新宿警察の不当違法な人権侵害事件に取組んだ時、石山
副署長を訪問して完全に罪を認めさせ、謝罪させた時の
写真です。悪徳警察壊滅作戦完全勝利編! ブラボー!
時間ギリギリに書き込みをして、何とかその日の内に滑り込みセーフか。
以前同様に午後十一時五十九分になっていた。ともあれ、こんなつまらぬ事でうきうきするものだ。
肇君との同居生活はきわめて快適である。他人との同居は、昔に彼女と一緒に住んだことがあった、一種のルームメート感覚で。しかし短期間でそれは終わりになった。
それまでに二人とも、自分ひとりで暮らしてきたから、何かとわがままが出て、それでいて相手のことが気にかかるのではあるが、些細なことで衝突もした。
その結果、では解消するか、ということで元通りになった。
住まいへの同居は解消したが、人間としての付き合いは以前と同じく親密かつ信頼しあって続けた。
人と人との関係は互いに相手のことを思いやり、こちらは相当に譲らないと、「和」は保たれないものだ。
そんなことは頭では知っていても、いざ、実際に暮らしてみると分かっていてもそうはいかないことばかり。経験から学ぶとはこんなことをいうと知った。
それから時間がたった、人間的にも成長はしなくても、経験とつまらぬことに腹立ちはしないだけの訓練は積んできた。そのことはとても良い経験になった。
その経験蓄積からか、肇君との共同生活は極めて「快適」である。全く文句なし、その原因というが、あらゆる角度から考えてみると、それはこういう事かな。
1 私の方がうんと年長で、親子ほどの年齢差がある。
2 平等なる人間関係。意識の感覚ではなく、私の方が「世話」をしている立場である。だからいわば「ゆとり」があると思う。
3 しかし、それを押し付けたり、相手に自覚をさせることを強いてはいない。恩を売ったりそのことで威張っていると、必ず相手に伝わるから、それが無いということは、私の態度や姿勢に、そのように感じさせるものが、無いのだろう。
4 感覚的にも、感性としても互いがまったく自由に時間を使い、相手にも遠慮はしなくてもよい、空間配分と時間処理をしている。
そうさせるだけの適度な空間の広さと、視野がある。物理的にも部屋は風通しの良い造りにはなっている。
5 遠慮なく、互いに自由にものを言い、考えることも発言も自由を保障していいる。だらか心的負担はまったくない。
これが共同生活をしていても、余計な緊張感を持たないことなのだろうか。
6 互いに不要なことに神経を浪費しない、だんまりで静かに新聞、書籍を読んだり、特に小生はテレビを見ることが好きだから、その時間と雰囲気、空間は大事する。彼もそれを最大限に尊重して、まったく邪魔はしない。
7 列記すればこんなことかな、と思うが、さて、もう少し考えて書き込むことあれば書きましょか。
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今からの記事は、起床後になる。
1 肇君の実家から、沖縄の名物や手作りの「油味噌」などどっさりと届いた、謝!
親とは本当に有難いものだ、子どもはそれを知らない。
時に頭では分かってはいても、言葉や動作には表さないことが多い、一種のハニカミもあるし、その表現が下手な場合もある。
親に世話になっていて、迷惑をかけても当然とは思わないまでも、「有難う」の言葉を出さず、「すみません」の詫びも言わないものだ。
でも、子どもたちよ、一度で良いから、親に感謝の念を持ち、言葉に出し、手紙に書いてごらんなさい、と私は言う。
肇君にも同様だ、彼はだんだんと分かってきた、良い成長振りだ、私はこんな彼を見るのが嬉しい。お屋に見せたいと思う。
2 アマゾンへ注文の書物が引き続き届いた。かなり集まって満足感十分なり。
3 ひかりTVとの契約トラブルは、運営会社NTTぷららの上司・鶴見雄一郎氏から電話があった、釈明とわびである、しかしその理解と事実関係に食い違いがあるので、その点を再度厳しく指摘した。
こちらにはまったくミスも誤解も無いにもかかわらず、大沼という男性社員の説明と当への責任転嫁を図る姑息はやり方と言い訳を指摘した、
それが正確に伝わっていないこと、単に氏名を名乗らないという表面的なことではないこと、誤った商品サービルの説明をしておきながら、それにより客の当方に責任があるから、「金を払え」というのはまったく筋違いだと指摘した。
詐欺商法に等しい悪質さだ、と指摘した後に、文書による経緯説明と謝罪を求めた、上司の鶴見氏も上記の点をほぼ完全に認めた。その上で、更なる上司に図り、出来るだけ早く、文書回答と謝罪をすると回答した。
ーーー紛争処理の具体例として、傍で学習している肇君にも参考にさせた、これからの人生の上でも役に立つ実社会での交渉技術であるからだ、
まず、事実関係を正確に把握し、それを相手との会話を通じて確認する、その上でどこがどのように間違っているか、認識の差を正す、原因を探りそこに責任が発生するときはその所在を明確にさせる、認めさせる、本人に判断能力と資格が無いときは上司に交代させる。それを反復して確認し、本人をして責任の自覚を持たせるという手順である。
こうしてトラブル処理をするのであるが、こうして書いたようにはスムーズには行かないのが普通である。
様々な問題が途中で発生するが、それをどのように解決するのが賢いだろうか。どんな方法や技能があるのだろうか、大方の人が知りたいところだと思う。そこで少々私のやり方をお教えしよう。
その解釈や捉え方、また相手の自己防衛意識が働いたときはどうなるか、それにどう対応したらよいか?
責任回避をし始めるだろう。これを「パスの論理」という。バレーボールで手元に来たボールを他へ回すことだ。
バレーの試合なら良いが、仕事上で責任を取らず、自ら処理しないで、他の人に転化させるは、責任回避である、
もっとも卑怯は手だ。許し難い。
人間には、嫌なことは避け、その局面から逃げたい心理が働くものだ。逃げの意識と弁解・詭弁が出てくる。
個人でもグループや、企業でも同じだ。責任者不在という形にして、逃げ回ることも多い。
そのことを心理学的、社会学的に知っていれば、相手の行動を読むことが出来る、そうすれば、次の手が分かる。心が読めるとか先が見通せるというのはそういうことである。
企業の逃げは大半がまずここから始まるものだ、個人間の紛争も然り。
私はこういうやからは絶対に逃さない、徹底的に追い詰める、追い掛けるのだ。しつこくシツコク地獄の果てまででも追う。逃亡犯は絶対に逃がさない!
これの気持ちと戦術の一部を、辛抱強く、冷静かつ言葉では明確にして話す。その伝えた内容を相手に確認を求めるのだ。どう理解したかを復習させる。
こうして、こちらの主張と解釈を出来るだけ完全に伝える。その上で一定の打開点を見つけ、見つけさせるのだ、相手にも。かくて解決に導くのである。
論理的かつ法的にも道徳的にも常識的にも出来るだけ相手をして納得させることが必要になる。
決して「熱く」ならない方が良い、言葉の暴言が役立つこともあるが、最初のころは努めて「冷静」かつ「トーンも低く」言葉は「ゆっくり」喋ることだ。
興奮して罵倒状態になるのは最初のことはうまくない、戦術的にも下手である。
このように書けば、問題解決に至る手順や獲得すべき目標が、大変なことだと分かるだろう。
実は小生は日常をこのような気持ちで物事に当たっているから、トラブルに巻き込まれず、辛抱強く生きておられるのであるが。如何かな?
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