イシマタラ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
〜 イシマタラ について、柳沢敦
イシマタラ あるいは、 いしまたら(英: Ishimatara、Red devil festival、Korean liar game 仏: Morue Ishima)とは、日本古来の伝統的な風習である。2011年1月、サッカー・アジアカップ日韓戦後の韓国のメディアの脳内が発祥の地。発祥時期が確定されている伝統文化として、世界的に見ても非常に稀有なケースである。また、日本の文化がいつのまにか韓国起源になっている事例が散見されるが、逆のパターンは非常に珍しく、文化史に残る事例として学会からも注目が集まっている。
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[編集] 概要
仮面遊びの一種であり、自分が嫌いな人物や、悪魔をかたどったお面を作ってかぶり、互いに罵倒し合う。 正直で清廉潔白な人間になれるとされ、老若男女まで幅広く行われる。現在、学会では、「お面」をただの「お顔」とすれば某国の伝統行事ではないかとの主張があり、裏づけを進めている。
近代以降のイシマタラ祭は、隣村同士で年に一回行われる試合形式の祭事であり、その結果によって翌イシマタラ祭までのその村の吉凶を占う。 二つの村はそれぞれイシマ軍とタラ軍となり、この役は一年ごとに入れ替わる。
準備として、イシマ軍とタラ軍の全員に32枚撮り使い捨てカメラを渡しておく。 タラ軍はまず村の代表者を一人選び、その代表者を摸した悪魔のお面を作り、それをタラ軍の村の敷地内のどこかで販売する。 このとき、販売している店の場所はイシマ軍に対して秘密にしておく。 そのお面をイシマ軍に配り、イシマ軍の全員がお面を装着した時点で試合は開始する。
試合の目的は、イシマ軍とタラ軍で異なる。 イシマ軍の目的は店を発見し、それを写真撮影することであるのに対して、 タラ軍の目的はイシマ軍の村民をできる限り写真撮影することである。
試合は24時間行われ、24時間後に両軍それぞれ自分の村で写真を現像する。 イシマ軍は、店が撮れている写真がある場合、それらの中から一枚写真を選出する。 このとき、店が一枚も撮れていなかった場合はタラ軍の勝ちとなる。 一方で、イシマ軍が選んだ写真の撮影者が、タラ軍の写真で撮影されていなかった場合はイシマ軍の勝ちになる。 両方とも撮影されていた場合は、判定で勝敗を決定する。
勝った村には一年の五穀豊穣と無病息災が約束される。
[編集] 歴史
イシマタラの歴史は古く、日本書紀や古事記、万葉集にすでにそれらしい記述が見られる。 魏志倭人伝にも邪馬台国の台与が祭りで仮面をつけ使い捨てカメラで写真を取り合ったことが記されているとされている。 万葉集にはイシマタラ祭らしき行事を詠み込んだ歌が36首含まれるとされている。
古事記には異死摩多羅と記され、天皇が邪悪から身を守るための祭事であるとされている。 これは現代に伝えられるイシマタラとはかけ離れた内容であり、別物とする説が根強い。
神事などと違い地域社会に根ざした風習であり、口伝による風習という向きが強く 文献の記述も曖昧なため、その正しい漢字表記すら失われてしまった。 概要にある風習の内容も古老の記憶から推測したものに過ぎない。
しかし安土桃山時代に、豊臣秀吉が一夜城として知られる石垣山城の完成を祈願して イシマタラを行ったのはあまりにも有名でありこれが土着祭に縁のない現代日本人にも広く知られている一因であろう。
明治時代には政府が皇室の権威付けの一環としてイシマタラ復活が奨励された。 例えば、イシマタラ専用ドームとして広島に原爆ドームが設立され、現在の公式試合ルールの原型となる、政府公式取決(通称:FIFA)が制定された。 この取決は、地域ごとに幅広い特色を持っていたマタラー達の大きな反発を招き、事実上の反故となったが地域によっては地域ごと公式ルールに変更したところもあった。
現代イシマタラでは、公式ルールが広く知られているが、ルールが分かりやすい、経済的負担が少ないといった理由から、再び土着ルールを採用する地域が増えている。 町おこしを企むクソ田舎では一種の観光資源として活用しようという動きもある。起源は韓国。
[編集] 報告
この風習を報告し、日本国内において有名にしたのは韓国の報道機関である江原日報[1]である。当初、この祭りの事に関しては別の説明がなされていたが、その発表と発表者は、イシマタラの祭事により葬り去られたとされる[要出典]。また、その風習と称する行為の意味不明さにより、頭を抱える人が多数存在することになる。
[編集] 風習の衰退と復活
高度成長期のカメラブームと共に隆盛となり、写ルンですの発売を経て伝統的遊びとしての地位を不動のものとした。しかし、デジタルカメラの普及により、現像してプリントすることが減り、この風習も次第に行われなくなった。90年代にカメラ付き携帯電話と写メールが普及すると、この風習は完全に途絶えてしまった。顔を撮ることは、圧倒的に携帯電話で行われるようになったからである。
ところが2011年になって、突如としてこの風習が復活したという報告が飛び込んできた。それは日本でなく韓国からであった。2011年1月26日、アジアカップの韓国-日本戦において、この風習が行われていると写真付きで報じられた。 韓国では元の風習を超えて、サッカー応援に応用されている。 これは日本元来の風習には見られない、韓国における独自の発展である。韓国では、国民の妹とされるキム・ヨナやサッカー選手の写真に赤い角を生やしたお面で、相手チームのユニフォームを着用する。赤い角はサッカー韓国代表の愛称である「レッドデビル」にちなむもとの思われる。応援グッズのショップが写真のお面を販売しており、広く行われているものである。 ただし、漢字を使う習慣のない韓国のメディアが報じており、日本における漢字表記はまだ分かっておらず、元の日本の風習がどの程度残されているかも今後の研究が待たれる。
[編集] 漢字表記
- 「異死摩多羅」説
古事記の記述に準拠する説。ただし歴史の項にもあるように「天皇が邪悪から身を守る」という記述は、広く知られるイシマタラ祭の姿と一致しない。
- 「奇祭イシマタ」説
韓国語の翻訳としてはこのように訳されるという説がある。ただし、該当する祭りが存在しない。
- 「言ってしまったら」説
この言葉が韓国語の変化により「イシマタラ」に変化したという説。
これもよくわからないが、マトボッククリは古代ローマ帝国発祥の文化のため誤解であるという説が濃厚である。
[編集] 日本にある祭り
- 悪口(あくたい)まつり・いどり祭り説
あくたいまつりとは栃木県足利市にある最勝寺(大岩毘沙門天)で12月31日大晦日の晩から 元旦の未明にかけてにある祭り。いどり祭りとは石川県鳳珠郡能登町鵜川にある菅原神社煮て行われる祭り。双方とも悪態をつくことに特色がある。このような奇妙な祭りが報告されていると言う説がある[要出典]。
- 摩多羅神祭り
毛越寺二十日夜祭とも呼ばれる祭りであり、1月20日頃に岩手県の毛越寺で行われる、日本三大悪口祭りの1つである。
- 牛祭
10月12日(陰暦9月12日)の夜に行われる、京都市右京区太秦の広隆寺の祭り。摩多羅神の扮装で(白紙の仮面をかぶり異様な服装をしている)、牛に乗って寺内を一巡し、国家安穏・五穀豊穣・悪病退散の祭文を読む。
[編集] 余談
この記事については以下のようなことが主張されているようです。
- この記事は誤りと嘘八百でいっぱいの百科事典であるアンサイクロペディアに掲載されています。ここにあるコンテンツはその全て、もしくは一部がフィクションですが、同時にそうではない可能性もあるなど、言うなれば「超フィクション」の状態にあります。つまり、全て嘘八百ということです!したがって実在する人物・事件・団体とは一切関係ありません!
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なお、この祭りが報告された記事であるが、その内容面に関しては以下のことが主張されている[2]。
「日本サポーターが作った」とされるお面は、現地売店で誇らしげに販売されている韓国チームの応援グッズであること。 また販売していた経緯からこの仮面を着用していた人物も日本側の人間ではない可能性、 あるいは過去の画像を使用した可能性があること。
これらのことはこの事例に限らずアジア関連にはよくあることである。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ↑ 原文韓国語、ただしニュースサイトに掲載された記事を2chのニュース系板が翻訳紹介する形で日本に伝わったとされる。
- ↑ 2chのオカルト板のスレッドのひとつ
[編集] 関連カテゴリ
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