断食の最中にこうも身体がコントロール不能になると、
もうどうしようもない。
何かを食べたくて身体を動かそうとしても動かない。
取り敢えず携帯で誰かに連絡を取ろうと思っても充電が切れている。
充電しようと思っても充電器が見当たらない。
充電器を探そうと思ってもなかなか見つからない。
そして身体が思うように動かない。
いや、もはや自由がほぼ利かない。
脳から発射された命令伝達物質がなにかのカーテンで遮られ、
なかなか円滑に身体全体に行きわたらない。
非常に苛立ちを覚える。
もう駄目だ。
そう思った人間は身体をベッドの上に転がした。
頭が痛い。おなかへった。頭痛い。でもおなかへった。
コンピューターは1と0で動いているという。
ならば今の俺の頭は空腹と頭痛の認識信号のみで動いている。
それにしてもこれはヤバいぞ。
如実に死を感じ始めてきた。
嗚呼、思い返せば下らない事でこんな事になったんだ。
うんこの量が多いとかそんな事に気が付いて、
それで食べる物の量を調整したりしてうんこの量を検証したりして、
そして断食もしちゃって。俺はユダヤ教徒か。
そして折角喰ったものを吐き戻してフェイントなんぞもかける手の込みよう。
この地球の何処かで今日のご飯も満足に食べれない子供達がみたらどう思うのか。
本当に下らない事をやっていると思う。
だから日本は平和だ、とか言われるんだ。
平和が馬鹿を量産する事は今自分が身を持って立証中である。
コンビニで大量に弁当が廃棄されているこの日本国において、
断食の末に身体の免疫力が低下し、
そして風邪をひいて一人暮らしの部屋で死にそう?
アフリカの子供達は人差指を突き立てて俺の事を笑うが良い。
こいつ、馬鹿だぜ、とな。
それにしてもおなかへった。
うんこの事に気が付いた時は不思議と空腹感と言うものが遠ざかっていた。
空腹よりもうんこの謎。
俺のうんこはどうなってるんだ。
未知の追求が空腹を凌駕していたのは間違いない。
普段は好んで口にするチョコレートも欲しいとは思わなかった。
ああ、そうだ、チョコレートだ。チョコレートが食べたいなぁ。
チョコレートの何が良いって、味も食感も全てが素晴らしい。
チョコレートを下の上で転がし溶かし、味わいながら食べたい。
特に冷蔵庫の中で冷やしたチョコレートが美味しいんだ、また。
あのヒンヤリ感が口の中の温度で徐々に溶けて行く感じがたまらないね。
ひんやりしたチョコが舌の上にのってさぁ。
そうそう、丁度こんな感じのヒンヤリ感ね。
この今おでこの上に乗っているこのヒンヤリかんなんですけ
え、何このヒンヤリしてるの。
「ああ、良かった!
これ、何本に見えますか!?」
寝起きにしては視界がさっぱりしている。
いや、言うべき言葉はきっとこれでは無い。
風邪っぴきの後にしては気分がさっぱりしている。
いや、それにしても、
「何本に見えますか!?」
このおばちゃん、だれよ?
「………三本ですか?」
気が付いたら目の前に指が三本立っていた。
風邪をひいて寝込んでいる状態からは体勢が変わっておらず、依然としてベッドの中。
そのベッドの中で寝ている俺の横で、おばちゃんが座って指を三本立てていた。
「じゃあこれは!?」
「……五本?」
「ああ良かった!元気になりましたね!」
窓の外にも随分青い空がある。
今日は良い天気になりますね。
天気予報士がそんな事を朝のテレビで言ったに違いない。
「……。」
「あ、身体起こされて大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫……。」
「良かった、もう死んじゃうんじゃないかって思っちゃいましたよ。」
「……あの」
「はい?」
「どなた?」
「そうですよね、そう思いますよね。
説明しなくてはならないとは思っていたのですが、
一体何処から何を話し始めれば良いのか。
あの、大変申し上げにくいのですが、」
あなたのうんこで御世話になっている者です。
そらが、
あおい。
「あの、お茶入りました。」
「あ、どうも……。」
「はい。
そら、青いですね。」
「ええ、良い天気で……。」
「本当に。」
「……で、俺のうんこが……?」
「いえ、厳密にはうんこが凄いのでは無く、
腸壁から分泌される腸液の成分が素晴らしくて。」
「ちょうえき?」
「それがうんこに混ざって出てくるので、
相乗効果で土に良く混ざり合い、
土中の有機的肥料栄養が素晴らしい状態で拡散していくんです!」
「はぁ……うんこが?」
「そうです!」
「俺の……うんこが。」
「ええ、素晴らしいんです!」
おばさんが言った事を、割愛して説明。
と思ったのだが、
話をしている時のおばさんの目が、とても真っ直ぐで硬かった。
だからそのまま書こうと思う。
何処の世界にも理不尽と言うものは存在するらしい。
おばさんは、俺が住んでいる場所からは遠く離れている場所に住んでいて、
(と言う風におばさんは言った。それを聞いて宇宙圏外の場所だと直感した。)
随分昔に特殊な宇宙線が降り注ぐ事件が起きたらしい。
「宇宙船?」
「ロケットとかじゃないです。宇宙線です。
この星にも、紫外線とか電磁波とか降り注いでいるでしょう?」
「ああ。」
「それの事です。
どの星から発生したのかは全く判らないのですが、
とある特殊な宇宙線が私達の住んでいる星に降り注ぎました。
それが問題だったのです。
宇宙線は非常に透過力が強く、衝突した惑星表面から、
その裏側まで付き通る程の威力を持っていました。
科学を専門に扱っている機関はその事を逸早く察知したのですが、
誰もそれを問題視する事はありませんでした。」
「どうして?何か問題は起こったんじゃないの?」
「その通りです。起こりました。」
「……直ぐ気付く様な事じゃ無かった?」
「御明察。」
降り注いだ宇宙線の効果は直ぐには表れなかった。
効果が表れ始めたのは、降り注いで二週間後の事だった。
「みみず?」
「こちらでいうところのミミズです。
土を食べて肥やす生き物がいたのですが、
それが軒並み全滅しました。
どの国のミミズでも同じ事です。
気が付くのに二週間もかかりました。正直遅かったと思います。」
「そ、それで?」
「地質調査団が乗り出し、事の全てが判りました。
土中の栄養素が完全に分解されていたのです。」
「それはもしかして分子レベルで?」
「残念ながら原子レベルでした。
陽子と中性子のサイズレベルで分解され、
惑星の土中の有機物や栄養素は完全に破壊されていたんです。
それだけではなく、全く別の物質に変化している物もありました。
ミミズはそれを食べて、早い話が食中りを。」
「あらー。」
「問題はそこからでした。」
土中の栄養素が無くなった。
と言う事は、植物が育たなくなった。
穀物、野菜を生産する事が最早出来ない。
生産不可能になったのは植物性の食べ物だけでは無く、
それを餌としていた家畜にも影響が出始めた。
「全てに影響が出始めたのは、二年後の事でした。
それまでは化学肥料等で何とか出来ると世界各国は思っていたのですが、
自然の生産力に人工の物が勝てる筈も無く、
いえ、もしかしたらそれは可能なのかもしれませんが、
私達の惑星の科学ではそこまでの生産力を維持できず、
生産コストも跳ね上がり、
最終的には、食べ物に関する値段が馬鹿みたいに高くなりました。」
「……うわー。」
「何が起きたと思います?」
「え?」
「そして何が起きたと思います?」
「……戦争?」
「……どこの星でも、大体同じ事を思うのですね。」
そう言ったおばさんの目が黒く冷えた。
科学力のある国は維持可能。
しかしそれを持たない国々は飢え、苦しみ。
その差によって人の中の不満は更に肥大化、そして争い。
皆、生きたかっただけ。
「みんな、生きたかっただけなんです。
自分の国の力ではどうする事も出来ないから、
でも、科学力を持っている国にも限界はあって、
それに自分の国も守らなければいけなくて、
その戦争が鎮静化するのに、7年かかりました。」
「7年……。」
「その間にも土中の栄養素の回復手段は見つからず、
軍事力に裂いた資金で食物の生産が陰り、
飢えで死ぬ人間も多数出ました……。」
「……科学が発展している国でもって事だよね?」
「そうです。」
「そっか……。」
「結局、惑星全体の人口は20分の1まで落ち込みました。
宇宙線が降り注いで9年後の事です。
それから細々と更に三年の月日が流れましたが、
完全な打開策も無く……。」
「でも、有機物はまた何らかの形で土に戻るでしょ?」
「え?」
「いや、だからその…うんこみたいにさ。
生き物が出すものによって再び肥料みたいな成分が土に戻るんじゃないの?」
「……恐ろしい事はその点に尽きます。」
「?どう言う事?」
「土が全て殺すんです。」
宇宙線によって新たに生まれた物質が、
土中に入ってくる有機物と反応して分解してしまう。
だからいつまでたっても土が潤わない。
「……それに気が付くのにも、また随分と時間がかかりました。
その間に大量の資源を土によって失い、
状況は切迫するばかり。
でも!」
空を見ていた。
おばさんと二人で空を見ていた。
「奇跡の様な物質が存在する事が判ったんです!」
青い空を見ていたおばさんの顔がぐるりと回って、
隣に座っている僕を見た。
ドキッとしてしまう。
おばさんと言っても、きっと40を過ぎたばかりだ。
どきっとしてしまう。
「土中にちゃんと根付いて栄養素になる物質があるって、判ったんです!」
「も、もしかしてそれが僕の?」
「そうです!腸壁から分泌される腸液が!
どういう化学変化で生成されているのかも判らないんですが、
でも確かに、その、アナタのお腹から!」
切羽詰まった声を出す。
おばさんのその声で、文字だけでは笑ってしまいそうな会話も、
まるで葬送曲で歌われる言葉のように、耳に入る。
「判った時、感激しました…!
腸液だとか、うんこだとか…!そんな事はどうでもいいんです……!
私達が生きる道が見つかったんです…!
真っ暗な夜の中に光が差し込んだようなものでした…!
どれほど、科学者達が歓喜した事か……!!」
しかし、問題もあった。
空間転送を使って俺が出したうんこを奪取するにしても、
一日の獲得量が本当に少ない。
そりゃあそうだ、だって人間が一日にするうんこの量だぞ?
「……やな予感がするんだけど。」
「……申し訳ないとは思ったのですが、
腸内に……」
「……他の人のうんこを!?」
「いや、違います!うんこに似た有機物を作って、それで転送を!
そうして腸液が染み込んだうんこを作為的に増やして……すいません!」
いや、まぁ、もういいけどさ。
他人のうんこじゃ無いだけ良かったよ。
「…僅かな歩みになるとは判っていました。
でも、やはり欲が出て…それで出して頂くうんこの量を増やして…。
それでも、惑星全土を潤すには時間がかかる事は明白…。
大勢の批判も浴びました。
でも、他に道が無くて、
でも、本当に凄いんです!
宇宙線によって生み出された物質も分解して、
本当に凄いんです、アナタの腸液!」
「そ、そう。」
「お陰でこの二十余年、随分と持ち直したんですよ!」
「(…俺の二十年分のうんこでねぇ……)」
お願いです、他には何も求めません。
ですからどうか、アナタのうんこをこれからも私達に下さい。
「………いいよ。」
「本当ですか!」
そうして、おばさんは帰った。
空間を裂いてその穴の中に消えて行った時、
本当に地球外から来たのだとあっけにとられた。
そのおばさんが帰り際に映像を一枚見せてくれた。
「私の息子です。今年で七歳になります。
あなたのおかげで、ここまで大きく育つ事が出来ました。
今なら、ちゃんと食物も十分に補給できます。」
「俺のおかげだなんて、そんな……。」
「でも真実です。」
どの世界にも、理不尽というものは起きる。
ここでも起きる。
あっちでも起きる。
きっと何処でも起きる。
理不尽は時と場所を選ばない。
そんな理不尽に踏みつけられているばかりが生き物では無い。
勇猛果敢と言う言葉は生きようとする者の為にある。
思考錯誤と言う言葉は諦めない者の為にある。
気分は、大分良い。
普通に食事もできそうだ。
今日は沢山食べよう。
ヨーグルトも忘れずに。
誰かの為に出すんだ、うんこを。
なるべく臭いウンコを出さない様に、
今日もヨーグルトを食べよう。