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【農は国の本なり】

第2部・農地転用の闇〔6〕 「農工共栄」どこへ

2009年2月6日

トヨタ高岡工場建設のため用地を提供した地主の名が記された石碑=1月、愛知県豊田市本田町で

写真

 「あぁ、こんなになっちゃって…」

 トヨタ自動車会長の張富士夫(72)は、取材班が示した物流倉庫群の空撮写真に目を落とし、言葉が続かなかった。

 脳裏をよぎるのは、若き日々−。

 「なんとかお願いします」

 「分かっとる。農業だけじゃ、町の将来はない。その代わり、地域の発展を一緒に考えとくれよ」

 1965(昭和40)年、愛知県豊田市で、高岡工場建設のための用地買収が遅れていた。地元の農家に頭を下げて回る張に、年長の野村守(86)が諭すように話した。

 野村は仲間の農家たちの説得のため毎夜、自転車を走らせた。「うちは百姓やるで、工場なんかいらん」。しぶる農家は少なくない。凍える寒さの中、19回訪ね、ようやく玄関の戸を開いてくれた家もあった。

 地主204人が、計125ヘクタールの売却に合意した。翌年、高岡工場で初代「カローラ」の生産が始まった。

 「農と工の共存共栄」

 豊田土地改良区副理事長の岩月寿(74)はかつての姿と今とのギャップをこう語る。

 「気が付いたら車がどんどん先に行き、農は置いてけぼりになっていた。倉庫群はその象徴です」

 JAあいち豊田常務理事の柴田文志(58)は「良い農地が次々に手を付けられる」のが歯がゆくてならない。

 「昔のトヨタは地元との絆(きずな)が強く、こちらがものを言うこともできた。今は、その時代を知らない会社が地主を一本釣りするから、誰も止められない」

 農業を尊重した歴史は途切れ、効率化が最優先の中で絆は断ち切られた。

 岩月は言う。

 「経済が上り調子のとき、人は時に正しい判断ができない。トヨタショックは、冷静になって考える良い機会かもしれない」

 トヨタの心臓部に出現した倉庫群は、いつまでも続くと思えたトヨタの成長が途絶えたことで初めて、食や農の行く末までをも成長神話に委ねる危うさを、映し出した。

 「農業では、収入にならない時代。転用に応じる地主を非難することはできない」

 地主から農地を借りて耕作する農業法人中甲(なかこう)代表理事の杉浦俊雄(42)は強調する。

 「だからこそ行政が冷静に審査し、転用の歯止めとなってほしい」

 =文中敬称略

 (第2部おわり、取材班・秦融、寺本政司、太田鉄弥)

 

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