現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 子育て
  5. おやじのせなか
  6. 記事

多忙、さりげなく家族愛 膳場貴子さん

2011年1月28日

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:膳場貴子さん=伊藤進之介撮影拡大膳場貴子さん=伊藤進之介撮影

 父は商社勤めのサラリーマンで、私が1歳から7歳のときまで家族で旧西ドイツで過ごしました。平日はもちろん、土日も出張や接待でほとんど家にいなかった。

 当時のイメージは、トレンチコートにパイプ。少しキザなところがあったんです。たまに早く帰って来るとうれしくって、「おかえりー」と玄関まで走っていって抱きつきました。コートに染みついたたばこのにおいが、父の最初の記憶です。

 家に仕事は持ち込まないタイプでしたが、日本に戻ってからは、年末に500枚以上の年賀状を書くのが恒例でした。大掃除をしている私や2人の姉は「何で仕事の人ばっかり大事にするの」と不満でした。

 私が高3の夏、定年を間近に控えた父に腎臓がんが見つかりました。発見が早く、手術と3カ月余りの入院で完治しましたが、職場に戻ると自分のポストに後任がいたそうです。つらかっただろうと思います。

 でも社会人になって、父の仕事ぶりを知る機会が増えました。最近も、緊張しながら財界の大物に取材に行くと、「昔、お父さんにお世話になって」と笑顔で迎えられました。酒に弱くて家ではほとんど飲まない父が、顔を真っ赤にして宴会を盛り上げていたそうです。

 仕事中心だった父ですが、いつも家族を気にかけてくれていました。大学時代、友達と遊んで夜遅くに帰ると、父はいつも風呂から上ったばかりのような格好で「お帰り」と声をかけてから自分の部屋に入るんです。偶然を装ってましたが、今思えば心配して待ってたんでしょうね。

 ニュースキャスターという仕事柄、プライベートなことで騒がれることもありました。心配する母とも感情がぶつかり、精神的につらかった時期、父は「仕事のマイナスも含めて引き受けるなら、自分の思うようにすればいい」と冷静に声をかけてくれました。

 75歳になった今も、かつての仲間との集まりを企画したりしているそうです。人付き合いを大切にする姿勢は見習いたいと思います。(聞き手・相江智也)

   *

 ぜんば・たかこ TBS系「NEWS23X(クロス)」のキャスター。1997年、アナウンサーとしてNHKに入り、「おはよう日本」「プロジェクトX」などを担当した。2006年に退局。35歳。

検索フォーム

おすすめリンク

鈴木さんは手術を繰り返し、抗がん剤の新薬も試したが、効果はなかった。最期に選んだのは在宅のホスピスケアだった。

同和地区への特別施策がなくなり、地域の歴史を知らずに成長する子供たち。京都の中学校の取り組みに密着。

新しい児童養護の形。それが、一般家庭で育てる「ファミリーホーム」だ。千葉県にある施設を訪ねた。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

[PR]注目情報

学校からのお知らせはこちらから

ジャンル別の最新情報はこちら
  • 大学
  • 中学・高校
  • 通信制高校