没後120年 ゴッホ展
2月22日(火)〜4月10日(日)
名古屋市美術館
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【農は国の本なり】第2部・農地転用の闇〔6〕 「農工共栄」どこへ2009年2月6日
「あぁ、こんなになっちゃって…」 トヨタ自動車会長の張富士夫(72)は、取材班が示した物流倉庫群の空撮写真に目を落とし、言葉が続かなかった。 脳裏をよぎるのは、若き日々−。 「なんとかお願いします」 「分かっとる。農業だけじゃ、町の将来はない。その代わり、地域の発展を一緒に考えとくれよ」 1965(昭和40)年、愛知県豊田市で、高岡工場建設のための用地買収が遅れていた。地元の農家に頭を下げて回る張に、年長の野村守(86)が諭すように話した。 野村は仲間の農家たちの説得のため毎夜、自転車を走らせた。「うちは百姓やるで、工場なんかいらん」。しぶる農家は少なくない。凍える寒さの中、19回訪ね、ようやく玄関の戸を開いてくれた家もあった。 地主204人が、計125ヘクタールの売却に合意した。翌年、高岡工場で初代「カローラ」の生産が始まった。 「農と工の共存共栄」 豊田土地改良区副理事長の岩月寿(74)はかつての姿と今とのギャップをこう語る。 「気が付いたら車がどんどん先に行き、農は置いてけぼりになっていた。倉庫群はその象徴です」 JAあいち豊田常務理事の柴田文志(58)は「良い農地が次々に手を付けられる」のが歯がゆくてならない。 「昔のトヨタは地元との絆(きずな)が強く、こちらがものを言うこともできた。今は、その時代を知らない会社が地主を一本釣りするから、誰も止められない」 農業を尊重した歴史は途切れ、効率化が最優先の中で絆は断ち切られた。 岩月は言う。 「経済が上り調子のとき、人は時に正しい判断ができない。トヨタショックは、冷静になって考える良い機会かもしれない」 トヨタの心臓部に出現した倉庫群は、いつまでも続くと思えたトヨタの成長が途絶えたことで初めて、食や農の行く末までをも成長神話に委ねる危うさを、映し出した。 「農業では、収入にならない時代。転用に応じる地主を非難することはできない」 地主から農地を借りて耕作する農業法人中甲(なかこう)代表理事の杉浦俊雄(42)は強調する。 「だからこそ行政が冷静に審査し、転用の歯止めとなってほしい」 =文中敬称略 (第2部おわり、取材班・秦融、寺本政司、太田鉄弥) PR情報
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