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[20619] 【習作】星は夢を見る必要はない(クロノトリガー・キャラ崩壊)
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:b6d60857
Date: 2010/12/23 03:41
 キャラ崩壊注意! クロノトリガーの正式なファンの方は避けて通るのが無難です。













 夢を見た。


 それはそれは酷い夢だった。


 どれくらい酷いかというと幼馴染であるルッカの親父さんの頭を指差して
「黒光りしてるー!」
 と大声で喚いた時の親父さんの顔を見た時に匹敵するくらいの寝汗をかいていたことから想像できよう。


 さて、その夢の内容だが、さっき俺が名前を口に出した、ルッカが関わってくる。


 夢の中で俺は磔にされているのだ。


 辺りは暗い。右には大量のビンが置いてある棚があり、ビンの中には見たこともない生き物が詰め込まれていた。


 左を見ればなにやら複雑そうな機械が多々あり、所々に赤い液体が付着している。
 その液体が何かは深く考えないようにした。きっと鉄分が多く含まれているんだろうな、という思考は遥か彼方に葬った。


 しばらくそのホラーな空間で磔られていると、暗闇の奥から高笑いが聞こえてくるのだ。


 小さな頃は、その声を聞くと元気が出た。最も昔はそんな下品な高笑いなんかせず、いつも大人しそうにクスクスと笑うものだったが。


 幼い子供ながらに、その声が悲しそうに響いていれば悲しむ理由を聞き出して、その原因を取り除こうと、その子の笑い声を取り戻そうと躍起になった。


 その子が嬉しそうに喋りだすと、俺も嬉しくなって、その日はずっと笑顔になれた。転んでも、母さんのお使いが上手くできなくてやたらめったら怒られても、胸の中が暖かかった。


 幼少期の俺にとって、ルッカは俺の全てだった。


 しかし、そんな彼女と俺の甘酸っぱい関係はいつしかすっかり変わってしまった。


 彼女が悲しそうにしていれば「大丈夫かよ?」と口にはするが心の中でガッツポーズを取るようになり。


 彼女が嬉しそうにしていれば脇目も振らず逃げ出したり。


 彼女と町の中で出会おうものなら俺は神を呪い、その日一日を後悔と絶望の感情で塗りたくられるのだ。


 ……話がずれたな。


 とにかく、今ではキンキンと耳障りな笑い声を出しながら、ルッカは動けない俺に近づく。


 手を伸ばせば届く、という距離まで近づくと、ルッカは急に笑うの止めて、嬉しそうに、本当に嬉しそうにこう呟くのだ。


「実験、しよ?」




「あ、ああああああああぁぁぁああぁぁ!!!」


 思い出した瞬間、俺はベッドから飛び起きて、壁に立てかけてある木刀を掴み振り回した。


「殺せ! 殺せよ! おおお俺は実験動物じゃない! 俺にだって男としてのプライド、いや、人間としての矜持があるんだぁぁぁ!!」


 いつまで暴れていただろうか?
 俺の中では永遠とも思える時間を見えない敵と戦っていたのだが、母さんが俺にフライパンを投げつけて気づいたときには、二分と経っていなかった。
 ていうか母さん、息子に鉄の塊をぶつけるのはどうかと思うのだよ。


「だったら毎朝奇声を上げるのは止めて頂戴。いつ我を忘れて私の体を求めてくるか、分かったものじゃないわ」


「マジ、それ親子間で交わされる会話じゃないかんね。どう我を忘れたら四十前のおばさんに飛び掛るんだよ。とうが立ってるなんて問題じゃねえよ」


「今日のびっくりどっきりニュース! あんたの朝飯庭に生えてる雑草ね」


「はっは、それは豪勢だな。食べ放題なのか?」


「デザートは虫の活け作りね。ほら、馬鹿なこと言ってないでさっさと下に下りてきなさい」


「へいへい……ねえ、朝飯抜きってのは冗談かな?」


「ああ、リーネの鐘があんなに気持ちよさそうに歌ってる」


「いつ頃だったっけ? 俺と母さんの間で会話のキャッチボールが不自由になったの」


 呟く俺を無視して母さんはスタスタと階段を降りていく。
 仕方なく俺は溜息を吐きながら木刀を腰に差して、下に降りる。


 台所に向かうと母さんは優雅にモーニングコーヒーを飲んでいた。
 机の上にある空き皿と、バターの匂いが立ち込めていることから今日の朝ごはんがトーストだったことを悟る。俺の分が無いことも。


 俺の腹がキュウキュウと鳴り出し、自分でも表情がひもじそうになっていくことを自覚する。
 そんな俺を見て母さんが眉をひそめて、


「今日は建国千年のお祭りよ、屋台も出てるでしょうし、そこで何か食べてきなさい」


 あくまで朝飯は作らない気だな、上等だこの野郎、今度あんたの寝室に大量のバッタを仕込んでやる。


「……分かったよ、じゃあ母さん」


 俺は右手を母さんに向けて、掌を開いた。


「……何?」


 さっさと用件を言え的な感情が半分。残りは急に何だよ気持ち悪いなこいつ的な感情が半分。そんな表情でした。


「いや……俺、お金ないからさ」


 しかし俺は諦めない!
 折角の、千年に一度の祭り。
 軍資金無しで出かけるなど愚の骨頂!
 そう、ココだ! 今日の祭りが楽しめるものになるか、それとも帰り道で「祭りなんて、結局カップルが公然とイチャイチャするだけのイベントなんだよ」と唾を吐くことになるか、その分岐点!
 今日の肝なんだ、今、この瞬間こそが! 肝……!!


「……?あんたにお金がないのと私に何の関係があるの?」


 やっべえ……母さんの守備力は三千以上だな……
 しかもこれ多分素だな。とぼけてるとかじゃないや。


「ねえ母さん、俺、なんだかんだ悪口とか言っちゃうけど、やっぱり俺は母さんのこと尊敬してるんだよね……」


「何よ急に、どうしたの?」


 さりげなくお金をねだるのは不可能、こうなれば三つある奥の手の内の一つ、情に訴えるコマンドだ。
 デメリットとしてこっ恥ずかしいセリフを言わなければならないが、その効果はデメリットを補って余りあるものとなる!


「ほら、俺父親いないじゃんか。けどさ……けど俺辛いなんて思ったこと無かったよ、だって俺が寂しいと思ったとき母さんはいつも俺を慰めてくれたよね」


「あんたが何で父親がいないんだよ! お年玉が半分になるじゃんか! とか言いだした次の日にあたしゃパレポリの船で一週間くらい旅行に行ったけどね」


「毎朝俺を起こしてくれたり、布団を干してくれたり、少しは休みたいだろうに、いつもいつも俺のために体に鞭打って働いてくれてる……」


「あんた勝手に起きるじゃない。毎朝あんたの部屋に行くのは放っておくと延々頭のおかしな叫び声を撒き散らすからでしょ。布団だって昔私が間違ってあんたの布団を燃やしてから自分で干してるじゃない」


「……俺が、苛められてる時に助けたりとか……したことありますかね?」


「苛めって……ルッカちゃんにって事? うーん、あんたのケツに爆竹詰められてた時は爆笑したけど……助けたことあったかしら?」


「あんた、何で俺の母親やってんだくそばばああああぁぁぁ!!!」


「あんた、母親にむかってくそばばあって言った?ねえくそばばあって言った? ぶち撒けられてえか糞餓鬼ぃぃぃ!!!」


 こうして、第百八十七次トルース大戦が幕を開けた……








「あ、これ絶対顎外れてる。うん、もう戻りそうに無い」


 俺と母さんの運命の戦いはあっけなく幕を閉じた。
 俺の振り下ろした木刀をスウェイで交わし俺の顎にネリチャギ。
 俺は気を失って、気づけば家の前に大の字で寝ていた。


「くっ、まさか奥の手の内二つが破られるとはな……」


 ちなみに、奥の手の二つ目は暴力による強奪だ。
 結果は見ての通り。
 ここまできたならば仕方ない。奥の手の三つ目を使わざるを得ないな……


 体についた砂を払い、近くに転がっていた木刀をまた腰に差して、祭りが行われているリーネ広場に目を向ける。


「……諦めよう」


 『クロノ奥の手が内の三つ目、妥協
 あらゆる人生において最重要スキルともっぱらの噂である』


 俺は母さんとの戦いの後遺症で痛む頭を無視して、リーネ広場に足を向けた。








「おお、若者よ! 今日は我が王国の千年祭じゃ! 存分に楽しんでゆかれよ」


「ああ、はい。まあそれなりに……ところで」


「どうした、分からぬ事があるならば、この老いぼれが力になろう」


「無料で何か食べることができるお店ってありますか?」


「おお、若者よ! 今日は我が王国の千年祭じゃ! 存分に楽しんでゆかれよ」


 じいさんはまた新たにリーネ広場に入ってきた男に声をかけた。
 祭りといえど、人は人に優しくなれるものではないのだろう、俺はこの年にして真理を垣間見たのかもしれない。


「しかし……やたらと賑わってるな、流石は千年に一度のお祭りってわけか」


 屋台からは威勢のいい客引きの声、どんな所からも聞こえる楽しそうな笑い声、鼻をくすぐるなんとも良い匂い……


「ああ、あれは焼いた肉にタレを付けてもう一度焼いているのか。お、あれはパイにクリームと果物を挟んでる……んん、あれはジャガイモにバターとバジルを振りかけてサイコロステーキと一緒に売ってるんだな。いやー……腹減った……」


 クルルクルルと俺の腹が「補給を要求する! でなければ動かん!」とストライキを起こしておられる。
 このままでは楽しい祭りもブルーな気分で過ごさなくてはならない……


 俺は意を決してじいさんにもう一度話しかける。


「あの……」


「おお、若者よ! ……ってあんたか、なんじゃい、祭りに来る前に物の売り買いの常識を学んでくるとええぞ」


「いや、そこをなんとか……折角の祭りですし、俺も楽しみたいんですよ……」


 そこまで言うと嫌味ったらしいじいさんも哀れに思ったのか、顎に手を着けて何か考え出した。


「そうじゃなあ……おお! 確かココをまっすぐ行った所、ほれ、もろこしを売っている店の前にある……そこでシルバーポイントを金に換えてくれるはずじゃ」


 シルバーポイント? 何だそれ。


 俺の疑問が分かったのかじいさんは引き続き話し始める。


「シルバーポイントとはこの祭りの中にあるゲームに成功すれば貰えるポイントでな。例えばそこ。四人の男たちがレースをしているじゃろう?」


 じいさんの指差した方向を見れば確かになにやらレースらしきものが行われているのが分かる。
 ……ただ、じいさんは四人の男たちと言ったが、そのメンバーはまず鉄のよろいを装備した城の兵士。
 次にお前レースとかする気ないだろと思う全身甲冑のフルアーマー状態の男? 鉄仮面をしているので性別の確認もできない。じいさんは男と言っていたし多分男なんだろう。
 三人目は肌が緑色で、所々に黒い斑点がある化け物。こんなもんのどかなトルース町に現れたら大騒ぎだ。今は祭りだからか知らないが、皆その化け物を応援している。人間ってテンションによって馬鹿になるよね。
 最後のメンバーは猫です。それ以外に説明できません。こいつに賭ける奴とかいるのか? いたとしたらそいつ頭大丈夫か?
 ……この三人プラス一匹で構成されている。


「……ええと……」


「この四人のうち誰が優勝するか賭けるんじゃよ」


「……まあいいです。突っ込んでたら祭りが終わるんじゃないかってくらい長くなりそうだし」


 ここに着いた時には大分収まっていた頭痛がさらに酷くなってきた為、額を押さえる。じいさんはそんな俺を怪訝な目で見つめながらさらに話を続ける。


「じゃが、このレースに参加するのにシルバーポイントが五ポイント必要になる。あんたはシルバーポイントを一ポイントも持ってないんじゃろう?」


「そうですね、来たばかりですし」


「じゃから、お前さんはまず向こうにある飲み比べで勝負するか、ルッカの発明品と勝負して勝つかしてシルバーポイントを貯めることじゃな」


「ルッカの発明品?」


「ああ、なんでも自信作らしい。銃弾でも傷一つつかない! と豪語しておったわ」


「誰がそんなロボコップみたいなもんと勝負するか馬鹿が」


 ありがとうございましたとじいさんに礼をして、俺は飲み比べの会場に走り出した。


 そこには道の端で吐いたり、あー、あー、といいながら濡れタオルを顔に置いてベンチで寝ている人が大勢いた。
 その中で一人の大男が「だらしねえなー! トルース町の連中はよお!」と大声で話していた。
 どうやらトルースからではなく、橋を越えた先のパレポリから来た男のようだ。


 俺はおっさんの肩に手を置き、
「勝負してくれよ、いいだろ?」
 と声をかけた。


「はっ! ガキか。話にならねえな」


「どんな奴からの挑戦も受けるんだろ? そこの張り紙に書いてある」


「……はああ、分かったよ、そこの椅子に座りな」


 言われたままに椅子に座る。するとその隣におっさんが座り、椅子の前にある机に缶ビールを十六缶置いた。
 その内八缶、つまり半分をおっさんが自分のほうに持っていく。


「いいか? 先に自分の分、八缶の缶ビールを飲んだほうが勝ちだ。良いな?」


「オッケー、飲み比べっていうか、早飲みだな」


「まあな。……さて、用意はいいか? ……ヨーイ、ドン!」


 合図とともに俺とおっさんが同時にビールを飲みだす。
 アルコールと思うな炭酸と思うなビールと思うな水と思えいやそもそも何かを飲んでいるということすら忘れてただ喉を動かせっっ!!!


「うーい、まずは一杯……って何いっ!」


 おっさんが一杯目を飲み干した時、俺はすでに三倍目のビールを飲み始めようとしていた……




「空は青いなあ」


 空はいい。こんなにも快晴、そしてこんなにも俺たちに力をくれる。
 空が明るいから俺たちは前を向ける。歩き出すことに不安を生み出させない。


「本当に……空は……良い………ううう……」


「お母さーん。なんであのお兄ちゃん泣いてるのー?」


「それはね、自分の力ではままならぬ大きな壁にぶつかってしまったからよ」


「へー、私とお母さんが実は血が繋がってないことと同じくらいままならないのかなー?」


「ユ、ユカちゃん!? 何処でそれを……!!」


 なにやら遠くで聞こえる喧騒も、全ては空しい……


「あそこで……あそこでてっかめんランナーがスイートキャットを踏み潰して失格にならなければ……!」


 飲み比べに勝った俺は初めて手にしたシルバーポイントをレースの賭けに使ったのだ。
 なんでもシルバーポイントを金に換えるためには十ポイント必要らしく、飲み比べで得た五ポイントではどうしようもなかった。
 そのためレースの勝敗に文字通り全てを賭けたのだが……


「くそお……やっぱりいざとなれば甲冑を脱ぎ捨てて真の力を発揮するはず! とか馬鹿なこと考えずに普通にほいほいソルジャーにすべきだった!」


 ちなみにほいほいソルジャーは色物揃いのレーサーの中で比較的まともそうな城の兵士っぽい格好の男だ。


 ……こうなれば、最後の手段。


「ルッカの発明品を……叩き壊す!」


 レース観戦の時近くにいた人の話ではルッカの発明品に勝てばシルバーポイントが十五ポイント貰えるらしい。
 それだけあれば金に換えられる。液体ではなく固体を口に入れられる……!


 正直俺は酒の飲み比べで腹はもう減っていなかった。だが……


「次こそ……次こそレースに買ってみせる!」
 レースの魅力、いや、魔力に囚われてしまったのだ。


「ハッハッハッ! いいぜ、ルッカ。テメエの発明品なんぞ俺のクロノ流剣術で粉々にしてやる! アーッハッハッハ! おおっ!?」


 酒を飲んですぐに興奮したからだろうか?
 いつもならなんら問題は無いのだが、俺は急にふらついてこけそうになってしまった。
 たたらを踏んで転倒は免れたのだが、後ろからなにやら必死そうな声が聞こえた。


「ちょちょちょちょ! どいてどいてー!!」


「え?」


 振り向くと、金髪のポニーテールの女の子が、俺にダイビングしていた。


「うごえ!?」「きゃあ!」


 どういうつもりか知らないが、女の子は膝を前に出し、その膝は俺のみぞおちにクリーンヒットしていた。


「おっ、おっ、おっ、おぼえええぇええ……」


 盛大に胃の中のものを吐き出しながら、リーネ広場の鐘が楽しそうに鳴り出した……





 星は夢を見る必要は無い
 第一話 悔いの残る人生でした








 ようやく吐き気もおさまり、辺りを見回すとさっき俺に飛び膝蹴りをくれた女の子は何かを落としたらしく近くの床をキョロキョロと探していた。
 急に飛び出した俺も悪いけど、見知らぬ他人に膝いれといてなんにもないとか嘘やん。


 思わず殺意の波動に目覚めそうだったが、俺の足元にペンダントが落ちていることに気づいた。


 絶対教えてやんねーと思ったが、そのペンダント、妙に輝きが鈍かった。
 あんまり良いペンダントじゃないのかな、と思ったが、良く見るとその訳が分かった。


「……臭っ」


 俺の嘔吐物が付いているのだ。中々豪快に。


 女の子が気づく前に俺はそれを拾いダッシュで水場に向かう。
 念入りにペンダントを洗い、ついでに口もゆすぐと走って元の場所まで戻る。
 よっぽど大切なものなのか、女の子はまだペンダントを捜していた。
 俺はできるだけ自然を装い、笑顔で彼女に話しかけた。


「やあっ! 君が探しているのはこれかい!」


 俺の声を聞き、女の子は俺を見る。そして俺が握っているペンダントを見ると満面の笑顔を浮かべた。


「ありがとう! そのペンダント私のよ。古ぼけてるけどとっても大事なものなの。返してくれる?」


「勿論さ、困っている女の子を助けるのは当然だしね! それじゃあこれで!」


「待って!」


 ペンダントを渡し、何かに気づかれる前に立ち去ろうとすると女の子は俺の服の袖を掴んできた。
 え、バレた? バレてないよね? そうだといってよ顔も覚えてない父さん!


「私お祭り見に来たんだ。ねえ、あなたこの町の人でしょ? 一人じゃ面白くないもん。いっしょに回ろうよ! いいでしょ? ね? ね?」


 君文法おかしくない?と言おうとしたが、ひとまずそれは置いといて……
 え? 逆ナン? 逆ナンですかこれ?


 えええー……嬉しいけどさー、嬉しいけどさぁ……
 きっかけが相手の子の持ち物にゲロ吐いたから始まる出会いってどうよ?
 何より後ろめたさが尋常じゃないし、ここは申し訳ないけど……


「あれ? なんかペンダントからすっぱい臭いが……」


「行こうか! 俺も一人でつまらないな、と思ってたところさ! 君みたいに可愛い女の子の誘いなら乗らない訳にはいかないね!」


 バレちゃ駄目だバレちゃ駄目だバレちゃ駄目だ……!!


 そういうと女の子は少し不安そうな顔だったのがまた嬉しそうな顔になり飛び跳ねて喜びを表現した。


「わーい、やったー!」


 罪悪感からの了承だったとはいえ、ここまで喜んでくれると、なんだか俺も嬉しい。
 ここまで大げさではなかったけれど、ルッカも昔はこんな風に可愛く正直に感情を見せてくれたんだよなー……


 少し物思いに耽っていると、女の子の顔が目の前にあり、驚いて一歩後ろに下がってしまった。


「な、何?」


 俺が少しかすれた声を出すと、


「私マールって言うの。あなたは?」


 笑顔のまま彼女は自己紹介を行う。ここで俺が自己紹介をしない理由がない。お前に名乗る名などない! と一蹴する、という選択肢が出たが意味がないので普通に名乗る。


「クロノだ。よろしくなマール」


 自己紹介をしただけなのに、マールはまた嬉しそうに笑って、飛び跳ねた。
 なんか知らんが、えらく元気な子だな。
 知らず俺の顔もまた笑顔になっていた。


 それから、マールは俺を色んなところに連れまわした。
 最初は俺に案内させるのかな、と思ったが何かしらの店を通るたびに


「あ! ねえねえクロノあれ何?」

「クロノクロノ! 凄いよあれ! ウネウネ動いてるー!」

「凄い凄い! 皆踊ってるよ、私も踊る! クロノも一緒に踊ろうよ! いいでしょ?」

「行けー! てっかめんランナー! 頑張れー!」

「クレープって言うんだこれ、美味しいよ! クロノ!」


 とまあ、はしゃぎにはしゃいでくれて、落ち着く前に俺の手を引っ張って行った。


 お金が無いのは男として辛すぎるので、まず最初にルッカの発明品、ゴンザレスをスクラップにして、ゴンザレスの持っているシルバーポイントを根こそぎいただいた。(本来はある程度戦えば降参して、十五ポイントをくれるらしい)
 そのシルバーポイントをある程度お金に換えて、二人で祭りを満喫した。
 途中、猫を探している女の子がいて、マールが「探してあげよう!」と言い出したので嫌々探しているとその猫が俺の顔に飛んできて、無事女の子の元に連れて行ってあげたり、置きっぱなしの他人の弁当を俺が食べようとするとびっくりするくらい冷たい目でマールが見てくるので断念したり、残ったシルバーポイントでレースを見たり、お化け屋敷みたいなテントでワーワー叫んだり興奮したりと、本当に楽しい時間だった。


「あー、楽しかったねクロノ!」


「ああ、こんなにはしゃいだのは久しぶりだよ」


「私も! こんなに楽しかったのは生まれて初めてだよ!」


「ははは、大げさだな、おい」


 それでも、随伴した俺としては男冥利に尽きる言葉だったので、なんだか嬉しかった。


 ……ただ、祭りを回っている途中に一組のカップルが話していた言葉をにマールが興味を持ったのは誤算だった。


「ねえプラス? なんでもルッカの発明品が完成したらしいわよ?」


「本当かいマイナス? それは是非とも見に行かなければ!」


「ええそうね、広場の奥で見られるらしいわよ」


「よーし、いっくぞー!」


「ああん、待ってよプラスー!」


 と頭の悪い説明的な会話を聞いたマールが
「私たちも行こう!」
 と言い出したのだ。


 俺はごめん、盲腸が発狂して異がはしかにかかったんだ……と嘘をついて帰ろうとしたが、マールがほほを膨らまして、目に涙をためて俺の服の袖を掴んで離さなかったので断念した。


 ルッカのいる所まで後少し、というところでマールがキャンディ買って行く! と言って店に走っていった。


 ……これは、逃げるチャンスなんじゃないか?


 ここから俺とマールの距離は五メートル。
 俺が全力で逃げ出せば元気の塊のマールでも俺に追いつけはしないだろう。


 ……ごめんマール。
 俺、お前の悲しむ顔は見たくないけど、俺が辛い目にあうのはもっと嫌なんだ。


 思い立ったが瞬間、俺は力いっぱい祭り会場の入り口に向かって走り出した。
 後ろから「ああっ!」というマールの声が聞こえたが、華麗に無視して走り続ける。
 何が悲しくて楽しい祭りの日に実験オタクのサディスト元根暗女に会わなければならんのだ。
 そう、俺は自由の男、クロノのクは孔雀のク! (意味なんかない)


 マールには悪いけどなー、と考えていると、耳のすぐそばでヒュン、と高い音が聞こえて、思わず立ち止まると目の前の床に鉄の矢が突き立っていた。


 ぎぎぎ、と音が鳴りそうなくらいゆっくり振り向くと、マールがボーガンを構えて俺を見ていた。


「マアルサン、ソレハナンデスカ?」


 思わず機械的な口調になるのは仕方ない。


「私ボーガンが得意で、いつも持ってるんだ。護身用ってやつかな」


 笑顔のまま、それでもこめかみに青筋が浮かんでるのは恐怖を二倍にする。マール、倍プッシュだ! みたいな。
 つか、護身用にボーガンはおかしい。防衛になってないもん、間違いなくちょっかいかけようとした奴を無力化させる物じゃないもん。悪・即・斬の構えじゃん。
 世の中に信じられる奴なんかいないという境地に立たないとそんなもん護身用に持ちませんよ。


「ソ、ソウデスカ、ソレハステキデスネ」


 想いとは裏腹なセリフを吐く僕、クロノ。悪い人間じゃないよ、優しくしてね。


「ありがと。……で、クロノは私を置いて何処に行こうとしたのかなぁ……」


 ボーガンの側面をトントン叩きながら一歩ずつ近づいてくるマール。右手に見えるかわいらしい柄のキャンディが不似合いで怖いです。


「と……トイレ……もう、限界でしたので……」


「……ふーん」


 ドンファンの愛のささやきくらい信じてませんよという顔で見るマール。
 ……まあそうだよねえ。


 結局、俺はマールに襟首を掴まれながらルッカの発明を見るハメになった。
 せめて腕を組むとかで拘束してくれよ……




「さあさあ、お時間と勇気のある方はお立会い! これこそ、せいきの大発明! 超次元物資転送マシン一号だ!」


 ルッカの親父さん、タバンさんが大きな声でルッカの発明品の説明をしている。
 そのルッカの発明だが、青い色の床の上に、傘みたいなものが付いて、その横にゴチャゴチャしたチューブやらレバーがくっついている。そんな機械が二つある、なんとも言いづらいデザインの機械だった。
 まあ、あえて一言で表現するなら、非常に胡散臭い。


「早い話がこっちに乗っかると、」


 タバンさんが左側の装置を指差す。


「こっちに転送するって夢のような装置だ!」


 その後右側の装置を指差し、自慢げな顔をする。


 ……正直、その説明を聞いても何が言いたいのかさっぱりだった。


「こいつを発明したのが頭脳めいせきさいしょくけんびの、この俺の一人娘ルッカだ!」


 頭がいいのは認めるが……才色兼備!? どこがやねん。
 まあ、服装は研究大好きな為それ用の服を着ている。それはまあいい。紫がかった髪をショートカットにして、それも勝気そうな顔に良くあっているから文句は言わないし、顔の造詣も……まあ町の奴らから隠れてアイドル扱いされているから良いとしよう。ぶっちゃけ眼鏡は外したほうがいいと思うけど。
 ……まあ、可愛いのはまあ、良いとしても、性格鬼畜、有限不実行、天上天下唯我独尊女と付け加えなければ納得できない。


「へー……面白そうだね、クロノ!」


 うん、一応面白そうだと言っているが、途中までのローテンションを見る限り、マールもイマイチ理解できなかったみたいだ。


「マール、多分想像よりもずっとつまらないものだから、戻ろう。あれだ、なんたらケバブー買ってやるから」


「やだ、何が入ってるか分からないから気持ち悪い」


「オオゥ、タカ派だな」


「クロノ!」


 クソッ!マールの説得に手間取って悪魔に見つかるとは!


「待ってたわよ! だーれも、このテレポッドの転送にちょうせんしないんだもの」


 そりゃあそうだろうさ。昔空を飛ぶ機械とやらで無理やり俺に実験させて、俺の両足が骨折した、なんて前科があればな。


「こうなったらあんたやってくれない?ていうかやれ」


「こ……! このメスぶ」


「面白そう! やってみなよ。私見ててあげる!」


 あんまりにも理不尽な言葉に切れかけた俺がルッカに暴言を吐く前に、マールが本当に楽しみだという顔で笑いかける。
 ……頭の中身は少々残念な危険っ娘だが、こうしてみると確かに可愛いんだよな……


「左のポッドに乗るの」


 俺の話を聞く前にルッカは装置の様々なボタンが付いているところに移動していた。
 ……やるしかないのか。


 ゴルゴダの丘に登るような気分で俺はテレポッドだか超次元何とかだかの装置に乗る。


 ……やばい、泣きそうだ。


「スイッチ、オン!」


 空気を読まないタバンさんがなんの躊躇いもなく装置を動かす。それと同時に空気を読む気がないルッカもエネルギーがどうとか言い出す。


「……え?」


 ふと気づけば、俺の手が透けていく。
 いや、手だけではない。足が、体が。どんどん透けて……いや、無くなっていく!?


「おい! やめ」


 俺の声は最後まで口に出せず、俺の意識は消えた。







「「「「おおーッ! グレイト!」」」」


 次に意識が戻ったときには、観客たちの歓声が聞こえた。
 周りを見ると、どうやら無事、テレポッドは成功したらしい。左の装置の上にいたはずの俺は、右の装置の上に座り込んでいた。


「……良かった、良かったよぉ……」


 不覚にも、俺はマジで泣いていた。
 車椅子の女の子が友達にいくじなしと言われながらも立ち上がったときくらい泣いた。


 生きて帰れたことに対する喜びに震えながら、俺は装置を降りた。
 マールの所に戻る途中、ルッカが情けなっ! と言ってきたが小さく死ねっと返しておいた。


「帰ってきたよマール……俺、青ざめた顔してるだろ? ……生きてるんだぜ?」


「面白そうね、私もやる!」


 俺の感動のセリフはガン無視して、興奮で少しほほが赤みがかった顔でとんでもないことを言う。


「へ? えええぇえぇ!?」


 俺がマールに命とは何か? 人生とは何か? 存在価値とは何か? 漢とは何かをマールに教えようとする前にルッカが馬鹿でかい声を上げた。
 と思ったら俺のほうを睨みつけて胸倉を掴んで首を締め出した。


「ちょ、ちょっとクロノ! あんたいつの間に、こんなカワイイ子口説いたのよ! ねえ!何処の子!? 私町の女の子には全員釘刺したはずなのに!」


 女の子に釘を刺すなんて、俺の知らないところでバイオレンスなことやってんだなぁと思いながら、俺は今日何度目か分からないが、意識の消失が近づいているのを感じた。


「ね、いいでしょクロノ! ここで待ってて。どこにも行っちゃやだよ!」


 俺の生命の危機が見えないのか意図的に無視しているのか、マールは楽しそうに声を上げる。
 どこにも行っちゃやだよ! のあたりでルッカの首を絞める力が増す。メディーック! メディーック!


「さあさあ、ちょう戦するのは何とこんなにカワイらしい娘サンだ! ささ、どーぞこちらへ!」


 今まで空気を読んだことなんて一度も無かったタバンさんが張り切った声を上げる。
 それを聞いてルッカは一度大きく俺を持ち上げて床に叩きつけた。


「……後で話、聞くから」


 ヤク丸さんみたいな声で呟くと、ルッカはさっきと同じように装置の操作盤に向かった。


「エヘヘ、ちょっと行ってくるね」


 マールが可愛らしく笑いながら、俺に手を振る。
 あ、ルッカ、操作盤の一部壊しやがった。


「だいじょうぶかい? やめるんだったら今のうちだぜ」


 俺の中で脳の一部が麻痺しているに五千ガバスなタバンさんは娘の奇行に気づかずマールに話しかける。


「へっちゃらだよ! 全然こわくなんかないもん!」


 そういいながらマールは装置の上に乗る。
 最近の女の子は勇気があるなあ。
 所詮俺なんか草食系男子さ。


「それでは、みなさん! このカワイイ娘サンが見事消えましたら、はくしゅかっさい」


 その後は俺のときと同じように二人が装置を作動させる。


 その時、マールを見てみると、マールのペンダントが光りだしていた。


「……何だ、あれ」


 マールも気づき、ペンダントを触って不思議そうな顔をしていた。


 ……何故だろう。


 俺は、何故かその顔を見ていると……


 もう、彼女に会えないんじゃないか、と。


 そう思ってしまったのだ。


「えっ!?」


 ルッカなのか、タバンさんなのか。


 どちらが叫んだのか分からないが、その声が聞こえた瞬間、装置から電気が洩れ始めた!


「うわあ!」
「きゃあ!」


 二人は同時に倒れて、それを見て俺は「大丈夫か! ルッカ、タバンさん!」と駆け寄るべきなのだ。


 それでも……俺は、いや、観客も含めて俺たちは……


 マールの体が消えて、その粒子が黒く、ゆがんだ穴に吸い込まれていくのを、ただただぼーっと見ているだけだった。


 ……どれほど時間が経っただろう。
 数秒か数腑十秒か数分かはたまた数十分か。
 今は閉じられた、穴があった場所に視線を注いでいた。


「おい、ルッカ。出て来ねーぞ?」


 一番最初にタバンさんが言葉を放った。


「ハ、ハイ! ごらんの通り影も形もありません! こ、これにてオシマイ!」


 観客たちを散らせるために、半ば追い払うようにタバンさんは声を上げた。
 俺以外の観客は何が起こったのかよく分からないまま広場を出て行った。


 俺以外誰もいなくなったのを確認すると、タバンさんは座り込んでいるルッカに話しかけようとする。……でも。


「おいルッ」「おいルッカ!!」


 タバンさんの声を遮り、俺は怒鳴りながらルッカの胸倉を掴んだ。
 まるで、さっきの焼きまわし。ただキャストが代わっただけ。でも、その内容の重みはまるで違う。当然だ、人が一人消えているのだから。


「マールはどこに行った? どこに消えたんだ! おいルッカ!」


「わ……分からない」


 本気で怒っている俺に怯えたような顔を見せるルッカ。
 でもそれで遠慮できるほど俺は冷静じゃない。


「ふざけんな、人が一人消えてるんだぞ、分からないで済むか!」


「だって! あの子の消え方はテレポッドの消え方じゃなかった!」


 俺に負けじとルッカも声を上げる。


「あの空間の歪み方、……ペンダントが反応していたように見えたけど……もっと、別の何かが……」


「だから、何かって何なんだよぉぉぉ!!」


「分かんないってば! ちょっと黙っててよ!!」


「っ!!」


 ああくそ! 頭がおかしくなりそうだ……
 ルッカから離れて少しでも頭を冷まそうと深呼吸する。


「……マール」


 落ち着くと、マールと遊んだ今日一日を思い出す。
 ゴンザレスと戦っているときに一生懸命応援してくれたマール。
 猫を探しているときの真剣なマール。
 クリームを顔につけながら幸せそうにクレープをほおばるマール。
 レースに勝った時の嬉しそうな声を上げるマール。
 ……消える瞬間、辛そうな顔をしているように見えた、マール。


 勿論、体が消えた後で黒い穴に吸い込まれたのだから、表情なんて分かるわけがない。
 だけど、それでも……


「最後がそれなんて……あんまりだろ……生まれてきて、一番楽しい日だって言ったじゃねえかよ……」


 地面に座り込んで頭を掻き毟る。
 どうしようもない無力感。
 土の上に突っ伏して何もかも、今日のこと全てを忘れたいという思いに駆られる。


 目の端にキラ、と光るものが見えた。それは……ペンダント?


「マールが消える瞬間に落としたのか」


 近づいて拾おうとすると、ルッカが俺の腕を掴んでいた。
 邪魔された上に、まだルッカのせいでマールが消えたんだという悪意が残っているので、反射的に睨みつけてしまった。
 ……睨みつけようとした。


「……ルッカ」


「クロノォ……」


 ルッカは、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのだ。


 ルッカは、正直控えめに言っても優しい人間じゃない。
 見知らぬ女の子が消えても別にそれほど心を痛めはしない。
 そう、自分の発明が原因でなければ。


「わ、私、またやっちゃったのかな? あ、あの子、おか、お母さんみたいに、私が、私が殺しちゃったのかなぁ……」


 ……ああ、なんて馬鹿だ、俺は。


 知っていたはずだろうクロノ。
 ルッカが発明ばかりしている理由。
 まだまだ子供である時分から科学に全てを捧げた理由。
 ……彼女に母親がいない理由。


 詳しい話を知っているわけじゃない。
 知っているのは原因と結果。
 単純な話だ。
 ルッカが、発明を、科学を知らない頃のルッカが、自宅の機械を誤作動させた。
 そして……その結果、ルッカの母さんは死んだ。


 その日からルッカは発明に青春をかけた。科学に命を捧げた。
 でもそれは決して機械が好きだからじゃない。
 彼女は、世界で一番科学を嫌っている。
 だからこそ誰よりも科学を知りたがる。機械に触れたがる。
 そうしていれば、もう機械で誰かを傷つけることは無いから、機械に触れていれば、彼女は彼女の罪を忘れないから。



 そうだ、だから俺は誓った。約束した。
 昔々の話。
 本当に、頭がおかしくなったんじゃないかという時期のルッカ。いや、あれはもうおかしくなっていたのかもしれない。研究、発明、実験。延々と繰り返し、もうルッカが外に出ることは一ヶ月に一度も無かった。
 それはまだ良い。本当にルッカがおかしいのはその後。
 ルッカは実験をすることができなかった。
 自分自身は実験の結果を見なければならないから実験対象にはできない。かといって彼女の作るのは人間を対象にしたもの。
 でも、彼女は自分の作った機械の実験で誰かを傷つけることはできない。どれだけ安全で、理論的には怪我の仕様が無くても、誰かに実験させるということが、自分で誰かに機械を触れさせるということができなかったのだ。


 けれど、俺は例外。
 俺のみがルッカのモルモット足りえる。
 理由はなんのことはない。
 俺が立候補したのだ。その時のセリフは……覚えているが、言いたくない。恥ずかしいどころではない。


 でもその時誓った想いはいつでも言える。


 俺は、ルッカを悲しませない。


「……約束は、守らないとな」


「……え? あ……」


 ルッカの手を離させて、俺はテレポッドに近づく。その際にとても悲しそうな声をルッカが出すが、そこは我慢してもらう。だって、もうルッカが悲しむ理由はなくなるのだから。


「このペンダントが怪しいんだよな、ルッカ!」


 テレポッドの上に立ち、俺は俯いているルッカに声をかける。
 弾かれたように顔を上げたルッカは「え?」とビックリしていた。


「俺はさ、馬鹿だからマールが消えた理由は分かんねー。でもよ、ルッカがこのペンダントが理由でマールが消えたってんならさ、俺もこのペンダントを持ってれば……」


「そうか! 嬢ちゃんの後を追えるって訳か!」


 いやあ、そこは俺に言い切らせてほしかったかな。
 まあ、今まで口を挟まなかった分、タバンさんにしては空気を読んだほうか。


「クロノ……」


「大丈夫だルッカ。お前の発明品で誰も傷ついたりしねえ、マールは絶対俺が連れて帰る。だから、心配すんなよ」


「……あ」


 もう一筋、ルッカの頬に涙が流れる。


「……っ! 分かった! あんたもしっかりね、私がいない間にマールとイチャイチャしてたら、頭に風穴開けてやるわよ!」


「え? マジで?」


「マジよ!」


 はあ……まあ、これでこそルッカだよな。


「ルッカ! 準備は良いか!」


「ああ、ちょっと待って! ……ありがとね、クロノ」


「え?」


「スイッチオン!」



 聞き返すも、タバンさんが装置を動かし始めて、続きは聞けなかった。


「エネルギーじゅうてん開始!」


 二人は出力を限界まで上げていき……
 マールが消えたときと同じように、装置から電気が飛び出してきた。


「ビンゴ! うまくいきそうよ!」


 マールを吸い込んだ穴が現れ、体が分解した俺を吸い込んでいく。
 完全に意識が途切れる前に、ルッカが何か叫んでいた。


「私も原因を究明したら後を追うわ! たのんだわよ、クロノ!」


 ……ああ、頼りにしてる。


 それは言葉にはならず、目の前が完全に黒一色となった。











「さあて、クロノの奴上手くやるかね?」


 クロノが消えて、父さんは心配そうな声を出した。
 なんだかんだで、父さんはクロノを気に入ってるからね、心配するのも無理ないか……


「うちの婿候補なんだ、なんかあったら困るしなぁ……」


「おべっふ!」


 口の中にある唾液という唾液が体外に放出。残弾ありません!


「むむむむ、婿って誰の!? 誰がどうしてアイツはコイツの世紀末!?」


「いやいや、うちの婿って言ってお前のじゃなけりゃあ俺の婿ってことになるぜ? いいのかよ」


「駄目、絶対許さない」


 一瞬おかしくなったかなと思うくらい茹った頭は一瞬で冷め、私は父さんに改造済みのエアガンの銃口を向けていた。


「じょ、冗談だよ。怖いなあ……ああ、そういえば、さっきの女の子。心配だなあー」


 あからさま過ぎる話題のそらし方だったが、一々突っ込んでまた冷やかされるのはごめんだったので乗っかっておくことにする。にしても、婿って、婿って……


「あの子…気のせいかもしれないけど、何処かで見た気がするのよね。町の中で、って訳じゃなくて」


 何処だっただろう、町じゃないとするなら、もしかして……


「そうだよな、町の子がクロノをデートに誘うわけ無いよな。町の子にはルッカがクロノは私のだから、ちょっかい出さないで! って言い回ってるもんな」


「あきゃーーー!!!」
 私の思考は父さんの発言で遠く向こうに飛んでいった。
 いやいや、なんで父さんがそのこと知ってるのよ!?


















「……ええと、すいません。知り合いでしたっけ?」


 リーネ広場から消えた俺は、何故か見知らぬ山奥で、見知らぬ背は小さいが顔は老けてるとっつぁんぼーやに絡まれていた。
 ……ルッカ、もしかして失敗した? 毎度のことだけどさ。











 あとがき


 今回SS初執筆ということで誤字脱字が半端ではないと思いますが、お許し下さると幸いです。


 かの名作クロノトリガーをベースにしているのに完全なキャラ崩壊をしてしまい、ファンの方々には刺されるだろうな、という一種の諦観にも似た覚悟はしております。


 完全に不定期である本作ですが、末永く見守って頂ければ幸いです。



[20619] 星は夢を見る必要はない第二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:21
「はあっ、はあっ、はあっ!」


 ありえへんありえへん! そりゃ確かに見知らぬ人間が急に現れたらビックリすると思うよ! でもいきなり襲い掛かりますかね普通!?
 あと何で脛ばっかり蹴るんだ中学生の初めてのいじめみたいな事しやがって畜生!


 あー、あー、ただ今アホのルッカのあほな実験に巻き込まれたマールを助けに阿呆のルッカの言うことを信じてマールを追いかけたらはい! とっつぁんぼーやに追いかけられてます!


 ……超展開過ぎるだろ!? なんだよそれ? たまたま拾った女の子が実は魔法の国からやってきたお姫様だったくらい超展開だよ! 俺自身がついていけませんよ! ちゅーかたまたま拾ったってなんじゃい! 女の子はたまたま拾うものじゃねぇ! 空から降ってくるんだ! 事件は現場で起きてるんだ!


「あだっ! なになになにさ!?」
 あっ、ねるねるねるねみたいな言い方になった。どうでもいい。果てしなく。


 後ろを見ると俺を「ヒャッハー! あいつは俺たちの晩飯だぜぇぇ!!」みたいな顔で見ているとっつぁんぼーや達の一人が野球投手の新浦みたいにきれいなフォームで石を投げていた。
 凄いねそれ。走りながらよくそんなことできるね、何処の通信教育で教えてもらえますか?


「いたいよいたいよ! あかんわあれ絶対百三十キロは出てる! あいつら子供みたいな体格なんだからガキ大将剛田位の投球スピードにしとけよ!」


 俺の文句が聞こえるたびに「エケケケケ!!」という笑い声が聞こえる。
 多分訳すと「今夜の獲物は活きがいいな! 今から捌く時の悲鳴が楽しみだぜ!」みたいな感じなんですかね。狂ってる。


「はあ、はあ、痛いししんどいし疲れたし、もう走れねえ……」


 途中の岩壁に体を預けて、深呼吸を繰り返す。当然俺を追いかけていたとっつぁんぼーや(一々そう呼ぶの面倒くさいし青色丸でいいな、肌青いし。ていうかあいつセルゲームの時に何匹かいなかったっけ?)は俺に追いつき周りを囲み始める。


「エケッ、エケケケ!!」


「あー、もう。俺ガチの戦闘嫌いなんだよ。見たら分かるだろ、腰に木刀ぶらつかせてる奴は自分に酔った可哀想な奴か、俺と喧嘩売れば容赦なくこれを使いますよって牽制してるんだから。どっちにしても喧嘩なんかしたくないビビリなんだよ」


 ちなみに俺は二つのうち両方当てはまる。


 言いながら俺は木刀を両手で持ち、青色丸達を見据える。数はそれほど多くない、一人一撃で倒せば特に怪我も無いだろう。きっと、多分。恐らくは。


 青色丸たちは「お、俺達とやろうってのか?」と言わんばかりに顔を見合わせて笑っている。
 そりゃあ、今まで泣き言を叫びながら逃げ回っていた奴が急にカッコつけても笑えるだけだろうさ。


「笑え、笑え。何にもできないただのアホと思ってればその分俺の勝率は上がる」


 ついでに俺も休憩できる、と心の中で呟き一瞬、ほんの一瞬だけ俺も気を抜いた。


 ……それがいけなかった。


 顔を見合わせていた青色丸たちは打ち合わせでもしてたんですかというタイミングで同時に俺のほうを向き、閃光の如きスピードで俺に襲い掛かった!


「う、うわあっ!!」


 とっさに木刀を右になぎ払って俺にダメージは無かったが……それ以上に最悪な事態となってしまった。


「おおおお折れたぁぁ!!!」


 そう、青色丸三人分の蹴りとパンチに耐え切れず木刀が半ばから叩き折られたのだ。一人一撃で倒す? 夢見てんじゃねえ!


 呆然としている俺に、青色丸の一人が実にいやらしそうな顔で近づいてくる。
 途中で地面に落ちている折れた木刀をバキッと踏み潰しながら。


「エケケケケ……」


 無駄に訳してみると「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミで以下略」ってなところかな。なんともアメリカンな野郎だ。


「……フッ」


 ニヒルな笑みを浮かべ、背中に手を伸ばす。その動作に青色丸たちは怪訝な顔をして、すぐにまた警戒態勢へと戻り、俺から少しずつ離れていった。
 どうやら、奥の手のさらに上位に位置する奥義を使わねばならんようだ。
 驚くなよ? 俺はこの手でルッカの追撃を五回も振り切ったんだからな! (捕縛回数千前後)


「おらあああああああぁぁぁぁぁ………」


 俺は全力で青色丸たちに走り出す、と見せかけて明後日の方向に力の限り走る。
 奥義、「ハッタリ」である。


 いやいや、背中になんかなんも隠してないし、木刀が折られた時点でまともに戦うなんて選択肢存在しねえんだよ。誰だって好き好んでタイガー道場になんか行きたくねえよ!


 クロノ、心の俳句、と締めた後に数秒遅れて青色丸たちが走り出すがもう遅い。俺の逃げ足は弾丸より速いとと学校のホームルームで俺自身が宣言したのだから。


 青色丸たちの声がエケケという笑い声からゴガッゴガガッ! という怒声に変わる頃には俺は風と一体化していた。気分はボルト。








 青色丸たちから無事逃走を果たした俺は、山の途中から見えた町に向かうこととした。
 山を降りる間にもう無駄に色々あった。
 宝箱があったのでパネえ! パネえ! と喜びながら空けてみると二週間くらい洗ってなかった靴下みたいな臭いのする手袋。崖下の滝に宝箱ごと叩き落した。
 気を取り直して歩き出すとまた宝箱があったのでもう騙されるかと中身を見ずに崖下に蹴り落とした。落ちていく途中で蓋が開き、中からポーションが出てきたことを覚えている。(ポーションとは体力回復の薬である。勿論あって困るものではない)
 買ってきたプラモを帰り道で落として壊してしまった時のような感覚に襲われていると、下からグギャア!! という鳴き声が聞こえた。
 え、なに? どういうイベント? と戸惑っているとなにやらバサバサと大きな鳥が羽ばたくような音が聞こえた。
 大鷹でもいるのかね、と思っていると下から俺と同じくらいの大きさの鳥が二匹現れた。
 片方は頭から血を流しており、なるほど、俺の落とした宝箱が当たったのかと推理する。どうかねワトソン君!
 まあ、その鳥だけでもまずいのだが、もっとまずいのは鳥ではない。
 その鳥の足を掴んで一緒に現れたのが……そう、青色丸である。
 俺の顔を見るなりグゲエエッ! と叫んだところを見るとさっきまで俺を追いかけていた奴らに違いない。
 ふざけんなよ! 鳥の足を掴んでやってくるとかガッシュかよ! と悪態をつきながらリアル鬼ごっこが再開された。
 喘息の発作なみに息を乱していると、なんだか急にテンションが上がってきた。ランナーズハイというやつだろうか?
 少しランラン気分で歩いているとなんだろう、青色丸二人が人間の胴体くらいありそうなアルマジロでサッカーをしている。
 控えめに言っても冷静ではなかった俺はその光景を見て「よーしーてー!」と声をかけてしまったのだ。
 こうして、俺は他人とは適度な距離を持って接するべき、と学んだ。


「とにかく……たいへんだったんですよぉ……分かります?」


「分かるよ兄ちゃん。とにかく飲みねえ飲みねえ!」


 無事下山することができた俺は喉の渇きを潤すため町の宿屋に入り、現在酒をバカスカ飲んでいるところである。


「はい……幼馴染の女の子はなにかっちゃあつっかかってくるし、折角のお祭りで知らない女の子に飛び膝蹴りかまされるし、あげくその女の子はスカタンの幼馴染の実験に巻き込まれて消えちゃうし、後を追ったらあの山の中にいるし……もう散々です……」


 隣に座っている気の良い親父に愚痴を聞いてもらい、放しているうちに両目から涙が溢れてきた。
 俺の人生にいつ幸福期が来るのだろうか?


「うん、裏山? そこは確かリーネ王妃が見つかったところじゃねえか」


「え、女の子がいたの!?」


 どっぷり漬かった酒気が覚め、親父さんに話を促す。


「こらこら、王妃様に女の子ってのは無礼だぜ? ……まあ確かに久しぶりに王妃様の顔を見たが、確かに女の子って言えるほど若々しい人だったな。前に見たときよりさらに若返って見えた」


「王妃? ……まあいいや。あのさ、その子の特徴教えてくれない!?」


「だから……もういい。ええと、王妃様は美しい金色の髪の髪を後ろでくくってらっしゃった、服装は見つかったときはラフな白い服だったな。そして、これは見間違いかもしれねえが、背中にボーガンをつけてた気がするな」


「……ビンゴだ! サンキュ、親父さん! 最後にもう一つ。その王妃様には何処で会えるんだ?」


 そう問うた俺に親父さんは眉をひそめて、


「はあ? 王妃様に会うなら、城に行くしかないだろうが」


 ……なるほど、道理だ。ところで……


「あの、お城って民間人でも入れますかね?」


 親父さんの答えは何言ってんだ? お前大丈夫か? だった。



 星は夢を見る必要は無い
 第二話 急展開ってなんだかんだで必要な要素なんだよね








「着いた……ここがガルディア城か……」


 宿屋からここに来るまで、まあ無難に色々あった。
 肌が緑色というだけで、青色丸と姿形が全く同じの緑色丸が城にいく道筋の途中にある森で闊歩してたり。
 草むらで何かガサガサ動いてるから何かなー?と思って除いてみると中から化けもんたちがウジャウジャ出てきたり。
 草むらで何か光ってるからお金かなー? と思って近づくとモンスターがアメフトなみのタックルをかまして逃げて行ったり。
 単行本にして三分の一は描写できそうな冒険だった。
 まあ基本俺はワーワーキャーキャー言ってただけなので大層つまらない本になるのは間違いない。


「……しかし、こっからが問題なんだよな」


 途中の立て札に用の無い者は来るな! 乗らないのなら帰れ! とにべもない言葉が書かれていた。乗るって何に?


 まさかいきなり「すいませーん? 王妃様います? それ多分俺の友達なんで返してくれません? まじ、迷惑なんですけどー」
 と言ったところで返してくれるわけが無い。
 多分「そいつは悪かったねー。よいしょい!」
 と言いながら槍を突き出してくるだろう。
 そして俺はバッドエンド~宿命はいつまでも~とかロゴが出てきて終わる。何か良い案は無いだろうか……?


「……奥義を使うべきだな」


 またの名をはったり。


 俺は威風堂々と城の門を開けた。






「どうも、天下一品です。ご注文の品を持ってまいりました」


「待て! 何者だ!」


 まあ、何食わぬ顔で入っても城の門番が許すわけが無い。普通に俺の肩を掴み尋問する。


「いや、ですから天下一品です。ご注文の品を……」


「……そのご注文の品はお前の懐の中に入ってるのか?」


 懐疑的な目で見てくる兵士。にしても訳の分からんことを言う。天下一品といえばラーメンか餃子かチャーハンか。とにかく懐に入るような物でないと何故分からないのだろう。


「懐になんか入るわけ無いじゃないですか。頭働いてます?」


「じゃあ何でお前手ぶらなんだよ! 注文の品って何だよ!」


 ……なるほどね、それは盲点だったぜ。確かに両手に何も持っていないのにラーメン屋の出前のフリをするのは難しかったか……


「じゃあ税務署の方からです」


「いやあ……もう無理だよお前……修正効かないよ」


「……やっぱり駄目ですかねえ?」


 俺が聞くと二人の兵士は同時にこくりと頷き、俺の腰に蹴りをいれてきた。とても痛い。


「ほら、とっとと帰れ! あんまりウロチョロするようならひっ捕らえるぞ!」


「蹴りを挟んだ理由は何だ!」


 涙目になりながら講義する俺。暴行罪で訴えてやろうか、なおかつ勝ってやろうか。


「おやめなさい!」


 騒々しい城の入り口に響き渡る凛とした声。
 それは醜い争いをしていた俺達の動きを止めるには十分すぎる力を持っていた。


「リ、リーネ王妃様!」


 兵士達が動作を再開し、跪く。
 俺は何がなんだか分からないという顔で声の聞こえた方向を見る。


 そこには、荘厳なドレスを纏った、マールがいた。
 触れれば折れるのではないかという細身の女の子に、無骨な兵士達が傅いている。
 本で何度も見たことのある光景。それがこんなに神々しく見えるのは、マールの力なのか、城という舞台に影響されてなのか。


「その方は私がお世話になった方。客人としてもてなしなさい」


「しかし、こんな怪しい者を……」


 兵士の一人が、抗議ともいえない意見を放つ。
 もう一人も口にはしないが、同じことを思っているようだ。


 それを感じたマール……いやリーネ王妃は二人を交互に見て、口を開いた。


「私の命が聞けないと?」


 ゾクリとした。
 声を荒げているわけではない。
 刃物を突きつけられているでもない。
 ただ、その声の平坦さ、感情の不透明さが怖かった。
 まるで、見えない手に心臓を軽く握られたような……


「め、滅相もありません! どうぞお通りを!」


 急いで言葉を繋ぎ、視線を下に戻す。
 俺が言われた訳じゃないのに、あれほどの恐怖が生まれたんだ。
 言われた本人達の心情は押して知るべし、ってやつだ。


 リーネ王妃は「フフ……」と妖艶に笑い、城の奥に戻って行った。


 妖艶、恐怖、荘厳。
 俺の知っているマールとかけ離れた印象を持つリーネ王妃。
 ……本当に、本当に、リーネ王妃は……


「マール、なのか?」


 俺の小さな呟きは、城の大広間に響くことは無く、俺自身に向ける疑問として残った。


















 おまけ



 それは今から六年ほど前のこと。


「ルッカ! もうちょっと優しい実験にしよう? でないと俺若い身空でこの身を散らすことになってしまう……」


「駄目よ、この実験が成功すれば私の理論は飛躍的に進むんだから。そう、時を越えることもできる……かもね」


「嫌だぁぁぁ!! 時を越えるのにどうして俺が十万ボルトの電撃を浴びなきゃなんないんだよぉぉぉ!! ただの拷問じゃん!!」


「うるさいわね! 私だって結構この実験の必要性に疑問を持ってるんだから! 覚悟を決めなさい!」


「うわあああ本末転倒の支離滅裂だぁぁぁぁ!!!」


─────春のことである。





「ルッカよお、まぁたクロノを苛めたのか?」


「苛めてない。実験よ実験。科学の進化に犠牲はつきものなのよ」


「実験ねえ……」


 それから二人の間に会話が途絶える。
 二人とも、別に気まずいとは思わない。互いが互いに研究をしているときには会話なんてもっての外だし、会話が無くても相手が何を考えているのか分かる。
 ルッカとタバンは普通の親子よりも強い絆で結ばれているのだ。


「やっぱあれか。普通に遊ぼうって言うのが恥ずかしいんだろ? やっかいな娘に惚れられたなクロノは」


「っっ!! あいたあ!!」


 急なタバンの発言に驚き、ルッカは手に持ったトンカチを足の指に落としてしまった。
 顔が赤いのは羞恥か、はたまた痛みの為か。


「ととと父さん! ぜっ、全然そういうんじゃないし! クロノとか、クロノとかもうそういう風に見る対象としてありえないっていうか、いやむしろクロノって誰? みたいな! そんな奴いたかなぁ……? って悩むくらいの存在よ私の中では!!」


 一息で言い放つ娘に「ほーほー」と聞き流すタバン。今も昔もルッカは父親には勝てないのだろうか。


 また、先ほどと同じような沈黙が降りる。
 ルッカも気を取り直し、作業に戻る。
 タバンは何やらトンテンカンテンハンマーで何かを叩いているようだ。
 それは然程時間のいる作業ではなかったらしく、二分程度で手を休める。
 ルッカは電線と電線を繋ぎ合わせ溶接するという極めて集中力の要る作業を行っていた。
 当然、そんな時に話しかけるなど言語道断、初めてのアルバイトにメモを持ってこないくらいの暴挙だった。


 が、残念ながら、タバンに空気を読むというスキルは備わっていなかった。


「クロノ目覚ましの調子はどうだ? ほら、数百種類のクロノの声が録音されてるやつ。あれのおかげでお前朝起きるたびにニヤニヤしてるもんな」


「ななななんで知って! ってあつううううぅぅぅ!!」


 タバン家は、トルース町の名物一家として町に様々な話題を提供している。



[20619] 星は夢を見る必要はない第三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:30
 城に着いた俺は王様に謁見し、「疲れただろう、地下の騎士団の部屋で休みなさい。後風呂にも入りなさい。とても臭い」とありがたい言葉を頂いたので柔らかいベッドで熟睡する。勿論風呂にも入る。食堂で飯も食べる。無料だったし。


「うーん、お城ってもっと煌びやかな所かと思ってたんだが、なんか置いてあるもの全部が古臭いな。レトロブームなのか?」



 そもそも、この国はガルディアではないのだろうか? トルース町の雰囲気から見るに、俺が今まで住んでいた所と違うのは一目瞭然。まずリーネ広場があった所に山が鎮座している時点でおかしい。
 あと、この国なんか臭い。変な靄が立ち込めてて前が見辛い。
 しかし、元の世界(俺が生まれ育った場所)とこの世界(ルッカの機械で飛んできた今いる場所)で類似点が多々存在する。


 まず、町や城の位置。
 海沿いに町が並んでいる点や、森を抜けたら城があるのも元の世界とまったく同じ、遠くから見ただけなので詳しくは分からないが、城の南西に橋があるのも確認済みだ。
 次に地名。
 城に来る前に立ち寄った宿屋から、ここはトルース村だと聞いた。
 村か町かの違いはあれど、『トルース』という共通点は見逃せない。
 それだけならば偶然で済むかもしれないが、どうやらこの城の名前も元の世界にあった城と同じ名前、『ガルディア』城らしいのだ。


 疲れて碌に頭が回っていなかったとはいえ、ここがどういう所なのか考えていなかった俺は中々大物のようだ。


「うん、何事もプラス思考で生きていくべきだ。決して自分を卑下してはいけない」


 独り言を呟きながら何度も頷いている俺を見て兵士達が


「医者呼ぶ?」「手遅れでしょ」


 と失礼極まりない会話をしている。
 これだから田舎者は困る。セレブリティな俺を見習うが良い。セレブリティって何だっけ?


 ちなみに俺がここに着いたのは六時間前。
 風呂に入って飯食って寝たらまあそれくらい時間が経つよな。
 最初の一時間はリーネ王妃がチラチラとこの部屋を覗いてきたが、まずは寝かせてほしかったので無視していた。
 いやあ、あれがマールじゃなかったら今までの苦労無駄だなー……と考えると確認するのに多大な勇気が必要だったので、まあぶっちゃけ後回しという名の現実逃避である。


「……そろそろ行くか? でもなあ……」


 それも度を越えれば後悔に早代わり。
 人を待たせといて風呂入って寝るってどうなの?やばいなあ、あれがマールでもリーネ王妃でもやばい。
 マールなら「待たせすぎだよクロノ、息絶えろ」とか言いながらボーガン乱射しそうだし、リーネ王妃なら「私をこれだけ待たせるとは、不敬罪です。裁判などいらぬ、斬って捨てよ」とか言われそうだし。


「いや、マールは優しい子だ。きっと『焦らせ過ぎだよクロノ! そんな貴方にフォーリンラブ!』とか言い出したり……しますかね?」


「知らねえよ気持ち悪い」


 隣のベッドで横になっている兵士に声をかけると冷たい言葉を返された。
 これだから田舎者は。コミュニケーション力が足りない。コミニュケーションだったっけ?
 てか、よく見ると貴方ほいほいソルジャーにそっくりですね。家族の方ですか?


「……行くしかないよな。これで帰ったら馬鹿だもんな」


 そもそもルッカが迎えに来てくれない限り帰る方法なんてない。
 やだやだ、なんだろこの怒られるが分かってて学校に行く気分みたいなの。


 ベッドから降りて城の大広間に向かう。そこから王妃の部屋まで行くらしい。
 溜息をつきながら階段を上がり、大広間に出るとなにやらメイドやら兵士やらが騒いでいた。
 少しでも怒られるのを先延ばしにしたい俺は右往左往しているメイドの一人に話しを聞いてみることにした。


「あの、どうしたんですか? おなか痛いんですか?」


「リーネ様がいなくなったのよ!」


 なるほど、リーネ王妃がいなくなった、と。
 そういえばちょっと前まで姿を消していたらしい。なんともお転婆なことだ……って!


「お転婆とか古っ! じゃなくてリーネ王妃がいない!?」


 え?どうするの? いやいやリーネ王妃がマールだとしたら俺の目的が消えたって事ですか?
 俺が悪いのか!? 俺がグータラして中々会いに行かなかったのが悪いのか!?


「誰か怪しい人間はいなかったのか!」


「王妃様の部屋には誰も入ってません!」


「何? 客人が来ると仰っていなかったか!?」


「それが、その客人の方が中々現れなかったので度々部屋から出ておりましたが……」


「……となると、怪しいのは……」


 ……何で俺のほうを見ているのだろう。
 あれだろうか、無料だからといって食堂で肉ばかり食べたからだろうか?栄養バランスを考えろ!みたいな。


「貴様ぁ、よくも王妃様を!」


 違うね、俺の健康を心配してる感じじゃないね、これ。剣抜いてるもん。ツンデレにしてもおかしい。


「ちょちょ、違うって!俺は騎士団の部屋で寝てただけですよ!? 証人! 証人を呼んで下さい!」


「確かにお前が騎士団の部屋にいたことは確認されている。だが、お前がここに来てからずっとお前を見張っていた人間はおらん。我々はずっと部屋で休んでいる訳ではないのでな」


 つまり騎士団の部屋は入れ替わりが激しいので俺のアリバイを完璧に証明してくれる奴はいないと。
 何だよその疑わしきは罰する構え。


「は、話し合おう! 話せば分かる! 何事も!」


「そういうセリフは悪役が言うものだ。尻尾を出したな貴様!」


「だああ! ゲームのやり過ぎだあんた!」


 どうやらリーネ王妃は随分慕われていたようだ、兵士達は王妃の危機に冷静さを失っている。外部の犯行という可能性の前に俺という不審人物の存在に目が奪われ短絡的な発想に帰結する。浅はかな!!
 ……いや、確かに急に城に現れた奴を疑わない訳はないか。しかも現れてすぐ王妃が消えたらそりゃあもう。
 おまけに俺はリーネ王妃に客人としてもてなせ、と言われたのだ。犯行は容易、そう考えるのに何の不思議があろうか。


「……詰んだな」


「さあ極悪人! 王妃様を何処に……」


 ドガァ!!!!


「ぐふっ!」


 もう言い訳できませんねこれ、と諦め、両手を上に上げた瞬間、城の扉が爆発し近くの兵士が吹き飛んだ。


「クロノ! いる!?」


 その犯人はタイミングが悪いか良いかで言えば悪いに三万ペソのルッカだった。


「あ、ああ、います」


「ああいた! もう何回叩いても扉を開けてくれないから思わず吹き飛ばしちゃったじゃない! 門番の奴ちゃんと仕事しろって感じよね!」


 思わず吹き飛ばすなんて行動ができるのは古今東西ルッカだけだと思う。
 しかし、今回ばかりは助かった!


「とりあえず、無事でよかったわ! それよりあの子は?」


「それどころじゃねえ! 逃げるぞルッカ!」


「ちょ、ちょっと!」


 ルッカの手を握り吹き飛んだドアから逃げ出す。我に返った兵士達が追えー! と叫んでいる。
 普通の服しか着てない俺達に、鉄製の重たそうな鎧を着込んだ兵士達が追いつけるわけはなかった。
 一つ怖かったのが逃げている最中ルッカが何も言わなかったこと。
 口には出せないけど、ルッカの手汗が気持ち悪かった。びっしょびしょなんだけどこいつの手。


 森から抜け、今分かることは、俺はマール救出に失敗したということだけだった。






 星は夢を見る必要はない
 第三話 爬虫類は実験対象








「で、どういう訳か説明してくれる?」


 全力で走ったせいか顔の赤いルッカがそう切り出したのはトルース村の宿屋だった。
 兵士達に追われているので長居はできないが、ルッカ曰く「森の途中で振り切ったからね、多分今は森の捜索中。村にまで捜索がかかるのはまだ先よ」の言葉を信じて、ここで休憩することになった。


 二人で水を二杯ずつ飲み、俺はルッカに何があったのか説明した。
 俺がグータラしたことは言わなかったが。


「何ですって、リーネ王妃がいなくなった!?」


 驚いて大声を出したルッカの口を慌てて塞ぐ。
 まだ村の人たちはいなくなったことを知らないのだ。ここで騒がれたら兵士達が来るかもしれない。


 俺の考えていることが分かったのだろう、ルッカは一つ頷き、俺は手を離す。
 何でちょっと残念そうなんだよ。


「……やっぱりね」


 何事かを考えていたルッカは何か自己完結していた。


「おい、何が分かったんだ? 俺にも説明してくれ」


 身を乗り出す俺を手で制して、ルッカは話し出す。


「あの子が消えるとき、どこかで見た顔だと思ったのよ」


 ふんふん、と何度も頷いて先を促す。
 ルッカは人に何かを教えるとき焦らす傾向がある。教師には向かない性分だ。


「ここは王国は王国でも随分と昔の王国みたいね」


 辺りを見回して電波な事を言い出す。
 ……あれ?妙な方向に話しが向かってませんか? ルッカさん。


「あの子は昔のご先祖様に間違えられたって訳よ。あの子は私たちの時代でもお姫様、そう……」


 ルッカは一度言葉を区切り、立ち上がってさあ驚けといわんばかりに両手を掲げて話し出した。


「マールディア王女なのよ!」


「……ああ、そう」


 やばいぞ、頼りにしていたルッカがおかしくなった。
 あれか、この前二人で見に行った紙芝居に影響を受けたのだろうか?
 時を駆ける幼女だかなんだか。


 俺の薄いリアクションを見て恥ずかしくなったのかルッカはしずしずと椅子に座りなおし、俺を睨みつけた。


「で、マールは何処に行ったんだ? さっさと結論を言えよ」


「……いなくなった、というのは間違いじゃないけど、正確じゃないわね。いなくなったんじゃなくて、『消えた』のよ」


 メーデー! メーデー!
 電波領域急速に拡大していきます!


「つまりマールディア王女はこの時代の王妃の子孫なの」


 やばいぞ、黄色い救急車を呼ばなくてはならない。


「そして、この時代の王妃がさらわれた……本当はその後、誰かが助けてくれるはずだった。でもね、歴史は変わってしまった。マールがこの時代に現れて、王妃に間違えられてしまい、捜索が打ち切られたのよ。……もし、この時代の王妃が殺されてしまったら……」


 真剣な顔で俺を見るルッカ……
 これほどにマジなら、過去に来たとかいう話も本当なのか?
 ……ああ、こいつお菓子の当たりを確かめるときもこんな顔してるわ、結論、信じられるか。


「その子孫であるマールの存在が消えてしまう……でもまだ間に合うわ! 今からでも王妃を助け出すことができれば、歴史も元に戻るはず!」


 熱弁しているルッカの横で俺はマスターにチョリソーを注文する。
 この辛さがたまらない。


「おそらく、この時代の王妃に何かあったんだわ。だから、子孫であるあの子の存在そのものが……」


「あっマスター、香辛料ドバドバいれて。味が濃ければ濃いほど好きだからさ、俺」


「とにかく、本物の王妃の行方を捜さなきゃって聞いてるのクロノォォォ!!」


「あっつい! 鉄板に俺の顔を押し付けるのは駄目ぇぇぇ!!」


 こうして、二度目のマール捜索改め、王妃捜索が始まった。







 何の手掛かりもなしに王妃を探すのは無理だ。城の兵士達が探しても見つからなかったんだ。
 俺達二人で無闇に探しても見つかるわけがない。
 兵士達に追われている俺達は急いで行動を開始した。早く手掛かりを見つけないと牢屋に入れられる過程を飛ばして死刑かもしれない。
 ルッカは宿屋を出てグッズマーケットや家の外に出ている人たちから聞き込みを開始するらしい。
 俺はまた走り回るのは嫌なので、宿屋で酒を飲んでいる酔っ払いたちに話を聞くことにした。

「王妃様? もう見つかったんだろう?」

「うーん、兵士達が探しても見つからないような場所? そんな所この国にあるかねえ? 強いて言えば魔王城かな?ハハハ!」

「そりゃあもう、うちの母ちゃんは王妃様に勝るとも劣らない美女よ、ガハハ!」

「何だ? 色んな人に聞き込みをしてる? ルサンチマン気取りか!」


 とまあ多様な話を聞いたがこれといって重要そうなものは何一つなかった。はっきり言って時間の無駄だった。


「おい」


「え?」


 肩を叩かれ、振り返ると頭にバンダナをつけた男が立っていた。


「王妃様のいる所だろ? 一杯奢ってくれれば教えてやるぜ?」


 男がそう切り出すと、近くにいた酔っ払いが口を挟んだ。


「おいおい、王妃様はもう見つかったんだぜ? 裏山でな」


「何? そうだったのか」


 ちぇ、酒代が浮くと思ったんだけどな……とこぼしながら椅子に座る。
 俺はそいつの隣に座り、マスターに酒を注文し、それを男に渡す。


「おいおい、いいのかい? 俺の情報はもう無駄になっちまったんだぜ?」


「いや、俺にはそれが重要なんだ。あんたはどこに王妃様がいると思ったんだ?」


 男は眉をひそめながら、酒を口に含み、飲み下してから口を開いた。


「俺は城の西に立てられた修道院が絶対に怪しいと思ってたんだ。まあ、的外れだったみたいだがな……」


 ……修道院か、そこに賭けるしかないな。
 村の中なら村人が気づくだろうし、裏山は捜索隊が探した。城の中なんて馬鹿なことはないだろう。
 探せるところなんて追われる身の俺たちには限られてるんだ。


 席を立ち、ありがとうと男に言い残して、店を出ようとする。
 すると、後ろから情報を教えてくれた男が俺に声を掛ける。


「俺の名前はトマ! 世界一の冒険者さ! 坊主、お前の名前は?」


 世界一の冒険者とは大きく出る。
 それに触発された俺は、振り向いて、親指を自分に向けて高らかに宣言した。


「俺の名前はクロノ! 世界一の色男だ!」


 店を出るときに聞こえた声は、宿屋にいる人間の爆笑だった。
 二度と来るもんかこんな宿屋。


 グッズマーケットで店主を締め上げていたルッカを見つけて、二人で修道院に向かう。
 店主を締めていた理由は「商品が割高だったから」だそうだ。割高くらいなら勘弁してやれよ……
 とはいえ、俺の折れた木刀の代わりに青銅の刀を買ってくれていたのは嬉しかった。
 ありがとうと久しぶりに本音で言ったら「これであんたに借りてた借金はチャラね」だった。
 ……これ、四百ゴールドもするんだ。









「これが修道院か。俺、初めて来たよ」


「私もよ。私達の時代に修道院は……あるのかもしれないけど。船でも使わないと行けない所にあるからね。トルースに住んでる人達は見たこともないんじゃないかしら」


 中に入ると、石製の床に赤く長い絨毯が入り口から奥まで敷かれてあり、六つの長椅子が置いてあった。
 そこに三人の修道女が座って何かしら祈りを捧げていた。
 はっきりと言うのは失礼かもしれないが、とても口が臭かった。何食ったらあんな口臭になるんだろう。


「さあ、貴方達もかわいそうな自分達のために祈りを捧げてはいかがですか? ククク……」


「友達いないからってそういうことばっかり言うのやめたほうがいいですよ、性根まで悪く思われますから」


「……どうかこの愚かな者に裁きの雷を……」


 これだ。
 口が臭いだけに飽きたらず、口が悪い。
 ここに来てから思ったんだが、この世界はとことんまともな奴が少ない。
 トマくらいのもんじゃなかろうか?
 あと俺に無料で飯をくれた料理長。テンションは大変うざったかったが。


「結局手掛かり無しか」


「あんたね、これだけ怪しいところも早々ないってくらい怪しいじゃない、この修道院。ここにいる人たち絶対何か悪どいことしてるわよ」


「こらこら。人を言動と口臭で差別するもんじゃないぞ、犬みたいな臭いのする人がいてもいいじゃないか」


「犬、っていうか下水臭いのよねここの人たち。修道女なんだったら歯くらい磨きなさいよ」


 俺達の会話が聞こえるたびに修道女の皆さんの口が大きく横に裂かれていくのは気のせいだろうか?


「なあルッカ……あれ?」


「どうしたの、何か見つけた?」


 床に何か光っているものがあったのでそれを拾い上げてみた。


「……それって」


 後ろからぎぎっ、と音が聞こえる。
 修道女たちが椅子から立ち上がったのだろう。


「これ、ガルディア王国の紋章じゃない!」


「え?」


 俺が聞き返すと、修道女が素早い動きで俺達を囲む。
 ……なんかデジャヴだな、これ。


「よくも気づきましたね、この場所の秘密に」


 修道女Aがサスペンスの犯人みたいな雰囲気を出す。


「まあ、あれだけ罵詈雑言を重ねてくれた貴方達を帰す気はさらさらありませんでしたが……」


 修道女Bが憤怒の表情で脅す。


「とにかく、貴方達二人は私たちの美味しいディナーに……」


 修道女Cが舌なめずりをしながら俺とルッカを見る。


「スパイスは……貴方たちの悲鳴よ!!」


 修道女Dが叫ぶと、四人の体から青い炎が噴出してくる!
 数秒の間に炎は彼女らの全身を燃やし、急速に炎が消えると、そこに立っていたのは下半身が蛇の、舌の長い化け物だった。


「! モンスターよクロノ、気をつけて!」


 ああ、ルッカがシリアスな顔になってる。
 じゃあ言っちゃ駄目なんだよな。
 戦隊物の悪役みたいだって。
 心にしこりを残しつつ、俺は青銅の刀を抜いた。


 ルッカは右側の蛇女に改造エアガンを撃ち、蛇女はそれを右手で叩き落す。その隙に俺とルッカは囲まれた状態から脱出して、壁を背にして向かい合う。
 ルッカはここからどう動くかシュミレートしているが、その前に重大な問題をルッカに告げなくてはならない。
 これは、俺達の生死にかかわる問題だ。


「なあ、ルッカ。大変だ」


「何よクロノ! 大事なことなんでしょうね!」


「ああ、実はこの青銅の刀なんだが。重くて振り回せない、どうしよう」


「………」


 ルッカがあまりに冷酷な目で俺を見るが、仕方ないじゃないか。
 今まで木刀しか振り回してなかった俺が青銅なんて物を扱えると思うほうが間違いだ。
 鞘に入れて腰につけてた時から辛くてしょうがなかった。


「今言う? ねえクロノ。それ今言わなきゃ駄目? もうすこし前に言ってくれたら私も対処できたんじゃないの?」


「だって……格好悪いから」


「あんたのその変なプライド、帰ったら実験で粉々にしてやるからね」


 帰りたくないなあ。
 いっそここで蛇女に投降してルッカを叩きのめすというのはどうだろうか。
 淡い希望を持って近づいてみると右手で一閃された。駄目ですか。


「ああもう! 肩に乗せて叩き切るならできるでしょ! 一撃必殺の気持ちで挑みなさい!」


「はいはい、……ああ、重たいし肩が痛い」


 これ以上文句を言うとルッカがぶち切れそうなのでやめておく。
 今もチラチラ銃口が俺の方を向くのだから。


「シャアアアア!!」


「「うわあああ!!」」


 俺とルッカが同時に右に転がり避ける。
 転がりながらも蛇女に何発か銃を撃つ根性はすばらしい。っていうか良いな飛び道具。俺も弓とかにすれば良かった。木刀なんか持ち歩かないで。


「クロノ! あんたが前に出ないと私にも攻撃が来て照準が合わせられないでしょ! とっととつっこみなさい!」


「だから青銅の刀が重たすぎて振れないんだって! 俺今肩に乗っけてるけどこっから振り下ろすのやっぱり無理だわ! もう腕が痺れてきてるもん!」


「役立たず! ……ああ、仕方ないなぁ…これ凄いレアなのに……」


 ルッカはポケットを探ると、中から小指の第一関節程の大きさのカプセルを取り出した。


「なにそ、んぐっ!!」


 取り出すや否やルッカはそのカプセルを俺の口に突っ込んだ。
 凄いイガイガする。喉が痛い。これ口の中に入れていいのか?


「げほっ、げほっ!! ……何するんだよルッカ! 殺す気か!」


 右手に刀を持って切っ先をルッカに向ける。ああ、これをルッカの頭に振り下ろせたらなんと快感だろうか。


「もう重くないでしょ? その刀」


「え?」


 言われてみると確かに軽い。
 さっきまで引きずりたいくらい重たかった青銅の刀が今では木刀と同じくらい、下手をすればそれよりも軽いように感じた。


「パワーカプセル。古代文明の遺産とされるもので、飲めばその人の力を上げてくれるって代物よ。……言っとくけど、とんでもなく珍しいんだからね? 感謝しなさいよ」


「なるほど、これなら……」


「シャアアア!!」


 再び襲い掛かってきた蛇女の腕を左に避けて、後ろ首に思い切り刀を叩きつける。
 嫌な音が響いて、一匹目の蛇女が崩れ落ちた。


 バンバンと銃声が鳴り、俺を後ろから襲おうとした蛇女の腕から血が流れていた。


「「闘える!」」


 夜の修道院に、俺とルッカの声が調和した。








「ふー、ビックリした」


 俺が戦えるようになると戦いはあっけなく勝負がついた。
 決め手は俺が昔開発した技、深く息を吸い、息を吐きながら相手に回転しながら何度も切りかかる回転切りだった。
 たまたま近くにいた蛇女二匹を葬り去った俺はもう神と言えよう。
 残りの一匹はルッカが持ち歩いている小型の火炎放射器でケリがついた。
 何で火炎放射器なんか持ち歩いてるの?とかそれ最初に使えば俺が戦う必要なかったんじゃ? とかは言えない。
 燃えながら絶命していく蛇女を見てニヤ……と笑ったルッカは人外の者と契約していると言われても納得できた。凄い怖かった。


「まあ、思ったより手強くはなかったな、むしろ楽勝?」


「あんた、最初の体たらくを忘れてよくそんな……」


「シャアアアッ!!」


「!?」


「ルッカ! 危ない!」


 呆れたように俺を見ていたルッカは急に後ろから現れたモンスターに気づくのが遅れてしまった!


 俺は刀に手をかけて走るが……間に合わない!!


 モンスターの右腕がゆっくりとルッカに迫り………


「やめろ、やめろ! ぶっ殺すぞてめええぇぇぇぇ!!!」


 無情にも、その腕は止まらず、ルッカの体を引き裂……かなかった。


「ギシャアアアァァァ!!!」


 修道院の天井から現れた俺より少し背の高い……かえる? 男がモンスターを切り伏せ、ルッカに怪我はなかった。……かえる?


「最後まで気を抜くな、勝利に酔いしれた時こそ隙が生じる」


 何か言ってる。かえるのくせに。
 かっこいいこと言ってる。かえるなのに。


「お前達も王妃様を助けに来たのか?この先は奴らの巣みたいだな。どうだ? 一緒に行かないか?」


「あなたは……!?」


 ルッカは俺の後ろに回り、顔だけ出してかえる男を見る。


「クロノ、知ってるでしょ。私カエルは苦手なのよ……」


「俺はお前が俺の後ろにいる今の状況が怖い。何をされるか分からんからな」


「……」


 無言で俺の首を絞める。
 ほら、こういうことをするからお前に背中は見せられない。


「まあ、こんなナリをしてて信用しろといっても無理か……いいだろう、好きにしろ、だが、王妃様は俺が助けに行かなければならないんだ……」


 言い終わるとかえる男は俺達の前から離れていく。
 ……なんでかえるなんだろう?


「ま、待って!」


 立ち去ろうとするかえる男にルッカが声をかける。


「わ、悪いカエ……人ではなさそうね……うーん……ねえ、どうするクロノ?」


「何が? 実験用に捕獲するかどうかって事?」


「ほ、捕獲?」


 俺の発言に動揺するかえる男。
 心持ち頬がひくついている。


「……そうか、そういうのもありよね、考えてみれば間違いなく新種の生き物なんだし」


「おい! 人を珍しい生き物扱いするんじゃねえ!」


「よし、クロノ。捕獲よ」


「ええー、触ったら粘つきそうだし、嫌だよ」


「こいつら助けてもらった恩も忘れて……!」


 剣に手をかけるなよ、最近の奴は脅せばなんでも済むと思いやがって。


「じゃああれよ、このかえるを捕まえたら、帰ってもあんたを使って実験しないわ。どう?」


「抜け、爬虫類。テメエは俺を怒らせた……」


「怒るのはこっちだろうがドアホ!」


 いくら喚こうと無駄だ。ルッカの実験から逃れられるなら俺は鬼になる。俺自身が笑えるなら、俺は悪にでもなる。


「今、俺の脳内でかかっているBGMは~エミヤ~だ。何人たりとも俺を止めることはできない……」


「……あー、なるほど。ちょっと痛い目を見ないと礼儀と常識が分からんらしいな、お前ら!」


 戦いの結果はあえて語らない。
 ただ、三合ももたなかったことだけは記しておこう。
 ……いけると思ったんだよなあ。







 結局、目的が同じもの同士で戦って馬鹿じゃないの?という理不尽という言葉では図りきれない暴言を吐いたルッカの言葉で、かえる男が仲間になった。


 かえる男の名前はカエルというそのまんまな名前だった。
 それを聞いたルッカはやっぱりカエルなんじゃないと発言し、カエルとルッカの間で言い争いが起こったというのはしごくどうでもいい事だ。


 場が落ち着いて、カエルのこの部屋のどこかに隠し通路があり、そこから奥に行けるはずだとの言葉から、部屋の中を調べてみることにした。


「ねえ、クロノ?」


「なんだよルッカ、急に後ろに立つなよ。怖いだろうが」


「あんた、何でちょっと不機嫌なの?」


 絶対に殴られるだろうと覚悟して言ったのだが、ルッカは心配そうに俺を見つめて、疑問を口にした。


「……別に。気のせいだって」


 そう、気のせいだ。
 ルッカが危険な目にあって、そして助かった。
 不機嫌になる理由なんてない。
 あるはずがない。
 カエルにも感謝すべきなのだ。


 ……ルッカを守るのは俺の役目なのに、という独占欲にも似た嫉妬に、俺は気づかない振りをした。


 立ち上がり、ルッカから離れて別の場所を調べる。
 その間、背中に感じるルッカの心配そうな視線は、今日起こったどんな出来事よりも痛みを感じた。



[20619] 星は夢を見る必要はない第四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:35
 俺とルッカとカエルで部屋の捜索を続けたが、隠し部屋の入り口が一向に見つからない。
 この爬虫類ホラ吹きやがったなとルッカが切れて俺もそれに便乗しようとしたところ、ルッカは軽く流して俺はカエルのワンパンで吹き飛ばされた。男女差別反対。俺はジェンダーに生きる男。
 俺が吹き飛ばされた先にパイプオルガンがあり、盛大に、めちゃくちゃな音が響く。
 音が収まると、部屋の奥の壁がズズズズ……と下がり中から扉が現れた。
 ルッカとカエルはついさっきまで喧嘩してたのにハイタッチをしていた。ぶっちゃけカエルは嫌々やってる雰囲気だったが。
 ルッカさんカエル嫌いなんじゃないんですか?と言いたくなったが、俺の服で手を拭きやがった。ふざけろ。


「広いな……」


 隠し扉をくぐると、そこは外観からは想像できないような広さで、カエルが少し呆れたような声を出す。
 もう一つ付け加えるなら、モンスターが跋扈していて、見つからずに進むのは困難に見える。


「っていうか、見回りのモンスター多すぎるだろ」


「でもこいつら全員を倒すのは無理よ。どうしても倒さなきゃいけない敵は倒して、後は見つからないように進むのが一番だわ」


 ここからは隠密作戦という訳だ。
 ……にしても、何で見回りのこうもり男みたいなモンスターはすり足で移動してるんだろう?鉄骨渡りの練習でもしているのだろうか?まともに定職についてお金を貰ったほうがいいですよと忠告してやりたい。


「俺もルッカの意見に賛成だ。王妃様を救うためにも雑魚相手に時間はかけたくないしな」


 言葉が終わるとカエルは足音を立てずに死角から死角へ移動する。
 ルッカもそれに倣いモンスターから身を隠しながら移動を開始する。
 俺はそれについて行こうとして締め付けの緩かった青銅の刀が廊下に落ちてモンスターに見つかる。
 結果モンスターと戦うことになったが、カエルもルッカもモンスターと戦う前に俺の頭と腹に拳をめり込ませていった。
 あんまり人を殴らないでほしいものだ、可愛く言うならもうクロノはプンプンなんだからね! という感じだ。


 次はねえからな……というカエルの脅しをはいはいと投げやりに返す。かえるの顔で凄まれても怖いより気持ち悪いが先に立つ。
 ただその後ルッカが後頭部に鞄から取り出したハンマーを振り下ろすのはいただけない。ここ最近ルッカのDVは目を見張るものがある。怒りとか怖さとかを超えてなんだかワクワクするくらいだ。パネえ。


 気を取り直して進んでいくと階段の上にアナコンダみたいなどでかい蛇が数匹いた。
 俺の本能があれは駄目だと叫んでいた。先ほどの戦いでもほとんど一人で敵を倒したカエルも蛇には勝てまい。生物とは食物連鎖には勝てないのだ。


 さっきのような失態は犯すまいと慎重に動いたら俺の後ろからグワンゴン! という音が鳴る。
 すぐさま何があったのか確認すると、ルッカがてへへ、と舌を出しながら自分の頭を叩いていた。どうやらハンマーを床に落としたようだ。
 それからの展開はご想像の通り。とりあえずカエルでも蛇に勝つことは可能なのだという奇跡を見ることが出来た。
 蛇足だが、何故かカエルはルッカを強くしからず、気をつけろよの一言だけだった。そうか! これが殺意なんだ!


 その後もこれ隠密じゃなくて殲滅じゃねえの?という勢いでモンスター達をバッタバッタと倒していく。
 途中、モンスターたちとの戦いで俺が腕に傷を負いもう帰ろうと進言したら「お疲れ」とのことだった。疎外感は人を殺すのだと何故分からない。


 あんまりにも俺が煩くしたのでカエルが回復してやると言いながらやたらと長い舌を出して俺の傷口を舐めだした。
 いきなりのことで俺は硬直しされるがままになってしまった。気分は陵辱ゲームのヒロイン。その光景を見ていたルッカはドン引きだった。


 ちゃんと話を聞いてみると、カエルの唾液には微量ながら治癒効果があるそうなので、他意は無いとの事。あってたまるか人外め、俺からすればお前もここのモンスターも大差はないんだ。


 どうにも納得のいかない俺にルッカが「怪我したまま戦闘をするわけにはいかないでしょうが」と背中を蹴られしぶしぶ了承する。


 ……まてよ? 怪我をすればカエルの舌に舐められるのか。
 名案の浮かんだ俺はモンスターとの戦いでわざとルッカに攻撃が向くように仕向けた。
 しかし、その度にカエルがフォローして難無きを得る。何故だ! 何故分からないカエル! 見ているだけの俺よりもむしろお前の方が喜ばしいことだというのに!!
 正直、今ほどカエルになりたいと思うことは無いというくらいお前が羨ましいんだぞ畜生! なのに!
 薄々俺の企みに気づいたルッカは俺に火炎放射器を向け、俺は地獄の業火に身を包まれた。その後きっちりカエルに全身を舐められた。なにこれ、癖になりそう。 カエルはものすんごく嫌そうだったけど。


 ある程度進むと、部屋の中に兵士が一人と王妃様と王を見つけてやったぜ! とルッカと二人で喜んでいたらカエルが違う! こいつは王妃様じゃない! と言い出す。
「何を根拠に言ってるの?」とルッカが問うと「全てが違う!あえてその理由を一つに絞るなら、そう、匂いが違う!」と断言した。俺はドン引きした。ルッカもドン引きした。本当にモンスターの変装だったのだが、モンスター達もドン引きしていた。


 偽王妃がいた部屋で隠し部屋を見つけ、入ってみると大きな銅像の前でサバトが行われていた。カエルはそれを見てチッ! と舌打ちをする。反悪魔崇拝主義なのだろうか? 上手くやれば教祖になれそうな外見の癖に。
 その部屋の中には宝箱があったが大量のモンスターがいる部屋からそれを回収する気にはなれなかった。


 宝箱といえば、これまでにも色々と拾った。まず俺の武器が青銅の刀から鋼鉄の刀になった。パワーカプセルを飲んでいなければ持つこともできなかっただろうが、青銅に比べれば重いというだけで、戦闘に支障はなさそうだった。これでようやく叩く武器から切る武器に変わったわけだ。
 さらに女性用の防具、レディースーツも手に入れ、防具としては中々優秀そうだったのでルッカが着替えたのだが、哀れなことに胸がぶかぶかで着ることが出来なかった。
 あれほど悲哀の表情を浮かべたルッカは久しぶりだった。俺とカエルは一度ルッカから離れて声の聞こえないところまで来ると腹の中から笑った。
 地獄耳でそれをルッカが聞きつけたときは、カエルの舌がからからになってしまった。
 もう先行きの不安で頭の中の警鐘が金属バットでガンガン打ち鳴らされていた。もしかして、偏頭痛なのかもしれない。



 星は夢を見る必要はない
 第四話 蛙って両生類であってますよね?











「はあ、本当思ってたよりも全然広いんだな、ここ」


 モンスターとの連戦で疲れきった俺たちはモンスターの見回りが来なさそうな場所を見つけ、少し休むことにした。


「休憩は五分だけだぞ、あまり休むと王妃様に危険が及ぶ」


「まあまあカエル、貴方が一番戦ってるんだから少しは体を休ませないともたないわよ?」


「……そうだな、まだ余力があるとはいえ無理は禁物か……」


 だからなんでカエルはルッカの意見には素直なんだ、タラシが。爬虫類の癖に。


「クロノ、勘違いしているようだから言っておくがかえるは爬虫類じゃなく両生類だ」


「あ、そうなんだ」


 お約束のように俺はカエルに肘を叩き込まれた。こんだけ殴られて記憶が飛んだらどうしてくれる。ああ、もう平方根の定理を忘れてしまった。元から覚えてたかどうか怪しいけれど。


「にしても、広いだけじゃなくモンスターの数も並じゃないわね。流石王妃を監禁するだけあって警備が厳重だわ」


「これでも少ない方だ。ここの連中は度々人間に化けて城に侵入しているからな」


「ええ!? それってかなりヤバイんじゃないのか? 例えば王様に化けたりしたらもうこの国終わるじゃん!」


 驚いて大声を出してしまった。幸いこの近くにモンスターはうろついていなかったのか、あたりには俺たち以外の気配は無かった。
 カエルが気をつけろ、と一睨みして、話を続ける。


「大概の変装には門番達が気づくさ。余程高位のモンスターじゃない限り、城の人間全員を騙すなんてことはできやしない。身分の高い人間には厳重なチェックがあるしな」


「? 身分の高い人間の方がチェックが厳しいって……理由は分かるけど、よくそんなことが出来るわね」


 ルッカの言葉にカエルは肩を落として、


「こんなご時勢だ。王も王妃様も納得してるさ」


「……なあ、ずっと気になってたんだけど、この国では戦争でも起きてるのか?カエルの話では随分物騒に聞こえるんだが……」


 俺が質問すると、カエルは目を見開き(それはそれは気味が悪い)声は抑えているが、驚いた声を出した。


「お前、ガルディアと魔王軍が戦っていることも知らないのか!?」


「「魔王軍?」」


 え、そのファンタジーな設定は何? 剣と魔法! みたいな。


 それからカエルは十年以上前に現れた魔王率いる魔王軍と、それに対抗する人間との戦いを教えてくれた。
 九割以上どうでも良かったが、この世界では常識らしいのでまあ覚えておくこととする。


「しかし、随分変わった奴らだ。魔王軍の存在を知らんとは」


「いや、私達はこの時代の……」


「待て、モンスターに気づかれた!」


 カエルが剣を抜き、飛び出してきたこうもり男を横なぎに切り払い両断した。見慣れたとはいえ、凄まじい剣速だな。
 俺も鋼鉄の刀で大蛇を斜めから切り、残ったでか蝙蝠をルッカが打ち落とす。ここにくるまでの連戦は三人のチームワークを高めるという意味では無駄ではなかったようだ。


「少し休みすぎたな。そろそろ進もう」


 俺とルッカは一つ頷いて、先に歩き出したカエルの後を追う。
 ああ、もう戦闘は御免なんだけどな……


 それからの探索は順調だった。
 無駄に多いモンスター達はカエルの脅威ではなかったし、モンスターの攻撃パターンも大体読めてきた。
 例えば大蛇は噛み付くことしかしないので不用意に近づかなければいいとか、蝙蝠男は飛び込んできて蹴るのがほとんどなのでタイミングを計ってカウンター。ふっふっ、所詮人間様の頭脳には敵わんのだよ。
 探索の最中に床で寝ているモンスターがいて、「んあっ!」というでかい声に驚いたルッカがまともに戦闘をせず頭を打ち抜いたというハプニングがあったが、特別問題は無かった。
 また隠し扉のギミックがあったが、一番最初の部屋でやったとおりパイプオルガンを弾けば扉が現れた。今度は俺もハイタッチに参加した。いいね、この仲間との連帯感! 俺へのハイタッチは一回だけでルッカとカエルは数回やってたけど関係ないぜ!


 隠し扉を抜けると、長い渡り通路があり、手すりの下を見ると五、六階分はありそうなくらい深かった。……あと五、六階も下に行かなきゃ駄目、なんてことはないよなぁ……


「それはないな。……この先から王妃様の匂いがする、近いぞ!」


 かっこつけてるつもりか知らんが本当に気持ち悪いなこのかえる、勘弁してくれ。ルッカも王妃様のことを言わなければカエルを頼りにしているのに、カエルの王妃様フェチが出る度に俺の背中に隠れるんだから。


 カエルが走って渡り通路を駆け抜ける。微妙に気が削がれたが、俺とルッカも一拍遅れて走る。モンスターの姿も見えないし、このままいけるか……? と思っていれば、後ろからモンスターが二匹現れ、俺たちを追ってくる!
 立ち止まって相手をしようと構えるが、俺たちの走っていた方向からもモンスターが現れて、挟み撃ちされてしまった。


「敵は六匹か……挟まれた状態じゃ迂闊には動けないな……」


 冷静に状況を観察するカエルだが、俺からすればどどどどないするの!? である。タマランチ会長も大騒ぎだ。
 ルッカもエアガンを構えるが、その目は不安そうに揺れている。せめて、俺たちの内誰か一人でも敵の後ろをつければいいのだが……


「……仕方ねえ、舌が痛むんであんまりやりたくないんだが……」


 策がありそうなカエルにどうするのか聞こうとすると、カエルは目いっぱい舌を出していた。
 あ、ボケたねこりゃ。


「ちょ! なんでこの状況で舌出してるのよ!? 舌自慢でもしたいの? ○ロリンガとでもやってればいいじゃない! あれ? でもベ○リンガって長い舌を自慢したいのかしら? もしかしたら長い舌にコンプレックスを抱いてるかも……そしたらベロ○ンガは舌自慢に乗ってくれないわ! ああ、どうしようクロノ!」


 ルッカもルッカで冷静さを欠いて頭の弱い突っ込みをしている。というか突っ込みなのか?


 俺とルッカがテンパっていると、カエルは天井の梁に下を伸ばして絡ませて……跳んだ!?


「遠くの物に舌を絡ませて、自分を引き付けて跳ぶ……スパイ○ーマンみたいな奴だな……」


 うん、自分でも言い得て妙だと思う。


 天井に跳んだカエルはそのまま落下し、前にいたモンスター二匹を切り倒した。 これで、挟み撃ちの状態から抜け出し、残るモンスターは四匹となる。
 舌を使ってあちこちに飛び回るカエルのトリッキーな動きに戸惑っているモンスター達は、俺たちの敵ではなかった。






「本来はこの舌に敵を絡ませて、引き付けた後切る技なんだがな、こういう使い方も出来るって訳だ。難点は舌が汚れることと負担が強いから、多用できないって訳じゃないが、好んで使いたくはないのさ」


 カッコいい。カッコいいし、危機から抜け出せたことは嬉しいのだが、縦横無尽に人間の大きさのカエルが飛び回る様はトラウマものだった。
 現にルッカは戦いが終わると表面上はなんともないような顔をしてるが、俺の袖を掴んだまま離してくれない。小刻みに震えているのが分かる。
 俺は夢に出るのは確定だな、と半ば諦めてさえいる。


 俺たちの変化に気づいていないのか、カエルは気合十分に渡り廊下の先にある扉を開こうとしている。
 ……やはり、人間と他種族は相容れないのだろうか?
 どこかに、もっと全てを包容してくれる世界があるんじゃないのか?
 哲学的なことを考えてしまう僕クロノであった。














 おまけ

 一年前の、茹だるほどに暑い夏のことである。



「母さん。暑いね」


「そう? でも我慢できないほどじゃないでしょ? 夜になればきっと涼しいわよ」


「うん。でも夜まで我慢できそうにないや」


「まあ、それだけ聞くと卑猥ね、このエロ息子」


「だからなんで母さんは俺が母さんの肉体を狙ってると過信するの? 頭おかしいの?」


「向こう三日間あんたのご飯素麺だからね、文句言ったら飛ばすわよ」


「そんな事言ったって、ここ二週間ずっと素麺じゃんか。飽きたとかもう見たくもないとかじゃなくてむしろ中毒になりそうだよ」


「食事の度に白いの、白いの下さいいぃぃぃ!! って言えばいいわ」


「それは結局、牛乳ってオチにしてよ。素麺じゃ無理があるよ」


「それはそれは」


 口に手を当てオッホッホと笑うクロノの母。四捨五入で四十歳。低血圧で最近慢性的に肩こりがするらしい。それでも町の男からの人気は上々という魔性の女である。


「……だからさ、もう毎食素麺でも俺文句言わないからさ、お願いだからそれ返してよ」


「嫌よ、私はもうこれが無いと生きていけない体になってしまったの」


「だから何で一々そっち系の言葉を選ぶんだよ! 言葉を選ぶならそういうことを言う相手も選べよ! 俺息子だよ!?」


「んふふ、あんたもこういうの好きなくせに……」


「くそ、これだから自分の年も考えないおばさんは嫌いなんだ」


「あんたの素麺、つゆ無しね」


「味のしない素麺って食事としてどうなの?」


 クロノの言は無視する母。体脂肪率16%。息子には「あんたは知らないでしょうけど、グラビアアイドルの女の子と同じぐらいのスリムボディなのよ」と嘯く策士である。


「あああ! だからそれ返してよ! 俺のウォータープール!」


「あんた今いくつよ? その年でウォータープールとか恥ずかしくないの?」


「俺の年齢で入るのが恥ずかしいならあんたの年齢で入るのはもう処罰の対象になるよ!」


「クロノ、この夏家に入るの禁止ね」


「軽い死刑宣告じゃねえか!」


 クロノの母、ジナ。
 かつて「お金がないなら盗ってくればいいじゃない」とクロノの貸した金返せ発言をを跳ね除けた剛の者である。
 この時ばかりはルッカもクロノで実験するのをやめて家で紅茶を淹れてあげたという。
 これが後に語られる格言『鬼に情はあるが母に情は無い』の元になる出来事である。近々この格言をタイトルにしたCDが出るとか出ないとか。


「もうこの暑いのにグダグダ煩い。ちょっとクロノ、あんた山篭りかなんかしてきなさいよ。折角の夏なんだし。直球で言うなら夏中は消えて」


「……俺は女子供に加え母親に手を出すのは決してしないと心に決めていた」


「今時フェミニスト気取り? マザコン世代が」


「……が、今日この日はその誓いを破る! そのたるんだ体を屍として晒せくそばばあああぁぁぁ!!!!」


「誰の体がたるんでるんじゃこらあああぁぁぁぁ!! 極彩と散れ馬鹿息子おおおぉぉぉぉ!!」


 結局クロノは一度も自分の拳を当てることが出来ずに町の広場に放り出されたのだった。
 クロノの母ジナ。その昔彼女は遥か遠くの国で、格闘技大会のチャンピオンとして二百人抜きをしたとされる、霊長類最強の女である。






 余談だが、町の広場に落ちているクロノを見て「これ拾ってもいいの!? これ貰ってもいいの!?」と鼻息を荒くしたルッカが確認されたとかどうとか。



[20619] 星は夢を見る必要はない第五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:39
 この先に王妃様が……という緊張感を持って、カエルが開けた扉の先を覗いてみると、大臣らしき男が疲れた顔でリーネ王妃に話しかけていた。


「覚悟はいいかなリーネ王妃? この世にさよならを次げる時間だ……って、リーネ王妃? 今大事なところだからこっち向いて? そのお菓子ならあげるから、ね?」


「よろしいのですか? では私としては心苦しいのですが、こちらのアーモンドチョコレートも所望したいのです」


「分かった、なんなら袋ごとあげるから、今だけ、今だけこっちむいてー……よし。では覚悟はいいかなリーネ王妃……リーネ王妃? お願いだから話を聞いてリーネ王妃、ちょっと、聞いてるのかリーネ王妃!! ああ、ぐずらないでぐずらないで、大臣が悪かった。確かにこんな所に連れて来られて怒鳴られたら怖いだろうな、うん。ヤクラ反省。……うん、分かったよそのマカデミアナッツのチョコもあげるから、ちょっとだけでいいから話を聞いて? ヤクラこういうのムードを大切にしたい奴だから」


「わーい、これほどの菓子は城では食べさせてくれませんでした。皆とうにょうびょうがどうとか言って止めるのです。その点最近の大臣は優しいですね、何を食べても怒らないのですから」


「わーいて。王妃がわーいて。あとリーネ王妃、そなた糖尿病の気があるのか? ならば与えるお菓子も控えねば……ああしないしない! だから泣くのはやめろ! ああ、私は駄目な親になってしまうのだろうな……」


 カオスだった。
 和訳すれば混沌だった。
 俺はこのほのぼの空間についていけず、ルッカに助けを求めて視線を向けた。
 ルッカは首を振って目の前の現実から目を背けるな、これが全てだ、という顔をした。
 カエルは王妃様の姿を見たときから鼻血が止まらない。


「なあ、俺達いつ飛び込んだら良いんだ? いっそこれ俺達が帰っても良いんじゃないか? 王妃としても城に帰るよりここで大臣と暮らすほうが幸せなんじゃないか?」


「状況はさっぱりだけど、このまま放っておくと大臣のストレスが溜まって胃潰瘍になるかもしれないわ」


 おいおい、それを理由に飛び込んだら俺達は王妃様を探すためじゃなく、大臣の胃を救うべくモンスターたちと戦ったってことになる。
 どうやってテンション上げればいいんだ。
 俺達が悩んでいる間にカエルは鼻血を出しすぎて貧血になりそうだった。もう俺はこいつに何も期待しない。


「!! お前達は! よくここまで潜り込んだな!? さては王妃を助ける為に来たんだろうそうだろう! やったぜ!」


 大臣が驚いたような喜んでいるような、俺の気のせいではなければその割合は2対8位のようだが、そんな様子で俺達に気づいた。とりあえず顔のニヤニヤを止めてくれないか?ずんずん俺達のやる気が落ちていく。


「カエル! 一緒にお菓子を食べませんか? 大臣を誘ってもワシは甘いものが苦手で……と断るのです。一人で食べるより皆で食べたほうが美味しいのに……」


 先ほどの王妃様と大臣の会話からすれば、多分大臣が王妃様をさらった張本人なのだろう。なんで一緒にお菓子を食べるなんて選択ができるのか? これが王族というものなのか? ローヤルセレブリティの欠片も見つからない。


「お、おおう……王妃様、御下がり下さい! 今からこいつをかたづけちまいますので」


 王妃様に声を掛けられて悶えたのは丸分かりなんだからな? モンスターもどきが。


 気だるそうに俺とルッカが前に出て大臣を囲む。今の気分は犯人の知っている推理映画を見るような気分に近いな。
 カエルは剣を抜き、俺とルッカも各々武器を構える。準備は十全いつでも来いという状態なのだが、どうやら大臣と王妃様がなにやら言い争っている。


「ほら王妃、あいつらの言う通りこの部屋から出ていなさい」


「嫌です! ここから出れば私はまたお菓子を我慢しなくてはならない地獄のような生活に戻らなくてはなります!」


 王妃様の中では地獄はえらく寛容的な所の様だ。
 想像すると黒々とした金棒を持った鬼達が「お菓子が食べたいか……? ふん、ならばまずその食生活を改めるがいいわ! ハッハッハッ!!」とか言いながら緑黄色野菜を勧めるのだろうか? 頭が腐ってる。


「カエル! そしてその他のお二方!」


 誰がその他だ。


「恐らくですが、私をここから連れ出そうというのでしょう! そんなことはさせません! もしどうしてもと言うのなら……私も、大臣とともに貴方達と戦います!」


「お、おおお王妃いいいぃぃい!?」


 カエルが濁流のような涙を流し、膝から崩れ落ちる。
 俺とルッカはその光景を見てやっとれんわと部屋から出ようとする。
 なんだっけこの展開、バハムートラグー〇で見た気がするよ。


「待てええぇぇぇい!!」


 扉に手を掛けようとすると、その前に大臣が息を切らしながら扉の前に立ちふさがる。老年ながらにそのスピードは素晴らしいんじゃないでしょうかね。


「お前達がいなくなればわしはこの空間に取り残されてしまう! あんな王妃マニアと頭のネジが飛び散った王妃をわし一人で相手しろというのか!?」


「私たち疲れてるの。そんな理由で立ちふさがらないでよ。ガチでダルイ」


「じゃあ分かった! そこのソファーで座ってて良いから! コーヒーも淹れるから! 大臣の淹れるコーヒー凄く美味しいから!」


「大臣がコーヒー淹れるの上手いってどうなのよそこのところ」


 ルッカと大臣が言い争いを始めて一人残された俺はソファーで寛ぐことにした。 あ、この煎餅旨い。


「とにかく! 私は断固ここに残る決意を崩しません! 大臣、変身です! 早くモンスターの姿になって下さい!」


 あの王妃大臣がモンスターと気づいていてもお菓子やらなんやらを要求してたのか。ああいう人間が王妃なんてやってるからフランス革命が起きるんだ。「パンがなくてもお菓子は食べなければなりません!」みたいな。「お菓子だけで十分ですよ」みたいな。後者は関係ないか。


「……ねえ、王妃もああ言ってることだし、変身して私たちと戦ったら?」


「た、戦ってくれるのか!?」


「そうでもしないと収集つかないでしょ。戦ってもつくかどうか分からないけどね」


「そ、そうか! 恩に着るぞ娘!」


 大臣は扉から離れ、カエル、ルッカ、俺の三人を見据える位置まで走っていった。


「キャハハ! 無駄無駄! ここからは誰一人として帰さぬぞ!!」


 ほっとした顔からやおら凶悪そうな表情に変わり、俺達に宣戦布告の言葉を吐いた。


「そうです! 今日から皆でこの修道院で遊んで暮らすのです!」


「違うのです!!」


 王妃の言葉遣いがうつりながら大臣が否定する。やめてくれないかな、ここまできてグダグダな感じを出すのは。


「ねえクロノ、これ本当に王妃様とも戦うのかしら?」


「多分。まあ怪我させないように適当に気絶させればいいんじゃないか? 不敬罪とかそんなん知ったこっちゃねえよ」


 ソファーから立ち上がり刀を抜きながら大臣達に近づいていく。


「王妃いいいぃぃぃいぃいぃぃ!! リーネたああぁぁぁん!!!」


 この生ごみ何曜日に捨てればいいんだっけ?臭い上に煩いとか工業廃棄物もんだよ。


「ハッ! カエルふぜい……ええと、お前の名前を教えてくれ」


「あ、クロノです。はい」


「そうか! クロノふぜいが! きさまらから血祭りにあげてくれるわ!」


 カエルと会話するのは無理と判断した大臣は俺とルッカを相手にする事を決めたようだ。不憫な。


「大臣チェンジ!!」


 大臣は手に持った杖を高く掲げ、朗々とした声を張り上げる。
 すると、大臣の背中が盛り上がり、肌の色がどんどん黄色になっていく。
 爪は鋭くとがり、皮膚という皮膚がデロデロと溶けていく……もう、お好み焼きは食べられない。


「ヤクーラ! デロデローン!」


 その言葉はギャグなのか切ないくらいにセンスがないのか、とにかく大臣の変身は終わった。
 背中が盛り上がって、四足歩行で、全体的に楕円形の体格で……亀とモグラを足したみたいだ。
 そして、なによりでかい。
 今までのモンスターは大概俺達と同じくらいか、少し大きいくらいだったが、この亀モグラ、俺達の二倍はある。人間時の印象で弱いと思ってたのだが……これやばくないか? 勝てる気がしない。
 俺とルッカが戦慄していると、カエルはまだ「リーネたまぁぁぁ!! ……ハァハァ」とか言ってたのでルッカがハンマーを投げてこっちの世界に呼び戻した。
 近づいてきたカエルの言葉は「王妃に当たったらどうする!」だった。お前が俺の仲間だったときなんて、一度もなかった。なかったんだ。
 俺の沈痛な表情に気づかず、リーネ王妃捜索隊と、大臣・リーネ王妃タッグとの戦いが始まった。何か矛盾してるよね、絶対。





 星は夢を見る必要はない
 第五話 プライドは安ければ安いほど良い。けれど、決して無くしてはならない。











「行くぞ貴様ら!」


「ええ! 私たちの未来の為に!」


 王妃が大臣の言葉を引き継ぐと、とても悲しそうな顔をしたが、大臣は大きく跳躍しルッカに圧し掛かろうとした。
 すぐにルッカは今いる場所から右に転がり避けたが、大臣の圧し掛かりは石製の床を砕き、破片を辺りに散らばらせる。


「こ、こんなの当たったら即死ね……」


 ルッカは喉を鳴らし、隙を作らないように大臣の一挙一動に注視した。


 さて、俺とカエルはどうしているかというと……


「はっ! てや! せえい!」


 王妃の格闘に手一杯だった。


「おいカエル! これ本当に王妃か!? どう考えても今まで戦ってきたモンスターより強いぞ!?」


「本物だ! 言っておくが王妃はガルディア城の中で騎士団長とタメを張るほどの戦闘力を持っているんだ! 特に対人戦においてはガルディア一と言われる……」


「そんなもんを王妃に据え置くなっちゅーんだ!!」


 相手は王妃。流石に殺すわけにはいかないと武器は鞘に入れて戦っているが、それを差し引いても強い!ルッカの援護どころか、二人掛かりでも勝てるかどうか……
 なにより、カエルの奴が今一つ本気じゃない。こいつの王妃第一主義は分かっているが、このままではあの化け物大臣にルッカがやられてしまう……こうなったら。


「カエル! お前はルッカと協力して大臣を倒せ! でないと全員この修道院で暮らすことになっちまう!」


「……王妃様と一つ屋根の下……ハアハア」


「この戦いが終われば次は貴様の命の灯火を消し去ってくれるからな」


 俺の説得が通じて、渋々隙を見てカエルがルッカの加勢に回る。
 さて、ここからが問題だ。俺と王妃では覆しがたい力量の差がある。
 ここは勝つことではなく凌ぐ事を第一に考えて、カエル達が大臣を倒すことを期待しよう。


「遅いですよその他の方!」


「あんべらっ!! ……げほ、げほっ!」


 掌底一発、俺は一メートル程吹っ飛び咳き込んだ。


「スピード、経験、予測、腕力。その全てが勝っている私に武器を持っていようと貴方が勝てる道理はありません。諦めてこの修道院で暮らしましょう。ちょうどトランプをする相手が欲しかったのです。あ、私ばば抜きしかルールを知らないので教えて下さいね」


「……残念だけど、俺はセブンブリッジしかルールを知らねえんだよ!」


 出来るだけ低姿勢からの突き。飛んで逃げても左右に避けても後ろに飛んでも追い討ちは可能! さあどう出る!
 王妃は俺の考えを読んだのか、少し失望した顔を浮かべた。


「左側面に隙、続けて右下半身にも隙」


「がっ!!」


 俺の突きを左右上後どの方向にも避けず、左前に飛び込んで避け、俺の左目に虎爪、右膝にキック。それをほぼ同時にこなしていた。
 ちっ、左目はしばらく見えないな……右足は動けないほどじゃないが、走るのは無理か……つまり距離を稼ぐのは不可。


「次で決めますね、その他の方」


「……クロノだ、いつまでもエクストラ扱いは凹む」


「はい、その他の方」


 どこまでも苛々させる王妃様だ。
 ちら、とカエル達のほうを見ると、劣勢ではないが、優勢でもない。勝負はまだ決まりそうにないか……


 王妃が腰を落とし、左手を腰に、右手を前に出す。……拳法の型、か?


「案ずることはありません。ただの縦拳です。崩拳や、散拳といった高等技術ではありませんよ、ただの基礎です。ですが……」


 そこで一度区切り、ずっと笑顔のままだった王妃の顔が、真剣に、相手を倒すものへと変わった。


「私はこれだけなら、縦拳だけならば、あらゆる世界で私が、私こそが極めたと豪語出来ます。加減はしますが、当たり所が悪ければ内臓が弾けますので、頑張って下さいね」


 頑張って下さいね、の部分だけ笑顔になられてもこちらとしては反応に困る。
 しかしこの王妃、本当に化け物だ。この腕前なら今まで俺達が戦ってきた修道院のモンスターを蹴散らし、一人で楽々と帰ってこれるだろう程に。
 ……帰らなかった理由がお菓子食べ放題とは、頭がおかしくなりそうだが。


「……俺も一つ、必殺技ってやつを見せようかな」


 俺の得意中の得意技、回転切り。
 遠心力と斬撃の速さで、今まで戦ったモンスターに反撃を許さなかった自慢の技だ。万一、これが破られたなら……


「……万一なんて考えてる場合じゃねえな」


「覚悟は決まりましたか?」


「ああ、……かますぞ、王妃ぃぃ!!」


 深く息を吸い込み、右薙ぎに剣を払う。
 初速は完璧、足の置く位置も、腰の使い方も、肩の力の入り具合も全てが上手くいった。


 ……しかし、それら全てを上回る、拳速。
 気づけば俺は、部屋の壁に叩きつけられていた。
 最初痛みは何も感じなかった。ただ、立ち上がろうと体に力を入れた途端、激痛という言葉ではあまりに優しすぎる痛みが俺を襲う。


「あ……あ、あ……」


 吐きたい。頭がそう命令しているのに、体は言うことを聞いてくれない。
 そもそも俺に体が付いているのか? 腕も足も、胴体ごと吹っ飛んだんじゃないのか? その前に、俺は生きているのか? 生きているなら何故俺の思うように動かないのか?
 自身問答を繰り返していると、王妃が上から俺を見下ろしていた。
 その目は冷たく、弱者に向けるそれそのものだった。


「カエルが連れてきたことだけはありますね。よく頑張りましたよその他の方。ですが……貴方は戦いを知らない。幾度モンスターと戦っても、何度となく生死をかけた戦いを繰り返そうとも、貴方は、戦うという行為を知らないのです……貴方は今この戦いに何を賭けていますか?」


 何を? ……確か、マールを助ける為に……


「マール? ……その子のことは知りませんが、そうですか。マールという子の為にですか。でもそれはこの戦い限定の目的ではないでしょう?」


 何言ってるんだ? 分かりづらいんだよ。王妃様ならもっと分かりやすく言えよ……


「貴方がこの戦いに負ければどうなりますか? ……そうですね、マールという子を助けられなくなりますね。……でもそこには他人の為の理由しか存在しない。貴方自身、それのみの目的、理由がない。もう一度考えてみて下さい。貴方はこの戦いに何を賭けていますか?」


 マールの為、それ以外の理由? ……ルッカを守る為? それは『誰か』の為であって、俺『だけ』の理由じゃない。カエルははなから除外。
 ……なら、それは……


「このまま戦いが続けば、大臣はカエルたちに負けて、私も戦う理由がなくなり降参するでしょう……そうすると、負けたのは誰でしょう? 大臣は負けた。でもそれは二対一というハンデを背負ったものです。……フフ、人間とモンスターという種族間の優劣を無視してますけどね」


 なんだよ、何が言いたいんだテメェ……


「貴方は私と『一対一』で負けた。互いに『人間同士』で。……貴方は私に負けたまま、マールという子を『助ける』ことになるのですね」


 …………ああ、そうか


「ごめんなさい。もうお菓子食べ放題の夢が閉ざされるからと、意地悪を言ってしまいました。それでも貴方はその年齢にしては頑張りました。そこでゆっくり休んでいて下さい」


「………待てよ、王妃」


 かすれた、弱弱しい声をカエルたちの方へ歩いていく王妃に飛ばした。
 あまりにか細い声は四メートルという果てしない距離を泳ぎきって、王妃の耳に届く。
 王妃はまだ喋れるのですか、と少しだけ驚いた顔を見せた。


 覆しがたい力量の差?
 凌いで時間稼ぎ?
 カエルたちが大臣を倒すのを待てば良い?
 ……無様だ。ダサ過ぎる。


「王妃……俺がこの戦いに賭ける物……それは」


 刀を支えにして立ち上がる。
 右手が痛くても問題ない。
 足ががくがく震えていても問題ない。
 視界は揺れるし、今更になって喉の奥から血が溢れ出てくるけど、一切問題ない。
 刀の鞘の切っ先を王妃に向けて、俺『だけ』の答えを進呈してやる。


「俺だけが持つ、俺だけのプライドだ」


「……そうこなくては。楽しくなりそうですよ、クロノ」


 さあ、これからが『戦い』だ。
 今からこそが『戦い』なんだ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:45
 体中に響く痛みを無視して動けるのは一度だけ、あと一回の攻防で勝負が決まらなければ、俺は負ける。
 俺たちが勝っても、俺が負けては、俺の中では意味がない。
 そんな形でマールを助けられたとしても、どうやって顔を合わせればいいか分からない。……どう戦うか……
 思考を重ね、一つ、策ともいえない策を思いつく。悪ガキの発想に毛が生えたような策。それでも無手で挑むよりはマシだ。


「ルッカ! あれを返してくれ!」


 戦闘中のルッカに声を掛ける。
 ルッカは戦闘の最中でありながら、すぐに背中に付けてあった物を投げ渡してくれた。


「……刀ですか」


 王妃が確認するように言う。
 俺がルッカに渡してもらったのは鋼鉄の刀を手に入れたときから、後援のルッカに預けておいた青銅の刀だ。
 身軽でないといけないスピードタイプの俺は前衛の俺たちよりも比較的安全な位置にいるルッカに持たせておいたのである。


「二刀流だ。問題ないだろ?」


「構いませんよ。二刀でも私に当てることは無理でしょうし」


「分かってねえな。俺は宮本武蔵ファンクラブに入ってる位なんだぜ?」


 無駄口を叩きながら、後ろ手に青銅の刀に細工をする。
 油断しきっている王妃は俺のやっている事に気づきはしない。


「もう、始めましょうクロノ。時間はそう残されていないようです」


 王妃が大臣とカエル達の戦いを横目で伺い戦いの再開を催促する。
 見れば大臣の右腕にカエルの剣が突き刺さっているところだった。暴れまわった大臣はトドメを刺されることは無かったが、倒れるのはそう遠くなさそうだった。
 ……モンスターとはいえ、人間時に会話をしたこともあり、その凄惨な光景に目を背ける。
 視線を逸らした先に見えた王妃の手は、何かを堪えるように強く拳を握り、酷く震えていた。表情が変わらないのは、王妃としての意地だろうか?


「優しいのですね? クロノは。……敵であり、モンスターでもある大臣がやられている様を嫌がるとは」


「……これが普通の反応だろ? 敵だろうが……なんだろうが、関わった事がある奴がやられるのは、嫌なもんだ。甘いと言われても、さ」


 あえてモンスターという単語は避けた。
 その口振りから、きっと王妃にとって大臣がモンスターであったことはどうでもいいことで、俺たちがモンスターという理由だけで大臣を倒すのは、目を背けたい事実なのだと分かったから。


「さあクロノ、貴方の体力ではこれが最後なのでしょう? 全ての力を込めてかかって来なさい」


 王妃があの縦拳の構えを取る。
 俺の細工も完成した。
 王妃に向けて合掌し頭を下げる。戦いに礼儀なんていらないんだろうけど、この人にはそれを見せておきたかった。


「……行くぞ、リーネ王妃」


 言い終わると同時に右足を蹴りだし、俺に出せる最高の速度で距離を縮めていく。
 距離、五メートル。
 まだまだ、加速は乗り切ってない。残り四メートル。
 ……そろそろ良いか? 残り三メートル。


 俺は走るスピードを乗せて左手の青銅の刀を振る。当然当たるはずもない距離で刀を振った俺に王妃は怪訝そうな顔をして、次の瞬間硬直する。
 まあそうだろうさ、飛んできたのだから。青銅の刀の鞘が。


 一瞬の硬直から抜け出した王妃は、それでも冷静に飛んできた鞘を叩き落す。


「少し驚きましたが、ただの子供だま……!!」


 次に王妃が見えたものは、青銅の刀の刀身だった。
 これが、俺の細工の意味!
 あらかじめ二刀流だと宣言しておくことで、王妃の経験から作られるシュミレートにこのような使い方をするという想像を作らせない。
 あくまで相手の虚を突くだけの、嘘とハッタリの作戦。俺にしては上出来だ。


「……くっ!」


 鞘が飛んできたときには崩さなかった縦拳の構えを、刀身を叩き落すために右足で蹴った為、崩さざるを得なくなった。
 その大きな隙に回転切りをねじ込んでやろうと残り僅かな距離を詰める……それでも。


「言ったでしょう? 私は縦拳を極めた、と。構えを再構築するのに、私は瞬きする時間すらかけません!」


 王妃という壁は、なお高い。


 俺の予想を遥かに上回るスピードで縦拳の構えを取る王妃。
 俺は回転切りを中断して、王妃に突きを繰り出す。


「遅すぎる!」


 王妃の体に届く前に拳が前に突き出され……俺の刀の切っ先に当たった。


「な!?」


 はなから王妃に当てようなんて考えてはいない突き。これは王妃の縦拳を防ぐためだけの攻撃だった。
 青銅の刀の鞘、刀身、それらの策は成功すればそれまで、もし防がれても次に繋がる布石として活用される。


 鋼鉄の鞘は砕け、剥き出しの刀身が姿を現す。
 手が痺れて、刀を投げ出したい衝動に駆られるが、歯を食いしばり、そのまま王妃の右側に左足を置いた。


「回転切り……!!」


 元々、この回転切りという技は先制に使うものではなく、相手の攻撃をいなした後に使うよう作った技だ。
 本当なら側面から膝裏、背中、後頭部に一撃ずつ入れていくのだが、俺にその体力は無い、だから、一撃。この一撃に全ての力を乗せて……!!


「くたばれ! リーネ王妃ぃぃぃ!!」


 刀の峰を王妃の後頭部に当てた後、なんだか悪役みたいだなあ、とぼんやり思った。





 星は夢を見る必要は無い
 第六話 プライドとは、口にすれば容易く崩れさるだとかなんとか











「良いですか王妃様? そいつは貴方を、つまりガルディア城王妃を攫ったんですよ? 今ここで切り殺すのが道理であって」


「駄目です! 大臣は、大臣は優しい人です! コーヒーだけでなく紅茶も淹れるのが上手いのです! ですからどうか許してあげて下さい! お願いしますカエル!」


「しかしですなあ……」


 厳格な人物を演出したいのかどうか知らんが、王妃様に懇願されるのが嬉しくてたまらないという顔をしているカエル。
 ストーカー気質の上サドとは、救えねえ、砕けろ。


 王妃を気絶させ、俺も役には立たないかもしれないが、それでも……! と足を引きずりながらカエルたちの加勢に向かおうとすると、その前にカエルたちと戦っていた大臣が「うううおおおお王妃いいいぃぃぃぃ!!」と叫びながら走りより、人間時の姿に戻って倒れた王妃を揺さぶっていた。
 頭を打った人間を動かすのは止めたほうが良いですよと声を掛ける暇も無かった。
 ちなみにカエルは「出遅れただと! この俺がか!? リーネたんでムハムハしたい委員会名誉会長の俺がか!?」と慟哭の叫びを放っていた。俺は言っても分かる奴なら言うが、そうでない奴には何も言わないと決めているスパルタなので、何も言わないことにした。カエルが何か叫ぶたびにルッカが火炎放射器の燃料をチェックしていた。とりあえずウェルダムでお願いしますルッカさん。


「もういいじゃないカエル。さっきの反応を見た限り大臣は王妃様を傷つけようとか、危害を加えることは絶対にしないはずよ。それに私としては大臣よりあんたを処罰したいわ腐れかえる」


「ルッカの言うとおり、自分が戦ってるのに王妃の心配をして駆けつけるなんて、中々出来ることじゃないだろ。俺としても大臣は憎めない奴だって分かってるしさ。後いつお前珍生物捕獲研究所とかに捕まるの?電話番号教えてくれたら今すぐ連絡するんだけど、この下種両生類。略してげっ歯類。」


「誰がねずみ科か!」


「おお、流石はクロノとお嬢さん! この緑の化け物ゲコロウと比べてなんと大きな心でしょう!」


「げ、ゲコロウ……」


 王妃の言葉に落ち込みソファーの上で丸まってしまったカエル。妙なサドっ気を出すからだ。それはそれとして王妃様、ゲコロウって何? どこからの引用?


「わ、ワシを助けてくれるのか!?」


 縄で縛られた大臣が驚きの声を出す。
 だって、あんたを助けないとまた王妃様とのバトルが始まるんだもん。無理だよ。
 俺と戦ったときはずっと加減してくれてたみたいだし、本気で戦ったら一発で意識消失、縦拳にいたったら確実に内臓破裂、まあ間違いなく死ぬだろうな。俺薄々感づいてたけど、生物学的に男より女のほうが強いんだね。ルッカとか母さんとか王妃とか。


 その後、大臣は城から去ることになり、王妃は泣いて嫌がったが、過程はどうあれ王妃を攫ったのは事実。大臣が城に戻れば極刑は免れないというルッカの説得が通じてしゃくりあげながら王妃も納得した。
 ちなみに、この作業で二時間使った。ルッカのストレスは横で萌え萌え言ってたカエルにぶつけられた。理不尽にも俺にもぶつけられた。なんでやねん。


 長い長い戦いを終えて、王妃捜索に決着がついたのだった……








「心配したぞ、リーネ」


「うあっ、大臣が、大臣が何処かに行ってしまったのですー!!」


「リーネ様! わしはここにいますぞ!」


 城に帰り、王と対面してもリーネ王妃は泣きっぱなしだった。森に現れるモンスターや、まだ俺たちがリーネ王妃を攫ったと勘違いして捕まえようとする兵士達を殴り倒しながらの帰還だった。凄い楽なのに凄い疲れるという矛と盾の関係。
 至極どうでもいいのだが、本物の大臣はリーネ王妃が捕らえられていた(捕らえられていた?)部屋の宝箱の中に押し込まれていて、それを救出した。驚いたルッカがエアガンをぶっ放したことは可愛いお茶目である。とはルッカの言だ。大臣の服は赤く染まっている。カエルの舌も疲れている。


「しかしあれですな、あのヤクラの奴、大臣であるワシになりすましリーネ様を攫うなど、ああいう輩を厳しく罰するためにもこのガルディア王国にも裁判所や刑務所を作らねばっそい!」


 腰に手を当てて偉そうなことを言っている大臣にリーネ王妃のドロップキックが炸裂した。擬音はさしずめメメタァ!! だった。
 吹き飛ばされた大臣の二次災害で高そうな壺が二、三割れて、王様がしょぼくれた顔をした。マルチーズみたいな顔になるんですね。


「大臣の悪口は許しませんこの偽大臣! 大臣(仮)!」


「リーネ様!? 偽大臣はともかく大臣(仮)とはこれいかに!?」


 大臣(仮)が論点の違う抗議をする。
 正直あのヤクラって奴のほうが俺は好感が持てたな。帰る前に淹れてくれたコーヒーはえらく美味かった。一緒に出してくれたバームクーヘンも美味だった。リーネ王妃が言うにはお菓子の類は全部ヤクラの手作りだったそうな。お前が真の大臣だ、ヤクラ。


「リーネ様を守りきれず、面目次第もございません」


 喧々囂々としている王の間にカエルの声が通る。
 王妃に馬乗りになられて頬を引っ張られている大臣を羨ましそうな、殺したいようなという目で見ながら。
 謝ってる時くらい真面目になろうよ、面接で落ちるよ?そういう所プロの人は見抜いちゃうんだから。


 そのままカエルは王の間を立ち去り、城を出ようとする。……のだが、ちらちらこちらを見てうっとうしい。去り際に王妃様から何か言われるのを期待しているのが見え見えだ。最初から最後までうざいなこいつ。


「あっ、カエル!」


 ようやく声を掛けられてパアッと花開くような明るい顔で振り向くカエル。しかし、王妃の顔は無表情で、


「恨みます」


 の一言だった。花の命は短い。


 俺たちは王様達に頭を下げて、カエルの後を追う。まあ、心の底から嫌いでも、一応仲間だったかもしれないような夢を見たのだから、別れの挨拶くらいしてもいいだろう。


 俺たちの足音が聞こえたカエルは立ち止まり、声を掛ける前に先に話し出した。


「俺が近くにいたため王妃様を危機にさらしたのだ……俺は旅に出る」


 何でやの?と聞けるムードではなかったのでここは静かに聞いておくことにする。
 ていうかお前王妃様のことしか喋れないのか?


 そのまま歩いて、城の扉に手を掛けた時、カエルが振り返った。
 その顔は敵と戦っているときの精悍なものではなく、王妃様にデレデレしている時の顔でもない。優しく微笑んで、ほんの少し嬉しそうでもあった。


「クロノ!お前の太刀筋は中々見込みがあったぞ」


 そのままカエルは城の外に姿を消した。
 ……一瞬、カエルの横に髪の長い人間が見えたのは、気のせいだろうか?


「……かえるも悪くないもんね」


 カエルの後ろ姿を見送ったルッカは、ぽつりと俺にだけ聞こえる程の呟きを漏らした。


「……本当にそう思ってるか?」


「…………」


 最後だけ決めたからって今までの失態は覆い隠せない。
 どれだけ伸ばしても、風呂敷で家を包めはしないのだ。


「………そうだわ! すっかりマールディア姫の事を忘れてた!」


 誤魔化し方が下手なのは御愛嬌。ここで突っ込んだらハンマーが飛んでくるので何も言わない、俺は今まで生きてきた人生で何も学ばなかったわけではないのだよ。


「ねえクロノ! マールディア様はどこで消えた? もしかしたらそこに……」


 いるかもしれないと……だが、俺はそもそもマールの消えた場所を知らない。
 騎士団の部屋でグータラしてたら消えたということしか知らないのだから。
 が、ここでそれを暴露すれば間違いなくルッカは俺を殴る。それはもう、大きく振りかぶって殴る。
 やっべ、今日一番のピンチじゃね?
 ……一か八かだ。


「王妃様の部屋だ。そこでマールが消えた。うん、そうに違いない」


 王妃様が部屋でお待ちですと寝ている俺にしつこいくらいメイドが話しかけてきたので覚えている。
 おそらく王妃様の部屋で延々俺を待っている間にマールが消えたのだろう。でなきゃ俺は滅入る。


「……? まあいいわ、急ぐわよクロノ!」


 突っ立っている兵士に王妃様の部屋の場所を聞き出し、二人でそこに向かう。王妃様の部屋に行くには階段を上らなくては行けないようで、その階段が長すぎて発狂しそうだった。
 あと行く道行く道に落ちている宝箱の中身を回収するルッカはこいつの子供は盗賊になるんじゃないかと心配するほどだった。










「「………」」


 王妃の部屋に着いた。これは良い。
 中にマールがいた。これも良い。
 マールが椅子に座って机に足を投げていた。良くない良くない良くないよー。女の子のマナーは男のマナーより重視される時代だからね。


「……ああ、クロノ。何か用? すっごく待たされたけど、今更私に何か用? 私のことなんて忘れてたんじゃないの?」


 おお、グレてらっしゃる。
 この待たせたというのは最初に待たせた六時間前後のことなのか、王妃様を助けた後の王妃様説得にかけた二時間なのか。後者は俺の責任じゃないんだが……


 しどろもどろになっている俺に小さく溜息を吐いたマールは「もういいよ」と答えて、俺に近づいてきた。


「……怖かった」


「……ごめんな、本当に悪かった」


 いきなり知らない場所に飛ばされて、いきなり他人に間違えられて、いきなり城に連れてこられて、怖くないはずは無いよな……六時間はやり過ぎた……


「意識が無いのに、冷たい所にいるのが分かるの。……死ぬってあんな感じなのかしら?」


 ……答えづらい。そうだ! というのもおかしいし、違う、死とは完全な無なのさ! と思春期みたいなことを言う気はしない。そもそもマールの問いは答えを求めたものじゃないんだろうけど。


「マールディア王女様、ご機嫌麗しゅう……」


 ルッカが跪いて、マールになにやら御大層な言葉をかける。キャラおかしくねえ? お前。


「貴方も来てくれたの! ……マールディアって……え!?」


 深刻な顔をしているところ申し訳ないのだが、俺の後ろにいたルッカに今気付くってのはおかしくないだろうか? ルッカもルッカで小さく「二人の世界になんて入れないんだから……」とかブツブツ言ってるし。


「バレちゃったみたいね……」


 マールは悪戯がばれたみたいにあーあ、と両腕を前に伸ばして、ベッドに座る。


「ゴメンね、クロノ。騙すつもりはなかったの」


 ここからはマールの独白。
 そう感づいた俺たちは、俺もルッカも口を挟むことはなかった。


「私はマールディア。父はガルディア王33世……」


 悲しげに顔を伏せて、マールの右手はズボンの裾を掴んでいた。


「けど、私だってお祭りを男の子と見て回りたかったんだもん。私が王女様だって分かったら……分かったらさ……」


 最後は涙声が混じり、次の言葉を紡ぐのに少しの時間を要した。
 俺たちからすれば僅かな時間でも、マールにとっては酷く長い時間に感じただろう。大事なことを言う時、時間はその流れを止める。


「ク……クロノは、一緒にお祭り見てくれなかったでしょ?」


 マールは顔を上げて、出来うる限りの笑顔を浮かべていた。
 別にそれでいいんだよ、それが普通なんだからと、自分に言い聞かせるように。
 俺が肯定を示しても、泣き出して俺を困らせないように、精一杯の笑顔を虚勢で固めて。


 ……俺はどうだろう?
 口先だけではいというのは簡単だ。それで女の子の涙が止められるなら言うことはない。
 けれど、良いのか?
 そんな簡単に答えを出しても良いのか?
 涙って、そんな理由で止めて良いのか?
 マールは本心を俺に曝け出してくれてる。なら俺も本音で返すべきだ。
 だから、俺の答えは……


「……分からない」


「ちょっと! クロノ……」


 そこは嘘でも違うと言え、とルッカが俺を責める声を出す。
 でも、駄目だ。それじゃあどこかで綻びが生まれる。
 俺がマールを助けた理由。それははっきり言えば義務感、さらに言えばルッカの為。マールが、『マール』だから助けた訳じゃない。
 勿論一緒にお祭りを回れて楽しかったし、可愛いと思ったし、深く突っ込んだら守ってあげたい女の子だとも思ったけど……
 そもそもそれ以前に、お祭りを一緒に見てない初対面の時に「私はこの国の王女です、私と一緒にお祭りに行きましょう」なんて言われて了承するか、と言われればいいえとしか言えない。
 だから、『分からない』は俺が最大限に譲歩できる答え。


「そっか……ありがとう、クロノ。ごめんね、急に変なこと言っちゃって」


「……いや、別にいいよ」


「………さて! 本物の王妃様も戻ったことだし、そろそろ私たちの時代に帰りましょう!」


 ルッカがなんとも言えない顔で俺たちを眺めていたが、この空気に耐えられなかったのか手を叩いて大声で場を仕切った。


「うん、そうだね! 行こうクロノ!」


 笑顔で俺を促すマールに悲しみの色は見えない。でも、それは奥深くに取り込んだだけで、決して消えたわけではない。


 城を出て、森に入ろうとする前に俺はふと夢想した。
 今まで同年代の友達も作れず、遊びらしい遊びも経験してこなかったこの少女に、嘘でもあの時王女でも関係ない、俺たちは友達だろう? と言った場合の未来を。
 きっとこの天真爛漫で、無垢で、純粋な少女は思いっきり両手を上げて飛び跳ねるのだろう。そして、彼女は言うのだ。


「さっすがクロノ! 私たち友達よね!」


 私たち友達よね。
 この言葉を言える時を、マールはどれほど心待ちにしているのだろうか?
 それを考えると、じくじくと胸が痛み出し、それを無視するように森に落ちている木の葉を強く踏みながら歩行を再開した。











「……? どこから帰るの?」


 裏山に着き、俺が最初にこの世界にやってきた場所まで歩くと、先導していたルッカが立ち止まり、マールが疑問の声をあげた。ルッカよ、何か聞かれるたびにフッフッフッ、って笑うのやめてくれないか。怖いったら無いんだ。
 ああ、凄い今更なんだけど、本当にマールってお姫様だったのね。この分だとこの世界が昔のガルディア王国だってのも本当なのかもしれないね。自分でも遅すぎる真実の発覚だと思うけど、無理だろ、いきなり過去に来たんですよとか言われてもさ。なんせルッカの言うことだし。


「恐れながらマールディア王女……いやさ!ここまでくればもうマールと」
「マールでいいってば!」


「………」


 あ、こいつら言いたいことが被ったな。
 ルッカに至ってはちょっとウケを狙ったのが裏目に出てすっごい恥ずかしそうだ。


「「………」」


 二人とも何かしら気まずくなって黙り込んでしまった。
 こういう場合一番気まずいのは第三者なんだから早く切り替えてくれないと困るよ。いつだってワリをくうのは無辜の民なんだ。


「……で、ではマール。これをご覧下さい。そおい!」


 その掛け声は婦女子としてどうなのかねコロンボ君。


「きゃっ!」


 ルッカが妙ちくりんな機械を掲げると、空中に大きな黒い穴が出現した。確か、マールが吸い込まれた時に出た穴と同じように見えるが……


「ルッカ、すごーい!」


 純粋なマールはよく考えずルッカを持ち上げる。そこから叩き落してくれんかね。
 いや、普通に凄いんだけどさ、なんかルッカの機械が上手くいけば大概後から嫌なことが起こるんだよ。


 それから先はルッカが調子に乗って、それを恥じて、マールが気にしないでいいよ! と可愛らしい抗議を上げて……と、大変男子のいづらい空間を形成された。
 先生、クロノ君が仲間外れにされてます!


「私は、この歪みをゲートって名づけたんだけど……」


 ルッカが黒い穴を指差して説明を始める。
 歪み? 穴でいいじゃないか、なんでちょっと難解な言葉を使うんだ、俺の学力を舐めてるのか? 俺は体育の成績以外全部がんばろうだったんだからな。
 本来数字の1~5で判定するのだが、俺の成績表だけなぜか手書きでよくできましたとかがんばろうだった。いじめかな?と思う反面俺だけ特別なんだ、とちょっとした優越感を感じた。


「ゲートは違う時代の同じ場所に繋がっている門のようなものなのよ」


 ……あ、マールが髪を弄りだした。


「出たり消えたりするのはゲート自体が不安定だからなの。そこでテレポッドの原理を応用してこの……あれ? どこだったっけ? ……あ、あった」


 ハムスターのグルーミングのように体中をまさぐるルッカ。マールや、一人○×ゲームは止めなさい。見てて痛々しいから。


「ゲートホルダーを使ってゲートを安定させてるってわけ、分かった?」


「「はーい」」


 俺とマールは二人揃って返事をして、ルッカはよろしいと頷く。そういう専門的なことは貴方に一任しますよドドリアもとい、ルッカさん。


「けど何で、このゲートがあの時突然開いたの?」


 あれだけ一人遊びに夢中だったのに、きっちり話を聞いていたのか?恐ろしい娘っ!


「テレポッドの影響か、あるいはもっと別の何か……」


 腕を組んで思案するルッカをみて、マールがそれを真似して腕を組み、難しい顔をする。可愛いね、おじさん興奮してしまうよ。


「何だかムヅカシイんだね……とにかく帰ろうよ! 私たちの時代に!」


「うん、そうね! 帰りましょうクロノ!」


 おう! という前に二人はゲートの中に入って行った。
 肩落ちしながら、俺もゲートの中に入ろうとする。しかし、その前にある事実に気付いてしまった。


「俺、城からここまであいつらと一切面と向かって会話のキャッチボールしてねえ」


 マールとは気まずい空気になったからしょうがないとしてもルッカさん、俺を構ってあげようよ。知ってるだろ?クロノ族は一定時間人とのコミュニケーションが無いと孤独死するんだって。そのくせ自分から話しかけられないシャイ野郎なんだって。


 この世界から出るときに浮かんでいる感情は、寂しいだった。
 ……両生類でも、近くにいれば話し相手にはなるもんだな。
 目をつぶり、思い浮かんだカエルの姿は王妃様を見て鼻血を垂らしている所だった。あいつのことは忘れよう、二度と会うこともあるまい。


 ゲートが閉じて、俺たちの意識は急速に薄れていった……











「それでは被告人を連れてきます!」


 俺は両手を前に縛られたまま、暗い廊下を歩く。
 明かりのある部屋にでて、大勢の人間が見ている中、証言台の前に立った。


「この男をどうしましょう……火あぶり? くすぐりの刑? 逆さ吊り? ……それとも、ギロチンで首を……」


「オーディエンスを使います」


「駄目じゃ、潔く死ね」


 ……俺が一体、何をしたというのだ。


 私クロノは、裁判にかけられ、若い命を散らすかもしれない瀬戸際に立たされています。
 ……あれえ?



[20619] 星は夢を見る必要はない第七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 00:51
 事の成り行きはこうだ。
 現代(俺たちの住んでいた時代)に帰ってきた俺たちは、各々行動を開始した。
 ルッカはゲートの発生した原因を調べるべく自宅に帰り、研究。
 俺はマールを城までエスコートをすることになり(そう決まった時何故かルッカは清水の舞台どころか、エッフェル塔から飛び降りようとしているような、断腸の思いで決意する、という顔だった)、俺としてもそう反対する理由もないので了承した。
 中世(カエルと出会った時代)の時から微妙に続くギクシャクした空気を背負いながら、俺はマールをガルディア城に連れて行った。途中の森に生息するモンスター達は俺が戦うまでも無く、どこかボンヤリとした表情のマールが次々に打ち抜いていった。だから、男の俺に花を持たせてみようという気概はないのか。最近、男よりも女の方が活動的で頼りがいがあるという風潮があるが、それは決して間違いじゃないのかもしれない。火の無い所に煙は立たぬのだ。


「マ、マール様! ご無事でしたか? 一体今まで何処に!?」


 城に入るなり大臣らしき男が(過去も現代も大臣の服は同じのようだ)俺の存在を無視して、口から唾を飛ばしながら走ってくる。言葉にする気はないけど、馬糞の次に嫌いな匂いが老人の口臭である俺なのでそういう嫌がらせは止めて頂きたい。


「何者かに攫われたという情報もあり、兵士達に国中を探させていたですぞ! ……ん? そこのムサイ奴! そうかお前だなっ!? マールディア様を攫ったのは!」


 誰がムサイんじゃシティボーイクロノに向かって。


「違うよ! クロノは……」


「えーい! ひっ捕らえろ! マールディア様をかどわかせ王家転覆を企てるテロリストめっ!!」


 マールが誤解を解こうとすると、意図的に無視したかのように大臣が大声を被せる。王家転覆を企てるだって? 困るなあ、こんな日の高いうちからお酒なんて飲んじゃあ。そんな奴が大臣になんてなるから内閣支持率が低下するんだ。何だよ非実在少年って。俺は断固としてジャン○を応援するぞ、購読してないけど。


「や、やめてー!」


 マールが悲鳴を上げて、俺に近づく兵士を押し留める。事ここに至っても俺は自分の身に起きてる危機に現実感を抱けずにいた。あれでしょ? ヤラセでしょ?


「やめなさーい!」


 分かってますよ、俺は騙されませんよとニヒルな笑顔で口端を持ち上げているとマールが城中に響き渡るのではないかという声で一喝した。
 ……ドッキリなんですよね? マールは演技派だなぁ……ドッキリですよね? ね?
 マールの声に驚いた兵士達は膝を床に付けて跪いた。演技指導が行き届いてる、素晴らしい。


「な、何をしておる!」


「しかしマールディア様が……」


 俺を捕まえようとしない兵士達に動揺した大臣は額から汗を流しながら兵士に詰め寄った。兵士も大臣と王女の命令、どちらを優先すべきかと悩んでいる。俺としては王女優先に一票。はらたいらさんに三千点。


「かまわーん! ひっ捕らえーい!」


 大臣の言葉のごり押しに負けた兵士達は俺を取り押さえた。いつだって勢いのある人間が場を動かすのだ。勢いのある奴が間違ったことを言っているケースの方が高いのだけれども。
 俺を床に押し付けながら兵士達が小声で


「貴様、マールディア様と何をしていた!」

「どこまでいった? どこまでいったんだ!」

「あの陶器のような白い柔肌に貴様の穢れた手が触れたというのか? どうなんだハリネズミ頭ぁぁぁ!!」

「何色? 何色だった?」


 と語りかけてくるのはたまらなかった。


「クロノーッ!!」


 マールの叫び声を聞いて、あ、これマジなんだ。ガチンコなんだ、と気づいた。









 星は夢を見る必要は無い
 第七話 彼の犯した唯一の罪とは











「この男をどうしましょう……火あぶり? くすぐりの刑? 逆さ吊り? ……それとも、ギロチンで首を……」


「オーディエンスを使います」


「駄目じゃ、潔く死ね」


 そしてここに戻る。


 大臣は俺に死ねとこの場においては冗談になっていない言葉を残して俺から離れていく。


 そう、今俺がいるのは裁判場。そして俺が立たされている場所は証言台。俺のポジションは被告。俺はレフトしか任された事はないのに、こんな奇抜な位置に置かれるとは中々ヨーロピアンじゃないか。


「さて、私が検事の大臣じゃ!」


「私が弁護士のピエールです」


 傍聴席の人間に聞こえるよう、裁判場に響き渡る声を出す大臣。それに比べてのほほんとした雰囲気の弁護士。あんた言う時は言うんだろうな? ちゃんと相手を指差して意義有り! って言うんだろうな?


「それでは被告人クロノ! 証言台につきなさい」


 髭をもふぁもふぁ生やした裁判長の言われるまま証言台に近づく。
 ……なんだこれ? 現実なのか? 俺の理解を遥かに超えた現状にもう漏らしそうです。頭が熱暴走を起こしてますよ、医者を呼んでくれ。
 俺の右脳が真っ赤に燃える! 理解が出来ぬと轟き叫ぶ!


「まず私からいきましょう。クロノに本当に誘拐の意思があったのか? ……いや無い。検事側は被告が計画的に王女を攫ったと言いますがそうでしょうか? ……いや違う。二人は偶然出会ったのであって決して故意ではありません」


 何度も何度も弁護士に話したことを繰り返させられる。計画的に犯行しといて祭りを一緒に回るってどういう思考回路なんだよそれ。


「果たしてそうでしょうか? どっちがきっかけを作りましたか?」


 大臣が俺の隣まで偉そうに足音を鳴らしながら歩いてきて問いかけてくる。


「……いや、どっちって言われても。説明すると酔ってふらついた俺にマールが跳び膝蹴りを」


「よろしい! 聞いての通り偶然を装って被告は王女に近づきました!」


「どの通りだよ! 人の話し聞けよ! このファシストが!」


「被告人、許可無く喋らないこと」


 裁判長が俺を睨んで注意する。碌に生徒の言うことを聞かず一方的に悪者にする教師みたいな奴だ。時代遅れなんだよ、モンスターペアレンツ舐めんな、給食費出さねえぞコノヤロー。


「そして王女は誘われるままルッカ親子のショーへ足を運びます。その姿は何人もの人が目撃しています。そして二人は姿を消した……これが誘拐じゃなくして一体何でしょう?」


 待て待て俺が誘ったんじゃねえぞ、俺は嫌だと何度も言ったんだ!
 そう叫ぼうとすると裁判長がギヌロ、と俺を見る。くそっ! 何処が目か分からねえ顔の癖に!


「被告の人間性が疑われる事実も私はいくつか掴んでいます」


 大臣はそんな俺をみて薄笑いを浮かべながら饒舌に話を続ける。弁護士、お前さっきから何にも役に立ってねえぞ? お前もカエルと同じがっかり属性持ちか?


「意義有り!」


 怨念の篭った眼差しを送っていると弁護士が真上に顔を向けながら勢い良く右手の人差し指と左手の人差し指をそれぞれ上下に向けてポーズを決めた。何それカッコいい。今度俺も使っていい?


「それは今回の検証に関係あるのでしょうか? ……いや無い」


 弁護士の話を聞いて裁判長がゆったりと顔を動かして大臣を見る。


「関係あるのかね? 大臣」



「はい。証言の正しさを示す為にも被告の人間性を知らせておく必要があります」


「……いいでしょう」


 弁護士は両手で三角を作り喉の奥鳴らし、悪そうな顔になった。何そのポーズ、あんたネタの宝庫だね。
 コツコツと裁判場の中央まで歩き、おもむろに体を回転させながら裁判場の扉を指差した。カッコいい! もしあんたが戦隊物のヒーローに抜擢されたら毎週欠かさず見るようにするよ!


「では証人を連れて来ましょう。被告の誠実さを証明する実に私好みの可愛い証人を!」


 体を曲げた状態でキープしながら宣言する弁護士。あんたがホテルを取るなら、俺、構わないぜ……


 扉を開いて裁判場に入ってきたのは俺が祭りの時に猫を探してあげた四、五歳の女の子だった。
 あ、弁護士さん定位置に戻るときに僕の近くを通らないでくださいますか? ペドフィリアがうつるので。このアリスコンプレックスが。


 あの時は助けてくれてありがとうね、お兄ちゃんとお礼を言いながら女の子は帰っていった。


「どうです? この若者の行動は? 勲章物ですよ」


 両腕をばたつかせながら周りを見渡す弁護士。……くっ! 悔しいが、今はお前の方がカッコいい!
 宙に浮けると信じて疑わないきらきらした顔で俺に近づいてくる弁護士。近いよ近い。あと抹香臭い。



「くくっ。きいてるみたいよんっ」


 よんっ!? ええ年しててよんっ!?



「弁護士、よんっ。は気持ち悪い、やめたまえ。裁判長昨日鼻風邪が治ったばかりなのに寒気がした」


 コンコン、と木槌を叩いて注意する裁判長。ここのシステム良く分からないけどさ、そういう事の為に使うものなのその木槌。
 弁護士は一言すいません。ちょけましたと謝罪し、また傍聴席を向く。


「問題は動機です。この一市民にマールディア王女を誘拐する動機が何処にありましょう?……いや無い」



「お言葉を返すようで悪いが、財産目当てというのはどうかなクロノ君? 王女の財産に目が眩んだのだね?」


「違います」


「ほうら! 裁判長聞きましたか? この者は」


「違うっつってんだろーがあああぁぁ!!!」


「はみゅううぅぅぅ!!」


 人の話を曲解し過ぎる大臣に俺は思わず後ろ回し蹴りをみぞおちに叩き込んだ。妙に萌えな声を出すなこの大臣。


 またコンコン、と木槌を叩く裁判長。まずい、やり過ぎたか……?


「被告、裁判長は暴力が嫌いだ。何故なら怖いからだ。やめて下さい」


 えらく低姿勢な裁判長だ。こいつのポジション、別にその辺を歩いてるおっさんでも十分できるんじゃね?


 ともあれ、裁判の雰囲気は無罪に持っていけそうな空気になっている。弁護士も俺にサムズアップしているし、俺は胃のキリキリ感が収まっていくのが分かった。


「げほげほ……待ってくれたまえ、被告人。最後に聞きたいことがある」


 腹を押さえながら俺を恨みがましそうに見ながら話しかけてくる大臣。ぼとぼと唾を落とすなよ、ボケが始まったのか?


「……君はマールディア王女のペンダントを奪って逃げたね?」


「はあ? 俺はマールにちゃんとペンダントを……!!」


 しまった、やられた。
 こいつは……あの時の俺の行動を言っているのか!?


「思い出したようじゃな……お前はマールディア様の落としたペンダントを先に拾い、すぐさま何処かに走り出した! マールディア王女が探しているのを見たくせに! これはつまりマールディア王女のペンダントを狙ったと解釈するしかない! どうです皆さん!? こんな男の言うことを信じられますか? 間違いなくこいつは王家転覆を狙うテロリストなのです!」


 やばいやばいやばい! 確かにこいつの言っていることは真実! 祭りの中だ、証人も大勢いるだろう! なにより、俺はコイツの言うことを否定できない! もし否定してその根拠を問われれば、俺はマールのペンダントをゲロ塗れにしたことを暴露しなくてはならない!
 背中から嫌な汗がブワッと溢れ出る。その様子を見て弁護士のピエールもどういうことだとこちらを見る。
 ……誤魔化せ……られない!!
 ……いや、いっそ正直に言ってしまおう。このまま王女誘拐を目論んだ男として罰せられるよりも、王女の持ち物を嘔吐物の海に叩き込んだ男として罰せられる方が幾分減刑できるだろう。


「違う! 俺があのペンダントを持って逃げ出したのは……」



「待って!」


 え? この声は……


「お、王女様……」


 まままマールさああぁぁぁん!! 一番来てほしくない時にいいいぃぃぃぃ!!
 俺は言いかけたことを言葉に出来ず、放心してしまった。


「いい加減にしなさい! マールディア!」


「父上! 聞いて下さい!」


 赤いマントを纏い、金色の冠を頭に載せて、威風堂々たる佇まいで裁判場に現れたのはマールの父、つまり国王ガルディア33世だった。
 そのオーラは見る者を圧倒し、王たる風格を見せつけていた。


「私はお前に王女らしく城でおとなしくしていてほしいだけだ。国のルールには例え王や王女でも従わなくてはな……後のことは大臣に任せておきなさい。マールディアも町での事は忘れるのだな」


 いつのまにか両隣に立っていた兵士が俺の腕を掴み、歩き出す。
 俺は抵抗する気力は無く、だらりと体を動かした。


「待って! クロノを、クロノをどうする気なの!?」


 必死に王に取りすがり俺の安否を気にするマール。……止めてくれ、俺のことをマールが気にする必要は無い。そう思う理由がまた酷い。


「決まっておるだろう、王女誘拐の罪ともなれば、終身刑以外にはあるまい」


「そんな!?」


 国王を説得するのは無理と判断したマールは兵士の腕に掴まれだらしなく崩れている俺に話しかける。


「ねえクロノ? 一度私のペンダントを持っていったのには理由があるんだよね? だからそれを言って! そうすればクロノは無罪になるかも……だから!」


 駄目なんだよマール……それは、それだけは君の前で言うことはできない。
 マールの声に反応しないマールは、少しずつ顔色が冷めていき、一歩ずつ俺から離れていく。
 きっとこの距離は、肉体的だけの意味じゃない。


「そんな、そんな、なんで答えてくれないの? ……本当にクロノは、私を誘拐しようとしたの? ねえ、何とか言ってよ!!」


 最後の叫びは涙交じりで、怒りよりも悲しみが強くて。彼女の笑顔がどんなものだったかまで忘れてしまいそうな、悲しい顔だった。


 何を言っても無反応である俺を見ているのも辛かったのか、マールは走って裁判場から出て行ってしまった。
 バタバタと走る足音と、泣きながらの言葉だったので、大半の人間には去り際の言葉は聞き取れなかったに違いない。けれど、俺には分かる。だって、マールがこれ以上俺にかける言葉なんて一つしかないのだから。





「だいっきらい」





 これほど腹に重たく響く鈍痛は、生まれて初めてだった。















 俺は城から直接繋がっている刑務所まで長い渡り通路を後ろから兵士に押されて歩かされ、刑務所の管理人に会い、衛兵に気絶させられて、目が覚めるとそこは牢屋の中だった。
 牢屋の中は正方形型で、部屋の隅から隅まで三メートル弱という広さだった。
 微かに開いた穴から外の光が洩れて、そこから吹く風が体を縛る。床にコケが生えていない場所は珍しいくらいで、ベッドの布団から見たこともない虫がチロチロと生息していた。天井にはくもの巣が張り巡らされており、壁は黒ずんで、血のような染みが点々とついていた。俺の為のご飯はカビの生えたパンが一欠けら。用意されている水はコップの中に泥が入っていた。衛生面なんてまるで考えられていない環境。……こんなところに一週間もいれば発狂するか、病気になって死んでしまうだろうな。


 鉄格子の向こうに衛兵が二人立っている。衛兵たちが立っている先に俺の武器とポーション等の道具が無造作に置かれている。恐らく後で正式な場所に保管するのだろう。


 ……当然、俺はここで生涯を終えるつもりは無い。
 若い間に遊んでおけと町の老人に言われたが、青春の途中で人生を退場するなんて有り得ない。
 俺は、必ずここから出る。そして自由を手にする。こんな汚ねえ牢屋で一生を終えてたまるか。


 体の痺れが取れた俺はすぐに行動を開始した。
 まず窓。老朽化しているので頑張って壊せば外に出れるんじゃないかと空のコップで叩いてみた。結論、壊せるわけが無い。あほか。
 次に床。何かの本で床下に穴を掘り脱獄するという話があった気がする。空のコップで試してみた。結論、掘れるわけが無い。ばかか。
 残るは……


「ねえねえ衛兵さん。背中がかゆいんだけど、手が届かないの、かいて下さる?」


「気持ち悪いの時空を超えてお前が魔の眷族に見える。やめろ」


 衛兵さんを誘惑しよう作戦失敗。


「お、お腹が! お腹が痛い! 医者を呼んでくれぇ!」


「そこで漏らせ」


 仮病で衛兵さんを騙そう作戦失敗。


「神が、神の声が聞こえる! 貴方はまさか! ヴィシュヌ様ではありませんか!?」


「おーい、後で麻雀やろうぜー」


「おー、三時間後に交代だからその時になー」


 神の声が聞こえる御子を牢屋に入れておくなんてとんでもない作戦はよその担当の衛兵に俺の見張り担当の衛兵が声をかけられて失敗に終わる。
 ……万策尽きたか。
 一日目終了。明日こそはきっと、お天道様が俺の味方をしてくれるはずだ。





「ハッハッ! こいつは驚きだ! 俺はなんてご機嫌な踊りを編み出しちまったんだ! おいあんたもどうだい!? こいつは神父の説教を聴くより何倍もノリノリになれるぜ!」


「ふぁっきん」


 フレンドリィにダンスに誘う作戦失敗。後から考えれば成功したとしてどうする。


「……そうして彼の名前が決まりました。それはとてもとても長い名前で、全部話すと……」


「じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけだ。寝ろ」


 お腹の底から笑わせてみよう作戦も衛兵が落ちを知っていたので断念。もうなんでも良くなってきた。


「見てくださいこの輝き。落として傷ついたコップもまるで新品のようです。勿論コップにしか効果が無い訳ではありません。布に多めに付けてサッと一拭きするだけで壁の汚れもほら、簡単に落ちちゃうんです。今ならこのクロノ印の唾液を一リットル二十ゴールドで提供させて頂きます。おっ得ー! ほらほら先着順ですよ? そこのカッコいい衛兵さん! 貴方もお一つお求めになっては?」


「カッコいい衛兵さん以外は妄言として扱うことにする」


 俺の唾を服に付けてその洗浄力を売り込む作戦も水泡と帰したか……こうしてみるとここの生活も様々なアイディアが溢れてきて悪くないかもしれない。
 二日目終了。明日はどうしようかな、口笛でクロノソロライブを決行してみようか。今の内に作詞作曲しておかないと。





「あーけーてー! あけてー! あけてよー! あければあけるし開かざる時!」


「ああもううるせえ! 黙ってろ馬鹿!」


 段々頭が弱ってきていると自覚した俺は散々牢の中で騒いで衛兵のストレスを溜めることにした。上手くいけばこれで脱出が可能かもしれない。


「馬鹿? 馬鹿って言った? 腹立つなーその言い方。はらたつのり。なんちゃって」


 自分で言ったギャグで爆笑していると衛兵の一人が「おい牢を開けろ! 黙らせてやる!」と鼻息荒く命令した。カルシウムが足りてないね、君。


 ゴゴゴゴ……と鉄格子が上がり衛兵が俺に近づいてくる。俺の間近に来た衛兵は剣を抜き、峰で俺の頭をぶん殴った。痛い、痛いがルッカのハンマーには遠く及ばない。


 倒れた俺を見て気を失ったと勘違いした衛兵が牢から出ようと俺に背を向けた。……さあて、脱獄劇の始まりだ。


 飛び起きて衛兵の剣を後ろから奪った俺は剣を鞘に入れたまま衛兵の喉に突きを入れる。悶絶して倒れた衛兵は無視して牢の中から出てもう一人の衛兵に剣を振りかぶる。初撃で兜を落とし、相手の攻撃をいなしてから相手の側面に飛び込む。王妃を倒したときの要領だ。その時に比べて迫力、難易度ともに比べるべくもないほど低いものだったが。
 後は回転切りできっちり膝裏、背中、後頭部に一撃を入れて昏倒させる。
 人間を殺すわけにはいかないので二人とも牢屋の中にあった鉄鎖で縛り、牢の中に入れて鉄格子を降ろした。これで俺が脱獄したことはしばらくバレないだろう。






「……これで俺の装備は全部か」


 鋼鉄の刀を腰に差してから、廊下を走り出す。
 牢屋の中ほどではないにしろ決して清潔ではない廊下は下を向く度に黒い虫が這いずり回っている。……俺ゴキブリが出ただけで悲鳴を上げるのに、昆虫図鑑でしか見たことが無い虫がうじゃうじゃいる所を走り回るなんて拷問だ。


 すぐにでも日の光を浴びたい、その一心で俺は脚に力を入れて前へと進んでいった。


















 おまけ





 ヤクラと王妃




「大臣、チョコレートです。私はチョコレートが食べたいのです。チョコレートがあれば私は城に帰らず修道院の中にいますから、急ぎチョコレートを持ってきて下さい」


「いや王妃、わしはお前を殺すために連れてきて……ああ、分かった! チョコレートだな! 待っておれ今すぐこのわしが作ってやろう! だから泣くのはやめて? お前の泣き声でわしの部下の鼓膜が破れて三人戦闘不能に陥ったのじゃから」


 大臣は優しい。
 この大臣が本当は本物ではなくモンスターだと分かっているが、それでも私にとっての大臣は目の前で私の我侭に四苦八苦している大臣なのだ。
 この前はクッキーが食べたいという私の要望に応えようとお菓子の作り方という本を読んでいたのを覚えている。きっと今回も本を見ながら美味しいチョコレートを作ってくれるに違いない。
 私はそれを想像するだけで、はしたなくも唾が溢れてくるのだ。


「大臣、それが終われば遊びましょう。前みたいにモンスターに変身して私を乗せて下さい。修道院内を走り回るのです」


「いやいや王妃、わしはここのモンスターを取り仕切っておるのだぞ? そんなわしが情けない姿を部下達に見せては示しが……うぬ! 全てこのヤクラに任せるがいいぞ!」


 チョコレートを作りに部屋を出る大臣は少し落ち込んでいたが、私はワクワクしていた。大臣の背中に乗って走ってもらうと建物の中なのに風を感じてとても気持ちが良いからだ。


 こんなに遊んだり好きなものを食べたりという生活は今までにしたことがない。城の中の生活は別段苦しくはないし、むしろ快適であったが、こんなに毎日が楽しくて、高揚感溢れる日々は無かった。


 それに、こんな風に年上の男の人に甘えることなんて今まで一度も無かった。
 私の父上は厳しくて、娘の私よりも国の方が大事という御方だった。
 それは為政者としては立派だし、私自身そんな父上を誇りに思っている。……けれど、私も誰かに甘えてみたいと思うのは傲慢だろうか?
 私はいつも誰かに思いっきり我侭を言って、誰かに思いっきり甘えたいと常々思っていた。それは、決して叶わぬ夢だと諦めていたのだけれど……


 だから私はあの本物ではないけれど、私にとっては本物以上の大臣は私の夢を叶えてくれる為に私に会いに来てくれたのではないかと思う。
 都合の良い想像だとしても、私がそう思うなら、私にとってそれは真実なのだ。


 出来るならば、少しでも長くこの生活が続くよう、それが今の私の願いである。
 ソファーの上に置いてある、この前大臣が私の為に作ってくれたぬいぐるみを抱きしめながら、私の未来を想像した。



[20619] 星は夢を見る必要はない第八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 01:01
 牢屋を出た俺は右往左往しながら迷路のような刑務所を歩き回る。所々に突っ立っている衛兵は暗闇に紛れて近づき後ろからクロノ式ブレイバーを叩き込むとあっさりと昏倒していく。気分は伝説の傭兵。大佐! 現在の状況は!?
 倒れた衛兵が必ず一つは持っているミドルポーション(ポーションの高級品)を懐に入れてホクホク顔で歩く。悪くないかもね、獄門生活。
 ちょっと探検気分で楽しくなっていると明るい部屋に出て、奥に刺付きの棍棒を誰もいないのに振り回している変態を見つけた。萎えた。早く出たいこんな所。
 Uターンしてまたカビ臭い通路を歩いていると今度はギロチン台に首を乗せて縛られている青年を見つけた。足掻こうとしているのは分かるのだがケツをふりふりするのはやめろ、妙な想像をしてしまう。
 無視して先に進もうとすると俺を見つけた青年が大声で「ヘルプ! 助けて! ボーノボーノ!」とやかましく、このままでは衛兵がやって来てやらなくていい戦闘をしなければならなくなりそうなので縄を解きギロチン台から開放してやった。


「もっと早く助けてくれればいいじゃないか」


 信じられないがこれが助けてやった後の第一声である。唇を尖らしてぶーぶー、と聞こえてきそうな顔は肘鉄をめり込ませても許されそうだった。というか、めり込ませた。


「本当は言いたくないけど、これ以上前歯を不安定にしたくないから言うよ。助けてくれてどうも。ケッ!」


 これ以上ないくらい癪に障る謝られ方だったが、これ以上こいつをどついていると衛兵に気づかれそうだったので抑えることとした。だってこいつ殴られたときの声でかいんだもん。
 女の子座りになって「殴ったね!? 父さんにも殴られたこと無いのに! いやあるけど!」
 と叫んだときは反射的に刀を抜いていた。衛兵は殺しちゃ駄目だけどこいつなら許されるのではないか?


 あっかんべー! と舌を出しながら去っていく青年を見てあいつまた捕まるんじゃないいか? むしろそうあれと願う今日この頃。俺は間違ってない。
 気を取り直してまた刑務所内を探索していく。牢屋の中の骨が動いたりした気がしたが、俺は非科学的なことは信じないリアリストなのだ。これから俺のことをバンコランと呼んでも構わない。


 階段を見つけたので登ろうとすると、上から黒い泥団子みたいなものを投げられた。ぺっ! ぺっ! 口の中に入った!
 何があったのかと階段を駆け上がると俺の身長と同じくらいの大きさの盾が二つ置いてあった。
 随分でかいな、暴徒鎮圧用かな? としずしず見ていると、その盾が動き出し裏から人間が顔を出した。俺より頭一つ分小さいその人間は俺の顔を見るなり「ひっ!」と悲鳴を上げて盾の後ろに隠れてしまった。失礼にも程がある。俺の顔を見て悲鳴を上げるなんて二日前以来だ。その時悲鳴を上げたのは俺と同年齢のカヨちゃんである。母さんを通して理由を聞くと、「クロノ君に近づくと、ルッカちゃんにお仕置きされるの……」だそうだ。何故ルッカは俺を孤立させようとする。女子は皆俺を避けるし、男子は男子で半端に人気のあるルッカとよく一緒にいるという理由から俺を毛嫌いしている。ルッカという存在はどこまでも俺の人生を捻じ曲げていくのだ。悪魔め。


「……ああ、また明かりだ」


 階段を上がってすぐの扉から人工的な明かりが漏れている。電球のある生活がどれほど贅沢か骨身に染みるよ。
 しかし、油断は出来ない。中を見ればまた変態が我が物顔で棍棒の素振りをしているかもしれない。ああいう輩がいる所を見ると、もしかしたらここは元々アルコール中毒者の隔離施設だったのかもしれないな。酒は飲んでも飲まれてはいけない。


 恐る恐る扉に張り付き、中を覗いてみる……おや?なにやら靴の裏がこちらに近づいて、


「クロノーッ!!」


 蹴り開けられた扉で鼻を強打した俺は、その反動で階段から転げ落ちて気を失った。

















 初めは、偶然私にぶつかり、ペンダントを拾ってくれたから。ただそれだけだった。あとまあ、同い年の男の子と遊ぶという、女の子らしい遊びがしたかったからというのもある。
 お祭りを巡って、初めて見るお菓子や食べ物を奢ってくれた。いくら世間知らずに育てられた私でも、そういう商品を買うにはお金がいるということくらい分かっていた。会ってから全然たってないのにお金を出してくれるなんて、良い人なんだなあと思ったことを覚えている。
 一緒にはしゃいでみて、気を使わないで良いことも分かった。クロノは女の子の私に気を使って楽しんでいるのではなく、心の底から夢中になったり興奮しているのが手に取るように分かったから。
 だって、私が凄いよ凄いよと興奮しているのに、クロノはそうかあ?どこにでもあるトリックだよ、と全然乗り気になってくれなかったり、逆に私が怖いからやめようというサーカスのテントに聞く耳持たず入ったりした。
 でも、それは稀なケースで、大概私もクロノも周りの人の迷惑も気にせず(これはちょっと反省)二人して騒いでいた。
 本当に楽しかった。こんなに興奮したのも、笑ったのも、また同じ人に笑顔を見せ続けていたのも初めてだった。
 そうして、今度は私がルッカの実験に挑戦して、ゲートに入った時。迎えに来るのは遅かったけど、ちゃんとクロノは私を助けに来てくれた。
 ……なんだろう?私がクロノに抱いている……抱いていた感情は。
 男女間の愛?クロノのことは素敵な男の子だと思うけれど、それは違う気がする。だって、時々訳の分からないことを言うし、私が本で読んだような恋愛ができそうには思えない。……ちょっぴり情けないし、ね。
 けれど、私はクロノと一緒にまたお祭りを巡りたいと思った。
 出来ることなら、クロノと一緒に色んなところを巡りたいとも思った。
 ……もしかしなくても、私は、クロノと……


「友達に、なりたかったんだ」


 私は自室の天蓋付きベッドに仰向けで寝転がりながら、一人でぼうっと呟いた。




 マールがクロノに抱いていた感情。
 それは恋慕といった甘酸っぱいものではなく、また興味があるという程度の軽いものではない。
 マールと同じ年齢ならば誰もが持つであろう、友愛であった。




「……なら、私がすべきことは……」


 私は壁に立て掛けたボーガンを手に取り、比較的丈夫なロープのようなものを探して部屋を飛び出した。








 星は夢を見る必要は無い
 第八話 プリズンブレイクをそのまま訳したら牢獄破壊って、なんかアクション映画っぽいよね







「まあまあ俺も男の子だし、あんまりネチネチ言いたくないけどさ、俺を助けに来てくれたのは嬉しいよ? 純粋に。でもね、その結果俺の頭を割ってたら目的がおかしいよね? 手段と目的が入れ替わってるなんてのは良く聞くけどさ。ルッカのやったことはあれだよ、電車の中で若者が騒いでるのを止めようとして大声で歌いだす蛮行と同じだからね? なんで被害拡大に一役買うのかが俺には理解できないなあ、最先端過ぎて俺がついていけないよ。これは俺が時代に取り残されてるのかルッカが時代をぶっちぎってるのか、その辺を重点的に説明してほしい」


「もういいじゃない。幸い怪我もたいしたことなかったんだし、さらっと流しなさいよ」


 ルッカが言う流すのは水的なものなのかもしれないけれど、俺の中ではその液体重油的な何かだからさ、どろっとしてからみつくぜ?


「……まあ俺の手助けをしようと善意に行動したんだから忘れてあげないでもないけどさ。一体どうやってここまで来たんだ?兵士達だってわんさかいただろうに」


 俺が抱いたごく当たり前の疑問にルッカは得意気な顔をして肩から下げている鞄から茶色いダンボールを取り出した。ルッカの鞄って何でも入ってるのね、魔法の鞄みたい。


「これぞ伝説のスニーキングアイテム、ダンボールよ」


「あ、そのネタもう俺やった」


 ちきしょう……とおよそ一般的な女の子の悔しがり方ではない反応を示すと、ルッカはその場で体育座りになり指で床を弄りだした。爆砕点穴の練習ですか? ルッカがそういう可愛らしいと見られがちな行動をするとどうも破壊に繋がるのではないかと邪推してしまう。


「でもこれはそう馬鹿にできるアイテムじゃないわよ? 私だってこれで何回あんたのお風呂を覗いたか……私は何も言ってないわ」


「……そうか」


 分かる。どうせここで俺が追求すればルッカがハンマーを振り下ろすんだろう? さながら大海賊時代のバイキングの持つ戦斧のように。
 俺の名前はクロノ、テンプレートを回避する男。……でもきっちり言い切ってから誤魔化せると思えるルッカには良い病院を紹介すべきだろうか?俺の家から二件隣に住んでいるバイアン・ジャーニーさんが経営する病院なんか良いんじゃないか?略称BJとしてトルース町の皆さんに好評の。顔に縫い後があるのと料金が割高なのが玉に傷ではあるが。


 とりあえず階段で休憩してても始まらない。俺が突き飛ばされた扉をくぐり、中に入る。そこは俺が衛兵に気絶させられた所長室だった。最初はマールのだいっきらい宣言とこれからの俺の将来を考えてどん底に落ち込んでいたからよく見てなかったけど、中々良い部屋じゃないか。適当に罪人を牢屋まで案内しているだけでこんな良い部屋を割り当てられるのか。これだから公務員は。
 ここにいない所長に毒づきながら軽く部屋を見て回ると、机の下に青い服を着た、所長殿が倒れていた。


「おううううわああぁぁ!!! 人が……人が死んでる!?」


 ごめんなさい! よく知りもしないで楽そうだとか簡単に金を稼げるとか言っちゃって! きっと俺たち国民の与り知らぬ所で膨大なストレスを溜め込んでたんですね! まさか死んでしまうほどの心労だったとは! ……もしくは俺と同じ想像に達した人間による犯行なのか!?
 ガルディア刑務所殺人事件~夜風が目に染みやがる。
 じっちゃんはこの中にいる!


「色々混ざってるけど、犯人は私よ。動機はあんたを助ける為で、ついでに殺してないわ。この使い捨て人体破壊専用ドッカンばくはつピストルを使ったから。勿論のこと非殺傷設定よ」


 ついでにで命の有無を扱うのかという突っ込みの前に、何かえらく禍々しい単語が聞こえたのだが。
 流石巷では『黄昏よりも暗き者』または『血の流れより赤き者』と呼ばれるだけのことはある。名付け親は俺だ。


「お前が犯罪を犯して俺が涙を流しながら『あんなことする子じゃなかったんです……』と言う光景が目に浮かぶよ。少女人体実験による精神破壊とかの罪状で」


「今罪人なのはあんたよ。ほら、いいからさっさとここからオサラバしましょ、ここ臭いのよ。ついでにあんたも臭いのよ」


「お前は女子が男子に言う臭いはどれだけ鋭利な刃物になって胸に突き刺さるか分かってないんだ」


 刑務所に風呂なんてなかったんだから仕方ないじゃないか。俺だって頭が痒くてしょうがないんだ。後、頭を掻く度に毛が抜けるんだけど俺この年にして若はげ確定なんだろうか? 消費税アップとかより衝撃の事実なんだけど。


 俺の結構マジな注意を無視して部屋を出た。あいつとは何処かで真剣に決着をつけないと、俺は先に進めないのかもしれないな。例えばしゃべり場とかで。


「……あれ、なんだこれ」


 ルッカの自称非殺傷兵器で気絶している男(顔面が識別できないほど潰れているのは置いといて)の近くに数枚の紙が綴じてあるファイルが落ちていた。
 中を見ると達筆な字で


 『ガルディア王国刑務所所長殿へ ドラゴン戦車の設計図 ドラゴン戦車の頭には、本体が』


 ここまで読んだ時に、ファイルから一枚の写真が落ちた。
 拾って見ると、そこにはバニースーツを着た女の子がこちらにピースサインを送っている写真だった。裏側を見ると、
『今日のわしのお気に 大臣』
 と書かれていた。仕事しろよとは言わんがこういう形で性癖を暴露するのは大臣からしてもどうなんだろうか?
 ファイルをもっと調べてみると他にも大量に写真が綴じられていた。むしろちゃんとした書類よりも量が多かった。この国は一度滅びなければならない。


 とはいえ、何か脱獄の手がかりが書いてあるとも知れないので全てチェックすることにする。ほら、万が一ってあるじゃない? 変な意味は別にないんだよ? 青い好奇心みたいな感情は全然。俺ってば解脱するかしないかみたいな領域に来てる聖人君子だからね。


 俺の精一杯の自己弁護をさらりと無視して戻ってきたルッカが写真ごと火炎放射器で俺を焼き払った。お前躊躇いなく人の事燃やすけど、全身の三分の一を火傷したら死ぬんだからね? その辺のこと分かってやってんの?
 俺が衛兵達から回収したミドルポーションはここで使い切ってしまった。
 ……あのチャイナ服の女の子、名前はユイちゃんか。今度お店に行って指名しよう。


 部屋を出ると手すりもついていない渡り通路。下を見れば地面まで数十メートルはありそうだ。ここから飛び降りて逃げる、というのは無理そうだな。
 激しい風に晒されて、年中半袖の俺には辛い、ルッカを見ると寒そうに身を縮めている。一番重要なのは後ろから見ればルッカの上の服が風で持ち上がり腰の上部分が見えていることだ。フッ、とはいえ、悪いが俺はその程度で興奮する時期なぞとうに越えている。俺を興奮させたければその六倍のエロさを見せてみろというのだ。


 いやあ、にしてもびゅんびゅかびゅんびゅかと風の音がやかましい。
 おかげで前でルッカが持ち上がっていく服を抑えながら顔を赤くして何事か叫んでいるが聞こえやしない。いやあもう全く。
 ……しかし、何故ルッカはスカートの下にズボンを履いているのだ、見られるかもしれないという緊張感から女の子は気を使い安定した姿勢を得られるというのに、ズボンとは全くけしからん、最悪スパッツならば色々妄想もできように。
 ここは一つ、一家言物申さなくてはならない。


「おいルッカ、パンツ見せろ」


「こっち見るなって言葉を無視してる挙句何言ってんのよおぉぉ!!!」


 西部劇のガンマンみたいにパカスカ俺を撃つルッカ。甘い、現在進行形で賢者の域に片足を突っ込んでいる俺に銃弾の軌道を読むことなど造作もないのだ。さっさと全部脱げ。……あ、妄想してたら足に当たった。
 こうして俺は中世で拾ったポーションを全て使い切ることになった。
 ただいまの持ち物、鋼鉄の刀、青銅の刀鞘なし(青銅の刀の鞘は鋼鉄の刀を納めるために使っている)のみ。


 この後上の服をズボンにインするという暴挙を犯したルッカと俺の壮絶なバトルが展開されたのだが、ここは端折ることにしよう。
 ただ、痴漢と言われようが何をされようが……それでも俺は、見たかった。


「はあ、はあ、はあ……何であんたはいつどんな時でもエロいことしか考えられないのよ!」


「知らなかったのか? 男の性の欲望からは逃げられない……」


「完全に性犯罪者の台詞よね、それ……時と場所を考えれば私はいつでも……なのに」


「? おいルッカ今度はマジで聞こえない。何て言ったん……おい、ルッカ」


「分かってる。何この音? まるで大きな歯車が回るような……それが近づいてくるような……」


 渡り通路の先から聞こえてくる奇怪な音に、俺とルッカは軽口を止めてその正体を探るべく目を凝らす。
 ……何だ? あの不細工な乗り物は?


「ハーッハッハッハー!!! 脱獄犯めが! このガルディア王国刑務所から逃げ出そうなど、そうは問屋がおろさぬわ!! ゆけいドラゴン戦車! ……寒い、この場所服がバタバタ揺れて凄い風が入り込む」


 愉快な笑い声をBGMに大臣がドラゴンを模倣したというよりは妊娠中のコモドオオトカゲに似せましたというような戦車に乗りながら登場してきた。
 顔の部分はラグビーボールを半分に切ってまたくっ付けたような造詣で、胴体部分はなすび型。今時おもちゃでももう少し精巧に作れそうな尻尾。動くたびに不穏な音が鳴る車輪。……まさか、こいつを俺たちに戦わせる気じゃないだろうな? 適当に作った機械に過度な期待はやめてください。成長に著しい悪影響を及ぼします。


「ルッカ、俺、お前の作る機械って大概駄作だと思ってたけど、お前やっぱり天才なんだな」


「認めてくれるのは嬉しいけど、今この状況で言われるのは物凄く不快だわ」


 俺もルッカも武器を取り出しさえせずに大臣御自慢のドラゴン戦車を眺める。ああ、背中の鉄板が一枚外れましたよ?


「さあ! お前達にこのドラゴン戦車を倒せるかな? さっさとかかってこい! できるだけ早く掛かって来い! 長期の稼動は想定しておらんのでいつ止まるとも知れんのじゃ!」


 知ってるか? あんたみたいな奴がいっぱいいる病院の名前。そこで友達百人目指せばいいじゃない。


「な、何をしておる! さっさと来んか腰抜けめ! さてはこのドラゴン戦車に圧倒されて足が竦んでおるな? ……ああもう本当寒い。鼻水出てきた。今夜はトルース町のガールズバーで豪遊する予定なのに困った」


 あんたみたいな奴ばかりだと、きっと戦争なんて起こらないに違いない。十中八九滅びるけど。


「いかんぞ、鼻水を垂らしたままじゃとユイちゃんに嫌われる。今日こそわしはあの子とアフターを決めるんじゃから」


「貴様ァァ!! そこに直れ、今すぐこの場で切って捨ててくれるわぁぁぁ!!」


「ちょっと!」


 ルッカの制止を振り切り俺は走りながら刀に手をかける。
 ごめん、ルッカ。でも俺は男だから、命を賭けなきゃいけない時がある。倒さなきゃいけない敵がいる。……例え、それがどんなに強大な敵だとしても!


「ユイちゃんとのアフターは譲れねええぇぇぇ!!」


 前方のみを直視していた俺は、後ろから飛来するハンマーの存在に気づかず頭をドヤされる。アイテー。
 足幅大きく俺に近づき、ルッカは俺の首元を掴んでがくがく揺らす。少し前のことなのに懐かしいこの感覚。



「ユイちゃんって誰?」


「え……いや、別に」


「ユイちゃんって誰?」


「だからね、ルッカさんちょっと聞いて?」


「ユイちゃんって誰?」


「……」


「ユイチャンッテダレ?」


 いよいよ言葉の発音すらおかしくなってしまった。
 前方の竜後門の悪鬼状態だ。竜ははりぼてだし悪鬼はすでに俺の命を握っているけれど。


「あっ! わしの服が! ああっ、下も!?」


 なにやら一人芝居を続ける大臣を目だけ動かして窺うと、大臣の服が全部飛ばされ、風から大臣を守るものがふんどしだけとなっていた。
 誰がお前のお色気シーンを期待したのか。乳首を隠すなゲテモノ。
 ……しかし良い事を知った。


「ルッカ。お怒りのところ申し訳ないが、さっきの大臣の服と同じ服を着てまたここに来てくれないか? ああ、下着は着けなくてもいい。むしろ着けるな」


「本当に申し訳ないわねそのお願い!」


 俺の首を絞める強さが増した。ふむ、あと数秒で俺の頚動脈が破裂すると知っての行動なのだろうね?


 溜息をついたルッカは俺を解放し、瀬戸際で俺の頭が破裂する事態にはならなかった。
 敵前で味方の首を絞めるとは、ルッカの頭の中を見てみたいものだ。そしてそれ以上に服の中身を見てみたいものだ。


「もういいわよ……クロノの浮気性。今度ユイとかいうあばずれ、実験と称してこの世から消し去ってやるわ……」


 ルッカが怖い顔をしているので俺はそっぽを向く。情けなくない。こういう時のルッカの顔は下手なホラーゲームよりよっぽど怖いのだから。


「いにゃああぁぁぁぁ!!」


 叫び声が聞こえて、ドラゴン戦車を見ると背中に乗っていた大臣の姿が見えない。……そうか、大臣は星になったのか。汚いものを見せてくれたが、今後の楽しみとして大臣ルックという引き出しを増やしてくれた恩義は忘れない。来世で幸せになってくれ。そして末期の時の言葉すら萌え声なんだな。


 運転する者がいなくなったので、俺たちはドラゴン戦車を素通りしようとする。……が。
 そもそも、戦車を運転するのに背中に乗っているわけは無い。
 中に誰かが乗って操縦するか、もしくは……


「る、ルッカ! 動いてるぞこのぽんこつ!」


「……そうか、外見の構造上、中に誰かが乗るスペースは無い……つまりこのドラゴン戦車、へっぽこな見た目の癖に……」


 無人で作動する、自動型かのどちらかだった。



「ドラゴンセンシャ、ミサイルハッシャイタシマス」


「「ミサイル?」」


 俺たちが同時にハテナマークを頭の上に浮かべると、ドラゴン戦車の背中が開き、中から八発のミサイルが……俺たちに向かってくる!?


「ううう撃ち落せルッカ! お前なら出来る! 君に決めた!」


「無茶言わないでよ! こんな改造エアガンなんかでなんとかなる訳……キャアアアアア!!」


 俺たちは二人して全力で後方に走る。……背中からボカンボカンと聞こえる音は爆発音だろうか? くそ、なんであんな間抜けな見た目なのにミサイルなんて高性能なもんを打ち出せるんだ! テロリスト対策ったって限度があるだろ! あああ耳元を破片が掠めたぁぁ! 助けておばあちゃーん!


「こ、こうなったら仕方ない、奥の手ルッカスペシャル三号、テロ行動時専用反逆丸を使うときが来たようね……」


「何か秘密兵器的な物があるのか!? テロ行動時専用ってそういうことしようと考えてたのかとか無粋なことは言わん! 早く使ってくれ!」


 含み笑いをしながら取り寄せバッグに手を入れるルッカ。その手に握られていたのは拳大程の大きさで、形状はピンの付いたパイナップルのような形だった。……うーん、ジェド○士?


「これは万が一クロノが死刑になり殺されていた時に王族諸共吹き飛ばそうと考えて作った最終兵器よ。まさかこういう形で使うとは夢にも思わなかったけどね」


 なんでお前は南米の傭兵達みたいな方法を取ろうとするのかが不思議で仕方が無い。


「さあ! 火薬を入れすぎて広めの空き地で使っても周りに被害が及ぶであろうこの反逆丸の爆発を受けてなお原型を留めることができるかしら!?」


「ねえルッカ。俺凄い嫌な予感がする。外れないんだ俺の嫌な予感。良い予感は当たった試しがないんだけどさ」


 スルー上等、ピンを抜きドラゴン戦車の足元に反逆丸を投げつける…………何も起こらないぞ?


 床に伏せて耳を塞いでいるルッカに不発か? と聞こうとした矢先に、脳天を突き抜ける轟音が辺りを支配する。こっ、鼓膜が! 鼓膜がああぁぁ!!


「ふう、予想通りの威力ね」


「時間差で爆発するならそう言えよ! 耳の中でアラ○ちゃんが走り回ってるじゃねえか!」


 キーン、キーンとね。


 火薬の煙と、爆発で舞い上がった砂埃が晴れると、そこにドラゴン戦車の姿は無かった。なるほど、ルッカが納得するだけのことはある。素晴らしい破壊力だ。うん。本当に凄い破壊力でしたよ。


「で、どうするんだ」


「何よ? 謝れば許してくれるのかしら?」


 渡り通路の三分の一が吹き飛び、助走をつけて飛んだところで消えた通路の半分にも届かない距離で地面に叩きつけられるだろう。悪いと思ってるならその尊大な態度を改めて申し訳なさそうな顔をするのが筋だと思うよ。僕の人生経験からすれば、さ。言っても無駄なのは分かってるけど。後額からどばどば出てる汗は拭いとけ、唇が真っ青になって震えてるのは寒さのせいだけじゃないよな?


 どうするべきか、この刑務所を出るルートが他にあると期待して引き返すか? ……いや、出口がいくつもある刑務所なんて存在するのか? 俺はこの刑務所の中をかなり歩き回ったが、他に出口らしきところは無かったぞ?
 いっそ運よく生き残れることを信じてここから飛び降りるか……? いや、自殺行為でしかない。奇跡的に生き残っても大怪我をしたままじゃまた兵士達に捕まってしまう。……どうする?


 光明の見えない状況で、俺は女の子の声が聞こえた気がした。
 気のせいかと思ったが、ルッカも辺りを見回していることから聞き間違いや幻聴の類ではないと確信する。
 今この場に現れる可能性がある女の子といえば……まさか。


 カツンという音がして、足元を見ると向こう側の通路からロープが括り付けられたボーガンの矢が落ちていた。
 ボーガンの矢……もうこれは間違いないな。あのお人好しの王女様め……


 ロープを近くの柱に縛り、何度か引っ張ってみる。これなら途中で縄が切れることも無いだろう、限界突破に怖いが、俺たちは縄を伝って向こう側に辿り着くことが出来た。


「おかえり、クロノ」


「ああ……ただいま、マール」


 きらきらと輝く金髪をポニーテールにした、純白の服を着る少女、マールが俺たちを見てニッコリと微笑む。
 牢獄に入れられた時の虚無感も、衛兵の為すがままに気絶させられ、物のように扱われた屈辱。一生外には出られないのかという絶望、それら全てを消し去ってくれるその笑顔を俺は忘れないだろう。
 そうだな、もしも彼女を何かに例えるなら……それは決まっている。
 俺は、念願の日の光を見つけることが出来たのだ。


 俺とルッカだけでは脱出不可能な状況から脱して、その場に座り込みほっと一息つく。


「ほらクロノ、こんな所で座り込んでないでさっさと逃げるわよ。ここはまだガルディア城の中なんだから」


 ルッカが俺の背中を膝で押してくる。
 確かにそうなんだけどさ、気が抜けたんだよ。
 そう言いかけた時、俺は声を出せなかった。
 その時のルッカの顔は、一瞬だけど憎憎しげにマールを睨んでいたから。


 俺とマールを置いて走り出したルッカを見て、俺に手を差し伸べるマール。
 その手を取って勢いをつけ立ち上がる。「行こう、クロノ!」と笑いかけてくれるマールに分かった、と返す。
 ……ルッカ、お前はマールに対して何を思ってる?
 足が前に動かない俺を、扉から吹く風が背中を押してくれた。




「だ、脱獄だー!!」


 階段を降りて城の玄関まで辿り着くと、外に出るまで後少し、という所で兵士達に見つかった。
 一度餌をあげた鳩みたくわらわらと俺たちに掴みかかる兵士達。……心なしか俺の体を掴む奴が少ないのは気のせいか?


「や、やめなさーい!!」


「ま、マールディア様でしたか!」


 さっきまで二の腕やら足やらを触っていた癖にマールが声を張り上げた途端わざとらしく「気づきませんでしたなー」とか「やっちゃったぜ!」とか「超ふわふわ。極すべすべ」とか抜かし出す。特に三番目、俺の前にその首を出せ。


「この方たちは私がお世話になったのよ! 客人として、もてなしなさい!」


「し、しかし……」


 それは正に中世でマールと出会った時の再現だった。
 マールの言葉に納得のいかない兵士はなおも抵抗しようとするが……きっとこの先の展開もあの時と同じ。


「私の言うことが聞けないの?」


「いえ! 滅相もございません!」


 兵士達からは見えない角度で俺にチロ、と舌を出すマール。即興の悪戯心で作った演出にしては洒落が利いてるじゃないか。


「そこまでじゃー!」


 このまま城から逃げられるかと思いきや、城の奥からちゃんと服を着た現代のストリーキング、大臣が走って姿を現した。あれだけの高さから落ちて、俺たちより早く城に戻り服を着替え、なおかつ走れるのかよ、お前人間じゃないなオイ。


 アメーバ並みの再生力を持つ大臣が控えい控えい、控えおろーうと時代劇みたいな口調で兵士の頭を下げさせる。本当やりたい放題だな、聞きたくないけどあのドラゴン戦車とかどれだけ予算を使って作ったんだよ、国民の血税をほとばしるほど無駄にしやがる。


「ガルディアーーーー、三世のぉーーー、あ! おーーーなぁああーーー!」


「父上……」


「いい加減にしろマールディア。お前は一人の個人である前に、一国の王女なのだぞ」


 大臣が時代劇から歌舞伎にシフトチェンジすると痺れを切らした王が大臣を後ろから蹴り倒して前に出る。大臣は階段から落ちて頭から床に叩きつけられた。死んだかな? と期待していると「いったー、絶対赤くなってるぞいこれ。後でムヒ塗っとこう」だそうだ。頭蓋を完全に粉砕しないと死なない類の生き物なんだな、多分。


「違うもん! 私は王女である前に一人の女の子なの!」


「城下などに出るから悪い影響を受けおって!」


「おいそこの犯罪者兼脱獄者と、貧乳眼鏡女。どうじゃったわしの登場の仕方? 自分で言うのもなんじゃがイケとったじゃろ?」


「影響じゃない! 私が決めたことだもん!」


「マールディア!」


「痛いぞ娘、何故わしの頭を撃ち抜くのじゃ……ああ、そういえば胸の大きさと度量の広さは比例するという。然りじゃな」


「こんな所もうい居たくない! 私城出するわ!」


「待たんかマールディア!」


「何? 私はCカップよだと? ふむ、確かにCカップじゃな、そのカップを着けたままならば、の。ほっほっほっ」


 ああ、大臣がでかい声でアホな会話するからマールと王様の大切な話が逆に浮いてしまう。お前の登場シーンなんぞどうでも……ええっ! ルッカ胸のサイズ誤魔化してたの!? え? じゃあ本当は何カップなの? B? まさかAは無いよね? 俺巨乳好きなんだけど! ところで大臣なんで見抜けるの? その技術俺にも教えてくれない? 経験の差とかならぶち殺す。


「早く行こう二人とも! もう一秒だってこんな所に居たくないの!」


「ほら、マールもそう言ってるから行くぞルッカ。俺だって大臣に聞きたいことは沢山あるけど我慢するんだから、耳の穴にハンマーの柄をねじ込むのはやめなさい。若干その大臣喜んでるから」


 親の仇いや世界の仇といわんような顔で大臣に拷問をかましているルッカ。鼻をすんすん鳴らしながら涙を流している姿に兵士達数人が「俺も踏まれたい……」とか寝ぼけてる。嫌だもうこの城。碌な奴がいない。今さっきまで喧嘩してたマールには悪いけどまともな奴王様だけだ。この中で一緒に酒を飲むなら誰と問われれば断ットツで王様だわ。


 ルッカを羽交い絞めにしながら扉から外に出る。
 逃亡する側の俺だけど、今なら簡単に俺たちを捕まえられますけど、いいんですか、見送って。


「待てー!」


「マールディア様がいなくなれば誰がこの城の萌えを担当してくれるのだ!」


「せめて、せめて何色だったか教えてくれー!」


「豚と、豚と呼んでください! 出来たら踏んでください! 器具や衣装その他諸々は僕の家に揃ってますから!」


 ルッカが涙を拭い自分の足で走るようになると急に兵士達が走って追いかけてきた。つまりあれだね、こいつらルッカの泣き顔を堪能したかっただけなんだね。
 中世も酷かったけど、現代は輪をかけて酷いな、そこで生きてる人間の頭。
 俺たちのようなまともな人間が住みやすいユートピアはないものか。


 町に出る道は兵士達で封鎖されており、仕方なく今まで通ったことの無い道をひた走る。マールのボーガンやルッカの威嚇射撃のおかげで距離はひらいていく。
 このままなんとか森を抜け、リーネ広場に着けばほとぼりが冷める迄中世に潜んでいる、これが最良の選択だと思う。本当は船で違う大陸に行くのが一番なんだろうけど、そこまで本格的な高飛びはちょっと決心がつかないし、無事逃げ切れるとも思えない。港はガルディア領なのだ、俺たちが森を出るとすぐさま封鎖するに違いない。
 そうだな、まず中世に着くと城に行こう。仮にも王妃を救い出した国の恩人なんだ、何年住もうが追い出したりはしないだろう。魔王討伐やらに力を貸してくれとか言われたらまた逃げれば良い。俺たちは放浪者になるのさ!


「行き止まり!?」


 俺がある程度逃亡計画を練っていると、ルッカが絶望したような声で絶望的な事を言う。ほらね、地に足をつけて生きていこうとしない人間はこうして天罰をくらう羽目になるのさ。


「……いや、待って。ゲートがあるわ!」


 ゲート? こんな所になんとまあ都合よく。
 ……が、これは安易に飛び込んでいいのか? ゲートの先が魑魅魍魎がそこら辺を歩いてないとも言い切れない。


「行こう! どんな所でも、私の為にクロノが捕まっちゃう世界よりはよっぽどいいもん!」


 俺の迷いを断ち切るように、マールがそうしよう! と体を動かし全身でアピールする。
 なんとまあ、思い切りがいいというか、考えなしというか……でもまあしかし。


 後ろを見るとすぐそこまで追ってきている兵士の群れ。その中に大臣も混じっているが、背の低い大臣は兵士の足にぶつかりよろよろになっている。やはり位が高かろうと無能な人間には敬意を払わないらしい。


「行くしかなさそうだな、ルッカ!」


「……ああもう、こうなりゃどうにでもなれね。行くわよ!」


 ルッカがゲートホルダーを掲げると、ゲートが俺たちを包み、その場所からワープするのと走りこんできた兵士達とはタッチの差だった。
 最後に大臣の呆然とした声が聞こえた気がした。










 ……長い。
 ゲートの移動も三回目になり慣れたのか、体は動かずとも意識だけは残るようになった。
 この場合の長いは、現代から遠く離れた過去、もしくは未来に繋がっているという解釈でいいのだろうか? 中世との行き来では意識が無かったのでその度合いは分からないが……
 無意味に考察していると、少しづつ目の前が明るくなってきた気がする。
 そうか……着いたのか。
 俺は薄ぼんやりと目蓋を開いた。




 ゲートは心持ち高い場所から俺たちを吐き出した。
 まずは俺。思い切り背中から落ちた俺は肺の中の空気を吐き出し、新たに酸素を補給しようとすると腹の上にマールが落ちてきた。それだけでは飽き足らず、ルッカは俺の顔面に膝を叩きつけていく。こういうのラブコメ漫画とかで見たことある。見てるときは羨ましかったけど、いざ体験してみるとかなりの悶絶物なんですね。この鼻からでる血液はやったぜ! エロハプニングゲットォ! 風味な血液なのだろうか? 必死になって否定するのも馬鹿らしいので一言言っておくが、俺は痛みで興奮するようなマゾじゃない。どちらかとSっ子である。


「いったー……ちょっとクロノ、もうすこし柔らかい顔になりなさいよ、痛いじゃない」


「俺の顔の惨状を見てそういうことを言いますか貴様」


 手で押さえようと指の隙間から絶え間なく血が溢れ出る。気の弱い子なら卒倒するレベルだぜこれ。


 どれだけ顔が痛かろうとまずは周囲の確認をする。周りを見ると、壁の所々に穴が空いており、その隙間から精密機械らしき物が埋め込まれ、隙間を覗き込んでみれば底の方になにやら酸えた臭いのする液体が充溢している。空気は視認出来るほどの塵?が浮遊しており息を吸うだけで咳き込みそうになる。床、壁、天井全てが鉄製という、現代ではごく稀な建物のようだ。もしかしたら今回は未来に来たのかもしれない。ゲートの後ろには顔のような模様のついた扉があり、蹴ってみたがビクともしなかった。
 ……現状確認短いが終了。とにかく紙かなんか無いか?この勢いで鼻血が出続けたら貧血で意識を失うかもしれない。


「ほらクロノ、こっち向いて」


 マールが俺の肩を叩き自分の方に向かせる。何ですか? 顔面血だらけの人の顔なんて珍しいからしっかり見ておきたいんですか? ……マール、君だけは綺麗なままでいてほしかった。


 被害妄想に囚われていると、マールが俺の鼻に手をかざし、優しく触れた。すると、信じられないことに俺の鼻血が急速に止まっていく。
 十秒もしないうちに血液は凝固して、固まった血がポロポロと落ちていく。


 驚いている俺をマールは心配そうな顔で見つめてくる。ちょっと、瞳を揺らすのは駄目だよ、おいちゃん彼女いない暦イコール年齢なんだから、勘違いしちゃうよ。


「もう痛くない? 私の力はお母様みたいに強くないから、ちゃんと治らなかったらごめんね」


「い、いや、大丈夫だよ。もう全然痛くないから……す、凄いなマール。こんな力を持ってたのか!」


 どもりながら必死に言葉を探してマールと会話する。うわ、絶対今の俺顔真っ赤だわ。ところでなんでルッカも顔真っ赤なんですか? マールに見惚れて、とかなら俺嫌だな、幼馴染がレズビアンとか。


「ガルディア王家の人間は、時々私みたいに軽い治癒能力を持つ人間が生まれるらしいの。昔はそれで次代の王を決めたとかって話もあるんだよ、まあ今は廃れた因習だけどね」


 顔が赤いことをバレないようにする為の話題だったのだが、上手く隠せて良かった。俺はクールがウリなんだから、そんな無様な姿は見せられない。今年の夏はクールな男がモテるっ! て何かの週刊誌で書いてあったから、俺はそれを日々実践している努力の男。


「私が乗っちゃったお腹は痛くないよね、私は軽いから」


「……ちょっと、それはどういうことなのかしらマールディア王女」


「気づいてないと思ったの? お城であったときからルッカ、ずっと私のこと睨んでるよね、これ位の意趣返しはあって然るべきだよ」


 ……あれ? さっきまでの青春空間は何処? なんかギスギスしてる。何だろ、売れ込みの仕方が似通ってるアイドルが二人で会ってるときみたいなこの空気。


 ルッカはチッ、と舌打ちをして壁際のマールに近づき、顔のすぐ右側の壁を力強く叩いた。バン! という音がこの小さな空間を支配する。もう怖いよやめようよ折角三人で違う時代に来たんだからもっと楽しくしようよ、遠足気分でさ。ほら、ウノやろうウノ! 俺強いんだぜウノ。来る手札によっては。


「じゃあ言わせて貰いますけどねマールディア王女。貴方は何でクロノが刑務所に入れられたのを止めなかったの? 貴方ならできたはずよね、なんせ王女なんですから」


「それは……最初、クロノのことを信じ切れなかったから……でも、今は違う。だってクロノは私の友達だもん! だから私はクロノを助ける、そう決めた。だから私はここにいるの! 違う!?」


 うん、マールが俺を信じられなかったのも無理は無い。俺はペンダントの件を話してないんだから。……正直、今となってはうやむやにしといたまま終わりたいのだが。あれだけシリアスやっといて原因はゲロとか。俺どういう顔で話せばいいんだよ。


「だからクロノ。今はまだ、貴方が何でペンダントを持って行こうとしたのかは聞かない……でも、いつか、いつか話してもいいと思えたら私に話して……約束」


 そんなはかない願いですら叶うことはない。
 それを教えてくれたのは、笑顔の可愛い女の子でした。
 小指を俺に差し出すマール。俺も小指を突き出し指きりをした。ああ、ちゃんと歌も歌うの? ……ごめん、俺それは歌えないわ。


「まだ話は終わってないの! 勝手にイチャイチャしないでよ! 鬱陶しいのよ!」


 壁を蹴ってマールの指切りを中断させるルッカ。そうかな、俺はほっこりできたけどな、恥ずかしかったのは否めんが。
 マールは最後まで歌いきりたかったのか、むっとした顔でルッカに向き直る。口挟んでいいのかどうか分からないけど、顔近くない? マジでキスする五秒前みたいな距離なんだけど。ここで百合展開とかもう……してもいいけど俺、覗くよ?


「まだ不満があるの? しつこいよルッカ」


「しつっ!?」


 ありゃあ、ルッカさんこめかみに青筋が浮かんでますね、これは非常に危険な兆候です。私はこの状態のルッカに昔背中にゲジゲジを入れられたことがあります。絶叫なんてものでは優しすぎるものでした。凄い腫れたしね、背中。


「……二日、二日よ」


「?」


 急に何を言い出したのか、と困惑するマール。それがあんたの残りの命よ! とか言い出したらちょっと面白いけどこれから俺はルッカの行動を逐一チェックしないといけなくなる。単純に言えば外れろ、この予想。


 ルッカは何を言ってるのか分からないという様子のマールをせせら笑い、そんなことも分からないのかという顔をする。結果、面白いはずが無いマールの機嫌も直滑降。富士急のジェットコースターの如く。


「クロノが捕まってた日数よ……貴方はその間何をしてたの? ねえ、貴方のために危険を顧みずゲートに飛び込んでくれたクロノが牢屋で苦しんでいる時! 貴方は何をしてたのよマールディア王女!」


「そ、それは……」


「クロノを信じられるようになるまでの準備期間? 随分ゆったりしてたのね、その間クロノはずっと辛かった! 貴方が豪華な朝食を食べている時クロノはおよそ人が食べるようなものではないものを口に入れてた! 貴方が優雅に読書を楽しんでる時もクロノは衛兵の苛めに歯を食いしばって耐えてた! 貴方が当たり前のように浴びていたシャワーにも入れず虫が蠢く汚い牢屋で苦しんでたのよ!」


「そんな……私は、私だって沢山悩んで、沢山苦しんで……」


「私はね、そういう精神的な曖昧なものの話をしてるんじゃないのよ、貴方が苦しんだ? それは誰が証明できるの? 貴方しかいないでしょう? ……ああ、貴方の大好きなお父さんに相談してたかしら? だったらここに呼んでみなさいよそしたら少しは信じてあげるから!」


「もうやめてよぅ!!」


 えええもう怖いよもう女子の喧嘩って本当怖い。なまじ喧嘩の理由が俺なものだから肩身が狭いし耳を塞ぐわけにもいかないし。あとさ、ルッカ俺のこと凄い良いように言ってくれてるけど、俺は助けに行く前に爆睡したり、牢屋の生活もルッカが思ってるより苦しいものでもなかったよ? 確かに食事は酷かったけど水は言えばくれたし汚いベッドも慣れたら気にならなくなるし、衛兵の苛めってどっちかというと苛めたの俺っぽいし、最後にシャワー云々って言ってるけどお前俺のこと普通に臭いって言ったじゃん。いや、今口挟んだら絶対ややこしくなるから黙ってるけどさ。


「私はクロノが捕まったのを知ったのは二日後のことだった。それから私は二時間で全ての準備を整えてすぐに助けに向かった。……この差が分かる? 私はただの平民、貴方は王族。貴方なら比較的容易にクロノを助け出せれた貴方はクロノを救えるのに最後の最後でしか助けに来なかった! 私が貴方ならすぐに助けた! どうして!? 何故クロノを助けてあげなかったの!?」


 気のせいだろうか? ひぐらしの鳴き声が聞こえる……そして何故か一人っ子のルッカが双子の妹に見える……それも実は姉みたいなややこしい設定で。


「貴方には分からない! 王族である苦しみは! どれだけ重いものを背負わされているかも! 私だって……私だって貴方の立場ならすぐに助けに向かったもん! それも最後の最後でポカなんてしない! ルッカはクロノを助けたっていうけど、結局出口を壊しただけじゃない!」


 それを言っちゃあお終いだよマールさん。まあ、ドラゴン戦車が本当に放っておいたら勝てる代物だったなら、牢屋からは脱出してたルッカのやったことはマイナスでしかないけども、そういうのはやっぱり心意気じゃない?


「……よくも言ったわね! もう王女だからって遠慮なんかしないんだから!」


「よく言うよ! 最初だけじゃない遠慮なんかしてたの!」


 そうしてここに始まるキャットファイト……あかんあかん! 手は出したらあかんでえ! 昔から喧嘩は手え出した方の負けと言うでなぁ! ここ、ここはおっちゃんの顔に免じてええぇぇぇ!!!


 二人のガチバトルは互いのクロスカウンターが俺の顔に爆誕して一先ずの終結を迎えた。燃え尽きたぜ……真っ白にな……








「ごめんねクロノ……ごめん」


 鼻を鳴らしながら俺の顔を治療してくれるマール。いや、凄い有難いし痛みも消えていくんだけど、顔近くね? 君のATフィールド狭いね、もしくは無いよね。
 ……いや、正確には今さっき築かれたんだよな、心の壁。
 ルッカはもうマールの存在を完璧に無視している。一方マールもルッカを無視しようとしているのだが、やっぱり自分を無視するルッカに苛立ってしまう。第一回戦はルッカに軍配が上がりそうだ。勝負の決め手はあれか、ルッカの性格の悪さ……もとい…………うん、ルッカの性格の悪さが功を奏す結果となったようだ。
 しかし、これは俺も意図してのことではない……つもりなのだが、やられっ放しのマールに心持ち優しくしてしまうのがルッカの機嫌を損ねている。このように両者互いに拮抗して、そのせいで二人の仲はグングン悪くなっていく。かといって俺がマールの味方をせずにいるとマールがやられっ放しで壊れてしまうかもしれない。……まあ、心情的にルッカの言うことも俺のことを思ってのことだし、理解したく無い訳ではないのだが、やはり俺はマールの言い分で良いと思う。結果的に俺たちを助けてくれたんだし、マールのことだから俺が牢屋の中にいた二日間、本当に悩んでくれたのだろう。多分俺自身よりも辛かっただろうし。
が、だ。ここで俺がマールの言い分を完全無欠に認めてルッカに謝れ! と言えばどうなる? 本心から自分のことを助けようと発言した友達の頭をしばいてごめんなさいしろ! と言うのと同義じゃないか。優柔不断と言われようが、俺にはどうすることもできない。


 ……まあ長々と心境を綴ったが、本音を言えば勘弁してくれ、だ。
 あれからゲートのあった建物を出た俺たちは当ても無く歩き続けた。
 それだけならば良い。しかしルッカは完全にマールを無視しているから俺にだけ話しかける。変に対抗心を燃やすマールは負けじと俺に話しかける。二人が二人とも相手の声に負けないような声量で話しかけるので最後には言葉なのかどうかも分からない叫び声を響かせる。もう俺頭痛いよ泣きたいよ。
 それで息切れするまで叫んだ二人は深く息を吸いげほげほ咳き込むのだ。先述した通り、この未来(ルッカが俺にだけ向かって文明が発達した世界だと話してくれたので、確たる証拠が見つかるまでそう呼称する)は非常に空気が悪い。その上外は風が強く、赤茶けたサビが混ざった砂が舞っているのでそりゃあ咳き込むさ。
 すると二人は咳き込みながらどちらの心配をするのかと俺を睨む。最初は二人とも近くにいたので右手でルッカの背中を、左手でマールの背中を擦ってやったのだが、どうしても勝負をしたい二人は咳き込むと互いに離れるようになった。どちらかの背中しか擦れない距離に。
 俺が出した答えはどっちの背中も擦らないだった。こういう時になんで選ぶ側がどちらかを見捨てるというリスクを背負わなくてはならないんだ。だったら俺はどっちも見捨てる。外道じゃない、これが正解なんだ。


 未来に着いてまだ三十分と経っていない。
 俺たちは、いやさ俺はこの時代を無事に生き抜けるのだろうか?



[20619] 星は夢を見る必要はない第九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 01:11
 空に太陽の姿は無く、黒雲が立ち込めた光景はこの世界に生ける者など無いと通告されるような世界で、俺たちは廃墟と言っても差し支えなさそうな半球型の建物を見つけて、その中で俺たち以外の人間と出会うことが出来た。
 彼らは一様に項垂れて、その姿は薄汚れ、体からは腐臭がする。目は何も映してはいないような光の無い目つきで、話しかけても大半が「ああ」とか「うう」と、正しく死人のような反応だった。
 一人、こんな荒廃した世界でも物の売買を行っている人間がいたが、俺たちが金を持ってないと知るや否やまた汚い床に座り込んだ。……何かごめんなさい。
 さらに、聞き取りづらい声で男が人間が二人ほど入れそうな機械を指差し、聞いてもいないのにどういうものなのか説明してくれた。恐らく、話し相手が欲しかったのだろう、ここにいる人間達は満足に会話をできる状態には見えないし。


「この機械はエナ・ボックス。中に入って数秒で体力、怪我を治してくれる優れものだ……だが、空腹感だけは治しちゃくれねえ……ここにいる奴らはこれで体力を回復させて生きながらえてるが、常に頭が狂いそうな空腹感に責められて、生きる気力を失ってるのさ……」


 こんな空気の汚れた世界では作物も育たないのだろう。それ以前にここまで疲れきった表情の人間達に何かを育てられるとも思えないが。
 ともあれ、疲れている俺たちはエナ・ボックスで体を休めようとまず俺が一人で入ろうとしたが、それを男が止めた。いつバッテリーが止まるか分からないので、入るなら三人一緒に入ってくれだそうだ。
 まあ、中が二人程度の広さしかないエナ・ボックスでも、詰めればなんとかなりそうだ。しかし、ここでトラブルが起こった。
 俺が一番奥に入ると、二番目に誰が来るかでマールとルッカが騒ぎ出す。正確には、騒いでるのはマールだけで、ルッカはいち早く中に入り込んだのだが。
 ルッカの服を掴んで外に引きずり出そうとするマールだがルッカは微動だにしない。その様子を見て呆れた男は「しゃあねえ、バッテリーがもったいないが、お嬢ちゃんは後な」と言いながらマールを一度外に連れ出してから、エナ・ボックスを作動させた。体の到る所に機械が装着されて、体の痛みや疲れがグングン消えていくのが分かる。……同時進行で空腹感が促進していくのも分かるが。


「多分、体力の回復や傷の治療の為に体の再生速度を上げている分、カロリーなんかを消費させてるんじゃないかしら?」


 状況を分析するルッカ。あのさ、二人しか入ってないんだからそんなに体をくっつけなくていいよ? 満員電車で痴漢されてる女子高生の気持ちになる。


 外に出ると目を赤くしたマールが俺を睨んでくる。ルッカの見下すようなどや顔を見て頬が限界まで膨らんでいく。こんな魚いるよね、ハリセンボンだかなんだか。


 さて、後はマールがエナ・ボックスに入れば良いだけなのだが……何故に俺を引っ張るマールさん? 後マールのすることに我関せずだったルッカさんも俺を引っ張るのは止めて頂きたい。「彼は私のよ!」みたいな構図だけどそんな可愛い力じゃないからね、二人とも。肩からごりごり音がしているのを感じる。やめて、ちょっと冗談じゃすまないからこれ。
 結局俺の両肩が脱臼してまたマールとエナ・ボックスに入ることになった。ああ、平安時代の都の平民はこんな空腹感を耐えていたのか。
 後さ、外から鬼のような形相で睨むのは勘弁してくださいルッカさん。マールも煽らないで、向かい合わせになって抱きつかないで。っていうかこんなことされたら普通に勘違いするですよ俺? 若いんだから俺。


 体の疲れは癒えても、心の疲れ及び空腹感に俺の生きる気力はドリルで削り取られるようだった。天元突破しんどい。


 数少ない会話の出来る人間の話だと、東の16号廃墟という所を抜けると、もっと人がいるアリスドームという建物があるらしい。ここにいても何も始まらないし、そこに食える物があるかもしれない、まずはそこに向かった。


 さて、問題の16号廃墟だが、暴走した機械だかミュータントだかモンスターだかが有名な歌手でも来てるんですかという程集まっていた。
 踊り狂いながら襲い掛かってくるキチ○イみたいなモンスターもいれば「ななななんですか!? 僕何も悪いことしてないよ!」みたいな顔で太腿くらいの大きさの鼠がそこらを駆け回ってたり、なおかつその鼠ときたら人のポケットからここで拾ったエーテル(精神力を回復させる高価なお薬。売れば宿屋を百回くらい利用できる大変高価な代物)をスリやがる。なんでそんなに驚いた顔をしながら人の物を平然と取れるんだよ、何だよその二面性。ペルソナか。
 他に装備類以外一切アイテムを持ってない俺たちから(流石に刀やエアガンやボーガンのような重いものは取れないらしい)鼠はとんでもないものを盗んでいきました。マールのブラジャーです。どうやって盗ったのか分からんが、気づけば鼠がしてやったぜ見たいな顔でブラジャーを口に咥えていた。
 マールが絶叫をあげる頃には俺はフガフガ言いながらその鼠を追いかけていた。途中でモンスター達が何匹か俺の前に立ち塞がったが刀を一閃して薙ぎ払う。俺の前に立つ者は、何人たりとも切り捨てる!
 爆走中の鼠が、一度だけ俺を見る。
 ────ついてこれるか?
 ────馬鹿言え、テメエが俺に
 俺と鼠の熱い視線の交わしあいは鼠に銃弾、俺のケツに矢が当たり終わった。
 ルッカよ、今まで喧嘩していたマールの手助けをするのはおかしいじゃないか。
 聞いてみるとあの子のためじゃなくて、あの子の下着に執着する俺に腹が立っただそうな。
 マールよ、俺は君の下着を取り戻すべく鼠を追ったのに何故このような仕打ちをするのだ?
 聞いてみると俺は走りながら「そのブラジャーをクンカクンカするのは俺だああぁぁぁぁ!!」と叫んでいたそうな。
 マールの機嫌が直り、治療してくれるまで俺はケツから血を流しながら歩くことになった。
 16号廃墟を歩いていると、鼠に盗られたエーテルの他に日本刀のような形の白銀の剣と、同じく白銀で出来た弓矢を見つけた。弓矢を使える人間は他にいないのだし、俺が持って近距離中距離を戦える万能戦士になろうとしたら、マールが弓の心得を得ているらしく、ボーガンを捨て白銀の弓を持つことになった。ちぇっ、レゴラスって呼ばれたかったのにな、指輪物語の。
 最後に妙な指輪を拾った。英語表記でバーサクと彫られたそのデザインを気に入ったマールが指につけた途端はっちゃけだすという出来事があった。「何で!? 何でクロノは半ズボンを履かないの!? どうして背の高い精悍な男の人と抱き合ったりしないの!? 妄想出来ないじゃない!」と詰め寄られたときには間違いなく俺とマールの間にベルリンの壁が出来た。俺はもう、笑えない。
 後さ、マールの話に心持ち頷くのは止めろルッカ。お前はそういうんじゃないと信じていたのに。お前らもう仲直りすればいいじゃん、趣味合うじゃん。俺を肉体ともに精神的に苛めるっていう。それから下品なことは言いたくないけど、俺は突っ込まれる側じゃねえ。



 そうこうしている内に、俺たちは無事(俺のケツ以外)16号廃墟を突破した。
 ……しかし、三人で戦っていると、ルッカとマールの連携に不安が残る。
 なんだかんだでルッカが危ないときにはマールはルッカの援護をする。しかし、ルッカは一切無視。マールの後ろに敵がいても声をかけたりすらしないのだ、そのため俺はマールの近くに敵がいないか細心の注意をしなければならず、そのことに気づいたルッカは「えこ贔屓よ!」と怒る。
 その上、マールに助けてもらってもありがとうどころか目も合わせない。
 ……これは流石に怒るべきだとルッカを怒鳴れば、それをマールが止める……いいのか、マール。


「いいよ、ルッカなんかと話したくないし、お礼なんか言われても嬉しくないもん」


 そういいながらも、マールの声は暗く、笑顔が見えることは無い。
 きっと、マールは口では悪く言いながらもルッカと仲直りがしたいのだろう。マールにとって初めて出来たと、そう思えた女友達なのだからそう簡単に気持ちを切り替えられる訳が無い。
 ……俺は、これ程健気なマールを無視し続けるルッカに、強い憤りを感じた。ルッカ、お前、本当にこのままで心が痛まないのかよ……







 星は夢を見る必要は無い
 第九話 男同士の喧嘩は見てて笑えるけど、女の子同士の喧嘩は見てて辛い








 荒野を歩き続けていると、遠くにまたドームを見つけた。多分、あれがアリスドームだろう。俺たちは早足で近づいていく。口にはしないが、腹減り度がもうえらいことになってるのだ。ダンジョンRPGなんかだと今すぐリレミトを唱えないと死んでしまうくらいに。
 しかしこのアリスドーム。近づいてみると最初に着いたドームと大差ないほど崩壊している。食料の自給自足なんて到底できるとは思えない。……いや夢を信じよう。俺たちは、俺たちだけはここに食べ物の類があると信じなければならないのだ。でないとやってらんない。


「あ、あんた達どっから来なさった……そして食べ物の類はどこにある? もし持っているならわし達に分けるがいい……いやさ、わしじゃ、わしが貰うんじゃ! わし以外の愚民に米粒一つとて分けるわけにいくものかあぁぁぁ!!」


「ドンじいさん! てめえ自分だけ抜け駆けしようってのか!?」


「うるさいわい! この御時勢、人のことを思いやること程愚劣極まるものはないわ! さあ旅人さん、わしに食べ物を! ……そうか渡さん気じゃな! よろしい、ならばその身で知るがいい! 我がドン流拳法鷹の舞を!」


 食べ物を分けて貰うという事は、どれ程辛いことなのか、俺は思い知った。ゆーか、あんたら元気じゃん。あのドンとかいう爺さんめがっさ元気じゃん。デンプシーロールが中々様になっている。左右に上体を揺らすって結構体力使うのに……  あ、近くのおばさんに蹴り倒された。側面からの攻撃には滅法弱いのがデンプシーロールの弱点だよね。


 アリスドームに着いて俺たちの最初の行動は食欲に全てを捧げた暴徒の鎮圧兼説得だった。








「なんじゃ、食べ物は何も持っておらんのか……しけておるの、変に期待させおってからに」


 全員をど突き倒してから、俺たちは食べ物を持っていない、西の廃墟からここまで食料を求めてやってきたと説明すれば、ドンは忌々しそうに俺たちを見回し、痛烈な舌打ちをかました。
 最近は迷惑をかけても謝らない、というのが流行っているのだろうか? ギロチンにかけられた青年といい、このじいさんといい、人間がいかに汚く醜い生き物なのか痛感させられる。人生の先達として俺たちにもっと誇れる行動をして欲しい。


「食料ならほれ、そこの梯子から地下に行けば大型コンピューターに食料保存庫があるぞい。しかし、警備ロボットが動いていて近づけん……皮肉なもんじゃよ、わしら人間が作り出したロボットに遮られるとはな……そこの警備ロボットを倒せば食料を分けてやるわ。まあ、お前らみたいな若造ではまず無理じゃろうがな」


 けっけっけっ、と人間らしからぬ笑い声を嫌味に響かせるドン。気づいていないのか? ルッカの指が引き金に掛かっていることを。


 俺やルッカが無言でドンたちアリスドームの人間を睨んでいると、マールが一人地下に繋がる梯子に手を掛けて、下ろうとする。
 それを見て慌てたドンがマールに近づいていく。


「おまえさん、地下に行く気なのか!?」


「もっちろん!」


「血肉に飢えた私らが何度挑んでも地下には行けなかったのだぞ?」


 その言い方はリアルで嫌だな、もっと言い方は無かったのか?血肉とか言われたら危ない想像しかできないよ。


「そんなの、やってみなきゃ分からないもん!」


 梯子を下りながら睨みつけるマールと上から見下ろすドン。何だこの構図、もしかしてちょっと良いシーンなのか?


「……お前さんのような生き生きした若者を見るのは久しぶりじゃ。気をつけてな、そして生きて戻って来いよ」


 力強く頷き、マールの姿は地下に姿を消した。
 それを追おうと俺も梯子に近づき、ルッカもそれに倣う。
 俺たちが梯子に手を掛けた時、ドンが放った言葉は「わしらの分の食料もきっちり持って来いよ」だった。頼みごとをするならもう少し低姿勢であるのが自然の摂理だと思う。この世界ではそれが一般的だとか抜かすなら仕方もあるまいが。


 梯子を下ると、奥に二つのドアがあり、そのうち一つは途中で道が無く、もう片方にしか行けないようになっていた。それぞれのドアの間に複雑そうに絡み合った機械が鎮座されており、機会に貼り付けられた紙にはパスワードを入力してくださいと書かれていた。


「多分、ここにパスワードを入力すればもう片方のドアに続く道が出来るんでしょうね……パスワードの解読かあ……実家の機械があれば出来ないこともないんだけど、工具しかないこの状況じゃあお手上げかしら」


 進むことの出来るドアの上にはプレートが付けられてあって、そこには食料保存庫と書かれていた。良かった。大型コンピューターとやらには全く興味はないが、食料保存庫への道がないのならアリスドームに来た意味は無い。うっとうしいじいさん達を殴るためだけに来たという途方も無い馬鹿をやりに来ただけとなってしまう。危ない危ない。


 食料保存庫へ続くドアを開けると、いきなり鉄骨の上を渡らなければ食料保存庫には辿り着けない構造になっていた。鉄骨の下はアリスドームの最下層まで続いており、落ちれば即死、死神がスワッ、と現れる仕組みだ。
 恐る恐る四方に繋がった鉄骨を渡っていると後ろにいるルッカが「押さない……私は、押さないわ」と呟いている。当たり前だ。早く渡ったからってチケットを貰えるようなもんじゃないのだから。お前の考えだとこの先にいるであろう警備ロボットとの対決方法はEカードになってしまう。


 鉄骨の上にあの下着泥棒鼠が座っているのを発見したマールは先頭のポジションを俺に譲る。俺だって下着が取られたら困るんだけどな。
 しかし近づいても反応しない鼠を見て不思議に思い、触ってみても感触は本物だがやはり逃げようとも物を盗もうともしない……置物のようだな。


 死の鉄骨渡りを終えて、俺達は次の扉を開き、中に入るとビーッ! ビーッ! とけたたましいアラーム音が聞こえる。何々? 煩いよ、今何時だと思ってるのさ? 俺も分からんけど。


「警備ロボットが近くにいるみたいね。戦闘準備よ、気を抜かないで」


「この近くに!?」


 ルッカの言葉に反応してしまったマールは思わずあっ、と口を押さえる。それも、ルッカは完全にシカト……これから戦いが始まるってのに、こんなので良いのか?


「おいルッカ、お前さ、いい加減に……!?」


 俺の言葉を遮り、天井からとてつもない大きさのロボットが落ちてくる。
 その大きさはあのヤクラの三倍はありそうな巨体。中央には目玉のような機械が俺達を見据え、遅れて左右に球型の機械が浮遊しながら下りてくる。その光沢は俺達を威嚇して、中央の機械上部から吐き出される蒸気は攻撃準備態勢に入ったという狼煙のようだ。表面に張り巡らされる電気の線は幾筋にも重なり、中央の目玉に集まって、どこからか機械的な声が聞こえる。


「ヨテイプログラムヲ ジッコウセヨ」


「く、クロノ! 何が起こったの!?」


「これがドンの言ってた警備ロボットなんだろ! くそ、なんてでかさだよ、予想外だ!」


 こんな規格外の大きさ、黒人のお兄さんじゃなくても予想外デス!


「行くわよクロノ、ドラゴン戦車の時とは違って、真面目に作られた警備ロボットだからね、気を抜いちゃ駄目よ!」


「あんなもんと比べるかよ、これとあれじゃあ月とすっぽん、岡崎に誠だ!」


 マールの岡崎とか誠って誰? という質問には答えず、俺は刀を抜き払った。
 ……こんな奴に刀が通るのか?








「よさこおい!」


 中央の巨大マシンに俺の振り下ろしは思ってた通り刃が通らず、代わりに左右の小さなマシン(これからはビットと呼称する)から同時にビームが俺目掛けて放たれた。直撃は避けたものの、やべっ、俺の髪が蒸発した音がした。これは当たれば死ぬな……
 その隙を狙いルッカが右のビットを、マールが左のビットに攻撃する。マールの弓矢はビットに突き刺さり、かなりのダメージがあったと思われるが、ルッカのエアガンはビットの装甲に弾かれて、ものともされなかった。


「ちっ! おいルッカ、お前あの反逆丸とかいう物騒な爆弾まだ持ってないのか!?」


「あれは自爆テロ用なんだから、何発も持ってるわけ無いでしょ! あれっきりよ!」


 こういう時のルッカの秘密兵器には期待してたんだが……今更嘆いても仕方ないか!
 俺は白銀剣を鞘に収め、巨大ロボットを使い三角飛びの要領で右ビットに切りかかるが、刃先が掠めただけで、切り壊すには及ばなかった。
 すると右ビットが俺目掛けてレーザーを放とうとする。俺の顔が青白く光り、危うく脳天に風穴を空けられるというところでマールの弓矢が右ビットを貫き、完全に破壊する。


「助かった、サンキューなマール!」


 マールは俺の感謝に親指をぐっ、と上げて応え、今度は右ビットに狙いを付ける。
 右ビットにはルッカがエアガンを撃ち引き付けているが、一向にダメージを与えられる気がしない。当たった銃弾は反射して辺り飛びかっている始末だ。


「ルッカ! お前のエアガンじゃダメージは与えられない! 跳弾が危ないし、攻撃は止めて後ろに下がれ!」


「嫌……嫌よ」


「ルッカ!」


 俺の制止を聞かずエアガンを撃ち続けるルッカ。何意固地になってんだよ! お前が悪いわけじゃ無えんだから、後ろに下がれよ馬鹿!


「だって、マールばっかり役に立って、私何にもしてないじゃない! 私だって、こんな奴一人で倒せるんだから!」


「ルッカ……お前……」


 白銀の弓という強力な武器を手に入れたマールと違い、今も改造のエアガンを使っているルッカは確かに、今に限らず16号廃墟においても決め手に欠けていた。
 どんどんルッカの苛々が溜まっていったのにはそういう理由があったのか。
 ……劣等感。
 ルッカは昔から、同年代の女性よりも、群を抜いてプライドが高かった。それは自分がどんな人間よりも努力していると自負しているから。
 実際、町に繰り出して彼氏を作ったり、美味しいケーキ屋巡りをしている女の子達に比べ(それが悪いなどと言うつもりは毛頭無いが)ルッカは常に研究に力を注いでいた。お洒落に身を投じてみたいときもあっただろう。カッコいい彼氏とデートに行ってみたいと思っただろう。それらを全て母の死という呪いに阻まれて、ただ一つ、科学という魔物に囚われ努力を惜しまなかったルッカ。
 そんなルッカが生き死にの危険がある旅に同行する、マールというある意味自分にとってライバルとなった少女に対抗心を持ったのは、決しておかしなことでは無かったのか。
 戦いという科学が関係ない土俵においても、ルッカはマールには、マールだけには負けたくなかったのだろう。……そして今、その感情が爆発して、マールが倒せたのならば、自分に倒せないわけが無いという強迫観念に突き動かされている。
 ……普通ならば、俺はルッカの考えを尊重してやりたい。しかし、これは戦いだ、生死の危険がある戦いなんだ。そこで冷静さを失うということがどれだけ危険なことか、分からないではないだろう!


「ルッカ、お前の気持ちは分かるけど、今はそんな時じゃないんだ、早く後ろに下がって援護を……」


「じゃあ、いつがその時なのよ!」


「……!」


 そりゃあ、俺の言葉も止まる。
 ……何度見ても、女の子の、それもルッカの泣き顔は慣れるもんじゃない。
 ルッカは涙も鼻水も溢れさせて俺を見ていた……


「これから先がある? 今は仕方ない? そんな台詞はね、弱者が使う言い訳よ! 私はルッカ、科学は勿論、全てに置いて誰にも負けるわけにはいかないの! それは戦闘だってそうよ! 何より……」


「危ない、ルッカぁ!」


 遠くでマールが、ルッカの身を案じる叫びが聞こえた。


「クロノがいる所で、他の女の子に負けるわけにはいかないのよ!」


 バシュ、という音とともに、ルッカが巨大マシンの放ったレーザーに打ち抜かれた。


「……ルッカ?」


 ゆっくりと、床に体を打ちつけるルッカ。
 俺の目はその様子をしっかりと捉えて離さない。
 体から赤い何かを撒き散らして、その目は何も映していない。ルッカの涙がきらきらと宙に広がって、その水滴が床に着くよりも早く、赤い染みが床を濡らしていく。ルッカの体から円形に広がるそれは……もしかして……


「……血?」


 一歩一歩ルッカに近づく。その行為すら認めぬというように巨大マシンが俺にレーザーを放つ。肩を掠める。焼けた肌から血があふれ出す。痛くない。


 ビットが俺に直接体当たりを繰り出す。俺は回し蹴りを当てて、壁に叩き付けた。邪魔をするな、俺が彼女に近づくのに邪魔をするな、今も彼女は苦しんでいる。声は出していないけれど彼女はきっと痛がってる。
 小さな頃からそうだった、ルッカはどんなに悲しそうにしていても、どんなに苦しい思いをしていても、俺が近くにいれば笑っていた。笑ってくれた。その度俺は救われた。
 そう、ルッカが俺を救ってくれたんだ。俺に人を守るという事を教えてくれたんだ。きっとルッカは今回も笑ってくれる。クロノがいれば痛くないよって笑ってくれるんだ。きっとそうなんだそうでないとおかしいだって辻褄が合わない今までそうだったんなら今回もそうであって然るべきでそこに嘘は無いはずいやそうに違いないそこに疑いは無い疑いはいらないほらもうすぐルッカの体に触れることができるもうすぐルッカの顔が見えるもしかしたら今彼女は笑顔なんだろうかそうだったら嬉しいないやきっと笑ってくれている俺が心配してしまうから彼女はきっと笑ってるだってルッカが笑っている様子が思い浮かぶんだそんな未来が見えるんだだったらこれは勘違いなんかじゃなくて真実であれあれルッカもうお前の顔が見えちゃうよ早く笑ってよ目を瞑ったままじゃ笑ってるなんていえないよほら早く早く口を結んで目を開けていつもみたいに世界で一番綺麗な声で笑ってくれよ大きな声で誰の耳にも聞こえるくらいにそうすれば俺は自慢するんだあの気持ちのいい声で笑うのが俺の幼馴染なんだってだからほら早く


「……笑って……くれよ……なあ」


 腕の中にいるルッカが少しづつ冷たくなっていく。
 俺の幼馴染のルッカが、俺のルッカが冷たくなっていく。彼女の体温はとても高いのに。彼女近くにいれば俺は笑えるのに。どうして俺は今笑ってないんだろう?


「クロノ……」


 マールが心配そうに声をかけてくれる。その顔はルッカのことだけを考えていることが分かる。
 そうだ、彼女を守れない俺の事なんか一切考えなくて良い。そんな俺に存在意義は無い。


「マール、ルッカを外に連れ出して治療してくれないか?」


「分かった、必ず助けるよ」


 ルッカの体をマールに預けて、マールが部屋から出るのを阻止させまいと巨大マシン達に向かい合う。こちらの様子を窺っているのか、攻撃は無かった。


「マール、弓矢を一本貸してくれ」


「え? ……分かった。頑張って、そいつを叩き壊して。原型も残らないくらいに」


「言われるまでもないさ、ルッカをよろしく」


 マールが投げた弓矢を後ろ手に受け取り、刀を抜く。
 マールたちが部屋から出た後、理解が出来るか知らないが、俺は巨大マシンどもに宣言する。


「お前達が傷つけたのは、俺の幼馴染だ」


 一歩踏み出す。こいつらはまだ攻撃してこない。分かる、これは直感ではなく、確信。


「ルッカは俺にとって何か?」


 もう一歩踏み出す。まだまだ、ここはまだあいつらにとっての防衛ラインじゃない。


「俺の全て、そんな簡単な答えじゃない。それでも複雑なものでもない」


 さらに一歩。ここが、境界線。あいつらが俺に攻撃を開始する、最後の。


「ルッカという存在は、俺を内包する世界程度で収まる人間じゃないんだ、分かるか? つまり、ルッカを傷つけたお前達は……」


 右足を強く蹴り出して、同時に俺のいた場所に閃光が走る。


「俺のいる世界、俺のいない世界、俺が生きているこの瞬間、俺が死んでいるその瞬間で、その姿を現すべきじゃねえんだよ!!」


 切り壊す。お前がいることは、俺が作る世界で有り得ることじゃない。存在、意味、意義。その全てを破壊する。お前の罪はそれでも飽きたらねえ。無機物風情が、俺の世界を侵した事を後悔させてやるぞ……!











「ルッカ、ルッカぁ!」


 幸い、ルッカの傷は肩を貫いただけで命に別状はなさそうだ。……ただ、それは現代のように薬が揃う時代においての話。
 この荒廃した世界では満足に治療もできないだろう。私の治癒能力で助けることが出来ないなら、ルッカは……


「考えるな、助けるんだ私が。クロノに頼まれた、私がクロノにルッカを助けてくれと言われたんだ!」


 ……本当にそれだけが理由? ……いや、それはきっと違う。
 有り得ないことだけど、もしクロノにルッカを助けてくれと言われなければ私はルッカを見捨てていたのか? この憎たらしい、自慢好きで説明が分かりにくいこの女の子を。
 ……それこそ有り得ない。だって、ルッカは、多分私を嫌ってるこの女の子は……


「私の、初めての女友達だもん……」


 誓おう。私はルッカを治療する。この約束が破れた時、なんて仮定の話はしない。そんな可能性は存在しない。
 私が治すと決めたのだ、マールディア王女である私ではなく、マールである私が。


「ごく普通の女の子が決めたんだから、それが破られるはず、ないもんね」


 私は、目を閉じて、精神を集中させた。
 思い浮かぶはルッカの嫌味そうな顔でも、私を無視している冷たい顔でもなく、私に笑いかけてくれた綺麗な笑顔。














 レーザーが来るだろうと予測した場所に注意を重点的に置いて、その予想は的中し、高熱の線が俺の脚を掠めて後ろの壁に焦げ後を作る。次にビットが俺の頭を吹き飛ばそうとミサイルを至近距離でぶっ放す。俺は刀の横腹で軌道を逸らし、返す刀でビットに切りかかるが、ビットは空中に逃げた。……埒が明かない。このままじゃジリ貧だ。せめてビットを壊さないと、巨大マシンを相手に出来ない。
 ビットがもう一度体当たりをしてきたのを見計らい、俺は壁にマールから貰った弓矢を突き立てた。これだけ深く刺せば、抜けることは無いだろう。
 ビットの体当たりを刀の鞘で受け止めると、また空中に逃げようとする。……させるか、このイタチごっこにはもう飽きたんだ。
 壁に突き立った弓矢に足をかけて、高く跳躍する。そのまま上段の構えで逃げるビットの真正面まで飛んだ。これなら、テメエは避けられねえだろうが!
 間違いなく両断できるタイミング、俺が渾身の力で刀を振り下ろすと、巨大マシンが俺にルッカを貫いたレーザーを放ち、それを右腕に食らった俺は体制を崩され、ビットを取り逃がしてしまう。


「くそ、うざってえんだよ一々!」


 ここからはまた無策。王妃のときのような心理戦は機械のコイツには無意味。体力の消耗を狙うなど愚の骨頂。


「まあ、それでも俺が勝つけどな……」


 こいつはルッカを傷つけた、そんな奴に俺が負けるわけにはいかない。誰が負けても、俺だけは負けられない。
 もう一度刀を構えて巨大マシンとビットを見据える。
 巨大マシンの目が光り、またレーザーを俺に放つ。初期動作から見ていれば、避けることは出来ないことじゃない。俺は横っ飛びでレーザーを交わす……が。


「追尾!?」


 レーザーの軌道が途中で変わり、転がった俺を狙って追ってくる。不味い、この体勢じゃあ避けれない!
 刀を構えて、どうなるとも知れずレーザーの軌道上に刀を置く。しかし、レーザーを刀なんかで防げるのか?
 不安な気持ちを抑えて、レーザーが迫るのを待つ。すると、予想に反して、刀に当たったレーザーがあさっての方向に反射した。すかさず刀の向きを変えて、ビットに当たるよう調整する。レーザーの当たったビットは煙を上げて地上に転がる。まだ、俺はついている。これならなんとかなる!


「さあ、これで一対一だぜデカブツ!」


 転がった体勢から立ち上がり、巨大マシンに走って近づいていく。タイマンなら、俺一人でも勝てるはずだ!
 ……そう思ったのだが、右から俺の体に猛烈な勢いで何かが当たり、俺の体は壁に叩きつけられた。口からごぼ、と嫌な音を出しながら血を吐く。肋骨が折れたか……? 息を吸うたびに猛烈な痛みを感じる。もしかしたら内臓もやられたかもしれない。
 俺は何にやられたのか、と俺に体当たりをした物体を見ると、それはマールが倒したはずのビットだった。そうか、一定の時間が経過すると、ビットは復活するのか……となれば、時間がたてば俺が倒したビットも復活する、と。だったら、大本を叩くしかないわけだな……


 ビットが満足に体を動かせない俺にミサイルを撃ち込んでくる。立つ力はまだ回復していない俺は床を転がって直撃を避けるが、爆風に体を持っていかれ、床に叩きつけられる。大丈夫、まだ立てる。痛むけど、まだ息が吸える。俺はまだ戦える!


「そろそろ最後にしようか、俺ももう疲れたし、ルッカのことが心配なんだ」


 刀を両手で持ち、顔の横に持ってくる。狙うは一点、突きのみの構え。失敗すれば即死確定の分の悪い賭け。しかし、それはあくまで表向きの話だ。だって……


「今の俺が負けるわけ無いんだ」


 ルッカを苛めた奴らと五対一の喧嘩をした時だって俺は勝ったんだ。三対一くらいのハンデで、俺が負けるわけ、ない。


 ビットが再び俺に向かって飛来する。もうその攻撃は慣れた。いつどのタイミングで動けば避けられるかは身に染みて分かっている。
 ……まだだ、まだ動けない、今走っても早過ぎる。
 ビットが近づいてきた事を風が教えてくれる。回避行動をとらなければ当たる、というところまで近づいた時、巨大マシンがレーザーを放つ為、目玉部分が光り、電力がそこに集中する。それを視認した瞬間、俺は自分に取れるギリギリの低姿勢になり、地を這うように走り抜ける。これにより、ビットの体当たりは俺の頭の上を通過した。
 目玉に十分な電力が集まって、一際強い光が暗い室内を照らす。


「ドンピシャだ……がらくたマシン!」


 俺の白銀剣が電力をレーザーに変換している目玉に深く突き刺さった……電力が溜まってレーザーを放つ前というタイミングは成功したが、白銀剣がこいつを貫けるかという不安はあったのだが……最初こいつに傷をつけられなかったことから考えると、ビットの再生を行っていたのは巨大マシンで、復活直後、または復活させようとしている間は防御力が落ちるのか? ビットを復活させる前には表面に薄いバリアが張ってあったとか……


「まあ、難しいことはいいか」


 剣を巨大マシンに突き刺したまま、俺は歩いて部屋の隅まで遠ざかる。目玉部分に溜め込んだ電力は暴走し、変換されたレーザーは内部に入り込んだ白銀剣によって乱反射し、巨大マシンを中から破壊していく。
 壁に背を預け、その様子を眺める。ビットと巨大マシンは連動していたようで、巨大マシンから火が上がるようになると勝手に地面に落ちて機能を停止させる。
 巨大マシンは騒々しくアラームを鳴らしながら、体の中心から爆散した。圧巻されるほどの爆発でも、俺は眼を閉じることはしなかった。俺を怒らせたんだ、その結末を見るのは当然だろう。


「……はあ、はあ……くそ、喉の奥からぐいぐい血が溢れてくる……」


 目の前にぼんやりとしてきた。痛みのせいか血が減りすぎたのか……あばらを抑えながら、俺は部屋の扉を開けた。……もしルッカが死んでいたら、俺も後を追う形になるのかな、それも良いかもしれないな……








「もういいってば! これ以上惨めにさせないでよ! 気持ち悪いの!」


 人の一大決心を気持ち悪いで終わらせるなよ、ルッカ。
 俺の悲壮な決意を目を覚ましていたルッカが切り捨てた。あれ? 目の前がはっきり見えるようになったけど、今度は涙が止まらない。


「まだ完全には傷は塞がってないんだから、ちゃんと治療させてよ! そのまま歩いたら……何だっけ? バイキンが傷から入って……とっても痛いんだから! ルッカ泣いちゃうよ!?」


「泣くわけないでしょ! それにもしかして破傷風って言いたいの!? 何でそんなことも知らないのよ馬鹿王女!」


「ば……馬鹿ってそれは言い過ぎだよ! アホとかならなんとなく許せるけど!」


 関西地方ではそういう意識を持っている人が多数存在するらしいな、マール。
 どうやらルッカは俺に対して気持ち悪いと発言したのではなく、マールの治療を拒否してのことだったようだ。本当に良かった。流石にあれだけ格好つけて落ちがそれでは立ち直れない。二週間は家に引き篭もるレベルですから。


「とにかく、もう私のことは放っておいて! 私のドジが招いた傷なんだから、あんたなんかに治して欲しくないのよ!」


「……分かった。そこまで言うなら、仕方ないね」


 ようやく分かったかとルッカが傷の痛みに顔をしかめながら立ち上がろうとすると、マールが服を掴んでもう一度無理やり座らせる。ルッカがマールを怒鳴ろうとして、マールは先を制しルッカの肩の傷を思い切りひっ叩いた。やば、見てるだけで痛い。


「っ! ……何するのよ!」


「ごめんね、ルッカ」


「はあ?」


 人のことを叩いてすぐさま謝るマールにルッカは眉をしかめ、意図が分からぬという声を出していた。棒読みの謝罪を終えたマールは引き続きルッカの傷を治療しようと手を肩にかざす。ルッカは慌てて「止めろって言ってるでしょ!」とがなるが、マールは首を横に振り治療を続ける。


「あの機械にやられた傷を治すんじゃないよ、私がルッカを叩いて痛くなった所を治すの」


「……何よ、それ。馬鹿みたい」


 虚を突かれた顔でルッカが力なくうなだれて座り込む。それから、ルッカはマールの治療を素直に受け続けた。


「馬鹿でもいいもん……友達を助けるのが馬鹿なら、私はずうっと馬鹿でいい」


「……あんた、その治癒能力を使うのに、かなり精神力を使うんでしょ? 私なんかの為にさ……あんたの顔、真っ青じゃない」


 えへへ、と誤魔化し笑いを見せながらもルッカの治療を止めようとはしない。ルッカは床に視線を向けながら小さく「ごめんなさい……」と呟いた。離れた俺でも聞こえたんだ、マールが聞こえないはずは無い。
 友達思いの優しい女の子は、はにかみながら「いいよ」と許す事を告げた。
 ……良いんだ、とても良いシーンなんだけど……俺の治療は出来ますかね? そろそろお迎えっていうか、二人に流れる優しい空気と綺麗な女の子二人が寄り添っている様がルーベンスの絵に見えて仕方ない。僕は今とっても幸せなんだよ……





 その後俺がボロボロで倒れているのを見つけた二人は悲鳴を上げて俺の治療に専念してくれた。マールは残り少ない精神力で俺の体に治癒を試み、ルッカは梯子を昇りドンたちに助けを求めた。
 もし薬の類があれば、私の仲間を助けてくださいと懇願したルッカにドンたちはあまりに辛い一言をルッカに告げる。


「そこのエナ・ボックスを使えばいいじゃろうに」


 ここにもあったんかい! じゃあさっきの私とマールのやり取りはなんだったのよ! という突っ込みは置いといて、ルッカは俺の体を持ち上げて地下を抜け、エナ・ボックスに放り込んだ。骨とか折れたり内臓を痛めてたりで重症なんですよ、俺。
 傷の深さに比例して空腹感が上がるシステムからさっきの体中が痛い状況と今とならどっちが辛いのか吟味しながら俺は五体満足わっしょいしょいという状態でエナ・ボックスから出た。そしてほんのり後悔した。


「……ええと、その」


「な、なあに? ルッカ」


「あの……なんでもないわ……」


「そ、そう……」


 何やら妖しい会話というか雰囲気を作り出している俺の仲間達。あれだ、中学生のときに初めて彼氏彼女との初デートみたいな感じ。手を握ってもいいのか、まだ早いんじゃないのか? という葛藤がよく滲み出てますねえ。
 こういうこと言うのもあれだけど、俺も頑張ったんだよ? マールもよく頑張ったのは分かるけど、もう少し俺にも何かあっていいんじゃないかな? 心配そうに駆け寄るとかさ、瀕死だったんだぜ俺。エナ・ボックスの方を見ることもしないというのは何か違うんじゃないかな?


「……あ、クロノ」


 何だよ何なんだよその昔の同級生に会った時みたいな反応。正直今お前と話したくは無いって空気が漂ってるよ。絶対もうちょっと優しくされても良いと思うんだよな、俺。再度言うが、頑張ったんですよ?


「あ、私の傷ならその……マールが治してくれたから、心配しないでいいわよ」


「ルッカ、今マールって……名前で呼んでくれた……」


 そうか、俺はお前の心配をするけどお前は俺の心配はしてくれないんだな? 覚えてろよ、今度お前がダンプカーに引かれても俺は運転手の人と和気藹々とした会話をこなしてやるからな。マールさんお願いだから頬を赤く染めないで。冷たかった人が急に名前を呼んでくれたからって好感度がぐいぐい上がるそのシステムは何だよ、少女マンガの典型じゃないか、ヒロインがマールでルッカが主人公か。さしずめ俺がモブなんだな。三話くらい出しゃばって外国に夢を追って飛び出してそれから一切出てこないようなキャラなんだな? くっくっくっ、なんだか興奮してきちまったぜ……ジャイアン現象なんて大嫌いだ。


「おいお前さんたち……ここに戻ってきたということは、まさかあの警備ロボットを倒したのか?」


「あ? ああ。満身創痍ながらなんとか、な」


 ドンが一人ぼっちの俺に話しかけてくる。ていうか本当に大丈夫? とか聞かれないんですね、俺。


「ということは、食料保存庫に入れる、と……食いもんはわしが独り占めじゃああぁぁぁ!!」


 豹のように機敏な動きで地下に飛び降りるドン。「出し抜かれたあぁぁ!!」と叫びながら地下の梯子に押しかける住民達。しまった、俺だけの俺だけによる酒池肉林の夢が! (肉林はいやらしい意味合いで非ず)
 住民達を剣の鞘で殴りながら地下に降りる寸前に見えた光景は、この阿鼻叫喚の中でもピンクな空気を放ちながら座って手を繋いでいるマールとルッカの赤い顔だった。悲しくなんか、ない。泣いてなんか、ない。


 俺たち(ルッカとマール除く、俺とアリスドームの愉快な仲間達)が食料保存庫に着くと、そこには腐った食べ物を必死に胃に放り込んでは吐くを繰り返しているドンと見知らぬ男の姿があった。この世で見たくないものベスト3には入るはずだ。ベストハウス図鑑に載せましょう。
 見知らぬ男の正体は昔警備ロボットの隙を突いて食料保存庫に辿り着いたという運の良いアリスドームの住人だった。何故帰らなかったのか? 例え腐っていても他人に食べ物を渡したくなかったらしい。聞けばこの男妻子持ちだそうだ、人として軸が腐ってる。
 その男を締め上げていると、男は俺たちに何かの種を差し出し、途中の鉄骨にあった鼠は置物ではなく、大型コンピューターへの道を進めために必要なパスワードを知っていると教えた。
 んなことはどうでもいいから食い物はどこだと詰め寄れば、大型コンピューターを使えば食べ物の場所が分かるかもしれないと答えた。
 そしてここに、俺をリーダー、ドンを副リーダーとするアリスドーム勢全員を含む鼠捕獲本部が爆・誕! した。
 何度か鼠を捕まえようと突撃したが、思ったよりもかなり早い鼠に翻弄され幾度も取り逃してしまった。俺たちは様々なフォーメーションを作り上げ、各々ポジションを定めて鼠を追い詰めるようになった。


「そこだフォワード! 突撃だ!」

「サイドバックに穴が開いているぞ、ディフェンスフォローに回れ!」

「4-4-3から3-3-2-3に切り替え! グズグズするな! 敵は待ってくれないぞ!」

「西側! 人幕薄いよ、何やってんの!」


 最終的にドン曰く「わしらなら、ベトナムのゲリラ部隊に匹敵するやもしれん」と言わしめるほどの連帯力を得た俺たちは、ついに鼠からパスワードを手に入れることが出来た。終盤の山場は追いかけてるうちに愛着がわいたという理由で鼠の捕獲を妨害しだした白虎部隊の裏切りだろうか? おかげで守備重視の朱雀部隊が壊滅、突撃重視の青龍部隊が半数まで減らされた。残るは俺をリーダーとする遊撃隊の玄武部隊と、連携に不安の残るドン率いる大和部隊だけだった。
 感動シーンは士気に陰りの見えてきた大和部隊をドンが「諦めるな! 元ラバウル搭乗員のわしらの底力を見せ付けてやるのじゃ!」という一括で目覚しい活躍を見せだしたときだ。不覚にも俺は涙した。ドン、あんたこそ永遠の0の名を受け継ぐにふさわしい……!


 生傷を体中にこさえながら俺たちは女子供の待つ地上に這い出てきた。
 最初、食料を持っていない俺たちを見て落胆した顔だったが、男達の久しぶりに見る明るい顔を見て子供と妻も微笑んだ。
 男達は自分の武勇伝を自慢げに話し、俺の指揮能力とドンの勇気を褒め称えた。子供はそれからそれから? とわくわくしながら話を促し、妻は男達の自信に満ち溢れた姿に感涙する者さえ現れた。
 たかが鼠狩りと馬鹿にするものはいない。俺たちは本気で戦った。生きるために、その本能に自分を埋没させ、仲間との連帯感を十二分に味わった。
 ドンは周りからの感謝や尊敬に「いやいや、わしのような老兵はなにもしておらんよ」と謙遜していたが、そんなことはないと俺たち男勢は全員分かっている。
 この歓声はあんたに向けられるべきものだ。
 そう、あんたはこの陰気で生きる希望の無かった町に活気を作り上げたんだ。救ったよ、ドン。お前が救ったよ。


「え? 鼠狩りで遊んでたの?」


 皆が肩を抱き合い喜んでいる中、場を盛り下げることこの上ない発言をしたのはマールだった。


「こういう状況で手放しに喜べるなんて……結構おめでたいのね」


 痛烈な皮肉を口にするのはルッカ。
 まあつまらないことと言われればそうかもしれないが、さっきまで女同士でイチャイチャしてた奴らに言われるのは我慢ならない。
 今日は皆も俺も疲れたので就寝することになったが、アリスドームの仲間達はマールとルッカをよそ者を見る目で冷たく当たることにした。俺は名誉国民としてアリスドームの第二番権利者となったので俺の仲間と楽しく会話することにした。マール達は仲間じゃないのか? 少なくとも今ここにいる仲間はドンや一緒に戦った男達に守るべきアリスドームの女子供だけだ。今日一日はマールとルッカなんて名前の人間と会話する気にはならん。


 次の日目を覚ますと、昨日一日無視していた二人が目蓋を腫らして俺に土下座をしていた。
 まあ、反省するなら別にいいさ。ただお前達がやったのはライブハウスで盛り上がっているファン達に「このバンド全体的にしょぼいよね」と言って回ること、それと同義だと知れ。


 起床した俺は俺たちも連れて行ってくれ! と頼み込む住人達を抑えてマールとルッカを連れ、大型コンピューターの場所まで行くことにした。「危険な場所に行くのに戦闘経験の無い皆を連れて行くわけにはいかない。俺を信じて待ってくれ! 皆が信じてくれたなら、俺はどんな所からも生還する!」と説得したときはクロノコールが鳴り止まなかった。マールとルッカにはお疲れの一言だった。俺の服を掴むなよルッカ、この場所において俺はお前達を擁護する気は全く無いから。


 梯子を降りて、地下に入ると皆の声が聞こえなくなる。
 ……大丈夫、皆の声は聞こえなくても、皆の心は俺に届いてる。この繋がりは解けることは無い!
 疲れた顔をしたマールとルッカを従わせて、俺は大型コンピューターまでの道を出現させる機械に手を触れた。
 そう、俺たちの物語はまだ始まったばかりだ!



[20619] 星は夢を見る必要は無い第十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/12/22 01:21
 鼠から得たパスワードを入力し、大型コンピューターまでの道を作る。最初はルッカに頼んだのだが、少し前まで冷たい反応を返していたせいかむくれて俺の言うことを聞かなかった。さっき土下座したのにその掌の返しようは何ですか。驚いて噴出しましたよ。
 扉を開けた先にはまた鼠が徘徊しており、四本足の蜘蛛のような形をした機械や脚部に車輪のついた一つ目の機械が我が物顔で歩いていた。思ったんだけど、この鼠たちは何を食べて生きてるんだろうか? 実は他に食料保存庫があってそこから食べ物を調達してるんじゃないか?
 俺たちは見つからないようにこそこそと移動を開始した。止むを得ず戦闘になった時、ルッカとマールの連携が炸裂した。ルッカの銃で敵の気を逸らし、後ろからマールが撃つ。またはマールが持ち前の運動量で辺りを跳ね回りルッカの脅威のハンマー捌きが敵を葬る。俺はといえば後ろのほうで女の子怖え……と恐怖しているだけだった。
 今更だけど、あのリーネ王妃の血を継いでいるだけあってマールの体の動かし方は素人のそれではない。素手の勝負なら前衛の俺でも敵わないかもしれない。ここに男女の力の差など存在しないのだ。いや、俺が情けないんじゃないよ? ここに集う女の子二名が異端なんだよ。今なんか蜘蛛型メカの足をマールが蹴りでふっ飛ばしましたよ? 鉄の機械を生身の足で壊すってどういうことだよ、元気いっぱいの可愛い女の子かと思えばその正体はオランウータンか何かの変化だったとはな、全く騙された。場末のメイド喫茶くらい騙された。
 大方スムーズに戦闘が進むが、途中一つ目メカの撃ちだすマシンガンに俺の足が撃たれるという事件があった。
 半ば以上本気で泣いた俺にマールが子供をあやすように治癒をかけてくれたが、完治した後ルッカに怖い顔で睨まれて「あんまりマールを疲れさせないでよ、何度も治癒を使えばマールが疲れて動けなくなるでしょ!」と怒られた。おかしいからね、銃で撃たれた人間に説教とか。特に役に立ってない俺だから言い返すことは出来ないけどさ。


「……思ったんだけど、私がクロノに近づくと、ルッカ怒るよね。もしかしてクロノのこと好きなの?」


 その様子を不思議そうに見ていたマールさんが核弾頭を落としてくれた。俺からすれば「え? それマジ話?」である。


「ちちち違うですたいよマール! わた、私どっちかって言うとクロノのこと嫌いだし! ランク付けするとスイカの皮の次くらいの好感度だから!」


 ルッカよ、お前幼馴染よりもクワガタの餌の方が好きなのか……知りたくなかったその事実に俺は膝を抱えたくなった。


「え? え? 何でそう思ったの? そんなに分かり易いの私?」

「分かり易い? ってルッカ、それ認めちゃってるよ。それとあれで分からないのはクロノくらいだよ」

「そ、そっか。クロノにはバレてないんだ。良かった……待って、そんなこと聞くって事は、マールも……?」

「ん? 私はちょっと違うなあ。異性の対象として見るとかよく分からないし、考えたこと無いや」

「そ、そう。なら良いんだけど……それと、私別にクロノのことなんて好きじゃないわよ! 勘違いしたら駄目だからね!」


 何やら二人で俺に聞こえないように内緒話を始める。あれだろ? どうせ「クロノってウコンみたいな臭いがするのよねー」とか「飲み物で例えればタ○マン」とか言ってるんだろ? タフ○ン舐めるな! 意外と美味いんだからな! ○フマン!


 無駄すぎるやり取りを経て、俺たちはドンたちの言っていた大型コンピューターのある部屋に辿り着いたのだった。


「凄い、こんな設備が揃ってるなんて、昔ここは相当重要な施設だったのね……」


 ルッカが部屋中に転がっている機械を見て周り感嘆の声を出した。
 俺とマールには何が凄いのかよく分からず、部屋の中央でルッカの行動を目で追うことしかできなかった。ふむ、確かにルッカの家の中よりも凄い機械設備があるというのは分かる。部屋の奥にあるモニターなんかヤクラくらいの大きさがあるんじゃないか?
 ちょっと触ってみたいという欲求から機械に手を置こうとした瞬間ルッカの銃弾が頬を掠めた。やりませんよやりません、下手に素人が触ったら大変ですもんね、持ち主に非があったら保険ききませんしね。でもマールが触ろうとしたら親切に説明してるのは何でなんですか? 俺の中でルッカ×マール説がどんどん濃厚になってきてるんですけど。


「……食料の場所は検索できなかったけど、この世界には私達が来たところ以外にもゲートがあることを確認できたわ。モニター画面を見て」


 ルッカの言うとおり画面を見ると、そこには俺たちの通ってきた廃墟やアリスドームが映っていた。


「ここが私達のいるアリスドームね。ここからこの廃墟を抜けて……」


 画面が東に移動して、ルッカの言う廃墟を越えた先にあるアリスドームに似た形の建物を映し出すと、そこで画面移動が終わった。


「ここ。このプロメテドームにゲートがあるわ」


「凄いね! そんなことも分かっちゃうんだ! ……じゃあ、このボタンを押せばどうなるのかな?」


「あ、こらマール勝手にいじっちゃ……」


 マールが丸い大きなボタンを押すと、画面にノイズが走り、もう一度映像が戻ると、廃墟は無く、ドームも崩れていない、太陽の光に当てられた景色が見えた。


「A.D.1999?『ラヴォスの日』記録……? どういうことよこれ?」


 画面は何度もノイズが混じり、俺たちは画面から目を離さなかった。
 ……何だ? 地面が赤く染まり、ひび割れていく……


「……ねえ、ルッカ……あれ、なに?」


 マールの問いにルッカは答えられない。そりゃあそうだ、あれは、この世に存在しない、存在して良いものじゃない。
 大きく裂けた大地が高く浮かび上がり、地面の下から赤い、きっとこの世界のどんなものより赤い、巨大な化け物が姿を現していた。そいつは地上に顔を出した途 端、背中から無数の針のような物を空に向け発射する。
 その針の雨は地上に降り注ぎ、爆発する。大地は砕け、人間の建造物を粉々に粉砕し、森林を消滅させ、大量の砂埃を空中に巻き上げる。
 砂埃は高く舞い上がり、太陽を覆い隠し、世界は暗闇に包まれた。
 ……この惨状で、生きている者などいるのだろうか? 海も空も大地も赤く染まり死んでいく光景に、俺たちは息を呑み、画面がぶつりと消えた後もしばらく声を出せなかった。


「な……何、これ」


 マールの、誰に向けたとも分からない疑問の声を、ルッカがかろうじて拾う。


「ラヴォスって……これが私達の世界をこんなにした大災害のこと!?」


「……らしいな。正直、こういう風に見せられても、本当にあったことなのか、信じ難いけど……」


「じゃあ、やっぱり……やっぱりここが私達の未来なの!? 酷い、酷いよ! こんなのってない! これが……私達の未来だなんて……」


 長い髪を振り乱し、頭を抱えて狂ったように泣き叫ぶマール。その姿は痛々しく、この世界の悲しみを一身に背負っているかのようだった。


「クロノ……そ、そうだよ! 変えちゃおう! クロノが私を助けてくれたみたいに! ね、ルッカ。ね、クロノ!」


 未来を変える……? ……うん、それは良い考えだな、マール。でもな……


「ルッカ、俺たちの時代って、何年だっけ?」


「? リーネ広場のお祭りが建国千年記念のお祭りだって知ってるでしょ? つまり、A.D.1000年よ」


 だよな。それってつまり、少なくとも俺の生きている間はこんなことに巻き込まれるって事は無いんだろ? だったら可哀想とは思うけど、別に良いんじゃないか?


「……クロノ、あんたまさか」


 俺の考えていることが分かったのか、ルッカが俺を驚いた目で見る。……え? 俺の考えてることおかしいか? どう考えてもあんな化け物に俺たちが勝てるわけ無いだろ?


「……クロノ? どうしたの?」


 不安げに俺を見つめながら俺の手を握るマール。……え? 俺がマイノリティなのか? 俺の意見が間違ってるのか? たかだか警備ロボット相手に手こずる俺たちに何ができるって言うんだよ。


「冷静になろうぜ、お前ら。俺たちだけが未来を知った。それだけでちょっと英雄気分になってるだけなんだって。ほら、今でも増えすぎた人間の数が問題視されてるんだぜ? 多分こうして滅びるのも仕方ないと言わざるを得ない感じでして……あのマールさん? 何故に拳を引いて俺に照準を付けて……えぶうっ!!」


 数百キロのメカをもぶっ壊すマールの拳が俺の顔に突き刺さる。痛いなんてもんじゃねえ、もっと恐ろしい激痛の片鱗を感じたぜ……


「クロノ……それ、本気で言ってるの? 自分には関係ないから、だから世界がこんなになっちゃって良いの? おかしいよ! ドンや皆はクロノの事をあんなに慕ってたじゃない! そんな彼らを見捨てることができるの!? ねえ!」


 いや……正直見捨てられるけどさ、それ今言ったら第二弾が来るんでしょ? 衝撃のぉぉぉ! セカンドブリットォォォ! が。


「ルッカ! ルッカは違うよね! こんな未来は嫌だよね!」


「え? ……あ、うん。勿論よマール」


 嘘だっ! あいつ絶対俺の意見に賛成派だ! 今マールに逆らうと痛くされちゃうから従っただけだ! 何が他の女の子に負けるわけにはいかないだ! 戦う前から降参してるじゃねえか! そういう風にころころ自分の意見を変える奴が一番男に嫌われるんだ! ……まあ女の子内のコミュニティはそういうルールが暗黙の了解としてあるらしいけど。


「わ、分かったよマール。うん、よしやろう! 俺たちの手で人造人間を倒すんだ!」


「分かってくれたのね! ……人造人間って?」


 ロマンチックを貰いに玉を捜してインフレする漫画を知らないとは、流石お姫様。君にZ戦士の資格は無い。
 ルッカの目が「何で止めないのよ!」と語っている。自分に出来ないことを相手に押し付けるとは、バブル世代で碌に仕事が出来なくても昇進していった上司みたいな奴だ。まあそういう人たちはリストラの対象に入れられるので可哀想ともいえる。


「はああ……まあ、私達はゲートを使って時代を超えられるんだから、まあ、ちょっとは頑張ってみても良いのかもしれない事も無いのかもしれないわね。それじゃ早いトコ現代に戻ってラヴォスについて調べないと。行くわよ! プロメテドーム!」


「おー!」


 小さな手を握り締めて頭上に掲げるマール。俺はおざなりに手を上げながら、苦笑をもらした。苦手なんだよな、こういう皆で何かやるぜ的な雰囲気。文化祭のノリは特に嫌いなんだ。男女の仲が悪くなるから。






「おお、クロノ! どうじゃった? 何か成果は?」


 地上に戻ってきた俺たちをドン達が俺の名前のみ呼んで近づいてくる。ほらマール、お前が救いたいと言ってるこの世界の住人はお前のことが嫌いっぽいぞ? それでもいいのか?


「ここは……私達の未来なの!」


「「「「「はあ?」」」」」


 アリスドームの住人一同は怪訝そうに首を傾げて、俺の前に出たマールを見つめる。マールさん、いきなり過ぎる発言に皆引いてるから、ちょっと落ち着こうぜ、ジャスミンティーでも飲んでさ。そんな洒落たもんねーけど。


「それより、食料は? 他に見つからなかったのか?」


「……地下の大型コンピューターで調べてみたけど、無かったわ……そこにあるエナ・ボックスもいつまで動くか分からない。その食料保存庫にいた男が持っている種子、その種子を育ててみてください」


「とにかく生きて! 頑張って! 私達もやってみるから!」


 なんだかなあ、後ろからルッカやマールの姿を見てると、分かるんだよな、勢いで元気付けて昨日の自分達の失言や鼠狩りを手伝わなかったことをうやむやにしようって魂胆が。この世の善意と見られる行動は全て私欲で構成されているのか。




 それからドン達にプロメテドームに行きたいと伝えれば、32号廃墟に置いてあるバイクのキーを貸してくれた。若い頃に乗り回していたらしい。……? バイクって何だ?
 他には……そうだな、マールの元気という言葉をドンが気に入ったらしく、アリスドーム内で流行した。今年の流行語大賞は元気になりそうだ。
「元気? 聞いたことの無い言葉じゃな」というドンの台詞には驚いた。あんたくらい元気な老人は現代にはいな……大臣くらいしかいないのに。
 未来に来てすぐの頃は、人々は暗いし、マールとルッカは喧嘩するしで良い事なんか全く無かったが、このアリスドームに着いてからドラバタして疲れたし、体中ボロボロになったりしたが……うん、楽しかった。ここの人たちにはまた会いに来たいな。
 後ろ髪引かれる思いでアリスドームを出ようとすれば、ドン達が何やら騒いでいる。耳を傾けてみるとドンが大声で「この種子が早く育つように、女は皆祈祷を捧げるのじゃ! 男はこのような日のために暖めていたとっておきの創作ダンスを披露するのじゃ!」と住人達に命令していた。……うん、元気なことは良いことだよね。全然気持ち悪いとか思ってないよ。
 さよならアリスドーム、また50年くらいしたら来るよ……
 俺たちは清清しい顔でアリスドームを出た。








「見た感じ、これがドンの言ってたバイクなのかしら?」


「そうみたいだね、他に何にもないし。大きいな、私達三人とも乗れそうで良かったよ!」


 アリスドームから東北に歩いていくと、遠目から見ても16号廃墟とは比べられないほどに大きな、32号廃墟の入り口に着いた。これは乗り物でもないと越えられそうにないな、助かるぜドン。しばらくは会いたくないけども。
 入ってすぐの場所に置かれていた鉄で出来た機械。見た目は自転車のタイヤを大きくして、前方部分にガラスの付いたような代物だった。これがバイクで間違いはないんだろうが……ふうむ。


「んー、しかし動かし方が分からんな、この鍵どこで使えばいいんだ?」


 バイクの周りを一周すると、前方部分のメーターやらなんやらがごちゃごちゃついている部分に鍵穴を見つけた。……多分、ここに差し込むのが正解なんだよな? 自爆装置関連とかじゃないよな? そんなB級な展開は待ってないよな?


 鍵穴にキーを入れた途端、バイクが振動を始めて、辺りからアラームの音、音、音! あ、これマジで自爆します的な? 今シルベスタスタローンの気持ちがよく分かるよ。


「クロノ敵よ! 気をつけて!」


「敵か!? 本当に良かった!」


 俺の言に首を傾げるルッカはこの際放置! だって説明したら一人で想像して一人で怖がったなんて馬鹿を知らさなければならないし。そんなの誰が得するんだ。


 アラームを鳴らしながらアリスドームで見た一つ目メカが四体現れ、俺たちの周囲を囲む。俺は刀を抜き払い、ルッカがエアガンの引き金に指をかけて、マールが背中から弓を取り出す。
 一つ目メカの瞳がギラッ、と光り、俺たちにダッシュをかけてくる……その時だった。


「待チナ!」


「ア、アニキ! ウホッ!」


 一陣の風がメカと俺たちの周囲を駆け抜けて、たまらず目を閉じる。……目を開けるとそこには今までに見たことが無かった三輪車みたいな形のロボットが妙に格好つけて俺たちを見据えていた。ウホッてなにさ。
 二の足にホイールの付いた形から驚くような速さで人型になり立ち上がったそいつは頭髪を逆立てて、シャープなサングラスを掛け、腰の部分に煙の出る筒をつけた男……筒とそこから出る煙を無視すれば、人間だと言われても信じそうな外見のロボットに無骨な一つ目メカが敬意を払っていた。


「俺ノ名ハジョニー。コイツラノ頭ダ。テメエラムコウノ大陸ニ行キタイノカ? ソレナラコノ先ノハイウェイ跡デ勝負シナ……俺ニ勝テタラトオシテヤルヨ……ソコノ『ジェットバイク』ヲ使ワセテヤル」


 使ワセテヤルも何もこれお前らのものじゃないだろーが、ドンの所有物なんだよ。何で不良って拾ったものは自分のものだと思うのか。道徳の時間寝てたからか。俺もだ。
 しかし、勝負だと? あれか? レース勝負ってことか? 面倒くさいなあ、ここで戦ったほうが話が早いんじゃないか? ……駄目だ、こいつらの頭ってことは強いに決まってる。俺は怪我をせずに生きていきたい平和主義者なんだ。


「勝負? いいわよかかってらっしゃい!」


 出たよルッカの勝負好き。こいつ幼稚園くらいの女の子とドッチボールしてもおもくそ顔面にボール投げるからね。なんでこいつが町で人気があるのか分からん。そして何で俺が嫌われるのか分からん。不条理こそ抗えぬ現実だ。


 楽しそー! とマールが喜んでいる中、俺はジョニーにバイクの運転の仕方を教えてもらった。「これな……こうすんねん」と教えてくれるジョニーには感謝ではなく、お前普通に喋れるんかいという想い、素だと結構おとなしい声なんだというちょっとした失望だった。






「ゴールラインハズット先ニアル青イテープガ目印ダ! 一緒ニ風ニナロウゼベイベー!」


 スタートラインでスタンバイし、ジョニーの合図でグリップを廻し、加速した。スタートはやや俺が遅れたか。練習無しにしてはよく出来たほうだな。
 テクニックは圧倒的に俺が劣るが、期待の性能は俺のジェットバイクに分がある。しかし、直線の多いこのレース場で勝負を仕掛けたということは、ジョニーは自分の足に相当の自信があるようだ。
 直線で差を縮めていくが、レース中にあるコーナーで一気に離される。こちらが三人乗りというハンデを無視しても、そのコーナーリングは素晴らしい。あんた鈴鹿にでも行けばいいじゃない。参加できるかどうかは別としても。


「ク、ク、クロノ! もうちょっとスピード落として! マールもはしゃいで動かないで!」


「いや無理だって、ここでスピード落としたら絶対追いつけないぜ?」


「わー涼しい! 楽しーい! 風の上に乗ってるみたいだね!」


 ちなみに運転しているのが俺、俺に捕まってるのがマール。最後尾にルッカという乗り方である。俺が運転するのは決定だったが、俺に捕まるのが誰かで二人が揉めていた。マールが後ろだと前の景色が見えないから嫌だと言っていたのでそういう理由だろう。
 あれだけ勝負に乗り気だったくせに、ルッカは何気にスピード恐怖症だったのか、自分が捕まってるマールがふらふら動いたり立ったりを繰り返すからか、恐怖で声が震えていた。マールはスピード狂、と。とはいえ、俺も同じ部類かもしれない、この風を切って走るこの感覚はやみつきになるかも……いやもうなってるな。下手したら今まで生きてきて一番楽しいかもしれない。
 バイクかー、現代に帰ったらルッカ作ってくれないかな? そんな風に、俺は初めての体験に浮かれていた……そして悲劇は起こったのだ。


 ジョニーと俺のレースも中盤に入った頃だろう、ジョニーが俺の方を見てヤバイですよみたいな顔をしていた。何だ? ガソリンでも切れたのか? お前が燃料で動いてるとは思えないが。


「ね、ねえ、クロノ……」


「ああ!? 風の音でよく聞こえないよ! もうちょっと大きな声で喋ってくれマール!」


 何事かを伝えようとマールが俺に話しかけるが、声が小さすぎて何も聞こえない。怒鳴るくらいじゃないと風の音が邪魔をして届かないのだ。


「……ルッカが……落ちた。ぽてっ、て」


「………………全然聞こえないや、風の奴、今度叱ってやらないと」


「へ、ヘイブラザー。ユーノオ仲間ノハニー、遠ク後ロデ転ガッテ……」


「聞こえねー! 今俺が何か音を拾うとしたら世界破滅のラッパくらいのもんだぜはっはー! あー、バイク楽しいなっ!」


 無理やりテンションを上げて叫ぶ。良いね! このハングオンがまた良いぜ! もう本当に! ハングオンとかよく分からんけどっ!


「ク、クロノのせいだよね、私悪くないよね、うん。クロノが悪いで判決完了」


「いやいやマールがぶんすか動くからじゃんか! 何責任転嫁してんだよ!」


「全然聞こえてるじゃん! それに私ぶんすか動いてないよ! ぴょんぴょん跳ねただけだもん!」


 バイクの運転中に跳ねるな! そりゃあルッカも落ちるわ!


「……ヘイブラザー、ユーノオ仲間ノハニー……何カ凄イスピードデ走ッテキテナイカ……?」


 ……え? ちょっと待って、ジョニーお前何言って……


「「追いかけてきてるー!!!」」


 体中砂だらけで服が所々破れているルッカが背中にブースターのようなものを背負いそこからロケットみたいに火を噴きながら前傾姿勢で走ってくる。もうお前なんでもありだな。そしてお前の鞄なんでも入ってるんだな。どうみてもそのブースター鞄に入る大きさじゃないけど、それはどこの狸に貰ったのか。
 青いハリネズミみたいな速さで俺たちとの距離を詰めてくるルッカ。正に音速(ソニック)。


「謝れ! ルッカに謝れマール! もしくはバイクから飛び降りてルッカの足止めをしろ!」


「私悪くないもん! ていうか私が悪いとしても私が悪いと認めたら私が殺されるから私のために私は逃げることをお勧めするわっ!」


「私私って我が強過ぎるだろ! どんだけ自己アピールしたいんだよ! 最近の中高生か! そして自己防衛本能旺盛過ぎる! 人に迷惑が掛かる前にちゃんと謝ることはしろ! 誰に迷惑が掛かるって間違いなく俺なんだから!」


「…………ヘイブラザー、ユーノオ仲間ノバケモノ……俺ノ見間違イカモシレナイガ……何カ飛ンデナイカ?」


 おいおいジョニー。人は翼を持ちたいと願うけれど、何故願うか知ってるか? 人は飛べないから翼を望むのであって……


 バックミラーで背後を伺うと、ルッカが両手を腰に当てて頭を前に突き出しながら飛んでいた。


「「舞空術だーっ!!!」」


 さっきといい今といい、俺とマールの奇跡のシンクロ。シンクロ率が高いのは俺とマールなのに暴走してるのはルッカという皮肉。


「マール、後ろの、後ろの悪鬼をその弓で撃て! そして討て!」


「嫌だよそうしたら完全に標的が『マール』になるもん! それなら今の見敵必殺モードの方がまだマシだよ!」


 くそっ! 騙された! 今まで元気いっぱいで天然の入ってる可愛く優しい女の子だと思ってたが違った! マールの奴は筋肉たっぷり空気の読めない根性が醜い汚い女だった! この売女が!


「お前は女だから顔面陥没くらいで許される! 俺は男だから冥府の奥底に叩き込まれるのは間違いないんだ! さながらキャンサーとピスケスのように!」


「顔面陥没なら大丈夫とか、女の子に言う言葉じゃないよ! クロノなら冥府からでも生き返られるでしょ! さながらフェニックスのように!」


 俺たちが言い合っている間にもルッカはぐんぐん近づいてくる。もうマールと話している余裕は無い……ただ、前を向いてアクセルを握り締めるのみ!
 ジェットバイクの最高速度を出してルッカからの逃亡を試みる。死ねぬ、俺はまだ、生きていたいんだ!
 冷静になれ、冷静になれ、と頭の中で念じていると後ろから「ひっ!」というマールの短い悲鳴が聞こえた。「どうした?」と問おうとすると、世にも恐ろしい笑顔でルッカがマールの肩を掴んでいた。……冷静? なれるかどあほう!


「うおぉぉぉおおぉぉお!!!」


 ジョニーに教えてもらったジェットバイクの機能、ターボを使い、ルッカとの距離を離す。体が引きちぎられるほどの風圧を耐えて、空気の壁を越えて、音の壁を追い抜く。
 何も言わずにターボを行ったのでマールが途中で後ろに飛ばされたが、大丈夫、無問題。むしろ軽くなって有難い限りだ。今度線香でも上げてやるさ。


「ハーッハッハッハ!! マールという重りを捨て、俺は風となった! 俺を捕まえることは例え神とて不可能! 何故? 俺は今生きている! ああ、ああ、生きているということは何故こんなに嬉しいんだ! どうして大地は暖かいんだ!? ハレルヤ! グローリー! デウス! ハレルヤアンドマリア!」


「……テンションノ上ガッテイルトコロ悪イガ……ソレデ良イノカ? ブラザー……」


「ジョニーよ、メカのお前には分からないかもしれないが俺たち人間は生存本能というものがあってな? 俺はそれに従っただけだ。そしてルッカという俺の命を脅かすものから逃げるために俺は最善の行動を行った! 誰にも、それこそ神にも俺を罰する権利など無い!」


「ソ、ソウカ。シカシマア、コレデヨウヤクマトモナレースガデキルナ! 何処マデモ走リヌケヨウゼベイベー!」


「ああ! 俺とお前で地平線の果てまで……」


 ジョニーの顔を見ようと左を向いた時、低く飛びながらマールを肩車しているルッカの姿。上に乗ったマールは今までに無い程冷たい顔で俺に弓の照準を合わせていた。


「「フュージョンなさったー!!!」」


 俺とジョニーの叫びは遠く、アリスドームの人々にも届き、今年の流行語大賞は『元気』か『フュージョン』で揉めに揉めたそうな……










 星は夢を見る必要は無い
 第十話 永劫の闇の中から世界を救えと神から啓示を賜った彼の名前は












 ジョニーとのレースはどっちが勝ったかという枠を越えて、ゴールラインを過ぎ去り32号廃墟を出たところで、俺が捕まりその幕を閉じた。
 俺は有難いことにロープでジェットバイクと結び引き回しされながらマールの弓を避けるという優しい罰ですんだ。勿論終わってもマールの治療はされない。おや? もしかして俺の右腕折れてない? 動かそうとすると凄い痛むんだけど、これ気のせい?


「生キテレバイイコトガアル、ソウ思ッテレバ願イハ叶ウサ……頑張リナ、ブラザー」


 別れ際のジョニーの言葉を胸に、俺は二人の鬼の後ろを歩いている。後ろから首を跳ね飛ばしたら俺はこの先幸せに生きることが出来るんじゃないか? ……落ち着けよ俺、勝てるもんか勝てないもんか、心でなく魂が知ってるじゃないか……



 それから特に問題も無く無事プロメテドームに到着した俺たちは中にいたロボットを鼻歌交じりにぶっ壊す。鼻歌を歌っていたのは、マールだ。最近この子のキャラが分からない。
 中で見つけたエナ・ボックスに入り(何処にでもあるのな、この便利マシン)右腕を治療する。治療中、敵にやられるダメージよりも仲間にやられるダメージの方がでかいんじゃないかなと黄昏てしまう。
 そこから先に進むと、奥に扉があり、通せんぼするみたいに扉の前でやけに大きなロボットが座り込んでいるのを発見する。刀を抜いて警戒しながら近づくも、そのロボットは沈黙したままだった。


「な、何これ?」


「壊れてるみたい……けど凄い、完全な人型のロボット…………これ、直せるかもしれないわ」


 まじまじと見つめていたルッカが、急に頭の悪いことを言い出した。いやいや、意味無いし、さっさとゲートを探そうぜ? お前はどうか知らんが、俺の胃はさっきのエナ・ボックスの治療で暴れだしてんだよ、お腹と背中がくっつくを越えて重なりそうな気分なんだよ。


「え? ……直すって、また他のロボットたちみたいに襲ってきちゃうよ!」


「勘弁してくれよ、こんな所でも自分の能力を自慢しようとするの。そういうルッカの自慢癖にはもう食傷気味なんだから」


 次の瞬間俺の顔が凹む。何故俺だけ殴られる。


「そうしないように直すの。ロボットたちは自分の意思で襲ってきてるんじゃないのよ……人間がそういう風に作ったの。ロボットたちの心をね……」


「……ルッカにはロボットの心が分かるんだね……」


 ルッカの言葉に心なしか感動しているマール。
 ……でも、ルッカは機械が嫌いなはずだろ? なんで一々直してやったりするんだよ。
 俺の目を見て、ルッカが首を振って否定を示す。流石幼馴染、言いたいことは目を見れば分かるってか。


「私は確かに機械は嫌い。でも、その私が機械を使って誰かの役に立たせることが出来るなら、それは贖罪になるんじゃないかなって思うの」


「……ルッカがそう思うなら、俺は反対しないよ、そのロボットを直すことに、さ」


 マールが何の話か分からず目を丸くして俺たちを見ている。わざわざ聞かせるような話じゃないし、これでこの場は終わりだ。俺はその場で座り込み、ルッカは鞄や服の裏から修理用の工具を取り出し壊れたロボットの近くに座った。


「じゃあ、とりかかるわ」





 二時間程経って、ルッカは額から汗を流しながらまだ修理に集中している。ルッカが決めたことに口を挟む気は無かったが、ロボットの状態よりも俺の腹具合を気にして欲しい。もうそろそろひもじさで泣きそうなんだ。というか数回泣いた。その度にマールが頭を撫でてくれた。その度にルッカの手元から破壊音が聞こえた。お前確かそのロボットを直すんだよな?


「扉、開かないみたい」


 暇をもてあましたマールがぽつりとこぼして、ルッカの修理音しか聞こえなくなる。ごめんなマール、相手してやりたいけど、俺もう動けないし喋れないや。今はカロリーを一切消費したくない。


「うーん、おかしいわね……」


「? どうしたのルッカ?」


 難しそうに唸るルッカに、マールが話しかける。珍しいな、ルッカが何かの修理中に行き詰るなんて。ルッカと言えど、流石に未来の技術は理解できないか?


「このロボットなんだけど、中央部分に溶接された鉄で囲まれた部分があるの。どうしてもその中が覗けなくて……まるでこの形状、中に人が入るためのような……それをこの外側の機械で保護しているみたいな……」


「うーん、よく分からないけど、直せないの?」


「動かすことは出来ると思うけど、うーん……」


「とりあえずやるだけやってみたら? 分からないことは後回しにしちゃって」


 楽天的なマールの言葉に頷き、ルッカは六角レンチを握り再度修理を再開する。未来でも六角レンチは使うのか、知らなくても良かったけど、ちょっとしたトリビアにはなった。
 ……早くしてくれよルッカ、俺、もうその六角レンチが食べ物に見えてきた。フランクフルトに見えてきた。もう六角レンチでもいいからそれ食べちゃ駄目かな? 駄目だろうな……
 幻覚が見え始めた俺の限界は、もうすぐそこだった。




「……これでよし! 動かすわよ!」


 それからさらに一時間、ルッカが汗を拭いながら修理完了を教えてくれる。マールはワクワクして見ているが、正直俺はどうでもいい。いっその事息もしたくないくらいダルイ。


 ルッカが背中のボタンを押すと、ロボットが痙攣を始めて、体から電流が走り、目の部分に光が点った。
 座った上体から勢い良く立ち上がり、両手を上げてぐるぐる回りながら部屋の中をうろつき始める。……本当に直ったのかそのぽんこつ。
 しばらくロボットの様子を見ていると、脈絡無く奇怪な動きが止まり、その場に立ち尽くす。


「お……おはよう!」


 ロボットにおはようって、別に良いんだけど、やっぱりずれてるよなマールって。
 ビビッ! と目玉が光り、マールの方を向いておじぎをするロボット。


「お……おはようゴザイマス、ご主人様、ご命令を」


「私はご主人様じゃなくて、マール! それにクロノと、貴方を直したルッカよ!」


 俺とルッカを手を伸ばして紹介するマール。にしても凄いなルッカ、本当に未来の技術で作られたロボットを碌な道具も無く修理したのか。 現代の大臣とはえらい差だな。


「了解シマシタ。ワタシを直して下さったのはルッカ様ですね?」


 そう言ってルッカにも頭を下げるロボット。おいそこのぽんこつ、俺には挨拶も無しかい。


「ルッカでいいのよ」


「そんな失礼なことはデキマセン」


「様付けで呼ぶ方が失礼な時もあるのよ。ねえマール?」


 えへへ、と照れくさそうに笑うマール。いやだからさ、俺のことは無視なのかよ?


「了解シマシタ、ルッカ」


 以外に素直なんだな、俺をシカトする所以外はまともそうな奴に見える。本当に、俺を無視する以外は。いい加減にしないと、起きたばかりでまた眠ってもらうことになるぞこの野郎。


「よーし、で、貴方の名前は?」


「名前? 開発コードの事デスネ。R66-Yデス」


「R66-Yか……イカスじゃない!」


「えー? ダメよそんな可愛くないの! ね、クロノ。もっといい名前、つけてあげようよ! 何がいいかしら?」


「スクラップでいいんじゃないか? もしくはげろしゃぶとか」


 俺の目を見ようともしない失礼な奴にまともな名前なんかつけてやるもんか。捨てちまえそんな動く粗大ごみ。
 吐き捨てるように呟いた言葉を聞いたそのロボットは右腕を俺に向けて、その右腕から火花をとばし俺にパンチを発射した。すこぶる痛いっ!


「申し訳アリマセン、そこのお方から敵性を感知シマシタ」


 感知シマシタじゃねえ、ちょっとカッコいい能力なのに、無駄に俺を標的にするなくそが! あ、目を光らせて俺に腕を向けないでください。ちゃんと考えますから、ね?


「……ロボットだからロボ、なんてどうかな? ……あああ安易ですよね! ちゃんと考えるからその物騒な右腕を俺に向けないで……」


「ロボ……ロボか! 悪くないね!」


「エエ、ワタシも大変気に入りマシタ」


 いいか、お前が俺に対して注意を外したときがお前の最後だ鉄クズ……!!
 俺が必殺の誓いを立てていると、今まで黙っていたルッカが、組んでいた腕を外してくそったれメカに話しかける。


「ねえロボ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


「……コレは、どうしたのデショウ? このプロメテドームには多くの人間やワタシの仲間がいたはずデスガ……」


 ルッカの質問には答えず、ロボは周囲を見渡して呆然とした声を出す。まあ機械的な声だから呆然としてるかどうかはっきりとは分からないけど。


「言いにくいんだけど……ロボ、貴方が倒れている間に、ここにいた人たちは、もう……」


「……ソウデスカ……では、アナタ方は何故ここに?」


 それから、マールとルッカが交代しながら今までの経緯を話した。喋りたくないから別にいいんだけど、俺にも話す機会を与えてもいいんじゃないか? ロボとのコミュニケーションが殴られただけって、バイオレンスな関係にも程がある。とりあえず仲間としてカテゴリーはされない。


「ふむ、現代に帰りたいけれど、この扉が動かないので立ち往生していると……」


 言いながらロボは扉の前に立ち、扉を押したり引いたり叩いたり蹴ったり爆発させたり(爆発?)したが、一向に開く気配は無かった。


「どうやら、ココの電源は完全に死んでしまっているようデスネ。北にある工場に行けばここに連動する非常電源がありマス。ワタシなら工場のセキュリティを解除できマス」


「ホントー?」


「修理して下さったのデス。今度はワタシがお役に立ちマショウ。しかし、いつまで非常電源が持つかワカリマセンので、ドナタかここに残って、電源が入ったらすぐにドアを開けないと……」


 胸を叩いて頼もしさアピールをするマメなロボット。いやに人間臭いな、本当にロボットか?
 ……にしても誰が残るかだと? 今の全員の状態を見ろ、俺が残るしか選択肢が無えだろうがボケ。


「じゃあ私かマールが残るわ。どっちが残るべきか決めてクロノ」


「何でだよ!? どう考えても俺が残るべきだろーが! もう一歩も動きたくねえんだよ!」


「何言ってんのよ、工場にはきっと暴走したロボットもいるでしょうし、男のあんたが行かないでどうすんの」


「ふざけろ! ルッカもマールもゴリラ並に、いやそれ以上に強いんだから女とか、いやメスだからとかが理由になるかこの筋肉おん」


 結局もう一度エナ・ボックスを使った後俺とルッカとロボが工場に行くこととなった。ねえねえ、脳みそ耳から出てない? マールのこめかみパンチではみ出した気がするんだ、後俺の名前クロノで合ってる? 微妙に自信ないんだが。


 ルッカを選んだ理由として、機械関連に強いルッカがいた方が工場でも役に立つかな? という理由だった。俺が行く理由はあれだよ、か弱い女の子だけを危険に晒す訳にはいかないからだよ。そう言わないと俺が死ぬからとかそういうワイルドな理由じゃないんだよ。








「へえ、これが工場跡……人間がいなくなっても作動しているなんて、ここはまだ電源が生きてるってことね」


 工場跡の中は電気が付いていて明るかった。空気も空気清浄作用が働いているためか、清清しく、久しぶりに深呼吸ができる。床の色は淡い肌色、天井にはクレーンが置かれ、忙しなく動きコンテナ等を運んでいる。少し奥に入っていけば、前や後ろに動く床があり、ルッカがそれを見て「ベルトコンベアって言うのよ」と説明してくれた。これの用途は主に荷物や機材を運ぶために使われるらしい。未来とは俺の予測も付かない程進んだ技術が開発されてるんだな。


「何言ってるのよ、ベルトコンベアなんて私の家にも実装されてるわよ?」


「……お前の家ってやっぱり22世紀のロボットが住んでるだろ? でなきゃ説明つかねえぞ、それとも俺の想像以上にお前とタバンさんは凄い奴なのか?」


「私と父さんが凄いのよ、あんたじゃ想像もできないくらいにね……あれ、赤外線バリアがある。ロボ、これ解除出来る?」


「お任せ下さい。この機械にパスコードを入力スレバ、バリアは解除できマス」


 アリスドームの地下にあったような機械を動かして、目の前の画面に見たこともない文字が並んでいく。少しの時間でロボは赤外線バリアとやらを消すことに成功した。


「セキュリティシステム00アンロックシマシタ」


 中々やるじゃねえか、とロボに声を掛けようとすると、頭上から何か見たこともないゲル状の生き物が落ちてきた。頭の上に落ちてきたそれを振り払い、刀で切りかかるが、硬すぎて刀にヒビが入った。嘘だろ、巨大ロボですら切り裂ける切れ味なのに!


「コイツらはアシッド! 並の武器では歯が立ちマセン! ワタシに任せて下さい!」


 前に出るロボの背中がひどく頼もしく見える! 頼むぜロボ! さっきまで腐り落ちろとか思ってたけど、それについては謝るぜ!


「行きマスヨ! 回転レーザー!!」


 ロボの体から全方位に向けたレーザーが放たれて、周りの床、壁、天井に一筋の線を作り出す! ……ていうか、これ俺たちも危なくね?


「「うわわわわあぁぁ!!!」」


 俺とルッカが転がって、または跳んでそのレーザーの束を避ける。なんかこれバイオハ○ードの映画でこんなのあったぞ! てか止めろこのスクラップ以下の鉄屑そして役立たず! アシッドとやらには全然当たってねえじゃねえか! ずっとニヤニヤ笑ってこっちを見てるぞ! 見世物扱いだ!


 ルッカが鎮静用のハンマーを投げてロボを止めた後、苦戦したが俺とルッカの長期戦でアシッドを倒した。やばいな、白銀剣の刃こぼれが凄い、後何回戦闘に耐えれるか……
 にしても、問題はロボだ。ここまで戦闘に使えないとは……
 それからバリアを越えて先に進むと、エレベーターという階を移動する機械があり、それを使って工場の中にあるだろう非常電源を付ける場所を探した。
 それからもロボの馬鹿は色々とやってくれた。レーザーが当たらないだけでなく、近づいてパンチするもそれがミスるミスる。酷いときなんか戦闘中俺にパンチをかました時もあった。何で俺にはパンチが当たるんだよ。
 他にもマールのように治癒効果がある光を出せる、と胸を張って言うので、俺に使用させると光に当たった右手を火傷した。途中の宝箱でミドルポーションを見つけていたから良かったものの、こいつに何かやらせると悪いことしか起こらないというのは明確になった。
 しかし、ここに来て悪いことばかりではなかった。モンスターとの戦闘で今まで使っていた白銀剣が折れてしまったのだが、新しく雷鳴剣という刃に電流がほとばしる剣を手に入れたのだ。さらにルッカの使えそうなプラズマガンという強力な銃を見つけたことで、ルッカの攻撃力が跳ね上がった。今まで敵の気を逸らす程度のことしか出来なかったルッカが一撃必殺の活躍を見せることになり、ルッカが喜んでいた。
 ああ、ロボも新しい武器を手に入れたんだが、その凶悪な攻撃は俺にしか当たらなかったので俺の判断で捨てた。常時メダパニのかかったお前に武器を持たせては駄目なんだ。馬鹿に刃物を持たせてはいけない。
 マールの使えそうな武器もあったのだが、ロボに「戦闘が不得意なら、荷物持ちくらいやれ」と俺が持たせて十歩も歩かないうちに落として壊しやがった。なあなあお前何が出来るの? どんなことなら人並にこなせるの? ロボットの癖にその不器用さはなんなのさ?
 ロボが役に立ったのは道を遮る防護システムを解除するだけだった。いつも中途半端に失敗してモンスターを出現させるのはもういい。お前ならそんなもんだろ。







「はあ、はあ、はあ……」


「オオ! ココです! ココで非常電源を付ける事が出来マス!」


「な、長かったわね……特に戦闘が中々上手くいかなくて、随分苦戦したわ……」


「ルッカ、お前本当にちゃんと直したのか? あいつ、役に立たないどころか俺たちの足、むしろ体全体を引っ張ってたぞ……」


 自信無いかも……と少し意気消沈しているルッカ。可哀想だが、少しくらい当たらせてくれ、一番被害を被ったのは俺なんだから。ああ、まだあいつに後ろから殴られた背中が痛む。あいつ実は俺を殺そうとしてるんじゃないかと思ったことは一度や二度ではない。戦闘の度に感じたものだ。工場を制覇する頃には俺は敵よりもロボに注意を向けていた。何がムカつくってロボは敵の攻撃は避けないくせに俺がキレて切りかかったら素晴らしいカウンターを見せるところだ。
 ロボが大きな柱に組み込まれたパスコード入力装置を操作している間、俺とルッカは後ろに立って肩で息をしていた。ルッカの奴、自分で直したから怒ってないが、ロボが人間だったら銃を乱射してるぞ、絶対。


 壁にもたれて座っていると、壁から点灯ランプが飛び出してきて、赤い光が点りサイレンが鳴り始める。……おいおいまさか、こんな最後の場面でも失敗するなんてことは……


「非常事態デス! セキュリティが暴走してマス! 早く脱出しなくテハ!」


 あ、やっぱり? もう驚かないよ俺。期待して無いと腹も立たないや。ただ、お前と話すのはもう嫌だ、知ってるか? 好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんだぜ。


 ロボを置いて俺とルッカは来た道を走って入り口を目指す。ロボの奴逃げ遅れてくれないかな、そしたら俺家に帰った時とっておきのシャンパンを開けるぜ。


 逃げている間も隔壁が閉まっていき俺たちの退路を防ごうとする。
 俺とルッカが最後の隔壁を閉まる前に抜けて、ほっと一息。ルッカはまだ逃げ切れていないロボを急かしているが、俺はもう来なくていいよアイツ、閉じ込められるか壁に潰されればいいんだ、と暗い念を送る。
 すると、願いが通じてロボが最後の隔壁に挟まれて心の中でソーラン節を踊っていると、ロボが奇妙な動きで脱出する。こいつ俺を攻撃する時と自分を助ける時には良い動きするね。よくいるんだ、こういう人を陥れる時や保身のためなら火事場のくそ力を発揮する奴。


「サア、早くココから脱出しましょう!」


「ええ! 急ぐわよクロノ!」


「ああ……ちっ」


 誰にも聞こえないように舌打ちをかまして、ルッカたちの後ろを走る。この流れだとこれから先もロボと旅するんだろうな……嫌だなあ、ポンコツと旅するの。俺のたんこぶがどれだけ増えるか分かったもんじゃない。


 赤い光に包まれた廊下を走りぬけ、エレベーターが使えないので非常用の梯子を使い脱出を目指す。もう大分入り口に近づいたな、モンスターも暴走したロボットもいないし、無事逃げられるか? と気を抜いていたときだった。
 床下から点滅した光を放つ廊下を走っているとき、左の壁にあるダストシュートに似た形の穴から、ロボの全身がカーキ色というのに対し、全身青い色という相違点はあれど、他はロボとそっくりのロボットが六体落ちてきた。……うわ、こいつと同類の機械? じゃあ全部馬鹿なんだろうな。


「オ…………オオ。皆ワタシの仲間デス! R-64Y,R-67Y,R-69Y! 生きていたのか、良かった!」


 近づいて握手を求め右手を差し出すロボ。エセロボたちは自分からは近づかずに、差し出されて手を見つめて、次の瞬間鉄の腕を振りかぶりロボの頭部を殴りつけた。隣でルッカが悲鳴を上げてるけど、エセロボA!展開は分からんがよくやった! 感動した!


「な……何を……」


 殴られて倒れたロボは困惑した声を上げて、エセロボAを見る。きっとお前は友達だと思ってか知らんが相手はそうじゃなかったんだよ。よくあることさ、もう一回殴られて俺の溜飲を下げろ。


「ケッカンヒンメ、オマエナドナカマデハナイ」


「……!? ケッカンヒン……」


 エセロボが実に正しいことをロボに言い放つ。ロボ、驚いてるけどさ、俺も全く同じ意見だ。あれだけドジこかれたらフォローできんよ。


「ソウダ、ケッカンヒンダ」


「ケッカンヒン……ワタシは……ケッカンヒン……」


 ロボが頭を押さえて苦悩している。欠陥品って、あいつらそれでも大分優しい言い方してると思うぜ? だってお前を形容する的確な言葉っつーか悪口、もう俺の頭では思いつかないもん。


「ワレワレノ、ニンムヲワスレタノカ? コノコウジョウニフホウシンニュウスルモノハマッサツスルノダ!」


「!! ワタシはそんな事をする為に作られたと?」


「キエロ、ワレワレノツラヨゴシメ!」


 エセロボが言い終わると、全員のエセロボたちがロボにリンチを始める。殴る、蹴る、体当たり、ジャイアントスイング、パイルドライバー、みちのくドライバー。バリエーション豊かだな、こいつらプロレス好きか?


「あ、あんた達ー!!」


 その光景を見てルッカがキレてプラズマガンをエセロボたちに向ける。
 だが、その引き金が引かれる前に、ロボ自身からの制止の言葉が飛ぶ。


「やめて下さい……このロボット、私の仲間デス……」


 ……おい、何で助けを求めないんだよお前。あれだけ戦闘ができないくせに、これだけボコボコにされてるくせに……
 バキバキと部品が飛ばされ、鉄の体に傷やへこみ、さらには腕や足が飛んでも、ロボは自分の仲間へ攻撃することを許さなかった。その仲間たちから壊されようとしているのに。
 頭部の右半分はひしゃげて、右目の部分から赤い眼球が床に転げ落ちた。胴体の部品もぼろぼろ床に飛び散り、飛ばされていない左足もなんとかくっついているが、それも時間の問題に見えた。
 ……確かに……確かにロボにはムカついてるし、二、三発殴り飛ばされるなら良い薬とも思ってたが……


「これは、やり過ぎだろうが……!」


 仲間と言えるほどロボが活躍したわけじゃない。足を引っ張ったし、ロボのせいでモンスターに見つかったのは数え切れない。
 腹が立つし、右腕を焼かれたりしたけれど、かつての仲間達にここまでやられる程か? これだけ仲間を思ってるのに、その仲間達に体を破壊されるのは、一体どういう気分なんだろうか……?


「クロノ……私、もう我慢できない……出来ないよ……ロボが、ロボが壊されちゃうよぉ……」


「……俺もだルッカ、これはお仕置きにしても度が過ぎる、行くぞルッカ! 後でロボに恨まれようが関係無え! 全部ぶっ壊してやる!」


 俺は雷鳴剣を鞘から抜き、ルッカはプラズマガンの狙いをつける。
 一太刀目でまず一体、そのままの勢いで二体、それから先は……そのとき考える!!


 腰を落として走り出すために後ろ足に力を込めて、目標をエセロボの一人につける。まずは……テメエからだ!


 ドカッ!!!


 ……え? 俺、まだ何もしてないよ?


 ロボを袋にしていたエセロボたちが四方に飛ばされて、壁に叩きつけられる。ルッカが何かしたのかと振り返れば、ルッカは目を見開いてロボが倒れている場所に視線を注いでいる。
 ──そう、ロボが倒れている筈の空間に。


「どうやら、少し調子に乗ったみたいだね、君たち……それも、、僕が永劫の闇の中から神の啓示を賜った闇と光の力を併せ持つ選ばれたエデンの戦士とは知らなかったからだろうけど……」


 ロボの体から、小学生くらいの、銀の髪をたなびかせ、右手で左目を隠した男の子が立っていた。






 ────このロボットなんだけど、中央部分に溶接された鉄で囲まれた部分があるの。どうしてもその中が覗けなくて……まるでこの形状、中に人が入るためのような……それをこの外側の機械で保護しているみたいな……────





「……まさか、本当に人が入ってたのか? 人間がいた頃から、ずっとロボの体の中に……?」


 俺の声を聞いて、ロボの体から出てきた男の子は首を曲げて俺の方を向く。
 瞳の色は深い青色、顔の造詣は女と間違えそうな、美少年を体現したルックスだった。


「違うよ、僕は人間じゃない。デウス・エクス・マキナに選ばれたアンドロイドだよ、このボロボロになった機械は僕の強すぎる力を抑えるための、枷のようなものさ。……こうでもしないと、僕の力は世界に与える影響が強すぎる……全く、自分の力ながらに恐怖するよ、流石神に選ばれた、いや、選ばれてしまっただけのことはあるね……ふふ、悲しい宿命だよ……」


 ……やばいぞ、こいつの力量もロボの体に入っていた経緯も話し方や雰囲気が違う理由もさっぱり分からないが……一つ分かったことがある。隣で口を開けたまま動かないルッカもきっと共通の意識を持っている筈だ、証拠に、俺と同じようにいきなり出てきた少年を指差している。


「ちなみに、僕の左目には邪気が封印されている。正式な名称は邪気眼って言うんだけどね……」


 もう間違いない。おかしな単語の用い方、頭の悪いその台詞……こいつは、このガキは……


「「中二病だーっ!!」」


 俺とルッカの渾身の叫びは遥か遠くプロメテドームまで届き、ドアを開けた後寝ぼけて船を漕いでいたマールを起こし「たっ! 食べてないよ! ちゃんとクロノの分も残してあるよっ!?」という微笑ましい寝言を呟かせたという……



[20619] 星は夢を見る必要はない第十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:26
「エターナリティー・エンシェントレクイエムブラスター!!」


 ロボの体から出てきた中二の少年が『ぼくのかんがえたひっさつわざ』を叫び、右手と左手を交差させながら青いレーザーを縦横無尽に走らせる。その光線は倒れていたエセロボ三体をバラバラの鉄屑に変えて、左手で前髪を掴み、「辛いね……僕の力に耐え得る存在が神以外にいないというのは……僕の本気が発揮できるのは、幾億年経とうと無いというわけか……あの最終戦争、ラグナロクが懐かしいよ、まああの頃は僕もエインヘリャルの尖兵でしかなかったんだけど……」とか戯言を口にしながら自分に酔っていた。未成年の飲酒は禁止されています。


「アンドロイドダト、バカナ、イママデソノヨウナソブリハミセテイナカッタ!」


「当然さ、その為にあの鉄の枷を体に纏っていたんだから。つまり君たちが壊してくれたあのボディは僕の力を封じ込めるだけでなく、偽装としての意味もあったんだね。僕くらいの洞察力がないと見破れないから、恥じることは無いよ」


 一々ムカつく言動の少年の言っていることはさっぱり分からない。あくまでムカつくということしか。
 残る三体のエセロボが少年を軸に三対に並び、同時に襲い掛かる。しかし、少年が「俊雷・ソメイヨシノ!」とまた頭の悪い技名を声に出すと、コンマ一秒以下で逆さに天井から立っていた。……よく分からんが、その技名なのかなんなのかは一々言わなければならんのか? ぶっちゃけ聞いてるこっちも恥ずかしいんだが。


「釈迦に会ったら言っておきなよ、僕を殺すつもりなら運命程度では覆せない大いなる災厄を持って来いってね。ティータイムがてらに相手してやるからさ」


 カッコいいと思ってるんだろうなあ、俺はお前をカッコいいと思うくらいなら弁護士のピエールのファンになる。いや、絶対。
 痛々しい台詞とは裏腹に、地上に降りる瞬間、少年は真下に立つエセロボたちの一人を踵落としで沈黙させて、次いで右側に立つエセロボに闘牛の如き勢いで肩からぶつかり、廊下の奥にすっ飛ばす。残る一体に後ろから殴りかかられるが、その場でしゃがみこんだ後そのまま逆立ちの要領で空中に飛ばし、ソバットを叩き込む。
 この少年、頭はとことん悪そうだが……強い! この格闘技能、技の破壊力、加速機能に状況判断の的確さ。もしかしたら、中世の王妃以上の戦闘力かもしれない。……最初っからお前が出てたらこの工場楽に突破できたんじゃねえのかよ?


「あれよ、流石私が修理しただけのことはあるわね。納得の戦いぶりだわ」


「じゃああのウザイ性格もお前譲りという風に帰結するが、いいんだな? 吐いた唾は飲み込めないんだぞ」


「……保留にしとくわ」


 ルッカでもあの性格は嫌なんだな、分かるよ。ていうかああいう意味も無くでかい事言う奴が一番嫌いなはずなんだけどな、ルッカは。自分が直したってだけでそれほど愛されるのか、俺もロボットとして生まれてくれば良かった。そうすればもう少し優しく応対してくれるだろうに。


「ふふっ、これで終わりか……虚しいね、戦いは虚しい。強すぎる力はこういった弊害を生む。僕が心から高揚感を得る日は来るのかな? この純然たる魂を開放する日、それが世界を混沌の渦中に飲み込まれる時だと分かっていても、そう望んでしまうのは僕のような選ばれた者故のエゴなのか……」


 尋常じゃなくうっとうしいな、いいからさっさとこっちに来て事の説明をしろよこのなんちゃってボーカロイド。


「ああマスター。紹介が遅れたね。僕の名前は……いや、ロボで良いよ、遠い昔に僕は自分の名前を捨てた、そう、あの日の罪を掻き消すために……」


 こういうミステリアスな過去が人の厚みを増させるのさ、とか演技掛かった台詞を続かせて、ロボが遠くを見る眼でこちらを見る。あれだな、お前は前形態でも現形態でも俺に絡もうとしないな。


 説明を聞く前に一発どついたろ、と前に歩き出す。俺の拳がロボ(で良いんだよな?)に届く前に後ろからエセロボの腕が飛んで来てロボの頭にごづ、と嫌な音を立てて当たる。廊下の奥から仕留め損なったエセロボが腕を飛ばし攻撃したようだ。
 だが、それは脅威にはなりえない。先ほど拝見させてもらったロボの活躍を見た後では当然、何よりかろうじて起動しているだけのエセロボに何が出来るというのか? この糞ガキの戦闘力は53万です……やー、流石に地球破壊はできないだろうけどさ。


「…………ふ、」


「あん?」


「ふえええぇええぇえ!! 痛いよおー!!!」


「うぞぐふうっ!」


 振り向いてまた似合いもしないことを言いながら超スピードで走り出すかと思いきや、この糞ガキ俺の腹に猛スピードで飛び込んできやがった。これは凄い、お前アメフトにでも転向すれば? 俺の腹が受けた衝撃はルッカのボディーブローを超えるぜ? んで、その超加速無駄なことに使うなよ、お前のその技は誰がなんと言おうと皮肉を込めてロボタックルと命名してやる。


「ちょっと、どうしたのよロボ! ……クロノ、これどういうこと?」


「お、れ、が、きき、たい……!!」


 俺の腹に顔をうずめてごりごり押し込んでくるロボを少しでも遠ざけようと頭を両手で押さえて力を込めるが一向に離れる気配が無い。機械の力は世界一を実践するな、俺の腹相手に。


「痛いのやだあ!! 怖いよおおぉぉお!!」


「痛みに過度の恐怖を持っている、と解釈すればいいかしら?」


 役に立たない分析ありがとうルッカ。とりあえずこのガキの頭にプラズマガン撃ちこんでくれない? クロノのライフポイントはとっくに0だよ。


「くそ……ルッカ、とりあえず前にいるエセロボを倒すぞ……いや、悪い倒してくれ」


 俺に纏わり付くショタっ子が邪魔で何も出来そうにない。アンドロイドってもっとカッコいいものだと思っていたよ、映画の見過ぎだと言われようと、こんなキャラでそんなセンセーショナルな存在だなんて納得出来るか!


 各関節から火花を散らしながらもエセロボは果敢に戦ったが、ルッカの必殺技『近づいてハンマー』で完全に沈黙した。必殺技の名前なんぞこれくらいシンプルなのが良いんだよ。


 戦いが終わっても泣き喚くロボをルッカの頼みで俺が背中に背負って、さらには元ロボの残骸も持たされて、プロメテドームまで運ぶ。元ロボの残骸は当然のこと、このしゃっくりを繰り返してるガキだって体格が小さくても重たいんだぞ。ドラ○もんだって確か100キロくらいあったんだからな。いや、流石にロボが100キロの体重だったら俺に持ち上げることなんてできないけどさ。
 ……でもこいつは何で近くにいたルッカじゃなく俺に抱きついたんだ? いやルッカに抱きついてたら一刀両断の刑に処してたけどさ。俺に対して好印象は絶対持ってなかった筈なんだが……あれか? ツンデレという奴か?
 俺という超絶美男子に惚れたのなら、もしかしたらこいつはショタではなくロリなのかもしらんと背中を動かして胸を捜したが、やっぱり無い。男確定。……俺はロリコンでは無いが、ショタ好きの要素なんぞ毛ほども無いからな、そういった告白をかましてきたらこいつの首をねじ切ってくれる。


 これはまあ余談だが、後になってロボ本人に聞いてみると「僕が泣く? ははは、貴方は奴らのモルガナティックファオルダー。通称幻惑の堅牢により幻覚を見たんですよ、ああ、奴らについては聞かないでください。これはあくまで僕が背負うべき業で一般人の貴方には」
 ここで羞恥心の無い十代にすかさず水平チョップ。
「あ、あのね……僕男の子だから、女の人に頼ったらね、は、恥ずかしいからね、だ、だから……ふああん!! 痛いよお!!」
 まあ、見た目にふさわしい可愛い理由だった。ただその後俺の頭をスリーパーホールドをかけているかのように抱きかかえて泣くのは勘弁。それを見たマールが兄が死んでその亡骸を持ち嘆いている少年の絵に見えたと教えてくれた。悪くない興行収入が得られそうだな、その設定なら。






 プロメテドームまでの道中で血を吐き、ルッカはその心配をせずにスイスイ先を歩くというショッキングな出来事があったが、生きてマールの笑顔を見ることが出来た。血を吐いた理由はロボタックルにより肋骨が折れ肺に刺さったことが原因だった。工場内で負った怪我の類は全てロボによるものだった。仲間ってなんですか? 共闘するってどういう事ですか? 家に帰ったら辞書を引いてみよう、きっとこの謎が解けるはずなんだから。
 俺の背中にいるロボを見て驚いたマールが「まさか……クロノが攻めなの!? ……うん、まあ贅沢は言えないよね。良いよ、クロノ」と苦渋の顔で何かしらを許可してくれたが、やっぱり俺に仲間はいない気がする。だってこいつら俺の心に黒髭危機一髪のようにナイフをドスドス刺してくるんだよ? 弱っている時なんかハイエナの如く。


「……それで、さっさと説明しろよ。何でお前はこのロボットに入ってたんだ?」


「良いよ、まあ少し難解ではあるけれどね。まずは僕の過去から話そうか、そもそも僕はとある領主の子供だったんだ。けれどある日大帝ルシフェルが闇の深淵から屈強なヘルビジニア、通称霧の驟雨大隊を引き連れて」


「知ってるか? 俺子供の耳を引きちぎるのが得意なんだ」


「……僕はこの世界でも希少な人間とほぼ同じ感情を持つアンドロイドというロボットなんだ。僕を含めて二体しか現存しない。だから盗賊なんかから僕自身を隠し、守るためにそのボディに入ってたんだよ、だからちぎらないで?」


「なるほどね、まあその辺は工場でも聞いたわ。それで、その機械から出てきた途端貴方の言動や能力が一変したのにはどんな理由があるのかしら?」


「マスター、僕の能力が増加した理由。それはもう知ってるはずだよ? 僕という器に秘められた大いなる力を抑えるため、とね。僕の性格が変わったことについては僕の創造主たるデウス・エクス・マキナが僕の存在を恐れ破動の力を用いて僕という個を消し去ろうと」


「知ってるか? 俺子供の腹に蹴りをかますのが趣味なんだ」


「……僕の能力が増したのはあくまでそのボディは防御用で、速度や攻撃面はあまり重要視されてなかったからなんだ。その点僕は攻撃面速度面を重視された型だから、それを脱ぎ捨てれば防御力は下がるけど、他の面では跳ね上がる。性格が変わるのは僕を作った人が『お前の性格がウザイ』って言って、そのボディに性格矯正機能をつけてたからなんだよ、結構無茶な機能だから、状況把握能力なんかが極端に下がっちゃうのが難点なんだ。だからお腹叩かないで、ポンポン痛いのやだ……」


 常にそういう風に臆病なら俺としても優しくしてやらんではないのに、なんですぐ調子に乗るかなこいつは。それと、言うまでもないが俺にそんな特技や趣味は無い。だから引かないで下さいルッカ。そしてしおらしいロボを見て萌え萌え言うのは止めて下さいマール、どこぞのカエルを思い出すので。


 戦闘中以外は比較的まともだった前ロボに戻すため、ルッカはロボが着ていた(この表現が正しいかは分からないが)壊れたボディを現代に持って帰ることにした。今は道具が足りず修理するには心許ないので、実家に帰り本格的に取り掛かるらしい。


 さて現代に帰るかと仕度を終えて開けたドアの中にあるゲートに入ろうとすると、ロボが俺のズボンを掴んでいた。……やめて、何度も言うけど、俺にその気は無いから、上目遣い止めて、お前見た目だけは凄い可愛く見えるんだから。


「僕は……どうすればいいでしょうか……?」


「……お前の好きなように生きろよ、やりたいこととか無いのか? あればそれに向かって突き進めばいいさ」


「……僕は、できれば皆さんと一緒に行きたいです。皆さんのやることが人間、この星の生命を何処に導いていくのか見届けたい……後一人でいるのはつまらないし、寂しいです……」


 嫌だ御免だ勘弁だいいから離せテメエはこの世界のロボットなんだからこれ以上俺に関わるなぶっちゃけお前と話してると腹が立つし時に危機感を覚えるほらさっさと離せ!
 俺の長い長い罵声を聞いてロボが何か言う前にマールが俺の背中に肘鉄、左頬に裏拳、それは見事なミドルキックという三連動作を流して「一人は寂しいもんね! 一緒に行こう!」とさわやかに言い切ってました。ああそうだよな、念願の半ズボンが似合いそうな男の子だもんな。ホモが嫌いな女の子なんていません! ってどこかの教科書に書かれてるもんな。釘刺しとくけどな、クロノ×ロボなんて永久にこないからなクソが。


 マールの誘いを聞いて物凄く嬉しそうに顔を輝かせた後「僕という世界に抑止力をもたらす存在が時を越える、か。この顛末がいかなる結果を歴史に刻むのか。皆さん安心して下さい、僕達に敵意を向ける生物は全て物言わぬ屍となり自然に還ることでしょう……」とこき出したロボが果てしなくウザイ。どうなのかねこういう自分の空気しか生産しない奴って。


 様々な障害や喜劇に悲劇、まっっったく仲間と思いたくないアンドロイドを連れて、俺たちは未来と別れを告げた。中世といい未来といい、なんでもっと良い気分で別れられないのか、そう思うのは俺だけなのか?










 星は夢を見る必要は無い
 第十一話 魔法特性は自分で選びたかった














 ゲートの闇を抜けて、目を開けばそこは俺たちの予想していた太陽の光はなく、かといって未来のように空気が荒れてはいないし、耳を不快にさせる風切り音も無い。石畳の上に寝ていた体を起こして体に付いた微小な砂を払って立ち上がる。俺たちが倒れていた近くに細長い柱があり、その上に電球がついていて、そこから心許ない光が灯っているが、辺りを見回すにはあまりに弱い光源。近くの暗がりに何か恐ろしい魔物が潜んでいるのではと思い、メンバーに緊張を強いさせる。部屋の中央には幾筋の淡い光の柱が床から伸び、その存在感を知らしめている。光が出ている原理はルッカやロボでも解析できず、またこの場所がどういう場所なのかも分からずじまいだった。


「ここは……まさか、エインギルモアの」


「ロボ黙れ、これ以上喋るならパソコンにインストールするぞ」


 自分でも意味の分からない脅しだったが、ロボの妄言を黙らせることに成功した。ただでさえ状況が分からず混乱してるんだ、そこに訳の分からん具材を入れてさらに引っ掻き回すのはやめろ。


「ねえクロノ、あっちにも道があるよ? ……それに、人の気配も」


 マールの指差した方向に暗くて分かりづらいが細長い道があることを確認した。人の気配? 俺には分からんが……半分王女半分野獣のマールが言うなら間違いないだろう。ホント、常識人が俺しかいない。


 細長い道を進み、西部劇に出てきそうなボロボロのドアを開けると、街灯にもたれながら鼻ちょうちんを出している老人の姿があった。全身黒一色、ダッフルコートに身を包み帽子を顔の上半分を隠すほどに深く被った姿はまあ、控えめに見ても変質者だった。


「スルーしようか、あれは多分近づいたらコートを脱いで恥部を見せ付けるタイプの変態だ。露出狂ってやつだな。気をつけろよマール、お前なんか狙われそうな外見なんだから。ロボも気をつけたほうが良い、むしろ男の娘の方が良いなんて奇特な奴もいるんだから。ルッカはやられたら滅殺のカウンター魂がデフォルトだからあえて注意もしない」


「おーい」


 今まで寝ていた老人が俺の的確なアドバイスを聞いて左手を俺に伸ばして手首を曲げた、分かりやすい突っ込みの構えを取っていた。なんか、シュール。


「お前さんたち、というかそこの赤毛の御仁は大層な言い方をなさるのお……」


 しょうがないだろう、根が正直なんだ。俺の長所は嘘をつかない、短所は嘘をつけない。


「あの……ここは?」


 おずおずと後ろからルッカが老人に話しかける。こらこら、あんまり近づくと襲い掛かってきますよ? 猿山の猿みたいに。


「ここは時の最果て……時間の迷い子が行き着く所さ……お前さんたち、どっから来なすった?」


「私たち……こっちの赤毛と金髪の女の子、そして私が王国暦1000年から来たんです」


「僕はA.D.2300年の世界からゲートで顕在したという訳さ」


 ルッカとロボが老人の質問に答え、老人はそれを聞いて小さく首を縦に振り得心をえたという顔を見せる。いや、よく見えないけれども。


「違う時間を生きるものが、4人以上で時空の歪みに入ると、時限の力場が捻れてしまう……しかし、この所、時空の歪みが多くてな。お前さんたちのようにフラリとここへ現れる者もいる……何かが時間全体に影響を及ぼしているのかも知れんな……」


「って事は、誰か一人ここに残ったほうが安全ってことね」


 ルッカが老人の話を引き継ぐが、俺は何が『って事は』なのか分からん。量子力学は苦手だ。シュレディンガーの猫だとかなんとかさっぱりだ。


「ええ、こんな所で置いてけぼりなのー?」


「こんな所は酷いな……何、心配いらんよ。ここは全ての時に通じている……お前さんがたが願えばいつでも仲間を呼び出せる。だが時の旅は不安定じゃ。常に三人で行動することじゃ」


 じいさん、多分マールはこの場所が薄気味悪いから嫌がってるんじゃなくて、あんたみたいな得体の知れない人間と二人きりになるのが嫌なんだと思う。ちゅーか、自己紹介してもいいんじゃないか? そこまで親切に色々教えてくれるんならさ。


「じゃあ、誰か残らないと駄目だね」


「誰が残る? クロノ。私を残すつもりなら別に良いわよ? それはそれであんたの意思だしまあこんな所に私を残す気ならまあ特に思う事は無いけれどそうなるとマールやロボみたいな過ちを犯しやすそうなメンバーで行くことになるからまあねー私としてもそういった危険を無くすためにもあんたの×××を潰すのはやぶさかではないというか……で、どうするの?」


「よーし、ルッカは連れて行こうか。頼りになるし、俺の相棒だからね」


「……ルッカずるい、クロノの臆病者……」


 なんと言われようが一向に構わん。俺は俺の道を行くのだ。俺の大切な肉体を潰させるわけにはいかん。TSとやらが流行っていようと俺自身でそれを体現したくないし、そんな乱暴な性転換聞いたことねえ。


 まあ順当に行って残りの一人はマールを仲間に入れるべきかと発言したらロボがまたぐずりだした。おまえもうどっちかのキャラにしてくれないか? 苛々が百倍になってパーティーの主役になれそうだ。
 結局とりあえずは俺、ルッカ、ロボのパーティーメンバーになり、マールがすねるという事態になった。仕方ないだろう、ロボが万力の握力で俺の手首を握りつぶそうとするんだから。
 まあ、現代に帰った後早急にコイツのボディを直して装着させるためにもこのメンバーは妥当といえるかもしれない。


「決まったか。Yボタンでわしを呼び出せばいつでもここに残った仲間とメンバーチェンジが」


「じじい、Yボタンって何だよ」


「……仕方ないのお、こいつを持っておくが良い」


 じいさんは小さなマイクのような機械を手渡し、そこに喋りかければわしと繋がっているのでメンバーチェンジをさせてやろうとのことだった。
 ……まだ理解できない。何処の時代のどんな場所でも仲間を送り届けてくれるのか? そう聞いてみると「いつでもというわけではない。そう度々メンバーの入れ替えをされるとわしの魔力が尽きてしまう。戦闘中も止めておいたほうがいい。激しく動かれている状態では時代間の転送は不可能じゃし、転送された側も一定の時間帯硬直状態になってしまう。安全が確保された状況のみ活用することじゃ……」との事。……魔力?


「私たちの時代に戻るにはどうすればいいの?」


 俺が質問する前にマールがじいさんに話しかけた。まあ、老人の戯言だろうから別にいいんだけどさ。


「お前さんたちがやってきた場所に光の柱があるじゃろう? あれはあちこちの次元の歪みとここ、時の最果てを繋ぐものじゃ。一度通った事のあるゲートからはいつでもここに来られるじゃろう。光に重なり念じればゲートに戻れる……じゃが、そこのバケツから繋がるゲートには気をつけるんじゃな……」


 じいさんが指差す方向には奇妙な光を底から溢れさせている古ぼけたバケツがぽつ、と置かれていた。


「そこはA.D.1999……『ラヴォスの日』と言われる時へ繋がっとる……世界の滅ぶ姿が見たいなら行ってみるのもいいが……お前さんたちまで滅びちまうかもしんぞ」


 そんな悪趣味なもん誰が見たいか! 自傷癖どころの騒ぎではない。M? Mというのは自分を傷つける存在が同じ人間であるから生まれる特殊な……どうでもいい。


 じいさんの話を聞いた後に光の柱に向かおうとすればまたじいさんが俺たちを呼び戻す。一回で言いたいことは言えよ。二度手間三度手間をかけさせる人間は職場で嫌われるんだぞ。
 そう急がずに奥の扉に入ってはどうだとじいさんが勧めてきたが、「面倒くさえ」の一言でまた光の柱に戻ろうとする。すると今まで動かずを貫いていたじいさんが恐ろしい瞬発力で俺に飛び掛りジャーマンスープレックスをかまして定位置に戻った。頚骨が折れたら歩けなくなるんだぞ? その危険性を知った上での行為というならば俺も刃物を出さざるを得ない。
 顔を真っ赤にして怒る俺を抑えてルッカとロボが俺を奥の扉まで引っ張っていく。これでつまらなかったらどうなるか覚えてろ。
 中に入ると白い毛むくじゃらの生き物が「なんだおめーら? 俺か? 俺はスペッキオ。獣の神! こっから色んな時代の戦見てる!」と聞いてもいないことを朗々と語りだす。その上自分のことを強そうに見えるか? と聞いてきたので「鼻くそレベル」と返してやれば「そうか、俺の強さお前の強さ。つまりお前鼻くそレベル。ダサイ」と答えてきた。どうですかねこの会話。おかしいよね。
 スペッキオとしばらく口げんかをしていると、スペッキオが「ん、お前らも心の力を持ってる」とか言い出した。あれ、こいつロボと同じ病気? ああ変なものに絡まれたなあと溜息をついた。
 それから魔法が使いたいと念じながらこの部屋を三周走れとかスポーツのコーチみたいな命令を俺たちに下し、やる気無しにその命令をこなした。俺だけ三回やり直せと言われた。まっすぐ行ってぶっ飛ばす。ストレートでぶっ飛ばす……


「よーし! そっちのツンツンの鳥頭は微妙だけど、お前ら良く出来た! よくやった!」


 ……腹へって機嫌が悪いときに、この毛むくじゃらの狸が……言うに事欠いて鳥頭? ふざけんな! これは別にワックスとか使って髪が尖ってるんじゃねえ! 天然なんだよ畜生!


「ハニャハラヘッタミターイ!」


 それが魔法なら俺でもホグワーツで主席を取れそうなしょうもない魔法? の言葉を高らかに叫びスペッキオがいい顔をしていた。何もやりきってねえよ、と馬鹿にしていたのだが……


「……!? 体から、電流が流れてくる!!」


「わ、私も、右手から炎が……!」


「……僕は?」


 俺とルッカに異変が起こる。俺の体の周りに電撃が走り、俺の意思で自由自在に動き出す。その電撃は俺の体に触れても一切俺を蝕まず、戯れるように宙を舞う。
ルッカは左手から轟々とした火が溢れ出し、部屋の中に熱気を作り出していた。勿論、服や体を燃やすことなく、神話の炎の神のように左手を動かし炎を操っていた。
 ロボはきょとんとして自分の体を眺めていた。


「魔法は天、冥、火、水の四つの力で成り立ってる。ツンツン頭は天。こっちのメガネのねーちゃんは見たとおりの火の力。てな具合に魔法だけでなく全てのバランスはこの四つで成り立ってる」


 それからスペッキオの話が始まり、それによるとずっと昔、魔法が栄えた国があり、そこでは全ての人々が魔法を使えたそうだ。しかし、魔法に溺れ滅びた今では、魔族以外に魔法を使える者はいなくなったそうだ。最後に、魔法は心の強さ、それをスペッキオは念入りに教えてくれた。
 ちなみに人間ではないロボは魔法の力を使えなかった。悔しいだろうな、ロボみたいな中二が魔法を一人だけ使えないなんて。むしろ自分だけは使えるはずなんて思ってたに違いない。その幻想をぶっ壊す。
「まあ、僕だけ使えないというのもまた選ばれた素質ゆえの物ですからね、きっと天地魔界の創立者達が僕の力に妬んだんですよ」と口では強がっていたが、ずっと肩が震えていた。ほんのり可哀想だと思った。
 とはいえ、ロボのエンシェント……回転レーザーは冥に似た力を持つとの事で、決して悲観したものではないとスペッキオにフォローを告げられる。まあ、俺がロボに何か言えることがあるとしたら、ざまあ。


 その後マールを連れて来てみると、マールは水、それも氷寄りの力を持っていた。ほらほらロボ、後でチョコレートあげるから俺の背中にすがりつくのは止めなさい。
 一度俺、ルッカ、マールでスペッキオと戦ってみたが結果はボロ負け。まだ自分の能力を操りきれない俺たちでは自在に全ての属性を操るスペッキオに歯が立たなかった。悔しいのは悔しいが、新しい自分の力を得たことに対する喜びが勝り、怪我の痛みも忘れるほどだった。ただ、俺の力、天だが、天は雷を操る力が主らしく、相手に雷を落とすというのが最も簡単な技だと分かったのだが、どうにも敵に落ちず俺に当たることが多い。別にダメージは無いんだが、かっこ悪いことこの上ない。何度隣でスペッキオと戦うマールやルッカに笑われたことか。スペッキオには指を指されて爆笑された。唯一俺を慰めて「格好良かったですよ」と言ってくれたのはロボだけだった。ごめん、お前の事ウザイとか言って。時の最果てでロボが俺のフラグを立てた。後好感度150以上で俺とロボの濡れ場が発生する。


 部屋を出る際にスペッキオがまた新しい仲間が出来れば連れて来いと告げる。出来れば、ね。
 外に出た俺たちにじいさんが「ほれ、わしの言うことに間違いは無い」と自慢げに言う。そういうことを言わなければ普通に感謝できるのにな、そんな性格だよあんた。
 じいさんはとりあえず自分たちの時代に帰ってみては? という助言と何か分からんことがあれば力になると頼もしいのかどうか境界線なじいさんに言われてしまった。まあ、たまには寄ってみてもいいか。


 短い間ではあったが、俺たちは時の最果てを後にすることにした。
 光の柱に触れると、頭の中でA.D.1000年『メディーナ村』と浮かぶ。自分の思考以外が浮かぶって、妙な感覚だな。
 他の光の柱にも触れるが、現代に帰れそうな所はこのメディーナ村という所しかない。聞いたことが無い場所だが、時代が同じならなんとかなるだろうと光の中に飛び込むことにした。




 次に眼を覚ませば、目の前で懐かしの青色丸と緑色丸が驚愕の表情を浮かべて俺たちを見ていた。
 後ろを見て、俺たちが出てきたところを確認すると、どうやら俺たちはこのモンスター達の家の中、それもタンスの中から出てきたようだ。そんな状況で驚かないわけは無いわな……おや? この嗅覚を甘く刺激する匂いは……?


「たたた食べ物だぁああぁあ!!」


 モンスター二匹が囲んでいるテーブルの上に果物ケーキ何より肉! が所狭しと並んでいる。パーティーでもするつもりだったのか知らんが、とにかく食べる、後でこのモンスターたちに襲い掛かられようが知ったことか。今俺が捉えるは己が体を動かすエネルギーの塊のみ!


「ルッカ! それは俺の狙っていたバナナだ! 汚え手で触れるんじゃねえ!」


「あんたはそこのキウイを食べれば良いでしょうが! 私だってあんたを助けようとした日から朝ごはんも食べてないのよ!」


 俺が食事を始めて数瞬後、ルッカが俺の食卓に入り込み俺の食べ物を蹂躙してくる。止めろ! 俺は愛しているんだ、その果物を! その野菜を! そして肉を!
このまま二人で食べていればどちらも満腹になれないのは必至。俺はルッカに勝負を挑むことにした。


「ルッカ、今すぐ俺と決闘しろ! 俺が勝てばお前はこの食事に手を出さずひもじそうに外で指を咥えていろ!」


 俺の発言に食事を止め、レモンソースを口端に付けたままニヤリと笑みを浮かべた。いいね、そこで乗らない奴はルッカじゃねえ。


「いいわよ、私が勝てば私以外のメスに近づかず話しかけずを一生貫いてもらうわ。そして貴方は私と一緒の墓に……」


「重たいな、一生かよ。それに一緒の墓? 心中しようってことか? やっぱり重たいな。つくづくお前の発想は怖い」


 覚えたての魔法を俺に使うのは良くないぞー? と思っている俺はただいま絶賛炎上中。気分は原作オペラ座の怪人。




 正気を取り戻した俺たちはモンスターたちに警戒態勢をとるが、青色丸の「お腹が空いてるなら、まだたくさんありますし、一緒に食事でもどうですか」の一言で世界は分かり合えると知った。
 蛇足だが、黒焦げの俺を治療してくれたのはロボのエンジェルストラブト……もうケアルビームでいいや、であった。この胸に飛来するときめきはもしかしなくとも恋だろうか?


 青色丸と緑色丸の話を聞くに、ここメディーナ村は400年前、つまり中世の時代人間との戦いに敗れたモンスターたちの末裔が集まる小さな村だとのこと。いきなり襲い掛かったりあからさまな蔑視の眼で見てくる者がほとんどだろうとも教えてくれた。西の山の洞窟の近くに住む変わり者の爺さんを訪ねれば良い、きっと力になってくれると最後を締めて俺たちを送り出してくれた。いきなり現れていきなり食事を平らげたのにここまで親切にしてくれるとは、人間なんかよりよっぽど人が出来てる。いつかこの旅が終わればここに住まわせてくれないだろうか? ……どうせルッカが追いかけてきて終わりか。まいったねどうも。


「教えてくれたのは嬉しいけど、何で私達にそんなことを……?」


 ルッカが不思議そうに、そして訝しげに眉を歪めて二人に問う。当然か、俺もここまで丁寧に教えてくれればなにがしかの罠があると見てしまう。すると緑色丸が肩をすくめて一言「信用されないのは当然だろうが……」と前置きする。


「人間と魔族が戦ったのは400年も昔の事だ。いつまでも過去にとらわれていても仕方が無い。まあ、私達のような考えを持った魔族はほとんどいないが……それでも、我々魔族全てが人間を殺そうと考えているわけではない。どこかで禍根を断たねば、憎しみは消えないのだよ」


 緑色丸の言葉には、言外に人間への憎しみは消えたわけではないと告げている。ただ、いつかは拳固にされたその拳を解かねば終わらないのだと考えている。それはただ許すということよりも辛く、誇りあるものなのではないだろうか。
 ちょっと含蓄のあることを思っていると横でロボが「言ってみたいな……ロボ台詞集に入れておこう」とメモとペンを取り出しペンの先を舐めていた。取り上げるしかあるまい。
 ちょっとした騒動が起こったが、俺たちはその家を後にして二人の言う爺さんの家に向かった。最近爺さんに縁があるよなあ。ヤクラといい大臣といいドンといい最果てのじじいといい。





「おお! 訪ねてきおったか。ワシの自慢のコレクションでも見て行くと良い」


 青色丸たちの家を出て西の山の麓にある家に入ると、どこかで見たような顔の爺さんが馴れ馴れしく声をかけてくる。ごめんなさい、俺初対面とか凄い苦手なんで。合コンとかでも女の子達にトイレで「右端に座ってる赤毛の男、なんか暗いよね」とか言われるくらいなんで、いきなり手とか握らないで、男とフラグが立っても嬉しくないし。ロボ? あいつは男の娘だから良いんだよ。


「おや? わしの顔を覚えとらんか? ほれ、リーネの祭りで会ったじゃろうが」


「……ああ! マールのペンダントを見せてくれとか言いながら胸の谷間を覗き込んでた爺さんかあんた。確か名前はボッシュだったか?」


「うわ、最低ねこのジジイ……」


 俺の発言にルッカが胸を両手で押さえて後ずさる。おいおいお前は谷間が出来るほど無いだろう? パット入れてるくせに、と茶化したら壁に掛けてあった大剣を振り回して俺を二分割しようとしてきた。それ、ドラゴン殺しって銘が彫られてるんだけどさ、良く振り回せんね。ガチでお前剣士に転向しろよ。


「全く下らんことを覚えておるのう……そこのお嬢ちゃんもその辺で止めときなさい。あんたもあのポニーテールのお嬢さんには負けるが良い尻をしとる。安産型じゃな。胸はみそっかすじゃが」


 俺とボッシュが最後に聞いた言葉は「斬刑に処す」だった。その後はご存知ロボ君大活躍。やっぱりヒロインはお前のようだ。今度モロッコに連れて行ってやろう。


「そうじゃ、ワシの作った武器でも買ってゆかんか? 安くしとくぞ」


 頭からだくだくとピナツボ火山みたく血を吹き出させながら笑顔を崩さないボッシュは男っちゃあ男である。ただルッカの20ゴールドで全部売りなさいという恐喝には汗を流していたが。
 商売人の意地なのか、顎にナイフをぺたぺた擦り付けられても値下げはしなかった。あのさあルッカ、ロボが怖がってるから。マスターであるお前にレーザー撃とうとしてるから。その辺にしたげて? それ以上すると俺はお前を警察に突き出さなくちゃならんくなる。
 結局武器の類は買わずポーションを五つほど購入することにした。ボッシュの作った武器とやらは手にすることが出来なかったが、一つの生命には変えられない。「武器はな……生命をうばうための物ではないぞ。生かすための物であるべきじゃ」と言うボッシュの言が命乞いにしか聞こえず哀れだった。
 家を出る前に「そうじゃ、おぬし達。トルース町に帰りたいのであれば、この家の北にある山の洞窟を抜けて行くが良い」と教えてくれたのには感謝だ。俺なら絶対教えないね、家の中を滅茶苦茶にしたあげく脅してくるような奴らに。


 驚いたのは西の山に向かう途中でルッカが急に座り込み「胸、小さくないもん……平均だもん」と泣き出したこと。どうやら現代の大臣といい今回といいかなり気にしていたらしい。俺がマジ泣きだと気づかず「いや、平均以下だと思うぜ? それでパット入れてるならさ」と突き放したことも相まって号泣してしまった。 後ろから睨みつけるロボの視線が痛いわ怖いわレーザーの稼動音が聞こえてくるわで俺も泣きたくなった。
 俺が「胸なんかでルッカの魅力は変わらないよ、むしろそんなことを気にする男の方が器が小さいんだから。少なくとも俺は気にしない」と出来るだけ優しく諭してあげる。まあ、本音は巨乳が好きなんですけども。大概の奴は巨乳の方が良いと思うけども。
 ルッカが赤い目で「ほんとに?」と聞いてきたときには思わず「全てはフェイク!」と言い放ちたかったがロボの右手が赤く光っているので「勿論さ!」と答えておいた。言いたいことも言えないこんな世の中。
 機嫌が直ったルッカは山道にもかかわらずスキップで先を進みだした。俺を追い抜く折にロボが俺の肩を叩いて「男は女の涙を止めるために生きている……分かってるじゃないですか、クロノさん」としたり顔でサムズアップを見せてきたのにはちょっとイラりと来た。今までお世話になったのでまあ、今回は目を瞑ろうか。


 しばらく歩くと山道に看板が立ち、その後ろに雑草が生い茂っていて中を覗きこみ辛い洞窟がひっそりと存在していた。看板にはヘケランの巣と記されていた。これがボッシュの言っていた洞窟で間違いないだろう。


「ヘケラン? 僕の内臓コンピューターで登録されている名前には該当するものはありませんね」


「そりゃあロボは未来のアンドロイドだし、現代ではその機能あまり役に立たないかもよ? 現代のみに生息した生き物、もしくは地名ならお手上げでしょう?」


「確かに……まあどんな障害であれ、僕の前では塵芥程の困難にも成り得ませんが」


「おーい、馬鹿なことやってないで先に行こうぜ? あんまり長い間家を留守にしてるから母さんが心配してると思うんだ。早く帰って顔を見せてやりたい」


「大丈夫よ、ジナさんならあんたが刑務所に入れられたって聞いたときにも笑ってビールを吹き出してたから」


「? ジナさんとは?」


「覚えとけよロボ。ジナという名前の人間はお前の最優先抹殺対象だ」


 心温まる会話を経て俺たちはヘケランの巣に足を踏み入れた。あのババア、マジで脳天叩き割ってやる……






 洞窟内部は水源か海に繋がる場所があるのか、水の流れる音が遠くから聞こえる。その為空気が湿って、床にはコケやキノコが生えて、天井から水滴が滴り落ちてくる。全体的に青みがかった石の壁は清涼感というよりも冷たい印象を与える。床に流れる数センチ程度の水の流れ付近には小さな水草が点在し、その形は苦痛から逃れるように捩れて、見る者に不安をもたらせる。


「なんだか居心地の悪い場所だな……」


「それに肌寒いわ、外の気温とは大違いね」


 俺もそうだが、半袖のルッカが二の腕を擦り体を震わせる。何も言わずに俺は青い上着を脱いでルッカに手渡した。フェミニストクロノ、此処に在り。


「ありがとうクロノ、でもごめんあんたの服汗臭い」


「人の優しさ及び純情をボロ布のようにしてくれてどうもありがとう。とっとと返せ!」


 こいつは人の心を何のためらいも無く傷つける。それを悪いことと思ってない辺りが凄いよ、ちょっと尊敬するよ。むしろ畏怖の念に到達するね。
 ルッカの握る服を取り返そうと腕を伸ばせばルッカが「良いの、クロノの汗が付いてるなら、それはそれでいいの……」と拒否する。なんだ? 道中臭い臭いと言って俺をさらに傷つける魂胆か。こいつのサドっぷりには頭が上がらないよ。
 そのまま俺は白い肌着一枚で薄ら寒い洞窟を練り歩くこととなった。ロボが暖めてあげましょうか? と服を脱ごうとしたので慌てて止めさせる。今の傷心状態でそんなことされたら本格的に落ちてしまう。そして堕ちてしまう。あくまでプラトニックにいこう。


 ヘケランの巣を歩いていると、物陰から突然現れたモンスターたちが「魔族の敵に死を!」と叫びながら襲い掛かってくる事がよくよくあった。最初は焦った俺たちだが、進化系ロボの格闘能力に強力なレーザー。俺とルッカの新しく得た魔法という力の前では特に苦戦することも無く先に進むことが出来た。特に、ルッカの新しい技、ファイアはこの洞窟内で恐ろしいほどの力を発揮した。数匹のモンスターもその業火に為す術も無く倒れて炭となる。俺の天の力、相手の頭上に雷を落とすサンダーは全く当たらないが、雷鳴剣に電撃を流し込みさらに電力を増させるという試みが成功してその切れ味は今までの剣とは比較にならないものとなった。カブト虫のような外見の甲殻虫はロボの回転レーザーで硬い外殻ごと焼き切って一掃する。……もしかしたら、俺たち最強なんじゃないか? この洞窟に入ってからそれなりに戦闘をこなしたが、誰一人怪我をすることなく先に進んでいる。
 戦闘をある程度続けていたら気づいたのだが、魔法の力、つまり心の力は使えば使うほど強力になるようだ。その変化は一度の使用では微々たる物だが、俺もルッカも使い続けていくうちに炎や電撃の量が増えたり、変化のバリエーションが増えたりなど、確かな進化を遂げていた。これはマールも積極的に戦闘に参加させたほうが良いかもしれない。難点は魔法を使うたびにロボが俺やルッカを睨むことか。


「魔法ね……覚えるまでは半信半疑な能力だったけど、使いこなせれば役に立つどころじゃないわね……これなら本当に私達が未来を救えるかも……」


「流石ですねマスター。本当、気持ちいいんでしょうねそういう不思議な力が使えるって。ケッ!」


「もうすねないでよロボ、あんただって十分凄い力を持ってるんだから」


 この通りだ。ちょっと悪いなーとは思うが、戦闘の度にへそを曲げられてはスムーズに行く旅も鈍重なものとなる。やっぱりある程度役に立たないとは言ってもロボボディは必須だな、なんなら戦闘中だけあのボディを脱ぐという方法を取ってもいいんだし。


 旅を続ける上での問題点や変化を確認しているうちに、俺たちは今までに無い広い空間に出た。先を見るにどうも行き止まりのようだが、今までの道のりで他に奥に進める道は無かった。まさかボッシュの爺さん、耄碌して勘違いした情報を俺たちに流したんじゃないだろうな……


「……奥の湖に飛び込めば水流に乗って海に出られるようですね……多分あそこに入るのが正解なんじゃないですか?」


 ロボが目玉を光らせてこの部屋の構造を解析する。こいつの利便性は計り知れない、次はこいつとマールで旅に出ることにしよう。穏やかで快適な旅が出来そうだ。


「湖に入って海に出る? ……ロボを疑うわけじゃないけど、何か信じられないわね……」


「でも他に行くところもないんだ、腹を括るしかないだろ?」


 立ち止まるルッカの背を押して、ロボの言う湖とやらに近づいてみる。覗き込んでみると小さな渦が水面に浮かび上がり、波がかんなで削れて行くように重なり合って流れている。海に通じているというのは間違いなさそうだ。
 俺は後ろを向いてルッカたちに先に飛び込むぞと声を掛ける……が、二人は青い顔をして少しずつ俺から離れていく。何だよ、レディファーストも守れないのかっていうタイプの引きか? 別にいいじゃねえか誰が先でもさ。


「クロノ……後ろ」


「志村なんかいねえよ」


「違くて! 水! 水の中からほら!」


 必死な形相で俺の後ろに指を向けるルッカと、何で気づかないのこの人という顔で戦闘準備に入るロボ。何だよ俺一人分かってないのか? 身内ネタで盛り上がってるところ知らない名前の子の話題だからついていけず愛想笑いを浮かべている状況に酷似している。


「あー……しくった、今日はボウズだわ。魚一匹も捕まえられねえ……」


「え?」


 後ろから野太い声が聞こえたので振り向くと、今俺が飛び込もうとしていた海に繋がる湖から体中に刺が付いた大きな青色のモンスターが這い出てきた。


「……え? 人間? ……ちょ! ちょっと待ってこういう時のために台詞を用意してあるんだ!」


 モンスターは両手を前に出して何事かブツブツ言いながら頭をポンポン叩いていた。凄いビビったけど、なんだかほんわかさせるモンスターだなあ。
 俺たちはモンスターから距離をとり、各々の得物を取り出す。魔力はまだ残ってる、ルッカもまだまだ戦えそうだし、ロボのエネルギーも充分。どうもこの洞窟の主のようだが、今の俺たちなら負けることは無いだろう。


「あ、そうだ。魔族の敵に死を!」


 ……思い出すほどの台詞かよ。




 先手はモンスター。口から大きな泡を吐き出し俺たちに向けて放つ。そのスピードの遅さに気を抜いた俺が無視してモンスターに攻撃を仕掛けようと走り出す。その瞬間ロボが「危ない!」と俺の飛び出しを阻止して岩陰に引っ張る。走り出していればちょうど俺が近くにいただろうという位置で泡が弾けとんだ。空気の表面を囲っていた水が飛び散り、その水滴はまさに弾丸。地面に転がる石や岩を穿ち、散弾銃のような破壊力を見せ付けた。


「あ、危ねえ! 助かったぜロボ」


「泡の内部に高密度の空気が確認できましたから、流石魔族ですね、並の威力の魔法じゃないです」


 ロボが戦闘中なのにおかしな言動をしない。これはつまり、相当やばい敵だということか? 俺以上に力量のあるロボだからこそ分かる青トカゲの力……爬虫類恐るべしっ! ……あ、もしかしなくてもあいつがヘケランなのか? ……多分そうだろ、ていうかアイツ以外にこの洞窟の主がいるとは思いたくない。


 俺とロボが隠れている間にルッカがヘケランの側面からファイアを唱える。これまでの敵を触れただけで燃やし尽くしたファイアをヘケランは雄たけび一つで掻き消し、目に映ったルッカにその鋭く尖った爪を迫らせる。
 その腕に向けてロボがレーザーを収束して打ち出し軌道を変えてルッカがその隙にヘケランの背後に回りもう一度ファイア。背中に直撃を貰ったヘケランは一瞬その巨体をぐらつかせたが、すぐに体勢を戻し離れた場所にいるルッカに掌を向けた。


「ネレイダスサイクロン!」


 ヘケランが魔法を唱えると、ルッカの立つ地面から水が噴出して意思を持っているかのように水が体を締め付ける。ルッカはその体を捻らされて体から血飛沫が舞い上がる。傷ついていくルッカの姿に目の前が赤くなるが、ロボが俺に目配せをした後先に飛び出してルッカにケアルビームを当てる。優しい光に照らされてルッカの傷は癒えていく。
 その隙を狙いヘケランが右腕を振りかぶり二人を引き裂こうとするが、ロボに少し遅れて飛び出した俺の刀が巨椀を止める。これ以上やらせるかっ!
 雷鳴剣に迸る電流を嫌がりヘケランは俺の刀を力任せに弾いて後ろに飛ぶ。ルッカの治療も終わり、立ち上がってプラズマガンをヘケランに構えている。ロボがいて助かった。ルッカが倒れて俺の頭に血が上った状態で勝てる相手じゃない。戦闘において治療役は重要なキーパーソンだと理解した。


「厳しいな……俺たちの魔法は効かないわけじゃねえんだろうけど、あいつの魔法は一度食らえばロボの治療が無ければ戦闘不能。バランス悪いぜ」


「僕のエネルギーも無限じゃありません……そう何度も治療は出来ませんよ……?」


「あの大きな泡はともかく、ネレイダスサイクロンとやらは出も早いし、見切るのは厳しいわね、とにかく動き回るのが正しい避け方かしら」


 俺たちが攻略法を探ろうと相談していると、ヘケランが顔の半分を占める大きな口を真横に広げてその場に座り込んだ。……なんだ? どういう作戦だ?


「攻撃してみろ! そうしたら……」


「「「………」」」


 アホだな。間違いない。アホだ。
 呆れながらヘケランの頭を剣で貫いてやろうと近づくが、ルッカがそれを止めて、素晴らしい案を提案する。ロボにそれで良いかと確認を取れば一も無く頷いて賛同する。


 俺とルッカが右側、ロボが左側からヘケランの後ろに回りこみ、それを見ながらヘケランが不敵な笑みを凶悪な顔に張り付かせて俺たちの動向を探る。座り込みながらもその何者をも切り裂く鋭い爪を擦り合わせ、ヌラリと唾液で光る牙がかちかちと音を立て、俺たちの体を引き裂き噛み千切ることを楽しみにしている。背中に生えた突起は心なしか天井に向かって伸びているように見えて、俺たちが近づくその時をただ静かに待ち続けている。


「……じゃあ、お邪魔しました」


 俺たちはヘケランの後ろに位置していた湖に飛び込み、ヘケランの巣から脱出を果たした。やっとれんよ、あんなバケモノの相手なんぞ。


 水流に飲み込まれる前に後ろから「ええ!? 嘘ちょっと待てええと確か……そうだラヴォス神を生んだ魔王様が400年前に人間共を滅ぼしておいて下されば今ごろこの世界は我ら魔族の時代になっていたものをクソーッ! っていうかマジで逃げるのお前らーっ!?」と早口で悔しそうに怒鳴っていた。やられた時もしくは逃亡されたときの台詞まで用意していたとは頭が下がるね。そういう人間は出世するよ、いや本当に。




 ヘケランの巣から抜けて俺たちはトルース町近海に顔を出すことになった。水流に飲まれて体力が残り少ない状態でも泳いで陸に着ける距離だったことに安心して大地に足を着ける。驚いたのはロボがアンドロイドのくせに一番スイスイ泳げたことだろうか? おぼっち○ん君くらい万能なんだな。


「ヘケランの口ぶりからすると、中世の魔王がこの星の未来をメチャクチャにしたラヴォスを生んだのね……」


 陸地に着いた後膝に手をつけて呼吸を整え、そのまま大の字になり寝転んでいるとルッカが深刻そうな顔で去り際にヘケランがこぼした言葉を解釈する。


「僕達の手で中世の魔王に猛き制裁を下せば、未来を救うことが出来るのでしょうか? 


 それに便乗してロボが微妙になりきれてない中二発言を繰り出すが、今の俺は疲れている。突っ込みはセルフでお願いしたい。


「千年祭広場のゲートを使えば中世に行ける筈……ほらクロノ、いつまでも息を乱してないでさっさと行くわよ! 目指すは打倒魔王! ……柄じゃないけど、なんだか王道な展開に燃えてきたわ!」


「ええ、世界に崩壊の種を撒き散らさんとする魔族の王、奴に振り下ろすべき鉄槌を握りまたその権利を持つ僕達が、世界終焉の鍵を砕き世に輝きと安穏を齎せましょう!」


 ロボはスルーとして、俺の幼馴染殿はどうもとんとん拍子に謎が解明していくのが楽しくなってきたようだ。あれか、ドラク○4でトルネコの章まできたらノンストップになる性質だな。
 ……駄目なんだろうな、ここで「え? お前らマジで世界救うとか言ってんの? 臭っ!」とか言ったら。ルッカもマールの言葉になんだかんだで流されちゃったのか……ロボはそういう話の流れは大好物だろうし、俺と同じ気だるく生きようとする奴はいないのか……


 ルッカの催促を耳にしながら、俺は仰向けで空を見上げた。青く澄んだ空に太陽の光が合わさりその色彩は自然界独特のものとなって俺たちを包む。時間はゆっくりと進んでいくものなのに、何で俺たちだけせかせか時空を移動して戦いに明け暮れなければならないんだろう……
 太陽に手をかざして、俺は肺の奥に溜まった暗い息を外に吐き出した。たまらんね、こんな人生。


 ずぶ濡れの体を起こして、手を振り回すルッカとロボに追いつくべく強めに地面を蹴り上げた。


















 おまけ







「お前が大電撃部隊隊長サカヅルか、ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 サカヅルはとてつもない動きで閃光の覇者並びにボルケーノまたは天より舞い降りた闇の宿業を背負うものの二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力の100000000分の1の力で動いて攻撃をかわした。凄まじい威力だった。しかし俺のさらに1000000倍の力で粉砕した。


「なんて強いんだ! ぜひ私を連れて行ってくれ!」


 サカヅルの仮面の下から美しい女性の顔が現れた。


「俺という究極の力を持つ戦士にして選別者の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんて男らしい! 惚れた!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。


 俺は次の城に向かい、城の扉を開いた。


「お前が超絶火炎部隊隊長イマドケか、ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 イマドケはあり得ない動きでラグナロクの再来並びにモノデボルトまたは地獄の底からやってきた正義の使者の二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力の10000000分の1の力で動いて攻撃をかわした。えげつない威力だった。しかし俺のさらに1000000倍の力で粉砕した。



「素晴らしい力ですわ! 私を連れて行って下さいまし!」


 イマドケのマスクの下から例えようもない可憐な顔の美少女が現れた。


「俺というアルティメイトな力を持つ剣士にして武闘家の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんてたくましい御方! 惚れましたわ!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。


 俺は次の城に向かい、城の扉を開いた。


「お前が超級大銀河天絶無限大魔王のルインガーか。ふっ、まあ俺の敵ではないが、かかってこい!」


 ルインガーは愉快な動きでジェダイの騎士並びに黄金聖闘士または結構気配り上手の二つ名を持つ、俺、テンペストリア目掛けて走り出した。
 俺は全力には程遠い力で動いて攻撃をかわした。お下劣な威力だった。しかし俺はさらにお下劣なので倒した。


「わ、私が黒幕ではないただの三下だという事実があったとしても、パーフェクトな力である! 私を連れて行け!」


 魔王と思っていた人物の被っていた兜が外れ、中から文字に出来ない煌びやかな美しい女性の顔が視線に晒された。


「俺という完全無欠な力を持つサラリーマンにして営業部長の俺に仲間などいらんが、ついてくると言うなら止めはせん」


「な、なんて広い心を持った人間なのだ! ハグして欲しい!」


 また俺の力に魅せられた女が増えたか……だが俺の行く道は修羅、女に構っている暇は無い。














「どうですかクロノさん、僕の書いた小説は。不死身ファンタジアの新人賞に投稿しようと思うのですが」


「え? こんなのが60ページ以上あるの?」



[20619] 星は夢を見る必要はない第十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:34
 トルース町に帰ってきた俺たちはリーネ広場に行く前にルッカの家に寄り、ロボのボディを修理することにした。家に入った途端タバンさんがタバコを咥えながら豪快に笑い迎えてくれた。研究者とは思えない太い腕で何度も背中を叩かれて咳き込んでしまったのは笑える話だ。
 俺が刑務所に入れられたことについては何も聞かずにいてくれたのは有難い。兵士を呼ばないだけでも嬉しいことなのに、歓迎してくれるとは……思わず涙腺がゆるんでしまった。俺もタバンさんみたいな父親が欲しかった、外道な母親はもういらないから。
 タバンさんにロボの壊れたボディを見せると「むはっ!」と妙な声を出した。奪い取るように家の奥に持っていき、俺たちのところに戻ってきた後「安心しな! 俺が責任を持って直してやるぜ!」と答えてくれる。本当はルッカが直す予定だったのだが、タバンさんが俺たちが旅をしている間一人で直してくれるならそれは喜ばしい。ボディの修理中ルッカの戦力は失くすのは惜しいものがある。
 タバンさんは純粋に研究欲に火がついたようだ、未来の技術は見る人が見れば垂涎ものらしい。こういう変わったところがないと何かを作り出すなんて出来ないのかもな。
 ロボが人間でなくアンドロイドであると教えれば服を剥ぎ取りにかかって診察しようとしたのでルッカがハンマーで撃沈させる。父親が幼い少年を襲っている姿なんぞ見たかないんだろう。禁忌過ぎるわな、そんな場面。


 ルッカとタバンさんで積もる話もあるだろうが、俺たちはこの国の兵士に追われている、見つからないうちに広場に行こうと話を切り上げて外に出る。しかし、家を出て数分としないうちにタバンさんが追いかけてきて装飾の激しい赤い派手なベストを持って来た。曰く、これはルッカ専用の装備で並大抵のことじゃ傷もつかない防具なのだそうだ。
 ルッカは趣味の悪い赤一色のベストを喜んで貰っていた。まあ趣味云々は良い。ただ、ここで言う気は無いが、なんでタバンさんは娘の服のサイズを知ってるんだ? 物陰に隠れて着替えたルッカが私にピッタリと話していた事であっちゃいけない犯罪の臭いが漂ってきた。うん、俺父親はいらないや。
 すこしぎこちない別れの言葉を交わして再度広場に向かうと、タバンさんが俺の肩を掴み耳元に口を寄せて内緒話を俺に持ちかけてきた。
 内容は「クロノ……避妊はしてるんだろうな? ほら、コレをやるから娘の体にも気を使ってくれよ?」との事。その真意を尋ねる前に地獄耳のルッカがプラズマガンでタバンさんを痙攣させてしまった。タバンさんが握っていたカップルのお供をポケットにねじ込みながら。なんで貰うんだよそんなもん。年頃の女の子が持ってると印象悪いぞ。


 ようやく中世に行けるはずだったのだが、途中で運の悪いことに母さんが買い物に出かけていて、ばったりと出くわしてしまった。母さんは驚いた顔で「クロノ……あんた、刑務所にいるはずじゃ……良かった、出てこれたのね」と笑っていうものだから、「母さーん!」と泣きながらその胸に飛び込もうとしてしまった。まあ、「あんた臭い、海中で死んでいった生き物たちの臭いがする。有り体に言って潮臭い、近づかないで」の言葉に冷めたが。いや、ここは覚めたというべきか。
 この母親、雷を落としてくれようかと殺気を放てば感づいた母さんが躊躇なく長渕キックを連発、俺の抱いた反抗心などでは何も成し遂げられぬのだと教えてくれた。確か家族間での暴力ってこんなに簡単に起こるものじゃないと思うんだけどな、良いけどさ別に。


 ゲートについてようやく現代から出ることになる。もしかして俺現代にいるときが一番辛い境遇なんじゃないか? 詮無いことを思いつつ、二度目の中世来訪となったのだ。……中世でも良い事無かったし、どうせ今回も無いんだろうな。人生苦もありゃ死もあるさ。楽なんか一回だって訪れやしねえ。
 ゲートに入る前に楽しそうな祭りの喧騒を耳にして、頭を掻きながらゲートに足を入れる。今回の旅は長くなりそうだ、と覚悟を決めて。









 星は夢を見る必要は無い
 第十二話 ゼナン橋防衛戦(前)










 中世に着き、時の最果ての爺さんにメンバーチェンジを頼むことにした。まずは城の王妃様たちに挨拶をしようと考え、中世時のメンバーで会いに行こうと思ったからだ。ロボは育児放棄したくなるほど駄々をこねたが、こういう時の我侭を聞いてしまっては、我侭を言えば何でもしてもらえると認識するのが子供の原理だ、断固として譲らん。
 時の最果てに行くことを嫌がっているロボを見たルッカが「なら父さんの所でボディの修復を手伝ってくれない? ロボが装着するボディなんだから、ロボが近くにいた方が色々都合がいいでしょ?」と妥協案を出した。
 まあそれにも嫌がったが、とりあえずどついて大人しくさせた後ロボをゲートに放り込んだ。後は勝手にルッカの家に行くだろう。修理が終わるまではロボとメンバーチェンジが出来ないのは痛いが、ボディは早急に修理してほしい。俺の精神安静のため。





「ふわー、ようやくあそこから出られた。これからは私も頑張るね!」


 伸びをして体を解すマールに癒された後、ルッカの提案で山に生息するモンスターたち相手にマールの修行をすることにした。魔法を持ってからの実践はマールはまだ体験していないので、本格的な戦闘を迎える前にある程度慣れておくべきだというのだ。
 マールの魔法は氷寄りの水。アイスというシンプルな魔法で、効果は敵対象を氷付けにして、砕けさせる、彼女の性格に似つかわしくない凶悪な魔法だった。アイスは山の雑魚モンスターたちを悉く氷塊に変えて砕け散らせた。……こうして見ると、俺の魔法の力が一番弱いんじゃないかと思う。天なんてご大層な名前の属性だから凄いのかな、とか思っていた時が懐かしい。
 攻撃としても優秀なマールの力だが、その真価は治療にこそあった。山の中腹にある釣り橋の板が外れて崖から落ちた俺をマールは魔法の力を用いた回復呪文で、瞬きするほどの間に完治させたのだ。今までマールが使っていた治癒やロボのケアルビームと比較してもその回復速度には驚かされた。恐らく折れていた右腕までも直っていたのだから。
 これなら充分に、むしろ俺よりも魔物たちと戦えるとルッカのお墨付きが貰えた時のマールの顔ときたら嬉しそうだったな……で、ルッカさん、俺はいつ貴方に認めてもらえますかね。あんたは雷鳴剣が無ければ役立たず同然じゃない? なるほど素晴らしい評価ですね、よく俺を見ていらっしゃる。


 山を降りると、どうも村の様子がおかしい。てんやわんやと慌てている村人に事情を聞いてみることにした。すると、


「魔王軍が攻めてきたんだ! ゼナン橋まで攻め込まれてるらしい!」

「なあに、心配することはないさ! なんせ勇者バッチを持った勇者様が現れたんだからな!」

「勇者様なら魔王軍何ざ一捻りにしてくれるぜ!」

「ちょっちゅね!」


「勇者? なんだか分からないけど、絵本なんかでよく見る救世主様みたいな人のこと?」


 マールが村人の話を聞いて出した感想はまあ間違いではないだろう。おおよそ似たようなものだから。


「うーん……ゼナン橋って言えばトルースの西、ガルディア城の南にあって、パレポリ村がある大陸に繋がる大きな橋のことよね? ……国王軍の踏ん張り所ね……もしここを魔王軍に取られれば相手は何処からでも攻め放題になるわ」


「……嫌だぜ俺、そんな激戦地を潜り抜けるなんて……」


 戦々恐々としながらもう少し村人達から情報を集めているとどうやら勇者とやらは今城に向かっているようだ。勇者なんてものがいるなら俺たちはもう帰ろうぜ、魔王はそいつが倒してくれるさと進言してゲートのある山に足を向けるとマールとルッカが俺の腕を片方ずつ掴んで城に向かう。俺この星の人間だからさ、グレイみたいな扱い止めてくれる?


 森を抜けて、ガルディア城の中に入ると中は不安と期待に溢れた火薬庫の雰囲気に満ち満ちていた。なにかきっかけがあれば爆発し、霧散する、そんな緊張感に包まれながら、兵士は武器を磨き、次々と城の扉から出て行く。給仕の人間はそんな戦場に向かう兵士達を心配そうに、辛そうに見送り何か出来ることは無いかとしきりに声を掛けている。出て行った人間と比例して俺たちの後ろから怪我人が運ばれて、騎士団の部屋に運ばれていく。血の臭いが大広間を覆い、その場にいる人間の鼓動が早鐘を打つように早く強く鳴っている。……これが戦争ってやつなのか?


「クロノ、私……」


「ああ、王妃様たちには俺たち二人だけで会ってくる。マールはやりたいことをやれ。ここを出る前に声を掛けるから」


 俺が許可すると、マールは走って騎士団の部屋に向かった。回復魔法が使えるマールなら幾人かの人たちを救えるはずだ。頑張りすぎて倒れないかが心配だが、マールの性格を考えると止める事は出来ないし、俺も何もせず見捨てろなんてわざわざ口に出しては言いたくない。
 ……放っておいても文句は言われないんだぞ、という言葉は飲み込んでおこうか。


「……行きましょうクロノ。早く王妃様たちに話を聞いて勇者様とやらに会わなきゃ」


 新たに運ばれてきた腕を失った兵士から顔を背けてルッカは階段を上がる。……この魔王軍との戦いで何人死んだんだろう、いや、考えたくも無いな……


「おお、クロノたちか、もしや、勇者の話を聞いて来たのか?」


 玉座に座る王様が疲れた顔をして立ち上がり俺たちを迎えた。歓迎してやりたいが、今は切羽詰った状況でな、あまり構うことができぬ。と前置きして王様は言葉を並べていく。


「勇者は今ゼナン橋に向かい魔王軍と戦おうとしておる……行き違いじゃったな」


 王様の話を聞いて、残念ではあるがここでモタモタされていても腹が立つだろうし、仕方ないかと自分を説得してルッカにどうするか目で訊ねる。ルッカは「勿論後を追いかけるわよ!」と気合を入れて王の間を飛び出して行った。熱血だなぁ……兵士たちが死んでいく今に焦燥感を感じているのだろうか? 俺だって思うところが無いではないが、それよりも恐怖が勝り関わりたくないというのが本音である。
 鈍く前に歩き出す足で俺も退室しようとすれば、王妃様が俺に「クロノ!」と場にそぐわない陽気な声を出した。


「もうすぐヤクラが城に帰りチョコレートを作ってくれるのです。一緒に食べませんか?」


「や、流石にデザートを頬張るほど明るい気分でもないですし」


 残念です……と言いながら項垂れるリーネ王妃。あんた凄いよ、戦争の最中でもヤクラの作るお菓子優先とは、いつかクーデターが起きると俺は睨むね。そもそも魔物との戦いが激戦化してい今この時にモンスターのヤクラを城に招くって……なんつーか、天然って怖い。
 王様は了承したのかな、と視線を送ると首が思いっきり左を向いていた。ふむ、中世の王様は根性無しで妻に逆らえない、と。おおかた王妃様に泣いて頼まれて(ついでに暴れられて)押し通されたんだろうな……まあ、ヤクラなら心配は要らないか。


 王の間から出る扉に手を掛けると王様が「ゼナンの橋に行くのなら、兵士達の補給が遅れておるので、料理長から食料を貰って持って行ってはくれないか?」と頼まれた。そういう結構重要な仕事を部外者に頼むなよと正直に言えればどれだけ人生楽しいか。


 ルッカもマールも怪我人の治療を手伝っているようで、料理長の所には俺一人で行くことにした。まあ、俺は初対面じゃないから良いけどさ、一対一で会うのも。
 大広間から騎士団の部屋とは反対に歩き、階段を下りるとそこが大食堂。大きな机が並べられて、主に兵士たちが食事を取るところなのだが、今は机に誰も向かっておらず、最初に俺が訪れた時に聞こえた兵士たちの楽しい笑い声は静寂に移り変わっていた。
 料理長に会うため、厨房に向かうとようやく声が聞こえてきた。あの料理長、根は悪い奴でもないんだが、テンションが気持ち悪いのが難点だ。



「うえっさああぁっぁ!! 餃・子! 干し・肉! に、ぎ、り、め、しいいぃぃぃい!! お待ちいいいぃいぃ!!」


 誰に話しかけているのか分からんが常に血管を浮かび上がらせて料理を作る料理長。この人料理が出来なかったらバーサーカーとして人間社会に溶け込めなかったんじゃないかと思ったのはそう遠くない過去のこと。


「あの、前線の兵士達に食料をですねー」


「おい! しい! パン!! おい! しい! パンを作るぜぇぇぇ!! そう! 俺はあの光り輝く十字星に誓いを立てた! 俺はこの両腕が動く限り食事を作る作り続けるとおおおぉぉ!!」


「いやですから王様に頼まれてですねー?」


「今俺の右手には神が宿っている! 左手が俺に叫んでいる! 俺の包丁は! 肉を切る刃物だああぁぁぁぁ!!」


 ミッション失敗。魂のステージが低いと相手にしてくれないようだ、もっとコミュ力を上げてから出直すことにしよう。
 厨房に背を向けて食堂から出て行こうとすると、後ろから雄たけびと石の床を踏みしめる荒々しい足音。「へあ?」と間抜けに声を上げて振り向けば俺よりも大きな布の包みが飛んで来た。……え? 何コレどういう事?
 包みに押しつぶされるというより押し倒された俺は腰に手を当てて目から火を出している料理長を見た。


「これを! 持ってきなっ! それから、こいつはお前にだ。持ってけ! ……それから、俺の兄貴の騎士団長、あのバカに伝えといてくれ。生きて帰って来ねえと承知しねえってな! べらんめぇ!!」


 このでかい包みを俺に向けて投合したらしい料理長が俺の顔に以前ルッカが俺に飲ませたパワーカプセルをへち当てて、何やら言いたいことを言い切った後、がに股で厨房に引っ込んでいった。


 ……現代ではルッカに苛められて裁判にかけられておまけに母親は俺に愛情を全く注いでなくて、未来では女の子の喧嘩の原因にされて妙ちきりんなロボットに頭をどやされるわ肋骨折られるわ懐かれるわ、あげく中世では両生類と魔物退治をして助けに来た王妃にボコボコにされて、今は王様の頼みを聞けば会話の出来ない料理長に数十キロの荷物を投げられて下敷きにされる。俺は前世で何かとんでもない悪事をしでかしたのだろうか? 出て来いよ前世の俺、他の誰でもない俺がその罪を罰してやる。


「……もう嫌だ、限界だ……」


 中世について早々、俺の精神は崩壊しようとしています。助けてゴッド。


 城を出るときにマールとルッカを呼びに行くと、魔力切れを起こしたマールを背負ってルッカが騎士団の部屋から出てきた。二人に感謝した兵士たちがエーテルをくれたのでそれを飲ませて少しだけ休憩する。まだ体がふらつくが時間がたてば治るというマールの言葉を信じてゼナン橋に向かった。あんまり行きたくないなあ、今俺過去に類を見ないくらいナーバスだからさ。


「戦場に行く、か。はあ……なんでこんな事になってるんだろ、今すぐ帰ってまたお祭りでも楽しみたいよな」


 俺の愚痴は二人には届かず、ふと俺だけがなあなあでこの旅を続けてるんだなあと自分を省みた。






 ゼナン橋に着くと、まさにそこは戦場だった。
 橋の中央で骸骨の魔物たちと兵士が切り結び、鎧が砕けさびた鉄の槍が肉体を貫き、動きを止めれば四方から迫る槍に串刺しにされる。死体はそのまま槍に突き刺された状態で魔物たちが楽しげに振り回している。その異常な行動を目にした兵士の一人が喉から悲鳴を吐き出し逃げ惑う。悲鳴を上げて走り回る兵士にかたかたと骨ごと剥き出しの歯を鳴らし骸骨の群れが飛び掛る。命乞いなど、耳の無い奴らには無意味だと分かっていても、自分の体が少しづつ喰われていく様を見て行わない者等いるだろうか? そんな状況は橋のそこかしこで起こっている。……が、それを助ける者などいない。一人それを見た近くで戦っていた兵士が助けようとして骸骨の群れを追い払おうと剣を振り回し近づくが、そこを後ろから貫かれて絶命する。これが一度や二度でなく確実に繰り返されたなら、誰が他人を助けようとするだろう? 優しさや人間性の問題ではない、ただただ無駄なのだ、この魔物たちとの戦いで他人を気遣うというその行為が。
 さらに気づいたこと、それはこの戦場を少しでも見ていれば分かる。魔物たちの攻撃は正確に兵士の命を奪い取ることに対し、兵士達の攻撃はほとんど役に立っていない。力を溜めて、剣の大振りを当てれば骸骨の魔物を砕くことは出来る、だが小さな隙を突いた攻撃程度では傷を与えることしか出来ない。加えて骸骨のモンスターに痛覚などあるわけが無いし、その体力は無限。これは戦いではなくもはや虐殺へとその容貌を変えていた。


「うう、血の臭いが凄い……」


 ルッカが座って、手を口元に当てその臭気に耐えていた。この光景を見て気を失ったり吐かないだけ凄い精神力だよ、俺なんか足が震えて動けそうも無い。
 マールは目を大きく開いて戦場を眺めていた。唇からは強く噛み過ぎて血が流れ、ふー、ふー、と息を荒くしていた。……怒り、なのか?


「! もしや王妃様を救ったクロノ殿ですか?」


「あ、ああ、そうです。あの、これ食料の補給を頼まれて持ってきました……」


 金色の甲冑を纏った兵士……その風貌から恐らく騎士を束ねる階級、騎士団長だろう、に声を掛けられて俺の竦んだ体が動き始めた。
 俺のまだ震えている手で渡した食料の入った包みを見て、騎士団長が「こ、これは!?」と驚きの声を上げた。


「そうですか、あいつが……クロノ殿、もし私がここで死んだならば、弟に……何事だ!!」


 俺に何かを伝えようとした騎士団長が、息を乱しながら走りこんできた兵士に大声を出した。血相を変えたその兵士は呼吸を整えることも忘れて現在の戦況を報告し始める。


「はあ、はあ、ま、魔王軍が、と、突撃を始めました! もう支えきれません!」


「弱音を吐くな! ガルディア王国騎士団の名誉にかけ、魔王軍を撃退するのだ!」


 騎士団長の激励にも兵士の士気は上がらず、涙と鼻水でまみれた顔で首を振る。


「し、しかし、もう兵の数が……騎士団長! もう、もう終わりです! 第一騎士団も第二騎士団も皆死んでしまいました! 残っているのは第三騎士団が半分以下、第四騎士団も瓦解するのは目に見えています!」


 兵士は逃げさせてくれ、もうこんな狂った場所から解放してくれと叫んでいるように見えた。
 騎士団長も戦列の立て直しは不可能だと悟り、苦々しい表情で歯軋りを鳴らす。


「ここが最後の防衛線なのだ。もう一頑張りしてくれ!」


 騎士団長はきっと分かっている。自分は兵士たちに死ねと命じているということに。
 兵士もまた分かっている。自分は死ねと言われていることに。
 枯らした声で、足も震えて、鎧も兜も剣もボロボロで、戦いに耐え切れそうも無い装備で、ぐしゃぐしゃになった顔を振り、兵士は「分かりました」と応えた。
 ……何でだ? 逃げればいいじゃねえか、今戦いに行っても勝てるわけねえのに……


 よたよたと死地に向かう兵士を見送り、騎士団長は俺たちを見回して、兜を脱いだ。……なんだ? まさかあんた……


「クロノ殿、そして御仲間の皆様。どうか、どうか我々に力を貸してくださいませんか? どうか私の部下を助けてくださらんか?」


「言われなくてもそのつもりよ! クロノ行こう!」


「武器の類は効かなくても、私達には魔法があるしね。それでも油断はしちゃ駄目よ二人とも!」


 騎士団長の頼みに二人は自分を鼓舞させて戦いに挑もうとする。
 ……お前ら、本気なのか? それ、冗談とかじゃないんだよな?
 俺がいつまでたっても動かないことに二人が不思議そうな顔をする。不思議なのはお前らだよ、ふざけるな。


「クロノ殿……? あの、どうか」


「……冗談じゃねえ」


「……? あの、今なんと?」


「冗談じゃねえって言ってるんだよ!」


 俺の出した大声に騎士団長はたじろぎ、ルッカとマールはどうしたのかと驚いて俺を見る。だから、俺からすればお前らの行動に驚いてるんだよ。


「俺たちにはここの橋がどうなろうと関係ない! そりゃあ可哀想だと思うし同情もするけどさ、騎士団長さんの部下がどうなろうと俺たちには関係ないんだよ! それに、ここに食料を持ってくる時も思ったけど、俺たちは一般人なんだよ! 本当、いい加減にしろよな、俺たちを巻き込むなよ! 俺たちはこんな戦争なんかで死にたくないんだよ!」


 そりゃあ、今までだって死ぬ危険がある時はいくらでもあった。王妃捜索の時だって、刑務所内での戦いでも、未来で巨大マシンと戦ったときも死ぬかもしれないと思ったさ。でも……今回は間近で見せられた。死ねばどうなるのかをじっくりと見てしまった。こんなの戦えるわけがない、俺たちに魔法の力があるからって他は普通の人間なんだ、まだ子供なんだ、あいつらの槍に刺されたら死んじまうんだ! だから……


 パァン! と音が響き、俺の頭が強制的に捻られる。頬が火傷したみたいに熱い。思わず掌を当ててみれば、痛みが顔中に広がり、そこでようやく俺は叩かれたのだと気づいた。


「俺たち俺たちって、勝手に私を入れないでよクロノ。少なくとも私は関係ないとは思わないし、巻き込まれて迷惑とも思わない。私たちだってこの橋が魔王軍に占領されたら、この旅が終わっちゃうんだよ?」


 マールが俺を睨んでいる。その顔は、現代で城を飛び出したときに国王に向けていた敵意の顔。今までマールには色んな顔を見せられた。笑顔にむくれた顔、悲しい顔に裁判のとき見せた泣き顔。でも、こんな風に敵意を見せたことがあったっけ?


「クロノはこの戦いを見て何とも思わないの? 私たちに力が無いなら、それでいいかもしれない。でも私たちには時の最果てで得た力がある! 私たちなら戦えるの、ううん、私たちだからこそ戦えるの! あの人たちを殺させないですむんだよ!? クロノは……クロノはそんな自分勝手なことを言って、恥ずかしいとは思わない!?」


 ……段々腹が立ってきた。何でそんなに責められなきゃいけないんだ、俺は間違ったことなんて一つも言ってない。別に俺は力なんて欲しいと思っちゃいなかった。そもそも、この旅の目的にだって俺は納得してないんだ、それを……!


「この旅が終わる? 清々するね、最初から未来を救うなんて大言壮語には嫌気が差してたんだ。元々マールの我侭で始まった旅なんだ、この辺で止めてもいいんじゃないか? どうせ王女様の遠足感覚で切り出しただけなんだろうが!」


 マールの顔が蒼白になり息を呑む。ルッカもおどおどと俺とマールを見比べてどうしようと悩んでいる。マールに叩かれて口が切れたので、口内の血を地面に吐き出す。その唾液交じりの血液が地面にへばりついた途端、マールが突然目を怒らせて俺の襟首を掴んだ。


「遠い未来のことだから自分には関係ない? 未来のことは未来? 賢いんだねクロノ、保身第一な考えって楽だもんね! 遠足感覚? 馬鹿にしないでよ、私はちゃんと考えてる! 頭が悪いからあんまり意味無いって思うかもしれないし、関係ない人たちも助けようとする馬鹿って言われてもいいよ! だったらクロノは助けられる力を持っていても使わない、場の雰囲気に怖がっちゃったただの臆病者じゃない!」


「……! お前なんか……」


 場の雰囲気に怖がった? ああ確かにそうだよ、そこらに死体が転がってる今のこの状況が怖くて仕方ないよ、だからってわざわざ指摘するか普通? ふざけるなふざけるなよこの女!!


 ──どこかで冷静な自分が止めろと叫んでいる。


 マールに襟首を掴まれたまま俺は右手の拳を握り持ち上げる。


 ──俺は何をしようとしている? 俺は何を口にしようとしている? それは駄目だ、それは決定的になってしまう。たとえどちらを彼女に放っても。


 俺が何を言おうとしたか分かったルッカが俺の言葉を遮ろうと言うな、と大声で叫ぶ。
 俺が何をしようとしたか分かった騎士団長が俺の右腕を抑えようと両手を伸ばす。
 でも、それらは全て間に合わなかった。


「助けるんじゃなかった!!」


 俺が振りぬいた拳はマールの綺麗な顔に当たり、彼女はその大きすぎる心とは正反対の軽い体を地面に横たえた。


 ──もう、戻れないや。


「マール!」


 絹を裂くようなルッカの悲鳴で、俺は我に返った。マールは信じられないような顔で俺を見上げて、騎士団長がその体を起こして立たせる。……違う、俺は、こうなりたくて今まで戦ってた訳じゃない。だからそんな目で見るな。


「クロノ殿、貴方の助けはもう必要ありません。勿論恨みもしませんので、どうぞお引取り下さい」


 言葉は礼儀を形作っていたが、俺を見る視線には軽蔑という悪意しか見られなかった。騎士団長の言葉に何も言えないでいると、今度は立ち上がったマールが俺を通り過ぎて橋の入り口に立つ。走り出す直前、聞かせるつもりはなかったのかもしれない小さな声が、風に乗って俺に届いた。


「……もう、クロノの友達になんか、なりたくないよ」


 走り去るマールの背中はもう震えていない。足もしっかりと前に動き出せているし、手を大きく振って少しでも早く兵士達の下に向かおうとしている。
 ……ただ、彼女が俺に聞かせた最後の声は、震えていて、聞く者の胸を締め付けるものだった。
 続いて立ったまま動き出さない俺を一瞥して騎士団長がマールの後を追う。
 最後に、両腕を胸の真ん中に置いたままルッカが俺に歩を進める。どうせ呆れてるんだろ? 罵声の一つも浴びせればいいじゃないか。
 俺の考える、いや、望む反応をルッカはせず、俺と同じようにただ俺の前で立っているだけだった。
 何をやってるんだよ、と怒鳴ろうと顔を上げれば、ルッカは泣くでもなく、怒るでもなく、ただ微笑んでいた。それは……いつ頃以来だっけ? そんなに優しい顔をしたのは。
 俺が何か喋ろうと口を動かせば、ルッカはいつも通り、いやそれ以上に感情の見えない顔で俺を見据えていた。


「もしかしたら、これがあんたに見せる最後の笑顔になるかもしれないから……でも本当は……待ってる」


 それはこれから先俺に笑顔を見せるつもりなど無いという意味か、この戦いで死ぬかもしれないという暗喩なのか……両方なのか。最後の言葉の意味は? 俺が聞きだす前に、ルッカもまた俺が逃げた戦場の中に走っていった。


「……俺は……間違ってない、はずだ」


 誰だって死ぬのは怖い。歴戦の戦士だとか、何かの悟りの境地に至ったとかなら分かるさ。でも俺はつい最近まで命のやり取りなんかしたことなかったんだぜ? 今まで潰れなかっただけ俺は凄いじゃないか、偉いじゃないか。マールもルッカも褒めろよ、俺を褒めてくれよ。
 ……あれ、俺ってマールとルッカを褒めたことあったっけ?
 助かったとか、サンキューとか、凄いなお前とか、戦闘で活躍したときとかに感謝したり褒めたりしたことは何回かあったと思う。でも、命を賭けて戦うなんて凄いなあなんて言ったか? 言うわけないよな、俺だってそうだったんだから。でもそれなら逆説的に言って、


「……あいつらが俺を褒めてくれるわけ、ないよな」


 一人思考に没頭していると、いつも曇り空だった中世の空が泣き出して、俺の体を責め立てる。いいぞ、そうして俺を責めてくれるなら俺は俺の罪悪感を薄れさせることができるんだから。
 ああ、でもこの雨はあいつらの体にも降り注いでいるはず。なら結局あいつらは俺を褒めてくれない、慰めてくれない。どうすればあいつらは俺を認めてくれるだろうか?


「……もうマールは、俺と友達になってくれないのかな?」


 あんなに明るく楽しそうに笑う子なんて、俺の周りにはいなかったなあ……
 雨が降ってぐずぐずになった地面に寝転がる。気持ち悪い感覚だけど、これはこれでいい。
 俺は目を閉じて、マールが俺に笑いかけてくれた記憶を思い返すことにした……








「騎士団長! ボスクが、俺の部下が!」


「落ち着け! 冷静さを失うことが戦場では命取りだと教えただろう!」


 騎士団長さんが恐慌状態の兵士の皆に声を掛けるけど、効果は薄い。多分だけど、今回みたいに本格的に魔王軍と戦うのは初めてなんだと思う。小競り合いは頻繁に、けれど総力戦は極力避けていたのかな。
 私は息のある人たちに回復魔法、ケアルをかけて戦場に復帰させる。本当は後方に待機させたいんだけど、皆自分からまた剣を取り戦おうとする。ルッカは先頭に立って炎で骸骨達を焼き払う。あいつらは魔法の力に極端に弱く、裏山のモンスターたちと変わらないくらいにあっさりと倒していった。
 私も治療の合間に攻撃魔法アイスを骸骨の群れに叩き込むけれど、ルッカ程の威力が無い私の魔力を攻撃に回すよりも回復に専念しなさいとルッカが炎を撒き散らしながら言う。あいつらに手を下せないのは悔しいけれど、私は私の出来ることをする!
 ……ただ、何でだろうか? 兵士の皆が前衛として戦ってくれてるのに、今までに無い数の仲間がいるのに、どうしても前衛の壁が薄く感じてしまう。
 その疑問の答えを私は捨てた。その度また心許なさを全身で感じてしまう。
 口ではなんと言おうと、彼は強かった。彼自身は「俺ってこのメンバーに必要?」と皆に聞いてしまうくらいだから強いとは思ってなかったんだろうけど、彼がいればどんな敵にも勝てる気がした。
 未来では途中で抜けた私だけど、大きなミュータントや暴走した機械たちが私たちを狙って大勢現れても、視線の先に彼がいるだけで、彼が刀を抜くだけで負けるわけがないと無意識に感じていたのだ。
 巨大マシンとの戦いでもそう、彼一人を残してルッカの治療に専念したのは、彼ならどんな相手でも勝ってしまうと思っていたからだ。
 ……私自身が気づかないうちに、私は彼のことを……


「ヒーローみたいに……思ってたのかなぁ……」


 治療中の私を守る声が辺り一帯に聞こえる。でも、どれだけ声が重なろうと、私の背中の寂しさを消すことはできない。








 モンスターたちが兵士をターゲットから外し、私に狙いを集中して襲い掛かってくる。骸骨たちの持つその槍が私やマール、兵士達全員に届く前に燃やしてればまあ、当然かしらね。
 結構な数の魔物を焼いたとはいえ、まだまだ敵の戦力は残っている。私はメンバーの中でも一番魔力量が多いため、まだ戦っていられるが、このペースでは尽きるのも時間の問題。しかし、怪我人は増える一方の状況でマールに回復と攻撃を両立して行えというのは酷過ぎる。


「ちっ! ロボがいれば一発で消せたかもね!」


 ──本当に? 本当に私が望むのはロボなの?
 ……一々うるさい、分かってるわよ自分の考えなんだから。
 ふと浮かんだ思考に一人で噛み付く。ああ、疲れが溜まっておかしくなったのかしら? そう思いながらも私は手を休めず詠唱を続けてファイアを唱える。急いで唱えた呪文に、私の魔法の威力じゃ一度に四匹くらいが限度か……それ以上は巻き込んでもダメージはそれほど与えられずにまた襲い掛かってくる。
 ……あいつがいれば、単身敵陣に切り込んで場を引っ掻き回したりするんでしょうね。
 そうすれば私は落ち着いて練った魔法を唱えられるし、兵士達に攻撃も行き辛いでしょうからマールも攻撃に参加できる。なんならあいつの武器に電撃を纏わせる技を兵士達の武器にかければかなり戦局は動くはず……


「……いない人間を当てにするとは、ルッカ様も落ちたわね!」


 炎を走らせている内に、目に見えて力が弱まっているのが分かる。短い間隔での連続魔法詠唱、精神集中だってモンスターたちの攻撃を避けながらじゃ落ち着いて出来るわけがない。
 ……だから? それがどうした、私はルッカだ。相手がモンスターの軍勢であろうが魔王であろうがロボ風に言えばそれこそ運命をつかさどる神様だったって私を負かすことは出来ない、私が負けるのはこの数ある時代の数ある世界の中で唯一人。


「さっさと立ち上がれってのよ……あの鈍感ツンツン頭が……!」


 戦局は劣勢、攻撃も回復も追いつかないこのゼナン橋防衛戦。人間達は思い思いの感情を抱くが、統括すればそれは絶望と呼べるものだった。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2011/01/13 06:46
 しとしとと雨が降り続く中、ルッカとマールが戦闘に参加して一時間が過ぎ、ゼナン橋では今だ剣戟の音が遠く彼方まで鳴り響いていた。


「はあ、はあ、はあ……フ、ファイア!」


 魔法の力は心の力、なるほど、今の磨耗した精神力ではまともな魔法など出るわけがないか、と掌から微かに生まれた炎を見てルッカは自嘲する。倒しても倒しても現れる骸骨の群れ、対してこちらは兵士達の武器が大半破壊され、中には手甲を武器に殴りかかる者までいる。ルッカと同様にマールの魔力も底を尽き、回復呪文の詠唱を口にしても魔法が顕在することは無い。


(ボッシュから買ったポーションも無くなったし、兵士たちが携帯しているエーテルやポーションのような回復薬なんてとっくに無くなった……厳しいわね、ちょっと楽しいくらいよ!)


 魔力が残っていないのならばとルッカは魔法を使うことを止めて今まで敵に向けていた掌にプラズマガンを握らせて連射する。僅かなりにも属性効果のあるプラズマガンだが、兵士たちの攻撃よりは効いているという程度のダメージ。それだけの攻撃で魔物の行進は止まらない。ましてやルッカ以外の人間は騎士団長以外腰が引けて打ち合うということすら避けている状況、王手詰みは近い。


「まだだ! まだ逃げるな! 我々の本分を思い出せ! 我々の名を思い出せ! ガルディア騎士団とは名ばかりの臆病者たちか貴様ら!」


 騎士団長が部下たち全員に発破をかけるが、皆反応は同じ。一様に項垂れて、挑発染みた言葉に何も言い返すことは無い。
 彼らは思考する。俺たちは頑張った、だからもう逃げていいんじゃないか? 今まで魔王軍なんてバケモノたちと戦ってきたんだから、城に帰還してもいいんじゃないか? その結果村が襲われ民が殺されても誰が俺たちを責められる、俺たちは褒められるべきだ、称えられるべきだ、と。奇しくもそれは、対岸で目から光をなくしているクロノとよく似た考えだった。


「はっ、はっ……もう……魔力は使えない……なら!」


 眩暈を気力で我慢して、マールは未来で拾った白銀の弓を手に取り魔物の軍勢に矢を放つ。ルッカのプラズマガンとは違い、マールの弓に属性付与は無い。骸骨たちの骨を折ることはできるが、全身をバラバラにさせるには到底至らない。足を狙い速射するが、一、二匹倒れこんだところで行進スピードに影響は無い。マールは自分の無力さを恨めしく思いながら、それでも愚直に弓矢を打ち続けた。


 一人、また一人と兵士達が血の海に沈む。騎士団長の近くにいる兵士が「これで第三騎士団は全滅だ……もう駄目です! 逃げましょう団長!」と逃亡を求めたことを皮切りに、兵士達が団長の制止も聞かず各々うろたえて騒ぎ出した。その声は「逃げないならいっそのこと投降しよう!」「馬鹿、モンスター相手に何言ってるんだ! 笑って殺されるのが目に見えてる!」「もう嫌だ! 勝てる訳無かったんだこんな戦い!」と言葉の形に違いはあれど、思いは一つ、もう戦いたくないということだった。残った第四騎士団の中には少年兵も数名在籍していたようで、今は遠い父や母の名前を叫ぶ者もいた。


 それらの嘆く声に騎士団長は笑う。楽しいからではない、悲しいからでもない。もう悟ったからだ、これ以上戦い続けるのは無意味、そして無理だと。


(確かに、部下たちはよくやった。私は団長として、サイラスの代わりとして逃げるわけにはいかんが、こいつらはもう逃亡させるも、そして両親の元に帰らせるも自由にさせてやるべきか……)


 腹を決めた団長が退却を宣言しようと息を吸う。もう充分だ、これ以上何が出来る? これはもう戦いではない、蹂躙だ。我々がこれ以上命を賭けようと、散らそうと何の意味も無い。ならば短い間とはいえ生を選ぶのが当然ではないか……


「違うよ」


 騎士団長の、呼吸が止まる。


「全然違うよ、そんなの私たちガルディア王家の者が選ぶ道じゃない」


「マール殿? 貴方は一体何を?」


「控えろ!」


 その号令を耳にした途端、敵がすぐ傍まで近づいて来ているのに、今まで逃げろ逃げろと騒いでいた兵士達ですら反射的に膝をつき頭を垂れた。


(……何故? 何故我々はマール殿に、いや、このような小娘に気圧されて膝をついているのだ?)


 理解が出来ない。事実上壊滅してしまった今では体裁も整えられないが、仮にも自分達は誇りあるガルディア騎士団。何故先ほどまで名も知らなかった娘に騎士にとって最大限の礼を捧げているのか?


「……リーネ王妃」


 さっきまで騎士たちの筆頭となって喚いていた兵の一人が思わず口にしてしまったという顔でマールを見上げていた。その言葉につられて周りの兵士も伝染するように顔を上げて「リーネ王妃?」「リーネ王妃だ!」「リーネ様なのか? ただ似ているだけじゃなくて?」「でも……あの威圧感、堂々たる振る舞いはどう見ても……」と口々に疑惑の声を上げる。それらの声を全て断ち切るようにマールは橋の木板に強く足を叩きつけて場を静寂とさせる。その覇気、その迫力に物言わぬモンスターたちですら立ち止まりマールに圧倒されていた。


(マール……貴方)


 動きを止めていたのは兵士やモンスターだけではない。マールの友人であるルッカもまた彼女の豹変に気を取られ、銃口を下げていた。ルッカは感じる、背中に何か熱いものがぞくぞくとこみ上げてくるのを。何かがこの場で起きることを確信していた。


「私の名はマール。ごく普通の女の子であるただのマール。でも、今だけは違う!」


 右手を広げて演説をするように兵士達を見渡す。その数20弱。マールたちには知る由も無いが、残るモンスターたちの三分の一程度の数だった。
 マールの眼には光が溢れ、見る者に力を与える。もしかしたら、自分は立てるのではないか? と思わせる。もしかしたら自分はまだ剣を握れるのではないか? と思考させる。もしかしたらまだこの戦いに…………と希望を見せてくれる。


「聞けガルディアの誇りある騎士たち! 私の名はガルディア家34代目王女、マールディア! 私の後ろで逃げ惑い生を謳歌するならばそれも良い! 私を置いて各々の思い人の元に走りたければ止めはしない! だが……」


 一拍置いて、マールはもう一度兵士達の顔を、目を見る。もしかしたら…………自分達は最強の騎士団なのだと思わせる何かが、その大きな瞳に灯っていた。
 兵士達は幻視する。目の前の少女が美しい純白のドレスを纏っている姿を。その姿は見るものを昂揚させ、自分達が騎士である事を思い出させた。


(……なんと勇ましく、そしてなんと神々しいのだ、この少女は)


 騎士団長の口からもれる音は言葉ではない。戦場において無駄な口を叩く騎士などいないのだから。
 騎士団長の目から溢れるものは涙ではない。戦場において涙を流すことほど無様な事はないのだから。
 騎士に必要なものは敵を圧砕する力と技、何者にも負けぬ強い心。残るは一つ、入団試験のときから胸に留めている基本にして最も重要なもの。


「私の隣で戦うならば! 私の前で敵を切り裂く刃と化すならば! そなたらは誇れ! 自分はあらゆる歴史において比べることの出来ぬ天下無双の騎士であると!」


「うおおおおおおおおおお!!!!!」


 国に使える、忠義のみ。







 星は夢を見る必要は無い
 第十三話 ゼナン橋防衛戦(後)










「ギガガガガガッ!!」


「砕けろバケモノどもがっ!!」


 醜い悲鳴を上げる魔物を一刀のもと切り伏せて、兵士たちは前進する。訓練もせず、ただ魔物の身体能力だけに頼った攻撃など受ける理由が無い。敵の伸ばした長い槍を掴み振り回して橋の下に叩き落す。武器が砕けてしまった兵士は敵の槍を拾い、奪い、果敢な動きで敵陣に突撃を続ける。
 止まるなかれ、止まれば王女様に追いつかれてしまう。彼女の隣に立ってともに戦う、それが悪いこととは思わない。ただそれでは騎士とは言えぬ。彼女の後ろで敵に背中を見せて逃亡するなど男とすら言えぬ。目の前で奇怪な音を鳴らすバケモノどもは怖くない。怖いのは後ろで自分達を追いかけて、王女の身でありながら魔物と戦おうとする彼女の存在。
 追いつかれるな、彼女が触れる前に魔物を切り、砕き、叩き落せ、彼女に魔物の汚い手が触れることなど言語道断、彼女の美しい手が魔物に触れることなどあってはならない。


「足を止めるな! 我々が恐れる事は死ではない! 我々の恐れるものは何か!? 自分で思い出せ!」


「おおおおおっっ!!!」


 騎士団長の激励が兵士達の前進速度を上げる。魔物の群れはあまりの早さに対処が遅れて後手に回り、反応する前に骨の破片となって海に落ちていく。
 ゼナン橋防衛戦、この終盤で人間達の猛反撃が始まった。








 雨足が緩み、騎士団の叫びが橋の外まで響き渡ってきた。それほどまでにマールの言葉が胸を打ったのか。
 ……完全に部外者となった俺でも胸が熱くなったんだ、騎士団の奴らが燃えない訳はねえよな。
 いつのまにか俺は立ち上がってマールたちの戦いに見入っていた。騎士団は猪突猛進、自分達の命をマールに捧げるという勢いで剣を振るい槍を払って体を弾に変えて雪崩れ込んでいる。あいつらは普通の人間なのに、魔法も使えないのに、戦いを生き抜き誰かを守っている。


「……俺は、一体何なんだよ?」


 人とは違う魔法という力を持っている。あいつらが魔法に弱いのは実証済み、その上俺の仲間があそこで戦っている。
 なのに……俺は何もしていない。俺がやったことはマールを傷つけて殴り飛ばしただけだ。一つだって役に立ってない、むしろあいつらの戦気を削いだだけじゃねえか。
 マールやルッカが危なかったことは両手じゃ数え切れないほどあった。その度俺は走り出そうとするが、近くに転がる兵士の死体が俺を金縛りにさせる。問いかけてくるんだ、「お前は死にたくないだろう?」って。体が動かない間に危機は去って、安堵する。また敵の凶刃が迫り動き出そうとするが、足が根を張ったように動かない。俺は……あいつらみたいに死ぬという恐怖から抜け出せない。
 俺はどうやって戦ってきた? 王妃や巨大マシンという強敵を相手に俺はどういうことを考えていた? 今や俺にプライドは無い。仲間のいない今の俺では誰かにすがる理由も無い。俺は何を思ってあの死地に赴けばいいんだ?


「誰か……誰か教えてくれ」


 返事は返ってこない。本当に誰でも良いんだ、誰か俺の背中を押すだけで良いんだ、そうしたら俺の足や体を縛る縄が解けるんだ。胸を張ってまたあいつらと仲間でいられるんだ。
 俺がこの旅に納得していないのは変わっていない。未来なんかどうでもいいし、魔王がラヴォスとかいうバケモノを召還したって全然構わない。ただ……ただ、あいつらと離れるのは嫌なんだ。
 いつも近くで俺を守り俺が守ってきたルッカと離れるのが嫌だ。
 太陽みたいに笑っておっちょこちょいで時にとんでもない芯の強さを見せ付けるマールに嫌われるのは嫌だ。
 いつも変な妄想ばかりしてるけど優しくて泣き虫なロボと笑い合えないのは嫌だ。


「何だよ、俺、嫌だ嫌だ言ってるだけで何にも出来ねえのかよ?」


 近くに転がる兵士が俺を睨んでいる気がする。何でお前が生きてるんだ、俺みたいに勇敢な人間が死んで何でお前みたいな臆病者が生きてるんだ、この恥さらし、としつこく責めてくる。
 ……もういいや、別に何言われてもその通りなんだから、反論のしようがねえよ。


 溜息を吐いて、今度こそ立ち上がれないくらいに深く座り込む。半端にやろうなんて思うから駄目なんだ、もう見捨てよう、あいつらならきっと勝てるさ、そうしたら一人でゲートを使って家に帰るんだ。母さんと一緒に暮らして、つまらない職業に就いてぼんやりした毎日を送る。幸せなことだろ?


「……死にたい」


「それは困ったの、人数分作ったというのに余ってしまうわい。じゃから止めとけ」


「……え?」


 俺の独り言を拾い上げたその人物は、にっと笑って橋の上を歩いていった。






「よし、この勢いなら橋の外まで魔物を追い出せそうね!」


 これだけ喧騒としている中で、誰かに聞こえるとは思わず私は言葉を口にした。
 マールは本当に凄い、あれだけ意気消沈していた兵士達をここまで高ぶらせて戦局をひっくり返せるのだから。……彼女、現代みたいな平和な時代じゃなくて、中世とか戦争のよく起きる時代に生まれてたら世に名を轟かせたんじゃないかしら? 言葉は拙くとも、あの迫力はそん所そこらの兵士には出せないわよ?
 魔法を使わずプラズマガンだけで応戦していたお陰で魔力が少しづつ回復していった。ぶつ切りに私は敵のど真ん中目掛けてファイアを打ち込み敵の混乱を誘う。その隙を兵士達がかかさず突撃で活用していく。いや、マジでこれだけ勢いのある騎士団はガルディアだけじゃないのかしら?
 兵士達は致命傷は避けて、小さな怪我をものともせず突き進むのでマールも治療に魔力を裂かずにすみ、私と交代しながらアイスを放つ。俗っぽく言うなら、パターンにハマッたわねこれは。


「ぬーん、人間風情が生意気じゃー!!」


「え?」


 がらがらのだみ声が聞こえたと思えば、私たちが来る前に死体となった兵士達が立ち上がり、私に剣を振りかぶってきた。


「ルッカ殿!!」


 危うく脳天を割られるところで騎士団長が兵士の剣を手甲で遮り事なきを得た。でも何で? 相手側に死体を操る魔物がいたってこと!?


 騎士団の皆がいきなり立ち上がってきた戦友たちに戸惑っていると、骸骨たちが端に移動して、列が出来る。その中から随分と高級そうな服を着た緑色の鯰みたいな魔物が下品な笑い声を上げて現れた。……全く、高笑いのなんたるかを分かってないわね。


「ワシは、魔王様第一の部下魔王三大将軍の、ビネガー。偉大なる魔王様の敵に、死を! ワシのかわいい息子達よ! こやつらに死を与えるのだ!」
 

 ビネガー? なんかそんな名前の調味料だかなんだかがあったわね。
 下らないことを考えていると、ビネガーが腕を振るい、また死体だった兵士達が立ち上がり私たちに攻撃してくる。
 マズい、騎士団の皆は死んで敵の傀儡となったとはいえ、自分の仲間を攻撃するのに躊躇い士気が下がってきている! しかも乱戦になれば誰が生きている兵士で誰が死んでいる兵士か区別できない! ビネガー、腹の立つ笑い方だけど結構いやらしい効果的な方法を使うじゃない……!


「んふふふふ、わしの魔力に恐れ入ったか人間どもめ! さあ、大人しく死ぬがいいわー!」


 くそう、性格的に残念そうな奴が一人加わっただけでまた劣勢に塗り替えられたわ!
 騎士団もさっきまでの勢いがまるで消えうせて、疲労が溜まってきてる。……無理も無いかしらね、さっきまでの勢いが奇跡だったんだもの。


「……ルッカ」


 マールが難しい顔をして私の近くに立つ。やっぱりマールにも分かるみたいね、騎士団の状態も、今の状況がどれだけ悪いかも。
 ビネガーの魔法がどんなものかは分からないけど、多分この橋の上に倒れている騎士団全員の死体を操れると思って間違いなさそう……今すぐ全員の死体を操ってこないところを見る限り、ある程度の距離内にある死体しか操れないみたいだけど……仮に今から引いたとしても、ビネガーが追いかけてきて後ろにある死体を動かせば退路が塞がれる。……考えろルッカ、私は天才なのよ、どんな状況でも突破口を見つけ出せるはずなんだから……!


「何、簡単じゃよルッカ。わしがこやつらを全員蹴散らせば良いんじゃ」


 どこかで聞いた老人の言葉に振り向こうとしたその時、後ろから巨大な針が飛んで高笑いしているビネガーの眉間に突き刺さる。うわ、あれで死なないんだ。


 ビネガーに攻撃が当たり魔法が解けたのか、騎士団の死体は動くことを止めてその場で倒れ始める。続けて人間の力で飛ばしたとは思えない槍の投合が始まり、骸骨たちを槍一本に突き三匹ほど巻き込んで骨塊を作り出していく。


「ふむ、ちいと物足りないが、さっさと終わらせんと王妃が拗ねるでな、早めに決着をつけようぞ」


 右手を異形の形に変えて、他の部位を人間の老人に変化して、杖をつきながら悠然と魔物の群れと対峙する。
 私たちの後ろから現れたのは過去、王妃を巡って戦った偽大臣、ヤクラだった。


「チョコレートが雨で溶けてしまう。時間は掛けたくない、行くぞ娘っ子。騎士団は下がっとれ、ここから先は魔法の使えん人間には厳しいものとなる」


 言うが早いがヤクラは老人に変化している脚力とは思えない速さで骸骨の群れに突っ込み、その中ほどで真の姿を現した。その巨体を生かした強力な突進で魔物をバラバラに、凶悪な腕力で骸骨を橋の外に叩き飛ばす。ヤクラめ、私たちと戦ったときは手加減してたわね? あの時の比じゃないわよその強さ!


 まだ戦おうとする騎士団の説得はマールに任せて私はヤクラと一緒に魔物の掃討を手伝う。正直何もしなくても片付きそうだけど、最後に出てきて美味しいところを掻っ攫おうなんてずるいのよ!
 私は自分の口が持ち上がっていくことを知りながら、今日一番の炎を出すべく精神を集中させた。








「ヤクラ……お前まで戦うのかよ?」


 あいつはここに一人でいる俺を責めず、ただ生きていろと言ってくれた。あの様子ではその後に行うだろう王妃要望のお茶会ならぬお菓子会にも俺を招待する気だろう。
 ああ、あいつの作るお菓子は美味かったっけなあ。きっと今みたいなどん底の気分で食べても美味いと思うんだろう。
 ──今更と言われるかもしれない。安全が確保できてから現れる屑と言われるかもしれない。だけど、前は敵だった奴ですら、魔物のヤクラですら人間たちのために戦っているのだ。……ああそうだ、俺が戦う理由が今見つかった。というか今決めた。ヤクラの登場が俺の背中を押してくれるなんて、なんだか癪だけど、感謝しよう。戦う理由もヤクラに関連することだけど、恥なんて思わない。俺の戦う理由なんて俗っぽいもので充分だ。


「精一杯動いた後で食べるお菓子の方が、美味いもんな」


 俺は雷鳴剣の柄に手を置き、風のように走り出した。








「くう~、なかなかやるな」


 私とヤクラのコンビに全ての骸骨が倒されたビネガーは後ろを向いて私たちに背中を向けて走り出した。こいつを生かしておけばまた戦いが続く、こいつの魔法は面倒くさいし、敵に残しておきたくないわ!
 ヤクラと一緒に逃走を始めたビネガーを追う。後ろからも騎士団を説得したマールが後を追いかけて走ってくる。マールったら、あれだけやる気溢れる騎士団を説得できるなんて、流石は私の友達ね!


「残るのはあの鯰じいさんだけ? へへっ、私たちの勝ちが見えてきたね!」


「安心するのはまだ早いわよ、あの緑鯰、見かけ通りにうっとうしい魔法を使うからね!」


「お主等、もう少し言い方というものを考えるべきではないか?」


 額から汗を流すヤクラ。いいじゃない、事実なんだし、あいつも自覚はしてると思うわよ? さっきから文句を言おうと振り返るけどモゴモゴ口を動かすだけで結局逃げてるし。


「あーんもう! 待ちなさいったら!」


「逃げ足だけは早いわね」


 いい加減覚悟を決めて欲しい。というか逃げるなら逃げるで一気に空間移動とかしてほしいものだ、中途半端に走って逃げるから私たちも本気で追わなくてはならない。いや、逃がすつもりは全く無いけどね。


「少々、お前達を甘く見過ぎていたようだ。しかし、今度はそうはいかんぞ。殺っちまえ! ……え?」


 振り返りざまにまた兵士の死体を動かし私たちを襲わせようとさせるが、死体が動き出した瞬間ヤクラがそれを弾き飛ばし海に放り込んだ。……可哀想だとは思うけど、ビネガーなんかに操られるくらいなら良いのかしらね……?


「下らんのう、これがわしの仕えていた魔王軍の幹部とは。これならこの金髪のお嬢さんに仕えていた方がずっと誇りを持てるわい」


「ち、ちくしょー! こ、今度こそお前達もお終いだぞ! ホントだぞ!」


 まさか瞬殺されるとは思っていなかった大臣が頭からカッカッと湯気を出してヤクラの挑発に腹を立てる。まあ、私もこいつが自分の上司なら仕事先を変えるわね、go○gleとかに。


「ふん、負けおしみね。顔に赤みが差して気持ち悪い色になってるわよあんたの肌。ナメック星人でももうちょっと分を弁えた色をしてるわよ」


「お前なら良いトコ最長老かの? ああ、勿論肌の色だけじゃが」


「二人が何言ってるか分からない……」


 今度貸してあげるわマール。中盤の展開は本当に燃えるわよ、尻下がりスロースターターの投手ゴクウが右投げ左打ちに変えようとする所なんか泣かせどころね。


「ぬううん! 行け、ジャンクドラガー! 魔王様の敵を叩きのめせ!」


「えっ!?」


 ビネガーが体中から魔力を放出すると、私たちの後ろに積み重なってあった骸骨モンスターの破片が動き出し、私たちの前で合体していく……その隙にビネガーはこの場を離れていった。


「あくまで自分は戦わずか……大した幹部じゃ、尊敬するわい」


 明らかな嘘をついて大臣は合体して人の形を造っていく魔物を凝視する。その大きさは私たちを越えて、ヤクラさえも越えて……背高五メートル程で合体が終わり、巨大な骸骨、ビネガーの言うジャンクドラガーが降臨した。
 上半身は人間のそれに酷似していて、時々肋骨の部分が開き呼吸をしているように見える。頭蓋の部分には一つ一つは小さいが数の多い歯がずらりと並び、目の部分には水晶のようなものが付いている。下半身にも眼球が存在し、腰骨の部分から牙のようなものが生えてあり、骨の癖にぐじゅると唾液のようなものを垂らしている。なにより理解しがたいのは下半身と上半身が連結されておらず、上半身のパーツが少し浮遊しているところか。重力の法則を無視するのは機械だけで充分なのよ!


「これは……モンスターのわしが言うのもなんじゃが、薄気味悪いバケモノじゃな……」


「どうしようルッカ、対策法は?」


「まだ戦ってないから分かんないけど……とにかく私とマールで全力の魔法を唱える、ヤクラはその間時間稼ぎをお願い!」


 心得た、とヤクラがジャンクドラガーに向かって突進を実行する。私とマールはすぐに魔法の詠唱を行い精神集中……するはずだったのだが。


「グガアッ!!」


「ヤクラ!?」


 迫ってきたヤクラにジャンクドラガーは伸ばした肋骨を突き刺し、そのまま天高くまで持ち上げた。その後何度か地面に叩きつけてこちらに投げ飛ばす。不味い、あの出血量は命に関わる!


「マール! ヤクラの治療をお願い! 私はなんとかこいつを抑えてるから!」


 私が言うまでもなくマールは体中から血を流しているヤクラに近づき、今まで唱えていた詠唱を破棄、すぐに回復呪文の詠唱へと切り替えた。
 私はジャンクドラガーに視線を移し、あの伸びる肋骨に注意する。とはいえ、私の瞬発力であのスピードを見切れるか? 小さな骸骨だった時に効果の薄かったプラズマガンがこいつに効くとは思えないし……


 敵の攻撃、私がすべき攻撃を分析する。少しの間睨みあって、長い連戦で切れかけていた集中力が途切れたのか、自分でも気づかない知覚の空白を縫ってジャンクドラガーが私に肋骨を猛スピードで伸ばしていた。
 ……駄目だ、この速さは私じゃ対処できない。例え細心の注意を向けていても、避けきるのは無理だろう。
 そのまま目を閉じてしまおうとする目蓋を意地で開きつつ、私は誰かが走る足音を聞いた。








 走りながら途中で落ちていた一際長い槍を拾う。長さは二メートル半。その光沢からモンスターたちの持っていた槍ではなく騎士団の誰かが持っていたものだと考える。


(……ここだな)


 近づいてくる俺の姿にマールが小さく驚きの声を出す。悪いな、いつまでもねちねち怖がっててさ、でも、今戻ったから。まだ怖いけれど、もう逃げたりしないから。
 手に持った槍を棒高跳びの要領で床に刺し、しならせながら反動で高く飛び上がる。視点はちょうどでかい骸骨のバケモノと同じ。随分高いところから人を見落としてるんだなお前、俺がお座りを教えてやるよ。


「だああああっらああぁぁぁぁ!!!」


 槍を手放した後すぐに雷鳴剣を抜き空中兜割りを叩き込む。真っ二つとは言わないが、ルッカに伸びる骨は止まり、地面に倒れさせることに成功した。俺の仲間に触骨プレイしようなんて性質が悪いんだよ。


「ク……クロノ?」


 呆然としながら俺に問いかけるルッカ。まあ、色々と言いたい事はあるがまずこれだけは言わせて貰う。


「ルッカ、チョコレートケーキは俺のだからな」


「え?」


 分からないだろうな、まあヤクラも気を失ってるみたいだし、この場で俺の台詞の意味が分かる奴なんていないだろうさ。
 でも良いんだ、俺の登場台詞はこれくらいがちょうど良い。決め台詞なんて用意出来るほど余裕のある人生送っちゃいねえんだから。さあ、ヤクラのお菓子会が待ってるんだ、王妃様が拗ねない内に終わらせちまおう。


「ルッカ! お前の出来る最っ高のファイアをぶつけてやれ! 俺が時間を稼ぐ、むしろ遅かったら俺一人で倒す!」


「な……! あ、あんたこそやられるんじゃないわよ! 後で治療するにもマールの精神力は限界近いんだから、あんたなんて回復してやらないから!」


 それ良いな、一発でも食らえば応急処置もしてくれねえのか、面白すぎるだろ。
 会話中に骸骨親分が肋骨を伸ばして俺を刺し殺そうとするが、俺は右側に避けて肉薄する。もうちょっと楽しませろよ、俺からすれば久しぶりの会話に感じるんだから!
 側面に立って下半身部分に回転切り。何処が急所だか分からねえんだ、とにかく滅多切りを敢行してダメージを与えてやる!


「ガアアアアッ!」


 ダメージを受けて、というよりうっとうくて吼えた様子だな、やっぱり雷鳴剣単独じゃあ効果が薄いか……? だったら。


「サンダー!」


 相手の頭上に雷を落とすタイプではなく、俺自身の体から電流を放出させる形で魔法を発動する。俺の体を伝って雷鳴剣に流れる電力がさらに増す。……今まで、これで切れなかった敵はいないんだ。お前にも効くだろうぜ!
 ザリッ! と嫌な音を立てて雷鳴剣が骸骨親分の左足を切り取る。本当は両足とも切り落とすつもりだったんだが……文句は言ってられねえか。


「ギグアアアア!!」


 骨でも痛覚があったのか、人間にやられて悔しいという感情があったのか、骸骨親分は耳を塞ぎたくなる奇声を発し、下半身が上半身から分離して治療中のマールに近づく。マズイ! 俺を無視してそっちに行くとは思ってなかった!
 焦って走り出そうとするが、骸骨親分の下半身はルッカの万全のファイアに焼かれて三歩と歩けず地面に炭を残した。俺に満面の笑顔でサムズアップをするルッカに俺は苦笑いを返す。
 お前、そんなトンデモな威力のファイアを俺に当ててたのかよ?


「なにはともあれ……残るは上半身だけだな、イリュージョン骸骨!」


 俺の近くに浮遊する上半身。しかしどうしたものか、俺の刀じゃ浮遊しているこいつには届かないし、相手に浴びせるタイプのサンダーも命中率は悲しいほど低い。ここはルッカのファイアを待つしかないか?
 ほぼ真下にいる俺に骸骨親分は口から火炎を吐きだして距離を取った。こいつ、火炎魔法が使えるのかよ!? 万能じゃねえか!


「クロノ! 距離を取られたらまた肋骨を伸ばして攻撃してくるわよ!」


「分かってるけどさ! 間近で火炎魔法ってのは辛いぜ!? どっちが厄介かって言えばまだ肋骨の方が避けれる分始末が良い!」


 火炎に服や腕を軽く炙られながら俺は転がって火を消す。ああ、一発も食らうつもりがなかったんだけどな……まあ、これくらいならマールの回復魔法じゃなくてもポーションで治るだろ。
 ルッカの言うとおり離れた位置まで移動した骸骨親分は肋骨を伸ばして俺とルッカに攻撃を仕掛ける。俺はともかくルッカにこれを避けるのは厳しいだろうと、雷鳴剣で肋骨を弾き飛ばす。……? 弾き飛ばす?


「おいルッカ! 多分この上半身には俺の魔法が効かねえ、切り飛ばすつもりで弾いてるのに傷一つつきゃあしねえんだ! お前の魔法が頼りだぜ!」


「……分かったわ、と、今完成したわ、があんたに言う言葉ね! さっきよりでかいの行くわよ! ファイア!」


 ルッカが呪文を唱えた瞬間、地面に生えている雑草が枯れて、俺も呼吸が苦しくなる。あの馬鹿、辺りの水素を蒸発するくらいの炎を出しやがった! 離れててくらい言えっつーの!
 その炎は形容するに業火球。上に掲げたルッカの掌の先でちろちろと炎の舌をちらつかせているそれは、業火球そのものよりもそれを作り出しにや、と笑っているルッカの方が恐ろしかった。赤く染まった大地の上で顔を歪めたお前って、正に魔王だよな。


「吹き飛びなさい! この三下アアアァァァ!!」


 骸骨親分に着弾した途端炎の竜巻がその場で生まれ、小さなきのこ雲を空中に浮かび上がらせた。飛び散った火の粉の一つ一つが骸骨親分の吐き出した火炎と同じレベルって……魔族を圧倒する魔力を持つ女。次代の魔王は決定したかもしらん。


「……クロノ、私たち、失敗した、かも」


「ああ? 何言ってんだよ。あんだけ凄い火炎だぜ? バラバラに吹き飛んだかドロドロに溶けたか、とにかくこれで俺たちの……」


 着弾地点を見ると、全魔力をつぎ込んだルッカのファイアを受けて、骸骨親分は無傷のまま浮遊していた。……おいおい、こいつ、俺の天の属性だけじゃなく、火の属性まで耐性があるのかよ!?
 完全に決まったと思ったんだけどな……とこぼしながら刀を構えると「私だって全力を出したのにこれなんだから、結構へこんでるわよ」と文句というか、愚痴を言われた。
 しかし天の属性、つまり雷関連の攻撃が効かないとなれば俺の雷鳴剣は勿論、ルッカのプラズマガンだって効くとは思えない。残るはマールの氷魔法だけだが、マールはヤクラの治療にかかって手が離せない。
 いっそ、そこらに落ちている普通の武器で切りかかるかなと思っていれば、マールの制止を聞かず傷だらけのヤクラが背中を起こしていた。


「マ、マール。わしのことは今は良い、まず先にあいつを倒すことを考えい……」


「駄目だよ! 貴方凄い傷なんだよ!? 私の回復魔法でもまだ完全には治せてないの! 早く寝て治療を続けさせて!」


「はあ、はあ……今ここでジャンクドラガーを倒さねば、どの道全員死ぬのじゃ、ならば、わしの治療よりも先に奴を倒すことを優先せんか……」


 何度も拒否をするマールだったが、ヤクラの説得に根負けして、俺たちの近くに走ってきた。……あいつ、ジャンクドラガーっていうのか。途中参戦だからその辺の情報全然知らないんだよな。


「……あの……クロノ」


「話は後だ、今はあいつにアイスを唱えてくれ。魔力はまだ残ってるか?」


「う、うん。あの人にかけるケアルの魔力を残しても、あと三発は撃てるよ」


「充分だ、頼んだぜ」


 詠唱に入ったマールを守るのが俺の仕事だ。とにかく動き回ってジャンクドラガーを俺に注目させる!
 地面を蹴り、時には石を投げたり雷鳴剣の鞘を投げたりととにかく俺だけに注意を集中させる。さっきの火炎で足をやられてなくて良かった。俺から移動力を取れば何も残りはしないんだから。俺にとって数少ない自慢の足で引っ掛き回せ!


「……!?」


 まだまだ体力が残っているはずなのに、体が重く感じる。意識も混迷としてきて、頭に血が入ってこない。まるで貧血のような眩暈が起きる。
 よく目を凝らしてみれば、俺の体から赤い光が漏れて、その光がジャンクドラガーの口の中に入っていくのが見える。これも魔法なのか? くそ、足に力が入らねえ……


 今が好機とジャンクドラガーが口を開き俺に迫る。肋骨を伸ばす遠距離攻撃じゃなく確実を期して直接噛み砕くつもりか!
 体を横に飛ばそうと左に飛ぶが、力が入らずに地面に倒れるだけとなる。あいつめ……最後まで切り札を隠してたのか……
 俺の体がジャンクドラガーの口に砕かれる寸前、マールと目が合った。その顔は頼もしそうに笑っていて、こんな状況でも俺は笑ってしまった。だって、これで俺たちの勝利が確定したんだから。


「アイス!」


 悲鳴を上げる暇も無く全身が凍りついたジャンクドラガー。氷塊となりながらもまだ氷の中で動いている生命力には感心するよ。
 俺は倒れたまま最後の力を振り絞り近くに刺さってあった槍を抜き、下から突き出して粉々に砕く。……これで、ゼナン橋の戦いは終わりだ……。


「やったわねクロノ!」


「ああ……あとは大臣を治療して……! マール避けろぉ!」


「ふぇ?」


 飛び上がって喜んでいたマールに体を砕かれながらも頭だけで動くジャンクドラガーが歯を伸ばして迫る!マールはまだ自分の身に何が起こっているか分かっておらず、ルッカの速度じゃ間に合うはずも無い! 俺は体の力が抜けて立ち上がることさえ……


 そこから世界がスローモーションとなる。
 御都合的に俺だけが動くなんて奇跡は働かない。
 ゆっくりと、ゆっくりと、マールの体にジャンクドラガーの鋭い歯が近づいて……


「どかんかリーネー!!!」


 そこで世界はクリアとなる。


「……え?」


 後ろからマールを押しのけたヤクラが、ジャンクドラガーに串刺しにされている光景を鮮明に見せるために。
 数十はあるジャンクドラガーの歯が、ヤクラの体を貫き、地面に咲く草花を赤く彩っていた。ヤクラから流れる血は止まるはずも無く、ジャンクドラガーが死んで塵と消えた後でもヤクラの傷だけは消えないまま、ドシンと地面を揺らしてヤクラが倒れた。


「ヤクラーっ!!」


 ルッカがすぐに駆け寄り、俺も力の入らない足腰を𠮟りながら這ってヤクラに近づく。マールは回復魔法を使うことも忘れて呆然と自分の顔に付いた血を手で拭い、倒れているヤクラを見つめていた。


「マール! 早く回復呪文を!」


 ルッカの声が耳に届き、マールはヤクラにケアルを使う。確かに傷は塞がっていくが、全ての傷穴が塞がるのには長い時間がかかると予想できた。ヤクラがそれまで生きていられるとは思えない。ただでさえ血を失っていたのだ、さっき動けたのも気力のみで自分の体を立たせたのだろう。


「な、何で……? 何で私を助けたの……? 貴方は、貴方はこの時代の王妃様を愛してるんじゃなかったの?」


 瞳から大粒の涙をこぼしながら、マールが何で、何で、とカラクリのように繰り返す。目を瞑っていたヤクラが、その大きな手でマールの涙を拭おうとするが、顔まで手を持ち上げることすら叶わず、残念そうに笑った。


「何で、じゃろうなあ……あんたがリーネ王妃にダブって見えた。そうすれば、体が勝手に動いてしまったんじゃなあ…………ううむ……困るのお、いや……全く困ったわい……腕が、上がらん……」


「ヤクラ!」
「ヤクラさん!」


 ルッカとマールが消え行くヤクラの存在を繋ぎとめようと必死に声を掛ける。戦いが終わったことを知り、足を引きずりながら到着した騎士団も、今の状況が分かったのか、痛ましそうに顔をゆがめる。それはそうだ、ヤクラはモンスターだけど、彼ら騎士団のために戦った。正確には王妃の為なんだろうけど、それは彼らにとっては同じこと。王妃を守るというのは、彼ら騎士団の目的でもあるのだから。


 うっすらと開いた眼で、ヤクラは小さく、本当に困ったように笑った。


「これでは……チョコレートが……作れ……ん……わ……」


「……ヤクラ?」








 ゼナン橋防衛戦にて。
 死者98名。
 重傷者12名。
 軽傷者23名。
 生き残った兵士達が、皆口を揃えて言う事がある。
 我々は、本当の意味で稀代の英雄を見た、と。
 後の世でモンスターであるヤクラの名を知るものは少ないが、ガルディア王家に代々伝わる宝物庫の中に彼を描いた絵画があると言われている…………














 少し遠ざかっていた雨が、また強くその存在を強調し始めた。
 誰もその雨を防ごうとは思わない。誰も城に帰還しようと言い出さない。誰もがまだ帰るべき人数が揃っていないと感じているのだ。王妃様が心待ちにしている者がいないのだ。


「あんたがいないなら、誰が王妃様を笑顔にしてやれんだよ……」


 俺の言葉に答えを返すものはおらず、ヤクラの体は塵となり、海の向こうに流れていっても、誰もその場を動けなかった……






























 王妃とヤクラ








 王妃の部屋を出て修道院の台所に向かう。まさか、怖がらせるだけ怖がらせて殺すつもりだった王妃の我侭を聞くためにお菓子を作るハメになるとは……これが終われば王妃を背に乗せてお馬さんごっこ……悲しいを通り越してなんだか笑えてしまう。


「大臣ー、早くしないと私はお腹が鳴って泣き出してしまいそうです……」


「泣いては駄目じゃ! 泣く子は鬼に攫われてしまうぞ!? すぐに作って持って行くからちょっとだけ待つのじゃ!」


 いかんいかん、早く調理して王妃がぐずるのを防がなくては! わしは駆け足で台所に向かった。


「しかしヤクラ様はいつあの王妃を喰らっちまうのかね?」


 その途中わしの部下のモンスターが何か話しているのを聞き、物陰に隠れて会話を聞く。


「さあな、自分で食べる気がないなら、俺たちに譲ってくれないもんかね? あんな美味そうな人間はそうそういねえぜ?」


 やれやれ、わしが捕まえた人間が美味かろうが不味かろうが関係ないじゃろうに……
 おっと、こんなことをしていて王妃が泣き出してはいかん。早く厨房に向かわねば……


「なんなら、俺たちで勝手に食っちまうか?」


 走り出そうとした足が止まる。


「良いねえ、どの道殺すつもりなんだし、俺たちでヤッちまうのも悪くない」


 ……気にするな、あの王妃がこの程度のモンスターにやられるわけはないし、仮にやられたとしてもわしにすれば万々歳じゃ。むしろわしはこの部下どもにエールを送って……


「どうせあの王妃はお頭がイッちまってるんだ、適当に騙せばサクッと殺せるさ」


「そうだな、あいつの好きなお菓子に毒でも混ぜるか? 簡単に食っちまいそうだぜ」


 耳障りな笑い声が頭に響く。それが何故か、今とてつもなくわしの機嫌を損ねる声に聞こえて、腹の底にマグマが溜まっているような錯覚を覚える。


「ん? ヤ、ヤクラ様!? ど、どうなさいました?」


「…………消えろ」




 ふう、これでまた部下を補充せねばならなくなった。全く面倒なことじゃ。それもこれもあの王妃が悪い。全くどういう教育をうけたらあんな我侭な娘になるのか。


「うむ、後は形を作るだけじゃの」


 エプロンを腰につけてお菓子を作る姿、これはわしの子供達には見せられんのお。そもそもお菓子などという嗜好品をモンスターは好まんからな。人間とはつくづく不思議じゃ、こんなチョコレートとやらであれほど満面の笑みを浮かべられるのじゃからな。
 昔一度、わしも口にしてみたことがあるが、どうやらモンスター全体に合わないのか、わしの種族に合わぬのか、食べて飲み込んだ途端吐き気が収まらんようになった。よく王妃が一緒に食べようと誘ってくるが、わしはすぐに断るようにした。
 ……ただ、最近王妃の誘いを断るのが辛くなってきた。あいつめ、わしがいらぬと断れば酷く悲しそうな顔をするのじゃ。理解できん……理解できんが、何故かそれを見ると悲しい気持ちになる。
 ……悲しい気持ち? 自分で言ったがよく分からんな、そもそもわしらモンスターに感情などあるのか? いや、決して無い訳ではない。人間を食べるときに嬉しいと感じ、人間を殺すとき楽しいと感じ、人間に抵抗されると怒りを感じる。うむ、無感情というわけではない。
 話は戻るが、何故王妃はあのようによく笑うのだろうか? わしがお菓子を作るたびにあいつは笑う。一緒に遊ぶたびに声を上げて笑う。夜寝るときに本を読んでやると、やっぱり笑う。分からん。
 ……わしの子供たちを、わしは何度笑わせてやったじゃろうか? 魔族ならこんなことを考える必要は無い。家族間とはいえ、基本的に不干渉が基本。礼儀はあれど、そこに愛情など無いのだから。


「……愛情……」


 わしが王妃に感じるものがそれだとしたら? 王妃が笑うたびにこの胸が温かくなる理由がそれだとしたら?


「ふん、馬鹿馬鹿しいわ」


 だが、時々考えることがある。もしわしが人間で、リーネの父親だったら、と。
 きっと厳格な父親になろうと躍起になるが、結局今と同じでリーネの我侭を聞いてしまうのだろう。その光景が容易に目に浮かぶ。
 お菓子も沢山買ってやるし、終いには今のように好きなお菓子を自宅で作るようになるだろう。
 おもちゃを沢山買い与えて、終いには今のようにぬいぐるみを作ったりするのだろう。
 そしてリーネは笑うのだ。初めて作った苦いチョコレートでも口いっぱいに頬張って美味しいと言って笑うのだ。
 そしてリーネは笑うのだ。初めて縫い物に挑戦したわしの不恰好なぬいぐるみを抱きしめて、ありがとうと言って笑うのだ。


 わしは本物の父親ではないけれど、あの本物以上に手の掛かる王妃はわしの想像を育てるためにわしに攫われたのではないかと思う。
 都合の良い想像だとしても、わしがそう思う分には問題あるまい。それはわしにとっての真実になる。


 出来るならば少しでも長くこの想像が続くように、そんなことをわしは願ってしまう。
 今わしがつけている、この前王妃がわしにプレゼントしてくれた手作りのエプロンを握り締めながら、自分の未来を想像した。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:423dceb7
Date: 2010/08/12 03:25
 雨の中、騎士団長が「この戦いの結果報告は私たちが行います。貴方たちは勇者様を追うのでしょう? 勇者様は伝説の剣、グランドリオンを手にするためデナトロ山に向かいました。今ならまだ追いつけるでしょう」とまだヤクラの死を悼んでいるマールの肩を叩いて言う。
 ……王妃様の泣き顔を見ずに済むのは有難い。俺たちは騎士団長の言う通りそのデナトロ山に向かったほうが良いだろう。ただ、一つ気になることがある。


「騎士団長さん、その勇者様とやらはここで戦わなかったのか? 騎士団の皆が必死に戦ってるのに」


 騎士団長は気まずそうに視線を逸らして「勇者様は我々が盾となり、道を切り開いてこの橋を渡らせました。勇者様とはいえ子供でしたので、近くの人間が倒れていくのは辛かったのでしょう、戦闘には参加できる様子ではありませんでした」


 ? 勇者なのに戦闘に参加できなかった? 馬鹿な、魔王軍を倒そうとする勇者がそんなんでいいのか? 聞いた限りじゃ俺と同じように怖がって騎士団を見捨てて逃げたようにしか聞こえない。とりあえず橋は渡ったようだが。うーむ……


「……デナトロ山、か。マール行きましょう、ここで泣いてばかりじゃ、ヤクラも悲しむだけよ」


 ルッカの都合の良い台詞に、マールは返事をしないまま立ち上がる。俺たちがいくら言っても、ヤクラに庇われたマールの傷は深い。恩を返すことも出来なくなったのだから。


 騎士団と別れる前に、騎士団長が俺に走り寄り、自分の兜を手渡してくれた。これは、俺にくれるってことか?


「クロノ殿、最初は勇気を持たぬ人だと思っておりましたが、それは間違いでした。貴方は挫折しても、そこから這い上がる真の騎士の心を持っています。このゴールドヘルムはそんな貴方にこそふさわしい。どうぞ受け取って下さい」


 尊敬の眼差しで俺に兜を譲る騎士団長に、俺は頭を下げて礼を言う。その兜はずっしりと重く、彼の今まで戦ってきた歴史が詰め込まれているようだった。


 ゼナンの橋を去る俺たちに騎士団全員が、肩を借りたり剣で自分を支えながらも立ち上がって敬礼をしてくれた。少し照れくさいので、後ろを見ずに右手を振り、彼らの応援を胸に歩き出す。


 ……騎士団から俺たちの姿が見えなくなった所まで歩くと、俺はごっつい重たい兜を海に放り込んだ。あの人、善意でくれたんだろうけどさ、今まで被ってたから汗臭いわ色は金色で派手だわ血が付いてるわで使いたいとは全く思えない兜だった。まあ、今度会ったときには魔物との戦いで壊れたと言っておこう。


 このままデナトロ山に行ったところでボロボロのマールとルッカが戦闘をできる訳がない。雨の中戦い続けたおかげで体力の消耗も激しく、特にマールはヤクラの一件で精神的にも憔悴している、俺たちは砂漠のような砂の海の中央に、数本の木が近くに立つ一軒家を見つけ、中に入らせてもらう。
 中にはマールと同じ金色の髪の綺麗な女性、フィオナという女性が一人で住んでいた。彼女は魔王軍との戦いで行方不明となった夫、マルコを待ちながら、一人でこの辺り一帯の荒れ果てた大地に緑を植えようとしているらしい。
急に家に入ってきた俺たちに怪我の治療と布団を貸してくれた優しい女性だ。これで夫がいなければ夜には俺のフィーバータイムが始まったのに。


 その日の夜、夜中になんとなく目が覚めた俺はベッドで寝ているはずのマールの姿が見えないことに気づく。ルッカを起こそうとして肩を揺さぶれば寝ぼけたまま俺にハンマーを投げてきた。天才バスケット高校生みたいなことをするなこいつは。
 ルッカはそのまま起こさずに雨の止んだ外に雷鳴剣を持って飛び出した。あいつ、まさか妙なことを考えてるんじゃないだろうな……えらく落ち込んでたみたいだし……
 

 別に俺もルッカも気にしていない訳じゃない。何度か会話もしたし、ヤクラが良い奴だということも知っている。きっと今も王妃様が泣いていることも想像できる。だからこそ、俺たちは俺たちでできることをしなければいけないんだ。落ち込みっぱなしではこれから先の激戦を耐え抜けるわけがないのだから。


「くそ、何処に行ったんだよマール……まだちゃんと仲直りしてねえんだぞ!」


 外は建物の類は一切ない砂漠、視界を遮るものは無い。ここから見えなければ、マールは随分遠くに行ったことになる。


「とりあえず、家の周りを一周してみるか……」


 ざくざくと砂を鳴らしながら、家を中心にぐるりと周る。すると、雲の隙間から漏れる月明かりの下、穏やかな光に照らされながら、マールが木にもたれて座りながら小さく囲まれた星空を見上げていた。月光に当たる金色の髪は風になびいてその美しさを一層際立たせる。薄い色素の白い肌は透明感を増して今にも消えそうな儚さを演出している。ただ一つ、不満があるとすれば、頬を伝う一筋の涙。


「……マール」


 俺の呼びかけに首を動かして、俺を見る。その眼には初めて出会った時のような輝きが、無い。


「クロノ……ごめん、心配させちゃった?」


「……いや、まあいきなりいなくなればさ」


「ごめんね、ちょっと一人で、静かに考えたくて」


「そうか。ルッカの寝言は煩いからな、静かに考え事をするなら外に出るのは正解だ」


 たはは……と細く笑いながら涙を拭うマールが、酷く無理をしているように見えて、俺はマールの隣であぐらをかいた。せっかく水洗いしたのに、また汚れちまったな。まあ、マールの服も汚れちまってるんだし、別にいいか。


「私ね……ヤクラさんとちゃんと会話したこと無いの」


 二人で夜空を見上げていると、マールが俺に聞かせているのか曖昧な声で話を始める。俺は目線を空に向けたまま、耳を傾けた。


「助けてもらったのに、こんなこと言ったらあれだけど、ずるいよね。ヤクラさんにどういう気持ちを持てばいいのか分からないの。だって、私たちを助けてくれたけど、どういう人なのか知らないんだもん。名前だってルッカがヤクラって呼んでたから分かっただけ。あの人から直接聞いたわけでもないの。……なのに、いきなり私を庇って、死んじゃった」


 堪えようとしている涙がマールの眼から溢れて、自分の服を濡らしていく。今度はそれを拭うことはしなかった。


「ねえ、私のために命を捨ててくれた人がいた。私はどうすればいいの? どうやって笑えばいいの? もう私は笑っちゃいけないのかな? クロノ、教えてよ」


 俺に問いながら、上を見続けるマール。涙を流さないようにするためだろうか? 例え手遅れだとしても、それがマールの意地なのか。俺の手を握りながら縋るマールは、それでも自分のプライドを捨てない。


「……忘れろとは言わない。それが出来れば一番かもしれないけど、そんなことはマール本人が許さないだろ? だから……ずっと覚えていればいい」


 俺に触れている手がピクリと震える。本当に正しい言葉なんか知らないし、俺を守って誰かが死んだなんて経験が無い俺にそんなものを期待されても困る。でも、俺の想像で出した答えなら、マールに伝えることが出来る。


「ヤクラっていう魔物がいて、そいつは俺たちのために戦ってくれた仲間だったって、ずうっと覚えてればいいんだ。多分、それだけでヤクラは笑ってくれるから」


 あいつは、王妃が泣こうとすると困った顔をしていた。だったら、王妃と間違われるくらいに似てるマールが泣いてたら、あいつは喜ばない。だから……


「笑おうマール。今すぐじゃなくて良い、明日からいつもみたいに見る人全員を元気にしてくれる笑顔で、胸を張って生きよう。俺もルッカも勿論ヤクラも、そうすれば一緒に笑えるから」


 時間は丁夜を過ぎる頃。月まで響く大声でマールは号哭し、俺の体を抱きしめた。


 マールの体温を感じながら、俺は口に出せば必ず殴られるだろうな、という考えを頭の中で浮かべていた。
 ……これ、フラグ立ったんじゃねえ?


 地平線より太陽が覗くまで、俺たちは一本の木の下で影を重ならせていた。







 星は夢を見る必要は無い
 第十四話 恐怖のグランドリオン回収









「御世話になりました」


「いえ、こんなところで一人住んでいると誰かの声が聞きたくなるものなんです。またいつでも来て下さい」


 朝になり、眠たい眼を擦りながらフィオナさんにお礼を言って家を出る。俺たちが向かうのはデナトロ山、ではなく、山村のパレポリ村となった。フェイオナさんが昨日の夜近くのサンドリア村に買い物に行った際、勇者は一度実家のあるパレポリ村に戻ったと聞いたのだ。あいつの出身地ってサマルトリアじゃなかったんだ。こんだけ色々連れまわしておいて。


「……クロノ? 随分眠たそうじゃない?」


 パレポリに向かい、森林が見え始めた頃ルッカが口端をひくつかせながら俺の肩にぶつかってきた。何だよ、龍が○くならバトルところだぞ。


「なんかね、マールも眠たそうなのよねー……あんたら昨日の夜何してたの? フィオナさんから聞いたんだけど、二人して外に出てたらしいじゃない? ……それもなんか泣いてるマールを? あんたが? 優しく抱きしめてたーみたいな話をね? 聞いたのよねー」


 ちょいちょい疑問挟んで間を空けるなよ、あと歯軋りしながら顔を近づけるな、大変怖い。教師の顔に馬糞を投げつけて捕まった時も教師がそんな顔をしてた。そっくりだよお前、50間近の男の教師に。


「何か勘違いしているようだから言っておくが」


「……何よ? どんな弁明をするのかしら?」


「……マールルートに入っただけだ」


「濡れ場経験をしたのか貴様ァァァァァ!!!」


 今日のファイア
 三連発、追加としてプラズマガン五発、ハンマーで殴打、速過ぎて計測不能。
 右腕が動きません。左足が焦げてちょっと良い匂いがします。上手に焼けましたー!


「……ケアルで治るのかな? あれ……」


 俺のハートを一番傷つけたのは、昨日あれだけ良い感じだった俺をあれ扱いしたマールの言葉だったという。真の敵は思わぬところにいるのだよ。
 ルッカの誤解は俺の股間に業火球を投げようとしたところでマールが解いてくれた。もう無理だこのパーティー。俺が生存できる可能性が著しく低い。ていうかもうルッカおかしいよルッカ。人をハンマーで殴るとか鬼畜の所業だもん。むしろその域を超越してる。


「ねえ、クロノ?」


「何だよマール。もう貴方の右腕は動かないとか言われたら俺は復讐の悪鬼と化すから言葉には気をつけろよ」


 俺にケアルをかけながら、妙にそわそわしているマール。買ってもらったおもちゃの袋を開封する時のように眼が輝いている。


「私たち、友達よね!」


「……今更だろ、そんなの」


 曇り空は深く、太陽はその姿を隠しているけれど、想像よりも風が湿気を帯びず、軽やかに舞う。
 うん、今日は悪くない天気だ。




 パレポリ村に着いた俺たちは、勇者の家を探し中に入る。村人達は躁状態でこの村から勇者が、勇者がとやかましい。お前達が勇者って訳でもないんだ。便乗してテンションを上げるなうざったい。
 家の中には勇者の父親しかおらず、本人はもうデナトロ山に向かったとのこと。言わないようにしてたけど言うわ。勇者とかもうよくない? 必死こいて子供の勇者を探してる俺らって多分馬鹿だぜ? 別にそいつがロトの血を引いてるわけでもあるまいし。
 二人もそう思っていたようで、気分直しに一杯引っ掛けようぜと酒場に向かう。マールが「大人にならないとお酒は飲んじゃいけないんだよ!」と委員長みたいなことを言うので「子供は大人になる前の通過儀礼として何度か酒を飲まないといけないんだぜ? もしかして知らなかった?」と馬鹿にしたように言うと「しし、知ってるもん!」と少しどもりながら返す。良いね、騙されやすい子は大好きさ!


 酒場に着くと嫌な噂、というか話を聞いた。


「この前この酒場に大きな蛙がここに来て酒を注文してきたんだ、ぶつぶつと王妃様萌え……と呟きながらな。まったく気持ち悪いったら」


 絶対あいつだ。もう二度と関わらずにいようと思っていたのに……こんなところでその存在を知らされようとは、つくづく運が悪い。
 酒を飲まずに出ようとすれば、ルッカが「カエルか……ねえクロノ、久しぶりに会ってみない?」と言い出した。ルッカ、もしかして熱でもあるのか? 座薬入れてあげようか?



「マニアック過ぎるわよど変態。これから辛い戦いがあるんだから、カエルみたいに凄腕の剣士がいればこの先楽になるんじゃないかと思うのよ」


 嫌だなあ、あいつスペックは高くても基本屑だぜ? 本当に嫌だなあ、公衆便所で財布を落とすくらい嫌だなあ。
 マールは「私を助けてくれた人でしょ? 会いたい!」とわくわくしてるし。断れないよなあ、何で勇者を探すためにここまで来たのに大きな蛙なんか見ないといけないんだよ。
 ぶつぶつ文句を言う俺を引きずってルッカは酒場を出る。歩くから手を離せ、お前握力エグイから痛いんだ。


「その蛙お化けに会いたいなら南のお化けカエルの森に住んでるみたいだ、モンスターがいるから気をつけるんだな」


 酒場から出る前に俺たちに余計な情報を提供してくれたおっさんが声を掛ける。どこまで俺を不快にさせるんだこの男は、臭い口臭を撒き散らしやがって。
 マールがありがとー! と手を振れば、汚い髭面をゆるめて手を振り返す。マール、お前水商売的な仕事とか向いてるんじゃないか?




「うわ暗っ! 前見づらっ! クロノ、あんた先頭に立ちなさいよ、それで虫とかを追い払って、もしくは体につけて離さないで。私虫とか嫌いなんだから、こういう薄暗い森は嫌いなのよ」


「お前の理不尽さにはほとほと愛想が尽きた。残るは殺意唯一つ」


 ルッカの人間の底が見える発言には思わず刀を抜きかけたがその前にルッカの抜き打ちが早かった。そういう星の元に生まれたのさ俺は。諦めるのには慣れている。


 お化けカエルの森はガルディアの森ほど広くは無いが、それ以上に道が荒く、森の木々が邪魔をして光が入ってこない。カエル以外の人間が通らないので木の伐採はおろか、舗装さえされていないのだろう。かろうじて人が通った形跡のある道を進んで奥に向かう。流石は人外。住んでいる所からして違う。
 
 俺たちの前に現れたモンスターだが、ルッカが目に付いた瞬間焼き払うので大変楽だったと言っておこう。俺たちと一緒に戦ったカエルほど大きくは無いが、蛙型のモンスターが大半だったのでルッカが悲鳴を上げながら魔法を唱えるのは痛快だった。いいぞ、もっとルッカを怖がらせろモンスターども。
 
 マールもルッカの傍若無人ぶりに思うことがあったのか、俺と一緒にルッカが慌てる様を見て笑っていた。この子は本当に良い子だ、今度またキャンディを買ってあげよう。
 ただ、蛇のモンスターがその蛙モンスターを食べだした時は思わず凍ってしまった。うわ、カマキリが他の虫を捕食するところは見たことあるけど、これだけでかいと迫力あるなあ。ルッカを見るとジャンクドラガーにぶつけた時ほどでかいファイアを作り出していた。
 そうして傷ついた心を癒していると、半泣きになったあたりでルッカが笑っている俺とマールに気づき、炎を仕掛けてきた。真顔で逃げる俺たちを炎が追いかける、まさか追尾型? どんどんレベルアップするなあルッカの魔法は。
 
 俺たちの逃走劇はマールに「ごめんクロノ……貴方のことは忘れない!」という言葉と同時にかけられた足払いで終了となった。うわ、炎ってこんなに赤いんだ。とりあえずマールは俺の呪うリストのトップを飾ることになった。あのビッチまじありえん。




「……さあて、ここに来るよう言ったのは誰だ? 俺は終始反対してたよな? じゃあ俺を丸焼けにしたルッカか? それとも俺を裏切った挙句逃げ切ったマールか?」


 二人は俺の言葉に顔を逸らして汗をたらりと流していた。こら人の話を聞く時はちゃんと相手の顔を見なさい、そんなんじゃ内申書に傷が付くぞ? 俺は全然怒ってないんだから、いや叩っ斬りたい衝動が生まれつつあるけど、全然怒ってないよー?


 草むらに隠れた梯子を見つけ、恐らくカエルの住む所だろうと梯子を下ると、下にはベッドやタンス、食料や水など誰かが住める環境があり、間違いなくカエルの住処なのだろうが……テーブルの上に一枚のメモが。


『留守です。勝手に物を取ったりしないように。王妃様は可』


 間違いなく留守だった。
 俺たちは中の食料を丸ごと頂き、持ちきれない分はぐしゃぐしゃに潰した。水は飲めるだけ飲んで、残った分は水の入っているタルに穴を開けて地面に浸透させた。服の類はルッカの裁縫技術を駆使して腕や足が入らないようアレンジした。お洒落過ぎてもう町が歩けなくなれば良い。
 全ての悪戯を終えた後、悪いのはカエルではないと思い至ったが、もう今更だよな、と三人で笑いお化けカエルの森を後にした。ちょっと、スッキリしていた。




 森を抜けてデナトロ山に向かう。村で聞いた話では、フィオナさんの家から北に山の入り口があるとのこと。一度フィオナさんに会おうかと家に着くが、ちょうど買出しの時間だったようで留守だった。仕方なく俺たちはまたデナトロ山に進路を向ける。最近歩いてばっかりだ。無駄足も多い、お百度参りかっつの。


「ねえクロノ!」


「何だマール、もといビッチ」


 全力全開なパワーで俺に膝蹴り。諦めるなよ! もっと頑張れよお! と自分に言い聞かせて胃の中のものを吐きながら立ち上がる。こいつが王女だなんて認めねえ、何が何でも認めねえ……!


「あのね、勇者様ってどんなのかなあ?」


「お前みたいな悪人以外を救う優しい人のことだよ」


 ファンタスティックな肘鉄が脳天を貫く。幸せを掴め夢を語れ! 未来への切符はいつも白紙なんだ! と自己暗示を完成させて鼻から脳みそが出そうな気分を抑えて両足で立つ。


「まだ子供なんだって! 凄いなあ、どんな子なんだろ!」


「お前の薄汚れた性格じゃあ想像もできない立派な子なんだろうな」


 天はざわめき地は恐れる、世界よ謡え! これが武というものだ! なモンゴリアンチョップ降臨。もう……ゴールしていいよね? と儚げに笑いながら倒れる俺。両肩脱臼は免れない。


「楽しみだなあー」


 鼻歌まじりにスキップスキップ。もし世が幕末ならば、お前なんか問答無用に切り捨てていたものを……
 理不尽な世界を呪い、俺は両腕をだらりとぶら下げながらデナトロ山を目指して歩き出した。




「うっひゃ~ッ!」


「誰だよこの御時勢でそんな古い叫び声をあげるのは? ルッカか?」


 俺は寝言でもう食べられないよとか言う奴が大嫌いなんだ。そういうよくあるネタみたいなことをされると股裂きをしてやりたくなる。小学校の時カーテンに巻きついて遊ぶ? 誰もしねえよそんな馬鹿なこと!


「クロノ、上、上」


 ルッカが人差し指を上に向ける。何だろうかと顔を上げると小さな、ロボくらいの子供が半べそをかいて何かから逃げていた。まあ逃げるのは良い。だが逃げながら子供は手を振り回している。それもいいだろう。ただ一つ問題があるのは、振り回した手が木や岩にぶつかるたび粉々に砕き、その残骸が俺たちに向かって落ちてきているということだ。……落ちてきているぅ!?


「うっひゃ~ッ!」


 思わず子供と同じ叫び声を出しながら逃げ回る。いや、小学校でカーテンに巻きつく、確かにあったわそんなこと、うん。
 逃げ回って岩や木が俺にぶつかっているのを横目にルッカは落下物をファイアで焼き払い、マールはアイスで氷柱を作り防御壁としていた。おまえら良いなあ、俺もそんな風に色々応用の効く魔法が良かったなあ。


「な、なんだよあのガキ、人間じゃねえだろあの力!」


 上から何も落ちてこなくなると、俺は体中に痣を作って文句を言う。あ、左の二の腕紫色になってる。


「もしかして、あれが勇者なのかしら?」


「あの逃げ回ってた小僧が!? 確かに規格外の腕力を持ってることは認めるが、ふざけんな! 勇者ってのは勇ましい者と書いて勇者なんだよ! クロノと書いて美しいと読むように!」


「キショイねクロノ。でも、あれが勇者様なんて、ちょっと複雑だなぁ……」


 流れるように溢したその言葉、俺は忘れんからなマール。


 勇者? が逃げた方向を見ていると、また勇者が走って現れる。次、俺たちに危害を加えるようなことがあれば仮に勇者だとしても制裁を与えてやる。斬殺凍死火あぶりのどれかは選ばせてやるが。


「こ、ここは、とんでもないトコだ! あ、あんちゃん達も、アブナイぜ とっとと、ズラかんねーと」


 小物臭満載な台詞を残して、子供はまた走り去っていく。……勇者ェ……
 そのまま何も考えることが出来ず立ち尽くしていると、山の道、その奥からモンスターが三匹現れた。正直、今の気分は戦うようなもんじゃないんだけどさ、そういうことを言っても戦わなきゃいけないんでしょ? そういう空気が読めない所を改善できたらもっと愛されるようになると思うよモンスター君。


 モンスターはオレンジの髪を揺らし、二メートル以上ある巨体で地面を揺らして俺たちに近づいてくる。弓形に曲がった口から先の尖った牙が見え隠れして、腕と足は丸太のように太く、岩でも砕きそうな力がありそうだった。
 三匹の内真ん中のモンスターは身長と同じくらいの長く大きな木槌を持ち、ぶんぶんと振って落ちている木の葉を舞い上げていた。なんていうか、もっと穏やかにいこうぜ、な。


 モンスターたちは俺たちが武器を取り出すと立ち止まり、その笑みを深くした。木槌をもつモンスターはその巨大な武器を回転させて、地面に叩き付けた。瞬間小さな石は一斉に飛び上がり跳ねた。モンスターのくせに力をアピールするとは、さては目立ちたがりだな?


「グオオオオオオオ!!」


 リーダーらしい木槌を持つモンスターが吼えると、残りの素手のモンスターが飛び掛る。マールがアイスを使い凍らせようとするが、その巨体から想像できない機敏な動きでかわし、俺に自慢の腕をぶつける。咄嗟に雷鳴剣を抜いて受けるが、モンスターの皮膚が硬く、切り飛ばすどころか少しづつ押されてしまう結果となった。


「くっ! こいつら強いぞ、マール、ルッカ! 早く魔法で援護を!」


 後ろに飛んで膠着状態から抜け、助走を加えた切り込みを当てようとするが、残る一匹が俺にタックルを仕掛けてきたので中断、回避する。
 硬い、速い、強い、全体的に強いモンスターってのは初めてだな……俺の魔法を使って切れ味を増せば切れるかもしれないが、どうにもそんな隙は無さそうだ。詠唱を唱えた途端またさっきのタックルを当ててくるに違いない。


「まだ充分な詠唱はできてないけど……ファイア!」


 ルッカのファイアは自分で言った通りまだ完全では無かったのか、少し火力が弱いように見えるが仕方が無い。このままなら俺が倒されその勢いで後衛の二匹もやられてしまうだろう。
 炎は素手の二匹の頭上を越えて、リーダー格のモンスターに襲い掛かる。なるほど、上を倒せばこいつら二匹は無力化できると踏んだのか!
 いきなり自分を狙うとは思っていなかったのだろう、木槌を持つモンスターは襲い来る炎に驚いて武器を手放してしまった……しかし。


「あ、ああ!」


 ルッカが短く叫んだ理由、それはファイアが木製の木槌を標的にして、モンスターには当たらなかったこと。ルッカでさえ、まだ使いこなせてないってのか、魔法ってやつは!


 俺たちが後ろずさり、ここは一度引くべきか? と考えているとリーダー格のモンスターの様子がおかしい。燃え尽きた木槌を見てなにやら泣いているように見える……あれ?


 モンスターたちは三匹集まり、木槌を燃やされたモンスターを他の二匹が慰めている。


「え? これってあっちゃんが徹夜で作った奴やろ?」

「うん……お母さんも手伝ってくれて、お父さんも良くできたなって言うてくれてん……」

「嘘やん、もう跡形もないで……どうする?」


 子供だったの? とかお前ら人間の言葉喋れるのかよ、とは言わない。今それを言うと無粋な気がしたし。てかなんだろ、友達とふざけてたらおもちゃを壊して静かになったようなこの空気。ミニ四○とかで遊んでるとよくあったよね。


「ルッカ……酷いよ」


「え! 私が悪いの!?」


マールが眼を細めてルッカを睨み、非難する。正直俺はルッカが悪いのかなあ? と思うが、ルッカを堂々と責める機会なんて早々ないからここは乗らせてもらおう。


「ああ、いくらモンスターとはいえ誰かのものを燃やすとはまともな人間のやることじゃないな」


「クロノまで! だってあいつの木槌って、どう考えても武器だったじゃない!? 燃やして何が悪いのよ!」


 あくまで自分の非を認めない(非?)ルッカがモンスターたちに指を向けるとすすり泣くような声が大きくなった。 


「武器ちゃうもん、これ、折角作ったからいっくんとゆうちゃんに見せたかっただけやもん……」

「あっちゃんの木槌持ってる姿、格好良かったで? また作ろ? 僕らも手伝うから、な?」

「うん、一緒に作って、出来たらまた遊ぼ、今度はもっと大きいん作ったるやんか」


 これ何ていうタイトルの友情ドラマ? 『木槌・オークハンマー~貴方は、今まで泣いた事がありますか?~』みたいな感じ? 売れる気がしねえ。


「ルッカ、あっちゃんに謝ったほうがいいよ」


 マールよ、あっちゃんて。


「マール、お願いだから眼を覚まして。あいつらはモンスターなのよ!」


「ルッカが人だのモンスターだので差別するような奴とは思わなかったよ。幻滅だぜ」


「ううう……あ、あっちゃんごめんなさい……」


 僕らも悪かったから……いきなり遊ぼうとしてごめんなさい……と胸の痛むような言葉を残してトボトボと去っていくモンスターたち。あれって戦いを挑んだんじゃなくて、じゃれてただけなんだ? 
 すっごい後味悪い戦闘だったな、ルッカの奴は目が死んでるし、マールはまだルッカに怒ってるし。俺はいつ笑えばいいのか分からない。怖いところだぜ、デナトロ山……!


 俺とマールの言葉の集中砲火をくらって意気消沈しているルッカを見て、戦闘は無理かもなと考え時の最果てのじいさんに連絡し、タバンさんの手で修理を終えたロボを呼び寄せることにした。いつものルッカなら絶対に反対しただろう決定に今のルッカはただ頷き交代に賛成した。……いつもあんななら俺が平和なんだけどなあ。


「デハ、これからはワタシが皆サンをサポートします」


「ああ待てロボ、これからは戦闘が続くだろうから、そのボディは脱げ。デナトロ山を出ればすぐ着せるけどな」


 俺の言葉に頷いて、ロボはボディを脱ぎ、ルッカの元に転送させる。いいねこの機能、あの時の最果てのじいさん結構役に立つじゃねえか。


「とうとう僕の出番ですか……それで、僕の力でこの山を薙ぎ払えば良いんですか? 僕としてもこの山の生物を蒸発させるのは辛いですが、正義という大いなる大儀のためには価値のある死、王業を背負う僕だからこそ下せる決断かもしれませんがね……」


「お前の発言には一々うんざりする。これから先無駄口は叩くな。そこら辺に生えてる草でも咥えてろ」


 しゅんとなりながら素直に雑草を抜き取りその葉っぱだけを咥えるロボはとても滑稽だった。でもなんだかマールが怖いから止めなさい。あの子基本的にお前に甘いから。あの子お前みたいな可愛い系の男の子が好きなアレな子だから。


 俺、ロボ、マールの三人パーティーは何気に初めてだったが、中々上手く回るパーティー構成だった。マールが飛び出してくる魔物を氷で足止め、立ち止まった敵をロボのレーザーで消して取り逃しを俺が片付ける。いまいち俺が活躍してないけど、俺の役目も大事なはず。ロボが取り逃したことないから、俺何もしてないけど。

 デナトロ山の宝箱はアイテムが豊富に入っていた。ミドルポーションにエーテル、エーテルの高級品ミドルエーテルにどれだけ深い傷を負っても意識を取り戻せるアテナの水まで手に入れた。アテナの水という名称を聞いてテンションの上がったロボがまた病気な言葉を使いだしたが無視、無視。
 他にはロボの新しい武器が落ちていたり、銀色のピアスやイヤリングを手に入れたが、マールは耳に何かを付けるのは嫌だということでイヤリングは捨てて、俺はピアスを付けたが二人が「似合わない」と言うのでポケットに入れた。俺だってアングラな男になりたいと思う時だってあるのに……
 山を登っていく中分かれ道に出くわした。右側に進めば行き止まりだが、宝箱が置いてあり、左側はまだまだ先に続く道が見える。先に宝箱を回収しようと右側に進めば草むらの中にデナトロ山入り口で出会った木槌三人組がせっせと太い丸太を削っている姿が見えたので見つかる前に戻る。宝箱を取るためにあんな気まずい思いをするのはごめんだ。どうせしょうもないアイテムしかない、そう心に言い聞かせて。


「なあマール。ここまで登ってから言うのもなんだけどさ」


 俺はさっきから、正確にはデナトロ山を登りだした時から感じていた疑問をマールにぶつけてみようと声をかける。


「何? クロノ」


「勇者らしきガキがここから逃げ出したのに、俺たちは何をやってるんだ?」


「……そういえばそうだね。どうしよう? ここまで山道を歩いてきたのに無駄足なの? 私足に豆が出来て痛いのに……」


「僕が治療しましょうか? このエンジェルビクタードットコムビームで」


 お前のケアルビームは色んな名称に変わるなあ。最初に聞いた名前と随分違って聞こえるんだが。どうせその場で思いついたカッコいい言葉を言ってるだけなんだろう。


 勇者云々は置いといて、この山にあるグランドリオンという剣を持っていこうという話になった。伝説の剣というなら凄い切れ味なんだろう、俺が使わせてもらえば良いさ。ロボが「伝説の剣!? 僕が持つ僕が持つ!」と煩いのは腿キックで黙らせて歩行再開。……あのね、蹴った本人に抱きつくのはおかしいと自分で思わないのかロボよ。


 それからもモンスターは懲りずに現れたがさらりと撃退。下らん下らん、これならロボ一人で倒せそうだ。実際そうだったけどさ。俺のパーティー内におけるレゾンテートルが見つからない、家に帰ってシロップでも聞こうかしら?


 俺の持病であるヘルニアが猛威を振るう中、ようやく頂上に辿り着いた。右も左も谷底、滝の流れる音が嫌に耳に付き、見回せばいかにも妖しい『ここが目的地だよ!』みたいな洞窟があった。もうちょっと分かり辛い場所にあるかと思ってたよ、マスターソードみたいにさ。


 洞窟の中に入ると思わず眼を閉じてしまう。外よりも風が強い、天井に大穴が空いてあり、そこから強風が入り込んでいるようだ。あああ、強い風は腰に響くかららめえ。
 腰を手で押さえながら少し屈む。……なにやら二人の子供が遊ぶ声が聞こえてくる。あれか、あの子供勇者(笑)がここにいるのか? と心なしか顔が怒りに歪むが、俺の予想は外れてロボよりも小さな子供が無邪気に跳ね回り、キャッキャッと遊んでいた。……何か怖いな、こんなところに子供だけで遊んでるだなんて。都市伝説にありそうなシチュエーションじゃないか。


「あははあははー!」

「楽しいね、楽しいねー!」


 イカレとる、右脳も左脳もイカレとるこの子供たち。ここは一つロボの回転レーザーで除霊してもらおうとロボに頼むが青い顔で「何考えてるんですか!」と怒られた。ちっ、何常識人気取ってんだよ。これはあくまで必要悪であって……


「クロノ! あれってもしかして……」


 マールが興奮しながら俺の論理展開を邪魔する。彼女の視線を追うと、そこには大仰な剣が地面に刺さっていた。あれがグランドリオン? あんなでかい剣振り回せる気がしねえ。どっちかって言うとカエルのような本職の剣士が持てそうな……やめよう、思えばそれは形になってしまう。


「とにかくあれは持って帰ろう。最悪城に持って帰れば大金をせびれるはずだ」


 俺のアイデアを聞いて二人が引き気味だが関係ない。偉大な思考を持つ者に世間は冷たいものなんだから。


「ダメッ!!」


 今さっきまでラリっていた子供の一人が剣に近づくと石を握った手で殴ってきた。この子達の親何処ですかー? 礼儀とか云々が足りないどころじゃないですよー? これ殺人容疑ですよー? だから少年法なんか無くせって口を酸っぱくして言ってるじゃないか!


「お兄ちゃん達も、取りに来たの? グランドリオン」


「先にお前の質問に答えるならイエスだ。そしてお前らは兄ちゃんの頭から出る赤いものを見て何か言うことはないか? 無いなら裁判だ裁判。訴訟の準備は出来ている」


「うーん、そーか。ちょっと待っててね……。おーい、グラン兄ちゃ~ん!」

「どーした、リオン? やれやれ、またか……グランドリオンを手に入れて勇者としての名声がほしいんだろ? くだらないよ……」


 俺の! 俺の! 俺の話を聞けえ!


「人間って、バッカだねー。手にした力をどう使うかが大事なのに……」

「そんな当たり前の事も分からないから人間やってんだよ」


 打ち合わせでもしてたのか、テンポ良く会話を続ける二人組み。無視されて落ち込む俺に半笑いで肩を叩いてくれるマール。もうお前のルートなんて行かない。六週位してもお前のルートなんて選ばない。フラグが立ったような気がしてたけど気のせいだったぜ!


「どーする、兄ちゃん?」

「決まってるだろ、試すのさ。少しばかり、遊んでやろう!」

「うん! 行くぞー!! ぴゅぴゅ~ん!」


 ガンジャでも使ってるのか? と心配するような奇声をあげて糞ガキ二人がその場で回りだす。やばいやばいこれ末期症状だ。サナトリウムにぶち込むだけじゃ駄目臭い。やっぱりロボにレーザー発射を命令するが、今度は無視される。俺の仲間は何処にもいないのか。


「ウ、ウ、ウウウウ!!」


「クロノ! この子たちモンスターだよ!」


 二人の姿が小さな子供から豹変していく。耳は尖り、肌は黄土色へ、目蓋が広がり眼は横長に。身長は俺とロボの中間程に伸びて服装も垢抜けない汚れたものから白く胸の部分に十字架のマークが付いた神官服に変わっていく。強い風をバックに俺たちを見る姿は確かに、人間のものではなかった。
 ……だからレーザーを撃っとけば良かったんだ。半端な道徳心は時に己を滅する銃となる。


 戦闘は二人の糞ガキ、グランとリオンのペースだった。一発一発の打撃はそれほどではないが、そのスピードはロボの照準でも捕らえきれない程で、正に風と化していた。
 俺の刀は掠りもせず、ロボの加速付きタックルですら軽くいなされる。マールの弓は巻き起こる突風に煽られてまともに飛ぶことすらできない。一度俺の腕に弓矢が当たってからマールは魔法に切り替えた。まず俺の腕を治療しろ!
 俺は自分の腕に手持ちのミドルポーションを乱暴にぶちまけて、がむしゃらに剣を振り回す。眼で追えないんだ、とりあえず攻撃を食らわないように、と考えた結果だが、常に背後から殴られて意味を為さない。腰は! 腰はやめんか!


「ジリ貧じゃねえか……」


 ついに膝を突いて肩で息をする俺に糞ガキは殴るわ蹴るわのやりたい放題。楽しいか、お前ら。そうかそうか。絶対斬る!
 痛む体を無視して立ち上がり二人の体を面でなく線で捉える。俺の動体視力はメンバー1なんだ、必ず当ててみせる!
 気合を入れて鞘に入れた剣を居合いで抜き、左から刀を払う。俺に近づいていたリオンに雷鳴剣が甲高い唸りを上げて迫る。


「遅いよ、お兄ちゃん」


 捉えた気になっていたのも束の間、リオンの誘いだった隙に斬り込んだ俺はあっさりと避けられて顎を膝で持ち上げられて宙を飛ぶ。一度バウンドして倒れこんだ俺に踏みつけの追撃。くそ、速さに特化した敵がここまで厄介とは……


「アイス!」


 マールの魔法でリオンは飛び上がり俺から離れる。さらにダメージを負う事は無かったが、さっきの流れで大分体力を削られた。刀を握っているのが精一杯だ、とてもじゃないがあいつらに当てられるほどの斬撃を放てるとは思えない。
 ロボもなんとかくらいつこうと懸命にグランとリオンに迫るが、タックルは当たらず、レーザーも出すだけ無駄になってきた。……あ、あいつ頭を蹴られて泣き出しやがった。勘弁しろよ結構やばい状況なんだから……!


「うわあああんグロノざあんー!!」


「グロノって誰じゃい! っおい馬鹿引っ付くなって!」


 ロボに足を掴まれた俺は格好の的。俺の上半身を眼に見えないパンチやキックで揺らしていくグランとリオン。だるまさんはこんな気持ちで子供達に殴られてたのか、今度街中で見かけたら拝むことにしよう。


「ぐええ、ろ、ロボ! とにかくレーザー、レーザーを出来るだけ全方位に撃て! 避ける空間も無ければあいつらにも当てられるだろ!」


「い、一度にぞんなにいっぱいレーザーは使えません、え、エネルギーが、ぐすっ、足りないですよぉ」


「ええい泣くなうっとおしい! そういえば……お前のエネルギーって、電気だよな? えぐふっ!」


 話している最中も容赦なく、間断なく拳の嵐が俺の体を通り過ぎる。こいつら……動きを止めた後のことを覚えてろよ、児童相談所に駆け込むことも出来ないような体にしてやる……!


「うえ、僕のエネルギーですか? そりゃあ、電気ですけど……」


「だ、だったら俺の魔法で電気を供給してやる! だからそれで特大のんぐっ! れ、レーザーを作れ……」


 俺の顔が膨れ上がり服の下から血が滲み出していく姿を見てロボは唇をかんで涙を堪え、力強く頷き俺に背中を預けた。いいか、眼にモノ見せてやるんだぜ!


「ぐ……サンダー、全開だ!」


 詠唱なんて悠長なことは言ってられない。だからその分俺の少ない魔力を全部消費して体から最大の電流をロボに流し込む。ロボの顔が苦痛に歪むが、今だけは我慢してくれ、痛いのが大の苦手なのは分かってる。後ろ手に俺の手を握っている力が強まっていく度に罪悪感が広がるが、もうお前のレーザーに頼るしか無いんだ……


 なおも魔法で俺たちの援護をしてくれているマールに目線で離れろと合図を送る。何をしようとしているかは分からずともマールは走って岩陰に隠れた。出来れば洞窟から出て欲しかったが、そこまでするとグランとリオンも避難するかもしれない、そこが妥協点か……


「ク……ク、ロノさん……そろそろ、限界です」


「そうか……ならぶちかませ、なるだけ派手にな!」


「は、い!」


 俺の許可を得たロボから、青白い閃光が四方八方に線となり飛び出していく。その光線は合計十六本、岩石を吹き飛ばし壁を穿ち天井の石錐を落として洞窟内の自然物を破壊する。グランとリオンは上下左右から迫る熱線から身を捩り避けようとするが徐々に増えていくレーザーの嵐に体を焦がし地に伏せることとなった。


「はあ……はあ、魔力消費が早すぎるが、出たとこ勝負で編み出したにしては悪くない戦法だったな、頑張ったぞロボ」


「うう……ま、まあ僕の力はアカシックレコードですら計測できない永劫の記号ですから、ただ飛び回るしか能が無い輩に僕が敗北の一途を辿るなど、釈迦如来ですら想像できませんよ……痛い……」


 ロボの意味不明な言語も今は聞き流して頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でてやる。ちょっとした痛みでも心が折れるロボが電流の痛みに耐えて頑張ったんだ、今はとことん労ってやろう。


 マールも俺たちに近寄ってロボを思い切り持ち上げて抱き締める。ロボの奴顔を真っ赤にしやがって、初心なことだな、俺と代われ。


「くっ……兄ちゃん、コイツら、やるね」

「ここまで手こずったのはサイラス以来だ」


「何いっ!? まだ立てるのかよお前ら!」


 三人でロボを持ち上げて胴上げしていると、さっきまで曙みたく倒れていた二人が立ち上がり、よく分からない奴と比較をしていた。どっかで聞いたことがあるような無いような……いや、やっぱり無いな。


「どーする、兄ちゃん?」

「決まってるだろ。本気でいくんだよ!」

「よーし! 今度は……」

「遊びじゃないぞ!」


 一々交互に話すなよ、どこまで台詞を決めてるのか知らんが、実に面倒くさい。もうどっちがリオンでどっちがグランかさっぱり分からん。マナ○ナよりもそっくりなんだから見分けが付かねえ。


「勇気のグランと……」


 あ、お前がグランね、どうせすぐ忘れるけどさ。


「知恵のリオン!! コンフュ~ジョ~ン!!」


 二人が片手を天に掲げて大仰な台詞を回しあい、互いの体をくっつけて気持ち悪い色を発光させる。あれか? もしかして合体とかいうやつか? ふざけんなもう戦えるような状態じゃねえんだ特に俺は!


「おら」


 合体中の二人に大き目の石を投げる。片方の顔に当たり合体が中断して、二人で俺を睨む。何だよ、合体とか名乗りの最中は攻撃しちゃいけないなんて法律は特撮物だけなんだよ。俺たちはショッカーじゃねえんだ。


「コンフュ~ジョ~ン!!」


「てい」


 今度はマールが弓矢を撃つ。片方の額に直撃、顔から血をだくだくと流しておられる。効果はばつぐんだ!
 真っ赤な顔で俺たちを睨むのは血のせいか怒りゆえか。謎は深まるばかりである。


「コンフュ~」


「いけー」


 言い終わる前にロボがすかさずロケットパンチ。今首120°は曲がったよな? エクソシストみたいだ、アンコールアンコール。
 両手を使って戻らない首を無理にごきりと矯正して血の涙を流しながら俺たちに負のオーラを流し込む二人。何その顔? なんか文句あるの? だったら口に出せばいいじゃない。言葉にしないと届かないことってあるよ? この現代社会の風潮なら尚更ね。


「コンフ」


「消え去れえええっ!」


 三人で突撃蹂躙撲殺上等。鞘に入れた雷鳴剣を麺棒でうどんを叩く時と同じようにひたすら打ち付けてロボは連続ロケットパンチ、マールは倒れた二人に叩き込むヤクザキックが堂に入っている。ずっと俺たちのターン!


「やられちゃったね、兄ちゃん。これ以上ないくらいしこりが残るけど」

「中々楽しかったな。あくまで途中までは」

「この人達なら、ボクらを直してくれるかな? ちゃんと持ち主を見つけてくれるかな? 期待はしないしそうなっても感謝はしないけど」

「ああ、大丈夫さ。ていうかそれくらいしないと祟る。むしろぶっ殺」


 人聞きの悪い、純粋に正々堂々と戦いその結果負け犬となったくせして俺たちに文句でもあるのか? だから子供は嫌いなんだ、ゆとり教育反対! 俺もその中の一人ではあるが。まったく、お前らみたいなガキがよく聴きもせずに邦楽は死んだとか抜かすんだ。オリコン外のランキングも注視しろ。


 アンパンを無理やり食わせる外道ヒーローみたいな顔になった二人が折れた歯を吐き出しながらグランドリオンに近づいていく。……おいまさかそれを持って持ち逃げするんじゃないだろうな? もしそんなことを決行する気ならフクロタイムが再発動することになる。 


「……あれ、二人とも消えちゃいましたよ?」


「馬鹿言うなよロボ、隠れるスペースも無いのに消える訳が……」


 グランドリオンに近づいて見るとロボの言う通り二人の姿が見えない。あれえ? もしかして、これもしかするの?


「クロノ……やっぱり、あの二人って……まさか」


 歯をかちかち鳴らしながらマールが怯えた声で語りかける。待て、それを言うな。頭で思っているだけと、耳にするのでは全然違うんだから。抑えろ、マールは出来る子なんだから、足が震えてるのは俺も同じなんだから。


「おおお化け怖いよぉー!!!」


 禁句を口走りながらロボが加速装置全開で洞窟から逃げ出す。続いてマールも「祟るならクロノを人柱にしますー!!」とかスイーツこら。俺はグランドリオンを引っ掴み(半ばで折れていることには気付いたが今はとことんどうでもいい)足を前へ前へと進めて二人の後を追う。ふざけんな、まだ彼女も出来てないのに死ねるもんか、まだ○けてないのに死ねるもんかああぁぁぁ!!


 後ろから麓まで送ってあげる……と遠くから響いてくる声が聞こえて恐怖心さらにアップ。ここに来てまさかのアタックチャーンス! 恐怖のレートを上げようぜ!
 とにかく前に見えるマールの背中に空のミドルポーションの瓶を投げつけて転ばせる。立ち上がろうとするマールの頭を芸術的な俺のジャンプ&着地が成功し距離を広げる。はははこれで生贄は確定! 後はロボと二人でバカンスにでも出かけよう! マールは俺たちの思い出の中で爽やかに笑ってくれればいいさ! 俺はクロノ、誰よりも命の尊さを知る男!


 計ったなクロノォー!! というマールの絶叫を卓越したスルースキルで無視! 吠えろ吠えろ脱落者! 誰かを思いやりゃ仇になり自分の胸に突き刺さる、これ常識! 来世ではもう少し頭を働かせるがいいさ!


「逃がすか、アイス!」


 マールの魔法は俺の左足を凍らせて逃亡を阻止させる。あああこうしている間にも怨霊が迫っているかもしれないのに!


「おのれマール、貴様そこまで腐っていたのか!?」


「私は自分が生きるためなら他を蹴落として生きろ、そう貴方に教えてもらった。ありがとうね、また教えてもらったよ。人は誰かを見捨てなければ生きていけないってさ!」


 立ち止まっている俺を笑いながらマールが爆走、逃走。唯一残っているミドルポーションを足に掛けて氷を溶かす。これで回復アイテムは無い。これからマールのアイスは意地でも避けなければ……!


「待て女! 今なら左足を切り落とすだけで許してやる、だからこれから始まるクロノ王国の礎となれ!」


「秒単位で破滅していく王国なんか建国しなくていいよ! 安心してクロノ、私は未来を生きて貴方の銅像を作るから! 二百年後ぐらいに!」


「絶対お前死んでるじゃねえか! 誰が作るんだ誰が!」


 くそ、このままでは俺がこの山の自縛霊となり悠久の時を彷徨うこととなってしまう……こうなったら……!


「じいさん! 今すぐ俺とルッカを交代させろ! 今すぐだ!」


 立ち止まり時の最果てに送られるのを待つ。前でマールが「まさか……そのようなああ!!」と驚愕している。この勝負、始まる前から俺の勝利は約束されていた……! 貴様は俺の掌で踊っていたに過ぎんのだ!


 俺の体が急速に消えていく。悪いなルッカ、お前と過ごした時間、悪くなかったぜ……
 俺たちの代わりに呪われるであろうルッカにさよならを告げる。どれだけ虐げられたとしても、案外寂しいもんなんだな、別れというものは……今度お前が好きだった沢庵を墓標に置いてやるからな……








「……あれ? ここ、何処なの?」


 デナトロ山に現れ辺りを見回す。前を見るとオリンピック選手のようなフォームで手を振り走っているマール。私には状況が全く把握できず途方に暮れてしまう。


「ルッカ、短い間だったけど、私たち友達だからね! いつかお参りしてあげるからね! お化けに食べられてもクロノを恨んでね!」


 気の置けない女友達であるマールがえらく不吉なことを言う。お化け? そんな存在を彼女は信じているというのか? やはり彼女の純粋さは貴重だと思いくすっ、と笑いがこぼれる。後ろから送らなくてもいいの……? という言葉を聞くまでは。


「……え、誰かいるの? ロボなの? それともクロノ?」


 後ろを見ても誰もいない。声は今も響いている。送らなくてもいいの? 送らなくてもいいの? と延々続いている声は段々薄気味悪く聞こえ、声の年齢からすると子供のようなのがたまらない。
 不安になった私はマールの姿を目で追うが、彼女は既に山道を下り視界から消えてしまっていた。今や足音すら耳に入ってこない。……お化け? 


「……クロノ? 何処にいるの、近くにいるんでしょ? 私はお化けとか幽霊とか、そんなリアリティの無いものは信じたりしないわよ、だからそろそろ出てきなさいよ。怖がらせたいんでしょ、全くあんたはいつまでも子供みたいなことをするんだから……」


 声が聞こえる。声が聞こえる。送る? 何処へ送るというのか。具体的には現世のどこかなのか……はたまた別の何処かなのか……


「……クロノ。充分、分かったから、こんな声まで用意して準備が良いのも分かったから、早く出てきなさいよ。……出てきてよ……」


 数分後、置き去りにされたルッカが手で顔を覆って山を降りて来たことに驚いたマールとロボが平謝りをして、「クロノが悪い」と宣言するのはそう遠い未来の話ではない。
 ただ追記するならば、時の最果てから呼び出されたクロノにルッカが起こした行動は悲惨という言葉がよく似合うものとなった、ということはお約束ではある。
 ただ、心細さや目に見えない恐怖からえぐえぐ嗚咽を漏らしながらハンマー無双を開始した後ボロ雑巾のようになったクロノに抱きつきながら至近距離でファイアをぶつける彼女の姿はマール曰く「微笑ましくはあるよね」とのこと。
 星の未来は、存外に明るいのかもしれない。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:32692395
Date: 2010/09/04 04:26
 デナトロ山を下山してルッカに半死半生の身にされながらも、とりあえずグランドリオンを手に入れることが出来た。腕とか足とか顔とか頭とか全身が満遍なく痛いけど。
 時間はすでに深夜。デナトロ山に入る頃はまだ夕刻だったというのに、トルース町の裏山に比べて随分と大きい山だったから仕方は無いが。消費した時間の十分の一はルッカの制裁だったのは公然の秘密。
 マールの気乗りしない治療を受けて立ち上がれるようになった俺は開口一番、


「あのどっひゃー勇者を殴りに行こうぜ」


 と、殺気を露に口に出した。
 時の最果てに帰ったルッカを除き、ロボ、マールは深く頷いた。戦闘はともあれお化けの恐怖は忘れられるものではない。あのくそったれ勇者が真面目に勇者してればわざわざ俺たちが災難に巻き込まれることは無かったのだと考えると、肛門に火付け棒を突っ込むくらいでは許せない程の怒りを感じる。「らめえ!」とか言わせてやるからな。


「ルッカの私刑中にらめえ! って言ってたのはクロノだけどね」


「忘れろマール。後冗談でも女の子がらめえとか言うな。それも感情込めて」


 チームワークに定評無しの俺たちは心持ち早歩きでデナトロ山を離れ、パレポリ村へと歩き出した。




 未明にパレポリ村に着いた俺たちは真っ直ぐ勇者の家に向かい鍵のかかったドアを蹴倒して中に進入した。
 家主のじじいが驚きながらフライパンを片手に現れたがマールのハイキックで沈む。俺たちの行動にロボはおろおろしていたが、お前も俺たちのパーティーの一員なんだからこういうことにも慣れてくれ。


「お、親父!?」

「じいちゃん!?」


 じいさんが壺やら机やらを巻き込みながら倒れた音で二階から勇者とその父親らしき男がばたばたと降りてきた。ナイトキャップを付けている辺りがとても気に入らない。


「あれ? 兄ちゃんたちは山で見かけた……」


「おう、オフザケ勇者。貴様はここで朽ちろ」


 迷わずサンダーの詠唱を始める俺の頭にロボのパンチが飛ぶ。だから、いつ俺が「ご自由にお殴りください」と言った。


「落ち着いてくださいクロノさん。そりゃあ最初は僕も怒りという名の記号に惑わされましたが、まずは彼がどのような境遇にしてかの行動に出たか、そしてその信念を聞き出さねば僕たちの取る道に光明というコンパスは舞い降りはしないんで」


「ごめんねロボ、大事な話の時はちょっと静かにしててね」


 ロボの体を反転させて部屋の奥に追いやるマール。流石、俺なんかミドルキックを入れようと構えていたところなのに。


「ねえ勇者さん、貴方は魔王軍を倒すためにグランドリオンを取りに行ったんだよね? ならなんで逃げたの? モンスターが怖いのは分かるけど、貴方は勇者なんでしょ、皆に希望を挙げるんでしょ?」


 勇者の小さな肩に手を置いてこんこんと語るマール。ここだけ切り取れば優しい少女キャラに見えるが、彼女は今さっき老人を蹴り倒し昏倒させている。俺に彼女を理解出来るときは来るのだろうか。


 マールの一言一言に肩を震わせて、下を向いている勇者。思うことがあるのか、それとも自分の祖父を気絶させた不審者に怯えているのか。後者臭いなあ。


「おいタータ! こいつら何言ってるんだ? お前が逃げ出したって……嘘だろ、こいつらがデマカセ抜かしてるだけなんだよな!?」


 そのまま根気強く語りかけるマールに無反応のまま黙っている子供に痺れを切らしたのか、父親がマールの手を振り払って勇者……タータに脅すように話しかける。
 その声から、そうであろうがなかろうが、勇者であることを強要させるような、脅しめいたものを感じた。
 父親の言葉に一層強く体を震わせたタータは、暗い目で俺たちを見て、小さく呟いた。


「そうだよ、この兄ちゃんたちが嘘ついてるんだ。グランドリオンは明日取りに行くんだよ」


「てめえ、ガキだからって俺たちは優しくねえぞ!」


「クロノ!」


 言うに事欠いて俺たちを嘘つき呼ばわりするタータに腹を立てた俺をマールが体で止める。
 

「何で止めるんだよ! 何発か入れねえとこういう奴は反省しねえんだよ!」


 俺の言葉を無視して、マールは尚もタータに口を開く。


「勇者……いえ、タータ君。君は勇者なの? それとも、そうでありたいの? もしくは……そうでなければいけないの?」


「!?」


「なんだあ小娘! お前何が言いてえんだよ!」


 ずっと俯いていたタータががば、とマールを見る。するとタータとマールの間に割り込んで父親が焦った様に怒鳴り始めた。彼の目を見てマールは、一つため息をつき、父親をいないもののように後ろのタータを見た。


「タータ君、周りが勇者であれと願ったのかな。勇者じゃないと……許されなかったのかな」


「お、オイラは……」


「もしそうだったんなら……」


 一呼吸分会話に空白を混ぜて、父親の罵声をBGMに、マールの哀れむような、悲しむような、澄んだ声が生まれた。


「……辛かったね」


「……あ」


 もうだめだ、と零して、タータの目から涙がつう、と落ちた。きっとそれには、悔恨と後悔を含まれていて。
 その姿を見た父親が戸惑いながら「認めるなタータ!」と叱るが、今まで黙っていたロボが父親の腕を取って外に連れ出した。騒ぐ父親に数発文字通りの鉄拳を加えて。


 それから、タータは一頻り泣いた後、勇者になった経緯とその後を話し出した。
 タータの持つ勇者バッジは酒場で酔いつぶれていたカエルが落としていたのを見て、高く売れるかと思って町に出れば、町の皆が勇者様だとチヤホヤしてくれるから引っ込みがつかなくなった、という子供らしい理由だった。
 町の住人も子供ではあるが並外れた怪力を持つタータならば……と考えたのだろう。実際俺だって最初にあの石や木を拳で割るタータを見ていれば勇者だと納得していただろう。
 しかし、事が大きくなり怖くなったタータは正直に成り行きを父親に話してみたのだという。が、


「馬鹿が! それが本当だってばれりゃあこんな裕福な生活は出来なくなるんだ、いいかタータ! 誰にもその事は言うなよ、お前は勇者なんだ、俺の為に勇者じゃなきゃいけねえんだ!」


 父親の毎日聞かされる言葉に、後ろめたさを隠しながらタータは勇者『ごっこ』を続けなければならなくなった。それは父親だけでなく祖父も同じだったようで、父祖父共にタータを勇者として担ぎ上げた。
 結果、今まで遊んでいた友達は勇者であるという理由で離れていき、ほのかに恋心を抱いていた女の子と話すことさえ出来なくなったという。


 今まで辛かった、と泣きながらマールに自分に起こった出来事を伝えるタータに、マールは優しく抱きしめてあげた。
 それはとても綺麗な光景なんだろうし、世間一般では落とし所というやつなんだろうが……


「……気にくわねえ」


「え?」


「何でもないよマール。そいつが落ち着いたらその勇者バッチとやらを貰っておいてくれ」


 二人に背中を向けて家を出ようとする俺をマールが慌てて引き止める。
 止まる気はなかったが、タータの「何でオイラがこんな目にあうんだ!?」という叫びが俺の臨界点を越えさせた。
 俺はずかずかとタータに近づき、マールから引き離して思い切り殴りつけた。小さな体は勢い良く飛んで台所の壁に叩きつけられた。強く体を打ったタータは悶絶しながら地べたを這いずるが、俺はその背中を踏みつける。マールの制止も、今はうっとうしい。


「……俺が言える義理じゃねえよ」


「ぐええ……」


「そうだよ、俺が今から言うことは全部自分のことを棚に上げた下種の意見だ。でもな、俺とアイツは……多分友達だったから、友達になれたから、言わせて貰うわ」


「クロノ! 何してるの、タータ君は……」


「被害者、とか言うならマール。お前も殴る」


 無機質な声でマールを牽制する。彼女は手を胸に当て一歩、俺から離れた。視線はタータに、心配そうな目を向ける。見れば背中を強く打ちすぎて呼吸がままならないようなので、俺はタータから少し離れて、マールに治療を促す。


「確かにお前が全部悪いわけじゃない。まだ子供のお前に親の強制を振り切れってのも酷かもしれない……でも、お前が、自分は勇者じゃないと言わなかったせいで、何人死んだと思う? その上自分は悪くないみたいな言い方しやがって……」


「し、死んだ?」


 マールのケアルを受けて、立ち上がれはせずとも話すだけの力が戻ったタータが呆然とした声を出す。


「ゼナン橋の事だ。お前が正直に打ち明けてれば誰も死ななかった……そうは言わない。どっちにしろ魔王軍は侵攻してきただろうからな。けれど騎士団長から聞いたぜ、お前に橋を渡らせるために多くの兵士が失われたって」


 ひっ、と区切られた悲鳴。まだ小さいタータでも、戦場を歩いたんだ、不幸にも人が死ぬってのはどういうことか分かっているはず。自分のために人が死んだという事実に正面から向き合ってはいなかったのだろう、今俺に言われてやっとタータはその事に気づかされた。
 マールもゼナン橋で死んだ兵士たちを思い出したのか、沈んだ表情を見せる。


「お前が真実を言っていれば、死なないですんだ人間が何人いたか……」


 こと戦いでは味方の人数で大きく変わる。タータの為に散った兵士たちが何人いたかは知らないが、数人ということはないだろう、壊滅的なダメージとまで言っていたのだから。
 その兵士たちが突破ではなく防衛に徹していれば、死傷者はかなり変わっていただろう。ジャンクドラガーさえ出なければ、俺たちが戦線に加わらずとも退けることは出来たかもしれない。……何よりも。


「ヤクラが……死ななかったかも知れねえんだ!」


「止めてよクロノ!」


 話しているうちにまた我慢が出来なくなった俺がタータを殴る前にマールが抑える。
 ……ヤクラが死んで一番辛いのは、庇われたマールだったはずなのに……


「……悪い、もう俺、外に出てるよ」


 今度は、マールも止めない。俺は早足で荒れた室内を歩きドアを開ける。
 その時、タータが小さな声で「オイラは……どうすればいい?」と聞いてきたので、半開きのままドアを開ける手を止める。


「さあな、無理やりでも、偽者でも、勇者だったんだろ? 自分の道は自分で切り開けよ」


 それが勇者だ、と心の中で締めて外に体を出した。


 後ろ手にドアを閉めて、家の壁に体を預け座ると、視線の先にひたすら殴られて気絶したタータの父親と、その近くに立っているロボが見えた。
 中の会話を聞いていたのだろう、ロボはなんと言っていいか分からないという顔で俺に近づいてきた。


「……あの、クロノさん。大丈夫ですか?」


「……大丈夫だ、ただ腹が立って仕方ねえだけさ」


「やっぱり、タータ君を許せませんか?」


 ロボのか細い、オドオドした言葉に俺は笑って、手で顔を覆う。


「最初は逃げ出してた癖に子供に八つ当たる、卑怯者にだよ」


 自己嫌悪から流れる涙は、弟分のロボには見せたくないから。
 今が夜で良かった、指から漏れるものに気づく人はいない。
 頭上の月が生む光が、無言で俺を責めるのが、とてもとても辛かった。





 星は夢を見る必要は無い
 第十五話 勇者≠勇気ある者





 パレポリ村を出て俺たちはお化けガエルの森に入り、カエルの住処に向かうことにした。
 タータの話で出た酔いつぶれたカエルというのは俺たちの仲間だったカエルで間違いないだろう。あいつの剣の腕前は確かに俺や騎士たちとは比べようも無いほどのものだった、勇者と言われてもまあしっくりこないでもない。王妃マニアの駄目野郎だけど。


 が、ここでまたしても問題浮上。これにはクールダウンしてきた俺が再びボルケノン! となってしまった。


「あの両生類の根本的存在屑ガエル……いつ家に帰ってるんだよ!」


 勇者バッチをタータから貰い、グランドリオンも折れてはいるが柄の部分を手に入れてさあ魔王との御対面ももうすぐだぜえ! とテンションゲージが上がってきた所でこのパターン。ぐちゃぐちゃにした室内が整えられているところを見るにあの後一度は帰ってきたようだが……
 とりあえず苛立ちが募った俺たちはまた家を荒らすことにした。前回は破壊というほどの破壊はしていなかったからな、今度は応用を利かせて殺傷性の高い罠を仕掛けるというのはどうだろう? フォールアウトみたいに。


「むしろ爆発物とかを設置して……よし、ルッカを呼んでここをベトナム地帯に改造してもら……あれ?」


「どうしたのクロノ? 何かあった?」


 タンスを氷付けにする作業に埋没していたマールが俺の声に反応して振り返る。ていうかあれだね、顔を合わせたこともない人の家でよくそこまで好き勝手できるねマール。尊敬するわ。


「いや、写真があったからさ、ちょっと見てただけ。カエルの若い頃かな……?」


「へえ……ねえ、私にも見せてよ!」


「僕も見たいです、僕に勝るとも劣らぬというフォウスを宿しているのですから、魔の根源たる者に姿を変幻させられる前の姿を見ておきたいです」


「まあ待てよ、まず俺が先だ。あとロボは勝手に設定を作るな、何だよフォウスって」


 一々突っ込みを必要とする会話をするなあロボは。ある意味介護が必要だと思うぞ。


 気を取り直して写真を見る。ガルディア騎士団のごつごつとした甲冑を装備して、兜を外したえらくハンサムな男が写っている、これがカエル? ……ちっ、勇者って奴はわざわざ顔が良いんだな、古今東西不細工な勇者ってのは見たことが無いからそうじゃないかとは思ってたが……


「よし、燃やそうかこれ」


「いやいや意味分かんないよクロノ。大丈夫? 結婚する? の流れくらい分かんない」


「理由はカエルが無駄にイケメンだからだ」


「なるほど、そうなるとカエルさんがパーティーに入れば実質男で顔が良くないのはクロノさんだけになりますもんね。そりゃあ不機嫌にもなりますか」


 今小さな命が星に還ろうとしている最中、俺が落とした写真を見てマールが「違うよ、クロノ」とマウントポジションの俺に話しかける。何だよ、今こいつの顔をホンコンみたいにぶくぶくにさせるところなのに。
 渋々ロボの上から退く。「うわああ、本当のことなのにぃぃ!」と泣き出すロボに俺は告げる。来世では幸せになれ、と。


 雷鳴剣を抜き黄忠が夏侯淵にしたように真っ二つにしようと大上段に構えるが、マールの次の発言に俺の動きが止まった。


「この鎧を着た人、カエルさんじゃないよ。下にサイラスって書かれてるもん」


「……そうか。良かったなロボ、カエルがイケメンでない限り、お前の命は保障してやらんでもない」


 剣を収めた俺に安心したロボはどういう原理かそれともパブロフの犬なのか、また俺の腰に抱きつく。だからお前おかしくない? ジャ○アンに苛められたのび○がジャイ○ンに泣きつくようなもんだぜ?「ジャイアー○! また○ャイアンに苛められたよー!」って。弱すぎる、頭が。


 ロボの頭を撫でて宥め、「え、じゃあこの人が?」と戦慄したような声を出すマールを一時無視して藁葺きのベッドに倒れこむ。腰の刀はサイドテーブルに乱暴に立てかけて、一緒に布団に入ろうとするロボは床に蹴落とした。デナトロ山に入って今まで徹夜だったんだ、そろそろ睡眠を取らないと倒れる、とまでは言わないが、十全に戦闘をこなせるとは思えない。
 藁に包まる俺に尚も「ねえクロノ……」とマールが話しかけるので俺は隣のベッドを指差しお前も寝ろ、と示す。汗をかいたので水浴びをしたいところだが、そう贅沢は言えない。


 一向に話を聞く気がない俺に根負けしてマールは静かにベッドに潜り込んだ。ベッドは二つしかないのでロボは床で静かに泣いている。機械の癖に床では不満なのか、生意気な。
 結局、十分後に俺はロボにベッドを譲ってやったのだが。せつせつと泣くし、ロボの奴本当に悲しそうに嗚咽を漏らすもんだから俺の少ない罪悪感がいびられてたまらなかった。


 ロボの体をベッドに置いて床に寝そべると、ロボが驚いた後「クロノさん、一緒に寝ませんか?」と聞いてきたのには発狂するかと思った。色々言いたいことはあるが、とりあえずはにかむな! 終いにゃ襲うぞテメエ!
 ここ最近の願望というか、俺は実はロボが女だった、という展開を心待ちにしているのだが……止めよう、あまりに虚しい。
 

 寝つきの良い二人と違い、下らない妄想をしていた俺は部屋に日の光が降ってくるまで意識を失うことはなかった。






「……おい、…ロノ、クロノ! 起きろ!」


 ああ、母さん、朝飯? どうせその前にトイレ掃除でもしろって言うんだろ? 分かってるんだ、でも今日という今日ばかりは断固朝食優先の構えを取らせてもらう……


「トイレ掃除は良いとして、今はもう昼過ぎだ、朝食なんか用意してない」


 朝飯も無いのに働けだって? はっ、面白くない冗談だなうんこババア。


「おいおい母親に向かって酷い言い草じゃないか、もう少し労わってやれ」


 んん、世の中には尊敬すべき母と唾棄すべき母がいることを貴方で知ったよ、いいからカロリーを摂取させろ。


「自分で金を稼いだことも無い奴が大きな口を叩くな、母は大層悲しいぞ」


 うるさいなあ、大体お前は母親じゃないだろう、水辺に生息する卵産型の分際で偉そうに……


「起きてるんじゃないか!」


 右手を払って布団代わりの藁を飛ばすカエル。中途半端に乗ってもらって悪いが、俺の母さんはお前みたいに枯れた声じゃない。母さんはトルース町美声大会で優勝したことがあるんだ、間違えるわけが無い。母さんの歌う椎名○檎の曲なんか鳥肌ものなんだぜ?


 目を擦りながら腹の減り具合で、七時間前後は寝ていたのだろうと予想する。時計という概念が無い中世では正確な時間は分からないので、あくまでおおよその見当だが。


「起きたなクロノ、じゃあ早速こっちに来い」


 大きなあくびをしている中、カエルは万力のような握力で俺の手首を掴み部屋の中央に連れて行く。なんだよ、そういう強引なアプローチは嫌われるぜ?


 もみくちゃに丸められた絨毯の近くまで移動させられて、カエルは俺の手を離す。顎で指した方向を見ると、まあ、部屋の中が荒れに荒れていた。


 まず生活用具という生活用具はマールの手によって氷付けにされているか、ロボのロケットパンチによって拳大の穴が無数に空いている。壺や額縁のガラスといった割れ物は床で無残に粉々となっている。壁や天井は俺のサンダーによって大きな焼け跡が残り、食料は俺たちが食べ散らかした後そこらに投げ捨てていたので蟻がたかりだし悲惨なものとなっている。しまった、起きた後俺たちが食べる分は残しておくべきだった。


「さて、これはどういうことなんだ、まさかと思うが……お前たちがやったのか?」


「いや知らないな、王妃様が来たんじゃないか?」


「やっぱりそうか! いや、前にも似たように荒らされたことがあったんだが……いやな、置きメモに王妃様は自由に使ってくれていいと書いておいたんだ、そうかそうか、いやはや王妃様はお茶目だな! しかし短い間にこうも訪れてくるとは……くそ、なんで俺がいない時に限って……いや、これはある種の焦らし効果になるか、次に会う時はきっと飛び掛ってくるだろう!」


 飛び蹴り的な意味でな、とは言わないでおく。
 しかし、こいつは王妃様が実は世界の創造主だ、と言われてもやっぱりそうか! と言うんじゃなかろうか。久しぶりに会うのだが、こいつの変態性はなんら変わってはいないんだな。


 今度王妃様と会う時のシミュレーションを俺という第三者がいる前で恥ずかしげも無く披露しているカエルの後ろ頭をはたいてこちらを向かせる。


「いつ俺がご自由にお殴りくださいと言った」


「黙れゲテモノ、理科室のカビたタワシみたいな肌色しやがって気持ち悪い。後俺と思考回路が似ているところがむかつくんだよ」


 一悶着起こってから、人のベッドでよだれを滝の如く垂らしながら寝ているマールと、指を猫のように曲げて枕にしがみついているロボを起こしてカエルと対面させる。
 奇天烈な生き物が好きなマールは好奇心を前に、カエルを見てきゃあきゃあと喜んだ。ロボはロボで人という種が別個の生物に変わることでアルクサスの定理を覆す……とか良く分からんことを寝起きながらに呟いていた。どっちも頭が悪い。


「ほお、あんたがリーネ王妃様に間違えられたという……確かに似ているな、素人なら区別ができんとしてもおかしくはない」


 値踏みするようにマールの全身を観察するカエル。おいそこの性犯罪者予備軍、マールさんの口端がひくついてますよ? 折角さっきまで好印象だったのに。それから素人とか玄人とかあるのか? ああ、そういやリーネ王妃をムハムハしたいだかなんだかの会長なんだっけ、こいつ。


「ロボ……からくりらしいが、信じられんな……随分と技術の進んだものだというのは分かるが。それと、失礼だが性別を伺っても構わないか?」


「僕は当然の如く男ですよ! 未来では第二のシュワちゃんと言われていたんですよ!? その僕になんて失礼な質問を!」


 いや、お前はネバーエンディングストーリーの主人公だ。もしくはターミネーター2の主人公。パッと見男とは思えない、見た目というか、オーラが。


 挨拶を終えて軽く互いに今までどうしていたのか、という話をする。カエルは城を出た後何度かサンドリアやパレポリに出向き時々モンスターを狩ったりして剣の腕を鍛えていたそうだ。もしかしたら何度かニアミスしたかもしれないな。
 俺たちが時空を超えて旅をしているという話を半信半疑ながら頷いてくれた。そこまではカエルも口を挟んだり時々笑顔になったりしていたのだが、ガルディアに魔王軍が侵攻してきたと話し出した辺りから暗い顔になっていった。
 特に、勇者バッチとグランドリオンを見せてから一つも俺たちの話に口を出すことはなくなり、次第に無言の間が生まれることとなった。


「そうか……あのチビに会ったのか……しかし、もう魔王には手も足も出ない。魔王と戦うのに必要なグランドリオンはもう……それに、それを持つ資格は俺には無い」


 空白の時間を動かしたのはカエルだった。なにやら事情のあるような事を呟くが、こっちとしてはそんな急にシリアスな顔をされても……と俺たち三人が顔を見合わせる。すると、カエルが凍った棚の一つを指差した。なんだ、解凍しろってのか?


 魔法で作られた氷は日の光程度では中々解けず、時間の経過と共に少しは凍らされた面積が無くなってはいるが、人力で暖めるのは面倒だとロボと二人掛かりで棚ごと派手に壊す。後ろでカエルが「ちょっ!?」と叫んでいるが今の今まで真剣な顔をしていたのにコメディな事を口走るな、と思いながら無視した。


「これは……折れた剣、グランドリオンの一部か!」


 壊れた棚から出てきたのは太く美しい剣先、今持っているグランドリオンの一部と合わせれば確かな剣として蘇るだろう形状。
 ロボが拾い上げて、その切っ先から何までじっくりと凝視する。


「古代文字で何か書いてありますね、解析します!」


 ビビイ、と機械の駆動音が鳴りロボの両目が赤く光り、剣先を照らしていく。こういう時になって初めてロボがアンドロイドだって気づけるんだよなあ……カエル、後ろで「目が、目がぁ!」と一々驚くなようるさいなあ、人型のロボットなんか見たこと無いんだろうから無理ないんだろうけど。


「ボ……ッ……シ……ュ。ボッシュと書かれています」


「ボッシュ? それってメディーナ村の? ど、どーゆー事クロノ?」


「いや、ただ単に同じ名前ってだけの話だろ」


 俺の至極当然の発言に二人が空気読めてねえなあという呆れ顔を向ける。俺がおかしいのか、俺が悪いのか?


「グランドリオンを直せる者は、もうこの世にはいないのだ……」


 カエルの独白は誰も聞いておらず、俺たち三人は「いや、空気読めとかそういうこと言い出す奴が一番読めてねえんだって!」と延々と言い争いをして、結果メディーナのボッシュに会えば分かるだろうという結論が出るまでカエルを存在ごと忘れていたという。
 蛇足だが、気づけば無視されていたカエルがベッドの上で体育座りをしていたのはかなりキモかった。






 結果から言えばおかしいのは俺だったようで、現代に戻ってボッシュに会いに行けば、ボッシュは俺たちの持つグランドリオンを見るなり驚いた顔で近づき「この剣はグランドリオン!? どこでこれを!」とむさい顔を近づけてきた。なんつーか、都合良いよなあ世の中。
 マールがどうしてこの剣に貴方の名前が彫ってあるの? と疑問を口に出せば、「話せば長くなるから言わん。何より、お主らが聞きたいことはそんなことではなかろ?」と腹の立つ顔で問うてきたのでまあイライラした。何でちょっと上から目線なんだよ。


「これを復元することは可能なんですか?」


 ロボの問いかけにボッシュは修復の仕方を教えてくれた。かいつまんで言うなら、遥か昔に存在した赤い石、ドリストーンというグランドリオンの原料があれば可能だという。万一入手することが出来れば自分がなおしてやろうとも。
 どうせ手に入れることはできないだろうが、まあそれまで剣はお前たちが持っておけと余計な一言のせいでプッツンしたマールがもし持ってきたら無料で修復してもらうわよ! と啖呵を切った、というのはどうでもいいことかもしれない。
 ただ、問題はその後。


「それは別にええが、もし持って来れなければどうするのじゃ?」


「そうね、もし一週間、いいえ、三日以内に持って来れなければクロノを好きにしていいわ!」


 この会話がよろしくない。王家では民を勝手に約束の報酬として扱っていいと教育されているのだろうか? ルッカにテロ用の道具を借りる時が来たのだろうか。


「マール、お前の意思だけで俺を賞品にするな、あまりの身勝手さに興奮するわ」


「ええー?」


 不満たらたらの表情で俺を見るマールは実に不細工だった。心の醜さが表に出ているかのように。
 咄嗟の暴力衝動を抑えつつ、俺は右にいたロボを捕まえてボッシュに渡す。何々? とキョロキョロしているロボに笑いかけて、清々しく一言。


「じいさん、賞品はこいつで決まり。期限内にドリストーンを持ってこなければロボを好きにしていい」


「ほえええええ!? ななななんで僕がこのお爺さんに渡されるんですか!?」


 当たり前だが驚いて言葉を噛みまくるロボに俺は満面の笑みで頭を撫でてやる。大丈夫、今時そういう倒錯した世界を経験しておくのは悪いことじゃないから。
 マールが「ロボは駄目だよー!」と悲しげに訴えてくるが、ロボはってなんだよこんちくしょー。俺のヒエラルキーは限りなく底辺だと再認識出来た瞬間だった。


 まあ、人間の男よりアンドロイドを好き勝手に弄れる方がええしのお、というボッシュの言葉により賭けは成立した。マールは膨れるしロボは泣き喚くがこれがきっと正しい選択だったと俺は理解する。理解させろ。


 グロノざぁーん!! というロボの悲鳴をバックに俺とマールは時の最果てに向かうべくボッシュの家を離れた。ドナドナが聞こえてきそうな気分だな、悪くない。ロボの俺への懐き具合が尋常ではなかったのでこれは良い機会だったのかもな。ていうか、マールの奴ロボのことをあれだけ気に入ってたくせに自分が賞品になるとは全く言い出さなかったな、俺としてはロボよりもマールが離れるほうが良かったといえば良かったのだが。このアクージョめ。


 もう慣れたと言いたげなゲートのある家の家主が冷たい視線を送るが、見ない振りをして時の最果てに旅立つ。さよならロボ、三日以内とか多分無理だけど、強く生きろよ……!






「それでロボを置いてきたの? マールもトンデモなことを言い出したものね……」


「違うよ、最初はクロノを置いていこうとしたの!」


「マール、いつから俺のことが嫌いになったのか聞いていい?」


 時の最果てでルッカと再会した俺たちはグランドリオンの修復方法と馬鹿のせいでロボがパーティーを一時離脱することをルッカに告げた。それから後で聞いた話だが、マールが俺を置いていこうとしたのは自分やロボがあのお爺さんと二人きりになるのは可哀想でしょう? とのことだった。超ど級外道だった。


「しかし、遥か昔ねぇ……ねえお爺さん、光の柱から古代に行くことは可能なの?」


 時の最果てに住む(住む?)爺さんは帽子のつばを指先でつまみ深く被りなおした後、数秒考え込んだ後、小さく口を開いた。


「ああ、確か行けた筈だよ……ドリストーン……そういえば、光の柱から行ける時代で取れた気もするな……」


 ビンゴ! と指を鳴らして早速行きましょう! と急かすルッカ。俺とマールも頷き、立ち上がって光の柱まで駆けていく。正直ここから行けないのならロボとは永久にさようならとなってしまうので、九死に一生ってやつだ。


 幾筋も立つ光の柱に手をかざしていき、その中でB.C.65000000年、原始、不思議山という場所に向かう柱を見つけた。……これだ!


「二人とも、この柱で間違いなさそうだ、行こうぜ!」


「ナイスよクロノ。早く行きましょ」


「遥か昔の世界かぁ、なんだかワクワクするね!」


 想像も出来ない、まだ見ぬ世界に興奮して俺たちは勢い良く光の中に飛び込んだ。
 ゲートに入ると、息苦しいほどのスピードで次元を越えているのが分かる。暗い空間に投げ込まれた俺たちは少し不安になり何も言わず三人とも手を繋ぎ離れることがないように強く力を込めた。


「……長いわね、遥か昔とは言ったけれど、どれくらい過去のことなのかしら? 中世よりも前の時代ってのは分かるんだけど……」


「光の柱から流れ込んだ知識では、B.C.65000000年って出たよな? 分かるかルッカ?」


「え? 碌に調べずに飛び込んだから分からなかったわ。ていうかB.C.65000000年!? 原始の世界ってこと!?」


「ああ、そういや原始とも出たな、場所は確か……不思議山だったか」


「何でもいいよ、それより早く着かないかな……こうもゲートの中に長くいると怖くなってきちゃったよ」


 驚いているルッカを尻目にマールが肩を震わせていると、遠く先に光が見えて、俺たちの体が投げ出された。時空移動もこれで終わりか、今までとは比べ物にならない程の移動時間だったな。


「さあ、ここがっ!?」


 俺が驚いたのも無理はないだろう。なんせ、ゲートから出た俺たちがいる場所は空中。これは空に浮かぶ島とかそんなラピュ○みたいな場所にいたという比喩ではなく、ほんとうに宙に投げ出されたのだ。
 下を向いても地面が無い。つまり、重力の法則にしたがって、俺たちは、落ちていった。


「くくくクロノ! とにかく私の下敷きになりなさい!」


「ふざけろルッカ! 女は男に敷かれる側だ! というわけでお前が俺の下になれ!」


「うわ、クロノってば大胆……」


「エロい意味で言ったんじゃねえ! それなら俺は寧ろ上にいって頂きたい……とか行ってる場合じゃねえ!」


 急な展開に慌てふためきながら、ルッカが下にファイアを放ち、それによって生まれた上昇気流で落下速度を落とすことに成功した。マールは近くの岸壁にアイスを使って落下を止めて難を避ける。問題は俺だ。サンダーをどう活用すれば助かるのか? 本気で役にたたねえな俺の能力!


「うわあああファイトォォォー! いっぱああつ!」


 地面に激突する前にかろうじて岸壁から生えた木の枝を掴み落下を止める。掴んだ右手に落下と体重の付加がかかりびきっ、といやな音を立てるが脱臼は免れたようだ。後でマールに治療してもらえば治るだろう……


「クロノ! どかないでそこにいて!」


「え?」


 比較的緩やかに落ちてきたルッカが俺に当たってそのままぽてくり落ちる。まあ、お約束だよね、俺がルッカの下敷きになるのは世界の理なんだろうね。


「良かった、私が怪我をせずにすんで」


「ねえねえルッカ、俺の右足に刺さった石が見えますか? お前が俺に向かって落ちてこなきゃ無傷だったかもしれない俺の足、真っ赤だよね」


 俺の嫌味を無視して「マール、降りれるー?」と指を丸めて手を拡声器代わりに使いマールに呼びかけるルッカの行動は俺の殺害動機になるには申し分なかった。
 マールは時間をかければ降りれるよ、と答えたので、俺の治療にはしばらくかかることが決定した。仕方なくルッカからポーションを貰い足の怪我と肩を癒す。そろそろパーティー全員の回復薬も底を尽いてきたな……


 足の痛みが治まってきたので立ち上がり今自分がいる場所を確認する。
 辺りは木々が無造作に生い茂り舗装などとは程遠い野道が広がっていた。遠くの太陽が森の緑と赤のグラデーションを作りモザイク模様を照らし出す。後ろの崖は二十メートル程の高さで、ゲートは頂上付近に作られていた。もう少し考えた場所に設置してくれないかね、全く。
 道の至る所に子供くらいの大きさの石が転がり人間が近くにはいないことが分かる。緑の中から聞いたことが無い動物の鳴き声や、山を下る道からも人間ではない何かが走り回る音が聞こえる。
 空を見ると大きな翼をもつモンスターが優雅に旋回していた。その大きさは鷲よりも二まわりは大きく、人が乗ることも出来そうな巨体だった。


「ここが原始か、現代や中世、未来とは全く違うな。今までとは全く勝手の違う冒険になりそうだ」


「まあ、未来はともかく中世はそう大きく現代と違った点は無かったからね、そもそもこの世界に人間がいるのかどうかすら怪しいわ」


 ルッカもこの景色を見て似たような結論に達したようだ。現代との時代が千年単位の差ではないのだから、当然か。
 しかし、人の手が全く掛かっていない場所というのは中々見えるものではないと、俺たちはマールが降りてくるまでぼー、と座り込んでいた。鳴き声がうるさいが、自然に囲まれた場所で落ち着くというのは悪くない。
 目の前を緑のウロコを付けた黒い斑点を体に浮かばせている化け物が右往左往していても、落ち着いているのは悪いことじゃない。


「……クロノ、団体さんのお出ましみたいよ」


「言うなよルッカ。さっきのイベントで大分疲れたから気づかずにいたかったのに……」


 現実逃避を推奨していたのだが、まあ大げさに足音を立ててモンスターが現れては仕方が無い。のたのたと立ち上がり剣を抜き払う……が、その数は計八匹。今まで俺たちのパーティーだけで向かい合う敵の数では一番の大人数だった。


「……多くね?」


「……多いわね、マールも今は戦闘に参加できないし」


「おおーいマール! そんな崖とっとと降りて来い! 戦闘なんだよ、二人じゃ厳しいんだよ!」


「も、もうちょっと待ってー!」


 待てるものなら待っとるわい、と毒づいて、太陽に反射して白光を放つ剣を敵に向ける。崖を背にして挟み撃ちになることは避けられるが、単純計算で俺が四匹ルッカが四匹。分が悪すぎる。俺にしても一人に切りかかったところを側面から攻撃されれば終わり、ルッカも魔法詠唱の最中に攻撃されれば終わり、俺一人でルッカの詠唱時間を稼ぐのは厳しすぎる。


「八対二は酷いだろ……マールの野郎、さっさと戦闘に加われっつの!」


「……クロノ、どうでもいいことなんだけど、ちょっといいかしら?」


「なんだよルッカ、つまらんことならどつき倒すぞ」


「……あいつら、リーネ祭りに出てるうっちゃれダイナに似てない?」


「テンパッてるのは分かるが、もう少し建設的な発言を頼む」


 焦ってるときでも冷静な顔でいられるのはルッカの長所でもあり短所でもある。一言で言うなら紛らわしい。


 意味の無さ過ぎる会話をしていると、俺の近くにいたモンスター二匹が予備動作も無く飛び掛ってくる。剣を横薙ぎに払って遠ざけるが、追ってさらに一匹が後ろから突撃してくる。切った反動そのままに回し蹴りを放つが、俺の蹴りにビクともせず俺の腹に飛び込みの頭突きを当ててきた。


「ぐえ!」


「クロノ!?」


 ルッカの方にも三体のモンスターが飛び掛っており、声を掛けるも援護は到底、といった様相だった。


 追撃をさせないように後転して距離を空け、すぐさま右足を蹴りだして振り下ろし。油断していたモンスターの一体を両断すべく脳天に切りかかったのだが……


「か、硬え!」


 両断どころか剣の刃が通ることすらなく、モンスターの頭に弾かれてしまった。デナトロ山のモンスターの比じゃねえぞ、何食ったらそんな頭になるんだよ!


 よろついた体では反撃も出来ず、左右からの攻撃に俺は吹き飛ばされる。その後すぐにルッカが俺の近くに飛ばされて呻き声を出した。
 ……勝てない、か?


「ゲギャギャギャギャ!!」


 モンスターたちの揃った笑い声を聞いて、もう一度立ち上がろうとした時、金色の風が俺たちの前を通り過ぎていった。
 一つ風が吹く度に一体のモンスターがきりもみしながら飛ばされる。二つ風が通り過ぎれば二体のモンスターが地に伏せて、三度通り過ぎれば三体のモンスターの首があらぬ方向に曲がって絶命した。
 自分の目がおかしくなったのかと目をごしごしと擦って再度目を凝らすと、俺とルッカを守るように一人の女が立っていた。
 彼女はカールした長い金髪を膝裏まで伸ばし、腰巻のような服で下半身を隠し、豊満な胸を動物の毛皮で纏った、太陽に照らされたその姿は戦女神と呼称すべきものだった。
 ちらりとこちらを伺った横顔は彫りの深い美しい造詣で、目は野生を秘めたままぎらぎらと輝き、すらりと伸びた睫毛は自信に溢れたもののように見えた。


「ウウウ……」


 狼のように低く唸りながらモンスターを威嚇する。突然現れた女性に戸惑いながらも、残ったモンスター二匹は左右から同時に飛び掛り、爪を伸ばして彼女の喉と心臓目掛けて右手を突き出す。その速さは俺たちを相手取った時とは違い、風の如くと形容できるスピードだった。
 ただ、彼女は戦女神。その速さは音を超えて後ろに位置取る。
 相手の姿を視認出来なかったモンスターは一瞬呆けた後、彼女に頭を掴まれて互いの頭を叩きつけられた。俺の攻撃では傷もつかなかったモンスターたちの頭が割れて、派手に血を散らしながら沈む。


「凄い……」


 戦いが終わり、ルッカの感嘆の呟きが俺に届く。凄いというしかない、彼女の動きはそんな陳腐なもので終わらせていいのか分からないが、それ以外に言葉が出ないのだ。
 モンスターたちの屍の集まりに佇む光景は凄惨であるはずなのに、一枚の絵画を眺めているような、現実感の無い美しさを醸し出していた。


「ア……」


「「っ!」」


 ようやく俺たちを見た彼女が、ゆっくりと口を開いて何かを言おうとしている。ただそれだけのことなのに、何故か俺もルッカも緊張して体が固まってしまった。
 その様子を見た彼女は少し躊躇った素振りを見せた後、小さな声で話しかけた。


「あ、あたい、エ、エイラ……言う。お前たち……あの……」


「……ああ、俺はクロノ。で、こっちはルッカ、上の崖にへばりついてるのはマール」


 俺が話しかけると可哀想になるくらい驚いて背筋を伸ばした後、手で顔を隠しながらもじもじと会話を続ける。


「その……クロたち、どっから来た?」


「あーっと、何て言えばいいんだろうな……」


「明日の明日の、ずーっと明日から来たのよ」


 ルッカの言葉を咀嚼するようにじっくりと考えるが、目の前の女性……エイラというらしい、は悲しげに眉をひそめて申し訳なさそうな声をあげる。


「エイラ……あまり賢い、違う。ごめん……」


「いやいや! ちゃんと説明できないこっちが悪いから! 気にしなくていいから!」


「……うん……」


 さっきの勇猛な戦いぶりと一転したおどおどした態度にこちらもしどろもどろになってしまう。どう接するべきか計りかねていると、エイラがパッと顔をあげた後、やっぱり顔を隠して聞き取りづらい声でボソボソと何かを伝えてくる。


「新しい人間、仲間なると良い、キーノなら、そう言う。だから、村、案内する……」


 途切れ途切れに喋るため要領を得辛いが、恐らく自分の村に来ないか? という誘いだと思う。
 村の場所を教えてくれるのは有難いのだが、その前に一つ聞いておくべきことがあるので先にその確認をしようと俺が口を開く。


「あのさ、ドリストーンって石を探してるんだけど、エイラ……さんの村にあるのかな?」


 またもや驚いて縮こまるエイラに戸惑うが、辛抱強く質問に答えてくれるのを待つ。若干面倒くさいなあとは思うけれど、そこは恩人だからと我慢する。


「石、イオカの村にたくさんある……キーノ聞けば、分かるかもしれない……」


「あのさ、キーノって誰?」


 今度は質問に答えることなく山道を降りていくエイラ。思わず「ええっ!?」と叫ぶとびゅんびゅん走るエイラが硬直して前のめりに転んでしまった。コントみたいだな。


「エ、エイラ……先、行く!」


 脱兎のように走り出したエイラに呆然としながら俺とルッカは急いで追いかけることにする。ここにきてようやくマールも地面に降り立つことができたので、「待ってよー!」と言いながら走り出した。


 ルッカと並行しながら走る俺は、ルッカに確認として質問を投げた。


「なあルッカ?」


「何よ、口を動かすより足を動かしなさい。エイラって人もう見えなくなっちゃったわよ?」


「エイラってさ……かなりの恥ずかしがりって事でいいのか?」


「……の割りには戦闘はワイルドだったけどね、そういう解釈で間違いじゃないと思うわ」


「そうか……パネエな、原始」


 ある程度のドタバタは覚悟していたが、これは予想外だったな……


 太陽の沈む方角に向けて走り続けながら、戦女神のようだと思っていたエイラの事を思い出す。
 常人とは一線を画す動きと腕力を兼ね備えながら、対人の会話は満足に行えない気の弱い女性……アンバランスとはこのことだ、と体現するかのような在り方は、その、なんというか……


「うん、可愛いな、エイラ」


「……ああ? なんか言ったクロノ?」


「いや別に。……怖い顔するなよ、般若みたいになってるぞルッカ」


 エイラとは短く無い付き合いになりそうだな、と独り言を呟いて、俺は蹴りだす足の力を上げた。太陽の光が目にしみるが、悪くない気分だ。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2010/09/28 02:41
 両手を地に着け獣のように走り去るエイラの後を懸命に追うが、道を二、三曲がるとその姿はとうに消え、見えるのは頭部の発達した恐竜と呼ばれる化け物が群れをなして砂煙を立てているもの、または体の大きな動物を異様に牙の発達した虎のような獣が捕食しているといった弱肉強食の原点だった。


 ルッカは太古の歴史を肉眼で見ることが出来ると鼻息を荒くして、マールは原始の生き物達の生存競争におっかなびっくり足を進めていた。
 俺はルッカのように興奮するでもなく、マールのように怖がるでもない、ちょうど中間の気持ち。つまりは太古の時代ってこんななのか、という歴史博物館にいるようなどこか現実味を感じていない状態だった。


 そもそも物珍しいとか、怖いとか云々の前に、最初は崖から落ちたり、自然を感じてほんわかしたり、化け物と戦ったりで気にしなかったが……ここ、原始は暑いのだ。
 エイラが露出の高い服を着ているのは何もサービスの為ではなく、長袖なんかで外出するのはこの時代において間違っているのだろう。体感温度では四十度を越えている。多分ね。


「ルッカ……水は持ってないか? 浄水器的な科学アイテムでもいいぜ」


「無いわよ、今忙しいから黙って」


 結構辛そうな顔をしている俺にこの言い分。女性は男性よりも慈悲の心を持っているとかマジ幻想。草食系とか引くよねー、って会話してんだよ女の子って奴はさ。


 だらだらと肩を落としながら歩を進めて山を降りる。それから真っ直ぐ歩くと竪穴式住居が二、三十程密集している集落を見つけ小走りで近づく。
 恐らくエイラの仲間達の家であろうものは近目で見ると造りは粗く、藁に似た葉をしばりそれを屋根代わりに。その為小さな穴が点々と空いて風が吹く度にぱらぱらと飛んでいく。


「昔の家ってこういう感じなんだね……レンガとか使われてないんだ」


「そりゃそうよ、レンガなんて中世の時代でようやく普及されてきたんだから。と言っても、中世でも庶民では手が出ない代物だったけど」


「どうでもいいよ、俺は水が飲みたくて仕方が無い。ちょっと分けて貰おうぜ」


 村の中心から少し離れた一つの家の中に入ると半裸の男性が「ふんっ、ふんっ!」と荒く息を吐きながら腕立てを繰り返している光景が見えた。汗が気化して多少靄がかっているように見えるのは幻覚なのか。


 恐る恐る俺が話しかけると「うぇいあー!」と返し、「水を分けてほしいのですが……」という俺の問いに「をうえー!」
 歯軋りしながらくたばれ! と罵ると「だいたいやい!」との事。原始の人間には意思疎通の可能な人間と不可能な人間がいるようだ。エイラは奇異なパターンだったのかもしれない。


 これからの原始の旅に一抹の不安を感じて外に出る。それから何件かの家を巡るが会話が出来ても水は貴重品なのでまだ正式な仲間ではない俺達に分けることは出来ないとのこと。
 俺が地獄の餓鬼のように「水ー、水ー……」と呟いているとマールが「私の魔法で氷を出してそれを溶かせば水になるよ」とあっけらかんに言う。これで俺の問題は氷解したのだが(あ、上手いこと言った)だったら最初から言ってくれよ。道理でマールとルッカは涼しい顔してたわけだ。俺の見てないところで氷を食べてたのだろう。最近気づいたけど、こいつら俺が嫌いなんじゃない、無関心なんだ。好きの反対は嫌悪ではない。


 喉の渇きが癒えたところで、落ち着いた目で村を見回ることが出来た。人の数こそトルースに劣るがここに住む人々の活気はその比ではない。女達は土器を焼きながら木の実を割り、男は獣の皮を身に付けて鍛えられた筋肉をさらけ出し先端に尖った石を付けた槍を片手に自分を奮い立たせる歌のようなものを大勢で叫んでいる。勿論定められた歌詞など無いので各々好き勝手に歌っているがその顔は充実しているように見える。


 度々好奇の目で見られたが、しばらくすると慣れたようで片手に持ったぶどうのような果物をマールやルッカに手渡すということが幾度かあった。真に有難いのだが、俺に水を分けることは渋るのにその扱いの差はなんだと思ったのはやぶさかではない。


「あの、エイラって人の家が何処にあるか分かりますか?」


 マールに掌くらいの綺麗な石を渡して去ろうとする腰蓑の男を呼び止める。少々時間が掛かりすぎたので待ちくたびれているかもしれない。


「エイラ、酋長。大きな家いる、お前ら来たから、今日お祭り!」


「お祭り? もしかして私達への歓迎の意としてかしら」


「歓迎! 歓迎!」


 野生らしい動きを見せた後男は軽い足取りで何処かに去っていった。
 マールが「あの赤い旗が立ってる家じゃない?」と言うのでそちらを見るとなるほど、周りの家よりも一際目立つテントがそこにあった。聞けばエイラは酋長という身分らしいので、確信はなお深まる。


「エイラはこの村のリーダーだったのか。通りで強いわけだ。原始の人間の平均基準があれだとは流石に思ってなかったけどさ」


「まあ、狩りで生計を立ててたらしい原始人が現代の人間よりも強い、ってのは分かってたけどね。いくらなんでもあんな人間離れした動きをこの世界の住人すべてが可能なら色々面白すぎるわよ」


「お祭り……楽しみだねクロノ!」


 三者全員噛み合っているようで噛み合ってない会話をしながらエイラのいるテントに着く。
 暖簾の様な布を開き中に入ると広い部屋の中央に床に敷かれた絨毯を腕に引き寄せながらエイラが横になっていた。


「うわっ、可愛いなあの構図」


「えっ、可愛いって何が? ただ寝てるだけじゃない。床で寝るなんてむしろ行儀が悪いことだと思うわよ。それとも何絨毯を引き寄せてるのが可愛いの? だったら私だって布団を引き寄せて寝るけど? ていうか大多数の人間がそうして寝てるけど? ねえねえどこが可愛いの教えなさいよ参考にするから」


「お前が参考にしてどうする。あれはエイラという人間がやるから可愛いんだ。お前がやってもそりゃ行儀悪いなあしか思わん」


 俺の至極最もな意見にルッカは歯に物が詰まったようななんとも言えない顔をした後、寝入っているエイラに近づき顔の近くにハンマーを落とす。確かそれ八キロくらいあるんじゃなかったっけ?


「……!? 地震! 危ない、逃げる! ボボンガ!」


「地震なんか起きてないしボボンガもいないわ。ごめんねえ私の不注意でハンマーを当て損なっちゃって」


「ルッカ、当てるつもりだったんだ……」


 マールの顔が引きつるのも無理は無い。もし当たってたらこの村の人間全員に追い回される覚悟はあったのだろうか。


「あれ、お前ら……山にいた……」


「ルッカにマールにクロノよ。何で忘れるの? ちょっと寝たからって忘れるようなもの? すいませんね印象に残らない顔で!」


「落ちつけルッカ。エイラがひきつけを起こしかけてるから。怖がってるから」


 剣幕に押されて、エイラが握っている絨毯が破れだしている。怖かったのは仕方ないけれどえらく馬鹿力だな。だが……嫌いじゃない、そのギャップ。
 震えているエイラの目を見て笑顔を作る。敵じゃないよー、というアピールだ。昔から俺は泣いている子供にはこうしてなだめてやったものだった。
 エイラの目に涙が浮かび始めた。逆効果だったかもしれない。そういえばこの方法で泣き止んだ子供はいなかったな、しくしく泣いている子供を何人号泣させたものか。一度衛兵を呼ばれた事もある。


「エイラ、安心していいよ。ルッカはちょっと虫の居所が悪いだけだから。あの時は助けてくれてありがとう。ほら立って、もうすぐお祭りが始まるんでしょ?」


 マジで泣き出す五秒前状態のエイラにマールが頭を撫でて、ね? と笑えばようやくエイラの震え(痙攣といっても差し支えない)が収まった。女の子を宥めるのは男の役目だって言ってたんだけどな、フラグ建築士の人が。


「も、もうすぐ夜来る! 宴の用意出来た、こっち、マール!」


 赤い目を拭い、エイラが比較的明るい声で喋りマールの手を取って外に連れ出していった。


「……現時点ではマール、友達。俺、気持ち悪い男。ルッカ、恐怖の権化ってなところか。好感度が低い状態のスタートとは燃えるじゃねえか」


「恐怖の権化って何よ、私は当然のことを言っただけじゃない」


「いいか? お前にとっての常識は他全人類にとっては危険以外の何者でもないんだ。いかに自分が外れすぎた人間か理解してから物を言え」


「あんたに言われたくないのよ大変な変態」


「そう褒めるなよ。男相手に性欲が強いなあと示唆するのは究極の褒め言葉になる」


 ちみちみと嫌味を言い合って俺達はテントを出る。日が沈み始め、灼熱のような気温が下がり赤すぎる太陽が遠く果てで沈下を始めていた。








 星は夢を見る必要は無い
 第十六話 酔いつぶれた女の子を介抱した後楽しいイベントが待っているかと思えばそうでもない




 




「みんな聞け! 新しい仲間出来た! 強い女マール! その仲間クロ! なか……仲間? ルッカ!」


「「「ウホホー!!」」」


「さ! ボボンガ踊る! お前らも踊る!」


 ステージの上からの号令で人々は一斉に陽気なダンスを始める。単調ながらも耳に残る音楽が始まり太鼓の音が腹の奥に染み込んでいく。果物を熟成して作り上げた果実酒が脳を揺らし、豪快に焼いた肉の匂いが辺りを漂い否応無く気分を高めてくれる。
 マナー等無く手づかみで肉を果実を齧り床を汚す。現代や中世なら目をしかめるその光景も今この場では威勢の良い、気持ちの良い食べ方。何処までも解放感のある宴。
 さっきまではルッカとの小競り合いで節くれ立っていた俺だが、今は人の声や太鼓の音の波に流されて自由という宴を楽しんでいた。


――ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ 風達と
  ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ 山達と
  ボボンガ コインガ
   ノインガ ホインガ
    歌えや踊れ この一夜――


「ねえクロノ、この歌って……」


「ああ、リーネ千年祭でも歌われてたな」


「凄いね……ずーっとずーっと未来まで受け継がれてきたんだね、この歌は……」


「感傷に浸っちゃうわね……時の流れに風化されないものって、やっぱりあるものなのよ」


 酒を片手に地面に座り、俺たち三人は宴の喧騒を眺めていた。
 ……良いものだよな、誰かが楽しんでるってことは。


「楽しんでるか、お前ら?」


 先ほどまで壇上で俺達の紹介をしてくれていた男……キーノが話しかけてきた。
 本来はエイラが仕切るべきなのだが、大勢の前に立つのは恥ずかしいと彼女は辞退したそうな。毎度のことだ、と頭をかいていたキーノは見た目のひ弱そうな外見と違い実に頼もしそうに見えた。


「うん! こんなに楽しそうなお祭り初めてかも! あっ、でも王国祭も負けてないかな……」


「王国祭? キーノ分からない。でも楽しんでるなら良い! マール達も飲み食い歌い踊れ!」


「あっ、ちょっと!」


 マールの手を引いてキーノは皆が踊る場所まで連れて行きダンスを始めた。
 最初は戸惑っていたマールも雰囲気に呑まれたか好き勝手に踊りだす。順応性が高いのはマールの凄いところだよな。


「……私の紹介に不満があったから文句言ってやろうと思ってたのに、強引だけど、気持ちの良い男じゃない」


 叱るに叱れなかったわよ、と口を尖らせて俺に愚痴るルッカを小さく笑い、俺もその場を離れ宴を楽しむことにした。いやはや、この時代の女性は露出度が高くて良いね、たまらん。


「……うう……」


「え、誰かいるのか?」


 ぐひひと笑っていたことを誰かに聞かれたと思った俺は声の聞こえた方を見た。


「キーノ、楽しそう……マール、可愛いから……うう……」


「……エイラ、さん?」


 暗がりで座り込んだエイラは酷く悲しそうにキーノとマールが踊る光景を見ていた。何度も何度も目を擦っているので目蓋付近が赤く腫れ上がってしまっていた。


「ク、クロ!?」


 声を掛けられたことに驚いたエイラは俊敏な動きで草むらの中に入り遠くまで走り出す足音が聞こえた。


「……ああ、つまりあれか」


 俺のほのかな恋が終わったということか。へえー……


「……キーノ、許すまじ」


 エイラの思い人であるキーノがマールと楽しそうに踊っているのが辛かった、と。可愛いねえ、可愛いねえ。俺にヤキモチ焼いてくれる女の子なんざ生まれてから一切いねえよチクショー。


「ようやく……ここ原始で普通に可愛い女の子が見つかったと思ったら……そうだよな、エイラだって女だもんな、好きな男の一人や二人いたっていいよな……」


 さっきまでエイラが座り込んでいた場所で俺は体育座りになり腕の中に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。
 良かったんだって、まだ思いっきり本気だったわけじゃないんだし、これで良かったんだって! 傷が浅いうちに終わって良かったんだって!


 自己暗示完成まで三十分ほどかかったが、なんとか立ち直ることができた(そう思い込むほどまで回復した)俺は立ち上がり宴の様相を再度眺めだした。


 マールは酒が回り始めたのか踊りがハイテンションかつエキゾチックになっている。後で近づいてじっくりと見ることにしよう。
 ルッカは酒ダルの中の酒を飲み干さんばかりにピッチを早く、がぶがぶと飲み狂っている。見物人がいるところを見ると中々面白い余興のようだ。ここで選択肢を出してみようか。


 1、マールの艶かしいのかアホ臭いのか分からないダンスを見に行く。
 2、ルッカの黒歴史になるっぽい場面を間近で見て後でからかう。
 3、ロボを迎えにいってまさかのプロポーズ。俺にはお前しかいないんだ! と叫ぶ。(好感度90以上が条件)


「もしかしたらルート分岐かもしれない。ここは慎重に行こう」


 精神の弱っている俺はカーソルを三番に合わせて……


「……クロ?」


 脳内の決定ボタンを押す前に後ろから森の中に消えたエイラの声が聞こえたので踏みとどまることにした。


「どどどどうしたんだエイラ!? お、俺は決してベーコンレタスな選択をしようとなんてしてないぞ!」


「クロ……泣いてた……何で?」


「え? ……いやあ、その、まあ……失恋、かな。いやそんな大層なもんじゃないけど!」


 本当は誤魔化そうと思ったのだが、エイラの目があまりに綺麗で、澄んでいたから、思わず本音を晒してしまった。
 すると、エイラは驚いたように目を開いて俺の両手を握り締めてきた。……おやあ?


「クロも!? ……エイラも、その……」


「……言わないでも分かるさ。……キーノ、だろ?」


「!」


 何処と無く刺々しい声音になってしまったのはご愛嬌。いや、まだ好きになってたとは言わないけれど気になってた子の好きな奴を嫌いになるのは許して頂きたい。


 エイラと俺はどちらも話す言葉が見つからず、そのまま黙り込んでしまった。耳に入る盛り上がっている宴の音が今は腹立たしい。


 そのまましばらく時が過ぎると、エイラの手の力が強まり驚いた。……まさか、これは……


 4、エイラと楽しい一夜を過ごす。という選択肢が浮上してきたのか? 時間がたつと生まれる隠しルートなのか!?
 決定ボタン連打! 間違いねえよ決定ボタン連打ぁぁぁ!! セーブの準備しといて! 後十八歳未満はご購入できませんってタイトルに書いてといてぇぇぇ!!


「クロ! キーノと勝負する!」


「回想モードは充実させておけよ……ってえ? 勝負?」


 そのとおり! とエイラは元気良く頭を振った。分かりやすいボディーランゲージありがとう。


「クロ、マール好き! エイラ、キーノ好き! だからクロとエイラでキーノ達と勝負する! 奪い取る!」


「それ、何て名前の青春漫画? それと流れがさっぱり分からない」


「決まった! すぐ行くクロ! クロマール好き! だから行く!」


「引っ張るな! そんで俺はマールのことがそんなに好きじゃねえ!」


 俺の言葉にエイラは分かってる分かってると微妙に優しい表情を見せる。俺のことを理解してくれる奴なんていねえのさ、それこそマトリックスの向こう側でも無い限りな……
 しかし……俺の失恋の相手をマールと間違えるとは。自分がキーノを取られたと思ったからって、俺の好きな相手をキーノに取られたと決め付けるのはなんでだ? 変な四角関係を形成するなよ。女の子は自己完結する生き物だという定説があるが……当たってるものなんだな。
 

「ああ、おとなしい子に限ってこういう時強いんだよな、お約束ってやつだ……」


 背中をごりごろ削られながら引っ張られる俺を、村の人間は楽しげに見つめていた。






「勝負? キーノとか?」


「そ、そう! クロとエイラ、キーノとマールで勝負、勝負!」


「ええと、どうなってるのクロノ?」


「分からん、分からんほうが良い」


 きっぱりと不思議そうな顔で見ているキーノとマール。そりゃそうだ、踊っている最中に勝負! 勝負! と怒鳴り込んでくる人間を見たら誰だってそーなる。片手にへばった人間を捕まえてるなら尚更だ。


「岩石クラッシュ、飲み比べ! キーノ、逃げるか?」


「キーノ、別に構わない。でも、マールどうする? 酒、飲めるか?」


 いつも大人しいエイラがここまで堂々としているのは珍しいのだろう。キーノは探り探りという感じで会話を返す。その中でマールを気遣う台詞が出たことでエイラのボルテージが更に上がり、マールの言葉を遮り大きな声で勝負! 勝負! とおたけぶ。


「分かった、でも飲み比べは一対一でやる。キーノ、クロと。エイラ、マールと勝負する!」


 正直あんたらだけでやってくれないかなあと思うのは俺だけではないだろうとマールを見れば俄然乗り気なようでちょっと面白い。この子はどんなトラブルも楽しめるんだね。羨ましいやらアホみたいだわ。


「それでそれで? 勝ったら何が貰えるの?」


「う……それは……」


 何も考えず勢いで勝負を仕掛けたエイラは口ごもり、チラチラと俺のほうを見る。助け舟がほしいということだろうか? 何が悲しくて気になっていた子が自分以外の他人に焼くヤキモチに手を貸さなくてはいけないのか。いや、助けるけども。


「あーっと……エイラが勝てばキーノをエイラにプレゼント、ちゅーか告白させてや」


「クロ!!」


 エイラの八卦掌! みたいな突きをどてっぱらに当てられて俺はきりもみしながら料理の並んだ机に突っ込む。照れ隠しか、流石の俺のポジティブシンキングでも可愛いとは言えねえなあ、だって今俺吐血してるからね。
 口から流れる血を拭いながら一言エイラに文句を言おうとするが、彼女は血色の良い顔を真っ赤に染めて俺を睨む。拳が震えてるのはまだ殴り足りないということか? 俺が泣くまで殴るのを止めないつもりか? すぐさま泣いてやるぜ。


「クロ勝てば、マールはクロの物、なる!」


「「……え?」」


 エイラは暫し迷った後、摩訶不思議な事を宣言した。あれか? 俺がマールのことを好きだと勘違いしてるからの発言か? 自分の恋心を暴露するよりも他人の恋心を暴露するほうがましだからって……そりゃあないぜエイラさん。


「ええと……何で私がクロノの物になるの? ていうか、物って……何か過激だね」


 少し照れながら言うマールにそこ突っ込むところなんだ? とは言えない。だって喋るだけで激痛が走るんだもの。これ現代なら訴訟物だからね、エイラさんはもう少し抑えるって事を知らないと俺の幼馴染みたいになっちゃうよ。


「そ、それは……クロ、マールのこと好き! だからマール、キーノに取られる、嫌! だから勝負する!」


 マールが反応する前に遠くで「今何と言ったああぁぁぁ!!!」という怒声が聞こえたがまずは無視。そもそもさっきも言ったが勝負までの流れがさっぱりだ。エイラのテンパリは加速を続けている。いるいる、こういう何か思い立ったらそこまでのプロセスを無視して暴走する奴。


「ええ? クロノ、私の事好きなの?」


「そんなあからさまに嫌そうな顔をするな。いくらなんでも傷つく。お前は俺の心をダイヤモンドか何かと勘違いしてないか?」


「クロ、マール好き!」


「エイラ、ごめんちょっとうるさい。収集つかないから黙ってて」


 少し前まで好意を持っていた女性に申し訳ないが、ここまで適当な扱われ方をされては不満も募る。正直、うざい。


「面白そう! キーノ、この勝負受ける! 賞品はマールでいいか?」


「そんなもんいらん。さっきのやり取り見てなかったのか? それよりも……」


 今自分たちがドリストーンという赤い石を探していることを伝え、できればそれを貰えないかと頼むとキーノは赤い石たくさんある! それならやる! と快く了承してくれた。良かった、キーノはちゃんと俺の話を聞いて理解してくれる。俺の味方は男しかいないのかもしれない。ロボ然りドン然りキーノ然り。ああ、カエルは除外だ。あんなもん性別という概念が存在するのかどうかもあやふやなんだから。


「それで? エイラ勝てば、何貰う?」


「エ、エイラは……か、勝ってから言う! だから、今、言わない!」


 事情を知る第三者から見れば甘酸っぱい光景だが、応援したいとはびた一文思わないのは何故だろう? 不思議だ。いや、そうでもねえか。


 俺たちは壇上に上がり、腰を据えて準備が出来るのを待つ。


「じゃあ始める! 皆、岩石クラッシュ、どんどん持ってくる!」


 今まで成り行きを見守っていた人々がキーノの言葉に「ウホホー!」と叫ぶと石製の大きな杯の形をした物をいくつも持ってきた。中にはなみなみと注がれた黄色い液体。嗅いでみるときついアルコールの匂いがする。これを飲めってことだよな? ……度数いくつだよ、ウォッカだってこうは匂わねえぞ……? 五十前後ありそうだ……


「どうしたクロ? 酒は苦手か?」


 少し心配そうにキーノが聞いてくる。相手を気遣えるってことは、キーノはこの酒を余裕で飲める自信があるわけだ。……今までほとんど飲まずにいてよかった。酔いきった状態で勝てる相手じゃなさそうだ。


 心配するなとジェスチャーして、杯を自分の前に持ってくる。
 エイラとマールは俺たちの後で勝負するようで、観客席から見守っている。マールはどっちも頑張れーと気の抜ける応援を寄越し、エイラは心配そうに胸に手を置いて勝負の開始を待つ。


「この勝負、飲めば勝ち! 相手よりもたくさんたくさん飲めば勝ち! 単純! 用意は良いか?」


「ああ、俺もざるのクロノと言われた男だ、そう簡単に勝てると思うなよ!」


 景気良く返すものの内心俺なにやってんだ? という声が止まない。が、勝負は勝負、やると決めたらとことんが信条の俺に油断は無い!多分!


「それじゃあ……始め!」


 キーノの言葉が終わると同時に一気に杯を傾けて岩石クラッシュを飲みだす……が。


「おぶへぇっ!!?」


 喉を通した瞬間の熱に驚き口に入った酒を噴出してしまう。
 ごほごほと咳き込む俺にキーノは一杯目を飲み終えた後、心持余裕のある顔で話しかけて来る。……なんかむかつくな。


「この酒キツイ。無理、やめる」


「ばっ……げほっ! 馬鹿言え、おぶへぇが口に入っただけだ。一瞬水かと思ったぜ」


 気を取り直してもういちど口に運ぶ。強い酸味が焼けた喉を刺激する。こんなもん嗜好品じゃねえよ、なんかしらの毒物だと言われても納得するわ!


 悪態をつきながらも時間を掛けて一杯目を飲み干す。既に明日に響きそうだな、程度に酔っている自分が不甲斐ない。キーノは俺が飲み干したのを見ると頷いて二杯目を傾ける。マラソンで次の電信柱まで先に行って待ってるね? みたいな偽善行為しやがって……


 水が欲しいところだが、そんなペースではキーノには勝てないと踏んで俺も二杯目を攻略する。くそ、喉がヒリヒリして感覚が無くなってきた……まだ二杯目だぞ!?


 キーノに少し遅れて二杯目終わり、早速三杯目……というところで俺の手が滑り杯を落としてしまった。おいおい……もうベロベロじゃねえか俺の体。八岐大蛇だってこうはならなかっただろうに。


「もう降参するか? クロ、顔色悪い」


「………」


 キーノの降伏勧告を無視して次の杯を貰い喉に運ぶ。幾らなんだって、そうも簡単に負けられるか、相手のキーノは素面同然じゃねえか!
 それからキーノの制止やマール、エイラの応援を背に意地だけでアルコールを摂取し続けた……






 二十分も経っただろうか? 現在、俺が飲んだ杯の数十一、キーノ十六と逆転不可能とは言わないが、明らかな劣勢であることは一目瞭然だった。
 俺のグロッキー状態に比べてキーノも辛そうではあるがまだ余力があるように見える。ポーカーフェイスである可能性も否めないが……楽天的な思考は止めよう。
 何より……仮にキーノが限界だとしても俺は後五杯以上飲まなければ勝ちにならない。今俺は喉まで熱い濁流が迫っている現状、一滴も酒なんか飲みたくないのだ、いや、飲めないのだ。


「おぶっ……」


「クロ、よく頑張った。キーノ、ここまで酒、強い奴初めて見た。恥じる、無い」


「ふざけんな……トルース町のクロノっていやあ……ルッカと母親以外には負けねえって……逸話、が…あるくらい………」


 そこで俺の意識が薄れ目の前に積まれていた空の杯を倒しながら前のめりに横たわった。
 観客のキーノの勝ちだ! という声とマールとエイラの大丈夫!? という声がステレオに聞こえる。もう、どちらの言葉が誰の声なのか、その判別すらつかない。
 もういいだろ、俺は頑張ったよ。ぶっちゃけこんな勝負どうでも良いことこの上ないんだし、キーノだってマールの事が好きなわけでもない。だったらこのまま俺が倒れてても……


「キーノ、勝った! これでお前、キーノの物!」


「え! そんなの聞いてないよ!?」


「負けた人間、勝った人間に奪われる! これ、大地の掟! お前、それ破る、ダメ! ダメ!」


 観客の一人がトンデモ理論を弾き出すと周りの人間もそれに呼応してソウダソウダと騒ぎ出す。エイラやキーノがそれを止めようとしているのは救いだが、程よく酒の入った集団はその程度では止められない。熱気は増して、どこか不穏なものさえ感じられるようになった。
 ……そうか、この勝負はマールを賭けたものだったのか……そういえば、そんな気もするな。
 ぶつりぶつりと途絶えていく考えを一度全て外に追い出して俺はぐにゃぐにゃになったみたいに言うことを聞かない体を無理やり起こして、立ち上がる。
 観客も、キーノも、エイラも、マールも驚いて俺を見る。何だよ、俺がこの程度でくたばるもんか。


「……マール、は……」


 ああヤバイ、これ絶対ヤバイ。言ったら駄目なことを口走りそうな気がする。凄い勘違いされそうな気がする。
 でも、これ以外に上手い言葉が見つからない、それに自分を奮い立たせる為には仕方が無い。そう、仕方が無いんだ。


「さ、ねえ……」


 そうだな、はっきり言って最初は素敵な女の子だな、と思ったよ。元気一杯で、屈託が無くて、見るもの全部珍しそうにみて、そして……笑うんだ。皆を包み込むような暖かい声を鐘のように鳴らして、大きく口を開けてさ。


「渡さねえ……」


 でもしばらく一緒にいればそりゃあ酷い女の子で、俺のこと嫌いなのかな、と思ったし、その前向き加減がイラついたこともあったよ。世の中信じれば乗り切れると思ってる辺りがさ、わずらわしいっていうか。
 俺のこと見捨てて逃げようとすることも度々あったし……だけど……


 いつだって、マールは笑うんだ。俺の近くで、笑ってくれるんだ。
 勝負自体はしょうもないものだし、観客も煽ってはいるが、所詮酒の勢い、実の所面白半分で騒いでるに過ぎない。分かってるよ、そんなこと馬鹿でも理解できる。
 だからって……それでもやっぱり負けたくない。
 恋愛感情じゃない。父性精神とか、独占欲とか、嫉妬とかの類でもない。……もしかしたら、その中のどれかかもしれないけれど、そんなの認めない。大体そんな付加理由は必要ない、ただ、マールは、この王女様は……


「マールは、俺の物だ! ぜってえ、誰にも渡さねえぇぇぇ!!」


 他の誰にだって、渡すわけにはいかないんだ。友達なんだから。


 ここにいる全員のリアクションを見る前に近くの酒を持って一気に飲み始める。頭痛はするし手も震えるし目の前が赤くなってきてるし寒気もしてきた。今自分が立ってるかどうかもあやふやで息を吸っても吸っても酸素が足りない、心臓が爆発しそうなくらい暴れてる、それら全てが自分にとって有利に働くと考えろ、思い込め! 勘違いでも充分で、勝てさえすりゃあ良い!


「次ぃ!!」


 空いた杯を後ろに投げて酒を受け取る。慣れたものだ、一杯目は溶岩を口に入れてるみたいだったが、今じゃ最初に言ったみたいに水のように感じる! これもランナーズハイに似たものなのかもしれない。十杯でも百杯でも飲み干してやるさ! ……百杯は無理か。


「次の杯持って来い! 村中の酒飲み干してやらぁ!」


 この時からほとんど記憶は無い。ただ、村人達の歓声だけが耳に残っている。後、誰かが残してくれた温もりと、感謝の言葉が。
 その誰かは金髪だった。だから、きっとエイラが俺を抱きしめてくれてるんだろうと思ったから、名前を呼ぼうとしたけれど……何故だろう、俺は違う名前を口にした気がする。






 目を開けると、視界に青すぎる空。白い雲は太陽を遮らず、ただあるがままの姿を目に焼き付けさせた。余りの眩しさに目を背けると、そこには頭から酒をかぶって寝こけているルッカが大いびきをたてて爆睡していた。あー寝起きから見たくねえもん見ちまったぜ、慰謝料を請求して良いくらいだ。


 体を起こしてみると強烈な頭痛に頭を抱えてもう一度地面に横たわる。誰か! 誰か優しさの半分を俺にくれ! もしくはキャベジ○!
 動かずにいると頭痛が収まってきた代わりに体の節々に痛みを感じる。胃は心臓の鼓動の度に「動かすんじゃねえ! タリイんだよ!」と説教かましてくるし、顔全体がこけているのを理解できる。やべえ、有給三日は貰わないと死ぬ、これ。


「……まあ、あれだけ飲めばこうなるか……いてて、喋るだけで辛い……誰か殺してくれ……」


「嫌だよ、介錯役より観客側が良いもん」


 俺の体に影が降り、日光を少しだけ和らげてくれる。他人の声は聞くだけで悶絶するほど痛む筈の頭も、この声だけは鼓膜内の進入を許してくれる。むしろ、頭痛が軽くなる錯覚まで。


「……趣味悪いな、せめて他人にやらせるよりは……みたいな悲痛な決心とかはそこに無いのか?」


「決心してほしいの?」


「いや……それはそれでぞっとしないな。てか、それ俺の質問に答えて無くないか?」


「へへ、女の子はズルイの! ……って、何かの本に書いてあったよ」


「……当たってるよ、それ。真理だわ」


 俺の言葉を聞いて喜ぶマールは、遥か遠くで輝く太陽なんかよりもよっぽど眩しく見えた。
 お早う、王女様。


 マールのケアルで体が動くようになり、感謝を告げる。二日酔いも治せるなんて万能過ぎるだろ、食中毒とかも治せそうだな。
 酒臭さ満載の女の子らしさ皆無であるルッカにもケアルをかけてやり体を揺さぶって起こす。うわ、近づけば近づくほど酒くせえ、水被せて起こしたほうが一石二鳥で良いかもしれない。
 目を覚ましたルッカはしょぼしょぼとする目を開き「クロノ、酒臭い」とのたまう。良いか? うん○がう○こに臭いと言った所で不毛なんだぜ。


 結局三人で水浴び場に向かい(期待したのだが男と女は別の場所だった。何故原始の時代にこんなシステムがあるのだ、口惜しい)酒臭を消して再集合。これからどうするか相談して、キーノの持っている赤い石がドリストーンなのかどうか確認しようという結果に。


「なあマール、結局昨日の飲み比べ、俺が勝ったのか?」


「覚えてないの? キーノの飲んだ分、十六杯を越えて十七杯目を飲み干した後クロノ、倒れちゃったんだよ? 心配したんだから」


「そうなのか……いや、正直昨日のことはほとんど忘れちまっててさ」


 そう言うと、マールは何故か少し落ち込んだ後「まあ、いいか」と開き直ったかのように呟き「ありがとうね!」と笑ってくれた。何の感謝だか知らんが、礼を言われて何も言わないのは不実なので、「おう!」とだけ返しておくことにする。


「私もさ、昨日の記憶ほとんど無いんだけど、確か誰かを殺そうとしてたのよね……誰だったかしら?」


「ええか? 人の命はかけがえの無いものなんだから突発的に誰かを殺そうとしてはいかん。誰か思い出すな、ノリで殺人を犯すな」


「いや、なんだか信じてた友達に裏切られたっていうか、大切にしてた油揚げを掠め取られたっていうか……うーん」


「何だその例え? とにかく忘れとけ。それからマール、汗凄いぞ? あんまり近づかないでくれるか」


 辛辣にマールを遠ざけると肩が震えているのが分かる。ああ、何か知らんがやっちゃったんだなマール。あんまり動揺してると横のクリーチャーに気づかれるぞ? そいつやると決めたら絶対やる奴だから。悪い意味で。
俺が何がしかに気づいたと感づいたマールは俺に何度もアイコンタクトを送りお願い黙ってて! と懇願している表情を見せる。俺がどうしようかなー? と少し意地悪そうに唇を舐めるといいから黙ってろって言ってんだろがコラァな目にシフトしたのでちょっとばかり勘に触った。


「ルッカ、マールの奴がさ何か隠して」


「わーわーわー!! ぼぼぼボブサッ○のハンマーパンチは尊敬できるものだと私は思うようん!」


「? ごめん私あんまり格闘技明るくないから分からないわマール」


 まあ、概ね平和な感じの朝である。あくまでもここまでは。


 変なマール、とルッカが笑い伸びをした所で、彼女の顔色が見て取れるほど変わる。最初は赤色、次に青色、少しづつ血色が戻ったかと思えば白色に。信号もかくや、という次第である。……信号ってなんだ?


「どうしたルッカ、便秘か? それともあれか? 月の」


 後ろにいたマールから両肩に手刀、流れてドロップキックのコンボで俺の体力ゲージを五分の一減らしていく。アーケードなら咥えていた煙草を消して本腰を入れるレベルだ。……アーケードって何だ?


「……ヤバイかも」


「? ヤバイって何が? クロノのデリカシーの無さ? そんなの生まれる前から分かってたことじゃない。あんなんだからモテないんだよねクロノは」


 すぐ脇に倒れていた俺はマールに足払いを行い後ろ足に砂をかける。肉体的ダメージは薄くとも屈辱感は中々のものだ。現にマールは両手を地面につきながら「恨まぬ道理は無し……」と口惜しそうにしている。何て気分が良いんだ! これが勝者の優越というものか!


「……ゲートホルダーが……無い……」


「「…………」」


 公衆トイレの便器に財布と携帯と車の鍵を落としたみたいな顔でぽつぽつと語るルッカに俺とマールは固まってしまった。心なしか鳥の声も遠くから響く猛獣の雄たけびも途絶えた気がする。
 こうした沈黙の時間もルッカの顔色は七変化していきちょっとしたエンターテインメントにすらなりつつある。実際今ルッカの顔見てて面白いし。
 ……が、こうしてルッカの顔を見て楽しんでいるわけにもいかず、意を決してルッカに話しかけてみることにする。


「なあ、ルッカ……」


 俺の声に反応してルッカは絶望的状況といった顔で俺を見る。


「どうしようクロノ……私達、私達……」


「多分、俺もマールも思ってたことだと思うけど……ゲートホルダーって何だ?」


「うん、私も分かんない。何だっけルッカ」


「あんたらを愛しく思うべきか憎むべきか半々だわ」


 もしくは切なさと心強さか。


 重い重いため息を吐いてからルッカは頭痛をこらえるように目蓋の上から眼球を押さえて口を開いた。


「あのね……ゲートホルダーが無いとね……原始から帰れないの。元の時代に戻れないのよ!」


「……ええー! どうするの!?」


「ロボの貞操が危ういな。あいつの精神および肉体的権利はあの変態爺いボッシュの手に堕ちるのか……」


「気楽に言うけど、これマジなのよ? あんた原始の生活に対応して生きていけるの?」


「なんかその方が平和に終わりそうな気がしないでもないんだなー」


 なんていうか、トゥルーエンドには辿り着かないけどグッドエンドには到達できそうというか……作品によってはグッドエンドの方が幸せなこととか一杯あるし。U○Wとか。あくまで主観だけど。


 それからルッカとマールが頭を抱えてどうしよう、どうしよう! と転がりまわっていたのがちょっと面白かった。腹を抱えて笑っていたら殴られたけれども。何かあったら俺を殴っとけばいいや的な考えは止めようって。とりあえずマック集合、みたいな。
 その場は俺達が寝ていた場所付近に人間外の足跡が多数見受けられたことを俺が指摘してエイラ、もしくはキーノに話しを聞いてみようという結論になった。手がかりを見つけた俺に感謝の言葉は無し。クックックッ、あー触手モンスターとか出ねえかなぁマジで。もし出たら鬼畜ルート一択だぜ! 『冷静に見捨てる』とかさ。







 酋長のテントに入り中を見ればエイラの姿は見当たらないが、キーノが中でせっせと粘土をこねくり回している。どうやら土器製作に精を出しているようだ。昨日あれだけ酒を飲んで魔法無しに立ち直りなおかつ仕事を出来るとは……原始最強の人間はエイラではなくキーノなのかもしれない。
 

 俺達が来た事に気づくとキーノは木で出来た歪なコップに水を入れてもてなしてくれた。朝の挨拶を交わし本題に入る。寝ている間に大事な物が盗まれたこと、近くに人間ではない足跡が多数あった事を説明すると、キーノは血相を変えてそれは恐竜人の仕業に違いないと断定した。


「恐竜人、緑色! あいつらとキーノ達、戦ってる! 恐竜人、リーダー、アザーラ言う。アザーラとても頭良い……きっと、アザーラ命令した!」


 恐竜人とイオカ村との戦いや、その戦いを避けた人間達の村、ラルバ等様々な事を鼻息荒く教えてくれた。ぶっちゃけ、んなことはええからその恐竜人は何処におるんじゃいと言いたかったが、一通りの話は聞いておくことにした。
 キーノは村の中に恐竜人を見た人間がいるはず、まずは聞き込みを開始しようと提案し俺たちは頷いた。






「俺見た、恐竜人。南のまよいの森、入った。お前ら、まよいの森行くか? モンスターたくさんいる。気をつける」


 村の人間に聞いて回るとすぐにドンピシャ、頭に動物の牙で出来た飾りを乗せた男が忠告も載せて情報を提供してくれた。キーノに聞くとまよいの森の場所は知っているそうなのでそこまでの案内を頼むことにする。キーノは勿論! と日に焼けた笑顔を見せて先頭を歩き始めた。頼りがいのある男はモテる……実に理解が出来るな。その点俺はバーベキューの時もドンジャラで遊んでいるというインドア具合。そりゃあモテねえさ。


「キーノ、そういえば、エイラどこ、行った? 朝から姿見ない」


「エイラ? キーノも見てない。多分狩り、違うか?」


 遠ざかる俺たちに男がエイラの所在を聞く。俺たちは当然、キーノも知らないようでかぶりを振って予想を男に渡してまよいの森を目指す。
 そういえば、エイラの名前を聞いて思い出したのだが、昨日のエイラとマールの勝負はどうなったのだろう?


「なあマール、お前とエイラの飲み比べはどっちが勝ったんだ?」


「飲み比べ? 私が勝ったよ。エイラったら一杯目の半分も飲まずにダウンしちゃったから。ちょっと可愛かったよ」


 マールは二十杯飲んでこれ以上は明日に響きそうだから止めたそうな。マールは良く分からないところでとんでもなくハイスペックということか。……何故か悔しいのは男のプライドが原因だろう。
 にしてもエイラ、そんな簡単に負けたのか。落ち込んでなければいいのだが……
 彼女の泣き顔を思い出して胸が痛む。彼女の泣き声は誰かに聞こえないように低く抑えられていて、赤子のように心底悲しそうに泣くのだから。
 そういえば、俺は彼女の笑い声を聞いていないんだなあ、と寂しい現実を思った。











 おまけ




 余りにもどうでもいいキャラ紹介


 クロノ。
 好きな上がり方は誰かが大きそうな役のリーチを掛けた後の喰い断。アリアリはデフォルト。


 マール。
 愛読書はテニプリ。次いで復活。最近は真田が熱いとのこと。得意な上がり方は天性の引きから生まれるツモ。


 ルッカ。
 表の好きな漫画はハチクロ、君に○け、荒○アンダーザブリッジ等。真山君とかいいよねー? 深くまで関わってこないってゆーかー? みたいな会話が好き。
 裏の好きな漫画はフリー○ア、闇○ウシジマくん、古谷○全般等。っちゃけんなでかい事出来なくなってるけどね、警察の介入半端無いから。みたいな会話をしてクロノを引かせている。
 得意な上がり方は一色オンリー。我が道を遮る者無し!


 ロボ。
 BLEA○Hで基盤は出来た。最○記で仏教を斜に見るようになる。Fa○eで全ての準備が整った。中二とは恥に非ず、称えよ我が人道を!


 エイラ。
 喫茶店で大きな声で話しているグループがいたら店を出る。コンビニに入ろうとして店前で煙草を吸っている学生がいたら通り過ぎる。注文と違った品物が来ても文句を言わない、言ったこともない。現代に生まれたらこういう女の子になる。大学生になっても合コンは都市伝説。


 王妃。
 尊敬する人。範馬勇次○。少し離れて倉田○南。これがいわゆるギャップ萌え。


 ヤクラ。
 エックス斬り練習ポケ○ン。


 カエル。
 SでありM。これをP(ピュアー)と呼ぶ。救済措置的な名称。後、蛙。



[20619] 星は夢を見る必要はない第十七話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2010/10/21 15:56
 思えば、昔はこうではなかった。
 昔は今と違って自分に自信があった。どんな苦境にも負けない、負けるはずが無いという自負があった。
 まだ自分が狩りに出たての頃、自分は経験も無しに初めての狩りで最強の戦士として認められた。勿論少なからず批判ややっかみもあったし、中には酋長の娘だから選ばれただけの能無しとさえ言われた。毎夜毎夜村の人間に「デテイケ! デテイケ!」とテントの前で叫ばれた。
 父さんが病気で死に、母さんが恐竜人の襲撃で亡くなっていた自分を守ってくれたのはキーノだったと、気づいたのはもっと後のことだった。
 村の人間にほとんど村八分のような扱いを受けていた私はキーノの支えもあり(その頃はそんな風に考えてはいなかったが)実力で自分の存在を周りの人間に認めさせた。


 ……告白しよう、私は天狗になっていた。村の娘から得られる尊敬を、男達の目に写る畏怖の感情を、快感に変換させていたのだ。
 表向きは気さくな酋長として振舞っていたが、本音は自分以外の人間を役立たずとしか思っていなかった。正直、戦の際も自分の盾になるなら良いか、程度の、到底仲間に向けるものではない『信頼』しか感じていなかった。


 特にそれが表れていたのは男。女勢は非力であり狩り等の戦闘は不向きであることは分かっていた。しかし男はどうだ? 本来女である自分よりも強くたくましくあるべきではないか?
 今となってはそれが自分の傲慢の押し付けである意見だと分かっている。しかし、当時の自分には女である自分より非力な男たちが情けなくて、嫌悪の念さえ抱いていた。


 その負の感情をぶつけていたのは、キーノだった。
 もとより幼馴染という遠慮の要らない関係だったことも相乗して、自分は村の人間がいないところでキーノを怒鳴りつけ、殴り倒して、自分に溜まっていた理不尽なストレスを発散させていた。時には鼻を潰したり、奥歯を折ったことも度々だった。


 言い訳をするつもりは無いが、本当はそこまでするつもりはなかった。ただ……キーノは笑うのだ。私がどれだけ罵倒しようと、殴ろうと。私を宥めるように笑うのだ。その度に私の胸の奥にある黒い塊が大きく膨れ上がり拳を止める機会をことごとく消し去った。
 苛立たしかった。これではまるで、自分が駄々をこねているようではないか、と。癇癪を起こした娘に対する父親のつもりか、と。それにしては、被害が度を越えているが。


 ……男達は弱いと言ったが、その中でもキーノは強かった。戦でも狩りでもキーノは私の補助を勤めていた為目立ちさえしなかったが、その動き、判断力、指揮の正確さ、それら全てが自分を上回っていると知ったのは恐竜人との最初の戦いから二つほど季節が回った頃だった。


 恐ろしかった。もし村人達が私よりもキーノの方が強くたくましいのだと気づけばどうなるか、それは火を見るより明らかだったからだ。
 私が心の底では村の人間を見下していると感づかれるのにそう時間は必要ではなかった。生死を共にしているのだ、いつまでも騙しきれるものではない。
 それに比べてキーノはどんな人間にも優しく朗らかに勇気付ける言葉を送っていた。村の人間が私に疑心を抱く頃には村の士気を高めるのはキーノの役目と化していた。


 ……もし。もしも、自分が酋長で無くなってしまえばどうなるのだろう? その肩書きごと私も無くなってしまうのではないか?
 ――エイラという人間は、消えてしまうのではないか?
 そんな、強迫観念に酷似したものが、ムクムクと膨れ上がってきたのだ。
 だって、自分は力だけで村を従えて来た。それが大地の掟だと疑わなかったから。強い者が勝ち、強い者が奪い、強い者が従わせる。強い者だけが全てを手に入れる。……けれど……


 もし、自分が酋長で無くなれば? 強い者で無くなれば? 私は何を奪われるのか。
 答えは……無かった。見つからないのではない。文字通り無かったのだ。
 私には大切な人間も大切な物も何一つ手に入れていない。持っているのは私自身がハリボテにした仲間だけ。私が消えても誰も悲しまないナカマだけ。


 夜中にそんなことを一人で考えていた私は気が狂いそうになった。自分が何処に立っているのか分からない。地面が柔らかく沈んで平衡感覚が掴めない。空は暗いのか赤いのか透明なのか、色彩感覚も狂ってきた。私の体に詰め込められるだけの不安を捻じ込まれた。


 クラクラする頭を抑えながら私はテントを出ておぼつかない足取りで村の中を歩き回った。
 気づけば私は村の広場にやってきた。パチパチと爆ぜるたき火を数人の男達が囲み談笑をしていた。
 男達は私に後ろを向ける格好で座り込んでいたので私の姿には気づかない。私は混乱した頭で(私も話に入れてもらおう、皆と仲良くしよう、だって、キーノにだってできるんだから、自分が出来ない訳はない)と考えて、少しづつ男達に近づいていった。


 後は話しかけるだけ、と声を出そうとした瞬間、私の体は凍りついた。なぜなら、彼らは言った、確かに言った。
 ――そろそろ、酋長を変えるべきではないか、と。
 私は気配を隠して近くの暗がりに身を潜めて盗み聞きを開始した。……会話の内容は私の想像通り。


 エイラは情が無い。だが、キーノには情がある。
 エイラは鼓舞能力が無い、だがキーノには鼓舞能力がある。
 エイラは冷静さが無い、だがキーノには冷静さがある。


 ――エイラは男ではない、だがキーノは男である。


 悔しかった。今まで見下げていた男たちにこうも好き勝手言われる現状に。自分の力が足りないせいで追い込まれた事に。……キーノの存在自体に。


 沸騰した頭で私は単身恐竜人のアジトに向かった。先日の恐竜人との戦いで敵首領、アザーラが今拠点を離れ村の近くに出向いているという情報を掴んだのだ。
 一人で戦うことに恐怖は無い、あるのは自分の酋長としての座が脅かされていること。自分の存在価値が消えようとしていること。だって、自分には力しか無いのだ、その自分が力の象徴たる酋長という立場を奪われれば、そこに何が残るというのだ?


 息を荒くして、暴風のように恐竜人たちを薙ぎ倒して私はアザーラと対面した、そして……そして……


「……ごめん、キーノ……キーノ……」


 私は今日、二度目の過ちを犯したことになった。







 星は夢を見る必要は無い
 第十七話 KINGDOM COME







「いやあ、晴天だ、まさしく晴天だよ、これは晴天と言わざるを得ない。なあそうだろ?」


「クロノってさ、前から思ってたけど語彙量少ないよね? 今度勉強机買ってあげようか? もしくは広辞苑」


「マールは王女様の癖に悪口の幅が広いよな、やっぱり育ちが良くても中身が決まるわけじゃないんだなぁ」


 互いにアハハと笑いながら鋭く目を尖らせて睨み付ける俺とマール。いやいや仕方ないんだって、熱気は人の怒気を募らせるものだから。マールとは今朝からかれこれ三回くらい喧嘩してるけどまだ怒りが収まらない。何がむかつくって、喧嘩のたびに俺の怪我は畜産されていくけどマールは回復魔法を自分だけに掛けて快適に歩行してるのがたまらない。擦り傷とか凄いのよ、今の俺。


「あんたらねえ、暑くて苛立つのは私も同意見だけど、近くで暴れられたらこっちまで腹が立つのよ、息を止めるか死ぬかしてちょうだい」


 究極過ぎるだろその二択。理不尽な選択を強いられるのは慣れっこだけどさ。


「そんなこと言うルッカもさ、その頭の帽子取ってくれない? 見てるこっちまで熱くなっちゃう。趣味も悪いしさー」


「だよなあ、帽子のセンスも悪ければ服のセンスも悪い。いっそ全部脱いじまえ」


「……熱いなら見なければいいじゃない? まあ、マールのその服は涼しそうよねえ、露出が多くて。王女様なのにそういう趣味があるのかと勘繰っちゃうわぁ」


 ルッカの言葉に一つきょとんと瞬きをした後マールは外気の為だけでは無く、羞恥から顔を赤く染めた。


「わ、私は変態じゃないもん!」


「いや、ルッカの言う事も一理あるな……確かにマールの服は露出が多い。良し、いっそ全部脱いじまえ」


「ああら、ごめんあそばせ。でも変態さんじゃないとしたらその肌の見せっぷりは……なるほど男を魅惑してるのね? なら露出狂じゃなくて痴女って言うべきかしら? オーッホッホッホ!」


 口に手を当てて高笑いをするルッカは絵になっている。流石はトルース村女王様決定戦で準グランプリを獲得しただけのことはある。グランプリはうちのおかん。


「むうう……ていうかさ、私がクロノに告白紛いな事されたからって八つ当たりしないでよね! ヤキモチ焼くだけの女ってサイテー!」


「わ、私はヤキモチなんて……告白? ……そうか、昨夜私の殺人ターゲットに選ばれたのはあんたかぁ……選びなさいマール? 炎に悶えて焼死か、私の秘密道具による拷問で恥死するか」


 恥死!? なんかわからんがそこはかとなく卑猥な匂いがする……折角だから俺は後者を選ぶぜ!


「恥ー死っ! 恥ー死っ! つかもうお前らまずは裸になろうぜ! アダルティーなキャットファイトの始まりだ! ヒャッハー!」


「ああそう、そういう脅し使っちゃうんだ? だったら私もルッカの運動神経を冷凍して裸にして広場に置いて行くってのも良いよね? 動けないけど意識だけは残してあげるよ?」


 それイタダキッ! アリアリアリーデ○ェルチ! 決まったね今日のハイライト決まっちゃったね! もう序盤にしてサヨナラホームランだね!


「怖いわぁ、王女様ったらそんな過激なこと思いつくんだー? 本当、どんな淫蕩な生活してたらそんなアイデアが浮かぶのかしらね?」


「あーもうあれだよ、お前ら四の五の言わずに抱かせ」


「お前ら、うるさい! ここまよいの森! 怪物うようよ! 静かにする!」


 俺が殺し文句をバッチリ決めようとしたところでキーノが俺たちを怒鳴りつける。それを聞いてマールとルッカがしゅんとなり「「はぁい……」」と返事を返す。くそ、もうちょっとで俺主体によるお色気シーン勃発だったのになあ……


 分かれば良いとキーノは二人に笑いかけたが、俺を見るときに何処までも冷たい目をしていたのは何故だろう? ……ああそうか、キーノも俺の企画するムフフイベントに加えてほしかったんだな? 言い出せなかったのか、初心な奴め。


 俺たちは今キーノに案内され、まよいの森の中を右往左往しているところであった。本当はモンスターのいる場所の案内はエイラに任せるつもりだったようだが、朝から姿が見えないので戦闘の出来ないキーノがついてきてくれている、という訳だ。
 しかし、やはり線の細いキーノに戦闘は無理か、と納得していればなんのその。キーノは確かに敵を倒しこそしないが、エイラ並の俊足で敵を翻弄させたりルッカ以上の頭の回転で的確な指示を出したりとここでも俺が活躍することは無かった。時々キーノが気を使ってくれたように俺に止めを任せたりするが、そういうのが逆に辛い。
 実際の所、モンスターの質が低いのもあり、(体格や力は並外れているが知能が少ない)まよいの森を抜けるまでそう時間が掛かるとも思えなかった。


 ふと会話が途切れたので、俺はキーノの攻撃力だけがすっぽり抜け落ちた状態について考えてみた。
 キーノの判断や度胸、戦闘を知り尽くしている行動などを見てエイラ程ではないにしろかなりの修羅場を潜っていると思うのだが……もしかしたら狩りや恐竜人との戦いで乱波の役でもやってたのだろうか? 軍師的な役割かとも思ったが、前線に出ていても全く違和感が無いことからそれも違う気がする。まあそもそも原始の時代に軍師やら混乱陽動部隊なんて概念があったかどうかははなはだ疑問だが。


 まじまじとキーノを見ていると、先程の戦闘で少し乱れた服の下に肩から背中にかけて大きな傷跡が見えた。今はある程度治っているようだが、その傷は周りの肉が盛り上がり骨が露出していてもおかしくないほどの溝が作られていた。……単純に言えばグロい。


 俺が見ていることに気づいたキーノは自分の傷を一度見たあと「ああ」と納得してから俺に向き直る。


「この傷、深い。俺、両腕、あまり上がらない。だから、戦闘、ムリ」


「そうなのか? でも昨日は石の杯を持ち上げてたじゃないか」


 キーノは少し顔を崩して、


「俺の杯、木で出来てる。クロ、石。俺、木」


 なるほど、日常生活に支障は無いが戦闘に耐えられるほどではない、と。ヒ○ンケルみたいなもんだな。とは口に出さないでおこう。絶対分からないだろうし。
 マールのケアルで治せないか聞いてみた所、怪我をした直後なら分からなかったが、不完全に肉が覆った今では効果が無いだろうとのこと。謝るマールにキーノは「仕方ない。マール気にする、無い」と笑って返す。


「やっぱり、マール良い奴。ありがとう!」


 純粋な善意と真っ白な笑顔で言われたマールは仄かに顔を赤らめて、どういたしましてとボソボソ言う。他人から見る青春ってこんな感じなのかな? なんかムカムカする。キャベ○ーン!


 それからも数回戦闘をこなしふと思ったのだが、キーノは腕が使えずとも脚力は並々ならぬものがあるので足技主体で戦ってはどうか? と提案する。それに返ってきた答えは「出来なくはない、けど、腕、イタイイタイ! 動けない……」だった。蹴りという全身を激しく使う動きをすると腕に負担がかかり激痛が走る。結果、行動不能になる為その案は使えない、そう介錯した。
 ちら、とルッカを見るとキーノの腕を痛ましそうな目で見ている。体の部位に障害を持っている事に自分の母とダブらせているのだろうか? そう思いついてから注意して戦闘中のルッカを見ていると分かりづらい範囲でキーノを庇っているのが分かる。


「……なんか、俺浮いてね?」


 気のせいだと何度も頭を振るがどうもルッカ、マール共々俺との会話はおざなりに、積極的にキーノと絡んでいる気がする。もし今セーブするとセーブ画面タイトルは『ヤキモキ』だ。『ヤキモチ』でも可だな……何を言ってるんだ俺は。


 なんとも言えない胸のモヤモヤは解消されず、気づけば俺たちはキーノの案内の元まよいの森を出ることに成功した。


「………」


「どうしたのキーノ? 何かあった?」


 鬱蒼とした森を抜けからからした空気を吸い込み体をほぐしているとルッカがなにやら難しい顔をしたキーノを案じる声を出していた。
 思い悩んだ表情のキーノを慮ってマールも近づき怪我をしたのか? と聞いている。マール、それがお前の優しさであることは分かっているがそれは小さい子供に「お腹痛いの?」と聞くのと同義だ。


「違う、エイラ、何処にもいない。ここにいるかと思った。でも、いない……」


「んー、俺達が寝てた間に狩りにでも出たんじゃないか?」


「違う! エイラ、キーノに何も言わず狩り、行かない。心配……」


「心配って……エイラの事だから心配なんて必要ないんじゃない? 彼女、えらく強いわよ。正直私たちが束になっても勝てるかどうか……」


 ルッカが怪訝そうに顔を歪めてキーノを見るが、キーノは顔を横に振るばかり。


「エイラ……そんなに、強くない」


 風のように駆け火のように敵を打ちのめすエイラが強くないというキーノの言葉は、その真意を得る前にキーノ本人が話を断ち切るように早足で先頭を切る。戸惑いながらも俺たちはキーノに近づいて後続を進む。もうすぐ恐竜人のアジトに着くというのに、何処か漂う不安が背中を通り過ぎた。







 父は言った。私に強くなれと。
 私は答えた。分かったと。
 キーノは首を傾げて答えた。強いとは何だと。
 父は驚いた顔をしていた。私は当然だと思った。強くなるという意味も分からないキーノに呆れているのだと。
 キーノは、ただただ不思議そうに、子供の頃は丸みがかっていた瞳をさらに真ん丸くして父の言葉を待っていた。私は瞳を細くして軽い軽蔑を含ませて隣に座っているキーノを見ていた。
 父はすぐに驚いた顔を引き締め、しかしそれは数秒と持たず破顔して、焼いた魚を丸呑みしていた大きな口を顎が外れんばかりに大きく開けて、笑い出した。
 今度は私とキーノが驚き、それを見た父は愉快そうに、でも悲しそうに、「ワシにも、分からんのだ」と呟いた。
 私は少し怒りながらより多く、より強い敵を倒すことが出来れば、それが強いことなんじゃないかと叫んだ。父はそれも一つだ、と長い立派な髭を撫でながら答えた。
 キーノはそれが答えなのか? と問う。到底納得している様には見えなかったのが、さらに私を苛立たせた。
 それが、今から十年以上前のこと。私はあの頃に戻って、今一度キーノに問いたい。そして父を糾弾したい。
 キーノには『強いとはどういうことか、キーノはどう思っているか』を問いたい。
 父には『何故そんな間違った答えをあたかも正解の一つであると答えたのか』と責め立てたい。もしそこで私の間違いを正してくれたのなら、私はこうも間違えはしなかっただろうに。
 ……例え、責任の転嫁であると分かっていても、そう考えずにはいられないのだ。


 暗く湿った部屋で、私は膝を抱えて涙を流す作業に戻る。それが何の意味も持たないと知っていようとも。







 森が囲う形で一つの洞穴を見つけたキーノは恐らくここに恐竜人が、ひいてはゲートホルダーがあるはずだと当たりを付けた。まよいの森の中に恐竜人らしきモンスターはいなかったのでもしここが外れていればふりだしに戻るという緊張と期待を持ち合わせながら中に入るとああらどっこい、四方三十メートルはある大部屋に恐竜人たちがわさわさわさわさ三十体以上の大人数でぎゃんぎゃんと人間には喚き声にしか聞こえない会話を広げていた。


「……帰るわよ」


「ああ、帰るべきだ」


「そうだよね、帰るしかないもんね」


「……何しに来た? クロ達」


 一人冷静そうに俺たちに突っ込みを入れるキーノだがあえて言おう。今この場においてトチ狂っているのはお前だ、と。
 何しに来た? という問いからキーノはつまり「この恐竜人たちを倒してゲートホルダーを取り戻さないで良いのか?」と聞いているに違いない。そして俺はこうも考える! キーノは俺たち四人でこれだけの大人数相手の戦闘をこなすことが可能であると疑っていない! 実質的に自分が撹乱の役割しか果たせず戦闘主体の動きが無理だと理解しているにも関わらず、だ。
 結論を急ごうか……キーノはアホだ。どれだけ俺達が強いと勘違いしているか知らんが、俺、ルッカ、マールの三人では前回の戦闘を思い出す限りでは恐竜人相手に一度に五体がぎりぎり、キーノを入れても六人が良い所である。七人になれば誰かが怪我をするのは必須。脱落すら有り得る。ロボと交代が出来るならまだしも、悲しい理由でロボは途中参戦が不可能。もう逃げの一手しかないのだ。


「キーノ、若いうちは無茶をしたがるものだが、お前のそれは勇気ではない。蛮勇だ」


 優しく諭す俺の顔を見る前にキーノは俺達が隠れている岩陰から身を乗り出そうとするので現代パーティー三人が必死で止める。こういうことを言ったら駄目なんだろうけど、キーノの腕が使えなくて良かった。本当に良かった。


 体を押さえつけても大声を出そうとするキーノにちょっとばかり堪忍袋の緒が緩んだマールが下半身を氷付けにしてルッカが口に布を巻きつけて黙らせる。うん、このスピードなら誘拐も可能かもしれない。


「しかしどうする? 特攻するのは論外だとしてもいずれはあの中を突っ切らねえと俺たち現代に帰れないぜ?」


 俺の意見にマールとルッカは胡坐をかいて腕を組みうーんと考え込む。


「よし、とにかく作戦を練ろう。という訳で作戦その1」


「早いわね、あんた適当に思いついただけでしょ?」


「否定はしないが数撃ちゃ当たる戦法だ。アイデアはあればあるほど良い」


 ルッカは道理ね、と頷いて俺の話を聞こうと軽く前のめりになる。


「では気を取り直して、作戦その1、ルッカの秘密兵器である手投げ爆弾通称『リトルボーイ』で中にいる恐竜人達を滅殺。この作戦名はガジェット、またはマンハッ○ン計画とする」


「私はイーゴリ・クルチャ○フ博士じゃないの。今それ関係で色々ごたついてるんだから冗談でもそういうこと言わないの」


 俺の素敵アイデアは一蹴されてしまった。正直一番期待していた案だけあって結構へこんだ。


「じゃあ作戦その2、マールが奇天烈な動きとBGMで恐竜人たちに姿を現す。恐竜人たちが呆気に取られている隙にお得意の演説でチャップリン張りの感動を生む。その間に俺たちはゲートホルダーを奪取。作戦名またはタイトルを独裁者とする」


「言葉も通じないのに演説してどうやって感動が生まれるの? ギャングが世界を廻す本で似たような方法使われてたし。後今の言葉なんか悪意を感じたんだけどなー」


 俺の名案は採用されるどころかマールの怒りが高まっただけのようだ。いっそその怒りゲージをマックスにさせてから爆発。ロック○ンのボディパーツ機能みたいに敵を一掃してもらえんだろうか。


「……作戦その3、キーノを放り込んで恐竜人たちが捕食している隙に」


「むー! むー!」


 今度はキーノが却下か。ふむ、どれもこれも珠玉のアイデアだったと思うんだが……我侭な奴らだ。


「……私も作戦を立案するわ。クロノが『ここは俺に任せて先に行け!』とか人気取りに走って奮闘している間に私たちが」


「深夜になるのを待とう。そうすれば中にいる恐竜人の数も減るかもしれない」


 ルッカの不吉なアイデアを聞き終わる前に俺が妥協案を提示してその場を終える。こいつはやるといったらやるんだ。そしてマールも俺を犠牲にする策は嬉々として乗りやがるからな。


 ルッカもマールもそれしかないか、と項垂れて地面に横たわる。やることがないとなれば余った時間を体力温存に使うとは、中々サバイバーな女の子たちだこと。
 キーノは消極的な案に不満を見せていたが、何とか説得して不承不承ながらも夜が深まるのを待つことにした。







「さて、増えたわけだが」


 正確な時間は分からないが日が落ちてから随分な時間が経ち、そろそろ頃合かと大部屋を覗き込んだ俺の感想である。シンプル過ぎて説明はいらないだろう。言葉のとおり恐竜人の数が増えたのである。おおよそ7~10匹ほど。


「だからキーノ言った! はやく進もう! 言った!」


「キーノよぉ、だからあの時言っただろうとか人の過去の失敗を穿り返す奴は嫌われるんだぜ? 今回は見逃してやるけどよぉ」


 コミュニケーションの基本を弁えてないキーノに一つ説教をかまして、これからどうするかを相談する。気のせいかキーノが睨んでいるような顔だが、常識を教えるという役割は辛いね、相手の為を思ってのことなのに恨まれるんだからさ。まあ後々キーノは俺に感謝するだろうさ、あの時俺に正されて良かったって。


「ていうか本当にどうするのクロノ? 私たちこれじゃあゲートホルダーを取り返せないよ? もう帰れないのかなあ」


 この状況に慌てているのがキーノの他にもう一人、マールだ。彼女もいよいよ危機感を覚えたらしい。気持ちは分かるが。例えるなら船に乗って何処か遠くの大陸に来たのは良いが帰りの船賃が無かったような状態だからな、今の俺たちは。


「さて、ルッカ。これからどうするべきか……お前に何か考えはあるか?」


「…………」


 我がパーティーの参謀役(勝手に決めた)である彼女は難しい顔で唸っている。かく言う俺はこれからすべきことは大体見えている。根本的な解決に繋がるかどうかはともかくとして、確実にやらねばならないことが。
 ここで一つ言っておくことがあるだろう。今の今まで俺たちは何も寝転がって時間を潰していただけではない。恐竜人の群れに見つからないように外に出て食料や水を補給していたのだ。


 つまり今は腹も膨れ喉も潤っている。そして今の時刻は深夜、俺たちがやるべきことは既に決まっている。


 ルッカは億劫そうに目を開いて、口も目と同じようにゆっくりと開き、それでも口調ははっきりと。


「眠いわ」


「だよな、寝るか」


 夜になれば眠い。眠いのなら寝る。これは自然の摂理、人体の常識、当然のことなのだから悩むことなど無いのだ。


 体を横たえて睡眠を取ろうとする俺たちをマールとキーノが騒いで止めようとしてきたのでルッカが荷物の中から催眠を促す波長を出す催眠音波装置を取り出し強制的に眠りに尽かせる。静かになった空間で俺とルッカは顔を見合わせてから頷くとゆったりとしたまどろみに堕ちていった……







 時は前後する。クロノたちが寝息を立て始める数十分前のことである。
 彼らが尻ごんでいる恐竜人たちが大勢集まる大部屋を越えた先の細長い通路。そこに、一人の女性が座り込んでいた。
 美しく太陽の光を帯びていた金の髪は土ぼこりで黒く汚れ、早朝から開いていた目は疲れ瞬きの数は増える。それでも後ろめたさと罪悪感から眠りにつくことは出来ず、昨晩洗ったばかりの服は汗と近くを徘徊する恐竜人特有の体臭ですえた臭いがこびりついていた。
 彼女の名前はエイラ。つい先程まで昔のことを思い出しながらぽつぽつと独り言を呟きながら自分の行った行為を懺悔していたのだが、流石にほぼ丸一日飲まず食わずでいたのでその体力も無くなってきたのだ。


 重複するが、彼女はさっきまで懺悔していた。……反省と後悔がひしめき合っていた。ただ、それだけが全てではなかったのだ。
 中には打算とも言えない、可愛らしいといえば可愛らしい計算が働いていた。自分の中にシナリオを組み立てていたのだ。
 そのシナリオはこうだ。自分が悪事、今の場合クロノたちの持ち物を盗み出すこと、そしてそれがキーノにばれる。勿論キーノは自分を叱るだろう、何故こんなことをしたのか問いただすだろう。その時自分はこう言うのだ。「エイラ、キーノ好き! でもキーノ、マール好き言う。エイラ、それ嫌……」と。全ては嫉妬、ヤキモチから生まれた行為だったのだと告白するのだ。


 エイラは考える。……最高のムードが完成するのではないか? と。男の心理は良く分からないがこれでキーノが自分を嫌うだろうか? 表向きは怒りを露にするだろうが、必ずどこかで愛らしいという感情が生まれるのではないか?
 ……この計画を始めるにあたって無関係であるクロノたちに迷惑をかけてしまう事に葛藤はあった。しかし乙女の恋心はグングニル、どんな障害も穿ち貫くのだ。理性や常識といった道徳観念など煩悩の最たる感情の前には遮るという概念すら存在しなくなる。迷いは光の速さで霧散した。
 早速行動に移そうとしたエイラだったが、ここで自分の計画にさらに一捻り加えてみようという欲が浮上した。もう少しドラマティックにしても良いのではないか? と。


 筋書きはこうだ。恐竜人たちにクロノたちの持ち物を盗ませる。これでキーノたちは恐竜人が盗んだと考える。恐竜人たちのアジトに向かい奪還しようとするがここでエイラ登場、真相を話す。キーノ驚きとショックに打ちひしがれる。まさか恐竜人たちの仕業かと思えば仲間のエイラが犯人だったなんて……!? (キバヤシタイム)エイラ尋問。そして涙と淡い恋心暴露。盛り上がらない筈がない。二人の絆が深まる。ハッピーエンド。エピローグにて男ならエイノ、女ならキーラと名づけようじゃないかとかそういう幸せなシーンが流れてスタッフロール。


 その光景を想像した後、エイラの行動は早かった。森をうろつく恐竜人を締め上げて「エイラの言う事聞く。嫌か? ならお前の手足、別れる」と説得、成功。恐竜人と人間が一時とはいえ手を取り合った世紀の瞬間だった。方法はどうあれ。
 そこからも順調に事は進んだ。気づかれないようにクロノたちの持ち物を盗ませてこの恐竜人のアジトまで運ばせたのも全て計画通り。後はこのアジト内でキーノ達が来るのを待つだけだった。
 恋心が暴走してクロノたちの持ち物を盗んだが、やはり後悔の念に駆られて取り返そうとしていた、という設定にすれば健気さが強調される。何もかも上手く行く筈だった。……しかし。


「……遅い……ぐす」


 待ち人が一向に現れず、かといって外に出て様子を伺うわけにも行かず(鉢合わせになるのを避ける為)、エイラは悶々とした時間を無為に過ごすしかなかったのだ。
 暇つぶしに乙女心満載で過去の出来事に浸り悲劇のヒロインを演出しようと独り言を呟いていたもののもう思い出せる出来事は限られて気づけばキーノのノロケというか自慢を延々垂れ流している痛々しい女になっていた。
 その姿を見たエイラに脅されていない恐竜人は侵入者を捕まえようと飛びかかりかけたが『こいつこわいわ』の考えの下存在をスルーすることに決めた。恐竜人は頭の良い種族である。


「ごめんなさい……うえっ、ごめんなさい……悪いことした、エイラ、悪い子……ごめんなさい……」


 予想以上に過ぎた時間のお陰か熱しきっていた恋心も少しは収まり自分がいかに悪いことをしたのかを再認識することが出来た。そう、ここにきて彼女は本当の意味で懺悔をすることが出来たのだ。
 今ここで自分がひたすら待ちぼうけをくらっているのも天罰の類であると考え、とはいえど何が出来るわけでもなくただ涙を流すことしか出来なかった。
 またも重複するが、これは、クロノたちが就寝する前のことである。







「減らないなあ」


「一向に減らないわね」


 朝、今日も元気に勤労勤労と太陽が昇り鮮やかな緑を映えさせて、流れる川の水しぶきを強調させる。その優しくも力強い光は鳥のはばたきを優雅に、地を這う動物に自信と安心を。纏めるならばすばらしい朝だった。ただ恐竜人のアジトには恐竜人が朝でも夜でも大量に蠢いている。もう虫扱いで良いと思えるくらいの数がわさわさと。
 そもそも恐竜人に睡眠はいらないのだろうか? どういう生態機構なのかさっぱり見当がつかないので断言は出来ないが、もしそうだとしたら時間を見計らって襲撃という考えが全くの無駄となる。


「クロノ、ルッカ。果物採ってきたよ。朝ごはんにしよう」


 食料調達に出ていたマールが両手にバナナやら木の実やらを抱えて戻ってきた。隣になんかどうでもいいと吹っ切れたキーノを連れて。キーノもマールも強引に進んだとて何にもならないと気づいたようだ。キーノに関しては一番焦らなくてはいけない当事者の俺たちがのったりしているので感化されたのかもしれない。


 果物の皮を器用に剥きながらキーノが口を開いた。


「今日、どうする? これ食べたら、戦うか?」


 もぐもぐと豪快にバナナを口に放り込んで問うキーノに俺もルッカも首を振る。まだ機ではないと。
 やっぱりか、という顔で然程気にした様子もなく食事を続けるキーノ。手早く食事を終わらせた俺たちは持て余した時間をどう活用すべきか考えていた。
 すると、マールが唐突に手を上げて元気良く「はいっ!」と声を上げる。この子は俺たちが隠れていると自覚しているのだろうか?


「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」


「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」


「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」


「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」


 まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。


 キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
 しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
 それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。


「……疲れた。もう何もしたくない」


「非労働者みたいなこと言わないでよ、あー気づいたら恐竜人の数全然見てなかったわね。遊びすぎたわ」


「私お腹ペコペコだよ……クロノ、何か採ってきて」


「俺さっき何もしたくないって言ったばかりだろーが」


「キーノ……採ってくる……」


 どうやら催眠音波が切れたらしいキーノは敵前でありながらはっちゃけたことに絶望し消沈しているようだ。面倒だからもう一度催眠音波を当ててやろうとルッカと相談しているのは内緒。キーノだけに。


 それから夕食を食べて腹も満ち、マールが舟をこいでキーノもひとつあくびをしたところで今日は就寝するかというルッカの発言が通る。今日は十年前に戻った気分だった。明日も遊ぼうぜ、と皆に声を掛けてから俺は深い眠りの中に……


「あかんあかんあかん!!」


「なな何よクロノ!? 夜に大きな声を出したら泥棒さんが来るのよ!?」


「それは口笛だ!」


 すやすやタイムに入ろうとした瞬間俺はとんでもない事実を思い出した。良かった、もし今思い出さなければ確実に間に合わなくなる所だった。
 さっき脱いだ靴を履き傍らに置いた剣を腰に付けて戦闘の準備をする。これにはルッカもマールも戦いたがっていたキーノまでもが驚いていた。いや、お前は驚くなよ。喜べよ。


「どうしたのよクロノ、もう寝るってことで全員一致だったのに……」


 眠たい目を擦りながらルッカはメガネを付けて不満そうに声を出す。キーノはトイレか? とデリカシーのない事を言い出しマールは大きいほう? と最っ低なことを言う。それら全てを否定して俺は汗をかき出した顔を皆に近づけてぼそ、と呟いた。


「……今日で三日目なんだ」


 これだけでキーノ以外の人間は全て分かるに違いない。そう、ロボをボッシュのじいさんに預けてから今日で三日目。明日の朝までにボッシュのじじいにドリストーンを持っていかなければロボがあのじじいのモノになり禁断の道を歩むこととなってしまうのだ。詳しい描写は冬に出るだろう薄い本とかで。


 予想通りルッカは忘れてた……と顔を青色に、マールはやっべえと顔の前に手をやり汗を流す。キーノは首を傾げて俺たちの動向を見守っている。


「……行くしか……ないわね」


 悲痛な決心そのままな声でルッカが覚悟を促す。なんだかんだでロボは俺たちの仲間だ。忘れたまま期限を過ぎたのなら「ま、しゃーないか」ですむが一度気づいてしまえば行動を起こさざるを得ない。さっきまでの行楽気分は何処へやら、今は姫を助けるアーサーの気持ちである。まあ、それは言いすぎか。


 全員がもう一度岩陰から大部屋の様子を探る。湿気でコケの生えた岩を少しどけて見えた光景はやはり恐竜人の群れ。無意識にため息がこぼれるのは仕方が無いというものだ。
 それからもう一度身を隠し皆で作戦会議。マールやルッカは堅実的に、キーノは強攻策を提案して俺は生贄方式を発案するが全て現実的ではない。俺の案に至っては頭をはたかれて終わった。
 やはり戦力が足りない、というのが全員の見解だ。たかだか四人では一か八かの特攻という賭けに出ることも出来ない。もしここでエイラという恐竜人相手に慣れた前衛がいれば話は違うのだが……
 同じことをキーノも考えていたようで、キーノは一度村に戻るべきではないか? と切り出す。もしかしたらエイラが村に戻っているかもしれないと言うのだ。
 だが、俺たちは首を縦に振るわけにはいかなかった。もし村に戻ってエイラがいなければタイムアップは確定。仮にエイラを連れてくることが出来ても時間があるか怪しい物となる。今から村に戻りゲートのある山に戻るだけで結構な時間を使うのだ。無駄足を踏んでいる暇は無い。
 八方塞がりな現状に俺とルッカは頭を抱える。マールとキーノは突撃しかないと鼻息を荒くさせていた。無茶無謀でもそれしか方法は無いのだろうか……


「……仕方ないか、お前ら、合図と同時に飛び出すぜ。 キーノは今までどおり撹乱。マールは俺の援護、俺は敵を直接撃破、ルッカはここからでかい魔法を乱発して火の雨を降らせてやれ」


 作戦とは言えない行き当たりばったりな戦闘形式。それでもこれが最上だと信じて身構える。後はどのタイミングで飛び出すか……


「クロノ、ねえクロノ……」


「なんだよマール、今機を計ってるんだから話しかけるな」


「そうじゃなくて……聞こえない?」


 しつこく話しかけてくるマールに俺は不機嫌を滲ませて少し乱暴に「なにが」と答える。すると彼女は耳をすませて真剣な面持ちで言う。


「……恐竜人の、悲鳴」


 そんなもんがなんで聞こえるのだ、とあしらおうとするが……たった今、確かに聞こえた。ギギャア! という人間では発生できない悲鳴が、俺の耳に届いた。
 その声の発生源は、大部屋の奥。ぽっかりと作られた縦穴の先から低く通る化け物の鳴き声が。その声は少しずつ、それでも確かに俺たちの方に近づきつつあった。
 それがどういう事態なのか、すぐに知ることとなったが。







「ああああああ!!!」


「ギギッ!? ギャ、ギギャアアア!!」


 どちらが人間でどちらが恐竜人の叫びなのか。その判別もつかない怒号が狭い縦穴にぶつかり反響して洞穴全体に響いていく。人間が振るう腕は恐竜人の鉄のごとき表皮をたやすく貫き、破り、体を土の壁に叩きつけて緑の血をばら撒いた。
 彼ら恐竜人に悪魔という言葉は生まれていなかったが、もしも悪魔という意味を知っていたならば間違いなくその人間に形容していただろう。だからこそ恐竜人たちは自分たちの同胞を屠っていくその人間の女をこう呼んだ。狂戦士と。
 戦いの手順や駆け引きなど無く、ただその手に掴んだ生き物を吹き飛ばし、噛み付き、バラバラに引きちぎるその様はなるほど、それそのものだった。
 人間の女……エイラは怒り狂っていた。
 その怒りは理不尽である。発端は自分が他人の持ち物を盗ませたのが原因なのだから。それでもエイラは怒っていた。理性など粉々になるまでに。
 ただ、理由はある。遅すぎたのだ、キーノが自分の所に来るのが。遅くなった理由は恐竜人たちの数が多すぎたのとクロノたちが無邪気に遊んでいたせい。前者はともかく後者の理由は納得できない。


 そう、エイラは太陽が真上に昇った辺りの時間に意を決して恐竜人のアジトを出て、キーノたちが近くに来ていないか確かめていたのだ。洞穴を出たそこで見た光景は、自分が昨日の朝から何処にもおらず行方が知れないというのに遊びまわっているキーノたちの姿。その顔には笑顔が貼り付けられて人生謳歌してますよ、な雰囲気で。有り体に言えば楽しそうだった。
 茫然自失としたエイラはまたアジトに戻り姿を隠しながら移動するなんて小器用な真似をすることもなく堂々と大部屋を抜けて元の場所に座り込んだ。恐竜人たちはエイラに気づいても声を掛けることなどしなかった。出来るわけがなかった。誰が好き好んで虎の尾を踏みたがろうか?


 それから数時間、ぐるぐると頭の中で多種多様な思考がエイラの脳内を渦巻いた。それはもうどえらいスピードで。そして出た結論がこうだ。あいつらなにやっとるんじゃい、と。
 エイラは激怒した。必ずやあの馬鹿者どもに怒りの鉄拳を振り下ろし場合によってはその命を散らしてやると誓った。それは自分の思い人であるキーノですら例外ではない。


 つまり、彼女は今恐竜人たちを倒そうとしているわけではない。ただ目に付いた動くものがうざったいのでクロノたちを潰すついでに恐竜人たちを片付けているのに過ぎないのだ。
 今エイラは動く台風と化してクロノパーティーの撲滅またはぶっ殺を目標に死を撒き散らしていた……




 クロノ勝利条件、ゲートホルダー奪取。それに兼ねてエイラとの接触回避。







「……エイラ!? エイラここいた! 助ける!」


 縦穴の先から憤怒という言葉では生易しい形相で出てきたエイラを見てキーノはすぐに飛び出そうとする。ただ俺は、何故か悪寒が体を越えて魂すら凍りつくような嫌な予感を感じキーノを思いとどまらせようと躍起になった。
 俺の行動にキーノは当然、ルッカやマールですら驚き俺をなじり始めた。まさか、エイラを見捨てるつもりなのか、と。


「クロ、見損なった! もうお前、仲間、違う!」


「キーノの言う通りね。女のエイラに全部任せてあんたは一人楽しようっての? どこまで腐ってんのよ!」


「……クロノ……」


 キーノとルッカは怒り出し、軽蔑を表に晒してマールは悲しそうに俺を見つめる。いや、これ多分シリアスする雰囲気じゃない。むしろバイオレンスな展開だと思うんだ、だから真面目な顔で俺を責めるのやめて。


「いや……多分、俺たちが出て行けば何かが終わるというか……追跡者的なモノに追われるような気がするというか……」


「うるさい! ルッカ、マール、行く!」


 俺のぼんやりした説得を無視してキーノはその場を飛び出して行く。それに続いてルッカとマールも走り出してエイラの援護をする為に呪文詠唱を始めるが……


「……ミ、ツ、ケ、タ」


 エイラの鳥肌がたつような声を聞くと韋駄天もかくや、という速さで三人は俺の下に戻ってきた。知らなかった、本当に怖いと人間って泣きそうな顔になると思ってたけど、凄い真顔になるんだね。面接会場にいる新卒の人間みたいな顔になってやがるこいつら。


「……ほらキーノ。お前の仲間であるエイラが待ってるぞ、早く行ってやれよ」


 キーノは心外だ、とでも言いたげに首を振り俺の目を見て「僕の仲間に化け物はいません。クロは僕の仲間です、これは偽りの無い事実なのです」と今までのキャラを根底から覆すように流暢に喋りだした。
 同じくルッカも「確かに、化け物同士が戦ってるからって私たちが手を貸す必要は無いわね。私ったらどうかしてたわ」と頭を掻いている。マールは本当に怖かったのだろう、表情は変えないまま静かに涙を流している。


「デ、テ、コ、イ。コロシテヤルゾ……」


 先程よりも近くからエイラらしき物体が多分俺たちに向けて何か恐ろしいことを言っている。いやもう、本当誰だよアレ。どんなクラスチェンジしたらああなるんだよ。


「おい誰かあのゾー○様を止めてこいよ」


「あんた、可愛い可愛い言ってた女の子に偉い言い様ね」


「ゾ○マで悪けりゃクリーチャーだ。俺は人間以外の者に愛情を感じるほど落ちぶれてねえ」


 結構、というかかなり酷いことを口走っているのは自覚しているが俺の言葉に突っ込みやエイラのフォローをするものは誰もいない。正鵠を乱す必要は無いからだ。


「……どうするの? 幸い恐竜人の数はかなり減ったけど、このままじゃ次は私たちがターゲットになりそうだよ?」


 マールがしゃっくりを我慢しながら出来るだけ平静を装って現在の状況を説明及びこれからの展開予測をしてくれる。大分確定的な。


「よし、キーノ。お前はシーダ役だ。ナバール役のエイラを説得しろ」


 男女逆転しているのは皮肉なのか笑いどころなのか。


「無理。僕には、出来ることと出来ない事があります。それは全人類共通の、真実なのです」


「その喋り方うっとうしいな、もう分かったから黙れ」


 キーノを除いた三人で話し合った結果、とにかくバラバラに分かれてエイラに近づかないように大部屋を抜けようということになった。恐竜人は恐慌状態なのでただ走り抜けるだけのはずだが、何でだろう? さっきまでの恐竜人と戦うほうが楽に思えるのは。


 俺の合図と共に今度こそ俺たち全員が飛び出しエイラが出てきた縦穴目指して走り出す。俺たちの姿を視認した瞬間エイラが甲高い笑い声を上げたが気力で無視、ただ足を前に向けることだけに全力を尽くした。
 結果は俺の予想通り。エイラはキーノ目掛けて走り出したので犠牲は一人で済んだ。少なくともキーノが捕食されるまでの間俺たちが襲われることは無いだろう。エイラがあそこまでぷっつんするのはキーノが原因だろうと思っていたが、その考えは的中したようだ。言葉にならない叫び声を上げて逃げ出したキーノはなんだか、コメディチックで面白かった。
 マールとルッカもキーノを心配していたが、俺の「じゃあお前らあのエイラと立ち向かう勇気があるか?」と聞いてみた所原始に住む気の良い男友達の冥福を祈りその場を後にすることとした。


 さて、それからの道中だが、特に記すことは無い。一度行き止まりに当たったこともあったが、その時は地面に空いた人間大の穴を見つけて、そこに飛び込むことで先の道が見つかり、順調すぎる程に先に進むことが出来た。理由? 戦闘が無いからだ。
 アジト内のモンスターはエイラが倒してくれたようで道の先々で魔物の死体が見つかった。正直、黙祷くらいはしてやろうかとさえ思った。挽肉状態の魔物の姿が散乱しているのを見て、道中でマールが二回吐いた。旅が始まって一番マールの体調を気遣ってやった。それから俺がマールを背負っての移動。マールの気分が少し晴れてきたところで俺の体調悪化。モンスターの死臭に加えて、言いたくないがマールの口から漏れゆく酸っぱい臭いが気分をどんぞこに変えていく。一度、吐いた。このダンジョン最大の敵はモンスターではない。


 洞穴内部は一本道。曲がり角は無くただ延々と穴を潜り途中にあった宝箱を開けて血の臭いで鼻を押さえる。今ほど嗅覚がいらないと思った事は無い。
 ただ、その辛いだけでは包めない酷なゲートホルダー奪取も終わりが見えてきた。何度も穴の中に飛び込んでいるうちに、最初の大部屋ほどではないがかなり広めの部屋を見つけることが出来た。慎重に中を覗いてみれば、奥に赤い豪華なマントと凶悪な棘のついたショルダーガードをつけている白い髪が生えた恐竜人が、ゲートホルダーを手で握り、動かしながら色んな角度で眺めていた。


「あった! ゲートホルダーよ」


 すぐにも飛び出そうとするルッカを俺は抑えて時間が無いのは分かるが、少し様子を見ないか? と言ってみる。


「多分、今までと雰囲気の違うあいつがアザーラだ。キーノが言ってただろ? 恐竜人のリーダーがいるって。考え無しに出て行けばどうなるか分かったもんじゃねえぞ」


「でもクロノ? もう時間が無いよ? ロボがあのおじいさんのおもちゃになって四六時中恍惚した顔をするようになっちゃうよ」


 恍惚とか言うな。


「これは一体……本当に、あのサル共がこんな高度な物を……?」


 俺たちがどうするかを相談していると一人でいるくせに(恐らくは)アザーラは比較的大きな声で何かを喋りだした。友達いない子だな? あいつ。


「ふむ……ふむ……高度だ。これはきっと高度なものだ……高度って何だ?」


「恐竜人はアホなのか」


 ちょっと賢そうな雰囲気でゲートホルダーを眺めていたくせにそれら全てが振りだと分かり思わず突っ込みを入れてしまった。アザーラは一度こちらを見て視線を戻し、今度はがばっと俺たちを凝視した。二度見スキルがあるとは驚きだ。


「きききき、来たなサルが……ほう、お前達、エイラ達とは少しばかりデキが違うようだな……フフ、ちょうど良い。この装置は何に使うものだ……? 教えてもらえるかな?」


 今更取り繕われても威厳など感じない。それでも頑張ろうと背伸びする様はむしろ微笑ましいといえよう……微笑ましいといえば。


「ちみっこいな、お前」


「小さくない! もう十六だ! 明後日で!」


「十六でその身長か、コロボックルさんか」


 (恐らくは)恐竜人のリーダーであるアザーラは俺のへそより少し高い位の背丈しかなく、威圧的な空気を発出しながらも声は高く小学生のように甘ったるい声だった。顔も今までであった恐竜人と違い人間よりのものとなっている。もしかしたら恐竜人はオスメスで造形が変わるのかもしれない。肌の色さえ違えば人間の女の子で充分通じるのではなかろうか? 現にマールなんかちょっと萌えている。ルッカは鞄を探り飴玉まだあったかしらと餌付けの準備。久しぶりの戦闘かと思えばこんなものか。最初から最後まで抜けてたな、原始の旅は。
 ……回想を巡っている最中にふと、思いついたことがあった。声と顔で勝手にアザーラをメスだと認識してしまったが、本当にそうだろうか? ロボという例外もあるので油断は出来ない。 


「コロボックルとかうるさいわ! とにかく、この装置は何か教えるのか!? どうなんだ!」


「……教えても良いけど、お前オスメスどっち? 胸囲で判断できないので口頭で教えて欲しい」


「女で悪かったな、無くて悪かったな!!」


 地団駄を踏んでいる姿はさっきまでの悪の親玉オーラは無く「このおもちゃ買ってよ! 隣のみいちゃんだって持ってるんだよ!」と騒いでる子供にしか見えない。マールがどこかしらから取り出した麻縄を手に持って帰って良いよね、と自分に言い聞かせている。こら、落ちてる恐竜人は持って行っちゃいけません。メッ!


「ふ、フン! どうせ、そう簡単に話してもらえるとは私も思ってはおらなんだ……変に誤魔化しおって……」


「いや、良ければ、私が教えてあげてもいいけどさ。あなた理解できるの?」


「馬鹿にするな! 私は仲間内で行うしりとりで負けたことが無い!」


「……そうなの」


 ちょっと疲れた顔でルッカがアザーラに近づき時空間移動の際に放出されるエネルギーを……とかその場合カオス理論、ああ、カオス理論っていうのはタイムパラドックスに少し似た現象で……とか専門的なことを話し、アザーラはほへーという顔で何度か頷いていた。絶対分かってるわけない。俺、下手すれば今まで生きてきた中で一番頭が悪い十六歳(近日)を見たかもしれない。年上なら結構いるんだけどね、大臣とか両生類とか。


「……という訳、ここまでは基礎だからまだ知りたいなら応用と原理の段階に入るけど……どうする?」


「いやもういい。私には全て分かった。恐竜人のリーダーたる私は一を聞いて十を知るのだ」


 どうせ無駄なものだ、とか、私に必要なものではないとか言って誤魔化すのだろう。知らずため息が出る。


「つまり、これは食べ物だな」


「どういう理論か!」「どういう理論よ!」「可愛いなぁ……」


 俺、ルッカ、マールの順番でほぼ同時に発言。若干一名病んでいるがそのあたりは忘れることとする。
 アザーラは真剣な顔で「何味だ? 今流行のマンゴーか?」と少し時期の遅れたことを抜かす。目だけは輝いているのが腹が立つ。


「食べられるわけ無いでしょ!? あんただって装置だって言ってたじゃない! 機械なの、き、か、い!」


「むう……どうやら本当のことを話す気がないようだな……」


 目上の人間の話を聞かないから子供だっていうんだ。年上の人の言うことは大概間違いないんだから。人生経験が物を言うんだから。こいつと俺と少ししか年変わらないけど。


「では、しかたない……。話したくなるようにしてやろう! 出でよ ニズベール!」


 アザーラが小さな手を上に上げて誰かしらの、きっと部下だろう名前を呼ぶ。幼い声は部屋中に響いて数回木霊する。ルッカとマールに背中合わせでくっつき敵襲を待ち構える。奇襲になることだけは避けるように、だ。
 左右は土の壁しかないが恐竜人たちのパワーを考えれば突き破ることも考えられる。それを言うなら上から天井を壊して来ることも。床下を突き抜けて登場なんてされれば対処の仕様が無い。くそ、敵のアジトというのがここまで来訪者に辛く当たるとは……


 緊張漂う空間が作られて……数分。背中を流れる冷や汗が止まり、開いていた瞳孔も収まって眼は細く、おのずと呆れた目でポーズを決めたアザーラを見ることになる。


「…………ニズベール?」


 不安げに瞳が揺れながら、アザーラは辺りを見回してよたよたと歩き回る。ああ、やっぱりそのくそ長いマント邪魔だったんだ。歩き辛そうだなあ。


「なあ、ニズベールってお前の部下だよな? ザムディンみたいな架空の魔法とかじゃないよな?」


「違う! ニズベールは私の護衛というか、部下というか……友達だ!」


 喉が揺れた不安定な声でアザーラはニズベールとかいう友達を探している。敵である俺たちを置いて、部屋から出て探すわけにも行かないので同じ所をぐるぐる回るだけなのだが。


「……お姉ちゃんが、一緒に探してあげようか?」


 見かねたマールが出しちゃいけない助け舟を出して、アザーラと一緒にニズベールを探す。なんだか暇なので俺とルッカも部屋を出てニズベールの名前を呼んだ。敵の親玉と一緒に敵の増援を探すとはシュールな気分というか……あほくさ。


 それから十分程度探した後で、ニズベールがいないよう、と泣き出したアザーラをマールの「可哀想だから、外まで一緒に連れて行ってあげよう」という言葉の下、俺たちはアザーラを背負ってアジトを出ることにした。ゲートホルダーはきっちり返してもらった。
 またあの死体だらけの道を通るのかと沈んでいると、アザーラが抜け道を知っていたのでそこを使わせてもらう。少し坂になっている一本道を進み、しばらくも歩かないうちに外に出ることが出来た。背中で俺の服に涙と鼻水と涎を染み込ませているアザーラにほんの少し感謝だ。







「カカカ、流石は太陽の申し子エイラ、そしてその相棒先見のキーノ! たかだか二人でここまで俺と戦りあえるとはな……少々見くびっていた……」


「はあはあはあ……エイラ、まだいける、違うか!」


「大丈夫! キーノこそ、疲れたか!?」


「まだまだ! 来る! 気をつけろ!」


 外に出て最初に目に入ったものは爛々と輝いている月でも仄かに空を彩る星でもなく、二足歩行の喋るトリケラトプス相手にいつのまにか怒りが消えているエイラとキーノが暑苦しい戦いを繰り広げている場面だった。


「おいアザーラ、あのモンスターって、お前が呼んでたニズベールって奴じゃないのか……」


「知らん。あんな馬鹿者、見たことも無い」


 拗ねてしまった。まあ自分の危機に侵入者を撃退するという名目があっても、あれだけ楽しそうに戦ってれば腹も立つか。バトルジャンキーとは怖いものだ。
 しばらくキーノたちの戦いを観戦していると、いつまでたってもニズベールがこちらに気づかないことに悲しくなったアザーラがまたべそをかき出した。仕方ないので俺の膝の上に乗せてあやしてやるとすうすうと寝息を立てて夜空の下深い睡眠に入り込んだ。どうして俺はロボといいこいつといい小さな子供に好かれるのだろう。それも人間じゃない奴ら。


 アザーラが寝入ってすぐに決着がつき、勝負は引き分けとなった。いつまでたってもアザーラの保護者である(多分)ニズベールが遊んで(戦って)いるのでマールが怒って「やめなさーい!!」と大音量のシャウトを叩き込んだのだ。ニズベールは人間の腕の中で眠っている自分の主に気づいて戦闘を中断。マールにくどくどと説教をされて小さくなっていた。きっと、種族の差を越えて、皆仲良くなれるんだ、と分かった。


 それから、ニズベールは眠っているアザーラをだっこしながら俺たちに一つ頭を下げた後、キーノたちに「良い勝負だった……またいつか、戦おう。命を賭けて」とカッコ良い台詞を残して森の奥に消えて行った。


「……よく分からない終わり方だったな。俺、原始に来てからあんまり戦った思い出が無いんだが」


「終始貫徹してグダグダしてたわね……まあ、結構楽しかったけど」


 俺とルッカは眠たくてぼーっとしている目をこじ開けながら感想を言う。いいのかなあ。


「クロ、盗られたもの、取り返したか?」


「ああ。最後はあれだったけど、サンキューなキーノ。エイラも恐竜人の群れを蹴散らしてくれて助かったよ」


 キーノとエイラに礼を言うと、キーノは笑ってくれたが、エイラはどこか顔が暗い。何があったのか聞こうとすると、キーノがそれを止めた。どういうことなのか知らないが、キーノの様子を見る限りあまり詮索して欲しくないことなのだろう。俺は頷いて村に戻るために歩き出した。


「クロ……マール、ルッカ……ごめん」


 まよいの森に入る前に、何故かエイラが謝り出したので、俺たちは何のことか分からず一瞬動きが止まるが、俺は深く聞かないと決めたので一言返して終わりにした。


「上手くいくと良いな、エイラ」


 その時初めて、花開くような、明るい笑顔をエイラが見せてくれた。
 本当に、キーノが羨ましいね。








「クロ、行くか……。キーノ、つまらない」


「ありがと、キーノ。そしてエイラ。あんたには色々教えられたわ。そりゃあもうたくさんね」


 皮肉も込められたルッカの言葉にエイラは落ち込みかけたが、隣に立つキーノを見て、胸を張り「ルッカも頑張る!」と元気な声を出した。驚いた顔のルッカもすぐに笑って「勿論よ!」と威勢良く返した。


 ボッシュとの約束を守るために急ぎイオカの村に戻り、キーノから赤い石を貰って、それがめでたくドリストーンだと判明した後すぐさまゲートまで戻ることとした。
 エイラもキーノも寂しそうな顔をしていたが、仲間が待っているのだと聞いて快く送り出すことにしてくれた。


「また来い、クロ! 宴やる。飲む。食べる。踊る。楽しい!」


 キーノの声を聞いて手を振り、俺たちはイオカの村を後にした。
 ……キーノ。今度は嫉妬心抜きにお前と話すよ。そしてまた来るまでに酒に強くなっとくから、また勝負しようぜ。
 心の中で再戦を誓い、ちょっとだけ清々しい気分になった。


 それから、ダッシュで現代に戻りボッシュの家に行きドアを開けると半泣きでメイド服を着せられていたロボが時速八十キロオーバー!! な体当たりを俺にぶち込み肋骨を三本折られるという事態になった。マールが治療しようにもメカパワー全開で俺を抱きしめるロボが邪魔でケアルをかけることすら出来なかったのだ。なんでこんなデストロイマシンの為に急がなくてはならんかったのか。このまま爺の愛玩品として生きていけばよかったのに。
 ……まあ、メイド服は確かに似合ってたけれども。でもそれこそエイラに着て欲しかったけれども。


 口から血の泡を吐きながら空を見上げると、原始の空は綺麗だったんだ、と思った。現代も未来に比べれば星が見えるが、原始の空は両手を突き出せば握り取れるのではないかと思うほど、空が近かったから。


「……また、会えると良いな、あいつら……に……」


「クロノー!!」


 俺の旅は……ここで……おわ……………




 俺の屍というかまあそういうニュアンスなアレを越えてゆけ 完













 おまけ
 長すぎるし意味分からんしつまらないので没になった場面。
 後半のクロノ、マール、ルッカ、キーノ達が時間つぶしに遊んでいた所から派生する。
 読み飛ばし推奨。








「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」


「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」


「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」


「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」


 まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。
 キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
 しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
 それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。



「そろそろ日も沈む……次がラストゲームにしようじゃないか」


「賛成ね、そろそろ足が痛いし、疲れたわ」


 三人とも俺の提案に意義は無い様で、俺は次のゲーム内容を説明しようとする。が、ここでキーノが口を開いた。


「次、勝者決まる。だから、キーノ、馴染みある勝負、したい」


 今までキーノの知らない遊びで勝負をしていたので、確かにキーノには不利だったかもしれない。それではフェアではないので今回は原始らしい勝負方法にしようと言う訳か。このタイミングでそれを切り出すとは……こいつ、勝負というものを理解している。それも、骨の髄まで……!!


「…………ならばこうしよう、制限時間までにどれだけのまよいの森の魔物を狩れるか、という勝負はどうだ? それならキーノに馴染みがあるし、分かりやすい」


「でも、狩った魔物の数はどうやって確認するの?」


 マールは挙手の後当然の疑問を挟む。


「まさか自己申告じゃないでしょうね?」


「そんな訳ないだろう? 狩った魔物は自分の作った場所に運ぶ、結果発表のときに全員で見回れば誤魔化しは出来ないだろう?」


 それを聞いてルッカもマールも納得した様子で頷く。俺はそのまま説明を続けた。


「質問は後から受け付ける。一気に説明するぞ。制限時間は一時間、各プレイヤーにはルッカの鞄に入っているタイマーを持ってもらう。十五分ごとに鳴るようにしてもらえば分かりやすいだろう。各々の狩った獲物を置く場所……名称はポジションとしよう。はスタートと同時に自分で好きな所に作ってくれ。まよいの森の中なら何処でも良い。ああ、ポジションには自分の名前を書いた立て札を刺してくれ。それが自分のポジションである証拠になるからな。最後に、ポジションは一つしか作成できないからな。それ以上作っても二つ目のポジションにある獲物は換算されない……で、質問は?」


 逸早くルッカが手を上げたので指を向けて質問に応ずる。


「大きい魔物小さい魔物でポイントの加算はされるの?」


「それは無しだ。一々計算が面倒だしな、あくまで単純なゲームにしよう」


 答え終わると今度はキーノが手を上げる。なんだか質問の際には手を上げるという現代の常識を覚えている原始人って、どうなんだろう?


「獲物置く場所、変える、良いか?」


「………良いだろう、魔物の群れが近くにいる。そんな所に作成するのがベストだしな。コロコロ場所を変えていくのもいいさ。……でも狩った獲物と立て札を一緒に移動するのは無しだ。それと、ポジションに持っていく時に持ち運ぶ獲物の数は一体にしてくれ」


 この野郎、もうこのゲームの内容に気づきやがったか。まあ、どの道すぐに分かることだろうから、別に良いんだが……


「えっと、この勝負に勝った人は何が貰えるの?」


 マールがほけっとした、疲れた顔で聞く。


「そうだな……負けたプレイヤー全員に何でも一つだけ言うことを聞かせるとかどうだ? 勿論その人の一生を変えるようなそんな酷いのは無しで、だ。あくまでもゲームだからな」


 その言葉を聞いてマールもよし、頑張る! と聞いている側は気合の入らない気合の入れ方をこなして、拳を握った。


「じゃあ、ちょいと疲れたことだし少しの休憩を入れてからスタートしようか。狩ろうとした魔物にやられるなんてのは冗談にもならんしな」


 これにも異議はなく、俺たちは各々スタートの間までばらけて疲れた体を休ませることにした。
 少しの時間を置いて、俺は全員がばらばらになったことを確認した後キーノのいる所に歩き始めた。……もうゲームは始まってるんだ。


「なあ、キーノ? ちょっといいか?」


「どうした、クロ」


「あのさあ………手を組まないか?」







 全員が持つタイマーがゲームスタートを知らせる。その音が響いた瞬間、俺たちは四散した。近くにいて魔物の取り合いになるのもつまらないから……というのが表向きの理由だ。本当の理由は簡単、自分のポジションの位置を知らせたくないから。
 このゲームで最初にやらなければならないのがポジション作成、この場所は決して誰にも知られてはならない。何故なら、奪われるからだ。自分の狩った獲物を。


 これは単純に魔物を多く倒した人間が勝つのではない。より多く他人から獲物を奪えるか、という勝負なのだ。奪ってはいけない、というルールは組み込まれていない。
 ルールの穴を突いたとは言えない、誰でも気づく事だ。だからこそ俺はさっきキーノに交渉を持ちかけた。共同戦線を張る、というのだ。
 このゲームはいかに相手のポジションを知るかが重要になる。だがそれが全てではない。仮に相手のポジションを知ったとて一回で運べる数は一体。獲物を取られた人間は数が一匹減った時点ですぐにポジションを変えるだろう。
 ……ちなみに一度に一匹しか運んではいけないというルールもばれなければ違反にはならない。勿論一度に数匹運んでも良いのだが、運搬の最中に他プレイヤーに見つかればその時点で失格。終盤に点差が開いているなら賭けに出ても良いが余りにリスキーな方法だろう。


 話を戻そう。何故キーノと手を結んだか? これは実は表向きは余り意味を成さないのだ。この同盟の条件は1、マール、ルッカのポジションを二人で探し見つければ教えあう。そうすれば二人の獲物を一度に二匹持っていけるので俺とキーノが有利になる。勿論、見つけた所で教えるわけがない。いずれは敵対するのだから。
 そして条件2、これが重要。片方が狩りに出ている間はもう片方が自分達のポジションを見張る。これが真骨頂。
 このゲームは奪う、守るが最も重要な要素になる。狩りに出ている最中、またはポジションを探している間に獲物を取られるのは最悪の事態なのだ。
 しかし二人ならこの奪うと狩るに加え守るまで可能になるのだ。これは同盟を組む理由として最適……表向きは。
 本当は互いのポジションを知ることが最重要。キーノと俺はお互いのポジションをすぐ近くに置くことで裏切りが容易になる。相手の獲物を奪ってポジションを変えれば良いのだから。問題は裏切るタイミング。
 序盤は裏切るには早い、だが終盤では遅すぎる。半ばで裏切るのがベストだろうがそれでは相手に先を越されるかもしれない。これはキーノにも分かっているはずだ。だからこそ俺はこう提案した。


「アラームが二回鳴るまでは俺が狩りに出るよ。キーノはその間ポジションの守りに入っててくれ。後半からは俺がポジションの守り役になるから」


 これでキーノは二回目のアラームが鳴る前に俺を裏切れば良い。守りに入っているのは自分なんだから、クロノの獲物を横取るのは簡単だ、と考える。それどころか俺に裏切る意思が無いのかとすら考えるかもしれない。これは運がよければ、だが。
 ちなみに最初の約束では俺たちは三回目のアラームが鳴れば同盟を解消するという約束をしている。口約束なので信用などかけらも無いが。


 俺自身の裏切るべきタイミングを完全に逃す俺の提案。キーノは二も無く乗った。この時点でキーノが裏切るのは確定。再認識のような作業だが、確信出来て良かったと考えるべきだろう。
 しかし、これではキーノを裏切ることは出来ないんじゃないか? いや、そんなことは無い。この提案を俺自身がしたということが後半になり生きてくるのだ。


「さて、ここにポジションを作る、それで良いかキーノ?」


「分かったクロ、立て札立てる!」


 最初の休憩時間にあらかじめ作っておいた小さな立て札を刺してルッカに借りたペンで名前を書き、それを中心に円形に線を描く。これでポジション作成は終わり。後は俺が狩りに行くだけだ。
 キーノは俺に激励を託して二つのポジションの間に座り手を振ってくれた。腹の中ではケタケタ笑い声を上げているに違いないが。




 スタートからアラームが一度鳴り、キーノと俺のポジションに獲物を連れて帰った時の事だった。(今までに計三匹の小さな獲物を狩り、俺のペースが遅いことからキーノのポジションに二匹、俺のポジションに一匹という形となった)


「クロ、ペース遅い! 負ける、負ける!」


「だから言ったろ? ルッカとマールが組んで邪魔して来るんだよ。あいつら一人が俺の妨害、もう一人が狩るって戦法を取ってやがるんだから……でもまあ、俺たちに勝機が見えたぜ?」


「? ショウキ?」


 俺は少し間を置いてからキーノににたりと笑いかける。


「見つけたぜ、マールのポジションを!」


「!? 本当か! クロ、スゴイ!」


 機嫌の悪そうなキーノの顔が輝いて飛び上がる。今から案内する、だから一時守りは中断と告げてからその場を離れる。
 ……まず第一段階は成功。後は流れに乗るだけだ……!


 最初は地形が分からず右往左往していたまよいの森だが、午前から思い切り遊んだ為地形はおおよそ頭に入っている。俺たちは迷わずマールのポジションまで進むことが出来た。マールのポジション内には獲物が四匹。まあ、そこまでは良かったのだが……


「……ちっ、マールの野郎、ポジションから動きやがらねえ……」


 そう、マールは何を思っているのか、自分のポジションから一切動こうとせずじっと座ったままなのだ。狩りにでようとする気配すらない。キーノも悔しそうに犬歯を見せている。


「どうする? クロ。いっそ二人掛かりで突っ込むか?」


「……いや、待て。……あそこ、見えるか?」


 俺がマールを挟んで対角線になる草むらを指差し、そこには体を伏せたルッカの姿が見えた。俺たちと同じようにマールがポジションを離れる瞬間を狙っているのだろう。


「あいつら、仲間、違うか? なんでルッカ、マール狙う?」


「ルッカが裏切るつもりなんだろ? あいつらは俺たちと違って二人とも攻めの姿勢だったはずだから、マールが自分のポジションを動かないってことはマールもルッカの裏切りに気づいてるのかもしれないな。それこそ今この瞬間も狙ってるのでは? ってさ。かといってポジションを移動すればその場に置いた獲物が取られるかもしれない……だからマールはその場を動けないんだ」


 しかしこれでは俺たちも動けない。キーノがマールを抑えていても俺は獲物を奪う前にルッカと戦わなくてはならない。リスクの伴う判断になってしまうのだ。
 どうしたものかと喉を鳴らすキーノをよそに俺は至極冷静にこの状況を見ていた。


「……チャンスかもしれないな」


「? クロ、何か考え、あるか」


 大きく体を動かせないので頭だけを動かし、不思議そうに顔を覗き込んでくるキーノに名案を思いついたという風に答える。


「よく見ろよ、今この場にはルッカ、マール、俺にキーノがいるんだ。これがどういうことか分かるか? 誰も獲物の数を増やせないんだ。しかし俺たちは二人、キーノがマールを監視しているうちに俺が獲物を狩れば良い。あいつらの妨害も無く、楽して勝てるんだよ俺たちは」


「そうか! ……でも、ならキーノも狩り、参加したほうが良い、違うか?」


 キーノの判断は正しい。どの道マールもルッカもここで釘付けになるのなら二人で思う存分狩りを楽しめば勝てるのだから。……ただ、それはもう遅い。


「駄目だ、ルッカが俺たちの存在に気づいてる。恐らく組んでることもな。今ここで俺たち二人が動けばルッカもマールのポジションを狙うのを諦めてしまう。それどころか最悪もう一度マールと同盟を組んでしまうかもしれない」


 キーノがばっとルッカを伺うと、確かに二人の視線が交差した。コンマ一秒にも満たない時間とはいえ、互いの目的が同じであることは疑うまでも無いだろう。


「……な。ここで俺だけが消えてもいつかはルッカもマールのポジションを諦めるだろうが、キーノがここに留まる事でルッカに躊躇いが生まれる。今自分も狩りに戻ってしまえば、キーノにマールのポジションの獲物が奪われるかもしれないってな。少しの間だけでもあいつらをここに引き付けておければ上出来なんだ」


 俺の考えを聞いてキーノは少し考え込んだ後、訝しげな顔で俺を見る。


「……キーノ、どれくらいここにいれば良い?」


「ルッカが動き出すか、まあそこまで留められるとは思わないが、三回目のアラームが鳴れば自分のポジションに戻ってくれ。そこで獲物の分配をしよう。そういう約束だったろう?」


 俺は肩をすくめてキーノにそう答える。今、キーノは今日一番に頭を使っているはずだ、どちらが得か? と。
 もしこの提案を呑めば俺を裏切ることは出来ないが、有利に勝負を進める。果たして俺を裏切るのとマールとルッカを沈めるのとどちらがいいか? キーノはしばらく苦い顔をしていたが、結局俺の考えに同意した。


 ……ここでキーノの間違いは俺の言うことに従ったからではない。そもそもどちらの方が得なのか? という葛藤が間違いなのだ。
 疑うべきは、俺が裏切らないのか? ということ。キーノのはその疑惑が一切浮かんでいなかった。この状況ほど俺が裏切りやすい状況は無いのに!
 何故俺の裏切りを思いつけないのか? それは前半の俺の提案。キーノが裏切りやすい環境を俺が作ったことがそもそもの始まり。これで俺に裏切る意思は無いのだろうか? と思い始め、そして止めはこれ、マールのポジションを教えること。
 終盤には敵同士になる関係なのに、他プレイヤーのポジション位置という重要な情報を教えることでキーノは俺を『裏切らない』仲間だと思ってしまった。
 勿論これがもっと重要なゲーム、よくある負ければ一億の負債を得るとかそんなハイリスクなゲームならそう簡単には信じたりしないだろう。だがこれはあくまでもただのゲーム。そこまで相手の心理を探らずとも良いだろうと、何よりも俺という人格を信用してしまった。キーノの人柄が成せる業、だな。人が良いと言えば聞こえは良いが……馬鹿だ。
 だがまあ、俺の罪悪感はなんら反応はしない。恐らくだが、キーノはルッカが帰らずとも三度目のアラームが鳴る少し前には自分のポジョンに戻るはずだから。理由は俺を裏切る為。俺はただ騙し返すだけ、正当防衛だ。


 それじゃあ狩ってくるぜ、楽しみにしてな、という台詞にキーノは笑って頑張る、クロ! と背中を押してくれる。俺は後ろを向きながら大笑いしたい衝動を抑えてなんとかキーノ、マール、ルッカの三人が集まる場所を離れた。


「……悪く思うなよキーノ? なんせ俺は常識を教える役割だからさ」


 同じ人間に騙されるってことも知っておいたほうが良いんだよ、多分ね。







 ……おかしい。いくらなんでも時間が掛かりすぎる。
 そもそもプレイヤーはクロノを除き全員ここにいるのだから、一度に一匹ずつ運ばなくてはならないなんてルールは無視できる。それなら十分弱で仕事はこなせるはずだ。


 そう、キーノのポジションから獲物を奪う作業が。
 私は二回目のアラームが鳴り三回目のアラームまでもう少しという時間までマール、引いてはキーノを見張っていたが肝心のクロノが作業終了を伝えに来ない。
 ……私はまさか、という思いが膨らみ、冷静になろうと勤める。
 ……その時間僅か五秒。自分の目の前が真っ暗になるのを感じた。……何故、感づかなかった? 何故、信じたのだ私は?
 私は立ち上がって草むらを飛び出しマールとキーノを呼び出した。……もしかしなくても、詰みの状態だろうが。







「あいつら、そろそろ気づいたかなあ?」


 近くの木からもぎりとったりんごをまる齧りしながら俺は自分のポジション内に座り込んでいた。
 ……種明かしをするが、俺はキーノと形だけの同盟を結んでいた。そしてそれはキーノだけに限ったことではない。最初の休憩時間で俺は他の二人とも、つまり全員と手を組んでいたのだ。
 その同盟内容はベースは同じ。ただ所々で与えていた情報量が違う。役割も違う。
 最初に俺が狩りをする、と言い出すのは同じ。狩った獲物を共有するのも同じ。……ここからが各グループで違う所。
 キーノに与えた情報は前述していたのでいう必要は無いだろう。省略させてもらう。


 ルッカと組んでいたときに、彼女には俺がキーノとも組んでいることを教える。勿論キーノのポジションの場所も教えた。
 さらにこのゲームではポジションを複数作成することが可能であること、そのことから他プレイヤーを騙すことができることも教えた。
 複数のポジションを持っていても一つしか結果に含まれないが、グループごとに自分の作ったポジションの場所を提示することで最低限の信頼を得ることが出来るからだ。
 この方法を使って俺はキーノ、マール、ルッカに教えたポジションと今俺が座っている最終結果で使うポジションの四つのポジションを作成していたことになる。
 さて、ついでに前半で俺が狩りを担当、もう一人に守りを担当させたのは何も信頼を得る為だけに提案したのではない。他のプレイヤー同士の情報交換を防ぐ為だ。途中で俺が全員のプレイヤーと組んでいることがばれては計画がおじゃんになる。一粒で二度美味しい作戦なんだなあ。後半に繋がる策というのはこのことである。


 そしてルッカにキーノと手を組んでいることを教えたのにも意味がある。偽の同盟をしていることをルッカに教えて信頼を得る、というのもあるが、三竦み状態を作る必要があったからだ。
 まず、ゲーム中盤に差し掛かる頃、俺はキーノと同じようにマールのポジションの場所を教えた。偶然見つけたように装って。
 マールのポジションに着いて、マールが自分のポジションを離れないようにしているのを見た後俺はこう言った。チャンスだ、と。


「俺が今からキーノをここに呼んでくる。そしてあいつをこの場に留まらせれば二人を無力化できるぜ? なんせ俺たちは二人一組なんだから」


 この言葉を聞いてもルッカはそう簡単に頷かない。キーノと違って疑りやすいからな。
 ただ、ルッカは正論に弱い。


「キーノは俺と組んでる、そう信じてるからルッカがここに留まらなくてはならない。俺が引き止め役になっても何の効果も無いからな。敵対勢力であるルッカがこの場にいることによって効果が生まれるんだ」


 この言葉を聞いて不承不承ルッカは了承して俺の思うままに動き出した。


 そしてマール。彼女に与えた情報量が一番多い。まあ、要だからな。
 まず俺がキーノとルッカ二人と別々に手を組んでいることを話した。
 さらにポジション複数作成の方法も教える。
 後はキーノやルッカと同じように前半に俺が狩りをすることに立候補して、獲物は共有。
 最後に三竦みを作る為に彼女にはこう話す。


「俺がキーノとルッカをこのポジションに縫い付ける。マールはただこのポジションを見張ってくれるだけで良い」


 まあ、もう少し交渉はしたが骨組みはこんなものだ。当然ながらマールにはこの捨てポジションの他に別の場所に本当のポジションを作らせている。俺の仮ポジションもそのすぐ近くに。ルッカとキーノから奪った獲物はそこに置いて分配しようと約束して。
 そうそう、俺の狩りのペースが遅かったのは三グループそれぞれに獲物を置きに行ったからだ。全員に「他の二人が結託して妨害してくるからペースが遅い」と言い訳して。


 纏めるが、三竦みの状況を作ろうと提案した順番はマール、ルッカ、キーノの順になっている。この順番が狂えば全てが台無しになるのだから、単純ながら最重要な事柄。そもそも、単純というならこの計画や一連の流れ全てが単純なのだ。


「……まあ、全部成功したから、もうどうでもいいんだけどな」


 今俺のポジションにはキーノとルッカのポジション全ての獲物を奪い更に途中何度か獲物を狩ったので計十七匹。これで、俺の勝ちは揺らがない。


「三度目のアラームが鳴って結構経ったな……残り時間五分前後か?」


 ふあ、とりんごをまるごと入れれそうな大きなあくびをしたところで木陰から人の姿が現れた。……どうやら、怒り心頭といった御様子のルッカのようだ。顔を真っ赤にしてよくも裏切ったわね! と切れていた。


「おいおい、お前だって虎視眈々と俺を裏切ろうと狙ってたじゃねえか。分かりやすいくらい目がぎらついてたぜ? そんなんじゃ俺を責めれねえよ」


「っ!!」


 歯をぎりぎり鳴らして俺を睨み付ける。その視線は言葉にするなら「コノウラミハラサデオクベキカ……ツーカハラス、ゼッタイコロス」としておこう。内容は一緒だ。


「ああ、ルッカの罰ゲームは俺に危害を加えない、怒らない、だな」


 俺の言葉にルッカは目を丸くして「ちょ、ちょっと!?」と取り乱した。あああ、敗者の足掻こうとする姿はなんて面白く感動するんだろうな……


「あんた、一生を変えるようなことはしないって言ったじゃない!」


「別に俺に危害を加えたり怒ったりしなくても人生は変わらないだろう? それに一生じゃないよ、俺が良いと言うまでだからさ? まあ、何十年先か知らないけど」


 ゴゴゴ……と擬音が出そうなくらい赤い顔に変わっていくルッカを俺は愉快な気持ちで見ている。いやいや、こうしてみるとルッカも可愛いものじゃあないか。もう少し懐けば優しい扱いをしてやるのにさ。


 優越感を満たしてくれるルッカの顔を眺めていると、今度はキーノが身軽な動きで木の枝から飛び降りてきた。ルッカと同じように怒気を纏いながら。


「クロ! キーノ、裏切るか!?」


「やあやあ人の好いキーノ君。そんな簡単に人を信じちゃ駄目だぜぇ? こうやって根元からすっ転ばされるんだから」


「ク……クロ……!」


「うーん……正直お前にもむかついてたんだよなあ……クロクロクロクロ、って。ノ、位言えるだろうが。罰としてあれだ、お前への罰ゲームは毛を剃る事な。上も下も」


 ニンマリと自分でもいやらしいと自覚できる笑い方でキーノに死刑宣告にも似た言葉を放つ。キーノは「し、下も……」と呟きながら膝から崩れ落ちていく。その目に生気は、無い。


「……で、マールはそこでなにやってるんだ?」


 俺の後ろの木に姿を隠していたのは、マール。えらくすました顔だが、もしかしたら自分は酷いことを命令されないかもしれないとたかをくくっているのだろうか? だとすれば……甘い。
 どうせ今まで様付けされて敬われていたのだろう。ならここは俺の名前を呼ぶときは様付け、話すときは敬語、間違えたら折檻。語尾には愛してますご主人様とでも言わせようか……ハッハッ、バラ色の生活だな!


「言っておくがお前ら全員がこのポジションから獲物を持っていっても無駄だぜ? 一応獲物の残っているマールの所に持って行ったとしても一度に三匹しか奪えねえ。一度に一匹ずつしか獲物は持っちゃあいけねえんだから!」


 ルッカとキーノの顔が悔しさでさらに歪む。はりぼてと化したルールでも決まりは決まり。俺という監視人がいる限り一匹以上の獲物を運んではいけない。ただ適当に思いついたルールじゃねえんだ。運よくお前らが最終局面で俺の真ポジションを見つけたときの保険も掛けてるんだよ!


 他二人と違いあくまでにっこりと笑い続けるマールを見て高笑いを響かせる。それに少し遅れて響くアラーム音。これは終結の鐘。俺を苦しめようとする運命の神、その嘆き、断末魔。これから俺はあらゆるヒエラルキーのトップに君臨するのだ!


「俺の……この俺、クロノの勝ち「私の勝ちだー!!」だ……ぁ?」


 俺の勝ち鬨をぶっ飛ばしてマールが思い切り上下運動。うわお、これだけならなんかやらしいね。


「……いや、俺の勝ちだろ? 何言ってんのマール?」


 マールは満面の笑みで(ごっつ腹立つ笑顔で)地面を指差した。そこには俺のポジションであることを示す立て札が……立て札が……あるのだが……


「……ま。……まーる? あれ? 俺の名前じゃないぞー?」


 ぷるぷると震える俺の体とその言葉に反応して固まっていたルッカとキーノが俺を蹴飛ばして立て札の名前を見やる。そこには確かに『マール』の名前が、黒いペンでしっかりと書かれていた。
 こんなものトリックや計画なんてものでは無い。単純で愚直である意味純粋で……つまり……


「入れ替えたの。私の名前が書いてある立て札とクロノの立て札を。ゲーム終了前に入れ替えたんだから有効だよね」


 ……なるほど。今まで駄目と言われてないことはいくらでも行った俺だ。文句を言うのは筋違いだ。筋違い。うん、それは分かる分かるけど……


「そんなの無えだろーーーー!!!!」


 まあ馬鹿なりに色々考えたり、騙し騙されて進行したこのゲーム。結局最後は力技のごり押しなんだなあ、と痛感しました。ライアー○ームの椅子取りみたいな。








 ゲーム終了から半刻。ルッカとキーノの逆襲により腫れてない部位? あるわけ無いじゃんな俺にマールが近づいてきた。心なしか満足した……ああ心なしじゃねえや、完全に満足しきった顔ですわ。腹立つ。
 体を起こすことも出来ない俺を上からニコニコと笑顔で見下ろして、マールは俺の目を見つめている。なんだ? 唾でも吐きかけますか? いいよ別に、今ならゲロ吹きかけられても納得してやる。どうせ俺は一生最下層の人間なんだ。


「惜しかったね、最後に私たちに見つからなかったらクロノの優勝だったんだから」


「……ああ、やっぱり最後に俺のポジションを見つけたのは運かよ。まあ、そこまで広い森じゃねえし、地形が分かれば有り得ることだとは思ってたけどさ」


 痛む顔を我慢して会話をする。口を開くたびに腫れた頬と切れた口内がじんじんと響く。下手すれば明日には歯が二、三本取れるんでは無かろうか? なんてため息が出る予想が頭をよぎる。


 マールは唾液を飛ばすわけでもなくただすんなりと倒れている俺の隣に腰を下ろす。月明かりとたき火の光に挟まれてなお彼女は際立っていた。
 ……なんだか、彼女に負けたなら、まあしょうがないというか、道理かもしれないな、と落ち着いてくるから不思議だ。


「ねえクロノ、私が負けたらさ、私にはどんな罰ゲームをさせる気だったの?」


 まだ、マールは俺に罰ゲームを告げていない。ここで「肩を叩いてほしかったのよさ!」とか軽い内容を言えば彼女も簡単な罰にしてくれるのだろうか?


「……様付けさせて、俺と話すときは敬語にさせて、愛してますご主人様を語尾に付けさせようと思ってた」


 まさか。俺の嘘を彼女が見抜けないわけが無い。さっきのゲームでも、マールだけは俺の企みに気づいていたんじゃないだろうか? 確証は無くても、確信があった。だったら、保身の嘘をつくよりも、最低の真実を告げたほうが体裁がたつさ。あれば、だけど。


「……愛してます、ご主人様ねえ……男の子って、そういうの好きなの?」


「……一括りにするのはどうかと思うけど、結構当てはまるんじゃないかな」


 ふーん、と興味なさげにマールは遠く星の空を見上げて腕枕を作り横になる。近くが森の為か、瑞々しい風が通り抜けて行く。痛む体も疲れた心もどこか遠くまで運んでくれそうな、そんな風。
 その風が途切れる前に、マールは風に紛れるように、でも紛れきれないような声で呟いた。


「私は、クロノにそう言われたいよ」


さあ、と風は遠く彼方へ。五メートルも離れていないルッカとキーノの声がぽつぽつと消えていく。マールの声以外の音をパズルに例えるなら、そのパズルはボロボロとゆるやかに、確実に崩れ落ちて、零に変わる。


 俺が今ここで何を言えば言いか。
 洒落た言葉は似合わない。きっと彼女には煌びやかな宝石なんて似合わないのと同じ理屈。
 誤魔化すべきじゃないし、その必要もない。きっと彼女には化粧で誰かを騙す必要がないのと同じ帰結。
 だから俺は単純に、こう言うべきなんだ。


「……ご主人様は男相手だ。女のマールをなんて呼べば良い?」


――なんて呼んで欲しい?


「そうだなあ、じゃあ……」


――王女様じゃなくて……


「……分かった。必ず呼ぶよ」


 いつのまにか痛んだ体は軽く、飛べば空にも届きそうな気分。もしかしたら、これが幸せなのかもしれない。
 原始の夜は暗く、少し先も見えない闇の中。伸ばした手は除けねど、響く声は遥か、遥か。
 いつ呼ぼう? 明日だろうか一年後? 死んでからでは勿体無いし契約不履行は寝覚めが悪い。末期の時では遅すぎる。何より我慢が出来そうもない。だって今この瞬間にも叫びだしたいのだから。
 小さく息を吸って、準備が整う。大声である必要はない。過剰に彼女の顔を赤く染めるのは、面白そうだけどそのままの彼女が一番美しいのだから。
 さあほら、彼女の顔を見て、瞳を除いてそこに自分がいるのなら、臆すことはない。魔法の言葉が降り注ぐ。


――愛してるよ、マール…………











 反省点・キャラも違うし荒が目立つしテンポはぐだぐだなによりしょうもない。つまりは全部。
 予め言っておきますが、こんなサブイボたつような展開は本編では書きません。途中から没だな、と確信したので調子こいてラブストーリーを添えてみました。薄っぺらいったらありゃしない。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/18 06:41
 ドリストーンをボッシュに渡したところ、これならばグランドリオンを修復できるわいという言葉を聞いて胸を撫で下ろす。ここまでやっといて「無理だよー出来るわけないよー」と言われたら惨殺空間に招待しなければならなかった。斬刑に処す。


 ボッシュが折れたグランドリオンとドリストーンを持って階段を下りていくのを見たルッカが私も手伝うわ! と意気込み、助手を名乗り出た。マールは私は寝るー、と勝手にソファに潜り込む。俺は近くに落ちてた週刊誌を手に椅子に座って作業が終わるのを待つことにした。ロボは時の最果てに叩き込んだ。恐慌状態のあいつと一緒にいては体がもたない。未来の巨大ロボの戦闘から、俺が負った怪我らしい怪我はロボやルッカなど、仲間から与えられているという事実はもう少し省みるべき事態なのかもしれない。


「へー……やっぱりあの女優枕営業してたんだな。まあ実力の割りに舞台への露出が多いとは思ってたけど……」


 芸能欄のスクープを見ながら独り言。これは俺が旅に出る前に好んでいた、数少ない趣味だ。今この瞬間だけは俺だけの空間を造ることが出来るから。


 それから三冊の週刊誌を読了した所で徹夜したことが響き俺も椅子に深く体を落として目を閉じた。溜まっていた疲れが程よく睡眠を促してくれる。うむ、ボッシュのじいさん、結構良い椅子じゃないか。心地良いぞ。


 地下から聞こえるルッカとボッシュの声が耳障りだが、次第にその物音も薄れていった……




「待たせたの。見るが良い! これこそが、グランドリオン……」


「……寝てるわね。私たちがこんなに苦労してグランドリオンを再生させたっていうのに」


 俺とマールが寝息を立てているのを見た二人が、八つ当たりという名の制裁を加えたことに俺とマールはいつかやってやろうぜ、と復讐を企てた。だからマッドサイエンティストって奴は嫌いなんだ。完成したものはすぐ誰かに見せたがる。


 ボディパンチ二回を叩き込まれた俺と服の中にロックアイスを入れられて強制覚醒させられたマールは不機嫌! どん底! 低血圧! な状態でボッシュの家を後にした。でもまあ、俺は艶かしいマールの慌てた声が聞けたので満更でもない。


 一度時の最果てに着いた俺たちはロボに見つからないようそのまま中世へ。これ以上無為な時間を過ごしている場合ではない。こうしている間にもあの変態はちゃくちゃくと王妃観察日記なんかを更新しているに違いないのだから。
 中世の地理はほとんど網羅しているので迷うことなくカエルの家に着くことができた。寝ていないルッカの為に宿屋で一泊してからにしようかとも思ったが、どうせならカエルの家で寝たほうが無料でお得だという結論に。少し足早に歩を進めていく。


「また、お前達か……何の用だ? 俺の王妃観察日記は絶対に見せてやらんぞ」


「ほんまに書いとったんかい」


 カエルの家に入るや否や不愉快な事実を聞かされちょっとナイーブになる。こんな奴が使う武器の為に俺たちは色々奔走する羽目になったとは。鬱の兆候すら見えてくる。


 警戒心を見せるカエルだったが、ルッカの持っているグランドリオンを目に入れた途端、顔色が変わり飲んだくれの表情から一変、目を大きく開け口を小さく震えさせた。


「まさか、その剣は……グランドリオン……!? ……少し考えさせてくれ。今夜はここで休むといい……」


 ベッドの上に散らばっていたものをテーブルの上に持って行き、何かを考え出したカエルはそのまま動かなくなった。
 冬眠準備か? と聞いても反応が無かったのですごすごと言われたとおりに寝ることにする。今回はロボをメンバーに入れてないので俺が床で寝ることに。ルッカが「よよよよ良かったらわっ、私のべべべ、でいいいっしょに、ねりねりねり」と壊れかけのレディオのような音を発していたので合掌してやる。科学者というのは脳の破裂というリスクを背負っているものらしい。頭が壊れた幼馴染を哀れに思って就寝。 






「行ってしまうのですね。サイラス……」


 それは、過去のこと。まだガルディアが魔王軍と対等とは言わずとも、完全な劣勢とは言えない程度に戦いを繰り広げていた、世間ではまだ記憶に新しい程の。俺にとっては、遥か、遥か昔のこと。
 我が友、サイラスと俺が遠征に出る際の記憶。心配を露にする王妃と、城の大広間での会話。
 それは、俺が生死を賭けた戦いにも慣れてきた頃だった。


「ええ。 そろそろ誰かがゴールデンフロッグのヤツからあのバッジを奪い返してもよいころかと……それに伝説の剣とやらもこの目で確かめてみたい……」


 サイラスは不敵に、それでいて王妃を安心させようと優しく笑った。
 それでもまだ不安だった王妃はもう二、三声を掛けようとするが、それを隣に立つ王が止めて、サイラスに声を掛けた。


「サイラスよ、お前はこの国にとって必要な男……また、私とリーネにとってもかけがえのない友人だ。きっと、戻って来るのだぞ」


「命あるかぎり、必ず。たとえこの身に、何があろうとも……それでは、これにて……」


 敬意の姿勢をとっていたサイラスは立ち上がり、身を翻して大門に向かう。通路の左右に並んでいた兵士達が敬礼をしながら、はっきりとした声で合唱のように言葉を合わせながら、その背中を押していく。


「サイラス様!!


「我等、王国騎士団一同! みな団長の旅のご無事を祈っております……!!」


「……お前達。……後の事は、頼んだぞ」


 顔を伏せながら、別れを惜しみつつ、サイラスは兵士達の間を通り過ぎた。


「待たせたな。さあ、行くとするか」


 門に背中を預けてそれらを見守っていた俺にサイラスが出発を告げる。


「グレン! あなたも気をつけてね」


「王妃様も、どうかお元気で……」


 追ってきた王妃に崩れた敬礼を示し、俺たちは城を出た……




「この勇者バッジが欲しくば力ずくで取ってみよ、王国の騎士!! グギャギャギャ……!!」


「むろん、そうさせてもらう。行くぞ、G・フロッグ! ニルヴァーナ・スラーッシュ!」


 ガルディアの広大な森、その三分の二を支配下に置いていたG・フロッグを見つける為、俺たちは五十を越える魔物たちを切り払い、その親玉を見つけることが出来た。その支配力や進行速度は目を見張るものがあったものの、G・フロッグ本体に力は無く、サイラスの刺突を一度当てただけで致命傷を与えることが出来た。


「ハギャーッ……!!! や……、や……やりやがったな、このヤロー! なんでい、こんなバッジ! お、覚えてやがれよ、チクショーめ!」


 あからさまな捨て台詞を残してG・フロッグは暗闇の向こうに姿を消した。
 突出した力が無いとは言え、仮にも魔物を束ねるG・フロッグを一撃で退けたサイラスに俺は尊敬を隠し切れなかった。いつか、こんな男になりたいという思いと、いつまでも追いつけはしないという諦観が交じり合っていた…………






「うわっ!?」


「危ない、グレン!!」


 勇者バッジを取り返し、伝説の剣、グランドリオンを手に入れた俺たちは、デナトロ山を舞台に魔王との決戦を挑むこととなった。
 立ちはだかる魔物を一刀の下に切り伏せ、かすり傷すら負わないサイラスを見ていた俺は確信していた。魔王ですら、いや、それを越える化け物がいたところでサイラスが負けるはずは無いと。
 ……そして、確信は妄信だったと知る。


 山の頂上には魔王とビネガーの二人が立っていた。
 ビネガーは俺が抑え、魔王はサイラスが相手をしていたのだが……結果は、火を見るより明らかだったように思える。
 魔王は火を、水を、氷を、雷を、死を操りサイラスを近づけさせない。ビネガーは奇怪な魔法を駆使して俺を相手にすることすらなかった。
 そして、俺の体がふらついた所で、魔王が俺に向け高密度の魔法を放ったのだ。
 形相が変わったサイラスは全力でその魔法を受け止めた……だが。


「サイラス! 剣が……!? グランドリオンが……!!」


 人々の希望が、魔を断ち切る光の刃が、半ばから、半分に……


「ギャハハハ、どうしたあ、もう終わりなのかあ? 伝説の剣が折れてしまっては、手も足も出まいがあ!!」


 ビネガーの不快な笑い声が山彦となって山を支配する。その声を聞いただろう山の麓にいる騎士団から悲鳴と混乱の声が。


「クッ、まだだ……!」


「サ、サイラス……俺は、もう……」


 いまだ闘志の折れないサイラスと違って、俺はもう限界だった。血も、体力も、心も……全てを失い、いまや立つことすら困難となっていた。


「聞け、グレン。俺がヤツらの足を止める。その隙にお前だけでも逃げろ」


 俺の状態を察したサイラスは俺の方を掴んで勇気付けるように力強く言い聞かせた。


「し、しかし……!」


「このままでは、二人ともやられる……。行くんだ、グレン」


「余裕だな、サイラスとやら。人の心配などしている場合か……?」


 何処までも高みから聞こえる魔王の声。赤い瞳は、俺たちの命そのものを狙い定め、犬歯を剥き出しに、静かに威嚇を行っていた。


「いいか、グレン。行くぞ!! うおお……ッ!」


「……命を賭けて、その程度か」


 サイラスの必死の特攻も、魔王の手が一振りされることで巻き起こる爆発に行く手を阻まれ、体を地面に叩きつけられた。
 サイラスの体は胴体の右半分が吹き飛ばされ、右足は膝から下が滝底へ消えていった……


「サ、サイラスーッ!」


「に……、逃げろ……グレン……王妃を……リ、リーネ様のことを……たの………………」


「サ……、サイラス!? サイラスーッ!!」


「フン、どうした……。貴様は来ないのか?」


「くッ……!」


 自分では、魔王を睨み殺すような顔をするつもりだった。……しかし、声は振るえ、涙が途方も無くあふれ出る。胃液が喉まで逆流して、鼻水も汗も、狂ったかのように垂れ流していただろう。そして、多分、俺の顔に浮かんでいたのは、懇願。殺さないで、と言葉にせずとも明白な表情だったに違いない。


「ギョヘヘ……。ヘビににらまれたカエルってとこだな。若造。魔王様、どうです? この腰抜けを、似合いの姿に変えてやるってのは?」


「フッ、よかろう……。我が前に立ちはだかる者は一人残らず消す」


「!! う……、うわーッ!!」


 魔王たちが何を話していたのかは知らない。けれど、魔王がサイラスを屠った時の様に右手を払った動作を見せたときには、自分の体の変調に気がついた。


(熱い! 体中が熱い! 油をかけられて火を付けられたみたいだ! 息が出来ない! 腕が、足が細く、顔が盛り上がるのが分かる!)


「ぐあああああ……ッ!!」


「ギャーハハハハ……! いーくじなしの虫ケラめがあ……!」


 目の前が見えなくなった俺は、崖下に落ちて気を失った……俺と一緒に、勇者バッジが落ちてくるのを、感じながら。








「あれから、もう10年にもなるか……やれるか……この俺に……? サイラス……」


 夜は更けて、森の生き物達も活動を止めた深夜。聞こえるのは、カエルが洩らす悔恨と後悔の歴史。
 ……とても良いシーンなんだ。多分泣き所なんだ。ただ……


「地の文まで喋るなよ、感情付けてよぉ……」


 俺が寝る寸前にカエルは一人芝居のように体を動かしてその時の事を再現するように、事細かに説明をつけて過去に浸りだしたのだ。どっすんばったん動くだけでなく、「この時! 思いもよらぬことが起きたのだ!」とか時々芝居がかったでっけえ声を出すから寝るに寝れねえ、悲しむに悲しめねえときたものだ。
 この一人劇団のせいで俺だけでなくマールやルッカも苛立たしそうに歯を鳴らしている。最初は悲しげにカエルの話を聞いていたマールも、寝かせろゴラァなオーラを出している。
 ついでに気になったのだが、こいつサイラスとかいう男の名前を出す時だけいやに優しい声になる。まさかとは思うが、この化け物一丁前に両刀ということは無いだろうな? もしそうなら俺は今すぐこの家を出て実家に引きこもる構えだ。もう世界を信じられない。


「……そうだ。忘れる所だった。サイラスがグランドリオンを手にした後、麓の村での出来事だ。門をくぐり、子供達が不安げな顔をしていることに目を付けたサイラスはおもむろに近寄り、何事か理由を聞き出した。そう、あいつは騎士団長、王国最強の男だというのに決して民の不安を見逃さない男だ……話を戻そう。そこで子供達はある恐るべき秘密を打ち明けてくれたのだ。そう! まさにそれこそかの大事件の始まり……!!」


「うるせぇーー!!! ノロケも大概にしろっ!!」


 振りぬいた拳がカエルの柔らかい横顔を貫き食料保存用の樽まで飛ばし、近くの家具を半壊させた。過去を思い出して己を奮い立たせるのは良いが、一々口に出さないと思い出せないのかあいつは。ことある設定一つ一つが他人に迷惑をかける。
 ちなみに、さっき乱暴な言葉を吐きながら乱暴にカエルを殴ったのは、マールだ。……ノロケ?


 沈黙したカエルを見て、俺とルッカは起き上がり勇気ある行動をしたマールを称えてサムズアップ。えへへ、と照れるマールが可愛らしいやら愛らしい。
 今度こそ、静寂の中俺たちは楽しい夢を見る……








「起きろ、クロノ」


 昨夜、遅くまで起こされていたせいで全く眠気の覚めない俺を、カエルが体を揺さぶって起床を進める。なんでこいつが一番最初に起きてるんだよ。両生類に睡眠は不要なのか?


「俺にどこまでやれるのかわからないが……行ってみよう、魔王城へ……」


 なんだか知らんが吹っ切れた御様子のカエルさん。シリアスな顔をしていても右頬がぽっくり腫れているので様にならない。なるわけが無い。


「奴は強いぞ……。覚悟は良いか……?」


 だるい体を起こして、大きなあくびを一つ。頭を掻きながら、カエルの清涼そうな顔を見て、ため息混じりに


「そんなもん、無くても勝つときゃ勝つんだよ」


 カエルは数瞬の後に、腹を抱えて笑い出した。
 天井から差す光が、グランドリオンの鞘を照らしていた。






 カエルの覇気も戻り、いざ魔王城という時にまたもカエルの馬鹿がおかしな事を言い出した。「お前達に、魔王に挑めるほどの力があるのか試させてもらう」とかのたまったのだ。さっきまで一緒に行こうぜ、相棒。みたいなノリだったのにこの掌の返しよう。驚いてセルライトが溜まりそうな予感がする。
 当然俺とルッカ、マールはふざけんな化け物と盛大な罵倒をぶつけるが、カエルは泣きそうになりながらも自分の意思を変えなかった。


「仕方ねぇ……分かったよ。俺がお前と打ち合って合格点をもらえりゃ文句無いだろ?」


「ああ、ここはお前が来ると思ってたぞ、クロノ」


「本当、お前は王妃様以外では硬派な奴だよ、面倒くさいことにな」


 全員が了承した所で、マールとルッカの声援を受けながら二人でカエルの家を出る。その途中、ふと思い出した俺がカエルの背中に声を掛けた。


「よく考えたらさ、お前が勝てば俺たちはどうなるんだ?」


「知れたこと、あまりにふがいない結果であれば、俺は一人で魔王城に行く。足手まといはいらん」


 無機質な声で突っぱねるカエルに少々イラッときた。どこまで上から目線だ、こいつ。俺は見下されることがすっげえ嫌いなんだよ、男には。


「ふーん、じゃあ俺が勝てばどうなるんだ? まさか魔王城に一緒に行くだけじゃないよな? それじゃあ割に合わない」


 カエルは鼻で笑って、「もし俺が負ければなんでもしてやるよ」と絶対の自信を含ませて宣言した。


「……分かった。じゃあ俺が勝てば……そうだな、お前の姿が人間に戻った次の日の朝、俺が目覚めた時、メイド服を着て『おはようございますご主人たまぁ!』とでかい声で言ってもらおうか。勿論それはルッカのビデオで撮影させてもらおう」


 俺の勝利賞品を聞いて前を歩いていたカエルは昔の漫画みたくすっ転んだ。手を前に出して。擬音は『どひゃー』って感じで。


「お前……ほんっとうにそれが見たいか!? いや、そもそも何でメイド服なんか持ってる!?」


「いやあ、多分カエルが一番嫌がりそうなことだと思ったから……入手ルートはロボが着せられてたのを強奪した」


 絶対に負けられん……と呟いているカエルは無視して、周りに障害物の無い程よい広場に着く。そこでお互い四歩分の距離をとり、礼をして剣を構えた瞬間、俺は手を上げてこの決闘を中断させる。気を削がれたカエルは不機嫌な顔を作って「どうした?」と尋ねた。


「よく考えたら、お前は伝説の剣、グランドリオンを使うわけだろ? そりゃあ卑怯だ。武器の差で負けちまう。お前の家に木刀とか無いのか? お互いそれを得物に戦えばフェアな勝負ができるだろ?」


「……まあ、そうだな。悪かった、二本くらいなら家に置いてあるはずだ。ちょっと待ってろ」


 カエルが剣を鞘にしまい、俺に背を向ける。そう、勝負相手である俺に。


「……………」


「ああ、確か脇差形の木刀と長刀形の木刀があるんだが、クロノはどっちを……!」


 至極どうでもいい理由で俺の方を向いたカエルは、俺の体から放たれる電気に目を見開いた。バチバチと爆ぜる電流が発光し、落ち葉を砕く。ありがとうカエル、お前が人を信用する性格で良かった。


「はじけ飛べ! サンダー!!」


 伝説の剣を持つ英雄と、未来を救おうとする一般人の勝負は一分と経たずその幕を閉じた。
 プスプスと地味に良い香りを放つカエルに近づくと「キ……サ……マ……」とあれ? 怒ってるの? ねえねえ怒ってるの? な声を出していたが、気にせず引きずって移動することになった。あるよねー、こういうこと。





「認めん」


 当然なのか、カエルはさっきの勝負結果に不満があったようで、一緒に魔王城に乗り込むのは良いにせよ(俺の魔法は魔物に有効であると悟ったか)メイド服着衣の刑だけは納得いかないと駄々をこねだした。
 正直、野郎のメイド姿なんかつま先分も見たくは無いので「まあ、どうでもいいよ」と返した瞬間のカエルの笑顔はピカイチだった。その後ルッカの放った「あら、勇者ともあろう御方が約束を破るなんて、王妃様に報告しなくちゃ」という言葉の弾丸に沈んだ時のカエルの表情はさながら真実を知ったときのジュリエット。この旅の溜飲をおおいに下げてくれた。
 涙と鼻水を流し、苦痛では生ぬるい、恥辱では到底辿り着けない悔恨の果てにカエルは俺との約束を行うことを約束した。本当に、どうでもいい1コマ。


 それから、魔王城に向かう前にカエルを時の最果てに連れて行くことにした。スペッキオから魔法を授けてもらえるかもしれないというルッカの提案に俺たちは勿論、カエル自身も「その魔法があればクロノを……行こうか」という不穏な発言の元了承した。この旅が始まってから、俺は敵を作ってばかりな気がする。
 


 それから、一度マールを仲間から外し俺、ルッカ、カエルのメンバーで時の最果てに向かい、カエルは見事水の魔法、ウォーターを覚えることに成功する。これは過去、ヘケランと戦ったとき、ヘケランが使用した魔法。高密度の空気を閉じ込めた泡を相手にぶつける事で、空気の衝撃と、その衝撃により弾丸と化した水滴で攻撃するえげつない技だ。
 数回の練習を経て使いこなせるようになったカエルは度々「なあクロノ、練習相手になってくれないか」と誘いかけてきたのはうざったかった。冷静に考えて、魔法が使えるようになったカエルと俺が勝負すれば、隙をついたところで勝てるわけが無いのだ。例えるならフリ○ダムとザ○レロくらいの差がある。
 幾度と無く断っても「クロノ勝負だ勝負。右腕一本くらいなら貰っても構わんのだろう?」と勝つ負けるの次元ではない話をするので怖いやらなんやら。


 さて、カエルの復讐紛いの決闘を断り続けて、ようやく本題。どのパーティーで魔王城に挑むか?
 皆示し合わせたように俺は前線に出ろとか言い出したので、俺が行くのは決定。ほんと、いい加減にしてほしい。戦闘面でのパラメーターを見れば俺が一番弱いのは誰の眼にも明らかだというのに。多分。
 勿論カエルも出撃。魔王に挑むのに、勇者が補欠とか笑えないし。残る一人を誰にするか、それが問題。
 

 まずロボは除外。魔法が使えないのは魔王城で戦うのに致命的だとカエルが教えてくれた。
 続いてマール。回復なら随一の彼女だが、回復魔法はカエルも使えるとのことで保留。
 そしてルッカ。攻撃魔法のスペシャリスト。魔法攻撃に欠ける俺とカエルにルッカを入れるのは最適なパーティーになると思われた。が。


「嫌です! 今度こそ絶対僕が出ます! 冷静に考えて、僕クロノさんたちに会ってからほとんど戦ってません! なにより魔王が相手なのに運命に選ばれた籠戦士(デスペニア・リドゥナメルト)である僕が戦わないなどトロイの木馬の焼き回し、デロイカの蓋がもげましょうに!」


 ロボがとち狂いだしたので、話がまとまらず途中交代させるぞ、という条件付で魔王城攻略のスタメンが決まった。俺、カエル、ロボである。戦略も何もあったもんじゃねえ。


「……勝てるかしら?」


「ルッカ。それに対する答えは『勝てるだろう』というあやふやなものしか返せない。後、不安げに言うな」


 俺とルッカが、喚くロボを宥めるカエルを見ながらため息をついてはんなりと洩らした。







 魔王城に続く道、魔岩窟。グランドリオンのあったデナトロ山を海沿いに東に進むと、小山程度の岩山がある。町の人々の噂やカエルの話ではそこが魔王城に繋がる唯一の道だとか。
 しかし、そこまでの道中、まして魔岩窟に着いてからも魔王らしき姿はおろか、魔物の一匹も現れない。ロボと俺でカエルを不審げに見ると、カエルは瞑目して、何かを思い出していた。







「あれはまだ俺が子供の頃……」


「もういいよ面倒臭い。サイラス最高ーッ!! ってことだろ」


 またカエルの長ったらしい回想シーンが始まりそうだったので中断させる。カエルは一度不満げな顔をした後、何も無かったかのようにまた目を閉じて過去を思い浮かべだしたのでさらに中断させる。それを数回繰り返して、ロボがラジオ体操を始めた辺りで決着がついた。


「何故、俺の邪魔をするんだクロノ!」


「長いからだ。後、お前がサイラスの話を始めるとやたらと感情をこめて気持ちが悪いからだ。俺の中でお前はホモだという疑惑がひしひしと膨らんでいく」


「……ホモ? 何故俺がホモになる」


「悪かった。バイだったな、お前は」


「あの、まだその話は終わりませんか? そろそろ僕の右腕が疼いてきたんですが」


 ロボの声で不毛すぎる話しを終わらせる。それからロボ、腕が痛いなら内科に行け。


 一度咳払いをして、カエルが岩山に近づき、手を当てる。深呼吸を繰り返し、そこから三歩下がり、ゆったりと体の力を抜いた。
 強い風が吹き始め、その強さに俺とロボは目を覆う。ようやく風が止んだ時、目を開ければカエルは流れるようにグランドリオンの柄に手を伸ばしていた。
 抜刀の音はスラリと高く、されど力強く。剣自体が放つ光は闇の類を追い払う。それは沈むような、猛るような剣光。今まで見た事が無い美しい刀身はただただ銀。他の彩色は無く、寒気がするほど純粋な単色。剣の長さはおよそ一メートル半。それでも、振れば三里は届きそうな錯覚を覚える。
 ……これが、グランドリオン。魔王を貫く唯一の、剣。


「我が名は……」


 顔を落としたまま、か細く、消えるようにカエルが呟いた。
 数瞬後、何かを振り払うように強く上を向き、グランドリオンを天に突き立てる。


「我が名はグレン!」


 響く彼方。その声は中性的でありながら、太く、清らかに。


「サイラスの願いと志!」


 鍛えられた戦士の足は、再度去来する強風に揺るがない。数多の戦を潜り抜けたその腕は、握る剣と同化したが如く。


「そしてこのグランドリオン……」


 カエルの言葉に呼応するように、グランドリオンは千里先まで見えそうな光を、徐々に空へと伸ばしていく。


「今ここに受け継ぎ、魔王を討つ!」


 覚悟の声を機に、グランドリオンの光が、力が空を穿ち、雲を払う。発光が終わり、聖なる力を溜め込んだグランドリオンを、カエルはただ、愚直に、


「人間の未来を託せ、俺に、俺の仲間たちに!」


 振り下ろした。


「……魔岩窟が」


 ギギギ、と嫌な音を立てて、魔岩窟が割れていく。いや、斬られていく。岸壁から崩れた岩は無造作に落ちていけど、勇者の行く手を阻むまいと、カエルを避けるようにその破片を飛散させていく。
 ……そうか、今グランドリオンを鞘に入れて、堂々とその場に立っているアイツが。今まで馬鹿にしたり、でも剣の腕だけは認めたり、俺の頭を殴ったり、たまに撫で回したりした、アイツこそが。


「……勇者」


 俺の声が聞こえたのか、カエルは振り返って、口端を上げて親指で魔岩窟を指差す。そこには人間大の大きさの洞窟が見えた。


「行くぞ……伝説になろうじゃないか。俺たちでな」


「カッコイイ……」


 ロボが陶酔した顔で、ぼんやり声に出す。そりゃあ、少しは悔しいとか、かっこつけ過ぎだとかいう思いもあったけれど。


「……歴史の教科書に載るのか? 照れるなそりゃ」


 概ね、ロボと同じ感想だったから、文句もつけられなかったさ。








 魔岩窟に入った途端、様々なモンスターが俺たちに牙を剥いた。巨大な吸血蝙蝠や、魔王の僕と自称する怪力、硬い皮膚の化け物等、今までの俺たちなら苦戦は間違いない強敵ばかり……だが、それらの脅威をカエルはグランドリオンの一振りで捌いていった。
 カエルの腕前ならモンスターに避けさせることは無い。必中の剣技。受け止めることはグランドリオンが許さない。一度振れば全てを斬るまでその剣筋は止まらない。構えた腕や武器、防具をバターのように切り裂いていった。
 その間、俺とロボも何もしていなかったわけではない。ロボは巧みな動きで敵を翻弄し、時にはレーザーで相手の動きを止めてカエルの援護に回り、一対一なら自分ひとりでモンスターを沈めるといった活躍を見せた。
 俺も俺でカエルのウォーターで散らばった水に電撃を当てて敵グループを麻痺させる補助的な役割は出来た。時々カエルも感電させたのでぶん殴られたけど。俺、カエルのそういうところ嫌いだな。


「どうした、そろそろへばったかクロノ?」


 戦闘が終わり、息一つ乱さずカエルが問いかけてくる。……一番戦ってるのにその様子、勇者の名前は伊達じゃないな。
 かくいう俺もさして疲れた状態でもない。最近戦闘らしい戦闘はしてなかったのだが、もしかしたら原始でのキーノ達と遊び呆けたのが体力上昇に繋がったのかもしれない。それだけじゃなく、原始では走り回ったからな。あくまで、戦闘はこなしていないが。


「いや、まだまだいけるぜ。……しかし、まだ魔王城に着いていないって事を考えると少し気が重いけどさ」


「そうですね、僕も限界はまだまだ先ですが、場合によってはクロノさんに充電を頼むかもしれません」


「……痛いぞ? 良いのかロボ」


「……静電気くらいの力でお願いします」


 一体何時間かかるやら。


「……仲が良いな。お前達は」


 俺たちのじゃれあい? を見たカエルがどこか遠い目で俺たちをそう評する。まあ、そう長い間ではないとはいえ俺とロボは一緒に旅をしてきた仲間だ。ある程度気心が知れるのは当然だろう。


「……あの、そういえばカエルさんとサイラスさんも仲が良かったんですよね?」


 何故か沈みかけた空気を持ち上げるべく、ロボが明るく話題を提供した。
 ロボ、気持ちは有難いが、もう亡くなったサイラスさんのことを出すのはどうだろうか?
 俺の不安は必要なかったようで、悲しそうな雰囲気も無く、カエルはそうだな、と顎に手を当てて考え出した。


「俺とサイラスは小さい頃から幼馴染でな。といっても、少々年が離れていたから、俺はサイラスのことをどこかで兄のように慕っていた。サイラスも同じように振舞ってくれた」


「へえ、なんか、良いですね」


 なにやら話が弾みそうなので、俺も加わることにした。サイラスさんのことだからか、少し誇らしげなカエルに俺は質問を投げかける。


「幼馴染ってことは、生まれた時からサイラスさんと一緒にいたのか?」


「ああ、いや。初めて出会った時に、俺が近所の子供達に苛められていたのをサイラスが助けてくれたのがきっかけだ」


「え? カエルさん、苛められてたんですか!?」


「うむ。……俺の姿が人間の頃、俺の髪の色が緑色でな、当時、珍しい髪色だったことが原因でよく苛められた。俺が内向的で臆病だったことも理由の一つだがな」


「……聞けば聞くほど、今のカエルからは信じられないな……と、お前の本名はグレンだったか」


「いいさ、その名前は俺が人間の姿に戻ったとき呼んでくれ」


 破顔して言うカエルに、俺は分かった、と了承の意を告げる。
 だがまあ、カエルとサイラスさんの関係はおおよそ分かった。そんな出会いなら、少々度が過ぎた親愛の情が湧くのも理解が出来る。俺はもしかしたらコイツ、ニュータイプ(両刀使い)か!? な懸念事項が杞憂に終わったことで胸を撫で下ろした。
 しかし、そうなると俺の中で沸々と悪戯心が生まれてくる。ちょっと不謹慎だろうが、カエルの豪胆さや今の雰囲気なら言えるだろうと考えて、俺はにやにやしそうな顔を抑えて、カエルに声を掛けた。


「いやいや、それにしてもカエルは随分サイラスさんが好きだったんだな。……恋愛感情もあったのか?」


 当然否定するだろう。まずは牽制球。からかわれていると分かって、ネタ気味に肯定する可能性もあるが、その場合ならその場合で反応は決めてある。さっきの戦闘で、俺がカエルを誤って感電させた際に殴られたことは忘れない。今ここでその借りを返してやる。


「バッ! ……馬鹿を言うな! お、俺は戦士だっ! そのような不埒な考え……し、痴れ者めっ! 恥を知れ、恥をっ!」


「…………」


 俺の牽制球をカエルさんたらまさかのホームラン。ドームの天井を突き破り大気圏突入。回収不可能。その勢いはロンギ○ス。もしくはマス○ライバー。照れながら否定とか、俺のシナリオには無かったぞゲンド○。


 やおらロボに向き直った俺は真摯な声で話しかける。


「良いか、ロボ。カエルに背を向けるなよ。勿論二人きりになるなんて言語道断だ。便秘知らずになりたくなければモンスターよりもカエルに注意を配れ。目先の敵より背後の変態。はい、復唱」


 ほええ? と疑問顔を浮かべるロボに俺は後悔する。何故、こんな二刀流がいるパーティーにロボというその道の人からすれば垂涎ものの食材を入れてしまったのか、と。
 お前は、俺が守る!


「おいクロノ、何か不穏な言葉が聞こえるんだが、もしかしてお前、俺が変態と思っていないか?」


 危険察知教育を施している俺の肩に、カエルが手を置いてきた。……この変態野郎、まさかターゲットは俺なのか? ふざけるな、俺は童貞の前に貞操を散らす気なんざさらさら無え。
 カエルの手を振り払い、驚いているカエルを見ながら剣の柄に手を置く。


「触れるな下種、これからお前は俺の背後に回るな、半径十メートル以内に近づくな、息を吸うな、むしろ死ね」


「……お前、何か勘違いしてないか? というかブッチギリに失礼な想像をしてるだろう?」


「そうですよクロノさん。カエルさんは……」


「ロボ、お前はまだ若いからそういう考え事態できないだろうが、世の中には病気を持つ人間が吐いて捨てる程いるんだ。お前には純粋でいて欲しかったが……あいつは女の胸でもまた男の尻でも興奮できるある種この世の全ての強欲を潜めた変態野郎、生きる価値の無いミュータントであり、」


「そうかクロノ、貴様、死にたいんだな」


 俺の言葉が終わる前にカエルがグランドリオンを抜く音が聞こえた。こいつ……! まさかこの場で俺たちを手篭めにする気か!?


「力づくとはな……読めたぜ、お前の狙い。お前は魔王討伐なんて二の次、本当の狙いは俺とロボの体だったんだな! 真の魔王はテメェだ! この排泄物が!」


 緑色の肌が真っ赤に染まり、カエルの表情が怒りから笑顔に変貌していく。本性現したってとこか。良いぜ、例え勝つ見込みが無くても、俺には男として生まれた義務がある。神様は不毛な生殖行動を取らせるべく俺を男に産ませたんじゃねえんだ!


「残念だよクロノ、お前とは良い友達になれるかもしれないと思ってたんだが……流石にそこまで無礼な言動を取られると、元ガルディア騎士団として放置するわけにはいかない」


「お友達だと? おホモ達の間違いだろうがっ!」


 かくして、俺とカエルの貞操を賭けたアルマゲドンが勃発した。力量の差はあれど、俺は良く健闘したと思う。一時間もすれば俺は舌を噛み切るだろうが、天国で俺は自信満々に言い放つ。俺は闘った、足掻いた、最後の瞬間まで俺は自分を捨てなかった、曲げなかった、と。




「はあ、はあ、どうだクロノ、いい加減観念したか? 今謝れば、この剣を引いてやってもいいぞ?」


 倒れた俺に剣の切っ先を向けたカエルが、今まで乱さなかった呼吸を荒く変えて、俺に降伏勧告を告げた。……満足だ。あの勇者サマにここまでてこずらせたんだ。ただの一市民に過ぎない俺が。……快挙じゃないか。


「……もう、俺が思い残すことは無い……」


 きっと、今の俺は儚く見えるだろう。死ぬ覚悟は出来た。さあ、ロボ。出来るならお前の手で俺を焼き払ってくれ……


「いや、何故そこまで思いつめる!?」


「あの、カエルさん。多分クロノさんは思い違いをしてるんじゃないかと……」


 そういって、カエルとロボはボソボソと話を始めた。やめなさいロボ、感染りますよ。マスクと防護服を着用しないと危ないんだから。
 薄ぼんやりした視界の中、カエルが「そういうことか」と納得し、ロボが俺にケアルビームを当てた。まあ、斬られた所はないし、俺が勝手に転んだり壁にぶつかったりしただけだからダメージらしいダメージは無いんだが。


 起き上がって、転んだときに打った肩を回して完治していることを確かめている俺にカエルが近づいてきた。正直、俺の顔は引きつっていたと思う。


「な……なんだよ」


「……お前、何か勘違いしてるらしいから、一応言っておく。本当は人に話すつもりはないんだが、お前は命を預ける仲間だし、そういう勘違いで連携が狂わされるのもたまらんからな」


 長い前置きの後、カエルはあー、とどう話すべきか迷った様子で、首を傾げていた。が、少し紅潮した顔で、カエルは俺の顔を見て口を開く。


「何で、俺が男だと思った?」


「……ええ?」


「まあ、言動がそれらしい……というか、そうしてるから仕方は無いんだが」


──過去、二度目のカエルの家に行った際。
 カエルが留守だった。その時、写真を見つけた記憶が蘇る。確か、マールがその写真についてしつこく何かを話そうとしていた覚えがあった。『え、じゃあこの人が?』という台詞を記憶の奥底から引きずり出す。
 ……思い出せ、あの時の写真には何が写っていた? マールは誰を見つけた?
 ……写真には騎士団のごつごつとした甲冑を装備して、兜を外したえらくハンサムな男が写っていた。間違いない。それは覚えている。えらく迫力のある男だった。写真でありながら、見るものを寄せ付ける魅力があった。最初、俺はそいつがカエルの本来の姿だと確信したのだから。だから、つまらなくなった俺は碌に見ずに写真を手放したのだ。
 それでも、一度は全体図を見たはずだ。そこにはそのサイラスさん以外に誰がいた? 誰かがいたのだ。
 ……それは、サイラスさんの大きな体の後ろに隠れるように、顔は思い出せないが……そうだ、王妃救出の際にカエルの後ろに見えた幻影、長い、緑の、髪の……


 思い出せば、昨夜、マールはカエルのサイラスさんへの思いをこめた回想を聞いて、ノロケるなと叫んだ。気にしていなかったけれど、マールの写真を見たときの様子を考えれば、その表現が出るのは妥当と言えるだろう。修道院での戦いで、蛙嫌いのルッカがカエルを頼りにしていたのは、本能で悟った同性への安心感があったのか。ロボは機械だからか、マールから真相を聞いたのか、俺がたどり着いた答えを持っていたように見える。
 ……などと、こじつけの様な理由を幾つも思い出してみたものの……


「……お前、王妃様のことが好きだよな?」


「勿論だ、古今東西、俺の王妃様への愛を上回るものは無いと断言できる」


 ……この王妃様への重すぎる偏執的な愛。
 ……誰が分かるんだ、そんな隠し設定。ふざけるな……


「……そうか、お前は、ホモじゃなくて……」


「レズなんですよ、クロノさん」


 俺の言いたいことを先に口にしてくれたロボに、小さな感謝を。そして、カエルの正体に気づいた俺は、立ち上がって、カエルを見据えた。


「誤解は解けたか?」


 息を大きく吸って、丹田に力をこめて、足を踏み出し、右手を腰に引き上体を半回転させて……


「どっちにしても変態じゃねえかーっ!!!」


 頭を吹き飛ばすつもりで撃ったパンチは、今までに無く柔らかいカエルの顔を変形させて、きりもみ回転させた。
 ……そういうことは初対面で言えよ、ボケが! という想い。それに次いで女性であろうがなんだろうがぶっ飛ばすことに躊躇いが無い俺は良い男に違いないという自負が生まれた。ああ、女性じゃなくて、メスだな。







 星は夢を見る必要は無い
 第十八話 ファリス展開は好きじゃない







 顔が変形したカエルから怨念の篭った目で見られつつ、俺たちは魔岩窟を後にした。出口付近でガルディア兵士の死体を見つけた俺たちは土葬しようとするカエルを止めて、近づく無いように外に出た。妙な騎士団精神は鬱陶しいだけなのだ。それでなくても俺はまだ若い身空なので、人の死体なんて見たくないし近づきたくない。ゼナン橋でのことはトラウマである。アリスドームの死体も。


「おいクロノ。別に俺は男が女を殴った、なんて事で怒ってるわけじゃない。生物学的に女なだけで、俺は自分を男だと思ってる。ただな、お前が俺を変態と断じたのは納得いかん。俺の王妃様への愛は純粋で澄み切っている。決して変態とかそんな言葉で括れるものではない崇高な」


 一騒動終えた後思い出したように後ろからナチュラルな変態が不躾にも人間様である俺にいちゃもんをつけてきた。人語を解するならば礼儀は知っておくべきだろうに。


「良いから黙れよ。お前がどう思おうが俺はお前を女扱いする気はないし人間扱いする気もない」


「後半が不満だな。せめてホモサピエンスとして扱え。これは命令だ」


 せつない命令もあったもんだ、とは口に出さず、遠くに見える城へサクサク歩き続ける。後ろで「ロボ、何故クロノが怒ってるんだ? 俺が怒るべきじゃないか?」と相談しているのがイラつく。女らしくは無いが男らしくも無いあいつの態度は非常に癇に障る。どっちつかずは嫌われるというが、正しくその通りだ。


「うーん、多分クロノさんは照れてるんですよ。カエルさんが女の人だと知ってどう対応していいか分からないんです」


「そうか、困ったな。男所帯の騎士団にいた頃から、そういったトラブルを避ける為にも、男として生きてきたんだが……」


「大丈夫です。最初はクロノさんも僕に冷たかったですけど、どんどん優しくなって、今ではベッドで一緒に寝ても怒らなくなりました」


 ……我慢だ。無視しろ。どんなツンデレだよ! お前と一緒に寝たことなんか一度も無い! と突っ込みたいし、カエルがメスでもオスでも気持ち悪いのは同じだし目に見える違いは無えと言いたいが、それではまたさっきのように無駄な体力を使いそうで怖い。目と鼻の先に魔王城があるのだ、こんなところで時間を浪費したくない。


「なに? クロノはお前と寝所を供にしているのか?」


「はい。クロノさんが夜一人で寝るのは怖いと言うものですから。ようやくデレてきたんです」


 素数と足音と星の数を数えながら心頭滅却して歩き続ける。両手の爪が割れそうなほど拳を握り締めているのは、昂ぶる気持ちを抑える為だ、と自分に言い聞かせて。


「そうか……おい、クロノ」


「…………なんだよ」


 少し離れた距離を埋めるべく走って近づいてきたカエルがそっと俺に耳打ちをする。


「ペドは良くないぞ。人の性癖をどうこう言う気は無いが、お前はまだ若すぎる」


「テメェが俺を変態呼ばわりするのかぁぁ!!」


 結局、俺たちが魔王城に訪れるのは三十分後となった。
 そのうち二十五分は嘘をついたロボをしばき倒した時間とロボが泣き止むまでの時間だった。下手に手を出せば面倒くさいロボ。ああ、俺こいつのこと嫌いかもしんない。気心なんか知れてないよ。




────魔王城。
 その姿は何者からも孤立して、しかし他の風景を圧倒、屈服させ、見るものに嫌悪感を植えつけるも目を話させない魔力を作り出していた。
 蝙蝠が窓にへばり付き、遠くから狼の遠吠えが聴こえる。辺りの土は黒化して、近くの木々は苦痛を耐えるように捻じ曲がり禍々しさを二乗させる。手入れなど微塵も感じさせない赤茶けた壁はされども老化など無く、頑強な作りとなって来訪者に圧迫感を見せ付ける。屋上の時計台のような柱の天辺には竜を模した彫像が不気味さと荘厳さを演出する。


「これが、魔王城だ……!」


 カエルのやや緊張した声を聞いて唾を飲む。萎縮する体を動かして俺は城門を開ける。呻きのような音を立てて扉はゆっくりと開かれる。まるで、俺たちを食べる為の口のように。思わず上下に視線をやりそこに牙や涎が垂れてこないか確認をしてしまう。当然、そこには床と木で出来た枠しか無く、有りもしない想像なのに安堵を感じてしまう。勝手に緊張して、勝手に安心する。馬鹿みたいだ、と自分を笑う余裕は、今の俺には無かった。





 中に入ると、一人でに扉は閉ざされた。あながち、口と表現したのは間違いじゃないのかも、と思った。なるほど、俺たちは今化け物の口の中に入ったのだ。魑魅魍魎、不可思議現象、それら全てが内包された魔の国に。そりゃあそうだ、今この場所は魔王城。世界で最も恐ろしく危険な場所なのだから。


 魔王城の中は想像よりも暗かった。大広間にある階段の上の大きな窓から漏れる月明かりでかろうじて物の判別が可能な程度である。床には魔王城には不似合いな高級な赤い絨毯が敷かれて、天井のシャンデリアは時折揺れて不快な音を出す。入り口から階段まで等間隔に置かれている燭台には蝋燭が置かれているが、今は一つとして火が灯っていない。


「一度ルッカを呼んで明かりをつけてもらうか?」


「いや、あまり近くの物に手をつけるべきじゃない。何が起こるか分からんからな」


「そ、そうか……」


 さっきまでボケた会話をしていたカエルと全く違う様子に戸惑う。ロボもいつもより緊迫した様子で辺りに気を配っている。


「お前達、これだけは覚えておけ。今から俺たち三人以外で、俺たちに味方をしてくれるものは無い。……唯一あるとすれば」


 カエルは一拍ためて、目を細め、窓の外に指を向けながらもう一度言葉を紡ぐ。


「月明かり、くらいのものだ」


 魔王城探索が、始まった。
 まず大広間を調べてみると、左右に奥へ続く道があることを発見する。まずは右の通路を調べていこうと俺たちは先へと進んでいく。
 途中、宝箱の周りに立っている子供たちを見つけて、警戒しながら話しかけるが、何を言おうと「遊んで……」としか言わない。背筋から這い上がる恐怖を気力で払い飛ばし、その場は無視して先に進んでいく。すると……


「ルッカ!?」


 時の最果てで待機している筈のルッカが、俺たちを出迎えた。


「……何故ここにいる? 時の最果てで俺たちを待っている筈だろう?」


 いぶかしむ目でルッカを見据えるカエルに、ルッカは笑顔を崩さず朗らに話し出した。


「ロボが心配になってね」


「え、僕ですか?」


「そう、あんまり無茶しちゃ駄目よ」


「あ、有難うございます、マスター」


 ……何故だろう。笑顔なのに、優しい内容の言葉なのに。抑揚無く、淡々と、決められた台詞を読み上げるように話すルッカが、酷く怖い。


「……どうする、カエル?」


「……いや、まずは先に進むべきだ。今はまだ動くべきじゃない」


 そのままルッカを通り過ぎる。その際も、ルッカは横を通る俺たちに見向きもせず、今は誰もいない暗い通路を眺めていた。
 ずっと、笑顔のままで。


 それから、中世の王妃が俺たちの前に現れ、流石に罠だと気づいた。確信を得たのは、カエルが興奮しなかったから、というのは悲しいが。「カエル、無事でしたか」という台詞に何の反応もしないカエル。それに気を悪くした様子も無く「無理はしないで下さいね」と告げる王妃に、やはり警戒心が強まる。
 しかし、俺の警戒心が決定的になったのは、これだ。


「クロノ、お祭りから帰ってこないと思えば、こんな所にいたのね」


「か、母さん!?」


 そう、現代に住み、時間移動の術も知らない母さんがここにいたこと。……いや、そんなことは良い。何よりも俺の不安を露にさせたのはこの母さんの言動。


「心配したんだから。早く帰りましょう? ご飯が冷めちゃうわ。……本当に寂しかったのよ」


「………っ!!」


「落ち着いてくださいクロノさん。こんなところにクロノさんの母親がいるわけが……」


「そんなことじゃねえっ!」


「!?」


 宥めようとしてくれたロボが俺の怒声に驚き、伸ばしていた手を引っ込める。


「母さんなら時間移動したって驚きはしないし、ひょっこり魔王城にいたってまあそういうこともあるだろうさ! しかし!」


「どういう人なんだ? お前の母は……」


 カエルが呆れた声を出すが一切無視! 今は俺の感情を吐き出すことが先決!


「母さんが……母さんが俺の心配をするわけが無えっ! ましてや、アイツが食事を作ってくれるなんて、万に一つも無えんだっ! いつだって自分の分だけしか作らないし買わないんだっ! 俺がいなければ家が広くなって助かるという理由で半年間家に入ることを禁じた鬼畜女なんだ! おっお前なんか、お前なんかっ! ……うっうっうっ……」


「……ああ、今まで感じたことは無かったが、もしかしたらこれが母性本能なのか? 今お前が愛しく思える」


「カエルさん、多分それ、何か違うと思います……」


 膝を落とし、床に涙を落とす俺をカエルが引きずって俺たちは先に進みだした。俺だって……俺だって、心配してくれる母親がいれば、そんな人がいれば……っ!


 それから次の部屋に入ると、そこはぽつんと椅子があり、行き止まりとなっていた。
 人のトラウマほじくっといてなんじゃそらこらと椅子を蹴飛ばすと、何処からついて来たのか蝙蝠が俺の頭をはたいていった。良いことなんかまるでありゃしない。
 その蝙蝠をなぜかカエルがじっと睨んでいたので「捕食したいのか?」と聞くと殴られた。心なしか、蝙蝠が遠く離れたのは気のせいだろうか?


「……何も無いな。大広間に戻って今度は左の通路を進むとするか」


 暴れる俺を尻目にカエルは冷静にそう告げた。そうですね、とロボもそれに追従していくのを見てあれ? このパーティー俺だけ浮いてねえ? と思うのは無理ないことだと思う。


 場所は変わり大広間。……さっき訪れたときとなんら変わらないその場所が、今この時酷く気分の悪い空間となっていた。


「……クロノ、ロボ、気をつけろ。いるぞ……」


 言われずとも、俺もロボも既に戦闘態勢になっている。ロボは体から僅かに放電し加速化の準備を、俺はいつでも剣を抜き払えるように刀を水平に下ろしていた。


「……そろそろ出てきたらどうだ? なあ、ビネガー!」


 カエルの威勢の良い声が広い空間を木霊する。遠くから響く笑い声が、僅かに聴こえて、次の瞬間、高笑いがその場の音を支配する。声の出現元に目をやると、大きな窓の月明かりから、ゼナン橋で姿を見せた魔物、ビネガーがその姿を浮かばせた。


「よーく来たなグレン! いや、今はただの蛙か……ふん」


 ビネガーは俺とロボに視線を散らし、何処にあるのか視認は出来ないが、鼻を鳴らせた。


「今度はそいつらがサイラスの代わりか? 尻軽だなぁ?」


「…………」


 ビネガーの挑発にカエルは表面上何も動じない。それでも、分かる。これでも何度か生死を賭けた戦いをしてきたから、カエルの殺気が、鳥肌が立つほど溢れ出るのを。


「だが、魔王様は今大事な儀式の最中。魔力だけならば魔王様をも凌ぐ、天地魔界最高を誇るワシが相手してやろう」


 ただの緑親父と侮っていたビネガーから、本来目に見えるはずの無い魔力が赤い線となって吹き上げていた! 逆巻き、魔王城を揺らすその魔力は、魔王を凌ぎ天地魔界最高という言葉を信じさせるに足るものだった。


「外法剣士ソイソー! 空魔士マヨネー!」


 その言葉と同時に、さっきまで感じなかったビネガーに勝るとも劣らない殺気と魔力が魔王城の中に充満した。カエルはその厳しい表情を変えずに立っていたが、俺はその重圧に息苦しさすら覚え、立っているのがやっとという、情けないものだった。
 ……くそ、俺は本当に役に立てるのか……?


 弱い考えがよぎり、ふと前を見るとカエルが笑って俺を見ていた。
 その時、そうだ。確かに見た。ガルディア城で別れた時に見た幻影よりもずっとはっきりした、幻影。


「大丈夫だ」


 カエルの顔と並行して、その幻影は口を動かす。


「お前は自分が思うよりも、遥かに強い」


 長い緑髪を揺らし、力ある笑顔で、女性は確かに、そう言った。


 嘘のように緊張が解けた後、ビネガーがそして、と前置きして最後の言葉を残した。


「この魔王城の全ての魔物を倒せたならばな!」


 言い終わった瞬間、階段下、空中、左右に一体ずつ計六体の魔物が俺たちを取り囲む。ファファファ……と笑い声を置き土産にビネガーは影の中に消えていった。


「前哨戦だ、二人とも気負い過ぎるなよ!」


「戦闘モード、飛びます!」


 カエルの激励を背に、ロボが空中の二体に近づき乱舞する。カエルは左右から迫る魔物を挟まれながら的確に攻撃を裁いていく。俺は階下に飛び降り二匹の魔物と対峙する。
 人間型の魔物は連携を好むようで、引く時も攻撃時も同時に繰り出してくる。どちらかに狙いをつければもう片方が飛び出し、同時に相手取れば不規則に動き攻撃のタイミングを掴ませない。流石魔王城の番兵、今までとは戦闘の場数も技術も違うようだ。


「でも、まあ負けられねえさ」


 攻防一体の回転切りを叩き込み、二人の距離を離す。どちらの魔物も紙一重のタイミングで交わし反撃を試みるが……甘い!


「ギエッ!!」


 刀身に電流を流し込み、刃の距離プラス電流の刃分の斬撃。反撃が可能なギリギリの回避距離では、避けられない。僅かな時間、モンスター達の動きが止まる。一瞬、されど、戦闘中にその静止時間は致命的。
 回転切りを止め、捻られた体で渾身の突きを首元に叩き込み絶命させる。返す刀で逆方向に横薙ぎ。思ったとおり、もう一匹が俺に飛び掛ってきたが、一瞬のタイムラグが功を制し間一髪で攻撃を受け流し、敵の腕を切り飛ばした。


「ギ、ギギギ……」


 敵も流石魔物の精鋭。あさっての方向に飛んでいく自分の腕を気にせず、一度後ろに飛びふりだしに戻る。


「どうする? その腕で俺とタイマンするか?」


 言葉が通じるかどうかは知らないが、刀を肩に預け、人差し指を数回曲げて挑発する。魔物は鋭い牙を剥き出しにして怒りを露にした。
 じりじりと俺の周りを摺り足で移動し、俺の位置から丁度右斜め四十五度の位置で体を伏せて、バネのように飛び込んできた。


「チェックメイトです」


 すでに戦闘を終えたロボが自分の腕を射出して敵のわき腹に鋼鉄の拳を叩き込んだ。奇怪な声をあげて体勢を崩した魔物の隙を俺が見逃すわけが無い。魔物の伏せた体勢より更に深く沈んだ構えで居合い。上体と下半身が分かれた魔物は二、三回体を震わせて命を消した。


「……勇者様に認められたんだ。無様な戦いは見せられねえさ」


 カエルも剣を納めて戦いの終わりを告げていた。それから言葉はいらず、俺たちは左の通路を歩き始めた。


 通路を抜けると、左の部屋と同じような作りの部屋に出て、中には骸骨の集団が各々錆びた槍を手に互いに争っている。それらを支持している魔物との戦い。骸骨集団も俺たちの敵として戦ったが、先程の魔物達より幾分劣る動きは脅威には成り得なかった。リーダー格の魔物も目を見張る腕力を持っていたが、カエルの風のような剣舞についていけず、その巨体を地に伏せた。
 魔物の群れを一掃させて、俺たちはまた行き止まりの部屋に辿り着いたのだ。


「また行き止まりか……左の通路と全く同じなんだな」


「ですね。……ただ、どこからか鋭い気配が感じられます」


 そう、さっき訪れた行き止まりとは違い、ここには押さえられながらも漏れ出してしまう殺気が、肌を刺すように充満している。到底、雑魚モンスターに出せるものではない。これは、先程感じた殺気。確か、外法剣士ソイソー、または空魔士マヨネー。どちらかのもの。


「……危ない、クロノ!」


 カエルの叫びと同時に天井から人影が落ちてくる。え? と洩らす俺をカエルは突き飛ばしグランドリオンを横に持った。カン! と小気味良い音を鳴らし、そこに見えたのは青い頭の、武闘服を着た素手の男の姿。……待て、あいつどうやってグランドリオンと打ち合ったんだ?金属と金属がぶつかった音が、確かにしたはずなのに……


「流石よな、グレン。気配を消しきれているとは思わなんだが、俺の不意打ちを完全に読みきるとは」


「貴様の手口は読めている。小手調べに奇襲を仕掛けるのは昔から変わらん様だな、ソイソー!」


 ヒュン、と消えたソイソーは部屋の奥に姿を現していた。……移動したのか!? 軌跡すら見えなかった……
 フォン、と独特の音で風を切りソイソーは指を伸ばした掌を俺たちに向けた。……それが、武器? まさか!


「分かったかクロノ。あいつは手刀でこのグランドリオンと打ち合ったんだ……並の相手ではない!」


 素手でグランドリオンと打ち合う!? そんなこと聞いて誰が雑魚と勘違いするか!


「当然だ。覚えているだろう? あのサイラスの左腕を使えなくさせたのはこの俺、ソイソーだ。まあ、止めをさす前に逃げられたのは心残りだったが……サイラスの腰巾着であるお前が、この俺に勝てるかな……?」


「……まさか、クロノさん! あいつの肉体強度、腕だけでなく、全ての部位が僕のボディより硬い……あんなの、マシンガンだって傷一つつけられませんよ!」


「グランドリオンに手刀を当てて傷一つ無いから、防御力も尋常じゃねえだろうなとは思ってたけどよ、そこまでか!?」


 ロボの体は並みのロボットとは格が違う。何千年も未来に作られた金属を加工したロボのボディよりも生身の体の方が強固だと、誰が想像できようか? 鋼鉄、もしかしたらそれ以上の強度。……俺の雷鳴剣で刃が通るだろうか? サンダーで電力を割り増ししても可能性は薄い気がする。


「……御託は良い、とっとと来い。先がつかえてるんだ、貴様に構う時間が惜しい」


「……吐いた唾は、飲み込めんぞ、か弱き人間がっ!!」


 俺とロボの戸惑いを他所に、カエルとソイソーが戦闘を始めた。その速さは目で追えるかどうか、その境界線。とてもじゃないが、俺がその中に入ることなんか出来そうにもない。ロボですらタイミングを計らねば援護が行えない有様なのだ。
 にしても、当然ながらカエルは俺との喧嘩では手を抜きまくっていたのが分かる。そう、言わばじゃれている猫をからかう程度の力で俺と相対していたのだ。……カエル、どう考えても俺はそこまで強くない気がするよ……


「クロノさん! 早くカエルさんに手を貸さないと!」


「いや……やる気云々の前に、それ不可能じゃね? ブ○と闘うゴ○ウの勝負に気を操れないヤム○ャが加わるようなもんだぜ?」


「…………そんなこと無いですよ! クロノさんは弱くありません!」


「お前一回納得したじゃねえかこのやろー。無理やりポラギノール塗るぞテメエ」


 馬鹿な事を言い合いながらもソイソーとカエルの戦いは続く。良くは分からないが、恐らくカエル優勢……だと思う。いくら手刀で剣と打ち合えても、そのリーチの差は大きい。流石にソイソーも手の部分以外をグランドリオンで斬られればダメージを受けるようで攻撃の手がカエルよりもいくらか少ないように思える。


「どうしたソイソー、このまま負けていいのか?」


「クッ、人間如きが偉そうに……」


 高みから見下ろすようだったソイソーの目が、赤く燃えるように変色していく。すると、一度大きく距離をとり、ソイソーは左手を前に、右手を腰に。右足を引きカエルと応対した。……あの構えは……中世の王妃の得意技、正拳突き?


「ただの突きでは無い。極限まで鍛えぬいた俺の手刀、その狙いを一点に定めて貫く。体に当てれば吹き飛び、例え剣で受けども砕く。故に私はこの技を単純に、シンプルに! 『穿』と名づけた。放った後の、ただありのままの結果だけを言葉にしたのだ」


 恐らく魔王軍最高峰の力を持つソイソーの、絶対的な自信。その言葉に嘘はないのだろう。きっと、今までにその技を破られたことは無く、技名どおりに全てを穿ってきたに違いない。腰に引いた拳の指を一本ずつ伸ばし、ターゲットであるカエルを指し示している。指先にソイソーの無造作に撒き散らしていた殺気が収束されていく。
 ……まるで、その殺気も、いやそもそもこの場の空気、いや、魔王城そのものが叫んでいるようだ。ただ、穿て、と。


「同じ事を言わせるな」


 それらの空気、気配、オーラを遮断してカエルは落ち着き払い口を開いた。


「御託は良いから、とっとと来い!」


「……飛べ」


 二文字の宣告を捧げて、ソイソーの体がブレた。次にソイソーの姿が見えたのは、コマ送りのようにカエルに指を突き立てているソイソーの姿。


 心臓が止まるかと思った。カエルがゆっくりと倒れる様すら、幻視した。……けれど……


「……なるほど、このままでは勝てんか」


 血を流していたのは、ソイソーの方だった。とはいえ、手の爪が割れただけの傷だったが。
 カエルが目の前にいるのに、飄々と手を払い痛みを和らげようとするソイソー。カエルはその姿に剣を振ることなく、目を閉じてその場に立っている。


「もう一度言わせて貰おう。流石だグレン。存外にやるものだな」


 部屋の奥に歩き出したソイソーは、後ろにいるカエルに何ら注意を払わずいる。今のソイソーなら俺でも切り倒せるのではないか、と思うほどに。


「久方ぶりに本気で行かせてもらうぞ……だがな?」


 暗くて気づかなかったが、奥の壁には一振りの刀が掛けられていた。いや、小刀と言うべきか。
 その長さは五十センチに届くかどうか、という短いものだった。武闘家らしいソイソーに似合った武器ではある。


「クロノ、あいつは武闘家じゃない。剣士だ」


 俺の考えを読んだように、カエルが背中越しにこちらを見て訂正した。そういえば、外法剣士だったか。王妃様を越えそうなくらいとんでもない野郎だったけどなあ……


「サイラスのいないお前に、見る限り脆弱な仲間しかいないお前に……私がやれるか?」


 神速。そうとしか表現出来ない正に目にも止まらぬ早業で鞘を投げて抜刀したソイソー。その剣は五十センチ前後、そう、五十センチ前後だったはずだ。でなければ計算が合わない。だって、刀の全長が五十センチなのだから。
 なのに、何故刀身が俺に迫っている!?


「受けろ! クロノ!」


 カエルの声で現状を把握して、俺は出せる全速で刀を抜きソイソーの剣を受け止める。


 ……バ、キッ。


 かろうじて受け止めたものの、横っ腹に受け止めたためか雷鳴剣が鈍い音とともに砕け散った。さらに、ソイソーの剣の勢いは止まらず、俺の右肩を貫いていく。


「ア、アアアアアアアア!!!」


 肩を剣が通っている為座り込むことも出来ず、俺は立ち尽くしたまま無様に悲鳴を上げた。ロボが俺にケアルビームをかけようとするが、刀身が通ったままでは治療も出来ない。オロオロと泣きそうな顔を見せるだけだった。


「まさか、この程度も受け止められんとはな。グレンよ、数合わせにしてももう少しマシな人間はおらんのか? これではまだ今の騎士団長の方が骨がある……!」


「貴様!」


 カエルの跳躍力を全開に、弾丸のように切りかかったカエルを対処すべく、ソイソーは剣で受け止めた。つまり、俺の肩を切り落とした……はずなのに、俺の肩は穴は空いていても、切り裂かれた跡は残っていなかった。
 そうか……あいつの刀は……


「伸縮自在、なのか……?」


 ロボのケアルビームを傷口に当てられながら、俺は歯を食いしばり呟いた。漫画や小説でしかない、魔力の篭った刀、ってことか……
 俺の呟きを耳ざとく拾い上げたソイソーは鍔迫り合いの状態から力任せに脱出し、嬉しそうに俺に語りかけた。


「御名答! これぞ俺の愛刀、持つ者から流れ込む魔力に応じてその刀身の長さを自在に操る魔刀よ! その名もソイソー刀!」


「……だっせえ……」


「ダサいですね……」


「ソイソー、貴様は相も変わらずネーミングセンスが無いな」


「……所詮、人間に俺の美学は分かりはしない」


 心なしか凹んだソイソーにカエルが躊躇無く切り込んだ。ソイソーも待っていたとばかりに応じ、剣戟の音が派手に響きあう。あのソイソーが選んだんだ、今までの手刀よりも強度、切れ味共に上回る代物なんだろう。さらにさっきまで有利だったリーチは逆転している。カエルも劣勢とは言わないが、その戦いは無手だった時と比べて拮抗している。……いや、もしかしたら、ソイソーが有利かもしれない。魔族という肉体の有利がある分、疲労の溜まるカエルでは時間が経つだけ不利になるのだから。


「……ロボ、もういいぞ。治療を止めてくれ」


「そんな! 肩を貫かれたんですよ、まだ治るわけないじゃないですか!」


「良いんだ、痛みが残ってないと、多分やる気が持続しない」


 そうだ、この痛みは教訓のようなもの。カエルに任せようという甘えや、勝てそうに無い相手には一歩引いて観察する、冷静とはまるで違う臆病を絶つための覚悟。
 ここは魔王城、ここに存在する百の魔物の一匹相手ですらまともに立ち会えば俺は負けるかもしれない。そんな奴らと戦うんだ、元々勝機なんて針の先も無い、ミクロ単位の希望だったはずなんだ。今更博打も打てないで、何故俺はここにいる? ここにいられる?


「……当たって砕けろ、なんて言わないけどさ、当たらないでいるのは何もしないのと同じだもんな」


 勇者様御一行だぜ? サポートくらいこなしてやるさ。


 ロボの治療を無理やり止めさせて、落ちた雷鳴剣の刀身を握る。指に食い込む刃の感覚が愛おしい。流れる血が、ようやくやる気になったかと叱咤しているようだ。
 雷鳴剣に流れる電流はまだ生きていた。そのうち半分を磁力に変換。威力は低くても、小手先のコントロールはルッカに次ぐ自信があった。


「ロボ、前にやったみたく、思いっきりレーザーを部屋中に散らばせてくれ。当てる必要は無い」


 仮に当たったとしても、あのソイソーの体に傷一つ付けられるとは思わないけれど。


「……分かりました。クロノさんの考えも。だけど、その雷鳴剣の破片を当てた所でソイソーにダメージがあるとは思えません」


「普通のやり方ならな。それと、お前の電力を借りていいか? 悲しいかな、俺だけの魔力じゃ出来そうにない」


 ロボが神妙に頷き、それで会話はお終い。後はロボの充電時間を待つのみとなった。
 俺の作戦が成功したとして、俺の右手が電力に耐えられず焼き焦げる可能性もある。失敗して怪我するだけの馬鹿になることも十二分に。そもそも、今は劣勢に見えても勝負は時の運、カエルがソイソーを倒してしまうかもしれない。でも逆だって有り得るんだ。何より、魔王を倒すってのに、中ボス相手に何も出来ないんじゃ話にならない。


「……クロノさん、充電完了です。クロノさんに電力を回しても、レーザーの広範囲放出は可能です」


「分かった。後は俺に電力を流す為に肩にでも手を置いてくれ」


「はい、分かりました」


 言うと、ロボは肩に手を置かず、俺の腰に後ろから手を回してきた。……こいつも、とことん人の言うことを無視するなあ。


「ロボ……」


「やめません。クロノさん、怖がりで面倒臭がりのくせに無茶するから、こうして僕が繋ぎ留めるんです。それと、こうしてると僕も安心するからです」


「……まあ、勝手にしろよ」


 こうなったのはむしろ良かったかもしれない。下手すれば、俺は後ろに吹っ飛ぶ可能性もあるんだ。この状態ならロボが支えになってくれるかもしれない。
 合図を決めて、ロボに発光目的のレーザーを放たせる。勿論、カエルにそのことを大声で伝えて。


「……全開! 全方位レーザー!!」


 言って、ロボがレーザーを両腕から発射する。上手い具合に俺に当たらないよう腕の外側からのみ太いレーザーを。殺傷目的で無いので当たった所で火傷が関の山の、中身の無いレーザー。キイン、と鼓膜に響く音が部屋の壁に反射して平衡感覚が狂っていく。


 ……光が消えて、部屋の中はまた暗闇が集まり郡を作る。目を開けると、ソイソーも目を閉じて網膜が焼かれることを避けていた。当然だろう、カエルに伝えたのだから、ソイソーもまた同じ行動を取るに違いない。


「……一瞬でいいんだ、お前のやたらと素早い動きを止められるなら」


 更に言えば、視認出来て、ソイソーの近くにカエルがいなければそれだけで良かった。今カエルはソイソーと距離を開けている。少なくとも、俺の攻撃に巻き込まれることが無い場所まで。


「……電磁気砲、とでも言うのかね」


 ロボの体内電力を借りて、雷鳴剣に与えた磁力と逆の磁力。くっつく性質ではなく離れる性質を掌に集める。簡単に言えば、雷鳴剣の刃にS極の性質を固定させ、掌にN極の性質を固定させた。
 当然刃は俺の掌から離れる為に飛んでいく。自然には生まれようの無い速さで。俺の魔力のほとんどを駆使しての発射。正確にソイソーへ飛んでいくよう、その道筋を形成する貯めに使う電力はロボから拝借した。
 磁気力というのは、何千トンのものすら浮かび上がらせるとルッカから聞いたことがある。魔力という超自然存在の力で生み出された力量は弾丸などというものでは計れない莫大な力を生み出す。


「ソイソー、テメエにこれが受け止められるかよ!」


 俺の発射した砲弾代わりの刃はその形を保てずすぐにボロボロに砕けただろう。何故確定ではないかといえば、飛んでいく様を見ることなど不可能だったからだ。俺の体はロボごと後ろに吹き飛んだし、仮に注視していても何かが通ったことすら、空間に漂う電流の光を見なければ理解できなかったはずだ。
 ……そう、人間ならば。


「……流石だな、人間。あれが当たれば流石の俺とてひとたまりも無かっただろう。……そう、当たれば、な」


 外法剣士ソイソーは、受け流すでもなく、耐えるでもなく、確かに避けた。雷光の速さを越えた、とでも言うように。


「見て避けたわけではない。貴様の殺気に応じて体を逸らしただけだ。さらに言えば、お前の技量不足も原因となるだろう。僅かだが、着弾点に誤りがあった。体の中心から右にずれていたぞ」


 余裕綽々という様子で講釈を垂れるソイソー。ソイソー刀の切っ先を俺に向けて固定する。お前のように、自分は外したりはしないというように。


「……だよなあ、いきなり俺みたいな凡人が必殺技を決めるなんて、似合わないよなぁ……」


「そう謙遜するな、貴様は良くやったさ。俺に冷や汗をかかせたのだ、浄土で誇るが良い」


「そりゃあ良いな、死んだときの楽しみが増えたってやつか? ……でもさ」


 まだ僅かに残っている魔力を操る為、発射の衝撃でボロボロになった右手を上げる。必殺技ってのは、必ず決めるから必殺技なんだ。


「……あんた程度のお墨付きじゃ、井戸端くらいしか盛り上がらねえよ」


 俺の雷鳴剣は、まだ死んでないんだから。
 床に散らばる、電磁気砲で砕けた雷鳴剣の欠片を魔力で操り、もう一度飛ばす。その欠片の数は七十から百を越える。
 勿論、そんなものではソイソーに傷を残せない。さっきの勢いも、今の魔力では作れない。けれど、スピードなんか不要。いくらお前の体が驚異的に丈夫だからって、弱点はあるんだから。


「……光が、浮かんでいく?」


 月光が照らす刃の欠片は、闇夜に浮かぶ星のように充満していた。そのどれもがソイソーを倒すには及ばないか細い力。けれど、確かに力なんだ。


「感動もんだろ? 弱くたって、集まれば強い、なんてさ。何処かの国のサーガみたいだ」


 浮かび上がった光はソイソーの周りに集まっていき、そして。


「!? 貴様ら、何処へ行った!?」


 ソイソーの、目を潰した。
 何も、刃を目に入れて直接的に潰したわけじゃあない。そもそも、潰したというのは比喩表現である。  
 電磁波。これもルッカの受け売りだが、電場と磁場の変化によって生まれた電磁波は、光を屈折させるらしい。今ソイソーは俺たちの姿だけが屈折現象により消えたように思い込んでいる。ロボの演算機能や電磁波の動きをモニターで見る機能を活用してそうなるよう磁場を形成した。俺の頭で複雑な計算は不可能である。しかし、鬱陶しいくらい聞かされたルッカの科学談義が役に立つとはな……
 つまりは、雷鳴剣の欠片は武器として使ったわけじゃない。電磁波の発生と増幅のために活用したのだ。
 恐慌したように俺たちを探すソイソー。俺もロボもその場を動いていない、というより痛みで動けないのに。
 ただ一人、この状況で動けるのは……


「終わりだソイソー。貴様が負けたのは……」


 高く、部屋の天井まで飛んだカエルが戦いの終わりを締めくくってくれる。


「俺の仲間を甘く見たから、だ」


 上段から迷いの無い振り下ろし。重力との相乗で、その威力は鋼の硬度を誇ったソイソーの体を難なく切り裂いた。


「あ、ガアアアアアアァ!!!」


 咆哮をあげて、俺の魔力が切れ、視界の戻ったソイソーは目をぎらつかし、カエルから距離を取った。……間違いなく絶命の一撃だったはずなのに、まだ動けるとは……そのしぶとさ、頑強さはビネガーの魔力と同じく、魔王を上回るのではないか?
 だが、それでももう闘うことなど不可能な筈。出血は止まることなく、肩から腰まで開かれた傷は治療魔法をかけつづけたとてそう治るものではない。


「……見事だグレン。そして赤髪の男に不可思議な力を持つ童よ……まさか俺が破れるとはな……」


 口から溢れ出す血を拭い、痛みの為曲がった背中を伸ばし、荒くなった息を気合で戻し、堂々たる態度で俺たちを見据えるソイソー。最初に不意打ちを仕掛けたり、外法剣士と言われていることからさぞ卑怯な男だろうと思っていたが、意外にもその姿は騎士のようにすら見えた。


「……全く、あの頃からそれほど強ければ、俺が求婚したものを……」


「ふざけるな。貴様も俺と同じ、剣に捧げた人生だろうが」


 ソイソーの投げやりとも思えるいきなりな告白に、カエルは一寸たりとも動じず、笑みすら見せて応えた。
 ……悪いけど、その前に俺の回復してくれないか? ロボもエネルギー切れでケアルビームも出せないんだから。


「剣に、か。……サイラスにだろう? グレンよ」


「……っ!?」


 ラブコメ展開は良いんだ。いいから早く俺に治療を頼む。あの気持ち悪いベロの感触も今だけなら我慢するから。というかポーションプリーズ。


「ククク……全く惜しい。……とはいえ、心残りは無い。負けたとはいえ、魔王様の為に散るのだから……」


 ソイソーは抜き身の刀を納め、それを床に置いて椅子の上に飛び乗り、姿を消していく。これが、魔族の死に方なのだろうか?
 何処か見送るつもりでそれを眺めていると、ソイソーがふいに俺を振り返り、口を開いた。


「そこの小僧、俺の刀をくれてやる。……見事だったぞ」


「……訂正するよ。あんたのお墨付きは、ありがたく貰っとく」


 最後に見たソイソーは、確かに笑っていた。心残りが、無いなら、俺に言える言葉はもう無い。


 魔王城に入り一時間弱。早くも俺たちは、その強大さをその身に刻むことになった。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2010/12/01 04:53
「譲れないの……私はクロノが好きだよ? そう、好きだからこそ、貴方を倒す!」


「いつの時代でも、ガルディア王家ってのは俺の邪魔をするみたいだな。その穢れた血、この俺が絶ってくれる」


 そうして俺は、ガルディア王家マールディア王女に魔刀を向けて切りかかった。





 時は戻り、ソイソーを倒して新しい武器を手にした時のこと。


「ク、ロノさん……もう充電が切れました。体内回路も焼き切れてますし、自己修復にもかなり時間がかかりそうです……」


 ロボが悔しそうにリタイアを宣言。見栄っ張りのロボが口にしたことを重く見た俺たちはメンバーチェンジを行うことにした。魔法が使えずとも多大な戦闘結果を挙げてくれたロボに感謝と、労りの言葉をかけて。
 時の最果てから交代で現れたのはマール。理由は怪我を負った俺に回復魔法をかけて欲しいから、という単純な理由。最初はカエルの舌で治癒を行ってもらおうかとも考えたが、何が起こるか分からない魔王城の中で長々と舐められているのは危険だと判断。カエルのベロで嬲られるのは勘弁だなあ、というのが本音。
 俺の尽きた魔力はエーテルを飲むことで回復。「俺とルッカを交代させればよろしいやん」という意見は無視。どんだけ俺を酷使させるんだよ、今まで休んだこと無いじゃねえか。冒険はトライアスロンじゃねえんだぞ。似たようなものかもしれないけど。


「はい、治療完了。……クロノって、生傷絶えないね。もうちょっと自分を労わらないと」


 マールのケアルで数分と経たず俺の肩や打撲は完治した。体を動かして、体操がてらに不調が無いか調べていると、マールが心配そうに声を掛けた。かなり真面目に気遣ってくれている顔なので、一つふざけてみる。


「労われるならそうするんだがな……どうにも、仲間たちが俺を休ませてくれないんだ。パーティー内暴力も無視できないし」


「アハハ……でもさ」


「でも?」


 言葉を継いで先を促せる。


「やっぱり、クロノが隣にいると安心するんだもん。戦うのが強いからってだけの理由じゃないよ。……心に芯があるっていうのかな」


 今一つ分からない理由だったけれど、純粋に褒めてくれているのだと分かり、照れてしまう。
 首を振って否定するも、マールはおろかカエルですら頷いているのでなんだか居心地が悪い。


「心に芯って……いやいや、よく分からないけどさ、多分根性があるとか、諦めないとか、そういうニュアンスなんだろ? それなら俺は全然だ。いつもびびってばっかだし、弱音なんかぼろぼろ吐いてる。ゼナン橋だって……」


 そこまで言って俺はゼナン橋のことはそう口にして良いものではない事を思い出し咄嗟に口を閉じる。まだマールが引きずっているかもしれないのに、なんて馬鹿。
 心配する俺を他所にマールは目を綻ばせて、そんな事無いよ、と否定を挟む。


「確かに、クロノは弱いかもしれない。根性とか、勇気とか、あんまり持ち合わせてないかもしれない。ゼナン橋の時だって、ね。……でも、」


 そこで一拍置いて、マールは胸に両手を当て、嬉しそうに目を閉じて口を開いた。


「いつでも、助けに来てくれたじゃない」


「……それは」


「クロノの芯はね、硬くないの。いつでもゆらゆら揺れて、まるで雑草みたい。ちょっとした風にも揺らいでしまう。でもね、絶対に折れないの、根っこから飛んでいかないの」


 なんだか照れくさいのは変わらないけど、こうまで言われると、その、嬉しかった。初めて、本当の意味でマールに褒められた気がする。ゼナン橋での願いが今叶ったのだ。


「クロノの芯は強くない。なのに、皆の為に頑張ってくれるから、私たちを守ってくれるから、私たちはクロノを信頼しちゃうんだ」


 勝手だよね、と舌を出してマールが埃を払いながら立ち上がる。ここで話は終わり、さあ行こう、と声を掛けて。
 後ろから見えるマールの頬は紅潮していたから、自分で言ってて恥ずかしくなったのかもしれない。それにつられて、俺の顔の熱がさらに高まった。……言い逃げは、ずるいだろうが。
 ちょっとしたロマンスを体感している最中、今まで頷くしかしていなかったカエルが俺に近づき、笑顔で語りかけた。


「うむ。お前は中々見所のある男だ。どうだろう、俺と共に王妃様をムハムハしたい会副会長になってみるのは」


「いつだってお前は汚れた存在だよ」


 日常という素晴らしい世界に戻った暁には、こういうゲテモノとは一切手を切ろう。それが俺の戦う目標。




 ちょっと甘酸っぱい一時と気が狂いそうな苛立ちの一瞬を終えて、俺たちは再度、右側の通路に向かうこととした。頭の頂点に大きなたんこぶを作ったカエルがシリアス顔で「恐らく、この先にはソイソーと同実力の魔法使い、空魔士マヨネーが待ち構えているはずだ、気を抜くなよ」と気の抜けそうな雰囲気で仰ってくれた。戦闘以外の場ではランプの中に入ってるみたいな便利機能をつけてくれれば俺はコイツのことが嫌いじゃないかもしれないのに。


 前回同様、遊ぼう遊ぼうと生気の無い目で呟く子供集団は無視。そのまま次の部屋へ。
 中に入ると、先程まではルッカがそこで俺たちを待っていたのに今度は現代のガルディア王が厳かな衣装を纏い立っていた。まあ、分かってたけれど魔物の扮装だろう、いくらなんでもここに現代の王様がいるなんて有り得ない。
 とはいえ、実の親の格好をした魔物とマールが戦えるのか……? と不安になっていると、マールは何の躊躇も無く偽王の脳天に弓矢を突き立てていた。びっくりして、「えへぇ!?」と取り乱してしまうのも仕方が無いことだろう。歴戦の勇士カエルですら戦慄の汗をだくだくと流していた。
 額を貫かれた偽王は元の姿に戻り醜い正体を現した。まあ、死んでたけど。
 マールに「……凄いな、マール」と引きつりそうな顔を必死に戻しつつ喋りかけると「えっへん!」だそうだ。ようやく分かった。マールは天然と計算とバイオレンスが同居した躊躇という文字を知らない女の子なのだ、キャラが掴めて良かったのか知らずにいたほうが平和なのか。


 続く王妃もカエルは物言わず瞬殺。これ以上王妃の姿を真似るなど、不敬にも程があるとの事。こいつらとなら、モラルの無い町でも生き抜くことが可能かもしれない。ロアナプラとか。
 さあて、問題は残る一人、俺の母さんを模倣した魔物だ。


「クロノ、お祭りから帰ってこないと思えば、こんな所にいたのね」


 ふざけた魔物だ、真似るならばせめて俺の母親の性格をきっちり把握してから出直して来いというのだ。温もり、慈愛、情、それら全てを抜き去り闘争心と略奪心と欲望のみを内に秘めるマイマザーが俺にそんな優しい言葉をかけるなど……


「そんな悪い子は、死になさい!」


 一際強く叫んだ後、辺りに魔物が数体現れ俺たちを囲む。宙を浮かぶ化け物や、大広間で戦った魔物たちがまた現れた。


「行くぞクロノ、例え母親の姿を真似ていたとしても、躊躇など微塵も残すな。肉親に手を上げるようで心苦しいかもしれんが、お前の母君はあのような暴言を」
「母さん!? まさか本当に母さんなのか!?」
「……うぉい」


 俺は手にした刀を落として思わず駆け寄る。後ろから「いやいやいや無いって無いって!」と止めるカエルを無視して、ちゃんと母さんの顔を見る。


「ああ、やっぱり母さんなのか? 俺を殺そうとするし、その人間離れした表情! 目が赤く充血しているのも口が割れて牙が鋭く尖ってるのも、母さんの心の内を表に出したとすれば納得だ。いや、むしろ今の顔の方が自然だ!」


 戸惑ったように「ギギ!?」と声を上げる母さん。やっぱり、その汚らしい声質ですらしっくり来る! きっと天変地異的な力を用いて時代を渡り群がる魔物を手先一つで追い払ってここまで来たんだ!


「ク、クロノ! そこ退いて! そいつ殺せない!」


「殺すだって? いくら人畜有害、全行動他者迷惑、悪食暴飲我侭天災の母さんでも、俺の肉親なんだぞ!? たった一人の家族なんだ、殺すとか言わずせめて止めは俺に刺させてくれてもいいじゃないか!」


「……ああ、頭が痛い。すまんがマール、回復魔法を頼んでいいか? 後状況を教えてくれ」


「かあさん、ほら立ってくれ! ていうかまた家の事放っぽりだしてきたのか? 回覧板を回すのが遅れて文句を言われるのは俺なのに!」


 それから事態の収拾がつくのに、ソイソーを倒した時間と同じ時間を費やした。






 周りに出現した魔物をカエルとマールが倒し、いつものように気の狂った母さんを俺が押し留めて、戦いは終わった。カエルが「分かれクロノ! そいつはお前の母君ではない!」と叫び母さんに肩から袈裟切りの刃の跡を残して。
 

「か……母さん、まさかあんたは、あんたこそが、本当の母さんだったのか?」


「ギ……ギイ」


 先程の戦いの最中、俺に攻撃しようとしてきた魔物を、母さんを守るため(止めは俺なので)体を張って守っている最中、そういった出来事が数回続き、いつか母さんの赤く輝いた目が元に戻っていった。
 ……そして、カエルに斬られるその瞬間、身を乗り出して盾になろうとした俺を押し飛ばして母さんは、酷い致命傷を負ってしまったのだ。
 ……本当の母さんならば、そんな自己犠牲精神を出すわけが無い。そんなことは分かっている。あいつはいざとなれば息子の俺を犠牲にして高笑いをするタイプだ。昔大地震の時小さな俺を頭に乗せて落下物を防いだことがある。
 だから、これは現代にいる母さんじゃない。……なら、もしかしたら、彼女はなんの間違いか中世に飛ばされた母さんの本当の心、それを具現化した存在なのでは……?


「いや、そんな面倒くさい設定は無いぞ」


「母さん! 貴方が、きっと貴方が俺の真の母親なんだ! 母さぁーん!!」


 後ろでカエルが訳の分からないことを抜かしているが、今正に母さんの命が散ろうとしているのだ。……例え、魔王を倒すために必要なこととは言え……これは、あんまりじゃないか!!
 大粒の涙を流す俺の顔に、暖かい温もりが触れた。それは、壊れ物を扱うように優しく、慎重に、死のうとしている母さんが俺の涙を拭ってくれたのだ。
 その顔はさっきまでの鬼の顔とは違う。慈悲と、俺に悲しむな、と告げるような綺麗な笑顔。あんたには、まだやることがあるんだろう? と背中を押してくれるような。


「ギギ……イ、キ、ロ」


「母さん? …………うわぁぁぁぁぁ!!!」


 慟哭の涙とは、悔恨の涙とは、決意とは。それらが均等に込められた塊が、俺の目からとめどなく流れていく。世界の音が聞こえない。今だけ、ほんの少しだけ、泣いていいのだと、母さんが力をくれたのではないだろうか?


「……この茶番はいつ終わるんだ」


「クロノ……辛かったよね……」


「そうか、そう見えるのは俺だけか。まいったな。もう俺一人で先に行っていいだろうか」


 俺の泣き叫ぶ声は、城中に流れた。時代を越えて、現代まで届けばいいのに。
 こうして、俺は母との別れを経験した。





 そうして今。二時間前に一度見た行き止まりに俺たちは辿り着くことができた。ソイソーの部屋と同じ、行き止まりの細長い部屋の奥に俺が倒した椅子が一つ。蝋燭の点っていない薄暗い部屋はむせるような魔力が漂っている。
 二時間前と違う決定的な相違点。それは、部屋の中央で待ちくたびれたというようにあくびをかみ殺す、ピンクの髪を後ろに縛った美しい女の姿。


「……ああ、来たのネー。あんまりにも遅いから仮眠でも取ろうと思ってたのネー」


「ああ。少々酷い馬鹿騒ぎがあったのでな。少々待たせたか、空魔士マヨネー! ……それにしても酷かった」


 妖艶な空気を作り出している女が流し目で俺たちを視線に入れて、余裕を見せる。それに犬歯を見せながらカエルが剣を抜いて応えた。馬鹿騒ぎ? ああ、お前が靴紐が解けたとか言い出した事な。確かに時間がかかった。十秒くらい。


 しかし今はどうでも良い。今の俺は母さん(両親ver1.0)を亡くして気が立っている。今すぐケリをつけて黙祷に励みたいのだから。


「本当は、影武者で力を試そうと思ってたんだけど、ソイソーを倒したならその必要は無いのネー。それに、あたいものんびりするのは飽きてきたし……ちょっと暴れたいのネー」


 不穏な言葉と共に、今まで霧散していたドロついた魔力がマヨネーの体に集まっていく。空間中に充満していた魔力全てがマヨネーの物という訳か……無造作に垂れ流していた分だけで優に俺の全魔力を超えている。魔力合戦では話にならないか……


「気をつけろ、空魔士マヨネーは見た限りの、ただの女ではない! 人心を惑わせることだけならば、魔王をもこえ」


「ああ? 今なんつった」


「……何?」


 一変。
 その言葉は今この時を表現するのに実に正しい、正しすぎる言葉だった。
 今までのらりくらりとした雰囲気のマヨネーが、カエルの話を遮り瞬く間に表情、魔力の質、闘気、全てが一変したのだ。表情は悪鬼羅刹の如く、顔面に力を入れて生まれた皺が幾筋も顔に刻まれ、魔力はドロドロとしたものから刺々しい針のようなものに。闘気は満遍なく殺気へと変貌する。その変わりようにはカエルですら驚き、つるりとした頭の天頂部から玉のような汗が零れ落ちた。


「今テメエ、あたいのこと女ではないっつったよな? そう言ったよな? 聞き間違いなら良いんだ聞き間違いなら。で、どうなんだ?」


「いや、確かにただの女ではないと言ったが……それが」


「どうせあたいは男だよ男女がっ! お前みたいな女だけど男の心を持ってるますー。みたいななんちゃって野郎が一番嫌いなんだよ! 何? 男ウケ狙ってるの? いつもは堂々としてるけどストレートな告白とか、ベッドに入った時の初々しい反応がたまらないみたいなギャップで男を誑かそうとしてんでしょ? あーあーいるわあんたみたいな性格不細工! あんたみたいな気取った奴が夜中にこそこそバストアップ体操なんかやって『やった! 一カップ上昇!』とか無駄な努力やってんだよ!」


 ダムの放水を見た事があるだろうか? 俺は無い。けれど、多分今目の前の光景がそれに酷似しているんじゃないかなぁとうっすら思った。
 マールはマヨネーのマシンガンどころか機関銃、いやさパニッシャートークに呆けて目を丸くしているし、カエルは言葉の集中豪雨に身を晒されて俺やっちゃったのか? と助けを求めて俺を見る。無理無理、俺ホモとオカマだけは無理なんだ。ほとんど同じだけどさ。


「お前あれだろ? 好きな奴を思い浮かべて○○○ーするタイプだろ!? 週五ペースとかだろ? 言い当てられてきょどったりするけどそれすら演技なんだろぉ! 良いか、世の中で一番純粋な女ってのはあたいみたいな遊んでそうに見える女なんだよっ! 私遊んでますよーみたいな鎧を纏ってそれでも自分を愛してくれる一途な王子様を待ってんだよっ! もしくは男と思ってたのに、女だったなんて! みたいな揺さぶりを仲間内にかけてコロッと騙してやろう的な魂胆なんだろうがこの○リ○ン!」


 こらこら、マールはまだ子供なんだからそういう過激な言葉は止めて貰えんかね。それからあたいみたいなって、あんた男なんだろうが、ちゃっかり偽るなよ、油断できないなあ。
 ただ今マールは話についていけず所々の分からない単語を俺に聞いてくる。興奮するっちゃあ興奮するけど、今この状況でそれは勘弁して欲しい。なんだろうな、この詰問される女子中学校男性教師みたいな感覚。
 カエルは傍目には冷静に見えるが、恐らく内心きょどっておられる。まあ、根も葉もないこと言われりゃあそうなるかもしらんが、勇者様なんだからそこはきちんとしてくれんかね。


「ちゅーかさ、そもそも今の男どもが騙されすぎなんだってそういうなんちゃって硬派女子に! 御淑やかに見えても夏休み明けには金貰ってギットギトのおっさん達に股を」


「あー! すいません、そろそろ話戻してもらって良いですか!? 多分カエルも反省したと思うんで!」


 泣き言は言わないという顔でマヨネーを凝視していたカエルだが、小さく「うう……」と辛そうに喉を鳴らしていたので多分やばかった。下手したら土下座しそうなくらい追い詰められていたかもしれない。ついでにマールの「ねえねえクロノ○○○○ってなーに?」という詰問が辛かった。無理のある企画ビデオみたいな事はされてる側はとても辛いということが分かった。知りたくも無かったけれど。


「ああん!? 何勝手に話に入り込んで……あらあ?」


 閻魔もかくや、という形相だったマヨネーが俺の顔を見た途端初対面時の営業面(笑顔)に戻った。……なんだろうか、この背中を走り抜ける悪寒は。そして胸を切りつける嫌な予感は。
 マヨネーはいやにクネクネと体を揺らしながら俺たち、というか俺に近づいてくる。当然警戒したカエルが剣を抜き牽制するが「引っ込んでろぶりっ子」の一言に退散、道を開ける。聞いたことねえよ、魔王を倒す勇者が敵の幹部に言われて道を譲るなんて。誇りも無ければ勇気も無い。
 俺まで目測二メートルまで歩いてきたマヨネーは何処か妖艶な目で俺をじろじろと、品定めをするように見つめてくる。もしかするともしかするのだろうか?


「あらいやよネー。いるじゃないのあたい好みの良い男が!」


「帰ります。従弟の犬が産気づいたとテレパシーがきたので」


「ユーモアとエスプリがきいた男は尚好みなのネー!」


 あきませんて。あきませんてこの展開は。確かにパーティー唯一の男なのに(ロボ? あれは男ではなくどっちつかずと言う)イッサイガッサイモテないからちょっとフラストレーションが溜まっていたのは認める。でもこれは無い無い。こんなのケーキを作るのに砂糖が無いからってガーリックを生クリームに入れるような暴挙じゃないか。


「カエル! 色々言われて凹んだのは分かるがそろそろ元に戻れ! マールも呆けてないで弓を構えろ! 今すぐこの化け物を退治しないと俺の貞操が危ないスペシャルがオンエアされる!」


 危険な展開になっていることを肌で感じた俺は正しい言葉を選べず訳の分からないことを口に出したが概ね理解はしてくれたはずだ。伝えたいことは一つ、助けて。
 胃の躍動が危険信号となって心臓の活性化を促し汗腺が刺激され体からサウナに入ったみたく汗がどぶどぶ流れていく。寒気か恐怖か歯はカタカタとリズムを刻み頭髪が立っていくのを頭でなく肌で感じる。考えるまでも無く理由は後者、汗をかいているのに寒いわけが無い。いや、気温は肌寒いのかもしれないが、とにかく理由はそれではない。この世で一番怖いのは死ではない、痛みではない。男としての尊厳が奪われることこそが真の恐怖なのだ。


「照れなくてもいいのネー。じっくりたっぷり舐ってあげるのネー」


「舐るとか言うなっ!」


 危険、危険、危険! 俺の頭の中で浮かぶたった二文字が落ち着きとか冷静とか平常心とかそれらの要素をかき消していく。消しゴムで消すとか、修正ペンでなぞるとか、そういった大人しいやり方じゃない。その上に墨汁をぶっかけて無かった事にするようなものだ。全部黒くなれば、それは元から黒いものだったのだと言わんばかりに。


「……舐る? クロノを、この男の人が?」


 今の今まで心が飛んでいったようにぼーっとしていたマールが極悪な変態の言葉を聞いて心を取り戻す。起きたかマール、とりあえず永久氷壁にでもこのカマ野郎を放り込んでくれ。ああ、氷の強度は黄金聖闘○数人どころか神にも砕けないように頼む。


 俺の願いを聞き届けたのか、マールはスタスタとマヨネーに近づいていく。弓を構えた様子は無いが、マールの内から漏れていくのは間違いなく闘志。……拳一つでも暴走マシンを砕いたマールのこと、ソイソー程の耐久力は無さそうなマヨネーの顔をばらっばらに四散させてくれるだろう。
 対するマヨネーもマールから湧き上がる気迫に目を細め、俺から注意を離す。マールの一挙一動を決して見逃さぬように、集中を切らすことなく。


「……えいは、良いの?」


「? よく聞こえないのネー。もっとはっきり喋りなさい」


 ぼそ、と呟いたマールに片眉を上げて再度問うマヨネー。そのやり取りを俺とカエルは唾を飲み込み見守る。マールが闘いの鐘を鳴らすその瞬間が、俺たちの同時攻撃の合図なのだから。
 カエルを目配せをして、俺が右から、カエルが左から切りかかるとアイコンタクト。正面はマールが陣取っている。僅か0.3秒の間マールがマヨネーを足止めすれば決着が着く。後ろに逃げてもカエルのバネからは逃げられまいし、空中に避けても俺のソイソー刀は獲物を逃がさず伸び続け、標的を串刺しにする。
 知らず刀を持つ手に力が入る。魔力を送り込む方法も何度か試してコツは掴んだ。この土壇場で失敗することは許されない。必ずあの気持ち悪い口意外に大きな風穴を空けてくれる!
 闘いの段取りを頭の中で構築し、マールの初撃を待つ。数分にも感じた長い時を終えて、マールがはっきりと、口を開いた。


「貴方がクロノを舐っている様は、撮影して良いの?」


 時が、止まった。


「……別に、いいのネー」


 呆気に取られたマヨネーは僅かの間を作り、マールの要望に了承を託した。真剣そのものだったマールの顔が崩れ、爆発した歓喜を抑えず顔を崩す。大げさに拳を握りガッツポーズを決めると、マールは高らかに宣言した。


「クロノ! 私は、今だけこの人の味方になる!」


「……この女、腐ってやがる……」


 腐女子とは、様々な目的を無視し、利害を忘れ、本分も良識も常識すら捨て去って生まれる反逆の使途である。






 そうして、冒頭に戻る。
 俺に拳を向けて薔薇の空間を創造しようと企む裏切り者に制裁を加えるべく俺はソイソー刀を野太刀の長さまで伸ばして横薙ぎに払う。クリーンヒットしてマールの体が両断されようと知ったことか。いいか? 俺は怒ってるんだぜ?
 俺の一太刀は難なくかわされ、追い討ちとして刀を伸ばし突きを試みたが弓で弾かれてそれも避けられる。かろうじて反撃はいなすことができたが、肉弾戦限定の身体能力ではマールに一日の長がある。距離を詰められれば中世の王妃との戦いと同じく、リーチの差という優位を崩され一撃で形勢を逆転される。
 状況が掴めないカエルとマヨネーは不承不承ながらも俺たちを忘れて互いに闘うことにしたようだ。しかし……


「なんであたいがあんたみたいな半端者と闘わなきゃいけないのネー。あっちの生意気そうな可愛い子ならまだしも、さっき言ったけれど、あたいはあんたみたいな奴が一番嫌いなのよネー。今すぐ元の姿に戻って性転換して、またカエルの姿に戻ればいいのネー。笑ってあげるから」


「お、俺は貴様の言うような人間ではないし、大体なんでそこまで遠回りしなければならんのだ!」


「その男言葉も今一つなりきれてないし、気持ち悪いのネー。どこの引用か知らないけど、さっさと泣きながら這い蹲ればいいのネー」


「こ、この言葉遣いはサイラスから教えてもらったもので……他意は……」


 どうにも闘いというよりは口喧嘩に様相は変化している。それも、カエルが押され気味のようだ。あんなに口の悪い相手と関わったことが無いのだろう、俺だってあんなやつと口撃しあって勝てる気がしない。王妃様以外では真面目でからかいやすいカエルでは勝てるわけが無いだろう。つまり……


「この勝負、俺とお前、どちらが勝つかで全てが決まるな……」


「そうだね、でもどの道私が勝つからその予想は無意味だよ」


 ソイソー戦にて傷を癒してもらった時の優しさは何処へやら。今ではマールは俺を甘美な世界(マールが勝手に思ってるだけだが)に誘おうとする悪の手先、北欧神話で言うロキのような極悪人である。悪は絶たねばならない。悪は斬らねばならない。悪は滅せねばならない。


「ほらほら、ぼーっとしてると凍っちゃうよ!」


 刀を構える隙も、ましてやソイソー刀に魔力を送る時間など作らせずにマールは辺り一体を氷付けにしていく。吹雪、氷雨、凍気を舞わせて攻防一体の攻めを乱舞する。腕一本を犠牲に特攻して切りかかっても、マールは魔力で自分の体に氷の鎧を造り傷一つ負わせることを許さない。対する俺は凍傷を抱えた左腕を押さえながら苦悶の声をあげる。
 最も、俺の呻き声ですら何かしらのスイッチがオンになったマールには興奮という薪をくべるだけの結果になり、よりハイテンションにアイスを放たせることとなった。仲間に対する遠慮なんか一片も無い。どこまで俺を攻め立てるのか。そして攻められる絵が見たいのか。


「くそ、無茶苦茶じゃねえかマール! 豹変にも程があるだろ!」


「あはは、女の子は二つの顔を持ってるんだよ、クロノには難しいかもしれないけどね!」


「二面性で済むか! お前こそ百面相の二つ名にふさわしいわ!」


 ノリノリで緩急付けず襲い掛かる氷岩に身を逸らしながら、カエルに助けを請おうと目を向ければ欝のように体を丸めたカエルの姿。……おかしいだろ、幾らなんでもおかしいだろそれは!? お前勇者だろ? 親友の仇を討ちに来たんだろうが! 哀愁漂わせて膝を抱えるのはおかしい!


「いっ、痛え!!」



 驚愕している俺の右太腿にマールの弓矢が突き刺さる。肉を掻き分け半ば以上入り込んだ矢じりが痛覚を起こして立つことを禁ずる。
 ……やっぱりおかしい。いくら頭がおかしい霊長類頭のマールだって、ここまでするか!? いつもはふざけててもあいつは仲間を思いやる事だけは忘れない奴だったじゃないか。恐らく多分希望的観測では!


「もう動けないねクロノ。大丈夫、きっと痛いことも忘れるくらい気持ち良くなれるよ……」


「ふざけろ……そういう危機はロボの専売特許だろうが……!」


 強く怨念を秘めた視線で睨み付けると、マールはありゃりゃ、と苦笑いを浮かべて頬を指先でかいた。続いて矢を背中から同時に三本取り出して、濁った眼差しを俺に返し、「じゃあ、しょうがないよねえ」とデッサンの狂ったような笑顔で口を開く。


「残った左足と両腕が動かなくなれば、大人しくなるかもね」


 笑う事すら武器に変えたマールに、俺は言葉を失う。もう、仲違いとか、趣味の押し付けなんて可愛いものじゃない。マールは俺を仲間以前に人間として認識しているのだろうか? マールはもう路傍の石、いや、命の有無を気にせず扱える実験動物として俺を眺めていた。
 マールが弓を引いて俺の右手目掛け矢を射る。甘んじて受ける気は無い、ソイソー刀を払い迫る危険を遮る。マールはちっ、と舌打ちを零した後、氷で出来た氷柱を三本作り打ち出して、俺の刀を奪う。掌に円形の空間を穿って。


「ぐっ……おいおい、マジで、洒落になってねえぞ……?」


「そりゃそうだよ、洒落じゃないもん」


 刀は無い、魔法を使っても氷の塊に遮られマールの意識を奪うことは出来ない。せめて氷が溶け出したなら、それに伝導するように電流を流せるのだが、魔力で作られた氷はそうそう溶かすことは出来ない。ルッカのように火炎を扱えるなら話は変わるのだが……
 飛ばされた刀を見やると、俺から約二メートル弱。足の動かない今の俺にとっては果てしない距離となる。何か方法は無いか、と辺りを見回す俺を「諦めが悪いなあクロノは」と笑いながらマールは足音を近づけて来る。


「はっ、絶対に折れないのが俺なんだろうが!」


 勿論強がり。皮肉のつもりでついさっき言ってくれた言葉をマールに返す。……本当に、ついさっきまであんなに俺を認めてくれてたのに、何処まで腐ってるんだっつの。


「そういえばそうだったね」
 もしくは
「ごめん、口からでまかせ言っただけなんだ」
 そんな言葉が返ってくると、俺は思っていた。見たくない笑顔を貼ったまま。
 それらの予想とはまるで違う、決定的な一言をマールは空虚な顔で口にした。


「何それ? そんな事言ったっけ?」


 ……忘れた? まさか、何度も言うけど、ついさっきなんだぞ? 戦闘を数回行ったからって、忘れる訳が無い。それとも、まるで記憶に残らないような、どうでもいい会話だったのか?
 違う。違うはずだ。あの時のマールの顔も、声も全部覚えてる。言い終わった後の恥ずかしそうに顔を逸らす動作だって、網膜に残って消えない。マールは心無い言葉でそんな風に感情が込められる人間じゃない。そんなに器用な人間じゃないんだ。
 倒れた人を見れば放って置けなくて、落ち込んだ人間を見れば励ましたくて、無謀だって分かってても他人の為に命を賭けてしまう、たかが一般人の俺の為に王女の地位を捨ててしまう、そんな女の子なんだから。


「そうか、俺はそんなに駄目な人間だったのか……もう死にたい。それが駄目ならいっそ開き直って媚キャラを確立してみようか……いや、きっと男に媚びる姿こそ本当の俺なのか……?」


「そうネー、ただ死ぬだけじゃ面白くないし、そうやってとち狂うのも悪くないかもネー」


「そうなのか……? よし、なら早速クロノで実践してみよう。いやしかし、カエルの姿でもあいつは嫌がらないだろうか?」


 もう一度カエルたちの会話に耳を向けると、同考えても有り得ない帰結と至った様子。いつもなら『カエルは極彩色の脳みそだから仕方ない』で納得するが、あいつは本当に危ない時はボケない筈だ。……筈だ。
 待てよ俺、落ち着け。あのカエルが魔族の言うことに真を受けてあそこまで腑抜けるか? なによりマールがここまでおかしくなるだろうか? 長い付き合いではないけれど、命を預けて背中を向き合わせてきた俺に、あのマールが?


────人心を惑わせる。
 マヨネーがぶち切れる寸前にカエルが教えてくれた一言。
 もし、あの時マヨネーが怒り出したのが演技だとしたら。言わせたくなかっただけじゃないのか? 自分の手口を。警戒させたくなかったんじゃないか? これからの戦いを。
 ……あの時ぶちぎれてやたらと口を動かしたのは俺たちの気を引き付けるものだとしたら。自分の魔法が完成するまでアクションを起こさせない虚偽の怒り。
 もしそうなら。いや、そうだろう。そうに違いない。今この瞬間、マヨネーからすれば隙だらけのカエルとマールを後ろから攻撃しないのは何故か? それは、わざわざ自分の操り人形を壊す理由が無いから。飽きたおもちゃは、使う必要が無くなったときに壊せ(コロセ)ばいいのだから。


「……そうだ、そうに違いない。でなきゃ、マールがこんなに不細工になるわきゃ無えよ」


「不細工? 酷いなあクロノ……そんな事言うなら、今すぐ殺しちゃおうかな? うん、そうしよう!」


「映画でも見ようみたいなノリで決めるなっつーの……」


 俺の独り言を聞きつけたマールが頭上に大きな氷塊を作り始める。大丈夫、むしろ鋭利な氷柱で脳天を狙われるよりずっと良い。死ぬのが確定でも、発動までに僅かな時間があるんだから。
 俺はソイソー刀の落ちている場所を探して、刃先が何処を向いているのか確認する。……駄目だ、角度が違う、このままではカエルに当たってしまう。
 すぐさま手の届く位置にある氷を握り、ソイソー刀に当てて角度を調整する。刃先が……マヨネーに向いた。離れた距離からソイソー刀に魔力を送るにはまず電力を伝導させなければならない。伝導するためには水が必要、いや、電気を通すもの。


「あるぜ、俺の手にたっぷりとな……」


 穴の空いた掌から溢れ出す血液、これを伝って、ソイソー刀に電流を送り込めば……


「伸縮自在、か。流石魔王幹部、便利なもん持ってるよな!」


 満遍なく血の通り道を作る必要は無い、これはコントロールの悪い俺の魔力を正確に刀に届かせる為の道標。……本当は、俺に魔力コントロールが備わってればこんな事しなくてもソイソー刀を伸ばせるんだけど……今更自分の力不足を嘆いても仕方ない。後は、サンダーを放てば、俺の思い通りになる筈だ。


「……なにをしようとしてるか分からないけど、無駄だよクロノ。もう出来上がったから」


 マールの声を聞き目を向けると、天井に届くかどうかという巨大な氷の塊。あれに押し潰されれば、人間の小さな体など蟻を潰すようにあっけなく散らばるだろう。純粋な魔力量なら、ルッカを超えるかもしれないな、マールは。


「そうか……そりゃ残念だな」


 何が残念って、そりゃああれだ。この戦いが終わった後マールの奴が自分を責めそうなことが残念だ。妙な所で頭が固いからな、塞ぎ込みそうで怖いぜ。


「まあ、よ、く、頑張った、よね。クロノ……に、して、は」


 途切れ途切れに言葉を繋ぐマールは、酷く歪な印象を作り出し、僅かに震えていた。寒さからか、我慢の果てに生まれたのか。


「そうだろ? 意外と頑張りやなんだよ俺は。マールがそう教えてくれたんだぜ」


 喋りながら、頭の中で魔力の構成を練る。あてずっぽで作り出したサンダーではソイソー刀に充分な魔力が通らずマヨネーに届かないかもしれない。……届いたとして、あいつのマールやカエルを惑わせる魔法が解けるかどうか分からないけれど、もし無理ならここでゲームオーバーだ。いざとなったらそんな風に諦められないだろうけどさ。


「じゃあね、クロノ。たの……し、かっ……」


「……無理に笑顔作るなよ、強く噛み過ぎて、歯茎から血が出てるぞ」


 マールの口橋から溢れる血の泡は、操られたマールの心が反発しているのか。瞳から漏れる涙は、もしかして俺の為に流してくれているのか。だとすれば、それだけでいい。俺の為に泣いてくれたなら、戦いが終わった後の謝罪はいらない。そういっても、マールは頭を下げるんだろうけど。出来れば、その時は泣いて欲しくないなあ。本当に、俺の願いは呆気なく散るものなんだ。


「……どうなるかは分からねえけど、一矢報いるのが男だよな。……目ん玉開けよ、オカマ野郎!」


 俺の体中の痛みと、マールの悔しさを乗せて電流が蛇のようにのたうち回り、血の筋道を伝ってソイソー刀に魔力が灯った。
 伸びろ、床に置いままじゃ致命傷にはならないだろうけど、少しでも気がそれたなら、ほんの少し魔力が途切れたなら……アイツが終わらせてくれる。


「もう飽きたのネー。そろそろあんたも死んで……!?」


 無様に這い蹲るカエルに、右手に宿った魔力の炎をかざしたマヨネーが驚いて言葉を切る。そりゃあそうさ、自分の足元に刃が近づいてきたんだ。例え当たっても死なないとはいえ、急な出来事に心を奪われない訳が無い!


「……こんなの、無駄なのネー!」


 左手に生んだ氷の魔法で剣先を凍らせて刀の進行を止める。その速さは瞬き以下の速さ。流石、魔王軍随一の空魔士様、魔法発動に淀みは無く俺が幾ら魔力を送ってもソイソー刀はピクリとも動かなくなった。魔力を送る機能か、伸縮機能を停止させたのだろう。凍らされただけでは魔刀たるソイソー刀が止まる筈が無い。一つの魔法にそこまでの能力を付加させるとは、並みの魔法使いでは到底及ばないキャパシティ、いや、心底尊敬するよ。でも、


「俺たちの勝ちだ、マヨネー」


 今の台詞は、俺が放ったものではない。
 その声の主は、今の今まで頭を床に付けて負の言葉を呟いていたカエルのもの。一瞬の気の緩みでほんの僅かに弱まったマヨネーの呪縛から解けた、勇者の勝利宣言。
 止めを刺そうと近寄っていたマヨネーに鞘から抜き出したグランドリオンの、閃光のような切り払いは、マヨネーの体に真一文字の切り傷を残した。


「……え? 嘘」


 信じられないという顔で自分の傷とカエルとを見比べる。自分がやられるなどと、夢にも思っていなかったのだろう。夢の中にいるのではないかと疑うようにふらふらとおぼつかない足取りで倒れた椅子の足に腰を据え、傷の部分に手を当てた。


「熱い、熱い……嘘、あたい、負けた? もう勝負は決まってたのに? あんな坊やの悪あがきが原因で?」


 こめかみを震わせて、自分の敗因を探るマヨネーをカエルは静かに、見下すように冷たい目線を投げた。


「坊や? ……アイツは戦士だ。誰よりも頼れる、本当の、な」


「嫌……嫌……魔王様ァァァーーー!!!!!」


 断末魔を俺たちに聞かせて、マヨネーは白い光となり魔王城の暗闇から姿を消した……







 星は夢を見る必要は無い
 第十九話 魔王の真髄







 満身創痍の俺を治療してくれたのはカエルだった。その際はベロによる治療ではなく、ウォーターと同じく覚えた回復魔法、ヒールによるものだった。治癒増幅の効果を持つ水をばら撒きそれに触れたものの体力と傷を癒してくれる、今までに無い全体回復魔法。いやはや、勇者様は庶民の覚えるものとは格が違うね。嫉妬で茶が沸きそうだ。


 マールについてだが、彼女はマヨネーが倒れた瞬間意識を失い(それと同時に巨大氷塊も消えた)倒れた。仮に目覚めても戦闘続行は困難だろうというカエルの言葉にメンバーチェンジ、ルッカをパーティーに加えることに。
 先程の戦いの真相をカエルの口から教えてもらった。説明すると、カエルとマールはやはり操られていたそうだ。空魔士マヨネーの十八番、テンプテーション。正常な判断を狂わせ、徐々に自分の思う通りに操るという趣味の悪いものだったらしい。
 万能に見えるその魔法の弱点は一つ、マヨネー自信が気になる男性には効果が無いということ。その為過去サイラスと戦った時も、勇者サイラスには効かず、退散したそうな。……つまり俺のことを可愛いとかぬかしてたのはマジだったという事実が分かっただけ。聞かなければ良かった、なんて逃げに過ぎない。だから俺は聞いたけど忘れることにする。二、三日は夢に見るかも知らん。


「ところでさ、カエルは媚キャラなのか?」


「すまないが、テンプテーションにかかっている最中の記憶は無いんだ」


 すぐさま俺の言ったことを理解した時点で覚えがあるんだろうが、と突っ込むのは容易い。しかし、さっき危機一髪で俺を助けてくれたことの恩を使って苛めるのはやめてやろう。何よりそんなことに体力を消費したくない。連戦に継ぐ連戦で熱が出そうだ。ちなみに俺が前に熱を出したのはルッカの実験以来。あいつがいなければ俺は健康優良児として生きていけた。
 しかし、カエルの言葉からマヨネーに操られていた間の記憶はハッキリと覚えているのかは謎だが、多少なりとも残っているのが確定した。マールが気にしなければいいのだが……


「……優しいのね、敵の魔法にかかってたからって、あんたボロボロにされて殺されかけたのよ?」


「別にいいよ。命張って戦うんだ、そういうことだってあるさ。……ルッカ、未来の時みたくマールを責めるなよ」


「心得てるわ、あの子は誰よりも自分で自分を責める子だって分かったから」


 肩を落とし、「やれやれ、可愛い子には甘いんだから……」と口を尖らせルッカが会話を終わらせる。続けて「それにしても、」と新たに話し出すルッカの目はもうこれからの事を見据えていた。


「これからが思いやられるわね……中ボス二体を倒して、まだビネガーと魔王が残ってるのに、クロノは全快には程遠い状態で、ロボとマールは戦闘不能。メンバーチェンジは無理……と。一度引き返したい所だけど……」


「不可能だな、魔王城は一度入れば全ての出口が封鎖され結界が施される。グランドリオンとて、その結界を破れるかどうか……万一破れたとしても、恐らく罅の一つや二つではすまんぞ」


 苦い顔でカエルの予想を受け止めるルッカ。つまるところ、逃げ道は無く、あるのは前進あるのみってことか。いわゆるファイナルファイト、ハガー市長が一番強いあれだ。


「まあ、なるようになるさ。カエルとルッカが頑張れば」


「あんたも戦力に数えてるんだから、自分は後方待機なんて思わないことね」


 ソイソー戦に続きマヨネー戦でも大怪我を負った俺を労わる発言は無い。労働基準法違反なんてものじゃないな。アラブの兵隊さんみたいな扱いをしやがる。ユニセ○は今窮地に陥っている俺を助けてはくれない。それでも、世界は回っているのが不平等というかなんというか。


「悪いなクロノ、お前が抜ければ魔王を討つことが出来そうに無い。頼ってもいいか?」


「……良いけどさ。俺を頼りにすると悪い目が出るぜ? 賭け相撲で俺に賭けた奴は例外なく破産してるんだから」


 ふと昔を思い出して軽口を叩いてみるも、ルッカもカエルも声を出して笑ってくれないのが不安だった。いや、俺は駄目だよ。俺を頼れるナイスガイだと持ち上げたら良いことないんだから、本当に。





 こうして左右の長い通路を突破して魔王軍幹部を二人撃破したわけだが……考えてみるともう先に進む場所が無い。どうしようもない怒りをちびちびカエルを苛めながら、なおかつ俺がルッカに苛められながら時間が過ぎる。因果応報とは真理なのだよワトソン。
 さあてどうしたものかなと悩みながら一同は大広間に戻ることにした。途中でまた子供たちが「遊ぼう……」と誘ってきたが、「子供は寝なさい」というルッカの発言に数回頷きその姿を消した。結局、あの子供たちが魔物なのかどうか分からないまま、という解けない謎を残すことになった。あれだよ、展開を作るのが面倒になった漫画家がセカイ系に逃げたときのモヤモヤ感。一歩違えば独特の空気を作り出す名作家に成り得たのに惜しい、という作品は吐いて捨てる程ある。
 そうして大広間に戻ると、時の最果てにあった光の柱似た、光の粒が大窓の前に湧き上がっていた。
 敵の罠かもしれない、というルッカとカエルの言を無視して俺は光の流れ、その中に飛び込む。仮に罠だとしても延々こんな薄暗くて埃臭い城を右往左往するのはごめんだ、服のクリーニング代だって安くないんだから。母さんは俺のことに関してはお金をくれないんだから。かろうじてあいつが俺にくれたものは虫歯になった時に渡してくれた保険書くらいのものだから。治療費は子供ながら自分で稼いだ。というか、同情してくれた近所のおばさんがくれた。
 光に飛び込んだ先の光景は今までいた大広間とは全く違う風景。長方形の長い部屋に座り込んでいた。やはり時の最果てと同じ、何処かにワープさせる代物だったようだ。


「よくやったクロノ。だが何の準備も無く走り出したのは減点だ!」


 剣を振るい続けて鍛えられた腕で俺にハンセンラリアットを行使するカエル。声帯に異常ができたらどうするのか尋問したいけれど、ルッカも俺を睨んでいるのでここは大人しくしておく。数の暴力には勝てない。一対一なら勝てるのか? と聞く人間と俺は友達になりたくない。正論は時に友情を遠ざける。


「マヨネーとソイソーを倒すまで現れなかった事を見ると、あの光の流れはあいつら二人が封印していたのかもしれないな……二人を倒したことで道が開かれたか」


「限定的にとはいえ、人造で瞬間移動ゲートを作るなんて流石は魔族ってところかしら?」


「もういいよそんなこと。良いから早く行かないか? 俺トイレ行きたくなってきた」


「我慢なさい。最悪その辺の柱の影で出しなさい」


「それでもいいならそうするが、その前に紙をくれ」


「大の方なら気合で我慢なさい!」


 理不尽だ、生理現象は忍耐力でカバー出来るほど生易しいものではないのに。そして我慢しすぎると肌が荒れる原因になるのに。女の身でありながらそんな基本美容法も知らないのか? この俺、クロノは毎晩化粧水を使うのを忘れない。お陰でもっちもちの肌で赤子肌のクロノとトルース界隈のおばさんたちから尊敬の目で見られているのだ。ファンデーションは使ってません。


 ルッカに懇切丁寧にお肌の手入れ方法を教えてやろうと思い、胸ポケットに常備している『クロノお手入れグッズ・携帯用』を取り出してやると有無を言わさず撃ちぬかれた。これで二か月分の給料がパーだ! かっけえ!
 悲しげに香水を入れていた瓶を拾い集めていると、カエルが「なんだその液体は? 鼻が曲がりそうな臭いだ」と顔をしかませた。一応コレ、売り上げナンバーワンの香水なんだけど……ああ、こいつ硬派っていうより田舎者なんだな。謎が解けていく。コナン・ドイルのように。


「あああ……コレ一つでポーション二十個分の値段なのに……」


「だったらポーション買いなさいよ……アホ臭い」


 今言うことじゃないかもしれないが、ルッカはこういったお洒落関係のアイテムを蔑ろにしすぎる。マールだって蔑ろにするというか、興味が無い。カエルはそれ以前。俺がショッピングを楽しめる相手はロボしかいないのか? 今度古着屋を回る時はロボを誘うことにしよう。そうしよう。


 と、脱線が過ぎたところで魔王城探索を再開。落ち込んだ俺を鼻をつまみながら励ますカエルの存在がまことしやかにうっとうしい。このうっとうしさを表現するならあれだ、ザボ○ラのよう、というのが近いんじゃなかろうか。いつかコイツの部屋でアロマ香を五種類くらい同時に焚いてやる。蜘蛛を散らすように家を飛び出せばいいんだ。
 ぬるい歩調で前を歩くカエルとルッカについていきながら、部屋を見回すとやっぱり趣味が悪い。大広間で置かれていた燭台は無く、その代わりに甲冑と牙を見せ付けた、翼のある化け物の石像が隣り合わせに置かれている。
 とはいえ、壁に火のついた蝋燭が設置されているのは嬉しい。視界良好とは言わないが、壁際に明かりがあれば、暗がりから魔物が襲い掛かってきても意表を突かれることなく対処が可能だからだ。


「場所の把握もいいがクロノ、残る魔王軍幹部のお出ましだ」


 カエルの緊迫感の滲む声に振り向き、指差す方向を見れば、高密度の魔力の為か、蜃気楼のように歪む視界の奥に皺の少ない大仰なローブで緑の肌を覆う鯰親父、ビネガーが俺たちを見据えていた。


「ソイソーとマヨネーを倒しここまで来るとは……彼奴らも鈍ったか?」


 ゼナン橋で見せたコミカルな言動はなりを潜め、内には凶悪な気迫を込めた眼光が暗い室内を彷徨うことなく俺たちを捉えていた。侮る無かれ、奴はたった一人で王国騎士団を相手取り……そう、ヤクラを殺したのだ。


「ある意味、こいつとマールが会わなくて正解かもな」


「そうかもね。あの子があいつの姿を見たら考え無しに突っ込んで行きそうだもの」


 が、俺たちも内心穏やかとは言えない。正直俺だってようやくビネガーを斬れると、心は猛っているのだから。
 それをしないのは偏にカエルのお陰だろう。俺たちよりもずっとビネガーを恨んでいるカエルが取り乱さず相手の出を伺っているのだから。


「次は貴様だビネガー。最後は魔王軍幹部の誇りを持って、散れ」


 剣を腰の後ろに回し、渾身の抜き払いを当てようと構えるカエル。遅れながら俺たちも剣を抜き、銃を構えるが、ビネガーは高笑いをするのみ。……ただ、その余裕が不気味に映り、俺たちの背中を引っ張ってしまう。
 もう少しの切っ掛けがあれば、いつでも飛び出せる覚悟が出来たというのに、その一押しが現れない、作れない。息を吸うのも苦労するその場で動いたのは、ビネガーの口。厳かに、けれど大きくは無い声量でビネガーはこの場の空気を変えた。


「ビネガー、ピーンチ」


 あくまでも、真顔である。真顔での一言である。朝食の和気藹々とした場で告げられるお父さんの「あ、そういえばパパ、昨日リストラされたから」みたいなもんである。朝のホームルームで先生が「今日の体育が中止の代わりに今から皆で殺し合いをしてもらうぞー」と近いものがある。葬式の相談を坊さんとしているのに大黒柱の長兄が「ところで、通夜に出すお寿司はわさび抜きがいいんですが……」と弟妹たちの泣いている前で宣言するのに……もうやめよう。
 とにもかくにも、俺たちが拍子抜けして構えを解いたのも納得できるだろう。ビネガーは一瞬の隙……いや多分放心時間はもう少しあったと思うが……を突いて逃走した。そりゃあもう、走るのに邪魔なローブの裾を持ち上げながら風呂場で火事に気づいた爺さんのように、みっともなさを前面に押し出して。


「ああ、そういうことしていいんだ。俺、魔王城だから流石にふざけるのはやめようと思って我慢してたけど、別にちゃらけてもいいんだ?」


「今この場でなんちゃって行動を取ってみろ。誰とは言わぬ、俺が貴様を狩るぞクロノ……」


「もう無理だよ。この空気を元に戻すにはどこかで編集点を作ってカットする以外ないよ」


 分かった事がある。この世界でまともな老人はいない、ということ。老人ほど無茶をする奴はいないということ。流石、年金を馬鹿ほど貰っている人種は違う。特に政治に近い人たち。


「魔王城の戦いって、激しいものだと思ってたんだけどこんなもんなんだ?」


「違う! さっきまでは、少なくともソイソーとマヨネーと戦っているときは手に汗握る男の戦いで……ああ! どうしてくれるクロノ!」


 折角格好つけて挑んだ魔王城の戦いがコメディになるのが耐え切れないカエルはぼんやりしたルッカの一言に噛み付き、巡り巡って俺に怒りをぶつける。このパーティーは理不尽な事態に陥ると俺に当たるという悪癖が形成されつつある。教えておいてやるが、男の子だって泣く時は泣くんだ、あまり俺に精神的負荷を与え続けるととんでもないことになるぞ? 膝を抱えて泣くぞ?






 てんやわんや、という言葉を知っているだろうか? それからの俺たちは正にそれだった。
 魔王城の奥に進むたびにビネガーは直接対決を避けて陰湿な罠を仕掛けていった。
 例えば、狭い通路にぶら下がっているギロチンを遠隔操作で落として攻撃してきたり、(ここでルッカが苛々を募らせ始めた)魔王城の生活で溜まったのだろう生ごみを階段の上から投げてきたり、(ここでカエル二度目の爆発、俺が嘔吐したところで進行再開)落とし穴を設置した部屋で俺たちの行く手を遮ったり、(そこでルッカも爆発、便乗してカエルも俺に当り散らし出したのは目を見張った。二人は俺が泣くまで殴るのをやめなかった)大部屋で急遽作ったのか大変出来の悪いモンスターキャバクラに俺たちを誘い込んだりした(ルッカの投げたナパームボム一つで歌舞○町ナンバーワンの夢たちが消えていった)。


「やばいわ、これじゃ流石に持たないわよ。主にクロノの体が」


「確かに、いつ壊れたとておかしくはないな……主にクロノの心が」


「俺、現代に帰ったらハローワークに行こうと思うんだ。どんなブラックでも生きていける気がする」


 月給十五万くらいで全然良い。なんなら時給二百五十円でもやってやる。ふとした拍子に殴られて文句を言えば燃やされる職場でなければどんなところでも天国なんだ。頭のさびしい上司の愚痴なんか二時間三時間優に聞いていられる。未来は俺の手の中には無い。
 俺が練炭を買うべきか悩みだした頃かなあ、ようやくビネガーを追い詰めたのは。どうでもいいけど、天国では人は人を殴ったりしないのだろうか? もしそうなら俺は切符を買う。むしろ指定席で飛んでいくのに。


「来たか……」


「『来たか……』じゃねえよ。てめえの意味深な台詞には飽き飽きだ。お前のせいで俺は生きる希望を失いだした、償え」


「正直、貴様の待遇には同情するがワシとてやられとうない。痛いのは歯医者だけで充分なのだからなっ!」


 えらく可愛い思考回路だが、仮にあいつの正体が銀河アイドルで、緑色の肌と顔はボディースーツによるものと言われようが、顔ぱんっぱんにしてやるという俺の目的は変わらない。誤差修正は一ミリも無い。


「グゲゲ……とはいえ、確かに貴様らはよくやった。だが遅かったな、もう魔王様の儀式は終わる……ラヴォス神を呼び出しておるわ!」


 あくどい顔を晒し、ビネガーはタイムリミットを過ぎた、と伝える。ああ、そういえばラヴォスを呼ぶ儀式を止めるのが目的だったっけね。忘れてたよ、だってどうでもいいんだもん。今はお前を殴りたい、蹴りたい。蹴りたい顔面という本を出版したいくらいに。


「やられはせん……やられはせんぞ! わしのバリアーはどんなものでも」


 この辺りだったかなあ、ルッカのハンマーがビネガーに当たって、その後俺が窓から突き落としたのは。
 そういえば、ビネガーってどんな戦い方をするんだろう? と疑問に思ったのは二十分後のことだった。


 それから、大広間と同じくワープポイントがあったのだが、そこに入る前に各々の体力回復を図ることにした。ルッカはともかく俺とカエルはまだソイソー、マヨネーとの戦いの疲れが色濃く残っている。カエルが持っていた一時休憩用アイテム『シェルター』を使い消耗した体力、魔力の回復に勤しむ。なんせ、これから魔王と戦うのだ。万全の準備をしておくことは間違いじゃない。


「ねえカエル。魔王ってどんな戦い方をするの?」


「そういやお前は魔王と戦ったことがあるんだよな」


 ルッカがこれからの戦いに備えて魔王の攻撃パターンや魔法をカエルから聞き出そうとする。俺も興味がある。正直ビネガーみたくやる気の無い豚野郎ならその情報は無駄になるが、それは甘い期待だろう。多分。
 剣を研いでいたカエルはその腕を止めてルッカの言葉を噛み砕くようにじっくりと吟味して、思い出しながら答えを出す。


「どんな戦い方……か。武器なら分かる、身の丈を超える大鎌だ。魔法の種類は氷、炎、雷……確か、天というのか? それにスペッキオの言うところの冥を扱う。しかし、戦い方は分からない。というよりも……そう、全てだ」


「全て?」


「そう、全て。肉弾も、武器を扱うことも、魔力を操ることも、地形を変えて、天候を意のままに、感情を操作して、必ず屠る。あいつを何かの予想に当てはめて相手取ろうとするな。常識など無い……グランドリオンですら、奴を貫けるのか確信は無いのだから」


 剣を研ぐ手を再び動かして会話が終わる。ルッカも気を引き締めたように頬をはたいて手からを炎を出しては消してを繰り返し魔力量とコントロール力の再確認を始めた。俺は……これといって何もすることはなくぼーっと二人の作業を見守った。


「あのさ……考えてみれば、これで俺たちの旅は終わるんだよな?」


 沈黙を嫌ったわけではないが、何となく思った事を口にする。言葉は緩いスピードで泳ぎ始め、二人に到達する。


「そう……ね。ラヴォスを蘇らせた魔王を倒したなら、未来は救われるんだもの」


「そうか……いや、別に感傷に浸ってるわけじゃないぜ? ただぼんやり思っただけだ」


 手を振って、ここで終わりと伝える。カエルもルッカも気にした様子は無く、また戦闘の前準備に戻った。
 そうだ、感傷なんかじゃない。そんなものは持ってないし、それを感じるのはロボかマールだけだ。
 短くも長くもなかったこの旅の終焉。ただ、一つの不安があるとすれば……


「実感は、無いよな」


 そんなもの、何の根拠も無いのだから、いちいち二人に聞かせないよう、小さく呟いた。






 ワープゾーンの先には、ただただ長い下り階段。天井の見えない暗闇から数十以上の蝙蝠が下りてくるが、自分から襲い掛かることは無い。贄を待つようなその在りように、寒気が這い上がり首元まで侵食する。それが、階下から上る冷気のせいだと気づくのは、カエルが俺の肩を叩いた時だった。


「……俺は、どうあっても魔王を討つ。それだけが俺の生き甲斐となったから、な。でも、お前達は違う。そうだろう?」


 少し痛いくらい俺の肩を握るカエルはほんの少しだけ申し訳なさそうにしていた。もしかしたら、自分の復讐に似た今回の戦いに巻き込んでしまったと思っているのだろうか? だとしたら、とんでもない思い違いなのに。


「だから……生き延びろ。何が何でも、な」


 ……思い違いなのに、その重い期待に俺は何も言えなくなってしまった。
 星の運命が、決まる。






「ダ・ズマ・ラフア・ロウ・ライア……」


 階段を下りきり、錆び付いた扉を開いた先。床に立たされた蝋燭が、中を歩く度に侵入者を歓迎して火を灯す。響く声は低く擦れたように流れ、歓喜。その対極の感情を否応無く俺たちに植え付ける。
 室内は蝋燭以外何も置かれておらず、寂しい光景と言えるだろうに、何故だか猥雑な印象を受ける。それは、この空間に充満する、言ってみれば魔の気配から来るものだろうか?
 紫煙のくゆる空気は喉にはりつき、それでも不快とは一概に言えないこの矛盾。有り得ない心象を刻むこの揺さぶりは、意図されたものなのか、それとも、この矛盾こそ魔王の放つ気配なのか。


「リズ・マルア・サバギ・テニアラ・ドウ……」


 蝋燭の置かれた位置は来訪するものをこの城の主に案内する。風に揺られても灯火を絶やすことの無い炎は力強さよりも無機質さが際立ち、火の概念にすら不安を覚えさせる。


「紡がれよ、天と地の狭間に……」


 カエルもルッカも、そして俺も。左右の暗闇から魔物が襲ってくるのでは、と不安に思うことは無い。何故なら、今ここで呪を唱えているものに、護衛の類は不要なのだから。魔を司るとはすなわち死を司るということ。それはきっと魔物のみでありながら平等に与えられる。具現化した死に守りなどいらないだろう。


「この、大地の命と引き換えに……!」


 部屋に敷き詰められた蝋燭が、明かりを引き連れて一斉に姿を現す。
 ……見えたのは、異形の顔を持つ人間の像。大きさは部屋の天井に頭がついていることから、五メートル前後。
 奇怪な文様の魔方陣。赤い線は鉄の匂いが含まれている、予想だが、血液を使用していると思う。
 青い、長い髪。黒いローブ。分厚い皮の靴と手袋。……特に珍しいものではないその人間こそ、異様に存在感を放ち、呼吸を忘れさせた。


「……魔王……っ!」


 動いたのはカエル。いやそれでは少し間違っている。動けたのが、カエルなのだ。


「……いつかのカエル、か。どうだ、その後は?」


 呪文を止めて、魔王は広げていた両手を戻しこちらを一瞥もせず応えた。


「感謝しているぜ……こんな姿だからこそ」


 鞘を放り、高らかに剣を掲げて、右手で握り魔王の背中に向ける。その切っ先に、殺意と想いを乗せて。


「ほう、貴様がグランドリオンを……なるほど、道理で。……だが、今度は他の者が足手まといにならねばいいが……な」


 ひゅおお……と、風も無いのに、風音が耳を通る。肌には感じないその風は、悲しそうに、誰かの嘆きのように胸を締め付け離さない。
 その嘆きは、その内容は、なんだったのだろう? 嘆願? 悲鳴? 悔恨? 憤怒? 感傷恋慕快楽贖罪懺悔憐憫情熱狂気嫉妬絶望?


「黒い風がまた泣き始めた……よかろう、かかって来い」


 きっとそれは、


「死の覚悟が出来たならな」


 生人を誘う、死人の咆哮。





 三者同時に足を動かし、魔王を支点に囲む。動いた! この魔王城に来て一番自分を褒めたいところだ。あの尖り狙う殺気の渦から抜け出せたのだから。
 ルッカは早くも魔法の詠唱を開始する。カエルも同じく印を組み最高の魔力構成を作り出した。俺はソイソー刀を刺突に構えて魔力を送り、剣を伸ばそうとする。魔王はまだ動かない。全員の同時攻撃準備が六割、いや八割を終えたこの瞬間になんのアクションも無い。


「燃えろ」


「……え?」


 油断は無かった。あらゆる瞬間で魔王の動きを見逃さないように集中は怠っていない。瞬きすら死に直結するかも、とまで目を見開いていた。そこが間違いだった。死に直結するかも、ではない。繋がるのだ、それはもう、酷く密接に。
 魔王の『燃えろ』。ただその一言で俺たちは地に伏せることとなった。
 魔王を軸に広がる円状の炎の壁。恐らくそういったものだったと思う。一瞬炎の舌が魔王の足元で発生し、次の瞬間には俺たちは炎の中に身を投じていたのだから。


「か……はあっ!」


 磁力全開、それにより浮かべた石の床でかろうじて防御した俺は喉にダメージを負ったが、まだ体は動いた。かろうじては、という程度ではあるが。
 一度倒れたカエルも詠唱破棄したウォーターでダメージを軽減。ルッカは同じ火属性だったことが幸いし、爆風に投げ出された体を起こした。


「ほう、立てるか女。それなら」


 魔王が指を鳴らした瞬間、ルッカの悲鳴が一瞬聞こえて、その体を見失った。黒い半円の幕がルッカを包んだのだ。天頂から徐々に幕は削がれていき、残った場所には無残にへこんだ床と、ルッカが体中から血を流し気を失っている姿。


「……! ルッカ!」


 嗄れた声で呼びかけて動かなかった体にむりやり力を入れて走り出す。制止するカエルの声を振り切って近づく俺を、氷のような目で見つめる魔王が掌を突き出した。
 瞬間、俺の腹に練りこまれた円柱状の電撃の柱。俺が天属性だから体は繋がっている……もし、俺が火属性や氷属性なら、上半身が蒸発したか、遠く後ろに放り出されただろう。


「くっは……! ……まだ、まだ動ける!」


「随分と頑丈なのだな、いや貴様らも魔法を使えたか。ならば相性が良かったに過ぎん、か」


 歯を食いしばりもう一度駆け出す俺に魔王は一瞬感嘆の声を上げ、すぐにタネを理解する。足をふらつかせながら走る俺に指先で照準を合わせてまた指を鳴らす。……ルッカを倒した魔法か!?
 俺の周りにルッカの周りに現れたものと同じ半円球の幕が作られていく。身構えた俺を襲ったのは、天から俺の体に降る、単純な力。堪えることなど出来ない重さが圧し掛かり、堪らず膝を突いて床に押し付けられる。その力は幕が消えていく瞬間瞬間で増していき、床と体が同化するのではないかとまで思えた。
 暗幕の消えた頃、俺は走るどころか立つことすら困難な体となり、意識を保つことで精一杯となる。


「先の女もそうだが、息絶えていないとは流石、魔王城を越えただけのことはある……なら」


 魔王が下手投げをするように腕を下から頭上に持ち上げる動作を繰り出すと、俺の周りに体の無い顔が次々に浮かびだした。その顔の一つ一つが俺を羨むように、蔑むように見てくる。不気味な光景に目を閉じようとするが、どうしても目蓋が動かない。いよいよその顔は俺に近づき、体の中に入っていった。
 不意に俺を縛る力が消えて目を閉じると、猛烈な吐き気と心臓の痛みが始まった。頭は脳みそをかき混ぜられているような不快感を訴え、口からは止められない吐血が体の危険を知らせる。鼻や耳、果ては目からも流血が起こり爆発するように早鐘を打っていた鼓動は徐々に途絶えようとしていた。


「ごぼ……え? あ?」


「理解できぬ、という顔だな。今貴様に放った魔法はヘルガイザー、貴様の命を少しずつ、確実に削り取るものだ……遅々と死ね、上出来な凡愚」


「ヒール!」


 横から飛び出してきたカエルがヒールをかけて俺の体力を回復させてくれる。それでも戻った体力からすぐに血液として体から流れていくのは止められない。無間地獄とはこのことか……


「大丈夫かクロノ? ……安心しろ、あの魔法は対象が魔法をくらった時点での全体力しか奪わない。もう少しでその症状は治まるはずだ」


「ぼ……ぼんどう、が?」


 喉に血がからみ濁音しか発生できない俺の聞き取りづらい声を理解し、カエルは力強く頷いてくれた。


「そのままでいろクロノ……あいつは、俺が倒す」


「断定したな。力の差が分からぬ程矮小な人間とは思っていなかったが」


「……問答は無用」


 俺を励ましつつ詠唱していたカエルのウォーターが魔王に飛び、それに追随してカエルが電光石火の突きを放つ。ウォーターは魔王の作るより強い水流に消え、突きは容易く横にかわされた。しかしボッ、という音が遅れて聞こえる音速の蹴りをカエルは手で受け流し首元を狙い再度突く。グランドリオンは空を切るも魔王の攻撃もカエルには届かない。至近距離が過ぎる今では魔王も魔法を練れず肉弾戦のみの戦いとなっていた。


「これが、魔王と勇者の戦いなのか?」

 ヒールにより一時的に治った喉で身震いした声を落とす。
 互いに一進一退。魔王の攻めはカエルの剣を越えず、カエルの猛撃は魔王にいなされる。時間は僅か数分足らず、けれど濃縮されたそれは確かに激闘と呼べるものだった。


「ふむ……かつてに比べ格段に腕を増したな……だが」


 一度距離を置いた魔王はいぶかしむカエルを笑い、その凍えるような顔を動かして、今だ動けない俺に向けた。……まさか、嘘だろ?


「ヘルガイザー」


「ひぎっ……がああぁぁ!!?」


 地獄の苦しみが再来し、俺の体以上に心が殺されていく。もういいから、殺してくれと言いたいのに口は悲鳴以外の音を鳴らさない。涙や鼻水が血に混じり薄紅色の化粧を顔に塗りたくる。カエルが俺の名前を叫ぶが、耳を閉ざすように血が満ちている鼓膜はじゅくじゅくという水音を優先的に脳に届けてしまうのでよく聞こえない。


「甘いな、グレン。仲間の悲鳴一つで貴様の気は乱れ途絶える。勇者とは心魂を強靭に保たねばならんのだろう?」


「クロノ! ……おのれ、魔王!」


 グランドリオンを正眼に構え、魔王との距離を詰めるカエル。その俊足は風の如く、流星のように剣光を繋いでいた。


「何より……サイラスにも劣るその剣技で俺に迫るか」


 魔王は何も無い空間から闇よりも黒い大鎌を呼び出す。その黒は今この場にあって尚目立ち、その存在理由を愚者に思い知らせる。
 跪け、と。


「ぎっ!?」


 カエルの剣が届くよりも速く魔王の鎌の先端がカエルのわき腹に入り込んだ。魔王は右手以外なんら動かしていない。ただ持ち上げて、振っただけだ。技術など無い、単純な攻撃。それが、あのソイソーと斬りあったカエルを破ったのだ。
 鎌をカエルの体ごと持ち上げて、俺の近くに投げ捨てた。「あ……が、ああ……!」と苦悶の叫びを押し込めるカエルの顔に、確かに見えた。絶望という結果が。


「か……かて、ない」


 自分の声が涙交じりだったことに驚きはない。今までにも負けそうになったことはあった。王妃、警備ロボ、ジャンクドラガーやソイソーにマヨネー。……でも、ここまで圧倒的だったか? ここまでの屈服感を味合わされただろうか?
 そうだな、俺は今この場に来るまで負けを意識していなかった。もしかしたら怪我するかもしれない、というどこか第三者的な、観客のような緊張感しか持ってなかったんだ。『死ぬ』なんて、意識してない。ゼナン橋だって、いざ戦いに向かった時俺は『死ぬ』なんてこれっぽっちも思ってなかった。でも、今は違う。
 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。遊びじゃないんだ、だれもタイムなんか宣言しない。夢でもないんだ。誰も俺を起こしてくれない。だって、ここが現実なんだから。


「ぐ……ヒール……」


 痛みでぐらつく精神で回復魔法を完成させたカエルは俺とルッカに回復の水を振り掛ける。それを見た魔王が「まだやるのか……?」と手袋をきつく付け直していた。


「はあ、はあ……完治には程遠いか……」


 ゆっくりと傷を負った場所を押さえながらカエルが立ち上がる。そこを狙い魔王が氷の槍を飛ばし肩を削られたカエルがまた床に沈む。起き上がっても、勇気を見せてもさらに強大な力で這うことを強制されるその姿は、悪夢としか言いようがなかった。


「なんだ? これ……こんなの、ただの遊びじゃねえか……」


 どこまでも、限りなく悪意溢れる遊び。ルールは殺すこと。いたぶってもいいし、魔法も鎌も使っていい。相手がどれだけ痛がろうと、怖がろうと冷酷に殺せるかがゲームをスムーズに進めるコツ。対象が足掻く様を見るのがゲームの目的ってところか、畜生……!
 俺の自棄な台詞を聞いた魔王の耳がピク、と動き地面を這う俺の姿を視界に入れた。

「遊び? なるほど、確かにこれは遊戯と言えるだろう」


 言って、先程の儀式のように両手を広げた。世界を牛耳るように、地上を覆いつくすように。


「だが、往々にして世に生きる全ての生き物が起こす行動は快楽に繋がっている。すなわち、遊び。世界の隅で行われている幼子たちが遊戯により得る連帯感、充足感と、今貴様らが死ぬこの瞬間の絶望、嘆きは全て誰かの遊びにより生まれ出でる。悲しむな、悔やむな、ただあるがままを受け入れよ、生あるものの一生など、それらの繋がりでしかないのだ」


 この時、今この時だ。俺が、魔王の声を心地よいと思ってしまったのは。縋りたいと願った、その思想、哲学にも近い何かに。何もかもがゲームだとすれば、俺は痛みを感じる必要も無いし、怖がる必要も無いんだ。誰かと別れる悲しみも口惜しさもなんら、なんら。
 死ぬのが怖い? それは妄想、想像、夢想の類で、本当は何も感じる必要はないのだと思わせる何かが、その声と言葉に縫い付けられていて、毒が回るように俺の人生観を書き換えて、生きる意志のようなものが壊れていく。
 どのみち、生き残る術はない。『もしかしたら』と『かもしれない』が消えていく。
 もしかしたらこの旅を終わらせられることが出来るかもしれない。もしかしたら魔王を倒せるかもしれない。もしかしたら生き残れるかもしれない。『もしかしたら』が絶対に代わり、『かもしれない』がわけが無いに変化する。
 絶対にこの旅を終わらせられるわけが無い。絶対に魔王を倒せるわけが無い。絶対に生き残れるわけが無い。暗い想いはそこには無い。ただ、無色な感情が浮遊するだけ。気力とか、成し遂げようとする意思を作り出すその根本の部分が麻痺してしまう。


 本当ならそりゃあ、もっと足掻いて足掻いて最後に散る、なんて格好付けてみたいさ。死にたくないけど、何もせずに死ぬか? と聞かれれば勿論何かをして、残して死にたい。でも無理なんだ。
 力とか、魔力とか、そういう単純な部分じゃあない。手も足も出ないから諦めるとか、表層部分で諦めたんじゃないんだ。簡単にあしらわれたからって心はそう折れるものじゃない。
 『魔王』、その重荷にしかならない称号を俺たちと変わらぬ背丈で背負い続ける魔王。覚悟も、命の使い方も、精神的な剛健も。勝てる要素が無いと、数秒向き合って分かってしまった。中途半端に力量をつけてしまったせいかな、俺たちの力を合わせても、いや相乗しても魔王には及ばない。それこそ、足元どころかその足を支える床でさえ手が届かない。


「もう……勝てない……」


 体も、心も動かない。……動きたく、無いんだ。


「諦めがついたか。ならば死ね、風がお前を誘っている」


 死神を従える魔王が持つ、正真正銘のデスサイズ。あれに斬られれば魂ごと刈り取っていくのだろう。魔王はしゃおん、と澄んだ清流のような音を立てて、その断罪の刃を振り下ろした。





 それを許さない人間は今この場で、この世界でただ一人。





「臭いのよ、台詞が!」


 魔王の放った火炎壁と比べて随分ちっぽけな灯火。その熱量の塊をルッカは渾身の力で振りかぶり、投げた。
 魔力が出血の痛みと体力消耗の為上手く練られず、風が吹くだけで掻き消えそうな弱い炎。コントロール制御は対象に直接放ることによりカバー。彼女の攻撃は、確かに弱者の足掻きでしかなかった。
 そのまま寝ていれば、戦うことで得る痛みや苦しみ、無力を味わうことは無かったのに……何故?


 魔王は虫を追い払うように片手を振り炎をかき消す。間を置かず打ち出された弾丸は視線一つで地に落とし、ナパームボムを同時に三つ投げられた時も氷を操り爆弾を凍らせる。ルッカは火炎放射器を向けて火を放つも、電撃を打ち出されて機械が爆発しその余波を間近で受けたルッカはさらに傷を負う。それでも意識を留めながらハンマーを投げて応戦、これには魔王も瞳を揺らし、魔力で防御することなく左手で受け止めた。
 彼女愛用のハンマーを手で遊びながら、魔王は不思議そうに問う。


「諦めないのか? ……随分と無様な。最後まで生きようとする心は否定しない。だが抵抗も度が過ぎれば悪質となる」


「無様で良いわよ、それが私だから。諦める? このルッカ様の人生で一番縁遠い言葉ね」


 魔力の直撃を受けて体から血を垂れ流し、帽子につけたゴーグルはレンズは吹き飛び、フレームは曲がりくねって半ばから取れている。左手の骨が折れているのだろうか、だらりと宙に浮かせ、時折体に触れた時「ぐっ!」と呻く。足だってもうボロボロで、立っていることが奇跡に思えた。
 ……違う、立っていることが奇跡なのは、怪我のことだけじゃない。何故立とうと思えたのか、生きようと願えるのか。


「あんたさっき言ったわね。あるがままを受け入れる? それは良いわね、きっとどんな不幸が起きてもそう思ってれば楽でしょうよ……運命なんて都合の良い敵役がいれば舞台は整うわ、主人公は自分自身で、絶対に勝つことが出来ない喜劇。誰でも思い浮かぶ材料で、誰でも入手可能な舞台装置で、生きている限り誰でも扱える役者がいれば成り立つ舞台……でもね」


 彼女は魔王に語りかけている。その声は刺々しく、忌み嫌うような声音だから。見たくも無い、そんな奴に聞かせる感情を込めているから。
 ……なら、何でルッカは俺を見てる?


「その舞台を、誰が見てるの?」

 いつだって俺が諦めそうになったとき、ルッカは俺の頭をはたいてきた。
 逆上がりができなくて、ふてくされてしまった時。算数の公式が理解できなくて宿題をサボろうとした時。飼っている猫が病気になって医者にも見捨てられた時。……そうだ、昔見た演劇が原因で俺が街の子供たちから孤立していじめられてる時だって。思い切り脳を揺らして俺を正気に戻してくれた。
 ……ああそうかい分かった。分かったよ。皆まで言うな。


「自分が客席で見てる、なんてつまらない三文小説みたいな事は言わないでね。自分は役者なんだから、観客席にいるわけが無いの。じゃあ観客は誰? 自分以外の誰かでしょう?」


 だから言うなって……ああ、俺が倒れてるから続けてるのか。それなら……
 右手に力を入れる。不思議だ、ルッカの姿を見るまで神経が全部ブチ切れたんじゃねーかってくらい動かなかったのに。指先が動くじゃねーか。さっきまで指先も動かなかったんだから、次は体全体動くだろうさ。早くしないとあの幼馴染が叩き起こしてくる。それは寝覚めが悪い。
 寝覚め……そう、俺は寝てたんだ。じゃなきゃあんな気持ち悪いニヒリズムな考えを持つわけが無い。


「そんなだらけた一生を見せられて、観客の誰が拍手を送るの? 少なくとも私は送らないわね、そんなもの途中で劇場を出るわ。カーテンコールまで耐えられないもの。さっさと幕を下ろせって話よね」


 それ、つまり死ねって言ってるんだよな? ……励ましてるのかと思えば、それと真逆なこと抜かしやがる。けどまあ、ルッカの言うことは正しいよ、そんな盛り上がりの無いシナリオなんかくそ食らえだ、脚本家をすぐにクビにしたほうが良い。


「婉曲に過ぎるな、つまりお前は何が言いたい?」


「分からないの? じゃあ分かりやすく言ってあげるわ。なんてことないのよ、私が言いたいのは一言だけ」


 剣はどこにある? 俺のすぐ近くだ。握れた。なんだか、凄く軽いように感じた。倒れたまま持ち上げても、羽よりも、空気よりも、軽い。
 さて、魔法はどうやって使うんだっけ? そうだ、ただ叫べばいいんだ。力を込めて、あるがままの心をぶちまければ定型句を使わなくても応えてくれる。スペッキオが言ってたじゃないか。魔法は心の力だって。
 でも、ここは定型句を使わせてもらおう。その方が、なんだからしいじゃないか。さて、『サンダー』と言えば俺の体から電撃が迸るんだろう? ……でも、それじゃああまりに無粋。折角彼女が啖呵を切って場を沸かせているんだ。観客が歓声を上げるにはもう少し足りない。じゃああれだ、もう一段階パワーアップさせればいいんだ。そうだろ? こういう時に新技披露、なんて英雄譚によくあるパターンだけど、王道は守らないと観客は呆けてしまう。奇を衒うのは悪くないけれど、魔王を倒すなんて場面はもう少し過去の物語をなぞった方が良い。


 ルッカが息を吸う。俺も息を吸う。そして、グランドリオンが命を吹き返す。きっとその持ち主が柄を握ったから、喜んでいるんだ。
 ……本当、俺をここまで奮い立たせるのはお前くらいだ、ルッカ……そんな彼女はいつまでも寝転がる俺に顔をしかめている。俺は、ルッカに怒られるのが一番怖いと知ってるのに、何故怒らせた? 一番の理由は俺の不甲斐なさ。けれど、その原因を作ったのはお前だ、魔王。
 そう、だから俺はお前に……


「とっとと起きなさい! クロノ!」


 メにモノ見せてヤル。


「サ、ン、ダ、ガッッッ!!!!」


 俺の腹部から飛び出す光電球。その光は増して、暴君の再来を待つ。線香花火のように電流を散らばらせて、大渦のように電撃の巨腕を回転させた。
 爆ぜて、燃えて、消し飛べ。その願いから現れた雷爆は天井を吹き飛ばし、部屋の壁を削り、石像を砕き、蝋燭を吹き飛ばした。


「……ぐっ」


 魔王は腕を交差して俺の電撃に耐える。手が届く距離から数億を超える電流を当てられているのに、難なく防ぐとは、正直少し自信をなくす。俺の最高傑作なんだけどなあ、とぼやき、嵐のような轟音が響く中その言葉を拾ったルッカが口だけを動かして「あんたらしいわよ」と伝えてくれる。予想通りと言えば予想通りだから別に構いやしないけどさ。それに、俺の役割はサンダガで魔王を倒すことじゃない。魔王の魔法と両手を塞ぐだけ。……そう。


 魔王を倒すのは、勇者だってのが正史だろうが。


「魔王ーーーー!!!!!」


 勇者は大上段からに剣を構えて、今は無い天井を越えた先にある空の月を背に飛んでいた。その背にあるのはなにもそれだけではない。親友の仇、王国と民の悲しみ、剣士としての誇り、勇者の使命。重力に加えてその重すぎる人生を加重に魔王へと迫っていく。


「……惜しかったな」


 両手で受け止めていたサンダガを消し飛ばし、魔王は鎌を持たない左手をカエルに向けて掌に火炎を作り出した。……最初に俺たちに当てた炎の壁か!?
 カエルはもう、目を開くことなく直線に魔王との距離を近づけていく。避ける方法も、そのつもりも無いのだ、と証明するようなその態度は唯一つ、俺たちに向ける信頼のみを見せ付けていた。


「惜しかったな、は私たちの台詞よ!」


 ルッカは一つのナパームボムを取り出しすぐさま手元で爆発させて、そこから生まれる熱と爆破を無理やり自分の魔法に組み込んだ。右手は焼け焦げ手の五本の指は全てあらぬ方向に曲がり、それでもその爆発火炎球を作り上げた。


「私にしては、優雅さが足りないかしらね……っ!」


 痛いだろう、泣きたいだろう、それらの感情をねじ伏せてルッカは魔王の左手に魔力と科学の合成体を投げつけた。
 防御するまでも無いと踏んだのか、魔王は避けることなくカエルの迎撃体勢を崩さない。


「……くっ!?」


 魔王の手が弾け飛んだわけでも、傷を負ったわけでもない。ただ、動いただけ。溜め込んだ魔力が霧散しただけ。
 溜め込んだといっても、ほんの数秒かければまた収束する魔力。ただその数秒はカエルが魔王の体に到達するまでの時間には足りなかった。
 しかし、魔王の攻撃の手札が消えたわけではない。まだその右手に何者の存在も許さない大鎌が握られている。カエルの剣技では魔王の操る鎌の防御を崩すことは出来ないだろう。それはもう立証されている。そうなれば、また振り出しに戻りこの一隅のチャンスを露に消すこととなってしまう。


「させねえ……!」


 左手で右手首を持ち軌道補正、この近距離でも暴発する可能性がある。右掌を広げて魔王に向ける。魔力詠唱の時間は無い、つまりサンダガ程の電力は使えない。
 そして俺は思い出す。魔王が使った電撃は円柱状の電撃柱。電気特有の乱れは無く、凝り固まったように放出されていた。きっと魔王がアレンジした魔法形態なのだろう。……敵の真似とは些か情けないが、まだ俺は魔王に俺という存在を見せてない。あいつはまだ俺の心の芯を見ていない!


「一点集束……貫け、サンダー!」


 直後右手が脱臼した。にも関わらず痛みを感じないのは強すぎる電力を打ち出した為神経がやられたのか? 急いで回復魔法で治さないと一生動かないかもしれないと危惧したが、そのリスクを背負ってでも発動して良かったと思う。
 魔王の右手に握られた鎌は、頭上に放られていたのだから。
 魔王の目に浮かぶのは、驚き。
 魔法を使う左手を弾かれ、己が武器は空を舞っている、その事実に信じられないのだろう。今まで全てを無機物として見ているような眼差しは見開かれ、闇に浮かぶカエルの姿をじっくりと追うだけだった。


 星の運命が、決まる。
 決まるのだ。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/06 02:54
 ふと、昔を思い出していた。
 自分は姉が好きだった。一重の目蓋は涼しげな印象を持たせるくせに、笑顔が零れる時は正しく満面。無表情でいながら子供でも思いつかないような悪戯の計画を立てている。食の細そうな体型でいて甘物は目を見張るような早さで口に入れていく。何も興味を持っていないという雰囲気を纏わせながら好奇心は弟である自分の数十倍、どんなことにも首を突っ込んで、どんなことでも知りたがる。その矛盾が大好きで……自分の矛盾を好む嗜好はそこから端を発しているのかもしれない。
 ……母は好きだった、のかもしれない。
 厳格な性格は自分の冷めた性質とよく合っていた気もする。物事に熱中すると周りが見えなくなるのは子供である自分から見ても、何処か愛嬌すら感じた。失敗を成功に変えていく豪胆さや、鋭利とも取れる冷徹も安心した。ブレが感じられなかったから。母が好んでいる匂いの強くない香水も嫌いではない。女性用と知らなかった頃の自分が欲しがったことから気に入ってさえいたのだろう。
 そのような母でも、一度だけ笑ったことがあった。ある時、一人の男が母を乾燥した花のようだ、と評していたことを思い出す。姉が「それは褒めているんですか?」と笑いながら返していたことも。自分は「花というよりも、乾いた大木のようだ」と答えたとき母を除いた全員が笑っていた。無愛想な母はその顔に怒り符号を足していたが、自分だけは知っている。きっと母も笑顔を作りたかったのだ。口も眉もけして動かすことは無かったが、あの時の母の目は確かに優しかったから。ああ、きっと私は母が好きだった。
 だが、今は嫌悪すら覚える。
 厳格な性格は決して許すことの無い暴虐へ、周りのことなど省みるはずが無い。豪胆とは良い言葉であるとは限らないと知った。冷徹は過ぎると心を失うのだとも。奴が近づくだけでその芳香ゆえに吐き気が止まらなかった。いっそ、深海の奥の奥に沈みその悪臭を闇の底へと葬ってやろうかとさえ考えた。


 私には姉がいる。いや、いた。愛していた。
 私には母がいる。恐らくは、今この瞬間も息を吐き耐え難い臭いを撒き散らしている。在り得ないことだと頭で理解していても、いる。
 私には成し遂げねばならないことがある。過去も未来も現在も、その達成すべき事柄は無くなりはしない。終止符を打たねばならぬのだ。


「邪魔は……させぬ」


 本心を晒すことなく生きてきた私の、言葉にするのはあまりに久しい紛う事なき本心。












 ふと、昔を思い出していた。
 それはまだルッカが俺の後ろをひたひたとついてくるだけの、可愛らしかった時代。つまり、幼少期と称される程の、十年ほど前のこと。
 俺は短い棒切れをぶんぶんと得意気に振り回して、自分の後ろを歩く女の子を守っているような、騎士の気分を味わっていた時。一人の男が店を飛び出してきて、そいつにぶつかったルッカが転び泣き出してしまった。俺は怒り、自分よりも幾倍の身長差がある男の足に唯一の武器を思い切り当てたのだ。
 普通の大人なら、「ごめんね、友達を泣かしてしまった。怒るのは当然だ」と反省するだろう。常識の無い大人なら「何しやがる!」と怒鳴るだろう。
 けれど、その男はその二つに当てはまらなかった。男はまだ小さい自分を蹴り飛ばし、動けなくなった俺を尻目に延々と泣き続けるルッカの頭を掴み、壁に叩きつけた。内臓が傷ついたのか、ルッカは吐血して悶絶していた。小さく「助けて、クロノ」と呻きながら。
 結局、たまたま近くを歩いていた母さんが原型を留めないほど乱暴者(その程度ではないが)を殴り、すぐに治療を受けたルッカは大事には至らなかった。けれど、俺の中に錘のようなものが沈んでいるのを感じていた。
 その日から俺はまだ重たい木刀を持ち続けた。剣道を教えてくれる人は身近におらず、ただ適当に振り続け、「回転切りの完成だ!」なんてまるで真剣味の無い訓練を続けた。
 ルッカが泣かされた瞬間の決意は本物だった。でも、所詮は子供。訓練は熱意を無くし今の今まで何故多少なりとも強くなろうとしたのか、その原因を忘れているほど忘却されていった。
 今なら思い出せる。俺は誰かを守るため、なんてことではなく誰よりも強くなろうとして剣を取ったのだ。そうすれば、結果的に誰でも守ることが出来るのだから。
 そして、俺の強くなりたいという想いの果てがカエルではないか、と思い始めていた。どれほど馬鹿でもその剣の冴えは今まで見てきたどんな人間よりも、またどんな伝承に伝わる勇者にも負けはしないと思ったから。
 俺の小さな時から細々と願っていた剣士の最高峰。その動きは風を越え、その守りは鋼も通さず、その攻めは山をも奮わせる。誇張が過ぎるが、俺の印象はおおよそ大差無い。かといってカエルを一騎当千の、神すら下す勇者とも思ってはいなかった。そこまで俺の理想を押し付ける気は無い。ただあくまで、俺の想像しうる実在の生き物で、カエルに切り裂けない物は無いと絶対の確信を抱いていた。
 ……そのカエルが、完全に、最高のタイミングで最強の、渾身の一撃を与えたのだ。殺せなくても、倒せなくても、その傷は甚大、致命傷。仮に、仮にそれには及ばなくても……切り傷くらい、何かを為した痕跡くらいあって然るべきだろう? なのに……


「……手袋一つしか切れないって、何だよ……?」


 俺とルッカが道を示し、グランドリオンが力をくれて、カエルが放った未来へ向けた振り下ろしは魔王の皮のグローブを切り裂き、その手に血を滲ませることすら無かった。
 誰も動けない。ルッカは口を開いたまま今の状況を理解できず、カエルは魔王の手すら切れない現実を眼を瞬かせて幾度も確認した。今この瞬間、この場で起きたこと全てが悪夢としか思えないというように、顔を歪めながら。


「……驚いたぞ、まさか私に刃を当てるとは……少々侮っていたのかもしれん」


 魔王は漆黒のマントに身を包み、魔法の一種なのか一瞬で部屋の中央まで離れた。
 その言葉から、直接攻撃を当てることすら出来ないだろうと俺たちを侮っていたことを知る。しかし、今それを憤ることは出来ない。そう思っても仕方が無い程に実力差があるのだから。……切り札が、俺たちの希望グランドリオンが通用しないという悲痛な結果を叩き出されたから。


「絶望か? ……確かに、その結末に至るに足りる結果であろうな。だが、喜べ。今からその絶望から解き放ってやろう」


 魔王が何かを言っている。それは分かるけど、意味は掴めない。心は震えない。
 文字通り、自分たちの全力を見せたのだ。何か事態が前進したのならまだ燃え上がる心も残るだろう。後退したのなら後悔しつつももう一度打開策を練られるかもしれない。だったら、その結果が停滞なら、次はどんなアクションを起こせばいい? 選択肢は狭まり、行動概念を消し去る。
 微動だに出来ない俺たちを見て魔王が喉の奥で笑い、魔力の波動を作る。


「なに、解き放つというのは貴様らを殺すというだけの意味ではない。信じようがしまいが、今の私ならグランドリオンの攻撃も、そこの小僧の魔法も、女の火炎も私にダメージを与えよう」


 ピク、と俺たちが視線を向ける。敵の言葉を易々と飲み込む俺たちは、飲み込まざるを得ない俺たちは実に愚かだろう。だって、仕方ないじゃないか。藁ですらない糸くずを掴まなくちゃ動けないんだから。


「そこのカエルが放つ斬撃や、貴様らの魔法が私に通らなかったのは単純な事。私の無意識に放っている魔法障壁を破れなかっただけだ……今この瞬間それを消した」


「……その言葉を信じろと?」


「当然の疑問だろうな、カエル……では問うが、わざわざブラフを用いる理由が私にあるか? 愚直に火炎を放つだけで押し切れるこの状況で、貴様らの戦気を戻すことになんの意味がある?」


「………」


 カエルの疑問に淡々と答えを述べて、魔王は手で印を作り始めた。……印? 今までアイツは言葉だけで魔法を唱えていたのに?


「クロノ、ルッカ。情けないが、あいつの言葉にすがるしかない。限界が近いのは分かるが、もう一度だけふんばってくれないか?」


「あははは……お願いにしちゃ強引よね、なんせやらなきゃ死ぬんだから、それ頼みっていうより強制じゃない」


 皮肉を返しながらもルッカは顔を上げてカエルに了承の笑顔を向ける。頭から血を流し焦げた髪を揺らしながら笑う姿は痛々しかった。
 カエルにヒールを唱えてもらい、立てるようになった俺は去来する何かに怯えながらも立ち上がりソイソー刀を手に取った。今持っている全てのエーテルを飲み干し全員の魔力が数割回復、ポーションでは心元無いがこれが最終決戦、これもまた飲み干す。万全とはいかないが、パーティーが立ち直った。
 ……怖いのは、魔王が俺たちの回復行動をずっと見守っていること。印を組んでいるにしても、俺たちの治療を見逃してまで続けることだろうか? 防御をしながら魔王を見ていたカエルも表情をしかめていた。


「……ばらけるぞ。防御は崩すな、さっきのようにいつ魔法が放たれるか分からん」


「……そうだな、目の前に炎の壁、なんてのはこりごりだ……それと、」


 二人に軽い相談を交わしてすぐさま散開。魔王の前、後ろ左、後ろ右に陣取り戦闘の始まりの立位置に戻った。回復が遅れるかもしれないという懸念事項は無視。そもそも回復できる余裕がまた訪れるとは限らないのだから。
 俺の合図を待つ二人に向けて手を下ろそうとした矢先、鈍く魔王の声が響き渡り、思わず合図を中断してしまった。


「……光に相反するものを、知っているか?」


「何?」


 会話の意図が探れず、俺は間を置かずして質問を繰り返させる。


「光と真逆に位置するものだ。分かるか?」


 時間稼ぎだろうかとも考えたが、魔王はすでに印を組むことを止めている。……多分、自分でも魔王を攻撃することを恐れていたのかもしれない。もしこの攻撃が通用しないなら、もう俺たちに残された道は絶たれるのだから。俺は無意識に魔王の会話に応じて先延ばしにしてしまった。


「……闇、じゃないのか」


「違う。では闇の反対は? 風は? 太陽は? 人間は? ……星は? ……答えは『無』だ。ただそこに在るというだけで無は相反するものとして扱われる。それは言葉として、物体として存在する限り揺るがざるものとして成り立つ」


「言葉遊びか魔王? 貴様の戯言は飽きた……! 決着を着けるぞ」


「そう急くなカエル。戦いに関係していないのではない。むしろ、密接に関わりのあることだ……貴様らを殺すモノが何か、知りたいだろう?」


 言い終わる前に、魔王から膨大な闇……いや、『無』が広がる。視界は無い。床も、蝋燭の灯火も、巨大な銅像も魔方陣も見えなくなる。見えるのはそこに息づくものだけ。何処までも落下しているような錯覚を覚えて、思わず足場を確認する。
 ……印を組むことを止めたのは中断したのではなく、もう終わったから、か?


「敬意を表しよう、人間ども。私が今までの生涯でただ一度だけ使用した魔法を見せてやる。……前は加減が出来なかったのでな、島を『消して』しまった。魔方陣を消さぬよう、最小限に範囲を留めてやろう、上手くすれば……」


 無から生まれたのは、光の線が繋ぐトライアングル。無造作に回転するそれは、何故か人を魅入らせる魔力を秘めていた。恐らく、その魔力量、練度、密度が至高であるゆえに。
 終わらせることに特化した魔法が紡がれる。


「原型は、残るかも知れんな」


「クロノ! ルッカ! 今すぐ魔力を全放出しろ!」


 危機を察知したカエルが俺たちに指示する。……でも、あれに魔法で防御? どうやって? 砂で出来た堤防で津波に耐えれるとでも言うのか?
 無駄と分かっていても俺たちは電撃を、火炎を、水壁を構成し目の前に作り上げた。理不尽な一撃にミクロン単位の時間を稼ぐ為。


「ダ」


 ルッカは火炎の熱量を上げて全てを相殺すべく力を注いでいる。


「ア」


 カエルは作り上げた水を凝固させ、ダイアモンドすら通さぬ硬度の壁を練成する。


「ク」


 俺は磁力で何処かにあるはずの物体を集めて回り全体に盾を造り、小さな城を構築する。相手は攻城兵器なんて生易しいものじゃあないけれど。


「マ」


 何処かで攻撃しろ、と叫ぶ声がする。今魔王を攻撃すれば詠唱を途切らせることができるかもしれない、と。
 何処かで馬鹿を言うな、と怒鳴る声がする。お前は無駄と分かっていても迫りくる隕石に身を縮こまらせずにいれるのか、と。


「タ」


 カウントダウンが刻まれる。魔王の宣告が一文字ごとに耳に届く。きっと流暢に流れているだろう言葉は壊れたスピーカーみたくゆっくりと、いたぶるように聞こえてしまう。俺の耳がおかしくなったのか? ……きっと違う。おかしいというなら今この状況この事態。全てが狂ったこの場で正常なものなど有る筈が無い。有ってたまるものか。


「ア」


 『ダークマター』。それが魔王が放った言葉。それが正しい形。
 それが分かった時にはもう、目の前が暗くなり、気づいた時には俺の魔力も物体のバリケードも存在されていなかった。
 でも、悲観はしない。それが分かったということは、俺が生きているという証だから。思わず体がぐらついたけれど、大丈夫。目の前に無が広がっているけれど、死んだわけじゃない。少なくともこの一瞬は。
 ルッカとカエルの姿もちゃんとある。……次に眼を開けたときには、もう見えなくなったけれど。


「────!!!!!」


 何かを叫んでいた。もしかしたら懺悔? 或いは歓喜? 呪詛の類かもしれない。叫ばずにはいれなかった。
 ……防御を中断して魔力を二人に送る。俺が危ない、という考えは今だけ捨てて二人を守れるよう願いを込めて。……勿論、俺自身が生き残りたい気持ちも強いから、第一希望は皆生前なんて都合の良いものだけど。


 どうか、運命よ俺たちの側についてくれ。
 星よ、願いを叶えてくれ。
 瑣末で幼稚な懇願が頭を占めた。










 壁はごっそりと消えて、上方にあるはずの魔王城がまるごと消えていた。木々のざわめきがここまで届き、俺が生きていることを教えてくれる。
 結果は、最上。俺は生きていて、カエルは憔悴しながらも立っていた。ルッカも腰を抜かしながらも呆けた眼で俺を見ている。魔王は「……加減が過ぎたか。対象に向ける為の方向修正もまるで不可能……やはり、まだ使いこなすには早過ぎるか」と悔やんでいるようだ。
 ざまあみろ、驚かせやがって。魔王城を再度建築するにはどれくらいの時間と費用がかかるかな!? なんて下らない啖呵を思いついて、口にしようとして、止めた。負け惜しみにも程がある。


 さらさらと塵が舞う中、俺は気を失いそうな激痛に耐えて頭を動かす。今ならきっといける。むしろ今しか無い絶好の機である、と。
 あ、あ……と舌を動かさずに作れる言葉を喘ぐ様にルッカが鳴く。カエルは目を開き回復魔法を唱え始めている。違うだろカエル、今お前がするべきはそうじゃない。攻撃のチャンスは今しか無いんだから。
 片膝を突いた体勢から右側の軽くなった体を立たせて魔王を見据える。魔王の赤い瞳は俺たちではなく何か遠いものを見つめているように思えた。ともすれば、吸い込まれそうな底の深い彩りを添えて立つ姿は到底力が尽きそうには見えない。


 ……まあいいさ。とにかく、最悪の事態は無くなった。だって、皆生きているのだから。息をしてれば生きている、そうだろ? 例え……


 俺の右腕がまるごと無くなっていたとしても。


「クロノーーー!!!」


 思い出したように血が噴出す俺の腕を見てルッカが金属的な悲鳴を上げる。今すぐルッカに慰めて欲しい、この吐き気がする痛みを止めて欲しい、バランスが取れない体を言い聞かせて欲しい、でも、俺は駆け寄ろうとするルッカを残った左腕で止まるよう指示して、合図を送る。今しかないんだ、今この瞬間しか魔王をやれる機会は無い!
 俺の意図が読めたカエルは治療の為のヒールを止めて、苦渋の顔で魔王に向き直る。詠唱の内容は、ウォーター。およそ魔王を倒すには役不足が過ぎる魔法。


「先に行くぞ、クロノ!」


 迸る水撃を片手で止める魔王。その顔はつまらない足掻きだと考えているように読める。続いて俺のサンダー、残った片手で魔王は受け止めた。……そこで、魔王の表情が変わる。
 魔力の結界を敷いている時なら全く効果も無かっただろう。しかし、今この時だけは別。予想だが、魔王の奥の手であろう魔法を唱え終えた今結界は無い。されとて、俺たちの貧相な魔法では傷一つつかないだろう。制止した俺に驚きながらもルッカは思考を切り替えて詠唱を素早く終わらせてファイアを魔王へとぶつけた。


 ……一つ、話をしよう。
 ルッカの実験での1コマである。密閉された空間で、恐ろしく上手い具合に水、電気、火を組み合わさった時何が起きるのか、ルッカが試してみたことがある。答えは、理論上では爆発するとの事。しかし、それはあくまで実験レベルの話。例えば、その原動力が魔力といった非現実的なものから生み出された産物の場合、その爆発はただの爆発とはまた違ったものになる。(ルッカ談)
 さらに、今から三時間と無い過去の話。カエルが魔法を覚えた時スペッキオに挑んだのだが、その時一つの出来事が起きた。
 原因は何と言うことは無い。俺とカエルとルッカが同時に魔法を放ち、対象であるスペッキオに当てた時のことだ。魔力という概念がそうさせるのか、意図せずして魔力の融合は成った。しかし爆発といった単純な結果では無い。魔力のスペシャリスト、スペッキオ曰くこの現象は冥の魔力に酷似しているとの事。その力は想定など不可能、それが物体である限り存在を許さない正しく魔王の使ったダークマターに近い性質を持つ魔法。
 三人の術者が同時に異なった魔力をぶつける事で生まれる奇跡の産物。


 ───その名を、デルタストームと呼ぶ。


「……人間が、合成魔法を……?」

 魔王の驚いた声が遠く聞こえる。物理的な距離は無くとも、魔法という壁が音を遮っているのか。
 ピラミッド型の魔力の結界が魔王を包み、その体を蝕んでいく。魔力を考えれば体が消し飛んでもおかしくはないのだが、魔王は原型を残し蝕むといった表現でしかダメージを与えられなかった。
 とはいえ、この魔法、デルタストームは瞬間的に力を発揮するものではない。時が経てば経つほどにその威力は増し対象者に向ける牙を伸ばしていく。カエルの水が自由を奪い俺の電撃が体の内側を狂わせルッカの炎が体表を焦がしていく。何人たりともその方程式は破ることが出来ず、逃げるなど持っての外。魔力の乏しい俺たちでも三乗等では済まないこの力なら魔王に迫るかもしれないという希望。


「………くっ!」


 結界の三面の壁色が濃くなり魔王の様子は伺えなくなったが、微かに聞こえる魔王の呻き声から確かに俺たちの魔法は届いていると教えてくれる。


「倒れろ……もう後は無えんだ!!」


 デルタストームは俺たちの使える最大最強の大技。それだけにリスクも存在する。結界を形作る為に発動したが最後俺たちの魔力を無尽蔵に吸い取っていくのだ。魔力が尽きるということは心の力が消えるということ。まともに肉弾戦など出来よう筈も無い。そもそもカエルですら敵わぬ魔王の技にルッカや片腕の俺が闘えるわけがあるものか、デルタストームが破られたその時、俺たちの勝ちは消える。今度こそ、消える。


「サ…………ラ…………………」


「……え?」


「ガアアアアアアアァァァァァ!!!」


 魔王の叫び声と共にピシ、という嫌な音が聞こえる。まるでガラスに罅が入ったようなそれは連鎖的にそこかしこから生まれていく。知らず限界だと思っていた俺の魔力が放出量を上げる。
 まだやれるんじゃないか、という喜びは無い。俺の体が感じたのだ、このままでは不味い、と。これは本能が危機を察知し恐怖を覚えたから魔力という袋を絞り上げて一時的に出力を上げたに過ぎないと分かったからだ。
 カエルもルッカも同じく魔力の密度を増やし集束させてよりデルタストームの硬度を高める。もう一歩で暴走稼動域と言える程の魔力を吸い取っていく、それほどの魔法なのに、それなのに、破壊音が途絶えない。
 攻撃的とさえ思えた結界の色が徐々に薄くなっていく。今では中にいる魔王の姿が視認できるほどへ。


「馬鹿な!? 単独でこれが破られるわけが無い!」


 カエルが歯を噛みしきりながら戸惑う。その声には余裕は無く魔力が途絶えるのは時間の問題だと知れた。


「ま、魔王は確か全ての属性の魔法を扱えるんだよな……? なら、もしかしたらあいつは……」


「……嘘、一人で……デルタストームを作り出して、そして……!?」


「……相殺したのだ!」


 魔王が断言するかのような口調で言い放ち、それに少し遅れてパキャ、という味気の無い音が耳に入り、俺たちの魔力結界は崩れた。今だその場に立つ魔王を残して。
 予想すべきだった。あいつがあらゆる魔法に精通し使用できるなら一人で擬似的にデルタストームを作れると。
 ……いや、無理だ。幾らなんでも一度に三つの魔法を使い、それを混合させて、大技をこなした後に、なおかつ攻撃をくらっている最中にそれが為せるなんて誰が思いつく? そんなものにどんな対策が練れるというのか。


「しても、ノーダメージかよ……」


 四肢は健在、体中が血塗れであるわけでもない。多少疲れた顔をしているが戦闘を続けるには支障ないように見える。魔王は悠然と俺たちを見ていた。
 ……いや、無傷とは言わないか。魔王の端整な彫刻染みた顔に頭から一筋の血がつつ、と流れている。俺たちに出来たことは、僅かそれだけ。まるで何も無かったかのように魔王は袖で血を拭き取り俺たちの戦果を消した。


「そう嘆くな。お前達はよくやった、ここまでやるとは私も思わなかったぞ」


「嘆くさ、お前がここまで化け物なんて知らなかったしな」


「ほお、小僧。ではお前は私の強さを知っていれば戦いに挑まなかったと?」


「そうだな……寝込みを襲うくらいはしたかもな」


 魔王は一拍置いて「ここに来てまだ軽口か……飄々としたものだ。それも意地ならば賞賛も与えようが」と告げる。


 魔力の尽きたカエルはうつ伏せになり目だけは魔王を睨み続けている。ルッカは意識すら保てず小さく呼吸を続け硬い床に体を預けていた。
 ……そうか、コレが負けか。俺たちは負けたのか。
 静かに目を閉じて終わりを待つ。後は末期に魔王が何かしらの言葉を投げかけるのを待つだけ。何も言わず鎌を振り下ろすのもいいさ。魔王と闘って敗れるなら体裁も取れるだろーぜ。
 まあさ、さっき一回諦めたことだしそう覚悟のいるものでもない。また同じように心を消してその時を待つだけだ。死ぬなんて遅いか早いかってだけのことだし? 何にもしないで爺になるのを待って誰にも見取られず孤独に老衰する、なんてオチに比べれば良い方だろ。
 だって魔王と闘って散るんだぜ? 後世に伝わるかもしれないな、非業の勇者クロノ! とかいってさ、紙芝居とかで子供たちが見たりするんだよ。そんでやんちゃなガキが「かっこいいな! 俺も勇者クロノになる!」とか言い出して、真面目な奴が「じゃあお前闘って死ぬの?」なんて言うんだ。そこで喧嘩勃発、紙芝居屋のおっさんが止めてきて……はは、悪くねえや。


──本当に?


 そうだ、母さんは何て思うかな? あの人のことだから「家が広くなった!」とか言って喜ぶのかな? うわ、ありそうでこえぇなおい……
 ……いや、きっとなんだかんだで悲しんでくれるかな。昔、よく覚えてないけど父さんがいなくなったって聞いた日に母さんは笑って「まあ、よくあることさね」なんて言って笑ってたけど、夜中トイレで起きた時、母さんリビングで泣いてたから。それを見た俺を抱きしめてくれたから、それは間違いなく愛情だったから。
 ま、これで俺のありがたみが分かるってもんさ。


──本当に?


 ああそうだ、友達からエロ本借りっぱなしだった。やべ、あいつどうするのかな……まさか俺の母さんに「クロノ君に貸したエロ本返してください!」なんて言えないだろうしなぁ……いや案外言うかも。俺の友達やってるくらいなんだから、あいつも結構ぶっ飛んでるからな、多いに有り得る。
 ……あ、そういやあの野郎俺に二百ゴールド借りたまま返してねえじゃねえか! これでチャラってか? ふざけんな五冊は買えるじゃねえか! くっそ、もうあいつとは二度と会いたくねえ! いや、幽霊になって会いに行く! んで絶対祟ってやる!


──本当に?


 あーあ、これでマールやロボとルッカと一緒に旅するのも終わりか……この調子ならカエルも仲間になって色々やりそうだったんだけどな……
 ……いや、それは別に良いか。どうせあいつら俺のことばっかり虐めて全部俺のせいにして旅を続けていくんだからな……ロボとマールは生き残るんだし、あいつら二人なら適当に楽しく生きていくだろうさ。ああ、なんならマールは国王と仲良くしてロボは家来にしてもらうってのはどうだろう? ロボは見た目が良いからそれだけでお小姓とかになれそうだよな。いや、結構面白い人生送れそうじゃん!


──本当に、そう思えるの?












「何故泣く? 小僧」


「ひっく、う……あ、あああ……」


 嘘だよ、そんなの。
 死にたくない、死にたくないよ……だって、まだやりたいこと沢山あるんだ。
 母さんと喧嘩したい。母さんと買い物したい。母さんに頭を撫でてもらいたい。友達と遊びたい。馬鹿言い合って馬鹿やって、大人に殴られて、それでもまた笑いたい。マールに色んな遊びを教えたい。もっとお祭りを巡りたいし、意見が食い違って拗ねたり拗ねられたりしたい。カエルに常識を教えられてその度俺が王妃様の話で気を逸らして馬鹿にしたりされたりしたい。ロボに懐かれて、泣かしてあやして意味の分からない偉そうな言葉を聞いて、ルッカの実験を見せてもらって怖がったり驚いたり感動したりしたいよ。
 伝記の勇者達は凄いよな、こんな時に挑発したりしてさ、死ぬ覚悟なんてとうに出来てるんだから。俺は無理だよ、山ほど遣り残したことや心残りがあるんだ。


 涙が嫌というほど出て止まらない。みっともないなんて感情は無い。ただこの場を乗り切って生き残れるならそれに越したことは無い。命乞いをしたいのに、右腕から溢れる血のせいか、口が震えて泣き声しか出せない。「クロノ……」とカエルが呟くけれど、俺はそれに何も返せない。助けて欲しいのに、それすら言えない。


「……死に際に泣くことは、恥じることではない。それは、お前が今までに何かを為した、また為そうとしたということだ」


 魔王が掌から黒い球体を作り出し、そこから俺の消えた右腕を取り出した。
 だらりと垂れた腕を床に落とすと魔王は俺の耳では理解の出来ない言葉を繋げて魔法を唱える。すると、光が辺りを包み、気づけばまるで手品のように俺の腕がまたくっ付いていた。脳内の七割を占めていた激痛が包まれていき急速に痛覚を起こす鼓動を止める。


「せめてもの慈悲だ、五体満足に死なせてやろう」


 俺への気紛れな治療が終わり、今度こそ魔王が鎌を振り上げる。湾曲作られた刃の先が俺の心臓を向く。ほとんど会話をしていないけれど、魔王は俺の命をそっと奪ってくれるだろう。痛みも苦しみも残さずに。


「し……たく、ない……」


「……」


 不意に、魔王の腕が動き俺の心臓に冷たい鉄の感触が……








「うおおおあああぁぁ!!!」


 入り込む、事は無かった。


「ぐぼっ!!!」


「クロノは殺させん……もう二度と、友が死ぬなど許さんっ!」


 魔力が切れれば立ち上がることすら困難。剣を持つことなど理屈に合わない。切りかかることは夢幻の領域。
 人から蛙に変貌した異端の勇者はそれらの理論を凌駕し覆し押しのけて、魔王に最後の一突きを体に埋め込ませた。


「は……な、れろ貴様ァ!!」


 魔王に頭を掴まれ叩き伏せられたカエルは俺の体を掴み片腕の力だけで後方に飛び距離を稼いだ。追撃をしなかったのは偏に俺を助ける為。


「か、える?」


 疑問系なのは事態が理解できなかったというだけでなく、涙で前が見えづらい俺の目には、カエルの姿が人間の女にしか見えなかったから。緑の髪をなびかせて剣を握り俺に笑いかけてくれるのが本当にあのカエルなのか、確信が持てない。確かなことは……


「大丈夫だクロノ。ここまで俺の戦いに力を捧げてくれてありがとう……後は、俺が魔王を倒す!」


 この人が、本当の勇者であること。


 魔王がわき腹に刺さったグランドリオンを抜き取り床に叩きつける。その音に反応したカエルは深い傷を負い動きの遅くなった魔王の鎌を掻い潜り落ちたグランドリオンを取る。剣を拾う為しゃがんだカエルに魔王は鎌を振るが、後ろを見ずに逆手に取った剣でカエルは受け止め、反転し剣戟を始めた。
 先程と違い今度は魔王が徐々に押されていく。こぼれていく血は止まらず回復する間を与えない。確実に魔王はカエルに押され、僅かにだが後退していった。


「おのれ……私がここまでやられるとは……!!」


「倒す! 友の為、国の為、新しい仲間の為に貴様を!」


 低い姿勢から放った一閃に鎌を弾かれた魔王はカエルから離れる為にまた瞬間移動を行い魔法陣まで距離を置いた。息遣いは荒く、全てを君臨するような風貌は焦りと怒りに満ちていた。


「このままでは……儀式の制御が……!」


「死ね、魔王!」


 恨めしげに視線を向ける魔王にカエルが飛び込み、この戦いに決着をつけようとした瞬間空間が大きく乱れ二人の姿が消えた。
 そして……聴いた。俺は確かに聴いたのだ。


 ギュルルルルルルルルルルルルルルギュルルルルルル!!!!!!!!!!!!!!!!


 世界の、破滅の音が。










 星は夢を見る必要は無い
 第二十話 表裏一体










 声が聞こえる。
 その声は遠くから響く鐘の音と共鳴して、何者にも耐えがたい心地良さを作っている。有り体に言えば、睡眠欲を高めていくような。


「クロノ……起きてよ、クロノ!」


 声の主が怒気を露に俺に語りかけるものだから、俺は鈍重な目蓋を開いて外の光景を目に写す。
 その主は、マール。顔を近づけて腰に手を当て怒りを表現する幼いポーズは彼女特有のものだった。


「いつまで寝てるの? そろそろ仕事に遅れるよ!」


「しごと……? ああ、仕事か」


 夢だ。これは間違いなく夢だと気づいた。
 夢だと気づいた点その一、ここが中世でなく現代の俺の部屋だと眼を開いた瞬間分かったこと。その二、マールがその俺の部屋にいること。その三、俺とマールが和気藹々とこんな新婚のような会話をしているという状況。ドッキリだとしても雑すぎる。


「……ああ、クロノは無職だっけ」


「そこはかとなくリアルだな、おい。止めろそういうの。夢でも不安になるだろーが」


 夢ならもっと俺に都合のいい夢であって欲しい。俺の職業は石油王とか、ハーレム王とか、ダルビッシュとか。


「まったく……これ以上父上の世話にもなってられないんだからちゃんと働いてよね!」


「父上の世話ときたか……地味に凝ってるんだな。夢にしては設定が練られてる。俺が無職なのは納得いかんが」


 しかしこれで確定した。この夢のシチュエーションは俺とマールが結婚ないし婚約しているようだ。現実の出来事なら願い下げだが、夢であるなら悪くは無い。今のところマール特有の天然暴力が発動してないし、まあ仮に殴られても夢だから関係ないのだけれど。まあとにかく怒っているのは確かだがいきなり殴りかかられることはなさそうだ。
 ……そうか、俺とマールはそういう関係になっているのか、ならば遠慮することは無い。


「マール、子供欲しくないか? 俺は欲しい。今すぐ欲しい。もの凄くぶっちゃけるとそこまでに至る過程を楽しみたい」


「クロノ……私の話聞いてた? 働いてって言ってるんだけど」


「いいんだそんなことは。これが夢ならいつ起こされるか分かったものじゃない。というわけで今すぐ俺と交尾しよう」


「段々言い方が直球になってるよ。そして駄目だよ、私たちまだ子供だもん」


 やはり駄目だったか……
 ジョージさん、貴方はどうやって若い女の子を口説き落としたのですか? ぜひ僕に教えて欲しい……


「まあいいや、いただきまーす」


「ちょっ、クロノ!? 駄目だってば! まだ明るいのに!」


「大丈夫だって! 俺早いから! ボブサッ○とあけぼ○の試合くらい早いから!」


 今、めくるめく淫欲の世界へと……







「クロ、起きたか?」


 …………キスをする為に目を閉じて顔を近づけていたのだが、いつまでも感触が無いことに違和感を抱いた俺が目を開いた先には金髪の男。そう男。野郎。オフェンス側。筋肉の塊。エロくない。お! と! こ! であるキーノが俺を覗き込んでいた。


「……無い。これは無いな。おやすみ」


「もう皆起きてる。あとクロだけ。心配してる、早く起きる」


 もう一度頭を落として眠りにつこうとする俺をキーノは腕を掴んで阻止する。


「嫌だぁー! こんなのおかしいじゃないか!? まだ俺は見てもないし触ってもないしいれてすら」


「いいから起きる! クロ、寝るたくさんした!」


「してない! まだ俺はしてないぞ!!」


 蛇口どころか滝のような涙を振りまきながら、俺は引きずられて何処だか分からない家を出た……こんなにショックなのは映画スーパー○ンのオチを見たとき以来だ……





「クロノ!? 良かった……目を覚ましたのね! もう、無駄に心配……かけるんじゃないわよ……ぐす……」


「ごめんルッカ。普段ならお前が俺を心配して涙ぐんでるのを見て感動するんだが、今の俺はとかく悲しくむなしい気持ちで一杯なんだ。お前の涙すら信じられない」


「……なんだかよく分からないけど、もの凄いむかつくわね!」


 膝に蹴りをいれられたが、痛みすら感じない。後……後十分、いや五分あれば俺は神秘を垣間見ることが出来たのに……キーノ、俺はお前を許さない……!
 キーノに連れてこられたのは原始の時代、イオカ村の広場だった。何故中世にいた俺たちが原始にいるのかさっぱり分からず、キーノに聞いても分かるわけが無かった。とりあえず原始山に倒れていた俺たちをキーノが見つけて介抱してくれたそうな。
 問題の俺たちが原始に飛ばされた理由についてはルッカに聞けば分かるのでは? と考えたが、俺は今極度の鬱状態なのでそんなことどうでもええやんな気分になっている。コバルトだなあ。


「……まあいいわ。あんたが起きたことでようやく始まるんだから」


 地面にぺた、と座ったルッカは肩に掛けている鞄を下ろしてよいしょ、と声を出した。年寄り臭い、とは言わない。多分殴られるから。欝の上殴られると冗談抜きで首を括りそうだ。


「始まる? 何がだ、カタストロフか?」


「その終末思想はどこから拾ってきたのよ。違うわ、カエルがちょっと面白いものを見せてくれるのよ」


 ニヤニヤしながらルッカは鞄から動画再生機、いわゆるビデオカメラを取り出し心底いやらしい笑みを浮かべている。なんだなんだ、こいつ今までシリアスだった反動か知らんが底無しに気持ち悪い顔を作れるようになってる。ギルティギ○からのブレイブ○ーみたいな変動の仕方だな、と一度考えていや、これがいつものルッカだよな、と考えを改める。


「さあて……それじゃ、いいわよカエル!」


 ルッカの言葉が終わり、近くのテントから人影が飛び出してきた。ルッカの掛け声で登場したのだからカエルだろうと渋々視線を動かす。
 それがいけなかった。やはり俺はキーノを振り切りあのまま寝ていれば良かったのだ。


「お、お、おはっ! おはようござます! ごしょ、ごご、ご……」


 噛み方が尋常ではない朝の挨拶をこなしているのは、白い純白のフリルを飾り付けた衣装、世間一般で言う所のメイド服を着た長い緑の髪を左右に括りつけてツインテールにした、哀れな女性だった。
 顔というか、肌全体が紅蓮のように赤く染め、父親に「泣くぞ? すぐ泣くぞ? ほーら泣くぞ?」と言われているように涙をぎりっぎりまで目に溜め込んでいる姿は愛らしいよりもやっぱり可哀想という評価が正しそうだ。
 着用者に合っていないサイズの為かスカートは短く、強風とも言えない風が吹くだけで下着が見えそうなデザインは可愛いというか、怪しいお店のウェイトレスに似た雰囲気。違うのはそのウェイトレスが羞恥で泣きそうなところか。人によっては喜ぶのかもしれんが、エレクトリカルな展開に脳を回転させる歯車が停止しているのでリビドー等一切感じない。感じてたまるか。


「ご、ご、ご主人たまあぁ!!」


 ぼーっと立っている俺に両掌を上向きに差し出し叫んだ女性は顔を下に向けた。静かに落ちていく雫は涙ではないかしら? という疑問をぶつけたいが、酷なので止めておく。
 ルッカはこれ以上の愉快は無いという顔で笑い転げているし、村の住人は頭を指差してくるくると指先を回している。何を言っているのか、耳で直接聞き取れないが多分「ああいう奴をぱーって言うんだぜ」に近いことを仲間内で話しているに違いない。それ、間違いじゃないですよ。
 俺が何も言わないことに不安を抱いたのか、女性はおずおずと顔を上げて俺を伺う。とりあえず目から顎に掛けて繋がる水路を袖で拭きなさい。それが何かは言及しないから。
 正直関わって欲しくないのだが、このまま何も言わないとこの無の空間が終わらない。俺は口を開こうと顔の筋肉を動かした。意識しないと動かせないとは、空気が凍るとそこに存在する生物も動けなくなるんだなあ。


「その……友達が欲しいなら、もうちょっと方法を模索したほうがいいと思いますよ、アグレッシブが過ぎますから」


「違うっ! 友達を探しているのならこんな第一印象を与えるものかっ!!」


「あ、ごめんなさい。僕、貴方と近しい人間と思われたくないので会話はしないでくれますか? 出来たら貴方だけ地面に文字を書いて筆談形式にして下さい。ていうかどっかに行ってくれませんか?」


「酷薄過ぎないかその反応!? それとなんで俺を見ない!? いや、見て欲しくないが……ええい、俺の眼を見ろクロノ! 姿が戻ったんだ、ほら約束しただろうメイド服を着て、その……おはようございます……とかなんとか言うと!」


「なんですか、お金を渡せば離れてくれますか? 新手のかつあげですか? 新しいですね。そのチャレンジ精神に乾杯。靴に貼り付いてたガムをあげますから消えてください。知り合いとすら思われたくない」


「いらん! お前が発案した要望だろうに何だこの扱いは!」


 短いスカートなのにだんだんと地団駄を踏む彼女に俺は何と言ってあげるべきなのだろう? ……うん、キモい! だな。
 それ以降なんやかんやと詰め寄ってくる彼女を徹底的に無視していたら、女性は「馬鹿者めっ! もう知らんからなぁ!」と鼻声涙声の負け惜しみ染みた言葉を置いてテントの中に走って、消えた。


「アッハッハッハ!! ……あー、面白かった」


「趣味が悪いなルッカ。あの決めポーズや髪型はお前がやらせたのか?」


 笑いすぎて出てきた涙を拭い、ビデオカメラの録画を止めながらルッカはそーよ、と簡潔に答えた。それに従うあいつもあいつだから、別にいいけどさ。


「しかしあれだな、やはりカエルをいじると楽しいな。少し気分が晴れたよ」


「やっぱり分かってたのね。まあ雰囲気が同じだし、緑の髪で俺とか言う俺っ娘なんて早々いないわよね」


「俺っ娘て。まあそうだけど」


 カエルも律儀なことだ。わざわざあんな口約束を本気にして行動に起こすとは。どこぞのカリスマ占い師とかにも見習って欲しいくらいに。


「しかし何でまた今このタイミングで姿が戻るんだよ? やっぱり、魔王を倒したからか?」


 当然の疑問にルッカはそこなのよね、と前置きして笑うのを止める。その切り替え『だけ』は評価してもいいと思う。


「私は……情けないことに気を失ってたから分からないけど、カエルに聞いた話では魔王に止めを刺せた訳じゃなさそうね。私たちが倒れていた場所にもいなかったそうだし、カエルの姿が戻ったことからダメージはあるんでしょうけど……」


 悩みだすと髪を弄りだすのはルッカの癖なのか、短く切りそろえられた髪を指で巻き、黙々と思考に没頭している。


「けれど、魔王が生きてるならカエルの姿が元の……ええと、この場合の元は蛙、両生類の方ね。に戻るのは時間の問題じゃないかしら」


 ふむ、魔王の意思で人間に戻れたわけではないので傷が癒えて魔力が回復すればカエルの呪いも復活する、と考えるのが普通か? 折角人間に戻れたのに可哀想だな、とは思わない。人間ver.のカエルとの対面が最悪だったのでいっそ今すぐ蛙に戻って欲しいくらいだ。
 他にもラヴォスはどうなったのか、とかこれからどうする? といった問題もあるのだが、起きたばかりの俺の体を慮ってルッカは「長い話はまた夜にでもしましょう」と中断させた。気を使ってくれるのがルッカだと何故こうも裏を感じるのか感じてしまうのか。
 まあそういうことなら、と久しぶりでもないが原始に来たので散歩でもしようかと歩き出した俺の背中にルッカがねえ、と声を掛ける。


「気分が晴れたなら良かったわ。あんた、自分じゃ分からないかもしれないけど随分暗い顔だったわよ?」


「はは、ちょっと良い夢を見てるところで邪魔されたから、気が立ってただけだよ」


 ルッカを見ずにそのままこの場を離れる。すると後ろから「お前、今の舞、オモロー。もいっかい、やれ」というイオカ村の人々の声と、遅れて「嫌に決まってる! そもそも舞じゃない! おい、クロノは何処だ? 助けろ! うわあぁ外に連れ出すなあ!!」という女性の声が聞こえる。思わず笑ってしまうのは、勇者としてのカエルとのギャップが激しすぎるからだろうか。


 カエルの救助要請は無視して歩き続ければ、綻んだ顔が徐々に消えていくのが自覚できた。次に漠然とした何かが背中を疼かせてきた。人気が薄れるに連れて知らず足を前に進めるスピードが強まり……気づけば、体の疲労具合を度外視して走り出していた。


 ──……お、だけ、は、………くれ──


 これだけは、言っちゃならなかったのに。形にしてはならなかったのに。


 しばらくしてから顔を上げて辺りを確認する。イオカ村から北へ北へと走り続けて、辿り着いたのは乱雑に木々が組み合う森林、いや密林だった。人影が無いか、最後にまた確認する。ぎいぎい、という鳥か獣か判別の出来ない鳴き声以外に、話し声も足音も聞こえない。仮に、人間が隠れていても、我慢は出来なかったので意味は無かった行動だった。


『気分が晴れたなら良かったわ』


 ルッカに悪意は無い。俺自身、少し気分が晴れたと言っているのだから。悪意なんて微塵も無い、優しい確認だったはずだ。けれど……


「晴れる訳無いだろ……!!!」


 右手に見える木の幹に横殴りに拳をぶつけて、はらはらと木の葉が落ちていく。木の上に猿が座っていたようで、驚きながら木の枝と枝を飛び移り、正真正銘今この場にいるのは俺だけになった。もう耐えなくてもいい。


「……う、うえ、ぐう、ううう……」


 自分の頭で一際冷静な自分が、こんな短いスパンで泣いたのはいつぶりだっただろう、と過去を振り返る。母さんが最初で最後に泣いた日。ルッカの母さんが亡くなり、勝気な幼馴染が壊れたように泣いた日、現代に帰り、裁判になってマールに大嫌いと言われたその日も、泣いた気がする。看守に聞かれたくないから、強く顔を布団に押し込めた事まで思い出せる。
 なあんだ、結局俺は、誰かが原因で泣いたことしかないんだ。それが普通だと分かっていても、今流している涙がとても新鮮なものに思えた。


 ……あの時、魔王に鎌を下ろされる前に俺が吐いた言葉。言葉にしてはいないけれど、それは血を流しすぎて喋れなかっただけ。誰の耳にも聞こえていない、でも俺だけは聞いた。明確に明瞭に絶対的に聞いた。


『俺だけは、助けてくれ』


 言い訳ならあるさ。俺から気を逸らした後に後ろから攻撃するとか、なんなら今この場を凌げれば状況が好転するかもと考えた嘘だったんだって思い込めないわけじゃない。でもその建前こそ嘘なんだって、俺こそが知っている。
 後ろから攻撃する? 右腕が無くて転がるしか出来ない俺に何が出来た? 事態が好転するかも。それは良いな、毎日毎日そんな風に考えられるなら人間は何もしなくていいじゃないか。だってなんとかなるんだから。


「ひっ、あー……ひっく、あー……」


 息を吐きながらでも言いやすい『あ』の文字を呼吸を整える意味で声に出す。
 俺だけは、と言った。俺は確かに俺だけは助けてと言った! じゃあ俺以外はどうでも良かったのか? ルッカもカエルも俺が生き残るなら別にいいのかよ。
 今はそう思わない。心の底から二人のためならこの身を……なんてヒロイックな事を言える。傷だらけの体で剣を振り回しなんなら「俺のことは気にするな!」なんてありきたりな言葉だってスパイスに混ぜられる。でも、それはただの痛々しい妄想。事実、俺はいざそういった状況に陥れば……ほら、虫以下の人間が今ここにいる。


「……じまえ」


 少し、どころではなく声が小さすぎた。これでは声を出した俺すら聞こえない。荒れる呼吸をコの音を出しながら平常に戻すよう試みる。
 言え、言った所で何が変わるでもない。でも言え、でなきゃ本当に実践しそうだ。自分から首を吊って窒息して手首を落として火に飛び込んで圧殺されて撲殺されて爆死して息絶えてしまう。
 口を開く瞬間、後ろで何かが羽ばたく音が聞こえた。でも、邪魔さえしなければどうと言うことは無い。


「死んじまえっっっ!!!!!!」


 無意識に魔力を付加させていた蹴りが目の前の樹木を叩き折っていた。じりじり、という音を立てて倒れていく様すら魔王の前に伏した俺の姿とデジャヴして一向に気分は明るくならない。
 ……それでいい。俺が、あいつを倒すまでこの気持ちが消えなくて良い。奪い取るその日まで、俺があいつの命乞いを聞くその時まで、嬉々として燃えるべきなんだ、この黒い感情は。


「返してもらうぞ……俺のプライドを……」


 今現在何処にいるかも分からない青い長髪の男に、逆立ちしても敵わないだろう男に俺は果たし状を送りつけた。


「い、いきなり……そんなに怒らずとも良いではないかぁ……」


「木を蹴り倒した時に後ろが見えたから気づいてたけどさ、もうちょっと待っててくれないかな。今お兄ちゃんカッコイイ事してる時だから」


 ため息を吐きながら俺の決意表明シーンを台無しにしてくれた人物に声を掛ける。その人、いや人ではないが、そいつは頭を抱えてその場に座り込み、下方から上目遣いでこちらを伺い俺が少し動くたびに小さな体を震わせていた。


「だって……久しぶりだからな。私と会えずに泣いておるのかと思い空の散歩中に下りてきた次第なのだが……次第の使い方は合っておるか?」


 言われてみれば、後ろに大きな怪鳥が姿勢良く大地に足を下ろしていた。なるほど、こいつに乗ってたわけだ。これでさっきの何かが羽ばたく音が何か解明できた。恐ろしくどうでもいい。略しておそろい。


「どれだけ自分が愛されてると思ってんだよ。久しぶりでも無えし。最後にいまいち使い方の分からん言葉を使うな」


「何を言う、私は愛されておるぞ? 貴方を愛さぬ者はおりません! と言われたことがある。えっへん」


 前半の言葉だけを切り取り受け取った(もしかして一つ以上の突込みには対処出来ないのかもしれない)そいつのふんぞり返って腰を突き出す格好は様になっていた。偉そうとかじゃなくてなんだろ、保育園で一生懸命お遊戯をする園児の愛らしさが実に表現できている、的な意味で。


「……もういいや、疲れた。さっきのはお前に向けた言葉じゃねえよ。気にするな、アザーラ」


 恐竜人の主は目を輝かせて、飴玉を舐めたように破顔した。











 カエルを中心とした騒ぎも一段落がつき、イオカ村の人々は狩りの準備を始めた。冬が近いので食料を集めなければならない、という意見にルッカは分かってはいたものの、やはり暮らしの違いを大きく感じていた。


「そういえば、エイラはどうしたの?」ルッカの問いに人々は「エイラ、村行った。ここと違う、ラルバの村。一緒に闘う、頼みに行った」村人は続く質問を聞く事無く自宅のテントに入っていった。
 猛獣の類を寄せ付けないためか、延々と燃えているたき火から木の焼けた匂いが鼻腔に届く。それを嫌がったわけではないが、ルッカは先程イオカ村を出た幼馴染に習ってこの地を散策しようか、とぼんやり思いつきエイラを探すついでだ、と適当な理由もあるので足取り軽く歩き出した。
 

 数歩と進まぬうちに後ろからカエルが近寄り、「置いていくな! もう少しで村の踊り子に任命されるところだ!」と憤慨して現れた。そうすればいいじゃない、と突き放したかったが、もう充分楽しませてもらったエンターテイナーに冷たく当たる必要も無いだろうと一応の謝罪を送ると、苦い顔ながらも怒りを引っ込めた。


「それにしても、カエルって随分若かったのね。なんとなく三十を越えてそうなイメージだったわ」


「そうか? 自分でも正確な年齢は分からん。城に行けば分かるかもしれんが……うむ、お前の言うとおり三十前後だとは思うぞ」


 言われてルッカは驚き、じろじろと遠慮なくカエルの全身を見る。大きくは無いが、小さくも無い平均的な胸囲を視界に入れぬよう努めて。
 足は鍛えられていることから正にシカの如く。けれどひ弱そうな印象は受けない。どちらかというとワイヤーロープのような頑丈さを際立たせる。腰は脂肪など存在しないように美しい曲線を描きくびれが服の上からも確認できるほど。首筋や頬など、皺の集まりそうな部位にはそれらしいものは見受けられない。肌色はマールに劣らず透き通り、筋肉の部分だけ見せず着飾れば令嬢ともとれそうだ、というのがルッカの評価だった。


(……消そうかしら?)


「酷く陰鬱で暴力的な感情を向けられている気がするのだが、どう思うルッカよ?」


「気、でしょ。勘違いじゃない?」


 解く閉じられた視線をかろやかにかわしルッカは引き続き当ての無い散歩を続ける。


「にしても、三十ね……とてもそうは思えないわね。良いところ二十過ぎ、って感じよ。女の目で見ても」


「ふむ……それは多分、俺が姿を変えられたのがそれ位の年齢だったからではないか? 蛙になっている間、人間時の肉体の年齢は成長を止めていたのかもしれんな。それでも二十後半かどうか、という年だったと思うが」


「童顔ってことかしら? にしても……使い方によっては、魔王に姿を変えられるのも悪くないかもね」


 そうして会話が終わり、黙々と歩き出す。本来、出会って接した時間がそう長くないカエルと二人で歩くのは少々気まずいのではないか、と危惧したルッカだが、思いの他沈黙が息苦しいとは感じなかった。同じ女性であるというのもあるだろうが、年上の落ち着きだろうか? カエルの空気は戦闘時と違い中々に穏やかで、躍起に話さずともいいのだ、と思わせてくれる。


(ま、そんなだからクロノがからかいたがるんでしょうけど)


 幼馴染が楽しげにカエルと会話している事を想像し、不穏な感情が浮かびそうで、ルッカは違う考えにベクトルを変えることにした。カエルに罪は無いのだ。自分の命を救ってくれた恩人でもある。きっかけも無しに当り散らすのはどうだろうか? と思い直した。


「ねえ、カエル。また元の姿に戻るかもしれないけど、完全に人間へ戻れたらどうするの? やっぱり中世のお城に帰って王妃様を守るとか?」


 カエルは少し考えて、いや、と否定する。


「俺はもう騎士ではないからな。全てが終われば……ふむ、旅でもしようか。俺の知らん世界などいくらでもあるだろう。そうして剣の腕を鍛えるのは悪いことじゃない」


「修行馬鹿ね……ほら、一応あんたも女なんだし、誰かと結婚するとか……考えないの?」


 もし自分の知る赤い髪の馬鹿を出せば恩だろうがなんだろうが全て忘れて森の中に埋めてやろうという計画を瞬時に組み立て、ルッカは何事も無いように聞いた。「何だ? 急に」と笑いながら緑髪の女性は遠く、雲の先を見つめた。


「俺は女ではない。そう言っただろう? 男を好きになることも……これから先、もう無いだろうさ」


 ルッカは『もう』と言ったことを問い詰めることは無かった。カエルが過去、慕った男の名前は聞かずとも分かるし、その男がどうなったかも知っているのだから。
 新しい恋を探せば? と言おうとして、やはり口を閉ざす。気恥ずかしい台詞を吐くつもりは無いし、柄でもない。くわえて無責任過ぎる発言は相手を困らせるか傷つけるからだ。そのどちらもルッカにとって本位では無い。話題を変えて、自分たちにとっては非常に重要な事を聞くことにした。


「も一つ質問。カエルは……私たちの旅に同行してくれるのかしら?」


 素っ気無く、どちらでも良いというように取った確認。頼み込むのも妙な話しだし、カエルの意思を自分たちの都合で捻じ曲げることは出来ない。自分のポリシーとしても、カエルの性格からしてもそれは不可能だ、とルッカは感じ取っていた。
 その世間話のような問いかけにカエルは「勿論」とだけ答えて、ルッカは相手に聞こえぬよう安堵の息を肺から逃がす。これから何が起こるか分からないし、戦いが続くのかどうかも不明瞭ながら戦力が減るのは喜ばしいことではない。彼女のような戦いの達人はいるだけでこちらを鼓舞してくれる。


「……不安だったのか? 見くびるな、俺は受けた恩は必ず返すさ」


「別に、不安だったわけじゃないわ。それならまあ、あの馬鹿の剣でも見てやって。才能なんかあるかどうか分かったもんじゃないけどね」


 素直じゃないな、というカエルの言葉にどっちの意味で? と聞きたかったのだが、ルッカの口が開く前に目の前で妙な光景が見えたため、それは叶わなかった。
 それは現代なら珍しくも無いもの、黒い煙である。何か竈で焼いているのか、汽笛でもその黒煙は吐き出される。古いものでは煙突なんて設備からも作られるそれが、イオカ村の北、森の中からモクモクと持ち上げられていた。


「何あれ……火事?」


「分からん。だが森の中心で、というのは妙な話だ……行くか?」


「……そうね、クロノがいないってのは面倒だけど、もしかしたら私たちと同じように向かってるかもしれないし」


 やることが決まったと、二人は大地を蹴り上げ走り出した。








 上を見ればいつもより近づいたような、爛々とした太陽、その周りを青い色彩が囲みさらにその青の中にばら撒いたような白い雲。うむ、これはいつも通り。なんら変わらない。問題は下。
 自分より何倍もの大きさである筈の木々の集まりが掌で覆い隠せる。人間たちは豆粒のような……まるで人がゴミのようだぁ!! と言いたくなる様なこの光景。次いで前を見れば鼻歌を鳴らしながら左右に頭を揺らしご機嫌そうに怪鳥を操るアザーラの姿。今こいつを蹴り飛ばせばさぞ愉快だろうに、それをすれば俺の命が途絶えると途方も無く理解できるのでぐっと抑える。


 クリスマスなんて幻想の塊、バレンタインはどこぞの司祭様が殺された日で恋人が子供作りに励むイベントじゃねえんだぞ! というのが信念の俺、クロノ君は今現在拉致されて空中遊泳の真っ最中であります。震えるぞ体! 縮こまるぞ俺の息子!


「どうだクロノ? 空のお散歩は楽しいであろう」


「殺すぞ一人しかいない小人。今すぐ降ろせさあ降ろせ。その後刺身にして喰ってやる」


「あっはっは。クロノはモノを知らんのだなあ。この私アザーラは食べられんのだぞ」


 五十台上司の頭よりずれている会話の中、どうしてこうなったのか、十五分と経っていない過去を振り返ってみた。
 なあにそう時間の掛かる作業じゃない。単純すぎてあくびが出そうな程簡潔な出来事。あの後アザーラに「折角会ったのじゃ、遊ぼう!」を連呼され「芋の根でも食べてろ」とあしらっていたらアザーラが急に「サイコキネシス!」と叫び俺の上に頭より少し大きいくらいの石を作り出し落とした。お前、妙な力があるんだなあ、と感心する暇なんかあるわけが無い。目が覚めると俺は世にも珍しい空の旅を満喫していた、という訳だ。納得できるか!


「おいおいアザーラおいアザーラよ、お前はどうにも常識に疎い所があるな。勝手に他人を連れまわしてはいけないんだ。大きなおじさんに怒られるぞ? 誘拐罪がどうとか言いながら怒られるんだぞ?」


「お、怒られるのか……それは怖いが、それでも私はクロノと遊びたいのだ!」


「それでも地球は回ってるんだ! みたいな言い方をしても許さん。早く俺を元の場所に戻せ!」


「うう……そうは言うがな、クロノ……もう着いたぞ?」


 言われて、膝の間に入れていた頭を起こしもう一度周りを見ると、確かにもう空の上にはいなかった。揺られている振動も無いし、胃液が逆流しそうな浮遊感も無い。
 喜ぶべきだし、今すぐアザーラの頭を掴んで振り回すのが正しい行動だと分かってはいるのだ。


 俺の目の前に、厳格な顔をした恐竜人達が整列している図を見なければ、そうしていただろうに。


「「「アザーラ様、ご帰還おめでとうございます!」」」


「うむ。今帰ったぞ。ああ、この人間はこれから私と遊ぶのだから虐めるな」


「「「ははっ!!」」」


 どう見ても子供、むしろ幼児であるアザーラに百近い恐竜人達が礼を取っている姿は珍妙どころかシュールと言えた。超現実的、これほど型にはまる言葉が他にあるだろうか?
 怪鳥から降りて「早く早く!」と急かすアザーラに俺は震えた唇で、正確に音に出せているかあやふやな口調でおずおずと切り出した。


「あの、アザーラ、さん? ここはどこでせう?」


「んむ? 知らんのか? ここは……」


 恐竜人たちの並ぶ後ろに、焦げたような色合いの城が鎮座して、その最上に円球の先が尖った物体がどすりと乗った建物。城の周りは切り立った崖になっており崖下には大地も海も川も無く、ごぼごぼと威嚇するように溶岩が泡を立てて大地の音を奏でている。森林といった緑はそこに無く、俺のいたイオカ村がある大陸まで繋ぐ橋は無い。下方から浮かぶ煙は硫黄の臭いがして、自分が何処にいるのか忘れそうだった。
 城にはバルコニーのような外部に出ている床が至るところに設置されており、投石器や槍を構えた巨大な恐竜人が守りを固めている。この地に下りた者を決して生かすまいと。
 それらの地形条件、守り、恐竜人という並みの人間では太刀打ちの出来ないモンスターが詰め込まれているという事から、ここは城というよりも要塞ではないか、と考える。しかし、この場所は確かに城であると続くアザーラの言葉で知ることが出来た。


「ティラン城。我等恐竜人の本拠地だ」


「……やっぱり俺、命乞いって悪いことじゃないと思う」


 誰か助けてくれ。主に俺の仲間たち。俺が美味しく食べられる前に。









「……何……これ?」


「死臭が酷い……何が起こったのだ……?」


 クロノの声無き嘆きが産まれる少し前、ルッカたちは煙の出所の森中心部に足を運んでいた。この場合、森中心部と言っていいのかどうかは、微妙なところだが。
 本来そこは細々としながらも数多くの人間が生きていた村があった。
 その名をラルバの村という。
 今やラルバの村は焼かれ、そこに生きる者は半数に満たない。生き残るのは数にして五十を切る。残った者でさえ生きようとする意思など欠片も見えぬ輝きの無い瞳でここではない何処かを見つめていた。視線の先は差はあれど、過去。自分たちが笑えていた時、大切な人が生きていた時の残照を表情の無い顔で、必死にかき集めていた。
 そこかしこから怪我人の呻き声が聞こえる。ルッカが目を向けると全身のほとんどの皮膚が焼け爛れて言葉に出来ない悲鳴を聞かせている。その人物は……だからより哀れ、という訳ではないが、ルッカには痛ましいを越える何かを抱かせる人物。見知った誰かではない。ただ顔の判別もつかないほどに体が焦げたその人は女性だった。もし自分が……と考えただけでみのけがよだつ。


「カエル、私はマールと代わるわ。流石にもう動けるでしょうし、あんたは怪我人の治療をお願い!」


 カエルの返事は待たずルッカは時の最果てで待機しているマールと交代してこの時代から姿を消した。カエルはそれに何かを言う前にヒールの詠唱を始めて、ルッカに代わり現れたマールもその臭いと光景に「ひっ!」と声を上げたが、繋がる悲鳴を噛み殺しケアルの魔法詠唱を開始する。
 魔法でも到底間に合わないだろう怪我人に祈りのような治療を続けた……けれど、マールやカエルの尽力であっても助かったものは二桁を越えることは無かった。


「怪我人は! 他に怪我をしておられる方はいませんか!?」


 現地の人間の男から、治療を必要としている人間がいないと告げられた時、マールは喜ぶでも無く、肩の力を抜くことも無く、愕然と座り込んだ。
 見たのだ、かろうじて原型を保っていたテントの奥に、まだ治療をしていない人間が山といるのを。
 男は言った。治療を必要としている人間はいないと。では彼らは? 治療を必要としていなくても、酷い怪我をした人間が大勢いるのに。


「そ……そこにまだまだいるよ! 私はまだ治療できる。まだ助かるよ、諦めないで!」


 マールから見て『怪我人』の人々に近づこうとした時、カエルが止めた。もういいのだ、と。
 キッと顔を変えてマールは「良くないよ! 怪我した人がたくさんいるんだから!」と叫ぶが、カエルはマールの腕を離さない。振りほどこうと力を込めてもマールは自分の腕が石になったのかと思うほどびくともしなかった。
 何度も「離して!」と怒りを露にカエルを突き飛ばそうとしたが、カエルが動かぬことを知ると、いよいよ認めたくない考えが頭を支配しだした。男は言った、『治療』を必要としている人間はもう『いない』と。


「マール……彼らはもう、いいんだ」


 カエルの確信をぼかした言葉が引き金になり、そこまでとなった。彼女が涙を塞き止められたのは。
 泣き出すだろうと予感したカエルは彼女を抱き寄せようとして、腕を止めた。マールが涙を流しながらも、絶対に泣き声を出さないと唇を噛んで耐えていたから。それを邪魔することは出来ない。
 マールは人目をはばからず泣いてしまおうか、とも考えた。しかしそれは出来ない。混乱し、騒いで助けようとムキになるのはともかく、泣くことだけは出来ない、と。自分は部外者だから。
 今この場で泣いてもいいのは自分ではないと直感した。それはただの同情から来る涙。自分と密接に関わりのある人ならばともかく、自分は今日この場で死んだ人々と何の接点も無い。なればこそ、今泣いてはただの興味的な、空気に流されて悲しむだけとなり死者を冒涜してしまう、と思い至ったのだ。
 それが正しいのかどうか、分かることは無い。ただマール自身がそう疑わないのなら、その決意を揺らがすことは無く、出来る限り平静に歩き出した。何故こうなったのか、まだ話すことができるものを探しに。


 それは、思っていたよりも早かった。誰もが口を開くこと無いラルバの村で、唯一誰かの話し声が耳をついたために。迷わずその方向に走り出したマールは火にやられながらも形だけは保った炭の草木を掻き分けて、原始の友人であるエイラと、エイラに喧嘩腰に話している老人の姿だった。


「エイラ……これ見ろ、この有様……」


「…………」


 老人は静かに、けれども聞いている誰もが分かる程の怒気を滲ませて沈黙するエイラに話しかけていた。
 老人は片手に持つ杖を動かして、無残な姿となった村の残骸、また人の死体を杖の先に移した。


「お前の後、恐竜人つけてた。だから、この村、こうなった……!」


「……ごめん、なさい……エイラ、エイラ……」


 エイラの謝罪を聞いた瞬間、老人は高らかに笑い出した。それは愉快ではなく、狂気と憤怒が混合した、この世で最も不快な色合いの、笑い声。


「エイラ……ごめん? ごめんか……ふざけるな! お前ら恐竜人に楯突く! 愚か! だからワシら隠れてた! だが……お前ワシらに戦え、言う……まだ、まだこんな目にあってもエイラ、ワシラに戦え言うか!?」


 最後は声にならぬ声でエイラを糾弾する老人。その雰囲気に思わず飛び出して仲裁しようとマールが飛び出し、後ろについてきたカエルも姿を出す。
 老人は突然現れた人間に驚いた顔を見せたが、エイラは二人を見ずに、老人の目を見てはっきりと宣言した。


「生きてるなら、戦う。勝った者、生きる。負けた者、死ぬ。これ、大地の掟。どんな生き物も掟には、逆らえない」


 冷酷を過ぎ凄惨とも言えるその発言に老人は目を見開き、マールとカエルの制止の言葉を聞かず怒りのままエイラに杖を振り下ろした。
 バギ、という音が鳴り、杖は折れエイラの額からだくだくと血の流れが溢れる。それでも、目に血が入ろうとエイラは老人を凝視し続けた。自分の決意を託すかのように。


「長老、お前達生きてない。死んでないだけ」


 エイラの言葉が刺さったように老人は尻餅をつき、手に持った杖を落とした。
 何か辛辣な言葉を投げかけようと、唇を上下させて……諦めた。きっと何を言っても、この女性には届かないだろうと悟ったのだ。


「エイラ、お前強い。だから……ワシら、力ない。何も……出来ない」


「違うっ!! 力ある、戦う、それ逆! 戦うから力つく! ……エイラたち力貸す。だからプテラン、プテラン貸してくれ!」


 それから数回の会話を終えて、エイラは風のように飛び出していった。マールたちは声を掛けようとするも、エイラの耳は風が邪魔をして聞こえることは無かった。


「追うぞ、マール! 何がなんだか知らんが、放っておいて良い訳はなさそうだ!」


「う、うん! でも、もう見えなくなっちゃったけど……」


「とにかく、エイラが走ったほうに向かうんだ! このままここにいる訳にもいかんだろう!?」


 慌ててエイラの後を追おうとしている二人に、疲れた声が背中に降る。今まで怒りに満ちていた老人である。
 彼は、何かを無くした様な顔でぽつぽつと語り始めた。



「……ここから北、プテランの巣、行け。エイラ、そこに向かった」


「……助かる、御老人」


「エイラの事……」


 そこから先は聞こえなかったが、マールたちはエイラの後を追った。予想が出来たから、一々聞き返すような真似は出来なかった、二人にはどんな想いで老人がそれを言ったのか分かったから。
 『頼む』と言ったのだ。聞こえなくても伝わった。どんな事をしても、エイラが恐竜人たちにこの場所を教えたことに変わりは無い。彼にとってエイラは恐竜人に次いで憎い相手のはずだ。いや、なまじ同じ人間だけあって恐竜人よりも憎いかもしれない。
 そんな感情を抱く人間を、頼むと、守ってくれと言ったのだ。
 二人の走るスピードが上がった。







「だるまさんが……鼻歌混じりにー、淫行条例に違反した!」


 アザーラがこちらに振り向くと同時に、俺は動きを止めた。念入りに俺が動かないか見るアザーラ。その目は尻尾を出さないか、と考える猟師の如し。
 数秒の観察を終えて諦めたアザーラは後ろを向いてまた壁に頭をつけ、「だるまさんがー」と進行可、という表示的定文を口ずさむ。どう考えてもその決まり文句と言うか、おかしいと思うんだ。どうやって無機物が淫行を犯せるのか。近くで俺を見張る恐竜人達が怖いから口にはしないけど。


「鼻歌混じりにー……非核三原則を遵守しなかった!」


「お前にとってだるまさんとは何だ!?」


 思わず突っ込んでしまった俺にアザーラは「わーい、私の勝ちだ!」と両手を上げて喜びを表現する。頭が悪いくせに中途半端な知識用語を使うのはいかんともしがたい、歯がゆさに似た何かがある。ちゅうか、わざとじゃないのかこのウザ可愛いそれでいてウザい生き物め。中学生女子を体現するかのような奴だ。


「はあ……それで、次は何をするんだ? かくれんぼか、鬼ごっこか、INシテミルか?」


「最後が良く分からんが、面白いのか?」


「原作はな」


 エモーショナルな会話だ、と自分で自分を褒めようかな、案外学者の人間というのは俗っぽいというし。


「ふむ……遊ぶのもいいが、おなかが減ったぞ。クロノ、一緒におかしを食べに行こう」


「おかしときたか。つくづくお前が十六歳というのが信じられん」


「うぬ、おかしでは駄目か? では何と言えばいい?」


「今時はスイーツと言うのが主流だそうだ」


 ナウいの最先端に位置し尚も高校生たちのカリスマポジションを譲ること無い現代のスタークロノここにあり。マジとねえ。(とんでもねえ、の略)


 クロノは物知りだ、と感心するアザーラを連れてティラン城の食堂に向かう。そもそも恐竜人たちの食べ物に調理が必要なのか? と聞きたかったが、アザーラのごく人間に近い姿を見ればそういうものか、と勝手に納得してしまう。
 しかし、今までティラン城を遊びながら色々と巡っているのだが、アザーラのように人間と見間違うような恐竜人は一切見受けられない。アザーラにそのことを聞いてみると、「それはそうだろう。私が恐竜人の主として君臨しているのは、それが理由じゃからな」との事。


「どういうことだよ。まさか、恐竜人には女性が産まれづらいから、女性であるアザーラが女王になってるとか?」


 自分で言いながら、これじゃあまるで蜂と同じだ、と思った。
 アザーラは首を横に振り、


「より人間に近い女性体であるから、が正しい。詳しい理由は知らんが、人間に近い性質の私は特別な力を得ておるのでな。クロノも見ただろう、私のサイコキネシスを」


 俺たちの使う魔法のようなものか、と納得する。そういえば、スペッキオが人間か魔族しか魔法は使えないと言っていた。通常の恐竜人よりも人間に近いアザーラならではの力は恐竜人たちを屈服させるのに充分だったわけだ。


「勿論、血統なども重視されるが……私が恐竜人のトップでいる決め手はそれだ。つまり私は偉いのだ」


「はいはい……分かったから、俺の手を離せ。ただでさえ暑いんだ、あまりくっつくな」


「嫌じゃ、私はいっぱいお前と遊びたいんだ」


「別に逃げやしねえよ、つうか、逃げられねえだろ。さらにはそれは理由になってねえ」


 力任せに俺の手を握るアザーラの腕を振り払い先に進む。アザーラは数回自分の掌を開き、少し悲しげに俺の後をついてきた。……罪悪感が無いではないが、そもそもここに強制的に連れてこられた時点でこっちに非は無いのだ。別に気にすることもあるまい。
 食堂までの道のり、その間もアザーラはちょこまかと俺の周りをうろつき話しかけてきたが、気にしない程度に口数が減っていた気がした。


 食堂までの長い通路を歩き、「もうすぐだ、もうすぐニズベールお手製の林檎パイが食べられるぞー!」と目をキラキラさせながら鼻息を出すアザーラをあしらいながら、(林檎パイて、おい)少し黄色した床を進む。角を曲がろうとすると、なにやら恐竜人たちが列を為して現れたので思わず体を硬くする。
 アザーラの言葉があるからか、一人では何も出来はしないと高をくくっているのかそいつらは俺に見向きもせず調和したリズムの足音を鳴らし去っていく。放っておいても問題は無いだろうと横を通り過ぎた時、見たくも無い、けれど見逃せないものが目に映った。


「……キーノ? キーノなのか!?」


 体中から血を流して床を濡らす、両腕を乱暴に掴まれ連行されているのは、俺の仲間であり友達である原始の男、キーノだった。
 晴れ上がった顔を持ち上げてキーノは「ク……ロ……?」とか細い声を上げた。瞬間、腰の剣を抜きキーノの両脇にいる恐竜人に切りかかった。後のことなど考えない、逃げ出す方法なんか助けた後考えれば充分だ、と言い聞かせて。
 ……ただ、俺の刀は振り下ろすどころか、振り上げる前に俺の手からすっぽ抜けて行った。握りが甘かった訳じゃない。そもそもすっぽ抜けたという表現は正しくない。違わず、消えたのだ。俺の手の中から。
 ギャギャギャ! と騒ぎ出す恐竜人たちを無視して俺は不可思議な現象を引き起こした張本人を睨みつける。


「アザーラ! 邪魔するな!」


 アザーラは小さな頭を傾げて俺が何故怒っているのか分からない、という顔を作っていた。片手に俺の刀をぶら下げながら。お得意のサイコキネシスとやらで俺の刀をテレポートさせたのだろう、ノータイムでそれを成し遂げるアザーラの魔力は恐ろしくもあったが、とかくこの小さな少女に仲間を救う邪魔をされたのが酷く苛立たしい。


「クロノ、そいつは私たちに負けて捕虜になったのだ。勝手に助けたらいけないだろう?」


 単純すぎる理屈を述べた後、俺に襲いかかろうとする恐竜人を抑えるためアザーラは興奮している恐竜人に向かい合って、俺には理解出来ない言語で話をしていた。
 恐竜人たちは俺のさっきの敵対行動を許せないようで喧々とがなりたてている。その騒がしさの中、キーノが俺に音を出さず『大丈夫、落ち着く』と口を動かした。
 確かに今ここで俺が暴れてはキーノまで危険になる。捕虜ということは、今すぐ処刑されるということはないだろう、もう一度連行されるキーノを見送り、俺はもう一度近寄ってくるアザーラに出来うる限り敵意を隠して、問う。


「なあアザーラ、何でキーノ……さっきの男だけど、を捕まえたんだ?」


 どうということの無い質問。しかし、捕虜ということは……捕虜というのは基本的には戦いの最中捕まえた者というのが基本。
 戦い? 誰と? 決まってる。人間だ。……それでも、俺は聞いておきたかった。この無邪気な少女が自分の配下に人間を襲わせたのか、と。


「うむ、我々恐竜人から隠れ住んでいる人間の村を見つけたからな。ほら、クロノがいた所の近くだ。そこの人間たちを皆殺しにしていたら、あの男は人間たちのリーダーに近い者らしいのだ。だから何かに利用できないかと思って」


「いや……もういい。分かった。」


 皆殺しにしていた、という言葉から、アザーラがそれに関わっていたと分かった。むしろアザーラの立場を考えれば先導していたことは明白。それが……あまりに信じがたく、聞きたくも無かった。


「まあ聞けクロノ。そこの村の人間たちがまた弱くてな、殺しても殺しても味気ないのだ。生き方に伴い、質素な死に様だったぞ? お陰で気勢が削がれて、半分近くの人間を取り逃がしてしまった。サルどもらしい逃亡方法といえば、そうかもしれんな」


 その残酷な言葉よりも、その言葉を期待していたおもちゃが案外つまらなかった、という表情で羅列させているアザーラが酷く恐ろしかった。戦慄している俺に「さあ、今度こそお腹を膨らませに行こう!」と声を掛けて、一定の間隔で床を蹴りスキップしている。食堂で出された林檎パイは赤々としていて、人間の血でコーティングしたんじゃないだろうな、と聞きたかった。


 頬の中をパイ生地でいっぱいにしてハムスターのように膨らませながらくぐもった声で「美味しいな!」と同意を求めてくるアザーラはとても血や、死、殺害、戦いなんてものと無縁に見える。対極の人物像とさえ思える。ただそれは幻想で、彼女は紛れも無く人間たちの敵、その親玉であると知ってしまった。
 忌むべきはずなのだ。怖がるのが普通で憎むことが正しい帰結。そう分かっていても、彼女の笑顔は曇り無いものだった。
 残虐な恐竜人の王。
 幼い感情を露にする少女。
 そのどちらも彼女で、分けられるものではないと納得するにはしばしの時間が必要となった。















 おまけ


 それは、カエルが人間の姿に戻り、ルッカと談話している時の1コマ。


「ねえカエル、あんたって一度も女の子らしい会話とか、行動をしなかったの?」


「急だなルッカ……そうだな、いや一度だけあったか」


 男であるクロノやロボよりも男性らしいカエルにそんな時があったのか、と自分で聞いておきながら驚いたルッカは身を乗り出して「それっていつ? どんな時!?」と問い詰める。カエルの女残した言動等、想像しがたいルッカの興味は惹かれ、自分で思った以上に食いついてしまった。
 その勢いに押されたカエルは戸惑いながらも「い、いつと言われても……うむ、ルッカやクロノと同じか、それよりも年若い頃だろうか」と曖昧な返答を送る。
 ルッカは片手にメモを、もう片手にボールペンを握り先を促す。この時点でいつかこれをネタにからかわれるのではないか、と危惧すべきなのだが、カエルは今まで、というよりも今さっきからかわれたばかりであるのにそのような懸念は一切もたず話し続けた。


「意識して女らしくしたのは、サイラスの前で一度だけだ。……いや、恋愛感情とか、そんな深い意味は無かったんだぞ」


 では他にどのような深い、もしくは浅い意味があるのだと言いたかったがそれでへそを曲げられてはつまらないとルッカは疼く唇を硬く閉じて次の言葉を待つことにした。


「町娘が着るような戦士にあるまじき格好をして、~だわ、といった言葉遣いに変えて……今思えばよく出来たものだとある意味感心する」


「もう、そんな独白はいいから。それで? サイラスさんは何て言ってくれたの?」


 面白そうだ、という想いが七。恋する乙女の行動がどう出たのかという少女的好奇心が三の割合でワクワクしながらルッカはカエルの話に集中する。カエルはしらっとした顔で質問の核心を口にした。


「王妃様なら似合いそうだ、と」


「…………あ、そう」


 カエルの余りに哀れな過去を憂いてルッカはこれ以上詮索するのは止めようと顔を背け書き込んでいたメモを切り取り丸めて捨てた。恋愛とは、語られるほとんどが幻想、期待が大半入り込んだ妄想なのではないか、と少女的とは言えない悲しい現実を思った。ずきずきと頭が痛いのは、無駄に人を詮索すべきではないという教訓になった。


「ああ。それからだろうか。俺が王妃様を愛しだしたのは」


「え? 何で? さっぱり全然これっぽっちも微塵もミジンコ並みにも分からない。どうしてそうなるのそんな風に考えられるの?」


「いや、何と言うか……とても説明しにくいのだが……」


 流麗な長髪が覆う頭を掻きつつ、カエルは難しい顔でぼやく。また突飛な答えが返ってきそうだ、と予感したルッカはこれ以上頭痛を強めないで欲しいと切に願う。
 上手く言葉に出来ない様子のカエルがたどたどしいながらも、ピースの合わない単語を構築し会話に変形させていった。


「俺が頑張ってみた結果を、他人にさらりと上に立たれたと分かった瞬間、何となく、悪い気分ではなかった……いや、深い意味は無いのだが」


 お前の言う深い意味とはどんな意味を持つのか! と首を絞めて聞いてみたかったが、それをするとこの目の前の馬鹿は喜んでしまうのだろうか、と危うい考えに至りルッカは震える右手を握り締めた。


「……それって、単純にとんでもないMってことよね……」


 まさか、カエルの王妃様に対する重たい愛が産声を上げた理由が、重度の被虐体質によるものとは、と高熱を出した時でもこうは痛まない頭を抑えてルッカはカエルに聞こえぬよう毒づいた。「? おいルッカ、今何を言ったんだ」と聞いてくるが、自分に移るかもと思うとこれ以上会話を続けたいと思えずルッカは軽く無視を決め込んだ。その後すぐにそれが良いと思われては果てしなく気分が悪いので会話を再開させたが。


(これじゃ、さっきの強制メイド服着用だって、心の底では喜んでたかもね……いや、悦んでた、か)


 ふと、からかいやすいと評し、からかうと面白いと考えた幼馴染の見る目は正しいのだな、と本人の知らぬ所で微妙に評価が上がったクロノだった。微妙の数値は限りなく零に近いものだったけれど。


(ていうか、ストーカーで変態で両刀で蛙で実は女で男性意識でサドかと思えば被虐体質って……どんだけ属性持ってるのよ!)


 そのほとんどがプラスに成り難い要素というのは、ある意味それすら属性に成り得るかも、とまで考えてルッカはもうカエルについて考えたり質問したりするのは止めよう、と心に誓った。
 もしかしたら、そのサイラスという人物も王妃狂いの変態だったのでは? という不安は浮かばなかった。
 浮かばなかったということで、いいじゃないか。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/02 21:37
「汚いな、実に汚い。お前は卑劣だ、愚劣とすら言える。偽善者、卑怯者、外道、これらの罵詈雑言を並べたとて貴様には届かぬ。お前は何だ? 何の理由があってそのような情け容赦の無いことが出来る? 答えろクロノ」


「これはこれは、自分の浅はかさを棚に上げて他人を貶めようとは稀有な存在だな、恐竜人の主というのは」


「人間、あまり分を越えると後に後悔しようぞ? 貴様の首には俺の爪が引っかかっているのだ、俺が腕を引けば貴様の喉を容易く散らせよう」


「分だと? ニズベール、その言葉は的外れだ。戦いとは分を競うものではないし、そもそも定義が無い。そんな抽象的な言葉を脅迫に使ってる時点でテメエの底は知れたな」


 スッ、と硬質な物体が擦れる摩擦音と共に、アザーラが文字の彫られた指先分の大きさの石を取る。石の裏を見た後、苦渋に満ちた顔を浮かべ、きっ、と睨みつけながら床を踏み無機質な床が悲鳴を上げた。
 そんなアザーラを見て俺は愉快に過ぎる気分を出さないように頬の内側を噛んで無理やり笑みを押さえ込む。耐え難い、真に耐え難い。何故他人を踊らせるのはこうも面白いのか? もし神という存在があったとして、その役職は甘美なものだろうと推測される。地上で蠢く生き物達を高みから見下ろし操り興を得る。尚且つ見下ろされている生物は自分を崇拝しているのだ、これほど痛快な事はあるだろうか? いや、無い。


「……クロノ、今ならまだ私も許そう。分かるか、慈悲をくれてやると言っているのだ。寛大にも恐竜人たる私が猿如きに優しさを振りまいてやると、そう言っている……貴様は何を待っている? 教えよ」


「寝ぼけたか? これは勝負だ。自分の仕掛けた地雷の位置を敵方に教えろと? それは出来の悪いコメディになりそうだ。題名の前に『本格』という枕詞があれば最上の映画になりそうだが」


「……アザーラ様、これはもう我々自身の手で奴を沈めねばなりません。臆されるな、貴方の豪運、ここで尽きるものではない……!!」


 ニズベールの言葉が後押しして、覚悟を決めたアザーラが机の上に自分の手に握られたものを叩き付けた。……ここまでだ。俺の顔の筋肉が限界を訴えている。厳重な鎖つきの鍵がじゃらじゃらと音を鳴らし落ちていく、そんな例えを思いつきながら、徐々に俺の顔がにやけ、それに反してアザーラの顔が絶望に染まっていく。嘘だ、これは違う……理屈に反している……! と誰に聞かせるでもない言葉を洩らしながらアザーラは席を立ち後ろによろめいていく。
 錠は全て消えた。さあ宣言しよう、これで終わりだ、お前に後は無い。そもそも、この勝負を俺が提案した時点でテメェの負けは確定している。地に落ちるがいい、恐竜人……!


「ロン! 翻一ドラドラ満貫。アザーラは飛んだな。これで俺の持ち点が56000。俺の勝ちだ」


「嫌じゃー!! もうこれ以上一発芸を披露するのは嫌じゃああああ!!! ニズベール助けろ!」


「あああおいたわしいアザーラ様ぁぁぁ!!! ……しかしながらアザーラ様の一発芸は大変微笑ましいので、止めさせるわけにはいきません。さっきのドジョウの真似なんかもう、乱心する勢いで愛らしゅうございました」


 俺がティラン城に誘拐されて早五日。鬼ごっこもかくれんぼもおままごともお医者さんごっこもやりあきたので俺が新しい遊びを提案したのが二日前。麻雀という遊びを恐竜人たちに教えてからまさかのフィーバー、大流行となってしまった。
 石を彫ったり色を塗ったりで牌を作るだけでかなりの時間を要するかと思っていたのだが、彼らの作業力というか技術力というか、それを総結集させたところ半日足らずで麻雀の道具を作り終えてしまったのだから面白い。『恐竜人は手先が器用である』という論文を提出すべきだろうか、すべきだろう。


 麻雀の道具を作ってから二日、今では城に住む恐竜人の約四割が麻雀に興じているという事実はいかんともしがたい。ついでにあほくさい。
 まあ、アザーラに連れまわされて筋肉痛が体の節々を痛めつけるので、テーブルゲームを所望していた俺としてはありがたい展開ではある。
 ちなみに、今さっき麻雀をしていたメンバーは俺、アザーラ、ニズベール、一般兵の恐竜人である。一般と言っても聞いた話ではニズベールの補佐的な位置にいるそうな。つまり今現在ティラン城は一切稼動していない、ということだ。トップスリーまでの恐竜人が娯楽に勤しんでいるのだから。


 ああ、蛇足に重ねた蛇足だが、俺たちの麻雀では暗黙の了解として一番負けた奴はトップの言うことを何でも聞かなければならないというルールが確立している。俺を含めたアザーラ以外のマンバーがアザーラを集中攻撃しているので、アザーラは今日の朝から延々物真似、ギャグ、給仕、赤ちゃん言葉で話す、といった罰ゲームを食らっている、というのはどうでもいい話。
 長くなったが、わたくしクロノは予想に反して恐竜人たちとティラン城での生活をエンジョイしているという酷く禍々しい話。この場合の禍々しいの使い方は間違ってない。それでも、最近では今の生活も悪いものではないと思い直している。


「アザーラ、次は一発芸じゃない。今度は生魚を咥えて『うぐぅ』と言え」


「そこはたいやきじゃないのか!?」


 何故原始で生きているお前が元ネタを知っている。


「おい! カツオ……いやマグロ持って来い! カジキでもかまわん!」


「ニズベール! 私はカジキなんか口で咥えられん! おまえらも持ってくるなぁ!!」


 ニズベールの命令に光ファイ○ーもびっくりな速さでカジキを持ってくる恐竜人に、全力の否定と自分の限界を力説するアザーラ。一週間弱共に生活して気づいたんだが、アザーラってあんまり尊敬されてないよな。可愛がられてるというか、おもちゃにされてる感が強い。後、ニズベールが何故かカエルに見えてくる不思議。仲間が恋しいとかそういったホームシック的な感情で生まれる幻覚では断じてない。あ、アザーラの口に無理やりカジキを押し込まれた。ちょっとちょっと、幼い容姿の子相手にそういう無理やりっぽいアレは規制されてるから止めて。


「けほ、けほ……うううぉまえらぁぁ!! 息ができなくて死ぬかと思ったじゃないか!」


「すいませんアザーラ様。しかし、これも偏にアザーラ様の雄姿を見たい一心で!」


「うぬ……そうか、私はかっこいいか?」


 アザーラの問いに満場一致で「サー、イエッサー!!」な恐竜人たちが最近可愛い。角砂糖でもあげればついてくるんじゃないかとさえ思えてきた。
 恐竜人萌えという新ジャンルを開拓している俺にとてとてと小さな足音を立ててアザーラが近寄ってきた。「私はカッコイイそうだ!」と嬉しそうに言うのでほっこりした俺は膝の上に手招きしてアザーラを乗せる。小さな重みが安心感を与えてくれることに、俺は小さな幸福を感じていた。


「なあなあクロノ、カッコイイ叫び声ってどんなんだろうな! 私はガオオオ! だと思うんだが」


「もしかしたらキシャア! かもしれん。何事も考えることは悪くない。色々考えて叫んでみれば答えが見つかるだろうぜ」


「そうか、分かった!」


 良く分かってなさそうな顔だけれど、指摘するのは無粋。膝の上のアザーラを持ち上げて肩に乗せた。肩車だー! と喜ぶアザーラを見て恐竜人達の顔が綻んでいくのは、悪くなかった。家族って、こんな感じなんだろうか?


「ちょっと散歩でもするかアザーラ。昼飯までまだあるしな」


「うむ。クロノ丸発信じゃ!!」


「おいおい、俺は乗り物か? しゃあねえな、走るから落ちないようにしっかりしがみついてろよ!」


 そのままブーン! と言いながら部屋を出て長い廊下を走り回る。時々すれ違う恐竜人たちに「ゲギャギャギャ!」と言われるので俺も「おお! 今日の夕食は期待できそうだな!」と返しておく。岩塩が取れるとは、肉料理が待ちきれないな。続いて現れた大猿が「ウホッホッホッ、ウホホー!」とひやかしてきたので「馬鹿、アザーラは娘みたいなもんさ!」と少し顔が赤くなっていることを自覚しつつ怒鳴っておく。くそ、なんだよあの『分かってるって』みたいな顔。頭上のアザーラももじもじしながら俺の髪の毛をいじっている。ぐぐぐ、お前まで照れたら俺も恥ずかしいじゃねえか!
 次に現れたのは給仕のハリー。恐竜人ながら、女であるハリーは最近俺とよく話す。「ゲギャ、ゲギャガギギ!」とアザーラを肩に乗せている俺を責め立ててきたので「いや、そういうことじゃなくて……分かった、今度お前と一緒に海にでも行くから、今日は勘弁してくれ!」と逃げ出した。「クロノ、お前まだあいつと仲良くしてたのか! この前も私との遊びを放棄してあいつと食事してただろう!」と髪の毛を引っ張り出したからたまらない。ああもう! こんなラブコメ展開は望んでないぞ!


 そんな、心温まる皆とのやり取りを経て、俺たちは城の最上階まで辿り着いた。最上階には二つ部屋があり、一つはアザーラの私室。もう一つは私室から長い橋を渡った先にあるブラックティラノの部屋。俺は彼の事をティラノ爺さんと呼んでいる。老獪な知恵と知識を持ち若者を毛嫌いせず、むしろ優しく気安い口調で話しかけてくれる気の良い爺さんだ。最近寝ている時に火を噴いてしまうのが悩みらしい。俺には良く分からないが、人間で言う所の入れ歯が取れるみたいなもんだろうか?


 ティラノ爺さんに挨拶していこうぜ、と言う俺にアザーラが頷いたのでもう一度駆け出す。とはいってもそう大きくない橋を渡るのだから、少々スピードは落としたが。


「グルルララアアァ!!!」


 俺たちの姿を見た途端ティラノ爺さんは嬉しそうに鳴いた。若い者と話すのは楽しいと言ってくれていたが、本当のようだ。歓迎されて、俺も嬉しい。思わず俺も元気良く挨拶をしてしまう。


「お早う! ティラノ爺さん!」


「お早うだティラノ! そうだ、相談があるんだが、カッコイイ叫び声ってどんなのだろう? 教えてくれんか?」


「グルルルル、グガガアアア!!」


 三人(内一人恐竜人、一人恐竜)で談笑して、しばらく笑い声が止まらない空間が続いたが、昼食の時間に近づいた頃ティラノ爺さんが「ゴガッ! グルルルル……」と言うのでようやく時間がかなり過ぎている事に気づいた。俺とワザーラは慌てて礼を言って、食堂に走り出す。ハリー含め、食堂勤めの恐竜人たちは時間を守らないとおかわりをさせてくれないのだ。「早く早く! 今日はデザートにババロアが出るぞ!」と急かして来る。彼女を肩に乗せて行きよりも数段スピードを上げて食堂に向かった。


「ってアホかぁぁぁぁぁ!!!!」


「ふびゃああああ!!」


 我に返った俺はアザーラの足を掴んで宙吊りにさせる。視界が急反転したアザーラは驚きすぎてカッコイイとは程遠い叫び声を出して目をぱちくりさせていた。


「なんでやねん! おかしいやん! なんで俺がこの恐竜人の巣窟でほのぼのせにゃあならんねん!」


「お、おお。関西弁が堂に入ってるな、クロノ」


「どうでもいい! あまつさえどうでもいい!」


 誰だよハリーって!? ティラノ爺さんって何だよその故郷の気の良い隣近所のじいさんみたいな感じ!? なんでグギャアとかグルルとかウホホで意味が分かるんだよ俺は! 月日って怖い! 一週間足らずで馴染んできた自分がことさらに怖い!!


「落ち着けクロノ! まつやまけんいちの最初の『ま』と『け』をひっくり返してみろ」


「けつやままんいち。それがどうしたのか!!」


 どうでもいい! あまつさえどうでもいいうえに激しくどうでもいいこと請け合いな事を抜かすアザーラを上下に揺らす。「吐くー!」とギブアップ宣言をしたので地面に降ろすとぼんやりした顔でアザーラは瞬きを繰り返し何故俺が怒っているのか分からないと言う顔をしている。分からんだろうな、俺にも良く分かってないんだから。


「とりあえずあれだ、今すぐ俺をイオカ村に帰せ! この際まよいの森でも良い! これ以上ティラン城にはいられねえ!」


 俺の帰還したい! という要望を聞いてアザーラがはっと焦り顔になって口を開いた。


「なんでだ!? あそこは人間しかおらんぞ! 恐竜人が行っても迫害される!」


「俺は恐竜人じゃねえ! 人間だ!」


「え……? ああ、そういえば……そうだったか?」


「何でちょっと不満顔の疑惑目線なんだ!?」


 そもそも、俺の不注意で攫われたといっても仲間たちも薄情だ。もう五日だぞ! 何故俺を助けに来ない? ルッカはともかくマールとカエルとロボは来てもいいだろう!? いやいやそういえば忘れてたけどキーノもここに捕まってるんだよな……? あれ、キーノって今何してるんだっけ? まさかもう処刑……?


「ああ、あの男は地下牢で牢屋番と漫才の打ち合わせをしとったぞ。今度の宴会で披露するそうだ」


「そうか……やはり原始にまともな人間はいないか……」


 前回の大怪我はどうしたのか。あんな奴助けなくても良い。勝手にM○目指せばいいさ。今年でもう終わったけど。
 俺が頭を抱えてる最中、アザーラは笑いながら俺の肩を叩いてきた。その手首を取って窓から放り出したい衝動がどんちゃん騒ぎしているけれどあえて耳を貸してみる。


「あの男がおかしくなったと言うが……原因はクロノじゃぞ?」


「……何?」


「お前が私たち恐竜人と仲良くなり、その結果人間も悪くないと恐竜人たちが考え、そうした上でそのキーノという人間と恐竜人が会話をするようになった。でなければ、我々恐竜人が人間の男と漫才などするものか」


 その漫才の部分が無ければまともな話に聞こえなくも無かったかもしれない。たった一言が全てを台無しにしてしまう。信頼と同じだ。仲良くなった理由の最たるものが麻雀というのもしまらない。


「……架け橋になった、とかそういうことか?」


「うむ。あくまでティラン城限定のことだがな。捕虜として捕まえた者をどうしようが私たちの勝手じゃ。つまり、怪我を治療しようがある程度仲良くしようが漫才ユニットを組んで世界を目指そうが自由じゃろう?」


 やっぱり漫才の下りが邪魔してあほくさい話に聞こえてしまう。よりによってなんで漫才なのか、酒を酌み交わすとかそれくらいなら許容できようが。


「……それなら、さ。人間とある程度仲良く出来るなら、共存もできるだろ? 村の人間を殺したのは……確かに、許されることじゃないけど、でも今からだってきっと」


「待てクロノ。それはつまり人間たちとの戦いを止めろ、と言ってるのか?」


「ええと、まあそういうことだ。俺みたいな奴でも仲良くなれたんなら、恐竜人と人間は一緒に暮らせるんじゃ……」


「それは、無理じゃよクロノ」


 少しだけ眉を歪ませて、まるで年上の大人が我侭を言う子供をあやすような仕草でアザーラは首を振り、俺の言葉を遮った。


「……それは、どうしてなんだ?」


 アザーラは淡々とした口調で、はっきりと告げた。


「私たちと人間は戦っている。戦いが終わるのはどちらかが負けた時……そして、負けたものは死ぬ。そう決まってるのだ」


 教科書の例文を読み上げるようにすらすらと答えるアザーラ。単純にして簡潔な理由は、現代で生きていた俺には全く理解の出来ないものだった。戦いはやめればいいし、負けても死ぬ必要性が理解出来ない。甘いと言われようが、それが常識だと疑えない。


「……分からぬか? でもな、何度も言うがこれは決まっていることなのじゃ」


 俺から離れて、窓枠に手を当てて、煙に遮られ景観を損ねている曇り空を見上げながら、アザーラは覚えやすい単語を二つ並べた。


「大地の掟、じゃからな」









 星は夢を見る必要は無い
 第二十一話 閑話休題的なアレ









「もう五日になるんだね……」


 王国暦千年より原始に降り立った王女、マールは中世より現れた勇者、カエルにぼんやりと言葉を投げかけた。「ああ……そうだったな」と返す者はカエル。少し離れて膝を抱えているのは太陽の申し子という渾名を持つ原始の野生児、エイラである。
 彼女らがラルバ村の焼け跡にて長老からプテランを使いティラン城に乗り込めと言われてから、マールの言葉通り五日が経過している。
 あらかじめ言っておこう。彼女達は決してのらりくらりと時間を浪費していたわけではない。キーノという気心知れた友、エイラにとってはそれ以上の存在である人間が恐竜人たちに連れ去られ、仲間であるクロノまでもがアザーラの手によって攫われたと村人に聞かされたときにはプテランのいる山を全力で駆け上がり、僅か二時間足らずで頂上まで辿り着いたのだ。途中、人間に戻ったカエルは戦力としてアーマーを付けたロボよりはマシ、という役立たずであったという新事実が発覚し進行に影響が出た上でのハイスコア。これはマールの闘志とカエルの役立たずながらも懸命に剣を振った結果である。(途中、ルッカとの交代を余儀なくされたが)
 二人がエイラと合流した時、エイラがティラン城の恐ろしさを説き二人は待っていろと気弱な彼女が怒鳴りだした時はマールも怯んだ。とはいえ、その言葉通りにする彼女ではなく、後に口論になったが、仲間のクロノが攫われたこと、次にキーノやエイラは自分にとって大切な友達であるというマールの言葉に胸打たれたことでエイラは三人でティラン城に行くことを同意した。若干以上、カエルが仲間外れだったことは言うまでもない。


 そう、彼らは必死だった。一分一秒でも早く己が仲間を救い出さんと尽力したのだ。ただ、誤算が一つ。


「まさか、プテランが近くに来ないなんてね……」


「キーノ、キーノ、キーノ、キーノ……」


「落ち着けエイラとやら。きっと方法はあるはずだ。多分恐らくもしかして」


 プテランの世話をしている者がいればすんなりプテランを呼び寄せてティラン城に行けたらしいのだが、その世話係がヘルニアの為プテランを操れないというどこまでも愚かしい事態となっているのが彼らの停滞の原因である。
 最初は彼らも「大丈夫! 私たちだけでもプテランを乗りこなせるよ!」とマールは意気込み、「俺の乗馬技量は半端ではないぞ?」と調子付いたり(そも、馬ではないのだが)「キーノ……エイラ行くまで、待ってる!」と決意したり、全員やる気というボルテージは上がりきっていた。それも三日を過ぎたあたりから下火となり、今ではプテランを呼ぶ動作すら行っていない。


「ていうか、プテランってあんな大きな鳥だったんだね」


「そうだな、まあマグマで囲まれているというティラン城に乗り込むのなら空を飛ぶしかあるまいし、大鳥というのは予想できたが」


 彼らのいる場所こそ山をネズミ返しのように切り取った崖だが、話しているテンションは喫茶店でだべる学生のそれであった。適当に話題を投げてまた適当に返す。
 最初は姿の戻ったカエルに戸惑うようにしていたマールも三日間(五日の内二日ほどはカエルとルッカが入れ替わっていた)カエルと過ごしていれば仲良くなるを越えて話す話題も尽き、だれた友情関係が結ばれていた。だれた、を強調すべきだろうか。


「……思うんだが、打つ手無しじゃないか? これだけ頭を捻っても何の案も思いつかん。クロノは尊い犠牲になったという方向で美しい思い出にするのはどうだ?」


 カエルの案に一度頷きかけたマールだが、まだクロノに魔王城での恩を返していないし、なによりカエルの後ろで『この緑女谷底に叩っ込んだろかい』という念をエイラが送っていることから「それは駄目だよー」と投げやりに否定した。エイラがいなければ肯定したのか? それは永遠に謎の中……


「見えてはいるんだけどね、プテラン……」


「ああ、見えてはいるな、プテラン」


 崖の先端から前方二百メートル付近を優雅に旋回するプテランを見ながらマールとカエルはため息をついた。なまじ目に見える距離にいるのでプテラン以外の突入法を考えるのも口惜しい、というのが彼らの言である。
 さて、彼らがこうして埒のいかぬ打開策を思案している間、ルッカとロボは何をしているのか?
 ルッカはマールの言った「腕が伸びるような機械とか作れないのルッカ? ゴムゴムー、みたいな感じに」という発言を聞いて閃き、時の最果てではなく実家に帰り腕伸縮機という世にも奇妙な発明をすべく頭を回転させている。
 本来ならば、ルッカがそのような馬鹿げたアイデアに乗るわけも無いのだが、クロノがアザーラに攫われたと聞き「幼な妻気取りかちきしょー!!」と壊れて正常な判断ができなかったことが痛恨。ロボはいまだに体の不具合が直らずルッカの父、タバンに修理してもらっている。ルッカは前述したとおり奇奇怪怪なマシン製作に精を出しているので修理には手が回らない。


「遠いものだな、プテラン」


「近いのに遠いね、プテラン」


「キーノキーノキーノキーノキーノキーノ……」


 ゆらゆらと上半身を左右に揺らしてのったりした会話を続ける二人。エイラは魂の崩壊が始まっているかのように同じ言葉を繰り返し呟いている。二人もエイラの異常に気づいてはいるのだが、怖い気持ちが先行して落ち着かせる、宥めるといった選択肢が出ない。強制的に無視するコマンドをクリックされてしまうのだ。すいませーん! マウスバー壊れてます! な状態と言えよう。


 しばらく会話しりとりなる業の深い遊びをしていると、突然カエルが思いついたように「そうだマール。お前の得意技に挑発なるものがあっただろう。一度プテランを挑発してみてはどうだ? 案外近寄ってくるやもしれん」と期待値三パーセント程の提案を出した。マールは「獣に挑発して効く訳がないじゃない。義務教育受けてるの?」と言い返したくなったが、心の中でターセル様々やわ! と連呼して辛い突っ込みを犯さずに留めることを成功した。


「ええと……とりあえずやるけどさ。何言えばいいの? グワア! とかゲギャア、とか言えばいいの?」


「別に普通の言葉で挑発すればいいだろう。お前はちゃんと義務教育を受けているのか? 五年間」


 思わず取り乱しながらマッハキック(上段からの捻りを加えた蹴り)を連発してしまいそうな怒りが芽生えたマールだが、ナカムラノリ選手の行く末を思うと自然に怒りは霧散していった。人間、取り乱さず自分のポジションを埋めていかねばならないと考えたのだ。
 彼女の名前はマール。夢見る乙女の顔と現実的に将来設計を立てるのが趣味と言う側面を持つ現代の王女である。


「分かった。それじゃあええと……」


 すう、と大きく息を吸い込みマールは口から有らん限りの声でありとあらゆる罵倒を投げかけた。それは横で聞いていたカエルが「うわあドン引き……」と顔をしかめエイラが懐から取り出した『いつか言いたい罵倒手帳』に新しい文を書き込むほどの情報量とバリエーションがあった。結果として、カエルに「そもそも獣の類に挑発が効くわけがなかったな」と言われる結果になったのは、後のマール曰く「解せぬ」とのこと。


「じゃあさじゃあさ、カエルが誘惑してよ。一回クロノにやったんでしょ、見事に自爆したらしいけど」


「あれは俺の意思でやったわけではない! そもそも、クロノを誘惑しようとしてやったわけでもない!」


 どれだけ嫌がろうとも、マールはカエルにごり押しした。先程の恥辱の借り、ただでは返さぬといわんばかりの気迫に押され、押しに弱いカエルは結局『カエルの悩殺ふにふにダンスで魅了作戦』byマール命名。を行うことになった。


「くそう……俺は騎士で戦士なんだぞ? 何故このような……ええい!」


 自分の迷いを振り切り思い切った踊りと掛け声を発しながらカエルは自分が思いつく限りに可愛らしく、艶かしい動作を心がけ、掛け声はまるで大きなお兄さんを接するような萌え声で。(あれですよ、ライブ会場で「○○○○! 十八歳です!」「おいおい!」みたいなほらアレですよ)リアルに恥じているのはプラスととるのかマイナスと取るのかで玄人かどうかが分かる。
 マールはカエルのメイド姿に爆笑したルッカとは対照的に「うわあ最低……」と男子と話すときだけ声の音程が高い女子を見る目つきで、そう、絶・対・零・度! の目線を送り続けた。エイラは心なしか一緒に踊りたそうにしている。ガンガンいこうぜ。
 全てを出し切ったカエルを待っていたのはマールの「そういえば私カエルが人間の姿で戦ってるところ見たこと無いし、本当は戦士でもなんでもなくて、ランパブとかの店員なんじゃないの?」というおよそ世界を守ろうとした勇士に向けるべきではない言葉だった。


「あれだ、俺の心が男であることを奴らは見抜いたに違いない。エイラがやればきっとプテランたちも近寄ってくるだろう。誰かさんと違って心清らかであるしな」


「あー、いけないんだカエルったら。今度ルッカに告げ口してやろっと」


「驚いたな、そこまで頭が悪いとは。お前が王妃様の子孫などと未来永劫信じはせんぞ」


 最後に槍玉として挙げられたのはエイラである。「ええ! え、エイラそんな踊り、出来ない……恥ずかしい……」という拒否を何ら気にせず二人はどうぞどうぞと崖の先端に押し進めていく。口では「キーノとクロノを助ける為に!」と言っているが、その目は「何でわしらだけ恥をかかにゃあならんのじゃ。一蓮托生が常識だろうに」という汚らしい本音が現れていた。


「あ……うう……ええと……」


 たどたどしくも、腰を捻ったり手を叩いたりしてプテランを呼び寄せようとして頑張る姿は、誘惑と呼べるのか、むしろ同情に近い何かすら感じる出来だったが誰かの為に頑張りたいという願いを背負った舞は先二人の恥を晒すものより随分と輝いて見えた。
 ところが、それを見ていた二人は「私の爆裂悪口包囲網で来なかったんだからそんな地味な呼び込みじゃ来ないよ」と高を括り、「俺のラブリーフレーバー~戦士のひととき~が通用せんのにあの程度の稚拙な踊りでは……まず思い切りが足りん」と評論家気取りのコメントを残すなどの、応援とは程遠い姿勢でエイラを眺めていた。


 その後どうなったのか、深く記すことは無いが、五日のタイムロスがあったものの三人はティラン城に向かうことが出来たことは報告しておこう。
 『彼らを近くで見ていたラルバ村の住人、デルリバァトの日記より抜粋』








「いーやーじゃー!! クロノはここで私と一生遊ぶんじゃあ!!」


「落ち着け! 腕を振り回すな物を投げるな服を噛むな!」


「じゃあクロノは帰らずにここにいるか!?」


「……いやそれは」


「いーーやーーじゃーーー!!!」


「終わらねーじゃねえか!!」


 俺がティラン城を出ると言い出して、それが本気だと分かった時からアザーラは泣く事をやめない。せつせつと泣くだけならまだしも、物に当たるわ部下に当たるわ大半俺に当たるわでもう疲れてしまう。勘弁してくれ、と俺が空を仰いだのは数回ではすまない。
 ただ、ある意味アザーラよりやっかいなのが他の恐竜人たちやニズベール。彼らは俺を止めることはないのだが、どこか、俺が家出しようとしてる思春期の青年、または自分探しの旅をしようとしている青春謳歌野郎として見ている節がある。それが証拠に、ニズベールが「なあなあどこに行くんだ? やっぱり旅先で老婆とかに水を分けてもらったりするのか? 若い恐竜人たちに『お兄ちゃんは遠くから来たんだよ』とか言っちゃったりするのか?」としつこい。若い恐竜人て。俺は人間なんだから恐竜人と接することは無えよ。


「アザーラ様、クロノはここを出て、また一回り大きくなって帰ってきますよ。だから今は見送ってやりましょう、ね?」


「嫌じゃ! クロノは私と一緒に虫を捕まえたり、粘土で遊んだり、お散歩したりするのだ!」


 ニズベール含め他の恐竜人たちも「ゲギャアガガガ!」と説得してくれている。全員生暖かい目で俺を見て「大丈夫、辛くなったらいつでも帰って来い……」な目をしているのが大層むかつく。字牌単騎で上がった運だけの奴がするドヤ顔くらいむかつく。


「あの……じゃあ俺行って来ますわ。アザーラのことよろしくお願いします」


「よいよい、クロノよ。土産話を期待しているぞ」


 アザーラを羽交い絞めにしつつニズベールはほがらかに言う。どうだろうか、その海外留学する時の親戚のおじさんみたいなノリは。
 ともあれ、これで俺も自由だ、と城の外を目指す。外には怪鳥が用意されて、恐竜人がまよいの森まで送ってくれるそうだ。破格過ぎる扱いなのだが、何故か納得がいかないのは俺が人間である所以か。


「嫌じゃあ……クロノ、クロノーー!!」


 悲壮に俺の名前を呼ぶアザーラの声が後ろ髪を引く。たまらないくらい悲しげに泣く彼女の顔は目から流れる水分でぐちゃぐちゃになっていた。鉛を飲み込んだ感覚に襲われながら一歩ずつ俺は歩いていく、それは、アザーラから見れば一歩ずつ離れていく、ということで、彼女はしゃくりあげながら、俺を呼ぶ声が小さくなっていった。


「……ちゃん」


「……!!」


 かすかにアザーラからこぼれた声に、俺は思わず立ち止まってしまった。頭の中で馬鹿! 振り返るな! 別れが辛くなるだろうが! と声が聞こえるのに、アザーラのその言葉は俺の脳内命令を全て無視して肉体を無許可に動かしてしまった。
 動きを止めた俺をアザーラは腫れぼって小さくなった瞳を向け、聞き取りにくい言葉を流す。


「お……にい、ちゃん、に、なってほし……かったのに……」


 今この時この時間、間違いなくこの世界で動くのは俺とアザーラのみとなった。そう感じた。彼女の一言は、遠い昔の、俺の……


──お兄ちゃんに、なって欲しかったのに──
 確かに、彼女はそう言った、そうだろう? アザーラは俺にそう言ったのだ。あれだけ我侭に、好き勝手に生きているアザーラが、涙ながらに、俺に願い事を言った。


「…………おああ、あああ!」


 理性ではなく、本能が俺を動かし、一歩だけアザーラに近づいてしまった。石の床を靴が鳴らすと、過去の思い出が湧き水のように溢れ出していった。


 ──俺は母さんにお願い事をしたことが無い。だって、どうせ叶えてはくれないから。
 おもちゃとか、小遣いとか、旅行に行きたい船に乗りたい、その他諸々の願いは口にされる事無く俺の中にしまいこまれていった。
 そんな俺でも、たった一つ、母さんにねだったものがある。それは子供なら大半が思いつく純粋な願いで、無垢な感情。
 それは……


──おかあさん、おれ、いもうとがほしい!


──あら、あんたなんでそんな物が欲しいんだい?


──だって、かわいいじゃん! ねえ、おれいもうとがほしいよおー


──だめだめ、子供なんかあんた一人で手一杯よ


──ちぇ、けちくそばばあ。ちがういいかたならびんぼうしょうのうんころうば


 ここで、想い出は消える。それから先の出来事を思い出せないからだ。次に思い出せる記憶は病院で砕けた顎を治療している記憶。
 ……そんなことはどうでもいい。そう、俺は一つ、どうしても、それこそ命に代えても欲しいものがあった。それはそれこそが!


──おれいもうとがほしいよおー
──俺いもうとがほしいよお
──俺、妹が欲しい
──俺は! 妹が!!!! 欲しいんだああああああああ!!!!!!!!


「クロノ、おにいちゃぁん……」


 それが決め手。母さんとか仲間とか緑色のあれとか原始人と恐竜人の確執とかその他諸々の事情因縁全てがまるで油汚れに洗剤をつけて水に浸し洗い流したようにさらさらと消えていき、やがて……ゼロになった。
 ……思えばあれだよな。俺が必死こいて世界を救うとか未来を明るい世界に、とかそれこそ蛙男女を元に戻すとかさ、別にどうでもいいというか……うん。どうでもいい。つまるところ、今の俺の心情、本音、決意を言葉にするなら……


「俺は人間を捨てたぞルッカァァァァァァァ!!!!!!!」


 記念すべき妹誕生に、俺はとりあえず幼馴染の名前を出しておいた。これが人間との関わり、その終焉であると理解して。







「ほら、言ってごらん? 俺はお前の何だって?」


「おに……ううう」


「おいおいそれじゃあ俺が鬼になってしまうじゃないかアザーラ。ほら、もう一回頑張って」


「もう、もういいではないか! 私はクロノを兄として思っている! これで充分だろうに!」


 全く、デレたかと思えばすぐにツン。血の繋がっていない妹の必要要素はばっちり兼ね備えてやがる。ソフトクリームでも買ってやろうか? いや冷たいものを食べてお腹を壊してはマイシスターが泣いてしまうかもしれない、ここは一つチョコレートでも……いやいやその前にこれだけはやっておかねばなるまい。


「アザーラ、一度でいいから俺をにーにーと呼んでくれないか?」


「嫌じゃというのに!」


 ふむ、最愛の妹の拒否を無視するのは心苦しいが、あまり兄の頼みを嫌がるようでは反抗期になってしまうやもしれん。ここは心を鬼にしてにーにーと言わさざるを得まい。ちゅうか呼んでくれ、俺をにーにーと呼んでくれ。発音はにぃにぃがよろしい。


「アザーラ、猫だ、猫の物真似をするんだ」


 俺の妹はいぶかしむ目で俺を見つめ、少々の間を挟み、「にゃあ?」と呟く。天変地異が起きてミサイル発射、大洪水で海が地上を満たしインドラの矢が降り注ぎかとおもえば宇宙からオリンポスの尖兵隊が攻め込んできた時の衝撃と同じくらい可愛いが、それでは俺が妹に妙な語尾を強要させる犯罪予備軍になってしまう。
 ……これ以上猫の真似をさせるのは怪しまれるので不可、ただでさえ疑っているのにごり押ししては頭の弱いアザーラとて気づくだろう。


「くっ……仕方ないか。まあいい、アザーラよ、兄に何か頼み事は無いか? 例えば一緒にお風呂に入りたいとか」


「……なんか、今のお前と風呂に入るのは、嫌じゃ。何故かは分からんが」


 おっと、この年になると裸のお付き合いも恥ずかしいか。兄として発育具合が気になったのだが……
 勘違いして欲しくないのだが、異性としてアザーラの裸なんかまるっきり興味は無い。見た目はちみっこい幼児のアザーラに性的興奮なんぞさらっさら感じない。でもさ、妹とお風呂に入るってなんかそれだけで夢のようじゃないか!? 妹のいる奴は決まって「妹なんかいたらウザいだけだぜ」とか言うけどさ、いない奴からすれば「彼女なんかいたってめんどいだけだぜ」発言と同じように聞こえるんだ! いいじゃないか! 「お兄ちゃんと結婚する!」とか言い出す妹を夢見たってさ! 実際は「兄貴の部屋臭い。二度とドア開けないで。もしくは二度と家に帰ってこないで」とか言うに決まってるけど!


 それから、今までとは打って変わってアザーラに付きまとい「遊ぼーぜ!」と誘ったのだが、気恥ずかしいのかアザーラは「もういい! 部屋で寝る!」と部屋を出て行ってしまった。
 まさか反抗期なのか!? ……遅かったのか……このままアザーラもけいたいしょうせつとか読み出して性の知識を得たり、貞操観念が薄くなったりしちゃうのだろうか? 嫌だ、アザーラはいつまでも本屋で並べられている週刊誌の表紙を見ただけで赤面するような子でいてほしいんだ!
 膝を突き愛する家族が非行に走っていく将来を思って嘆いていると、ニズベールがぽんと肩を叩いてきた。


「落ち着くのだクロノ、アザーラ様は貴様を兄として慕っている。アザーラ様自身がそう言っただろう? 今は照れてどう接していいのか分からんだけだ。今に、また快活とした様子を見せてくれるだろう」


 その言葉に胸を撫で下ろし、俺は感謝を告げる。俺の何百倍もアザーラを見てきたニズベールがそう言うのだ、疑う訳が無い。


「そうか……心配は心配だけど、今はアザーラが落ち着くのを待つか。ただ……」


「どうしたクロノ、まだ何か心配が?」


 今は距離を置いて接するべき、と学んだのだが、どうしても気になることがある。アザーラは十六だと本人から聞いた、ならば、もう碌々成長はしないということ。身長や顔つきが幼いのは仕方ないとしても、これだけは確認しておきたい事柄がある。


「ニズベール、アザーラは何カップだ?」


 俺の言葉にニズベールは笑顔をぴたりとやめて癌を宣告する医者のような顔つきになった。
 重々しい口を開き、ニズベールは幾度か躊躇いながら、その答えを提示する。


「……A、と言えるのかすら、定かではない」


「──そうか。そうだな、期待はしていなかった。ありがとうニズベール、よく言ってくれた」


 辛かっただろう、苦しかっただろう。己が主の恥部を晒し、その過酷な現実と向き合うのは。なおかつそれを共に生活を始め然程立っていない人間の俺に教えるのは、身を裂かれるほどの痛みだっただろう。
 だからこそ、俺は気にしない。少なくとも落胆を表に出すことだけはしない。いいじゃないか、確かに妹が巨乳という夢の設定は無くなったけれど、それで全てが終わったわけじゃない。小さなおっぱい略してちっぱい。悪くない、そうさ悪くないよ。例え谷間という夢の楽園や揺れると言う至福の光景が見れずとも……俺は、貧乳を差別しない!
 振り返ると、今まで俺がアザーラに振り払われ外に出て行くのを見ていた恐竜人たちが、アザーラのカップを聞き沈痛な面持ちで下を向いていた。俺の主の胸が小さいわけが無いと思っていたのか? 見た目には胸は無くても着痩せと言う一縷の希望にかけていたのだろうか?
 駄目だ、そんなことでこいつらが落ち込んでいては俺の妹が悲しんでしまう。


「ニズベール、そして今この場にいる全ての恐竜人たち。今ここで叫ぼうじゃないか! 貧乳は悪ではない! ステータスでなくとも、センス×に限りなく近いマイナススキルだったとしても! 小さなおっぱいは敵ではない! 愛でるべきだ! みかんもりんごもメロンもカカオ豆もきのこも栗も小さい方が美味いという。例え……例えアザーラが貧相で哀れで同情を買いそうな無乳でも俺たちがアザーラを侮蔑するわけがない! そうだろ!?」


「無論。そのようなこと、あまりに些事!」


 ニズベールは即座に同意。むしろ、そのような事は聞くまでも無かろうという顔で俺を見つめていた。その反応の速さにはっ、と顔を上げた恐竜人たちも遅れながら同意の声を上げていく。


「ゲギャギャギャギャ!!」


「ありがとう、恐竜人の諸君! さあ共に叫ぼう! 貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも愛はある!」


「「「貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも愛はある!!」」」


 ここティラン城大広間で俺たちは大号令を始めた。それは魂の叫びであり、心からの誓い。そして我々『小は大を兼ね得るの会』結成の証。
 俺は断然巨乳派である。だが……だが、それがどうした? 俺の業をアザーラにぶつけるのはあまりにお門違い。愛とは無償、愛とは至高、愛とは見た目やスタイルだけで決めるものではない。心こそ全てなのだ!


「貧乳万歳! ちっぱいには価値がある! 乳は無くとも」


「無くて悪かったなああぁぁ!!!!」


「あぼがどっ!!!」


 俺たちの叫びを聞いて戻ってきたアザーラが俺の即頭部に膝蹴りを当てたのは、恐らく何十年と経っても納得がいかないだろう。何故アザーラを称えていた俺が首を百二十度ほど回転させられねばならんのか? 思春期って本当怖い。








 場面は変わり、ティラン城内部側入り口。門番の恐竜人たちは談笑し、猛獣の恐竜たちに餌をやって城という空間にはあるまじき、ほのぼのとした空間が作られていた。
 正方形の石を床に貼り付け硬質な雰囲気を出し、同じく石製の柱は冷たい印象と力強さを見せている。窓の無い造りの為入り口からのみ自然の光が入る空間は、薄暗いながらもぽつぽつと置かれた松明のお陰で場所の把握は可能となっている。侵入者など現れるわけが無いと気を抜いている恐竜人たちと違い、人の三倍はある大猿が不自然を逃さぬよう目を光らせているのは空気には合わないもののその場所本来の在りかたとしては正しかった。
 エイラの野生の勘を信用し、彼女の先導の元、柱の影で彼ら恐竜人たちの目を逃れ隠れているのはキーノとクロノを助けるべく進入したマール、カエル、エイラの三人である。エイラは拳を鳴らし、マールとカエルは各々の武器に手を掛け奇襲のタイミングを窺っている。魔術の詠唱をしていないのは、まだ敵の牙先にも届かない場所で魔力を消費するべきではないと判断した為であった。


「それで、奴らを倒した後はどうする? 見たところ、道は二つに分かれているようだが?」


 カエルが指差す方向には恐竜の頭を模した扉が二つ、それらの奥には通路があり、奥の見えない構成となっていた。左側の扉は閉じられ、右側は先ほど恐竜人の団体が出てきた為開かれている。


「右側から、キーノの匂い、する。まずキーノ助ける!」


「まあ、右側の扉? の開け方も分からないし、それが一番正しいかも。クロノなら一人でも戦えるけど、キーノは両腕が使えないから不安だもんね」


「よし……飛び出すタイミングはエイラに任せるぞ。俺よりも直感的センスはお前の方が高そうだ」


 頷くエイラをよそ目に、マールは指示を下しているカエルをまじまじと疑わしい目つきを向けていた。それを意図的に無視しながらカエルは目を細め少しだけ剣を鞘から抜く。微かな音すら洩らさぬよう、ゆっくりと。


(本当は、ロボかルッカを呼んでカエルと代わって欲しいんだけどなあ)


 マールの考えは何も意地悪や感情的なものではない。人間の姿に戻ってからカエルの剣捌きや身のこなしは見るも無残なものと化していたからだ。
 グランドリオンはまともに振り回せず、蛙独特の跳躍力は平均女性のそれと変わらぬものに。魔術だけは蛙時のものと変わらないが、そもそも魔力量自体前衛のクロノと変わらない上、魔王戦で新技を編み出したクロノと違い決め技という技を魔術では扱えないカエルは戦力外の名を欲しいままにしていた。


「……いや、多分、見つからない、進む出来る」


「そうね、なるべく戦わないで行った方がよさそう。お願いするね、エイラ」


「マール、エイラに任せる!」


 カエルが役に立たないから、とはどちらも口にせず方針を決めていく。カエルも序盤で体力を消耗するのは得策ではないと考え、その上自分が何も出来ないとは薄々分かっているので(あくまでも薄々)消極的な戦法を取るのに不満は無かった。カエルは恐竜人を相手取ったことは無いが、マールやエイラの話から決して油断できる相手ではないと知っているのも、納得した理由となる。


「……今! 二人、ついてくる!」


 僅かな死角を突き、三人はキーノがいる地下牢の入り口に潜り込んだ。まだティラン城の入り口、この段階でここまで神経を使うことに、先行きの不安を感じるマールは今はいない仲間を思い「クロノ……」と悲しげに呟いた。


 ──彼女達が地下牢にて、非常に熱の入った漫才を繰り広げているのを見たとき、エイラがどれだけ拳を振るったのか、後ろ二人には数えることは出来なかった。キーノが助けを求めたのは自分を殴るエイラでも、友達のマールでも、見知らぬ緑髪のカエルでもなく、相方の恐竜人だったのは奇妙と言うかなんというか。
 後日談となるが、キーノがとち狂った要因として、ルッカの催眠機械の後遺症の可能性があると示唆されたが、今この場では一切関係の無い、無駄な話。


 彼らのティラン城攻略は、まだまだ続く。気がする。














 おまけ





 時は二十二世紀、舞台は日本。過去例に無い世界恐慌から、治安が消失した無法都市。太平洋に面し、港には海外からの銃器が流れ込む『横濱』は、二つの爆弾を抱えていた。
 一つは特定の人物による網膜認証が必要な使用済み核燃料搭載爆弾。今の日本にいる爆弾解体技術師では到底解体できない、自転による円運動爆弾『ラヴォス』
 もう一つは、その爆弾を解体させることも、また網膜認証で起爆させることも出来る謎の少女、『マール』。


「私は、世の中を知らない。だから、私にはどうするべきなのか、その判断が出来ない」


 二丁の拳銃をぶら下げる寡黙な賞金首、魔王。


「私だからこそ、生まれる成果も存在する。それだけが全てだ」


 物事に関心を持てない元奴隷の女、ルッカ。


「私には良く分からない。分からないでいることが、幸せなことってのは案外多いのよ?」


 戦いを好まず、自分の職業に嫌気が差している武器商人の美女、エイラ。


「エイラ……人が死ぬ、辛い。でも、生きる為、仕方ない……」


 路地裏で夢を語る半身機械の少年、ロボ。


「僕はね……いつか、空を飛ぶんだ。鉄の乗り物なんかじゃなく、誰かの手も借りず、僕だけの力で」


 下水道に居を構える両生類の主、カエル。


「見下してるんだろう? それもいいさ、それが正しい判断だ」


 町外れの廃屋に住み、一人の老人を愛する男、クロノ。


「俺には大臣だけだ。大臣だけが俺をここに留めてくれる。後は……全部消えちまえ」


 横濱を牛耳り、裏で武器を流し奴隷を世界中に販売するマフィアの帝王、ジナ。


「愛とか、自由とかさ。そんなもんは強者だけが口に出来るもんさ。あんたらじゃ触れることもできやしないよ」


 アジアを破滅させず、また人間を滅ぼさせない為に必要なのは、荒れ切った人々の、小さな良心。
 生きる為には、少女に世界はまだ必要だと思わせること。それだけのことが、それ故に難しい。
 貴方は、真の奇跡を見ることになる……


 現代の悪習、覆せぬ常識、当然のような道徳。それらを一蹴し生まれたハードボイルドアクションムービー。来春日本上陸!




 ※この映画は著作権侵害のため訴えられています。(敗訴が九割方確定しています)その為、大量のキャンセルが予想されますので、前売り券の返金は出来ません。あらかじめ御納得下さいませ。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/13 06:14
 開かれた窓を閉めようと、一人の恐竜人が何気なしに手を伸ばし窓に手をつけた瞬間、外からエイラは振り子のように勢いをつけて窓の外から現れ恐竜人の顔面に両膝を叩きつけた。


「流石だね、エイラ。私たちじゃ壁に張り付くなんてできないよ」


 城の外壁に張り付くという荒業を為したエイラに、物陰で隠れて様子を窺っていたマールはウインクしながらサムズアップした。


「正面切って戦う、違う恐竜人呼ばれる、それ、避けたい」


「だな。最悪、クロノを見つけるまでは戦闘らしい戦闘はこなしたくない」


 肩を揉みながら首を回し、カエルは気絶した恐竜人を人目につかないような暗がりまで運んでいく。しかし、いまだ蛙の姿に戻らない彼女では人間と筋肉の質が違うため体重の重い恐竜人をまともに引きずることも出来ず、それに見かねたキーノが器用に片足を動かして恐竜人の襟に足の爪先を引っ掛け移動させた。


「すまんな、どうも久しぶりの人間の体は思うように動かん」


「気にする、ない。キーノ助けてもらった。感謝!」


 ティラン城に入りキーノを助け出した彼らは、基本的に戦闘をこなさず、時々昏倒させて騒ぎにならぬよう、徐々に城深くへと潜入していった。彼らの目的はクロノの救出。そして出来るならば、恐竜人の首魁たるアザーラを討つこと。懸念事項はクロノが無事であるかどうか。これはキーノが比較的(この表現が正しいのか分からないが)好意的な扱いを受けていたことからマールは心配はいらないだろう、と考えていた。アザーラはクロノを気に入っていた節があるし、クロノが攫われ、現状敵対しているにも関わらずマール自身もアザーラを悪い恐竜人だとは思えないからである。
 もう一つ、心配なのはカエルの戦力。いないよりはマシだろうとパーティーに加えているが、いた方がミスをしないか気を使ってしまい却って邪魔なのではないかと深く考えている。


(でもなあ……今更帰ってとは言えないしなぁ……)


 知らずため息の漏れるマールを自分が原因とは露にも思わないカエルが肩を叩き「クロノの心配か? ことあいつに関しては心配は無用だろう。生き残ることに関しては俺が今まで見てきた戦士の中でも随一だ。不真面目さも、だが」と気を紛らわせるように笑いかけてくることが、マールの不安の種を知るエイラやキーノからすれば、悪いとは思えど少し面白かった。


「下、クロいない。だから次、上探す。マール、頑張る!」


「ありがとキーノ。もう大丈夫。クロノが戻ってくれば何とかなるよね! ……多分」


 カエルの戦う姿を見ていないことと同じく、魔王戦でのクロノの活躍を話でしか知らないマールは彼女の初めての友人を弱いとは決して思わないが、ルッカやカエル程高く評価することも出来ず、なんとなく、場を乱して展開を混乱させるのではないか、と強い不安を抱いていた。


「うむ。俺ほどではないが、クロノも強くなった。初めて会ったときも筋が良いとは思ったが、それでも雲泥の差だ。単純に剣術だけでもガルディア騎士団団長に引けをとらんだろう」


 貴方のお墨付きを貰ったってなあ、と思い心なしか疑いの眼差しを向けるも、カエルはからからと笑いながら、戦闘の邪魔だと言って後ろに括った緑の髪を揺らしていた。切れば良いのに、と思わないではないが同じ女性である以上、女の命を容易く切れとは言いがたく、かといって男として生きると公言しているカエルが髪は女の命と考えているとも断じがたい。小粒ながら不満の募るカエルをどうもマールは好意的に見ることが出来なかった。それは、昔自分の住む城で繰り返し広げた英雄記に出てくる勇者とあまりに違う姿を見て失望を感じているのかもしれない。
 マールは自己分析を終えて、単純に想像と現実のギャップから来る八つ当たりをカエルにぶつけていることを恥じ、聞こえることの無いボリュームで小さくごめん、とだけ呟いた。
 今彼らのいる場所は中層。ピリピリした緊張感の中、確実にアザーラたちとの距離を詰めていた。







「…………で、あるからして、ツンデレなんてものは友人、親友、幼馴染ましてや恋人なんて位置にいる場合決してステータスには成り得ないんだな。それが何故か分かるか? おいそこの恐竜人A、答えてみろ」


「ゲギャ!」


「正しくその通り。所詮は赤の他人。ツンの奥にデレが隠れていることを見抜けない以上、傍目からすればただの情緒不安定にしか見えないわけだ。良く出来たなA」


 当然! と言わんばかりに恐竜人Aは頷き、続いて俺は黒板代わりの長方形に刳り貫かれた石版に黒炭で文字を書く。


「ところがどうだ? そのツンデレが姉、または妹であった場合、距離が近く接する機会の多さから、デレがあることを見抜けるわけだ。まあ例外もあるが、親族である以上デレを見抜く難易度はグンと下がる。ここまでは皆知っての通りだ」


 助手であるニズベールが「ここからがポイントだ。貴様ら耳を澄まし決して聞き逃さぬようにな!」と注意を呼びかける。それに反論せず私語一つ無く俺を見る恐竜人たちは教育者たる俺からして素晴らしい生徒たちだ。


「さて、ここからは応用だ。先ほど姉でも良いと語ったが、中には年上の女性がツンツンしているのは大人気ない。また、年上が甘えてくるのも情けないという人種がいるはずだ。名乗り出なくても良い、趣味趣向はそれぞれだからな……だが、だがな? 妹ならばどうだ? 妹がツンツンしているのは『いつまでたっても子供だなあ』と微笑ましいし、甘えてくるのは『この甘えんぼさんめ!』と堪らない愛しさが産まれる。想像するが良い、そのシチュエーションを!!」


 瞬間、想像力の逞しい生徒たちは『ゲギャア……』と恍惚の声を出し、至福の妄想に浸っている。今、彼らの脳内はドリームタイム。甘ったるい声でぷりぷり怒る妹と、背中から抱きついて一緒に遊ぼうとねだる妹が連鎖的に流れているのだろう。


「皆分かってくれたようだな? そう! 妹とは正義、ジャスティス! 愛でるべき愛の芽、恋愛など含まれずとも、そこにある家族愛、ちょっぴり外れた危険な香り……っ! 今天啓は成った! 俺は……俺は、神を下す権利を得たのだ!」


「ウォオオオオオオオ!!!!」


 瞬く間に大広間中の恐竜人たちからクロノ万歳コール。言ってる意味は自分でもさっぱりだが、こういうのは勢いが大事だと小学校の頃習った。多分ね。


「よしよし、今日は気分が良い。次はお前たちを交えてディスカッションといこう。今回のテーマは永遠の論争命題であるクーデレとツンデレどちらが良いのか? を始めようと思う。クーデレ代表は銀河英雄○の……」


 その時、大広間に設置されている木製の警報が鳴り響いた。俺たちは全員驚きながら何が起こったのか? と顔を見合わせる。すると、後ろに立っていたニズベールが俺に近づき、堂々と言い放った。


「どうやら……侵入者を発見したようだ」


 この時、俺は喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、判別がつかない、という顔をしていたという。
 バタバタと慌しい足音を連れて一人の恐竜人が現れた。息を切らしつつも必死に紡いだ言葉は、ニズベールのものと同じく、侵入者発見ということ。新しい情報として、侵入者はエイラと捕らえていたキーノ。そこにボーガン使いの女に役立たずの緑髪女だ、と……役立たず? カエルがか? なんかの間違いだろう、あいつの剣術は俺たちのパーティーで最強の戦力であるはずだし。


「……どうやら、お前の仲間たちらしいな、クロノ。それで、貴様はどうするのだ? 人の子よ」


「……俺は……」


 試すような目つきで俺を見るニズベール。けれどその目には悪意や敵意は含まれていない。与えているのだ、俺に選択肢を。
 一つはどちらとも関わらず、傍観するのか。
 二つ目は自分たちの敵になり、人間として生きていくのか。
 そして……もう一つは……


「……見た目に似合わず、優しいよな、ニズベールは」


「? どうしたいきなり」


「普通なら、有無を言わさず我々の味方になれ! とか、人間に加担する可能性があるから牢屋に閉じ込めるとかだよな。わざわざ自由にしていいなんてさ」


「ハッ、貴様は自分を押し付けられるのを嫌うだろう? 短い付き合いだが、その程度は見抜けようが」


「……そっか、サンキュ。決まったよ、俺の答えが」


 俺は慌しくなった大広間を落ち着かせるべく、「静かにしろっ!!!」と怒鳴る。今まで浮き足立っていた恐竜人たちは授業に戻ったかのごとく、足を止め視線を俺に集中させた。素晴らしい生徒は撤回だ。最高の生徒たちだよ、お前ら。


「……お前ら悪いんだが、侵入者と戦うのは俺とアザーラとニズベール。この三人だけにしてほしいんだ」


 俺の頼みは一同を驚かせたものの、結局誰一人文句を言わず、行動に移ってくれた。ニズベールも了解してくれたし、後はアザーラだけだろう。
 ……正直、迷いが無いではないけれど、アザーラは俺の一番の願い、戦いを止めるという選択は聞いてくれないだろう。なら、次善の、最低限の礼儀だけを残して……この方法を取るしかないじゃないか。


「マールとカエルか……まあ……ちょうどいいと言えば、ちょうどいいかもな」


 ここ一週間近く使わなかった刀の鞘を、俺は強く握り締めて、左手で刀を抜き大広間の頑丈で巨大な石の扉を切り倒した。後ろの恐竜人たちの感嘆の声が少し心地良い。刀を鞘に納めて、思わず笑みが零れる。


「トルース村のクロノって言えば、ヤンチャ坊主で有名なんだぜ?」


 たまには、俺も反抗したっていいだろ? なんせ妹と同じで、反抗期真っ盛りなんだから。








 長い廊下を走りながら、マールは言い知れぬ不安と奇妙を感じて前を走るエイラに声を掛けた。


「ねえ! さっき恐竜人に見つかったっていうのに、全然敵の姿が見えないよ!? これって……」


「恐らく……誘われているんだろうな。罠があるかもしれん、警戒を怠るなよ!」


 エイラではなくカエルが返事をしたこと、それ自体にマールは不満を持たなかった。ただ、カエルが意気揚々と話し出すことに我慢の限界が近づいていることを感じていた。


(カエルのせいで見つかったのに、何でふっつーに会話に加われるんだろう?)


 走るその顔は至極真剣で、この場に合ってないとは言えない、戦う者の顔ではあった。今から数分前、「くちゅんっ!」という可愛らしくも業腹なくしゃみをした人間とは思えない、正真正銘の真顔だった。それから数分しか経過していないのに、マールは幾度弓矢を突き立ててやろうとしたのか、数えることも馬鹿らしかった。


「罠……あったらあった時! 今、考えること、無い! 走るだけ!」


 キーノも全力疾走を続けたせいか、痛む両腕を動かさぬよう、不恰好ながらも必死に廊下を走っている。見た目にはカエルに怒りを覚えている雰囲気は出していないが、彼はカエルを決して見ていなかった。キーノは静かに怒るタイプである。若干面倒くさい性格とも言えよう。


「扉! 待ち伏せ、気をつける!」


 走り続けて、先に見えた扉をエイラは勢いそのままの飛び蹴りを当てて部屋の中央まで飛び続けた。驚異的な脚力に驚きながらも、残る三人は同時に部屋の中に飛び込む。
 果たして、そこには思っていたような、武装して恐竜人も、アザーラもクロノも姿は無く、過去エイラとキーノ二人を相手に闘いを楽しんでいたアザーラの右腕、ニズベールが両腕を交差して佇んでいた。
 その落ち着いた空気にたじろぎながら、それでも気を取り直したマールは口を開き「クロノは何処!?」と問う。ニズベールはゆっくりと目を開き、右腕を伸ばして人差し指を立てた。


「ついて来い、部下は全て退かせた。サル共との決着に部下を使うことは無い」


 マールの言葉を無視して、ニズベールは巨躯を揺らしながら、途中赤い王族が使うような豪華な椅子を愛しげに撫でて、部屋の奥の扉を開き、その姿を消した。
 エイラは拳を鳴らし、キーノは屈伸で足の腱を伸ばす。カエルは使えるのか定かではないグランドリオンを抜き差ししていた。
 ただ……マール。彼女だけはニズベールの言葉からこの先どうなるのか、おおよその見当がつき重い、重いため息を吐いて今は現代にいるであろう女友達を思った。


「……魔王城での、焼きまわしなのかな……」


 ルッカでなく自分があの赤髪の友人を止められるのか不安になる一方……何故か、自分の胸の高鳴りを抑えられないマールだった。







 扉の先は長い長い、幅三メートルの、壁や手すりがない事を考慮すれば細い橋とも言えそうな渡り廊下だった。
 地上より遥か高いその場所は、横殴りに吹く風が強く、耳に入る音はごうごうと酷くやかましいものである。地上ではむせかえるような暑さだった気温も、その風の強さから、マグマに囲まれながらも過ごしやすいものとなっている。なにがしかのギミックが施されているのか、外に出ていてもマグマから立ち昇る黒煙は無く見通しの良いもので、渡り廊下の先にアザーラやニズベール、そしてマールたちの良く知る顔がギラギラした毒のある笑顔を向けていることを確認できた。上空には恐竜人たちの飼う怪鳥が数十羽以上飛び交い、これからの戦いを見守ろうとしている。彼らも、本能で分かっているのだろう。今、一つの歴史に終止符が打たれると。
 驚いているエイラを追い抜いて、マールはつかつかと歩き出す。心中穏やかとは言いがたいが、それは怒りや驚きだけではない。むしろ、魔王城にて、マヨネーに操られていた時から……いや、グランとリオンとの戦いから心の奥底では願っていたのかもしれない、とマールはもう一度自分の思いを再確認する。


(もしかして、私って負けず嫌いなのかな?)


 負けず嫌いと言えば……と考えて、マールは少し過去を思い出す。それはクロノの言っていた言葉だ。「ルッカは負けず嫌いだからな」……多少の誤りはあれど、端的に表せばこのような内容のもの。確かにルッカは負けず嫌いと言える。ただ、マールは少し、その表現は違うのではないか、と思考する。
 未来での冒険にて、ガードマシンと戦った際にルッカがマールには負けたくないと言っていた。その言葉を聞けば、負けず嫌いそのものと思いそうだが、ルッカのクロノに対する恋心を知るマールは(単純に、クロノに良い所を見せたいっていういじらしい心が原因なんじゃないかな?)と邪推してしまう。


「ま、今はどうでもいいよね」


 かん! と一際強く足音を鳴らし、マールは恐竜人グループと対峙する。しかし、彼女の瞳が捉えるのは一人だけ。ふざけた気配など一つも見せない、人間の男。隙は無く、自分の肌が総毛立つのを感じた。


(へえ……ルッカやカエルの言うとおり、本当に強くなったんだ、クロノ)


 マールの中でクロノとは、初めて会った時は、助けてもらっておきながらなんだが、全く頼りになるとは思えなかった。グランとリオン戦ではやっぱり男の子なんだ、と認識を変えた。今は……


「カッコイイんじゃないかな、クロノ!」


「今この場で言うことかよ、マール。お前らしいな」


 背中につけている白銀の弓を取りながら、マールは最後にもう一度だけ、どうでもいいことを思い出してみた。


(負けず嫌いって言うのは、どんなに好きな相手でも、大切な親友でも、負けたくないんだよね)


 王女として生まれ、友達も作れず勉強や礼節を学ぶことに喜びを見出せない活発な少女が打ち込んだ唯一の趣味、生きがい。それは武道、すなわち戦うこと。
 見張りの目を盗み、父である国王に叱られてもこれだけは譲らなかった一つの努力の塊。
 爪が割れて、風が吹くだけで飛び上がりそうなほど痛む指で握った弓は百発百中だと自負していた。拳が割れてその度乳母やメイドたちに治されながら鍛えた両腕は鉄をへこませた。城中を重りをつけて駆け回った成果は彼女に体力と岩をも割る蹴りを与えた。魔力を扱えるようになってからも、絶世の才能を持つルッカと違い秀才程度の才しか持たぬマールは時の最果てにいる時でもスペッキオに単独で挑みその技を磨き続けた。


「……なんかね、ちょっと楽しみだったって言えば、クロノ怒る?」


 何が、とは言わない。クロノはマールの言葉の意味を瞬時に理解し、喉の奥でくぐもった笑い声を出した。


「クックックッ……いや、怒らないさ。正直、俺も思ってた。魔王を倒すべく戦い続けたカエルや、中世の王妃の血を受け継ぐ、操られてない正気のお前と戦いたいってさ」


 マールは、勉学を磨かなかった。礼節も触り程度の、表面上のものしか身につけなかった。彼女に残るのは……少なくとも彼女が思う分には、武道しかなかったのだ。なれば、その一点だけは人間相手に負けたくは無かった。相手が男だろうと大人だろうとそれに勝る修練をしてきたと、信じているから。
 なおかつ、クロノはマールの同世代、初めての友達。競争心を持たずにおれるだろうか? 
 ──どちらが強いか、試したくない、訳があるものか。


「魔王相手に引けを取らなかったんでしょ? ……その実力、私に見せてよ」


「……後悔するなよ、今の俺はギアが最高なんだ」


 バチバチ、と弾ける火花がクロノの戦気を如実に表していた。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十二話 三角形戦闘方式始動








「待て待て! お前たちなにがなんだかさっぱり分からんぞ! 俺たちにも説明しろ!」


 次の瞬間にも戦いを始めそうな二人を見て、エイラ、キーノ、カエルの三人が駆け寄り、そのうちカエルがマールとクロノに声を掛けた。


「分かりやすく言えばね、クロノは恐竜人側に寝返ったってこと。だよね?」


「人聞き悪く言えばそうだ」


 肩をすくませながら、折角場が整ったことに落胆した様子でクロノがカエルに顔を向ける。
 カエルは白い顔を赤く染めながら、ぐっと歯を噛み締めた。耐えるようなその動作に、極々僅かだが、クロノが顔を歪ませた。それも、秒単位にして二秒と無いものだったが。


「……そうか。分かった、クロノの考えは俺には分からん。だから……俺が貴様の目を覚まさせてやろう」


「ちょっと! 今の空気なら絶対に私が相手するところだったじゃん! なんでいきなり出張ってるの!? 頭悪いの!?」


「俺はクロノの師だ。なればこそ、弟子の不始末は俺がつけねばなるまい」


「師とか弟子とか何その脳内設定!? しかもこの場合不始末って違うよね!」


「……どっちでもいいから、早くしないか? いい加減話に取り残された俺の妹が退屈そうだ」


 クロノが指で指し示した所には、アザーラが大きく口を開けてあくびをしているところだった。ニズベールも自分の角を手で磨き、張り付いた灰を取っている。


「……妹? え、クロノ。何その脳内設定」


「同じツッコミをするのは感心しないぜ」


「……なんか、ちょっとやる気落ちた。良いよカエル先に闘って。どうせ負けるだろうし」


「おい、クロノとて強くなっている。弱体化した俺では少々手こずるかも知れんぞ? あまりあいつを侮るな」


 カエルに言った言葉を都合よくクロノに擦り付けている辺りに憤りを感じたが、マールは「はいはい」と手を払ってやる気無さげに交代して座り込んだ。勝手にやってください体勢である。


「……まあ、早めに終わらせてね」


 水を差すとはこのことだよ……と愚痴を垂れながら、マールは二人の戦いの行方を見守ることとした。自分の熱が冷めぬうちに出番が回ることを祈りつつ。








「……おい。私たちは誰を相手すればいいのじゃ? そこの女二人はクロノが相手するとして……私とニズベールはエイラとキーノか?」


 アザーラたちと同じく取り残されていたエイラとキーノはその言葉で覚醒し、構えを取った。二人の目は鋭く、特にエイラの目はアザーラを射抜くように殺意が込められていた。


「昔、借り、今、返す!」


「借り? なんのことじゃ?」


 エイラの言葉に困惑しながら頭を揺らすアザーラに、隣のニズベールが耳打ちして「おお!」と手を叩いた。その顔は思い出した喜びと、得心がいったことで埋めれた愉悦が滲んでいた。


「キーノの両腕を潰したことか? 単騎で攻め込んできたお前が悪いのだ。命があるだけ感謝するが良いぞ」


 自分の寛大さを敬えと言うように、アザーラが腰に手を当てて鼻息を鳴らしたことで、エイラの顔は色を無くしそれと同時に我慢が切れ、飛び掛った。殺す! と大人しい彼女からは想像できぬ、猛った声を上げながら。
 しかして、振るわれた豪腕はニズベールの太い腕によって受け止められ、逆に後方へと投げ飛ばされた。「ぐっ!」と呻き声を垂らしながら、冷静になれと宥めるキーノの制止を振り切りエイラは再度獣のような攻撃を繰り出す……それでも。


「太陽の子? 我らも大層な名を与えたものだ。これでは、恐竜人の一般兵にすら劣るというもの」


 カウンター気味のパンチをくらい、エイラは派手に床を滑った。キーノが途中で受け止めなければ、そのまま端まで転がるのではないかと思うほど、凄まじい力で。


「止めよニズベール。エイラは私に用があるのだ。お前はキーノを相手せい」


「承知しました。が、アザーラ様の相手になるとは到底思えませんが……」


 キーノに支えられて起き上がるエイラを蔑んだ目で見下ろしながら、ニズベールは右に移動し、アザーラの前からどいた。それは主に心配など欠片もいらぬという絶対の信頼を見せ付けている。


「エイラ、落ち着く。このまま闘う、駄目!」


「うう……ガアアァ!!」


 跳ねるように立ったエイラはニズベールの横を通り過ぎてニヤニヤと笑うアザーラの顔に虎爪を叩きつける。次に鉤爪、わき腹に蹴り、頭上から肘鉄、頭突き、床を蹴って飛び上がり上段から右足で踏みつけるような蹴り、落下を利用した左足での踵落とし、最後に渾身の右ストレート。一連の動作を人の動きを超えた速度で繰り出した。


「……腐っても人間の長か。悪くない動きではあった」


 その全てを防がれたエイラに、攻め手は無い。


「ウグッ……!!」


 風を切りエイラの腹に飛び込んできたのは、拳大の石。宙に浮いたエイラを六メートル程突き飛ばし、石の浮遊は終わった。
 もんどりうちながら、床に胃の中のものを吐き出すエイラをアザーラは己の体付近に同じ大きさの石を浮かせながら高笑いする。その声の幼さが、行動とのギャップに現れて歪な恐怖を聞く者に植えつけていく。


「脆いのうサルよ! このサイコキネシスの防御を破らんと、私に傷一つつけられんぞ?」


 戦って三分未満。エイラの体は戦いに耐えうる限界へと近づいていた──








「やはり、あれではアザーラ様の遊び相手にすらならんわ」


「エイラ……」


「所詮、人間の雌なぞあのようなものよな。大人しく自分の村で子供でも作っておればいいものを。変にでしゃばるから、打たれるのだ」


 エイラたちの戦いとも言えぬ状況を見てニズベールは呆れながら自分の戦う相手を見た。
 彼の相手は攻撃すら出来ないキーノ。生死を賭けた戦いをしようと宣言した相手との再戦は嬉しいが、彼らが強いのは逆上していないエイラとキーノの二人組みの時。今のエイラではニズベールの相手にはなるまいが、キーノでは片手間に付き合うまでもない。落胆している自分を、ニズベールは強く感じていた。


「……エイラ負けない。アザーラにも、お前にも」


 敵ですらないキーノの言葉に片眉を上げて、強がりを……と苦笑しながら返す。
 適当に骨でも折ってマグマに叩き込んでやろうとニズベールはキーノに近づき手を伸ばした。驚いたのはその後。
 キーノの目を見張るべき能力はその瞬発力、移動性、速度である。攻撃が出来ないことを補っても戦闘においてパートナーがいる場合それは相当に厄介なものとなるのだ。
 ニズベールは鬼ごっこのような戦いとなることに失望していたのに……キーノは易々とニズベールに肩を掴まれていた。


「……拍子抜けだな。スピードが自慢の貴様がこうも簡単に捕まるとは。あの女の体たらくを見て諦めたか?」


「……エイラ、女。でも、強い」


 ニズベールが肩を握る力を強めると、キーノから苦痛の声が流れる。弱者が……とキーノを罵倒して、ニズベールはその腕でキーノの小さな体を持ち上げた。


「それは精神論か? 教えてやろう。我ら恐竜人と人間ではそのものからして我らが強いのだ。その上、ただでさえ非力な人間内でさらに非力なモノが女だ。同じ女でも恐竜人のアザーラ様とは天地の差がある」


 ニズベールにとって枯れ枝に等しいキーノの腕は、嫌な音共に壊れていく。骨が折れるのも時間の問題か、と当たりをつけることさえ可能なほどに。


「そのような生き物を長に据え置いている時点で貴様らの負けは確定している。後悔しろ、弱いものを主とした稚拙な判断を。土台無理な話なのだ」


 右手を高く上げて、ニズベールはキーノを下のマグマに投げるべくを入れた。


「エイラなどという女に、何かを為せなどというのは」


 話し終えたニズベールが聴こえた音は何かが揺れる音。同時に視界が大きくブレたのことと関連していると気づいたのは、今まで握っていたものが消えていたことを知ったときだった。


(……蹴られた? 今、俺は蹴られたのか?)


 押し寄せる平衡感覚のずれに耐えながら体勢を戻し顎を押さえる。前を見ると感情の欠落した表情のキーノ。彼は激痛にあるはずの両腕を押さえることも無く、睡眠状態のような静かな呼吸を繰り返していた。
 ……それは良い。それは別に良いのだ。ただ、キーノの目が酷く気に食わない。


(何だ? あいつは何故……俺をゴミであるかの様な目で見ている──!?)


「エイラ、弱くない。女とか、そんなの、関係ない」


 素足のキーノが床を踏んだとき、特別頑丈に作られている床がぐしゃ、と沈みキーノは徐々にニズベールへと近づいていった。ニズベールは知る由も無いが、それは削岩機の稼動状態に似ているものだった。


「エイラ、ずっと頑張った。たくさん頑張った。だから、女でも強くなった。なのに、お前……」


 ニズベールが我に返ると、すでに彼とキーノの距離は腕を伸ばした分の距離しかなく、原始の青年は、舐めるように下から暗い瞳を見せつけていた。
 ニズベールが恐怖、という形容が正しいだろう感情を抱いたのは、今までに一度だけ。イオカ村前村長と戦い、その修羅の如き攻撃を見せられた時以来だった。そして……今が、二度目。ただし、今はその時の恐怖の比ではない。


(修羅? 違う、こいつは……死神だ。何もかもを奪い、消し去ってしまう)


 ごく、と大きな喉を鳴らして原始の人間の恐怖の的である彼は、脆弱たる人間の男の目に囚われてしまった。


「──穢したな?」


 次に目を開けば、そこには空。ゆっくりと視界が反転していくのを見て、ニズベールはようやく、重さ三トンを優に超える自分が蹴り飛ばされたのだと理解した。
 原始の戦い、その終わりが、少しずつ見え始めた。








 ずべたー! とこけて、べしゃ! とつまずいて、うわあ! と剣を落として、魔法を唱えて途中で邪魔をされて……これを数回繰り返した所だろうか? 深々とため息をついてクロノは重たくなったグランドリオンを拾おうとしている人間に声を掛けたのは。


「もう帰れよ。お前とマジで戦うくらいなら俺はイクラちゃんに喧嘩を売るわ」


「も、もう少し待て! すぐにガルディア騎士団剣術を披露してやるから!」


 しばらく重たい剣を振るおうと悪戦苦闘した挙句、カエルは「もう鞘だけでも構わん!」とグランドリオンの鞘を持ち誰に怒っているのか分からない怒声を上げてクロノに切りかかった(殴りかかった)。そのスピードも平均女性が気まぐれに振るう程度の剣速であり、今や騎士団団長レベル(カエル曰く)の剣の腕前であるクロノにかすることも無く、それどころか鞘を奪われるという始末だった。
 カエルはそれでもめげず、自分なりに迅速に魔術を詠唱し始めたが、クロノの奪った鞘によるつっつきで邪魔をされ「うにゃ!?」と悲鳴を出していた。マールとクロノのお前なんでここにいるの? という視線をひしひしと感じているカエルはその修練された精神も限界へと近づいていき、いよいよ鼻水が出だしていると言う見るに耐えない顔となっていた。


「もっ……い、今は! その、この体に慣れてないだけでっ! 本当は、お前なんか……お前なんか……っ!!」


「キャラおかしいぞお前。俺が言うのもなんだが、ふざけてるならルッカと代われ。はっきり言うが、お前場違いだわ」


「あー、今ルッカは現代で手を伸ばす機械を発明中なの。ロボは魔王城の戦いで修理が終わってなくて……」


 クロノの言葉に反応したマールが挙手してルッカ及びロボが出陣できない理由を伝える。ルッカの手を伸ばす機械の下りで顔をしかめたが、あの幼馴染ならばそんな時もあるだろうと無理のある解釈をして、「ああ、それで」と無理やりクロノは納得し、もう一度心の折れそうなカエルを見る。自信満々に出てきたので同情も出来ないが、今は見た目女性のカエルがほろほろと泣いているのは見たくは無い。ちょっと良い過ぎたかと思い、クロノはカエルの肩を叩いて「まあ……今は休んどけよ。また力が戻ったら相手してやるから」と励ました。その言葉にカエルは「絶対だぞ!? お、俺も約束を守ったんだから、くろ、クロノも守るんだぞ!」と誰やねんお前な台詞を残しマールとバトンタッチした。その折、マールは「出来たら時の最果てに戻って、現代のルッカを呼び戻してくれる? ここで移動するのは危ないから、さっきの部屋に戻ってからね」と雑用を頼む。これは、何もせず自分たちの戦いを見ているだけでは辛いだろうというマールの配慮でもあった。


「うむ……よし、ひっく、任せろ。後、俺は泣いていないぞ。嘘を流布させるなよ」


 そんなもの流布しなくたってあなたの評判はがた落ちだよ、とは言わずマールは笑顔でカエルを見送った。これ以上馬鹿をやられて気力が無くなっては折角の楽しみが無駄になってしまうからだ。


「やれやれ、ようやく真打ち登場だな。全く、盛大なパーティーの前に頭からゲロ吹きかけられた気分だ」


「汚いよ、って注意したいけど、私も同意。でもいいじゃない、これからなんだし」


「だな。アザーラの援護が出来ないのは心苦しいが……まあ、いいさ」


 言われてからマールはエイラたちの戦いに目を向けた。エイラは誰の目にも劣勢である状況、キーノはニズベールとどういうわけか、互角以上の戦いを繰り広げている。自分が見た限り、根性論で攻撃が出来そうな腕では無かったのだが……


「私だって、二人の戦いをサポートしたいよ。でも……思ったんだ」


 クロノは彼女の話に先があることを知り、顎を向けて話の続きを希望した。


「ラルバの……恐竜人に滅ぼされた村なんだけどさ。それを見てやっぱり恐竜人を倒さなきゃ! って思ったの。でもね、私はやっぱりあのアザーラを憎めそうに無いの。それでね? よく考えたんだけど……人間だって、恐竜人をいっぱい殺してるよね? だから……私たちみたいな、この時代の人間じゃない人が、この戦いに手を出しちゃいけないのかなって思ったんだ」


 自分でも整理のいかない言葉を慌てながらゆっくりと話す。その作業は困難に見えて、すんなりと理解の出来ないものだったが、クロノは口を挟まず聞き入っていた。


「だってさ。これは人間と恐竜人の戦いなんだよね? どっちに非があるとか無いとか、第三者が決めることじゃないし、決まることでもない……と思う。だから、私はエイラが、例え死にそうになっても……それは私たちの戦いじゃないから、手を出したくない」


「………ハハッ。下手すれば、仲間想いじゃないって言われそうだな、それ」


 皮肉を口にしつつも、クロノの顔は明るく、嫌味の無いものだった。


「うん。そう取られても仕方ないかも……でも、私の考えは間違ってない。ラルバの長老にエイラを頼むって言われたけど……その言葉は多分、私たちに言いたかったんじゃなくて、キーノに言いたかったんだよ」


「いいんじゃないか? マールがそう思うなら、別にさ」


「ありがと。えっと、だから何が言いたいかっていうと……こうして私とクロノが戦うのは、悪くないよねってこと!」


 虚を突かれ目を丸くしたのも束の間、クロノは言い切るマールの突拍子の無い結論に吹き出して腹を抱える。マールはその反応に不満を顔に乗せて「笑わなくてもいいでしょ!」と怒りを表した。いつものように、頬を膨らませて。


「悪い悪い……それじゃ、まあ……」


 顔に手を当てて、クロノは魔刀を腰から抜き出し手を添えた。その顔に笑顔は無く、ただ敵を切り倒すことに躊躇いを産まぬ戦士の表情となっていた。


「うん。やろっか」


 マールの近くに輝く氷の粒が集まり始める。その粒は次第に大きくなり、先の尖ったアイスピックのような形状となっていく。その数、二十八。氷の機関銃、その弾薬は装填され敵対象に銃口が向けられていく。先端の光はただ、『殺す』とだけ語る。
 一拍。二拍。三拍。そうして、二人の影は動き出した。


 マールの放った氷の弾は後ろに飛んだクロノの剣を伸ばしたなぎ払いに全て切り落とされ、続くマールの弓矢はクロノの頬をかすめ血を滲ませる。滴る血を舌で舐め取り、クロノの振り下ろしがマールに迫る。


「アイス! シールド展開!」


 その名の通り、極厚の盾がマールの頭上に形成され、ソイソー刀が氷に入り込んでいく。マールの予想では、例え魔刀にクロノの剣速が加わろうとも氷の盾を破ることは出来ないと踏んでいた。それは正しい。
 しかし、マールの目に見えたのは、帯電している刀。はぜる電流を捉えた瞬間マールは横に飛んだ。僅か数センチの差でマールの体を分断しようとする刃が通り過ぎていく。


(迂闊……! いや、私が馬鹿なんだ!)


 雷鳴刀でも電力を加えて切れ味を増させていたのだ、魔王幹部の持っていたというソイソー刀にその動作を行えばどうなるのか、考えもしていなかった。
 自分の馬鹿さ加減に嫌気を覚えながらも、マールは酷く高揚している自分に気づく。まさか、ここまでとは! やはりマヨネー戦では自分に手加減をしていたと、しみじみ思う。さらに、魔王との戦いでとんでもないレベルアップをしたのだとも。
 自分に出来る最高で最硬の防御魔法を破られたことでマールは一つケジメがついた。それは至ってシンプル。


(防御無しの特攻あるのみ!)


 俄然気合の入ったマールは弓矢を四本取り出し四連射を繰り出して、クロノに防御体勢を取らせた。横並び、また縦並びの単純な連射ではない。指の力を適度に変えて頭胴体両足を狙う絶対反撃不可の攻撃。射出してすぐにマールは自分の得意な格闘戦に持ち込もうと走り出した。
 三歩目、三歩目だ。彼女駆ける足が止まったのは。実質詰められた距離は僅か二メートル。何故彼女が走るのを止めたのか。それは……


「悪いけどさ、マール。俺に物理的な飛び道具は効かねえぜ」


 彼の手には四本の弓矢。彼は防御姿勢を取るまでも無く右手に磁力を発生させて全ての迫り来る矢を引き寄せ、受け止めたのだ。これでは、ルッカのプラズマガンならばともかく(それでも、磁力の影響を全く受けないとは考え難いが)、彼女の弓矢は全て受け止められるだろう。磁力に操られる全ての飛び道具はクロノの魔術から逃れることは出来ない。
 矢を軽く上に投げて遊ぶクロノは、まさかこれで攻め手が尽きたのか? と聞いている様で、マールは相手に見えぬよう汗を拭う振りをして、腕に顔を隠しながら小さく歯噛みした。


「……コントロールの下手だったクロノにそんな芸当が出来るなんて……ちょっと嫉妬かな」


「よく言うぜ、マールなんか氷の弾丸に氷の盾。そのうち氷の爆弾なんてもんまで作るんじゃねえか?」


「爆弾はルッカの専売特許だもん。私には無理だよ……その代わり」


 マールは指をクロノの後ろに向けて指す。こんな程度の低い油断の作らせ方をするとは思えないクロノは、隙の出来ないよう横目で軽く後ろを窺った。
 彼が見たのは今さっきまで絶対に無かった、剣を振り下ろそうとしているマールを模した氷の彫像。それが彫像と違うのは、人間と同じように動き、自分に攻撃をしようとしている点だった。
 驚愕して声を出しかけたものの、クロノは口を閉じ目の前に落ちてくる剣を見定めて、今まで唱えていた魔法を解き放った。


「プラグイン、トランス!」


 人間の構造上不可能な体の動きでクロノは彫像を切り払った。その速さはカエルの剣術に勝らぬとも劣らぬ、動きだけならば凌ぐかもしれない電光の速さ。今までに無い速さの抜刀を見たマールは口を開けて、頼りないと思っていた友人の力に鳥肌を立てていた。


「……驚かせようとしたのに、私が驚いちゃった。それって、どんなマジック?」


「小説や漫画でよくある手だよ。電気を体に流して神経を作成及び刺激、『思考するという手順』を飛ばして無理やり体を動かしたんだ……すっげえ痛いから、多用は出来無えけどさ」


 彫像は動きを止め、クロノが刀を鞘に納めるとバラバラに刻まれて動きを止めた。原型を留めなくなった氷は溶けるではなく消えていき、自分の魔法が破られたにも関わらず、マールはけらけらと嬉しそうに笑う。


「凄いね、クロノは本当にどんどん成長してく。あっという間に私を追い越して、本に出てくる英雄みたいだよ」


 素直な賞賛に照れるではなく、頭を掻きながら「まあな……もう、惨めな思いはしたくなかったし、ティラン城でちみちみ新技開発してたんだよ」と素っ気無く言う。マールはちみちみという言葉をそのまま受け取らず、きっと激痛の中編み出した技なのだろうと分かってはいたが。


(本当、英雄みたい)


 くす、と笑いマールはもう一度クロノと向き直る。この戦いに勝ちたいという最初の想いは基盤に、微かにずっと闘っていたいという途方も無い願いが入り込んでいた。








 憤怒、焦燥、不安、恐怖、さまざまな言葉が浮かんでは、それら全てが正しく自分の心境に合っていると分かる。されど、最も大きく居座っているのは、疑問。


(何故だ? 何故俺がここまで押される!?)


 濁流に放り込まれたような連打の渦。その渦中に身を置くニズベールは今自分と闘っている人物を認識できなかった……いや、認識は出来ても、認められなかった。認めたくなかった。体に障害を持ち、一動作ごとに激痛の走る体で生きる人間の男だと、誰が認めるものか。
 何より理解できないのは、攻撃の早さが上限無しに上がり続けていること。上空に飛ばされた後もキーノは淡々とした顔で攻撃を続けてきた。最初はその力に驚いたものの対応は可能だった。しかし、防御と言える防御は最初の六撃だけ、残りの数十発は両腕を上げてひたすらに耐えている。
 首筋に鋭い蹴りを入れられても、後ろ膝を突かれて座り込んでも、右の鼓膜が衝撃によって破裂しても、ただ縮こまることしか出来なかった。


(恐竜人たる俺が……なんたる有様……っ!!)


 これでは戦いではなく、蹂躙ではないか。もっと稚拙な言い方をすれば、虐めとも言える。ニズベールのプライドはズタズタに裂かれて、けれど反撃の糸口すら見えない状況にただただ疑問を頭にしていた。


「……?」


 ようやく攻撃が止み、目を開くとキーノが肩で息をしながらニズベールを見ていた。ここにきて、彼の目が生気を取り戻し、痛む体に鞭打って体を立たせる。暴流のような猛攻にキーノの体がもたず、両腕は勿論、今まで戦闘らしい戦闘を長時間行うことの無かった為衰えた体力は欠片と残ってはいないようだ。
 当然、ニズベールはその隙を逃さない。長大な足を振りものの三歩でキーノに鍛え上げた大鎚のような拳を上段から振り下ろし、細身のキーノを床に叩き落した。頭蓋は割れ、鼻骨はひしゃげ、不運にも落ちていた石が左の目に突き刺さりどろりとした赤混じりの液体が眼孔から垂れ落ちていた。
 この一撃で行動不能になりそうなものだが、キーノは上半身を起こして腕の力だけで後ろに跳び、鉄柱すら砕きそうな追撃の蹴りが眼前を通過した。
 もう一度距離を取ろうとするキーノは不可思議な光景を目にする。見た目にも少なくないダメージを負う、鈍重そうなニズベールが蹴りの勢いを利用し、地を蹴って宙に浮いていた。蹴りの体勢を持続させ、体を回転し左足で標的を狙う。現代で言うソバットである。ニズベールは的確にキーノの腹部に破壊鎚のような足をめりこませ、彼をサッカーボールのようにバウンドさせて後方に飛ばした。


「ぐえぇ……ぐ、うううう……」


「まだ立つのか……小童が!!」


 起き上がろうとするも、腕の力の入らぬキーノは顔面から床に落ちて呻いている。ニズベールはその足掻きに思える行動にも恐怖を覚え、徹底的に彼を壊すべく走り出した。
 ニズベールが自分に到達する前に、キーノはかろうじて立ち上がり、回避する力は残っていないと判断した。よって両腕を両腕を持ち上げて、腕を犠牲にする覚悟で大砲のような一撃をいなすことにする。キーノの考えを読んだニズベール二つの感情を得る。まずは、傷ついた体で自分の攻撃を受けきろうとする、その勇気にたいして敬意を。そして、動かすだけでも激痛が走る満身創痍のみで自分と立ち向かおうとする蛮勇を。その二つの思考が混ざった結果、彼が放つ言葉は単純。


「舐めるな、人間如きがぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 何より自分を軽んじられた気がしたニズベールは、己の尊厳、誇りを踏みにじられたように感じ、走るスピードを上げた。轟音が近づくにつれ、キーノは……笑った。これ以上に無い、楽しそうな顔で。
 ニズベールはそんなことは気にしない。例え人間の、今だ若い男がこの場面で笑顔を作ったとて動じない。何故なら彼は恐竜人だから。キーノがエイラの生き方に誇りを持っていることと同じく、彼にも恐竜人たる矜持がある。知能や戦法で人間たちに騙されても、数に任せて襲い掛かられても、自分の体一つで散らせてきた実績と自身があるのだ。一対一という明瞭な戦いにおいて、自分が臆すことなど、あるはずが無い。


「ふん、人間とは体力の少ないものだな。確かに貴様の猛攻には驚いたが、俺を倒すには及ばん。最早虫の息のお前に止めを刺すことなど造作も」


 だから、今ニズベールが立ち止まり、キーノに会話を試みたのはほんの気まぐれ。それ以外に体は無い……そう、ニズベールは思うことにした。他の理由を探すことは、今までの自分の存在意義を否定することに繋がるから。
 無意識に自分がキーノとの決着を避けたと気づいたのは、キーノの言葉を聞いた、その瞬間。


「黙れ」


「……何?」


 明るく快活な心優しい男はもういない。キーノは日本刀のような鋭い声でニズベールの言葉を遮り、膝に手を付いていた体を起こした。その目はやはり、沼のように濁り、深海のように暗い。


「……覚えてるか? エイラ、アザーラ攻撃した」


「……最初の連撃か? 全てアザーラ様が受け止めたものだろう。それがどうした」


「あれ、未完成。キーノ、本物、教えてやる」


 キーノが前のめりになり、使えぬはずの床につけた。それは、豹のような、得物をちぎり取る獣の構え。現代的に例えるならば、その雰囲気はミサイルの発射台のような圧力を相手に見せていた。


「……奥義、三段蹴り」


 床が焦げるような音、次に目の前にいるキーノ。ニズベールに防御という発想すら作らせないスピードは、人間どころか自然界の『生き物』では在り得ない速度。
 まず虎爪を叩きつけ視界を奪う。次に鉤爪で体の力を抜き、わき腹に蹴りをいれて上段にガードを回させない、頭上から肘鉄、頭突きをリズム良く叩き込み脳震盪を誘う。渾身の右ストレートで相手の意識を刈り取り、体が倒れる前に上空に飛び上がり、踏みつけるように右側頭部を蹴り、落下の速度を乗せて左側頭部に踵落とし、最後に相手の頭を掴み、頭を支柱に体を縦回転させて後頭部に膝を叩きつけ地上に降り立ち、走り抜ける。
 これが、イオカ村に伝わる奥義。酋長たるエイラですら完全には扱えぬ為、隠してきた彼の隠し手だった。
 床に沈んだニズベールを見る事無く、キーノはそのまま倒れこんで、前で横たわるエイラの姿を目視した。


「エイラ……世界で、一番、強い……」


 自分にとっての世界の常識を呟き、キーノは意識を失った。自分の大切な人を穢した敵を圧砕して。


「ず……ずたずたの腕で、俺を殴り飛ばしたのか……?」


 霞みゆく意識の中、ニズベールは倒れているキーノを見た。その腕は変色し、二度と動かぬのではと思わせる凄惨なものとなっている。拳からは肌色に混じって白い骨が突き出ていた。肩にある古傷は開ききって血の川を石造りの床に流し、黒い獣の皮を剥いだ服が赤黒くなっている。精神力で痛みをねじ伏せ、巨体の自分をこうまで叩きのめしたというのか。
 後方にて、ニズベールは白目を剥き痙攣しながら血を吐いて、「みごと……なり……」と最上の敬意を人間の男に送った。
 ティラン城決戦。最初に勝敗のついた戦いはニズベール対キーノ。ひとまず天秤は、人間側に傾いた。








 まだ答えが見つからんのか?
 エイラは、今はもういない父に呆れられたような気がした。
 答え……父の言う答えとは何だろう? 一瞬考えて、すぐに浮上した。強さだ。昔自分が質問した、強さとは何だ? という問いに直結しているに違いない。でも、それならば、父様だって分からなかったじゃないか、と内心で文句を言う。自分が見つけられなかった何かを、自分の娘が分からないとて、文句を言う資格があるのか! と怒鳴りたい気分だった。
 自分の抱く想いに気づいたのか、父は酷く寂しそうな顔をして、姿を消していく。


(ごめん、父様。そうじゃない。エイラ、それ言う、違う。エイラは……エイラは……)


「おや、もう意識が無いか?」


 体に十数の石片を生やしているエイラにアザーラはつまらなそうに声を掛けた。


「大したことが無いな、これがサル共のリーダーとは。これなら、一気に襲撃をかければ良かったの……」


 サイコキネシスを使いエイラに刺さった石を抜いていく。その際にエイラが苦悶の声を上げるも、アザーラは眉一つ動かさず、尊大とも思える態度で髪を撫でる。今消える命よりも、自分の髪の具合が心配だと、誰の目にも分かった。
 冷酷ではない。無情とも違う。アザーラは、戦いとはそういうものだと理解している。戦いに敗れた者に何かを思うことなど必要ない。強者に立ち向かう弱者が死ぬのは当然の摂理……大地の掟であるのだから。
 彼女の友人兼兄であるクロノを一瞥すると、彼は今もマールと戦っている様子が見える。手が空いた所でアザーラはそちらに向かうことにした。どうせなら、大勢で戦うほうが盛り上がるだろうと思ったのだ。


「うむ。なんなら、マールもティラン城で暮らすのも悪くない。あいつも中々見所のある奴じゃからな!」


 過去、まよいの森中心にあるアジトにて優しくしてもらった経験のあるマールを気に入っているアザーラは、豪華なマントをたなびかせてそちらに足を向けた。しかしその前に、随分と呆気ない幕引きにさせられた腹いせとして、今だ動く気配の無いエイラに嫌味のある言葉を投げた。


「エイラよ。今日の貴様は随分と無様なものだったな……いや、昔もそうだったか。過去を掘り返すのは私は好きではないが……貴様の代わりに腕を潰したキーノも、無駄なことをしたものじゃのう」


 離れ行くアザーラを生気の無い目で見つめているエイラは、今度は父ではない誰かが視界に降りてくることを知る。
 エイラの前に立つのは……若かりし頃の自分と、キーノ。二人を囲む恐竜人たちと、アザーラ。エイラは、少しだけ目を閉じた──








 それは……。確か自分が酋長の器で無いと村人が話しているのを聞いた夜のこと。単独、アザーラのいるアジトまで走り、その首級を挙げてやると息巻いていた日……
 どうということは無い結末。自分は失敗したのだ。まだ若く、戦闘経験の浅い天狗だった自分が並み居る恐竜人たちを蹴散らすことなど出来るはずが無かったのだ。あっさり敵に捕まり、引きずられながらアザーラと対面した。
 奴は言う。「死にたくないか?」と。
 今の自分ならば「殺せ! 命乞い、しない!」と言えるだろう。それだけの覚悟はしているし、戦いの中死んでいった仲間たちの為にも無様なことだけはしないと心に誓っている。だが、その時の私は……


「た……助けて」


 変に可哀想ぶるつもりはない。ただ、その時の自分は何も為せない何も決めれないただの子供だった。泣き喚いて、助けを呼んで、許しを請うて。生きれるなら、土下座でもなんでも喜んでしただろう。死ぬ、ということを知っていたのに、いざその采配を自分に向けられると、頭が真っ白になっていった。
 奴は言う。「ならば貴様らの村の場所を教えろ」と。
 私は戸惑った。それはつまり、仲間を売れということではないか。自分の命惜しさに仲間を見捨てろと。想像してみた。もしここでイオカやラルバの村の場所を正確に教えて自分が生き残った時の事を。
 まず、村人は全員死ぬだろう。自分の陰口を言っていた男たちも、外面だけは尊敬している女共も、逃げ隠れている臆病者たちも、皆惨たらしく殺されるのだろう。


(……良いじゃないか、それで)


 もうこれで自分を誰かと比較する者は現れない。誰も自分を貶めないし、追い越さない。私は永遠に酋長であり、蔑む者はいなくなる。
 ──比較? 誰と? 私は誰と比較されていた?
 その人物の顔が浮かび、今正に開きかけていた口が閉じられる。それは大嫌いな人物で、自分を脅かすお節介な、平和主義者のぼんくらな男。彼も死ぬのだろうか? 引き裂かれ、燃やされ、絶望し喰われてしまうのだろうか?
 思わず泣き出しそうな、胸が潰されるような気持ちが湧き出して……私は目を閉じた。もうここで死ぬことに迷いは無い。きっと、自分がいなくても村の人間は彼を指導者に強く生きるだろう。願わくば私が死んだ時、彼だけは泣いて欲しいと思いながら。


──エイラを離せ!


 ここからは、出来すぎた展開。村を出て行った自分をつけて、キーノが現れた。数いる恐竜人達を翻弄し、叩き潰し、その頃は得意だった弓で遠ざけて、縛られていた私を助けてくれた。あの時、「大丈夫か、エイラ!」と心配そうに駆け寄ってくれた時のことを、私は一生忘れない……これからの、悪夢も。


「そうか、そうか。己のリーダーを一人で助けに来るとは……その勇気を称え、貴様らの命だけは助けてやるぞ……」


 その時アザーラの能力を知らなかった私たちは、奴の力であっという間に降り注ぐ岩石に抑え込まれて、身動きが取れなくなった。懸命に体を動かそうと力を込めれば、その倍の力で押し付けられる。あの時の絶望は、今までにそれっきりだ。


「……っ!」


 キーノは憎憎しげにアザーラを睨んでいた……それが気に障ったのだろうか? アザーラは舌を鳴らして罰を下した。その時の台詞を、私は鮮明に覚えている。


「その男の両腕を、潰せ。後はここから放り出しておけばよい。私はニズベールと遊んでくる」


 意味が掴めず、私は放心した。罰というなら何故私ではないのか? どうして……私なんかの為に駆けつけてくれたキーノの腕を潰すのか?
 上手く喋れない私は縋る想いでキーノを見た。すると……彼は「キーノ、良かった。エイラ、安心する!」と嬉しそうに、本当に嬉しそうに言うのだ。今から自分の腕が壊されるのに。屈強そうな恐竜人が棘のついた棍棒を振り下ろそうとしているのに。泣いている私を落ち着かせようとして、笑う。
 ……その後いつまでも泣き止まない私に、キーノは私の頭を撫でようとして、ぽつりと言った。


「もう、撫でる、無理。ごめんな、エイラ」


 彼の両腕と肩は見るも無残にひしゃげ、痛みから来る脂汗と血が床を濡らしていた。
 この時ほど憤りを覚えた瞬間を、私は知らない。知りたく、ない。







「うあ…………」


 現実に戻ってきたエイラはもう一度立ち上がろうと体に力を流す。その度に貫かれた足や腕が行動を拒否する。立てるわけが無いと、自分の頭さえも反抗する。結局彼女は離れていくアザーラを見ることしか出来なかった。射殺してやるといわんばかりの憎しみを乗せて。
 やがて、それも疲れていく。段々と閉じていく視界を止める術もなく、エイラは意識を失っていく。


(ごめん……キーノ)


 色を認識することもできなくなった眼が、灰色の景色を閉ざしていく。弱い自分を嘆きながら、いつまでも覚えているだろう名前を心に描いて。
 が……その儚い思想は、突然に中断された。
 後方より響く振動が伝わってエイラの体を揺らす。続いて誰かが走る音、愛しい人の息遣い。エイラは思い出した。自分の恩人もまた闘っているのだと。
 気力を振り絞り、ゆっくりと体を転がして音の発生源に視界を変える。見えるのは、大きくは無い体をボロボロにして、圧倒的体格差の恐竜人を打ち倒したキーノの姿。聞こえたのは、彼からの全幅の信頼。世界で一番強いという確かな言葉。そうして、キーノは気を失った。


「キ……ノ……」


 心配でない訳が無い。誰よりも大切で愛しい男が血まみれで倒れているのだから、苦しくない訳が無い。今すぐにも駆け出して声を掛けたい。治療して村に戻り医師に見せたい、いや、仲間のマールに回復してもらわねばという焦燥も多分にある。だけれど……それ以上に、彼女はキーノの言葉によって歓喜を覚えていた。


(信じて、くれた? エイラを?)


 一撃も入れれず、触れることも出来ていない自分をキーノは世界一強いと、最強だと言ってくれた。それはつまり……つまり……


「……あ、あはっ、あはははははは!!!」


「!? 何じゃ、気でも触れたか!?」


 エイラは笑う。自分の馬鹿さ加減に呆れ果てて、罵倒するでも怒るでも悲しむでも無く、腹の底から笑う、笑うしかないだろう。
 腹筋を揺らすことでわき腹に空いた穴や打撲が響き、腹を押さえた時に割れた爪が悲鳴を上げる。息を吸うだけで気を失いそうになることから肋骨も何本かいかれているようだ。その激しい痛みが自分の自業自得によって増していることに滑稽を感じた彼女はより一層笑い声を強めた。


(信じてくれた! 信じてくれていた! キーノ、エイラを信じた!)


 笑いすぎて吐き気が出てきたので、思い切って口に指を突っ込み吐きだす。岩石クラッシュを飲んで気持ちが悪い時の対処法と同じだなぁ、とエイラは場違いな感想を思った。
 アザーラはというと、エイラの奇行に驚きサイコキネシスで止めを刺すことも忘れて呆然としてしまう。半死半生の人間が急に笑い出してかと思えば嘔吐してなおも笑顔を崩さない。彼女もまた、ニズベールと形は違えど恐怖を人間に感じていた。


「気味の悪いサルめ……その気色の悪い顔を、頭蓋ごと潰してくれるわ!」


 言って、二メートル弱の岩石をエイラの頭上に落とした。重力にサイコキネシスを足した落下速度は十二分に人間の体を潰せる必殺の攻撃だった。
 それでも、エイラは重さ二百キロ前後の岩を避けるでもなく、拳を上に掲げただけ。殴って軌道を変えるなんて考えは思いつかない。彼女は浮かれているから。自分の幸福と、頭の悪さにこれでもかというほど呆れているから。
 そして、当然のように岩石は砕けた。落ちていく石の欠片は奇妙にエイラを避けて床に散らばっていく。その石の欠片を操ってアザーラは再度攻撃を仕掛けるも、エイラは体を一回転させて巻き起した風圧で迫る欠片を飛散させた。
 たかが、体を回転させただけでサイコキネシスによる攻撃を破ったエイラにアザーラは戦慄する。今まで突撃しかせずいたぶられていただけの女が、何故こうも変わったのか? 理由の分からないアザーラは、足を踏み出したエイラにびくっ、と体を震わせる。


(キーノ、エイラの事信じた。なら、エイラもキーノ言うこと、信じる)


 特別なことは一切無い。強いて言うなら、エイラは気づいただけ。自分の愛する人の言葉を聞いて、それを信じただけ。


──エイラ……世界で、一番、強い……


「エイラは……エイラは、アザーラより、誰より、強い……強い、強い!!!!!!」


 いつの世でも、思い人の言葉を信じずに、何が愛だというのか。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十三話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/13 06:50
「待っててね、皆……」


 時の最果てより降り立ったのは、象牙色の絨毯に足を着けシャツをへその下まで捲り上げ、頭の帽子を半ば外して焦燥とした顔をしているルッカだった。何やら重そうな機械を抱えて走る様は見るだけで必死さを窺わせる。
 時折機械を床に置いて休を取り、もう一度抱えて走り出す。まるで主人に怒鳴られぬよう精一杯働く奴隷のような姿だが、それを見咎める者はいない。三度目の休憩を入れた時、ルッカはふと空を見た。別段、理由など無い。深呼吸をするついでに上を見ただけだ。その時に、どうにも気になることが、一つ。


「あれ? あの星、太陽……な訳無いわよね?」


 太陽の隣に爛々と輝く赤い星。見間違いでないなら、それはどんどんと大きくなっている気がする。ルッカは少し考え込み、赤い星の正体を思いつくと、機械を背中に背負い全速で走った。現代で読んだ歴史の本。その内容から推測される常識を思い出したのである。例えば、何故恐竜は滅んだのか? 氷河時代とは? それらのピースが揃ったとき、答えは出た。 
 彼女が、クロノたちが闘う渡り廊下への扉を開けるのは、もう少し後の話となる。






 マールの自製した氷塊をクロノは難無く切り裂き剣先を彼女に向ける。遅れて伸びるソイソー刀をマールは床に沈んで、サマーソルトのように下から蹴り上げ、そのまま後転し逃れた。立ち上がりざまに一本の短い槍を作り、下手に投げる。魔刀の持ち主は小さな抵抗を鼻で笑い、迫る脅威を空いている左手で掴み取った。飽きたおもちゃをそうするように、彼は床に叩きつけて、氷の槍は澄んだ音を鳴らす。
 息の荒いマールに比べ、クロノは肩を揺らす事無く、悠然と立っていた。優劣は既に決まっている。


(ずるいなあ……伸縮自在の刀なんて、規格外でしょ)


 真剣勝負と決めたこの戦いにずるいなどと言えるはずの無いマールだからこそ、心の中で愚痴を呟いた。回避運動の為に動き過ぎた体を冷気で誤魔化し、もう一度構える。このままでは、余りに情けない。せめて一矢報いねば、と考えたのだ。
 マールの攻撃を止めたクロノは電力を発生させて、周辺に散らばる激しい戦いに砕けた石畳の破片を操りマールに打ち出した。体を貫くほどの速さではないが、当たれば悶絶する程度の速度。飛来する石々に両手を前に構えて待つ。拳、肘、膝を円の動きに回してクロノの石つぶてをかわし、叩き落した。
 口笛を吹いて賞賛するクロノに舌打ちした後、何度目かも分からない突撃を敢行する。進路上の床を磁力で浮かせる等の妨害を見極めて並行に飛び、また前方に大きく跳躍するといった不規則な進行リズムで徐々に距離を縮めていく。


「すっげえ身体能力。でも、これで終わりだな」


 両手を地に着けて、膨大な電流を床に流す。これで、マールとクロノを繋げる床は、上を歩くだけで気を失うほどの電力が充溢した。本来、空気中に電気を浮遊させるだけで良いのだが、丁度いいことに床にはマールの作り出したアイスにより水がばら撒かれており少ない魔力で充分な電力を与えることが出来たのだ。
 これでもう自分との距離は縮められないだろうと満足気に相手を見ると、大きく目を見開くこととなった。いつのまにか、湾曲状の氷の道が目の前に作られているのだ。そして、その氷の道の上を走るマールの姿。床を走ることが出来ないと分かったマールは魔法の氷で道を作り、クロノへ続く障害を潰したのだ。
 しかし、それを呆然と見ているわけが無い。彼は魔力の消費を厭わずもう一度サンダーをマールに向け発射、ばぢばぢと弾ける音を紡いで直線にマールへと電気の道を作り出していく。されども、一本道に作られていた氷の道にもう一つ右側に曲がった道を作り出しマールは悠々と襲い掛かる電流線を避ける。


「くそったれ、その道ごと切り崩してやるさ!」


 斜め上段から切り落とすように伸ばした刀を振り下ろす。風を切り舐めるような光沢を放つ魔刀が落ちてくるのは、まるで聳え立つ建物が崩落してくるような圧力を与えていた。
 けれど、彼女は止まらない。分かっているのだ、その刃が自分の頭上を掠めることすらできないと。
 マールが防御体勢に移らない事を不審に思ったクロノはぞくり、と体が震えていることに気がついた。即座に剣の長さを戻して後ろに飛ぶ。彼が見たのは、今まで自分がいた空間を氷の道から突き出た先端の尖る柱が貫く瞬間。


「……なんだよそれ、あいつの魔法って、自由自在じゃねえか!」


「ようやく気づいた? 私の魔法は回復魔法が主じゃないんだよ」


 声が思いの外近傍より聞こえて、はっと顔を上げる。そこには、朗らかに笑う少女の顔と、細長いくせに、処刑人の持つ斧のような印象を与える脚。
 弓なりに曲がった脚が自分の顔と衝突した時、クロノは宙を舞い、自分の負けを悟った。


(ああ……油断しすぎたか……まあ、頑張ったほうだよな? 多分)


 健闘振りを自分自身で称えて、満足気に笑い、耳鳴りのする中、目を閉じていく……けれど、


(……いや、まだか)


 意識が途絶える寸前に、己が家族と認めた女の子が、困惑している姿を目視して、やるべきことが残っていることを知った。






 小中大の岩石を作り出し、上下前後左右に打ち出して、時には極局地的砂嵐で視界を奪おうとも、相手は立ち上がる。テレパシーを用いて混乱を誘うものの、思考を読めばそこには喜び以外の感情を読み取れず乱すどころかもう乱れきっている。今までに、こんな人間……いや、こんな生き物をアザーラは見たことが無かったし、相対したことなどあるはずがなかった。となれば、彼女が取る行動は一つ。


「何で? 何で笑うのじゃ!? もうボロボロのくせに、弱いくせにっ!」


 怯えることだけだった。
 そこかしこに巨石を投下させて辺りは破壊音が響いている。目にも止まらぬ速さで散らばる欠片は弾丸のように散らばっていき、戦争のような様相となっていた。その中を縦横無尽に駆け、アザーラを混乱させているのは、エイラ。大の男でも悲鳴をあげてともすれば気絶しそうな痛みの中、彼女は嬉しそうに目を綻ばせて、美しい笑い声を音色に変えていた。彼女だけを見れば、それは心温まる、平和の象徴ともいえそうな姿。けれども、砕ける床、破砕する音、アザーラの叫び声をバックに据え置けば、それは異形の何かと推測できよう姿だった。
 笑う、笑う。彼女は笑う。威嚇行為でも敵対の意思表示でもまたその逆でも無く、彼女は笑う。どうして? と問われれば、彼女は答えるだろう。嬉しいからだと。
 嬉しい、また楽しいという感情は人を笑顔にする。勿論その限りではなかろうが、理由としての模範にはなる。抽象的ながら確固たる理由だ。彼女が嬉しいと思う理由はそれはそれは微笑ましい、乙女のもの。好きな人が自分を信じてくれているという単純な事で、彼女は心の底から昂ぶろうという気持ちになっていた。いわば、今の彼女がアザーラの攻撃を避けているのは、回避行動ではなく、喜びの舞を踊っているようなものだ。動かずにはいられない歓喜にエイラは浸っていた。


「アハハハ、エイラ、強い! 誰にも、負ける、無い!」


 力強い自分の言葉を背に乗せて、エイラは走り出す。落石を避ける為ジグザグに曲がりながら走っているのに、風を越えるような速さでアザーラへと迫る。


「ふん! 私が近接戦闘を出来ぬと思ったか馬鹿め!」


 アザーラがその小さい背中に手を伸ばし、何かを掴みだした。それは、四十センチ弱に折りたたまれている何か。それを力一杯振ると、がきがき、と金属音を鳴らして一本の鎚に変わった。ただ、通常の鎚とは少し違う。ハンマーのような先頭部に恐竜を模した金型が貼り付けられている。長さは一メートル六十前後、長大とは言えぬ長さだが、彼女の伸長体格と照らし合わせれば不似合いな武器といえた。
 鉄槌を右手に持ち替えて肩に預け、左手を前に出す。それは、もうサイコキネシスやテレパシーといった超能力に頼らないと教えているようなもので、エイラは僅かに笑みを深くした。ありがたいと思ったのではない。その態度を潔いと取り、何よりこれでこそ自分たちの戦いにふさわしいと考えたのだ。
 エイラとアザーラの距離が十尺を切った時、先に動いたのはアザーラだった。鉄槌の持ち方を水平に変えて、エイラのわき腹を狙う。空気の音が変化し、その音はとても小さな体で出せる音ではなく、また振る速度も人間のそれではない。エイラは急停止して鉄槌の顎から逃れる。一拍の時間を置いて飛びかかろうとするが、アザーラは勢いそのまま、コマのように体を一回転させてこちらを見据えた。踏み込ませない為の、単純な戦法。されども、徹底すれば隙を作らせることは無い。
 恐れるべきは、戦法の類ではない。大きくは無いといえど、武器として最重量級の鉄槌を小さな体で操っていること。例えば、現代の屈強なガルディア騎士団にここまで鉄槌を軽々しく扱える者はいないだろう。


(──飛び蹴り、駄目。飛ぶ時、やられる。風を起こす? 駄目。大きい隙、作る、やられる……)


 いつもは思うがままに戦っているエイラが、不器用ながら初めて戦略を練り始めた。それは、相手も同じ。


(こちらからは飛び込めぬ。狙うのは、エイラが攻撃してくるその一瞬。迎撃に全てを賭けるのみ!)


 いつも、手を振れば相手を潰してきたアザーラが初めて『敵』を認識し、最適な行動を考える。我侭に生きるアザーラにとって攻撃ではなく専守防衛の構えを取るのは恥ずべきことだと感じたが、彼女はそれ以外に勝ちのビジョンが浮かばなかった。
 鋭い眼光をたたえた両名の睨みあいは続き、その均衡はエイラによって破られた。突然足元の石をアザーラに蹴り飛ばしたのだ。アザーラは……彼女の行動に、絶望した。


(まさか、それが貴様の策か? つまらぬ)


 次々に飛んでくる石をアザーラは視線の動きだけで操り、構えを解くまでも無くエイラの攻撃を止めた。それがしつこいほどに繰り返されて、彼女の失望は色濃くなるばかり。この場面にきて、選び取った攻撃法が投石とはあまりに情けない。一度でも相手を敵と認めた自分にすら同情してしまう。
 こうなれば、自分から鉄槌を叩き込んで頭蓋を破裂させてやろうか、と思い出した頃、もう一度目の光を取り戻した。とはいえ、微かに、だが。
 エイラは彼女の二倍、つまりアザーラの三倍はある大きな岩石を持ち上げて投げたのだ。その怪力には確かに賛嘆の感情を隠せないが、結局は同じこと。アザーラは投げつけてきた岩石をサイコキネシスで軌道を変え、左に受け流した。


「────っ!?」


 退けた岩石の後ろに、太陽が照らす金色の怪物の姿に、アザーラは息を呑んだ。
 振りかぶった拳を受けることも出来ず、彼女は床を這い、びくびくと体を震わせる。言うことを聞かない体を放棄して、アザーラは首だけを動かし、荒い息を吐いて中腰になるエイラを見た。
 人間のサルらしい、乱暴な戦略。視界を遮るほどの岩石を投げて、そこに身を隠し特攻する。もし意図が読まれれば反撃は必至、命を落としかねないリスクの大きすぎる博打戦法。だが、それを選んだことで彼女は己に勝ったのかと、そうしなければ勝てぬ相手だと思ったのだと、アザーラは負けた事に悔恨の意は無かった。
 頭を落として気絶したアザーラを見て、エイラは足の力を抜き座り込んだ。勝ったという喜びは現実味を帯びない。くしくしと顔を拭って顔に付いている血を拭う。ばた、と倒れこみ空を眺めると、空を浮遊している怪鳥たちが主人の敗北に驚き奇声を上げていた。
 もし、アザーラがサイコキネシスを使い続けていたら、そもそも戸惑う事無く冷静に自分と戦っていたら? もしもの場合を考え続けて──エイラは頭を真っ白に変えた。頭の悪い自分に難しい考えは出来ないと放り投げたのだ。


(勝ったよ、キーノ)


 ここで気を失えたら楽だろうな、とエイラは思う。今更になって痛み出した傷のせいでそういう訳にもいかないのだが。
 想い人は一度体を起こさねば見えない位置に倒れているため、今の脱力した体では視界に収めることは出来ない。しかし、彼女にはそれでも良かった。離れていても、彼の温もりを感じられるから。そんな甘い想像を広げていくと、痛みが薄れていく気がした。


(少し、目瞑る。そしたら、寝れるかも)


 疲れた体を癒す為、ほんの少しだけ張り詰めていた気を緩ませていくと……
 遠くから聞こえる猛獣の咆哮に、まどろみは全て吹き飛ばされてしまった。まだ、戦いは終わらないのだ。







 マールに蹴倒されて、俺は自分の無力を知らされて眠りに着こうとした。予想はしてたし、悔しくはあるものの、今までの俺じゃあ考えられないくらい善戦したのだ、誰も俺を責めたり出来ないだろうと自分で結論付けて。
 ただ……良くない。非常に良くない。俺が見た光景はとても良くない。劣勢のアザーラの様子は……まあいいさ。エイラなんていう強力無比な人間を相手してるんだ、そういう時もあるだろうさ。それから結局負けちまったのも仕方ない。なんだかんだ言って、俺も心の底では人間側が勝って欲しいしさ。いや、今更過ぎるけど。
 しかし一つ問題がある。これが良くないんだ。俺はアザーラを妹と呼んでしまった。恐竜人の味方をすると言ってしまった……だから負けるわけにはいかないんだっ!! なんて寒い台詞言う気はないぞ、言っとくけど。
 では何が問題なのか? それは簡単。今俺が意識を保っていること。一度言った約束を破るわけにはいかない、ってな事をいうつもりもさらさら無いけれど……全力で応えることは、しなくちゃいけないだろう? 全てを出し切って、思いつく手段を全て試してこそ全力で応えたってもんだ。
 俺はおもむろに立ち上がって、マールに宣戦布告をする……訳も無い。戦えば負けるとは思わないけれど、エイラと同時にやって勝てるなんて自惚れは無い。傷だらけでも、マールが回復魔法を使えばはい、元通り。今は倒れているキーノだってそれは同じことだろう。魔力消耗の激しいだろうマールだって二人を回復するくらいの魔力は残っている筈だ。
 じゃあどうすればいいのか? 答えは簡単、単純明快。
 ──味方を増やせばいい。


「出番だぜ、ティラノ爺さん」


「クロノ、目が覚めたの? 残念だけど、もう全部終わったよ。これから……」


 マールの声は、ティラン城中に響くような轟音に掻き消されて、最後まで聞き取ることは出来なかった。


(悪いな、俺はお前と違って恐竜人と人間の戦いに首を突っ込む気満々なんだ)


 目を瞑り耳を押さえているマールに心中で謝罪しながらも、俺は中指を立てて、言い捨てる。


「せいぜい気張れよマール。前哨戦は終わりだぜ?」


 言い残して、俺は渡り廊下の先。アザーラの私室とは逆方向に位置している建物に走っていった。扉の右側にあるレバーを引いて、豪快な音と共に扉が開かれていく。鈍重にその姿を現していくのは……全長十メートルを優に超える本物の恐竜。正式名称、ブラックティラノ。動きは遅いが、その肌は並みの恐竜人とは比較にならない、ニズベールよりも、いや鋼鉄、鋼よりもなお硬い。顔の半分を占めている口から吐き出す炎は魔王の放つ火と遜色ない業火。ぎらぎらと牙を光らせて、主人を傷つけ自分の領土を侵している侵入者に殺意と怒気を見せている。狂気を孕む目玉はぎょろつき、俺を見る。


「グルゥアアアアア!!!!!」


「ああ、お前と俺が最後の砦だ。やりきろうぜ?」


 放心したように座り込むマールとエイラを、ティラノ爺さんの肩に乗って見下ろした。こうしてみるとつくづく思うね、悪役ってのは良いよなって。切り札があるんだからさ。
 俺が右腕を下ろすと、ティラノ爺さんが燃え滾る豪炎を放ちマールたちに襲い掛かった。間近にいるとその熱量に辟易するが、これを直接当てられる側にとってはそんな感想も出ないだろう。少しは我慢するのが男の余裕ってもんだろう。


「あ、アイス! シールド展開!」


 曲線を描いた氷の壁を前面に作り、炎を空に逃がすマール。直接受け止めるんじゃなく受け流すってのは悪い方法じゃない。でも、


「俺を忘れんなよ、マール」


 炎によって薄くなった壁をソイソー刀が貫き、マールの右腕をざっくりと切り裂いた。痛みに精神を乱されたせいで、氷を精製している魔力が薄れていく。このまま行けば、洪水のような炎は彼女たちを包み全てを塵に変えるだろう。さあ、どうする!
 相手の出方を観察していると、苦渋の表情を浮かべるマールの横から、エイラが飛び出して炎の中に飛び込んだ……え、まさかここで自殺? と少々うろたえていると、彼女の飛び込んだ着地点付近で炎の竜巻が現れて、ティラノ爺さんの炎を巻き込み天に昇っていく。昇竜のような光景に俺は「そんな無茶苦茶な!?」と驚愕の叫びを出してしまった。物理学に反してるだろ、そんな荒業!
 俺とティラノ爺さんが呆気に取られていると、すかさずマールがエイラに回復魔法をかけて傷を癒していく。急いでソイソー刀の切っ先を向けたが、時既に遅くエイラはこちらに走り出していた。彼女にソイソー刀を向けるも、俺の運動神経ではエイラを捉えることができない。そう、今の俺では。


「痛いからやりたくねえっつーのに……『プラグイン、トランス』!!」


 自製神経作業完了。視神経を割り増しした今なら……見える!
 格好付けてティラノ爺さんの肩に乗ったものの、飛び降りて迫るエイラに肉迫する。ソイソー刀の伸縮速度は遅くはないが、今のエイラに当たるとは思えない。直接斬りかかるのみ!
 しかし、運動神経動体視力を上昇させて、筋肉への伝導指令を無視した俺に出来る最速の切り払いはエイラの肩を薄く斬っただけだった。調子に乗っているでも自惚れでもなく、人間が動ける限界に達しているはずの俺の切り払いが避けられるのか!? 今まで冗談気味に人間じゃねえとか言ってたけど、本物だったのかよ!
 本来極々短い時間しか発動できないトランスだが、今ここで解く訳にはいかない。解いた瞬間、俺はエイラにぶっ飛ばされて戦線離脱となってしまう。ティラノ爺さんを信用していない訳ではないが、奥の手である炎がエイラに通じない以上分が悪い戦いになるのは目に見えている。
 豪速の拳を突き出すエイラの手を握り、目一杯の電流を流し込もうと魔力を溜めるが、トランス中に迅速な魔力形成が出来るわけもなく、隙の出来た俺の腹にエイラは難なく膝を入れることに成功した。


「……っ!」


「クロ、少し寝てる、良い」


 肺にある酸素を全て吐き出したため、呻き声を出すこともなく、俺は崩れ落ちた。エイラはそれに構わず通り過ぎてティラノ爺さんに向かい走っていく。
 炎が効かないと分かった爺さんは懸命に爪を振り、噛み付こうと口を開けるが今の彼女のスピードに追いつくわけもなく、体力をすり減らしていった。腹を押さえてうずくまる俺の横をマールと、治療されて意識を取り戻したキーノが通り過ぎていく。


(待てって、まだ終わりじゃねえ……!)


 痛む鳩尾を無視して、立ち上がり、振り向きざまに刺突。伸びるソイソー刀は照準を合わせる事無く繰り出した為、見当はずれな方向に向かって床に刺さるが、二人の足止めには成功した。
 追撃を嫌ってか、マールとキーノは俺に向かい合い、マールは弓を構えて射出した。その場に這い蹲り難を逃れるも、自分の行動に舌打ちする。これでは、俺は魔力残量が無い、または少ないと教えているようなものだ。
 今まで俺はマールの弓矢を魔力による磁力発生で受け止めてきたのに、回避を選択するということはつまり魔力を消費したくないということ。事実、今の俺には少量の魔力とて惜しい。無意識にそれを感じ取った俺は反射的に避けてしまったのだ。


(……とはいえ、それはマールも同じこと……か?)


 俺に飛び道具は効かないと分かっていて、魔法でなく弓矢での攻撃を選択したのは、彼女もまた残り魔力量が少ないということだろう。そう考えて、一縷の光明を見出すも、かぶりを振って自分の浅慮な考えを捨てる。
 馬鹿か俺は。単純に、俺の魔力量を測るための布石かもしれないじゃないか。俺が魔力で防御すれば警戒が必要、でなければ魔力による攻撃は無い、そう判断する為の飛び道具とも考えうる。
 ……だからといって、マールの魔力に余裕があるとも思えないが……くそっ、結局手札を晒したのは俺だけということか。
 救いがあるとすれば、キーノが俺に攻撃を仕掛けずただ様子を窺うにとどまっている点か。ニズベールに猛攻を仕掛けたことは決して安い代償では無かったのだろう。ケアルで治療しても、体の痛みは継続しているはずだ。その証拠に、体中から溢れる汗が止まっていない。我慢すれば攻撃が出来ないでもなかろうが、ブラックティラノ戦における前座の俺にわざわざボロボロの体を酷使するのは旨くないと踏んだのか……舐められたもんだ。
 ……明らかに、絶対的に不利なこの状況、どう打破する?
 そもそも、ティラノ爺さんの火炎がエイラの体を回転し竜巻を発生させるわざ……尻尾竜巻とでも呼称しようか(服についてある尻尾のようなアクセサリー? が大きく舞っていたので)、に無効化されるとは思っていなかった。爺さんの火炎は俺たちの大きな武器だったからだ。人数及び俺の負傷具合をも覆せる唯一の武器。それを難なく攻略されたことでアドバンテージは一気に相手に傾いてしまった。


(なんとか、爺さんの火炎を上手く活かせないか? 例えば、俺の魔力で火炎を操るとか……出来るわけないか。仮に出来たとしても、俺に火炎を吹いてもらわねばならない。操る云々の前に俺が焼け死んでしまう……なら……)


 再度弓を構えるマールを見て、一度思考を消して本能で横転する。かろうじて避けることができたが、このまま俺の体力をじりじり削られていくのがオチだ。俺と違って、マールは魔力消費はともあれ、体力はほとんど減っていないのだから。
 大体、魔力量の限界が俺とマールでは雲泥の差なんだ。俺の倍は魔法を唱えても、マールは俺のさらに倍は魔法を唱えられる。キャパシティというか、ステータスの時点で俺を抜き去っているのだから。
 絶対的に不利? そんなもんじゃないな。正しく絶望的な状況に俺は思わず一瞬だけ空を見上げた。何かの作戦と受け取ったのか、キーノは身構えるが、マールは首を振ってエイラの加勢に向かう。どこまで勘が良いんだ、あいつは。俺が打つ手無いと分かったのか。
 ……待て、空? 空か……それなら。
 思いついた策に、笑みがこぼれる。いいじゃないか、どうせ負けるにしても──


「一発、でかい花火をあげようか」


 考えを形にして、俺はエイラたちとティラノ爺さんの戦場にソイソー刀を投げつける。戦う力の残っていない脱落者が負け惜しみに得物を投げた、と思うだろうか? それならそれでいい。けれど、唯一、爺さんだけには気づいて欲しい。でないと、もうここで俺たちは終わりだ。起死回生の最後のチャンス。頼むから、俺の考えを読み取ってくれ!
 たった五日間だけど、欠かさずあんたに話をしに行ったのは無駄じゃないよな? 短い間だったけれど、無意味じゃなかったよな? そう願いを込めて。
 果たして、爺さんはエイラたちの猛攻を裁きつつも……俺を、見た。
 ……ありがとう、爺さん。
 小さく溢して、俺は力ある言葉を吐き出した。


「サンダガ!!!」


「っ! 嘘!?」


 もう大技を使えないと決め付けていたマールから狼狽の声が漏れる。放射状に伸びていく電流の渦はエイラたちを振り向かせるのに充分な活躍をしてくれた。マールは残り少ないだろう魔力を防御壁に変換しようとして……止めた。気がついたんだな?
 見た目だけは派手な、威力の無い電流に気を取られている隙にティラノ爺さんは空に向けて盛大な炎の息を噴出した。山の噴火にも似た炎は雲を焦がし高く高く上っていく。それで……準備完了。後は俺の一番単純で得意な魔法を唱えるだけで良い。


「サンダー!!」


 体から電力を作り出すサンダーではない。空から雷を落とす、俺が最初に覚えた魔法。威力はそこそこ、コントロールはまあまあ、速度は並以下という出来の悪い、お粗末な魔法。でも、空から落ちてくるという性質が、今は何よりの武器となる!
 天空より振る一筋の落雷は、ティラノ爺さんの膨大な炎を巻き込み、内に秘め、特大の火炎電流となりエイラたちに落ちていった。


「────!」


 誰かの叫び声が聞こえた気がしたけれど、鼓膜が破れそうな轟音が鳴り、誰の声か判別はできなかった。俺のサンダーは床を突抜けて遥か下のマグマまで落ちていき、威力が強すぎたか、ティラン城の下にある山が噴火活動を開始したようで、溶岩がティラノ城に届くほど跳ね、気を張らねば立っていられない程の地震が始まった。
 上空を飛行する怪鳥たちや、それを操る恐竜人たちのざわめく声。天災を越える魔術に驚嘆の呻き声。それら全てが俺を称えているようで、気分は悪くなかった。からっけつになった魔力残量のせいで良くも無かったけれど。
 衝撃によって発生した煙が晴れていくにつれて、ようやくエイラたちの姿を見つけることが出来た。と、同時に自分の口から喘ぐような声が出たのも分かる。所々に火や電気の名残が残っていたが……彼女たちは、まだ意識を留めて、俺と向き合っていたから。


「……あのさ、どうやってあれ、やり過ごしたんだ?」


 俺の問いかけに答えたのは、マール。ぼろぼろに焼け爛れた服を押さえながら、少し誇らしそうに話し始めた。


「キーノとエイラが二人で竜巻を起こして、私がその竜巻に魔力の氷を足したの。相殺は出来なかったけど、逸らす事と衝撃を緩和することはできたんだよ」


 どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てて、口でえへん、と言う彼女はどことなくアザーラに似てるな、と思った。


「そっか。あーあ、最後の切り札だったんだけどなぁ」


「本当だよね? まだあるとか言ったら怒るよ?」


 疑い深いマールがなんだかおかしくて、俺はそんな場面でもないだろうに笑いだしてしまった。きょとん、と目を丸くするマールと、頭を打ったとでも思ってるのか、オロオロするエイラとキーノ。敵に回った俺を心配するなんてお人よしもいいところだな。


「ハハハハ……あー、止めとけティラノ爺さん。もう、俺達の負けだ」


 後ろから火を吹こうとしているティラノ爺さんに制止の言葉を出して、俺は敗北宣言を出す。不意打ちなんて通じるわけが無い。マールはともかく、エイラとキーノは俺を見ながら、爺さんも視ていたから。


「……これで、終わりか。短い反抗期だぜ、なあおい?」


 遠くで倒れているアザーラに、届かないと分かっていても言わずにはいれなかった。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十三話 絆、掟、そして永別








 俺とティラノ爺さんが降参して、しばらくの時が経った頃、アザーラとニズベールが意識を取り戻した。二人とも、俺が両手を上げてティラノ爺さんが頭を下げ項垂れている様子を見て事の顛末を悟った。「我らの、負けか……」とニズベールは諦観の表情を作り、アザーラに膝をつき礼をした。


「申し訳ありません、アザーラ様。私、ニズベールが不甲斐ないばかりに……」


「良いのじゃニズベール。私たちはよくやった。 負けても、決して不甲斐ないとは言えぬものだった筈。そうであろう?」


 原始人たちの酋長、エイラに問いかけると、彼女は深々と頷き、「ギリギリ。エイラたち、幸運」と言葉少なに恐竜人の健闘を称えた。


「だそうだ……いや、よくやったな、サル共。本当に、そう思う」


 未だに信じられぬ、とエイラたちの命を賭けた奮闘振りに笑顔で賞讃するアザーラは、いつもの甘えんぼで、子供っぽいところは微塵も感じられなかった。


「ふむ……一件落着だな!」


「クロノがそれ言うのおかしいよね」


「なんとでも言え。俺なりに考えて、頑張った結果だ」


「確かに、クロノ凄かったよ。もっと形振り構わなければ、私が負けてたもん」


「? 俺、かなりマジに戦ったけど?」


 マールは呆れたように手を顔に当てて、「手加減してるの、気づいてない訳ないじゃん」と不満を漏らした。勝手に俺をフェミニストにしてくれるのはありがたいが、本当にそんなつもりは無かった……と思う。多分。
 次は本当に本気でやろうね! と念を押してマールは話を切り上げた。次もあるのか? と口にしようとしたが、その前に、キーノが厳しい面構えでアザーラたちに近寄ってきた為言葉を飲み込んだ。


「……大地の掟、知ってるな」


 ──まただ。どうしてこうも、ここの世界の人間はそれに固執するんだ。
 つまり、キーノはこう言いたいんだろう。『お前たちは負けたから、死ね』と。そこまで侮蔑したような言葉では無いにしろ、内容は同じ。そればっかりは許せない。


「それ従う。今ここで、キーノ、お前ら裁く」


「キーノ、キーノよい」


 堅物な顔で物騒な事を抜かすキーノの肩を叩いて振り向かせる。不快そうに俺を見る目は、邪魔をするなと暗に語っていた。


「あのさ、もういいだろ。人間側が勝ちました。だから、恐竜人は悪さをしません。それを約束してもらえば文句ないじゃんか、な?」


 出来るだけ明るく努めて話す俺を、皆黙って見つめている。エイラも、キーノも、アザーラやニズベール。周りの空気に合わせてか、マールも一言も口にしなかった。


「大体、あれだよ。お前ら怖いよ、裁くとか殺すとか皆殺しとか、もうちょっとフレンドリィな生き方って出来ないのか? 手と手を取って生きていくってな選択が出来ないもんかね?」


 分かってる。この場の雰囲気が少しづつ冷めていくのを肌で感じている。突き刺さるような視線は四対。原始人代表の二人と、恐竜人の親玉と右腕。庇う形になっている恐竜人二人も、俺に敵意を向けていた。


「それに……そうだ、恐竜人たちも悪い奴らばっかりって訳じゃない。二つの種族が手を組めば、生きていくのも楽になるぜ? 技術力だって凄いし……ああ、分からないかな……とにかく! 大地の掟だかなんだか知らんが、そんなもん忘れろって!」


 ……その言葉が引き金となり、キーノは今までの表情を一変させて、楽しげに笑い出した。そう、楽しげに。
 笑い声は続き、幾度か咳込みながらキーノは笑顔で俺の手を取った。


「それいいクロ! 掟、忘れる。皆仲良くなる! 凄い、クロ!」


「……だろ? だから」


 唐突に、キーノが押し出すような蹴りを放ち、俺の腹が爆発したような衝撃を覚える。後方に転ばされ、喉の奥から込み上げるものを吐き出し、床を汚す。胃袋に穴でもできたのか、血が混ざる色合いは見るだけで気分が悪くなった。無様に立ち上がる俺を起こしてくれる人はいない。唯一マールが近づいて治療しようとするが、それをキーノが立ちはだかり止めて、俺に凍るような目を向けた。


「クロ、余所者。それに、友達。もしお前、村の住人なら、殺してる」


「……げほっ……」


「大地の掟、これ、皆背負ってる。へらへらして、それ否定するお前、もう友達でも、仲間でも、ない。消えろ」


「……言ってろ。俺は諦めねえぞ」


 刀を立てて立ち上がり、もう一度キーノに近づく俺を、今度はアザーラが止めた。見た目には険しい顔を見せていたが、目の奥が揺らいでいる。きっと、助けを呼んでいる、他の誰でもない、俺に助けてくれと語っている。


「やめろ、クロノ。分からんのか、これは私たち恐竜人と人間の、共通の誓いなのだ。部外者が口を挟んで良い理由は無い」


 アザーラは心を捨てたような声で、俺を諭すよう語りかける。
 それは、どう解釈したらいいんだ? 関係ないんだから引っ込んでろと言いたいのか? 俺にはそう聞こえない。よく我慢してたけど、お前語尾が震えてたじゃないか。助けて欲しいなら、もっとはっきり言えよ。


「……俺は部外者じゃない」


「部外者じゃ。お前、この前言っておったろう? その時は信じておらなんだが……遠く未来よりやってきたと。今なら信じよう。でなければ、大地の掟を忘れろなどと言えるわけがない」


 今度は言葉が揺れなかった。今すぐ良くやった、と褒めて頭を撫でてやりたいが、それを掟とやらが邪魔をする。そのたかだか七文字のルールがわずらわしくてしょうがない。


「郷に入れば郷に従えと言うだろう? ……今すぐここを離れよ……楽しかったぞ」


 楽しかった、という部分を発音する時だけ、彼女は小さく笑った。なるほど、これが彼女の今生の別れ、そのやり方という訳だ。
 俺は背中を見せてゆっくりと闊歩してこの場を離れる。そしてアザーラは涙を溜めながら心の中でありがとうと呟き、原始の戦いに決着がつく。陳腐なストーリーだ。今に上映した劇場は潰れて閑古鳥が鳴くだろうぜ。
 俯いて寂しそうな笑顔を見せているアザーラを力一杯抱き寄せる。「ううっ!?」と困惑した声が腰の辺りから聞こえるけれど、喋るな動くな! と言ってやりたい。お前が少し動くだけでその振動が腹に響くんだ。辛そうな笑顔見せやがって、それなら思いっきり泣いてくれた方がマシだ。夢に見るだろうが。


「郷に入れば郷に従え? 聞いた事ねえなそんな言葉。この時代特有の方言か? 偉そうなんだよ。従えって、何処の誰に向かって言ってやがる」


 戦闘前に香る緊迫感の匂いが充満していく。キーノは覚悟を決めたか、足を肩幅に広げて戦闘スタイルに移行する。エイラもまた、迷いながら辛そうに拳を握り締めていた。体力共に魔力もガス欠。そんな状態での連戦、大いに結構! 妹が泣いてるのに立ち向かわねえ奴は兄貴じゃねえ!


「よく聞けよお前ら。郷に入ればなぁ、郷が俺に従えってんだ!!!」


「……言いたいこと、それだけかクロォォォ!!!」


 アザーラを背中に回しキーノと対峙する。背中の裾が引っ張られるが、気にしない。背中から声が聞こえるが今は忘れる。感謝の言葉は、泣きながら言うものじゃねえぞ、アザーラ。
 その状況で、ニズベールはやはり武人らしい気性のため、表立って掟とやらに逆らえないのだろう。しかし、確かに「すまぬ……」と涙ながらに俺に声を掛けてくれた。あんたの主人は守りきってみせるから、安心してろ。
 一触即発。どちらかが呼吸をしただけで飛び出すだろう状況で、それを乱すのは……驚くことに、満面の笑みの王女様。
 マールは真っ二つに分かれたキーノたちと俺の間に垂直の氷壁を作り戦いを遮った。


「私もその諺知ってるよ」


 トントンと跳ねながら彼女は楽しそうに俺の隣に立ち、ケアルをかけてくれる。それはつまり──俺の味方、ということか?
 ふにふにと俺の頬をつつきながら、胸を張って口を開く。


「だって、私たちのパーティーのリーダーはクロノだもん。やっぱり従うならクロノに、だよね!」


「……偉そうに。最初は敵に回ったくせによ」


「だって、いきなりだったし。あの状況でクロノ側に寝返るってどうなの?」


「んー、確かに。まあいいか」


 助けて欲しいときに助けてくれるなら、文句を言える立場じゃねえか。


「……二対二、丁度いい、覚悟いいな、クロ、マール!」


「おお、かかってこいや! 貧弱野郎!」


 詠唱と刀を抜く動作を同時に行い、キーノはさせまいと飛び込んでくる。エイラと時間差の攻撃か? エイラの追撃対策はマールを頼るとして、俺はこの石頭を叩き潰す!
 俺の抜き払いと、キーノの飛び蹴り。どちらが先に当たるか? それが全ての要……!!


「クロノーーーーーっ!!!!!!!!!!!」


 戦いの決着は俺の幼馴染の手……いや、声によって想像を遥かに、遥かに凌駕する速さで終結を迎えた。





「ああいたクロノ! 見てよ、五日間寝ずに作業してて、今さっき開発できたのよこれ! ゴムのように体を伸び縮みさせるという名づけて『人体ゴムゴム改造マシン』! これであんたの捕まってる城に乗り込む事が出来るわ!」


 アザーラの私室から飛び出てきたルッカは怪しさマックス限界突破、天空を突き破り尚も上り続けるコウリュウの如しな名称の機械を床に置いた。見た感じ、人の四肢を縛り付けるような形状のそれは、「拷問器具ですよ」と言われれば「やっぱり」と言ってしまいそうなものだった。ルッカはなおも血走った目で訳の分からない会話を続ける。


「最初はあの城にプテランっていう動物を使って乗り込もうとしてたんだけどね! それが頓挫しちゃったからこうしてマグマを越える為の機械を作ってたのよ! 凄いでしょ!? ようやくあんたの所まで行けるわ!」


 見た目以上にテンパっておられるルッカはどう紐解いても理解の出来ない話を熱の入った口調で語っている。語り続けている。スタンピードした機関銃みたいな速さで、押し寄せる波のように。


「じゃあ早速この機械を使うわね! マウスで実験したから人体に影響は無い筈よ! ちょっとカエルは何処なのよ!? ああもうしょうがないからクロノ、そこにいるんならクロノを助ける為にこの機械に乗りなさい! 早くしないとクロノの貞操があのちびっ子に取られてロリペド開花ぁぁぁ!! ってことになるわよクロノ!」


 ……どうしよう、これ。
 何を言ってるのか一ミクロンも分からないが、多分きっともしかしてもしかするに、夢想妄想想像の類で推測すると、彼女は俺を助けようとしているのだろうか? マグマに囲まれたティラン城に向かうためにこの怪しげな機械を作り出したわけだ。 今まさにそのティラン城にいて、助けるべき俺が目の前にいることを理解していないのだろう。頭が極限に回っていないな、今のルッカは。
 そういえば昔、四日徹夜したというルッカに新しい女友達を紹介したときにこんな風になったなあ。あの時は釘打ち機片手に俺を追い回してきたっけ。


「こんなことならやっぱり小さい頃に捕まえて地下室に閉じ込めておくべきだったのよ! そうすればクロノが他の女の子の目に晒されることなく永遠に私という女しか異性を知る事無く着々とそう逆光源氏的な素敵空間が生まれて天道虫のサンバを絢爛な協会で歌われながら赤い絨毯の上を……あれ?」


「気がついたかルッカ。ここはティラン城で、俺はここにいる。その機械は要らない。それから、後でお前の企てている恐ろしい計画の内容を教えてもらうからな」


「え? え? ええ? あれ、何で?」


 機械に寄りかかりながら、ルッカは座り込んでしまう。目の中に星が見える彼女のステータスは『混乱・重度』となっているだろう。末期かもしれない。
 そして俺以上に状況を理解できないのは現代パーティー以外の四人だろう、キーノとエイラは口を半開きにしたままルッカを見ていたし、ニズベールは頭を傾げていた。アザーラは異質な空気を振りまいて早口に捲くし立てているルッカに怯えて俺の背中にしがみついていた。なんだか、ランドセルを背負っている気分だ。


「……ええと、再開していいか? キーノにエイラ」


「……いい、思う」


 いつまでも喋らないキーノを見かねてエイラが答えてくれる。はっきりしない口調なのを責めるのは酷だろう。ここでもう一度さっきまでの雰囲気を持ってこられたらちょっと引くし。俺。
 ノロノロと刀を構える俺と矢を背中から取り出すマール。そこでようやくキーノも覚醒する。こんな事言う立場じゃないけど、ごめんな、本当に。


「そうよそれどころじゃないわ! ちょっと聞いて皆!」


「………………」


 たどたどしくも戦いの場を再構築して「いくぜっ! てめえら!」と檄を飛ばす算段だったのに、ルッカの超弩級のアホがまた空気をゆるーくさせる。大空に舞い上がる程の馬鹿っぷりが苛立たしくてしょうがない。


「急いで逃げないとヤバイのよ! どれくらいヤバイかって言うと……ほら、とんでもなくあれよ! ていうか……あんたら何してんの? 怖い顔して向かい合っちゃって。夕食の献立かなんかで揉めてるの? 私的には宴の時に食べた焼き豚が一押しで……」


「後生だからルッカ、今だけ死んでくれないか? 今皆真剣なんだから」


「いきなり何よ酷いわね! 真剣って、食べ物のことでそんなにムキになることないじゃない」


「何で食事関連だと確定してるんだよ」


「違うの?」


 おお、頭のよろしくない我が妹ですら嫌悪感を乗せた視線を送ってらっしゃる。ぽかんとしてたキーノなんか俺を見ている時以上の敵意をルッカに見せているのに、何故気づかないのだろうか? 五日間徹夜してるからといってこれは酷い。エイラさんは苦笑いへと移行した。マールは悲しげに眉を伏せて同情している。だろうなあ。


「……ぬ?」


 何かに気づいたのか、ニズベールは状況に流されない真面目な声で疑問符を上げる。何か効率の良い黙らせ方を思いついたのか、と俺は期待の篭った視線を向けた。
 ニズベールは険しい顔になって、静かに上に指を向けている……どういうことだ?


「……赤い、星?」


 エイラの声に一番早く反応したのはアザーラだった。電撃を帯びたように俺の背中で震えて、皆と同じように空を見上げる。そこには、星というには大き過ぎる赤く、燃え滾るような巨大な物体が。
 ──大き過ぎるんじゃなく、近過ぎるのか?
 不吉な考えがよぎった時、アザーラが俺の背中を降りて、ぽつぽつと、何かに取り憑かれたように話し始めた。


「始めに、炎を纏う大岩が降り、万物を焼き尽くす」


「アザーラ?」


 その言葉が、悟ったような諦めたような……意思の感じられないものに思えて、不安になった俺は堪らず声を掛けた。けれど、アザーラの独白染みた台詞は途切れることは無い。


「焼き尽くされた大地は次第に凍てつき、動物も、魚も、人も……恐竜人も、全てが凍る……果てなき地獄がやってくる」


 空を見ることを止めたアザーラの目は、俺たちを映しているようで……何も見ていなかった。希望も、絶望も、歓喜も悲しみも。ただあるがままを受け入れるような瞳は何もかもを内包して、膨れ上がった感情を連想させる。
 忌憚のないことを言わせて貰えば、彼女の目は直視しがたいもので、薄気味の悪い、背筋の凍る、まるで死刑を待つ囚人のようなものに見えた。
 声を出さなくては、そう思って息を呑んだ瞬間、アザーラは単調にそれを告げた。


「……我らの時代の幕引き……悪くは無いじゃろう、なあ?」


 一呼吸の間を置いて、彼女は(妹は)笑いながら(泣きながら)聞いてきた(縋ってきた)。


「クロノ?」


 ──止めてくれ。
 何が言いたいのか何を言ってるのか全然分からないけど、止めてくれ。お前言ったじゃないか。ありがとうって、俺がお前を庇った時言ったじゃないか。それって、死にたくないってことだろ? 何諦めた顔してるんだよ。ひっぱたくぞ、それで……その後、思い切り抱きしめてやるんだ。


「ラヴォス……」


「ラヴォスって……え? どういうことルッカ!?」


 エイラの溢したキーワードを拾い、マールは混乱した頭でルッカに説明を求めた。


「……ラヴォスってのは、初耳だし、よく分からない。でも……アレが、落ちてくるのよ。もうすぐ、ここに」


 その場にいる、恐竜人以外の人間が金縛りにあったような顔で、固まる。あまりに信じがたい話だけど、聞いたことがある。つまりあれは星ではなく隕石だということか。
 誰もが知っている歴史。その中でも随一に有名な出来事。太古の昔に栄えていた恐竜たちが何故全滅したのか? それは、宇宙と呼ばれる空よりもずっと高い超超高度にある空間から、高速で落ちてくる大きな、大きな石がこの星に降ってきて、その爆発と、それによる衝撃で舞い上がった粉塵が空を覆い、氷河期と呼ばれる時代に突入したことが原因。寒さに弱い恐竜たちは見る間に息絶えていき、そして……絶滅した。


「ラヴォス、キーノたちの言葉。ラ、火を示す。ヴォス、大きい、いうこと……」


 キーノが呟く台詞に、俺は寒気がした。ラヴォスとは……原始の時代から生まれていたのか?


「エイラ、キーノーーー!!!」
 

 何がなんだか理解できない俺が頭を抱えた時、空から声が聞こえた。見ると、三匹の怪鳥……恐竜人たちの駆るものとは違う、恐らくアレがプテランだろう……に乗った原始の人間。イオカ村の人だろうか。彼は俺たちに早く乗れ! と声を掛けてくる。ラヴォスはもう間も無くこのティラン城に降ってくると形相を変えて急かしている。確かに、早くこの場を離れなければ俺たちは潰れ……いや、消滅してしまうだろう。でも……


「皆、プテラン乗る! 急ぐ!」


 キーノが先導してマールとルッカ、エイラを先に乗せていく。その後俺の手を握り乗り込ませようとするが、その手を振り払ってしまう。ごめん、気持ちは嬉しいけど、その前に乗せなきゃいけない奴がいるんだ。


「アザーラ! ニズベール! 乗れ、早く!」


 項垂れて見送るアザーラとニズベールに怒鳴るように搭乗を勧めると、二人は驚きながら立ち上がった。驚いてる暇があればさっさと走れって!
 ふらふらとプテランに近づこうとするアザーラは、キーノの顔を見て呻くように「うう……」と声を曇らせた。しかし……


「……この決着、不本意。だから、良い。お前ら、乗れ」


 キーノの言葉を聞いて、深く息を吐き、アザーラは「ニズベール!」と嬉しげに誘う。それを見て、複雑そうにエイラが見つめるが、結局は嬉しそうにキーノを見ていた。きっとエイラもそうしたかったんだろう。良かった、これでキーノが反対すると、ぶん殴って黙らせる所だ。結局、キーノもまた幼い(ように見える)アザーラを憎みきれないのだろう。
 問題は山積みだけど、生きてればきっと何かが変わる。恨みや掟を消すことなんて出来ないけど、必ず落とし所は見つかるんだから。
 これからのことなんてまるで考えていないんだろうアザーラは、死ぬという重責から解放されて、この危機的状況にも関わらず嬉しそうに跳ねながらニズベールの腕を取り、引っ張る。その声にはさっきまでの重苦しい雰囲気は感じられない。俺までにやけてしまいそうになるから、もうちょっと落ち着けばいいのにな。
 ……そう、ここまでは、そんな事を考えていられたのに。


「……私は、行けません」


「……ふえ?」


 ニズベールは、自分の腕を握る主の腕を大事そうに掌に包んで、優しく押し返した……何で?


「おい! ニズベール、早く乗れって! 大地の掟のことは分かった、でもそれなら人間の手で裁かれるべきだろ!? ラヴォスなんて関係無い奴に終わらされるのはおかしいじゃないか!」


「そ、そうよね。クロノの言うことが正しいよ、うん! 今は難しいこと考えないで、プテランに乗って!」


「二人の言うこと、正しい! 早く、来る!」


 俺やマール、エイラが説得してもニズベールは頭を縦に振らない。こうなったら力づくでも、と考えた時、俺を止めたのはキーノ。
 ここまできて、ニズベールは駄目だってのか!? ふざけんなとさか頭!
 拳を握り、顔に叩きつけるとキーノはたたらを踏んだが、それでも俺の手を離さずじっと俺を見つめていた。そして開かれる口。そこから出てくるのは『恐竜人だから』とかそんな単純なものよりも、もっと単純で、当たり前の現実。


「……プテランに、ニズベール、乗れない……」


「……は?」


「……そういうことだ、友よ。俺の体重は貴様ら全員を足して、なおも上。プテランに乗って飛ぶことなど出来ぬ」


 ……え? ちょっと待てよ、言ってること分からねえ。何言ってるのか全然理解できねえ。
 きっと当たり前のことを、誰でも分かるようなことを言ってるんだとは理解できる。でも、今の俺にはどうしてもニズベールやキーノの言うことを理解できない。乗ることが出来ない? 何で? だって、乗れなかったら、ニズベールは……


「それにな……いくらかは怪鳥に乗っているとはいえ、大半の恐竜人たちはこのティラン城に残っているのだ。俺は奴らを見殺しには出来ぬ」


「そ、それは……」


「良いから、早く行け! アザーラ様を頼んだぞ、クロノ」


 俺が何か言う前にニズベールは遮って、放心気味のアザーラを押し付ける。その腕は僅かに震えていて……俺に全てを託す為の力強さもあって。
 分かる。ニズベールは死ぬことが怖くて震えてるんじゃない。己が主人を誰かに託さねばならないことに悲しんでいるのだ。一生全てを使って守り抜くと誓った主人を他人に渡さねばならぬということは、どれほどの苦痛なのか、俺にはきっと分からない。武人の境地を垣間見ることすら、俺には出来るはずもない。
 中々言葉を作れずにいると、腕の中にいるアザーラが場違いに明るい声を出した。その内容も比例して、場違いなもの。


「いかんぞ、ニズベール。よく思い出せば、私はまだお前に林檎パイを作ってもらっておらん!」


「は? あ、アザーラ様?」


「いかん、いかん。今すぐ作れ! 仕方ないから、今日は私も手伝ってやろう!」


 それはまるで出来の悪い、ままごと染みた劇。文脈の繋がりも、演技力もなってない。頭に浮かんだ台詞を感情をバラバラに込めて適当に放り出しただけの芝居みたいで、ニズベールは勿論、マールもルッカも、エイラもキーノも何事かと目を丸くしていた。
 ──俺を、除いて。
 分かってしまったから。アザーラが、彼女が今から何をしようとして、どうやってこれを締めくくろうとしているのかが、分かってしまったから。
 彼女は選んだのだろう、光栄にも、恐竜人のリーダーアザーラではなく、俺と生活した、その中で見せてくれたアザーラとしての終わり方を選んでくれたのだ。それは……あまりにも、身に余る事で。だから、俺が悲しむのはお門違い……なんだよな?


「ふむ、今日は趣向を凝らして、他の奴らも呼んでやろう。皆でパイを頬張るのだ! きっと天にも昇る味となるだろう!」


「…………そう、ですね。アザーラ様。きっと、美味しゅうございますよ」


「ふふん、そうだろう! しかしクロノ! お前は駄目じゃ!」


 ……それでいいんだな、アザーラ? それで後悔しないんだな? なら……俺も乗ってやるよ、その三文以下の芝居に。
 鼻が鳴らないように、喉が震えないように、涙がこぼれないように……これから先、絶対に後悔しないように、精一杯明るい自分を作って問い返す。


「ええ? 何でだよ! 俺だってニズベールのパイ食べたいんだぜ!?」


「駄目じゃ駄目じゃー! お前、この前私のパイまで食べたじゃろう? じゃから、今度はお前の分は無しじゃー! もうお前みたいな食いしん坊で、嫌味で、ずるくて、意地悪な奴は、何処へなりとも行ってしまえ!」


「はあ!? 上等だよ! 二度と帰らないからな! ていうかお前だって食いしん坊じゃん! 昨日も俺の魚の丸焼き取ったしさ! もうお前みたいな我侭で、馬鹿で、甘えんぼで──」


 抑えろ、抑えろよ俺。情けねえな、妹がこうまで頑張ってるんだぜ? 根性無しにも程があるだろ。
 言い聞かせても、感情のダムから、ずぶずぶと水が漏れ始めていくのが止まらない。
 鼻は鳴るし、喉も震えるし、涙は現実的じゃないくらい溢れ出す。後悔しない? ……そんなの、無理に決まってるじゃないか。


「──可愛くて、笑顔を見れば元気になって! 一緒にいるだけで心が温かくて、幸せになれて! 自慢げに話すのに少し突っつくと泣きそうになって喚きだして、危ないことしてたら注意して、その後抱きしめたくなって、小さいくせに心は誰よりも大きくて、部下に尊敬されて無いくせに、世界で一番大切にされてて、俺もそう思えるようになって!!!」


「クロノ……お主……」


 アザーラがどんどん泣き顔になっていくけど、もう止まらない。止まるわけないんだ、ブレーキなんか、お前を一緒に暮らすようになってからとっくにぶっ壊れてるんだから。


「今もこうして馬鹿な芝居に乗ってるけど! 最後にはお前を置いて俺はここを離れるって筋書きなんだろうけど! そんなの全然認めないし、無理やりにでも連れて行きたくて……恨まれてもお前には生きていて欲しくて……それこそ世界で一番幸せになってほしいから!」


「わ、私だって、クロノと一緒なら楽しかった! メンコって遊びは知らなかったけど、とっても楽しかった! ええと、ご飯を食べる時、私の苦手なものも食べてくれたし、夜に寝れない時傍にいてくれて嬉しかったぞ! 鬼ごっこも朝から昼ごはんまでずーっとやったし、それに頭もよく撫でてくれた! 抱きついた時、嫌そうな顔してたけど、絶対離したりしなかったよな!? ほんとにほんとに、い、はあ、はあ……いっぱい、楽しかった! 本当に、お兄ちゃんみたいに思ってた!」


 二人とも、馬鹿みたいに泣きながら、馬鹿みたいに大きな声でわんわん本心をぶつけ合う。でも、言葉だけじゃ足りないんだ。
 川に魚を釣りに出かけたとき、竿に付ける餌が気持ち悪いって、毎回俺に付けさせたよな? 自分でも出来るようになれって言うのに、絶対笑いながら俺の所へ駆けてくるんだ。山にピクニックしに行った時も、「これは私が作ったのじゃ!」ってやたらと塩辛いおむすびを差し出してくるんだ。最初ははっきりと不味いって言おうと思ったんだ。でも、目をキラキラさせて期待してるから、何でか笑って「美味いよ、凄いなアザーラ」なんて言っちまう。どうしてかな、俺、今までこういう事で嘘ついたこと無かったんだけどな。
 それから……そうだ、ニズベールとアザーラと俺で一緒に海へ泳ぎに行ったっけな。水着なんてものはこの世界に無いから、下着だけで海に入ろうとするアザーラに驚いたっけ。海に入ったら入ったですぐに「足が吊ったー! 痛いよー!」と助けを求めるから、俺とニズベールはすっげえ焦ったんだぞ? そしたらお前、浅瀬で叫んでるだけだから、思わず脱力したなあ。足着くぞ? って指摘すれば赤くなって歩いてきたんだ。可愛かったなあ、あれは。その日の夜はニズベールとその話で盛り上がったぜ。
 ──これで、終わりなのか? 本当に?


「はあ、はあ。はあ……」


「はあはあ、ずずっ、はあ……」


「おいおい、鼻すするなよ、き、汚いなあ」


「う、うるさいわい! ちょ、ちょっと風邪気味なんじゃ!」


「ははは……そか。体に気をつけろよ」


「……うん。ありがとう」


 急に素直になるのは反則だな。と小さく言って、俺は黙ってこちらを見ているキーノに声を掛けてプテランに近づく。
 ……結局、俺は何にも出来なかったんだ、と強く言い聞かせて。
 何の意味があった? 大地の掟がどうとか言って、キーノたちと対立して、アザーラがでこぼこだけど作り上げた覚悟をへし折って、啖呵切ったあげくが……これだ。だったら、最初から引っ込んでれば良かった。半端にアザーラに希望見せて……ただの自己満足じゃないか。アザーラたちを守ろうとしたっていう免罪符が欲しかっただけだろ!
 いつまでたっても。
 俺は馬鹿で、考え無しで……救いようの無い屑野郎だ。


「……ん?」


 プテランに乗ろうと足を掛けた時、アザーラにズボンが引っ張られて、俺は振り返った。
 まだ、アザーラと話せるのは勿論嬉しい。けれど、これ以上別れが辛くなるのがごめんだった俺は、少し、気落ちしてしまう。


「今度会う時は、もっと遊ぼうな!」


「……ああ」


 ほら、別れが辛くなるだけの、悲しい虚勢。
 アザーラには悪いが、振り向かなければ良かったと思い、今度こそプテランに乗り込む。
 曇天とした気分のまま、プテランを操るエイラが鞭を叩き飛び上がる。
 ──寸前、のこと。


「……ああ。そうか」


 微かにしか聞こえなかったけど。聞き逃しそうになるような声量だったけど。しっかりと俺の耳に届いた。聞こえた、確かに聞こえた。
 アザーラが……俺が離れる寸前に教えてくれた言葉が。これだけ心が離れても、きっちり楔を打ち込んでくれた。これでもう、忘れない。例え、悲しい記憶でも、辛い別れでも……俺はアザーラたちを忘れない。最愛の妹を、忘れたりしない。


────これからもクロノといる毎日を、私は夢見てたぞ。


 下手すれば、後悔の念にも取れるその言葉は……一切の負を感じない清涼な響きで伝えられた。上手く言葉に出来ないけど……彼女は心の底からそう思ってくれたんだろう。
 ……意味は、あった。俺が彼女を守ろうとしたことは、絶対に無意味じゃなかったんだ。そこに結果はなくても、そこにハッピーエンドが続いていないとしても、俺はその言葉を貰うことができた。世界中のどんな宝石や景色よりも美しくて、富とか力とか権力よりも価値がある言葉を貰えた。
 あったんだ。例え万人が無駄だと批判しても、神様なんてものがあって、それは勘違いだと断定しても、意味はあった。彼女は笑ってくれた。今この瞬間にも彼女が泣いているとして、彼女は笑ってくれたんだ。
 俺は、間違ってなんか、無い。無かったんだ。
 ──そう思うより、ないじゃないか。


「クロ……」


 前に座りプテランを御しているエイラが、心配そうに俺を振り返る。悲しそうな顔は俺を気遣ってくれているのか。
 だから俺は、大丈夫だ、という意味も込めて、一つ自慢してやろうと思う。エイラにするのはおかしいのかもしれないけど、どうしても言っておきたいんだ。


「エイラ。俺の妹は可愛いだろ?」


 とびっきりの笑顔で、当たり前のことを聞く。彼女はちょっとだけ驚いて、少しだけ悲しそうな顔になって、最後に微笑んだ。


「……うん。可愛い」


 その時のエイラの顔は儚くて、美しかったけれど。
 やっぱり俺は妹馬鹿だから、アザーラの方が可愛いな、なんて思ってしまうんだ。
 きっと、これからもずっと。



















 クロノたちが飛び去って、その姿が小さな点になった時。俺の頭上に迫る赤き星はすぐそこまで迫っていた。落下は時間にして五分と無いだろう。クロノとの最後の別れの際は笑顔であった我が主は、今は不安そうに俺の腕の中で震えている。
 それでも、泣き言は漏らさない。ずっと、赤き星の啼く音が聞こえているのに、主は強がって「次の次にパイを食べる時は、クロノも呼んでやろうな!」と笑っている。笑っていると、思っておられる。
 次々に、怪鳥に乗っていた恐竜人たちもティラン城に降りてきた。予想はしていたものの……感動と感謝を禁じえない。奴らは、いや、我々は己が主と共に死にたいのだ。主無くして生きてどうするのか、不器用と言われても我々恐竜人には分からない。分かりたくも無いが。


「……ニズベール?」


「はい、何ですかアザーラ様」


「私な……」


 そこで口ごもってしまうアザーラ様の顔を見ようと、腕の力を緩めて……後悔した。主は、顔をくしゃくしゃにして泣いていたのだ。俺に気づかれぬよう、声を殺して、何でもないと思わせるような言葉を選び、耐えていたのに、俺が見てしまった。主の極限の努力を、俺が台無しにしてしまった。
 アザーラ様はすぐに俺の胸に顔を埋めて、なかったことにしようと努める。俺もまた、もう二度と努力を無駄にさせぬよう、強くその小さな体を抱きしめた。


「ニズベール、私、私……」


「はい、アザーラ様」


「──やっぱり、死にたくない」


「……そうですね」


「まだ嫌だ。折角お兄ちゃんが出来たのだ。ニズベールと三人で……いや、恐竜人皆も合わせていっぱい遊びたいのだ」


「きっと、クロノも大はしゃぎとなりましょう」


「クロノの話をまだ全部聞いてないのだ。それに、私も話してない。もっと……私の事を知って欲しい。もっともっと好きになってほしい」


「たくさんアザーラ様の話を聞けばクロノの奴、アザーラ様から離れられませんな」


「それから、それから……」


「アザーラ様、続きはまたにしましょう。今日は些か遊びすぎましたな。もうお休みの時間です」


 これ以上続ければ、アザーラ様が壊れてしまう。最後まで、他の恐竜人たちには聞かせまいとしている悲鳴を、泣き言を叫んでしまう。何より……この俺自身も、耐えられぬ。
 どうか、どうかこの人だけは。
 億とも兆とも京とも知れぬ可能性で良いのだ。神よ、おられるかどうかも分からぬ神よ。そなたが人間を守るのか我らを守るのか全ての生命を愛するのかはたまた嫌うのか分からぬが、神よ。
 助けて欲しい。彼女だけは、この小さくも気丈に我らを導き、今まで碌に友達なぞ作れなかった、最近になってやっと兄と呼べるほどの誰かを愛せたこの小さな主を助けてくれ。願いが適うなら俺の命などいらぬ。地獄の底で永久に苦痛の極致を味わおうと一向に構わぬ。むしろ諸手を挙げて歓迎しよう。
 だから、どうか。
 俺の命を捧げる代わりに小さな命を守ってくれ。
 そのような矮小な願いも叶えず、何が神か!? 全能を司るなら、俺の一生で一度の願いを聞き届けてくれ!



















 かくて、恐竜人という名前は、歴史の中から消えることとなった。
 彼の小さな願いを、神という偶像は叶えることはなかったのだ。
 一つの種が滅び、一つの種は生き残る。
 過去という膨大な流れの中では、それすら些細な出来事。
 原始における戦いは、幕を閉じた。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/18 02:31
 朝目覚めても眠気は取れないし、太陽をぶっ壊したくなる破壊衝動や手首の中で脈々と流れる血液を内包する動脈を噛み切ったりする自傷衝動は生まれない。(安っぽい本とか演劇とかであるだろ? そんな場面。愛を謳ってるヤツなんかには特に顕著だね)
 何をするにも無気力で、小さな子供を見るたびに涙を堪えられない……なんてことは無い。度々ルッカやマール、エイラが心配して俺の所に来るけれど(驚くことにキーノまで)、むしろそんな風に気を回してもらう方が面倒臭い。
 イオカ村の広場で寝転びながら、そんなことを思った。
 キーノたちから一部始終を聞いた村人たちは恐竜人を倒したというのに、宴や勝利の歓声を上げるといった行動は起こさなかった。皆俺に気を遣っているのだろう。(重複するがむしろありがた迷惑である)一々俺に見舞いの品のように果物や焼き魚を置いていくのは逆効果じゃないか?
 それとも、内心ではライバルである恐竜人たちが滅んだことに何かしら思うところでもあるのか? そんな馬鹿な、家族が殺された人間もいるだろう、そんな奴らが死に絶えたとて誰が悲しむものか。往往にして、敵対者の消滅を歓迎しない者はいない。
 確かに、「恐竜人なんて人間にとってのダニが消えて良かった! 万歳!」なんて言われたらむかつくけども、それを押し隠されているのはそれはそれでむず痒い。元来、俺は気を遣われるのが苦手なのだ。善意であれ悪意であれ。
 ……あれで良かったんだから。俺とあいつらの別れは、あれが最上とは言わないが、納得のいくものだった。遺恨が無いとは言わないけど。
 大体、恨む相手がいないのに、悲劇を思い返しても仕方の無いことだろう? アザーラたちを殺したのは誰か? ある意味では原始人と言える。でも、恐竜人だって人間を殺してきた。じゃあラヴォスが殺したのか? 直接的にはそうと思える。でもわざわざラヴォスが恐竜人たちの城に落ちてきたとは思えない。そこまで曲解して、何でもかんでもラヴォスのせいにするのはいかがなものか?


「──奇跡だったんだ」


 そう、奇跡だった。夢想することすら難しい太古の昔に生きていたアザーラやニズベールたちと出会い、尚且つ友愛の情を育めるなんて、夢みたいなもんだったんだ。それが叶った、それでいいじゃないか。それ以上は……例えば、恐竜人皆とイオカ村の人々が一緒に暮らして酒を飲み、踊り、笑いあうなんてのは望み過ぎだろう。出来過ぎな妄想だ。
 心晴れやかなんて口が裂けても言えないけれど、正直そこまで気落ちしてない自分に驚いている。ヤクラの時よりも落ち込んでないなんて……信じられない。言っちゃあ悪いけど、ヤクラよりもアザーラやニズベールの方が仲が良かったし、友人以上と胸を張って言える関係だったのに。
 俺はそんなに情の薄い人間だったのだろうか? 自己嫌悪に走ってみようと思って自分の悪い所を頭の中で列挙するも、すぐに飽きる。下らねえし時間の無駄だ。時間を持て余してる俺が言うのもなんだけど。
 もう少し建設的な考えを浮かべてみようなんて思い、辿り着いたのが、自分が忍者だったら家の屋根を飛んで次の屋根に~という至極しょうもないことを想像するという手のつけようが無いものだった。手裏剣の投げるタイミングなんかどうでもいいと分かってるくせに変に凝ってしまう自分が嫌に愛らしい。
 誰か適当な人間と話して暇を潰そうか、と村の人間をターゲットに歩き出す。
 こうして村の中を歩いてみると、服装の違いからイオカ村の人間とラルバの村の人間が入り混じっていることに今更気づいた。半分以上壊滅したラルバ村の援助をエイラ含め村の過半数の人間が提案し、食料を分け与えているそうな。そのままラルバ村の何人かはイオカ村へ移住したらしい。もう完全に一つの村として良いんじゃないかと思うのだが、そこはそれ、互いの村の上下関係なんかで揉めだして結局それぞれの村を残しつつ対等な関係を維持しようと決まった。
 イオカ村の人間からすれば、戦いもせず逃げ回って、食料やら人手やら分けているのに対等なのか、と不満を漏らす者もいたようだが驚いたことに僅か少数だったという。現代ではありえない帰結だな、と感動すべきか能天気な、と悪態をつけばいいのか。
 中には上下関係は勿論、ラルバの気質とイオカの気質、それぞれの違いを越えて友好関係など保てないと主張する人間もいたが……まあ、分からないではないさ。生活だって同じ時代でも群集が違えば大きく変わるだろうし(漁を主とするか狩りを主とするかといったような)。まあ、もう俺には関係ないけどさ。
 話しかけられそうな、また話が通じそうな人間を見つけられずぶらぶら歩き続けていると、村のテントからマールが姿を見せた。見た目以上に体が壊れていたキーノの治療を数日に渡って続けていたマールは疲労した顔をしていたが、仕事をやり終えた達成感も滲み出ていた。多分、ようやくキーノの治療を終えたのだろう。大きく伸びをした後、俺を見つけて近づいてくる。どこか窺うような雰囲気を見せている彼女にいい加減呆れるような顔をしてしまう。


「クロノ……あのさ……ええと……元気? ……な訳ないよね、ごめん……」


「あのさ、マール。何度も言ってるだろ? もう大丈夫だって。そっちこそ大丈夫なのか? 不眠不休に近いくらい回復呪文を唱えてたんだろ?」


「うん……いや、魔力が切れたら休んでたから、不眠不休じゃないけど」


「同じようなことだろ。魔力が回復したらまたキーノの治療をしてたんだから」


 目を伏せて「そうだね……」と力無く答えて、妙な沈黙が生まれる。身の置き場所に困るような時間は淡々と過ぎていき、俺は「それじゃ、ちょっと用事があるから」と明らかな嘘をついてしまう。今の今まで時間を潰していた俺に何の用事があるのか。
 立ち去ろうとした俺にマールはぽつりと呟く。俺にとっては、まるで意味の分からないことを。


「大丈夫なら……何で笑わないの? クロノ……」


 俺は心から笑ってるさ。だよな? アザーラ。






 ティラン城脱出から三日、俺たちは今になってようやくラヴォスの落ちた、ティラン城跡を訪れることになった。今まで来ることができなかった理由は前述したようにキーノの治療をしていた為と、脱出の際急がせた為に体力の消耗が激しかったプテランを休ませる為である。
 ティラン城跡は、跡と名づけているもののティラン城の名残や面影は一切無い焼け跡だけだった。あるのは赤茶けた石と、鉄が溶けて固まった、遠目からなら水溜りに見間違えそうな物体。恐竜人なんかいるわけも無く、荒寥たる景色が広がっている。地に足を着けると、石だと思っていたものは炭の塊であり、踏むと砕けてさらさらと流れていった。この世の終わりがあるとして、それはきっとこのような場所なんだろうと意味も無く憶測した。


「寂しい所ね……」


 辺りを見回して、ルッカは風に舞い上がる灰を嫌がるように口元で手を振る。


「……だな。隕石というものを俺は知らんが、その威力たるや想像を絶するもののようだ」


「そりゃあな。星の環境を一変させるんだから」


 カエルの言葉に同意して、中世には知られていなかった知識を教える。環境を変える、という言葉にはピンとこなかったようだが。
 ちなみに、今の会話で分かるだろうがこれが今現在の俺たちのパーティーである。マールはキーノに回復呪文を掛け続けたことで過労一歩手前となり、時の最果てにて、修復の完了したロボに看病されている。看病ならカエルやルッカでも良いのだろうが、カエルの看病は余りに信用が出来ないし、ルッカは回復魔法を使えないという理由で消去法的にカエルが冒険に出る事となった。
 そう、パーティーと言えば、俺たちの仲間にエイラが加わることとなった。恐竜人という敵が消えた今、彼女は俺たちの旅に同行させて欲しいと願い出たのだ。その決意にはキーノの後押しがあったと聞いている。本来はキーノ自身が俺たちについていきたかったと溢していたが、彼の体の損傷具合は並ではなく、治療を終えた今でも慢性的に痛みが走るそうな。その為、エイラ自身の希望も相まって、俺たちに心強すぎる仲間が増えたのだ。
 ……しかし、キーノの傷の痛みがもう少し治まるまで、彼の看病をしたいというエイラの希望があり、彼女が正式に俺たちの旅に同行するのはもう少し先になりそうだ。いくらなんでも好きな相手を放っておいて今すぐついてこい! とは言えないし、それでこそエイラなので仕方ないだろう。
 蛇足となるが……俺がまだ時の最果てに行かないのは、俺自身の希望である。仲間の皆は初めて俺を冒険のメンバーから外そうとしたのだが、今は大人しくする気分じゃない。再三言うが、気を遣うなと何度言えば分かるのか。
 むしゃくしゃした気持ちが胸の中を牛耳り始めるが、それを言葉にする前にルッカが「あっ!」と声を上げて走り出した。俺とカエルもそれに追従する。ルッカが立ち止まり指を向けている方に目をやると、そこには時代を越える為の門、ゲートがぽつんと置かれていた。


「何で、こんな所にゲートが……そうか。ラヴォスの巨大な力が時空間を歪めてゲートを生むのかしら……強引だけど、理屈は通る、でもそんな規模の大きい歪みを? いやでも……」


「どうでもいいだろ。とにかく中に入ろうぜ」


 結局そういう結論になるんだから、と付け加えて俺は乱暴にルッカからゲートホルダーを奪いゲートの中に入る。「ご、ごめん」と怯えたように俺に謝罪するルッカの姿すら癇に障る。いつもなら俺をぶっ飛ばして「何調子こいてんの!?」と怒鳴る所だろうが。カエルに至っては何も言わない。別に、「女子に乱暴するな」と説教するくらいなら黙ってた方が良いけど。
 ゲートの中、もう見慣れた景色。幾筋の線が流れていくのを見つつこれら全てが時間を表しているのだろうか? なんてぼんやり思った。


(ここで、決着がつくのか? それとも……)


 有意義でない先の顛末を予想しながら、俺は流れに身を任せてここではない何処かの時代へと飛ばされていく。
 視界が開けるこの体験も慣れてしまった。今まで見たことの無い景色をコマ送りのように視界に入り込まされるのは驚くことでは無くなったのだ。無感動に立ち上がり、動いた瞬間その気温の違いには少し驚いた。
 今の今まで、流れる汗が蒸発しそうな暑さだったのに、ゲートの先は息も凍るような寒さ。空気を吸い込むだけで肺が悲鳴を上げて、鳥肌が満遍なく体表面を支配する。歯は不快に鳴り始め、剥きだしの手は思うように動かなくなった。
 ゲートの近くを見回すと、どうやら今自分のいる場所は仄暗い洞窟の中と思えた。それは正しいのだろう。山、というよりは大きな丘を堀って作られたそれは、内壁は凍りつき床は下手な氷の上を歩くよりも滑りそうだった。天井から氷柱の並ぶ光景は場合が場合なら美しい光景に思えたかもしれない。地面に生える雑草は長年凍っていたのか、足が当たるとあっさり砕けてその命を散らす。ティラン城跡を世界の終わりのようだと例えたが、ここもまたまともに人間が生きていけるとは思えない死の世界。皮肉にしか思えないこの状況に俺は口端を上げて嘲る。対象は、こんなつまらねえことをしている運命や神とかいうものかな。


「寒いな。カエルの姿なら冬眠していたかもしれん」


 自傷的な、それでいて納得のできる独語を漏らしカエルは洞窟の入り口まで歩いて行き、外の様子を見て俺たちに手を振った。


「酷い吹雪だ。俺のいた時代ではこんな天候は今まで無かったが……どうする? この中を突っ切るか?」


「嘘でしょ? 気が触れてる奴しかそんな事出来ないわよ」


 掌を擦り合わせて熱を作ろうとするルッカの肩を叩き、歩きながらこれからの方針を下す。


「行くぞ。このままここにいたって吹雪が止むとは限らねえし、吹雪の中でもルッカの火炎魔法があれば凍えることは無いだろ?」


「え? で、でもそれなら一度現代に帰って防寒装備を買ったほうが……」


 先延ばしにしか思えないルッカの反対に歯噛みして、俺は怒りを隠さず棘を刺すような声を出した。


「あのな、何着たって寒いもんは寒いんだよ。何で楽しようとしてるんだ? お前の魔法があれば凍え死ぬ心配は無いんだし、そんな理由で旅を遅らせるなよ。やる気が無いならならついてくるな、うざったい」


 俺の発言に信じられないといった顔で「ク、クロノ?」と縋るような声を出すルッカ。そう、縋るようなってのがポイントだな、毎度毎度呆れてくるを超えて飽きてくる。
 それ以上は何も言わず、俺は雪の降りしきる外に出て行った。遅れて肩を落としたルッカと気にするな、なんて声を掛けているカエルが出てきた。だからモタモタするなって言ってるだろ! と殴りかかりそうになる体を自制して、膝まで埋まるほど積もった雪の中を進む。
 視界は暗く、雪以外には何も見えない。そもそも、今の俺は何メートル先を見れているのかすら分からない。カエルから借りた松明に火をつけるものの、風に掻き消され何の意味も無い。目に入る雪が邪魔でしょうがないが、防眼用の道具なんてもってないし、つけたらつけたでより視界が悪くなりそうだ。
 しばらく会話もせず黙々と歩いているが、村や建物なんてどこにもなく、延々当ての無い道を歩き続けるだけだった。横殴りに飛んでくる降雪に段々と体温を奪われるが、後ろでルッカの作り出す火炎が調節の役目を果たしてくれる。問題は寒さ……も勿論あるがそれは一番の難点ではない。積もった雪を掻き分け歩く為、普通に歩く何倍も体力を削り取られていった。そこには体温の低下という問題も多分に含まれるだろうが……
 一番前を歩く俺の体力は急激に低下していくが、まだ、もたないことも無い。勢い良く体を前に持っていき雪を散らす。
 今や、下半身は勿論、上半身もずぶ濡れになっていた。かろうじて凍っていないのはルッカの魔法のお陰だろう。人間大の火球を維持して彼女は歩き続けている。


「………!!」


「?」


 歩調を変えず(歩いていると言えるのか、微妙なところではあるが)進んでいると後ろから声らしきものが耳に届き、振り返った。どうやらカエルが何か叫んでいるようだが、雪と風のせいで内容は全く聞こえない。疑問符を出して、その場に立ち止まった。
 そのまま待っているとカエルが俺の耳に顔を近づけて「ルッカの消耗が激しい、近くにまた洞穴のようなものがあれば入ろう」と言ってくる。見ると、確かにルッカは息を上げて顔を下に向けてた。火球の大きさも、少しづつ萎んでいき、消えてしまうのは時間の問題かもしれない。しかし……


「はあ? まだ二十分も歩いてないだろ」


「この寒さの中延々魔法を使ってるんだ。魔力も体力も限界なんだろう……休ませないとルッカも寝込むことになるぞ」


「……マールは三日間で、ルッカは二十分かよ。まあ、良いけどさ」


 少し失望の色が入った言葉にルッカが顔を上げて「ま、まだ大丈夫だから! 気にしないでクロノ、カエル!」と気丈に振舞うが、顔色も悪く、勢いの増えない炎を見ると信じる気にはなれなかった。


「変に無理されて倒れられたらかえって迷惑だ。休める所を探すさ、それでいいんだろ」


 突き放した物言いで返して、もう一度歩き始める。といっても、見つかる保障なんてどこにもないけれど。
 ルッカは鬱々とした表情でついてきた。気にするな、と言ってやれば心が晴れるのかもしれないが、落ち込ませた本人である俺が言うのはおかしいし、言ってやるつもりも毛頭ない。豪雪のせいで苛々してるんだ、他人のことに構ってられるか。
 また静かな行進が始まり、先ほどより寒さが激しく感じる。ルッカの魔力がいよいよ底を尽きそうなのか? 何度も舌打ちを繰り返しながらも頑愚に雪を避けられる場所を探す。考え無しにゲートに飛び込んだが……もしかしたらここには何も無いんじゃないか、と不安になってきた。


(もし、ここに何も無かったら旅は終わりなのか?)


 よくよく考えれば、俺たちの今の目的がはっきりしない。魔王を倒すという明確な方針が定まっていた時は分かりやすかったが、今の俺たちの敵は何だ? ラヴォスは魔王に召喚されたと思っていたが……ラヴォスは遥か昔に生息してこの星で生きていたのだ。所在も杳として知れない、ここにいなければ全てがご破算、振り出しに戻る訳だ。
 それだけに、探索は続けたい。一欠けらでも前に進める手段が無ければ、手がかりが無ければ立ち止まらざるを得ないから。今俺が怖いのはそれだけだ、進み続けてないと自分でも良く分からない部分が壊れてしまいそうで……


「……ああ、くそ。どうでもいいだろそんな事……!」


 語尻が強くなり、ルッカから小さくごめん……と聞こえる。別にお前を怒ったわけじゃない。でもそれを一々教えるのも面倒で、俺は雪の積もった頭を払うことしかしなかった。
 本格的に炎も小さくなり、ぼっ、と一瞬だけ強く燃え上がると陽炎のように姿を消した。これがお前たちの末路だ、と言われたようでどことなく不穏なイメージを抱かせた。
 いよいよとなると、一々時間が掛かる為非効率ではあるが時の最果てとメンバーを交換させながら進むか? と考えながら歩いていると、カエルに肩を数度叩かれて振り返る。


「クロノ、あそこで一度暖を取ろう」


 カエルが指差す方向には何も見えないが、カエルがそういうのなら、とそちらに向きを変えて進む。果たして、カエルの見間違いなのかと疑いだした時に山が見え始め、近づいてみると麓にぽっかりと刳り貫かれたように丸い洞窟が口を開けていた。どう見ても人工的に掘られた様は人がいる、もしくは人がいたという確信になる。年代の分からない場所だが、少なくとも古代よりもずっと昔ということはあるまい。あれより前の時代には洞窟を能動的に動いて作るという生物はいないだろう。それこそ確定的なことでもないのだけれど。
 仮の目的地が見えて俺たちの進む速さが上がり、洞窟内に入る。比較的早く休息地を見つけたことに安堵しながら、俺は奥に進んで風の当たらない場所に腰を下ろす。ゲートから出てきた時の洞窟と違い、風の入りにくい構造となっているのだろうか? 寒いのは寒いが、雪風の強い外と中では十度弱は気温が違うように感じる。俺の座る地面も多分に湿っているが、凍ってはいない。火でもあれば体を休めるには充分だった。
 たき火の準備はカエルが行ってくれた。身体能力が激減していても、旅の知識は消えたわけではないらしい。手早く懐から乾いた藁らしきものを取り出して床に置き、その上にメモのような紙束を五枚ほど破りとって散らした。次に火打石を叩き擦り火花を散らして火をつける。戦士に続き冒険者としても有能なんだな、とぼんやり思った。
 火に近づいて手を当ててい、顔を赤く照らされているルッカはまだ沈んだ表情をしている。そんな彼女を見てカエルが腰にぶら下げた皮袋から干し肉を取り出し手渡した時だけ、「ありがとう」と力なく微笑んだのが久しぶりに感情のある顔だった。


「ルッカの魔力が回復すればまた出発しようぜ。それまで体力回復だ」


 刀を床に置き壁に背中を預けて目を瞑る。仮眠を取るわけじゃない(寝れるものか)、雪が入り目が痛むので閉じるだけだ。
 俺の言葉を最後にまた会話が途切れる。別に喋らなくてはいけないというものではないが、時の進むのが遅く感じて鈍い心持ちになってしまう。まだ碌に活動していないのにこれではどうしようもないな……


「……クロノ?」


 おずおずと申し訳なさそうに切り出したのはルッカ。自信の無い声と、ちらちらと盗み見るように俺を見てはたき火に視線を戻すという行動は彼女には不似合いな言動だった。


「……なんだよ?」


「うん……あのね、あんたが……その、恐竜人のことを気にしてるのは分かるけど……」


 そこまで聞いて壁を殴り黙らせた。もう限界だ、彼女を殴らずに壁を殴ったことに、よく我慢が出来たと驚いている。パラパラと天井から土が落ちてきて、服の上に落ちたそれを払い、口を開くと、自分でも気味が悪いくらい低い声が喉を通っていった。


「気にしてないって、何度も言ったよな? 違うか?」


「いや、それは……」


「それは? ……ああ、仮に気にしてるとして、それがお前に分かったとして何なんだ? どんな事を言いたいんだ?」


「…………」


 ヒビが入ったガラスのような空気が形作られていき、ルッカは押し黙ってしまう。煮え切らない態度がどんどんいらつくって、何で分からないんだろうな、こいつは。
 涙が溜まり、いよいよ頬を伝う、という顔になっていき、それを見てルッカの襟首を掴んで無理やり立ち上がらせた。涙のしずくが飛び散って顔に掛かるが、気にするもんか。ずっと前から言おうと思ってたんだ。


「何かあったら泣いて、困ったら泣いて、辛かったら泣く。うんざりなんだよ、泣けばなんとでもなると思ってんの? お前のそういう所、心の底から大っ嫌いなんだよな。言いたい事があるならはっきり言えよ!!」


「…………」


 硬く目を閉じて震えながら糾弾に耐えているルッカ。
 その姿は、何処かで確かに見たはずなのに、思い出せない。代わりに誰かが優しく無邪気に笑う姿が、アザーラたちの顔が浮かんでしまい、消えていく。


「何? いざ自分が責められたらだんまりなんだ? お前の得意技だよな、久しぶりに見たけど、いつもに増してウザイよ。何も言わないなら、話しかけるんじゃねえ!」


「……っ!」


 腕を振り払いルッカは何も言わず洞窟の奥に駆けて行った。俺に言い返すでもなく、否定するでもなく、逃げるという手を選んだ。
 ……逃げるしか、無かったんじゃないか?
 頭の中の想像を追い払う為に額を壁に叩きつけて自分を落ち着かせた。迷うな、俺が間違ってたわけじゃない。相変わらずなルッカの態度を叱っただけだ、俺は悪くない。


「……随分な口を利くな、クロノ」


 物言わず成り行きを見ていたカエルが干し肉を齧りながら責める空気の無い、のんびりした調子で話しかけてきた。


「……ルッカを追うんじゃないのか?」


「あいつはあいつで大丈夫だろう。ああ見えて強い女だ。それならば、より心配な奴についていてやるべきだろう?」


 遠まわしに俺の方が弱いというのか。また頭が沸騰しかけたが、落ち着くんだと決めた拍子に怒り出していれば世話は無い。深呼吸をして自分を宥めた。


「クロノらしくないな。ピリピリして、まるで戦場にでもいるみたいじゃないか」


 俺らしくない、という言葉を聞いて、ルッカにも似たような事を思ったな、と少し前を振り返る。言わなくて良かった、他人から言われるとこうも腹立たしいとは。


「はっ、俺らしいってどんなだよ?」


 噛み付くように、短慮を指摘するように言えば、カエルはひらりと受け流すように飄々と答えた。


「俺の中のクロノ像だな。問題あるか?」


 あるに決まってるだろ!! と大声をぶちまけたいが、あまりにさらっと返されたので肩の力が抜けてしまう。ため息をついて、一度浮かんだ憤怒をどうすればいいのか持て余した。


「カエルはどう思う? 俺が恐竜人を……」


「引きずってるだろうな。それに加えて八つ当たりも併発している。手に負えんな」


「……そうかよ」


 言われて、唾を吐く気持ちになり腰を下ろす。コイツの近くにいるのは耐え難いが、かといって洞窟の奥に行きルッカと会うのは御免だ。一々外に出て行くのも挑発に乗ったみたいで苛立たしい。
 ……分かってるよ、あいつらのことを引きずってるのは、誤魔化してても仕方ない。ああ忘れられないさ。どれだけ形付けて良い別れなんてものを演出したって結局は別れなんだ。華美に彩ろうが泥濘のように汚かろうが、もう会えないのは一緒なんだ。立ち直れるわけないだろ!
 指で膝を叩き業腹な思いを吐き出していると、カエルがべた、と干し肉を顔に投げつけてきた。


「こういう時は何て言うべきなんだろうな。恐竜人たちのことを忘れるな、とでも言えばいいのか?」


「……ああ? 何が言いたいんだよ」


 投げられた干し肉を握り締め、会話に応えてやる。本心では蹴り飛ばしたいけれど、見た目女に暴力を振るうのも不味いかと思うくらいに冷静にはなった。すげなく言い払うのは抑えられないけど。
 喧嘩腰に言葉を浴びせたけれど、カエルは鷹揚に笑い「いやなに」と続けた。


「大切な誰かを亡くして、そんな奴にどう言ってやればいいのか考えていた」


「……へえ、経験者様の御言葉なんだ、これは期待できそうだな」自分でも良くない言葉と分かるが、抑えが利かない。侮辱とも取れる言葉にカエルは口を開けて笑い、話を進める。


「まあ、最も良い方法は忘れろ、なんだがな」


「馬鹿にしてるのか? それがどう良い方法なんだよ」


「まさか。本心から言っている。忘れれば悲しむことはないし、自分の無力さに腹を立てることもない」


 両手を上げて他意は無いことを示す動作がなおさらに、馬鹿にしているように見えた。
 手の中に残った小さな干し肉を口に放り込み、カエルは口を動かしながら「でも、それは出来ないだろう?」と俺の考えを汲み取り結論を出す。


「それが出来れば、そもそも気にしたりしねえだろ」


 俺の言葉に道理だな、と言いながら腹がくちた為か大きく息を吐いた。
 いい加減付き合っているのも馬鹿らしくなり、無視を決め込んでやろうと思った矢先に、カエルが無視の出来ない疑問を作り出す。


「じゃあもう一つ聞かせてもらおう。お前、アザーラとかいう女と仲間、どちらが大事なんだ?」


「それは……決められねえよ、大事だって思いに差なんかあるのか」


「あるさ。例えば一方は友情でもう一方は恋愛とかな。どちらも大事だが、人によってはどちらかに秤は傾く。あまり大きく言えることではないが、二股なんかもそうだろう。どちらの相手も大事だが、どちらかと言えば? と問われれば内心答えは決まってるものだ」


 要領の得ない事を聞かされて、辟易してくる。お前の定義なんかに興味は無いと言い捨てて、耳を閉じようとした。


「他には……生きているか死んでいるか、だな」


 ──おいおいそれはつまり、死んだ人間はどうでもいいと言っている。そう解釈していいんだな? 俺とあいつらの記憶は、想い出は、無価値であると、そう言ったんだよな? なら、


「……死ねよ、お前」


 誇張無しに、それは地雷だ。弱体化してようがなんだろうがカエルは踏んじゃいけないモノを踏み抜いた。後悔? するものかこんな下種女を殺したって。
 雪が付いて半ば凍ってしまった鞘から刀を抜く。ぎゃりぎゃり、と嫌な音を立ててぬらりと出てくる刀は、俺の心情と整合しているように、刀そのものから殺意が溢れていた。斬れ、殺せと猛る叫び声を上げている。
 太陽が見えないので確認のしようが無いが、今はきっと夜なんだろう、と思った。でないと、こんな暗い気持ちが渦巻くはずが無い。殺意敵意がバラバラに混ざって暗幕が下りているみたいに薄暗く胸の内を隠していた。
 そうして、大またに近づいて躊躇無く、刀を振り下ろそうとしているのにカエルは逃げも構えもせずたき火の中に目を向けていた。


「……俺は、きっとサイラスとクロノなら……悲しいことかもしれんがクロノを選ぶな」


「!?」


 彼女の最愛にして崇敬する人間を引き合いに出されて、刀が止まる。もう一押しで頭に刃が入り込むというのに、カエルは今だ静かに口を動かしている。


「事実を述べているんだ。単純な話、サイラスとはもう話せない、共に悩んだり、笑ったり、剣を交えてみたり──そんなことはもう、出来ない。だがクロノ、お前は生きているだろう? 今言った全てを共有し、可能に出来るだろう?」


 長い髪が垂れて、瞳を揺らす彼女の姿が、暗闇で一人佇むようで……悲しくて、寂しくて。


「そういうことだ。ロマンチシズムなんて関係の無い、純粋な本心なら、亡くなった者よりも生きている者を選ぶ。当然だろう。俺は生きているからな」


「……だからって」


 反論を出す前に、カエルが手を伸ばして俺の口を塞いだ。真横に伸びている口元が、してやったりと雄弁に物語っている。


「ああ、亡くなった者を蔑ろにして、どうでもいいと断じるべきではない。何より出来ない……しかしそれは関係ないだろう? 要は、割り切って考えろ、という事だ。大切な者を失って辛くとも、悲しくとも、生きている大切な者まで無くしてどうする。それでは、お前は何も持てない。守れない。何より……」


 今度は俺がカエルの口を塞いだ。「うむっ!?」と妙な声と吐息が掌に当たり──不器用だと自覚しているも──笑顔を作った。それこそ、してやったりというような。


「アザーラたちが、それを望まない、か」


 手を離すとやっぱり口惜しげに「……まあ、そうだ」とそっぽを向いて答える。しまったな、カエルも案外可愛いじゃないか。気づくのが遅れてしまった。
 ……なんてことは無い。答えは前から出てたんだ。皮肉としか思えないけれど、俺が言ったんじゃないか、マールに教えたんじゃないか。


──笑おうマール。今すぐじゃなくて良い、明日からいつもみたいに見る人全員を元気にしてくれる笑顔で、胸を張って生きよう。俺もルッカも勿論ヤクラも、そうすれば一緒に笑えるから──


 ヤクラとアザーラじゃあ、接した時間が違う。そうだな、確かにそうだ。だから俺には笑うまでの猶予が三日もあったじゃないか。マールは……マールは一日で笑う事が出来た。笑うということを思い出すことが出来たんだ。男の俺がいつまでもグズグズとみっともない。
 そういう問題じゃないと、未だ無様に喚いている自分がいるけれど……そういう問題なんだよ。だって、一番の問題はアザーラたちが俺を見てどう思うかなんだから。
 友達の恐竜人たちは指差して笑うだろう。ゲギャゲギャ言いながら酒の肴にでもするのだろう。ニズベールは呆れるね、「我が友でありながらなんという体たらく……」とか言って、アザーラとの兄妹の誓いを無くそうとするかもしれない。それは困る。
 ……アザーラは。あいつは馬鹿で優しいから、自分のせいで俺が落ち込んでると思うだろう。泣き虫でもあるから、泣いちまうかもしれないな。いや、もう泣いてるのか? ──俺は、もう慰めてやれないから、あいつの近くにいないから……せめて、彼女が泣く理由を消さなければ。だって……


「兄貴、だもんな」


「クロノ? ……お、おい!?」


 今も近くにいる筈の妹に泣き顔を見られぬよう、前に座るカエルに顔を埋めて隠す。カエルから戸惑った声が聞こえるけれど、今だけは勘弁してもらうしかない。後でちゃんと謝るから、今だけは許して欲しい。


(そうだよ、悲しむ必要は無いんだ。寂しくも無い、アザーラは近くにいるんだ。俺を見守ってるんだ。だから……これが最後にするから……)


 手繰り寄せるように、カエルの背中を強く引き寄せると、しばらくしてからカエルが優しく俺の頭を撫で始めた。「今だけだからな……」という声には照れが強く感じられたけど、それ以上に慈しむ様な、心地よい声音を覚える。
 カエルの心境が何なのか、俺には分からない。俺は生きているし、カエルもまた生きているから。ただ、それが同情でもなんでも、それに縋って良いだろうか?
 不安によるものか判別できないけれど、俺は震えた舌で慈悲を乞うた。


(泣かせて下さい)


 聞こえたのかどうか分からない。でも、カエルの俺を抱きしめる手が少し強くなった気がする。
 今まで、追い立てられるように時間を越えて旅をしてきたけれど……今この時はとてもゆるやかに、甘い水の中にいるようなゆったりとした時間にいた。
 しばらくの間、聞こえるのは外の猛吹雪と、たき火をつけたことにより生まれた水滴の落ちる音。カエルの定期的な呼吸音。そして……俺の喉がしゃくり上げる、格好の悪い、泣き声だけだった。そこに、新たな音が追加される。中性的な低い声で、甘くて優しい旋律。リズムは眠りに誘うようで、長く聞いていたいという欲求と眠りにつきたいという我侭が争いを始める。その二つとも、結局は腰をすえてこの歌に聴き入ってしまうのだ。

 ──坊やよ眠れ、坊やよ眠れ
   辛いでないぞ、ゆめはさぞかし幸せか
   泣くでないぞ、時はなんと優しいことか
   嘆くでないぞ、福はゆくゆく溢れよう
   坊やよ眠れ、坊やよ眠れ
   次見るものが、幸福であることを
   次聴くものが、優しいワルツと疑わぬよう──


 少しだけ視線を上に動かすと、目を細めて、赤子をあやすように子守唄のようなものを口ずさむカエルの顔。剣士でもなく冒険者でもなく勇者でもない。優しさを具現化して、人間に作り変えればきっと、彼女が生まれるのだろう。そう信じて、俺は……


(そうか、もしかして、これが……)


 何か、大切なことを知ったはずなのに、その時の俺は乗せられた睡魔の毛布に抗えず、ゆっくりと頭をカエルの膝に乗せて、眠りについた。







 星は夢を見る必要は無い
 第二十四話 黒い風、泣き止むことなく








 目を開けたとき、そこには誰もいなかった。
 いつのまにか床に寝ていたようで、体にカエルの毛布が掛けられていることに気づき、彼女が何処かに……恐らくルッカを追ったのだろうと考えて、たき火に砂をかけて消化し、俺も洞窟の奥に進むことにした。
 入り口付近は風の通らないように曲がりくねった構造だったが、ここは一直線に進む迷いようの無い道のりだった。楽と言えば楽だが、彼女たちの姿が見えないことで随分と奥が深いのだと知る。随分と体が軽く、無意識に歩調が速くなる。気分は上々、洞窟内のどんよりした空気さえ澄明に感じる。ルッカには精一杯の謝罪と、カエルには誠心誠意の礼を送ることを決めた。
 歩き出して十五分、洞窟の奥からぼんやりと薄明かりが漏れ出していた。ルッカたちがいるのかと思ったが……その明かりは火の放つ光ではない事に気がついた。もっと透明で、人工的な光。似たものとして、時の最果てにある光の柱、または魔王城にあったワープポイントを思い出させる光。発光の規模は違えど、類似するものはそれしか思い出せなかった。
 いずれにせよ、洞窟内の同じような光景に見飽きた俺は何かしらの変化があると期待して、おのずと小走りになっていった。
 ようやく辿り着いたのは、広い空間。その中央に魔方陣のように文字や図形、直線に曲線が規則性に従っているみたく入り混じる円状の光り輝く床。その真上の天井はぶち抜かれ、外と繋がっている。けれど、寒さや風は感じられない。床から放たれる光は遥か天空まで伸びていて、光の外の大気を遮断しているようだった。


「ああ、起きたかクロノ」


 その光景を側で見ているのはカエル。彼女はやってきた俺見つけると少しほっとした顔になり、歩いてきた。


「何だこれ? ルッカはいないのか」


 カエルは首を横に振って、「ルッカは見つかっていない。恐らくは、この中に飛び込んだのだろう」と、親指で発光する床を指した。


「……俺を待ってくれたのか、カエル」


 魔王城のワープポイントに似ているというのは、カエルも分かっているはず。であるのにここで立ち尽くしているということは、つまりそういうことだろう。


「うん? ああ、理解が早いな。ルッカを探す前にお前と離れるわけにもいくまい。クロノでなければ、ルッカを連れ戻せないだろうからな」


 まだ心の整理が完全についたわけではない俺は、嬉しくてまた泣き出しそうになる。俺がここで泣いたらまたカエルが慰めてくれるのかな、と思ってぐっと堪えた。ルッカに「俺を頼るな!」なんて言っておきながら、俺の方がよっぽど甘えてる。彼女は自立してたじゃないか、俺なんかより、ずっと。出来ることなら、今すぐに自分の頭をかち割りたいけど、その前に、俺の幼馴染に謝り倒してからだ。
 黙りこんだ俺をカエルが「おい、大丈夫か?」と心配そうに覗き込んでくる。目じりに涙が浮かんでいることを指摘されたくなくて、俺はふざけた言葉を作った。


「……それはあれか? 『ルッカの為に待ってたんだからね! クロノの事なんて心配してないんだからね!』と取ればいいのか?」


 意地の悪い事を言っていると自覚しつつも、カエルの言葉をツンデレだと無理やりに比喩してやる。慌てふためくカエルの姿を見たい、という願望も大いにあるが、これで誤魔化せるなら御の字だ。
 しかし、俺の予定と反して彼女は小さな頭を軽く横に倒し、不思議そうに返した。


「いや、お前のことも心配だったが?」


「……行こうぜ、ルッカを探そう」


 言って、光の中に飛び込む。赤くなった顔を誤魔化す為とか、ともすればまた抱きしめてしまいそうな自分の体を律する為にも、走りながら。
 ……ずるいだろ、これだから真性の男女は苦手なんだ! 無敵じゃねえか!






 今までのワープとは違い、この移動装置(装置として良いのかは分からないが)は勝手が違うものだった。決めつけかもしれないが、こういうのは一瞬で利用者を違う場所まで運んでくれるものだと思っていた、が。今回の移動は一味違う。光に入った途端、体が浮き始めて、尋常ではない速さで天空に俺たちを持っていくのだ。気圧で潰される、ということはない。理屈は分からんが、体に掛かる負担などは無く、ただただ凄いスピードで天に昇るのだ。ああ、この場合の天は天国的な意味ではない、そのままの意味である。実際、天に召されそうな人間が一人いるのだが。


「はっはっは、クロノ、怯えすぎだろう。この程度の高さを克服せずに真の剣士にはなれんぞ」


 どういう理屈なのか分からないが、高所恐怖症の人間は剣士になれないらしい。この程度、というが地上はもう雲や雪で見えなくなっている。


「しかし快適なものだな、空の旅とでもいうのか? いやいや、この世界は文明が発達しているのかもしれんな! アッハッハ!」


 元気一杯にはしゃいでいるカエルがウザくて凄い。深夜に出てくる商品紹介番組のテンションくらいウザイ。


「おいおい震えてるのかクロノ。何とか言ったらどうだクロノ。言えと言ってるだろうクロノ。会話をしないかクロノ。心配になるだろう喋らんかクロノォォォォ!!!!」


「……あのさ、とりあえず何か言うとしたら、離れろ貴様」


 まあ、言うまでも無いが高所恐怖症で、怯えて震えて手というか、俺の腰にしがみついておられるのはライブ○アの株みたいに好感度が急上昇して転落していくカエルさん、その人である。
 変化はすぐに……というか体が浮き始めた瞬間に起きた。勿論俺も体が浮き始めて驚いたが、それ以上にカエルがレスリングみたいな体勢で突っ込んできた時の方が驚いた。一瞬ここでデスマッチが開催されるのかと思うような形相だった。ぶっちゃけものすごい怖かった。肘鉄を食らわしてしまうほど。全く意に介さなかったけど。
 それでも、怖がっていないと釈明したいのか「をおおおおおお凄いなあクロノ飛んでるんだなああハハハハハ!!」とキッチーな言葉を使い出したときもびっくりした。顔を掴んで押し出している時も微動だにしなかった。もうちょっと可愛らしい誤魔化し方があるだろうに。


「離れる!? ははは、面白いことを言うじゃないか。お前は俺に死ねというのか?」


 青白い顔で冗談みたいに言うけれど、目は語っている。『助けてください』と。
 なんだろう、ここで頭でも撫でて「俺がついてるぞ!」とでも言えばさっきの恩を返上できるのかもしれないが、さっきまでのちょっと良い雰囲気をぶっ壊してくれたカエルにそんなことをしたくない。むしろ、体を突き飛ばしてみたくなる。というか、した。
 縋る物の無くなったカエルは曹操に死刑を宣告された呂布みたいに「おのれえぇぇ!!!」と叫びながらほんの五十センチくらい後ろに跳んだ。尻餅をついただけとも言う。たったそれだけのことにてんやわんやの大騒ぎ。再度アメリカンフットボールのタッチダウン時のような突撃をもろに喰らった俺は小さく「ぐふっ」と溢してしまう。


「これは、あれだ! そう、体当たりの練習をしているだけで、他意は無い! 分かるな!?」


「分からん! ていうか、体当たりの練習ならもっかい離れろ!」


「しがみついたら離さない! これがグレン流体術だ!」


「青田○子の恋愛術みたいだなチクショウ!」


 鳩尾激突、悲惨な言い訳というコンボを頂き『恩? ああ、光覇明宗が攻撃するときの掛け声?』となった俺は体に電気を帯電させた。「ひぎゃ!」と高い声を上げてカエルが離れる。まだまだこんなもんじゃねえぞと言いたげにタックルを試みるが、その度に妙な悲鳴を出してカエルが俺の体を離す。数回それが続き(数回我慢する根性は凄いなあと思う)いよいよ俺との距離を保ったままカエルが立ちすくんだ。


「…………」


「いや、多分もうすぐつくし、我慢しろよ」


「………………」


 無言の責めへと移行したカエルは足と手を震わせながら大きな瞳を俺の目に向けて、動かない。視線を外そうとするのだが、それをさせない異様な圧力を構えて俺を金縛りにさせる。カエルに金縛りさせられるとは思わなかった。諺と違うじゃないか、なんて埒も無いことを考えてしまう。
 悪いことをしている所を見つかった親の気分だ。子供役のカエルは飽きもせず俺を見つめている。


「……いや、怖いのは分かるけど……」


「……………………」


 何で俺が浮気がばれた彼氏みたいな目にあわなきゃならんのか、不思議でならない。「謝ってくれないと、許さないもん!」みたいな。あまりにしょうもない。


「…………いや、その」


「……………………………………」


 結局、涙でふやけていく顔を見ているうちに、俺は片腕を貸してやることになった。女相手に貸してやることは、素晴らしいことだと思うのだけど、何故嬉しくないのだろう。答えは単純、うっとうしいからに違いない。
 折れてしまったことにふつふつと怒りが湧いてくるけれど、猫みたいにしがみつくカエルを見て、なんだかどうでも良くなった。さら、と長い髪を一撫ですると、「?」と疑問符を作る姿は、さっきまでとまるで逆だなあ、なんて思った。






 父親ってこんな気分なのかなーとか意味の無い想像を広げているうちに、転送は終わったらしい。転送と呼べるのか、むしろ移動というのが正しい気もする。
 そこには、襲い掛かる吹雪も、体を縛る氷点下の気温も、視界を遮る水蒸気の結晶も無く、朗らかな世界が広がっていた。緑は生え、鳥たちがのどかに歌声をさえずっている。空を見上げればいつもより随分と近い雲が浮かび、違う世界に来たと言われれば納得のできる、一般的な天国の妄想を具現したような場所だった。汚れた空気は一切感じられず、大地は生き生きとして、踏んで倒れた草たちは数瞬とたたずに立ち上がる。何よりも……


「浮いてるのか? ここ……なんてファンタジーだよ」


 歩き出してみると、大地が途切れた場所に辿り着く。下を覗けば何千メートルという膨大な空間が広がっている。様々な形状の雲に遮られて下界の様子は分からない。幻想的、と言えば聞こえはいいが、空にある浮き島なんてものを本の類でしか読んでない俺からすれば恐怖にしか写らない。現に、未だにカエルは俺にしがみついている。体が浮かぶという非現実的な(魔法を使う俺たちが言うべきじゃないけれど)体験よりも、今自分たちが空高い場所の土を踏んでいるという現実の方が怖いのだろう。もう強がりも出ていない。ただ歯を鳴らし体を震わせるのみだ。懐かしいなあ、こうでないとカエルは嘘だ。出会ったばかりの駄目ガエルを思い出して心がほっこりする。


「さあカエル。ルッカを探すんだから、二手に分かれてばらばらに行動しよう」


「そういう態度に出るなら仕方ない。アイツのことは諦めるしかあるまいな」


「そんなに怖いんかい。ていうか支離滅裂だろその結論」


 仲間を大事にするべき、と断じたカエルが驚きの見捨てましょう発言。トンデモ過ぎるな。高所恐怖症もここに極まれり、だ。これでカエルがお化けとか虫とか暗がりが怖いとかなら思考のスクウェアが完成するのだが……暗がりが苦手ってことは無いか。魔王城でもすいすい歩いてたしな。


「なあカエル、お前お化けとか虫とか嫌いか? というか、苦手か?」


「幽体の魔物などいくらでも斬ってきた。虫型の魔物も同じだ!」


「……ちっ、半端な性格設定だぜ」


「そんなことはどうでもいい。二人一緒に行動するぞ。例え多種多様な理屈をこねられてもこれだけは断じて譲らん。勇者の誇りに掛けて」


「安いなぁ」


 さしずめ一袋128円という所か。どこのスーパーで売ってるんだか勇者の誇り。バーゲン時には教えてくれ、隣近所で勇者ごっこしてる子供たちに教えてやるんだから。
 右腕に寄生するカエルをそのままに渋々歩き出した。先ほど周りを見回したときに、そう遠くない場所に建物が見えた。珍妙な形ではあったが、人がいることは間違いない。でなきゃラピュ○にでてきた巨神兵モドキでも良い。
 ……ところで、光の柱で抱きつかれた時からずっと気になってたんだが、一つ正直に聞いてみるか。


「おいミギー」


「誰が寄生獣か。俺はカエルだ」


「すまん。右腕に寄生する生き物なんて中々いないから間違えた」


 ふん、と顔を逸らして俺の言葉を無視するカエル。みっともないのは自覚しているのだろう、その顔は仄かに赤い。照れているのは照れているでも甘酸っぱい感情零なのがこれいかに。難しいのはそれは俺も同じということか。下手すれば女のカエルよりもロボに片腕を抱かれたほうがドキマギしそうな不思議感。あべこべクリームでも塗りたくっていただきたい。


「カエルは……その、下着を着けてないのか?」


 俺の爆弾臭い発言にも動じず、何を言ってるんだ? という顔を向けた。結構大事なことだと思うけどなあ。


「シャツのことか? ちゃんと着ているぞ」


 ほら、と空いている左腕で胸元を開くと確かに着ている。でもそういうことじゃない、ブラは着けているのか、と問いたかったのだ。結果それなりのボリュームを押さえる事無く彼女は抱きついていたことが判明。ふざけろ、何故貴様の肉体で我が息子を刺激されなければならんのか。ふっくらしてるんじゃねえ。


「……どおりで、直に感触がある訳だ。離せ痴女!」


「や、やめんか! 離さんぞ、俺はこの世の終わりが来てもお前と離れない!」


「気持ち悪いこと言ってんじゃねえ! 俺の胸のモヤモヤをこれ以上増やせばどうなるか分かってるのか!? 最悪この世で最も嫌な初体験になりそうだ!」


「良いことじゃないか! 何事も体験するのは悪いことではない!」


「意味分かって言ってんのかテメエ! 俺のおざなりなピロートークを聞きたくなければ今すぐ離れろ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら三国一の豪傑が槍を回すみたいにカエルの体を振り回し、カエルは時化で揺れる船のマストにしがみつくような必死さで俺を離さない。まるで俺の腕を離したらそのまま海に叩き落されるのではないかというような空気さえ持っていた。この際、靴でも何でも舐めるから帰ってきてくれルッカ! お前とカエルなら眼の保養にすらなるんだから!
 十分というその場で騒ぐだけにしては長い時間を浪費して、決着がついた。妥協案である。せめて手を握るだけに落ち着いてくれという提案に、「私の為に捕まってくれ!」と言われたセレヌンティウスのように苦悩して、カエルは承諾した。これすら断るのなら有無を言わさず遊覧飛行を体験してもらうところだ。人類史上最大の高度から紐なしバンジーをしたいか? という俺の脅しが有力手だったようである。
 愚にも付かない時間を終え、普通に歩く七倍以上の精神疲労に耐えつつようやっと城にも見える建物までやって来ることができた。
 そうそう、浮かんでいる大地は一つではないことが発覚した。一つ一つの大陸は橋で繋がれているのだ。橋はそう広いものではなく、ゼナン橋よりも横幅が狭いくらいの、手すりの無い橋。縦幅もゼナン橋の半分くらいしかないけれど、渡る距離が短かろうと長かろうと、彼女には関係が無かったようだ。意地でも橋を渡ろうとしないカエルをど突き倒して気絶させれば運ぶのは楽だろうな、と思い提案してみた。答えはまあ、ノーだったけれど。理由は俺が気を失ったカエルを地上に落とすのではないか、と危惧したことから。やらねえよそんなこと。ていうか気絶させるのは別にいいのか。
 結局、橋を渡るときだけはカエルをだっこして進むことになった。駄々をこねるいい年したはずの女性をだっこするとは思っていなかった。おんぶで運べば良いのではないか? と思ったけれど、首を絞められて気絶する危険性が考えられたので却下。恥ずかしがるカエルが見たかったのも大きな理由。当ては外れて恥ずかしいよりも怖いが先立つカエルには有効足りえなかったが。
 ともあれ、人のいる場所まで俺たちは辿り着いたのだ、うん。
 さっきは城のようだ、と評したものの間近で見れば宮殿という方が正しいかもしれない。同じような意味かもしれないが、そう感じた。金のたまねぎ型の屋根に目に悪そうなくらい白い壁。扉と言うには大仰過ぎる入り口、むしろ門と言えるだろう。広さこそさほどではないが、縦に長い門構えは塔と例える人間もいそうな建物だった。中から出てくる人間は感情の薄そうな、暗い人々ばかり。ただ、時々手を繋いで離さない俺たちを見て「馬鹿ップルだ」と陰口染みたことを言うのは我慢ならないので拳大の石を投げつけてやった。痛そうな音がした。首が凄い勢いで回ってた。ざまあ味噌漬け。
 建物の中は豪華絢爛というには寒々しい、質素とは程遠い批評に困る内装となっていた。白を基調に……というか、白色ばかりの内壁と床。全ての汚れを嫌うような色調は何か落ち着かない。人々の服装はゆったりとしたローブと、布を何重に巻いている帽子? を頭に載せている。手袋をつけていない人間はおらず、肌を露出している部分は顔の表面だけ、中にはマスクをしてゴーグルのような目を覆っているメガネを着用する者もいる。常に本、または研究道具を持っている姿は研究員という印象を強く焼き付ける。
 縦に長いだけあり、階段が至るところに設置されて、地下室もあるのか、地下に向かう螺旋階段が数箇所見受けられた。天井は外から見えた部分しかなく、スペースを無駄なく使われている。何より目を引いたのが、本棚の多さだろう。数千、いや数万を超える蔵書量が予測された。驚いたことに、それらの本もただの本ではないようで、開かれたページから炎、水、風といった現象が生まれている所もあった。


「移動装置なんて摩訶不思議なもんで繋がっている土地だから、もしかしてとは思ったんだが……」


「どうやら、魔法文明とでもいうのか? が発達していると思って良さそうだ、少し聞き込みと行くかクロノ」


 外さえ見なければ怖くないらしいカエルは俺の手を離し近くの男に声を掛けている。ぼそぼそと話す口振りは、挙動不審というか、会話に慣れていないように見える。研究職(これも決め付けだが)ってのはそういう性質なのかもしれない、と思い唯我独尊の幼馴染を思い出し、なわきゃないか、と考え直した……今は、落ち込んでるんだろうけど……
 俺も情報収集に精を出したものの、さっぱりとルッカを見かけた者はいない。誰しもが首を振り、代わりに違う話を聞かせてくる。例えば、この建物はエンハーサといい、魔法王国ジールという国にある町だとか、全ての望みが叶うという眉唾を越えて呆れそうな話とか、この王国を仕切るのは国名と同じジールという人物であること等。残りは哲学論のような話を多数。脳天にチョップをしてやろうかと思うような人々だった。一度やってみると「…………ふえっ」と泣きそうになったのは焦った。ゆったりと無感情に答えるのでまさかそんな簡単に感情を表すとは思ってなかった。とっておきのギャグを披露して、笑わせてやろうとすれば、素の顔になって涙を引っ込めた時は喜べばいいのか馬鹿にされたと怒ればいいのか。
 ……ああ、もう一つ忘れていたな。階段を上っていると上から肌色の悪い化け物が降りて来て「アタシはドリーン。閉ざされた道を求めなさい。順序良く、知識の扉を開けてね」とか言い出したのでヤバイ子だと確信し、階段から蹴落とした。一日一善、俺はこの掟を破ったことがないのだ。えっへん。



「運命というものは存在すると思いますか? この世の全ては、予め決められているのだと……」


「ターセル様々やわ!」


 最後の一人に話しかけて、いい加減頭が痛くなってきた。たまたま近くを歩いていたカエルを見つけ、もう出ようと提案する。カエルの方も有力な情報を手に入れられなかったようで、疲れたように頷いた。初めて来た土地の人間は大概頭が壊れてる。デフォルトなのか?
 歩く力の出ない俺は足を引きずるようにエンハーサから出ようとする。何が嫌って、またカエルと手を繋がなきゃならんのかと思うと気力も下がるというものだ。素直に怖がるならまだしも「怖くないぞ! むしろお前が怖いのだろう!」とか小学生かよ、と。
 半ば俺を逃さぬように俺の手をロックオンしだしたカエルに嫌気が差して肩を落とす。無駄だと分かりつつも、カエルに一人で歩けと提案しようとした時──風が、吹いた気がした。臓物を抜き去っていきそうな、嫌な風が。


「何だ、無愛想な子供だな。迷子か?」


 思わず立ち止まった俺の前に、透明な空気感を背負う、己の青い髪と同じ青い猫を連れた不思議な男の子が前に立っていた。進行路を譲らない子供にカエルは言葉は乱暴ながらも優しく問うていた。
 ……関わるな、と声を荒げたかったが……喉を握られたみたいに声が出ない。俺の中の何かが言っている。彼の言葉を聞き逃すな、と。


「…………」


 時間が経っても、少年は何も言わずすっ、と俺たちの横を通り過ぎた。何故だか、猛烈な安堵感に襲われた俺はその場で座り込みそうになり、カエルが慌てて支えてくれた。「疲れているのか?」と聞いてくるが、ほんのさっきまで眠っていたのだ、体力的な疲れがある訳がない。大丈夫だ、と返してそのまま歩き出そうとした。エンハーサを出て、この不吉な少年から遠ざかろうとしたのだ。けれど……


「………黒い風が泣いてる……」


「っ!?」


「どうした、クロノ?」


 そう慌てるような言葉でもない。風が吹いていることを指摘しても、黒いという言葉を用いたのも、少年が風をそう呼称しているだけだとしたら不思議はないのに。何よりも、たかだかロボと同じ、いや、どう見てもそれより若い子供の言葉に反応する理由はない。なのに、どうしてか彼の言葉が酷く気になった。
 振り向いて、彼の背中を見つめていると、少年はゆっくり振り向いて寒気のする冷たい顔を向けた。


「あなたたちの内、誰か一人……死ぬよ、もうすぐ」


 物騒すぎる言葉の内容もまた気になったが、それよりも俺の心を乱すことがある。彼はあなたたち、と言った。複数形だった。誰かを特定していないのだ。
 ──なら、どうして俺を見ている?
 カエルではなく、俺だけを視界に入れて、少年は呟いていた。理由も根拠も証拠もない宣告を……俺は唾を飲んで聞いていた。聞かざるを得なかった、彼のもつ独特な、矛盾を孕んだ空気に。


「なっ!? おい、小僧!」


 カエルの怒声を聞こえていないように流し、少年は去っていく。カエルがそれを追おうとしたが、俺が止めた。


「クロノ? …………おい、大丈夫か!?」


 カエルが驚くのは仕方ないだろうな。今の俺は……震えていたから。
 たかだか子供の戯言、冗談。未来予知を騙る遊びだと、割り切ることが出来ない。
 ……唐突に、不可思議なビジョンが頭に浮かぶ。それは……誰かの泣き声と、鳴き声。誰かの笑い声と、怒声。邪悪な光が眼前に広がり、そして……


「クロノ!!!!」


 カエルの声で、目が覚める。目の前にあるのは心底俺を案じるカエルの顔と、何事かと集まっている人々の姿。誰も泣いていないし、光も、胸を締め付けられそうな光景も無い。


「……ただの立ち眩みだ。気にすることねえよ」


「……本当か? 時の最果てで休息を取ったほうがいいんじゃないか?」


 疑わしそうにするカエルがちょっとおかしくて、「本当になんでもないよ」と声を掛けてから歩き出す。エンハーサを出た時、不安そうにしていても、やっぱり俺の手を握るんだなと思って可笑しい。笑う俺を恨めしげに見てくるのがツボに入りそうで、気分が晴れた。
 ……そうさ、気にすることなんて、まるで無い。ただの悪戯なんだから。さっさと忘れて、ルッカを探しにいこう。この魔法王国ジールにいることは確かなんだから。


「走るぜカエル! 早くルッカを見つけないとぶん殴られそうだ!」


「ま、待て! そんなに急がなくても……わっ、……………!!!!」


 エンハーサとまた違う大陸を結ぶ橋を思い切り走って、風を浴びる。もうそこには、少年の言う『黒い』風なんて感じられなかった。俺たちの旅は、順風満帆とはいかないけれど、悔悟憤発しながら進んでいく。不安なことなんて、何処にもないんだ、そうだろ?
 地上を見れる橋をハイペースで渡っていることでほぼ放心しているカエルを眺めて、俺は前を見据えた。予知染みた言葉なんて知るか。運命なんて、この世には存在しないんだから。
 未来に向かって、俺は大きく一歩を踏み出していった。








「……黒い風は、泣き止まない」


 エンハーサの最上階。クロノたちが走り出して橋を渡る様を、少年は窓から見つめ、誰に聞かせるでもない言葉を呟いた。その目には同情も悲観も無く、あるがままの出来事を話しているだけの、色の無い瞳。
 暫く彼らの騒がしい様子を見ていた少年は、飽きたのか窓から離れて、自分の足に鼻先をつける猫を抱き上げた。腕の中の小さな温もりを撫でて、耳元で小さく溢す。


「……姉上とお前以外、皆死ねばいいんだ。死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい……母様なんて……あいつなんて……」


 そこで躊躇うように、何処かで誰かが聞いていないか、猫の頭に顔をつけながら注意深くその場を見回して、誰もいないことを確認した後、強い口調で言い放った。


「……殺して、やりたい……!!!」


 ぎらついた顔を、猫が舌を出して舐める。大丈夫、と言い聞かせているような行動に少年は薄く笑みを作った。苦しくないように、自分のペットを優しく抱きしめて、その場を離れようとする。
 その直後、階下から自分を呼ぶ男の声が聞こえた。ひょこ、と下に顔を出すと自分の世話役が慌てながら走ってきた。


「もう、ジール宮殿を抜け出してこのような所に……困りますよ私は」


「……そう。いいんじゃないの? こっちは関係ないし」


 素っ気無く言って、階段を下りていく。そんなあ……と暗くなりながらついて来る世話人には一瞥もくれず淡々と行く姿は子供には思えない、ふてぶてしいものだった。


「サラ様が呼んでおりますよ、きっとジール様も心配しております。ジール宮殿に行きましょう。ジャキ様」


 姉の名前を出されて、ようやく振り返る主に世話役がやっと顔を綻ばせた。その期待を裏切るように、ジャキはチッ、と舌打ちをして怒気を帯びた声で「アイツの名前を出すな……!」と脅す。男は雷が落ちたように体を固めて息を呑んだ。一方的に睨まれる時間が過ぎ、ジャキがエンハーサの出口に歩き出した時ようやく呼吸を思い出すことが出来た。


(……なんとも、怖い御人だ)


 いい加減、自分の仕事にも嫌気が差してきた世話役は主人について歩きながら、辞表は何処に出せばいいのか、頭を巡らせることにした。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/29 05:58
 理由は杳として知れないが、白目を剥いて痙攣するカエルの足を引き摺り新たな町に足を入れることとなった。まったく、胸の量だけ重いんだから勘弁していただきたい。
 町の名はカジャール。エンハーサに似た特徴を持つ、やはり今までに見たことの無い外装、外観、内装、内壁の一風どころか二風三風変わった町である。住人に頼み込んで気を失っているカエルの為にベッドを貸してもらう。柔らかい羽毛の枕に顔を叩き込んで寝かせると「ふぎゅう」と呻いたのが好印象。「おげふ」なら三倍満確定という素晴らしい戦績だったのに。
 早速町の人々にルッカを見なかったか聞いて回ることにした。皆一様に知らない、見たことが無いという意見で、流石に妙だ、と思いだす。それほど広い大陸でも無いこの国で誰一人ルッカの姿を見ていないのは不自然だ、もしかしてこの国の人間が嘘をついているかもしれない。


「……まあ、根拠が無いし、そうするメリットもないよな」


 エンハーサ同様、カジャールに住む人間の数はそう多いものではない。どう見ても人間には見えない青色のマスコット人形みたいな化け物もいるが、話しかけるには俺の勇気が足りない。『漢』にならないとコミュは発生しないようだ。多分属性は戦車か悪魔。
一人につき一言二言の会話ですませた俺はそう時間のかからない内にほとんどの住人にルッカの所在を聞くことが出来た。内容は一貫して「知らない」というものだったが。
 とはいえ、全くの無意味とも言えない。有益な情報の内一つは、何とパワーカプセルやスピードカプセル、マジックカプセルという肉体の限界値を底上げさせる希少アイテムを製造する場所がここカジャールに存在したのだ。
 工房に入りそれを確認した俺は言わずもがな何個かくすねていこうとして……案の定見つかってしまった。その上「それは試作品なので盗っても無駄だ屑男」と謂れの無い暴言まで浴びることに。俺の気分がもう少し殺伐としたものなら血の雨が降っている。
 なら完成した物は何処に? と問いただせば「そうさな……十万Gあれば分けてやらんでもない」とか言い出した。十万G? 俺は思わず笑い出してしまった。


「おいおいそんなものでいいのか? もっととんでもない額を用意してやる。今あるだけ持ってきやがれ」


 大胆な発言に驚いた工房の責任者らしき男が棚の上にある木箱を持ってきた。中にはカプセルが四つ。スピードカプセルが二つ、後はそれぞれ一つずつ。工房というにはあまりに少ないと指摘すれば「ちょうど出荷した為数が無い」とのこと。不承不承カプセルを懐に入れて、代わりに皮袋を手渡した。


「……え? これだけですか?」


「うむ。苦しゅうない持って行け」


 言い終ってからすぐに魔力を展開、電流による擬似神経を作り出し身体能力を向上させて脱兎の如く逃げ出した。50Gって、とんでもない額だよね。だって俺の持ってる全財産だもの。
 工房から狂ったような叫び声が聞こえるも、寝ぼけ眼で顔を擦るカエルを連れてカジャールを飛び出した。指名手配云々の前にルッカを探し出さなければならない、タイムリミットがあるなんて、燃える展開じゃねえか……
 というわけで、有意義だった出来事の一つ目は少ない犠牲の果てにカプセルを四つ手に入れたことだった。それらはすぐに俺の口の中に放り込み、中世で貰ったパワーカプセルだけは状況を掴めず慌てているカエルの口に押し込んだ。顔色が青紫に変わっていく様は面白いと断ずるに相違ない、まあおもろいもんでした。
 さて、もう一つ得た情報で俺の心惹かれるものとは、超巨大な飛空挺がカジャールの近くで造られているということだ。
 飛空挺というものがどんなものなのか想像できないが、言葉通り空を飛ぶ大きな機械なんだろう。ルッカの造った骨組みだけの飛行機(プラモデルを大きくしたとも言う)しか空を飛ぶ乗り物を見たことが無い俺は高揚しながら飛空挺──黒鳥号を見に行くことにした。予想通りカエルは「下らんことをしている暇は無い!」と却下したが無視。「じゃあお前だけそこらで待ってろ」という俺の言葉に項垂れて、黒鳥号観覧を了承することになった。さっさと言うこと聞けばいいんだよ馬鹿が。


 カジャールの裏手に周り、整備された道を進めば、そこには別世界が広がっていた。
 未来のように、自動で動くロボットや手作動で操作する機械がひしめき、オイルの臭いが充満する。注目すべきはその先の光景。金属の橋に繋がれている全体が深緑色の、大型艇に似た空を浮かぶ船、黒鳥号。外のデッキには砲台が並び、それらの中央に鎮座する巨大なマストの帆には威圧感のある黒い文字で大きく『ダルトン』と書かれている。胴体部分の両脇にプロペラが数十と付けられて、見ただけでもそれらが回りこの黒鳥号が飛ぶ要因になるのだろうな、と想像できた。見張り台のような場所には望遠鏡に酷似した装置を片手に視界を変えている仮面を着けた男。
 よく見れば、仮面を着けているのは彼だけではなく作業員全員が例外無く仮面を装着し、背中には紫色の刀を背負っている。服も刀と同じ紫で統一し、動きは一般人のそれではなく、軽やかに足を動かし腰を低くしている動作は、戦いに慣れている、というよりは特殊な作業に突出している印象を与える。


「……あの特殊な動き。奴らは、恐らく隠密、奇襲を専門とする特殊な部隊だろう。何故そのような奴らがここに……?」


「まあ、飛空挺を守るためだけの部隊とするにはちょっと無理な話だよな。むしろ、本隊の中で手が空いた奴らがここにいると見るべきか?」


 この国の兵士に当たる人間が全員あんな胡散臭い奴らとは思いたくないが……ただの隠密部隊ではないだろう、こんなに人目のつく場所で警固する隠密集なんて無理がありすぎる。それも、一人二人ならまだしも全員が同じ格好というのは……


「おい! 貴様ら何をやっている!」


「!?」


 黒鳥号とその周りに意識をやっていた俺たちは後ろから近づく仮面男に気づかず剣を押し付けられてしまう。一先ず両手を上げて反抗する意思は無いと示した。


「……その格好、何者だ!」


 問われながら後ろを振り返ると……五人。俺たちは、明らかに黒鳥号と作業員を見ていた。誤魔化すには少し無理があるこの状況、全員を斬り倒す事も考えたが、カエルが神をも恐れぬ足手まといである今、果たして俺一人でやれるだろうか……? どう見てもただの兵士ではない上、魔法の国というだけに、魔力も扱えるのだろう。実質五対一以下(カエルはマイナス)。ああ、ルッカがいれば随分戦法も広がるのだが……とかく、ここで戦うのは論外だ、何とか言い訳を考えねば……


「あ、あの……あれだよ。美人局しようかなあ、と」


 横にいるカエルが小さく「死ね」と呟いた。仕方ないだろう、それ以外に浮かんだ言い訳が「デートです」しか無かったんだ。丁度手も繋いでるんだし、その方が信憑性もあったのだがいかんせん、それを言うのが嫌だった。例えこの状況を乗り切る為の方便としても、絶対に嫌だったんだ。
 俺の美人局発言に仮面集団は「……そうか」とだけ言って剣を抜いた。駄目か、そりゃそうか。仮に信じてくれてもこんな所で美人局やろうとしてる奴等なんか殺しても良いってか。
 右手に電流を作り出し、一か八か反抗してみるかと心に決めて刀に手を伸ばそうとした時、仮面の兵士達が武器を収めて敬礼を始めた。一瞬、俺たちにしているのかと呆気に取られたが……彼らの行動、その理由は後ろから聞こえる声により氷解した。



「何だ、お前達? 何かあったのか?」


 茶色と金の色が混ざり合う肩まで伸びた髪を揺らし、橙のマントを風でたなびかせながら近づいてくる、一人の男。顔は整っているというよりは野性味のある、獣を思わせるもので、服の上からでも分かる鍛えられた体。それに何よりその異質な魔力。魔力量が多いとか、そういった意味ではない。見たことの無い魔力の形を作るそれは、魔王の放つ力にも似た不気味さが確かにあった。
 ……なるほど、この男がこいつらの親玉か。


「ダルトン様! いえ、怪しい奴らが……」


 ダルトンと呼ばれた男がふん、と鼻を鳴らして俺たちに近づいてくる。どうでもいいけど、鼻息荒いよこいつ。
 ダルトンは俺には一瞥もくれず「ボディーチェックだ」と称して無遠慮にカエルの体を触り始める。肝心な部分には触れていないためカエルも怒りを抑えているようだが、拳は強く握られ震えている。ぶっ飛ばす五秒前というところか。
 なんかこういうのも興奮するなあと思いながらシチュエーションを楽しんでいるとダルトンは不意に体を離してマントを翻し、両手を挙げみょうちきりんなポーズを作った。


「そうか! 貴様、俺のファンか! 俺の逞しくも優雅、それでいて知性溢るる姿を一目見たいと押しかけてきた、そうだな!?」


 謎は全て解けたと言いたげにどや顔炸裂。起承転結の無いその発言に俺は腰が砕けるかと思った。押しかけたって、あんたなあ。
 大口を開けているカエルにウインク一つ、ダルトンはすー、と上手く鳴らせていない口笛を吹いて彼女の手を取った。想像では姫の手を取るジェントルマンを意識しているんだろうなあ、なんて事を考える。吃驚するくらい様になってないけれど。


「困ったものだ、俺のファンは見る目はあるが熱狂的過ぎる……これもまた、俺の怪しい魅力が為せる技なのだが」


「流石ダルトン様! 世の女性を虜にさせるフェロモンは世界中を見渡そうと双肩を並べる者はおりますまい!」


 さぶいぼ立ちそうな台詞を絶賛する仮面集団は取り急ぎカウンセリングを受ける必要があると思う。でなきゃ、ピノキオ病にでもなって鼻を思う存分伸ばすことだな、本心から言っているなら、救えねえ。
 俺のフラストレーション増加の最たる理由は、ダルトンという男俺の存在を全く無視していることだ。演技過多な言動は見た目可憐と言えなくも無いカエルにしかアピールしていない。男は眼中に無いということか? 俺と同じじゃねえか屑め!
 冷めた目でダルトンとカエルのやり取りを見ていると、当たり前だがカエルは極限に嫌そうな顔をして俺に「こいつを殺してもいいか?」とアイコンタクトを送ってくる。気持ちは分かるがダルトンという男は見た目に反し中々の実力者であろう。その上、部下達の練度も低くは無い、俺は抑えてくれと目で返した。悲しげに俯くカエルの姿に少し心が痛んだが、俺はヒーローじゃないんだ。助けられるものか助けられんもんか。


「ふふふ、女よ、美男という言葉では表現しきれぬ俺という男を見て忌憚の無い意見を申せ。何でもいいぞ? 好きとか大好きとか愛してるではすむまいな、俺が思うに貴様が抱く想いは唯一つ。『抱いて』であろう。安心しろ、俺はいつでもカモンカモンだ」


「お前に抱いてもらうくらいなら、俺はバフンウニに愛を誓おう」


「なるほど……ツンデレという奴か。評価しよう! 俺を前にすれば古今東西のツンデレがデレデレになるというのに貴様は強がりを言えるのだからな!」


「会話が出来ぬとは、不自由な男だなお前は」


 辛辣な意見にめげるどころかさらに増長するダルトンを男らしいというべきか馬鹿というべきか。原稿用紙十枚でも書ききれない悩みを膨らませつつ、俺はどうやってここを抜け出すか考えてみた。答えは多分今俺がここを去っても誰も見咎めないんだろうなあという嬉しい結論。存在を無視されるということは嫌なことだけでは無いんだなあ。


「む? 気づけば女、お前は俺っ娘なのか! 新しいジャンルだな」


「娘とか言うな! 俺は男だ!」


 ドクターゲ○の傑作みたいな声で「ぬわにいぃぃぃぃ!!!!?」と驚いたダルトンは目を見開き動きを止めた。時が止まったように微動だにしない。リアクションが暑苦しすぎて気持ち悪い。
 数十秒経って尚も動かないダルトン。彫像化でもしたのかと期待を寄せていれば、おもむろにカエルの胸部に手を伸ばし、指を曲げた。有り体に言えば、揉んだ。


「女じゃないか」


「そうか……死にたいようだな、貴様」


 今まで聞いた事が無いような冷たい声でダルトンの首を掴み引き寄せた後、カエルは膝を顔面に叩きつけた。角度、勢い、タイミング全てが申し分無いそれは変態の奥歯を二本折ることに成功し鼻血を撒き散らす事に成功した。思わず「やったぜ!」と叫んでしまったのは仕方が無いことだと思う。後、カエルにも一応恥じらいはあるんだなあと黄昏てしまったのは内緒。
 げぶはあ! と地面に落ちたダルトンを仮面集団が慌てて起き上がらせる。口々に「大丈夫ですかダルトン様!」「やられてもカッコイイとは流石ダルトン様!」「そのままくたばれダルトン様!」と心配しているのは心温まるというか、うーん。


「き、貴様……俺の顔に傷をつけただと……この俺様に怪我を負わせただとぉ……!?」


 両手を組んで見下ろすカエルを憎憎しげに見上げるダルトンの姿は憤怒一直線、怒髪天を衝いたような表情になっている。これはいよいよぶち切れるか? と危惧してソイソー刀に手を伸ばす。このままではカエルが殺される。それを見過ごす訳にはいかねえだろ……まだ俺は揉んでないし!
 柄を握り抜き放つ……直前で俺の体は止まることとなった。怒りの顔から一転し、ダルトンは悠然と微笑んだのだ。まるで好敵手、もしくはそれに通じる者を見るような、はたまた愛しい者を眺めるような目でカエルを見つめていた。おんやあ?


「俺という至高の存在に傷をつけた……それすなわち、貴様も至高の存在であるということ! お前が女神か!」


「どうしようかクロノ、今は情けなくともお前の助けがひたすらに恋しい」


 俺に話を振るな! と強い意志を込めてカエルを睨む。
 考えたくは無いが……え? お前気に入られたの? このゲテモノ男に? なんつーか、おめでとうと言うべきかご愁傷様と言うべきか。


「全く、俺という存在が怖いぜ……美しい、強い、才能が有り余る上カリスマ性が飛び抜けている俺は女神と出会う強運すら持ち合わせているのか……!? 神は俺に何をさせたいのだ、歴史の覇者として君臨しろと命じているのか、この俺に! 不敬な! 俺に命令などと誰が許した!」


 自分の妄想に勝手に怒っている中年男性がこうも見苦しいとは知らなかった。今すぐ燃え尽きればいいのに。


「……行くぞクロノ。馬鹿と一緒にいればこっちもおかしくなる」


 ため息をつきながら俺の手を握り立ち去ろうとするカエル。ネタとして、もうちょっと付き合っても良かったがカエルの理性が崩壊するまでもう僅かもないと分かった俺に否定権は無い。一瞬この二人が付き合えば面白いんじゃないかなあと思ったことは、言わずにいるのが華だろう。冗談でもぶっ飛ばされそうだ。


「待て女! ……ぬ、なんだ貴様。俺の女と知り合いか? 手など繋いで何様のつもりだ!」


 ようやく俺に気づいたのかこのロン毛、言外に俺の影が薄いと揶揄しているつもりか? 分かったような事を! そんなこと俺が一番知ってるんだ! インなんとかさんみたいな位置にいるとか分かってても言うんじゃねえ! 俺原作知らねえけど!


「何様と言われても……まあ、仲間ですかね?」


 カエルに目を合わせると「何故疑問調なんだ!?」と噛み付くので怖い。虫の居所が悪いみたいだね、こわやこわや。それにしても会って五分と立たない相手を俺の女とは……男らしいとはこういうのかもしれない。違うだろうけど。


「仲間だと……よもや、俺の女と恋仲ではあるまいな!?」


「こ、恋仲!? クロノは俺の」「気持ち悪い設定捏造してんじゃねえ!!」


 カエルの声と被せて俺はダルトンの的外れな見解に断固とした否定を拳とともに突きつけた。ひしゃげた鼻がさらに複雑な形状に変化していくのが快感である。悪識を正した上に人を殴れるとは、俺は何て段取りの上手い男なのか。


「意味不明な妄想で人を貶めるな! レズっ気たっぷりの変態女男女に恋慕を抱くなど俺の騎士道に反するわ! ていうか人間として有り得るかそんな展開!」


「お……おのれ、貴様もまた俺にダメージを与えるのか。まさか、貴様が神か!?」


「てめえの理論ならお前が躓いた石ころは神々の手先か何かになるぞボケナス!」


 悪意たっぷりの言葉を吐き捨ててぷんすか怒りながらその場を去る。別れ際に「必ず俺の物にするぞ女ァァァァーーー!!!」と叫んでいたのは無視の無視。構ってられるかあんな変態を拗らせた大変な変態、いわゆる大変態に。
 足を踏み鳴らし、カジャールまで着いた俺たちはそのまま近くの山の上に位置しているジール宮殿まで直行することにした。ルッカがいるとすれば、恐らくそこしか無いだろう。もしも、途中の森なんかでべそをかいているならば大陸中を捜索せねばならない。いくら小さいとはいえど大陸、見つけられるとは限らないのでジール宮殿にいないのなら半分お手上げと言えるだろう。


「ジール宮殿にいないなら、ロボ辺りに探してもらうか? あいつならセンサー的なプログラムで見つけてくれるかも……どうしたカエル? 何か手を握る力が強いぞ、つーか痛い」


「別に。気持ち悪い奴と手を繋がされて悪かったな」


 面倒臭いなあ。距離が近いんだから、一方の機嫌が悪いとこっちも暗くなる。悪いと思うならそのへんのことも考えて欲しいものだ。半眼で前を見据えている顔は良く言っても楽しそうには見えない。楽しそうにされてもあれだけど。


「……ままならねえなあ」


 上を見上げれば、荘厳に建つジール宮殿が俺たちの来訪を待っていた。控えめにも、良い予感はしない。これからを思ってカエルに聞こえないよう愚痴をこぼしてみた。
 ……後、俺黒鳥号を近くで見れてない。もっと色々見て触って男の子の夢を堪能したかったのに。空を飛ぶ巨大な乗り物なんてロマンの最たるものなのに。ホワイトベ○スを初めて見た時なんか発狂するかという勢いでテンション上がったのに。これも横にいるゲテモノを誘惑する阿呆な魅力をもったカエルのせいだ。いつかバンジージャンプをさせてやろう、ガチで泣いてる顔をルッカのビデオで永遠に記録として残してやる。
 暗い笑みを浮かべていると、不機嫌ながらにカエルが冷や汗をかいていた。流石歴戦の戦士、己の尊厳の危機に勘が回るのか。






 その門構えたるや、天上の都市ジールに合う派手やかなものだった。純白の色、巨大さはカジャールやエンハーサと比較できない。妖美とも言える輝きを放ちながら訪れる者を歓迎している。大きさもまた今まで訪れた町々の比ではなく、神の住む城と言われてもなんら文句の無い神聖性を窺えた。太陽光を反射して伸びる光は天を裂きそれこそ神々の元まで届くのではないかと思うほど四方にどこまでも続いている。建造物とはここまで人の心に訴えかけるのだと俺はここに来て知った。
 ただ、そこに安堵感は生まれない。あるのは威圧、畏怖といったある種の恐怖に近い感情を蘇らせている。ディテールにもこだわられ、壁の一つ一つに文様が描かれていた。恐らく何かジールを称える言葉、または国の歴史という意味のあるものだと思うが、それすら呪いの文字であると言われたほうが納得がいく。それほどに、ジール宮殿は魔王城とはまた違った不気味さを感じさせた。


「……カエル、急いでルッカを探そうぜ」


 俺の不安感をカエルも感じ取ったか、何も言わず頷いて宮殿の中に入っていった。時が経てば、何かが手遅れになるのではないか? 根拠の無い悪寒が体を通り抜けて、宮殿の中に溶けていった……
 何がある訳でもない。魔物が国を牛耳るわけでも、国中の人間がおかしいわけでもない。立地環境を除けば極々平和な国。今までこれだけ戦いと無縁そうな世界は初めてなのに、これ以上嫌な予感がする世界もまた初めてだった。
 カエルに遅れること二分。宮殿に足を踏み入れた時、何処かから、悲しげな声が聞こえた気がした。彼、または彼女はか細く、『運命には逆らえない』と言った気がする。何処までも、遠い所から。






 端的に表現するなら、『寒々しい』に尽きる場所だった。見た目ではない。人もカジャール等に比べ一目にも数倍の人数が働いていることが分かる。研究道具だけでなく生活用品も雑多に並べられ、宮仕えと思われる人間がそこかしこを歩き回っているのは普通ならば活気に満ちているとさえ表現できる。ただ、皆揃って生気が無いのだ。会話は無い、行動にメリハリというか……自分の意思ではなく受動的に活動しているような気がする。動き方すらランダムではなく、線をなぞるように一定のものとさえ錯覚した。
 良くない、ここは良くないものだと頭の中でアラームが鳴り響いている。うるさいくらいのその警鐘は早くここを出ろと告げていた。でなければお前は……と。


「……とにかく、片っ端から話しかけてみるか」


 今まで以上に、聞き込みは難航した。誰一人まともに会話を交わしてくれないのだ。口を開けば『余所者……余所者……』と、規定のように同じことしか喋ろうとしない。これは、気味が悪いなんてものじゃないな。
 話しかける前から気づいてはいたのだが……ここの人間ときたら、俺が宮殿に入った時から皆視線を俺に向けるのだ。話しかければ外すが、離れればやはり俺の動向を目で追っている。一挙一動を見張られている今の状況は、いつ後ろから襲われるのか分かったものではない。突拍子の無い可能性だが、有り得ないとは言い切れない、そんな雰囲気を醸し出していた。
 昔聞いた怪談に同じようなシチュエーションがあったなと思い出して、猛烈に後悔する。糞どうでもいいところで記憶力発揮するんじゃねえよ俺の頭! お化けは怖くなくても、人間が関われば怖いんだ! 幽霊怪物魑魅魍魎全てをひっくるめても一番怖いのは人間なんだから。


「無い、無いよなそんな事。しかしカエルは何処を探してるんだ? しょうがないから一緒に探してやるか、あー手間が掛かる迷子カエルだぜ全くハッハッハ」


 いや、俺が怖いわけではない断じて決して天地が逆さになろうともそんな誹謗中傷を俺は許さないからそういう嘘偽りを風潮する輩は闇から闇へ消えてもらう所存なわけでとにかく無い。怖く、無い。
 あの変な所でヘタレなカエルが膝を抱えて「怖いよう」と泣いている姿が眼に浮かぶからあいつを探しているだけであり別にほら、俺ってジェントルメンだから。ジェントルクロノと一部界隈では有名だから。俺はそう思ってるから泣き虫毛虫臆病虫のカエルと手を繋いで歩くのも吝かではないと……
 誰でも納得する素晴らしい論法を展開していると、後ろから「ああ……!」と悲痛な声が聞こえてくる。今額を通過しているのは汗ではなく、漢汁というもので、成分は汗と同じ。怖がって出たものではないと認識してくれれば問題ない。
 ……確か、その怪談のオチは、主人公が後ろを振り返ったとき、耳まで避けた口からだらだらとよだれを溢す、刃こぼれした包丁を持った女がにた……と笑うシーン。そして、暗転。主人公の生死は定かではないらしいが、そこまで聞けば馬鹿でも分かる。喰われたのか、切り裂かれて放置されたのかまでは分かりようが無いが、命の有無という点では論争するまでもない。


「……はっ、まさかな」


 振り向いた俺の視界に移るのは、不純物の無いまっさらな白。
 ぶべちゃっ! という中々爽快な音を立てて、俺の顔になにやら甘い物──これは、生クリームか?──がぶち当たってきた……何これ? 訳が分からん。分かったらおかしい。
 服にボタボタとクリームを落としながら突っ立っていると、前から(視界が塞がれているので見えないが)楚楚とした声が聞こえてきた。


「凄いです! まるでクリスマスツリーみたい! ほら見て婆や、白い生クリームと赤い髪のコントラストが絶妙よ! 今期のデザイナー賞ノミネートは確実だわ!」


「流石はサラ様、今時の言葉で言えばナウくてブイシーなセンスですな」


「ブイシーって、渋いってこと? まあ嫌だわ婆やったら、私ったら○6の略かと思ってしまったわ」


「ホッホッ、婆とて流行のトレンドに取り残されるだけではありませんぞ、最近ではfacebo○kなるものを始めましてな……なんと全世界で五億人以上もの人間が参加しているという世界的コミニュケーションサイトですぞ」


「ジールの総人口は万に届かぬはずですが……まあいいでしょう。ところで婆や、コミュニケーションよ。横文字も乱用が過ぎては分かり辛いわ。もう少し抑えなさい」


「かしこまりました、サラ様」


「さあ、とにかくこの芸術的作品を私の部屋まで持っていかなくては! ああ、そこの名も知らぬ赤毛の人。私のお手製生クリームを勝手に食べた罰として私の部屋の観賞用人形となることを命じます。さあ、できるだけ顔の生クリームを落とさぬよう細心の注意を払って移動して下さいな」


 声が間近に迫り、俺の顔に牛乳を分離して造られた乳脂肪を顔面にへち当ててくれたくれやがった女が目の前にいることを知る。勝手に生クリームを食べてしまった謝罪をせねばなるまい。人として当然の事だ。


「何をしているんですか!? 顔のクリームを取ったら折角の芸術がへぶっ」


 彼女が奇天烈な声を上げた理由は至極単純なものだ。俺が彼女にやられたようにそのお美しい顔にクリームを塗りたくってやったから。間接キスだ、照れるなー。それ以上に腹が立つなあー。初対面の人間にここまで無礼を働かれたのは久しぶりだ。現代の大臣以来ではなかろうか?
 無言で顔に付いているクリームを取った女性、サラというらしい、は右手に溜まった脂肪の塊をべちゃ、と床に落として(スタッフは美味しく頂きませんでした)きっ、と俺の顔を睨んだ。
 性格や常識が破綻しているど阿呆だが、その顔は見目麗しいものだった。青く長い髪はウェーブがかって優しさや穏やかさを演出している。クリームの隙間から覗く肌はきめ細かく、荒など一つたりとして見受けられない、白すぎる肌は儚さと同じく不健康さも感じられるが、薄幸の美女と言えばまさにその通り。切れ長の髪と同じ青い瞳は涼しげな美人を地でいっており、指は長くあでやか。爪も手入れがこなされているのだろう白透明の汚れを感じさせない清純な印象。スタイルはやや細すぎる感もあるが、出るべきところは出て腰は触れれば折れるたおやかな華というべきか、抱きしめれば本当に折れそうだった。
 街中で普通の出会いがあればきっと一目惚れも有り得ただろう、余りの美貌に心を奪われ骨抜きにされたかもしれない。顔を見る前から無礼千万なアクションを起こされなければ、だが。


「……私の顔、クリーム塗れですよね」


 酷く硬質な声で、温かみの無い瞳を向ける彼女は、誰の目から見ても怒っていた。ハハハ、愉悦、愉悦。我慢しても口端が吊りあがっていくのを止められない。さっき散々可愛いとか言ったけど、やべ、やっぱクリームぶちまけられたこいつ不細工っつーかマジ笑える。


「そうだな、ぶふっ! 俺からのプレゼントだよ。嬉しいか? なあなあ嬉しいか?」


「怒ってますよね、私。普通生クリームつけられたら怒るのが普通ですよね? それと、笑わないで下さい。私人のことを笑うのは好きですけど、自分のことを笑われるの大嫌いなんです」


「一言一句同じ言葉を返すよ。ていうかやべえってあんた。その顔面白い。今時の言葉で言えばチョーウケルんですけど」


「……カッチーンときました。今時の言葉で言えば、チョームカチーです」


 言ってサラは背中を後ろに逸らし、猫のように飛んで襲い掛かってきた。見た目と行動がこうも合致しないとは、まさか国際天然記念動物か何かか!?
 今までの無機質な顔から憤怒一色鬼瓦みたいな表情になり飛んでくる女を後ろに一歩下がり回避する。受身を取らず顔から地面に着陸されたので、「へぶっ!」とまた同じような呻き声を漏らしていた。腹が捩れそうな体験は本当に久しぶりだ。ルッカの胸囲が足りなくて防具をつけられなかった時以来だ。これぞ爆笑。


「ううー……よくもやりましたね!」


「アッハッハッハッハ!!! ひー、ハ、アハハハハハハハハ!!」


 眼前に指先を突きつけて侮辱行為。みるみる顔色が真っ赤になっていくのさえ面白い。この国は無味無臭な人間ばかりだと思っていたが、いるじゃないか生粋のコメディアンが! カエルを越える面白さだ! 仲間には死んでもなって欲しくないけどこんなドジ女!
 後ろで老婆が「サラ様! なんとおいたわしい……ふふふっ!」と笑っていることも相乗してサラは顔どころか体全体が茹ったみたいに赤くなっている。鼻先からついー、と流れてくる鼻血なんか笑いの神が舞い降りたとしか思えないタイミングで流れるんだから、俺の嘲笑というか、朗らかな笑い声は止まることを知らない。


「…………ファイア」


「ハハハハハおおぅ!? 危ねぇじゃねえかテメェ! どういうつもりだ!?」


 この口裂け女ならぬ笑わせ女、魔術で火を出しやがった! ルッカと同じ魔術系統なのか? いやそんなことはどうでもいい、目先で放ったから必死で避けたものの髪の先が焦げてしまった。口争いで負けたからといって暴力に手段を変えるとは、人語を解するから人間なんだぞ! お前は獣か、もしくは楽屋の島田○○か!


「嫁入り前の女にとって鼻血を見られるのは裸を見られるよりも屈辱なのです! 見た相手は結婚するか殺すしかないのです!」


「だったらそれらしくマスクでもしてろアホが! まあある意味女にとって鼻血って裸よりも恥ずかしいけどさ! ……ふふっ」


「また笑いましたね? この強姦魔ーーーッ!!!」


 人聞き悪いこと天の如し。誰が貴様の裸など見るか! と叫ぶ前にサラが火炎を撒き散らす。周りの人間が悲鳴を上げているけど、その辺りは意に介さないようだ。流石、頭の構造が違うアホはやることが違う! ちゅーかこれ、大火事になるんじゃないか? 自分の住む国で白昼堂々放火って根性が据わっている! アホはアホでも度胸あるアホのようだ。見境の無い馬鹿とも言う。
 両手から連続エネルギー弾のように火を放つサラ。威力は恐るべきことにルッカと並びそうなものだが、戦闘に慣れていないのだろう、目測は滅茶苦茶、速度は並以下。死線を潜ってきた俺が当たるわけが無い! 多分!


「当たれ! 当たれ! 当たれええぇぇぇぇ!!!」


 いよいよ俺の姿を見る事無く無茶苦茶に腕を振り回し四方八方に火を投げ出した。柱の影に隠れている俺に当たるわけがないのだが……もしかしたら俺の姿そのものを見失ったのだろうか? その場を動いて探すという考えは出ない辺りが、優しく言えば愛しい。悪く言えば頭が悪い。普通に言っても頭が悪い。やっぱり優しく言っても頭がパー。
 老婆が「落ち着いてくださいサラ様! ネット風に言えば自重しろ!」と腕を羽交い絞めにしてようやく騒ぎが収まる。纏められた髪はバラバラ、顔も優しさなんてこれっぽっちも見受けられない修羅の面構え。誰もが戦々恐々と遠巻きに見つめている中、女は何処かから現れた男二人に両腕を掴まれて宮殿の奥に連れられていく。
 これで終わりなら別に良かったのだけれど、俺の加虐心が疼いてしまい、姿が見えなくなる前にさり気無く彼女の視界に入り、両手でピースサインを作って唇を突き出した変顔を見せた。擬音を付けるなら、「ププスー」だろう。連行されながらも「むきーーー!!!」とサルのような鳴き声を出しているサラに優越感と勝利による達成感で胸が一杯になった。もしかして、これが恋?


「……無駄な時間を過ごしたな……」


 喧嘩相手が去ると、いかに自分が低レベルな争いをしていたのか身に染みて分かってきた。小学生(並みの知能)相手に俺は何をしてたんだ。見苦しいにも程がある。さっさとルッカに会って謝るんじゃないのか俺は。
 気を取り直してまた宮殿内を歩き出す。不思議なことに、住人たちが急激に友好的に接し始めた。曰く、「サラ様を懲らしめてくれたありがとう!」との事だった。聞くところによると、あの脳内成分欠落娘、度々住人に迷惑をかけては反省することが無かったそうだ。ちなみに、最初俺に冷たくしていたのは単純に服装も違う他所から来た人間相手にどう会話をすればいいのか戸惑っていたそうな。揃いも揃って全員シャイとは、未来の人間と真反対な住民たちだこと。


「紫の髪で、帽子を被ってメガネをした女の子……? ああ、それなら」


 道具屋のおじさんにルッカという女の子を知らないかと聞いてみたところ、所在を知っているそうで、宮殿の二階にある一つの部屋を指差した。店主に礼を言って教えてくれた場所に足を向ける。よく考えれば、謝る言葉を何にも考えてないぞ俺……大丈夫か?
 不安は有り余れど、歩く足は止まらない。頭では複雑に考えていても、やっぱり俺はルッカに早く会いたいのだ。あのような別れの後では、尚更。
 彼女は怒るだろうか? それとも泣いているだろうか? もう俺のことなんてどうでも良くなっただろうか? 信頼とは、築きがたく壊れやすい。それゆえに尊いものなのだ。それを俺は積み木のように崩し、泣かせてしまった。
 ルッカがいるだろう部屋に近づくにつれて、胸が痛み、進む足が重くなる。動悸は激しくなる一方で、静まることをしない。会いたい、会いたくないという相反する想いが交差して……ついに、部屋の扉の前まで来た。
 ……開けたい、開けたくない。謝りたい、見捨てられたくない……それぞれ感情は絡み合うけれど……


「…………」


 取っ手を握るも、捻ることができない。少しの力で大切な幼馴染と会えるのに、臆病な自分が躊躇ってしまう。あの馬鹿女のせいで、決心が鈍ったようだ……いや、それは八つ当たりか。所詮俺は臆病者、自分勝手な行いで誰かを傷つけても、こうして怖がってしまう。


「……そうだよ、怖がるさ。だって……」


 逆説的に考えれば……彼女と会うのが怖いということは、それだけ彼女のことが大切だということ。臆病である自分は、大切な物を持っているということに他ならない。
 臭い台詞だな、と自分の考えに苦笑して、扉を開けた。まずは彼女に殴られてみよう。彼女との会話は、いつもそれで始まっているのだから。






「いーい? 次は私がクロノの帰宅を喜んで出迎えて『食事にする? お風呂にする?』って質問するシーンよ。真剣にやらないと火つけるからちゃんとやってね?」


「……もうどっか行ってくれないかな、アンタ……」


「………………」


 俺は、静かに扉を閉めた。
 見てはいけないものが確かにそこにあった。魔界、修羅界、獄門界。そのどれもがあの光景の凄惨さには敵うまい。成人も近い幼馴染が子供相手におままごとをしている姿がこうも胸に突き刺さるものとは思わなかった。それも、自分から率先してシチュエーションまで作っていた。憧れの清純なクラスメートが1○9をマルキューと呼んでいた時に似ている。初めて出来た彼女の愛読書が戦国バサ○のビジュアルファンブックだった時もきっとこんな衝撃を受けるのだろう。ルッカの腐りきった姿を見た後では、近くにいた子供がエンハーサで見かけた薄気味悪いガキだった事など激しくどうでもいい。さる大物女優が自分の家を訪ねてきても宇宙から未確認生物の群れが来訪してくれば感動も驚きも消え去るというものだ。ああ、上手い例えが見つからない。
 扉の前で蹲り悲しみの涙を流して、過去の自分の所業を呪った。俺だ。俺がルッカをあんな風に変えてしまったんだ。俺の心無い言葉が彼女の心を切り裂き粉々に打ち壊してしまったのだ。
 ぶつぶつと己に対する恨みつらみを溢していると、階段を上がってきたカエルが「うおっ!?」と後ろずさり危うく転げ落ちそうになっていた。そんなコメディでは俺の心が晴れることは無い。ああ、サラと過ごした時間はああ見えて有意義だったんだなあ……


「ど……どうしたクロノ? ルッカはいたのか?」


 平静を装いながらも確実に引いているカエルが肩を叩く。言葉にする力も無い俺は力無く後ろの扉を指差した。中の悲惨な状況を見れば、カエルも分かってくれるだろう。
 カエルは唾を飲んで恐る恐る扉を開き……俺と同じように、音を立てないよう扉を閉めた。その目には、大切な仲間を失った悔恨の色が濃く映っている。


「俺が、ルッカを壊したんだ……俺があんな酷いことを言わなければ、ルッカはいつもの明るく元気な女の子のままだったんだ……」


 俺の自責に、隣に座ったカエルが耐えられないという顔になり抱き寄せてくれた。
 こんな俺を……慰めてくれるのか?


「自分を責めるなクロノ……俺とて、彼女を救う幾千の機会を逃してしまったのだ……お前だけが背負うことじゃない……っ! 仕方なかったんだ……」


「でも……俺、俺………!」


「泣きたければ、泣け。いや、泣いてやれ。お前の幼馴染だろう? 昔の彼女の為にも、悼む意味で泣いてやれ……」


 泣いていいのだと言われて、俺の涙腺は崩壊した。耐えられないさ、だってルッカは俺が生まれた時から知っていて、時々怖い実験で脅したり叩いてきたりしたけれど、遊ぶ時はいつも一緒で、悪戯する時は楽しくて、怒られる時も一緒。母さんの横暴に家出したときも彼女は家に入れてくれた。暖かいスープを飲ませてくれた。何故か体が火照ってフラフラしたけれど……それはまあいい。
 そんな、行動力ある、頼れる姉貴分だった彼女があんな見るも無残な姿になったのは、俺のせいなのに……! 自分の行為に深い後悔をしている俺は吐き出したかった。何がと言われても簡単には言葉に出来ない。混ざり混ざった負の感情は体中を徘徊して……涙として集束された。
 ……さよならルッカ。もう、お前に会えないけど、もうお前は何処か遠くの世界に旅立ってしまったけど……俺は覚えてる、ルッカの怒ったかも泣き顔も……笑顔だって、ずっと忘れない。誕生日には、黄色い花を贈ってあげるよ……


「ふざけるなよ、もう僕は帰る。一人でやってな」


「待ちなさい! まだ142パート残ってるのよ!? 今更私の愛妻遊戯から逃れられるとでも思ってるのかしら!?」


 唐突に俺たちが背を向けていた扉が開かれ、渦中の人物が顔を出した。彼女は逃げ出そうとした子供の襟首を掴み部屋に引き摺り戻そうとして……俺と目が合った。その目は一度流されて、背を向けた後、暫しの間を置いて勢いをつけもう一度俺の顔を凝視する。
 耐え難い……あまりに耐え難い……! ホラードラマの山場で狙われるヒロインのようにふるふると震える俺を、ルッカは色の無い表情でじっ、と見つめ続けている。カエルは俺を抱き寄せたまま動かない。後ろを見ることでルッカを視認する事を恐れているのだろう。願いが叶うなら、数秒前までに起きた事柄が無かったことにならないか? そう訴えるような目で遠く、窓の外の景色に心を寄せていた。
 ルッカが動き出したのは、急なことだった。飛び上がるように大きく縦に振動して、乳をねだる小鹿のようにぷるぷる足が震え、唇の色は謙譲とは言えない赤と青を足した色彩へと変化していく。今自分が立たされている状況を把握できていないようだ。俺は、背後から大声で驚かせた猫を思い出した。
 喉から引き出したように「ひきっ、ひきっ……」と正常ではない音を鳴らし、彼女はカエルの頭を優しく……握り潰した。


「うぁ痛たたたたたたっ!?」


 大きくない掌でカエルを持ち上げた彼女は万力の握力(それが証拠に、少し離れた俺からもカエルのこめかみから聴こえる悲痛な破砕音が届いている)を伝わせていく。「ひ、ひ、ひひひひひひ」という笑い声なのか判断しかねる狂声を上げて壁に押し付けた。


「アハハハハ……私ね、私間違ってると思うの。分かる? 私が間違ってると思うわ、だって私自身がそう思ってるのだもの、そうでしょ?」


「何を言ってるのか要領を得ない! とにかく俺の頭を離せ! このままではトマトのように潰れてああああ!!!」


「いいのいいのカエル。ごめんね、私も今の状況がよく分かってないしそれが良い事なのか悪いことなのかもうサッパリだもの。とりあえずあんたの頭はいらないわそれだけは分かるの。もっと順序だてて言えばあんたが死ねば少しはハッピーになれるのじゃないかという論理的思考流石私ね!」


 支離滅裂過ぎて何が何やら分からない。今分かるのはカエルが人力頭蓋潰しの刑に処されていることだけだ。
 カエルも抵抗しようとルッカの腕を握るのだが、蛙状態時ならまだしも人間の女に戻ってしまった非力な細腕ではビクともしない。大きく開いた口から苦悶の声は途絶え、泡を量産し始めた。一瞬、魔王の魔力が復活して蛙に戻ったのかと思ったのだが、力なく垂れた両腕を見て危険信号の一種か、と納得する。魔王戦以上の命の危機なのかもしれない。カエルにとっては。
 傍観している俺の隣でルッカの遊び相手だった暗そうな子供が「やれやれ……」と頭を振っているも、何故だか俺の肩袖を強く握っている。ロボ体質なのかもしれないと邪推したが、一般的な子供のリアクションとして、怯えて誰かに縋るのは極普通の事なんだと改めた。


「…………る……るっかさん。多分もうすぐカエルさん死んじゃうから、その辺にしておいた方がよろしいかと……」


 俺の懇願染みた声に耳を貸す事無く、ルッカは短い間隔で痙攣するカエルに顔を近づけ敵愾心しかない想いをぶつけている。


「抱き合ってるって何抱き合ってるって何あんたらどこまでいったのえ? どこまでいったのよ石破ラブラブうんたらかんたらを二人で放出できるくらいまで進んじゃったのそれともバルス? ああ遠回しに聞くのは止めるわABCで答えなさい私があんたらと離れてた時間はおおよそ二時間から三時間、ああらCでも時間が余るわねえどうしようかしらやっぱりパーティーの風紀委員たるルッカさんとしては吊り首斬首火炙り切腹電気椅子牛裂きのどれかに値するルール違反だと思うわけでああもうアンタは四肢を切り裂いてクロノと私は二人で火に飛び込んで死のうかしらそうすれば冥土で私は文字通り燃えるようなロマンスを体現するわ勿論あっちであんたと再開した時はまた同じ目に合わせて何度でも『死』を経験してもらうのよ素敵でしょこのビッチ痴女略してビッジョ」


 僕は怖がってないぞというアピールとして鳥やハムスターは自分でグルーミングするそうな。隣の子供が気が触れたように自分の頭を撫でているのは精神安定の一種なのか。俺も真似してみるか。
 ……冗談はさておき……俺の脳内予定とは些か食い違ったが……ルッカに放った暴言を謝罪するのは今なんだろうか? もう少しムードある状況でこなしたかったが、仕方あるまい。このまま謝るのを先延ばしにしていては地球上一番悲しくない仲間との死別を迎えそうだ。カエルが白目を剥きだしてから一分が経過した。デンジャーゾーンであることは疑いようが無い。


「ルッカ! あの、今更言えた義理じゃないけど聞いてくれ! 聞くに当たって尊い生命を散らす行為を中断してくれると助かる、大いに助かる!」


「私が聞きたいのはあんたたちが粘膜を擦れ合わせたのかどうかよ!」


「ぜんっぜん隠語にもなってねえ! カエル相手にそんな事実は無い! 未来永劫!」


 俺の断言に修羅の国が印刷されていたルッカの背景に薔薇が散りばめられている幻覚を見た。


「そ……それはつまり、お前だけの特権行為だぜルッカ! そう言っているのね?」


「そんな権利欲しいか? まあ……僭越ながら、違いますと断っておくが」


「アアアアアアアアコノヨノスベテヲコロシテクレル!!!」


 カエルの頭を形成している大切な何かが壊れていくのを、俺はただ見ていることしか出来ないのか? 出来ないなうん。俺は弱いなあ。弱いとダメだなあ。


「黒い風が泣いてる……あの緑の髪のお姉ちゃん、死ぬよ」


「その風なら、俺もひしひしと感じてる」


 その後俺の真摯な説得によりMAJIで死んじゃう5秒前にカエルは解放されることとなったが、彼女はもうルッカに逆らうことも、仲間と見ることも出来ないだろう。余談だが、この日の出来事によりルッカはジール宮殿住民の間でヘッドクラッシャーと影で呼ばれ、少数ながら存在していたカルト教団に邪神として崇拝されることとなった。前世か、もしくは来世にはそうなるかもね。彼女。






 一騒動あったものの、それから落ち着きを取り戻し始めたルッカは話をするどころか、元いた部屋に飛び込み堅く扉を閉ざしてしまった。「そこは僕と姉様の部屋なのに……」と愚痴を漏らす子供と頭を再び稼動するのに不備が生じているカエルを他所に追いやり二人で会話できる空間をようやく作ることが出来た。ようやく、を強調したいところだ。
 一息ついて、扉をノックする。反応は返ってこないが、少しだけ見た部屋の構造からして外からでも普通に話しかければ俺の声が聞こえないということはないだろう。その場に膝を落として座る。
 あー、と言って何を伝えたいのか自分でも分かっていない頭を回転させる。出た考えは、謝ればいいというものでもないけれど、まず謝らねば先に進めないという馬鹿でも分かる結論だった。


「ルッカ……ごめん。俺さ、苛々してたんだ。お前の言うことは当たってた。恐竜人たちのこと引き摺りっぱなしで……お前に当り散らしてた。最低だ……本当にごめん」


「…………」


 声は聞こえない。それでも、彼女が扉に触れるか触れないか、俺と程近い場所で俺の言葉に耳を傾けているという確信がある。真剣な話をしている時は、彼女は俺の話を聞いてくれる。届けたい言葉を必ず受け取ってくれる。分かるさ、幼馴染なんだから。


「……えと、お前が俺に頼りっきりとか、全部嘘だ、デマカセだ。お前が俺に気を遣って言い返せないのを良いことになんでもかんでも言っちまっただけなんだ……許してくれないかもだけど、俺が本心からそんなことを思ってるわけじゃないって事は信じて欲しい!」


 階下にいる住民たちが俺の独白を気にして集まってきた。数十人に見守られながら謝るって、なんか……辛いな。恥ずかしいってわけじゃないんだけど……
 余計なことに気を取られてそれから先の言葉を構成できない。「ええと……」と困っている声が聞こえたのか、裏側から二回、扉を叩く音が聞こえた。


「それは……嘘でもデマカセでもないわ。私は……クロノに頼ってた。それは間違いじゃない……格好悪いわよね、本当の事言われて逃げるんだもの」


 尻すぼみになっていく力ない言葉を受けて、ルッカには見えもしないのに首を強く振る。


「違うって! ルッカはいつも凛としてた、いつも先を見据えて俺を導いてくれたじゃないか」


「……だから、それはあんたがいたからでしょ? クロノがいるから私は立っていられただけ。現に、あんたが落ち込んでるときの私なんて、オドオドして、鬱陶しかったでしょ? 自分でもそれくらい分かるわよ」


「なんでそんなに自己批判するんだよ。お前が元気無かったのは俺が悲しんでたからだろ!? 何度も言うけど、気を遣ってくれただけじゃねーか、お前が自分を悪く言う必要は無い!」


「……ありがと。あんたもしてるじゃない。これが気を遣われるってことね、確かに良い気分じゃないわ」


「礼を言うタイミングじゃないだろ……マイナス思考も大概にしろ」


 何を言おうと、ルッカは自分を責めることを止めないようだ。いっそ扉をぶち破ろうかと思ったが……それは、何か違う気がする。それでは欠けたまま戻らない。
 『考えすぎだ』『落ち込んでるからそんな風に思うだけだ』『ルッカらしくないぞ』……他にも様々な切り出し方を模索したけれど、どれ一つとって正しいものではない。そんなのは、あくまで俺の出した答えだ。ルッカの望むものとは根底から違う。


「……昔から、そうだった」


「何?」短い疑問文を口に出す。


「私が……お母さんのことで皆に虐められた時があったでしょ? 町の友達も、近所の大人たちも、お父さんさえ私を無視して、暴力を振るわれることさえ珍しくなかった……」


 ──それは、もう懐かしいくらい昔のこと。
 ルッカの、忘れることの無い最初の実験。いや、実験と言えるのかすら怪しい、一つの行動が切っ掛けでルッカはトルースの疫病神となった。
 詳細は省くが……ルッカが、己の母を……殺した、出来事。
 殺したというが、当然悪意や殺意なんてものが微塵も無い、不運としかいえぬ悲劇。詳しく聞いた事はないが、ルッカの一つの失敗が肉親を殺める事となったのだ。小さな町だ、噂は数日と経たず飛び交った。同年代の子供は「親殺し!」と罵り、大人たちは生きていく上での積もった不満を全て叩きつけるようにルッカを陰湿なやり方で追い詰めていった。仲間はいない。ルッカの父タバンさんすら最愛の妻を故意ではないとはいえ殺してしまった、娘に容赦の無い暴力を振るっていた。
 ……そんな毎日が続き、誰よりも自分を責めていたルッカが自殺を試みようとしたのは、自然と言えるだろう。村外れの大きな木に縄を輪っかにして括りつけ、首吊りをしようとしていた。
 それが、俺とルッカの関係が始まるファーストコンタクトになったのだ。


「もう昔……なのよね。まだ覚えてるわ、あの日は嫌味なくらい快晴だったのよね……」


 ルッカの言葉から、過去を思い出していることを理解する。
 俺は、彼女の回想が終わるまで、じっと聴いていることにした。彼女は、どんな言葉を使ってあの頃の俺たちを思い浮かばせてくれるだろうか。









 星は夢を見る必要は無い
 第二十五話 クロノとルッカ










 天気は晴れ。お日様は私の事なんか気にせずポカポカ陽気を降らしてる。胸はぎゅーっと痛くて、いつも私に「死ね」って言うのに、お日様さえ私を助けてくれない。
 でも、それは当然の事なんだ。だって私は、あの優しいお母さんを……ダメダメ!
 その時の光景を思い出しそうになって、私はちょっと強めに自分の頭を叩く。町の子に石を投げられてできたたんこぶに当たって痛かったけど、別に良い。だって、もうすぐそんなこと気にせずにいられるんだから。
 えい、えい、ってロープを強く締め直す。試しにぶら下がってみるけど、引っ掛けた太い木の枝も、家の物置にあった荒縄も、私程度の体重じゃビクともしなかった。お前なんかそれ位の存在なんだよ、って言われてるみたいで、今まで沢山泣いたのにまた涙がこみ上げてきた。井戸のお水はいっぱい汲み取れば空になるのに、涙は無くならない事に私は『りふじん』というものを感じた。結局、泣き出すことは無かったけど。
 重かったけど、頑張って運んだ丸椅子を吊られたロープの下に置いて、準備完了。やってることを考えればおかしいのだろうけど、なんだかタッセイカンを得た気持ちになって、こんな時なのに誇らしくなった。きっと、天国のお母さんが褒めてくれているのだ。「自分から死ぬなんて、偉いね」って見えないけれど、頭を撫でてくれてるのだろう。ちょっと前までは友達とか、お隣のロジィナおばさんに「お母さんに褒められたよ!」と自慢するのだが、皆私が話しかけると目を逸らしてこそこそ内緒話を始めてしまう。その時の私を見る目がなんだか嫌な感じだったので、私はもう誰とも話したくない。
 辛いことを思い出して、悲しくなったけれど、ロープと椅子の二つを視界に入れると、自ずと良いことをしている! と思って久しぶりに楽しい気分が生まれてきた。
 私は悪い子である。皆も、お父さんもそう言うし、私だって分かってる。ミリーちゃんが言ってた、お母さんを殺した奴は生きてたらいけないんだよって。だから私は死ぬことにした。だって、悪い子だから。
 そんな私が自分から死ぬのだ、それはそれは、とても良い事に違いない。私が死んだら、ロジィナおばさんも、ミリーちゃんも、お父さんもお母さんもまた一緒に遊んでくれるだろう。その時を思い浮かべていたら、私の胸を痛くするチクチクが薄れていった。でも、完全には消えない。死んだとき初めて、イタイイタイのが飛んでいくんだろう。自分の考えに驚いた、やっぱり私はお父さんの娘だから、とっても賢いんだろう。今朝お父さんに「お前なんか娘じゃねえ」って言われたけど、娘だもん。嘘じゃないもん。
 ぎっ、と私を応援する丸椅子の声を聞いて、私は背中を押された気がした。行けっ! 飛べっ! と周りの草花も風に乗って叫んでいる。私を支えてくれるロープや木も揺れて、今か今かと私のらいほーを待ちわびている。私は自分で合図を決めて、いちにのさんで丸椅子を蹴飛ばそうとした。いちにのさんのリズムは昔友達と考えた歌のリズムと合わせてみよう、楽しいな。
 私が「にーの、」まで声に出した時、木の上からお猿さんみたいな生き物が私の近くに落ちてきた。驚いた私はバランスを崩して、丸椅子からコロリンと転げ落ちてしまった。


「ぐええっ! 痛いよー……」


 私のお尻の下から声が聞こえたので、そのまま横に飛んで逃げてしまった。お猿さんが喋ったのかと思ったのだ。ホントにホントに、心臓が飛び出してくるかと思った。
 結局、怖いの半分、期待も半分で落ちてきた生き物を見ると、それは私と同じくらいの男の子だった。ちょっと、残念だった。
 その男の子は、町の男の子と同じように膝までの短パンを履いて、青色のシャツを着た元気そうな子だった。赤い髪の毛がくるっとはねていて、やんちゃそうだなあ、とぼんやり予想した。


「うう……寝てるところだったのに、なにしてるんだよこんな所で! お陰で木の上から落っこっちゃったじゃないか!」


 これには私もムム、と頬を膨らませる。こっちだって準備もして、『そうぞうをぜっするかくご』をしたのに、それを台無しにされたのだ、怒るべきは私のほうだと思う。


「わ……わたしも…………うう……」


「何? 全然聞こえないよ! もっと大きな声で話せよ!」


 頭ではいっぱい文句を思いつくのに、最近会話をしていないし、男の子と話す機会の無かった私は、口をもごもごさせるだけでちゃんと喋る事が出来なかった。


「ううう…………うえ、うえええん………」


「な、何で泣くんだよ!? 俺、酷いことなんてまだ言ってないぞ!」


 最悪だった。さっきまで良い気分とは言えないけど、大声で泣くほど嫌な気分でもなかったのに、いきなり現れた男の子のせいで泣き出してしまったのだ。
 先に言っておくが怖がったのでは断じて無い。ちょっとびっくりしたから泣いただけで、むしろこんなの泣いた内にも入らないだろう。ジョーシキだ……そうだ、それなのにこの男の子が「泣いた」というから、気を利かして泣いてやっているに過ぎない。大人の女とはそういうものだ。でも、びっくりしたのは事実だからソンガイバイショーをセイキューしてやる。


「そ……ぐす、しょーを、せ、せいきゅー……ひっく、」


「だから、聞こえないってば! ほら、もう一回言ってみろって!」


「ひっ! う、うわああん!!」


「あーもうどうすればいいのさ!?」


 せっかく私が賢い言葉を使おうとしたのに、この男の子が顔を寄せてきたから、またびっくりしてしまった。今度も怖かったんじゃない。叩かれるのかな、と思って怯えたんじゃない。やるのかー! と思って男の子をいかくしたのだ。むしろこっちが脅かしてやろうとしたのだ。せんてひっしょうである。
 それからもずっと私に同じ事を言わせようと脅してくるので、私はあくまでちょーはつ的な、「いつでも相手になってやる」的な意味で泣き続けた。いよいよとなって男の子が「ごめん! 俺が悪かったから泣き止んでよ!」と謝ってきたので渋々ほこさきをおさめてやる。


「ひっ、ひっく……うう……」


「もう大きな声出したりしないからさ、怖がらなくていいよ?」


「こ、怖がってない……と、とーそーしんを高めてただけ……」


「とーそーしん? 何それ、変なの!」


 私の知性あふれる言葉を変で片付けられたのでまたむかっ、ときたけれど、今度は泣きたくなる気持ちにならなかったから今回は見逃してやることにする。貸しなんだから、いつか返してもらおう。
 それから、男の子が私に根掘り葉掘り質問してくるので、忙しい身の私だけれど付き合ってあげることにした。子供の相手をしてあげるのも、大人の女の仕事なんだってお母さんが見てた雑誌に載ってたもん。


「そ、それでね、お父さんが『うるせえ! お前が悪いんだ!』って言ったらね、お母さんが『うるさいじゃありません! 自分が悪いのに、人のせいにしないで!』って怒鳴ってね、ぽーんて叩いちゃって、お父さん泣きながら頭を下げたんだよ!」


「へえ、やっぱ何処の家でも女の人の方が強いんだなあ……」


「うん! 女は強いんだよー、女の子も勿論強いけどね! お母さんが言ってた! 私のお母さんは何でも知ってるんだよ!」


「あはは、凄いお母さんなんだな」


「そうなの! この前なんかね、町のお菓子作り大会で優勝したんだよ! お母さんの作ったお菓子は世界で一番美味しいの。それにとっても綺麗だから、おひげを生やしたおじさんが『目でも味わえる』って言ってたよ!」


 ……この部分だけ見れば私ばかり喋っているように見えるが、あくまで私は男の子の話を聞いてあげているのだ。嘘じゃないもん。たまたまだもん。
 でも、楽しかったのは……認めてあげなくも無い。あんまり賢そうじゃないけど、悪い子ではなさそうだ。話していて面白いし、真剣にお話を聞いてくれているのが分かる。ほんのちょっとだけ、私の話に熱が入ったのは認めなくもない気がする。うん。
 男の子の名前はクロノというらしい。私ほどじゃないけど、良い名前だと思う。聞けば私の家からちょっと離れた家のジナさんの息子らしい。ジナさんとは気風が良くて、昔ちょっと話しただけだけど面白くて綺麗で優しい女の人だった。お母さんほどじゃないけど。
 そうして話をしている内に結構な時間が経っているようだった。気づけばお日様は遠くに沈んでいて、影が差している。ホーホーとフクロウが鳴いて夜が近いことを教えてくれた。クロノもそれに気が付いて「あっ! 洗濯物取り入れなきゃ!」と慌てていた。
 立ち上がって走り去ろうとするクロノの腕を、私は無意識に掴んでいた。なんでか、自分でも分からないけど。
 私に掴まれた腕を見て、クロノは「え、ええーと……」と困ったような顔を浮かべている。そこで私は自分が彼の帰路を邪魔している事に驚いて「あっ!」と手を離した。びみょーな時間が流れて、クロノはやっとの思いで、という顔で口を開いた。


「あ、あのさ。ルッカはこんな所でなにやってたんだ?」


 会話になれば何でも良かったんだろう、クロノは今思いついたというように言葉をねじ込んだ。


「私? ……私は……」


 ふと、木の近くに横たわってる丸椅子と、ロープに視線をやり自信満々に答えた。


「き、木の実を取ろうとしたの!」


「木の実? ああ、そういえばこの木にも生ってるな。でも渋くて食えたもんじゃねえぜ」


「そ、そうなの。じゃあ止めとく」


 言って、私たちは手を繋いで家に帰った。別に、かくごを捨てたわけじゃない。ただ、クロノに女の子は強いと言った手前すぐに死ぬのはなんだか嫌だった。もちろん、明日になれば死ぬつもりだ。だから、私はロープと丸椅子はそのままに置いて帰った。一々家に持って帰ってまた持ってくるのは二度手間だから。
 明日になれば、私はまたここに来る。そして、死ぬ。間違いない。
 ……だけど、もしクロノがまた木の近くにいたのなら、その時はおしゃべりしてあげなくも、無いかな。




 クロノは木の近くで待ってるどころか、私が家を出てすぐのところで待っていた。片手を上げて「おはよ!」と明るく笑いかけてきた時は呆れて、思わずしかめ面になってしまった。れでぃーの家の前で待ち伏せするなんて、全くなってない。


「なんだよルッカ、なんか随分嬉しそうじゃん! 良いことでもあったのか?」


 ……笑ってないもん、だ。


 この日は私の自殺決定場所である町外れの木に行く事無く、ガルディアの森に冒険しに行くことになった。
 森の中は魔物が少ないながらに存在しているため、大人たちに子供だけで近づいちゃ駄目! と強く言われている場所だった。私がクロノに「やめようよ……」と断然と物申せば、「俺がルッカを守るから大丈夫!」と力一杯否定した。言うことを聞かない人は大きくなったら駄目な人になるというのに、クロノはやっぱりお子様だ。


「ルッカ? 熱でもあるのか、顔赤いぞ。まっかっかだ」


「う、うー……」


 熱気にやられてのぼせたのを勘違いしてクロノが近づくから、私は着ているシャツを上に押し上げて顔を隠した。別に、隠す必要も無いんだけど!
 森の中には面白そうなものがいっぱいあった。ちゃんと食べられる、渋くない木の実や果実。綺麗な石とか、水がとても透明な川。りすさんの家族をクロノが見つけてくれた時はとしがいも無くはしゃいでしまった。もう私は子供じゃないのに。
 かくれんぼの場所にも困りそうに無い。秘密基地みたいな穴ぼこもあって、二人で仲良く遊んだ。鬼ごっこをするときは、クロノがハンデをくれて、ちょっと嬉しかった。でも、鬼の時間はどっちも同じくらいだったから、ちょっと悔しい。
 そんな風に、私たちは沢山遊んだ。めいっぱい遊んだ。こんなに楽しかったのは久しぶりだった。何で、こんなに楽しいのか分からないくらい。
 答えは、ふとした拍子に見つかった。私が森の中で木の根っこに躓いて、転んで膝を擦り剥いてしまった時のこと。血がたっぷり出て(言いすぎ、かもしれないけど)私が泣いてしまった時である。誰かにやられた訳でも、酷いことを言われた訳でも無いのに、私は大声で泣いてしまった。ただ痛いだけなら、友達だった子達に蹴られたり棒で殴りまわされたりした時の方がずーっと痛いのに、その時は泣かなかったのに、今は泣いてしまった。何でだろう? と泣きながら考えていたら、それが答えだった。
 私が座り込んで涙を流していたら、クロノがびゅーんと風みたいに飛んできて「大丈夫!?」と心配してくれたのだ。そう、それが答え。今までは泣いても誰も心配してくれなかった。慰めてくれなかった。でも、今は違う。クロノが心配してくれる。私の為に。クロノが慰めてくれる。私の為に。クロノがいるから、私は私でいられる、我慢しないでいられる。だから……いつも楽しい。
 いつのまにか、私は誰かと話すのが嫌じゃなくなった。クロノとずっと一緒に喋っていたかった。
 ──私は、そんな毎日がずっと続くのなら、生きていてもいいかなあとほのかに思った。
 





 なんで、私は気付かなかったんだろう。
 クロノが、私と遊んでくれる訳を。クロノが私を虐めない理由を。
 ……彼は、知らなかっただけなのに……
 私が、母親殺しであることを。






 クロノと出会って、ちょうど一週間が過ぎた日のお昼と夕方の間。その日はクロノに用事があるから、遊ぶのがちょっと遅くなると聞かされていたので、私はクロノと会う時間まで自分の部屋に閉じこもっていた。
 ベッドの布団を被り、息を潜めて時が過ぎるのを待つ。これが私の家での過ごし方。お父さんが部屋に戻った時だけご飯を食べて、トイレに行って、シャワーを浴びる。お風呂は時間がかかるから駄目。出てきたときにお父さんが部屋から出てくればお腹をぼーん、とされてしまうからだ。そうなってはクロノと楽しく遊べない。三日前にぼーんとされてからクロノと遊んでいると、彼に隠れて見えないところで何度か吐いてしまった。なんとかばれなかったけれど、次は隠しきれるか分からない。私は自分の存在を出来るだけ消すことにした。
 大丈夫、もう慣れた。食事は最悪森の木の実で空腹を誤魔化せばいいから食べなくてもいいし、トイレで水音を立てない方法を編み出したし、シャワー中に浴室の窓から外に出ることも出来るようになった。その度に肘とかわき腹とかを壁に擦ってしまうから、かいりょうのよちがありそうだ。
 ……以前は、こんな毎日を嫌だと思わなかった。それが当然だし、外は外で怖いことや痛いことでいっぱいだったから。
 でも、クロノと出会ってから、私はこの家にいる時間が苦痛で仕方なかった。早くクロノが来てくれないかと、十秒ごとに時計を確認してしまう。もう一時間経ったんじゃないか? と思って時計を見ると短い針はまるで動かず、一番長い針が申し訳程度に首を捻らせただけなんてことはざらだった。私に意地悪をしているのかと小さく文句を言うこともしばしばあった。壊れてるんじゃないかと思って調べたことは一日で両手の指だけでは数えられないくらい。
 窓の外を見ると、日が暮れる時間までまだまだあるのに、外は薄暗くなっていた。雨が降るのだろうか? 別に良い。この前ちょっと雨が降った時も、私とクロノは関係無しに野原を走り回った。天候がどうであれ、私たちの遊びは止められないのだ。


(……約束の時間まで後十分だ)


 知らず顔が緩んでしまう。もう少しで、クロノに会える。早く時間よ過ぎて! でないと私は生きられない。クロノがいないと、私は息を吸うことさえままならない。
 そんな興奮が始まって……私は、とんでもないことをしでかした。人生最悪の、失敗だ。
 時計を手に持とうと、サイドベッドの上に置いてある時計に手を伸ばして……床に落としてしまったのだ。それだけでは飽き足らず、時計は雷鳴のような音を立ててしまう。落としたことでアラームのボタンが入ったんだろう。その音は耳をつんざくようにじりりりりと鳴って私という存在を浮き彫りにしてしまう。慌てて時計を拾いアラームを止めたけれど……もう、遅かった。
 さっきの時計の音なんか比べ物にならないくらい響くお父さんの怒声と足音が階段を上がり、私の部屋を開けた。


「うるせえんだよクソガキ! 死にてえのか!? 本当に殺してやろうか!」


 お父さんは私の髪の毛を掴んで持ち上げ、階段から投げ落とした。階段の角に当たって跳ね返りながら私は一階まで落ちていく。ようやく体が回転しなくなったのも束の間。そのまま追いかけてきたお父さんに足首を掴まれて宙吊りのお腹をサッカーボールみたいにぼーんと蹴られた。ボールの私はどん! どん! と床を跳ねて玄関まで飛んでいく。ドアが開いてないからゴールにはならないなあ、と現実逃避。どのみち、この傷だらけの体ではクロノには会えない。最低、三日は会わないほうが良いだろう。私ではない、死んでいる私が冷静に告げる。
 ……そっか、三日もクロノに会えないんだ。三日も私は息を吸えないんだ。じゃあ、死んじゃったほうがいいなあ。決めた、お父さんのお仕置きが終われば、あの木まで走ろう。全部終わりにしよう。いやいや、もう今から玄関を開けて走り出せばもう蹴られないですむのかな? だったら、今すぐ死にに行こう。
 痛む体を起こして、私は玄関のドアに手を当てる。どれだけ痛んでも、私は泣きたいと思わない。今ここで泣いても、誰も私を助けてくれないのだから。外は、急に土砂降りになって空を隠していた。これじゃあ、どの道クロノと遊ぶのは無理だったよね。


「おい、何逃げようとしてるんだよテメェ! まだお仕置きは終わってないだろうが!」


 怒りの収まらないお父さんが私を追いかけてくる声が聞こえる。急いで走り出さないと、雨の中でも距離が稼げなければ追って捕まえてくるだろう。早く逃げないと駄目なのに、私の体は凍りついたように動かない。だって、


「……ルッカ? 何でそんなに怪我してるの?」


 目の前に、誰よりも会いたくて、誰よりも今会いたくない人がいたんだから。
 雨で濡れた癖っ毛は額に流れ、服は絞れそうなほどびしゃびしゃになっている。わざわざ今日は遊べないね、と報告しに来てくれたのかもしれない。何て……残酷な優しさなんだろう。彼がもう少し優しくない人間なら、私の一番見られたくない所を見られずにすんだのに。


「おら、捕まえたぞこの!」


「! る、ルッカを離せ!」


「ああ? なんだお前!」


 後ろから抱きかかえられて、私は体の力を抜く。もう、何をどうしても叩かれるのは一緒なら、抵抗しないほうが痛くされないかもしれないと思ったのだ。クロノが勇敢にもお父さんに命令するけど、お父さんはつまらなそうにクロノを見下す。


「俺はクロノ、ルッカの友達だ! 嫌がってるだろ、ルッカを離せよ!」


「友達ぃ? ふざけるな! 俺はルッカの父親だ、他人が口出しすんじゃねえよ、俺の教育に文句でもあんのか!?」


「教育って、あんたのはただの暴力じゃないか! なんだっけ、ええと……そう、虐待だ! 子供虐待!」


 捕まっている私を助けようとお父さんに怯まず言葉で噛み付くクロノ。彼は私の近くまで走りより、ぴょんぴょんと私を取り戻そうと躍起になっている。
 お父さんは虫を払うみたいに飛んで縋りつくクロノを平手で振り払った。軽い力とは言え、体の大きいお父さんに叩かれて小さいクロノは地面に倒れてしまった。


「ク、クロノ……」


「い、痛い……」


 水溜りに倒れて泥水を服に吸い込ませながらクロノは唸る。
 私はお父さんに、「クロノには手を出さないで! 友達なの!」とお願いした。


「……お前に友達、ねえ……おい、クソガキ。お前さては知らねえんじゃねえか? ルッカがどんな奴か」


 面白い余興が始まるとばかりに、お父さんはさも愉快そうにクロノに話しかける。その口振りからするに……もしか、しなくても……


「や、止めてよお父さん……お願い、友達なの、私の大事な友達なの! お願いだから、クロノを消さないで、クロノを取らないでーーッ!!」


 私の言うことなど聞き入れてくれるわけが無いお父さんはうるさそうに私の口を押さえて、「そうかそうか、お前があのジナの息子のクロノか。あいつはこういう話は嫌いだろうからな、息子のお前に教えてないんだろう。だから知らねえのも無理は無い、か」とニヤニヤしながら倒れているクロノに近づき始める。どれだけ叫ぼうと、どれだけ暴れようと、私の体が自由になることは無く、私の意志が届くことも無い。


「な、何だよ……」


 お父さんの雰囲気に押されて力の無い声を出すクロノの頭をがしっ、と押さえてお父さんが口を歪ませた。


「こいつはな……殺人者なのさ。こいつの母であり、俺の妻であるララを殺した最低最悪のな!」


「むうーーーーーーっっっ!!!」


(止めて、止めて止めて止めて止めてヤメテヤメテヤメテ止めてーーー!!!!)


「綺麗で優しい妻だった……愛してた! 近所でも有名な、誰にも好かれる女だった! あいつと一緒なら何でもできると疑わなかった! なのにコイツは殺した……あの歯車の中で……ララは、小さくなっちまってた……わざとじゃない? だからなんだ! ガキだからってそんなんで許されるかよ! しかも……」


 今も腕の中でもがく私を睨み、次にお父さんはクロノにも憎悪の視線を向けた。
 今にも、彼の喉を噛み千切りそうな、どうもうな笑みを貼り付けつつ、次の言葉を吐き出す。


「このルッカの野郎、お前と友達になったそうじゃねえか? 母親を殺した罪も忘れて新しい友達との生活が楽しみで仕方ねえようだな? ああ、そういやこの前服をドロドロに汚して帰ってきやがったな……はっ、所詮こいつにとってララはその程度の存在だったわけだ! 友達とやらで全部置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかったんだ!」


 クロノはお父さんに無理やり下を向かされながら、黙って話を聞いている。表情は見えないけれど……分かる。彼は今失望しているか、自分を騙していたと怒っているか……どの道、彼もまた私を嫌う町の子供たちと同じ、私を『殺す』人間へと変貌していく。メッキが剥がれ落ちるように、油絵をこそぎ落とすように、本当の彼が姿を現していく。
 分かっていた。彼が私を嫌わないのは、遊んでくれるのは、どこにでもいるくらいの陰気な女の子だと勘違いしていたからに過ぎない。本当の私を知れば、本当のクロノが出てくるのは当たり前なのだ。偽っていたのは私。それを受け入れるしか、ないじゃないか。


「目が覚めたか? クロノ。こいつは悪魔だ。誰からも好かれること無く愛されること無く生きるクソガキだ。当然の報いだ。町の人間でこいつと関わろうなんて奴はいねえ、お前もルッカなんかの相手なんかしねえで、その辺の子供と遊びな……まあ、他のガキと同じように拳でぶん殴る関係なら文句は言わねえがな」


 言ってごーかいに笑う。お父さんの言うことは正論だ、私の不注意でお母さんを殺したのは、紛れも無い事実なんだから。
 だから、早く死んでいれば良かったんだ。そうしたら、その分生きていた時に味わう苦しみとか、辛いとか、悲しいとか、全部無かったことになるのに。なったのに。
 私はもう、もがくことをやめた。どうでもいいんだから、逆らっても、叫んでも変わらないんだから。私を囲う世界は私の想いと裏腹にぐるぐる回り続ける。私という人間が止まっていても、何ら変わらず。


「……ルッカ、お前虐められてたのか」


 クロノが、お父さんの手が離れた後でも下を向いて、私にとって聞きたくない今更な事実を確認してくる。
 話しかけないでよ、もうクロノと話していてもワクワクしない。楽しい気持ちがぶわっと広がったりしない。顔も見たくないのだ。見て欲しく……ないから。
 お父さんが私の口を塞ぐことを止めた。自分で言えということだろうか? 私の口で「虐められた。誰も私を好きになってくれない。だって人殺しだから」と言えと、そういうことなのか? お父さんが無言で命令しても、それだけは従えない。私は固く口を閉ざし、クロノと同じように顔を下向けた。
 いつまでたっても何も言わない私に、それを肯定と受け取ったクロノは「そうか」と何でもないように言った。「俺、知らなかったなあ」とぼんやり空の泣き顔を見上げていた。


「なのにお前、笑ってたのか。皆お前を嫌ってるのに、家の中でも虐められるのに、笑ってたのか。すぐ泣いて、すぐ笑って、時々怒って……色んなお前を俺に見せてくれたのか……」


 ぽつぽつと、小さく区切って言うものだから、クロノの言葉は大半雨音に混じってしまった。頭上で雷鳴が響いている。しぜんげんしょーでさえ、私を責めているようだ。分かりづらい言葉なんていらない。クロノも早く私を「この人殺し! わざと黙ってたな!」と責めてくれれば良い。反論なんてしないから、私が黙っていたのは、きっと本心では彼を騙そうとしていた、知って欲しくないから。私の嫌なところを知ったら彼は私を嫌うから……うん、わざと言わなかった。
 どうせ嫌われるなら、そう言われるなら早いほうがいい。クロノとの思い出ごと全部切り捨てて欲しい、でないと、こんな時でも私は楽しかった思い出に縋ってしまう。
 静かにクロノは私に近づいてきた。水溜りに足をつけて、ばしゃばしゃ音を立てながら。そして彼の手が私の頬に……当たった。でもそれは悪意のない、大切な物を触るような手つきで。今まで与えられた虐めとか暴力とかと真逆な……幸せすら感じる温もりを乗せて。


「ほらルッカ、平手だぞ。痛いだろ?」


「……え?」


「だから、お前の顔を叩いたんだって。痛いだろ? 泣けよ、痛かったら泣いてみろよ」


「い……痛くない、よ」


 クロノが何をしたいのか、私に何を言っているのか分からなくて私は喋らないと決めていたのに会話をしてしまう。クロノは「嘘だ」と私の意志を決め付けて、


「だって、顔が腫れてるよ。見えないけど、足も痛いんだろ。立ってるの辛そうだ。体中痛いのかな、とにかく泣けよ。ほら早く」


 そこまで言われて、私は新しい虐めだと理解した。無理やり泣けとは、確かに厳しい虐めだ。クロノは頭が良いから、他の子とは違いこうりつの良い楽しみ方を見つけたようだ。私には、何が楽しいのか分からないけど、人を虐めることが楽しい人にとっては、面白いんだろう。
 そこまで考えが至り、本当に泣きそうになってしまったけど、涙はこぼれない。泣きたいのに、私の体が拒否している。止めろ! と涙を無理やり押しとどめようとしている。そんな私に「はあ……」とため息をついて、クロノは私の肩を掴み、無理やり目を合わせてきた。何をされても、私は泣かないのに。次は本当に痛いことをされるのかなあ。


「泣けってルッカ」


「……やだ」何をされてもいいけど、それだけは嫌だ。理由は分からないけど、泣けと言われて泣くのは嫌だ。私の意志まで勝手にされるのは嫌だ。


「泣け!」


「やだ! 私だもん! 泣くのも笑うのも、私の自由だもん! 私に残った最後の自由だもん!」雨音にもゴロゴロ言う雷にも負けないくらいの大声でクロノの体を振り払おうとした。彼は私の力なんてものともしなかったけど。クロノは私の声よりもずっと大きな声で怒鳴った。


「そうだよお前の自由だよ……だから泣けって言ってるんだ!!」


 自由なら、泣く必要なんかないじゃないか。
 私の声を聞く前に、クロノが触れそうなくらい顔を近づけてきたから、驚いて飲み込んでしまう。


「ルッカが泣いたら、俺が慰める。頭を撫でて、泣き止ませようとしてやる! だから泣いて良いんだ、お前が泣けば俺が助ける。誰も助けないなんてこと、絶対無いから!」


「……私、を助ける?」


 ──クロノがいれば、私は私でいられる。それは、数日前に発見した私の大発明。私を心配してくれる、慰めてくれる人がいれば泣くことができるという、嘘みたいな理論──


「う、嘘だ! 私みたいなのを助けてくれる人なんかいない! クロノは嘘言ってる! 騙そうとしてる!」


「嘘じゃないよ! ルッカが痛かったら俺も痛い! ルッカが泣けば俺も悲しい! ルッカが笑えば俺も楽しい! 嘘だったらはりせんぼん飲んでやる!」


 ──泣くことに理由なんか無い。昔そんな言葉を聞いた気がする。それは正しいと思う。だって、悲しいとか、辛いとかは人によって『まちまち』だから。でも、泣く為に必要なものはあるのだ。一人では、人は泣くことなんてできない。自分にとってとても大切で、とても自分を大切にしてくれる誰かがいなければ──


「じゃ、じゃあ……かみさまに誓える? 嘘だったらこれからずっとお菓子食べないって言える?」


「ああ、それどころかかくれんぼも一生しないし、鬼ごっこも秘密基地を作ることもしない!」


「ず、ずーっとだよ!? もうずーっと甘いものを食べられないし、楽しい遊びとかもしたらいけないんだよ!」


「しつこいな、俺はルッカが大好きだ。それは絶対の絶対だ!」


 ──つまり、今私が泣く為に必要なピースは揃ったことになる。なら……もう、無理に我慢することは無い、ということだ──


「…………っ!」


 クロノの肩に顔を当てて、私は声にならない声を上げた。言いたいことは山ほどある。でも、それは言葉にしない。したらとんでもないことを口走りそうだから。きっと、後になって思い出せばそれこそ死にたくなりそうな恥ずかしい言葉をつらつらと並べそうだから、口を開かない。クロノも何も言わず、優しく、でもしっかりと手の温かみが分かる力加減で私を撫でてくれる。
 彼の存在が私を認めてくれる。彼がいるだけで、私に触れているだけで、「生きていいのだ」と言われてるみたいで……親に甘えるねこさんみたく、クロノにぎゅーってした。クロノも左手を背中に回してぎゅーってしてくれた。それが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。このまま死んじゃうんじゃないかなって思うくらいの幸福感。決めた、私が死ぬときはクロノに抱きしめられて死ぬことにする。幸せすぎて死ぬのだ。望ましいなんてもんじゃない。首を吊るなんてつまらない死に方はやだ!


「……おいおいクロノ、俺言ったよな? うちの娘に関わるなってよお。お前、いきなり話聞いてなかったのか?」


 お父さんが青筋を浮かべて、小さくとも暴力的な声を出した。
 今までの私なら、すぐに謝っていただろう。でも、今は怖くない。全然怖くない! 今度は、本当だ。隣に私の友達がいるんだから。本当の友達がいるのだから。
 クロノは私の背中をぽんぽんと叩いて、お父さんの顔も見る事無く「うるさいはげおやじ」と暴言。顔を真っ赤にさせた。


「お前どういうことか分かってねえな? そいつは悪魔だって言ってるんだよ……いや、本当の悪魔と違って見た目が普通のガキだからそれ以下だな!」


 胸をえぐる様な声も、私の耳には届かない。だって今の私に聞こえるのはクロノの心音だけだから。リーネ広場にやってくる楽団の演奏も、どんなにきれいで美しいピアノの曲も、この音には劣る。世界で一番落ち着けて、安心できる音だ。


「普通のガキ? 何言ってんのあんた。ルッカは見た目普通じゃなくて、すっごく可愛いだろ!」


「────っっ!!!」


 急にそんなことを言わないで欲しい。流れていた涙が一瞬で止まり、また一瞬で体が熱くなってしまう。やっぱり、私を殺すのは私じゃない、クロノだ。彼が私に触れているそれだけで天に昇りそうだった。
 何度か口を開け閉めしてから、お父さんは痛烈な舌打ちをした。それを見てクロノが新しい言葉を作った。


「あんた、何もかも間違ってるよ」


「ああ……? 間違ってるのはテメエだろうが!!」


「いいや、あんただ。ルッカが母親を忘れた? 友達に置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかった? ぜんっぶ的外れだ! あんたルッカの何を見てたんだよ!」お父さんのいあつかんを押しのけてクロノが堂々と否定した。


「ルッカはいつもお母さんの話をしてくれた。優しいとか、料理が美味しいとか、編み物が上手で私に毛糸の帽子をくれたとか、夜子守唄を歌ってくれて嬉しかったとか、分からない問題があれば丁寧に分かりやすく教えてくれたとか、一緒にお風呂に入れば悪戯でこそばかしてきて、それがとっても楽しいとか! お母さんの話だけじゃない、あんたの話も沢山してくれたぞ!」


「お、俺の話も?」お父さんが戸惑った後、クロノは頷いた。


「悪口とか、怖いお父さんだなんて一言も言わなかった! 発明が好きで、いつも研究室に閉じこもってるけど時々面白いものを発明して楽しませてくれるんだって、昔ねじ巻き式の動くロボットを作ってくれたって、嬉しそうに話してた! 大好きなお父さんなんだって、世界一のお父さんお母さんなんだって胸を張って自慢してたんだ! あんたはずっとルッカを嫌って、叩いたりしてるけどルッカはあんたを慕ってた! あんた……それでもこいつを悪魔だって言い張るのかよ! ルッカが悪魔なら、あんたは何だ? ただの最低な人間か? だったら俺は死んで悪魔に生まれたいな、俺はルッカと同じが良いよ!」


「……うるせえ……」


「父親なんだろ? あんたの愛した人と一緒に育ててきた娘を何で守らないんだよ!? 町で虐められてるのに、何で庇おうとしないんだ! それどころか、自分も一緒に虐めてるなんて何考えてるのさ!」


「うるせえよ! こいつが……ルッカが何もかも悪いんじゃねえか!!」


 お父さんが今度は手加減無しに思い切り拳を振りかぶり、私たちに放った。当たる直前にクロノが私を横に押したから、結果として殴られたのはクロノだけ。盛大な音に私は目をつむった。彼は……殴り倒されても、すぐに起き上がり「痛……くない!」と誰の目にも明らかな強がりを口にした。鼻血は出てるし膝もずるずるに擦り剥けてる、奥歯が折れたようで、口からぼとぼと血が垂れている。私でも、あんな勢いで殴られたことは無い。当たり所が悪ければ死んでもおかしくないような勢いで飛ばされたのに、クロノは怯えを一切見せない。


「うるさいじゃないよ! あんたが悪いのに、ルッカのせいにしてるんじゃねえ!!!」


「……あ」


 私とお父さんは同時に思い出した。お母さんがよく言っていた、私がよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳を嫌うお母さんの言葉。お父さんがよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳をするお父さんに向けた言葉。お母さんは、優しい人だけど、自分の非を誰かに擦り付ける事が大嫌いだった。せきにんてんかというものらしい。とにかく、お母さんはそのせきにんてんかをお話の中の魔女にそうするみたく、とてもとても憎んでいた。嫌っていた。
 それを誰よりも知っていたのは、私じゃなくて……きっと、私の何倍もお母さんを好きだった、お父さんだ。


「……嘘だ。お前、何で? ララの、ララの言葉だそれ。何でお前が言うんだ? 何でそれを俺が言われるんだ? なあ、何で……何で!!!」


 何で、どうしてとお父さんは何度も繰り返した。いつのまにか思い悩む顔が、私と同じ泣き顔になるまで時間はかからなかった。
 お父さんは、泣くことがない人だった。泣いたら、何もかも終わってしまうと疑わないように、必死に堪える人だった。お母さんが亡くなった時も、どれだけ苦しそうにしていても、泣くことだけはしなかった。
 ……そうか、お父さんもまた、慰める人がいなかったんだ。その役目を請け負う人が、お母さんだったから。私はそう成り得なかったのか……そうだよね、私、泣いてばっかりでお父さんがどれだけ辛いか、考えてなかったもんね。お父さんがどれだけ悲しいか、どれだけ泣きたいかが分かった時は……もう遅かったんだ。


「俺があんたに言ったのも、あんたが俺に言われたのも、あんたが分からない訳無いだろ? ……けど、あんたがそれを言われて泣いてる理由は子供の俺でも分かるよ」


 二倍近く身長が違うのに、なんだか泣いてるお父さんが子供で、それを見ているクロノが大人のように見えた。その感想は、今に限れば間違いじゃないんだと思う。
 間を置いて、クロノがたんたんとお父さんに答えを教えてあげた。


「あんたが、ララさんを好きだったから。それから……あんたはルッカだって、大好きなんだ」


 お父さんは、小さく「ごめん」と呟いていた。それが誰に向けられたものなのか、この場にいる私たちなのか、それともここにはいない人に向けたものか、まだ幼い私には分からなかったけれど……クロノがその誰かに代わって「まだ、遅くないよ」と語りかけていたのが印象的だった。






 その日、お父さんは自分の部屋にこもって私たちに顔を見せることは無かった。クロノには外はまだ雨も降っているし、家がちょっと遠いことから泊まってもらうことにした。殴られた時の怪我の治療もあるし、何より今日はクロノと離れたくなかった。
 ジナさんに何も言わずおとまりなんて良いのかな? と(帰らないでと言った私が言うのも勝手だけど)クロノに聞けば「母さんは俺が一週間くらい帰らなくても心配しないよ」と私にとっては信じられないことを言った。凄いなあ、うちのお母さんは私が三十分姿を見せなくても大騒ぎしてたのに。うちが特別なのかな? 普通の子は一週間くらいいなくても家族は心配しないのかもしれない。私はお家を一週間も出たくないな、どれだけ怖くても、私はお父さんと離れたくないもん。
 クロノのお泊りが決まって私はちょっとだけはしゃいだ。大はしゃぎではない。家にいる間中くっついたりなんかしない。トイレの時はクロノと離れていたから。お風呂は一緒だったけど。
 夜寝るときに一緒のベッドで寝ていいか提案した時「いいよ」と言われてもそりゃあ冷静なものだった。いつも一緒に寝ているくまのぬいぐるみより、ほんのちょっっっとだけ抱きついてたら安心できた。ちょっとだけ、あくまでもちょっとだけ。いやむしろ寝心地が悪かったくらいだ。その証拠に中々寝ることが出来なかった。もうクロノと一緒に寝るのはこりごりだ。仮にこれからクロノと一緒に寝ることがあっても、それは一年に十……二十……三……びゃく、日くらいが限度だ。百以下の日数は切り捨てよう。うん、三百日くらいがちょうど良い。六十五なんて一々言う必要も無いだろう。
 その夜、私は久しく見ることの無かった夢を見ることが出来た。人は、夢を見るのだと思い出した。





 朝起きて、私は隣でまだ寝入っているクロノを起こさないようにベッドから出た。気持ち良さそうに寝ているのだから起こしてあげなくても良いだろう、朝ごはんを用意してあげてからで充分だ。


「…………」


 今までクロノの手を握っていた手をぐーぱーして、何も無いことを確認する。なんだか、すーすーして落ち着かない。これもクロノが私の手を握ってきたのが悪い。いや、正確には握ったのは私だけど、クロノが寝言で「ふすー……」と言ったから仕方なく私が握ってあげたんだ。甘えん坊だなあ、クロノは。
 ……手が寂しいけど、それはどうということじゃない。早くクロノを部屋に残して下に行こう。私はお気に入りのくしで軽く髪の毛を梳いてから部屋を出た。


「……なんだよルッカ重いよ、もう朝?」


「うん、朝だよクロノ。早くおきよーよ!」


 階段を下りる前によくよく考えれば、朝ごはんの支度をクロノにも手伝ってもらえば早いことに気付いて私は部屋の中に戻りベッドの上に飛び乗りクロノを起こした。「むぎゅ」という声が可愛くて、それを聞けた今日の私はきっと良い事があると確信した。私以外の体温を右手に感じながら、私は今度こそ一階に下りた。


「朝ごはんは何食べよっかクロノ?」


「んー……睡眠」


「……食べ物じゃないよう」


 まだ寝ぼけた頭が起きていないクロノがだるまさんみたいに体を揺らしながら返事する。もっとちゃんと話を聞いて欲しいけど、リアクションしてくれるのが嬉しかった私は何度もクロノに質問をした。「卵焼きは半熟?」とか「パンは何枚? 何を塗る?」とか「歯磨きは私と一緒ので良い?」とか。最後のは却下されたけど。ちょっと、悲しかった。
 お料理も楽しかった。料理と言える様なものではなかったけど。
 冷蔵庫の野菜室からレタスとか、きゅうりを取り出したりドレッシングを机に並べたり、パンをトースターに入れたりクロノが作ったサラダやスクランブルエッグの乗ったお皿を持っていくのが私の仕事だった。ちゃんとご飯を作れるクロノを見て私はお料理の勉強をしようと固く誓った。確かお家の書斎にお料理の本があったから今日から早速練習しようと思う。


「ごちそうさま」


 私よりも量が多いのにあっという間に食事を平らげてしまったクロノは立ち上がって「顔洗ってくる」と洗面所に歩いていった。


「く、クロノ食べるの早いね。私も行く!」


「え? ルッカまだ食べ終わってないよ?」


「お、お腹いっぱいなの!」


 まだ食べたり無かったけど、一人になりたくない私は椅子を立ってちょこちょこクロノの後ろについていこうとした。でも、クロノは私を見て小さく笑い、元の席に戻ってしまう。「ルッカが食べ終わるの待つから、ゆっくり食べなよ」と言われて私は顔を赤くした。何で分かるんだろう、クロノは魔法使いなのかもしれない。魔女とかそういう悪い魔法使いじゃなくて、王子様みたいな魔法使い。お料理の本と一緒に王子様が魔法使いなんていう話の本が無いか後で探してみよう。
 ゆったりとした時間が流れた。クロノは微笑みながら私がパンを齧る姿を見ている今は、とても幸せなんだろうとしみじみ実感した。こんな毎日を私は絶対に続かせてみせる。これ以上の幸せなんて世の中にありっこないのだから。
 口をモグモグ動かしていると、クロノの顔が少しだけ歪み、また元に戻った。何か見つけたのかな? と思って私が後ろを振り返ると……扉を開けてリビングに顔を出したお父さんの姿。顔は少しやつれて、おめめが腫れあがっている。昨日、ずっと泣き続けていたんだろうな、見ただけで分かった。
 お父さんが床をスリッパで鳴らして机に近づいてくる。私はまた大きな声で怒られるのかと思いびくびくしていると、予想に反してお父さんは私じゃなく、私の前に座るクロノに話しかけた。


「おいクロノ。昨日はよくもやってくれやがったな。絶対許さねえぞ」


 言葉遣いは乱暴だけど、お父さんの声は優しいものだった。いつもの……昔の、荒っぽくても世界一頼もしくて楽しいお父さんの声だった。
 もう一度顔を見てみると、目は腫れてて元気そうには見えないけど、つきものが落ちたみたいな、さっぱりした顔つきだった。


「俺? 昨日は色んなことをしたけど、何が気に障ったのあんた」


 よく聞いてくれたな、と言いたげににや、と笑ってお父さんは自信満々にクロノを左手で指差して、右手を私の頭にぽん、と乗せた。私を怖がらせるようなものでない手つきは、本当に昔に戻ったみたいで、びくびくが消えた。


「忘れたのか? お前、昨日俺の娘に平手喰らわせやがったろーが。責任取りやがれ!」


「……おとう、さん?」


 喉から、掠れた声が出てしまう。だって、冗談交じりに言っているけれど、その言葉はどう考えても私を案じてくれているものだったから。悪意無く『俺の娘』と言ってくれたから。
 お父さんの言葉を聞いて、クロノはけらけらと笑った。「良いよ!」と元気良く返事をしたことで、お父さんも笑い出した。この場についていけてないのは当事者の私だけだ。


「じゃあお前はルッカの友達だ。何があってもずっと友達だ! いつでも家に来い、大歓迎してやるさ!」


「へへへ、分かった。よろしくねおじさん!」


「ようやくあんたからおじさんか。ったく礼儀のなってないガキだぜ!」


 お父さんがクロノの頭をもみくちゃに撫でる。髪型がおかしくなるだろー、と文句を言いながら、クロノは楽しそうだった。お父さんもまた、それに輪をかけて楽しそうだった。
 ──夢じゃないんだよね、これ。本当の話なんだよね?
 お父さんが笑ってて、私に大切な友達が出来て、私を大切に思ってくれる。普通の人なら平凡なことだと笑うかもしれない。でも私にとっては天上のような幸せ。ちょっと前に汗だくになって、町外れの木の下まで歩いていたのが嘘みたい。私は二人に釣られて笑った。あんまりにも笑い続けているから、おかしすぎて涙が出てきた。この一週間で、私はどれだけ泣いているのだろう。涙が枯れないのは、やっぱりりふじんだ。でも……悪くない。だって、私を慰めてくれる人が今ここに二人もいるのだから。


「ああ……生きてるって、楽しいな」


 涙を拭き取りながら、慌てふためいているお父さんとクロノに当たり前のことを言った。
 その後、クロノが自分の家に帰った後で、お父さんが私に約束した。もう私を泣かさない、暴力も振るわない。ずっとお前だけの味方でいてやると言ってくれた。その約束を、お父さんはその日の内に二度も破ってしまった。一度目はその言葉を聞いて私は飽きずにまた泣いてしまったこと。二つ目は私が料理を作ろうと思っていたのにお父さんが先にごーせーな晩ごはんを作ってしまったこと。でも私より悲しそうな顔でおろおろするお父さんは可愛かった。
 その日、お父さんは頼りないなあ、とぽろっとこぼしてしまいお父さんがしゅん、と俯いてしまった時なんかお腹をかかえて笑ってしまった。
 夜になって、クロノがいないベッドで寝るのが寂しかった私はふと、クロノと出会った日を思い出していた。何で私は、出会って間もないクロノの前で泣いてしまったのか?
 泣く為には私の為の誰かがいなければ泣けないはずなのに。その時の私とクロノはまだ友達じゃなかったと思う。だって、まだちゃんとお話もしてなかったのに。考えれば考えるほど分からなくなって、私は使い勝手の良い理由を思いついた。


「……きっと、うんめいってやつだよね」


 ロマンチックな解答に、気分が良くなって私はすやすやと寝息を立てることに成功した。
 王国暦988年。私は誰よりも幸福な女の子だった。




















 『ルッカ、現在の性格に至る切っ掛け』




 お父さんと和解してからさらに一週間が経ったある日のこと。近くの海辺で魚を釣りながら私はクロノにふとした疑問を投げかけた。


「ねえクロノ? クロノって、好きな女の子のタイプってあるの?」


 なんの考えも無いほんとーにちょっとした疑問。別に答えられないなら答えないで一向に構わない意味なんか全然これっぽっちもありはしないつまらない質問。興味なんかないけど、暇だから聞いてあげようかな? くらいのすっごくどーでもいい疑問であって……もういいから早く答えて欲しい。


「俺の好きなタイプ? ……うーん」


 クロノはむむむ、と考え込んでしまった。まだ私よりも年下の彼にそんなものがあるのかどうか分からないが……普通に考えればそんなことを悩むような年齢じゃないか。変な事聞いてごめん、と言う前にクロノは閃いたように指を鳴らした。


「俺、結構ゆーじゅーふだんなんだって。母さんが言ってた。だから、俺を動かしてくれる強い女の子が良いな!」


 母親にの言葉を真に受けるとは、やっぱりクロノはお子様なんだなあと餌の取替えをしながら思った。強い女の子かー。関係ないけど、私はきっと強い女の子なんだと思う。もうお家の中でクモさんを見ても三回に一回は泣かないようになったのだから。未だにその一回が来ないのはお父さんが言うところのかくりつのもんだいなんだろう。


「……ねえクロノ。私は強い女の子だと思う?」不安になったわけじゃないが、私はちょっとドキドキしながら聞いてみることにした。クロノは一度不思議そうに首を倒した後、笑いながら答えた。


「ルッカはか弱い女の子だろ? 可愛いじゃん」


 か弱いとか、可愛いとか、いつもなら喜んだかもだけど、私は全く嬉しくなかった。泣きたくなるくらいに悲しい気持ちがぶわっと溢れてきた。それらが目から流れ出す前に、私は思いっきりクロノの顔を叩いて家に走って帰った。顔をはたかれた時のクロノはぼ-ぜんとしていたけど、今の私の顔はクロノにだけは見られたくないから振り返る事無く走り去った。
 家に帰った後、夜になり、私は研究室にいるお父さんに「強い女の子ってどんなの!?」と詰め寄った。お父さんは何故か腰を引きながら「ど、どうしたんだルッカ?」と怯えている。まどろっこしくなった私は近くにあったスパナで机を叩きながら「どんなのーー!!!?」と喚きたおした。そうして、ようやく答えを得た。肉食系の女の子なんじゃないか? とのことだ。私は明日クロノと会うに辺り準備をすることにした。


「おはよールッカ!」


 昨日意味不明な別れをしたのに、クロノは気にする事無く私の家のチャイムを鳴らし遊びに誘ってきた。玄関のドアを開けて、私はおもむろに鞄に手を突っ込み恐竜の帽子を取り出してかぶり「がおーっ!」と両手を上げた。お肉を食べる生き物で一番強いのは恐竜だからだ。これで世界で一番強い女に私はなったというわけだ。偶然にも今の私はクロノの好みにストライクな女の子なのだ。別に部屋から取り出してきた訳なんかじゃ無くて、たまたまかぶりたかっただけなのだ。


「恐竜なの? 可愛いねルッカ!」


 肉食系でとっても怖い恐竜の私を可愛いだと? これはてんちゅうを下さねばなるまい。私は思いっきり、もう百キロくらい突き飛ばすような気持ちでクロノに体当たりをした。私の強さを思い知ったに違いない。クロノは怯えながら「よしよしー」と私の頭と背中を撫でている。降伏するといういしひょーじだろう。その後私たちは手を繋いで新しい遊びを見つけに歩き出した。今日のところは私の強さを見せるのはやめてやろう。でも、これからも私は強い女を目指して生きていく! 十年くらいすれば、私はもっともっと強くて魅力的なれでぃーになることだろう。










 かくて、弛まぬ努力を続けた結果ルッカは自分が思い描いた男よりも強い女になることができた。
 強いのベクトルが明後日に向いていたのは、言うまでも無い。
 だが、彼女が理不尽でクロノに虐待に近いような暴力を振るい出した要因はクロノ本人の考え無しの発言であるのは間違いが無かった。
 物事をよく考えて口に出せという教訓である。ちなみに、幼少期のクロノがこのか弱くて可愛らしい女友達と大きくなれば結婚して一生守ってあげようとか考えていたのは、今の大きくなったルッカが知るにはあまりに酷な真実であろう。



[20619] 星は夢を見る必要は無い第二十六話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e
Date: 2011/01/29 06:01
 ルッカの独白が終わり、長い息を吐いた。長い話だったこともあり、疲れたのだろう。それと同時に、彼女の回想が終わったことを知る。俺は……何を言うべきかを掴めずに、「そんなこともあったな」なんて、気の利かない言葉を呟いた。


「ごめん、長くなったわね。でも……多分これが私のルーツだから、省いたりできなかったの」


「いや……なんていうかその……何を言えばいいか、分からないけど……」


 戸惑う俺をルッカはクスクス笑って、「落ち着いてよ」と宥めてくれる。この場合の宥めるは、正しいのか分からないけど。これが気を利かせるってことなんだろうな、と思った。


「その頃の私は、クロノに頼ればなんとかなる、助けてくれるなんて馬鹿みたいに思ってたけど、違うよね」


 一呼吸いれて、ルッカはなおも続ける。


「もう、子供じゃないもの。大人でもないけど……私もクロノも、頼るばかりじゃいられないのよ」


「……俺だって、ルッカを頼ってる。誰かの助けを当てにするのは、悪いことじゃないだろ」


「言い方が悪かったかしら。頼り切るのが悪いのよ、悪識と言って良いわ」


 その定義が分からない。頼ると頼り切るの違いは何処だ? 何をどこまで求めれば過剰になるのか、俺には分からない。それはルッカにも分かってないんだろう。彼女は俺の言葉に囚われてそう思ってるだけだ。
 ……でも、彼女がそう思っているなら、その考えには抜け道がある。


「……頼るってさ、際限無いよな。一度溺れれば、抑えなんて効かないんだから」


「……そうね、私がそれよ」


「最後まで聞けよ。助けてもらうってことは耐え難い幸福なんだとおれは思ってる。信頼に近いそれは、一度味わえばきっと……抜け出そうなんて思わない、普通はな。そこから出ようとするルッカは……凄いよ、やっぱり」


 聞け、と言ったからか、ルッカからの返事は無い。ちょっとは反応があるかと思っていたが、好都合だ。でも、それは俺の言葉に従順になっているだけで、喜ばしいものでもない。そんなの、俺の知るルッカじゃない。


「……だけど、俺には耐えられないんだ。俺は弱い人間だから、誰かを頼りたい。誰かに助けられたい。そう思うのは、勝手なことだと思うか?」


 お前の番だ、とドアを軽く叩いて彼女の言葉を引き出す。時間を置いて、薄い声がぼんやりと届いた。


「クロノは良いんじゃない? あんたは誰かを助けてる。なら、等価交換よ、その分誰かに助けてもらっても許してもらえるわ」


「ルッカだって俺を助けてる」


「助けてない!!」


 言い終わる前に、金切り声を出されて息を止めてしまう。緊迫したそれに、俺の言葉に従っていたわけではなく、沸々と暗く重たい気持ちを忍ばせていたことを知った。……爆発寸前、だったのか。
 まだ、ルッカの叫び声は途絶えない。一度破裂した風船は、内包する空気を全て吐き出すまで止まらないように。


「私はクロノを助けたことなんて無い! それは……それはあんたの勘違いよ! 全部私のためにあんたの手助けをしただけ! 純粋な善意なんて無いの! 私を見捨てないで、私に飽きないでって、それだけの、下心しか無い醜い行為があんたの言う『俺を助けた』よ!」


「違うだろ……いや、そうだとしても、俺がルッカを助けたのだって下心だ!」


 ルッカは狂ったように笑って、扉に強い衝撃を与えた。恐らく、誰にも当てられない自分の我慢や、不満を蹴りに乗せて。


「じゃあ何、あの時私を助けたのも下心なの? まだ小さいあんたが私を抱きたかったの? それとも、私を助けたっていう事実が欲しかっただけ? 自分は女の子を助けたって英雄思考に浸りたかったの?」


 あまりに俗物的で即物的な答えに考えが飛ぶ。ルッカがそんな言葉を使うのは、今までで初めてのことだったから、そりゃあ戸惑うさ。彼女の痛みを伴う慟哭に酷似した叫びに、足の指を丸め耐えようとした。


「……っ! 違うだろ、俺はただ友達を助けたかっただけだ! でもそれだって俺がお前を助けたいって欲からきたものだよ。下心には違いない!」


「下心……ね」情緒不安定、正しく彼女はその症状になっていた。数瞬前とは一転して、酷く落ち着いた声音。気が狂ったような甲高い声からの変化は劇的な変化というよりも、誰かと入れ替わったよう。今俺の目の前にいるだろう女性が果たして俺の知る幼馴染なのか、確信できないほどの変わりようだった。


「ほら、やっぱり私とは違うわ。私にはそんな事できない。私は誰より自分が好きだから、友達なんてものに自分を賭けれない! まだ子供なのに、村の子供たちや大人を敵にしてまで守りたいなんて全然思わない、思えないもの!」


 文の繋がりが滅茶苦茶だ。今のルッカはまるで思考が整ってない。思ったことを正確に並べずただ外に出しているだけの、獣染みた叫び。聞いている側にも深く傷を残すような悲鳴が体を通過する。
 ……でも、俺はそれに耐えないといけないんだ、俺が気丈な彼女を壊してしまったなら、元に戻すのも俺で然るべき、そうだろ?
 何より……もう、辛い。彼女が言葉を重ねるたび、本当の気持ちを教えてくれるたびに、俺の嘘が浮かび上がってくるから。


「……やっぱり、俺もルッカと同じなんだ」


「だから、違うって……」


「同じなんだって! 俺だって自分が一番大事だ! 俺が言うんだ、間違いねえ!」


 そう、間違いない。俺はいつどんな時でも俺の為に動いてる。俺の命が一番大事だし、俺の生き方に反するものには触れたくない。それは絶対だ。
 ゼナン橋でも、俺は自分の命を優先した。結果がどうであれ、俺は戦うことを放棄した、仲間や騎士団よりも己の安全を第一に考えた。魔王との戦いでも、命乞いを計ろうとした、アザーラたちに死んで欲しくない俺の我侭で大地の掟を無視しようとした! 誰よりも自分が大事っていうなら、俺の方がよっぽどそうだ。だから俺は……


「ルッカを……助けるんだと思う。俺にとってルッカは、自分を犠牲にしても助けたいから」


 大体、前提が狂ってるんだ。過去に俺がお前を助けた? 馬鹿げてる。それは、あくまでお前視点の話じゃないか。
 毎日毎日、ルッカの家に遊びに行ったのは何でだ? 他の子供たちが集まってサッカーや鬼ごっこなんてしてる時に、何でわざわざ一人の女の子とずっと遊んでいたのか。俺だってルッカと同じだからだ。大人たちにはルッカ程は嫌われてなかったけれど……薄気味悪い子供だと言われて挨拶も返してくれなかった。俺と同じくらいの子供たちには唾を吐きかけられた、遊びに誘ってくれることなんて一切無かった。幼少時代に孤独だったのは、俺も同じなんだ。
 そんな時……ルッカと出会った。最初は……暗くて、気持ち悪い奴だって思ったよ、友達なんて普通ならお断りだって思うくらい。
 ……口になんて出せないけど、俺はルッカが好きじゃなかった。いつもいつも遊びに誘ってたけど……本音で言えば他の明るい男の子や女の子と遊びたかったんだ。でもルッカ以外に俺と関わってくれる子はいなかった。『仕方ない』からルッカに構ってただけ、彼らが掌を返して俺と遊んでくれれば、きっとルッカのことなんてすぐに忘れたんだろう。
 ……タバンさんの時も、彼女が言うような、またさっき俺が言ったような友達を助けるのは当たり前なんて高尚な理由じゃない。ルッカが壊れれば、また俺は一人になるのかって焦っただけだ。一つしかない玩具を取り上げられたくない一心で啖呵を切っただけだ。それだけの為に体を張ったまでのこと。
 ……そりゃあ守るさ。一人は辛いから。母さんが仕事から帰ってくるまで、誰とも話しかけられないんだぜ? 朝から夕方まで一人遊び、母さんが帰ってくれば偽りの友人関係を語って見せて、「あんたは友達を作るのが上手いねえ」なんて言葉を身を切るような思いで受け取って。地獄ってのはきっと孤独でいることなんだと疑わなかった。


(俺は……最低だ)


 彼女は本心を言ってくれた。なのに俺は……自分を良く見せたいなんて欲から綺麗な言い訳を用意した。『オマエヲタスケタイカラ』……素晴らしい人間だよな。反吐が出るぜ。
 ……だけど、ここからは俺も本心だ。偽りなんか無い。


「……助けてもらったのは、俺の方なんだ」


「……何の話よ」


「小さい頃の話。お前がぴょこぴょこ俺の後ろを着いてきて、何をするにも俺から離れなかった時の話」


 ああ、と納得してから、ルッカは黙り込んだ。その時の自分も俺に頼り切ってたと勘違いしてるのか。


「……俺がどれだけ、救われたか」


「え?」


 皆、誰も俺を見てくれなかった。鉄棒で誰よりも早く逆上がりが出来たのに、拍手も驚きの声も嫉妬の声すら無かった。俺はそこにいるのに、皆はまるで空気を見るような目で俺を透かしていた。そんな時……彼女の俺を信頼している動作、その一つ一つが俺を見つけてくれていた。鏡を見るより明らかに俺は自分を認識できた。
 それが……どれだけ嬉しいか、途方も無い喜びを分けてくれるのか、分からないだろう? お前が俺を頼ってくれることで、俺は俺を思い出せたんだ。お前を助けたことで、お前以上の幸福を得ていたんだ。いつのまにか、うざったいと思ってたお前は、俺を認めてくれる唯一の、神様のような女の子になってたんだから。


「ルッカが隣にいてくれれば、俺は無敵なんだ。お前の声が聞ければ俺は何処までも飛べる。お前の存在を認識できれば、俺は何でも倒せる。嘘じゃない。それは、絶対の絶対だ!」


 過去の話をされて思い出したルッカとの誓い。俺よりも鮮明に覚えているだろう彼女は、あっ、と吐息を溢した。


「頼むよルッカ。過去の自分を切り捨てないでくれよ。でないと、俺が消えちまう。俺が死んでしまう」


 話していると、自分の頬を涙が通っていた。みっともないことに、俺は彼女に懇願しているのだ。泣きながら、喉をひくつかせて、何処にも行かないでと、母親に駄々をこねる子供のように。彼女はきっと、母親よりも俺を見つけてくれた人だから。


「……私が、クロノの近くにいていいの? 迷惑……じゃないの?」


「迷惑じゃない。そんなこと、思う訳無い。思いたくても、出来ない」


 実験と称して痛みを与えても、失敗確定の危なっかしい機械に乗せられても、彼女から離れなかったのは……誰より俺が、離れたくなかったから。大きくなって友達が出来ても、大人たちと笑いあうようになっても、俺を救い出したのはルッカだけだから。


「……私、多分またあんたを頼るわよ? と……時々泣いてあんたを困らせるわよ?」


「頼ってくれ。でないと俺もルッカを頼れない。後者に関しては安心してくれ。俺が隣にいれば、ルッカをもう泣かせたりしない。それは……」


「絶対の絶対、なのよね?」


 新しい約束を取り付ける前に、目の前の扉が勢い良く開いた。
 流石は空に浮かぶ都市だ。粋な演出をしてくれる。
 だって、扉の先には涙を流している女神が、俺に微笑んでくれていたのだから。


「ああ。嘘はもう飽きたからな」


「……ばーか」


 飛び込んできた彼女の体は軽く、守らなければいけないものだと、深く感じた。
 もう、一生彼女を泣かさない。守り続けてやるさ、例え星が相手だろうとも。








 星は夢を見る必要は無い
 第二十六話 絶対の絶対────








 無事ルッカと合流することが出来た俺たちは、カエルの元に戻ることが出来た。無愛想な子供の姿はもう無く、探す必要も無いので放置。
 カエルは再起不能だろうと思われたので(何を話しても「ヴェダスロダーラ」しか言わないことには多少の危機感を抱いたが)時の最果てからマールとチェンジ。交代の際、マールから「いい加減僕を呼んでくださいっ! ってロボが言ってたよ」と聞かされたが、却下。最近になってロボを夢で見なくなったんだ。しばらく距離を置きたい。


「マール……あの、イオカ村ではごめんな。俺目が覚めたから。心配させて悪かった」


「いいよ。むしろ、クロノが何でもない顔で歩いてたら殴ってたし」


「……怖いな、そりゃ」


 俺は、本当に恵まれてるよな。
 さて、これからどうするべきだろうかと悩んでいると、ルッカが有力な情報を手にしていた。なんでもこのジール宮殿には魔神器というラヴォスエネルギーを増幅させる機械があるそうだ。まさか、ラヴォスと繋がるものがこんな所で見つかるとは思ってもみなかったので、有難い。頭の弱い女や自意識過剰な男と遊んでいるうちに重要な情報を手にしていたルッカに「やっぱりお前に頼り切ってないか俺?」と呟いてしまうのは御愛嬌。
 早速ルッカ案内の元、魔神器の間に向かうことにした。同じ建物内にあるだけ、ルッカの部屋を出て五分と経たず着くことができた。
 蛇足だが、何故か住人の皆様方から声援と「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」と、おめでとうの嵐だった。ルッカと俺が感動の再会、もしくはプロポーズ成功の瞬間を迎えたと勘違いしているのだろうか? まあ、互いに泣きながら抱き合ってたらそう思われるものかな。隣で母に有難う、父も有難うとかマールが漏らしていたのがなんだか、メタだなあと思った。


「貴方たちは……もしかして、この魔神器を見に来たのですか?」


「それ以外に何があるのか」


「……これを言うのが私の仕事なので、怒らないで欲しいです……」


 奇天烈な仕事もあったもんだ。
 魔神器の間にはボディーチェックや金属検査なんてものはまるでなく、見張りの兵士一人すら立っていなかった。それも分かる。魔神器からは身を焼かれそうな膨大に過ぎるエネルギーが溢れていたからだ。傷を付けようと不用意に近づき過ぎれば体ごと消滅させられてしまうかもしれない。
 魔神器は人型を模した巨大な機械だった……もしかしたら、機械ではないのかもしれない。その疑問の根拠は部屋に満ち満ちている生命力。今この瞬間にも目を見開いて動き出すのでは、と錯覚しそうになる。正確な大きさは二メートル強から三メートル。巨大と言うには些か小さいが、そう表現しても無理は無いだろう。目で見えない大きな存在感が確かに放たれているのだから。材質は見当もつかない。金色と藍色、そして黒の発光が放射線状に作り出されていて、元の色を知ることすら不可能。今ここでソイソー刀を振りかざしても傷一つ付かないことは確信できるが。
 そして、魔神器の恐ろしさは、ただ増幅するというだけでなく、際限無いのだ。怖いほどの魔力が集められているのに、瞬きすればまた信じがたい魔力が集束されていく。今この魔神器の魔力を解放するだけでジールの大陸全てが吹っ飛ぶだろう。下手すれば、地上にも甚大な被害が……と思えるほどに。


「……クロノ」


 マールが不安げに声を上げるので、振り返ると、何の意味があるのか分からないが彼女の胸元が光っていた。正確には、彼女のペンダントが、だが。


「なんだそれ? 発光ダイオードでも塗ってたのか?」


 小さくボソボソと呟いた後、マールは顔を上げた。聞こえたぞ、確かにお前「死ね」って言っただろ。


「私のペンダントが、共鳴してるの。多分、この魔神器に」


 マールの発言を耳にして、最初子の部屋に入った時に無駄な質問をしてきた女性が驚いて近づき「それは、サラ様のペンダントと似てますね……」と話しかけてきた。サラと言えば、人の顔を生クリームでデコレーションしてくれた無礼な女のことか。
 サラはいつも自分のペンダントにこの魔神器の光を当てているのだとか。なるほど、やっぱり頭の悪い女のすることは良く分からん。


「何かの験担ぎか? そんなことはどうでも良い。この魔神器について……」


 目の前の女性がまた悲鳴を上げるので何事かと見てみればマールがペンダントを魔神器の光に当てている瞬間。迷わず実行する彼女のアクティブ加減にはもう慣れた。案外、マールはサラの子孫か先祖なのかもしれない。嫌だなあ。
 何をしているのですか!? とマールに詰め寄ろうとする女性を抑えて魔神器について再度聞いてみる。それどころではないと騒いでいるので閃光のデコピンを行使したところ素直に教えてくれた。暴力とは場合によっては有効な交渉手段だと俺は深く心に刻み込んだ。
 思わずはたき倒したくなるくらい話が長かったので、部分的に割愛しながら話せば、『魔神器を使ってこの国の女王ジールは永遠の命を手にしようとしている』『それに反対した三賢人の一人が行方不明になった』『サラだけが魔神器を操作できる』『魔神器を海底神殿という場所に移せばラヴォスから力を得ることが出来る』『最近やってきた預言者とかいう人物が怖くてウザイ。クールっぽく振舞ってるけど目がサラを追っていてキモイ』『アルフォ○ドは美味い』という割愛しても長いことこの上ないので、はたき倒した。俺、悪くない。


「……こうなりゃ、ここの女王に会って話を聞くべきか? いきなり会ってくれるとは思えないんだが……」


「だからって、このままぼーっとしてるわけにもいかないでしょ。特攻あるのみよ」


「はあ……ルッカならそう言うと思ってたよ」


 悩むまでも無く方針を叩き出したルッカがえらく頼もしい。やっぱり縋っているのは俺の方じゃないか?
 女王のいる部屋の場所を聞いて、魔神器の部屋を出る。魔神器自体に意思は無いと理解していても、視線が背中を這っているようで落ち着かなかった。


「あれ? もうここ出るの? 面白いよこの機械!」


 俺にとっては恐怖の塊でしかない魔神器も、彼女にとってはアトラクションだったようだ。凄いなマール、今度怖い映画を見るときは彼女を誘おうと心に決めた。台無しになる可能性も否めないが。






「神とは! 時空を超越し万物を操るとされる駄神のことである! 嘆かわしいことよ、まずもって下らぬ! それに比べ見よこの御美しい御姿を! 猛る口は何者も噛み砕かんばかり、神話の世界を喰らう神獣の如し。天を衝く強大で巨大な棘はありとあらゆるものを貫くだろう! ああ、素晴らしい! 妾幸せで飛びそう」


「………………」


「ぬ。何者じゃ御主等!? 妾は浮遊大陸にして魔法王国女王、ジールである!」


 十何代目塾長的なノリで自己紹介をしてくれるとは、中々親切ですね。
 ……時を戻そう。魔神器の間を後にした俺たちはとかく、女王に会って話を聞くべきと判断し、宮殿を歩いて女王の間を探した。中に入る前、不可思議な扉が俺たちの行く先を止めるという事態があったものの、マールのペンダントが光りだし難なく先に進むことができた。ルッカの話では、魔神器の光に当てたことでペンダントに不思議な力が組み込まれたのではないか、と仮説を立てていたが、確証は無いので『不思議扉』だったと結論付けた。我ながら素晴らしいネーミング。
 さて、女王の間に入ることに成功した俺たちが見たものは、三十後半から四十後半程の、所謂お肌の曲がり角に両足を入れているオバサンが台座に足を乗せて何かを力説している姿。口を動かすたびに揺れる冠が嫌に哀愁を誘っている。何故、荘厳たる装飾品の自分がこんなサイコさんの頭の上に乗らねばならんのかと泣いているようだ。
 装飾過多とも言える豪華な衣装を纏っているそのオバサンが、認めたくは無いが……ジール王女なんだろう。テンションが怖い、テンションが。


「……女王、奴らが私の言っていた者たちです」


「ぬう!? 妾が話しておるだろう、引っ込まんか預言者!」


 何やら女王の耳元でごそごそ話していた黒いローブを頭から被っている男がぶっ飛ばされた。目にも止まらぬ裏拳とは、まさにあれだな。マッハ5くらいの拳速だった。聖闘士の資格は充分あるというわけだ。
 きりもみ回転しながら飛んでいった黒尽くめの男はだくだくと流れていく鼻血を手で押さえながら、再度女王に近づき「……あれがこの国に災いを齎せる者たちです」と今度は俺たちにもはっきり聞こえる声音で報告していた。内容は聞き捨てならないが、それ以上に根性あるプロ精神というか、それに感動して俺たちは見送った。一瞬爆発するような魔力の集束を感じたが、気のせいなんだと思うが吉。


「何だと!? それを早く言わんか預言者!」


 女王の光速に限りなく近い肘打ちにより低空飛行の、野球で言うライナーのように宙を飛びながら壁に突き刺さる男。二点目ゴォォォーーール!!!
 横からキャッキャはしゃぐ女の声が聞こえたので視線を向けると、典型的スイーツであるサラが両手を叩きながら目の前で繰り広げられているコントに拍手を送っていた。これもある意味飛んで言った男からすれば屈辱だろう。よって、ハァァァッットトリィィィッック! 達成!


「ダルトン! ダルトンはおらんかや!? この役立たずの預言者は役に立たん! この侵入者を始末せえ!」


 自分で再起不能にしておきながら役立たずと断じるジールは身勝手にも怒りの符号をこめかみに付けてダルトン──黒鳥号で会った変人だろうか──を呼んだ。待って、まだ状況を把握してない。こちとら完全に置いてけぼりなんだから。
 目をぱちくりさせながら何も言えず突っ立っていると、天井の何も無い空間から芝居がかった仕草で男が現れる。その姿といい立ち居振る舞いといい、確かにカエルに告白紛いの馬鹿をやらかした男だった。「髪が乱れた。俺としたことが十年に一度の失敗だ」と聞きたくも無い独り言を呟きながら俺たちを見据える。


「妾は埃を吸いとうないゆえ、この場を離れるが……彼奴らをどうするか、分かっておるな!?」


「お任せ下さい女王様。俺の美しさでこいつらを骨抜きにしてやりましょう」


「妄想はええ! 行くぞサラ!」


 あの人瞳孔閉じないなあ、と人体の不思議について考えていたら、女王は壁に突き刺さり動かない男のケツに蹴りを入れる遊びに夢中のサラを引き連れてその場を去った。その際にサラが「ああ! あの赤い人は私の生涯のライバル!? 母様離して下さい、私はあの人と決着をつけなくてはなりません!」とのたまっていた。勝手にライバル認定するな、ジャロに訴えるぞ。
 ……ていうか、あのアホ女のサラって女王の娘だったなそういえば。その娘さんの言葉に女王は一切取り合う事無かったが。慣れてるんだな、多分。愛らしいといえば愛らしい透き通った声でサラは泣きながら退場した。


「や……やばいぜルッカ、マール。これっぽっちも状況が分からねえ! 頭が腐乱しそうだ!」


 俺のSOSにルッカとマールは顔を逸らした。彼女たちも頭の整理に手一杯なのだろう。そりゃそうだ、女王から話を聞く前に誰だか分からん男がその女王によってぶっ飛ばされ、サラは喜び変態登場、女王並びにサラ消える。俺たち侵入者扱い。もう、何も掴めない。何も分からない。孔子様でも分かるめえ。
 何も出来ずうろたえていると、そんな俺たちにダルトンが鳥肌が立ちそうな笑顔で俺に近づいてきた。


「おっと、何が言いたいかは分かってる。安心しな、お前らは別に悪意があってここに来たわけじゃねえんだろう?」


 今すぐ戦うのか? と思っていた俺は思いのほか柔らかい声に驚き、肩の力を抜いた。ぽんぽんと俺の腕を叩いて、まるで俺たちの来訪を心待ちにしていたような素振りである。最初は頭がアレなナルシストなのかと思っていたが、話の通じる人間なのかもしれない。知らず、俺は安堵した。


「良かった。あのオバハンよりもあんたは話せそうだ。実は……」


「俺の為に新しい女を紹介しにきたんだろう? 全く、お前は良く出来た子分だ!」


「……分かった。この国は今すぐ滅んだほうが良い」


 俺の言葉には耳を傾けず、小躍りしながらマールとルッカに近づくダルトン。久しぶりだな、ルッカが人間を怯えた目で見るのは。マールは無意識かもしれないが、背中の矢を一本取り出していた。コンマ二秒で彼女はダルトンを貫けるだろう。


「ハハハハハ! 今日の俺はなんて素晴らしいのか。女神に会うだけではなく、その上ダルトン帝国の嫁が二人増えるとは! さあ女共、俺に叫べ! 『私たちの恥ずかしい所を見てください』と!」


 ──同時攻撃、というものを知っているだろうか?
 それだけ聞けばそれほど技術が必要なものとは思わないかもしれない。だが、それは大きな誤りがある。
 例えば、路上で喧嘩をしたとしよう。二対一だ。二人で一人を殴ろうとすれば、それは同時攻撃か? いや違う。性格には時間差攻撃となるだろう。AがCを殴り、Cがよろめいた所にBが攻撃を仕掛ける。よろめいたというタイムラグがあるため、それは同時ではないのだ。
 ……無駄な説明はもう省くが、同時攻撃には洗練された技術が必須ということだけ分かってもらえればそれで良い。それも、合図無しに行うのは至難の技であることも分かりきったことだろう。
 彼女たちは、それをした。ルッカは男に無詠唱のファイアを。マールもまた無詠唱のアイスを、寸分の狂い無く同時にダルトンに放ったのだ。
 炎と氷。本来ならば、互いに相殺しようものだが、彼女たちの相性なのか、はたまた同質の感情を抱いていたからか、理由は分からない。二つの魔法は融合し、新しい魔術が生まれた。焔は唸りを上げてダルトンを包み込み、その空間一体を時を止めるような冷気が覆う。急激な温度変化は対象を崩し去るだろう。これは……そうだな、爆発するような轟音が絶えず鳴り響くことから、反作用ボムとでも名づけようか。


「……えげつな」


 確かに、礼儀やらデリカシーやら欠片も無い下劣な言葉だったとはいえ、人間相手に使って良い呪文じゃ無いと思うんだが……確実にダルトン死んだんじゃないか? 跡形も無く。
 とうとうパーティーから殺人者が出たか、と悔やんでいると、濃密なエネルギー体が俺の顔を通り抜けた……反撃の魔法か!? 攻撃を喰らってる最中にそんな真似が出来るのか!
 すぐさま刀を抜いてダルトンが放っただろう攻撃を見届ける。直線に飛ぶエネルギー体は壁に激突する事無く、俺から五メートル程離れた地点で動きを止めた。浮遊を続ける球体は、ふわふわと動き、俺の行動を見張っているようだった。


「……なるほど、どうやら躾が必要な雌のようだな……」


「う、嘘でしょ!?」


 マールかルッカか判別は出来ないが、驚愕の声が聞こえた瞬間反作用ボムの魔術が弾けとび、辺りに火の粉と雪のような結晶が飛び交った。その歪な空間を闊歩して、大仰に指を向ける男……奴は、高らかに口を開いた。


「……魔法王国、魔法部隊団長ダルトン。俺様に逆らうなら……少しばかり痛い目を見てもらおうか……出て来い、ダルトンゴーレム!!!」


 ダルトンの命令に、球体は広がり形を変えていく。ゴゴゴ……と山鳴りのような音と共に……魔力の塊はダルトンの傍らに近づき、目が眩むような光を発した。瞳を焼かれぬよう手で視界を隠した。
 今この瞬間に攻撃されれば避けようが無い。最悪、防御は出来るように電力を体に流しトランスの準備。一撃で体が消えるような魔法を使われれば、意味は為さないが。
 …………十秒経過。光は収まり、恐る恐る目を開き、ダルトンの魔術を確認した。


「…………ああ?」


 どうも、目が悪くなったらしい俺は袖で目を擦り、もう一度ダルトンを見る。マールとルッカも同じように目を擦ったり眼鏡を拭いたりと、全員が全員信じられないものを見たアクションを取っている。
 ダルトンの姿に変わりは無い。反作用ボムにより多少服が焦げたり凍ったりしているが、それは些事だろう。ダルトン本人には何にも変わりが無い。
 ……予想はしていた。彼の言葉は確かにゴーレムと呼んでいた。想像でしかないが、召喚魔法の一種ではないかと当たりを付けていたのだ。見るも恐ろしい、とは言わないが凶悪な造形の魔物が現れ俺たちという敵に舌なめずりをしているのではないか? 俺はそう疑っていた。
 果たして、その予想は半分は当たっていた。彼の唱えた呪文は召喚呪文だった。彼の横には今まで姿の見えなかった存在が姿を見せている。それはいいんだ。召喚なんて、流石魔法王国の重鎮だ、と驚き賞賛しても良い。だが、その召喚された対象に問題がある。


「主人に狼藉を働く無礼者め、我が退治てくれるわ!」


 背丈は、そうだな。言葉遣いの堅さと反して、ロボよりは大きいくらいの中学生程度。髪は長いざんばらで、武士を目指して失敗したような。目つきは鋭く、大人びているのが、身長と比べてアンバランスな魅力があるといえよう。服装は……巫女服とでも言うのか? 昔見たコスプレ大全に載ってた気がする。両手には二メートルを越す薙刀を持ち、体勢を低く保ちながら俺たちを睨んでいた。


「……ゴーレムって、ああいうのなのか?」


「私に聞かないでよ……そして興奮してるマールを宥めてよ」


「嫌だ。これ以上俺を混乱させないでくれ」


 ふんふんと鼻息荒く薙刀を揺らすゴーレム? の姿に何と言えば良いのか、きっぱりと困っていると、それを恐怖だと勘違いしたダルトンが「恐ろしいだろう! これが俺のゴーレムの一人、ダルトンゴーレムだ!」と腰に手を当てて高笑い。自分で作ったでこぼこの独楽を自慢する子供に見えて仕方が無い。
 凄いと言えば凄いのだろうが……驚けばいいのか笑えばいいのかほんわかすればいいのか分からない。そしてそれ以上に、俺はダルトンに言いたいことがある。だがそれを口にする前に、断言しておこう。俺はロリコンではない。それを踏まえて、俺の純粋な感想を述べよう。
 目の前の薙刀娘(一々ダルトンゴーレムとか言ってられねえ)は見ただけでも「ご主人様を守る!」という気合に満ち溢れており、健気とも愛らしいとも取れる男からすれば宝と言える女の子。それはまあ、良いだろう。だが奴はこう言った。『俺のゴーレムの一人』と。つまり、他にも同じような女の子をこいつは従えているのだ。それでいて、他の女性を手篭めにしようと……いやいや付き合おうとしているという事実。


「……ルッカ、マール。お前らはあのゴーレムの相手をしてくれ。俺はダルトンをやる。ていうか、殺る」


「嫌に力が入った言い方だけど……分かったわ。あんたが女の子相手に刀を振れるとは思わないし。良いわねマール?」


「我っ娘……はあはあ」


「良いそうよ。もうこの子時の最果てに返していいかしら?」


「ルッカの判断に任せる」


 俺たちの会話を聞いていたダルトンたちは、俺の提案に乗るように二手に分かれた。俺との一対一に文句は無い、ということか。下種なりに決闘を受ける度胸はあるということだな。
 じりじりと足を滑らしながら、距離を詰めていく。薙刀娘は己が主人を心配そうに見つめた後、思考を切り替えたようにルッカとマールを凝視する。良かった、ルッカの言うとおり女の子に攻撃を当てるのは俺には無理そうだ。中世の王妃みたいな化け物は勘定に入らんが。サラやジール王女に至っては殴る蹴るは歓迎だ。
 刀を向けられながらも余裕の笑みを崩さないダルトンに、俺は歯を食いしばりながら会話を試みる。


「……俺は今からテメエを三十二分割するつもりだ……だが、もしお前が俺の提案を呑むなら……お前の望みを叶えないでも、ない」


 ほう、と笑って「それはつまりあの三人の女を差し出す、と取って良いんだな?」とダルトン。ルッカが「何考えてるの!?」と叫ぶのが聞こえるが……まずはこの男との交渉が先。すまないルッカ……俺には、いや男には叶えたい願いがあるんだ、それが今この時叶うかもしれない! ……分かってくれるよな、ルッカなら!
 大きく息を吸い、間違いなく俺の運命を変えるだろう言葉を、細々と作った。


「……俺にも、召喚魔法を教えてください」


 テメエそんなに尽くし系女の子が欲しいのかぁぁぁ!! というルッカの豪声と、私もそれキボンヌ!! というマールの願望が聞こえたが、知ったことか。これは男の夢であり、また誰かに譲る気も全く無い! この召喚魔法なら十二人の俺だけに従う女の子が完成するのだ! それぞれ一人称も変えさせる! 私、わたち、僕、俺、我、わらわ、拙者、自分の名前(優なら自分をユウと呼ぶ)、ME、ぽっくん、自分の名前重複(優なら自分をユウユウと呼ぶ)、自分は~。最高だ! 神の啓示だ! しかも全員が俺を慕うだと!? 感動の余り、涙が出てきた。今俺は猛烈に歓喜している!


「……すまんが、俺の召喚魔法は俺だけの特性だ。俺故に唱えられる究極の魔法だからな」


 あんまりだ。それでは余りに報われない。俺が。
 これだけ願っているのに、これだけ渇望しているのに、それが叶わないなんて嘘だ。こんなに頑張って生きているのに、それが報われないなんて、嘘だ! 
 絶望の底に落とされて膝を落とす俺に、ダルトンが幾許か慰めるような顔を見せた。


「まあ、どうしてもというなら俺のダルトンゴーレムを譲らんではないが……」


 そう言ってダルトンが薙刀娘を見やると、果てしなく悲しそうな顔で「そんな気持ち悪い男の使い魔など絶対に嫌です!」と宣言した。一粒で二度苦いとはこの事だ。出会って会話もしてないのに気持ち悪いと言われた俺は、どうすれば良い──?
 ……決まってるじゃないか。自分が望んで止まない物を手にしている人物が目の前にいるんだ。自分が決して手に入れることの出来ない宝物を持っている人間がいるんだ。ならば……


「……決めたぞ。俺はお前を殺す。そして、あの薙刀娘を俺色に染めてやる!」


 ──奪い取るまでだ。


「なんという悪の要素。やはりお前が俺という男の最後の敵にふさわしい!」


 言ってダルトンは何処からか取り出した脇差のような剣を構えて俺と対峙する。精々今の内に格好をつけているが良い、すぐにでも貴様の女を全て奪い取ってくれるわ!
 ……ただまあ、怖いのはルッカが「ほぅら、ちょっと見直せばこうなるんだから、やっぱりクロノはだるまの刑に処して幽閉すべきなのよ」と呪いの様に呟いている事か。無問題、俺の覇道はそのような言葉で立ち塞がれるほど生易しいものではない!! ……でもだるまは嫌かなあ。四肢切断て、マニアック過ぎるだろ。
 魔法王国における、初戦が始まった。正に、聖戦。








 魔法を主としているだろうダルトンに接近戦を挑んだものの、そう簡単なものでは無かったことを知る。ダルトンは魔法だけでなく、その鍛えられた筋肉をフルに活用するパワーファイターの一面も持ち合わせていた。力任せとも言える剣戟は重く鋭い。度々に隙は出切るが、そこをカバーするように魔法の防御兼反撃。肉弾戦の補助として魔法を使うこいつのスタイルはルッカやマールといった魔力主戦のタイプではなく、カエルに……というよりも酷く俺に近い戦い方と言える。やり辛いことこの上ない。
 さらには、力押しに攻めきられる程の魔力ではないが、ダルトンの扱う魔法はトリッキーなものばかりで攻め手を掴めない。頭上から空間転移のようなものを用いて鉄球を作り出し攻撃のリズムを狂わせる。微追尾機能のある魔術球を作り出し魔術詠唱を中断させるといった奇術的な魔法の使い方は、ダルトンのペースを途切らせない、実践的なものばかりだった。
 ……魔法王国で女王に近い立場を持ってるだけあって、魔法が上手い。同じ舞台に立てば到底敵う相手ではないだろう。詠唱の速度も俺の比ではなく、構成力の緻密さも過去戦ったマヨネーに勝るとも劣らぬもの。強敵であるのは間違いなかった。こいつに召喚呪文がいるのか? 単体で充分脅威じゃねえか!
 ルッカたちを見れば、恐ろしいことに薙刀一本で彼女たちと互角以上に戦う薙刀娘の姿。片手で薙刀を振り回し、身のこなしはエイラに迫るものがある。後衛の彼女たちには荷が重いというか、相性の悪い相手だろう。完全なスピードタイプというわけか……人選をミスッたな、今更変える気もないが。俺には大儀がある。


「そぉら、どうした俺の宿命のライバルよ! その程度の俺に立ちはだかろうとは片腹痛い!」


 追尾魔術球で構えを崩された後、剣を持たない手で拳を当てられる。たまらず俺はガードも出来ず後ろに飛ばされた。起き上がる前にソイソー刀を伸ばすが、ダルトンに当たる前に出現した鉄球で向きを変えさせられる。そうだよな、そういう使い方も有るよなクソっ!
 トランスで一気呵成に攻めるか? いや、もし決め損なえばまず負ける。大体トランスは頭を使わない魔物相手に有効な戦法なんだ。時間切れを狙われる対人戦ではリスクが大き過ぎる! 崖っぷちになるまでは乱用は避けたい。
 折れた右奥歯を吐き捨てて、「ライバル認定が多い国だな」と軽口を叩くも……じわじわと追い詰められていく気分だ。勝つパターンがおぼろげにしか浮かばない。それも全て具体的ではなく、決行には届かないものばかり。今まで戦ってきた中で一番強いとは言わないが……最も有効な戦い方を見つけられない相手だな。というよりも……


「これが、魔法を使う人間と戦うってことなのか……」


 王妃や現代の牢獄の見張りたちも、皆肉弾戦だけでやりすごしてきた。魔王も人間なのかもしれないが……あれは除外。そもそも俺はあの時まともに戦えてないんだから。
 そして、それ以上にダルトンが対人戦に慣れていること。俺の呼吸や攻撃パターンを経験で読んでいるようだ。扱う魔法も流れを汲んでいて、全てが布石になっている。何一つ致命傷にはならないが、どれ一つ無駄な行動を取らない。場合が場合でなければ、ダルトンに弟子入りしたいくらいだ。


「……でもまあ、負けねえけどな!」


「強がりを……俺に勝てるものなぞ、世界に一人もおらんのだ! ラヴォス神すら俺が操ってくれる!」


 豪快な台詞と同時に鉄球を四つ落としてくる。これは普通に避けても間に合わない。一瞬だけトランスを使い身体機能を上げて後ろに跳ぶ。上手い具合に刹那で避けきることが出来たことで、ダルトンに確かな隙が作られた。トランスの解除を先延ばしにして、そのまま延長。数秒持てば御の字だが……今飛び出して失敗しても確定的な反撃は無い!
 一足でダルトンに切迫して切りかかるが、事前に練りこまれていた魔術詠唱により産まれた魔術球でソイソー刀を後ろに飛ばされる。
 でもそれは……それは、防御として成り立ってない!


「だああっらああぁぁ!!!」


 走り出した勢いを活かして、凝縮した電力を拳に溜めて振り切る。俺の右腕はダルトンの腹を貫いて、インパクトの瞬間に弾けさせた。打撃と電力の解放により、そのパンチは数倍の重さと破壊力を生む。ダルトンは女王の椅子に当たって、粉々に破壊しながら転がり続けた。
 ……まだ、立つか?


「ごほっ! ……おお、良いじゃないか。俺のライバルだからな、この程度はやってくれんと」


「……やっぱり、立つのかよ……」


 自慢じゃないが、普通の人間が喰らえば内臓がぐしゃぐしゃになるくらいの威力があったはずだ。それを、回復もせずに立ち上がるとは、頑丈の一言では済まされない。多分電力解放の直前に打撃箇所に魔力を集めてダメージを軽減させたのだろう。不可能じゃない……不可能じゃないけれど、どこまで修練を積めばその域に達することが出来るのか? この男、ヘラヘラと笑いながら馬鹿を言うが……半生を修行に用いてきたのだろう。その努力と汗が彼の並ならぬ自信に繋がっているのか。


「……お前はこう思っていただろう。こいつは召喚呪文を使う、自分では戦えない魔術師だと」


「……そうだな、戦闘能力が零とは思ってなかったけど、正直侮っていたことは認めるよ」


 ダルトンは頷き、もう一度口を開く。


「お前はこう思っているだろう。こいつは小刻みに魔法を使う、テクニックタイプの魔術師だと」


 ……意図が分からない。何を言いたいのか? 自分は技術重視の戦い方をするものではない、そう言いたいのか? もしくは……一発逆転に近い、奥の手を持っていると言いたいのか?
 俺の考えを読めたか、ダルトンは指を鳴らして「ビンゴだ」と笑った。その行動に警戒して、俺は磁力を使ってソイソー刀を引き寄せた。この程度は魔力を使うなら当然と思っているのかダルトンに驚いた素振りは見えない。もしかしたら、俺の力を評価して、磁力を操ることは可能としたのかは分からないが。


「……名前を聞いてなかったな」思い出したように口にするダルトン。


「俺はクロノ、あっちの女の子たちは……」


 俺が紹介する前に、ダルトンは手を前に出して遮った。「俺はお前だけに聞いたんだ」と答えて。


「感激しろよ。俺様が男の名を問うなど百年にあるかないか、だ」


 そりゃどうも、と返して魔術詠唱を始める。微かにダルトンから漏れる魔力からして、魔王のダークマター程の威力は無いだろうが……予想もつかない魔術である可能性は大いに有り得る。と言うより、こいつが意表をつかない魔術を使わない訳が無いとさえ思えた。
 マントを両手で持ち上げて、顔を上に逸らし、低く通る声でダルトンは魔王には及ばぬものの、凄まじい魔力の奔流を抱いて魔術発動のキーワードを解き放った。


──オナラぷー──
 彼は、確かにそう言った。


 『オナラ‐ぷー』
 『オナラ、おなら。屁の事を指す。』
 『1、腸内に生まれ肛門から出されるガスのこと。加えて、価値の無いもの、つまらないものとしても使われる』
 『例。―でもない。―とすら思わない。』
 『屁を用いた諺として、屁の河童というものがある。なんとも思わない、また簡単にしてみせるといった意味として使われる。』
 『硫黄の臭い、卵の腐った臭いに近いものであり、大変臭い。もの凄く臭い。合コンの最中なんかでやれば総すかん間違いない。一時期、おならぷー! というギャグが流行ったりしたが、あれはその時代の人間が軒並み頭が終わっていたからであろう。分かりやすく言うと、面白いと思って使えばまず間違いなく滑る。』
 『大きな大人が真面目な顔で言うと、もしかしたら面白いこともあるかもしれないが、今この状況で使うのは失敗例としての模範的なものであろう』


 辞書に載っていそうな情報が脳内を駆け足で通り過ぎて……俺の意識が遠ざかっていった──


「……これぞ、俺の最終奥義オナラぷーだ! 何人もこの魔奥義から逃れることは出来ん」


 真剣勝負に劇物を入れてもみくちゃにした男は誇らしそうに自分の恥部を語っていた。それが最終奥義で、本当に良いのか? という俺の声は鼻につく激臭により外に出ることは無かった。
 かろうじて見えた最後の光景には、俺と同じように倒れ伏しているルッカとマール。そしてこいつの仲間であろう薙刀娘が呻き声を上げて床に伏している映像。ああ、こいつのこと褒めてた発言は全部取り消しだ。胃腸の腐った変態以外に表す言葉なんて必要ない。
 ……ああ……召喚魔法で、俺の、俺だけよる、俺の為のハーレムを……作り…………た、かっ……た…………









 時は進み、クロノたち一行がダルトンの腸内活性化によって現れる症状に倒れ伏した十数分後のこと。
 自賛の笑い声を上げているダルトンの前に鼻をハンカチ越しに摘んだジール女王が歩いてきた。幼い子供のようにひょこひょこと着いて回るサラを背後に、彼女は堂々とした立ち居振る舞いを見せる。
 伏せるクロノたちを一瞥し、彼女は冷たく「殺せ」と命じた。一瞬驚いた顔を見せるダルトンだが、不平不満を出す事無しに、仰々しく頭を下げてこの場を去る女王を見送った。


「……元々始末しろってんだから、文句は無えがよぉ……俺様に命令ってのが気に喰わねえよな? そう思わねえか王女様」


 えいえい、とクロノの頭を踏みつけるサラにダルトンはため息を一つ、腕を掴み己のライバルと認定した男から距離を置かせる。子犬みたいにきゃんきゃん騒いで応対するが、彼の太い腕にサラの細腕が対抗できるわけも無く、ずるずると引き摺られていった。


「離して下さい! 私は今積年の恨みを晴らすべく戦っているのです!」


「戦ってるっつーのは、俺みたく正々堂々対面して勝負することを言うんだ。あんたのはいたぶるって言うのさ」


「ダルトンは意地悪ですね、もっと私に媚びへつらうべきではありませんか?」


 冗談はよせ、と頭を軽く叩いて、ダルトンはその場を去ろうとする。例え忠誠を誓うべき相手の命令とは言え、気を失った人間に止めを刺すなどありえない。それも、相手は自分が強敵と認めた男に読めに迎えようと考えていた女性二人。手を下すにしても、もっと状況が整った場面で戦うべきだ。


(何より……俺様相手に手加減だと?)


 苦悶の表情を浮かべながら呻いている男の顔を見て、ダルトンは唾を吐いた。それを見ていたサラが「下品です」と苦言を出すが、関係ない。彼にとって、最も嫌うべき行動を取られたのだ。
 彼の嫌う行動、それは舐められるということ。油断ならば良いのだ、相手の力量を見極められず裏をかかれる馬鹿者に思うことなど無い。ダルトンにとってそれは嫌うべきことではなく、興味の対象から外れるようなことだ。


(本気を出すまでも無い……そうじゃねえだろ、クロノ。お前は俺の力量を誤るような糞ったれじゃねえよな?)


 詰まる所……と、線引きして、ダルトンは仮説と確信の間のような気持ちで答えを出した。


「同じ人間相手に、殺し合いは出来ないってか? 甘ちゃんが」


 しかし、と彼は思う。仮にこの自分の半分弱しか生きていないような少年が本気で自分を殺しにかかったら? 果たして自分に勝ち星が有り得ただろうか?
 負けたとは言わない。彼は自分に最上の自信を持っているからだ。だが……確実に勝てると軽口でなく、本心から思えるほど彼は愚かではなかった。


(そもそも、あの野郎本気で切りかかろうとすらしてねえ。必中を誇る俺の鉄球を全て避けておいて、チャンスが無かったとは言わせねえぞ)


 今まで自分は勝負に勝ったときは、どんな時でも笑ってきた。その歴史の中で、これほど空虚な勝ち鬨は初めてだと、彼は歯を鳴らし、眼孔が鋭く尖っていく。


「おいサラ。そいつらどうする気だ?」


「ほえ? どうすると言われても、貴方が始末するんじゃないんですか?」


 意図が掴めてない事を知り、ばりばりと頭を掻き毟る。


「そうじゃねえ……いや、それでもいい。俺様が今こいつらをぶっ殺そうとすれば、お前はどうするんだ?」


 目の前の人間が何を言っているのか分からないという顔で、サラは人差し指を己の顎に当てて首を傾けた。


「させませんよ。私のライバルは、私が倒さないといけませんので」


「……それが聞ければそれでいい」


 彼女は、間違いなく彼らを助けるだろう。何処に匿うかまでは知る必要が無い。ダルトンにはもう分かっていた。妙な訪問者たちがこのまま引き下がることがないということを。内心、彼らの目的を知りたくもあったが……それはあまりに微量な好奇心。自ずとやって来ると分かっていればそれでいい。もう一度あの赤毛の男と戦えるなら、文句は無い。その戦いの報酬があの個性ある女性たちならば言うことが無い。


(その時は、お前を呼ぶかもな、マスターゴーレム?)


 空虚な空間に思考を投げて、ダルトンは女王の間を後にする。
 彼の名はダルトン。魔法王国随一の戦闘力を有し、国民から呼ばれている渾名は金の獅子。
 獅子は好色で、傲慢で、自意識を高く掲げて。さらには、


「狙った獲物は、逃がさねえのさ」


 金の瞳を輝かせながら、獰猛に呻く暴力欲を抑えて男は彼らとの再会を願った。










 時間は更に進み行き、場所は暗い洞穴へと繋がる。絶え間なく続く雪風に身を縮めて、サラは口を尖らせた。


「大体おかしいです。何故私が一々貴方の命令に従って下界の地に下りねばならないのかさっぱりです。もう、死んでもいいですよ貴方。ていうか鼻血とか頭からの流血とか凄いですね。後で写真撮らせてください。グロ画像収集スレ(ストレンジレクチャーの略。ジール王国の写真同好会のことである)に貼りますので」


 長い台詞を一口に話しきったサラは、少しだけ嬉しそうに隣を歩くフードの男を見た。
 男は、女王に預言者と呼ばれ理不尽に殴られた者である。預言者は嫌なことを思い出さされ、不機嫌そうに鼻を鳴らして肩に積もった雪を払い落とした。


「……黙って歩け。この者たちを殺されたくなければな」


「今更冷酷キャラを作ったって無駄ですよ。本当に、母様とのやり取りは笑わせていただきました。お腹一杯です」嫌味のように、腹を撫でるサラ。


 サラが口述したとおり、彼女たちがいる場所はジール王国ではなく、クロノたちが最初に現れた極寒の大地。三人の人間を運びながら(運んでいるのはサラではないが)、原始から飛ぶことができた、ゲートのある洞穴まで歩いてきたのだ。
 心もとない程度の防寒具しか着けて来なかったサラは申し訳に巻かれたマフラーで雪に塗れた自分の顔を拭く。マフラー自体濡れるを超えて凍っている部分があるほどで、彼女が期待した効果はなかった。
 霜焼けで赤くなった顔を手で暖めながら、サラはべし、と預言者の肩を叩く。その反動で、預言者の担ぐ人間がぼと、と凍った地面に落ちた。溜飲が下がったようにサラはふう、と気持ちの良さそうな息を吐く。ゆらゆらと揺れていく白い水蒸気が少し面白いとさえ感じていた。
 ……そも、彼女たちがここにいる理由。それはダルトンが去り、間も無くの時が原因となっている──






 自分にとっていけ好かないと考えているダルトンが消え、サラはにんまりと邪悪な笑顔を作った。念のため、ダルトンが帰ってこないか扉の前に走り廊下を見ると、既に角を曲がり姿の見えないことを確認した。


「ふむふむ。これでこの赤い男に天罰を与えることが出来ます。いえ、これは天誅に非ず。この男の蛮行を、例え天が許しても人は許しません。よって、今から私が行うことは人誅! 気絶している間にズボンが水浸しになっていればどうなるか! この女性のお仲間さんたちに非難されるがいいのです!」


 扉の近くに置いてある水差しに手を伸ばし、裁判官のような厳かさと処刑人のような残酷な顔を両立させてサラは嬉しそうに、笑った。もし自分の思い描いていた展開になれば、彼女は手を叩いて笑い転げただろう。
 しかし、それを邪魔する人間が一人。


「サラ……貴様、そやつらを逃がすつもりか……?」


「ほぎゃあ!?」


 突如聞こえた背後からの声に驚きサラは持っていた水差しを放り投げた。幸い、床に落ちた水差しが割れることはなかったが、中に入っていた水の多くをサラ自身が被ることになった。
 顔が隠れているため、窺うことは出来ないが預言者から申し訳無さそうな雰囲気が見て取れる。


「ななな!? 貴方、女性の背後に忍び寄るとは……このレイプ魔! 消えてください!」


「……落ち着け。サラ、私の話を聞け」


「痴れ者! この痴れ者! せっかくの私の計画を台無しにしましたね!? ああもう服がびしょ濡れ……待ってください? つまり私がこの赤い人に擦り寄れば結果的に万事オーケーなのではっ!?」


「やめんかっ!!!」


 宥めど抑えど一向に錯乱した思考を霧散させることのないサラに預言者は頭を抱えてしまう。知らず素数を数えてしまうのは、常が冷静であるゆえか。


「お、大きな声を出したからってびっくりすると思わないで下さい! こう見えて私はジール王国クーデレ大賞の二回戦に進んだ経歴があるのです!」


 ちなみに、彼女の二回戦の相手は猫『アルファド(3)』だ。一回戦の相手は八百屋の親父『モスクワ・クーベルトン(54)』である。手に汗握る接戦だったそうな。二回戦は猫がぶっちぎりだった。


「……私は……私は……っ!」


 急に預言者が蹲り苦痛に呻くような声を上げる。まるで、気付かぬうちに過去を美化していたという現実を突きつけられたというか、思い出補正が砕けたというか、色々と思い出したくない事実を思い出したというか、そんな風に見える。
 それから小一時間経過し、二人の争いは幕を閉じた。
 この者たちを逃がすわけにはいかない。今この場で私が殺す→待ってください、私はこの方をぎゃふんと言わせねば四日は寝れません。→じゃあ仕方ない。こいつらを元の時代に戻さねば→なんだか良く分かりませんが、偉そうですねあなた。ひれ伏しなさい。
 というやり取りが行われ、預言者の魔力探知の下ゲートのある洞穴まで歩いてきたという次第である。圧縮に圧縮を重ねた結果だけを綴ることにした。
 そして、ようやく時は戻る。






「つまり、この人たちをこのげーととか言う不思議門に放り込んだ後、私がこの不思議門を魔力で閉じればいいのですね?」


「その通りだ。それで、こいつらはこの時代に来ることが出来なくなるだろう」


「よく分かりました。嫌です」


「……サラ。いよいよ私も実力行使に訴えねばならんほどに、限界なのだが……」


「聞こえませんでしたか? 嫌です。何度も言うようですが、私はこの男の人をぎゃふんと」


 サラを無視して預言者はゲートを開き方肩に背負う女性二人をゲートの中に放り込んだ。港の積荷のように乱暴な扱いだったが、彼の心境を思うにそれでも優しい方だったのだろう。本当はジャイアントスイングばりの遠心力を付けて放り出したかったのだろうから。
 続いて今さっき床に落とした男の足を持ち、ゲートに歩み寄ると、巷で残念な美人と称されているサラが両手でTの文字を作り「タイムですタイムです!」と吠える。仕方なく立ち止まる預言者。その手に引き摺られている男性の顔にサラは持てるだけの雪を顔にぶちまけた。絶世の美女と言えよう、美しい笑顔だった。


「これで良いです。まだまだやりたりないけど、我慢してあげます」


 自然にひくつく口元を押さえて、預言者は勢い良く赤毛の男をゲートに投げ捨てようとした。
 ──瞬間、がばっと目を覚ました赤毛の男──クロノは事態を理解する前に喉に力を込めて……粘着性のある液体を噴出した。その液体は優雅に曲線を描き、御満悦といった顔で微笑んでいるサラの顔面に到着した。
 預言者はそれに気付く事無く、ゲートの闇へクロノを放り、門を閉じた。


「これで良い。サラ、ゲートを閉じろ…………サラ?」


 反応がないことをいぶかしみ、預言者は振り返った。目の前には、鼻からだらりと伸びる白い鼻水のようなものを付けているサラの姿。今までニコニコと陽気を振りまいていたというのに、凍えそうな温度に似合う冷徹な表情だった。これならば、クーデレ大会とやらに優勝できたかもしれんな、と詮無いことを思い浮かべ、預言者はこれからの騒動を予想した。


「……タン、ですね。あの人私にタンを飛ばしたんですね? 預言者さん。今すぐそのげーとを開けてください。ぬっ殺してきます」


「約束が違うぞサラ。お前は結界を作る為にここに連れて来たのだ」


「うるさいです、とにかく開けてください。あの赤い人を血まみれにして赤すぎる人にしてやるのです! ほら早く!」


「ええい! あの小僧無駄な置き土産を残していきおって!!」


 騒々しい洞穴の中で喚きあう二人の姿は、酷く捻じ曲がった物の見方をすれば、もしかしたら兄妹のように見えなくもないもので、少しだけ楽しそうな現場だった。


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