バクテリオファージ


人類が宇宙の隅々まで足を伸ばせるほどに科学が発達した時代。
それは人類に無限の可能性を開かせるようになった反面、それまで想定もしていなかったような事態とも遭遇する可能性をもってしまった。
幸いなことに、これまで人類の直接の脅威となることは勃発してはいない。
いや、過去には何度かそのような事が起こりかけたことはあったが、それが脅威となる前に抑えることが出来た。
全く人類の英知の及ばないところへ進出しようとしているのだ。慎重に、慎重に事を進めていくことは当然であり、その結果がそれまで恐るべき結果を防いでいるといえよう。

とはいえ
これまでが大丈夫だった。からといって、これから先も大丈夫だと誰が言えるのか。





「うわっ!!」
ブリッジ全体を震わす大きな揺れに、辺境警備艇の艇長であるのケイトは小さな悲鳴を上げた。
ブリッジを派手に明滅させる赤ランプと耳をつんざく警告音。
それはこの警備艇が並々ならぬ状況にあることを意味している。
今日の任務は小惑星帯のパトロールだ。確かに小さな岩塊がうようよしているものの、定められたパトロール区域の危険な岩塊は大体事前に除去されており、パトロール艇を大きく揺らすようなものは存在しないはずだ。
正直、退屈な任務だとケイトは出発前に欠伸を噛み殺しながら思っていたが、もはや退屈だとか言っていられる状況ではない。
「小麦!被害状況は?!」
ケイトは隣にいるオペレーターの小麦に問い掛けた。
「…第二エンジンの出力低下。推進剤も漏れているみたいです!」
「エネルギー回路に異常発生!うわ、エアも漏れてるわ!」
色々なやばい警告表示がガンガン鳴り響く状況にコパイ(副操縦士)のユリカの顔も真っ青になっている。
決して想定していない事態ではないのだが、実際に起こってしまうと気ばかりが焦ってしまうものだ。
「第二エンジン緊急停止!このままじゃ推進剤に引火して爆発する!!」
「爆発の危険あり!エンジン止めます!」
ケイトの切羽詰った声と小麦の目にもとまらない指捌きでエンジン停止のコードを打ったのはほぼ同時だった。
その結果、それまでコックピットを照らしていた赤ランプは次第に収まっていき、うるさい警告音も鳴り止んだ。
「反応炉停止……ふぅ。間に合ったぁ…」
エンジンの爆発の危険が収まったことに、ケイトは肩で大きく溜息をついた。
「まさかこんなトラブルに見舞われるなんて…ついてないなぁ…」
「あら、さっきまで暇さえあれば『退屈だぁ』って呟いていた口は誰のものだったかしら?」
「…う。退屈なのは嫌だけれど、こんなことで暇がなくなるのも嫌よ…」
ケイトもユリカも軽口を叩けるくらいまで心の余裕を取り戻していた。予期せぬトラブルとはいえ、これくらいの危機回避マニュアルは頭の中に叩き込まれている。早々うろたえたりはしない。
「もっと時間を有意義に使えるような、そんな暇の潰し方をね…」
「じゃあ、暇つぶしのためににエンジンの修理に行って来なさい。実に建設的な時間の潰し方よ」
エンジンの修理と聞いてケイトは露骨に嫌な顔をしたが、確かに故障した箇所を直さないと航行もままならない。
「少しは自分も手を動かせっつぅの……ぶつぶつ…」
ケイトはぶつくさ言いながらも船外作業服が仕舞ってある更衣室に向おうとした、まさにその時

『ビーッ!!ビーッ!!』

再びブリッジの警報音がけたたましく鳴り出した。

「 「!!」」

それまで軽口を叩いて二人はギョッと飛びはね再びディスプレイへ目を向けた。
「侵入者です!今の被害箇所に人間大の生命反応が一つ!」
「「し、侵入者?!」」
小麦の切羽詰った声にケイトとユリカも一気に緊張の色が走った。
確かに線画で表示された警備艇の第二エンジン付近に生命反応を現す光点と『unknown』と表示されている。
それはすなわち、この警備艇に何者かが侵入したことを意味しているからだ。
「なにそれ?!じゃあさっきの振動は誰かが乗り込んできたって事?!」
ケイトも事の重大さに真っ青になった。
別に宇宙には聖人君子しかいないということはない。普通に犯罪者も跋扈していたりするのだ。
宇宙海賊、テロリスト、追い剥ぎ、当り屋、暴走族…
そんな輩を排除して惑星間の航行の安全を確保するのがケイトたちの任務なのだが、それだけに犯罪者から狙われることも決して少なくはない。
過去にもパトロール中にそういった犯罪者に襲撃されて命を落とした先輩や同僚、後輩もいる。
一気に並々ならない緊張感に包まれたブリッジの中で、小麦は侵入者がいると思しきあたりの監視カメラの映像を映し出した。
取り合えず、一体侵入したのが何者かということを確かめなければならない。
ところが
「え……映らない?!」
メインモニターに出すカメラというカメラ全てが猛烈なサンドストームしか出さず、なんの映像も寄越してこなかった。
「なんで?一つなら分かるけど全部映らないなんて、そんなことが……!」
「てことは…、入り込んできたのはプロかもしれないってこと…?!」
ケイトは侵入者が監視カメラを短時間で全て潰してしまった恐るべき相手が乗り込んできたということを言いたかったようで、自分で言いながら腰がガクガクと震え始めていた。
ケイトも護身術にはそれなりの自信があるものの、そんなプロと相対することを想定したことはない。ユリカもケイトと身体能力はどっこいどっこいだ。
小麦に至っては管制能力を買われてこの警備艇に配備されたので生身の戦闘能力は皆無である。
ブリッジには一応銃火器があるが、はたしてこれで対抗できる相手なのか大いに不安がある。
だが、このままにしておくわけにはいかない。
「………いくよ、ユリカ」
覚悟を決めたユリカは拳銃を握り締めて立ち上がり、ユリカもこくりと頷くと足元からライフル銃を取り出して立ち上がった。
「待ってください。侵入者はまだ動いていません。何か意図があるのかも…」
「そんなことを気にしていてもしょうがない。何が何でも、この船から排除しないと……」
「小麦、ここで侵入者の動きを見張って、何か動きがあったらすぐに知らせるのよ。いいわね」
二人は小麦の制止を無視し、侵入者を排除するためにブリッジから出て行った。

結果、この判断が取り返しのつかない結果を生むことになってしまうのだが。





途中で更衣室により船外活動服を着込んだ二人は、エンジンルームへ入る扉の前に辿り付いた。
「この奥ね……。小麦、反応は?」
『…まだ動いていません。エンジンルーム内をうろうろしています』
ユリカのヘルメットのバイザーに、小麦から送られてきたエンジンルーム内の情報が映し出される。
そこには、この扉の奥にあるエンジンルームから一歩も動いていない生命反応がはっきりと映し出されていた。
動いていないのならこのまま閉じ込めておく、という手段が考えられなくもないのだが、このままではエンジンの修理が出来ず自分たちもここから動くことが出来ない。
となると、どっちみちこの侵入者をどうにかしなければならない。
「……行くよ、ユリカ」
「わかったわ…」
ケイトは拳銃を、ユリカはライフルを構えると扉の電子ロックを外し、一気に中へと押し入った。
二人とも鈍く光る銃口を前方に構え、侵入者を牽制しようとした。が
「動くな!!おとなしくしろ………」
「……ぇ?」
啖呵を切ったケイトの声が途中でかすれるように消え、ユリカの顔がまるで時間が止まったかのように硬直する。
二人の前に現れた侵入者。それは

『………………』

それは人間ではなかった。というか生物なのかも疑わしい。
背丈は180センチはあろうかというそこそこの巨躯。
水晶のような六角錐の胴体は中心に赤く光る核を持ち、半透明の乳白色の外殻は鈍く光りながらふらふらと左右に揺れ、胴体下には6〜7本はある細長い触手が伸び、それを蜘蛛の足のように動かして移動をしている。
表面からは粘液がぷつぷつと噴き出して糸を引き、床に不快な筋を引いていた。
見ただけで生理的嫌悪感を催すそれは、どう見てもまっとうな生き物ではなかった。
「なに、こいつ……」
あまりにも非現実的な光景に、ケイトもユリカも謎の生物を呆けたように眺めていた。
ので、その生物がスッと体を縮こませたことに対する反応も遅れてしまった。
「………ハッ!」
くっと体を縮めた怪生物は、まるでばねのようにびょいんと跳ねると二人に向って触手をいっぱいに広げながら突っ込んできた。
それはまったくの不意をついた形になり、二人は構えた銃を撃つことも出来ないまま襲い掛かる怪生物を呆然と見つめていた。
そのまま怪生物はケイトの脇を飛びぬけ…

「キャアァッ!」

ユリカに体いっぱいにぶつかり、そのままユリカを押し倒してしまった。
「ユリカ!!」
ユリカの悲鳴でやっと我に返ったケイトはユリカが吹き飛んでしまった先へと振り返る。
怪生物はユリカの上へと圧し掛かり、触手でユリカを拘束したままぐねり、ぐねりと体全体を捩っている。
胴体の輝きが下へ、下へと流れるようになっており、まるで押し潰したユリカに何かを注ぎ込んでいるようにも見える。
一方ユリカのほうは怪生物に潰されて身動きが取れないのか、僅かに見える手足がピクピクと痙攣しているのが見えるだけで全く抵抗する意思を見せていない。
「ユリカ!大丈夫か?!ユリカァ!!」
「………」
ケイトが大声で喚いてもユリカは反応するそぶりを見せない。その余裕すらないのだろうか。それとも、反応する意識すらもうないのか。
「この化け物ぉ!ユリカから離れろ!!」
このままではユリカの死命に関わる!そう判断したケイトは後先考えずに手に持った拳銃をぶっ放した。
ケイトの拳銃から放たれた数条の光線は怪生物に吸い込まれ、光線は怪生物の胴体をバシュッという音と共に貫通した。
『ギィィィ―――――ッ!』
どうやら痛覚があったのか、怪生物はユリカからバッと離れると熱さと痛みであたりをドタバタとのたうち始めた。
「き…効いた…?!」
まさか小口径のレーザー拳銃でここまでのダメージを与えられるとは思わなかったケイトは事の成り行きをしばし呆気にとられて見ていたが、そうと知ったら容赦する必要はない。
幸い怪生物はユリカからも離れたので、ユリカに流れ弾が当る心配もない。
「死ねぇぇっ!!」
ケイトは拳銃のエネルギーが切れてしまうくらいにトリガーを引きまくり、断末魔の踊りを踊っていた怪生物は胴体を蜂の巣にされドロドロと体液を撒き散らしながらばったりと崩れ落ちてしまった。
怪生物はその後も少しの間触手を弱々しく動かしていたものの、やがてぱたりと触手が床に落ち動かなくなるとそのままぐずぐずに溶け崩れ、跡形もなく蒸発してしまった。
「な、なんだったの……この化け物……」
すでに僅かな汁しか残していない怪生物の残骸を、ケイトは青ざめた顔で見つめていた。
はたしてこれは現実の出来事だったのか。今まで見ていたものは幻覚で、本当は何も存在していなかったのではないだろうか。
だって、あの化け物はもう影も形もないではないか。
まるで悪い夢でも見ていたのではないのかと、ケイトは思ったりもした。
が、破られている船体と倒れているユリカが、これが現実だったことを思い出させてくれる。
そう、倒れているユリカが……

「ユリカ!」

そうだった。ユリカは化け物に圧し掛かられていたんだ!
怪生物へのインパクトですっかりユリカのことを忘れていたケイトは、拳銃を放り捨てると倒れているユリカのもとへと飛んでいった。
「ユリカ……っ!」
倒れたままのユリカを抱き起こそうとしてケイトは絶句した。
ユリカのヘルメットのバイザーは怪生物の重さでか粉々に割られて素肌が露出しており、ぽかんと開いた口には怪生物の体液なのか真っ白い液体がこびり付いている。
吐息はハッハッと細かく忙しなく、薄く開いた目は白目を剥いており、意識はどうやらないようだ。
「…やばい!」
かなり危険な状態だとケイトは直感し、ユリカを抱え上げるとそのままエンジンルームを飛び出した。
「小麦!医務室の医療キットの準備を!急いで!!」
『わ、わかりました!!』
「しっかりしてね、ユリカ!」
背中に背負ったユリカはぐったりとし、ケイトの呼びかけにも当然反応は示さない。
そのままケイトはユリカを医務室へと運び込み、船外作業服を剥ぎ取ると顔にへばりついた汚れを落として寝巻きへと着替えさせ、その体を小麦が用意しておいたスキャン装置にかけた。
もしなにか変なものを飲まされたり、内臓に大きな傷を負わされていたりしたらこんな船の設備では対処しきれない。
一刻も早く基地に戻って本格的な治療を与えなければならない。
「………」
スキャンの結果が出るのまでの数分を、ケイトはまるで何時間も待たされているような苛立ちの中で過ごし、『異常なし』の結果が出た時には安堵からへなへなと腰が崩れ落ちてしまった。
「よ、よかったぁ……」
安心しきったケイトの頬を感極まったからか涙が零れ落ち、小麦もメガネをかけなおしながら安堵の溜息をついた。
「これで一安心……、ですけど、あの化け物のことは報告しなければいけませんね」
「そうね…。私はとりあえずエンジンを修理するから、レポートをまとめるのは小麦に任すわ。
宇宙空間を生身で平気な生物なんて、今まで聞いたこともないもんな」
「私もです。出来ればこの目で見てみたかったなぁ…なんて」
小麦の眼鏡の奥の目が少々危険な光を放っている。どうやら危機が去ったことでいらぬ好奇心が沸いてきたようだ。
「バカ言ってるんじゃない!じゃあレポートとユリカの看病を頼む。早くエンジンを直さないといけないからさ」
ケイトは窘めるように小麦を掌で軽く小突くと、そのまま手を軽く振り医務室から出て行った。
残された小麦は少々むくれたものの、気を取り直して医務室の机に向い、レポートの用意をしだした。
「まったく、いつまでも子ども扱いなんだから……。ほんの冗談……でもないですけれどね…」
かたかたとキーボードを叩き、今回の顛末を書き始めた小麦。
その後ろで、昏睡しているはずのユリカの目が突然パチッと見開かれた。
「………」
無表情のまま上体を起こすユリカ。
その瞳は、先ほどの怪生物と同じ赤色に輝いていた。
「あっユリカさん、目が醒めたん……」
背後に人の動く気配を感じて小麦は振り返り…
「きゃ…!」
そのままユリカに押し倒されてしまった…



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