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フリーセックスと生命の尊重 - チェ・サンウ
2010/10/26 (Tue) 22:59:48
ENOCKさん、サライさん
ENOCKさんは、生命をないがしろにする原因として、フリーセックスを否定しているのですよね。多分、サライさんもですよね。でも、僕はフリーセックスよりも、さらに根本的な問題があると考えています。それについて述べる前に、大川哲雄兄君に質問をします。というか、大川君がいいかな。
大川君
原理講論にこのように書いてあるけど、
>神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。
次の聖書の言葉は、万物主管のことだよね。このように神様が言ったのは事実なの?
>11:1 それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
11:2 イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。
11:3 動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
11:4 しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
11:5 それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
11:6 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
11:7 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。
11:8 あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - 大川
2010/10/28 (Thu) 00:47:37
チェ・サウン
礼儀知らずのあなたと議論する意味は無いようだ。
もう少し社会経験を積みたまえ。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - チェ・サンウ
2010/10/28 (Thu) 20:33:02
大川さん
>礼儀知らずのあなたと議論する意味は無いようだ。
もう少し社会経験を積みたまえ。
失礼しました。僕はどうしても大川さんに教えてほしかったので質問しました。
それから僕はチェ・サンウです。この間違いはわざとですか?
チェ・サウン
チャ・サンウン
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3267669
こう言っていたので、改めて質問します。
>質問があるならば、しっかりとして下さい。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3267669
男に2言はないですよね。質問させといて答えないというのはなしですよ。
僕は、あの聖句は寓話だと思うけど、大川さんは事実としているのですか?事実とするならば、その根拠もお願いします。あれが事実じゃなかったら統一原理も寓話で事実とは言えないと思います。大川さんが答えてくれたら、僕の方も寓話だと思う根拠を述べます。
神様が人間に動物を食べてもいいと言ったり、この動物は食べてもいい、この動物は食べたらダメと言ったことは、大川さんは事実と考えているのですよね?
ENOCKさんとサライさんの疑問にも答えるためにも、為に生きるとかいう精神でお願いします。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - チェ・サンウ
2010/10/31 (Sun) 00:48:03
サライさん、ENOCKさん
この聖句は大川君に言わせると事実らしいです。事実である根拠を示すそうですが、僕は寓話である根拠は示せません。多分、事実である根拠も「原理講論や聖書に書いてあるから」という類のものだと思います。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3264885
もともと、仏教では人間も動物も同じ命とします。このように考えると神様が人間に、動物を食べてもいいと言うことは考えられません。だから、寓話だと思います。
ここで、神様が人間に動物を食べてもいいと言ったことが事実か、人間の命と動物の命が同等かどうかで大川君と遊ぶつもりでした。多分聖書や原理講論を根拠に持ってきて人間の命が一番偉いと言ってくると思うから、僕も仏教の本を根拠にすべての生命は平等と主張するつもりでした。でも、どちらも説得力はありません。お互いに、「原理講論・聖書に書いてあるから正しいのか?」とか「仏教の本に書いてあるから正しいのか?」になるからです。
でも、ここはどちらの考えが建設的かで判断するべきだと思います。「動物は神様が食べてもいいと言ったから食べる」では、動物にとっては非道な神様だと思います。動物も捕まえようとすれば逃げます。すべての命は死にたくありません。多分大川君は神様に感謝するようなことを言ってくると思いますが、これは人間の自己満足です。食べられる動物にとっては感謝も何もないです。この聖句を事実とすることは、摂理の為の殺人を肯定することに通ずるものがあります。
一方、仏教的にすべての命を平等とすれば小さな命を慈しむ心が芽生えます。フリーセックスによって誕生した望まれない命に対してもすべての命を平等と見ることから、人工中絶などはしなくなるかもしれません。
人間だけでなく動物を殺すことを、仏教では殺生罪といいます。自分は直接手にかけなくても、殺しの様を見て喜んだり、幇助すれば殺生罪になります。この聖句を事実とすると神様が殺生罪を犯していることになります。
でも、我々は生きるために肉を食べてます。僕も食べてます。だから、毎日殺生罪を犯していることになります。エデンの園でアダムとイヴが堕落したから、人間が肉を食べるようになったわけではないでしょう。肉食動物も他の動物の肉を食べてそれは罪です。動物は堕落していないのですよね?
このように他の命を犠牲にして生きている我々です。その自覚を持つことで逆に生命を大切にする心が芽生えるようです。でも、僕はまだ、自覚しきれていないから、何とも言えません。大川君のように豚や牛を食料にしか思っていません。
これを読んで多分、大川君は「寓話だ!」と言ってくると思います。でも、これが寓話だったら、統一原理は成り立たないし、「都合のいいところだけ寓話にしてる」とツッコミを入れてやりたくもなります。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - ENOCK URL
2010/10/31 (Sun) 02:30:35
チェ・サンウさん
>このように他の命を犠牲にして生きている我々です。その自覚を持つことで逆に生命を大切にする心が芽生えるようです。
私もこの考え方に賛成です。
聖書を文字通りよめば自然や生き物に対して非常に傲慢になります。そのような思想を持った西洋キリスト教世界によってもたらされたものが地球規模の環境破壊なのですから、厳しく非難されてしかるべきです。
それに対する処方箋の一つは、統一原理で説かれているように、「すべてのものを治めよ」という聖書の神の言葉は、決して好き勝手に、思い通りにして良いという意味ではなく、むしろ「大切にせよ」とか「正しく管理せよ」という意味で解釈することだと思います。
実際ローマ人への手紙の8章には
「被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けている・・」とも書かれています。
愛と尊敬の心を持って自然に対して向き合うことはキリスト教の精神とも矛盾しません。動物を殺めることを罪とまで言いきるかどうかが仏教との差異になりますが、無駄に殺さない、畏敬の念をもって感謝を込めて食するという姿勢は必要だと思います。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - チェ・サンウ
2010/10/31 (Sun) 21:44:22
ENOCKさん
>私もこの考え方に賛成です。
ありがとうございます。でも、僕は言っておきながら自覚しきれていません。
>聖書を文字通りよめば自然や生き物に対して非常に傲慢になります。そのような思想を持った西洋キリスト教世界によってもたらされたものが地球規模の環境破壊なのですから、厳しく非難されてしかるべきです。
そうですね。やっぱり、あの聖句は事実と読むべきではないですよね。仏教のお坊さんの説教を聞きに行った時も、一緒に説教を聞いていたおじいさんが、「仏教はすべての命は平等だけど、キリスト教は神様が動物を食べることを公認しているからそこが嫌い」と言っていました。あの真流一の会の教祖も、「仏教はすべての生命は平等なのに、神が動物を殺して食べることを公認しているキリスト教は邪教だ!」と言っていました。でも、どちらも文字どおりに解釈し、事実と捉えているのだと思います。
>それに対する処方箋の一つは、統一原理で説かれているように、「すべてのものを治めよ」という聖書の神の言葉は、決して好き勝手に、思い通りにして良いという意味ではなく、むしろ「大切にせよ」とか「正しく管理せよ」という意味で解釈することだと思います。
「大切にせよ」はいいと思いますが、「正しく管理せよ」と捉えることは、仏教ではまだ動物を下に見ていて、人間の思い上がりと説きます。対等な関係には、一方が管理してもう一方が管理されるということはないです。「AさんがBさんを管理する」と言った場合、AさんはBさんよりも上の立場です。AさんはBさんを管理するわけだから、AさんにもBさんを下に見る心が生じると思います。
でも、我々は動物を下に見ています。僕だってこのスレを立てておきながら、豚や牛を食料にしか思っていません。仏教は「動物の生命を対等に見なさい」と言っているのではなく、我々の実態を言っているのだと思います。つまり、本来、動物の生命と人間の生命は対等だけど、我々はその自覚がないと。
>愛と尊敬の心を持って自然に対して向き合うことはキリスト教の精神とも矛盾しません。動物を殺めることを罪とまで言いきるかどうかが仏教との差異になりますが、無駄に殺さない、畏敬の念をもって感謝を込めて食するという姿勢は必要だと思います。
動物を殺すことを罪とするかしないかは、「原理講論・聖書vs仏教の経典」で対立しても決着はつかないと思います。どちらの考えが建設的かで、決まると思います。
仏教的には愛と尊敬の心を持って感謝しても、食べられる動物にとっては関係ありません。例えば、自分が食べられるとしたら、食べる人が畏敬の念と感謝をこめていても嫌です。ごく一般に言われる食前の「いただきます」は、「生命をいただきます」だとある僧侶が言ってました。自分を生かしてくれる犠牲になった生命に感謝する意味で「生命をいただきます」です。でも、自分が食べられるとしたら、食べる人がこのように感謝していても嫌です。
「自分は他の生命を犠牲にして生きている」という自覚が持てれば、逆に生命を重んじる心が芽生えると思います。フリーセックスによって生まれた望まれない生命にも慈悲の心が芽生えると思います。
Re: フリーセックスと生命の尊重 - 大川
2010/11/01 (Mon) 02:08:09
チェ・サンウ
極めて失礼な発言の数々なので、反論してから仕事に入ります。
>この聖句は大川君に言わせると事実らしいです。
一言も言っていません。
このような、勝手な憶測で話を展開させるのは、止めて下さい。
一般常識の最低ランクです。
>事実である根拠を示すそうですが、
誰も言ってません。
作り話から、批判をするというのは、
極めて非常識な人間ですね。
>もともと、仏教では人間も動物も同じ命とします。このように考えると神様が人間に、動物を食べてもいいと言うことは考えられません。だから、寓話だと思います。
神様の存在を認めているのでしょうか?
その場しのぎの発言です。
>ここで、神様が人間に動物を食べてもいいと言ったことが事実か、人間の命と動物の命が同等かどうかで大川君と遊ぶつもりでした。
いかに、失礼の人間であるか、良く分かります。
>多分聖書や原理講論を根拠に持ってきて人間の命が一番偉いと言ってくると思うから、
全く違っています。
>でも、ここはどちらの考えが建設的かで判断するべきだと思います。「動物は神様が食べてもいいと言ったから食べる」では、動物にとっては非道な神様だと思います。動物も捕まえようとすれば逃げます。すべての命は死にたくありません。多分大川君は神様に感謝するようなことを言ってくると思いますが、
いうつもりありません。
>これを読んで多分、大川君は「寓話だ!」と言ってくると思います。でも、これが寓話だったら、統一原理は成り立たないし、「都合のいいところだけ寓話にしてる」とツッコミを入れてやりたくもなります。
聖書が何のために書かれ残されたかを、全く理解していないようですね。
もう少し、社会経験を積み、常識をわきまえたほうが宜しいですよ。このご時世ですから、就職先が無くなってしまいます。