三尾神社 みお 御祭神 伊弉諾尊 鎮座地 滋賀県大津市圓城寺町 |
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手水舎の水も卯の口から。 |
京阪三井寺駅下車、西へ徒歩約5分のところに三尾神社が鎮座する。眷属さんがウサギで、境内のあちこちにウサギがいる。 |
「寺門伝記」補録第五・三尾神社神祠、及び古説によれば三尾明神は次の如く言い伝えられている。その昔、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられた。 この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられた。 ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、その出現は太古卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方よりとされる。白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲三年(769)三月十四日(第二の卯の日)の出現とされている。 |
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御門 |
拝殿 |
社殿に関しては、貞観元年(859)卯の年、圓城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興の後、室町時代、応永年間に足利将軍が現存の本社を復興されたものである。慶長年間には、太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列され、明治二十二年には内務省古社保存資金下賜、明治四十三年に県社に昇格している。 又、「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名ずけて三尾が崎という。養老年中に道明・徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像を造る。その像材、近江国高島郡三尾が崎より流れ出て漂ひて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはひ出て陸に上り、西の山を望んで去る。これ即ち三尾明神なり」とある。 |
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神紋は「真向きのうさぎ」 三尾明神が太古、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より出現されたという言い伝えにより、昔から兎が神様のお使とされている。 寺門伝記にも「当神のお使は卯を用う」とある。 例大祭 五月二日 渡御祭 五月三日 |
「真向きのうさぎ」のご神紋 |
境内社とその御祭神 | |
┌白髭神社 猿田彦命 |
坂下稲荷神社・茂稲荷神社 底筒男神、中筒男神、倉稲魂神 |
日御前神社<ひのごぜん> |
日御前神社 御祭神 天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神 特殊神事の「朝瓜祭」<あさうり>が、 七月二十二日、二十三日に行われる。 日御前神社の例祭で天武天皇の長子、大津皇子第三の姫宮瓜生姫<うりうひめ>の御創建で、もと中保町に鎮座のところ、明治四十四年三尾神社の境内に移し、末社とした。 姫宮信仰の瑞験あらたな神霊石があり、子供の病気(夜泣き、かんむし)安産・縁結びに霊験がある。神霊石が朝瓜形をしているところから、参拝者は朝瓜に子供の名前を書いてお供えする風習があるので、朝瓜祭と称する。 |
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