【初めての懲役に入る きっかけ】
テーマ:過去(ヤクザ編)話しが飛び飛びになってしまうかも知れないが許してください。
俺は18歳の時に水戸少年刑務所(現在は成人刑務所)に入った。
理由は話せば長くなるが・・・。
まず練馬の大泉学園で その当時、よく女の子が夜に車で攫われる事件が多発していた。
俺は大泉学園(正式には西大泉)の方に後輩みたいな感じの男&女の子がいっぱいいたから よく遊びに行っていて、そういう情報を耳にしていた。
そして、あるとき俺が準構成員として入っている組の組長の娘さんが1週間近く帰って来ないと組長が話してした。
組長の娘さんはよく大泉学園で遊んでることを俺は知っていて「もしや?!」と嫌な予感がしたのもあり、その女の子を攫っている奴らを片っ端から探すように大泉学園(西大泉)の後輩たちに告げた。
そしたら、思っていたより早く犯人たちが分かった。
それは大泉学園(西大泉)の後輩の1人の友達の友達らしく、埼玉の狭山に住んでる奴ららしいとのことで俺は、その日の午前4時に大泉学園(西大泉)の後輩たちを30人くらい連れて、乗り込みに行ったのだ。
そしたら案の定、組長の娘さんが俺が来る寸前のところで犯されそうになっていて俺は無我夢中で その強姦ヤローをぶっ飛ばした。
ただ、俺がぶっ飛ばしたヤローが部屋からエレベーターの方に逃げてエレベーターで逃げようとするもんだから俺もエキサイトしちゃってエレベーターの中でボコボコにやったんだ。
その他にも15人くらいの女の子たちが裸で体育座りみたいな格好をさせられていた。
これには俺も衝撃的で すぐに俺は その部屋にあるカーテンとかを取って女の子たちにかけてあげた。
ただ、このあとミスしたのが俺がエレベーターでボコボコにした相手が瀕死の重傷にもかかわらず、今度は12階のマンションから非常階段で逃げた。
俺は後輩に その俺がボコボコにしたヤローを部屋に連れて来るように行ったのに後輩も何だかテンションが上がっちゃって忘れてたらしい。
もちろん強姦ヤローが近くの交番に逃げた訳だが無人交番で隣の狭山駅の駅員が この強姦ヤローを救助して事件になった。
このときは、まだ傷害事件だったが俺が逃走生活を6ヶ月送ってから捕まって、裁判の判決日に強姦ヤローは死んで罪名も傷害から傷害致死へと切り替わったのだ。