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天声人語

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2011年1月23日(日)付

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 歌人の上田三四二(みよじ)は散策時に作歌した。「歌をつくろうとは思わない。歩くだけでいい……だがそういう道の上で、ふと、歌が落ちてくる……その言葉を唇(くち)にのぼせ、吟味し、よさそうだと胸にしまい込む」と、随筆に記している▼その人が「夕方の散歩で会いたくないものの第一」としたのが自動車だ。〈対向の車の列に擦られつつやはらかき肉わがあゆみ行く〉の一首がある。生身を車列に擦られては、どんな想も落ちてこない▼うわの空でも、心地よく歩きたい。そんな道を取り戻す知恵が、交通戦争と大気汚染の中で生まれた歩行者天国だった。ホコ天の歴史そのものといえるのは、東京の新橋から銀座、日本橋、秋葉原を経て上野に至る中央通りだ。南北5キロ超で一斉に車を閉め出したこともある▼南の銀座と並び、40年近く前から北の名物だった秋葉原のホコ天がきょう、無差別殺傷事件から137週ぶりに復活する。客足の戻りを待つ商店街と、風紀を案ずる町内会が夏までの試行で折り合ったという▼銀座が成熟なら、アキバは途上の街。ハイテクとサブカルが混然とし、先の読めない危うさが漂う。求刑を待つ悪意とは無縁の、愛すべき危うさである。どうか安全に加え、未知、新奇、乱雑の魅力を増幅するホコ天であってほしい▼いつもは通せんぼの車道も、中に身を置けば面としての広さに驚く。ぶらぶらと、センターラインあたりで深呼吸でもして、ささやかな非日常を味わってみよう。こんな時代だから、祝祭の場は大切にしたい。そう、歩くだけでいい。

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