エジプト革命 (2) - 米国の座標軸で解説する山内昌之と横田貴之
丸山真男は、革命とは、単に政治勢力間における権力の移動ではなく、その社会の世界観や価値観のトータルな変革を含み、人々の生活様式や文化様式を根底から変えるものだと言っていた。エジプトで起きている出来事について、それを革命の言葉で呼ぶとき、丸山真男の定義が該当する巨大な世界史的事件の出現を私は期待している。エジプトを変えるだけでなく、アラブと中東を変えるだけでなく、世界全体を変える爆発力を希求する。世界革命としてのエジプト革命であって欲しいと願いながら、タハリール広場の群衆を見つめている。フランス革命やロシア革命や明治維新は世界を大きく変えた。周辺世界の形を変え、世界全体の姿を変え、次の歴史の方向を定めて行った。エジプト革命も、それらに匹敵するスケールとエネルギーを持った潮流になることを望む。そこには三つの意味がある。第一は、米国を中心とした世界秩序を崩壊させ終焉させることである。米国の中東支配の体制を覆し、独立自尊のアラブ世界を築くことだ。第二は、イスラムと民主主義という問題に解決を与えることである。市民に自由と権利を保障したイスラム教の国家を建設することだ。第三は、イスラムと経済発展という課題を突破することである。貧富の格差のない、西欧並みの所得水準のイスラムの理想郷を実現することだ。
現在、ムバラクの退陣が焦点になっている。革命は民衆による自然発生的なもので、ムバラクの独裁体制の打倒をめざす運動が波状にうねる段階にある。この状況は、32年前、1979年のイラン革命の初期過程を思い起こさせるものだ。あのときも、パーレビ国王による弾圧や腐敗に対して怒った民衆が蜂起、激しいデモと衝突が全土で続きた。そして、国王の国外退去とホメイニ帰国の後、次第にイスラム革命としての性格がくっきりとして行く。革命の混乱は長く続き、バニサドルの登場と追放があり、米大使館人質事件があり、ツデー党の大量処刑があり、やがてフセインの侵略によってイラン・イラク戦争の泥沼へと辿って行く。イラン・イラク戦争の停戦が1988年、ホメイニの死が1989年、おそらく、われわれがイラン革命の終端と意識している時期はこの辺りで、それまでのイランは、10年間にわたって革命の激動と混乱がずっと続き、宗教戦争の流血と犠牲があり、その中心にアヤトラ・ホメイニの恐ろしい形相があった。ホメイニの怒りの睨眼が光っている間は、イラン革命は終わることはないと世界中が思っていた。パーレビが追放される前は、ホメイニ帰国後の展開は全く私は想像できなかった。イスラム色が強烈に出た革命は意外だった。イラン革命の経過と結果は、個人的な感想を言えば、世界史的普遍性の面でひどく期待を裏切るものだったが、第2次石油危機の副産物をを含めて日本と世界に与えた影響は計り知れない。
その余波は現在も続いていて、イランはホメイニの反米イスラムの遺訓を頑守し、グローバリズム全盛の時代となっても妥協せず、米国の一極支配の世界秩序を揺るがす震源地であり続けている。米国にとって「悪の枢軸」の一国たる位置を止めてない。無論、30年前のイランのような宗教色が濃すぎる異形な神聖国家がエジプトに再び誕生して欲しいとは、世界中の誰も求めていないし、エジプト国民もそれは同じ思いだろう。しかし、ムバラク後のエジプトが、単に自由と権利の面で改善されただけの親米国家の延長で、イスラム色が希薄になった（トルコ型）準欧州国家の出現なら、それはエジプト革命と呼ぶほどの意義のある歴史的事件ではないのである。エジプト革命が理念的な像を結ぶためには、市民の自由や権利以上に、米国・イスラエルとの関係の課題があり、パレスチナ問題を解決するという宿題がある。サダト・ムバラクと続いた親米路線が払拭されないかぎり、この革命は何の意味もないはずだ。腐れ縁を断ち切る必要がある。米国との癒着から離れ、米国から独立し、新しいアラブの大義の下に国家を置くことで、エジプト革命は世界革命の意味を持ち、21世紀の世界を照らす光となるだろう。世界革命の普遍的意味とは、新自由主義＝グローバリズムの止揚と克服である。NYの9･11テロから10年間、米国によって卑しめられ侮られたイスラムの国が、そのプレイヤーとして登場するのは運命的でドラマチックと言える。
昨夜（2/1）、クローズアップ現代に出演した山内昌之は、今後の展望として、エジプトで混乱が続くことで国力が疲弊し、またエジプトと同じ体制（王朝的な終身大統領制）のアラブ諸国（リビア・シリア）にも波及し、中東でのアラブ諸国の地位が低下するだろうと予想を述べていた。そして、エジプトほかアラブ諸国の沈滞とパラレルに、非アラブのイランとトルコの2国が台頭し、中東世界を主導する有力な勢力になると語っていた。私のロマンティックなエジプト革命論とは違って、きわめて貧相で意気消沈的な中東政治の未来論である。こういう真っ暗な見方をリアリスティックと呼んでいいのだろうか。少なくとも、エジプトの国民は長かった統制と弾圧から解放され、自由を得た歓びに精神を綻ばせている。30年間の忍耐で内に充満したエネルギーが、外に向かって勢いよく噴出する機会が訪れようとしている。閉塞が破られた。100万人のデモとか、全土のゼネストとか、これほどの規模の抵抗運動は、世界中でそれほど頻繁に起きるものではない。そして、革命は常に輸出されるものだ。山内昌之のエジプト衰退論は、私には同意できず、混乱の後、逆にエジプトは飛躍と隆盛に向かうだろう。山内昌之の説明では、トルコが中東で地位を得る理由は、イスラエルとの良好な関係があるからだと言う。エジプトは、イスラエルとの関係を悪くするだろうから、中東での従来の地位を失うのだそうだ。山内昌之の認識では、イスラエルこそが中東政治の基軸となる中心的存在なのだ。
山内昌之の分析と解説では腑に落ちないし、新鮮味のない過去の人に見える。誰か他にいないだろうか。イラク戦争のときの酒井啓子のようなニューフェイスが、エジプト論で颯爽と登場してくれるとありがたいと思う。昨夜（2/1）のNHKのNW9では、カイロでデモに参加する20代の若者の姿が取材されていた。大学で福祉社会論を学ぶものの就職できず、親戚の店に住み込んで働いて月収12000円の暮らしだった。若年層の失業率は40％で、政権に対する強い不満と怨念が彼らの中に渦巻いている。ここ数年、実はエジプトでは年率5％を超える経済成長が続いていて、1人当たりのGDPも着実に伸びている。しかし、その原動力は海外からの直接投資で、エジプト国内の産業が育って雇用を増やしているわけではなく、格差と貧困の問題は逆に甚だしさを増す窮状となっていた。1日2ドル以下で暮らす貧困層が人口全体の2割を占め、物価高が中間層の生活を苦しめている。そして、日本と同じく若者の失業率が高く、平均の4倍の数字になる。エジプトは平均が10％で若者が40％、日本は全体が５％で若者が10％。今回のアラブ世界の革命現象は、職がない若者の不満の爆発が推進力になっていて、憎悪の対象である独裁体制を倒すことに若者の意思が結集している。だが、その後については誰も見通しを持っていない。デモの主体となっている中間層の若者は、ムスリム同胞団の支持基盤から遠く、宗教の影響が政治に及ぶことを歓迎しないと説明されている。
また、情勢のカギを握ると言われている軍は、米国との関係がきわめて密接で、米軍から直接に資金援助を受けている。となると、ムバラク退陣後の政権をムスリム同胞団が握る図は、軍が許容するところではなくなり、軍は米国と共に非イスラム（世俗）で親米の政治シンボルを担ぐべく動くだろうし、新議会の選挙でムスリム同胞団が多数になるのを阻止しようとするだろう。山内昌之によると、ムスリム同胞団の幹部は高齢化が進み、ツイッターやフェースブックを駆使して運動するという手法に馴染めず、そこにデモの主体となった若者たちとの断絶があると言う。今日（2/2）の朝日の17面に特集された「エジプト鳴動」に稿を寄せている横田貴之も、「若者たちの多くは世俗的で、イスラムという宗教の価値を押し出す同胞団への嫌悪感が根強い」と論じている。この点は気になる問題で。デモをしている若者たちが、新自由主義的な世界観や政策路線に吸引され、小泉・竹中的な「改革」を言い出しはしないかと心配だ。と言うより、山内昌之や横田貴之の視点は完全にそうした方向を昰とするもので、親米を「民主的」とする認識の枠組みなのである。横田貴之は、「（イスラム同胞団が）政権の一翼を担うことになれば、国際社会との関係が問題になる」と言い、その理由として、同胞団がイスラエルとの和平を認めておらず、欧米から拒絶されるからだと言う。この議論は、あまりに米国寄りに偏向した見方とは言えないか。エジプトとイスラエルとの和平がイスラム諸国の利益になるのか。
パレスチナやレバノンの立場から見たとき、この横田貴之の議論はどう映るのか。日本のマスコミやアカデミーから発せられるエジプト問題の議論を聞き、そこで強く感じるのは、「民主化」とか、「国際社会」の言葉の使い方の異常である。横田貴之は、エジプトでイスラム同胞団が政権に就くと、エジプトは国際社会と関係を悪くするので、イスラムの宗教色の強い勢力を政権に入れるのは不具合だと言っている。このとき、横田貴之の言う「国際社会」は、厳密な意味で言えば「欧米諸国」であり、もっと意味を限定すれば、米英2国だろう。中国、ロシア、インド、ブラジルは入らない。中東での米国の勢力の後退を歓迎する立場の国々は含まれない。こうした「国際社会」の用語法は、客観的な概念として不当だとして、イラク戦争の頃から批判されてきたものだ。イデオロギーに潤色された用語法である。ハマスはテロ組織として定義され、その表象が固められているが、元々はイスラム同胞団から派生したもので、同胞団と同じく貧者や弱者に対する互恵と慈善の団体だった。イスラエルの暴力に抵抗する中で、破壊工作や自爆テロを手段とする組織に至ったのである。「民主化」や「国際社会」の言葉もおかしくなっているが、同じ文脈で「イスラム原理主義」もおかしくなっていて、アルカイダやタリバンと同一の範疇に括られる中で、イスラム同胞団に悪性表象が塗りつけられる言語の仕組みになっている。そうした言語法を横田貴之のような専門家が意図的に使い、われわれの観念を操作し、欧米社会だけが国際社会であるかのような常識にしてしまっている。エジプトの情勢を報道で見るとき、「民主化」の言葉に注意しなければいけない。
