金融政策論議の不思議(12) 財政政策の必要性
バーナンキの背理法総まとめ:誤解の源はどこか?
ものすごく大雑把に整理するなら、現在行うべき経済政策については2つの主張がある。ひとつは、巨額の財政赤字(等)を問題にして金融政策主体でいくべきだ、とする議論と、もうひとつはゼロ金利では金融政策は無効なので財政政策主体で行くべきだ、とする議論だ。Bewaad氏は大まかには前者で、筆者は大まかには後者(どちらかというと真ん中に近い)の立場を取る。
で、このふたつの議論の真ん中あたりに「財政政策と金融政策両方を行わないとダメだ」という主張があり、それがいわゆる「バーナンキの背理法」と呼ばれる考え方だと思っていただいて差し支えない。
バーナンキの背理法の詳しい説明は第4回を参照していただきたいのだが、要するに「日銀が国債を買って(これは政府の借金をチャラにすることと同じ)、その分政府が減税を行えば必ずインフレになる」という考え方だ。第4回以降筆者が繰り返し指摘してきたのは、この考え方がどこかで勘違いされてしまい、「日銀が国債を買うだけでインフレになる」という主張にすりかわってしまったということだ。
匿名掲示板辺りではこれが錦の御旗のような扱いで、「金融政策に効果はないのではないか」という議論に対し「この背理法がある以上、金融政策が経済にどのように効果をもたらすかは議論する必要がない」という暴論まで出る始末で、おいおい何を言っているんだと思っていたのだが、今回のBewaad氏のコメントを読んで少し納得できたことがある。
いわゆる量的緩和派の方々がこの「背理法」を持ち出してきたのは、「金融政策には効果がない」という議論を論破するためであったそうだ。ここからは筆者の想像だが、多分最初にこれが使ったのはもともと財政政策にも積極的な人で、「財政政策だけで景気は回復する、金融政策は不要」といっている人を論破するためだったのではないだろうか。それならば矛盾はほとんどない。
ところが、おそらくこの論戦が行われた場所は匿名掲示板であって、匿名掲示板では個々のコメントを書いた人がどんなバックグラウンドを持っているのかが良く分からない。財政政策支持なのか、それとも反対なのか、そういった重要な周辺情報は全て切り捨てられて、ただコメントの上っ面だけが参加者に示される。そこで、財政政策に消極的な人もバーナンキの背理法を使ってもいいのだという錯覚が生まれてしまったのではないだろうか。
なにしろ、この背理法自体は非常にシンプルで説得力があるので、ついつい安易に使ってしまいたくなる。それで上に紹介したような「暴論」が出てくることになるのだろう。そのあたりの危うさはもうここ数回のBewaad氏との議論の中で繰り返し出てきた話なので、もう繰り返さないが。
まとめると、財政中立または財政政策消極派の方々はバーナンキの背理法で自分の議論を補強してはならない。今回のBewaad氏のコメントのように、円安政策などの別の理屈をもってこなければならないのだ(その辺りの議論は次回)。
財政政策ってそんなにダメなのか?
さて、ここまで読んでくださった方の中には、「そこまで財政政策に対してネガティブにならないといけない理由は何?」と思った方もいらっしゃるかもしれない。筆者もそう思っていたのだが、今回Bewaad氏がひとつの答えを下さった。
要するに、財政政策を使うと国民の中で資源配分と所得の配分にゆがみが出るからだめた、ということだ。資源配分というのはわかりづらいかもしれないが、石油その他の原材料や、お金、人材まで、生産のために必要なものは全て資源だ。例えば、公共投資を増やすと資源(この場合はお金)は建設業にだけ集中的に配分されることになる。これがどんなゆがみを日本経済にもたらしたかは新聞などで散々書かれていることなので、もう繰り返さない。
だが、実のところ、あらゆる経済政策は資源配分にゆがみをもたらす。例えば、円安政策を取れば輸出業者は潤うが、輸入業者と消費者は損をする。インフレになれば、借金を抱えている人は得をするが預金者は損をする。ゆがみを作らずに世の中を変えることなど不可能なのだ。
それに比べれば、財政政策はまだましだ。少なくとも、どのようなゆがみを作るかを政府がある程度コントロールすることが出来る。金持ちに恩恵を与えたければ所得税の税率を下げればいいし、税金を払っていない低所得層に恩恵を配分したいなら悪名高い地域振興券を復活させればいい。企業を重視するなら法人税を下げればよい。設備投資を刺激したいのなら投資促進税制を敷けば良い。
財政政策が経済にゆがみを生むというのは全く正しいが、それは財政政策が経済に対して影響力を持っているということの裏返しなのだ。ろくなゆがみすら作れていない日銀の現状に比べれば、政府財務省の置かれた状況ははるかに良好だ。
その辺りを考えると、この期に及んで財政政策に消極的(中立を含む)な方々の考え方はやはりよくわからないのだ。
本日のまとめ
匿名掲示板の議論は発言者のバックグラウンドが分からないので誤解を生みやすい。
財政政策に消極的な人(積極的でない人)は、バーナンキの背理法を使って自分の理屈を補強することはできない。
あらゆる経済政策は経済にゆがみを作る。それを恐れていてはどんな経済政策も実行できない。
Comments
2回目となります、yohsshiです。
自分が何派なのかということを考えてみましたが、財政拡大派でもリフレ派でもないようです。一番ぴったりきたのは“あきらめ派”という答えに行き当たりました。デフレを解消できるような妙案はなく、日銀や政府は下手なことをせず、デフレが自然と解消されることを待つことが最も良いのではないかと本気で思っておりました。最近、デフレ解消に接近したことは、『政府が当てにできない』ということが民間の自助努力を促したことが理由であり、日銀の金融政策や政府の政策の結果ではないと考えています。
さて、財政政策についてですが、公共投資を拡大することの効果はないと考えています。経済回復を意図するならば、波及効果の大きい大都市圏に投入されるべきなのですが、公平性の原則から波及効果がほとんどない地方に意味のない施設を作ることになるからです。財政政策について、効果を期待するならば減税となるのですが、財政赤字が拡大した後の減税は将来の増税を懸念するため、消費を拡大することには至らないと考えます。強いてこの点で政策を構築するというならば、現状の支出を効率化して、効率化できた部分を減税するということとなり、財政拡大を伴うものではありません。
デフレ払拭の方策は、『生産性の向上による基礎成長率の上昇』に主眼を置いて行うことと考えています。国全体が効率性及び合理性を追求することこそが最も重要だと考えており、その妨げとなるものを排除することだけが政治や中央銀行の仕事だと思っております。
Posted by: yohsshi | August 29, 2004 at 06:03 PM
Yohsshiさん、コメントありがとうございます。
いわゆる夜警国家論ですね。それもひとつの方法だと思うのですが、実のところ生産性の向上にはそれなりの投資が必要であり、そのための資金をどう調達するかで銀行の問題やデフレの問題が出てきてしまうので、結局生産性の向上の妨げを排除するためにもデフレをなんとかしなきゃいけないんじゃないかな、というのが私の考えです。
それから、財政政策に効果がないとのお話ですが、波及効果がゼロであっても(財政乗数が1であっても)効果はあります(また、都市部の公共投資は用地取得にお金がかかりすぎる分だけ、波及効果が小さくなる恐れもあります)。
減税の効果は難しいですね。財政の中立命題がどれだけ効くかは私には正直良く分かりません。まぁ、念のために減税分日銀が国債を買っておけば、将来の増税懸念も消滅するので問題ないんじゃないかなぁ、とは思っているのですが・・・
ただ、財政支出をカットしてその分減税、というのはまずいですね。確実に総需要が減少します。不景気の際に取るべき政策ではありません。そのあたりは財政構造改革として好景気の時にじっくり取り組むべき課題だと思います。
Posted by: 馬車馬 | September 01, 2004 at 12:19 AM
楽しく勉強させていただいています。よく分からないところがあったのと、追加の論点を思いつきました。確認&指摘をさせてください。
まず、国債を買っておけば増税懸念がなくなるかもしれないとの点です。bewaad氏も、国債を買ってもち続ければ、借金をチャラにできるという主旨の書き込みをされていますね。しかし、マネーは政府部門にとっての負債です。結局、無税国家はありえませんから、インフレ税で払うというだけの話です。まさにバーナンキの背理法ですね。無から有を作り出すことはできません。政府が支出した分は、何らかの形で支払わなければならないわけです。このように考えると、bewaad氏の、増税懸念がなくなり消費が増えるという論法は(あえていえば中立命題で応えた馬車馬さんも)、すこしずれているように感じたのですが、どうでしょうか?
ちなみに、期待インフレによって、現時点の消費が増えるのは、異時点間の消費・貯蓄の配分が変わるからですよね。
次に、「財政乗数が1であっても」ということですが、中立命題が成り立つ場合はもちろんゼロになります。馬車馬さんが、財政政策の効果がポジティブと考える(中立命題が成り立たないと考える)理由はなにでしょうか。
家計が賢くないか(非合理な家計の存在)、流動性制約家計が存在しているか、のどちらかが私の思いつく範囲です。ただ、異時点間の予算制約が成り立たないように行動すると現時点の物価が上がるとする、バーナンキの背理法は、合理的な家計を前提としています(非合理な家計の場合、現時点の物価が上がるというのはないでしょう)。馬車馬さんは、バーナンキの背理法を擁護しておられますので、流動性制約家計の存在が、やはりキーということでしょうか。他に何か、理由がありえるでしょうか。
さらに、bewaad氏のポートフォリオリバランス効果の説明についてです。どうやら説明を読む限り、各資産について分離可能な効用関数を想定しておられるようです。これは正しい説明なのでしょうか。私は説明としては無理があるのではないかと思いました。
最後に、お二人の論点についてです。
将来へのコミットメントでインフレは起こせるか、起こせないか?そして金融政策単独か、財政政策併用か?というのが基本的な論点でした。しかし陸を行くときは甲、海ならば乙というように、両者は状況によって使い分けるものかもしれません。もう少し、状況に関する意見交換があってもよいかと思いました。
以下、私なりの整理をしてみました。
まず、出発点は、やはりクルーグマンになると思います。クルーグマンの最大の仮定は、一時的に、自然利子率がマイナスになっているところです。あくまでも、マイナスの自然利子率は一時的なものなので、将来、プラスに戻ります。クルーグマンの提案は、将来、自然利子率がプラスに戻り、インフレが上がりはじめても、金融を引き締めないとコミットすることで、期待インフレを引き上げ、異時点間の貯蓄・消費アロケーションを変更(現在の消費・生産が増加)するというものです。
このメカニズムの下では、将来時点で、中央銀行は金利コントロールを回復します。そのため、できもしないことにコミットしても誰も信じないという反論は、当てはまりません。つまり、クルーグマン・ワールドでは、コミットメントでインフレが起こせます。一方で、バーナンキの背理法を持ち出す必要はありません。というか関係ないというべきでしょう。bewaad氏は、すくなくとも当初は、この世界をベースとして考えておられたようにお見受けしました。
一方、馬車馬さんは、不良債権がボトルネックとなっているため、不良債権処理を行わない限り、自動的にインフレがあがり始めることはないという立場をとっておられます。
さて、馬車馬さんのメカニズムが正しいとしてみましょう。
現時点では、不良債権処理がかなり進んでいます。この延長線上で、政府が不良債権処理を進め、処理終了以後も金融緩和を継続するとコミットすれば、どうでしょうか。これならば、馬車馬・ワールドでも、クルーグマン提言と同じロジックで、現時点の期待インフレを引き上げ、デフレから脱出できるということにならないでしょうか。不良債権処理終了後は、インフレがあがるはずということでしたので、できもしないことにコミットできないとの反論は成り立ちません。要約すれば、不良債権があったとしても、金融政策単独で、インフレを起こすことができます。一方、バーナンキの背理法が示すような政策は必要ないように思います。
やや強引にまとめてしまうと、そもそも、ゼロ金利はせいぜい端点解に過ぎないとお考えになっているお二方の議論は、マクロ経済学的な意味では、あまり差がないようにおもうのですが、どうでしょうか。
その一方で、より深刻な問題なのは、コミットメントでインフレを起こすことができず、バーナンキの背理法的な意味で、財政支出が必要となるケースがありえるか?ということだと思います。
このようなケースの一例は、デフレが安定的な均衡となっているケースだと考えます。デフレが安定的な均衡になってしまっている場合には、将来、自動的にインフレがあがり始めることはありません。そのため、馬車馬さんが強調しておられたように、将来にコミットしても意味がありません。もちろん不良債権処理をしても関係ありません。バーナンキの背理法的な政策が用いられるのはこのときになるとおもいます。
はたして日本経済は、安定的なデフレ均衡にあるのでしょうか、それとも単なる端点解なのでしょうか?あるいは、これ以外の例で、将来インフレが自然にあがる希望がないケースがありえるでしょうか?
これらの点について、議論する必要があるのではないでしょうか。いや、もちろん、今すぐここでというわけではないですけど。
Posted by: 鹿座 | September 02, 2004 at 12:03 AM
鹿座さん、コメントありがとうございます(お名前から察するに、お久しぶりです、ですよね?)
いやもうおっしゃるとおりです。そもそも私が財政政策の必要性を書いたのはマネーを供給するためであって、増税懸念云々という話ではありませんでした。なんだか論点にひきづられてずれてしまったようです。
それから、中立命題については、正直申し上げてあまりちゃんと考えていませんでした(だから本文中でも議論から逃げ回っていたのですが)。
強いてアイデアを挙げれば、infinitely-lived agentの仮定が正しくない、という点でしょうか。実際は皆60歳くらいで納税をやめてしまうので、それ以後の増税を気にする必要はありません(消費税なら別ですが)。
建設国債は60年かけて償還することが基本となっていますから、大雑把には今の財政赤字はこれから60年かけて増税で対処されることになります。しかし全ての国民は40年しか納税しないので、財政赤字の3分の1については気にしないと考えれば、中立命題は66%しか成立しない、ということになります。
さらに、実際は定年前に死んでしまうリスクもあるわけで、その辺りをリスクプレミアムとして主観的割引率に加えると、割引率は70歳くらいまでに指数級数的に増加(多分)すると考えることも出来そうです。
更に今すぐ増税が行われるわけではないことなども考慮すれば、中立命題は3割(calibrationしたわけではないのでわかりませんが・・・)くらいしか効かない、という考えも成り立つかなぁと思ったのですがどうでしょうか。
一方目先10年程度の期待インフレ率を考えるバーナンキの背理法その他にはfinitely-lived agentの仮定は特に影響を与えないのではないか、と。単なる思いつきなので、間違ってる可能性も大ですが・・・。
それから、ポートフォリオ・リバランスについて。鹿座さんのご指摘の方がエレガントですね。本文では勢いで書いてしまったのですが、そういう書き方のほうが良かったかもしれません。結局、ポートフォリオ全体のリターンとリスクは、各資産の期待収益率、ボラティリティ、そして各資産の価格変動の相関という3つの要素で(大まかには)決まってきますから、各資産の効用(現金も含めて考える以上、流動性プレミアム調整後の収益率と考えるべきでしょうか)は分離不可能、ということでしょうか。
論点の話は明日改めて。
それにしても、鹿座さんのように俯瞰からコメントを下さる方は大変ありがたいです。今後ともよろしくお願いします。
Posted by: 馬車馬 | September 03, 2004 at 12:05 AM
早速、コメントありがとうございました。
私のコメントのうち、論点については、まとめ方が強引でしたね。すこし補足させてください。
馬車馬さんのおっしゃっているのは、
1、不良債権は放置しておいても処理が進まない
2、不良債権を放置したままでは、将来になってもインフレがあがらない
よって、処理をしないと、デフレが安定的な状態。
ということでしたね。こういう想定の下であれば、将来になってもインフレがあがってくることはないので、コミットメントには意味はありません。バーナンキの意味での財政政策が必要となります。
政府が不良債権処理を促している現状を踏まえると、両氏の乖離は、以前ほどには大きくないといったあたりが適切でしょうか。失礼しました。
さて、中立命題のほうですが、確かにOLG+利己的な主体という説明がありましたね。実は、流動性制約家計による説明も、理論的には問題ありません。ただ、この説明には、よく指摘される反例(のようなもの)があるので、理由として何か別のアイディアをお持ちかなと思い、お聞きしたしだいです。
最後に、コメントの中で「インフレがあがり、異時点間の消費貯蓄の配分が変わる」ということを書きました。「インフレがあがり、実質金利が下がるので、異時点間の労働・余暇の配分が変わる」というほうに、変更させてください。これまた失礼しました。
引き続き、よろしくお願いします。
Posted by: 鹿座 | September 03, 2004 at 09:39 AM
ごめんなさい、コメントが遅れました。
数ヶ月前に流し読みしたクルーグマンのペーパーをもう一度見直してからコメントしようとしたら時間がかかってしまいました。
不良債権問題を忘れて、インフレ時の金融政策が有効だと考える場合には、クルーグマン提言に沿って、将来のインフレにコミットすることで現在の期待インフレ率を引き上げることが出来るはずだ、とのご指摘ですが、2点ほど疑問がありますのでちょっと見ていただけますか?
1つは、ちょっと私の理解が足らないのかもしれませんが、「将来、自然利子率がプラスに戻り、インフレが上がりはじめても、金融を引き締めないとコミットすることで」というくだりなのですが、これってクルーグマンの議論でしょうか?クルーグマンの2期間モデル(2期目は均衡値)では、インフレになるのは自然利子率がプラスになるからではなく、むしろ自然利子率がマイナスだからこそインフレが必要になる(物価の下方硬直性がなければ、当期の物価水準が低下して来期へのインフレが確保される)という議論であったと思うのですが。
その後自然利子率がプラスに転じるかどうかは議論の対象外のように見えました。
もう1つは、おそらく鹿座さんもとうにご承知のことかとは思うのですが、将来の金融政策にどうコミットするのかという問題です。基本的には民間部門には将来の日銀の行動を制約する手段(punishment)がありませんから、日銀がモラルハザードを起こす(前言を撤回して金融引き締めに転換する)可能性が消える事はないわけで。この意味で、政策手段の担保とは別のコミットメント問題が残るように思われます。
インフレで確実に政府が得をするように政府の効用関数が出来ていて(民間部門にもそれが見えていて)、かつ日銀に対する罰則規定があれば解決可能かもしれませんが・・・
特に、クルーグマンの議論では単に将来のマネーサプライを増加させるのではなく、均衡マネーサプライを増加させなければなりません。結構コミットメントの難しい問題だと思います。
今ひとつクルーグマン提言に納得がいかないのは、このコミットメントの問題の他にもあるような気がするのですが、ちょっと考えがまとまりません。宿題にさせてください。
それから、恥ずかしながら流動性制約家計による説明に一般的な反例があったことは知りませんでした・・・よろしければ大略(または、そのペーパー)を教えていただけませんか?
それと、デフレが安定的な均衡となっているケースについてですが、クルーグマンのモデルでは、将来の均衡生産水準y*が決まっているので、デフレを何年も続けて行けばいつか必ず当期のPがP*に比べて十分に低下する日がくるような気がします。デフレが均衡解となるような経済状態とはどのようなものでしょうね・・・(クルーグマンのモデルを少しいじらないといけない気がします。)
物価に完全な下方硬直性が存在し、かつP*に影響を与える方法がない場合、「ずっとインフレ率ゼロ」という解は存在しそうな気がしますが・・・(いや、その時は生産が発散する?)
もう少し考えて見ます。
それにしても、鹿座さんのコメントを読んでいると自分の理解のいい加減さがわかります(特にマクロの)。もう一度RBCあたりも勉強し直さないといけませんね。
鹿座さんの論点整理は本当にありがたいものでした。近いうちにこの整理に基づいてひとつ記事を書きたいと思います(でも、どうやって分かりやすくしましょう・・・)。
Posted by: 馬車馬 | September 05, 2004 at 04:22 AM
あ、イマイチこのクルーグマンの議論が気に入らない理由に思い当たりました。クルーグマンは当期のマネーサプライMは当期の物価Pを上昇させる事は出来ないが、均衡値M*は均衡物価P*を上昇させることが出来るとしています。その理由は、均衡解では自然利子率を達成するのに十分なインフレ率を実現できているからです。
しかし、そのインフレ率を実現できるのはP*が上昇したからで、この均衡は循環(自己撞着)しています。もちろん、経済学の均衡概念とはそういうものだ、ということで納得すべきところなのかもしれませんが、直感的な分かりづらさはこのあたりにあるのかな、と思いました。多分このモデルだと均衡への収束経路が示せないのでは・・・?間違っているでしょうか?
追記: 前のコメントで書き忘れたのですが、鹿座さんの論点整理(クルーグマン提言の理解も含め)は大枠おっしゃるとおりだと思います。ちょっと細部でひっかかっているだけで。
Posted by: 馬車馬 | September 05, 2004 at 04:47 AM
1、クルーグマンの説明
将来時点で、自然利子率がプラスに戻ったとき、名目金利のゼロ制約はもはやbindingではなくなります。つまり将来時点では、中央銀行は、操作変数であるMをcontrolして、P*を決めることができます(ゼロ制約がbinding になっているときは、Mを増やしてもPを変化させることができない、いわゆる流動性の罠)。2期目のM*,P*というのは、中央銀行が均衡で選択した値で、自然利子率がpositiveに戻ったことが、仮定されています(explicitに仮定していたと思いますが、もしかするとimplicitにしか書いてないのかもしれません。だいぶ昔に読んだので、記憶が不確かですみません)。
2期目のM*を増やしてP*を上昇させることができれば、1期目のインフレ率を上げることができます。これがクルーグマンのロジックのはずです。
前のコメントの中では、少しあいまいで、かえって混乱を招いてしまったようです。失礼しました。
2、コミットメントの話。
馬車馬さんが心配されている、コミットメントが問題になるのは(dynamic inconsistencyなのは)、事後的に見て、事前的政策が中央銀行のインセンティブと整合的でない(incentive compatibleでない)場合です。クルーグマンのケースで、中央銀行に、引き締めるインセンティブがあるでしょうか?
通常、金融政策分析のときに想定されるような独占的競争の下では、生産量は過小なので、生産量を増加させることで、経済厚生は改善します。中央銀行が社会全体の経済厚生を最大化するように行動しているとすれば、金融緩和はインセンティブと整合的(incentive compatible)で、問題にならないかもしれません。通常、dynamic inconsistencyが問題になるのも、このケースとは逆で、引き締めるといっておきながら、翻すケースですよね。
仮にincentive compatibleでなかったとしても、例えば、罰則付きのインフレターゲットを導入することで、クレディブルなコミットメントにはなります、理論的には、ですが。
もしかすると、馬車馬さんの懸念はこういうことでなく、クルーグマンモデルの単純な想定に関するものなのでしょうか。一例を挙げれば、クルーグマンワールドでは、物価は瞬間的にジャンプしますが、現実には、物価水準だけでなく、インフレ率にも慣性があることが知られています(原因はまだ完全には説明されていません)。こうした現実のもとで、将来の物価水準が上がった場合、現時点のインフレがどうあがっていくのかは、よく分かりません。しばらくはインフレが上がっていかないということも十分ありえるでしょう。
クルーグマン流のインフレターゲットは、中央銀行が無責任な政策運営に「コミット」すること、バーナンキ流の財政・金融政策は、政府と中央銀行が、無責任な政策運営を「実行する」ことです。前者は将来にコミットしなければならない一方、後者は現時点ですぐに実行でき、コミットメントの問題がないこと、さらに、前者は不確実なことが多い(現在の経済学のマネタリーな側面はまだまだ不完全なので)一方、後者は確実にインフレを起こすことができるという点が特徴だと思います。
3、中立命題の説明
80年代と比べ90年代では、財政政策の効果が低下しているように見える一方で、流動性制約家計の数は増えているように見えるので、流動性制約家計による説明は十分ではないのではないか、というやつです。反例「のようなもの」、ですね。ローカルな話題なので、日本人以外に言っても、あまり相手にされないかもしれません。
4、デフレが安定的な均衡となっているケース
クルーグマンモデルでは、自然利子率が一時的にネガティブとなっているものの、将来にはそこから抜け出すことになっているところがポイントだと思います。実際、永遠にネガティブな自然利子率というのはばかげています。あくまで、クルーグマンは、一時的な落ち込みをどうやって緩和するかという点に、意識を集中させているわけですよね。そのため、安定的な均衡について考えるとき、クルーグマンの設定の下で考えるのは、あまり適切でないのかもしれません。
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ちょっと気になったところがあったので、書き始めたコメントが、思いのほか長くなり、長居までしてしまいました。お二人の論戦を盛り上げるはずが、水を差してしまったのではと心配しています。とりあえず、一読者に戻ります。有益な議論が進むことを楽しみにいたしております。
Posted by: 鹿座 | September 06, 2004 at 01:45 AM
上のコメントの訂正
(誤)操作変数であるM -> (正)操作変数であるMの増分
Posted by: 鹿座 | September 06, 2004 at 03:48 AM
bewaadさんの論点整理に明らかなとおり、bewaadさんは、流動性の罠ではないとお考えなのですよね。そうなると、以前、私が投稿した論点整理は、bewaadさん=クルーグマンvs馬車馬さんという観点からのまとめとなっており、適切ではありませんでした。
たしかに、ポートフォリオリバランス効果を主張をしておられ、現時点での金融政策が有効とお考えになっていることは、明らかでしたのに、どういうわけか、違った思い込みをしてしまっていました。私の早合点でした。大変失礼いたしました。
Posted by: 鹿座 | September 06, 2004 at 01:14 PM
1.
それでしたら私の理解と変わらないですね。安心しました。
2.
おっしゃるとおり、日銀の「裏切り」にはペナルティで対処できますね。もっと考えてから書くべきでした。
蛇足ですが、このターゲットがincentive compatibleかどうかは結局日銀のloss functionの形状に決定的に依存してしまいますよね。どうも私はあの効用単位でのペナルティという考え方が好きになれません。GDPと物価に対して連続な、というより微分可能なペナルティなんてこの世に存在しないだろうと思ってしまいます。今回ここまで論点を広げるつもりはないのですが、そもそも私がインフレターゲットという議論それ自体を好きになれないのはこれが理由です。
3.4.についても了解しました。ありがとうございます。
とりあえず今回のBewaadさんとの議論に関わりなく、一度クルーグマンの議論に戻ろうという鹿座さんの提案は大変ありがたいものでした。自分が大局観を失っていたことに気がつきました。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by: 馬車馬 | September 07, 2004 at 08:29 PM