「うまいッス! 生きてて良かったッスよ」
ウェンディとディエチの二人はセインやオットーとディードが仕事を終わらせるまでの間だけカリムの事務室に招かれていた。秘書であるシャッハが淹れてくれた極上の味を持つ紅茶を堪能しながら、談笑していた。
「このお茶ってどこの葉を使っているんですか?」
「確か第24管理世界で旬に収穫された物を使用していたはずよ。市販でも売られているから、覚えれば誰でも簡単に淹れられるわ」
「こんな美味しいお茶が飲めるのに、ノーヴェはどこ行ってるんスかね?」
「さっき誰か見掛けない方と一緒に学院のベンチに座ってお話してましたけど……」
「へぇ、珍しいこともあるんだね」
姉妹のことを完全に信用し切っているのか、稼働時間では姉に当たるディエチでさえも今は放任していた。優雅に紅茶を口に含むその姿は限り無く画になる。
「…………ねぇ、ディエチ、ちょっといいッスか?」
「何?」
「もし私達姉妹に“兄弟”が居たら、どんな子になってたッスかね?」
「兄弟? 男性体のナンバーズってことだよね?」
「そうッス。あー、ピンと来ないなら聞き流してもいいッス、こっちも不意にそう考えただけッスから」
「そう……」
結局何を突き止めたかったと言う訳でもなく、その話題はこれでお開きとなった。ディエチの方もウェンディが唐突な事を言い出したりするのは今に始まったことではないので、このことも軽く放置した。
そんな二人を尻目にカリムは窓の外に広がる寒空を見上げて物想いに耽っていた。カップに入っている紅茶もとっくに湯気が収まって冷めてしまっていたが、本人はそんなことは気にせずに呟きを漏らしていた。
「もうすぐ『預言』の時期ね……」
ミッドの天文情勢では数日以内に二つの月が最接近する予定だった。彼女の持つ古代ベルカのレアスキル『預言者の著書』は月の魔力が上手い具合にシンクロしなければ発動せず、どのように頑張っても発動周期は一年に一回が大原則である。そして、今年はこの季節に巡って来たと言う訳だ。
「叶うなら……何事も起こりませんように」
果たして、彼女の切なる願いを見知らぬ神が聞き届けてくれるのか、誰にも与り知らぬ所だった。
丁度その頃、ノーヴェは学院の敷地内に設置されていたベンチに腰掛けていた。その隣にはつい先程知り合ったばかりであるトレーゼも座っているのが分かる。その片手には水の入ったペットボトルが握られており、これ自体は金を持っていなかった彼の為にノーヴェが奢ってあげた物である。
そして、彼女は全て話した。もちろん、自分達の過去も暴露した上でだ。
――自分が今の現状に不安を抱いていること。
――自分がここに居て生活しているのは、本当は不自然ではないのかと思っていること。
――自分は……本当はここに居てはいけない存在なのではないかと言うこと。
全て話した。途中で「他人に話して何になるのか」とも思ったりしてしまったが、それでも彼女は言い切って見せた。その間、トレーゼは一言も口を挟むことなく無言で聞き入ってくれていた。
「――ってことなんだ」
「…………把握した」
話し終えた時には既に彼のボトルの中身は空になっており、言い終えたのを機に彼はそれをゴミ箱目掛けて放り投げた。流線形の軌道を描いてそれは見事に箱の中に入り込み、それを確認した後で彼は再び口を開いた。
「俺は、ノーヴェが何を考えているか、分からない」
「へ?」
「正確には、『ノーヴェ』は『俺』ではない……と言う事実。人間に限らず、この世界に存在する全ての、存在は、自己とは違う他者を、真には理解、出来ない」
「……? 何か良く分からないな」
「平たく言えば、結局俺は、ノーヴェを理解することは、不可能、だと言うこと。もし仮に、俺が、ノーヴェと、同じ環境にいたとしても、他人である以上は、完全に分かり合うことは、出来ない」
「そんな……」
トレーゼの口から発せられた言葉に彼女は愕然とするしかなかった。やはり、直感などに頼って見ず知らずの他人にこの様なことを話しても結局は無駄だったのかも知れなかった。
だが、そんな風に力無く項垂れる彼女をどう思ったのか、隣のトレーゼは再度口を開いて言葉を紡いだ。
「だが……ノーヴェが、自分で何を望んでいるのかを、聞くことは出来る」
「え?」
「だから――教えろ、ノーヴェは、何がしたい? 自己の判断に、委ねろ」
トレーゼが金色の瞳でノーヴェの同じく金色の瞳を凝視した。それと同時に彼女は会った時に感じた既視感を再び感じていた。どこかで出会った――もしくは、自分の知っている誰かに似ているのではないか、と。
「返答せよ」
彼が何の抑揚も無しに言うセリフもどこかで聞いたことがあるような気がしていた。しかし、当の彼女はそんなことよりも、ただ素直に嬉しかった。まだ相手は自分のことを許容してくれる、まだ少なくとも自分のことを理解しようと努力してくれている。その事実が心に染みた。
「……あたしは……ただ、今の幸せが続いて欲しいだけ……」
「――――『しあわせ』とは、どんな状態?」
「スバルと一緒にギン姉からシューティングアーツ習って、ウェンディが馬鹿やってんのを笑って、ディエチやチンク姉から注意されたりして…………」
「――――それで?」
「うん……。こうやってたまに教会に来てセインとかオットーとディードに顔合わせたり、いつかドクター達が帰って来るのを待って……帰って来てくれてまた皆で笑っていられたら、あたしはそれでいいんだ」
「――――それだけか?」
「それだけ。昔のあたしならどんなコト考えてたのか知らないけど、今はそれだけでイイんだ。戦うことにも……何か疲れたってゆーかさ、思えばバカやってたなって今なら思えるし……」
「……………………」
ノーヴェが胸の内を吐露する間、やはりトレーゼは無言で彼女の言うことに耳を澄ませてくれているようだった。ただただ無言で聞き入るその姿はまるで彫像のように微動だにせず、その姿を見たノーヴェはすっかり彼に気を許していた。
「はは、こんなコト言っても分かんないよな。でも、何でだろ? トレーゼとあたしって今日初めて会ったんだよな?」
「…………あぁ」
「前にどっかで会ってない? それもつい最近に……?」
「……いや、こちらの都合で、つい先日、ミッドへ来たばかり」
「ふーん、そっか。なんだか知らねーけど、他人みたいに思えねーんだよなぁ」
「……気のせい」
そう言う彼の目は限り無く冷めた感覚であり、雲一つ無い空を見上げているはずなのに何も映していないようにも思えた。だが、そんな目も彼女にとっては限り無く澄み切ったように見えていて、全ての汚れないものの象徴に見えていた。それほどまでにノーヴェはトレーゼと言う存在に心を許し切っており、それは彼女にさらに他人とは思えない感覚を抱かせるには充分だった。
そんな二人の前に――、
「ノーヴェさん、こんにちわ」
一人の少女が近づいてきた。見た目は十歳前後で、眩い金髪と左右色違いのオッドアイが特徴的なその子供はノーヴェの良く知る人物だった。
「おー、ヴィヴィオ。今帰り?」
「うん! ママぁ~! ユーノさーん! こっちこっち」
少女――高町ヴィヴィオは来た道の方を振り向くと大きく手を振った。その先では茶色の長髪をサイドポニーで束ねた女性とその隣に付き添う細身の男性が手を振り返していた。
「……ヴィヴィオ?」
「ん? あぁ、さっきあたしが話したのと同じ奴さ。“聖王の器”とかって呼ばれてたけど、今じゃ完璧にあの人の子供になってる」
「…………そう」
トレーゼはそれだけ聞くと後は興味無さ気に淡白に返しただけだった。
「ヴィヴィオ~、一人で先に行っちゃダメだよ」
「なのは、ヴィヴィオもいつまでも子供じゃないんだから、そんなに心配しなくても……」
そう言いながら愛しい娘の元へと近づいて来たのは管理局の生きた伝説、不屈のエース・オブ・エース高町なのはであった。今日は恐らく愛娘の学芸発表会にわざわざやって来たのであろう、つい二日前には局で起きたテロ騒動の鎮圧に尽力していた一人だったのがその疲労を物ともせずにこうしているのだ。無限書庫の司書長であるユーノの方は友達繋がりで一緒に来たのだろう。
「何言ってるのユーノ君、いつ何が起きてもおかしくないんだから。特にヴィヴィオのような小さい子供の周りは危険が一杯なんだからね」
「フェイトのことを過保護って言ってたけど……こうして見ると君の方も結構過保護だよね」
「そ、そんなことないってば。私はただ……本当に心配なだけで……」
「分かってるって」
傍から見れば新婚夫婦に見間違われるようなテンションの二人ではあるが、互いに歴とした未婚者である。だがヴィヴィオからすればなのはは戸籍上も心理的にも完全に親子であり、それと同時に最も接する機会が多いユーノも一番“父親”と言うものに近い人物であった。だから既に周りが何と言おうとも幼い彼女にとってはこの三人は立派な家族であることに間違いはなかった。
「ママ! ユーノさん! 喧嘩しちゃダメなんだよ!」
「ご、ごめんね、ヴィヴィオ……」
「も~、ユーノ君の所為で怒られちゃったよ。……あっ、ノーヴェちゃん! 久し振り」
「うぃっす、久し振り。ヴィヴィオも久し振り、元気にしてたか?」
「うん! 元気だよ。……ねぇ、ノーヴェさん、その人だれ?」
そう言ってヴィヴィオはノーヴェの隣に座っていたトレーゼを指差した。
「…………」
大してトレーゼの方は特に気にした風もなく、その光の宿らぬ双眸でじっと彼女の方を見つめていた。
「こいつの名前はトレーゼって言うんだ」
「トレーゼさん? ノーヴェさんのお友達?」
「……いいや、今さっき、知り合った」
「そうなんですか。でもすごい仲良くしてたし……やっぱりお友達ですか?」
「……『友達』と言うモノは、理解できない」
「?」
トレーゼの発言が分からないのか、ヴィヴィオは首を傾げるばかりだった。
「ヴィヴィオ~、そろそろ行くよ」
「は~い! じゃあまたね、ノーヴェさん! あっ、来週にもまた発表会があるから来てください!」
「行ってやるよ、またな!」
なのはに呼ばれたのを機にヴィヴィオは来た時と同じように手を振りながらノーヴェ達に別れを告げた。母の元へと走るその後ろ姿はどこまでも元気なもので、それはいつまでも変わることはないだろう。
「…………」
再び二人きりになり、ノーヴェは間をもたせるつもりが逆に変な沈黙を流し込んでしまった。相手は特に気にしてはいないようではあるが、このままでは彼女自身の決まりが悪く思えてしまう。
しかし、意外にもその沈黙を破ったのはトレーゼの方だった。
「少し、外す」
それだけ言うと彼はベンチから腰を浮かし、少し距離を置いた所まで離れて行った。
「?」
しばらく懐から出した端末のような物を弄っていたが、三分もしないうちに彼女の元まで戻って来るなりこう言った。
「急用が、出来た。そろそろ、行く」
「へ? ……あぁそっか。悪ぃな、引き留めたりして……」
「問題無い、今からでも、間に合うから……。じゃあ」
「ん。またな!」
「…………あぁ、近いうちに……いずれ」
最後の方は小声で聞こえなかったが、ノーヴェとトレーゼはそれだけの言葉を最後に――、
「……あいつ、やっぱりイイ奴」
別れた。
「第二地下ラボに、向かう、航空戦力?」
『Hurry up.(急行せよ)』
「了解。念の為、ガジェットドローン試作Ⅴ型の、起動準備を」
『Yes,my lord.』
「敵性戦力の、解析。移動速度、相対距離、魔導師ランク……全て」
『Analysing now.(現在解析中)』
「こちらも、情報の大半は、入手成功。最重要サンプル、“聖王の器”及び、最重要警戒対象の視察、同時終了。No.9『ノーヴェ』に関しては…………」
『My lord?』
「……現段階においては、不要。恐らく、計画に恭順する、意思は無い」
『Disposai.(処理せよ)』
「しかし、現状において、No.9ほどに、戦力となり得るナンバーズは、存在しない。入手した情報には、肉体増強レベルSランクは、No.3『トーレ』と、No.7『セッテ』のみ。現在、この二人は無人世界にて、入獄中……。ドクター、No.1『ウーノ』、No.4『クアットロ』に並び、救出は極めて、困難。現状での最大戦力は、陸戦特化型ナンバーズであり、肉体増強レベルAAAの、『ノーヴェ』のみ。故に、処分は見送る」
『Give her a brain wash to recommend.(彼女に対する洗脳を推奨する)』
「……いや、現段階では、不可能。もう少し、接触を重ね、心理的に距離を詰める必要性、有り。所詮、今日は、この為に接触しただけ、ただの足掛かりに、過ぎない」
『On ready at the completion,carry into action.(では準備が整い次第実行せよ)』
「承認」
『How do you cope a caution target of supreme importance?(最重要警戒対象の対処はどうする?)』
「作戦は、既に立案済み。問題は無い。それよりも、現在は、敵性戦力の、排除が最優先事項…………。マキナ、空戦態勢」
『Yes,my lord.』
「――ナンバーズは、所詮は機械。所有者であり、創造主であるドクターの、“道具”。道具に、自分の意思なんか、不要。ただ使われ、用済みになれば、抹消される……それが、俺達の、存在意義」
時を遡ること十数分前――。地上本部の一室にて。
「それで、話しとは何ですか? 通信では言えないとか……」
フェイトとヴィータを除くヴォルケンリッターが一堂に会する中、呼び出した張本人は椅子から立つこともなく忙しく作業をしていた。
「えぇ、急を要しましたから。忙しいのにいきなり呼び出してしまって……」
「前置きはいい。それで用とは何だ、フィニーノ」
椅子に座って黙々と作業を続けていた女性――シャーリーことシャリオ・フィニーノは眼鏡を上げながらフェイト達に向き直った。
「実はたった今マッハキャリバーの修理が終わりました。それで、皆さんに……特にフェイトさんには伝えておきたいことがあるんです」
「私に……? もしかして、例の解析結果がもう……!?」
「そのこともですけど、実は話があるのはマッハキャリバーの方なんです」
「え?」
シャリオがそう言ったのと、彼女が懐から蒼いクリスタル型に待機したマッハキャリバーを出したのは同時だった。元々足を切り離されただけでクロスミラージュに比べて損傷が少なかったこともあり、そのフォルムは既に傷一つなく修理されていた。
『実は戦闘中に幾つか敵の情報を入手しました』
「敵方の情報をか? しかし、それならば我々ではなく上層部に提供すべきではないのか? 少なくとも、あちらの方が情報を欲しがっているはずだ」
『いいえ、私の独断でこの情報は貴方達に知らせた方が良いと思ったのです』
「どう言うことなの?」
『それは話すよりも実際に見てもらった方が早いでしょう。シャーリー、お願いします』
「わかった」
シャーリーの細い指先がコンソールのキーを打ってコードを入力してゆく。すると目の前にホログラムスクリーンが表示されて見覚えのある場所が映し出された。
「ここって……」
「地下大型搬入通路?」
確かにそこに映っている薄暗い光景はつい二日前にティアナとスバルが激闘を繰り広げ、そして撃退された場所だった。
『この映像は私のAIがバックアップで残しておいた11月9日の映像です。今映しているのは相棒が救出に向かっている最中のものです』
視界に映る壁や天井が高速で動いているのはスバルが高速で移動しているからなのだろう。しばらく同じ光景が続いた後に、やっと最後の角を曲がり目的地へと辿り着いた。
そして、視界に入ってきたのは地面に這い蹲る傷だらけのティアナと、今にも彼女の首を切り落とさんとする敵の姿だった。それを認識した瞬間に映像が大きくぶれて、次に正常に映った時には既に敵は壁に強く叩き付けられていた。親友の危機にスバルが間に入って蹴り飛ばしたと言うのがすぐに把握出来た。そこからは報告にもある通り、スバルがティアナに対して応急の治癒魔法を使って彼女の救出に当たった。
「報告ではこの直後に……」
フェイトがそう言うのとほぼ同時に映像が切り替わって視界のすぐ横にティアナが映り込んだ。スバルが肩を貸して移動しようとしているところなのだろう。すぐに録音音声に入っていた四輪の駆動音が画面からも聞こえてきている。
だが、次の瞬間にはタイヤの回転を無理矢理止められて不調を訴える音が耳を突いてきた。場面はそのまま周囲の状況確認へと移り替わり――、
「!? シャーリー、一旦止めて!」
「は、はい!」
フェイトの大声で映像が停止した。
「どうしたのだ、テスタロッサ?」
「これを見て。拡大して」
そう言われてシャーリーはすぐに指摘された部分の映像を拡大、解像度を上げることも忘れない。徐々に解像度の率を上げてゆき、そこに何が映っているのかがハッキリしてきた。彼女が指摘した箇所に映っていたもの……それは――
「これは……!?」
「魔方陣? ……いや、テンプレートか!」
そこに映っていたのは見覚えのある幾何学的紋様、三年前までは敵同士であったナンバーズの面々が固有能力ISを発動させる際に発現させた疑似魔方陣だった。網膜細胞を刺激する真紅のテンプレートからは一筋の光の糸のような物が伸びていて、一目でそれがバインド系の魔法だと言うのも分かった。しかし、その真紅のテンプレートから放出されるそれにフェイトは見覚えがあった。
「……かつてスカリエッティが使用したものと同系統の魔法!? 何故敵がそれを使用出来る?」
「ううん、問題はそこじゃないわ。私もティアナの治療には携わったけれど、生身の人間がたった一発の殴打で人の肋骨を粉砕骨折できると思う?」
「つまりは何が言いたいのだ、シャマル?」
「現場には一切の魔力反応の検出は無し……明らかに人外レベルでの身体能力とIS…………これだけ言えば分かるはずです」
「戦闘機人……。それもスカリエッティの製造理論によって生み出されたものか」
シグナムの呟きが皆の耳に届く。
全ての機人がISを使える訳ではない。ISとは即ち先天固有技能、それは読んで字の如く遺伝子上の関係で生まれながらに持ち合わせる所謂レアスキルの類である。ナンバーズのものはもちろんのこと、スバルの振動破砕然り、ヴィヴィオの聖王の鎧然り、フェイトやエリオがもつ魔力を電力に変える変換資質然り、アギトやシグナムの炎熱変換なども言うなれば一種の先天固有技能に当たる。これらは全てDNAに含まれる特殊な遺伝子が作用し発現することで能力として開花するのだが、彼女らナンバーズの場合は創造主であるスカリエッティが独自に編み出した生命工学と戦闘機人製造方法に基づいて造られている。そしてその方法によって生み出された機人達は皆例外なく活性化された特殊遺伝子を組み込まれており、その結果としてISを使用出来るに至るのだ。つまりは今画面に映っている敵方も彼女らと同じくその理論に基づき製造された可能性が限り無く高いと言う結論に至る。
「このことを上層部には……?」
「通達出来る訳がない。テスタロッサも、そのことで懸念しているのだろう?」
「はい……」
「そうですか。そうですよね…………映像、続けますね」
そう言ってシャーリーは映像を再生させた。続きはスバルが敵のバインドに掛かってしまい、猛襲を掛けてきた敵からティアナを庇って彼女を突き飛ばした所からだった。しかし、そこから先はすぐに映像にノイズが走って二度と映ることは無かった。
『あの後で相棒は一瞬の隙を突かれて昏倒、四肢を切断されてしまい私のAIも一時的に停止してしまいました。ですから、私がお見せ出来るのはここまでです』
「いいや、敵の正体が知れただけでも大きな違いだ。礼を言うぞ、マッハキャリバー」
「それなんですけど、これとは別件でフェイトさんに知らせておかないといけないことがあって……」
「何なの、シャーリー?」
フェイトが問うと彼女はすぐにデスクの引き出しから一枚の書類のようなものを取り出してきた。
「以前頼まれた写真の解析処理の結果です。取り合えず写真の方を重点的にしたんですけど、薬品の浸食が意外に激しくて完全には処理し切れませんでした」
彼女が渡したのはつい数日前に彼女が秘密裏に解析を頼んでおいたものであり、ヴェロッサが任務先で検挙したコクトルスのラボにあったものである。培養液の薬品によって劣化していた為にやむなく時間を掛けて解析することにしていたのだ。
「これが……アコース査察官が言っていた……」
そこに載っている写真には無表情極まりない一人の少年の顔が映っていた。確かに身体的特徴は以前彼が証言してくれたものと全く同じだった。金色の瞳と紫苑の短髪、そして陽光を知らない白磁の肌――全てが言っていた通りのものである。
「…………この顔……」
しかし、初めて見る顔のはずなのに彼女は強烈な既視感を覚えていた。以前――過去に何回か――それも極々最近に、自分は酷似した人間と顔を合わせている…………直感ではなくて本当にそう感じていたのだ。しかも何故だろう、その人物を思い出そうと記憶を探ると同時に強烈な苛立ちを覚えてしまうのだ、まるで、自分はその人間のことを無意識に避けているかのように……。
「ん? どうかしたのか、テスタロッサ?」
「いえ……何でもありません」
「ならいいが……」
『待ってください、得ることに成功した情報はこれだけではないのです』
「まだあるの?」
「はい。実はティアナの証言だと交戦中に敵がAMFを……それもかなり高濃度で強力なものを使用していたみたいなんですけど……」
それはフェイトも直接彼女から聞いてはいる。カートリッジをロードしていなかったとは言え、彼女の魔力弾を一瞬で無効化して掻き消すレベルともなれば相当なものであるのは容易に想像がつく。
「正確には……AMFに酷似した魔法を使用していたらしくって……」
「酷似? AMFとは違うってこと?」
「はい。ちょっと待ってくださいね」
そう言ってシャーリーがマッハキャリバーの記録とは別に映像を映し出す。それはある規則的な波線形を描くグラフで、ここに居る全員は一目でそれがAMFの魔力波長を表したものであると勘付いた。
「知ってると思いますけど、AMF――アンチ・マギリンク・フィールドは従来の魔導師や騎士たちが使用する魔力波長と全く正反対の波長をぶつけることで魔力結合や魔力効果発生を無効化するAAAランク魔法防御です。上手い具合に波長がぶつかり合えば、より効果的に相手を無力化して、理論上はリンカーコアに多少の影響を及ぼすことも出来るんですけど…………」
さらに彼女はもう一つのグラフ映像を出してきた。
「これは何とか生きていたクロスミラージュのAIから交戦のデータを取り出して解析を加えたものなんですけど……。もう、分かりますよね?」
「あぁ……」
皆が一様に頷く。そこに映っていたグラフは先に表示されたAMFのものに比べて乱雑で、規則性の欠片もない波長を示していたからだ。
「これが交戦中に敵が使用した『AMFに酷似した魔法』の魔力波長です。一見別物の魔法に見えますけど、大まかな波長の振れ幅や仕様が共通していて全くの別物ではないんです」
「明らかにガジェット等の機械が起こした単調なものではなく、人為的に出力調整がなされているな。下手に大出力で迫る機械共に比べるとこう言う奴は余計に性質が悪い」
「あと……もう一つ気になる点が……」
「まだあるんですか?」
「はい。通常のAMFと大きく異なる点があって……。さっきも言いましたけど、通常のAMFは相手の魔法を無効化する為に魔力を外部に向けて放出、相殺させるのが目的の高位魔法です。それがこの場合、不思議なんですけど……魔力ベクトルが内側に向かって作用しているんです」
「内側だと!? 外側ではなくて内部に向かって作用するなどと言うことがあり得るのか?」
「いえ、もちろん外側に向かって作用している部分もあるんですけど、全体魔力量の約70%以上が内側のベクトルを向いています。おまけにこの魔法は解析していて判ったことですけど、常時微弱展開されていて、ティアナの魔力弾のように指向性のある攻撃がなされた場合にのみその方向へ出力を集中させることまで可能なようなんです」
映し出された映像はマッハキャリバーのものに特殊処理を施したもので、不可視の魔力に着色処理が掛けられているものだった。ティアナを救出する場面の映像では敵の体の周囲を薄い真紅の魔力壁が覆っており、それが展開されている魔法だと分かる。
「つまり、ガジェットのように垂れ流しにするんじゃなくて出力調整を行うことでエネルギー効率を改善しているってことかしら。だとすればこの戦闘機人にはAMFを展開させる為にガジェットと同じように魔力結晶が……?」
「いいえ、現在解析されている限りでは体内に魔力結晶が埋め込まれている様子はありませんでした。代わりに内包している魔力値がとんでもなく大きかったですけど……。恐らく、ギンガやスバルみたいにリンカーコアを持ち合わせた人造魔導師的な存在なのではないかと」
「やっかいな相手だな……。相手が戦闘機人、それもスカリエッティ製のものとなると迂闊に上層部に通達するわけにもいかんからな。かと言って、ここまで大事になってしまったからには秘密裏に捜査を進めると言うのも難しい話ではあるが……」
手っ取り早い話が現状では下手に動かずに様子を見るより他ないと言うことだった。今はただ静かに相手の出方を静観するしかない。
『…………すまないが、少し良いか?』
すると今までずっと沈黙を保ってきたザフィーラが念話で言葉を投げ掛けてきた。
「どうしたの、ザフィーラ?」
『うむ、先程の……コクトルスで査察官を襲ったと言う奴の写真を見せてもらえぬか?』
「構わないけど……」
フェイトはすぐに守護獣形態の彼に見えるように腰を屈めて写真を見せた。改めて見ると写真は所々が薬品の効果が抜け切らずに滲んでいる箇所がまだ目立っていた。しばらくその写真を見つめた後、彼は今度はシャーリーに向き直った。
『マッハキャリバーの映像をスバルが急襲された所まで早送りしてくれ』
「あ、はい」
ザフィーラの要求に彼女も素直に応える。すぐに映像を問題の場面まで進ませる。
「これでいいですか?」
『いや、もう少し……あと数秒程…………そこだ!』
彼が最終的に停止したのはスバルが倒したはずの敵を目視、ティアナを突き飛ばした場面であった。
「ここがどうか……?」
『そこだ! そこの敵のフードの隙間を出来るだけ拡大してくれ』
そう言われてすかさずその部分の拡大に移る。拡大した始めはモザイク画のような映りとなっていたが、すぐに解像度処理がかかりその部分の詳細が明らかとなり――、
「これは……!?」
「まさかな……」
『やはり、そうであったか』
そこに映っていたもの、フードの隙間から覗く金色の眼光と紫苑の髪――紛うことなくそれは写真の人物そのものだったのだ。
そしてその場に居た全員が驚愕の相を示したのと、シャマル以外のヴォルケンリッターに管制室からの招集命令が下ったのはほぼ同時だった。
そして――、時と場所は移り変わる。
クラナガンから離れた廃棄都市区画。今では使われることもなくなってしまったビルが立ち並ぶこの場所は、かつて何度も戦いの場所にもなっていた所だ。既に放棄された場所なので全壊した建物は修理されることもなく、当時の爪痕を生々しく残したままだ。
そんな灰色砂漠の上空に人の形をしたものが三つ確認できた。いや、それらは本当に人間の姿をしており本当に両足を地に着けることなく地上から離れた空の上で直立していたのだ。三人が三人とも変わった意匠の服に身を包んでおり、唯一の男性を除いては二人とも手に武器を構えていた。
「それで? 問題のエネルギー反応があったのはどこなんだよ」
その内の一人、一番年格好が幼い少女がぶっきらぼうに聞いてきた。目に痛い程に強烈なスカーレットの衣装――バリアジャケットを着込み右手には無骨な彼女のアームドデバイスである『グラーフアイゼン』が握られている。
「管制室からの指示ではこの辺りで反応があったらしいが……。その反応自体が途中で途切れているらしい」
「ようするに、尻切れトンボってことか。上の奴らの索敵なんてたかが知れてるな」
「口には気をつけろヴィータ。我々の精神リンクは主はやてではなく局のシステムに直結されている。ここでの会話は全て管制室に届いているのだぞ」
唯一非武装の男性は徒手空拳の手錬なのか両手に重々しい篭手が装着されているのが分かるが、それよりも目を引くのが肌色の皮膚の代わりに蒼い毛が生えて先端が尖っている獣の耳だった。どうやら偽物ではないらしい。
最後の一人は白銀の長剣を腰に差した麗人だった。束ねられた桃色の長髪が風に揺れている姿が古代の戦乙女を連想させる美しさを醸し出す。
彼らこそ最後の闇の元保有者にして夜天の主、八神はやてに忠誠を誓いし人の形をした人成らざる者達――守護騎士『ヴォルケンリッター』である。数百年の長きに渡る悠久の時を存在し続けてなお人間の心を持つ彼らからは歴戦の戦士としての威厳と風格が漂い、ここが古代ベルカの戦場ならば間違いなく敵味方問わず畏敬の眼差しを以て見上げられていたはずだ。
しかし、今や彼らは主であるはやての指揮下から強制的に外され、半ば互いに互いを人質にされた状態で上層部の都合の良い駒へと成り下がってしまっている。
「んなこたぁ分かってるって。さっさと潰すモン潰してはやてが一日でも早く帰ってこれるようにするよ」
「さすれば、今やらねばならぬことは一つだ」
「あぁ。今はただ大人しく、それでいて迅速且つ正確に与えられた任務をこなす。それが今の我々の成さねばならぬことだ」
だがそれでも彼らの固い結束と主に対する熱い忠誠心まで譲った訳ではない。闇の書が消滅して、プログラムではなくなってその肉体は徐々に人間に近付く度に昔に比べて脆弱になってしまってきたいるが、そこまで落ちぶれる程にまで地に堕ちた訳ではないのだ。
「管制室、指定ポイントはここで間違いないか?」
すぐにスイッチを切り換えてシグナムは地上本部の管制室に連絡を取る。既に現場周辺に到着してから十分が経過してその間ずっと探知魔法や探索を行ってはいるが、出動前に通達されたようなエネルギー反応は何一つ感知出来なかった。
「おいおい、まさかカラ出撃でしたなんてオチじゃねーだろーな?」
「だが局はこの廃都市区画で正体不明の反応を検知したと言っている。まさか嘘は言わんだろう」
ザフィーラの言う通りだ。いくら彼らが局内で毛嫌いされているとは言えここまで露骨ないやがらせはしないだろう。
しかし――、
「――ん、おい! 管制室、応答せよ。こちら首都航空隊第14部隊副隊長、シグナム二等空尉だ!」
「どうした、シグナム?」
「おかしい……本部との通信が途絶えた」
「はぁ? ……………………ほんとだ、繋がらねぇ。何でだよ!?」
突如として地上本部との通信が完全に遮断されてしまったのだ。何の前触れも警告も無しに唐突にだ。通常有り得ることではない、何かあったのではないか。
「控えの後続部隊とも駄目か……。取り合えず、ここは私が一旦様子を見て来よう。お前たちは引き続きここで警戒と探索を頼んだ」
シグナムが髪を翻し、空中で踵を返す。ここから後続部隊が控えている所まではざっと数百メートル、彼女のスピードならばものの数分で急行出来るはずだ。
いざ行かんと彼女が足元に推進用の魔力を集中させたその瞬間、
「シグナム! ヴィータ! 散開しろ!!」
響くザフィーラの怒号、それと同時に三人は一斉にバラバラの方向へと飛び跳ねた。
――そして、彼らが回避したのと、その間を天空から降り注いだ真紅の破壊光が貫いたのは同時だった。
「何者だ!」
「敵に決まってんだろ!」
「だが、探知魔法には何も……!」
三人は混乱しながらも一斉に攻撃が飛来してきた上空を仰ぎ見た。始めはどこに居るのか分からなかったが、目を凝らすことによってようやく対象を確認することができた。
それは荒野を歩く死神の如く全身を黒く巨大な布で包み隠した人影であり、その隙間から見える足首には紅いエネルギー翼が展開されていた。そして一番目立つのが相手が構えている長大な武装だった。明らかに自分よりも大きくそして重量もあるはずの黒光りする砲身を片手だけで持ち上げており、こちらに向けられている銃口からはまだ熱い煙が吹き出ているのが分かる。
「あいつ……何モンだ」
「IS、No.10『ヘビィバレル』、解除。指定区域全域に、プリズナーボクスを、発動」
『Yes,my lord.』
少年の持つ巨大な砲身から電子音が聞こえてきた。次の瞬間にそれは黒い金属立方体へと変貌し、その手に収まってみせた。とてもあれだけの質量とサイズが収まっているとは思えない程の変わりぶりだが、今はそんなことを指摘している場合ではない。
「敵性戦力の、魔導師ランクと、戦闘スタイルは?」
『Near“S”. Battle style is“BELKA ”. (ニアSランク。戦闘スタイルはベルカ式)』
「……純粋接近戦特化型。現状では、直接戦闘は、得策ではない。マキナ、作戦変更、第二地下ラボは、破棄する」
『Are you OK?(よろしいのですか?)』
「代わりに、ガジェット試作Ⅴ型は、第一ラボへ転送。転送魔法発動まで、ここで抑えれば、いい」
『Estimate the required time is about ten minute.(推定所要時間は約十分)』
「問題無い。マキナ、『フローレス・セクレタリー』、『ライドインパルス』、『シルバーカーテン』、『ツインブレイズ』……この四つは、常時発動。高濃度AMFも、展開。後は、状況に応じて、使用する」
『Yes,my lord.』
立方体がそう電子音で応えるのと同時に少年はマントの下から二振りのスティックを取り出した。構えると同時にエネルギーが集中し、紅いレーザーの刀身が伸びるそれはかつてナンバーズNo.12のディードが使用していた武装と全く同種のものだった。
「No.13『トレーゼ』、目標を、『眼前敵の完全沈黙・または制限時間までの耐久』と、設定。ストレージデバイス、『デウス・エクス・マキナ』に、リンカーコアの、第一拘束制限術式の限定解除を、申請する」
『Approval.“――”limit releace.(承認。『――』の制限を解除する)』
空中で待機するその足元に真紅の多重円形幾何学紋様が展開される。その足首から発生している鋭利なエネルギー翼が同じようにして両手首にまで発生、凶悪な空を切る音が辺りに響く。
「交戦、開始」
『Drive ignitio』
一方では構えた黒衣の敵を下方から凝視していたヴォルケンリッター達が相手が構えの取ったのを見て、こちらも臨戦態勢へと突入した。
「今は相手が何であろうと構わん! この状況で敵対する意思を見せるなら、それは敵だと言うことだ!」
「そうだな! いっちょ、やるか!」
ザフィーラが拳を握り締め、シグナムとヴィータがそれぞれ『レヴァンティン』と『グラーフアイゼン』を構えてカートリッジをロードした。周囲に廃気孔から吐き出された白い蒸気が充満する。
「行くぞぉ! 夜天の主に仕えし守護騎士、ヴォルケンリッターが一角! 『盾の守護獣』、ザフィーラ!!」
「同じく、『烈火の将』シグナムと、我が魂『炎の魔剣レヴァンティン』!!」『お任せください、我が主!』
「同じく! 『紅の鉄騎』ヴィータと! 『鉄の伯爵グラーフアイゼン』!!!」『了解した』
三者三様、十人十色。明確な宣戦布告を以て、今――、
「「「参る!!!!!」」」
戦いの火蓋は切って落とされたのだった。
同時刻、先端技術医療センターの集中治療室にて。
「あの、ヴァイス陸曹……本当に良かったんですか?」
「ん~? 何がだ?」
センターを訪れていたヴァイス・グランセニックとティアナ・ランスターは、現在二人きりでこの空間に居た。密室で二人の男女が……と言うと何やら雲行きが怪しく思えるが、別に逢瀬でこんな殺風景な場所まで来る訳も無く、ここに来た理由は……
「わざわざ私の検診に付き添いで来て頂いて……」
「良いってことよ、気にすんな。こっちもJ・S事件やマリアージュ事件が解決しちまって、武装隊としてもヘリパイロットとしても仕事が全然なくて暇だったんだ。それに、お前もこんな体じゃ満足に動けないだろ?」
そう言って笑うヴァイスは今、彼女の丁度背後に立っていた。ただ立っているのではない、車椅子に座っているティアナを後ろから支える為にこうして手を貸しているのだ。二日前に彼女が怪我を負って、その翌日には無理を押して復帰した時からずっと付き添いでサポートを行ってくれている彼は自分の時間の大半を彼女の為に費やしてくれていた。実際彼が言うように武装隊の仕事は殆ど無いに等しいのだが、パイロットの仕事はそうでもない。物資や要人警護に犯人の護送などがあり、やることは山積みなはずなのだ。それなのに献身的に支えてもらっており、ティアナ自身としては感謝してもし切れないばかりだった。
「でも……ラグナちゃんは放っておいたりしていいんですか?」
「それなんだよな~。実はさ、お前が大怪我したってのを知ったら、あいつ凄い剣幕で俺に怒鳴ってきたんだよな~」
「何て言われたんですか?」
「ん~とな……家に帰って早々、『ランスターさんの所に行かないでどうして戻って来たの!!』って言うんだ。一応見舞い代わりに顔は見せたって言ってやったら、『そんなのじゃなくてちゃんと傍に居なきゃダメでしょ! ランスターさんは体が不自由なんでしょ? だったら付き添いとかしなきゃダメ!!』ってよ……」
「は……はぁ?」
「『私よりも、お兄ちゃんはランスターさんを大事にしてあげて!』だってよ。どーゆー意味かさっぱりなんだけどよ~、あいつってあんなにお前に懐いてたっけ?」
「さぁ? 何度かラグナちゃんには会ってますけど、別に嫌われた様子は全然ありませんでしたけど……」
「だけど、『私よりもランスターさん』ってのが引っ掛かるんだよな。この前もお前と一緒にツーリングしに行く予定だったときも、朝叩き起こされたしな」
「そ、そうですか……。それは……まぁ、災難でしたね……」
ティアナはここには居ない彼の妹に賛辞を述べた。そして思う、彼女は歳の割には出来た子であるとしみじみ感じた。彼女の想い人はそれ位してもまだ自分の『本心』に気付いてくれない程の朴念仁なのだ。思い出すだけで何故か涙が出て来てしまうのは花も恥じらう乙女の今までの苦労が密かに語られているのを示していた。
「ん? どうした、具合でも悪いのか?」
「いいえ……何でもありません…………」
つい今までのことを振り返って涙してしまったが、なんとか悟られずにすんだ。そして、小さく誰にも聞こえないように「バカ……」と呟いたのだった。
「さぁ~てと、検診も終わったことだし、そろそろ戻るか」
「あ、待ってください。まだスバルの面会が残ってますから、そっちを済ませてからにしてください」
「そうだったな。ほらよっと!」
「うわわ!? もう少し丁寧に動かしてくださいよ!」
「わりぃ、ちょっと加減間違えた」
「もう……」
ヴァイスに車椅子を押してもらい目的の場所まで二人は一緒に行くことにした。だが車椅子に乗っている彼女からしたらすぐ背後に想い人が居てくれているのは安心出来るのと同時に常時緊張状態に陥ることでもあり、自分でも血圧と脈拍が急上昇しているのが手に取るように分かってしまっていた。彼はどう思っているのかは知らないが、少なくともこちらとしては気恥かしさがピークに達したままで、このままではどうにかなってしまうのではと本気で考えてしまう。途中で誰でも良いからすれ違わないかと思って周囲を見渡しても……
(何でよ…………)
本日晴天なり。窓からは眩い陽光が差し込んでさえずる鳥たちも見えているのに、何故かこの通路には誰一人として居なかったのだ。いつもは忙しく医療スタッフが行き来しているはずなのに……
(どうしてこう言う時に限って……!)
途中で階を移動するのに乗り込んだエレベーターですら当然と言わんばかりに二人きり。もうこのまま面会時にまで二人きりだったら血圧上昇で古傷が開いて入院……などと考えていた時に、
「お? 先に来てる奴がいるな」
神は居た。面会ルームに入ると、そこには三人の先客が居たのだ。それも三人とも良く知っている人物ばかりだった。
「なんだ、お前らも来てくれていたのか」
「ティアナじゃない。会うのっていつ以来かしら?」
『久し振りだなランスター。それとグランセニック。と、我がマスターは申しております』
白髪頭の壮年男性――ゲンヤ・ナカジマ。深い藍紫色の長髪を靡かせて微笑む女性――ギンガ・ナカジマ。そして彼女の婚約者にして陸士108部隊のエース――カイン・ヤガミ。ナカジマ家の見知った面々を目にして、ここに来て初めて彼女は真の落ち着きを得ることに成功したのであった。
「はい、お久し振りです。ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐、ギンガ・ナカジマ陸曹、カイン・ヤガミ一等陸尉」
「お前さんも相変わらず固い奴だなぁ。仕事場じゃねーんだからイチイチ名前に階級付けて喋らなくて良いんだぞ?」
「いえ、やはり直接ではないとは言っても上司ですから」
「ま、いいけどな。ここに来たってことは……お前さんもうちのスバルの見舞いに来てくれたってことか?」
「はい……」
「ありがとうね、ティアナ。私達よりも、やっぱり友達が来てくれた方があの子も喜ぶかも知れないわ」
そう言ってギンガの視線がある一方を向いた。それに伴って全員が同じ方向へと目を向ける。その方向には壁に大きなガラスが嵌め込まれており、この部屋全体が隣の部屋の様子を一望できると言う造りのもので問題の隣室からは電灯の光が溢れていた。その部屋をもう少し良く見てみると、様々な機器が清潔感ある白い空間を所狭しと占領しているのが分かり、その中心に――、
「スバル……」
白いシーツの敷かれたベッドの上で昏睡する藍色の髪の少女――スバル。微動だにしない彼女の口元には酸素マスクが取り付けられており、マスク内にこもる吐息が水蒸気となっているために彼女が辛うじて生きているのが見てとれる。しかし、眠っている彼女のベッドから少し距離を置いた位置に安置されている強化ガラス製の密閉ケースには本来彼女の四肢を担っていなければならないはずの物体――手足が入っていた。腐食などが進まないように右手と両足がそれぞれ液体保存剤の中に封入されているが、切断面からは骨ではなくて機人特有の金属と機械のフレームが生々しく飛び出していた。恐らくは彼女の体のほうの切断面も同様のことになっているのだろう。
「…………だから俺は入局には反対だったんだ」
ゲンヤの苦々しい呟きが耳朶を打つ。しかし、そんな彼の呟きもガラス越しの娘にまでは届くはずもなく、二日間生死の境を彷徨っている彼女の精神を覚醒させるには至らなかった。
「……担当医さんの話しだと、峠は越えたらしいんだけど……目覚めるにはまだ時間が掛かるって……」
「……そうですか。…………やっぱりあんたはバカよ、格好つけて私なんか庇ったりするから……。先に戦ってた私より、助けに来たあんたの方が重傷って…………」
あの時、自分が苦戦などしていなければ……。
そう考えるティアナは傷口が痛むのも忘れて静かな怒りと自責の念から拳を強く握り締めた。
『四肢の件については第一優先で治療が進められてはいるらしいが、ハッキリ言って完全復帰の見込みは限り無く薄いそうだ。と、我がマスターは申しております』
「え!? それってどう言う……?」
「これが普通の人間の手足なら時間を掛ければ問題ないんだ。……ただ、スバルやギンガのように生身の部分と精密機械がここまで緻密に融合してると、完全な再生は凄く困難らしい」
「単純に肉体医療と機械工学の両面から考えても、機械部分の部品交換や修理、切断された血管とか神経も正確に繋げて、その上で基礎フレームの電気信号を伝達させる為の電子回路まで完璧に接続させるって言うのは…………今のミッドの技術では限り無く不可能だって言われてるの」
「それじゃあ……もしこのまま目が覚めても、スバルは……」
「一生左腕だけだろうな。義肢は付けるのかも知れんが、どの道そんな体じゃ防災課のチームからは確実に降ろされるな」
災害を未然に防ぎ、それで困っている人間を救う――。それはスバルが何にも譲れない望みであると同時に目標だったはずだ。それが叶えられ、彼女は大きく羽ばたいている長い道程の最中だと言うのに、その努力はこんな所で無残にも断たれてしまおうとしているのだ。腐れ縁の親友として、共に戦い抜いた戦友として、そして彼女を一番近くで見てきたティアナにとって、その事実は我が身に起こった出来事のように辛く彼女の心を蝕んでいた。
「……お前さんが気にした所でどうしようもねぇ。そんなことよりも、今はあいつに感謝してやってくれないか。その方があいつも喜ぶからな。…………ところで、傷は大丈夫なのか? さっきから気にはなっていたんだがよぉ……?」
「あぁ、はい。一応大丈夫です」
「一応……?」
ゲンヤ達が怪訝な顔をしたままなので、口で説明するよりも実際に見てもらった方が早いだろうと言い、彼女は行動に移した。いきなり胸元のチャックに手を掛けると、それを下手に刺激しないようにゆっくりと降ろし始めたのだ。思わず倫理的に目を逸らさなければいけないように感じてしまうが、問題は制服の下に隠されていたものだった。
「まぁ、こんな感じです」
彼女の両胸はブラジャーではなくて、素肌に直接包帯を巻き付けた所謂サラシの状態となっていた。それはそれで扇情的ではあるが、注目すべきはそこではない。その胸部の丁度中心に輝いているのは魔方陣――鮮やかな青磁色をした掌大のベルカ式魔方陣がゆっくりと回転しているのだ。その光を見ていると疲れが無くなるように感じるのはこの魔法が強力な治癒魔法だからだろう。
「シャマルさんのお手製です。なんとかこれで痛覚を誤魔化して細胞を活性化させて無理のない自然治癒を行っている最中なんです。たまにちょっと痛い時がありますけど……」
「心配すんな。その為に俺が付いてるんだからよ」
すぐ後ろからヴァイスが「任しとけ!」と言わんばかりに胸を張る。こう言うときは頼りになると分かっているので彼女は素直に任せることにした。伊達に六課時代に背中を預けた訳ではないのだ。
「とにかく、こいつが目ぇ覚ましたらどうするかだ」
『いくら根が明るいポジティブさがあるとは言え、自分の夢が潰えたとなれば立ち直れるかどうか分からん。と、我がマスターは申しております』
確かに彼らの言う通りだ。如何に底抜けに明るい性格のスバルとは言え、今度ばかりは大丈夫でいられるかどうかは自身がない。
そんな中で、ティアナはさっきからずっと黙って妹の様子を見ているギンガへ目が行った。いや、良く見ると彼女はじっと自分の左手を穴が開く程見つめているのだ。
「どうかしたんですか? 具合でも……?」
ヴァイスに車椅子を押してもらって彼女に接近すると、ギンガのほうからおもむろに手を差し出されてきた。余りに唐突だったので一瞬仰け反りそうになってしまったが。
「ところで、私の左手を見て。これをどう思うかしら?」
「すごく……綺麗です」
確かにギンガの手はデバイス上の関係から両腕をかなり酷使するはずなのに、シミや汚れ一つ見当たらない。単に綺麗好きなのか戦い方が上手いのかのどちらかだろうが、今この場面でそんなことを聞いてくる理由が分からなかった。
「ありがとう。……………………やっぱり、あの人しか居ないのね……」
「え……? それってどう言う意味ですか?」
ギンガの呟きをティアナは聞き逃さなかった。すぐに彼女の口から発せられた「あの人」と言う単語が引っ掛かる。
「…………ひょっとしたら、スバルの手足……完全に治せるかも知れない」
「何だって!?」
「おいおい! それは本当か、ギンガ!?」
今度はゲンヤとヴァイスも同時に反応した。それに彼女は今何と言った? ――スバルの手足を治せる可能性がある、と言わなかったか!? だが彼女はこんな状況で嘘や冗談を軽々しく口にするような人間ではないことは重々承知している。何の根拠も無しにこの様なことを喋った訳ではないだろう。
しかし、ミッドの医療技術と機械工学の粋を決したとしても困難極まりないと言うのに、「完全に」治せる人間がこの世に居るはずがない。所詮は苦し紛れの戯言なのかと失望しそうになっていたが、その時カインも進み出てくるなりこう言ったのだった。
『奇遇だなギンガ、実は俺にも一人だけ心当たりがある。と、我がマスターは申しております』
「それマジかよ? 一体誰なんだ?」
「…………確証が無い上に、今はミッドには居ません」
「他の次元世界に居るってことか? なら管理局権限とか何とかで呼び出せば……」
『いや、今となってあいつに頼るのはかなり難しい問題だ。下手をすればミッドの治療で完全治癒するのと同等に困難だろうな。と、我がマスターは申しております』
「そうね……。せめて、はやてさんの助けがあれば……」
そう言って再びギンガは自分の左手を見つめ直した。
かつてナンバーズに切断され、今は傷一つ無く再生した自分の左手を……。
『…………義姉さん、貴方はこんな所で潰える人間ではない。と、我がマスターは申されております、はやて様』
「ラケーテン……!!」
アイゼンの先端、鎚の部分が変形して無骨な推進機構が露わになった。魔力を燃焼させて出る強力なジェット噴射で一気に加速・回転して小さな体躯から生み出される莫大な遠心力の全てを突貫力へと変換させて――、
「ハンマァアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーッ!!!」
ベルカ墨付きの破壊力を誇るヴィータの十八番、【ラケーテンハンマー】が大炸裂。ひび割れたアスファルトの大地を完全に崩壊させるには充分過ぎるエネルギーを周囲にブチ撒けて見せた。
爆音にも似た轟音の後で撥ね上がるアスファルトやコンクリートの細かい瓦礫、そして辺りを覆い隠す程の砂煙。それだけで彼女の実力の一端が覗える。
しかし、灰色の煙を引き裂いて一筋の影が飛び出てきた。それは空中を鼠花火か何かのように複雑な軌道を描きながら高速で移動し、彼女との相対距離を離す。
「くっそ! ゴキブリみたいにチョロチョロしやがって!」
「開戦から既に数分……相手にただの一撃も与えられていないぞ」
「分かってるけど、あいつがすんげぇ速く動くから……」
「確かにそうだな」
ヴィータの言い訳も無理はない。黒衣の敵は二本のブレードを構えてこそはいるが、一撃必殺の威力をかまして来るヴィータの攻撃を全て寸前の所で回避し、自身は精々いなす程度にしか武器を使ってこないのだ。そして一番の問題はその回避速度である。単に素早いだけではないことはもちろん、単純なその速度は戦士として鍛え上げられたヴォルケンリッターの視認速度を遥かに凌駕していた。現時点では辛うじてシグナムが追える程度であるが、彼女もまた相手のスピードは周囲の音を置き去りにしていると既に感付いていた。ベルカの騎士として生きて長いが、その長い戦いの人生において音速を超えた者は数える程しか居らず、その中には自身の生涯の好敵手であるフェイトはもちろん、彼女の息子分であり自身の一番弟子でもあるエリオも含まれている。だが――、
「あれはもうエリオのソニックムーブの域を超えている。…………ならば」
興奮して息巻くヴィータの前にシグナムが進み出て、その手にレヴァンティンを構える。かつて十余年前に当時9歳だったフェイトと刃を交えた自分ならばと、代わりに臨戦態勢を取る。
「邪魔すんなよ、シグナム!」
「落ち着け。お前はこの間奴と刃を交えていると言うのに気が付かないのか?」
「何がだよ?」
本当に分からないと言いたげなヴィータの表情にシグナムとザフィーラは盛大に溜息をついた。
「いいか? 相手を良く見てみろ」
「ん~? ……がたいからして、男だな」
「そうではない。今こうしていても相手は全く仕掛けて来ないだろう?」
言われて初めて彼女はその事実に気付いた。確かに敵は常に自分達と一定の距離を保ち、一応警戒はしているようだが決してあちらからは手を出しては来ないのだ。
「あの手の敵の真の狙いは決まっている。時間稼ぎだ、自分の目的を終えるまでのな。恐らく、目的を終えると同時に姿を暗ますだろう」
そう言いながらシグナムはカートリッジをロード、レヴァンティンの白銀の刀身に魔力を含んだ劫火が纏わりつくのを確認すると静かに攻撃の構えを取る。周囲に満ちる冬の寒波を押し切る程の熱エネルギーが素肌を痛く照らし出す。
「一撃のもとに屠ることが出来ぬなら、回避出来ぬ速度と手数を以て――」
集中、狙い定め、捕捉、駆ける!
「押し切るっ!!」
推進用魔力を足に纏いて加速、空を駆ける一陣の風となりて戦乙女は眼前の敵に迫った。当然相手は回避体勢を取るが、既にその身は彼女の制空圏へと入り込んでしまっている。
劫火を纏いし炎の魔剣を振りかざし、シグナムは必殺剣を放つ。
「紫電……一閃!!!」
“動くこと雷挺の如し”。しかし、その実態は雷にあらず。纏いし炎は赤竜の火炎よりも熱く、その剣捌きは煌く光の如し。天の雷に匹敵する威力とその眩い閃光に似た刀身の輝き――それこそが彼女の必殺剣、【紫電一閃】の真髄なのだ。切っ先が擦れただけでも大木は消し炭となり巨岩は両断される……そんな攻撃を真に受ければ如何に鋼鉄に並ぶ防御を以てしても、完全に威力を殺し切るのは至難の業だ。
しかし、
「くっ……!」
彼女は現状に苦々しい表情をした。それもそのはず、切れぬ物など無しと自負していたレヴァンティンの刃は、あろうことか敵の手に鷲掴みにされて逆に捕えられてしまっていたのだから。その力は凄まじく、歴戦の戦士である彼女が両手で踏ん張ってもビクともしないのだ。
「…………マキナ、解析」
『Yes,my lord.』
「!?」
突如耳についた敵方の声と奇怪な電子音。何を言い表しているのかは分からなかったが、危険を察知してすぐに身を引こうとする。
「逃がさない」
だが、敵の腕力は想像以上に強く、彼女の全力でも全く動じようとはしてくれない。そればかりか逆にその圧力をどんどん高められているのだ。レヴァンティンの刀身からは枯れ枝でも折るかのようにミシミシと嫌な音が容赦なく響き、それは当然シグナムの耳にも届いている。
「くぅ! この……離せ!」
『My lord,finish to analysis.(解析が終了した)』
「報告、せよ」
微動だにしないまま、敵は自分のことなど眼中に無いかのように事を進めて行く。良からぬことを企んでいるのは確実だが、自分だけではどうすることも出来ない。
「シグナム! 待ってろ、すぐに……!」
背後からヴィータとザフィーラが助太刀せんと接近する気配を感じた。敵同士でも一対一の決闘形式を重んじるシグナムではあるが、窮地の今となってはそんな流儀を意固地になってまで通す訳にはいかない。ここは素直に感謝すべきだろう。
「AMFバインド」
『Yes,my lord.』
囁くような声と共に背後から届く重苦しい感覚。瞬時に彼女の肌が、かつてホテル・アグスタ防衛戦において敵のⅢ型ガジェットと相対した際にその身に感じたモノと同質の魔法であると解析する。しかし、それが分かった時には既に手遅れだった。
「何だよ、このバインド!」
「魔力糸がAMFで構築されているだと!? 不味い! このままでは……!」
「ヴィータ! ザフィーラ!!」
背後では全身を紅い拘束糸によって緊縛された二人が徐々に力無く高度を下げていっているのが見えた。虚空に浮かんだ多数の小型テンプレートから伸びる大量のバインド、一本一本が強力なAMFで構築されているそれを真に受ければ周囲に纏った魔力は分解・無効化され、やがては地に落ちるだろう。いくら人間離れしているとは言ってもこの高さから落下するのだけは避けたい。
だが、背後の仲間の危機に注意を向けてしまっていた気付かなかった。
その眼前から鋼鉄の鉤爪が迫っていることに……。
「ぐあっ!!?」
突然頭を襲った衝撃に戦乙女は悲鳴を上げる。明らかに人間の力を凌駕したその圧力に、シグナムの頭部の奥からも嫌な悲鳴が上がるが、右手にレヴァンティンを構えたままでは抵抗のしようがない。両手でも大地の割れ目に刺さってしまったかのようにビクともしなかったものが、今更片手だけで対処出来るはずがないのだ。
「この……っ!!」
冷たく嫌な金属の感覚から必死で逃れようと首を振る。だが、黒腕の五指から生えた鉤爪が頭髪と頬に食い込み、それを許さない。
こうなれば最終手段。騎士であり正々堂々を旨としている彼女には有るまじき選択だったが、マントを纏った敵の胴体に渾身の足技を見舞ったのだ。剣ばかり振るっているイメージこそあれど、何も鍛え上げられているのは両腕ばかりではない。数多の戦場を駆け抜けた両脚こそが彼女にとっての騎馬であると同時に槍なのだ。空中で片足立ち体勢の後、太腿の筋肉のバネを最大活用し、一気に前方敵の腹部目掛けて放った。
しかし――、
「な……に!?」
確かに自分は黒衣の奥にある肉体に蹴りを入れ、手応えもあった。だが……
「……腹部に、物理的ダメージ。行動に支障、無し」
硬いのだ。常人ならば触れた瞬間に慣性の法則に従って吹き飛ばされる程の威力で蹴ったにも関わらず、マント越しに足先を伝ってきた感触は限り無く硬い鉄のようなモノで、聞こえて来た相手の声も何事も無かったかのような口振りだった。
「マキナ、『あれ』を発動」
『Yes,my lord.“Drain-Magilink-Field”,invoke.(ドレイン・マギリンク・フィールド、展開)』
「な、何を…………ぐぅああっ!!?」
シグナムは自分の頭を押さえる敵の掌中から不審な魔力を感じた次の瞬間、何と一瞬で放出されていた魔力が一気にベクトルを反転させるのを感じた。その勢いは凄まじく、相手側が放出していた分はもちろん、あろうことか接触面からリンカーコアに干渉し、シグナムの分の魔力まで吸い取ろうとしているのだ。かつて闇の書の蒐集を受けた時と同じように急激に干乾びる彼女の魔力核はすぐにレッドラインへと突入し、薄れ行く脳裏に警鐘を鳴らすが、既に肉体末端の魔力回路は枯れた井戸水の如く消失しているのが分かった。
(このままでは……!?)
窮鼠何とやら。消失寸前の体力と魔力、そして全体重を再び脚に込めて、敵の腹部へと撃ち放った。
「む……」
小さな声と一緒にレヴァンティンと頭を鷲掴みにしていた手の握力が揺らぐ。
その隙を彼女は逃さない。さらにもう一発蹴りを入れて距離を離し、方向転換、そして急降下。何とかギリギリではあったが、バインドを全て切り伏せて地面に接触する直前に二人を助け出すことに成功した。
「ありがと、シグナム」
「礼には…………及ばん……」
一旦三人は地面に降り立ったが、シグナムが思わず片膝を付くのを見てザフィーラは駆けよって肩を貸した。
「すまない……」
「何があった? お前らしくもない」
「…………魔力を……触れただけで持って行かれた」
「はぁ!? 蒐集じゃねーんだぞ、んなコトあるもんか!」
「詳しいことは……分からんが、あの時…………敵の魔力ベクトルが反転した。恐らく、その時に魔力が共鳴反応を起こして……」
「魔力ベクトルの反転……紅いテンプレートに、シグナムの蹴りでも応じない肉体……そしてあの腕力…………シグナム」
「あぁ、間違いない……顔こそ見えんが、奴は戦闘機人……それも二日前に地上本部を襲撃した者と同一人物と見て間違いはないだろう」
一同は再び上空の敵に向き直る。やはり相手からは仕掛けては来ないが、逆に逃亡もしない。じっとこちらを警戒しているようだ。
始めにテンプレートを目にした時からもしやとは思っていたが、この短い期間でここまでの共通事項が上がれば全くの他人であると推測する方が無理がある。だが、もし相手が同一の人物だとすれば、ティアナとスバルに重傷を負わせたのも……
「……一つ聞こう!」
ザフィーラが上を仰ぎ見て声を張り上げた。もちろん、詰問の相手は黒衣の敵だ。
「二日前、地上本部を襲撃し、テロ行為に及んだのはお前か!」
怒号にも似たその問いに対し――、
敵はナイフの投擲で返してきた。地面に突き刺さったそれの柄に瞬時に環状テンプレートが出現、光り出すと同時に膨大な熱エネルギーをばら撒き出す。
「!!」
「くっ!!」
「な!?」
強烈な物理的衝撃と共に三人はすぐさま回避と受け身を同時にこなす。急に攻撃に転じてきた相手に戸惑いながらも、体勢を整え直すと、ヴィータの方は猪の一番にアイゼンを振り回し、【シュワルベフリーゲン】の応酬で叩き返した。
「でりゃぁあああ!!」
打ち出された四つの魔力球は弧を描き、敵を撃墜せんと飛襲する。だがそれらの攻撃は敵の片手に張られたシールドによって阻まれ、シグナムを襲った時と同じく魔力を掻き消されて虚空に消滅してしまった。
「……吸収、及び、解析完了。マキナ、スティンガー大量配置」
『Yes,my lord.』
黒衣の周辺に虚空からナイフが大量に転送されてくる。それらの切っ先は全てがヴォルケンリッターを狙っているのが分かる。
「……発射」
瞬間、舞い飛ぶこと飛燕の如し。ただ一直線に、それでいて音速を突破して迫るそれは一切を駆逐する矢羽の如く飛来する。
「こんなモン、弾き落としてやらぁ!」
すぐにヴィータが進み出てアイゼンを回転、時間差も無しに飛んできた凶器を全てバラバラの方向へと弾き飛ばす。
「へ! こんな安っぽい攻撃で……」
「バカ者! 避けろ!!」
シグナムに襟首を掴まれ、ヴィータは大きく後方へと引き摺られた。
そんな彼女の足元へ弾き飛ばしたはずのナイフが一斉に突き刺さる。アスファルトを余裕で貫通するその鋭利さに驚愕するが、今はそんな所を気にしている場合ではない。さらに、刺さったはずのナイフの柄に再び環状テンプレート、てっきり爆発するのかと思ったが、次の瞬間にそれらは独りでに地面から抜けると空中で矛先を変え、また飛来してきたのだ。その切り替えの素早さはかつてのフェイトの得意魔法【フォトンランサー】にも匹敵していた。
「……IS、No.7『スローターアームズ』」
敵の声を合図に、ナイフの刃先から耳をつんざく高音が響いてきた。編隊飛行を続ける刃はそれによって切れ味を格段と上昇させ、進路上に存在していたコンクリートやアスファルトを切り裂き、貫通しながらも速度を落とすことなく飛襲を続けてくる。
「高周波振動……!? あいつが操っているのか」
「爆発、遠隔操作、魔力吸収…………滅茶苦茶だ!」
ビルとビルの間を縫うようにして飛行しながら三人は回避行動を続ける。が、その背後からは銀影煌かせてナイフの群れが接近しつつあった。ザフィーラの【鋼の軛】の隙間を掻い潜り、ヴィータの【シュワルベフリーゲン】までもかつてのⅡ型ガジェットを上回る回避性能で一発も当たらない。明らかに敵が操作しているのは明確だが、ここまで正確且つ長時間に渡る操作はなのはレベルの実力者でなければ説明がつかなかった。
「ヴィータ、ザフィーラ! 一旦散開するぞ! 各自でこの攻撃をやり過ごす!」
「その後はどうする! 策があるのか?」
「正直策などには頼りたくはなかったが……仕方が無い!!」
「……騎士から摘出した、魔力と、デバイスのデータ、解析は?」
『It already. Accession practical use stage already.(完了している。既に使用可能段階にも到達)』
灰色砂漠の上空で佇む彼は自身のストレージデバイスと現状の確認に移った。纏ったマントの奥で光る金色の両目は眼下に広がる廃棄ビルを睥睨し、時々左手で空を切るような動作を見せた。
彼の足元では真紅のテンプレートが一定速度で回転している。使用しているISは物理的遠隔物体操作能力『スローターアームズ』、かつてナンバーズの数少ない空戦担当だった個体、“空の殲滅者”No.7セッテが使用していたものである。武器――特に投擲関連の武装を自在に操り、制御するこの能力はただ単にスルーアンドリターンだけではない。このように一度に大量の武器を制御下に置き、全てを時間差操作することこそがこの能力の真髄なのだ。
「……三方に別れた? …………追尾する」
相手の行動にも眉一つ動かさずに対応し、すぐにナイフ群を操作・分裂させて追尾を続行させる。操作する理屈こそなのはのブラスタービットと同じ理論だが、あれだけの物量ともなれば指示を下す脳に多大な負担が掛かり、制御だけでもかなりのエネルギーを消費する。だが彼は表情筋すら動かすことなく指揮者の如く左手を振り、三陣に分かれたナイフ陣を操作し、徐々に敵影を追い詰めて行く。
と、その時――、
ほぼ同時にバラバラの三つの地点から空間と大気を震わせて響く爆音、そして視界には爆音の数と同じだけの爆煙の柱が上がっているのが捉えられた。
あのナイフには全てランブルデトネイターの効果が付与されていた。スローターアームズで追尾し、着弾と同時にランブルデトネイターによる爆撃によって仕留める算段だったようだが、仕掛けた当の本人は凍り着いた無表情のままで少し首を傾げた。
「対象が、全て同時に、撃墜?」
『Confirmating now.(現在確認中)』
いかに敵方がこちらの能力に驚愕したとは言え、あれだけの実力者らがそうそう簡単に墜ちるとは考え辛かったのだ。それも同時ともなればあちら側に何か策を練られた可能性が非情に高い。だとすれば、警戒レベルが上がるのも必然と言えよう。
しかし、その警戒心もデバイスから異常無しの報告を受けると同時に瞬時に退いていった。
「…………本当に、撃墜された? なら、現時点より、この戦闘区域より、離脱。第一ラボへと、移動する」
『Yes,my lord.』
ライドインパルスのエネルギー翼が大きく唸りを上げ、次の瞬間には彼はさらに高く上昇していた。廃棄ビル群も豆粒ぐらいの大きさにしか見えない。
「では、行くか」
展開していたテンプレートを収め、風にはためく黒マントをきつく締めると一気に速度を上げて――、
「やられたと思ってんのか?」
頭上に影、そして声。
見上げた瞬間に彼が目にしたものは、眩い真冬の陽光と、それを背にしてデバイスを構え迫る紅の騎士の姿だった……。
「バカにすんじゃねーよ……あんなナイフ、全部叩き潰したに決まってんだろ!」
逆光で顔は影になって見えないが、その語気は静かな怒りを帯びていた。ハンマー型アームドデバイス、グラーフアイゼンがジェット推進し、今度は敵を叩き潰さんとする撃鉄と化す。
すぐに回避しようとするが、既に自分のいる座標は彼女の制空圏内、今できることは一つ……衝撃に備えて防御体勢を――
「吹っ飛べぇーーーーっ!!!」
渾身の力を以て敵の体を弾き落としたヴィータのアイゼンは余剰魔力を排出し、周囲に白い水蒸気が溢れ出た。
≪ヴィータ、仕留めたか?≫
遠くから様子を見ているシグナムから思念通話が飛んで来た。もちろん、通信が無いだけでザフィーラも無事である。散開したのは捲く為ではない、一度に大量のナイフを相手にするのではなく、散開して群が分裂して数が少なくなった所を各個撃破する為だったのだ。その方が効率良く処理でき、例え全弾命中したとしてもそれ程度の数量ならば防御魔法でも防ぎ切れる自身があったのだ。
「いや、あいつ……アイゼンが接触する寸前にすんげぇ固ぇプロテクション張りやがった。多分まだピンピンしてるはずだ」
そう言うヴィータの眼下では屋上に大きな穴が開き、衝撃で大きく傾いたビルがあった。当然初めからこうなっていたのではない、さっきのヴィータの【ラケーテンハンマー】をまともに喰らった敵はそのまま衝撃と威力を相乗して慣性に従い落下、その勢いはビルの天井に当たってなお留まらずに、さらに外壁を貫通してその体を内部へと消え去ったのだ。
≪そうか。ならば、分かっているだろうな……?≫
「分かってるって。気絶してれば良し、してなくて抵抗の意思を見せるんならブッ潰す……だろ?」
≪決して深追いはするな。刃を交えて分かったが、奴は相当出来る。もし仕留められなかった時は――≫
「言われなくても分かってるつってんだろ。心配しなくても、あいつが本当に地上本部襲った奴なら、スバルとティアナの借りはきっちり責任持って返してやるさ」
再びアイゼンを構え直すと、ヴィータはカートリッジをロードして虎穴へと足を運んだ。上から見やると天井を突き抜いた穴は相当深くの階まで続いていて、密かに彼女のアイゼンの威力を物語っていた。
「覚悟してろよ……!」
小さき紅の鉄騎はいざ行かんと縦穴へと足を踏み入れて行った。その姿はすぐに淵から隠れてしまい、辺りには束の間の静寂が訪れたのであった。
ただ、それが安寧の静けさなのか、嵐の前のものなのかまでは誰にも分からなかった。
「それでな、チンク姉! そいつが今までの奴と違っててさ!」
ウェンディとディエチに遅れてカリムの事務室へとやって来たノーヴェは差し出された紅茶には目もくれず、備え置きの電話を見つけると引っ手繰るかのようにそれを自分の元へと引き寄せたのだった。
通話の相手は彼女の最も敬愛する姉、チンク・ナカジマだ。今は簡易拘置所にてはやてと一緒に謹慎中だが、何も面会などの接触が許可されていない訳ではないのだ。元々が状況証拠ばかりで罪を確定させられたこともあり、時間帯や許可された範囲内での接触なら許されてはいるのだ。それの一部がこのように電話での会話である。
もしこれが故レジアス・ゲイズ中将が仕切っていた管理局時代ならばこうはいかなかっただろう。彼が殺害されたことによって局の上層部でも一部では人員的な改革が起こされ、彼が存命だった頃のような強硬な姿勢を取る体制も一部では徐々に改善されつつあるのだ。それでも彼女ら二人の謹慎処分まではどうしようもなかったのだが……。
「むぅ~、ディエチ、ノーヴェはチンク姉に何を話してるッスか?」
「なんかついさっき知り合った人が凄く親切だったんだって。ここに来るのが遅かったのも、その人と話をしてたからだってさ」
「ノーヴェが私ら以外の他人とッスか? 不思議なこともあるもんスね~」
それだけで二人はノーヴェの話題から離れ、また取り留めない談笑に華を咲かせ始めたのだった。
そんな彼女らのすぐ近くでノーヴェは――
「なんかさ、もう言葉とかじゃ言えねぇぐらいにイイ奴だったんだ! 初めて知り合ったあたしを助けてくれたし、あたしの悩んでたことも聞いてくれたし……」
『そうか、お前が他人とまともに接するようになりとはな……姉は嬉しいぞ、ノーヴェ』
「あたしだってやる時はやるんだよ。心配しなくても大丈夫に決まってるじゃん」
『そうか……そうだな。人は誰でも成長する、お前もその時期か』
「あぁ! …………ところでさ、チンク姉」
『ん? 何だ?』
「そいつ……トレーゼのことなんだけどさ、なんか知らないけど一緒に居て落ち着いたってゆーか……息が合うってゆーのか……何か良く分からねーけど、本当に悪い感じはしなかったんだ。この感覚、今まで感じたことなくて……あたしには分からなくて……チンク姉なら知ってんじゃないかなってさ」
『ほぅ……ノーヴェ、それはな、“友”と言うものだ』
「友……?」
ノーヴェは良く分からないと言う風に首を傾げた。実際彼女には「友」と言うものがどんなものなのか理解できていなかったのだから、当然と言えば当然でもある。
『友とは良いものだ。今は亡き騎士ゼストもかつてはそう言っていた……お前の身の回りにも、親友を持つ者は沢山いるぞ。スバルやティアナ……八神殿やハラオウン執務官に高町教導官……エリオとキャロはどちらかと言えば、より親密だがな。友は人生において一番重要なんだ、私自身も持つべきは唯一無二の親友だと思っている』
「本当にいいモンなのか……?」
『うむ、真の親友とはな、常に互いを支え合うものなのだ。一方が辛い時はその辛さを安らげ、一方が喜んでいる時はその喜びを分かち合う……そうして人間は誰かと互いに喜怒哀楽を共有し、成長するのだ』
「ふ~ん…………ゴメン、やっぱ良く分かんない」
『いずれお前も分かるさ。ノーヴェはまたその者に会いたいのか?』
「会いたいけど……他人なのに何度も会えるのか?」
『ノーヴェがその者を他人と思っている内はダメだな。だが――友なら、親友と思っているのなら、いつかまたどこかで会えるさ』
自身に満ちた姉の言葉にノーヴェの方も無性に嬉しく思えて、本当にそうなるような感じがしてきたのだった。
『友とはそう言うものなのだ。……お、もうそろそろ時間だ。看守に注意される前に切らねば』
「うん、じゃあな、チンク姉」
『うむ、私が無事に帰るまでちゃんと大人しくしているんだぞ?』
「ガキじゃないんだからさ、心配し過ぎだって。……じゃ、また今度な」
そのやり取りを最後にして、ノーヴェは受話器を置いた。謹慎中の姉に電話できるのは一日に一回、次に電話できるのはきっかり24時間後となるだろう。
しかし、今の彼女の胸中には、今度最も親しい姉に何の話題を振ろうかではなく、ついさっき知り合った人物――トレーゼのことが渦巻いていた。
「…………友達、か」
“友達”……。言葉で言い表せばたった四文字で済んでしまうが、それが内包している意味はとても深い。ノーヴェ自身、19歳と言えどそれは戸籍登録上の年齢でしかなく、実際は製造が完了して培養槽から出て来た年数はたった10年程しかない。そんな彼女が今まで自分が経験したことのないモノに興味を抱くのは至極当然だが、今回のようにここまで強い衝動に駆られるのは初めてだった。
その衝動はかつて戦場に身を置いていた頃に感じていた戦闘衝動とは違い、風前の灯火のように控え目で、それでいて何故か強くハッキリと胸の奥底で熱を持っていた。今までに感じたことのないそれに、彼女は戸惑いながらも手を伸ばすのだろう。
「今頃何してっかな…………トレーゼ」
窓の外から見える太陽はさっきよりも少し地平線に接近して、今日もまた一日の「日常」が終わりを告げようとしていた。
「……状況、報告」
『No problem. Not obstacle to action.(問題無し。行動に支障は一切無い)』
「ガジェット試作Ⅴ型の、転送は?」
『Already. Retreat from this battle area.(既に完了。現戦闘区域から撤退せよ)』
「それは、不可能。周辺を、囲まれた」
『What shall I do?(ならばどうする?)』
「目標の変更。『耐久』から、『完全殲滅』へと、移行させる。どの道、地上本部のことが、知れているとなれば、顔も割れている可能性が、高い。ここで排除、する」
『OK,approval. Into action at once.(承認。直ちに実行に移せ)』
「了解」
廃棄ビルの薄暗がりの中で、彼は纏っていたマントを引き剥がした。もはや姿を隠す必要はない、今すぐここで排除してしまえば自分を「見た」者は居なくなるのだから。
「マキナ、セットアップ」
『Form of“Cross Mirage ”. Mode of“Dagger Mode”.』
足元に何度目かの真紅のテンプレートが輝いた。高速で回転するその光を真下から受け、周りの空間と彼の顔が露わになる。紅い光を跳ね返す金色のその瞳はただ前方の視界を見つめているだけであり、まるでこの世の全ての事象に興味が無いかのように感じられる無表情を湛えていた。
しかし、絶対零度のその眼から発せられているものは冷気などではなく、純粋なる「敵意」と「殺意」、そして
限り無く虚ろなる「無」だけだった。
「目標、敵対する全対象の、『殺害・破壊』。
――開始する」