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取材帳から 昭和モダン・大阪の旧精華小の売却計画

 <おおさか発・プラスアルファ>

 ◇ミナミ文化の支え 卒業生ら、文化的価値「検証を」

売却が予定されている旧精華小学校(右手前の元体育館は現精華小劇場)。売却を前に校庭で発掘調査が行われた=大阪市中央区難波で2010年10月1日午後1時47分、本社ヘリから竹内紀臣撮影
売却が予定されている旧精華小学校(右手前の元体育館は現精華小劇場)。売却を前に校庭で発掘調査が行われた=大阪市中央区難波で2010年10月1日午後1時47分、本社ヘリから竹内紀臣撮影

 昭和初期に市民の浄財で建てられた旧大阪市立精華小学校・幼稚園(大阪市中央区)の校舎を民間に売却する計画に対し、卒業生らが建物の価値や歴史を伝えるための活動を展開している。建築史の専門家から「文化財的価値のある建物」と評価する声がある一方、多くの市民にはその存在が知られていない建築だ。【手塚さや香】

 旧精華小・幼稚園は1873(明治6)年に開校。99(同32)年に現在地に移転し、その後1929(昭和4)年に現校舎が建てられた。

 鉄筋コンクリート造りの地上4階地下1階建て。三木楽器本店(大阪市中央区、国登録文化財)なども手がけた増田清による設計。小学校のほか女学校、青年訓練所など複数の教育機関を併設し当時「全国一の設備」と言われる規模を誇った。校庭から1階への入り口や3階窓の上側のアーチ状など一部に西洋の様式主義的なデザインが見られるが、全体としては装飾性を極力排し、機能美を追求したモダニズムのデザイン。日本にモダニズム建築が広がり始めた昭和初期の時代状況をよく残している。

 一方で精華小はミナミの中心地の学校ならではの知恵や文化もはぐくんだ。地域は深夜まで営業する飲食店が多く、家庭で朝食を抜く子どもが多かった。そのため、学校で朝食を配膳(はいぜん)する「朝食給食」を実施したり、校内で児童が入金や引き落としのできる「子ども銀行」もあった。喜劇役者の故藤山寛美さんら文化芸能関係者の母校でもある。

 歴史ある学校も児童数の減少で95年に廃校に。防火対策などの改修工事を行い、体育館は「精華小劇場」、校舎は「生涯学習センター」と、地域文化の発信地として活用されてきた。ところが、財政難の大阪市は07年に市有地309カ所121ヘクタールを売却する方針を表明、同小の敷地も16年度末までに売却する予定だ。

 78年度卒業生で建築家の分田よしこさん(45)らは「精華小校舎の価値が知られることなく売られてしまうのはもったいない」と、「精華小校舎愛好会」を発足。9月以降、月1回の勉強会や見学会を開催している。分田さんは「この建物を愛する市民の声を市に届けたい」と話す。

 大阪市は「精華小はバリアフリー対応などがなく公共施設としては使い勝手が悪い。現在のような利用法よりは売却が望ましい」。平松邦夫市長は「精華小があったことを伝えようとする会の心意気には感動するが、地域活性化と市の財政を考えると売却せざるをえない」と説明する。

 国内外の近代建築の利活用に詳しい橋寺知子・関西大准教授(近代建築史)は「精華小校舎は戦前の学校校舎の特徴を備えた数少ない現存する建築。廃校利用が促進される現在、きちんと価値を検証する必要がある」と指摘する。

 ■メモ

 ◇廃校の活用策

 文部科学省は少子化で急増する小中高校の廃校を企業やNPO(非営利組織)に活用してもらうため、9月に「『みんなの廃校』プロジェクト」のホームページを開設するなどの廃校利用の取り組みを進めている。活用方法や利用者を探している自治体から情報を募り全国の情報を一覧にし、11月1日時点で95件が掲載されている。近年は、いずれも京都市立の明倫小が京都芸術センター、龍池小が京都国際マンガミュージアムとして活用されるなど全国の廃校が文化、福祉、観光などの施設として生まれ変わっている。一方で、関東大震災後に旧東京市が建てた「復興小学校」の一つで、日本建築学会が「重要文化財に相当する」として解体工事の中止を要請していた東京都中央区の明石小学校が取り壊されるなど、十分な検証や議論がなされないまま手続きが進んでいる事例も後を絶たない。

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毎日新聞 2010年11月11日 大阪朝刊

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