2010年代を生き抜く音楽家の肖像──音楽ではもう稼げない!? 壊れた時代を生きるミュージシャン
サイゾー 1月29日(土)21時48分配信
──CDがちっとも売れなくなり、音楽業界が凋落したとはよく耳にする。あるいは、MP3の浸透により、音源が限りなくタダに近づいたとも聞く。現在のそうした悩ましき状況は、「じゃあ、どうやって食っていくのか?」という素朴な問題をミュージシャンたちに厳しく突きつける。だが、悲観することはない。メジャー・デビューすれば“アガリ”なんてもはや幻想なのだから、レコード会社とか音楽メディアとか評論家の論理なんて無視して、「音楽で食う方法」そのものを勝手に再定義すればいいのだ。そんな時代のミュージシャンがサヴァイヴするすべを、ユニークな6名の音楽家の言葉に耳を傾けて模索したい!
90年代末をピークとして、現在に至るまで絵に描いたように下降線をたどった音楽産業。しかし、なぜこうした事態に陥ってしまったのだろうか──音楽ライターの磯部涼が、CD不況の本質を抉りながら、2010年代の音楽家像を探る!
「音楽は金じゃない」。ひと昔前ならミュージシャンが意識の高さを誇示するために使っていたそんなクリシェが、今やミュージシャン自身を押し潰そうとしている。00年代以降においては、音楽は金じゃない──というか、音楽は金にならないのだ。
小山田圭吾ことコーネリアスが97年にリリースしたアルバム『ファンタズマ』の再発盤が話題になっている。古今東西、ありとあらゆる音源をコラージュし、新たな音に生まれ変わらせたこの作品は、いわば、日本ではバブル景気を背景に加速した情報化社会の、ひとつの臨界点だった。
同作に象徴されるような、未知なる情報を消費し尽くさんとする欲望をバックアップしていたのは、やはり経済的な豊かさで、しかし、モラトリアムが終わり、本格的に不況が始まるのとともにそんなテンションも下降してしまう。また、並行してインターネットが普及、すべての情報はフラットに再編成される。それは、一見、ありとあらゆるものにアクセスが可能な、『ファンタズマ』的世界の具現化だが、実際は、必要最低限なものだけにアクセスする、しかも、そこでは決して新しいものは求められないという消極的なモードに時代は移り変わっていった。
それにしても、当時、ミリオン・セラーを連発していた小室哲哉の書く詞が──コーネリアスも括られていたいわゆる渋谷系に比べ──消費主義に対して妙に批判的だったのは、なんとも皮肉な話だ。『ファンタズマ』発表の翌年、CDの売り上げはピークに達し、それ以降、衰退の一途をたどる。発表から13 年、当時の新しさの象徴だった『ファンタズマ』が再発盤として売り出されている光景を見て、感慨深くなる音楽ファンも多いだろう。そういえば、同作収録の楽曲「ニュー・ミュージック・マシーン」には、こんなラインがあった。「2010年になんか全部ぶっこわれたマシーン!」。
それは、つまり、バベルの塔の崩壊だった。今やポップ・カルチャーは分断され、それぞれの村社会の中では別々の言語が話されている。「管巻き舌巻きデジタルネイティブ/食事以外はネットで落とせる/食事は置かれるドアの前/取りに行く取りに行く!」(「デジタルネイティブ」)。11月12日深夜、代官山のクラブ・UNITのステージには何十人ものギークたちが並び、iPhoneやiPadにダウンロードした歌詞を見つめながら合唱、フロアを埋め尽くす500人のオーディエンスが熱狂する。その様子はまるで、インターネット上に生まれたばかりのとある村が起こした一揆のように思えた。
同イベントを主催していたのはMaltine Recordsという、21歳のDJ、tomadによって運営されているネット・レーベルだ。Maltineはすべてのカタログを無料配信している。ベストセラーとなったクリス・アンダーソン『フリー』の日本語訳副題は「〈無料〉からお金を生みだす新戦略」だったが、90年前後生まれで、オン・ラインで物心がついたような彼らの世代にとっては、“フリー”は手段でないのはもちろん、目的ですらなく、むしろ、自然である。そこから金を生み出すことのほうが、不自然なのだ。
それは、ある意味で、インディ・レーベルによるメジャー・レーベルへの逆襲と言えるだろう。80年代のインディ・ブームからバンド・ブームへの流れは、インディの役割をオルタナティヴ・メディアからメジャー予備軍に変えてしまった。そのことは、例えば『ファンタズマ』のような実験的な作品がメジャーからリリースされる下地もつくったが、CDの売り上げが下がる中で、商業より実験を優先するミュージシャンは契約を切られ、欧米のように豊かなインディ・シーンという受け皿がないため、いちから再出発することとなった。一方、現在の才能のある若者たちは、そもそも、メジャー・デビューなど当てにしていないし、彼らはネットという未開拓地に新しいシーンを切り開こうとしている。それでも、彼らの持つ“フリー”という武器は諸刃の剣でもある。
2010年。今、誰もが皆、ぶっこわれた世界を生きている。そこでも、相変わらず素晴らしい音楽は鳴っているが、以前と違うのは、それは金銭を生みにくくなっているということだ。しかし、実際には「デジタルネイティブ」の歌詞のようにドアの前に食事が置かれていることはない。なんとかして自分でそれを手に入れなければならない。(磯部涼)
磯部涼(いそべ・りょう)
1978年、千葉県生まれ。ライター。執筆内容は多岐にわたるが、日本のアンダーグラウンドなダンス・ミュージックや日本語ラップについて書くことが多い。著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)。来年3月に新著刊行予定。
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「音楽は金じゃない」。ひと昔前ならミュージシャンが意識の高さを誇示するために使っていたそんなクリシェが、今やミュージシャン自身を押し潰そうとしている。00年代以降においては、音楽は金じゃない──というか、音楽は金にならないのだ。
小山田圭吾ことコーネリアスが97年にリリースしたアルバム『ファンタズマ』の再発盤が話題になっている。古今東西、ありとあらゆる音源をコラージュし、新たな音に生まれ変わらせたこの作品は、いわば、日本ではバブル景気を背景に加速した情報化社会の、ひとつの臨界点だった。
同作に象徴されるような、未知なる情報を消費し尽くさんとする欲望をバックアップしていたのは、やはり経済的な豊かさで、しかし、モラトリアムが終わり、本格的に不況が始まるのとともにそんなテンションも下降してしまう。また、並行してインターネットが普及、すべての情報はフラットに再編成される。それは、一見、ありとあらゆるものにアクセスが可能な、『ファンタズマ』的世界の具現化だが、実際は、必要最低限なものだけにアクセスする、しかも、そこでは決して新しいものは求められないという消極的なモードに時代は移り変わっていった。
それにしても、当時、ミリオン・セラーを連発していた小室哲哉の書く詞が──コーネリアスも括られていたいわゆる渋谷系に比べ──消費主義に対して妙に批判的だったのは、なんとも皮肉な話だ。『ファンタズマ』発表の翌年、CDの売り上げはピークに達し、それ以降、衰退の一途をたどる。発表から13 年、当時の新しさの象徴だった『ファンタズマ』が再発盤として売り出されている光景を見て、感慨深くなる音楽ファンも多いだろう。そういえば、同作収録の楽曲「ニュー・ミュージック・マシーン」には、こんなラインがあった。「2010年になんか全部ぶっこわれたマシーン!」。
それは、つまり、バベルの塔の崩壊だった。今やポップ・カルチャーは分断され、それぞれの村社会の中では別々の言語が話されている。「管巻き舌巻きデジタルネイティブ/食事以外はネットで落とせる/食事は置かれるドアの前/取りに行く取りに行く!」(「デジタルネイティブ」)。11月12日深夜、代官山のクラブ・UNITのステージには何十人ものギークたちが並び、iPhoneやiPadにダウンロードした歌詞を見つめながら合唱、フロアを埋め尽くす500人のオーディエンスが熱狂する。その様子はまるで、インターネット上に生まれたばかりのとある村が起こした一揆のように思えた。
同イベントを主催していたのはMaltine Recordsという、21歳のDJ、tomadによって運営されているネット・レーベルだ。Maltineはすべてのカタログを無料配信している。ベストセラーとなったクリス・アンダーソン『フリー』の日本語訳副題は「〈無料〉からお金を生みだす新戦略」だったが、90年前後生まれで、オン・ラインで物心がついたような彼らの世代にとっては、“フリー”は手段でないのはもちろん、目的ですらなく、むしろ、自然である。そこから金を生み出すことのほうが、不自然なのだ。
それは、ある意味で、インディ・レーベルによるメジャー・レーベルへの逆襲と言えるだろう。80年代のインディ・ブームからバンド・ブームへの流れは、インディの役割をオルタナティヴ・メディアからメジャー予備軍に変えてしまった。そのことは、例えば『ファンタズマ』のような実験的な作品がメジャーからリリースされる下地もつくったが、CDの売り上げが下がる中で、商業より実験を優先するミュージシャンは契約を切られ、欧米のように豊かなインディ・シーンという受け皿がないため、いちから再出発することとなった。一方、現在の才能のある若者たちは、そもそも、メジャー・デビューなど当てにしていないし、彼らはネットという未開拓地に新しいシーンを切り開こうとしている。それでも、彼らの持つ“フリー”という武器は諸刃の剣でもある。
2010年。今、誰もが皆、ぶっこわれた世界を生きている。そこでも、相変わらず素晴らしい音楽は鳴っているが、以前と違うのは、それは金銭を生みにくくなっているということだ。しかし、実際には「デジタルネイティブ」の歌詞のようにドアの前に食事が置かれていることはない。なんとかして自分でそれを手に入れなければならない。(磯部涼)
磯部涼(いそべ・りょう)
1978年、千葉県生まれ。ライター。執筆内容は多岐にわたるが、日本のアンダーグラウンドなダンス・ミュージックや日本語ラップについて書くことが多い。著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)。来年3月に新著刊行予定。
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最終更新:1月29日(土)21時48分
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