22年W杯:弱かった日本の「大義名分」 単独開催道遠く

2010年12月3日 9時46分 更新:12月3日 12時5分

 日本は大義名分の弱さが、最後まで足かせになった。

 「結論としては、今までやったことのない地域が強かった。日本も韓国もそうだけど、02年にやったばかりのイメージが強く、『too soon(早すぎる)』を崩すことができなかった」。W杯日本招致委員会の小倉純二委員長(日本サッカー協会会長)は、22年を「中東初」「イスラム圏初」のカタール、18年を「東欧初」「旧共産圏初」のロシアが制した招致レースをこう総括した。

 02年日韓大会の記憶が鮮明に残る中、迎えた招致レースは最初からライバルに後れを取っていた。1日の最終プレゼンテーションで02年生まれの子役タレント、佐々木りおさん(8)を抜てき、「22年に私は20歳になるんです」と視覚的に訴えることで、起死回生の追い上げを狙ったが、すでに定まった大勢を覆すことはできなかった。最先端技術を駆使し、世界400カ所でパブリックビューイングを行って世界と共催するというアイデアも、ライバルを上回るだけの説得力を持たなかった。調査報告書で指摘されたスタジアムなどハード面の弱さも足を引っ張った。

 日本は1回目の投票で得たのは3票。全候補の中で、唯一身内(オセアニア)に投票権を持つ理事がいなかったオーストラリアの1票を上回って次の投票に進んだが、2回目の投票では2票に減らして敗退した。うち1票は、理事を兼ねる小倉委員長が自国に投じたもの。日本は精力的に世界各地を回ってロビー活動を行ったが、日本の主張が埋没したこともあり、歴史的に親交の深い南米票(3票)もまとめることはできなかった。

 「立候補は直近2大会の開催大陸を除く」というW杯のルール上、次に立候補できるのは最短でも34年大会。次回は中国が初開催を目指して出馬する可能性が高い。巨大市場開拓はFIFAにとって魅力的で、強力なライバルとなるのは間違いない。悲願の単独開催を目指す日本の道のりは険しさを増した。【安間徹】

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