法科大学院(ロースクール)という学校をご存じでしょうか?弁護士や裁判官,検察官になるためには司法試験という国家試験に合格しなければならないのですが,2006年からスタートした新しい司法試験制度では,この法科大学院を卒業していなければそもそも受験することが出来ません。したがって,法科大学院で学ぶ学生さん達は,法律家の卵の卵として日々,法律の難しい本を読んだり,裁判所の判例について議論をしたりして法律の仕組みとその役割について学んでいます。
それだけでは,ありません。法科大学院の学生さん達は,実際に事件の当事者から話を聞いたり,一緒に考えたり,当事者の思いを書面にしたりという作業をとおして,法律家としての実務についても学んでいます。
私も昨年から母校である神奈川大学ロースクールで外国籍市民を対象とした法律相談を担当させていただいているのですが,これも法科大学がおこなっている実務教育の一環です。ここでは,相談者(外国籍市民)に対して,弁護士,大学院の教授(信愛塾ではおなじみの阿部教授)それにロースクールの学生さん達が加わって無料の法律相談を実施しています。
ロースクールで市民向けの法律相談は,多くのロースクールで実施しているので決して珍しいことではないのですが,神奈川大学ロースクールの法律相談が特徴的なのは,対象が外国籍市民にも開かれていること,そして,弁護士と大学院の2者だけではなく,NPOもこの法律相談に参加して,3者が協力しあって外国籍市民が抱える法律問題の解決に当たるということです。
そして,このNPOこそ,私たち信愛塾なのです。
この特徴的で新しい取り組みは各方面から好評を得ています。
外国籍市民の法律問題と言うとその最たるところは在留資格に関する問題です。在留資格に関する法律問題はもちろん,弁護士の仕事です。弁護士は実際に入管と交渉をし,手続を行い,裁判が出来ます。大学院の教授は先進的で説得的な理論を提供することに長けています。しかしながら,地域社会に定着して生活し,子どもを地域の学校に通わせている非正規滞在の家族にとっては,弁護士に手続きを依頼するだけでは日々の生活の中で生じるさまざまな問題は解決できません。日々の生活や学校教育の悩みに寄り添い,地域社会の中でどのように生活を維持していくのかを考え,実践していくことについては信愛塾の経験と熱意に勝るものはありません。
しかも,このような3者の取り組みは,相談者にとってだけメリットがあるのではありません。何よりも現在ロースクールで学ぶ学生たち,新しい世代の人たちが外国籍市民の法律問題に触れ,興味と関心を持ってくれることに大きな価値があります。
この特徴的で新しい取り組みが始まってまだ1年が経ったところですが,今後はこの三者が作る三角形の一辺を広げ,より大きな三角形を作ることが次の私の目標となっています。 |
Peace Road〜日本軍「慰安婦」に向き合うワークショップ〜見学記 近藤 和枝
ピースロードは、「ナヌムの家」主催で毎年2月と8月に行われている、学生及び若者対象のワークショップです。日本軍「慰安婦」歴史館見学、被害女性の証言、ハルモニたちとの交流、フィールドワーク等で「慰安婦」問題を学び、意見交流を通して考えを深めたりお互いを理解し合ったりすることを目的としています。
今年は日本と韓国両方で活動すると聞いて、日本での4日間を見学させて貰いました。
以下、アジュンマ(おばさん)の見学記です。
8月5日(木)
参加者及びスタッフ27名が早稲田奉仕園に集合。参加した人の国や身の上は韓国、日本、沖縄、インドネシア、学生、在日韓国人、留学生、会社員、、、と多岐にわたった。
オリエンテーションの後、「女性たちの戦争と平和資料館(WAM)」を見学。ここは日本軍「慰安婦」問題を解決するため、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた資料館であり、「慰安婦」問題の記憶と活動の拠点でもある。入り口には各国から名乗り出た被害女性たちの顔写真が壁一杯に張られている。もちろんこれで全てではない。顔を出していない人、名乗り出ることさえできない人、できないまま無念の思いで亡くなった人々が大
勢いる。戦後65年という歳月を刻んだ顔がずらりと並んで、見る者に迫ってくる。
中に入ると展示パネルがあり、図書・ビデオベースで学習もできる。WAMのAはアクティブを意味し、今もなお積極的な活動を続けている。その一例が『中学生のための「慰安婦」パネル展』だ。これは冊子にもなっている。「慰安婦」の言葉が教科書から消えても歴史事実は消えない。被害と加害の事実を知り、考えていくことが真の解決につながるのではないか。
この後は元日本軍人の講演予定だったが、体調不良とのことでかなわず、講演ビデオを見る。加害側も高齢化しているのだ。問題をきちんと受け継いでいかなければならない。
8月6日(金)
千葉県館山市にある長期婦人保護療養施設「かにた婦人の村」訪問。「売春防止法」成立後、何らかの障碍で社会復帰が困難な女性たちの保護施設として設けられた。私たちのような見学を受け入れ、行事公開や市民企画参加等の交流も盛んに行っているそうだ。
海の見える小高い丘に到着。敷地内ですれ違う人たちが「こんにちは」と声をかけてくる。日差しはとても暑いが心に爽やかな風が吹く。ここでは規則を最小限に抑え、個性・主体性を大切にする方針で、例えば10カ所ある仕事場の好きな所で働くそうだ。一堂に会して取った昼食は、農園で栽培した新鮮な野菜がたっぷりと入ったカレーだった。食後に「アリラン」「許すまじ原爆」をともに歌い、職員の作ったという「やすらぎのいえ」を聞かせて貰う。「見えるもの聞こえるものみんな私の安らぎ、誰もがみんな幸せでいて欲しい、悲しみも苦しさも分かち合える人になりたい、愛され愛するならば何かができる」困難を生き抜いてきた方、戦争と平和(奇しくも広島原爆投下の日だった。)、今なお苦しむ人々、、色々な想いが交錯した。自分の無力感を感じながらも、穏やかな気持ちになり励まされたひとときだった。
入居者の一人であった城田すず子さんは、日本人「慰安婦」として台湾や太平洋諸島の慰安所で生活した。同僚の「慰安婦」たちの悲鳴が夢に出てきてうなされた城田さんは、被害を受けたかつての仲間たちの霊を慰めるための碑の建立を望み、鎮魂碑が建立された。毎年8月に鎮魂祭が行われている。碑には“噫従軍慰安婦”と刻まれている。「ああ、、と言ったきり、心の中の重い物を表現できないという想い」や「日本がきちんと詫びるべきなのになされていない。ごめんなさいという謝罪の意味」があるそうだ。
別れの際、何人もの人が手を握り「また来てくださいね」と言う。ナヌムの家のハルモニたちと同じだ。社交辞令ではなく、ふれ合いを求めている気持ちが伝わってきた。
8月7日(土)
長野県松代市で松代大本営跡地見学。太平洋戦争末期、軍部は政府中枢、大本営、天皇御座所をここに移すために地下軍事施設を作った。現在地下壕の一部が公開されている。
象山地下壕入り口の横に「もうひとつの歴史館・松代」展示室がある。松代大本営工事や工事にかかわって設けられた「慰安所」に関する資料が展示されている。
ヘルメットを被って地下壕に入る。一歩足を踏み入れるとひんやりとしている。当時植民地下の朝鮮の人々が労働者として強制的に動員され、過酷で危険な労働に従事させられたという事実にも肌寒さを感じるのだろうか。幅4m、高さ2、7m、長さ100mの壕が20m間隔で掘られ、それぞれは連絡抗で繋がれている。岩に突き刺さったままの掘削棒が岩盤の強固さを証明している。「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会の方の説明では1日3交代徹夜で工事が進められたとのこと。発破や落盤、栄養失調等で多くの犠牲者が出たが、人数は不正確、氏名は未だにほとんど不明だそうだ。奥に進むにつれて気分が悪くなっていく。敗戦濃厚の中約9ヶ月、終戦の日まで続けられた工事のむなしさを思うと、犠牲になった人々の命がつくづく惜しい。怒りでむかつく。
午後は@戦争と天皇コースA松代の「慰安所」コースに分かれてのフィールドワークがあり、私はAコースに参加した。建設実行委員会の案内で「慰安所」のあった場所周辺を歩き、説明を聞く。宿舎があったという辺りには畑が広がり、その向こうには低い山並みが見える。のどかな田園風景だ。しかしここで密かに工事が行われ、多くの人が犠牲になったのだ。地元の人も立ち退きや動員を強制されたという。
関係者の証言によると、二十歳前後の女性が4名連れてこられ、工事を指揮する人々への性的サービスを強要されたという。強制的に日本に連れてこられた人もいたそうだ。戦後は母国へ引き上げたらしいがその後の消息は知れないとのことだ。ハルモニたちの証言を思い出す。ご存命でも身体や心に残る痛みは消えていないかもしれない。「慰安所」として使われた民家が分かったとき保存運動をしたが、諸事情により解体されたとのこと。建設実行委員会は、この建物を“歴史の証言者”として復元すべく解体木材を保存し、賛同者の支援を求めているそうだ。
8月8日(日)
日本での活動最終日。午前に映画『在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい オレの心は負けてない』を鑑賞。中国へ連れて行かれて「慰安婦」被害を受け、戦後日本に渡った宋神道さんは日本政府相手に裁判を起こした。その裁判闘争の記録である。
午後は、裁判闘争を支えてきた梁澄子さんの話を聞く。1992年の出会いから今に至るまでの宋神道さんを巡る話だ。「宋神道さんに代わることはできない。宋神道さんが変わってきた過程を見てきた。」「被害体験を吐露し、受け入れられ、被害体験を社会化することで被害者は回復していく。」という言葉が心に残った。
8月9日(月)
ここからは韓国での活動です。内容を紹介します。
・ナヌムの家到着・ハルモニに挨拶・ナヌムの家所長の話を聞く・夕食後討論
8月10日(火)
日本軍「慰安婦」歴史館見学。ハルモニとの交流。ハルモニ証言。討論。
8月11日(水)
・ミッションT・U グループごとに関連団体訪問
・日本大使館前で行われる世界同時水曜集会に参加 ・ミッションの報告会準備
8月12日(木)
・ミッション報告会・市議会議員の話・ハルモニとの交流・全体討議・焼き肉パーティ
8月13日(金)
・感想会・ハルモニたちへ挨拶・解散
韓国語・日本語通訳を通して、全員が学習に参加し理解できるように配慮されていました。そして、どの学習でも活発な質問がなされ、講師側も熱心に応えて、時間不足になるほどでした。私は夜の意見交流には参加していませんが、若者たちが感じたことをお互いに伝え合いこれからを見据えるよい機会になっただろうと思いました。実際後で聞いたところによると、非常に活発だったそうです。毎回テーマを決め、様々な角度から議論できるように構成していたスタッフの努力も見逃せません。
日本軍「慰安婦」歴史館研究員の村山一兵さん、インターンの古橋綾さんを中心に、時間をかけて準備をしてきたのです。本当にお疲れ様でした。
最後に、昨年ナヌムの家を訪問した韓国の高校生の感想を紹介します。
“教科書で最初「慰安婦」の存在を知ったとき強い衝撃を受けました。日帝強占期に日本軍の横暴がとても酷かったことは知っていましたが、ハルモニたちの話を聞いて本当に腹が立ちました。その上、謝罪どころか事実を認めようとしない日本の態度に憤りを覚えました。毎週水曜日定期的に活動しておられるハルモニたちの姿を見ながら、自分ができることを考えてみました。でも、まだ子どもである私にできるのはせいぜい一生懸命に勉強することだけです。これから一生懸命勉強してハルモニたちのお手伝いをしますね。”
日本の高校生も事実を学習すれば、きっと何か感じるでしょう。そしてお互いの感じることをぶつけ合えば「何故こんなことが起きたのか」「何ができるか」をともに考えることができるでしょう。ピースロードはまさにその出会いの場を作っているのです。「参加して悩みが深くなるという参加者もいますが、ともに悩める仲間を得たことが大きな力になるのではと思います。」と村山さんは言っています。次回は2011年2月に開催予定です。