東京都と都教育委員会が、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう強制したことは憲法違反には当たらない−。
都の教員らが、起立・斉唱の義務はないことの確認などを求めた訴訟で、東京高裁が下した判決である。
都教委は、起立・斉唱しなかった教員を懲戒処分している。昇給を遅らせたり、定年後の再雇用を拒んだりもしている。そうまでして従わせることが、憲法が保障する思想良心の侵害に当たらないのだとすれば、「侵害」とはどんな行為を指すのか。
原告は上告するという。最高裁には、国民に分かりやすい判断を示すよう求める。
「国旗は、日章旗とする」
「国歌は、君が代とする」
短い条文で成る国旗国歌法が成立したのは1999年だった。当時の小渕恵三首相は「内心に立ち入ってまで強制しようという趣旨ではない」と説明した。
けれど、文部科学省や各地の教育委員会は、起立・斉唱を徹底するよう通達を出し、義務化を推し進めた。都教委が通達を出した03年度、懲戒処分した教員数は179人に上る。全国の処分者の9割超を占めた。
今回の訴訟は、04年に始まった。一審の東京地裁は「懲戒処分をしてまで起立・斉唱させることは思想良心の自由を侵害する」とし、原告の主張を認めた。
流れが変わったのは、07年の最高裁判決の後だ。君が代の伴奏を拒んで戒告処分を受けた都内の教員の訴訟で、裁判長は「伴奏は特定の思想を強制するような行為ではない」とし、命令は合憲との判断を示した。
以来、各地の裁判所がこの判例を踏襲するようになり、同種の訴訟で教員の敗訴が続いている。
東京高裁も、起立・斉唱が「特定の思想を外部に表明するとは言えない」と指摘した。都教委の通達には合理性があり、憲法違反や教育基本法が禁じる「不当な支配」には当たらないとした。
最近、懲戒処分を受ける教員の数が激減しているという。教員からは「職員が萎縮し、閉塞(へいそく)感が漂う」との声が出ている。
自由に意見を述べ合うことすらはばかられる雰囲気は、教育の場にふさわしくない。子どもたちも伸び伸びできない。各地の教委は判決を“お墨付き”とせず、指導の在り方を見直すべきだ。
国旗や国歌への親しみは、誰に強いられるのでなく、自然に育まれるはずのものである。