2011年1月30日20時50分
アジアカップで優勝を決め、長谷部(手前)と抱き合う李忠成=29日、ドーハのハリファ競技場、西畑志朗撮影 |
試合を振り返る李鉄泰さん。早朝、地元の青年会議所の仲間からコチョウランが贈られた=30日、東京都西東京市の自宅 |
試合ごとにヒーローが生まれ、アジア王者に返り咲いたサッカー日本代表。決勝で貴重なゴールを決めたのは、交代出場の李忠成(り・ただなり)選手(25)。東京都西東京市出身の在日コリアン4世だ。活躍の陰に、父と交わした約束があった。
「お父さん、やったよ!」
貿易業を営む父・鉄泰(チョルテ)さん(53)の携帯電話に李選手から電話がかかってきたのは、試合終了後まもなくだった。
興奮がおさまらない様子の息子を、父はねぎらった。「頑張ったかいがあったな。神様がボールくれたな」
李選手は今大会、初戦に交代出場したが、その後は出番がなかった。韓国との準決勝の前、李選手から鉄泰さんに電話があった。
焦りをのぞかせる息子に、父は「頑張らんと、次呼ばれへんで。あいつがいたらプラスになるって仕事しないと」と励ました。そして念を押した。「難しく考えるな。簡単にプレーしろ」
鉄泰さんが「頑張れ」というのは、サッカーだけの意味ではない。日本と朝鮮半島の間で生きてきた者としての思いがある。「我々は周りと同じレベルでは認められない。いい時はいいが、だめだと必要以上に批判される」
李選手は以前、鉄泰さんと同じ韓国籍だった。韓国のユース代表の選抜合宿に参加したこともある。だが言葉は通じず、「半分日本人だろ」という壁も感じた。日本国籍を取得したのは4年前だ。
北京五輪の日本代表入りを目指して日本国籍を選んだ時、親子は話し合ったという。「堂々と本名を名乗りながら、日本のために頑張る在日がいてもいい。一つでも在日の新しい歴史をつくろう」
少ないチャンスをものにした息子を、鉄泰さんは誇らしく思う。「小さい時から、頑張って頑張ってポジションを取ってきた。一番地獄を知っているやつだ」と。「簡単にプレーを」というアドバイスを実践した決勝点。「ボールをいったん止めたりしてたら入らなかったな」
勝利の後、李選手は朝7時まで眠れなかった。インターネットの動画サイトで自分のゴールを見続けたという。
ブログも書いた。「正直眠れません。僕の人生において最高の1ページを築けた日だったから」「『俺がヒーローになるんだ!』と、自分に言い聞かせながら常に自分を信じ続けピッチに入りました」
そして、スタッフやサポーターとともに「僕を常に支え続けてくれてきたアボジ・オモニ(韓国語で父母の意味)」に感謝の言葉を贈った。
「みんなの想(おも)いを乗せたシュートでした」(舟橋宏太)
アサヒ・コム連載コラムを通じて、釜本邦茂さんが訴えてきたメッセージが新書になりました。組織を有効に機能させるのは、最後は個の力である。その個をあえて「蛮族」と呼ぶ。サッカーを通してみた日本、そして日本人論が詰め込まれています。
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