ウィキペディア「村方千之」2011年1月23日(日) 15:26 124.255.99.239の
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村方千之先生について


 


指揮者、村方千之とその音楽


 村方千之という名前をどこかで耳にされたことがあるだろうか。村方氏は日本の指揮者界を語る上で外すことのできない人物、齋藤秀雄が指揮法を教授し始めた戦後まもなく、ごく初期からの弟子で、今年八十歳になる。「齋藤メソッド」と呼ばれる世界的にも珍しい指揮法の体系を作り上げた齋藤秀雄の初期からの弟子、ということは、おのずとその指揮法理論の生成過程を知る人物として貴重な存在であるだけでなく、現役の指揮者として、日本の楽壇の中で長老の域に入る人物である。(齋藤指揮教室に在籍していた頃、レッスンでピアノ伴奏をしていた学生が秋山和慶と飯守泰次郎だったという。)そのような人物であるのにもかかわらず、メディアに全くといっていいほど露出せず、演奏活動にしても最近は私的に集めたメンバーによる特別編成のオーケストラを年に一、二回指揮するにとどまっているため、ほとんど注目されないまま今日に至っている。そんな村方氏と私の出会い、そして氏から学んだこと、ひいては日本の音楽界のありようについて考えさせられたことなどをここに綴ってみたい。


私は早稲田大学に入学する以前に上智大学の学生であった。その時、たまたま所属していた吹奏楽サークルの指揮者に推され、この村方氏が主催する個人の指揮法教室の門を叩いたことがきっかけである。その当時門下生は十五人くらいであっただろうか。毎週火曜と水曜の夜にレッスンを行っていた。これは今でも変わっていない。村方氏はアマチュアであろうが、音大に通う学生であろうが、はたまた合唱部の指導をしている中学校の先生であろうが、どんな人にも同じように基本から丁寧に教える。

棒の持ち方、指揮台での立ち方からスタートし、また、なぜそのような一見些細なことから勉強する必要があるのか、について訥訥と説明する。どのような小さなものごとにも必ずその原因と理由があるのだということ。プロというものは、他人の気づかないところにまで細かく神経を使ってこそプロであるということ。まさに初めてのレッスンで棒の持ち方を習った時にそう感じたものである。(指揮棒は下腕の骨から親指を通って一直線に構えなければならない。なぜなら棒は腕の延長であるから。また棒はその重みで自然に親指と人差し指で挟んだ部分を支点に上下に動くようにしなければならない。そうしないとスナップが利かない・・・など。この方法を覚えてしまうと、巷で目にする様々な指揮者の棒の持ち方が実にいい加減に見えてくる。)

レッスンにおいて師から学ぶことは、何度回を重ねても新鮮かつ奥深く、先が見えずに己の非才を恨めしく思うことも多い。毎回のレッスンではピアノ独奏あるいは連弾を相手に指揮を振るわけだが、師匠が「そうじゃないよ」と穏やかに諭しながら自ら手本を見せてくれることがある。それは門下生にとってたまらなく楽しい瞬間であると同時に、完全脱帽の瞬間でもある。たった一人のピアニストを相手にしても、出てくる音がまず全く違う、という経験を門下生なら必ずしているはずだ。「そんなことが」と思われるかもしれないが、これは事実である。師匠のは音楽の解釈がどうこうということはほとんど口にしない。ある場面でテンポをどれくらいにするか、リタルダンドをどれくらいの割合で持っていくか・・・。そういったことは「不自然でなければよい」という程度、曖昧にしか語られない。むしろ問題は、音楽が意味を持って流れているか、リズムが明快に聴き取れるか、というもっと根源的なものだ、と教えられる。師匠の棒はピアニストに対して、この点を実に明確に伝える魔力を持っている。よって、解釈がどうこうといったことが小ざかしく思えるほどに、まさにある曲がその曲らしく一番ふさわしく演奏されているように聴こえてしまう。「このひとに音楽を習いたい」と強烈に思うのも、そういう場面を幾度と無く経験したからである。

村方氏は「明快な指揮法技術を体得することは、奏者に(音楽に集中する上での)余計なストレスを与えないことにつながる。」と主張し、さらにはそれによって「作為的でない自然な音楽を可能とする」と言う。楽曲の持つ生き生きとした情感をシンプルな棒さばきによって表現することを目指す氏の主張は、現在、クラシックの演奏会で見られがちなパフォーマンス的な指揮(もはや指揮ではなく「ダンス」と化している指揮者もみられるが)と真っ向から対立するものである。フルトヴェングラーが「こけおどしで表面的な音」を最も嫌ったといわれているように、村方氏も同じように、そういった音楽を誘発する派手なジェスチャーを最も嫌う。だからと言って、村方氏の指揮が業務的でそっけない印象を与えるものでない。むしろその逆で、時には非常に激した表情を見せることもある。しかしそれでも、音楽から乖離したパフォーマンスは有り得ない、というある種のモラルを同時に見て取ることができる誠実さが伝わる指揮振りである。棒の動きは、その加速減速のタイミングや移動する経路の長さの配分(一拍目を長めに取り、二拍目をごく小さくするなど)まで緻密に計算されつくされ、その計算には奏者が息を継ぐための間合いも考慮に入れられている。それによって演奏に必要な適度な間合いが確保されると同時に、音楽全体にゆとりが生まれるのだ。奏者は指揮者の棒から一目瞭然にアンサンブルに必要な音楽の流れというものを感じ取ることができるので、余裕をもって楽譜に書かれた指示に対応できる。その結果、フォルテは実にフォルテらしく、アダージョは実にアダージョらしく響くのであり、これこそが村方千之のもつ音楽の真髄であると思う。

残念ながら氏の演奏は自費制作のCDが数点あるだけで、中には未だ粗悪な音質のままカセットテープの形でしか残っていないものある。また映像にしてもホームビデオ並みの品質でしか残されていないものが多い。しかしそれらは門下生だけでなく、日本の音楽界の宝といっていいレベルに達したものが含まれていると断言できる。氏は一九七〇年にブラジル、リオ・デ・ジャネイロで行われたヴィラ=ロボス国際音楽コンクールの指揮者部門で特別賞を受賞したことから、この南米の音楽家の作品を日本に紹介し続けてきた側面も持ち合わせている。(この時審査員の一人だったピアニスト、ネルソン・フレイレ氏に激賞される。)村方氏はヴィラ=ロボスの楽曲を集めたCDも自費制作しているが、これは収録された楽曲のユニークさとその演奏のすばらしさから言って、間違いなく貴重なものである。中には現在村方氏の手元にしか存在していない未出版のヴィラ=ロボス作品を含め、チェロ十二人の合奏による「ブラジル風バッハ第一番」を弦楽合奏と三人のホルン奏者のために編曲した演奏はこのCDでしか聴けないものであるし、カップリングされている「ブラジル風バッハ第九番」はその演奏の質から言って、これ以上のものはおそらく現在無いと思われる。録音も許容範囲にあり、是非店頭で手に取れるようになればと思うがその目処は立っていない。それ以外にも二〇〇〇年にルーマニア国立響に招聘されて演奏したベートーヴェンの「運命」も特筆に価する。その古色蒼然としたテンポ運びなど、まるでクナッパーツブッシュを思わせる遅さ重さ(なんと四楽章は二ツ振りでなく四ツ振りなのだ!)。しかし、鈍重という言葉は全くあてはまらない。がっちりとした重みを持ちながらも前進するベース。そして丁寧に歌われるフレーズ。丁寧だが窮屈さは微塵も無く、実に濃い内容でありながら巨大な印象を与える。このようなベートーヴェンを聴かせることができる指揮者が現在どれほどいるだろうか。

これだけの人物が評価されず埋もれ行くままになっていることを、私は非常に残念に思う。もちろん村方氏の飾ることのない誠実な人柄が裏目に出ているということもあるだろう。普段は温厚なのだが、音楽の上でどうしても入れられない相違については明確に指摘し、それが警戒される向きも度々あったと聞く。既に評価の定まった権威的なものに対しても積極的に疑問を呈し、そういったことに端を発して日本指揮者協会から脱会、また東京音楽大学での指導からも手を引き、私塾を開いて音楽を教えてきた。村方氏の下から巣立ち、現在活躍中の音楽家は(村方氏の名前をあえて出さない人も多いが)数多い。日々のレッスンの折に触れて師が嘆いているのは、世の中全体を含めて「本物が何か」ということを探し求め、吟味し、選び取ることをせず安易に流れてゆく傾向である。特に音楽に関して言えば、聴衆がメディアなどで薦められたものを無反省に受け入れること。知名度がある=よいもの、という単純な視点で判断することである。そして演奏する側にあっては、ほとんど「興業」のように、よい音楽を作り上げることではなく、なんとかして楽団を存続させなければならないがために、気乗りのしない演奏会をやらざるを得ないオーケストラの現状である。そういったことを村方氏は憚りなく口にし、批判を加えてきた。(齋藤秀雄がその死の床で、「村方君、僕は小澤みたいな弟子を育ててしまったことを少し後悔しているんだよ。」と村方氏に語ったこと、芸大出身である自分が桐朋の指揮教室に通っていたことによって桐朋の学生から絶えず不審の目で見られていたこと、など、村方氏の話す昔話はまさにその場に居たものが語る生々しさが漂う。)よって音楽界の中にいる人間ほどこのような人物に反感を持って当たり前だろうし、村方氏の思う理想が現状と照らしてあまりにもかけ離れている、と、批判する向きもあるだろう。しかし「音楽家とは何か」ということについて真剣に考え取り組んできた人間にとって、あまりに現在の音楽事情というのは許すことができないことが多いということも理解できる。録音されてから五十年、六十年以上が経過した録音に今でも魅せられる人が、たとえその時代を知らない若者の中に未だに確実に存在することこそ、そのひとつの例ではないだろうか。現在供給され宣伝される新しい演奏、そして録音の中に本物を見つけることが難しくなっているからである。

私は村方千之の音楽を、そういった人々にこそ、是非一度聴いてもらいたいと願っている。これほどまでに村方千之の音楽を持ち上げるのは、私が門下だから、という手前味噌な部分もあるかもしれない。しかし余りにも他にその音楽を聴いたことのある人が少ないので、私の感覚が間違っているのかどうかも確かめようが無いのが現実なのである。未だに舶来主義の呪縛から逃れられない日本人にとっては、このような知られざる巨匠が同じ日本人、というだけで興味も半減してしまうかもしれないが、そういった先入観抜きで(場合によっては演奏者の名前を伏せて)聴いてみて欲しい。今、私が願うのは、ひたすらにそれだけである。一去年、村方氏は脳梗塞で倒れ、右半身麻痺の後遺症を負った。それから順調に回復はしているものの、やはり以前のように器用に指揮出来ない無くなってしまったのは全く口惜しい限りである。こういった状況もあり、村方氏が実際に演奏出来る時間、また氏の音楽を世に問うための時間は残り僅かしかないであろう。もちろん村方千之の音楽と指揮法について、門下生がそれを受け継いでいく使命を負っていることは明らかだが、それだけでなく、実際に村方千之が残した演奏をどのように残していくのかという問題は、門下生だけではどうにもならないほど大きい。
もし、この拙い文章をお読みになって、村方千之という音楽家に興味をもたれたら、またその音楽を耳にしたいという方がいらっしゃれば、望外の喜びである。



 



演奏会チラシより


  

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