【コラム】大宇の名に別れを告げて

 韓国自動車産業の嚆矢(こうし)ともいえる大宇自動車が歴史の中へと消えた。GM大宇オート・アンド・テクノロジーが今月20日、社名から「大宇」の2文字を取り「韓国GM株式会社」へと改称することを決定したからだ。まだ、「大宇バス」など旧大宇自動車の一部事業部門がその名を引き継いでいるが「大宇」という名前は既に韓国乗用車業界に存在しなくなった。

 大宇自動車の歴史は曲折の連続だった。前身は1955年に設立された新進自動車工業だった。新進工業は71年、ゼネラルモーターズ(GM)と合弁でGMコリアを設立した。しかし、GM本社は70年代末のオイルショックを予見できず経営難に陥った。このため、泣く泣くGMコリアを産業銀行に譲渡しなければならなかった。その後、GMコリアはセハン自動車を経て、83年に大宇自動車に生まれ変わった。大宇自動車はその後、ルマン、ティコ、プリンス、ブルガムなどの車種を生産し、韓国屈指の自動車メーカーとしての地位を固めた。しかし、相次ぐ海外工場の建設、双竜自動車買収、品質問題など放漫経営で崖っぷちに追い込まれた。『世界は広く、なすべきことは多い』という著書でサラリーマンのあこがれとなった金宇中(キム・ウジュン)元大宇会長は、大宇崩壊から半年後の2005年に記者と会った際、「自動車はわたしがどうしてもやりたかった。無理をし過ぎてすべてを失った」と悔やんだ。

 後悔したところで、過去を取り戻せるわけではない。そして、歴史とは巡るものだ。経営難で韓国を去ったGMは大宇自動車を再び買収した。それも、約7000人が路頭に迷う苦しいリストラの末だった。

 それから10年。GM大宇は年商10兆ウォン(約7400億円)、従業員数が約1万7000人、年間輸出台数が約160万台に達する韓国最大の外資系企業へと生まれ変わった。GM大宇の変身ぶりには驚かされる。全世界で販売される「GMシボレー」の4台に1台は韓国で生産されている。

 それにもかかわらず、GM大宇を見詰める視線は好意的とは言い切れない。GM大宇が社名から「大宇」の名を取ったことについて、苦しい状況が改善したからといって、名前を変えるのは韓国無視ではないかとの不満も聞かれる。これについて、旧大宇出身のGM役員は「消費者に『大宇』と言うと、つぶれた会社というイメージが強すぎる。大宇という名前を使い続けたくても、それでは車が売れない」と漏らした。

 今年はシボレー誕生から100周年に当たる。GMは今年秋に大規模な記念行事を予定しているという。韓国GM株式会社が100周年を迎えられるか、あるいは歴史が繰り返され、韓国企業に再売却されるかは分からない。一つ確かなのは、市場を無視すれば、誰も生き残ることはできないという事実だ。そんな教訓を残しただけでも、大宇の消滅は無駄ではない。

チェ・ウソク産業部自動車チーム長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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