萬屋ユカリン

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インテリジェンス

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見抜けなかった独裁者の意図 なぜクゥェート侵攻はは防げなかったのか

 見抜けなかった独裁者の意図
なぜクウェート侵攻は防げなかったのか
インテリジェンスの失敗と評される、イラクのクウェート全面侵攻。だが、米インテリジェンス・コミュニティは全力を挙げて軍事侵攻を警戒していたのだ。それでも「政策の希望的観測に影響された視野の狭さ」から、インテリジェンスは政策に有効活用されなかった。
1990年8月2日午前1時すぎ、それまでイラク南東部の国境沿いに集結していた戦車軍団を主力とするイラク軍は国境を超え、同胞のアラブ国であるクウェートへ侵攻した。
当時、クウェートとアラブ首長国連邦(UAE)がOPEC(石油輸出国機構)の割当て量以上に原油を増産していたことによって原油価格が値崩れ状態にあった。これは、先のイラン・イラク戦争で巨額な債務を抱え、唯一の外貨獲得手段を石油輸出に依存していたイラク経済にとって大きな打撃となった。
イラク共和国大統領であり、イラク軍最高司令官でもあったサダム・フセインによれば、クウェートが、当時稼働停止していたイラクのルメイラ油田(国境を挟んでクウェート領内にも広がっているとされる)から石油をかすめ取っているということがクウェート侵攻の理由であった。
イメージ 1

イラク軍によるクウェート侵攻を予測せず、フセインに対し事前に抑止力となる警告を行わなかったジョージ・H・W・ブッシュ米大統領は、イラクに対する武力行使を決意。翌年1月18日、国連安保理決議678に基づき米軍を主体とする多国籍軍はイラクと交戦するに至った。第一次湾岸戦争の勃発である。
同アラブ諸国が武力衝突する結果となったこの第一次湾岸戦争後、米軍が同地域に駐留し続けたことにより、その後、9・11テロヘとつながるイスラム過激派勢力の反米感情を引き起こす温床となり、ポスト冷戦の幕開けとなった。
国際情勢を把握することによって危険を察知し、国益を守るための必要な警告を政策決定者に与えることは、インテリジェンス・コミュニティのみに課せられた使命である。
したがって警告の欠如による国益の損害はインテリジェンス・コミュニティの責任とされ、事前予測が行われなかったケースに関しては「インテリジェンスの失敗」とみなされる。先に触れたように、ブッシュ政権はイラクのクウェート侵攻を予測していなかったため、フセインに対して抑止となる事前警告を行わなかった。1991年3月21日に行われた米下院外交委員会の小委員会において、当時駐イラク米国大使であったエイプリル・グラスピーが、イラクのクウェート侵攻は「インテリジェンスの失敗であった」と証言している。
しかし、米インテリジェンス・コミユニティがイラクの軍事行動に関して全く情報収集を行っていなかったかといえばそうではない。実情は逆で、コミュニティの中心的存在である中央情報局(CIA)をはじめ、国防総省のインテリジェンス機関である国防情報局(DIA)までもが、イラクの軍事行動に関心を示し、コミュニティの全情報網を駆使して監視していたのである。
この第一次湾岸戦争の勃発へと導いたイラクによるクウェート侵攻は、情報収集や分析を行うインテリジェンス機関の能力とその限界を示す格好の例であり、国家機関の一つとしてのインテリジェンスの役割と政策決定者との関係の本質を表している。
本稿は冷戦からポスト冷戦の推移期における米インテリジェンス能力を解剖する傍ら、情報分折の限界と政策決定者によるインテリジェンスの利用に焦点を当て、なぜフセインのクウェート侵攻を防げなかったのかを検証してみよう。。
中東における米軍事・外交戦略とインテリジェンス活動の背景
なぜブッシュ政権がイラク軍によるクウェート侵攻を見落としたのかを理解するうえで、当時の米国の軍事・外交戦略とクウェート侵攻以前の中東情勢の背景を簡単に振り返っておく必要があるだろう。
主な石油産出国が密集する中東地域であるが、中東における米インテリジェンス・コミュニティの活動は決して活発であったわけではない。歴史的に同地域は同盟国である英国の影響.十にあり、米インテリジェンス・コミュニティは英国に依存する形で同地域での情報収集を行っていたのである。そして、ソ連との友好的な対話によって実質的に冷戦が終結していた1990年当時も、米国家戦略は依然としてソ連に向けられており、インテリジェンス機関の活動もまたそれを基軸として優先事項が定められていた。
共産主義によって社会△主体が統率されていたソ連は、国民を秘密警察(KGB)の監視下に置くシステムを創ることによって国を統治していた。核戦略を主としていた米国の軍事戦略にとって、敵国の戦争能力を無力化するために標的を特定することは国家存続をかけた死活問題であり、この山-心的役割を担っていたのはインテリジエンス・コミュニティであった。
米国の対ソ国家戦略とは、いわゆる「封じ込め戦略(Containment)」であり、極東においては日本、南はイランとトルコ、西は英国や西ドイツ、北はカナダといったソ連を完全包囲し、軍事的な安全保障条約や外交同盟を結ぶことによって共産主義の台頭によるソ連の影響を阻止することであった(政権ごとに変化する政策ではなく、外交・軍事を含めた長期的で一貫した国家戦略であったため、本稿ではこれを「封じ込め政策」ではなく「封じ込め戦略」とする)。警察国家・ソ連に付する米国の情報収集は、ソ連を包囲する周辺諸国の軍事基地を利用し、そしてソ連領土上空からテクノロジーを主体とする監視によって行われていた。
第二次世界大戦終結から1979年までの30年余、イランは対ソ封じ込め戦略の要および情帯収集の主要拠点(イラン国境と隣接するコーカサス地域にはカプースチン・ヤールのミサイル試験場、カスピ海を挟んだカザフスタンなどでは核実験場があった)として、米国による高高度偵察機SR−71やU−2の飛行を許し、軍事基地に設置された地震測定装置を利用してソ連のミサイルや核実験の観測をしていた。
しかし、親米であり独裁政権でもあったパーレビ王朝が1979年のイラン革命によって倒れ、在テヘラン米大使館占拠人質事件により両国の関係は急速に悪化。米国は対ソ戦略の南の要を失った。そして、同年にはソ連がアフガニスタンに侵攻し、翌年にはイラン・イラク戦争が勃発。この中東情勢の悪化が、アフガン戦争や反米イラン政権を足掛かりとしたソ連の資源豊富な中東への進出を招くのではないか、という危機感を抱いた米ロナルドーレーガン政権は、緊急展開部隊(1983年に後の中央軍として昇格)を設立する。そして、中東における対ソ戦略の一環として、米国政府はイラクを支援する政策を打ち出すのである。
1981年にレーガン大統領はイラクをテロ支援国家指定から解除、その2年後、公式に外交関係を樹立すると同時に在バグダッド大使館を設立し、両国関係は急接近することとなる。この裏には、在バグダットCIA支届が開設され、ClAを介してイラン軍の戦闘序列や、戦闘の攻撃目標と攻撃成果評価などといったインテリジェンスをイラク軍へ提供していた事実があった。特筆すべき点として、これらの密接な関係によってサダム・フセインは米インテリジェンス・コミュニティの情報収集能力とその限界を把握していた。
これが後のイラクのクウェート侵攻において、米インテリジェンスにとっては致命傷、そしてフセインにとっては隠蔽工作のための強みとなるのである。
しかし、国際情勢と同様に国家問の関係は永久不変ではない。当初はイラクを独占的に支援していた米国であったが、同地域で起こっていたレバノン内戦により米軍兵士が親イランの政治組織であるヒズボラによって人質となったことから、裏外交によってイランとの対話を始める。この対話が、後に秘密裏に行われた武器輸出支援となり、1986年に表面化したイラン・コントラ事件である。このCIAを利用した表と裏の二重外交は歴史では稀ではないが、しかし、事件の表面化によってフセインは米国に対し懐疑的になり、敵視するようになった。
そして80年代後半から1990年にかけてフセインの米国に対する猜疑心は一層増すことになる。主な要因は、冷戦終結・東欧共産政権の崩壊によって米国務省とCIAが行っていた共産主義諸国や独裁国家に向けられた人権擁護のプロパガンダ政策に拍車がかかり、フセインの反対をよそに中東においてアラビア語のラジオ放送であるボイス・オブ・アメリカが開始されたことであった。
これによって独裁者特有の被害妄想(=国内の反体制派は米国に支援されている)は肥大し、フセインはペルシャ湾を航行する民間船舶の護衛を行っていた米海軍に対し撤退を要求、さらにNATO加盟国であるトルコ領内で訓練していた米軍の早期警戒管制機(AWACS)に対しスパイ行為をしているとして非難した。米国のイラクとの関係改善に向けた外交努力をよそに、フセインの米国に対する敵対心は悪化の一途を辿るのである。

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