かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである

黒木玄

2010年1月30日更新 (2010年11月23日作成)

敬称を略す場合もあるかもしれません。
長くなってしまいました。
最も長い補遺4の「仮想Q&A」を最初に読むのが良いと思います。

●1. はじめに

小学校の算数における掛け算の授業で次のような問題が出されました。
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。
みかんはいくつあればよいでしょうか?」
生徒は「6×4=24」と答えました。
すると先生はバツを付けました。
この件に疑問を持った親が教師に訊ねてみると……

このような事例が現実に存在することに私が気付いたのは1997年2〜3月に
理科教育MLと fj.education.math を読んだときです。
私の手もとにはそれらの記録が残っています。

最近、この話題がブログやツイッターなどで盛り上がっているようです。
1997〜8年の頃と同じような意見(正しいものも間違っているものも)が多い。
しかし、以前の議論では出て来なかった情報も出て来ているようなので
興味深く読んでいます。

たとえば、掛け算の順序にこだわる教師に関する話題は
1972年までさかのぼれることを新たに知りました。
うかつなことに知りませんでした。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html
で1972年1月26日の朝日新聞の記事が紹介されています。

さらに「長方形の面積を横×縦で計算したら減点された」
というような事例も報告されていることに気付きました。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
でそのような事例が報告されています。
これには非常に驚きました。ひどすぎる!

1972年からこの問題の解決がほとんど進んでいないように見えます。

私は掛け算の順序にこだわってバツをつける教師が犯した重大な誤りは
次の二つだ考えています。

A. 掛け算のある特定の解釈に基づいた特殊ルールを押し付ける偏狭さ。

B. a×b という式には正しい解釈がたくさん存在するのに、
 ある特定の解釈だけが正しいと考えてしまうこと。

特に前者の偏狭さはすぐにでもなんとか改善できないものかと思います。
しかし後者の間違った考え方の修正無しに改善は不可能かもしれません。

「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいで
しょうか」という問題に「6×4」と式を立てることが誤りだと主張する人たちは、
ある特定の解釈以外を認めないという偏狭な態度を取っていることになります。

その特定の解釈は1972年の朝日新聞記事では「6×4は6+6+6+6を意味する」
というものになっています。教師はみかんを一人4個ずつ6人なので
4+4+4+4+4+4を意味する4×6という式を書かなければ
誤りだとしたわけです。

他にも「1あたりの数」「いくつ分」もしくは「掛けられる数」「掛ける数」のような
言葉を用いた解釈に基づいてバツを付けるというパターンもあるようです。
その特定の解釈では掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」もしくは
「掛けられる数」×「掛ける数」の順序に書かなければいけないとされており、
その順序で書かなければバツになってしまうらしい。

これらの a×b の解釈は単なる特殊ルールに過ぎず、普遍的に通用する考え方では
ありません。実際、上とは逆順のルールが主流の国や言語圏が存在します。

以下では主として、掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くと
いう特殊ルールに焦点を当てて議論を進めることにします。


●2. 「1あたりの数」×「いくつ分」の順に書かないと誤りとするのは誤り

http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
に遠山啓さんがこの件についてどのように言っているかが引用されていました。
その引用を孫引きすることにします。

遠山啓著『量とは何かI』(太郎次郎社、1978)の「II-外延量と内包量」の章の
「6×4、4×6論争にひそむ意味」(p114-120)という節より:

「この問題の答えとして、4×6 だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこに
もない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多
様な解き方があってよいのである。ミカンを配るのに、トランプを配るときのやり方で
配ると、1回分が6こ、それを4回配るのだから、それを思い浮かべる子どもは、むし
ろ、6×4=24という方式をたてるほうが合理的だといえる。」

この引用文を読む限りにおいて、遠山啓さんは

  a×b という式を書くときには
  a は「1あたりの数」で b  は「いくつ分」でなければいけない

という特殊ルールを捨てていないようです。

だから、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあれば
よいでしょうか」という問題に「6×4」と式を立てても間違いにするべきではないこ
との根拠として、みかんをトランプのように配るというアイデアを出さなければいけな
くなってしまっています。

しかし、「トランプのように配るという解釈もあるから6×4も正しい」という理屈で
押し通してしまうと、

  a×b という式を書くときには
  a は「1あたりの数」で b  は「いくつ分」でなければいけない

という日常生活で掛け算を使うときには不必要な特殊ルールを温存し続けてしまうこと
になります。

「多種多様な解き方があってよい」ということを強調する点には心の底から共感できる
のですが、掛け算を「1あたりの数」×「いくつ分」の順で書くという特殊ルールを
当然の前提とした上で掛け算の式の順序を見て理解を判定することに問題があること
を強く指摘するべきだと思いました。

解き方が一通りしかないと思い込むことがおかしいだけではなく、
a×b の正しい解釈が一通りしかないと思いこむこともおかしいのです。

実際には掛け算には(導入の方法によっては直観的にも明らかな)可換性があるので、
a×b の a が「いくつ分」で b が「1あたりの数」であっても全然構いません。
実際そういう流儀が主流の国もあります。どの数を「1あたりの数」「いくつ分」
とみなすかは掛け算の式の順序とは無関係の問題です。

「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでし
ょうか」という問題において、「1あたりの数」は4で「いくつ分」が6であると解釈
して4×6と答えても正しいのです。考え方も式の立て方も計算の結果もすべてが正し
い。トランプのようにみかんを配ることを想像する必要はまったくありません。

掛け算を導入するときに、a×b という式において a は「1あたりの数」で b は
「いくつ分」を意味すると教える方針を提案する人は、この不要なルールを捨て去る
段階までの道筋を示す必要があります。算数はもっと自由なのですから。

もしもそのような道筋を示さずにこの特殊ルールにしたがった教え方を広めてしまった
とすれば、結果的に不要な特殊ルールを子どもに強制したままで終わってしまうような
教え方を広めてしまった可能性があります。

遠山啓さんはこの不必要な特殊ルールを捨て去る段階までの道筋を示していてかつ広める
努力をしていたでしょうか?もしもしていなかったとすれば、遠山啓もこの件では批判さ
れなければいけない当事者の一人だということになると思いました。

算数教育の目標は上で述べたような特殊なルールを子どもに教え込むことではなく、
普遍的に通用する算数の考え方を子どもに身につけてもらうことです。
何度でも繰り返しますが、ここで問題になっている

  a×b という式において a は「1あたりの数」で b  は「いくつ分」を意味する

というルールは普遍的に通用する考え方ではありません。
このような特殊ルールを子どもに強制してはいけません。

それではこの偏狭さの原因はどこにあるのか? その原因のひとつは
「子どもの理解度を掛け算の式の順序の書き方を見て判定しようとすること」
にあるように思われます。 (実際には単なる誤解が原因の場合も多いようですが。)


●3. 掛け算の式の順序にこだわったダメな教え方の例

前節で私が述べたかったことを理解してもらい易いように、
私が問題有りとみなしている掛け算の教え方の例を以下に挙げておきます。

(1) 掛け算を「1あたりの数」×「いくつ分」の形式で導入し、
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。
みかんはいくつあればよいでしょうか」という問題を出し、
「6×4=24」という回答にバツをつける。バツをつけた理由として、
24という答は正しくても式の立て方が間違っている、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書く規則になっている、
などと説明する。

(2) 「6×4=24」と答えた子どもが、
一人あたり4個配るので「1あたりの数」は4であり、
6人いるので「いくつ分」は6である、
と教師が意図していたように正しく理解していたとしても、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くと教えたので、
「6×4=24」にはバツを付けなければいけない、などと主張する。

(3) 掛け算の可換性を認識している子どもに
「どっちの順番で書いても結果は同じでしょ」と言われたとき、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけない、
順序を変えると式の意味が変わってしまうので間違いになる、と指導する。

(4) 「6×4=24」と答えた子どもが、
トランプのように配れば「1あたりの数」は6で
「いくつ分」は4になると考えていたことを知った途端に、バツをマルに変えて、
よくできましたね、ごめんなさい、バツにしたのは間違いでした、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くという規則に
しっかりしたがっていたのですね、だから本当はマルでした、と説明する。

この手の教え方は特殊ルールの単なる押し付けに過ぎません。
上の例では、掛け算の式の順序に関する特殊ルールの押し付けたい理由は
子どもの理解度を掛け算の式の順序の書き方を見て判定しようとしています。
このようなダメなやり方が偏狭さの原因になっているように思われます。
この点については補遺4の仮想Q&Aでより詳しく扱います。

また、遠山啓さんの「トランプ配り」の指摘だけでは(4)のようなダメな教え方を
排除できません。

問題:上の(1)〜(4)のような教え方が間違っている理由を述べよ。

解答例:

(1) 掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけないと
いう特殊ルールを強制しない限り、「6×4=24」にバツを付けることは不可
能です。しかし、算数教育の目標はそのような特殊ルールを強制することではあ
りません。普遍的に通用する算数の考え方を身に付けてもらうことが目標です。
だから特殊ルールにしたがわなかったという理由でバツを付けることは誤りです。
教師が示した特殊ルールににしたがわない子どもであっても正しい考え方をして
いる可能性があります。正しい考え方をしているのにバツをつけてしまうような
教え方は避けるべきです。

(2) 子どもが「1あたりの数」「いくつ分」の概念を正しく理解しているのだか
ら、その点を褒めてあげるべきです。子どもが成功したときに褒めてあげること
は教育の基本でしょう。自分が採用した特殊なルールにしたがわなかったという
理由でバツをつけるのはあまりにもひどすぎる。

(3) 子どもが掛け算の可換性を正しく認識していることを褒めてあげるべきです。
a×b という式は「1あたりの数」×「いくつ分」という意味を持つということは
単なる特殊ルールに過ぎません。子どもの数学的才能を無視して教師が示した特殊
なルールにしたがったかどうかでバツを付けてはいけません。

(4) 褒めるべき点は「トランプのように配る」という教師の意図とは別の正しい
考え方を示したことであり、掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがったこと
ではありません。褒めるところを間違えると、子どもを間違った方向に誘導して
しまいます。

掛け算に関する間違った考え方と教え方が根絶されることを願ってやみません。

最大の問題は掛け算に関する間違った考え方と教え方を積極的に
広めている勢力が存在するように見えることです。
教科書の指導書や教材に掛け算の順序にこだわる間違った考え方と教え方を
書いて広めている人たちがいるようです。まったく困ったことだと思います。


●4. 補遺1. 掛け算の式の順序だけを見て理解度を確認しようとすることは間違い

掛け算の式の順序をどのように書いているかどうかだけを見て、
「1あたりの数」「いくつ分」を理解しているかどうかを確認するのは
間違ったやり方です。

なぜならば、「1あたりの数」「いくつ分」の概念を正しく理解していることと、掛け
算を「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くという特殊ルールにしたがったかど
うかは別の問題だからです。

まず、その特殊ルールにしたがっていなくても「1あたりの数」「いくつ分」を正しく
理解しているかもしれません。なぜならば上で挙げた例(2)のような場合があるかもし
れないからです。

さらに、特殊ルールにしたがっていても「1あたりの数」「いくつ分」を正しく理解し
ているとは限りません。単なる偶然もしくは算数の内容の理解ではなく
「空気を読む能力」によって特殊ルールに一致する順序で式を
書いただけなのかもしれません。

生徒が「1あたりの数」「いくつ分」を理解しているかどうかを確認したければ別の方
法を使う必要があります。


●5. 補遺2:掛け算の可換性と解釈の多様性

次の図のようにタイルが並んでいるときタイルは全部で何枚ありますか?

■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■

この図におけるタイルの枚数を4×6と書いても6×4と書いても構いません。

このような図を使って掛け算を導入すれば掛け算の可換性は直観的に明らかになってし
まいます。わざわざ九々の表などを見て掛け算の可換性に気付く必要はありません。

さらにこの図には様々な解釈を受け入れる余地が残っています。答はひとつであっても
様々な考え方をできることは算数の最も面白いところだと思います。

・ひとつずつ数えて24と答える。
・6+6+6+6を計算して24と答える。
・4+4+4+4+4+4を計算して24と答える。
・九々を使って4×6=24と答える。
・九々を使って6×4=24と答える。
・次の図のように並べ方を各行が10枚になるように変更して24と答える。

■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■
■■■■

・次の図のように並べたタイルを区切って数えて24と答える。

■■■■■ ■
■■■■■ ■

■■■■■ ■
■■■■■ ■

・各行6枚で4行あるので6×4=24と答える。
・各行6枚で4行あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので6×4=24と答える。

これらは全部正解です。要するに長方形型に並べられたタイルの総数を正しく
数える方法であればすべて正解になります(当然!)。

以上の議論と同様に a×b という式にも様々な正しい解釈が存在し、
そのどれもが正しいことを認めなければいけません。
予想外の正しい解釈であってもすべて正しいと認めなければいけない。
もちろん説明の都合として、どれか一つの解釈から出発することは有りでしょうが、
他の正しい解釈にバツを付けてしまうのは非常にまずい教え方です。


●6. 補遺3:「1あたりの数」「いくつ分」による掛け算の解釈だけが正しいわけではない

以上では、主として、掛け算の式の順序にこだわるルールは特殊なルールに過ぎ
ず、普遍的に通用する考え方ではないことについて述べて来た。

この補遺では掛け算の可換性を認めた上で、「1あたりの数」「いくつ分」による
掛け算の解釈だけが正しいわけではないことを説明する。
「1あたりの数」「いくつ分」による掛け算の解釈はたくさんある掛け算の正しい
解釈のうちのひとつに過ぎない。だから掛け算について教えるときに
どんな場合であっても「1あたりの数」「いくつ分」という発想に押し込むことは
間違った教え方だということになります。

補遺2と本質的に同じ問題を使うことにしましょう。

となり合う辺の長さがそれぞれ4メートルと6メートルの長方形の面積
は何平方メートルになるか?

このような問題に対しても補遺2で示した解答例の一部と同様にして
「1あたりの数」「いくつ分」という考え方を適用することは可能です。

■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■

のように辺の長さが1メートルの正方形型のシートが並べてあると考えて、

・各行6枚で4行あるので6×4=24と答える。
・各行6枚で4行あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので6×4=24と答える。

のような解答が可能です。これらの解答では「1あたりの数」「いくつ分」と
いう考え方を用いています。この解答は

・1m^2/枚×(6枚/行×4行)=1m^2/枚×24枚=24m^2
・1m^2/枚×(4枚/列×6列)=1m^2/枚×24枚=24m^2

もしくは

・(1m^2/枚×6枚/行)×4行=6m^2/行×4行=24m^2
・(1m^2/枚×4枚/列)×6列=4m^2/列×6列=24m^2

のような考え方をしていることになります。
しかし、このような考え方だけが正しいわけでもないし、
このような考え方が必ずしも直観的に自然であるとも言えません。
シートの枚数を数える方法はこれだけではありません。

長方形の面積や長方形型に正方形のシートを並べるときのシートの総数は
「1あたりの数」「いくつ分」のような考え方を導入する以前に決まっています。
シートの総数を正しく計算する方法は補遺2で示したようにたくさんあります。
そのどれもが正しい。「1あたりの数」「いくつ分」という発想を使う方法は
たくさんある正しい考え方の一部に過ぎないのです。

シートの総数は単にとなり合った二つの辺の長さを掛ければ得られると考えて
二つの数を機械的に掛け合わせて答を出しても正しいのです。
この発想による解答では「1あたりの数」「いくつ分」という発想は
使われていません。

だから、上の面積の問題に対して、
「1あたりの数」「いくつ分」のような考え方を一切使わずに、
長方形の面積はとなり合った辺の長さを単に掛ければ得られると考えて、

・4m×6m=24m^2
・6m×4m=24m^2

と答えても正解になります。

私にはむしろこちらの方が自然な考え方であるように感じられます。
面積の概念を「1あたりの数」「いくつ分」のような特殊な考え方に
押し込もうとするのは不自然な考え方です。


●7. 補遺4:仮想Q&A

◆Q1. 小学校で「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。」という問題の解答欄の「しき」の項目に
うちの娘が「5×3=15」と書いたら×にされてしまいました。
その理由を先生に尋ねたところ非常に丁寧な口調で色々説明してくれて、
「式の表わす意味が違うから×をつけざるをえません」と説明してくれました。
しかしよく何を言っているのかよく理解できませんでした。
式の表わす意味が違っているとはどういうことなのでしょうか?

◇A1. おそらくその先生は次のように考えているのでしょう。

(1) 一つの皿にりんごが3個ずつ載っているので「1あたりの数」は3であり、
皿が5枚あるので「いくつ分」は5である。

(2) 掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序に書かなければいけない。

(3) したがって「5×3」という式は「1あたりの数」が5で「いくつ分」が3
を意味することになる。しかし問題の状況では(1)で述べたように「1あたりの数」
は3で「いくつ分」は5である。したがって「5×3」には×を付けざるを得ない。

ここで「式の表わす意味」とは(2)のルールのことです。
しかし(2)は普遍的には通用しない特殊なルールに過ぎません。

◆Q2. さらに教師用の指導書の教え方に基づくとやはり「5×3」は誤りになると
その先生は言っていました。本当に教師用の指導書に「5×3」は×になると
書いてあるのでしょうか?

◇A2. はい。少なくとも東京書籍の指導書には実際にそのように解釈できる記述が
あるようです。次のブログ記事を見て下さい。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089

具体的には以下のような記述です。[]で囲まれた部分は赤字の部分です。

 |問3. 子どもが6人います。1人にあめを7こずつくばります。
 |あめは何こいりますか。
 |     [7×6=42 答え 42こ]

という問題について、欄外に次の解説があるようです:

 |問3. 問題に出てくる数の通りに式をつくることができない7の段を適用
 |して解く問題
 |
 |・6×7と立式する子どもにはあめの図をかかせ、
 | 同じ数のまとまりは6なのか7なのかしっかりつかませる。
 | また、6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数と
 | なってしまうことをおさえる。

問3が「問題に出てくる数の通りに式をつくることができない〜問題」
であるとは、問3には「6人」「7こずつ」の順に数が出て来ているのに
「6×7」と式を作ってはいけないということを意味しています。

「6×7では、6人が7つ分になる」ということになってしまう理由は、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順に書くという特殊ルールに
厳密にしたがっているからです。

その特殊ルールに厳密にしたがうと、「6×7」という式における6は
「1あたりの数」でなければいけないし、7は「いくつ分」でなければ
いけません。

しかし、その特殊ルールに厳密にしたがったとしても、
「6×7では、6人が7つ分になる」とは短絡過ぎます。
なぜならば「6人にあめを一個ずつ配ることを7回繰り返す」という解釈では
6が「1あたりの数」、7が「いくつ分」になるからです。

実際、算数教育の大家である遠山啓さんは、そのような理由を付けて、
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序に書くというルールを
保ったままであっても、6×7にバツを付けてはいけないと言っています。
算数の面白さは同じ問題であっても解き方が複数あることにあるので、
算数の面白さを伝えたいと考えている人はこのような主張に共感できると思います。

しかし掛け算の順序に関する特殊ルール自体を強制することが誤りであることを
遠山啓さんは無視しているように見えるので、その点も強調しておかなければ
いけません。

実際には、掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序に書くというルールも
普遍的に通用するルールではないので、子どもに強制することには問題があります。

「先生がこうしなければいけないと言ったから、そうしなければバツにする」という
偏狭な考え方にしたがわない限り、「1あたりの数」×「いくつ分」の順序に書く
というルールにしたがわない子どもの解答にバツを付けることは正当化できません。

◆Q3. 「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。」という問題について、
試しにうちの子どもに図を描かせてみました。
するとうちの子どもは皿を省略して

●●●
●●●
●●●
●●●
●●●

のような図を描いてしまいました(●がりんごを表わしている)。
そして「縦にりんごが5個でそれが横に3つ」のようなことを言いながら
「5×3」と式を立てました。
このように皿を描かずに答えるのはバツになってしまうのでしょうか?

◇A3. いいえ。求めたい数字はりんごの総数なので図中に皿を描く必要はありません。
皿は問題の本質とは無関係です。

しかも先生が子どもに強制しようとしている掛け算の式の順序に関する特殊ルール
にもしっかりしたがっています。先生はこのような解答にバツをつけてはいけない
でしょう。

ただし、教育上、単にマルになるから良いとは言えません。

もしも先生が、掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順で書くという
先生が強制したがっている特殊なルールに正しくしたがっていることを褒めて
マルを付けているならば、褒めるべきところを間違っていると思います。
褒めるべきところを間違ってマルにされてしまうと、
子どもが間違った方向に誘導されてしまうことになります。

普遍的には通用しない特殊なルールにしたがったことを褒めるよりも、
自分流の図の描き方(問題の本質に無関係な皿を省略したこと)で
正しい解答にたどりついたことを褒めるべきでしょう。

◆Q4. しかし先生に聞くと「1さらにりんごが3こずつ」という題意に
したがわずに式を立てているのでやはり誤りであると言われてしまいました。
やはりバツにされても仕方がないのでしょうか?

◇A4. いいえ。算数の面白さは同じ問題であっても複数の解き方があることです。
だから、常に正しい答が出る方法であればどんな方法を使って解答しても正解に
なります。

どうしてもある特別な方法だけを使って解答して欲しい場合には
そのような制限を付けて問題を出すべきでしょう。

◆Q5. なるほど、納得です。

上の問題の出し方では5×3でもバツにする正当な理由はなさそうですね。
掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがったとしてもバツを付けることはできず、
そもそもその特殊ルールを子どもの強制すること自体が教育上誤りであると。

しかし、「1あたりの数」「いくつ分」などの考え方は算数教育では重要だ
という意見にも説得力を感じるのですが、いかがですか?

◇A5. はい。「1あたりの数」「いくつ分」のような概念は広く通用する重要な
考え方です。だからそのような概念をうまく教えることは重要でしょう。

しかし、 a×b という式では常に a は「1あたりの数」で b は「いくつ分」
を意味するという考え方は誤りです。a×b という式には様々な正しい解釈が
あります。 a は「1あたりの数」で b は「いくつ分」を意味するという解釈は
たくさんある正しい解釈のうちのひとつに過ぎません。

算数の面白さは同じ問題であっても複数の解き方があることです。
式の解釈についても同様です。同じ式であっても複数の正しい解釈があることが
算数をより面白くしているのです。

問題が生じてしまった理由は、「1あたりの数」「いくつ分」のような概念を
教えようとしたことではなく、子どもが掛け算の式の順序をどのように書いたかで
「1あたりの数」「いくつ分」の概念を正しく理解しているかどうかを
教師が判定しようとしたからです。

次の(1),(2)を組み合わせた教え方は明らかにまずいです。

(1) まず掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順で書くと教える。

しかし、このルールは普遍的には通用しない特殊ルールに過ぎない。

しかも a×b=b×a が成立していることは掛け算の導入の仕方によっては
自明であり、掛け算の順序を気にすることは無駄な神経の使い方を
していることになり、思考の無駄遣いになる。

(2) 掛け算の順序をどのように書いたかで「1あたりの数」「いくつ分」の
概念を理解しているかどうかを判定する。

まず、正しく理解していなくても偶然正解になってしまう可能性がかなりある。
この方法だと正しく理解度を測るためには
複数の問題を出して統計的な処理をしなければいけなくなるだろう。

掛け算の順序を「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書いていても、
あめを6人に1個ずつ配ることを7回繰り返す場合には6×7が正しい答えに
なってしまう。つまり教師が示したルールにしたがっていてもバツが
つけられてしまう可能性がある。

そもそも普遍的に通用していない特殊ルールに子どもはしたがう必要はない。
子どもが「1あたりの数」「いくつ分」の概念を正しく理解して使っていても、
先生が示した掛け算の順序のルールにしたがうとは限らないし、
したがわないことを非難できない。

さらに「1あたりの数」「いくつ分」のような概念を使わずに
正しく解答することも可能であり、そうしている子どももいるかもしれない。
すでに親や塾の先生などが子どもに正しい別の考え方を教えてしまっている
場合はかなり多いのではないか。教わっていなくもて子どもが自分自身で
正しい別の考え方に気付いている場合もあるだろう。

このように、掛け算の順序をどのように書いたかで「1あたりの数」「いくつ分」
の概念の理解度を測ることは無謀な試みなので、廃止されるべきやり方です。

掛け算の式の順序をどのように書いたかを見る必要がなくなれば、
掛け算を「1あたりの数」×「いくつ分」の順に書くという特殊ルールを
強制する必要はなくなります。

「1あたりの数」「いくつ分」の概念の理解度を、掛け算の順序の書き方を見て
測ろうとすることは、算数教育上重要な概念の理解度をデタラメな方法で
判定しようとしていることに他なりません。

小数や割り算などの話に繋げるときに重要なのは、掛け算の式の順序ではなく、
「1あたりの数」「いくつ分」の概念の方だったはずです。

◆Q6. なるほど「1あたりの数」「いくつ分」の概念の理解度を
掛け算の順序の書き方を見て測ろうとすることに問題があったのですね。

しかし、もしも学習指導要領に、掛け算の式の順序は
「1あたりの数」×「いくつ分」の順番になってなければ誤りである
と書いてあるならば、教師はそれにしたがわなければいけません。
この問題が生じた原因は学習指導要領にあるのではないでしょうか?

◇A6. いいえ。少なくとも現在の学習指導要領は無実です。

小学校2年生の算数の学習指導要領
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm#2gakunen
から乗法の教育の内容に関する説明を抜き出しておきましょう。

A 数と計算より

 |(3) 乗法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。
 |
 |  ア 乗法が用いられる場合について知ること。
 |  イ 乗法に関して成り立つ簡単な性質を調べ,
 |      それを乗法九九を構成したり計算の確かめをしたりすることに生かすこと。
 |  ウ 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法の計算が確実にできること。
 |  エ 簡単な場合について,2位数と1位数との乗法の計算の仕方を考えること。

D 数量関係より

 |(2)乗法が用いられる場面を式に表したり,
 |     式を読み取ったりすることができるようにする。

3 内容の取扱いにはさらに次のように書いてあります。

 | (4)内容の「A数と計算」の(3)のイについては,
 |     乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする。

特に上の引用文のイの項目にある「乗法に関して成り立つ簡単な性質」の中には
「交換法則」(a×b=b×a) が含まれています。

a×b の a は「1あたりの数」を b は「いくつ分」を意味するというような
特殊な式の書き方(もしくは特殊な式の解釈)を採用し、そのルールにしたがわない
場合にはバツを付けるべきであるというようなことはどこにも書かれていません。

『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目には
以下のような例があります。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
 | 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
 |ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
 |ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
 |ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
 |覚を豊かにする。
 |
 | ●●●●●●
 | ●●●●●●
 |2×6 または 6×2
 |
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |3×4 または 4×3

この説明を見れば学習指導要領が無実であることが確信できると思います。
2×6でも6×2でもどちらでも良いという書き方が最初からされています。

さらに87ページでは「一つ分の大きさ」「幾つ分」という考え方に関する説明が
登場していますが、掛け算の順序は「一つ分の大きさ」×「幾つ分」の順に
必ず書かなければいけないとは書かれていないし、「一つ分の大きさ」「幾つ分」
の概念を理解しているかどうかを測るために掛け算の順序をどのように書いたかを
確認するというような話も書いてありません。

そして「乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や、
乗法についての交換法則について児童が自ら調べるように指導する」と書いてあ
り、交換法則を児童が自分で発見できるように誘導することを推奨しています。

それに続けて、それらの法則を活用して「効率よく乗法九九などを構成したり、
計算の確かめをしたりすることも大切である」と書いてあります。すなわち、
交換法則などを発見させるだけではなく、交換法則などを活用して
効率を高めることも児童に教えることも大切であると説明されています。

「1あたりの数」×「いくつ分」の順番になってなければ誤りというような
窮屈な(そして間違った)考え方にこだわり続ける限り、
交換法則を使った効率アップについて子どもに教えることは不可能です。

このように現在の学習指導要領ははっきり無実だと断言できます。

そして『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目に
したがえば、掛け算の順序にこだわってバツを付けるような教え方をすることは
不可能になってしまうでしょう。

◆Q7. 5×3にバツを付けることは正しいと主張する次の記事を発見しました。

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/

ここに書いてあることは正しいのでしょうか?

◇A7. いいえ。上のQ&Aと読み比べてみて下さい。デタラメもいいところです。

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
における基本的な考え方は次の一文にまとめられます。

「授業のねらいから外れている解き方にはバツをつけなければいけない」
(この一文は引用文ではないことに注意)

このような偏狭な考え方の持ち主に教育をまかせるのは不安ではないでしょうか?
東京書籍の指導書が引用されている点も気になります。

この先生の場合には、子どもがどんなに正しい考え方をしていても、
先生の言う通りのやり方をしないとバツがつけられてしまうのです。
この先生の教え方では、先生が示した妙なルールにしたがわない子どもは
小数や割り算を理解てきなくなる可能性が高くなるらしい。

「1あたりの数」「いくつ分」の概念の理解度を測りたければ、
掛け算の順序の書き方を見ただけではダメだという点への明確な言及もありません。
この点はこの議論の最重要ポイントです。
この点に関してはネット上で多くの人が指摘しています。
ネット上で議論するのであれば避けては通れない論点のはずです。

もちろん、教え方の都合上ある特定のやり方で問題を解いてもらいた場合はありま
す。そのような場合には、ある特定の解き方で解かなければいけないことがわかる
ように問題を出さなければいけません。

「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」のような、
どのような方法で解答しても良さそうな文章で問題を出しておきながら、
ある特定の方法以外にはバツを付けるというようなやり方は
教育以前に倫理面で問題有りだと言えます。

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
から特に笑える部分を引用しておきましょう。
| から始まる行が引用で、他は私のコメント(突っ込み)です。

 |問題では「りんごの数」を聞いていますので、りんごに着目します。
 |りんごをおはじきに変えて、具体物として操作結果が以下です。
 |
 |◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎
 |
 |このおはじきの並べ方を見たとき、3+3+3+3+3 とは表せますが、
 |5+5+5とは表すことはないでしょう。
 |
 |かけ算が同数累加からスタートした以上、
 |(小2の段階では)ここに戻れないとダメなのです。

おはじきをそのように並べれば 3+3+3+3+3 と表わすのが確かに自然ですが、

◎◎◎
◎◎◎
◎◎◎  ← (*)
◎◎◎
◎◎◎

と並べた場合にはどうなんでしょうかね?

ちなみに、文部科学省の学習指導要領解説・算数偏にはまさに(*)のように長方形型
におはじきを並べた図を示して、3×5 または 5×3 と書くという解説があります。
教科書の教師用指導書には目を通したようですが、こちらはチェックしていない
ようですね。

 |「何を言うんだ、5だって、一つ分じゃないか。
 |ほら、一つずつ皿にのせた場合、5つ載せると一巡する」
 |「皿に1つずつりんごが載っている状態」を1つ分と考えることは現実的ではありません。
 |5皿に1つずつ載った状態を一つ分と考え、それが3つ分だと考えるなら、
 |(皿5皿+りんご5個)×3=皿15皿、りんご15個となります。

理解不能すぎて、何度読んでも笑える。

 |「違うって。皿に1つずつ、5皿分載せる作業を1つ分とするんだ。」
 |そしたら、1×3になりませんか?

なりません。

 |だって作業は回数であって、個数ではないですから。
 |1作業×3回=3回作業したという式になるでしょう。

?????

 |「一回の作業で5こ扱える。それを3回行っているのだ。」

そうそう、5個/回×3回=15個は正しい考え方です。

 |なるほど。それは一理あります。
 |しかしながら、これを○としてしまうと、3×5も疑ってかからないといけない。

もしかして5×3を正解にすると、3×5は不正解になってしまうと考えている?

 |非常に難しい問題となります。

3×5 も 5×3 もどちらも正解だという非常に簡単な問題なのにね。

 |そして、教科書では、これは誤答として扱っているのです。

まさに「語るに落ちる」とはこのこと。
失礼かもしれませんが、この一行で本当に大笑いしてしまいました。

 |東京書籍の教師用指導書、2学年下、P16から引用します。

バツにして良いとする根拠は、東京書籍の教科書とその指導書だというわけ。
指導書も人間が書いたものですから、馬鹿げた記述がある可能性にも十分に
注意しないとダメですね。

以上の引用部分は正解を出すための正しい考え方のひとつを
屁理屈をこねて不正解にしようとがんばっている部分に他なりません。

昔から繰り返し「算数の面白いところは答はひとつであっても
答にたどりつく道はひとつではないことである」と言われて来たものですが、
そういう常識はこの人にはないようです。

◆Q8. やはり、5×3にバツを付けるのはダメな教え方なのですね。
自分の子どもがそのようなダメな教え方をされたときには、
「学校に限らず、世界は不条理な規則で成立している」
と言うというような話があるようですが、どう思いますか?

◇A8. 率直に言って、そういうことを言う人は恥ずかしいと思うし、
無責任で迷惑な人だと思います。

子どもは成熟した大人よりも簡単に様々なことを信じてしまいます。
そういう子どもの信じやすさと学習能力の高さは表裏一体なのです。

大人であっても心の底から信じられる場合と疑いを持っている場合では
記憶のし易さや習得のし易さが全然違います。

子どもが様々なことをスムーズに習得できるようにするためには、
信じられる人たちに教えてもらう方が良い。

このような前提で議論が進んでいるところで、偉そうに
「学校に限らず、世界は不条理な規則で成立している」
のようなくだらない一般論を述べるのは恥ずかしいことだと思います。

世の中が不条理でできているって? で、それがなにか?

◆Q9. 行列の積は非可換なので、小学校算数でも安易に掛け算の交換法則を導入
してしまうような教え方をしない方が良いというような意見を見かけましたが、
どう思いますか?

◇A9. 馬鹿げています。行列の積の非可換性は行列について教えるときに重要性を
強調すれば良いだけのことです。

◆Q10. 正直、ネットでは 5×3 にバツを付けることに賛成する意見が多くて閉口しま
した。そういう意見が予想以上に多いことについてどう思いますか?

◇A10. 掛け算を正しく理解していない大人が結構いるということなのでしょうかね?
もしもそうなら本当に困ったことだと思います。

実際には数式の a×b には正しい解釈がたくさんあることをよく認識していないと
いうことなのでしょう。頭が堅くなると複数の正しい考え方があることを認識でき
なくなります。

◆Q11. 先生には先生の教え方の都合があってバツをつけているのだから、
必ずしも間違っていると決め付けるのは良くないのではないか
という意見もあるようですが、いかがですか?

◇A11. 現実に自分の子どもが教わっている先生に対して「先生は間違った教え方を
している」というような意見を述べることは色々な意味で難しいことです。

しかし、「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題の出し方をして、
「5×3」に「式の立て方が間違っている」のような理由でバツを付ける
というような教え方は有害であり、多方面から文句を付けられて当然のやり方です。
複数の意味で有害かつ間違った教え方なので擁護し切ることは不可能でしょう。

事実として有害でかつ間違った教え方をしているということと、
そのような教え方をしている先生をどのように扱うのが良いかは
別の問題だと考えた方が良いかもしれません。

しかし、教科書会社や教材の出版社であれば気軽にクレームを付けることが
できるのではないでしょうか? 教科書もしくはその指導書におかしな教え方が
書いてあったら、インターネットでその事実を公開し、
批判を盛り上げるというような活動も可能です。
その結果として教科書と指導書や教材が改善されれば
自然に「5×3」に平気でバツを付けるような行為は減ると思います。

ただし批判を公開した途端に自分自身も厳しく批判される可能性がある立場に
立つことを覚悟しておかなければいけません。他人を批判しておいて、
自分自身は批判されずに済まそうというのは虫が良すぎる考え方です。

この文書も当然批判されることを覚悟して書いています。

◆Q12. 成績を付けるためのテストでバツを付けたのではなく、
理解度を測るためのテストでバツを付けたのだから、
問題はないのではないかという意見も出て来ているようですが、
そういう意見についてはどのように思いますか?

◇A12. 理解度を測るテストで 5×3 にバツを付けた教師は、子どもが
掛け算の順序をどのように書いたかで理解度を測っていることになります。

5×3 にバツを付けることが批判されているのはまさにその点なので
理解度を測るためのテストだから問題ないという反論は無意味です。
そのような意見を今頃述べている人はこの議論では周回遅れな感じです。

このQ&Aの上の方でも強調しておいたように、
子どもが掛け算の式の順序をどのように書いたかを見て
理解度を測ろうとすることがこの問題の根源なのです。

たとえば、さつきのブログ「科学と認識」では、
どちらの数を「1あたりの数」とするかは考え方によるので、
掛け算を「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くルールのもとであっても、
式の順序を見ただけで、どちらが「1あたりの数」であるかを正しく理解しているか
を判定することは不可能であるということが、
遠山啓を引用することによって指摘されています(2009年8月11日)。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html

寺島裕貴さんは twitter で次のように述べています(2010年11月15日):
http://twitter.com/terashimahiroki/status/4117031720849408
 |掛け算順序の話、式だけから生徒の思考過程を読む
 |という逆問題を解く必要がある教員の都合ではないのか? 
 |式だけでなく文章でも説明させれば、
 |理解度は文章から分かるのだから項の順序はどうでもいい。
 |掛け算の本質がどうこうという話ではない。

さらに菊池誠さんも twitter で次のように述べています(2010年11月16日):
http://twitter.com/kikumaco/statuses/4533405458890753
 |だからね、順序は「理解度」を測る方法として、筋が悪いんです。
 |なぜなら、どっちでも正しいから。
 |正しいものを間違いとするやりかたで理解度を測ろうというのは、
 |そもそもおかしいんですよ

メーカ技術者(40手前)さんは次のように発言しています(2010年11月25日):
http://d.hatena.ne.jp/enomoto-2009/20090930/1254292133
 | 小学二年生もいつの日か掛け算の交換則を学ぶわけですから、一時的とはいえ
 |へんな縛りを掛けない方がいいと考えます。この記事でも指摘されている単位を
 |明確にする手法も一手ですし、「『いくつぶん』を表している数を書きなさい」
 |といった小問を設ける方法なども考えられるのですから、順序の規制とは違う方
 |法で児童の理解の程度を把握するようにしてもらいたいものです。

このQ&Aの上の方でも、掛け算の式の書き方の順序を見て理解度を測る方法が
よろしくない理由を複数指摘してあります。

重要なポイントなので繰り返します。

どのような順序で掛け算の式を書いたかで理解度を判定しようとすることは
複数の理由でよろしくないやり方なので改めた方が良い。

この論点を無視して結論を出してしまっている人は
議論の流れをよく理解していないとみなして構わないと思います。

議論の流れを全然理解していない人が書いたものの例を挙げておきましょう:

http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_1.html
http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_2.html
http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_3.html

これ↑を読んで

 |この問題に×つけるのはおかしいと言う人は、
 |成績の判定のためのテストだと思って文句言っている。
 |だから、×をつけるのは理不尽で、不当な評価を下されて理不尽と感じる。
 |
 |つまり、子どもが本当に解っているかを判定したいと思っている教師とは、
 |テストというものが意味する内容が違っているわけね。

の部分に説得力を感じた人は、5×3 にバツを付けることが批判されている理由を
まったく理解していないということになります。
この人はダメな教え方と考え方を広めている人たちを間接的に擁護してしまって
いることに気付いていないようです。困ったものです。

「子どもが本当に解っているいるか」を本気で判定したいと思っているのであれば、
もっとまともな方法を採用するべきです。

◆Q13. 私は小学校教師なのですが、今まで 5×3 にバツを付ける教え方をして
いました。教科書の指導書にしたがって教えていたからです。
今ではそのことを心から反省しています。
私はこれからどうすれば良いでしょうか?

◇A13. 誰でも間違った教え方をしてしまうことはあるのであまり深刻になる必要は
ないと思います。何よりも失敗を認めている姿勢が素晴らしいと思います。
しかし過去に教えた生徒に対するフォローは必要かもしれません。

教科書の指導書に問題の原因があるということに気付いている人はまだ少ないと
思います。そのことに気付いた教師が、そのような指導書の存在をインターネット
などを使っておおやけにするのが良いと思います。

過去に 5×3 にバツを付けてしまっていた先生が自らそのことを反省して、
そのような教え方をすすめている教科書の指導書を批判すれば、
かなりの影響力があると思います。

◆Q14. 上の補遺2を読みました。それにしたがえば、
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題が出されたとき、

●●●
●●●
●●●
●●●
●●●

のような図を描いて、りんごを表わす●の個数をひとつずつ全部数えて、
15個と答を出しても正解だということになると思います。
本当にこれでも正解なのでしょうか?

◇A14. 正しい考え方で正しい答を出しただから、当然正解だということになります。
ただし解答欄に「しき」の項目があるとき、「しき」の項目に何を書けば良いかに
ついては悩むことになりますね。

補遺2によれば他にも正しい考え方に基づいた解答はたくさんあります。たとえば、

3+3+3+3+3+3=15
5+5+5=15

のように足し算だけで掛け算を使わない解答も当然正解になります。
そして補遺2には書きませんでしたが、自分で描いた図を見ながら、
6個と6個と3個を足し合わせた数が答になると考えて

6+6+3=15

と書いても正解です。算数に強くなるためには頭を柔らかくすることが必要です。

もしも「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょうか。かけ算をつかってこたえてください」
のような問題文に掛け算を使わずに解答してしまうと不正解になりますが、
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょうか」という問題文になっているならば、
考え方と計算結果の両方が正しければどのような方法で解答しても正解になります。

答はひとつであっても考え方がたくさんあることが算数の面白いところである
ということは昔から繰り返し言われていることです。

◆Q15. 掛け算の理解度を測るために実施したテストだったのに、
掛け算を使っていない解答にもマルを付けてしまわなければいけないようだと、
掛け算をうまく教えることができなくなってしまうというような意見もあるようです。
このような意見についてどのように思いますか?

◇A15. 掛け算を使っていない解答を書く子どもがどの程度いるかによって、
正しい対処の仕方は変わって来ると思います。

もしも掛け算を使わずに正解を出した子どもがほとんどいないのであれば、
そのような解答にもマルを付けて、掛け算も使ってもらえるように
個別に指導すれば良いだけのことです。
どうせ例外的な生徒に対する個別な対処は常に必要になります。

もしもそのような子どもが多すぎると感じるほどたくさんいるのであれば、
問題の出し方が掛け算の理解度を測るために適切ではなかったということになります。
その場合には教師は失敗を認めることが必要になります。
このとき、自分が望んだ方法を使っていない解答に教師がバツを付けることは、
教師の失敗の責任を生徒に取らせることになるので非常にまずいと思います。

教師の側が、生徒の理解度の測定などの目的のために、
ある特定の方法を使った解答を書かせたい場合はよくあります。
そのような場合にはその特定の方法で解答を書いてもらえるように
問題文を工夫する必要があります。

いずれにせよ、教師が望んだものとは違う方法を使っているという理由で、
本当は正しい解答にバツを付けてしまうのは自分勝手過ぎるやり方でしょう。
バツを付ける前に問題の出し方について反省するべきです。

◆Q16. なるほど、算数を教えるのも大変なんですね。
このような混乱は教師の負担を増やしてしまいます。
ただでさえ大変な小学校の先生の負担を増やすのは好ましいことでは
ないと思うのですが、いかがでしょうか?

◇A16. おっしゃる通りです。このような混乱で小学校の先生の負担を増やすのは
好ましいことではありません。

しかし「混乱を見過ごす」という対処の仕方は好ましくありません。
「5×3」にバツを付けるという有害な教え方を放置しておくことは、
混乱の原因を放置することに他なりません。

この問題は親にとってわかりやすく、しかも非があるのは間違った考え方を子ども
に押し付けている教師の側なので、今後もクレームは無くならないでしょう。
(もしも誰もクレームを付けない状況になったとしたら、その方が恐ろしい!)
混乱の原因を根絶した方が教師の負担が減るのではないでしょうか。

この混乱に関して、教科書の指導書の著者たちの責任は非常に大きいと思います。

小学校の先生は算数以外にもたくさんの教科を教えなければいけません。
たとえ小学校レベルの知識であっても、あらゆる分野について正しい考え方を
身につけることは相当に大変なことです。だから、教科書の指導書は知識と
考え方の両面で小学校の先生の負担を軽減するものであって欲しいと思います。

最近の議論を読んで教科書の指導書に問題があることを知りました。
指導書が改善されて「5×3」にバツを付けるような教え方がダメだと
はっきり指導書に書かれるようになれば、混乱の原因のひとつが消え去り、
教師の負担は結果的に減ることになるでしょう。

有害な教え方をすすめている指導書は改善されるべきです。

指導書の改善の必要性をその著者自身が認めること
(すなわち自分自身の間違いを認めること)は
「5×3」にバツを付けるようなダメな教え方を根絶するために最も効果的なので
是非ともそうして頂きたいと思っています。

◆Q17. 足し算についても5+3が正解でも3+5は不正解になる場合があると
主張している人を見つけました。次のブログ記事です。

http://ts.way-nifty.com/imadoki/2010/01/post-a19e.html
 |
 |たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。
 |1番目の典型として「電車5台と電車3台をつなぐとみんなで何台」というような問題が  合併です。
 |これは5+3でも3+5でもOKで交換法則が成り立ち、子どもたちの理解も速やかです。
 |
 |次に添加。
 |「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」などの問題です。
 |これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
 |この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
 |試薬を添加する順番があるからです。
 |添加を教えるときは「順番」は大切なのです。
 |どちらでもいい、という教え方をすると子どもは混乱するのです。
 |
 |最後の増加は、「体重が去年から3キログラム増えた」などなどを扱うときの演算です。

このように「添加」を意味する足し算では足し算の順序を交換すると不正解になると
言っています。不正解にするのは掛け算の場合と同様に誤りだと思うのですが、
どうでしょうか?

◇A17. はい、不正解にするのは誤りです。それは間違った教え方でしょう。
実際にそのような教え方をするべきだとはっきり書いていないようですが、
上の引用文を書いた人が正しい考え方をしていないのは確かなことです。

この人はおそらく次のように考えているのでしょう。

(0) 足し算には複数の意味がある。「合併」の意味での足し算は同時に存在するの
ものたちを合わせたら全部でいくつになるかを表わし、「添加」の意味での足し算は
すでにあるものにあとから別のものが追加されたときに全部でいくつになるかを
表わしている。「添加」の意味での足し算では時間的な順序が重要になる。

(1) 「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありま
すか」という問題では「前からあるものの数」は5で「後から付け加わるものの数」
は3になる。

(2) 「添加」の意味での足し算は
「前からあるものの数」+「後から付け加わるものの数」
の順に書かなければいけない。

(3) したがって「添加」の意味での足し算において、「3+5」という式は
「前からあるものの数」が5で「後から付け加わるものの数」が3であることを
意味している。しかし(1)で述べたように「前からあるものの数」は5で
「後から付け加わるものの数」は3である。したがって「3+5」という
式の立て方は誤りである。

(4) 試薬の添加では順番が大切なので、「添加」の意味での足し算でも
式の順序は大切である。

「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題に「5×3」と式を立てると
誤りだとする考え方と同じような考え方をしているようですね。

だから上のQ&Aをよく読んで、掛け算についてすでによく理解している人であれば
上のような教え方がまずいという理由を複数挙げることができると思います。

まず、(2)のルールには必然性がありません。なぜならば、足し算を
「後から付け加わるものの数」+「前からあるものの数」の順序に書くということ
にしても何も問題が生じないからです。なぜならば、算数の意味での足し算が適用
できる場合にはその意味するところが何であったとしても、5+3と3+5は
一致しなければいけないからです。

算数の意味での足し算が適用可能な場合の中には、
試薬の添加のように順番が大切になる場合はひとつも存在しません(あたりまえ!)。
試薬の添加では順番が大切になるから算数教育でも足し算の可換性(交換法則)の使用
に制限を設けるという考え方は、行列の積が非可換だから算数教育でも掛け算の
可換性を自由に使ってはいけないと考えることと同様に馬鹿げています。

「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」を区別することと
足し算の式の順序のルールをどのように決めるかは無関係の問題です。
足し算の式の順序に関するルールを決めなくても、「前からあるものの数」と
「後から付け加わるものの数」を区別することは可能です(これもあたりまえ!)。

だから、足し算の式の順序の書き方を見ることによって、「前からあるものの数」
と「後から付け加わるものの数」のような概念を理解していることを確認しようと
することも複数の意味で間違った教え方だと思います。

「3+5」と書いていても「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」
を正しく認識している可能性があるし、「5+3」と書いていても正しく認識して
いるとは限りません。

そもそも足し算には自明な可換性(交換法則)があるのに、それがあたかも否定される
かのような印象を与える教え方は非常にまずいでしょう。

「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」のような概念を理解して
いるかどうかを測りたければ、足し算の式の順序を見るのではなく、別の方法を
採用するべきです。

以上の議論はすでに掛け算の場合について何度も繰り返し登場して来たものです。
ここではさらに「抽象」(答を出すために無駄な条件を無視すること)の重要性も
強調しておきましょう。

「りんごが5個ありました。あとからそこにりんごを3個追加しました。
りんごは全部で何個になりましたか」という添加の問題と
「りんごがこちらに5個あり、あちらには3個あります。
全部合わせてりんごは何個ありますか」という合併の問題の答は
どちらも8個になります(あたりまえ!)。

添加と合併の問題の違いは時間的順序があるかどうかです。
しかし添加の問題に足し算を適用できるということは、
時間的順序を完全に無視して構わないことを意味しています。
つまり問題を解くために時間的順序を完全に無視して構わないのです。
結局、添加の足し算の問題であっても、足し算の可換性(交換法則)が
明らかな合併の足し算に帰着してしまうことになります。

答を出すために無駄な情報を無視することは非常に重要です。
算数の場合に限らず、複雑な現実に数学的考え方を適用する場合には
答を出すために必要最小限の情報が何かを認識することはとても大切です。
掛け算の場合で説明しましょう。

上のQ&Aで「皿が5枚あり、ひとつの皿にりんごが3個のっています。
りんごは全部で何個ですか」のような問題に次のような図を描いたとしましょう。

●●●●●
●●●●●
●●●●●

この図に皿はまったく描かれていません。
りんごを意味する●の個数を数えれば正しい答が出ます。
そして●の個数の正しい数え方はたくさんあります。
答はひとつであっても正しい答の出し方は複数あるわけです。
5+5+5と考えても正解だし、

●●●●●●●●●●
●●●●●

と並び変えて式を立てずにいきなり15個と答えても正解になります。
皿の情報は答を出すためには無駄な情報なので無視して構いません。
むしろ積極的に無視することによってたくさんの正しい方法が得られるわけです。

算数における足し算・掛け算の式の順序に意味を持たせたいと欲している人たちは
算数の世界で子どもたちが創造性をはっきする余地を無くすように努力している
ように見えて仕方がありません。

算数の段階で習う足し算・掛け算では式の順序をどう書いても構いません。
足し算・掛け算の意味(解釈)については式の順序に関するルールを決めなくても
正しく考えることができます。

もしかして式の順序に関するルール抜きに足し算・掛け算の意味について
正しく考えることはできないと信じている人たちがいるのでしょうか?
もしもそうならばそういう人たちは自分の考え方が間違っていたことを
認識するべきだと思います。

◆Q18. さらに上のブログ記事では面積の公式の「縦×横」の掛け算の順序に
こだわる教師を次のように擁護していました。

http://ts.way-nifty.com/imadoki/2010/01/post-a19e.html
 |
 |面積の公式は「縦×横」、と教えますが、
 |これは板書で書くとき縦の線を先に書くことが多いので、
 |まず縦、次に横の線を書くので「×横」としますが、
 |横の線から先に書けば横×縦でも交換は可能です。
 |ただ、この順番にも拘る教師がいるとしたら、
 |その教師は子どもに「立体の名称」を定着させるために、
 |拘っているのかもしれません。

これについてはどう思いますか?

◇A18. これもひどいですね。率直に言ってあきれてしまいました。

どちらが「縦」でどちらが「横」なのかという「立体の名称」(??)を定着させる
ために、掛け算の式の順番に拘るというのはあまりにもひどい教え方です。
本当にどちらが「縦」でどちらが「横」なのかを定着させることに拘りたいならば、
もっとまともな方法を使うべきでしょう。

「板書で書くとき縦の線を先に書くことが多い」というのも疑問だし、
そもそも「立体の名称」(??)を定着させるためにこだわっているという想定には
かなり無理があるように感じられ、この人はここまでしてひどい教え方を
擁護したいのかと思いました。

これは印象に過ぎないので誤解かもしれませんが、上のブログ記事を書いた人は
現実の生活に役に立つ算数の考え方を教えることよりも、式の意味などへのこだわり
が強いように感じられました。

さらに困ったことに、具体的な応用場面では不必要なこだわりを小学生に教え込む
ことを正当化するために、

 |いずれにしても、
 |中学では可能なことが小学校では制限される大きな理由の1つは、
 |「子どもの発達段階が具象から抽象へ、異質なものから上位の等質を導く力が未熟」
 |であるとの分析からだと思います

のような理屈を持ち出しています。未熟な子どもが書いた実際には正しい解答に
バツを付けることがどれだけひどい行為なのかについての考察がまったくない。
本当は不必要なこだわりを未熟な子どもに押し付けることの弊害に関する考察も
まったくありません。算数教育で掛け算の順序にこだわることに疑問を持っている
人なら誰でも感じるような疑問に同じ理屈を適用せずに、自分の意見を正当化する
ためだけに使ってしまっています。

このようなことを言う人が「教育に詳しい人」とみなされるのは非常にまずいと
思いました。

余談。個人的には、長方形の面積の公式を「縦×横」と表現するよりも、
「長方形のとなりあった二つの辺の長さを掛けると長方形の面積が得られる」
と考える方がより正しいと思います。自分の視点から長方形が斜めに傾いて
見える場合には縦も横もなくなってしまいます。
そのような場合にはどちらが「縦」「横」であるかに関する知識は無力になります。
「どちらが縦でどちらが横か」は長方形の面積を考えるときには無駄な情報であり、
算数を現実世界にうまく応用できるようになるためには、そのような無駄な
情報を積極的に無視できるようにならなければいけません。たとえば、上が北向き
のよくある地図の上に描かれた斜めに傾いた長方形型の土地の面積を求めることが
できないようでは、長方形の面積について習う意味がないでしょう。

追記(2010年12月12日): kikulog での議論でこのQ&Aおよびひとつ上のQ&Aで
問題にされているブログ記事を書いた方(せとともこ)は自分の誤りを認める
発言をしています。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292101600

およびそれに対する菊池誠の回答とそれらの続き

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292134542
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292137836

を読んで下さい。現時点ではどこまで正確に自分自身の誤りを理解しているかは
不明ですが、誤りを認めたことは喜ばしいことだと思います。今までダメな教え
方を擁護してきてしまっていたことを反省して、今後はダメな教え方を根絶する
側にまわってもらいたいと思います。

◆Q19. 掛け算の順序問題について詳しくていねいに説明したのに、
「やはり掛け算を教えるときには被乗数を乗数を書く順序を決めておかないと
混乱することになる」と言われてしまいました。どう説明すれば良いでしょうか?

◇A19. きっとその人は掛け算の導入には被乗数・乗数の概念が必須だと
誤解しているのでしょう。実際、すでに紹介したように、
『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目には
以下のような説明があります。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
 |エ 一つの数をほかの数の積としてみること
 |
 | ものの集まりを幾つかずつまとめて数える活動を通して、数の乗法的な構成に
 |ついての理解を図ることをねらいとしている。ある部分の大きさを基にして、
 |その幾つ分として、全体の大きさをとらえることができるようにする。
 |
 | 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
 |ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
 |ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
 |ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
 |覚を豊かにする。
 |
 | ●●●●●●
 | ●●●●●●
 |2×6 または 6×2
 |
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |3×4 または 4×3

つまり、おはじきを工夫して並べることによって、
12は2と6の積(順序はどうでもよい)にもなっているし、
3と4の積(順序はどうでもよい)にもなっていることに気付くと。

このような形で掛け算の仕組みに気付いてもらうという方針で教えた場合には、
2と6もしくは3と4のどちらが乗数でどちらが被乗数であるかを決めなければいけない
とか、掛け算で乗数と被乗数を書く順番を一つ決めておかなければいけないという
ような考え方は無意味になります。

この場合には 3×4 を 3+3+3+3 で計算しても構わないし、4+4+4 で計算
しても構わないし、正しければ他のどんな方法で計算しても構いません。
おはじきの総数を正確に数えることができれば方法は何でもよいわけです。
経験的に3行4列におはじきをならべると総数が12個だということを知っている
人がその知識を利用して3×4=12と答えるのも正しい。九々を全部暗記して
いればもっとたくさんの場合に瞬時に答を出せるようになるわけです。

「3×4 を 3+3+3+3 で定義するか、4+4+4 で定義するかには違いがある」の
ような発想しかできない人はもっと頭を柔らかくしないとまずいと思います。

◆Q20. 上で紹介されている kikulog で「こなみ」と名乗る方が286番(あたり)の
コメントに長文を書いています。これってどうなんでしょうか?

◇A20. 全然ダメですね。

その方も「わかっていない人」に分類して構わないと思います。

自分の子どもが実際に教わっている教師にどのように対応するかという問題と
その教え方が有害であるか否か、その教え方のもとになっている考え方が
正しいか否かは別の問題です。

教師と保護者のあいだで協力体制を築くべきだという意見は正論だと思います。
しかし無理が通って道理を引っ込めるような協力は好ましくありません。

おそらくこの「こなみ」という方は掛け算の順序のルールを固定してバツを
付けることにも十分な合理性があると考えているのだと思います。
もしもそうならば、「こなみ」という方の意見にも一理あります。

しかし問題になっているのは掛け算の順序のルールを固定してそれに反する
解答にはバツを付けるという教え方の合理性そのものなのです。

「こなみ」という方のコメントを引用しながら、
合理性を示すことに成功しているかどうかを検証してみましょう。
するとこの「こなみ」という方は既出の議論の多くを無視するだけではなく、
相当にいい加減な発言をしていることがわかります。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292202790
のコメントからの引用は以下では | から始まる行の部分です。

 |2つの数を掛ける意味を,足し算の繰り返しで定義してしまえば,
 |掛け算の可換性はほぼ自明なものとして認識されるでしょう。

足し算の繰り返しで掛け算を導入すると可換性は*非*自明になります。
可換性を直観的に自明な形で掛け算を導入するには工夫が必要になります。
この部分だけでこの人は算数をわかっていないことがよくわかりますね。

 |一方で次元の異なる量の積から新しい物理的意味をもつ量を得ると
 |いうイメージはまったく持てないのです。これは深刻なんですね。
 |
 |そこで1皿当たりの個数×皿の枚数というイメージを喚起させておくことは,
 |教育的におかしな事では全くありません。

掛け算が適用できる場合は様々なのでそれぞれのパターンに応じて
イメージを喚起しておくことは大切なことです。

しかし、「1あたりの数」「いくつ分」という概念を教えることと
掛け算を「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書くという特殊ルールを
導入することは別の問題です。

そして、子どもの理解度を測るために掛け算の式の順序の書き方に頼ることは
よろしくない方法であるということは多くの人が何度も繰り返し述べている
ことです。

 |一方で,皿ごとにスキャンして数えるような形で掛け算を行えば
 |順序が反転することも,頭の回転の速い子どもには教えてもいいでしょうが,
 |混乱する子どもも必ずいるでしょうね。難しいものです。

おそらく「皿ごとにスキャン」とは遠山啓が指摘した「トランプ配り」
のような数え方を意味しているだと思われます。
それによって「順序が反転する」と言っていることから、この人も
掛け算は「1あたりの数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけない
とする特殊ルールを前提に話を進めるつもりらしい。

この人は「1あたりの数」「いくつ分」の意味での掛け算を
「いくつ分」×「1あたりの数」の順に書いても良い
という何度も出て来た指摘を無視するつもりのようです。

 |その中で,「速度×時間=距離」タイプの演算をうまく導入するための予備として,
 |順序という形で2つの量を意識的に区別させることは,教育上有用かもしれませんし,
 |そうであればうまく使えばよいと思います。

「そうであれば」という仮定は成立しません。「掛け算の順序に頼った教え方は
複数の意味でまずいやり方なので止めた方が良い」というのが
この議論の最重要なポイントです。

やはり「わかっていない人」はこの最重要ポイントを無視するようです。

 |子どもの理解を教師が把握するための試験としては,
 |順序を付けて答えさせる方針は必ずしも悪くない。

いいえ。

普遍的には通用しない無駄なローカルルールを導入しなくても
理解を把握する方法があるのに、無駄なローカルルールを導入して、
それにしたがっているかどうかを見て理解度を把握したことにし、
ローカルルールにしたがっていないだけで本当は正しい解答にバツをつける
のは明確に悪いやり方です。

 |ただし,数学的な妥当性を考えると,その試験の文面で「あたりの量」
 |を左にして書きなさいといった指示を入れる必要があります。
 |そうなっていれば,減点することはむしろ教育的です。

ちなみにインターネット上で広まっている「5×3」にバツがついている答案の
画像には「あたりの量は左に書いてね」のような但し書きはありません。

この「こなみ」という方は
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
の最初の画像およびそのページで紹介されている東京書籍の教科書の指導書
の内容を読んでから意見を述べるべきだったと思います。
そこで紹介されている指導書がすすめている教え方にしたがっても
「あたりの量は左に書いてね」という指示が入ることはなさそうです。

そもそもどうしてここまで掛け算の順序のローカルルールを設定することに
こだわるのが理解できません。これも何度も出て来た指摘だと思いますが、
掛け算の順序に頼らずに、「あたりの量」が何であるかを直接答えさせれば
良いだけのことです。

 |蛇足ですが,ある数学的な記述において,演算子の意味をローカルに
 |定義して進めることはまったく問題ないわけです。
 |たとえば集合A,B の関係 A ⊂ B を A = B を含むとするか A ≠ Bとするかは
 |本によって違いますし。そのうえ,そのことはいちいち断ってなくて文脈から
 |考えるしかないことが多い。困ったものです。

で、それが何か? この段落で「こなみ」という方が示しているローカルルールは
「掛け算の順序に関するローカルルールにしたがわない解答にはバツをつける」
という話におけるローカルルールとは種類が異なります。

ちなみに、しっかり書かれている数学の本であれば⊂をどちらの意味で使うかに
関する但し書きが本の最初の方にあります。「いちいち断ってなくて文脈から」
とはこの人は一体どのような本を読んでいるのですかね?

「わかっていない人」は知ったかぶりな態度で関係ない話を持ちだします。
しかもその内容の正確さは非常に怪しい。
この人もやはり同じパターンのようです。

足し算の繰り返しで掛け算を導入すると可換性が自明になるとか、
違う種類のローカルルールの話を持ち出すとか、
この知ったかぶりのダメさは本当に困ったものだと思います。

そう言えば、私にはこなみさんという知り合いがいたような気がするのですが、
この「こなみ」がそのこなみさんならば知り合いとして本当に恥ずかしいと思います。

◆Q21. 自分の子どもに「5×3でも3×5でもどちらでも正解なんだよ」と教えたら、
「違う。5×3は間違い!」と言われてしまいました。
どんなに丁寧に教えても学校の先生の言うことの方を信じ、
親の言うことを信じてくれません。私はどうすれば良いでしょうか?

◇A21. すみません。私にもわかりません!

偏狭でダメな教え方をしている先生の側にわが子がしたがい続けてしまうこと
を恐れているのだと思います。不合理なローカルルールを設定し、
それにしたがわないとバツを付けるというようなことが正しいと
考える人間になってしまうのではないかと。これは確かに怖いです。

親として子どもに真剣さを何とかして伝えるしか手はないと思います。
そのためには算数に限らず、倫理面も含めて多くの話をしなければいけません。
しかし具体的に何をどのように話すのが良いかと問われると、
正直言って私もわかりません。

◆Q22. 全然関係無い話になってしまいますが、上記の kikulog での議論には
くろきさんの知り合いが何人か参加しているように思うのですが、
いかがですか?

◇A22. はい、私もそう感じています。

まず、きくちさんは知り合いだし、
上でダメ出ししておいたこなみさんもおそらくあのこなみさんでしょう。あと、

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292391863

のよく考えられたコメントを書いているなべさんは私の知っているあのなべさん
だと思います。もしもそのなべさんがあのなべさんならば知り合いとして誇りに
思います。

他にも知り合いがいるようですが省略させて下さい。

◆Q23. 教師を責めるのは好ましくないというタイプの意見も強いようです。
その点についてはどう思いますか?

◇A23. 有害な教え方をしてしまうことは教師生活をやっていれば誰にでもある
ことだと思います。私にもあります。

だから失敗に気づいたらそれを修正することが必要です。失敗と修正を繰り
返しながら自分の能力を高めようと努力している教師を私は尊敬します。

ダメな算数教科書やその指導書やダメな算数教育家に騙されて、
「5×3」という式の立て方が誤りだと誤解していた教師は
まずその誤解を修正することが必要です。

もしもその教師が「5×3」という式の立て方が誤りだとする教え方を
他の教師にもすすめてしまっていたとすれば、すすめた先の教師にその教え方は
有害でダメな教え方であることを知らせるべきです。

そして、現在教えている子どもたちには
「先生がこのあいだ言ったことは間違いだった。ごめんね」
などと素直に言えば良いと思います。

現場の教師は他にも気にしなければいけないことがたくさんあるのだから、
基本的に誤りを修正する努力をしてくれればそれで十分だと私は思っています。

それに対して掛け算の順序について妙なこだわりを押し付けるタイプの
教科書と指導書を執筆している算数教育の専門家たちの責任は非常に重い
と考えています。

現在の学習指導要領解説は教師が掛け算の順序に妙なこだわりを持たないように
注意深く書かれているという印象を受けました。
算数教育の専門家にも色々なタイプの人がいるのだと思います。

個人的には、知ったかぶりな態度で「3×5と書くべきところを5×3と書くと
誤りになる」などと言い続けている困りものの算数教育の専門家たちには
算数教育の世界から退場してもらいたいと思っています。

◆Q24. 「子どもが6人います。みかんを4個ずつあげるには、いくついるでしょう」
という問題に「6×4=24」と答えることについて、森毅さんは著書『数の現象学』
(初版1978年)で次のように述べているそうです。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.html
 |もっとも、大学入試などだと、たとえば次のようにでも書かないと大減点されるのだが。
 |
 |『1人に1個ずつ配ると6人に対しては6個必要になる。
 |
 | 1人当たり4個にするためには、それを4回繰り返さなければならない。
 |
 |  ∴ 6個/回×4回=24個 』
 |
 |つまり、
 |
 |    4個/人×6人=24個
 |
 |という最初の問題の6人を6個/回に、4個/人を4回に転換するところを書かないと、
 |それぞれに1割程度の減点を覚悟しなければならない。そのうえに、
 |わざわざ間接的にマワリミチをしたことで、1割ぐらい減点されるかもしれない。

要するに大学入試では「6×4=24」は1割もしくはさらに1割減点されるかも
しれないと述べています。京大教授がこのように述べていることについて
どうお考えですか?

◇A24. 最低だと思います。

6人×4個/人=24個と普通に正しい考え方をしている可能性を森毅は考慮できな
かったんですかね?

なによりも京大の先生が「大学入試などだと〜大減点される」と述べている点が
困りものだと思います。京大入試では掛け算の順序を気にして書かないと
1割もしくはさらにもう1割減点されるかもしれない。
これがもしも本当ならどれだけの社会的影響があるのか。

森毅さんの上の発言は森毅さん自身が信じている間違っている考え方を
大学入試の採点を人質にして広める行為に他なりません。
これを最低と言わずに何を最低と言えば良いのでしょうか。

本当にひどい話だと思います。

補足:森毅氏が実際に京大の入試の採点で減点したという噂もあるという話もあ
るようですが、確認可能な事実は『数の現象学』に上に引用されているように書
いたということです。実際に減点してもいなくても、ひどい話であることに変わ
りはありません。たとえ実際に減点していなくても、心配性の受験生およびその
親が上で引用されている文章を読めば「掛け算の順序にはこだわらなければいけ
ない」と感じることでしょう。

◆Q25. 最近この話題がネット上で話題になっているようなのでここを見に来ました。
これって実は大した問題ではなく、無視できるほど少数しかいないダメな教師の問題
ではないのですか?

◇A25. 私も10年以上前にはそれに近い感覚で気楽に議論していました。

しかし、最近の議論で広く使われている算数教科書の指導書でおかしな教え方が
すすめられていることを知って、重大な問題ではないかと考えるようになりました。
だからこの文書を書いて公開することにしたのです。

親切で優しい先生であっても教科書の指導書にしたがってしまったせいで
有害な考え方を子どもに植え付けてしまうことはありえると思います。

個人的には、現場の教師よりも、算数の教科書・指導書などを作っている側の
人たちに問題があるように思えてなりません。

どこでどのように掛け算の順序にこだわった教育が推奨されているかについては
mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティーにかなりの情報が集積されて
います。mixiの会員の人は次のリンク先をのぞいて見て下さい。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118

ただし、このコミュニティーから有益な情報を抽出するためには、
Sparrowhawk と名乗っている方の発言を全部無視した方が良いと思います。
個人的にその方の発言はひどく迷惑に感じられました。
それに対して、同コミュニティの管理人の積分定数さんと副管理人のメタメタさん
の二人はこの件では一目おかれるべき存在だと思います。

mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティーで報告されている事例を
見ておくことは何が問題なのかを理解するために非常に役に立ちます。

◆Q26. 私も kikulog で話題になっていたのでこの文書を発見して見に来ました。
「掛け算の解釈」のように「解釈」という言葉がたくさん出て来ますが、
「掛け算の解釈」とはどういう意味でしょうか?

◇A26. 申し訳ありません。わかりにくかったようですね。詳しく説明しましょう。

まず例で説明しましょう。以下に掛け算の解釈の例をたくさん挙げておきます。

(1-1) a×b は a を b 個足して得られる数であると考えること。

(1-2) a×b は b を a 個足して得られる数であると考えること。

(2-1) a は「1あたりの数」であり、 b は「いくつ分」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。

(2-2) a は「いくつ分」であり、 b は「1あたりの数」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。

(3-1) おはじきを長方形型に並べたとき、 a は「縦に何行ならべたか」、
b は「横に何列ならべたか」を意味し、a×b は「ならべたおはじき全体の数」
を意味すると考えること。

(3-2) おはじきを長方形型に並べたとき、 a は「横に何列ならべたか」、
b は「縦に何行ならべたか」を意味し、a×b は「ならべたおはじき全体の数」
を意味すると考えること。

(4) a と b は「長方形のとなり合った二つの辺の長さ」であり、
a×b は「長方形の面積」であると考えること。

(5-1) a は直線上を動く質点の質量であり、b は質点の速度であり、
a×b は質点の運動量であると考えること。

(5-2) a は直線上を動く質点の速度であり、b は質点の質量であり、
a×b は質点の運動量であると考えること。

要するに掛け算が応用されているときに、
a と b と a×b が何を意味しているかを「掛け算の解釈」と呼んでいるわけです。

「正しい掛け算の解釈」を定義しましょう。
掛け算が満たしている数学的性質が解釈の側でも成立しているとき、
その掛け算の解釈は正しいと言うことにします。

本当は掛け算とは違う法則が成立しているところに掛け算を応用しようとすると
掛け算の正しくない解釈が得られるわけです。それは掛け算の間違った応用になる。
たとえば足さなければいけないのに掛けてしまった場合には掛け算の正しくない
解釈が得られます。

上に挙げた掛け算の解釈はすべて正しい掛け算の解釈です。
(1-1)と(1-2)の解釈はどちらも正しく、
(2-1)と(2-2)の解釈もどちらも正しく、
(3-1)と(2-2)の解釈もどちらも正しいわけです。
どちらか片方だけが正しいと考えている人はひどく誤解しています。

たとえば「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題に「5×3=15」と答えると、
掛け算の正しい解釈(2-2)を自然な形で使っているとみなせるので正解になります。
(ここまでもってまわった言い方をしなくても正解なのは当然ですが、
算数教育の世界にはデタラメな考え方が広まってしまっているようなので、
あえてこのようなもってまわった説明の仕方もすることにしました。)

また a×b を(3-1),(3-2)のようにおはじきを長方形型に並べたときの
おはじきの総数だと解釈する場合には、おはじきの数え方がどうであっても
数え方が正しければ答は正しいということになります。
この点については前の方のQ&Aで詳しく説明しています。

さらに、世界的に通用する習慣では、質量を m と書き、速度を v と書き、
mv を運動量だとみなすことが普通ですが、(5-1)も(5-2)も掛け算の正しい解釈です。
「掛け算の意味」について考えたい人は、(質量)×(速さの二乗)/2 のような形で
掛け算が応用される場合もあることも知っておくべきでしょう。
それは質点の運動エネルギーを意味しています。
自分が知っている掛け算に関する知識でそのような掛け算を理解できるか
についてよく考えてみた方が良いでしょう。

掛け算の正しい応用ごとに掛け算の正しい解釈が得られます。
この意味で「掛け算の正しい解釈」=「掛け算の正しい応用」とみなして構いません。

◆Q27. 「掛け算の解釈」を「掛け算の意味」に置き換えても大丈夫そうですね。
どうして「意味」と言わずに「解釈」と言ったのでしょうか?

◇A27. 「掛け算の解釈」を「掛け算の意味」に言い直しても良いかもしれません。
しかし、以下のようなこだわりがあることは述べておきたいと思います。

「○○の意味」の説明は「○○」自身が何かについての説明になることが多いと
思います。それに対して「○○の解釈」は決して「○○」そのものであることは
ありません。私はこの区別が非常に重要だと考えています。

「掛け算の意味として“1あたりの数×いくつ分”を採用して掛け算を導入しま
しょう」のように言われた人が「掛け算は“1あたりの数×いくつ分”を意味して
いるので、常にその意味で掛け算を使うように指導しましょう」という主張を
含んでいると誤解してしまわないでしょうか?

これが心配し過ぎであることは自覚していますが、mixi のコミュニティなどで
あまりにもひどい事例をたくさん見過ぎたせいで不安になりました。

いずれにせよ、「掛け算の解釈」は決して「掛け算」そのものではない!

個人的な感想では、「かけ算の意味」という言葉を「算数教育用語」として
使う人はたいていの場合ろくでもない意見を述べているように感じられました。
実はこれも「かけ算の意味」という言葉を使わなかった理由のひとつです。

◆Q28. なるほど「解釈」の「意味」がよくわかりました。:-)

しかし、「1あたりの数」「いくつ分」の考え方に基づいて掛け算を教えたい教師が

(2-1) a は「1あたりの数」であり、 b は「いくつ分」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。

という解釈によって掛け算を導入することにまで否定する必要はないのでは
ないですか? もちろん

(2-2) a は「いくつ分」であり、 b は「1あたりの数」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。

の方でも構いませんが。

◇A28. はい。以下の要求が満たされていれば否定する必要はないと思います。

まず、掛け算を導入するために一時的に採用した掛け算の解釈だけが正しく、
他の実際には正しい解釈が誤りであるかのような印象を与えるような教え方は
有害なので止めてもらわなければいけません。

教える側が掛け算の導入で使った掛け算の解釈に固執し、他の解釈の方が
自然な場合にまでそれを適用しようとすることも止めてもらいたい。

掛け算の正しい解釈が一通りであるかのような教育も止めてもらいたい。
掛け算の導入に使った掛け算の解釈以外にも
正しい解釈があることを教える時間を設ける必要があるでしょう。

要求は以上です。

そのためには、掛け算について馬鹿げた考え方に基づいて書かれた教科書・指導書
を採用するのを止めるもしくは問題の部分の訂正を要求することが必要でしょうね。
さすがに子どもが読む教科書と教師が使う指導書にあるデタラメな記述が
放置されたままなのは困ります。

最後にわかりやすく説明しましょう。

掛け算を(2-1)の解釈によって導入する教え方を受けた子どもであっても、
結果的に「3×5は正しいが、5×3は誤り」のような馬鹿げた意見に対して
「デタラメを言うのは止めて下さい。当然どちらも正しい!」と
言えるようになるように教えてくれるのであれば、
この件で争う必要は無くなります。

教育関係者がこの議論に参加するときに「掛け算の順序固定擁護派」と誤解されたく
なければ、まず最初に上の要求にはっきり賛成しておくのが良いと思います。

もしも上の要求に賛成できないとすれば、自分が実際には「擁護派」であることを
自覚して議論に参加した方が良いでしょう。

◆Q29. くろきさんは数学が専門なのにややこしい数学の話をまったくせずに、
この議論に参加しています。それは意識してのものですか。
もしも少し難しいことを述べても構わないと言われたら、
どのようなことを説明したいですか?

◇A29. はい、意識して難しい数学の話をしないように注意しています。
そもそもこの議論の本質は難しい数学の話とは無関係です。
少し難しいことを述べても構わないなら、以下のようなことを説明したかったです。

(1) おはじきから連続量まで

まず、おはじきを長方形型に並べて掛け算を理解すれば掛け算の可換性(交換法則)
は明らかになります。なぜならば長方形型に並べたおはじきの個数はどの方向から
見ても同じであることは明らかだからです。たとえば

●●●●
●●●● ←●はおはじき
●●●●

のおはじきの個数は3×4=4×3です。これは易しい話。

このような理解の仕方は、おはじきを正方形型のタイルに置き換えれば
容易に小数もしくは分数の掛け算に一般化されます。 たとえば

■■■■
■■■■ ←正方形型のタイルをすきまなく並べた図のつもり
■■■■

のように正方形型のタイルが並んでいるとしましょう。

このとき正方形型のタイルの一辺の長さが 1 であるならば、
上のように並べたタイルの面積の総和はおはじきの場合と同様に 
3×4 = 4×3 になります。これも易しい話。

タイルの一辺の長さを1ではなく、1/nとみなせば面積は分数の掛け算になります。
上の図では (3/n)×(4/n) = (4/n)×(3/n) が面積になる。
この掛け算は分母が同じ分数どうしの掛け算になっていますが、
約分を利用すれば違う分母を持つ分数の掛け算も考えることができます。
たとえば上の図で n=6 とすれば 3/6=1/2 と 4/6=2/3 の掛け算
(1/2)×(2/3)=(2/3)×(1/2) が出て来ます。

小数を扱いたければタイルの一辺の長さを 0.1 や 0.01 などにします。
たとえば正方形型タイルを243×167に並べて、タイルの一辺の長さを0.01と
みなせば 2.43×1.67 について考えていることになります。

このようなアイデアに基づけば、おはじきを長方形型に並べた場合と同じ考え方で
分数や小数の掛け算およびその可換性も理解することができます。

それでは実数(連続量)の掛け算およびのその可換性はどのように理解できるのか?
(ここからが本当に難しい話になります。)

実数は分数(有理数)もしくは有限小数でいくらでも近似できる数のことです。
たとえば円周率にいくらでも近い小数を 3, 3.1, 3.14, 3.141, 3.1415, ...
と作ることができます。 (円周率の分数による近似には連分数を使うと良い。
面白い話なので興味のある人は Google などで検索してみて下さい。)

実数の掛け算は次のように定義されます。
まず、二つの実数 a と b のそれぞれに対して、それらを幾らでも近似する分数
もしくは有限小数の列 a_1, a_2, ... と b_1, b_2, ... を取ります。
(ここで a_1 は a の右下に小さく 1 という添え字を書くことを意味しています。)
そして分数もしくは有限小数の掛け算によって得られる
a_1×b_1, a_2×b_2, ... という数列で幾らでも近似される数(実数になる)
を a×b と定義します。

分数と有限小数の掛け算の可換性は上のタイルによる説明
(もしくはおはじきによる説明!)によって明らかでしょう。
よって分数もしくは有限小数の掛け算について a_n×b_n = b_n×a_n が成立して
います。このことから実数の掛け算の可換性 a×b = b×a が導かれます。

直観的には「分数の分母をどんどん大きくして行けば実数が得られる」
「有限小数の小数点以下の部分の長さをどんどん長くして行けば実数が得られる」
と考えて、その考え方で実数の掛け算も導入されると考えて構いません。
そして、分数の分母をどんなに大きくしても分数どうしの掛け算は可換であり、
有限小数の小数点以下の長さをどんなに長くしても有限小数どうしの掛け算は
可換であることから、実数の掛け算も当然可換であるということになるのです。

「いくらでも近似できる」のような難しい考え方をすでにマスターしている人は
実数(連続量)の掛け算の可換性が実はおはじきを長方形型に並べる直観的に
非常にわかりやすい話から出て来ることをすぐに理解できるはずです。

つまり、おはじきを長方形型に並べる話は実数の掛け算の可換性をも導くのです!

以上はそのまま算数教育に使える話だとは言っていないことに注意して下さい。
意識して少しだけ難しい話をしてみました。

しかし、算数教育の専門家には、おはじきを長方形型に並べるのと同じ考え方で
分数や有限小数の掛け算も理解でき、したがって実数(連続量)の掛け算にも繋げる
ことができるという話を当然の教養として知っておいて欲しいと思います。

こういう話がどこまで面白いかはわかりませんが、
せっかくなので説明してみました。
もしかして易し過ぎる話でしたか?

(2) 足し算と掛け算の公理的な特徴付け方

せっかくなのでもうひとつ。

3×5 を 3+3+3+3+3 と定めるというような方法で掛け算を定義せずに、
以下で説明するように別の方法でも 3×5 が何であるかを確定させることもできます。

まず、3×5について子どもに教える立場の人であれば算数で習う足し算や掛け算
がその導入の仕方によらずに以下の性質を持っていることを知っていると思います。

(1) (a+b)+c = a+(b+c)
(2) (a×b)×c = a×(b×c)
(3) a×(b+c) = a×b + a×c,  (a+b)×c = a×c + b×c
(4) a×1 = a,  1×a = a

結合法則(1),(2)のおかげで3つ以上の数の足し算や掛け算を括弧を略して、
a+b+c、a×b×c と書いても問題が無くなります。
それらを (a+b)+c、(a×b)×c で計算しても、a+(b+c)、
a×(b×c) で計算しても結果は同じになります。
特に 1+1+1+1+1 のような式を書いても良いということになります。

1+1+…+1 と表わされる数の足し算の可換性(交換法則)は結合法則(1)から導かれます。
たとえば 3 = 1+1+1、5 = 1+1+1+1+1 について

3 + 5 = (1+1+1)+(1+1+1+1+1) = (1+1+1+1+1)+(1+1+1) = 5 + 3.

二番目の等号で結合法則を複数回用いています。

分配法則(3)は足し算と掛け算の関係を記述しているだけではなく、
実は1の性質(4)と合わせると 1+1+…+1 と表わされる数の掛け算が何であるか
を確定させてしまいます。

たとえば、

3×5 = 3×(1+1+1+1+1)
     = 3×1+3×1+3×1+3×1+3×1    ((3)左)
     = 3+3+3+3+3                   ((4)左)
     = 1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1.

同様に(3)左と(4)左を使って

5×3 = 5+5+5

となることと(3)右と(4)右を使って

3×5 = (1+1+1)×5
     = 1×5+1×5+1×5                ((3)右)
     = 5+5+5                         ((4)右)

となることから可換性 5×3 = 3×5 も導かれます。

要するに算数で習う 1,2,3,4,... の足し算と掛け算はそれぞれの結合法則
および分配法則と1の性質で自然に唯一通りに確定してしまうわけです。
足し算と掛け算に関するたった4つの法則を知っておけば十分です。

このような話は数学をちょっと勉強した人であれば誰でも知っていることです。
「3×5 は3つのモノを含む集まりが5つあることだ」のようなことを言わなくても
掛け算を特徴付けることができ、可換性も容易に証明されます。
上の計算では 3×5 は自然な計算で 3+3+3+3+3 にもなるし、5+5+5 にもなります。
3×5 を理解するための出発点でどちらか片方を選ぶ必要はないのです。

もちろん、数学的にウルトラ厳密に考えたい場合にはさらに細かいことを
色々言わなければいけないかもしれません(特に存在証明)。
ここではそういう厳密な議論は省略します。

最後に念のために強調しておきますが、
上のような足し算と掛け算の理解の仕方はいち解釈に過ぎません。
他にも色々な考え方をできます。

「3×5 は3つのモノを含む集まりが5つあることだ」のような発想に凝り固まって
しまった人は奇妙奇天烈な掛け算の解釈を見付けることで色々遊んでみると
良いかもしれません。

ちなみに最近の数学の話 (F_1 = F_un = 一元体がらみの話) ではじめから掛け算は
あるが、足し算はない世界にどのように足し算を導入するかのような話が出て来ます。
つまりその話では掛け算を使った足し算の解釈が登場することになります。
足し算が先にあって掛け算はその後に導入されるというのも単なる思い込みに
過ぎないのです。とにかく色々頭を柔らかくしないとダメです。
(実はそれは結構大変なこと! 常日頃からの努力が必要!)

この手の知識が直接教育の現場で役に立つことはないかもしれませんが、
個人的な希望としては大事な教養のひとつだとみなしてもらいたいです。
大人なら誰でも知っているような算数レベルの足し算・掛け算であっても
現代数学の最先端の立場から様々な考え方がされているという事実は
結構面白いのではないでしょうか。

補足:掛け算から足し算を作る話に興味のある人は次の論文の2.1節を見て下さい。
http://arxiv.org/abs/0911.3537
日本語でのわかり易い解説をブログに書いて下さっている方もいます。
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100629/1277774676
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100630/1277865895
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100702/1278044435

◆Q30. 蒸し返してすみません。3×5に多様な解釈があるのは理解できます。
しかし、3×5の数学的解釈をひとつ固定しないと3×5が何であるかが確定しない
と思うのですが、いかがでしょうか? たとえば「3×5 を 3+3+3+3+3 と定める」
のように宣言しないと、3×5 が何であるかは確定しないと思います。

◇A30. 3×5 を数学的に厳密に定義しなければいけないという立場でしょうか?
これは算数教育に関する議論なので「3×5 を明確に定義しなければ 3×5 が
何であるかが確定しない」のように考えるのは無意味だと思います。

3×5 の定義や導入の仕方の流儀はたくさんあります。
しかし、正しい定義や導入の仕方をすればどの定義や導入法であっても
掛け算の結果は 15 にならなければいけません。
つまり、3×5 は定義の流儀によらずに同じ値になると考えて構いません。

「定義や導入の仕方の流儀によらずに同じ値になるあの a×b」 
のことを私は「a×b」と書いているつもりです。
このように考えれば「掛け算そのもの」と「掛け算のある特定の解釈」を
分離して考えることができるようになります。

算数では「定義や導入の仕方の流儀によらずに同じ値になるあの掛け算」
=「掛け算そのもの」およびその応用の仕方(そこには掛け算の様々な解釈
が現われる)について教えてもらいたいです。

「1あたりの数」×「いくつ分」の順に書かなければいけないとされた掛け算
は「あの掛け算」=「掛け算そのもの」とはもちろん別物です。
単なる「掛け算のいち解釈」に過ぎません。

◆Q31. 私にも蒸し返させて下さい。確かに抽象的な数の掛け算には交換法則
(可換性とも言うらしいですね)が成り立つので a×b と b×a の区別を
強調することはナンセンスです。しかし、算数では抽象的な数だけではなく、
「1あたり量」「いくつ分」のような意味を持った数を教えます。
「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算では交換法則は成立しません。
たとえば柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著の
『算数の本質がわかる授業(2)かけ算とわり算』 (日本標準、2008年) の第1章
「乗除の学び方・教え方 『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」
にもそのように書いてあります。引用しましょう。

 | かけ算の導入には,大きくいって3つの方針がありえます。
 |(a)同数累加:同じ数をたすことの簡略化がかけ算だとする:
 |    2+2+2=2×3
 |(b)倍:「2の3つ分を2の3倍といい,2×3と書く」
 | (c)1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)
 |
中略
 |
 | サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くこと
 |にすると、
 |    3箱×2個/箱=6個
 |となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。
 |
 |ただ、(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの
 |数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。そ
 |こが単なる数の計算とは異なるところです(その点は(a)や(b)の乗法でも大
 |なり小なり同じですが)。
 |
 | 純粋な抽象数の場合には、先のかけわり図で「1あたり量」と「いくつ分」の
 |区別などありませんので、それらを除いて右側面から眺めれば、3×2に見えま
 |すから、
 |      2×3=3×2
 |となって交換法則が成り立つ道理です。

このように純粋に抽象的な数の掛け算の交換法則の成立を明確に認めた上で、
意味のある掛け算における交換法則の成立を否定しています。

銀林浩氏もまた算数教育の大家だと思います。やはり「1あたり量×いくつ分」
の意味での掛け算では交換法則が成立しないのではないでしょうか?

◇A31. いいえ。「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算でも可換性(交換法則)
は成立しています。実際、2個/箱×3箱=6個=3個/箱×2箱ですよね。

たとえば、千円札が3枚入っている袋を5つもらっても、
千円札が5枚入っている袋を3つもらっても、15枚の千円札が手に入ることに
変わりはない、というようなことを理解できないようでは、
掛け算について理解したとは言えないでしょう?
この程度のことを理解できないようでは日常生活に困ること間違い無しです。

すでに上の方のQ&Aでも述べていたことですが、算数の掛け算が応用可能な状況では
必ず掛け算の可換性が成立していなければいけません。掛け算の可換性が成立して
いない状況に算数の掛け算は応用できません。当たり前のことなのでよく考えて
みて下さい。

おそらく、銀林さんたちは、キャラメルが2個はいっている箱が3つある状況と
キャラメルが3個はいっている箱が2つある状況は互いに異なることと、
掛け算の交換法則の話を混同してしまっているのでしょう。
(もしくは別の種類の解釈で異なる二つの状況を混同することと掛け算の交換法則
の話を混同しているのかもしれない。)

(A) キャラメルが2個はいっている箱が3つあると説明しているのに、
キャラメルが3個はいっている箱が2つあると考えるのは誤りです。

(B) しかし、2個/箱×3箱=3個/箱×2箱は明らかに成立しています。
実際、キャラメルが2個はいっている箱が3つあっても
キャラメルが3個はいっている箱が2つあっても
どちらもキャラメルの総数は6個になります。

これらはまったく別の問題です。(A)を理由に掛け算の交換法則が成立しないと主張
するのは誤りだし、(B)を理由にキャラメルが2個はいっている箱が3つある状況
とキャラメルが3個はいっている箱が2つある状況はどちらも同じだと考えるのも
誤りです。

銀林さんたちに限らず、掛け算について変なことを言っている算数教育家たちには
「キャラメルが2個はいっている箱が3つある状況」と「2×3」という掛け算の
式をできるだけ同一視したがる傾向があるように思えます。

キャラメルの問題の文脈では「2×3」という式を書いただけで「キャラメルが
2個はいっている箱が3つある状況」を意味すると思い込んでいるのではないか?
実際にそのように思い込んでいるならば、その文脈で「3×2」という式を見た途端
にその式は「キャラメルが3個はいっている箱が2つある状況」を意味していると
思ってしまうことも理解できます。そのような思い込みを根拠にキャラメルの問題
の文脈では「2×3」と「3×2」は等しくない考えてしまう。他の種類の妙な
思い込みもあるようなので、これとは別の思い込みがある可能性もあります。

いずれにせよ、掛け算の可換性(交換法則)を否定してしまうような思い込みは
デタラメなので教育の現場から根絶されるべきだと思います。

このように算数教育の大家は必ずしも信用できないので注意した方が良いです。
デタラメが書かれた本を参考にして算数の授業の仕方を研究しなければいけない
小学校の先生は本当に大変だと思います。

この話題の大きな特徴は同じような議論が何度も繰り返されることです。
それだけ馬鹿げた考え方が広まってしまっているということなのでしょうか?
馬鹿げた考え方を広めている人たちの責任は非常に重いと言わざるを得ません。

◆Q32. 今頃こんな質問で申し訳ないのですが、
「交換法則」(可換性)の数学的な定義を教えて下さい。

◇A32. いえ、良い質問だと思います。
最初に数学の講義風の説明をし、あとで別の説明の仕方をします。

数学的には大体次のような意味で交換法則(commutative law)や
可換性(commutativity)という用語が使われます。

集合 A とそれ自身の直積 A×A から集合 B (この B は A 自身であってもよい)
への写像 f : A×A → B が可換(commutative)であるとは
任意の a,b∈A に対して f(a,b) = f(b,a) となることであると定める。

たとえば自然数全体の集合 N とそれ自身の直積 N×N から N 自身への
写像 f を f(a,b)=a×b と定めると a×b = b×a なので f は可換になります。
この事実を「自然数の掛け算は交換法則を満たす」と言ったり、
「自然数の掛け算は可換である」と言ったりするわけです。

問題はこの意味での交換法則=可換性を「1あたりの量×いくつ分」に
どこまで適用できるかです。

可換性の定義のポイントは 
f(a,b) における a と b の立場をひっくり返せることです。
もしも f(a,b) における a と b の立場をひっくり返せないならば 
もう一方の f(b,a) について考えることができなくなるので、
交換法則(可換性)について考えることができなくなります。

「1あたりの量×いくつ分」の意味での掛け算は
1あたりの量を意味する数 a といくつ分を意味する数 b に
対して全体量を表わす数 a×b を対応させる写像だとみなせます。

「1あたりの量を意味する数」と「いくつ分を意味する数」の立場をひっくり
返すことができないと考えるならば、上の意味での交換法則について考えること
は不可能になります。

一方、それらが同じ集合だと考えれば交換法則の成立について考えることができ、
「1あたりの量×いくつ分」の意味での掛け算であっても当然交換法則が成立します。
「2個/箱×3箱=3個/箱×2箱なので交換法則が成立する」と言う場合には
数2と数3の立場をひっくり返せるという立場で考えているわけです。

おそらく、銀林さんたちは「1あたりの量を意味する数」
と「いくつ分を意味する数」は意味が違うので
それらをひっくり返すことは許さんという立場なのでしょう。

しかし、算数を習った子どもが最終的に
「キャラメルが a 個はいっている箱が b 箱あっても
キャラメルが b 個はいっている箱が a 箱あっても
キャラメルの総数がどちらでも同じになる」ことを当然だと思えるように
なるように教えてくれないようでは困りますよね。
これを当然だと思えないような人は簡単に騙されてしまいそうです。

「1あたりの量を意味する数」と「いくつ分を意味する数」は意味が違うので
それらをひっくり返して交換法則が成立するなどと言うことを許さんという立場
に立つ人が算数を教えると簡単に騙される馬鹿な大人が増えてしまいそうです。

補足:「2個/箱×3箱=3箱×2個/箱」の意味での交換法則は以下のように解
釈されます。まず、二つの函数 f(a,b) と g(b,a) を以下のように定義します。

・1あたりの量を意味する数 a といくつ分を意味する数 b の組 (a,b) に
 a×b を対応させる函数を f(a,b) と表わす。

・いくつ分を意味する数 b と1あたりの量を意味する数 b の組 (b,a) に
 b×a を対応させる函数を g(b,a) と表わす。

このとき「f(a,b)=g(b,a)」が成立することが「2個/箱×3箱=3箱×2個/箱」
の意味での交換法則です。「1あたりの量を意味する数」と「いくつ分を意味する数」
が異なるものだと考えれば f と g は異なる函数とみなされます。そのように考える
場合には「2個/箱×3箱=3箱×2個/箱」の意味での交換法則は上で述べた意味
での交換法則に含まれません。しかし、この意味での交換法則も通常の掛け算の
交換法則「2×3=3×2」に帰着するので、そのように考えることには大した
意味はないと思います。

◆Q33. ちょっと面白い例だと思うので長々と引用させて下さい。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
 |
 |投稿者: 夏 (ID:ZBt1vC5BJmc)08年 08月 31日 12:15
 |
 |小2で習う掛け算に、かける数とかけられる数、が出てきますが、学校では文章
 |問題で、先に来るのがかけられる数、後に、かける数がくることに徹底しています。
 |我が家の主人が、そんなものは聞いたことがない、高学年の算数や数学で、かけ
 |られる数もかける数もどっちだって答えは同じなんだから、いいんだ。どこの参
 |考書にそんな事が書いてあるんだ、AXB=BXAだ、学校の先生が間違ってい
 |る、おまえも嘘を言ってるだけだ、と申しています。。子供にもそんな調子で教
 |えるので、子供もどっちが正しいのかと疑問を持ち始めてきました。学校では、
 |5+5+5は、5が3回かけられている事である、ということを徹底し、特に文
 |章問題では、5X3でなければXになってしまうのです。主人には、どのように
 |説明をすれば、分かってもらえるのでしょうか。単位がかけられる数に相当する、
 |かける数が数、に相当する、と説明すればいいのでしょうか。自習ノートなどの
 |O付けを主人にお願いすると、逆でももちろんOにしてしまうので、結局先生か
 |ら再度Xをもらい、帰ってくることもあり、困っています。主人は理数系卒、40
 |歳近くです。かけられる数もかける数も習った記憶はないそうです。強気に、
 |学校の先生も、教科書通りに合わせる私にも、おまえらが間違いだ、と言っての
 |けるのですが、この人に理解できるような説明ができる方がいらっしゃいました
 |ら、よろしくお願いいたします。。 

このような質問が教育系の掲示板でされていました。
それに対して小学校教員経験者氏が次のように答えていました。

 |【1014268】 投稿者: 小学校教員経験者 (ID:1mGhDCcPjOY)08年 08月 31日 22:38
 |
 |算数や数学において「定義」と「性質」は別のものです。
 |
 |掛け算(乗法)の定義は、「繰り返し和をとること」です。
 |一方、「2×3=3×2」は「交換法則」といいますが、「定義」ではなく、
 |「性質」です。
 |
 |理系のご主人様には、あるいは釈迦に説法かとも思いますが、
 |両者は区別して、まず定義の定着をこそ図るべきでありましょう。
 |学校の先生も、まずそのことを意図しておられるはずです。
 |また、単位あたり量(掛けられる数)を前に持ってくる習慣をつけて
 |おかないと、たとえば「速さ」あたりで苦労する可能性があります。
 |
 |ちなみに、交換法則も名称こそ習いませんが、きちんと勉強しますので
 |ご心配なく。 

この回答についてどのように思いますか?

◇A33. これも典型的な「俺様ルールにしたがわなければバツにして良い」派の
意見ですね。すでに交換法則(可換性)という掛け算の基本性質を子どもが正しく
理解している可能性を無視して、俺様の定義以外の性質を勝手に使うのは
許さんという立場の方のようです。

この手の小学校の先生に教わる子どもはかわいそうです。

しかも掛け算の定義は(乗法)の定義は「繰り返し和をとること」以外に存在
しないというひどい思い込みをしてしまっているようです。

おはじきを長方形型に並べたときのおはじきの総数を掛け算の定義とすれば
交換法則は自明な性質になります。

実際、現在の学習指導要領解説には12個のおはじきを 
3×4, 4×3 (これら二つに区別はない)の形に並べさせたり、
2×6, 6×2 (これら二つに区別はない)の形に並べさせることによって
掛け算の仕組みが存在することを子どもに気付かせるというような
教え方を示唆する記述があります。(上の方のQ&Aで紹介しています。)
この小学校教員経験者氏は現在の学習指導要領解説には目を通していないに
違いありません。

あと単位あたり量(掛けられる数)を前に持ってくる習慣をつけておかない
と速さあたりで苦労することになるというのも単純に誤りでしょう。

「自動車で時速50キロで3時間走ったらどれだけ進むか」のような問題に
は3×50=150キロと答えても50×3=150キロと答えてもどちらも正しい。
掛け算の式の順序にこだわることと「時速50キロ」が意味するところを
正確に理解することはまったく別の問題です。

「時速○○キロ」の概念さえしっかり理解しておけば「同じ速さで走り続けた
自動車が3時間で150キロ進みました。時速何キロで走っていたでしょうか?」
のような問題にも正しく答えられるはずです。

掛け算の式の順序とは無関係に重要な「1あたりの量」の概念の方をしっかり
教えてもらいたいと思います。

この件でかわいそうなのは小学校教員経験者氏に「理系のご主人様には」
などと言われてしまっている夏さんの夫の方です。

ダメな教え方をする小学校の先生に自分の子どもを任せなければならず、
妻にも自分の意見の正しさを疑われてしまい、本当に大変だなと思います。

夏さんは夫に謝罪し、子どもにはこの件については学校の先生よりも
父親の言うことを完全に信用した方が良いと言ってあげるべきでしょう。
すでに子どもは父親の強弁のおかげで学校の先生が必ずも正しいことを
教えているとは限らないことに気付いてしまったと思います。
そうならばどちらが正しいかについて子どもにはっきり教えてあげるべき
だと思います。そして、今度、その子は学校の先生の教えの正しさを
疑うようになる可能性があるので、しっかり両親がフォローしてあげる
必要があると思います。

◆Q34. 次の文書を最近発見しました:

守一雄、『環と加群についての知識は算数を教えるのに必要な最小限の数学的素養か
----伊藤・荻上・原田(1993)論文へのコメント』信州大学教育学部紀要81号(1994)
http://web.archive.org/web/20021107025854/http://www.nuis.ac.jp/pda-j/doc/00015/euc.txt

伊藤・荻上・原田(1993)論文は未見なのでそちらについてはコメントを控えたい
と思います。しかし問題になっている状況はここで話題にされている状況とまっ
たく同じです。すなわち、

(☆)「3枚の皿にリンゴが2個ずつのっている時全部でリンゴは何個あるか」

という問題に「数学者B」の長男(小学校2年生、帰国子女)が「3×2=6」と
解答して、担任の「算数教師A」から「答えの6は正しいけれども、式は3×2
ではなく2×3でなければならない」と指導されたことが、伊藤らの論文が書か
れた動機になっているようです。

守氏の「算数教師Aがどうするべきだったか」に関する結論は次の通りです。

 | 算数教師Aのとった対応は基本的にはこれで十分である。それでも、以下のよ
 |うにしておけば、さらに万全であったろう。
 | この子どもに、皿の数やリンゴの数を変えて、あるいは、皿の数とリンゴの数
 |の文中での位置を変えて、いろいろな問題をやらせてみる。そして、この子が(1)
 |一貫して「かける数」と「かけられる数」とを逆にしているのか、(2)一貫して
 |「先に出てきた数字」を「かけられる数」とし、「後から出てきた数字」を「か
 |ける数」としているのか、それとも(3)まったく一貫性なしに、「かける数」と
 |「かけられる数」とを決めているのか、を見極めておく。そうすれば、この子の
 |親(数学者B)が、「私の子供は帰国子女だからごく自然に3×2と考えたのだ
 |と思う(p.15)」などと言ってきても、ニヤリと笑って、事実が(2)や(3)であるこ
 |とを示すこともできたであろう。本当に(1)の場合には、次のように指導すればよ
 |い。「君は、英語を話すところで育ったので、英語風に考えているようだけれど、
 |日本では、かける数とかけられる数とを逆の位置に書くのが普通なんだ。今のや
 |り方のままでも、同じ答えが出せるんだけれど、先生が計算のやり方を説明した
 |り、君が他の人に説明したりするときに、逆に憶えていると何かと不便だから、
 |これからは、かけられる数×かける数の順番に式を書くようにしようね。(おそ
 |らく君が行っていた)アメリカやカナダでは、車が右側を走っていたのに、日本
 |では左側を走っているよね。別にどっちを走ったっていいんだけれど、一度どち
 |らかに決めたら、みんながそれに従わないと事故が起こったりするするよね。式
 |の書き方も、それと同じことさ。」(表現を少し変えれば、親にもこう指導でき
 |る。)

この結論についてどのように思いますか?

◇A34. そのような文書があることを報告して下さってどうもありがとうございます。

これはかなりひどいと思います。まさに最近の議論で問題視されている「掛け算
の書き方の順序を見て理解度を測ろうとする」という有害でダメな教え方を積極
的に他人にすすめているからです。

「かける数」「かけられる数」もしくは「ひとつあたりの数」「いくつ分」など
の概念を理解しているかどうかの判定にどうして掛け算の順序を用いることにこ
だわり続けるのでしょうかね?

車線のたとえ話もかなりあきれたものだと思います。車が左右どちらを走るかを
統一しておくことには「車の流れを円滑にするため」とか「安全を確保するため」
のような合理的な理由があります。しかし、掛け算の順序についてはそのような
合理的な理由はありません。なぜならば一貫して「どちらの順序でもよい」として
何も問題が生じないからです。

「親にもこう指導できる」などと言うのも止めてもらいたいです。
帰国子女の親相手にそういう「指導」を本当に試みる先生が本当に出て来たら
どうするのか? 信用を失い、大恥をかくこと間違いなし!

個人的に「親にもこう指導」の「指導」という言い方もちょっとすごいと思いま
した。おそらく守氏にるよ伊藤・荻上・原田(1993)論文へのコメントの動機は
「数学者」の「傲慢」さへの怒りなのでしょう。しかし、そのコメントによって
守氏自身の放漫さが明らかになってしまったと思います。

そもそもこの人は算数教育では何を教えるべきだと考えているのでしょうかね?
帰国子女だとわかっている子どもに掛け算の順序が逆だから誤りだと指導するこ
とを正当化するために、アメリカやカナダと日本では車線の左右が逆だからとい
うたとえ話を持ち出すとは本当にあきれた話だと思います。
もしかして算数はどこでも通用する普遍的な知識であるべきだと思っていないの
でしょうか?

「掛け算の順序はどうでもよい」が普遍的にあらゆる場所で通用する考え方です。
「かけられる数」「かける数」や「ひとつあたりの数」「いくつ分」のような概念を
理解していることと、掛け算の順序に関するローカルルールにしたがっているか
どうかはまったく別の問題です。

だから、(2)一貫して「先に出てきた数字」を「かけられる数」としていたり、
(3)まったく一貫性なしだとしても、「かけられる数」「かける数」や
「ひとつあたりの数」「いくつ分」のような概念を十分に理解している可能性
を排除できないのです。

「ニヤリと笑って、事実が(2)や(3)であること」を示しても考えが足りないこと
を指摘されて終わりというわけです。本当に「ニヤリ」と笑ってしまったりすると
軽蔑されてしまうかもしれません。

上で引用されている守氏の文章は本当にあきれたものだと思います。

さらに守氏は「数学者」にひどい偏見をお持ちなようなので、念のために強調して
おきますが、「掛け算の順序はどうでもよい」という主張は私が「数学者」である
こととは無関係です。所謂「文系」の人であっても算数を十分に理解している人で
あれば掛け算の順序にこだわる教育に疑問を持つはずです。

たとえば、mmemiya さんの

3×5と5×3は同じじゃん。
http://mmemiya.exblog.jp/15153557/

を御覧になって下さい(個人的に楽しく読ませてもらいました)。「文系の私でも謎」
と mmemiya さんはおっしゃっていますが、本当に「謎」だと思います。

他にも健全な常識に基づいて「掛け算の順序にこだわるのはおかしい」という意見
を述べている人はたくさんいます。これだけインターネットで話題になっているの
だから、実際に多くの事例を挙げるまでもないでしょう。きっと守氏にとっては
そういう人たちも「指導」の対象だとみなされるのでしょう。

補足:伊藤・荻上・原田(1993)論文を未見なのでそちらについてはコメントをで
きるだけ控えたいと思いますが、私自身は環と加群についての知識は算数を教え
るのに必要な最小限の数学的素養だとは考えていないことをはっきり述べておき
たいと思います。掛け算の順序にこだわる算数教育のダメさ・有害さの指摘のた
めに数学の素養など持ち出す必要はありません。

補足:インターネット上での健全な常識に基づいた質問に対して馬鹿げた「指導」
をする人が結構いることもこの問題を悪化させていると思います。そしてさらに
根っこをたどるとそういう馬鹿げた「指導」を他人にすすめている人の存在が
浮かび上がります。本当に困ったことだと思います。

補足:困ったことに「理系」出身者であっても「掛け算の順序には意味がある」
と本気で思っている人もいます。たとえば

桜井 進 (著) 感動する!数学 (PHP文庫) [文庫] PHP研究所 (2009/11/2)
http://www.amazon.co.jp/dp/4569673414
 |内容紹介
 |「数学」といったら公式や記号だらけで味も素っ気もないものだと思っていませんか?
 |実は、数学と私たちの生活は意外なところで繋がっています。
 |例えば「5×2」と「2×5」の違い。映画館にペアシートが5つだと5組のカップルが座れます。
 |5人がけの座席が2つだと、1組のカップルは離れ離れに。
 |つまり、かけ算は順番が大切なのです。他にも身近な事例が満載。
 |あなたもきっと数学が好きになる! 

という困った本の著者は東京工業大学理学部数学科を卒業しているようです。
http://ssfactory.sakura.ne.jp/sakuraisusumu/profile.html

ペアシート5つと5人がけの座席2つの違いは掛け算の式の順序に関する
「俺様ルール」とは無関係の話です。それを桜井氏は掛け算の式の順序の話に
してしまっています。数学科出身の桜井氏のこの点に関する理解がどこで
おかしくなってしまったかは興味深い問題だと思います。

◆Q35. しかし算数を正しく教えるためには数学について深い教養があった方が良
いですよね。

◇A35. すみません。それはまったくその通りです。私も可能ならば小学校の先生を
目指す人はがんばって数学的教養も身に付ける努力をしてもらいたいと思っています。

私が言いたかったことは環と加群のような数学に関して全然知らないような人で
あっても、健全な常識に基づいて掛け算の順序にこだわる教え方がダメだと
いうことを十分に理解できるということです。

◆Q36. 算数の教科書・指導書での掛け算の順序の記述についてまとまった情報は
ないですか?

◇A36. あります。メタメタさんの調査結果(の一部)を次の場所で読めます。この
件に興味がある人はメタメタさんのブログを継続的にチェックしておいた方が良
いと思います。

かけ算の式の順序についての調査結果(2の1) 2010-02-17 19:39:33
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html

かけ算の式の順序についての調査結果(2の2) 2010-02-17 19:41:47 
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.html

来年度の教科書―掛け算には「正しい順序」がある!? 2010-12-20 20:06:12
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.html

算数の教科書の指導書は「掛け算には正しい順序がある」という考え方に基づい
て書かれているようです。そして来年度の東京書籍の教科書には(指導書ではなく
検定済みの教科書の方に!)次のような問題が登場するようです。

  |5>  [ ] に数を入れて4×3のしきになるもんだいを
     つくりましょう。また、3×4でもつくりましょう。
  
    みかんが [ ] こずつ入っている
   ふくろが、[ ] ふくろあります。
    みかんは、ぜんぶで何こ
   ありますか。

まさに掛け算の書き方には正しい順序があるという特殊な仮定を大前提とする問題。

おそらく理解してもらいたいのは「ひとつあたりの数」と「いくつ分」のような概念
の方でしょう。それならばもっと別の方法を採用すればいいのにね。

こういうまずい教え方のもとで算数を勉強しなければいけない子どもたちはかわ
いそうだと思います。

◆Q37. kikulog でのコメントでドラゴンさんという方が

 |A 指導法で順序にこだわってもよい。
 |  テストで順序にこだわってはいけない。

という立場のもとで、掛け算を「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に書くこと
を前提とする指導法について語っています。それについてはどう思いますか?

◇A37. はい kikulog の
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284
におけるドラゴンさんの発言ですね。

まず、ドラゴンさんは次のように述べています。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292412189
 |何か状況を式に表現するということは、対応できる式は1つになるように
 |しなければならないと思うのですが、そういうことです。
 |どうでしょうか。 

これは無茶な考え方です。「3×5」のような簡潔な式だけで多彩な「状況」を
表現させようとするのは無理でしょう。これがこの議論の大前提なのです。

次に、ドラゴンさんの考え方は次の引用部分(長い)によく表われていると思います。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292414268
 |5×3の式で、トランプのように配った子どもの解き方から1個ずつ数えた解き
 |方から、何でもありというのは、どうも納得できません。
 |
 |私の考えていた解釈について、ちょっと一般的な授業の展開から考えてみます。
 |
 |    ●●●●●
 |    ●●●●●
 |    ●●●●●
 |
 |こうしたアレイ図を見て、
 |先生「どう数えたらいいでしょうか」
 |そうすると、子どもは実にたくさんの数え方を出してくれます。
 | Aさん 3個ずつ足す 
 | Bさん 5個ずつ足す
 | Cさん 3つのかたまり5つ分で考えました。
 | Dさん 5つのかたまり3つ分で数えました。
 | Eさん 1つずつ数えました。
 |
 |先生「いろいろ出たね。それじゃあ、それを式に表してみましょう」
 |
 |※ここで、自由にさせるとCさんとDさんが同じになってしまい、それぞれの考え
 |が表現されない。そこで
 |「今日は、かけ算の場合は、まとまり×いくつ分で式にしましょう。たし算の場合は、
 |左から……上から…」とすると、
 | Aさん 3+3+3+3+3
 | Bさん 5+5+5
 | Cさん 3×5
 | Dさん 5×3
 | Eさん 1+1+1+1……
 | Fさん 1+2+3+3+3+2+1
 | Gさん 6×3
 |
 |先生「それぞれ、どう数えたか分かりますか」「Fさんの数え方分かりますか」
 | 子ども「斜めだ!」
 |先生「なるほど、そう数えたんですね」「Gさんのは?」
 | 子ども「全部の数が15じゃないから、違うよ」
 | Gさん「6のかたまりが見えたんで…」
 | 他の子ども「だったら6のかたまりが2つで、あと…」
 | Gさん「わかった。6×2+3だ」
 |
 | というかんじで進んでいきます。自分の考えを式に表し、友達が式に表した結
 |果を読み取る、そして、子ども同士の話し合いから、どう数えるのが効率的かを
 |理解していきます。
 | ここでの議論と同様に、話し合うことで、新しい発見が生まれ、理解が深まる
 |という授業です。
 |
 | ここでの話し合いの中での式は、数学としての言葉です。
 | ですから、考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要という
 |ことです(小学校2年生ではそうした訓練がされていないので、解説はいります)。
 |
 | こうした学習をするためには、(授業においては)順序が意味をもつこともあ
 |ると思います。それが先に紹介した古い文部省の解説の「それを簡潔に表すとい
 |う立場」にあたると思います。 

ここでドラゴンさんは

 Cさん「3つのかたまり5つ分で考えました」→「3×5」
 Dさん「5つのかたまり3つ分で考えました」→「5×3」

のように「ひとつあたりの数×いくつ分」という順序に掛け算を書くことを当然
の前提にしています。そのような前提があればこのような授業も可能だよと
主張しているわけです。

しかし、「ひとつあたりの数×いくつ分」という順序に掛け算を書かなければ
いけないというローカルルールを引きずり続けることは必要でしょうか?
掛け算の順序に関する特殊なローカルルールを前提にしなくても面白い授業が
できるならば、ローカルルールへの害のあるこだわりはない方が良いと思います。

実際、わざわざ式を書かせなくても

 Cさん「3つのかたまり5つ分で考えました」
 Dさん「5つのかたまり3つ分で考えました」

と説明させれば十分でしょう。この発言だけでCさんとDさんがすでに
「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念を理解しているとみなせます。
そのようなCさんとDさんのそれぞれに「3×5」「5×3」という式を書かせても
それは単に「ひとつあたりの数×いくつ分」の順に書くという特殊なローカルルール
にしたがわせただけに過ぎません。CさんやDさんのようにすでに十分理解している
子どもに対してさらに特殊なローカルルールにしたがうことを要求するのは
おかしいでしょう。このように特殊なローカルルールにしたがわせることに
こだわるのは間違った考え方です。

数式を現実に応用するためには、数式だけでは表現できない複雑な状況を図や
言葉を用いてわかりやすく他人に伝える能力が重要になります。
複雑な状況から式を作った途端に複雑な状況に関する情報はほとんど失われます。
だから複雑な状況を表現したければ式以外の情報が必ず必要になるのです。
これが大前提になる考え方です。

この大前提を無視して、式に過大な意味を持たせて利用しようとするのは止めた方
が良いでしょう。

私の考え方は以下の通りです。

 |    ●●●●●
 |    ●●●●●
 |    ●●●●●

の●の個数を全部数えれば3×5=5×3が計算できます。
正しい方法であれば数え方は何でも良い。
正しく数えればどのように数えても3×5=5×3を正しく計算できるわけです。

この立場ではAさんからFさん、そして考え方を訂正したGさんの
すべてが3×5もしくは5×3という式を立てても良いわけです。
実際AさんからGさんのすべてが3×5=5×3を正しく計算しようとしています。

より具体的な考え方や数え方の違いは3×5や5×3のような
式とは別に表現させることになります。
しゃべるのが得意な子どもには言葉で表現させ、
絵を描いて考えることが得意な子どもには図を描かせ、
式を使うことに慣れている子どもには「3+3+3+3+3」や「1+2+3+3+3+2+1」
のような式を書かせてもよい。もちろん、自分の考え方を表現できるならば
他のどのような方法でも構いません。

私にはこのような授業の方が複雑な状況を無理矢理式で表現させようとしている
ドラゴンさん式の授業よりもずっとまともで自然だと思います。

「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
と考えているドラゴンさんは根本的なところでひどく誤解していると思います。
繰り返しになりますが、正しい考え方は次の通り。

・式だけで考えを十分に表現し切ることは不可能である。
・考えを正しく伝えたければ式以外の道具が必要である。

◆Q38. 2010年1月17日の asahi.com 「花まる先生 公開授業」のコーナーで
「2×8ならタコ2本足」というわけのわからない授業が紹介されていました。

その記事では

http://www.asahi.com/edu/news/TKY201101160133.html
 |
 |「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」。
 |「2×8」と書いた子どもたちを見つけた先生は、しめしめという顔で、
 |足が2本のタコを8匹、パネルに貼っていった。
 |「宇宙人みたい」「タコじゃない」。あちこちでつぶやきの声が上がった。 

という感じの授業が紹介されています。
「2×8」ならば「足が2本のタコが8匹」になるのだそうです。
さっぱり理解できません。これは一体何なのでしょうか?
そのような授業を自分の子どもが受ける可能性を考えると怖くなりました。

「2×8」と書こうが「8×2」と書こうがどちらも
「2匹の8本足のタコの足の総数」を正しく意味していると解釈できます。
「2×8」と書いてもタコの足の数は絶対に2本にはなりません!
これが常識だと思います。

どうしてこのような非常識な考え方を工夫して教えようとするのでしょうか?
優れた教育技術でくだらない考え方を子どもに吹き込むのは止めて欲しいです!

◇A38. はい。まことにごもっともな意見だと思います。
この文書の上の方を読んで頂ければ回答については想像が付くと思いますが、
再度説明することにします。

まず、その先生は掛け算は「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に書くのが当然
だと考えているのでしょう。

そしてさらに「掛け算で求めたい数が○○の総数であるとき、a×b の a はひと
つあたりの○○の数でなければいけない」と思いこんでいる可能性が高い。

この二つを合わせると次のような推論が可能になります。

・掛け算は「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に書くのが正しい。
・したがって「2×8」の2はひとつあたりの数で8はいくつ分を意味している。
・ここではタコの足の総数を求めさせる問題を扱っている。
・だから「2×8」の2はタコ1匹あたりの足の数を意味することになる。
・ゆえに「2×8」では「足が2本のタコが8匹」となってしまうので誤りである。

そしてこのような教え方で「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念を正しく
教えることができると信じているわけです。

しかし、正しくは「2×8」と書こうが「8×2」と書こうが、タコ1匹あたり
の足の数は8本であることに変わりはありません。まったくその通りだと思います。
この常識に反しているからこそ上のような教え方は強い印象を子どもたちに
与えるわけです。

果たして子どもたちがそれによって学んだのは掛け算の式の順序に関する特殊な
ローカルルールなのか、それとも掛け算の式の順序とは独立に考えることができる
「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念の方なのか?

「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」
という問題に「2×8=16」と答えてしまうと、
タコの足は何本になってしまうでしょうか?
このような問題に「2本」と答える子どもが理解しているのは
果たして掛け算の式の順序に関する特殊なローカルルールなのか、
それとも「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念の方なのか?

単に左に書いた数がタコの足の数やウサギの耳の数を表わしているということ
を学んだだけの子どもがたくさんいるのではないか? より抽象度の高い
「ひとつあたりの数」のような概念を本当に理解したのだろうか?
結果的に重要な概念の理解には失敗し、掛け算の式の順序に関する普遍的には
通用しない特殊なルールを刷り込まれただけの可能性はないのか?

たとえば次のような問題を花まる先生が子どもたちに出したとしましょう。

 さっきやった「3羽のウサギの耳は全部でいくつあるでしょうか」という
 問題についてもう一度考えましょう。まことくんはウサギ3羽で右耳と左耳
 が3つずつあるという考え方で3羽のウサギの耳の数を計算しました。
 おのおののウサギにはさっき強調したように耳が2つあります。
 ウサギの耳の数は決して3つではありません。
 まことくんの考え方ではひとつあたりの数はいくつになるでしょうか?

もしも子どもたちが「さっきやったように正しい式の立て方は2×3だから、
ひとつあたりの数は2だよ。ウサギの耳の数は3つではなく、2つだよ」
と答えたとすると、子どもたちが学んだのは「ひとつあたりの数」の概念
ではないということになります。タコの足の数やウサギの耳の数を掛け算では
左側に書くという役に立たない無駄な規則(普遍的には通用しない俺様ルール)
を学んだに過ぎないわけです。

このように、「ひとつあたりの数」と「いくつ分」は掛け算の式の順序とは
無関係の概念なので、「2×8」ならば「足が2本のタコが8匹」となるなど
と教えると、子どもたちが「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念を
正しく理解したかどうかがわからなくなってしまいます。

その上たとえ「2×8ならば足が2本のタコが8匹」方式で「ひとつあたりの数」
のような概念について教えることに成功したとしても、掛け算の式の順序への
こだわりという有害な思い込みをこの後どのようにして解消するつもりなのか?

朝日新聞社がこのよう授業を「花まる先生」の「公開授業」として紹介すること
によって、このような教え方であっても「まともな教え方である」という印象を
広めてしまわないかと心配です。へたをすると「素晴らしい教え方である」とい
う印象を読者が持ってしまう可能性さえあります。困ったことです。

しかもこのような教え方は花まる先生のコーナーで紹介されている先生の独創で
はありません。たとえば「中学受験 算数掲示板」で次のように発言している人が
います。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=2
 |
 |【1017151】 投稿者: どろんこ (ID:e4iDByvcqGM)08年 09月 04日 02:52
 |
 |うさぎの耳は2本、
 |「うさぎ5匹だと耳はいくつある?」という問題では、
 |
 |1あたりの耳の数×うさぎの数=だから、
 |
 |   2    ×  5  =10本です。
 |
 |これが5×2でもいい、となると、5本の耳を持っている化け物うさぎが2匹に
 |なってしまいますね。 
 |
 |かえる10匹のおへその数は?という問題では、
 |
 |かえる1匹のおへその数 ×   かえるの数 = 全体のかえるのおへその数
 |
 |   0個       ×   10         = 0
 |
 |であり、10×0では、おへそが10個あるかえるが0匹となり、
 |あれ?ちょっと違ったお話になってしまいます。

そっくりですよね。どろんこさんの他の発言を読むと、この人は、このくだらな
い有害な教え方が「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念を教える正しい方
法のひとつだと本気で信じていることがわかります。

どろんこさんのような方を存在することは心にとめておいた方が良いと思います。

さらに別の人が次のような報告をしています。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=2
 |【1017337】 投稿者: 疑問 (ID:G1oS7eMe8Mk)08年 09月 04日 11:25
 |
 |うちの子は、担任の先生に
 |「答えの単位と同じものが、かけられる数で先にくる。」
 |と教わったのですが、この考えはどうでしょう?
 |
 |ウサギ5匹いたら耳は全部で何本?の場合
 |2本×5匹=10本 

この前提をそのまま機械的に「5×2」に適用すると、
「耳が5本のウサギが2匹」になってしまったりするわけです。、

さらに、「5×2」だと「5匹×2本=10匹」となるので、答が「10匹」に
なってしまっておかしいなどと言い出す人までいるかもしれませんね。
実際にそういう説明が書いてある教科書指導書が存在します。

いやはや、なんとも。ここまでくだらない話は本当に珍しいと思います。

補足:上のリンク先にはどろんこさんのように妙な人たちが複数いてなかなか興
味深いです。特に面白いのは「理系」もしくは「理数系」の人たちへの強い偏見
です。まさにその偏見そのものにそれらの人たちの知性がどれほどであるかがよ
く表われていると思います。個人的にその手の人たちを理性的に説得することは
不可能だと思います。そのように考えると本当に暗澹たる気持ちになります。
この議論では「理数系」「文系」の区別では無意味です。分けるとすれば「まと
も」と「まともでない」かです。掛け算の式の順序に妙なこだわりを維持し続け
ている方々は「理数系」であろうと「文系」であろうとすでにまともではない状
態に陥っているとみなせます。

補足:件の「花まる先生」の記事の最後の段落に

 |「かけ算の意味って、すごく大切。数字の順番でなく、何のいくつ分か考えてと
 |くのを忘れないでね」。

という発言が引用されていますが、授業内容はかけ算の数字の順番に異常にこだ
わったものになってしまっていますね。かけ算の数字の順番ではなく、何のいく
つ分と考えているかが重要だと本気で思っているのであれば、かけ算の順番をど
のように書いても良いことを強調した上で、何のいくつ分と考えることを工夫し
て教えるべきだと思います。私はそのような教え方を望んでいます。

補足:積分定数さんが「2×8ならタコ2本足」の先生の小学校に直接電話をし
たようです。 kikulog の以下のリンク先のコメント以降を見て下さい。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295273785
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295336936

◆Q39. 例の「2×8ならタコ2本足」の件ですが、はてなブックマークでは
「ひどい」という意見が多数派のようです(2011年11月18日現在)。
くろきさんが心配するほど非常識な人がたくさんいるわけでもないのでは?

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

◇A39. さっそくはてなブックマークを覗いてみました。
常識的な反応が並んでいて少し安心しました。
報告どうもありがとうございます。

◆Q40. 全文読ませてもらいました。

かけ算の順序にこだわる教え方をすすめる人たちは、それによって単なるかけ算
の形式的な計算ではなく、かけ算の意味を理解してもらうことによって、子ども
たちに応用力を付けてもらうことを望んでいるのだと思いました。

しかし、結果的にそういう人たちは応用力に乏しい子どもを大量生産することに
加担していると思います。

なぜならば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいく
つあればよいでしょうか?」のような問題に「6×4」と式を立てることを許さ
ずに「4×6」と書くことを強制させることによって、算数の世界から「解答は
ひとつであっても正しい解き方は複数ある」という発想を排除してしまっている
からです。

結果的にパターン化された解答を強制させる技術としてかけ算の式の順序に関す
るローカルルールが利用されているのではないか?

あちこちで「掛け算の式の順序にこだわる派」の発言をチェックしてみました。
それらがワンパターンであることに強い印象を受けました。

「ウサギが3羽います。ウサギの耳は二つずつあります。耳は全部でいくつでし
ょう。式はどうなりますか?」に「3×2」と答えると「ウサギの耳が3つにな
ってしまうからおかしいでしょう」のように子どもに質問するというような教え
方を他人にすすめたり、自分でも実践しているという人が結構いるようです。
しかもそれらの人たちは判で押したように同じようなことを言っています。

教わっている側の子どもがワンパターン解答に追い込まれているという問題以前に、
教えている側および教え方を他人に教えている側の人間がワンパターンに陥っている
ように感じられました。

この点についてはどう思いますか?

◇A40. なるほど、その通りですね。あのワンパターンさは確かに印象的です。

そして私も、応用力を育むためには「解答はひとつであっても正しい解き方は
複数ある」という事実を子どもたちに上手に教える必要があると思います。

もしも「文章題への正しい解答の仕方はほとんど1通りしかない」と思っている
子どもと「とにかく正しい答が出る方法であれば何をやっても構わない」と思っ
ている子どもではどちらが文章題を楽に解けるでしょうか?

言うまでもなく後者の子どもの方でしょう。正しい選択肢が常に1つしかないと
信じている子どもと正しい選択肢がたくさんあると思っている子どもではスター
ト時点で大きな差が付いています。後者のタイプの子どもは先生の教えとは違う
考え方をして失敗してしまうかもしれません。しかし試行錯誤の積み重ねによっ
て最終的に教えている先生よりも算数が得意になってしまう可能性さえあります。

それに対して正しい解法が1通りしかないと思っている子どもは、文章題が出される
たびにその正しいたった一つの解法を求めてさまよい苦しむことになります。
本当は正しい答にたどり付くための方法が複数あるおかげで、
試行錯誤を繰り返せばいつかは正しい答にたどり着けるはずなのに、
一発で正しい答が出る方法を求めて苦しむことになる。
そういう状況に追い込まれた子どもが算数をまともに
理解できるようになるとは到底思えません。

現実には、掛け算の式の順序について勝手にルール化してそれにしたがわなけれ
ば誤りだとし、しかもタコの足が2本になったり、うさぎの耳が3本になったり
する教育が実際に行なわれており、しかもそういう教え方を積極的に他人にすす
めている人たちがいる。無駄なルールによって子どもたちを縛り、ワンパターン
化された方法で妙な考え方を子どもたちに吹き込む。
これじゃあ、お話になりません。

もしかしたら試行錯誤によって問題を解くという算数の基本を理解する前に大学
を卒業してしまった人は多いのかもしれませんね。

算数を教えるために最も重要な教養は「試行錯誤によって問題を解くことを学び、
正解はひとつであっても、そこに到る道がたくさんあることを心の底から納得する
こと、そして試行錯誤を心理的に妨げる要因は何であるかをよく理解していること」
なのかもしれませんね。くだらない縛りは算数をつまらなくしてしまいます。

本人自身は試行錯誤の重要さを理解したつもりになっていても、くだらない余計
なルールの導入の有害さに無頓着ならば実際には理解していません。そのことを
自覚できていないから、いつまでも掛け算の順序にこだわり続けることができる
わけです。

◆Q41. 本当に驚きました。

掛け算を「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序で書くという余計な規則だけで
はなく、「掛け算で求めたい数が○○の総数であるとき、a×b の a はひとつあ
たりの○○の数でなければいけない」という規則まであったんですね!

たとえばウサギの耳の総数を掛け算で計算させるときに「3×2」と書くと3は
ウサギ1羽当たりの耳の数を意味することになり、タコの足の総数を掛け算で計
算させるときに「2×8」と書くと2はタコ1匹あたりの足の数になってしまう
と。しかもこのような話を実際の授業で子どもたちにしている人たちがいて、
「花まる先生」として肯定的に朝日新聞が紹介していると。

「2×8ならタコ2本足」「3×2ならウサギ1羽に耳が3本」のような教え方が
どれだけ広まっているかに興味が湧きました。まとまった資料はあるでしょうか?

◇A41. まとまった調査はまだないと思います。かなりパターン化されている感じ
なので誰かが積極的にそのような困った教え方を広めているのだとは思います。
問題は誰が広めているのかということ。私もまとまった調査があれば教えて欲し
いと思います。

私が知っている範囲内で以下に関連のページへのリンクをまとめておきます。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html
算数の教科書の指導書がどれも掛け算の式の順序に関する特殊ルールを
前提にしていることが報告されている。

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
2×8ならタコ2本足 (asahi.com 花まる先生)

http://edupedia.jp/index.php?%A4%AB%A4%B1%A4%EB%BF%F4%A4%C8%A4%AB%A4%B1%A4%E9%A4%EC%A4%EB%BF%F4%A1%CA2%A1%CB
 |九九は「かけられる数」になる物(事)が増えているため、
 |答えは当然「かけられる数」になる物(事)と同じ物(事)となるわけです。
 |具体的に言うと、「みかん」をかければ答えも「みかん」、
 |「豚」をかければ答えも「豚」、
 |「長さ」をかければ答えも「長さ」なのです。

http://ultramarutti.blog26.fc2.com/?no=595
3×2ならウサギ1羽に耳が3本
黒板に描かれた3本耳のウサギの写真あり

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
「子どもが6人います。1人にあめを7こくばります。あめは何こいりますか」
という問題について、東京書籍の算数の教科書の指導書には次のように書いてある。
「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数になってしまう
ことをおさえる。」

この東京書籍の教科書の指導書のこの説明はひどいですね。
この理屈ではタコ2匹の足の総数を数える問題で、2×8と書くと、
2匹が8つ分になって答えはタコの匹数になってしまいます!
これと別の解釈は、答えはタコの足の総数なので、2×8と書くと、
2はタコ1匹あたりの足の本数になってしまうというやつです。
どちらにしても常識外れで相当に変な考え方をしています。

正しい考え方は「2×8」と書こうが「8×2」と書こうが、
それらの式がタコ2匹分の足の総数を正しく表わしているということです。
「ひとつあたりの数」が8で「いくつ分」が2であるとき、
それらの積を「2×8」と書いても「8×2」と書いても良い。
出て来た数を訳もわからずとにかく掛けあわせてみるという理解の仕方ではダメで
すが、タコ1匹あたりの足の数は8でタコが2匹いるという状況を
8つのかたまりが2つあると解釈した上で、出て来た数を順序を気にせずに
掛け合わせたのであれば掛け算について十分な理解に達していると評価できます。
掛け算の式の順序をどのように書くかはどうでもよい些細な問題に過ぎません。

「2×8」だとタコの足が2本になってしまったり、
答がタコの匹数になってしまったりする人たちは、
掛け算の式の順序に関する余計なルールにこだわっているせいで、
そういう考え方のくだらなさがわからなくなってしまっているのです。
それどころかかけ算の意味を軽視しているわかっていない人たちよりも、
自分たちの方が算数教育についてよく理解しており、
良い教え方を知っていると思い込んでいるのではないか?

◆Q42. kikulog で積分定数さんによるインタビュー調査の結果を読むと、
そもそも教えている側が「ひとつあたりの数」の概念を理解していないようです。
積分定数さんは以下のように報告しています。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295300162
 |
 | 例えば私と電話した教師の場合、「1個ずつ配ったのではなく、3個を一人目
 |に、次に2人目に、ということであるから、3×4だ」というのです。そもそも、
 |そのような配り方など、これまで発想すらしなかったそうです。「そういう考え
 |は初めて聞きました」と言っていました。
 |
 | 配り方をカード配りにしたのは説明のためであって、配り方がどうであれ、3
 |のカタマリが4 4のカタマリが3 どちらとも捉えることが出来るのですが、
 |
 | 三島市教育委員会の人と話したときもそうですが、カード配りの解釈を提示し
 |ても、「そういう配り方ではない」とすることで反論できているつもりでいるよ
 |うです。

おそらくその教師は「ミカンを4人に3個ずつ配る」という状況では
「ひとつあたりの数」は必ず3になるのだと誤解しています。
「ひとつあたりの数」は状況(もしくは問題文)だけで決まると思っている。
実際には「ひとつあたりの数」は状況(もしくは問題文)だけでは決まらず、
考え方も指定しなければ決まりません。

3個のかたまりが4つと考えれば「ひとつあたりの数」は3になります。
しかし、トランプを配るように、4人にミカンを1つずつ順番に配るならば、
一週目にミカンが4つ配られ、二週目、三週目にも4つ配られるので、
4個のかたまりが3つと考えることもできます。
この考え方では「ひとつあたりの数」は4になります。

2匹のタコの足の総数の場合には、タコの足は配ることはできないので
「ひとつあたりの数」は8にせざるを得ないように感じる人がいるかもしれません
が、そのような場合(実際には任意の場合)であっても「ひとつあたりの数」が2で
あるとみなせます。まず、2匹分のタコの足を次のように図に描きます。

足足足足足足足足
足足足足足足足足

縦に2、横に8です。この図において、縦の2をかたまりとみなして、
2個のかたまりが8つあると考えれば「ひとつあたりの数」は2になります。

このように「ひとつあたりの数」は状況だけでは決まらず、考え方も指定しない
と決まりません。

場合によっては次の図のように考えて「ひとつあたりの数」は4になってしまう
かもしれません。

足足足足 足足足足

足足足足 足足足足

このような様子を思い浮かべた子どもが「2匹のタコの足は全部でいくつ」
という問題に「4×4=16」と答えた場合には満点を与える必要があります。
なぜならば正しい考え方をしているからです。

このようなことを言うと、考え方を説明せずに4×4=16」と式を書いた場合
には考え方を説明していないので減点されるのは当然だ、のようなことを言う人
もいるようですが、子ども相手にそれは無茶です。まだ自分の考えを言葉で
説明することに未熟な子どもに言葉による説明を常に要求するのはまずいでしょう。

また、上のような発想の柔軟さは計算が得意になるためには実際に必要なことです。
たとえば 15×4 をくそまじめに筆算を使って計算するよりも

●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、1段目
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、2段目

●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、3段目
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、4段目

のような様子を思い浮かべて、10個のかたまりが6つなので60だと計算する方が
効率的で、しかも間違えようがありません。他にも15×4は15を倍にして4を半分
にしても同じなので30×2と考えて60と答えるというような計算の仕方もあります。
こういう事情があるので、問題文の中には15と4という数しか書いていなくても、
10×6や30×2のように答えることも許されなければいけません。

「2匹のタコの足の数は全部でいくつ」という問題では「ひとつあたりの数」
は常に8になり、「3羽のウサギの耳の数は全部でいくつ」という問題では
「ひとつあたりの数」は常に2になると教えている教師は間違った考え方を
子どもたちに教えていることになります。

そこで教えられているのは「ひとつあたりの数」の概念ではなく、
どちらかと言えば「タコの足の数」や「ウサギの耳の数」のような概念に過ぎず、
「ひとつあたりの数」の概念とは異なります。

このような考え方は行き過ぎでしょうか?

◇A42. いいえ。私もその考え方は正しいと思います(むしろ勉強になりました)。

少なくとも、2×8だとタコの足は2本だということになり、3×2だとウサギ
の耳の数が3本だということになるというような教え方では、「ひとつあたりの
数」の概念を正しく伝えることは不可能でしょう。

実際には、「タコの足の数」「ウサギの耳の数」を掛け算では左側に書くという
「俺様ルール」を徹底しているだけだと思います。

この「俺様ルール」は掛け算の式を「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に
書くというルールでさえありません。その劣化版になってしまっています。

2×8だと答はタコの総数になってしまい、3×2だと答はウサギの総数に
なってしまうと教えている人の場合も同様だと思います。

教えている本人は「ひとつあたりの数×いくつ分」のような掛け算の意味を重視
しているつもりであっても、実際には教えている側が「ひとつあたりの数」と
「いくつ分」の概念を全然理解していない。理解していないのだから、正しく教
えられるはずもない。

さらに算数の教え方を教えている人たち(たとえば教科書の指導書を書いた人た
ち)も「ひとつあたりの数」と「いくつ分」の概念を正しく理解していない可能
性さえあります。本当に困ったことだと思います。

回答が質問に負けている感じですが、このくらいでやめにします。
同じことの繰り返しになってしまいそうですから。

◆Q43. 次のような事例があったとしたらどう思いますか?

先生は掛け算を「ひとつあたりの数×いくつ分」で導入しました。
そして以下の問題を出しました。

(1) ミカンを4人に3個ずつ配りました。ミカンは全部でいくつ?
(2) 3枚の皿の各々にリンゴが4個ずつのっています。リンゴは全部でいくつ?
(3) 8本足のタコが2匹います。足の数は全部でいくつ?
(4) 4匹のウサギがいて、各々が長い耳を2本持っています。長い耳は全部で何本?
(5) 4本足の犬が3匹います。足は全部で何本?

あきら君はすべての問題について出て来た数字の順に数を掛け合わせて次のよう
に答えました。

あきら君の解答
(1) 4×3=12
(2) 3×4=12
(3) 8×2=16
(4) 4×2=8
(5) 4×3=12

しかし先生が望んでいた答えは次の通りでした。

先生が望んでいた解答
(1) 3個ずつ×4なので、3×4=12
(2) 4個ずつ×3なので、4×3=12
(3) 8本ずつ×2なので、8×2=16 (これはあきら君と同じ)
(4) 2本ずつ×4なので、2×4=8
(5) 4本ずつ×3なので、4×3=12 (これはあきら君と同じ)

先生はあきら君がすべての問題で出て来た数の順番に掛け合わせているのを見て、
掛け算の意味を理解していない、正しい式の立て方をわかっていないと推測しま
した。以下はその後のあきら君と先生のやりとりです。

先生:あきら君はどうして問題(1)の問題の状況では「ひとりに3個ずつが4人」
なのに「4×3」と書いたんだい?

あきら:これ掛け算の問題でしょ?
だから出て来た数字の4と3をとにかく掛ければいいんでしょ?

先生:本当にそうだった?

あきら:だって塾の先生は、掛け算で答が出る問題だとわかったら、
書いてある数字を二つ掛け合わせれば正しい答が出るって言っていたもん!
塾ではたくさんの問題を解いて全部満点を取れるよいになったんだよ!
(もしくは「おかあさんは掛け算で答が出る問題だとわかったら、
書いてある数字を二つ掛け合わせれば正しい答が出るって言っていたもん!
おかあさんの出す問題を全部正解できるようになったんだもん。」)

先生:ここは塾ではなく、学校だ。(もしくは「ここは家ではなく、学校だ。」)
今回は問題(1)、(2)、(4)もバツにはしないけど、
先生の言うことをよく聴いて次からは先生の言う通りの順番に書いてね。

先生はあきら君はまだ掛け算の意味をわかっていないので要注意だなと思いました。

以上です。

◇A43. 掛け算の式の順序を見て理解度を測ろうとする教師にとってはありがちな状
況でしょうかね。

1. あきら君の扱いについて

上の仮想的な事例の中で先生は相当にまずいミスを犯していると思います。

まず、「塾の先生」もしくは「おかあさん」がどのような教え方をしていたかを詳
しく聴いていないことは問題だと思います。

それによりも致命的なミスはあきら君が本当に「ひとつあたりの数」「いくつ分」
の概念を理解していないかどうかを別の方法で確認していないことです。

あきらくんは塾もしくは家で掛け算について教わってすでにかなりの練習問題を解
いており、それによって少なくとも塾の先生もしくはおかあさんの出す問題はすべ
て完璧に解けるようになっている。そのような子どもが掛け算の概念をまったく理
解していないとは考えられません。

単に先生の掛け算導入の流儀にしたがっていないだけでは、「ひとつあたりの数」
「いくつ分」の概念を理解していないとは判定できません。たとえすべての問題に
ついて出て来た数を順番に掛けているだけの解答を書いていても理解していないと
判定できないのです。

さらに、もしも塾の先生やおかあさんが掛け算を使う問題と掛け算を使わない問題
を混ぜてあきら君に出していたとします。それにもかかわらず、あきら君が掛け算
を使う問題を正しく判別してすべての問題に正解していたとすれば、相当なレベル
の理解に達していることになります。

あと、子どもには抽象的概念の言語化は難しいという問題にも注意する必要がある
でしょう。実際には先生があきら君に掛け算の意味を理解しているかどうかを直接
的に問う質問をして、まともに言葉が返って来なかったとしても、理解していない
と即断してはいけません。言語化できなくても、「ひとつあたりの数」「いくつ分」
のような概念をそれなりに理解している可能性があるからです。

実際、算数を習得している大人であっても、「ひとつあたりの数」「いくつ分」
という言葉を知らないかもしれません。知っていても言葉でうまく説明できない
かもしれない。しかし、知らなくてもうまく言葉で説明できなくても、概念的に
はわかっている可能性が高い。そして掛け算を本当に理解しているならば、掛け
算の順序にこだわっても何のメリットもないことを知っています。そういう大人
はあきら君のように解答するかもしれません。わざわざ数字の順番をひっくりか
えす無駄な手間をかけるのがもったいないからです。

要するに「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念について(言語化できるとは
限らないが)わかっていても、先生の流儀(その流儀は普遍的には通用しない)に
したがうとは限らないのです。

本当に「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念を子どもが理解しているかどうか
を測りたければ、かなりの工夫が必要になることは間違いないです。掛け算の式の
順序の書き方を使う判定方法は明らかな手抜きであり、害の方が益よりも圧倒的に
大きい。

もしも先生の流儀が普遍的に通用してかつしたがった方が得になる流儀であれば
「先生の流儀にしたがってね」と言うことには十分な合理性があると思います。
そうでない場合には「先生の流儀にしたがってね」などと言ってはいけないでしょう。

2. そもそも先生の意図通り答えた子どもは理解しているとみなせるのか?

むしろこちらの指摘の方が質問の中に登場した先生にとって困るかもしれません。

あきら君とは違ってすべてを先生の意図通りに答えた子どもは果たして
「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念を理解しているのでしょうか?

(3),(4),(5)については「タコの足の数」「ウサギの長い耳の数」「犬の足の数」
のような数は掛け算で左側に書かなければいけないのようにおぼえておけば、
先生が意図した通りに答えることができます。

(1),(2)については「ずつ」という言葉がついている数をかけ算では左側に書け
ば良いとおぼえておけば、先生が意図した通りに答えることができます。

その他にも「サンドイッチ」という「ひとつあたりの数」を理解していなくても
先生が意図した通りに掛け算の順序を書く方法まで開発されているようです。
答が「ミカン○○こ」の形になるならば「3こ×4=12こ」と
「こ」が付いた数で「サンドイッチ」になるように書くという教え方があるらしい。
http://edupedia.jp/index.php?%A4%AB%A4%B1%A4%EB%BF%F4%A4%C8%A4%AB%A4%B1%A4%E9%A4%EC%A4%EB%BF%F4%A1%CA2%A1%CB

要するに、先生の意図通りに全問正解している子どもであっても、
「ひとつあたりの数」のような概念をまったく理解していない可能性があるのです。

質問の中に登場した先生のように掛け算の式の順序の書き方を理解していない子
どもをピックアップするためのフィルターとして使うのは大変危険な行為だと言
わざるを得ません。

3. まとめ

質問に登場した先生のようなやり方では、本当は非常によく理解している子ども
をがっかりさせてしまう可能性があるだけではなく、本当は理解していない子ど
もを見逃してしまう可能性も高いのです。

これじゃあ掛け算の式の順序に関する特殊なルール(普遍的には通用しないルール)
に子どもたちを一時的にしたがわせるという犠牲を払った意味がありません。

◆Q44. 質問Q42のような図を描いて考える子どもは実際にはほとんどいないだろ
うし、質問Q43のあきら君のようにすでに掛け算を十分理解しているのに先生の
流儀にしたがってくれない子どももほとんどいないと思います。さらにトランプ
配りのような発想で式を書く子どももほとんどいないと思います。
そういう特別によくできる子どものことだけを考えるのはまずいのではないですか?

のように言われたらどうしますか?

◇A44. まず、2匹のタコの足の総数の問題に

足足足足足足足足
足足足足足足足足

のような簡単な図を描いて考える子どもがどれだけいるかは、
先生の教え方に大きく依存すると思います。
簡単な図を描くことさえまったく教えずに、
問題の文章だけから直接式を立てさせることを
子どもたちに要求するような授業をしていれば、
簡単な図を描いて考えようとする子どもが少なくなるのは当然です。
だから図を描いて考えようとする子どもがどれだけいるかという問題は、
その子どもがよくできるかどうかではなく、
先生の教え方がどうかという問題になると思います。

子どもに限らず、大人でも得意な(もしくは好きな)やり方と苦手な(もしくは
嫌いな)やり方があるものです。そういう人はある特定の方法を強制された途端
に力を出せなくなるということがあります。

言葉で考えることが苦手な人(特に子どもにはありがちだと思う)には図を描いて
考えるなど他の方法を使っても良いことを教えてあげる必要があると思います。

次に、あきら君のように実際には掛け算を十分に理解しているからこそ、先生が
示した不合理な流儀にしたがわなかった(のかもしれない)子どもは確かに小数派
だと思います。

しかし、あきら君のような事例が存在するかもしれないことに教師は十分に注意
を払うべきでしょう。そのためには先生自身が採用している掛け算の式の順序の
流儀が決して合理的なものではないことを十分納得しておく必要があります。

最後に、トランプ配りのような発想をする子どももきっと小数派でしょう。
しかし、これも先生の教え方にかなり影響されることだと思います。

そもそも教えている先生の側が「4人にミカンを3個ずつ配る」という状況では
「ひとつあたりの数」は絶対に3でなければいけないと誤解している場合には、
トランプ配りのような発想が授業に出て来ることはないでしょう。
子どもたちもそれに影響されて考え方の幅が狭くなることでしょう。

「ひとつあたりの数」が何になるかは状況(もしくは問題文)だけではなく、
考え方にも依存します。トランプを配るようにミカンを配れば「ひとつあたりの数」
は4になります。そして次のような図を描いて横の4つのかたまりが3つと考えて
もやはり「ひとつあたりの数」は4になります。

●●●●
●●●● ←●はミカンを表わす
●●●●

このように図を描いて考えた場合にはトランプ配りのような発想がなくても、
「ひとつあたりの数」と「いくつ分」が先生が希望とは違ったものに
なってしまう可能性があります。

先生自身が算数を理解していないせいで、以上のような考え方をできないのであ
れば、その先生には「ひとつあたりの数」の概念を子どもたちに正しく教えるこ
とは不可能でしょう。

そのような先生が教えた場合には、できる子もできない子も、クラスの全員が
「ひとつあたりの数」は状況だけ(もしくは問題文だけ)で決まるという誤解を
吹き込まれることになるわけです。

これは大問題です。できるできないは関係ありません。全員が間違った考え方を
教えられてしまうのですから。

おそらくそういう先生に算数を習った子どもは文章題が苦手になるでしょう。

算数が苦手な人には理解するための経路を複数用意してあげる必要があると思い
ます。「4人にミカンを3個ずつ配る」という状況では「3×4」と式を立てな
ければいけないというような教え方をしているようでは子どもたちに理解の経路
を複数用意してあげることが不可能になってしまうでしょう。

積分定数さんが kikulog で次のような報告をしています:

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295564326
 |
 | 以前、割合が分からない子がいて、700円の3割に悩んでいて、「100円
 |の3割は?」とヒントを出したら、30円とすぐに分かり、程なく210円と出
 |しました。
 |
 | 考え方としては、1円の3割が0.3円でその700倍というのに近いです。
 |
 | しかし、0.3×700 とすると、「700の0.3倍だから間違いだ」と
 |言われるかも知れません。
 |
 | つまり、「出来ない子」が一生懸命考えて、正しい推論の結果、教師の求める
 |順序と逆にしてしまう可能性もあるのです。

「700円の3割は何円か?」の答の出し方に妙な制限を付けてしまうと
割合の計算がずっとできないままで終わる子どもが増えてしまうわけです。

kikulog などで積分定数さんが強調している考え方は、私の解釈では

(1) 問題を解くときに「唯一の正しい解き方をおぼえようとする」のような発想に
 陥ってしまいがちな子どもには「解き方は試行錯誤によって自分で探すものだ」
 ということをしっかり教えてあげるべきである。

(2) 問題の正解はひとつであっても、その正解にたどり着く道はたくさんあり、
 試行錯誤によってそれらのどれかひとつを発見できればよい。
 そのような経験が真の理解のための最初のステップになる。

(3) 正解にたどり着く道を不当に制限されてしまうとまともに教えることが困難
 になるので止めて欲しい。

のようにまとめられると思います(言葉使いは全然違いますが)。 

「答えさえ出せれば、まずはそれで良い」の話や「7C47C3」の話も
上の(1),(2),(3)の文脈で理解されるべきでしょう。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292521056
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1293412721

実際、塾などで教えるときには、とにかく正解にたどり着く道を自力で
切り開けるようにしてあげられれば相当な成果を挙げたと考えるべきです。 
(私も大学院生時代は塾講師のようなことをして飯を食っていました。)

本当は以上の文脈で理解するべきなのに上の、(1),(2),(3)から離れた枝葉末節な
反応があったのは残念なことです。

やはり、算数が得意ではない子どもたちに算数を本当に理解してもらうためには、
正解にたどり着く道が複数あることを大前提としないといけないと思います。
そのためには正解にたどり着く道を不当に制限することを止めなければいけない。

この議論の主題は「算数教育における掛け算の式の順序の取り扱い」なのですが、
その裏にあるより重要でかつ基本的な考え方は上の(1),(2),(3)にまとめられると
思います。

要するに、掛け算の順序にこだわり続ける教え方は、算数が苦手な子どもから
理解に必要な複数の経路を奪い取り、算数の理解を妨げる悪しき教え方の典型例
のひとつなので特に厳しく批判されているということもあるわけです。

◆Q45. 数学教育もしくは算数教育の専門家と数学研究の専門家の世界はまった
く別なのですか?

◇A45. はい、まったく別世界だと考えて構わないと思います。
例外的に両方に属する人もいるかもしれませんが、例外に過ぎません。
だからほとんどの数学研究専門家(数学者)は数学教育もしくは
算数教育の専門家たちがどのように考えているかをまったく知らないと思います。
私も本やネットなどで仕入れた以外の情報を知りません。

一応、念のために付け加えておけば、この文書の教育に関係した部分は数学者の
立場で書かれたものではありません。数学に関する特別な訓練を受けなくても
書けることを中心に書くように気を付けています。

◆Q46. 小学校の先生(らしき人)で掛け算の順序にこだわることには意味がない
とはっきり述べている人はいますか?

◇A46. ずっと上の方のQ&AのA2で引用した「小学校笑いぐさ日記」
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
の著者 filinion さんはおそらく小学校の先生だと思います。

私も filinion さんがまとめた東京書籍の教科書指導書に対する批判をかなり参考に
しています。やはり常識ある大人が普通に先生をやっていれば「これじゃあおかしい」
と思うのは当然だろうなと思いました。

他にも積分定数さんが kukulog
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295886608
で引用している「小学校教員」さんの例もあります。
その「小学校教員」さんは「文科省の馬鹿げたやり方」が原因だと誤解しています(Q6)。
「頭の固い教員」が参考にしているのはおそらく教科書指導書の方です。
教科書指導書を書いている人たちが「馬鹿げたやり方」をすすめているのです。
しかし、くだらないことにこだわるのはくだらないことだとはっきり述べる
先生がいるのは心強いと思います。

◆Q47. 算数の文章題を正しく読解できるような国語力を身に付けさせることが
重要だという意見を「左側の数の単位=答えの単位」と教えることを支持する人が
述べているのを見付けました。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0701/248855.htm?o=0&p=5
 |
 |厳密さより   二立    	2009年7月9日 11:40
 |
 |正しいかどうかですが、かけ算を習ったばかりで、割り算とか
 |分数とかはまだ、というレベルの生徒に、
 |
 |80(円/個)×5(個) = 400(円)
 |が正しい単位でしょう?
 |
 |というのは無理でしょう。4,5年生で、算数は苦手だと
 |言う生徒も却って敬遠するでしょう。
 |
 |それに対して
 |「左側の数の単位=答えの単位」
 |というのは、わかりやすい指標です。
 |
 |以下は、余分な要素が入っていますから、生徒のレベルによって
 |は難問です。
 |
 |1冊80円のノートが5冊入ったケースが3個あります。
 |1.1ケースの値段は何円ですか。
 | 80円x5=400円
 |2.ノートは全部で何冊ありますか。
 | 5冊x3=15冊
 |
 |このとき、「答えの単位の数を左」というヒントがあれば
 |格段に式が立てやすくなります。
 |
 |文章題で、問題文の意味を読み取って、式を立てるというのは
 |なかなか難しいのです。読解力・国語力の問題でもあります。
 |
 |小学生に英語なんかやらせている場合ではありません。
 |算数の文章題を正しく読解できる国語力をきっちりつけさせる
 |ほうが先決です。

個人的にはあきれたものだと思います。
この事例についてはどう思いますか?

◇A47. 私もあきれたものだと思いました。

算数の文章題を正しく読解できる能力が何であるかを
この人はひどく誤解しているのでしょう。

「答えの単位の数を左」に書くというヒントを与えて、
普遍的には通用しない掛け算の順序に関するローカルルールに
子どもたちをしたがわせても何の教育にもなっていません。

まず、問題1の式の立て方は80×5でも5×80でもどちらでも構わないし、
問題2の式の立て方も5×3でも3×5でもどちらでも構いません。
これが普遍的にどこであっても通用する常識であり、
「答えの単位の数を左」に書く必要はありません。
この点については何度も繰り返したのでこれ以上説明しません。

「1冊80円のノートが5冊入ったケースが3個あります」
という文章を算数の立場で正しく理解しているとは
次の図のような状況を想像できていることです。

[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース
[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース
[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース

ここで [ ] はケースを表わしています。
文字で図を描くのは大変なのでこのように描きましたが、
実際には様々な描き方があると思います。
もちろん、頭の中で想像できなければ実際に図に描いても良い。
実際に描く場合には簡略化した図を描けるようになっている方が望ましいです。
状況の本質をとらえた簡略化した図を描けることは
何をする場合にも役に立つ重要な能力です。

さて、上の図のような様子を想像できていれば(実際に描いてあってもよい)、
「1ケースに入っているノートの値段の合計は何円ですか」のような問題には
「80円のノート5冊文の値段のことだ」とすぐに理解できるだろうし、
「ノートは全部で何冊ありますか」のような問題にもすぐに対応できます。

それに対して、「答えの単位の数を左」というヒントを与えて、
「1ケースに入っているノートの値段の合計は何円ですか」のような問題を
「答えの単位は円なのでまず80円という数字をピックアップして云々」のような
くだらない文章読解戦略によって解くことを教えるのはあまりにもひどすぎます。
率直に言ってお話にならない。

こういう教え方をされた子どもは結果的に文章題に対応できなくなるでしょうね。

こういうあきれた教え方を支持できてしまうようなデタラメな人物が
「算数の文章題を正しく読解できる国語力をきっちりつけさせるほうが先決です」
などと述べているのは笑止千万だと思います。

補足:言葉は便利でかつ強力な道具ですが、算数的な事柄について考えるときに
はむしろ言葉を使わずに直観的な思考を用いることが多いことはもっと強調され
てしかるべきことだと思います。文章題をスムーズに解くためには文章を算数的
な直観に翻訳する能力が必要になります。

◆Q48. 和大の(理系)教員の村川猛彦さんという方がこのページのA7で批判され
ている(実際には馬鹿にされている)次のページを見て説得されていました。

【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/

さらに次のページも肯定的に引用しています:

【もはや最短理解でもなんでもない】なぜ5×3ではなく3×5なのか【大幅書き直し中】
http://kita.dyndns.org/diary/?date=20101113

そして村川猛彦さんは次のように述べています。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101119#20101119f2
 |交換法則は,九九の表という,単位のない世界で見出してほしいものです.実際
 |そのような発見は,学習指導要領解説の内容にも合致しています.林檎だとかお
 |皿だとかを用意して状況を与え,式を立てるという段階においては,必要ありま
 |せん.

さすがにこれはひどすぎますよね?

◇A48. 報告どうもありがとうございます。確かにひどすぎます。
ここまでひどい意見を持っている「理系」の大人がいるとは本当に驚きました。
正直あきれてしまいました。

1. 単位があろうと無かろうと交換法則(可換性)に気付かないとまずい

九九の表を見ればわかる掛け算の可換性がどこでも自由に使えないと不便すぎま
すよね。どうしてこういうひどいしばりを子どもに課そうとするのか?

すでに自分なりの正しい考え方で「ひとつあたりの数」「いくつ分」の構造を
正しく見抜いている子どもが、「ひとつあたりの数×いくつ分」の順に書こうが、
「いくつ分×ひとつあたりの数」の順に書こうが、どちらでも構わない理由は
単位のない世界で掛け算の交換法則(可換性)が成立しているからです。

だから、子どもたちに単位のない世界で交換法則(可換性)を理解させてしまうと、
自分の好きな順序で「ひとつあたりの数」と「いくつ分」を掛け算の式で
書くことも認めなければいけなくなります。

先生がくだらない教育上有害なルールを子どもに強いるのは当然止めてもらわな
ければいけません。そして、子どもたちはそういうルールにしたがわない方が
良いわけです。 (有害なルールに子どもがしたがうとその子ども自身が害を受けて
しまう。)

そして単位が付いている世界でも、3万円は入っている袋を5つもらっても
5万円入っている袋を3つもらっても、もらえる金額は同じだということを
すぐに理解できないようだと困ります。単位が付いている世界での掛け算の
交換法則を何らかのくだらない精神的プレッシャーによって習得できなかった
子どもは一生苦しむことになるでしょうね。

この手の話でよくあるくだらない馬鹿げたひどい誤解は、掛け算の式の順序の話と
「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念の理解の話を混同してしまうことです。
おそらく村川猛彦さんもその手の誤解をしているのだと思います。

2. 学習指導要領解説ではどうなっているか

学習指導要領解説には式を立てるときに「ひとつあたりの数×いくつ分」の順に
書かなければいけないとはされていません。

それどころか、掛け算の導入に繋がる項目で以下のように掛け算の式の順序にこ
だわらない説明がされています。A6ですでに引用していますが、ここでは
さらに長めに引用しておきます。

『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の81ページにある
「A(1) 数の意味や表し方 エ 一つの数をほかの数の積としてみること」
の項目に関する説明:
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
 | ものの集まりを幾つかずつまとめて数える活動を通して、数の乗法的な構成に
 |ついての理解を図ることをねらいとしている。ある部分の大きさを基にして、そ
 |の幾つ分として、全体の大きさをとらえることができるようにする。
 |
 | 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
 |ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
 |ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
 |ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
 |覚を豊かにする。
 |
 | ●●●●●●
 | ●●●●●●
 |2×6 または 6×2
 |
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |  ●●●●
 |3×4 または 4×3

この項目は「A(3) 乗法」よりも前にあります。

上の引用部分の最初の段落は「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念を
「幾つかずつまとめて数える活動」によって児童に気付かせることを意図しています。
そしてその次の段落でそのような活動の例として「12個のおはじきを工夫して並べる」
というような活動が紹介されています。おはじきを長方形型に並べた場合には
「2×6」と「6×2」を区別したり、「3×4」と「4×3」を区別することは
不自然な行為になるので注意深く両方が併記されているのでしょう。

もしも児童が実際にこのような活動によって掛け算の仕組みに気付かせることに
成功したならば、児童は最初から(項目A(3)にしたがって掛け算を導入する以前に)
交換法則(可換性)を直観的に知っていることになります。

そのような児童に掛け算を教えるときに、掛け算の式では「ひとつあたりの数」を
左に書かなければいけないという特殊なローカルルールを一時的にせよ押し付けて
しまうのは相当に不自然な教え方になってしまいます。

3. 脱線

少し脱線してしまいますが、この事例は
理系でもわかっていない大人がいることの証明になっていると思います。
数学には自信はないが、常識的に考えておかしいと考えている大人は
自信を持って5×3にバツを付ける教え方に反対して欲しいと思います。
この問題に関しては素朴な疑問がそのまま正しい。
何も難しいことはありません。

4. トランプ配りについて

村川猛彦さんは次のように述べています。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101119
 |バツではないという理由として,交換法則を持ち出したり*2,「でもね,お皿の
 |5枚に1個ずつ,林檎を乗せるのを『1つ分の大きさ』として,それを3回したら
 |『いくつ分』が3になって,5×3って書けるよ」と児童が反論したりすること
 |のほうが,よっぽど屁理屈でしょう.

同じ意見を私は遠山啓さんに言ってもらいたいですね(●2節を参照)。:-)

もしかしたら、「この問題では林檎を配らずに、林檎をすでに皿に置いてあるの
だから、トランプ配りのような考え方は不自然だ」のようにくだらない反論をす
るかもしれません。しかし、実際にそういう反論をしてくれるなら頭が堅い人で
あることを自ら証明してくれただけなので万々歳です。村川さんの主張が
「頭の堅い人がまた変なことを述べている」のように評価されれば私の立場では
嬉しいわけですから。

5. 子どもの発想を委縮させない算数教育が必要

子どもは大人が想像できないような考え方をする場合があります。
しかも言語化もうまくできず、理路整然と説明することなどほとんど期待できない。
しかし、なんらかの考え方に基づいて正しい考え方に近づいているならば、
褒めてやる必要があります。本当は正しい考え方なのにそれを使ってはいけない
というようなルールを勝手に定めて、それに基づいて理解の度合いを測ろうと
すると、せっかく自分なりに考えて正しい考え方に近づきつるあるのに、
「先生の意図とは違っていたから」という理由で否定されてしまう可能性が
高くなります。

そもそも掛け算の順序にこだわることはくだらないことなので、
くだらないことにはこだわらない常識ある大人に掛け算についてすでに教わって
いる子どもであれば、先生が「ひとつあたりの数を左に書いてね」と言っても
無視してしまう可能性は十分にあります。そしてそのように無視した子どもは
「理解しているからこそ無視した」という理由で先生から褒められてしかるべき
です。

「ひとつあたりの数」のような概念を理解してかつ掛け算の式の順序にこだわる
ことがくだらないことだと正しいの理解の仕方をしている子どもに掛け算の順序を
強制するのは教育としては後退に他なりません。

6. あまりにもくだらない現実の姿

掛け算の順序というくだらないことに教師の側がこだわることによって、
「サンドイッチ」のようなくだらない教え方が開発されてしまったり、
ウサギの耳が3本になったり、タコの足が2本になってしまったりするわけです。
村川猛彦さんにはこのような現実が見えていないのでしょう。

掛け算の順序にこだわっている教師や教科書指導書執筆者たちは
こだわった方が「ひとつあたりの数(量)」のような概念を教えやすいと
思っているのかもしれませんが、現実にはそうなっていないし、
掛け算の順序にこだわる教え方は「ひとつあたりの数(量)」のような概念
(より正しくは文章や状況を算数の文脈で正しく想像・解釈する方法)
を教えるときに害になりそうです。

むしろ、日本の算数教育が文章題に関して弱いのは
掛け算の順序を含めたくだらないこだわりを子どもたちに押し付けていること
が原因である可能性さえあるのではないでしょうか。

いずれにせよ、正解に至る道を制限すれば制限するほど、
特定の解法パターンにあてはめることなく、
自分の力で考えて答えを出せる子どもが育つ可能性が少なくなるのは
確かなことだと思います。

補足:「0.8mの重さが2.4kgの鉄の棒があります。この棒1mの重さは何kgでしょう」
という問題がA7でも取り上げた
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
で話題になっています。そのような文章題に正しく答えられるようになるためには、
掛け算の順序に関する特殊なローカルルールにしたがうことは役に立ちません。

掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがうか否かではなく、

┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫     長さ0.8mで重さ2.4kg

┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫ 長さ1mで重さは何kg?

(この図で ┣━┫は鉄の棒10cm分を表わしている)

のような様子を想像する能力(実際に図を描いてもよい)があるかどうかの方が
決定的に重要です。

そして考え方が正しければ「2.4÷0.8」と式を立てなくても正解だとしなければ
いけません。たとえば、上の図のような様子を想像して(もしくは実際に図を描いて)
10cm分の重さは2.4kgを8等分は0.3kgなので「0.3×10=3(もしくは10×0.3=3)だから
答は3kg」と答えても正解だとしなければいけません。もしも小数の割り算をよく
理解していない子どもがそのように答えた場合には小数の割り算の概念を
理解する一歩手前まで来ていると考えられます。

# 以上のQ&Aはすべて仮想的なQ&Aであることに注意。
# 筆者が実際に上に登場するような質問を受けたわけではない。

以上。