むしろ 選挙をして政局が変わっても、経済は良くなるどころか、停滞することもある。
という 典型例として 日本の政変を 各国は参考にすればいいんじゃないだろうか?
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110130-OYT1T00218.htm
【ロンドン=鶴原徹也】英国のキャメロン首相は28日、米CNNテレビのインタビューに応じ、「エジプトで改革が必要だ。エジプト国民の不満は解消されるべきだ」と表明する一方、「ただ、選挙を実施すれば良いという見方は単純だ。真の民主主義は法治や人権、自由について実績を積み上げていくことにある」などと指摘した。
これは、英国が望むのはエジプト政体の崩壊や急変ではなくムバラク体制下での改革である、との姿勢を示した発言とみられる。ムバラク体制が短期に崩壊した場合、エジプトに権力の空白が生じ、同国だけでなく中東が不安定化するとの懸念が英政権にはある。
実は普通の子に限って○○だよね。 ってフレーズが使い古されすぎてるって話なのかと思ったらまんますぎてワロタ
って言いたくなる気持ちも分かるけど
うん、全部含めて大好き
まぁ、年収で言えば俺はバカにされる側だと思うよ。三年目450くらい。
一般的に安くはないけど、外資勢には全然敵わないしね。イケイケの営業マンだってもっと稼いでるだろう。
問題
以下の項目を人間としての価値を図る尺度として適切な順番に並べろ。
1学歴
2体力
3年収
4ルックス
非モテをこじらせた人たちにとっては、セックス人数とかだろうな。
だて、残りの順番が問題だ。
あんま反論するとこないなー、それはそれでその通りでないかな。ただ俺の主張に全然関係ないけど。
論点がずれてんだよ。
俺は「年収っていう尺度は、絶対的じゃ全然ない」って言いたいの。
東大出た財務官僚年収300万は、高卒営業職年収1000万より弱者かな?ってこと。
んで、日本では手堅い職種ほど若手の給与は安く押さえられていることが多いので、一般的に
年収で人の実力を決定付けるのは意味を成さないだろうと言いたい。
というか、高学歴勢が高年収を狙うならいまどき外資金融に突貫するので、
そこで自慢できる年収って1億越えなんだよね。2000とか3000だと、「3年持たねーだろwww」って笑われるから自慢できない。
そういう意味で、若い世代の年収自慢って低学歴の特権だなーと思う。
年収自慢をするのは、40歳を越えてからだろう。そこまで行ってみないと何もわかんないからね。
元リーマン組とか今なにしてんだろうなぁ・・・。
まったくもってそう思うから、増田は個人はどういうルールで話しているの?まず、それを定義してというはアリだよね?
現状 年収で比べるという尺度はある程度 強固で 一般認識の1つ(絶対ではないが)
強者は弱者をバカにして踏みにじる権利を行使しているからいんじゃない。あってる。
もし、踏みにじられたほうが弱者じゃなくて強者なら、踏みにじり返せばいいだけだから、何の問題もない。
つまり、学歴重視VS年収重視の 弱肉強食の戦いなんだから、勝手にやって勝手に結果を出せば言い。何の問題もない。
生き残ったほうが強者だろ。
だから、現状は正しいし、世界がどうなろうと、勝ったものが強者なので、常に正しい。
世は事もなし、グチを言う必要性も無し。ただ、勝って踏みにじればよろしい。
※私はそうは思わないが、そうしたいなら、それは個人の自由の範囲で こちらを踏みにじりにくるなら、そら弱い物同士徒党を組んで反撃するしか無いとか、そういう世界でしか無い。
ただ、年収400万円で官僚の低年収を笑う人間がいたら、それは物凄いバカだなぁと思うし心のそこからバカにするよ。
財務官僚年収300万円は、営業職年収1000万の100倍価値があると認識するしね。
基本的に、強者は弱者をバカにして踏みにじる権利があると思うよ。っていうか、現実としてあるよね。
まぁ、こういうのはあくまで個人の価値観だから議論しても仕方が無い。
ただ、この場合論点になっているのはその「強さ」というのは「年収」っていう尺度だけでは規定できないってことなんだよ。
もし年収こそが実力の尺度だとしたら、世の中の大半の勤め人は若手官僚より実力があるってことになっちゃうからね。
バカにしていい、悪いなんて誰も論議してないんだよ。ただ、人の実力を測る上で、年収っていう尺度はあまり便利でないというだけ。
日本語が伝わらなかったようで・・・
官僚2年目で年収300万円がフリーターで年収300万円を馬鹿にしていい と定義するのであれば、強者は弱者をバカにしていいというルールを認めたということなので
官僚3年目以後は官僚2年目をバカにしてもいいし フリーターで年収1000万円は 官僚2年目で年収300万円をバカにしてもいいだろ。
他方 職業や年齢で人をバカにしてはいけない。というルールを認めるならば、
官僚2年目で年収300万円 は立派なもので、だれもバカにできないが、
フリーターで年収300万円も立派なもので、誰も馬鹿にできない。
で、あなたは、職業や年収で 他人をばかにすることは正しいというルールで話をするの?
それとも、職業や年収で 他人をばかにすることは正しくないというルールで話をするの?
どっち?
そりゃ、確率論でしょ。
24歳、トランスコスモス勤め年収400万。この場合後者の人が年収では勝ってるわけだけど。
この二人の生涯年収、どっちが上になるかったらそりゃほぼNTTでしょ。
それだけのお話。
35歳の平均年収が300万代でニュースになってたのに、20代で1000万越えして、30代で500万という生活と20代で500万で35超えて1000万という生活を比べるあたりが世と隔絶してるような。
とりあえずお前が頭悪すぎだという事はわかった
なにを言ってるかよくわかんないけど。
財務官僚でニートヒキコモリフリータってあり得ないでしょ、何おっしゃってるのかちょっとわかんない。
それ 財務官僚二年目が ニートでヒキコモリフリータ 、年収300万円。
いや、あるだろ。
将来上がるんですよ~ってホントにあがるの?それ詐欺なんじゃないの?
NTTデータだろうが、ぶっちゃけある程度の人員はどんどんやめさせられてるじゃん。
保証なんてなんもないよね?日本だって人口1億切る事確定してるのに。
余程能天気なんだろうね。
さっきふと思いついたんだけどさー。
どういうことかって言うとねー。
誰かに何かモノやサービスをもらったら、対価として「感謝の気持ち」を差し上げるの。
それでねー。
いっぱいモノやサービスをあげた人は、「感謝の気持ち」をいっぱいもらって、広い心を持てるようになるの。
そしたら、その人も素直に「感謝の気持ち」を示せるから、それで欲しいものが買えるの。
それでね、それでねー。
そしたら、もう「ありがとう」って言えないから、なんにも買えなくなっちゃうでしょ。
だから、いつも人にいいことをしてあげて、「感謝の気持ち」をいっぱいもらって、貯めておかないといけないんだよね。
お金は汚かったりすることもあるけど、
「ありがとう」ってことばは、いつもきれいだよね。
みんな、きれいな心で生きてけるよね。
どう?素敵なアイディアだと思わない??
飲み会などで血液型占い(性格診断)の話題になると歯がゆさを感じる。
血液型占いは全く根拠のない迷信なのだが、日本では結構当たり前のように話題に上る。Wikipediaによれば血液型占いが広まっているのは日本・韓国・台湾くらいらしいし、実際日本人以外でその話をしているのを聞いたことはない。
コミュニケーションのとっかかりとして使われているのは百も承知で、確かに便利なのだが、絶対に自分はこのオカルトに関わりたくない。だからといって、血液型占いなんて根拠のないオカルトです、と主張しても誰も聞いてくれないし場がしらける。下手すると頭の固いつまらない人と思われるのが落ちである。なので、僕は必ず「カギ括弧」をつけて、O型っぽくないって言われるんですよ、とか、人によって僕の血液型が何型っぽいかっていう意見がバラバラなんですよ、などと、人がどう言うかという観点で話すようにしている。これなら、場の空気を壊すこともないし、自分は信じていないという立場を守れる。
(ちなみに、嬉々として血液型占いの話をしている人に会うと、その人の知性の評価が何割かダウンする。特に理系の男が言っていたりするとかなりがっかりする。)
同じ非現実であっても、僕にとっては、サンタクロースや幽霊について話すことは全く問題ないけれど、血液型占いや水が人の優しい言葉に反応する(「水からの伝言」)といった話は受け入れがたい。それはやはり、前者は非現実であることを前提に語られるの対して、後者が科学的文脈で語られるからであろう。このような感覚は僕たち科学者・理系の人以外にも共有してもらえるだろうか?
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日本では、血液型占いや水からの伝言が代表的なオカルトだが、日本と同様科学大国であるアメリカでそのような非科学的な話がまかり通る例と言えば、創造論(=進化論の否定)である。
最近Scientific Americanの記事で見た(http://goo.gl/vb3CD)のだけど、アメリカの高校教師の28%しか進化論を十分に教えず、13%は創造論を教え、残りの6割は臭いものには蓋で適当にごまかすか、あるいは両方教えて生徒の判断に任せるという状況だそうだ。創造論は宗教的な考えに基づくので、否定すると信奉者からのクレームが面倒だということもあるのだろうが、科学教育の観点からすると非常に危ない。
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血液型占いよりは創造論の方が生物学の根本に関わるだけに、信じることによる害が大きい気がする。一方で、血液型占いにおいては、創造論に対するような大々的な科学的批判(アメリカでは裁判も起きている)がなく、人が当たり前のように信じているという気持ち悪さがある。このように質は違えどオカルトがまかり通るということはどこの先進国でもあるのだろうか。たとえばヨーロッパなどはどうなのだろう。