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パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会
2010/12/26 (Sun) 02:07:36
顔出して間もない新参者ですが、ひとつ宜しくお願い致しやす。(旅鴉渡世人風・笑)
ここのBBSは他と違い、現役、一般、離教者など、立場が違っても比較的まっとうな議論をしていて参考になります。そういう意味(あくまでそういう意味ね)では北上氏に感謝したいところです。
ここはUCでも良識派の方々がいるところなので、これから話す内容に聞くに堪えないと思われる人は初めからスルーか耳栓しておいて下さい。(笑)
誰彼にもの申すという以上に、自らの気持ちの整理のためにスレを立てさせていただきやしたw
前置きはこのくらいにして、テーマに入ります。
統一教会といえ千差万別、十人十色。その人の信仰路程で様々な出来事に遭遇してきたと思いますが、それでも25年以上信じてくると良いことばかりでなくなってきました。
それはよくあるアベル・カインの話。大半の離教者はここに躓くと言われてますねwかく言う僕もその一人かも知れません…
岩の上にもなんとやら、瞬時に結論を出したわけでもなく、相談者が当然いたのですが、脱藩を決意したのは自分です。
身に降りかかった火の粉を払っただけでなく、まわりの悲惨な出来事に耐えられなくなった義憤もありました。
スレに挙げた様に数々のパワハラを見て聞いて「これはおかしい!」という思いと「自分が不信仰なのか?」という両方の思いに苛まれ、ストレスもハンパない時も過ごしてきました。
具体的には牧会者の横暴無尽な振る舞いで、多くの婦人達が泣かされ、スタッフは降格やクビ、人事異動で飛ばされるなんてしょっちゅう。挙げ句の果てに配下の代理店主から店の資金まで持ち出させた上に返済せず倒産に追い込み、知らん顔でそのまま何処かへ人事異動で逃げていく…残ったのは多額の借金と食口達の恨みだけ。本人は摂理に貢献した「勝利」という評価で違う地区へ‥
「こんなことがあっていいのか!!??」
同じ所属だった先輩家庭に内々に茶店で率直に相談したこともあった。その人は遙かに信仰歴も長い人格者で最初はアベル批判に引っかからないように慎重に言葉を選びながら僕を諭そうとしたが最後には、
「いずれそういうアベルは淘汰される時が来ると思うけどね ~」
無理もない、その方自身も大勢の前でその牧会者から罵倒された経験もあり、被害に遭った婦人達の牧会もしてきた人なので、窮状はよく知っていたのだから…
「やっぱそうなんだw大先輩でも本心はそう思ってたんだ w」
と納得した。
今でも何処かでその暴言牧会者は責任者として君臨しているかも知れないと思うと居たたまれない。
昨今の人事発令で韓国へ帰されていたらホッとするが、組織と距離を置いた今はリアルタイムで確認できなくなった。
何故被害を訴えなかったのかという素朴な疑問?
外部から見たら当然だろう。でも信者内部の目線ではそこまでいかない。すべては“蕩減問題”によって理解しようという思想と、カイン側の受けとめ方の問題という信仰教育によって無理矢理飲み込むことに慣れさせられてきたからだと思う。他のアベルに相談しても、大概は信仰的忍耐を勧められる。その当時のUCには苦情相談窓口なんて無い時代だし、あっても自浄能力は期待できない組織だ。現に牧会者のお咎めはせいぜい口頭注意だけで、その人物を知らない何処か別の地区に異動になるだけだから。そしてまた同じ事をやらかしてまた他の地へ…
人を批判する前に自分の問題と捉えるようにという教え込み(主にセミナー教育)がMCの本質とするなら、UCの徹底化された教育方針が凄いというべきなのか…!?
もちろん鞭で叩かれながら調教されたのではなく、教育スタッフ達に愛されて教えられたから反感もなく自覚もない。その段階で違和感を覚えた人は離れているだろう。
なので後から違和感を感じると余計に苛まれるのだと思う。
僕もまだ後遺症が多少残っている…自分は正しかったのか‥!?
今のところ大方間違っていなかったという思いが増して、日々後遺症はなくなりつつあるが、この不可解な組織のどこが間違いなのか?最初からなのか?途中からおかしくなったのかという問題点にはいまだに100%明確な結論には到っていない気もする。
そこをハッキリさせたいということで探求しようと思います。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/26 (Sun) 09:01:11
国家公安委員会さん
お気持ちよくわかります。
私の過去のコメントを見ていただければ同じような道を通過していると理解できるでしょう。
今日もこれから礼拝に行きますが、私が教会にとどまる理由を少し書きます。
横暴な中心者は確かにいましたが、時のみ言葉も存在していました。
私の場合、還故郷摂理のときは、すぐに故郷に帰してくれませんでしたが、「脱会して田舎に帰って、田舎の教会に再入教する」と中心に詰め寄ってやっと帰ってきました。
お父様のみ言葉をストレートに日本で実践しようとすれば、強烈な摩擦が生じます。女性連合やTS問題もそうでしょう。
その後氏族メシヤの摂理が本格化しましたが、私はうまくいきませんでした。結局サタンにやられたんです。
この時から、どうして?という疑問ですね、伝道について、情の問題、霊的問題、実践力の問題など様々なことを考えました。
が結局、「み言葉をわかっていなかった」と言う結論にいたりました。
私は、自分が責任を果たせない原因(み言葉の不理解)をずっと探しています。掲示板に書き込むのもそのためです。
ですから、あえて組織批判はしたくありません、おかしな食口がいたら噛みつくくらいです。
教会の中にいようが外だろうが、問題は理想家庭、氏族家庭教会の主人になれるかです。
そう思っています。
ただ今は、祝福の祝祷権が教区長にあるいじょう関係は切ることはできないと思っています。
本当に氏族メシヤを勝利すれば自分が祝祷できるはずです。
参考までに
私が多くの気付きを与えてもらったブログを紹介しておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/wbbkt408/folder/648070.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hosea184/folder/40270.html
私の今の目標は、現役食口、内的に離れた食口、内外共に離れた食口、分派に行った食口が安心して戻ってこれる、安心して伝道できる母港のようなコミュニティをつくることです。
そのためには、み言葉の真の共通理解と認識が必要であると思っています。
こういうことを言い出すと分派あつかいされるので内部の人にはとても注意しています。しかし理解してくれる食口も沢山います。
今のところネットでの知り合いが数人ですが、まだみ言葉に対する共通理解が難しい段階です。
民主党のごたごたをみていると、身につまされます。
我々の姿をみているようで・・・
我々がアベル圏だとすれば、我々の変化が政治にも現れてくると思います。
その答えをテレビで毎日見ているようです。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会
2010/12/27 (Mon) 00:09:40
サライさんへ
>私の過去のコメントを見ていただければ同じような道を通 過していると理解できるでしょう。
僕もそうでしたが、さぞかし誤解や否定されたことでしょうw(笑)
一度、「カイン的」とレッテルを貼られると大変ですからねw
>今日もこれから礼拝に行きますが、私が教会にとどまる理 由を少し書きます。
所属教会は公認の大きな所ですか?田舎の未公認の素朴な所ですか?
>横暴な中心者は確かにいましたが、時のみ言葉も存在して いました。
時のみ言とは、横暴な中心者でも何かみ意があったという意味なのでしょうか?
>お父様のみ言葉をストレートに日本で実践しようとすれ ば、強烈な摩擦が生じます。女性連合やTS問題もそうでし ょう。
TSは惜しいことしました、でもあれはTP直接の原因ではなく、韓国のTS担当幹部と川瀬代表の軋轢が原因では?
TSから上がった献金額が誤魔化された(上で一部横領?された?)ことに不快感を抱いて溝が出来たとか。
韓国幹部の偏った報告に激怒したTPの指示で最後は潰したということでじゃなかったですかね。
>その後氏族メシヤの摂理が本格化しましたが、私はうまく いきませんでした。結局サタンにやられたんです。
これは僕もうまくいかなかったです。ですがサタンにやられた感はありません。
実家を離れて20数年間のヤコブ路程が無駄なはずはなく、他に原因があると感じました。不足だとしてもやりきったものがあったはずなので、内的なものが原因だとしてもどこかが間違っていたと思いますね。
教会から距離を置いてからの方が、本当の意味で親子の距離が近くなってきています。まだまだですが‥
>「み言葉をわかっていなかった」と言う結論にいたりまし た。
ここで見解が分かれますねw
僕はあまり自分の問題だという要素を感じなかったです。もう相当にやり尽くした感情もあったし、親に認めてもらう術に全力投入してきた結果を全否定されれば他に言うことはなく、み言を実践化した集大成の組織でも結果が出せないどころか社会問題化してきた訳だから、ここに元凶があるとね。
>私は、自分が責任を果たせない原因(み言葉の不理解)を ずっと探しています。掲示板に書き込むのもそのためで す。
サライさんの思考と僕のそれとは真逆になりますねw(笑)
自分はあくまでも組織論的な原因を探求してますから…
僕は組織に言いもしたし、行動もしてきたので燃え尽きました‥白い灰に…orz(byあしたのジョー・爆)
「なんでも自分の責任論」だと必要以上に疲れませんか?
かといってなんでも責任転嫁した方が~っていうことでもありませんけどね。その境界線はわきまえているつもりです。
>教会の中にいようが外だろうが、問題は理想家庭、氏族家 庭教会の主人になれるかです。
今の僕は親が亡くなった後の後継者として墓守と、子供の教育と子孫繁栄に責任を持つ普通の親を目指しています。
それは自然体で理想的な家族像を追い求めていることなのでしょう。
>参考までに私が多くの気付きを与えてもらったブログを紹 介しておきます。
古い日本的原理信仰観とは一線を画すものかもですねw
ただ自分的には原理講論やみ言に執着しない観点、広視野で俯瞰できる事実を探し始めています。
>私の今の目標は、現役食口、内的に離れた食口、内外共に 離れた食口、分派に行った食口が安心して戻ってこれる、 安心して伝道できる母港のようなコミュニティをつくるこ とです。
これには期待します。
ただ大きなポイントは超絶献金をどう処理するかです。
あればっかりはTP直の指令ですよ。
そこら辺の事はどうお考えですか? 是非お聞かせ下さい。
>そのためには、み言葉の真の共通理解と認識が必要である と思っています。
こういうことを言い出すと分派あつかいされるので内部の 人にはとても注意しています。しかし理解してくれる食口 も沢山います。
僕はここも難しい論点だと思っています。
共通化するとどうしても温度差が生じやすい。
極論で例えると戦時下の日本。軍国主義一辺倒の時代では自分勝手な言動は厳しく処罰された。
統一された思想の中での不協和音は異端視されやすいですよね。これはUCに限った事ではありませんけどね。
ジョンレノンのイマジンの世界観。あれはいいなと思います。
おっと、リベラルだとか言わないで下さいよ、話が終わってしまいますから…
>今のところネットでの知り合いが数人ですが、まだみ言葉 に対する共通理解が難しい段階です。
ネットでの反UC論者との共通理解も難しいですよw
どこまで否定するのかと、恨みの強弱で(笑)
特に反牧系教会まで入信しちゃうと更にですね。向うは相当に理論武装しちゃってますから、聖句やら神学やら…
>民主党のごたごたをみていると、身につまされます。
我々の姿をみているようで・・・
我々がアベル圏だとすれば、我々の変化が政治にも現れて くると思います。
その答えをテレビで毎日見ているようです。
確かに民主はごたついてますけど、その前の政権交代はどう解きますか?
お返事お待ちしてますw
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - チェ・サンウ
2010/12/27 (Mon) 00:11:13
国家公安委員会さん
>統一教会といえ千差万別、十人十色。その人の信仰路程で様々な出来事に遭遇してきたと思いますが、それでも25年以上信じてくると良いことばかりでなくなってきました。
人間は基本的に自分にとって都合の良い状態を求める生き物です。統一協会に入信する人も最初は、自分にとって都合の良い状態を期待して入信したと思います。
>それはよくあるアベル・カインの話。大半の離教者はここに躓くと言われてますねwかく言う僕もその一人かも知れません…
岩の上にもなんとやら、瞬時に結論を出したわけでもなく、相談者が当然いたのですが、脱藩を決意したのは自分です。
身に降りかかった火の粉を払っただけでなく、まわりの悲惨な出来事に耐えられなくなった義憤もありました。
スレに挙げた様に数々のパワハラを見て聞いて「これはおかしい!」という思いと「自分が不信仰なのか?」という両方の思いに苛まれ、ストレスもハンパない時も過ごしてきました。
具体的には牧会者の横暴無尽な振る舞いで、多くの婦人達が泣かされ、スタッフは降格やクビ、人事異動で飛ばされるなんてしょっちゅう。挙げ句の果てに配下の代理店主から店の資金まで持ち出させた上に返済せず倒産に追い込み、知らん顔でそのまま何処かへ人事異動で逃げていく…残ったのは多額の借金と食口達の恨みだけ。本人は摂理に貢献した「勝利」という評価で違う地区へ‥
「こんなことがあっていいのか!!??」
同じ所属だった先輩家庭に内々に茶店で率直に相談したこともあった。その人は遙かに信仰歴も長い人格者で最初はアベル批判に引っかからないように慎重に言葉を選びながら僕を諭そうとしたが最後には、
「いずれそういうアベルは淘汰される時が来ると思うけどね ~」
無理もない、その方自身も大勢の前でその牧会者から罵倒された経験もあり、被害に遭った婦人達の牧会もしてきた人なので、窮状はよく知っていたのだから…
「やっぱそうなんだw大先輩でも本心はそう思ってたんだ w」
と納得した。
アベル・カインというのは確か上下関係で、アベルが上の立場でカインが下の立場の人でしたよね。人間は主観を持った生き物で主観からは離れられません。主観と主観がぶつかるから、対立するのです。これを確か、統一原理的に、聖書のアベルとカインの物語の蕩減とか言ってましたよね。そもそも、アベルとカインの話が事実かどうかが問題です。それに、反対牧師の先生の話では、アベルとカインの話からは、人間関係は見いだせないそうです。この点はよく分かりませんが。
>何故被害を訴えなかったのかという素朴な疑問?
外部から見たら当然だろう。でも信者内部の目線ではそこまでいかない。すべては“蕩減問題”によって理解しようという思想と、カイン側の受けとめ方の問題という信仰教育によって無理矢理飲み込むことに慣れさせられてきたからだと思う。他のアベルに相談しても、大概は信仰的忍耐を勧められる。その当時のUCには苦情相談窓口なんて無い時代だし、あっても自浄能力は期待できない組織だ。現に牧会者のお咎めはせいぜい口頭注意だけで、その人物を知らない何処か別の地区に異動になるだけだから。そしてまた同じ事をやらかしてまた他の地へ…
この問題は、蕩減問題と捉えるより主観と主観がぶつかるからと捉えた方が建設的だと思います。蕩減問題は証明不可能です。主観と主観がぶつかると捉えることは起きている出来事をありのままに捉えているけど、蕩減問題とすると分けの分からない妄想を無理やり原因にしているような気もします。お釈迦様の教えの根幹は、「起きている出来事をありのままに観察せよ」です。蕩減問題を原因ととしても、いまだ解決しないから蕩減問題とするところに間違いがあるような気もします。
>僕もまだ後遺症が多少残っている…自分は正しかったのか‥!?
今のところ大方間違っていなかったという思いが増して、日々後遺症はなくなりつつあるが、この不可解な組織のどこが間違いなのか?最初からなのか?途中からおかしくなったのかという問題点にはいまだに100%明確な結論には到っていない気もする。
そこをハッキリさせたいということで探求しようと思います。
誰彼にもの申すという以上に、自らの気持ちの整理のためにスレを立てさせていただきやしたw
自分が正しかったか間違っていたかは、それほど問題ではないと思います。国家公安委員会さんが統一協会にいたことは事実で、そこには「間違っていた・正しかった」はないと思います。それに、これは統一協会にいたことに対する執着です。気持ちの整理なら、今、サライさん、ENOCKさんと議論している「初期仏教について語ろう!」に参加してみてはどうでしょうか?執着についても話題になっています。ここに書き込んでいれば気持ちの整理ができて、自分が正しかったのかも自然と答えが出てくると思います。特に初期仏教の知識は必要ないです。初期仏教自体、言葉にしてしまえば、単純なことしか言ってません。起きている出来事をありのままに観察するという観点で、自分の身の周りや心境を書くだけで十分です。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3253032
>我が家系の宗派が浄土宗なんです。浄土真宗については天地正教時代に映画「白い道」を見て感銘を受けましたね。
親鸞の人間くささと葛藤には共感します。
あとは90年代には親鸞会がUCを目の敵にして、街頭伝道を邪魔されましたねw(笑)
浄土宗は法然でしたね。親鸞会は北上君が離れていた時にそこで仏教を学んだっていうし、僕もその分派の真流一の会と関わったことがあります。親鸞会も真流一の会も教義はほとんど浄土真宗で、一部正統派と違うだけだから教義自体は統一原理よりまともです。北上君は何を学んでいたのだろうと思います。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/27 (Mon) 07:38:17
国家公安委員会さん
>所属教会は公認の大きな所ですか?田舎の未公認の素朴な所ですか?
田舎の公認ですが素朴ではありません。
ちなみに、去年、国進様のリストラで公務から外された組です。その時は田舎の未公認の素朴な所でした。
>時のみ言とは、横暴な中心者でも何かみ意があったという意味なのでしょうか?
中心者からのみ言葉(非公式なお父様の指示など)は、だいぶ歪曲して伝わってくるので、議論の対象ですが、ファミリーなどで公式に発表されるみ言葉は少し時期が遅れますが重要な内容が語られています。白井講師などが摂理解説をして公的に発表されますが、食口たちの理解は深まらず、主体的に歩む動機まで行かず、結局中心者の指示待ちになってしまう。もっと考えるべきだと言うのが私の基本的考え方です。
>TSは惜しいことしました、でもあれはTP直接の原因ではなく、韓国のTS担当幹部と川瀬代表の軋轢が原因では?
TSから上がった献金額が誤魔化された(上で一部横領?された?)ことに不快感を抱いて溝が出来たとか。
韓国幹部の偏った報告に激怒したTPの指示で最後は潰したということでじゃなかったですかね
以前の教会長がTSの中堅幹部でしたので詳しく聞いていますが結局は二代目教主の不信仰ではないでしょうか?
ワコムも同じような雰囲気を感じます。
でも当事者でないので、あれこれ言っても推測の域をでません。
>実家を離れて20数年間のヤコブ路程が無駄なはずはなく、他に原因があると感じました。不足だとしてもやりきったものがあったはずなので、内的なものが原因だとしてもどこかが間違っていたと思いますね。
教会から距離を置いてからの方が、本当の意味で親子の距離が近くなってきています。まだまだですが‥
「ヨシュアの天国をつくろう」 このブログを隅々まで読んでみてください。正月ですから時間がとれるでしょう。
また
亨進様の「天和堂」という本が出ましたが、読まれましたか?いまさら読む気もないかもしれませんが、日本で教えてこられた原理観、特に個性完成と家庭信仰に関してはずいぶん違います。いま他のスレでチェ・サンウさんと仏教の議論をしていますが、仏教の修行をしてこられた亨進様の実践的アプローチは今までの統一教会では、ほとんどなかったことです。
>「なんでも自分の責任論」だと必要以上に疲れませんか?
私は組織の問題ももちろんあると思いますし、傷つきもしました、国家公安委員会さんの歩みも痛いほど解ります。祈りさえできなくなりました、私も。
が、その批判のエネルギーは組織に向かうというより、み言葉に向かうべきであったと最近きづいてきたのです。
>ただ自分的には原理講論やみ言に執着しない観点、広視野で俯瞰できる事実を探し始めています。
たぶん国家公安委員会さんも青春時代を含め20年以上信仰されてきたのではないかと思いますが、原理は簡単には抜けないと思います、あらゆる宗教哲学の結論みたいなものですから・・・あるとすれば啓示からの俯瞰ではないかと・・・
>ただ大きなポイントは超絶献金をどう処理するかです。
あればっかりはTP直の指令ですよ。
先に紹介した二人のブログ管理人のスタンスを指示しています。
献金しなかったとしても殺されません。
今頑張っておられれる人たちに頼るしかないでしょう、しかし「新しい道は私たちが創っておく」という考えです。
本来、日本の失敗がなければ十・一条献金をするだけで、十分まかなえる額だったはずです。これは5万50万の時からの命題です。今50万の十・一条会員がいればそれだけでそうとう楽なはずです。借金や賠償金、和解金の返済がなければお父様の要請はクリアできるはずです。無理を言っておられる父母様ではないと思います。
ですから、気づいた者が主体的にやっていかなければならないでしょう。そういうスタンスです私は。そういう意味では今教会で頑張っている食口たちに負債を感じているのも事実です。持ちつ持たれつ頑張ればいいのではないでしょうか?
>ネットでの反UC論者との共通理解も難しいですよw
どこまで否定するのかと、恨みの強弱で(笑)
特に反牧系教会まで入信しちゃうと更にですね。向うは相当に理論武装しちゃってますから、聖句やら神学やら…
100%の一致は不可能だと思います。60点が合格ラインだとすればそれくらいでいいのではと思っています。
方向性が一致すればいいと思っています。
そして、その中から氏族メシヤ勝利者が出たらその人の全てを相続したら良いと思います。
こういうところで発言しながら、実は氏族メシヤ勝利者を探していると言うのもあります。
分派のように対立関係ではなく、WIN WIN でやっているすばらしい祝福家庭に会いたいとも思っているんです。
>政権交代はどう解きますか?
その時は色々考え、人の意見もありましたが、忘れました。
たぶん、当時は公安問題でごたごたしていたので、悔い改めない日本教会をつぶすための外的刷新であり、神様の役事だと考えていたように思います。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会
2010/12/27 (Mon) 11:42:12
>田舎の公認ですが素朴ではありません。
ちなみに、去年、国進様のリストラで公務から外された組 です。その時は田舎の未公認の素朴な所でした。
公務リストラで大変だったのではないですか?
>中心者からのみ言葉(非公式なお父様の指示など)は、だいぶ歪曲して伝わってくるので、議論の対象ですが、ファミリーなどで公式に発表されるみ言葉は少し時期が遅れますが重要な内容が語られています。白井講師などが摂理解説をして公的に発表されますが、食口たちの理解は深まらず、主体的に歩む動機まで行かず、結局中心者の指示待ちになってしまう。もっと考えるべきだと言うのが私の基本的考え方です。
公文やUCスポークスマンは“臭いものには蓋”の隠蔽体質であてになりません。
白井講師の小難しい解釈も現場の牧会者は都合の良い部分しか活用しないですよね。結局は献金の詰めに利用するだけで、心霊の復興にはなっていないのが実情ではないでしょうか‥
>以前の教会長がTSの中堅幹部でしたので詳しく聞いていますが結局は二代目教主の不信仰ではないでしょうか?
ワコムも同じような雰囲気を感じます。
でも当事者でないので、あれこれ言っても推測の域をでません。
自分は88年~90年にタッチした程度でTS終盤期にはUCに戻っていたから憶測の域をでませんが、その元TS中堅幹部がTSを主管した韓国幹部寄りの人なら二代目を悪く言うでしょうね。
よくあるUC伝統の「去った者の5%が足りなかった」という見解です。
ネット情報でも韓国人幹部の手癖の悪さを糾弾しています。
S総会長もしかり、韓国系幹部はポケットマネーを要求します。向うの文化や習慣ですが、公職者が賄賂を要求し受け取っているようなものです。一般信者が破産や債務整理をしながら献金したものを私的に手を付ける。これは天法にも引っかかる行為でしょう。
>「ヨシュアの天国をつくろう」 このブログを隅々まで読 んでみてください。正月ですから時間がとれるでしょう。
冬期休暇はネット環境が制約されるので、気が向いたらにしておきましょう。
それに分派ではないので、あまり原理に重きを置いておりませんし…まあ、サライさんが言うなら、三箇日過ぎて初仕事終わったあたりにでも読んでみましょうかw
>また亨進様の「天和堂」という本が出ましたが、読まれま したか?いまさら読む気もないかもしれませんが、日本で 教えてこられた原理観、特に個性完成と家庭信仰に関して はずいぶん違います。いま他のスレでチェ・サンウさんと 仏教の議論をしていますが、仏教の修行をしてこられた亨 進様の実践的アプローチは今までの統一教会では、ほとん どなかったことです。
たとえ良いものでも責任者が代わると違う見解が出てくるのもどうかなと…今までは何だったの?と思ってしまいます。
「大事な教義なのに間違ってたの?」と言いたくもなりますしね。
そこら辺のいい加減さに頭が来ますw
禅宗の“自力本願”には興味ありますよw
>私は組織の問題ももちろんあると思いますし、傷つきもしました、国家公安委員会さんの歩みも痛いほど解ります。祈りさえできなくなりました、私も。
が、その批判のエネルギーは組織に向かうというより、み言葉に向かうべきであったと最近きづいてきたのです。
僕はみ言を体言化したはずのTPと文一族を見ても失望するばかりです。なのでみ言には向かわなかったですねw
>たぶん国家公安委員会さんも青春時代を含め20年以上信 仰されてきたのではないかと思いますが、原理は簡単には 抜けないと思います、あらゆる宗教哲学の結論みたいなも のですから・・・あるとすれば啓示からの俯瞰ではないか と・・・
25年以上も真理だと思ってきたことは簡単には抜けないでしょうねw ま、後半の6年ほど疑問に苛まれて本心では疑っていたんでしょうけどねw
あらゆる宗教哲学と言うには不足していませんか?今の日本UCにはキリスト教精神が欠落しているように思えます。
啓示となると解釈が大変そうですねw(笑)
主観によって分派を作りそうでw(笑)
>献金しなかったとしても殺されません。
もう既に献金絡みの死人が出てますよw!
アベルがカインを直接殺した(!?)事件ではないですが、北長野で献金を管理する責分の女性食口が飛び降り自殺してます。上のFBとお金を教会に貸した食口との狭間に立って鬱的になり、自殺されてしまったとのこと。もっとも教会の公文では転落死扱いですがねw
他にも献金を捻出するためにUC関連企業から手を付けてはいけないお金を持ち出した牧会者が返済に行き詰まったストレスで感情が激昂して、クモ膜下を発症し死去したと聞いています。こちらは殉教者扱いにされています。
他にも献金苦からの自殺は埼玉方面でもあったと思います。
自殺を選ぶほどの原因は、責任者からの詰めですね。
>今頑張っておられれる人たちに頼るしかないでしょう、し かし「新しい道は私たちが創っておく」という考えです。
本来、日本の失敗がなければ十・一条献金をするだけで、 十分まかなえる額だったはずです。これは5万50万の時 からの命題です。今50万の十・一条会員がいればそれだ けでそうとう楽なはずです。借金や賠償金、和解金の返済 がなければお父様の要請はクリアできるはずです。無理を 言っておられる父母様ではないと思います。
無理を言ってるからの現状ではないでしょうかw?
失敗したのは日本人でも、それを修正する責任者は能力不足で、行き詰まると「誰でもいいから借りてこい」です。
適正な指導をしていたらもっと改善されていたのでは?と思います。神が相対するアベルなのだからとね。
またそれに責任を持つ総裁はTFです。子女の責任だからといっても「総裁」を名乗る以上はすべての責任者です。
ヘリコプター事故や真の家庭が犠牲になることで責任を取っているとは信じられませんねw
使用者責任、管理者責任の問われ方があまりに逸脱していると言わざるを得ない気がします。
>ですから、気づいた者が主体的にやっていかなければなら ないでしょう。そういうスタンスです私は。そういう意味 では今教会で頑張っている食口たちに負債を感じているの も事実です。持ちつ持たれつ頑張ればいいのではないでし ょうか?
気付いた者が主体的に‥は良いことでしょうw
ただ、責任の所在と謝罪をハッキリさせなければ前に進めないでしょう。と言うスタンスです僕はw
>100%の一致は不可能だと思います。60点が合格ライ ンだとすればそれくらいでいいのではと思っています。
方向性が一致すればいいと思っています。
そして、その中から氏族メシヤ勝利者が出たらその人の全 てを相続したら良いと思います。
そうだと思います。100%はあり得なくて60%ぐらいで上出来かもです。
ただ、日本UCの教条主義者は常に100%の原理理解を強要している気がするのは僕だけw?
氏メの勝利者ですかww理想が高いなぁw
HC勝利者ならいますよねw 中には相当独自路線のカルト的HCになっちゃっている所もありますけどねw(笑)
>こういうところで発言しながら、実は氏族メシヤ勝利者を 探していると言うのもあります。
氏メの勝利者を捜すなら、ここよりもツイッターの方が良くないですかw?リアルタイムでw
ブログやってないんですか?
>分派のように対立関係ではなく、WIN WIN でやっている すばらしい祝福家庭に会いたいとも思っているんです。
自分は事業や仕事でやっていける共同体が出来なければ、宗教活動も無理っぽく感じてます。
>たぶん、当時は公安問題でごたごたしていたので、悔い改 めない日本教会をつぶすための外的刷新であり、神様の役 事だと考えていたように思います。
前にも書きましたが、政権与党は公安の動きには直接関係ないと思います。要はUC自体の動き次第でどうなるかと‥
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/27 (Mon) 18:56:23
>使用者責任、管理者責任の問われ方があまりに逸脱していると言わざるを得ない気がします。
■「真のお父様のお立場(使命)
を考えてみたいと思います。
実は、食口の多くが真のお父様は統一教会の創設者であるから、、統一教会のトップ(中心者=指導者)であると認識しているようです。
しかし、これは、原理的にはありえないことなのです。
真のお父様は再臨のメシヤであることを大前提にすると、第三選民である統一教会の食口および祝福家庭(選民組織)のトップは歴代の教会長(総会長)でなければなりません。
このことは、イエス様について考えてみるとよくわかると思います。
イエス様は、キリスト教の創始者(教祖)であります。しかし決してキリスト教会組織のトップ(代表)には立っていません。もちろん、キリスト教は、イエス様の死後ペンテコステの後、第一弟子のペテロによって出発した経緯があります。
しかし、本質的にはメシヤと選民圏は、主体と対象関係(新郎と新婦)になるため、メシヤの使命を持つ者は選民圏の代表には立てないというのが原理的解釈です。
http://blogs.yahoo.co.jp/wbbkt408/folder/963598.html より
この辺の認識の違いが問題の根っこにあると思います。
結局、私は日本の組織しか知りませんが責任のとり方が曖昧になる伝統があります。
きのう礼拝で面白い話を聞きました。
イエスはキリスト教徒ではなかった
仏陀は仏教徒ではなかったと言う話です。
だから文先生も統一教徒ではなかったという話です。
ですから、真の父母様は統一教会の責任を負わないと言えるのではないでしょうか?
あくまで、祝福によって新たに生じた親子関係による親としての責任を負っておられると私は考えます。
摂理がここまでくるとまさに全人類の父母としての責任をもつ方と言えるのではないでしょうか。
>今の日本UCにはキリスト教精神が欠落しているように思えます。
問題はここにもあります。
本来は2000年の蕩減を払ってきたクリスチャンが最初に祝福を受けるはずだったのに、何の信仰もないものたちをかき集めざるを得なかったのが今のUCですよね。しかし求められる基準は最低のレベルでクリスチャンレベルです。
マザーテレサやキング牧師クラスのアベルが本来だったと思います。
荒野路程終了を前後してアベルの正道の冊子がでましたが、本来アベルの資質があるクリスチャンを前提として書かれた原理講論だったのですが、この”アベル信仰”問題に危惧した櫻井婦人が押して出版されたと聞きました。しかし難しかったのでしょう。
話は変わりますが
国家公安委員会さんはTPをすでに不信しておられるように感じますが、何のために教会組織のどこが間違いなのか?
などと考えておられるのでしょうか?
こういう掲示板で何を目的として書き込みをされているのか正直わかりません。
>、自らの気持ちの整理のためにスレを立てさせていただきやした
と言うことであればまだ未練があるのでしょうか?
あるとすれば、漠然としたものなのか、
それとも具体的に引っかかることがあるのでしょうか?
別に揶揄するためでなく、純粋に聞いてみたいのです。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - かんご
2010/12/27 (Mon) 19:50:25
国家公安委員会さんへ
≫具体的には牧会者の横暴無尽な振る舞いで、多くの婦人達が泣かされ、スタッフは降格やクビ、人事異動で飛ばされるなんてしょっちゅう。挙げ句の果てに配下の代理店主から店の資金まで持ち出させた上に返済せず倒産に追い込み、知らん顔でそのまま何処かへ人事異動で逃げていく…残ったのは多額の借金と食口達の恨みだけ。本人は摂理に貢献した「勝利」という評価で違う地区へ‥
「こんなことがあっていいのか!!??」
同じ所属だった先輩家庭に内々に茶店で率直に相談したこともあった。その人は遙かに信仰歴も長い人格者で最初はアベル批判に引っかからないように慎重に言葉を選びながら僕を諭そうとしたが最後には、
「いずれそういうアベルは淘汰される時が来ると思うけどね ~」
無理もない、その方自身も大勢の前でその牧会者から罵倒された経験もあり、被害に遭った婦人達の牧会もしてきた人なので、窮状はよく知っていたのだから…
「やっぱそうなんだw大先輩でも本心はそう思ってたんだ w」
と納得した。≪
そうですがこれは何年頃の話ですか?
統一教会内における「悪霊の働き」と言うテーマですが、本来こうした問題は余り知らない方が良いのです。知る事には責任があり、正しい対処ができなければ、蕩減が重くなってしまう。公金を横領したカクとその一派にしても彼らが自分で悔い改め、食口達が知らない内に解決するのが最善の道でした。
しかし彼らは悔い改めるどころか、さらなる支配を求めたので今日外的に粛清されるようになったのです。日本に来た韓国人中堅幹部の中にはカクの息がかかった者もいたと聞いていますから、あなたが出会ったのはそれかも知れません。彼らは食口を金ヅルとしか考えていなかった。
さて1992年、共産主義の敗北とともにそれまで冷戦の影に隠れていた民族問題が表に現れて来ました。UC内においても、それまでの対共産主義にいちおうのケリがつき、隠れていた問題が出てくる時代となったのです。ゆえにそのころから、日本統一教内部における悪霊の働きもイロイロあり、おかしな事がたくさnおこったはずです。又その頃から分派問題が起こり始めた。
これは今日までの信仰失敗が重なり、形となったのです。
私の知る信仰失敗はそんなに多くありませんが、久保木会長が亡くなった時教会内では「久保木会長が亡くなる前も病床の久保木会長をアボジが尋ねたり、声をかける事は一切無く亡くなった後もそうだった」と言う事からも何かがあったはずです。
文先生は「6000双以前の食口が問題だ」「その食口たちが摂理を妨害して来た」って言っておられたそうです。
それは今日777双の先輩を教会でほとんど見かけない事と無関係ではないでしょう。
信仰失敗は失敗した本人もよく分かっていない事も多いのです。例えば1990年代の初め頃、まだ広義昭講師が浅見定雄と紙上論争していた頃、突然神学者のウィルソン氏を招聘して浅見と公開神学論争させる計画が持ち上がった。浅見も引くに引けず、これを了承したのです。しかしやれば負けると分かっていた浅見は突然「その神学論争の場で霊感商法の事を聞く事になるがそれでいいのか?」と言い出した。それでとたんに教会側の腰が砕け、この公開論争計画は立ち消えたのです。直後反対派による拉致監禁・強制改宗件数が急に増加したのです。
もしこの時公開論争して勝利しておけば、のちのUcと反対派の関係はかなり違っていた。
信仰者は「神様以外のものを恐れてはいけなかった」のです。しかしその時の担当者は「浅見の口」を恐れたのでした。ために悪霊になめられ主管されるようになってしまった。
これは一つの例ですが、こうした信仰の失敗はたくさん起こったはずです。
≪お父様のみ言葉をストレートに日本で実践しようとすれば、強烈な摩擦が生じます。女性連合やTS問題もそうでしょう。≫
とサライさんは言いますが、具体的な歴史を私も知りたい。
UCに限らず日本における組織は、「長いものに巻かれる」性質からガチガチのタテ社会をつくり、権威主義が横行しやすくなる。韓国のタテ社会と日本のタテ社会はかなり違う。
「長いものには巻かれろ」的な自己保身の体質が日本人には染み付いており、これが組織の体質に影響を与えている。そしてそれは「サタン分立」できない日本人の体質ともいえるでしょう。
「長いものに巻かれろ」の長いものとは権力を指していますが、同時に「ヘビ」を指している。この性質はヘビに巻きつかれやすい日本人のあり方を示している。
明治維新の若者達は当時の権力構造を通して働きかけるヘビから自由になるために脱藩しました。公安さんも「脱藩」と言う言葉を使っているのは、教会内ヘビから自由になりたかったからでしょう。そして2010年今日、日本は明治維新の同時性時代であり、最後の改革と革命の時を迎えている。
この革命は心と信仰の革命となるでしょう。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会
2010/12/27 (Mon) 22:09:58
チェ・サンウさんへ
執着ですかw
ちょっと考えもしなかった言葉です。
チェさんの科学的(哲学的?)論点も面白いですねw
証明不可能というと冷静に考えたくなりますね。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - ENOCK URL
2010/12/27 (Mon) 23:23:48
チェ・サンウさん、サライさん、お久しぶりです。
ENOCKです。
実は私事ですが、引越しを致しまして、ずいぶん忙しくしていたため書き込みの機会を逸しておりました。
引き続き議論が盛り上がっていることを嬉しく思います。
さて、アベルカインについて話題になっていますが、
教会では「カインはアベルを仲保として神様につながる」
というような「信仰」がまことしやかに語られています。
けれど、ここでの「アベル」が誰なのかについては
さも目の前にいる、教会組織のあちこちにいる○○長
であることが当たり前のように受け止められていたよう
に思います。本当でしょうか?
一例として、慶応大学では先生はただ一人「福沢先生」で
あって、それ以外に先生はいないというポリシーから、
教授のことを君づけで呼びます。
本来統一教会も、私達のアベルはただ一人、メシヤである
文先生です。という姿勢で信仰ができていれば、くだんの
アベルカイン問題というのは起きなかったのでしょう。
これは、組織のために理論を誤用してしまった弊害といえます。誤解させたままのほうがはるかに「管理」がしやすいですから。
文先生の説教集「み旨と世界」が出た当時、それを
「読ませない」という方針を出した教会があったそうです。
原理講論のアベルカインの方が都合が良いからです。
まして、リーダーのあるべき資質を説いている
「牧会者の道」などとんでもないということでしょう。
一時期有志の活動によって、そういった文先生の直接語った説教内容がテキスト文書化され、インターネット上で自由に読めた時代がありました。けれど、「み言の著作権」ということで、今はそれらの資産が自由に読めなくなってしまっています。表向きは分派対策ですが、実際のところは、信徒が「知りすぎる」ことで内部の統制がとれなくなることを恐れたのではないかと思っています。
肯定的にとらえる信仰は信仰として、当たり前のことは
当たり前に言える、当たり前の社会を創りたいものです。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会
2010/12/27 (Mon) 23:38:37
かんごさんへ
>そうですがこれは何年頃の話ですか?
これらは2005年前後の話です。
>日本に来た韓国人中堅幹部の中にはカクの息がかかった者 もいたと聞いていますから、あなたが出会ったのはそれか も知れません。彼らは食口を金ヅルとしか考えていなかっ た。
S総会長も地方講話に行くと1回につき10万円も謝礼を要求してるそうですよw
>久保木会長が亡くなった時教会内では「久保木会長が亡く なる前も病床の久保木会長をアボジが尋ねたり、声をかけ る事は一切無く亡くなった後もそうだった」と言う事から も何かがあったはずです。
会長職を降りた晩年の久保木会長は、度重なる献金路程に閉口して、教会関係職ではなく勝共活動に専念されたと聞いています。
>それは今日777双の先輩を教会でほとんど見かけない事 と無関係ではないでしょう。
僕の若い頃は777双の巡回師や先生の講話なんていうのがありましたよw
今ではもう年齢も高いしで出番がなくなったのではないでしょうか‥
>それでとたんに教会側の腰が砕け、この公開論争計画は立 ち消えたのです。直後反対派による拉致監禁・強制改宗件 数が急に増加したのです。
本部の対応は昔から弱腰です。
3万双報道が過熱した頃、本部の敷地内に押し寄せるマスコミの対応したのは総務局長ではなく若い下っ端(失礼)でしたwしかもその局長はその兄弟に押しつけといて奥へ引っ込んでしまったとか。
当時のマスコミはしつこく本部のコメントを要求してきたが、すべて無視した。するとK社のB谷氏が勝手にTBS
に行ってワイドショーに出てしまい、生放送(だったかな?)でコメントしてしまった。慌てた本部は後にB谷氏を厳重注意したが、彼の言い分は、
「誰も何も言わないからいいように言われているんだ!誰も 行かないなら、代わりに俺が行ってやる!」
という本部の弱腰に対する抗議でもあったとか。
>信仰者は「神様以外のものを恐れてはいけなかった」ので す。しかしその時の担当者は「浅見の口」を恐れたのでし た。
80年代の霊感商法をやめたキッカケは、Fコマンダーが弁護士の忠告を聞き入れたからと言われています。TPは「やめるな」と言われたのにもかかわらずにです。(僕はそれで良かったと思いますがね)
>明治維新の若者達は当時の権力構造を通して働きかけるヘ ビから自由になるために脱藩しました。公安さんも「脱 藩」と言う言葉を使っているのは、教会内ヘビから自由に なりたかったからでしょう。
脱藩というとカッコイイですが、実際には「やむを得ず」格好悪く言えば「這々の体」です(笑)
結果的には一年も経たないうちに閉鎖されたので、先見の明があったのかも知れませんが…‥
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - かんご
2010/12/28 (Tue) 21:35:11
ENOCKさん。お久しぶりです。
なるほど「誰をアベルとみなすか?」は大切なテーマですね。
>一時期有志の活動によって、そういった文先生の直接語った説教内容がテキスト文書化され、インターネット上で自由に読めた時代がありました<
そうですが、今はどうしても読めないのですか?ENOCKさんのホームで読めるようにしてくれませんか?
最近光言社がつぶれそうな感じで愛美書店においてある本も少なくて、おけげで知りたい事を探すのもzしんどくなって来ました。私的には小林社長にがんばって欲しいのですが
しかし、本はまったく売れてない見たいで、こんなに運勢を無くしてしまうなんて・・・・。
本来、メシアの言葉を書いた本や雑誌を売っているのですから、もっと運があっていいはずです。それがこんなに運勢を無くすのには、何かとほうのない信仰失敗しているはずです。小林さんの責任ではないけど、再生させるのは彼の責任でしょう。
サライさん
>我々がアベル圏だとすれば、我々の変化が政治にも現れてくると思います。
その答えをテレビで毎日見ているようです。<
ごもっとも
中心宗教である統一教に起こる事は世界へ波及していくでしょう。
そして歴史は常に異端視された所から生まれてくるのだから、異端的な人の集まりであるこのサイトから次の時代を創る道が生まれるかも知れません。
でも私は中山派は嫌いです。
中山派は一般人を伝道しないで食口しか狙わない。氏族メシアがうまくいかないとか、献金で微妙な立場にいる食口に「こっちの方が献金少ない」といって誘う。
「天上界」なんて言葉も「幸福の科学」とか高橋洋子の所のパクリ?
だいたい「外から与えられる真理が内なる神に出会う」とかキリスト教の内なる神を誤解しすぎである。キリスト教において「内なる神」=創造主であり、最初から真理であり、光なのである。
サライさんの紹介している、少なくとも
http://blogs.yahoo.co.jp/wbbkt408/folder/648070.html
の モラロリヤ・ダムさんは、中山派でしょう。
中山の役事に参加して「清平の役事に比べてアダム級の役事を体験した」なんて書いているし。
どう思ってます?
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - チェ・サンウ
2010/12/28 (Tue) 23:47:28
国家公安委員会さん
見逃していましたが、この言い回しはネット漫才ですか?
>顔出して間もない新参者ですが、ひとつ宜しくお願い致しやす。(旅鴉渡世人風・笑)
ここのBBSは他と違い、現役、一般、離教者など、立場が違っても比較的まっとうな議論をしていて参考になります。そういう意味(あくまでそういう意味ね)では北上氏に感謝したいところです。
ここはUCでも良識派の方々がいるところなので、これから話す内容に聞くに堪えないと思われる人は初めからスルーか耳栓しておいて下さい。(笑)
誰彼にもの申すという以上に、自らの気持ちの整理のためにスレを立てさせていただきやしたw
旅鴉渡世人ってなんか芸人みたいです。もしかして、SSK君や元食口北上君に絡まれていた時の影響ですか?あの時のコメントを読み返しましたが傑作です。国家公安委員会さんはナイスなツッコミ役です。
>執着ですかw
ちょっと考えもしなかった言葉です。
執着は生きて行く上でキーワードになると思います。でも、僕はまだ分かっていないので自分の執着に振り回される毎日です。
>チェさんの科学的(哲学的?)論点も面白いですねw
証明不可能というと冷静に考えたくなりますね。
アベル・カインの人間関係の問題が話題になってますね。これは、サライさんとENOCKさん向けのコメントですが、アベル・カインも「執着」をキーワードに分析すれば解決策が見えてくるかもしれません。
それに、この掲示板では以前信者同士でよくケンカをするから、このことを指摘しました。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3283034
これに対して、サライさんは、イエス・キリスト時代の蕩減と言いました。このことは証明不可能で信じるか信じないかだけど、信じる信じないは自由です。でも、実際、原因がイエス・キリスト時代の蕩減であろうがなかろうが、信者同士は意見の相違でケンカをしています。ここで、イエス・キリスト時代の蕩減ということは信じつつも、実際に起きている現象をありのままに観察すれば、統一原理に初期仏教をアレンジすることになると思います。この分析のキーワードが「執着」です。信者同士でも統一原理理解が違い、自分の理解に執着するからケンカをするのです。
サライさん、ENOCKさん
統一協会の問題は、原因が原理的なことで証明不可能なことでも、実際に起きていることを「無常」、「執着」をキーワードに観察すれば、解決策が見えてくるかもしれません。
それに、原因が証明不可能なことで信じるか信じないかの問題でも、実際に起きていることをありのままに観察することは、統一原理に初期仏教をアレンジすることだと思います。
例えば、信者同士がよくケンカする(問題)。原因はイエス・キリスト時代の蕩減(証明不可能な原理的原因)。実際に起きているから現象をありのままに観察すると、原理理解が違って主観と主観がぶつかるからケンカをしている(初期仏教)。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/29 (Wed) 00:03:02
かんごさん
モラロリヤ・ダムさんについて
中山・ウ~どちらも結構深く入り込んで勉強会にも出ておられるみたいです。
しかし発想は分派の影響を受けながらも独自の考えだと思います。
論理の飛躍があるのでついていけない所もありますが組織の分析などは面白い気づきを与えてくれます。
ENOCKさん
引越しお疲れ様でした
内部事情に詳しい人が集まってきましたね
嬉しい限りです。
外の人は、ついて来れないやり取りですが
このスレで盛り上がりましょう。
国家公安委員会さんの問いかけは
この不可解な組織のどこが間違いなのか?最初からなのか?途中からおかしくなったのかという問題点にはいまだに100%明確な結論には到っていない
に対して私は
「み言葉をわかっていなかった」
逆に言えば
エバを誘惑した時に、神のみ言葉を微妙にすりかえて引っ張って行った、ヘビの狡猾さに6000年たっても引っかかってしまった。
と言うのが答えですが
皆さんの答えは端的に言うと、どのようになるのでしょうか?
教えてください。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - かんご
2010/12/30 (Thu) 18:48:43
国家公安委員会さん サライさん
<この不可解な組織のどこが間違いなのか?最初からなのか?途中からおかしくなったのかという問題点にはいまだに100%明確な結論には到っていない>
に対して
その答えはもっと大きな問題から考えてみるべきだと私は思います。
すなわち、日本とはどういう国で、どのような霊的背景を持ち、どんな性質を持つのか?と言う疑問を解いた後で考えるべきです。。
私達日本人の背景について文先生は「雑草霊界」と言う言葉を使われます。そして、氏族メシアを始めた人の多くが雑草に飲み込まれて帰って来ないと嘆かれている。
私はクリスチャン時代にある牧師のこんな話を聞きました。
「日本人は若い内はキリストを受け入れるのだけど、年をとるとほとんどの人がイエス様を捨て、元の仏教や神道に戻ってしまうのです。」
それからある時、海外から帰って成田に降り立った瞬間、強力なスピチアル・アポレーション(悪霊の雰囲気)を感じて、みぞおちがキュッと硬くなつたのを覚えています。
この体験は結構多くのクリスチャンがしていて、また長くアメリカの先生のお側で活動していた小林という人が八王子教会の教会長をしていた時、それを体験したと言っていました。
つまり、この国は悪霊の雰囲気を持つ国なのです。
そしてお分かりだと思いますけど、この国で祈りの戦いを勝利するのはとても難しいのです。クリスチャンも食口もダンダン祈らなくなる。
そしてその事と今日、文先生が日本に入って来られない事は無関係では無いのです。
つまりこの雑草霊界とは何か?
1月中に私は自分のホームページを作るつもりです。その中でこの雑草霊界と言う奴を徹底的に解明するつもりです。文先生はうまく言われたものです。
なぜなら雑草の中にはヘビや毒虫が潜んでいるものだから・・・。
日本統一教会という組織の中の悪霊、そして日本で氏族メシアを勝利するのはとても難しいと言う事。サライさんは氏族メシアをしていてヘビや毒虫に接したはずです。
そしてどうしたら勝利の道があるのか?
ところでどこか無料でホームページを作れる所と方法を知りませんか?
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/30 (Thu) 20:36:08
かんごさん
>その答えはもっと大きな問題から考えてみるべきだと私は思います。
すなわち、日本とはどういう国で、どのような霊的背景を持ち、どんな性質を持つのか?と言う疑問を解いた後で考えるべきです。
たしかにそうですね。くもの巣にからまっていくような感覚。
私は献身する前、エベレストのトレッキングに一人で行ったのですが、その山道のロッジでは、まさにオリンピック状態で世界中の人と話す機会を持つことができました。
そこで解ったのが日本人の異常さです。一言で言えば「くらい」アメリカ人の底抜けの明るさ、ヨーロッパ系の国の人は生真面目さがあるように感じましたが、信仰(キリスト教)に根ざしているのでおおらかでした。
後に原理を勉強してキリスト教の背景をもった人たちが本来、来るはずだたと聞いて、納得したものです。
今でも、自分はふさわしくないなとよく感じます。
原理講論によれば日本はサタン側のエバ国家となっていますまた、神さも選ぶことができない日本を先生がエバ国家とし立てたんだよと言われています。
しかし、個人的な考えですが、戦国時代にはキリシタン大名が出、おととし私は島原の原城跡に行って祭祀をしてきましたが、3万を超える人間が玉砕したほどその熱心さは驚異的ではないかと思います。
一方遠藤周作の「沈黙」にあるように、日本人の信仰心と言うものに一種独特の雰囲気を感じます。独特なキリスト教。
この掲示板にもこのことについて交流できないかと「キチジロー・・・沈黙」と言うスレッドを立てましたが、相対してもらえませんでした。(T-T)
かんごさん 「雑草霊界」ではなく「雑教霊界」ではなかったかと思います。
いわしの頭さえ信仰の対象にしてしまう日本人の信仰的貞操のなさを言われた言葉だったように記憶しています。
「雑草霊界」は初めて聞きました。
ご存知かもしれませんが、以下のブログは歴史に詳しい食口が書かれています、いつもとても興味深く読んでいます。
秦氏や文家のルーツ、弥勒信仰のことなどとても詳しいです。
http://blog.livedoor.jp/kibikoji/archives/cat_50043433.html
かんごさんのクリスチャンからの感性、考え方期待しています。
>無料でホームページを作れる所と方法を知りませんか?
ENOCKさんがすでに作っておられるので同じサービスのところで作ったら的確なアドバイスがもらえると思いますよ。
開設待っています。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - サライ
2010/12/31 (Fri) 11:19:06
ENOCKさんのHPを散歩していたら良いみ言葉に出会いました。
************
み言で理想を与え、人格で実践を示してあげ、心情で愛を与えなさい。
信仰生活の基準はメシヤである。メシヤに似ることが信仰である。
憂鬱な表情をつくるな。常に心を明るくしなさい。平和な心、真実なる心で歩むとき真実と平和が始まるのである。
誰かが忠告したなら100パーセント受け入れなければならない。
人を判断するためには三年以上研究しなさい。
我々食口はどこに行っても師の立場に立たずに友人の立場に立ちなさい。
人に対するとき、その人の長所を探し出して欠点をかばってあげれば人はついてくる。
この世でも挨拶をするのにその方法があるではないか。祈りにおいても研究してやりなさい。
神様の前に権能よりも知恵を求めなさい。
神は今日まで闘ってこられたが、無理な闘いはなさらなかった。天倫の法度を前に立たせた闘いであった。サタンに対して闘うことのできる法を悟りなさい。法に従わなければサタンも讒訴する。神も認めることができない。
何が善であるか何が悪であるかに対しては、神様も教えて下さらない。それは自分で見分けをつけなけらばならない。
***********
こんな人間になりたいと、私も思います。
みなさん良いお年をお迎え下さい。
Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - かんご
2011/01/11 (Tue) 23:11:49
国家公安委員会さんへ
今あなたが過去に書かれたものを読み返していたのですが、とても疑問に思いました。
20数年にものぼる信仰生活の中であなたはどのように神様と出会い、そしてその関係をどのように深めて来られたのですか?
とても疑問です。もし神様と出会う事もなく、その関係を深める事もなかったのだとしたら、信仰生活に何の意味があるでしょう?
私は全ての元食口に聞きたい。全ての現役食口に聞きたい。
もし信仰生活が神様を感じる日々でなかったとしたら、その生活に何の意味があるでしょう?
100億円献金しても何の意味もない。
100年献身生活をしても何の意味もない。
ただ貧しく生きている。そして貧しい。