。ね、弟君。その時は私も連れて行ってよぉ」

 「だから行かねーっつーの! 姉妹揃って人の話聞かねぇ野郎共だな、まったく」

 「―――――――ふぅん」

 「あ? なんだよ」

 「ね、兄さん。耳貸して」


  私の問い掛けを無視し、義之に話し掛ける。内容はデートの誘い――――の様に聞こえた。もしかして私に張り合おうとしているのか。

  笑える話。生憎だが来週は私と買い物に出掛ける用事が入っている。天枷さんや花咲先輩が言うならまだしも由夢さんが誘った所で義之は
 動かないだろう。いくら妹とはいえその扱いの差には雲泥の差がある。

  何やら耳打ちをしているが、恐らくは甘い戯言でも吐いているに違いない。無意味な行為だ。思わず鼻で笑い飛ばしたい気分だ。


 「まったく。何を無意味な行動を・・・・」

 「―――――――で、一緒に行ってくれるよね、兄さん」

 「・・・・あ、ああ」

 「はぁっ!?」

 「え、い、いきなりどうしたのエリカちゃん。素っ頓狂な声上げて」

 「あ、え、べ、別になんでもありません。ちょっと膝の上に虫が居たものですから・・・・」

 「あー最近暖かいもんねぇ。虫達も出始めてきたのかなぁ。この間なんか毛虫踏みつぶそうとしちゃってぞわっとしてね、もう怖かったよぉ」

 「は、はぁ・・・・そうなんですか」


  由夢さんの方にチラッと視線を送る。目と目が合い、フッと笑う様な笑み。箸が軋む音がした。
















 「私襲おうとした事、全員にバラしますよ」

 「な、お前――――――」

 「だから何処か連れて行って下さいよ。あ、行き先は兄さんに任せますから。まぁ、そういう事で一緒に行ってくれるよね、兄さん」

 「・・・・あ、ああ」

 「はぁっ!?」
  

  その素っ頓狂な声を聞いて、溜飲が下がる。フッと笑い掛けると目に見えて怒りが噴き出すのが分かった。性格が悪いと思うがその様子を見て
 更に胸の内がスッとした様な気分になる。

  エリカ・ムラサキ、兄さんの事が好きな人達の一人でお姫様という漫画の中みたいな人。最近更に美しさに磨きが掛かってきた。どうでもいいけど。

  そして私はこの人が嫌いだ。時々兄さんの気持ちを考えないで気持ちを押し付けようとするところも、自由奔放に自分のやりたい事をやっている所も。

  天枷さんに聞いて今の兄さんの人間関係の事は知っている。だから尚更こんな人に近づいて欲しくなかった。兄さんがどうのこうのではなく、私が
 それに納得がいかない。当り前だ。こんな仮面を被っていい子の振りして、周りにイイ人という印象を与えようとする女なんかロクな人間じゃない。

  同族嫌悪―――――エリカさんと自分は似ている部分が多かった。もしかしたらその所為かもしれない。生理的に受け付けない部分があった。

  さっき話を聞いたがどうやら兄さんはまだこの人の事を好きらしい。それを聞いて思わず茫然としてしまう。そして鉢合わせしてしまったのは
 まずかったが、もう過ぎた事だ。気にしない事にした。


 「由夢ちゃんいいなぁ。私も一緒にお出掛けしたいよぉ」

 「お姉ちゃんはまだ引き継ぎとか残ってて忙しいですから無理だと思いますよ? また時間が空いた時にお願いしてみたらどうですか?」

 「うぅ・・・秋までにそれが終わればいいんだけどね。まゆきと一緒に頑張ってはいるけど・・・・はぁ」

 「大体お姉ちゃん一人で何でもやってしまうからいけないんですよ。結構ワンマンな所あったじゃないですか、先の生徒会って」

 「・・・・まぁね。その所為で下が育ってないとか先生とかにも言われたし。でもこればっかりは私達もどうしようもないし・・・・」
 

  そう言ってまたため息をつき、眉を寄せご飯を摘まんで口の中に入れる。お姉ちゃんとまゆき先輩は色んな意味でも目立つ存在なのでその悩みは
 当然と言えるだろう。なにせその二人の後を引き継ぐなんて本当に大変な事だ。

  何をしても前生徒会長と比べられるし、お姉ちゃんとまゆき先輩以上に上手く仕事をこなせる人なんて想像がつかない。確かに今の生徒会長も
 頑張ってはいるが・・・・あまり著しく無かった。

  でもまぁ、何か問題を起こしたという訳ではないのだからその内時間が解決してくれるものだと思う。今の生徒会のやり方に慣れてしまえば前の
 事なんて普通の生徒はすぐに忘れるだろう。縁の下の力持ちだしね、生徒会って。


 「ちょ、ちょっと義之っ」

 「・・・・なんだよ」

 「私との約束はどうしたのよ、いきなりそんな事言って気は確かかしら?」

 「悪いと思ってるが・・・・まぁ、また今度でいいか? そしたら絶対行けるからよ」

 「な、なにそれっ? 義之は私よりこんな妹のほうを選ぶというの? 信じられない!」

 「ば、ばかお前声大きいってっ」


  聞こえてますよ。お姉ちゃんは生徒会の事で頭一杯で聞こえてないみたいだけどさ。大体こんな近くでこそこそ話をされても普通に聞こえるって。

  それしても―――――エリカさんと出掛ける約束をしていたのか。ならよかった。今の状態のエリカさんに兄さんを連れて行かれたらどうなるか
 分かったものじゃない。今のエリカさんはとても自信に溢れていた。まったく、兄さんが好きと言わなければこんな風にならなかったのに。

  そんな二人を見ながら、私はあの時の事をぼんやり思い出した。私も兄さんに『好き』と言われた時の事を・・・・・。



  その日、兄さんは酔っていた。さくらさんが出張で本島に行っている時に、いつの間にか買っていたブランデーやらウィスキーを沢山飲んでいた。

  脇に転がる空瓶。私がたまたま様子が気になって行ってみれば目も当てられない惨状がそこには広がっていた。思わず顔が青褪める。

  明らかに普通の量じゃ無い。酒が強い人でもアルコール中毒になる程の酒の量。兄さんは居間の机の上でだらしなく腕を投げていた。


 「な、な、なにやってるんですか、兄さんっ!」

 「・・・・んー・・・・・なんだよ、由夢ちゃんかよ・・・・」

 「い、今水持ってきますからねっ!」

 「・・・・なんでも、いいよー・・・・」


  よかった、意識があった。手をパタパタ振る兄さんを尻目に台所に行ってコップを水で満たす。

  なんでそんなになるまで飲んでいたのかその時は分からなかった。なんでもいいからとりあえず兄さんに水を飲ませなくては。

  それだけ私は必死だったのだ。最近は自己管理は出来ていた様に思えたのだが、今の様子からじゃそれは微塵にも感じられない。


 「ほら兄さん、早く水を飲んで下さいっ!」

 「えぇ・・・もう飲みたくねぇって。勘弁してくれよぉ・・・・」

 「いいからっ!」

 「・・・・ん!? ぐ・・・・」


  構わず無理矢理コップに口をつけさせ飲ませる。水が飲みきれず滴り落ちているが気にしていられない。喉が波打って水を飲み干していった。

  これですぐに酔いが醒めるという訳ではないが、幾分かマシだ。そして飲み終わった後に咽るように咳をした。目はまだ酔っている。

  とりあえず何か体に巻ける物を持ってこないと―――――そう思い腰を上げかけた所で、腕を掴まれる。加減が出来ていないのか、痛さで
 少し顔を歪めてしまった。


 「い、イタいってばっ!」

 「どこにいくんだよぉ、少しはお兄ちゃんに構ってもいいんじゃねぇのかー」

 「・・・最初オレに近づくなって言ったの、兄さんじゃないですか。何を今更」

 「あー・・・・そうだったなぁ、昔のように思えるよ。なんか色々あったなぁマジで」


  そう言って笑い、顔に手をやる。結構本気でヤバイかもしれない。話が噛み合ってる様で何処かズレた感覚がする。酔っ払いの典型だ。

  はぁ、とため息をついて私も隣に座る。腕を掴まれたままじゃ動けないし、離してくれそうにもないからだ。まったく、なんでこんな事に。

  そんな私に何処か面白い様に笑う兄さんを見て、少しドキリとした。最近兄さんは笑顔を見せてくれない。いつも眉間に皺を寄せてた記憶しかない。

  
  人間関係。兄さんのそれはとても複雑なものだった。色々な女性が兄さんの事を好きで兄さんも悪く思っていないと言うこれまた複雑な話だ。

  それだけ聞くと、なんとも良い御身分だなと思えてしまうが事実は違う。私も最初はなんて欲望に忠実な人なんだろうと軽蔑した事があった。

  けれどふとその人間関係を見回して、ふと気付いた事がある。誰も心から笑っていない。幸せそうどころか皆辛そうに俯いてばかりだった。


  もしかしたら今私が来たのだって、たまたまじゃないのかもしれない。心の何処かで兄さんが一人きりという状況に危機感を感じたのかも。

  そしたら案の定、だ。いつも兄さんは誰かと一緒に居た。きっと気が休まる暇が無かったのかもしれない。脇にいる兄さんを見てそう思う。

  好きな人と一緒に居るのに心から喜べない。それはどんな気持ちなんだろうか。気持ちがすぐそこにあるのに一緒になれない。もどかして辛いだろう。


 「ヤケ酒ですか。色々な女の子に色目を遣うからですよ」   

 「なんだ、お前知ってたのかよ。いやー本当に女たらしですいませんねぇ、まったく」

 「天枷さんから相談は受けていましたから。義之は一人に好きな人絞ってくれないって」

 「美夏かー。アイツは本当に可愛いよなぁ・・・・こんなオレを頼ってくれるなんてよぉ。思わず構いたくなっちまう」

 「・・・・花咲先輩は?」

 「茜はあれだな、本当に気遣いが出来て可愛い女だよ。こんな駄目男の事を支えてくれるなんてなぁ。それにスタイルもいいしエロいし性格も
  いいし最高かなぁ。いつも引っ付かれるけどその度に胸が当たってたまったもんじゃねぇよ、まったく」

 「ゴホン・・・・で、エリカさんは?」

 「エリカも本当に可愛いよ。気が弱い癖に虚勢張ったりして、でも芯はしっかりしてて、色気も最近出てきたし。ただ時々オレを追い詰めるように
  迫るのは止して欲しいなぁ。アイツってばオレの弱い所ばっかり突いてくるから少し苦手だよ。大好きだけど」

 「・・・・・・」


  なんだろう、殴りたくなってきた。まるでのろけ話を聞かされた気分。実質そうなのだろう。ていうか全員可愛いって言うな。この女たらし。

  しかし、それらは本音なんだろう。酔ってるから思ってる事を吐き出している。机に顔を押しつけながら呟く兄さんを見てそう思った。

  じゃあ・・・・私はどうなのだろうか。どう思っているのだろうか。酔ってる今ならもしかしたら本音が聞けるかもしれない。

  兄さんの事を好きな女性が沢山いたから半ば諦めかけていたが―――――聞くだけならいいだろう。そう自分に言い聞かせ、優しく聞いてみた。


 「じゃあ・・・朝倉由夢さんは?」

 「あー、ゆめぇ? 由夢はなぁ、うーん・・・・・」

 「・・・・由夢は?」

 「料理が、クソ不味い」

 「殴っていいですか?」

 「勘弁してくれよぉ、今頭が回ってないし喧嘩なんて出来ねぇってー。オレ本当は喧嘩強くないんだからよぉ」


  目を瞑って嫌そうに顔をフルフルさせる。思わず握り締めた拳を、なんとか抑えさせた。自分の精神の強さに感服してしまう。

  そりゃ確かに私の料理はあまり褒められたものじゃない。兄さんとお姉ちゃんと比べたら雲泥の差だろう。しかし、最近は腕が上がってきたのだ。

  今度無理矢理家に連れてきてやる。うーんと唸っている兄さんを見ながら私はそう決心した。はぁ・・・・なんだか拍子抜けしちゃった。


 「んでもってさぁ・・・・」

 「はい? 何かまた朝倉由夢さんに対して何か文句でもお有りなのですか?」

 「由夢ってさぁ・・・何か変な色気があるよなぁ・・・・」

 「・・・・・は?」

 「本人は気付いてないつもりなんだろうけどよぉ、時々艶っぽい視線を感じるんだよ。あいつから。あれ喰らった男は一目で落ちちまうんじゃねぇ
  のかなぁ。まさに魔性の女って感じだな。この間テレビで見たよ、そういう女の特集」

 「え、あ、そ、そんなつもりじゃ・・・・!」

 「それにさぁ、時々無防備過な格好してる時があるんだよ。パンツとか平気で見えるし、いやぁ、勘弁してほしいよ」

 「そ、それはジャージ姿の時とかでしょっ! だって穿いてるとズリ落ちてくるし、しょうがないじゃない!」

 「なんでもいいけど本当に勘弁して欲しいよ。最近色々あって溜まってるしさぁ、この間寝る前に思い出しちまって・・・大変だったよ」

 「・・・・・た、たた、大変って・・・・何が・・・・?」

 「・・・・・・言いたくねぇ」


  ゴロンと顔を背けてまた苦しそうに唸り始める。手は変わらず握られたまま。もしかしたら誰かに話を聞いて欲しかっただけなのかもしれない。

  しかし―――――あの兄さんがそんな風に感じていたなんで、ね。いつも子供扱いばかりしていたからそうは感じなかったけど・・・・。

  けどよく考えればそうだ。私達は年齢が近いし、体も成長している。そういう目で見られたって不思議ではないのだ。顔が火照るのが分かる。


  そして次に感じたのは、喜悦感。まさか女の人として意識されてたのは意外だっただけに、嬉しさが込み上げてくる。口がにやけるのが分かった。

  さて、もうこの辺でいいだろう。兄さんが私をどう思ってるか分かった。さっきは聞くだけと言ったが・・・・撤回しよう。うん。

  もしかしたら私も辛い思いをするかもしれない。天枷さんに裏切り者とか言われるのかもしれない。だが、自分の気持ちを押し黙って居られる
 程私は物分かりのいい子じゃない。兄さんの言う通り子供のままだ。

  悪いが兄さんにはもっと苦しんで貰う事になる。心痛さは感じるが・・・・ずっと宙ぶらりんな事をしてる兄さんが悪いのだ、兄さんさえとっとと
 特定の人を決めてしまえばこのまま引っ込んでだものを。もう自分の気持ちを抑えられそうに無かった。

  エリカさん達と違って私は小さい頃から兄さんが好きだった。今までひた隠しにした気持ちが裸になる。絶対に負けるものか。


 「兄さん。今から兄さんにアタックを仕掛ける女のが増えますけど、いいですよね?」

 「・・・・うーん・・・・もう、無理だって・・・・・」

 「最近の兄さんならいけますって。色気があって可愛い女の子ですよ? それに料理も上手くて癒し系です」

 「あー・・・・いいねぇ。癒し系かぁ・・・・・癒し欲しいなぁ・・・・」

 「じゃあもう決まりです。明日から三人から四人に増えますね。この女泣かせ」

 「皆で仲良く、やってくれるならいいよ・・・・別に。何故か知らねぇけどアイツら仲悪いんだもんなぁ。特にエリカと美夏とか」

 「勿論みんな仲良くできますよ。そりゃもう仲のいい子猫達みたいに」

 「・・・・なら、いいや。オレはどうでもいいから仲良くして欲しいよ、ほんと」


  子猫――――冗談、そんな可愛いものじゃない。それに仲良く出来る訳が無い。特にエリカさんとか御免被る。自分と似てる人となんか
 仲良く出来ない。生理的に受け付けないのだからしょうがないだろう。

  まぁ、とりあえず許可は貰った。後は動くだけ。天枷さんには勿論話を通して置く。それが筋というものだろうから。苦しそうに唸っている
 兄さんを見ながらそう考えた。

  さて、そろそろ毛布か何かを持ってこないと兄さんが風邪を引いてしまう。そう思い、手を離そうとした所で―――――何故か体重を掛けられた。


 「きゃっ!?」

 「んー・・・? なんだ由夢じゃねぇか、何時から居たんだよ・・・・」

 「な、さ、さっきから居ましたってばっ!」

 「あー? そうだっけか・・・・。まぁ、いいや。一発やらせろよ」

 「はぁっ!?」

 「最近欲求不満でさぁ、もう。まさか茜達とヤル訳にはいかねぇしもう参ってんのよ、オレ」

 「な、なんで私なんですかっ!? 理由を言って下さいよ!」

 「そりゃ、お前――――顔と体が良いに決まってるからじゃねぇか」

 「な―――――――」

 「まぁ、ここは一つお兄ちゃんを助けると思って・・・・」

 「こ、この――――――」

 「あ?」

 「スケベェェエエエエーーーーーーッ!」

 「おごっ・・・・・」


  思いっきり腹に膝を決めて体を引き離した。確かに私は兄さんの事が好きだが―――――酔った勢いでとかは絶対嫌だった。

  するならやはり夜景が見えるホテルがいい。一泊数万するホテルだ。どうやら私は顔と体は良いらしいから兄さんも痛い出費では無いだろう。

  お腹を押さえて悶絶している兄さんを尻目に私はニ階へ足を進める。確か余りの毛布があった筈だ。適当に二枚ぐらい持ってこよう。

  そして翌日、兄さんは私に平謝りしてきた。どうやら後半の記憶しか覚えて無いようで少しガックリきたが弱点は握れたので良しとする。


  エリカさん。この人に渡すぐらいなら私が貰い受ける。脇でエリカさんに平謝りしている兄さんを見ながら、私は食事を再開した。  


























 「・・・・全然休んだ気がしねぇ」


  途中からエリカが怒ってその場からは抜け出すわ、由夢に脅しを掛けられるわ散々だった。頭を掻いて嘆息する。

  確かに酒で酔って頭が吹っ飛んでいたとはいえ、無理矢理襲ったのはどうかと思うが何も脅かさなくていいじゃねぇか。

  何もやってねぇし本気でやろうとした訳じゃねぇのにあの生意気な妹は・・・・。もう昼休みが終わったので集合場所にまで戻る。


  その前の記憶は何もないので変な事言って無いか多少心配していた部分があったが、どうやら何も言って無いみたいだ。由夢の様子から
 それが分かって一安心する。あんなに酒飲んだのは久しぶりかもしれない。

  ストレスというか悩み事が多かったせいで思わず酒に逃げてしまったがもうあんな真似はしねぇ。また何かあってからじゃ遅いからな。

  とりあえず集合場所に戻り椅子に座って落ち着く。次の競技まで時間がないが、一息付けたかった。


 「あ、よっしぃー!」

 「ん?」

 「もう、どこに行ってたのぉ? お昼誘おうと思ったら居ないんだもの!」

 「あー・・・音姉達と食べてたよ。無理矢理誘われてな、まったく」

 「ふーん。てっきり美夏ちゃんとかエリカちゃんと食べてるものだと思ってたわぁ」

 「・・・・さてな。茜は誰と食べてたんだ?」

 「んー? 杏ちゃん達とよ。誰かさんが相手してくれない所為でね~」

 「悪かったよ。ホラ、脇座れ」

 「ん」


  空いてる席に座らせる。杉並の席だからどうでもいいだろう。足をぷらんぷらんさせて座る茜。何が楽しいのかにこにこ笑っていた。

  そんな茜の顔を見てオレも少し笑う。そんなオレに茜はきょとんとした顔をつくるが、また笑い始めた。横目に笑う姿がいじらしい。

  茜の笑顔はいつ見ても人を楽しくさせるような安心感があった。漏れなくオレもそんな内の一人。なんだか気が抜ける様な気分がした。 

  
 「ふふ。義之くんが笑うなんて久しぶりに見た気がする」

 「・・・・そうだな。色々悩みごとが増えちまったからな。余裕が無かったのかもしれない」

 「頭良い義之くんでも悩む事があるんだねぇー。茜さんびっくり」

 「頭じゃなくて本質的な部分の問題だな。前だったら絶対有り得ない事だったよ、人を好きになるなんて」

 「良い事よぉ、人を好きになるのは。毎日その人の顔を見たくて学校行くのにだって気合いが入るし、心臓がドキドキして楽しく
  もなるしねぇ。まぁ、少し辛い部分もあったりするけどさ」

 「・・・・何も言えないな。悪い」

 「しょうがない事よこればっかりは。理屈で人を好きになるんじゃないもの。確かに一番は誰も傷付かないで好き会うのが一番だけどね。
  現実はそうもいかない事ばかり・・・・まぁ、それはそれで燃えるからいいけど」

 「そうか?」

 「うん。うぉおおおって感じで背中に炎なんか纏っちゃったりしてね。もうこの恋は止まらないっ!って感じかにゃあー」

 「はは、意外と熱血漢なんだな、茜は。驚いたよ」

 「茜さんの秘密その三よ。一応十個まであるからその内に全部知って欲しいなぁ~」

 「どうせならその一と二が知りたいな。まぁ、お前の事だからロクでもねぇ事に違いないけど」

 「違うもん。ロクでもない事じゃないもんねー」

 「どうだか」


  くくっと含み笑いをして腕を組む。むーっとして頬を膨らましている茜を端目に開始時間を見た。もうすぐ出番か。

  本当に休まる暇が無い。ちょっとほんわかした気分に浸かってたから立ち上がり首を回し、深呼吸。肺に溜まった空気を押し出した。

  次は借り物競走か。変な物でも借りなきゃいいけど・・・・かったるい。そう考えていると、何やら視線を感じた。脇に目をやり聞き出す。


 「なんだ、じっと見て。オレの顔はそんなに面白いか?」  

 「ううん。格好いいよ」

 「・・・・・・」

 「あー、もしかして照れちゃったのかなぁ~? くふふ」

 「うるせーよ」

 「あいたっ」


  額にデコピンをかましてやる。痛そうに額を擦っている茜を端目にオレは背伸びをした。こいつはストレート過ぎるんだよ、言う事が。

  いつも茜は不意打ち気味にこういう言葉を吐くから油断出来ない。今までも何回か恥ずかしい目に合っている、その度にオレはデコピンを
 かましていた。大体誰が照れるかよ。男が照れてもキモいだけだっつーの。

  全員に言える事だが最近オレを舐め過ぎなんじゃねぇのか。ていうか――――そもそもよくこんな男に近づこうと思ったもんだ。感心するね。


 「で、何で人の顔にガンつけてたんだよ、てめぇ」

 「やん。照れて口調が乱暴になる所とかよっしぃーは可愛いんだから・・・・ふふ」

 「・・・・・・」

 「わ、分かったから手をデコピンの形に作るの止めてよぉー! 時々本気で痛いんだからねぇー!」

 「だったら人をおちょくらないで素直に言えっての。まったく」

 「別にぃ・・・・ただやる気があるんだなーって、びっくりしただけよ」  

 「あ?」

 「深呼吸したり手を何回も握ったりしてるじゃん。もしかして癖?」

 「癖だな。喧嘩する時なんかこうやって自分を落ち着けてるよ。腕っ節は強い方じゃないからな」

 「えぇー。うっそだー。義之くんケンカ強いじゃん」

 「そう見えるように動いてるからな。別に褒めらるほど大した事はしてないよ。ただどうやったら相手は倒れてくれるのかなって考えて
  行動してる。その為には熱くならないで頭を冷やす必要があった。怒ってキレて力任せに暴れて勝つ、そんなにオレは力は無いよ」

 「ふぅん、意外だなぁ。でもまぁ、あなたって頭でっかちっぽいし・・・・・義之くんらしいっちゃ義之くんらしいけどね」

 「・・・・・・」

 「だ、だーかーらっ! デコピンするの止めてよぉ~っ!」


  茜がオレの握った手に泣きながら縋りついてくる。誰が頭でっかちだよ。もう少し違う言い方あるだろうが。今度言ったらその胸揉むぞてめぇ。

  そんな事をやってる間にも時間は差し迫っていて、なんだかんだで時間ギリギリに着くことになってしまった。もう皆走れる体制を作っている。

  まぁ、借り物競走なんてものはあんまり力を必要としないから少しは心に余裕がある。皆の様子を尻目に軽くオレは体全体を回して位置につく。


 「杉並がなんかしでかしてくれると思うけど・・・どうなるかな。楽させて欲しい所だが――――――あ?」


  視界の脇で揺れているモノが移っている。何だと思って見てみると昼にオレを誘った二年の女子共が手を振っていた。

  かったるい。そう思いながらも軽く手を振り返してやるとキャーキャー騒いで更に手を振ってきた。すげぇかったるいなオイ。

  程々に手を振りなんとなくその横を向く―――――――と、エリカがこちらをじっと見詰めていた。思わずまた咽そうになるがなんとか堪える。


 「・・・・あの野郎。もしかしてずっとああやって見てたのかよ」


  エリカならやりかねない。とりあえずエリカにも軽く手を振ってみるがガン無視。肩を怒らせながら奥に引っ込んでしまった。面倒臭ぇ。

  ベタベタくっ付いてきたと思ったら離れるし、本当に感情の起伏が激しいなアイツは。別に色目使った訳じゃないんだから気にしなくていいのに。

  もしエリカが他の男連中に手を振ってもオレは――――――んん、そうだな、うん。少し自重すべきだったかもしれない。思わず握り締めた拳を
 開いてまた軽く足を回す。こういう所が空気読まないって言われるんだろうな。気を付けよう・・・・・。


 「じゃあ、みなさんスタートラインに着いて下さい」

 「・・・・うし」


  準備は万端だ。いつでも行ける。スタートラインに着き、合図を待った。一種の緊張が身を包む。オレの周りは一瞬静寂に包まれた。

  そして――――――空に破裂音が響く。周りより一瞬だけ反応が早く駈け出したオレはあっという間に一位に踊り込んだ。だがまだ安心は出来ない。

  これは早さを競う競技じゃない。問題はあの紙の中身だ。あれに全てが掛かっている。オレは大金の為に思いっきり脚を動かし、一番乗りで到着
 出来た。乱れる呼吸をなんとか制しながら並んでいる紙を見詰めた。


 「えぇと。並んでる紙は松・竹・梅と・・・・杉? 杉ってなん――――――ああ、なるほど」


  どうりでさっきから姿が見えないと思ったらこんな事仕組んでたのか。思わず口の端が歪むのが分かる。係員が引いてるが気にしねぇ。

  今回もどうやら楽をさせてもらえそうだ。紙は二枚あるが保険の為だろう。オレが一番先に到着するって限らないしな。ま、結局要らぬ心遣い
 になったけど。適当に右を選び封筒から紙を取り出した。

  時間には余裕がある。内容もきっと楽なもんに違いないし、この勝負は貰ったな。これで一歩大金に近付ける。


 「さて、肝心の内容だが―――――――あれ?」


  内容を読む。あれ? と何回も言いながら何回も見なおす。表裏が間違っていないかを確認する。

  うん、この文字しか書かれていない。どうやらこれを借りて来いとのお達しらしい。

  さすが杉並さんだな。やる事が違う。オレの長年のダチをやってるだけあって中々の文章だ。


  そしてオレは、その紙を、思いっきり机に叩きつけた。腕を思いっきり振りかぶって、勢いを付けて。


 「あ、あの野郎はぁぁああああーーーーーーッ!」

 「ひぃ」     


  オレの形相に係員のお兄ちゃんの顔が恐怖に染まる。だが気にしてる暇は無い。あの野郎、やりやがったな・・・・・・ッ!

  そうだよな、いつだってアイツは面白おかしさ優先で動いてる男だ。今回だってそうするに決まっていた筈なのに思わず気を抜いてしまっていた。

  だが、後悔しても遅い。オレは封筒の中身を開けた。これを借りてくるしかない。段々後ろから他の走者が来てるしモタモタしてるとあっという間に
 最下位だ。三人四脚で一度最下位になってるからそれは避けなければならない。


 「どうする、どうする。考えろ、考えに考えれば上手い抜け道がある筈なんだ。一体どうしたら・・・・」


  考える。この危機を脱出出来る方法を。ある筈なんだ、その方法が。背中にヒヤリとしたものが走る。
 
  こんなに考えたのは生まれて初めてかもしれない。呼吸が乱れてきたし頭もテンパりそうだ。思いっきり眉間に皺を寄せて考える。

  脇に人の居る感覚。どうやら走者の一人に追いつかれたらしい。考えに没頭してて気付かなかった。もう考える時間は残されていない。


 「・・・・・くそっ! 誰だ、誰を――――――」


  そうして皆が居る方向に目を配る・・・・・と、居た。そいつがオレと目が合いきょとんとしている。

  思わぬ僥倖。居るじゃねぇか、適任者が。オレはそいつ目掛けてダッシュした。脚が攣りそうになるが構わない。

  はぁ、はぁ、とため息を着き、やっとそいつの元に辿り着く。わりぃな、ちょっと手を貸してもらうぜ。


 「ど、どうしたの義之くん?」

 「悪いが借り物競争に手伝ってくれねぇかな―――――白河」

 「えっ、え?」

 「話は後だよ。とりあえず着いて来いっ!」

 「あ、ちょ、ちょっとぉ~!」


  無理矢理手を引っ張り駈け出す。白河が文句を言いたそうに騒いでいるが構いやしない。最低限躓かない様にオレはゴールを目指した。

  後ろから何やらハッとした様子が感じ取れる。オレの心を読んだのか。だから白河を連れてきたんだ、コイツなら適任だからな。

  走りながら後ろに視線を送るとぷくーっと膨らんだ顔。怒っているぞのポーズ。その可愛らしさに思わず吹いてしまった。


 「はは、そんなにに怒るなよ。な、白河なら適任だろ?」

 「義之くんてやっぱり最低だ、こんな事に私を誘いだすなんて。とっても失礼しちゃうよ」

 「白河ならオレの事情諸々全部知ってるだろ? 心読めっからな。悪いな、付き合わせてちまってよ」

 「ふーんだ。知らない」

 「おいおい拗ねないでくれ。白河に嫌われたらオレショックで寝込んじまうよ」

 「そんな事思っていない癖に。ばーか」

 「最近気付いたよ。馬鹿だって事は。だからもう少し必死に走ってくれ。オレと愛の逃避行する気持ちで」

 「・・・・・ばか」

  
  握られた手に力が加わる。その女の子らしい感触に少し心が動揺するが無視する。ちょっとでも変な事考えるとこのエスパーに筒抜けだからな。

  息を切らせてゴールに近づく。後ろからさっきの走者が近づいてきたので必死に走った。ゴール前、誰も居ない。このままいけばトップだ。

  白河は運動神経は良い方なので、更に速度が上がり―――――そのままオレ達はゴールを駆け抜けた。湧き上がる歓声。心地良い感覚が身を
 包んだ。なんだかんだいって一位ってのは気持ちいいな。上に誰も居ないって事だから清々しい気持ちになれる。


 「な、なんて悪い笑顔なの・・・・」

 「うし、よくやったな白河。褒めてやるぜ」

 「・・・・うぅ・・・なんだか複雑な気分だよぉ」

 「悪い悪い、今度何かあったら助けてやるよ。それだけの事をしてもらったんだ」

 「―――――じゃあ、約束ね」

 「おう」


  差し出してきた拳に拳を当てる。そうするとやっと機嫌が直ったのか、笑顔になる白河。さすがマドンナ的存在なだけあって絵になるな、おい。

  なんにしても白河には助けられた。出来る事があったら本当に助けにいくつもりだ。まぁ、オレに出来る事なんてたがが知れてるけどな。

  そうして次々に他の走者のヤツらが流れ込んでくる。間一髪だったな。もう少し遅かったらどうなっていたか分からない。思わずため息をつく。


 「あっとぉ、弟くん。チョイ待ち」

 「ん? 何スか、まゆき先輩?」

 「そのカードちょっと見せて貰える? 一応不正防止の為に皆の見せて貰う事になってるんだ」

 「ああ、別に不正してませんから大丈夫ですよ。それじゃ」

 「・・・・・待ちなさい」

 「なんですか? 早くクラスの所に戻ってこの喜びを分かち合いたいんですけどね」

 「ちょ、ちょっと・・・。義之くん」

 「・・・・私は別に特別どうしても見たいって訳じゃないんだよ。でもまぁ、それだったら不正と見なして失格にするけどね」

 
  薄目でオレを睨む。隣にいる白河が不穏な空気を察して手を引っ張るのを感じ、少しガキっぽっかったかなと反省した。

  つい条件反射みたいなものだ。まゆきとは性格が真逆だし、空気が合わない。向こうもそれを感じ取ってるだろうな。冬に色々あったし。

  それで、なんだっけ。このカードを見せろと言ったんだよな。あー・・・・まぁ、いいや。白河なら納得するだろう。


 「分かった分かりました。見せればいいんですよね。はい」

 「まったく。最初からそう言えばいいの―――――って・・・・」

 「なんですか。もしかして書いてある題目と違う人連れてきちゃいましたか?」

 「い、いや・・・・なんというか・・・、意外というかセオリー通りというか」


  頭を掻いて困った風に半笑いになるまゆき。別に意外でもなんでもないと思うがな。

  オレ以外の奴がもしそのカードを引いたとしても、恐らく白河を選ぶだろう。まゆきの言うとおりセオリーだしな。

  言われた本人は脇で頬を掻いて苦笑いしている。そういう目で皆に見られているというのはどんな気分だろうと、ふと思った。  
  

 「まぁ、いいや。とりあえずオッケーって事でいいよ。一位おめでとさん、白河」

 「え、あ、あはは・・・どうも」

 「あんたも災難だねぇ、こんな男に連れて来られて。ちゃんと嫌な時は嫌って言わないと駄目だよ? 不良でおっかないと
  思うけど・・・もし、弟君がなにかしようとしたら・・・・」   
  
 「い、嫌じゃありませんからっ!」


  強い否定の言葉に、少しまゆきは怯んだ。まさかこの反応は意外だったのだろう。オレも少しそう感じた。

  オレと白河は友達という関係だ。屋上で彼女と色々腹を割って話した以来の友達。ある意味オレの全てを知っている人間とも言えた。

  人の心を読める事への不安、人間不信に近い感情。オレという常識という物差しで計れない存在、オレという人間の考え。


  オレが白河の不思議な超能力―――魔法に気付いたのが始まりだった。だからなるべく距離を取ろうと思ったが彼女はオレの全てを
 知ってしまった。義之くんじゃないんだけど義之くんなんだよねという問いかけ。だから腹を割って話した。

  最初は驚いた様子だったが、『そういう事もあるんだね』と言って納得した白河。自身の能力も普通では無いことからある程度耐性は
 あるのかもしれない。まぁ、ただ単に白河がそういう性格なだけかもしれないが・・・・。

  そしてオレは何故かそこで白河の悩みを聞くハメになってしまう。それで煙草を吹かして適当に答えたら物凄く感謝された。

      
 『私達、友達・・・・かな』 


  その問いにオレは頷く。友達っていうか夫婦だな、お互いの事全部知ってて。そう言うと白河は照れて、笑った。

  そこからオレ達は仲良くするようになったが・・・・もしかしてそれを否定された気分だったのか?


 「―――――あ、その・・・すいません。いきなり大声出しちゃって・・・・」

 「う、ううん別に気にしてないって。あはは・・・・」

 「ごめんな白河。相変わらず空気が読めない女で。詫びるから許してやってくれないかな?」

 「な、なんで弟君にそんな事言われなきゃならないのよっ! 誰が空気読めないって!?」

 「まゆき先輩が、ですよ。姐御肌気取るのはいいですがちゃんと相手の事を理解してから喋って下さい。頭悪く見えますよ」
 
 「ぐぬぬ・・・・・」


  歯軋りをしながら悔しそうに顔を歪める。対してオレは涼しい顔付きだ。もう慣れたものである。

  さて、そろそろ帰るか。いつまでもここに居ても仕方ない。まゆきの相手をするのも段々飽きてきた。

  白河にはちょっと貧乏くじ引かせちまったかな。そう思い、脇に顔を向けようとして――――――


 「きゃっ!」

 「わっ!」

 「・・・っと」


  顔を背ける。いきなりの突風にまゆきと白河は小さい悲鳴を上げて顔を腕で庇った。

  オレも一瞬目を瞑ってしまったが、風は一瞬で収まりすぐに開ける事が出来た。そして白河と視線が合い、お互い苦笑いする。

  これだから島国は嫌なんだよ。時々思い出したかのように寒い突風が吹くんだからよ。うぜぇ。


 「あはは、びっくりしちゃったな」

 「まったくだな。卒業して早く本島に行きたいよ。田舎暮らしはもう懲り懲りだよ」

 「でも懐かしくなって結局この島に戻ってきそうだな、私は。都会暮らしもいいけど・・・・疲れそうだし」

 「白河の場合はそうだろうな。同情するよ、ほんと」

 「うぅー・・・いきなり肌寒くなってきたなぁ――――――って、あら?」

 「どうしたんですか、まゆき先輩・・・・・って」

 「・・・・あれ?」


  まゆきの手がまるで空気を掴んでる様ににぎにぎしている。いや、本来そこにあった筈の物を掴もうとして空を切る様な動作だ。

  そこにあったもの。それはオレが借り物競走で手にしたカードで・・・・・。


 「ってこの野郎っ! 今の風で飛ばしやがったなっ!? ちゃんと持ってろよっ!」  

 「ひゃうっ!」

 「よ、義之くん! あれ!」

 「あ――――――ッ!」


  白河が指さした方向を慌ててみると、その例のカードがひらりはらりと飛んでいた。思った以上に風は強かったみたいで高さがあり
 流れも早い。クラスの待機場所の方へ勢いよく飛んでいく。

  オレの大声にたじろいだまゆきを放って置いて、白河に一瞬目配せする。心が読める白河は一瞬でオレの考えを読み頷いた。

  追いかけるぞという意志表示。もし美夏とか茜達にあの内容を知られたらまったもんじゃねぇ! 特にエリカだったら死ねる。 

  そう戦慄にも似た思いを抱きながら、オレと白河は全力でそのカードが落ちるであろう場所に駈け出した。全力で。



















 「おお、今度も義之が走るのか。あいつにしては張り切ってるな」

 「でしょう? まぁ、私が義之くんを推薦してあげたからこんな風に汗水垂らして頑張ってるんだけどねぇ」

 「そうなのか。しかしこれもあいつの為だな。まともな真人間になるために」

 「うわぁ。案外スパルタなのね、美夏ちゃんて」

 「その台詞、そのままそっくり返すぞ。花咲」


  ニヤッと笑い視線を前に戻す。私もそれにならって前に視線を義之くんが居る待機場所に向けると、真剣な目でスタートラインに着いていた。

  もしあれが真剣で純粋な気持ちでああいう目をしているのなら惚れ直すところなんだけど・・・お金の為だからなぁ。らしいと言えばらしいけど。

  美夏ちゃんは美夏ちゃんでそんな事を知らないからどこか熱ぼったい目で義之くんを見ている。ホントに恋する女の子で感じだなぁ。


  暇だからという理由で私の所にきた美夏ちゃん。私達は恋敵だけど、こうして仲が良いのは僥倖だろう。やっぱり喧嘩なんてしたくないしね。


 「お疲れ様です。花咲先輩」

 「あらぁ、エリカちゃん? どうしたのこんな所に。義之くんは今競技に出てるわよ?」

 「ええ、知っています。さっきチラッと見掛けましたから」

 「ああ、そうなんだ? じゃあ――――――」

 「これ、作ったスポーツドリンクなんですけど・・・・作り過ぎたから是非、花咲先輩にも飲んで欲しくて持ってきましたわ」
  
 「・・・・毒でも入ってるんじゃーないでしょうねぇ」

 「まさか。この間料理を教えてもらったお礼です。さすがに借りを作りっぱなしというのは気が引けるので・・・」
 
 「そんなに気を遣う事無いのにぃ。相変わらず変な所で義理固いのねぇ、エリカちゃんって」

 「花咲先輩にとっては変な所かもしれないですけど、私にとっては普通の所ですから。だからもしよかったらなんですけど・・・」  

 「まぁ、そういう事なら飲まして頂くわね。ありがとう、エリカちゃん」

 「いえ」


  エリカちゃんから貰ったドリンクを貰い、口を通す。これは・・・蜂蜜だろうか。甘くて口に残る独特の感触がした。確かに疲れが取れそうだ。

  美味しいわよと言うと顔を綻ばさせて笑う彼女。その顔を見ると根は良い子なんだと度々思う。最近になってようやくこの顔を見れたからなんだか
 感慨深いものを感じた。最初は上っ面の笑顔か嫉妬している顔しか見れなかったもんねぇ。

  美夏ちゃんと違い、エリカちゃんと和解をするのは大変だった。義之くん以外どうだっていいというその考えを変える事は今だって出来ていない。

  だが方向性はズレてきたと思う。相変わらず義之くんが一番という考えはそのままだが、それ以外にも目を向け始めていた。


  きっかけは本当に些細な事だった。最初は仲良くしようとして彼女に近づいても怒るばかり。睨まれて罵声を吐かれるのなんて数えきれない程だ。

  あの時期の彼女はいつも疲れていたように見て取れた。目の下には隈が出来ていてため息も多かったし、ぼーっとしている所を何回か見掛けた。

  このままじゃいつか潰れてしまう。確かに私達は恋敵だけれど何も憎み合っている訳じゃない。それ以外の所ではせめて普通の関係を築きたかった。


  そしてある時、下校時間になって帰ろうと靴を履いて玄関口を見るとエリカちゃんがそこに立っていた。視線はずっと外の方向を見ている。

  私も釣られて見ると外は暗くなっていて雨が降っていた。天気予報では確か晴れの筈だったがどうやら外れらしい。空の果てまで雲に覆われていた。

  カバンの中には一応折り畳み傘が常備してあるので私は大丈夫なのだが・・・エリカちゃんは違うだろう。傘があったらとっくに帰ってる筈だしね。


 「エリカちゃん」

 「あ、花咲先輩――――ってなんです? この傘は」

 「貸してあげるわよ。傘、持ってないんでしょ」

 「・・・・別にいりません。お気遣いは結構ですから」


  差し出した傘を一蹴してまた前を向く。そんな事をしても雨は止まないというのに。何もそこまで意地を張らなくてもと思ってしまう。

  だが私にも意地があった。一度貸すと言ったら貸す。前言撤回なんて出来ないという変な意地があった。だから無理矢理その傘を手に持たす。

  怪訝な顔をして私の顔を見詰める彼女――――と、次の瞬間にはあの底意地の悪い笑みを浮かべた。私達だけに見せるあの顔だ。


 「もしかしてそうやって余裕を見せて、いい気になりたいんですか? 最低ですね花咲先輩って」  

 「・・・違うわよ。別に余裕を見せたい訳でも良い人ぶりたい訳でもないわ。ただ私がそうしたいからそうしたいだけ」

 「どうかしら。どうせ裏がお有りなんでしょう? 義之を体とか使って雁字搦めにしている花咲先輩ですもの。そうに決まってますわ」

 「そんな風に見えてたんだ。ちょっとショックかなぁ。私としては素直に好意を表わしているのだけどねぇ」

 「やりすぎなんですよ・・・・。いつもそういういかがわしいお店で働いている人みたいにベタベタして、大体――――」


  いつものパターン。何をしてもエリカちゃんはこうやって私達を拒絶してくる。小言を吐くエリカちゃんを見てため息を吐きたい衝動に
 駆られるが我慢だ。そんなことをしでかしたらまた話がややこしくなってしまう。

  だから、私は早くこの場を切り上げる事にした。やる物はやったし後は帰るだけ。せっかく整えた髪が台無しになるけど・・・・しょうがない。

  一人で空を見上げていたら放って置けなくなってしまったのだから。もしかして義之くんはああいった顔にやられちゃったのかな? 保護欲
 掻きたてられるものねぇ、あの切ない顔って。


 「ああ、そういえば今日は塾の日なんだぁ。じゃあ、そういう事で。ちゃお、エリカちゃん」

 「なっ、またそんな嘘を――――――って、傘はどうしたんですか」

 「残念ながらぁ、エリカちゃんにあげたやつが最後の傘なのよねぇ。このまま茜さんは濡れて帰らなきゃいけないの。しくしく」

 「だ、だったら返しますわっ! そんなに嫌味っぽく言われてまで傘を使いたい訳じゃないんですもの、だから・・・・」

 「んー・・・・だったら二人で入ってく? その方が建設的じゃない?」

 「は?」

 「いいから、ホラ、こっちに寄りなさいなぁ」

 「ちょ、私はまだそう決めた訳では・・・・って胸が当たってますわっ、胸がっ」

 「女の子同士だから別にいいじゃなーい。じゃあ、まずはエリカちゃんの家にれっつごぉー」

 
  多少強引だったかもしれないが雨の中、二人は相合傘をして帰った。この組み合わせというのは中々珍しいものがあるが悪い気はしなかった。

  帰る途中では色々な話をした。義之くんの事、私の事、美夏ちゃんの事、自分の事。思った以上に口を開く彼女を見て思う事が一つ。

  誰かに聞いて欲しかったのだろう。本人には言えないし、かといって事情を話せる人もいない。だから私は黙って全部を聞いてあげた。


  それからよくエリカちゃんとは喋るようになった。悩み相談から他愛の無い世間話まで。友達、とはいえない不思議な関係だと思う。

  所属している料理部にも顔を出す様になり一緒に料理の研究もしている。その時のエリカちゃんは嬉しそうに生地を捏ねまわしていたのが
 とても印象的だった。好きな人の為に料理の腕を上げるという行為自体に喜びを感じていただけかもしれないが・・・・それだけじゃないと
 思いたい。案外寂しががり屋なのだ、私は。


 「さて、用が済んだのなら帰るんだな、ムラサキ」 

 「あら、居ましたの天枷さん。ちみっこいから見えませんでしたわ」

 「――――――ッ! ふ、ふんッ! デカければいいというもんじゃないっ!」

 「おまけにお洒落センスもゼロだし―――――こんな時にまでニットを着けてるなんて見てるだけでも暑苦しいですわね」

 「ちょ、や、止めないか、ムラサキっ!」


  美夏ちゃんの帽子をクイクイと引っ張るエリカちゃん。焦ったように美夏ちゃんがそれを阻止しようと踏ん張り抑えるが段々脱げてきた。

  もう少しで完全に脱げてしまう――――そう思った時、エリカちゃんの足にキックを喰らわせた。重たさは無いようだが結構鋭い蹴りだった。

  悶絶するように足を抑える。悲鳴を出さなかったのは根性だろう。ぷるぷると震えながら歯を噛み締めて美夏ちゃんを睨む。結構、怖い。


 「ふぅ・・・。全く最近のお前は暴力的で敵わん。少しは慎みを持たないと義之に嫌われてしまうぞ?」

 「もうっ、あんまり喧嘩しないの。貴方達二人の喧嘩って見ていてとてもハラハラするんだからぁ」  

 「む、いや違うぞ花咲。これはこいつが売ってきた喧嘩だ。こいつが売らなければ美夏も買う事は無かった」

 「それでも、よ。二人が喧嘩してると胃を痛ませる男の子が一人いるんだから。その人の為にも争っちゃイヤよ?」

 「義之の事か。ならまぁ、美夏も子供じゃない。こんな幼稚な事はもうしない―――――」

 「このポンコツロボットの癖に・・・・!」

 「ふ、ふがぁっ!?」


  エリカちゃんがすくっと立ち上がり美夏ちゃんの両頬を抓る。喉の奥から悲鳴を出してぱたぱたと手を振って抵抗するが離してくれない。

  そんな二人の様子を見てると、呆れたため息が漏れそうになるが・・・安緒した気持ちにもなれる。これが二人のコミュニケーションなんだろう。

  前みたいに上っ面だけ笑顔で心では何を考えているか分からないよりはいい。こうやってお互いストレートにぶつかり合えた方が何倍もマシだ。

  
 「ほらほらぁ、もう義之くんスタートするわよ」

 「ふが?」

 「あら、もうそんな時間なのですね」


  とりあえず義之くんがスタートするという事で収まる二人。仲が良いのか悪いのか分からない。もしくはどっちもなのか。

  義之くんの顔はいつもの余裕顔だ。あの余裕というか自信はいつもどこから来るのだろう。結構な付き合いになるが時々分からなくなる時がある。

  そしてスターターのピストルが鳴り響き――――独走した。速い。そのままカードが置かれている机まで誰も寄せ付けず到着した。


 「おおー速いなぁ。さすが義之」

 「義之なら当然ですわね。結構身体能力高い方だと思いますし」

 「それを活用出来る機会が殆ど無いから意味が無いけどねぇー。運動部に入ればいいのに」

 「あ、天枷さんっ! こんな所に居たんですかっ!?」

 「ん――――おお、由夢じゃないか。どうしたんだ、そんなに息を切らせて」

 「どうしたんじゃありませんよっ、いきなり居なくなっちゃうから心配で追いかけてきたんです、もうっ!」

 「むぅ、それは悪い事をしたな。まぁ、こうして無事だ。なんなら脇で義之の活躍でも一緒に見ようか、由夢」

 「・・・・はぁ。心配して損しました。じゃあ、失礼しますね」


  私に目配せで礼をして席に座ったので、手をヒラヒラさせて返答した。相変わらず礼儀正しい子だ。あの義之くんの妹分とは思えない。

  美夏ちゃんが心配だったのはきっとロボットという件もあるからだろう。前に義之くんに聞いた話だ。この話は一部の人しか知らない。

  オーバーヒートを起こす危険があるというので、もしかしたら次の瞬間には煙を上げているかもしれない。だから気に掛けといてくれと言われた。

  なんだかんだ言ってエリカちゃんも含め、みんな美夏ちゃんがロボットだという事を気にしていない。一個人として接せたのは根が良い人達ばかり
 だろう。ロボットだからって差別するような思考を一ミリも持ってないしね。


 「あ、義之くんカード叩きつけた」

 「何が書かれてたんだろうな。女性物の下着とかか?」

 「だったら私に言えば貸して差し上げてもいいのに」

 「その下着、皆に見られるんですよ。それでもいいんですか。エリカさん」 

 「・・・・ただの冗談よ。由夢さん」

 「まぁ、なんにしても物凄く考えてる顔してるわねぇ、義之くん。顔を手で覆ってるって事はかーなーりヤバイかもしれないわぁ~」

 「本当に何が書かれてるんだ、あの紙には」

 「あ、兄さん走り出した」

  
  弾かれたように走り出す義之くん。ニヤついた笑みから察するに良い考えが思いついた様だが・・・あの笑みはどうにかならないのか。

  周りのクラスの人達も皆安心したようにホッとした空気を感じる。結構悩んでたから危ないと思っていたのだろう。せっかく一番最初に
 辿り着いても借り物しなければ意味が無いのだから。

  そうして隣のクラスからある女性の手を引いて走り出す。あれは・・・白河さん? 彼女がその借り物の対象人物なのだろうか。

  それにしても―――――ふぅん。仲良さそうに手なんか繋いじゃってまぁ。見せつけてくれるじゃないの。


 「・・・・花咲先輩。誰ですか、あの女の人」

 「え、あ、ああ、白河さんの事?」

 「白河ななかさんって方ですよ。学園のアイドルって言われるぐらい人気のある方です。最近は兄さんとも仲が良いみたいですけどね。
  時々廊下で話している所を何回か見掛けたことがあります」

 「―――――へぇ、そうなんですの。それにしてもアイドルなんて前時代的な呼ばれ方をしてますのね。そんな方と義之が気が合うなんて
  とてもじゃないですけれど信じられませんわ」

 「まぁまぁ、落ち着けムラサキ。前にも美夏がその事を聞いた時はただの友達だと言っていたぞ?」

 「どうだか。義之が言う友達っていうのはどこまでを指しているか分かったものじゃないわ。相手が女性なら尚更ね」

 「むぅ。確かにそうだが・・・・」

 「どうどう、落ち着いてエリカちゃん。美夏ちゃんもよ。別に何したとかナニしたとかじゃないんだし、心配し過ぎよぉ~」  

 「――――ッ! も、もうっ、相変わらず貴方って人は・・・・」


  あらあら、顔を赤くしちゃって。こういう所はまだウブなんだから。とてもあの義之くんに積極的に責まる女の子には見えないわねぇ。

  でも面白くない気持ちも分からない訳じゃない。まだ私達の誰かと手を繋いでいたのなら納得も出来るものだが。思わず眉間に皺を寄せてしまう。

  私達の気持ちに気付いていないのならまだしも気付いててあれだから参ってしまう。時々空気を読めないんだよねぇ、義之くんは。


 「一応トップでゴールか。なんだか納得いきませんわね」

 「だから落ち着いて下さいよエリカさん。あんまりカリカリしてると兄さんに嫌われますよ」

 「・・・・言ってくれますわね、由夢さん」

 「だーかーらっ! 喧嘩しないの二人ともぉー!」

 「ん? なんか揉めてるみたいだぞ。まさかズルしたのか義之は」

 「えっ」


  美夏ちゃんに言われてゴール付近を見てみると、確かにまゆき先輩と義之くんが言い合っているのが見て取れた。いや、言い合っているという
 よりもまゆき先輩だけが熱くなっており、対して義之くんは涼しい顔をしている。いつも見る光景だった。

  そして義之くんがカードの中身を見せると今度は驚いた様な顔になり、意外そうな顔付きに変わる。どうやら失格ではないようだが・・・・。

  一体どんな内容が書かれているのか気になる。あとで義之くんが帰ってきたら聞いてみる事にしてみよう。そうすればこの胸の変なモヤモヤ
 が取れそうな気がする。

  大体白河さんを連れて行かなければこんな気持ちにはならなかったのだ。ゴールした後でも手を繋いでるのがそれに拍車を掛ける。


  帰ってきたらどんな小言を喰らわせてやろうか―――――と、その瞬間突風が吹いた。反応的に一瞬目を瞑ってしまう。


 「きゃっ!」


  だがすぐに風は収まった。よく初音島はこういう突発的な風が吹く事があるので慣れたものだが、だからといって驚かない訳ではない。

  周りを見渡すと皆も驚いていたようだが、すぐに体制を立て直して憮然な顔付きになる。それはそうか、髪が乱れるものね。せっかくセットして
 もこういう風のせいでグチャグチャになるのはハッキリ言って癇に障る。

  ぶつぶつ文句を言いながら髪を手で直すエリカちゃんなんて最もだろう。美夏ちゃんは・・・・まぁ帽子だからさほど被害は無いか。

  由夢ちゃんはお団子結びだからいいよねぇ。私も昔みたいにポニーテールにしてみようかしら。少し若返った気分になるかも。


 「気分転換にそうしてみるのもいいかもしれないわね・・・・・って」

 「んー? どうしたんだ花咲・・・・・は?」

 「何をおとぼけた顔になってるのかしら天枷さん・・・・・・んん?」

 「み、皆さん何を見てるんですか―――――なっ」


  ヒラヒラと私達の前に降ってきたカード。さっきの借り物競争に使われたカードだろう。それはいい。きっとさっきの風で飛ばされたに違いない。

  皆呆気に取られた顔でそのカードを見詰める。書かれている内容がこれまた過激というか子供染みていると言うか・・・・・・。

  少なくとも私達の年代でこれを借りて来いというのは些か難しいモノがある内容だ。これを引き当てた人物とは一体誰なのだろうか。


 「も、もしかしてこのカードを引き当てたのって―――――」

 「天枷さん。それ以上言うのは止めなさいな。思わず貴方の首を絞めたくなりますから」

 
  美夏ちゃんの言う事は分かる。たまにこういう間の悪い事をしでかすのも彼の特徴だ。間が悪い――――その言葉で片付けられそうにないけどね。

  段々周りの女性が怒りに染まってくるのを肌で感じた。私も少しばかり腹に重たいモノが溜まっていくのが分かる。眉間に指をやりなんとか落ち着か
 せようとするが止まらない。茜さん、久しぶりにちょっとキレそうかも。

  でも・・・・・もしかしたら彼のじゃないのかもしれない。早とちりかもしれない。そうに決まっている。そうでないとこの感情は・・・・・・・。


 「こっちに落ちたみたいだよ、義之くんっ!」

 「マジかよっ! そっちの方向って・・・・・・、あ」


  ――――――でも、なんだかんだ言ってそうだと思ってたわよ、義之くん。

  私達と目が合い固まるように動きを止める義之くん。ここまできてまだ白河さんと手を繋いでるなんて、本当に見せつけてくれるわね。

  皆穏やかな顔で彼に労いの言葉を掛ける。その様子を見て怒りが一周してしまったのだろう。あまりにも怒ると返って穏やかになると言うが
 当たっているのかもしれない。だって、それを今実際に体験しているのだから。


 「お疲れ様、義之くん」

 「お疲れ、義之」

 「一等でよかったですわね、義之」

 「兄さん、おめでとう」

 「・・・は、はは・・・」


  白河さんが引き攣った笑みをあげているが気にしていられない。

  私はそっとそのカードを拾い、彼の目の前でプラプラさせる。顔に手をやって天を仰いでいるが構わない。

  後悔するぐらいならちゃんと管理しときなさいよね。こんな地雷カードなんて。


 「で、よっしぃー?」

 「・・・・・何かな、茜?」

 「ちょーっと説明してほしんだけどなぁ、このカードについて。それとなんで白河さんを連れて行ったのかも」

 「・・・・・・」

 「こ、これには訳があってねっ!?」

 「白河さんは黙ってて欲しいなぁ。ごめんね?」

 「うっ・・・・・・・・はい」
  

  ちょっと脇から横入りが入ったが引っ込んでもらう。白河さんが素直な性格でよかった。さすがアイドルって感じかにゃー。

  ここじゃなんだから場所を移動した方がよさそうだろう。私がこれだけ怒ってるって事は周りの子はそれ以上に感情が高ぶっているに違いない。

  いくらなんでも暴力沙汰にはならないだろうけど・・・・・いや、もしかしたらビンタするかもしれない。最低限罵声は浴びせられるだろう。


 『貴方が一番愛おしいと思っている女の子』


  そう書かれたカードを懐に仕舞い、少し場所を移動するために私達は歩き出す。白河さんも着いてきたのは予想外だったが、まぁいいだろう。

  一応念の為に義之くんの周りの人間関係を教えるのもいいかなと思ったからだ。 友達――――らしいしね。












[13098] そんな日々(後編) end
Name: 「」◆2d188cb2 ID:92d9f2bc
Date: 2011/01/10 18:37



  そろそろ夕日が出てくる時間か。夏も陽が落ちる時間が遅くなってきたとはいえ、15時以降は日によってすぐ暗くなったりまだ明るかったりする。

  夏、この世界に来て初めての夏だ。この時期には毎年バイトをやっていた。それは居酒屋だったりパチンコ屋のホールだったり、色々やってみた。

  所詮バイトだから詳しい所までは身分を調べない。保険証も適当に誤魔化していた。わざわざ住民票まで調べる店なんか無いし問題無くやれた。

  そして今年の夏はどうしようかと考える。バイトも天枷研究所の所で済んでるしこれ以上増やすつもりもない。どこか遠くへ行くかな・・・・。


 「だからって義之君を責めるのはお門違いだと思うのっ! 彼の気持ちだって分かるでしょっ?」

 「関係ない人は黙っててくれるしかしら? これは私達と義之の問題なの。部外者が口出ししていい話じゃない。お分かり? 白河先輩」

 「関係なく無いもん! 皆が義之君の事を困らせているから見ていられなかったんだよっ。こんな風に寄ってたかってさ!」

 「――――誰も困らせようとかんかしてないわよぉ、白河さん。ただそこで関係無いような顔して立っている男の人にすこーしばかり
  文句を言いたくてねぇ。なにやってんのこのヘタレっ!・・・てな具合でー」

 「それが困らせてるって言ってるのよ、花咲さん。義之君がそうした理由知ってるんでしょ? だったらあれこれ言うのはどうかと思うんだ」

 「あれこれも言いたくなるぞ、白河とやら。どうやら事情は知ってるみたいだが・・・・なおさら美夏達が文句を言いたい気持ちも分かる筈だ。
  確かに義之なりに考えてお前を連れていったのは分かる。分かる―――――が、気持ちは別問題だ」

 「そうですよねぇー。大体こんなに多くの女の子にアプローチを掛けられて全然別な女の子を連れて行くなんて有り得ないですよ。そこはビシッと
  決めて欲しいですよね。男らしく」

 「そうね、由夢さんの言うとおりですわ。せっかく決断するチャンスを不意にして尚且つ、全く関係ない女性の手を握るだなんて・・・・少しばかり
  見損ないましたわ。義之の性格からしてそんな逃げる様な真似はしない筈だと思いましたのに」

 「だ、だからっ! そんな事急に出来る訳無いじゃないってっ! そんな簡単に決められたら今まで苦労しないよ!」

 「まるで義之くんの全てを知ってるって言い方ねぇー、白河さん。本当に友達だけの関係なのかにゃー?」

 「・・・・・友達、だよ」

 「いま間があったな」

 「べ、別に私と義之くんは普通の友達だってば・・・・。それ以上でもそれ以下でもないよ」

 「ホントかぁ? 今までの義之を見てるとそうは思えないが。気が付いたら女が増えてるという感じだったぞ。今まで」

 「そうですわね。気が付いたら天枷さんとか意味の分からない女性も増えてましたし。全く、女性なら誰でもいいという訳じゃあるまいのに」

 「・・・ほぉー。喧嘩を売ってるのか、ムラサキ。なんなら買ってやってもいいんだぞ? そろそろ白黒決着を着けたかったところだ」

 「あらあら、相変わらず野蛮人なのね貴方は。生憎ですけど私はそういうのは遠慮していますの。やるなら一人で遊んでいて下さいまし」

 「なんだと・・・・・」


  前の世界じゃ殆ど学生らしい遊びなんてした事が無い。適当に夜中を出歩いて酒とか飲んでたなぁ。誰もオレを学生だと思わなくて、言う度に
 笑いものにされて冗談だと済まされてた。

  そういえばこの世界に来てからいつも行っていたバーに行ってねー。あそこのマスターまだ生きてるかな。いや、死んでるかもしれねぇ。

  ヤクザに金借りて毎日死にそうな顔してたしもう自殺してるかそれとも内蔵売られてる可能性がある。それにしたってまだ良い方だ。


 「なんだか修羅場ってるな、桜内よ」

 「奥さんが子供連れて行ったし、死んでも悔いはないだろうな。きっと」

 「なんの話だ?」

 「この間観たドラマの話だよ。さくらさんと一緒に見た。今度また一緒に見る予定なんだ」  

 「そんな映像より、目の前の光景のほうが余程見応えがあると思うのだがな」

 「なんでもそうだが他人のこういう光景は見ていた方がよっぽど楽しいしな。映画や漫画でこうやって女の子に嫉妬されていちゃいちゃ
  している場面がよくあるが、その渦中の真っ只中に居る本人は堪ったものじゃない。杉並、お前代わってみるか?」

 「冗談。メリットが見つからない。それに、そういう境遇になる男というのは決まって優柔不断な男だ。俺は自分で自分の事を優柔不断
  とは思っていない。当てにしてもらって悪いが他の男に代役を頼んだ方が良いな」

 「そうかよ。まぁ、なんにしても止めるか。白河が可哀想になってきた。こんな濃い連中に責め立てられてんじゃ心が持たない」

 「最初から桜内が前面に立って集中砲火を浴びればよかったろうに。白河嬢が気の毒だな」

 「うるせー。オレがなんか言う前に目の前に立っておっ始めたから、あれこれ言うのがかったるくなったんだよ。まったく・・・・」


  校舎の裏側に連れて来られたもんだからリンチでもされるのかと思ったんだがそうはならなかった。最低でも罵声は浴びる覚悟だった。

  そして体制を整えてオレに何か言おうとする彼女達。その正面に、白河が立ちはだかり彼女達に鋭く強い言葉を投げかける。オレは呆気に取られた。

  彼女達も最初はオレと同じように呆気に取られていたようだが、すぐさま応戦した。段々熱くなる両者。なんだか置いてけぼりにされた感覚になる。

  なんにしてもこれはオレの問題だ。友達思いの白河には悪いが少し余計なお世話に感じる。ありがたいっちゃありがたいような気もしなくはないが。

  
 「おい、白河」

 「な、なによっ!? 義之君別に謝る必要無いんだからね、こんな何も義之君の気持ちを分かっていない人達に!」

 「分かって無いって何よっ! さっきから白河さんねぇ、自分の話ばっかりして私達の話を聞いていないじゃないっ! 義之くんの気持ちは
  分かるけど、私達の気持ちが納得いかないって何度も言ってるじゃないの。この、あんぽんたん!」

 「あ、あんぽんたんじゃないもんっ。ただ、私は義之くんが可哀想だと思って・・・・」
  
 「じゃあ私達は可哀想じゃないって事ですか、白河先輩。本当に何も分かっていらっしゃらないのね。だから未だにアイドルなんて大昔の
  呼び方をされるんですのよ」

 「そ、それとこれとでは話が違うでしょ! もういいよ、行こう、義之くんっ」

 「あ?」


  いきなり振り返ったと思ったら、手を握られた。そしてそのまま引き摺る様に歩き出す白河。

  急な行動に面を喰らってしまい、たたらを踏んでオレも釣られるように足を進めてしまう。

  茜達もいきなり立ち去るように踵を返すオレ達に開いた口が塞がらないようだ。


 「っておいっ! なんでこんな逃げる様な真似しなくちゃいけねぇんだよっ」

 「逃げるんじゃないもん。もう話をしても意味が無いじゃない。だから戻るの」

 「戻るって・・・。余計話がこじれるだろうが。いいから離せって、ちゃんと話を着けてくるよ。元々オレがチキンな行動
  したのが悪いんだし」

 「でもそれって彼女達を傷付けない為にそうしたんだよね。だったら別に謝らなくていいと思うんだ、私」

 「人の話を聞けって」

 「あ・・・・」


  握られた手を振りほどいて立ち止まる。小さな呟き声を出して、白河も進めていた足を止めた。無言になるオレ達。

  何か言おうと口を開こうとしたのを手で制して、黙らせる。俯き指を手持ち無沙汰に絡ませる彼女を見て少しため息が漏れた。

  結局あの場ではオレは一言も喋らせてもらっていない。ただ後ろで突っ立てただけだ。謝罪の言葉だって一言も言っていない。

  白河の言い分も分からない訳じゃない。あの場の選択ではあれが正しいと思ったし、もう一度ああいう機会があったら同じ事をすると思う。

  そして彼女達の言い分も分かる。ふざけるなという気持ちがあるのも理解出来る。オレが彼女達の立場だったら一発ブン殴りたい気持ちになる
 に違いない。いつまでそうやってウジウジ悩んでんだよという気持ちに。


 「白河なりに考えてああいう事言ったんだろうがよ、正直余計なお世話だった。あくまであれはオレの問題だ。友達・・・とはいえ
  とやかく言われたく無かったな」

 「・・・・余計なお世話ってのは自覚してるよ。誰だって恋路に余計なちょっかい入れられて欲しくないもんね。ごめん」

 「あ、いや、別に謝る程の事じゃねぇよ。そもそもオレが最初からケリ着けとけばあんな事にはならなかったっつー話だし・・・・」

 「――――着けれたの? あんな雁字搦めの関係の中で? 最初から誰か特定の人を選ぶ事が出来たの?」

 「・・・・手厳しいな。まぁ、白河の言う通り誰かを選ぶって事は出来ないかもしれないけどさ。でもだったら尚更オレがあの場面
  では何か言っておくべきだったと思う。違うか?」

 「そう、だね」

 「なんにしても後でもう一度話してみる事にするよ。この大会が終わったならな。だからこの話はとりあえず置いといて、だ。何か身のある
  話をしようぜ。せっかく小休憩が取れたんだからな」


  時刻は三時。ここで一息付けれる時間が30分ぐらい取れる。あとはクラス対抗リレーだけがオレの出る種目か。まぁ、幾分か気が休まるな。
  
  中庭を歩いていたら適当に空いているベンチがあったので座る事にした。他のベンチにも何名かオレ達と同じように休憩を取っている奴らがいる。

  煙草を吸おうと懐をまさぐるが空を切る。ジャージを着ていた事に気付き舌打ち一つ。もう癖になっている動作だ。腕を頭の後ろに組んで目を瞑る。


 「隣の女の子座ってるのにその態度はないかな、と思ってみたり」

 「女に気遣うとロクな目に合わないって最近気付いたからな。相手が白河みたいに美人で器量もいい女なら尚更だ」

 「誰にでもそういう言葉掛けてるんでしょ? 前の義之くんはそんな軟派な言葉言わなかったけどなぁ」

 「前のオレ、か。話だけ聞いてると絵に描いた様なお人好しらしいな。皆の話を聞いててそれが分かった。きっとそいつもロクな人間じゃ
  ねぇんだろうよ」

 「どうして?」

 「簡単だ。女の知り合いばっか多くて男の知り合いが極端に少ない。そういう奴は誰にでも優しい、女にだけな。そして男からは疎まれて
  その結果友達が少ない。杉並とか板橋はよくそんな男に近づこうと思ったな。尊敬するよ」

 「・・・前の世界じゃどうだったの?」

 「オレも少なかったよ。少ないっていうか杉並一人ぐらいだな。何故かウマが合った。よく二人で行動してたよ」

 「寂しいとかは思わなかったの―――――って、ごめん・・・そういえば義之くんは人嫌いだったんだね。忘れてたよ」

 「最近のオレはとてもじゃないがそうは見えないだろうから、仕方が無い。オレもびっくりだよ。まさかこんなに周りに女をはべらす様に
  なるなんてな。ていうか物好きな女が多すぎる」

 
  しかしオレも変わり物だが、あちらも変わり者が多い。身も蓋も無い言い方をすれば濃い。そんな両者がこういう関係になるものもしかしたら
 必然だったのかもしれないな。

  でも、だからといってこんなに人数はいらねぇ。一人でいいのに何人も居やがって。それも美人か可愛いと来ている。性格も悪く無い。

  前の世界じゃこんなにも好意を持たれた事なんか無い。そもそも人と関わりを持った事さえない。適当な距離感ってものが分からなかった。


 「モテる男の子は大変だね。段々このまま人数増えていったりして」

 「だったら100人まで増やしてみるよ。中途半端なのは好きじゃないし。どんな気持ちなんだろうな、100人ぐらいの女を周りに
  置くって。今の気苦労が何十倍に増えるようなら勘弁だけどな」

 「あはは。きっと刺されちゃうね。みんな嫉妬深い女の子みたいだしさ。特にエリカちゃんとか刺しそうだけど」  
 
 「想像しやすくて困る。なら刺されない為にもエリカを選ぶかな。家はお金持ちだし美人で可愛いし浮気しなさそうだし」

 「本当はそんな気無い癖に。間違っても本人にそんな事言っちゃ駄目だよ。本気にするから」

 「・・・・ちょっとは思ってるっつーの。ばぁか」


  目を開けて白河を見据える。そんなオレを半目にして見返してきた。かったるくなったので、再び目を瞑り欠伸をする。なんだか疲れてきたな。

  このままサボってもいいんだが金が掛かっている以上それはしたくない。せっかくここまでやってきたのに寸前で止めるというのも癪に障る。

  次にで三位以内に入らなきゃキツイか。細工をしてもいいんだがまた雪村に何かされるのは勘弁だ。正々堂々の勝負、性に合わないけど頑張るか。

    
 「前の義之くんは優しいと思うけど、今の義之くんも優しいと思うよ。そうじゃなかったら私、一緒に居られないし」

 「それはオレの怖い部分を見て無いからだ。平気でヒドイ事もするしされるような事をしでかす。事実として白河はそれを
  知っているが過程を見ていない。見たらオレから離れてくよ」

 「・・・どうだろうね。彼女達の様子を見る限りそれは無いと思うなぁ。エリカちゃんだってそれを間近に見てもあんなに好き好き光線
  出してくるしね。他の人も同じ感じだと思う」

 「変わり者ばっかりで参るよ。そんなに優しい事した覚えは無いのにオレの事を好きな女が多すぎる。なんでか分かるか? 白河」

 「さぁ? 私も優しくされて義之くんの隣に居るから分からないなぁ。きっと皆にも知らない内に優しくしてたんだよ。義之くんだし」

 「オレは特別白河にも優しい事した覚えは無いけどな。強いて言えば悩み相談に乗ったぐらいか。それぐらいしか思いつかねぇ」

 「―――――自覚が無いのは性質が悪いと思うな。義之くんからしてみればちっぽけな事でも、された本人にとってはこれ以上無い位
  救いになるんだから」

 「自覚なんかねぇよ。そんなのは結局本人にしか分からない事だ。もし分かっててやってるなら打算的な行動を取った事になる。オレは
  そんな困ってる人を助ける程お人好しじゃねぇよ。悪人だしな」


  どうも最近その事を忘れてる奴らが多い。ぬるま湯に浸かってるって訳じゃないが、今年に入ってから喧嘩なんてしていない。珍しいことだ。

  別に好きで喧嘩をしてる訳じゃないからそれはいい。ただ、少しいつも感じていた苛立ちが収まって来ている様に感じた。声を張り上げる事も
 少なくなってきている。

  大体こうやってあの白河と話をしている事だって信じられない。オレとは正反対の位置に属する人間だと思っていた。周りから煙たがられるオレ
 とは違いチヤホヤされる白河。交わる事なんて無いと思ってたのにな。


 「自分の事を悪人だ善人だ言う人は信用出来ないよ。今まで色々な人の心を見てきたしそれは分かるつもり。義之くんは優しい人だと思うなぁ」

 「・・・やめてくれ。オレは本当にそんな人じゃねーってのに。お前も物分かりの悪い人間だな。そんなんじゃ好きな男出来ても付き合えないぞ」

 「好きな人? もういるもんねー。最近好きになったんだけど、とても良い人なんだ。こんなに本気で好きになったのってはじめてかも」

 「――――あ? 誰だよ、そいつ。あの白河ななかに惚れられる男ってのもどんな奴か見てみてぇな。きっと底なしのお優しい男でツラが
  良いスポーツも得意の漫画みたいな奴なんだろうけど」

 「本当は気付いてるんでしょ? とぼけた振りはよくないなぁ~、義之くん。私に嘘はつけないんだよ」


  薄笑いを浮かべる白河。チラッと視線を自分の指に向ける。そこには白河の可愛らしい細い指が重ねられていた。

  ため息を吐いてベンチからずり落ちるように腰を落とす。やるせない思いとかったるい思いがごちゃ混ぜになった。


 「そりゃあねぇよ。心なんて読まれちゃどんな小細工も通用しない。無駄な事に才能使いやがって・・・・この女は」

 「心なんて読まなくても分かったと思う。最近の義之くんは前より分かりやすくなったしね。自分じゃ気付かないと思うけど」

 「そうかよ」

 「もう一つ分かった事がある。今、猛烈にかったるいと思ってるでしょ? ヒドイ話だよねぇ~、うぅ・・・・」

 「泣いた振りしてもらっても困る。ていうかあれだけオレの捻じれ曲がった人間関係見てよくそう思えるよな。どこを気に入って
  こんな男を好むんだか。ハッキリ言って理解に苦しむね」

 「うーん・・・・。やっぱり優しい所かなぁ」

 「頭が腐ってるんじゃねぇのか? 優しさを求めるなら他の男にした方がいい。その方が白河の為だ」

 「わぁ、やっぱり優しいね。うざがられても仕方無いと思ってたのに心配してくれるなんてさ。そんな所が好きなんだ、私ってば」

 「・・・・マジで勘弁してくれ」


  顔に手を乗せて空を見上げる。薄々勘付いてはたがこうもハッキリ言われるとは思わなかった。なぁなぁになって流れると思っていた。

  白河はオレの全部を知っているし、今の人間関係も把握している。そこに顔を突っ込むなんて普通じゃない。だから白河は諦めるものだと考えていた。

  しかし、事実としてこうして白河はオレに告白染みた事を言ってきた。訳が分からない。きっと泣く思いをするだけだというのに・・・・。


 「ちょっと優しくされたから勘違いしただけだよ。よく考えて、結論を出した方が良い」

 「今までなんか距離を感じるなって事が度々あっておかしいと思ってたんだ。義之くん、ちょっとだけ私のこと意識してたでしょ?
  だから必要以上に距離を置きたがってた場面も今まで何回かあったし。可愛いなとか守ってやりたいなとか、ほんの少しだけ思っ
  てたでしょ? でもそれは出来ないと自分の中で決めちゃった。また他の人を好きになったら立つ瀬が無いもんね。義之くん」

 「サッカー部のキャプテンなんかどうだ? 顔も良いしスポーツも出来る。あと優しいって評判だ。白河の隣によく似合う」

 「結局私も義之くんの事を困らせてるって事は自覚してる。はは、花咲さん達の事あれこれ言えないよね。なんだかんだ言って
  こうして義之くんと二人っきりになれる所まで連れてきちゃったんだからさ。でも義之くんともっと話がしたいんだ、私」

 「あともう一つの候補はバスケ部のあいつか。少しばかり女癖が悪いみたいだが、まぁ、白河以上に可愛いヤツなんて数える程
  しか居ないしその点は大丈夫だろう。噂だがあいつも白河の事を好きみたいだしな」

 「あの人達に負けたくないと思ってる。皆義之くんの事は自分が一番知ってるっていう感じだけど、私が一番義之くんの事分かってるつもり。
  当然だよね。心読める能力なんてインチキみたいなモノ持ってるし。でもよかったかなって思ってる。こうして義之くんと繋がりを持つ事
  が出来たんだから。ちょっとは感謝してみたりして」

 「大体の男子は白河に告られたらOK出すだろうな。いやぁ、人気者は辛いね、白河さんよ」

 「ここで突っぱねなきゃもしかしたら本気で好きになる可能性がある。ふざけた話だ、そんな真似なんか出来やしない・・・・か。
  本気になってもいいんだよ? 私は本気で義之くんの事が好きだし。私を一番理解してくれている人も義之くんだと思っている。
  さっき名前が挙がってきた人の心を読んだ事があるけど最低だったね。自分が一番で女の子をアクセサリーだとしか思っていない
  そんな人より私は義之くんがいいな」

 「・・・・・・はぁ」


  握られた手に力が加わる。全部オレの考えが筒抜けになっている。振りほどけばいいんだが、何故かそれは出来ない。理由は分からない。

  ただ、白河は弱い女だった。いつも大勢に囲まれていても一人ぼっちになったガキみたいにおどおどしていた。笑顔を顔に張り付けてるが
 その仮面の裏側は泣き顔を浮かべていたと感じた。

  その姿を見て、さっきの白河の言った通り守ってやりたい気持ちがほんの少しだけ湧き出た。身の程を知らずオレはそう感じてしまった。

  そしてあの屋上の一件以来、なんとかその能力に頼らず必死に周りの生活に溶け込もうとしている彼女を見ていじらしいとも思ってしまう。
 
  元々顔も性格も良い女だ。そう思ってしまうのは仕方がない事だと思う。が、そんな気持ちは無視する事にした。そんな事を思っていられる程
 オレには余裕が無い。美夏、エリカ、茜の件でもう限界なんだ。別に女狂いになったつもりはない。だから無視する事に決めた。

  なのによ――――こうもアピールされちまうとその気持ちが崩れそうになっちまう。だからその握られた手を無理矢理に振りほどいた。


 「あ・・・・」

 「ふぅ・・・・・」

  
  一息付いて白河の目を見る。別にショックを受けた様子は無い。むしろされて当然だといった顔だ。こういう顔は何回か見た事がある。

  茜達がよく見せる顔だ。何を言われても諦めない顔。覚悟を決めている。今から言う言葉を投げかけても絶対折れないだろう。

  なんだってオレは――――いつもこういう上物の女に好かれるかな。苛立ちにも似た気分を抱きながらオレは言葉を吐き出す。


 「わりぃが白河に気持ちが移る事はないよ。さっきの告白だが、断る。別な良い相手を見つけてくれ」

 「また思ってもいない事を言うんだから。本当は移りそうなのが怖いんじゃないかな。だからそんなにも距離を取りたがってる。
  それに、別な相手だっけ? そんなのなんか欲しくないよ。私は義之くんが欲しいんだからさ」

 「・・・・オレは断るって言ったんだぜ、白河。諦めの悪い女は嫌いだな。腹が立つ。思いっきり殴ればそんな勘違い吹っ飛ぶかな?」

 「それも嘘だね。だったら花咲さん達の事なんか好きになって無いし、私を殴ろうだなんて微塵も考えていない。好きだよ、義之くん」


  詰められる距離。空けようとしてズリ落ちそうになる。もうベンチの端まで来ていた。押しても引いても白河は考えを改めなかった。

  なら、どうするか。白河を押し飛ばして立ち上がれば済む話。そうすればいくらなんでも諦めるだろう。はっきり行動に示せれば分かってくれる。

  そう思い両腕を上げようとした――――が、所在無さ気に宙に浮かしたままの状態になって止まってしまう。動かそうとしても動いてくれない。

  
  白河を拒絶する。一人ぼっちのまま泣かせてしまう。彼女はオレとは違い一人では生きていけない人間だ。そんな子を突き離せというのか。  

  いや、オレには関係の無い話だ。白河が一人になろうが二人になろうがどうだっていい。そう思い込もうとするが、体が言う事を聞いてくれない。

  
  目の前に意識を戻すとアップに迫っている白河の整った顔。宙ぶらりんになっている両手をギュっと握られる。

  そして、オレは・・・・オレ達は・・・・・・・。


























 「胃がいてぇ・・・・」

 「ふむ。胃薬が必要か、桜内よ」

 「そんなもん飲んだって効きやしねぇよ。くそっ」


  女性恐怖所になりそうだな。あの後クラスの待機場所に戻ると茜がぶすーっとした顔でオレを出迎えてくれた。

  話し掛けてもツンとしたままオレに付き合ってくれない。しかし椅子に座ると後ろからヒシヒシと視線は感じる。更に胃が痛くなった。

  なんでこんな思いをしなくちゃいけねぇんだよ、くそったれ。前の世界といいこの世界といい、両極端過ぎるんだよ、オレの人間関係は。


 「んで次は・・・障害物競争か。確かオレが係員で出るんだっけ」

 「そうだ。そこで桜内は俺の用意したある仕掛けを起動させてもらいたい。良い働きを期待している」

 「まったく。なんでもかんでもオレに面倒事を押しつけやがって。ガキの使いじゃねぇんだぞ、てめぇ」


  少しは休めると思ったが、それが甘い考えだと教えられた。戻ってきたオレに対して杉並は係員をやれと言ってきた。それももう決まった後で、だ。

  一発ブン殴ってやろうと思ったがその気力さえ湧いて来なかった。先の白河との一件はオレを疲れさせるのにこれ以上無いくらいの出来事だ。

  そっと唇をなぞる。甘い匂いと味がなかなか離れてくれない。出来るだけ意識したくないのにどうしても意識してしまう。ため息が漏れた。


 「そんなに嫌なら俺が代わるが? なぁに、ちょっと賄賂を持たせてやれば交代させてくれる」

 「素直に頼み込むという言葉を知らない男だな。まぁ、別にいいよ。やってやる。どうせ突っ立ってトラップ起動させりゃいいんだろ」


  手の上で渡されたボタンを弄ぶ。いかにもってボタンだが、これ杉並が作ったのか。無駄に出来がいいなオイ。

  無線式のボタンなんて資格が無けりゃ作れない。それ程の知識を要する。仕組みは簡単だと言ってもそれと作れるのとでは話は別だ。

  かったるい仕事だが・・・・このまま座って射殺されるよりはマシだろうな。立ち上がり首を回す。まぁ、やるだけやってみるか。


 「時に桜内よ」

 「あ? なんだよ」

 「白河嬢がさっきから俺達・・・というより桜内の事をジッと見詰めてるのだが、何かあったのか?」

 「んー?」


  言われて白河が居るであろうクラスに目を向けると、あっさりその姿を捉える事が出来た。目立つからなぁ、白河は。さすがアイドルって所か。

  目と目が合い、ハッとした顔で逸らされる。しかしすぐにチラチラとこちらを見るその様子が何だか微笑ましい。さっき強引に迫ってきた女とは
 思えない。なんだか少し安らいだ気がした。

  だから軽く手を振ってやった。すると顔を驚きから満面の笑みに変えて、手を振り返してくる。そんな様子に苦笑いをしながら体制を戻した。

  思い返すとオレを好きな女って全員押しが強いよなぁ。それでもって普段は普通ときてる。その時その時で両極端過ぎるんだよ、あいつらは。


 「まったく。かったるいな」

 「私もなんだかかったるくなってきたにゃー。ねぇ、義之くん?」

 「・・・・・オッケー分かったよ。だからその首に掛かってる綺麗な指をどけてくれないか、茜」


  背筋がぞわっとした。端目に横を窺うと杉並の姿はもう無い。あの野郎、逃げやがったな・・・・。一声掛けてから逃げろよあの野郎。

  首から圧迫感が無くなっていく感触に安緒のため息が漏れた。久しぶりにぞっとしたな。こんな怖い思いはさくらさんにマジギレされた時以来だ。

  首だけ後ろに向けると茜が笑顔でそこに立っていた。思わず顔が引き攣りそうなのを我慢して、咳払いをする。いつからそこに居たのやら・・・・。


 「また女の子増やしたんだぁ、義之くん」

 「・・・何の事だか、な。猫の子供じゃあるまいしそんなにポンポン増えねぇだろ」

 「――――ふぅん。それにしてもあの白河さんがねぇー・・・・。まぁ、なんとなくそんな気はしてたけどさ」

 「だから何の事言ってるか分からねぇよ、茜」

 「ねぇ、もうキスは済ませちゃったのかな? 口の横に淡い口紅が付いてるけど」

 
  そんな馬鹿な。反射的に唇の辺りを触る――――瞬間、しまったと思った。茜に視線を戻すとつまらなそうにこちらを見据えている。

  オレは一つ息を吐いてポケットに両手を突っ込んだ。ホント、平和ボケしちまったな。気が抜けている証拠だ。普段のオレならやらないミスだ。


 「うん、引っ掛け。それにしても・・・・そうかぁ、そうなんだぁ。二人でどこかへ消えちゃったから怪しいと思ってたけど、まさかねぇ~」

 「もうバレたもんは仕方が無いな。言い訳はしねぇよ。オレもまさかあんな事になるとは思わなかった。白河がオレなんかの事を好きに
  なるなんてな。近頃の女は何考えてるか分からない」

 「・・・・謝らないんだね」

 「それは出来ないな。それじゃ白河の気持ちを全否定する事になる。それに――――謝るならとっくに謝ってるよ、去年の冬に」

 「傲慢だね。ここまでやきもきさせてて謝りもしないなんて。ビンタの一つや二つくれてやりたいわ」


  謝る。何に対してだ? 白河にキスをされてごめん? 違う子をまた意識しちゃってごめん? そんな事を言ったら本当にビンタが飛んでくる。

  だって今更な話だ。それで謝っているようなら、茜達はもうとっくに激怒しているだろう。謝るぐらいなら最初からやるな・・・・と。

  それにもし謝るって事は白河をも侮辱している行為だ。思いきって告白してきたその気持ちを蔑にする行為。オレには出来なかった。


  そして付け加えて言うならば、白河は何も悪く無い。オレもなんだかんだ言って拒否しなかったし、白河はオレを取り巻く人間関係については知って
いるがそれはこの際別問題だろう。事実としてオレは誰とも付き合っていないし告白しても何も問題は無い。

  しかし、だ。理屈ではそうなるが・・・・感情面じゃ納得いかねぇだろうな。結果的にはまた茜達に要らない気苦労を背負わせる事になるんだし。


 「もう嫌いになったろ、オレの事なんか。殴ってもいいんだぜ? 思いっきりグ―でな」    

 「・・・・殴っても仕方ないでしょ。それで全部解決出来るなら殴るけど。それに――――義之くんの事を嫌いになれる訳なんてない。
  この件で嫌いになってるようなら、もうとっくに愛想を尽かしてるわ。あとさっきの話を聞いて分かった事だけれど、義之くんも白河
  さんの事を悪く思っていないでしょ。興味無い子だったらそんな事言わないものね」

 「まぁ・・・・ホンの少しだけ気にはなっていたかな。でもそれだけだよ。茜達の事もあるし無視していた。けど――――」

 「けど白河さんにキスをされて悩んじゃった、って事ね。貴方っていう人は本当に押しに弱いんだから。まったく」

 「・・・・オレからキスしたっていう選択肢はないのかよ。あんなアイドルって持て囃されてるぐらいのべっぴんさんだ。何か間違って
  オレから迫ったっておかしくないぜ」

 「そんな男の子だったらとっくに肩の荷が下りてるわね。それだったら最初にあの中で一番初めにキスをした私が義之くんと付き合ってるもの。違う?」

 「そうだけどよ・・・」

 「でもまぁ、もう過ぎた事はいいわよ。今更一人二人増えたって構いやしないわ。確立でいえば分母の数は増えるけど結局選ぶのは義之くんなんだし」

 「――――お前には一番負担を掛けてるかもな。悪い」

 「あら、謝る事は出来ないんじゃなかったのー? 傲慢で我儘な義之くんらしくないわねぇ。一度言った事を撤回するなんて」

 「それとさっきの話は別にだよ。本当に色々と悪い思いをさせちまってる。あと、ありがとう」

 「・・・・・ふんだ」


  顔を逸らして髪の先を弄る茜を見て、思わず苦笑いをしてしまう。本当にオレは茜に甘えっぱなしだな。前のオレがこの光景を見たら張り倒してる
 かもしれない。それほどまでにオレは甘えていると感じている。

  自分の事を好きな女に対して他の女が気になっていると言っている。どれ程傷付けているか分からない。しかしオレはそんな状況になっても動け
 ないでいた。早く決着を着ければこんな事にはならなかったのに。そう思ってももう遅い。ここまできてしまったのだから。

  いつまでもこんな硬直状態は続かないと思うが・・・・どうなるやら。そう考えていると何やら視線を感じた。さっき見ていた方向、白河からだ。

  顔を向けると何やら心配そうな顔をしてこちらを見ている。白河にも少し気を遣わせちまったか。大丈夫だよという意味も込めて手を振ってやった。


 「でもね、義之くん」

 「ん、なんだよ」

 「私って義之くんが思ってる程さ、聞き分けのいい女の子じゃないの。ごめんなさいね」

 「あ? 何を言って―――――」


  白河から視線を戻し、茜の方向に向き直る――――と、顔を両手で挟まれる。何を、と思う間もなく口を塞がれた。

  一瞬混乱状態になりかけ、突き放そうとするが思った以上に顔を掴んでいる手に力が入っておりそれが叶わない。ヌルっとした感触と共に
 水気のある粘った音が耳に入ってきた。

  こいつ、舌を入れてやがる・・・・! それもこんな公衆の面前で、この女はっ! いくらオレでも羞恥心に駆られた。

  当り前だ。こんな周りに人が沢山いる状況でディープかますイカれた真似なんかして、平気でいられるわけが無い。

  満足したのか―――茜は満面の笑みで口を離す。周りから聞こえるざわめき声が胃を更に痛くした。唾の橋が掛かっているので、ゴシゴシと
 拭いてそれを急いで掻き消し、睨みつけるようにして言葉を叩きつけた。


 「い、いきなり何するんだよこの野郎っ! 頭に蛆でも湧いてんじゃねぇか、ああっ!?」

 「やぁん。そんなに怒らないでよ。顔赤くして照れちゃって・・・・可愛い」

 「照れてねぇよっ、赤っ恥を掻いてるんだよっ! お前はオレを何にしたいんだ、変態にしたいのか、どうなんだよ茜っ?」

 
  結構本気で茜を睨みつけるが本人はへらへら笑って全然堪えて無いみたいだ。言葉を吐き出そうとしても、頭が熱くなって上手く出て来ない。

  こんな真似をする茜なんて最初の時以来だ。最近は色々まとめ役を買ってくれていたし、あのメンバーの中では比較的窘める役割を担っていた。

  思わずオレと茜が深く付き合う事になった最初の一件を思い出す。この野郎・・・・また悪い病気でも出たのか・・・・・。


 「べっつにぃ~。私は元々こういう女だしねぇ。最近は少し良い子ちゃんやってみようかなと思って大人しくしてたけどさぁ、飽きちゃった。
  義之くんも私とキス出来て嬉しかったでしょー?」

 「だからって場所を選べよ、場所をよっ! 別に特別ここでやる意味はねぇだろうが! おかげで現在進行形で恥掻いてるんでぞ、オレはっ」

 「もしかして嬉しくないのかなぁ~? 私は久しぶりに義之くんとキスして嬉しかったんだけどなぁ、にゃはは」

 「あ・・・くっ、し、しらねぇよっ、そんな事」


  茜の照れている笑顔。久しぶりに見た気がする。その笑顔に、出かかった文句の台詞が喉の所で止まってしまう。何も言えなくなってしまう。

  思わずその破天荒な行動でも許してしまうような笑顔だった。思えば最初の頃は茜のそんな笑顔を何回か見た気がするが最近は見ていない。

  オレも思わず照れる様に俯いてしまう。柄じゃない。拳を思いっきり握り締めてもその照れ臭さはどうしようもなかった。


 「あ、そろそろ私の競技の番が回ってくるわねー。行かなくちゃ。義之くんの照れてる所なんか滅多に見られないからもっと見ていたんだけどなぁ」    

 「・・・・うるせぇっ、さっさと行けよ」

 「あーん。もう、乱暴なんだからぁ」


  背中を無理矢理押して足を急がせる。早くこんな状況とはおさらばしたかった。まだ周りでオレ達は見てひそひそ話をしている奴らが居るからな。

  睨みつける気力も何も無い。そのまま無視してオレは係員の待機場所まで歩いて行く。行く気があんまり無かったがあのままあそこに居るよりはいい。

  確かにオレは面の皮は厚い方だが、それにしたって辛すぎる状況だ。クラスのど真ん中でディープ・・・もう思い出すのはよそう。

  
  ふと、白河の事が気になり、クラスの待機場所の方を覗くが姿が見えない。もしかして白河もこの競技に出るのか。

  さっきの思いっきり見られたろうな。短時間で二人の女と口付けをした。その事実にまた胃が痛くなりそうだ。

  胃の辺りを擦りながら歩いて行くと、白河と茜が何か話をしているのが遠くに見えた。なんか・・・・嫌な予感がするな、おい。















 「あらぁ、白河さんも障害物競争に出るんだぁ~。頑張りましょうねぇ」

 「・・・・・・・」


  笑顔で話し掛けてくる花咲さんを無視して、靴紐がちゃんと結ばれているか確認をする。途中で転んだりしたら恥ずかしいものね。

  あともう少しで競技がスタートする。屈んだ状態からすくっと立ち上がり、深呼吸。トントンと跳んで自分の状態を確認した。うん、問題無しっと。

  手を握って、開く。少しさっきまで荒れていた心が段々静まっていくのが分かった。なるほど、これは結構私に合ってるみたい。


 「それって義之くんの真似でしょ~? ホントに白河さんは義之くんの事が好きなのねぇ。妬けちゃいそうだわぁ」
 
 「・・・・・」

 「もしかして私、無視されてるのかなぁ? 仲良くしようと思ったんだけど・・・・残念だなぁ」

 「―――――――ッ! よくそんな事が・・・・っ!」

 「あ、やっと反応してくれた。やっほぉ、白河さん?」

 
  にこやかに話し掛けてくる花咲さんを見て、しまったと思う。徹底的に無視を決めようとしたのに思わず挑発に乗ってしまった。

  挑発。それ以外に呼び名を私は知らない。さっきの言葉は明らかに挑発だ。仲良くなりたいなんて思っていない。昼に話した時からそれは
 明らかに分かっていた。

  あの中でも一番私に喰って掛かって来ていたし、何より目が気に喰わないと言っていた。私もあまり花咲さんの事は好きじゃない。

  なんだろう。なんとなく好きになれない感じがした。一言言葉を交わせた時からそれは感じている。恐らく相手もそれは感じている筈だ。


 「あ、また無視してる~。何かしたかなぁ、私」

 「花咲さんは私の事嫌いじゃないの? そう私は感じてたんだけどな」

 「え、ええっ!? そんなこと無いよぉ、嫌だなぁ~白河さんてば。勘違いだってば、勘違い」

 「そのぶりっ子は素なのかな。少し頭が悪そうに見えるから止めておいた方がいいと思うよ。義之くん、そういうの嫌いだし」    

 「あらら? もう義之くんの彼女気取り? キスの一つや二つしたぐらいでそう思われちゃ困るにゃ~」

 「・・・・・別にそういう訳じゃないよ」

 「ふぅん?」


  ・・・・バレていたのか。少し窮屈な思いに駆られる。昼間あれだけ啖呵をきったのにやってる事はまるで正反対の事なのだから、そういう思い
 に駆られても仕方が無い。自覚があって義之くんに迫ったのだから当然だ。

  義之くんをあまり困らせるなと言いながら、いざ二人になった途端にさっきまでの態度を忘れたかの様に振舞う自分。嫌な人間だとは自覚していた。

  しかし、もう止められなかったのも事実だ。一度ぽろっと想いを吐き出したら止まらなくなった。今まで我慢していたがとうとう耐えきれなくなった。

  
  屋上の一件から義之くんには結構お世話になっていた。私のつまらない話をちゃんと聞いてくれてるし、私だからって遠慮もすることがなかった。

  普通の人だったら多少なりともおべっかを使う場面でも、義之くんは他の人と同じように気を使う事は無かったと思う。いつも自然体で私に
 接していた様に感じた。まぁ、彼の性格の場合おべっかを使うなんて事は有り得ないと思うが・・・・。


  そんな彼に私も段々自然体で居られるようになり、気付いたら好きになっていた。彼の脇に居るとなんだかホッとするし安らぐ。今までに無い感情。

  もっと傍に居たい、安らぎたいという思いが強くなり、とうとう告白した。もう後には戻れない。悪いが私もこの争奪戦には参加させてもらう。


  それに、さっきのキス――――あれは宣戦布告なのだろう。そう簡単にはいかないよという花咲さんからのメッセージだったのかもしれない。

  私の方を見ながら義之くんにキスをしていた花咲さん。思い出すだけで知らずの内に手がギュっと握られる。この人だけには負けたくなかった。


  
 「それにしても意外と花咲さんて底意地が悪いんだね。あんな風に見せつけちゃってくれて。よくやるよ、ほんと」

 「あ~見られちゃってたんだねぇ。それでさっきから怒ってたんだぁ。でも別にいいでしょう? 白河さんもしてたんだし、おあいこじゃない」

 「あおいこ? そんな風な口付けには見えなかったけどね。まるで奪い取るようなキスに私には見えたんだけど?」

 「奪い取るだなんてそんなぁ~。義之くんは誰の物でもないんだからそんな考えは無いわよ白河さん? あ、でもなんだか口の周りが汚かった
  から少し綺麗にするのに熱心にはなっちゃったかも!」

 「・・・・よぉく、分かったよ。花咲さんの気持ち」

 「ほえ? 何の事かなぁ?」

 「絶対に貴方だけには負けないから」


  係員からの号令が聞こえてきたので、そちらの方向に花咲さんを置いて歩き出した。端目に見たその顔はまだ笑顔でこちらを見ている。

  その余裕にまた頭が熱くなりそうになりながらも、なんとかその熱を抑えてスタートラインに着く。その横に花咲さんも鼻歌を歌いながら横に着いた。

  負けないと言ったからにはこの競技も負けるつもりはなかった。スッと短く息を吐き出しゴールに目を向ける。そして、ピストル音が辺りに響いた。





















 「お、始まったか」  


  指定された場所からスタート地点のピストル音を聞き、その場所に目を向けた。皆気合いが入った様に一斉に走り出す。

  最初の障害物は・・・跳び箱か。まぁ、これは難なく全員クリアしているな。たかが五段ぐらいだし余裕で皆クリアした。

  足の速さもあまり関係無い競技だし全員の位置取りはほぼ同一。やや白河がリードしてるぐらいか。次点で茜。しかし僅差しかない。


 「しかし、やっぱり白河は運動神経いいな。初印象じゃトロイと思ったのてたのに早速トップをキープか・・・・それにしても・・・・」

  
  なんか、必死になってねぇか白河のヤツ。思いっきり眉間に皺を寄せて走ってるし動き方に無理を感じる。失礼な言い方になるかもしれないが
 あまりにも白河らしくないと思った。

  いつも爽やかさと可愛さを全面に出しているので、違和感を感じる。茜もさっきまでの笑顔はナリを潜め、無表情といった具合だ。しかし額に
 汗を掻いて息を切らしながらも走っている。まるで競い合っているかのように・・・・。

  なんだか――――二人ともムキになって様な気がする。 もしかして昼間の件が関係しているのか。それにしたって何か様子がおかしい。そこまで
 確執が起きるような感じには見えなかったんだが。


 「・・・・さっき何か話してたようだけど、それ関係してんのかなぁ? 茜と白河に限ってそれは無い様に思えるけど・・・・」
  

  茜はあまり争い事を好む性格じゃないし、白河もそんな性格だ。手と手を取り合うなんて真似はしないでもそんなに険悪になるような事を
 しでかす奴らじゃないと思っていた。

  まぁ――――後になってそれはオレのふざけた勘違いだと思い知る事になるのだが・・・・。茜も白河もオレと同じくらい負けん気が強く
 情熱的な女だったが、この時のオレには知る由も無い。

  二人ともそれを表に見せる事が無いだけで、その時になれば脇目も振らず一直線な女達だった。言ってしまえばエリカよりその傾向が強い
 と知った時はかなり茫然としてしまった。その時のオレは余程マヌケ顔をしていた事だろう。

    
  そうして二人は競い合うかのようにワンツーを独占し、平均台もクリアして今度は麻袋に入ってカエル跳びをしながら次の障害物を目指す。


 「って・・・すげぇ光景だな。さすが茜といった所か・・・・・」


  周りの男子連中も歓喜の声を上げている。麻袋を履いてぴょんぴょんジャンプすりゃ茜みたいな巨乳な女はああなるよな。

  まるで胸にボールでも入れているかのように体操服の中で揺れているし、男子にとっちゃ眼福ものだ。おもわずムービーに収めても仕方ないだろう。

  オレも携帯を持っていたら思わず撮っていたかもしれない。まぁ、さすがにモラルはあるのでやりはしないが。男子連中も同じ考えだろう。


  ――――――脇で平然とビデオカメラを回している男を覗けば、だが。


 「お前、それ犯罪な」

 「何を言う桜内。オレは学生が健康的に体育祭をエンジョイしている姿を映像に収めてるだけだ。何も問題は無い筈だが?」

 「見たところ胸を重点的に撮っているのは何故なんだろうな。まるでAVでやってる運動会の撮影みたいだぜ、杉並さんよ」 

 「それは桜内がよこしまな考えを持っているからそう感じるだけだ。オレは坊主みたいに清らかな精神で撮影をしている」

 「とりあえず没収だこの野郎。他のヤツならともかく茜とか写してんじゃねぇっつーの」

 「おや? 案外嫉妬深いのだな桜内は。とてもじゃないがそんな男が女性を囲むなんて真似はしないと思うが―――――ほら」

 「あ?」


  ポンと小柄なビデオカメラを渡してくる。なんだ、嫌に素直じゃねぇか。絶対屁理屈とか言ってごねると思ったのに。

  そうして「じゃあ俺はやる事があるので」と言って立ち去っていく。訳が分からない。何しにきたんだ、アイツ。余程暇だったのか。

  手の上でビデオカメラを弄ぶ杉並の立ち去った方向を見てると、肩を叩かれる感触。後ろを振り向くとそこには音姉の笑顔があった。


 「今、杉並君から何を渡されたの? 弟君」

 「あ? 別に普通のビデオカメラだけど。なんだ、これが貯金箱か何かに見えるのか、音姉には」

 「それ、私に渡してくれないかなぁ? 杉並君と一緒になって何か企んでるなら話は別だけど。勿論ちがうよね~?」

 「―――――ふぅん。そういう事ね」

 「だからそれを私達生徒会に―――――」

 「さて、どうしようかな」

 「え・・・・?」


  このまま渡してもいいんだが、それだと何か癪に障る。元々素直じゃないオレの性格だ。面白く無いに決まっていた。

  まだ白河達も来ていないし時間に余裕はある。どれ、ちょっとばっかしどれ程高性能か確かめてみるか。


 「音姉、ちょっとそこに立ってろよ」

 「え、え? な、なんで?」

 「ちょっとした撮影会だよ。暇なら付き合ってもいいだろう? ホラ、映すぞ」

 「あ、あわわっ!」


  電源ボタンを押して起動させる。感度良好といった具合か。レンズ越しに見るが大してブレは無いみたいだし、安物じゃないみたいだ。

  カメラ窓を向けると音姉は何か慌てた様に髪を整える。なんだ、やる気満々じゃねぇか。倍率調整をしながらその行動を端目に見る。

  やっぱこういう機会弄るのはなんだかワクワクするな。子供染みた感情が湧き出る。オレも買おうっかな、デジカメでもいいから。


 「じゃあ、まずはお名前からどうぞ」

 「えっ? なんで?」

 「撮影会つったろ? 音姉はちゃんとモデルらしく綺麗に撮ってやるから安心しろって。ま、元々綺麗だからそんな気構える必要もないけどな」

 「そ、そうかな・・・・? えへへ」

 「お、その笑顔いいねぇ。じゃあまずはお名前を教えて貰っていいですか?」

 「あ、はい。名前は朝倉音姫って言います。誕生日は六月十七日で、血液型はO型です!」

 「元気でいいですねぇ。じゃあ次の質問ですが、好きな体位は・・・・って」


  少し怪しげな雰囲気を醸し出して撮影ゴッコを楽しもうと思いながらふと視線を競技に移すと、もう白河と茜はもうネットくぐりの所まで来ていた。

  どうやら二人の異常な頑張りが障害物競争のスピードを速めているようだ。確か罠の発動場所はネットの所・・・・やべぇ、遊んでる場合じゃない!

  急いで音姉にビデオカメラを預けて、見えない様にポケットの中のスイッチを漁る。ここでヘマをやらかしたら一位なんてまた夢のまた夢だ。


 「え、な、なに? 撮影会は?」

 「悪いが撮影会は延期だ。あとは音姉が将来モデルになって水着を着るなりナース服を着るなりして頑張ってくれ。応援してるよ、影ながら」

 「お、応援してもらっても困るんだけど・・・・」

 
  後ろで困惑している音姉を放って置いて、スイッチを押した。するとネットを回収するマシンが起動を始めて、どんどん網を吸い取っていく。

  なるほど、こういうスイッチだったのか。確かにこんな事やられちゃネットの中に居るヤツは堪ったもんじゃねぇ。蜘蛛の糸に絡まった虫みたいに
 もがくしかないわな。

  ――――って、あれ? これって白河と一緒に居る茜までも一緒に取り込まれるんじゃ・・・・・。


 「・・・・やべぇ、ミスった。これって茜まで巻き込まれちゃ意味ねぇじゃねーか・・・・」

 「お、弟くんっ!」

 「杉並の野郎、ちゃんと詳細を教えろよな――――って、なんだよ音姉。そんなにテンパって」

 「前っ! 前を向いてっ!」

 「あ?」


  ミスを杉並の所為にしようと考えてると何やら音姉が焦った様な声を出して、オレに話掛けてくる。つい、と言われた通りに前に視線を向けた。

  すると回収されている網がオレ達の前まで迫ってきていて、あっという間に飲み込まれてしまった。あまりにも瞬間的な事だったので反応する事が
 出来なかった。天地が引っくり返る様な衝撃がオレを襲う。

  くそ、位置取りを間違えた。どんな仕掛けが分かったなら即座にあんな直線上に居るべきでは無かった。余りの間抜けさに腹も立ちやしない。


 「・・・・いってぇな、くそっ! オレとした事がマズった――――――あ」

 「あ・・・・」

 「あいたた、何よぉ、もうっ!」

 「うぅー・・・・な、何が起きたのぉ~?」


  オレの視界のド真ん中には白河のアップにされた顔。目と目が合い、お互いに固まってしまう。すぐ近くでは茜と音姉の困惑してきた声が聞こえてきた。
 
  しかし、それを気にするでもなく白河はオレの顔をじっと見詰めている。首に流れる汗が妙に艶っぽく見えた。疲労の所為だろう、生温かい甘い吐息
 がオレの顔に吹き掛けられる。だが、嫌な気分じゃなかった。反対に何か妙な気分にさせられる魔力を秘めていた。思わず茫然としてしまう。

  一瞬、周りから音も絵も消えた―――――と思った瞬間、白河がオレの両頬を掴み、口付けをしてきた。まるで頭突きをするが如く勢いよく
 顔を近付けてきてのキスだった。急に息が出来なくなり、目を白黒させてしまう。


 「ん・・・んぅ・・・んん・・・・」

 「・・・・んぐっ!? ん、んんーーーーっ!」

 「へっ―――――って、何やってんのアンタ達はぁーーーっ!!」

 「こ、こら―ー! え、え、エッチなのは駄目なんだからねっ!」


  茜と音姉が白河の後ろ襟を掴んで引き離す。こんな狭い網中で大して離れなかったが、それでもなんとか呼吸をする事が出来た。

  普通だったら甘い雰囲気に浸かるのだろうが、いきなりの事だったので余韻もクソもない。正直困惑した気持ちの方が大きかった。

  そして睨み合う様に視線を交える茜と白河。一触即発の状況だ。訳が分からない。音姉もそんな二人を見て困惑したように目を忙しなく動かしている。


 「何やってるのって・・・・別に。何だか義之くんの口の周りが汚れてたから掃除しただけだけど、何か文句でもあるのかな?」

 「もしかしてさっき私が言ってた事気にしてるんだ。ふん、案外器量狭いのね。白河さんって。アイドルって言われて周りからチヤホヤ
  されて、いつもヘラヘラ笑っているから気にしないと思ったんだけどなぁ。案外性格が捻くれてるのね」

 「花咲さんこそいつも天然みたいに装って妙に体を義之くんにくっ付けたりしてヘラヘラ笑ってる癖に。大体なんでそんなに喧嘩腰なの?
  私が何かした? ねぇ、どうなの花咲さん」

 「はぁっ? 何かしたって・・・・本気で言ってるの貴方? 昼間あれだけ正論ぶって説教した癖にやってる事はただの火事場泥棒みたいな
  ものじゃないっ! 本当は義之くんと二人っきりになりたいからあんな嘘吐いたんでしょっ? 本当、いやらしい事する女の子ね」

 「別にあの時言った言葉は嘘じゃないよっ、でも、そういう流れになっちゃんだからしょうがないじゃない! 確かにそういう事をしたって
  いう自覚はあるつもりだよ。火事場泥棒みたいな真似をしたっていう自覚がね。けれど、義之くんの事を好きっていう気持ちは嘘じゃない
  し困らせてるって事は重々承知だけど、言わずにはいられなかったんだよ・・・・っ!」

 「それじゃ自覚あるなら何してもいいって聞こえるわね。大したタマよ、本当に。大体さ、私達に遠慮したのかビビっちゃたのか知らないけど
  裏でコソコソしてるのが気に喰わないわ。なに、理解力のある女を気取ってるつもり? 私は別に迷惑を掛けて言い寄ってませんよーって?
  腹が立つわね・・・・」

 「そ、そんなつもりじゃないもんっ! 私はただ・・・・」

 「もん、ってそっちの方こそぶりっ子ぶってるじゃない。別に白河さんの場合どうしても義之くんが良いって訳じゃ無いんでしょ?
  いつも他の男子にボディタッチして胡散臭い笑顔振りまいてるんだからさ。適当に見繕って彼氏でも作ればいいんじゃない?」

 「て、適当にって・・・・花咲さん! 私の事バカにしてるでしょっ!? そっちこそ、その無駄に大きな胸で他の男子に言い寄ればいいじゃない!
  きっと光に群がる虫みたいにフラフラ集まってくると思うよ? ねぇ、その方がいいんじゃない?」

 「こ、この子は・・・・・・!」

 「何よ・・・・・!」

 「は、はわわ・・・・・」

 
  あまりの剣幕の言い合いに音姉がドン引きしてオレの方に擦り寄ってくる。そりゃおっかねーだろうな。オレだって少しビビる。

  茜と白河――――まさかここまで仲が険悪だと思わなかった。今までそんなに接点もなかったし仲が良いとは言えないが、悪くもないと思っていた。

  なのにまるで親の仇を罵るかのように罵声を浴びせ合っている。原因は・・・・またオレなんだけどよ。また胃が痛くなり始めた。


  なんにしてもこの騒ぎは一時的にでもいいから収めないと。向こうから生徒役員共が救助に駆けつけてくるのが見えた。

  その中には勿論エリカの姿もある・・・・・。これ以上に状況を悪化させたくない。腕に少し痺れを感じながらオレは二人に話し掛けた。


 「お、弟くんて結構モテるんだね・・・・はは」

 「必要以上にな。おかげで胃がさっきから痛いよ。ついでに腕も何か痛いし・・・・・おい、茜と白河。とりあえず落ち着けって」

 「お、落ち着けって言われて落ち着ける訳ないでしょっ!? 義之くんもこのなんちゃってアイドルに一言何か言ってよっ!」

 「な、なんちゃって・・・・私だってねぇ、好きでそんな呼び方をされた訳じゃ無いもん! 義之くん、花咲さんはこんな酷い事を言うんだよ?
  きっと意地が悪いに決まってる。だから、花咲さんとだけは付き合わない方がいいよ? きっと不幸になる」

 「不幸になるとか勝手に決めないでよね! そうやって見下しちゃってさ、ほんっとーーーーに腹が立つ子ねっ! 義之くん、今決めなさい。
  私を選ぶか、ぽっと出てきた白河さんを選ぶか」

 「なっ、おい―――――」  

 「花咲さんにしては良い考えだね、私もそれに賛成だな。義之くん、今決めて。どっちの方がより好きかを。そうしないと気が済まないよ」

 
  そう言って両者は黙り、オレをじっと見つめてくる。というか、え? 今決めるのかよ。それも二択。しかし二人とも目は真剣だ。

  どうにも今までみたいに逃げれる雰囲気じゃない。今決断をしないと絶対に気が収まらないと目が物語っていた。もし決断をしなければ
 取っ組み合いが始まってもおかしくない。いや、絶対にやるだろう。

  しかし――――逆に考えればこれはチャンスなのかもしれない。今までオレはずっと皆と宙ぶらりんな関係を続けてきた。何度か決める
 チャンスはあったものの、いつも逃げていた様に感じる。


  適当な言葉を吐き、行動してとうとう夏が来ようとしていた。ここいらで決めないともっと酷い事が起きてもおかしくない。白河と茜を
 見ててその思いは更に強まった。

  二人だけじゃない、皆同じ気持ちだろう。早く誰かを選んでくれという気持ち。辛いのはオレじゃ無く彼女達の方なんだ。もし目の前の
 二人を選ばなくてもとりあえず両者の溜飲は下がるだろう。納得はいかないかもしればいが、理解はしてくれる筈だ。

  ずっと悩み続けてきたこの問題に決着を着ける。腹をくくるしかない。結局誰かを選んで他の子を泣かせるのは決定してる事なんだ。みんな
 泣かないでハッピーになるなんて事はあり得ない。


  よし――――息を吸って呼吸を落ちつける。こんな場でだなんて少し癪だが言ってやる。そう思い、口を開けて――――――


 「お、弟くん・・・・」

 「ってなんだよっ!? 人がせっかく覚悟決めてたのによ・・・・!」

 「う、腕・・・・腕が・・・・・」

 「あ? 腕?」


  何故か驚いた顔をしながら音姉がオレの左腕に指を差す。それに釣られて目線を送ると―――――気が遠くなった。

  腕の角度。これがまずおかしい。明後日の方向を向いてブランと垂れ下がっている。まるでこの間観たゾンビ映画のゾンビみたいだ。

  多分網の中に引き込まれた時にやってしまったのだろう。茜と白河の言い争いのインパクトが強すぎて全然気付かなかった。


 「きゃ、きゃぁぁあああーーーーーーっ!?」

 「い、いやぁぁあああーーーーーっ!」

 「きゃーとかいやーじゃねぇよっ! ああ、くそっ! 何か自覚し始めてきたら段々痛くなってきやがった・・・・! やべぇ、いてぇ・・・・!」

 「と、とりあえず今、生徒会の人達が回収機操作してるからもうすぐに出られると思うから、少しだけ我慢出来る? ね、大丈夫だから!」


  さっきまで罵り合ってた癖に白河と茜は、仲良くお互いの体を抱きしめ合ってオレから離れている。お前らの好感度ダダ下がりだぜ、この野郎。

  それに比べて音姉は必死にオレの腕をあまり動かさない様に肩を抑えて、ネットに触れないようスペースを作ってくれている。ああ、もう音姉
 にしようかな。面は良いし料理出来るし癒し系だし、言う事が無い。

  少しお節介焼きな所があるが、それは言い聞かせればいい。そうした方がいいな、うん。音姉もきっと嫌じゃないだろう。多分。


 「音姉、オレと付き合おう」

 「―――――へっ?」

 「ちょ、ちょっと義之くんっ! それは無いんじゃないかなっ!?」

 「そ、そうよっ! そんなの卑怯よ、よっしぃー!」

 「うるせぇっ! そんなにビビって奥の方に逃げる女達より何倍もましだねっ! お前ら、本当にオレの事好きなのかよ・・・」

 「だ、だって・・・・なんか不気味だし・・・・・」

 「そうねぇ・・・・まるで玩具みたいに腕が捻じれてるし・・・・怖いわぁ」

 「お、お前らってヤツはマジで・・・・・!」

 「わ、私っ!」

 「うぉっ!?」


  音姉が顔を上げて、声を張り上げた。いきなりの音姉のテンションの上がり様に、思わずオレも驚いた声を出してしまった。

  茜も白河もオレと同じなのか茫然と音姉を見ている。なんだ、まさか人が事故ってる所見てテンション上がっちまったのか。勘弁してくれよ・・・・。

  そう考えていると、キッと音姉がオレの方に目を向けてくる。なんだか知らないが・・・・少しおっかねぇな。なんでそんなマジ顔になってんだよ。


 「私、弟くんと付き合う事にするっ!」

 「え、えぇーーーーーーっ!」

 「そ、そんな馬鹿な事が・・・・・・!」

 「白河さんも花咲さんも安心して。弟くんは私が幸せにして真っ当な人間にしてあげるから。ね、弟くん?」

 「いや、そういうのいいから。もしかして本気にしてる?」

 「思えば小さい頃から目は付けていたのに最近放ったらかしだったもんね。でも弟くんが私の事好きだったなんて驚きだな・・・・絶対嫌われてる
  と思ってたのに。もしかして素直になれたかったのかな・・・・男の子だもんね。ふふ」

 「・・・・目付けられてたのか、オレ」


  その告白に少し引いてしまう。確かに音姉はオレにしつこい程構ってきたし、小学校高学年になっても一緒にお風呂に入ろうとしていた。

  思い返せばいつも音姉の視線は感じていた様な気がした。マジかよ、ガキの頃からオレは姉みたいな人に狙われてたのか。全然気付かなかった。

  白河と茜が茫然としているように、オレも茫然としてしまう。いや、別に音姉が嫌いって訳じゃないが・・・・・なぁ。


 「だから――――――これからもよろしくね、弟くんっ!」

 「あ・・・・・」

 「あ・・・・・」

 「あ・・・・・」


  そう宣言して、オレの『折れている腕』にひしっと抱きついてきた。

  思わず茫然として―――――今までに無いくらいオレは絶叫した。多分人生で一番痛い思いをしたに違いない。

  結局オレは生徒会のヤツらが運んでくれるまで悶絶していた。勿論音姉と付き合う件も帳消しだ。誰がこんな天然バカ姉と付き合うかよ、ちきしょう。


  そうしてオレは後半の対抗レースに間に合わず、保健室で過ごす事になってしまう事になる。

  窓から見える夕日を見て、ため息を付く。絶対来年から体育祭に出ねぇぞ。そう決心して、固い枕に頭を落とした。

















  グイっとコップの中にある液体を喉に通す。独特の苦みと浮遊感が身を包んだ。アルコール特有の感覚。慣れた味であった。

  ギブスで固定してある腕に窮屈な思いをしながら周りを見渡すと、皆同じように酔って笑っていた。潰れてる奴もいるがまだまだ元気な様子が
 窺える。どうやらこの宴はまだ終わりそうに無い。ビールを再び飲みながらそんな事を考えた。

  そりゃ簡単には終わらねぇよな。せっかくあそこまで頑張ったというのに大会は二位で終わってしまった。オレのクラスにしては健闘したと言え
 なくもないが、一位以外に意味は無い。まるで鬱憤を晴らすかのように騒ぎまくって飲みまくっている。


 「よしゆきぃ~、よしゆきぃ~・・・・」

 「いい感じに出来あがってるな、美夏。で、何の用だよ」

 「ちゅーしろ、ちゅー。最近してくれてないだろ~?」

 「はいはい、分かったよ。ちゅーね。はい、ちゅー」
 
 「ん・・・・・」
 

  軽く頬に口付けをすると、「えへへ」と笑いながらまた何処かへフラフラと歩いて行く。典型的な酔っ払いだ。こんな場所じゃ珍しくも無い。

  つーか誰だよ、美夏誘った奴。大方雪村あたりが引き込んだんだろうが・・・ちゃんと面倒見ておけよな。その雪村は茜と何か話をしてるみたいだし。

  グイっとまたビールを飲む。オレだって飲まなきゃやっていられない。あんだけ辛い思いをして、骨折をしてまで頑張ったのに何一つ報われない。

  更にグレそうだぜ。腕を擦りながらそう思う。綺麗にぽっきり逝ったから治るのは早いそうだが・・・・煩わしくて仕方が無いったらありゃしない。


 「ねぇ、板橋聞いてるー? 最後の対抗リレーもうちょっと頑張れ無かったのぉ~? あともう少しだったのにぃ~」

 「うぅ・・・すいません。オレの責任です・・・・だからそんなに言わないでくれよ~。滅茶苦茶頑張ったんだぜぇ、オレだってよぉ~」

 「結果が付いて来なきゃ一緒じゃないのよっ、このっ、この!」

 「あぁ、蹴らないでくれよぉー・・・・」


  ゲシゲシと板橋を蹴る委員長。どうやら委員長も漏れなく結構飲んでいるらしく、顔が真っ赤だ。板橋が泣きに入ってるのに蹴りを止めない。

  普段から色々ストレス溜まってるみたいな感じだから、一度糸が切れると暴れ出すタイプなのかもしれない。一番厄介な酔っ払いだ。

  しかし・・・・そんなに板橋を苛めなくてもいいのに。オレが対抗リレーに出れなかった所為で、メンバーを急遽入れ替える事になったオレのクラス。

  アンカーを板橋に置き換えての布陣だったが、あともう少しという所で惜しくも破れ去ってしまった。そんな板橋に皆は冷やかな態度を取っている。

  オレも少しは文句を言いたいが・・・・そもそもオレが骨折しなきゃよかった話だ。あまり責める気にもなれなかった。


 「飲んでるみたいだな、桜内よ」

 「おかげ様でな。しかしよくこんな店予約出来たな。当日予約で、それも団体様なんてよ」

 「なぁに。ある所にはあるものだよ。そんなに難しい事ではない。まぁ、コネが無かったとは言わんがな」

 「まぁ、なんだっていい。お前のおかげでこうやって酒が飲める。脇、座れよ」

 「うむ。それでは失礼する」


  そう言って隣を空かし、座らせた。こいつとこうやって飲むのも初めてかもしれないな。しかし悪い気はしない。元々ダチといったらこいつぐらい
 しか居ないしな。少しテンションが上がるのを感じる。

  大会のトトカルチョに敗れ去ったオレ達は確かに無一文になった。こんな居酒屋で飲める程は金は勿論持っていない。本来なら敗者らしく家に引き
 籠って不貞寝するのが精々だったオレ達だったが、そこを杉並が素晴らしくフォローしてくれた。

  どうやら杉並は杉並で、一応保険の為に他のクラスにも賭けて置いたと言う。そしてその儲けで今夜の宴の段取りをしてくれたらしい。いつもは
 厄介な事しかしないというのに、偶にこういう粋な事をしてくれるからこいつの事は好きだ。

  こいつの隠れた人望ってのはもしかしたらここ一番でこういう事をしてくれる所かもしれない。オレにはないものだ。まぁ、無いモノねだりを
 しても仕方が無い。ここはこいつのご厚意にあやかって美味しく酒を飲むか。


 「ところで最近調子はどうだ、桜内よ」

 「喧嘩売ってるのかよ。見ての通り骨が折れちまって大変だ。もしかしたらこの機会を狙って復讐しに来るヤツがいるかもな。かったりぃ」
  
 「その時は微力ながら手を貸してやるさ。責任の一端はオレにもある。言葉通り桜内は骨を折ってまで頑張ってくれたみたいだしな」

 「お前に喧嘩が出来るとは思えないが、まぁ、アテにさせてもらうよ。ほら、お前も飲めよ」

 「うむ、かたじけない」


  コップにビールを注いでやる。こいつの場合ビールというよりブランデーかワインっぽいが気にしてられねぇ。

  居酒屋にある安いヤツ頼んでも仕方が無いし、そもそもそんなモノがあるのかさえ怪しい。酔えればいいだろう、この場は。

  そうしてお互い少し無言になって飲む。悪く無い静けさだ。喧騒が少し遠ざかった様な気がした。


 「時に、桜内」

 「んあ?」

 「結局お前は誰を選ぶんだ。少しばかりそれが前から気になっててな、是非聞かせて貰いたい」

 「お前にしては随分下種の勘繰りをするな。なんだ、お前もそういうのが気になるのか」

 「言ったろう、少しとな。オレも一人の健康な男子で人間だ。そういうスキャンダル的な事も気になるさ」

 「そうかよ。それで、誰を選ぶか、だっけか。しょうもない。この場ですぐ答えられた苦労しねぇよ。アホ」

 「そうか。しかし早い所決めないとまた白河嬢と花咲の喧嘩みたいな事がすぐ起きるぞ。そろそろ見た感じ、彼女達は限界だぞ」

 「・・・・・んだよ、見てたのか。覗きとは悪趣味だな」

 「あれだけ騒いでれば嫌でも目にするさ。まぁ、俺に言われるまでも無く、本人がそれを一番理解してると思っているが、な」 

 「知ってるよ。だから尚更よく考えなくちゃいけねぇ。適当に決められる問題でもないしな」

 「そうか。なら、余計なお世話だったかもしれない。すまんな」

 「別にいいよ。そう言ってくれるヤツがオレには少ない。心配してくれるヤツがな。結構ありがたいと思ってるんだぜ? オレは」

 「・・・・・・少し酔ってるのか?」

 「うるせぇ。おら、注いでやるよ。たまにはオレの言葉を素直に受け止めろよな、お前」

 「ふっ、素直になれないのは果たしてどちらなのだろうな」

  
  コップを差し出してきたのでまた注いでやる。グイッと飲み干す姿は杉並らしくなく男っぽい飲み方だった。

  もしかしてオレに付き合ってくれるのだろうか。本当に偶に心意気が良い男だな、こいつは。オレなんかの酒に付き合ってくれるなんて。

  きっと愚痴ぐらいしかオレは言わないってのに。こんな愚痴言えるのって杉並ぐらいだしなぁ。たまに訳が分からない男だがこういう気遣いは嬉しい。


 「よしゆきぃー、飲んでる~?」

 「ん・・・って、エリカっ? なんでお前ココに居るんだよ、一応オレのクラスのパーティなんだぜコレ」


  名前を呼ばれて振り返ると何故かエリカが居た。それも結構飲んでるらしく顔は真っ赤だ。

  しなを作ってオレの腕にもたれ掛かっている。甘い臭いと酒の臭いが鼻孔をくすぐる。かなり酔っぱらってるな、こりゃ。


 「よしゆきがぁ、居る所には私も居て当然でしょ~? 何をいまさらこの私に向かって言ってるのかしらねぇ」

 「答えになってねぇよ・・・。こら、無駄に寄っ掛かるんじゃねぇ。酒が飲めねぇだろう、このやろう」  

 「何よぉ、私よりそんな安い酒の方が大事なのぉ? 信じられない! これだけ私がアピールしてるというのに義之は本当にまったくっ!」

 「耳元で騒ぐなっつーの。今は男同士で飲んでるんだ。悪いがあまり構ってやれねぇよ。脇に居てもいいけど、その代わり静かにしてろよな」

 「なぁにそれ。女の私には分からないって事かしらっ? 男はいつもそうよね、女には分からない、女が出る幕じゃないとか威張って言うの。
  私だって一応お姫様だし高貴な身分なのよ? だから私も混ぜなさい。そして結婚しなさい」


  支離滅裂だ。外人の癖に酒弱過ぎだろ、こいつ。思わずため息をついてしまった。酔っ払いに構ってやる程かったるい事は無い。

  どうするか――――そう考えていると、急にエリカはまるで糸の切れた人形のようにオレの膝元で丸くなってしまった。辛そうな声も聞こえる。

  どうやら随分無理をしてオレに話し掛けたらしい。まったく、そんなになるまで酒を飲むなっつ―の。このお姫様は・・・・。



 「大丈夫かよ、エリカ。ほら、水ちょっとでもいいから飲め」

 「・・・・みずぅー?・・・・嫌ぁ・・・・」

 「悲しいな、オレの事が好きなら水ぐらい飲める筈だ。それなのにエリカは飲めないって言っている。こりゃ少しエリカに対して少し考えを
  改めないといけなくなるな」

 「・・・・みずぅ、飲むー・・・・・」

 「意外と酷いな、桜内は」

 「昔からオレは酷いヤツだよ。喧嘩はしまくるし女をたくさんはべらせてる。今更な話だ」

 「違いない」


  くくっと笑いながらオレとエリカのやり取りを見て苦笑いを浮かべる杉並。なんだか気恥ずかしい気分になりながらもエリカに水を飲ませてやった。

  大方茜あたりに誘われてこいつも来たクチか。最近茜とエリカは仲が良いみたいだしあり得なくは無い。つうか貴族のコイツをこんな所に呼ぶなよ。

  水を飲み終わっても、まだオレに熱い視線を送ってくるエリカ。確かに少し可愛がりたい気持ちが出てくるが、今は杉並と飲みたいしなぁ。


 「なぁにやってるんですか、エリカさん」

 「いやぁ、鬼が来たわよしゆきぃ。助けてぇ」

 「だ、誰が鬼ですかぁっ! ほら、あっちに座布団で作ったお布団がありますからそこで休んで下さい」

 「・・・・嫌よぉ、そんな安っぽいお布団なんか。いらなーい」

 「―――――ッ! わ、私だって本当はあんなもの作る為にココに来た訳じゃないですからねっ! 天枷さんもそこで寝てますから
  早く来て下さい!」

 「お前まで来てたのかよ、由夢。美夏の付き添いか何かか?」

 「ええ、そうです。天枷さん一人じゃ何だか心細かったみたいなんで私も一応参加してみました。あと、兄さんがまた悪さをしないか
  心配だったので監視も兼ねてますけど」

 「あっそ。まぁ、お前も来たからには飲んでけ。エリカを置いた後でな」

 「分かってますとも。じゃあ私達はこれで・・・・」

 「いやぁ、義之と一緒に飲みたいー」

 「はいはい、また今度にしましょうね。まったく、私だって兄さんと一緒に居たいのに・・・・」


  ブツブツ文句を言いながらエリカを引き摺っていく由夢。部屋の端の方を見ると確かに美夏が布団の上でぐったりしているのが見えた。

  やっぱりくたばったか・・・・怪しいと思ってたけど長くは持たなかったらしい。そこにエリカをぽいっと投げ捨てる由夢。ばたっと音を
 立ててエリカは打ち捨てられた。中々憎しみが籠ってる投げ方だな、おい。

  まぁ本当に嫌いだったらエリカの事は放って置くし気は遣っているのかもしれない。そう考え、またオレはグラスに口を付ける。


  なんかオレも段々酔っぱらってきたな。いい気分になってきた。こうなったらトコトン飲んでやるか。腕まで折ったんだ、そうしなきゃ気が済まない。

  まだテーブル上にある瓶を取ってグラスに注ぐ。まだ時間は有り余っている。懐にある煙草を弄りながら、オレは天井を見上げた。




















  時刻もいい感じに差し迫って来ている。あと30分くらいで今日の宴会はお開きといのが今回の宴会の予定だ。そう考えながら、すっと立ち上がる。

  そろそろいいだろう。義之の姿を探す様に視線を巡らせ―――――見つけた。どうやらかなり酔っているらしく、小恋ちゃんに絡んでいるのが見えた。

  そこまで足を進めるように動かす。中々話すタイミングが見つけられなかったが、ようやくそのチャンスが巡ってきたらしい。


 「で、オレは言ってやったんだよ。そんなに言うなら保証書見せてみろって。そしたら顔紅くして怒るんだもんなぁ。笑えるぜ、本当」  

 「・・・・ふみぃー・・・・・」

 「それでさ――――って何寝てるんだよ、小恋。せっかく人がウケる話をしてるっつーのに。それはちょっと失礼なんじゃねぇの?」

 「その辺で勘弁して上げて。小恋ちゃんはそんなにお酒強くないんだから。本来なら一口飲んだたけでもべろんべろんになるのに」

 「お、雪村じゃねぇか。なんだよ、今度はお前がオレに付き合ってくれるのか?」

 「ええ、付き合ってあげるわ」

 「あ?」


  怪訝な顔をして私を見詰める義之。構わず小恋ちゃんを脇に追いやってその席に座った。とりあえず店の人から借りたシーツを掛けて置いたから
 風邪は引かないだろう。多分。

  とりあえず私もグラスを持ちお酒を注ぐ。ワインぐらいなら寝る前に飲んでいたが私もお酒が強い方じゃ無い。だから言うべき事は早めみ言って
 おかないと考えた。今から言う事はとても大事な事なのだから・・・・。

    
 「・・・んだよ。やけに素直じゃねぇか。ふつう酔っ払いの相手をするなんて面倒臭いと思うんだけどな」

 「あら、その自覚はあったようね。意識が飛んでる小恋に絡んでいたからもう頭が吹っ飛んでるものだと思っていたわ」

 「なわけねぇじゃん。前に思いっきり泥酔して痛い目合ってるっていうのに。また同じバカをやる程愚かじゃねぇよ」

 「じゃあ、どうして絡んでたのかしら?」

 「・・・・ちょっと軽く酔いたかったんだよ。色々あってな。せめて気分だけでも出そうと絡んでみたが上手くいかないもんだな。
  ビールだけじゃ上手く酔えなくて参る。コニャック辺りでも飲まないと酔えそうにないよ」

 「そう。けれど脇にこんな可愛い子が居てお酌をしてあげるんだから、酔えるかもしれないわね。ほら、グラスを貸しなさい」

 「・・・ん」


  空になったグラスを受け取り、ビールを注ぐ。チラっとテーブルの上を見ると空きビンが何個か転がっていた。随分飲んでいたらしい。

  義之の顔を盗み窺うが特に赤くなったりもしていない。前に一緒に飲んだ時はそれ程お酒に強くないと思っていたが・・・・。


 「はい、どうぞ」

 「おう、あんがとさん」

 「・・・・もしかして、何か悩み事でもあるの?」   

 「何故そう思うんだ? 理由が聞きたいね」

 「逆に悩んでいなかったとしたらとても酷い男だと思うもの。茜達をたぶらかして何も思って無いのかって。遊びなのかって」

 「―――――茜に聞いたのか。その話」

 「ええ、友達同士だしね。友達と恋愛話くらいするわよ。悪いかしら?」

 「別に・・・・。ただその調子で皆に言い触らされたくないと思っただけだよ。気持ちのいいモンじゃないからな」


  少し棘のある声。自分が居ない所でそういう話をされて機嫌を悪くしたのかもしれない。まぁ、大体の人は皆そうよね。

  知らない所でああだこうだ言われたら誰だって面白く無い。ましてや恋愛沙汰なんて最もたるものだ。特に私達みたいな年代はそうだろう。

  しかし―――、だ。私がそんな友達の恋愛話を他の人に話すほど頭が緩いと思われたのは面白く無い。私も声に少し強みが出るのが分かった。


 「へぇ、そう。私が友達の恋愛話を言い触らす様な人間だと思っているのね、義之は。心外だわ」

 「ただ言ってみただけだよ。気を悪くしたなら謝る、雪村」

 「別になんて事ないわ。それにしても―――――いったい誰が本命なのしかしらね、義之は」

 「いい加減聞き飽きた質問だよ。それが言えるのならこんなに苦労してねぇ」


  そう言ってまた酒を煽った。なるほど、かなり参ってるみたいだ。目に少し険が宿るのが分かる。

  だから、グラスを持っている手に私の手を重ねる。眉を寄せてまるで奇怪な行動を見るように私を見詰めた。


 「ごめんなさい。そんなに怒るとは思わなかったの。許してね?」

 「・・・そんな事で怒るほど安っぽい男じゃないつもりだ。だけど今は酒の所為か、かなり感傷的になりやすくなっているな」

 「誰かが言ってたわ。何かを酒の所為にする男っていうのはロクでもないって。義之はそうじゃないわよね? ふふ」

 「きっとソイツは酒も飲まない聖人様なんだろうな。何か悩み事とかロクでもない事が起きたら全部酒の所為にする、それが昔から
  伝わる伝統ともいえる行為だ。女の雪村さんには分からないだろうがねぇ」

 「そうなの。やっぱり男の人って野蛮人ね。理性も何もあったものじゃないわ。スマートじゃないし、好きになれない伝統ね」 

 「はは、そうかよ。オレの事が嫌いになったか、ええ? そりゃそうか、オレは――――――」

 「いえ、変わらず好きよ、義之の事は。昔も・・・・・今も」

 「・・・・・・・」


  そっと重ねている手で義之の手を擦り上げる。反応は――――やっぱり芳しく無い。まぁ予想できた事だ。特にショックは受けなかった。

  多くの女性に言い寄られ、今日新たに白河さんに告白された事は茜に聞いている。さっき茜には私が義之の事が好きだという話はして置いた。

  その時の彼女は別段怒るでもなく黙って聞いていた。ただ一言・・・・苦労するわよというありがたい台詞を貰っただけ。


  茜が義之の事を好きと分かったのは去年の事。放課後に私と小恋、茜で偶々おしゃべりをしている時にそういう話になった。

  いや、話す機会はずっと窺っていたのだろう。あの時期の茜はいつも何かを言いたそうに口を開いては閉じる一連の動作を何回もしていた。

  小恋と二人でいつもそんな茜を心配していたのは記憶に新しい。だから告白してくれた時は、少しホッとした気分になった事を思い出した。


  小恋が義之の事を好きなのはもう随分前から知っていたし、言いにくかったのはあるだろう。実際その話を聞いた小恋は暫し茫然としていた。

  だが、すぐにハッとした顔付きになり茜の肩を掴んだ。きっとぶつのだろう。茜もそれが分かったのか、静かに目を閉じその時を待っていた。    


 『なんでそんな――――――なんでもない事、早く言ってくれなかったの?』

 『・・・・えっ』

 『別に私は付き合ってる訳でもないんだし・・・気にしなくていいのに。むしろ言えなかったていう方が少しショックかな』

 『でも、私、小恋ちゃんが義之くんの事を好きだって知ってて・・・・』

 『しょうがないよ。だって、義之って最近なんか格好良くなったし好きになるのも分かるんだ。これからはライバルだね』


  そう言いながら微笑む彼女を見て、ああ、本当にそう思っているんだなと感じる。何も憤りは感じていない。ただ、本当に『そんな事』として
 捉えているのだと分かった。

  それでその話は済んだのだが――――まさか私まで同じ人を好きになるとは思わなかった。前々から微々たる恋心は抱いていたものの、そこまで
 本格的なモノではなかった。

  精々近い男子だから気になってるといった淡いモノに近い。私達の歳頃にはよくある事だと冷静にそう判断していた。そう、判断していたつもり
 だったのだが・・・・どうやら私も一人の人間で、女の子だったみたいだ。勿論この事は小恋に先程もう話は着けて置いた。


  それで少ない負けん気に火が付いたのか、義之の隣に座る事に成功したらしい小恋だが――――恨むなら自分の酒の弱さを怨んで欲しい。


 
 「せっかく告白したというのにダンマリなのね。悲しいわ」

 「・・・・オレをからかってるのか? だとしたら悪趣味にも程がある。一発や二発ブン殴ってもいいよな、おい」

 「本気よ。貴方を彼氏に、私を彼女にして欲しい。ただそれだけの事よ。難しく考える必要はないわ」

 「それだけって・・・・正気かよ。オレの人間関係を知ってるなら尚更正気を疑う。大体オレのどこを好きに――――」

 「全部」

 「・・・・は?」

 「全部よ。暴力的な所も、理知的な所も、かったるそうな仕草も、服のセンスも、目も、口も、全部。全部がとても気に入ってるわ」

 「―――――ちっ。そうかよ」 


  口を手で覆い、視線を明後日の方向に向けて何やら考える仕草。これは照れている時に出る仕草だ。ずっと席の隣で観察していたから分かる。

  去年の暮れ辺りから私は本格的に義之の事を好きになった。三人四脚の時に事故でキスした事は告白のきっかけに過ぎない。

  なにもかも変わってしまった様に変貌した義之。そうなった理由を私は知らない。別に知らなくてもいい。特別知りたくもないのだから。

  大事なのは今の義之の事を私は好きだということだ。変わる前は前でよかったのだが、今の方が私にとってとても理想的な男性に映っていた。

  
  何か芯が通った様な強さを感じるし、頭の回転がとても早い。それ以外にも、何か、人を惹き付ける何かを持っていた。それに私もフラフラと
 花に集る蝶の様に吸い寄せられてしまったようだ。

  彼の隣に居たい。ずっと一人で暮らしてきた家に彼を迎え入れたい気持ちが日々強くなってきている。義之とならあの家で二人一緒にずっと
 住んでも構わないと思っている。いや、むしろ暮らしたい。傍に居たいと願っている。。


  だが――――きっと返事はNOだろう。私の一方的な片思いだ。彼は私に特別な感情を抱いていない。ただの女友達としてしか見てないだろう。

  まぁ・・・・それだったら意識させるまでだ。肩をリラックスさせて冷静に段取りを組み立てる。義之の視線をこっちに向けるように。


 「雪村。悪いがオレはお前の事をなんとも思っていない。そりゃ可愛いらしい外見だし、オレ好みに頭も素晴らしく良い。良いだけじゃ無くて
  回転も速そうだ。そして芯も張りがありそうだし中々上等な女の子だと思う・・・・・が、それだけだ。恋愛感情も何も抱いていない」

 「・・・・・そう」  

 「ああ、そうだ。お前から見たらオレは女を取っ換え引っ換えしてるように見えると思う。けど女だったら誰でも良いなんて考えちゃいねぇ。
  沢山の女に気は確かに持っているが、オレはその中からちゃんと選ぼうと思っている。よく考えて、自分の気持ち通りにな。その中に雪村
  は入っていない。だから・・・・悪いな」

 「・・・・・・」

 「まぁ、慰めにもなってないがお前は可愛いし器量もある。杉並に聞いた事があるんだけど結構モテるらしいな、雪村は。だからオレなんか
  よりちゃんとした男を選べばいい。影ながら応援して―――――」

 「ねぇ、義之」

 「あ? なんだ・・・・よ」


  見上げるように、潤んだ目で見詰めた。途端に、さっきまで頑に変えなかったポーカーフェイスに亀裂が走った様に見えた。

  視線なんか外さなかったのに目を逸らしテーブルの上を見ている。だから、そっと顔に手を添えてこちらに顔を向けさせる。

  何処か最近の義之らしくない焦りと心の動揺が感じられた。さっきまでは鉄壁だった壁が穴だらけに見える。


  そのまま顔を固定し―――――軽く口付けをしてやった。反抗は無かった。ずれるように頬にキスをしても何も御咎めが無い。

  なるほど、これはいい。皆が義之とキスをしたがるのも分かる。だってこんなに幸せな気持ちになれるんだもの。


 「ふふ、どうしたの義之。好きでもない人とキスをする程貴方は軟派な男の人だとは思わなかったけれど?」

 「・・・・・お前、なんで・・・・・」

 「私って一度覚えた事を忘れない特技があるでしょ? いつだったか・・・エリカって娘が貴方にこういう目をした時、義之は
  何も出来なかったわよね? これは使えるなと思って覚えておいたのよ。角度とか、雰囲気の出し方とかね」

 「この野郎・・・・ふざけるなよっ! そんな事してまで―――――」

 「手に入れたいわね。卑怯だろうがなんだろうと言われても別に構わないわ。だって中々落ちない男の子を落とすんだもの。
  これくらいしないと話にならないわ。私の場合途中参加だし余計にね。何か間違ってるかしら?」

 「・・・・・いや、別に間違ってはいねぇけど・・・・だからって・・・・」


  そう、義之は特に私のやり方に反論は無い筈だ。目的の為ならなんだってやる、その考えは私と義之が共通して持っている思考回路。

  義之がどういう人間かはずっと見てきたので知っている。癖も、考えも、言葉遊びの返し方も、どういう女性に弱いかも。ある意味研究に
 近いかもしれない。夏休みの自由研究で昆虫を見るみたいな感じだ。最も、そんな簡単な人間ではないのだが・・・・。

  なんにせよ義之の弱い部分は知っている。それに付け込んでも何も罪悪感は感じない。だって、付け込まれる方が悪いのだから。


  これも義之も同じ考え。だから怒りたくても怒れない。

  逃げ道なんてない。逃げさせない。私の取り柄と言えばこの頭の回転の早さ。義之もそう言っていた。

  だからそれをフル活用する。義之から見ればさぞうっとおしい事だろう。自分よりも頭が回る人間を相手にしているのだから。


 「――――それにしても・・・・なぁ、雪村」

 「なぁに、義之?」

 「・・・・・・い、いや、なんでもねぇ」

 「そう? ふふ――――変な義之ね」


  美夏がよく浮かべる無邪気な笑顔を顔に出した。恐らくそれとなく話題をズラそうと思って話し掛けたのだろう。全部お見通しだ。

  だから義之が大好きな美夏の笑顔を見せて黙らせる。私だって演劇部の部長をやっている。これぐらいはお手のモノだ。

  まぁ、私以外に出来る人間なんて居ないだろう。その本人のパターンを一から十まで再現出来るのなんて私ぐらいしかいない。


 「ねぇ義之、よく聞いて。さっき貴方は言ったわよね? 一人の女の子を選ぶって。勿論その選んだ女の子以外は泣く事になるわ、理解
  してると思うけど。私なら貴方を好きな女の子を全員最小限に傷付けて離れさせる事が出来るわ。嘘じゃ無い。私にはそれを可能にす
  る頭脳も機転の良さもあるわ。だから任せてみなさい、この私に」

 「頭に来るぐらいよく回る口だな、雪村。さっきからねちっこく責めやがって・・・・。そんな電気店の安売り文句みたいな言葉に
  オレが引っ掛かると思ってんのか? ハッ、ばかじゃねーの」

 「そう言いながらも私の言葉に揺れ動いてるわね。目が少し下を向いたわ。貴方が考えてる時って手を顔で覆うか目が下に向くのよ。
  自分じゃ中々気付かない癖ね」

 「偶々だよ。心理学でそういう項目があるがあれは嘘っぱちだね。目の疲れが出た時にも人間は下を向くし、ふとした拍子に視線を
  下げる事だってある。目は寝てる時も常に動いている筋肉だし、そうやって一方の見方で断言する人間は好きじゃないね、オレは」

 「今、ちらっと出口の方を見たわね。早くこの状況が終わらないかと考えている。このままいくと雪村に良い様に言われて、どうしよう
  もない事になってしまう。普段の義之ならそんな事が分かる様な仕草はしない筈だけれど・・・・一体どうしたのかしらね?」

 「今日は早く家に帰って眠りたい気分なんだよ。あまりにもかったるい事が多すぎたんでな。まったく、金は手に入らないわ骨は
  折れるわ雪村にこうやって苛められるは・・・・散々だぜ。本当にな」

 「合計三回―――私の唇を見たわね。さっきのキス、もしかして意識しちゃってるの? それにさっきから意図的にキスした唇や頬に
  触っていないみたいだけど、それじゃ返って意識してるって教えてる様なものよ。気を付けた方がいいかもね、ふふ」

 「あーあ、茜の事をマジで恨みたい気分だよ。こんなつまらねぇ大会に勝手にエントリーさせやがって。おまけに白河と茜は喧嘩するし
  美夏には笑われるし。踏んだり蹴ったりってこういう事を言うんだろうな。かったりぃ」

 「無理矢理違う女の子の名前、それも複数出して私の事を意識の中から外そうとしなくてもいいのに。とても寂しいわ。ねぇ、義之?」

 「・・・・くそっ」

    
  やる事なす事が全部裏目に出ている。いつも通りに相手を撒けない。募る苛立ちで更に墓穴を掘ってしまう行動。

  次にどうするか必死で考えてる様だが、何をやっても無駄だと思う。もう私を一人の女の子として意識してしまっているのだから。

  それを突っ撥ねようとしたって更に意識してしまうだけだ。それが分かってても、無理矢理突っ撥ねようとする義之。

  私だってそんな苦しい思いを義之に長続きさせたくない。だから・・・・そろそろ終わりにしよう。


 「そんなに私が嫌なら嫌ってハッキリ言ってちょうだい。そうすれば二度と義之には言い寄らないわ。どう?」


  茜がいつもするように義之の腕に自分の腕を絡める。やや強めに抱くのがコツだ。無理矢理に振り解こうとすれば相手を跳ね除ける様に
 しなければならない腕の強さ。今の義之にはそんな事は出来ないだろう。

  更に目を伏せるように見詰める。義之には演技だとバレているだろうが、それでも彼はそれに抗う事は出来やしない。エリカという娘が
 見つけた義之の弱点。十分利用させてもらう。

  口を開き掛けては、閉じる動作を義之は数回繰り返した。嫌とは言えないだろう。義之が言えないと分かってて言った。そして嫌と言え
 ないという事は悪く思っていないという事になる。

  
  キスを三回もして、腕に組みつかれても悪く思って無いという事。それの意味するところは――――まぁそういう事だ。

  無理矢理な方法だったがひとまず私という存在を意識させた事は大きい。私は掴んでいた腕を少し緩めて一つ息を吐いた。

  今日のところはこの辺にしておくか。あまり追い詰めても仕方が無い。やりすぎると返って本当に嫌われてしまうだろうから。


 「義之の今の気持ち、確かに受け取ったわ。苛める様な事をしてごめんなさいね。でも、こうでもしないと義之は私の事を女の子
  として見てくれないだろうし。仕方の無い事だと思ってるわ。酷い女でしょ?」

 「・・・・オレの考えなんざ分かってる癖に。別に、そういう女は嫌いじゃないよ。何がなんでも相手を射止めるって気概は結構
  好きだしな。まぁ、ちょっと腹は立つけどよ」

 「ちょっと、ね。正直な事を言うと――――殴られるかもしれないって覚悟してたわ。私のやってる事は狡猾だし相手に不信感を
  抱かせる行為そのものだもの。殴られ無くてよかったと、心底ホッとしてるわ」

 「それだけの覚悟を持ってるなんて知らなかったな。全然表情を変えないわ吐き出す言葉の裏は読めないわ、正直やり辛かったぜ」

 「そう。貴方にそう言われるとなんだか誇らしい気分ね。最近の義之は随分口も頭も回る様になったから、言い負かされないか少し
  心配だったのよ。これでも」

 「よく言うよ。負ける気してない癖に」

 「当り前じゃ無い。義之の事を絶対手に入れようと思ったのならそんな弱気じゃ話にならないわ。本気で好きなんだもの」

 「・・・・はは、そうか。しかし、アレだな。更に悩みのタネが増えて随分かったるくなるよ。面倒事増やしやがって、まったく」

 「男名利に尽きていいじゃない。まぁ、明日から精々私の魅力を堪能して悶絶する事になるから今日はゆっくり休みなさい。疲れたでしょ」

 「どの口が言うんだか・・・・おら、酒がグラスに無いぞ。注げよ、『杏』」

 「―――――はいはい、分かったわよ。さっきのお返しに注いであげるわ。感謝しなさい」

 「絶対にしねぇよ、アホ」 


  思わず笑みがこぼれてしまう。疎まれる可能性があった。心底嫌われる可能性もあった。だが、今回は私の作戦勝ちみたいだ。

  グラスにお酒を注ぎ終わり、それを飲み干す義之の横顔を見る。一縄筋ではいかない男だ。それに周りの女性陣も一癖二癖もあるような人達ばかり。

  確かにこれは苦労するかもしれない。次からは今回みたいに上手くいかないだろう。だからこの掴んでいる腕は離さない様にしておく必要がある。


  そう、絶対に離したりしない。この男の事だ。きっと離したりしたらきっとロクでもない事を――――――――


 「コラァァアアア―ッ! 皆その場で動くのを止めなさいっ! 生徒会よっ!」

 「この部屋は完全に包囲されています! だから大人しく、縄につきなさいっ!」

 「なっ――――――」


  ドタドタと宴会部屋に乱入してくる生徒会の面々。いきなりの事で私は茫然としてしまう。皆も同じようで何が起きたのか理解出来ていないみたいだ。

  どこからか情報が漏れたのか・・・・とにかくなんとか逃げないと、そう思い立とうとするが上手く立てない。思っていた以上に酔いが回っていた
 みたいだ。義之を口説くのに集中していた所為で自身の体の状態を把握していなかった自分自身に腹が立った。

  私とした事がなんて迂闊。とりあえず脇にいる義之を見ようとして――――――固まる様に動きを止めてしまった。


 「・・・・・・やってくれるわね、義之。ふふっ・・・・・」
  

  彼の姿は何処にも無かった。あまつさえ私の腕と、デーブルの足の間にタオルをきつく巻き付けている始末。これじゃすぐに逃げられない。

  おまけに私は酔っている状態だ。もう逃げる事は絶望的な状況。私は諦める様にテーブルに顔を落とす。逃げる気なんてすぐに失せてしまった。

  甘く見ていた。あの男は絶対に仕返しをする男だ。追い込む様な真似をした私をタダで帰す訳が無い。そういう所はキチっとした人間だ。

  今思えば、さっきチラっと出口を見たのも伏線だったのか。てっきり心が揺れ動いたから見ただけだと勝手に勘違いしてしまった。悔しい。


 「次会ったらお返しをしてあげるわ。ねぇ、義之・・・・ふふっ」

 「ひっ・・・・」


  私の腕を掴む役員が私の顔を見て悲鳴を上げる。失礼な、この可愛らしい顔を見て悲鳴を上げるなんて。美的センスがないのだろうか。

  桜内義之――――確かに彼を捕まえ続けるのは至難かもしれない。これからも、こうやってしてやられる事もあるだろう。それは間違いない。

  だが、負けない。私の頭脳をフル活用しても絶対に捕まえてみせる。ここまで人を好きになった事なんて無い。だから引っ捕まえて縛り付けてやる。


  そう固く決心する私。とりあえず―――――小恋ちゃん、そろそろ起きないとまずいわよ。さっきからまゆき先輩がコメカミをヒクヒクさせてるわ。

  なんとかキツく縛り付けられたタオルを解きながらため息を吐く。しょうがない、起こしてやるとするか。皆がしょっぴかれていく様子を端目に
 私は小恋の肩を少し強めに叩いた。



 





  終劇
























  ある路上にて。





 「おー、人形売りかー。これまた珍しいな」

 「お目が高いですね、お兄さん。この人形達は私が精魂込めて作った傑作品なんですよ。どうです、一つ買っていきませんか?」

 「すごいな。全部手作りと思えない精巧さだ。この人形なんか腕が取れる仕組みになってるし」

 「そうなんですよ。その人形は――――って、ああーーーーーーーーーっ! 何やってるんですかっ! 壊れちゃいましたよその人形っ!?」

 「うわっ、気持ち悪っ! もしかしてここはオカルトショップか何かかよ。まずい所に来ちまったな・・・・」

 「なんでそんなしまったみたいな顔をするんですかっ! ここは普通のお店です! 貴方がそういうお店にしようしてるんじゃないですか!」

 「うるせ」

 「あいたっ! な、なんでデコピンするんですかっ!? 一応私は貴方より年上なんですよ、敬意が足りません、敬意がっ!」

 「いや、なんとなくだよ。つーかアンタが年上って柄かよ。そんな魔法使いみたいな格好して。背も小さいし、オレより年下に見えるね。ぷぷっ」

 「――――ッ! う、うーうー!」

 「いてっ! こら、叩くなよてめぇ! この野郎、やるってなら相手してやるよ! このっ、このっ」

 「いたっ! ま、またデコピンしましたね! それも二回も! このっ!」

 「うるせぇ、このハゲがっ! このっ」

 「このっ! このぉーーーーー!」












[13098] クリスマスDays 1話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:bb39186e
Date: 2011/01/25 23:56
※この話は2010年発売、D.C.Dream X’masを元にしています。しかし展開はオリジナルなので、未プレイの方でも大丈夫です。

※時期は「そんな日々」から約半年後のクリスマス間近です。どうぞお楽しみください









 「やっぱりピアスとか買うと、今度はリングとかも欲しくなっちゃうよなぁ、義之」

 
  オレの手からカードを一枚引いて、そのカードともう一枚を場に捨てた。どうやら当たりを引かれたらしい。チッと舌打ちをし、渉の手から
 カードを一枚引く。少し吊り上げた唇が見える。だが、一旦出した手を引っ込めるのはオレにとってありえない行為だ。

  そして予想通り手にしたカードはジョーカー。絵の向こうで皮肉気に笑っている。手札を一度シャッフルして相手にジョーカーの位置を悟られない
 様にした。その様子をニヤニヤとした笑みで板橋は見ていた。


 「やっぱりアレな訳だよ。バンドを組んでる訳だし、クロムとかジャスティンとかガボールとか着けたいんだよねぇ、俺」

 「んなインポートブランドてめぇが買える訳ねーだろ。例え買えたとしても精々一個だ。今付けてるピアスと同じブランドで統一した方が
  オレはいいと思うがね。でないとその買ったリングだけが浮いて、返って安っぽく見られる」

 「んー・・・そうかもなぁ。いや、だけど・・・・」


  一瞬目を逸らした隙に、取ろうとしたカードを素早くジョーカーのカードとすり替える。ただ単に親指でスライドさせただけだ。難しくは
 なかった。そして予定通り渉の手にジョーカーが渡った。

  んげっという呻き声。立場逆転。今度は一生懸命二枚のカードをシャッフルする渉に向かって、オレは二ヤついた笑みを向けた。引き攣る顔をする渉。

  オレは結構根に持つタイプだ。さっきバカにされたような笑みを思い浮かべると、なんら同情心は湧きあがらない。いい気味だと思ってさえいる。


 「さて、確率は二分の一か。この勝負に負けたら確か昼飯を奢るんだったな」   

 「・・・忘れた訳じゃねぇよ。だからさっさと引けよ、義之」

 「もしお前がオレにどっちのカードがジョーカーなのかを教えてくれたら・・・・そうだな、小恋のパンチラ写真でも贈呈してもいい」

 「・・・・・」


  瞬間、チラッと右のカードに視線を向ける渉。しまったという表情をするが遅い。渉の手からカードを引き、場に二枚捨てた。

  これでオレのカードは無くなり相手側に一枚カードが残る。勝者と敗者。オレと渉。ただのババ抜きではあったがこれで昼飯は確実にオレのモノ
 なったのは気分が良い。最高だ。

  顔面を手で覆い隠して天井を見上げる渉。ややオーバーリアクションなのはいつもの事だ。まぁ、いい暇つぶしだったな。


 「それは男の本能を刺激した汚い手だぜ・・・・義之」

 「引っ掛かるてめぇが悪いんだよ。どんだけ餓えてんだ?」

 「うるさいってのっ! こちとらお前と違って女の子がそんなにポンポン出来ないんだっちゅーの!」

 「あ?」

 「半年前にいきなり人が変わったと思ったらドンドン女の子はべらして見せつけてくるその有様。その反面、俺はさっっぱりだぜ。
  あまりの羨ましさに――――オレは、泣いた」

 「泣くなよ・・・・」

 「・・・・ぐっ」


  顔を手で覆い体を震わせる渉。なんだかこちらも悪い様な気がしてきたぜ。いや、オレは何も悪く無いんだけどな。

  確かに、好ましいと思っている女の子から好意を向けられるのは気持ちが良い。けれどその反面、切ない気持とやるせなさ感で気持ち一杯だった。

  風に揺らされる風船みたいにフラフラしている自分。少し前のオレでは考えられない情けない有様。この世界に来てから色々変わり過ぎた。 

  色んな女を好きなって、幸せな気分になって、身勝手に意気消沈して、相手の女達を不安にさせている。開き直る訳じゃないがオレはとても酷い奴だ。

  しかしそんな酷い奴を未だに想っている女が居るって言うのは・・・・嬉しいんだよなぁ、愚かながら素直にそう思ってしまう。

 
  渉は顔から手をペットボトルに移し、「はぁ」とため息を吐きながら炭酸飲料を飲み干す。

  まるで自分はとても不幸な人間だと思っている様なその雰囲気。オレは首をわざとらしく捻りながらある事を聞いた。   


 「なぁ、渉ちゃんよぉ」

 「んあ? なんだよモテ男くん」

 「この間商店街でよ、お前を見掛けたんだ」

 「・・・・? そりゃお前、オレだって商店街で買い物ぐらい―――――」

 「学年が一つ下の女と仲良く歩いてたな。実に楽しそうだった」

 「・・・・・・・・」


  ぴたっ、とジュースを飲む動作を止める。そしてジッと半目にしてオレを睨みつけてきた。

  そんな睨むぐらいなら商店街なんていう所で遊ぶなよ。人目が気になるなら尚更だ。

  普段の服装と違い、革のジャケットに一流のデニムを穿いてた。女もかなりお洒落していて傍から見なくてもそれは『デート』と呼べるものだった。

  
 「たしかテニス部の女だったよな? 結構男子の間で人気のある女だった覚えがある。小恋ちゃん一筋だと思ったら、まさか・・・・ねぇ?」

 「・・・・・はぁ。まさかお前に見られるとはよぉ・・・・ついてねぇ」

 「地元の商店街を仲良さそうに歩いているお前がわりぃーよ。どうぞ見つけてくださいって言ってる様なモンだ」

 「オレは嫌だって言ったんだけどな、どうしても行きたい新しく出来たスイーツ店があるとかどうとかで・・・・」

 「行ったのか? そのスイーツ店に?」

 「もう甘いモノは当分喰いたくない・・・・」


  手をハタハタと振ってうんざりするような顔を向ける。もしかしてこの間一日中腹を擦ってたのはそれが原因かよ。

  しかし―――――だ。まさかあの渉が小恋を諦めて他の女にいくなんて意外というかなんというか・・・・・。

  あれほどしつこいぐらいアプローチしてたし、みんな渉の気持ちに気付いていた。そりゃあもう本人にさえもダダ漏れな感じで。

  時々おどけるような感じではあったものの、その真剣な気持ちはこちら側にも伝わって来ていた。だから本当に意外だと思ったぜ。


 「けど、これでお前も彼女持ちか。めでたい事だな。大切にしてやれよ」


  手を頭の後ろに組みながら欠伸を噛み殺す。まぁこいつはオレとは違い中々純情な所がある。あっちこっち目移りせず一直線にいくだろうよ。

  大体小恋に拘わらなきゃすぐに彼女が出来ていてもおかしくない奴だった。外見は普通に女ウケよさそうな感じだし、ムードメーカーみたいに
 明るい雰囲気を醸し出している。

  服装のセンスも良いし、ぶっちゃけて言えばオレよりはモテそうな男だ。事実こいつの悪い話なんて聞いた事が無い。男女問わず、かなりの
 人気者だと思う。弄られキャラな所もあるがそこも愛橋があるせいか卑屈に見えないしな。


 「・・・・・いや、あのさ、義之さ」

 「あ? んだよ」

 「実はその下級生の女の子の話なんだけどよ・・・・」

 「付き合ってるんだろ。まぁ、いつまでも振り向いて貰えない女を諦めて自分を慕ってくれる女の方に気持ちが傾くのは悪くはねぇよ。
  周りの奴はあーだこーだ言うかもしれねぇが――――オレは別に気にしない。何かあったら、まぁ、オレとか茜に言え」

 
  こいつもオレなんかとまだ友人関係を続けてくれる希少な存在だ。らしくないと言えばらしくないが、何かしてやりたい気持ちが心にある。

  美夏の件にしたって随分助けられた。板橋はこんな性格の所為かあらゆる所に顔が利き、頼んでもいないのに美夏の事をお前たちは何か誤解
 してると必死に訴えてくれていた。  

  結果だけみればさくらさんのおかげでその件は解決したように見て取れるが、渉のお陰で美夏が暮らし易い環境を作ってくれた事は大きい。

  結局、大人がああだこうだ言うより同い年の人間に窘められる方が納得しやすいしな。そう思いながら少し真剣な目を渉に向ける。


 「あまりオレは力になってやれないと思うが話は聞く事が出来ると思う。それに茜だって普段はおちゃらけている様に見えるがかなり義に厚い
  女だぜ? お前が冷やかしにあえば頭を沸騰させながら怒ってくれる」

 「あ、いや、それはありがたい話だけど・・・・」

 「まぁ、お前の場合人徳がある程度あるからそんなに言われないと思うけど。もしかしたら新しい恋路を応援してくれる奴もいるかもしれねぇ。
  あんなにアピールして振り向いてもらえないお前の事を、多少憐れんでた連中もいるしな」

 「・・・・憐れまれてたのか、オレ」

 「だからそんなに気を揉む事ねぇよ。ただ、そうだな、その女を一回紹介しろよ。お前の初めて出来た彼女だ。少しばかり興味があるな」

 「――――――ってない・・・」

 「あ?」

 「だからよ、なんつーか・・・・ここまで心配させて言葉をかけてくれたお前に言うのが少し躊躇われるっていうか・・・・怖いというか」

 
  頭の後ろをポリポリと掻きながら口ごもる渉。コイツにしては珍しい反応だ。結構言いたい事は言うタイプな筈なんだけどな。

  そして軽く咳払いしながら手を組み、オレに申し訳なさそうな目を向けた。


 「その女の子とさ、別に付き合ってないんだ。義之」

 「・・・・・・」

 「一応告白はされたけどな。けど、オレは月島の事好きだし。今更他の女の子とどうのこうのする気が起きなくて断ったんだよ」

 「・・・・・・」

 「少しばかり泣かれちまったけどな、はは。物好きな女も居たもんだよ。オレなんかを好きだって言ってくれる女の子なんてな」

 「・・・・・・」

 「しかし、なんだ、お前も結構友達思いっぽい所あるんだな。そんなに真剣な目してくれて・・・・へへ。やっぱり俺達は親友―――――」


  無言でスネを蹴ってやった。瞬間、与えられた激痛に渉は椅子から転げ落ちて「ぐぉぉぉおお・・・・」とうめき声を上げる。

  オレは椅子から立ち上がり首をならしながら出入り口の方に踵を返した。なんだか急に気だるさを覚えたからだ。一秒たりともココに居たく無い。

  やはり柄じゃない事はするもんじゃない。おかげで恥を掻いてしまった。どんだ勘違いクンみたいな行動を起こした自分に言い様のない恥辱感が
 芽生える。くそっ、本当に赤っ恥を掻いちまったぜ・・・・・。


 「じゃあな、色男。この事はお前の愛しの小恋ちゃんにしっかり報告しておく。安心してくれ」  

 「なっ―――――」

 「自分にアプローチしていた男が気付いたら他の女と楽しくデートしていた。とんだ尻軽男だと思われるだろうな」

 「ちょ、ちょっと待てよ義之っ!? それはお前が勝手に人の話を聞かないで勘違いしただけで――――」

 「ああ、オレはとんだ勘違いクンみたいな事をした。それは事実だし言い訳はしねぇ。だから、これはただ単に腹いせをしたいオレの身勝手な行動だ。
  許してくれるよな、親友?」


  ああ、まったくもってオレのキャラじゃない。他人の色恋沙汰に興味を持つどころか助力するような発言をした自分。一昔前からじゃ考えられない
 事だと思う。事実、前はそんなものに関わろうとしなかったし・・・それどころか他人に関心を持とうともしなかった。

  人嫌い。別になんの心理的要因も無ければ過去に酷い事をされた訳でもない。生まれつきそういう感性を持ち合わせていただけという話だ。

  とにかく人と関わるのが苦痛で仕方無く、出来るだけ一人で居ようとした。特に寂しいと思わなく、それはそれで楽しい人生を送っていたと思う。


  だが、ある時転機が訪れた。それも信じられない様な話であり、誰かにも言ったがまるでおとぎ話みたいな頭の悪い展開だ。笑えやしない。

  交通事故で死んだオレは本来ならそのまま死ぬ筈の運命だった。だが、オレの保護者は魔法使いでありギリギリの所で別な世界に飛ばされ
 現在に至る。そこで色々な人に出会い、恋をして、昼ドラも真っ青な恋模様の中ズルズルと、とうとう冬まで来てしまった。


 「・・・・はっ、なんだこれ。本当に頭が痛くなる話だな。今時こんなの三流の脚本家でも考えねぇって」  


  後ろから渉の情けない声が聞こえてきたが無視して廊下に足を踏み出す。次の時間は社会か。なら休んでも構いやしないか、社会経験は随分
 積んでるし必要無いだろう。

  まぁ、なんにしても現在はそれなりに充実した生活を送れていると感じる。周囲の環境は満足の出来るものだし、人に恵まれている。その所為で
 少しばかり性格が緩くなったが気にする程ではない。

  『オレ』という人間の本質は変わらないし変える予定もない。自分の思った通りに行動したいし発言もする。元々オレは一人で生きたい為に色んな
 事を勉強した。これからもその事を辞めるつもりは無い。強さは何時だって必要なモノだ。自分の為にも大事な人の為にも――――。


  とりあえず屋上は寒いので保健室に行って休ませてもらうか。自分で言うのもなんだが結構演技は出来る方だと思う。

  前も顔を真っ青にしながら保健室に行ったら速攻休まされたしな。おかけでオレの知る限りの女共が保健室に押し寄せてきて軽くパニックになったが
 その事は忘れておく事にする。仮病な筈が本当に具合が悪くなって最悪ったらありゃしねぇよ、あのアホ共が・・・・。


 「・・・・・ん?」


  視界の隅を白い小さい物体が通りすぎるのが見えた。それを見てオレはため息を付く。ああ、なんか朝から肌寒かったが、とうとう振りやがったか。

  身体をフルっと震わせながら急ぎ足で保健室のベットを目指した。早く暖かいあの毛布に包まれたくなる。寒いのは苦手だっつーのに全く。

  自然現象に毒を吐いても仕方無いのだが思わず眉を寄せてしまった。この季節には良い想い出も、悪い想い出も一杯詰まっている。はぁ、と嘆息
 してその取り留めのない考えに舌打ちし、ポケットに手を突っ込んだ。


  冬――――この世界に来てからもう一年が過ぎようとしていた。

  幾多の女性と出会い、恋をして、恋をされて二回目の季節。

  さて、どうしたものかな・・・・っと。























  






 「・・・・雪、か」


  書類から顔を上げ窓の外を見る。今年は雪が12月になっても全く降らなかったので、ニュースキャスターが心配していたことを思い出した。

  名前も知らない、見た事も無い様な専門の学者達が白熱した議論を交していたのをテレビで見た。つまらなかった。チャンネルを変えた。

  今度は新人のお笑い芸人がコントをしていた。必死に顔に汗を流し体全体を使って芸を披露する二人組。テレビの電源を落としその日は床に着いた。


 「・・・・ふぅ。そろそろ休憩するかな。さっきから字を追ってばかりで目がショボショボするし」


  学園の施設拡大依頼、資金の流れ、来年度の新しい生徒の成績素行、教師陣の増強、はたまた食堂の追加メニューの提示。

  私の役職でここまでする事はないであろう内容が書かれた紙束が、続々と届けられてウンザリしていた。目を擦り椅子にもたれ掛かる。

  別にワンマンを気取りたい訳では無い。ただ『芳乃さくら』という存在に周りが縋りきっているという現実があった。

  私なら間違った判断をしないだろう、皆が求めている正しい答えを出してくれるだろうという思いを寄せられているのは分かっていた。


  分かっている、理解している。だが納得はしていない。けれどこの業務の補佐を出来る程の人間がいない。だから今日も私が全部をこなす。

  だからこれは愚痴だ。愚痴―――言っても仕方が無い事。仕方が無い故に、また数分後には目を疲れさせなければいけない。


 「もう何十年同じ事をやってるんだろうなぁ。そりゃー確かに後進を育てなかったのは私の責任だけど・・・・」


  まぁ、結局は自分の事を棚に上げてるんだけどね。忙しさにかまけて周りをよく見ていなかった。なまじ全部自分一人で賄えたのが失敗だったかも。

  他人に物事を教えるのは存外に難しく、緩慢な動作でチマチマ仕事をされるのなら自分でやった方が早いと無意識の内に行動してしまっていた。

  これでは社会人失格と言えよう。世の人達はそれでも根気よく自分の後輩に技術を伝え、またその後輩がその後輩に仕事を教えるのが普通だ。

  はぁ・・・。結果的には自分で自分の首を絞めたようなもの。机の上に置いてあるお茶を飲みため息を一つ。窓の外を見ると更に雪の勢いは
 激しさを増したようだった。

  
  積もるだろうなぁ、これ。 

    
 「ん・・・?」


  空から視線を下げ、そのまま向こうにある渡り廊下に目を向けた。

  気だるそうな足取り。切れ目で男らしくなった顔を面倒臭そうに歪めて欠伸をしている。

  ここ一年で大分変わった息子―――桜内義之。その彼が授業中なのにも関わらず平然と足を歩ませていた。
  

 「もうちょっと悪びれようよぉ~、義之くん」


  頬づえをついて歩いている彼を、笑みを携えてジッと見詰めた。立ち場的に怒る所だろうが、生憎そんな気になれないでいる。

  あんなに堂々と歩いてちゃ怒気よりも毒気を抜かれた気持ちが先立つ。らしいといえばらしいその立ち振る舞いにある意味、敬愛の念を抱いた。

  でも・・・家に帰ったら一応お説教かな。それで直す事はないだろうが保護者として、母親としてそれは大事な役割だと思う。

  一応ボクは子供を怒れない母親ではないつもりだし、これも一種のコミュニケーションだと考えていた。


 「さて。そうなると早くお家に帰らなきゃいけないなぁ」


  まだ途中で放置している机の上の書類を見て、また、ため息を一つ。ため息をつくと幸せが逃げると言ったのは誰だったか。

  自分の頬を数度叩いて気合いを入れ直す。そろそろ本気を出して取り掛からないと、今日もお泊まりコースに直行だ。

  そう思い、後ろ髪を引かれる様な気持ちで視線を机の上に戻した。さぁて、やりますか。


















 「ちょっと天枷さん? なんでここにバナナなんてあるのかしら」

 「別にいいだろ、あったって。ここは料理をする場所でありどんな食材でも受けいられる台所だってある。あってもおかしくはない」

 「突っ込みどころ満載のお言葉をどうも。お生憎ですけれど私達は今、至って普通の料理を作ろうとしてますの。そんな果実を受け入れるス
  ペースなんてどこにもありません」

 「細かい奴だなぁお前も。だったら食後のデザートにすればいい。低カロリーで栄養もたくさんあり、尚且つブドウ糖がすばやくエネルギー
  に変換される。そんな最高の果実なんだぞ、バナナってのは」

 「・・・てい」

 「って、あぁーーーーっ! な、なんてことをするんだムラサキ! せっかくの新鮮バナナをこんな埃まみれの床に・・・」

 「埃まみれの床でごめんなさいねぇ、美夏ちゃん」


  私の言葉に『うっ』と喉を詰まらせる美夏ちゃん。多少気まずそうな顔をしながら目の置き場に困った様に、周りを見回す。

  勿論埃まみれなんてことは無い。毎日お母さんが家の中を几帳面に掃除してくれてるいるし、私も汚れなんかは気にする方だ。

  ま、本当は別に怒っていないけどね。つい思ってもいない事を言うのは誰にだってある。そう、だから私は怒ってなんかいない。


 「か、顔がとても無表情で怖いぞ花咲」

 「そんな事ないわよん。元々こういう顔だしねぇ。さ、早く料理を作っちゃいましょ」

 「う、うむ・・・・」


  何故か顔を引き攣らせながら、とりあえずバナナを水洗いする彼女。エリカちゃんは存じぬ顔でテキパキと調理道具を整えている。

  仲が良いんだか悪いんだか・・・いや、悪くはないと思うのだがいつもこの二人は衝突し合っている。今回に限った話では無い。

  衝突の原因―――桜内義之という男の取り合い。恋愛はよく人間関係を拗れさせるというが、この二人の場合は如実に『ソレ』が表れていた。

  
  天枷美夏という女の子からすれば、エリカ・ムラサキは一番の恋敵であり、最も危険視しなければいけない存在だ。

  あの凶暴で正しい言葉より自分の思った事を信じ、普通の人からしてみればとても取っつき難い彼に対して際限なく切り込んでいくエリカ
 という女の子は、内気な美夏にとっては眩しいモノであり妬ましくもあった。

  彼女はどちらかというと義之と接する事に対して照れが若干あり、思った事を多々言えない事があった。それは仕方の無い事だろう。初恋で
 あり男性とまともに喋った事は義之以外にはあまりいない。強いていうならば父に似た存在であったか。

  なんにせよ美夏にとってエリカという女の子はとても羨ましくもあり、それ故に気に喰わない『モノ』であった。思った事をハッキリ言う
 事もそうだし、彼に対してストレートに迫る彼女を見ていて唇を噛む場面が何回もあった。


 「それで、道具は揃ったが材料は何を使うんだ? そのアイントプフというのは」

 「そうねぇ。結構アレンジが激しい料理らしいから困るわ。野菜とかお肉を使えばとりあえずは問題は無いみたいなんだけどぉ・・・どうしようかなー」

 「アレンジ、ですか」

 「うん。でもまぁ、基本はベーコンとかジャガイモとか鶏肉を使うみたいなんだけどね」


  だけど、だ。そのセオリー通り作って良いか悩んでしまう。調べたら基本的にポトフと変わらない料理ではあるが、初めて作る料理の名前だから
 多少気遅れしてしまう気持ちがあった。

  もうすぐクリスマスで世間がどこかそわそわするこの季節。私は思い切って皆で軽くパーティをしたいと発案した。

  クリパはクリパで勿論やるが、それとは別に自分達だけのイベントをやりたい。その節を皆に伝えたら、快く了承してくれた。

  基本的に私達のメンバーは皆お祭り騒ぎが大好きなので、特に反対意見は出なかった。特定の相手はみんな誰も居ないし問題は無い。

  というか好きな人がおしなべて女性メンバーは被っているので、争い事を生まない様な算段が少しだけあったのは確かだが・・・。


  そのドンチャン騒ぎをするにあたってメンバー分けをしたのは一昨日の事。場所の確保組、イベント発案組、料理組等と別れた。

  確保組は男子の義之、渉、杉並といった男子達。普通に考えれば杉並一人いれば問題無いのだが、義之はかったるいとの理由でこの組となった。

  イベント好きな渉が発案組に入らなかったのは意外と言えば意外な出来事。その組には小恋も居て軽くハーレム状態なので、彼なら喜んでその
 組に行くと茜は思ったものだ。


 『ま、彼も思う所があったんでしょうね。最近義之君とまた頻繁につるむ様になったし。今回は友情優先って感じなんだろうねー』


  とは藍の談。一時期義之と渉の間には何とも埋めがたい溝があったものだが、今では以前と変わらず―――いや、それ以上に一緒に居るのを
 何回か茜と藍は見掛けている。

  そんなこんなで料理組は、料理部の茜を筆頭にエリカ・美夏を加えての布陣となった。あまり料理の腕が立つ面々とは言い難いが、やる気だけは
 十分の二人だ。それが良い方向に働けば満足な料理が出来るであろう。

  そして残るは料理のメニューだ。あらかた茜の頭には作る料理の数々はすぐ浮かんできたが、そこに義之のリクエストを入れてみたいと考えた。

  エリカと美夏の二人も当然その考えに賛同し、早速何が食べたいかを聞いた。煙草を咥えながら少し考える仕草をする義之。そしてこう言い放った。


 『そうだな。今の季節は冬だしポトフ――――いや、アイントプフが食べたい。一回さくらさんに作ってもらったんだが、また食べてみてぇな』


  知らない名前の料理。どこか挑む様な口振りでそう言った義之は、何がおかしいのか口を歪めて笑った。カチンとくる笑み―――早速作る 
 料理が決まる。その場を後にし、二日後、茜達は学校をサボってまで料理の特訓を実施した。

  でも――――まさかこの生真面目二人が私に付き合ってくれるなんてねぇ。基本的に根が真面目だから次の休みの日にでもと、提案をしてくると
 思ったんだけどなぁ。

  よかったわね、義之くん。二人とも貴方が絡むと最優先に持ってきてくれるほど愛されてるらしいわよ。もう体中からオーラがメラメラ出てるって
 感じで頼もしいわ。


 「それにしてもよっしぃには困ったな~。素直にポトフって言えばいいのに。あの捻くれ男は」

 「確か実際には名前が違うだけで大してポトフと変わらない料理なんだろう? そのアイントプフってのは」

 「え、そうなんですの?」

 「まぁ~ね。ポトフがフランス料理でそのアイントプフってのがドイツ料理って訳なのよ。ぶっちゃけそんなに違いはないわぁ」


  さて、そうなると問題は国柄の味の濃味か。面倒臭い問題を出してくれたものだ、全く。素直にポトフと言えば差し当たりの無いモノが作れたのに。

  もしかして―――私達が失敗するのを期待しているのかもしれない。そういえば、私達の面子を見てニヤニヤ笑っていた気がする。

  はぁ。本当に捻くれ者で参ってしまう。しかし惚れた弱みか。頑張ってある意味、期待を裏切る様な料理を出してやりたい気持ちが大きかった。


 「たしか先程アレンジが激しい料理、とおっしゃっていましたわね。花咲先輩」

 「へ? あ、あー・・・うん。ポトフと同じで家庭や地域なんかで結構味付けとか具材が変わるらしいわよ」

 「なるほど。実は私、こんなのもを用意しましたの」

 「んー?」


  エリカちゃんが取り出しのは・・・何だか粒粒したモノが瓶に入ったモノだった。色は少し黒く沈んでおり、イクラみたいな形を為していた。

  なんだろう―――そう思い、ちらっと瓶蓋に書かれた名前を見て、思わず動きが止まってしまう。美夏ちゃんもそれに気付いたのか、ため息をついた。

  いや、確かにエリカちゃんはお金持ちだ。彼女がそんな物を持っていても違和感は全然ない。そう、違和感はないのだが・・・・あまりにもお約束
 過ぎる展開だ。義之くんが居たらお尻を蹴り上げているだろう。


 「確かキャビア・・・という名前の高級な具らしいですわね、これ。このあいだ兄が差し入れといって貰ったものですけど、是非つかってみましょう」

 「・・・・なぁ、ムラサキ」

 「別に恩に着せたりしませんわ。こういう場面で出し惜しみする程に捻くれてもいませんですし。どうぞ、ご遠慮なく――――」

 「お前はそれをこの圧力鍋に放り込むのか。それはまた・・・ドロドロに溶けていいスープが出来そうだなぁ」

 「・・・・・・・」

 「他の肉や野菜に染み渡ってとても高級感が増しそうだ―――お互いの素材の味を殺しまくってな」

 「あははー・・・・」 

  
  引き攣った笑みを浮かべる私を余所に、美夏ちゃんとエリカちゃんはお互い睨み合っている。また険悪な雰囲気になる両者。

  なるほど。いつも近くでこんな雰囲気を出されては胃が痛くなるというものだ。なんだか義之くんの気持ちが分かった気がする。

  エリカちゃんからしてみれば、ようやく自分の番が回って来たというのにいきなりカーテンコールをされた気分だろう。

  まさにグッドアイデアと言わんばかりに自身満々にソレを出してきたのだから、心情は察するに余りある。


 「まさに金持ちなお前らしい失態だ。まるで漫画に出てくる世間知らずのお嬢様―――ああ、実際にそうだったな。お前は」

 「・・・お黙りなさい」

 「義之に聞いたところ、最近は料理の腕が上がったと言っていたが・・・本当かどうか疑わしいものだな、これは」

 「ちょっとした間違いじゃないの。お茶目なものですわ」

 「いやはや、だな。ここには義之は居ないのだぞ? そんなお茶目っぷりを見せられても胸糞が悪いだけだ。何が悲しくてお前のドジっぷりを―――」


  動いたのはエリカちゃんだった。美夏ちゃんトレードマークの牛柄のキャップをむんずと掴み、勢いよく取り上げようと力を込める。

  それに対抗しようと、即座に帽子に掛かっている手の首をガッと掴んで阻止する美夏ちゃん。拮抗してプルプル震える両者。ため息をついた。


 「あーはいはい。そこまでにしときなさい」

 「す、すぐお前はそうやって暴力に訴えようとする・・・っ。全く成長しとらんな、ムラサキ」 

 「あ、貴方こそ口が開いたと思えばツマラナイ挑発なんかして・・・・・身の程を知りなさいなっ」
  
 「身の程だとぉ~? お前こそ何様だ。最近義之に構って貰え無くて欲求不満でこんな事してるんだろ、ええ?」

 「な、で、デタラメを言わないで下さいなっ! 義之はね、今大事な時期なの。疎遠になっていた友人と仲直りして、さぁこれからって時に
  私達とあまり仲良くしてはせっかく修繕した友好関係が台無しになる。そんな事も分からないのかしらこのポンコツは・・・・っ」

  
  NGワード。ポンコツ、ドジ、ハゲる。それを言われた美夏はさっきまでの余裕の表情を崩し、顔を朱色に染めて口を開いた。

  更にヒートアップする両者に、置いてけぼりになった形になってしまった茜。彼女にしては珍しく眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。

  この機会に少しでもこの二人の仲が良くなればなという算段が茜にはあった。だが、そんな気持ちも段々萎えていくのを感じていた。


 「あ、相変わらず口数が減らないロボットですこと・・・っ」  


  それも仕方がない事か。そもそもエリカは美夏の事が好きでは無い。嫌いだ。もし義之が絡んでいないならば、その限りでは無かったかも
 しれないが―――あくまでそれは『もしも』の話だ。

  大体にしてその扱われ方自体がエリカには気に入らなかった。普段は生意気な口を叩く癖に、いざ好きな男の前になると愛の囁きの一つさえ
 言えないような臆病者なのに、私より扱いが良い―――と彼女は常々思っている。

  実際、当の本人―――義之はそんな美夏が可愛くて仕方が無い。あの他人には厳しい義之が美夏『だけ』に対しては甘かった。何がきっかけ
 かエリカは知らない。知っているのは本人達だけ。

  
  何もしない癖に猫っ可愛がりされる彼女を見る度、とても心が波立った。試しにエリカもそんな美夏の真似をした事が一度だけある。

  美夏という何も取り柄の無い女の子がそれだけ可愛がられるんだ。私なんかがやったら、それはもう、効果抜群に違いない。決まっている。


 『ね、ねぇ・・・義之?』

 『あ? どうした、エリカ』

 『あのね、その・・・・・・』

 『・・・・・・・』

 『・・・・・・・・・てへ』  


  私が照れ顔した時の、あの時の義之の表情。忘れる事は出来ないだろう。思いっきり引いた顔をして、まるでゴキブリが目の前を縦横無尽
 に飛び回っている場面に遭遇した顔になっていた。

  その件で益々エリカは美夏の事が嫌いになった。八つ当たりと言えばそれまでだが、せっかく慣れない真似までして行動に移したというのに
 義之に引かれる始末。思えばあの一件以来、微妙に距離が離れた気がする・・・・・。気のせいだと思いたい。


 「この・・・・っ!」

 「何よ・・・・っ!」

 「――――――いい加減にしなさぁあああーーーーいっ!」

 「わっ!?」

 「きゃっ!?」
 
 「さっきから聞いてればお互いの悪口ばっかっ! 義之くんの為にせっかくヤル気出したって言うのに―――これじゃ話にならないわよ」

 
  茜にしては珍しい大声で二人を怒鳴りつけた。段取りが整い後は調理をするだけだという状況になっても一向に進まなく、喧嘩ばかりしている
 この現状にさすがに堪忍袋の緒が切れた様だ。

  さっきまで口論を交わしていた両者も、そんな茜に恐れを為したのか、シュンとなってしまう。普段怒らない人間が怒ったら怖いモノだ。

  とりあえず二人はお互いを掴んでいる手を離し、話を聞く体制になる。茜は腰に手を当て、ため息を一つ。言葉を吐き出した。


 「別にね、無理矢理にでも仲良くなれとは言わないわ。誰にだって気が合わない相手がいるだろうし、そんな相手と無理に仲良くなっても
  結局は化かし合いになるだけだしね」

 「・・・・うむ」

 「・・・・はい」

 「でもね、それは時と場合によるわ。今は今度パーティに出す料理を作っている最中。お二人は義之くんだけの事しか頭に入っていない
  ようだけど、それじゃダメよ。私達が出す料理はみんなが食べるんだから」


  料理部などという部活に入っているだけに、その気持ちは大きかった。美味しいモノを食べて貰いたい。美味しいと言って貰いたい。

  誰だってそうだろう。自分が作る料理は認めて貰いたいものだ。だが、こんな風に事あるごとに喧嘩をしていてはとてもじゃないがそんな
 料理は出来あがらない。

  せめて今だけでも協力し合って、満足のする料理を作り上げたい。付けくわえて言えばそういう料理が出来た時、二人のしがらみは幾分か
 取れる筈だと茜は考えていた。


 「・・・・そうだな。義之だけじゃなくて杏先輩も食べるだったな。悪い、花咲。少しばかり熱くなってしまった」

 「・・・・・・」

 「エリカちゃん?」

 「・・・・・すみません」
  

  不承不承ながらもエリカちゃんも謝ってくれた。とりあえずそれでいいだろう。この場が収まっただけさっきよりはマシだ。

  隣に美夏ちゃんが居るから素直に謝れないだけ。エリカちゃんとは決して短い付き合いではないからその事が分かる。

  なかなか天邪鬼な子だが悪い子では無い。礼には礼で返すし意外と義理固い所もある。にこっと笑い、出来あがった気まずい雰囲気を振り払おうと
 二人に笑い掛けて頭を下げた。


 「まぁ、私も怒鳴っちゃって悪かったわ。ごめんね、美夏ちゃんにエリカちゃん」

 「い、いや、花咲は悪くは無いんだぞ? うん」  
    
 「そ、そんなに頭を垂れてもらっては困ります! 私達が悪いんですから・・・・」

 「・・・・・あはは」

 
  やっぱり何だかんだ言ってこの子たちは根は良い子達だ。思わず笑みが浮かびあがって来てしまう。

  そして流れる和やかな雰囲気。うん、これなら大丈夫だ。そう思い台所に向き直そうとして――――台の上に置いていた携帯に手が触れた。  


 「あっ」  


  慌てて空中でキャッチしようとして、失敗する。そのまま重力の流れに逆らわず床に落ちる携帯。

  落ちた反動で折り畳み式の携帯の画面が開かれてしまった。美夏とエリカはよかれと思い、その携帯を拾おうと身を屈めて―――動きが止まる。

  
 (あっちゃ~・・・・・・・・)


  やってしまったと猛烈に後悔した。やっと場が落ち着こうとしたのに、何をやってるんだ私は・・・・。

  二人はその携帯画面をジッと見詰めたまま、ポツリと、エリカは言葉を零した。


 「『愛しのよっしぃとのツーショット』・・・ですか」   

 「・・・・・・・あははー」

 「この写メを撮った日付の日は――――ほう。確かこの日は平日だった筈なんだが・・・・なぁ、花咲」

 「ううー・・・・」


  そこには顔をくっつけてピースする私と、相変わらずつまらなそうな顔をして顔を背けながらも、しっかりピースをしている
 義之くんが映っていた。


















  写メを携帯の壁紙にする。女子ならよくやっている。彼氏が居る子の場合は、半分以上の女の子はやっているんじゃないだろうか。

  その日、茜は風邪を引いた。風邪といっても軽い咳ぐらいで本人は学校へ行くつもりだった。しかし念の為と、母親に強制的に休みを取らされた。

  しかしそんな咳など午前中には収まってしまい、午後からは暇になってしまう。特にやりたい事も無し。テレビを見ながら居間で寛いでいた。


 『あーあ、暇だにゃー。まったく。お母さんも心配症なんだから』

 『あかねー、お客さんよ』

 『おきゃく~? 誰よ、こんな真昼間に』

 
  チャイムの音が鳴っていたのは聞いた。きっと郵便か配達モノだと思い込んでいた。12時30分というお昼真っ盛りの時間帯。

  それが自然な考えだろう。友人たちは皆学校へ行っている。ニートの友達なんか居ない。じゃあ、誰なのだろうか。

  もしかしてストーカーかもしれない・・・・。とりあえず身支度を整え、玄関に行くと―――――。


 『こんにちは、茜さん。思った以上に健康そうですね』

 『・・・・・・は?』
 
 『そうなのよ。私はそんなに元気があるんだったら学校に行ったらいいって言ったのに・・・・。まだまだ子供で参っちゃうわ、グズちゃって』

 『え、あ、ちょ――――――』

 『あはは。普段の茜さんからは考えられませんね。教室で見る限りじゃとても大人びて見えるので。意外です』


  何故か楽しく談笑しているお母さんと――――義之くん。普段のつまらなそうな表情はどこかへ消え、爽やかな笑みで話をしていた。

  置いてけぼりになる私。その脇で話はトントン拍子に進み、気付いたら私の部屋で義之くんと二人きりとなっていた。

  じゃあ、ゆっくりしていってね。そう言ってお茶を置いて退室していったウチの母。完全に義之くんを信用しきっていた。


 『学校でサボるのも飽きちまってよ。暇つぶしにお前の家に寄らせてもらったよ。案外良い家に住んでるな、茜』


  さっきまでの爽やかさは完全に何処かへ消え、ゴロンと寝転がり図々しくも脇に置いてある私の雑誌をパラパラと捲る彼。

  あまりにも傍若無人なその振舞い。普通なら慌てふためく場面だろうが、あまりにも彼らしい態度なので返って冷静になってしまった。

  この男はいつもそうだ。行動が急過ぎる。思った事を実行するのは良い事だが、躊躇という言葉を知らないのだろうか。


  まぁ、結局義之くんと二人きりになれたのは良い事だ。それも此処は私の部屋。そこにいる好きな男性。思いっきりベタついてやった。

  義之くんがお見舞いにと持ってきたリンゴを二人で食べて、二人でくっついて寝っ転がる。初めてかもしれない。こんなにベタベタしたのは。


 『それにしても優しいわねぇ。暇つぶしとかなんとか言って、こうやってリンゴとか持ってきてくれるんだから』

 『オレはこれでも世間一般の常識を持ち合わせている。お前の母ちゃんには親戚の法事の帰りだと言ったよ』

 『その設定だとさぁ~、私が学校休んでるって分からなくない?』       

 『友達からメールが来たって適当吹いた』

 『相変わらずの嘘つきねぇー。それにしても・・・さっきの爽やか義之くんにはビックリしちゃったにゃ~』

 『・・・・うるせぇ、タコ』


  思い出すのも嫌なのか、顔を歪ませて目を瞑る。あーあ、写メでも撮っておけばよかったなぁ。あんな爽やか義之くんを他の子が見たら
 どう思うだろうか。考えるだけでも楽しくて仕方が無い。

  恐らく吹き出すに違いない。その写メを見て笑わない女の子なんて――――居たか。うーん・・・エリカちゃんあたりなんかはウットリ
 しそうねぇ。怖いわ、恋って。

  そうしてしばらく談笑をしていた。途中、義之くんが「人の幸福ってなんだと思う?」と聞いてきた。答える。好きな人とまったりする事と。

  納得がいったような、いかないような顔。そんな義之くんを無視して私は良い事でも閃いたと言わんばかりに、携帯を手に取った。
  


 『あ、そうだそうだっ! ねぇ、よっしぃー?』

 『あー? なんだよ』

 『二人で写メ撮ろうよっ。こうして顔をくっつけてさぁ~』

 『って、おいっ、やめろよ、かったり―――――』

 『はい、チーズ』


  嫌がる義之くん。それを無視して携帯のカメラのレンズを自分達の方に向ける。更に表情が歪められて眉を寄せながらも、諦めの表情の義之くん。

  でも、まさかピースしてくれるなんて思わなかったなぁ・・・・ふふ。恐らくピースをしないと、返って照れてる事が分かってしまうからだろう。

  本当に素直じゃないんだから。まぁ、いい。こうやって二人きりの写真を撮ったのは初めてだ。記念に壁紙にでもしよう、うん。






















 「まったく。義之が見当たらないと思えばそんな事を・・・・」

 「花咲先輩には油断も隙もありませんわね。私達を応援してくれるような言葉を言いながら裏でこんな事を・・・・。確かに花咲先輩が
  義之の事を好きなのは知っていましたが―――――まさか、ですわね」

 「ううー・・・私の威厳がー」


  シクシク涙を流す茜を見詰める二人の視線。厳しいものがあった。確かに二人は茜が義之の事を好きなのは知っていた。

  これでもかというぐらいにボディランゲージが激しいのもあるが、時折、ふとした瞬間に喧騒から外れジッと義之の事を黙って見詰めている
 場面を数度見掛けた事がある。

  それを見て感じた。ああ、この人は本当に彼の事が好きなんだ、と。


  エリカと美夏。両者は花咲茜という人物に強い憧れに似たモノを持っていた。器量もよく料理も出来て、何より義之に信頼されている人物
 だからだ。おそらく、もし恋人関係にならなくても親友に似た関係を持てる事は明らかだだった。

  茜みたいに、義之との自然な接触を図ろうとしてもいつも強引に近いアプローチしか出来ないエリカ。元々感情表現が上手く無い彼女はい
 つも両極端な行動しか出来ないでいた。

  茜みたいに、義之との自然な接触を図ろうとしてもいつも消極的に近いアプローチしか出来ない美夏。彼女もまた、感情を表に出す事を
 苦手としている。特に恋愛絡みでそれは如実に表れていた。


 「なるほど。これが先程おっしゃっていた化かし合い、というものですか。勉強になりましたわ」

 「さて、こんなことをやっていたら日が暮れてしまう。美夏は材料を切るからムラサキも手伝ってくれ」    

 「癪ですけどしょうがありませんわね」

 「あーん、もうっ! 仲間外れにしないでよぉ~!」  
  

  茜を置いて調理の準備に掛かる美夏とエリカ。その後ろで茜が抗議の声を上げているが、それを無視してスーパーで買った野菜を取り出していく。

  まぁ、半ば冗談でからかっているに過ぎない。なんだかんだいっていつもこの人にはお世話になっている。本気で嫌いになれる筈が無い。  
  
  二人はそう思いながら、まずはジャガイモの皮を剥き始めた。




















 「じゃあ、義之の側室2軍によるイベント会議を始めるわね」 

 「な・・・なに、雪村さん、その名前は・・・・」 

 「なにって―――言葉通りの意味よ。私達は側室の2軍メンバー。ちなみに側室1軍メンバーは茜、美夏、ムラサキさんの三人ね」

 「うぅ、悲しいよぉ~」

 「わ、私は違うんだからねっ!」


  ななかは少し引き攣った笑みを浮かべ、小恋は涙目でションボリし、委員長の麻耶は憤慨しながら否定した。

  料理組は茜、美夏、エリカの三人で構成され、イベント組は杏、ななか、小恋、麻耶の組み合わせとなった。

  奇しくもの組み合わせに、なんらかの因果を感じずにはいられない杏。椅子に深く腰を掛け、前髪を手持無沙汰に弄る。


 「悲しんでも仕方ないわ。私達は争奪戦に乗り遅れたのだから。1軍メンバーとの差は甘んじて受け入れましょう」

 「私はけっこう前からアプローチしてた筈、なんだけどなぁ・・・・」

 「・・・はは。小恋はあの人達に比べると少し大人しいからねぇ。しょうがないよ」

  
  深くため息をつく小恋に思わず苦笑いの表情を浮かべるななか。小恋という女の子は良い子ではあるのだが、あの面子を相手に
 するには良い子過ぎた。

  皆がみんな我先にとアタックを仕掛ける中、どうしても及び腰になってしまい見詰めるだけになる事が多い。そんな小恋をライバル
 ながら周りの友人は気にしていた。

  しかし、本人からしたらそれこそ要らない気遣いだ。確かに周りの友人達に一歩どころか二歩も三歩も遅れてはいるが、だからと
 いって心配して貰う程落ちぶれているとも思っていなかった。


 「だから気にしくなっていいって、ななか。月島は自分のペースで頑張るんだから。もう」

 「あっと・・・ごめん。怒らせるつもりで言ったんじゃないんだ。本当にごめんね、小恋?」

 「え、あ、べ、別に怒ってないから、ななか。そんなに謝らなくても―――――」

 「はいはい。そこまでにしときなさい。早く催しの内容を決めちゃいましょう」

 「う・・・うん」  


  余りにもすまなそうに謝るから返ってこっちが恐縮してしまった・・・・。小恋は謝る事はあっても謝られる事は少ない。友人の低姿勢な
 謝罪にどうしたらいいのか分からなかった。

  そんな不穏な空気を察したのか、手をパンと叩いて麻耶は場を仕切った。こういう空気になった時は話題をずらせばいい。委員長という役職柄
 そういう対処の仕方は慣れたものだった。

  こんなに騒いでは周りに訝しげに見られるようなものだが、生憎と担当の教論が休みとなり自習と相成った。そこで折角パーティのメンバーが
 同じ教室に居るのだからと、イベントの打ち合わせをしようと杏が話を皆に持ちかけ現在に至る。


 「で、イベントの内容はどうするのよ、雪村さん」

 「そうね・・・人数も多いし普通ならビンゴ大会とか王様ゲーム、ってなところがセオリーね」

 「まぁ、それが無難でしょうね。変に凝ったゲームにしても盛り下がるでしょうし。ただしっ! 王様ゲームは、ぜっっったいにっ! 
  常識の範囲内で頼むわよっ、雪村さん」

 「分かってるわ。準備するモノも簡単で皆が楽しめる。じゃあ、それに決まりね――――――フフ」
 
 「・・・・今の私の話をちゃんと聞いてた、雪村さん? 何企んでるのよ、貴方」

 「別に。ただ、クリスマスに起こるであろう楽しいパーティを想像したら、思わず笑みが零れてしまったのよ」

 「・・・・・・」

 「――――ああ、本当に楽しみだわ」


  胡散臭そうに見詰める麻耶の視線を意に介さず、起こるであろう惨劇に口元を歪ませる杏。そんな彼女から、嫌な予感を察したのか
 ななかと小恋がそそくさと離れた。

  あの女癖が悪く、この私を陥れたあの男に仕返しをするまたとない機会。体育祭後での打ち上げでの件は忘れてはいない。無様にも
 あのまゆき先輩に捕まりこっぴどく説教された。にやにや笑われながら。

  王様ゲーム――――結構じゃないか。絶対に私が王様になって仕返しをしてやる。確かに彼の事は好きだが、これはまた別問題だ。

  少し小細工をすればアラ不思議、私が王様になって下僕の義之が忠実に命令をこなしてくれる。人一倍プライドが高い彼だ、ゲームに
 負けたら拒否しない事はとっくに計算に入れてある。


 「それにしても、さぁ」

 「ん? なに、ななか?」

 「側室で思い出したんだけどさ。義之くんの周りってほんっとぉーに女の子ばかりよね。それも恋愛絡み」

 「・・・まぁ、義之モテるし」

 「いやいや、限度ってものがあるでしょっ。なんであんなに義之くんがモテるか―――――」

 「不思議、かしら?」

 「・・・・・・んー・・・」


  杏の言葉に、サイドに垂れている髪の束を弄りながら否定しないななか。誰かがため息をつく。改めて考えると、とんでもない男だ。

  桜内義之。一年前を境にその様子は激変した。前の穏和そうな雰囲気は無くなり、常に近寄りがたいオーラを放つようになった。

  髪は前より伸ばすようになったらしく、ストレートを掛けている。口調も人を小馬鹿にするような感じになり、服装まで変わってしまった。

  
  カジュアル的な服装だったのが、どこかモード寄りな服装になりアクセまで付けている。板橋渉もアクセなどを着けているので、珍しくない
 といえば珍しくないのだが、『あの』義之がそんな格好をするなんて誰が想像しようか。

  オマケに人間関係を断つように、いっさい人を寄せ付けなかったのがつい最近の様に思える。今では仲良くバカ騒ぎをしていられるが、あの頃の
 事を思い出すとまるで何かの冗談の様だった。


 「それなのに気付いたらドンドン女の子は増えていくし。あぁ、失敗したかなぁ。こんな事になるなら去年の冬の時、積極的に行くべきだったかも」

 「―――もし、そうしていたら殴られてたかもしれないわよ、白河さん? 義之は女子供関係無く平気で殴れるんだから。ホント、野蛮人ね」

 「・・・・うへぇー」


  想像したのか、ななかが渋面の顔付きを作る。そう、変わったのは外見だけじゃなくその中身もだ。人を殴っても平気な顔をして笑っていられる
 異常な男の子。あの綺麗な手からはとてもじゃないが想像出来ない。

  また、知識を蓄える様になった。つい先日に杏が義之の家に遊びに行った時に彼は本を読んでいた。タイトルは『戦争論』。クラウゼヴィッツ
 著作の本で、大昔に書かれた哲学書だ。

  本棚を一回見せて貰ったが大体は似た様な本ばかり。学園長の影響で昔から好んで読んでいたらしいのだが、杏の記憶ではそんなのを読んでいた
 覚えは無いと首を捻ったものだった。


 「でもまぁ、前はちょこっと鈍感かなぁって思ってた所が直ってよかったかも。時々ヤキモキする場面あったし。ねぇ、小恋」

 「な、なんで私に振るのよぉ、もうー」

 「逆に目敏くなったわね。時々、何を考えているか読まれているんじゃないかと疑う時があるわ。前は可愛げがあったのに」

 「そう、かも。桜内のあの目で見られると何だか心が見透かされた気分になるわね。ああ、怖い怖い」      

 「委員長の場合は少し感情を表に出し過ぎなのよ。誰だって気付くんじゃないかしらね? ふふっ」
  
 「――――――ッ! ふ、ふんっ!」


  そっぽを向く委員長。そういう所が義之にからかわれているという事を知らないのだろうか。今、義之が居たら多分構っている事だろう。

  そうして構って、笑って、話をして、時々黙って手を貸してくれて、優しい所と厳しい所を見させて、相手を落とす。義之の常套手段だ。

  本人にその気はあるない関わらず、そういった事をされては意識してしまう。事実、大体の女子はこうやって気付いたら落とされていた。


 「義之の話だと話題に事欠かないわね。本当、飽きさせてくれない男の子よ」

 「女性にだらしないだけよ、まったく。なんで勇斗があんな男に懐くか理解不能だわ」

 「委員長の弟さん、だよね? この間ななかと歩いてる時に義之が公園で子供と遊んでるのを見掛けたけど・・・・もしかして」

 「この間の日曜日の話よね。その子が私の弟よ。いきなり来たと思ったら、勇斗を連れ出して遊びに出掛けちゃんだから」












  本当に急な出来事だった。お茶菓子を持ってウチの家に訪問し、勇斗と仲良く何故か「人の幸福」とはについて話をしていた。思わず
 麻耶は頭が痛くなった。何故こんな真昼間からいい歳した男と子供が、そんな哲学的な話しているんだ。そうツッコミを入れたかった。


 『なぁ、委員長』

 『なによ』

 『いきなり家に押し掛けたんだ。お袋さんに挨拶がしたい。いいよな?』

 『は―――――』


  着けていたシルバーアクセを外し、身なりを整える桜内。いきなりの話題転換に着いていけず、私は口をバカみたいに開けてしまった。

  勇斗が「こっちだよ、お兄ちゃん」と言い、「おう」と返事をして奥の襖の方に歩いて行く。慌てて私はその後を追った。

  母は体を壊し床に臥せている。いくら桜内の事を『ある程度』は信用しているといっても、変な事をしないとは限らない。


 『ちょ、ちょっと待ちなさいよ桜内っ!』

 『別になんもしねぇよ。ただ挨拶をしたいだけだ。勇斗から聞いたんだが今日は体調が良いらしいな。すぐ挨拶して引き下がるよ』

 『今日じゃなくてもいいでしょ、だから今度また違う日に―――――』  


  その時、桜内は一つ息を吐いた。変わる雰囲気。さっきまでの粗暴な感じは消え失せ、物腰の柔らかなそうな男の子に変わった。

  初めて見るその姿。勇斗は変わらずニコニコ笑みを浮かべている。茫然としてしまった私に桜内は軽く目配せをして、口を開いた。


 『失礼します』


  久しぶりに聞く桜内の敬語。思っていた以上に品があり、その洗練された言葉にまた泡を食ってしまう。いつもの様子からじゃ想像出来ない程
 までに堂に入っていた。こんな桜内を、私は知らない。

  ノックの音が聞こえ、返事をするお母さん。それを聞いて桜内は襖を開け室内に足を進めた。私も続いて後に入る。どうやら今日は本当に調子が
 良いらしく、お母さんは柔和な笑みを浮かべていた。

  それに応するかのように桜内も笑みを浮かべ、正座の体制をとる。大人な対応。私はただ脇に座っているだけの子供だった。


 『どうも初めまして。麻耶さんの同じクラスの桜内義之と云います。この度は急な訪問失礼しました』

 『あらあら、これはどうもご丁寧に。それより、かえってごめんなさいね? まともに持て成しを出来なくて』

 『いえ。こちらこそ、そちらの事情にお構いなく来てしまいしたので。本当に申し訳ありません』

 『いいのよ。それに麻耶からはよく貴方の事は聞いてるわ。勇斗といっぱい遊んでもらってるって。実は私も貴方に一度会いたかったのよ』  

 『ちょ、お母さんっ』


  何度か桜内の話をした事がある。まぁ、主に話をしていたのは勇斗だったが。それをいつもお母さんはニコニコ笑って聞いていた。

  だが、その話を今出さなくてもいいだろう。絶対にあとでからかわれる。オレの事をそんなに意識してたとは知らなかったよ、麻耶、と。

  思わず顔を赤くして語気が荒くなる。そんな私を暖かい目で見る両者。なんの辱めなんだ・・・・・うぅ。


 『そんなに照れなくてもいいのに』

 『て、照れてなんか――――――』

 『はは。麻耶さんはとてもしっかりした人なので、こんな姿を見るのは初めてです。いやぁ、良いものが見れましたよ』

 『な・・・・』

 『あら、そうなの。こんなのでよければいくらでも見て下さいな』

 『あまりジロジロ見ると怒られそうなのでこの辺にしておきますよ。あ、そういえば居間の方に和菓子を持ってきたので
  よかったら食べて下さい』

 『なにからなにまで気を遣わせちゃって・・・・。何回も言うようだけど、本当にありがとうね』

 
  和やかな雰囲気が流れる。お母さんにしては珍しく快活な口調。それに楽しく返事をする桜内。私は口が挟めないでいる。

  横目にチラっと桜内の顔を窺った。まず学校では見られない穏やかな顔付き。次から次へと出る丁寧語にちょっとした冗談。

  一見するとただの柔和そうな爽やかな青年だった。この男、本当に嘘つきだ。そんな顔なんて普段見せない癖に・・・。


 『それじゃ、自分はこの辺で』

 『もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。私は全然構わないのよ?』

 『いえ、この後勇斗くんと遊ぶ約束があるので。僕ももう少しお話したかったのですが・・・すいません』

 『残念ね。まぁ、こんな何も無い家ですけれど・・・よかったらまた遊びに来て下さいね』

 『はい。是非』


  話が終わったのを切り目に、私はそそくさと退散した。自分の家なのに思わず場違いな感覚に陥ってしまった。

  それもこれもみんな桜内の所為だ。急にあんな姿を見せるから茫然として、どう対応していいかまったく分からなかった。

  大人びた顔付き、毅然としていて尚且つ柔らかそうな優しそうな態度。思わず―――――かっこいい、と・・・・・。


 (って何考えてるのよ、私はっ! ああ、まったくもう本当に・・・・・ッ!)


  思わずイライラしてしまう。ふと横を見ると、いつの間にか勇斗が脇に立っていた。分かってるよと言いたげな優しい笑み。
 
  さらに私は居辛くなって居間の方に歩みを速めた。そう、だから気付かなかった。こんな会話が後ろの方で繰り広げられてたことを・・・・。


 『ああ、そういえば――――義之くん?』

 『はい、なんでしょうか』

 『煙草、あんまり吸い過ぎないようにね。臭いが少しだけしたわ』

 『・・・・・・』

 『今度は素の貴方を見てみたいわ。だから今度遊びに来た時、その時は、ね?』

 『・・・・・善処しますよ』

 『ふふ、良い返事。勇斗と麻耶の事、どうかよろしく頼むわね。義之くん』















 「その後ね。義之がウチの家に遊びに来たのは」

 「え?」

 「遊びに来た、というのは語弊があるかしら。その子供と一緒にウチの外見を見てこう言ってたわ」







  たまたまその時は買い出しの帰りだった。天気は良いが肌寒いそんな日。早く帰ろうと杏は歩みを速めた。

  そして、自宅の門の所に居た義之と見知らぬ子供。何か話をしているのが聞こえた。何の話をしているのか興味が湧き、聞き耳を立てる。

  通りすがりか、または何か用件があってウチに来たのか。そんな事よりも自分の家を指差し、なんて言ってるかのかが気になった。



 『見ろ、勇斗。デカイ家だろう?』

 『うわっ、凄いおウチだねぇ。僕の家の何個分ぐらいかな・・・』

 『こういう所に住んでる奴の事をハイソサエティって言うんだ。覚えておくといい』

 『はいそさえてぃ?』

 『上流階級―――いわゆる金持ちってやつだな。ここに昔おばあさんが住んでてな、この家はそのおばあさんの物だったんだが・・・』

 『・・・・・?』

 『今住んでる女の子に殺されちまったんだよ。そしてこの家を奪っちまった。この辺で小さい背の低い女を見掛けたら注意した方が良い』

 『―――――ッ!』


  恐怖に歪む男の子の顔。神妙な顔つきをしている義之。思わず自分の顔が引き攣るのが分かった。この男はまたいい加減な嘘を・・・・。

  一昔前までは私が義之を弄る立場だったのに、いつのまにか逆転していた。一言注意してやろうと、義之の後ろに立つ。


 『ん? おぉ、杏。買い物帰りか?』

 『何してるのかしら・・・貴方は』

 『社会勉強だ。日常生活に紛れ込む様に、凶悪犯は身近に居るって事を教えてやっている。確かアメリカの話だが、幼稚園の脇に住んでいる男が
  実は殺人犯だった事件があったな。それも幼児専門の。イカレた話だ』

 『生憎だけれど冗談に付き合うつもりはないわ。こんな幼い子供にそんな出まかせを――――――』

 『逃げるぞ勇斗っ! こいつがさっき話した殺人犯の女の子だっ』

 『なっ――――』

 『ま、待ってよお兄ちゃんっ!』


  ダッと駆けだす義之を、怯えた表情で追う委員長の弟。去り際に私の顔を慄然とした面持ちで見られた事は記憶に新しい。

  怒りの余りに肩が震えるのが分かった。ただ買い物をして自分の家に帰って来ただけで、何故こんな屈辱を与えられないといけないのか。

  段々遠くなっていく義之達の姿に言い様の無い気持ちが募り、深い溜息をついた。







 「最近ようやく人となりを掴めるようになってきたと思ったら、これよ? 暇が出来たらロクな事をしないんだから。まったく」

 「あ、あはは・・・。義之くんらしいといえばらしいけど・・・」

 「あの男は人の弟を連れて何やってるのよ・・・」


  苦笑いの表情のななか。麻耶からすれば大切にしている弟を連れて、ろくでもない事をやっている義之に心が穏やかでは無くなる。

  確かに男同士の方が、姉の私より遊ぶ事に関して精通するものがあるだろう。だが、教育上としては穏当を欠く。次に会ったら注意
 しなければいけないだろう。
    
  そう考え、麻耶はジュースに手をつける。杏もそういえば私も喉が渇いたなと、目の前に置いてあるジュースに手をつけようとした。  


 「あっ・・・とぉ」
 
 「あら、ごめんなさいね」

 「・・・・ううん。別に、大丈夫だよ」


  ななかと手をぶつけてしまい、少し頓着してしまう。改めてジュースを取って杏は喉を潤した。少し喋り過ぎたのか、思った以上に水分が
 体に染み渡ってくる。

  さて、そろそろお開きか。杏は何気なしに視線を周囲に向ける。と、ななかと視線が噛み合った。先程ぶつけた自分の手を擦る様にして何故か
 目はジト目。杏は思わず怪訝な顔をしてしまう。そんな彼女に構わず、ななかはふぅ、とため息をついて口を開いた。


 「雪村さんさぁ・・・」

 「・・・・何?」

 「その後、どうなったの?」

 「その後って?」

 「義之くんが家に来た後の事、だよ。何か隠していない?」

 「何故そう思うのかしら。別に、普段どおりの生活を送ったつもりだけれど?」

 「――――ふぅん。なるほど。普段から義之くんは雪村さんのおウチにお泊まりしてるんだね。へぇ」

 「・・・・・・・・・・」

 「えっ? え!? ええぇぇえええーーーーっ!」


  ジュースを机の上に戻し、ななかと睨み合う様な形になる杏。小恋が脇で驚いた顔をしてななかと杏の顔を見比べる。

  先程手をぶつけた時、ななかは杏の心を読んだ。いや、読んでしまった。義之に窘められて以降その能力を行使する機会はあまり
 なくなってしまったが、それでも時折先程のように否応なく読んでしまう事があった。

  杏からすれば、義之が一回だけお泊まりしたのを知っているのは自分達のみだ。訳が分からない。表情はポーカーフェイスを気取って
 いるが頭は混乱していた。


 (何でその事を知っているのよ白河さんは・・・・。確かに、あの後で義之は私の家に泊ったけれども・・・・)


  さすがに義之も冗談が過ぎたと思ったのか、遊びに来たという名目で謝罪しにきた。憤慨する私、苦笑いで応ずる義之。

  余りにも頭にきていたので、無理難題を押し付けた。今日泊っていけ。予想通り困り顔をする。それはそうだろう、彼の周りの環境を考えれば。

  本人はちゃんとした相手を選びたいと言っているが、笑える話だ。それが出来ていたらそもそもこんな状況になっていないというのに。

  彼の欠点を上げるとすればそれだ。女性にだらしがない。そしてこうやって追い詰められると、すぐ及び腰になる。


 『まぁ、チキンの義之には無理な話だったわよね』

 『・・・・・』

 『それが出来ないならもう帰って貰って結構よ。この後夕食を作らなくちゃいけないし――――』

 『―――――泊まるよ』

 『・・・は?』

 『誘ったんだからジャージとかスウェットぐらいあんだろうな。あと家に帰って下着を持ってくる。あ、家に帰るならスウェットは
  自分の持ってくりゃいいか』


  何の心境の変化は知らないが、すくっと立ち上がり義之は家に一時帰宅した。半ば冗談で言ったようなものだが――――言ってみるものだ。

  この私が家に誘ったのだ、意味が分からない程ボケてはいないだろう。もしかしたら・・・・そんな淡い期待を、少し。少しだけしてしまった。

  
 『人の幸福?』

 『ああ。最近読んだ本でその事について書かれていた。オレは金を持っている人が一番幸せだと思ってたよ。金は全世界の人が大好きで
  最も愛して止まないからな。今でも少しだけそれは思っている』

 『そうね・・・人それぞれだと思うわ。寝床に着いて、翌日起きる事を楽しみにしている人は幸福だと言うけれど』

 『カール・ヒルティか。嫌いじゃないんだが・・・思いっきりキリスト信者だから敬遠してる部分があるな、オレは』

 『だからといって視野が狭い訳じゃないみたいだけどね。他の宗教にも精通していたみたいだし。当時としては異端扱いだったみたいよ』

 『・・・・ふぅん』


  義之に腕枕をしてもらいながらそんな話をする。色気の無いムード。一緒に食事を採り、談笑をして、お風呂に入って一緒の布団に入った時
 にはもう、これは貰ったと思った。

  来てる。私の時代が来てる。拳を握りしめて思わずジャンプしたい程までに浮かれた。だが―――義之の顔を見るにそんな素振りは全く無い。

  焦らしているのか、はたまた私が眠っている時に悪戯をしたいという性的趣味の持ち主なのだろうか。欠伸をしてかったるそうな義之をチラ見
 してもその心情は察せれない。


 (結局私も眠たくなっちゃって落ちたんだけね・・・。据え膳という言葉を知らないに違いないわ。小憎たらしい話)


  朝起きた時にはもう姿が見えなくなっていた。少しだけ感じる寂寥感。重くため息をついて朝食を採ろうと台所に向かう。

  といってもいつもはトーストだけで済ませてる。この家には私以外誰もいない。最初は寂しいと思っていたけれども、慣れた。

  だが時折、ふとした瞬間に急に寂しい想いに駆られるのも事実だった。それらを考え、また更に先程より思いため息をつく。


 『・・・・・・・・あ』

 『なに突っ立ってるんだよ。さっさと食べて学校行くべ』
  

  そして――――そこに用意されていた和の食事を見て、少しだけ茫然としてしまった。出来立てだったのか、少しだけ湯気が立っている。

  眠たそうな顔をしながら煙草を窓際で吹かしている義之。床に居なかったのは食事の準備をしていたからか。煙草を携帯灰皿に入れて椅子に座る。

  律儀な男だ。わざわざ待っていたのか。彼の性格なら一人で食べそうなものだと思っていたが・・・・少しだけ、彼の事を見誤っていたかもしれない。


 『ああ、あとな杏』

 『・・・? なに』

 『もうちょっとお前は食べろ。昨晩、あまりにも華奢な体で抱くのを思わず躊躇っちまったよ。ばーか』  

 『―――――――――ッ!』
      

  やっぱり酷い男だ。自分の甲斐性無しを、人の身体的特徴の所為にしてぶつけてくる。

  腹わたが煮えくり返る気持ちになりながら目の前の食事に手をつけた。その味は思ったり暖かく、また更に私は腹が立った。


 「で、どういう事なの雪村さん」


  つい先日の事を思い出していると、白河さんが嫉妬に駆られた表情で私を見詰めている。まだ可愛い方だなと杏は感じた。ムラサキという
 女の子が嫉妬する姿に比べれば兎と虎だ。やれやれ、女のヒステリーって怖いわね。

  そう思いながら、さて、この学園のアイドルをどうやって煙に巻こうかなと考え―――口を開いた。















 「私は日々健康なら幸せだと思うよ。無病息災。これが一番だと思うなぁ」

 「身体の健康と健全なる状態はすべて金にまさる、か」

 「え?」

 「オレは余り興味ないんだが聖書にそういう一文が書かれてた。音姉の言いたい事も、そういう事だろう?」

 「え、あ、あはは、そうっ! そういう事だよ、弟くん!」


  何やら誤魔化すような笑みで捲し立てる音姉。なるほど、数人にしか聞いていないが色々な意見があるんだな。

  十人十色、とはよく言ったものだ。英語だとSo many men , so many minds。それぞれは、それぞれ違う精神を持っている。

  オレ的にはこの質問をした場合、答えは被る確率が高いと考えていた。人は集団で生きる動物。考え方が同じだって不思議ではない。


 「まぁ、いいや。んじゃオレはそろそろ行くからな」

 「うん――――ってちょっと待ちなさい! 授業サボる気でしょう? お姉ちゃんが許さないんだからね、そんな事!」

 「んだよ。授業が自習で潰れたから、これから図書室に行って自主学習するつもりなのに」

 「ま、またそうやって嘘をつくんだからぁ! ここ最近の弟くんは嘘が多いよ!」

 「悲しいな。自分の姉ともいえる人にそうやって嘘付き呼ばわりされるのは。オレがもし万が一嘘をついたとしても、それは優しい嘘だよ」

 
  顔を伏せてもの悲しげな表情をつくる。うっ、と喉を詰まらせて先程までの勢いが止まった。せわしく目を動かせてテンパる音姉。

  大体ここ最近嘘が多いのでは無い。オレはこの世界に来た時から嘘をつきっぱなしだ。最初の頃は結構騙されてくれたんだけどなぁ、音姉は。

  少しばかり人間不信になっている可能性があるとみた。それはいけない。人というのはお互いを信用して、高めあってこその人だと思う。


 「・・・今、笑ってなかった?」

 「気のせいだよ」

 「はぁ~~~。前の弟くんは素直だったのに、こんなにも別人になっちゃって・・・」

 「実際に別人だしな」


  オレの正体を知ってるのは白河に音姉と―――あの女ぐらいか。白河には心を読まれ、音姉には桜の木の制御中に遭遇したのが原因だ。

  魔法を行使中の音姉。限り無くオレは陽気な声で「よぉ。魔法の調子はどうだ?」と言った。それに対して思った以上にうろたえる姉の姿に
 オレは思わず吹き出してしまう。

  どうやら、いつもならさくらさんと一緒らしいが居なかった。後で話を聞いたところ、音姉が何か試したい事があったらしく一人で桜の木の
 所に来ていたという。


 「もう、またそんな事言って。私にとってはやっぱり弟くんなんだから」

 「よく言う。最初バラした時にはあんなに泣いてた癖に」

 「わ、忘れてよっ、その事はぁ~っ!」  


  ちょうどここにきて一年が経とうとしていた。区切りを着けたかった。この世界はもうオレの居場所になっているし、けじめを着ける気持ちで
 誰かに話をしたかった。

  さくらさんにはまだ言う気にはなれず、とりあえず元の世界のさくらさんから聞いた魔法使い繋がりで音姉に話をした。最近は会えないが、よく
 夢の中で『あの』さくらさんとは会っていた。

  泣かれるであろうとは覚悟しての告白。実際に彼女は大粒の涙を流して、ショックを受けた。その姿を見て、オレはどんな罵りでも受ける心持ち
 で落ち着くのを待つ。

  そうして大分落ち着いてきたのか、肩の震えが止まる。流れる沈黙の雰囲気。桜の花弁が辺りをチラチラ舞っている。それを手に取り、ふとこの
 世界に来てからの色々な出来事を思い返した。


 『もし、そうだとしても――――やっぱり弟くんは、弟くんだよ』

  
  救われた気がした。何も感じていないようで、オレはかなり負い目を感じていたらしい。その言葉を聞いて肩の荷が下りた様な気がした。

  それからは色々話をした。前の世界の事、今のオレの事、そして――――かったるい事にオレの女性関係まで聞いてきやがった。

  前半の事については出来るだけ喋ったが、後半の話題は無視した。なんでわざわざ自分の姉貴みたいな存在に、それを教えなくてはいけないのか。


  その場はとにかく煙に巻いて話は終わった。だが、あんまりしつこく聞くものだから一言だけ口にする。

  
  オレ、チェリーじゃねぇよ、と。それを聞いた音姉の顔ったら無いね。顔を真っ赤にして手で頬を抑えていた。本当、純情で宜しい事だ。





 「あ、また兄さんがサボろうとしてる」

 「ん? ああ、由夢ちゃん。お疲れ様」

 「サボりじゃねぇよ。授業が自習になったからウロついてるだけだ。てめぇこそサボりなんじゃねのか、ああ?」
 
 「や、違いますよ。私のクラスじゃもうクリパの準備が始まってますので、その買い出しに行く途中です」

 「あぁ、そうだったよね確か。喫茶店をやるんだっけ?」

 「はい。出店と喫茶店で最後まで結構揉めたんですが、最終的に多数決で喫茶店に決まりました」

 「ふぅん。つまらねぇな」

 「・・・・私は特別に変な事はしたくないんですよ。兄さんと違ってね」


  頬を引き攣らせながらにっこり笑う由夢。それに対して義之は、親指と人差し指で輪を作り由夢の顔の前まで持ってくる。

  何をしているんだろうか。そう由夢が思っていると、勢いよく人差し指が弾かれ由夢の額が打ち付けられた。


 「い、いったぁ~~~~~~~~っ!?」  

 「ゆ、由夢ちゃんっ!?」 

 「一丁前に生意気な態度取るんじゃねぇよ、アホ」

 「こ、この―――――ッ!」


  思わず口調が荒くなる由夢に対して、唇の端を歪めて笑う義之。音姫はどうしたものかと慌てふためく。この二人はいつもこういう風に
 すぐいがみ合いになるので、姉的存在の音姫としては気が気では無かった。

  しかしそれでも、前よりは全然いいと思える。一年前義之がこの世界に来てすぐの事。音姫と由夢に対して冷徹ともいえる態度を取ってた
 頃と比べれば遥かにいい。

  あの頃の由夢はいつも泣きそうな顔付きをしていた。音姫自身もとても悲しみはしたが、姉という立場からか、いつも妹の事を励ましていた。


 (まぁ・・・なんだかんだ言ってこういう風に何でも言い合えるのを見ると、これはこれでよかったのかも)


  その様子を見ながら音姫はそう考えた。前までは言い合いにさえならなかったのだから。今年の体育祭以降、義之と由夢が二人で外出してるの
 よく見かけるようになった事は単純に嬉しい気持ちで音姫は一杯だった。

  嬉しい――――んだけれど、たまにはお姉ちゃんと一緒に遊んで欲しいなぁ、うう・・・。生徒会の仕事さえ残って無ければすぐさま二人を誘って
 本島に遊びに行きたいよぉ・・・。


 「あっ、そうだ!」

 「ど、どうしたのお姉ちゃん?」

 「さくらさんに頼まれてた書類整理忘れてたっ! ごめんね、私行くから!」

 「あっ・・・・」

 「相変わらず忙しない女だな」


  バッと駈け出して行く音姫を見送る義之と由夢。この時期の彼女は引き継ぎの準備と、年末の調整に追われていた。生徒会長最後の大仕事に
 てんてこ舞いになりながらも、なんとか生徒会の仲間とこなしている。

  そして取り残される形になった義之と由夢。一瞬静寂の間がこの二人を包み込む。一年前だったら気まずいこの雰囲気も、今となってはそよ風
 みたいに気にならない二人。もっとも、義之はどんな気まずい雰囲気でも笑っているような性格ではあるが。


 「んじゃ、そういう事でオレは行くわ」

 「・・・・・・」

 「おい」

 「なに?」

 「手、離せって」


  気を取り直して保健室で寝ようと思ったら、由夢がオレの服の裾を掴んでいた。軽く睨むように見据えるがどこ吹く風といった感じで
 澄ました顔を作っている。この野郎・・・。

  
 「別にいいじゃない。どうせサボろうとしてたんでしょ? だったら買い出しに付き合ってよ」

 「かったるい。適当な友達誘って行ってこいよ。外は雪が積もってるんだぜ、おい」

 「イヤ」


  掴んだ裾をブラブラさせる由夢。つーか伸びるから止めろよな。最近のこいつはなんだか我儘な感じがする。場に三人以上居る時は
 全くもって普通なのだが、こうやって二人きりになると途端に子供みたくなる。

  まぁ、微笑ましいっちゃ微笑ましいんだが・・・・かったる過ぎる。ため息をつこうとして、止めた。そんな事をしたらこのお姫様の
 ご機嫌が急激に下がる。そうなると今以上に面倒になる可能性があった。


 「兄さんは私のことが嫌いなの?」

 「随分言い方がストレートになってきてるな、最近のお前は。答えはノ―だ。けれど、あんまり我儘を言うとその内イエスになるかも
  しれない。分かったら手を離してくれないか?」

 「嫌いなんだ。私のこと」 

 「人の話を聞かない奴は嫌いだ。男女関係無くな。人は話せば分かり合えると言うのにソレをしない人種が多くて困る。未だに南米とか中東
  の小競り合い続けているのを見ると悲しくなるよ。やつらは長年戦争ばっかりやってるから、きっと石頭になってるんだぜ? 困った話だ」

 「・・・・いいから、来てよ」

  
  話がはぐらかされそうと感じたのか、ぶすっとした顔で裾を引っ張られる。エリカといいコイツといい、やる事が似てて困ってしまう。

  チラッと外を見る。先程より更に雪が降っていた。元より無かった気力が段々萎んで行くのが分かる。はぁ、と思わず息をついてしまった。

  瞬間、やばいと思う。それを見た由夢が案の定ピクン、と片眉毛を動かした。癇に障った時に起こす反射運動。今度は両手でオレの腕を引っ張り始めた。


 「いいから、ついて、来てってばっ!」

 「だからパスだって言ってる。あんまり腕引っ張るなよ。取れるだろ」

 「・・・・なんだか冷たいなぁ、兄さん。ねぇ、一緒に行こうよぉ」


  もたれかかる様にギュっと腕を抱かれる。じゃれつかれていたんだと、その時気付いた。余りにもかったるい妹的存在の感情表現。

  ポケットから手を出し、頭をポンポンと撫でてやると気持ちよさそうな顔をした。先程とは打って変わって流れる穏やかな雰囲気。

  一瞬付き合ってもいいかな、と考えたが外の様子を見てまた気持ちが沈む。オレは着ていた上着を由夢に着させた。


 「え、あ」

 「実は昨日から寝て無いんだよ。お気に入りの酒場に行っていて朝まで飲んでた。ぶっちゃけ眠くて死にそうなんだ。ごめんな」

 「・・・・・」

 「防寒にはならないだろうが濡れる事は無いだろ。帰って来てからその上着は返して貰えればいい」  

 「・・・・分かったよ、もう」


  名残惜しそうな目で見られる。実際本当の話だ。前の世界で行っていたバーがこちらの世界にもあった。あのマスターくたばってる
 と思ったが、どうやら存外にしぶといみたいだ。奥さんと子供はやっぱり居なかったけどな。

  
 「じゃあ、気を付けて行けよ。何かあったら携帯に連絡すればいい。寝てるけどな」
  
 「やっぱりサボるつもりだったんだ。嘘つき」

 「自習時間なのは本当だ。雪の中だとその黒い上着は目立つ。事故には合わないだろうが、急激な温度低下で地面が滑りやすくなっている。
  足元に注意しろよ」

 「・・・・はぁ~い」


  唇を尖らせて踵を返し、歩いて行く。その背中を見送りながらオレは考える。随分優しくなったものだ、と。

  前のオレなら適当に無視してさっさと寝に行ってる。だというのに上着まで貸して注意まで即している自分に、思わず苦笑いした。

  まぁ、アイツに懐かれるのは別に悪い気はしない。エリカを犬に例えるなら由夢は猫。気まぐれで、強情。構ってやらないと後まで機嫌の
 悪さを引っ張る。面倒な女だ。


 「・・・・あいつもオレの事好きなんだよなぁ。もっとマトモな男に媚びを売ればいいのによ、まったく」


  本人からその言葉は聞いていない。だが、あまりにもその行動は分かりや過ぎた。見詰められる視線の意味、さっきも胸を若干押し付ける
 ように腕を抱かれた。

  最初は兄に対する甘えだと思っていたが、ふとした瞬間に噛み合う視線の回数が多かった。いつも見られている感覚。それに気付いた時は
 少し戸惑ったものだった。

  別に由夢の事は嫌いじゃ無い。スタイルは良い方だし、接していて可愛いと思った箇所も何個かある。それに色気もあるし女としては上等
 な部類に入るが・・・・。


 「よりによってオレなんかを気に入っちまうとはな。こんな女にだらしねぇオレに」


  周囲の環境を思い起こして、気が重たくなる。複数の女性に言い寄られるのは誰しもが思い浮かべる状況だが、実際にそうなると堪ったもんじゃない。

  甲子園なんかで有名になった選手がモテるのとは訳が違う。オレの良い所・悪い所を見たうえで好きと言っている。いや、実際にはオレの悪い所を
 見た機会の方が多い筈だ。

  なのに言い寄るって事は――――余程の悪食好きか、本気って事だ。だから悩んでしまう。どうしたらいいものかと。


 「恋愛小説でも借りてくっかな。少しは役に立つかもしれねぇ」


  思ってもいない事を呟いて、オレは保健室に歩みを再開した。小説で解決出来るほどメルヘンな関係でもないし、単純でもない。

  ましてや誰かに相談も出来ない。大抵のヤツがオレが悪いんだと罵るのが分かっているからだ。いつだってこういう恋愛絡みの時は男を
 悪者にしたがるから困る。いや、実際悪者なんだけどよ。

  頭を掻いてると、瞼が段々重くなってくる。ああ、マジで眠い。さっさと寝よう。頭がぼうっとしていた。だからその放送が聞こえなかったのは
 仕方のない事だろう。はたまた、ちょうど移動教室の生徒達が脇をガヤガヤと騒ぎながら歩いていたのが原因かもしれない。



 『本校一年三組の桜内義之くん、本校一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで来て下さい。繰り返します。本校一年三組の桜内義之くん、本校
  一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで―――――』 












[13098] クリスマスDays 2話
Name: 「」◆57507952 ID:02d3eb0b
Date: 2011/01/26 01:09









  幸せって、なんだと思うー?

  ・・・・・・

  あぁ、確かにお金は大事だよねぇ。お金が無ければ生活出来ないし。義之くんの生活費だってそう。さっさと独立してほしいよ。

  ・・・・・・

  何生意気言ってるのさ。この寒空の中ホームレスになりたい? そういう事は自分で稼いだ金で生きていけるまで言わない事。分かった?

  ・・・・・・

  って、あぁーーーっ! 腹が立ったからってはりまおを苛めないでってば! はりまおも噛みつくの止めなさーいっ!!

  ・・・・・・

  はぁ。まったくこのドラ息子は。段々歳を重ねる事に生意気になっていくから困っちゃうよ。ああ、そういえばこの間だって―――――。  


  そしてしばし談笑。この人と喋ると進むのが早く感じる。窓から木漏れ日が漏れており、思わず眠気を誘う様な暖かさだった。

  昨日も飲んでたから、かなり眠い。そういえばとうとうあのマスターは夜逃げを決意したみたいで、いそいそと日常用品をバックに入れてたなぁ。

  そんな事を思い出しながら、とうとう泥に嵌っていくかのように半分意識を失ってしまう。彼女が呟いた、その言葉を聞きながら。


 「ああ、幸せの話なんだけどさ。私はもう見つけたよ。義之くんはいつ見つけられるかな?」



















  『本校一年三組の桜内義之くん、本校一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで来て下さい。繰り返します。本校一年三組の桜内義之くん、本校
  一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで―――――』


  放送が流れた。聞こえてくる名前に、思わずドキっとしてしまう。確かにある意味、いつ何時放送で呼ばれたっておかしく無い男の名前だ。

  あの男は自分の意思を絶対曲げない。それが相手が先輩だとか教師だとしても。皮肉気に笑い、相手を小馬鹿にする。そしてお決まりの喧嘩コース
 に突入だ。大人びている人物ではあるが、同時に子供みたいな性格の持ち主だった。

  相手をいなせる話術とか喧嘩しなくて済む方法を知っているのに、いつもそれを活用しない。口で相手を扱き下ろし、暴力で相手を屈服させるのは
 いつもの事だった。


 「また何かやったんじゃないでしょうね・・・・義之くんは」

 
  茜はそう呟いて眉を寄せる。料理の特訓の方はとりあえず一通り終えたので、イベント発案組の杏達に合流しようと学校の校門まで来ていた。

  わざわざ嘘を言ってまで休みを取った。それなのに、のうのう学校に来るという行為に茜の脇を歩いていた美夏とエリカは最初渋面を作っていた。

  しかしパーティまで時間が無いのは事実。打ち合わせもろくにしていない状況。渋々と言った感じで結局は了承し、茜の脇を足取り重そうに歩いていた。


 「んー? 美夏達が休んでる時に何かしたのか、義之は。あいつが放送で呼ばれるなんて」

 「大方ケンカか何かじゃないのかしら。全く、いつまで経ってもそういう所は子供なんだから」

 「そういう子供っぽくて無邪気な所も義之の良い所だと思いますわ。兄も男性はそういうモノだと仰っていましたし」

 「うわぁ・・・」

 「・・・? 何かしら、花咲先輩」
  
    
  相変わらずのフィルターの掛かり具合。思わず私は呟いてしまっていた。此処に入学してきたばかりのエリカちゃんとは思えない。

  大真面目で固くてバカ正直だった女の子。その女の子を私達、雪月花チームで弄っていたのが懐かしく感じる。あの頃のエリカちゃんは
 可愛かったなぁ~。顔を真っ赤にして追いかけてきたもんね。

  茜は遠くを見る様に両目を薄めてエリカを見詰める。そんな視線にたじろぐ様に身を竦ませ、憮然とした目で茜を見返す様に腰に手を当てた。


 「何か言いたい事があるなら仰ってください。私、変な事言いましたか?」

 「――――べっつにぃ~。ただエリカちゃんは本当に義之くんの事が好きなんだと思っただけだにゃ~」

 「何を今更。別に今に始まった事じゃありません。正確に言うと去年の12月半ばから義之の事は好きになりましたが―――何か?」 


  一昔前なら赤面モノの台詞を真顔で言うエリカ。最初は言うのに結構照れがあったもので、呟くようにしか言えなかった台詞も今では
 心を波立たせる事なく言える。

  きっかけは美夏。エリカ本人としてはこのまま義之と付き合う事は当然の流れだったと思っていた。しかし当の義之はとても恋多い人間で
 あちこちに心を大きく揺れ動かせている。そして、それが現在進行形で続いている。

  そんな彼を必死に自分の所に手繰り寄せようとするエリカ。そうすることで彼の事をもっと知る様になり、気が付けばもうその泥沼に嵌って
 動けない程までに夢中に恋していた。


 「あー美夏もそれぐらいの時期だったかな。あいつが私にアプローチみたいなのを掛けてきたのが」

 「・・・・・・」

 「しょうがないから付き合ってやろうと思っていたのに。まさかアレほど女好きとは。結構腹立たしく思うぞ、美夏は」

 「・・・・・・」

 「・・・なんだ、その目は」

 「いえ。別に」 

   
  顎を上げ面白くない様に美夏を見詰めていたエリカ。彼女としては美夏の帽子を取り上げ雪の中に埋めてやりたい気分だったが、茜の手前
 また騒ぎを起こすのはまずいと思い、睨むだけに終わった。


 「はいはい。喧嘩しないの」

 「いや、美夏は別に・・・」

 「それよりも何があったのか気になるわね。行ってみましょう」         
  

  喧嘩にしろなんにしろ、何かあったのは事実。学園長室に呼ばれる程までの事だ。正直に言えばかなり気になる。

  元々茜はそういう騒ぎ好きの人間。それも絡んでるのは自分の好きな人。興味を持って行かれるのは当然の事だった。

  他二人もそんなウキウキ顔をした茜にやれやれと思いながらも賛同した。茜程ではないが、彼女達もまたかなり気になってはいた。


 「まぁ、別に構わん。もし喧嘩が原因なら美夏が説教してやる」

 「貴方に説教される程落ちぶれていると思えませんけどね。もし濡れ衣だった場合、私が守ってやらないと」

 「・・・ほぉ、お前が守ってやる、か。本当は気の弱いお前がなぁ」

 「なッ―――――」

 「義之から話は聞いている。不良女共に囲まれて義之に助けられた後、ビービー泣いていたそうじゃないか」

 「あ、貴方は・・・・っ!」

 「なんだ、やるのか。まったくお前はすぐそうやって頭に血を―――――って、花咲置いていくな!」

 「ちょ、ちょっと! 私も行きますわっ」

 
  いつまで経っても進まないこの状況に痺れを切らしたのか、スキップをしながら校舎内に入っていく茜を追いかける美夏とエリカ。

  さぁて、今度はどんな面白い事をしでかしたのかなぁ、よっしぃーは。出来るならであれば私を笑顔にさせる様な事であれば有り難い。

  意地の悪い笑みを浮かべながら茜は下駄箱から自分の靴を取り出し、とんとんとカカトを合わせた。



















 「んー?」

 「あらあら」

 「よ、よしゆき・・・」 

 「まったくあのロクでも無しは・・・」


  四者が異なる反応を示す。さっきまで話題に上がっていた男の名前。一様にまた何かやったのか、と心の中で苦言にも似た言葉を呟く。

  ちょうど今日の授業も終わり、さて帰ろうかという時にその放送は鳴った。学園長室への呼び出し。声は芳乃さくらのもの。義之の保護者だった。

  思わず四人は目を交わらせ、それぞれ違った表情をした。至って普通の顔、愉快そうな顔、困惑の顔、呆れ顔。  


 「また何かしたのかしらね。義之は」

 「どうだろねー。最近はケンカもしてなかったみたいだし。もしかしてこの間一日サボった事がバレたのかな?」

 「あの男の場合いつもそんな感じでしょ。今更呼ばれるってのもおかしな話・・・いや、だからこそ呼ばれたのかな」

 「ど、どういう意味なのかな。委員長」

 「とうとう学園長の堪忍袋の緒が切れたって事。さすがにあの温厚そうな人も我慢の限界だったんじゃない?」


  小恋がまた泣きそうな顔付きをする。それを見かねてなのか、背中をポンポンと叩くななか。そんな中、杏だけは何やら楽しそうな
 表情をして唇の端を歪ませている。

  そんな杏に更に眉間に皺を寄せる麻耶。自分のクラスは何かと生徒会に目を付けられている。また騒ぎなんか起こした日なんかには
 何を言われるか分かったモノじゃ無い。気が重くなるのを麻耶は感じた。

  
 「ねぇ、みんな」


  杏は手招きをし、密談するように声を掛ける。誰かがため息をついた。顔を近付け寄せ合い、話をする体制を整える。

  また何か・・・絶対騒ぎになる。杏は各自のそんな気持ちを察したのか、にやにやしながら持っていたシャーペンをクルクル回し口を開いた。


 「まぁ、みんなが思っている様に・・・きっと面白い事が起きたのでしょうね」

 「お、面白いって・・・・」

 「だから今から学園長室に行ってみましょう。私達にはそれを見届ける義務がある筈よ。多分」


  小恋の呟きを無視して杏は言い放った。三人の顔は『言うと思った』と、呆れ顔をしている。だがそれぞれ興味が無い訳じゃなかった。  

  騒ぎを起こしたにせよ起こされたにせよ、さっきの放送は無視出来ない内容。否定する人間はこの場にはいなかった。


 「まぁ、行くならさっさと行きましょう」

 「あら? 案外積極的なのね委員長。意外だわ。渋ると思ったのに」

 「桜内が起こした騒ぎでしょ? 委員長の私が責任を負う事になるかもしれないじゃない。気になって当然だわ」

 「ま、まだ義之が起こした騒ぎだって決定した訳じゃ・・・。用事を言い渡されただけかもしれないし」

 「用事って?」

 「う、うーん・・・・」


  麻耶にそう聞かれ、思わず眉を八の字にしてしまう小恋。口では否定の言葉を吐きながらもやっぱりケンカか似た様なモノだが原因だと
 彼女も思っていた。そんな様子の小恋に苦笑いの表情を浮かべるななか。

  結局四人は興味があったのは事実なので、さっそく学園長室に向かう為にそれぞれ席に戻った。学園長室に寄ったその足で帰る為である。

  
  そして各自準備を整えゾロゾロと教室を出ようとして―――――杏はつい、と教室を見回した。


 「・・・・・?」

 「ん? どうしたの杏」

 「―――――いえ、別に。ほら、早く行くわよ小恋」

 「あ、ちょっと待ってよ~」


  確かに桜内義之という人物は学園長室に呼ばれても違和感の無い人間だ。学園長は義之の保護者だし、それ抜きにしても色々目立つ存在の
 男子学生だ。よくイベント事の時には騒ぎを起こすし、最近まではケンカも頻繁にしていた。

  それにしたって――――みんなの反応が淡白過ぎやしないかしら。まるで私達にしか聞こえて無かったみたいに無関心過ぎる。もう少し反応を
 示してもおかしくない筈じゃない。同じ教室のクラスメイトなのだから。

  杏はそんな違和感を感じながら、小恋の手を引っ張りながら教室を出る。まぁ、別に気にする程の事じゃない。そんな事よりも今は義之だ。

  ざわめきもしない教室に別れを告げて目指すは学園長室。未だに背中に張り付いて離れない違和感に囚われながらも、杏は足を速めた。
















 「まゆき~! ちょっとそこの資料取ってぇ~!」

 「そ、そこって・・・どれよっ?」

 「ああ、ごめん。予算の見積書の隣の―――――」

 「会長、少しこの書類の事でお話が・・・」

 「あーはいはい。え~と・・・これはね」

 「うわっ、崩れて来たっ! ああ、もう。どこに埋もれちゃったのよぉ~」


  積み重なった書類が音を立てて崩れてしまった。慌ててまゆきが探し出そうとするが、多分その書類が見つかるのは一時間後ぐらいか。

  その山のような書類から一枚の紙キレを探し出すのは至難の所業。私もなんとか手助けしてやりたいが、今やっている件は今日中に終わらせ
 なければいけないもの・・・・。

  だからそんなに恨みが籠った目で見ないでよ、まゆき。私だって結構テンパってるんだから・・・・うぅ。


 「はぁ、早く引き継ぎを終わらせたいよ。そうすれば後はゆっくり出来るのに」
 
 「ほらほら、不満を言う暇があったら手を動かして。私も早くこっちを終わらせて手伝うから」

 「うー・・・音姫が鬼だ」  


  そんな事を言われても仕方が無い。というか誰が鬼だって、まゆき? 笑みを向けると引き攣った顔をして、また彼女は書類の探索に戻った。

  私だって早くこのネコの手を借りたいほどの状況から抜け出したい。これでも集めれるだけの人数は頑張って確保したんだけど・・・なぁ。

  何せ他の委員会からも人を貰ったのだ。これで完遂出来ませんでした、なんては言えないし言いたくもなかった。


 「ねぇ、音姫。やっぱりもう少し人増やした方がいいって。そうしないと今日中にどれもこれも終わらないわよ」

 「もう出来るだけ人数増やしたってば。それにただ人を増やしたって効率が下がるだけよだ。即戦力になりそうな人が他にいる?」

 「―――――あー・・・居ると言えば居るかもしれないわね・・・」

 「え?」

 「いや、でもなぁー・・・あの連中に借りをつくるとなると・・・・う~ん」

 
  そんな人が居るのか。私の記憶ではそんな生徒なんて居ない筈。委員会の中でも出来る人間を選りすぐって集めたのだから。

  しかし、まゆきは思い当たる節があるのかさっきから迷う様に唸っている。迷う理由―――思い付かない。仲の良く無い人達なのか。

  そう思ったが、即座に否定した。まゆきに限ってそれはないと思う。男女関係無く生徒に人気がある彼女だ。仲が良く無い人間がいたと
 しても仲が悪い人は居ない様に思える。


 「誰なの、その人達って? すぐこの活動に参加出来る生徒なら欲しいんだけれど。エリカちゃんも居ないしすごく忙しいし」

 「――――弟くんのクラス」

 「・・・・ああっ!」

 「雪村や杉並も居るし、それにつるんでいる連中も手際はいい筈。すぐ即戦力になるわ。けれど・・・・ねぇ?」

 「う、うーん・・・・」


  思わずまゆきと同じように頬に手を当てて悩んでしまう。確かに聞いた名前の生徒は仕事『は』出来る人間達だ。それは私もまゆきも認める所。

  だけど・・・性格に問題が有り過ぎだ。この書類の中には機密事項に触れるぐらい大事なものもある。勿論それに手は付けさせない様にするが。

  しかし絶対に安全という訳ではない。断言出来るが黙ってこちらが頼んだ仕事を黙々こなしてくれるとは思えない。ヘルプに来て貰った場合裏が
 あるのは明白だった。今までの経験からそれは確信に近い。


 「・・・・ごめん」

 「え?」

 「やっぱりさっきの発言は無し無し。あんな連中に借りをつくったとなっちゃ何が起きるか分かったものじゃないわ。強請ってきそうだし」

 「・・・・・」

 「私もヤキが回ったかもしれないわねぇ、あはは。杉並連中の手を借りようと思うなんて、全く私らしくも――――」

 「少し待っててね」

 「・・・え?」

 「みんなそのまま作業を続けてて。もしかしたら助っ人が来てくれるかもしれないから。じゃあ、まゆき。私ちょっと出てくるね」

 「え、あ、ちょ――――」


  助っ人という言葉に歓喜の声が上がる生徒会室。思った以上に参っていたみたいだ。まゆきの声を振り切るかのように廊下に躍り出る。

  確かに問題児ばかりのクラスだ。生徒会とはある意味敵対していると言ってもいい。だが、敵対出来るほどまでにその手腕は頼りになるのも
 事実だった。実際に雪村や杉並といった人物の頭の回転の良さは誰しもが認める所。

  もっとも、それが良い方向に持っていければいいとは思わずにはいられないが・・・・。なんにしたって今みたいに遅々と作業してても終わるの
 は明日の朝ぐらいになってしまう。


 「しょうがないか。まゆきは面白くないだろうけど家に帰れないよりはマシだし・・・。とりあえず弱みだけは見せない様にしないと、うん」


  手伝って貰う時点で弱みを見せている様なものだがソレは考えないでおく。少し生徒会の懐がさびしくなるが、学食の何食分かをサービスして
 やってもいいと腹を括った。それに釣られる様な子達では無いと思うが、これが私に出来る最大限の譲渡だ。

  雪村さんや杉並くんは納得しないだろう。他の子達は喜ぶに違いない。弟くんは・・・どうだろう。納得するかもしれないし、しないかもしれ
 ない。約一年ぐらいあの弟くんとは過ごしてきたが、何を考えているか読めた試しが無かった。

  無気力そうに見えて貪欲に行動する事もある。無情に感じる時もあれば、ひどく優しく感じる時もある。簡単に言えば捉えどころのない性格を
 していた。前の弟くんと確かに似ている所も確かにあるが、まるで正反対の性格だ。
  

 「女の子にモテるのは相変わらずかぁ。どうしてそんな所ばっかり似るんだろう。まったくもぅ」


  前の弟くんは優しさでモテていた。温和そうに見えてかなりヤンチャをする所も、他の女子にモテていた要因かもしれない。実際にそういう
 話を何度か聞いた事がある。

  今の弟くんは・・・何が要因で今も他の女性から好意を持たれてるんだろう。前と違って冷たいし口は悪いし手は誰かれ構わず出すし。思い返すと
 ネガティブな所しか思いつかない自分に、思わず苦笑いをする。

  そんな所ばっかりの人物ならば私は近寄りさえしないだろう。未だに『弟くん』と言って親しくしている事に反する。彼は彼でどこか人を惹き付ける
 何かを持っている様な気がしていた。

  いつも視線は何かを見据える様に遠くを見ていて、何か生き急いでいるかのように見える事があった。子供みたいに他人に関係なく行動する事も
 あるが、気が付けば私達を黙って見ている事もある。


  そんな彼を見てると、つい近づいてしまうのだろう。近づいて、何故か寂しさを覚えて、また更に近づく。それの繰り返し。気が付けば足元は
 泥沼に入っていて抜け出せない。しかし歩みは止まる事を知らず、また泥沼に嵌っていく。


  頭のてっぺんまで浸かっても更に近づきたくて、でも、近付けなくて・・・・・・そして―――――。


 『桜内義之くん。本校一年三組の桜内義之くん』    

 「ひゃっ!?」


  考え事をしていた人物の名前が放送で呼び出される。どきっとして、思わず飛び跳ねてしまった。急いで周囲の確認。よし、誰も見ていない。

  ふぅと胸を撫で下ろし繰り返される放送に耳を傾ける。呼ばれている人の名前。弟とも言える男の子のものだ。また何かしでかしたのだろうか。

  思い返しても、思い当たる節は無い。最近はケンカもしてないし、別段落ち付いていると思っていただけにこの放送は意外だった。


 「それもこれってさくらさんの声?」  


  私の魔法の師匠でもあり、弟くんのお母さんとも言える人物。その人の声が聞こえてきた。それも園内放送を使っての呼び出し。タダごとじゃ無い。

  少しばかり逡巡してしまう。弟くんが呼ばれた原因は気になるが、まゆきにはすぐに戻ると言ってしまってある。約束を破る訳にはいかない。

  
  さて、どうしたものかと考え・・・・・。


 「すぐ戻るから大丈夫よね、うん」


  自分に言い聞かせるようにその言葉を呟いて、足を進める方向を変えた。行き先は学園長室。さくらさんの実務室だ。

  まゆき、すぐ戻るからもうちょっと待っててね。てんてこ舞いになっている生徒会室に思いを馳せながら、私にしては珍しく早歩きをする。

  しかし、今のさくらさんの声―――何か切羽詰まっているような気がした。そんな事を思いながら階段を駆け上がり、久しぶりに息を切らせた。




















  天気予報では今日も晴れと言っていた。嘘つきめ。心の中で毒を吐きながらはぁ、と白い溜息をついた。すぐに空中に解け見えなくなってしまう。

  手には割り箸や紙コップ等といった出店の喫茶店では見慣れた物。スーパーで安売りされていたものを大量に買い占めてきた。お金に気を遣いすぎ
 という事はないだろう。一円でも二円でも安く多く買った事に越した事は無い。

  クラスの予算というは初めから決まっている。その中でやり繰りをしなくてはいけない。ブルっと肩を震わせ、兄さんに貸して貰った上着を更に
 抱きしめ何とか寒さを誤魔化す。


 「・・・煙草臭い」  


  兄さんの上着。だぼだぼしてて着辛い。しかし好きな人の学生服を上着として着こむというのは、年頃の女の子にとって憧れのものであった。

  例に漏れず私も浮かれてしまった。二ヤついた笑みをなんとか抑えるのに苦労した。そして気になる―――兄の匂い。どんな臭いがするのだろう
 と気になってしまうのは仕方が無い事だ。

  周囲を確認し、誰にも見られない様に襟元の匂いを嗅いだのはついさっきの事。きっと頭がクラクラするような甘美の匂いがするのだろうと思って
 嗅いでみたら・・・煙草のヤニの匂いだけ。別な意味で頭がクラクラしてしまった。


 「辞めればいいのに、煙草」


  何度かそう苦言を申し出ても、あの人は私の言う事なんか聞きやしない。挙句の果てにはお団子にしてある私の髪を弄りましてきた。

  腹が立ったので胸にパンチをしようとしたら逆にチョップを貰ってしまった。涙目になる私。嘲笑いする兄さん。思い出しただけでまた腹が立った。

  あの人が優しい時なんてある日を境に滅多にない。いつも意地悪ばっかりする兄さん。だから―――たまにこうやって優しくされるととてつもなく
 嬉しくなる。これが兄さんの常套手段だ。ドSめ。


 (その上女の子にだらしないんだから、まったく。何を考えているんだろう兄さんは)  


  頬を膨らませてみるも何も思い付かない。あの女性の敵ともいえる男は普段から何を考えているか分かった試しが無い。今では変わった当初より幾分か
 分かりやすくなったが、それでも分からないものは分からなかった。

  何を考えているのか。なんでそんなに暴力的になったのか。いつの間に口がそんなに回る様になったのか。はぁ、本当に分からない事ばかりで困って
 しまう。分かるのは女の子にだらしが無いだけか。

  きっと私の気持ちにも気付いているに違いない。あれだけアピールしたんだ。今の兄さんなら気付いている筈。それなのに拒絶しないという事は
 どういう事なのか――――。


 「期待・・・・してもいいんだよね、兄さん」
  

  あの面子の中で私を選ぶ確立は低いと思うが、それでも望みを託してしまう。半年前の体育祭から色々頑張ってきた。出来るだけ目に留まる様に
 ずっと脇に居たしお出掛けもした。私からしてみればデートそのものなのだが・・・・本人にそんなつもりはないだろうなぁ。

  確か下着がチラっと見えて困ると言っていたから、時々故意的に見えるようにしていた。とても恥ずかしかったが、しょうがない。女は度胸だ。

  感じる視線。目を見ると逸らす兄。ああ、意識しちゃってるな、兄さん。そんな事がある度に私は恥ずかしい気持ちと歓喜の気持ちで一杯になった。


  しかし――――何故か料理は一向に食べてくれない。作ろうとして台所に経ってもいつも追い払われてしまう。これも腹が立つ事だった。

  一回だけ食卓に出す事に成功した事がある。姉さんの目を盗み、兄の目を盗み、そぉっと家で作った野菜炒めを乗せた。


 『んん? こんなの作ったっけ、オレ』 

 『ドキッ』

 『・・・・・なぁ、由夢ちゃんよぉ』

 『な、なななんんですか?』


  そわそわしていたのが目に留まったのか、兄さんは声を低くして圧力を掛けてきた。思わず声が裏返る声。姉さんが訝しげにその様子を見詰めている。

  無視していてよかったのに。黙って私が作った料理を食べてくれればいいのに。心の中で罵る様にそんな言葉を吐き出した。焦り顔は伏せて。

  じーっと見られている感覚。とてもじゃないが冷静さを保てない。あともう少しで、もう少しで口を付けそうだったのに・・・・ッ!  

  
 『はりまおちゃーん。コレ、食うか?』

 『なっ―――――』
 
 『アンッ!』


  私の驚きの声を無視し、はりまおの口に料理を運ぶ。昏倒するはりまお。重いため息をつく兄と姉。更に私は小さくなるしかなかった。

  というかオ―バ―リアクション過ぎるのだ、はりまおは。たかが料理でそんな泡を吹く様な思いはしないのだ。まったく、失礼な話だ。


 「絶対に私の料理を食べて貰うんだからね、兄さん」


  そう新たに決意をする――――と、学園から放送が流れてきた。校門まで戻ってきた私にまで聞こえるということは園内放送。それが兄の名前を
 呼びかけている。はぁ、とまた私は白い息を吐いた。

  
  また何かをやらかしたに違いない。いつまでたっても子供なんだから。コメカミを指で揉んで頭痛を解す。最近は大人しくなったと思ったらこれだ。

  さて、今度は何をやらかしたのやら。その『何か』を突きとめる為、ついでに借りていた上着を返す為。そう考えて足の行く先を学園長室に変えた。





















 「あら?」

 「あ、雪村さん達に・・・由夢ちゃん?」

 「・・・どうも」  


  放送を聞いてみんな集まったのか。場には桜内義之と縁が深い女性達。男性が全くいないというのは凄いのやら虚しいのやら。

  ものの見事に学園長室の前でカチ会ってしまった各人。まさかそれぞれ思っていた事が同じだとは、ある意味驚愕を通り越して呆れてしまう。

  お姉ちゃんはとは会うかもしれないと思ってたけど・・・まさかこんなに人が集まるとは。それも女の子ばっか。モテ過ぎだろう。兄さんは。


 「って、エリカちゃん?」

 「あ、あはは・・・。どうもお疲れ様です。音姫先輩」  
 
 「茜も来たのね。どこで噂を聞き付けたのやら」

 「ふっふーん。義之くんの絡みの話は茜さんの耳を通り過ぎる事は無いのよ」

 
  エリカさんは何か後ろめたい事がるのか、少し焦り気味でお姉ちゃんと応対している。後ろでは天枷さんがニヤニヤしながらその様を見ていた。

  視線を逸らし私に気が付くと天枷さんは、「おっ」と言い気軽そうに片手を挙げて挨拶をしてきた。お辞儀をして礼を返す。そんな私に苦笑いを
 浮かべる。前にもう少し気軽にしてもいいんだぞとは言われたが、これが私だ。少なくとも学校では気を抜いたりしない。

  花咲先輩と雪村先輩、月島先輩はお互いなんで集まったかを話していた。それにしても花咲先輩―――今日学校で見てなかったのは気のせいかな?
  

 「どうして此処に来たんだ、由夢は」

 「私はクリパのお使いで最初外に居たんですよ。そしたら外から兄さんを呼びだす放送が鳴りまして・・・。気になって此処にきました」

 「美夏達も同じようなものだな。実は花咲の家でパーティに出す料理の特訓をしていたんのだが、キリの良い所で終わったので杏先輩達と
  話し合う為に一度学校に戻ってきたのだ」

 「ああ、例のパーティーですか」

 「うむ。そしたら何やら義之を呼ぶ放送が聞こえてきたのでな。気になって来てみれば・・・これだ」


  周りを見ま渡す様に視線を向ける。私も釣られる様に見渡した。女性だけの面々。合計9人。どの人もこの人も美人か可愛い女性ばかり。

  天枷さんが苦笑いするのも頷ける。一体何をどうしたらこの面子が集まるのか。一度兄さんは本を出したらいいと思う。モテる為のコツの本とか。

  思わず呆れ顔をしてしまう私―――と、エリカさんと視線が交わった。弛んでいた顔を引き締める。エリカさんは腕を組み私の上着に視線を移した。


 「ごきげんよう。由夢さん」


  視線は上着に固定されたまま、エリカさんが『笑み』を携えて話掛けてきた。それに私もちゃんと挨拶を返す。

  笑顔―――なんて胡散臭いのだろうか。性根が悪いと言ってもいい。着ていた上着を更にギュっと着込む。視線の鋭さが増した気がした。



 「ああ、こんにちわ。エリカさん」

 「外、雪が積もるぐらい降ってて嫌になってしまいますわね」

 「ええ、そうですね。確か今日は一日晴れと天気予報士の方が仰っていましたが・・・どうやら外れのようです」

 「嘆かわしいですわね。この国の天気を観測する人達の練度、足りていないんじゃなくて?」

 「それを私に言われましても困ります、エリカさん。そういうのはその人が所属する団体に申しつけて下さい」

 「あら? 私とした事がとんだ筋違いな事を言いましたわね。そうですね。貴方に言っても仕方が無い事だったかしらね」

 「ええ、その通りです。私はごく普通の一般の生徒ですから。天気を予測するなんてとてもとても・・・・」

 「――――何故、貴方が義之の上着を着ているのかしら」


  折れるの早いですね、エリカさん。前から思っていたがこの人は堪え性が無さ過ぎる。我慢弱いと言っても差し支えない。

  そんなにすぐ軽口を言う余裕が無くなるのだったら、最初から絡んで来て欲しくないな。思わず笑みが零れてしまった。

  つり上がるエリカさんの眉。彼女が怒りの感情を出してきた時の反応だ。それに私は余裕を持って答えを返した。


 「ああ、この上着ですか。実はさっきまでクリスマスパーティの準備の為に外出してたんですよ。外、寒くて参ってしまいました」

 「・・・・それで?」

 「その時に兄さんと出会って少し話をしたのですが・・・ふふ。私が外に出ると知った途端、この上着を押し付けてきたんですよ。
  それこそ血相を変えてまで」

 「・・・・・」

 「私はかさばるから嫌だって言ったんですが、どうしてもと言われて仕方無く・・・・。まったく、兄さんは私の事になるとすぐ構う
  んだから。少しは放って置いて貰ってもいいのに」

 「―――――ふぅ」
  

  ため息をつきながらコメカミを指で解すエリカさん。もしかしてキレそうだったのかもしれない。短気な女性だ。直情的とも言い変えれる。

  その様子を見詰めながら私はもう一度上着の匂いを嗅いだ。変わらず煙草の匂いしかしない。けれど―――今、エリカさんの元には無い匂いだ。

  少しばかり優越感を感じてしまうのは仕方がない事だろう。怒りの感情が何とか収まったのか、もう一ため息をついて私に向き直ってきた。


 「それ。『返して』貰えないかしら。由夢さん?」

 「嫌ですよ。これはエリカさんの物じゃなくて兄さんの物です。借りたのは私なんですから私が返すのが、スジでしょう?」

 「義之の物だったら尚更私から返しておきますわ。貴方って勝手に携帯の中身と見そうな感じがしますもの。義之、そういうのを嫌いだと知っていて?」

 「まさか。エリカさんじゃあるまいに。エリカさんこそ勝手に兄さんの鞄とか漁ってそうで・・・とてもじゃないですが、上着は預けられませんよ」

 「・・・・言うじゃない」

 「どっちがですか・・・・」


  段々とお互いの口調が乱れてきた。なんでこんな風にケンカしなくてはいけないのだ。私はただ、兄さんが何の用事で呼ばれたか知りたいから
 ここまで来たのに。

  そんな不満感を抱きながらも、私は視線を逸らさない。こんな子に負けてたまるかという気持ちになる。元々負けず嫌いの性格だ。あっちがごめん
 なさいと言うまで折れるつもりはなかった。

  
  そうして睨み合いを続けて――――誰かが驚愕の声を張り上げたのが聞こえた。つい、と視線をそちらに向けてしまう。白河先輩だった。


 「―――――ねぇ、ちょっとちょっとっ! みんなコレ見てよ、コレ!」











  
  学園長室に来ても義之くんの姿と芳乃学園長の姿は見当たらなかった。義之くんが見当たらないのは、まぁ分かる。逃げた可能性があるからだ。

  家に帰れば保護者の芳乃学園長が居るので可能性が低いと言えば低い、が、無い話ではないだろう。しかし学園長まで居ないとはどういう事だろうか。

  そして部屋の中を見渡せば見覚えの無い扉が一つだけあった。こんな扉―――あったけ? ずっと前に来た時は無かった筈だ。 


  それにこの扉って・・・・。


 「出口の無い扉、と言った所かしら」

 「・・・だよ、ね?」

 「ええ。私の記憶が正しければこの扉はどこにも通じていな筈よ。当然の話。だって出口が無いんですもの」



  そう、この位置に扉があるのなら廊下側に出口が無ければいけない。しかし私達が通った廊下側にはそんなモノは無かった。

  だったら何故―――扉の隙間から光が漏れだしているのだろうか。分からない。おかしい。そんな気持ちが心の中で満たされていく。

  言い合いをしていたエリカちゃんと由夢ちゃんも合流してきて首を捻っている。というかまたやり合っていたのか、この二人は・・・・。


 「ねぇ、エリカちゃん」

 「なんですか。白河先輩」

 「ケンカ。止めた方がいいと思うよ?」

 「・・・・つん」
 
 「か、可愛くないわねぇ~・・・・」


  ツンと澄まし顔をするエリカちゃんを見て、思わず顔が引き攣ってしまうのを感じた。この子も相変わらず素直になれない女の子だ、まったくもう。

  とりあえずエリカちゃんから視線を逸らし由夢ちゃんを見ると―――何やら男子物の上着を着ていた。その視線に気付いたのか、きゅっと上着を庇う
 ように握り締めるのを見て、ああ、そういう事かと頷いた。

  あれが原因でこの二人はケンカしていたんだろう。この場には居ないというのに、どこまでいっても騒ぎの原因を作ってくれる罪な男の子だ。

  
 「とりあえず――――ん、そうね」  

 「うん?」

 「入ってみましょう。この扉の中に」

 「・・・・・・え?」

 「ちょ、ちょっと杏・・・」

 「ねぇ、別に放っておいたっていいじゃない。こんなドアなんて」

 「えー。なんだか私は気になるなぁ。杏ちゃんの言うとおりちょっと入ってみましょうよ~」


  確かに興味心が湧くし、私も怖いもの見たさで入りたい気持ちはあるが・・・う~ん・・・・。何だか嫌な予感がするのよね。背中がピリピリする
 というかなんというか。

  他の人達を見てみる。明らかに委員長と小恋は渋っている。エリカちゃんと由夢ちゃんはどっちでもいいといった感じか。会長さんは・・・何か
 考え事をしているかのように、ジッとそのドアを見詰めていた。賛成派と否定派、どっちでもいい派とバラバラなっちゃったなぁ・・・。  

  全体的に何だかノリ切れていない雰囲気。私はといえば・・・結局気になってしまう。義之くんは居ないし学園長も居ない。そんな中見た事の無い
 扉がポツンと出来あがっている。気にするなという方が酷だ。


 「私は、賛成かな?」

 「ななかまで・・・」

 「だって義之くんの姿も見えないし学園長も居ないんだもん。そしてあるのは謎のドア! これを無視しろっていうのがそもそも無理よ」

 「う~ん・・・。そうかもしれないけどさぁ」

 「怖いのなら無理に来なくてもいいのよ。それは他の人達も同じ。とりあえず私と茜、白河さんで行ってみるわ」

 「だ、だったら月島も行くよ。私もなんだか気になるし」

 「この奥に義之が居る可能性があるなら、私も行ってみましょう。ここに居たって仕方ありませんですし」

 「本当、何処に行ったんだかさくらさんと兄さんは」

 「しょうがないわねぇ。ちょっと行くだけ行ったらすぐに帰ってきましょう」

 「おぉ? 委員長も乗り気になってきた事だし、早速れっつらごーしましょうっ! 茜さん、なんだかワクワクしてきましたにゃ~」

 「・・・・・・」


  なんだかんだ言って結局は気になるのだろう。音姫先輩も無言ながら止めはしなかった。いや、ずっと考え事をしている所為でみんなに
 釣られているだけのようにも見える。

  雪村さんが扉に手を掛け、ギギッと音を立てながら扉を開いた。最初に見えたのは光の奔流。眩しくて前が見えない程までにその光
 は強く、力強かった。


  そして、私達の長い『一日』が始まった。

  すぐに帰れるだろうという安易な思い。

  そんな思いは、すぐさま打ち壊されるのだった――――。

















 「ふぅ。まぁ、こんな所でしょうか」


  今日の売り上げのお金を数えながらため息をつく。やっぱり最近は人形って売れないのかな? というか興味が無いだけかもしれない。

  日本も心が貧しい国になりましたよ、まったく。もう少し日々の生活に余裕を持った方がいいと思う。人形を買えるくらいまでには。

  そうしてお金を数え終えて、この間義之に買って貰ったピンクのお財布に入れた。まさか誕生日プレセントをくれるなんて思わなかった。


 『ああ、そういえば今日はお前の誕生日だったよな。やるよ、これ』

 『え、こ、こんな物貰えませんてばっ!』

 『気にする事はない。誕生日を人に教えるって事はプレゼントが欲しかったんだろ? 素直になれよ、アイシア』


  ニヤついた笑みを浮かべてそう言い放つ彼。こんな高そうな物貰えないと言っても聞いて貰え無かった。ほんと、よく分からない人だ。

  すごい意地悪だと思う時もあれば、ひどく優しいと感じる時もあった。だから分からない人。あの人と会ったのは半年前の事だった。

  店で売り子をしている自分に絡んできた相手。初対面のイメージはあまり良いモノではなかった。どちらかといえば私が苦手とする人種であった。


 『ふぅん。バチカンに行ってたのか。ドイツとかなら行った事あるけど―――外国は良いよな。なんてたって土地が広い』

 『私は日本も好きですけれどね。なんだか暖かい雰囲気に包みこまれてる様な気がして・・・心地良いです』

 『田舎だけな。都会じゃ土地面積が狭い分、人の心も狭いよ。日本人は心豊かで勤勉で礼儀作法に厳しい人種なんて外国じゃ言われてるけど・・・どうだかな』

 
  苦手であった人種。けれど何故かウマが合った。トントン拍子で埋まっていく心の間の溝。久しぶりだった。こんなに人と話すのは。

  しかし―――近付けば近付く程、苦しい思いをするのは必然だった。何せ私は皆から忘れられていく存在。この子もしばらくすれば忘れるだろう。

  そう思っていた。だがそんな気配は一向に訪れる気配が無かった。大体四日で人は皆私の存在を忘れていくというのに・・・・。


  五日経ってもまだ来た。七日も普通どおりに来た。十日目には血を流しながら来た。喧嘩をしたという。血を拭いて治療して窘めてやった。


 『・・・ねぇ、義之』

 『なんだ。金なら貸さねぇぞ。金の貸し借りは人間関係をブッ壊すからな』

 『真面目な話です』

 『なんだよ』


  笑われると思った。馬鹿にされると思った。それを承知で魔法の事を話し、私に掛けられている呪いともいえる魔法の事を打ち明けた。

  そして思案気に煙草を吹かす彼。何かしらの反応を示すと思っていただけに、少し不安に駆られてしまう。もしかして頭が緩い女だと思われたか。


 『あ、あの――――』

 『アンタは自分の秘密を打ち明けてくれた』

 『え・・・・』

 『それ程までに信用されているのか、はたまた寂しい気持ちを分かち合いたかったのか。なんにせよオレも秘密を打ち明けなくちゃならねぇ。
  フェアじゃないからな。オレだけ喋らないのは』


  寒そうにポケットに手を入れながら喋り出す。魔法使いの私も驚く様な事実。別の世界の住人。そういえば彼からは不思議な存在を感じていた。

  そして出てくるさくらという名前。あのさくらだ。色々な情報を一気に知ったせいで少し頭が痛くなる。そして感じる近親感。彼もまた魔法に
 関わり人生を大きく揺れ動かした人物だった。

  私の存在を忘れないというのも、その特別な在り方が関係するのだろう。普通は一つの体に二つの魂なんてありはしない。どういった過程で
 私という存在を意識しているのは知らないが、結果として私を忘れないで居てくれる。


  その事実に、思わず―――涙が零れてしまった。本当に何十年ぶりかに私を『認めて』くれた男の子。黙って頭を撫でてくれる彼。その感触に
 また涙を零してしまった。嬉しい気持ちで心が満たされていった。


 「・・・・まぁ、女たらしなだけかもしれませんが」


  見たのは偶々。義之が通っている風見学園。私が通っていた事もある学校に、少しばかり郷愁の念に駆られた私は近くまで行った事があった。

  相変わらずの桜並木。枯れた筈の桜が何故まだ咲いているのか疑問に思っていたが、義之の話を聞いて納得がいった。やるせない気持ちになる。

  私にあんな事言っておいて・・・という気持ちが無い訳でもなかった。だが、恨みきれない気持ちもあった。納得はいかないが理解は出来るから。


  そんなやるせない気持ちになりかけ―――――その光景を見て、シリアスな気分が吹っ飛んでしまった。


 『ちょっと義之、今日は私の部屋に来るんでしょうっ!? なんで天枷さんと一緒に帰ってるのよっ!』

 『おい義之、どういう事だ。今日お前はバイトの筈じゃないのか? もしかして休んでコイツの部屋に行くつもりだったのか?』

 『えー本当にぃ? 一緒に服を見て貰う予定だったのにぃ~』

 『義之くーん! 今日こそは少しでもいいからバンドやっていかない? 板橋くんも居るしさぁ~』

 『今日はお姉ちゃんと私とさくらさんとで一緒に夕飯を食べるんですよね、兄さん』

 『この間義之が欲しがっていた本を見つけたわ。本当の本屋さんなんだけれど、行くでしょ?』 


  ・・・・・なんだ、このハーレム軍団は。いや、純一もかなりのモノだったがそれに負けずと劣らずだ。こんな人間がまさか一生の内に
 二人も見られるとは。貴重な経験かもしれない。

  人嫌い―――そう言っていた義之だが、あれはきっと嘘に違いない。だったらなんでこんなに女の子をゾロゾロ引き連れて歩いているの
 だろうか。誰か理由を教えてほしい。

  顔は引き攣っていてぎこちない笑みを零しているが、あれはきっと嫌がっていないだろう。しょうもないモノを見せられた気分だ。まさか
 自分が女たらしの男性に引っ掛かるとは思いもしなかった。
  

 『何怒ってんだよ、アイシア』

 『怒っていません』

 『―――――ふぅん。あっそ』

 『そうです。私は別に怒っていません。ええ、そうですとも。貴方がすごく嘘つきでしょうがない男の子だとしても気にしていません。うん。
  結局あの後、誰と何処に行こうが知ったこっちゃ無いです。貴方は私が怒っていると言いますがって何をしてるんですかぁぁああーーッ!?』

 『おい。これまた首が取れたぞ。どうなってるんだお前の魔法の練度は。見掛け倒しなのか?』

 『な、なんで貴方はいつもいつもお人形の首を取っちゃうんですかっ!? 恨みでもあるんですかっ!?』

 『いや。知らねぇし』


  思い出しただけでも腹が立つ。なんでいつも私はあの人に苛められるのだろうか。というか首取れ過ぎだろう、作ったお人形。


 「・・・・・・・・はぁ」


  まぁいい。どるちぇなんとかと書かれた財布を袋の底に仕舞い、サンタの服を取り出す。そろそろクリスマスの時期なので活動しなくてはいけない。

  昔からこうやってこの時期はサンタの格好をしてプレゼントを渡し歩いている。見返りなんてものはないが、充実感というものはあった。

  プレゼントを渡されて喜ぶ子供達。その子の顔を見ているだけで心が満ち足されていく感覚が心地よかった。


 「クリーニングにも出したし準備は完璧。あとはプレゼントだけか。んー・・・・何にしようかなぁ・・・・」


  人形をあげるのは決まっているが、どんな外見がいいんだろ。そんな事を考えていて―――――ふと、風見学園の方向に視線を向けた。


 「・・・・・・・・んん?」


  なんだか違和感を感じる。明確に言葉には出せないが、どういう訳か違和感を感じた。この感覚は・・・・・・魔法が使われた時に感じるものだ。

  学校。さくらが居る所だ。今は学園長という立場に就いて仕事をしているらしい。というと、さくらが魔法を行使したのだろうか。

  それにしたっては・・・・・うーん・・・・・。なんかおかしい気がするなぁ。ちょっと魔法を使ってみたってレベルじゃ無い様な・・・・。


 「行ってみますか」


  正義の魔法使いとかを気取りたい訳じゃないが、どうしてか気になってしまう。興味本位。そういっても差し支えない。

  とりあえずサンタの服を丁寧に畳んで、店仕舞いの準備を整える。昔からそうだが、ある事が気になると夜も眠れない性格だ。

  そうして私はその違和感がある場所に向かった。ふと、空を見た。今年初めての雪。何かが起きそうな気がした。















 「あ? オレが呼ばれた?」

 「ああ。さっき桜内の名前が園内放送で流れてたぞ。声は学園長のモノ。何かまたやったんじゃないか?」

 「またって何だよ。またって。最近のオレは毎日をストレス無く過ごしている。良い気分だ。毎日こんな風でありたいよ」

 「よく言うとはこの事だな。桜内の性格からしてその『良い気分』は長くは続かないだろう。ああ、間違いない」

 「なんでよ」

 「当然の話だ。桜内みたいなかぶき者は自身が望まずとも、あちらから騒ぎを連れてくる。毎日カーニバル状態。見ていて飽きないよ、お前さんは」

 「あちらかどちらか知らねぇが―――んなもんシカトするよ。オレは本当に静かに暮らしたいんだ」

 「・・・・ふふっ」


  ニヒル気に口元を歪ませる杉並。腹が立ったので尻に蹴りを入れようとしたら上手い具合に躱された。はぁ、とため息をついてコートを羽織る。

  由夢―――あいつさっさと上着返せよ。寒くて仕方が無い。保健室で軽く寝て起きても由夢の姿は見えなかった。上着も置かれてない。

  腹が立ったので教室まで文句を言いに行ったが姿が見えなかった。しょうがないので教室までコートを取りに行く。その途中でコイツと会ってしまった。


 「まぁ、いい。それで――――なんでこんなに教室が静かなんだ? いつもならもっとうるせぇと思うんだけどな」

 「いつもなら白河や雪村といった桜内のカキタレ女性陣が騒いでるからな。その女性陣が居なくなれば静かにもなる」

 「カキタレ言うなよ。まだ誰にも手を出しちゃいねぇ。きわめてプラトニックな関係だ」

 「口付けを交わした女性の人数。改めて教えてやってもいいんだぞ。桜内よ」

 「・・・・・・」

 「桜内のプラトニックの定義は置いておくとして、だ。先程その女性陣が学園長室に向かうのを見たぞ」


  何も言い返せやしない。またムカっ腹が立ったので腹に拳をめり込ませようとしたが、あっけなくその拳の手首を抑えられてしまった。

  所詮こんなものだ。オレの力なんてちょっと力があるヤツにかかればこんな風に簡単に抑え込まれてしまう。杉並も意外に力あるからなぁ。
  
  掴まれた右手を外回りに切って、外した。合気道なんかで習う小技。だが、こんな小技も無ければオレみたいな奴は簡単に地面に叩き伏せられちまう。


 「ほう。なかなか味な真似を知ってるいるのだな。結構力を入れていたのだが」  

 「しょうもない事だ。自慢にもなりやしねぇよ。ちょっと格闘技かじっている奴なら知ってるよ、これぐらい」

 「ふむ」

 「お前の話がホントなら、あのやかましい女共は学園長室に居るのか。まったく。騒ぎ好きな奴らだ」

 「付け加えていうのならばエリカ嬢、美夏嬢、花咲、朝倉姉妹もそこに向かうのを見た」

 「は・・・?」

 「いやぁ~あーはっはっはっ! 桜内の名前が出たから気になって行ったのだろうな。相変わらずのモテモテ具合だな、桜内よ」

 「笑いごとじゃねぇよ。アホ」


  思わず顔を手で覆ってしまう。どいつもこいつも一癖も二癖もある連中ばかりだ。騒ぎにならない保証は無い。いや、絶対騒ぎを起こす。

  そんな連中が一斉にさくらさんのいる学園長室になだれ込む――――何かの悪い夢みたいだ。冗談にも程があり過ぎる。

  もう少しで聖なるクリスマスだってのに、何やってるんだあの野郎共は・・・・・。


 「くそ、しかたねぇ。ちょっと行ってくるか」

 「ほう。行くのか。蛮勇と勇気を履き違えるのは愚か者のする事だぞ?」

 「ふざけんな。つーか、てめぇも行くんだよてめぇも」

 「俺も行きたいのは山々なのだが、すまないが少しばかり用事が立て込んでてな。悪いが付き合えそうにない」

 「あ? なんだよ。またなんか騒ぎでも起こす気なのか」

 「――――――それは、秘密だ。桜内」

 「あっそ」

  
  こいつは決まって何かしらのイベント事の際に騒ぎを起こす。もはや様式美といっても過言では無い。にやにやしている杉並に別れを告げ
 教室から廊下へと出た。

  視線を窓の外に送る。寝る前より雪が勢いを増して降り注いでいた。どうりで寒いと思ったよ。こりゃ明日は休校かもしれない。さくらさんも
 頭を抱えている頃だろうな。

  こういう学校ってのは出来るだけ普通に運営しなくちゃいけない。いくら雪や大雨が降ったとしても臨時休校したとなっちゃ風見学園の『成績』
 に関わるからな。可哀想に。


 「そのさくらさんだけどなぁ。なんでまたオレを呼び出したのか・・・・分からねぇな、おい」


  ケンカ。最近はしていない。各行事でも杉並みたいに騒ぎを起こしてなんかいないし、至って普通で穏やかな暮らしをしている。

  それなのに呼ばれる理由。今日は特別に約束を取り付けたなんて事も無いし変わった事も無い。考えてもその理由が分からなかった。

  行けばその理由とやらが分かるのだが・・・・肩が重い。連中が騒ぎを起こしているのは確実な事。恐らくあれこれ言われるだろう。  
  

 「あいつらさくらさんに失礼な事してなきゃいいんだが・・・・・ん?」


  深々と降っている雪の中―――目立つ赤い服を着た女が校門前に立っている。そして見覚えるのある銀髪。寒いのか肩を震わせていた。

  何故アイツがここに来ているのか。前に風見学園に在学していたとは聞いていたが・・・・もしかしてオレに会いに来たんだろうか。

  そう思い、足の行く先を変える。確かもう少しでサンタの活動をするとふざけた事を抜かしていたが、それに関係しているのかもしれない。


 「何やってんだか、あいつは」


  コートを更に深く着こんで上履きからローファーに履き直す。玄関でこれだけの寒さっつー事は外は更に寒いのだろう。

  先程のアイシアを思い返す。肩を震わせ、おそらく校内の中に入りたいのだろうがはたして自分が入ってもいいのかと迷っている様に見えた。

  あの小心者め・・・。心の中でそう呟く。外に出てふと視線を上に送った。真っ白に染まった銀世界。まるでオレ達を包み込んでるかのようだ。


 「何か起きそうだな。かったりぃ」  


  先程の杉並の言葉を思い返す。騒ぎはあちらからやってくる。はっ、ふざけた話だ。誰もそんな事望んでないっつーの。

  頼むから何も起きないでくれよ。いや、マジな話で。

  




















 




 「うぅー・・・寒かったです」

 「風が吹いてなかったのがせめての救いだったな。あの雪の中で風に吹かれとなっちゃ冷凍死体になっちまう。凍死じゃなくて冷凍な」

 「・・・・きょろきょろ」

 「もう少し落ち着いて歩けよ。そんなんじゃ怪しんで下さいって言ってるようなもんだ」
 
 「で、でも私みたいな人がこんな所歩いていいんですか? さっきからチラチラ見られてる様な・・・・」

 「知らんぷりしとけばいいんだよ」


  義之から借りたコートをぎゅっと着直す。ぶかぶかで少し煙草臭いが、暖かい。芯まで冷え切った体が暖かくなっていくのを感じた。

  脇で「なんでオレは次々と着ているモノ貸しちまうのかな・・・」とぶつぶつ文句を言っている義之を端目に、歩いている廊下を改めて見渡した。

  私が通っていた頃より幾分か風景は様変わりしているが、殆どは変わらず当時のままだった。懐かしい気持ちになる。色々あったなぁ。


 「で、なんでお前さんはこんな所に来たんだ」

 「あ、そうですよ! それですよ!」

 「いきなり興奮するな。かったるい」

 「さくらって今何処にいるか知ってますかっ?」

 「さくらさん? 学園長室に居ると思うけど・・・・・なぁ」


  歯切れの悪い返事。なぜだかあまり行きたがらない感情が見え隠れしている。気の所為か足の歩みも遅くなっているような・・・・。

  もしかして――――また何かやらかしたのだろうか。実際は見た事ないがケンカを頻繁にする男の子らしいし。しょうがないなぁ、この子は。


 「そのお姉さんぶった顔やめろっつーの。似合わねぇって」

 「―――――ッ! ふ、ふんだっ! 実際に私の方がお姉さんなんです。そして義之はどうしようもないお子様です」

 「あ?」

 「またケンカでもしたんでしょ? だからそんなに行きたくない雰囲気満々なんです。さくら、怒ると怖いですからね」

 「・・・・・」

 「大体ケンカなんて子供染みた事をするのは卒業した方が良いですよ。ロクな大人になりません。もっと清く正しく生きて――――」

 「先行ってるぞ。アイシア婆さん」

 「だ、だれが婆さんなんですかっ!?」


  両眉をあげて呆れた顔をしながらどんどん先へ進んで行く義之。慌てて私もその後を追いかけた。こんな所でポツンと一人残されては目立って仕方が無い。

  文句を言おうと口を開き掛け、またスカーフを引っ張られて悲鳴の声を出してしまう。義之は事あるごとに私のスカーフを引っ張る。いじめっ子だ。

  そんな感じで目立ちながら歩いていると、ある部屋の義之の足が止まった。学園長室というプレート。どうやらここが目的地みたいだ。


 「そういえば――――なんでお前さくらさんに会いたいんだ?」

 「うーん・・・。話せば長くなる様な短い様な・・・・」

 「なんだよ。もったいぶった言い方しやがって」

 「まぁ、入れば分かる事です。というか会うの久しぶりで・・・・なんか、急にお腹が」

 「おいおい。今更になって日和ったのかよ。ここまで来て引き返すなんてかったるい事言いだすなよ。何の目的があって来たんだか知らねぇが」

 「うぅー・・・」


  久しぶりに会う友人、仲間、さくら。思えばアレ以来会っていない気がする。というか実際会っていない。あちこちの国を転々としていたのだから。

  勢いでここまで来たものの、急に緊張してきた。一体どんな顔で会えばいいのだろうか。分からない。けど、義之の言うとおり折角ここまで来たんだ。

  深呼吸を一つ。手に汗を掻いてるのが分かる。無理矢理萎える気持ちを押さえつけ、


  そして――――――。


 「失礼しまーす」

 「あっ! か、勝手に開けないで下さいよぉっ!!」  


  そんな私を無視して扉を開け放つ彼。あまりにも無情だ。私が緊張しているって分かってる癖にっ!

  ズカズカ入っていく彼の後ろに続くように私も部屋の中に躍り出た。ええいっ! もうどうにでもなれだっ!


 「・・・・誰もいねぇな、おい」

 「・・・・みたい、ですね」


  だが、そんな私の気持ちを知ってか知らずか――――部屋の中には誰も居なかった。人の気配さえ感じない。がらんとした部屋を見回す。

  隣の義之も何か肩すかしをくらったかのように頭を掻いている。私も同じ気分だ。さっきまでの緊張がバカみたいに思えてくる。

  ふぅっと息を吐いてコートのポケットに手を入れた。どうやらさくらは留守のようだ。多分他の用事でどこかに行ったのかな?


 「・・・・・」

 「義之、何してるんです?」

 「―――――ん。別に」


  さくらの物だろう机を、なにやら物色していた彼。どっちが落ち着きないんだか・・・・。こちらに向き直って素知らぬ顔をしている。

  とりあえずココに来たという事を知らせる為に何か書き置きしていった方がいいかもしれない。いきなり私が来て驚くだろうな、きっと。

  
  えぇっと・・・ペンと紙はっと・・・・。久しぶりかもしれないなぁ、日本語書くの。忘れてなきゃいいけど。


 「・・・・あ」

 「どうした。素っ頓狂な声あげて―――――って、なんだこりゃ」


  扉。あまりにもこの和室にそぐわない扉がそこにはあった。そして見た瞬間、それが魔法によるものだと理解する。これでも長年魔法使いはやってきたから
 間違いない。それは魔法によって作られた扉だった。

  義之も私の視線を辿ってその扉を見つけ、怪訝そうな顔をしている。という事は前までこの扉は無かったという事だ。見覚えのある扉だったらそんなに眉を
 寄せて首を傾げたりしない。

  私はそっとその扉に近づき――――手を当てた。目を閉じ集中する。一体これが『何の』扉で、『どういう』理由でこれを作ったのか知るた為に。さっきまで
 の気分を一新させて、更に集中を増した。


 「おい、アイシア。どういう事なんだ。なんだよ、このけったいな扉は」

 「・・・・・」

 「・・・おーい、アイシアちゃん?」

 「・・・・・」

 「おいコラ。シカトしてんじゃねぇよこの野郎」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「お前に黒の下着は早いと思うんだよね。オレ」

 「いつ見たんですかこの変態義之ィっ!!」


  目をカッと開けて義之を睨む。ニタニタした顔付き。してやったりという顔だ。ああん、もうっ! 一体いつどこで見られたんだろうか・・・・。

  思わずスカートを抑えてしまう。ほんっとーにこの男の子はどうしようもない。レディのパンツを勝手に見るのなんてドコの国でもマナー違反だ。

  睨み続けても涼しい顔をしている。はぁ、とため息をついて話をする体制に戻る。なんでこんなに疲れてるんだろう。私ってば。


 「それで、だ。何やら魔法に関する扉らしいが――――何か分かったのか?」

 「分かってるのなら邪魔しないでくださいよ・・・・」


  私のしている行為を魔法関係の事とみたのだろう。この子はその在り方の所為かそういう魔法に対する反応が人一倍敏感だ。

  まぁ、粗方調べ終わったから教えられるまでに材料は整った。頭のスカーフを改めて整えて体制を取り繕う。真面目な話をする時の私の癖だった。

  義之もそんな私の雰囲気を悟ったのか、真面目な顔付きをする。この人は空気は読める方なのにあえて読まないから困る。


  それにしても―――――また、こんな騒ぎに巻き込まれるとは。もしかして私って初音島に来る度に何かしらの事に巻き込まれていないだろうか・・・・。

  
 「この扉ですが・・・・過去に繋がっていますね。それも義之のお知り合いの女性達も既にこの扉の向こうにいます」

 「・・・・・・何?」

 「付け加えて言うならば・・・・もうあちらから帰る事は出来ないみたいです。出口、消えちゃってるみたいなんで」  

 「・・・・・・・・」
  
 「さて、どうしましょうか。義之?」


  驚きはしていないみたい。疲れた様な顔はしているけど。

  まぁ、この男の子の事だから・・・・。


 「はぁー・・・・・。オレさぁ、何かそんな嫌な予感はしてたんだよね。いきなり大雪は降るし、杉並がアイツらの後を追わなかったのもおかしい話だし
  アイシアのパンツは黒だしで違和感バリバリだったよ」

 「わ、私の下着は関係無いでしょうっ! 下着はっ! それになんですか、違和感って!」

 「せっかく心穏やかな日常を送れていたっつーのに。ぶっちゃけ魔法とかそんなんいらねぇんだよ、オレの生活に」


  ため息交じりに文句を言う。しかしずっと視線は扉に向けられたまま。


 「けど今更な話か。大体オレが生きてるのも魔法のおかげだし」

 「・・・・はぁ、まあいいです。それで?」

 「決まってるだろ。アイシア」


  肩を竦めながら私の肩をポンと叩く。これで私も巻き込まれる事は決定してしまった。まぁ、最初から着いて行く気でしたけどね。

  そもそも私がいなければこの扉の向こうには行けないし、帰れもしない。扉の隙間を見る。影ばかりで光さえ漏れていなかった。

  そしていつものつまらなそうな顔をして、彼はその言葉を呟いた。ああ、この人はどんな大変な時でも変わらないんだな。そんな場違いな事を考える。


 「じゃあ、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと帰ってくるか。まったく、しょうもねぇ女達だぜ」


  まるで近所のコンビニに行くかのような軽口。彼らしいと思った。

  私もその言葉に軽く肩を竦める。

  
  じゃあ――――ちゃっちゃと行ってきますか、ね。












[13098] クリスマスDays 3話
Name: 「」◆2d188cb2 ID:02d3eb0b
Date: 2011/01/29 20:48


  ・・・・・・・・  

  幸せってなんだと思う、ですか? さてね。現実的な事を言えば金じゃないですか。金が無ければ好き物喰えないどころか生活が出来やしない。

  ・・・・・・・・

  オレは息子でさくらさんは母親役の保護者だ。さくらさんにはオレを養う義務と責任があるんですよ。嫌だったらまた桜の木の前に捨ててきて貰って結構。

  ・・・・・・・・

  おい、はりまお。てめぇ何欠伸してんだこの野郎。ちょっとこっち来い。お前は少しさくらさんに甘やかれ過ぎだっつーの。

  ・・・・・・・・

  この間の話? ああ、さくらさんの資料にエロ本混ぜた事ですか。いやね。オレは一人身のさくらさんが寂しくない様に良かれと思いまして――――。


  頭を引っ叩いて少し教育をする。この子は私をなんだと思ってるんだ。本当に私と『あの人』の可能性とは思えないくらい外道だ。

  そして少し話をする。まぁ、なんだかんだ言ってこの子と話すのは楽しい。思春期になっても親を遠ざけたりしなかったのは少しだけ嬉しかった。

  そもそも義之くんに思春期があるかどうか自体怪しいが・・・・。昨日も飲んでたみたいだし。桜の木の前で拾った時は本当に可愛かったのになぁ。

  
  幸せの定義を聞いたのはホンの興味本位。ただ漠然に気になって聞いただけだ。さて、この人嫌いの男の子の幸せはいつ訪れるのかな?


 「ああ、幸せの話なんだけどさ。私はもう見つけたよ。義之くんはいつ見つけられるかな?」

 「・・・・ん、ああ・・・オレの幸せ、ね。もう決まってますよそんなもんは。多分これから先、性格が変わる事があっても―――それだけは変わりません」

 「ん? 何かなそれって」

 「別に教えてもいいんですが―――――んん、そうですね」


  眠そうに瞼を擦りながら勿体ぶった言い方をする。もう半分寝ている状態だ。というかその歳で朝帰りするとはどういう事だ。

  それにしても気になる。この捻くれのドラ息子がどういう定義を持ち合わせているか興味が湧く。気にならない方がどうかしている。

  ま、大体分かってるんだけどねぇ。伊達に長い間一つ屋根の下で暮らしてはいない。かれこれ十数年か。


 「―――――――――――――」


  その答えを聞いてやっぱり、と思う。これから先・・・きっと猛烈に苦労するだろうその台詞を吐いた息子。

  何十年も生きてきた私が言うんだ。絶対に苦労する。20を越えた歳の辺りで物凄く苦労する。その台詞を実行するのは。

  
  だから・・・・・・。


 「じゃあ約束をしよう。もし本当に、どうしようもなく全く手に負えない事があったら・・・私に助けて貰う事。分かった?」

 「・・・・んぐ」

 「って、寝てるし」












  

   

  

 
  ガヤガヤと喧騒にまみれている記憶と少し違う学校の廊下。何かのパーティの準備なのか。慌ただしく脇を生徒達が走り過ぎ去っていく。

  少し周囲を確認するように視線を走らせると、立て看板が置かれていた。それでやっとこの騒ぎの正体が分かった。


 「風見学園創立七年・・・・クリスマスパーテイ・・・」

 「え、何が?」

 「そこの立て看板に書かれた文字の事よ。そう書かれているわ」

 「創立七年って・・・・。確かウチの学校って建てられて――――」

 「六一年経ってるわ。それにさっきから気になってるけど、何だか建物がとても新しく感じられる。ソコなんかは地震でヒビが入ってた筈よ」
 
  
  小恋の言葉に即座に返答した。周囲の面々も何かおかしいのに気付いているのか視線をあちこちに送っている。

  扉を潜った先には学校があった。通い慣れた風見学園。私達の母校で在学中の学び舎。だが―――全く異質な雰囲気を放っていた。

  さっきから廊下を過ぎ去っていく生徒達の顔に見覚えは無いし、それに―――建物自体は同じなのだが細かい所では『全く』違うと言ってもいい。


 「え、そうなの雪村さん? 私からみれば別に・・・って感じなんだけど。確かに何かおかしい気はするけど」

 「まず備品の位置が大体は私の知っている場所から移動してるわ。それにさっきから見る人の顔に全く見覚えは無い。おまけに言えば制服の外見も
  一昔前のデザイン」

 「・・・・それってどういう――――」

 「ねぇ、そこの人」

 「ん? なんだ」

 「ちょ、ちょっと雪村さんっ」



  委員長の焦る様な制止の声。やはり心の何処かでこの状況に怖気づいていた部分があったのだろう。ココは何かがおかしい、と。

  私達の大半はそういう気持ちに駆られている様に思える。物怖じしていないのは茜に・・・・会長の音姫先輩ぐらいか。さすがというかなんというか。

  私が声を掛けた生徒の顔―――やはり見覚えが無い顔だ。全生徒の顔は頭が覚えている。雪村流暗記術。私の特技といってもいいものだ。


 「今日って何日だったかしら?」

 「は? おいおい。今日は12月22日だろう」

 「ああ、そうじゃなくてね」

 「・・・?」

 「西暦を聞いてるのよ。よくあるでしょ、何かの書類を記入する時とかバイトの履歴書を書く時にド忘れする時って」

 「・・・ああ」


  その言葉に納得がいったのか、持っていた荷物を持ち直して改めて話をする体制を取り繕った。後ろで緊張するように彼女らが身を強張らせるが伝わってきた。

  そんな様子の彼女達をちらっと見て怪訝な顔付きをする男子生徒。あちからかみれば、私達の顔こそが見覚えない無いに違いない。顔がそう言っていた。

  まぁ、目立つ様な女性ばかりだしね。余計にそんな気持ちになるのは分からなくも無い。最も―――私も負けずと劣らずの可愛さだと自覚している。


  場違いな事を考えている私を余所に、その男の子が年号を言う。

  後ろでどよめく様に驚きの声をあげる彼女達。

  私も半信半疑だっただけに、思わず少し驚きの声を漏らしてしまった。


  ああ―――こんな時に杉並がいればと思う。こういう時こそが彼が一番輝ける舞台だというのに。

  その男子生徒にお礼の言葉を述べると、彼はまた忙しそうに喧騒の中に飛び込んで行った。

  そしてポツリと言葉を漏らした。誰に言うでもなく、ただの独り言。まるで愚痴みたいな言い方で。

  
 「『過去の世界』・・・・ね。SFは専門外なのよ。全く」  












 「ざっと私が考えたところ、ここは54年前の世界ね」

 「・・・・雪村さん。気は確か?」

 「私の気がおかしい事でこの状況に納得出来るのなら、別にいいわよ」

 「・・・・・・」


  杏の言葉に閉口する委員長。しかしそうも言いたくなるのは確か。まるで漫画や小説に出てくるような設定だもんねぇー。驚くのも仕方が無いか。

  私はどちらかというと物事を結構楽観的に見る節がある。それに付け加えて私の中に居る死んだはずの妹の藍という存在。そういう不思議な事を体験
 している所為かこの状況にも怖さというより、なんだかワクワクした気分になる。

  小恋ちゃんなんかは少し不気味がっているのか、表情が強張っているのが見て取れた。そんなに怖がらなくてもいいのにね。


 「創立七年という看板にチラシ。見た事が無い生徒。配置が全く違う細かい備品。まぁ、大掛かりなドッキリならそれはそれでいいけれど」

 「それにしても54年前の世界かぁ。なんか武士とか殿様とかいそうなイメージなんだけど、まったくもって現代風なんだねぇ~。ちょびっと意外」
 
 「そういうのが見たければ200年前まで行かなければ駄目よ。残念だったわね、茜」

 「うーん。ま、ね」

 「ちょ、ちょっと雪村先輩っ? 過去ってどういう――――」
  

  早速エリカちゃんが突っかかっていくのを端目に窓の外を見てみる。校庭もクリスマスパーティ・・・クリパの準備に追われているのが見て取れた。

  ぼぉーっと見ていると目の前をひらひらと落ちていく一枚の花弁。桜の花弁。54年前の世界でも枯れない桜の木は健在らしい。見渡す限り咲き誇っている。

  そんな私に並ぶように美夏ちゃんも隣に来る。表情は別段取り乱していないようだった。何かを観察するでもなしに二人で校庭をしばらく見る。


 「過去の世界か。頭がパンクしそうになったよ」


  ふと、そんな言葉を美夏ちゃんが呟く。パンクという言葉を聞いて、そういえば美夏ちゃんはロボットだったなと思い出した。

  あまりにも普段から子供らしく、女の子らしい行動を取っていたからついその事を忘れてしまっていた。

  だって好きな人の為に料理を作ろうとするんだもの。そんな子をロボットという目でどうして見られようか。


 「んー?」

 「美夏のデータベースにアクセスしてみた。過去の世界についてな。そしたら出るわ出るわの情報量。相対性理論から果ては妄想に過ぎない仮説
  まで一気に頭中を駆け巡った。花咲に分かやすく言えば、そうだな。眠いところを何十回と起こされた気分だ」

 「うっわぁ~。最悪な気分ねぇー。もしかして美夏ちゃん、ご機嫌斜め45度?」

 「一瞬だけそういう気分になったがもう大丈夫だ。しかし、まさか美夏がこんな体験をするとはな。他に行きたい科学者や、やり直したい事があっ
  て過去に行きたがるヤツは大勢いるのによりによって美夏達が・・・・とは」

 「・・・・やり直したい事」


  藍。私が小さい時に死んでしまった妹。死因は水難事故だった。今でも鮮明に思い出せるあの時の感情、泣いていた両親、泣く事さえ出来なかった自分。

  小さい頃の私はどちらかというと、大人しい性格をしており反対に藍は活発な子だった。姉の私が妹に引っ張られる姿によく母親は笑っていたそうだ。

  しかし藍は死んでしまった。そんな光景はニ度と見られない。今ではなんとかみんな気持ちの整理がついたのか、穏やかに過ごせてはいるが・・・・。


  藍が何をしたというんだ。いい子だったじゃないか。いつも元気に走り回って何事にも楽しそうに興味を示した彼女が、何故。

  神様が居るというのなら全てを否定してやりたい。藍はしょうがない事故だったというが、なにがしょうがないのか。何に納得しろというのか。

  54年前の世界。そこに私達は今、いる。そんな大昔に行けるんだ。ちょっと10年前の世界にだってもしかしたら――――。


 「色々な仮説があるらしい」

 「え―――――」


  隣を見る。視線は校庭などではなく私の顔を見ていた。もしかしたらさっきまで暗い感情に支配されていた私の顔を、ずっと見られていたのかもしれない。

  途端に反射的にぎこちない笑顔を浮かべてしまう。見られたくない私の感情だった。誰だって自分の暗い所は見られたくない。普段が明るい私なら尚更。

  そんな私を美夏ちゃんはどう思うだろう。情けなく思うだろうか。そんな事を思っている間に美夏ちゃんの話は続いた。


 「もし過去をやり直したら美夏達は居なくなる可能性。もし些細な事でも変えたり起こしたりしたらバタフライ効果のように予測出来ない事態が引き起こさ
  れるかもしれない。水に波紋が起きたかのようにな」

 「へぇー」

 「もしくはパラレルワールドのように枝分かれした別な世界が生まれるかもしれない。だから現代に帰っても何も変わっていない、なんていう可能性もある
  らしいな。だからそれはやり直しに含むかどうか、さてさて」

 「・・・・・・」

 「もしくはどうあってもやり直せない可能性。もしやり直したら矛盾が発生する。その矛盾というのは世界という概念が最も嫌いなモノだ。だからどうあっ
  てもその行為が阻害され、目的を達成出来なという仮説もある」

 「似たようなのだと親殺しのパラドックスね」

 「・・・・杏ちゃん」


  いつから私達の話を聞いていたのか、杏ちゃんが後ろに立っていた。いや、杏ちゃんだけではない。後ろの小恋ちゃん達まで私達の後ろに立っていた。

  随分と私は美夏ちゃんとの話に熱中していたのかと少し驚いてしまった。思った以上に話にのめり込んでいたらしい。私らしくないミスといえばミスだ。

  いつだって周りの空気には敏感でいる私。やはり妹の話になると少しばかり調子が違うみたいだった。


 「もし過去に戻って自分の祖父を祖母と結婚する前に殺してしまうとどうなるか。そういう仮定の話があるのよ」

 「なんだか物騒な話ねぇ~・・・・。それで?」

 「祖父を殺してしまうと父親、母親のいずれかが生まれて来ない。結果、殺した本人は生まれて来ない事になり消える可能性がある」

 「あー・・・・そうなるわよね。確かに」

 「けれどね、茜」

 「うん?」

 「そうすると存在しない者が時間を遡るなんて出来ないんだから、祖父は死なずに祖母と出会う。そしてやはり孫は生まれて祖父を殺そうと時間を遡る」

 「・・・・・・んん?」 

 「となると祖父を殺した孫はやはり存在した事になる。けどさっき言った通り祖父を殺すと自分は生まれない。じゃあ、何が矛盾しているのか」

 「―――――頭がズキ―ンとしてきたかも・・・」


  いや、本当に痛くなってきた。私も藍も頭の方はそんなに強くないので、そういう謎掛けみたいな事をされると思わずのた打ち回ってしまいそうだ。

  周りの皆も一様に頭を痛そうにしている。あの音姫先輩でさえ眉を寄せてしまっているのだから。杏ちゃんぐらいよ、平気な顔をしてるの。

  そんな私達を面白くて仕方無い様に唇の端を歪めている。本当に小悪魔っ娘だ。心なしか黒いしっぽが生えている様だ・・・・うぅ。


 「ま、決まった答えなんてないんだからそんなに堂々周りするんでしょうね。実際体験した人も居ないんだし。考えても仕方が無いわ」

 「うぅ・・・・頭痛薬欲しいよぉ~」

 「さっき美夏が言った通りそもそも行為が阻害されて殺せないかもしれないし。所詮、暇な作家達があれこれ考えた妄想よ。案外なんでもないかもしれないわ」

 「だ、だったらそんな難しい事言わないでよ、杏っ」

 「たまには頭を痛めるのも良い運動よ、小恋。それより探索してみましょうよ、探索」

 「た、探索?」

 「こんな経験なんて滅多に無いわ。だったら探索してみたいというのが素直な気持ち。みんな、どうかしら?」

 
  どこかウキウキした様子でそう言ってみんなを試すかのように視線を配った。杏ちゃんは頭が良い以上に好奇心旺盛な女の子だ。

  だから生徒会に目を付けられるほど悪戯もする。伊達にあの杉並くんと並ばされる程までにブラックリスト入れされていない。物怖じしていなかった。

  まぁ、私も漏れなく好奇心旺盛な女の子だ。そう提案されては否定出来る筈もない。だからいの一番に手を上げて立候補した。当り前じゃない。


 「はいは~い! 私と小恋ちゃんはそれに賛成でーすっ!」

 「わ、私もっ!?」

 「ちょ、そ、そんな歩き回っちゃっていいのっ、雪村さん? 万が一何かあったらどうするのよ」

 「別に個人行動じゃなくてあくまでグループ分けして行動するから平気よ委員長。そして集合場所は扉があるここにする。他に何か質問は?」

 「・・・・・何分後に集合するのかしら、雪村さん」
      
  
  意外な声―――他の人はどうだか知らないが私はそう思った。杏ちゃんと対するかのように前に出た音姫先輩。そういえばさっきから黙っていた
 様な気がする。こういう時は率先してまとめにかかると思っていた私にとっては、その黙っていたと思われるまでに静かだったのも意外だ。

  そしてまさか賛成ともいえる言葉を吐くとは―――。由夢ちゃんも驚いた様な顔をして姉を見ている。杏ちゃんもぽかんとしていた。すぐさま私達を
 出た扉から帰して、後は自分達で調査すると言ってもおかしくない性格の持ち主の生徒会長。

  顔付きは真剣味を帯びている。決して私達みたいに愉快さ気分で探索するような感じでは無い。だというのにいち早く歩きまわりたいと言わんばかりの
 口調と気勢。杏ちゃんはやや怪訝な顔をしながら答えを返した。


 「・・・そうね。50分後でいいんじゃないかしら? 50分経って一回ここに戻って来て念のため私達の世界に帰る。どうかしら?」

 「いいと思うよ。じゃあ、早速行こうか」

 「あ、ま、待ってよ姉さんっ!」  

 「グループで行動しようと言ったのに・・・・」


  集合時間を聞いてすぐさま踵を返した音姫先輩。呆れる様に杏ちゃんはため息を吐いた。これもまた意外な行動。集団行動から自ら離れるなんて。

  いや―――何かを確認したくて焦っている様に思える。その『何か』は分からないが、足取りは決まっている様に躊躇が無かった。

  いくら過去の世界とはいえ見知らぬ土地と言っても過言ではないというのに・・・・。


 「なんだかこっちにきてから音姫先輩の様子、おかしいわねぇ」

 「普通なら率先して前を歩きそうなものだけれど・・・まぁ、いいわ。さっそくメンバー分けしましょう。その後、散策がてら義之の姿を見つける事」

 「ほえ? 義之くんこっちに来てるの?」

 「分からないわ。ただ学園長室に呼ばれた義之がこっちの世界に来ていないというのは少し不自然じゃないかしら。彼なら開けるでしょ、こんな不思議な扉」
 

  そう言って私達が出てきた扉に視線を送る。確かにそうかもしれない。あの部屋に一番行っているのは義之くんだ。そんな彼が見た事も無い扉が急に
 現れれば驚き不思議な思いになり、開けるのは確実だ。

  彼もまた私達以上に好奇心旺盛な男の子。一人でこちらを探索していてもおかしくはない。怖さなんて感じる性格ではないし、きっとこちら側にもう来ている
 可能性は高い様に思えた。

  そういえば放送が流れる前にちらっと教室から抜け出す所を見たけど・・・あれは何処に向かってたんだろう。鞄は置いてあるからサボって家に帰ったって
 訳でもないだろうし。まったく。相変わらずフラフラしている男の子だ。


 「じゃあメンバー分けするわね。組み合わせは―――――」  


















  校門を出て周りを見渡す。目に見える風景の殆どは私の記憶と同じだ。しかし、やはり細かい所では違うので常に違和感が付き纏っている。

  ある筈の物が無く、無い物がある状態。右に見える道なんかは私の世界より大幅に狭いのなんて特に分かりやすい。そこには狭そうに歩く猫が歩いていた。

  過去の世界なんてまさか、ね。そう思うが否定し切れない。扉があった部屋の持ち主――――さくらさんは魔法使いだ。それも追随を寄せ付けない程までの
 圧倒的な力を持った私の師匠とも言える存在。

  そんなさくらさんなら、こういった現象を起こせると思う。さくらさんの所為だとまだ決まった訳ではないが私の中ではもう既にさくらさんが関わっている
 と確信的に近い思いがある。思えばあの扉を潜る前に微かに魔法が使われた余韻みたいなのがあった。


 「どこにいるんだろう。さくらさんは」


  とにかくさくらさんの姿を見つける事。もしここに居ないというのなら、それはそれで構わない。帰ってから聞けばいいだけなのだから。

  しかし、居ないという可能性は少ないと考える。例の放送は間違いなくさくらさんの声。生憎来たのは弟くんじゃなくて私達だが呼び出したという事は
 こちら側に来ていると考えた方が妥当だろう。

  一緒に来た子達は少し楽観的に考えている様だが、魔法が関わっていると知っている私にとってはとてもそんな気分にはなれやしない。それにあの切羽詰ま
 ったような弱々しい声。


  それを思い出し、ふと考える。あれはもしかして呼び出したんじゃなく、予想外の事が起きて巻き込まれて――――――――。


 「なぁ~」

 「うん? ああ、さっきの猫ちゃ―――――」 


  そう言いかけて、思わず口を窄めてしまう。猫・・・・なのだろうか、この子。なんだか妙に体が小さいし目は何処を見ているのか分からない。

  体系的に言えばはりまおに近い体系をしている。しかしあれはまだ犬か猫かかろうじて判別がつく。この子はその判断さえつかない。いや、可愛いんだけれどね?

  たらーっと汗を流しながらぎこちない笑顔を浮かべる自分。今の鳴き声、私に鳴いてきたのだからとりあえず返事をしないと。


 「こ、こんにちわ子猫ちゃん。もしかして子犬ちゃんかな? あ、あはは」 

 「うにゃ?」

 「・・・一応首輪は着いているから飼われてるのね。それにしても初めて見る種類のペット・・・・私の世界でこんな生き物なんていないし・・・」

 「にゃ」

 「え、あ、ちょ――――」

  
  私をじーっと見ていたかと思うと、たっと駈け出して向こうの道に行ってしまう。もしかしたら怖がらせたのかもしれない。うぅ、悪い事したなぁ。

  しかしその猫は角を曲がる直前、立ち止まりこちらを振り返って来た。そしてまたじーっと見られる。警戒されているのかと思ったが、そんな感じはしない。

  これってもしかして――――誘われている? 止まっていた足を歩めるとその猫もまたゆっくり歩き出して行く。等間隔の距離。だがそれを空けようとしない。

  
 「・・・元々こっちには何の情報も無いしね。とりあえず着いて行こうかな」


  さくらさんを追うにも手掛かりなんて無い状態。本当にさくらさんがこの件に関わっているかさえ分からない現状。頼れるものは何でも頼ってしまう事に
 しようと考え、段々歩く速度を上げていく。

  ちらっと携帯を出して見てみる。圏外の表示マーク。過去の世界で携帯なんて使えるとは思っていなかったが、これじゃ私が何処にいるかを由夢ちゃんなり
 誰になり連絡する事が出来ない。

  待ち合わせ時間は50分後だったか。学校を出てもう10分くらい経っている気はするから、あと40分経ってさくらさんが見つけられないなら一度戻る
 事にしてみよう。遭難したなんて騒がれて迷惑を掛ける訳にもいかないしね。

  携帯をポケットに仕舞い前に向き直る。相変わらずあの猫は私を先導するかのように時々後ろを振り返っている。知能は高い様だ。周りの景色を覚えながら
 その猫の後を追っていく。


  通る道は全部見覚えのある道だった。いつもの通学路を渡り、歩道を越え、並木道を歩く。通い慣れた道が次々に視界を過ぎ去っていく。

  そして車両通行止めの看板が立てられている脇を通り、着いたのは――――公園だった。


 「・・・はぁ・・・はぁ・・・ここって・・・・」


  思った以上に息を切らせてしまい、その猫が止まると同時に膝に手をついた。汗を拭きながら改めて辿り着いた場所を見渡す。

  ここは馴染みの深い朝倉家に近い公園だった。私の知る公園よりもやや小規模だけれど間違いなくあの公園―――枯れない桜の大本の木がある公園だ。

  乱れた髪を整えながら猫を見ると、視線はその大本の木に方に向いている。この頃通い慣れた小さな獣道も存在しておりその木の元に行くのは可能と思えた。


 「・・・・・・よし」


  魔法が関係しているであろうこの騒ぎ。あの枯れない桜の木が無関係ということもあるまい。この時代に来てから観察していて分かったが、この時代にも
 枯れない桜の木は存在していた。髪についている桜の花弁を落としながら乱れた呼吸を落ちつける。

  冬真っ只中の12月だというのに満開に咲き誇っている桜の花。もしさくらさんが居るというのならここに居る可能性は大だ。つい先月も私とさくらさんは
 この場所に来て桜の木の制御を行っていた。

  馴染みの深い場所。行ってみる価値はある。猫の姿はもう見えない。きっとあの猫はさくらさんと縁の深い動物かもしれないな。だから私をここまで案内して
 くれたと思っている。お礼を言い損ねたが、また今度会う機会があったら煮干しでもあげてみよう。


 「お姉ちゃーんっ!!」  

 「え?」

 「はぁ・・・はぁ・・・。もう、一人で何処かに行くのは危ないから駄目だって話しだったじゃないですかっ。急いで追い掛けて来たから間に合ったものを」

 「あ、あはは・・・。ごめんね、由夢ちゃん。ちょっと確認したい事があって・・・・」

 「―――――はぁ」


  呆れた顔付きでため息をつく。確かに不用心でみんなに迷惑を掛けてしまった。こんな状況だというのに身勝手に単独行動を取った自分。帰ったら責められる
 のは確実だ。生徒会長なのに下級生の子達に怒られる私を想像すると、情けなく思える。

  一言でも声を掛ければまた違ったかもしれないが・・・・もう後の祭りだ。平身低頭に謝らなくてはいけないだろう。許してくれるかなぁ。特に雪村さんとか
 笑顔でコメカミぴくぴくしてそうで怖いかもしれない。


 「それで、どこに行こうとしてたんですか?」

 「ちょっとそこの奥の枯れない桜の木の前まで、ね」

 「奥の桜の木?」

 「うん。だからちょっとそこで待っててくれないかな、由夢ちゃ――――」     


  そう言い聞かせて上げかけた足を・・・戻した。視線は変わらず奥の枯れない桜の木の方向に向いている。そこに向かう為には足をその方向に伸ばさなくては
 いけない。分かっている。それは理解している。

  なのに足は言う事を・・・聞いてくれない。当り前だ――――別に行きたくもないんだから。さっきまでの焦燥感が急に冷めてくる。なんで私は、そんなに必死
 になっていたのだろうか。こんなに汗臭くなってまで走る意味はあったのか。

  なんか、バカみたい。ため息をついて改めて由夢ちゃんと向き直る。きょとんとした顔をしていた。当り前か、みんなに迷惑を掛けてまでここまで走ってきたの
 に急に足を止めたのだから。


  あーあ、本当に何やってるんだろ私。みんなが羨む生徒会長が聞いて呆れる。さて、元の場所に戻ろうかな。


 「帰ろうか。由夢ちゃん」

 「・・・・・・は?」
 
 「ほら、行こう。こんな所にいたって何も面白い物なんてないんだから」

 「ちょ、ちょっと。奥の枯れない桜の木まで行くんじゃ―――――」

 「んー。何か面倒になっちゃったのよ。わざわざあんな獣道通って服とか汚したくないし」

 「え? え??」

 「だから、帰ろう? 由夢ちゃん」

 「う・・・・うん・・・」


  強く言い聞かせるように瞳を覗くと、驚いた顔をしながら頷いてくれる由夢ちゃん。相変わらず素直な子で大変よろしいかな。いつまでもそういう由夢ちゃんで
 あってほしいと思うのは、少し私の我儘なのかもしれない。

  しかし、なんで私は走ってたんだろうなぁ。別にそこにさくらさんが居るって確実な事じゃないし、無駄足になる可能性もあるのに。急な状況に相当テンパって
 いたのかもしれない。はたまた最近の忙しさで疲れていたとか、十分な理由はある。


  そうして私達はその場所を後にした。心の片隅に、違和感を感じない違和感を抱えながら―――――。














 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・んんっ」


  喉を鳴らし取り繕う様に眼鏡の位置を直す。別にズレてはいなかったが癖みたいなモノだ。多分もう直り様が無いし、直す必要性もないだろう。

  ちらっと視線を脇に送ると、白河さんの仏頂面、花咲さんの澄まし顔。その光景にため息をつきたくなるが、つけるような空気ではなかった。

  花咲茜、白河ななか、そしてわたし、沢井麻耶。探索チームはこの三人と残りの四人で別れる事となったのだが、今すぐにメンバーチェンジして欲しい・・・。


 (空気、重ッ! なんでこの仲の悪い恋敵二人を一緒に組ませるのよ雪村さんっ! そしてその中に私を入れないでよっ!)


  恐らく緩和剤として私を入れたのだろうが、ハッキリ言って何も緩和できない。もし板挟みとなって緩和しようとするならペッシャンコになってしまうのは
 確実な事・・・・。自殺行為と同意だ。

  二人から視線を外し、改めて歩いている商店街を見回してみる。50数年前と言っても別に変わり様はなかった。確かに細かい部分は違ってはいるが精々
 本屋さんやスーパーなどが大きくなっているか小さくなっているかの差しかない。

  元々初音島は時の流れが遅い島だ。時代に取り残されているとも言えるが、私はそんな島が結構気に入っている。だからこの街並みを見ているとどこか
 ホッとするような気分になれた。


 「狭い道だね」

 「え?」

 「今歩いている場所の話だよ、委員長さん。私達の世界じゃもっと道幅が広かった様な気がするもん」


  『もん』の辺りで花咲さんの片眉がぴくっと動いたような気がする。前に花咲さんの嫌いな人間像を聞いた事があるが、それは語尾に『もん』をつける
 ぶりっ子タイプだという。

  花咲さんもそういったタイプに見られがちだが、付き合ってみるとお姉さんタイプだというのがよく分かる。案外に面倒見がいいのだ、彼女は。人嫌い
 の天枷さんが一番に仲良く慣れた女性が花咲さんだというのも頷ける。


 「情緒がないのね。白河さんは」

 「・・・どういう意味かな?」

 「もっと周りを見なさいって事よ。空気も美味しいし、空もなんだか蒼く済み渡っている気がするわ。なんだか懐かしい気分に浸れるし」

 「・・・・・」

 「郷愁。それに似た気分に浸れてなんだか気持ちいいわぁ~。あそこにある焼きイモ屋なんて今じゃ滅多に――――」

 「ババ臭いね。花咲さんは」

 「・・・・・・」 

 「んんっ! んっ」 

 
  また大きく喉を動かして場を取り繕う。さっきより重くなった雰囲気にまた眼鏡がズリ落ちて気がした。眼鏡拭きでテンプル部分を拭き、掛け直す。

  花咲さんは変わらず笑顔を保っているが、目が笑っていない。指の関節なんかポキポキ鳴らしているし。スタイルがいいからまた様になるのが怖い。

  白河さんは反対的に敵意を剥き出しにしている感じだ。顔は笑っていないし手をぎゅっと握りしめている。まったくこの二人は本当に・・・・。


 「イヤねぇ。これでもまだ白河さんと同い年の女の子よ。そりゃ、白河さんみたいにすこーしだけ頭の足りない脳天気な女の子から見ればそう
  見えるかもしれないけどねぇ~」

 「・・・・なんでそんなにケンカ腰なのかな、花咲さんは」

 「そっちが最初に売ってきたから買ったまでよぉ? 私はケンカとか争い事は嫌いだから売るなんて真似はしないけど――――売られたら買うまでには
  腰抜けじゃないわ」

 「最初に売って来たのは花咲さんの方からでしょ。私はただ単に道が狭いねって言っただけじゃない」

 「私はそれに対して感想を漏らしただけよ。ああ、なんでこんな素晴らしくて懐かしい気分になれる風景を分かってくれないんだろう・・・ってね」

 「よくそんな事がヌケヌケと言えるね。私の事、嫌いな癖に」

 「―――――それはお互いさまに、と言えばいいのかしら」


  仰々しく手を広げて頭を垂れる花咲さん。まったくもって譲り合わない二人に頭の奥が痛くなってしまう。桜内は毎日こんな思いをしているのか・・・・。

  とは言っても、元々はあの男がどの女性も選んでいないからこうなってしまうから同情は出来ない。誰かに手を出してればいいものを、誰にも手を出していない
 のだから皆お互いに牽制しまくっているのが現状だった。

  彼の性格ならばスッパリ自分の彼女を選ぶと最初は思っていたのだが――――気が付けば誰とも付き合わずに、女性を囲っている環境になってしまっている。

  何がしたいのか。もしかしてハーレムを作って酒池肉林を楽しみたいのか。いや、だったら誰か一人にでも手を出している筈。全く訳が分からない。


 「・・・・意外と恋愛に関して優柔不断なのよね、桜内って」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 「ん? なんだか静かに―――――ひっ」


  急にさっきまでの喧騒が静かになったのを怪訝に思い、脇を見て―――情けない悲鳴を上げてしまった。白河さんと花咲さんが二人して私の事をジ―ッと
 見ていた。思わず飛び跳ねるのを我慢出来たのは奇跡に近いと思う。

  え、なに? なんなのよ。ずっと空気に徹していたというのに、今更私の事なんて気にかけなくていいのに・・・・っ!


 「そういえば委員長さんて、最近義之くんと喋るよね」

 「この間だってよっしぃと図書室に行ったりしてたし~。ねぇ、何してたのかなぁ?」

 「な、何してたって・・・・」

 「私と天枷さんが着いて行くって言ったら義之くん、『邪魔だから来るな』って言うんだもの。酷い話よねぇ」

 「え、そんな事言われんだ?」

 「そうそう。委員長はOKなのに私達はNGって、ねぇ?」


  いや、だって花咲さんと天枷さんて結構おしゃべり好きだから図書室に来たら迷惑になるし。なんて事は言えず、思わずあたふたとしてしまう。

  二人はさっきまでのケンカが嘘のように「えーやだぁ、何してたのかな」「義之くんが女の子と二人になってする事といったら」と仲良く話をしている。

  何をしていたって――――別に普通の勉強だ。と言っても内容は機械工学に関する座学。桜内は将来はそっち系の道に行きたいみたいで一緒に勉強していた。


 『委員長も工業系に進むのか。てことは行くべき道は同じ、か』

 『桜内もそっちの道に行くのよね? 確かロボットに関する工学――――分類としては先端技術分野に入るわ。勉強、難しいわよ?』

 『簡単だったらやりがいが無くて困るよ。そういえば図書室にそれに関する資料とか教材があったな。うし、行くか。委員長』

 『え?』


  いきなり席を立ち私の手を引っ張って図書室に足を向ける桜内。その急な行動に半ば放心してしまった私はそのまま図書室にまで連行されてしまった。

  それからはよく桜内と一緒に居る事が多くなったと思う。お昼を食べながらあれこれ言い合う私達。そういえば花咲さん達が来なかったのは彼がストップ
 を掛けていたからなのか。

  男の人とずっと一緒に居るという機会があまり無かった私は、最初の内は戸惑う事が多かった。だが、話しているうちに楽しくなり気にならなくなった。

  桜内は雑学とかボキャブラリーに豊富な知識を持っており、話術が上手いというのもあるのだろうが・・・・。


 「いいなぁ、委員長さんはー。私も義之くんと一緒にお昼食べたいのにぃ」

 「最近お昼は麻耶っちに取られっぱなしだもんねぇ~。もしかして麻耶っちも義之くんの事―――――」

 「ば、ばか言わないでよっ! なんで私があのロクでも無し男とっ!」

 「あらら、怒っちゃった。もしかして図星だったかにゃ~?」


  弄る対象を見つけて嬉しいのか、にまーっとした笑顔を携えて絡んでくる花咲さん。白河さんも似た様な性格なのでにたにたしている。

  この二人は仲が良いのか悪いのか時々分からなくなることが多々ある。共通の話題や意識を持つとここぞとばかりにシンクロするから絡まれる方に
 とってはたまったものではない。

  肩を大きく揺らしながらズンズン商店街の道を戻る私を、二人が笑いながら追いかけてきた。もしかしたらこんな事を想定して雪村さんは私をこの
 メンバーに捻じり込んだのかもしれない。


 「あ~ん。待ってよぉ、まやまや~」

 「あはは。ごめんごめんなさい、委員長」  

 「・・・まったく。なんで私がこんな面倒な事を・・・・」


  損な役回りだ。いつも私は雪村さんに良い様に使われてしまう。腹立たしい気持ちと、毎回騙される自分に呆れた気持ちが湧き立つ。

  いつか桜内に言われた事だがどうやら私は『純粋』らしい。悪い男に騙される典型的な女と笑いながら言われた。悪い男―――ぱっと浮かんだのは彼だ。

  複数の女性をたぶらかしているのもそうだし、何より人を殴るのに躊躇をしない。他人様の弟をあちこち引き摺り回しているのも良い証拠だ。


 『しかし、アレだな』

 『え?』

 『もしかしたら将来オレと一緒に仕事をする機会があるかもしれないな。目指す場所は一緒なんだ。同じ釜の飯を食ってもおかしくない』

 『・・・ふふっ。そうかもしれないわね』

 『義之・麻耶コンビか。なんだか火星にでも行けそうな凸凹コンビだな』


  顔を手で覆い、皮肉そうに笑いかける彼。私もそれに笑みを返す。そうなると彼とは長い付き合いになるかもしれない。これも腐れ縁というやつか。

  悪い男に引っ掛かる――――ね。もしかしたらもう引っ掛かっているのかもしれない。彼と二人で喋っていると時々妙な安心感に囚われる時がある。

  変な所で頼りになりそうな感じだしね。きっと彼はそうやって色々な女性を弄んでいるのだろう。なんだ、やっぱり悪い男じゃないか。


 「桜内・・・・か」


  お母さんにも挨拶したし、弟とも仲は良好だ。おそらく家族の印象は悪くないだろう。

  あんな爛れて面倒くさい女性達のしがらみに首を突っ込む真似はしないが――――そうやってずっと争っていたら、もしかしたら『職場の女の人』
 と結婚するかもしれないわね。そういうケースってよくあるらしいし。

  まぁ、いい。その時はその時だ。悪い男に引っ掛かる女というのを実践してやろう。そういえば桜内はお昼をコンビニ弁当で済ませる事が多かった
 筈だ。作れるのに面倒という理由でお弁当は持参してこない。


  今度お昼が一緒になったら少しおかずを分けてやろう。二人きりの空間だし邪魔は入らない。そんな考えに自分で苦笑いしながら私は、後ろの二人に
 追い着かれるよう歩く足の幅を狭めた。   















  相変わらずクリスマスパーティの準備で忙しいのか、喧騒は止むどころかあちこちに飛び火しているみたいに更に熱気が渦巻いていく。

  雪村先輩の判断の元、私・天枷さん・月島先輩・雪村先輩の布陣となった。とりあえず学校内を歩きたいと雪村先輩が言ったので、その後ろを私と
 月島先輩は歩いている。

  天枷さんは雪村先輩の隣だ。さすがに私と組ませるのは良しとしなかったのだろう。そんな訳で滅多に喋る事の無い月島先輩と談笑を楽しむ事にしていた。


 「へぇ、音楽をやっていらっしゃるの?」

 「うん。メンバーは板橋くんとななかと・・・義之も時々来てたんだけど、最近は三人でよく集まって演奏してるよ」

 「え、義之が?」

 「・・・うん。ここ一年間は顔を出さないんだけどね。あ、あはは」

 「ふぅん。義之が、ねぇ」


  しょんぼりとした顔を隠す様に笑みを浮かべる月島先輩。信じられない話だが、『あの』義之がほんの一年前までは人当たりのいい爽やかな少年
 だと聞いた時は思わず唖然としてしまった。

  途中入学した私からすればかなり驚きだ。桜内義之といえば傍若無人で人当たりは悪く、爽やかさなんてものは一番縁が遠い場所に居る男性だ。

  初対面で事故で胸を揉んできた事からそれは分かる。あの時は思わずビンタしてしまったが――――よく殴り返されないもんだと、今になって思う。

  
  あの男の人はやられたらやり返すタイプだ。まるで蛇のようにしつこく付き纏い、何倍にして返すタイプ。約一年の付き合いだが、それがよく分かる。

  よく私が近付けたものだ。あまつさえ恋愛の感情を持つようになるだなんて。この星に来た時には考えられなかった。


 「義之の口から音楽に関する話はあまり聞いた事がありませんわね。テレビでクラシックの話題が出た時はそれなりに喋りましたが」  

 「うーん・・・クラシックかぁ」

 「交響曲より協奏曲の方が好みらしいですわね。まぁ、あの性格で交響曲が好きというのは無いと思いますが」  


  あくまで自分が主導権を握りたいタイプの彼からすれば尤もな話か。義之は元々人嫌いの人間。他人に合わせるのが苦手な人種だった。

  調べてみたところ人嫌いというのは別に珍しくないという。それもここ最近の症例などではなく、昔からそういった心の病を持ち合わせた人はいたみたいだ。

  よくうつ病と勘違いされるようだが全くの別物のメンタル的な病気。治す方法は無く自然的な改善ぐらいしか手は無いみたいだ。カウンセリングも難しい。

  だが、何故か知らないがここ最近の義之はそんな素振りは見せない。もしかしたら治ったのかもしれないわね。気に入らない人には相変わらず徹底してるけど。


 「ほう。昔の携帯はあんなに大きいものだったのか」

 「小型されたのはつい最近の話よ、美夏。最初は普通の鞄ぐらいの大きさだったんだから」

 「うへぇー・・・。持ち歩くの大変そうだな。美夏は力が無いから無理だ」

 
  楽しそうに携帯でおしゃべりをしている女子生徒を見てそんな事を呟く天枷さん。確かに私達がいた世界と違って幾分か大きい携帯だった。

  確か資料ではこの時代から急激に携帯電話の技術が上がった筈だ。私の故郷の星より地球は技術的には遅れているものの、その進歩の早さには舌を巻く。

    
 「でもこうやってエリカちゃんと会話をする機会って無かったから、なんだか新鮮かも」

 「私も同様にそう感じています。花咲先輩やら義之とは結構お話しますが。もしかして月島先輩とマトモに会話をしたのってこれが初めてかしら?」

 「そうかもしれないね。いつも真っ先に茜がエリカちゃんに絡んでいって、後ろで私は杏と一緒に見てるだけだから」

 「最低限の挨拶はしていたつもりだったのですが・・・・失礼な態度を取っていましたわね。申し訳ありません。以後気を付けます」

 「えっ、あ、そ、そんな畏まらないでいいってっ!」


  手を顔の前であたふた振る彼女を見て、軽く下げていた頭を上げる。どうやらかえって困らせてしまったようだ。周りに居ない人種なだけに距離が
 上手く掴めない。私の周りの人達は良い意味でも悪い意味でもアクが強い人達ばかりだ。

  その人達にと比べると、この月島小恋さんという人物は『普通』だ。日本人の資料通りに慎ましく大人しめで、可愛らしい女の子。喋ってみた感じ
 嫌な部分を持ち合わせていないように思える。まぁ、そんな人間なんでいないのだが。

  聞けば義之の幼馴染という話。だが、これといって特別に話をしているシーンは見掛けたことが無い。気の弱そうな女の子だ。あんな義之に話し掛け
 ようとすればかなり勇気が居る筈。


 「なんだムラサキ。月島の事を早速苛めてるのか。しょうがないヤツだな」

 「・・・なんですって」

 「ち、違うから美夏ちゃん! エリカちゃんとはただ話をしていただけで・・・」

 「そうなのか? 月島は人がいいからムラサキに絡まれると思ったぞ美夏は」

 「それは――――どういう意味を含んでいるのかしらね。天枷さん」
 

  髪を梳きながら首を傾げて唇の端を歪める。びくっと隣の月島先輩の体が震えた様な気がしたが―――このロボットに文句を言って欲しい。

  いったい天枷さんには私がどういういった人物像で見られているのか。こんな無害で気の良い女性に絡む程までに性根が曲がっているとでも言いたいのか。

  そうか、きっとそう言いたいのだろう。自分で言うのも自惚れが過ぎると思うが、私は品行方正で誠実な女性だ。そこまで言われる所以は無い。


 「まぁまぁ、ケンカなんて止しなさいな。私達はここの住人ではないのだから、目立っちゃ駄目じゃない」
  
 「杏先輩・・・」

 「それに私達は一人の男を好きな女達。喧嘩をしても仕方が無いけれど、こういう時は手を取り合うのも悪くないんじゃないかしら」

 「好きな女達って―――――え?」

 「ひゃうっ!」

  
  隣の月島先輩を見ると、驚いたように体を強張らせた。というか、え、月島先輩も義之の事を好きだったのっ!?    

  雪村先輩が義之の事を好きなのは知っていた。義之のクラスに行った時にそう告げられたから。髪が逆立つ程までに熱くなった私に冷静に対処する雪村先輩。

  あの時は上手く丸め込まれてしまって歯痒い思いをした。それ以来何だか苦手意識を持っている。まるで布を相手にしているみたいで全然手応えが無かった。


 「何を今更驚いているの、ムラサキさん。小恋が昔から義之を好きなのなんて誰でも知っている事じゃない」

 「初めて知りましたわよっ。月島先輩が義之のことを好きだなんて・・・・」

 「別に今更一人や二人増えたっていいでしょ? 減るモノじゃないんだし」

 「減りますわっ! 確率がっ!」
 
 「確かに分母が増えて相変わらず分子は一のままね。でも、だからってそのまま数値化するとは限らないわ」

 「どういう事なのだ、杏先輩」

 「要は個人の頑張りでいくらでも確率は変わるって事よ。競争相手が増えたならその分に頑張ればいい話。ほら、立ち止まっていないで歩きましょう」


  それで話は終わったとばかりに歩みを再開した。天枷さんも特にそれに反論は無い様でまた隣を歩きだす。なんだか、私だけ熱くなっていたみたいだ。

  後を追う様に私も止まっていた足を動かせる。隣に並ぶ月島先輩。どことなく気まずそうな呈をなしている。おそらくはさっきの私の姿を見た所為か。

  そんなに怖がらなくてもいいのに―――そう思うが、無理もないか。さすがにさっきのは少しヒステリック気味に騒ぎ過ぎたかも知れない。


 「ごめんさいね。月島先輩」

 「え?」

 「別に月島先輩が憎くて言った訳じゃないの。みっともなく騒いで・・・・失礼しました」

 「べ、別にいいんだよっ、うん。ちょっと驚いちゃったんだから仕方無いよ。あ、あはは・・・・」


  本当に人が良い女の子だ。私の知っている義之の周りに居る女性ならケンカになっているところ。頬を掻いて、窓の外を見てみる。桜の花弁が舞っていた。

  今までだったら怒鳴っていたと思う。実際に大体の女性と私は言い合いをしてきた。それはそうだ、敵とも言える存在なのだから。例外は花咲先輩ぐらいか。

  しかし何故か、月島先輩に怒鳴る気になれないでいる。人柄の所為だろう。こんな大人しくて一途っぽそうな女の子をどうしても私は憎めないでいる。


 「――――――けど」

 「え?」

 「義之を好きな割にはアタックを掛けれていないみたいですね、月島先輩。失礼ですがあの面子を相手に大人しくしているのは愚行だと思うのですが?」

 「う、う~ん・・・・。それは月島も思っている事なんだけれど、ね。中々あの中に切り込んでいく勇気が無いというかなんというか・・・・」

 「昔から好きという事は初恋ですわよね。私も初恋なんですよ、月島先輩」

 「え、ああ・・・。そうなんだ」

 「よく初恋は実らないと言いますけれど――――私は絶対に実らせる気でいます。何があっても、絶対に。月島先輩みたいに半ば諦めたりしません」

 「・・・・・・」


  遠い星からこの地に来て、一人の男性を好きになった。よく創作物でそういう環境だと最後はハッピーエンドになる事が多い。なんとも希望溢れる話だろうか。

  これは私の直感なのだが、恐らくもうこんなに狂おしいぐらいまでに恋は出来ないと思う。王族なら尚更な話。生憎だがお見合い結婚なんてする気は毛頭無い。

  義之と恋仲になり、結婚して、幸せになる。これがまず何よりも大事な事だ。覆る事は無いだろうし、覆す気も無い。もう決定事項なのだから。


 「小恋、ですか。良い響きの名前ですね」

 「・・・・何が言いたいのかな、エリカちゃん」

 「その名の通り小さい恋で終わる事なく、無事に結ばれるといいですわね。『小恋』先輩?」 

 「――――――ッ!」 


  手をぎゅっと握りしめ、黙って私の目を見詰めてくる小恋先輩。なんだ、勇気あるじゃないか。どうやらただの腰抜けな女の子では無かったらしい。

  これがきっかけで義之に迫るかもしれないが、構わない。そうやってウジウジして何もしなくて終わる恋に価値なんて無いのだから。少なくとも私は
 そういう考えでいる。やるだけやって、それでも諦めきれなくて、失恋する。そっちの方がまだ何倍か納得がいく。

  
 「・・・・負けないもん」

 「言うだけなら誰にでも出来ますわね。行動に移さなくては何も結果は起こりはしない。ああ、見ているだけで満足する恋だったらそれでいいと思いますが」

 「こ、行動するもんっ!」

 「そう。なら―――頑張って下さいね」

 「え・・・」


  何をやってるんだろうか、私は。こんな余裕を見せつけ見下すような真似をしているなんて。余裕、そんなものはない。義之の周りにいる女性たちは
 中々に魅力あふれる女性達ばかりだ。

  こんな偉そうな態度を取れるほど私は自分にそこまでの自信を持ち合わせていない。けれど持っている振りをしなくてはいけなかった。そうじゃないと
 本来の私の性格か出て尻込みをしてしまう。

  いつだって強気で、攻めていかないといかないといけない。それは恋愛に限った話では無い。王族という立場からか、昔からそんな風な生き方になって
 しまっている。そして絶対にいつも成功を納めてきた。


  だから自信が無くても、いつものように行動してこの恋は実らせる。もし失敗したらその時はその時だ。自分が納得するような理由を考えればいい。


 (まぁ、自信が無いと言っても天枷さんに劣っているとは思えませんけどね。まったく、なんであの子が私の恋敵なのかしら)
 
  
 「・・・・・あの。エリカちゃん?」

 「え、あ、はい? なんでしょうか、月島先輩」  

 「もしかして背中、押してくれたのかな?」

 「は―――――」

 「やっぱりそうなんだ。ごめんね、ちょっと一瞬エリカちゃんの事勘違いしてたよ。ありがとうね。エリカちゃん」

 「ちょ、ちょっと――――」

 「よぉし。月島も頑張るよ、エリカちゃん! 一応ライバルってことになるけど・・・これからも仲良くしようね!」


  そう言いながら朗らかに笑う月島先輩。いや、違うのよ月島先輩? 私はただ単に貴方の姿勢が気に入らないから罵声を浴びせただけなんですのよ?

  背中を丸めてじーっと見ているその恋愛に対する姿勢。それに腹が立ったからっていう理由なのに・・・・。思わず頬を掻いてしまう。いや、本当に。

  人が良いのにも程があるだろう。普通はビンタでも貰ってもおかしくない場面だ。そういう覚悟も半ばしていたし、されてもおかしくないと思っていた。


 「な、仲良くですか・・・」

 「うん。駄目かな? 月島的にはあんまり争い事とか好きじゃないんだ」

  
  手を差し出した体制ではにかんだ笑顔を見せてくる小恋先輩。思わずたじろぐ様に身を仰け反った私に構わず、更にぐいっと手を差し出してきた。
 
  甘い。甘過ぎる。まるでこの間購入したタルト並みの甘さだ。義之と二人で食べてゲンナリした。もう二度とあのお店には行かない事にしよう。

  あの面子を相手に、仲良く手を取り合って正々堂々と言うのかこの子は。いやいやいや! それは無理な話だ。小恋先輩が一番それは知っている筈だ。

  雪村先輩に花咲先輩。この二人とお友達をやっているぐらいなのだから、それは知っている筈だ。理解不能だ。訳が分からない。


  手を見る。綺麗な手だ。音楽をやっている手とは思えなかった。そんな手をずっと見て――――知らずの内にその手を握ってしまっていた。


 「・・・・あら?」

 「ありがとう、エリカちゃん。さ、行こう? 杏達ずっと私達の事待ってるからさ」     

 「・・・・・・・あらら?」


  笑みを深くして雪村先輩の方に歩き出す。そんな彼女を茫然と見詰め、自分の手をにぎにぎと開いては閉じてを繰り返す。

  あれ? 今、私握手しちゃった? この私が、義之を巡っての『敵』ともいえる女性と? 有り得ない。有り得無さ過ぎる。

  しかし、事実として私は彼女と手を取り合ってしまった。何故か分からない。きっと今回も新たに敵を作っていがみ合うと思ったのに――――。


 「調子が悪いのかしら。私」


  きっと疲れているのだろう。急に過去の世界に来るなどという意味不明な現象に巻き込まれた所為だ。そうに決まっている。

  それに彼女みたいな周りには居ないタイプと喋って気付かない内に、いつもの調子を崩されたのも要因かもしれない。勝手が違うのだから当り前だ。

  まぁ―――――悪い気はしませんでしたけれども。何だか釈然としない気持ちになりながらも、とりあえず雪村先輩たちの所に合流した。

  










 「毒気を抜かれた、といったところかしら」


  先程からその様子を見ていて、そう結論付ける。隣で美夏はぽかんとしていた。気持ちは分からないでもない。ムラサキさんは周りの女性は全員敵だと
 思っている節があったし、多分そう思っていたに違いない。

  アクが強い面々。その中には小恋みたいな『普通』の女の子は居なかった。みんな一癖二癖持ちの女の子達。いつもそういう面々とやりあっていたムラサキ
 さんからすれば、小恋みたいなタイプは初めてだったろう。

  争いを好まず、こんな苛烈な恋愛競争の中でみんな頑張ろうと言える女の子。まるで全く動じないウサギを目の前に置かれた虎といった感じね。思わず
 こちらが及び腰になってしまう程までに普通に振舞っている。


 「な、なんなのだ今のは。あのムラサキが月島みたいなタイプと握手するなんて・・・」

 「ケンカ、すると思った?」

 「それは当然だろう、杏先輩。月島とムラサキでは全く性格が違う。ハッキリ言って美夏は止めに行こうと少し気を張ってたんだぞ?」

 「まぁ、アレよね。虎達の群れの真ん中に毅然として立っているウサギの方が怖いっていう話よね。私も気を付けないと」

 「ん? 何の話だ?」

 「なんでもない話よ。美夏」


  再び歩き出して周囲を観察し直す。54年前といっても特にここが古臭いというのはない。精々がさっき話に出てきた携帯の話ぐらいか。
 
  懐から携帯を取り出し画面を見ると、やはり圏外になっている。私達が居た世界とここでは電波の通信方式が違っているのだから当り前か。

  チャンネル数も違ければ周波数も違う。そもそも契約さえしてないから使えやしない。つまりただの薄い箱でしかないという訳だ。


 「最近貴方の方はどうなの。美夏」

 「なんの話だ?」

 「義之との話よ。私から見た限りじゃ貴方が一番可愛がられてると思うのだけれど」

 「う、う~む・・・・」


  帽子の位置を直しながら頬を赤くする美夏。そんな所も彼から見れば可愛くて良いのだろう。別に狙ってやっている訳じゃないのなら尚更。

  義之と美夏は相性が絶望的なまでに悪いと私は考えていた。美夏の最も嫌いな人間のタイプは義之みたいな人だろうし、義之も誰構わず人を毛嫌い
 する美夏が煩わしくて仕方が無い。そう、考えていた。

  なのに実際は私達の中でもこの二人は仲がすごいよかった。友達みたいにフランクに話す時もあれば、甘い雰囲気を撒き散らして見てるこっちがダレ
 る時もあった。
  

 「とは言ってもだな、杏先輩。現実的な話として義之と美夏は付き合っていない。よく美夏は可愛がられている聞くが・・・実際はどうだろうな」

 「私の見立てでは貴方が一番可能性があると思うのだけれどね。二番はムラサキさんで三番は茜。よく一軍メンバーと私は呼んでいるわ」

 「むぅ・・・。あまりそういった呼び方で人を分けるのはどうかと思うが。そんな言葉を聞いて面白くないヤツもいると思うぞ」

 「あら。人嫌いの貴方が人の心配をするなんてね。一昔前の事を思い出すと考えられないわ」

 「な、み、美夏はだな――――」


  焦る様に言い訳をし始める美夏。実際の話、随分性格が変わったと思う。前までは人は全員が自分の敵だと思っていた。本人からもその様な話を幾度なく
 私は聞いていたので、少し感慨深くなる。

  きっかけは・・・多分義之かしら。普通ならもっと人嫌いになりそうなものを。そして茜といった穏やかな性格の持ち主と出会った事も大きいに違いない。
 茜は初対面の人を和やかにさせる雰囲気がある。自分には無いモノだ。少し羨ましくもある。

  美夏がロボットだとバレた時、一番親身にしていた女性は茜だった。私は美夏がロボットだという情報を手に入れるのが一足遅かったため、ロクにフォロー
 出来なかったのは今でも悔やんでいる。

  なんにせよ―――良い傾向だ。無闇に人に噛みつく様な真似をしていては敵を増やすばかりだ。美夏は結構精神的に脆いところがある。そんな真似をして
 いては自分の首を絞めるだけだったろう。
  

  まぁ、義之みたいな異常な人間はその限りではないだろう。というか噛みつき過ぎだ、彼は。少し牙を引っ込ませればいいのに・・・全く。


 「別に恥ずかしがる事ではないと思うけれどね。良い事よ」

 「そ、そうかな・・・」

 「ええ。義之みたいな人間だったらいざ知らず――――ってあら。どうやら皆戻ってきたようね」

 「おお。もうそんな時間だったか」


  向こうの方から茜達が戻ってくる。雰囲気―――別に殺伐はしてはいない。恐らくは委員長が上手くやってくれたのだろう。

  なんだか疲労困憊な顔をしているが、よくやってくれたと思う。私じゃきっとその二人は止められなかったでしょうしね。


 「恨むわよ。雪村さん」

 「あらやだ怖い。人の怨念って結構バカに出来ないのよね。丑の刻参りの成功率は確か統計的に二割だった筈。その中の一割は偶然だとしても
  残りの一割は必然的だっていう話を聞いた事があるわ。恐ろしい話よね」

 「そうなりたくなかったら今度からは後ろの二人の引率をお願いするわ。帰る道中もあれこれ言われてまいったわよ、まったく・・・」

 「冗談。呪いなんてものよりそっちの方が嫌だわ。直接被害を被るもの」

 
  ひくひく頬を引き攣らせている委員長はさておき、足の行く先をとりあえず扉があった場所に向ける。何か言いたげな様子の委員長も渋々それに従った。

  会長さん達の姿は見えないけれど、きっと扉の所にいるだろう。少し様子がおかしかったようだが基本的に時間は守るタイプだと思うし、心配はないか。

  ぞろぞろと移動する私達。まぁ、なんだかんだいって結構観察出来たし満足だ。もし、また気になるようだったらこっそり来よう。


 「・・・・・・・」
  
 「あら、音姫先輩に由夢ちゃん」

 「あ、雪村先輩っ!」


  なるほど。もう来ていたのか。しかしなんだか様子がおかしい。音姫先輩はこちらの様子に気付いてはいるのだろうが、ある一点を茫然と見詰めたまま動かない。

  由夢ちゃんもあたふたしながら右往左往していたみたいだし・・・・何か起きたのだろうか。後ろから着いてきた茜や美夏達も怪訝な顔をしている。

  とりあえず私は落ち着くように話し掛けた。それで少し落ち着いたのか、息をふぅっと吐き出す。佇まいを直し、改めて向き直った。


 「出入り口が、消えてるんです」

 「え・・・・」

 「――――ッ! だ、だからっ、私達が入ってきた出入口が消えてるんです!」


  少しヒステリックに上ずった声を上げる彼女。つい、と音姫先輩が見ていた視線を追うとそこにあった『筈』の扉が消えている。

  その事に気付いた各面々に動揺が走ったのが分かった。少なからず私も動揺してしまっている。この世界と私達の世界との接点が無くなったのだから。

  一瞬、思考が停止してしまう。何をすれば・・・何を言えばいいのか分からなくなった。私らしくもない。そう思っても無意味に視線をあちこちに彷徨
 わせてしまう。視線をどこに向けても状況は変わらないと言うのに・・・。


 「ど、どういう事なのだっ?」

 「か、帰れないって事っ!?」

 「ちょ、ちょっとっ! 冗談じゃありませんわっ!」


  軽くパニックになりかける私達。最年長の音姫先輩も動揺しているみたいで、何も発言出来ないでいる。冷や汗が出るのが自分で分かった。

  少し調子に乗り過ぎていたのかもしれない。元々過去に来れる事自体が異常な事なのだ。何があってもおかしくなかった。楽観的に構え過ぎていた。

  私も皆に触発されたかのように声を上げそうになり――――喉のところで何とかソレを抑えた。目を軽く閉じて、大きく息を吸う。そして吐いた。


  手を思いっきり握り締め、開く。軽く跳躍して強張った体をほぐす。『彼』が頻繁にやる行為。さっきまで止まっていた頭の回転が動き出すのを感じた。


 「騒いでも何もならないわよ。落ち着きなさい」


  大声はあげなくてもいい。ただ力強さを入れれば人は耳を傾ける。私の声にみんながさわめきの声を止めた。

  彼ほど影響力はないだろうが、これで十分だ。義之も居なければ杉並も居ない。この中で一番頭が働くのは恐らく自分。自惚れではない。

  お前はオレより頭が良いから時々羨ましくなるよ―――義之の言葉。ならそれをこういった場面で活用しなければいけない。


 「探すわよ」

 「え・・・・」

 「私達が入ってきた扉の事よ、茜。いきなり学園長室に現れて、そして消えた扉。もしかしたら何らかの条件で消えたり現れたりするのかもしれない」

 「そ、そうなのか? 杏先輩」

 「あくまで仮説。けど可能性は大いにあると私は思っている。もしくは決まった時間に現れては消えての繰り返しか。はたまた現れた扉はそこに
  あったのだけれど、別な場所に移動したのかもしれない」

 「ちょ、ちょっとそれって・・・正確な事は分からないって事じゃ・・・・・」

 「まだ分からないからいいのよ。全部試す価値があるって事じゃない。なら次の行動は・・・班分けね。しばらく扉が再出現するかを確認する組と
  扉の探索組。分け方はさっきのメンバーで行く事にするわ。あ、音姫先輩と由夢ちゃん、小恋は探索組に入って貰うわ。構わないわね?」

 「え、ええ・・・私はそれで構いませんけど・・・」

 「つ、月島も別に大丈夫だけど・・・」

 「ならすぐ行動するわ。私のメンバーはここで待機組。何かあったらまたここに戻ってくる事。時間は――――二時間後に再集合ということで」

 「う、うむ・・・」

 「勝手に決めてリーダー面してますけど・・・・これでいいですか、音姫先輩」

 「え、あ、う、うん・・・。いいと思うよ」


  まくし立てる私に面を喰らった様な顔をする。私みたいな人に舵取りを任せて面白くないと思っている人は、幸いにしてここにはいなかった。

  本来ならこういう役目は義之か杉並みたいな人物。何かを喋れば思わず耳を傾けてしまうモノを持っている人。そういった人物が本当は最適なのだ。

  だが、無いモノねだりをしても仕方が無い。ねだろうとしても元の世界に戻れない。誰かがやらなくてはいけない役目、こなしてやろうじゃないか。


 「・・・・ふぅ。何処にいるか分からないけど早く来て欲しいものだわ。ねぇ、義之?」  



















 「へぇ、ここが過去の世界か」

 「・・・・・」

 
  オレの皮肉った言葉に無言のアイシア。視線は真っ直ぐを向いているが、額には冷や汗が滲んでいるのが見て取れた。

  確かに魔法は発動した。学園長室にあった扉が青白い光に包まれ、向こう側から光が漏れだした時には思わず感嘆の声を上げてしまった。

  まともに魔法が発動した瞬間を見たのはこれが初めて。ガキじゃないのに少し興奮した自分がやや情けなく感じたが、それ程までに神秘的な雰囲気だった。


 「確かアイツらが行った過去ってのは54年前の世界だっけか。お前から事前に聞いた話だと」

 「・・・・・」

 「この時代の学園長も余程の和風好きなのな。畳にお茶請けに掛け軸。まるでさくらさんの部屋みたいだぜ」

 「・・・・・」

 「ていうかさくらさんの学園長室か、ここ。ファイルに『芳乃さくら』と書いてある。おまけに年月日は数ヶ月前。確かに過去だよ―――ここは」

 「・・・・うぅ」

 「―――――てめぇ。魔法失敗しやがったなっ!?」  

 「はうっ!」


  スカーフをむんずと掴み引っ張り上げると悲痛な叫び声を上げる。確かに過去の世界らしいが・・・・全然違う場所じゃねぇか!

  54年前に行かなくちゃいけないのに何で数ヶ月前に来てんだよ。明らかにアイシアの魔法は失敗していた。さっきまで感動していた自分がアホみたいだ。


 「しょ、しょうがじゃないですかっ! これでも頑張った方なんですよっ!?」

 「ああっ!? 逆切れかよっ、てめぇ。確かにオレは何も出来ない足手まといだし魔法を使えるのはお前だけだ。そして何より、そんなお前をオレは頼りに
  してるし信用もしていた。だから―――もうちょっと頑張ってくれよ・・・」

 「うっ・・・・」


  少し最後の方は声が小さくなってしまう。少し言い過ぎたと思ったからだ。若干気まずい雰囲気がオレ達を包み込む。

  オレは焦っていた。魔法の力で過去に行く。なんともメルヘンな響きでファンタジー溢れる言葉だが、同時に現実的な危険を伴っていた。

  現代へ帰れないという重たい代償。もしかしたら一生そこから抜け出せないかもしれない。彼女達はそんな危険をいま現在味わっていた。


 「悪いな・・・。オレは時々酷く感情的になっちまう。そもそもお前がいなければこの事態に気付く事さえ出来なかった間抜けだ。本当は感謝している」


  乱したスカーフを整えてやった。少しくすぐったそうにしながらも、抵抗はしない。ちらっとこちらを窺う様に目を向けてきたので頭を撫でてやった。

  えへへと笑うアイシア。その姿に、オレも少しばかり冷静さを取り戻す。そうだよな。こういう時だからこそ冷静にならなくちゃいけない。喚いても何もならない。

  息を吐き、吸うを何度か繰り返す。熱掛かった頭が冷めていくのが分かった。焦る事は重要な事だが・・・この局面じゃない。もっと違う別なところだ。


 「さて。じゃあ戻ろうか」

 「え・・・」

 「いつまでもこんな所に居たって仕方が無い。早く戻って仕切り直しだ」

 「・・・・それが、ですね」

 「ん? なんだよ。そんな気まずそうな顔して」

 「実はパワーを使い切っちゃって――――しばらく戻れないんですよ。一日くらいですけど」

 「・・・・・」

 「それも正確には此処は過去じゃなくて、並行世界―――みたいなところです、はい」

 「・・・・・」

 「そ、それにしても結構私って凄くないですかっ!? 過去に行くのも凄い事ですがこうして別な世界に来れたってのも歴史に残るぐらいスーパーな事です!
  いやあ、私も魔法使いとして成長していたんですねっ。嬉しい限りです」

 「・・・・・」

 「――――あ、あはは・・・・」


  黙ってチョップを喰らわす。ひうっ、と変な悲鳴を上げて頭を抑えるアイシアと同じようにオレも頭を手で包み込む。少しばかり頭痛がした。

  もう怒る気にもなれない。オレが何か出来る力を持っていたらその限りではないが、アイシアに頼りっぱなしなこの状況ではもうそんな気になれなかった。

  けどよ――――はぁ。一刻を争う事態だってのに思わぬハプニングで足止めを喰らってしまうのは、少しばかり疲れが身を包み込む様な気がした。


 「ご、ごめんなさい。義之」

 「別にいい。元々無茶な事を頼んだんだ。オレが責めるのはお門違いだよな」

 「そ、そうですかね・・・」

 「それよりお前。さっきから体がふらついてるけど大丈夫なのかよ。少し休んだ方がいいんじゃないか?」

 「・・・実は少しばかり無茶しました。しょうがないですよ」

 「確か奥の襖の中に軽く仮眠出来るスペースがある。さくらさんも滅多に使わない場所だ。少し休んでろ」

 「休んでろって・・・・義之はその間どうするんですか?」

 「ん。探索でもしようかと思っている。」

 「・・・・は?」


  並行世界――――過去のSF作家たちがここぞと論議を繰り広げて、結果何も分からなかったとされる世界。よく物理学で出てくる量子力学や超弦理論
 などを用いて解明しようとした世界。興味を持つなという方が無理がある。

  オレがあの世界に飛ばされたのも、もしかしたらこういったモノの原理で飛ばされた可能性がある。魔法なんて言っているが結局は何かが作用して結果が
 生まれたとオレは思っている。最近会った元の世界のさくらさんもソレについて少し言及してたな。そういえば。

  
 「だ、大丈夫なんですかね。そんな無闇に出歩いちゃって」

 「過去の世界とか未来の世界ならやってはいけないタブーとかはある。けど並行世界の話ではそんなルールは無かった筈だ」

 「確証なんて無いじゃないですか」

 「それもそうだ。だけどな、アイシア。元々オレは好奇心旺盛な性格だ。ここがどういった世界か知りたい。興味がある。オレも賢い行いだとは思えないけど
  そう考えている。だが、確かに危険もあるだろうから出来るだけ派手な真似は控える事にしよう。これじゃ駄目か?」

 「・・・言ったら聞かないんですから。もうっ」

 「悪いな、こんな性格で。何かあっても無くてもここに戻ってくるから安心してくれ」

 「むぅ。約束ですよ?」

 「ああ、約束だ」


  そう言ってオレは学園長室の扉を開け、外に出た。空気はあまり変わらない。いたって元の世界のまんまだ。後ろで心配そうな顔をしているアイシアに
 手を振ってドアを閉める。ガチャンという無機質な音が響いた。

  視線を周りに巡らせるとシャツ姿や上着の黒い学生服を着た男子生徒達が歩いている。肌で感じる気温を考えると・・・秋に入ったばかりか。これなら
 オレのシャツ姿も不自然じゃない。オレの上着は全部女共に持って行かれたからな。

  ポケットに手を捻じ込み、とりあえず歩いてみる。壁に掛けられている時計を見るとちょうど二時間目後の小休憩時間。どうりで生徒達が結構歩いている訳だ。
 首をコキコキ鳴らしながら周囲を観察していると、見知った女と目が合う。表情が驚きの色で染められた。


 「よ、義之くんっ?」

 「よぉ、茜」


  第一村人発見、てか。茜はトイレから出てきたばかりでハンカチで手を拭いていた。ていうか何で驚くんだよ。

  逆に怪訝に思うオレのそんな気持ちを知らずに、心配そうな顔をしながらこちらに歩み寄ってくる。なんだよ。


 「風邪引いて休みって聞いたんだけど、大丈夫なのぉ?」

 「風邪――――ああ、いたって平気だ。だから遅れながら登校してきたって訳だ。まったく、勤勉なオレらしいな」

 「あはは。確かに義之くんって真面目な所あるわよねぇ。杉並くんと渉くんで組むと悪さしかしないのにさぁ~」

 「さて。どうだっけかな」


  ・・・・なるほど。この世界のオレはどうやらマトモらしい。もしこの世界のオレも『自分』だったらこんな反応は返さない。しらーっとした目で見られる
 だけだしな。思い出すと何だかムカついてきたな、おい。今度茜に会ったら苛めてやろう。

  そしてついっ、と茜を観察していると段々彼女の表情が怪訝な顔つきに変わってくる。眉を寄せて段々面白い顔になってきた。見定められるような視線を
 送ってくる茜。それに毅然とした態度を返した。


 「んだよ。茜」

 「な、なんだか義之くん・・・少し雰囲気違わない?」

 「というと?」

 「何だかこの間より垢抜けてる様な気がするし・・・前はそんなアクセサリ―なんて付けて無かったわよねぇ? それに髪型もなんだか弄ってるような・・・」  

 「イメチェンだよ。なんだ、オレに惚れたのか。茜」

 「――――――ッ!」


  瞬間、顔を真っ赤にさせる。上手く言葉が出て来ないようで『な、な、なに言って・・・』としどろもどろ。珍しいモンが見れたな。コイツがこれくらの言葉
 で恥ずかしがるなんて有り得ない。むしろこっちが恥ずかしがる様な事ばかり言う癖に・・・・ホント、違う世界なんだな。此処は。

  これはこれで楽しいかもしれない。顔付きが同じなのにここまで反応が違うとはな。事故でここに来ちまったが悪くないかもしれない。アイツらの安否の是非が
 無ければもっとゆっくりしていきたいところだ。

  少し落ち着いたのか。茜はふぅっと息を吐き、まだ赤みが掛かった顔に手をやって睨むように眼を向けてきた。そんな茜にオレはニタリ顔を返す。落ち着いた
 表情がまた崩れ始めていく様子を存分に楽しんだ。


 「そ、そんな軟派な台詞っ、義之くんには似合わないよぉーだ!」

 「そうかな。こういう台詞は似合う似合わない以前に気持ちの問題だと思っている。好きな女には男は誰だって軟派な台詞を吐くさ」

 「す、好きな、お、女って・・・・」

 「なんだよ。本当は分かっている癖に。もしかしてオレを焦らしているのか? なるほど。結構ヤリ手なんだな、茜は」  


  頬に手を添えると、ビクッと電撃が走ったかのように飛び跳ねて距離を取った。そして忙しい様子で周囲の確認をした。んだよ、人の目が気になるのかよ。

  一応その点はオレも注意して、事前に人が居るかどうかを確認してやった。運よく人の波が切れていたからこんな真似をしたに過ぎない、常識人だからな、オレ。

  そして、周囲に人が居ないかどうかを確認し終えた茜は、猫の様にふぅーっと威嚇してきた。随分難儀な性格をしていらっしゃる事で。


 「はは、なんだよ茜。もしかして猫のつもりか? 撫でてやるからこっちに来いよ」

 「だ、だれが・・・っ!」

 「お前が、だよ。本当は構って欲しい癖に素直になれないんだろ。そういう女には少なからず心覚えがある。来いよ」

 「あ、あなたっ、本当に義之くん? 少しどころか全然性格が違うわよっ」

 「イメチェンしたって言ったろ? それに―――たまにはこんな日もある。訳も分からない事に巻き込まれたり、頼りにしていたヤツがポカやったりする日がな」


  そう言うとまた困惑顔を作る。別に分からなくていいし、分かってもらっても困る。そういえばアイシアちゃんと寝てるだろうな。結構無理する性格だし
 少しだけ心配だ。後でジュースを持って行ってやろう。

  指をちょいちょい動かし、こっちに来いよという風に目で合図をしてやった。そして顔をまた真っ赤に染める。ああ、なんて面白い反応をするんだろうか。

  オレの世界の茜には無い反応だ。もし、こんな行動を間違ってオレの知ってる茜にやったらえらい事が起きる。最後まで行きそうだ。

  いや、行ってもいいんだけど・・・さ。なんでオレはこういう事にはすぐ腰抜けになるんだろうか。自分じゃ優柔不断じゃないと思っていたのに・・・・はぁ。

  
  そんな風に自分の情けない弱点について思慮に耽っている―――――と、茜は声高らかに叫んだ。涙目になり声を震わせながら大きい声で。


 「え―――――えぇ~~~んっ! 義之くんが意地悪さんになっちゃったよぉーっ!」

 「おいおい。泣くなよ」

 「こ、この事はっ、彼女の――――小恋ちゃんに報告してやるんだからねぇ~っ!」

 「・・・・・・は?」

 「うわぁ~~~~んっ!」


  泣き叫びながらドタドタ廊下を走っていく茜。そして曲が角を曲がり・・・消えてしまった。ポツンと取り残されるオレ。

  というか・・・え・・・? 今の発言ってマジかよ。彼女が居るって。それも・・・・・。


 「・・・小恋かよ。意外と言うかなんというか」


  小恋がオレの事を好きだとは知っていた。というよりも感じていた。あれだけいつも視線を感じてれば誰だって気付く。例外的に、余程鈍いヤツは別だろうが。

  しかしオレは小恋とあまりしゃべろうとは思わなかった。あちからから話し掛けて来れば普通に返す気ではいたが、いつもモジモジしていたので相手にして
 やった回数はあまり無い。というか杏と茜という強烈に濃い二人に存在感を掻き消されてるからな。

  それを考えるとこの世界の小恋は結構な勇気を出したんだろうな。もしくはこの世界のオレが告ったのか。まぁ、どちらでもいい。オレには関係の無い話だ。


 「関係無い・・・筈だよな?」


  急に不安になってくる。オレという人物に『普通』なんてありえない。いつも何かしらに巻き込まれ、かったるい事が多く起こる。この世界のオレも同じだと思う。

  トラブルメーカーだよね、義之くんは。さくらさんは確かオレの事をそう評していた。なら――――学園長室にずっと隠れていた方がよかったのかもしれない。

  この世界の『自分』が引き起こしたいざこざが、偶然ここにきた『オレ』に振りかかる可能性は十分にあった。頭の後ろを掻いて目を瞑る。

  アイシアの力が回復するのは一日という期日。それまで何も無ければいい。もしかしたらこうやって出歩くのはマズイ気がしてきたが今更だった。また首を
 コキッと鳴らし、廊下を歩き出した。
  

  とりあえず、アレだな。茜――――余計な事言いやがったら張っ倒してやる。心にそう誓いながら、オレはまた一つため息を吐いた。









 


  義之、アニメ版ダ・カーポⅡの世界へ―――――    





[13098] クリスマスDays 4話
Name: 「」◆c45b589f ID:02d3eb0b
Date: 2011/02/03 07:03


 「ねぇ、そっちの方はどうだった?」

 「ダメねっ、見つからないわ」

 「ていうかこれだけ広いんだから、扉一つ見つけるのなんて無理よぉ~・・・」

 「も、もっとよく探そう、みんなっ」

 「・・・・・」


  お姉ちゃんがそう言って発破をかけるが、反応は芳しくない。島中をバラバラに探しても仕方が無いという事で、私達は商店街を重点的に探索していた。
 ちゃんと道があり、扉があっても違和感の無い場所だからだ。

  最初は帰る為に気合いを入れて歩きまわっていたが――――そんな気力も萎えかけている。それはそうだ、小さいといっても商店街というを所を隈
 なく歩いているのだから。

  過去の初音島の光景に胸を躍らせたのも本当に束の間。今では代って疲労感が身を包んでいるのが分かる。きっと他のみんなもそうだろう。いつも
 見ている光景がやや違う事も、知らない内に目の疲れを蓄積させていた。

  
 「ねぇ、ちょっと休憩を取ろうよー・・・。少し疲れちゃった」

 「あら、もう泣き事? まだ再集合の時間まで40分もあるのに。もうちょっと頑張れないのかしらぁ?」

 「なんとでも言ってよ、もうっ。花咲さんも本当は疲れているんでしょ? さっきからずっと歩きっ放しだもんね」

 「・・・・そうね、疲れているわ」

 「だったら――――――」

 「でも疲れてるのは皆同じよ。私一人だけじゃ無い。こんな状況だもの、泣き事なんて言ってられないわ」

 「・・・・いい子ぶっちゃって」

 「だって私、いい子だもの。ほら、白河さんも歩いた歩いた」

 「うー・・・・はいはい、分かった分かりましたよ」


  むずかる白河先輩の手を取って、座り込んでいた状態から立ち上がらせる花咲先輩。危うくケンカになりそうな雰囲気を醸し出していたが、そこは花咲先輩
 の手腕か―――ケンカにはならずに、再度二人は歩き出して行く。

  もしくはただのじゃれあいだったか。この二人は私の前でもよく言い争いをしていたので、ケンカになるものだとばかり思っていた。しかし、そうはならず
 何事も無かったかのようにお喋りをしている二人。

  よく分からない人達だ。もしかしたら仲が悪いだけに、押し時も引き際も分かっているのかも知れなかった。そこら辺が私とエリカさんの違いだろう。引き
 際なんて分からないし引く気もない私達。少しは見習うべき所があるのかもしれない。


 「それにしても肌寒くない? 由夢ちゃん」

 「そりゃ12月の後半ですからね。いくら過去の世界だからって、やっぱりこの時期は寒いですよ」

 「いいよねぇ、由夢ちゃんは。それ、弟くんの学生服でしょ? 最近の弟くんは由夢ちゃんに甘いからねぇ」

 「や、そんな事はないですよ。相変わらず会うたびに弄られますし・・・・まったく」

 「前の弟くんだったらそれさえしなかったじゃない。仲、良くなってるんでしょ?」

 「う~ん・・・・」


  実際の所、確かに仲は良くなっていると思う。常に周りをうろちょろしていたが、ウザがられる事もなく普通に接していてくれる。それに時々優しくして
 くれる事が増えたのも確かだ。今着ている上着がその証拠である。

  しかし――――私が目指しているのは恋人という関係だ。兄さんと仲良く喋れるのは嬉しいし、優しくしてくれる時なんかは舞い上がる程に嬉しく思って
 しまうのも確かだが・・・・それじゃ私が納得できない。

  みんなが揃いもそろって同じ人を好きになっているこの状況。いかんともしがたい。前の兄さんは鈍感だったからそんな気持ちに気付く事は無かったが、今
 の兄さんは鈍感とは対極の位置にいる。みんなが自分に好意を持っていると気付いた時、どんな事を思っただろうか。


 「お姉ちゃんだって、この間兄さんと一緒に買い物しに行ったじゃないですか。私を置いて」

 「た、たまには私だって弟くんと買い物ぐらいには行くよ! 由夢ちゃんなんかここ最近ずっとじゃないっ」

 「いやいや、私は自重してる方ですよ。一番ヒドイのはエリカさんです」

 「え、エリカちゃんかー・・・。最初会った頃はすごく真面目だったのになぁ・・・・はぁ」

 「もしかして、生徒会を結構サボったりしてる?」 
 
 「普段はそんな事ないんだけれどね。ただ、弟くんの件が絡むと・・・・すこーしばかりはっちゃけるかなぁ・・・・はは」


  姉の乾いた笑みを見て確信する。あの人、頻繁にサボってると。大体兄さんに絡む事柄が無くても、絡むきっかけを作る様な女の子だ。

  お姉ちゃんも人が良いから強くは言えないのだろう。まゆき先輩あたりはその辺の所は言うと思うのだが―――きっと気にしていないに違いない。

  あそこまで異常に兄さんに執着しているのを見ると、ぶっちゃけた話、ドン引きする時が多々あった。節度を守れ節度を。まったく、あのお姫様は・・・。


 「まぁ、エリカさんの話は置いておくとして」

 「由夢ちゃん、エリカちゃんと仲悪いもんね。私としては少しばかり仲良くして貰えるといいかな、と思ったりするんだけど」

 「あっちが私に絡む事が無ければそうしますよ。そろそろ商店街一周しちゃいますね。どうしようか、姉さん」

 「あ、もうそんなに歩いちゃったか・・・」


  話している間も視線をあちこちに送らせていたが、扉の影や形さえ見つからない。念の為ショップの中や外周りも見ていたが、収穫は無しだ。

  花咲先輩達も疲れ果てた様な顔で商店街の入り口を見詰めている。若干、無気力感が体を包み込んだ。ここでないとすると後は――――見当がありすぎる。

  住宅街や海辺、森や海、高台、もしくは島の外・・・日本中。考えれば考える程、一つの扉を見つける事は困難に思えてくる。


 「はぁー・・・どうする、委員長、小恋ちゃん」

 「そんな事、私に聞かれてもどうしようもないわよ白河さん。探す場所なんていくらでもあるんだから。まったく、どこに消えたんだか」

 「つ、月島もどうしたらいいか考えてたんだけど・・・うーん・・・ごめんね、良い案浮かばなくて」

 「むぅー・・・・・。しょうがない、ダメ元で他の人に聞いてみる事にするよ」

 「他の人って―――――」

 「すいませーん、ちょっといいですかー?」  


  沢井先輩との会話を切り上げて、たまたまそこを歩いていた女子生徒を捕まえる白河先輩。こういう時の行動力はさすがだと思う。

  他の面々も、それに頼るしかないかという面持ちで白河先輩の後ろを着いて歩く。実際その方法が手っ取り早いとみんな思っている様だ。

  そうしてその女子生徒に近付いて――――白河先輩の歩みが止まった。私達も釣られる様に止まり。何事かと背中から覗くように顔を出す。


  あれ、この人・・・・もしかして、歩きながら寝てる・・・・・?


 「くー・・・・」

 「え、あ、あの・・・・」

 「すぅー・・・・」

 「あのっ、つかぬ事をお聞きしますが」

 「・・・んー? あれぇ、白河さんじゃないですか」

 「え―――――」

 「どうしたんですかぁ、何かご用件でも・・・・ふぁ~」


  眠たそうに欠伸をし、そして手に持っている木琴を――――木琴? え、なんでこの人商店街の真ん中で木琴を叩き始めてるの?

  彼女の顔を見ると瞼は閉じられている。微かに聞こえる空気の漏れる様な音。どうやらまた眠り始めたようだ。その姿に困惑する白河先輩。

  私達も二の句を告げられないほど茫然としてしまっている。今まで出会った事の無いタイプの女性だった。


 「ちょ、ちょっと花咲さんっ」

 「な、なによ」

 「私じゃちょっと相手出来ないよっ! 見た感じ花咲さんと同じタイプだから話してみてよ、ねっ?」

 「ど、どこが同じなのよぉ~! 似てるの体の体系ぐらいじゃない! 白河さんこそ名前を呼ばれたんだから相手しなさいよっ」

 「わ、わたしこの人知らないもんっ!」

 「くぅー・・・・・」


  二人が言い争う様に声を大きくしているのにも関わらず、その女性は立ったまま寝てしまっていた。お姉ちゃんも沢井先輩も困り果てている顔をしている。

  ただ、分かった事は――――この人からは有力な情報は得られ無さそうだという事だ。悪い人ではないのだが自分の世界を作り過ぎている。

  にっちもさっちもいかなくなった、この状況。どうしたものかと考えている――――と、一人の女性がその後ろから現れた。


 「あ、こんな所にいたのねっ、お姉ちゃん!」

 「・・・あれぇ、眞子ちゃんじゃないですか。どうしたんですかぁ~?」

 「どうしたって―――お姉ちゃんがいつまで経っても登校して来ないから、心配して来たんじゃないっ」

 「あー。どうもありがとうねぇ」

 「クラスの人から言われちゃったわよ。萌もしかして事故に合ったんじゃないかって」


  腰に手をついてため息交じりに話し掛ける女性。名前は眞子というらしい。そしてこのやや天然気味の女性は萌。二人は姉妹らしく、妹が愚痴を言いながら
 怒っているが仲は良さそうに見えた。仲が悪いならそもそも迎えには来ないだろう。

  妹の眞子さんがちらっとこちらに視線を送ってきたので、慌ててお辞儀をして礼を返す。この二人は風見学園の制服を着ている。私達も風見学園の制服を着
 ているが、もちろんこの時代の生徒では無い。怪しまれない必要があった。

  
 「誰なの、お姉ちゃん。この怪しい人達」
    

  ・・・・そうだよね、怪しいよね私達。見た覚えの無い女性達が風見学園の制服を着てるんだもんね。そりゃ怪しいに決まってるよね。

  分かっていた事とはいえ少しへこんでしまう。そもそも同じ風見学園の生徒である萌さんに話を掛けたのが不味かった。

  つい風見学園の生徒という事で話し掛け易かったのかもしれないが、商店街の大人の人達に聞けば一番無難だったかもしれない。


 「え、私達ですか?」

 「同じ制服を着てるみたいだけど、私はアンタ達のことを見た事がないわ」

 「――――あぁ、それはそうよねぇ~。うんうん。見た事が無いのは仕方が無いわぁ」

 「は?」


  腕を組んでしきりに頷く花咲先輩。眞子さんはいぶかしむ様な顔付きで、その様子をジロジロ見る。だが花咲先輩はそんな視線にたじろぐ事無く
 白河先輩の前に堂々と出て、逆にその視線を見返した。

  そのあまりのふてぶてしさに、眞子さんのほうがしどろもどろになってしまう。何を言うつもりなのだろうか。どうやら何かしらの策を持ち合わ
 せている様に見えるが・・・・。ちなみに萌さんはさっきから立ったまま眠っている。器用な人だ。


 「私達は初音島の風見学園の生徒じゃなくて、本島の姉妹校の生徒なのよ」

 「え・・・」

 「まだ正式に稼働はしていないんだけれど、近々開校する予定なのよねぇ~。だから下見を兼ねてこの初音島に来たって訳。お分かりかしら?」

 「で、でもそんな話・・・私は聞いた事が無いわよっ」

 「今、言ったじゃない。それとも何、貴方は学校の教職員かなにかでそんな話は聞いた事がないと? そういう風に解釈するわよぉ?」

 「違うけど・・・」

 「そう、違うのね。なら近々正式にパンフなり連絡票なり行くと思うわ。仲良くしましょうね。確か、眞子さんでしったっけ? 貴方とはとても
  仲良く出来ると思うのよ私。フィーリングが合うと言えばいいのかしら。ふふっ」

 「ぐっ・・・・・・・」

 「ま、よろしくねぇー。姉共々」


  一方的に捲し立て会話を終了させてしまう。全部嘘っぱちの内容で少し調べられればバレてしまうような嘘。でも、今この場ではそれは敵わない。

  お姉ちゃんが何か言いたそうに手を上げかけるが、下ろしてしまう。おそらく嘘を言ったのが心苦しかったのだろう。しかし他に良い説明は無かった。

  眞子さんは言い丸められたと思ったのか、眉を寄せて拳を握っている。あからさまな嘘なのに反論出来る要素がないのが悔しいに違いなかった。


 「それでぇ、ここで会ったのも縁だし聞きたい事があるんだけれど――――いいかしら?」

 「・・・何よ」

 「木造の扉をここら辺で見なかった? あからさまに胡散臭くて、人が横二人分入れるスペースがある扉なんだけれど」

 「――――胡散臭い人なら見たわね。今ここで。目の前に居る人なんだけれどさ」

 「なるほど・・・よく知らない、と。分かったわ。ありがとねん」


  そう言って背中を向けて手をヒラヒラする。まるで嫌味を気にしていないその様に、また眞子さんの眉が跳ね上がったのが見て取れたが、もう何も言う
 気は無い様に思えた。

  そして私が花咲先輩と目が合うと、おどけたように片目を閉じてくる。多分胡散臭いとか怪しいとか言われて頭に来ていたに違いない。この先輩も多分
 に漏れず結構根に持つタイプだ。白河先輩も呆れたといった顔でため息をつくが何も言わない。

  唯一、常識人である沢井先輩が窘める様に花咲先輩に話掛けるが・・・まぁ、聞いていないだろう。はいはいと言って受け流している。それにしてもここ
 に無いとなると本格的に困ってしまう。それこそやはり、島中を探さなくてはいけいなくなる。


 「んー・・・あらぁ?」

 「まったく腹が立つわねっ・・・。ん、どうしたのよ。お姉ちゃん」

 「あの髪の長い女の子の物でしょうか、この生徒手帳」

 「え・・・・」


  その会話に花咲先輩がパッと体中に手を滑らせる。そしてしまったとばかりに、その動きが止まった。私達も予想外の出来事に動きを止めてしまう。
  
  生徒手帳――――未来の風見学園の手帳を眞子さんと萌さんがジッと見詰めている。私達はお互いに視線を彷徨わせるが、何も誤魔化せる策は浮かば無い。   

  ふぅーっ、と長く息が漏れる音が聞こえた。眞子さんのものだ。萌さんも少し困った様に顔を歪ませている。また胡散臭そうな目が向けられた。


 「2056年4月3日発行。本校一年三組、花咲茜――――なにこれ?」

 「あらー・・・本島からじゃなくて、ずいぶん未来から来たんですねぇー」


  聞いてたのっ!? ずっと眠ってたと思っていたのに。もしかしたら油断ならない人なのかもしれない・・・いや、そんな場合じゃなくてっ。

  花咲先輩は頬を掻いてどうしたものかと思案しているが、良い手が思い付いて無いみたいだ。白河先輩と沢井先輩はあちゃーといった風に顔に手を置いている。

  お姉ちゃんと私も変わらない様子で、乾いた笑みしか浮かべられない。そんな私達に焦れたのか、ずいっと眞子さんがこちら側に歩み寄ってくる。


 「ねぇ、なんなのアンタ達。場合によっては警察を呼ぶわよ」


  警察――――は、勘弁して欲しいなぁ・・・うぅ。


















 「ふぅ・・・」

 「もういいんですか? まだ、少ししか食べていないみたいですけど」

 「小食なのよ。それに―――あまりご厚意にあやかっては心苦しいし」

 「私は気にしないっすけど・・・」

 「気にするのよ。私がね」

 「いやいや、本当にありがとうな。白河ことりとやら」

 「私達の与太話を信じる所か、かえってお食事まで用意させてしまって・・・・感謝しています」


  あと残りの分は茜達の為に残しておこう。扉の前に居座っていた私達と違って、茜達は扉を探すためにあちこちを奔走している。お腹の減り具合は比で
 は無いだろう。髪を留めているスカーフをぎゅっと締め直す。弛んだ気持ちが引き締まる気がした。

  美夏とムラサキさんは食事を取れたことで少し気持ちに余裕が出来たのか、多少緩んだ雰囲気を醸し出している。別に今ぐらいはいいだろう。この状況下
 で全員が気を抜いていたら話にならないが、せめてこの時間はこの二人に気を抜かさせてやろう。

  そして茜達が帰ってきたら休憩を取らせて今度は私達が島中を走る番だ。もう夕方だし、今居る中庭も段々肌寒くなってきた。今の気温は10度。この時期
 にしては暖かいがその分夜が寒くなる。


 「それにしても――――未来人さんってもっと違うのを想像してましたよ。何かぴっちりの服を着てたり、髪型が凄かったりとか」

 「カジュアル系を勘違いした人、サイバー系の服装をしている人達ならそんな格好をしているわね。けどお生憎様。私達はとりあえずは一般の
  感性を持ち合わせているわよ」

 「そうですわね。地球―――じゃなくて日本の方々の服装は見た感じそんなに変わってないと思いますわ。ことりさんの帽子なんか私から見ても
  とてもお似合いだと思いますし」

 「あはっ、ありがとっすっ。エリカさんも小指に着けている指輪なんかとても似合ってると思いますよ」

 「当然ですわね。義之が買ってくれたものですし」

 「あ、あはは・・・・」

 「彼もよくやるわ。どこにそんなお金があるんだか」

  
  
  というか、社交辞令のキャッチボールを始めた方がそんな態度でどうするのよ・・・まったく。ことりさんは乾いた笑みを浮かべながら頬を掻く。

  ムラサキさんは愛おしそうに小指に着けている指輪を撫で上げ、喜悦に満ちた表情をしている。それをぼーっとした顔で見詰めることりさん。

  普通の人なら嫌味に映るその感情表現でさえムラサキさんがやれば『様』になる。本当、お姫様って職業に私も就いてみたいものだ。
  

 「あと重ね重ねになってしまうけれど、本当に感謝しているわ。ことりさん」
  
 「え?」

 「普通の人なら信じない様な話を貴方は信じた。余程のお人好しか、嫌々付き合っているか分からないけど」

 「そ、そんなっ。嫌々付き合ってるなんて私は・・・・!」

 「それらの感情を含み入れたとしても、私達は本当に感謝しているわ。ありがとう。あと、口が悪いのは癖なのよ。許してね」

 「あ・・・・」
  

  そう言いながら頭を垂れる。窮地を助けてもらった人に対する言葉使いでは無かった。少しばかり反省するが、口が悪いのは生まれつき。仕方が無い。

  しかし感謝しているというのは本当だった。現代に帰れず、この時代に残された私達は孤独そのものだった。身寄りも居なければお金も無い。乞食と同等だ。

  そんな風に考えていながら中庭を調査している時に、私達は白河ことりさんと出会った。長い髪におしとやかそうに整った顔。初印象は美人な女の子だった。

  どことなく白河ななかに似ている。そう思いながらすっとベンチに座っていることりさんの前を通り―――呼びとめられた。


 












 『あ、あのっ・・・!』

 『え?』

 『もしかして、何かお困りですか?』

 『・・・どうしてそう思ったのかしら?』


  こんな状況になってから私は常に気を張っていた。頼れる人物が居ない為だ。面子の中に男が居ないというのもある。女性だけの面々だと何があっても
 おかしくはない。過去に来てもそれは変わらない事実だと考えていた。

  海外ではよく女だけの集団を狙っての強盗、強姦が多数あるとよく知られているし、日本でも声掛けから発展する似た様な事件が多い。だから私は常に
 気を張って毅然としていた態度でここを歩いていた。誰が見てるか分かったものじゃないし。

  そんな私に『何か困り事があるでしょう?』と声を掛けてきた白河さんに、思わず不審そうな視線を投げ掛けてしまう。たじろぐ白河さん。構わず私は
 目を見据えたまま肩を竦めた。


 『私がどうしようもない風に見えたのかしらね。ただ歩いているだけでそんな風に声を掛けられるなんて――――ショックだわ』

 『そ、そういうつもりじゃなかったんですっ! ただ、貴方の事は学園で見掛けた事が無くて、もしかして転入生とかそんな感じの人かと・・・』  

 『ああ、そういう事。転入――――もしかしたらするかもしれない。だから下見をするために中庭を歩いていた・・・と、そんな理由じゃダメかしら?』

 『いや、私に聞かれましても・・・』

 
  正直あまり関わりたくは無かった。いや、ことりさんだけじゃなくこの時代の人達と接点を持ちたく無かった。過去に来てそんな事をしたら何があるか
 分かったモノでは無い。美夏の前では格好を付けたが、私はその事を危篤していた。

  私だけが危険に合うならまだしも、他のメンバーの人達も居る。あまり身勝手な行動をするのは憚れた。本来ならお気楽に行動する私だが、他の人を考
 えるとそう構えてしまう。

  だから――――未来から来た人ですよねと言われた時には、一瞬思考が停止してしまい、口を馬鹿みたいに空けてしまった私を誰が責められようか。混乱
 している私に矢継ぎに言葉を重ねてくることりさん。


 『いや、あのですね。さっきあなた携帯みたいなの出してたじゃないですか。凄く薄くて、アンテナが無いモノです』

 『え、ええ・・・』

 『それも画面を指で押して操作して・・・電話してましたよね? 繋がらなかったみたいですけど』

 
  そう、さっき歩きながら私は携帯を操作していた。繋がらないのは分かっていたが、念の為ととりあえず義之の携帯に電話を掛けていた。

  流れるお決まりの遮断音。ため息をついたのはさっきの事だ。まさか一部始終を見られていたとは思いもしなかった。


 『だからもしかしたら未来人かなぁと思って、声を掛けたんですよ。あ、わたし白河ことりと言います』  

 『・・・・・ことりさん、一ついいかしら』

 『はい?』

 『あなた・・・よく頭が吹っ飛んでいるとか、変わってるとか言われない?』

 『あ、あはは・・・・時々変わってるとは、言われますね。はい』

 
  引き攣った笑みで肯定することりさん。さっきのはもしかしてカマを掛けられたのか。怪訝な顔付きをするのではなく、驚いた顔をしたがまずかった。

  そんなもの肯定しているようなものだ。はぁ、とため息をつき――――意識を切り替える。バレたのなら仕方が無い。次の対応を考えなくては。

  そう考え―――くーっとお腹から腹の虫が辺りに響いた。思わず頭を伏せてしまう私に、ことりさんは人懐っこそうな笑顔を浮かべた。


 『あの・・・もしよかったら、何か食べます?』

 『―――――頼まれてくれるかしら?』

 『はいっ!』


  何が嬉しいのか満面の笑顔を浮かべる。どことなく白河ななかに似てる様な笑顔。性が同じだし、もしかしたら御先祖様かもしれない。

  それにしても―――ここ最近の私は、何故こんなにも恥を掻くのだろうか。まったく・・・キャラじゃない。空を見て少しだけ憂鬱な気分に浸る。

  まぁ、いい。この際だ。このことりさんには巻き込まれてもらおう。この世界の人と接点を持たないつもりだったが持ってしまったからには仕方が無い。

   
  食事と寝床。この二つをなんとかことりさんに手伝ってもらって確保するか。これからの算段を考え、私はことりさんの後を着いて歩いた。


 『ふぅ・・・心読めるなんて言ったら、それこそ信じられないよね』

 『何か言ったかしら?』

 『いえ、別になんでも!』

 『・・・・? そう』










 「でも―――まさか9人の方が未来の世界から来てるなんて考えてなかったです。寝床は音楽室が空いているので大丈夫だと思いますが・・・」

 「全員女の子よ。だから野宿は少し勘弁して欲しいと思ってたのが正直な気持ち。本当にありがとう、ことりさん」

 「だ、だからそんなに畏まる事ないですよっ。私が好きでやっているんだし、うん」

 「人が良いわね」


  本当に人が良い。もし『彼』が会えば甘いといって切り捨てるぐらいの甘さ。しかし、その甘さに私達が救われたのも確かだった。

  小さい頃にお婆ちゃんが死んで汚い大人たちの思惑を幾度となく見てきた。一時期は人嫌いになる程だ。まぁ、今では気の良い人達に会えてそんな事はないが。

  捨てる神あれば拾う神あり・・・か。私の人生そんなのばっかりね。中々飽きさせてくれないから悪くはないけれど。


 「・・・あのー」

 「うん? 何かしら」

 「さっきから彼とか義之くんとか聞きますが、もしかして同じ人ですか?」

 「え、ああ、そうね。同じ人よ。私と同級生の男の子で――――私が恋してる男の子の名前ね」

 「わっ、雪村さんに好きな人が居たんですかっ!?」

 「・・・どう言う意味かしら」    

 「え、あ、あはは・・・。だって雪村さん、すごいクールな人だと思っていたので。少し意外だと思ったんすよ」

 
  失礼な。いくらクールだといっても人間の女の子なんだから恋ぐらいはする。どうやら初対面のイメージは悪かったみたいだ。いつもは可愛い女の子で
 通っているのに。少しばかり本性を見せすぎたか。

  それにしても義之の姿が一向に見えない。もしかしたらこの世界に来てるものだと思っていたが、外れか。義之が居ればみんなのテンションが下がる事
 は無くなるから、居て欲しいものだったが。


 「その義之くんってどんな人なんですか?」

 「あら。もしかして結構恋愛とかに興味津津なタイプ?」

 「はいっ! そういう話は大好きです! それに折角女の子ばかり集まったんですから、そういう話はしたいっすね」

 「まぁ、別にいいけれど。そうね―――――ハッキリ言ってしまえばロクでもない男よ」

 「・・・・え?」

 「ちょっと、雪村先輩っ。義之はそんな男性じゃなくってよ。聡明で優しくて、とても魅力に溢れた男性。悪く言って貰っては困りますわね」

 「え? え?」

 「あー義之は男女関係無く殴るし、雪村先輩の言いたい事も分からんでもないな。優しいといっても本当に時たまだし、うむ」

 「それをあなたが言う? 一番可愛がられてる癖に。この間なんかずっと一日中義之の部屋でお喋りしていたらしいじゃない、小憎たらしい話ですわ」

 「べ、別にいいだろっ! ここ最近ロクに話す事が無かったから、ちょっと話ぐらいしたって構わない筈だっ」

 「・・・・え~と・・・」


  ことりさんが困った様に人差し指同士を重ね合わせている。その気持ちも分かる。話だけ聞いてると皆言っている事が違うし、それも好意を滲ませている
 発言をしているのだから困惑もするか。

  しかし―――実際、本当の話なのだから仕方が無い。私はろくでもない男だと思っているし、ムラサキさんにはまるで王子の様に見えている。すごいフィル
 タ―の掛かり具合だ。美夏はそんな事無い様に思えるが・・・・実際はムラサキさんに近い感想を抱いている。

  さっきの美夏の発言は照れ隠しによるものだ。きっとそう思っている事が恥ずかしいのだろう。ムラサキさんみたいに開き直ってしまえばそんな事も無く
 なると思うのだが・・・無理か。美夏の性格じゃ。


 「聞いての通り、よ。みんな好きな人が被ってるのよ。残りの六人も。まぁ似た様なものね」

 「・・・うわぁ」

 「まったく、困ったものですわ。あの性格の義之に近付く女の子は居ないと思ってたから安心してましたのに」

 「聞いてるだけだと、あんまり良い印象は持たない男の子っぽいっすけど・・・」

 「そうね。実際の話、彼を好きな人は男女関係無く好きだし―――嫌いな人は多分殺したい程嫌いな筈よ」

 「板橋なんかはもうかなり入れ込んでるな、あれは。元々仲良かったみたいだが前にも増して一緒に居る所を見掛ける」

 「おかげで最近はあまり構って貰えないのよね。義之も懐かれると結構気を許すんだから、まったく」


  義之のイメージ像を考えているのか、眉を寄せて腕を組んでしまっていることりさん。恐らく頭の中はかなりの悪漢を想像しているのだろう。聞いた
 通りの事を想像するならそれが自然だ。

  だが、その想像は外れだ。悪漢どころの話ではない。暴力性もさることながら、頭の方もキレる。ケンカをしている所を一度だけ見たが思わず吐きそうに
 なったほど酷い光景だった。そしてその中心で唇の端を歪ませている彼―――時々何でこの人の事を好きになったのかと疑問に思う。

  ただ唯―――女性関係に関してはヘタレだった。特にムラサキさんの前ではとても情けなくなる。お尻を蹴り飛ばしたくなるほどまでにウジウジして
 いるのは誰もがため息をつきたくなる程までに、呆れる光景だ。

  そして開き直って女遊びもするでもなし、真剣に考えているからこっちも期待して――――結局この状況になっている有様。それも全員に期待させる
 様な行動をするからタチが悪い。死ねばいいのに。


  まぁ―――――私も見事騙されてるんだけどね。本当にままならない。少し優しくされただけで参ってしまうのだから・・・。


 「じゃあ次はことりさんの番ね」

 「え・・・」

 「コイバナ、しようと言ったのはことりさんよ。言い出しっぺがまさか何も言わないなんて・・・ないわよね?」

 「私も興味ありますわね。他の人の恋愛話なんてあまり聞く機会はありませんですし。是非、聞きたいですわ」

 「美夏も聞いてみたいぞ。ことりは美人だしそういう経験が豊富そうだ。で、どういう男を好きなのだ?」

 「え――――えぇ~~~っ!?」


  何を驚くのだろうか。まさか、聞くだけ聞いて自分は喋らないつもりだったのか。きっとそのつもりだったのだろう。そのあたふたした顔を見れば分かる。

  さて、どういった面白い話が聞けるのか・・・楽しみだわ。

















 「なにそれ、すっごい酷い話じゃないっ!」

 「でしょう? この間なんかデートした翌日に違う女の子と歩いてたし・・・ショックだったよ」

 「うわぁー・・・。なんて男なのよっ、ななかみたいな可愛い女の子を――――」

 「デートと言ってもただ出掛けた先で偶然会って、ちょっとお茶したぐらいだけって聞いたけどねぇ。なんて都合良く解釈する脳なのかしら~」

 「・・・・」

 「んんっ!」


  沢井が場を取り繕う様に咳をした。ななかと花咲は横目で睨み合いながら薄く笑い合っている。なにこれ怖い。少しジュースを飲んで落ち着く事にした。

  お姉ちゃんは脇でのほほんとお茶を飲んでいるし、朝倉姉妹と月島はそれに慣れているのか、少し苦笑いしているだけだった。慣れたく無い空気だった。

  今居る和風喫茶の空気が段々沈んでいくのを感じ、私は誤魔化す様に少し声を張り上げながら話題を変える事にした。


 「そ、それにしてもさっ! まさかアンタ達が未来から来たなんて信じられなかったわよ、うんっ」

 「え、ああ・・・。それもそうだよね。普通は信じないだろうし、嘘みたいな話だろうからなぁ。私が逆の立場だったら信じないだろうし」

 「でも、本当の事だし・・・。月島的にはあんまり嘘は言いたく無かったから、眞子さんが信じてくれてよかったよ」

 「信じるも信じないも―――そんな薄っぺらい携帯を見せられたら信じるしかないでしょ。それにアンテナとか無いし」


  テーブルの上に置いてあるななかの携帯電話を指差す。元々コイバナになったのだって携帯の写メが原因だ。一人の男子生徒が写っている写真。未来から
 来たという証拠でその携帯を見せられ、中を弄っているとその写真を見つけてしまった。

  とても高性能でハッキリとした画質で写っている煙草を吸っている男。こちらが撮っている事に気付いてないのか視線が明後日の方向に向いていた。誰
 なのこの男と聞くと、少し恥ずかしそうに『好きな男の子』との返事が帰ってくる。

  そうなると後はお決まりのコイバナコースだ。女子だけの面子が集まると、そういう話になるのは未来も過去も変わらないらしい。ちなみに最初は彼女
 達の事を敬称付けて呼んでいたが、私の知っている人達と姓が被っていた事と、別に敬称は付けなくていいと言われ呼び捨てになっていた。


 「それで、どうするの? 未来に帰れないんじゃ住む所とかどうするのよ」

 「う、うーん。それが一番困っている事なんだよねぇ。さすがに野宿とかは出来ないし」

 「とりあえず帰ったら雪村さんにその事を聞いてみましょう。彼女なら何か良い案とかありそうだし」

 「その方がいいかもね、それにしても――――うぅ・・・私、生徒会長さんなのになぁ。なんだか活躍出来ていない気がする・・・」

 「し、仕方ないですよ音姫先輩。こんな状況になって冷静に動ける人なんて居ないですし・・・雪村さんとかが特別なだけですってっ」


  ななかがフォローを入れるも、しょんぼりとした雰囲気を身に纏いココアに口を付ける。そんな音姫に周りの彼女らも苦笑い気味だ。

  私もジュースに口をつけ、その脇にいる妹の由夢に視線を送った。何故か彼女は男子用の学生服を着ており、それを抱きしめるかのように着ている。

  目線が合うと、にっこりと笑みを浮かべ私に向かい軽く会釈をしてきた。その様子を観察して、ふむ、と頷く。


 「なんだか音夢に似てるなぁ」

 「えっ、おばあちゃんの事知ってるんですかっ!?」

 「あー・・・・やっぱり音夢の親族だったんだ。性が同じだし、由夢なんか雰囲気とか顔付きとかそっくりだものね。確証は持て無かったんだけど・・・。
  なるほどねぇ、やっぱりアンタ達が未来人って更に確信したわ」

 「・・・あの、もしかして眞子さんて・・・・・」

 「同級生よ。音夢と同じクラスで、友達なんかやってるわ」

 「はぁ、おばあちゃんのお友達だったんですか・・・・偶然ですね」

 「そうね。アンタ達に会ったのも偶然だけど、まさか音夢の子孫の子と会えるとは思わなかったわ」


  音夢が聞いたらどう思うだろうか。あんた、お婆ちゃんって言われてるよって。多分引き攣った笑みを浮かべながら怒るだろうなぁ、うっ、想像したら怖い。

  そして、私はさっきから気になっている事を聞いてみた。大体の事情は話を聞いて飲み込めたし、コイバナをしているぐらい私達の間には余裕が出来ていた。


 「由夢が着ているその男子物の上着ってさ、一体どういう理由で着てるの? ちょっと気になっちゃって」

 「これは・・・その、兄さんから借りたもので・・・」

 「兄さん?」

 「血は繋がっていないんですけれどね。けど、小さい頃からずっと一緒に育ってきたから私は兄さんと呼んでいます。姉さんは弟くんて呼んでますけど。
  それでこの上着はこっちに来る前、外に用事があって出ようとしていた時に兄さんが気を使ってくれて貸してくれたモノなんです」

 「―――ふぅん」


  はにかんだ笑顔を見せながら、愛おしそうに上着を撫で上げるその仕草。家族に対する親愛以上のモノを感じた。お姉ちゃんはその様子を見ながら
 『あらあら』と言って頬に手を置く仕草をする。私達の考えはどうやら同じ様だ。

  多分、いやきっとその『兄さん』とやらに由夢は恋をしている。私たち同性代の女の子がよく見せる顔だ。恋に恋して、内から溢れてくるものに笑みが
 止まらないといったその様子。見覚えがあるものだ。

  まぁ、血は繋がっていないようだし健全か。聞いた感じ幼馴染と家族の間みたいな関係っぽいし。しかし、その『兄さん』とやらはどんな男なんだろうか。
 由夢も漏れなくかなり可愛い部類に入る女の子。少しばかり好奇心が擡げる。


 「いいわよねぇ、由夢ちゃんは。よっしーなんか私に対しては何か妙にSだし。困ったモノだわ」

 「あ、茜は少し義之のことからかい過ぎなんだよっ。この間なんか結構本気で困ってたじゃない」

 「あれぐらい別にどうってことないわぁ、小恋ちゃん。いい加減誰に絞るか決めて欲しい所ね。もしかして女の子を侍らせるのに気持ちよさを感じてたりして」
 
 「―――――ッ! は、花咲先輩っ。あんまり兄さんの事をそうやって――――」  

 「冗談よ」

 「え・・・」

 「もしそうだったら殴ってるわ。とっくにリンチね。けれど、誰一人にマトモに手を出していないというのも困った話だわ。この面子の中じゃ私が一番早く
  義之くんとキスしたのに。まったく」

 「・・・・・・は?」


  なんだか、いま、すごい話を聞いた気がした。思わず茫然と間抜けな呟き声を漏らしてしまう。さっきから同じ男の名前しか出て来ない。それはおかしい。

  ななかが好きと言った男の名前、由夢が愛しげに着ている上着を貸した男の名前、花咲がキスをしたと言った男の名前。それらがイコールになっている。

  思わず言い様の無い感情が身を震わせるのが分かった。そんな私の様子を怪訝そうに見詰める皆の視線。お姉ちゃんだけは、いそいそと私から距離を離した。

 
  いや、耐えろ。他の人の恋愛事情に首を突っ込むのは些かどうかと思う。それがいくらなんでも『ロクでもない男』だとしても・・・・、だ。

  そんな風に自分を一生懸命抑えて――――花咲のその発言で、呆気なく私の心のダムは崩壊した。


 「あ、学校に居る残りの三人も義之くんの事が好きなのよぉ。それもどの子ともキスしてるし。やってられないわよねぇ~」


  コップが音を立ててひび割れた。短い悲鳴を上げて一斉に私から距離を離す彼女達。幸いにしてコップの中身は空でジュースをぶち撒ける事は無かった。

  今の私。かなり頭に来ていた。彼女達の話を聞く限り、なんてその『義之』という男は本当に、最低な男なのだろうか。余りの怒りに笑いが起きそうだ。

  女の子をなんだと思っているんだという怒りに、頭がはち切れそうになる。きっとこの子達は良い様に騙されているに違いない。間違いない。

  話してみて分かったがこの子達はとても気の良い人達だ。花咲なんかは初対面こそ印象が悪かったが、打ち解けてみると中々さっぱりとした性格をしていた。

   
  ああ――――きっといい子だからそんな男に騙されるのだろう。義之という名前の男。女の敵。張り倒してやらないと気が済まない・・・・!


 「あ、あの~・・・・眞子さん?」

 「ななか」

 「え、あ、はいっ」

 「その男ってこっちに来ていないの? 一言文句言いたいんだけど」


  いや、一言じゃ済まないだろう。自分で分かる。その男と会えばきっと大ゲンカになる事は間違い無し。

  むしろそれを望んでいる。もしかしたら怪我をするだろうが――――構わない。その分やり返してやるんだからっ。


 「あ、生憎だけど来てないのよねぇ~。とっくにこっちの世界に来てる可能性は否定出来なくもないけど・・・」
 
 「そう。なら会ったら是非私の事を呼んでちょうだい。お願いね、花咲。その男といっぺん話してみたいから」

 「・・・・止めた方がいいと思うんだけどなぁ」


  確かケンカがかなり強いとななかからは聞いている。だが、私だってそれなりに度胸のある女のつもりだ。

  それに、私が女だから多少手加減してくれるという打算もある。男はいつだって女に甘い。悪いけど、そこを突かせてもらう事にする。


 「そ、そろそろ学校の方に戻ろうか、みんなっ!」

 「あ、お姉ちゃんっ、待ってよ!」  

 「・・・私、しーらないっと」

 「ちょ、ちょっと茜、無責任過ぎるよっ。さすが月島でもあの空気であんな発言はしないのに・・・」

 「まぁ、花咲さんだからね。でも、彼女の事だからある程度は後でフォローしておくからいいんじゃない? 小恋」

 「桜内、女にも手を出すしね。もし桜内を見つけたらある程度私からも話はしておく事にするわ。まったく、面倒臭い」

 「あらあら、皆さん一斉に大移動ですね。眞子ちゃん、私達も行きましょう? これも何かのご縁だと思いますし」

 「―――――まぁ・・・関わったからには中途半端に投げ出さないつもりだけどね。しょうがない。私達も学校に行くとするか」


  立ち上がり会計の所まで歩いて行く。ななか達は奢ってもらう事に抵抗を感じていたみたいだが、私は構わないと言った。彼女達が持っていたお金は
 未来の物で、もし万が一偽造だ何だと言われて一悶着が起きては困るから私が奢る事にした。

  月島なんかは物凄く恐縮な態度で頭を何回も下げるから、返ってこちらが困る程だった。本当、良い子達ばかりね。そんな良い子達を騙す義之という
 男は一体何様のつもりなんだろうか、まったく。

  それにまだまだ彼女達には聞きたい事がある。未来の情報などを知ったらつまらないとある人は言うが、私は興味津津だった。携帯もそうだがリップ
 やら口紅も見た事の無いブランドのものばかり。私も女なんだし興味を持つなという方が無理がある。


 「・・・・・・あ」

 「んー? どうしたんですか、眞子ちゃん?」

 「クリパの準備・・・・、サボっちゃった」

 「・・・・・・あら~?」




















 「き、来たわよっ、小恋ちゃん! 女の敵がっ!」

 「あ、茜っ、あんまり大声出しちゃダメだよっ」

 「よくもまぁ、来れたものだわ。厚顔無恥とはこの事ね」


  教室に行くと雪月なんたらの三人娘がここぞとばかりに言い寄ってくる。かったりぃ。その声を無視してオレは自分の席を目指し歩く。

  場所は――――なんだ、変わって無いのか。クラスも同じみたいだし。こういう所は変わって無くてよかった。細かい部分があまりにも違うとやり辛くなる。

  桜内義之と書かれた答案が置いてある机。それを手に取り、書かれた内容と点数を確認した。オレの場合まぁまぁの点数を最低限確保していたが・・・さて。


 「40点・・・ね。まぁ、古典なんか過去の遺物勉強しても仕方が無いし、別にいいか」

 「あら、負け惜しみかしら。男の癖に言い訳がましいわよ」  

 「事実だ。こんな事を勉強しても、何も金儲けのクソの役にも立ちやしない。そうえいば厚顔無恥で思い出したが、四書五経を読んだ事がある。
  中々素晴らしい内容が書かれていたな。今の世の中の大人達に読ませてやりたいよ。屑が多すぎるからな」


  ああ、そうなると満更古典も馬鹿にするもんじゃないな。過去の教えを活かし、それを更に応用して国は栄えてきたんだっけか。日本なんかまさにそれだしな。

  確かに金儲けの役には立たないが、礼節は覚えられる。徳を重んじ、和を尊び、凛々しく生きる。現代日本では無くなって来ている風習だった。


 「・・・あなたの口から、まさか孔子に関する言葉が出てくるなんてね。明日は大雪かしら」

 「孔子よりもオレは孟子が好みだな。共感出来る話がいくつかあった。孟母三遷、好奇心旺盛な性格には好感が持てるよ」

 「――――――ふぅん、そう」  


  人は生まれながらにして善である。しかし、教養も礼も学も何も植え付けないと人は悪の色に染まる。その通りだとオレは読んでしきりに同感した。

  そして、その書の中にはこうも書いてある。人は生まれながらにして悪である。だが教養をちゃんと施せば和を守り、公共にて善を尽くすと。

  じゃあオレは何なんだろう。まともに教養も礼も学も受けてきた筈なのに善人では無い。子供の頃それを疑問に思い、資料を読み漁った記憶がある。

  
  懐かしい記憶だ。さくらさんにその事を聞いたら、『何言ってるの。義之くんなんてまだまだ勉強し足りてないんだから。そんな事言うなんて百億年も
 早いよ。それよりお饅頭とおせんべい買ってきて』とまるで相手にされなかった。ムカついたのではりまおに眉毛を書いてやった。ざまぁみやがれ。


 「ちょ、ちょっとぉ~! そんな小難しい話して誤魔化さないでってば!」

 「あ?」

 「小恋ちゃんもハッキリ言った方がいいよぉ、義之くんは鈍感なんだから! 色々言い聞かせておかないと、すぐ他の女のコと仲良くしちゃうかもしれないし」

 「そ、そんな事は・・・無いと、思うけど・・・・なぁ」


  随分歯切れの悪い返事だ。もしかして、こっちのオレにはそんな事を思わせるような兆候があったのかもしれない。なんだ、やっぱりロクデナシだったか。

  席に座りとりあえず机の中身を漁ってみる。教科書は置きっ放しだ。ノートを開き、筆跡を見てみる。あまり変わりは無い。特徴の無い文字の羅列が並んでいる。

  指の骨を鳴らしながら、次は金目のモノがないか探す。財布は生憎だが由夢に貸した上着の中。もしあったとしても、別世界のココじゃ使う気は起きなかった。


 「な、なにしてるの。義之?」

 「金が無いかなって探してたんだよ。そうだ、小恋。この間デートで食事した時、金オレが多く出したろ? ソレ、今返してくれ」

 「えっ、えぇーーーーーっ!」

 「ちょ、ちょっと義之っ。いくらあなた小恋と付き合ってるからってそれは――――」

 「別に強請ってる訳じゃない。明日中にはすぐ返す予定だ。なんなら借用書でも書くか? 紙切れ一枚に鉛筆で書くだけでも、確か有効だった筈だが」


  恋人だからデートはしている。それを前提でオレは小恋に金をせがんだ。男が女とデートをする時なんて、決まって男が見栄を張って多く出すのが普通だ。
 この世界のオレはどうやら漏れなく普通の男みたいなので、きっと小恋とお出掛けした時なんざ多く出しているに決まっている。

  明日になれば風邪とやらも治ってるだろう。ここのオレには悪いが借りた分はそいつに払ってもらう事にする。返すアテなんて無いし、そもそも無一文
 の現状で金に余裕が出来たらまず返さないで、取って置く。何があるか分かったもんじゃないしな。

  そう考え、金を貸せと言ったが・・・何やら小恋が眉を寄せて何やら考え事をしている。さすがに彼氏といえどもお金を貸す行為に躊躇いを感じている
 のかもしれねぇな。ま、それが普通なんだけどよ。


 「・・・義之」

 「ん?」

 「デートって・・・確か最後にしたの一ヵ月前だよね?」

 「――――は?」

 「確か映画見て、その後食事したから・・・・その時の分でいいのかな?」

 「ちょっと、待て。小恋」

 「うん? なに?」

 「最後にデートしたのは一ヵ月前・・・・。そう言ったか、今」

 「い、言ったけど。あれ、もしかして一ヵ月前じゃなくて三週間前だっけ?」

 「・・・は、はは」


  額に指を当てうんうん唸っている小恋。オレはといえば―――思わず引いてしまう様に乾いた笑みを浮かべてしまった。いや、それは仕方無いだろう。

  付き合ってるカップルなんて毎日デートをしていてもおかしくない。間違っても月単位でするものじゃないと思っている。オレ基準じゃなくて一般常識で、だ。

  おいおいおい・・・・。どんだけ彼女のこと放って置いてんだよ、ここのオレは。前のオレは鈍感だとは聞いていたが―――そんな問題じゃねぇだろ、これ。


 「小恋、やっぱり金の話は無しだ」

 「え?」

 「そうだよな、うん。やっぱりああいう場所は男が多く金を出すもんだし、今更返せってのも気持ち悪い話だよな。忘れてくれ」

 「う、うん・・・。義之がそう言うなら別に構わないけど・・・」

 「まぁ、当り前の話よ。普段彼女の事放って置いてるのにお金を返せだなんて。厚かましいたっら無いわ」

 「そうだよねぇ。なんだか都合のいい女の扱いしてるって感じで、嫌な気分だわ~」

 「うるせーよ」 


  さすがのオレでも不憫に思ってしまった。普段構ってやらない彼氏が、彼女に金をせびる構図。滅茶苦茶カッコ悪いったらありゃしない。というかみっともない。

  茜達の言葉を聞く限りじゃ、かなり普段からそんな感じみたいだ。小恋の性格からしても思った事を言えない性格。無理もねぇ話か。恋人なのにな。

  さて、じゃあ金はどうするか。金が無ければ物は食えない。いつだってあって困るものじゃない。それが無いとなると、こうして困る事になる。


 「・・・義之」

 「ん? なんだよ」

 「なんだか今日のあなたの様子、変よ」

 「そうかな」

 「そ、そうだよぉ~! 彼女が居るって言うのにあんな口説き文句を言うなんてさっ、もう、信じられないわぁ!」

 「ああ、あれか。あれはからかっただけだ。本気にしなくていい」

 「なっ―――――」


  そうしてまたピーチク騒ぎ始める茜。それを聞き流しながら、ポケットに手を入れ周りの様子を観察してみる。見た事のある顔ばっかだ。

  中には一緒のクラスじゃなかったヤツ数人は居るが、それ以外は殆ど同じ。欠伸をして知り合いの顔を探すがこの女共ぐらいしかは見当たらねぇな。

  ため息をつき、首を鳴らしてる―――と、一人の男子生徒が入ってきた。見知った顔。渉だった。オレは軽く手を上げながら挨拶の言葉を投げかける。


 「よぉ、おつかれさん」

 「ん? あれっ、義之じゃねぇか。どうしたんだよ。今日は休みだって聞いたぜ?」

 「家で寝てたら無事復帰出来たよ。やっぱり不摂生な生活なんてするもんじゃないな」

 「はは、言えてるかもな。昼夜逆転しちまうと朝起きるのだるくて仕方ねぇし。オレも最近やっと元のリズムに戻れたよ」  

 「そうか――――ああ、そういえばさ、渉」

 「ん?」

 「金、貸してくれ。返すからよ」

 「・・・・は?」


  茫然とした顔付きの渉。こいつから金を借りるなんて、思ってもいなかったが腹に背は変えられない。オレだけじゃ無くアイシアもいるからな。

  腕を組んで渋い顔をする。真面目な顔付きを作ったオレに何を思ったのか、首を捻りながらうんうん唸っていた。それもそうか。こいつ、いつも金欠だし。

  義に厚い男だから助けてやりたいのは山々だが、元手が無いから困ってる。そんな感じの雰囲気が伝わってきた。


 「なら担保をいれるよ。ほら」

 「担保って――――うぉっとっと・・・・って、これっ!?」

 「確かガボールのリング欲しがってたな、お前。それを担保にいれるから金貸してくれ。つーか、あげるよ。だから金を貸してくれないか」

 「お、おいおい・・・。こんなものどうしたんだよ。数万ぐらいするヤツじゃん、これ。それに俺、そんなに金持ってねぇって」

 「知ってるよ。だから数千円でいいや。今欲しいのはそんぐらいだし」

 「す、数千円っ!?」

 「要らないなら他をあたる。悪かったな、いきなり金の話なんてしちまって」

 「ちょ、ちょっと待てよ! 買う、買うってばよ!」


  席を立ち去ろうとするオレの肩を掴んで、無理矢理引き戻す。そして、いそいそと財布を漁り――――五千円を出してきた。なけなしの金らしい。

  オレ的には八千円ぐらい欲しかったが・・・・まぁ、いい。二人分の食事なら明日まで持つだろう。あんまり強請っては渉の野郎が可哀想だしな。

  親指を跳ねてリングを飛ばしてやると、慌ててそれをキャッチし、顔を綻ばせる渉。喜んで何よりだぜ、くそったれ。オレのお気に入りだってのに。


 「義之、あざーすっ!」

 「おう。はぁ・・・帰ったらまたバイトの日数増やさなくちゃな」


  研究所のバイト、もっと行く必要が出来ちまった。美夏には会えるしそれはそれでハッピーなんだが、周りの女共はきっとあれこれ言うだろうなぁ。

  特にエリカなんかは絶対言ってくる。小言のようにネチネチと。けど、しょうがねぇ。残飯なんか漁りたくないし、煙草も買わなくちゃいけない。

  小恋達はそんなオレの様子を見て、何やら怪訝そうに顔を寄せ合いながらコソコソ言い合っている。気付かれねぇとでも思ってんのかよ、おい。


 「・・・やっぱり、今日の義之くんは変よぉ」

 「な、なんだか私もそう思ってきた。前はあんなの持ってなかったのに・・・」

 「さっきの会話だって不自然だわ。あの義之が四書五経を読むなんて。そんな物、絶対に読まない性格な筈――――」

 「さっきからコソコソやかましいぞ。特に、杏。てめぇだ」

 「え――――きゃっ!?」

 「きゃぁぁぁ~っ!? あ、杏ちゃんっ!?」

 「杏っ!」

 「おいおいっ」


  杏の頭の上に手を置いて、回す様にこねくり回してやった。こいつはイチイチ細かい事に突っ込み過ぎなんだよ、まったく。少しは大きくなれよ。胸も。

  周りが騒然とした様子で口を開けて、それを見詰めている。杏はこういった事されるキャラじゃねぇもんな。いつもクールに振舞って毒舌を吐く。そんな女だ。

  だが、オレはそんな奴を見てると無性に弄りたくなってくる。普段澄ましてる奴ほど、こういう事をされる事に抵抗を持っていない。いつもは弄る側だしな。

  適当に掻き回して気が済んだオレは、手を離しまたポケットに手を入れる。杏の顔を見ると、戸惑いと羞恥心をごちゃ混ぜにした顔を作っていた。


 「あ、あ、貴方ね・・・・!」

 「なんだ、怒ったのかよ。そんな肝っ玉小さいとこの先やってられないぞ。我慢するって事は生きていく上でとても大事なことだ」

 「ちょ、ちょっと義之っ! 少し、やり過ぎなんじゃないのかなっ」

 「ん? そうかな。彼女以外には冷たくする。オレは世間一般的に常識通りの行動を取ったまでだが」

 「ど、どこがなのっ。普段の義之ならこんな事――――」
  
 「風邪が治ったばかり少しナーバスになっているからな。普段通りいかねぇんだよ。だけど、だ」

 「え・・・あっ・・・」

 「普段通りじゃ無いから、こんな事までやっちゃうな、今日のオレは」


  小恋の腰を抱いて、オレの傍に無理矢理引き寄せた。周りがそれを見てまた騒ぎだすが、気にならない。彼氏彼女同士ならこれくらいはするだろう。

  どうやらこの世界のオレは、小恋に冷たくしているようだ。小恋の様子を見れば一目で分かる。恋人同士にしてはその空気があまりにも『らしく』無さ過ぎた。

  付き合っているというのにどこか踏み込むのを躊躇っている、その様。余計な手助けかもしれないが―――少し空いている距離を縮めさせてやろうと思った。

  自己満足にも似た身勝手な考え。もしかしたら、オレが誰とも付き合えていない事に少し罪の意識を感じていたのかもしれない。ふと、そういう考えが過った。
    

 「う、っ、よ、義之なんでこんな――――」

 「悪いな、小恋。いつもなんつーか・・・窮屈な思いをさせちまって。ちょっとオレ、最近冷たかったろ。どうかしてたんだよ。本当にすまない」

 「・・・しょうがない、よ。最近は天枷さんのロボット騒ぎでそれどころじゃ無かった気がする・・・・し」
 
 
  気持ちが楽な方に逃げているのかもしれない。本当は小恋の為では無くオレの為の行為。重くなっていた気を紛らわせる為にこんな事をしている。

  だが、小恋の顔を見れば少しはそんな行動も間違ってない様に思える。さっきとは違って肩の力を抜き、目の力が和らいでいる。心に灯がともっている証拠だ。

  いつかオレも、こんな風にちゃんと自分の女を安心させなくちゃいけねぇな。今現在の周りの人間関係を省みて、改めてそう感じた。


  それにしても――――美夏、か。まだそんなつまらねぇ事で騒いでるのかここは。どこもかしこも教養が足りねぇ人間ばっかだ、まったく。


 「・・・・・ぐすっ」  

 「ん――――って、おいおい」

 「・・・あ、ご、ごめんっ。な、なんで泣いちゃうんだろうね・・・。本当に、ごめっ・・・ん、ひっぐ」  

 「小恋ちゃん」

 「あ・・・」

 「ちょっと安心しちゃったんだよね。うん。大丈夫だから」

 「あ、茜・・・」

 「ハンカチよ。礼は後で10倍にして返してよね」

 「・・・・が、頑張るよぉ、杏。ぐすっ」


  一粒の涙が零れ、それを皮切りにポロポロ涙を零す小恋。思わず腰に回していた手を離し、距離を取ろうとすると今度はあちらからぎゅっと密着させられる。

  茜と杏がそんな小恋を慰めるかのように、ぽんぽん頭を撫でている。悲しくて泣いている訳じゃない。嬉しくて泣いているのがその笑顔で分かった。

  その様子を見ながら、軽く目を閉じて、開けた。脇を見ると渉がなんともいえない顔付きをして頬をぽりぽり掻いていた。声を掛ける。


 「なぁ、渉」

 「ん、なんだよ」

 「オレってもしかして――――滅茶苦茶に冷たい奴だったのか」

 「そんな事・・・・あるかもしれねぇな。いや、天枷さんの件で一杯一杯なのは分かってるんだけどさ。少し、ばかり放置し過ぎなんじゃねぇのと思ったり」

 「・・・そうか」


  どもりながら言う渉。コイツが言う少し―――って事は全く少しどころじゃねぇって事か。気を遣われたのが分かった。渉はいつも細かい所で気を遣っている。

  ここの世界のオレ。恐らく此処に来る前の世界の『俺』とそんなに変わらない。聞いた限りじゃすごく優しい性格で、爽やかなイケメンだったっつー話だ。

  その割には服とかには無頓着だったみたいだが。皆が揃いもそろって優しいとか抜かしてたから、とても気の良いヤツなんだろうな。オレとは違って。


  そう、優しい人物だ――――自分の女を放っぽりだしてまで、困っている人を助ける程までのクソッタレの聖人様だ。オレとは気が合いそうに無い。


 「おい、小恋」

 「・・・・ん、なにかな」


  少しは落ち着いたのか、卒なく返事を返してきた。周りの連中もその様子を悟ってとりあえずホッと一息をつく。

  てか、ここは教室だったな。何やらチラチラと視線が送られてきている。全く。目立ちたくは無いっていうのに・・・。

  軽く眉を顰めてしまう。まぁ、いい。オレなんてどこ行っても目立つしな。別にかぶいてる訳じゃない。素直に行動しているだけだ。


 「放課後、時間あるか」

 「え・・・」

 「少し話がしたい。いいか?」

 「――――ッ! う、うんっ! 勿論だよ!」

 「よかったわねぇ、小恋ちゃん。久しぶりにデートかなぁ?」

 「いやいや、羨ましい限りっすなぁ、月島」

 「私達の事は別に気にしなくていいわよ。ゆっくり楽しんでいらっしゃい」

 「えへへ」


  茜達の言葉に顔を綻ばせる。もう楽しみでしょうがないといった風だ。仕方無いか、あんまり構ってやってねぇみたいだし。そりゃそれだけ喜ぶよな。

  さて、どこで話そうか。このクソ寒い冬に屋上なんかに行きたく無いし、そうすると中庭の隅っこか。あそこは意外と風が来ないからいいかもしれない。

  話、少しばかりの助言をしてやろうと思う。オレは最低でも明日には帰る事になる。だからこういう事は今日中に終わらせた方が実にスマートだ。


  あと――――これは浮気でもなんでもねぇからな。オレの名誉の為、小恋の名誉の為に確認しておく。『他人』の女寝取っても楽しくねぇからな。



















 「まさか、ことりがこの人達と知り合いだったとはね」

 「あはは。まぁ、色々縁の巡り合わせで知り合う事になりまして・・・」

 「あらぁ、可愛い女の子ですねぇ。お人形さんみたいです」

 「・・・ふっ。ありがとう。萌さん」


  どこか溜飲が下がるような顔付きで礼を返す雪村さん。眞子ちゃんはそれをどこか胡散臭そうに見詰めている。周りには居ないタイプだから警戒して
 いるのかもしれない。それに比べて萌先輩はいつも通りのフランクな態度だ。

  さすがに音楽室に9人の女の子を泊らせるのは中々に窮屈だが、我慢してもらうしかない。生憎と他の教室はクリスマスパーティで埋まってしまって
 いるのだから。この音楽室は私とみっくん、ともちゃんが使用しているから誰も入ってこない。

  その内その二人にも、彼女達の事を紹介しようと考えている。みっくん達なら馬鹿なと言って一笑するような性格では無いし、何より信用に値する
 人物達だ。きっと雪村さん達に、快く助力してくれるだろう。


 「今日は驚く事ばっかりね。まさか未来人、それも9人と会えるなんて。人生何が起こるか分かったものじゃないわ」

 「そうですねぇ。私もびっくりしてますよ。それもこーんな可愛い娘たちばかりで・・・ふふ」

 「・・・だから尚更面白くないんだけどね。その桜内義之って男に騙されてるのが」

 「ケンカはダメですよぉ、眞子ちゃん」

 「さてね。一言文句ぐらい言わないと気が済まないわ」    

 「あらぁ・・・・」


  困り顔をして頬に手をつく萌先輩。彼女みたいな温和な性格の持ち主からしたら、実の妹がケンカをするのはよろしくないのだろう。

  私もケンカとか争い事をするのは苦手だし、見るのも苦手だ。だから、その義之くんと会う事を考えると少し怖いかもしれない。聞く限りじゃ不良みたいだし。

  苦手な人種。会えると決まった訳ではないだが、私は既に苦手意識をもう持ってしまっている。朝倉くんみたいに少しフランクだと助かるんだけど・・・。


 「考え事かな。ことりさん?」

 「・・・ななかさん」


  人懐っこそうな顔で話し掛けてくる同じ姓の女性。何処となく私と似ている気がした。聞けば遠い親戚らしい。お互い会った時から、何かシンパシーみたい
 なものを感じていた。言葉では言い表せない、不思議な気持ち。

  その疑問は、ななかさんと握手した時に氷解した。心の中をくすぐる様な感覚。同じ極の磁石を合わせた様な反発力。お互いに無意識に相手の心を読もうと
 した感覚だった。彼女も私と同じ、心を読める能力を持った女の子だった。


 「いえ、少し・・・その義之くんという人の事を考えていて」

 「義之くん? 義之くんがどうしたの?」

 「皆さんの話を聞く限りじゃ、少し怖い人物らしいので。もし、会う機会があったらどうしようかな、と・・・」

 「・・・あー・・・・・」


  私の言っている言葉の意味を理解したのか、腕を組んで少し考える仕草をするななかさん。その仕草もまた可愛らしく、彼女にとても似合っていた。

  そういえばななかさんもまた、その義之くんという男を好きらしい。何故だろうか。それはななかさんに限った話ではなく皆に言えると思う。


 「ケンカをよくすると聞きました。それも女の子、子供も殴ってしまうと」

 「子供は分からないけど――――女の子は平気で殴るなぁ、そういえば。私は見たこと無いけどムラサキさんとかはその現場見た事があるって言ってたし」

 「あとは煙草も吸うって聞いたし、お酒もよく飲んでるって」

 「ヘビースモーカーだね、あれは。由夢ちゃんがよく止めてって言ってるけど聞かないし。お酒は昨日も飲んでたと思うよ。1週間に2、3回はお気に
  入りのバーに行ってるって本人から聞いたから。穴場なんだって言ってた」
  
 「・・・・でも」

 「うん?」

 「ななかさんは、義之くんの事、好きなんでしょ?」

 「――――――はは。まぁ、ね。中々実る気配は無いけど」


  照れくさそうに頬を掻く。分からない。そんな人の事を好きになるなんて。私が朝倉くんを好きになった理由は、彼が優しいからだ。

  私が学園のアイドルだと知ってても態度は普段と変わらないし、そこに打算的なものは無かった。ごくごく自然な態度。そこに惹かれた。

  みんな私を特別な目で見てくる。羨望や嫉妬といった感情をよく向けてくる。その中で彼だけは、何も変わらない態度で接してくれた。


  だから―――――。


 「なんで、その人の事を好きなのかな?」

 「ん、優しいからかな」


  そんな風に呆気なく言える彼女に、私はどこか信じられない目を向けてしまった。


 「・・・・失礼っすけど、とてもじゃないですがそんな人には思えません」

 「あ、あはは・・・。話だけ聞くとそう思うよね。すごい不良でろくでもない男性って。実際、雪村さんも常日頃そう文句言ってるし」

 「だったら――――」

 「私が心を読めるって、彼、知ってるんだ」

 「・・・・・・・・え?」


  私の言葉を遮る様に彼女はそう言った。心が読める事を知っている。私達が一番知られたくない事を、その義之くんは知っていると言った。

  他人の心を読める。これは絶対に他人に知られてはいけない事でもある。知られたら最後、周りの人達は自分から距離を取り、離れていく。

  孤独―――私が絶対なまでに嫌うものだ。小さい頃みたいに、また不安になりたくない。そんな気持ちを常に持っていた。ななかさんも似た様な感じだろう。


 「最初はすごい距離を取られたよ。それにはっきり言われたね、近付くな、触るなって。結構ショックだったなぁ・・・」  

 
  思い返す様に天井を見上げる彼女。言葉には陰りが見えない。意味が分からなかった。そんなあっけらかんに言えるのは、おかしい。絶対に。

  そんな私の気持ちを知らずにななかさんは言葉を紡いでいく。サイドに垂れている髪を弄びながら、視線を私に戻した。


 「でも、それがきっかけで話す機会があったんだ。たまたま屋上で会って、気まずい分気になって、話題が無いからその能力の話になって―――そして言われた」

 「・・・・なんて、ですか」  

 「お前さぁ、いつまでそうやって人の顔色窺ってんのって。その内そうやって皆に良い顔をしてたらいいように使われるぞって」

 「あ・・・」

 「ことりさんも薄々勘付いてるんじゃないかな。私達の能力って凄く便利だけど・・・やっぱり卑怯なんじゃないかなって。こんな事してたら、みんな自分
  から離れていくって」

 「・・・・・」

 「私は心を読むの止めたよ。まぁ、時々意識していないのに読んじゃう事もあるけどさ。人に不自然なまでにくっ付くのも止めたし、愛想笑いも止めた」


  それは―――とても辛い事だったんじゃないだろうか。人の心を読めるという事は安心出来ると言う事。絶対に攻撃をされないという事なのだから。

  人が望んでいる通りの事を喋り、行動する。とても気が楽になる行為。お互いを傷付けず、また傷付けられる事も無い。幸せになれる能力だと思う。

  だが、やはり心の何処かではななかさんが言った通りの事を思っていたのかもしれない。共感したという事はそういう事だ。私も卑怯だとは思っていた。

  しかしもう止められる領域ではなかった。気付いた時には、もう安心感に身を全部任せてしまっていたから。今更その行為を止める勇気は、私には無かった。


 「そしたらさ、義之くんがよく喋ってくれるようになったんだ。困った時にはすぐ助けてくれるし、相談事もちゃんと聞いてくれる。優しいよね」

 「それは・・・・」

 「普通だったらもう近付かないよ。私が心を読むの止めたって言っても、普通の人はそんな言葉信じないもん。今まで人の心を読んできたんだから」

 「・・・・うん。そうですよね。私も、そう思います」

 「彼ってさ、人の事を良く見てるんだ。ああ、こいつは今こんな事を考えている。こう思っている。次はこうするだろうって。まるで人の心を読める
  みたいにさ・・・・はは、よく考えたら本当に性質が悪いね。そんな能力なんてもってないのにそんな事出来るなんてさ」

 「は、はは・・・。すごい人っすね」


  やばい・・・益々会い辛くなった。ただでさえ怖いイメージを持っていたのに、そんな事を知ったら更に身が強張ってしまう。

  思わずぶるっと震えてしまった。見ると、ななかさんもその時の事を思い出したのかぶるっと震えていた。自分から言い出したのに・・・。

  私の視線に気付いて、こほんと咳を鳴らし体制を取り繕うななかさん。腕を組んでうんうん唸っている。どこか政治家の偉い人みたいだ。

  
 「ま、まぁ、要は私の頑張りが認められたって事だよね。義之くんが近付いてきたって事は」

 「頑張り?」

 「結構頑張ったんだよ? 私の場合触れないと心を読めないから、必死に『普通の人』になる為にちゃんとした会話を覚えたりさ」
  
 「・・・会話かぁ」

 「うん、会話。簡単な所から始めたよ。相手の言葉に基本的には相槌を打つとか、質問にはオウム返しをして話を途切れさせないとか」


  ななかはその時の事を思い返す。まるで赤子の様に何も知らない私に色々教えてくれた時の事を。かったるいと言いながらも、一生懸命な顔付きで
 頼み込むななかに、義之は煙草を吸いながら『会話』を教えた。

  基本的な事―――5W1H。イエスかノーといった『閉じる』答えをしない。その話題の関連するものを引っ張ってくる。無理に自分が話す必要はない。
 相手の言う事に相槌は打つだけでもそれは会話として成り立っている。

  その甲斐あってか、今ではななかは普通に会話をする事が出来ている。ただ、少しばかり恥ずかしい思いもした。よく義之はななかの事をからかう。
 お前の笑顔の可愛さがあれば言葉なんていらないだろう、とか美人はいいよな、黙ってるだけでも会話になるんだとか。


  そうやってからかわれて―――本気にしてしまったななか。最後まで彼女に付き合った義之。そんな彼に、ななかはもっと深い関係を望んでしまった。


 「頭はいいんだよ。まったくそれを活用しないけどね」

 「・・・はぁ、そうなんすか」

 「今の私があるのも義之くんのおかげだよ。本当に感謝してる。まぁ、私の場合もっと深い関係を望んじゃったけどね」

 
  そう言って笑うななかさん。さばさばした顔だった。そんな顔を私はいつか出来るだろうかと、ふと思ってしまった。

  心を読めると知っても近付いてきてくれる人。いや、知られても自分が近付いていきたいと思う人。朝倉くん。彼はどうなんだろうか。

  
 「まぁ、実際会えばどういう男の子か分かるよ。ああ、彼の心とか読もうとしない方がいいよ。義之くん、何故かそういうのに敏感で気付くから」

 「うっ。気を付けます、はい・・・」

 「うん。さて、そろそろお布団に入ろうっかなぁ~、うりゃぁあーーっ!」

 「きゃぁあっ!? な、なんなのぉ~!?」

 「そこの布団は私のモノだよ。花咲さんはあっちのお布団ね」

 「はぁ~っ!? このお布団は私が最初に気に入って手に入れたものなのよ! 白河さんこそ、そこのせんべい布団にしなさぁい!」

 「えー。私、このお布団がいいなぁ」

 「そうやってまたぶりっ子ぶってっ・・・・!」

 「・・・・まぁ、私はそのせんべい布団を使ってる訳だけどね・・・」


  ななかさんは花咲さんが寝ようとしていたお布団にダイブした。喧嘩になる両者。沢井さんは渇いた笑いをして布団の中に潜り込んでいった。

  そろそろお開きの時間か。時間はまだまだ早い時間帯だが、彼女達はかなり疲れている。早く寝た方がいいだろう。眞子ちゃん達も帰る呈をなしていた。

  明日の朝には差し入れを持ってきてくれるらしい。正直助かった。金銭面では私だけで賄えそうになかったから。さすがに9人ともなると食費は馬鹿に出来ない。


  それにしても―――桜内義之くん、か。話を聞けば聞く程理解できなくなってくる。かなり怖い人物な筈なのに、彼女達は気を許している。

  まぁ、会う機会があったら少しだけ、ほんの少しだけ『会話』を試みて様と思う。私は、来るかもしれないその時の事に心を馳せた。


 「じゃあ、そろそろ行きますか」

 「そうだね。あーあ、クリパの準備サボっちゃったわよ。皆怒ってるだろうなぁ」

 「私も似た様なものっすから。けど、彼女達に出会えたんだから、かえってサボってよかったかもしれないっすね」

 「うーん――――まぁ、ね」

 「すぅー・・・・・・・あら?」

  
  一つ頷き、私達は歩き出そうとし――――けたたましい爆発音が学園の外から響いてきた。騒然となる音楽室。ななかさん達が何事かと跳ね起きる。

  ああ、『また』この音か。不思議と私はソレに既視感を覚えた。なんだろう。こんな音を聞いたのは初めてな筈なのに・・・初めてじゃ無い気がした。

  外を見ると、実行委員会と風紀委員の人達が駆けだして行くのが見えた。それを酷く落ち着いた表情で見る私と眞子ちゃん達。


  そう、私達はこれを何回も体験していた。何回、何十回と同じ経験を。そして、思う。また同じ事が明日も起きるのだろうと―――――。

















 「・・・・・・・ハッ」


  勢いよく頭を上げる。ゴンッという音。ひゃうと悲鳴を上げて頭を押さえて体をぴくぴくさせた。のたうち回りたいが、ここは狭い襖の中だ。

  ロクに身動きできず頭を抑えながら痛みを堪える。一瞬、ここはどこかと頭が真っ白にになったがすぐに思い出す。こぶが出来た頭を擦りながらため息をついた。

  身に余る魔法の力を行使した所為で、かなり体力を消費してしまった。そんな私を気遣ってか、義之はこの場所の存在を教えて散策に出かけたんだっけ。


 「イタタ・・・うぅー・・・たんこぶが出来ちゃいましたよ。なんてついてないんでしょうか全く。取りあえず外に、っと」


  義之――――彼が出かけて行った時の事を、つい思い返した。時に気負った様子は見受けられず、まるで子供みたいにはしゃぎながら学園長室を出て行った。    


  あの子が騒ぎを起こさず帰ってくる確率―――かなり低いと今更になって思う。かなりフラフラしている状態だったから、冷静な判断が下せなかった
 と少しばかり私は後悔してしまう。

  義之はある一種のトラブルメーカーだ。まず、あの性格がやばい。引く事を知らないし逆に押し返そうとしてしまう様な性格の男の子。なんでもっと
 良い子に育たなかったんだろうと、はたと疑問に思う。

  あのさくらの息子だ。きっと教育は厳しかったに違いない。さくら本人は結構な悪戯好きだったが、同時に礼節を重んじていた。それなのに義之という
 規格外の男のが育った―――世の中は分からない事ばかりだ。本当に。  


 「あ、これって・・・・」


  襖の扉をこそっと開け、辺りをきょろきょろしている――――と、見知った服が目についた。風見学園の女子制服。私もこれに身を包んだ経験があった。

  やはり年月が経っているので、服のデザインは多少なりとも変わったが見ていると懐かしい気分になれる。あの頃は本当に色々あったなぁ。

  脇には男子生徒用の学生服も置かれている。来年入学してくる生徒のものだろう。数着が折り重なるように置かれていた。


 「・・・・うーん」


  義之は大丈夫だろうか。いくらここが自分達が居た世界と似ていると言っても、所詮は別世界。何があってもおかしくはない。元々望んで来た世界では
 ないので色々と不安要素はあった。

  もし、なんらかのひずみで別世界の住人の私達に危険が起こるかもしれない。そう考えると、段々不安な気持ちに駆られてしまう。義之は楽観的に構えて
 いたがどうしても私はそんな気持ちにはなれなかった。

  また周りを見回し、誰も居ない事を確認する。手に持った制服のサイズはちょうど私にぴったりのサイズだった。来年入学してくる生徒の子、ごめん。少し
 だけお借りします・・・・。


 「不審人物と思われるかな・・・。でもまぁ、うん。知らんぷりしとけばいいですよね」
  

  あの子もそう言ってたし、そうする事にしよう。意外と堂々としてればバレないかもしれない。風見学園は当時でも大きい建物だった。

  今ではマンモス校と言われるまでにその規模を大きくしている。外人さんも割かし多いし――――イケるか。


 「待ってて下さいね、義之。もし何かあってもお姉さんの私が助けてやりますから」


  ぎゅっと拳を握り、そう宣言する。彼に会った時から、どうしても私の調子は彼に狂わされっぱなしだ。私の方が大人だというのにまるで子供扱い。

  由々しき事だ。一度はっきりと私が年上である事を認識させなければいけない。上下関係を強いる事は好きじゃないが、最低限の線引きは必要だろう。

  だけど――――まぁ、あれだ。たまに頭を撫でさせるぐらいは許しても良いと考えてはいる。彼はどうやらその行為が好きらしいし、それは許可してあげよう。


 「よし、と。行きますか」


  服をパンパンと伸ばし捻じりを無くす。準備は万端だ。義之に貸してもらったコートは丁寧に畳んでおく。うっ、今更気付いたが高そうなコートだなぁ、コレ。

  あの男の子は、どこからそういうお金を調達してくるのだろうか。今度後学の為に教えて貰う事にしよう。私も新しい服買いたいしね。どんなのがいいだろうな。

  学園長室を再び見渡し、忘れ物が無いかを確認。よし、忘れ物は無しっと。若干のドキドキ感とワクワク感を兼ね揃え、私は外の廊下に躍り出た。











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