夏への扉 ひとつでも信じてることさえあれば

人の世の不可思議について、徒然なるままに綴るブログ。

千の風になって

2009-11-13 | 日記
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています







この歌の作者はしばらくの間、わかりませんでした。
後にアメリカに住むユダヤ人の主婦が創ったことが判明しました。

大切な人を亡くし、お墓の前で悲嘆にくれる様子を見て、亡き人の魂が、
「自分は、お墓の中になんか閉じ込められていない。こうして自由に大空を舞って、あなたを包む微風になっているのですよ」と言っています。

空からいつもあなたを見守っているのだから、悲しみにくれるのはもうやめてくださいね。

魂が永遠であること知れば、悲しみが意味のないことであるとあなたにもわかるでしょう。

このユダヤ人の主婦は、きっと最愛のご主人を亡くされたのでしょう。
そして、草原にひっそり佇む亡き人のお墓の前で、「私を包むこの微風は、きっとあの人に違いない」と感じたのでしょう。


人の死に直面したときは、悲しみの渕に立たされ、どうしていいのかわからなくなるものです。
きっと、この主婦は、人の死は次の世界への旅立ちなのだから、そのまま受け入れよう。悲しむことなどない。と自分に言い聞かせてこの歌を創ったのではないだろうか、そう考えてしまうのです。

この歌は、とても霊的な歌です。
「悲しんでいるだけでは、大切な人に対して誠実とはいえない。旅立ったあの人の自由を喜び、自分も力強く立ち上がろう」と言っているような気がしてなりません。
そこにあるのは「旅立った人への深い思いやり」しかありません。
「先立ったあのひとなら、きっと私が、こう言うのを待っているでしょう。
『この世に残された私のほうも、元気です。だから、あなたも自由な風になって、大空を舞ってくださいね』と」。

思いっきり、労わりに満ちた感情であふれている歌です。
ただ、たゆたうように墓標のある丘の上で、風に身を任せる。
この後ろ姿は、人の見せる姿の中でいちばん美しい姿なのかもしれません。

このブログのタイトル 「夏への扉」(山下達郎 ハイライン)の歌と同様、忘れられない歌になりそうな気がします。


【追記】
「千の風になって」の作者については、以下のサイトに詳しく載っていました。
Long Tail World 「千の風になって」原作者の話

そこからの一部抜粋です。

「『千の風になって』は米バルティモアの主婦メアリー・E.・フライヤーさんが1932年、ドイツ系ユダヤ人マーガレット・シュワルツコフさん=写真=のために書いた詩、という説が最も有力だ。

マーガレットさんはメアリーさん夫妻と同居していた親友の若い女性。祖国で母が危篤と分かってもドイツは反ユダヤ運動の最中で帰れず、死に目に会えなかった。一緒に買出しのあと「私はお母さんの墓前に立って、さよならを言うこともできない」と泣くマーガレットさんを気の毒に思ったメアリーさんが、彼女が2 階に塞ぎ込んでる間に台所のテーブルで茶色い紙袋を破って一気に書き上げたのが、あの詩だ」。




ヤダヤ人のマーガレットさんを慰めるために作った歌だったようです。
これほどの深い愛情といたわり、それに希望さえも込めた歌をほぼ即興で作ったといいます。私は、この歌詞は天啓に似たものだと思います。
人の死の姿というものが、こうであればどれだけの人が救われることでしょう。

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