日本最大級のアニメの祭典「東京国際アニメフェア」(実行委員長・石原慎太郎東京都知事)の開催を危ぶむ声が上がっている。出版・アニメ製作の大手が協力・出展を拒否し、3月下旬の同じ時期に別のイベントも予定されているからだ。背景には、過激な性描写の漫画などの規制方法を巡ってもめた都青少年健全育成条例改正問題がある。簡易ブログ「ツイッター」でつぶやき、各社が出展拒否する口火を切った形となった角川書店の井上伸一郎社長(52)が沈黙を破り、都条例に対する思いを語った。【内藤陽】
--都が主催するアニメフェア「出展拒否」の反響は大きかったですね。
◆これほど大きな反響があるとは思っていなかったので、私自身びっくりしている。ツイッターに載せてからわずか2日で、(大手出版社などでつくる)「コミック10社会」がフェアへの出展・協力を見合わせたのにも驚いた。みんなモヤモヤしたものがあっても抗議の方法が分からなかったのだと思う。もちろん出展を拒否することがベストなやり方だとは思わない。我々も出展したかったが、今回は心情的、理論的に出展はあり得なかった。
--ツイッターでの表明が話題になりました。
◆ちばてつやさんや秋本治さんという著名漫画家が記者会見までして改正案に反対しているのに、石原慎太郎知事は「我欲でみんな反対する」などと失礼な発言をした。条例に触れるような漫画を描いていない先生方が、反対を表明するのは相当の意味があることなのに。反対署名が都議会で顧みられないことも疑問だった。そういう思いが積み重なっていた。
私はアニメフェアの実行委員だった。都条例改正に内心反対しながら、知事が実行委員長を務めているフェアに唯々諾々と出席するのは、自分の態度として許せなかった。会社に迷惑をかけてはいけないので、グループ会社などに相談したうえで、会見など開かずにツイッターでつぶやくだけにとどめた。ただ、決断したときには、先のことは考えておらず、別のイベントのことなどまったく考えていなかった。
--角川書店も参加する「アニメコンテンツエキスポ」は、アニメフェアと開催日が重なっています。
◆全くの偶然。アニメ製作会社からの誘いがあり、せっかくだから参加させてもらった。首都圏の大きな施設は、幕張メッセ(千葉市美浜区)の1ホールしか空いていなかった。「エキスポ参加」を発表する前日の朝、(アニメフェアを開催する)日本動画協会の実行委事務局に「日程が重なって申し訳ない」とあいさつに行った。実行委も調べていて、こちらに他意がないのは我々が行く前から知っていた。ほっとしたが、動画協会には板挟みで申し訳ないことをしたと思っている。
--そもそも、都条例のどこが問題ですか。
◆(18歳未満にみえるキャラクターを示す)「非実在青少年」という訳の分からない文言はなくなったが、規制対象を「刑罰法規に触れる性的な行為」と「近親者間の性行為」としたことで、逆に規制の範囲は拡大したのではないか。条文自体に納得できないし、文言一つ入れるのにも慎重になってもらわないと困るのだが、問題はそれだけにとどまらない。
都条例の施行規則では、性表現のみならず暴力や犯罪行為を賛美する表現なども規制されている。まともに受け取れば、なにも描けなくなる危険性がある。条文だけはあるので、人が代われば、解釈次第で都合のいいように規制されかねない。これが一番危倶するところ。世の中では強(ごう)姦(かん)や犯罪行為は実際に起きている。作劇上必要であれば、そういう表現をすることだってある。
もう一つ、施行規則には「優良図書の推奨、表彰」がある。為政者に都合のいい漫画を描いていれば、都からご褒美をもらえる。私はそれがものすごく嫌だ。権力が都合の悪いものを規制し、一方で都合のいいものを描かせたいという「衣の下のよろい」が見える。それは思想統制など一定の方向に誘導できる可能性がある非常に危険な条例だ。
--今後の活動は。
◆条例改正が今後、どのように運用されるか分からないので、かなりの戸惑いや不安がある。我々出版社は、漫画家やクリエーターの表現活動と生活を守らなければならない。作家の表現に規制をかけず、自由に描ける環境を守っていきたい。より多くの人にこの問題に関心を持ってもらいたいので、我が社の雑誌で、条例のおかしな点を指摘していきたい。そして将来、この条例は廃止してほしい。今後、不健全図書に指定する審議会が開かれるが、メンバーがどういう議論で、なぜ指定するのか、可視化するよう、出版界として要求していきたい。
「使用できるキャラクターが確定していないので、昨年のポスターを使っています」。都庁で今月25日開かれたアニメフェア実行委員会終了後の記者会見で、実行委事務局の鈴木仁チーフプロデューサーは答えた。例年なら、新しいポスターは完成して各所に張られている時期。ところが、今年はポスターも作製できない異常事態となっている。
都条例改正案を巡っては、「非実在青少年」の文言に代表されるように規制の対象があいまいで、表現の自由が制約される恐れがあるとして昨年6月議会で否決された。そこで都は、同12月議会に新たな改正案を提案。「非実在青少年」の文言を削除、規制対象を強姦など刑罰法規に抵触する行為や近親者間の性行為などを「不当に賛美・誇張」した作品と改めた。都議会最大会派・民主党が賛成に回り、慎重な運用などを求める付帯決議をつけることで可決、成立した。
ところが、都条例改正案の審議がヤマ場を迎えつつあった昨年12月8日、井上社長がツイッターで「マンガ家やアニメ関係者に対しての、都の姿勢に納得がいかないところがありまして」とつぶやき、アニメフェアへの出展取りやめを表明。これに呼応するようにコミック大手の「10社会」が都条例改正案に抗議し、アニメフェアへの協力・出展を拒否した。
アニメフェアは3月24日から4日間、東京ビッグサイト(江東区有明)で開かれる。今年は10回目の節目で、来場者は14万人(昨年は過去最高の13万2492人)を目標とする。しかし、大手の不参加を受けて出展社は激減。事務局によると、昨年の244社(うち海外60社)に対し、今年は約6割の153社(同28社)にとどまる。出展社の減少で、運営予算は当初より約1億1000万円減の約2億9000万円(うち都の負担金1億2500万円)の見込みだ。
一方、幕張メッセでは3月26、27日、「アニメコンテンツエキスポ」が開かれる。展示のほかステージイベントやグッズ販売がある。井上社長の角川書店もこちらに出展する。来場者は3万~4万人と見込んでいる。
アニメの祭典が分裂する事態になったことについて、アニメファンを自任する「コンテンツ文化研究会」の杉野直也代表(31)は「アニメ業界が声を上げるのは大事なことなので、アニメフェアへの出展拒否は支持する。ただ、アニメフェアの関係者の中にもアニメを愛する人もいるので、複雑な気持ちだ」と話した。また、多くの日本アニメ・漫画の翻訳家として知られる兼光ダニエル真さん(38)は「これまで東京都は出版界と共に規制と表現の自由のバランスを話し合いで進めたにもかかわらず、今回の都条例改正で一方的にその信頼関係を壊した。決裂するのは不思議ではない」と指摘した。
毎日新聞 2011年1月31日 東京朝刊