エコシステム・アプローチ
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(2003年11月27日開設, 12月10日加筆)
1.エコシステムアプローチとはなにか
・エコシステム・アプローチは、2000年5月の生物多様性条約第五回締約国会議において採択された、同条約の理念・方法論を示す原則です。その定義は「保全と公正な方式での持続的利用の促進を目的とした、土地資源、水資源、そして生物資源の統合管理の為の戦略」とされています(UNEP CBD (2000))。
・環境政策研究の観点から見たエコシステム・アプローチの特徴は、文化的な多様性を持つヒトが生態系の一構成要素であること、生態系は複雑で絶えず変化し続けていること、そして、生態系に関する知識や理解は限られていることを前提として、1)分権的自治的管理、2)不確実性への対応としての順応的管理、3)そのために必要な市民のキャパシティービルディングの推進および情報共有の場の設立、といった概念を採用している点にあると思われます。
・この分権的自治的管理はガバナンス(松下(2002))と、順応的管理はフィードバック管理(松田(2000))と、ほぼ同等の概念として理解できます。
・エコシステム・アプローチの具体的な内容は12の原則からなり、その内容は以下のようになっています(武内(2001)の訳に一部改変)。
エコシステム・アプローチの原則
原則 1 土地、水、生物資源の管理目標は、社会が選択すべき課題である。
原則 2 管理は、最も低位の適正なレベルにまで分散化させるべきである。
原則 3 生態系管理者は、近隣および他の生態系に対する彼らの活動の(実際の、若しくは潜在的な)波及効果を考慮すべきである。
原則 4 管理によって得られる潜在的な利益を考慮しつつ、経済的な文脈において生態系を理解し管理することが一般に求められる。そのような生態系管理プログラムは、いずれも、以下の点を含むべきものである。
a) 生物多様性に不利な影響をもたらす市場のゆがみを軽減すべきこと、
b) 生物多様性保全と持続的利用を促進するためのインセンティブを付与すべきこと、
c) 実行可能な範囲で、与えられた生態系における費用と便益の内部化をはかること。
原則 5 生態系のサービスを維持するために、生態系の構造と機能を保全することが、エコシステム・アプローチの優先目標となるべきである。
原則 6 生態系は、その機能の限界内で管理されるべきである。
原則 7 エコシステム・アプローチは、望ましい時間的、空間的スケールにおいて行われるべきものである。
原則 8 生態系の作用を特徴付ける時間的なスケールの差異や遅延効果(タイムラグ)を考慮し、生態系管理の目標は長期的視点に立って設定されるべきである。
原則 9 管理に際しては、変化が不可避であることを認識すべきである。
原則 10 エコシステム・アプローチは、生物多様性の保全と利用の適正なバランスと、両者の統合を追及すべきである。
原則 11 エコシステム・アプローチは、科学的知識、土地固有の伝統的知識、地域的知識、革新や慣習を含めたあらゆる種類の関連情報を考慮したものでなければならない。
原則 12 エコシステム・アプローチは、関連する全ての社会部門、科学分野を包含したものであるべきである。
2.環境保全理念の流れとエコシステム・アプローチ
・ここではまず、国際的な環境保全理念の流れを、資源の利用と環境保全の関係に着目して簡単に整理し、エコシステム・アプローチの位置づけを説明します。
・1972年、公害が世界の先進工業諸国の問題であったころ、ストックホルムで国連人間環境会議が開催されました。この会議の主要な議題は、工業化と都市化によって引き起こされた公害、環境破壊でした。そして、これから貧困克服のために経済成長を進めようとしていた発展途上国と先進工業国との間には埋めがたいギャップが存在しました。
・その後、1987年に国連の「環境と開発に関する世界委員会」(通称ブルントラント委員会)の報告書"Our Common Future"において「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念が提示されます。この報告書を契機として、それまでの「成長か環境か」あるは「開発か保全か」といった二分法的な議論ではなく、「環境と開発の統合:持続可能な開発を通じた貧困の撲滅」こそが課題であると認識されるようになりました。
・そして1992年、リオ・デ・ジャネイロの国連環境開発会議(UNCED)では、地球温暖化、生物多様性の喪失、海洋汚染、砂漠化など、地球規模における自然環境保全が中心的議題となり、環境と開発に関するリオ宣言、その行動計画であるアジェンダ21などが採択されました。その10年後の2002年に開催された、ヨハネスブルグ・サミット(World Summit on Sustainable Development: Rio+10)では、リオ宣言をさらに前進させるためのヨハネスブルグ宣言と実施計画を採択しました。
・このように、30年の間に環境保全の理念は大きく変化しました(松下(2002))。それは、限られた関係者を対象とした局所的で具体的な公害・環境破壊防止(事後的対処)から、多様な利害関係者を対象とした総合的な地球環境保全(グローバルコモンズ)の戦略へのパラダイムシフトと捉えられます。特にリオ宣言以降、環境保全と開発の統合(持続可能な開発を通じた貧困の撲滅)、汚染者負担原則、予防原理、世代間の衡平、共通だが差異のある責任、などが重要な議題となってきました。
・こうした国際的潮流に対応して日本の環境政策も、これまでの公害防止を主眼とした、環境基準クリアー型の、関係者への規制行政を中心とした環境行政から、持続可能な発展を前提とした将来へ向けての積極的な環境計画へと拡大してきました(原科(2000))。そこでは市民の意見(社会的意思)を反映しつつ、人間社会をいかに適切に制御していくかが課題となり、それまで自然科学が中心であった環境科学において人文・社会科学の役割がクローズアップされはじめました。
・これらの新たな環境保全の理念を現実化するための戦略として、最も総合的と思われるものが「エコシステムアプローチ」であり、現在もその幅広い実施に向けて理念的・制度的整備が行われています。
3.改訂エコシステム・アプローチ原則
・エコシステム・アプローチをより実践的なものにし、その幅広い適用を実現するために、12原則(および5つのガイドライン)に沿って各国でケース・スタディーがおこなわれてきました。それらの知見を基にして、2003年7月、エコシステム・アプローチ原則の改訂案が発表されました。
・ここでは、エコシステム・アプローチ専門委員会が作成した、エコシステム・アプローチ12原則改定案の和訳(仮訳)を紹介します ( UNEP CBD ( 2003))。
・改訂の背景や理念、各原則の解釈についてはこちらをご覧ください。
エコシステム・アプローチ改定案
テーマ1.環境財とサービスの供給
原則1:生態系のサービス、機能と作用
生態系のサービス−人々が食糧、人間環境の制御、生物圏の作用の支持、そして文化へのインプットというかたちで生態系から得ている便益―はその生態系に特異な構造と機能に依存している。
テーマ2.コンセンサスの形成
原則2:社会的選択
土地資源、水資源、生物資源の管理の目的は、社会的選択であり、様々な認識、利益、意図をもつ利害関係者間の交渉とトレード・オフによって決定される。
原則3:分野横断的な統合
持続的利用と保全のための生態系管理の複雑さは、多くの異なる利害関係者による活動と行動の統合を必要とする。
原則4:情報と理解の多様性
生態系は複数のスケール、複数の次元を有する存在であり、様々なスケールから、そして様々な見地から見ることが可能である。そのそれぞれが独自で相補的な情報と洞察を提供する。
テーマ3.管理の為のインセンティブの提供
原則5:経済的文脈における生態系管理
多くの生態系は、経済的に価値のある財とサービスを提供しており、つまり生態系の理解と管理を経済的な文脈の上で行う必要性を意味している。
テーマ4.生物資源の保全と利用のバランス
原則6:保全と利用の間のバランス
持続可能な開発は、生物多様性の保全と自然資源の賢明な利用を衡量(バランス)する管理体制を必要とする。
原則7:限界
生態系に頼ることの出来る需要のレベルには限界がある。ただし現在の生態学的な知識ではなにがその限界であるかを知ることにも限界がある。このような場合、予防的アプローチと順応的管理が奨励される。
テーマ5.スケール横断的な統合
原則8:規模が重要である
ヒトの活動によるものをふくめて、生態系の動力源(driving forces)は地域・時により異なるので、適切なスケールでの管理対応が必要となる。
原則9:相互補完
自然資源管理はその資源の生産システムのレベルにおいて最も望ましく実行される
原則10:近隣への影響の考慮
生態系の開かれた構造と他との関連性は、生態系機能へのインパクトがそのポイントまたは一つの系のみに限るものではないということを確証している。
原則11:管理の時間的枠組み
時間が問題である。生態系作用は、幅広い時間的スケールにおける異なる周期性と時間差を伴って機能する。取り組むべき問題に応じて、適切な時間的スケールを選択することが決定的に重要である。
テーマ6.順応的能力の形成
原則12:順応的管理−試行錯誤
生態系の変化は自然でかつ不可避であるため、その管理政策・活動には、社会的目的を満たしつつ、継続的な学習と変化する状況のよりよい理解を促進するものであることが求められ、それによって柔軟性と新たな状況への適応能力が形成される。
4.エコシステム・アプローチと米国の環境保全制度、および日本の水産資源管理制度
・このエコシステム・アプローチや、そこに内包されているガバナンス、順応的管理といった概念は、はたして本当に新しいものなのでしょうか?環境政策における、本当に新たな試みなのでしょうか?というのも、仮にこうした方式の経験を既に積んでいる国や地域があるなら、その経験はエコシステム・アプローチの適用に非常に貴重な知見となるからです。
・たしかに、欧米の自然資源管理においては、これらの概念は非常に新しいもの(ある意味でパラダイム転換)かもしれません。しかし、東洋とよばれる地域の一部においては、実は古くから行われてきたのではないかと思われます。少なくとも日本の漁業においては、古くからガバナンスや順応的管理と同様の資源管理が発達してきました。日本の漁業制度の起源は唐の律令にあります。唐の律令制はローマ法や英米法と同様に、政治的・経済的な影響力に伴って近隣諸国の法制度にまで波及したといわれています。(詳細は現在調査中)
・ここではまず、欧米(主に英米法諸国)と日本の自然資源管理制度の対比を、漁業資源を例として、管理権限の所在に着目してまとめてみます(牧野・坂本(2003))。日本漁業には大宝律令以来1300年にわたり「資源利用者による資源の保護・培養」という理念が貫かれており,漁獲圧調整や水産資源の保護・培養は主として漁業者らにより自主的に行われてきました。現在の漁業制度も、関係漁民の総意により水産資源の保護・培養と持続的な漁業生産を達成するという理念に基づいています。
・一方で米国は「政府による資源管理と市民一般による資源利用」という,管理と利用の二元的制度と捉えられます。その根底には「政府は信託者たる市民からの信託財産である自然資源を,一般公衆の利益に反する方法で管理・処分してはならない(善管義務)。即ち政府は信託財産としての自然資源を,減耗・乱獲から守る「義務」を負っている」という公共信託の理念があると思われます(こうした解釈はSax教授により展開されたものですが、Campbel(1994)はそもそも公共信託は分配の正義を意図したものであると主張しています)。よって水産資源の利用者(一般市民)は専ら自己の利潤最大化に専念する傾向があり、近年のTAC制,ITQ制に於いてもその構造的な欠陥が明らかになってきました。
・環境保全一般に関しても、米国では絶滅危惧種や自然生態系の保全は一般的に政府の義務(ステュワードシップとよばれることもある)とされ、その絶滅や劣化は政府の「義務違反」となり、公共信託の理念に照らして断罪されるのです。そしてその訴訟の原告として、環境NGOが活発な役割を果たしています(makino et al. (2002))。特に1980年代以降、こうした環境訴訟における政府の敗訴と、共和党政権下での環境政策の後退が続きました。その結果、環境NGOに代表されるような環境保護を求める市民活動と、農山村住民らによる反環境保護運動が活発化し、世論の二分化が起こりました(柿澤(2000))。こうした政治的問題への対応策として、「利用」と「保全」を両立させ、かつ政府によるトップダウン式環境管理から地方の管理組織への責任の移転を伴う手法が、米国でも歓迎されたと推察できます(注:ただし米国は生物多様性条約に参加(批准)していません)。
・では日本の資源管理制度(ここでは漁業資源)は具体的にどのような性格を持つのでしょうか?それは、基本的に各地域における漁業者ら(漁業協同組合など)の主体的意思決定により持続的利用の為の資源管理がおこなわれうること、また、自主協定を中心とした柔軟な管理により、試行錯誤を通じた順応的な管理を可能とすることです。またそこでは科学的な知見に加え、各地域の、伝統的な知識・経験に基づく意思決定が可能となります。それは、エコシステムアプローチの枠組みでいえば、分権的自治的管理(ガバナンス)及び順応的管理として捉えることができます。こうした特徴を有する日本型の漁業資源管理制度は、欧米型制度において最大の問題となっている不正漁獲やその取締り費用が少なく、また、資源変動や不確実性が大きいほど経済合理的となります(牧野(2003))。(もちろん日本型資源管理制度の弱点もまたいろいろとあります。)
・近年、海洋性レクリエーションの普及に伴って、各地の一般市民(レクリエーション利用者)と漁業者の間に沿岸資源・海面利用の競合が生じています。しかし、その調整がうまくいっている事例では、やはり自主協定が大きな役割をはたしていることがわかります。今後の沿岸資源・海面利用調整には、一般市民を含めた自主協定を推進していくことが重要になると思われます(牧野(2002))。これは今まで主に漁業者(漁業法により漁業の利益の法的保護を受けている主体)によって行われてきた沿岸資源・海面利用の意思決定に、他の利害関係者(レクリエーション利用者、一般市民)が参画していく現象と捉えられます。つまり、ガバナンスへの参加者が広がりつつあるのです。この傾向は今後も続くと思われます。
5.生物・生態環境リスク・マネジメントへ向けて(私的な展望)
・21世紀COEプログラム「生物・生態環境リスクマネジメント」の目的は、端的に言えば、生物多様性と持続性を如何に実現するかにあります。社会科学としての環境政策研究者の立場からみれば、ヒトの生存が将来の生態系に及ぼす影響(本質的に確率的)を如何に適切に制御しつつ、(強)持続的な資源利用を通じてヒトが繁栄できるのか、を考えることが重要と思われます。
・ヒトの生存が究極的に自然生態系に依存していることは論を待ちません。また生態系の一部であるヒトの内部にも、当然多様性が存在します(文化的・社会的・経済的多様性)。よって、このヒト側の多様性を無視して、環境の多様性と適切な関係を作ることは不可能と思われます。ガバナンスという概念は、ヒト側の多様性を反映しうる戦略として捉えることが出来ます。。
・また同時に、ヒトが現在有している自然生態系に関する知識には限りがあり、未知の部分がたくさん残されていることも論を待ちません。さらに、種の構成や物質循環、資源変動などに見られるように、自然は本質的に動的なものであり、変動が存在します。この、知見の限界と自然の本質的変動という2つの事実は、決定論的ではない、不確実性下の最適意思決定を必要とします。そこでは順応的管理が一つの有効な戦略になると思われます。
・本COEを他の環境関連COEと比較した際の特徴の一つは、広範囲の専門分野からメンバーが集まっていること、そして多数のCOEフェロー(若手・中堅研究者)がいることにあります。特に可能性が大きいのは、地圏(土壌や森林植生、地質やそこに生息する動物など)と水圏(淡水・海域を含む)両方の研究者がメンバーであることです。つまり降雨から海までの流域圏(Watershed)単位の総合的研究さえも行いうるという点です。
・よって私の担当している理念分析、およびリスク管理の研究では、「確率性」、「自然的文化的多様性」、「ガバナンス」、「順応的管理」、「流域圏管理」といった概念をキーワードに、生物多様性と持続性を考察していきたいと思っています。そしてそれらの結果を分かりやすく実践的な型で公開することに貢献するのが目標です。
6.参考文献
Campbell, T.A. (1994), "The Public Trust, What's It Worth?", Natural Resource Journal, 34, 73-92.
原科幸彦(2000)『環境アセスメント』,放送大学教育振興会.
柿澤宏昭(2000)『エコシステムマネジメント』,築地書館.
牧野光琢(2002)漁業権の法的性格と遊漁−兵庫県家島諸島における遊漁権確認等請求事件を例として,地域漁業研究,Vol.42(2),25‐42.
Makino,M., W. Sakamoto, and N. Arai (2002), “Fishery Resource Management and Environmental Preservation: Institutional Comparison between United States and Japan”, Proceedings of the 2nd SEASTAR2000 Workshop, Phuket, Thailand, 33-38.
牧野光琢(2003),資源管理型漁業の実物オプション分析‐京都府沖合海域を例として,環境科学会誌,Vol. 16(5),393-410.
牧野光琢・坂本亘(2003),日本の水産資源管理理念の沿革と国際的特徴,日本水産学会誌,Vol.69(3),368-375.
松田裕之(2000)『環境生態学序説』,共立出版.
松下和夫(2002)『環境ガバナンス』,岩波書店.
武内和彦(2001)「6.3 里地自然を生かした国土づくり」,(武内ら編)『里山の環境学』,東京大学出版会.
UNEP CBD (2000)Decisions adopted by the Conference of the Parties to the Convention on Biological Diversity at its Fifth Meeting, UNEP/CBD/COP/5/23.
UNEP CBD ( 2003) Review of the Principles of the Ecosystem Approach and Suggestions for Refinement: A Framework for Discussion, UNEP/CBD/EM-EA/1/3.