前々回、そして前回の記事がここまで多くの方に読まれていることに、驚きを隠せません。
Twitterの「拡散」という力は、すごいものですね。
だからこそ、多くの意見を聞かせてもらうことが出来て、勉強させてもらっていますし、有り難いと思っています。
ご覧頂いたとおり、とても沢山のコメントを頂いております。
一つ一つへの返信が完全に追いつかない状況になってしまいましたので、記事の補足も含め、コメントの内容についても少し触れていきたいと思います。
↓↓↓↓
Twitterの「拡散」という力は、すごいものですね。
だからこそ、多くの意見を聞かせてもらうことが出来て、勉強させてもらっていますし、有り難いと思っています。
ご覧頂いたとおり、とても沢山のコメントを頂いております。
一つ一つへの返信が完全に追いつかない状況になってしまいましたので、記事の補足も含め、コメントの内容についても少し触れていきたいと思います。
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まず、前々回の記事は敢えて主観的に書いている部分が多いといえます。
挑発的な文章にも見えますし、被害者意識満載の文章にも見えます。
一般人なのか、もはや一般人でないのか、その線引きも明確ではなく人それぞれのラインがあるため分かりませんが、一般人であるかどうかという点ではなく「どこかにいる人」が書いている文章であると思って頂ければいいと思っています。
そして、歌い手さんはこういうことをしてほしい、しなくてはならない、ということを書かなかったのは、自分が歌い手ではないからです。
そして「歌い手」といっても、既に商業に乗っかっていっている人、同人CDを出した人、ランキングに常駐している人、生放送でまったり歌ってる人…とにかく、幅が広くなりすぎてしまっていて、どこに焦点を置いて「歌い手さんにはこうしてほしい」と望むのか、難しくなってきています。
動画の再生数が伸びていて、誰もが知っている人、でもその人が「歌い手」と名乗っていなければ、その人は「歌い手」ではないんだろうな、と私は考えています。
また、初めて歌ってみた動画を投稿して「歌い手」と名乗ったのであれば、その人はもう立派な「歌い手」だと思っています。
この線引きは、完全に私の主観であり、他の方からすれば違うのかもしれません。
歌った動画を投稿すれば全員が「歌い手」なのだと認識している方もいるかもしれませんし、本当にこの線引きは難しいところです。
私自身、ニコニコ動画のアカウントを作ったのは半年ほど前のことで、実際のところ、この世界のことはほぼ無知に等しいと思います。
そして先ほども書いたように「歌い手」の線引きが明確ではないので、考えるとキリがなく、難しい部分だと思っています。
自分なりに少しずつ考えてみている部分はありますが、まだ完全に答えが出ていません。
歌い手さんに対して「歌い手さんにも呼び掛けてほしい」というコメントがこのブログに多数寄せられていました。
その気持ちも、なんとなく分かります。
そして私が知っている限りの周囲の人たちの気持ちも、なんとなく分かるような、でも分からないことの方がほとんどです。
LIVE前の入り待ちや出待ちのことだったり、差入れのことだったり、冬コミの列整備のことだったり。
超有名な歌い手さんになると、LIVE出演も多く、コミケにも参加していらっしゃるし、公共の場に出向くことが多くなっています。
主催者・参加者含めて、それぞれの立場で考えることが増えてきています。
ニコ動内での生放送や動画についても、ネット上であれ「公共の場」であることにかわりはないので、やはり一つ一つを冷静に考える必要があるのかとは思います。
答えが一つであるとは思っていません。
放送主単位でローカルルールがあるものだと思っています。
そのルールに従うか、肌に合わないから離れていくか、コメント非表示にしてみるとか、それも人それぞれ選択する内容は違ってくるものだと思います。
それが歌い手さん含め放送主が主体で整えられていくのか、リスナーが主体で整っていくのかというのも、その場その場によって違うのかと思います。
それこそ「耳が孕む」というコメントが動画や生放送で流れた時に、それも受け取り方は変わると思っています。
極端な表現ですがネタとして面白いと受け取るのか。
完全に気持ち悪くて拒否反応が出てブラウザバックしたくなるのか。
私も孕む、本当に孕む!と同意するのか。
そして、動画を投稿した投稿者さんによっても、受け取り方は違うと思います。
次は本当に孕ませるというつもりで、やる気満々で楽しく受け取るのか。
そんなコメントがほしくて投稿したんじゃないと、少し落ち込むのか。
たくさんの人がいて、それぞれの立場や考え方がある以上、難しい部分ではあります。
私個人の意見としては、生放送も動画もテレビのチャンネルと一緒なのだから、自分が見たいものを見ればいい、合わないと思えばチャンネルを変えればいい。
私には、この程度のことしか考えられません。
ですが、テレビを例えに挙げたんですけれども、このテレビについても難しいところがあります。
例えば、自分が好きなドラマをみていて、好きな俳優が出ていたとして、その俳優は脚本で言えば脇役だった時。
たまに映る俳優さんを見るのが嬉しいからチャンネルを変えないのか。
たまにしか出ないのなら見ない、裏番組のバラエティを見るのか。
テレビ局に「もっとこの俳優の出番を増やせよ!!」と苦情の電話やメールをするのか。
だから、たった一つの答えなんてありませんし、議論されていくからこそ、少しずつ多くの人に受け容れられて楽しめるようになっていくのかな、とも思いますし、逆に劣化していくこともあるのだと思います。
ですが「良くなった」と受け止めるのか「劣化した」と受け止めるのかも、受け止める人次第ですよね。
多数決で「100対0」なんて、なかなかないのではないでしょうか。
どうしても「80対20」などもあると思います。
80の人には良くても、20の人にとっては残念な結果であることが多いと思います。
そういったことがニコ動にも沢山あると思います。
色々な場所で、色々な立場の人がいて、色々な考え方の人がいます。
全ての人に受け容れられることなんて、なかなかないと思います。
前々回の「干し椎茸」のブログは、一つの小石になってくれれば良かったと思っています。
静かな水面に小石を投げ入れたような、そんな感覚です。
何かの議論のきっかけになってくれれば、それで充分です、充分すぎます、有り難いことです。
だからこそ多少主観的すぎる文章で書きました。
あまりに小さすぎる小石では無意味かもしれないと思ったから、少し泥を付けたというか、大き目の小石を選んだ感覚に近いです。
共感して下さった方、賛同してくださった方、そういった文章に拒否反応を示された方、多くいらっしゃいました。
私は、それで充分だと思っています。
別に自分の現状に同情して「かわいそうだね」という言葉を望んでいるのではなく、そういう現実は実際にどこかで起きていて、そろそろ少しずつ何かを考え、色々な意見が出て、小さくてもいいから議論が始まれば、それで充分だと思っています。
ですから、歌い手さん、ボカロPさん、絵師さん、動画屋さん、エンコ屋さん、ミキサーさんなど、他にも色々な立場の方がいらっしゃるわけで、その人たちはその人たちの立場から考えてみればいいと思うわけです。
絶対にこうでなくてはならない!!なんてものは、数少ないと思います。
ただ。
そんな立場であったとしても、人数の比率とか、知名度とか、有名だとか無名だとか、一般人だとか、そういうのを抜きにして一つだけお伝えしたいことがあります。
結局は「人」対「人」でしかないんじゃないかな、と。
真っ白な部屋の中で、自分と、それ以外にあと一人(全く知らない他人)しかいないという状況になった場合。
「タヒねタヒね」と言い合うのか。
一緒に頑張っていきましょうか、と、気楽にやっていくのか。
私は貴方のことが好きだから貴方も私のことを好きになって今すぐキスして抱いて抱いて、と一方的に迫っていくのか。
これは、自分からのアクションです。
では次に、真っ白な部屋の中で、自分と、それ以外にあと一人(全く知らない他人)しかいないという状況での、相手の行動。
ひたすら相手に「タヒねタヒね」と言われ続けるのか。
一緒に頑張っていきましょうか、と、気楽に声をかけてもらうのか。
私は貴方のことが好きだから貴方も私のことを好きになって今すぐキスして抱いて抱いて、と一方的に迫ってこられるのか。
「想像」をしてみて下さい。
自分だったら、どうするのか。
もし、自分だったら、どうされると嬉しいのか、どうされると苦しいか。
まずは、そこからで充分なのではないでしょうか。
確かに、「人」という単品の部分に、色々な生活環境や、肩書きなどが付随していくものです。
それによって、多少は変わってしまう部分もあります。
それでも、まずは、ただの一人の「人」として向き合った時に、本当に「タヒね」と言うことはどういうものなのでしょうか。
そして、相手にケガをさせるとうことは、賛同されるべきことなのでしょうか?
シンプルに、ただそれだけが伝えたかっただけでした。
あまりに多くの方にこのブログに足を運んでもらい、そしてご意見をいただけたこと、本当にありがとうございます。
また、色々な意味で拡散をして下さった方にも感謝です。
これほどまでに多くの方に読まれると思っていなかったということもあり、戸惑いを隠せていない部分もあります。
それでも、小さな小石になれたのだとしたら、ちっぽけな自分にしてみれば充分すぎる役割を担わせてもらえたと思っています、ありがとうございます。
挑発的な文章にも見えますし、被害者意識満載の文章にも見えます。
一般人なのか、もはや一般人でないのか、その線引きも明確ではなく人それぞれのラインがあるため分かりませんが、一般人であるかどうかという点ではなく「どこかにいる人」が書いている文章であると思って頂ければいいと思っています。
そして、歌い手さんはこういうことをしてほしい、しなくてはならない、ということを書かなかったのは、自分が歌い手ではないからです。
そして「歌い手」といっても、既に商業に乗っかっていっている人、同人CDを出した人、ランキングに常駐している人、生放送でまったり歌ってる人…とにかく、幅が広くなりすぎてしまっていて、どこに焦点を置いて「歌い手さんにはこうしてほしい」と望むのか、難しくなってきています。
動画の再生数が伸びていて、誰もが知っている人、でもその人が「歌い手」と名乗っていなければ、その人は「歌い手」ではないんだろうな、と私は考えています。
また、初めて歌ってみた動画を投稿して「歌い手」と名乗ったのであれば、その人はもう立派な「歌い手」だと思っています。
この線引きは、完全に私の主観であり、他の方からすれば違うのかもしれません。
歌った動画を投稿すれば全員が「歌い手」なのだと認識している方もいるかもしれませんし、本当にこの線引きは難しいところです。
私自身、ニコニコ動画のアカウントを作ったのは半年ほど前のことで、実際のところ、この世界のことはほぼ無知に等しいと思います。
そして先ほども書いたように「歌い手」の線引きが明確ではないので、考えるとキリがなく、難しい部分だと思っています。
自分なりに少しずつ考えてみている部分はありますが、まだ完全に答えが出ていません。
歌い手さんに対して「歌い手さんにも呼び掛けてほしい」というコメントがこのブログに多数寄せられていました。
その気持ちも、なんとなく分かります。
そして私が知っている限りの周囲の人たちの気持ちも、なんとなく分かるような、でも分からないことの方がほとんどです。
LIVE前の入り待ちや出待ちのことだったり、差入れのことだったり、冬コミの列整備のことだったり。
超有名な歌い手さんになると、LIVE出演も多く、コミケにも参加していらっしゃるし、公共の場に出向くことが多くなっています。
主催者・参加者含めて、それぞれの立場で考えることが増えてきています。
ニコ動内での生放送や動画についても、ネット上であれ「公共の場」であることにかわりはないので、やはり一つ一つを冷静に考える必要があるのかとは思います。
答えが一つであるとは思っていません。
放送主単位でローカルルールがあるものだと思っています。
そのルールに従うか、肌に合わないから離れていくか、コメント非表示にしてみるとか、それも人それぞれ選択する内容は違ってくるものだと思います。
それが歌い手さん含め放送主が主体で整えられていくのか、リスナーが主体で整っていくのかというのも、その場その場によって違うのかと思います。
それこそ「耳が孕む」というコメントが動画や生放送で流れた時に、それも受け取り方は変わると思っています。
極端な表現ですがネタとして面白いと受け取るのか。
完全に気持ち悪くて拒否反応が出てブラウザバックしたくなるのか。
私も孕む、本当に孕む!と同意するのか。
そして、動画を投稿した投稿者さんによっても、受け取り方は違うと思います。
次は本当に孕ませるというつもりで、やる気満々で楽しく受け取るのか。
そんなコメントがほしくて投稿したんじゃないと、少し落ち込むのか。
たくさんの人がいて、それぞれの立場や考え方がある以上、難しい部分ではあります。
私個人の意見としては、生放送も動画もテレビのチャンネルと一緒なのだから、自分が見たいものを見ればいい、合わないと思えばチャンネルを変えればいい。
私には、この程度のことしか考えられません。
ですが、テレビを例えに挙げたんですけれども、このテレビについても難しいところがあります。
例えば、自分が好きなドラマをみていて、好きな俳優が出ていたとして、その俳優は脚本で言えば脇役だった時。
たまに映る俳優さんを見るのが嬉しいからチャンネルを変えないのか。
たまにしか出ないのなら見ない、裏番組のバラエティを見るのか。
テレビ局に「もっとこの俳優の出番を増やせよ!!」と苦情の電話やメールをするのか。
だから、たった一つの答えなんてありませんし、議論されていくからこそ、少しずつ多くの人に受け容れられて楽しめるようになっていくのかな、とも思いますし、逆に劣化していくこともあるのだと思います。
ですが「良くなった」と受け止めるのか「劣化した」と受け止めるのかも、受け止める人次第ですよね。
多数決で「100対0」なんて、なかなかないのではないでしょうか。
どうしても「80対20」などもあると思います。
80の人には良くても、20の人にとっては残念な結果であることが多いと思います。
そういったことがニコ動にも沢山あると思います。
色々な場所で、色々な立場の人がいて、色々な考え方の人がいます。
全ての人に受け容れられることなんて、なかなかないと思います。
前々回の「干し椎茸」のブログは、一つの小石になってくれれば良かったと思っています。
静かな水面に小石を投げ入れたような、そんな感覚です。
何かの議論のきっかけになってくれれば、それで充分です、充分すぎます、有り難いことです。
だからこそ多少主観的すぎる文章で書きました。
あまりに小さすぎる小石では無意味かもしれないと思ったから、少し泥を付けたというか、大き目の小石を選んだ感覚に近いです。
共感して下さった方、賛同してくださった方、そういった文章に拒否反応を示された方、多くいらっしゃいました。
私は、それで充分だと思っています。
別に自分の現状に同情して「かわいそうだね」という言葉を望んでいるのではなく、そういう現実は実際にどこかで起きていて、そろそろ少しずつ何かを考え、色々な意見が出て、小さくてもいいから議論が始まれば、それで充分だと思っています。
ですから、歌い手さん、ボカロPさん、絵師さん、動画屋さん、エンコ屋さん、ミキサーさんなど、他にも色々な立場の方がいらっしゃるわけで、その人たちはその人たちの立場から考えてみればいいと思うわけです。
絶対にこうでなくてはならない!!なんてものは、数少ないと思います。
ただ。
そんな立場であったとしても、人数の比率とか、知名度とか、有名だとか無名だとか、一般人だとか、そういうのを抜きにして一つだけお伝えしたいことがあります。
結局は「人」対「人」でしかないんじゃないかな、と。
真っ白な部屋の中で、自分と、それ以外にあと一人(全く知らない他人)しかいないという状況になった場合。
「タヒねタヒね」と言い合うのか。
一緒に頑張っていきましょうか、と、気楽にやっていくのか。
私は貴方のことが好きだから貴方も私のことを好きになって今すぐキスして抱いて抱いて、と一方的に迫っていくのか。
これは、自分からのアクションです。
では次に、真っ白な部屋の中で、自分と、それ以外にあと一人(全く知らない他人)しかいないという状況での、相手の行動。
ひたすら相手に「タヒねタヒね」と言われ続けるのか。
一緒に頑張っていきましょうか、と、気楽に声をかけてもらうのか。
私は貴方のことが好きだから貴方も私のことを好きになって今すぐキスして抱いて抱いて、と一方的に迫ってこられるのか。
「想像」をしてみて下さい。
自分だったら、どうするのか。
もし、自分だったら、どうされると嬉しいのか、どうされると苦しいか。
まずは、そこからで充分なのではないでしょうか。
確かに、「人」という単品の部分に、色々な生活環境や、肩書きなどが付随していくものです。
それによって、多少は変わってしまう部分もあります。
それでも、まずは、ただの一人の「人」として向き合った時に、本当に「タヒね」と言うことはどういうものなのでしょうか。
そして、相手にケガをさせるとうことは、賛同されるべきことなのでしょうか?
シンプルに、ただそれだけが伝えたかっただけでした。
あまりに多くの方にこのブログに足を運んでもらい、そしてご意見をいただけたこと、本当にありがとうございます。
また、色々な意味で拡散をして下さった方にも感謝です。
これほどまでに多くの方に読まれると思っていなかったということもあり、戸惑いを隠せていない部分もあります。
それでも、小さな小石になれたのだとしたら、ちっぽけな自分にしてみれば充分すぎる役割を担わせてもらえたと思っています、ありがとうございます。
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- 補足を補足
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- 干し椎茸
最低限のマナーを守って欲しい。
そのお気持ちは良く分かります。
しかしマナーというものは場所や時代で微妙に変化するものです。
最低限と一口に言ってもその線引きは個々人により様々だと思うのです。
場をまとめる側がどの様な姿を求めていくかも様々かと思われます。
少なくとも今回の一連の記事から問題を解決していこうとする姿勢や指針は感じられませんでした。
他の場所を心配する前に先ずは5コマさんの動画における解決を目指す方が先なのではないでしょうか…
そしてもう一点。
旦那様の為に快適な環境を差し出したいとお考えであればもう少し考えて行動された方が良いのではないかと。
広報であれ嫁であれ貴方が歌い手の身内として発言をしていくのならば、その歌い手を守って行きたいと考えるのならば、自分の発した言葉が受け手側にどのような印象を与えるのか普段以上の慎重さを要求されるのだという事を今一度肝に銘じた方が良いと思いました。
その発言ひとつで素敵な動画にケチがつく事もあるのですから。
軽率な発言で損をするのはとてもつまらない事です。
耳に心地いい書き方にはなっていませんが、一読者としての正直な感想です。
快適な環境を得られるよう陰ながら応援しています。