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◆報知新聞社後援 プロボクシングWBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ ○下田昭文(判定3―0)李冽理●(31日・有明コロシアム) 挑戦者のWBA世界スーパーバンタム級6位・挑戦者・下田昭文(26)=帝拳=が、王者・李冽理(28)=横浜光=を3―0の大差判定で破り、初挑戦での王座奪取に成功した。3回に両者がダウンを奪い合う劇戦。下田は5、8回にさらにダウンを取り圧勝した。帝拳ジムは、WBC同級の西岡利晃(34)、WBCスーパーフェザー級の粟生隆寛(26)に次ぐ3人の日本人世界王者が同時期に誕生するという快挙を達成した。下田の戦績は23勝(10KO)2敗1分け。初防衛に失敗した李は17勝(8KO)2敗1分け。
「半端者」のままでは流せない涙だった。「たぶん、俺、試合で泣いちゃったの初めて。自分自身に勝った」。左の拳でたたき上げ、たどりついた頂点。下田は逆転人生を象徴するかのような涙をポロポロとこぼした。
「精密機械」と称される王者を技術、スピード、運動量、そして気迫で圧倒し、計3度のダウンを奪った。体を小刻みに左右に振って前に詰め、相手の得意の距離をつぶし、左右のフック、カウンターに変化をつけて攻めた。5回は李の左アッパーに左フックのカウンターで2度目のダウンを奪い、8回は肩越しの右フックで王者のひざをつかせた。
血の気が多く、試合中にカッとなって集中力を欠くのが課題だったが、それを克服したのが、ダウンの応酬となった3回。先に下田が左フックを李の右耳下に打ち込み倒したが、その後に李の右ストレートをあごにくらいダウン。それでも下田は「絶対に俺が強い」と自分に言い聞かせて冷静に試合を運んだ。
偉業を達成した下田だが、自分のことを「中途半端な人間だった」という。6校目でようやく合格した高校は、2か月で退学。父は法曹界、兄2人は難関私大の出身。「ボクシングでもやるか」と偶然、門を叩いたのが東京・神楽坂の名門、帝拳ジムだった。入門2日後にスパーを許され、先輩選手を圧倒し、生まれて初めて人からほめられた。
天性のバネとセンスを持ちながら、芽が出なかったのは身から出たさびだった。本田明彦会長は「素質はあったが、芯がなかった」と振り返る。練習嫌いで8回戦選手になるまでロードワークもさぼりがち。深夜のコンビニ前にたむろすることも多かった。それでも下田の才能を信じてくれる本田会長やジムの仲間の後押しで本気になった。本田会長は「子供がようやく大人になった。下田は小気味いいボクシングをする。大場政夫のように見てる者を魅了する」と目を細めた。
「帝拳ジムにいなかったらここにはいなかった。ボクシングを通じて心が強くなった」と下田。半端者が、大輪の花を咲かせた。
◆下田 昭文
▽生まれ、サイズ 1984年9月11日、札幌市生まれ。26歳。171・2センチ。
▽雑草 中学3年の卒業間近の00年2月に自宅近くにあった帝拳ジムに入門。運動は左利き。アマチュア経験はなかったが、持ち前のスピードと野性味あふれる身のこなしで頭角を現し、03年1月、18歳で迎えたプロデビュー戦で1回KO勝利。その年の東日本バンタム級新人王にも輝く。
▽2冠 07年4月、日本スーパーバンタム級王座を獲得し、3度防衛に成功。10年3月に東洋太平洋同級王座を奪取。同年8月に初防衛。この年の秋にはWBC世界ランクでの同級1位に。
▽やんちゃ系 入門時には既に茶髪、左耳にピアス。ピアスを外し忘れてスパーリングをすることもしばしば。
(2011年2月1日06時02分 スポーツ報知)
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