あべひさんという読者の方から、本ブログのタイトルへのご指摘がありましたので、良い機会として「夢」について考察します。
今回から引用文の色を、御書をこげ茶色に、歴代会長の指導を紺色に入れ替えます。
●'98年9月13日付聖教新聞 「世界の指導者と語る 第3部16回〜軍隊なき国・コスタリカ アリアス元大統領(ノーベル平和賞)」
道が開けた後は、何とでも言える。要は、逆風の中で、だれが「第一歩」を踏み出すかだ。大統領を支えたのも「貧しい庶民の信頼を、絶対に裏切ってはならない」という思いであった。
(中略)そして、ついに和平案の合意ができた時、中米の全民衆の喝采【かっさい】の中で、大統領は語った。「今日は私の人生で最も幸せな日です。本当に、夢を見続けてきたかいがありました。大多数の人々にとって、私の見てきた夢は実現不可能であり、ドン・キホーテ的ユートピア、幻想にすぎませんでした。しかし、人間は夢を一生懸命見続けていますと、それが実現する時がやって来るものです。」
(中略)ある演説では、フランスの政治家、ギゾーの言葉を引いている。
「悲観的な人は、ただの傍観者【ぼうかんしゃ】で終わる。世界を変えるのは楽観主義者である」
(中略)氏は私にこう語った。「私の国は教育者の国です。だから平和の国なのです」
コスタリカの人々は、兵舎を学校に変え、軍事費を教育費に変え、銃をかつぐ代わりに本を抱えることを選択した。
「必要なのは、軍備への投資ではありません。人間への投資です。教育、環境、医療への投資です。安全保障の概念を変えなければなりません。必要なのは『国家の安全保障』ではなく、より根本的な『人間の安全保障』なのです」 私どもの理念と、まったく合致する。民衆を犠牲にした繁栄は、もろく、危うい。
「教育」と「人権」によって創造した「平和」。この国が自ら「手本」を示していたからこそ、氏の言葉には説得力があった。
ここに引かれた例は壮大な理想と大義です。
立場等もまったく違うのでお叱り覚悟で言いますと、次の部分が長らく記憶に残っていましたので、再掲します。
大統領は語った。「今日は私の人生で最も幸せな日です。本当に、夢を見続けてきたかいがありました。大多数の人々にとって、私の見てきた夢は実現不可能であり、ドン・キホーテ的ユートピア、幻想にすぎませんでした。しかし、人間は夢を一生懸命見続けていますと、それが実現する時がやって来るものです。」
「人間は夢を一生懸命見続けていますと、それが実現する時がやって来るものです」
いい言葉だと思う。
夢に関してもう一つご指導を引きます。
●SGIグラフ〜未来部特集 10年-8月号
質問:「夢」はありますが、自分に自信がありません。
大きな、大きな、もっと大きな
「夢」をもって、立ち上がってもらいたい。
「夢こそ力」です。「希望こそ力」です。人間は
「絶対に、これだけはやりとげるんだ」と
固く固く決意したら、たいていのことは
できるものなんです。
自分が「こうなろう」と、心に強く
念じたとおりの人間になれるものです。
(『希望対話』から)
質問:信仰って、どういうものでしょうか。
信心の力、題目の力は無眼です。
人間が、だれでももっている「希望の力」を無限大に拡大し、増幅する力が、題目にはあるのです。だから、仏法の信仰とは、ひ弱な「心の慰め」ではありません。自分で、挑戦すべき「山」をつくり、「山」を乗り越え、また次の「山」をつくって乗り越えていく。
乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく。
「夢への挑戦」が信仰です。
そのなかで最高の夢が「広宣流布」です。
人類みんなが「私は幸せだ」「生きているのが楽しい」と言える社会をつくろうという夢です。
(『希望対話』から)
未来部向けのご指導ですが、大人の背を見て育つのが子ども達です。
大人自身が夢を持ち、夢を語り、夢を目指す、ロマンある生き方が求められていると思います。
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※仏法の信仰とは、ひ弱な「心の慰め」ではありません。自分で、挑戦すべき「山」をつくり、「山」を乗り越え、また次の「山」をつくって乗り越えていく。
乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく。
「夢への挑戦」が信仰です。
そのなかで最高の夢が「広宣流布」です。
−−−−−−−−−
最高の夢は「広宣流布」
はっきりと指導されています。
レオさんのちょっとした功徳談話がどれだけ「山」を創って克服した結果で収入が倍増したというのが「人間革命」なのでしょうか?
この手の自画自賛話をネットでみかけると
いつも「心の慰め」 つまり
ネット上というバーチャルな世界で自分の自慢を認めて欲しい という惰弱な心が気になるのです。
広宣流布の壮大な夢が「企業努力で収入増えました」という信仰とは関係の薄い結果で濁されてしまうのはいかがかと思います。
冥の照覧 という指導が『新・人間革命』にあったのはご存じでしょうか?
丁度2008年に名字の言でも取り上げられています。
※広布を支えてきたのも、喝采はなくとも、「いざ拡大!」となれば、師のため学会のため、一途に戦う無名の人々である
(名字の言 2008 3/29付け)
そういった影の功労者に光を当てるのが学会流であって、対象者もはっきりとしないネットで、脈絡もなく「唱題行で収入が倍増しました」などと自らを宣揚する人を「賞賛」されることがレオさんの夢だった というのなら
お話は別です。
誰もが惚れ惚れとなるような模範の体験を、まず貴方自身が示すべきです。
私の仕事の体験を否定し、拡大が大事というなら、貴方自身が先駆を切って、模範の結果を示して下さい。
資格も無しにただ上から目線で、これはダメ、あれはダメ、と(ありもしない)他人の欠点をほじくり出すのは極めて簡単であることに、早く気付いた方が良いですよ。
人の欠点をあげつらうよりも、人の美点を褒め称えることの方が、何倍も大変なことです。
脳もはるかに深い部分から使わないと、褒めれないそうです。
もう一点、あべひさんは他板での、日顕宗・宗門の極悪を糾弾しているのは、1、2位を争う論客だと感服しています。
その舌鋒の鋭さや批判力の猛々しさを、ある意味惰性的に、同じ勢いで、学会同志に向けては決してならない、と忠告致します。
善も悪も何だってかまわない、最初にとにかく攻撃ありき、では魔に食い破られた姿ではないでしょうか。
対敵対者と、対同志の2つで、ハッキリと頭の切り替えを行なってください。
すみませんが仕事の体験を否定した という場所が解りません。
某氏や菊川氏と全く同じ反論をされますね。
仕事の体験は仕事の体験です。
貴殿が「信心」と絡めている事に関して問題提起をしているのであって、その問題とは
「現場ではお話になられていますか?」 という一点だけです。
ところがだれもサッパリ答えようとしない。
従って
※模範の結果を示して下さい
ネットで模範の結果を示すための公表ですか?
何度も言うように私はそういった事が現場軽視の私利私欲にからむ事につながるとおもっていますので。
特にこういった組織外での個人のブログ記事にさせるためには教えるつもりもありません。
※人の欠点をあげつらうよりも、人の美点を褒め称えることの方が、何倍も大変なことです。
美点を褒め称えるのは現場でだけですし、それがとても重要になります。
再度もうしあげますが、欠点だと認識されているのなら改善を考慮なさってみてはいがかでしょう。
※対敵対者と、対同志の2つで、ハッキリと頭の切り替えを行なってください。
対敵対者と対同志?
そういった発想こそが差別的だとおもわれませんか?
6年以上前ならそういったスタンスを取っていましたが、最近では「信」の固い人と弱い人とで区別はしています。
同志だからこそ、おろそかにしてはいけない事を申し上げている次第です。
貴殿のおっしゃる「敵対者」の中ですら同じような流れはあります。当然でしょう。
ナカヨシごっごの創価学会を世間向けに発信してもそれを望んでいる人にしか受け入れられせん。
事実十数年もネットをやっているレオさんなら
うすうす感じておられるのではないでしょうか?
お相手する時間も、これ以上、割けませんので。
まったく、どうしようもない人だな〜。(笑)
あべひくん、ゲンコツだよ!^^