【コラム】岩波書店『世界』に寄稿した元国家情報院長

 岩波書店の月刊誌『世界』は、かつて韓国への持ち込みが禁止されていた。当時は、この雑誌に連載されていた「韓国からの通信」をこっそり読んでようやく、いわゆる「意識ある大学生」と認められた。「TK生」という匿名の筆者が「タンクの無限軌道の音が聞こえる場所で書いている」と主張した「通信」は、新軍部の登場により韓国メディアが沈黙を強要されている時代にあって、情報を得る貴重な手段と受け止められた。その当時大学生だった記者も「通信」を読むため日本語の勉強を始めたほどだった。あの時代に大学へ通った、現在40-50代の韓国人なら、当人は「通信」の存在を知らなかったとしても、ある程度の影響を受けていたとみていい。

 ところが、この雑誌を見れば見るほど、おかしな気がした。『世界』という雑誌は、韓国軍事政権の人権じゅうりんの実相や民主化運動を日本や世界に知らせる「窓」の役割を果たすと聞いていたのに、それとは違う記事が非常に多かった。誰でも、その雑誌に書いてあったことを今また読み返せばすぐに分かる。一言で言うと、当時韓国国内に流れていたデマの震源地だった。

 『世界』に登場する韓国は、一つの巨大な「収容所群島」だった。いかに権威主義政権時代だったとしても、これは、誇張を通り越して歪曲(わいきょく)だ。その一方で1950年代以来、『世界』にとって北朝鮮は、正義のある、活力みなぎる「地上の楽園」だった。この雑誌は、西側メディアと接触しなかった金日成(キム・イルソン)主席とのインタビューを10回以上も掲載し、確認されていない北朝鮮の発展の模様を忠実に報道した。北朝鮮の千里馬運動については、生産を増加させるための運動と評価したが、韓国のセマウル運動は、朴正煕(パク・チョンヒ)体制延命のための大衆動員の手段だとこき下ろした。まさに北朝鮮の宣伝物も同然だった。

 大韓航空機爆破事件捏造(ねつぞう)説、1987年大統領選挙コンピューター操作説などの途方もないデマも、『世界』が書き、それがすぐさま韓国に輸入され、反対と抵抗の武器として活用された。韓国を見る『世界』の視点が、韓国の主体思想派・従北左派らに及ぼした影響は否定できない。

 筆者が東京特派員だった03年、東京の書店の一角で『世界』が目に留まり、気になって何部売れているか調べてみたところ、1万部程度ということだった。日本の政治で社会党など左派勢力が力を失い、それとともに没落の道を歩んでいたちょうどそのとき、北朝鮮による日本人拉致問題という超大型の「津波」が起こり、飲み込まれたというわけだ。日本社会に反北朝鮮の雰囲気が広まる中、『世界』や、同誌によく寄稿していた和田春樹氏のような反韓国系知識人は「国賊」「売国奴」に転落した。

 このような雑誌に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代に国家情報院長を務めた金万福(キム・マンボク)氏が寄稿した。内容は、北朝鮮による延坪島砲撃は、李明博(イ・ミョンバク)政権が招いたことというもの。金氏の主張に対しては、評価したいとも思わない。むしろ、いかに盧武鉉政権時代とはいえ、対北最前線を監視するポストにあった人物が、どうして北朝鮮の宣伝物といえるような雑誌に自分の名前を載せようという気になったのかというところに驚く。そのおかげで、有名無実の親北反韓雑誌は「韓国の元国家情報院長」という肩書を利用して商売をしている。

鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)社会部次長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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