選挙至上主義ともいうべき現状の活動の在り方を根本から変革する唯一の方法は本音による対話

選挙において、投票依頼をすることは自由です(もちろん公示および告示以降、選挙期間に限られるわけですが)。

それは法律(公職選挙法)に照らしても何ら問題のない行為であることは間違いありません。

しかし、問題はその行為の中身であり、そこに至るプロセスなのです。

宣伝材料としてのパンフレットや語り口というものではない、心からこの候補者を応援したい――と思えるようになるための、内発的な試行錯誤が絶対的に必要なのです。

「なぜ、公明党でなければならないのか」

「なぜ、この候補者でなければならないのか」

「なぜ、公明党はこの政策を進めるのか、もしくは進めないのか」

等々……。

常なる根本的問いかけこそ、最も重要な、私たちが政治に相対する時の姿勢なのではないでしょうか。

もし、「そんなことに時間をかけているヒマはない」などと真顔で言い切る幹部がいたとしたら、選挙以前に政治とはそもそも何か――について、一から学び直す必要があります。

「何のため」という極めて重要な過程が切り捨てられ、安易に「勝つため」という至上命題に置き換えられてしまう傾向がより強まっている気がするのです。

「勝つため」に、一人ひとりの内発の力を高めるための貴重な時間が省かれ、「勝つため」の当座の知識と戦術のみを頭に詰め込ませる――これが本当の内実ある民主主義と呼べるのでしょうか。

私には決してそう思えません。

事実、多くの学会員さんの口からついて出る言葉は、「私は公明党やその候補のために戦っているんじゃない。自分の宿命転換のために戦っているんだ」なのです。

よく理解できる心情です。

私自身、常にそういう思いで選挙戦を戦っています。

ただ、宗教的使命感をもって戦うことは、人それぞれの自由だとしても、結果として現れるのは、政治そのものの世界である以上、またそこに選挙を通して関与した以上、無関係というわけにはいかないはずです。

それでは無責任のそしりを免れることはできない、私にはそう思えてなりません。

創立100周年を目指していくに当たって、変革すべきは、そうした「選挙至上型」ともいうべき取り組みの在り方にあると私は思います。

私たち一人ひとりの意識だけで済む問題ではありません。

組織を挙げての選挙偏重型の支援の在り方が問題であると私は認識しているのです。

公明党が今、置かれている状況、向かおうとしている方向、候補者の資質、候補者の主張・信念など、政治を語るに欠かせないプロセスの対話、意見交換、討論などが十分に尽くされていないと私の現場では感じています。

では、私たちは何をすべきなのか。

決して難しいことではありません。

対話です。

公明党の支援の在り方について、心行くまで本音で語り合う機会を設けることです。

もちろん同志の間でです(友人に語るのは、そのプロセスのずっとずっと先のことです)。

政治学習などという情報のお仕着せの形ではなく。

そうした常なる政治に関する対話が同志の間で、日常において充実しているならば、それこそとってつけたような政治学習も必要なくなりますし、組織を挙げての”戦いの切り替え”などの必要がなくなるのです。

ただ、統一地方選を間近に控えた現在に至っては、私が述べたような問題提起および取り組みは現実的に難しいのは確かでしょう。

今回の統一地方選を終え、次の4年後を目指した時に、新たな価値創造への一環として試みていくべき取り組みなのであろうと思います。

コメント 停止中