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金融政策論議の不思議(10) Comments and Answers

とうとう第10回となったこのシリーズ、今回は第1回のお勧めリンク先で取り上げたBewaad氏から頂いたコメントに応える形で、量的緩和政策の論点を掘り下げてみたい。

そんなわけで、まだBewaad氏のコメントを読んでおられない読者の方は、まずこちらのページで氏のコメントを読んでいただくと話に入りやすいと思う。ただし、Bewaad氏のコメントはこのホームページの説明よりも少しテクニカルなので、専門用語等が分からなかった方は特に気になさる必要はない。こちらのページで必要に応じて解説を加えているので。

実はBewaad氏から頂いたコメントは敬体で書かれているので、本来はこちらも敬体で書くのが礼儀だろう。だが、試しに敬体で書いてみたらどうもしっくりこなかった(シリーズの途中で敬体に切り替わるのも変だし)ので、こちらのページでは敢えて常体で書くことにした。Bewaad氏のHPから来られた方は違和感を持たれるかもしれないが、ご了承いただきたい。

さて、Bewaad氏から頂いたコメントは5点。そのうち1点目と5点目は比較的オーバーラップしていて、日銀は現状の経済情勢を変える力があるのかどうかということだ。それ以外の3点は各論で、1つは日銀が国債を買い続ければデフレから脱却できるのかどうかという第45回の論点、2つ目が銀行の不良債権問題は金融政策を考える上で重要かどうかという第6回の論点、3つ目がインフレターゲット(第7回)となっている。

そこで、まず3つの各論についてまず考えた後、ある意味この議論の本丸である日銀は何をすべきか、何ができるのかというBewaad氏の5点目のコメントについてかんがえることにしよう。

1. 「バーナンキの背理法」について:日銀が国債をプライマリーマーケットで買うかセカンダリーマーケットで買うかは問題ではないのではないか

のっけから専門用語炸裂でのけぞった方がいるかもしれないが、プライマリーマーケットとは卸売市場のことだ。漁師さんが釣ってきたマグロはまず専門業者だけが参加できる卸売市場で競り落とされ、その後切り身になって魚屋に並ぶ。国債も同じことで、政府が個人投資家一人一人に直接国債を売りさばこうとしても手間がかかってしょうがないので、まず専門業者である銀行や証券会社にセリをさせて(入札)、その後でこれらの金融機関が個人投資家や非金融法人に売って歩くわけだ。この魚屋に並ぶ段階の事をセカンダリーマーケットと呼んでいる。まぁ、以下の議論ではこの区別は重要ではないので、ぴんと来なかったら読み飛ばしていただきたい。

さて、Bewaad氏のおっしゃるとおり、日銀が国債を卸売市場で買ってこようが、小売店(魚屋)から買ってこようが、国債は国債なので、本質的には何の差も無い。問題なのは、そもそもバーナンキの背理法は国債を買うだけの政策ではないという点だ。

(このあたりの議論は第4回のマネーの需要と供給の議論をもう一度思い出していただきたい。日銀が国債を買うことでマネーを供給しようとしても、それに見合うだけのマネーへの需要が無ければ意味が無い。だからこそ、普通の金融緩和は利下げをしてマネーへの需要を刺激するのだ。ところが今はゼロ金利。長期金利ですら景気の谷では0.5%になってしまう。利下げでマネーへの需要を刺激することはできないのだ。)

バーナンキ教授は単に国債を買えば良いと言っているのではない。バーナンキの背理法とは「日銀が国債を買い続けてもインフレにならないとしたら、無税で国家が運営できてしまうはずだ。それはありえないので、かならずインフレは起こる」というものだ(そうだ)。つまり、日銀が国債を買って財政赤字を肩代わりし、その分のお金で政府が減税を行えばインフレになるよ、と言っているのだ。これは財政政策と金融政策を同時に実行せよ、という主張なのだ。

ところが、いわゆる量的緩和論者の方々に特徴的な論法は、「財政赤字が巨額なので財政政策はダメ、円安政策も政治的に難しいからここは金融政策でひとつよろしく」というものだ。前に紹介した岩田規久男教授のコメントでも、財政拡大に対してかなり消極的な姿勢が見て取れるし、Bewaad氏も財政支出はこれ以上拡大すべきではない、と書いておられるので、量的緩和派の方々に一般的な主張ではないかと思う。

ただ、この論調では「日銀が国債を買うのと同時に政府は減税(別に公共投資でも良い)をすべし」というバーナンキ教授の主張とは噛み合わない。財政政策に消極的な人がバーナンキの背理法を使うのは矛盾なのだ

「でももう政府は30兆円以上の財政赤字を毎年出してるんだから、財政拡大はしたんじゃないの?」という疑問を持つ方もおられるかもしれない。ただ、これは正しくない。例え財政拡大を過去にしていようが、今現在デフレなのだから、今これから財政を拡大しなければ意味が無いのだ。数年前に日銀は国債の買いきりオペ額を年額2.4兆円から9.6兆円に引き上げた。このとき、政府は歩調をあわせて7兆円規模の減税か、公共投資を行うべきだったのだ。それをしなかった以上、金融政策の効果がなかったのは当然の結果だった。

ただし、このやり方は財政赤字が出た分はお札を大量に刷ってごまかしちゃえ、という財政規律という観点から言うと大変みっともない(おまけにハイパーインフレを引き起こす可能性がある)政策なので、政府や財務省、日銀がこのやり方にあまり積極的ではない。そこで海外の著名な経済学者の多く?は「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ」と言ってこれを非難したわけだ。ただし、この件でより強く非難されるべきなのは日銀ではなく、政府・財務省の方だろう。やるべきことをやっていないのは彼らの方なのだから。

#なお、このバーナンキの背理法の動学的解釈について通りすがりさんが色々とコメントを下さっている。ちょっとテクニカルなので本文では取り上げなかったが、興味のある方は第4回のコメント欄をご覧いただきたい。


2. 銀行の貸出が伸びないのは不良債権が原因ではなく、デフレのせいだ。だから、不良債権を減らしても問題の解決にならない。

「銀行の貸出が伸びないのは不良債権以外に主因がある」という主張は筆者もある程度正しいと思う。本来、インフレ率がマイナスになるとお金を借りている企業の収益率もマイナスになってくる(もちろん、調子のいい会社はそれでもプラスの収益を出すだろうが)。だから銀行はこれらの企業にはマイナスの金利で貸し出したい。そうでないと収益率がマイナスになっている企業(要するに赤字企業)はお金を借りてくれないからだ。

そして、マイナスの金利で貸すためには銀行がマイナス金利で預金を集めてこなければならない。ところがこれが難しい。我々預金者は「金利がマイナスになるなら全額現金で資産を保有するよ」と脅すので、銀行はマイナス金利で資金を調達できず、結果としてマイナス金利でお金を貸し出すことも出来ないのだ(本当は、物価も下がっているのだから、預金者はマイナスの預金金利を受け入れてもいいはずなのだ。物価が5%下がっていれば、預金が5%目減りしても全く同じ量の買い物ができるはずなのだから)。そうすると多くの企業はお金を借りられなくなるので、銀行の貸出は落ち込む。

つまり、銀行の貸出の減少は不良債権のせいとは限らないのだ。むしろ、インフレ率がマイナスになっていることが、貸出減少の主な原因である可能性は結構高い(このあたりは第6回を参照していただきたい)。

ただ実のところ、銀行貸出の不振の主な原因が不良債権であるかないかは問題の本質ではない。問題なのは、他の全ての問題が解決しても不良債権がある限り銀行貸出は伸びない、そして銀行貸出が伸びない限り金融政策の効果は非常に小さくなる、ということなのだ。この状況下では、「いくら財政支出と国債の買いオペやって一時的に景気が良くなったとしても、銀行がダメなんだからどうせ俺たち資金を借りられないじゃん」とみんなが認識してしまう。いくら日銀が必死に笛を吹いても、肝心の民間部門が踊らなければ骨折り損だ。だから、不良債権の処理はBewaad氏の主張を完全に受け入れてもなおデフレ脱出に不可欠の政策なのだ。

なお蛇足だが、Bewaad氏は「リスクに見合うだけのリターンが確保できないから貸出しが伸びないのであって、不良債権があるから貸出しが伸びていないわけでは」と書いておられるが、実はこれも不良債権のせいである可能性が高い。第6回でも書いたが、不良債権のせいで銀行はちょっと貸出先が倒産するだけで自分も破綻する可能性がある。だから、貸出先のリスクに自分が共倒れに破綻するリスクも乗っけてリターンを要求する。この要求リターンがえらく高くなるのは当然のことなのだ。

それよりも問題なのは、「本当に不良債権処理を行えば銀行は復活するのか?」ということだろう。都銀で働いておられる方々の能力の高さは筆者も良く分かっているので、大丈夫と信じたいのだが、もし問題の根本が例えば不動産担保に頼り切って企業の審査能力を磨いてこなかったことにあるとしたら、不良債権処理だけでは問題は解決しない。場合によっては外資に叩き売ることも視野に入れなければならなくなってしまう。政治的にも面倒が多そうなので、できれば自力でなんとかしていただきたいのだが。


3. インフレターゲットは中央銀行がインフレ率を完全にコントロールできなくても実行可能

経済学を学ぶ意味:麻雀と経済学」でも書いたのだが、あらゆる理論には誤差が伴う。だから、机上の理論を実行に移すときには、その誤差も考慮に入れて政策を練らなければならない。Bewaad氏が指摘した「インフレ率を完全にコントロールできない」という話はまさにこの現実と理論の誤差の話だ。

ただ、筆者が第7回で書いたのは、机上の理論の段階で日銀はインフレ率をコントロールできない、ということだ。しかも「誤差が出ますよ」というかわいいレベルではなく、ほとんどコントロールできない。インフレにするための政策について全く決定権を持っていないのだから(持っているのは政府と財務省)。

これ以降はBewaad氏の5点目のコメントと絡むのだが、Bewaad氏は日銀自身がデフレをインフレに変える力がある事を認めている、ということを上の段落に対する反論として指摘されている。ただ、日銀自身のコメントだけではやはり根拠としては弱い。日銀は例え嘘でも自分の力を誇示して市場に対するなけなしの影響力を確保する義務があるのだから(もしマスコミに対して自分の無力さを主張してぐだぐだ言い訳したら、筆者はそのプロ意識の欠如を思いっきり罵倒するだろう)。

実際にどういう政策を日銀はカードとして持ち、どのような効果があるのか、それをはっきりと示すことが出来ない限り、周りはだれも日銀の影響力を信じない。だから日銀が目標インフレ率を公表しても、だれもその通りに動かない。これを「日銀がインフレターゲットにコミットできない」状態と呼ぶ(日銀が約束を守ると周りに信じさせることが出来ない状態)。コミットできなければ、インフレターゲットは完全に無効になる。これは誤差の問題とは全く違う話なのだ(ちなみに、日銀は金融引き締めはいつでもできるので、デフレにコミットする事はいくらでもできる。ただし、デフレにコミットできる事とインフレにコミットできる事はまったく別の問題だ)。

だからこそ、筆者は「インフレターゲットをやるなら財政政策か為替政策のどちらかを日銀に移管しろ」と書いたわけだ。これは日銀がターゲットにコミットするためにどうしても必要なものなのだ。バーナンキの背理法では日銀のコミットメントを保証できない。政府がいつ財政引締めに転じるか分からないし、第一今の小泉内閣は財政拡大をする気がまったく無いのだから。

結局、論点はどこにあるのか

やはりこうして書いてみると、Bewaad氏と筆者の決定的な違いは日銀が単独でインフレを起こす能力を持っているかどうかにあるようだ。この違いがインフレターゲットに日銀がコミットできるかどうかの立場の違いを生んでいるわけなのだから(正確には、筆者はたとえ日銀がインフレターゲットにコミットできたとしてもインフレターゲットは不要だと考えているのだが。そのあたりは第7回参照。)。

そのあたりが今後の議論の進めどころではないかと思うのだがどうだろうか。もし他の読者の方も「いや、論点はそれだけじゃないでしょ」というアイデアがおありであればコメント欄で教えていただきたい。

本日のまとめ

バーナンキの背理法は財政拡大論者しか使うことが出来ない=バーナンキの背理法は日銀が独力でインフレを起こせる事を意味しない。

不良債権問題が銀行貸出低下の主因でなくても、不良債権を処理しない限りデフレからは脱却できない(=不良債権を処理しない限り、日銀はインフレにコミットできない)。

日銀がインフレにコミットできない限り、インフレターゲットは無意味。

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Comments

Bewaadさん、議論の骨子と関係が無い小ネタを追加しておきます。

頂いたコメントの中で銀行はしこたま国債を買って時々リスキーだと騒いで売りに走る、とありましたが、騒いでいるのはマスコミです。ぶっちゃけ国債ディーリングはギャンブルですし、ある意味大手投資家による寡占市場なので、相場の動きはミクロな要素で結構決まります(どこそこが売り始めた、とか)。ただマスコミにはそこまでの動きは見えないので、財政赤字のリスクがどうたらとか適当なマクロの理由を後付けするわけです。まぁ、いい加減なものですから、マスコミは(それ以上を期待するのは無理だと分かっているんですが)。

それと、銀行への検査ってそんなに不公平なんでしょうかね?UFJいじめとかも随分叩かれましたけど、5年も前からもう手遅れと言われていた日商岩井を後生大事に抱えた挙句未だに合併させて何とかしようとしていたり、あそこは突っ込みどころが多すぎです。住友だったらとっくに売れる部署だけ切り売りして整理していたのではないでしょうか。最近のニュースでも東京三菱が双日の評価額についてUFJよりもかなり厳しい数字を出してもめたと出てましたし。

三和ってどうもおっとりしてるんですよね、行風が。関西系なのに・・・個人的に好感を持てる方が多かったんですが、やっぱり金融屋には貸出先を容赦なく潰して骨までしゃぶるようなノリは必要だと思います。

Posted by: 馬車馬 | July 31, 2004 at 10:38 AM

ご無沙汰しておりますが、当方のコメントがまとまりましたのでお知らせさせていただきます。よろしくご高覧下さい。
http://bewaad.com/archives/themebased/2004/comedycommons.html#Aug0804

ちなみに検査の話ですが、地銀以下がゆるいのは明らかなダブルスタンダードだと思いますし、UFJにしても、報道で知る限りではありますが、前回検査でOKしたものについて、前回OKしたことは今回OKの証拠にはならないと言って銀行の査定を引っくり返したといった話を聞くと、不良債権認定をするのであれば挙証責任は銀行ではなく当局側にあるはずなのに(特にメガについては実質的に各決算ごとに検査をしているわけですから)、と思ってあのようなテキストを書きました。東京三菱の話は、両行の審査基準の違いはあるとは思いますが、彼らはデューデリを厳しくすれば安く買えるという状態にあるわけですから・・・。

Posted by: bewaad | August 09, 2004 at 01:05 AM

ありがとうございます。また1週間くらいで改めてコメントさせていただきたいと思います。

ダブルスタンダードの件ですが、うーん、不公平なのでしょうか。そもそもToo Big To Failという原則自体がダブルスタンダードなので、それにのっとった政策が都銀と地銀で変わってくるのはしょうがないのかな、と。

スタンダードの朝令暮改も、あまりほめられた話だとは思いませんが、全都銀に同じ基準を適用していれば問題ないのでは。大体、お役所のスタンダードに合わせるために汲々としている段階でリスク管理としてはアウトだと思うんですが。(金融庁の要求水準がそれほど厳しいとは個人的には思いません。まぁ、私は既に証券業界を離れているので、最近の感覚はわかりませんが)

結果的に、ダイエーやら大京やら日商岩井やら、明らかにダメっぽい企業を一番抱えていたのはUFJですし、日商岩井も5年前、まだあまり人材が逃げてなかった頃に儲かる部署をさっさと切り売りしておけばずっとマシだったはずです。ですから都銀が「不公平だ!」とか叫んでも、「責任転嫁する前に自分の仕事をせえや」と思ってしまうわけです。

Posted by: 馬車馬 | August 09, 2004 at 10:10 PM

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