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軍抗戦「住民に犠牲」 牛島司令官の孫・貞満さんが沖縄戦語る2005年6月20日  このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

沖縄戦について授業する牛島貞満さん(右)=豊見城市立長嶺小学校

 沖縄戦で日本軍を指揮した牛島満司令官(中将)の孫に当たる牛島貞満さん(51)が20日、豊見城市立長嶺小学校(大城早智子校長)で「牛島満と沖縄戦」のテーマで平和学習の授業を行った。「沖縄戦ってどんな戦争だった?」と児童たちに質問すると、「住民が多く死んだ」「持久戦だった」などと回答。牛島さんは「人が人でなくなるのが戦争。沖縄は本土の時間かせぎの戦争だった」などと説明した。

 牛島さんは東京都の小学校の現職教師。長嶺小学校では昨年10月にも授業した。今回は6年生の3クラスを対象に学級ごとに2回ずつ、2日間に分けて授業する。
 最初に自分の名前が祖父の「満」一文字をもらって付けられたことを紹介。実家には写真を元に描いた祖父の絵が額に入れられて飾ってあったことも話し「小さいころからいろいろな人に牛島司令官のお孫さんですかと聞かれ、大人になってから調べないとと思うようになった」と話した。
 米軍に大敗し、追いつめられた日本軍が首里決戦か南部撤退かを迫られ、南部撤退を選んだことで、さらに住民の犠牲を増やしたことを説明。司令官の役割について「作戦を決定することと、戦争を始め、終わらせること」と述べ、牛島司令官が「最後まで敢闘」するように伝え、自殺したことが、住民の被害を増やしたと指摘した。
 授業後、牛島さんは牛島司令官について「家では穏やかで、子煩悩な人だったようだ。沖縄でも当時、長勇参謀長らと比べて穏やかで軍人らしい軍人といわれているようだ。評価は難しいが、やったことから考えてもらいたい」と話した。
 名嘉竜治君は「どんな作戦があって、なぜ多くの住民が死んだか分かった。戦争は悲惨で、多くの悲しみと苦しみを生む」と感想を話した。


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