Yahoo!掲示板「創価学会と日蓮正宗」での発言[ 1 ]
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現・創価学会の教義は事実上崩壊している
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月17日 午後 9時45分
メッセージ: 11459
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私は創価学会員(三世)ですが、現・創価学会の教義は事実上破綻している と思います。 詳しいことは以下のHPで展開しておりますので、みなさまのご意見をお伺い できれば幸甚です。
NOTHING
TO YOU http://fallibilism.web.fc2.com/
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自己レス─学会の「言論戦」は質が問題─
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月18日 午前
9時29分
メッセージ: 11475
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創価学会は根本的なところで教義が破綻しているにも関わらず、びくともし ませんね。これは、「外からまともな(教義上の)批判がない」せいもあるの ではないでしょうか(もちろん、学会側の「聞く耳」にも大いに問題があると は思いますが)。日蓮宗も少なからず教義が破綻している(荒行などをやって いる)ので、真っ向から創価学会と対決する勇気もないのでしょう。 日本社会全体の体質(真の意味での「論争」の欠如)そのものに問題の根が あるようにも思います。
相対主義批判(小河原誠) http://fallibilism.web.fc2.com/039.html
真の知性人とは(伊藤瑞叡) http://fallibilism.web.fc2.com/005.html
そういう意味では、「言論戦」を前面に押し出している創価学会の思想性( 批判精神)は大いに評価されてよいのかもしれません。問題は、その「言論戦」 の質ですね。肝腎なところで(理論的に破綻しそうになると)結局「体験主義」 に逃げ込んで(「議論の世界」を離脱して、「実践の世界」へと引き返して) しまうのではダメですね。
議論の世界からの離脱は、たんなる逃亡にすぎない(小河原誠) http://fallibilism.web.fc2.com/017.html
「自立」を抑制する要素(島薗進) http://fallibilism.web.fc2.com/043.html
『聖教新聞』にもいいことが書いてあるんだけどなぁ(ため息)。
───────────────────────────────── 本来、「対話」とは「格闘技」なのである。武器は「言葉」。リングは万 人普遍の「理性」。権威をもちこむのは「反則」。なれあいは「八百長」。 沈黙は「敗北」。論証もなく「私は、こう思うんだ」では、観客から笑わ れるだけだ。
(『聖教新聞』(2000年11月12日、8面)の「羅針盤」より) ─────────────────────────────────
頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より) http://fallibilism.web.fc2.com/014.html
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法華経の女人成仏
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月18日
午前10時00分
メッセージ: 11478
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私も横から失礼します。
>
法華経は、「女性も成仏できる」と説いているのでなく、「女性も、男性にな >
って、成仏できる」と説いているのではありませんか。
>
法華経の提婆達多品では、竜女が成仏しますが、女性のまま成仏するのではなく、 >
男性に変わってから(変成男子)、成仏すると説かれているはずです。
しかも、提婆品はかなり後から編入されたものとも言われていますね(勝呂信静 『法華経の成立と思想』、大東出版、1996年(改訂発行)、pp.
65-72を参照)。
しかしながら、『法華経』には比丘尼に対する授記が説かれていますので、「女 性も成仏できる」と説いていると言ってもよいと思います。
─────────────────────────────────── 主要な仏教経典で唯一女人の即身成仏を説くお経であるが、現在の仏教学で は後分とされているようである。ただし、『妙法蓮華経勧持品第十三』には比 丘尼(女性僧侶)の授記が説かれており、『妙法蓮華経提婆達多品第十二』が 欠落しても女性成仏は説かれていることになる。
(鳩摩羅什と『法華経』、http://www.kosaiji.org/hokke/rajyu.htm) ───────────────────────────────────
p.s. 初期経典に女性差別の記述があるにしても、私は釈尊が女性を差別したとは 思っていません。
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釈尊が女性を差別したとは考えられない
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月18日
午前11時41分
メッセージ: 11482
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横レス失礼します。
>
シャカムニもまた人間ですから、間違いをおかします。その間違いがこの女性 >
蔑視の部分だといえると思います。
釈尊は次のように言ったとされています。
「人は生まれによって、賎しい人となるのではない。生まれによってバラモン になるのではない。行いによって賤しい人にもなり、行いによってバラモン となるのである」
ここで言われている「バラモン」とは「バラモン教」の「バラモン」ではなくて、 「真の聖者」という意味でしょう。「仏」と言い換えてもいいと思います。このよ うな考えの持ち主であった釈尊が、「女性として生れた者は成仏できない」などと 言うわけがありません。そもそも、そのような考えは仏教の根本思想である「縁起」 の考えにも反するでしょう。
○参考資料:ブッダ、因果を超える(友岡雅弥) http://fallibilism.web.fc2.com/080.html
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感謝します > gakkaiseinenさんへ
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月18日 午後
1時04分
メッセージ: 11488
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はじめまして、gakkaiseinenさん。
レイトウさんやt98c302d_apoさんにご紹介下さいましたこと、心よりお礼申 し上げます。
>
でも、現在のBBSは会員制みたいですね・・・残念です。
本当に申し訳ありません。私の人徳のなさから、荒らしにあってしまいまし て、それをきっかけに、思いきって会員制にしてしまいました。それまでずっ とオープンなところでばかり議論してきたので、一度身内だけでやってみるの も本音が出て面白いかなという発想でもあります。もしもご意見などがござい ましたら、このトピで発言して頂くか、メールして頂ければ幸いです。
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申し訳ございませんでした
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月19日 午前
4時16分
メッセージ: 11519
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はじめまして、hemataro
さん。
ご迷惑をおかけしてしまったようで、本当に申し訳ございませんでした。
> http://fallibilism.web.fc2.com/ > >
これ地雷じゃないんだ。 > > これ踏んだら、パソコンしばらくいかれた。 > >
何だったんだろう。
動画と音楽が流れる仕組みになっているハズなのですが、hemataro
さんの 環境ではおかしくなってしまったようですね。申し訳ございませんでした。
>
なりすまし君かと思っちゃいました。
「なりすまし君」ではありませんので、その点はご安心下さい。
>
思われた人、普通に入れるようにしてください。
別の入り口を作ってみましたので、こちらから入って頂ければ幸いです。
NOTHING TO
YOU http://fallibilism.web.fc2.com/index2.html
p.
s. また不都合がございましたら仰って下さい。
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shishishinchu_no_mushi
さんへ
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月20日 午後
6時31分
メッセージ: 11572
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はじめまして、shishishinchu_no_mushi さん。
>
Libraさんのホームページは反創価連盟さんがよく紹介されていますので、私も >
時間があるときに少しずつ読んでいます。
ありがとうございます。ご意見等をお伺いできれば幸いです。 反創価連盟さんにはいつも貴重なご意見を頂いておりまして、大変お世話にな っております。
>
2chで名誉片山さんが急に「縁起説」を使って学会員を論破しはじめたので、な >
ぜかと思っていたら、どうもLibraさんが教えたようですね(笑い)。
名誉片山さんってかなりの有名人なんですね(笑)。私も名誉片山さんからは いろいろと教わることが多かったです。しかしながら、あることをきっかけに、 もう名誉片山さんとはお付き合いいたしておりません。
>
しかし、Libraさんのように冷静に意見を書きこむ人でさえ、見事に攻撃されて >
いますね・・・。
当時、こことは別の掲示板で学会員の方々から袋叩きにあいました。私にとっ てはそっちの方がショックでした(苦笑)。
折伏は慈悲が根本 http://fallibilism.web.fc2.com/z004.html
>
なにかを批判するということが、たとえそれが「事実」であったとしても、そ >
の動機が憎悪に基づいている限りよろしくないという意味のことが加藤諦三の >
心理学の本に書いてあり、確かにそうだと思ったものです。
以下の『ダンマパダ』の教えを想起いたします(自戒の念を込めて)。
────────────────────────────────── 三 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち 勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨 みはついに息むことがない。
四 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち 勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、 ついに怨みが息む。
五 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに 怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理であ る。
(中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、岩波書店、 1978年、p. 10)
──────────────────────────────────
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kimagureboshi
さんへ
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月21日
午後12時21分
メッセージ: 11580
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はじめまして。kimagureboshi
さん。
こちらこそ、レスをつけていただきまして、ありがとうございました。
>
実は、前のSF研の掲示板で、libraさんの投稿は、ときどき読ませていただい >
ていました。
見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。
>
他の学会員は「理屈を言わないで実践してみなさい」というようなかんじで反 >
論していたように記憶しています。
悪しき「体験主義」だと思います。
「自立」を抑制する要素(島薗進) http://fallibilism.web.fc2.com/043.html
創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
http://fallibilism.web.fc2.com/056.html
>
間違っているかもしれませんが、私は、libraさんは、「仏教であること」、 >
そして「仏教徒であること」を非常に重視している方なのだろうと見ています。 >
それが「創価学会員であること」と矛盾した場合には、「仏教徒であること」 >
を選びたいと思うほどに。
実際、私は現・創価学会には非仏教的な部分が多いと思っています。しかし、 そういうものは変革可能であると考えています。
御書には、
師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理 によるべきなり (「曾谷殿御返事」、学会版御書全集、pp.
1055-1056)
釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を 尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何 (「撰時抄」、同上、p.
259)
仏教には経論にはなれたるをば外道と云う (「蓮盛抄」、同上、p. 152)
仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をも って其の法を軽んずる事なかれ (「聖愚問答抄」、同上、p.
481)
とあります。
『聖教新聞』も以下のように教えています。
頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より) http://fallibilism.web.fc2.com/014.html
また、創価学会の研究機関である「東洋哲学研究所」の研究員であられる友 岡雅弥氏も次のように言っておられます。
ブッダは絶対的な立場(サンカーラ)を虚構し、執着するということがな かったのです。常に自らを相対化し、自らの立場を突破しつづけることが できたのです。 (友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年、p.188)
初代牧口会長も以下のように言われています。
一度発せられた意志命令は、仮令それが間違つて居ることが解つたにして も、それを引込ますことは官の威信に関はるという理由の下に、無理横暴 を通すといふのが専制政治の常套手段で、これでなければ人民は治るもの でないといふのが其の信条である。何ぞ知らん。眼前一部分の威信はこれ によつて保つことは出来ても、永久全体の信用は全く失墜して仕舞ふこと を (斎藤正二他編『牧口常三郎全集』第五巻、第三文明社、1982年、 pp.
361-362)
今こそ「徹底的の討議」(牧口常三郎)が必要な時なのだろうと思います。
公明正大の方法によつて、最も自由に徹底的の討議を(牧口常三郎) http://fallibilism.web.fc2.com/055.html
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shishishinchu_no_mushi
さんへ(1)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日 午前
2時35分
メッセージ: 11590
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こんばんは、shishishinchu_no_mushi
さん。
とても論理的にご意見を述べて下さいましてありがとうございます。
>
しかし、私は「言葉による説明を否定すること」全てが「権威主義」であると >
は思いません。
「「議論の世界」を離脱して、「実践の世界」へと引き返して」「立場の「真 理」性は唯一実践においてのみ立証されると断言する」ことから「マキャヴェリ ズム的概念」への「頽落」が生じるという、小河原先生の以下の議論を私は妥当 だと考えています(今問題になっている「権威主義」とは多少ズレるかもしれま せんが)。
議論の世界からの離脱は、たんなる逃亡にすぎない(小河原誠) http://fallibilism.web.fc2.com/017.html
で、私は、創価学会の「権威主義」の根本的な原因というのは、「立場の「真 理」性は唯一実践においてのみ立証される」という思考形態(「神秘主義」から 帰結される「体験主義」)にあるのではないかと考えています。なぜ、「唯一実 践においてのみ立証される」ということになるのかと言えば、それは「我々の日 常的な言語表現によっては把握不可能」な「唯一絶対の実在」を信仰の対象とし ている(「神秘主義」)からではないかと私には思えます。
ヤージュニャヴァルキャの「我説」(袴谷憲昭) http://fallibilism.web.fc2.com/049.html
私は、現・創価学会で言われている「師弟不二」というのは、牧口先生が言わ れている意味での「依法不依人」とは真っ向から対立するものではないかと考え ています。そして、私にとっては、現・創価学会の「権威主義」とは「師弟不二」 思想なのです。
依法不依人(牧口常三郎) http://fallibilism.web.fc2.com/025.html
信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎) http://fallibilism.web.fc2.com/024.html
「理性を権威とするのもまた権威主義ではないか」と言うことも可能かとは思 いますが、今問題になっている創価学会の「権威」というのは「理性」といった ものではなくて、「(実践において立証したと宣伝されている)人」なのだろう と理解しています。
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shishishinchu_no_mushi
さんへ(2)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日 午前
2時37分
メッセージ: 11591
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しかしながら、私は「実践など重要ではない」と言いたいわけではもちろんあ りません。言うまでもなく、「実践」は重要です。口でいくら論理的に正しいこ とを言っていても、行動が伴っていなければ全く説得力に欠けるということは言 うまでもないことです。
「理解」のソクラテス的な定義(キルケゴール) http://fallibilism.web.fc2.com/095.html
一切は現証には如かず (「教行証御書」、全集、p.
1279)
とは言っても、やはり、「実践のみが重要だ」という考え(「体験主義」)で は、「権威主義」に堕してしまうだろうと思います。
師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理 によるべきなり (「曾谷殿御返事」、学会版御書全集、pp.
1055-1056)
釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を 尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何 (「撰時抄」、同上、p.
259)
仏教には経論にはなれたるをば外道と云う (「蓮盛抄」、同上、p. 152)
仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をも って其の法を軽んずる事なかれ (「聖愚問答抄」、同上、p.
481)
仏教の真理に目覚めるということを抜きにした慈悲行などはあり得ない(小川一乗) http://fallibilism.web.fc2.com/069.html
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shishishinchu_no_mushi
さんへ(3)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日 午前
2時40分
メッセージ: 11592
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> なぜなら、これが成り立ってしまえば、どのような宗教であっても神秘主義的 >
傾向を持っているのだし、初期仏教を除く全ての宗教が「権威主義」に陥って >
いることになるからです。このようなことはありません。
もちろん「神秘主義的傾向」の程度の差によって、「権威主義的傾向」にも差 があろうかと思いますが、やはり、原理的には「神秘主義は権威主義を帰結する」 ように私には思われます。
「自立」を抑制する要素(島薗進) http://fallibilism.web.fc2.com/043.html
において、島薗先生は「これらの要因が存在するのは、宗教であれば、避けがた いものなのかもしれません。」と言われていますが、shishishinchu_no_mushi
さ んの言われるように、もしも「どのような宗教であっても神秘主義的傾向を持っ ている」のだとすれば、島薗先生が仰られているように、権威主義的傾向は「宗 教であれば、避けがたい」ものなのかもしれません。しかしながら、少なくとも 仏教はそのようなものではないと私は思います。
>
ただし、神秘主義にもとづかない権威主義があるのも事実です。
私は、「神秘主義」は「権威主義」の十分条件だと考えておりますが、「権威 主義」が「神秘主義」の十分条件だとまでは言っていません。つまり、「すべて の権威主義は必ず神秘主義にもとづいている」とまで言っているわけではありま せん。
>
創価学会の権威主義的傾向は、生命論から来るものではなく、むしろ組織論か >
らくるもののような気がします。
繰り返しになりますが、現・創価学会の「師弟不二」思想(=権威主義)の根 っこのところには、「神秘主義」(から帰結する「体験主義」)があるように私 には思えます。そのような思考形態に基づいて、「権威主義を実現するための組 織論」が展開されてしまっているのではないでしょうか。
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リナ・インバースさんへ
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日
午前10時51分
メッセージ: 11595
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はじめまして、リナ・インバースさん。
> 「今末法に入りぬれば余経も >
法華経もせんなし」 > 「ただ南無妙法蓮華経なるべし」 >
と大聖人も仰せですしね☆
───────────────────────────────── 法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華 経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり
(「妙一尼御前御返事」、全集、p.
1255)
─────────────────────────────────
詳しくは以下の拙文を参照されて下さい。
法華経を師匠と御憑み候へ http://fallibilism.web.fc2.com/z009.html
>
第一、仏教的・非仏教的って >
どーいう定義で言っているわけですか?
仏教とは「釈尊が説いた教え」です。その教理的な内容は「縁起・無我・空」 です。
───────────────────────────────── 人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり、例せば仏よ り前の一切の人天外道は二天三仙の弟子なり、九十五種まで流派したりし かども三仙の見を出でず、教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にてま しませしが苦行楽行十二年の時苦空無常無我の理をさとり出してこそ外道 の弟子の名をば離れさせ給いて無師智とはなのらせ給いしか、又人天も大 師とは仰ぎまいらせしか
(「開目抄」、全集、p.
208) ─────────────────────────────────
以下も参照されて下さい。
仏教学を離れた仏教評論などはまったく成立の余地がない(三枝充悳)
http://fallibilism.web.fc2.com/040.html
言うまでもなく、宗祖は釈尊の弟子(釈子)です。詳しくは、以下の拙文を 参照されて下さい。
初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった http://fallibilism.web.fc2.com/z008.html
私は、リナさんのようなお考えの方とはもうずいぶん議論を重ねてまいりま した。その記録が以下にあります。「創価学会関連リンク集」掲示板での発言 だけでもご覧になって頂けないでしょうか。
書写 http://fallibilism.web.fc2.com/syosya.html
私としましては、以前に他の場所で展開したのと全く同じ議論をまた最初か らここで繰り返したくはありません。
───────────────────────────────── 日本の論争の多くはこれだけの問題は解明もしくは整理され、これから先 の問題が残されているというけじめがいっこうはっきりしないままに立ち 消えになってゆく。そこでずっと後になって、何かのきっかけで実質的に 同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、 すべてはそのたびごとにイロハから始まる。
(丸山真男『日本の思想』、岩波新書、1961年、p. 7)
─────────────────────────────────
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リナ・インバースさんへ(1)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日 午後
9時14分
メッセージ: 11603
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こんばんは、リナ・インバースさん。
もう一度「お願い」をしておきます(同じ事はもう書きません)。
>
私は、リナさんのようなお考えの方とはもうずいぶん議論を重ねてまいりま >
した。その記録が以下にあります。「創価学会関連リンク集」掲示板での発言 >
だけでもご覧になって頂けないでしょうか。 > > 書写 > http://fallibilism.web.fc2.com/syosya.html >
> > 私としましては、以前に他の場所で展開したのと全く同じ議論をまた最初か >
らここで繰り返したくはありません。 (本掲示板、No.
11595)
以下の私のレスは、上記の「書写」の内容を出るものではありません。
>
釈尊仏法にて救われる時代、 >
正法・像法はすでに過ぎました☆
──────────────────────────────────── 是れ程に思食したる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして唯以一大事と説き給 へる法華経を信ぜざらん人は争か仏になるべきや能く能く心を留めて案ずべし。
(「主師親御書」、全集、p.
387)
────────────────────────────────────
──────────────────────────────────── 名誉会長 「人間・釈尊」を忘れた時、仏教は「人間の生き方」から離れてし まった。「師弟の道」がなくなった。その結果は、仏教の堕落であり、権威化 です。
(池田大作他『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、p.
49) ────────────────────────────────────
──────────────────────────────────── 名誉会長 さあ、そこで「寿量品」です。寿量品の「発迹顕本」にこそ、「人間 ・釈尊に帰れ!」という法華経のメッセージが込められているのです。ここで は、このことを少し考えてみよう。
(同上、p.
50) ────────────────────────────────────
──────────────────────────────────── 斉藤 大聖人は、常に「釈尊に帰れ!」と叫ばれました。大日如来を崇める真言 宗に対しても、「大日如来は、どのような人を父母として、どのような国に出 現して大日経をお説きになったのか」(御書一三五五n、趣意)と破折されて います。
(同上、pp.
68-69) ────────────────────────────────────
大聖人「釈尊に還れ」(『聖教新聞』寸鉄) http://fallibilism.web.fc2.com/067.html
初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった http://fallibilism.web.fc2.com/z008.html
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リナ・インバースさんへ(2)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月22日 午後
9時15分
メッセージ: 11604
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> 釈尊が五十年かけて > 衆生をよーやく法華経へと >
導いたコトと似ていますけど☆
『法華経』は釈尊滅後に成立した経典です。
──────────────────────────────────── 『法華経』は初期大乗経典の中の代表的な経の一つである。インド仏教の大ま かな流れを簡潔に説明すると、何といっても仏教は釈尊=ゴータマ・ブッダ(生 没年代は紀元前六世紀から五世紀、または五世紀から四世紀と推定される)の悟 りから出発する。
(菅野博史『法華経 永遠の菩薩道』、大蔵出版、1993年、p.11) ────────────────────────────────────
──────────────────────────────────── 『法華経』が初期大乗経典の一つであることはすでに述べた。その成立につい ては、紀元前一世紀頃から紀元後二世紀頃までの成立と推定されている。
(同上、p.15) ──────────────────────────────────── ※菅野先生は現在、「創価大学・国際仏教学高等研究所」の所長であられる。
中国における教判の形成の必然性(菅野博史)
http://fallibilism.web.fc2.com/021.html
四阿含経までも「小乗仏教」と呼ぶのは誤り(三枝充悳) http://fallibilism.web.fc2.com/029.html
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shishishinchu_no_mushi
さんへ(1/2)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月23日 午前
5時24分
メッセージ: 11608
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おはようございます、shishishinchu_no_mushi さん。
>
私も、学会の「体験主義」が組織に対する従順さの源になっているのは確かだと >
思います。
私は、
折伏は慈悲が根本(Libra) http://fallibilism.web.fc2.com/z004.html
でも述べましたように、以前、「自由座談会」の「口汚い悪口」について、多く の創価学会員を相手に、ある掲示板で論争をしたことがあります。しかしながら、 これは、厳密な意味では「論争」ではなかったように思います。実際にそれをた またまご覧になっておられた
kimagureboshi
さんが、
────────────────────────────────── libraさんが御書等をひいてくわしく論じているのに対して、他の学会員は 「理屈を言わないで実践してみなさい」というようなかんじで反論していた ように記憶しています。
(kimagureboshi
さんの発言、本掲示板、No.
11574) ──────────────────────────────────
とおっしゃっておられるように、こちらがいくら「経・論(御書を含む)」をひ きつつ論理だてて意見を述べても、相手は「理屈を言わないで実践してみなさい」 という態度で、こちらの意見の妥当性を論理的に検証しようとはしなかったから です。 牧口先生は「公明正大の方法によつて、最も自由に徹底的の討議をなさしめ、 宗教それ自身の理法によつて判定せしめさへすればよいのである。」と言われて いますが、現・創価学会の「神秘主義的(体験主義的)体質」が改善されない限 り、「徹底的の討議」などはそもそもありえないのではないかと私は思います。 そして、「徹底的の討議」のないところには、結局、「権威の押しつけ」しか残 らないように思います。
公明正大の方法によつて、最も自由に徹底的の討議を(牧口常三郎) http://fallibilism.web.fc2.com/055.html
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shishishinchu_no_mushi
さんへ(2/2)
投稿者: libra_2001jp
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2001年10月23日 午前
5時26分
メッセージ: 11609
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> Libraさんは仏教は権威主義的傾向を持たないと言われていますが、それはあく >
まで「初期仏教」に限定するべきだと思います。なぜなら、今の仏教各派の浄 >
土宗、禅宗、天台宗などは歴史上早くから権威主義的傾向を持っているからです。
私は、今現在「仏教教団」と呼ばれているものであったとしても、そのことに よって直ちにそれらを「仏教である」とすることはできないと思っています。 「仏教」とは「釈尊の説いた教え」だと思いますので、「釈尊の説いた教え」 に反することを主張したり、実践したりしている団体は、たとえ、今現在「仏教 教団」と呼ばれていたとしても、それは誤ってそう呼ばれている(あるいは自称 している)にすぎないのであって、本当は「仏教の教団」でもなんでもないのだ ろうと思います。
私は、「権威主義的傾向を持たない」ことは「仏教である」ための必要条件で あると思います。つまり、
「仏教である」ならば「権威主義的傾向を持たない」
という命題が成り立つと考えます。この対偶をとれば、
「権威主義的傾向を持つ」ならば「仏教ではない」
となります。
もしも、shishishinchu_no_mushi
さんがおっしゃるように、「今の仏教各派 の浄土宗、禅宗、天台宗などは歴史上早くから権威主義的傾向を持っている」の だとすれば、それらは、やはり「仏教ではない」のでしょう。しかしながら、そ んな中でも「真の仏教者」は少なからずおられると私は思います。
異論が起こったときには、道理によってよく説き伏せて(『大パリニッバーナ経』) http://fallibilism.web.fc2.com/006.html
仲間が仲間にたずねるようにたずねなさい(『大パリニッバーナ経』) http://fallibilism.web.fc2.com/045.html
『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥) http://fallibilism.web.fc2.com/016.html
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