真珠湾奇襲とインテリジェンス それはルーズベルトの陰謀だったのか? その1
真珠湾奇襲とインテリジェンス それはルーズベルトの陰謀だったのか?
いまだに論争になっている真珠湾奇襲に関する米英の陰謀説。日本と米英の歴史研究の温度差を押さえつつ、この問題をインテリジェンス研究の視点で解読してみよう。そもそも1930〜41年当時の米インテリジェンス機関とその内情は、いかなるものだったのか。 インテリジェンスで見る真珠湾奇襲 我々の歴史認識は人それぞれ異なる。それは歴史が「動かぬ証拠」として存在するものでなく、過去に起こった事実が「ある解釈を通して理解される」からであろう。 例えば、過去の事実を無数の点とすれば、その点が不規則に結ばれることにより一つの形(ここでいう歴史解釈)をつくることに似ている。不規則であるが故に、その形は変幻自在というわけである。歴史認識というものは、新事実となる史料の発見や新証言が公表されるたびに修正されることが、ごく一般的である。太平洋戦争に対する歴史観も日米開戦から六十八年近く経てもなお助長、または修正されることが時折ある。 1941年じゅうにがつなのか1H本時間用か一早 朝、南雲忠一中将率いる空母六12月7日(日本時間8日)早朝、南雲忠一中将率いる空母6隻を基軸とした機動部隊(第一航空艦隊)が日本から約5,500㎞離れたハワイの真珠湾に在泊する米海軍太平洋艦隊を攻撃した。米太平洋艦隊の主力であった戦艦8隻(沈没3隻、2隻それぞれ転覆・座礁、3隻損傷)、駆逐艦・巡洋艦それぞれ3隻とその他の補助艦艇4隻に打撃を与え、また航空機164機を破壊、128機に損傷を与え、少数の民間人を含む米国側の死者は2,403名、1178名が負傷した。 この事実は米国史上海軍にとって最大の汚点として記録されることとなる(統計は『オックスフォード第二次世界大戦の手引きに』による)。統計的な誤差はあるにせよ、奇襲という形で決行された日本軍による真珠湾攻撃は、それまで反戦を望んでいた米国民の感情を「リメンバーーパールハーバー」として奮い立たせ、連合国の一員として米国の参戦を望んでいたフランクリンールーズベルト米大統領の思惑と一致する結果となった。これらは動かぬ事実であることに疑いはない。 この真珠湾奇襲の解釈において論争の的となっているのが、「米国は奇襲攻撃の計画を事前に知っていたのか?」ということである。いわゆる正統派史観を持つ研究者は、「ルーズベルトは知っていた」とする修正主義の主張を「真珠湾の検証」や「真珠湾の真実」などと題して論破する試みを行っているが、論争に終止符を打つまでには至っていない。ある正統派の歴史研究者は「(対置する修正主義が主張する)陰謀説が時折亡霊のように現れる」というが、記憶に新しい田母神前空幕長による論文もどちらかといえば修正主義の部類に属するといえるだろう。 「ルーズベルトは知っていた(=ルーズベルト陰謀説)」とする修正主義の主張は、日本の外交・軍事通信が傍受・解読されていたという論拠に支えられているものである。その陰謀説とは、「打倒ドイツを掲げ、欧州戦線への参加を望んでいたルーズベルトは、日本軍による真珠湾奇襲計画を通信傍受していながら、米太平洋艦隊を囮にすることによって日本との戦争を利用して裏木戸から大戦に参戦した」というのが大筋である。 また、ウィンストン・チャーチル英首相に関する陰謀説も存在し、これは「米国の欧州戦線への参戦を望むむチャーチルが暗号解読によって日本軍の奇襲計画を知りながら、ルーズベルトには知らせずに黙っていた」というものである。つまり、どちらにしても「日本軍の奇襲計画は通信傍受・解読され、ルーズベルト、チャーチルの.両者もしくは一方の思惑にはまった」ということになる。 これまでの日本における議論は肝心なインテリジェンスに関する検証が断片的であるため全体像の把握が難しく、結果として水掛論となっている感が否めない。よって本稿は真珠湾奇襲を体系的にインテリジェンスの観点から考察し、米英の情報収集や分析などのインテリジェンス能力とその利用方法、またインテリジェンスの成功と失敗について検証する。 紙面の制限から、言及できる真珠湾奇襲論争の争点は数点に絞り、また歴史的背景の記述は極力抑えざるをえなかったことを留意されたい。 真珠湾論争と修正主義
インテリジェンス活動の解剖を行う前に、真珠湾論争に関わることの中でも特に重要な数点に触れておく必要性を感じるため、退屈と思われるかもしれないが、簡潔に述べておきたい。 まず、日本と米英の真珠湾論争には多少なりとも隔たりがある。米英間においても温度差があることは確かだが、日本との差ほど大きくはない。これは歴史研究者の数と人手可能な文献の量に比例するものであると思われ言語的な問題も大きく影響していることは容易に判断できる。 真珠湾奇襲に関しても一般的な歴史研究の例外ではなく、日本軍に関することは日本で行われている研究、米英に関することは米英の研究が入手可能な歴史史料や関係者証言なども含めて他国より優れ、より詳細であるのは言うまでもない。つまり「ルーズベルト、もしくはチャーチルは知っていた」という真珠湾論争の争点は主に米英が主体となっており、米英の研究の方が日本より進んでいるのが実情である。 真珠湾論争に関連する英文文献は数多く存在しているが、日本で行われている真珠湾論争の盲点は、主に日本語で刊行された文献に固執しがちであり、言語的な障害が立ちはだかっていることである。特に出版業界の諸事情などから、優れた専門的な研究文献は翻訳されず、より広範囲な読者にアピールできる書物が翻訳される傾向にある。つまり、察しのよい読者なら気づくと思うが、英文から日本語へ翻訳されているいわゆる真珠湾モノは、ほとんどが陰謀説を示唆するものに偏っており、一般読者向けにインパクトを与えるものが好まれて翻訳されている。このことが日本の真珠湾論争において陰謀説を助長する火種となっているといえる。 陰謀説を示唆するこれらの書物の多くは歴史書としての信憑性は疑わしいのにもかかわらず、例えば米国などでベストセラーとして一般受けしたものが鳴り物入りで翻訳され、日本で「歴史書」として刊行されるパターンがほとんどである。つまり、100%とは言わないまでも、「ベストセラー=歴史研究が優れている」という方程式は成り立たない。 次に、上記の文献の欠如や偏りに関連するが、日本と米英の真珠湾論争の温度差はインテリジェンス研究の発達の差と比例していることが挙げられる。米英ではインテリジェンス研究は学術的に確立しているが、日本では未発達な研究分野である。それによって同分野の研究者の数が桁外れに違うのである。インテリジェンス研究の認知度が低い日本では、肝心であるインテリジェンスに関する論争が「解読されていたか否か」つまり「Oか100か」に焦点が当てられ、表面的な議論が堂々めぐりしている。 インテリジェンス研究において、(情報収集の段階のミスは致命的であるが)インテリジェンスの失敗は主に情報分析やインテリジェンス利用者へ伝達されるまでの段階で起こるケースがほとんどであると認識されている。また、その利用者が提供されたインテリジェンスを有効活用することによって初めてその目的が達せられることは、読者ならご存じであろう。 |