金融政策論議の不思議(13) 日銀が単独でインフレに出来ない理由
Bewaad氏が考える「金融政策だけでインフレを引き起こすプロセス」は2つあり、その2つがダメなら財政政策を使うのもやむなしという立場だ。次の段落からこのプロセスをひとつずつチェックしていくが、Bewaad氏自身が「インフレにはならないかもしれないだろ、という反論を完封できるものではない」とコメントされている以上、効果が薄いとか、効果が確実でないという反論をしても面白くない。そこで、極論は議論をクリアにするという効果も狙って、以下ではBewaad氏の主張するプロセスには「全く」効果がない、というスタンスで書いてみることにしたい。
日銀が国債を買えば株投資が増える?
まず、「ポートフォリオ・リバランス」について。要するに、日銀が国債を買いまくって現金を支払い続けると、銀行のバランスシートに現金があふれることになる。しかし、銀行は日々の決済のためにある程度の現金を保有しておけば十分なので、それ以上の現金は必要ない。そこで、銀行は現金以外の様々な資産に投資するようになる。すると、
銀行の現金が増える
↓
株や社債、土地などを銀行が買い始めたり、貸出が増えたりする。
↓
株や社債などを持っていた人に現金がいきわたる(多分、株価が上がれば資金調達もしやすくなるだろう)
↓
その現金で消費や設備投資が増えてインフレに!
という経路でインフレから脱出できる、という話な訳だ。
このプロセスが機能しない理由は二つある。
まず、1点目。筆者はファイナンス理論に詳しいわけではないが、ポートフォリオから国債が減ってしまったので、その分株や社債を買おうなんていうでたらめなポートフォリオマネージメントは聞いたことがない。「ポートフォリオ・リバランス」という名前から言ってファイナンス理論から来た考え方だと思うのだが、一体どのような理屈に支えられているのだろうか?株と国債とでは、そのリスクも値動きの特性も全く異なる。代わりになど出来るわけがないのだ。
2点目。100歩譲って、現金保有が増えた銀行が株や社債を買いたくなったとしよう。しかし、自己資本比率の低い今の(2年前の)日本の銀行は株や社債を新規に買うことが出来ない。銀行はBIS(国際決済銀行)の定めた規則に従わなければならず、BISは自己資本比率の低い銀行が株や社債、融資などを増やすことを事実上禁止しているからだ。
唯一の例外は国債で、これは自己資本比率が低くてもいくらでも買うことが出来る。過去数年間、都銀が血眼になって国債ディーリングに賭けてきた理由はこれだ。他に買えるものがなかった以上、国債で勝負を賭けるしかなかったのだ。
だから、たとえ銀行が現金を持ちすぎて他の資産に換えたいと思ったとしても、現実的には国債しか買えない。結局、日銀が国債を買っても都銀は新発債の入札にますます気合を入れるだけで、世の中は何も変わらない、ということになる(もう少し詳しい話はコメント欄の脚注参照)。
岩田紀久男学習院大学教授は、少なくとも銀行は非金融機関から国債を買い、その分現金が経済全体にいきわたるので効果はある、と主張しているのだが、この考え方がいろんな意味で間違っていることは第5回で詳しく説明したので、ここでは繰り返さない。
付け加えると、日銀は「銀行の銀行」なので、取引相手は銀行しかいない。なので、この理屈では金融政策の効果は全て銀行経由で現れることになる。この場合、銀行が不良債権などで機能不全に陥っているのは(すぐ上の例から言っても)致命的だ。この点、Bewaad氏の「銀行の不良債権問題はインフレに出来てから解決すればよく、今は放っておいて良い」という考え方とは矛盾する考え方だと思うのだが。
日銀の当座預金残高は為替レートを動かすことが出来るか
さて、もう1つはベースマネーを増やすと円安になるという考え方について。
これは、過去のデータを統計的に処理すると(計量分析という)、日本のベースマネーを増やすと円安になるという関係が導き出された、という分析があり、それを元にしてベースマネーの一部である当座預金残高(日銀が自由にコントロールできる)を増やすと円安になる、という理屈だ。
結論から言えば、この考え方も色々な意味で間違っている。この辺りの細かい話は少しテクニカルなのでコメント欄に脚注として書いたが、分かりやすい点を1つだけ挙げておこう。
この元の分析では、日本のベースマネー(正確には、それをアメリカのベースマネーで割った比率)が1%増えると、2年以内に1~2%円安が進む(14ページ)、としている。実際はどうかというと、2002年にベースマネー(比率)は20%ほど上昇しているので、2004年には為替レートは当時の水準120-130円から145-180円くらいまで円安になっていなければいけない。
ところが実際はというと、皆さんご存知の通り為替レートはここの所ずっと110円前後で停滞したままだ。他にも言いたい事はたくさんあるのだが、それはコメント欄での脚注に譲ることにする。とりあえず、この1点でも引用された分析に説得力がない事は明らかだろう。
そもそも、当座預金残高とは銀行が何らかの支払いに備えて予備的に保有しているお金のことだ(そのため、準備預金という言い方をする場合もある)。予備のために蓄えているだけのお金がなぜ為替レートに影響を与えるというのだろうか。当座預金を増やせば円安になるという議論は、その辺りの根拠が余りにも薄弱なのだ。
銀行については、筆者とBewaad氏の意見の食い違いは銀行が経済でどのような役割を果たすかという理解に差があるせいだと書くだけにしておきたい。Bewaad氏のコメントに対する反論はおおむね既に第6回に書いてあるので、興味のある方はそちらをどうぞ。
本日のまとめ
日銀が銀行から国債を買っても、銀行が株投資などに乗り出すことはありえない。
日銀が当座預金残高を増やしても円安にならない事は既に明らかになっている。
Comments
脚注1:
厳密に言えば、BIS規制は自己資本比率がぎりぎりの銀行が外国債を自由に買うことは禁止していないので、そこから円安が進むという可能性は残る。ただし、言うまでもなく、実際は日本国債が減ったので代わりに米国債を買いましたなんてポートフォリオマネージャーがいるとは思えない。
さらに厳密に言えば、為替リスクをフルヘッジすれば米国債を買っても良いのだが、ヘッジ自体にクレジットリスクがかかること、現状の円ドルのベーシスから言ってヘッジ後の利率は日本国債の利率より低くなる事を考えると、米国債を買い増す可能性はきわめて低い。実際、日銀が国債の買いオペを増やしてから、都銀の対外証券投資が加速したという事実はない。
脚注2:
筆者は実のところ計量分析が好きではない。理由は色々あるのだが、今回のような誤解を招きやすいことも理由のひとつだ。
まず、この分析の推定期間は2001年12月までなのだが、当座預金残高が大幅に上昇を始めたのは2002年に入ってからで、それまでは当座預金段高は3兆円前後でほとんど変動がない。変動がないという事は、モデルのパラメーターに対して何の影響も与えていないということだ(差分を取っているし)。だから、この分析結果を当座預金について当てはめるのははっきり間違っている。
更に、この分析ではADFテストがちゃんと行われていない。というか、失敗したようだ。そこで別の研究者がドリフトに構造変化を仮定したらADFテストをクリアしているので、ここでもクリアしたことにする、といってスルーしているのだが、いくらなんでもこれはひどい。引用した研究と推定期間は等しいかどうかも書いていない。あいまいな結果になったのであればADFテスト以外にPhillip-Peronテストくらいは試して然るべきだし、ドリフトに構造変化を仮定するのは恣意的になりやすい以上、それについての検証も追試も無しにそのまま結果だけ輸入するというのはいい加減すぎる。
正直、役所に言われたのでやっつけでやりました感が分析からあふれているような気がするのだが。2002年10月までのデータを入手しておきながら、2001年12月までしか推定に利用していない理由をどこにも書いていないのも問題だし、なぜベースマネーが為替レートに影響を与えるのか、まともな説明を何もしていない点もまずい。正直、筆者はこの論文から全く説得力を感じない(流し読みしただけでこき下ろすのもなんだが)。
Posted by: 馬車馬 | September 02, 2004 at 02:10 AM
いつもご丁寧な対応ありがとうございます。内容については私のサイトで触れさせていただきますが、一点だけ、この2回分のカテゴリが「経済・政治・国際」に変わっておりますので、訂正いただけると幸いです。
Posted by: bewaad | September 02, 2004 at 05:16 AM
ああっ、すいません。せっかくカテゴリーを作っておきながら忘れていました・・・ご指摘ありがとうございます。今変更しました。
お忙しい時期でしょうし、コメントはごゆっくりどうぞ。私も毎週書いていると疲れますので、このネタは(笑)。
Posted by: 馬車馬 | September 03, 2004 at 12:12 AM
トラックバックがうまくいかないのでコメントに書きます。
僕はインタゲ派ですが、馬車道さんの意見に賛同する部分も多いです。まだ、全部は読んでませんが。
Posted by: night_in_tunisia | September 05, 2004 at 10:38 PM
先ほど弊サイトにコメントを掲載させていただきました。ちょっと議論の整理を試みてみたのですが、貴見の要約等に問題がございましたら、ご教示いただければ幸いです。もちろん、反論も大歓迎ですよ(笑)。
ただ、上記コメントでも触れたのですが、いろんな人に馬車馬さんと私の議論について興味を持って頂いているというのは、ありがたいことだと思います。あらためて、馬車馬さんのような方と議論ができるというのはうれしいことだと思いました。
Posted by: bewaad | September 06, 2004 at 03:21 AM
3度目となりますyohsshiです。
『デフレを払拭できないのは、日銀の国債購入額が少ないからだ』という批判が多く、これについては的外れだなあと思っておりました。日銀が国債の買入額を増加させたとしても長期金利がゼロ%に収束するだけですし、それを背景に財政政策を拡大したとしても将来その拡大財政を収束することを考慮すれば、将来時点の不安の拡大により、将来需要の先取りに止まると考えております。
株価を上げたいならば、株式市場に直接働きかけた方が良いのは確かです。その点から考えれば『日銀に株を買え』という意見の方が遥かに効果的と言えるかもしれません(笑)。一方で、厚生年金基金の解散を認め、それに伴う株式売却圧力を生み出し、その肩代わりを日銀に求めるのはまともな政策とは思えませんが、日銀はまがいなりにも株を購入する姿勢を見せました。効果があったようにも思えますが、本当に良い判断であったかどうかは疑問があります。当時の株価が売られすぎており、指標的にそれを示すことで株価を回復させるという方式であれば、自社株買の有効性の議論と同等の効果があったのかもしれません。
デフレ対策において、短期的な期待感を生み出すことが主眼になっており、長期的な期待感を生み出す効果が極めて少ないにもかかわらず、その短期的な期待感を生み出すことのみで議論がされているような気分になっております。先の日銀に国債を買えということについて言えば、日銀が買入額の増加を行ったことで、実体経済に出た好影響を評価することが不可欠と考えています。私が感ずる所では、長期金利の変動を抑える効果はあったと考えます。無駄ではなかったと思いますが、有益であるとは言い切れないと思います。有害であった点としては、生保や年金を痛めつけた所でしょうか。
例によっての乱文失礼いたします。
Posted by: yohsshi | September 06, 2004 at 11:06 AM
night in tunisiaさん、コメントありがとうございます。どうやらトラックバックも入っているようです。(トラックバックなど普段全く入らないので、コメントを頂かなければ気づかなかった恐れがあるのですが・・・)
先週BewaadさんのHPをたどって初めてnight in tunisiaさんのブログにお伺いしたのですが、恥ずかしながら、知らないところでこれほど膨大な経済関連の記事の蓄積とコミュニティの発達が進んでいるとは思いませんでした。経済ネタなんて一般受けしないネタばかり書いてるのはここだけかもと孤独を囲っていたのですが、心強い限りです。
量的緩和って、普段の利下げだって量的緩和じゃないか、というのは私もよく感じていました。いろいろな理屈はあるにせよ、大半は「金利がダメなら量で」というものすごい理屈でしたので・・・。
この辺の理屈を一から整理していくといいんでしょうが、作業量があまりに膨大そうですね・・・ここの記事も、プリントアウトしたら多分ずっしりとした重さが感じられるくらいの規模にまでなってしまっていますし(長すぎてすいません・・・)。
今後ともよろしくお願いします。一般の経済学徒同様、私も数学にコンプレックスを持っている者ですので、night in tunisiaさんのページは今後も興味深く拝見させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
Posted by: 馬車馬 | September 06, 2004 at 09:22 PM
Bewaadさん、迅速なご対応ありがとうございます。
目標としては次の次くらいの記事で答えさせていただく予定です。論点整理については、鹿座さん・Bewaadさんのコメントと過去のやり取りをもう一度見比べて考えてみることにします。
こちらこそ、Bewaadさんの丁寧なご対応なしにはこれほどの議論は出来なかったと思います。それに、私の記事はBewaadさんのこれまでの議論の蓄積に依るところも大ですし、今回金融政策を色々と考えておられる方々のブログを知ることが出来たのもBewaadさんのページを介してですので、その点も含め改めて御礼申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by: 馬車馬 | September 06, 2004 at 09:34 PM
Yohssiさん、コメントありがとうございます。
経済に流動性を供給する手段は国債購入に限られないので、株を買うというのはひとつの方法であろうと思います。ただし、審査能力のない日銀が十分な規模で実行できることとは思えませんが・・・。まだ政策投資銀行あたりのほうがいいかもしれませんね。
それから、低金利政策で生保や年金が痛めつけられたというのは、事実かもしれませんが、全く同情する気にはなれません。彼らのポートフォリオマネージメントが涙が出るくらいにへぼかっただけのことですから。むしろ泣きたいのは彼らにお金を預けている我々です・・・。
Posted by: 馬車馬 | September 07, 2004 at 08:44 PM