没後120年 ゴッホ展
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名古屋市美術館
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【農は国の本なり】第2部・農地転用の闇〔4〕 許可審査、役所任せ2009年2月4日
あまりのショックに力が抜けた。「どうなっちゃっているの」。軽トラを止め、ぼうぜんと眺める先にかつてあった優良な農地は消え、何棟もの倉庫に変わっていた。 愛知県豊田市農政課長の児嶋宏之(54)が3年前、農業研修施設「農ライフ創生センター」の初代所長として、就農希望者にあっせんする遊休農地を探すため、走り回っていたころだった。 大半の遊休農地は、土地改良もされず、狭くて用水路もない。農ライフの研修生は、初心者。少しでも生産性の高い農地をあっせんしてやりたい。 農地を見る目が変わったのは、農ライフで研修生らの熱意に出会ってから。「農家になりたい。農地を紹介してください」。農政課でずっと転用に携わっていた児嶋は、真摯(しんし)な熱意に胸を打たれた。 児嶋は、農家の出ではない。トヨタの社宅で生まれ育った。市役所職員となり、30歳をすぎて農政課に異動。仕事は、農地をつぶす転用の審査が多かった。 農ライフ所長の3年間を終え、作業着を脱いで農政課に戻った。課長席に座り、再び優良農地の転用を認めるのが仕事になった今、苦悩する。 「農ライフの時には農業の可能性に夢も見た。でも市の産業は農業だけじゃない。都市計画が進まない、早く転用許可しろ、とそんな視線を受けて仕事しているんです」 児嶋が事務局長を兼ねる市農業委員会。傍聴者は数年に1人、いるかどうか。農地の転用で、月に40件ほどある申請とほぼ同じ数の「問題なし」が毎月の定例会で、繰り返される。 同市高岡地区の倉庫群で転用にかかわった元農業委員(72)は「役所の事前審査を通っているから」と事務局に判断を任せている慣例を明かす。 自身、倉庫の1つに農地を貸した。 「トヨタの下請けで守衛の仕事をもらい、世話になった。倉庫を建てないと、トヨタから仕事がもらえん運送業者も困るだろう」 林立する倉庫群を眺め、判断が間違っていたとは思わない。 「委員の立場としては『農地を守れ』と叫ばなならんがの」。そう前置きし、語気を強めた。「農業をやっても赤字だ。農家を成り立たなくした国こそが悪いんじゃないか」 複雑にからむ利害の上に、農地の番人たちは立たされている。 =文中敬称略 【農業委員会】各市町村に設置。議会、農協などの代表と農家(耕作地10アール以上)代表で構成。農家代表は40人以内を選挙で選ぶが、実際は地元調整で無投票がほとんど。委員は非常勤で報酬は月3万円前後。任期3年。 【農ライフ】豊田市と農協の共同運営で2004年開所。研修2年で遊休農地をあっせんする。行政が身元保証し、就農希望者と農地をつないだ成功例。修了生115人のほとんどが農家になった。 PR情報
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