<特別・特集号外> 生長の家教団史“最大の『謎』”に挑む<その一>!
2011年01月25日(火)
<特別・特集号外>
生長の家教団史“最大の『謎』”に挑む!
全国、全世界の信徒・誌友のみなさま、ありがとうございかす。
今日は、こころある信徒なら必ず自問自答すれども自信の持てる回答が見いだせないでいる『生長の家教団史最大の“謎”について御一緒に考えることに致しましょう。
『生長の家教団史最大の“謎”』とは?
それは、<<第三代目・谷口雅宣総裁が、何故「住吉大神」の御化身とまで言われた偉大なる開祖・谷口雅春先生のお孫様として生まれ,そして“教祖反逆罪”と云う最大の「法罪」を犯す行動を採るに到ったのであるか?>>ということであります。
この謎を解くために「徹底的論理追求法」によって、色々な考え方に対してそれは何故か、其の又それは何故なのかと云うように考えられる究極の所まで論理的に追求して考えて行きたいと思います。
<その一>
[ T ] 『雅宣・観世音菩薩』説
雅宣総裁は、ぬるま湯に浸る信仰に“喝”を入れるために顕われられた“観世音菩薩”である。
雅宣・観世音菩薩は「信徒諸賢よ、開祖・谷口雅春先生が御昇天されてからの月日の経過と共に、皆様方の信仰姿勢に緩みが生じてきましたね。初心の頃を思い出してもっと真剣に真理を学び、理論・理屈ではなく“行”を大切にしなさい。あなた方のこの信仰姿勢に喝を入れるために、これからしばらくの間、開祖・谷口雅春先生を否定して逆のことを説いてゆくことにしようと思う。この極端な“目覚め”の方向を方便として示して行く事にするけれども、それは決して私の本心ではない。
私の本心は、信徒諸賢のぬるま湯的信仰心からの脱却をはかり、真剣な真理探究心を目覚めしめる事にあるのです。この目覚めを早めるために、今は本心ならざる姿を信徒諸賢の前に現しているのですよ」と仰られているというものです。そして、この「雅宣・観世音菩薩説」を信じている人もかなりの数にのぼります。
<現状分析>
この「雅宣・観世音菩薩説」は一面の真理があります。
@ 特に、定年退職をしてエブリー・サンデーよろしく自由時間に恵まれている高齢者信徒、今まで積み上げた余徳で当面の切羽詰った人生問題の解決に直面していない“当面幸福”の生活を送っている信徒の人達、これらの信徒の皆さんは、個生命の霊魂進化が休憩状態にあります。
この休憩状態にある魂を本来の霊魂進化の本道へ引き戻すための「雅宣・観世音菩薩」様のお姿であると観ます。
A 戦後日本の、自由と平和と物的豊かさがこれほど長く続くと、日本国民の精神も弛緩し、所謂“平和ボケ”となり、狼の如き世界の激動の中を祖国の独立維持のために戦ってこられた先祖の人達のことを忘却し“国家よりも生活第一”を目指し、共産中国に併呑される危険状態をさえ忘れてしまっている。
此れ等の日本人の心に本当の日本精神を再興してゆく使命を生長の家が再度担うべきことを、信徒の皆様に自覚を呼び起こし、達成して行くための「雅宣・観世音菩薩」様のお姿であると観ます。
B 生長の家の組織の拡大によって、本部及び組織役員の派閥の形成、名誉欲・自己顕示欲が強くなり、結果重視からの数字追求型の組織運営(生長の家生命保険会社化)となって段々と真摯な信仰姿勢が失われてきた。
此れ等の本部役員や教区の組織幹部の心と信仰姿勢とを、“初心”に戻すための「雅宣・観世音菩薩」様のお姿であると観ます。
この様に、現代の生長の家の状態を、再び本当のあるべき姿に戻すために「雅宣・観世音菩薩」は顕われ、これに応じて目覚める人たちが次々と現れだしたのです。この「生長の家本流復活掲示板」に集う信徒の皆様はまさに“目覚めたる信徒”の人達だと思います。
<「雅宣観世音菩薩説」の疑問点>
この「雅宣・観世音菩薩説」には上記の如き一面の真理はあるのですが、100%納得できるかとなるとできないところがあります。
@ ぬるま湯信仰から脱却して、再び中道實相の愛国団体としての指導的役割に生長の家が戻るための「雅宣・観世音菩薩さま」の処方薬は余りにも“劇薬”すぎて、ぬるま湯的信仰者でない真剣真摯な有能な教化部長・本部講師・組織役員・一般信徒を原理主義者として教団から去らしめ、今や、人財的に再起不能の状態となってしまったと云えます。
したがって、「雅宣・観世音菩薩さま」の処方箋は最善の処方箋ではなかった、あまりにも犠牲者が出すぎたと言う事が今日、誰の目から見ても明白となったと言えるのであります。
A 第三代目・谷口雅宣総裁が本当に「観世音菩薩」であるならば、処方箋としての劇薬が生命まで奪ってしまう危険区域にいたるまでの適切な時に「わたしの処方した薬によって大勢の信徒がぬるま湯信仰から抜け出てきた。目覚めだした。
私の“観世音菩薩”としての配役を全うできた。此処で自分は勇退して開祖・谷口雅春先生の正統政策で以って、磐石の生長の家を築き上げて、雛形国家・天皇国日本の實相顕現を通じて世界平和の構築へと導く正統後継者へ交代する」として身を退いて行くのが神の子・實相雅宣氏の採るべき道であった。
然し、依然として雅宣総裁は、劇薬を処方し続け、教団を死に至らしめる道を進んでいるのであります。此処まで来れば、もはや「雅宣・観世音菩薩さま」ではないのであります。「雅宣・観世音菩薩さま」は「サタン・雅宣」に変身してしまったとしか云わざるを得ません。
B 雅宣氏の総裁代行時代以降に入信された信徒の皆さん、および、雅宣氏の総裁代行時代以降に雅宣氏から講師免状を貰った講師達は、個生命としての霊的進化が脇道に逸れてしまったと言えると思います。
生長の家の信仰に触れると云う事は、その人の過去世の真摯且つ真面目な努力による素晴らしい霊的修行体験の結果であります。
そしてさらに今生に於いて最高の真理を研鑽しようとの意思を持って地上世界に誕生してきたのであるが、其処には開祖・谷口雅春先生の最高の『御教え』は、肝心なところが三代目の人によって消されており当初の霊的修行計画が頓挫してしまっているのです。
「雅宣・観世音菩薩さま」はこのようにして新規信徒さんたちの霊的生長の機会を奪って、間違った真理探究へと導いているのであります。こんな事は大悲大慈の観世音菩薩のなさるべきことではないのであります。
C 開祖・谷口雅春先生以来の伝統としましては、初対面の信徒・誌友同士でも百年前からの知己の如く最初から打ち解けて話の出来る雰囲気が教団内に満ちていたのです。
開祖・谷口雅春先生の説かれる最高の真理を信ずる神の子さん同志の相互礼拝の光景が到るところで見られたのでした。
輝子先生も、“生長の家には裁判沙汰なんてないんですよ”と仰られていました。
然し、所謂「雅宣・観世音菩薩さま」が教団に入って重要ポストに就き始めてからは、裁判沙汰の種を播き続け、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に反逆し、信徒間に相互不信感の雰囲気を醸し出したのであります。
そして、次第に愛国団体からは白い目で見られるようになり、公安サイドからは左翼団体として扱われ、社会的著名人の知性派の人たちからは見向きもされない宗教団体、
日本人でありながら日本を蔑む反日的日本人、其の名は谷口雅宣と云うところまで社会的評価を下げてしまった。
これもぬるま湯に浸かってしまった信徒を目覚めしめる「雅宣・観世音菩薩さま」の大悲大慈の働きであるとは、余りにも論理的飛躍があり過ぎないでしょうか?
以上の理由によって、「雅宣観世音菩薩」説は一面の真理の部分もありますが、現状分析から見て100%正しいとは言えないのであります。
そもそも「唯心所現」の原理による「観世音菩薩」観は、あくまでもその人の想念の展開の及ぶ範囲内での人間関係改善のための「心の法則」であると考えるべきが至当ではないでしょうか。
だから、「雅宣・観世音菩薩」説は、<雅宣総裁VS信徒> の相対的関係にまで拡張すべきではありません。
否、ご本人の「サタン・雅宣」こそ私達「原理主義信徒・観世音菩薩」観が必要なのではないのでしょうか?
[ U ] 「唯観・實相雅宣」説
この「唯観・實相雅宣」説は、上記の「雅宣・観世音菩薩」説を、或る一点に徹底的に特殊化したものであります。
その一点と云うのは「唯観實相」であります。次に「唯観・實相雅宣」説を分かりやすい実例によって説明申しあげますと、但し、分かりやすく多少の脚色を加えましたが・・・
或る本部講師が“長老”という終身名誉称号を持つ本部講師に質問致しました。
「雅宣総裁代行先生(当時)の説く『今の教え』は間違いではありませんか?信徒さんのためにも諫言して差し上げるべきだと思うのですが、先生(長老)は如何お考えでしょうか?」と。
長老本部講師氏の答えは「諫言も良いが、・・・ところで、君に尋ねるが、君は雅宣さんの實相を礼拝する“礼拝行”をしているのかね?」と。
この逆質問を受けたその本部講師は、実際「唯観・實相雅宣」の礼拝をしていなかったので自分の不明を恥じ、それ以上は何も云えなかったと云う話を聞いたことがあります。
昔の高徳の聖者は「この世の中に不幸せな人、悪行を働くひとが一人でもいるのは、全て私一人の観の責任である」と自戒して更なる修行に励まれたというお話と同じであります。
この様に考えて、「サタン・雅宣」の出現は、<私がまだ徹底した「唯観實相」の修行が出来ていなかったからである。雅宣総裁先生が開祖・谷口雅春先生の『御教え』そのままを説かれている實相をのみ只、ひたすらに祈る神想観を続け観じさせて頂きます。>と徹底的自己反省をなさる信徒さんもかなりおられるのであります。
また、このようにも云えます。仏教に関する講話でよく引用される「常不軽菩薩」と同じく、<如何に雅宣総裁が開祖・谷口雅春先生の『御教え』を軽んじ曲解し換骨奪胎した「今の教え」を説かれようとも、それはあくまでも現象の雅宣先生の姿であって、實相の雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生のその儘の『御教え』を常に説かれている。それが現象に未だ顕われて来ないのは、私の「實相・雅宣先生」観が至らないからで、私の責任であります。
だから、私は「常不軽菩薩」と同じく、只ひたすらに實相雅宣先生を観じ続ける神想観を続けさせて頂きます。>と、この様な生長の家信徒の鑑とも云える真摯な人たちも沢山おられるのであります。
<「唯観・實相雅宣」説の疑問点>
@ この様な内容の「唯観・實相雅宣」の神想観をずっと長年月続けておられる模範的信徒さんも、件の長老本部講師先生をはじめかなりの人数の方々がおられます。
しかし、結果的には、雅宣総裁の實相は未だ顕現せず、益々「サタン・雅宣」の障害現象が教団全体を蔽う迷妄の黒雲となって拡がって行きつつあります。
A たしか昔の本部の誌友会で、「関東大震災は私一人の想念の間違いで起こったものでわたしの責任です」と極めて純真な心で語った信徒さんの話しを想いだします。
この人の徹底した健気な懺悔と自責に対して、雅春先生は「あのような大きな出来事はたった一人の“想念”の間違いで起こるのではなく、大きな出来事ほど実に多くの“想念”が錯綜して出てくるのです。」というように答えられていたのを読んだことがあります。
したがって、「サタン・雅宣」の出現も、雅宣氏本人の想念(妄念)と波長が共鳴する実に多くの他の想念(妄念)の錯綜せる結果であり、限られた範囲の少数の人々の「唯観・實相雅宣」だけでは現実的解決(雅宣総裁の實相顕現)は不可能だと思われます。
B 「唯観・實相雅宣」説の信徒さんの信仰姿勢は実に気高く、私の如き未熟なものは足下にも及びませんが、然し最後の一点、「画龍点睛」の「点」が抜けていると思います。
其の一点とは“信仰の行動化・悟りの行動化」の一点、具体的行動としての「本流復活運動」です。
この行動化には踏み出されないならば、何時までも、命ある限りの「唯観・實相雅宣」神想観を、只じっと座ってしているだけとなるのではないでしょうか?
開祖・谷口雅春先生はよく次の様なお話をされました。二人の小学生がいて、ある日、学校の始業時間に遅刻しそうになった。一人は、その場に座り込んで「神様、遅刻しませんように!」と熱心に祈った。他の一人は「神様、遅刻しませんように」と祈りながら走った。そして、ギリギリ遅刻せずに校門へ入った。本当の信仰とはどちらでしょうか?」と講習会で度々話されました。
以上の理由によって、「唯観・實相雅宣」説も一面の真理の部分もありますが、現状分析から見て100%正しいとは言えないのであります。特にこの様な大きな事柄の實相顕現には「祈りの行動化」の欠如は致命的欠陥であります。
[ V ] 「因縁因果」説・「自主決定」説・
「摂理」説・「高級霊魂の使命帯同派遣」説
霊界へ帰って一定の霊的修行を終え、更なる個生命の霊的進化を図るため次の生まれ替り先を何処にするかについては、色々の基準があるようです。
開祖・谷口雅春先生の「霊と霊界」に関する御著書やその他の研究者の本を綜合して考えられる事は、上記の如き四つのケースが考えられると思います。
では、それぞれの「生まれ替わり」に解説を加えながら、三代目・雅宣氏の今生への「生まれ替わり」の動機について考えて見る事に致します。後ろから考えた方が真相究明に適していると思います。
@ 「高級霊魂の使命帯同派遣」による「生まれ替わり」
これは一部のカルト的、呪詛的要素の強い宗教を除く、宇宙の恒久真理に基づいて衆生救済を目的とする多くの宗教教祖としてこの世に誕生して来られた高級霊魂の方々であります。
最高級神霊界に於ける決定に依るものです。
地上人類の迷妄が深くなったときに、或いは地上人類の人々の霊的進化のレベル・アップが宇宙経綸上必要と認められたときに、地上人類社会の導師として特別派遣されてこられるのであります。
人類歴史上、或いは現在でも沢山の宗教教祖として地上世界へ高級神霊界から派遣されて来られた方々は多いわけですが、その中でも、特に釈迦・キリスト・マホメットの方々はさらに上位の超・最高級神霊界から派遣されて来られた最高級霊魂の方々であります。
真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・禅宗、天理教・金光教・黒住教・大本教等の諸宗教の開祖の方々、
そして、釈迦を越え、キリストを超えた「個人の成仏・国家の成仏」という人類史上最高の「唯神實相・生命の實相」の『御教え』を説かれた開祖・谷口雅春先生は超最高級神霊界からの特別派遣の超最高級霊魂の方であり、その實相は住吉の大神そのもの(御化身)であられたと認められるのであります。
しかし、雅宣氏のこの世への誕生は、「高級霊魂の使命帯同派遣」による生まれ替わりではありません。説明せずとも当然な事であります。
A 「摂理」による「生まれ替わり」
霊魂即ち「個生命」としての人間は、久遠悠久の宇宙人生に於いて、絶えざる進化向上を求められています。
それが宇宙及び人間の本質であるのです。
だから、霊界へ帰ってきた高級霊魂といえども、霊界で怠惰な生活を送って堕落して境涯が低下してくると、宇宙の衝撃波(霊魂の進化向上と云う宇宙の摂理法則)によって地球上の肉体人間としての霊魂修行を繰り返さなければならなくなるのであります。
高級霊でさえこういうようになるケースがあるわけですから、進化向上心を持たない霊魂、唯物論的価値観から向上できない霊魂は本人の自主的意思に関係なく、宇宙の摂理と云う原則に基づいてその霊魂(個生命)の霊的進化向上(實相顕現)のために最も適合した両親の子供として生まれ替わって行くのであります。
三代目・雅宣氏の霊魂は、ガチガチの唯物論者よりは上のレベルの魂の持ち主であり、一般的低級霊の霊魂ではなく、精神的にも進化向上意欲のある霊魂であります。
ただ、「生命の實相哲学」の霊的理解が出来る以前の魂のレベルに止まっているだけであります。惜しい所のレベルにありますが、今一歩のところで踏み越えられないでいるだけであります。従って、三代目・雅宣氏の今生への生まれ替わりに関しては、この「摂理説」は当てはまらないと云えます。
B 「個生命」としての霊魂が自分の意思で「生まれ替わり先」を自主決定する場合
「個生命」としての自覚に優れ、耐えざる霊魂進化向上の意欲を持って永遠に続く正道としての輪廻転生過程を歩み続けている霊魂は、次なる転生先を自分で決定して生まれ替わって行くのであります。
前世まで正道の輪廻転生人生の過程を歩んできた雅宣氏の霊魂は、今生の生まれ替わりに於いての目標をば、更なる霊魂進化(實相顕現)を目指して、生長の家開祖・谷口雅春先生の孫として生まれ替りたいと切に願って(魂の深き祈りとして)それを実現させたと思います。
但し、「小閑雑感」の文章が、学者的・評論家的内容の文章である事から推測される所は、雅宣氏の開祖・谷口雅春先生の孫としての生まれ替りの目的は、宗教哲学として比較宗教学的に、学者的立場から「生長の家の教え」を研究対象としたいとの欲望の方が強かったといえます。
だから逆に雅宣氏の過去世を透視できる人が居たならば、おそらく雅宣氏の過去世は学者的人生の回数が多かったのではないでしょうか。
だから、雅宣氏自身も宗教的真理を説いて人々を救う宗教家の道は望んではいなかった。雅宣氏は三代目となる事を最初は辞退したと聞いております。
「小閑雑感」や「旅人の被災」を読むと愛と慈悲ある宗教家ではなく、冷ややかな目で事物を眺める学者・評論家であると判断する人々が多い事実からも分かると思います。
この様に、雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生のお孫さんとしての生まれ替りを“自分で決めた”事までは間違いはないのですが、自分の希望に反して、どうして第三代目の総裁に就く道を歩まざるを得なくなったのか? しかも、世界的な偉人の祖父が創始された全人類の最高の精神的無形遺産としての「生長の家の『御教え』」を、更に発展拡大するという後継者の当たり前の方向とは全く逆の方向へ、『御教え』をこの地上から抹殺する教祖反逆罪ともいえることを何故やりはじめ、着々と強引なまでに推し進めて行っているのかの説明が、此の「自主決定説」だけでは説明がつかないのであります。
雅宣総裁の場合には、更に別の要素が彼の「自主決定」のうえに積み重なったのであると考えざるを得ないのであります。
C 「過去世の因縁因果」による「生まれ替わり先」の決定
個生命としての霊魂の輪廻転生の場合に於いて比較的多く見受けられるのは、その家系の親類縁者を含む先祖の人が再び其の家系の子孫として生まれ替ってくるケースであります。
昔から「今度生まれて来た孫は(曽祖父・曾祖母・或いは、祖父・祖母、或いはその他のご先祖様の)あの人が生まれ替ってきたようだね」と昔の人はよく云ったものでした。
その家系の過去の因果を解消するためにその因果に関係していた先祖の霊魂が、時巡って再びその家系の子孫として生まれ替って因果を解消して行くケースもあります。
能力を磨き徳を積んだ先祖の霊魂が、落ちぶれて行くその家系の行く末を心配して再び誕生してきて再興する場合は、後世になって“中興の祖の御先祖さま”とよばれるわけであります。
雅宣総裁が開祖・谷口雅春先生の孫として、谷口家という家系の人としてこの世に誕生してきたのも、それなりの谷口家の先祖からの因縁因果が関係して居る事は間違いありません。
しかし、この輪廻転生の「過去世の因縁因果説」の上に更に別の要素が加わらなければ、雅宣総裁の教祖反逆罪と云う宗教家としての最大の法罪を積み重ねて行く雅宣氏の現在の姿は説明できないのであります。
以上、一般的ケースとしての「輪廻転生の原則」から雅宣氏が開祖・谷口雅春先生のお孫さんとしてこの世に誕生してきた理由を考えてきましたが、
100%完全に論理上から説明できる雅宣氏と云う霊魂に当てはまる「輪廻転生の原則」には逢着できなかったのであります。
そこで出てきたのが最初に掲げた「雅宣・観世音菩薩」説と「唯観・實相雅宣」説でありましたが、これでも100%完全な論理的納得の行くものではなかったのです。
ここまで論理的に突き詰めて参りますと、
雅宣総裁の今回の地上世界への転生は、「極めて稀な特殊なるケース」であると考えざるを得ません。
「何故、平成時代のこの時代に、偉大なる『生長の家』開祖・谷口雅春先生のお孫さまとして誕生してきて、誰もが予期さえしなかった反逆児となり、
『生長の家』を崩壊へと導きつつある“獅子身中の虫”になり得たのか?
この“教団史上最大の『謎』”を解かねばならないと思うのであります。
上記の雅宣総裁に当てはまる幾つかの転生原因の上に積み重なっている特殊な要因の解明がどうしても必要となるのであります。
平成23年1月26日発信
本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成
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2011-01-25 21:43
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しかしなぜ、雅宣総裁はいつも信徒を挑発するようなブログを書き続けるのでしょうか?わざわざ神話の話を持ち出してみたり、もう読むのも面倒くさいので見るのをすぐやめてしまいますが、何らかの意図があるとしか思えません。
わざと破滅の方向に持って行こうとしているのでしょうか。いづれにせよこの世界は本物を試されているように感じます。