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[25334] 【ネタ】 『その小さな花びらを……』 【百合?】
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/12 22:49
 百合物かなぁ?
 おばかな話が書きたくなった。
 女の子ばっかりのラブコメです……。



[25334] 第1話 『動き出した恋心』
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/12 22:48
 天承学園高等部の二階廊下――。
 硬い床の感触が靴底から伝わってくる。こつこつと音を立て……。
 一人の少女がまるで西部劇のガンマンのような気分で歩いている。
 小柄な体躯。ぷくぷくのほっぺ。小さな鼻。いつもならへにゃっとハの字に下がっている眉は今やきりりとつり上がり、小さな唇はぎゅっと閉じられていた。
 小動物のようだった少女の雰囲気は消えうせ、獲物を狙う猛禽類ぽいっ。
 さっきまでいたはずの生徒たちの姿がぱったりと消え、静寂が訪れた。
 憎っくき石井麻子はこちらに背を向けている。短く切った髪。高い上背。引き締まっていながらも、見事に整っているプロポーション。背を向けているために表情は窺えないが、整った顔立ちは凛々しく。並みの男子では尻尾を丸めて逃げるしかないだろう。女子たちから人気があるのも頷ける。敵ながら大したものだ。
 開けられていた窓から風が通り過ぎていく。
 ふんわり後ろで纏められているポニーティルが揺れる。
 ――チャーンス!
 一年の高木 萌は手に持ったナイフを構えて、石井麻子に向かって突き進む。
 ――うらぎりものぉ~!
 ドンッとぶつかった瞬間、木製のペーパーナイフはペキッと乾いた音を立ててまるでお菓子のごとく折れてしまう。
「いたっ! もお~萌ちゃんたら、またペーパーナイフを持ち歩いて、だめだよ。おしおきだぁー、うりゃあ!」
 麻子は萌の小柄な体を抱えてぎゅうぎゅうと締め上げている。
「あわわ、た~す~け~て~」
 情けない声をあげ、助けを求める萌。身長149cmの萌と168cmの麻子では体格に差があり、さらにはプロポーションにも圧倒的な差があった。泣きそうな萌の顔が麻子の大きな胸の中に埋もれ、窒息しそうなぐらい押し付けられている。
 騒ぎを聞きつけた教室の生徒たちが廊下に顔を出してくる。
「いいなぁ~萌ちゃん。石井さんにあんな風に抱きしめられて」
「さすが、我が一年B組のアイドルコンビだよ。かわいいな!」
 とは、男子の声。
「きゃあ~、萌ちゃんハムスターみたい」
「わたわたしてる」
 小動物を愛でるかのような目で見てくる女子たち。
 一通りおしおきがすんだのか、威風堂々とした麻子に小脇に抱えられて、萌は教室の中へと戻っていった。
 実はこの二人、幼馴染である。家も隣同士。保育園から小学校、中学ときて、高校も同じ所へと進学し、一年の現在でも同じクラスであった。

 時刻は変わって放課後。
「麻子ちゃん、麻子ちゃん。一緒に屋上へいこう!」
 萌は元気な声で、麻子を屋上へと誘う。しかしながら麻子は怪訝な顔で萌を見つめた。
 ――まずい。あたしの思惑がばれてしまったの?
 萌は内心冷や汗を掻き、鼓動がバクバク早鐘を打つ。
「別に良いけどさぁ~。萌って確か、高所恐怖症だったよね? いいの?」
 ――が~ん。しまったどうしよう……。
 すっかり忘れていた事を思い出してしまった。中学の時に麻子に連れられ、昇ったエレベーター。外の景色が見えるために足が竦んでしまい、必死になってしがみついたのは、苦い思い出である。
 ――屋上から落っことす完璧な計画がこんなところで躓いてしまうなんて~。
「あ、ああ~落ち込まないで。一緒に駅前のお菓子屋さんに寄ってこ」
 がっくり落ち込んだ萌を慰める麻子。
 ふたりはてくてく駅前まで、歩いていく。
 美少女二人組にすれ違う人々――主に男たち――が見惚れ、時には振り返りながら通り過ぎていった。
 現在、執拗に麻子の命を奪おうとしている萌ではあるが、萌と麻子は、もう一度繰り返すが、幼馴染である。
 最初からこうだった訳ではない。幼い頃から麻子ちゃん、萌ちゃんと呼び合い。いつも一緒に遊んでいた仲だ。
 近所でも有名な仲良しさんであった。そんな関係は小学校、中学校と続き、この学園に入っても続くと思われた。
 実際、入学初日はそうであった……。
 そんな関係が一変したのは、麻子に誘われて入った茶道部。
 凛々しい麻子とかわいらしい萌は上級生、女生徒達のハートを撃ち抜き、メロメロにしてしまう。
 特に萌は部室に入った瞬間から、女生徒達に取り囲まれ、子猫のように可愛がられてしまった。かわいい、かわいいと愛でられて抱きしめられ、キスをされ、挙句の果てにはスカートを捲られて、胸まで揉まれてしまったのだ。過激なスキンシップ。セクハラとも言う。
「麻子ちゃん、助けて~」
 必死になって助けを求めたが、麻子も一緒になって萌を弄んだ……と、萌は思い込んでいる。
 実際のところは助けてくれたのだったが、見ていた麻子も思わず――今まで我慢してきたのが悪かったのか――萌にキスしてしまった。
 これがトドメとなった。
 ――麻子ちゃんはあたしの体が目当てだったんだ。大好きなのに~っ!
 親友の裏切りにショックのあまり、女の子同士にあるまじき思いに囚われたまま今に至る。
 それ以来、思い出したように麻子をなきものしようとしては失敗する萌と、なにくれとなく面倒を見続ける麻子の姿が見受けられるようになった。
 学園に入学して1週間、4月も半ばのことであった。

 ◇       ◇

 ――恋ってなんだろう。
 朝、洗面所の鏡を見ながら、石井麻子は考えていた。
 恋愛小説は嫌いじゃない。映画だってそう。中学のとき、同じクラスの女子が男と付き合っているなんて話も聞いてきた。
 その……Hな事もしていたらしい。でも、自分が男とそんな事をするなんて想像も出来ない。男嫌いかと聞かれれば、どうなんだろう? はっきり言って分からない。中学に入ってから急に伸びだした体は今では大人のようになった。胸も人並み以上に膨らみ、手足も伸びた。クラスの男子がじろじろ見てくるのは……不快だ。街中で見てくる男も嫌だ。
 じっと鏡を見ていると、それなりに整っていると思われる自分の顔が映っている。
 麻子ちゃんは、もてるからいいね。なんて言われた事もあった。
 実際に麻子にも声を掛けてくる男は大勢いた。同い年からかなり年上までだ。
 でも、誰とも付き合う気にはなれないまま、断り続けている。
 さて、ではどうして誰とも付き合う気になれないのか? 男たちの視線が不快だからだろうか?
 じーっと考え込む。
 ――好き。うん。まず、好きって?
 好きかぁ~、そう考えてみる。本は好き。お菓子も好き。遊ぶのも……。これは違うよねぇ。対象が人じゃないし。両親は好きだろう。飼っている犬のぽちも好きだな。ああ、違う。
 対象は男の人。そう考えて、同い年ぐらいの男子を思い浮かべてみた。ピンと来ないなぁ。
 さらに対象を大人から芸能人にまで広げてみたが、いまいちピンと来ない。素敵な王子さまが、なんて考えているわけじゃない。取り立てて理想が高い訳でもないと思う。でもどの人も嫌いではないが『好き』とまではいかないのだ。
 ふいに――萌。高木 萌の顔が浮かぶ。そして入学当初、向かった茶道部でキスをしたことも思い出す。
「萌ちゃん。うん、好きだ」
 そう、大好きといっていい。幼い頃から仲良しで、どこへ行くにも一緒だった。あの時も他の女の子たちが萌にいたずらしていたのが、羨ましくて、自分にはできなくて、もやもやしていたのだ。それがついに嫉妬のあまり爆発してしまい。思わずキスしてしまった。
 小さくてかわいらしくて、人懐っこい萌ちゃん……。
 自分の唇を指でなぞってみる。
 鏡の中にへらっと崩れた表情が映った。
 ――ああ、そうか。わたしは萌ちゃんが『好き』なんだ。
 こうして石井麻子の『萌ちゃん恋人化計画』が始まった。



『その小さな花びらを……』

 第1話 『動き出した恋心』


「いってきまぁーす」
 何かを吹っ切ったような元気のいい声を上げて、麻子は家から飛び出していく。
 目的地はお隣、高木家。見上げれば抜けるような青。燦々と降り注ぐ春の日差しが祝福してくれているようで心地いい。
 ――ああ、お空が綺麗。そらってこんなにも綺麗だったんだ。
 昨日までとはまったく違うように見える。
「萌ちゃん、学校に行くよぉ~!」
 インターフォンを勢い良く押して、ガチャッという音が聞こえた瞬間、開口一番声を張り上げる。
 受話器の奥でくすくす笑う、おばさんの声。
 ――あいかわらず、元気ね。麻子ちゃん。
「はっはっは……」
 朝の挨拶をかわしているうちに、玄関からほんの少し寝ぼけ顔の萌が姿を現す。
 ホニーティルがメトロノームのごとくゆらゆら揺れる。
 いつもの萌だ。
 にこにこ笑って迎えた。
「おはよう!」
「おはよう~」
 まだ眠そうな萌を引っ張って麻子は歩き出す。
 萌は昨日、何か大事な出来事があったような気がしたが、一晩寝たらすっかり忘れてしまい。まあいいかと思いなおして麻子と手をつなぐ。なんといっても萌は麻子のことが大好きなのだ。にこにこ満面の笑みを浮かべる。
 海辺の町、天木市海晴町は昔からの古い家が立ち並んでいる。それも物凄く古い家が多い。江戸時代から建っているそうだから、いっその事観光地にでもすれば人が寄ってきそうである。
 駅を挟んで北側には明治の頃からの家々が並んでいる。南は江戸時代だ。
 麻子と萌の家は北側にある。明治とまでは言わないが、それでも大正十年に建てられたそうだから、これまた古い。そういったら、大正浪漫といえ。とお祖父さんに怒られた。どうやらこだわりがあるらしい。まあ造りはしっかりしてるし、ここまで古いとかえってなんと言おうか、不思議な味というものがでてくるみたいだ。赤煉瓦の壁が美しい。麻子の家と萌の家は同じ赤煉瓦の洋館だ。小さい頃にはお化け屋敷と言われた事もある。
 古い町並みを眺めながら駅まで徒歩15分。麻子としてはちょっとしたデート気分だ。てくてく歩きながら、萌に話しかける。
「今日のお弁当は、なに?」
「う~んとね。いつもの玉子焼きと菜の花のお浸しと高野豆腐。あっ、おむすびの具はね。おかかなんだよ」
「へー、おかか大好き」
「えへへ、昨日お出汁を取ったかつお節が溜まってきたから、ふりかけを作ったの」
 萌は小学校のときからおばさんに教えて貰ってきただけに料理上手である。というよりも今どき、昆布やかつお節から出汁を取る一般家庭も珍しいだろう。麻子の家はだし入りの味噌を使っている。じゃなければインスタントの粉末だしだ。
「萌はあいかわらず、料理上手だね」
「そ、そんな事ないよう……お母さんの方がもっと上手だもん」
 萌の顔が真っ赤になった。照れ隠しか、ぺしぺし叩いてくる。その度にしっぽが揺れ、思わず引っ張ってみたくなる。
 小学校の頃にやって泣かせてしまったのは一生の不覚であった。麻子は今更ながら後悔していた。
「わたしも萌ちゃんのお弁当食べてみたいなぁ……おいしいんだろうなぁ」
 麻子は気を引くように小声で訴える。目をぱちくりとさせた萌はもうしょうがないなぁ、といった感じで頷くと、
「じゃあ、一緒に食べよう」
 と麻子とお昼を一緒に食べる約束をかわす。
 麻子は内心、狂喜乱舞である。やったぜ! とばかりに小さくガッツポーズを決めた。
 麻子を応援するようにすずめがちゅんちゅん鳴いている。

 ◇       ◇

 学校までは駅で三つ。満員電車に揺られながら向かう。
 いつもは、あ~あ憂鬱だなあ、と思いながら乗るのではあるが、今日からは違う!
 萌を守らなければならないのだから!
 そうなのだ。小学、中学と徒歩で通ってきたために気にもしていなかったが、電車通学ともなれば痴漢という死んだ方が世のため、人の為になりそうな害虫とでもいうべき、邪悪な存在がいるのだ。
 かわいい上におとなしく、被害にあっても泣き寝入りしそうな萌は痴漢どもにとっては格好の獲物だろう。
 ――そんな事は断じてさせる訳にはいかない!
 痴漢などは二度とその指を使えないようにへし折ってくれる。
 ぐぐっと握りこぶしを固めた麻子は萌を庇うように電車に乗り込んでいく。ちなみに萌はそんな麻子を見て、麻子ちゃんどうしたんだろう? と首を捻っていた。
「いい、痴漢に遭ったら、わたしにちゃんと言うんだよ」
「う、うん」
 麻子の気迫に押されるように、こっくり頷く萌。
 出口付近で萌を庇って電車に揺られる。一駅過ぎ、二駅過ぎて、萌が泣きそうな顔で麻子を見上げる。
「ま、麻子ちゃん……」
「萌ちゃん――」
 消え入りそうな小さな声。麻子が萌の背後に視線を向ける。おしりの辺りでもぞもぞと動く手。
 ――おのれ、痴漢め!
 とっさに萌を引き寄せてみれば、背後から現れたのは……同じクラスの晶だった。
 ――多田 晶。れっきとした女である。ちなみに中学からの友人であった。
「へい」
 いつものからかうような口調の声。長めの髪をシニョンで逆立てるように折りたたんでいる。
「あ、晶ちゃん?」
 自分のおしりを撫でていたのが、級友だと知ってショックを受ける萌。
「やー、あいかわらず小さくてかわいいおしりだねえ~」
「あ~き~ら~!」
「おや、どうしたのかね? 天承学園高等部一年生の王子様とも呼ばれる麻子様ともあろうお方が、そんなにこわーい顔をなさって?」
 しらっとした顔でいう晶。その後ろからひょっこり顔を出す妹の亜貴。この二人は双子だった。
「きゃあ~麻子様~っ!」
 妹の亜貴がこれみよがしに黄色い声を上げる。分かっててやってるとこが恐ろしい。
「萌ちゃん、今日のパンツは何色かなぁ~? お姉ちゃんにだけ教えて」
 晶の言葉に麻子の額に青筋が……立つ。にまにま笑いつつ、亜貴も一緒になってセクハラを仕掛けた。
 悪質な双子である。
「だめだめっ! 萌、言う事無いからね」
 萌を抱きしめながら、麻子は双子を威嚇する。放っておけばどこまでエスカレートするか分かったものではない。
 ぎゅっと抱きしめた腕の中で萌が身を震わせる。
 小さく柔らかい。
 その感触に至福という言葉が脳内を駆け巡る。
「ま、麻子ちゃん……ちょっと苦しい」
「あっ! ごめんごめん」
 急いで腕を解く。その瞬間電車が駅に着いたのか、ぐらり体が揺れ、萌は晶たちに凭れかかってしまった。
「きゃっ」
「大丈夫? ひどい女だよね」
「うんうん、ひどいひどい」
 萌を支えつつ、晶と亜貴が麻子の方をちらっと見て、舌を出す。
 ぐぬぬ~、おのれ~!
 わたしの至福の時を邪魔した挙句、萌にそんな事を言うなんて……どうしてくれようか?
 怒りに震える麻子ではあったが、じっと見つめてくる萌の瞳が助けを求めている!
 それに気づいたとき、麻子の心は勇気百倍。
 とあっ! とばかりに邪悪なる双子を成敗しようとする。
 しかし! その時、ぷしゅ~っという音と共にドアが開いて、降りる乗客に押し流されてしまう。
 いち早く避難している双子。連れ去られてしまった萌。
「麻子ちゃ~ん」
「萌~」
 引き離され、手を伸ばす麻子の目の前を悲しそうな瞳の萌が見つめたまま、去っていく。
「おーほほほほぉ~」
「あーはっははぁ~」
 双子の邪悪な笑い声が麻子の耳に木霊していた。







 あとがき。
 少女の心には爆弾が眠っている。



[25334] 第2話 「風雲 お昼休み -三角関係発覚-」
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/12 22:48
 第2話 「風雲 お昼休み -三角関係発覚-」

 朝は邪悪な双子の手によって連れ去られてしまった萌もちゃんと授業を受けている。
 その横顔を見つめながら、麻子はお昼休みを楽しみにしていた。よだれが出たのはご愛嬌。
 しかし一時間目の休み時間も二時間目の休み時間も、萌は授業が終わると急いでどこかへ行ってしまった。
 それゆえ麻子は話も出来ずに悶々としている。
 いつもなら、麻子ちゃ~んって話しかけてくるのに、今日は一体どうしたの? はっ! もしや……晶や亜貴に脅されているのでは!
 ああ、わたしが今朝、手を離さなければこんな事にはなって無かったはず。
 麻子は頭を抱えた。
「こらっ! 石井、いきなり何を悩んでる!」
 担任の村上恭子先生が呆れたように教壇から声を掛けた。当年とって28歳。いまだ独身である。美人なのに……。
 慌てて取り繕う麻子。教室内からくすくすと笑い声が小さく上がる。その中に萌もいることを知って、麻子は真っ赤になってしまう。
 ――いらない恥をかいてしまった。ああ、萌。こんなわたしを嫌いにならないでね……。
 心からの叫びが脳内を駆け巡っていった。
 
 終了の鐘が鳴る。
 萌はいそいそ教室から出て行った。
 良し! 後をつけよう。麻子はこそこそっと追いかけようとする。
「あっ、麻子。ゴールデンウィークの事なんだけどさ……」
「後々!」
 後ろから声を掛けてくるクラスメイトの声を遮って、麻子は萌の後をつけた。
 萌は廊下を進み、階段を上っていく。
 ふむ。階段を上がったところを見ると、おそらく相手は二年生か三年生だ。。この学園では一階は一年、二階がニ年、三階は三年生という順番になっている。萌が何階で止めるかで相手の学年が分かるだろう。
 階段を上がっていく萌の後を付けながら、麻子は目を皿のようにして様子を窺う。時折すれ違う生徒たちが不審そうな目で見てくるが、そんな事はお構いなしだ。
 萌がニ階の廊下の端でとまった。表札を見れば、二年A組。
 あそこに敵がいるのか!
 麻子の心にめらめらと嫉妬の炎が燃え上がる。ぎゅっと拳を握り締めた。
 教室を覗き込んだ萌が手振りで中にいる上級生を呼ぶ。しばらくして出てきたのは……河合ひとみ。麻子も知っている近所のお姉さんだ。
 な~んだ、ひとみさんかぁ~。用があったのかな? おばさんに頼まれたとか……。
 相手が分かった事で、ほっと胸を撫で下ろす。
 しかし相手が仲のいいお姉さんだと言う事が、麻子の心に危険信号を伝えてきた。
 よくよく見れば、ひとみの様子はおかしい。萌に対する恋心を自覚した麻子にはそれが分かった。
 拙い、拙いよ。……あの人も萌を狙っている! あの目は獲物を狙う肉食獣の目だ。わたしには分かる。
 ――寝盗られてしまう。
 何か激しく間違っている思いに囚われてしまった。寝盗るってなに? 自分の想像にがっくり落ち込む麻子である。
 しかしさらに麻子の脳裏で萌を弄ぶひとみの笑みが浮かぶ。妄想の中の萌は蕩けきった笑みを浮かべ。麻子に対して冷たい目で見てくるのだ。
 嫌だ嫌だいやだぁ~。妄想はあらぬ方向へと展開し、振り切ろうと忙しく頭を振る麻子である。
「あんた、なにしてんの?」
 背後からぼそっと声を掛けられた。ビクッと飛び上がりそうになる。慌てて振り返ったら、同じクラスの里中亜美である。ツインテールがチャームポイント。剣道部所属で、寄せ来る男を千切っては投げ、千切っては投げる剣豪と噂に名高い。なんでも入学一週間で男子剣道部の部員たちを全員のしてしまったらしい。すでに天承学園の虎と呼ばれている。女に付けるあだ名じゃないよほんとに……。
「なんかさぁ~、こそこそ出て行くから何事かと思ってついて来たけど、ほんと何してんの?」
 亜美が心底呆れた口調で言いながら麻子の横からひょいっと覗く。
「いやべつにぃ~」
 誤魔化そうとする麻子。しかし横から覗いた亜美は萌とひとみがおしゃべりしている光景を目にして、にまにまと笑いつつ、麻子の顔を覗き込んでくる。
「なるほどなるほど、かわいいかわいい萌ちゃんの浮気が気になるというんだねぇ~」
 腕を組んで笑う亜美は、麻子の横をすり抜け、萌の下へと行こうとする。
「だめだって!」
 必死に押し止める麻子の姿を嘲う。
「今日の学食で手を打とうか」
「あっ、だめ! 今日は萌と一緒に食べるから」
 とっさに、しかしはっきりと言う麻子に亜美はさらに唇を吊り上げて、いやらしい笑みを漏らす。
「まっいいか。これから楽しくなりそうだし……」
 あっさり立ち去っていく亜美。
 ――あ~い、それは~。
 立ち去っていく亜美はヘンな歌を歌いながら遠ざかっていった。
 さてとばかりに再び監視を続けようとする麻子は二年A組の方に目をやる。
「……萌がいない」
 慌ててきょろきょろ辺りを見渡す。生徒たちの姿もなく、ハッと時計に目をやれば、もうすぐ四時間目だ。慌てふためき、急いで教室へと走った。
 はぁはぁ息を切らせて戻った麻子を萌の笑顔が迎えてくれる。
「麻子ちゃん、どこ行ってたの?」
 時計を示しながら、ぷぅ~っと頬を膨らませる。遅刻しないかと心配していたのだろう。麻子の腕を引っ張って席へと着かせようとした。
「ごめんごめん、ちょっと用があったものだから……」
 さり気なく誤魔化しながら、席に着く。座って息を整えていると隣の席の亜美がにまにま笑って見ていた。
「らぶらぶですなぁ~」
「うっさい」
 じろっと睨みつける。後ろの席から晶の声が教室内に響いてきた。
「萌ちゃ~ん、大好き~!」
 ガタッと椅子から落っこちそうになる麻子。萌はいきなり叫ばれて真っ赤になりつつ、わたわた慌てている。
「あ、ありがとうね……あたしも晶ちゃん好きだよ」
「やったぁ、らぶらぶ~」
 麻子に向かってVサインをしてきやがる。悪ノリした亜美も萌ちゃ~ん、すき~と叫ぶ。
 この二人は麻子に見せつけるように萌をからかう。明らかに麻子の目を意識してからかっているのだ。なんと悪質な連中だろう……。
 女の友情はハムより薄いって本当だなぁ~。麻子の心はどんよりと暗くなっていく。
 でも、わたしと萌は違うからね!
 自分自身に気合を入れていく麻子であった。

 ◇       ◇

 ――鐘が鳴る。
 お昼休みである。
 ……ふっふっふ。待ちに待ったこの時が来たのだ。
 最愛の萌との至福の時間。お弁当タ~イム。
 ガタッと音を鳴らして、麻子は立ち上がった。まさしく雄々しいといった風情であった。
 百獣の王が動き出すがごとく。威厳に満ちている。
 Prince Mako大地に立つ。
(『亜美と晶は後にその時の麻子をそう表現した。と日記に書かれている』多田亜貴著「ああ、我が人生に悔いあり」より抜粋)
 お弁当を引っ掴むといそいそ萌の下へ急ぐ麻子。萌も小さなお弁当を取り出している。
 満面の笑みを浮かべ、声を掛ける。
「今日は中庭で食べよう」
 麻子の声が上ずる。こくんと頷き、応じる萌。萌の腰を抱きつつ教室から出て行こうとする。
 どこのホストか! と表現されるほどその行動は自然で女たらしぽっかった。
 呆然と見送る級友たち。ハッと我に返り、亜美と晶は動き出す。
 急いで追いかけた。
「亜美どの亜美どの、一体麻子様に何があったのでございましょうや」
「晶殿、判り申さぬよ。しかしちと、とち狂っておられるようだのう」
 まるで越後屋と悪代官のように話をしつつ、そっと後を付ける。
 校庭の中庭、春の日差しが燦々と降り注ぐ。周囲では仲良くお弁当を食べているカップルもちらほらと見受けられ、その中においても萌と麻子は自然となじんでいる。麻子が発するらぶらぶオ~ラが周りを威嚇していた。
 ――寄らば、切る。
 無言の圧力さえも感じる。
 きゃっきゃうふうふといちゃついている、ばかっぷると化した麻子を見ているうちに何だかバカらしくなってきた亜美と晶はその場を立ち去ろうとする。されど、その時――。
 ――背後から風が中庭を吹き抜けた。
 春の日差しは極寒の真冬と化し、気温を零下へと下げる。
 ゾクッと背筋を震わせ、振り返れば二年A組の河合ひとみがこちらに向かって歩いてくる。
 ふわふわ柔らかそうな髪を自然に肩までたらしている。取り澄ました整った美貌はまるで鋭利な月光を思わせた。伸びやかな肢体は優美な曲線を描き、見事なプロポーションを象る。少女というには妖艶な。大人というにはあどけなさが色濃く残っていた。それは少女から大人へと変身しようとしている時間が作り出す美。花にたとえるなら絢爛に咲き誇る薔薇。それが薔薇の形はそのままに過剰な養分を必要とする食虫花と化そうとしている。学園でも有名なお姉さまのお姿に、ポッと顔を赤らめる少女たち。彼女たちはお姉さまの本質に気づいてすらいない。にこやかに笑みを浮かべ、手にはお弁当の包み。しずしずゆっくりと優雅に歩くその姿は、まさに魔性と呼ぶにふさわしい。
 嫉妬という感情が女をどれほど狂わせるものなのか、亜美と晶はこの時初めて知った。
 ガタガタ震えながら抱き合う亜美と晶。その横をひとみが通り過ぎた。二人は同時にほっと息を吐く。
「――女って怖い」
 それは二人の本心であった。
 ああはなるまい。亜美と晶は心に強く刻みつける。同時に麻子を応援したくなる。明らかに分が悪いのだ。凛とした美しさを持つ白い百合の花を思わせる麻子では、野に咲く可憐なアクイレギアか、もしくは高山に咲く鈴蘭を思わせる萌を守りきれないかもしれない。
 ――頑張れ! 麻子~、わたし達はここから応援しているぞ!
 声には出さず応援をする二人。その目はじっとベンチの様子を窺い続けている。

 ◇       ◇

 麻子はあ~んと、萌に箸でつまんだ玉子焼きを差し出す。
「あ、あ~ん」
 ぱくっと口に含む萌。おかえしとばかりに萌も麻子へ玉子焼きを差し出した。
 二人はらぶらぶ。
 食事をしながら麻子は萌の手を握る。小さくて柔らかい手。ほっそりとした指先をそっと自分の頬へ当てる。
「――萌」
 潤んだ瞳で萌を見つめた。
「ま、麻子ちゃん……」
 いつもとは違う麻子の態度に萌は驚いて目を瞠る。
 ま、麻子ちゃん、どうしたんだろう? 何か悪いものを食べたのでは? そう思って自分のお弁当箱を覗き込む。何もおかしいものは入ってないはず。でも……寝ぼけたまま作っちゃったから、おかしくなっちゃったのかなぁ。どうしよう。
 じっと見つめ合う萌と麻子。
 真剣な、そして潤んだ瞳から好きという気持ちが伝わってくる。あたしは……うん。あたしも麻子ちゃんの事、好き……。萌の中の天秤がぐらりと傾きかける。
 麻子の視線の圧力に負けたように萌はそっと目を閉じた。にへらと笑って麻子は萌に擦り寄っていく。脳内で教会の鐘が鳴っている。天使たちが祝福してる光景が思い浮かぶ。今日からわたしと萌は恋人同士になります! 誰に訴えているのか分からないが、麻子はそう叫びたかった。
 ――その時、風が吹いた。
 ゾクッと背中が冷たくなる。麻子はとっさに背後を振り返った。視線の先には――。
 ――やつがいた! 河合ひとみが歩いてくる。
 殺気とでもいうのか! 凍りつくような冷気が麻子を目指して降り注いでくる。萌は気づいていない。殺気は萌にではなく。麻子を狙って放たれている。
 じりじり近づいてくるひとみ。
 その目が明確に伝えている。
 ――この、泥棒猫!
 ――泥棒猫はどっちだ!
 ひとみと麻子は視線のみで伝え合う。言葉を発さずとも女は自分の気持ちを伝えられるのだ。
 萌はまだ、目を瞑っている。
 ひとみの目の中で嫉妬がさらに激しく燃え上がる。ひとみの目を見て、麻子は悟る。この女は前から萌を狙っていたのだと。
 ――お邪魔虫め。
 ――どっちが!
 麻子はひとみの嫉妬を真っ向から受けて立つ。今まで優しい近所のお姉さんだと思っていたが、萌に邪な思いを抱いていたとは知らなかった。そう、この女は密かに萌を狙っていたのだ。麻子は気づかなかったそんな自分が腹立たしい。そしてこの女も……。
 ――はっ! 女の嫉妬は見苦しいぞ。
 ――その言葉、そっくりそのまま、お返ししよう。
 気づかなければ知らないうちに萌を奪われていたかもしれない。ゾッと背筋が凍る思いだ。
「あれっ、ひとみお姉ちゃん?」
 萌はどうやら目を開けたらしい。突然目の前に現れているひとみの姿に驚きながらも声を掛けた。ひとみの目の中から嫉妬の色が綺麗に消えている。その変わり身の速さに麻子は驚き、なすすべが無い。さすが泥棒猫というべきか。
 三人の異なったタイプの美少女たち。内心はどうであろうと、口元には笑みを浮かべ、微笑みあっている。まるで一枚の絵のよう。ふわふわとした笑みを浮かべる小動物系少女。凛とした雰囲気を持つ凛々しい少女。大人の色気を身につけだしている妖艶な笑みを浮かべる少女。確かに絵になる三人であった。
「萌ちゃん、隣に座ってもいいかしら?」
 にこやかに笑みを浮かべて萌に話しかけるひとみ。
「うん、いいよぉ」
 そそくさと席を詰める萌。ひとみは萌を自分の近くへと引き寄せるように抱き寄せる。
「萌ちゃんはいつもかわいらしいわねぇ」
 いとおしむように萌の頭を撫でる。くすぐったそうにしながらも不快ではないのか、萌はなすがままだ。大好きな親友と仲の良いお姉さんに囲まれて、萌は機嫌が良い。
 萌には見えないように麻子にだけ、にやりと笑う。
 くやしい。めらめらと嫉妬の炎が燃え上がっていくのを感じる。
「――萌」
 麻子が萌の耳元で囁く。
 萌が麻子を見つめる麻子の目は潤んでいる。先ほどの光景を思い出したのか、萌は頬を紅く染めた。
 そのまま抱きしめる麻子。そっと萌の頬に手を添える。
「は、恥ずかしいよぉ」
 ひとみの視線を気にして、恥ずかしがっている。しかし麻子は萌を逃がそうとはしなかった。
 この際、多少強引にでも行かなければ!
 ひとみに奪われるかもしれない。という恐怖心と嫉妬に駆られ麻子は萌の唇を奪おうとする。
「萌……す……」
「ひゃん!」
 ――好き、と続けようとした時、突然、萌は変な声を上げた。
 麻子はひとみの手が萌の胸を掴んでいる場面を見た!
「萌ちゃん、かわいいわぁ~」
 そのままむにむにと揉む。身を捩って恥ずかしがる萌。くすくすと笑いながら萌をからかうひとみ。ものの見事にキスシーンになるはずの場面を潰された。そして天秤は二人の間をぐらぐら揺れ続ける。
「ひとみお姉ちゃんたらぁ~」
 萌はぽかぽかとひとみの肩を叩く。すっかり台無しである。
 ――おのれぇ~。
 麻子が睨みつけた。
 ふふん。ひとみは嘲い。歪んだ笑みを浮かべる。それは嘲笑とでもいうべきものであった。
 そのままひとみが萌にキスしようとする。とっさの事に萌は反応できない。
 麻子が阻止しようと手を伸ばす。
 ……ころころころ。バレーボールがどこからか、転がってきてひとみの足にぶつかる。
「すいませ~ん!」
 大声で声を掛けてくる二人の女子。
 ぶつかった勢いでひとみの機先が制せられる。憎々しげにボールを見る。されど顔を上げたときにはいつものにこやかな笑みを取り戻していた。
 急いで駆け寄ってくるのは亜美と晶だった。二人はぺこぺこと頭を下げてひとみに謝る。
「すいませんすいません」
「ごめんなさいごめんなさい」
「ううん。いいのよ」
 にっこり微笑むひとみ。学園内の女子が憧れているお姉さまの笑み。
 はいっとボールを拾って渡す。
 受け取ったのは晶。その隙に亜美は麻子をチラッと見て、ぐっと拳を握る。
 ――頑張れ! 負けるな!
 アイコンタクト。女の友情はハムより厚かったらしい。
 力強く頷く麻子。
 気を取り直して萌を引き寄せる。
「萌、もうそろそろ教室に帰らないと」
「あっ、そうだね」
 時計に目を向けた萌は、うんっと頷いて麻子と手を繋いで立ち上がった。
「あらっ、まだ――」
 ひとみが言い終わらないうちに予鈴の鐘が鳴る。
「じゃあ、わたしたちは教室へ戻ります。ひとみさんも早く戻った方がいいですよ」
 すっと手を挙げ、クールに伝え、そのまま萌の腰を抱きつつ、麻子は歩き出す。
 二人並んで歩いていく、まるで恋人同士のような光景を一人取り残されたひとみは冷たい目で見送っていた。







 あとがき。
 お姉様登場。天秤はどちらへ傾く。



[25334] 第3話 「うきうき初でぇ~とぉ?」
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/12 22:49
 第03話 「うきうき初でぇ~とぉ? 前編」

 明日は日曜日。ふふふふ、萌をデートに誘おう!
 あ~んな事したい、こ~んな事も。きっと萌はかわいいだろう。うふうふふふ。めくるめく妄想。
「だ~か~ら~石井! なぜにテスト中によだれ垂らしてんだ!」
 担任の恭子先生の怒鳴り声が教室の中に響く。

「萌、明日遊びに行こう!」
 何をとち狂ったのか今日は土曜日だというのに全授業小テストが続いた。嫌がらせか? 嫌がらせなのか?
 HRも終わり、麻子は帰り支度をしている萌に声を掛けた。ようやく終わった開放感からか、教室内の雰囲気は明るい。朗らかに笑う麻子を見て、萌の顔にも笑みが浮かぶ。
 コールデンウィークを間近に控え、楽しげに話し合うクラスメイトを横目に麻子は萌を誘う。
「うん、いいよぉ」
 萌の顔も明るく楽しげだ。
「おやぁ~、お二人だけでデートですかなぁ~」
 ひょこっと顔を出す晶。その横には亜美の顔もある。
「ひゅ~ひゅ~。熱い、熱いですな。晶殿」
「そうでございますなぁ~亜美どの」
 数日前のひとみとの邂逅以来、亜美と晶は麻子にとって敵なのか、味方なのか分からない立場を取っている。単純に恥ずかしがる萌をからかう事が楽しいのかもしれなかったが……。
「も、もう~亜美ちゃん、晶ちゃん。からかわないでよぉ」
 ぺしぺしと叩く萌。その手を取って麻子は教室から出ようとする。
「じゃあ、休み明けにね。ばいば~い」
 さわやかに立ち去ろうとしている萌と麻子の二人を晶が引き止める。
「あいや、待たれよ!」
「実はあたし達も明日、遊びに行く予定なの。萌、一緒に行かない?」
 亜美は麻子ではなく、萌を誘った。これは奴らの罠だ。麻子は即座に見抜く! だが、しかし……。
「ほら、ゴールデンウィークにみんなで旅行に行くでござろう。その準備もあるのでござるよ」
 扇子を振り回して萌に迫る。最近の、というか。昨日から晶のマイブームは時代劇になったらしい。どうも時代劇っぽい言葉ばかり言ってる。何に影響されたのやら? 麻子は少しばかり呆れてしまう。
「う~ん、そうだね。……麻子ちゃん、どうしよう?」
 そう言いながらも萌の目は一緒に行きたいと訴えている。麻子としては二人っきりで行きたがったが、これが惚れた弱みというものか、泣く泣くこっくりと頷いた。
 それを見て、ケタケタ笑う亜美と晶。してやったりという表情を浮かべる。
「では、明日の10時に駅前で集合でござるよ」
「うん分かった」
「あ~、分かった」
 神様、どうして上を向いても涙が零れてくるのでしょうか……。落ち込みながら歩いていく麻子。それを不思議そうな顔で見ている萌。

 ◇       ◇

 日は変わって、翌日。午前9時45分。駅前近くの路地裏にて。

 駅前で待機している晶と亜美。二人はパンと牛乳を持って張り込んでいた。古式ゆかしい張り込みスタイルである。昔の刑事ドラマではこうだ! と教わった二人は忠実に実行していた。ちゃんと電信柱の影に隠れているところなんか、すっかりなりきっている。
「くっくっく。二人っきりのデートなどさせてやるものですか、ねえ~晶殿」
「左様ですな~、亜美どの。恋は障害が多いほど燃え上がるものでござるよ」
「あ~はっはっはっはぁー!」
 携帯電話を通して二人の笑い声が路地裏に響き渡る。犬すら脅えて近づこうとしない。
「はっ! もうすぐ10時です」
 亜美は時刻を確認すると駅前に向かって歩き出す。晶もまた別の場所から駅前に向かう。
 時刻は9時55分を示している。

 所変わって同時刻、9時45分。

 萌と麻子の二人はすでに家から出発していた。
 古い町並みを眺めつつ、手を繋いで歩く。
 るんらら~デートだ。デート。麻子の浮かれようは筆舌に尽くし難いものがある。なんといおうか、自重とか、落ち着けという言葉が空しくなってしまうほどだ。
 隣を歩いている萌の姿を横目で舐めるように見ながら歩く。景色などまったく見てはいない。
 はらっと舞い落ちてくる桜の花びらを片手で受け止めた萌の姿を見た麻子は思わず押し倒したくなるのをグッと堪えるのを、大変大変苦労してようやく押さえ込む。淡いピンクのスカート。ふわふわとしていて萌に似合っていた。真っ白な薄手のカーディガンを萌の慎ましい胸がわずかに押し上げている。ポニーティルを纏めているのは大きなリボン。これは以前、麻子がプレゼントしたものだ。こうして『二人で』遊びに行くときにはいつも身につけてくる。翻って麻子の格好は至ってシンプルだった。ジーンズにワイシャツ。その上に春物のコート、という狙って男っぽい格好を選んできた。女の子らしい萌と男っぽい麻子。麻子の頭の中では亜美と晶の事など綺麗さっぱり消え去っていた。
 開け始めた商店の店先でほかほかのお団子が並べられ始める。通り過ぎながらじーっと視線を送ってしまう萌。
「どうしたの、食べたいのかな?」
「ううん、違うよ。今年もね、お母さんが桜の花びらを塩漬けしてるの。毎年の事なんだけど、今年もそんな季節になったんだなぁ~って」
 そう言いながら指差したのはお店の一角に張られている桜餅のポスターだった。
「おばさん、今年も漬けるのか~」
「うん。それに桜の葉っぱもね。もう家中、桜の匂いで凄いんだよ」
 一生懸命にどれぐらい桜の花が家の中に溢れているのかを説明する萌。毎年この時期におばさんがする事を知っている麻子は萌の話もすんなり受け入れる事が出来る。他の人に言えば、そんな大げさなと言われてしまうだろう。それほどまでに多い。
「うちの母親はさ。六月になったら梅酒と梅干作りに燃えるけどね。あの気力がどっからでてくるのか、不思議だよ」
「はは、麻子ちゃん家はそうだよね」
「梅酒なんて、お祖母さんの頃からある50年物とか、60年物があるんだよ。誰も飲まないのに」
「梅酒かぁ~麻子ちゃんもそのうちに作り出すんじゃないかなぁ」
「わたしの代で絶対やめてみせるよ。置く場所も無くなってきたし。萌こそ桜の花びらの塩漬けを作るんじゃないの?」
「あたしは作るんだろうなぁ……桜湯好きだしね。でもお母さんほどは作らないよ、きっと。だって一年分あるんだもん。お正月にはお屠蘇の代わりに桜湯がでるんだよ。うちは」
 ああ、と麻子は頷く。萌の家に遊びに行くと必ずと言っていいほど桜湯がでてくる。湯飲みの中に桜の塩漬けが花びらを開き、桜の香りがほのかに漂う。塩漬けだけに少ししょっぱい。それが甘い和菓子によく合う。和菓子党のおばさんらしい好みだ。どちらかというとケーキとかタルトとか洋菓子を好むうちの母親とは違っている。
 
 楽しげに語らい、てくてく歩いているうちに駅前が見えてきた。
 亜美と晶の二人が文字通り、てぐすね引いて待っている。

 ◇       ◇

 萌と麻子は呆然とした。
 ――アナタタチソレハイッタイナンナノ?
 春らしく桜の花を散らした着物を着ている亜美。
 一方、真っ赤なチャイナドレスを着ている晶。
「い、一体どうしたの……?」
 萌の足ががくがく震え始めている。麻子ですら呆然としているのだ。萌では対処しきれなくとも致し方なかろう。
 亜美はともかく晶は家からその格好で来たのかと思うと、恥かしく無いんだろうか? それに一体どこで買ってきたの……麻子はそう問いたかった。
「か、かわいいっ」
 萌が声を張り上げた。呆然としていたのではなく、見惚れていたようだ。萌の言葉に晶と亜美が喜んだ。
「似合うでござるか?」
「似合う似合う!」
「見てみて、綺麗でしょ?」
「うん、綺麗だねぇ~」
 晶が大きな扇子を振り回しながら萌に迫る。亜美はといえば、着物の袖を持ち上げて、にっこり笑う。
「さあ、いくでござるよ~」
 亜美と晶が、がっしりと萌の腕を両方から組んで、連れ去っていこうとした。
「ちょ~っと待ったぁ~!」
 強引に割り込んだ麻子が萌の手を掴み、逃げ出そうとする。そうはさせじと麻子と争う亜美たち。醜い争いである。萌を脇に追いやって三人は争う。
 ぽつんっと取り残されてしまう萌。醜い争いを前にして呆然としている萌はどうしていいのか分からず、助けを求めるように辺りをきょろきょろ見回していた。
 視界の端にひとみの姿を認める。
「――あっ」
 思わず助けを求めようとひとみに向かって呟く。
 にこやかに笑って近づくひとみはそっと萌の手を握り、争いの輪から連れ出してしまった。
「麻子ちゃんたちを置いていくわけにはいかないよぉ」
 心配そうに麻子たちに視線を向ける萌。
「ええ、分かってるわ。でも……まだ、しばらく治まりそうもないからあそこで待っていましょうか」
 そう言って指差したのは、駅前にあるコーヒーチェーン店。結構あちこちで見かけるお店である。店の外にもテーブルが置かれており、外の様子もよく分かりそうだ。
 てくてく歩き、ひとみは萌を椅子に座らせると、ちょっと待ってなさいね。と言い残して店内へと入っていった。
 麻子たちはまだ争っている。
 萌はその様子を見ながら、どうしよう、と思い煩う。
「――ひゃっ!」
 そんな萌の頬に紙コップが押し付けられる。驚いてみるとひとみがにこにこしつつびっくりまなこの萌を見つめていた。
「はい。萌ちゃんはキャラメルコーヒーでいいわよね」
「ありがとう」
「くすっ、いいからいいから」
 カップを受け取りながら萌はお礼を言う。財布を取り出そうとする萌をひとみは制して引っ込めさせた。申し訳なさそうな萌に対して笑顔を見せ、すっと視線を麻子たちに向けた。
 温かいカップからキャラメルの甘い香りが萌の鼻先を擽っていく。こくんっと一口口に含む。甘くほろ苦い味が口の中に広がり、熱さは春とはいえまだ少し肌寒い中、体を温めてくれる。
「麻子ちゃんたち、まだ言い争ってる」
 萌がぽつり零した。
「――萌ちゃんを放って置いて、勝手な人たちねぇ~」
 ひとみは萌とは視線を合わせないまま、呆れたような口調を隠す事無く呟いた。口をつけたカップに隠れていたために萌からは見えなかったが、口元には笑みが浮かんでいる。目はせせら笑うような色を湛え、口元は嘲笑。
 ふふふ、そうやって争っているといいわ。その間に萌ちゃんは私が貰っていくからね。
 ひとみが萌と向き合うように座る。淡い色彩のブラウスにスカート。その上には薄いピンクのカーディガン。足元はパンプスだ。萌のシンプルな革靴よりも高いだろう。華奢な真珠のネックレスが、ひとみによく似合っていた。セミロングの髪もきちんとブロウされている。
 ちょっとお出かけ風な感じなのに、ここまでお洒落するのは大した根性だと褒めるべきか。むしろ萌たちが駅前に集まる事を知っていて、狙いすまして現れたと考えた方が自然に思える。麻子や亜美、晶たちが目の当たりにすれば、一気に警戒心を露にするだろう。
 だが、萌はそんな事には気づかず、ひとみお姉さんはいつも、お洒落だなぁ~と思いつつ、お喋りをしている
 麻子たちはまだ、争っていた。萌はちらっと麻子たちの方に目をやり、麻子ちゃんたち楽しそうだなぁ~、とほんの少し寂しく感じる。萌の目から見ると本気で争っているようには見えない。どうにもからかいあって遊んでいるようにも見え、それが放っておかれている萌の心の中に隙間風が忍び寄る原因となった。
「萌ちゃん、今日はどうしたの?」
「えっ?」
「彼女たちと集まっているみたいだけど、どうしたのかなって思ったのよ」
 ひとみはあえて麻子の名を出さなかった。あくまでみんなと集まったかのように言う。
「ほんとは……ゴールデンウィークにみんなと旅行に行くから、その為の用意をするために買い物に来たの」
「あらあら、それなのに彼女たちは萌ちゃんを放っておいてふざけているのね……困ったわね。このままじゃ用意ができなくなっちゃうわ」
「う~ん、どうしよう……」
 困った顔で萌は俯いた。
「仕方ないわね。私が付き合ってあげる」
 萌を慰めつつ、手を引っ張りながら立ち上がる。
「えっ、でも……麻子ちゃんたちが……」
 心配そうに麻子たちへと視線を向ける萌。ひとみはあくまで笑みを浮かべたまま、萌に向かって言う。
「心配ないわ。携帯は持っているんでしょ?」
「うん、持ってる」
「じゃあ連絡しておいたら良いのよ。まだまだ時間も掛かりそうだしね。あの子達だけで楽しそうじゃない。萌ちゃんだけここで寂しくしてる?」
 萌の顔をひとみが覗き込んだ。その目は萌の事を心配しているように思えた。
 そして――あの子達だけで楽しそうじゃない――その言葉が萌の心を抉る。萌はもう一度、麻子を見つめる。
 楽しそうだ……なぁ。
 あたしだけが、ここで寂しくしてるの? そんなの嫌だよぉ~。
「――麻子ちゃん」
 萌は呟きと共にぐすっと鼻を鳴らす。目にはうるうると涙が溢れ、今にも決壊しそうになっている。
 ひとみはそんな萌を優しく抱きしめて、その場から連れ去ってしまった。
 軽く振り向き、麻子を見たひとみの目には哄笑の色が浮かんでいる。

 ◇       ◇

「うちの萌にデートなんてまだ早い。お父さんは許さないぞ」
「そうですよ、麻子さん。うちの萌とお付き合いをするのでしたら、それなりに節度を持って頂かねばなりません事よ。お~ほっほっほ」
 まるで舅、小姑のごとく萌との仲を引き裂こうとする二人。麻子の目には魔女と鬼が手を組んでいる光景が目に浮かぶ。
 おのれ~、悪鬼どもめ! しかしこやつらを倒した暁には萌と二人で……。麻子はその手に持った破邪の剣を握り締め――麻子は思い込みが激しいのだ――地獄の鬼たちを相手取り戦う決意を固めた。心象風景はすっかりファンタジー。囚われのお姫様を救う王子か、勇者な気分である。
「――征くぞ!」
 麻子が獲物に飛び掛る獣のように地を駆ける。
 受けて立つ。亜美と晶。
「我が伴天連の妖術を見るがいい! はんにゃはらみ~ぃ!」
 晶がチャイナドレスの裾から、いくつものお札を取り出して撒き散らす。
「伴天連の妖術って何だぁ~、それに呪文も、伴天連じゃないのかぁ!」
 突っ込みどころが多すぎて、麻子が辺りに響けとばかりに叫ぶ!
「はっ! 勝てばいいのでござるぅ~」
 撒き散らされたお札が麻子の視界を遮った。そこへ黒い稲妻が迫る。
「――天承学園のトラ。里中亜美参る」
 亜美の手に握られた扇子が麻子を両断すべく振り下ろされたのだ。
 あわや、麻子の運命は!
 ――麻子ちゃん。
 麻子の耳に萌の声が確かに聞こえた。その途端、麻子の中で何かが目覚める。
「我、無刀取りに目覚めたり!」
 発止と、両手が扇子を挟み込んだ。目を瞠る亜美。しかしそれは大きな隙となった。
「甘いでござるよ」
 晶が一文字腰で抜く、横薙ぎの一撃。チャイナドレスの裾から零れる真っ白な素足が眩しい。されど扇子は神速を持って麻子を狙い放たれていた。とっさに体捌きで亜美を盾にする麻子。
「ぐはぁ~」
 ものの見事にわき腹を打たれ、亜美は悲鳴をあげ倒れる。
「亜美どのぉぉぉぉ~」
 名を呼びながら倒れた亜美に取り縋る晶。そこへ麻子が奪い取った扇子で晶の頭をぽかっと打つ。
「――成敗!」
 長く苦しい戦いだった。だが、征したのは麻子。その麻子に凱歌が上がる。愛は勝つのだ。
「麻子……貴方、やっぱり剣道部に来ない?」
 観衆たちの惜しみない拍手が麻子に降り注ぐ。
 ――萌、これでわたし達の邪魔をする者はいなくなったわ。
 喜びと共に萌がいるであろう場所に目をやるが、そこに萌はいなかった。
「……萌?」
 きょろきょろ辺りを見回しても、どこにも萌の姿は無い。
 ――かっぽ~ん。
 獅子脅しの音が鳴る。麻子の携帯のメール着信音である。冗談で設定したのだが、そのままになっているのだ。
 ――三人のお遊びがまだまだ続きそうなので、ひとみお姉さんに旅行の用意を手伝って貰ってます。終わったら来てね。――萌。
「のぉ~っ!」
 麻子は叫び声を上げ、がっくり地面に膝を落とした。
 絶望の図。……悲劇である。
 一番警戒すべき相手に萌が攫われたのだ。あまりの嘆きっぷりに晶と亜美が麻子の手元を覗き込み、書かれている内容を確認する。
「きゃぁ~!」
「あ、あわわわ~っ、でござるぅ~」







 あとがき。
 とんびにあぶらあげを攫われる。もしくは漁夫の利。



[25334] 第4話 「うきうき初でぇ~とぉ?」
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/14 18:53
 第04話 「うきうき初でぇ~とぉ? 後編」

 萌とひとみは駅前にあるホームセンターへとやってきていた。
「そういえば萌ちゃん。旅行ってどこへ行くの?」
 ひとみはさりげなく気になっていた行き先を問いかける。旅行には麻子も行くのだ。気にならない訳が無い。
「旅行っていってもたいした事じゃないんだよ。あたしと麻子ちゃんと亜美ちゃん、晶ちゃんの四人で山に遊びに行くだけなの。天木山だよ。温泉もあるんだって」
「天木山……」
 天木山か、となると天木温泉ね。……確か、ゴールデンウィークには珍しく一泊二日、8000円のコースがあったわね。それねきっと。
 ひとみの頭脳が忙しく動き出す。
「亜美ちゃんのおじさんがそこに別荘を持ってて、使っていいって許可してもらえたそうなの。別荘の裏手に温泉もあるらしいの」
 萌は悪気なく、そう話す。別段、口止めされている訳でもないし、何と言っても仲の良いひとみお姉さんだ。麻子たちの警戒心もひとみの思惑も気づいていない萌には話すことに躊躇いなどなかった。
 ……違ったか。ひとみは自分の予想が外れたことを、気にもしない。萌が自分から話してくれたのだから。そちらの方が何倍も嬉しい。
「温泉、良いわねぇ~」
 ひとみはそう言いながら、自分の肩を軽く揉む。最近ちょっと肩こりしてるかも。私も温泉に浸かりたいわ。
 それを見た萌はひとみお姉さん、肩こりしてるのかなっと考えて、誘う事に決めた。
「ひとみお姉さんも行かない?」
「あら、良いのかしら?」
「大丈夫だよ。亜美ちゃんにお願いするもん」
 萌は両手でお鍋を握り締めて力説する。ぶんぶん振ってるところがかわいらしい。まるで栗鼠が胡桃を持っているようだ。
 ひとみは萌のぷぅ~っと頬を膨らました真剣そうな表情を見て、軽く笑みを漏らす。萌に見つめられる。背筋がぞくぞくしてきた。
 ――ああ、小さい頃から変わらない笑顔。この子は昔っからこうだったわね。
 ひとみの脳裏に幼い頃の萌の笑顔が過ぎる。あの頃はひとみの姿を見かけるたびに萌はひとみお姉ちゃん、ひとみお姉ちゃんと言って、抱きついてきた。小さくてかわいらしい人懐っこい子。近所の人達からも可愛がられていた子だった。無邪気で愛想のいい子で、周りから見ても懐いてくる子はかわいい。どこへ行っても人気者の女の子。その頃から私も萌が好きだった。
 その気持ちが変化した事を自覚したのはいつだったろう……。入学した萌が泣きながら相談してきた時だったかもしれない。
「ひとみお姉さん……麻子ちゃんがね……」
 泣きじゃくる萌を抱きしめて宥め、話を聞きだすとあの麻子が萌を茶道部に誘ったという。その事はいい。構わないと思う。萌ちゃんには合ってるかも知れないから……だけど、その茶道部で萌ちゃんは散々からかわれ、セクハラを受けたのだ。その上あの麻子は萌ちゃんを助けるどころか、一緒になってセクハラをした。
 ――許せない。そんな事許せるものか!
 今すぐ走っていって怒鳴り散らしてやりたかった。あの子はダメだ。萌ちゃんを任せられない。怒り心頭していた私はそう心に刻み込んだ。麻子と一緒にいると、きっと萌は弄ばれて傷ついてしまうだろう。思い出すだけでギリッと歯軋りしてしまう。
 私が萌ちゃんを守ってあげなければ――。
 愛情と保護欲の入り混じった目で萌を見つめる。
「そうね。お願いしてくれるかしら……」
「うん!」
 ひとみが萌を見つめてお願いする。麻子の魔の手から萌を守るためにも、二人っきりになどさせられない。
 元気よく頷く萌を微笑ましそうにひとみは笑った。

 ◇       ◇

 麻子たちは走っていた。
 目標は駅前にあるホームセンター。ダッチオーブンを使った料理を作るというので萌は楽しみにしていたのだ。
 一刻も早く向かわねばならない。
 焦っている。遅れれば遅れるほど、あのひとみが萌に何をするか分からないのだから……。
 麻子はこんなにも自分の足は遅かったか? と気ばかり焦って中々前に進めない自分に苛立っていた。
「まさかひとみさんが狙いすました様に駅前に来るとは思わなかったでござる」
「どこで情報を聞きつけたのかしら?」
 麻子の後を追いかけるように走っている晶と亜美が話す。
 亜美にしてもまさか、という思いはある。しかしよくよく考えてみればひとみさんにしても萌に対しては、それほど酷いことをするとは思えない。相手が麻子ではなくひとみになるだけで萌とひとみのらぶらぶカップルが誕生するだけだ。したがって麻子ほど焦ってはいなかった。でも面白くなってきたわぁ~。
 晶は走りながら考える。ふむ、三角関係でござるなぁ~。一人の女を取り合う二人の女。これはこれで面白いかもしれないでござる。この行く末を楽しむでござるよぉ~。麻子もひとみさんも頑張るでござる。
 亜美と晶は視線を交わしあい。にやりと笑う。心は一つ。目には面白がっている色があった。
 ホームセンターに駆け込み、エスカレーターを駆け上る。周囲の迷惑など一向に考えていない。はた迷惑な連中である。
 店内を駆け巡り、萌を捜し求める。怒涛の勢いであった。他のお客さんたちが迷惑そうに麻子を見ていた。
「あっ、あのお姉ちゃんたち走り回ってる。いけないんだぁ~」
 小さな子供が麻子を指してぷんぷん怒ってる。その隣にいた母親らしき女性がそうねえ、と言い。
「あんな風になっちゃだめよ」
 そう子供に話しかけていた。恥ずかしいのは亜美と晶である。後ろを追いかけているだけでどうしてこんなに恥ずかしくなるのだろう? 走り回っているからである。
 キャンプ用品のコーナーに差し掛かった麻子。萌とひとみが楽しそうにお喋りしている光景が目に飛び込んでくる。
「萌~っ!」
 大声で叫んだ麻子の声に周囲にいた男たちが振り向きなぜかにやにや笑う。
「あっ、麻子ちゃん」
 萌がぱあっと花が開くように満面の笑みを浮かべて、駆け寄ってくる麻子を迎えた。
「萌! 今行く」
 一気に駆け寄り、萌を連れ去ろうとする麻子。抱きかかえられた萌はあわあわと慌てて、鍋を振り回している。
 か~んっと小気味のいい音を立て、麻子の頭にクリティカルヒット。
 ――K.O
 どこからともなく聞こえてくる声と共に麻子はホームセンターの硬い床に崩れ落ちる。
「わ~麻子ちゃん、麻子ちゃん。ごめんなさいぃぃぃ」
 のびている麻子に縋りつく萌。ひとみは萌の肩に手を置きつつ、おかしそうに麻子を見た。
「一体どうしたのかしら……?」
 しらっとした口調で言いながら、萌を立ち上がらせた。しっかりと抱きしめているところなんかさすがとしか言い様が無い!
「――YOU WIN」
 亜美と晶の声が聞こえてくる。両名は拍手をしながらひとみに抱きしめられている萌に近づいた。
「お美事」
「お見事でござる」
 周囲で見ていた男たちが口々に褒め称える。
 萌はおろおろしながらきょろきょろと辺りを見回す。
「大丈夫。心配ないわ」
 そんな萌をひとみは優しく抱きしめ、にっこりと笑う。その笑みに萌の心がぐらりと揺れる。足元では麻子が無様に倒れていた。
 呆れたように抱き起こす亜美と晶。そのまま五人は買い物を済ませて、一階にある喫茶店へと入っていく。

 ◇       ◇

「ねえねえ、ひとみお姉さんも一緒に行っていいでしょ?」
 萌が亜美にそう言ってお願いしている。
「それはまあ、かまわないけど……」
 そう言いながらも、亜美は晶と素早くアイコンタクトを取った。麻子はわざと無視する。
 ――いいでござるよ。そちらの方が絶対、面白いでござろう。
 にこにこと満面の笑みを浮かべて晶はこっくり頷く。
 話は決まったとばかりに、亜美はひとみが共に来る事を認めた。面白くないのは麻子である。何も言わなかったが、ぶすっとした顔でひとみをねめつけている。不満な態度を隠そうともしていない。ようやく目覚めたかと思えば、こんな状況である。腹も立とうというものだ。だがしかし……。
 麻子ちゃんだって、ひとみお姉さんと仲が良かったのに……?
 そんな麻子の様子に萌は首を捻り、どうしてだろうとほんの少し不信感を抱いてしまう。
 なんとなく嫌な空気が流れていく。
「まあ、うちの亜貴も来るのでござるから、一人増えても良いでござるよ」
 晶が空気を吹き飛ばそうとして、明るく話す。うんうんと頷く亜美。
「あっ、亜貴ちゃんも来るんだぁ~。じゃあ~あたしでしょ、麻子ちゃんでしょ、ひとみお姉さんに亜美ちゃん晶ちゃんに亜貴ちゃん」
 萌は指を折って数えていった。
「六人でござるよ。結構多くなったでござるぅ~」
「部屋割りはどうする?」
 爆弾発言である。亜美はにやにや笑いながら、麻子を見た。
「わたしは萌とね!」
 麻子の言葉にやれやれとても言いたげに亜美はひとみに視線を向ける。にこにこ笑っているひとみは一見何の変化も見せない。
 この女、いったい何を考えているの?
 亜美には考えが読めずにいた。むきになって言い返していればまだ、分かりやすいというのに……。
 だがひとみは……仕方ないわね~と言いたげに、ただにこにこと笑っている。
「拙者は亜美どのと一緒が良いでござる!」
 晶のはしゃぐ声。亜美もまた微笑み、見つめる。
「あら気が合うわね。わたしもそう言おうとしてたのよ」
「嬉しいでござる。仲良し仲良し」
 晶と亜美は手を握り合う。なんだかこちらの方がうまくいきそうな雰囲気を醸し出していた。
 きっとこの二人もらぶらぶ。
「そうするとひとみさんと亜貴になるね」
「ええ、そうなるわね」
 麻子がしてやったりとでも言うつもりなのかにやにや笑いながら言った。そんな麻子の態度に萌は内心、不満に思ってしまう。なんかやだなぁ~、麻子ちゃん意地悪だよぉ~。萌とひとみも仲が良いのだ。意地悪されているひとみに対して同情心が目覚めだしている。
「そういえばダッチオーブンで何を料理するのでござるか?」
 晶が萌の買ったダッチオーブンを見ながら聞いてきた。好奇心で目が輝いている。
「う~んと、ね――」
「お肉が良いでござる。お肉、お肉。お肉~っ!」
 萌に最後まで言わせずに晶は必死になって駄々をこねる。大声で叫んでいるために喫茶店内に響き渡り、あちこちからくすくすと小さな笑い声が湧き起こってくる。しかしそんな声にもめげずになおも晶は言い募る。
「お肉が良いでござる~ぅ」
「晶ちゃん……」
「はいはい。それでなに肉が良いの?」
 呆然とする萌。呆れた口調を隠さずに亜美が問いかける。
「何でも良いでござるよ」
 しらっとした声で晶が返した。お肉なら何でも良いらしい。とにかくお肉と自己主張している。
「どうしようかなぁ~?」
「あら、萌ちゃん何かしてみたい料理があったの?」
 どうしようかと迷っている萌にひとみがさりげなく問いかける。亜美と晶も身を乗り出してきた。
「なになに?」
「なんでござる?」
「う~んとね、折角ダッチオーブンを使うんだから塩釜をしたいなぁ~って思ってたの」
 両手の人差し指をつんつんさせながら、萌は恥ずかしそうに答える。
 ――塩釜。
 練ったお塩で包んで蒸し焼きにする料理である。鯛を使ったものが有名だが、家庭でやるには簡単そうで実はめんどくさいものだ。片付けとか……。面倒なものだ。しかし外でやる分では多少お塩を零したとしてもたいした問題ではあるまい。この機会に萌はやってみたかったのだろう……なんとなく残念そうだった。
「それなら、お肉を使ってもできるわよ。やってみましょうか?」
「うんっ!」
 ひとみが萌を慰めるように誘う。その言葉にぱあっと眼を輝かせて、こくこく頷く。
 満面の笑みを浮かべて喜ぶ萌。晶と亜美も喜んでいる。がっくりと落ち込んでいるのは麻子である。麻子はそれほど料理は得意ではないのだ。一人取り残されたような気がしてショックを受けていた。

 ◇       ◇

 その後、せっかく集まったのだからと萌たちは駅前で遊ぶことになった。
 日頃あまり外で遊ぶ事の少ない萌はきょろきょろと周囲を物珍しそうに眺めている。ひとみと麻子は萌の手をしっかりと握り、互いに牽制しあっていた。
「ねえねえ、あれなに?」
 萌が興味を示したのは飲食店の立ち並んでいる一角である。クレープだのシュークリームなどが焼ける甘い匂いが五人のところにまで届いている。萌はひとみと麻子の手を引っ張るように急ぐ。
「はっはっは。拙者の方が早いでござるよ」
「もう。晶ったら」
 晶が一人先頭を駆け抜けていく。その後を慌てて追う亜美。
「待ってよぉ~」
 萌もまた麻子とひとみの手を引っ張りながら急いで追いかけた。
「タイヤキかシュークリームか、それが問題だ」
 追いついてみれば、亜美がハムレットのように深刻な表情で悩んでいる。その横で晶があんこにするかカスタードにするかで悩んでいた。
「平和ね」
「平和ですね」
 ひとみと麻子は共に呆れて呟く。こういうところは気が合うらしい。
「あたしはなににしようかな?」
「チリコンカーンなんてどう? おいしそうよ」
 迷っている萌に向かってひとみが誘う。タイヤキ屋の隣にそれはあった。真っ赤なトマトの色。赤唐辛子の刺激的な匂いが食欲をそそる。パリパリとした皮ではなく。柔らかいトルティーヤにサルサを塗ってさらにチリコンカーンを包み込むように巻いて食べる。結構癖になる豆料理である。
 甘いお菓子ではなくこういった料理に誘うところがひとみらしい。萌もあまり食べた事の無い料理に眼を輝かせた。
「でも……辛いよ。萌は辛いの大丈夫?」
 心配そうな麻子の言葉に萌は大丈夫。と返す。好奇心ではちきれそうだ。
「本当に?」
「もしかして麻子ちゃんこそ、辛いの苦手なのかしら?」
 心配だなぁ~と、さらに言い募る麻子に向かってからかうような口調でひとみが言う。むかっとした顔つきで麻子はひとみを睨みつけた。
「わたしは平気ですよ。辛いのなんかへっちゃらですよぉ~だ」
「あら、それならメニューに書かれてあるハバネロをトッピングしてみたら?」
 ふふん。とでも言いたげにひとみは麻子に向かって挑発する。ふん。とでも言うように麻子が注文しようとした。
「ダメだよ。ハバネロって物凄く辛いんだよ。やめた方が良いよぉ~」
 心配する萌。いつの間にか立場が逆転していた。亜美と晶でさえ、やめた方が……と、言い出す。あれは本当に辛いのだ。オリーブオイルに漬け込んでぺペロンチーノ用に使用にするならまだしも、そのまま食べるような物ではない。と萌は思っている。
「本当に辛いのでござるよ」
「やめときなさいな」
 三人は口々に言い出す。ひとみでさえもやっぱりやめときなさい。と言い出した。心配そうな顔が並ぶ。
 麻子の心もやっぱりやめようかと揺れる。萌の顔を見る。亜美の顔を見る。晶の顔。三人ともが心配していた。最後にひとみを見た途端、やっぱりやめるのね。とでも言いたげだった。口では心配そうに言いながら内心哂っているのだ。
 おのれぇ~。麻子のハートに火がついた。ここでやめたら女が廃るとばかりに、えいやっと注文する。
「おじさん。ハバネロをトッピングして!」
「はいよっ」
 おじさんはビニール手袋をしている手でハバネロの輪切りを一つ摘むとチリコンカーンの上に置いた。
「あら一つ?」
 いつの間にか傍に寄っていたひとみがぼそっと麻子にだけ聞こえる声で呟く。その嘲う声が麻子の神経を逆なでする。
「おじさん、もっと沢山入れてっ!」
 麻子の声に店の前に屯していた他の客たちが驚いてどよめく。おじさんがためらった挙句、もう一つ乗せる。
「もっと!」
 麻子が催促する。もはや引っ込みがつかないのだ。自棄になっている麻子は強気で押すしかないと思いつめていた。
「だめ~っ!」
 萌の声だ。料理上手な萌にはその危険が分かる。やめさせようと萌がおじさんに断る。ほっとした顔で、おじさんは麻子にはいっと渡そうとする。
「もっと入れてって言ったでしょ!」
 強気で押す麻子は萌の言葉を無視した。
「ダメって言ってるのに……」
 無視された萌は泣きそうである。くすんくすん鼻を鳴らしながら、ひとみに抱きつく。背後で亜美と晶はそんな光景にひとみの計略を見た。
 ――この女。結構えげつない事するわね……。
 萌を抱きしめているひとみを見ながら、亜美と晶が目と目で会話している。
 ――拙いでござる。辛さはともかく、胃がおかしくなるでござるよ。
 ――一口齧ったら、ぶつかってくれる?
 ――良いでござるよ。
 ――お願いね。
 アイコンタクト。やっぱりこっちの方がらぶらぶっぽい。
 大量のハバネロの入ったチリコンカーンを手に持ち、振り向く麻子。観衆の見守る中、齧りつこうとする。萌は心配そうだ。麻子が一口かじった時、晶が動いた。
「拙者も一つ欲しいでござる。あっ、ハバネロは要らないでござるよ」
 はっはっはっ。と笑いながら、おじさんに注文した。そのまま一歩、下がる。わざと麻子にぶつかり、麻子は手にしていたチリコンカーンを取り落としてしまう。
「あっ!」
 一口口の中に入っている麻子は驚いた顔のまま、ごくっと飲み込んでしまった。小さく齧った状態であるためにハバネロはほとんど口の中には入っていない。その上そのまま飲み込んだ所為で辛さもさほど感じていないようだった。
 最悪の事態は免れたようだ。ほっと胸を撫で下ろす亜美。そしてギロッとひとみを睨みつけた。
 その目がはっきりと語っていた。
 ――あんた、やりすぎよ! 壊しあいは認めないからねっ!
 ――解ったわ。
 こちらもアイコンタクト。両者は合意する。しかしひとみは萌を抱きしめることは止めようとはしない。
 萌はほっとする反面、麻子が自分の事を無視した事が小さな棘のように心に突き刺さっていた。
 何かがギシッと軋む音が聞こえる。
 それは心の中の幻聴。

 麻子はすっかり気落ちしている。ひとみの策略に乗せられてしまったことを自覚したのだ。反省すると共に萌の態度にすっかり落ち込んでいる。
 旅行の支度。買い物も済んだことだし、五人は家路へと向かう。
 萌とひとみは仲良く手を繋いでいた。しかし萌の手は麻子とは繋がれていない。
 駅前での別れ際。亜美と晶は手をつなぎながら、そんな三人の後ろ姿をジッと見つめていた。
 時折、萌の手が麻子に伸ばされては止まり、戻されていた。







 あとがき。
 誰にとってのうきうき初デートだったのだろう?



[25334] 第5話 「山だ。別荘だ。温泉だ。その1」
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/29 14:12
 第5話 「山だ。別荘だ。温泉だ」

 萌達の住む海晴町から電車で一時間。同じ天木市内にある標高1000mの山。
 朝早くから出発した萌たちは午前中には登山口にたどり着いていた。まあ一時間ぐらいで来れる場所にあるのだから取り立てて大した事は無い。
 亜美を先頭に晶、亜貴、萌、麻子、ひとみの六人は天木山を登っている。登山口から別荘までは徒歩一時間ぐらいらしい。山道だと思えば、これまたたいした事は無い。朝のさわやかな空気を吸い込みつつ、新緑の景色をお気楽な気分で楽しみながらてくてく登っていく。みんないっぱしの登山用の格好に着替えていた。その中で晶と亜美は登山帽を被っている。萌とひとみは麦藁のカンカン帽で麻子と亜貴は野球帽だった。
 当初は普段着で向かおうとしていたのだが、亜美のお祖父さんに、
「山を侮ってはいか~んっ!」
 と、散々脅された挙句、その格好で行くなら貸さんっと言われてしまったのだ。しぶしぶもう一度着替えてきた。
「まあ、天木山でも登山に向かった人達が時々亡くなる事もあるでござるから、ちゃんと準備をしておくに越した事はないでござる」
「そうねぇ。準備はしておいた方が良いわね」
「何が起こるか分からないし……」
「後で後悔しても遅いしなぁ」
 こうして素直に聞くところがかわいらしい。なんだかんだ言っても彼女らは口で言うほど捻くれていないのだろう。
 うんうんっと頷くお祖父さん。にこにこ笑いながら亜美に別荘の鍵を渡していた。
 そうして別荘へと向かったのだった。
 山についてから晶と亜美が楽しそうに声を張り上げる。やはり「やっほ~っ」は定番なのだろうか? 何だか楽しそうだ。時折すれ違う人達がくすくす笑いながらすれ違っていく。女の子たち――それも異なったタイプの美少女ばかりが六人も集まって歩いている。自然と華やかな雰囲気が漂う。かなり目立つ集団である。羨ましそうに見てくる男の人たちの集団もいた。
「う~んっ、やっぱり重いよぉ~」
 萌が「うんしょっ」と荷物を背負いなおす。背負ったダッチオーブンがまるで亀の甲羅のように見える。
「頑張るでござる。別荘に着いたらさっそく温泉に入るでござる」
「うん、そうだね」
 晶の言葉に萌は弾んだ声で返す。
「でも亜美のおじさんって別荘を持っているなんて凄いね」
 亜貴が亜美に話しかけた。
「たいした事じゃないみたいよ。元々山小屋みたいなものだし、おじさんの両親、つまりわたしのおじいちゃんなんだけど、山で炭焼きとかしてたらしいの。それを廃業したときにどうするか迷ってね。結局おじさんが山小屋を改造して別荘風にしたんだって」
「そうなの? でもいいわねぇ~」
「うんうん」
 ひとみが羨ましそうに言い。亜貴もうんうんと頷く。
「あのぉ~皆さん? ちょっといいかなぁ~」
 後ろからはあはあ荒い息と共にぶつぶつ呟いている声が聞こえてくる。
「なにかなっ?」
 前を行く五人が振り返った。
 背中に大きな荷物を背負った麻子が息を切らせながら、呼んでいた。六人分の食料である。そりゃあ多い。お肉もお魚もお野菜も大量である。それらを一人で背負っているのだ。辛かろう。苦しかろう。だが誰一人として変わろうとはしないところはさすが女の子の集団であった。
 とはいえ、萌はダッチオーブンを背負い、亜美と晶は着替えを背負い。ひとみと亜貴が調理道具を持っているのだから仕方も無いのであった。ぐるっと見渡してみれば一番楽をしていそうなのが萌なのだから、麻子としてはグッと堪えるしかないのが辛い。でも本当に辛いの……。
「いえなんでもないです。置いていかないで下さい」
 一歩一歩足を踏みしめて歩く麻子。額には汗が滲んでいる。本当なら一番体力があるはずの亜美に代わって欲しかった。剣道部のエースなのだ。これぐらいへっちゃらだろう。
「がんばるでござるよ」
「そうそう頑張ってね」
「麻子ちゃん、もうすぐだよぉ~頑張ろうねっ」
 萌の応援に麻子はうんと頷いた。その様子を他の四人がケタケタ笑って見ている。
 おのれ~、萌はともかくひとみだけは許さんっ!
 ライバルのあら、それぐらいも持てないの? という視線に麻子は歯を噛み締めて堪えていた。
「萌ちゃん、ここまでくるとやっぱり少し暑いわね」
 ひとみが萌の傍によってハンカチで萌のほほを撫でる。お化粧をしていない萌はすっぴんなものだから、平気である。ぷくぷくのほっぺたがぷるんっと揺れる。
 わたしも萌のほほをつんつんしたぁ~いっ! 麻子は前を見ながら内心そう思っていた。
 しかし一番後ろから見ると、亜美と晶はすっかりとらぶらぶカップルである。麻子の『萌ちゃん恋人化計画』よりも早く大願成就している。
 ……羨ましいなぁ~。と思いつつ、同時に妬ましく感じてしまう。ばかっぷるなんか嫌いさっ!

 ◇       ◇

 別荘に着いた。
 山荘風な外見。……丸太小屋である。太い丸太を組み合わせた壁。太い柱。立派なものである。
「きゃあ~すごいねぇ~」
「ほんと、想像したとおりだわ」
 萌とひとみが喜んでいる。麻子はといえば来るだけで疲れ切ってしまったらしく、ぐったりとしている。
「荷物を置いたら……」
「さっそく温泉に入るでござるよ」
 亜美の言葉の後を晶が引き継いで言う。
「やったぁ~これが楽しみだったんだよ」
 亜貴が急いで別荘の中へと駆け込んでいく。
「あっ、こらぁ~亜貴待つでござる」
 亜貴を追いかけて晶が中へと走っていった。
「なにしてるんだろうね?」
「そうねえ……」
 萌とひとみが呆れたように見送る。そうして二人は別荘の前に大きめの石で囲いを組み、鍋や鉄板を並べだす。
「亜美ちゃん、炊飯器なんかはあったよね」
「ああ、あるよ」
「じゃああたしはおコメを先に洗っておこうかな」
 萌がおコメを持って家の中に入ろうとしたその時、二階から晶の声が飛び込んでくる。
「パエリアが食べたいでござるっ!」
「パ、パエリア?」
 その大声にみんなが上を見上げた。
「ちゃんとシーフードミックスもサフランも持ってきているでござ~る」
「食べたい食べたい食べた~い」
 両手に扇子を持って騒ぐ晶。その横で亜貴もまた騒いでいる。この双子はまったく……。麻子はムッとした。
「こういう時ってカレーが定番でしょっ!」
 麻子がカレールウを振り回しながら反論する。激辛と書かれた文字が躍っていた。
「カレーなんか嫌でござる」
「嫌だもん、嫌ったら嫌。ぷんぷん」
 亜貴が拗ねる。やーいやーいっと晶が扇子を振り回しているところなんか憎たらしい。
「いえ、ここは焼肉で攻めましょう」
 亜美が焼肉のたれを片手に参戦してきた。にんにくがたっぷり入っているものだ。さらには丸ごとのニンニクも手に持っていた。
「こういう時でないと食べにくいからね」
 実に漢らしい態度である。丸かじりしたいらしい。ひとみが軽く頭を振りながら萌を見つめる。その目ははっきりと呆れた色を隠そうともしていない。萌は塩釜をしたがっていた。そんな萌にひとみは頷き、わたしは解っているわ、という態度を見せる。
「困った子達ねえ……萌ちゃんの気持ちを考えてあげなさいな」
 うんうんと萌は頷く。そんなひとみの態度にみなが注目している。
「ここは……鍋に決まっているでしょうっ!」
 ひとみがポン酢を片手に宣言した!
「なに言ってるでござるかぁ~っ!」
 晶が叫ぶ。さらには麻子も亜貴も亜美も叫んだ。
 萌を除く五人がやいのやいのと騒ぎ立てる。萌は諦めきった顔でごそごそおコメを洗い出す。六人の中では一番気が弱く自己主張も上手く言えない。強引さに欠ける萌である。すっかり蚊帳の外に弾かれてしまった。
 いいもん。みんないいもん。るるる~っ。パエリアにカレーを掛けて、ニンニクを齧ればいいんだ。お鍋をした後でカレールウを混ぜればいいんだ。あたしの希望なんかどうせみんな聞いてくれないもん。ぐしぐし泣きながらおコメを洗っている萌であった。

 ◇       ◇

 ちゃぷんっと湯船に浸かる。
 萌はぱしゃぱしゃ湯をかき混ぜて、白濁しているお湯の中での~んびりした気分になっていた。岩の間からちょろちょろとお湯が湯船の中に落ちている。手で掬ってはばしゃばしゃ顔を洗う。
「萌ちゃん」
「萌」
 両脇にひとみと麻子が萌を挟むようにぴったりと張り付いてきた。肩や胸に左右から二人のおっぱいが当たってくすぐったい。
 ……いいなぁ~。
 二人ともお胸が大きいものだから、慎ましい胸の萌には少し眩しいのだ。自身の胸を見下ろしてがっくりしてしまう。
「う、うう~ん。温泉もいいなぁ~。最近部活で疲れ気味だったからねぇ」
 亜美が湯船の中で体を捻っていた。六人の中では一番筋肉質な体は動くたびに筋肉が震え、盛り上がったりしている。
「亜美ちゃん凄いなぁ」
 一見細身なのにしっかりと筋肉がついて引き締まっている。萌のふにゃふにゃな体とははっきりと違っていた。
「萌ちゃんはもう少し体を鍛えた方が良いかもね」
 つんつんと萌の体をつつきながら亜美は言う。
「萌ちゃんは鍛えた方が良いかもしないけど、ひとみさんと麻子はそのままで良いでござるよぉ」
「うんうん立派、立派」
 晶と亜貴がうんうん頷いている。
「立派とか言うなっ!」
 麻子の声が響く。
「その豊満なおっぱいに顔を埋めたいでござる」
 晶がひとみの胸を目指して飛び込もうとする。
「こらっ!」
 その足を亜美が捕まえ行かせまいとする。ぱしゃぱしゃ湯が波立ち、萌の顔にお湯が掛かる。
「ふぎゃあ~っ!」
 まるで猫のような悲鳴を上げる。
「萌ちゃん」
 ギュッとひとみが萌を抱きしめた。萌の顔がひとみの胸の中に埋もれてしまった。ふくふくでむにむに。むにゅむにゅでぷるぷる。萌の頭の中がぼ~っとしてきた。
 その様子を麻子はジッと見つめている。酔ってしまったみたいに頭がくらくらしている。ぼぉ~っとする頭。思考がぐちゃぐちゃになり、まともに考えられない。
 いかにして萌とひとみを引き離すか、それが問題だ。じりじり近づきつつ、お湯の中で麻子の手が萌に忍び寄る。
「うりゃあ~」
 麻子が萌の両脇に手を差し伸べて強引に自身の下へ引き寄せたっ!
 その途端、萌のつつましい胸が麻子の手の中にすっぽりと納まるっ! 小さいのだ。手の中に納まってしまうほどにっ!
 麻子の手が萌の胸を弄ぶ! きゃあきゃあ悲鳴を上げて身を捩る萌。男の間に挟まれる形が嬲るの原型ならば、二人の女に挟まれるのは一体なんだろうか?
 哀れ、萌は麻子の魔の手によって弄ばれてしまう。涙目になって嫌がる萌。その姿にひとみの中にある嗜虐心がそそられる。ひとみも酔ったみたいになっていた。
「た、助けて~っ」
 きら~んっ。ひとみの眼が光ったぁ~っ!
「およしなさい。そんな事をしてはいけません」
 口ではそんな事をほざきながら、萌の元へ近づいてくる。萌は激しく身の危険を感じる。足がばたばたお湯を掻き分け湯船を叩く。
「暴れないで」
 優しく諭す声。されど手は萌の足首を掴む。強引に開かれる足。
「やだやだやだ~っ」
 泣きながら助けを求める。
「はいはい。そこまでね。不純同性交遊はそこまでっ!」
 亜貴が動く。亜美と晶は我関せずとばかりに湯船の端でいちゃついていた。軽くキスを交わしているっ!
 一体いつの間にそんな関係になっていたのかぁ~っ。温泉が良くないのだろうか?
「あ、亜貴ちゃん……」
 救いの主に眼を向ける萌。亜貴を頼もしく感じていた。引き離された後、亜貴にしがみつく。
 亜貴の手が湯の中を彷徨い、するっと萌のお尻を撫でる。
「きゃっ」
 ビクッと飛び跳ねる萌はびくびくと脅えながら亜貴を見つめた。
「にやぁ~」
 亜貴の口元が笑みを模る。淫蕩な笑み。まるで人が違ったよう。外見はそのままに中身が変わった?
 ああ~、萌の味方はどこにもいないのか?
 三人の少女たちが獲物を狙う肉食獣の目で萌を見つめてくる。それはホラー映画に出てくるゾンビのようだ。
 あ~う~っと呟きつつ、萌に近づいてくる。楽しいはずの旅行は到着後すぐにホラーと化してしまった。恐ろしい。萌の眼には麻子もひとみも亜貴もジェイソンのように映っている。泣きながら亜美と晶の下へ逃げた。こそこそ二人の後ろに隠れてしまう。
「怖いよぉ~」
「萌、キスするでござる」
「そうねキスしましょう」
 晶と亜美が萌をがっしりと掴み、強引にキスしてくる。萌の顔中にキスの雨。
「あわわわ~」
 ばしゃんっとお湯にも潜って逃げる。泡を食って温泉から飛び出した。バスタオルに身を包み。びくびくしつつ、温泉に目をやるとそこでは萌が逃げ出したあと、五人の少女たちが互いにキスしあっていた。
 やはり温泉が良くなかったのだ。何かおかしな成分が混じっていたのかもしれない。いっそ自分もおかしくなってしまえば良かったのに……。そんな事すら脳裏を過ぎる。

 ◇       ◇

 お昼ごはん。
 メニューはパエリアと焼肉である。お鍋とカレーは夜に回した。山の夜は寒いらしいからそのほうが良いかなっと萌が判断したのだ。
「お肉お肉お肉~っ!」
 鉄板の上でじゅうじゅう焼けてるお肉を見ながら、晶が騒ぐ。
 ごろっと大きな塊が転がされ、美味しそうな色に焼けた。
「萌ちゃん、これはどうするの?」
「う~んっとね、食べるときに切り分けるよ」
 萌がいそいそ包丁で切った。中は綺麗なピンク色。晶の口からよだれがっ!
「おいしそうでござる」
「う~ん。確かにそうだね」
 麻子もジッと見つめている。手に持ったお箸をわきわきさせていた。
「どれっさっそく」
 そう言って亜美もお肉を摘む。小皿に取り分けられているたれにたっぷりとまぶして、あ~んっと大きな口を開け、食べる。
「……おいしい」
「おいしいでござる」
「おいしいわね」
「うんうん。おいしいよ」
「はぐはぐ。うみゃい」
 口々にほめる。そうして切り分けられていくお肉の塊を次々と口の中へと放り込んでいった。
 ステーキ用のお肉から脂身が切り分けられ、さらに切られて転がすように焼かれる。
「脂身はお塩をつけて食べてね。振り掛けちゃダメだよ」
 萌の言葉に五人が大いに頷き、口へと運ぶ。
「脂身もおいしい……」
 麻子の目が輝いた。
「こうして食べると脂身が好きな人も多いっていうのが分かるわ」
「野菜をお肉で包んでもおいしいよ」
 ひとみも眼を輝かせながら食べる。亜貴はお肉で野菜を包みたれをつけてむしゃむしゃ食べていた。萌もぱくぱく口の中へと放り込んでいく。六人が一斉に食べだすとさすがにあっという間にお肉も野菜も消えていった。後に残るはパエリアである。
「やた~っ」
「パエリアっ! 楽しみにしてたの」
 晶と亜貴が取り分けられたお皿を見て喜ぶ。今にも踊りだしそう。
「そんなに楽しみにしてたの?」
 萌が取り分けながら、二人に聞いた。
「楽しみだったでござる」
「うちのお母さんは今一料理が下手だからね。こういうのって作ってくれないのだ。だから楽しみだったの~」
 うんうんと二人が頷く。それを見た萌は自分で作れば良いのに? などと思ってしまう。
「それは作れる人の感覚でござるよ」
「え~え~、ど~せっ、わたし達は下手ですよぉ~だ」
「良かったわね、萌に作ってもらえて」
 ぷんっと亜貴が拗ねた。くすくす笑って亜美が慰める。
「わたしも料理は上手じゃないから気持ちは分かるよ……」
 麻子が珍しく晶と亜貴の側に立つ。ひとみと萌が顔を見合わせて首を捻っている。
「お料理なんて簡単なのに?」
「自分が美味しいと思うように作ればいいだけよね?」
 首を捻りつつ萌とひとみが話す。そんな二人に向かって、他の四人が……。
「それは金持ちが貧乏人を見下しているのと同じでござる~」
 と叫んだ。
「そうそうセレブにはわかんないのよっ!」
「そうだそうだ!」
「うんうん。どうしたってうまく作れない人もいるんだよ?」
「焦がしちゃったりしてね……思うようにいかない時もある。辛いわぁ~」
 そう言いつつ、亜美はパエリアをぱくついた。
 そんな風に騒ぎながら、昼食が終わる。
 ふぅ~っとお茶を飲みながら晶がため息をつく。そうしてぐるりとみんなの顔を眺めている。亜貴もまた周囲を見ていた。
「ふむ。ひとみさ~んっ」
「麻子さまぁ~」
 素早い動作で晶と亜貴が飛び掛っていった。
「な、なに?」
「きゃっ」
 飛び掛られてその場に押し倒される二人。
「一体どうしたの?」
「晶ちゃん亜貴ちゃん。どうしたって言うの?」
 亜美と萌が呆然と呟いた。
「いやぁ~、食欲が満たされたものだから次は性欲かなっと?」
「そうそう」
 押し倒された二人が異口同音に叫ぶ。
「あんたら、それでも女かぁ~っ!」
 亜美が晶を蹴り飛ばしつつさらに叫んだ!
「なんて即物的なっ!」
「この……ばかぁ~」
 お昼の山の中、さわやかな春の日差しを浴びながら、悲鳴を上げる少女と欲望に塗れる少女達。
 なにもかも台無しな気分に陥る萌と亜美であった……。



[25334] 第7話 「山だ。別荘だ。温泉だ。その2 」
Name: A◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/29 14:11


 第7話 「山だ。別荘だ。温泉だ。その2 」


 分かりそうで解らないのは『女の子』の口説き方である。女同士だからきゃっきゃうふうふと仲良くできる。スキンシップだって簡単だ。
 でも……そこから先に進もうとしたとき、どうすれば良いのか途端に分からなくなる。
 数多い恋愛小説も女の子を口説く方法だからと男性向けの雑誌も読んでは見たものの、そんなに上手く行くわけないよねっ? とそう思えるばかり。ましてや女の子が女の子を口説く方法など書いていようもない。百合だのレズだのとそんなお話もいつの間にか好き合っているものばかりで、口説き方は書いてはいない。
 女の子同士だから気持ちは分かるでしょ、なんていう事は幻想だ。十人十色の恋愛沙汰となればさっぱり分からなくなる。
 『好き』という言葉も女の子同士ではさらりと受け流されて、切り札とはならず。さらに前提が違いすぎ男の子が女の子に向かって言うほどの効果もない。
 ああ、一体どうすれば良いのか? 麻子の悩みは深くなるばかりであった。

 
 昼食後、晶と亜貴は白昼堂々とひとみと麻子を押し倒した。晶の魔の手が豊満なひとみの胸を鷲掴みにする。つかまれた胸が晶の手の中で形を変えた。むにゅっとした感触にへらっと笑う。
「や、やめなさいっ!」
 ひとみが全身を使って抗う。あまりの事に愕然と動きを止めていた他の子達がひとみの声を合図に動き出した。
「食欲が満たされたから、次は性欲かなっと?」
 晶の言い訳に亜美の頭から湯気を上げる。山の木々が亜美の怒りに合わせて震えた。
「なんて即物的なっ!」
「あんたらそれでも女かぁ~っ!」
 麻子の叫び声が山荘の周囲に響き渡る。押し止めようと手を伸ばしたまま固まる萌。キラッと晶の目が光るっ! チャンス到来とばかりにさっと、萌の手をつかみ、羽交い絞めにしたままじりじりと後ろに下がっていく。にやけたような笑み。絡め捕られた萌が身悶える。
「あきらっ!」
 亜美の鋭い悲鳴。
「何をする気っ!」
「やめて晶ちゃん」
 麻子が萌を救おうと動き出そうとする。悲鳴を上げかける萌はどうしていいのか分からずにおろおろしていた。
 燦々と降り注ぐ明るい太陽の下、にや~っといやらしい笑みを浮かべて晶は萌の胸を揉みしだく。萌の悲鳴は山荘の周辺にすら木々に阻まれ遠くまで届きようもない。
「やめるんだっ!」
「お~っと動くんじゃない。萌ちゃんがどうなってもいいのかなぁ~? うりうり」
 すっかり悪役気取りで晶は萌にセクハラをしている。真っ赤になって嫌がる萌。顰められた眉。少し開けられた唇。助けを求めようと伸ばされた腕が空しく空を掻く。
「あっ……」
 萌の口から切なそうな声が漏れた。その声に他の五人がそれぞれ反応を見せる。
「くっ!」
 悔しそうに唇を歪める麻子。冷たい眼で晶を睨みつけるひとみ。呆れたように見ている亜貴。怒りに身を振るわせる亜美。
「くけっ~、けっけっけっ~。寝取りでござるよ。寝取り。萌は拙者が頂くでごっざ~る」
 これ幸いと思うがままに萌の胸を揉む晶。萌の動きがもじもじとしたものに変わっていく。
「や、やめて……晶ちゃん……」
「良いでござるか? う、う~ん。良いでござるか? けっけっけっ、萌はすっかり拙者の虜でござるよぉ~」
 麻子に向かって高らかに嘲う。何と卑劣な行動だろうか? 麻子の目には晶がまるで悪魔のように映る。じりっと亜美が足音を忍ばせて動く。気配が消え去った。亜美の表情は能面のような無表情。怒りすら感じ取れない。
「この卑怯者めっ!」
「悔しいでござるか? うう~ん、悔しいでござるかぁ~。萌は拙者のものでござる。かぁ~っかっかっ……あがっ!」
 高笑いしている晶は一瞬で間合いを詰めた亜美の手によって叩かれ崩れ落ちる。一撃必殺。さすがは天承学園の虎。見事な一撃であった。きゅっ~と眼を回して気を失う晶。そこへさらに麻子の蹴りが止めとばかりに放たれたっ!
 ぼかっという音と共に晶のお尻が蹴り飛ばされて、間抜けな体勢で固まった。まるで潰れた蛙のよう。萌はすでにひとみの手によって助け出されているっ!
「こ、怖かったよぉ……」
「もう大丈夫よ、萌ちゃん」
 ぐすぐす鼻を鳴らしてひとみの胸に顔を埋める萌。そんな萌をひとみは優しく抱き締めた。ひとみの手によって萌の体は穢れを拭き取るかのように弄られている。しかしそんな事にも萌は気づいていなかった。
「あんた、やりすぎよっ」
 冷たい眼で見下ろしながら、亜美が吐き捨てる。そして山荘の中に入り、中から厚い毛布と縄を持ってきた。
「あ、亜美ちゃん?」
 亜美の険悪な雰囲気を感じ取った萌がおそるおそる声を掛ける。亜美は萌の方をちらっと見たっきり無言のまま、晶をぐるぐるっと簀巻きにしていく。
「麻子。こいつを木の枝に吊り下げるのを手伝ってくれない?」
「い、良いけど? どうするつもりなの?」
 怒っていた麻子でさえ、怯えたように声が震えている。
「どうするって? 決まっているじゃない。こいつを吊り下げて、サンドバックにしてやるのよっ!」
 転がっている晶をボカッと蹴り飛ばした。そのまま何発か殴った。亜美の顔の上には嫉妬の色が色濃く浮かんでいる。そういえばこの二人はらぶらぶカップルだった。目の前で他の女に襲い掛かった晶に対して怒り心頭している。
 亜美の怒りに萌たちは確かに恐怖を感じていた。

 ◇       ◇

「はぁ~、何か疲れちゃったわね……」
 ひとみが素早く身支度を整えながら言った。山荘の玄関、鉄板や鍋を囲み、戯れていた萌たちは晶のしでかした事により疲れ果ててしまっていた。ぼかすかと簀巻きになった晶を亜美が叩く。その度に悲鳴を上げる晶。
「ゆ、許してくだされぇ~あみぃ~」
 ひたすら許しを請う。
「ダメよっ! 自分のした事をちゃんと反省しなさいっ!」
 ぼかっと晶のお尻辺りを蹴っ飛ばす。その周囲では萌たちが亜美の剣幕に恐れをなして、遠巻きに見ているだけである。誰一人として動く者はいなかった。
「ひえっひえっ、お許しを~」
「まったく……どうして、他の女にっ!」
 恥も外聞もなく叫びつつ、亜美は晶を叩いている。内心では怒り心頭して頭がくらくらしていた。
 萌と麻子をからかうのはいい。その事は分かっているし、亜美としても楽しみだった。だが、だからといってあんな事をするなんてっ! 他の……ひとみを押し倒したり、萌の胸を揉んだり、なにが、寝取りよっ! 許せないわ! そう特にひとみに抱きついたりしたのが許せないっ! ええ~、どうせわたしはひとみさんほど胸は大きくないですよっ。そう考えるとさらに怒りがこみ上げてくる。
「どうどう」
「ふぅ~っ!」
 まるで馬でも押しとめるかのように亜美に話しかける麻子と亜貴。猫が威嚇するような奇声を上げる亜美。どことなく麻子の腰が引けていた。晶と亜美の二人が、らぶらぶっぽい雰囲気を漂わせていた事は麻子にも分かっている。そして亜美が嫉妬に駆られている事も……しかし目の前で再起不能になりそうなぐらい殴り続けるのはさすがに容認できなかった。その為になんとか押し止めようと頑張っている。
「そのぐらいにしておきなさいな、さすがに殺しは良くないわ。埋めるのを手伝わないわよ」
 あっさりと怖い事を言うひとみ。その言葉に萌の顔から血の気が引き、真っ青になってしまう。
「だ、ダメだよ。亜美ちゃん、殺しちゃダメッ!」
 萌が亜美にしがみつく。いくらなんでもそこまでするつもりはなかったが、萌の蒼白となった顔を見て、頭に上った血が治まったような気がした。そうしてようやく冷静になる。見下ろせば、泣き出しそうな晶の顔。ほんの少しの罪悪感が押し寄せてくる。
「とりあえず、姉さんは部屋へと連れて行きましょうか」
「それがいいかもね」
 麻子と亜貴は簀巻きにされた晶を手分けして持ち上げると山荘の中へと連れ戻していった。
 後に残された萌たちはその光景を見送りつつ、亜美を慰めている。
「……亜美ちゃん」
「もう気が済んだでしょ」
 心配そうな表情を浮かべる萌と私が晶に靡く事などありえない。とはっきり顔に書いてあるひとみ。対照的な両者を見つめ、亜美ははあ~っと深くため息をついた。
「やり過ぎたかも……」
 改めて山荘に目をやる亜美は、踵を返し中へと走っていった。
「亜美ちゃん……」
 萌の声を背中で聞きながら部屋へと走っていく亜美は心の中で、晶に謝っていた。ごめんね、晶……。
「萌ちゃんも災難だったわね」
「うん。ひとみお姉さんもだね」
 ひとみが萌の肩に手を置いて自分の傍へと引き寄せる。ぐいっと抱きしめられた萌はひとみの胸の中にすっぽりと納まってしまう。鼓動が耳に届く。どきどき言ってる。うっとりするような甘い匂いと暖かな体温に包まれて、まるで夢心地でひとみを見上げる萌。ほんの少し潤んだ眼がジッと見つめているひとみとぶつかり萌の鼓動がどくんと早まる。
 抱きしめていた腕が緩み、萌の頬に添えられる。見つめ合う二人。ひとみがにっこりと笑顔を見せる。唇が紅く艶やかに光り、かすかに開かれた口元に萌の眼が釘付けとなった。
「――萌!」
 鋭く叫ばれた麻子の声。
 夢から覚めた。はっとして振り返れば、山荘の入り口でこちらを睨んでいる。鋭い眼。血の気が引き蒼白となった顔。わなわなと震える手が固く握り締められていく。一歩一歩近づいてくる麻子。鋭い眼に射抜かれて怯える萌はぎゅっとひとみにしがみついた。
「ま、麻子ちゃん……」
 自分でもなにを言おうとしているのかも分からないままに萌は口を開く。ただ何も悪い事はしていないはず……。だけどそう言い切れないのはなぜだろう。
 近づいてきた麻子は萌を強引にひとみから引き離して抱きしめる。身を竦ませていた萌はぎゅっと眼を瞑って、なすがままになっている。
「萌」
 短い言葉。だけどそこに込められている切ない思いを感じて、そっと眼を開ける。麻子は見つめていた。
 麻子は抱きしめたまま、すがりつくようにずるずるとへたり込む。膝を突いた麻子が萌を見上げて搾り出すように小さな声で囁く。
「……好き……わたしは萌が好き……」
「……ま……麻子ちゃん……?」
 眼を見開いて麻子を見下ろす萌。こんな麻子は今まで見た事がなかった。いつだって麻子は堂々としてて、自信たっぷりで、萌の憧れだった。それが今は萎れかかった花のような、傷つき力尽きた小動物を思わせ萌の心がずきんと痛む。萌だって麻子は好きだ。大好きといっていい。だけど……麻子の好きは萌の思っているような好きではないのだろう。なんと言っていいのか分からずに萌はただおろおろとしてしまった。
 まさか麻子から告白されるなんて考えた事もなかったのだから。目の前を幻が流れていく。じゃれあい過ごした保育園での思い出。時にはけんかもしたけど仲良く手を繋いで通った小学校。ラブレターを貰って困った顔をしていた中学校。互いの家にお泊りしていた事。海や山、通いなれた道。春も夏も秋も冬もいくつもの思い出がある。いっぱい遊んでたくさん話した。そんな今まで仲良く紡いできた思い出が足元から崩れ去るような気がしていた。
 友達ではいけなかったのだろうか? そのままではいられなかったのだろうか? 頭の中がぐるぐると回って目の前が暗く。足元は頼りなく。手足の感覚すら覚束なくなっている。
 麻子がジッと見つめている。なにか言わなくっちゃ、そう思う。だけど声がでない。ぱくぱく口が開いては閉じる。言いたい事は沢山あるのに……どうして出てこないんだろう。嫌いならはっきり言える。でも好きなのだ。好きなのは確かだった。
 緊張に耐え切れずに、萌の瞳から一筋涙が零れた。
「――ごめんなさいっ!」
 麻子は萌の涙を見た瞬間、逃げるように山荘の中へと駆け出していく。萌がとっさに止めようと手を伸ばしたが、掴みきれずにひとみに引き止められる。
「ひとみお姉さん……離して、離してぇ」
 振り返った萌は大粒の涙を零しながら、じたばたと暴れる。
「ダメよ。そっとしておいてあげましょう。麻子ちゃんだって考えたいでしょうし、ね」
 強い力で引き止めるひとみは萌にそう言った。その言葉に萌の動きが止まる。そうしてぐったりと力が抜け、ひとみの手からずり落ちるように地面にへたり込んだ。
「麻子ちゃん……」
 萌も麻子のことが好きだといいたかった。でも声がでなかったのだ。どうしてなのか自分でも分からない。地面を見つめながら問いかけるが、それに答えられるようなものは自分の中にはなかった。そんな風に誰かを好きだと思うことなどなかったのだから……。

 ◇       ◇

 部屋へと駆け込んだ麻子はベットにうつ伏せになり、泣き声を押し殺している。
「うっ、ぐすっ、う、うう~っ」
 言ってしまった。言ってしまったのだ。萌とひとみの間に流れていた空気に耐えられず、まるですがりつくように告白した。
 そして……振られた。もうどうしようもない。こんな風になるなら、言わなければ良かった。そう思う。
 萌と培ってきた関係を自分の手で壊してしまった。友達だったのに告白するとはこういう事なんだ。結局二人の関係を壊してしまう。もうどうしていいのか分からない。それでも麻子は萌が好きだった。
 麻子の泣き声がいつしか大声になり、部屋の外にまで聞こえ出している。

 きゅ~っと眼を回している晶をベットに放り込んだ亜貴はその顔面にマジックで『バカ』と書いた。
「まったく、なんておバカなのかしら?」
 呆れ果ててものが言えないとはこの事だ。双子の姉とは思えない。ぷんぷん怒って部屋を出ようとしたとき、亜美が飛び込んできた。
「晶は大丈夫?」
 後悔したような表情と心配そうな表情。その二つを浮かべて、晶を揺さぶる。
「ええ、大丈夫ですよ」
「そう……」
 ほっとした表情を浮かべ、ベットの傍に椅子を引き、座り込む亜美。
「あらっ? これは?」
 その時初めて気づいたというように晶の顔に書かれている落書きを見た。
「はい、これっ」
 亜貴の差し出したマジックをジッと見つめて、うんと頷くと亜美もまた晶の顔にまぬけと書き込んだ。そうして二人して笑い出す。
「本当にバカでまぬけよねえ~」
 亜美の声には仕方がないわねえ~と少し呆れた色としょうがないなあ~という愛情が込められていた。そんな亜美を見てにまにま笑いながら、部屋を出て行く。姉である晶の事は亜美に任せておけばいい。ぶつぶつ怒りながらもきっと世話を焼くだろう。
 部屋の扉を閉めて、しばらく扉に凭れた。ぽっかりと胸の奥に空いた空洞は思っていたよりも大きい。ず~っと一緒だった双子の姉は好きな人が出来て仲良くしてる。相思相愛、結構な事だ。わたしにもそんな人が……できるのだろうか?
 亜貴にも好きな人はいる。でも……その人も女の子だった。だからどうしていいのか分からずに諦めかけていた矢先、姉は女の子同士なのに巧くいった。好きな女の子は別の女の子に恋してる。はあっとため息がでる。
「どうしていいのかなんて分からないよねぇ」
 木で出来た少し軋む廊下を歩き出す。階段の手前に足を踏み入れると軋みはさらに大きくなり、それはまるで亜貴の心と同調しているかのようだった。
 軋みに混じって泣き声が耳に飛び込んでくる。
 ハッとして視線を向け、耳を澄ませる。あれは……麻子の声?
 どうして泣いてるの?
 足音を忍ばせるように部屋の前に向かう。ギシッと軋む音がやけに大きく聞こえてしまう。気づかれなかっただろうか? そっと中の様子を窺うが、泣き声はだんだん大きくなっていく。切れ切れに聞こえてくる『萌』という言葉。『ごめんなさい』という言葉。こんな風に泣いているなんて、もしかすると麻子は振られてしまったのだろうか? ゾクッと背筋が震えた。かわいそうという気持ちと共に心の底から喜びが湧き上がって来る。いけないとも思う。こんな気持ちは拙いのかもしれない。でも、麻子は振られてしまったのだ。だから……自分にもチャンスが回ってきた。遠慮する事なんかない。
 扉のノブを掴む。
「すぅ~はぁ~」
 深呼吸を一つして、捻ると扉を開けて中を覗き込んだ。麻子はベットの上で泣いていた。うつ伏せになった姿。何度も枕を叩く手。押し殺そうとしている泣き声は亜貴の心を揺さぶっている。
「……麻子」
 小さく声を掛ける。ビクッと麻子の体が震え、こちらに向く。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに塗れた顔。他人の泣き顔などどれもみっともないものだが、亜貴は気にした風もなく近づいて側に座り、抱きしめた。起こされた体が亜貴の胸の中に納まる。腕が麻子を掻き抱くように抱きしめ、顔中をハンカチで拭う。ぐすぐす鼻を鳴らす麻子。
「ほらっ、鼻をかんで」
 優しく言葉を掛け、枕元に置かれていたティッシュを持ってくる。麻子は素直に言うとおりにした。まるで子供をあやすかのようにその間亜貴は背中を擦っている。
「あ、ありがと……」
 少しはにかんだ顔。うっすらと麻子の唇がつり上がり、ぎこちなく笑みを形取った。額の上に髪が掛かって白い指先がそれを払いのけるのを身動き一つせずになすがままになっている。
「……ねえ、麻子。こんな時に言うのはおかしいかもしれないけど……わたしは麻子が好きよ」
 優しい声。慰めてくれているのだろうと麻子は思った。この様子だと萌に振られた事もばれているのだろう。みっともなく散々泣き喚いていたのだ。ばれないはずがない。麻子は恥ずかしさのあまり、消えてしまいたくなった。
「あ、ありがと……」
 俯き搾り出すように同じ言葉を口に出す。そんな麻子に亜貴は首を振る。
「違うの……わたしはあなたが好き。分かるでしょ? 麻子と同じだから……」
 麻子と同じ。その言葉が頭の中をめまぐるしく駆け巡る。麻子はそお~っと亜貴を見上げた。その眼はじっと麻子を見つめている。優しくて真剣で切ないまなざし。それは萌に告白した自分と同じ眼だった。
 亜貴の事は嫌いじゃない。でも……そんな風に好きかと聞かれると躊躇ってしまう。おろおろとしてしまい言葉が出ない。どうしたらいいのか分からなくて、口をパクパクさせるだけだった。
 ――ああ、萌もこんな気持ちだったのか……?
 麻子は先ほどの萌の気持ちが分かってきた。
 ギシッと木の床が軋む音が耳に入ってくる。麻子の意識がわずかに扉に向けられた。その隙を逃さず、亜貴の手が麻子の顔を挟み込んで強引に向き合わせる。そして唇が重なった。何度も何度も唇を重ね、そのまま押し倒してついばむように麻子にキスを繰り返す亜貴。
「あっ、麻子ちゃん。さっきの……っ!」
 恐る恐る扉から顔を覗かせた萌の視界にベットの上でキスを繰り返している二人の光景が飛び込んできた。
「――萌っ!」
「ごめんなさいっ!」
 慌てて扉から離れようとする萌。麻子は萌を追いかけようとする。
「待ってっ! 行かないで! ……行かないでよぉ~」
 体を起こした麻子に縋りついてくる亜貴。強く抱きつかれた麻子の目の前で扉は無常にも閉じられて、萌の足音が遠ざかっていった。









 あとがき。
 誤解、勘違い、すれ違い。


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