蓮井智臣 誕生日SS「生まれる朝とクローゼット」

公開期間:2011.01.26~2011.02.02


生まれる朝とクローゼット
SS/柚原 テイル

 飛行機には乗ったことがあったけど、海外に行くのは初めてで――――
 パスポートに大きなキャリーバッグ。そして、飛行機の中で眠ったり食事をしたり、とても新鮮な旅。

「眠れませんか? 大丈夫、墜落したりしませんよ」

 隣に座る智臣さんが、優しく私の手を握り笑いかけてくる。
 さっき機体が揺れた時は、早く着いて欲しいと思っていたのに……。智臣さんの笑顔を見ていると、時間が止まってしまえばいいと思えるぐらいの大切な気分になった。

「し、心配はしてないです……ただ、今をかみ締めているというか……えと……」
「もう、一眠りするころには着いていますよ」

 智臣さんが、今度は私の額へそっと手を置く。

「……はい」

 私達は新婚旅行でパリへ向かっていた。
 12時間を越える長いフライト――――智臣さんの誕生日を挟んで一週間の旅。
 行き先は迷ったけれど、彼がいくつかあるパンフレットの中で一番長い間見つめていた気がしたから……。つられるように私も綺麗な教会や美術館、街並みに一目惚れして、パリに決めた。
 ――――。
 彼の言葉通り、目を閉じて再び開ける頃には、到着を告げる機内アナウンスが流れていた。

※  ※  ※

 ホテルに荷物を預けて少し眠ったあと、大通りを手をつなぎ二人で歩く。
 高くそびえる見事な建物や、一生記憶に残るだろう美術品、驚きの連続で――――

「うわぁー……」

 私はうっとりしっぱなしだった。そんな顔のまま智臣さんを見ると、どこか遠くを見ながらも、目が合うたびに笑いかけてくる。

「あなたがいる景色は、とても幸せです」
「えっ……は、はい。私も……」
「―――――は、僕の記憶を……塗り替え―――――」
「えっ?」

 智臣さんの言葉が、小声でよく聞こえない。
 聞き返したけど――――

「ふふっ。次は服を選びましょう」

 ……笑って誤魔化されてしまった。
 はしゃぎすぎて呆れられてしまったかな、とも思ったけれど、つないでいる手がさらにギュッと握られて幸せな気分だ。
 ――ブティックではまるで映画の中みたいに、智臣さんが次々と試着を促してくる。

「ぜ、全部は買ったらダメです……!」
「ふふっ、わかってますよ。観劇用に一着だけ、ですね」
「あ、ありがとうございます」
「お礼には及びません。大事な奥さんですから」
「は、はい……」

 さらりと奥さんという言葉が出てきて、私は赤面した。まだ慣れないでいるのは私だけだろうか。

「着替えたら行きましょう、開幕まであまり時間がありません」
「は、はい……!」

※  ※  ※

 歴史ある劇場の天井には、綺麗な絵が描かれていた。圧倒されながら、私は席に着く。
 ほどなくして幕が上がり、美しいドレス姿の女の人が次々と歌い始める。
 セリフはわからなくても……私は歌声と動きだけでオペラの世界に引き込まれた。
 ――待ち人を待ちすぎて、人形になった少女がある夜から街角でピエロとして踊り始める。
 ――その踊りは、誰をも魅了して、最初は歓迎されるのだが行く先々で嫉妬や羨望を浴び、追いやられていく。
 最後には歌ったまま、彼を思いながら河へと身を投げるストーリーだった――

「綺麗……悲しいのに、幸せそう……」

 言葉もわからないのに……私は幕が下りても、ずっと感動して拍手したまま泣いていた。
 ハンカチを差し出してくれる智臣さんの手が、そのまま頬を拭ってくれる。

「悲しいのに、幸せそうなんですか?」
「……嬉しそうに笑って、最後は彼に会いに行くんだって……見ていて感じたから……あれ? ストーリー違ってましたか……言葉がわからなくて恥ずかしいです……」
「……いいえ、あなたの解釈が僕は好きですよ。昔から、この作品は好きだったのですが、もっと好きになりました――――ただの残酷な恋の話ではなかったんですね」
「え、えっ! 残酷な恋の話だったんですか……! すみません、知らなくて……!」
「僕が思い込んでいただけですよ。あなたは、いつも温かい」

 智臣さんが私の頬へ手を当てる。真っ直ぐに見つめられて、キスされそうな勢いだった。

「あ、あの……!」

 照れて慌てて俯く。

「……ホテルに戻りましょうか。早く二人きりになりたいです」
「……は、はい――――」

※  ※  ※

 智臣さんの言葉の真意がわからないまま、私達はホテルの部屋へ戻った。
 クイーンサイズのベッドは、天蓋つきで落ち着かない気分になる。

「き、着替えます……ね」

 私は背を向けて大きなクローゼットからハンガーを取り出した。
 智臣さんがバスルームの方へ消える気配を感じて、ほっとしてファスナーへ手を伸ばす。
 夫婦とはいえ……いきなり大きなベッドがある旅行は恥ずかしい。

「んっ……あれ……引っかかった、かも……」
「僕が脱がしてあげますよ」
「えっ、あっ……の、いつの間に……!」

 智臣さんが私の服へ優しく手をかける。

「言ったでしょう、早く二人きりになりたいって――――」
「あっ……」

 露になった背中へ、彼が静かにキスを落とす。いつもより、熱い唇で私はクローゼットへへたりこんだ。

「は、恥ずかしいです……どうして……いきなり……」
「あなたを好きで、とても……抱きたくなったからです。あなたはとても温かい」
「あっ……待っ……! 服……かけないと、皺に……」
「待てません。あなたが愛しすぎて……鼓動を感じたくて……」

 抱きしめるようにして、智臣さんが私の背中へ顔を埋める。鼓動が早くなった。

「あ、あの……今、ちょっと……緊張して……」
「あなたは温かい……人形じゃなくて……よかった」
「と、智臣さんだって……ドキドキ……してますよ……?」

 自分の心音とは別に、大きな脈を背中に感じる。それは、智臣さんの鼓動で――――

「今日は……嬉しいことがたくさんあったんです。あなたが全部、塗り替えてくれた」
「……塗り替えてって……あの……大通りで言いかけた言葉ですか?」
「はい。僕はこの街で過ごしたことがあります……」
「あっ……! ま、まさか……前のお仕事とか……か、海外って……ご、ごめんなさい……私……嫌な思いでのある場所を選んでしまって」

 自分の鈍さが恥ずかしい……!
 智臣さんが海外で仕事をしていて心に傷があるのを知っていたにも関わらず、旅行に選んでしまうなんて。

「謝らないで下さい。僕が来たかったんです、あなたと偶然に委ねて、またここへ来た。そして、今とても救われて高揚して……嬉しい気分なんです」

 智臣さんが私の首筋へキスを落としながら、静かに息を吐く。

「あっ……あの……っ……」
「唇にキスしてもいいですか……? 可愛い奥さん」
「っ~、いい……です……んっ――――」
「んっ……」

 言い終わる前に、真上から智臣さんの唇が落ちてきた。首筋を彼の長い髪がくすぐったい気分にさせる。

「……あなたが街角で笑ってくれるだけで……僕は――――とても、愛しい」

 熱い息を絡ませながら、唇が離れる。少し潤んだ目の智臣さんの笑顔が近くにあった。
 彼が心から喜んでいて、何かが吹っ切れたかけがえのない笑みに見えて――――
 私まで触れている肌から伝わる彼の鼓動で、嬉しくなった。
 だから、大きなベッドじゃなくてクローゼットの中だったけど……。

「もっと、触れてもいいですか……?」
「……はい、わ、私も……あの……抱きしめたい……です」

 抱き合いながら、互いの服を脱がせた。手ざわりの良いそれは、弛めると肌を滑るようにクローゼットの中へと落ちる。
 智臣さんの手が秘所を探し当て、唇が乳房を甘く噛む。

「あ……っ、ぅ……」

 堪えきれずに小さく喘ぐと、声が響いて恥ずかしくなった。

「ふふっ、大丈夫。クローゼットの中なら、部屋の中より外へ聞こえませんよ……んっ……」
「あっ、ふぁ……っ」

 智臣さんが悪戯っぽく胸の尖端を吸う、途端に切ない痺れが走る。
 弄るように彼の細い指が、秘所を撫でた。私は羞恥に震えながらも、彼の鼓動を抱きしめる。
 やがて、雄々しく熱せられた彼が私を貫き、揺さぶり――――

「あなたを……とても愛しています」

 鼓動を重ねて確かめるように、私達は幾度も体を合わせた。

■  ■  ■

 …………。
 僕はまだ眠っている彼女を起こさないように、朝食のルームサービスワゴンを部屋の中央へ運んだ。
 クローゼットで眠りこけた彼女をベッドへ移したのが明け方、まだ目覚めるには時間がかかりそうだ。
 食事が冷めてがっかりした顔を見るか、眠そうな顔を見たいか少し迷う。

「どうしたらいいのでしょうか……」

 その時。

「ん……っ…………あーーっ! も、もう朝……えっ? べ、ベッド……いつの間に……わっ、こんな格好……あ、あのっ……」

 慌てた声がして、バスローブを着て彼女がベッドから出てくる。

「おはようございます。食事が届いていますよ、食べませんか」
「は、はい! わ~、シャンパンがついてる、オシャレですね」

 はしゃいだ声が心地良い。向かい合って席に着く。

「あっ、あーーっ! 智臣さん、今日でした……私……絶対先に起きてお祝いしようと思ったのに……すみません……」

 座った途端に彼女が慌て出す。

「えっ?」

 ――今日? 特に新婚旅行以外で大事な予定は思い当たらない。

「えっ? じゃないです……お、おはようございます……そ、そして、は、ハッピーバスデー智臣さん……!」
「あっ……」

 彼女につられるように持ち上げたグラスに、キン――――と、シャンパングラスが重なる音がする。

「――――」

 泣きそうになった。
 まるで、生まれ変わりのベルの響き。

「――――ありがとう」

 まるで浄化の朝、生まれ変わりの日の様だ。

「今日はどこへ行きますか? 智臣さんへのプレゼント……探したいです」
「あなたとなら、どこへでも」
「ど、どこへでも……? えっと……ど、どうしよう……」

 彼女が困ったように笑う。
 本当にどこへでも――――愛しさはこみ上げてきて、止みそうにない。
☆END☆