編集長日誌〜本の御しるし
★編集長日誌15★
1月5日(水曜日)
本日より出社である。一週間の休みはあっと言う間であった。私は両親と同居なので、年末から兄弟たちの家族も帰省し、更に藤沢住まいの息子も帰ってきて、その学生時代の友人たち六人ほどが大晦日から元日にかけて毎年泊まりに来る。12時新年を迎えると同時に皆が一間にあつまり四方拝を執り行うのが我が家の習慣だ。賑やかで良いが真に慌しく騒々しい年の始まりだ。その後、家内が勤務する保育園を経営する禅宗のお寺に二人で初詣する。これがNHKの「行く年来る年」で放送されるような昔ながらの光景なのだ。
3日の朝日新聞で、なないろ文庫の田村治芳さんが亡くなったのを知った。60歳、この二年ほどは辛い闘病生活であったが、よい友人たちに囲まれて『彷書月刊』通巻300号を達成された。よく頑張られたと思う。ふと次のような句が浮んだ。
渡りえぬ荒野の果てへ冬の虹
いろいろな意味で他人事ではない。ご冥福を祈る。
我が家もようやく静かになった3、4日で、同人誌『鬣』の連載原稿「戦争俳句私論」を仕上げた。実は30日が締め切りであったのだが、苦戦した。中村草田男戦時中の俳句をめぐるテーマの三回目、結論らしきものでまとめねばならない。この原稿の関係で、今年の読書初めは『定本川端茅舎句集』『篠田悌二郎句集』日野草城『旦暮』とあいなった。読書ではあるが、それぞれの句集で他人や家族などが詠われているのが何句あるかを数えるという読書だ。結論を言えば、草田男の句は他に比してその率が異常に高いのである。
さて、本日は神保町古書街の各店への年始周りの日である。以前は福次郎顧問と二人で周ったのだが、この五年ほどは私ひとりになった。古書会館の市場再開が明日からなので、6日から営業のお店も少なくない。今年はどんな一年になるのだろうか。穏やかな一年であって欲しいものだ。古書部の落語本特集への注文もおかげさまで順調である。
1月6日(木曜日)
本日も快晴だ。朝出社すると社長から「文藝春秋」1月号掲載の坪内祐三さんの「人声天語」92「2010年秋に神保町から消えた三つ」のコピーが回ってきた。消えた三つとは、神保町ブックフェッスティバルでのトークショー、「彷書月刊」、巌松堂図書、である。それは良いのだが、巌松堂についてはよく誤解されるので書いておきたい。昨年閉店した巌松堂図書を明治時代から続く古書店とされているが、これは波多野重太郎氏が明治三十七年に創業した巌松堂書店とはまったく別の古本屋であり、またそこで修業されたという系列の店でもない。むしろ山田書店の創業者で永井荷風文献のコレクションでも知られた山田朝一さんの実弟山田一郎さん創業の古本屋であった。また新刊書の書泉グランデも波多野一族の経営かと思うとされているが、これはむしろ一誠堂書店先代の二代目酒井宇吉(初代の長男賢一郎が襲名)さんの実弟正敏氏が創業したものである。
戦前から終戦直後まで古本ばかりでなく出版社としても盛業した巌松堂書店出身の古本屋は神保町や本郷のほか全国にあるが、そのまま巌松堂の名を継いだのは、板橋の波多野巌松堂の松本仲蔵さんで、重太郎氏の晩年もっとも近くにおられたことに因るものとのことだ。本誌で昭和58年ころに古本屋人脈記を連載したことがあり、巌松堂出身者の多いのに驚いたものだ。
1月7日(金曜日)
福次郎顧問が出社された。今年96歳の年男である。すこし風邪気味のようだが寒い中のお出まし頭が下がる。「日本近代文学館々報」の一月一日号に「『日本古書通信』の七十五年」を寄稿されていて、掲載誌を頂いた。
昨夜は六時から伝通院でなないろ文庫田村治芳さんの御通夜であった。電車で喇嘛舎長田さんと一緒になった。彼は田村さんより一つ下だが、開店の日は一日早かったのだそうだ。南部支部で長く一緒だったから思い出も多かろう。会葬者に女性が多いので驚いたが、奥さんの関係もあろうが、田村さんには女性ファンも沢山いそうだ。無宗教の葬儀で献花だけなのも田村さんらしい。ひょっとして会葬御礼の挨拶は田村さんが生前書き残しているのではと思ったが、そうではなかった。奥様の心のこもった挨拶文であった。
「本の宿題」連載中の平田雅樹さんが事務所に寄られた。古書会館即売会の下町書友会に来られたのだが、この会に限らず、最近は即売では殆ど購入するものは無いそうだ。大方はヤフーオークションを利用しているらしい。例えば和本・中古と複合検索すると1200点くらいのリストが出る、それに気をつけていれば、通常古本屋で買うよりも大分有利らしい。私はネットオークションに手を出したことはないが、息子や娘は昔から利用しているし、若ければ若いほど利用者は多いかもしれない。
1月11日(火曜日)
本当に珍しいことなのだが、土曜日、風邪を引いて病院へ行った。寒くて乾燥しているから、マスクをしている方が極めて多い、皆さんも充分気をつけて頂きたい。私はまだ本調子ではないが、もう大丈夫である。
1月号の落語本特集は注文が沢山入った。ただ注文者の人数はすくなく、良いのか悪いのか、発送作業は楽である。多くの方から注文が入れば重複が多くなり抽選漏れの方も多く出る。沢山の方から注文が入るのが良い目録だと思うが、バランスが難しい。八木書店古書部の三村竹清宛の年賀状もよく注文が入ったらしい。これは最初から予想がついた。本誌の読者が興味を持ちそうな名前ばかりである。しかも一通千円では当然の結果だ。
昨年末の明治古典会クリスマス市に出品した雑誌類は予測以上に高額で落札されたのだが、切り取りなど事故が多く、値引きも想像以上に大きくなった。古書市場では、落札から一週間は、落札品の乱丁、落丁、線引き、切り取りなど、その場での確認が難しいものについての値引きを受付けている。場合によっては返品の場合もある。値引きは大抵、落札額の一割以内だが、問題が大きければ例外もある。通常、蔵書印があるとか、書き込みがあるとかの注意を書いて出品するのだが、大量の場合はチェックできないため、後からの事故対応として出品するわけである。ただ、この値引きの額の基準はないので、古本屋の見識というか店の個性がでる。多少の難点はまったく気にしないところもあるし、こんな些細な点でクレームがつくのかというのもある。何度も書いているが、極めて綺麗な本でないと売りにくい時代ゆえ、事故も多いのではないかと思う。
1月12日(水曜日)
14日から出ればよいがと考えていた大屋幸世先生の本の校正が全部出た。前にも書いたが完成した本を早く見て頂きたい病床の先生がおられるとのことだから、予定より早くなったので一安心である。
午後3時から、美術資料専門のえびな書店蛯名則さんにインタビュー、昨年の内に済ませる予定が延び延びになって今日になってしまった。大急ぎでまとめて二月号に掲載の予定である。話題は最近の中国需要から始まった。昨日届いた銀座松屋の即売会の目録には中国の物がないですねと聞いたら、中国の古いものは目録に載せるまでもなくどんどん高値で売れていってしまうのだそうだ。詳しくは記事を読んでもらいたいが、それよりも今日の彼の話のなかで、印象的であったのは、本は、たとえ限定30部の物でも、専門でやっていれば数回扱うことが多く、そうすると気持ちの上で扱いたいという熱意が薄れてきてしまう。その点自筆の資料など一点だけのものは出会うことの喜びが大きく、仕事を続けるうちに本よりもそうした資料的なものに自ずと目が行くのだという。その点は老舗の専門店がコンスタントに基本文献を揃えていかなくてはならないのとやりかたが違うのだろう。家業としての古本屋というよりも資料ハンターの要素が強いのが、専門店創業者の特徴だろうと思う。通常の美術商と違い、画家の書簡とか日記など画家の伝記資料を得意とする彼は、美術史家に近い知識を武器としているのだ。若い古本屋を見ていて、良いところに目をつけたなと感心することもあるが、なかなかそれを持続できないようだとも、話していた。
1月13日(木曜日)
二月号の割付けがほぼ出来上がり、半分近くを入稿した。次号には神保町の田村書店さんが目録を久しぶりに出してくださる。有難いことである。
唐突な話題で恐縮だが、伝記作家もやはり自分にどこか似たところのある人物を描くときに最も力を発揮するのではないかと思うがどうだろう。例えば中野好夫さんは、アラビアのロレンスに始まり、スイフト、徳富蘆花、司馬江漢など一筋縄でいかない人物伝の名著を著している。本職の英文学ではシェイクスピアが専門だが、それについての専門書はない。沙翁が描いた人物ではヘンリー四世に出てくるフォルスタッフに強い魅力を感じていた。その何でも飲み込む、繊細さを持ちながらも狷介固陋どこか魁偉か怪異とでも言うべき性格が、ロレンスや、徳富蘆花に、そしてご自身にも通じている。また、最近いろいろ読み始めた市嶋春城だが、最初の本は、西洋のつむじ曲がりの話題を集めた『蟹の泡』で、次が近世日本芸苑のつむじ曲がりの逸話を集めた『藝苑一夕話』上下だ。『蟹の泡』は翻訳翻案物だが、後者は自作で、すこぶる面白くかつ多くの人物の話題を集めている。大蔵書家でもあった春城の面目躍如たるものがあるが、逸話集であるから、その学問なり文芸の深いところまでは掘り下げない。春城が最も多くの文章を書いたのは頼山陽についてだが、その著『随筆頼山陽』も一つのまとまった評伝ではなく、多くの文章を集めたものだ。春城は殆どが短文で長篇は殆ど無いと思う。短い中に多くのことを描きこんでいるが、どこか淡白である。自伝風のものを読むと豪傑だが、やはり相当なつむじ曲がりではあったのだろう。
明日からお休みを頂いて、南九州に出かけてくる。格安のツアーで自由は殆ど無い。いずれゆっくり行く時のための下調べのようなものである。
1月17日(月曜日)
無事三日間の旅行から帰ってきた。飛行機で行って向こうではバスツアーだから慌しい旅行だが、鹿児島、宮崎共に初めての地だからそれなりに得るところはあった。一番の収穫は、小村寿太郎が生まれた日向・飫肥城を知ったことだろうか。小村が学んだ藩校振徳堂は、安井滄洲・息軒親子が教授・教導を務めていた。本当の山の中の城下町である。五万石というのが俄かには納得しがたい地域だが、こんな小さな城下町から偉人が輩出されているのだ。近世の九州には各地に優れた儒者・学者がいる。京都や江戸から遥かな土地なのに何故なのだろうか。辺鄙の地から勉学のために京都、江戸へ出る、その気構えが現在人とは比べものにならないのだろう。今、海外留学を希望する学生が減少しているというが、飫肥から江戸は、現在のアメリカやイギリスよりは感覚的には遥かに遠かったはずだ。ところで、わが旅の帰りだが、鹿児島空港を午後八時少し前に離陸して、羽田を経て、茨城の我が家に着いたのは午後十一時半だった。大阪から帰ってくるよりも短時間だった。
本日出社すると、群馬の県立土屋文明記念文学館の学芸係の方から展示会のパンフレットに添えて御手紙が送られてきていた。本誌を楽しみに読んでくださっているらしい。現在開催中の「本の美・装幀の美」で、群馬ゆかりの文学者の作品を中心に紹介しているが、その中に、昨年二月号で平田雅樹さんが「雪岱装幀の珍本ベストファイブ」で未見だとしている、白石実三の『瀧夜叉姫』の箱も展示しているというのだ。それは安中出身の白石実三の旧蔵本だという。編集していても、しばらくすると忘れていることは極めて多い。『瀧夜叉姫』といわれても、それだけではぴんと来なかったろうと思う。熱心な読者に感謝である。
八王子の徳尾書店さんから目録NO5「史料に見る大正・昭和洋楽演奏会の系譜」と題した立派な目録を頂いた。漫画から出発した若い古本屋だが、音楽史料に徐々にシフトされているようだ。三十年、古本屋さんたちを見てきて感じるのだが、専門店志向のある方は、開店からまずは数年でその分野ではトップになっている。私と同世代の石神井書林さん、けやき書店さん、先日お話をうかがったえびな書店さんしかり。若いところでは港やさん。みな数年で一流になっている。徳尾さんも同じだ。二十年も三十年もしてじっくり一流になったという例をあまり見ない。一流になってそのままではなく、成長しているし、逆にパッと一時光って消える古本屋もある。全部でも二千人ほどの業界だが、芽の出る店は最初からどこか違う気はする。