2011年01月30日
コクトー『大胯びらき』――女と死の詩的表現
ジャン・コクトーの『大胯びらき(Le Grand Écart)』が澁澤龍彦の手によって翻訳されたのは、彼が25歳のときであるというから驚きだが、『大胯びらき』を一読すると、まずきわめて美しい詩的表現によって語られることに大変驚いてしまう。
「われわれの人生の地図は折りたたまれているので、中をつらぬく一本の大きな道はわれわれには見ることができない。だから地図が開かれていくにつれて、いつも新しい小さな道があらわれてくるような気がする。われわれはその都度道を選んでいるつもりなのだが、本当は選択の余地などあろうはずもないのだ」
という比喩表現はいささか難解ささえ感じてしまうほどだけれども、この比喩表現はこの物語に貫かれている極めて重要なモチーフであるとも思われる。それではいったい、物語の主人公であるジャックはどんな地図を開き始めたのだろうか。
極めて美しいこの物語は、ジャックの十一歳から十八歳までの七年間の「燃えやすくて変な臭いのするアルメニア紙のように、めらめらと焼きつく」し「潜水服を着て海の底をほじくる」体験なのである。その彼が成長するなか、ジャックの母親は彼を「遊ばせてお」きジャックの成長には気がつかない。この点において、レストラパード街のベルラン夫人とジャックの母親は、よく似ている。彼女たちはともにジャックのことをしっかり観察し、管理すらしていると思っているのだが、もはやジャックは自分の手で、彼女たちの知らないところで、折りたたまれた地図を開き始めたのである。彼は母親との旅行の間にチグラン・ディプレオとイジーの兄妹に出会い、彼らのまねをする。それが彼の美しさに対する姿勢であった。そして、その後若い新聞記者との出会いの中で、恋愛に対して嫌悪感を抱く一方、ジェルメェヌと出会うことで、美しいものと同化したいという欲求よりも、それを手に入れたいという欲求の方が強く感じられるのだ。この物語において重要なモチーフとなりうるのは、ジャックが邂逅することとなるおおむね二つの方向にわかれる女性であると思う。まずひとつ目は母親であるフォレスチエ夫人とレストラパード街のベルラン夫人、それからイジー・ディプレオとジェルメェヌである。
そしてもう一つ重要なのは、死の問題で、最初の死は先ほどの若い新聞記者の自殺である。それからジャック自身の自殺未遂、その後の彼に最も大きなダメージを与えることとなるイジーの死である。彼の恋愛やそれと同時の成長というものはいつも誰かの死から起きるような気がする。例えばジェルメェヌとの出会いを呼んだのは、若い新聞記者の死である。これはある種、ジャックの美しいものへの感情の昇華である。また、ジェルメェヌの浮気ののちの自殺未遂、またイジーの死を聞いた直後のジャックはもはや思春期を終えつつあったのだ。
彼はラストシーンで「大きすぎる僕の心は、どんなユニフォームの下にかくしたらよいのだろう? どんなにしてもまる見えかもしれない。」という感想を漏らすのであるが、彼はここで流行に従がって生きようとしていた自分の心では苦しいことに気づいたのである。またジェルメェヌに散々たぶらかされていたはずのネストオルは言うのだ。「流行はすたれるものだ。僕の目の前をどんどん通り過ぎてゆく。僕はそれを見送っているばかりだ…。」と。この言葉を受けてジャックは、ネストオルが大きく見えるのであった。そして、自分の性格を身につけなくてはならない、鉛の靴をはかなくてはならない、ユニフォームを身につけなくてはならないと決心するのである。彼はたしかに世界一周のときの彼とは別人なのである。まさにこの物語のタイトルである『大股びらき』は幼い少年が一人の青年へと成長していく暗喩でありうるのだ。
- 作者: ジャンコクトー,Jean Cocteau,渋沢龍彦
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2011年01月19日
2010年、邦楽アルバム
今さらながら、2010年に個人的に良かったと思われる邦楽アルバムいくつか。
●『本日は晴天なり』サニーデイ・サービス
このアルバムに関して語られることの一番大きな要素は、おそらく10年ぶりに再結成したバンドの新譜だということだと思うのだけれど、音楽をいわゆる「聴きはじめた」ときにはもう解散していたような世代の一人としては、そういった感慨とか、もっというなら懐かしさはない。しかし、だからこそこのアルバムを、「愛と笑いの夜」とか「サニーデイ・サービス」、「24時」などとほぼ並行して聴いても遜色ないということが分かるし、“サニーデイ・サービス”のアルバムだ、という感覚はある。なんだかんだいって、すごくいい。前半、特に。
●『とげまる』スピッツ
相変わらずの安定感。「恋する凡人」とか好き。昔のスピッツにはないような感じ。
●『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』
●『Port Entropy』トクマルシューゴ
●『乱反射ガール』土岐麻子
このアルバムは今年いちばんよかったんじゃないか、という感想。ソロとして「Debut」から来て、ジャズのやつとか、「WEEKEND SHUFFLE」とかも大好きなんだけど、「TOUCH」からの流れで、“土岐麻子”というのが完成した気がする。というか土岐麻子に関しては盲目なので、好きという言説でしか語れない。
●『JAPANESE POP』安藤裕子
わりとスルメなアルバム。